#夏の風景画
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【Doumei`s blog】タイトル「常夏っぽい風景」 : だまし絵気分のイラスト日記~Doumeiのブログ~より。。。
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Scan and transcription of the Persona 3 part of Newtype Magazine February 2016


春、夏、秋を経て冬、理が出す答えを見届けて
監督 田口智久
死を見つめる季節のフィナーレに
第1章でコンテ、第2章で監督を務めてこられた劇場版「ペルソナ3」ですが、ファイナル・シーズンである第4章は、どのような気持ちで臨んだのでしょう?
田口 第3章で自分が監督としてかかわっていない劇場版「ペルソナ3」を見ることができたのが、刺激になりました。自分とはまったく違う方法論で構築されていて、僕がやったら確実にこうならないですし、なんというかジェラシーのようなものを感じまして。ああ、ペルソナって、こういうふうにつくることもできるんだ、と。それを受け止めることができたからこそ、第4章では、自分のやり方を突き詰めたフィルムにしなくてはと思いました。あとは、やっぱりフィナーレということでのプレッシャーが大きかったです。
第4章の物語の関となるのは?
田口 理と綾時の関係性ですね。そこヘシャドウの母体であるニュクスが襲来したり、それに伴ってみんなの心がダウナーになって⋯⋯という展開で、ずいぶん重いものになっています。でも、みんなが悩んでいる部分にしっかり尺を取って描いているので、映画ならではの見せ方ができているのでは、と思います。
理にスポットが当たっていきますが、どのように描きましたか?
田口 第3章に、理が旅館の池に落ちて笑うシーンがありますけど、あの理を経ての理をしっかり追っていこうと考えていました。今作では、抱えきれないほどの絶望を前に、悩み、立ち止まってしまうというところまで、みんなが落ちてしまうんですけど、そのなかで理が見つけ出す答えというのが、全4章通してのテーマでもあり、象徴的なセリフになっています。そして、それは、第3章で笑った理がいなければ、たどり着けなかった答えなんじゃないかな、と。
それから、綾時とアイギスも、重要な存在ですね。
田口 すごく極端な⋯⋯本当に超極端な言い方ですけど「綾時と理は両想い。アイギスは理に片想い」っていうのを、こっそり頭の片角に置いてました(笑)。もちろん僕独自の解釈なので、いろんなとらえ方をしてほしくもあるのですが。ただ、そうやって、アイギスがヒロイン然としているわけではないからこそ、ペルソナならではの仲間感が出る、というのもあるんですよね。
理と綾時に重点が置かれていくとなると、その��役を演じられている石田彰さんのアフレコもすさまじいものになったのでは。
田口 石田さんだけ別の週に理以外の綾時を中心とした声を録らせていただいてから、全体アフレコの週に理としてみんなといっしょに録らせていただいた感じなんですけれど、本当にすばらしかったです。演技に対するストイックさが本当にプロフェッショナルで、ご自身で「今のは少し綾時が出てしまったから」とリテイクを申し出てくださったり。
全体的にも、とてもスムーズなアフレコになったそうですね。
田口 圧倒的にスムーズでした。特に今回は静かなシーンが多くて、感情的にセリフを吐くような場面はほとんどないんですけど、その淡々とした空気感を成立させるのは難しいはずなのに、自然にスッとやってしまえるのがこのチームの方々の成せる技。こんなに研ぎ澄まされた現場は、なかなかないのではないかと。
細かな心情描写という意味では?画づくりにもこだわられたのでは?田口監督の描き出すダウナーな情景描写が楽しみです。
田口 カッティングが終わった後に、編集さんに言われたひと言が「暗っ!」でしたからね(笑)。刺されて死ぬとか大惨事が起こって死ぬとかのサスペンス的な死ではなくて、非常に観念的な死についての物語なので、精神的にどうやられていくかというのを、どう表現するかが課題で。光や色味の演出であったり、降ってくる雪の量で表現していきました。アニメで雪が降りつづけている作品もあまりないんじゃないかと思うんですけど、心情とマッチさせたいなあというところで、力を入れています。作画もすごいアニメーターさんたちが集まってくださっていて、誇張された動きというよりはリアル寄りの芝居をていねいに描いてくださっています。全然動いているように見えないところにも実は枚数が割かれていて、作画枚数もこれまででいちばん使っているんですよ。
最後に、今作を描くうえでの最大のポイントだったと考えるシーンを教えてください。
田口 ラストですね。それは第4章を担当すると決まったときから、見据えていたビジョンでもあります。第1章の春からともに季節を経てきた理と仲間たちが迎える、そのラストを見届けてほしいです。
#1 Spring of Birth
1日と1日のはざまに隠された影時間。そこにはびこる怪物・シャドウに襲われて、���気力症となってしまう者が町に続出していた。対抗できるのは、ペルソナという特殊な能力をもつ者だけ。春、私立月光館学園に転校してきた結城理は、ペルソナの力に覚醒し、同じくぺルソナの力をもつ者たちが集う特別課外活動部へと引き入れられる
#2 Midsummer Knight's Dream
夏休みに屋久島旅行に向かった特別課外活動部。そこでアイギスという女の子に出会う。彼女は対シャドウ特別制圧兵装のラストナンバーであり、なぜか理のそばにいることを望むのだった。理たちは影時間の謎を追いながら、さらに新たな仲間と出会い、きずなを深めていく。だがそこにストレガと名のる者たちが現われ⋯⋯
#3 Falling Down
季節は秋。特別課外活動部は、影時間を終わらせるため、シャドウや滅びを望むストレガとの死闘を重ねていた。ある者は仲間や家族の死と向き合い、ある者は護るべき者に気づき、ある者はこれまでの戦いの意味に葛藤する。そんなとき、理の前に謎の転校生、望月綾時が現われる。その出会いの先にあるものは⋯⋯
「PERSONA3 THE MOVIE #4 Winter of Rebirth」
●1月23日土全国ロードショー
●第3章Blu-ray&DVD 1月20日水発売
WEB▶http://www.p3m.jp/
Twitter▶@P3movie
illustrated by YUKIO HASEGAWA, finished by SAORI GODA
background by BIHOU, text by HITOMI WADA
©ATLUS ©SEGA/劇場版「ペルソナ3」製作委員会
STAFF 原作=「ペルソナ3」(アトラス) 脚本=熊谷純 スーパーバイザー=岸誠二 キャラクターデザイン=渡部圭祐 ペルソナデザイン=秋恭摩 プロップデザイン=常木志伸 色彩設計=合田沙織 美術監督=谷岡善王(美峰) 美術設定=青木薫(美峰) コンポジット&ビジュアルディレクター=高津純平 編集=櫻井崇 音楽=目黒将司、小林哲也 音響監督=飯田里樹 第4章監督=田口智久 制作=A-1 Pictures
CAST 結城理=石田彰 岳羽ゆかり=豊口め��み 伊織順平=鳥海浩輔 桐条美鶴=田中理恵 真田明彦=緑川光 山岸風花=能登麻美子 アイギス=坂本真綾 天田乾=緒方恵美 荒垣真次郎=中井和哉 イゴ ール=田の中勇(特別出演) エリザベス=沢城みゆき
