#慌ただしい旅行になりました
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24/04/2024 part5






母が歩けないけれど、歩くのをやめると動けないとぐずり始めたので急遽、YOKADOで休憩をとることに。
ここは現金不可の店舗になります🆖






霧島さくらフルーツランドでシュークリームのイートインをさせてもらうことに。
レモネードの果実が入っていて、カスタードも甘ったるくないし、レモンの程よいさっぱり感が美味しかったです。


平日で他にお客さんもいないこともあり、店員さんに事情を伝えて、母はお店で休憩、私は天文館エリアを少しだけ散策👣


バタバタしながら母を迎えに戻り、母が「帰りたい❕」と言い始めたので慌ただしく鹿児島中央駅に戻りました。




夕食は市内で食べるはずでしたが、母が家で食べるとごね始めたので、すぐホームに向かいました。
楽しかったけれど、消化不良になる3年ぶりの鹿児島市内でした😭
次は落ち着いて来たいけれど、いつのことやら…汗
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休暇の取り方。偏見かも知れないけど特に日本人は連休があると遠出や旅行をして滞在地でも慌ただしく予定を詰め込む傾向にある。もっと読書でもしながらのんびりとした時間を楽しんだり「何もしない」ことを味わうのも良いと思う。今後やりたいことをじっくり考えるのも良い。
Kazuhiro HoriさんはTwitterを使っています (via leomacgivena)
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【日本の有名温泉地はこれからどうなっていくのか】 数年前に訪れて感じた登別温泉の魅力が急速に失われていくのを目の当たりにした。 温泉の泉質は最高だし、コンビニのおばちゃんも、お昼を食べたピザ屋さんの店員さんも優しくて感じが良かったが、正直『もう来ることはないかも』と思ってしまった。 外国人観光客(主に東アジア人)でごった返す入浴施設。湯舟にタオルを入れるのは当たり前、長い髪の毛も束ねずにバジャーっと入ってしまう人々の群れの中でちんまりと温泉に浸かる少数派の日本人。 脱衣所に一応注意書きもあったが全無視だもの。まぁ、そうよね、彼らがその辺に書かれてる注意書きを読んで実行するわけがない。 あまりにも人数が多すぎて、 『タオルは湯舟に入れてはいけませんよ。髪の毛はくくりましょう』 といちいち注意して歩くわけにもいかないし、掃除のオバチャンも見て見ぬふり。 こうなると彼女らが入ってきたら静かに出るしかない。不愉快な場所から一刻も早く離れたいと思う気持ちが勝ってしまう。男性のお風呂はどうなのかしら。 豊平峡温泉も同じような感じだった。豊平峡のほうがまだマシだったが登別は本当に酷い。 コレじゃあ日本人が寄り付かなくなるのも時間の問題だわよ。 近いうちに登別温泉は中国人の保養地となり、日本人にとってはパスポートの要らない中国、みたいな感覚になるだろう。 日本に着陸する着前の機内で、『日本で温泉に入るなら』の注意書きを入国カードと一緒に渡したりできないのかしらね。まぁやったところで効果は期待できないが。 帰り際、旅館前のバス停で、たった今着いたと思われる3、40代くらいのオッサン2人が大声で喋りながら(中国語)煙草を吸っていた。じぃっと見ながら通り過ぎると、目が合ったもののどこ吹く風。私が見ている前でタバコの吸い殻を雪に埋めて立ち去っていった。 みんなで使うものを綺麗な状態で保とうという気がないのは、国民性なのかもしらん。約50カ国���をしたが、『街が汚なすぎる』という理由で出国を早めたのは後にも先にも中国だけだった。 こういう事を言うと『ヘイトだ!』 『差別だ!』と言ってくる日本人も居る。私だってこんなこと言いたかないが、日本全国がこの状態になってから慌てても遅いのだ。 あちらの人口を考えてみてほしい。 14億人いるのだ。 その気になれば1億人送り込んだって痛くも痒くもない。今は観光地が荒れる程度だが、日本人より中国人の人口が多い市町村が出来てきたら、チベット、南モンゴル、ウイグルの二の舞になることは目に見えている。現在進行形で他国を侵略している国の人々を警戒するのは当たり前のこと。
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2024/11/2

11月2日 朝から頭の中は読みすめられていないフェミニズムの本のことで慌しかった。読み進められていないのに! 今まで自分が良いと思ってきたものや事、特に、撮ってきた写真が、今の社会構造でどう見られてしまっていて、それを許せるのか争いたいのか、そもそもこんなこと気がつかないふりをしていたのか、自分のことがまた違う方向からよく分からなくなってきた。 30歳で消えたいとか、子供と犬を両手にそんな若い人あったな、と思いたく無い!とか、面白いって言われて“いいね!”に救われていることとか、確かに思ったことだけれど、今はその思ったことが自分だけでそう思えたのか自信がなくなっている。

わーっとなりながら、午後のヨガの前に有楽町へ取り寄せした服を受け取りに行った。 移動中にフジファブリックの活動休止前ラストライブのチケット抽選に申し込んだ。 雨だったのでレインコートを着て丸の内をふらふら歩きつつお店へ向かう。フジファブリック好きの学生時代お世話になった職員さんはお元気かしら。そろそろお会いしたいような。
ケイニノミヤのシャツが可愛かったので、それだけ買い取ることにしてお会計をしようとしたら、財布がないことに気がつく。 ほとんどコード決済で済ませる日々で、お財布をコンパクトにしたのもあり鞄を変えた日は忘れがち。

雨だし荷物を持ちたく無かったので、あまり後悔もせずに取り置きの服は全てキャンセルして置いてきた。 ただSuicaのチャージが帰り道分の運賃が足りないかも?な不安を抱えながら、国際フォーラムで展示を鑑賞。 視覚障害の方向けの絵本があったり、手話通訳付きの落語の公演が開催されていた。 絵本は、点字とイラストの輪郭線が凸になった“まんじゅうこわい”が展示されていた。本の最後にQRコードがあり、それを3Dプリンターで読み込むとお話しに出てくるお菓子(饅頭や月餅や団子な��)のモデルを作れるとのこと。 実際に3Dプリンターで出力したお菓子がお皿に盛られていた。

東京駅で入場すると、Suicaの残高は349円。 足りなくもなさそう?とヨガへ向かった。 手話を習い始めた友人は、今トルコに滞在中のはずで昨晩はそれを思い出して東京ジャーミーのドキュメント72時間を見た。 トルコは6時間前の時刻。友人は元気かしら?無事に帰ってくるといいな、と思いながら帰りの電車に乗っていたら、途中で乗車してきた女子高生3人が、沖縄の修学旅行で宿泊予定のホテルについて話をしていた。 脱衣所がなく部屋から直でお風呂、という間取りらしい。
駅に着いて、とりあえず改札を出てみよう、とSuicaをタッチすると残高不足の赤いランプが光ってバタン!とゲートが閉まった。 駅員さんに事情を話すと、誓約書を書いて、お金を要して戻ってきて下さい、とのこと。 「切符を買うことになるので、400円不足です。」と言われ、17時ごろまた400円持って戻ります、と告げて改札の外に出してもらった。

