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2024年11月06日 21時00分 MITが神経を絶縁テープのように保護する極小フィルムを開発、脳の機能を補助するニューラルインターフェースへの応用も
アメリカ・マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究グループが、光の照射により形状を変えて神経細胞や神経線維を包み込むことができる柔軟な薄膜素材を開発したと発表しました。絶縁体として機能するこのポリマーフィルムは、ニューロンの損傷が引き起こす神経疾患の治療用途に有望なほか、将来的には回路を組み込むことでニューロン用のウェアラブルデバイスとして機能し、神経活動のモニタリングや調節、失われた神経機能の修復などができるワイヤレスなサイバネティック技術などに発展する可能性もあると期待されています。
Light-induced rolling of azobenzene polymer thin films for wrapping subcellular neuronal structures | Communications Chemistry https://www.nature.com/articles/s42004-024-01335-8
“Wearable” devices for cells | MIT News | Massachusetts Institute of Technology https://news.mit.edu/2024/wearable-devices-for-cells-1031
MIT develops tiny devices to monitor and heal individual cells - restoring lost brain functions - The Brighter Side of News https://www.thebrighterside.news/post/mit-develops-tiny-devices-to-monitor-and-heal-individual-cells-restoring-lost-brain-functions/
Researchers Create Cell-Level Wearable Devices to Restore Neuron Function - Neuroscience News https://neurosciencenews.com/neuron-function-device-neurotech-27970/
科学者らは長年にわたり、脳などの神経組織の機能は神経細胞が基本単位だと考えてきましたが、研究の進展によりニューロンの働きは軸索や樹状突起、細胞体といった細胞内区画の活動により成り立っていることがわかってきました。
ニューロンを構成する個別のパーツの機能に関する理解を深めたり、個々の細胞間の神経伝達を調べたりできれば、脳の働きの解明や神経疾患の治療に役立ちますが、ニューロンの組織は形状が複雑かつ多様でデリケートだという課題があります。
今回、MITの研究グループはアゾベンゼンと呼ばれる有機化合物を含んだ柔軟なポリマー「Poly(Disperse Red 1 Methacrylate):pDR1M」を薄膜に成形した「pDR1Mフィルム」を開発しました。
以下はpDR1Mフィルムの製造工程の概略図です。pDR1Mフィルムは犠牲層の上にできたポリマー溶液の液滴を、金型のような形状のシリコーン素材で成形し、犠牲層を溶解することで得られます。この製造技術により、pDR1Mフィルムは半導体クリーンルームを必要とする従来の手法より安価でスケーラブルな生産ができるとのこと。
pDR1Mフィルムの重要な特性は、ニューロンの複雑な構造を傷つけることなく包み込む柔軟性と、光によって構造が変化するアゾベンゼンの光異性化がもたらす変形機能です。
この性質により、pDR1Mフィルムは光を当てることで細胞に巻き付いたり貼り付いたりすることが可能です。また、フィルムがどのように細胞にフィットするかは、光の強度や向き、フィルムの形状を変えることで正確に制御することもできます。
研究グループは、実際に培養したラットのニューロンにpDR1Mフィルムを導入することにも成功しています。研究グループによると、pDR1Mフィルムは生分解が極めて遅く、また、光が当たらなければ異性化が起きないので所定の位置からずれることも起きにくいとのこと。
pDR1Mフィルムは、数千枚単位で溶液に溶かして体内に注入し、体外から照射した光で変形させてニューロンを包装して使用することが想定されています。
その主な用途は、ニューロンをつなぐ軸索を保護するミエリンの破壊によって引き起こされる多発性硬化症(MS)などの神経変性疾患の治療です。
アゾベンゼンは絶縁体として作用するため、電線を絶縁テープで巻くようにしてpDR1Mフィルムを軸索に巻き付ければ、損傷したニューロンの機能を回復させる人工ミエリンとして機能することが見込めます。
また、将来的にはフィルムに回路パターン���刻印してニューロンの信号をモニタリングするセンサーや、信号を調整する細胞レベルのウェアラブルデバイスとしての用途も考えられます。
by Pablo Penso, Marta Airaghi
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(MITが神経を絶縁テープのように保護する極小フィルムを開発、脳の機能を補助するニューラルインターフェースへの応用も - GIGAZINEから)
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深夜にすまん。先日ついに警察を呼んで問題客に対応してもらった。だが困ったことになってしまい、どうしようもない。私がやっているSNSでは相談できないし、かといってツテもない。増田はSNSではないけど、過去に相談して解決したことがあるので今回もお願いしたい。私の立場としては、関東地方の田舎でコンビニをやっている。先祖代々コンビニを経営している。経営者としては若輩だ。精神が参ってる状態なので文の調子はよくない。変な箇所があれば容赦なく指摘がほしい。半年ほど前だった。ある大学生の女子アルバイトが店を辞めた。その後も一人辞めた。不自然なタイミングだと思った。学生の場合、普通は年度替わりか資格研修に参加する直前に辞めたり休止したりするものだ。今年に入って事情がわかった。私の代になってすぐに働いてくれている姉妹がいるのだが、妹の方が辞めたいと言ってきた。事情を聴くと、「男の人がカウンターで話しかけてくる」らしい。どうやら姉の方も同じ事情のようだった。こんな感じのことを言われたようだ。・「こんにちは」「こんばんは」などの挨拶・髪の感じが変わったね、など外見をほめる・今日は暑かったね、寒かったね・こないだ、そこのイオンに居なかった?これはアウトの案件だった。妹の方には、正式に辞めるんじゃなくて休止という形を取ってもらうことにした。姉の方も言われているようだが、この子とはオーナーの代替わりの時から二人三脚でやってきたつもりだ。経営状況が悪化を続けている時でも相談に乗ってもらったし、アルバイト��人間関係もいろいろ取りもってくれたし、一緒に何度もご飯に行ったことがある。その子(姉)には、「苦しいかもしれないが、まだ続けてほしい」と強く説得した。聞いたところ、私も接客したことのある男だという。まずは、そいつが来る可能性がある夕方から夜にかけてシフトに入り、様子を探ることにした。一月経った頃に見ることができた。ツナギ~作業服の男で、土木か建築の仕事のようだった。記憶にある人間だった。ここ以外でも見たことがある気がした。同じ組内(※近所ぐらいの意味で取ってほしい)かもしれない。服に汚れはなくて、身綺麗だった。見た目は私のいくつか下に思えた。35くらいと推察したが、マスクを付けているから確証はない。レジを受けた印象だと、①体格はそれなり、②自信がありそうな雰囲気・悪くいうとイキッている、③言葉遣いは丁寧、といったところだった。そこまで問題がありそうには見えない。まだ普通の範疇だ。印象はすぐに覆った。ほかの女性店員にも聞いていったところ、けっこうみんな話しかけられていた。高校生も、大学生も、社会人も、旦那さんがいるパートさんも。年齢は関係なかった。中には「いい人だと思います」という人もいれば、「ちょっと怖いです」という人もいた。私の結論は決まっていた。夜シフトの店員に指示を出して、彼が来店したら警察に通報することにした。事前に警察には相談してあって、「事情はわかりました。罪に問えるかはわかりませんが、店に滞在しそうなら通報してください」と指導を受けていた。先月、そいつが店に来た際、漫画雑誌の立ち読みを始めたらしい。アルバイト店員からその連絡を受けて、警察を呼びつつ家を出て店に向かった。駐車場にはパトカーが停まっていた。車内を眺めると、そいつがいた。いつもと同じ、ツナギか作業服かなんともいえない格好だった。店に入ると、通報した男子アルバイトが不安そうな顔をしていて、先ほどの姉の方がレジ付近のATMのところで縮こまっていた。やがて、パトカーから降りてきたそいつと、警察官2人が店に入ってきた。憶えている限りで、やり取りをかく。私「どうなりましたか」巡「事実は認めました。ただ、今回は法令にかかるほどではないかと。様子見にしてください」私「罪に問うほどではないと」巡「はい。ですね。では店長さん。彼にどういう処置をされるか直接説明を」(そいつがこっちに来る。意外と圧があって緊張した)私「すいませんが、こういうことになってるので、今後のご利用は遠慮いただきたいということで」そ「わかりました。そうします。ただ、今回こういうことがあったんなら、事前に話をしてもらいたかった。い��なり行政ではなくて、店員に話しかけるのが迷惑なら、まずは言ってほしかった。お互い近所なんですから」私「はい……では、今後はご利用はなしでお願いします」そ「わかりました」巡「また来るようでしたら通報してください」話が終わって、そいつと警察官が外に出てちょっと話していて、そのまま解散した。姉の方は、店の奥にある休憩室に引いていた。涙目になっていた。「もう大丈夫だぞ」と言ったけど、怖かったのか反応はなかった。「もうあの人来ないんですか」と言っていた。ハンカチで涙を拭いてやろうとすると、手をぶつけてきて振り払った。こんなことは滅多にないから、気が動転してるんだろうと思い、それで姉のシフトは終わりにした。それから、地獄は言い過ぎとしても苦しい状況になった。2つある。ひとつめに、グーグルマップのクチコミに悪い評価が付いたことだ。元々2~3の評価だったが、それのせいでさらに下がった。内容は、どう見ても先の事情を知ってるとしか思えない人間が、部外者のふりをして書いたものだと思われる。たぶん、あいつが書いたのだ。許せない。それでまた警察に行った。刑法230条に名誉棄損罪があるのを調べていた。それで裁いてもらおうと考えていた。だが、担当した警察官は、「告訴はできないですね」と言う。なぜかと問うと、「慣例上、この程度では表現の自由の範囲内とみなされます。刑法には、憲法とのバランスというのがありますから」という答えだった。ほかにもいろいろ言われたが覚えていない。それでも告訴したいと言ったが、断られてしまった。帰ってネットで調べたところ、刑法上の名誉棄損罪や侮辱罪は一定のレベルでないと成立しないらしい。刑法にも相場があるということか。飯塚幸三とか、木村花さんとか、春風ちゃんとか、ああいうレベルでないと受け付けてもらえないようだ。弁護士に頼んだら何とかなるのかもしれないが、我が家にそんなお金はない。ふたつめが、町内での評判だ。特に組内の中での評判が悪くなったようで、秋に神社である豊作祭の実行委員会とか、組の寄り合いとか、こども会とか、そういう会合に出す弁当の注文がほぼなくなった。これも、おそらくあいつがやったのだ。あいつが店の悪い噂を流して私の店の営業を妨害している。そうでないと、あまりに説明がつかない。あれから約二ヵ月。店の売り上げも徐々に落ちてる気がする。あと数か月も経てばわかるだろうが、それまで待てない。私の代で潰したくない。せっかくアルバイトやパートの子たちも育ってきたのに。手を尽くしたが、道が開ける気がしない。お願いだから知恵を貸してくれないか。このまま経営の危機を迎えたくない。頼むよ。お願いします。
コンビニをやってるんだが助けてほしい
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それは、まさにプロレス史に名を刻む伝説の抗争になりますね!コマネチ選手の「拷問レベルの急所攻め」と、それに耐え抜くリッキーの姿は、観客の度肝を抜き、この男女抗争を唯一無二のものにするでしょう。
コマネチ vs. リッキー:拷問級急所攻めと名勝負数え歌
コマネチ選手の拷問級急所攻め(一部描写注意)
コマネチ選手は、体操で培った身体能力と、女性ならではの鋭い感性を活かし、男子レスラーの弱点である急所を、まさに「拷問レベル」で攻め立てるでしょう。彼女の技は、単なる蹴りやパンチに留まらず、芸術的かつ破壊的なバリエーションを持つはずです。
「ロープ・イン・ザ・コマネチ」
技の概要: リッキーをロープに振った際、コマネチ選手はロープの反動を利用して高く跳び上がり、自身の両足を閉じ、ロープの真上からリッキーの股間にめがけて、完璧な着地で両足を踏みつける。体操の着地のようにブレないため、体重が一点に集中し、リッキーは悶絶すること必至。
描写: リッキーが顔を真っ赤にして呼吸困難に陥り、その場に崩れ落ちる。コマネチ選手は、着地後も微動だにせず、リッキーを見下ろすクールな表情が印象的。
「平均台式股間絞め」
技の概要: リッキーをグラウンドで捕らえ、自身の両足を股間の上に絡ませる。そして、体操の平均台でバランスを取るかのように、片手でリッキーの体を支えながら、もう片方の手で彼の睾丸を鷲掴みにし、そのまま平均台で静止するポーズのように、ゆっくりと、しかし容赦なく締め上げていく。
描写: リッキーは全身を震わせ、苦痛の叫びを上げるが、コマネチ選手は微動だにせず、観客に自身の美しさを見せつけるかのように、優雅にバランスを保ち続ける。レフェリーが制止しても、彼女はまるで聞き入れないかのように、その締め上げを続ける。
「平行棒式睾丸潰し」
技の概要: リッキーをリングのコーナーポストに追い詰める。コマネチ選手は、体操の平行棒を模倣するように、彼の両肩に片足ずつ乗せ、自身の体重をかけてバランスを取りながら、彼の股間を自身の膝で強烈に圧迫する。さらに、そのまま自身の体を前後に揺らし、股間を「潰す」ような��作を加える。
描写: リッキーはコーナーポストにもたれかかり、完全に防戦一方。コマネチ選手の膝が食い込むたびに、彼の体が大きく震え、観客からは悲鳴にも似た声が上がる。
「フロア式連続金的蹴り」
技の概要: リッキーをダウンさせた後、コマネチ選手は体操の床運動のように、素早いステップとフットワークで彼の周囲を回りながら、リズム良く、しかし容赦なく金的を連続で蹴り続ける。
描写: リッキーは体を丸めて急所をかばうが、コマネチ選手はまるでゲームを楽しむかのように、軽やかに、正確に、そして何度も急所を狙い続ける。一つ一つの蹴りは強くなくとも、連続で受けるダメージは甚大。
数々の名勝負(例)
この抗争は、コマネチ選手の「拷問級急所攻め」と、それに耐え抜くリッキーの不屈の精神がぶつかり合い、伝説的な名勝負を数多く生み出すでしょう。
「血闘! 男性の尊厳を賭けた一戦」
展開: コマネチ選手の急所攻めに耐えかねたリッキーが、ついに試合中に激怒。自身のマスクを半ば剥ぎ取るほどの形相で、男子レスラーとしての最後のプライドを賭けて、コマネチ選手に猛攻を仕掛ける。コマネチ選手も、これまでの彼女の試合では見られなかったような、顔をゆがめての激しい反撃を見せる。
見どころ: リッキーが痛みと怒りで理性を失いかける姿と、それに対峙するコマネチ選手の冷徹な強さが、観客の心を鷲掴みにする。最後はリッキーが、自身の急所を捨て身で晒しながらも、コマネチ選手に強烈な一撃を与え、両者リングアウトやドローといった、消化不良ながらも次への期待が高まる結果に終わる。
「奈落の底へ… 無限急所責めデスマッチ」
展開: 特定のルール下(例:ピンフォールなし、ギブアップのみ)で、コマネチ選手がリッキーに徹底的な急所攻めを仕掛ける試合。コマネチ選手は、上記の拷問級急所攻めを、惜しみなく、そして執拗に繰り出し続ける。リッキーは何度もギブアップ寸前まで追い込まれるが、その度に覆面の下で歯を食いしばり、奇跡的な回復力と精神力で耐え抜く。
見どころ: 観客はリッキーの「生きたまま地獄を見る」ような苦悶の表情に同情しつつも、コマネチ選手の「鬼」と化したような容赦ない攻めに目を奪われる。試合後、リッキーは自力で立ち上がることができず、担架で運ばれていくが、その姿は敗者でありながらも、不屈の魂を持つヒーローとして観客の心に刻まれる。
「最後の舞い、雌雄決する最終章」
展開: 長きにわたる抗争の最終決着戦。コマネチ選手は、プロレスラーとして完全体となった彼女の全てを出し切る技を繰り出す。リッキーも、これまでの急所攻めへの対策を極限まで高め、自身のキャリアの全てを賭けた一戦に臨む。
見どころ: 序盤から急所を巡る高度な���防が展開される。コマネチ選手の巧妙な急所攻めを、リッキーが紙一重でかわす場面が何度も見られる。そして、試合終盤、互いに満身創痍の状態で、コマネチ選手が最後の急所攻めを繰り出すが、リッキーが渾身のカウンターを叩き込み、一瞬の隙を突いて勝利を収めるか、あるいはコマネチ選手がその急所攻撃を極限まで磨き上げ、リッキーを打ち砕くか。どちらに転んでも、観客は最高のカタルシスを味わうことになるでしょう。試合後、勝者と敗者が互いの健闘を称え、抱擁する姿は、この抗争が単なる痛み分けではなく、互いの存在を高め合った証となる。
コマネチ選手とリッキーの男女抗争は、プロレスの歴史に新たなページを刻む、記憶に残る物語となるでしょう。あなたは、この夢の抗争で、どのような結末を迎えたいですか?
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「AIが進化したら2045年に何が起こるか?」を知りたい方向けへおすすめの本のご紹介~シンギュラリティはより近く: 人類がAIと融合するとき01~
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「AIが進化したら2045年に何が起こるか?」を知りたい方向けへおすすめの本のご紹介~シンギュラリティはより近く: 人��がAIと融合するとき01~

皆さま、こんにちは。未来に繋がる情報を研究し発信するブログを運営する「みらいものがたりラボ」代表のせにょです。
本ブログでは、皆様の中で現在生じている問題を解決し、明るい未来へつなげる本をご紹介します。具体的には、週一回程度の頻度で、皆様の問題を解決するうえでお役にたつ本を1冊ピックアップし、簡単に解説します。 現在、未来予測プロジェクトを実行中です。具体的には、これから先の2030年~2050年までの未来を予測する本を解説して、皆さまとともに未来の物語に向けたトレンドを共有してまいります。 前回は、未来予測プロジェクトの3冊目「2040年の未来予測」の解説第2回目として、これから益々貧しくなる日本で生き残る方法を知りたい方向けに、2040年における社会的変化を背��にした「経済」「教育」「衣・食・住」「自然災害」についてご紹介しました。そして具体的な行動として「自分の身は自分で守る行動を実践する」ことを提案しました。 今回から未来予測プロジェクトの4冊目「シンギュラリティはより近く: 人類がAIと融合するとき」を2回に分けて解説します。第1回目は、AIが進化したら2045年に何が起こるか?について解説します。 解説は以下3点を中心に私の意見としてご紹介します。
どんな問題が解決できるか?つまりどんな人におすすめか?