#persona 3#p3#ryomina#that tag's deserved i think#'Ryoji and Makoto are in love with each other. Aigis' feelings for Makoto are unrequited'#insane
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夏旅2024 新潟散策 Part3 - マリンピア日本海+うみがたり
旅に水族館撮影は欠かせない(?)ということで日本海側の2つの水族館 新潟市水族館マリンピア日本海と上越市立水族博物館うみがたりをはしごしてみた。
新潟市水族館 マリンピア日本海
本州 日本海側最大規模の水族館、マリンピア日本海。新潟駅から比較的運行本数の多いバス 1本で到着。アクセスの良さはありがたい。朝一でも入場券売り場には列が。。。それを見越して前日 コンビニで前売り券を購入していたため、列をスルーして入館。前日の自分に感謝。


入ってすぐ、浅瀬や干潟が再現された潮風の風景から始まり、波立つ日本海を再現した大水槽、暖かい海域のエリア、信濃川の清流ゾーン等、見所いっぱい。もちろんクラゲも激写。


屋外ではアシカやアザラシ、トドのコーナーへ。海面から顔を出してぷかぷか���かぶ姿がかわいくて、ずっと見て飽きが来ませんね。 (1枚目のアイキャッチ画像もマリンピア日本海にて)
上越市立水族博物館 うみがたり


直江津駅から歩くこと15分弱の上越市立水族博物館 うみがたりへ。朝一 高田の蓮へ寄り道して出遅れた、+夏休み真っただ中で、「すみっコぐらし」とのコラボ展示の影響もあるのか(?)、なかなかの混雑具合。。。こちらも前売り券を事前手配していたからよかったものの、入場券の窓口は炎天下の中 長蛇の列となっていました、お疲れ様です。。。


こちらの水族館はマゼランペンギンの飼育数が世界一で知られているとのこと。ちょうど到着したタイミングはペンギンさんのお食事タイム、ということでまだかまだかと順番待ちするペンギンさんの様子を撮影してみた。


日本海、上越エリアの豊かな自然の中で育まれる生命の美しさを堪能できました、満足。
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#アメリカ研修旅行
無事日本に帰ってきました。
ロサンゼルスでは、私たちがダウンタウン周辺から離れた翌日に大変なことになっていたり。
次に向かったラスベガスでは、ベラージオの噴水を見に行こうとしたらやたらと警察だらけだったので「何かあったの?」とか言っていたら、直前に噴水前で銃撃事件が起こっていたり。
危険からのニアミスだらけだったので、ほんとに「無事に」平和な日本に帰ってきたんだなぁと。

行きはセントレア→成田→ロサンゼルスだったのですが、偶然2回とも窓側の席だったので、ぼんやり車窓(飛行機の窓からの眺めって何と呼ぶんだろう)を眺めていました。

成田空港周辺の水田と、カリフォルニア州のどこかの車窓風景。
隙間さえあれば水田がある日本と、広大な茶色い大地が広がるアメリカ。乾燥の度合いも全然違っていて、日本のジメジメした夏に慣れている私にとって、気温は高いけど全く湿気のないラスベガスの気候は妙な感じです。汗が臭わないからこっち(アメリカ)の方が過ごしやすいんですけどね。
今回のアメリカ研修での画像(研修以外の時に少しだけ撮ったもの)はまた後日上げる予定で、ひとまずは帰国の日記のみ。
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安座真サンサンビーチ、輝く空と海、熱気で空高く伸びる積乱雲。沖縄らしい夏の風景。人は自然を目にすることで、心が癒されます。生きることの本質を思い出させてくれるようです。写真は無料でダウンロードできるようにしていますので自由に利用してください。
“Azama Sun Sun Beach, with its shining sky and sea, and cumulonimbus clouds rising high in the heat. A quintessential summer scene of Okinawa. People find solace in witnessing nature, reminding them of the essence of life. The photos are available for free download, so feel free to use them.”
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飛べない翼
社命を帯びて上越に3泊した。本3冊持ってったけど1文字も読まず、冬場はスキー場、夏場は合宿所として用立てられている広大なリゾートホテルの一室に横たわって、俺はなんだか視界が飴色で、東京よりはいささか涼しい気がする、だからこそなじみ深いこれがまさに夏であって、東京のあれはもはや夏ではない別の何か神の怒りであって、田圃の田の字の3画目みたいに真っ直ぐ伸びている畦道を社用車走らせていくと、逃げ水が逃げていく、遠く遠く、都会育ちのくせに、俺はこれを懐かしい原風景なのだと錯覚する。駐車場に七面鳥みたいに太った鳩がいた。何回か遊んでくれた女が新潟に住んでいるはずだった。賢くて傷つきやすい良い女だった。開け放たれた体育館の鉄扉から小鳥ほどもあるばかでかい���蜻蜓が入ってきたことに気がついたのはたぶん俺だけだった。鬼蜻蜓はほとんど垂直に上昇して梁の一部にとまり、天井の模様と同化して俺は目を逸らせばどこにいるのかわからなくなってしまいそうだったから、今もまだ飴色の視界の隅に小鳥ほどもあるばかでかい鬼蜻蜓の影を見るような気がする。
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【制作風景】
個展では数年ぶりにリアル寄りの絵柄で「柴犬とトラネコ」を描いた絵も発表します。
今回は雪の世界、 柴犬が猫を探して旅をします。 ご来場お待ちしております🐾
#柴犬とトラネコ 🐕🐈 #ピカレスクギャラリー
🐾柴トラ夏子 個展「柴犬はネコの夢を見る」🐾
店頭 2025年1月22日(水) – 2月2日(日) オンライン 2025年1月29日(水) – 2月2日(日)
詳細→ https://picaresquejpn.com/shibatora-natsuko_exhibition_2025/
🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾
≪柴トラ夏子 ≫ 日本画画材を中心に、絵を描いたり立体造形をしています。愛犬と愛猫をモデルにした「柴犬とトラネコ シリーズ」の他、動物や子どもなどをテーマとした作品を発表しています。
🐾HP https://shibatoraneko.tumblr.com 🐾X(Twitter) https://twitter.com/shibatoraneko
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良いお年を
1月、なんだか連れ合い夫婦の親類に疲れてしまった。当たり前って当たり前ができない人にとっては毒なんだよな。
年末(12月30日)から1月2日まで泊まってげんなり。家族間の違いってやっかいだし人生観の違いもやっかいだ。
後半は札幌出張へ。友人の家業のお手伝い。雪がなんだか愛おしく感じた。夜は友人と飲み歩いていたわけだけど、札幌すすきのあたりにいけば誰かに会うというコミュニティのキュッとしたまとまりが新鮮だった。東京には人が集まれるような街がたくさんある。選択肢が多いのは良いことだけど寂しい侘しい気持ちにもなる。
