#恵美酒宮天満神社
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attractive-curves3 · 9 months ago
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飾磨祭り - 恵美酒宮天満神社, 飾磨, 姫路, 兵庫 Shikama Festival - Ebisunomiya Tenman Shrine, Shikama, Himeji, Hyougo
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wankohouse · 2 months ago
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かなり背中が傷んでるみたいや 北細江 恵美酒宮天満神社 兵庫県姫路市飾磨区恵美酒
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wankohouse · 21 days ago
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絆創膏で蓋をする 清水 恵美酒宮天満神社
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moderndays · 9 months ago
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Recommended Books 【京都・Kyoto】
&Premium特別編集 まだまだ知らない京都、街歩きガイド。 (MAGAZINE HOUSE MOOK) 雑誌 – 2024/8/6
マガジンハウス (編集)
雑誌「&Premium」発、人気の京都ガイド第5弾! 混雑する観光地から離れて、暮らす人だからこそ薦めたい15のエリアと8つのテーマ、全316軒を紹介します。 ■大和まこの京都さんぽ部 暮らすように歩く、京の街
【紹介エリア・テーマ】 静かに過ごす時間/七条通/四条南/御所南再訪/自分みやげ/叡電/現地系中華/老舗の味/賀茂川/河原町松原/栗の菓子/鹿ヶ谷通/アペロの時間/二条城南/東大路通/冷泉通/吉田&聖護院/壬生/整える/北野天満宮界隈/栗の菓子2/御所西再訪/京丹後
女人京都 ペーパーバック – 2022/9/28
酒井 順子 (著)
京都に通い続けるエッセイスト・酒井順子による、全く新しい視点から切り取った京都エッセイ&ガイド。 女性の生き方、古典、旅、文学など幅広く執筆活動を行う著者が、小野小町、紫式部、清少納言、日野富子、淀君、大田垣蓮月、上村松園など歴史上の女性たち43人の足跡をたどる旅に出た。
「京都の中でも、京都らしさを最も濃厚に抱いている存在は、名所旧跡でも食べ物でもなく、京都の『人』なのではないかと私は思います。(中略)京都の都会人の中には、今も、平安以来続く都会人らしさのしずくが、滴り続けているのです。」(「はじめに」より)
京都に暮らした女性たちの生き様を知ることは、現代の京都の人々、そして京都の街を知ること。 この本を片手に歩いてみると、平安時代の遺構がそのまま残っているところもあれば、貴族の屋敷が今は児童公園になっていたりすることにも気づく。京都の通りを上ル下ルし、西へ東へと歩き回り、時代を行ったり来たりして、新たな旅の提案を教えてくれる。 この本を読むと京都の歴史や文学がぐっと身近になること間違いなし。
京都散策に便利な地図付きです。
お茶の味 京都寺町 一保堂茶舖 (新潮文庫) 文庫 – 2020/5/28
渡辺 都 (著)
ゆったりと流れる時間、その時々で変化する風味、茶葉が持つ本来の美味しさ──お湯を沸かし、急須で淹れてこそ感じられるお茶の味わいがあります。江戸時代半ばから京都に店を構える老舗茶舗「一保堂」に嫁いで知った、代々が受け継ぎ伝えてきた知恵と経験、家族のこと、お店のいまと未来、出会いと発見に満ちた京都生活。お茶とともにある豊かな暮らしを綴った、心あたたまるエッセイ。
京都、パリ ―この美しくもイケズな街 単行本 – 2018/9/27
鹿島 茂 (著), 井上 章一 (著)
◎26万部『京都ぎらい』の井上章一氏、フランス文学界の重鎮である鹿島茂氏が、知られざる京都とパリの「表と裏の顔」を語り尽くす。たとえば、 ・日本には「怨霊」がいるが、フランスにはいない ・日本のお茶屋とパリの娼館は、管理システムが似ている ・パリの娼館は、スパイの温床だった ・日仏では、女性のどこに魅力を感じるか ・洛中の人にとっての「京都」はどこ? ・パリの人にとっての「パリ」はどこ? ・パリと京都の「汚れ」に対する意識の違い など、知っているようで知らなかった「京都とパリ」の秘密がわかる。
京都のおねだん (講談社現代新書 2419) 新書 – 2017/3/15
大野 裕之 (著)
お地蔵さんの貸出料は3000円、発売第一号の抹茶パフェは1080円、では舞妓さんとのお茶屋遊びは? 京都では値段が前もって知らされないことも多く、往々にして不思議な「おねだん」設定に出くわす。京都を京都たらしめているゆえんともいえる、京都の 「おねだん」。それを知ることは、京都人の思考や人生観を知ることにつながるはず。京都歴二十余年、サントリー学芸賞受賞の気鋭の研究者が解読する、京都の秘密。
なぜこれがこんな高いのか、あんな安いのか、なんで無料なのか、そもそもあんなものになんでおねだんがつくのか―― 大学進学以来、京都住まい二十余年。往々にしてそんな局面に出くわした著者が、そんな「京都のおねだん」の秘密に迫る。 そもそも「おねだん」の表示がされていない料理屋さん、おねだん「上限なし」という貸しビデオ屋、お地蔵さんに生ずる「借用料」。 そして究極の謎、花街遊びにはいくらかかる?
京都人が何にどれだけ支払う��かという価値基準は、もしかしたら京都を京都たらしめているゆえんかもしれない。 京都の「おねだん」を知ることは、京都人の思考や人生観を知ることにつながるはず。 2015年サントリー学芸賞芸術・文学部門を受賞、気鋭のチャップリン研究者にして「京都人見習い」を自称する著者による、初エッセイ。
京都 ものがたりの道 単行本 – 2016/10/28
彬子女王 (著)
「京都という街は、タイムカプセルのようだ」と著者は言う。オフィス街の真ん中に聖徳太子創建と伝えられるお寺があったり、京都きっての繁華街に、坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された地の石碑がひっそりと立っていたり。そこには人々の日常があり、みなが変わりない暮らしを続けている。そんな石碑になど目を留めない人もたくさんいるはずだ。 それでも著者は、そんな場所に出会う度に、タイムカプセルを開けたような気持ちになるのだという。幕末の争乱期の京都へ、平安遷都する以前の京都へ、近代化が急速に進んだ明治・大正時代の京都へ……。さまざまな時代の“時"のカケラが、街のそこかしこに埋まっている。この場所で徳川慶喜は何を思ったのだろう。平家全盛のころの六波羅は、どんな景色だったのだろう。安倍晴明はここで何を見たのだろう。その“時"のカケラは、一瞬の時間旅行へと誘ってくれる。 日本美術研究者として活動する著者が、京都の通り界隈にまつわる逸話から、神社仏閣の歴史、地元の人々の季節折々の暮らし、街歩きでの目のつけどころや楽しみどころ、京都人の気質までを生活者の視点から紹介する。さらに、自身のご家族のこと、京都府警と側衛の方たちとのやり取りなどの日常生活の一端を、親しみやすい文体でつづる。6年以上、著者が京都に暮らす中で感じ、経験した京都の魅力が存分に語られており、「京都」という街の奥深さと、「京都」の楽しみ方を知る手がかりとなる。 新聞連載の24作品に、書き下ろし3作品を加えて刊行。京都の街歩きに役立つ「ちょっと寄り道」情報や地図も掲載。
京都はんなり暮し〈新装版〉 (徳間文庫) 文庫 – 2015/9/4
澤田瞳子 (著)
京都の和菓子と一口で言っても、お餅屋・お菓子屋の違い、ご存知ですか? 京都生まれ京都育ち、気鋭の歴史時代作家がこっそり教える京都の姿。『枕草子』『平家物語』などの著名な書や、『鈴鹿家記』『古今名物御前菓子秘伝抄』などの貴重な資料を繙き、過去から現代における京都の奥深さを教えます。誰もが知る名所や祭事の他、地元に馴染む商店に根付く歴史は読んで愉しく、ためになる!
京の花街「輪違屋」物語 (PHP新書 477) 新書 – 2007/8/11
高橋 利樹 (著)
京都・島原といえば、かつて興隆をきわめた、日本でいちばん古い廓(ルビ:くるわ)。幕末の時代、新選組が闊歩したことでも有名である。その地でたった一軒、現在でも営業を続けるお茶屋が、輪違屋(ルビ:わちがいや)である。芸・教養・容姿のすべてにおいて極上の妓女(ルビ:ぎじよ)、太夫(ルビ:たゆう)を抱え、室町の公家文化に始まる三百年の伝統を脈々と受け継いできた。 古色なたたずまいを残す輪違屋の暖簾をくぐれば、古(ルビ:いにしえ)の美しい女たちの息づかいが聞こえてくる。太夫のくりひろげる絢爛な宴は、多くの客人たちを魅了し続けている。 本書では、輪違屋十代目当主が、幼き日々の思い出、太夫の歴史と文化、お座敷の話、跡継ぎとしての日常と想いを、京ことばを交えてつづる。あでやかでみやびな粋と艶の世界----これまでは語られることのなかった古都の姿が、ここにある。
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hello-shingon · 2 years ago
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飾磨恵美酒宮天満神社 秋祭り
曇天の中始まりました!
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このくらいの天気が見る方にとってはいいのかな。
でも雨が心配です。
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台場練り。うまくバランスとってる!
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いい顔してる!
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雨が降ってきたので、全部の宮入は見れなかったけど帰ろう!
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gunosy-news · 5 years ago
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そこにシビれる憧れる!影響を受けた有名人とその理由
集計期間:2020年2月7日~2月9日 回答数:17805
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「あの人みたいになりたい…」
憧れの有名人を見つめながら、そんな風にため息をついた経験はありませんか? 憧れる部分や度合いは人それぞれですが、わかりやすい目標があるとモチベーションの助けにもなりますね。
今回はそんな「影響を受けた有名人」に関するアンケートです。
Q1. あなたの人生で、影響を受けた有名人はいますか?
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回答していただいた17805名のうち、影響を受けた有名人��いる人の割合は
いる:7168 いない:10637
という結果になりました。「影響を受けた有名人はいない」という人の方が上回る結果になりましたが、それでも半数近くの人が誰かしら有名人に影響を受けているようです。
Q2. 具体的なエピソードなど
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ここからは、個別の事例を見ていきましょう。名前だけでなく、具体的なエピソードが記載されていた回答をピックアップしています。
<男性アイドル・歌手・ミュージシャン>
・氷室京介に憧れてバンドを始めた
・Hi-STANDARD。青春を捧げたバンド
・GACKTの影響を受けています。友人の話から興味を持ち、ファンになり、CDや著書を購入。あのストイックさを見習って生活を送っています
・布袋寅泰。バンドを始めて音楽センスに影響受けた
・YOSHIKI。ロックに目覚めて明るい性格がもっと明るくなった
・郷ひろみ。追っかけをして、青春時代を過ごし、東京の地理を知りました
・Mr.Children桜井さん。中学の時にあの笑顔にやられました。私も笑顔でいたいと思いました。
・X JAPANのHIDE、LUNA SEAのSUGIZOに憧れてギターを初めた
・尾崎豊さん。学生の頃によく聞いていてライブも行きました。生き方が素晴らしく人生観が変わりましたね。
・小学生の時にX JAPANが好きになり歌詞の英語の意味をわかるようになりたくて元々習っていた英語を頑張って学んだ。
・藤井フミヤに、似てると言われて意識した。
・綾小路翔。自分と世界を肯定する気持ちを教えてくれた。
・松山千春さんの歌に生きる勇気を与えられました
・音楽好きになれたのは、 クイーンのフレディマーキュリーがいたから。
・浜田省吾に憧れ、サングラスに革ジャン、ジーパン。コピーバンドまで組んだ
・accessとゆう音楽ユニットを好きになり、ライブスタッフをやりたいと思いました。学生時代は、どうしたら良いか分からず諦めましたが、今���アイドルのカメラマンしてます。
・GLAY。はじめて好きになったミュージシャンで、それから聴く音楽に影響を受けた。
・松本隆さんの歌詞に憧れて、作詞という趣味を得ました。
・EXILE。つらい時もATSUSHIの歌声をきいて何度も元気をもらえたから
・メタリカのラーズ。自分でコントロールできないことでくよくよ悩むのはやめた、という彼の名言はずっと心の中にあります。
・ゆず。初ライブでとても感動。ゆずの歌にたすけられたこともたくさん。20年以上のファンです!
