#放置竹林としなくても良いですね
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民主党政権のほうが明らかに酷いです。「民主党政権の何が悪夢だったのか、きちんとした説明を聞いたことがない!」といった主張は定期的に出現しますが、さすがに「聞いたことない」なんてはずはないので、おそらく「自分の気に入る説明ではない」という意味か、「バカに分かるように説明したところで、そもそもバカは聞いてない」パターンのいずれかとは思いますが。 前回の悪夢のような民主党政権時代を生き抜いてきた者として私が言えるのは、「とにかく、あのような惨劇は二度と繰り返してはならない」ということだけです。 歴史修正は容赦できません。あの時代がいかに酷いものであったか、ご存知ない方もぜひこの機会に知って頂きたいので、支持者から叩かれること覚悟で説明していきますね(過去同様の投稿を複数おこなっていますが、毎回更新改訂しています。今般のバージョンが最新版です)。 個人的に、「悪夢の民主党政権」における大きな問題点は次の3点と考えています。 (1)国家運営能力の欠如により、内政上の失敗を数多く引き起こし、国益を損ない続けた。 (2)拙劣な外交を繰り返し、日米関係をはじめ、周辺諸国からの信頼を大きく毀損した。 (3)総理・閣僚をはじめとする所属議員の度重なる不祥事や、自分たちに都合が悪い情報を隠蔽する体質によって、国民の政治に対する信頼を失い続けた。 では、それぞれどんなことがあったか振り返っていきましょう。これがわずか3年間で起きた出来事です。はらわたが煮えくり返る覚悟で読み進めてください。 (1)国家運営能力の欠如 ・財源の見込みが甘く、政権交代の際に掲げたマニフェストはほぼ未達成。 ・官僚を敵視して排除し、国家業務の停滞と質低下を招いた。 ・金融政策と財政政策が食い違い、タイミングの悪い増税も重なり、景気や株価は低迷を続けた。 ・歴史的水準まで進んだ円高を放置し、デフレを加速させた。 ・法的根拠がないばかりでなく、仕分人の選定や対象事業選定にも透明性を欠いた「事業仕分け」をデフレ時におこない、必要な公共投資を削減。経済を悪化させたにも関わらず、結果に責任を負わなかった。 ・「コンクリートから人へ」という誤った政策により、災害対策を疎かにしたうえ、地域社会を破壊した。 ・「朝鮮王室儀軌引渡」「尖閣事件の船長釈放」「運用3号通知」「国家公務員採用大幅減」など、閣僚たちが思い付きレベルの意思決定を独断でおこない、結果的に我が国の将来に禍根を残した。 ・難民申請から6カ月たった申請者に対し一律に就労できる運用を始めた。 ・法的根拠のない組織を乱立させ、意思決定過程が曖昧になり、指揮命令系統も混乱。 ・法的根拠のない大臣や副大臣を任命したり、個人的な友人を参与に、党職員を内閣官房職員に任命するなど、ルールを無視、公私の別がつかない人事を実施。 ・原発停止、ダム建設中止など、法令根拠や事前協議が必要な決定を手続無視で断行。 (2)外交能力の欠如 ・普天間基地問題が迷走し、沖縄とアメリカの信頼を大きく損なった。 ・来日したオバマ大統領を日本に残したまま、鳩山総理がAPEC首脳会議に出席するためにシンガポールに向かうという非礼行為。 ・尖閣沖漁船衝突事件では、中国側の脅迫や報復に屈して船長を早々に釈放、不起訴に。その後の尖閣諸島国有化でも迷走。 ・領空侵犯が頻発するも、実効的な対策をとらず。 ・防衛上特に秘匿することが必要な「防衛秘密��3万件を破棄。 ・韓国に対しては、通貨スワップ協定締結、朝鮮王室儀軌引渡し、慰安婦問題での「知恵を絞っていきたい」発言など、不用意な譲歩を重ねた。 ・韓国の歴代大統領として初めて、竹島へ李明博大統領が上陸。 ・旧ソ連時代を含めて初めて、北方領土へロシア国家元首が上陸。 ・実現に向けた方策が何ら決まっていない状態で、国連気候変動サミットにおいて「CO2の25%削減」を突如国際公約化。 ・実現の見込みも全くないまま、G8の場で、「太陽光パネルを1000万戸に設置する」と突如国際公約をおこなった。 (3)閣僚・所属議員の度重なる不祥事と情報隠蔽体質 ・鳩山総理⇒偽装献金問題、脱税問題、引退撤回、「最低でも県外」「Trust me」「国民の皆様が聞く耳を持たなくなった」 ・菅(直人)総理⇒外国人献金問題、北朝鮮関係団体献金問題、「顔が見たくなければ法案を通せ」 ・野田総理⇒在日韓国人献金問題、脱税企業献金問題、民団選挙協力お礼発言、「大きな音だね」 ・小沢元代表⇒政治資金規正法違反容疑で強制起訴(無罪判決)、献金虚偽記載で公設秘書が逮捕(有罪判決) ・仙谷官房長官⇒尖閣漁船衝突事件、「自衛隊は暴力装置」 ・赤松農水大臣⇒口蹄疫問題、「だから早く殺せって言ってるのに」 ・松本復興担当大臣⇒「知恵を出さないやつは助けない」「書いたらその社は終わりだから」 ・長妻厚労大臣⇒運用3号独断決定、職務停滞 ・蓮舫行政刷新担当大臣⇒事務所費架空計上問題、国会内ファッション雑誌撮影、「2位じゃダメなんでしょうか?」 ・安住財務大臣⇒「1ドル75.63円の時点で介入を指示した」「学校のプールにガソリンを貯蔵できないか」 ・前原外務大臣⇒外国人から政治献金受領 ・岡田外務大臣⇒「核兵器めぐる日米密約は存在した」 ・川端文科大臣⇒事務所費架空計上問題、キャバクラ費用を政治資金で計上 ・鹿野農水大臣⇒対中不正輸出疑惑、機密漏洩疑惑 ・鉢呂経産大臣⇒(記者の一人に、着ていた防災服をなすりつけ)「放射能つけちゃうぞ」「市街地は人っ子一人いない、まさに『死のまち』」 ・一川防衛大臣⇒「安全保障に関しては素人」 ・柳田法務大臣⇒「答弁は二つだけ覚えておけばいい」 ・���岡消費者担当大臣⇒マルチ商法業者からの献金問題 ・岡崎国家公安委員長⇒議員時代、韓国で日本大使館に対する反日抗議デモに参加 ・中井国家公安委員長⇒議員宿舎にホステス連れ込み&カードキー貸与、式典で秋篠宮ご夫妻に「早く座れよ」とヤジ ・輿石幹事長⇒「間違った情報ばかり流すなら、電波を止めてしまうぞ」「電波が止まったら、お前らリストラどころか、給料をもらえず全員クビになるんだ」 ・小林議員⇒違法献金問題で選対委員長が逮捕、選対幹部が公職選挙法違反で有罪 ・土肥議員⇒竹島領有権放棄を日本側に求める「日韓共同宣言」に署名 ・横峯議員⇒賭けゴルフ、女性暴行、恐喝事件への関与 ・緒方議員⇒「スーパー堤防はスーパー無駄遣い」 ・太田議員⇒「そうでしたっけ? フフフ」 ・原発事故対応(SPEEDI、米実測値の非公表、議事録不作成など)、尖閣ビデオ、北朝鮮ミサイル発射への対応、温暖化対策の家計負担、年金改革の財政試算 など、自分たちに都合が悪い情報は隠蔽し、政府への深刻な不信感を招いた。 ・総理-閣僚間で見解の方向性や意見の不一致が常態化。それらも含め、自民党で同様の事態があれば野党のみならずマスコミも総出で吊し上げられる事態となるが、マスコミも概ね民主党に好意的な報道姿勢。 そんなに民主党時代が良かったなら、下野以降何度でも政権を取り戻すチャンスはあったはず。なのにただ一度もそうなっていないということは、それが民意ということです。私はあんな地獄のような時代は二度と御免です。
Xユーザーの新田 龍さん: 「民主党政権のほうが明らかに酷いです。「民主党政権の何が悪夢だったのか、きちんとした説明を聞いたことがない!」といった主張は定期的に出現しますが、さすがに「聞いたことない」なんてはずはないので、おそらく「自分の気に入る説明ではない」という意味か、「バカに分かるように説明したところで」 / X
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なるほど、定期的に訪れる「民主党政権擁護」が再発してるんですね。
あのような惨劇は二度と繰り返してはなりません。あの時代がいかに酷いものであったか、いくらでも具体例を挙げて語れますので、支持者から叩かれることを覚悟で詳説していきましょうか。
個人的に、「悪夢の民主党政権��における大きな問題点は次の3点と考えています。
(1)国家運営能力の欠如により、内政上の失敗を数多く引き起こし、国益を損ない続けた
(2)拙劣な外交を繰り返し、日米関係をはじめ、周辺諸国からの信頼を大きく毀損した
(3)総理・閣僚をはじめとする所属議員の度重なる不祥事や、自分たちに都合が悪い情報を隠蔽する体質によって、国民の政治に対する信頼を失い続けた
では、それぞれどんなことがあったか振り返っていきましょう。はらわたが煮えくり返る覚悟で読み進めてください。
(1)国家運営能力の欠如
・財源の見込みが甘く、政権交代の際に掲げたマニフェストはほぼ未達成。
・官僚を敵視して排除し、国家業務の停滞と質低下を招いた。
・歴史的水準まで進んだ円高を放置し、デフレを加速させた。