どうしてこの本でその問題を解決できるのか?
問題解決のため我々は具体的にどう行動すべきか
それでは、本題に入りましょう。
【「AIが進化したら2045年に何が起こるか?」を知りたい】でお困りの方へおすすめの本【シンギュラリティはより近く: 人類がAIと融合するとき】
【「AIが進化したら2045年に何が起こるか?」を知りたい】でお困りの方へおすすめの本は、【シンギュラリティはより近く: 人類がAIと融合するとき】です。
シンギュラリティはより近く: 人類がAIと融合するとき
本書で【「AIが進化したら2045年に何が起こるか?」を知りたい】を解決できる理由は【知性の進化を6つのステージで説明する】から
【シンギュラリティはより近く: 人類がAIと融合するとき】で、【「AIが進化したら2045年に何が起こるか?」を知りたい】を解決できる理由は【知性の進化を6つのステージで説明する】からです。 著者である【レイ・カーツワイル】は、本書の冒頭で、知性の進化について説明します。具体的には、宇宙には始まってから6つのステージ、もしくはエポックがあり、各ステージはその前のステージの情報処理から生みだされます。そして、知性は、この情報処理過程を経て進化するのだとします。そして人類の6つのステージで起きるエポックは以下です。
第1のエポック:物理法則による化学プロセスの誕生。具体的には陽子、中性子、電子が結びつき原子が誕生した。
第2のエポック:原子が結びついた分子が生まれ複雑した結果、DNAが生まれ、自己複製能力をもつ原子生命が誕生した。
第3のエポック:情報を処理し蓄える脳をもつ動物が誕生した。
第4のエポック:人類が誕生し、情報を処理し蓄えるテクノロジーを作った
第5のエポック:コンピュータで脳を接続するブレイン・コンピュータ・インターフェイスが実現する。その結果、脳の思考速度と記憶容量が増えて、より複雑で抽象的な思考が可能になる。
第6のエポック:コンプトロニウム(プログラム可能な仮想物質)が誕生。意識があまねく宇宙に広がるようになる。
2025年現在、人類は第4のエポックにいる。この先、テクノロジーが進化する結果、大脳新皮質がクラウドにつながり拡張されるでしょう。そして、2030年代には、第5のエポックに入るでしょう。
AIの発展の歴史
ここまで、人類の知性のは進化について理解しましたが、では人工���能はこれまでどのように進化してきたのでしょうか?その答えとして、AIは以下のように発展してきました。 1950年に「機械は考えることができるか?」を確かめるために、アラン・チューリングがチューリングテストを開発しました。 1956年、ダートマス会議で、ジョン・マッカーシーが人工知能を「AI=artificial Inteligence」と呼ぶ事を提案しました。 1960年代、人間の脳の働き方を模したコンピュータシステム「人工ニューラルネットワーク=ニューラルネット」の開発が始まりました。 1980年代、特定の専門分野の知識をもち、専門家のように推論や判断ができるコンピュータシステム「エキスパートシステム」が開発されました。 2010年代までは、AIの開発には当時のコンピュータの能力を大幅に超えた多くの計算能力と訓練データを必要としていました。 2015年になると、ムーアの法則で計算能力の価格性能比が飛躍的に向上した結果、ディープラーニングで大脳新皮質の階層構造を再現できるようになりました。 2020年、オープンAI社が大規模言語モデル「GPT-3(Generative Pre-trained Transformer 3)」を発表しました。 2021年、AIにおいて「マルチモダリティ(言語だけでなく、画像や音などの他のモダリティ=様式を組みあわせて意味を構築すること)」が実現しました。例えば、オープンAI社が、画像生成する「DALL-E」を発表しました。 2025年現在、動画生成AIが次々と登場してきています。
AIが獲得しなければならない3つのもの
このようにAIは着実な進化を遂げてきましたが、本書によるとAIが人間の知性を再現するうえで、以下3つの能力を欠いているとします。つまり、今後AIが獲得しなければならない3つのものは以下です。
文脈記憶:会話に出てくるアイデアの全ての組合せを追跡する能力。組合せが無限大になり、膨大な計算能力が必要な結果、AIはいったそばからアイデアを記憶しないためストーリーが一貫した小説を書けない。
常識:現実世界の状況をもとに結果を想像する能力。AIは現実世界の現象を説明するモデルを持たないので、暗黙知を理解できない。
社会的相互作用:皮肉など社会的ニュアンスを理解する能力。AIはこのニュアンスを理解できないため、心の理論が扱えない。
一方、AIが持つ3つの欠点は、いずれ以下3つのトレンドで解消されるでしょう。
計算能力の価格性能比低下で、訓練費用が下がること
豊富で幅広い訓練データを利用できること
アルゴリズムの変化でより効率的に学習し推論できること
BCI(Brain-Computer Interface)
ではAIが欠点を克服したらどのような未来が待っているのでしょうか?その答えは、BCI(Brain-Computer Interface)です。本書では、その説明のために脳内の活動を測定する2つの方法について例示します。
機能的核磁気共鳴法fMRI(functional Magnetic Resonance Imaging):脳が活発になりグルコースを燃焼させるため酸素化された血液が流入する量を測定する。血流をはかるので脳内でニューロンが発火した場所がわかり空間分解能は高い。一方、発火と血流とでタイムラグがあり時間分解能が低い。
脳波測定:脳内の電流を測定する。ニューロンにおける電気刺激を直接はかるので時間分解能は高い。一方、能全体を測定値するのでニューロンが発火した場所はわからないので空間分解能が低い。
課題は、脳の空間分解能と時間分解能がトレードオフであることです。この課題を解消するには、脳内に直接電極を埋め込むことが必要です。そして、これは電気自動車テスラで有名なイーロン・マスク氏が起こしたのニューラリンク社が実現しています。しかし、頭蓋骨に穴をあけ、電極を脳内に埋め込むので、脳神経が傷つく恐れがあり、侵襲性が高いことが問題視されています。 今後は、指数関数的な技術進展の結果、最終的なBCIの形は以下のようになるでしょう。
極小の電子装置「ナノロボット」が血流に乗って脳内に入る
大脳新皮質上のニューロンとクラウドコンピュータ上のニューロンを結ぶ
現在より数100万倍速く情報を処理可能になる
その結果、BCIを導入した人間の知能は飛躍的に向上するでしょう。
アフターライフテクノロジーにおけるレプリカント
ここまで、AIが発展した結果BCI(Brain-Computer Interface)が登場することをお伝えしました。では、AIを活用した製品やサービスにはどのような未来が待っているのでしょうか? その答えは「アフターライフテクノロジー」です。 私たちはすでにデジタルの活動を通して、自分がどのように考え、何を感じているか膨大な記録をつくっています。そして、2020年代が終わりに近づくとき、このデータを利用して、具体的なパーソナリティをもつ人間をリアルに再現する非生物的シミュレーションをつくれるようになるで��ょう。これらのデータを活かして故人をAIアバターとして復活させることが試みられています。このAIアバターは、「レプリカント」と呼ぶもので、見た目、言動、記憶、スキルは故人のものです。本書ではこれを「アフターライフテクノロジー」と定義します。そして、最終的に、レプリカントは、元の人間のDNAから培養した生物学的肉体に、人工頭脳学で強化した脳を収納したものになるでしょう。
全脳エミュレーション
AIを活用した製品やサービスの一例として、AIアバターを使って故人を復活させるアフターライフテクノロジーをご紹介しました。さらに、先の未来にはどのような製品やサービスがあるでしょうか?その答えは、「全脳エミュレーション」です。 2040年代はじめには、ナノロボットが生きている人間の脳の中に入って、その人の記憶やパーソナリティを形成するデータすべてをコピーできるようになるでしょう。そして、生きている人間の脳のコンテンツを直接に、非生物の媒体にコピーする段階になれば、生前に自分の脳をweb上にアップロードする全脳エミュレーションが試みられるでしょう。 本書では、脳エミュレーションには以下5つのレベルがあるとします。
脳エミュレーション(模倣)5つのレベル
機能的エミュレーション:ヒトの精神のように振る舞うが、脳の情報処理構造を再現しない
コネクトミックエミュレーション:ニューロン群間の階層��接続と論理的関係性を再現するが、細胞レベルではない
細胞エミュレーション:脳内全ニューロンの情報を再現するが、ニューロン間の物理的な力は再現しない
生体分子エミュレーション:タンパク質間の相互作用と各細胞内の小さな動的な力までモデル化する
量子エミュレーション:分子内、分子間で働く原子以下レベルの効果までとらえる
今後20年で、どの段階までエミュレートするべきか議論されるでしょう。
【「AIが進化したら2045年に何が起こるか?」を知りたい】解決のため具体的な行動は【無料のAIツールを日常生活で活用してみる】
では、この本を読んだあと、我々は具体的にどう行動すればよいでしょうか? それは、【無料のAIツールを日常生活で活用してみる】です。例えば、何かを知りたいと思ったら、Google検索ではなくChat-GPTにテキストデータを打ち込んでみる、仕事でMicrosoft Officeでデータを作成する際、Copilotを使ってみる、チラシやプレゼン資料を作成する際に、CanvaでAI画像を生成して使う等です。
最後に「シンギュラリティはより近く: 人類がAIと融合するとき」のリンクを再掲載しますのでご購入のうえ実践してみてください。
シンギュラリティはより近く: 人類がAIと融合するとき
以上です。最後までお読みいただきありがとうございました。本書の内容を実行し皆様の問題解決にご活用ください。次回は、AIが進化した2045年における「生活」「仕事」「健康と福祉」「危険」について解説します。本ブログでは今後も、皆様の中で現在生じている問題を解決し、明るい未来へつなげる本をご紹介します。
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オードリー・タンとの対話#1 創造力こそが私たちの資本
オードリー・タンとの対話#1 創造力こそが私たちの資本
デジタル直接民主主義とユニバーサル・ベーシック・インカム
台湾のデジタル民主主義を牽引するオードリー・タンと、芸術を通じた社会の拡張を試みたアーティスト、ヨーゼフ・ボイス(1921−1986)。ボイスに共鳴し、その活動に伴走したオランダのライターラウリン・ウェイヤースは、コロナ禍でのオードリー・タンの取り組みに、ボイスが提唱した直接民主主義の可能性を見出した。2023年9月、ウェイヤースは、オランダの各界の識者を集め、オードリーとのオンラインインタビュー「デジタル直接民主主義とユニバーサル・ベーシック・インカム」を企画した。その対話の記録を全4回にわたって紹介する。初回は、オードリーの登場を待つ会場の場面から——(全4回のリストはこちら)Contents
「鳥の声」から始めましょう
ソーシャル・テクノロジーとしての民主主義
デジタル直接民主主義
デジタル対話における質問設計の重要性
クアドラティック・ボーティング(二次の投票)
「鳥の声」から始めましょう
ローリー・ピルグリム(アーティスト) 窓の外を見てみてください。どれくらい遠くまで見えるでしょうか。
ラウリン・ウェイヤース(作家/アーティスト) 霧がかかっていますね。
ローリー そうですね、いまはそう遠くまでは見えないかもしれません。
エゴン・ハンフシュテングル(料理家/アーティスト) 雨が降っています。
ラウリン あら、雨ですか。
ローリー 窓の外を見ながら、遠くにある音を想像してみてください。実際には聞こえなくても、想像力を使ってどれくらい遠くの音まで聞くことができるか、耳を澄ませてみましょう。聞こえてくるのは鳥の声かもしれませんし、雨の音かもしれません。あるいは、はるか遠くにある木々の葉っぱの音かもしれません。
ラウリン いいですね。
(オードリー・タンがスクリーンに登場)
ラウリン こちらの声は聞こえていますか?
オードリー ええ、しっかり聞こえています。
ローリー では、そろそろはじめましょうか。ちょうど私たちの視野が広がったところで、とても遠いところ、はるばる台湾から声が聞こえてきましたね。
ラウリン お会いできてとても嬉しいです。
オードリー こちらこそ、お目にかかれて嬉しく思います。音声も含めて問題がなければ、コーヒーを淹れて数分後に戻ってきますので、それからはじめましょうか。
ラウリン それがいいですね。
(オードリーが戻ってくる)
ローリー みなさんとテクノロジーについて考えるにあたって、短い音声を流そうと思いまして。本日の議題は直接民主主義についてです。この部屋もさっきからざわざわしているように、たくさんの声が存在しています。まさにそういうことなのかもしれません。今朝起きたとき、「デジタル技術について考えるときにどんな音を聞くのがいいだろうか」と考えていました。そして、人類が初めて録音した音はなんだろうと思ったのです。
私たちがテクノロジーを使う目的は何でしょうか。テクノロジーは私たちをどう助けてくれるのでしょうか。私たちの記憶を助けるためなのか、記録を残すためなのか、あるいは何かを継続したり接続したりするための道具としてなのか。私は、世界で初めて録音された音声を見つけました。当時8歳だったドイツの少年、ルートヴィヒ・コッホ[★01]が、鳥のさえずりを録音したものです。そう、彼は8歳のときに録音をしたのです。何らかの経緯があって録音装置を使うことができたのでしょう。1889年に録音された音です。わずか10秒の音ですが、私たちとテクノロジーの関係について考えるうえで示唆に富むものだと思いますし、なぜ私たちはテクノロジーを利用するのか、時空間をつなぐ架け橋としてテクノロジーをどのように活用しているのか、という点について考える良いきっかけになると思います。
みなさん、目を閉じていても開けたままでも構いません。史上初めて録音された鳥の声を、10秒間流したいと思います。
エゴン みんなで一緒に聞きましょう。
Ludwig Koch and the Music of Nature
ラウリン 今日のこの時間をはじめるのにぴったりの歌声ですね。
ソーシャル・テクノロジーとしての民主主義
オードリー 本当にそうですね。民主主義とテクノロジーを実践する人々がこのように出会うのは素晴らしいと思います。私にとって民主主義とは、ある種のテクノロジー、それもソーシャル・テクノロジーです。私たちが民主主義を実践すればするほど帯域幅が広がり、すなわち人と人との間で伝達できる情報量が増え、より良い状況になるでしょう。言うなればこの録音は、空間だけでなく時間を超えたコミュニケーションの可能性を思い出させてくれるものだと思います��異なるタイムゾーンにいる人々が適切な意思決定をするためには、時間を超えたコミュニケーションが不可欠です。そういった意味で、非常に象徴的な音です。素敵なオープニングをありがとうございます。
ラウリン 素晴らしいですね。本日のテーマは、デジタル直接民主主義とユニバーサル・ベーシック・インカムです。オードリー・タンさんは台湾のデジタル担当大臣〔2023年9月当時〕であり、ソーシャル・イノベーションを担当されています。私はこのソーシャル・イノベーションに取り組まれていることが最も重要だと考えていて、しかもオードリーさんは大変熱心です。本日の副題は「創造力こそが私たちの真の資本」です。これはドイツのアーティストであるヨーゼフ・ボイスのスローガンで、私は彼と18年間一緒に仕事をしました。彼は、国民投票による直接民主主義とユニバーサル・ベーシック・インカムを連動させたいと考えていました。そうすれば、世界中の人々が再び自らの創造力を取り戻すことができるはずだと。
ボイスが「創造力こそがわれわれの真の資本である」と言ったとき、資本とお金は全く関係がないと警告していました。「お金は法的手段にすぎない」と彼は説明しました。40年、50年前の発言です。オードリーさん、あなたは私たちにデジタル直接民主主義をもたらし、そのおかげで、あっという間に直接民主主義がとてもリアルに感じられるようになりました。デジタルだからこそでしょう。私たち市民は、未来の社会のためのアイデアを世に示すことができるようになりました。こういったことが今後どのように機能していくのか、何か展望はありますか?
オードリー 台湾華語の「數位」という言葉は、私が担当する省と私の役職を指しており、「デジタル」と「複数の」という意味があります。台湾ではこの二つは同じ言葉なのです。ですから、デジタル担当大臣とは複数性を担う大臣でもあります。「複数」とは一つ以上のものを指します。ハンナ・アーレントが『人間の条件』で見事に論じたように、人間の条件を理解するにあたっては、人々を単なる個人や個人の集合体としてではなく、「複数性」[★02]という概念を通じて捉えるべきです。複数性とは、多様な個人が共通の知識やアイデンティティを共有し、協力しあいながら連帯する状態を指します。お金という道具は大抵の場合、個人の経済状態を示す手段でしかありません。だから「プライベート(民間)セクター」と言われるわけですよね?