ヨガの後、隣町のショッピングモールで友人と会って、最近娘さんが産まれた共通の友人へお祝いを探した。探しながら近況を報告しあった。 自分の休職〜入院騒動までの話をして、だいぶ心の中が落ち着いていることに気が付く。 ただ、他人を祝う余裕はなく、何を買えば良いかを考えることができなくて友人のアシスト通りに鯛めしセット(?)を買ったり (私がもらったら、ずーーっと棚に入れっぱなしで、賞味期限を切らしてしまう案件。)
この後予定がある友人はミスドを食べる、と言って列に並び、私も店舗の外までは一緒に並んで別れ際ギリギリまでお話しをした。 彼女の好きなミスドメニューはDポップだったな、と思いながら「何を買うの?」と訊ねると「うーん、ポンデリングかな」と答えた。 しばらくお腹を壊し続けていて、でもずーっとミスドが食べたかったからやっと食べられる!と喜んでいた。
昨日であまちゃんを全て見終えてしまい、時を超えてあまロス中。 ドラマを見られるようになったので、新しいお気に入りを見つけたい。

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今日はお休み。
女子会参加のため、
早朝から電車に2時間ほど揺られてまいります
ほとんど人のいない駅で券売機で切符を買おうとしたとき、なんだか切羽詰まった様子の外国人青年(中国人かな?)に声をかけられる。
お互い拙い英語での慌ただしい会話
券売機はクレジットカードか現金のみ対応なのに、彼は、PayPayしか持っていないということらしい
私に何ができるのか
さらに何か訴えかけている彼
彼のオタオタぶりに、私もオタオタ
そこに派手めの女子現る
彼は、役に立たない私を見かぎり
女子に訴える
そして、目の前でPayPayによる換金が行われて
ああ、そういうことかっ
PayPayを持たない自分が時代に少し取り残されている感…
そして、今
まだ暗い窓の外を見ながら
海外を旅してるとき、いろんな人たちに助けてもらった恩返しを、しそこなったなあ
ちょっと情けないなあと考えてる
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'25/06/01🌞
日帰りで大阪万博に行ってきた。
1限行くより早く起きて新幹線にのり、芸術祭直前期の22:00開放くらいの時間に帰ってくる弾丸旅行。
朝ご飯は紐を引っ張るとあったかくなるタイプの駅弁を食べた。説明見てなくてすぐ開けようとしたら熱すぎてびっくり😧あったかいお肉おいしかった😋


新大阪までは家族で行ったが、両親はポケモンGOイベントに行くため駅からは単独行動した。新大阪から本町の御堂筋線がすごい混んでいたが、夢洲までの中央線は座れるくらい空いていた。11:00からという遅めな時間のチケットだったので入場も10〜15分くらい並べば入れた。
入園後まずマルゼンと松坂屋のお土産物屋さんに行った。入店にマルゼンが15分、松坂屋が5分くらいかかった。一緒に過ごすミャクミャク選びから始めたかったし最後に慌ててお土産見ると本当に欲しいもの以外も無駄に買ってしまうので最初に見た。マルゼン限定のピンクミャクミャクがかわいくてお供にすることに決めた。スタンプラリーやフロッキーフィギュアも買っていった。松坂屋はカプセルフィギュアが6月中旬まで売り切れでなくて絵柄がランダムな風呂敷を買った。お土産物屋さん見るの楽しいし優柔不断なので1時間以上お土産見て終わった。


その後は大屋根リングお散歩したり周りの写真取って、予約していた関西パビリオンに行った。和歌山エリアで 「wakayamaの森と恵みのペアリングセット」 を食べた。6000円するだけあって上品な味だった。上段の和菓子より下段の甘くない料理の方が好きだった。

コモンズAに行ってスタンプラリーしてトルコパビリオンに行ってお土産を見た。誕生石の色なのでターコイズブルーのブレスレットを買った。迷子になりつつ周りをお散歩してからもう1回トルコにもどってパビリオン入り口のキッチンカーみたいなので出ていたトルコ料理を食べた。トルティーヤみたいなやつでおいしかった。


