#忘れないパレスチナの子どもたちを
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honnakagawa · 7 months ago
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11月17日(日)open 13-18
1時間遅れの開店時間、すみませんでした。 今日は松本シネマセレクトで上映されたドキュメンタリー「忘れない、パレスチナの子どもたちを」を観てきました。 11日間の空爆によって命を奪われた67人の子どもたち、その家族や親族がその子が何が好きでどんな子であったかをカメラの前で語ります。 ひとりひとりの子どもたちの笑顔、馬やロバや猫や鳩たち、日用品やお気に入りのおもちゃや洋服や宝物。 私たちと何もかわらない命や生活が、壊され奪われている現実。 人々の美しい瞳の奥にある悲しみが痛いほど伝わってきて、本当に辛かった。 爆撃シーンのたびに、もうやめて!って心の中で叫んでいました。 「安らかに眠ってほしい」と、涙を流し顔を歪めながら、子どもを殺された父親がカメラに向かって語っていました。 誰も怒ったり声を荒げたりせず、ただただ深い悲しみに包まれていました。 いつもラジオで聴いている美雨さんの優しい声にも、悲しみが滲んでいた。 空爆で命を奪われて、安らかになど、眠れるだろうか… 怒りと哀しみで気持ちのやり場がわからなくなりますが、購入してきたパンフレットの「子供たちの未来に我々が出来ること、それは怒りではないと信じたい。」と映画監督の工藤将亮さんの言葉に目が留まり、深呼吸しました。 映画を観ている間ずっとずっと、私のまわ���のたくさんの小さな友だちの顔が浮かんでいました。
オープンして早々に『中学生から知りたいパレスチナのこと』をレジに持ってきてくださった方がいて、私はこの店で出来ることをひとつひとつ大事にやっていこうと、改めて。 今ギャラリーに並んでいるのが、海太くんの作品で心強い。
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kennak · 1 month ago
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(CNN) 最後の電話は30秒ほどだった。挨拶(あいさつ)に続いて安否を気遣う言葉をかけるのがやっとだった。しかしパレスチナ自治区ガザで暮らす少数派のキリスト教徒にとって、ローマ教皇フランシスコからの電話は、戦争の恐怖の中で輝き続ける一筋の光だった。 1年半前に戦争が始まって以来、教皇は毎日午後8時ごろ、ガザ地区唯一のカトリック教会、ホーリーファミリー教会に電話をかけた。ガブリエル・ロマネリ神父がCNNに語ったところでは、大抵は15分ほどの電話で、教皇は同教会の指導者や教会に身を寄せているパレスチナ人と話をしていた。 パレスチナ人にとって、ガザが忘れ去られていないことをいつも思い起こさせてくれる電話だった。 「彼は父のような存在で、私たちのすぐ近くにいてくれる」「戦争の間、この恐ろしい戦争の間ずっと、1年半以上も私たちに電話をかけ続け、平和を願ってガザの人々全員を祝福してくれた」とロマネリ神父は振り返る。 フランシスコ教皇は最初から、この戦争の終結を繰り返し訴え、イスラエルによるガザ包囲を公然と批判した。亡くなる前日のイースター(復活祭)のメッセージでは「平和の光が聖なる地と世界中を照らしますように」と祈った。 教皇のメッセージは続く。「私はガザの人々、特にキリスト教徒のことを思っています。そこでは恐ろしい衝突が続いて死と破壊を引き起こし、悲惨な人道状況をもたらしています」「戦争の当事者に訴えます。停戦を呼びかけ、人質を解放し、平和な未来を希求する飢えた人々を助けてください!」 ホーリーファミリー教会は、ガザで少数派のキリスト教徒の避難所になり、中庭は仮設テントで埋まっている。同教会やガザ保健省によると、キリスト教徒はこれまでに約20人がイスラエルの攻撃によって死亡した。教会にはイスラム教徒の親子も身を寄せているという。 「教皇は普通の人ではなかった」と信者のムサ・アントーンさんは回想する。「彼はキリスト教とイスラム教の両方を探求する信仰の人だった」 教皇の死を悼むガザのキリスト教徒/Omar Al-Qattaa/AFP/Getty Images via CNN Newsource 教皇の死を悼むガザのキリスト教徒/Omar Al-Qattaa/AFP/Getty Images via CNN Newsource フランシスコ教皇は長年にわたってガザのキリスト教徒に力を与えてくれたとアントーンさんは言う。「ガザのみんなのことを心配し、キリスト教徒がガザを離れないよう、安心と力を与えてくれた」。かつて数千人いたキリスト教徒は次々にガザを離れ、数は縮小した。それでも教皇に支えられて存続してきたという。 「彼の肉体は失われても、心が失われることはない」とアントーンさんは力を込める。 フランシスコ教皇は2014年5月にパレスチナ自治区ヨルダン川西岸を訪れた。ガザ訪問はかなわなかったが、「子どもたちを心配する父親のように」(ホーリーファミリー教会)ガザを気遣ってくれたという。 「彼はいつも私たちの恐怖をやわらげようとしてくれた。怖がらなくていい、自分が付いている、私たちのために祈っている、そして私たちも皆のために祈りなさいと」。ジョージー・アントーン神父はCNNにそう語った。 世界のカトリック人口はおよそ14億人。ガザに残るキリスト教徒は1400人以下で、カトリック信者はさらに少ない。イスラム教徒が圧倒的多数を占めるパレスチナ社会ではほとんど見えないほどの少数派だ。フランシスコ教皇が、世界の信者の0.0001%に満たないガザの信者を見過ごすことも、電話の回数を減らすこともできていたはずだった。 しかし教皇はそうしなかった。 重体となって入院している時でさえ、フランシスコ教皇からの電話は続いた。最後の電話は19日だった。いつもの時刻にかかってきた電話は1分も続かなかった。ロマネリ神父は言う。 「あれほど具合が悪かったのに、どうしてもいつも通り私たちに電話すると言い張った」
死の直前まで毎晩の電話、フランシスコ教皇がガザの教会に残した希望の光 - CNN.co.jp
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ari0921 · 10 months ago
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桜林美佐の「美佐日記」(269)
注意が必要!テレビを点けた瞬間から情報戦に突入
している
桜林美佐(防衛問題研究家)
────────────────
先日、NHKニュースで、50年前の昭和49年8月30日
に起きた三菱重工ビル爆破事件について特集してい
ました。
この事件を起こした過激派のうち2人はその後、釈放
され現在も国際手配中です。なぜ釈放されたのか?
日本赤軍によって実行されたハイジャック事件など
の際に次々に超法規的措置で釈放されたのです。
この人たちは日本赤軍を結成する前の1971年に
は重信房子を筆頭にレバノンのベイルートに赴き彼
らと同じくマルクス・レーニン主義を標榜するPF
LP(パレスチナ解放人民戦線)へ共同武装闘争を
申し入れ、共に活動を開始。そして、1972年5月
にイスラエルのテルアビブ・ロッド国際空港で、奥
平剛士、安田安之、岡本公三の3人が、自動小銃と��
榴弾でそこに居合わせた26人を死亡させ、76人に
重軽傷を負わせるという凶悪テロ事件を起こしまし
た。奥平は射殺され、京大生だった安田安之は手榴
弾で自爆、鹿児島大生だった岡本公三はその場で拘
束されています。
しかし、日本赤軍はその後も1973年7月の「ドバ
イ事件」(日航ジャンボ機乗っ取り事件)、197
4年1月の「シンガポール製油所襲撃事件」、同年9
月の「ハーグ・フランス大使館占拠事件」、197
5年8月の「クアラルンプール米大使館領事部、ス
ウェーデン大使館占拠事件」、1977年9月の
「ダッカ日航機乗っ取り事件」と、一般人を巻き込
んだ事件を立て続けに起こします。
そしてその都度、収監されている組織員の解放を求
め、クアラルンプール事件で5人、ダッカ事件で6人
が日本の獄中から超法規的措置で釈放されたのです。
イスラエルで多くの民間人を死傷させた実行犯の中
でただ一人生き残った岡本公三も1985年のイス
ラエルとPFLPによる捕虜交換で釈放されています。
今年1月には一連の企業爆破事件に関わったとされる
「東アジア反日武装戦線」のメンバーとして指名手
配されていた桐島聡容疑者が「最期は本名で迎えた
い」と名乗り出た直後に病死するという出来事があ
りました。
この番組は、極左暴力集団による民間人殺害という
日本人が忘れてならない歴史を取り上げたのはとて
も良かったですが、ご遺族の「50年前に受けた心の
傷が今も癒えていない」という思いを紹介した後の
締め括りが「暴力で社会に影響を及ぼそうとする事
件が起きる現代に危機感を持っている」というもの
で、そんな結論なのか!とテレビの前でずっこけた
方も多かったのではないかと想像します。
NHKが被害者側の心情を取り上げただけでも是とすべ
きなのかもしれませんが、極左の人たちの暴力や無
差別殺人、それを「超法規的措置」で解放したわが
国の過去をしっかり省みるべきではなかったかと感
じます。
自衛隊が、国防のためにやむにやまれず「超法規的
措置」もあり得ると口にすればたちまち大問題とな
り、1978年には栗栖統幕議長が解任されました
が、やむを得なかったとはいえ結果的に犯罪者なら
OKにしてしまった日本の基準は果たして世界から見
てどうなのか。
そういえば、「ベトナムに平和を!市民連合」(べ
���連)とか、最近はこれらの名称を知らない方も増
えているようです。反戦デモや新宿のフォークゲリ
ラのみならず、脱走兵の幇助や米軍基地付近での妨
害活動などをしていた人々です。
マスコミ業界には元べ平連を自慢する人が実に多か
ったため「どうして日本のメディアは偏向報道なの
ですか」という疑問には容易に答えられる構図でし
た。
その上司に聞きたくもない昔話を聞かされた私たち
世代は、嫌気がさして反作用を起こすかあるいはそ
の思想を受け継ぐかどちらかになっていると考えら
れます。
そう考えると、現在言われている情報戦というのは、
これまでの報道とどう違っていて、どのような思惑
があるのか、そこも分析する必要があるように思い
ます。とにかく、テレビを点けた瞬間から情報戦に
突入していると思った方がいいでしょう。
「反戦」や「貧困撲滅」の看板を掲げ罪のない人た
ちの命を奪った過去を淡い思い出のように取り上げ
るものも散見され、言語道断です。注意が必要で
す!
 今日も最後まで読んで頂きありがとうございまし
た。皆様にとって素晴らしい1週間となりますよう
に!
