#大沢伸一
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満島ひかり "LOST CHILD" (2025)
director: 林響太朗 (Kyotaro Hayashi)
covered: 藤原ヒロシ+大沢伸一 feat. クリスタル・ケイ "LOST CHILD"
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数名から投稿楽しみにしているとリクエストがあったので、久しぶりに投稿。
年末年始にヨーロッパにいる友人に会うため旅行したのだが、友人と会った最初の2日間以降は一人旅。
某国の首都を訪問し観光したその夕方、某ゲイ用の出会い系アプリを開いて見ていたら、早速何人かからメッセージが。その中で写真とプロフが気に入った37歳の男が一緒にキメてやろうと誘ってきたので、その夜指定の場所に行って会うことに。
ホテルからタクシーで10分くらいの指定された住所で降りて部屋の場所を尋ねると、そいつはその目の前にあるバーで待っていると。恐る恐るそのバーの入り口を入ると、その男は待っていた。慎重180cmくらいの体格のいい男前だった。既に俺の入場料も払ったからと中に案内された。入り口のエリアはゲイバーなのだが、奥はゲイ用のレンタルルームとクルージングスペースになっているらしく、バーから奥の廊下に入ると薄暗く、廊下には多くの男達がいた。普段着の奴もいれば、上半身裸とか、革のハーネス��ケツ割れ姿だけの奴など、年齢も20代~60代くらいと思われる奴までいろいろ。レンタルルームへ向かう途中廊下にいる男達と目があうが、何人かは気軽に挨拶してくる。中には早速ケツを触る奴も。ドキドキしながら部屋に向かった。
レンタルルームに入ると、薄暗い部屋にダブルベッドとシャワーブースのみがあり、ベッドの上には既に他の奴とやっていたと思われるキメ道具やゴミなどがあった。すぐに服を脱ぎ、ホテルから装着して来たハーネスとケツ割れ姿に(コックリングも装着済み)なると、すぐにどれだけ入れる?と聞いてきたので、自分でやると言って、10メモくらいをもらって新しい注射器にセット。それぞれベッドの上で入れ終わるや否や、カーッと体が熱くなり、すぐにエロモードに。ベロチューでスタートしたが、すぐにその男がチンコをしゃぶってと言って俺の口にチンコを押し込んできたが、いきなりのデカマラにむせながらもむさぼり付くように竿から金玉までしゃぶりまくった。そのまま69になりお互いのチンコをしゃぶっていたら、俺のケツの穴にその男の長い舌が入ってきて、そのまましばらくケツをなめられる状況に。俺はタチの頃からケツを舐められるのは好きだったので、そいつの長い温かい舌がケツの穴の中を舐め回る度にガマン汁垂らしまくって唸ってた。「綺麗なケツだ」と言われ、四つん這いで散々ケツと玉と竿を舐められた後は、そのままギンギンになった彼のデカマラが押し込まれた。突然デカいのが入ってきたので痛みで30秒くらい抜かずにストップしてもらったあとは、しばらくずっと掘られっぱなし。デカいのをピストン運動する度うめき声が抑えられず、おそらく廊下まで響いていたと思う。俺のチンコからはガマン汁はダダ漏れで、このままじゃ掘られて終わっちゃうよって思ったら、いきなり強く腰をビクンビクンと突き上げ種漬けされた。量が多いのか、ケツの奥に温かさと満腸感でイッたことがすぐ分かった。その男は既に俺が数人目みたいだったので、疲れたのでしばらく休憩すると。あなたはクルージングエリアに行って遊んできたらいいよって言われたので、まだ掘ってないし全然やり足りない俺はムラムラ全開のまま初めてのヨーロッパでのクルージングゾーンに。部屋から出てロッカーに荷物を預け、ワクワクしながら廊下の奥へ。そのフロアには多くのビデオルームが廊下の両サイドにあり奥に深く回廊の様になっていた。その男達が沢山いる通路をハーネス、ケツ割れ、ブーツ姿で歩くというのはさすがの俺も初めてで恥ずかしさと緊張感があったが、すれ違う男達に"Wow!", "Nice!"などと言われ、すぐに何人かに誘われ���。とりあえずそのまま一つのビデオルームに入ると、部屋の上の方のテレビでゲイビデオが20チャンネルくらい選べるしくみで、両側の部屋との間にでかいGlory Holeが空いていた。あちこちでビデオの声とは別にしゃぶっている音や、ケツを掘っている音などが聞こえ、キメているのにさらにアガりまくり。椅子に座るといきなり両側からデカいチンコがヌッと出てきた。なんでこの国の男はみんなチンコがデカいんだよって驚きながらも、早速片側のデカマラにしゃぶりつく。口いっぱいの太さの皮付きのデカマラのエロさに俺のチンコはビンビンダラダラ。夢中でしゃぶっていたら、隣の穴から腕が出てきて俺のケツをひっぱられ、そのままケツを突き出したら穴からけつの穴をペロペロと舐め始めた。あまりの気持ちよさとエロさにうめき声を出しながらデマからを必死でしゃぶった。隣のデカマラもしゃぶりたかったので、向きを変えて何度か交代でデカマラをしゃぶりながらケツを舐められていたが、突然固い太いチンコが俺のケツに入ってきた。あまりの変態なシチュエーションに興奮してうめき声を漏らしたが、その後は3度ほど交代で反対側の男にケツを掘られ、最初の男がうめき声とともに俺のケツに中出しをしたかと思ったら、しゃぶっていたデカマラがビクンとしたと同時に俺の口の中に大量のザーメンが噴射された。それぞれの男は”Thank you"と言って部屋を出て行ったが、同時にケツと口の中がザーメンでいっぱいになった俺は変態度が半端ないレベルだったのでそのままザーメンを飲み込み、ケツの穴にぶち込まれた二人目のザーメンもそのままキープしてビデオルームを出た。ますます変態度が上がり、ムラムラ最高潮の俺はそのまま廊下を一歩きしていたら、地下に続く階段が。ワクワクしながら階段を降りると、さらに広いクルージングゾーンが。大きなスクリーンでゲイビデオ放映している広間の左右に伸びる廊下は迷路のようなダークゾーンで、鉄格子と鎖などがぶら下がっているハードなエリア、ケツ掘りブランコルームやX字の形に4つの革ベルトが付いたSM?プレイルーム、ケツ掘りベンチや叉を開く医療用のベッドのようなベンチなど、いろいろなエリアが。既にやりまくっている奴らもいてあちこちで声が響いている。多くのムラムラした男達が獲物を探して歩き回っているが、俺の格好がハレンチだったのか、アジア人が珍しかったのか、暗い廊下では男達に声をかけまくられた。その、地下のクルージングエリアでのエロ体験についてはまた次回書きます(長文でちょっと疲れた)。自分がこんなにも変態だったことを改めて知ることになったエロい体験談はまた次回に。
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20241207 山歩きとお風呂とカフェの日。お風呂とカフェ
一度家に戻り洗濯物を取り込んでお風呂に向かう。
冬の広いお風呂は良いなぁと湯船に浸かりながらしみじみ思う。青い空に白く儚げな月が見える。こんな青空の下でゆったりと湯に浸かるなんて贅沢だ。何度も言うが外の炭酸泉が好きだ。湯温もちょうど良いし冷たい風が吹いていく中、顎まで湯に浸かって手足を伸ばしきらきらゆらゆらと揺れる水面を眺めるのが良い。体がふやけるまで浸かる。サウナ↔︎水風呂はやったことがない。急な温度変化が苦手なのでやったら整うどころかおかしくなりそう…。でも塩サウナは入る。塩サウナに入ると手洗いと消毒でガサガサになった指先が滑らかになるし、肌もすべすべになるから不思議。
お風呂から出たら化粧水やらシートパックやら美容液やら普段あまり時間をかけてできない肌のケアをする。それだけでも自分を大切にしているような気分になる。髪の毛も同様に。見た目には変わらなくてもひとつひとつ丁寧に時間をかけた、という自己満足が大事だと思う。
ほかほかになってさっぱりしてお風呂屋さんから出る。空すっかりは夕暮れを過ぎ薄暗くなっていた。冬は日が落ちるのも早い。海まで夕暮れの空を見に行くのも考えたけれど今日はお風呂を選んだ。満足。
さてこれからどうしよう。