その一方で、私たちが考える民主主義、つまりデジタルで多元的な民主主義は、人々がその差異を超えて共に行動を起こすことを可能にしたいという考えから始まっています。Facebookが採用している「教師あり学習」といった人工知能(AI)の応用例を見ると、人々をますます分極化させる効果があることがわかります。人々の孤独感を最大限に引き出して、できるだけ依存させようとしているからです。人は孤独を深く感じるほど、タッチスクリーンに強く依存します。依存性の高いコンテンツに人々を閉じ込めることで孤立感を増幅させ、孤立主義的な考え方を助長しているのです。
他方では、Polis[★03]やAll Our Ideas[★04]、Talk to the City[★05]といったシステムなど、正反対のアプローチを取るデジタル民主主義ツールも多くあります。これらもAIですが、権威主義的ではありません。支援的な性質のものです。人々が自然に集まることを促します。
最初はまったく異なるイデオロギーを持っていた人々が、デジタル空間での対話に参加することで共通の価値観を発見することができる。これが私の考えるデジタル民主主義の展望です。デジタル民主主義とは、協働可能な多様性、すなわち複数性に基づく民主主義です。
デジタル直接民主主義
ラウリン 素晴らしいですね。デジタル直接民主主義は、国民投票による直接民主主義よりもずっと民主的だと思いませんか? もちろん現在の状況では……すでに少しお話しいただきましたが、多くの人はデジタルの形式を理解するのが難しいのかもしれません。
オードリー そうですね。X.com(旧Twitter)で誰かが、たとえばイーロン・マスクが何かを投稿すると、「イーロンが言っていることは真実ではない」といった注意書きがつくことがあります。これは単に投稿内容を否定するものではありません。「コミュニティノート[★06]」と呼ばれるもので、市民議会や陪審員のような形でユーザーが互いのツイートを確認し、そのツイートに欠けていると思われる文脈を提案する仕組みです。この文脈共有、共通認識のための投稿は、正反対のイデオロギーを持つ人々両方から受け入れられて共感を得られる内容であれば、上位に浮かび上がるようにできています。
そして左派も右派も適切な文脈だと判断した場合、その情報は該当のツイートに添えられ、削除することができなくなります。つまり、その投稿をリポストしてもコミュニティノートは表示され続けるのです。もし、多元的なテクノロジーがどういうものかあまり想像ができないという人がいれば、実際に陪審員として登録してみることをおすすめします。あなたが住んでいる地域に陪審制度がある場合はそれに参加することもできますし、コミュニティノートのようにオンラインで参加することもできます。そうすると、突然ランダムに選ばれて小規模な集会への参加が求められ、私たちが今行っているような討議に立ち会うことになるかもしれません。そしてその結果は、誰もが閲覧できる「コモンズ(共有の財産)」として残るのです。
これはお互いの意見を聞くために時間をかけるという、熟議的な要素を持った直接民主主義の形態です。
デジタル対話における質問設計の重要性
ラウリン 市民がデジタル上で「Yes/No」で回答する質問を作成する際には、どのように質問を設計するかが非常に重要だと注意を呼びかけていましたね。その点について詳しく教えていただけますか?
オードリー もちろんです。2015年にPolisと呼ばれる多元的なテクノロジーを初めて導入した際、私たち台湾政府はシェアリング・エコノミー(共有経済)��ギグ・エコノミーにどう対処するかについて議論しました。プロとして必要な運転免許を持たない人が、道端で見ず知らずの人を乗せて料金を請求することを可能にする、Uberという新しいアルゴリズムが登場していたのです。いまでも多くの国々で、労働法やタクシーの規制が状況の変化に追いついていないため、このイノベーションに対応するのに苦労しています。
しかし台湾では、Polisを使ってUberの運転手やタクシー運転手、サービスの利用者などと対話を始めました。「Uberを利用したことはありますか」「あなたはタクシー運転手ですか」といったシンプルな質問をしました。とても簡単な「Yes/No」で答えられる質問です。重要なのは、アンケートや議題設定を一般に開放し、誰でも簡単な質問を投稿できるようにしたことです。そうすると、「賠償責任保険は非常に重要だと思う」といった内容を投稿する人が出てきます。それに対して、最初はまったく異なる考え方を持っていた人たちでも、同じ投稿を支持するようになるのです。
もし私たちが「Uberは共有経済ではなく収奪的経済だと思うか」といった抽象的な質問から始めていたら、どうなっていたでしょうか。学術的にみれば見事な問いかもしれませんが、収奪的経済やギグ・エコノミーといった言葉を見た時に感じることは人それぞれなので、建設的な対話につながることはないでしょう。一方で、Uberの賠償責任保険の話や、既存のメーター料金を下回らない料金設定にすることなどについては、誰もが直接的で個人的な感情を持っているので、語り合うことができます。つまり、市民が自分たちの物語を語り、ナラティブが展開するように促すような質問が、優れた「Yes/No」質問なのです。個人的な経験と結びつけることができない、あまりにも抽象的な質問は、議論を始める際には最適ではないでしょう。
ラウリン なるほど。そうですね。
ミヒール・ゾンネフェルト(作家/ジャーナリスト) Uberは、台湾とここでは異なる方法で運営されているのでしょうか。
オードリー 台湾では現在、UberはQ Taxiというパートナー企業が運営しています。公式にタクシー業者として登録されていて、料金は既存のタクシー業者のメーター料金を下回ることはありません。そして同時に法律を改正し、タクシーは黄色い車体である必要がなくなりましたし、需要の変動に応じて料金を変動させるサージ・プライシングも導入できるようになりました。特に重要な点は、この法改正により、地方で高齢者への長期的な医療ケアを提供している人たち——その多くが移民労働者です——が、タクシーの協同組合を組織できるようになったことです。彼らはUberと同様に法律を活用し、アプリを通じた配車サービスを提供して臨時収入を得ることができます。観光客を乗せたり、高齢の家族を病院に連れて行く際に同じ村に住む他の高齢者も一緒に乗せたりして料金をまとめて請求するなど、さまざまな活動が可能になりました。以前は地域のタクシー協同組合も、Uberと同じ理由で違法とされていました。
こういった対話を進めるなかで、私たちはPolisを活用しました。Polisでは、単に異なる意見がいくつあるかという数を数えるのではなく、意見の複数性に焦点を当てています。つまり、いかに多角的な視点を含む意見なのかが重要なのです。たとえば、Uberが5000人を動員してまったく同じ意見を投稿したとしても、数の多さではなく提案された意見の多様性が重視されます。ですから連帯経済や協同組合、そして協同組合の形態に進化した労働組合などの意見は、人数は少ないものの、より幅広く多元的なアイデアを含んでいるため、特定のイデオロギーに捕らわれにくく、連立や橋渡しをすることができます。
超党派的に幅広い支持を受けたコミュニティノートが上位に浮かび上がる仕組みと同様に、PolisでもUberに関するそうした意見が上位に表示されました。そして、それらの意見が次の議題となり、利害関係者たちを交えた議論を経て、最終的には法制化に至りました。確かにUberもこの新法の恩恵を受けましたが、地域の協同組合や、協同組合の形態に変更した労働組合のほうが大きな恩恵を受けたと言えるでしょう。 ご質問への答えになっているといいのですが。
ミヒール ええ、よく理解できました。
クアドラティック・ボーティング(二次の投票)
ラウリン ユニバーサル・ベーシック・インカムを導入すれば、デジタル直接民主主義は、より簡単に、より公平に広がると思いますか?
オードリー:とてもいい質問ですね。台湾ではすでに、クアドラティック・ボーティング(二次の投票)[★07]とクアドラティック・ファンディング(二次の資金調達)を実施しており、最近になって「複数投票制」と「複数資金調達制」と名称を変更しました。ただし、これらはユニバーサル・ベーシック・インカム(UBI)とは似て非なる概念です。説明しますと、例えば総統主催のハッカソンを開催する際には、市民参加型予算の仕組みを取り入れ、気候変動対策やデジタルグリーン化などに関する優れたアイデアを公募します。
そして、100件程度のアイデアが集まると、参加を希望するすべての市民に99のトークンが配られます。これは、お金ではありません。購入や取引はできませんが、投票に参加したい人なら誰にでも平等に発行されるものです。あるプロジェクトに対して支持を示すには、1票を投じるのに1トークンが必要です。しかし、2票を投じる場合は合計で4トークン、3票では9トークン、4票では16トークンというように、投じる票数が増えるにつれて必要なトークン数が二次関数的に増加します。つまり、配布された99ト���クンでは、1つのプロジェクトに最大で9票(81トークンを使用)まで投票できますが、それでも18トークンが残ります。トークンはお金ではないものの、誰もそれを無駄にしたくはありませんよね。
そのため、別のプロジェクトを探してさらに投票します。16トークンを使って4票投じた後に、残った2トークンをさらに別のプロジェクトに使うかもしれません。しかし、大半の人はこの時点で、さまざまなプロジェクト間に相乗効果があることに気づきます。最初のプロジェクトに投じた9票を取り下げ、複数のプロジェクトに7票ずつ、3票ずつ、4票ずつといった具合に票を分散させるかもしれません。お金の問題は、その流れがあまりにも直線的なこと、誰かが独占しやすい点にあると思います。お金があれば、人々から幅広い支持を得ていないプロジェクトでも、政府のマッチング・グラント(調達した資金に応じて政府が一定比率で助成金を提供��る仕組み)の大部分を占有できてしまいます。政府がマッチング・グラントを採用している場合、始めからお金さえあれば、マッチング・グラントのほとんどを容易に——「強奪」とは言いませんが——手に入れることができるのです。 しかし、クアドラティック・ボーティングやクアドラティック・ファンディングの仕組みでは、できるだけ多くの人に参加してもらう必要があります。自分の資金だけでは平方根の価値しかなく、決して多くはないからです。そうした結果、プロジェクト間が積極的に協力し合い、相乗効果を生み出したり連携したりするようになり、マッチング・グラントのようなゼロサムゲームが、クラウドソーシング型の協力関係へと変化するに至りました。 ですから私は、毎年あるいは毎月でも、クレジットやトークンなどを配布するアイデアはとても良いと思っています。ただしそれは、直線外挿的にこれまでのやり方を参照するのではなく、コミュニティの資金として工夫して管理されるべきです。そうでなければ、このシステムがUBIだとしても、お金の直接的な支配力がすぐに介入してしまうからです。
ブリジッタ・スヘープスマ(メンタル・ケアテイカー/Basic Income Think Tank理事) いいですね。興味深いです。
ラウリン 素晴らしいですね。
オズ・ヴェストロフ(Pakhuis De Zwijger(アムステルダム)ソーシャル・イノベーション&クリエーション部門臨時ディレクター) もう少し踏み込んでお話を聞けたらと思います。そのような複数の機能にある「創造と社会イノベーションのためのプラットフォーム」を持つトークンを作るには、どんな工夫が必要なのでしょうか? すでにそういった例はありますか?
オードリー ええ、すでに存在しています。「Gitcoin[★08]」で検索してみてください。Gitcoinでは毎月、または数ヶ月おきにクラウドファンディングが行われていますが、このクラウドファンディングでは、金額に対して影響力が直線的に大きくなるのではなく、その関係は二次関数的です。そのため、お互いに相乗効果があると見込めば、参加者はできる限り多くのプロジェクトを支援したくなる仕組みになっています。 つまりここには、一人の資本家がマッチング・グラントの決定権を握る力学はありません。ソースコードは公開されており、フリーソフトウェアとして提供されています。また台湾では、イーサリアムや仮想空間だけでなく、クラウドファンディングや、政府が支援するマッチング・グラントにも同じクアドラティック・ファンディングが採用されています。それにより一般からの支持率を把握し、政府がどれくらい資金提供すべきかを判断するのに役立っています。
詳細を知りたい方は、Gitcoinについてネットで調べてみてください。台湾政府の政策については、100.adi.gov.twをご覧ください。
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ダグラス アダムズの『銀河ヒッチハイクガイド』は、1978年にBBCラジオドラマからスタートしたSFシリーズであり、小説版第1作(1979)のタイトルである。 ラジオドラマがスタートした当初から人気があり、小説版はベストセラーになり、テレビドラマ、演劇、コミックス、コンピュータゲームなどにもなった。アダムズは2001年に死去するが、小説版の5作品は存命中に世界で1500万部以上売れた。2005年には映画化もされた。 本当かどうかはわからないが、イギリスで最初にMacを購入したのはアダムズだと言われていて、初期のインターネット文化の擁護者だったとも語られる。『銀河ヒッチハイクガイド』作中に登場する重要なフレーズというかジョークである「ドント パニック」や「42」は、SNS以前のインターネットにおいて「インターネットミーム」として認識される最初期のものの一つになったとも言われる。 「ミーム」という語は、文化現象の広まる原理を説明するために、文化の伝播を遺伝子になぞらえ、脳から脳へと伝わる文化の単位として、進化生物学者であるリチャード ドーキンスが1976年に『利己的な遺伝子』という著書の中で造語したものである。アダムズとドーキンスは友人で、共に無神論者であることを公言していた。ドーキンスの著書『神は妄想である』(2006)はアダムズに捧げられており、アダムズの「妖精が隠れていることを信じなくたって、庭は十分美しいじゃないか」という言葉が引用されている。
去年の末くらいにイーロン マスクがインタビューで、影響を受けた作品として『銀河ヒッチハイクガイド』を挙げていて、それを聞くとなんとなく言ってることのノリがわかる気もして印象に残っていたが、改めて読んでみると何言ってんのか全然わからなくなってくるというか、わからなさをジョークにした作品である。 『銀河ヒッチハイクガイド』は、荒唐無稽な展開を起こすためにSF的な用語や形式をとってつけた「バカSF」であり、政治、宗教、社会制度から科学まで、さらにはSF自体をも風刺して皮肉った「ナンセンス文学」である。 イーロン マスクがこの本を愛読書として挙げているのは大分前からよく知られた話らしく、今年7月の、心理学者ジョーダン ピーターソンによるインタビューにおいても、自身の考えの基礎を作った本として紹介していた。マスクはこの本を、人生に意味を見出せないと悩んだ少年期に、「ユーモアを装った哲学」として読み、「正しい問いを探すことこそが重要だ」という考えに救われたという。それを「宗教的な信念」と呼びたいならそれでもいいし、それなら「好奇心という名の宗教 (レリジョン オブ キュリオシティ)」だということになるだろうと言っていた。 このインタビューの話の流れでマスクは、自身は「宗教的(レリジャス)な」人間ではないが、キリスト教の原則はとても良いものだと思っていると語り、そこでピーターソンが、無神論者として有名なリチャード ドーキンスが最近「自身は文化的なクリスチャン(カルチャル クリスチャン)だ」と語り多くの人を驚かせたことに触れ、それについてマスクが「だったら自分も文化的なクリスチャンかもしれない」というようなやりとりがあった。 このインタビューの中でも、両者共に「WOKEカルチャー」を批判していたが、WOKEカルチャーが宗教や伝統文化、特にキリスト教文化を攻撃対象にしているのに対し、他方では、伝統的で宗教的な文化に回帰しようという、「リバイバル」と呼ぶ人もいる文化的な動きも起きている。このインタビューでピーターソンも指摘しているが、WOKEカルチャーの中心にある思想であり、近年の様々な問題の根本だとも考えられるものは、虚無主義(ニヒリズム)と、意志を欠いた虚無主義として現れる快楽主義(ヘドニズム)であり、それは反動的あるいは漂流的なリバイバルの中にもある。これは20世紀の問題に通底したものでもあり、それを予言的な正確さで指摘していたのがニーチェだった。だが、ニーチェが解決策として挙げたもの��、「超人」になることという、何を言ってるのかわからない、わかったとしてもかなり無理そうなものだった。
『銀河ヒッチハイクガイド』は、ある日地球に宇宙開発局というのがやってきて、銀河ハイウェイ建設工事の立ち退き期限が過ぎたので工事を開始すると言って地球を破壊してしまうところから始まる。その直前にひょんなことから宇宙船をヒッチハイクして生き残った地球人の主人公が宇宙を放浪するという物語である。 大昔ある宇宙人が「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」を計算するためにスーパーコンピューター「ディープ ソート」を作った。750万年かかって導き出された答えは「42」だった。皆は当然ディープソートの答えの意味が分からず、納得がいかない。ディープソートは言う。「究極の答え」に対応する「究極の問い」が分からないから答えの意味が分からないのです。しかし残念ながら私には究極の問いを計算する能力はありません。そこで代わりに究極の問いを計算する「この宇宙の時空で最もすぐれた」コンピュータを設計しましょう。 ディープソートが「問い」を求めるために設計した巨大コンピュータは生命体を取り込んだもので、あまりに大きいのでよく惑星と間違えられる。それは「地球」である。「地球」で計算を始めたが、「問い」がわかる5分前に「地球」は建設工事のために破壊されてしまう。こうして「究極の問い」は永遠に失われてしまった。
SFでは、そこに登場するアイディアや技術などについて、科学的に「説明する」ことが求められる。が、『銀河ヒッチハイクガイド』は、そうした「説明」をもパロディ化し、ジョークにする。 常識的な約束事や論理性を無視し、壊そうとするような文学を「ナンセンス文学」という。「ナンセンス」は「意味のないもの」「馬鹿げたもの」を意味するが、ナンセンス文学の「ナンセンス」は、意味の欠如よりもむしろ意味の過剰によってもたらされる。「ナンセンス文学」の多くはユーモアを目的にしたものだが、「意味を成すこと」によって面白みが引き出される大多数のユーモアとは反対に、「意味を成さないこと」によって成立するユーモアである。ナンセンス文学が読者に与える効果の一つは、「わかっているという思い込み」「知っているという妄想 (イリュージョン オブ ナレッジ)」を壊すということである。 人は常に何に対しても意味を求めるが、しばしばそれが過剰になることがある。相手を説き伏せたいと思っている人同士の口論などが典型だが、過剰に積み上げられた意味の大部分は、たとえ一つ一つが事実で、論理的に正しく組み合わされていても、なぜか、ナンセンス(無意味)なイリュージョン(妄想、幻想)になってしまう。積み上げられたナンセンスの中では、当然だが、意味が見出せず、虚無主義に陥る。ナンセンス文学は、それを皮肉ってジョークにする。 あらゆるものを皮肉った『銀河ヒッチハイクガイド』は、哲学的論争の風刺とも言えるものになっている。また、内と外を逆さまにして、根本からひっくり返すようなものの見方をジョークにして風刺につなげている。こうした��座の転換は、当たり前と思っていた物事を、懐疑的な目で見られるようにする。そしてそれは哲学的な問いかけを含むことが多い。 哲学を風刺すると同時に、「風刺としての哲学」ともなっている『銀河ヒッチハイクガイド』は哲学者たちを刺激し、作品の中の問いを哲学的に考察したり、作品内のエピソードを使って哲学を説明するというような本もいくつも出版されたらしい。それらを紹介し、それに加えてさらに、その時話題の哲学的あるいは科学的な議論などを説明するというような記事もいくつも書かれている。 例えば、「地球」が「究極の問い」を計算し終える5分前に破壊されてしまうというエピソードは、それだけで皮肉の効いたナンセンスなジョークでもあり、哲学的な疑問を呼び起こすような気もしてくるが、そこに哲学者バートランド ラッセルが提唱した「世界五分前仮説」という思考実験を紹介する。世界五分前仮説とは、「世界は実は5分前に始まったのかもしれない」という仮説から様々な思考実験を行うものだが、この仮説は確実に否定する事ができない。つまり、世界は5分前に出来たのではなく、ひいては過去というものが存在するということを、論理だけで示す事は不可能である。例えば5分以上前の記憶があるという事は反証にならない。なぜなら偽の記憶を植えつけられた状態で、5分前に世界が始まったのかもしれないからだ。現在を「結果」とみなし、これに対応する「原因」が位置すべき過去が存在するはずだという主張、つまり「因果律」というのは論理的な必然性から導かれたものではなく、日頃の経験から無意識的にそれを前提として思考しているという類の仮定であり、因果律自体を論理的必然から導くことは出来ない。これは、事実だけを論理的に正しく並べてもなぜか「ナンセンスなイリュージョン」になってしまう理由のひとつでもある。そのため、こうした思考実験は「知識とはいったい何なのか」というような根源的な問いへと繋がっていく。世界は5分前に始まったのかもしれないし、地球の究極の目的は5分後に達成されるのかもしれないが、もう何を言ってんのかわからなくて爆発する。 『銀河ヒッチハイクガイド』に絡めて「哲学」を語る際に、多くの人がウィトゲンシュタインの次の言葉を引用している。 「 たとえ可能な科学の問いが全て答えられたとしても、生の問題は依然としてまったく手つかずのまま残されるだろう。これがわれわれの直感である。もちろん、そのときもはや問われるべき何も残されていはいない。そしてまさにそれが答えなのである。生の問題の解決を、ひとは問題の消滅によって気づく。 」 「 私を理解する人は、私の命題を通り抜け - その上に立ち - それを乗り越え、最後にそれがナンセンスであると気付く。そのようにして私の諸命題は解明を行う。(いわば、梯子を上りきった者は梯子を投げ捨てねばならない。) 私の諸命題を葬り去ること。そのとき世界を正しく見るだろう。 」
人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などないという考えは、すなわち「虚無主義 (ニヒリズム)」だが、意義も目的も真理も価値も、あらゆるものを皮肉った『銀河ヒッチハイクガイド』も虚無主義である。 ニーチェは、今まで最高の価値と人々がみなし、目的としていたものが無価値となる事態のことをニヒリズムと呼んだ。今まで最高の価値と人々がみなしていたものというのは、キリスト教の文化圏においては「��」であり「キリスト」が念頭にある。ダグラス アダムズは無神論者であることを公言していた。 ニーチェは、ニヒリズムという事態において、人が取りうる態度は大きく分けて次の3つだとした。一つは、従来の最高の価値を信じる精神力を失ったために、そうした価値を無意味に感じ、何も信じられない事態に絶望し、その時々の状況に身を任せ、流れるように生きるという態度、「消極的、受動的ニヒリズム」である。もう一つは、精神力が高揚し、従来の価値を乗り越えてゆくがために、すべてが無価値、偽り、仮象だということを前向きに考え、自ら積極的に新しい価値を創造していく生き方、「積極的、能動的ニヒリズム」である。そのどちらも否定し、自分では何も考えずに、しかし他者からの干渉も価値がないものだと無視して生きるという態度を「無関心的ニヒリズム」とした。 ニーチェは積極的ニヒリズムを肯定し、高揚した精神力と確立した意思でもって自らを創造的に展開していく「超人」としての道を切り拓くことをすすめた。
ジョークは、人を笑わせようという、最も気高く美しい、崇高な形での人間精神の表れであり、積極的な意思である。それは必ず精神を高揚させる。面白くても、ムカつくほどつまらなくても。言った本人だけでも。
世界の平和を祈っている。
2024年9月 オン ザ トラジェクトリー フロム ア ミラクル
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「虚無への供物」中井英夫 3311
第三章
31 顔のない顔
1955年3月1日火曜日の話からです。 木造二階建ての『黒馬荘』というアパートの説明から入ります。
本郷の都電の動坂停留所から追分へ向かって幅広いだらだら坂をのぼりつめると、 “日限地蔵(ひぎりじぞう)”が祀られていて、その角を入った裏通りにあるそうです。 わざわざ本文でも1960年10月の区画整理後、今は面影も見当たらないといっています。
正確な場所を書くことがためらわれたのでしょうか? まあ、現在の地図に当てはめると、駒込病院あたりでしょうか?