・法的根拠がないばかりでなく、仕分人の選定や対象事業選定にも透明性を欠いた「事業仕分け」をデフレ時におこない、必要な公共投資を削減。経済を悪化させたにも関わらず、結果に責任を負わなかった。
・「コンクリートから人へ」という誤った政策により、災害対策を疎かにしたうえ、地域社会を破壊した。
・「朝鮮王室儀軌引渡」「尖閣事件の船長釈放」「運用3号通知」「国家公務員採用大幅減」など、閣僚たちが思い付きレベルの意思決定を独断でおこない、結果的に我が国の将来に禍根を残した。
・法的根拠のない組織を乱立させ、意思決定過程が曖昧になり、指揮命令系統も混乱。
・法的根拠のない大臣や副大臣を任命したり、個人的な友人を参与に、党職員を内閣官房職員に任命するなど、ルールを無視、公私の別がつかない人事を実施。
・原発停止、ダム建設中止など、法令根拠や事前協議が必要な決定を手続無視で断行。
(2)外交能力の欠如
・普天間基地問題が迷走し、沖縄とアメリカの信頼を大きく損なった。
・来日したオバマ大統領を日本に残したまま、鳩山総理がAPEC首脳会議に出席するためにシンガポールに向かうという非礼行為。
・尖閣沖漁船衝突事件では、中国側の脅迫や報復に屈して船長を早々に釈放、不起訴に。その後の尖閣諸島国有化でも迷走。
・領空侵犯が頻発するも、実効的な対策をとらず。
・韓国に対しては、通貨スワップ協定締結、朝鮮王室儀軌引渡し、慰安婦問題での「知恵を絞っていきたい」発言など、不用意な譲歩を重ねた。
・実現に向けた方策が何ら決まっていない状態で、国連気候変動サミットにおいて「CO2の25%削減」を突如国際公約化。
・実現の見込みも全くないまま、G8の場で、「太陽光パネルを1000万戸に設置する」と突如国際公約をおこなった。
(3)閣僚・所属議員の度重なる不祥事と情報隠蔽体質
・鳩山総理⇒偽装献金問題、脱税問題、引退撤回、「最低でも県外」「Trust me」「国民の皆様が聞く耳を持たなくなった」
・菅総理⇒外国人献金問題、北朝鮮関係団体献金問題、「顔が見たくなければ法案を通せ」
・野田総理⇒在日韓国人献金問題、脱税企業献金問題、民団選挙協力お礼発言、「大きな音だね」
・小沢元代表⇒政治資金規正法違反容疑で強制起訴(無罪判決)、献金虚偽記載で公設秘書が逮捕(有罪判決)
・仙谷官房長官⇒尖閣漁船衝突事件、「自衛隊は暴力装置」
・赤松農水大臣⇒口蹄疫問題、「だから早く殺せって言ってるのに」
・松本復興担当大臣⇒「知恵を出さないやつは助けない」「書いたらその社は終わりだから」
・長妻厚労大臣⇒運用3号独断決定、職務停滞
・蓮舫行政刷新担当大臣⇒事務所費架空計上問題、国会内ファッション雑誌撮影
・川端文科大臣⇒事務所費架空計上問題、キャバクラ費用を政治資金で計上
・鹿野農水大臣⇒対中不正輸出疑惑、機密漏洩疑惑
・千葉法務大臣⇒落選後も留任
・鉢呂経産大臣⇒「死の街」「放射能をうつす」
・一川防衛大臣⇒「安全保障に関しては素人」
・柳田法務大臣⇒「答弁は二つ覚えておけばよい」
・山岡消費者担当大臣⇒マルチ商法業者からの献金問題
・中井国家公安委員長⇒議員宿舎にホステス連れ込み&カードキー貸与、式典で秋篠宮ご夫妻に「早く座れよ」とヤジ
・小林議員⇒違法献金問題で選対委員長が逮捕、選対幹部が公職選挙法違反で有罪
・土肥議員⇒竹島領有権放棄を日本側に求める「日韓共同宣言」に署名
・横峯議員⇒賭けゴルフ、女性暴行、恐喝事件への関与
・原発事故対応(SPEEDI、米実測値の非公表、議事録不作成など)、尖閣ビデオ、北朝鮮ミサイル発射への対応、温暖化対策の家計負担、年金改革の財政試算 など、自分たちに都合が悪い情報は隠蔽し、政府への深刻な不信感を招いた。
・総理-閣僚間で見解の方向性や意見の不一致が常態化。それらも含め、自民党で同様の事態があれば野党のみならずマスコミも総出で吊し上げられる事態となるが、マスコミも概ね民主党に好意的な報道姿勢。
そんなに民主党時代が良かったなら、下野以降何度でも政権を取り戻すチャンスはあったはず。なのにただ一度もそうなっていないということは、それが民意ということです。私もあんな地獄のような時代は二度と御免です。
https://x.com/nittaryo/status/1738566069697356187?s=46&t=1lgVS1ds3uqk5xvTqZM4Fw
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2024年2月3日(土)