2月 東京にも雪が降った。義父がなくなった2年前のことを思い出した。その度に相続で揉めている実子を思い出して腹が立つ。本格的に人に振り回されるようになったのはそのあたりからな気がする。プロジェクトの後輩に飲みにつれてかれて締めに入ったらーめん屋であった女の子としばらく連絡をとっていた気がする。名前ももう忘れた。
新しい生成AIの仕事が入り準備にも忙しかった。「夜明けのすべて」を映画館で見て、人が持つ障害や病について考えさせられた。受け入れて生きていく難しさ。ただ、日常を過ごす難儀さよ。
3月 霊視?ができる人のところにいった。人生の答え合わせのような時間だった。もう日記には書いたので詳しくは書かない。とにかく人と自然を敬って生きていこうと思えた。なかなか人にはできていない気がする。接待で連れてかれた料亭に、金を持った経営者にくっついてくる「女性がいたほうがなんとなく見栄えがよい」みたいな思惑で連れてこられた女の子がいて妙に気に入られた。薬をやってるんだかずっと酔ってるんだか、へらへら笑う子だった。帰りに袖をつかまれたときに合った目が急に正気で「どっかいこ」と言われたのが「逃げよう」という意味に聞こえてしまって急に怖くなった。「こんどね」と言って手を振りほどいてゆっくりと離れた。
末には母がようやく病院に行き、大きな病院での受診を勧められている。
4月 母の余命宣告を4月の1日に医師から受ける。ステージ4の肺がん。残された時間を良いものにと思っていたが、何度も躓いている。きっと自分は良い子供ではない。母が人生で一番大切にしている宗教を大切にできないからだ。脳への転移も中旬には見つかり、治療を選択する。今思えば、母が人間らしく生きることができる分かれ道はここだったのかもしれない。奥さんの友人夫婦と飲みに行った際にパートナーシップについて考えさせられた。どうしたって男女に力の差はあるのだから恫喝や暴力で支配しようとしてはいけない。要求を通そうとしてはいけない。と話しても無駄だった。人への説得や説教は無駄に終わることが多い。人は人生で何度かしか学べない。ちいさこべえ。沖縄出張のついでにひめゆりの塔にもいった。献花した。嘉手納町の光と闇を知る。
5月 母の入院に伴い実家で過ごすことが多くなった。抗がん剤は良く利くものほど副作用が大きい。あっという間に母はボロボロになっていった。もともと食が細く、身体も瘦せていて、体力もない母がさらに骨と皮になっていくのは見てられないものがある。きつかった。5月はTumblr民とひとりあった。人生で一度も交錯することのなかった人の話は面白い。筋が通った人生で羨ましいと少し思った。5月は冨山出張もあった。そして三峰神社にもいった。
家を建てるためのプランニングが本格的になったのもこの頃だ。決められたところに自分のサイズを合わせて住んできた自分には注文住宅という選択は意味がわからなかった。結婚は人の価値観に片足を突っ込みながら生きることだ。
6月 誕生日。東京ドームホテルのブッフェでごはんを食べた。あと下北沢で「辰巳」を観た。今年見たドラマや映画の中で5本の指に入る作品。連れ合いは中旬に韓国旅行へいった。女性は好きですね。韓国。プロジェクトチームの女の子のことを女の娘と書いたことで変な絡まれ方したのもこの頃だ。辞書を引けと言いたい。母と冥土の土産的なプレゼントとして宮古島旅行をプレゼントしいったのも6月か。身体の自由がきかない母はあまり楽しめなかったかもしれない。たまに思い出すことがあれば良いが。母はそういうタイプでもない。
7月 新しい仕事が舞い込んで研修つくりをたくさんした月だった。母の闘病は相変わらず続き。夏の暑さからかあまり記憶がない。
8月 妊活が始まった。これはけっこうつらかった。なんだか閉塞感がとてもある時期だった。予定調和の上を歩いているようで気持ち悪かった。「ラストマイル」を観た。エンタメとして最高。自分のために働くっていつの間にかにできなくなるよね。選んで人のために働くならいいけど、人に搾取され続けるのはしんどい。
9月 相続がようやくまとまりかける。弁護士さんが入ると話が早くて助かる。家の工事も始まった。幸福な家庭の風景が相変わらず自分の中にはなくて、いつかどこかへ行きそうで怖い。それは実の父と同じで嫌だし、あこがれるし。父も金さえあればそんな生き方で良かったのかもしれない。実家の売却も現実味を帯びてきて、家を見ては無駄なものの多さに頭が重くなる日々。結局はしりぬぐいはこちらだから。いつも。もう一人Tumblr民と会った。自由で羨ましいが、その自由さを羨ましがられることがこの人の業だなと思った。人は手に入らないものを欲しがるから。相変わらず母は通院。一度、治療するを選択するとこちらから声をかけるまでストップしないのが病院で。そんなことも知らなかったな。
10月 母の二度目の癌の脳転移が見つかり、喪服を買う。母から急にもう犬の散歩ができないと連絡がきたのも10月。それは良いけど、事前に相談するということができないのに腹立たしさを覚えた。いつもそうで、限界になってからパスされる。久々にバイクを買った。去年買ったお気に入りのコートも今年は着ていない。そういう機会が減った。
11月 福島出張。気晴らしになった。母の治療方法は試してはダメを繰り返してもう残り少ない。分の悪い賭けはやはり奇跡は起こらず終わる。閉塞感は孤独感に変わってきた。孤独なら良い。親しい。
12月 大阪出張。介護系のセミナーの撮影。「認知症と癌が一番幸せな死に方っていうよ」と励まされた。認知症はすべてを忘れていくから。癌は死ぬ時期がわかるからお別れがしやすい。10年会っていなかった兄家族と母を合わせる。意外と何事もなかったかのように話しているそうだ。その場に自分はいたくない。白けてしまう。
人の一生について考える。経験したことが身体や心に沁みついて、時にそれが毒となる。小説家などの自殺者について調べた人が大抵は小さい頃に愛されなかった記憶を抱えていると言っていた。老いるということは、無力だった小さい頃に戻ってしまうという怖さと戦うことになる。人に迷惑をかけて生きるということがどうしても許せなかったのだろう。生きるということは迷惑なことだ。きっと誰もそう。そうなんだけど開き直ったら終わり。
年末年始は犬の世話があるのでひとりで実家にいる。連れ合いの実家にいかなくてよいのはなんとも楽だ。スーパーで少しだけ良いものを買って食べる。そして年越しそばの準備をしている。もうすぐ2025年だ。全部片づけていこう。
なんとか今年中に書き終わった。良いお年を。
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1月に新車を一括で買った。買ったのはわたしなのに夫によく運転させている。わたしは、19歳の頃からバイクに乗っていたのだ。4輪に関してはペーパードライバー(バイクと4輪の免許は同じ1枚だけれども)。運転が苦手なのは仕方ない。
車で中央区に行かないといけない用事ができて、初めて1人で中距離を運転した。バイクとは違う車という箱の中だからか風を感じず、フロントガラスの先の景色が絵画のように感じた。初夏の幻のような心地よさがよりそうさせたのだと思う。流れる景色が凪いでいて、すすきの交差点で「うわ���、初めて車ですすきのだよ」と思っていたら、市電が横切る。


バイクに乗って遠くに出かけたいが休みと天気のタイミングを逃している。こんな気温の中、風を横切って走るのが気持ち良いのだ。車にしか乗らない人は、この面白さを知らないのかと思うと、気の毒だと思う。かと言って、年々怖いもの知らずだった自分が老いていってしまっていて、守るべき人たちが明確になりすぎてしまって、バイクに乗るのも怖いなと思っているのも事実。札幌の短い夏をどう過ごそう。来年には妊婦だったりして。いつだって今年の夏が、1番若い訳で。