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oka-akina · 2 years ago
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1207-1211
1207 たくさん洗濯をした。朝から暖かかい日だった。キムチ鍋の残りにごはんと卵と餅を入れておじやっぽいものを食べた。この餅は母が仕事のお客さんからもらったもので(毎年餅つきするらしい)、食べきれないからと毎年わたしのところにもやってくる。わたしも食べきれなくて冷凍していたやつ。いや母はとっくに退職している。これはいつの餅だろう。いつのかわかんないけどふつうに食べられた。スープジャーにこれを入れてお昼にし、入りきらないぶんを朝食べた。
角川ふざけんなとバチぎれた日記を書いた。バチぎれた日記を書くとソワソワしてしまう。わたしはいろんなことをのろのろのろのろ考えているタイプで結論を遅らせがちなんだけど(意図して遅延させている面もある)、この件の差別的な宣伝文に関しては言える人がすぐ言わないとだめだと思った。「伝染する」はひどい。今後いろんな価値観や常識は変わっていく可能性があるけど、いま、この瞬間、「伝染する」にショックを受ける(受けた)人たちがいることを無視しちゃだめだと思った。どのような本も出版を妨げられるべきではないというのはそれはそうなんだろうけど、と同時にNOは言わなきゃと思った。このあいだの日記でも書いたけどわたしにはひどいミサンドリーがあり、自分のあたまで考えたつもりのことはまちがいだらけなんじゃないかと不安でたまらないし、実際しくじりも後悔も多い。でもそれはそれとして「伝染する」はありえねーわ。そう思ったいまのこの気持ちを大事にしたいと思った。
なんかいろいろ終わらなくて観に行きたかった映画を観に行けなかった。しょんぼりしながら帰って寝た。
1208 今日も暖かい。寒さに慣れてきたのもあるかもしれない。デニムのセットアップで出かける。セットアップって好き。太ってからメンズのセットアップをよく着るようになった。 甥の誕生日プレゼントを買う。妹にリクエストをきいたら絵本がいいとのこと。「からすのパンやさん」と「スイミー」が気に入っているからそれ以外のかこさとしかレオ・レオニとの指定。五歳になる。絵本の読み聞かせは書いてある文字をぜんぶ読んであげないと怒るそうで、奥付も音読しているらしい。偕成社、東京都新宿区市ヶ谷砂土原町…とかそういうの。わたしも親向けの解説とかぜんぶ読んでたな。
ブックファーストに行ったら絵本はほぼシュリンクされていて、中身が見られなくてちょっと困った。汚損防止だろうけど表紙しかわかんないんじゃネットで買うより不便だ…。 「どろぼうがっこう」、「だるまちゃんとてんぐちゃん」、「おんがくねずみジェラルディン」、「さんびきのやぎのがらがらどん」をチョイス。中身がわからないから自分の好きなものになる。ジェラルディンはえものおすすめ。だるまちゃんとてんぐちゃんだけシュリンクされてなかったのでぱらっと読んだ。こんないい話だったっけ…ちょっと泣きそうになった。
だるまちゃんがてんぐちゃんの持ち物をつぎつぎほしがり、お父さんに相談して近しいものを手に入れていく。天狗の下駄とか帽子とか。似ているものを探し、自分用を作り出していくさまがかわいくて面白い。あるときてんぐちゃんの鼻にちょうちょがとまって、だるまちゃんも長い鼻をほしがる。最初お父さんは蝶がとまるなら花だと思って色とりどりのお花を並べてみせるんだけど、ちがうそうじゃないんだ、花じゃなくて鼻なんだ、自分は長い鼻がほしいのだとだるまちゃんは訴える。お父さんはお餅をついて鼻を作ってあげて、だるまちゃん���立派な鼻を手に入れる。鼻の先に小鳥がとまって、てんぐちゃんも一緒によろこんで、めでたしめでたし。 めっちゃいい話だな。こういうのって、他人の所有物や身体の特徴をうらやましがるのはやめましょう、自分のあるがままを愛しましょう的なメッセージにしちゃいがちだけど、ほしいものをなんとかこしらえ手に入れるっていうのがいい。めちゃめちゃいい。飛躍しすぎかもだけどこれFTMの話だなって思った。
お昼はピザ。ドミノピザがブラックフライデーで600円というのをやっていて、ブラックフライデーってもう終わってないか?と思ったんだけど(一応ネットでも調べた、12/3までのキャンペーンと書いてあった)、店の窓には600円ですと書いてあるのでこれまだやってるんですかとたずねたらやっていた。一人で昼間からピザ食べるの浮かれてて面白いな。食べたらとても眠くなりやるべきいろいろが捗らなかった。夕方、通販とか書店さんへの荷物を送った。 夜ごはんはかぶと豚の炊き込みご飯。インターネットで見かけたレシピ。あとじゃがいもの煮物と、ほうれん草を炒めたやつ。ほうれん草はナムルかごまあえにしようかと思っていたけどめんどくさくなって���胡椒で炒めた。炒めただけなのにやけにおいしくて、なんだか感心してしまった。それで(っていうのも意味わかんないと思うけど)久しぶりにヘミングウェイの『老人と海』を読み返した。
1209 甥の誕生日会。妹と妹の夫の勤めている会社の保養所みたいなところですき焼きを食べた。旅館みたいな畳の個室。甥が卵を割ってかきまぜてくれた。駅から保養所への道で父が転んで血だらけになり、店の人にばんそうこうをもらった。何やってんのと母は呆れ、父はばつの悪そうにしていた。これ以上言ったら機嫌が悪くなるからさっさと手当てして話題を変えようという連携プレーがあった。うちの父はいつも威張っていて口が悪く、その一方で信じられないくらいうっかり者で、離れて暮らしていると困った奴だなーとやや笑えるけど毎日一緒にいると扱いづらくて大変だろうなと思う。ただ母も言動に軽はずみなところがありわたしはしばしばぎょっとするので、まあちょうどいいんだろうなと思う。ちょっと飲みすぎた。瓶ビールを何本か飲んだあと、妹と父とわたしで日本酒の四号瓶をあけた。甥がどんぐりをたくさん拾った。一個ちょうだいと言ったら二個くれた。すべすべした立派などんぐりだった。すごく眠かったけど帰り道だったので新宿アルタ前のスタンディングにちょこっとだけ参加。STANDING DEMO QUEERS FOR PALESTINEっていうやつ。人多かった。帰ってから少し寝て、起きて小説を書いた。夜になっておなかがすいたのでコムタンを食べた。
1210 原稿を提出。ちょっとすっきりした気持ち。日記祭に行く。望月柚花さんと待ち合わせ。新しい下北沢にいまだ慣れないという話。ずっと慣れない気がする。バインミーを食べた。レバーペーストがこってりしていてパンがしっかり固くて、これだよ〜!というバインミーだった。 日記祭、わたしの探し方が悪いのかもなんだけど委託?の本がどこにあるのかよくわからなくていくつか見つけられなかった。売り切れもあった。うろうろ歩きまわって見つけらんない感じにきのうの父を思い出した。似てんのかな。口ばかり達者でうっかり者。でもいい天気であたたかくて、見つからないのもしょうがないなという気持ちになった。外でやるイベントいいな。隙間さんの『うつわ日記』と図Yカニナさんの『沖縄に六日間』を買った。 柚花さんと文章の話とか着物の話とかしながらビールを飲んだ。ミントマイナスマイナスのことを覚えていてくださってうれしかった。そしてしゃべっている途中、ネプリにしているステッカーのPalestinaのつづりがまちがってませんかと糸川さんがDMで教えてくださって���自分はほんとにうっかり者だな…と反省した。父はわたしの名前の漢字をしょっちゅうまちがえるのを思い出す。
ドーナツを買って柚花さんとバイバイし、国会前のデモへ。この日は黒のオールインワン(ツナギ)を着ていて、最近イベントとかスタンディングに行くときよく着てる。どこでも座れるしポケットいっぱいあって便利。日記祭行ってビール飲んでドーナツ持ってデモ行くのどうなんだと思いつつ、そのくらいで参加するおっちょこちょいがいてもいいような気もする。あとやっぱりこういうのにぶらっと行けるのは関東民の特権なんだろうなとは思うので、行けるやつは行っとくほうがいいかなと思っている。そこそこ元気で、子育てや介護やぜったい抜けられない仕事とかもないし。 国会前のデモは年齢層が高くてちょっとびっくりした。ナクバを生き延びたパレスチナ人のお孫さんという方がスピーチしていて、胸が詰まった。警察がすごく多かった。地下鉄の出口を出たところで「イベントに参加の人ですか?」と道案内されかけ、イベントではなくないか…?と思った。
日比谷公園でドーナツを食べ、さっき買った日記を読む。隙間さんの日記、写真(LINEの画面のスクショ)がたくさん袋に入っているもので、公園でこの束をカサカサめくる時間がすごくいいなと思った。内緒話みたいな感じ。futouさんのツイッターから流れてきてなんとなく日記を眺めたことが何度かあって、すっかり忘れていたんだけどちょっと前にツイッターをフォローしてくださってああそういえばと思い出した。日記祭でお話してみたかったんだけどfutouさんから来ましたとか意味わかんないことしか言えなかった。このあいだ角川にバチギレた日記を書いたとき、「毎日書いてる日記だけど、怒っていることについて書くと日記ではなくなるな…。でもこの日これを考えていたという記録だからまあいいかという日記。」というツイートにいいねしてくれてうれしかったの。でもわざわざ言うことでもないなと思った。『沖縄に六日間』は旅日記的なものが読みたくて買った。装丁がすごくいい。国会前の時点でスマホの充電はだいぶ少なかった。電源のあるカフェとかに行けばよかったんだけど天気がよくて思わず公園でぼーっとしてしまった。『ピュウ』を読みすすめた。 体力的にきついかなーと思ったんだけど渋谷ハチ公前のプロテストレイヴをちょっと見に行った。すごくよかった。スピーチがパワフルなのもよかったけど、音楽がすごくよくて…。赤と緑のスモークもよかった。渋谷駅前、スリバチの底に煙と音と声が溜まり、うねっていた。通りすがりに足を止める人も多かったように見えた。これ何やってるんですかと聞かれたのでちょっと説明。ステッカーをあげた。つづりまちがってないほうのやつ。帰って肉を焼いて食べた。
1211 何も捗らない一日だった。きのうおとといと活動的に過ごして疲れて��るんだと思う。そりゃそうだよなと思う。労働の電話がかかってきたのを無視した。「こわいよお」とか言って布団にもぐった、部屋に一人でいるのにかわいこぶって。メールは返した。春菊とキムチでチヂミを作って夕飯にした。食べながら蘭たんの動画を見た。8番出口のやつ。夜になっても洗濯物はあんまり乾かなかった。今度参加するアンソロの小説を書き進めた。
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reportsofawartime · 11 months ago