・UVERworldのTAKUYA∞さんに影響され毎日10Km走っています
・WANDS、こういう歌手になりたいと決めて、バンド始めました。
・矢沢永吉さんどんな人に対しても謙虚さを持って接している。仕事上で取り入れいてます。
・高校時代に堂本剛さんにどハマりして髪型やファッションを真似しまくり。カラオケでも彼のソロ曲やKinKi Kidsの曲を歌いまくっていました。今ではそれも青春の思い出。
・手越祐也さんのポジティブ精神と明るさが、根暗の自分をすこし前向きにしてくれたら 
・アンティーク西洋骨董品店というドラマのタッキーに憧れて料理人になった
・L'Arc~en~Ciel、HYDE様。29年前に初めて小さなLIVE会場で、まだメジャーデビューしていないL'Arc~en~Cielを見て?綺麗な女の子だなぁ?と思ってたら歌声は男性。しかも美しくて一瞬で恋に落ちました。今も大好きでHYDE様になりたくてメイクや歌を真似てます。 
・SixTONES彼らのエピソードは綺麗な話ばかりじゃないし、ジャニーズでなかなかデビューにくさったり辞めようとしたこともあったけど、何年もかけてとてもいいグループになって一人一人のグループへの思い入れとかメンバーへの思いとかを聞いてると感動する。
・BTS彼らのようになりたい…!考え方や生き方を見て、努力が必要だと改めて感じました。ファッションやメイク等も参考にしています!!!BTSや彼らの音楽のおかげで色々変わりました。
・嵐。彼氏が櫻井翔にそっくりでファンクラブに入った。彼と一緒に応援してたけど分かれてしまい、寂しさを埋めてくれたのも嵐。嵐のお陰で友達も増え、行ったことのない場所にコンサート=旅行に行き、本当に楽しかった。
<男性俳優>
・小栗旬。仕草や喋り方
・ジャッキーチェン。映画での服装を真似していた。 
・高倉健に憧れて無口になる努力をしたもののだめでした。 
・石原裕次郎の生き様!
・映画トラック野郎の菅原文太さんをみて今の職業についた。
・菅田将暉さんが役のために10キロ体重落としたこと
・舘ひろしが好きで、スーツの色味とかは参考にしました 
<男性タレント・芸人・ユーチューバー>
・松本人志。幼い頃に母親を亡くし、ふさぎ込んでいた中、発想ひとつで世の中がこんなに面白くなるという事を笑いをもって教えてくれたから
・占い師のしいたけさんとゲッターズ飯田さん。どん底の時に当たってたので、自然と2人の占いは見てしまいます!…しかもやはり当たっています!
・明石家さんまさんの常に前向き、楽しい人生を送っている姿はすごいと思います。
・IKKOさんをTVで知ってからますます美容が好きになりました。
・父の影響で立川談志の落語を聞き続け、今ではすっかり、口の悪い(?)オトナになりました
・松岡修造さん。最初は動画サイトでMADにされているのを見て笑っていましたが、前向きな言葉の数々に励まされいつのまにか大ファンになっていました。
・アンタッチャブルのザキヤマさんが、どんなに嫌な仕事でも、人でも誰かにそのあとそのことを楽しく話したら、人に楽しんでもらえたら、嫌じゃ無くなる。楽しいことになるという、気持ちの切り替え方に目から鱗だった。
・レペゼン地球のDJ社長の動画に胸を打たれて恐れずに行動しようとおもいました 
・水溜りボンドのカンタYouTuberなんて普段馬鹿にされる職業だけど、企画・準備・出演・編集を毎日こなしてる姿に憧れを持ったしかもイベント出演もあるからどんだけ忙しいんだろって思う私もそうやって頑張れる人になりたいって心の底から思った
<男性アスリート>
・新庄剛志さんに影響をすごく受けました。私は料理人ですが、味だけでなく、会話や接客いろいろ道は違えど学びました。
・イチロー氏です。現役の時にコツコツ1人で努力し続けて、病気、怪我をせずにヒットを打って記録を作って行った事が凄いと思いました。努力し続ければ必ず良い事があると影響されました。
・三浦知良選手。年齢など関係ないと証明してくれているから
・内藤哲也のかっこいい体つきをみて、自分のだらしない体を変えたいと本気で思った 
・初代タイガーマスク当時は小学生でイジメられてた時期にタイガーマスクを見て自分も強くなりたいと思い何とかイジメを克服出来た。
・元プロ野球選手(広島東洋カープ)の前田智徳さん。怪我やチーム事情から来る逆境に負けず高い向上心を持ってプレーしており、自分が今何をすべきかを常に考える大切さを教わった。
・サッカー選手だったアルベルティーニ。中1からずっと好きで海外に憧れを持ち現在の旦那は外国人
・中田英寿。野菜を食べなくても問題ないと気付けた
<男性作家・芸術家>
・村上春樹さん。一流の人はアスリートに限らず心身を保つためにストイックな努力をするものだと感銘を受けた。それまで作家は退廃的なイメージがあったので。
・宮沢賢治さん。文学作品にも反映されてると思いますが、優しく生真面目な人となりが目標とする人物像になっています。
・作家の中島らも。高校生の時にたまたま出会った1冊の本から、進路が決まって色んな出会いや経験があった。今は亡き方だが自分の一部を作ってくれた大事な方。
・作曲家のすぎやまこういち氏。これまでに書いたオーケストラ曲は全て彼の曲に少しでも近付きたいという想いで制作してきました。
・五木寛之の青春の門を読んで主人公がやったボクシング部に実際入ることになった
・みうらじゅんさんの自由な生き方に少し影響を受けました。同郷ということもあるかも知れません。
・中学生の頃、福岡でサルバドール・ダリの展覧会があり、感動したことから、その後美術系の大学に行くことになりました。
・有名人というか、画家。小学生の頃に図書館でピカソの図鑑を読んだ時に、基礎のデッサンがしっかりしているから大きく崩しても1つ1つのパーツや全体的なバランスが良いのだと感じた。また、それに至るプロセスを含めてアートを感じた。(それまでは私の中でピカソといえばヘタウマ系なイメージだった)あの衝撃以来、どんな事でも始めのうちに人一倍しっかりと基礎をやるようになった。基礎で飽きるものも多いけど、応用できたり上達を実感できるようになると自信が持てる。仕事では始めは物覚えが悪いと言われるけど、数年後には応用が効くので頼られたりする事も増えて楽しくなった。全��ピカソのおかげです。
<文化人・起業家(男性)>
・スティーブ・ジョブズ。彼のスピーチは衝撃だった
・美輪明宏さんの言葉に救われた。 
・池上彰さん。子供の時からNHKアナウンサー時代からのファン。著書も沢山持ってるし、人となりが大好き。
・三木谷浩史さん。裸一貫で楽天を作られた。私が一番尊敬し起業家として目標にしている方です。
・ホリエモンの著書は色んなことをスタートしていくにあたりイイ刺激になる 
<政治家・歴史上の人物(男性)>
・毛利元就。���下をのぞまなかったこと
・野口英世。初めて読んだ伝記本が、野口英世の本だった。ハンデを背負っても、世の為に献身した姿は、今でも印象に残っている。
・ウルグアイのムヒカ元大統領です。貧乏とは、少ししかものを持っていないのではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しないと言う豊かさを履き違えた考え方に改めてハッとさせられた
・南アフリカのマンデラ元大統領の生き方に感銘受けて、全てが真似出来るわけではないですが日々実践の中で問題を乗り越え人生が変わり続けています
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<女性アイドル・歌手・ミュージシャン>
・人生に迷ってる時に安室奈美恵さんのライブDVDを観て、自分のやりたい事やろう!って思えた事。
・浜崎あゆみ。小学生のわたしにとって、流行りのものを身につけて、人気のあるギャルは魅力的だった。 
・倖田來未さん。セクシーでカッコいい、いつまでも憧れ。
・平手友梨奈さん。子育てにおわれて、自分のことは全て後回しにしていたけれど、平手友梨奈さんを知ってからは子どもと一緒に趣味を楽しんだり、おしゃれを楽しんだりするようになった。 
・BoAちゃん!14歳で異国の地日本でデビューして通訳も付けず言葉も分からない国で頑張って来たところです。すごく努力家なところを尊敬します。
・元NMB48の渡辺美優紀ちゃん。私のひとつ年上だけど私もこの人みたいに可愛くなりたいと思うようになった当時はこの人が髪を切れば真似したりして、本当に憧れていた 
・マドンナ。当時はあのバイタリティーに感動してパワーを貰いました。現在だとレディ・ガガです。
・小学生の時にモーニング娘。を見て聴いて、歌手になりたいと思いました
・TWICEのツウィ。美しすぎて自分もこうなりたいと思った
・高橋みなみさんに、努力すれば報われる。どんなに努力しても報われることがなかったのにと、思ったけど、前向きにもう一度や��直そうと思えるようになって、病院を克服できた
・松田聖子さん。当時はマジぶりっ子になってました。
・島袋寛子さん。当時小学生でSPEEDをやられていて、アイドルになるのに、歌手になるのに、年齢関係ないんだと実感させられた
・ももいろクローバーZ。この子達にいつもパワーもらってます。
・ドリカム吉田美和さんのように歌がうまくなりたくて、練習していたことがあった
・岡村孝子の歌に励まされている
・ZARDの坂井泉水さんです。同性として彼女に心から憧れ、作詞を始めた10代の頃を思い出します。泉水さまは永遠です!
・須田あかりさん。若いのに、すごくしっかりしていてポジティブで。私はアラフィフのおばさんですが。この須田さんの明るい性格、生き方、全てを見習わせて頂きたい気持ちになりました。
・高田美和さん。離婚時に、結婚していた時マスコミに幸せ一杯と表現していたが全て嘘でこの指輪も買ってもらったのではなく自分で買ったものだと言ったのを聞き、人を羨むことを全くしなくなった。
・歌のお姉さんをされていた茂森あゆみさん。小さい頃からみていて、あんなふうに歌ったり踊ったりしたいと思って、真似をした。高校生になって、マーチングをして、カラーガードに挑戦。踊ったりするのが楽しかったし、小さい頃にこんな思いをしたから、挑戦したのだと思ったから。いまでも踊ったり、歌ったりするのが大好きです。 
<女優>
・バブルの時期、浅野ゆう子のファッションに影響された
・ドクターXの大門未知子役の米倉涼子さん!カッコイイと思った。
・樹木希林さんのものの捉え方を知り、人生は何事も自分の受け止め方次第で変わるのだと感銘を受けました。
・菜々緒の美意識がすごい
・石原さとみの服装を真似している
・夏木マリ。あんな素敵な女性になりたいと、将来の準備を始められたから
・子育てを頑張っている辻さん。全然年下だけど尊敬します。
・エースをねらえのドラマ 上戸彩を見てテニス部に入部した。 
・紗栄子さん。はっきり言うのと自分の芯をしっかりもってぶれないから。 
・20年少し前に藤原紀香の髪型が流行った時、私もマネして紀香カットにしてました笑
・永作博美さんが好きなので甘酒の豆乳わりを飲まれてるのを知ってわたしも飲むようになりました。 
・綾瀬はるかさんみたいなスタイルになりたくて常に姿勢を気にしている
・エマ・ワトソン。ジェンダーについて考えるようになりました!