19:00頃に新大阪にもどって両親と合流。帰りもこの時間なら電車普通に乗れた。
明るい時間に行ったからか虫全然いなくて快適だったし予約なくても並べば(ちょっと混んでるディズニーくらいで全然許容できる待ち時間だった)楽しめると思った。スタンプラリーの続きもしたいしまた行きたい👀🌟
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ヤナホド習作:終の羽音、昇る煙
魔女の里で烏で生きる事を選んだ者とヤーナ様の別れの話。
いつもどおり雰囲気小話全開です。 本編後、ちゃっかり二人は一緒に夜を明かす関係です。 ヤーナ様とニーナちゃんの親密会話で、カラスに変身した里の人が出てくるんですが、動物に変身して生きる里の人を看取るヤーナ様の話が降ってきたので、書きたい!となり練り練りしていたもの。
動物に変身しても人間の寿命なのかな?本来その動物の命の尺度に体のつくりなど理由は有るので、やっぱり変身したらその動物の寿命になるのかしら…とか色々考えてましたが、ふんわり書かせて頂いております。
葬儀関係は、信仰に関わるのでどうしたもんか、土葬っぽいんだけど、ニコバーの中って全員教会信仰してる訳でもなさそうだし、宗教によっては火葬は避けられてるんだけど、どうなんかねぇ~と思いながら、空に還す選択を取りました。
BGM:Last Smile / LOVE PSYCHEDELICO
↓以下 小話本編です
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どんっ
明け方、まだ陽も地平線に覗くかどうかの時間。ヤーナの部屋の窓に何かがぶつかる音がした。一緒に寝ていたホドリックがばっと起き上がると、同じく起き上がったヤーナを庇う様に腕で制する。 二人が息をひそめてしばらく様子を伺っていると、コツ…コツ…と小さく窓を叩く音がし、音の主である小さな��い影が窓枠越しにベッドからも確認できた。 「ん?……嗚呼、大丈夫。あたしの友人が訪ねてきたようだ」 「友人…ですか?」 ヤーナが寝間着のまま仄暗い部屋の中をコツコツと音の鳴り続ける窓へ向かうので、ホドリックも慌てて後に続く。窓の外には羽の乱れた烏が一羽、二人を見上げていた。 「烏…の様ですが…」 「そう、烏。そしてあたしの付き合いの長い友人でもある」 戸惑うホドリックをそのままに、ヤーナが窓を開けると烏に手を伸ばし羽や体をさする。まだ陽の昇っていないひんやりした風が部屋に入り込んだ。 「怪我はしてないね、よかった。坊や、そこにある布を持ってきておくれ」 言われるがままにホドリックが指示された通り布をヤーナに手渡すと、ヤーナはその布で烏を優しく包むと胸に抱え、窓を閉める。 「約束してたからね。勿論忘れてなんかいないさ。居場所、ちゃんと伝えておいて良かったよ」 ヤーナはそのまま床に座り込むと、布に包まれた烏を優しく床に下ろす。 「ヤーナ様、その烏は…」 ランプに火を灯して、肌寒いだろうと自分のシャツを持って近くに跪いたホドリックにヤーナが笑いかける。 「さっき言った通り友人さ。少し前に話したかね、人で生きる事を辞めた里の者がいるって。こいつはね、烏として生きる事を選んだ…あたしの大事な友人なんだよ」 ホドリックにシャツを肩にかけてもらいながら隣にいる烏を優しく撫でるヤーナの眼差しは柔らかいが、友人の訪問だというのにどこか悲しげだった。 「あの…」 「ごめんね、少しふたりで話したいから、坊やはベッドで待っててくれるかい?まだ支度を始めるには早い時間だろう?」 「そうですが…」 ホドリックがヤーナの近くにランプを置き、窓に視線をやる。まだ窓の外は薄ら明るくなってきたところだ。いつもならばまだ眠っている時間である。 「……そうだよ、この子がいつも話してるホドリック坊やさ。ふふ…、うん、そうだろう?いい男なのさ」 小さく烏が鳴いたのにヤーナが笑って答えるのを見てホドリックがぎょっとする。 「ごめんごめん、驚かせたね。……長くはならないから、ふたりにしておくれ」
うん、そうだね そうかい、大変だったねぇ こんなに頑張ったんだ、誇っても良いだろうさ ん、そう…
ベッドへ戻り、仰向けに横になったホドリックは視界の端で様子を伺っていた。窓の近く、隣にいる布に包まれた烏を時折撫でながら穏やかに話すヤーナの声は悲しげで、先程の眼差しの事も有り気になるものの今は待つしかない。 ランプの灯りに照らされるふたりを眺めながらほのかな睡魔に身を任せ瞼を閉じる。 しばらくするとヤーナの声が聞こえなくなり、瞼を上げ様子を伺う。しばし様子を見ていてもヤーナが身動��一つしないので、流石に心配になったホドリックがベッドから起き上がり声を掛ける。 「ヤーナ様、その方は」 「今、旅立ったよ。…里で送ってあげないと」 震える声に、ホドリックがベッドから立ち上がるとヤーナへ歩み寄り隣に座った。ヤーナが膝の上に抱きあげた布の中では烏が横たわっており、その体は動かない。その羽をヤーナが優しく撫でる。 「看取りをね、お願いされてたんだ。いくら人として生きる事を辞めて鳥として生きることを選んだとしても、自然の中でひとりで死ぬのは怖かったみたいでね。もう長くないと、少し前からお願いされていたんだ。必ず行くから、里長の所で看取って欲しいって。こんな寸前にさ、よく間に合ったもんだよ。立派に生ききったもんだ」 「(どんな間柄なのかを聞くのは野暮だな…)」 愛おしそうに目を細めるヤーナに、口から出てしまいそうになる言葉をホドリックが飲み込む。 「里で葬儀を行うのですか?」 「うん。準備して里へ行ってくるよ。数日空けるからアレインに声を掛けてからだね。特に急ぎの仕事も無かったはずだし、許可はもらえるはずだけれど…」 「私も同行してよろしいでしょうか?」 「⁉…近衛の仕事はいいのかい?」 「勿論陛下にお話しして許可を頂けたらですが…。もし許しを得られたとして同行はお邪魔でしょうか?」 烏を抱くヤーナの手にホドリックが自分の手を重ねる。 「……邪魔なんかにはならないよ。こいつには修行仲間以外、家族もいなかったし…。喜ぶと思う」 ヤーナが顔を伏せ震える声で言うとホドリックへもたれかかる。 「ホドリック」 「はい」 「ありがとう」 ホドリックが見下ろすヤーナの膝の上、烏の羽に雫が落ちるのを見て、ホドリックはヤーナの背中に腕を回しぐっと抱き寄せた。
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みなさんお久しぶりです。年末なので今年もここにやってきました。
引っ越しして一緒に住んで、結婚して、妊娠が分かって、慌てて結婚式の準備をして、最高の結婚式をして、行きたかったところに詰め込むようにたくさん旅行して、初めて二人で年末をすごしています。
怒涛で、でも毎日平穏で楽しくて、初めてのことだらけで、ドキドキもして、あれよあれよと時間が経った。
おはようまた今日が始まって、夜またここに帰ってくるまでがんばろうって起き上がって、仕事もそこそこ楽しく過ごして、でも早く帰りたくて、一緒にご飯を食べてお風呂に入ってテレビをみて、やっとベッドに戻って、今日もがんばったねやっと帰ってこれたおやすみ。たくさん繰り返して、とても幸せな1年でした。
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p18 「それが、城塞にも全く兵がいませんでした。 “The fortress was completely empty of soldiers, too.
私も偵察に行ってみたのですが、人っ子ひとり……。 I went to see for myself. Not a single soul.
おかしなことと言えば、内部に設けられた戦没者の墓が荒らされていたことでしょうか」 But the weirdest part was that the graves for the fallen soldiers had all been disturbed.”
「墓が、ねえ……」ビクトールがごしごしと無精髭を擦る。 “Graves, eh?” Viktor rubbed his hand across his unshaven face.
「どうだい、ティル?墓が荒らされた城塞、一人で赴任した将軍とやら……。 “How ‘bout it, Tir? A stronghold where all the graves’ve been messed with… everyone gone but the lone general…
ロリマー地方は謎だらけだ。なんか面白い旅になりそうじゃねえか?」 Lorimar’s sure fulla puzzles. Sounds like a pretty good adventure, don’t it?”
「うん……、でもいいのかな?」 “Mmh… but can I really go?”
うつむいたティルに、フリックも言う。 Tir hung his head, dejected.
「ティル、聞いてくれ。 “Hear me out, Tir,” Flik chimed in.
ロリマー地方には帝国も一目置いていた戦士の村があるんだ。 In Lorimar, there’s this place called the Village of Warriors. Even the Empire recognizes their strength.
この村は男は皆戦士、女は皆魔法の使い手なんだよ。 See, in this village, all the men are warriors and all the women are mages.
ビクトールのたわごとはおいといて、彼らが力を貸してくれるなら、俺たち解放軍にとってこれほど強い味方はない。そうは思わないか?」 Ignoring all Viktor’s nonsense, if we could enlist the people of that village to the Liberation Army’s cause, they would make a powerful ally, don’t you think?”
「彼らって、お前、他人事みたいに言うねえ」 “You keep saying’ ‘they’ like they’re a buncha strangers.”
すかさずビクトールが悪戯っぽい笑いを浮かべる。 Viktor butted in, grinning slyly.