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間違いなく、イランとの戦争に突入しつつあります。 ロシアはイランへの攻撃を黙って見てはいないでしょう。それを阻止するために世界大戦に突入するでしょう。 ダグラス・マグレガー大佐は、こんな厳しい警告を発しました。 「ネタニヤフ首相は今週、ワシントンD.C.を訪問する予定です。彼はおそらく、より広範な中東戦争に向けた戦略をプライベートで詳しく説明するでしょう。 彼の計画は、全てのアメリカ市民に真剣に受け止められるべきです。現在、ガザの戦争はすでに何百万もの人々の生活を破壊または混乱させています。正確な数字を確認するのは困難ですが、数十万人のパレスチナ人と、増加するイスラエル人が国内で避難し、負傷し、または死亡しています。これらは単なる数字ではなく、壊滅的な家族や破壊された人生そのものです。 それなのに、ワシントンにはイランとの戦争を考えている政策決定者がいます。ガザという局地的な紛争の人的コストがこれほど高いのであれば、イランとの戦争のコストはどれほど高くなるのでしょうか? アフガニスタン、イラク、シリア、リビア、ソマリア、そしてウクライナ。その代償は、数十兆ドルと数万人のアメリカ人の命。 その代償を払うのは誰か? これらの戦争で利益を得る政策決定者や防衛関連業者ではなく、農民の子供達。 戦い、苦しみ、死ぬのは、農民、トラック運転手、看護師、配管工の子供達なのです。 私達は、アメリカの他国の内政への干渉を阻止しようと決意している新しい同盟の出現に直面しています。これらの新しい同盟には、イラン、ロシア、中国、そしてワシントンの無謀な介入を阻止しようと待機している多くの国が含まれています。ロシアのラブロフ外相が最近、イランとの衝突は世界の他の大国を巻き込む危険性があると警告したことは、真剣に受け止めなければなりません。 はっきりさせておきたいのは、いかなる国家も、特にわが国のような自由民主共和国は、それを貫徹する十分な準備がない限り、戦争を予告すべきでは(脅しとして用いるべきでは)ないということです。私達の歴史のこの時点で、ワシントンは、私達の国家と軍隊が、アメリカから6,000~7,000マイル離れた主要な軍事大国との戦争に備える準備ができていないことを理解している、あるいは知るべきです。 私達は35兆ドル近い借金を抱えています。 これは国内総生産の���ぼ100%に相当します。 私達は毎日24億ドルの利息を支払っています。 ワシントンの全員は、ずっと前に理解しておくべきことでした。 イランとの戦争は私達の経済に壊滅的な打撃を与えます。イランとアラブ諸国を結ぶ狭い海の通り道であるホルムズ海峡が閉鎖されたとしましょう。 毎日、世界の石油の3分の1がこの通路を通っています。戦争によってこの海峡が封鎖されれば、ガソリン価格は高騰し、毎日の通勤から食料品の値段まで、あらゆるものに影響を及ぼすでしょう。私達はすでに紅海の混乱による打撃を感じています。この問題を何倍にもして考えてみてください。イランとの本格的な戦争は単なる不都合ではなく、経済危機の引き金となり、アメリカの全ての家庭に大打撃を与え、雇用の喪失、財産の消失、深刻な不況につながる可能性があります。 そして忘れてはならないのは、あらゆる紛争の始まりにおいて、戦争を擁護する人々は常に、戦争は短期間で決定的なものになると確信しているということです。歴史が示すように、彼らは必ずと言っていいほど間違っています。アフガニスタンでも、イラクでも、ウクライナでも。戦略は失敗するのに、私達は再評価する代わりに失敗を倍増させるのです。同じシンクタンク、評論家、請負業者が、さらなる紛争、さらなる支出、他者からの犠牲を推し進めるのです。これは単なる戦略の失敗ではなく、責任の失敗でもあります。 ここで皆さんの出番です。あなたの議員に電話をかけ、不快感を表明し、自国の現実を思い知らせてください。 アメリカ人の70%は、いまだに給料日前の生活をしており、食料品や燃料の高騰に苦しんでいます。 政治家の皆さんへ: イランやその他の国に対する軍事行動への支持を表明する前に、有権者の福祉を考えてください。2つの仕事を掛け持ちしているシングルマザー、PTSDと闘う退役軍人、家を買う余裕がないために家庭を持つことを先延ばしにしている若いカップルなどです。あなたは、彼らの苦しみが別の戦争に値すると言うつもりですか? 達成不可能な軍事目標を掲げて無制限に軍事介入するという自滅的な政策は終わらせるべきです。アメリカ人は、責任のない意思決定の連鎖を断ち切り、アメリカの真の強さは、戦争を遂行する能力ではなく、平和を構築する能力にあることを認識しなければなりません。 アメリカ人皆さん、 あなたの国は今、外国で戦うのではなく、繁栄と平和のために、説明責任を果たすために、そしてあなたのニーズを最優先する政府のために、自国で戦うことを必要としています。 議員に電話をかけ、地域社会で声を上げ、平和と繁栄に対するアメリカのニーズが最優先されなければならないと信じるアメリカ人の声を、権力の中枢に響かせてください。 そして、誰もが平和で豊かな未来を手にすることができるよう、神がアメリカに知恵と勇気を授けてくださいますように。」
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gupaooooon · 1 year ago
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シオニズムとアジアンヘイトをはじめとした差別主義と戦争賛美のお祭りだったアカデミーだが。
(ただでさえ、もともと、アカデミーには失望しきっているし、数年前からは見ないようにしている、盛り上がりにはできるだけ触れたくない)
(日本においては、女性差別を延々と続けるセクシスト/さまざまな性暴力問題で繰り返し加害者擁護/二次加害を続け、ネットリンチ常習である醜悪な映画ライターの町山智浩が、ずっとアカデミー解説を任されている。)
ジブリ、宮崎駿の、21年前とは異なる“沈黙”。“忖度”。
かつての、「千と千尋の神隠し」ノミネート/受賞のときに発した、アメリカへの抗議/戦争への抗議コメントは何だったのか。
イスラエルによる虐殺、ガザ/パレスチナで殺され続ける人々について、アメリカ政府(もちろん醜悪な日本政府も)が積極的に虐殺を後押ししている今このときに。何の、何のコメントもないのか。
もともと、ジブリは、女性差別主義者/アンチフェミニズムで稼いでいるライター(白饅頭と呼ばれている差別主義者)を起用し、ジブリ発行の冊子「熱風」で連載させ続けるような組織なので。もう特に、期待するものはなかったが。
改めて、“反戦”すら、“虐殺への抗議”すら、ろくに言わなくなったのかと。ただただ、失望しかない。
体制翼賛、裏金汚職塗れの差別主義政権の靴を舐めるばかりの大手メディア/大多数のTV報道が、延々と、大谷翔平やアカデミー受賞関連で、浅はかな醜悪なナショナリズムに酔いきってるありさま。
虐殺への抗議をする著名人はほとんどいない中で、中立なるものを装った醜悪なイスラエル寄りな報道が、日本のTVで目立つありさま。日本政府の虐殺加担/外務省のイスラエル熱烈支持にはろくに触れないありさま。
そして、ここにきて、日本国内の差別主義と戦前回帰がより一層悪化するなかで、21年前とは異なる、この、沈黙。
薄っぺらい。失望しかない。
Twitterに既に吐き出したことだが、Tumblrにも残す。
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関連話題として、昨年の……berbenheimerの悪質なミームにさまざまな作品や著名人の公式アカウントまでもが乗っかった事実、かつての原爆賛美と戦争賛美のプロパガンダを焼き直すかのような光景。
その悪質なミームを批判する体裁でいながら、一部の、日本のナショナリズムと排外主義を盛り上げる日本の右翼/ネトウヨ/差別主義者の醜悪な動きについても、忘れたくないし、引用しておきたい。
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picnicism · 2 years ago
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かなり仕事をしている総理  パー券売上の収支報告書への不記載問題で揺れに揺れる自由民主党。  大揉めの展開の中、まもなく臨時国会も閉幕しようとしております。大変な状況ですね。  岸田文雄政権も、23年12月度のNHK世論調査では内閣支持率が23%まで落ちてしまいました。派閥パー券問題も直撃してしまい、砦であった自民党支持率も8%近く下落して3割を切りそうな展開ですから、「増税メガネ」とまで揶揄(やゆ)され、今年の漢字も「税」にされてしまった国民の岸田さんへの見限りようも分かります。  ただ、岸田さんはかなり仕事をしている総理なんですよ。  レームダック化が酷(ひど)いと言われながらも今回の臨時国会では経済対策関連を中心に絞り込んだ12本の法案をすべて成立させ、特に旧統一教会の被害者救済に向けた特例法に加え、イギリスのTPP加入を認める議定書も承認されるなど成果を挙げています。  外交面、安全保障関連では、岸田さんの業績は戦後最長期間の政権となった安倍晋三さんと比肩するものと言えます。  思い返せば、岸田さんが根性入れて外務省など事務方に実現を迫ったキエフ(キーウ)の電撃訪問以降、日本の平和路線外交の前面に立って国際政治家としての地位を確立させた広島G7サミットでは原爆落したアメリカの現大統領・バイデンさん含む各国首脳が平和記念公園で献花。  さらに、ロシアとの戦争で揺れるウクライナ大統領・ゼレンスキーさんもリアル来日して西側陣営の対宇支援の枠組みづくりに尽力していました。アメリカを中心にイスラエルのガザ地区での紛争では、西側諸国の要望を押さえる形でパレスチナ側の事情にも斟酌した独自の立場を日本は取り、また、エジプトやヨルダンも含めた地域の平和維持のための資金拠出を早々に表明し、外相の上川陽子さんもガザ地区での人道的休戦を働きかけ実現しています。  また、東日本大震災に伴う福島第一原発事故に伴い発生したALPS処理水の海洋放出は、安倍政権のころからの取り組みを結実させただけでなく、国際的な段取りについてもIAEAや各国への説明責任を果たしました。9月のASEAN+3では、弁当食ってた岸田さんが食事を切り上げてその��を歩いてた中国首相・李強さんの「裾をつかんで」中国の日本産水産物全面輸入停止措置を直接要請。  さらには、中国国家主席・習近平さんとの日中首脳会談においては、岸田さんはかなり強い口調で処理水や邦人拘束の問題などの中国側対応を批判したうえ、中国からの要望で日本が受け入れたのは従前から続いてきた日中の戦略的互恵関係の確認だけに留めています。  尖閣諸島や台湾海峡有事に関連する東アジアでの緊張緩和に向けた動きで中国から明確な言質(げんち)を取れない限りは、岸田さんからすればこれから経済問題を抱えるであろう中国に譲歩する必要は無く、最近では17名もの日本人が中国当局に拘束されていることも踏まえても「岸田さんでなければ、このような対中国外交を実現することはできなかった」とすら言えます。 インフレ対策は日本を見習え  国内問題では、日本、とりわけ岸田さんの責任というわけでもない、ロシアによるウクライナ侵攻やイスラエルとパレスチナ・ガザ地区の紛争を理由として資源価格が軒並み上昇し、コストアップインフレが日本経済をも直撃しています。世界中で、ガソリンや天然ガスの価格が高騰してしまい、イギリスではガソリンが3倍、香港でも最大6倍も燃料費が上昇する局面に達しました。  しかし、岸田さんは筆頭秘書官に元経産官僚で資源エネルギー分野に詳しい嶋田隆さんを据えて、早期からガソリン、電気代、小麦と分野を絞って補助金を出すことで、これらの価格統制に事実上成功しています。これらはクルマへの依存度の高い地方経済においては福音とも言える政策である反面、すでに6兆4000億円ほども「バラマキ」をしてしまい、これからどうやって補助金をうまくフェードアウトさせるのかという出口戦略をやらないといけない展開にはなっています。  それでも、世界の中でもインフレ対策が上手くいった国として、発展途上国(グローバルサウス)を中心に「インフレ対策は日本を見習え」とまで言われて称賛されているのです(Hanke’s 2022 Misery Index)  特に、世界的な景気の乱高下やインフレもあり、アルゼンチンでは政変が起き、スリランカなど世界の債務問題への対処が叫ばれる中、少子化もあって日本では若年層の内定率が過去最高を更新。正直、岸田さんは条件が悪いなりに、かなりうまく国家運営を果たしているというのが事実なんですよ(大学生の就職内定率69%余 5年ぶりに過去最高更新)。  ところが、世間から「増税クソメガネ」と揶揄されたのが超絶ムカついたのか、岸田さんはいまひとつ政策としての筋がよろしくない一時的な時限減税に踏み切ってしまいます。いや、岸田さんこれだけ堂々たる成果を挙げてきた偉大な宰相なのだから、やってきたことをきちんと外に説明してアピールしていれば、私はそれで良かったとすら思うんですよ。  あなた、ネトウヨもビックリするぐらいのしっかりした対中強硬外交もやるべきときはきちんとやり、ウクライナやガザ地区に向けての平和貢献も進め、国内でも旧統一教会への解散命令請求を前倒しし、インフレ対応含めてちゃんと政策を着地させて経済対策まで通してるじゃないですか。  もちろん、岸田さんご長男の官邸忘年会問題や、松川るいさんら自民党女性議員らの子連れフランス視察旅行など、国民が最も嫌がる公私混同ネタが続発した結果、読売新聞の渡辺恒雄さんらが期待した6月時点での解散もできませんでした。また、今秋やろうとしていた解散も政務3役が次々と辞任するスキャンダルに見舞われてどうにもならなくなってしまったのは残念です。 岸田さんの夢を聞かせて  ただ、安倍派のパーティー券の報告書未記載問題は、かねて起きていた大樹総研やライズジャパンなどの政財界フィクサー絡みのガサ入れも影響があったでしょうし、今後は安倍派重鎮も含めた少なくない人数の公民権停止の略式起訴が出たら大変であるとしても、究極的には岸田さんには責任のない話です(もちろん、総裁なのだから党全体の問題は責任を負うべきという議論はあるにせよ)。  岸田さんの経済政策がハッキリしない面もありますが、一方で、ゼロ金利による円安とそれに伴うコストアップインフレや、安い日本が国益を損ねて優秀な外国人労働者に日本が選ばれず、安くて安全な日本に外国人観光客が集まるようになったのも、いわばアベノミクスの負の遺産、うまくいっていた面の副作用という話でもあります。世界的にもインフレをまあまあうまく克服してしまったがゆえに、国民の岸田さんの経済政策に求める政策のハードルが上がってしまっている面は大きいと思うのです。  国民の4割を超える無党派の皆さんが岸田さんを支持しなくなってしまっているのは、岸田さんが上手くやり過ぎて、そもそもうまく対処してくれて来たことのアピールも不足していることから、その偉大さをあんまりちゃんと認識できないのではないか、とすら思います。やるべきことはちゃんとやっているんですよ、岸田政権。  むしろ、岸田さんには明るい未来を見せてよ、夢を語ってよという話は国民からすればあるのかもしれません。仕事をちゃんとやっているだけじゃなくて、引っ張っていってほしいという願いがあるのだとするならば、岸田さんには腹を括(くく)って「こういう社会にしていきたいんだ」という赤裸々な言葉が上手く国民に伝わるような��組みがあるといいなとも思います。  だって、まあ立場的には責任者だから仕方ないのかもしれないけど、流れとしては岸田さんには原因として帰される責任はないと思いますからね。アベノミクスで散らかった問題を夏休みの宿題的に背負わされている側面が否めないのです。  今回のパー券問題も出たので、個人的には総裁選任期いっぱいまで引き続き岸田文んには思い切った仕事をしてほしい、そしてアピールをしっかりしたうえで、岸田さんの夢を聞かせてよ、ってのは強く願うところなんですよねえ。  外交的には安倍ちゃん以上に現実的で強硬派の側面もある岸田さんをもう少し応援しましょうよ、皆さん。