・井川遥さん。結婚してどんどんきれいになって、そんな風になりたいと思った。
・細川直美さん。ブログを通して同年代で憧れる生活をしているから。
・仲間由紀恵さんです。小さいときからすきで、黒髪きれいで似合うようにしたいと思いすきになりました。綺麗すぎます。
・江角マキコ。朝一番、家族が起きてくる前に雑巾がけをする(掃除機を使わず)と気持ちがいいと答えていた雑誌のインタビュー記事を見て、素敵やなと思い、私も頑張ってみよう!と影響受けました。
・はじめてPopteenという雑誌を勝ったときにみちょぱをみてこんな風になりたいと思って今まで興味のなかったメイクや服を勉強したり努力した。
・中谷美紀の、アイドルから実力派女優らの転身に影響を受けました。人は努力すればイメージまで完全にかわれるのだな。と。 
・武田久美子さんが女性が美しくいることの大切さを話していて、自信になりました。
・野沢雅子さん。声優学校でお会いして、役者は人柄も大事だと痛感。
   <女性タレント・モデル・芸人・アナウンサー>
・黒柳徹子。年齢に関係なく楽しく生きる。
・久本雅美さん。人にどう見られるかより自分がどうあるべきかとの言葉が心にひびきました。
・大久保佳代子さん。結婚したいとか彼氏が欲しいとかじゃなくて遊び相手が欲しい
・叶恭子さんの言葉は自己否定に陥っているとき凄く励まされる 
・ギャル曽根の食べ方が綺麗で、真似しようと思った。 ・当時愛読していたSEVENTEENのモデルさんだった北川景子ちゃん。あまりの可愛さに携帯に画像を大量に保存して、SEVENTEENの特集が組まれるたびに読み込み、北川景子ちゃんのおかげでメイクをやるようになったから。 ・嫌なことをされても「私はしない」と言ったローラのセリフ。相手を攻めそうになったり、陰口を言いそうになっても、口に出さなければ、いずれ透明になっていく。だから言うな!と言った、誰だか忘れたけど芸人さんのお父さんのセリフ。会社で毎日思い出してます!! 
・服飾デザイナーの勉強しています時にファッション雑誌、ファッションショーなどでトップモデル山口小夜子に出会いました。美しい小夜子さんに魅了されまして目にアイラインを入れたり今現在も変わりません。そして何より山口に自分の姓が変わった事が嬉しいです。
・田中みな実さん水を3リットル飲むと言っていたのを聞き、頑張ることに。ただ私は小さい時からジュースや牛乳ばかり飲んでいたので水どころかお茶も嫌いでしたが、意地で水を飲み続けた結果、今では1日1リットルは飲むようになりました!3リットルは厳しいですが2リットル飲めるように毎日奮闘中です!
<女性アスリート>
・マラソンの福士加代子さん!どんなときも笑顔で自分のスタイルをつらぬいて話すことができる!裏表がなさそう!見るからに元気そうで元気をもらえる! ・趣味でランニングを始めましたが、高橋尚子(Qちゃん)がオリンピックでのゴールした時笑顔とインタビューでの内容が印象になりました始めました。
��作家・文化人・歴史上の人物など(女性)>
・瀬戸内寂聴さんは紆余曲折な人生だけど、人間らしくて、言葉に説得力を感じる。自分の気持ちに素直で嘘がないし、嫌味もない。そんな人が言うことは今の感覚とズレてると感じてても説得力がある。
・キュリー夫人の伝記を読んで、理系に進んだ。が、頭が悪いことに気がつくのが遅かった。 
・大平光代さんの「だからあなたも生きぬいて」を数十年前に読ませて頂いた時人間どん底にいても自分の頑張り次第で周りにも恵まれるきっかけを作る事ができると教わりました上を見たら上がいて下を覗いたら下がいてが自身の座右の銘になり自分が変わらなければと奮起してます
・宇宙飛行士の向井千秋さん。色んなことにチャレンジしているし、旦那さんが「君についていこう」という本を出すくらいサポートしていることに驚いた。こうゆう生き方があるんだと励みになった。 ・三浦綾子。本を読んでキリスト教徒に感動した。
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<架空の人物>
・諦めたらそこで試合終了だよ 安西監督!
・金八先生に憧れて、先生を目指した。結局なれなかったけど…
・有名人というか、幼少期に見た「トムとジェリー」。子供のころ、小さくても頭を使ってトムをやっつけるジェリーみたいに生きなければとすりこまれてしまったのかもしれません。大人になると、トムのような生き方をしてる人が案外好かれることに最近気付いて、あの頃はジェリーこそが正義と思い込んでたのはなんだったんだろうと思い返しています。
全体的に歌手やアーティストが多い傾向となりました。また、世間での好感度が低めな人でも、憧れている人はちゃんといるということがわかりましたね。あなたの憧れの有名人は言及されていましたか?
アンケートにご協力いただきありがとうございました。
グノシーの「アンケート」タブにて、毎日新しいアンケートを更新していま��。ポイントが手に入るものもあるので奮ってご参加ください。
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こちらの記事に関するお問い合わせは [email protected] までお願いします。
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geniusbeach · 5 years ago
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絶望のパレード
 魂がうわついている。まるで自分が自分でないみたいだ。ここしばらく意識は常に前方斜め下で、歩いているのは抜け殻か尻尾のようなものである。いつから、そしてなぜそのようになってしまったのだろうか。正月にかこつけて内省的になってみる。
 昨年の初めに私家版詩集を刊行した。それまでに書き溜めた僅かな詩編を、2人の詩人と編集者、美術家とともに共著の形でまとめた。処女詩集にして全集のようなおもむきがあるけれども、自分としてはそれでよい。稲垣足穂風に言うなら、以降に自分が書くものはその注釈かバリエーションに過ぎないということだ。共著者と編集者が営業に奔走してくれ、関西の大型書店のみならず、関東の書店にも置いてもらうことができた。ありがたいことに帯には人類学者の金子遊氏が一文を寄せてくださった。個人的には、自分の高校時代からの読書遍歴を決定づけた恵文社一乗寺店に置いてもらえたこと、そしてそこで一度品切れになったことが大変嬉しかった。これで一地方のマイナーポエットになることができたという感じがある。それ以上は望まないが、この営みは細々と続けていくつもりだ。
 詩集に関するあれこれが落ち着いてからは、英語の学習に明け暮れた。一昨年は仕事で繁忙を極めており、勉強どころか読書も満足にできなかったため、それを取り戻すように必死にやった。おかげで昨年度中の目標としていた点数を一発で大きく上回ることができ、すぐに違う分野へ手を出した。次はフランス語であった。気合を入れて5000円もする参考書を買い、基礎からやり直していった。ところがその参考書、誤植があまりにも多く、解説も非常に不親切で、ページをめくるのが億劫になり早々にやる気を失ってしまった。なんとも情けない話である。新しい参考書を買う気もなくなり、漢字の勉強へシフトしたところ、こちらはうまくいった。徐々に、平日はカフェで、週末は図書館で勉強するスタイルが出来上がっていった。その間も読書は続け、昨年で40~50冊程度は読むことができた。
 秋ごろには面白い出会いがあった。実存的な不安が高まったこともあり、有休を取って哲学の道を散歩していたところ、海外からの観光客に、掛かっている看板の意味を聞かれた。訛りのある英語だったため、フランス人ですか? と問うと、そうだとの答え。自分がわずかばかりフランス語が話せるとわかって意気投合し、3日間観光ガイドのようなことをした。彼の名はムッシュー・F、ひとりで日本にバカンスに来て、東京でラグビーの試合を見たりしたとのこと。七十を超える高齢だが、つい最近まで自分もラグビーをしていたと話すエネルギッシュな人物で、全く年齢を感じさせない。パリで会社を営んでいるそうで、これが私の家だと言って見せられたのは、湖畔に浮かぶ大邸宅の写真であった。週末には森を散歩したり、湖にモーターボートを浮かべたり、馬に乗ったりしているよと言う。もちろんそれらは全て私有(森や湖でさえ!)、モノホンの大金持ちである。京都では一緒にカフェに行ったり、大文字に登ったり、うどんをご馳走したり、孫用の柔道着を探したり、旅行の手配を手伝ったりした。是非フランスにおいでと言い残し、彼は去った。それから今でも連絡を取り合っている。実に50歳差の友人ができた。
 かつて自分は、日本で日々を平穏に過ごしながらたまに外国語を話す生活を望んでいたが、今になって少しばかり叶っていることに気が付いた。仕事ではしばしば英語を使う。ただ、本音を言えば、金子光晴のように海外を旅して回りたい。学生時代に思い描いていた生活はと言えば、高等遊民か世界放浪者であった。金子は詩の中で「僕は少年の頃/学校に反対だった。/僕は、いままた/働くことに反対だ。」と言った。人間は何からも自由なのである。自分も「成績」や「評価」、「管理」などには絶対に反対である。人に指示され、その目を気にして送る生活など耐えられない......。ところが、じっさいの自分には構造の外へ飛び出す勇気がない。そもそも自分は道の外から生のスタ-トを切ったのだ。そこから正道に戻るだけで精いっぱいだった。血の鉄鎖に引きずられながらもなんとか空転を繰り返した結果、保守的な思想が全身に染みついてしまった。今はなすすべもないまま泣く泣くレールの上を鈍行で走っている。窓からは、空中を並走するもうひとりの自分が見える。全てに背を向けて純粋な精神の飛翔を楽しむ自分の姿が。金子の詩友・吉田一穂は「遂にコスモポリタンとは、永生救はれざる追放者である」と言った。世界は狭量だ。自分にとっては、シュマン・ド・フィロゾフもアヴェニュ・デ・シャンゼリゼも���価である。どうにか国や所属を超越したいと強く思う。やはり勉強をし直さねばならない。
 自分の様子がおかしくなったのは10月頃からだ。一昨年度に忙殺されたせいで少なからず人間の心を失った自分は、仕事における虚脱感に苛まれていた。家における問題もあり、また昨年度新たに来た上司とは全くウマが合わず、フラストレーションも募っていた。そもそもが5年で5人も上司が変わるという異常な環境である。自分はよく耐えてきたと思う。働くことが馬鹿馬鹿しくなり、ぼーっとする時間が多くなる。そんな中、自分はある大きなミスをしでかしてしまった。それは実際大した問題ではない、誰にでも起こりうることだった。尻ぬぐいは上司とともに行うこととなった。しかし、そのミスのせいでかなり落ち込んでしまい、さらに事後対応や予防策の打ち出し方が虫唾が走るほど不快なものであったため、自分は深く考え込むこととなった。さらにそこで追い打ちのごとく転勤が告げられたため、自分はついに心身に不調をきたしてしまった。抑鬱、不眠、吐き気、緊張性頭痛、離人感、悲壮感、食欲不振……全ての事物から逃げ出したくなる衝動に眩暈がする。ある日職場で人と話している時に、どうにもうまく言葉が出てこなくなったため、何日か休む羽目になった。初めて心療内科を受診し薬をもらった。一日中涙が止まらなかった。その頃の記憶はあまりない。日々、ふわふわと悲しみのなかを漂って��たように思う。ただ、話を聞いてくれる周りの人々の存在はかなりありがたく、ひとりの人間の精神の危機を救おうとしてくれる数多の優しさに驚かされた。転勤の話は自分の現況を述べたところひとまず流れた。その際、上役が放った言葉が忘れられない。「私は今までどこに転勤しても良いという気持ちで仕事をしてきましたけどね」。他人の精神をいたずらに脅かすその無神経さに呆れて物が言えなかった。薬の服用を続け、1ヶ月半ほどかけて不調はゆるやかに回復したが、自分が何もできずに失った貴重な期間を返して欲しいと強く思う。仕事に対する考え方は世代間でもはや断絶していると言ってもよいだろう。
 労働を称揚する一部の風潮が嫌いだ。仕事をしている自分は情けない。それにしがみついてしか生きられないという点において。システムに進んで身を捧げる人間の思考は停止している。彼らは堂々と「世の中」を語り始め、他人にそれを強制する。奴隷であることの冷たい喜びに彼らの身体は貫かれている。何にも興味を持てなかった大多数の人間が、20代前半に忽然と現れる組織に誘拐され、奇妙にも組織の事業であるところ��搾取に加担・協力までしてしまう。それは集団的なストックホルム症候群とでも言うべきではないか。社会全体へのカウンセリングが必要だ。尤も、使命感を持って仕事に臨む一部の奇特な人々のことは尊敬している。生きる目的と収入が合致しさえすれば、自分も進んでそうなろう。だが自分は、「社会とはそういうもの」だという諦念には心の底から反抗したい。組織とは心を持たない奇形の怪物だ。怪物は人間の心の欠陥から生まれる。ただ怪物のおかげで我々は生きられる。それをなだめすかしておまんまを頂戴しようという小汚い算段に、虚しさを深める日々。人間的であろうとする以上、この虚しさを忘れてはいけない。
 どうしようもない事実だが、労働によって人の心は荒む。労働は労働でしかない。肉体を動かすことによる健康維持という面を除けば、それ自体、自己にとっては無益なものだ。勤労意欲のない文学青年たちはいかなる生存戦略を以て生活に挑んでいるのか。彼らの洞窟を訪ねて回りたいと思う。現代には、彼らのように社会と内面世界を対立させたまま働き消耗する人々がいる。ある経営者がその現象を「ロキノン症候群」と呼んでいた。芸術に一度でもハマったことがあるような人々がそうなのだという。しかし彼らも納得はいかないながら、どこかで折り合いをつけて頑張っているはずだ。自分は彼らに一方的な連帯感を覚える。来る亡命に向けて、励まし合っているような気さえするのだ。世間様はきっと我々を馬鹿者だと罵るだろう。「なんとでもいはしておけ/なんとでもおもはしておけ」と、山村暮鳥の強い声が聞こえる。目に見えるものだけを信じるのもいいが、それを周りに強いてはならない。我々は今、ようやく開けてきた時代を生きている。だが認識は未だ模糊としている。完全な精神が保証される世界からすると、まだまだ古い時代なのだ。人間の姿を見失いがちな現代に対して言えるのはただ一つ、みんなで一緒に幸せになろう、ということだけだ。