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とっても夏ですね。
かわいいお花をもらいました。青くて小さくて大好き。
春がきて夏がきて、楽しい日々です。
音楽や小説や映画、風景や匂いやいろんなことに心が動く瞬間が戻ってきて、これが自分だった、と思う。胸をきらきらさせて、嬉しいときはたくさん泣いて生きていこ。悲しい涙の人生はやめよ。けど友だちが泣いてるときは、一緒にたくさん泣くよ。
わたしは人が好き。
友だちや周りの人をもっともっと大切にできる自分になりたい。そうなれるような生きかたをしたいです。芸人みたいにおもしろくないけど、人が笑ってくれたら嬉しい。
人とたくさん話して、心のひとかけらにだけでも触れられたらいいね。それでみんな笑ってたらいいな。そんな場所は現実でなく天国なのかな。それでも信じているよ。いま生きているのだから、一瞬でも通じ合える瞬間のために明るいほうを見ていたい。

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無題
平穏よりも胸のときめきをいちばんにしたら世界のぶあつい皮膚が一枚めくれたかのようになにもかもが歌い踊りかがやきはじめたのをいまでも覚えている。わたしは親が厳しくて外泊できないけれど、そのあいだに同級生の子たちはうつくしい島の海に反射する満月をみて、だれかと夜通しぴたりとからだをあわせて内緒話をするような、今にもぷつりと切れそうな糸のように細くて鋭い若さを世界の夢に浸らせている。感性を野放しにして、こどものころの感動をひとつずつ取り戻す時間がわたしにも必要だった。けれど思いどおりにいかないこともある、それも定めとおもって歯をぎゅっとくいしばる。わたしには必要だった。路上、白い廊下みたいに澄んだ朝霧をかんじる時間。薄いトップス。ズレた口紅。好きな男の子と寝て一限目をサボるとか、夜の街頭を走り抜け、くだらないことに時間とお金を費やすこと。「それだけじゃない、夜に遊ばなくても昼に釣りをしたりサッカーしたりそういう遊び方だってあるだろう。そっちのほうが幾分もまともだ」 おとうさんは夜遅くに帰ってきたわたしを叱りつけ、そう言った。わたしはけしてワルにあこがれているのではなくて、ただただ綺麗なものに飽きただけだった。わたしにとって祈りや信仰はさいしょから型があってそれに当て嵌めてハイ完成みたいなかわいいお菓子作りのようなものじゃなかった。昔も今も自分でうつくしい歌をつくれない。うつくしいものがたりをかけない。うつくしい絵を描けない。世の中にはフォロワーが万桁いる女子高生がいて、今、世界中では何千もの美術展が開催されていて、明日、いつかオリンピックに出るであろう少年がはじめてスケボーに乗るかもしれない。わたしには何もできないかもしれないけれど、彼らの生き様はわたしをわたしたらしめる微かなエッセンスとしてわたしに溶け込む。それを祈りという言葉で表象してはだめ?これからのことをかんがえると、ずっとどきどき��る。目の前の光景が、訪れたことのない地の光が、風が、わたしを、わたしのからだを必要としてる気がする。世界中に張り巡らされた血管がわたしの心臓部にも繋がっているような心地。死ぬ5秒前ってどんな感覚なのかしらないけど、築き上げた塔が崩れてゆく感じなのかな、雪景色のような。
無題
朝起きたら腕に友達の噛み跡と身に覚えのない痣が3つくらいあった。耐え難い疲労がからだのあちこちにひっついて、入れ墨と化している。活字の海を、本をその背に背負えたらよかったのに、今のわたしを崖っぷちに引き止めているのはうつくしい言葉でもなくて、泥に塗れた重いカルマ。イヤホンの先から垂れ流れる音楽すらも風のように軽やかで自由なものではなくて、ねばねばした気持ちわるくてかなしいものに聴こえた。夏と、そのあつさと、その底知れぬ闇に街ゆくものすべてがこころのずっと奥の方で平伏している。昼過ぎにスクランブル交差点前の巨大スクリーンが薄青い空を泳いでいるようにみえたこと、街ゆく人の肌色が、シャボン玉のようにその熱を吸収して発光していたこと、ぜんぶなんか夢みたいにふわふわしているかんじがした。もうすぐでなつやすみなのに、大学入ってからそれまでもずーっと夏休みのような感じだったからあまりどきどきしない。みずみずしくずっと光っていたい。わたしもいつかデカい人間になりたい、いつかいつかいつかという文句ばかりが増えてゆくのを横目でみて、ぜんぶカサブタを剥がすように振り解いて拭ってくれる奇跡みたいな命、日々、音をどうしても期待してしまう。どうすればいいんだろーと思いながらまたあしたも友人と夜ご飯をたべにいく約束した。それでまた家に帰って、朝起きて虚無感に苛まされて、の繰り返しを大量の課題で中和する。薄暗い中でたべるごはんとか朝早起きして化粧をすることじゃない、今はなにもない海とか草原でなにも繕わずにその自然のデカさとか愛を仰向けになって享受するのがいちばんただしいきがする。たすけてと呼ぶには大袈裟すぎるし。
end
泣き出しそうに張り詰めた空気に鼻を啜る。世界の彩度が落ちて、ぶあつい服を着た街ゆく人たちが皆んなちっちゃな怪獣みたいにみえる。肌寒い。外はずっと灰色、モスグリーン、レモンみたいな匂い。大きな木が揺れて、木の葉の上に横たわっていた雨の滴が霧のように3秒間くらい降った。最近は毎日毎日やることが多くて、それをこなしているあいだに1日が終わる。3日連続で化粧を落とさずに寝てしまった。多くの人が電車にのっているときに外の景色に目をやらないのと同じ感覚で、わたしも生活の外側にひろがる微かな動きに鈍くなった。ずっと特別でありたかった、1番愛されたかった、そういった思春期的な熱望とどんどん疎遠になっていく自分に日々焦ったり安堵したりしている。だけど同時に、わたしの中をまだ生きている17歳のわたしがその面影をときどき覗かせる。期待させる。突拍子もなく走ったり、ゲラゲラ笑ったりする。些細なことで泣いたり、理不尽な世界に怒っている。良くも悪くも変わっていくのなら、これからの自分に期待をしたい。アルバイト先では後輩が6人くらいできて、みんなわたしよりも仕事ができる。わたしはもともと注意をされると衝動的に泣いてしまうところがあったし、シンプルに忘れっぽかった。あまりにも器用に仕事ができないので、ある日店長とそのことについて話し合ったら意識の問題と言われた。その1、人からのアドバイスに劣っている自分を見出してはだめ。その2、素直に人からの意見を受けとる。その3、自分のためでなくだれかのために働く。この3つを約束した。夜の繁華街で50歳の男性に飲みにいきませんかと声をかけられたり、あした授業にどんな服でいくかを考えながら化粧品を見に薬局に寄り道したり、腕に点々とのこる虫刺され痕をみて、それを残した蚊のことを考える。あした、図書館で借りた本の返却期限。わたしもちっちゃな怪獣になって寒さをまるごと食べてしまいたい、寒い日の、霞んだ光やクリアな淋しさ、果実のようにぎゅうぎゅうに酸っぱい気持ちを。
slow burning