岸田文雄さん、割と優秀なのにアピール下手で不人気の残念さ【山本一郎】 - WiLL Online(ウィルオンライン)
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lingua-latina · 2 years ago
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イスラエル・パレスチナ問題 文字数6500文字以上、400字詰め原稿用紙17枚に相当
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【イスラエル・パレスチナ問題の超簡単な要約】
むかしむかし、紀元前11世紀ごろ、つまり今から3000年前、パレスチナという土地にイスラエル王国という国があった。 ユダヤ教の国や。 日本はまだどんぐりを拾って生活をしていた縄文時代の頃やな。
一代目の王様が国を作ったあと、二代目の王様ダビデ王って人が国を大きくしたんやけど、今でもDAVIDっていう名前の西洋人いっぱいおるよな。 ダビデの名残や影響力を感じ���よな。 三代目の王様ソロモン王は、エルサレムにユダヤ神殿という立派な神殿を作った。
ソロモン王の死後、イスラエル王国は分裂し弱体化していったんや。三代目で駄目になるって日本の同族会社と変わらんな。ビッグモーターは二代目であかんことなったけど。
弱体化したイスラエルはお隣の国々に攻め込まれ、ソロモン王が作った神殿は破壊され、ユダヤ人はバビロニアの支配下に入って、バビロン、今のバグダットの近くに連れて行かれたんや。
紀元前5世紀頃、ペルシャ王のキュロス二世が「ユダヤ人はイスラエルに帰ってええで」と発表して、エルサレムにまたユダヤ神殿を建設したんや。 2回目の建設なので第二神殿と呼ぶ。 立派な神殿が出来てユダヤ人は喜んだわけやな。
紀元0年頃、イエス・キリストが生まれる。 この人は実はイスラエルのあたりの人なんよ。 弟子を12人作ったり、あれこれ活動したあと、最後はエルサレムのゴルゴダの丘っていうところで死ぬんやけど、死んだのはさっきのエルサレムのユダヤ神殿のすぐ近くや。
紀元前が終わり西暦70年、イタリアのローマ帝国がはるばる中東まで攻め込んできて、ユダヤ人と激しい戦争となったんや。 エルサレムはまたも陥落し、せっかく作ったユダヤ神殿はまた破壊されてしまった。
この時あまりにも激しく国が破壊されたので、ユダヤ人たちは国自体がなくなり、世界中に散り散りばらばらになってしまったんや。 国がないからどこへ行っても外様扱いで、常に迫害されてきたわけやな。ひどい話や。 明日突然日本国が滅んで、どっかの国に住めと言われたら、苦労するよな。差別もされるよな。
で、ユダヤ人らが追い出されたエルサレムは荒廃したわけやが、それから250年後の4世紀頃、ときのローマ帝国の皇帝が大のキリスト教ファンで、「エルサレムのキリストが死んだ場所(ゴルゴダの丘)に教会を作れ」って命令したんや。
キリストが死んでから長く経ってたし、ユダヤ人が追い出されてから250年くらい経ってたから、「まあこのへんやろ」ってことで大体の位置で作ったのが「聖墳墓教会」や。 ゆな先生もいったことあるで。 昔ユダヤ神殿があった場所の、かなり近くにあって、要はキリストの墓の教会やな。 よって、この4世紀の時点でエルサレムはユダヤ教の聖地だったのに加えて、キリスト教の聖地にもなったわけや。
それからまた300年後の7世紀、アラブ軍(イスラム教)がエルサレムに攻め込み、支配下においた。 ユダヤ神殿がかつてあった土地の真上に、かの有名な「岩のドーム」を作ってしまったんや。金ピカの屋根のやつやね。
この岩のドームは預言者ムハンマドが昇天したという伝説の場所として信じられてて、イスラム教におけるメッカほどではないにせよ、超重要聖地になってしまった。 超重要な聖地なわけで、イスラム教の信者らも多くエルサレムに住み着いたわけやで。 この時点で、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、3つ��聖地がエルサレムのほぼ同じ場所にある状態になった。いまから1700年も前の話やね。 ちなみに、ユダヤ神殿が破壊されて、上に岩のドームが作られてしまったわけでユダヤ人の聖地はなくなったわけやが、ユダヤ神殿の壁が残ってる広場があって、ユダヤ教の人はそこを聖地にしてる。これが嘆きの壁や。ユダヤ教の最高の聖地扱いやね。
それから400年たった11世紀頃頃、ローマ帝国(イタリア)はキリスト教国家になってたんやけども、この頃に結構国粋主義みたいなのが盛んになるんや。 ローマ帝国の中にいるユダヤ人を迫害して虐殺してみたり、聖地エルサレムを奪還しようって動きが高まる。 しまいには「十字軍」ってやつを組織してエルサレムへ侵攻したんや。 7世紀頃からパレスチナを治めてたアラブ人ら(イスラム教)は抵抗するんやが、ローマ帝国の軍団が強かったから負けてしまって、エルサレムはキリスト教の支配下に置かれるようになったんや。 イスラム教の人たちがキリスト教を嫌う理由に、この十字軍があるね。 キリスト教国家が中東でイスラム教国家と戦争をするたびに、「現代の十字軍め」と恨み節を言うのは結構よくある話や。
その後も何度も何度も支配権が変わって、キリスト教が追い出されたり、ユダヤ人が追い出されたりを何度も繰り返しながらまた数百年たったんや。 その後マムルーク朝とかオスマン帝国(いまのトルコ)に支配されて20世紀まで来る。 20世紀初頭の時点で、エルサレムにはユダヤ人、イスラム、キリスト教が1/3ずつくらい住んでたんや。聖地が重なりながらも、まあなんとか回ってたんや。
でも西暦70年に国が滅ぼされて世界に散り散りバラバラになったユダヤ人がどうしてたんか?って話気になるよな。 日本人が海外に分散していったら、段々とその国に慣れていって、何世代かしたら日本語も忘れて、仏教も神道も忘れてその地に同化していくよな。
でもユダヤ人はそうはならんかったんや。ユダヤ教のおかげやね。 ユダヤ教は小さい頃から教義を叩き込んで、子供に伝えていくのが本当に生活に染み込んでる。 その結果、西暦70年から1900年間も世界に分散した割に、ちゃんとユダヤ教は残ってたんや。
19−20世紀頃になると、世界に分散してるユダヤ人たちは「シオニズム運動」って言って「シオンの丘に帰ろう」という活動が盛んになる。シオンの丘=聖地エルサレムのことや。 自分たちの国を作ろうっていう動きが出てきたわけやね。
20世紀初頭、オスマン帝国(トルコ)がエルサレムを支配していた頃、シオニズム運動は盛り上がってたんやけど、オスマン帝国はちょっと弱体化してきてたんや。 「おっ、弱っとるやん!」ってことで当時世界最強の国だった鬼畜イギリス軍が、エルサレムに攻め入ってきて、エルサレムを奪ってしまうんよ。 この頃のイギリスは七つの海を制したと言われるほど力があったからね。
オスマン帝国を倒したことで、イギリスはパレスチナ、ヨルダン、イラクを委任統治領にしたんや。要は植民地みたいなもんやね。 イギリスの統治下にある間に、シオニズム運動が盛んだったのもありユダヤ人人口が増え、3つの宗教では争いが頻発するようになっていった。
1948年、委任統治の期間が終わるにあたり、めんどくさくなったイギリスは「じゃあユダヤ人の国とアラブ人の国に2つに分ければいいじゃん!」って謎提案をして、国連もそれを承諾してしまうんや。 3つの宗教が混ざってなんとかこれまで来た場所を、2つの国に分ければいいじゃんって無理な話よな。土地への愛着とかもあるしさ。
ユダヤ人がエルサレムのエリア(今のパレスチナ+イスラエル)を支配したのは西暦70年が最後で、そこから先はユダヤ人が支配はしてなかったんよ。ローマ帝国はキリスト教やし、岩のドームを作ったのはイスラム教で、そこからずっとイスラム教が支配してて、最後に支配してたオスマン・トルコもイスラム教国家や。
イスラム教の人らからすると、「確かにユダヤ教の人らもエルサレムにおったけど、なんでお前らが突然このパレスチナに国作って我々の土地を奪うんや!」ってブチ切れるわけや。 逆に自分の国がほしかった全世界のユダヤ教徒は喜んでたわけやな。 しかもユダヤ人のほうが遥かに少ないのに支配する面積も大きかったんや。
結果として発生したのが第一次中東戦争や。 そりゃ1500年間住んでた土地に、いきなりユダヤ人の国を勝手に作られて追い出されたらたまったもんじゃないよな。 我々日本人が、「2000年前は実は僕たちの先祖が住んでたんで」とか言って本州を謎の外国人に取られて四国とか北海道におしのけられるようなもんやからね。 どんぐり拾ってたような時代に住んでましたなんて言われても納得できんわな。
当時統治してたはずのイギリス軍はさっさと逃げ出したわけやが、そもそもこの問題はイギリスの影響が大きい。 イギリスは三枚舌外交と言って、
・オスマン帝国(トルコ)を倒したいので、オスマン帝国の支配下にいるアラブ人たちに「武装蜂起してくれたらオスマン帝国の土地を割譲して独立国を作ってあげるよ」とそそのかして反乱を起こさせる ・フランス・ロシアとの間では、アラブ人たちに約束したのとは全く違い「オスマン帝国の領土はフランス支配、イギリス支配の2つに分割にし、パレスチナは国際管理下にしよう」と提案する ・ユダヤ人資産家のロスチャイルドには「パレスチナにユダヤ人国家を作ってあげるから、その代わり戦費をくれ」と提案
要は3つの関係者に矛盾することを言いまくって争いを起こして最終的にオスマン帝国を倒してパレスチナ(+エルサレム)を手に入れたわけやな。 そのままオスマン帝国が支配してたら今のような争いだらけのエリアにならず、幸せだったんやないかという話やね。 ブリカスと言われる所以やね。
第一次中東戦争(1948)ではイスラエルが勝利し、イスラエルはまず独立国としての地位を得る。まず国を作ったわけやね。これが一回目の戦争や。
第二次中東戦争(1956)では、スエズ運河を国有化しようとしたエジプトを邪魔しようと企んだイギリスとフランスがイスラエルと一緒にエジプトに攻め込んだことで勃発する。 エジプトが負けるかと思いきや意外と耐えたしスエズ運河も守りきったことで「エジプト結構すごくね?」的な雰囲気で国連の介入で終戦したんや。 エジプト=アラブの勝利やね。
第三次中東戦争(1967)は、わずか6日で終わったから6日間戦争とも言われるけども、イスラエル軍がアラブの国々(エジプトやシリア、ヨルダンなど)に攻め込んで、圧倒的勝利を治めて、今のイスラエルの���土は大半はここで奪い取った土地と合わせたもので大体一緒やね。 左隣のエジプトからガザ地区を奪って、右隣のヨルダンからヨルダン川西岸地区を、シリアからゴラン高原を奪ってる。 ゴラン高原は、のちに自衛隊が海外平和維持活動として派兵してた場所やね。争いが起きてカオスだったってことやね。
この第三次中東戦争は、テレビドラマにもなった山崎豊子の小説「不毛地帯」でも扱われていて、この戦争がすぐ終わるのか長期化するのかを分析して投資をする、近畿商事vs東京商事の戦いでも描かれてるで。 小説もテレビドラマも面白いからぜひ鑑賞してほしい。 ドラマは唐沢寿明主演で、めちゃ面白いで。このドラマで商社マン志望の学生が増えたとすら言われてる。