 さて、年末に3日間の有休をぶち込んだので年末年始は12連休となった。天六で寿司を食べ、友人宅に入り浸ってジャークチキンをむさぼった。ポルトガル料理に舌鼓を打ち、サイゼリヤで豪遊した。特に予定を立てずに、ひたすら酒とコーヒーを鯨飲する毎日であった。心身の不調はマシになったものの、不運が続き、人と会わなければどん底に落ちると思った。それはまるで自分という神輿を中心にした絶望のパレードのようだった。
 休みの初日、ふと思い立ち、生き別れた父親の所在を探るべく、戸籍を請求してみた。私は父親の顔も名前も知��なかった。さほど興味がなかったというのもあるが、これまで家族に問うても曖昧な答えしか返ってこなかったのだ。働き出してからしばらくして、親戚から聞いたのは、父親は母親と同じく耳が聞こえなかったこと、暴力をふるう人間であったことの二つだけだ。養育費が払われることはなかったともどこかで聞いたような気もする。いずれにせよクズのような人間であったことは疑いようもない。生まれてから会った記憶もなく、不在が当たり前の環境で育ったため、会いたいと思ったことはほとんどない。ただ、自分の身体の半分が知らない人間の血によって構成されていることに何とも言えない気持ち悪さを覚えていた。というのも、顔は母親似だと言われるが、色覚異常の遺伝子は父親から受け継いだものであり、おかげで少年はある夢を断念せざるを得なくなったからだ。その「不可視の色」を意識するたび、自分の身の内には不在の存在がかえって色濃く反映された。違和感は自分が年を重ねるごとに増してゆくような気がした。そのため、せめて名前と消息だけでも知っておこうと思い、今回ようやく役所に出向いたのだ。職員に尋ねたところ丁寧に教えてもらえた。自分の戸籍から遡れば簡単に辿ることができる。しばらくして数枚の紙きれが手渡された。そこには聞きなれない苗字が書かれてあった。そして、案外近くにひとりで住んでいることがわかった。ふーん。何か虚しさを覚えた。自分は何がしたかったのか。カメラを持って突撃でもすれば面白いのかもしれない。ネットで調べてみると同じ名前の者が自己破産者リストに載っていた。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。結局自分には関係のないことだ。じっさいこの文章を書いている今、父親の下の名前をまったく忘れてしまっている。思い出そうとしても思い出せないのだ。
 旅行前日の夜中に家の鍵をなくした。普段ほとんど物をなくさないのでかなり焦った。約4㎞の距離を3往復し、交番に駆け込むも見つからず。最後に寄ったコンビニの駐車場を這うように探し回ったところ、思いがけない場所で発見し安堵した。寒くて死ぬかと思った。自分は落とし物を探す能力には自信がある。物をなくさない、などと言いながらイヤホンのイヤーピースはこれまでに3度落としたことがある。しかし、その都度血眼になって道端から救出してきたのだ。今回見つからなかったら自分はどんなに落ち込んでいただろう。2時間も無駄にしてしまったが、とにかく良かった。もうお洒落を気取ったカラビナは使わない。
 中学時代の友人3名と有馬温泉に行った。ここ数年、年末の旅行は恒例行事となっている。とはいえこの4人で遊ぶために集まるのはおよそ10年ぶりだ。有馬は京都から車でおよそ1時間半。温泉街は観光客でごった返している。外国人も多い。昼飯にカレーを食べ、しばしぶらつく。��く入り組んだ坂道が続く。公園には赤く錆びついた蛇口があった。飲用可能な鉄泉だったが、衝撃的な味に顔がゆがむ。血だ。その後、目当ての温泉旅館に行くも臨時休業であった。どこの湯も混雑しており、20分待ちがザラだった。日帰り湯の看板が出ていないホテルにダメもとで聞いてみると、幸運にも入れるとの答え。客もほとんどおらず、金泉をこころゆくまで楽しめた。歩き途中、炭酸せんべいを土産に買う。特徴のない普通のせんべいだ。ここで一旦宿に戻って車を置き、再びタクシーで温泉街へ。鉄板焼き屋でお好み焼きを食べ、銀泉に入る。顔がツルツルになった。宿はそこからかなり離れた山裾にある合宿所のようなところだった。嫌がるタクシーに乗り込み、外灯のない急坂を登る。受付には緩い感じのおじさんがいて、懐かしさを覚える。鍵を受け取り、宿泊棟へ。一棟貸しなので騒ぎ放題だ。大量に仕入れた酒とつまみと思い出話で深夜までウノに耽った。翌朝気が付いたのは隣の棟の声が意外とよく聞こえるということだ。大声、というか爆音で昔の先生のモノマネやらツッコミやらを繰り返していた我々の醜態は筒抜けになっていたようだ。棟を出る時に同年代くらいの若者と鉢合わせてかなり気まずかった。ここにお詫び申し上げる。この日は朝から中華街へと移動し、料理を食らった。鰆の酒粕餡かけという聞きなれない一皿がめっぽう美味かった。バリスタのいるコーヒー屋でエスプレッソを飲み、だらだら歩いて旅行は終了。京都に着いてからなぜか3時間ほどドライブし、大盛の鴨南蛮そばを腹に入れてから解散となった。
 大晦日は友人宅で蕎麦をご馳走になってから鐘を撞きに行き、深夜まで運行している阪急で松尾大社へ。地元の兄ちゃんが多い印象。社殿がコンパクトにまとまっていて良かった。おみくじは末吉だった。年明け早々、以前付き合っていた人が結婚したことを人づてに聞く。めでたい気持ち半分、複雑な気持ち半分。元日は高校時代の友人3人と四条で酒を飲むだけに留まる。2日は友人らと蹴上の日向大神宮へ。「大」と名づくが割合小さい。社殿の奥には天の岩屋を模したと思しき巨大な岩をL字型にくりぬいた洞窟があり、潜り抜けることができる。いつ作られたものかは不明だそう。暗闇を抜けて日の光を再び浴びる時、不思議にもスッキリとした感覚になる。ここでもおみくじは小吉だった。その後は下鴨神社の露店を物色し、ケバブとヤンニョムチーズチキンなる悪魔のような食べ物に枡酒で乾杯。旧友と合流し、深夜まで酒を飲み、コーヒーで〆。怒涛のアルコール摂取はここで一旦落ち着いた。
 3日、昼に起きる。夕方ごろ喫茶店に行くもぼんやりして何もできず。3時間で本のページを3回めくったのみ。その帰りがけに初めて交通事故を起こした。自分は自転車に乗っていたが、考え事ごとをしていたかそれとも何も考えていなかったか、赤信号の灯る横断歩道の真ん中で車に真横からはねられて、初めて意識が戻った。即座に状況を理解し、平謝りする。非常に幸運なことに怪我も物損もなく、さらには運転手が気遣ってくれたおかげで大事には至らず、事故処理のみしてその場を後にした。自分はあまりにぼーっとしすぎていたのだ。赤信号はおろか、横断歩道があることさえも気づいていなかった。完全にこちらが悪い。ただ、こんなことを言ってはヒンシュクを買うだろうが、何か自分のせいではないような気もした。昔、轢かれたことのある友人が、「車は鉄の塊、人なんて無力」と言っていた。生と死は笑えるほどに近い。車の同乗者には、生きててよかったなぁ! と半ば怒った口調で言われた。果たしてそうなのか。苦しんで生きるか、知らぬ間に死ぬか、どちらが良いのか。よくわからない頭のまま先輩の家に遊びに行き、帰ってからおみくじを捨てた。馬鹿にもほどがある。
 “WWⅢ”がツイッターのトレンド入りした日に、リニューアルしたみなみ会館で映画「AKIRA」を見た。第三次世界大戦で荒廃・復興した2020年のネオ東京が舞台である。東京オリンピックの開催まで予言されていて瞠目する。作画の緻密さと色彩の美麗さ、展開のスピードが尋常ではなく、見るドラッグのようであった。見に来ていたのは意外にも20代の若者が多かった。なぜか終了30分前に入ってきた女性3人組もいた。目がぐるぐる回って、もう何が何か訳がわからなかった。溢れそうな鍋に蓋をしたところ、その蓋の上から具が降ってきた。そんな脳内で、世界の終わりというよりは、自分の終わりという感じだった。翌日から仕事だったが、変に興奮して夜中まで寝付くことができなかった。
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mxargent · 2 years ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛���休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡��稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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wankohouse · 2 months ago
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楽しかったけど体ぼろぼろ 北細江 恵美酒宮天満神社 兵庫県姫路市飾磨区恵美酒
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myonbl · 5 years ago
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2020年3月13日(金)
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このところ行事・イベントの中止が続いている。今日も当初予定していた落語会「露新軽口噺」が延期となった。それではと、IM嬢と相談して「第4回京都ツアー」を実施することにした。「落語を通した日本文化理解」、酒食も含めてのまち歩きを堪能したことだ。
ツレアイは久しぶりの平日休み、次男は朝から、三男は夕方からの出勤。
私は午前10時15分に京都駅で待ち合わせ、地下鉄で今出川、そこからバスに乗り継いで北野天満宮に着いたのが10時35分。
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天気は上々、人出はそこそこ。「怨霊」から「天神」となった菅原道真と、それを慕う庶民の信仰心の歴史を感じ取ることが出来た。聞けば、IM嬢は高校受験の時に家族でお参りしたとのこと。
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今日の隠れミッションはランチ、天満宮の南側では人気の豆腐店に朝から長い行列が出来ている。我々は「腹が減ったら即食べる」という原則に従い、空いている店を選択。湯豆腐・胡麻豆腐・生湯葉・生麩の田楽と、美しい中庭を愛でながら至福の時間を過ごすことが出来た。
バスで堀川今出川まで戻り、神社2箇所を訪問。
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まずは白峯神宮、落語「崇徳院」に登場する崇徳天皇を祀っている。境内には落語でキーとなる百人一首の歌碑があり、やっとここで会うことが出来た。
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当初の予定にはなかったが、近くにある晴明神社も訪れた。安倍晴明と「陰陽道」、陰陽五行思想は簡単には解説出来ず、後日ノートを作らねば。
バスで烏丸今出川まで移動、徒歩で北に向かって「御霊神社」へ。ここでは、当初は八体の、後に五体が加えられて多くの「御霊」が祀られている。「怨霊から御霊へ」と言う、まさに日本の歴史が「霊」に支配されてきたことを実感出来る場所。境内にあった稲荷社で「稲荷=稲生り」であって、総本社である伏見稲荷が次回のツアーの候補地に浮上。最後に当地が「応仁の乱」勃発の地であることを確認して、本日の予定を無事終了することが出来た。
天候に恵まれ、時間にも余裕があるので、夏の「祇園祭」の予習に取り組む。
地下鉄で鞍馬口から四条へ、「���鉾」「函谷鉾」「長刀鉾」の保存会の場所を確認しながら、祇園祭=悪霊退散を願う八坂神社の祭りであること、祭は神幸祭・御旅・還幸祭の三部構成であること、山鉾巡行は「前座」であってメインは「神輿渡御」であること・・・などなど。
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四条通を麩屋町から南下、落語「こぶ弁慶」に登場する「あやふやな」場所を確認。この地名表示板は、植木に隠れていたものをIM嬢がめざとく発見しての撮影。この場所こそが、当ブログ「あやふや亭」の由来である。残念なのは「あやふや」ではなく「ふやあや」となっていること、こればっかりは如何ともしがたい。
八坂神社に到達し、本殿にお参りして無事今日のまち歩きは終了、お疲れさまでした。
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バスで京都駅まで移動、アバンティ地下での反省会、第3回同様「銀座ライオン」で喉を潤す。
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今日もよく歩いた、結構なことだ。
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2ttf · 13 years ago
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wankohouse · 2 months ago
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またかわいいやつ見つけた 北細江 播州 恵美酒宮天満神社 兵庫県姫路市飾磨区恵美酒
飾磨祭り - 恵美酒宮天満神社, 飾磨, 姫路, 兵庫
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飾磨祭り - 恵美酒宮天満神社, 飾磨, 姫路, 兵庫 Shikama Festival - Ebisunomiya Tenman Shrine, Shikama, Himeji, Hyougo
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usamierina · 2 years ago
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Trip to Hiroshima, May 2023 - Day 1: Miyajima
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Now that I've been full and happy, I have time to visit Miyajima for a while!