節分には恵方巻を丸かぶり、なんぞという商業主義に毒された根拠のないイベントは私には無関係であった・・・はずだ。しかし、今年は違う。西大路七条の<笹寿し伍什>の女将さんの故郷が珠洲市、それ故店に募金箱を設置していることは既報、その際、今年の恵方巻の予約をしたのであった。何しろ、募金をするためだけに店の中に入るのはちと気恥ずかしかったので。ということで今夜はみなで恵方巻、もちろん、丸かぶりなどという品のない食べ方はしないがね。

5時起床。
日誌書く。

久しぶりの蕎麦定食。
昨日決定した3/23(土)の東京行きの新幹線を手配、スマートEXの早割なら3,000円程度安くなるのだ。

GoogleAlert でこんな落語会が引っかかってきた、早速主催者にメールで予約を入れる。
Twitterで読売新聞の長井好弘さんのコラム発見、早速露の新治師匠にメールでお知らせする。
amazonのタイムセール、ポイントアップにAppleGifeCardも対象とあって、50,000円分購入、Accountにチャージする。
ミステリーチャンネルで<ポワロ>を録画。

ランチ、残りものカレー仕立て。

12時47分、ツレアイを乗せて宇治へ出発。知人の葬儀のため、京阪宇治駅で友人をピックアップ、その後<京都ゆうゆうの里>まで送る。2人をおろして、私は自宅に戻る。
カーリング男子準決勝を見ながら、<ポワロ>の録画。
17時、<笹寿し伍什>へ恵方巻を受け取りに行く。店内はかなりの混雑、毎年こんな具合なのだろうか。

恵方巻にイワシも添えて夕飯開始、息子たちは南アの白ワイン、私たちは先日届いた<花垣純米大吟醸>で献盃。
録画番組視聴。
笑福亭竹林「まめだ」
初回放送日: 2024年2月3日 土曜の早朝は関西の笑いをたっぷりと!▽今回は笑福亭竹林の落語「まめだ」▽実は「スキーインストラクター」&「立ったままで落語」!?笑福亭竹林の意外な素顔に迫る!