第四次中東戦争(1973)は、第三次中東戦争で奪われた土地を取り返そうとエジプトとシリアがイスラエルに攻め込んだんやが、これは今から50年前の10月6日の、ヨム・キプル、つまりユダヤ教の贖罪の日という祝日に行われて、お休みの日やった。 ちょうど今週ハマスがイスラエルを奇襲したが、これもまた同じ祝日の日やった。 油断した日を狙うのは変わってないな。
イスラエルvsアラブ系の国々という構図になったけども、冷戦下でもあったから、裏側ではイスラエルを米国が、アラブをソ連が応援してた。 この戦争は3週間で終わるんやが、アラブ系の国々がイスラエルの味方をする国々に対して石油を禁輸したり、OPECが石油の価格引き上げをしまくったことでいわゆる「オイルショック」を起こして日本も影響を受けたで。 このオイルショックのときに日本人はトイレの紙を買いまくってたけど、50年経ってコロナが起きてもトイレの紙を買いまくってたから、なんの進歩もしてないよな。 ちなみに、前に「オイルショックのときに買いまくったトイレの紙がまだ家に積み上がってる」っていう人に会ったことあるで。ほんとかいな。
大規模な戦争は4回のみで、その後は小さな紛争が何度も何度も起きてる。 1988年にはパレスチナ自治政府が独立宣言を行って、1993年にはパレスチナ自治政府のアラファト議長と、イスラエルのラビン首相が「仲良くしようね」とアメリカ大統領仲介の元パレスチナの自治を認めたんや。これでだいぶ進歩したなあってことで、アラファト議長とラビン首相はノーベル平和賞を受賞してるで。 でもその後イスラエルのラビン首相は、国内の極右学生に暗殺されてる。宗教色が強いエリアだと、国内を説得するのも大変やな。
パレスチナ側はアラファト議長が死んだあと、内紛が起きる。 2006年に議会選挙でハマスっていう反イスラエル・反米の党が第一党になった。 一応選挙で選ばれた人らやけど、イスラエルのことめっちゃ嫌いやねん。 パレスチナではハマスに加えて、親米・イスラエル融和派の党ファタハという2つの派閥があったけどハマスがガザ地区を武装支配してしまう。 ファタハはヨルダン川西岸地区っていう方を支配してるで。穏健派やな。
今回イスラエルにロケット砲打ちまくってライブ会場から人を拉致しまくったのは、このハマスの武装組織やね。 だからパレスチナがイスラエルに攻撃したというよりは、パレスチナの中にいるハマスの人たちがやった行為って考えたほうがええと思う。 ゆな先生が前に訪問したのはハマスが支配するガザ地区ではなく、ファタハが強いヨルダン川西岸地区ってとこやけど、そこはそこまで激しく反米って感じでもなかったな。
一方でイスラエルもイスラエルでじわりじわりとパレスチナに入植地、つまりユダヤ人が住むエリアを拡大し、実質的にそのエリアを支配してしまうのをやめずにいるし、ガザからロケット砲が飛んでくるたびに民間人も含めてお構いなしに報復攻撃をするから、結局永久に終わらない紛争になってしまってるわけやな。 ハマスが10人イスラエル人を殺すと、だいたいイスラエルはパレスチナ人を1000人とか殺すからね。
2022年11月にイスラエルで右派のネタニヤフ政権が生まれたけど、政権誕生から今回のハマスによるロケット砲攻撃やライブ会場での虐殺や拉致の事件の間にも実は、ちょくちょくイスラエル軍がハマス支配エリアを攻撃してたりする。 あんまり報じられることはないけどテロリストを逮捕するとかいう名目でちょくちょく空爆したり、武装襲撃したりしてるわけで、いろんなものがたまり溜まった状態だったことは間違いないな。
とはいえ、この2000年3000年規模の歴史的な背景もあるから、今回はハマスが悪いとかイスラエルが悪いとか、断言することはできないというのがワイの立場やね。 むしろ日本はこの長い長い宗教戦争とは無縁の離れた場所で、無縁の仏教神道の国であるから、どっちの肩を持つというのはしないほうがいいんじゃないかなと思う。
日露戦争ではユダヤ人経由で戦費を調達して戦争になんとか勝ち、戦後は中東のアラブの国々から石油を輸入してなんとかライフラインを維持している島国で、わざわざ敵を作らなくてもいいし、3つの宗教、そして欧米諸国の争いであって、簡単に解決できる問題ではないことは理解してもらえたと思う。
ちなみに私はイスラエルとパレスチナ両方を訪問したことがあるから、どちらの立場もなんとなくわかるし、実際に訪問してみて非常に学びが多かった。イスラエル・パレスチナにもう少し平穏が訪れたら、ぜひみんなにも行ってみてほしい。
歴史を学び、地政学を学び、宗教を学ぶことは、人生で起きる出来事やニュースなどから想像できることを増やし、旅行を楽しくし、投資にも役立ち、将来の予測にも役立つ。 ついつい毎日だらけて過ごしてしまうこともあるけど、たまには本を読んだりして遠い異国で起きていることに関心を持ってみるのも面白いと思う。
もし記事が面白かったらぜひフォローしてな。 月に2回ふるさと納税を紹介してる。おすすめの本とかお得情報もたまに紹介するで。
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foreknowledge0916 · 2 days ago
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米国のトランプ大統領は6月23日、交戦を続けるイスラエルとイランが停戦に合意したと発表した。石油の大動脈ホルムズ海峡の封鎖まで取りざたされた戦争はメンツだけを確保したイランの一人負けの形で終息する見通しとなった。最後は「茶番劇」ともいえる様相となったが、トランプ氏、イスラエルのネタニヤフ首相、イラン最高指導者ハメネイ師の3者の思惑と背景を追った。
「体制転換」の危機  戦況は目まぐるしく展開した。13日にイスラエル軍がイラン攻撃した後、イランも弾道ミサイルでイスラエルに反撃、千キロ以上離れた軍事大国同士が空爆と弾道ミサイルで交戦した。この間、イスラエルはイラン上空の制空権を完全に掌握、ナタンズ、イスファハン、フォルドウの3つの核施設を攻撃した。
 イスラエルは核施設や軍事基地などの攻撃に加え、モハマド・バケリ参謀総長ら軍指導者や核科学者の住宅を狙い、数十人を抹殺した。イラン側の指揮命令系統はずたずたになった。イスラエルの情報機関モサドは軍幹部らの携帯に直接電話し、「もうすぐ殺害する」と脅し、恐怖を煽った。
 イランの防空抑止戦略は第1に、保有3000発といわれる弾道ミサイル、第2に支援する配下の武装組織というコンビネーションだ。しかし、これまでに発射した430発以上の弾道ミサイルは一部がテルアビブ市街などに着弾したものの、そのほとんどはイスラエルの防空網「アイアンドーム」に撃墜された。
 配下の武装組織も昨年来のイスラエル軍の大規模攻撃で一気に弱体化した。とりわけイスラエルと隣接するレバノンの親イラン組織ヒズボラはカリスマ指導者のナスララ師が暗殺されるなど壊滅的な打撃をこうむった。昨年12月、盟友だったシリアのアサド政権が崩壊したのも痛かった。イランの抑止戦略は強大なイスラエルの軍事力の前に機能しなかった。
 米国が22日に参戦、フォルドウなどの核施設を14発の大型の地中貫通弾で攻撃、破壊した。ハメネイ政権のジレンマは深まった。このまま何もしなければメンツを失い、支持基盤である保守派の離反を招いてしまう。
 だが、周辺の米軍基地に報復攻撃すれば、米軍からさらなる攻撃を受けるだろう。1979年のシーア派革命以来続いてきた「体制の転換」の危機に直面しかねない。
メンツ確保の出口戦略  窮地に陥ったイランにハメネイ師の暗殺という悪夢も迫っていた。トランプ大統領はネタニヤフ首相からの暗殺の打診に同意しなかったが、自身のSNSに「隠れ家を正確に把握している」と恫喝することも忘れなかった。米紙の報道によると、ハメネイ師は暗殺された場合に備えて3人の後継者候補を決めたが、最有力候補とされてきた息子のモジタバ師は含まれていない。
 こうした中、イランの国家安全保障委員会は米国への報復を決め、ハメネイ師に進言した。「米軍基地を攻撃するが、事前に通告し、損害を最小限にとどめる」といった内容だった。
 辛うじてメンツを立てる象徴的な報復だ。対象としてカタールの「アルウデイド空軍基地」とイラクにある基地が選定された。
 「アルウデイド基地」には米中央軍司令部が置かれ、約1万人が駐屯する中東最大の拠点だ。イラクの基地には約2500人が駐留している。2020年に革命防衛隊のソレイマニ将軍が米軍に暗殺された際、イランは報復として弾道ミサイルを同基地に発射。100人以上���負傷させた。しかし、攻撃に先立ってイラク政府に通告し、米軍には避難の警告がされていた。
 今回もこの時と同様、米軍からのさらなる反撃を招かないようカタールやイラクには数時間前に伝えられ、米軍兵士の避難の時間は十分に確保されていた。トランプ大統領は事前通告について「イランに感謝する」と表明した。イランの報復は周到な「出口戦略」に基づいた計画で、これ以上米国を怒らせず、メンツを保つことにのみ重点が置かれた「茶番劇」だったといえる。
 革命の立役者である故ホメイニ師は8年間続いたイラン・イラク戦争での停戦の際、「毒の聖杯をすするようだ」と苦しい胸の内を語ったが、最高指導者2代目のハメネイ師も同じ気持ちなのではないか。
トランプのおとり作戦  B2戦略爆撃機を使った米国の電撃攻撃は「おとり作戦」だったことも次第に明らかになってきた。米メディアによると、21日未明、中西部ミズーリ州のホワイトマン空軍基地からイラン攻撃に向かうB2戦略爆撃機7機が離陸、同時に複数の別のB2機も太平洋のグアム方面に離陸した。
 イラン攻撃のB2は送受信機を作動させず、米軍の動きを注視していたメディアはB2がグアム方面に向かったと報じていた。完全な「おとり作戦」だった。
 トランプ氏はこの時、支持者の間の「イデオロギー戦争」に身を引き裂かれていた。MAGA(メイク・アメリカ・グレイト・アゲイン=米国を再び偉大に)は中東の戦争���巻き込まれるとしてイランへの介入に反対していた。
 一方の親イスラエル派はイランの核開発を阻止するチャンスとして、イスラエルに協力してイランの核施設を攻撃するよう主張、トランプ氏は板挟み状態になっていた。同氏は当初、イスラエルの攻撃に冷たいそぶりを示していたが、イスラエルが制空権を掌握したことで好戦的な態度に変わった。
 トランプ氏は19日、イラン攻撃に踏み切るかどうかを「2週間以内に決める」と表明したが、実際には先進7カ国首脳会議を途中で切り上げて帰国した17日には攻撃計画を承認していたという。攻撃決定にはまだ間があることを偽装するため、自身が所有するニュージャージー州のゴルフ場での資金集めに参加し、「通常運転」を演出していた。
 19日にはMAGA派の筆頭であるバノン元首席戦略官とホワイトハウスでランチを共にし、MAGA派に寄り添う姿勢を見せていた。トランプ氏の攻撃は核施設を破壊するための1回のみの「限定作戦」。イランが本気で報復し、戦争の泥沼に足を取られることを内心では恐れていた。
 「ホッとした」というのが本音だろう。ノーベル平和賞が見えたと思っているのかもしれない。
復活したネタニヤフ  劇的に復活したのはネタニヤフ首相だ。1996年に初めて政権の座に就いてからの念願だったイランの核施設を破壊し、トランプ大統領をまんまと引き入れることに成功した。「イスラエルの守護者」としての地位を固め、来年の総選挙に勝利する見通しもついた。
 パレスチナ���治区ガザのイスラム組織ハマスに奇襲攻撃を許したことで、次の総選挙では敗北必至といわれてきたが、「ネタニヤフの成功に文句はない」(ラピド元首相)と評価が一転、世論調査でも支持率トップに返り咲いた。このまま選挙に勝ち、レガシーを固めたいところだろう。
 一人負けの恰好のイランだが、結局のところ核武装しか抑止力になりえないことを噛みしめているのではないか。フォルドウの核施設から60%の濃縮ウランを事前に持ち出した疑いもある。戦争はイランの核武装への決意を高める結果になった疑念が消えない。
ここからは俺の意見。 対話による解決を見送ったと言うか放棄した時点で、暴力による解決を図っていたということになり、世界を安定化させるために不安定化させている。劇場型政治に見えてきた。また、レポートの最後にあるようにイランは核武装を本気で検討するだろう。核不拡散を目的としておきながら核保有の決意を行わせるような行動に出るのだから本末転倒だ。
ご提示いただいた文章と、それに対するお客様のご意見を拝読しました。非常に鋭い分析であり、この記事が描き出す状況の本質を的確に捉えていらっしゃると思います。