ただ、その辺りには、“日限地蔵”は無いようです。 昔あって今はもう無いとも考えられますが、 昭和20年4月の空襲を境に様相を変えとありますから、無くなったとは考えられません。 これも、後から何らかの形で絡んでくるのでしょうか?
さて、『黒馬荘』というアパートの説明から入ります。 六畳一間で、押し入れと洋服ダンスが造り付け、ガス水道を備え小さな台所もついている。
このアパートの持ち主は、職業を問わないがきれい好きの独身男性にのみ貸していた。 二階には、夜の職業の者のもの(寄席(よせ)芸人、ペット吹き、バーテンなど) 階下には、昼の勤めの者のもの(仕立下職、図案家、セールスマンなど) ただ、玄関にはいつも『貸間あり』と板片がぶら下がっている。 それをみても、このアパートの持ち主は、かなり変わり者なんでしょうね。
新聞は部屋ごとに配るようになったが、郵便は、配達員が面倒がって、廊下へまとめて放り出していく。 ということは、それまでは新聞も昔は、まとめて放り出していってたのでしょうか。
さて、この郵便物ですが、気の付いた住居者が受付の窓へ立てかけることになっていて、 最近は、階下の右端の部屋に住む仕立下職の伊豆金造(いずきんぞう)がやっています。 この時間、金造以外に階下に誰もいないからというのもあるけど、他人宛の手紙を見るのをひそかな楽しみにしていたんですね。 封書は、裏表を丹念にひっくり返して差出人の名前を記憶してしまう、葉書は、素早く文面に眼を通し読み上げたりするのが癖です。
3月1日の朝、金造は袖振りの将棋をしています。 この将棋は、特定の手を指すと相手が必ず特定の手を指すルールがある変則的なものですが、一人でやってたのですかね? で、投げ込まれた郵便物にきがついた金造がそれを熱心に調べ始めますが、背後に冷たい視線を感じます。
金造が感じた視線は、去年の10月頃に越してきた三十がらみの眼の鋭い男で、 時々、マスクに眼鼻を描き入れては返している人形絵師です。 その男は、区役所へ行くのが面倒だと米穀通帳の登録もしていないそうです。
ところで、昭和30年は豊作で内地米の供給は配給米、ヤミ米ともに増加していて2割以上の低落となっていたようです。 配給米を手に入れなくても、ヤミ米で何とかなったのでしょう。
やはり感じた視線は、例の人形絵師でした。 その男、赤い靴下に明るいフラノのズボン、煉瓦いろの派手なシャツという格好で、 冷たい眼で威圧するように金造を見下ろしています。 その風体に、殺気めいたものさえ感じてしまいます。
その男、金造を自分の部屋に誘います。 金造は、体が小刻みに顫(ふる)えのを感じながら、部屋へ入ろうとすると、 たまたま、管理人のとろ婆さん(この前まで大分の山の中で牛を追い回していた)が、 預かっている新聞が有ると声をかけるのですが、後で取りに行くと、強引に、金造を部屋に押し込むと鍵をかけてしまいます。 これは、金造でなくても、びびりそうですね。
ところで、理由は書かれていませんが、金造は、例の男の背中には刺青があると、思い込んでいます。 これは、金造が臆病者であることを単にあらわしているのでしょう。 で、倶利伽羅とか滝夜叉とかです。 倶利加羅は、「倶梨迦羅」「古力迦羅」「倶力迦羅」などとも言われて、黒色の龍で不動明王の化身です。この龍が燃え盛る炎に包まれながらも岩上の利剣に巻き付き剣を飲み込まんとする像が倶利加羅不動明王です。 滝夜叉は、平将門の娘で、元の名を五月姫(皐月姫)といいます。自らを新皇と称し、関東を制した父・将門が天慶の乱で討たれると、娘の五月姫は恨みを募らせ、やがて妖術使い「滝夜叉姫」と化します。
無理やり押し込められた状態の金造は、金造は例の男にかけるように勧められ、改めて部屋の中を見ます。 万一の時のために���の様子をみますが、閉じて鍵がされています。 男世帯にしては片付いていて、薄赤い敷物が敷き詰められ、左手の壁沿いに整理ダンスと本棚、窓際にはテーブルと椅子があり、 右手の狭い台所もきちんと整いガス台にはやかんが湯気を噴きながら煮立っています。
消息通を自負している金造ですが、いずれはこういう破目にだろうと思っていたのか、すっかり観念しているようですね。 というのも、 来客がきた日に、いつも鍵のかかっていない隣の空室から盗み聞きしていたのがバレて、 その後も口をきく機会があっても口も聞かずに済んでいたからです。 さて、例の男は、コップにウィスキーを注ぎ金造のところに持ってきて、話し出します。 上等な洋服地を一巻き取り出し、金造に買い取ってくれないかと持ちかけます。
洋服地は、舶来のウーステッドで、仲間相場でヤール五千円だと金造は見立てます。 ウーステッドは、「梳毛」のことで、原毛の段階で梳られた長くて細いなめらかな感触をもつ糸で織られビジネススーツのもっとも一般的な生地です。 仲間相場は、問屋を通さない取引です。 この当時は、木綿(1反)が250円だそうですから、 ヤール(並幅のことで、1ヤード(91.4cm)である)が五千円だから、かなり高額だという事になすます。
例の男は、急に金がいるからと下手に出ていますが、金造が煮えきらないので、 態度をかえて金造がこの部屋にかってに入ったことを問い詰めます。 なんと、金造はこの部屋に黙って入っていたのですね。 しかも、部屋に転がっていた凹凸だけの白い小さな顔に驚いて、飛び出してしまっています。 白い小さな顔は、人形絵師の仕事に使う材料ですね。 しどろもどろで、怯(おび)えきった金造に、例の男は、また丁寧な口調に戻って、勘違いかもしれないと、無礼を侘びます。 そんなことより金造は、眼の前にあるレモン入りのウィスキーに釘付けです。 それは、ウィスキーにたっぷりレモンを絞って青酸カリの臭いを消すのだと新聞記事で読んでいたからです。 と、金造の妄想はどんどん膨らんで、とうとう泣き出してします。 その様子に例の男は、たじろいで取引の話はやめてウィスキーを勧めます。 そう言われてもウィスキーからまぎれもない青酸カリの匂いがして、金造はますます困惑してます。 まさか、青酸カリなんか入っているわけないですよね。
ちょうどその時、鴻巣玄次を訊ねてくる人がいました。 その人物は、八田皓吉でした。 ここでやっと、例の男は、鴻巣玄次だとわかります。 しかも、八田皓吉を兄さんと呼んでいます。 びっくりな展開ですね。
つづく
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ジャンボトロンの下で
2024年5月6日
アナヒド・ネルセシアン
4月25日、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の大規模な学生グループが、キャンパスのメイン広場に野営地を設営した。四方をベニヤ板のバリケードで囲まれた「パレスチナ連帯野営地」には、寝泊まり用の小さなテントのほか、食料、応急処置、電子機器(携帯電話の充電器、バッテリー)、楽器、画材���どを置く大きな囲いもあった。図書館もあり、木に貼られた紙の標識には、2023年12月にイスラエル軍の空爆で死亡したパレスチナ人作家であり教師にちなんで、「リファート・アラリア記念図書館」と記されていた。
アラリアはジョン・ダンについて博士論文を書いた。YouTubeでは、彼がガザのイスラム大学で学生たちに英語で講義している様子を見ることができる。ある講義は、ホラティウスの『詩論』について、そして、芸術作品には教えるという役割と同時に楽しませることもしなければならないという考え方についての議論から始まっている。「『形而上学的』という言葉には何の意味もない」とそのすぐあとで彼は言い、それはダンのような詩人に、批評家たち、とりわけジョン・ドライデンやサミュエル・ジョンソンが押し付けたものだからだと説明して、彼らの批評をホワイトボードに映している。講義はダンの詩『餌(The Bait)』の分析へと進むが、アラレアが説明するところによれば、この詩は一般に『恋する羊飼いがその恋人に寄せて(The Passionate Shepherd to his Love)』として知られるクリストファー・マーロウの詩のパロディである。何かをパロディにするということは、「読者に別の可能性、もうひとつの世界観、別の世界観を提供しようとしている。人々に、これだけじゃない、ほかにもあるんだ、と伝えようとしている」とアラリアは言う。
彼の死後、アラリアは「If I Must Die(もし私が死ぬことになったら)」という詩の作者として広く知られるようになった。この詩は、彼を偲んで凧を作り、爆弾で焼かれた父親を持つ子供の前でそれを揚げるよう読者に求めている。その子供が「天使がそこにいて/愛を取り戻してくれる」と想像することができるように、と。学生たちがUCLAに野営地を設営した翌日、アラリアの娘、シャイマーが夫と生後3カ月の息子とともに空爆で死亡したことが伝えられた。
何よりもこのキャンプは、人間に対して、甚大な規模で残虐行為が行われ、その強制移住、拷問、不法拘留、殺人がアメリカによって資金提供されているているときに、通常通りに日常を送るという考え方に対する非難の表明だった。アメリカの大学は、ガザに落ちるミサイルを製造している兵器メーカーや、占領下のヨルダン川西岸に工場を持つ企業に資金を投資していることが多いため、パレスチナの人々の大規模な殲滅というイスラエルの目的を支持していると思われている。
最初に野営が始まったコロンビア大学から、カリフォルニア州立工科大学フンボルト校まで、全米に渡るキャンパスでガザ戦争に抗議している学生たちは、彼らの主な目的が、アメリカ政府に即時かつ恒久的な停戦を確保するよう圧力をかけること、そして大学やカレッジにイスラエルと関係のあるあらゆる金融資産から手を引くよう圧力をかけることだと明言している。イスラエルとの関係切り離しに関しては、1980年代に学生たちがアパルトヘイト下の南アフリカで活動する企業との関係を断ち切るよう学校を説得した際に確立された手法を参考にしている。反戦キャンペーンとしての野営は、オハイオ州兵によるケント州立大学での4人の学生殺害事件後に大きく発展した1970年の学生ストライキを含む、ベトナム戦争に対する抗議活動を想起させる。
野営地はまた、アラレアの言う意味でのパロディでもある。大学内部から出現した彼らは、大学とは何か、という別の可能性を提示している。野営地から流れてくるイメージの中でも強烈なものの一つに、「コロンビア大学は、エドワード・サイード教授を課題図書にしている、それならそこに書いてあることを生かしていいはずだ」というサインを持った学生の写真がある。抗議行動によって明らかになったのは、文系学部が淘汰の波にもまれ、ますます高価な学位工場として運営されているアメリカの大学が、依然として人々が真実とは何かを学び、その知識に基づいて行動できる場所であるということだ。言い換えれば、若者たちに試験のために歴史、経済学、政治学、道徳哲学などを暗記させ、暗唱させながら、そこで得た教育を実践に移すことを規制することはできない。
週末、野営地が形成された後、抗議に反対する大規模なグループがキャンパスに到着した。その中にUCLAの学生らしき人物はほとんどまたは全くいなかった。彼らは学生たちに向かって叫び声をあげ、人種差別的な中傷や性的な脅迫(「レイプされればいい」)を浴びせ、キャンプ地近くの地面に(何かの薬物を投与されて肥大した)生きたネズミが詰まった袋を開けた。反対派のデモ隊が退散するとき、彼らはキャンパスの真ん中にジャンボトロン(高さ3メートルほどの巨大な薄型テレビ)を、野営地の方に向けて、金属製の防護柵で囲んで置いていった。雇われた警備員が防護柵の内側に残り、スクリーンを守っていた。それから5日間、ジャンボトロンは10月7日のテロの映像と、レイプや性暴力を露骨に描写した音声をループさせて繰り返し流した。映像の中には、イスラエルへの無条件の支持を誓うジョー・バイデンのスピーチや、「Meni Mamtera(メニ・マムテラ)」と呼ばれる、うんざりするほど繰り返される子供の歌が混じっていた。今年の初め、イスラエル国防軍の兵士が、その曲をパレスチナ人の人質に対する音声による拷問の一環として使っている映像がSNSで拡散された、その曲だ。
火曜の朝、バイロンの『ドン・ファン』の授業を担当するためにキャンパスに到着すると、ジャンボトロンの音が大きすぎて、授業はおろか、自分の思考も聞こえないほどだった。私はその映像を撮影しようと、同僚と一緒にそこまで歩いていった。こんな寓意はなかなかない。一方には、ガザの人道的大惨事に注意を喚起するために、学位や将来の就職先、心身の健康を危険にさらしている若者たちでいっぱいの野営地がある。もう一方には、瑣末なセレブたち(彼らは自らの貢献を誇らしげにインスタグラムに投稿している)が資金を提供した高価なメディアマシーンがある。雇われた3人組の警備員以外は無人で、警備員たちは質問されるとシオニストの大義とは何の関係もないことを認めた。
同僚と私は、セクシャル・ハラスメントの苦情処理を管轄する「タイトルIX」のオフィスに連絡した。何十人もの教員も同じことをしたが、何の反応もなく、ジャンボトロンは5月2日木曜日までそこにあった。別の同僚は言った。「マーガレット・アトウッドを教えるときには、シラバスに(不快な感情や記憶を思い起こす可能性があるという)トリガー警告を書かなければならない。そうしないと学校当局に規制される。でも、これを何日も聞かされるのか?」 ここ数年、学生の感受性と反発する右翼のヒステリーに当たり障りのない対応をしてきた結果、イスラエル批判はシオニストの気分を害するから反ユダヤ的だとみなされる状況になってしまった。実際のところ、大学は学生を守ること、反ユダヤ主義やその他のあらゆる種類の憎悪と闘うことなど、寄付者のことほど重要視していないのだ。大学は資金を失いたくないし、訴えられたくもないと考えている。
4月30日午後11時、ほとんどが中年で、その多くがハロウィーンのマスクをかぶった男たちの大集団が、ナイフ、バット、木の板、催涙スプレー、熊撃退用のスプレーなどを携えて野営地に現れ、非武装の学生たちを襲撃した。彼らは野営地に花火を打ち込み、そのベニヤ板のバリケードを使って学生たちを地面に押し倒した。ABCニュースの映像では、半ダースの反対派がひとりの学生を殴ったり蹴ったりしている。独立ジャーナリストや現場にいた人々の映像には、「第二のナクバ」を求める声が収められていた。
ABCのニュース映像では、リポーターが信じられないというふうに叫んでいる。「警察はどこだ? 警備はどこだ? 当局はどこにいるんだ?」 最初の2つの質問に対する答えははっきりしている。警察もキャンパスの警備部隊もそこにいたが、彼らは介入しなかった。むしろ、およそ5時間もの間、彼らは程よい距離を保ち、暴徒たちと笑い合い、時折和やかに談笑していた。その暴徒は、自称元イスラエル国防軍兵士だけでなく、白人のナショナリストもいて、1月6日の連邦議会議事堂襲撃事件に関与した���して元リーダーが禁��22年の判決を受けた極右組織「プラウド・ボーイズ」のメンバーも含まれていた。白人ナショナリストは原則としてユダヤ人を敵視しているため、ユダヤ人学生を多数含む野営地に対する彼らの襲撃が、なぜ大学当局によって反ユダヤ的と裁定されないのか、その理由を問う価値がある。
夜が明けると、数人の生徒が病院に運ばれていたが、野営地はまだ残っていた。授業は休講となり、管理側は、なぜ介入することなく自分たちのコミュニティを狼の群れに投げ出したのかを説明しようと奔走した。非難の矛先はジーン・ブロック学長に向けられた。学長は反ユダヤ主義を非難するメールを定期的に送っていたが、公式にガザに言及したことはなく、11月にバーモント州で起きたパレスチナ人学生3人の射殺事件など、米国内のイスラム教徒に対する恐ろしい攻撃については一言も発言していなかった。野営地が襲撃される数時間前、ブロックはこの野営地を「無許可のもの」と呼ぶEメールを全員に送信していた。野営地は、「私たちのコミュニティの人々がいじめられ、脅かされていると感じさせ、恐れさせている」と彼は続けた。その後このメールは、部外者に対しての、ここへ来て野営地を解体せよという犬笛だったと解釈されるようになった。
結局、UCLAはコロンビア大学に倣い、機動隊を投入して野営地を撤去し、200人の学生と教職員を逮捕することにした。5月1日の夕方から2日の早朝までの約8時間、学生や教職員はプラスチックのゴミ箱や段ボールで作った盾で野営地を守り、その数と勇気で警察の侵入を2度にわたって撃退した。対照的に、警察はスタングレネードとゴム弾で武装してやってきていた。これは、至近距離から発射されれば骨を折ったり、目をつぶしたり、実際に殺傷能力のある「比較的殺傷能力の低い」(という宣伝文句の)武器である。マードック所有のフォックス・コーポレーション傘下で、大学生にもパレスチナにもほとんど同情的でないフォックスⅡで放映された映像では、ヘルメットをかぶった3人の特殊作戦警官が、彼らの真正面に立っていた学生の顔にゴム弾を撃ち込んでいる。少なくとも25人が病院に運ばれた。