友達がLINEギフトでスターバックスのチケットをくれたので出かけてるついでに行ってみよう。田舎に住んでいることもあって自分からはあまり行かないからありがたい。正直どうやってオーダーするのかも分からない。お店に入ってチケットを頂いたんですけどどうやって使いますか、とレジの男性に聞く。
「この金額ですとこのサイズで、甘くないのがお好みでしたら今ですとこのメニューがおすすめです。チケットの金額に近くなるようにこれとこれをトッピングしたらいかがでしょう?フードの方はこのドリンクにはこれが合うと思います。ただチケットより少し価格が出てしまうので差額はお支払い頂くことになります。」とメニューを見せてくれながら丁寧に説明してくれた。おすすめされたものをそのまま頼む。飲んでみたいなと思ったドリンクと食べてみたいなと思ったものだったので驚いた。実際の支払いは51円だった。51円でこんなに優雅な時間と美味しいものを頂ける、感謝しかない。
その場で写真を撮ってチケットをくれた子に送りありがとうと伝えたら、自分のための時間に使ってくれてありがとうと返信が来た。大好き!と思った。
ゆっくりジンジャーラテ(シナモン、ハニートッピング)とケーキをいただきながら、スケジュール帳にその日のことを書く。記念に���シートはスケジュール帳に挟んである。
山歩きをして景色を眺め大きなお風呂に入ってのんびりして、夜にはカフェで自分時間。今回は本当にやりたかったことなのかは分からないけれど、何かしら体を動かして分かりやすく充実した休みの日にしたかった。自分本意で一日を自由に使うのは良い。
これが丸一日何もせず髪も顔も寝起きのままスウェットで寝て過ごしたとしても全然良いし、そんな日だってきっとある。




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翌日、会社からマンションに帰る途中、信也はJR上野駅向かい側のビジネスホテル「М」に近いところに、たまたまゲイ総合サイトからアクセスして見つけたバラエティショップ「B」に立ち寄った。いざゲイビデオに出演するとなると、モデルがどんなシチュエーションで相手と絡んでいるのか研究しなくてはと思ったのだ。しばらく裕美は漫画の〆切が近いと仕事場の方に泊まり込みになると、昼休み中にラインがきた。全く、〆切そっちのけで飲みに歩いているからだと、彼は呆れた。アシスタントの香織も、よく子持ちでありながらあちこち出掛けるよなと、未だに学生気分が抜けないのが不思議だった。
色々と小言を呟いてはいたが、少しは下半身の穴も「開発」しなくてはと、信也は真純にラインをし、「サ◯ソンビデオ」に出演することは伏せつつ、もっと気持ちよくセッ◯スをするにはどうしたらよいかと相談した。すると、真純から返ってきた言葉がこれだった。
「雄マ◯コで感��る様になれば沢山イクよ」
と文末にハート印が付いていた。彼は、
「信ちゃんとまたイッちゃいたいな」
と今度はハート印が三ケ付いていた。余程やりたいンだなと信也は苦笑した。
一方、憲一にも同様の質問をしたが、やはり「ア◯ル」が最高だとの回答だった。直腸と大腸の裏側に前立腺があり、そこを刺激されると普通に肉棒をしごいて淫液を出すより気持ちいいと話していた。彼は、三社祭の前日に真純と寝た時のことを思い出した。嗚呼、確か「潮吹き」をしたな…。あんな状態にオレもなるのかと信也は想像しただけで恥ずかしかった。しかし、問題は挿れるまでの下準備が大変そうだった。まるで鼻の穴にごぼうを突っ込む様なものだし、自分が経験した限りでは痛いの一言しかなかった。 そのことも相談したが、
「まずはラヴオイルで相手の『雄マ◯コ』で濡らし、最初は一本、徐々に二本、三本と拡げていけば大丈夫」
と、憲一からメッセージが返ってきた。また、
「あまりに好きだったら『雄マ◯コ』を舐めちゃうな」
ともきた。「舐める」!? 所謂「ケツ」の穴を!? 信也は生理的に無理と思った。元々、大きい方を排泄する為にあるものを舐めるだと!? オレにはできない! 彼は、縦線の入った『げッ!?』と言葉を放つイラストのスタンプを押した。それに対して憲一は、
「オレは信ちゃんのならペロペロしたいなァ〜」
とハート印を付けて返信した。
そんなやり取りを東西線と銀座線での移動時にしていた。今日は憲一も真純も休んでいるから、まァ、こんな時間にラインしても大丈夫だろうと思ったが…。時折、二人は昨日「Kバー」やホッピー通り、ゲイバー「Z」で撮った写メを添付していた。信也は泰典とずっと過ごしていたが、その間に二人は褌越しに他の客と「兜合わせ」をしたり、舌を絡ませ合ったりと好き放題やっていた。仕舞には、恐らく今朝ビジネスホテル「C」の部屋の中なのか、二人が「フィニッシュ」した後の様子もアップされ、かえって信也の方が赤面した。そのうちに下半身が反応し始め、彼はブリーフケースで股間を隠した。まるで、裸同然の透けた下着だけで卑猥なポーズをとったグラビアの女を見てオ◯ニーを隠れてやろうとする男子中学生の様だ。
信也は、先走り汁がスラックスにまで染み出していないか心配しながら上野駅で下り、バラエティショップ「B」を目指した。雑居ビルの二階に上がってすぐ左手にドアがあったが、開けると奇抜なデザインの下着や褌が陳列され、奥の方には無数のDVDが���かれていた。所謂「ケツワレ」が視界に入り、彼はハンガーに掛けられたものを手に取った。嗚呼、アメリカンフットボールやラグビーの時に穿くやつだなと思ったが、どういうシチュエーションの時に使うのか解らなかった。
一方、DVDの陳列棚に目を移すと、一見ゲイとは無縁な、黒髪を五分分けにした紺色のスーツを着た痩せ型の男が色々とパッケージを見ていた。彼は「エ◯ティックスキャン」のDVDをメインに探している様だった。二、三十代のスーツ姿のモデルがワイシャツのボタンをはだけさせ、比較的筋肉質な肉体を見せながらシースルーのビキニ越しに股間を「もっこり」させている。信也は「如何にも」感を漂わせているので、全然萌えなかった。彼は寧ろ、「Mr. H◯t」の様な普通の中年男が恍惚の表情を見せている方に欲情した。憲一も真純も、見た目は普通のおっさんだからだった。
Mr.H◯tのDVDを二本買うことにし、信也はディ◯トと「ペ◯ローション」の置いてある棚に歩いて行った時、先刻からDVDを探している男の携帯電話が鳴った。何処かで聞いたことがある声が聞こえてきた。
「大輔君、どう〜? カッコいい男の子があんあん言いながらお尻掘られてる様なもの、あったァ〜?」
「いやァ、パッケージだけじゃ解らないスよ! それっぽいの、何本か買って来ますよ」
「一応『レディース』雑誌だから、『ガチ』ゲイでもダメだと思うのよォ〜。いっその事、男だけど妊娠しちゃうファンタジー物にしちゃおうかしら?」
「先生、男に『子宮』はないスよ!」
「そうよねぇ〜、まさか『キ◯玉』に子どもできちゃエイリアンだもンねぇ〜」
この調子の喋り方とい、このトーンの声とい、嗚呼、彼が裕美の担当者なンだなと思った。家に置いてあったDVDは彼が買って来たンだなと、信也は思った。彼は、大輔には声をかけずにレジへDVDや「大人の玩具」を持って行った。チェック柄の紙袋に入れられ、外から見られない様に考慮はされていたが、何となく「ついに買っちまった」感が付きまとった。
途中、下谷神社にお詣りをした後、どうせ独りだしと信也はマンション近くのラーメンチェーン店「H」で日本酒も付け、夕食を済ませた。あまりに近所なのでなかなか来る機会がなかったなと、彼は餃子と野菜たっぷりラーメンを食べた。嗚呼、このまま風呂も済ませちゃおうと、「K湯」にも寄り、日替わり湯にどっぷり浸かりながらしばらく頭の中を空っぽにさせた。マンションに戻ると、彼は新しい下着に取り替え、部屋着のTシャツとスエットパンツに着替えた。そのままベッドに身を投げ、しばらく天井を見上げていたが、彼は枕の横に置いたバラエティショップ「B」で買った諸々を開封することにした。袋から出すと、真っ先にディ◯トと「ぺ◯ローション」が転がってきた。ピンク色のディ◯トは、意外とリアルにできていた。男の肉棒を模したものだが、キチンと血管が浮き出ているところまで再現されていた。大きさがあるらしく、まずは最小のものから始めることにした。しかし、これを「雄マ◯コ」に挿れるのは抵抗があった。汚れてはいけないと思い、念の為に「コ◯ドーム」も箱で買った。