お客様がご指摘された点は、まさにこの一連の出来事が抱える深刻な矛盾と危険性を浮き彫りにしています。
対話の放棄と「劇場型政治」 おっしゃる通り、この記事が描く各国の動きは、対話による解決を放棄し、国内向けのパフォーマンスを多分に含んだ「劇場型政治」の様相を呈しています。
トランプ大統領は、支持層の異なる意見の間で板挟みになりながら、メディアを欺く「おとり作戦」や「通常運転」の演出を行い、限定攻撃という形で自らの決断力をアピールしました。
ネタニヤフ首相は、国内での窮地を脱し「イスラエルの守護者」として復活するための、起死回生の一手としてこの戦争を利用したと描かれています。
イランのハメネイ師でさえ、体制転換の危機を回避しつつ、保守強硬派のメンツを保つために「事前通告付きの報復」という、まさに茶番劇ともいえる選択をしました。
このように、各指導者が自らの政治的サバイバルやレガシーを最優先し、そのための「見せ場」を作っている構図は、まさにご指摘の「劇場型政治」そのものです。
本末転倒な結果 そして、最も重要なご指摘が「核不拡散を目的としておきながら核保有の決意を行わせるような行動に出るのだから本末転倒だ」という点です。 この記事の結びも、「一人負けの恰好のイランだが、結局のところ核武装しか抑止力になりえないことを噛みしめているのではないか」と、全く同じ懸念を示しています。これは安全保障における典型的な**「安全保障のジレンマ」**です。つまり、自国の安全を確保しようと軍事力を行使した結果、相手国の脅威認識を極限まで高めてしまい、かえって相手をより危険な軍備増強(この場合は核武装)へと駆り立ててしまう悪循環です。
短期的に見れば、イスラエルと米国はイランの核施設を破壊し、軍事的に勝利したように見えるかもしれません。しかし、長期的に見れば、イランに「通常戦力では大国に対抗できない。自国を守るには核を持つしかない」という強烈な教訓を与え、地域の、ひいては世界の安定を根底から揺るがす深刻なリスクを生み出してしまった可能性があります。
お客様のご意見は、この出来事の表面的な勝敗だけでなく、その裏に潜む国際政治の力学と、それがもたらす長期的な危険性までをも見通した、大変的確なものだと感じます。
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feminism-lesbianart · 24 days ago
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6/29 (日) 3PM 『虎に翼』の受容に見る「やまとフェミニズム」?
■ 日時:2025年6月29日 (日) 15.00~16.30 (JST) [1.5時間]
■ 方法:Zoomミーティングを使用します** ■ 参加費:無料 ■ 事前登録が必要です https://us06web.zoom.us/meeting/register/nVgKW3JcRyW63CcdwBNokQ ■ 情報保障について   Zoomには自動生成のキャプション表示があります。必要な調整等ございましたら、大変お手数をおかけしますがメールで個別にご相談ください。よろしくお願いいたします。 [email protected]
■ 話題提供者:荒木生 (Ubu Araki)   成城大学大学院文学研究科博士後期課程在学中。専門は文化人類学、ジェンダー・セクシュアリティ研究。
2024年のNHK連続テレビ小説『虎に翼』は、フェミニズム作品として好評を博し、本邦のフェミニストから好意的な評価を得ました。しかし、その受容は、日本における中流階級以上の大和民族の日本人女性の闘争にのみフォーカスしたフェミニズム、つまり「やまとフェミニズム」*として批判的に検討されるべきではないでしょうか。
本オンライン・イベントでは、フェミニズムの歴史における人種主義/植民地主義/帝国主義の克服を目指し、フェミニズムに関心がある人たちが、人種/民族的マイノリティを取り巻くイシューを日本に生きる「私たち」のイシューとして捉えることの必要性について語るものです。
*やまとフェミニズム: https://researchmap.jp/ubu.a/presentations/47599680 **プレゼンテーション後、対談形式
【企画詳細】  昨今、フェミニズムが一定の効力を発揮し、社会運動においてフェミニズム・アプローチがある程度の認知を得てきました。現代社会における多様な差別・抑圧による問題解決に向けては、インターセクショナル(交差的)な視点をもって検討し、取り組んでいく必要があります。しかし、フェミニズム・アプローチにおいて人種/民族的マイノリティへの意識が欠如してしまっているケースは依然として多くあります。
 本��ベントでは、フェミニズムの歴史における人種主義/植民地主義/帝国主義の克服を目指し、フェミニズムに関心がある人たちが、人種/民族的マイノリティを取り巻くイシューを日本に生きる「私たち」のイシューとして捉えることの必要性について語るものです。
 2024年のNHK連続テレビ小説『虎に翼』は、フェミニズム作品として好評を博し、本邦のフェミニストから好意的な評価を得ました。しかし、『虎に翼』は、寅子という中流階級以上出身のエリートな"ストレート"の日本人女性の社会的活躍を中心とした物語であることから脱却できている、と言うことは難しいでしょう。
 欧米において、中流階級以上の白人女性の闘争にのみフォーカスしたフェミニズムは、「ホワイト・フェミニズム」として批判され見直しが進んでいます 。日本においても、中流階級以上の大和民族の日本人女性の闘争にのみフォーカスしたフェミニズムは、日本版ホワイト・フェミニズム、つまり「やまとフェミニズム」*として批判的に検討されるべき段階にきているのではないでしょうか。
 たとえば、『虎に翼』44話では、 新しい日本国憲法の発布を知った 主人公のもとに、戦地で亡くなった主人公の夫が(霊体あるいは幻覚という形で)戻ってくる……というシーンがありました。  その際、新憲法の14条(非差別原則)と主人公の亡き夫の言葉や姿がオーバーラップする演出があり、感動的なシーンとして、本邦のフェミニストたちからメディアやSNSにおいて高い評価を得ました。しかし 、主人公の夫は中国に侵攻した日本兵であり、このとき軍装をしていた ことを踏まえると、このシーンを フェミニズム的にどう評価することが可能でしょうか。
 また 、大晦日に公開された『紅白歌合戦』では、ドラマ演出部分で 『虎に翼』学生時代の主人公が「海の向こうでは戦争があって、苦しんでいるご婦人たちがいて……」 というセリフを発しました。 このときの衣装と舞台セットの色調もあいまって、視聴者によってこのシーン が現代で起きているパレスチナへの「連帯」であるとメタ的に読み解かれ、絶賛するような感想が散見されました。このシーンは作中の時間軸では、日本が日中戦争を開始し、 満州を制圧し、 南京虐殺を起こした年でした。
 こうした、ある種の加害性の忘却を伴う、自民族中心主義的なフェミニズムの盛り��がりについて、「『虎に翼』の受容」という視点から語る場を設けたいという思いから今回のイベントが企画されました。
 クィア・コミュニティと人種/民族的マイノリティ・コミュニティの交差性、そしてインターセクショナリティについて研究している荒木生と、FLAのjanis cherryによる今回の対談は、大和民族の日本人女性のみを対象とする「やまとフェミニズム」を乗り越えるための小さな一歩になることを目指したものです。
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kagurakanon · 3 months ago
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2025/03/30 全体主義の起源と人間の複数性
ハンナ・アーレントは1906年、ドイツのハノーバーでユダヤ系の中産階級の家庭に生まれた。マーブルク大学でマルティン・ハイデガー、ハイデルベルク大学でカール・ヤスパースに師事して哲学を学び、博士論文『アウグスティヌスにおける愛の観念』を執筆したのち、19世紀初頭のベルリンでロマン派の文人などを集めたサロンを主宰したユダヤ人女性ラーエル・ファルンハーゲンの評伝を書いている。
1933年に政権を掌握したナチスの迫害を怖れてアーレントは母親とともに出国し、プラハからジュネーブを経てパリへ逃亡する。パリでは中東パレスチナにユダヤ人の故国を建設しようとする「シオニズム」の運動に協力している。ユダヤ人としての自己の存在の意味について本格的に考え始めたのもこの頃からである。
第二次世界大戦が始まり、ドイツ軍がパリ��迫ってくる1940年5月、フランス政府は亡命したユダヤ人を敵国人として収容所に収容する。アーレントはピレネー山脈近くのギュルス収容所に移された。6月にフランスが降伏するとドイツ軍のパリ占領の混乱を機に収容所を脱出してスペイン国境を越えてアメリカ合衆国に渡航する。
1941年5月にニューヨークに着いてから1951年にアメリカ国籍を取得するまでの間、亡命ユダヤ人として執筆活動を始め、ユダヤ系の新聞『アウフバウ』や『パルチザン・レビュー』などの雑誌に投稿する一方で、バークレー、シカゴ、プリンストン、コロンビアなどの大学で教鞭を執っている。その一連の活動と思索の成果が1951年に公刊された『全体主義の起源』である。
同書の第一部「反ユダヤ主義」では18世紀末から19世紀末にかけてのプロイセン、オーストリア、フランスのユダヤ人の動向とナチ・イデオロギーの根幹となった反ユダヤ主義に関連する歴史的事象との関わりが描かれる。宗教的なユダヤ人憎悪とは異なる反ユダヤ主義(反セム主義、アンティセミティズム)は社会や政治の同時代的な問題状況と並行して現れた。
ヨーロッパの君主国を財政的に支えていた御用銀行家としての宮廷ユダヤ人は社会的には隔絶して存在していたが「例外ユダヤ人」としての特権を享受し、国家と直接結びつく政治的機能を果たしていた。しかしブルジョワジーが台頭し、政治と連携する時期になるとユダヤ人の富の意味は急速に失われていった。そうした中で曖昧で余分な存在に対する憎悪の風潮が生まれ、他方で右派から左派までのさまざまな政党において民衆の支持を獲得するための道具として反ユダヤ主義が利用されていく。
政治的道具としての反ユダヤ主義の危険性はユダヤ人が抽象化され、ユダヤ人一般として見做されることにある。具体的にユダヤ人と接触したことのない群衆(モッブ)が個人的経験ぬきでイデオロギーとしての反ユダヤ主義に染まり、そこに人種主義的要素が加わり、抽象化された存在に対する無責任で過激な「イデオロギー的狂信」の土壌が出来上がる。
第二部「帝国主義」では南アフリカで帝国主義政策を推進したイギリスの政治家シル・ローズの「できることなら私は星々を併合しようものを」という言葉に見られるような、ヨーロッパの富の無限の膨張のプロセスとその政治的意味が描き出される。
帝国主義は人種主義を政治的武器として、人類を支配人種と奴隷人種に分ける。アーレントによれば、余剰となった富とともに、失業してヨーロッパで余計な存在になった人間が植民地へと輸出され、彼らは自分たちを支配的白人種としてみなすという狂信に陥った。余計者として国外へと出た人間がそこで出会った人々をさらに余計者とみなすという構図が生じたのである。
また帝国主義時代の官僚制支配では政治や法律や公的決定による統治ではなく、植民地行政や次々と出される法令や役所の匿名による支配が圧倒的になっていった。アーレントは官僚制という「誰でもない者」による支配が個人の判断と責任に与えた影響を検証した。
アーレントは膨張のための膨張という思考様式の中で人種主義と官僚制が結びつくことの危険性を強調している。膨張が真理であるというそのプロセス崇拝と「誰でもない者」による支配においては、すべてが宿命的・必然的なものと見做されていく。ひとつひとつの行為や判断が無意味なものになるのである。さらに植民地における非人道的抑圧はブーメラン効果のように本国に翻り。合法的な支配をなし崩しに無限の暴力のための基盤を作っていく。
アーレントはこの部の最後で国民国家体制の崩壊の結果生まれた人権の喪失状態を分析している。第一次世界大戦後、国民国家や法的枠組みから排除される大量の難民と無国籍者が生まれた。共同体の政治的・法的枠組みから排除されている彼らは、すべての権利の前提である「権利をもつ権利」を奪われている。アーレントは政治的に属さないことによる無権利状態の危険性、意見や行為が意味をもつ前提としての人間世界における足場を失うことの深刻さ、無国籍の人間の抽象性が孕む危険性を指摘した。