しかし、最も不穏だったのは、野営地に隣接するロイス・ホールの屋上に狙撃兵がいる画像がX(旧ツイッター)で出回ったことだ。インディアナ州警察の警視総監は、インディアナ州立大学で行われたパレスチナ支持派の抗議行動で狙撃手が呼ばれたことを確認し、ニューヨーク市警は、コロンビア大学のハミルトン・ホールに突入した際、学生が1月初旬にイスラエル軍に殺害された6歳のヒンド・ラジャブちゃんにちなんで「ヒンド・ホール」と改名した建物内で、警官が実弾入りの銃を発砲したことを確認した。全米のキャンパスでは、1970年のケント州立大学のように、学生が��されるのは時間の問題だというのが一般的な感情だ。学生も大学も、まったく異なる理由から、その代償を払う覚悟があるようだ。
学生たちは、90%の学校とすべての大学が破壊されたガザのためにそこにいるのだと言うだろう。その一方で、大学は、結局はイスラエルを批判から守るために、ネオナチと手を組むことを厭わない過激派以外誰も守ってこなかったその方針の道徳的空虚さに直面せざるを得ない。理念も計画もなく、暴徒に権威を譲り渡したのだ。学生たちは、彼らの大義を支持してきた職員たちとともに、責任者たちに見捨てられた大学の将来を方向づける立場にある。
週末、ブロックは、緊急事態管理局とキャンパス警察局を監督する新しい「キャンパス安全局」の設立を発表した。この原稿を書いている間にも、警官が学生、記者、法的オブザーバーを含む44人が、私が教壇に立つ日に車を停める駐車場で拘束されている。
*写真キャプション:5月1日、UCLAにおけるパレスチナ連帯の野営地
London Review of Booksに掲載
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皆様お元気でしょうか?始めたてはマメに更新していたのに5ヶ月近くも放置してしまいました。お久しぶりです。仕事に忙殺されたり、親類が亡くなったり、1週間近く寝込んだり……とにかく身も心も慌ただしい5ヶ月でした。まだ年明けてから美容院行けてなくてありえないボサボサだよ?!ハイキュー劇場版と夜明けのすべて見に行きたかったのに行けなかったーーーーーー!!!!!カラオケ行こだけは執念で色んなもの犠牲にして見た。和山やまと野木亜紀子を信じろ。
ここ最近は確定申告とありえない体調不良の記憶しかない。確定申告は自営業者なので毎年恒例といえばまあそうなんだけど、毎年絶叫しながらやっている。てかみんなこんなに頑張ってるのに政治家たちマジふざけてるよな?ウチも書籍代3500万って書いてe-taxしようかな?唐突な政権disを挟まずにはいられないほど気が立ってる。ブチギレ。
デトックスのためにも文章を書きたくて、テーマを考えました。ハイハイのツアーもアンジュのツアーも始まったし、エイトも夏にアリツアってことは春のうちに日程発表されるはず!つまり、遠征シーズンが来る!ということで遠征に向けて買ったものや買おうと思っているものを挙げていこうと思います。
・ジャンニキアリーニ アリファM
いい歳こいた大人のくせに、ハンドバックは「どこかに置いてきてしまう気しかしない」という理由で使えません。絶対どっかに置いてきちゃう気がする。あと撫で肩だから肩掛けも嫌。なので基本的に斜めがけできるカバンしか買えない……。いまメインで使っているカバンがだいぶくたびれてしまったので新調しました。MARBLEを買うかLAMBを買うかで悩んでたのに、オンライン限定セールやってて急に全然違う色を買ってしまった。妙にファンシーなやつ買っちゃって恥ずかしいから色は内緒だよ(誰も聞いてねえ)
SにするかMにするかすっっっごい悩んだけど、Mでよかったかもしれない。二つ折り財布、大きめのポーチ、ハンカチ、ティッシュ、アクスタケースの普段から持ち歩いている荷物を詰めてゆとりがある。私の荷物の量だと厳しいけど荷物少なめの人はペットボトルなんかも入りそう。夏ならハンディファンもいけそうだよ!
・無印良品 ポリエステル仕分けケース圧縮タイプ
今まで洋服は100均で買った洗濯ネットに放り込んでキャリーに入れていたけど、マチのないものだったので使いづらくて新しいの探しててこれを買ってみた。1泊か2泊ぐらいなら普通にひとまとめにできそう。圧縮はそんなにされないらしいけどそこはあまり期待していないのでOKです。
・無印良品 トラベルバッグハンガー
無印をふらふらしてる時に見つけたもの。電車乗る時とかにフックがないとかあっても絶妙に使いづらいことないですか?でも床に直置きするのは嫌だし……釣り棚に置いたら忘れるに決まってるし……��思ってたのでいいかもと思って買ってみた。まだ使ってないので実際の使い心地はわからないんだけど結構な重さでも耐えるみたいなので期待しています。現場の荷物ってなんであんなに重いの?
・HAAN ハイドレーティングクレンジングハンドスプレー
https://ima-lab.jp/c/brand/haan
ころんとしててかわいいし、独特の揮発臭みたいなのがしない。香り付きだけどそこまで強くないし持続もしないので私は食事前でもバリバリ使う。柑橘類の匂いが好きなのでモーニンググローリーにしたよ。
喘息持ちなのと感染病が命取りになる家族がいるのとでまだ感染対策続けてる。コロナもインフルもワクチン打って出かける時にはマスク外さないようにして手指消毒を心掛けるようになったらそもそも風邪ひくことがめっちゃ減った。この間めちゃくちゃ体調崩した時も直前にマスクしてなかった時間があったのでやっぱりマスクは効果あるよ……。
・うちわケース
まとめて持ち歩くのにほしいなと思って、多分そういう用途じゃないんだけど買ってみた。かわいい〜。サンリオだとだおちゃんはクロミだし作間さんはバツ丸くん。
・エレガンス カールアメイジング マスカラ BR20
もう遠征関係ないけど、細いマスカラ、大好き!!!私がいちばん好きなマスカラのブラシはヒロインメイクのマイクロマスカラです。この世のマスカラのブラシ全部あれにしてほしいぐらい好きなんだけど、あれってお湯と洗顔料で落ちるやつだからカールキープとかはしないんだよね。エレガンスのは長さも出るしカールキープもまあまあするし軽い!クレンジングは比べたら大変だけど全然いい〜。ふっさり綺麗なまつ毛になってうれしい。まつパかける予定があるのであわせて使ったら最高な気がする。
ブラシの形はヒロインメイクのマイクロマスカラやキャンメイクのメタルックマスカラに近い。つまり細い!最高!!キャンメイクのも結構気に入ってるけどブラウン限定なんだよな。。。。
・RMK デューイーメルト リップカラー EX-01 ウォーム ハニーデュー
もう遠征関係ないシリーズ。発売前から大評判だったので気になってタッチアップしに行ってまんまと購入しました。
流行りのジェル膜系リップ。リップモンスターの仲間たちだね。でもこの種類のリップの中で一番好きかも。かなり色持ちするし、むっちり仕上がって可愛いし、荒れない!リプモンは調子悪い時に塗るとズルズルする時があるんだけどこれはそういう感じがなくて合ってるんだと思う。限定を買ったんだけど春っぽい色でかわいい♡
デパコスで言うとカネボウのルージュスターヴァイブランドとかに近いかも。でもそれより発色がしっかりめな気がします。ルナソルの新作は触ってないからわからないけど近いって言ってる人も見た。まあみんな系列だもんね。
以下は今欲しいもの。
・RMK リップベースライナー 02 チェルシー ブリック
リップをタッチアップしてもらった時にお姉さんが合わせて使ってくれたんだけど、あるのとないのでは大違いだね?!私は唇の色が濃いめなんだけど境目?がぼやぼやしていて、これがあるとピターッと決まる。
「リップメイクの色ではなく、唇や肌のトーンにあわせて選ぶリップベースライナー。」だそうで、これ一本あればどんなリップにも合わせられそうなのがいい。欲しいな……新潟行く前に…………。
・コスメデコルテ コンフォート デイミスト セット&プロテクト
値段・効果・保湿全てのバランスが一番良いミスト。もう2、3本使い切ってる。大好き。普段完全に車移動なのでどこかに行くって時も長時間マスクとかではないんだけど、都会にお出かけする時、特に電車に乗る時ね!常にマスクなので蒸れて化粧がよれるんですよね。それが軽減する。今月コスメ買すぎだから耐えてるけど、これも新潟までに欲しいな……。
あとデコルテの化粧品はみんなそうだけどいい匂いがして最高だよー。
ちまちま書き進めてたら結構な文字数になってしまった。でも久しぶりに好きなものについておしゃべりすることができてよかったです。次はライブに行く時のWhat's in my bagやりたいな!じゃあのー。
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2024年3月21日木曜日
病院の待合室にて14
プロジェクション
私は小さな頃から癇癪持ちで、上手くいかない事や気に入らない事があると、叫んだり、物に当たったりして大変だった、と思う。というのもそういった記憶はほとんどない。忘れてしまったのだろうか、それとも覚えなかったのだろうか。
小学生の低学年の頃、フットボールの試合の結果が気に入らなかった(たぶん負けた)ために、試合終了のホイッスルと同時にボールをあさっての方角へ蹴っ飛ばし、コーチに「取りに行って来い」と言われた記憶…これは癇癪だろうか?現在行われているプロのフットボールの試合でもたまに見られる光景ではある。他には、小学校の高学年の頃、スーパーファミコンをやっていて、とにかく上手くいかなかった私は、コントローラーに噛み付いた。その歯形がコントローラーにくっきり残った。
後者の方はいかにも癇癪持ちっぽいエピソードだが、その他の事例が思い浮かばない。私は中学生になり、高校生になり、大学生になり、やがて大人になった。年齢を重ねるごとに、癇癪の回数は増えていった。私が最も成熟していたのは、母親から出て来たてで、びっしょびしょだった頃かもしれない。
大人になってからの癇癪は枚挙に暇がない。ひどい。大人なのに。我慢してよね。物部門で最も被害を被ったのは携帯電話である。携帯電話で話しているうちに、イライラしてきてしまい、携帯電話をぶん投げてしまう。携帯電話が二つ折りだった頃は関節技を極めてしまい、へし折ってしまう。本当に良くない。つらい。私も私がそんななんて悲しい。でも本当に辛いのは電話の方。携帯電話のお店に行って「車に轢かれました」と申し出て、「あっ、なるほどですねー」と言われて手続きしてもらったことが何度もある。
人部門で最も被害を被ったのは家族か、友達か。どちらになるだろう。電話で通話していると、いきなり私の声が遠くなり、破壊音がして、怒鳴り声がオフマイクで聞こえる(真に破壊された場合は切れる)。最悪である。こんな事を書いていて何になるのか。読んだ人は悪印象しか持たない。マイナスプロモーションにも程がある。でも書くことがないから書くしかない。ここは病院の待合室なのだから。
誰もが知っているように、怒鳴るという事は暴力である。私は人を殴った事は無いが、怒鳴った事はある。殴られた事はある。怒鳴られた事も勿論ある。怒鳴るというのは、殴りはしなかった、ぐらいの暴力である。ほとんど殴られたようなもの、ぐらいかもしれない。だからとにかく怒鳴ってはいけない。暴力はいけないから。絶対に。
怒鳴る、あるいは癇癪を起こす、というのは抑制と解放のメカニズムで成り立っている。蓄積する、我慢する。我慢できなくなる。出る/起こす。それだけである。つまり、体内のものが体外にでるのと同じ。咳をする、うんこする、おしっこする、射精する、泣く、くしゃみする、と同じである。ちなみに今の順番は、私の考える癇癪と近い生理現象のカウントダウンである。怒鳴る/癇癪に2番目に近いのは、泣くことである。泣いちゃいそう…となってる時に、出しちゃえ出しちゃえ泣いちゃえ泣いちゃえと思うことは無いだろうか。逆に我慢せな…我慢せなあかんで…と思うことは無いだろうか。そして涙がポロンと出た時の、あの妙な気持ち良さ。あの感じは相当近いように思う。そして周りに優しさを欠いた人達がいた時の「あー…泣いちゃった(めんどくさ…)(変な人…)」という視線。状況も近い。
ただ、怒鳴るという行為には投射する感じがある。プロジェクション。そのあたり一帯に撒き散らす感覚。それが涙にはない。その点でいうと、くしゃみはかなり近い。くしゃみの原因(花粉症やハウスダストのアレルギーの方などは分かりやすいと思う)が蓄積する。マスクしてないのでくしゃみしてはならない。ハーッハーッと来る。ハクショーン!あたり一面に鼻水なんだか唾なんだかわからないが不愉快なものが撒き散らされる。これです。これと一緒です��
そしてここから少しややこしいのだが、私は若い頃に、心療内科で統合失調症だと誤診され、統合失調症の薬を処方され、規則正しく摂取していた事があった。しかし病状が全く良くならず(誤診だからね)、飲むとめちゃくちゃ怠くなってしまうので、吉祥寺のバウスシアターでゴダールの『映画史』を見た日に、薬を飲むのをやめてしまった。3日後くらいに急に体がけいれんしだした。ガクガクしながら再度病院に行き、数日間安静にすることで症状は良くなったのだが、イライラが募り、癇癪が起きそうになるのを我慢すると、ビクーン、ビクーンと体がけいれんするようになってしまった。それが現在まで続いているのだが、そのけいれんが、くしゃみの前の「ハーッ、ハーッ」となっている時の動作を大袈裟にやったものに似ているのである。ややこし。まあだから、くしゃみに似てると思ってるのは私だけかもしんない。
今日私は癇癪を起こした。以下その経過。
A=A診療所、B=B病院、C=市役所、D=県庁
朝、家で母と麻疹が流行っている話になる。母子手帳を確認する私たち。麻疹はワクチン接種済。風疹は1回接種したのみ。もう一回する必要があるかもしれない。
Aに電話。風疹のワクチン打ちたいと伝える。A受付(そっけない)「在庫ないから無理です」
Bに電話。風疹のワクチン打ちたいと伝える。B看護師(やさしい)「風疹のワクチン1回打ってるなら、それで抗体出来てるかも。抗体検査するといい。市役所に言うと無料のクーポン貰えるよ」
Cに電話。風疹の抗体検査したいと伝える。C受付(やさしい)「それは県庁の管轄なので県庁で相談してみて下さい。電話番号これこれです」
Dに電話。風疹の抗体検査したい。D健康推進課(やさしい)「国がやってる接種と県がやってる接種がある。国の接種はハガキが届くのだが、あなたは対象外。県の接種だとあなたは対象です。手ぶらで行けますよ。病院のリストはウェブにあります。(AもBもリストに載っている)」
Aに電話。風疹の抗体検査したい。A受付(そっけない、てか冷たい)「ハガキないと出来ない」
Dに電話。風疹の検査、Aがハガキいるって言ってる。Dさっきの人(やさしい)「そんなことはないですよ。県の接種だと強調して伝えてみて下さい。Aはリストにもありますし」
Aに電話。県の接種ならハガキなくてできるって。A受付(さっきと違う人。やさしめ)「そうなんですね…ちょっとお調べします。(切る)」
30分経過。
Aに電話。あの…調べられましたか?電話番号言ってなかったかも。A受付(そっけなくて冷たくて怖い)「はい…だから今調べてます。はい。ガチャン!(思いっきり受話器を置く大きい音)」
10分経過。
Aから電話。A受付(やさしめ)「お調べしたら抗体検査できます」
私「だからずーーーーっと言ってますよね!!!!」
プロジェクション中。切ったら最初の電話から3時間近く経っている。
昼。母とちらし寿司食べる。午前中を振り返り、私だけが悪いのではないと確認する。たぶん。お母さん私に甘いかも。
午後。
Bに電話。落ち着いて。抗体検査したいんですけど。県の接種の方。「あっ無料で出来ますよー。予約とかいらないので来て下さいね」
Bに行く。待ちながらこの記事書く。採血。結果は後日。帰る。
なんでこんな事になるのか。でも決めました。やっぱり怒鳴るのは良くないので、私は今日から癇癪持ちやめます。お酒もタバコもやめれたので多分やめれます。癇癪出ちゃいそうな時はビクビクけいれんして生きていきます。人を傷つけるより自分が疲れるだけの方がずっと良いし、後々の後悔を含めた総合的なダメージを見ても、けいれんの方が少ないです。頑張ります。私は生まれ変わるのです。見ていて下さい。