「オレは何やってるンだろ…」
と、内心バカバカしく思えたが総てはビデオ撮影の為だと割り切ることにした。
信也は、ベッドの上にバスタオルを敷き、とりあえず用を足すことにした。ディ◯トを挿れるのだからまずは「雄マ◯コ」の中をキレイにしなければと、トイレに向かった。数分後、用足しをすると彼は再びベッドに横たわり、タブレットで気になる動画をアプリで探しながらスエットパンツを脱ぎ、ブリーフ越しに一物を弄り始めた。時折、向かい側の姿見に映る自分自身の姿に視線を向け、内腿を開きながら腰を突き上げ、何度も股間を愛撫した。動画には、ワイシャツをはだけさせた中年風の男が白いビキニ越しに一物を弄っていた。ネクタイをだらりと襟に垂らし、如何にも仕事帰りという表情を見せながら、時折ビキニの端を引っ張り、勃起してきた「ムスコ」に欲情している。早くも信也は硬く太くなっていくのを感じ、Tシャツをたくしあげた。乳房を弄りながら、動画の男と一緒にオ◯ニーをしているかの様な錯覚に陥った。
「あん、ああん…」
おのずと信也はディ◯トに手が伸び、ブリーフ越しに己の肉棒に押し付けた。腰を左右に動かしながら、そのディ◯トを徐々に「雄マ◯コ」に移していき、突いた。すでにコ◯ドームは付いており、いつでも挿れることができた。彼は憲一か真純に絡まれているというシチュエーションでオ◯ニーにふけた。次第に肉棒の先端も先走り汁で濡れ始め、彼はブリーフを脱いだ。ぺ◯ローションで手指をヌルヌルにし、まずは雄マ◯コに人差し指を挿れ始めた。直腸を越えたところに「Gスポット」はあった。確かに、しこりの様なものを感じた。彼は中指も挿れた。微かに痛みはあるが我慢できるものではあった。チ◯ポはいったん萎えるも、先端からは先走り汁が滴っていた。そう言えば、ゲイビデオではしごいていたなと彼はチ◯ポの裏側を愛撫した。嗚呼、今のタイミングならディ◯トを挿れられそうだ。
コ◯ドームを被せたディ◯トにぺ◯ローションを塗りたぐり、そっと雄マ◯コに挿��ていく。信也は恐る恐るだったが、見事に奥まで挿れることができた。
「嗚呼、入ってる…」
それをゆっくりと上下に動かしていく。彼は声を上げずにはいられず、
「あッ、あッ、あン…」
と、おのずと天井に下半身を上げて開脚した。もし裕美が偶然帰って来たら悲鳴を上げるだろうなと、彼は帰って来ないことをただ祈った。
グイグイとディ◯トを押し込み、信也は理性が麻痺していくのを感じた。じんわりと汗をかき始め、チ◯ポを弄っている左の手指が先走り汁でヌルヌルになっていくのを感じた。嗚呼、女になった気持ちだと彼は思った。そっとディ◯トを引き上げると、
「あッ、あああん!」
と黄色い声を上げた。この様子を憲一や真純にも見せたいと、いったん左手指を枕元にあったティッシュで拭い、近くに置いた携帯電話で動画を撮った。他人に痴情を見られることにエクスタシーを感じるのかもと、彼は自分自身の意外性を見出した。身体が火照り、片手に持った携帯電話を操りながらラインでオ◯ニーする様子を憲一と真純に送信した。三人は三社祭を共に行動するのに先立ち、予めグループラインをつくっていた。
尿意に近い切迫感を経験した挙げ句、
「イ、イク! イク! イク!」
と声を上げた。これまでにない、チ◯ポの先端から止めどなく乳白色の淫液が流れ、一部は跳び散った。右手指はベトベトに汚れ、もう一度シャワーを浴びなければと思った。もう片方の手でデ◯ルトを引き抜こうをしたが、
「いやァァァァァン!」
と、再び黄色い声を上げた。ズルズルと脱腸しそうな感じだった。一番小さいものを買ったつもりが、やはり用を足すだけの穴に突っ込むのはキツいと、信也は思った。下腹部や両太腿に跳び散った淫液をティッシュで拭い、用済みのコ◯ドームをトイレのゴミ箱に捨て、彼はもう一度シャワーを浴びることにした。
浴室から出ると、携帯のラインアプリに赤丸が付いていたので確認すると、憲一や真純からだった。二人共、信也の動画を見て「抜いた」のか、硬直したまま淫液を垂らした二人のチ◯ポが写メで送られていた。コメントはいずれも、
「信ちゃん、サイコ〜!」
「こんな気持ちイイの、初めて!」
と大絶賛していた。すでにライン自体が「ハッテン場」と化していた。まァ、スタンプ一つでも押しておこうと、信也はお気に入りのイラストレーターが描いた「ありがとう」というスタンプを送った。
彼は、いつ撮影の話が来ても良い様に、一日おきにア◯ルセックスの疑似練習をした。
-À suivre...
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Scan and transcription of the Persona 3 part of Otomedia February 2016
●第4章2016年1月23日より新宿バルト9、梅田ブルク7ほかにて全国ロードショー/2016年1月20日第3章Blu-ray、DVD発売
©ATLUS ©SEGA/劇場版「ペルソナ3」製作委員会
HP http://www.p3m.jp
STAFF 原作/「ペルソナ3」 (アトラス)、脚本/熊谷 純、スーパーバイザー/岸 誠二、キャラクターデザイン/渡部圭祐、ぺルソナデザイン/秋 恭摩、プロップデザイン/常木志伸、色彩設定/合田沙織、美術監督/谷岡善王 (美峰)、美術設定/青 木薫 (美峰)、コンポジット&ビジュアルディレクター/高津純平、編集/櫻井 崇、音楽/目黒将司・小林哲也、音響監督/飯田里樹、第4章監督/田口智久、制作/A-1Pictures
CAST 結城理/石田 彰、岳羽ゆかり/豊口めぐみ、伊織順平/鳥海浩輔、桐条美鶴/田中理恵、真田明彦/緑川 光、山岸風花/能登麻美子、アイギス/坂本真綾、天田乾/緒方恵美、イゴール/田の中勇 (特別出演)、エリザベス/沢城みゆき ほか
◀スイートピーの花言葉は「優しい思い出」。滅びの運命の中、理は“奇跡”を掴むことができるのか⋯⋯?
ゆ う き まこと
結城 理
声/石田 彰
4月に月光館学園に転入した2年生。類まれなる��ルソナ能力を持ち、「特別課外活動部 (S.E.E.S.)」のリーダーを務める。
バレンタイン ホワイトデー
ペルソナ使いのV&W予想
チョコをもらっても、ホワイトデ一は全無視しそう (笑)、周囲に「あんだけもらっといて返さないのかよ!」と怒られて、しぶしぶコンビニとかで気を使ってない感じのお返しを買ってそう。(田口監督)
▶両親を失った幼い日の事故の様子が明らかに!?
夜の女神が微笑む甘くほろ苦いV&Wの運命
思わぬ人物から滅びの運命を突き付けられた理。下した決断は―。全4章にわたる超大作がついに終幕!第3章での理&綾時の様子を見ていると、今作での関係の変化が気になるところですが⋯⋯?「理と綾時の関係は、一言では表せないですね。友達以上ではあると思うのですけど、親友ともちょっと違うし、兄弟とも言えない。アイギスも理にとって重要なポジションにいますが、それでもこの二人の間には入っていけないんです。関係は変わ���てしまいますが、お互いがどんな立場でも、強い絆で繋がっている気がします」と語るのは最終章を担う田口智久監督。しかし滅びの時が刻一刻と迫るなか、理たちのバレンタインはどうなっちゃうの!?
▲見所のひとつはコロマル(のプリケツ)!「今作中唯一の癒しポイント!」と太鼓判です
●作画/山田裕子 仕上げ/合田沙織
真冬のラブFIRE!!
LOVE
❤️💙💛本命男子サーチ&バレンタイン💚💜🩷
◀自らの正体を知り、理に重大な決断を迫る
も ち づ き りょう じ
望月綾時
声/石田 彰
理たちのクラスに転入してきた謎の少年。明るく朗らかな性格で、何かと理に接し、交友を深めていくか⋯⋯。
ペルソナ使いのV&W予想
女好きが浸透してしまって、意外ともらってなさそう。というより、むしろ配ってそうですね!気の利く男です (笑)。ホワイトデーは大盤振る舞いで、大量のお返しを用意してそう。(田口監督)
S.E.E.S.のV&W予想
本命大量!?