大学一年生というよりも、高校四年生というような振る舞いをしているなあ、と自分のことを客観視する。新宿の横断歩道橋から行き交う人々を眺める。つい最近まで、委員会の同期の仲の良さにムラができていて、グループとかカーストとかそういう言葉が浮上してきてしまうほど揉めそうになっていた。それでも、それぞれが居心地の良い場所にしようと歩み寄っている。こういう、諦めによる愛想ではなくて心からの気持ちに胸を打たれる。明大前の飲み屋で酔っ払って「俺みんなのこと愛してるよ」と照れ笑いする先輩に、わたしたちみんな、キモいねーなんて言って茶化した。そのあと夜の大学で騒いでいたら警備員に注意された。机の下に10円玉を落としたのを拾わないで帰る。いつまでも赦されていたい。山猫のような女の子でいたかった。すぐ隣、肌すれすれにだれかの温もりを感じて弱さを誤魔化すのではなくて弱さを共鳴しあっていたい。「東京の人は生き急いでいる」なんて言葉があるけれど、わたしは美しい光景がそこに広がっていれば必ず立ち止まる人でありたい。仕事に遅れそう、とか、終電が、とかじゃない、好きな人たちのためだけに忙しくありたい。恋人は待ち合わせをするとき、「どこでお��あう?」と聞くのだけど、高2の頃、初めて会う日、それを「(恋に)落ち合う」と勝手に解釈して勝手にどきどきしたのを思い出した。それからわたしも「どこで落ちあう?」と聞くようにしている。ドア窓の形に切り取られた青い影が電車のフロアに映って、がたんごとんという音に沿ってフィルム映画みたいに小刻みにうごいていた。池袋で新疆料理をたべて、お腹を下す。スペイン語の中間試験。渋谷で5分1000円の手相占いをしたら、鎖みたいにいくつもの線が絡まっていますね、と言われた。意外と気にしいなんじゃないですか?「そうですね」と答える。駄菓子屋で1000円使い切ったほうが幸せになれそうだとおもった。電車の隣の線路にカラスが一羽いた。こんなに近くでみるのははじめてだ、と思って、じーっとみつめた。黒なのに黒じゃなくて、光を受けて渋いグリーンや紫っぽくみえる羽毛に目を見張る。なんか、空はどこまでも真っ青なのに光の細部だけ色があたたかい夕方前みたい。ふわっとなにかに気付いて、じーっとそれを見つめて、そこになにかが“視える”とぜんぶ途端にスローモーションになって、焦燥感や虚しさがたちあがってくる瞬間がある。からっぽなのにぎゅうぎゅうな感じ。AirPodsをケースにしまう音が体感的に5秒間くらい耳に残ったり、自分の息遣いにどきどきしたり、すれ違う男子高校生の会話声や、鳥が羽をはためかせる様子がクリアに輪郭が保ったまま空中を転がる。ガムを買って噛みながら、心のもやもやしたなにかを同時に小さく噛み砕いてゆく。光の洪水。家に帰ってパスタをたべたあと、お風呂で下の毛をつるつるにする。夕方終わりにお風呂に入るの、とても好きだなあと思う。コンタクトレンズを外さないまま、化粧も落とさずベッドへダイブする。瞼の裏に東京タワーの赤がたましいの塊みたいにまあるく光っている、はやく何もかも諦められる年齢になりたいと思う。
無題
なんかまじでわたしが疲弊していて悲観しているのか、世界が残酷なのかわからなくなってきた。脳科学の講義を受講したあと、テキトーに混雑した休日の街をあるいていたら皆んなの脳みそが透けて浮きでてきそうで気持ち悪くなった。地球4周分の神経線維。そう、どでかい爆弾が街ゆく人々の頭蓋骨に葬られている。ニューロンが軸索を介してつながってゆく、放出と受容を繰り返してみんな手を繋ぎあってゆく。セール中でバイトの雰囲気がぴりぴりしていて、みんな資本主義の豚みたいに働いていた。うつくしくないとおもったし、私も美しくなかった。結いた髪に、ぴたっとあげられた前髪。なにを思っているのか���書くのがずっと怖かった。もしかしたら私の感じているこの欲望はとても汚らわしいもので、それゆえにだれかを傷つけてしまうかもしれない。でも、言葉にしなければすぐにわすれてしまう感情に名前をあげなくなって、水をあげなくなって、そうしたら、じぶんの脳みその溝をうめていたみずみずしい苔までもがすっかり枯れきってしまって虚構を連ねるようになった。空洞に哀しみの音だけが響き渡る。友達はいるけど、私はその友達の1番になれない。恋人みたいな人はいるけど、私はその恋人の1番にはなれない。1番っていうのはほんとうの意味での1番、2番とか3番とかがいない1番。圧倒的な2人の世界の中でのフェアで高貴な1番。有名になりたかった。文章でも外見でも写真でもなんでもいい、だれにも敵わない羽根で世界を羽ばたいてみたかった。わたしを選ばないで、そこらへんのそれっぽくかわいい女の子を選ぶかっこいい男の子たちを信じられないでいる。外国に行ったらモテるよ^_^と投げかけられた言葉について何回も考えるけど、考えるたびにかなしくなる。でもね、神様はいるとおもう。木漏れ日の首筋に、砂丘のしずけさに、広大な空の一枚下に、その温もりと永遠が芽吹いているのをしっている。そのたびに、わたしはこの世界に愛されていて、まだ19歳で、まだ何にでもなれて、そして世界を(気持ちがあふれてしまいそうなくらい)等身大で愛しているドラゴンみたいにかわいい女の子だとまじないを唱えるようにして心を強く保つ。アスファルトに散った桜が朽ちて、吐瀉物のようにグロテスクにぬるい光を浴びている。走り抜ける。だれかの憎悪の中に、疑念の中に、見下しの中に憧憬の眼差しを覚えながら。東京で灯される光の数だけ、アフリカの広原でつややかな花が咲けばいいのに。光の重さの分だけ、銃弾が軽くなればいいのに。帰り道、ひさしぶりにパンを買って帰った。
日記
弟がiPadのタッチペンを無くしたらしくて、それを聞いた母がすぐにAmazonで検索して新しいのを買った。こういうとき、ほんとうになんか小さなことだけれど、すごく心が愛にみちる。
大学の新校舎の建物のにおいが400人もの人が集まった大教室の縁をすべっていく。扉を開けた瞬間、目と目と目がわたしの顔を捉える。湿気漂うフロアにだれかがペンを落とす音、先生のマイクが吐息までもを拾って湿った熱を加速させる。「儚いって聞いて何を思い浮かべますか?蝶?蛍?蝉?トンボ?」 教授がそう聞くと、みんなのえらぶ選択肢がちょうど均等に分かれる。講義が終わるといつもすぐに帰るイケてる男の子が蛍を選んでいて、なおさらかっこよく見えた。わたし、インスタのフォロワーが490人いるんだけど、その人数って今見てるこの人たちよりももっともっと多いのかと思うとなんか心強いような息苦しいような、不思議な気持ちになるなーとぼんやり思った。君たちはぶっちゃけ勝ち組です、という先生がキモかった。海外の大学院に行きたい。わたしはもっともっと色々な人を知るべきだし、美しい景色にであうべきだし、貪欲に学ぶべきだとおもうから。聡明になって、お金を稼いで、将来だいすきなひとたちにたらふくご飯をたべさせてあげたい。お母さんとお父さんが育ててくれた、守ってくれたこの心の真ん中にそびえる愛情のかたまりを誰かに分け与えていきたい。でも、そうとも思うけど、逆にそれをこなごなにさせてくれる危険性や若さゆえの解放にも目が眩んでしまうの。「今しかできない」ってとてもずるい言葉だなあ。
19さい
19歳とかいちばん呪われていた1年だった。まだハタチじゃないけど、もうそうさせて、と思うくらいに、1年のあいだに10年分くらいの幸せと不幸せがぎゅうぎゅう詰めに、どっちがどっちかわからなくなるくらいに入り乱れててくるしくてさみしくて悲しかった。くるしかった。わたしと同じ純度で、等しく、あいしてほしい。あいされたい。