腹ごしらえ完了、時間もあるからちょっくら宮島も行ってくるか!
本当はお昼ご飯を食べたらそのまま広島市内に戻ろうと計画していたのですが、せっかくここまで来たし、前回訪問したときは工事中でみられなかった厳島神社の大鳥居も公開になったとのことで、さくっと宮島へ行くことにしました。
JR西日本フェリーの便の中で、大鳥居に少し近いルートを回る「大鳥居ルート」に乗っていざ宮島へ。
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とにかく天気が良い!
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工事が完了して、覆いがとられた大鳥居。とはいえ見えるサイズでは小さい〜!苦笑
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約10分の船旅の後に、宮島に上陸!
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「大鳥居が見たいな」とか言いつつ、厳島神社まではちょっと遠いので、結局観光通り的な”表参道商店街”でグルメだけ食べて帰ることに。
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前の週にG7サミットが開催されていたこともあり、かなり観光客がおおい宮島。季節柄、修学旅行生もたくさん!
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気になっていたレモンサワーのお店へ。
■ GEBURA
おしゃれ〜なレモンサワーが飲めるお店。ちょうど何週間か前に、東海オンエアの「全国46道府県 旅行の旅」の「広島編」でも訪問していたので気になっていたところ。
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その前にいろいろ飲んでいるので、「(甘くない)広島レモン酎ハイ 600円」をいただきました。
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とにかく天気がいいので、テラス席でのんびり。お隣のお店の焼き牡蠣は持ち込み可、とのことなのと、
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プラカップ再利用のおかわりは200円。おかわりは何回でもOKとのことなので、焼き牡蠣を持ち込んでガブガブ楽しむのが良いのかもね。
■ みやじま華屋敷
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そしてお隣の焼き牡蠣やさん。買うまでは全然並んでなかったので、よ〜しと思って注文。
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どんどん焼かれていく牡蠣。しかし、タイミングが悪かったのか、待てど暮らせど呼ばれない...呼ばれる20番台...わたしは一桁番台だから、一周しないと順番来ないじゃん......注文してから出てくるまで30分...しまった...
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やっとのことで手に入れた焼き牡蠣2個は、待ち時間30分に対してものの2分で終了。儚い...美味しかったけど、こっちで焼き牡蠣を頼んで、隣でレモン酎ハイを買えばよかったな、と後悔。
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満喫したので帰ります。ありがとう鹿よ🦌
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帰りは「松島フェリー」の方で。
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めちゃくちゃ修学旅行生がフェリー待ちしてます。いい季節だもんね、よい天気に恵まれて���い修学旅行になるね。よかったね。
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さてさて、JRで広島市内へ戻ります!
【2023年5月 広島の旅】 ・Day 1  └SAKURAO B&D  └あなごめし うえの   └宮島(GEBURA / みやじま華屋敷) 👈THIS  └重富酒店  └肉亭いちゆく・バーホッピング(Golden Garden / Pagoda) ・Day 2
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wankohouse · 21 days ago
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繋がりたい、いろんな意味で 清水 恵美酒宮天満神社
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monqu1y · 4 years ago
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王様の自滅  自国を滅ぼす方法など
⦅操縦七術[韓非]から続く⦆
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〖国を滅ぼす王様の特徴〗 01_王様が宮殿や庭園の建築にうつつをぬかし、車や衣服珍品集めなどの道楽に凝って、国民から絞りあげては浪費する。   殷 ( いん ) の 紂 ( ちゅう ) 王が象牙の箸をつくらせた。   箕子 ( きし ) (紂王の叔父。狂ったふりをして身を守った)は恐怖を覚えた。  彼はこう思ったのだ。 ��象牙の箸となれば、汁のうつわも素焼きの土器ではすまなくなる。  きっと 犀 ( さい ) の 角 ( つの ) か玉でできた豪華なうつわを使うだろう。  玉のうつわに象牙の箸ということになれば、豆や豆の葉という質素な料理ではすまなくなる。  きっと 旄牛 ( からうし ) ・象・ 豹 ( ひょう ) の胎児などの美味珍味とならざるをえない。  こうした美味珍味を食べるとなれば、着るもの住む家も普段着や 茅 ( かや ) 葺きではすまなくなる。  きっと 錦 ( にしき ) を重ね、広大な屋敷をつくるだろう。  こうして釣り合いを求めていけば、いつしか天下の富を根こそぎつぎ込んでも、まだ不足する。  ほんの小さな兆候候をも見逃さず、始まりを見て結末を察知するのが聖人だ。  箕子が象牙の箸を見て恐怖を覚えたのは、その段階で、天下全体ものを使っても不足する結果を見抜いたからだ。   殷 ( いん ) の 紂 ( ちゅう ) 王は、部屋の窓を閉ざして明かりを灯し、百二十日を一夜として「酒池肉林」の宴を続けたために、日がわからなくなってしまった。  「さて今日は何日だったかな」と、お側の者にたずねたが、誰一人としてわからない。  そこで、 箕子 ( きし ) のもとに使いを出して、たずねさせた。  箕子は家臣にこう言った。  「天下の 主 ( あるじ ) となりながら、国中誰も日がわからないという。  これでは天下は保てまい。国中誰もが知らないことを、わたし一人が知っていたとなれば、わが身があぶない」。  そして、自分も酔ってわからない、と使者に答えたという。  桓公が管仲に尋ねた。「富には限界があるのだろうか」。  「水の限界は水のなくなるところ、富の限界は人がそれに満足したところです。ところが、人間は満足することができず、富をむさぼって、ついには身を滅ぼしてしまいます。これが富の限界でしょうか」。   紹績昧 ( しょうせきまい ) は酒に酔って寝てしまい、皮の上着をなくした。   宋 ( そう ) 王が不思議に思って、彼に聞いた。  「酒に酔ったくらいで皮の上着までなくすものか」。  「 夏 ( か ) の 桀 ( けつ ) 王は酒で天下をなくしました。それゆえ 康誥 ( こうこう ) (書経の一篇)には『酒を 彛 ( い ) するなかれ』とあるのです。酒を彛するとは、酒を常にするという意味です。酒を常飲すれば、天子は天下を失い、庶民も自分の命を失うのです」。  昔、 弥子瑕 ( びしか ) という美少年が、 衛 ( えい ) の 霊 ( れい ) 公の寵愛を受けていた。  衛の法律では、許しなく王様の車に乗った者は、足切りの刑に処せられる。  ところが、弥子瑕は夜中に母が急病だという知らせを受け、君命といつわって王様の車を使った。  それを聞いた霊公は、罪を問うどころかほめるのだった。  「親孝行なことではないか。母を思うあまり、自分が足を切られるのさえ忘れるとは」。  また、ある日、霊公のお供をして果樹園に散歩に行ったとき、弥子瑕が桃を食べたところ、あまりにおいしいので、半分残して霊公に薦めた。  霊公は、「王様思いではないか。自分が食べるのを忘れてまで、わしに食べさせてくれるとは」。  だが、やがて弥子瑕の容色が衰えて、霊公の寵愛がうすれてきた。  すると、霊公は、弥子瑕が前にしたことに腹を立てて、「こいつは、嘘までついてわしの車を使ったことがある。またいつぞやは、わしに食いかけの桃を食わせおった」。 02_吉だ凶だと日柄を気にし、 鬼神 ( きしん ) をありがたがり、占いの結果を真に受けて、何かといえば、 祭祀 ( さいし ) をやりたがる。亀の甲に穴を開けて火であぶったり、 筮竹 ( ぜいちく ) を数えて占った結果に従って戦をした 燕 ( えん ) や 趙 ( ちょう ) は、負けることが多かった。 03_限りない欲張りで、利益とみれば見さかいなく飛びつく。   宋 ( そう ) の国に 監止子 ( かんしし ) という金持ちの商人がいた。  あるとき、他の商人と時価百金の 粗玉 ( あらたま ) を 競 ( せ ) りあったことがある。  監止子はまちがったふりをして粗玉を落とし、傷をつけた。  百金の弁償をして引き取り、きれいに傷を磨き落として売ったところ、千金あまりの大金を得た。  一般に、何かを行って失敗しても、何もやらなかったよりもましな場合がある。  監止子のように、タイミングよく責任を引き受けた場合がそれだ。 04_法に基づかず、無原則に刑罰を加える。空理空論に耳を傾け、現実に役立つかどうかを考えない。外見を飾り立てて、実用を無視する。 05_独善的で協調性がなく、 諫言 ( かんげん ) されればむきになる。国家全体のことを考えずに軽率に動き、しかも自信満々だ。  食客のなかに、不老長寿法を教えるという者がいたので、 燕 ( えん ) 王は家来のひとりに習わせたが、その家来がまだ習い終えないうちに、食客は死んでしまった。燕王は怒って家来を殺した。食客が自分を騙したのに気づかず、習い方が遅いといって死刑にしたのだ。道理に合わないことを信じて罪のない家来を殺すとは、また浅はかなことであった。  誰でも一番大切なのは自分の体のはずだ。その自分が死を免れないでいて、他人の燕王を不老長寿にすることなどできるはずがない。 