「ティル、知ってるか? フリックはその戦士の村の出身なんだぜ。 “Hey, Tir. Wanna hear somethin’ good? Flik’s actually from that very village of warriors.
この村には面白い風習があってな、 村の男は戦士と認められると成人の儀式って名付けられた 旅に出されて、何か立派な働きをしなきゃ村に戻れないんだそうだ。 And the village has this very interesting ritual. To be recognized as a warrior, the men of the village gotta do this ceremony to become an adult, right? They go on a journey to make a name for themselves. Seems they can’t come back ‘till they’ve done somethin’ really noteworthy.
そんて、こいつは未だに村に……」 And guess what? Till this day, Flik ain’t ever gone back…”
「う、うるせえ!!だから今こうして頑張ってるんじゃねえか!!」 “Put a sock in it! I’m trying to go back now, aren’t I?!”
P19 慌ててビクトールの言葉を遮ったフリックは、席を離れてビクトールを押しのけ、ティルの前に立った。 Interrupted Flik, clearly riled. He got up from his seat, pushed aside Viktor, and stood in front of Tir.
「なあ、ディル。だから行こうぜ。たまには外の風に当たりにいかなくちゃ。城に籠もってたって、落ち込むばっかりだろ?」 “Come on, Tir. Let’s go. You gotta get some fresh air. Staying cooped up in the castle all the time is bringing you down, right?”
フリックの声は、優しい響きを帯びていた。 There was kindness in Flik’s voice.
ティルが顔を上げると、フリックが柔らかな笑顔を向けていた。 Tir lifted his eyes to look at his friend and saw a gentle smile on Flik’s face.
しかしティルは、すぐには答えられなかった。 But he hesitated before answering.
自分が解放軍のリーダーである以上、無闇に城を空けるわけにいかないのではーー。 I’m the leader of the Liberation Army. Besides, I can’t just leave the castle on a whim…
ティルがマッシュに視線を移すと、マッシュも微笑みを向けていた。 Tir’s gaze shifted to Mathiu and he saw that the tactician was smiling, too.
「ティル殿、こちらのことはご心配なく。今の帝国には、向こうから攻めてくるだけの力も余裕もありません。それに、味方を得るのに、リーダーであるあなたが出向かなくていったい誰が行くのでしょう?」 “Lord Tir, do not fret about us. The Empire does not even have the resources to launch an attack on us right now. Besides, it is one of your duties to recruit new allies for us, as our leader, is it not?”
「よし、決まり!!」ビクトールとフリックは同時に叫んて、それぞれがティルの肩をぽんぽんと叩いた。 “Right! That’s that, then!” Viktor and Flik yelled at the same time, and each thumped Tir on the shoulder.
「さあ、ティル、早いとこ準備しとけよ。出発は明日だ」と言いながら、フリックが足早に部屋を出る。 “Okay, hurry up and get ready, Tir! We leave tomorrow,” said Flik, already leaving the room himself at a brisk trot.
「ええつ、そんなにすぐに?」 “What, so soon?”
「決まってるだろ、『善は急げ』だ」 “It’s like they say, once you’ve made up your mind, strike while the iron is hot!”
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#Suikoden#Soul Eater#Chapter 22#Heya!! I'm back!!#celebrating finally finishing a deadline of mine with two more pages#whoooo#that was fun#definitely not a trap Viktor
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9月21日午前6時に父が亡くなった。 老健からの退所が決まり、週末のみ自宅で過ごすことが決定してからの 我が家はまさに上を下への大騒ぎだった。 家の中までの導線を確保した上で車椅子が通るよう道を整備し、 父が使っていた寝室に入るサイズの介護ベッドを調達して 高齢の母の負担が極力減るようにヘルパーの力を頼りながらの受け入れ生活だったが あれほどの労力をかけて準備したにも関わらず、わずか2ヶ月ほどでピリオドを打った。 コロナ感染からの重症化で一時は命も危ぶまれた父は、奇跡的に回復するも 肺炎により嚥下機能が著しく低下していたため誤嚥性肺炎��繰り返しては再入院し、 「急変した際の延命治療はどうしますか」とその都度医師に聞かれた。 そして3度目の再発で入院し、同じように「どうしますか」と問われた時、 半ば慣れっこになっていた私たちは「回復の希望があるならできるだけのことはやってほしいが 機械の力を借りて心臓を動かすだけの措置なら不要」と回答した。 そしてその翌日、まるで私たちの会話を盗み聞きしていたかのように父は逝った。 今年もケムコ様より東京ゲームショウにお誘いいただいていたのだが 父の容体が安定していないことからギリギリまで返事を待っていただいていた。 (快く待ってくださったケムコ様には本当に感謝しかない。ありがとうございます。) 最初から断ることも考えたが、遠出すれば気分転換になるかもという現実逃避的な思考もあり 引き延ばすだけ引き延ばした挙句に父が選んだ旅立ちの日は9月21日、東京ゲームショウの開幕初日だった。 父についてのエピソードで一番古い記憶を辿ると、幼稚園のクリスマス会になるだろうか。 園児のところにサンタがやってきて菓子を配る恒例の会で私も楽しみにしていたのだが 当日やってきたのはサンタのコスプレをした父で、特に素性を隠すでもなく 大声で私の名前を呼びながら「おおしのびん、今年はワシがサンタじゃ」と菓子を手渡した。 私は幼稚園の年少組にして「サンタは親が演っている」ことを知ってしまったのである。 生粋の目立ちたがりで役職のつくポジションが大好きだった父を見て育ったせいか 私は人一倍自分を表に出すことを避けるようになり、今もこうしてハンドルネームでブログを書いている。 母から「お父さんのようになってはダメよ」と言われて育った私は、 言ってみれば父を反面教師にして出来上がった集合体のようなもので、何から何まで合わない。 合わないのに、成長するにつれて父に似た部分が体のあちこちに、思考の節々に現れては嫌悪した。 今にして思えば、父のようになりたくない、は、父のように何事にもオープンで大らかには生きられない 内向的な自分の劣等感が生んだ、羨望からくる逆恨みだったのかもしれない。 そのことを受け入れ、父の中に幾らかの可愛らしさを見出してからの親子関係は 世間で言うところの仲の良い親子には届いていなかったかもしれないが、そう悪くもなかったと思う。 3度目の入院の知らせは突然だった。 デイサービスから「微熱があり酸素量も少ないため念のため病院に連れていきます」と連絡があり またかと思いながら病院に駆けつけた��� 前々回、前回と同じようにしばらく入院して、回復すればまた退院するのだろうとぼんやり考えていたので 入院手続きのために膨大な枚数の用紙に記入しなければならないことの方が気が重かった。 翌朝面会に行くと、父は痰を吸入してもらって楽になったのか静かに眠っていた。 夜中も1、2時間おきに吸入をしていたと聞き、頭の下がる思いがする。 とてもではないが、このケアを自宅ではできなかったろう。 父は私のことはわかっていたようで「会いにきたよ、わかる?」と聞けば小さく頷いていた。 「元気になって、また家に帰ろうな」と声をかけるとまた小さく頷いていて 「この様子なら大丈夫だろう」と少し安堵した。 しかし、翌朝の医師の説明では、心臓の機能が大分弱っているので 肺炎が治るよりも先に心臓が持たないかもしれないと告げられた。 そして、冒頭に書いたように「無理な延命治療は本人も辛かろうし不要。 楽になるための治療なら全力でお願いします」と回答して帰宅した。 その日の深夜、病院から容体がおかしいと電話があり、孫たちも連れて慌てて深夜の病院に 大勢で押しかけると、別室に移動した室内で父はスヤスヤと眠っていた。 「みなさんが到着される直前に急に安定し始めて」とナースは申し訳なさそうに笑ったが 「人騒がせなじいじだ」と悪態をつきながらも皆笑顔だった。 その翌日、またしても深夜に病院から電話があり、同じように大勢で深夜の病院に向かった。 酸素がなかなか上がってこないと昨夜より病室内の空気に緊張感があったが 当の本人は傍目には穏やかに眠っているように見えた。 