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滋賀県県立高校の事件についてだ。 結論から言うと、女子生徒が通う同じ学校に新年度も教諭が在籍するのはおかしいと思う。女子生徒の不安を思えば最低でも別の学校に異動させるべきだし、何なら未成年と関わる仕事に就かせるべきではない。 極端だと思う人もいるかもしれないが、私も彼女(女子生徒)と似たような経験をした人間なので長くなるが私の身の上話を聞いてほしい。 まず簡単に今の��について。私は現在大学生。性別は女。ちょっと前は女子高生だった。 そして私が彼女と似た経験をしたのは5年前。高校1年生の夏だった。 私の高校には購買があって、弁当や文房具、菓子パンなどが買えた。まあ、一般的な購買だったと思う。店主は30代半ばの男性で、自称"売店のお兄さん"。購買がある場所には休憩スペースがあって、15人くらいが飲み食い出来る椅子とテーブルがあった。お兄さんの誰にでも冗談を吹っ掛けるような軽い空気と過ごしやすいスペースのお陰で購買を溜まり場にする生徒も一定数いた。私も、友人がよくそこにいたことから購買に通っていた一人だった。 私はアニメや漫画が好きで、友人やお兄さんとその話題でよく盛り上がっていた。特に私はイラストを描くのが好きで、美術部にも所属しており、お兄さんもイラストが上手だったため描いた絵を見せ合ったりするくらい仲が良かった。友人と話しながら絵を描くのはとても楽しい時間だった。彼のことを、大人として信頼していた。 昔ながらの購買らしく決済方法は現金のみで、精算機なども特になく、お兄さんが手計算で精算を行っていた。そのため、130円のパンを買った子に対して、100円だけ受け取り30円を「いいのいいの」と言いながらお兄さんが返す光景も珍しくなかった。一応、よく購買に来る子、居る子、など彼なりの線引きをした上でのサ���ビスのようだった。私もそんなサービスを受ける一人で、菓子パンを買ってレジに持って行くと「持ってけ」と言われて、奢ってもらっている状態の時も多かった。 私の学校では夏休みでも夏課外と呼ばれる課外授業があり、午前は課外、午後は部活という生活を夏休みに入った私は送っていた。 その日私は課外を終えた後、いつも通り美術室で絵を描こうとしていた。が、その日は美術室が施錠されてて部室に入ることが出来なかった。塾に行こうにも開校時間までまだ時間がある。手持ち無沙汰になった私は誰か駄弁れる相手はいないかと思い購買に向かった。今日部室入れなかったんだよねーみたいな事を友人と話したと思う。 話の中で、大きなスケッチブックの置き場に困っているという話をした。部室に置いて帰ろうと思っていたが入れず、教室の自分の棚に置こうにも大きすぎて入らない。そんな話を聞いていたお兄さんが「じゃあ俺が預かるよ」と言った。 購買の脇には小部屋があり、在庫を置いたりするための店主のスペースになっていた。そこで預かってくれるという話だった。それは助かると思い厚意に甘え、預かってもらうことにした。 次の日、課外を終え、スケッチブックを取りに購買へと向かった。スケッチブックを返してほしいとの旨を伝えた時、お兄さんは妙に歯切れの悪い返答をした。よくは覚えていないが「いやー、その、書いてある事なんだけどさ、あんまり気にしないでね」的なことを言われたと思う。訳は分からなかったがスケッチブックは返してもらう必要があるのでその場で受け取った。大方ふざけたラクガキでもしたのだろうと思って、美術室に戻ってページを開いた。 ページの端に小さな文字が書いてあった。 「出会った時からずっと好きでした」 次のページを捲るとまた書いてある。 「初めて見かけた時から気になっていました」 次、そのまた次にも。 「初めはおとなしい人だと思っていたけど」 「かなり表情豊かで」 「意外な面を見る度」 「声が可愛いすぎて小鳥みたい(笑)」 「ちっちゃい足」 「目がきれい」 「あなたの内と外」 「大好きでした」 全身の血の気が引いて頭がクラクラするような感覚をがした。今でも覚えている。これはどういうことかと酷く混乱した。お兄さんが?私を?好き??? 無理だ。あり得ない。 確かに私は彼と仲が良かった。親しくしていた。だが、それは親戚のおじさんと仲良くするようなもので、同級生の男の子と親しくなるようなものとはまるで違う。あの人は、私のことをそんな目で見ていたのか? 年上の男性から言い寄られて辟易する若い女性の話は私も聞いたことがあったが、そんなものは自分には無縁だと思っていた。あって社会人になってからだろうと思っていた。なのに、まさか、学校関係者から言い寄られるだなんて。 知らなかった。大人として信頼していた人間から好意を寄せられるのがこんなにも恐ろしいとは。でも、とにかく、こんな状態のスケッチブック、使える訳無い。そう思い混乱しながらも彼の元に向かった。彼��友人たちと談笑していた。 ずかずかと話の輪の中に割って入り、彼に書いたものを消すように言った。彼は「いや、本当にゴメン」とか言っていたと思う。謝るってことは多少悪い事をしたという自覚があるのか、コイツは? 謝られたせいだが何だか自分でもよく分からなかったが、涙が溢れてしまった。友人に酷く心配されてしまったのでその日はその場を離れ帰ることにした。 次の日、前日に消してと言ってスケッチブックを押し付けて帰ってしまったので、それを回収するため再び売店へと向かった。そして 「あれはどういうことなんですか?」 と彼に聞いた。 二人きりの売店の空気は重く息が詰まるようだった。 「ほんとーに申し訳ない!」とか彼は繰り返しながら 「まあ、俺が私ちゃんのこと、好きってことかもしれないねー」 と言った。 何それ。かもしれないって何だよ。 と思ったのでさらに聞くと、私のことが前から好きだった。勝手に私のものに書きこんだのは悪かったと思っている。以前から奢ったりしていたのは私が特別だったから。といった趣旨のことを言われた。そして 「この事、他の誰にも言わないでね」 と言われた。 この発言が一番意味不明だと思った。 他の人に言われたら困る、後ろ暗いことだと分かって私に思いを伝えたの??悪い事と分かっていて私にこんな事をしたの??しかも私は好きな人(勿論生徒)がいると言ってこの人に恋愛相談もしていたのに?その気持ちも無視して? とにかく以前言ったように他に好きな人がいるし、あなたの気持ちに応えることは出来ない、といった内容を伝え、断る事にした。二人きりの状況が怖くて、やんわりとした断り方しか出来なかった。 その日の晩、この事を誰かに相談しようかとても迷った。とてもショックな出来事だったし、泣いている所を見た友人たちにどう説明したものかと悩んだ。そして「他の人に言わないでね」という彼の言葉が頭の上に重くのしかかった。 とても怖かった。誰かに話してしまって気持ちを整理したい。でも、話したら彼の学校での立場は危ういものになる。告白されたぐらいで他人の仕事や立場を奪っていいのか。口止めもされている。彼がいなくなった場合、購買はどうなるのか。だからといってもう二度と彼と関わりたくない…。 迷った結果私は、私が泣いた様子を見ていた2人の友人にのみ、話すことに決めた。このことはどうか他の人には言わないでくれ、と言って。2人に具体的な内容を伝えるため、スケッチブックに書かれた文字をどうにか復元しようとした。もし今後先生などに相談しようと考えが変わった時に、証拠になるとも思い、写真にも撮った。柔らかい紙に書かれた文字は鉛筆を薄く載せるとうっすらと浮かび上がってきた。(今回、この文章を書くに当たって実に5年ぶりにその写真を見返している。今でも読んでいて動悸が止まらない。完全に全てが復元できた訳ではなかったので、今回上に書いたものはやや不完全な文章ではある。) 2人の反応は、大変だったね、みたいなリアクションだったと思う。 そのため、この2人にのみ私が購買に来なくなった���由が伝わった状態で、私は一切彼と接触をしないようになった。購買にも極力近付かぬようにした。あの日あったこともスケッチブック書かれた文言も全て忘れたいと思いながら日々を過ごした。しばらく経った頃、最近私が購買に行っていない事について、彼が他の人に「まあ私ちゃんは、天邪鬼だからねー」などと言っていたと事情を知る友人から聞いた。吐き気がした。私の何を知っているというのだ。 1年後、クラス替えがあり掃除の担当範囲が変わった。私のクラスの担当範囲の中に購買前の廊下があった。毎日の掃除、必ず彼の顔や声を見聞きしなくてはならなくなる。「耐えられない」そう思って、悩んだものの担任に事情を話すことにした。具体的な伝えられ方などは省略し、"好意を伝えられたが断った。