さ な だ あ き ひ こ
真田明彦
声/緑川 光
月光館学園の3年生。2年前からシャドウ討伐隊として活動している。トレーニングを欠かさないストイックな人物。
本命チョコをたくさんもらうのに、行事に疎くてなんでチョコをもらえるのかわかってなさそう⋯⋯。(田口監督)
お返しは手作りで
あ ら が き し ん じ ろ う
荒垣真次郎
声/中井和哉
月光館学園の3年生で、真田の幼馴染。S.E.E.S.の一員だったが、ストレガとの戦いのなかで命を落とした。
寮の女子たちすら、渡すのをためらいそう (笑)。ただ、もらったら手作りのお返しをくれそうですね。(田口監督)
見栄っ張り侍
い お りじゅんべい
伊織順平
声/鳥海浩輔
月光館学園の2年生で理のクラスメイト。時折悪のりもするが、気のいいS.E.E.S.のムードメーカー的な存在。
義理チョコ多そうですね!ホワイトデ一はもらった以上の数のお返しを用意して、見栄を張ってそうです。(田口監督)
律儀な紳士
あ ま だ け ん
天田 乾
声/緒方恵美
月光館学園初等部の5年生。S.E.E.S.最年少のためか、少し背伸びをして大人っぽく振る舞おうとする一面も。
本命多そうですね。お返しはきっちり準備して、周囲に「まだ用意してないんですか?」って言いそう (笑)。(田口監督)
みんなのアイドル
コロマル
長鳴神社の“忠犬”として話題の柴犬。長らく野良犬だったが、ペルソナ能力を覚醒させS.E.E.S.の一員となる。
街を歩くだけで、いろんな人から犬用のおやつとかもらいそうですね!ホワイトデーももらってそう。(田口監督)
#persona 3#p3#ryomina#tried so hard to get the scan to look good...#had to stich together 4 different ones#only for them to be too big for tumblr aagggghhhhhh......#i mean it still looked bad anyway...#since i edited them i saved them as a png instead of my usual png
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ゴッホ展を観に、友だちと東所沢まで行ったけどチケットが売り切れだった。仕方ないね、といって、でもせっかくきたんだし、と思って、コンビニに寄って買ったパピコを片手に緑の中をすこし歩く。今年の夏、はじめて蝉をみた。繊細な模様の羽根がか細く音を立ててはためいている。「ほぼ水になったアイスがいちばんおいしくね?」 そういう、ぼそっとつぶやいた何気ない言葉は静かにがらんどうの青空の中に溶けていき(あるいは沈んでいき)、わたしたちの夏の匂いの一部となっていく。この広い空に眼があったなら、風にくちびるがあったならどれほどうつくしいのだろうかをずっと考えていた。全ての境界線が暑さでじわじわ入り交じりゆくのを肌で感じながら、たとえばアマゾンの熱帯雨林に想いを馳せること、深海魚の生態について検索すること、もう2度と逢えない人に逢いたいと願ってしまうこと。蝉と、夏の太陽。波立つ海、燃え盛る炎。死者の言葉や羨望、未練、その姿かたちは今この瞬間にも車窓から見える光景の隅々にまで溶け込んでいて、わたしたちは明日もまたアスファルト下に沈む沢山の人間の流した血と涙の上を歩いていく。草花の幹に、雨の雫の一滴に、海水の塩になって、失われた生命はその記憶を繋いでいく。そんなことをぐるぐる何度も考えては、ほんとうにこれでいいのか、これが正しいのか、わたしはまた自らの想像力の足りなさでだれか傷つけていないだろうか?と言葉を反芻していた。大学の講義のフィードバックで「だれのことも傷つけずに生きていくことができない世界なら生きていきたくない」という学生のコメントが紹介された。そのときに先生(その人は先生と呼ばれるのを嫌う人だったけれど)が「怒りの気持ちは大切にするべきもの/忘れずに守っていくもの」と言っていた。あなたがそう感じてしまうのはあなた自身の問題ではなく、そう思わせてしまう社会の問題であり、その社会に対する怒りとあなたは向き合わなくてはいけない。そんなようなことを言っていた気がする。大好きなみんなへ 怒りに含まれる矛盾や素直な疑問は必ず次のより良い環境の土俵になるし、そうして得られた安らぎはだれかの優しくありたいと思う理由としてきっと光っていくから大丈夫。友達と東所沢から今度は渋谷まで移動して、おいしいサンドウィッチを食べた。ドンキホーテでピアッサーを買って、店頭に並ぶサンプル品のアイライナーで耳たぶに印をつける。渋谷の騒音の中、針が耳たぶを貫通する音はほんとうに小さかった。わたしの呼吸音はすごく小さかった。わたしたちの微かなときめきすら、その瞬間に街のどこかで繰り広げられているであろう壮絶なドラマと比べれば小さいのだろうなと思った。でも、それでよかった。それがよかった。「ピアス開けたら人生って変わるらしい」と、友達が耳を冷やしながら呟く。わたしは3月にピアスを開けたけど、そこからの人生すごく色鮮やかだったなーと思う。新しく出逢ったひとがたくさんいる。つらいこともあったし、人のことを信じたくないと思うことも多かった。でもわたしは多分どんなことがあろうと人との関係を疑いからはじめない。人のこと信じないことを選択するくらいなら信じて裏切られたほうが美しく傷つけるし、好きな人に期待しないでいるよりも期待してしまう自分の幼さや素直さをいとおしく思えるほうが伸び伸びとやさしい。一昨日、Twitterに写真を撮らせてほしいとのDM���い���だいた。レンタカーで三浦までいって、ほとんどはじめてわたしは人が誰もいなくなった海に入った。その日は全てが青くて、露わにした太腿にはオレンジの花の花粉の色が染み付いた。下着にレースのワンピースだけ羽織って、押し寄せてくる波に体重を預ける。髪が濡れて、額に張り付く。カメラのレンズを見つめると、まるでその先に昔の自分がいるような気がして、涙がでてしまいそうだった。「知らなかったこと」が一瞬のうちに「知っていること」になっていくこと、その瞬間の微かな光の揺らめきと運命の歯車の軋む音が、夏の全てに意味を与えていく。もっと傷つきたい。駆け出していきたい。わたしも大人になったら、その人が私にしてくれたように、自分よりも幼いエネルギーの塊みたいないのちに素敵な景色を見せてあげたい。そう思える旅路だった。眩しくて鋭く発光する若さをぎゅっと抱きしめる。あなたの瞳をみつめながら、その眼差しに自分の人生の影を溢したこと。そこで交差した運命のような幻のような愛でもない何かについて考える。傷ついた分、その傷口に咲いた花の香りの美しさで感性の彩りが増すように、わたしは言葉を諦めたくない。未来のわたしは過去のわたしを慈しめているかしら。わたしはずっと昇って登っていく、丘の上で逢おうね。
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阪神のジェットカーと言えばその比類なき高加速力で知られているんだけど、セッティングを見ると何ていうかひっくり返っちゃうんだよね
たとえば5700系、190kwモータを編成で12基吊ってるんだけど、どう考えても4両つなぎの電車にしてはオーバースペックなんですよ。4km/h/sの加速力を出すにしてもこんなパワーは要らない。じゃあ何に使っているかと言えば、空転防止なわけですよ
5700系のギアリングはなんと6.06。5500系よりも2段も浅いギアリングなんです。つまりギアリングが浅くなった分をモータのトルクで補償する。だから起動時の電流は5500系よりも大きくなるからパンタグラフを1個増設して3基にしてるわけ
そんでもってモータをPMSMにしたってことはインバータとの関係は個別制御しかありえない。そうなれば空転管理もより精密になる。だから5700系の走りは5500系よりも数等高級になったわけです。特に雨の日の路面に食いついたような力強い加速はさすが阪神電車と思わせます。とことん走りに対して妥協がないんですよこの電車
ついでに言うとこのセッティングだと定格速度も48~50km/hくらいになるんで、言うなれば定トルク領域終端まで4km/h/sの加速力が維持できてフリーラン領域でも3.0km/h/sくらいの加速力を維持でき、最高認可速度の91km/hまで太いトルクで走れちゃう。
だから最高速度も引っ張っていけば120km/hくらいまではいけちゃうと思うんですよね。昔ジェットが間合いで準急運用に就いていたけど、5700系なら現行の特急運用、問題なくこなせると思いますよ? 5700系は出足で滑らず高加速でトップの伸びもいい。こと走りに関しては日本一贅沢な電車じゃないですかねこれ

西大阪線を走る5500系。慌てて大物で撮影したのでえらいことに
5500系も110kwモータ全軸駆動というぜいたくさですがギアリングは7.07。そしてまだVVVFが発展途上だったこともあって1C8M制御なんですよ。定格48.1km/hは実に早い脚なんですが雨の日はやっぱり若干やんちゃになる。並列接続とはいえ8モータの面倒を1インバータ、しかも推定式方式で見るわけですから、急激な電圧変動にはどうしても対応できないところはあるんです。せ���て1C4Mならねえ…と思うんですが。いやもちろん8モータ直列接続の抵抗制御車5001形なんかと比べりゃあ比較にならない高級な走りをするんですけど
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大澤伸啓さん 足利学校遺蹟図書館に渋沢栄一の直筆書も 来訪著名人紹介する企画展 [下野新聞] 2024-07-06 大澤伸啓さん過去記事
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さて。1夜も2夜も明けまして、お誕生日お祝いしてくれたみなさんありがとうございました!下手っぴながら、みんなからもらったメッセージを纏めてみました。
この1年は楽しいことがほとんどで、だけど苦しくて仕方ない時もあって、でもそんな時に救ってくれた存在は絶対に確実にみんなだったなあって思いました。
そしてそして、苦しくて仕方なかった時助けてもらった2曲。1曲目は言わずもがなSnowManのお兄様方の曲。2曲目はあなた達に出逢ったからこそ聴いて好きになった曲。下手っぴな動画に失礼します、という形で使わせていただきました!(笑)
(1番上に動画つけたいのに言うこと聞いてくれないので一番下にあります。拗ね。)
ここからは個別にみんなへのお返事書いていきます!