06_王様がずぼらで、およそ反省ということをせず、どんなに国が乱れていても自信満々で、自国の経済力を考えずに、隣の敵国を組みしやすしとする。 07_国が弱小であるのに、尊大にふるまい、強国を警戒しない。国境を接している大国をバカにして、礼をもって対しようとしない。  昔、晋の公子 重耳 ( ちょうじ ) が亡命し、曹に立ち寄った。  曹の王様は服をはだけさせて重耳を見せ物にした。  そのとき 釐負羈 ( きふき ) と 叔瞻 ( しゅくせん ) が曹の王様に付き添っていた。  叔瞻は曹の王様に申した。私、晋の公子を観ましたところ、ただ者ではございません。王様はこれに無礼をなさいました。彼がもし時を得て国に帰り、挙兵すれば、恐らく曹の害となりましょう。王様はこれを殺してしまうのがよいでしょう、と。  しかし曹の王様は聴き入れなかった。  釐負羈は帰って浮かぬ顔をしている。  妻が問うた。あなたは外から帰ってきて浮かぬ顔をしておられるのは何故ですか、と。  釐負羈は言った。私はこう聞いている。良いことには 与 ( あずか ) らず、悪いことには連なる、と。今日我が君は晋の公子を招き、無礼をはたらいた。私はそのとき付き添っていたので浮かぬ顔をしているのだ、と。  妻は言った。私が晋の公子を観るに、大国の主のようです。その左右の従者は大国の宰相のようです。それが今、窮乏して曹に立ち寄り、曹はこれに無礼をはたらきました。これがもし国に帰ることになりますと、必ずや無礼を 誅 ( ちゅう ) しましょう。曹はその手始めとなりましょう。あなたはどうぞ今のうちに 誼 ( よしみ ) を通じておきなさいませ、と。  釐負羈は言った。よろしい、と。  黄金を壺に盛り、食べ物で蓋し、玉壁をその上にのせ、夜、使者を公子に遣いさせた。  公子重耳は使者に会い、再拝の礼で食べ物を受け取り、玉壁は辞退した。  公子は曹から楚に入り、楚から秦に入った。  秦に入って三年、秦の 穆公 ( ぼくこう ) は群臣を集め 謀 ( はかりごと ) をして言った。昔、晋の献公と私が仲良く交流していたことは諸侯のうちで知らぬ者はいない。献公は不幸にも群臣から離れて亡くなり、十年が経つ。その 世嗣 ( よつ ) ぎは出来が良くない。私は心配だ。このままでは晋の 宗廟 ( そうびょう ) は清く保たれず、 社稷 ( しゃしょく ) の供物が絶えはせぬかと。このような状態にもかかわらず晋の足元を固めてやらないのは、献公との交流してきた道に反する。私は重耳を助けて晋に入れようと思うが、どうであろうか、と。  群臣は皆言った。よろしゅうございます、と。  穆公はそこで挙兵した。  革鎧の戦車五百乗、騎兵二千、歩兵五万、重耳を助けて晋へ入れ、立てて晋君にした。  重耳は即位して三年後、挙兵して曹を 伐 ( う ) ちに向かった。  そこで重耳は使者を送って曹の君主に告げさせた。叔瞻を城壁から懸け下ろして出せ、私が殺して処刑してやる、と。  また使者を送って釐負羈に告げさせた。我が軍勢が城に迫っている。私はあなたが礼に 背 ( そむ ) かなかったことを知っている。あなたの住まいに目印をたてておかれよ。私は命令して軍勢がそこを攻めぬようにさせよう、と。  曹の人々はこれを聞き、親戚をかき集めて釐負羈の住まいへ逃げ込む者が七百余家にも及んだ。 08_王様が臆病で信念が貫けない。すなわち予測するだけで決断ができず、やらなければと思うだけで手が下せない。   呉 ( ご ) 王の 闔廬 ( こうりょ ) が、 楚 ( そ ) の都の 郢 ( えい ) を攻め、三戦三勝した。  呉王は 伍子胥 ( ごししょ ) に意見を求めた。  「このぐらいで引き揚げてよいだろう」。  「いけません。人を 溺死 ( できし ) させようとするとき、一飲みさせたところで、止めたのでは、溺死するわけがありません。手をゆるめず押さえつけ、このさい、徹底的に沈めてしまうべきです」。 09_都合が悪ければ理屈をつけて法をまげ、何かにつけ公事に私情をはさむ。その結果は 朝令暮改 ( ちょうれいぼかい ) 、次から次へと新しい法令が発せられる。   斉 ( せい ) が 魯 ( ろ ) を破ったとき、魯の宝である 讒 ( ざん ) という 鼎 ( かなえ ) を要求した。  魯はニセ物を持って行かせたが、見破られてしまった。  「ニセ物ではないか」。  「いや本物です」。  「それでは貴国の 楽正子春 ( がくせいししゅん ) ( 曾子 ( そうし ) の弟子)を連れて来てもらいたい。彼なら信用できる」。  魯王は楽正子春にうまくごまかしてくれるように頼んだ。  楽正子春は魯王に尋ねた。  「なぜ本物を持って行かせなかったのです」。  「本物は惜しいからさ」。  「わたしも自分の信用を惜しみます」。 10_もともと地の利に恵まれないうえに、城郭も欠陥だらけ、物資の蓄えはなく、生産力も低い。すなわち長期戦に耐える力がないのに、軽挙妄動して戦いをしかける。 11_視野が狭くてせっかちで、 些細 ( ささい ) なことで簡単に行動を起こし、すぐにカッとなって前後の見境がつかなくなる。 12_怒りっぽいうえに戦好きで、本務たる農政に力をいれず、何かといえば武力を発動する。  大臣を侮辱してプライドを傷つける。庶民に厳しい刑罰を加えて、過酷な使役に駆り立てる。これを当然のこととして繰り返せば、謀反を 企 ( たくら ) むものが、必ず現れる。 13_王様が大利を目前にして傍観するばかり、また禍いを予測していながら対策を立てようとしない。そして防衛ということにまったく無知でありながら、「仁義」によって自己の行為を飾り立てようとする。 14_雄弁だが「法」という筋が通っていない。聡明ではあるが、肝腎の「術」を心得ていない。能力そのものはあるのだが、「法」によって事を運ぼうとしない。 〖本心を隠す〗  王様が心の 裡 ( うち ) を見透かされると、 家来 《 けらい 》 たちに付け込まれる。   楚 ( そ ) の霊王が細い腰の美人を好むと、 楚 ( そ ) の都には絶食して痩せようとする者があとをたたなかった。   臥薪嘗胆 ( がしんしょうたん ) の故事で有名な越王 勾践 ( こうせん ) は、勇者を好んだ。越の決死隊は、呉の陣の前で一斉に自分の首を 刎 ( は ) ねた。呉軍の兵卒は、あっけにとられ、その隙に奇襲攻撃をかけられて総崩れとなった。   斉 ( せい ) の桓公は好色で嫉妬深かった。 豎刁 ( じゅちょう ) は、自ら去勢手術を受けて、後宮の 宦官 ( かんがん ) になり、信頼を得て大臣に任命された後、謀反を起こして桓公を部屋に閉じ込め飢え死にさせた。  桓公は食い道楽でもあった。料理人の 易牙 ( えきが ) は、自分の長男を蒸し焼きにして差し出した。易牙も、豎刁の謀反に参加した。   燕 ( えん ) の 子噲 ( しかい ) は人格者を好むと思われていた。大臣の 子之 ( しし ) は、国を譲られても受けないと公言して信頼を得、政治を任されて実権を奪った。伝説時代に、 堯 ( ぎょう ) という天子がいて、 許由 ( きょゆう ) という隠者に天下をゆずろうとしたが、許由は受けず、耳が穢れたといって耳を洗ったという。子噲は子之が辞退するのを確かめておいて、堯のまねをしたのに、子之の方が上手だった。  王様が好悪を見せなければ、家来は素を表わし、王様はだまされない。   堂谿 ( どうけい ) 公が、 韓 ( かん ) の 昭 ( しょう ) 侯に尋ねた。  「 価 ( あたい ) 千金の 玉杯 ( ぎょくはい ) があったとする。もし底がなかったとしたら、これに水を入れることができるでしょうか」。  「だめだ」。  「では素焼きの器があるとする。これには底があって漏らないとしたら、酒をつぐことができるでしょうか」。  「できる」。  そこで堂谿公は言うのだった。  「素焼きの器はとるにたらぬ粗末なものですが、漏りさえしなければ酒をつぐこともできます。価千金の玉杯はまことに貴重なものですが、底がなくて漏るとしたら、水さえ入れることができません。まして、これに飲み物を入れる者があるでしょうか。家来の言葉を他人に漏らす王様は、ちょうど底の抜けた玉杯のようなものです。いくら王様に知恵があっても術をつくすことができないのは、人に漏らしてしまうためです」。  それからというもの昭侯は、大きな計画を考えているときには、必ずひと��で寝た。  寝言を聞かれて、他人に計画が漏れることをおそれたのだ。  斉国の正室が亡くなったとき、大臣の 薛 ( せつ ) は、 威 ( い ) 王の意中の人を新しい正室に 推薦 ( すいせん ) しようと考えた。薛は、玉の耳飾り九組に特に美しい耳飾りを一つ加え十組にして王に献上した。翌日、薛は、特に美しい耳飾りをしている側室を確認して王に推薦した。 〖信ずる者は 騙 ( だま ) される〗  王様が妻を信じたら、腹黒い家来は王様の妻を利用して私欲をとげようとする。   優施 ( ゆうし ) という役者は、 晋 ( しん ) の 献 ( けん ) 公の愛妾 麗姫 ( りき ) に取り入り、世継ぎの 申生 ( しんせい ) を殺して、麗姫の子 奚斉 ( けいせい ) を擁立した。  王様が我が子を盲信すると、腹黒い家来は王様の子を利用して私欲をとげようとする。  趙の武霊王(在位 前325年~299年)は 胡服騎射 ( こふくきしゃ ) (騎馬民族の戦法)をいち早くとりいれ、趙を軍事的に発展させたが、寵愛した恵后のために後継問題の処理を誤った。太子に決まっていた長子 章 ( しょう ) を廃嫡して、恵后の子 何 ( か ) (恵文王)に王位を譲り、自分は 主父 ( しゅほ ) と称して院政をしいたが、恵后の死後、廃嫡した長子 章 ( しょう ) の処遇に迷い内乱を起こさせてしまった。主父も、 沙丘 ( さきゅう ) の別宮で三箇月包囲されて餓死した。そのときの包囲軍の指揮官は 李兌 ( りたい ) ���った。  妻子でさえ裏切ることがあるのに、他人である家来を信じたら、 悲惨 ( ひさん ) な結果が待っているかもしれないことを知らなければならない。  王様の世継ぎが立てられたら、妻は、我が子の即位を待ち望むもの。  男は五十になっても色好みはやまないのに、女性は三十になれば容色は衰える。  衰えた容色で色好みの夫に仕えれば、疎まれ 貶 ( さげす ) まれるようになり、「これでは我が子は、あとを継げないのではないか」と、妻は疑う。我が子が王様の座につけば、何でも命令できるし、嫌なことも禁止できる。男女の楽しみは、夫の死後も以前にも増して楽しめる。大国を思いのままに動かしても、誰からも文句は出ない。  毒を盛ったり、闇打ちをしたりのお家騒動が尽きないのも、こういうところに原因がある。   桃佐春秋 ( とうさしゅんじゅう ) には、「まともな死に方をする王様は半数に満たない」と書かれている。   魏 ( ぎ ) 王が 楚 ( そ ) 王にひとりの美女を贈った。   楚 ( そ ) 王はこの美女がすっかり気に入った。   楚 ( そ ) 王の側室 鄭袖 ( ていしゅう ) は王がこの美女を可愛がるのを見て、王が可愛がる以上に自分も可愛がり、衣裳でも何でも彼女の欲しがるままに与えていた。  