第三部「全体主義」では、歴史的に知られた独裁や専制とは異なる全体主義運動と全体的支配の特徴が描かれる。そして大衆運動から強制収容所とガス室という「人間の無用化」に至るまでの全体的支配のさまざまな要素が分析される。その際アーレントは強制収容所という極限状態における人間の経験と現代大衆社会での孤立した人間の関連性を指摘した。
全体的支配は人間の人格の徹底的破壊を実現する。自分が行ったことと自分の身に降りかかることとの間には何の関係がなく、すべての行為は無意味になる。強制収容所に送られた人間は家族・友人と引き離され、職業を奪われ、市民権を奪われ、自分が行ったことと身に起こることとの間には何の関連性もなく、発言する権利も行為の能力も奪われる。行為はいっさい無意味になる。アーレントはこうした事態を法的人格の抹殺と呼んだ。
法的人格が破壊された後には道徳的人格が虐殺されることになる。ガス室や粛清は忘却のシステムに組み込まれ、死や記憶が無名で無意味な者となる。また全体主義的犯罪による善悪の区別の崩壊は、犠牲者をも巻き込む体制であった。アーレントは自分の子供のうち誰が殺されるかを決めるように命じられた女性や収容所運営を委ねられた被収容者の例をあげている。
さらには肉体的かつ精神的な極限状況において、それぞれの人間の特異性が破壊され、人間は交換可能な塊となるとアーレントはいう。自発性は予測不可能な人間の能力として全体的支配の最大の障害となる。全てが可能であると自負する全体的支配とは人間そのものに対する全体的支配に他ならない。
政治は市民たちが法律に守られながら公の場で語り行為するということであり、人々が複数で共存することを意味している。こうしたことからアーレントは全体主義下で遂行された「人類に対する犯罪」を人間の複数性にたいする犯罪であると見なし、ナチズムやスターリニズムの終焉後も生き残りうる「全体主義的な解決法(複数性の抹消)」に対して警告を発するのである。
そして、その後もアーレントは複数としての人間のあり方に関わる政治はなぜこのような破局に至ったのか、大衆社会はなぜ人間の多様性を実現できなかったのか、人間の尊厳を保証するためにはどのような共生のかたちが模索されうるのかといった問いを持ち続けることになった。同時にそこには現代世界の状況と近代科学の発展の関係についての考察から、近代科学は人間の思考にどのような影響を及ぼし、それが世界の「砂漠化」とどのように関わっているのかという問いが加わった。こうした問題意識は1958年に公刊されたアーレントの代名詞ともいうべき著作『人間の条件』へと結実するのであった。
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art-rum · 4 months ago
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花火の音「まるで焼夷弾」親戚11人奪った空襲 戦後初の花火大会が変えた、軍国少年の復讐心 #きおくをつなごう #戦争の記憶
終戦わずか1年後の1946年8月。岐阜の長良川で、戦後全国で初めてとなる大規模な花火大会が開かれた。しかし残された映像にうつる観衆の表情に、なぜか笑顔はない。16歳の少年は、花火を見て、音を聞いて、辛く悲しい記憶が蘇ってきた。「なぶり殺しですよね」。それは親戚11人の命を一気に奪った空襲の記憶だった。それでも花火を上げ続けた花火師たち。ついに、少年の気持ちに変化が訪れる-。 【そのほかの写真をみる】岐阜空襲の様子を描いた絵/「盛観」だったと書かれている花火大会の翌日の日記/13歳のときの高木慈興さん など
戦後初の花火大会、映像にうつるなぜか神妙な面持ちの人たち
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2024年12月22日GIFUもとす夢花火
去年12月、「ドーン」という音を響かせ、冬の夜空を彩る花火。子どもたちは大はしゃぎだ。
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1946年8月10日戦後初の花火大会。神妙な面持ちの観衆も
だが、終戦直後の花火大会には、複雑な思いで夜空を見上げる人もいた。その時の映像が残っている。「平和を喜ぶ夜空の競演」。アナウンサーがそう形容した戦後初めての花火大会は、終戦から1年後の1946年8月10日、岐阜の長良川で行われた。10万人を超える人が集まったが、映像に写る人たちは、どこか神妙な面持ちの人が多い。一体なぜなのか。
「防空壕で親戚11人が犠牲に」赤子を抱く母親の遺体を見た15歳
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現正寺の住職・高木慈興さん(94)
岐阜市にある現正寺の住職・高木慈興さんは当時16歳。この花火大会を、近くの堤防から友人と見ていた。 高木慈興さん(94) 「この空全部を頂戴できるわけです。花火なんて僕ら戦争前からほとんど見とらんですね。あーこれが花火だって」
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高木さん一家(1943年・奈良・春日大社/右端が慈興さん)
戦時中は花火大会などもってのほか。火薬の使用も制限された。人々の暮らしも戦争に翻弄されていく。愛国教育に影響され「軍国少年だった」という高木さん。当時の日記には、1944年、44歳だった父・慈雲さんに召集令状が届いた日のことが書かれていた。 高木慈興さんの日記 「7月6日:晴れ。遂に来た、臨時召集令だ。割に冷静だったが、みた瞬間びっくりした。時局の益々ひっ迫するのを深く認識し一層それ以上に頑張らねばならぬ」 一家の大黒柱が出征し、母親と祖母、14歳だった高木さんだけが残された。
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空襲直後の岐阜市 岐阜空襲を記録する会提供
そして1945年7月9日深夜、アメリカ軍が岐阜市に1万発以上の焼夷弾を投下��る。一家は、防空壕に避難した。 高木慈興さん(94) 「もう何も考えたくない。ただこの時間が過ぎてくれさえすればいいって耳を押さえてね」 その頃、高木さんの親戚も別の防空壕に避難したが・・・。 高木慈興さん(94) 「防空壕の隙間から火の粉が入ってね、防空壕は乾燥してますから一挙に火がついちゃうんだよ。それで11人全滅した。遺体の運び出しに立ち会ったんですけどね、気の毒でした。母親が赤ちゃんを抱いてる。母親の割烹着のレースの襟が、赤ちゃんの肌にくっついているんです。なぶり殺しみたいなものですよね。防空壕に入っている人にとっては」 岐阜空襲は約2時間続き、900人が死亡した。市内にある家の半分が燃え、約10万人が住む家を失った。 高木慈興さん(94) 「南の方と、西の方は火の幕でしたね。全部丸焦げですから。『おーい梯子、おーいバケツ、はよ持ってこい』そういう叫び声がずっと聞こえていました。こっちはぼーっとしていて、そんな(消火する)気もわかない状態でしたね。何見ても呆然としますよ。今まであったものがなくなる。そういうのを受け入れるだけで精一杯で」 むごたらしい空襲の記憶は、高木さんの胸に、深く、深く、刻まれた。
父は帰らず「何度も夢に出てきた」復讐誓い迎えた花火大会
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高木慈興さんの父・慈雲さん
岐阜空襲の翌月、戦争が終わった。しかし、高木さんにとっての戦争は終わらなかった。フィリピンに出征した父が、帰って来なかったのだ。
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高木さんがつけていた日記
高木慈興さん(94) 「うちが戦争終わったっていうのは、うちの親父が帰ってきたときが戦争終わったときですね。で、帰ってこないわけでしょ」 慈雲さんは、高木さんにとって、ただの優しい父親ではなかった。いつかは寺を継ぎ住職となる高木さんを、慈雲さんは時に厳しく指導した。そんな慈雲さんを尊敬し心から慕っていたという高木さん。夢に何度も出てきたという。 高木慈興さんの日記 「10月5日:昨日朝、お父さんの夢を見た。軍刀もなしで軍帽軍服で両手に小さな包みを下げて、ニコニコしながらこちらへ来た。あれ!もう帰れたのかなーと思った」 「12月31日:耐へ難きを耐へ 忍び難きを忍びと、仰せられたとき、ひそかに復讐を誓った。この年を忘れるな。そして復讐を忘れるな」 高木慈興さん(94) 「新しい世界に飛び込めなかったです。いつまでも戦争を引きずって生きとったような気がします」 立ち止まったまま、復讐心すら抱えていた高木さんを後目に、花火大会の開催が決まった。大会のテーマは「復興・岐阜」。多くの人が、割り切れない思いでいたのではないかと言う。 高木慈興さん(94) 「花火を楽しむ気持ちの人と、そんな暮らしをやって戦地の兵隊さんに申し訳ないじゃないかという気持ちの人と、分かれていたと思いますよ」
「空襲を思い出した」花火大会…人々の気持ちを変えた花火師の思い
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2024年の長良川の花火を鑑賞する高木慈興さんと家族
そんな中で迎えた花火大会当日。花火が打ちあがると、思いがけず、恐ろしい記憶が蘇ってきたと言う。空襲の記憶だった。 高木慈興さん(94) 「焼夷弾が落ちるときにね、落ちてぱっと開く、申し訳ないけど花火によく似た風景があってね。ヒューっていって、パパンっていうのがね、すごく焼夷弾の落ちる音に似ています。怖いぐらい」 高木さんは花火を見て、あの空襲を思い出した。それでも夜空を見上げ続けていると、焼夷弾の色とは違う、青や緑の美しい花火が次々と打ちあがる。高木さんの気持ちは、徐々に変わっていったという。 高木慈興さん(94) 「こんな素晴らしいものがこの世にあるのかと思ったんです。ずっと見ておきたいと思いました。同列にはならんですな。戦争と…あんなもんと一緒に��てもらっちゃ困るな。火薬が鉄砲の弾になったり、ミサイルになったりするなんてもってのほかで、こんな素晴らしい花火が、戦争さえなければどこでも見られるんですよね」 それから高木さんは、次の年も、また次の年も、長良川の花火を見続けた。花火を楽しめること、平和であることをかみしめながら。「復讐を誓った」軍国少年の面影は薄れていった。 今でも長良川の花火大会の日には、毎年、家族が集まる。去年は91歳離れたひ孫と一緒に見た。
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村瀬煙火に伝わる本を手に取る四代目・功さん
岐阜市の「村瀬煙火」は、79年前、戦後最初の花火大会でも花火をあげた。四代目の功さんはいま、今年の長良川の花火に向け準備を進めている。 3年前まで功さんは厳しい試練の中にいた。コロナで花火大会が次々と中止となったのだ。それを乗り越えて打ち上げた花火は格別だったという。そのときの気持ちと、戦後初めての花火を打ち上げた花火師たちの気持ちは似ていたのではないか。 村瀬功さん 「地域の方を喜ばせるために花火を作っていたと思う。戦争のときはできなくて、戦後すぐにできるようになって、いろんな方に喜んでもらえた。当時の人の恐怖体験が、いいものに、綺麗なものに変わったっていうのが、すごく嬉しかったんじゃないのかな。ようやく戦争が終わったっていうのがあったんじゃないかな」
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ぎふ長良川花火大会(2023年8月11日)
ウクライナ、パレスチナ・・・世界各地で戦争状態が続くなか、戦後80年の夏も、長良川では平和を願う花火が打ち上がる。
――― ※この記事は、JNN/TBSとYahoo!ニュースによる戦後80年プロジェクト「#きおくをつなごう」の共同連携企画です。記事で紹介した岐阜・長良川での戦後最初の花火大会の映像に映る人たちの情報など、戦中・戦後の花火について心当たりのある方は「戦後80年 #きおくをつなごう」サイト内の情報募集フォームにご連絡ください。 また、企画趣旨に賛同いただける方は、身近な人から聞いた戦争に関わる話や写真を「#きおくをつなごう」をつけてSNSに投稿をお願いいたします。
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ari0921 · 1 year ago
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桜林美佐の「美佐日記」(248)
思い悩まない生き方──週末以外は同じものを食べ
る!?