「こんなことがこれから毎晩続くのかしら」と母が疲労困憊の様子で口にするのを聞きながら 昨日医師に「まぁ、こんな感じで心臓がゆっくり止まってしまうほうが本人は楽だと思いますよ。 本当に眠るように、何も苦しまずに済むので。」と言われたことを思い出していた。 ほどなくして心電図を表示している機械から危険を知らせるアラーム音が鳴り、慌ただしくナースが入ってきた。 「まだいったらだめだよ」「起きてじいじ」「起きないと怒るよ」と孫たちがそれぞれ父に声をかけ 「家に帰ろうよ」と姉が語りかけた後に、それまで黙って見守っていた母が父の手を取って話し始めた。 「じいじ、ねえじいじ、本当に好き放題に生きたわね。 突然商売をすると言い始めて、30年間も私にその店を手伝わせている間に 他所で女を作ったり、こっそり家のお金に手をつけたり。 その人を連れてゴルフに旅行にと遊びまわり、飲み歩いてね。 子育てなんて全部私に任せっきりで、ほとんどしなかったでしょ。 でもねじいじ、私はそれでも、あなたにまだ居て欲しい」 父の左手を両手で包み込み、まるで駄々っ子を宥めるように話しかける母の言葉を聞きながら 「おいおい���こんな男にだけはなるなと刷り込み続けて今更それはないだろう」と思ったりもしたが その言葉を聞いて、つくづく夫婦のことは夫婦にしかわからないのだと思い知らされた。 そして母が話し終えるのを待っていたかのように、9月21日午前6時に父の心臓は動きを止めた。 息を引き取る直前まで、話しかければ反応していたし、ゆっくりと腕を持ち上げたりピースサインも出せていて 「ぎゅっと握ってごらん」と言えば握り返していた父の時間は、本当に呆気なく止まったのだった。 けたたましい機械音さえなければ寝落ちを疑うほど穏やかな最期だった。 入退院を繰り返したとはいえ、何週間も昏睡状態が続いたわけでもなく、 在宅介護開始から2ヶ月、再入院から僅か2日で逝った父は ピンピンコロリとまではいかなくとも、ほどほどコロリぐらいの称号は与えても良い気がする。 面倒を見ていた親族の誰も介護疲れに陥らせず 別れを惜しむ気持ちを十分に残した上で旅立ったことは、家庭を振り返らず仕事に恋に奔放に生きた父が 珍しく見せた父親らしい気遣いと言っていいかもしれない。 週末は自宅で皆に介護されながら、コロナ感染の入院直前に食べるはずだった念願の鰻もちゃんと食し 早朝にも関わらず親族8人が見守る中で逝けたのだから、幸せだったろう。 亡くなる前日の朝、家族がいる手前では気恥ずかしさが勝ってしまい、正直な気持ちを話せないと思った私は ひとりで病院に面会に行き、眠っている父に向かって幼い頃から反抗的な態度を取ってきたことを詫びた。 「できの悪い息子でごめんな」と耳元で話していると、父が一瞬、私の手を握り返してきた、気がした。 あの時間がなければ、私の後悔はもっとずっと大きかったと思う。 テレビで何度も見かけた「9月21日午前6時21分、お亡くなりになりました」という医師の言葉を聞き終えて外に出ると もう空は明るくなり始めており、電話1本で飛んできた葬儀屋と話をしているうちにすっかり陽は昇った。 秋晴れの爽やかな朝だった。 悲しみに浸る暇もなく、数々の段取りが始まった。 実を言うと、2年ぐらい前から「親が亡くなった時にするべきこと」という ハウツーのページをブックマークしていて、折に触れて読み返すのを癖づけていた。 10年以上前の別れでは狼狽してしまい、何もかも人任せにしてしまった反省から いざという時にあたふたせず、冷静に適切な行動とれるための予習をしていたのだ。 親族と親しい方々への連絡、役所への届け出、葬儀の手配など まるで流れ作業のように進んでいって、翌日には通夜、翌々日の葬儀がすんなり決まった。 通夜の翌日、親族の集まった部屋に入ると、皆が見守る中で父が風呂に入れられていた。 旅立ちの前に全身を綺麗にするオプションサービスで、母が頼んでい��らしい。 髪も丁寧に洗い、顔もパック&化粧までしてほとんど韓流スターのようなフルコース。 一部始終を近くで見ていた姉が「私がやって欲しいぐらいのサービスだったわ」と感心していた通り 仕上がった父はこざっぱりして生気を取り戻したように見えた。 昼時になり孫たちが腹が減ったと言うのでGoogleMapで調べてみると 田舎のため近くにはコンビニぐらいしか引き当たらない。 「仕方ないから適当におにぎりでも買ってこようか」と義兄は言ったのだが 騒がしく葬るのが我が家のスタイルだからと、私の提案でデリバリーを頼むことにした。 幸い、配達圏内にカレー屋とピザ屋が引き当たったため Uberと出前館に一軒ずつ注文を出し、数十分後には親族控室はカレーとピザの匂いで充満した。 父の想い出話を肴にワイワイと盛り上がり、「こんなに騒がしい親族の控室はないんじゃないか」と 誰かが口にするほど賑やかな昼食になった。 年を取ってもジャンクフードが大好きだった父は、すぐ横で羨ましく見ていたに違いない。 皆で盛り上がっているところに葬儀屋が入ってきて、一枚の紙を置いていった。 折り鶴の形をした形状記憶用紙で、皆で一言ずつ別れの言葉を書いてお棺に入れるのだという。 「お疲れ様でした」「あちらでは偉そうな振る舞いをしないように」(←私)など各自が書き込み、 最後に全員のメッセージを読んでいると、看護学生をしている姪が書いたと思しき一文が目に留まった。 「きちんと面倒をみてあげられなくてごめんなさい。立派な看護師になってみせます。」 淡々と皆の様子を俯瞰で眺めてきた私は、その一文を読んで初めて涙腺が緩んだ。 父親としては赤点だったが、祖父としては孫達に慕われる良きじいじだったのだ。 父の顔の広さもあって、葬儀場には置き場所に困るほどの花が届き、弔問客で溢れ返った。 コロナ禍ではとても実現できなかったであろうし、やはり父はツイている。 「いよいよお別れの時です。 生前お付き合いのあった方は、どうか前に出てきてお顔を見て差し上げてください。 仏様は亡くなっても私達に多くのことを教えてくださいます。 命の儚さ、尊さ、多くの教えを私達の心に遺して旅立たれるのです。」 お棺を閉じる前のお坊さんの言葉に誘われるように棺の前に立ち��眠っている父の顔を覗き込んでみた。 次々と収められる花に囲まれた父は、加工アプリで装飾し過ぎた写真のようなビジュアルで少しだけ滑稽だった。 そしてその姿を見てフフッと少し笑った後に、訳もわからず涙が流れた。 時間にしてほんの1分ぐらいだったと思うが、どこかの栓が抜けたようにドバドバと流れて自分でも驚いた。 「最後ぐらい���いてくれ」と、父が私の涙腺(栓)を抜きにきたのかも知れない。 こんな機会でもなければ会うことの無かったであろう、数十年振りの知人や親戚と再会し 様々な思い出話をしていると、この時間も父の置き土産なのだと感じる。 簡略化の進む現代風の葬り方にも良い点はあるが、昔ながらの葬式も、その煩わしさも込みでなかなか良い。 親族用にチャーターした火葬場までの送迎バスに乗り込む際、 片手で骨壷を持ち、片手でスマホを持って自撮りをした。父とのツーショットである。 山の中腹にある火葬場は薄曇りで少し肌寒かったが、待ち時間中はやはり四方山話で盛り上がった。 火葬を終え、小さな骨壷に収まった父と帰宅してから 四十九日までの予定を親族で確認し、それぞれが日常に戻っていった。 数日して何気なくiPhoneの写真フォルダを見ていると、入院時に父と撮った写真が出てきた。 亡くなった9月21日は金曜日、その写真は2日前の19日だったので 写真の上にはまだ『水曜日』と表示されている。 iPhoneの写真は1週間以内なら曜日で表記され、1週間以上が経つと○月○日の表記に変わる。 水曜日という表示に、まだ数日前まで父はこの世にいたのだと気づかされた。 老健に長く入っていたし、それほど頻繁に会っていたわけでもないのに 「もういない」ことが日毎に実感となって、音もなく雪が降り積もるように静かに寂しさが募っていく。 あっという間に四十九日を迎え、近しい親族だけで法要を済ませた。 葬儀の時と同じお坊さんがやってきて、最後にまたひとつ話をしていった。 「四十九日が経ちましたね。 毎日元気にお過ごしでしょうか。 今日はひとつ、時間と命について皆さんに考えていただきたいと思います。 私たちは皆、等しく流れる時間の中で生きています。 亡くなった方の時間はそこで止まり、しかし私達の時間は動き続けます。 時間の止まった方との距離は日々遠くなり、日常で思い出す機会が減ってきたり 悲しみが薄れたりしますが、そんな時こそ、生きていることを自覚していただいたいのです。 今日この場で皆さんと過ごした時間が二度と戻らないのと同じように 時間は先にしか流れないと自覚しながら、1日1日を大切に過ごして下さい。」 私にとって父が良い父でなかったように、父にとって私も良い息子ではなかったろう。 生きているうちにもう少し何とか出来たかもと思わないでもないが、全ては後の祭り。 是枝裕和監督の映画「歩いても歩いても」に出てくる 『人生はいつも、ちょっとだけ間に合わない。』を、まんまと私も体験してしまった。 先人からの教訓を受け取っていたのに、実践を怠って同じ後悔をして その気持ちをこうして文章に残し、誰かが悔いを残さないようにと祈る。 そうやって、人は生きていくのだ。
四十九日 - 忍之閻魔帳
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旅先で買ったアレ、実は地元でも買える件
こんにちは! 旅行や出張で駅に降り立つと、気になるのはやっぱりエキナカの美味しいもの。香ばしい匂いやカラフルなお菓子に誘われて気づけばお弁当やスイーツがずらりと並ぶコーナーに吸い込まれていきます。 そうすると当然、「これ食べたい!」「美味しそう!」というものに出会うんですよね。すぐに食べる駅弁やスナックから、お土産用の豪華な箱入りスイーツまで。あれこれと手に取っては、ついついカゴに入れてしまいます。 大満足して家に帰って食べる。美味しい!ここまではいいのです。でも気づく。「あれ、これ近所のデパ地下にもあるやつじゃない!?」もう自分で自分にツッコミたくなる瞬間です。遠方からわざわざ持ち帰る私。どれだけ慌ててたの?でも、あの時は冷静でいられなかった…!香りと雰囲気に負けたんだなぁ、としみじみ思います。 旅先では「食欲」も「発見の喜び」もマックス状態。だから、つい目の前の「おいしそう」…
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2024年9月1日(日)