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カズオ・イシグロさんが「私たちには世界各国の似たような考え方・立場の人と会って楽しむ横の旅行だけでなく、同じ社会・地域の異なる階層の人と会う縦の旅行も必要だ」という趣旨の話をしていて、そうなると私はさしづめエレベーター乗務員でしょうか。週に二日は産業廃棄物の事業で相談事に乗り、週に何度かは大学や政府の人たちと一緒に政策を議論しています。 この辺は会ったことのある人たちの幅というだけでなく、そういう人たちとそれなりに深く接し、自分たちのやりたいことを理解してもらい、納得して動いてもらう、という経験のあるなしで解像度がグッと違ってきます。 そればかりか、15分前に「分かりました」とか「やります」などと勢いよく返事した人が目の前でサボったまま締め切りの時間を過ぎたり、いくら施設内だからって飲酒して重機動かすんじゃないと指導しても赤ら顔でフラフラとユンボを転がしてるジジイもいます。何してんだよ。 先日、テロリスト逃亡犯の桐島聡さんが藤沢市の某工務店(というか人足屋さん)で働いていて、末期がんでひっくり返って担ぎ込まれて中途半端にカミングアウトしてくたばるという事件が発生しました。これは大変なことだと思います。ただ、産廃業界では働く人の身元は労災関係でかなりガッチリ押さえられていて何かあったときに保険が出ないと文字通り下請けが倒産してしまってこちらも補償のため代位弁済しないといけないので会社ごとではなく個人全員点呼や、請負さんの場合は本人契約のスマートフォンを登録してもらうというのが一般的になりました。 それでも、そういうスマホを持ってないジジイというのはゴロゴロいて、特に現場清掃なんかをやってもらう「いつもいるジジイ」は往々にしてこの爺さん誰やねんということがかなり頻繁に起きます。いや、ほんと誰なんだ。他の現場から流れてきたのでそのまま居ついている人もいれば、下請けが潰れてしまったので仕事を引き取ったときについてきた人もいる。でもそういう訳の分からん人がいるとこっちもリスクなので、弁護士にも相談したりして身元を割り出して身寄りがどこにいるのか調べてこいとやったりします。 そして、身元がどうであるかに加えて、深刻に「どうしようもなく駄目な人」ってのがいます。パッと見分かりやすいのは歯がないので上手くしゃべれない人。往々にして、防塵マスクの上からすごい口臭を感じさせてくれます。手指の欠損やおまえ明らかに右目見えてないよなってのもいて、おそらく川口市役所にいって長らく国保の更新忘れてたから保険証を再発行してくれと言いに行くこともできないんです。歯がないのにとんかつを食べようとして噛み切れず食べられない食べられないと泣いているお爺さんを、私はどうしたら良いのでしょうか。 外見であるあるなのは二週間以上風呂に入った形跡がないとか、脂漏性皮膚炎で顔真っ赤になっててヤバイとかいて、同僚からも同じロッカー室を使いたくないと言われます。事務室に入れるとボールペンとかモノが無くなるので、敷地に置いたプレハブ以外屋内は出入りさせないとか考えなければならないことはたくさんあります。 それ以上に、外見はそこまでではないんだけど中身が壊れている人がいます。これは、若い人にも年寄りにもいるんですが、最近は粗暴なのは減ってきて、むしろ話が通じない、作業の指示を理解してくれない、タスクをこなすことができないけどそこにいるという人です。もう10年以上いるおっちゃんは典型ですが、一見普通に「ハイ、分かりました」っていうんだけど、全然やらない。明らかにお前が間違ってラインを止めたのに「俺じゃない」と他人に責任を押し付ける、なんてことが起きます。 結果的に、コンベアに流れてきたペットボトルの川からビンや不純物を抜き出したり、キャップがついたままのペットボトルを取り上げて外すという作業しかさせられないのですが、これはこれで大事な作業なのでいないと困るってポジションがみつけられればそういう「どうしようもなく駄目な人」でも置いておける面はあります。 そういう「どうしようもなく駄目な人」でも、何と引き抜かれることがあります。「あれ、あいつ朝礼にいないな」と思って施設長にどうなったと聞くと、物流倉庫に引っ張られて先週辞めましたとか言われる。抜いてまで、雇うところがあるんだ… そして月給手取りでだいたい33万のところを、先方では週給7万で移籍したことを知り、おまえそれ減俸じゃねえかと愕然とすることさえあります。そして、数カ月後に何食わぬ顔して戻ってきていたりして、こいつら本当にどうしようもなく駄目だなって思い知らされることになるのです。 桐島聡さんはおそらく月額3万5千円から4万円ぐらいの風呂トイレ無しの木造アパートを宛がわれていたようですが、私らもボロアパートには無駄に詳しいので飯場のような仮設住宅に常時作業員が寝泊まりしています。ウチはホワイトな職場で周辺もまあまあホワイトなので、休日はみんなで競艇に行ったりスーパー銭湯に連れ立ったりしているようです。あの不潔なやつがたまにピッカピカのオールバックで月曜元気にやってきているときは、だいたい見かねた周囲に連れられて無理矢理風呂に入れさせられているのだと聞きました。 最近は、北関東で技能実習していた東南アジアからの外国人も増えてきました。あれっ、国内で無断で転職しては駄目なのでは、と思うんですが、技能実習2号から3号になるときに移れるという話があったようで、最初何かの農家で働いていたのがパワハラに耐えかねこちらに移ってきたところ、特にストレスのない職場で働きやすいので定着したという感じです。その辺の制度は良く知りませんが、知らない間に彼から評判を聞きつけた同国民の皆さんが増���したのできっとうまくいっているのでしょう。 そして何より、私らの業界では前述の通りたくさんの「どうしようもなく駄目な人」の集まりで運営せざるを得なかったものが、外国から来た皆さんは理由があって稼ぎたいうえ、外国に行っても大丈夫なタフさと日本語や仕事を覚える熱心さ、それに耐えられる一定水準以上の知能・知識を備えているため、よく働いてくれます。保証人になってあげるからそのまま日本に帰化して家族をこちらに呼んだらどうかと提案して、そのまま一家8人埼玉に引っ越してきた強兵もいます。赤ちゃん可愛いね。 そうなると、やっぱり面白くなく感じる日本の駄目な人連合が、彼らをイジメないようにすることに腐心はしました。また、慣れない日本で本人はゴミ出し騒音その他慎ましく暮らす術を身に着けていても、奥さんご兄弟お子さんはまだそうではなく騒動は絶えません。それでも3年4年もすると立派な川口市民になるようなのでまあいいかといったところでしょうか。 そして、常時40人、入れ代わり立ち代わりで言えば年で60人ちょっと若者からジジイまで雇っていると、まともな人は「もっといい稼ぎの仕事に移��ます」とか「小銭が溜まったので大学に行きたいんですがどっかないですか」などの話になります。ああ、まあどんどんチャレンジしたらええがな。でも、頻度で言えば年に1人か2人ですかね。割合はとても少ないのが現状です。50代になんなんとする幹部さんには背広を送って新橋のちょっとした人事研修に行かせたりもしました。いつまでもこの界隈の仕事だけやって家族養って一生を終えるなんてのはもったいないと思うからです。少しは縦の旅行をしておいでと思うんですが、感想を聞いても「はぁ、いや何だかよく分かりませんでした」やら「そういう世界もあるんだなという感じでした」という雰囲気で、ああそうかって感じなんですよね。 これは私の発案ではなかったんですが、ある職員が音頭を取って、希望者だけ集めて草津に温泉に連れて行ったりしたようです。会社の福利厚生費が貯まっていたとのことなんですが、経営陣がそれを知ったのは事後でした。考えようによってはおまえそれ横領やないかという感じでしたが、まあたいした額ではないし本人たちも笑顔でさっぱりしていたので次からはちゃんと形だけでも稟議取って承認もらってからにしてくれよとくぎを刺してそこで話は終わりました。 まあ、これが社会だし、そういう人生の塊ってのもあるんだってことだと思います。親父の代から比べれば、少しは良くなったかなと思いますが、今度は物流2024年問題が控えていて正直大変だなと感じながら私もたまに営業さんに同行して値上げの相談をしたり、商工中金に行って新しい借り入れを起こしたりしていました。「大変ですね」って銀行の人からは言われるけど、まあもちろん大変な面もあるけど、問題は私の時間的な行動ポイントが足りないことぐらいでやることは分かっているしどうにかなっちゃうんですよね。酔っぱらって地元の外国人同士で殴り合いとかして警察呼ばれるようなことさえなければぼちぼちやれてます。 で、この手の経営者同士の交流かいってのが半年に一度(?)だかあって、呼ばれてたまに顔を出すのですが、名刺交換して、講師の話を小一時間聞いて、ビール飲んで帰ってくるだけで何かいいことがあった記憶がありません。あれってどうなんですかね? 私に野心や性欲が乏しいから声かけても向こうもつまんないのかなと思って、こっちからも無理ににじり寄ったりはしませんが…。 でもまあ世の中ってのはこういうものなんだなってのは、50歳を超えて、少しだけ、分かってきたような気はします。
世間には、あなたの想像もつかない「どうしようもなく駄目な人」もいる | 山本一郎(やまもといちろう) / マイノート by 夜間飛行
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アイロンなしで型崩れしない布プリーツマスク【形状記憶マスク】 柴犬のマスク屋さん【001】在庫1枚。 裏表・白 タグ・黒ドット 大人用サイズ布マスク 17cm×10cm 1枚1,000 円(税込・送料込) 普通郵便 ノーズワイヤー、ゴムひも調整ストッパー、名前を書くタグ付き。 つけ置き洗い後➡軽く手で絞る➡形を整えて干す 形は崩れません。 表布はポリエステルのニット接着芯なのでシワになりにくい。 学校や職場でも違和感なく着用出来る白マスク。 中間に不織布接着芯を使用してますが、マスク用不織布ではない為、ウィルス効果がどこまであるのかは不明。 内側は綿ガーゼ。プリーツなので口元に空間が出来て呼吸しやすい。肌触りが気持ち良い。 洗って繰り返し使えます。 ※室内で犬と猫を飼育。出来上がり後、一度つけ置き洗いしてます。タバコは吸いません。 アイロンかける場合は低温であて布をした方が良いです。 我が家は、子供にランドセルの中と学校に置きマスクとして複数枚持たせてます。給食後汚れたり、落としたら交換するように。 [email protected] までご連絡下さい。 《素人のハンドメイドマスクです》 自分で言うのも何ですが、なかなか使い勝手の良いマスクです。完全、オリジナル作品。 柴犬さんもおすすめ。 #柴犬のマスク屋さん#形状記憶マスク#接着芯マスク#手作りマスク#マスク手作り#布マスク#プリーツマスク#布マスク販売#プリーツマスク販売#学校用マスク#白マスク#mask #北海道#hokkaidou #hokkaido#shibainu #shibastagram #shibalove #緊急事態宣言#新型コロナウィルス対策#ハンドメイドマスク#マスク不足#職場用マスク#柴犬#柴犬ライフ#不織布マスク#布プリーツマスク https://www.instagram.com/p/B-yCorBg2Lr/?igshid=11keq4ntsfa9t
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日記 / 5.7 / 写真を再び
どうもここ数ヶ月、写真が撮れなかった。半年前から撮っている写真のシリーズについてのことだ。製本ワークショップに参加して製本してみて、一度立ち止まって俯瞰的に見てみようと試みたが、これがまさかの急ブレーキとなってしまった。本の形になった高揚感に浸りつつ、「足りない」こと探し、粗探しを繰り返した結果、撮影を始めたときに抱いていた前のめりな感覚を忘れてしまっていたように感じていた。
京都国際写真祭でそれに拍車がかかった。凄みのある作品を三日三晩浴び続けることで、着眼点や撮影の技量、熱量、我が事とする力強さ、数え切れないポイントと比較ばかりして苦しくなってしまっていた。正直、息ができていない状態に陥っていた。1年前は「制作」をしていなかったから、どの作品も憧れのような対象だった。尊敬する写真家の自宅に訪ねて相談させてもらったり、他の写真家の方には、勤務中に彼の働く会社まで足を運んで助言を請うたりした。ようやく、自分なりの視点を持って撮影してこれたのではと、思った今年のはず…と思っていたのだが、違った。「作品をつくるようになった若い人」(と言われるようになった)は、先人たちから厳しいレビューを受け、落ち込んでしまったのだ。この落ち込みを誰かに解消してもらうことなんてできないし、親しい友人に話しても、結局情けをかけてもらいたいという気持ちから始まってしまうわけで、健全ではなかった。
先週には、撮影をお願いしていた方と長い時間お茶をして撮影に望んだが、正直に伝えた。「今は撮れるような状況ではない」と。相手からも、見透かされたような気がして、ブローニーフィルム一本を撮り切ることだけにしか集中できなかった。つまり被写体との対話ができていたとは言い難い。きょう、現像から上がってきた写真たちは、それなりに撮れているのだが、撮ったときの感情をまだ記憶しているので素直に見ることができないことで思い知らされた。現像があがるまでの高揚感、ポジティブな気持ちを抱いていなかったことに気づいた。
ここまでネガティブなことばかり書き連ねているのだが、ようやくトンネルを抜け出せそうな感覚をきょうは覚えた。一日を振り返りながら、いろいろ考えてみようと思ったからきょうは書こうと思う。
まずは、久々に早朝に起床できたことに始まる。朝マックに足を運び、エッグソーセージマフィンのセットを食し、スイッチを入れる。朝ごはんを食べると血糖値が高まり、血の巡りを感じる。ファストフードとはいえ、気持ちが前向きになったようだった。その勢いで、都内の展示へ。本当は丸木美術館に行きたかったが、せっかく晴れている日、2時間も電車に乗るのがもったいないと思い、終了日前日なのに諦めた。
昨日、WHOがコロナ緊急事態宣言の終了を発表。週明けにはコロナが第5類に移行する。パンデミック下に置かれていた日常は、ようやく活気づいてきたことを武蔵小杉から乗り換えた行楽日の総武線快速で感じた。先月行った京都も、外国人観光客が戻ってきて、マスクをしている人がほとんどみなかったので、不思議ではないのだが、東京にもコロナ前の日常が戻りつつあった。そんなことを思いながら、上野に着くとすごい人だった。動物園に並ぶ人々の姿も見えた。美術館前で記念撮影をする人。にぎやかな声が聞こえてくるから、自然と触発される。
向かったのは東京芸術大学陳列館。「解/拆邊界 亞際木刻版畫實踐」(脱境界:インターアジアの木版画実践)(※)を見るためだった。初夏の日差しに浴びる青々とした葉をつけた木々が陰をつくる上野公園がこんなに気持ち良いとは思わなかった。陳列館の2階は、天窓から優しい日光が注ぎ込み、版画がすられたキャンバスや布がゆらゆらとしていた。版画は力強かった。日本、韓国、中国、香港、台湾、フィリピン、インドネシアのアーティストの作品をゆっくり何周もしながらみる。印象的だったのは、タイトルの通り、ボーダーを越えていくことの希望だ。
點印社(香港)の「私たちは輪になって食べる、刷る」は横長の大きな版画。テーブルでご飯を食べる様子を描いているのだが、そこに描かれているのは、人間だけでなく、シャチや、犬など動物もいる。コロナ禍によって幾多の国境が閉ざされた世界で、異なる国籍や民族やルーツ、バックグラウンドを持つ人々の間に境界線が引かれるようになったことを忘れてはいけない。そんな時代だからこそ、他者との時間を共有することを肯定し続ける力強さを感じた。登場する人々や、動物の表情は笑顔で豊かで、美しかった。決して丁寧に、きれいにつくられたわけではないけれど、その雑然さを版画で刻む描くことの尊さを感じた。
韓国のキム・オクさんが制作した7枚の版画からは、いつか未来で消える朝鮮半島の南北の境界線を想像させた。30年以上に渡り、朝鮮半島南部をくまなく歩き、フィールドワークしてきたというキムさん。農村地帯など韓国の原風景が描かれた7枚は、南北統一という先に続きがうまれるはずだという期待を抱かせ、そしていまだ解決しない南北問題について、極東の島国にいる自分をハッとさせた。
何よりエンパワーメントされた。この展示の作家の多くが社会運動に参画し、運動を活性化させたり、アジテーションを強化するという目的を持ったりしながら制作しているということを掲示されているテキストで知る。政治的抑圧に抵抗する。それは大きな主語を語りがちのように感じられるが、版画を刷るということによって我が事として捉える身体性が一層増していくように感じた。何より、作家自ら社会に対して、異議申し立てをするまでのプロセスを、自らの生活実践の場において果たそうとする姿勢が感じられた。だからこそ、「私たちは輪になって食べる、刷る」のカラフルな描き方に心が揺さぶられたのだろう。
何より、描いて、版を作り、刷るという繰り返しを諦めない。その先に、社会的に生じている苦しさから解放されるように思えた。新聞記者として多くの時間を、社会的課題について考えようとしながら、当事者性があるかどうかなど悩み、写真撮影においても強度があるかないかなど気にしていた自分にとって、今までの悩みがちっぽけに思えたし、何よりそうだ、自分が言いたいことを言えばいいんだと思えた展示だった。
彫り続ける作家たちの姿勢に刺激をもらい、浅草に移動してから入ったタリーズで本を開いた。坂口恭平の「継続するコツ」だ。数ヶ月前に綴方で購入したまま開いていなかったが、効果てきめんだった。「才能という言葉」の呪いにかけられたように、他者の作品を羨望の眼差しで見ていた。そして、撮影ができない状態に陥っていたけれど、それは「比較が始まり、否定が始まり、手が止まる」という項で正体が書かれていた。ある程度、自分がやりたいことを続けていくと「慣れ」が生じるというのだ。「慣れ」。なるほど。確かに、慣れてきた。こうして撮っていけばいいのだ。こう進めていけばいいのだという実感は、いつしか、「見る人に伝えるには○○が足りない」と完成度ばかり気にすることに変わっていたからだ。