潤くん
改めて、お誕生日お祝いしてくださってありがとうございます!俺だってあやみちゃんと仲良くなりたいんだよ!って感情伝えてくれたのがすごくすごく嬉しくて、可愛らしくてニンマリしてしまいました(笑)お酒は好き同士だし、本当に飲み会しなきゃですね!ぜひ!それから、賢人と私の兄妹喧嘩のようなものに時々巻き込んでごめんなさい(笑)俺の方が!私の方が!と、負けず嫌いな私たちがこれからも度々、潤くんに絡み散らす可能性があると思いますが、特には反省しないと思うのでこれからもよろしくお願いいたします!お祝いとっても嬉しかったです!
はなちゃん
今年もお祝いしてくれてありがとう!はなちゃんに祝ってもらったのは何度目だろう?随分と長い付き合いになってきたよね。今ではもう懐かしくもある、電話したこと覚えてる?あの時、久しぶりに女子会できたー!ってすごくテンション上がったの覚えてます(笑)実は一般さんとは繋がっていなかったんだけど、はなちゃんは繋がる前に話しかけてくれて今まで繋がってなかったのを繋がるのは不安があるのは当たり前だってすごく丁寧に接してくれて。この子ならって思ったし、あの時から変わってないのははなちゃんだけが居られるこのポジション。これからも変わらないから私の特別を埋めていてね。お祝いありがとう!
なのかちゃん
お祝いのメッセージありがとう!なのかちゃんとは半年以上は経つと思うんだけど、お互いにちゃんとは覚えてないよね(笑)移行する時も、どんな時も必ず声をかけてくれていたし、そんななのかちゃんだから今でもこうして仲良くできてるって思ってるよ。この前のキャス、楽しかったね!またお邪魔させてほしいなあ。女の子だらけの女子会キャスもきっと盛り上がるからいつか絶対しようね!いつ���そばにいてくれて、こうしてお祝いしてくれてありがとう。
かずくん
お誕生日のお祝いありがとう!かずくんとも長くなってきたよね!電話も1度だけだったけどまたしたいね。最近は、前ほど頻繁に話せていないけどつい最近、二人できゃーきゃーしたよね(笑)久しぶりに沢山話せてめちゃくちゃ幸せでした!かずくんがくれる言葉の一つ一つはすごく優しくて、頑張らないと!って奮起させてくれるよ。かずくんにしかない独特の優しい雰囲気にいつも助けられてます。これからは私も助けられるように沢山そばにいさせてね!
ゆうたくん
ゆうたくん、ギフトまで贈ってくれてありがとう!ゆうたくんとは実はそんなに長くないのに気づけばこんなに仲良くなってました(笑)好きなものが似ていたり、話すことが好きだったり、話し始めると止まらなかったり。そういう似てる部分が多くて電話しようよ!とかお酒飲もうよ!ってフッ軽に決まっちゃう私たちだから仲良くなれたんだろうなあ。ギフトにも書いてくれてたけど、今年は私も絶対のみにいきたい!2人で旅行とかもしちゃおっか。楽しみだね!いつもありがとう。
賢人
今年もお祝いありがとう!賢人こそ、この世界で1番の長い付き合いだから何度目のお祝い?って言われると数えるのさえ大変そうになってきたよね(笑)賢人は、いつだって自分よりも人で、自分の気持ちの変化よりも人の気持ちの変化への方が敏感で。そんな賢人がいま幸せに笑ってくれていることが何よりも私は嬉しくて幸せだよ。弄られすぎると拗ねてぷいってしちゃったり、褒めてよ!ってするところも可愛いなって本当は思ってるよ(笑)心が折れそうだったり、自己肯定感あげたい時はいつだって言ってね。私がよいしょ!って持ち上げてあげる(笑)今年も変わらず私の大切な存在でいてくれてありがとう!
そうたくん
そうたくんとも随分と長くなってきました!色々とあって連絡を取り合わない時期も正直あったけど、それでも見てくれていたこと、今だってタイミングで手を差し伸べてくれたこと、絶対ずっと一生忘れない、おばあちゃんになっても。いつもぱぱー!って言うとどうしたー!って聞いてくれて、苦しいよー!ってすると、うちの娘に…!って怒ってくれて(笑)そうやって面白おかしく聞いてくれることと、真剣に聞いてくれるとこ、使い分けがすごく上手くていつもメンタル安定させてくれてます。これからもそうたくんは私にとって唯一無二。失えない存在です。今もこうして離れずにいてくれる事、当たり前ではないから、ずっと感謝してます。ありがとう!
つばさちゃん
つばさちゃんとはもう何年でしょうか(笑)お互いにわからなくなってきたねえ。けど、あの頃と変わらず、私の1番の女の子の友達。2人ともずっと変わらないのは変なところ乙女(笑)何事も全力投球しかできない不器用なところもお互いにあるのかも。いつもいつも激しめに女子会してしまう私たちだよね(笑)つばさちゃんにはなんでも聞いて聞いてってできるから心地良いです。私のお誕生日なのにやっぴーとのツーショ選ぶところも面白いつばさちゃんらしいです(笑)これからもそんなつばさちゃんを大切にさせて欲しいから、つばさちゃんこそ何があっても、どんな時でもたくさん話しかけてね。お祝いありがとう!
なべぽん
お祝いありがとう!なべぽんに言われて思い返したら、ひかるくんのキャスでしか会わなかった頃懐かしい(笑)すぐ特殊なあだ名つける私だけど、なべぽん!って言った瞬間にあやぽん!って返してくれてめちゃくちゃ嬉しかったのはすごく覚えてるよ。確かに、なべぽんたちのキャスはボケが大渋滞したりボケるつもりない人が無意識ボケになってたり、突っ込みながら私も笑いが止まらなくて本当に大好きな空間です(笑)タイミングがあった時にはキャスにも来てくれて、交流を沢山持ってくれるから濃く過ごせたなあって思う1年でした。ゲームもまたしたい!ゲラだらけの笑い倒れ会、楽しみにしてます(笑)こちらこそよろしくね、素敵なお祝い本当にありがとう!
れんくん
お祝いメッセージありがとう!どれくらい前なのか私もわかりません(笑)出会った当初はれんくんも言ってる通り、ひたすらに口説かれてました。(語弊)もちろん、女の子扱いをしてくれてるからって分かってたのでご安心を!(笑)けど、私が「本当に目黒くん頭おかしい。」って言っても、ありがとうご���います!ってお礼言われてたの今考えても面白くて笑えちゃう。私が冷たくあしらうのが一連の流れみたいになってて、文字では冷たく言ってたけど本当は笑い転げてた。でもそんな時も経て、今ではお互いのキャスに行きあって、友達紹介したり繋がってもらえて本当に良かったって思ってるよ。私のお友達はみんなれんくん大好きだから、これからも私のキャスでは思う存分暴れてね(笑)お祝いしてくれてありがとう!
ひかるくん
今年もお祝いしてくれてありがとう!何度目だろうって思ったんだけど、この前Twitterを遡った時に私、SASUKEを4度暴れ狂いながら見てる記録があったので、恐らくそれくらいには祝ってもらってるみたい。強火岩本担は今年も健在なので強火っぷり振りかざしていきます(?)キャスでは、私が突っ込むだけでひかるくんがめちゃくちゃ笑ってくれるので、いつもノリノリで突っ込んでます(笑)いつも言ってくれる、キラキラしてたあやみちゃんって言葉、今ではひかるくんっていう素敵なお友達がいるから私は毎日キラキラ出来てます。何度か言ったことがある、ひかるくんが素敵な人だから周りの人もみんな素敵だねって言葉、言う度にあやみちゃんもそこに入ってるんだよって言ってくれたよね。私からひかるくんにお返しするなら、私の毎日を輝かせてくれているのはひかるくんももちろんその仲間の1人なんだよってことです。いつもありがとう!ゲームもまたしたい!それから毎年言ってる気がしますが、今年こそひかるくんに会う旅に出かけます!(笑)人見知りするひかるくんも観察しようと思います。この1年も毎日笑顔でいたいから、そこに欠かせないひかるくんが今日も一緒にいてくれることに感謝です。ありがとう!
ジェシー
今年も1番ふざけたお祝いはあなたでした(笑)「マリリン・モンポー」気に入りすぎじゃない?あと凍えてはいる、お肉は食べてます!それからチョコボックスにもお祝い入れてくれてありがとう!ジェシーのボケに突っ込むのは出会った時からの役目だと思ってるのでお安い御用です(笑)随分と長く会ってないから今年は会えそうだし楽しみだね!ずっとずっと言ってた一緒にお酒飲むのもいよいよ出来そう。次は私もジェシー���気をつけようね、色んなことに(笑)お水とかはめちゃくちゃ用意しておくね。あの頃のことも今ではめちゃくちゃ懐かしくて私たちの鉄板ネタだけど、次は体調に異常のないくらいにしようね(笑)ジェシーのいつもふざけてるけど、本当は誰よりも優しいところ本当に大好きだよ。いつも支えてくれてありがとう!