関わりたくないので購買前の廊下以外の場所に私を割り当ててくれないか"と打診した。この時も大事にしたくない、してはいけないのではないか、という気持ちがあったため、担任にもあまり他の人に事情は言わないでくれ、と伝えた。ありがたいことに担任は快諾してくれて、私が購買前を掃除することはなかった。 だが、この判断は今思い返すと間違っていたと思う。あの時、私がきちんと先生にすぐに報告しておけば、そして学校から彼を追い出してほしいと伝えていれば良かったと後悔している。そうすれば、未成年者に手を出す人間から後輩たちを守れたのに。そうしなかったことで、後輩たちを危険に晒してしまっている。そんな風に思えて仕方がない。 また自分が成人という立場になって改めて高校生は子どもだと強く感じるようになった。狭い世界で生きてるし、当然視野も狭い。本人としてはは一人前のつもりでも、出来ることはそう多くない。そんな弱い立場の子どもに対して、大人が自分の恋愛感情を伝えるというのは、無自覚でも相手の立場の弱さを利用した卑怯なやり方だと思う。 長々と書いたが私の主張はこうだ。 ・大人は子どもを守る存在であるべきであって、一方的な思いをぶつけて脅かすなどということはあってはならない ・それが出来ない成人は未成年と関わってはいけない なので、当該事件で女子生徒が「大変ショックでこの先生とはもう一緒にいたくない」と言ってるのだから絶対に関わることのないよう、せめて他の学校に異動させるべきだと思うのだ。 私はここまでハッキリ自分の意志を大人に伝えることが出来なかった。ショックの中、周りの大人に自分の思いや意向を伝えた女子生徒はとても勇気を振り絞ったのではないかと思う。だからどうか、彼女の学生生活が幸せなものとなるようにと祈っている。 大人に傷つけられた子どものケアが今より手厚いものになるように、自らの立場を自覚しない無責任な大人が子どもを脅かすことのないように、この文章を読んだ人だけにでも伝わればと思う。
高校教諭が生徒に交際を求めた事件について思うこと
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Dengeki Playstation Vol.353 Persona 3 part pictures and transcription.




『ペルソナ3』とは新世界。『ペルソナ』シリーズは、前作にあたる『ペルソナ2罪』『ぺルソナ2罰』で1つの完結を迎えた。本作『3』は、世界観こそ同じものの、これまでのシリーズとは異なる舞台、異なる物語で描かれることとなる。それを表すように、これまで『ペルソナ』シリーズだけ��なく、多くの『女神転生』シリーズでキャラクターデザインを手がけてきた金子一馬氏から福島成記氏にデザインをシフト。福島氏は今までの『ペルソナ』シリーズではゲーム画面中のキャラクター絵を手掛け、『ステラデウス』では幻想的なデザインで好評を博しているアトラスファンならなじみの深いデザイナーだ。仲魔のデザインなど『女神転生』らしさを残しつつも、これまでとは異なる、まさにシリーズとしての新世界の扉を開いたのである。『ペルソナ3』は日常と非日常の物語。舞台となるのは、美しい海ぞいの土地「港区」。港区は、新旧2つの風景をあわせ持っている。陸地側にあるのは、古くからの港街「旅戸白 (いわとだい)」。海を隔てて反対側にあるのは、新興の人工島「房已ポートアイランド」。そしてボートアイランドの中心には、島の竣工理由の1つでもある小中高一貫の名門校、「私立・月光館学園」が建っている。主人公や仲間たちは、厳戸台にある学生寮からボートアイランドにある学園へと、モノレールを経由して日々追うことになる。しかし⋯⋯彼らの青春には “光” だけが待ちうける訳ではない。世界には、じつは1日と1日の狭間に “普通ではない” 時間帯⋯⋯“影時間 (かげじかん)” が存在している。それは毎晩午前0時になると訪れ、しばらく続いたのち明ける。影時間が始まると、普通の人間は棺に似た形の結晶状のオブジェに変わり、その間のことを何も感じられなくなる (これを “象徴化”という)。そのため、影時間は世の中のほとんどの人にとって “ないのと同じ” であり、誰もその存在に気づいていない。自由に動けるのは、影時間の本来の住人⋯⋯ “シャドウ” と呼ばれる怪物たちのみ。極まれに、影時間に “象微化” しない人間もいる。彼らは異形の影時間におびえ、そしてシャドウに抵抗することもできず、精神を食われてしまう。精神を食われた人間は、影時間が明けたあとには無気力状態になってしまう。だが⋯⋯主人公と仲間たちは、その影時間の中で行動しうる “適正” を見出される。やがてそれぞれの内に目覚める、シャドウを滅ぼす唯一の力 “ペルソナ能力”。かくして彼らは、昼には友だちや先輩後輩として学園生活を送りつつ、夜にはともに戦う同士として、影時間のシャドウに挑んでゆくことになる。『ペルソナ3』は神話の象徴。主人公たちには、“ペルソナ” と呼ばれる自身の影を具現化する力がある。ペルソナなくして影時間の住人シャドウと戦うことはできないのである。ぺルソナは、人の心が1人1つであるように、原則として1人1体しか持つことができない。しかし、主人公だけは複数のペルソナを付け替えることができる。なぜ、主人公だけが複数のペルソナを持つことができるのか?���して、人の心を映すペルソナとは一体なんなのか?近いうちにそれら疑問の答えを導くことができるかもしれない⋯⋯。『ペルソナ3』は学園生活。プレイヤーは主人公を通して、「月光館学園」という学校を舞台とした学園生活を送ることになる。朝起きて登校し、授業を受けて放課後を迎える。誰もが1度は過ごす学校という空間での生活。誰もが通るゆえに、親しみや懐かしさという気持ちも強く持つことができる、 そんな舞台だ。『ペルソナ3』では、そんな学園生活での日常が、影時間という非日常の世界に大きな影響を与えることになる。『ペルソナ3』は絆。登校するなか、放課後の街中、さまざまな人々と出会いかかわりを持つ主人公。さらに、学校という空間ではクラスメートや先輩後輩、はたまた教師と、より多くの人と多くのつながりを持つことになる。人とのつながる糸は最初こそ細くもろいものだが、関係が深くなるにつれ、その糸は太く確かなものになり、やがては “絆” になる。そして絆をつむぐことこそが『ペルソナ3』における大きな目的のである。絆は仲間のペルソナの力の糧となり、主人公を助けてくれることだろう。学園での生活は、1年365日続く。1年という期間は、春があり夏を過ぎ秋を通り冬へと至る道。季節によって、また季節ごとのイベントによって絆をつむぐ手段は変わり、絆をつなぐ相手も変わる。誰もが通る学校での生活、誰もが経験する人とのかかわり。『ペルソナ3』特集の幕は、この学園生活の魅力をひもとくところから始めよう。誰もが通るがゆえに近く、誰もが通り過ぎるがゆえに遠い思春期の思い出。ペルソナという、誰もが持ち得ることなき力を手にした少年たちは、どのような学園生活を送るのか?プレイヤーはその学園生活を通して何を感じるのか?今現在、学園生活を送っている人も、すでに学園生活を終えた人も、『ペルソナ3』という新たな学園の門はすぐそこに開いてい���。その門をくぐろうとしているのは、あなた自身の意思?それともあなたの内に潜むもう1つの⋯⋯。
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PERSONA3
PS2 RPG JULY,13 RELEASE
ATLUS
7,140 yen(PRETAX)
ATLUS DENGEKI PLAYSTATION
"P3"COMING UP DPS on 23 June.