王はそれを見て言った。  「 鄭袖 《 ていしゅう 》 はわたしがあの女を可愛がるのを知って、わたし以上に可愛がってやっている。まるで親孝行な子が親をおもい、忠臣が王に仕えるようではないか」。  …「王様は自分が嫉妬していないと信じている。これでよし」と思った 鄭袖 《 ていしゅう 》 は美女に「王様は女性が手で口を覆う仕草が好きだから、王様に近づくときは手で口を覆うようにしなさい」と教えた。美女はその話を信じ、始めて王様とのお目見えする際にさっそくその仕草を実行する。事情を知らない王様がその理由を周囲に尋ねると、鄭袖が「あの女は王様の匂いを嫌って手で鼻を覆っているのです。」とウソを付いた。王様は、激怒し、美女の鼻を削ぐよう命じた。 〖人材活用〗   楚 ( そ ) が 陳 ( ちん ) を攻めたとき、 呉 ( ご ) は陳を助けた。   楚 ( そ ) ・ 呉 ( ご ) 両軍は三十里をおいて 対峙 ( たいじ ) した。  ある夜、十日も降り続いた雨がやみ、星が見えた。   楚 ( そ ) の 左史 ( さし ) の 倚相 ( いしょう ) は将軍の 子期 ( しき ) に言った。  「十日の雨のあいだに、呉軍は準備をととのえたはずです。きっと攻めてくるにちがいありません。備えた方がよろしいでしょう」。  そこで、 楚 ( そ ) 軍は、陣形をととのえたが、はたして、準備が終わるか終わらないうちに、呉軍がやって来た。  しかし、 楚 ( そ ) 軍に備えがあるのを見ると、戦わずして引き返した。  左史は言った。  「呉軍は往復で六十里歩かなければなりません。帰れば疲れて将軍は休む、兵士は食事をするはずです。一方わが方は三十里ですみます。すぐ攻めれば勝てましょう」。   楚 ( そ ) 軍は呉軍を追いかけ、これを破った。  孟嘗君率いる斉・魏・韓の連合軍が函谷関に攻めてきたとき、秦の昭襄王は大臣に「三国の兵が秦に深く攻め込んでいる。河東郡の数県を与えて和睦しようと思うが、どうか」と尋ねた。  大臣は、「河東郡の数県を与えるのは、大きな損失です。王子様とご相談なさってはいかがでしょうか?」と答えた。  王様から相談された王子は、「和睦してもしなくても、後悔は避けられません。…和睦したら、『三国はもともと引き上げようとしていたのに、むざむざ三城もただでやってしまった』と、後悔するでしょう。…和睦しなかったら、 韓 《 かん 》 に集結した三国軍に大損害を与えられ、『しまった、三城をやらなかったばかりに、こんなことになってしまった』と、後悔するでしょう。」と答えた。  昭襄王は、「後悔するのなら、三つの城を失って後悔する方が、国が危険な状態になって後悔するより余程マシだ。」と考え、和睦を決めた。   管仲 ( かんちゅう ) と 鮑叔 ( ほうしゅく ) が相談をした。  「このご乱行では 斉 ( せい ) の 御代 ( みよ ) も変わるにちがいない。斉の公子のなかで、将来性のあるのは 糾 ( きゅう ) さまか、 小白 ( しょうはく ) さまだ。この二人にわれわれは一人ずつ仕え、先に出世した者が他を引き立てることにしよう」。  こうして管仲は糾に、鮑叔は小白に仕えた。  はたして斉は混乱状態におちいり、王様が殺された。  そしてまず小白が亡命先から帰国して王様の座についた。  管仲は糾とともに 魯 ( ろ ) に逃れていたが、魯の人につかまって小白に引き渡されたが、鮑叔の口添えによって宰相になることができた。 〖王様への意見の出しかた〗  [説得]は、相手の心を正確に見ぬき、自分の意見をそこに合わせることが必要。知識や弁舌だけでは不十分。  名声の高さを求める相手に、利を得る術を説けば、下劣で卑しい奴と思われ、遠ざけられる。利を求める相手に、名声の高まる術を説けば、気配りできず現実に疎い者と思われる。  名声を大切にしているように見せかけながら、内心では利を求めている相手に、名声の高まる術を説けば、得心した様子を見せられながら、実際には疎んじられるだろう。逆に利を得る術を説けば、得心させても、用いられることはない。 01_王様が自分の利益を満たそうとしているときには、国法を述べてそれを強制する。それでも欲望を捨て切れないときは、欲望に理屈をつけてやる。実行に移せない道義には、とやかく言わないでおく。 02_理想が高すぎて非現実的なときは、理想の欠点をあげ、実行しない。それは難しいでしょうなどと、ケチをつけてはならない。 03_知識・見識に自信もってる相手には、同類の別の事例を挙げて下地を準備しておき、相手が自ら選ぶように仕向けて、そしらぬ顔をする。 04_他国と友好関係を保つように説得するには、立派な名目を上げてやり、それとなく自分の利益にもなることを示す。 05_国の害になることを分からせるには、道義に反しているとはっきり言い、自分の損にもなると分からせる。 06_直接相手を誉めるよりは、相手と同じ事をしているものをほめ、他の事で王様の計画と同じものがあれば、そのことを議論で取り上げた方が効果がある。 07_王様と同じ失敗をした者は、たいした過失ではないと言って弁護しておく。相手がよい計画だと思っているのに、悪いところをあげつらって追いつめてはいけない。 08_長い月日を経て、王様の信任も厚くなり、立ち入った策を奏上しても疑われず、王様と言い争っても罰せられなくなったならば、堂々と利害を判断して述べ、自分の意見を実現化して事の是非をずばりと述べることを身上とする。こうして王様と対等の関係を保てるようになれば、これこそが献策の最上のものとなる。 〖 和氏 《 かし 》 の 璧 ( へき ) 〗  昔、 楚 ( そ ) の国に 和氏 ( かし ) という男がいた。  あるとき、彼は 楚 ( そ ) 山の山中で 粗玉 ( あらたま ) を見つけ、これを 厲 ( れい ) 王に献上した。  厲王は宝石師に鑑定させた。  「これは、ただの石でございます」。と宝石師は言った。  厲王は和氏をペテン師として足切りの刑を命じ、左足を切らせた。  厲王が死に、 武 ( ぶ ) 王が即位した。  すると、和氏はまた同じ粗玉を献上した。  武王は宝石師に鑑定させた。  「石でございます」。と宝石師が言った。  武王は和氏をペテン師として足切りの刑を命じ、右足を切らせた。  武王が死に、 文 ( ぶん ) 王が即位した。  今度は和氏は粗玉を抱き、 楚 ( そ ) 山のふもとで泣き続けるのだった。  三日三晩がたった。  涙は枯れはてて、眼に流れるものは血であった。  文王はそのことを聞くと、和氏のもとに人をやってわけを尋ねさせた。  「世の中に足切りの刑にあった者も多いが、どうしておまえは、そんなに悲しげに泣くのか」。  「わたくしは足を切られたことが悲しいのではありません。宝石が石ころだと言われ、正直者がペテン師だと言われた。それがわたくしは悲しいのです」。  文王は、宝石師にその粗玉を磨かせてみた。  はたしてそれは宝石であった。  その宝石は、彼の名をとって、「 和氏 ( かし ) の 璧 ( へき ) 」と呼ばれた。  宝石というものは、王様が喉から手が出るほど欲しがるものだ。  そして 和氏 ( かし ) が献上した 粗玉 ( あらたま ) が、もし宝石でなかったとしても、王様が何の損をするわけでもない。  それにもかかわらず、和氏は両足を切られてから、はじめてその粗玉が宝石であると認められたのだ。  王様が欲しがる宝石でさえ認められるのは、これほど困難なのだ。  ところが[法・術]となると、王様は「和氏の 璧 ( へき ) 」のようにこれを欲しがってはいない。  王様たちは、それほど熱心に家来や国民のかげの悪事を抑えようとはしていないのだ。  [法・術]を主張する者が、王様に殺されずにいるのは、彼がまだ[法・術]という粗玉を献上していないからにすぎない。  王様が「術」を使ったとしたら、大臣が政治を専断することも、側近が王様の威を借りることもなくなるだろう。  「法」が国に行きわたれば、流民の 類 ( たぐい ) は姿を消し、すべての国民は農耕に追いやられ、事あるときには戦場で生命の危険をおかすことになるだろう。  つまり[法・術]は、家来と国民にとっては、 禍 ( わざわい ) となるものだ。  したがって、王様が、大臣の反対と国民の非難を押しきって、[法・術]に耳を傾けようとするのでなければ、たとえ命を進言したとしても、[法・術]が王様に取り上げられる見込みはない。 〖使いこなせない者とは〗  もし人が衣服を着ることもなく、食事をとることもないのに、餓え凍えることがなく、また死もこわくないとすれば全て満ち足りており、お上��仕える気はとんとならないであろう。すると、王様によって支配されることを嫌う気持ちになる。そのような人物は、臣下として使いこなすことはできない。 〖小さな信用を重ねる〗   呉起 ( ごき ) は外出先で知人に出会い、食事に招いた。  知人は承知して、「のちほど伺うから、それまでお待ちいただきたい」。  「では、あなたがおいでになるまで、お待ちいたしましょう」、呉起はそう答えた。  その知人は日暮れになっても来なかった。呉起は食べずに待った。  そして、翌朝、知人を呼びにやり、彼が来てから食事した。  越王 勾践 ( こうせん ) が呉王 夫差 ( ふさ ) を攻め、 降伏 ( こうふく ) させた。  呉王夫差が謝罪して 赦 ( ゆる ) しを願った。  越の大臣たちは、越王勾践に、「天命が[越]を与えようとしたとき[呉]が受け取らなかったから、今、天命は[呉]を[越]に与えようとしているのです。天意に 背 ( そむ ) いてはなりません。」と言った。  呉の大臣は、越の大臣に手紙を送った。「すばしっこい兎が狩りつくされてしまうと、猟犬は煮て食べられる。敵国が滅びると、軍師は殺される。呉を赦して残せば、貴方はまだまだ仕事ができる。」  越の大臣は、これを読んで大きくため息をつきながら、「呉が滅べば私は用無しになるのか…」とつぶやいた。
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geniusbeach · 7 years ago
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冷たい市街
 意図的に自分を見失うため、何も考えずに神戸に行った。住む街と違う場所であれば、目的地はどこでも良かった。ただ最近読んだ本のなかに出てきたその街が、私が今までに持った印象とは真逆のかなり魅力的なものだったためそこに決めた次第だ。だが結局、旅を終えてみてもその印象が覆ることはなく、街は外来者に冷たいままだった。後で友人からの慰めとして受け取った言葉を借りれば、誠に運が悪かった、それとしか言いようがない。以下はそのネガティヴな記録である。なお、神戸が好きな人や暗い気持ちになりたくない人には読まないことをお勧めする。