ツレアいが代表を務めるボランティア団体・MQJ(メモリアル・キルト・ジャパン)、今日はニュースレターの印刷・発送作業の日だ。いつも通りの小規模家内工業、昨晩編集した原稿を修正し、京都市市民活動総合センターで印刷作業、自宅に戻って折り込みと封入、夕方には京都市中央郵便局で発送、慌ただしくも何とか予定通りに作業を終えることが出来た。後期授業開始まで3週間、明日からは夏休みの宿題を頑張るのだ���

5時15分起床。
体重は850g増。
洗濯機回す。

朝食は奥川ファームの蕎麦、野菜、果物とヨーグルト、豆乳。
洗濯物干す。
珈琲を淹れる。
毎年12月に開催する<メモリアルキルト展in京都>、今日は会場利用の申込日、午前9時に彼女をひと・まち交流館まで送る。最初に予備抽選、その後本抽選、いつもより時間がかかったが何とか希望通りの日にちで場所を確保できたとのこと。その連絡を待ってニュース原稿を持って私がひと・まち交流館へ、予約していた印刷室で作業終了。

自宅に戻ったのが12時35分、息子たちにはサッポロ一番、彼女には伊勢うどんを用意する。
13時過ぎにJcomの担当者来訪、古くなったチューナーの交換について説明を受ける。現在のもはブルーレイドライブが付属しているが、新しいものにはその仕様がなく、外付けドライブが必要とのこと。キャンペーンの利用で¥30,000のキャッシュバックがあるのとことで、チューナー交換に同意、工事日が9/13(金)午前中と決定した。

早速amazonで外付けハードディスクとブルーレイドライブを注文する。
続いて、ニュースレターの折り込み・封入作業。朝のうちにラベルを打ち出し、封筒には料金別納のスタンプを押しておいた。今回の印刷は180部、郵便料金値上げでメール配信をお願いしているが、結局郵送分は約130部。2時間程度で作業を終えて、彼女を京都市中央郵便局まで送る。窓口で発送作業を済ませ、ヨドバシで買い物を済ませた彼女が戻ったのが17時、やれやれ。
彼女と三男でココに点滴、私は夕飯準備。

昨日のすき焼き用牛肉をかさ増しし、奥川ファームのオクラをフィーチャー。
録画番組視聴、日本の話芸。
三遊亭兼好 落語「大山詣り」
初回放送日:2024年9月1日 三遊亭兼好さんの落語「大山詣り」をお送りします(令和6年7月5日(金)昭島市・FOSTERホールで収録)【あらすじ】神奈川県伊勢原の大山は庶民の信仰を集め、連れだってお参りに行く小旅行は江戸時代から盛んだった。長屋の一行は、先達(せんだつ:お参りを引率する役目の人)と、旅の間はけんかしない、もし暴れたら坊主にする、と約束して大山詣りをする。参詣を終えた最後の夜に��って、熊さんが大酒を飲み…
名探偵ポワロ
第4話「死との約束」/ Appointment with Deathシーズン 11, エピソード 4 中東シリアで遺跡見学ツアーに参加中のポワロは、考古学者ボイルトン卿の家族と遭遇する。再婚した妻であるボイルトン夫人は威圧的で、連れ子の息子レイモ ンドと2人の娘キャロルとジニー、婆やのテイラーは常にビクビクしていた。その夜、ポワロは、「あの女に死んでもらおう」と話すキャロルとレイモンドの会 話を耳にする。
今夜も私は途中でダウン。