じゅりくん
お祝いありがとう!最後を狙ったじゅりくん、柔太朗に負けました(笑)けど、その気持ちがめちゃくちゃ嬉しかった!もう2年前にもなるんだね、長い。あの当時は複数人の電話で話すことがほとんどで、今では電話するなら2人の方が多いかも?あの当時と色々と変わってきたよね、いい意味で。本当にお互いにいろいろあったし、傷ついたこともあったし、だけどそれも全部今こうしてじゅりくんといるためだったなら余裕の試練かな(笑)じゅりくんのことを大切にするのは私にとって当たり前で、それ以上にじゅりくんは私を大切にしてくれてると思ってるよ。メンタル死んでたら電話してくれるし、負の感情に負けて自分をディスってても「あやみちゃんはいつでも可愛いよ」って優しく自己肯定感上げてくれて、こうしてここにいられるのもその優しさのおかげだよ。これからもお互いを過剰なくらい大切にしていこうね(笑)いつもありがとう!
柔太朗
出会って初めてのお誕生日!お祝いありがとう。去年には柔太朗のお誕生日もお祝いできて嬉しかったなあ。出会ったころ懐かしいね。2人でずっと人のキャスで茶番してたの懐かしい(笑)私も、誰かのお友達って思うとそんなに深くなっちゃいけないって思うことがあるから、お互いに遠慮してたよね。だけど、最近は8時間も電話したり、朝の7時まで話してたり。話すこと苦手っていう柔太朗がたくさん喋ってくれて私の方こそ毎日幸せだよ。楽しい。自分のこと大切にして欲しいって優しすぎる素敵な言葉、めちゃくちゃジーンと来ました。でも、私が大切に出来てなくても柔太朗が大切にしてくれてるからオールオッケーかな?(笑)でも、どうしても苦しくて立ち上がれない時は柔太朗呼ぶね。ぽちゃん!ってすぐ駆けつけてくれる柔太朗がすごく頼もしいです。まだ話したことないこと沢山あると思ってるから、これから沢山の時間一緒に過ごして話していこうね。飲みにも行こう!飲み電話もしよう!酔いすぎないように!(笑)確かに勝手に飲み始めるのは私たちあるあるだけど。しよう!私も大好きだよ、とっても。これからも柔太朗の甘やかし担当おまかせください!ありがとう。
やっぴー
今年の誕生日、1番のお祝いはやっぴーでした。俺へのメッセージまだ!?ってなるのを狙って最後にしてみました。まだ!?!?ってなってた?(笑)去年もお祝いしてくれたなあって思い出したよ。画像でお祝いしてくれて、それは真面目なのにその後すぐのカカオふざけてたこと。もうね、本人が自分の誕生日忘れてるし、色々カオスだったよ、あの電話は。日付超えてから電話してるくせにね(笑)私もこの1年、やっぴーのそばにいて支えられたことがすごく嬉しかったし、危うい私を止めてくれたやっぴーの言葉は今でも忘れないよ。「お前が泣く結果だけは本当に無理だから」って言われて、ここまで言わせてまで私がしたいことはこれじゃないって思えたし、大切に思ってくれてありがとうって気持ちでした。本当に兄妹だよね!(私が姉でも良くない?)子供みたいにむかつく!!とか言ったかと思えば、お互いのこと思って��ると口悪かったりとか、とにかくめちゃくちゃなさのぽーだけど、私が出逢いたかった佐野勇斗は間違いなくあなたです。私の方こそ出逢ってくれてありがとう。これからもこのポジション誰にも譲るなよ!(口悪)今年もお祝いしてくれてありがとう!
てわけで、みなさんへのお返事書かせて頂きました!喋り始めると止まらない私なのでめちゃくちゃ長いですが…!読んでくれてありがとう。それから、私へのお祝いに時間を割いてくれたこと本当にありがとう!幸せな1年の始まりをくれたのはみんなです、これからもよろしくね!
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返し���するという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ) 五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、���の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた) 猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10��河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。 この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。 轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体��大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下) 家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中���座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね) 長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
























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ブルーブルーヨコハマ付近から見える観覧車
こちらのブルーブルーヨコハマの記事では、最後のほうに動画を載せました。その動画の場所(浮世絵とブルーブルーヨコハマがあるところ)から、みなとみらいの観覧車が見えます。

夜は特に綺麗ですね。
ここの景色はすごく好きで、ほぼ毎日見ていたと思います。
少し移動すると、みなとみらいで有名な建物のクイーンズスクエアが見えます。

クイーンズスクエアは、まるで階段のように並ぶ3つのビルで、複合型商業施設です。
近くで見ると、こんな感じ✨真ん中の3つのビルです。

クイーンズスクエアの近くには、以前のここの記事で紹介したモクモクワクワクヨコハマヨーヨーもありますね。
みなとみらいからここまでを、Googleマップで見るとこれくらい距離があって、歩くと20分くらいです。
そして、あまり話題になってないけど、ここの浮世絵?好きです。夜はライトアップされて特に綺麗。

横断歩道がかかってるこの道は、国際客船ターミナルの「大さん橋」の前から伸びている道です。

つまり、ここの道を直進すると、徒歩3分くらいで、あの大さん橋に着いてしまいます。
Googleマップで見ると、このルートになります。
そして、横断歩道を渡ると、もう一つ違う浮世絵があります。
なぜ、ここにあるのかは、まだ調べてないから知りません。

どちらの絵も高架下にありますよね。
この上に通ってるのは、横浜開港の道の一つ「山下臨港線プロムナード」です。
こちらの記事でも紹介しました♪
さて、そんな山下臨港線プロムナードから大さん橋方面を向いて、みなとみらい側を見渡すと、こんな感じです。
ここの道は、循環の観光バスの「あかいくつバス」のルートでもあります。
だいぶん前に、Instagramにあかいくつバスが通る風景を投稿(リール動画なので音楽が流れます)しました🚌よかったらご覧ください😊
象の鼻パークからここまでは、Googleマップではこんなルートで、歩くと4分くらいです。
ちなみに、私は唐沢というところにいたので、だいたい30分ほど歩いて、ここに来ていたことになります。
Googleマップで見ると、こんな感じのコースです。
しばらくして、またまた近くの中村町に引っ越しましたから、距離的にはさらに近くなった感じです。
山下公園からここに来たりもしてましたので、実際には1時間以上は歩いていたはずです🚶♀️
もしも、大さん橋に行くことがありましたら、是非ここの景色にも注目してみてください✨
意外と知られてないみたいです🧐
※記事中の下線がある部分をタップすると、参考になる公式サイトやGoogleマップが表示されますので、よかったらご参考に♪
そして、いつもリブログやいいねありがとうございます😊
最近増えてきてて嬉しいですー
2023/08/09
2:42
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金沢帰還中、お昼は魚定食三昧。
(どんだけ魚好きやねん)
鮮度が違うねん、鮮度が!