 電車で1時間あまりの旅。十三を経由し、昼過ぎに三宮に到着した。かつてその中にある服屋の店員になぜか試着を拒否された、個人的に嫌な思い出しかない高架下の商店街を歩き、元町方面へ。朝とは打って変わって爽やかな天気だ。こざっぱりとした表通りの先、極彩色の門を構えた南京町は観光客でごった返していた。朝から何も食べておらず腹が減っていたが、何か口に入れる前に少し散策をすることにした。
 裏道で見かけた中古カメラ屋に入る。店番のおばさんが眠りこけていた。ひどく雑然とした店内。扉を閉める音に気づき、むくりと起き上がった彼女が口を開く。私は留守番なんです、何かお探しですか? ――いえ、特に。主人を呼びましょうか? ――大丈夫です。古いカメラの数々がおよそ1万円以上の値で売られている。しばらく棚を見ていると、口ひげを蓄えてでっぷりと太った店主が現れた。呼びましたので、私はここで交代...。フィルムカメラを探していると言うと、私がそれを一台も持っていない前提で話が進み、デジタルを否定しアナログを賛美する旧弊な饒舌に予期せず30分以上も耐えることとなった。俺がイロハを教えてやると言わんばかりの口調。終わる気配がないのでほとほと参った。もう行きます、と言うか言わないかのところで次の話が始まる。店主が黙ったかと思えば、彼の目の先30cmのところでこちらに背を向けて鎮座するテレビから、吉本新喜劇の大げさなリアクションが大音量で放たれる。仕方なく質問をすると、ライカを買えと言う。ライカは私の求める写りを実現してくれないことを知っているので、興味があるふりをしてお茶を濁した。10万超えのガラクタを買うつもりはない。そうして散らかった店内の真ん中でちょこんと座る店主を見ていると、汚い部屋で原稿を前にしてカメラを睨みつける坂口安吾の写真を思い出した。やられっぱなしで悔しかったので、店内の写真を撮っていいかと聞くと、断固として拒否された。面白いのに、何もわかっていやしない。そして聞いてもいない理由をべらべらと喋り出したので、途中で出ようと思ったが、なんとか堪えて最後まで相手をした。私は良い子だ。話の通じない店主含め、店全体がアナログのジャンク品のようだった。しかし、どうして「若者は苦労してナンボ」論者は、関わりの薄い他人にさえも不要な苦労を強いることができるのだろう。何よりも貴重な若さを費やすだけ費やして結果が実る保証などはどこにもないというのに。自称苦労人の彼に至って言えば、初見の若者に対してそのように重大な責任を持つことができるというのか。確かに人は、自分の経験を以てのみ説得力を持って話すことができる。だが、売れないカメラ屋を道楽経営しているという事実が説得力とは真逆の方向に働き、「フィルムは金払って失敗して上手くなるんや、それがデジタルならタダやろ? 一枚一枚を大事にせえへんねん」という主張の内容をさらに空虚なものにしていた。デジタルの恩恵を拒絶して懐古主義に浸るのも人によってはアリだが、それを他人にまで強要すべきではない。若者は、を枕詞に据えて話し始める、ストレート・アウタ・ショーワ(昭和)の親父たちは、その話さえも若者にとっては無駄な時間であるという観念など大抵持ち合わせていないため、遭遇した時には素早く距離を取ろう。
 さて、出鼻を挫かれて向かったのは「ぎょうざ大学」、その名の通り餃子の専門店だ。5人ほどの待ちができていた。行列の伸びる方向とは別の方向に誤って並んでいた男が、こっちが最後ですか? と言いながら舌打ちをして私の後ろに付いた。ここでもいきなりやられてしまい、笑うしかなかった。店員に注文を聞かれ、餃子は2人前以上が注文必須だったので2人前、飲み物は水で、と言う���返事がない。誰に対してもそのような感じだったが、忙しいようなので仕方がない。南京町の餃子は、なぜか酢醤油に甘味噌を混ぜたタレで食べる。ほどなくして提供された焼きたての餃子は、皮はパリパリ、中はジューシーでかなり美味かった。店を後にし、続けざまに台湾タンパオにて小籠包をテイクアウト。皮からアツアツのスープがほとばしり、口内を優しく暴れ回る。これは美味い。分かち合える相手がいないのが残念だ。最後に近くの精肉店で巨大な唐揚げ串を買って食べた。ジューシーで、定食一人前ほどの食べ応えがある。おかげで腹がパンパンになった。ようやく食欲が落ち着いたのでコーヒーを飲みつつ文章を書く。このあたりは観光客が多すぎて店員は皆疲弊しているようだ。金持ちが相手だとしても愛想は悪い。しかし私は何よりも、ここが関西とは思えないほど関西弁が冷たく聞こえることに驚いた。むしろ優しいのは日本人より中国系だとも思えてくる。ゆく人の会話からも物質的な内容ばかり聞こえてくる。例えばこうして喫茶店で座っている横でも、おそらくだが上司と部下が仕事の話をしていて、しきりに集金集金と繰り返している。すっきりとした街並み同様、あまりにも血が通っていない人々。彼らは容姿の美醜に拘らず着ているものは一流であり、入念に施された外見、つまりは見栄の下、三宮からこのコールド・ヴェインを通り抜け、再び神戸という街の心臓に絶え間なく注ぎ込んでいるのだ。それでは、この心臓を動かす酸素の供給源はどこにあるのか? その答えを、私は旅の終わりに知ることとなる。
 歩いて異人館方面へ向かう途中、「縁結びの生田さん」こと生田神社に立ち寄った。元陣内夫妻が結婚式を挙げた場所である。朱塗りの大きな鳥居と神殿に、多数の参拝客。境内の端で史蹟「生田の森」という看板を見かけたので、裏手にある鎮守の森を覗いた。数本の神木の下を人工的に固められた遊歩道と申し訳程度の小川が這っており、辺りには石碑が散在している。ここに限らず、全国どこでも史蹟というものは似たような様相を呈している。かつてあったという事実がそこに残ってさえいれば、形はどうでもいいのである。ここは雰囲気こそ薄暗く神聖な感じで、昔は広大な広葉樹林が社を囲んでいたものと思われるが、京都下鴨の糺の森がもはや森とは呼べないほど縮小しているのと同じで、空の光があちこち透けて見える程度の木立と化している。本当の意味での自然などどこにもないこの現代、かつてあったものの威光は一体この先をどこまで照らすのか。もの寂しさだけを覚えて私はそこを去った。
 山手へ向かう長い坂を登り、神戸北部の一角にある北野異人館街に到着した。ここは旧外国人居留地で、瀟洒な洋館が立ち並んでいる。その中のいくつかは一般公開されており、入館料を払えば中に入ることができる。「公開異人館」や「一般公開異人の家」などという看板が目につくが、決してタダという訳ではなく、入口では安くない入館料が請求されるため注意しなければならない。通りにある有名なスタバを含め、なんとなく全てがハリボテであるかのような印象を受けた。北野という地名については、京都の北野天満宮を勧請したことに由来するそうだ。上り坂を終えた後に現れる長い石段の先には北野天満神社があり、その境内からは神戸市内が一望できる。私はそれらに用がなかったので、広場の猿回しの芸者と数名の観客を横目に足早に通り過ぎた。うろこの家裏手の細い横道から山へと入ると展望台があった。街を眺めやると、近くに聳えるひときわ高いビルが目についた。ジークレフ新神戸タワーというマンションだ。葉陰からにょきっと飛び出た大建造物という構図が面白く、数枚のモノクロ写真を撮った。道中、先日の台風の影響か崖崩れが起こっていたが、崩れた土砂の上に道が作ってあった。そのまま山道を突き進んでいると、ヨーロッパから来たと思しきカップルとすれ違った。このような観光地から外れた自然の中を歩いていると、地元の人の他になぜか欧米人と出くわすことが多い。その一方で、アジア系の旅行者を見ることは少ない。これら二者は旅に求めるものの傾向が異なるようだ。私はどこにいても緑を欲するタイプなので、山や森へと続く道を見かけるとするする入ってしまう。そのせいでフランスに行った時などは、ブーローニュの森であわや迷子になるところであったが、それもまた良い思い出だ。布引ハーブ園へと延びるロープウェイの下を通り、北野から1.5kmほど歩いて辿り着いたのは落差43mを誇る布引の滝である。この雄滝と少し下流にある雌滝を合わせて夫婦滝と称する。神瀑の名に相応しい威容で、水の流れ落ちる様子はまさに白布が垂れているかようだった。モノクロ写真を数枚撮った。良い画が撮れたと思う。カメラ屋のおっさんに見せてやりたいと思った。日が暮れかかっていたため、そこにいたのはハイカーが10〜20名ほどと少なかった。が、階段を下りてくる年配の彼らは皆酒臭く、それは山中に茶屋があるためであった。古びた茶屋を少し冷やかした後、再び滝を見上げた。滝壺はたっぷりとした水量があり、翡翠色の水が綺麗だった。傍に立っていた説明看板を見ると、観光客への配慮で、滝の水が一定になるよう上流のダムからの放流量を調節しているという。一時の来訪者としてはありがたいが、やはりここも人の手が加わった「自然」であるのかと思うとまた少し虚しくなった。
 麓まで引き返してきたあたりで、ふと三宮駅からポートライナーに乗ろうと思った。それはこの旅の中で最良の選択だった。吉田篤弘が『神様がいる街』で、神戸港につくられた人工島を一周して戻ってくるこの無人運転の電車のことを、「横に回る観覧車」だと言っていたのである。私はそれがどのようなものなのか興味をそそられていた。以来、神戸に行ったら乗ってみようと思っていたのである。三宮で切符を買ってホームへ。空港行きと埠頭行きがある。電車は時間通りに客を吐き出し、かつ吸い込み、淡々と運行している。埠頭行きの一番前の席を陣取って足を投げ出すと、自分が歩き疲れていることに気づいた。車両は音もなく発車した。そうして至極のろまなジェットコースターにのったような気分で、目の前で次々に繰り広げられる光景をぼーっと眺めた。もう夜になっていた。埠頭、海、ポートターミナル、公園、団地、学校。レールの下に浮かんでは消えた。いくつかの駅を経て、電車はもと来た方向へと戻る。船舶、イケア、流通基地、駐車場、ビル。最後に、海にかかる橋から言いようもなく綺麗な市街の夜景が見えた。それは今日、唯一の感動であった。神戸よ、煌びやかな街を黙々と動かし続けているのは、これらの埠頭や空港から送り出される人や物なのではないか。街路が血液の体循環を象徴しているとすれば、きっとポートライナーが結ぶラインは肺循環であり、海をぐるりと一周し、街と一時的な自然状態とを往還することで神戸のダイナモを支えているのだ。車両に乗り込んだ人々は、ぼんやりと景色を眺めたり、おしゃべりしたり、仕事や学校に向かったり、または家路に着いたりと、目的はバラバラであろうが、普通の夜の電車にありがちな雰囲気とは違った、何か独特な、人をわくわくさせる期待に満ちた空間が夜��滑って行くかのように思えた。海で仕入れた清新な大気とともに貿易センター駅で降り、三宮駅まで歩いて戻る時にこの仕組みが分かって納得した次第だ。あまりに疲れていたのでそれ以降は何も考えられなくなり、駅前でうどんを啜って帰った。京都に着いた時、友人から連絡があり、元田中の中華料理屋「上海バンド」で落ち合った。そういえば、海から見えた神戸市街も、以前にネットで見た上海外灘(バンド)の夜景に似ていたな、などとぼんやり思いながら麻婆白子やら羊のクミン炒めやらをつつくうち、ついつい飲み過ぎ、結果として予想とは違った方向で自分を見失う夜となった。
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