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クラスメートとくだらない話題で盛り上がったり、イタズラをして先生に怒られたり⋯⋯『ペルソナ3』の1日はそんな当たり前の日常。当たり前の日常だからこそ、誰もが強く共感でき、深く感情移入できる。そんな日常を表す「コミュニティ」と「絆」、2つの新システムから本作の平凡な日々をピックアップしてお届けする。
Community
コミュニティ
母親から生まれてきた時点で、人は生まれながらに “誰か” とかかわりを持って生きている。親、兄弟、友人、先輩、後輩、恩師、上司、恋人。人は人生において、さまざまな自分ではない他人と出会う。キミはこの世界で、どんな “コミュニティ” を築くことになるのだろうか?
Bonds
絆
かかわりを持った人との間には何かしらの絆が生まれる。人はその絆をたぐり、頼り、そして信じて毎日をすごしていく。はじめは細く弱い絆でも、やがては断ち切りがたい恩愛、離れがたい情へと移り代わる。人を想う力が絆となり、その絆が力となる。絆であふれたこの世界から、キミはどの糸を手繰り寄せ、どんな力を手に入れるのか――?
それは日常の学園生活
登校
朝は学園に向かう登校風景から始まる。遅刻は許されない!?
授業
学生の本分は勉学。授業中に答えを聞かれる、なんてことも当然ありそう。その答えによっては⋯?
放課後
放課後になれば学校を飛び出して街へ。そこでは、学園関係者以外の人との出会いが待っているかも。
“影時間”
そして1日の狭間、影時間へ。そこで待ち受ける者とは⋯⋯?
次の1日へ
『ペルソナ3』1日のスクールライフ
▲日常のなかに用意された会話によって、コミュニティが成長していく。
▲学園内だけでなく、放課後に街へ出てコミュニティを広げることも可能だ。
本作の特徴は、登校、授業、放課後と日常の学園生活を送ることで進行していくという点。そのなかで、クラスメートや教師、街の人などとの関係、“コミュニティ” を深めることが目的になる。ただ1つ日常と異なるのは、1日と1日の間に “影時間” と呼ばれる時間があることだが⋯⋯?
プレイヤーの力は絆
コミュニティを深め、強くなった絆は、本作に欠かせないシステム「ペルソナ」の力になる。つまり、日常の行動が夜の戦闘へ大きな影響を与えることに。昼間と夜が密接に関係しているのだ。
▼コミュニティは20種類以上存在。それは、ペルソナの属性にも影響を与える。
仲間との絆
コミュニティは、学校や街の人と会話することで発現し、仲よくなることでレベルアップする。戦闘の仲間だけでなく、あらゆる人と絆を築くことで主人公は力を得ることになる。
ペルソナとの絆
コミュニティで得た絆は、ペルソナの経験値へと変換される。コミュニティには属性があるので、どのペルソナを強化するかで人との付き合いが変わるかも?
Are you enjoying school life?
すべては6/23発売の電撃PSで明らかに!
アトラスと電プレの強力タッグで、『ペルソナ 3』の魅力を深く掘り下げていくこの企画。システムの詳細、設定の謎などは、すべてゲーム発売間近の6/23日売りの本誌で、総特集を組んでお送りする予定だ。そして、次回6/9売りの本誌では、日常のなかの非日常 “影時間” をテーマに、戦闘、ペルソナの魅力に迫っていく!
▶“影時間” とはなんなのか?そして気になるベルソナとは?次号で非日常の扉が開かれる!
影時間?
ペルソナ!?
NEXT
Do you know Shadow Time?
『ペルソナ3』を応援するページ
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子供が夏祭りの輪投げの景品で貰ってきたオジギ草。
植物なのに動きが機敏でスゴイ!
骨や筋肉や筋があるわけではないのにね。
ちょっと調べた感じ、茎や葉の内圧を差で収縮するらしい。
バッタとかの食害から守るためにこういう風に進化した
って言われてるんだって。ゴイスー。
そのうち動画に撮ってみますね。
ホントに植物とは思えない動きよ。
多分ナマケモノより機敏だと思うw
娘は毎朝小さなコップで水を与え、
「行ってきます!」と言いながら葉を触って学校に出かけます。
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📢トークイベントのお知らせ
佐内正史「写真がいってかえってきた」 刊行記念トーク "猫派"
2024年12月15日(日) 15:00スタート 参加費 1,500円 本・中川ギャラリーにて (今回写真展は無くトークのみです) トーク後にサイン会を行います 要予約
予約はメール info✴︎honnakagawa.com (✴︎→@に) または 営業日の店頭にて
メールの際 ・件名に「佐内正史トークイベントの予約」を ・お名前 ・参加人数(参加人数分のお名前も明記ください) ・当日連絡のつくお電話番号 をお知らせください
※今日は定休日なので、メールいただいてもお返事は明日以降となります。 メールをいただいた順の受付となりますので、定員に達しましたら受付終了いたします。 その旨のご返事をするかもしれませんが、ご了承ください。
佐内正史さんの新しい写真集『写真がいってかえってきた』が11月18日発売となりました。 本・中川の店頭に並ぶのは少し先になりますが、写真集の発売を記念して、佐内さんと店主の小さなトークイベントを開催することになりました。 今回の写真集の表紙は松本の風景。 中にも10枚以上の松本の風景が入っています。 佐内さんとの貴重な写真展を、この小さな本屋で開催したのが2022年。 その際にも小さなトークイベント『まつもとすき』を開催し、夏のスコールの中とろとろと時間が溶けて行くような、でもハッとする言葉や佐内さんの眼差しに感動する、素敵で豊かな時間となりました。 とにかく人前に出る事と喋る事が苦手な私ですが、今回も!またソフトなキャッチボールが佐内さんと出来たら楽しいな、と思っています。 前回参加された方々が、あの私と佐内さんのゆるやかなやり取りをどんな風に受け取ってくださったのか、些か不安ではありますが… (写真集の渚のロイヤルホストをお楽しみに!)
写真集に寄稿されたのは、猫と言ったら、の保坂和志さん。 保坂さんがこの写真集に言葉を寄せられた経緯なども聞けるといいですね。 ※11月23日には東京 青山ブックセンターにて佐内さん×保坂さんのトークイベントがありますよ!
最近家人に「猫磁石」というあだ名をつけられました。 私は佐内さんも大きな猫のようだな、と常々思っています。 トークイベントの名前は、猫派、です。 皆さまのお越しをお待ちしております。
佐内正史 Masafumi Sanai 写真家。97年、写真集「生きている」でデビュー。写真集「MAP」で第28回木村伊兵衛写真賞を受賞。08年に独自レーベル「対照」を立ち上げ、写真集を発表し続けている。近著は『写真の体毛』『静岡詩』。また、映画「i ai」では撮影を務める。曽我部恵一とのユニット”擬態屋”で「DORAYAKI」をリリースする。先月、ZAZENBOYS日本武道館公演休憩時間にスライドショーを行う。など写真を越えて活動中。主な展覧会に「展対照<第一部>」Vacant(東京、2024年)、「静岡詩」タカ・イシイギャラリー、(東京、2023年)「静岡詩」静岡市美術館(静岡、2023)、など。
www.sanaimasafumi.jp @sanaimasafumi
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