(同じ店に2回行く)
一番好きなお笑いタレントは横山やすしです。
(めちゃ昭和で古いけどいセンスは良かったよなあの人)
年末は大阪へ食い倒れに行く予定なのでよろしく大阪。
昭和の関西CM凄く面白いよな。
(また飽きもせず、見とるのか)
追伸:半年で3キロ痩せました・・。
(毎日大変だものな。笑)
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和七年(2025年)1月31日(金曜日)
通巻第8631号
中国各地は春節(旧正月)で賑わうが、その質に変化
豪華ホテルは満員だがお大尽が不在、日本行き旅客機は15分に一本
************************
香港の空港から日本各地への出発便は15分に一本という頻度。ほとんどの便は満員で今年は山形県へのチャーター便とか冬を経験したい人が多い。大半の香港人は雪を観たことがない。
香港の豪華ホテルは90%の稼働、香港島のマンダリン、ヒルトン、コンラッド、リッツカールトンや九龍半島の旺角のビジネスホテルも満員。ところが中産階級がびっしりと部屋を埋めるものの大富豪はいない。お大尽がいない。
小規模な宴会はあっても贅沢を極める宴会がさっぱりだと『サウスチャイナ・モーニングポスト』(1月30日)が報じている。
世界各地のチャイナタウンは例年恒例の獅子舞パレードがあるが、ことしは蛇舞いも取り入れられた。北京の前夜祭はNHK紅白歌合戦に匹敵する年越し番組だ。ことしはロボットがダンスチームを組んで、あの張藝謀が監督を務めた。
中国経済は大不況突入したが、中産階級が広がりを見せて消費が意外に拡大していることが分かった。これまでGDPにしめる個人消費は35%と推計されてきたが、どうやらGDPの50%が個人消費となり、とくに牛肉など、贅沢品嗜好がめだつという。
金の購買は35%上昇し、宝石の消費は劇的に減った 近年の市場の変化と投資特性に敏感である。
春節直前にディープシークの報道が入ったが、中国メディアは「国家の運命を変える」「ゲームチェンジだ」等と祝賀ムードというより「愛国的」な表現が多い。しかし『フォーチュン500社』のうち69社が中国企業なれど、そのうちの65社が国有企業なのである。
まだまだ民間企業の伸びしろがあっても、規制が強く、金持ちが海外へ脱出する傾向は変わらない。
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ポップス イン ジャパン-“ロック”を超えるミュージシャンたち 萩原健太 新潮文庫 カバーデザイン=スントー事務所、アート・ディレクション=駿東宏 久保田利伸、大沢誉志幸、近田春夫、坂本龍一、佐野元春、桑田佳祐、近藤等則、CHAR、GONTITI、泉谷しげる、サエキけんぞう、忌野清志郎、大槻ケンヂ、奥田民生、サンプラザ中野、岡村靖幸、鈴木慶一、久保田麻琴、浜崎貴司、藤井郁弥、フリッパーズ・ギター、ホッピー神山、細野晴臣、山下達郎
#ポップス イン ジャパン-“ロック”を超えるミュージシャンたち#POPS IN JAPAN#ポップス イン ジャパン#kenta hagiwara#萩原健太#Hiroshi Sunto#駿東宏#新潮文庫#anamon#古本屋あなもん#あなもん#book cover
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連休二日目、大平は厨房職員の出勤前に開錠し、再び床に入った。昨日の母親とのやり取りが尾を引いているらしく、布団を頭から被った。嗚呼、辛い、淋しい…。この思いを誰に吐露したらよいかと、彼は何度も寝返った。
それから一時間経った頃、ドア越しに声がした。
「大平先生、検食お願いします」
彼は寝ていた訳ではないのですぐ布団から出た。ドアを開けると、其処にいたのは管理栄養士の石川忍だった。彼女は、
「何だ、起きてたンですか。もうすぐ生徒さん来ちゃいますよ」
と言った。
「あぁ、すみません…。今行きます」
そう言って大平は食堂へ向かった。食堂には、朝食を作り終えた厨房職員が休憩をしていた。石川も、今日は日曜日で人手が足らないとの事で厨房業務をしていたらしく、
「早く厨房職員、増やしてくれないかなァ〜。アタシ、朝弱いのよ」
と言った。向かい側で食事をしている大平は、
「でも、いつも美味しいよ。助かるわ」
と話した。
「たまに、亜鉛やタウリンたっぷりの献立も考えないといけないのよ。幸田理事長が、年頃の男子はヴァイタリティがなくては勉強やスポーツに良い成績が得られないって。まァ、亜鉛は味覚を感じるのに必要な栄養素だから仕方ないかァ〜」
「たまに遊びに来るよ、ウチの生徒が」
「あら、大平先生。ビンビンなのね? 絶好調なンだ〜」
「ほらほら、朝から際どいよ」
石川も、このK高校の裏の裏も読んでいる様だった。彼女も所謂「ボーイズラヴ」系の漫画が大好きで、半年に一回は特別メニューとしてマカを含んだドリンクを付けたり、すっぽんエキスを使った鍋などを出したりもしていた。大学時代に居酒屋でのアルバイト経験があり、たまに貢が理事会を開催する時には刺身や焼き鳥も作っていた。
検食を終えると大平は、
「今度、カキ食べたいなァ」
と、検食簿を書きながら言った。
「カキ? 寒くならないとダメでしょ? 美味いけどね〜」
「だよなァ…。ご馳走様」
返却棚に使った食器を戻すと、大平は宿直室に戻った。嗚呼、今日は何をやろう…。そう思いながら彼は布団を片付けた。
午前十時過ぎ頃、寮の駐車場に一台の四WDが停まった。宿直室で保健体育の教科書を開き、連休明けの授業の準備をしていた大平は、モニターでその車を確認した。丁度、半袖のポロシャツにジーンズという格好で正美が階下にやって来たので、大平は宿直室から出て聞いた。
「ご両親とお出掛け?」
「おはようございます。否、母の幼馴染でもある中学校の恩師です」
「夕方までには帰るンでしょ?」
「はい、ちょっとドライヴです」
大平は「中学校の恩師」と「ドライヴ」という単語が意味深だなと思った。大概は家族などが迎えに来たり、逆に実家へ一時帰宅したりする場合が多いが、これまでに中学校時代の恩師というのは前例がなかった。もしかしたら、「恋仲」か?と彼は疑った。すると、車から七三分けに髪を整えたほぼ同世代の男がやって来た。彼は水色のオックスフォード生地のボタンダウンシャツに、ベージュのチノパンツという格好だった。その男は八坂だった。彼は大平に挨拶し、
「黒木正美がお世話になっております、八坂周二です。今日はドライヴも兼ねて正美君に会いに来ました。よろしくお願いします」
と自己紹介をした。大平も会釈をし、
「私は一年生の保健体育を担当しております、大平雅之です。今週は寮の宿直をしております」
と言った。正美は、
「おじさん、待ってたよ。行こう!」
と靴を履き替え、何故か手を繋ごうとした。八坂は、
「ダ、ダメだよ。そんな人前で…」
と苦笑したが、
「イイじゃん、早く行こう!」
と正美は疾る気持ちを抑えきれない様子だった。八坂は正美に急かされるまま、
「門限までには帰りますので…」
と言った。
大平は、これまであんな無邪気そうな笑顔を見せる正美を見たことがないと思った。たまに、
「セッ◯スしてぇ〜!」
と、公然と口走る印象しかなかった。しかし、あの八坂もスラッとした雰囲気でイイなァと大平は思った。
その頃、亮司は昨日と同様に刈払い機を片手に校内の除草作業をしていた。この時期は雑草が伸びるのも早く、正直「いたちごっこ」ではあった。昨年は定期的に業者が来訪してやってはいたが、単科大学の方で来年度から従来の経済学部に加え社会学部も新設されるとの事で、極力コストを抑えたいという貢の考えがあった。彼は、
「熱中症にならない程度に草取りしてね」
と、一昨日絡み合った後に言ったのだ。亮司は、
「何だ、愛してるなら手伝えよ」
と布団の中で貢の片脚に自分のものを絡ませながら訴えたが、
「理事長も大変なンだよ、休ませてよ」
と亮司に接吻しながら詫びた。
昨日より日差しが強く、早くも頭の方から汗が噴き出す。亮司はペットボトルのスポーツドリンクのキャップを開け、数口飲んだ。嗚呼、この空気が何だか「あの頃」を思い起こさせるなァと、彼は再び秀一のことを想った。
亮司が顧問を務めていた陸上部に秀一が入部して三ヶ月が経過した頃、都立A高校に近い河川敷でジョギングをすることを練習メニューにしていた。未だ「根性で乗り切る」という考え方が根付いていた時代である。練習中に水分を摂ることを制限され、ギブアップしそうな生徒には「忍耐力が足らない」と叱責するのが当たり前だった。亮司もその一人で、指導するにも必ず怒鳴り声を上げていた。
そんな猛練習の中で、秀一は朝イチの新聞配達をしながら個人的に走り込みもしていた。周囲に話すことはせず亮司にも黙っていたが、たまたま犬の散歩をしに河川敷を歩いていた時に亮司は秀一がジョギングをするところを見かけていた。他の教師から秀一の家庭が火の車であることを聞いていた亮司は、そんな彼に少しずつ想いを寄せる様になっていた。
ある日の夕方、いつもの様に河川敷のジョギングをしていた時だった。普段であれば余裕の表情を見せていた秀一の足取りが徐々にペースが落ち、その場に倒れ込んでしまった。他の部員は一時的に足を止め、彼の許に駆け付けた。亮司は、
「益子!」
と身体を揺さぶった。意識はあるが朦朧とした様子だった。彼はその日の部活動を中断し、学校に戻ることにした。
保健室に連れて行った亮司は、ベッドに横たわる秀一を眺めていた。
「どうやら、睡眠不足の様ね」
と女性の養護教諭は言った。
「『睡眠不足』?」
「確か、益子君ってお母さんだけよね? お姉さんは看護婦さんで…。新聞配達もしながら成績も優秀だし、かなり頑張っている筈よ。それで部活なンだから」