今日は車移動のみで、リング完成は無理。
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日
1
危ないバランスの取られ方だと思っている。いきなり何を、と思われるだろうけどそういう毎日だからだ。俺は疲れているのか。疲れているから雑貨の雑多な環境を求めてはるばるドン・キホーテに行きたくなるのか。(行けてないけど)または消灯した後の民宿のロビーに怪しく光ってる自動販売機の有り様なんかを思い浮かべたりするのか。(浮かばれないことばかりだけど)
俺は俺が倒れることを期待している、と言われて嘘だとは言い切れない。むしろそれこそが俺という人間の本分を表しているとさえ言ってもいい。コソコソ隠れながら宣言してしまおう。ワタシは卑怯ですと。突然胸が裂かれ、肋骨がアラワになり、臓物が剥き出されたとしても仕方のない立場の人間性でしょう。某単語が思い浮かぶ。思い浮かぶというか祝詞のように無言で念じている。別にそうしたいわけではないが、そうする他、未来はない、選択肢はないとしか思えない夕方頃や夜がある。「持ちつ持たれつ」の感覚を積み損ねているようだった。
2
こっちとしては早々に瞼が重くなっちまいたいのにその欲がある間だけ限って重くならないような日が続いている。この期間に感受性をフル稼働させては危険だ。裏切られるから。無駄な体力の消耗にしか還元されないから。
タイヤの空気圧が規定値よりも随分低くなってて肝を冷やした。入れるのはいいんだけど、入れた後に注入口に栓、するじゃないですか。あれ緊張するんですよね。一度、閉め損なってタイヤのホイールの内側に落としてしまったことがあって、「すいません、あの、タイヤの栓、あるじゃないですか。アレ、ホイールの内側に入っちゃったみたいで、あの、どうすればいいですかね」と慌てて呼びかけてしまってすぐ替えの栓とアドバイスをくれたあの日のガソリンスタンドの店員さん、元気ですか。ああいう人になるべきなんだ。ああいう人にだけ、日は滞りなく循環することを知っている。
3
仕事帰り、訳もなく旅行にでも行ったような気分になりたくて、今、サービスエリアにいる。フードコートで冷たいうどんでも食べようかと思ったけど受付終了していたので、今の所ここでしか見たことがない缶コーヒーを買って、ついでにバウムクーヘンも買って、外の木のベンチでちびちびはむはむしたりしながら、まばらな駐車の光景を眺めている。ここに居るのは皆、どこかしらへ行く中途にある人たちなのだな、とふとよぎって、それはまあ旅行であれ出張であれ、筆舌に尽くし難い動機を抱えての逃避行であれ、いずれはここを出て何処かへ行くのだと思うと、何でしょう、こう、感慨深いものがあった。と同時に変な動機を以てここにいる俺は何だ、などと思ったし、実際ここにいることに何だかしっくりきていないのはそうなのだが、己もまた何処かしらへは行く中途にある人、なのには変わらないはずで、そんな感慨の中で客観的に己の車を見つめてみると、ああなんだか、少しはサマになってるじゃないんですか。
4
( )
(体勢が決まらない、背筋が曲がってる、集中して本に向かえない、苛立たしい車両保険の営業を隣に、喫茶店でオルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』や北村太郎の詩集を読んでいて)……それ自体を表すのではない。それ自体を表さず、それを表すのだ。そして、それが表れているものこそが、僕のよりどころとしていたものだったのか。
でもそれは自分ではない他の誰かが成したものを見ることでこそ得られるし、他の誰かでないと得られない。それは陶酔のようなものだ。そう、だから、自分が同じように、成せると思うな。それが間違いの始まりだよ。成されたことに塗れられるが、成すことで塗れることはできない。そういう意味では、過去、自分自身が言っていたことは間違ってなかった。希望と絶望の中間のような色合いの電灯。
5
……朝、多少の寝不足に由来している頭の重さの中、コーヒーを飲みながら、何か静謐な気分でいる。キャンプの夜飲みののちに、テントから一人這い出て、朝日を真正面に浴びている束の間に生じ続けている気分のような。民宿での飲み明けの、誰もいないロビーの休憩所でぐったり座っている時の気分のような。
例えば本編の軸から少し、敢えて外れさせた場面やキャラクター性を以て展開される二次創作があって、自分はなんとなくだがそんな物語が好きで、ふと思いついては読んだり、偶然発見したそれらをちまちま読んでいたりする。そうしている時間、その時間に付随している「何か静謐な」性質。
寝不足でタスクも山積みで気分の不定期に振りまわされる毎日だが、当たり日ならぬ、「当たり朝」、なのかもしれぬ。読みたいと思っていた詩集をようやく注文し、国会図書館デジタルコレクションにようやく利用登録し、何もかもは遅く、遅きにより逸する連続のような気がするが、そんなことは今どうでもいいのだ。どうでも良くないはずだが、どうでもいいと思えているフラットな状態こそ大事のように思えるのだ。そんな時間を、もっと、ください。くだされば、と思う。我思う故に我あり。なれば、この時間も幻想などでは、ないはず。
だから、
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2024/8/21〜

8月21日 なんとか、なんとか朝起きれて、このまま通常の出勤時刻通り起き続けることってできるの?と不安になった。 今日もあっという間に1日が終わってしまった。 いや、終わってよかったのかな?
職場の農園で採れた梨が配られていて、隣の席の方は「親族が梨農家だから…」と、もらっていなかった。私はとても包丁で梨をどうにかするなんて無理!ともらわなかった。
なんだかんだ身体が引き裂かれそうな忙しさが戻ってきてしまい、でもとても体力も保たない!のでいろいろ振り切ってちゃんと帰ってきている。
やっと明日通院で包帯を取り替えてもらえる。 このまま色々重なっちゃった案件で、食中毒とか交通事故とか、ひったくりとか、予想もしなかった何かとか、うっかり死んだりとか、しないようにしたいです。
21日ってとっても水曜日な感じがする。 数字と曜日の共感覚。

8月22日 連日の通院の待ち時間のストレスが頂点に達した日だった。 午前中のほとんどを待ち時間に費やして、数分で終わった診察では、縫った指の傷がくっついたので今日から水をかけてもよいと言われる。 でも自分で包帯を巻かなくてはいけないため、職場へ出勤する途中にドラッグストアに寄り、それっぽいものをまとめ買いした。
気を抜かずに死なないようにしたい。
今回の通院までまともに訪れたことのない町は、この週末がお祭りらしく高所作業車で黄色と赤の提灯が取り付けられていた。交通規制をして盆踊りが開催されるらしく、どうやら大きなお祭りみたい。

無の気持ちで移動して、やっと辿り着いた職場のある町もお祭りの準備がされていた。 いつも歩いている公園やペデストリアンデッキに仮設テントやテーブルがたくさん並んでいた。
今日も出勤してから午後は瞬く間に終わり、なんとしてでも!今月中に!案件が本当に終わるのか、でも私は1人しかいないし、と焦りながら仕事をした。 その中でも良くしてくださっている職員さんから、オランダとベルギーへ旅行に行ったお話を聞かせてもらって少し気持ちが潤った。
前回の診察で主治医から「もう忘れてしまったかもしれないけれど、海外旅行にもいつか行きたい、と行っていたことありましたよね?そのためにも治したほうが良いんじゃない?」、「そうなんですよ〜、残念ながら今は海外旅行は禁止です!」と言われたことを思い出す。
今日こそは!生活のことをなるべくしないで過ごしてみたい!!
帰りの電車で、右隣の人はこの沿線の駅直結のショッピングモールのレストランを調べて、3駅先か5駅先か、どちらで降りようか迷っているみたいだった。左隣の人は外語の方で、漢字学習アプリみたいなのを使って「婚」という文字を指で書いていた。

8月23日 瞬く間に1日が終わっていた。
来週は出張ばかりなので、逆算していろんな準備をしなくてはならず気持ちがずっと慌ただしい。そして8月が終わるということは、9月が来るということで、先延ばしにしていた入院の期間も近づいているということ。 指の怪我で少し崩れた生活を早々に取り戻して、なるべく綺麗な状態で部屋を空けたい気持ち(それでも日々の掃除は止まらない)。
昨日オランダ旅行へ行ったと報告をして下さった方から「おやつにどうぞ!」とお菓子とお茶の差し入れをいただいた。 生姜のパッケージの美味しそうな紅茶。

「それが桃を切っていたら切ってしまった指?」と帰り際に職場の方に話しかけられて、1個目の桃を切って指を切ってから2個目の桃を切ってまた指を切って縫い付けた話をしてしまった。 「一人でよく頑張ったね!」と言ってもらった。
昨日思った、今日こそは!は、叶わずに昨晩も割とお掃除を繰り広げていた。
セセラバアドから、いたずらに注文した線香花火チョコレートが届き、少し困っている。 セセラバアドへ一緒に行った友人と楽しみたいな、と、10月4日の賞味期限までに花火をする約束をしたい。