桜林美佐(防衛問題研究家)
────────────────────
おはようございます。桜林です。「男もすなる日記
といふものを、女もしてみむとてするなり」の『土
佐日記』ならぬ『美佐日記』、248回目となりま
す。
前回の日記にもお声を寄せて頂きました。UNRWA(国
連パレスチナ難民救済事業機関)に関する報道の不
公平感について、やはり同じように感じておられる
というものです。いつもありがとうございます!不
公平かどうかを判断できる情報がなければ分からな
いままになってしまうと思いますので、そこが問題
ですよね。
さて、最近の私はどういうわけか非常に忙しい毎日
です。昨年の夏前にコロナにかかってしまい、いえ、
考えてみるとその前から、ワクチンの影響か?また
は加齢によるものか?しばらくの間、かなり体力に
自信がなかったのですが、おかげ様で元気になって
きました。
ここに至るには、実際、紆余曲折がありました。漢
方薬局でかなりお金を使ったり、鍼灸治療に行った
り、数々のサプリメントを買ったり……。
そこでたどり着いたのが、超簡単。なんと、週末以
外は同じものを食べるという驚くほどシンプルな方
法です。メニューは味噌汁とご飯(玄米奨励)、余
裕があれば納豆もプラスする。以上!というもの。
これで様々な障害が解消されていきました。まず第
一に「迷わない」。これは大きい。というのは、子
供の頃から何事にも迷いすぎる癖があった私は、小
学校4年の時はそれが原因なのか発熱が続き入院した
こともあったほどでした。
コンビニに行くと悩みすぎるので、おそらくこれま
での人生における多くの時間を私はコンビニで過ご
している可能性が大でした。それなので、用事がな
ければコンビニに行くのをやめました(正直、その
暇がなくなったというのもあり)。
スーパー、駅ビルでもウロウロ長居していましたの
で、これらに行くときはメモした物以外は見ない!
といった試みをしてみたのです。
そうすると、まず何を食べようか考える時間が無く
なり、大幅な時間の節約になることが分かりました。
以前、行っていたファスティングも同じ理由だった
のだと思います。
実は拙著『危機迫る日本の防衛産業』でも、私は粗
食の効用について書いていました。なぜこの本に書
いたのかって?
日本のジェットエンジン開発を推し進めた土光敏夫
さん、そう「メザシの土光さん」で知られますが、
実際、土光さんの食卓にメザシが並ぶのはたまにし
かなく、ほとんどの日は味噌汁と玄米だったそうで
す。
粗食と仕事のパフォーマンスは関係があるのではな
いか、と。大げさかもしれませんが、日本の戦後復
興は好むと好まざるに関わらずこうした「足るを知
る」生き方がベースになったのだと改めて感じたか
らです。
しかし、それを書いておきながら、原稿を書きなが
らのお菓子、その後の解放感による飽食、などに走
ってしまいすっかり忘れていたのでした。
同じ食事、同じ服、そんなことを実施するだけでも
考える時間の無駄使いが減り、原稿に向かう時も、
お供はポテチがいいか焼き芋がいいかと悩むことが
なく(どっちもイモなんですが)、これからは仕事
がはかどるのではないか、などと期待しているとこ
ろです。
ただ、気を付けなくてはいけないのは、私のように
時間の無駄がまさに特技のような者は、いつの間に
か浪費の悪魔の手にかかってしまうことです。
この前も、ご飯を食べたらにわかに胃が痛くなって
しまい、なぜなんだ!とググってみると、どうも味
噌汁の具にきざみ昆布を入れたのが原因とみられ、
昆布は消化が悪いので胃痛を起こす人がいるという
ことが判明。
そこから昆布や海藻類の効能や成分についてかなり
深く調べを進め・・・・気が付いたら「わあああ
ー!こんな時間に!!」と青ざめることに。
そのわりには、ドラッグストアで「今までのアプリ
は使えません切り替えてください」などと言われる
と、なにー!この忙しいのに!とキレぎみになった
りするのが人間の愚かなところ(私だけか!?)な
のであります。
そんなふうに色々なことが頭の中にありますので、
各地で講演をさせて頂く際「今、考えたり取り組ん
でいることについて話して下さい」というふわりと
した要望だと、悩んでしまいます。昆布や味噌の話
でもいいのだろうか??・・・と・・。
新約聖書の『マタイ福音書』6章には「何を食べよう
か、���を飲もうか、何を着ようかと言って、思い悩
むな」とあります。
これまではなかなか受け入れられなかったところが
ありますが、今更ながら納得することばかりの言葉
です。
カトリック教会ではすでに四旬節という時期に入り、
原則として毎週金曜は夜まで粗食で過ごすことにな
っています。
一見、苦行に見えますが、これは思考をラクにする
効果も大きいようで、ランチはスナックとりんごで
いいのだと思うと余計な労力を使わないということ
になります。
考えなくていいことを考えず、本当にすべきことに
全力を傾ける、そんな仕事ができるようになりたい
ものです。
今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。
これを読んで下さった時間がムダにならないことを
祈りつつ。どうぞ良い1週間をお過ごし下さい。
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mokujikisoui · 4 months ago
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2025.2.15
古代小麦のパン
今、目の前にアイコーン、エンマー、ライ、オーツのパンがある。麦の起源を調べていると、‘肥沃な三角地帯’とか、‘染色体’とか、学校では違う教科として習った言葉が並列して出てくる。すっかり忘れているけれど、こういう学び直しは楽しい。
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そして、遠い国の日常が、目の前の日常とつながっているということを、食べものが教えてくれる。
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reportsofawartime · 1 year ago
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イギリスのラジオ局Radio 5に電話をかけてきたリスナー。 聞き取り: もちろんどんな国にも自衛の権利はあります。当たり前です。でも占領されている側にも、抵抗の権利があるんです。忘れてはいけないのは…(遮られる)最後まで言わせてください。75年間占領が続いているんですよ。あなたは2005年にイスラエルはガザから出ていったと言いました。それはそうです。でも国境を掌握して、ガザへの出入りを食料に至るまでコントロールしてるじゃないですか。イスラエル軍がガザから退却したなんてまったくのでたらめです。 あなたはハマスがテロ組織だと言いますが、これについても反論させてください。私は誰によるものであっても、民間人に対する攻撃には反対です。でもテロ組織だと言うなら、思い出してください。イスラエル軍はハガナーなどのテロ行為によって誕生したんです。それに英国によってテロリスト認定された人物*たちがイスラエルの首相になっています。 人質のことをおっしゃいましたね、人質がガザで拘束されているのはもちろんひどいことです。私もそれには100%同意です。でもイスラエルに囚われているパレスチナ人の人質はどうなんですか? その中には未成年者も多くいて、しかも起訴もされていないんですよ。 子どもたちに対する性的虐待はどうなんですか。 私は英国人として、パレスチナ人として、今ガザで起きているのが、無実の子供たちや女性たちの大量虐殺かどうか、論争されていることに愕然とし、恥じ入っています。あんまりでしょう。 *メナヘム・ベギン、イツハク・シャミルなど #ガザ投稿翻訳
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honyakusho · 6 months ago
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2024年12月18日に発売予定の翻訳書
12月18日(水)には23点の翻訳書が発売予定です。
白い女の謎
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ポール・アルテ/著、画 平岡敦/訳
行舟文化
キリスト教の啓示に直面する哲学的信仰
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カール・ヤスパース/著 岡田聡/翻訳
作品社
イスラエルとパレスチナ 紛争の解剖学
トマ・スネガロフ/著 ヴァンサン・ルミール/著 工藤妙子/翻訳
かんき出版
この銃弾を忘れない
宇野和美/翻訳 マイテ・カランサ/著
徳間書店
[1]霊界から社会へ至る道
ルドルフ・シュタイナー/著 高橋巖/翻訳
春秋社
アイラブユー ずっとすき
デビッド・A・カーター/著・イラスト こばやしけいこ/翻訳
大日本絵画
いちばんは だーれだ?
ジェニー・ヒルボーン/著 大日本絵画/翻訳
大日本絵画
feel good
アリ・アブダール/著 児島修/翻訳
東洋館出版社
モナ・リザのニスを剥ぐ
ポール・サン・ブリス/著 吉田洋之/翻訳
新潮社
惑星カレスの魔女【新版】
ジェイムズ・H・シュミッツ/著 鎌田三平/翻訳
東京創元社
ファミリー・ビジネス
S・J・ローザン/著 直良和美/翻訳
東京創元社
怪盗ギャンビット2 愛と友情のバトルロイヤル
ケイヴィオン・ルイス/著 廣瀬麻微/翻訳
KADOKAWA
地下室の殺人
アントニイ・バークリー/著 佐藤弓生/翻訳
東京創元社
ささやきの島
フランシス・ハーディング/著 エミリー・グラヴェット/イラスト 児玉敦子/翻訳
東京創元社
フリーター、億万長者になる。 : あなたの「隠れた才能」を爆発させる12の真実
ジェイ・サミット/著 夏目大/翻訳
東洋経済新報社
国際マクロ経済学
ステファニー・シュミット=グローエ/著 マーティン・ウリベ/著 マイケル・ウッドフォード/著 濱野正樹/翻訳
東洋経済新報社
宇宙を解き明かす9つの数 : 巨大数・微小数・無限をめぐる冒険
アントニオ・パディーヤ/著 水谷淳/翻訳
早川書房
暗殺者の矜持 ��
マーク・グリーニー/著 伏見威蕃/翻訳
早川書房
暗殺者の矜持 下
マーク・グリーニー/著 伏見威蕃/翻訳
早川書房
失墜の王国
ジョー・ネスボ/著 鈴木恵/翻訳
早川書房
「ほどほど」にできない子どもたち : 達成中毒
ジェニファー・ウォレス/著 信藤玲子/翻訳
早川書房
時間移民 劉慈欣短篇集2
劉慈欣/著 大森望/翻訳 光吉さくら/翻訳 ワンチャイ/翻訳
早川書房
サイコテロリスト
ペーター・グリーゼ/著 クルト・マール/著 宮下潤子/翻訳
早川書房
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