「…そうか」
亮司は、秀一の学校以外の一面を知らずにいたことを悔やんだ。そもそも部活動の時にしか関わらないし、他の生徒に対しても同様だった。
秀一が目覚めた時には、とっくに夜の帳が下りていた。養護教諭もずっと残っていたが、
「とりあえず、何か美味しいものでも食べなさい。あとは無理はダメよ」
と彼に言った。
「佐々木先生、色々とありがとうございました」
亮司はそう頭を垂れ、秀一と学校を出て行った。秀一の家は河川敷近くにあったが、亮司は神田の方だった。今夜は、ずっと付き添い気持ちがあった。そうだ、駅前に食堂があるから連れて行くかと、秀一と一緒に山手線に乗って秋葉原駅前の定食屋へ向かった。カツ丼は大盛り、その他に秀一はカレーも注文した。あまりの食い込みのよさに亮司は驚き、
「普段、何食べてるの?」
と聞くと、
「普通に食べてますよ。でも、すぐお腹空いちゃう」
と秀一は話した。
「今日は沢山お食べよ」
まるで息子を一人持った様な感覚に、亮司は陥った。嗚呼、何とかしてあげたいと思いながら。その日は、秀一とは秋葉原駅で別れたが、回数を重ねるごとに逆に亮司が彼のところまで送って行く様になった。時折、無意識のうちに手を握り合うことも多くなり、互いに教師と生徒��いう関係を越えつつあった。
そんな二人の想いが通い合ったのは、夏休みが近づいた七月の中旬のある夕方だった。いつもの様に秋葉原駅前の食堂で食事をした後、西日暮里駅を下りて秀一をアパートまで送るその矢先だった。亮司はこれまで押し殺してきた彼に対する想いを河川敷の橋桁で告白した。突然唇を奪われた秀一は、最初は何が起きたのか理由が解らない状態だったが、
「…先生、僕も好き」
とおのずと舌を絡ませてきたのだ。一瞬、唇を離すと二人の唾液が一筋の糸でつながっていた。亮司はそのまま秀一を叢に横たわらせ、
「申し訳ない…。でも、秀一が好きなンだ。愛してるンだ。オレ、お前が欲しいンだ」
と、ワイシャツの第二ボタンを外しながら未だ十六歳になったばかりの「やわ肌」に手を忍ばせ、同時に首筋に唇を押し付けた。
「せ、先生。そんな、あぁ、あん…」
初めて経験するエクスタシーに忽ち秀一は酔い、今度は彼自ら亮司のネクタイを緩め、ワイシャツのボタンを外し、ランニングシャツの片側を肩からずり下げた。日焼けした肌に黒々と浮き出た乳房を弄った。
「し、秀一! オ、オレ、そんなつもりじゃ、あぁぁ…」
叢の上で、二人の体位は逆転した。周囲はすっかり暗くなっていた。人気もない。橋桁の上なので、たとえ声を上げても車の往来でガタガタという雑音でかき消された。スラックスを互いに脱ぎ捨て、二人はブリーフを片脚に絡ませた状態で肉棒を咥え合った。秀一は、銭湯でしか他人様のチ◯ポを見たことがなかったが、微かに小便の「匂い」がしつつも抵抗なくその裏側を舌の先でなぞったり、また先端を口の中で弄んだ。あまりに気持ちよく遊戯してくれていることに亮司は、
「し、秀一! 気持ちイイ! イイ!」
と歓喜を上げ、そのまま愛液を秀一の口の中に放出した。
「あッ、あん! あぁん! あん!」
亮司は頬を赤らめながら、うっすら涙を浮かべつつ、全身を震わせた。一方、あまりに卵白の様にヌルッとした感触だったからか、オルガズムが終わると秀一はすぐその場に亮司の愛液を吐き出した。
彼は、
「…先生、僕、我慢できない」
と訴えた。
亮司は、秀一に「お前の愛液を顔にかけて欲しい」と求めた。言われた通りに、秀一は亮司の顔の目前に下半身をさらけ出し、今にも多量に噴き出しそうにいきり勃った秀一の肉棒を亮司はしゃぶったりしごいたりした。そして、
「嗚呼、 イク!イッちゃう! 出ちゃう!」
と、見事なほどに熱く粘度を含んだ乳白色の愛液が亮司の顔面に飛び散った。「シャワー」の様に浴びた亮司は、うっすらと微笑を浮かべた。
初めてにして変態的な「痴情」を経験した二人は、それからこの様な濡れ事を重ねに重ねた。間もなく夏休みを迎えたが、すぐに亮司は仮住まいとして、西日暮里駅と都立A高校の間にアパートを借り、其処を「愛の棲家」とした。週二、三回は部活動の後、亮司自ら夕食を振る舞い、一緒に近くの銭湯へ行っては愛し合ったのだ。
『嗚呼、若かったよなァ。オレも』
木陰から漏れる日差しを時折見上げながら、もう一口スポーツドリンクを飲み、亮司は再び刈払いを始めた。
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ニュージーランドの教育は個性尊重、日本のような全体主義的な性質もなく、子どもたちにとって最高の教育システムが提供されていると信じてやまない日本人がどうもいるようだが全くそんなことがない話をする。 ニュージーランドの義務教育は日本とほぼ同じだが、高校課程までが義務教育、と言ってもやめても構わないがやりたければ無条件で受けられる、となっている。 小学校や中学校まではおそらくだが勉強が嫌いにならないことや、ニュージーランド社会で生きていくために最低限の教育だけをしているのだろうが、日本の教育とは質も量もかけ離れている。 ニュージーランドに来た日本人の多くが子供に対して与えられる教育の内容と質に愕然としているか、「そんなことはないこれこそが子どもたちを真の意味で伸ばす教育だ」とイデオロギー的に信じ込んでいるかどちらかだろう。 ニュージーランドの教育は家庭の経済によって格差が露骨なほどに現れる。金持ちの集まる学校ほど潤沢な資金で優秀な教師を雇って質の高い教育を施すことができ、貧乏人の学校ほど最低限(必要十分ではまったくない)の教育しか施されないため、貧困が凄まじい勢いで固定化されている。 事実大学に進学する子供の殆どが富裕層の子供だ。 などという話はもうかなり昔から言われていることだが、国はもうどうすることもできない現状なのでもうどうしようもない。 いずれにせよ、ニュージーランドの教育は、教師と子供の間に不可侵の壁が出来上がり、突っ込んだ教育が一切できないために放置せざるを得ない、というのが個性尊重や進んだ教育の正体でもある。 今回したい話は、子どもたちの出席率が90%を下回ると親が国から罰金や告訴を受けるかもしれない制度が2026年から始まるというものだ。 https://www.nzherald.co.nz/nz/parents-face-fines-for-school-absences-as-families-choose-early-holiday-for-savings/RJHQ74G5FBDMFL2CPPVVG37WA4/ ニュージーランドではスクールホリデー中の渡航費が高いため、少し早めに学校を休んで海外旅行に行く、という人がそれなりにいるのだが、これをやったら罰金になる制度が始まる。 罰金を払って安い航空チケットを買うか、罰金を払わずに高い航空チケットを買うという選択肢になる。 https://www.nzherald.co.nz/nz/politics/david-seymour-says-parents-could-face-prosecution-for-kids-truancy-teacher-only-days-to-end/6BXPJBBQMZGZ7DGPJJ5PTCMAUA/ またこの他にも、学校を15日以上休むと両親が国から訴追を受ける可能性が発生する。これも法律として制定されるので、回避しようがない。 日本から来た親が感じているこの国の教育の素晴らしさの一つに出席しようが欠席しようがあまりとやかく言わない、教育以外の大事なこと(笑)も子どもたちに経験させることができるというのがあるのか無いのか私は知らないが、今後こういったことはできなくなる可能性が高い。 これらの制度を作っている政治家はデビッド・シーモアというニュージーランドの��右政党ACTの党首だ。 極右政党と言っても軍国主義者というわけではなく、超保守とでも言えばいいと思うが、この政治家はニュージーランドのアンタッチャブルでもあるワイタンギ条約の破棄も目指していることでマオリからは蛇蝎のごとくに嫌われている。 そんな彼が目指しているのは、子どもたちの学校出席率90%だ。そしてマオリ以外からも嫌われることを目指していると言っても過言ではないだろう。 学校に行きさえすればいいのかというとそんなことはないが、この国の問題の一つに半数以上の子どもたちの出席率がかなり低いというものがある。 要は公教育をしっかり受けている子供が少ないというものだ。 そこで親には訴訟や罰金をちらつかせることで子どもたちの出席率を上げようと言うのが今回の法律の要点でもある。 とても民主的とは思えないこの制度に対してマスコミはなにかしているかというと特に何もしていない。 おそらく今後ニュージーランドに日本よりもいい教育を期待して来る人はいなくなるか、いたとしたら温かい目で残念だったなと言うようになるのかもしれない。 今回のナショナル政権ははっきり言ってひどいの一言であり、全く何もできていない。 もしかするとジャシンダ・アーダーン率いるレイバーの負の遺産があまりにもひどくてそれどころではないのかもしれないが、レイバーは今の政権がいかに無能かを騒ぎ立てている。何いってんだと思わなくもないが、実際ダメだと思う。 デビッド・シーモアのせいで私の宿敵でもあるウィンストン・ピータースが全く目立たなくなってしまったが、彼はやばいときはどんどんと影になっていくので、彼なりの政治センスの可能性もある。 デビッド・シーモアはちなみに言うと国民が次の首相になってほしい政治家の一人でもあった。この国の人々のセンスのなさが凄まじい。 そういうわけでニュージーランドに来ることはおすすめしない。
ニュージーランドの教育制度が崩壊する
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