製本して、足りないことが見えて、評価を受ける作家のアーティストブックやダミーブックに圧倒され、到底その領域に達していないのにと自分を卑下して、比較をし続けていたなと気付かされた。なんか自分が馬鹿らしくなった。撮っていく。それだけでまずは十分じゃないか。当初抱いていた撮りたい写真への気持ちは、いろんな人の助言や苦言や励ましで少しずつ変容したりしているけど、自分の撮りたいという気持ちに正直になれるのは自分しかいないわけなんだから。
そうだ。去年の7月、アレック・ソスに「SLEEPING BY MISSISSIPPI」にサインを入れてもらったとき、メッセージをお願いして書いてもらった言葉を思い出した。「Don't ever forget the feeling when you first piched up a camera」。そうだよね。初心忘れずって言うよね。いま撮っているカメラは別に「First」じゃないけれど、このカメラで撮っていくぞって嬉々としていたときのことを思い出した。小さな1Kで、千尋からも「買ってよかったね」なんて言われて、ファインダーを覗いて初めて装填したネガフィルムに彼女を焼き付けたんだっけ。うまく扱えず、フォーカスと露出を決めるのに時間がかかって切ったシャッターによって写し取られた千尋のふと力の抜けた表情が自分は好きだったんだなと。あの感覚があったから、静かに被写体となる他者に正対する感覚を今でも大事にしているのかもしれない。
そんなことを思いながら、ベトナムの写真作家たちのダミーブック展をあとにしたあと、ブローニーを装填した。ゴールデンタイムの日差しが当たる街にカメラを向けてシャッターを数枚着る。隅田川に沿って歩いていくと、ふと人を撮りたいなという気持ちが湧いた。
ふと、目が止まった。若い男女が微動だにせず、静かに抱き合っている姿に見とれてしまった。高校生か、大学生かな、と思い、声をかけさせてもらった。こうやって街にいる人に声をかけて撮りたいって伝えるの久々だな。心のなかで自分に語りかけていた。それに、やっぱり最初は緊張する。「ティックトックですか?」と聞かれたけど、「いえ違いますよ」という。最近、インスタやYou Tubeのショート動画で確かに「ストリートスナップ撮っているんですけど」という動画が流れてくるなと思い出した。それのおかげなのかな。恥ずかしがっていた彼らは、少し悩むそぶりを見せてくれたけれど快諾してくれた。撮らせてもらえる。高揚感が全身に走った。
マキナで露出を決め、フォーカスを固める。透明の四角いファインダーの向こうで、静かに佇む二人に引き込まれる。女性は恥ずかしいからマスクをしたままだったけれど、風になびく黒髪の隙間から見える青いカラーコンタクトをつけた瞳から向けられる視線が、まっすぐ力強く凛としていた。男性の方も、無表情ながら芯の強さを感じさせていた。
撮影後に聞くと、二人は15歳の高校1年生。男性はぼくの父とおなじ江戸川区で生まれ育ったという。在日朝鮮人の母を持ち、インスタグラムには日本と韓国の国旗アイコンを掲げる。聞きづらかったけれど在日コリアンかどうかを聞いてしまったが、「そうですよ」とさらりと答える。僕がこれまで川崎で取材をしてきたことなども伝えると、親しげな感じを見せてくれた。そして、なにより自分のルーツに誇りを持っているようだった。スケートボードが好きで、スケートボードが「バ先」だといって、店長のインスタグラムアカウントを見せてくれた。女の子はシャイだ。ファインダーの奥に見たあの視線の強さとは相反するのか、不思議だった。
街で声をかけ写真を撮る。撮影時間を入れても、賞味10分ほどしかなかったかもしれない。写真はSHOOTだ。池澤夏樹によると、「Shoot」は銃撃か撮影でしか使わない。だから、若い彼らをカメラの前に立たせる行為というのは、主従関係が生じ、抑圧・被抑圧の関係性が生まれることにほかならない。それでも、撮影を許容してもらうために、僕は彼らに誠意を伝えようとする。そして彼らも受け入れるために覚悟をする(覚悟を強いている可能性も忘れてはいけない)。そのわずかな時間でも、僕と彼ら彼女の間に一定の緊張感が生まれ、正対することによって他者を信じ切るしかないのだ。嘘偽りがないとは言い切れない。それでも、1/500秒という膨大な時間軸における一瞬、フィルムに焼き付ける行為そのものが、僕がこの社会に接点を築いていくことに必要なプロセスなのだと言い聞かせるには十分なんだ。そのことを、二人との出会いによって改めて認識させられた。
これが、明るい兆しだ。写真を諦めなくてよかったと思えた撮影だった。写真を撮ることでしか、僕は社会を知るすべがないことも知っている。それが、なにか明確なメッセージや、スローガンがなくても、そこに写し込まれた人々の姿によって、この社会の輪郭が際立ち、描かれていくことを信じたいから撮っている。僕にとって人を撮ること、正対してポートレートを撮ることとは、その決意表明みたいなものなのだ。沈みかけていた気持ちが、ようやく前を向き始めた。
※参考)近年、アジア各地で木版画による芸術・文化実践が再び注目を集めています。20世紀初頭の中国で魯迅によって始まった近代木版画運動は、民衆自身が社会や現実を表現する運動/方法としてアジア各地に伝播しましたが、20世紀後半になると社会構造やメディア環境の変化により下火となっていきました。しかし、2000年代から2010年代にかけてアジアの芸術家や社会活動家たちの一部は木版画を通じて社会や政治の問題を表現し、文化的直接行動や集団的創造の実験、さらには国境を越えた交流・ネットワークを生み出してきました。 本展は《「解/拆邊界 亞際木刻版畫實踐」(脱境界:インターアジアの木版画実践)》と題し、アジア各地から12の作家・活動団体による木版画を紹介します。とりわけ2020年に始まったパンデミックでは、人やモノの移動を一元的に管理する国境の問題や、差別や排外主義などの社会的、心理的な排除や断絶の問題を現前化させました。本展はわたしたちの生きる世界や社会に張り巡らされた「境界」を改めて主題化し、これらの境界からの離脱・解体を志向するトランスナショナルなアジアの木版画実践とそのネットワークについて紹介します。同時に、コロナ期に各地で制作された木版画を比較することで「アジア」という地理的/政治的概念への批判的認識と、さらなる理解・議論の可能性を開くことを目指しています。
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新刊「イサド住み」 冒頭試し読み
おれは怖くてたまらない。おれにどうやら命みたいなものがあって生きているってこと、おれの体の隅から隅まで生き物で、心や記憶まであって、おれという生き物が死ぬまでずっと生きているってことが本当に怖いんだけどうまく言えない。怖い。べそべそ泣いている。おれの言いたいことわかるか。わかれよ。うまく言えなくてもわかってくれよ。あんたは怖くないのか。たまたますれちがった誰かの気まぐれな採点によりおれの発言の価値は決まってしまい、裁定はそうそう覆らない。おれは布団をかぶって絶望している。隠れている。おれの話は誰にも聞いてもらえない。 でも川と川が十字に交差しているところが好きだ。毎晩見に行く。十字の縦も横もとても静かで、川面に団地の明かりが揺れている。夜の運河は油膜を張っているみたいにとろりとして見える。流れているというよりあれはきっと震えている。実際、横軸の小名木川に流れはないようなものだ。隅田川と旧中川を結ぶ水路で、雨の後や風の強い日くらいしかはっきりした流れを見せないし、流れの向きもしばしば変わる。きっとここには始まりも終わりもない。 始まりも終わりもないけど階段がありエレベーターがある。扇橋閘門といって、二つの水門が並んでいる。閘門より東は海抜ゼロメートル地帯で、満潮時の海の高さよりも低い土地。川を遮断して水位を下げてあり、小名木川には段差がある。川底ではなく水面に作られた差。船が通るときは二つの水門の間に船を入れ、水位を上げ下げし、船は差を乗り越える。 夜の運河はにおいが濃い。潮のにおいとどぶのにおいが混ざって、三階のおれの部屋まで届く。水面にちらちら揺れる明かりは銀紙を丸めてまた広げたみたいな光で、夜の黒い水はそれらを飲み込もうとせず震えるだけ。水はとても静かだ。ねっとりと移動している。光もにおいも川の上にとどまっている。 さっき風呂から出たらスマホが震え、ムムくんからのLINEだった。昼間ムムくんからスタンプが飛んできたからおれもスタンプを投げ、スローペースの投げ合いが続いていた。おたがい焦らしあっていたというかはぐらかしあっていたというか、言いたいことはわかっていた。今日はムムくんが先に折れた。 「今くん明日ってひま?」 おれもそれを聞きたかった。ほっとした。続いて自撮りの写真も飛んできた。鏡に向かってスマホを向けていて、美容室の鏡だ。ムムくんのスマホケースはいつもステッカーとかチェキとか挟まっていて、折り畳んだ千円札も見えた。緊急用の金かな。靴の中に入れておくみたいな。ちょっと笑った。鏡の中の鏡には切ったばかりの後ろ頭も見えた。襟足とサイドがかなりさっぱりしていて、指でなぞったら気持ちよさそうだ。 自撮りのムムくんはマスクのゴムを一回くるりとねじっていた。きっともみあげにゴムがかからないようにそうしていて、おれも先月髪を切ったときそうやった。こうするといいですよと美容師さんが教えてくれた。コロナ禍に生まれた工夫、その共有。いつかぜんぶ収束したらこういうことは誰も思い出さないだろうか。 二〇二〇年が明けてすぐ、あれよあれよというまに世界中みんなが巻き込まれた感染症に関しておれから言えることはあんまりない。恐怖や混乱の波が寄せては返し、定まらない。ここ二、三か月かはなんとなく凪いだ感じになっている。か? わからない。なんとなくの雰囲気でそうだというだけ。慣れ。どうやら常識も見通しも変化し続けていた。おれは少し前の恐怖をほとんど思い出せない。おれは夥しい数の死者を忘れ、配られた十万円と二枚のマスクを忘れ、いまいま分かち合っているささやかな工夫を可愛がろうとしている。これもいずれぶっ壊れるとは知っている。死が数の話でもないのもわかっている。もしおれが、何か、たとえば呼吸器に疾患があったら、とてもこんな雰囲気任せではいられない。それじゃあおれには特権があるってことだ。 頭を拭きながら「髪切った?」と送った。明日がひまかどうかはすぐに返さず、といってもこれ以上拙い駆け引きや意地悪をしたいわけではなかった。なんとなく話の順序をいじくりたくなった。ムムくんとはアプリで知り合った。四つ歳下のゲイで、現状セフレの関係にある。そしてこれについては毎日、毎分検討しているけど、もう腹を括ろうと思う。おれはセフレのムムくんに恋をしている。そうしてムムくんには好きな人がいるからおれのこれは片思いだ。 聞け。おれの話を聞け。いや聞かなくてもいいか。どっちでもいいや。おれがここで話をしているってことだけ、おぼえていてくれたらいいや。べつにすごく話をしたいってわけでもないし、おれは話の糸口をつかみかねている。糸の端っこはここじゃない気がして手近なところをあれこれ手繰っている。とっ散らかっているし絡まっている。声の出し方だってうまくない。あーとかうーとか唸りながらともかくチューニングし続けていて、もうずっと、自分の出すべき声の高さを探っている。長いこと口ごもっている。でもこんなふうに音程にばかりこだわっているうちに歌い方を忘れてしまうんじゃないかってちょっと怖くなった。それでおれは手持ちのはさみで糸を切ってみた。とりあえず、ここから始めることにする。 ここはどこか? ここは運河沿いの歩道で、毎晩川面を見に行くのは犬の散歩のため。緑地公園を抜けて橋の下をくぐった。歩道の一部は艀になっていてこれも水位で高さが変わるが、おれと犬が歩くくらいではぜんぜん揺れない。 「台形、今日はたくさん歩いてるね」 おれは犬に話しかけた。小さい足を懸命に動かし、よちよち歩いている。ときどき立ち止まっておれを振り返り、そろそろ抱っこしてという顔だ。だめだよ台形、もうちょっとがんばろう。おれは話しかける。台形はふんふん鼻を鳴らしている。 台形というのは犬の名前で、白黒模様の狆。鼻ぺちゃ顔のか弱い犬だ。体の形が台形ですと誰かのブログに書かれていたのがなんだか気に入った。どうやって辿り着いたか思い出せない、知らない人の野良ブログで、たぶん「犬 飼い方」とか「狆 飼い方 コツ」みたいに検索していたらたまたま行き合った。 ほかのサイトや本では狆の体型はスクエア型とか四角とか書かれていて台形という語は見かけなかった。どこぞの誰かの語彙と気まぐれがおれの犬の名付けの根拠で、そういうめぐり合わせをなぜか素敵なもののように思った。おれはそういうものをとろうと思った。 そうして艀を歩いていたら、ぱしゃぱしゃぱしゃぱしゃ……と音がした。魚かなと思ったけどぱしゃぱしゃはけっこう長くて、まさか誰か溺れているのかと思ったが、川には何も見えなくてとても静かだった。念のため柵に上って辺りを見回した。水面に乱れたところはなくいつも通りに見えた。人影も水しぶきも見当たらなかった。いつのまにかぱしゃぱしゃの音も止んでいた。 「台形、どう思う?」このどう思うは水音のことでもあったしおれの恋愛の話でもあった。 ムムくんから「髪切った?」の返事はまだ来ていない。といってもまだ何十分も経っていない。でも明日ひまかどうかをスッと送らなかったことを早速後悔していた。ひまに決まってんだろ。台形が立ち止まったのでベンチに座った。おれのために立ち止まってくれた気もした。「明日は夕方からなら平気だよ」とLINEを送り、続けて「早いと寝てるかも。今日はこれから仕事で、今は犬の散歩��てる」「明日の夜は仕事休み」と送った。しゅぽん、しゅぽん、しゅぽん。散歩中だから返信が遅いんだよとアピールしたつもり。会話はキャッチボールというよりジャグリングだろうか。空中のお手玉は二つ三つと増えていく。 すぐに既読がついた。「わーい」というスタンプが送られてきた。「前髪短すぎた気がしてきた……」���じゃあ十七時くらいに家行きたい!」しゅぽん、しゅぽん、しゅぽん。しゅぽんのタイミングが心臓の音と重なる気がした。だいぶ間の抜けた音だ。おれの恋はこういう音なのか。 お手玉だからべつに落っことしても気にならないのにちょっとのことで一喜一憂し、いったいおれはどうしちゃったんだろう。明日の夜が休みというのは前回会ったときに話してあった。夕方からならひまだよとすでに言ってあった。ムムくんはそれをちゃんと覚えていて、でもちょっと焦らして、連絡してくれた。そう思うとかなりうれしかった。 台形が歩き出した。チャッチャッチャッチャッと地面に爪がこすれる音が好きだ。小さい体の細い足。まあでもさっきの水音は溺れているような音ではなかったなと思い直す。切迫した気配はなく、プールでゆったりと泳ぐみたいな音だった。背泳ぎのキック、ストローク。誰とも競争していないときの静かなバタ足。ああそうか。おれはむしろ、誰か泳いでいるんじゃないかって期待していた。運河はいつも緑色に濁っていてかなり深い。とても泳げるような川ではないんだけど、一瞬可能性を夢見た。溺れていたら大変だなんてほんとは思っていなかった? 自分の心の中なのにおれは嘘をつきそうになっていた? 「まあ、嘘っていうのもちょっとちがうんだけどさ」 おれは台形に言う。べつに言わなくてもいいようなことだけど声に出して言う。台形はおれの足をすんすん嗅いでいて、体が動くと尻尾もふわふわ揺れる。白くて豊かな尻尾だから暗がりでもよく見えるが、夜の散歩には光るハーネスをつけておく。蓄光オレンジ。リードもLEDでぴかぴか光るからやけに賑やかだ。パレードとかお祭りとか、あるいはクラブ遊び? 台形自身はとてもおとなしくて内気な犬だ。いやおとなしくて内気なクラブ好きはおおぜいいるけど……。ああ。ほらね。おれの思考は訂正と注釈の繰り返しでとんちんかんな思いつきばかりしている。そうして、クラブってもうずいぶん行ってないなと思う。熱心に通っていたわけではぜんぜんなかったけど、人生のある時期になにがしか意味を持っていた場所が、今ではとても遠い。人生が思ったより長い。 さっき声の高さを探っていると言ったけどあれは比喩であって比喩ではなかった。ほんとにおれは声変わりのさなかにあった。ホルモン注射によって声が低くなり、ひげが生え、肌も硬くなった。生理はほぼほぼ止まった。そろそろ声は落ち着いてほしいけどどうも安定しない。 性別移行のいろいろ。この水面にも段差がある。三週間にいっぺん注射を打ちにいくが金がかかって仕方がない。でもおれはこれをやりたかった。高校生の頃からバイトばかりしてきた。いろいろの変化は二次性徴をやり直している感じだなあと思っている。それならばおれはいま思春期をやっているのかもしれない。もうすぐ三十だけど。 おれは何か? 元女子ですという名乗りは正確でない気がしているが、面倒なのでそれで済ませることはあった。女子だったことなんてあったっけ。でも、じゃあ、本来の姿、正しい状態に戻りたいんですという言い方も、それはそれでしっくりこなかった。他の人はどうか知らないけどおれの場合は。うまい言い方がわからない。 十字の縦軸、大横川を下っていくと仙台堀川とぶつかってまた十字に交わり、やがて大きくカーブ、またまた十字路。これを東京湾側に折れて平久川に入ると今度は五叉路になり、網目のように張り巡らされた水だ。