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のんびりしているのか、慌ただしいのか、良く分からない日々のまま、ローマへ行く。フランスの一泊二日旅行後は、Hendrik君と食事する。ドイツは流石に精神治療や心理学が盛んなだけに、色々と身近にいる困った人々を分類して説明する事に長けている。日本みたいに蓋をするのではなく、言語化して、どういう時の何が問題行動のパターンとして表れるのか、的確に分析してくれる。
折角の北ドイツなので、Schwerinという小さな町も訪れる。Schwerin城がある。その後、海が見たくてWismarまで足を伸ばす。海は黒かった。青い水が見たい。ここは、湖も川も海も黒い。憂鬱要素しかないドイツ。風景も、のっぺりして油絵のようである。日本の風景のように活きていないのだ。そしてゲイウィークのため、フォーシーズンズは一早く虹色にライトアップ。金持ちの左翼に迎合。あー。。。いかにもドイツ左翼である。腹では真逆を思っているのに、ポリティカル・コレクトネスで意に反することをやるから、イライラしているドイツ人たち。イタリアに一時避難。だけど、発表準備なにもできていない。。。ローマから行けるところは、行くぞ。ぶはは。学会なんて、つまらんエゴの塊どもの発表会じゃ。ワシは学会なんてサボるのじゃ。


っというわけで、中継地のミュンヘンに到着。ルフトハンザなのに、ディレイ。荷物を珍しく預けたから、少し心配だけど、ミュンヘンなら大丈夫かな。。と思う。台湾のオリンピック選手団を見かける。ワシのミーハーな友人は、パリに早速、オリンピック観戦に行っているらしい。ワシは、9月にオリンピック終わってから行く予定。北京オリンピックの時も、オリンピック終わってから初中国上陸したっけねぇ。京劇と万里の長城を見に行く旅だったっけ。良く行ったワシ。
友人によると、パリは雑然、騒���としているらしい。そりゃそうだろ。バリバリパリっ子のパリジェンヌ、コリーヌねーさんはとっくにパリから脱出。今頃パリに行く奴なんて、みんなお登りだろうから、そりゃ京都みたいな感じなんだろうと想像する。セーヌで水質悪く、トライアスロン練習できないと聞くと、ハンブルグでも泳ぐのに泳げないってどんだけ汚いんや。。。と、道頓堀の方がキレイやったんかい。。。と感心する。おフランス人、体臭やばい奴多いけど、出すものもバッチイってこったな。あな恐ろしや。
ミュンヘンは、空が青く、久しぶりに太陽を見る。暑い。けど、暑くても空が青くて太陽が照っている方が幸せなのではないか。。。と思うようになったワシ。クーラーあるなら、えーやん。。。位の気分。さて、ローマに飛びますよ。荷物も無事に向こうでretrieveできますように。
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モーレツ! ツーマンモスちゃん にてヨネダ2000とキュウに挟まれながら松平健役として壇上の真ん中で踊りながら登場しクレイジーマンダンスをする世界線にたどり着いたマリエの二日間(タイトル)
とにかく楽しすぎたのとタイトルの通りのトンデモが起きたので全てがあやふやですが。当日メモ!

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2024/03/22(ライブ前日)
18:50頃
キュウのぴろさんのTweetでヨネダ2000とキュウのツーマンライブの存在・名古屋開催を知る。

既に完売。ヨネダ2000とキュウのファンなので行きたすぎてかなり嘆く。
19:00頃
ダメ元で譲渡のTweetを流す。
20:40
譲渡が決まる(現地受取)。
慌てて名古屋行きのバスチケットの確保。
その後明日の予定をすべて前倒しで作業。てんやわんや。
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2024/03/23(ライブ当日)
14:30
名古屋に着く。
15:30頃まで
ポケセンにしがみつきながらグラードンレイド。

かわいい。私が特に好きなポケモン3匹セット!

写真撮り忘れたけどポケセンナゴヤステッカーもらった!
17:00頃
名古屋城
昼まで小雨だったのに快晴に!



城の正面に回り込んでいる間に陽が傾いていた。
18:00
大須演芸場近くのからあげやさんでからあげ食べる(620円)。空腹だったので沁みた…!
18:15
チケットをもらって入場。
すごくどうでもいいけど前の席の方がスギ薬局のアプリを閲覧していた。

18:33
ライブスタート
・ネタ
ヨネダ2000…スキャット(音ネタ)
キュウ…本音ゲーム(YouTube掲載と同じ)
ヨネダ2000…マナー教室(オットセイの愛ちゃん)
キュウ…さるかに合戦(爆転の人は二人もいらないだろー!)
・フリートークパート
ぴろさんがわざと気持ち悪い発言をしつつ清水さんが一発ギャグ「嬉しい気持ち(ハート)」「悲しい気持ち(ハートを逆にして桃がぱかっと割れる)」
「変?あたりまえでしょ、だって俺クレイジーだから 俺様クレイジーマン〜!」にバックダンサー清水さんがつく。
クレイジーマンダンスは左右のスタートがまちまちという清水さん。
ヨネダ2000もクレイジーマンをやりだす。
・コーナー
「松平健さんと行く!名古屋ツアー(タイトルうろおぼえ)」
マツケンサンバⅡの音楽が鳴りおのおの踊り出す。
Aパートの歌詞にも踊り続けていたのでぴろさん発祥のクレイジーマンダンスでオチをつけて止める。
「「クレイジーマンダンスやりそうだな」とちゃんと俺を見とかなきゃ」とぴろさんのむちゃぶり。もういちど音楽を流してクレイジーマンダンスぴたりゲーム。
・コーナー(本編)
松平健さんはグリーン車だろうけどひとりだけ別室は嫌がりそうだから3人ボックス席を併せて6人席でとる。
誠ちゃんと清水誠さんに挟まれて誠になってしまうぴろさん(オセロ)。
3人ボックスだと行きの新幹線では富士山が見えないのでは?と気を使う清水さん。
お酒が飲めない誠ちゃんが運転。
ただし鬼ペーパードライバーなので練習が必要。
「名古屋城好きそうだから名古屋城に行こう」?
マツケンさんにコスプレをさせるか否かで時間が来たのでED。
・ED
最後マツケンサンバⅡの曲に併せて踊るか!になり「松平健さん役をお客さんにやってもらいますか?誰かやりたい方はいませんか?」で手を挙げたところ私一人しかいなくて壇上に上がることに。
壇上は土足厳禁だったものの私が座席に正座をして見ていたので立ち上がってそのまま駆け込む。
握手会距離で右側に清水さん左に誠ちゃんで説明されて奥にはけさせてもらう(奥にはスタッフさんがひとりいた)。
曲が流れてきていいところで登場。
Aパート始まったあたりでクレイジーマンダンス。
最後キュウのラジオの宣伝をして幕が下がるまで4人全員クレイジーマンダンス。
19:35
終了。猛ダッシュで電車・新幹線に飛び乗る。

19:59
ぴろさんのTweetを見て「これに私も混ざったのか…」と震え出す。

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おまけ
誠ちゃんの告知Tweet

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突然ライブ遠征が決まり突然名古屋に飛び突然壇上に上がるという、なにもかもが突然の弾丸サプライズ旅行でした✈️。
とにかくこの一年ずっと配信や現地で見てきたヨネダ2000とキュウと同じステージであのクレイジーマンダンスをできたことが信じられない!最高の思い出となりました。
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