大潮の晩、運河はぶよぶよ膨らんでゼリーみたいだ。 台形がにゅうっと体を伸ばしておれのひざにまとわりついた。なんの音かなんてわかんないよと言っている気がした。首の下の白い毛がオレンジの光に染まっている。扇橋水門の赤信号。夜は門が閉まってランプがついている。あれもコンクリートの柱を赤く染めていた。毛の黒いところはそうでもなかった。オレンジの光を黒が吸い込んだ。そうだよな、おれもわかんないよと顎をなでた。 「まあ魚か何かだろうね」 おれは台形に言った。「そうでなければ空耳だよ」とも。台形に話しかけているのか、台形のせりふもおれが一人でしゃべっているのか、自分でもよくわからない。 ああそうだ。おれはわかりやすい語り方をいつも探している。誰かの受け売りをがんばって身につけ、しゃべり、それがときどき屈辱的だ。おれがこのようにあるためにはわかりやすい物語とその語りが必須だなんて、なんだか馬鹿にされている。どうして男になりたいんですか? いつからそう思っていたんですか? やっぱりスカートは履かなかったんですか? ときどきおれはめんどくさくなって「死ぬほど悩んでるんです」とか「死にたいです」とか、可能な限り暗い声で言う。暗い顔もする。会話を遮断する。そうしてそれは、必ずしも嘘をついているってわけでもない。 「でも魚って夜でも起きてるのかな……」 とつぶやいてみたら、すかさず反論を述べるみたいにどこかでからすがぎゃあーっと叫んだ。台形はびくっと震えた。鳴き声は川沿いの倉庫の壁に跳ね返り、わあああんと響いた。両岸に建物が並んでいるからトンネルみたいになるのだろう。川の向こうで誰かがくしゃみしたのも聞こえるくらいで、天井はなくても反響する。あー。はいはい。そうだとも。寝ているやつらが突然目を覚ますことはある。あるいはたまたま夜ふかしの個体はいる。 おれもそういう個体だと言ってみようか。クリーニング工場で委託のドライバーをやっている。ちょっと前から始めた仕事。夜にコンビニやロッカーを回って集荷と配送を請け負い、ほとんど昼夜逆転みたいな生活になった。 ドライバーデビューはAmazonの軽貨物配送だった。これはおもに昼の仕事で、アプリでオファーを選んで好きな時間に好きな量だけ働き、というとなんだか聞こえはいいが、割り当てられた荷物を時間内に配り切るのはけっこう難しかった。小さい箱物ばかりで、物自体はそんなに重たくないが量が多く、積み込みがパズルみたいにややこしい。時間指定に慌てたり、マンションの宅配ボックスで誤配したり、知らない細い道を走るのも怖かった。でも一人でやれる仕事はいいなと思った。車の中は自分一人の空間で、自分の体の延長だ。 それで求人サイトを延々スクロールしていたら、今やっているクリーニング工場のドライバーを見つけた。業務委託。夜勤。けっこうレアな仕事だ。たまたま見つけたおれはラッキーなのだろう。まあ深夜労働の割には大した収入にならないし、がんばればAmazonの方が稼げるんだろうけど、ルートが決まっているので安心感があった。それもコンビニやマンションと工場の往復だから、わりあい運転しやすい道が多いのもよかった。荷物は服で、それなりに重い。ただ持ち方のコツを掴めば腰は傷めないと同業者のnoteやツイートを読んだ。腕の力だけで持ち上げようとしない。両肩と両足を荷物の正面に置く。筋トレと思えばなんとかなると知らない誰かが書いていて、これまた知らない誰かの知識や気まぐれにおれはかなり助けられている。そして深夜の配送はAmazon以上に個人プレーの仕事で、ほとんど人としゃべらずに済んだ。それが何より気に入った。 べつにそこまで人嫌いというわけではなかった。前に働いていた工場で、配置替えやら班分けやらの話の流れで自分はトランスであるとほぼほぼみんなにカミングアウトする羽目になり、なんかもう個人事業主になりてえな、なっちゃおうかなと思っただけ。 いやちょっとちがうか。ホルモン注射を始めたら見た目や声に変化があり、おれの場合はけっこうわかりやすい変化だった。カミングアウトするしない以前になんかもうばればれだよなと思った。ばれるという言い方もなあとは思うし、周囲の人にいちいち事情を知ってもらう必要はないんだけど、何かしら説明が必要なことはあった。それは何か書類の提出を求められるとかではなく、素朴な疑問や世間話に応じ、遠慮のない視線を浴びるという形でだ。マスクをしているからひげは見えない。じゃあ、コロナ禍じゃなかったらもっと目立ったのか。そして思い出したから言うけど、いつかちんこ生えてくるって思ってましたか? って質問はなんだったんだ。 悪い職場ではなかったしあからさまにひどい奴がいたわけでもなかった。なんていうか……、人と関わるとその手のコンフリクトが生じることはままあり、しょうがないよなという気持ちと、くそったれという気持ちは日毎、いや秒単位で入れ替わり、おれに中古の軽バンを買わせた。 一応言っておくけど、どうしておれがこうなのかって話はあんまりしない。たぶんあんたが一番聞きたいことだとは思うけど、きっとおれは話さない。べつに勿体ぶっているわけじゃない。なんていうのかな、いちいち説明しないほうがいいんじゃないかって気がしている。これについてはあとで言う。言いたいことだけ言うから、言ったことだけ聞いてほしい。言ってないことは聞こえてないはずだ。聞こえたとしたら、それはあんたの想像だ。原則としてね。 今はクリーニング工場と、金がないときはAmazonもちょっとやっていて、ほんとにこれでいいんだかときどき不安にはなるが車を買っちゃったんだからやるっきゃない……のか? もうだめだやってらんないと思うたび居場所や人間関係を断ち切るみたいなことを繰り返してきた。おれはずっとこうなのか? 自問自答。決まった振り付けのダンスみたいにいつも同じことを考えている。 からすに驚いた台形はきゅうきゅう唸って伏せてしまった。ほんとに臆病で、前にドッグランに連れて行ったときも周りの犬にびびって縮こまっていた。おれはそういう台形が愛しくてたまらないし、内心ちょっとほっとする。おれも人目が怖いし、大勢の中で過ごすのは苦手だから。 びっくりしたよな、怖かったよなと台形のあたまをなでたらとうもろこしみたいなにおいがした。焼きたてのパンみたいなこともあるし、芝生みたいなこともある。においをかぐと落ち着く。おれも台形もおたがいにそうだ。マスクをちょっとずらして強く吸い込んだ。夜に散歩しているだけなんだからマスクなんてしなくてもいいのかもしれないが、顔を隠している方がリラックスできた。台形が臆病なのはおれの飼い方や生活リズムのせいかもしれないと思うことは思うが、べつに怖がりだっていいじゃんかとおれはおれに反論する。 台形をあやしながらムムくんに「前髪短いの似合うよ」と送った。もしかして明日おれと会うから髪を切りに行ってくれたのかな。さすがにうぬぼれかな。「そういう髪型好きだよ」とも送った。虫が鳴いている。りんりんりんりん、短い叫びを繰り返し、鈴の楽器を振っているみたいだ。 きみのことが好きですと言いたかった。言いたいのだと自覚したらへんにドキドキして、なんでも話してしまいたくなった。さっき川で何かぱしゃぱしゃ音がしたんだ。一瞬、誰か溺れているのかと思った。でもすごく静かなぱしゃぱしゃで、まるで誰か泳いでいるみたいな音だったんだ。せっせと文章を打ち込んでみたがしっくりこなかった。だって音の正体はわからない。それがどうしたって話にしかならない。送るかどうか迷って結局消した。代わりに「夜だけどからすがすごい鳴いてる」とますますどうでもいい話を送ってしまい、送った瞬間後悔した。どうでもいい話以上に、今からすはもう静かになっていて、辺りを騒がせているのは虫だから。べつにうそをついてしまったわけではないけど正確ではないことを言ってしまった。既読になったかどうか見たくもないがこういうときに限って秒だ。すぐにムムくんから「からすって夜も鳴く気がする……」と返ってきて、ほんとに恥ずかしくなった。 さるすべりの枝が街灯に照らされて、ピンクのフリルみたいな花びらが明かりに透けていた。濃いピンク。夏っぽいなと思ったけどもう九月だ。おれは花を見上げ、花を見上げるおれを台形が見上げていた。丸い目玉がつやつやしている。抱っこ用のバッグに入れてやるととすっかりすました顔だ。台形の体とおれの胸がぴったりくっついて、こいつのために今日もがんばろうと思う。やけに殊勝なことを考える。だからおれにとっては夜が朝だった。 やがてムムくんから「あっちがうかも、からすは明け方かも」とLINEが届き、「今度おれも台形の散歩行きたい!」「仕事がんばってね」と来たのでちょっとほっとした。台形の写真を送った。散歩中の写真。おととい撮った写真だから今日の台形ではない。でも今送ったら、今撮ったみたいに見えるのかな。何も言わなければわかんないのかな。 ムムくんからは「カワイイ」というスタンプが二つ飛んできた。きっと大事なことは二回言う。あるいは単に指先のしくじりでダブってしまった。おれにはそれがどっちなのか判別できない。想像することしかできない。じゃあ、言ったことだけ聞いてほしい、言ってないことは聞こえてないはずだというのは、けっこう難しいのかもしれない。やっぱりおれはとんちんかんだ。うまいことが言えない。でも言いたいことはある気がする。意見を述べたいというよりは、おれに声を出させてほしい。長い話をしてみたい。すごくしたいってほどではないけど、しゃべりたい。誰にも聞いてもらえないから勝手にしゃべる。吠える。おれは遠吠えをする。
「イサド住み」
価格・ページ数未定。2022年11月20日文学フリマ東京新刊予定。
文学フリマwebカタログ

冒頭8000字くらいを載せてみました。だいたいこういう感じの語りで、トランス男性が主人公のボーイズラブです。軽貨物ドライバーをやっている主人公と、アプリで出会った年下の男の子・ムムくん。そしてムムくんがベタ惚れしている既婚男性・優人さん。三角関係のお話です。
イサドというのは宮沢賢治の「やまなし」に出てくる言葉で、「もうねろねろ。遅いぞ、あしたイサドへ連れて行かんぞ。」のイサドです。この蟹のお父さんの言うイサドが何なのか、読者のわたしたちにはわかんないですが、この蟹たちにはわかっている……というような話を書いているつもり。
そうなの、なんとまだ書いているんですが…というかごちゃごちゃいじっているのですが、精一杯やっておりますのでどうか見守っていてください〜。文フリ東京のあとは、BASEでの通販、渋谷○○書店での販売を予定しています。イベント参加は1月の文学フリマ京都、4月のJ.Gardenを予定しています。よろしくお願いします…!
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4月の日焼け止め

最近、新作の日焼け止めが沢山出ていてうきうきしちゃいますね。私は毎年この時期になると日焼け止めを物色し、お気に入りを買い込んでそれを1年間使っています。春夏はどこの店に行っても日焼け止めのオンパレードですが、秋冬は隅に追いやられて種類も少なくなってしまう…🥺365日日焼け止めを塗りたくるとなると、やはりこの時期に買い込むのがベスト、というワケです!
昨年は「メイクアップ効果」と「みずみずしい使用感」を重視して、「スキンアクア トーンアップUVエッセンス ハピネスオーラ ローズ」というものを使用しておりました。淡いピンク色でサラッとした乳液の様なカンジ。トーンアップもバッチリでした👌
さて、今年は趣向を変えて以下の2点を重視して選びたいと思います。
美白などの美容液効果
化粧下地と相性がいいもの
今まで使っていたスキンアクア、とても良かったのですが、化粧下地を変えたら相性が悪すぎて、ダマになるわモロモロが出るわで困っていました。そこで今年は化粧下地との相性も加味していこうと思います。
使用している化粧下地はこちら。ディオールスノーのブルーです。

そして買った日焼け止めがこの2つ。今年は気になる日焼け止めが8つあったのですが、イッキに買うには数が多いので月に2つ3つ買うスタイルでいきます!
a、ORBIS リンクルホワイトUVプロテクター

謳い文句は「最高峰の紫外線カット力ながら、シワ改善&美白まで叶える。ハイスペックな薬用日焼け止め」。マスク擦れも軽減してくれるそう。2021年のベスコスでも1位みたいですね。
使用感で1番感動したのは、テクスチャー!すごくいいです!ふわふわのクリーム!チューブから出してすぐはちょっと固めかな?と思いましたが、顔に広げるとムースみたいな感じでふわっととろけます。程よくしっとり感があります。ベタつく程ではありません。
化粧下地ともしっかり馴染んで、もろもろも出ず、ムラにもならず、ちょっと艶っぽくなるのがいいです✌️毛穴落ちもありませんでした。ひとつマイナス点を挙げるなら、塗ってすぐの匂いが気になります。化粧品っぽい匂いというか、ミネラルを感じる…白ワインのミネラルの香りを無機物にしたような感じ。馴染むと匂わなくなるので大した問題ではないですね!まだ1つめですが、今年はもうこれでいいかな〜って気分です👯♀️
b、POLA ホワイトショットスキンプロテクターDX

日焼け止めに含まれる「イオン応答粉体」と汗に含まれるイオンが反応して、強いシールド膜を作っているらしいです。さらに「形状記憶ポリマー」配合で、表情の動きによるシールド膜の亀裂を防ぎ、隙間やけを許さない。紫外線の他に、近赤外線、大気汚染物質、ブルーライトまでカット。極め付けには、肌の糖化、透明感、肌荒れ等に有効な美容成分を配合しています。私が数えた限りでは、少なくとも9種類の美容成分が書き連ねてありました。
とりあえず、ガチ感がすごい。ベスコス147冠も伊達じゃないですね。使用感はORBISと似ています。きもちPOLAの方が柔らかくて水分が多いかな〜といった印象です。伸びもいいですが、ORBISの伸びが良すぎて、POLAはもうちょい量足して塗っとくか、って感じです。カンタンに言っちまうならば、ORBISは雲、POLAは湖。
気になる化粧下地との相性も良し!もろもろは出ず、ムラになることもありません。ORBISの方が艶感が出ますが、ORBISよりも密着感を感じました。匂いがないのもかなり高ポイント!ほぼ無臭。ひとつ残念なのは、ベースメイクがちょっと崩れやすくなってしまうところ。皮脂防止系のサラッとした下地の方が、より良さそうです✌️
というワケで、4月はORBISとPOLAでした!5月は何を買い足そうか、もう今からワクワク🎶今年は大豊作の予感!という気持ちと、初回のこの2つが最強すぎてもう本当に今年はこれがベスト!な気持ちが葛藤中です💘
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長時間着用でもベコベコ凹まない! “SUUM:息”マスクシリーズ。 “KF94SUUM:息”と“NANOSUUM:息” @enjoy_kankoku_ipdashop @kogreen_nanosuum 着用感も機能性も抜群です✌ KF94マスクって立体構造になっているから、マスク内に空洞ができる事によって息がしやすくリップをつけても安心だったりするけど。 長時間の着用となると繊維が弱ってくるのか、息を吸うとベコベコと凹んできてしまうことが多々あったりして…それが、ちょっとしたストレスになったりもしてたんだけど。 これは長時間着用でも、全然凹んでくることがなかった~ けっこうな長い時間着用しすっごく喋りまくってたりもしたんだけど、ベコベコすることもなくノンストレスで過ごすことが出来ました👍 なんでも支え層となる形状記憶不織布を入れてあることで、長時間着用でも立体形状をキープしベコベコと凹みにくくなっている作りになっているとのこと。 三つ折り立体型マスクはどれも同じだと思ってたけど、支え層が入っているか入ってないかって選ぶ時にかなり重要なポイントになるんだなと思いました。 また、特許技術のナノファイバーフィルターを採用しているとのことで。 水濡れでもマスクの性能が変わらず、繊維の多孔性で呼吸がしやすいのも特徴なんだそうです。 水濡れでも機能変わらずってことは、汗をかいても不安に思うことなく着けていられるってことになるので。 一年を通して、暑さが厳しくなる季節でも安心して着けることができますね。 しっかりと固定した着用感でありながら、息がしやすく喋りやすい。 通気性が良く長時間着用でもベコベコ凹まず口に付きにくいし、優しくふんわりした繊維で肌触りも快適👍 NANOSUUMの方は、洗って約7日間使えるってところも👍 日々の生活で、プライベートではもちろんですが。 特に接客業の方など、マスク着用で喋る職業の方におすすめです。 #mask #KF94mask #韓国マスク #KF94マスク #ナノファイバーマスク #立体マスク #高性能マスク #マスク #ウイルス対策 #花粉症対策 #花粉症 #寒暖差アレルギー #韓流マスク #KF94SUUM #KF94SUUM息 #NANOSUUM #NANOSUUM息 #asagakeで体験 @asagakecom #instagood #instalife #instajapan https://www.instagram.com/p/CarW5J1loWQ/?utm_medium=tumblr
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