落語研究会「按摩の炬燵」柳家喬太郎
途中で睡魔に襲われ布団の中へ。
サゲまで楽しんだツレアイに起こされ、4日ぶりに風呂に入る、やはり気持ちが良い! 体重は、4日で550g減。
日誌書く。

今日は仕方なし、水分は1,580ml。
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なるほど、定期的に訪れる「民主党政権擁護」が再発してるんですね。 あのような惨劇は二度と繰り返してはなりません。あの時代がいかに酷いものであったか、いくらでも具体例を挙げて語れますので、支持者から叩かれることを覚悟で詳説していきましょうか。 個人的に、「悪夢の民主党政権」における大きな問題点は次の3点と考えています。 (1)国家運営能力の欠如により、内政上の失敗を数多く引き起こし、国益を損ない続けた (2)拙劣な外交を繰り返し、日米関係をはじめ、周辺諸国からの信頼を大きく毀損した (3)総理・閣僚をはじめとする所属議員の度重なる不祥事や、自分たちに都合が悪い情報を隠蔽する体質によって、国民の政治に対する信頼を失い続けた では、それぞれどんなことがあったか振り返っていきましょう。はらわたが煮えくり返る覚悟で読み進めてください。 (1)国家運営能力の欠如 ・財源の見込みが甘く、政権交代の際に掲げたマニフェストはほぼ未達成。 ・官僚を敵視して排除し、国家業務の停滞と質低下を招いた。 ・歴史的水準まで進んだ円高を放置し、デフレを加速させた。 ・法的根拠がないばかりでなく、仕分人の選定や対象事業選定にも透明性を欠いた「事業仕分け」をデフレ時におこない、必要な公共投資を削減。経済を悪化させたにも関わらず、結果に責任を負わなかった。 ・「コンクリートから人へ」という誤った政策により、災害対策を疎かにしたうえ、地域社会を破壊した。 ・「朝鮮王室儀軌引渡」「尖閣事件の船長釈放」「運用3号通知」「国家公務員採用大幅減」など、閣僚たちが思い付きレベルの意思決定を独断でおこない、結果的に我が国の将来に禍根を残した。 ・法的根拠のない組織を乱立させ、意思決定過程が曖昧になり、指揮命令系統も混乱。 ・法的根拠のない大臣や副大臣を任命したり、個人的な友人を参与に、党職員を内閣官房職員に任命するなど、ルールを無視、公私の別がつかない人事を実施。 ・原発停止、ダム建設中止など、法令根拠や事前協議が必要な決定を手続無視で断行。 (2)外交能力の欠如 ・普天間基地問題が迷走し、沖縄とアメリカの信頼を大きく損なった。 ・来日したオバマ大統領を日本に残したまま、鳩山総理がAPEC首脳会議に出席するためにシンガポールに向かうという非礼行為。 ・尖閣沖漁船衝突事件では、中国側の脅迫や報復に屈して船長を早々に釈放、不起訴に。その後の尖閣諸島国有化でも迷走。 ・領空侵犯が頻発するも、実効的な対策をとらず。 ・韓国に対しては、通貨スワップ協定締結、朝鮮王室儀軌引渡し、慰安婦問題での「知恵を絞っていきたい」発言など、不用意な譲歩を重ねた。 ・実現に向けた方策が何ら決まっていない状態で、国連気候変動サミットにおいて「CO2の25%削減」を突如国際公約化。 ・実現の見込みも全くないまま、G8の場で、「太陽光パネルを1000万戸に設置する」と突如国際公約をおこなった。 (3)閣僚・所属議員の度重なる不祥事と情報隠蔽体質 ・鳩山総理⇒偽装献金問題、脱税問題、引退撤回、「最低でも県外」「Trust me」「国民の皆様が聞く耳を持たなくなった」 ・菅総理⇒外国人献金問題、北朝鮮関係団体献金問題、「顔が見たくなければ法案を通せ」 ・野田総理⇒在日韓国人献金問題、脱税企業献金問題、民団選挙協力お礼発言、「大きな音だね」 ・小沢元代表⇒政治資金規正法違反容疑で強制起訴(無罪判決)、献金虚偽記載で公設秘書が逮捕(有罪判決) ・仙谷官房長官⇒尖閣漁船衝突事件、「自衛隊は暴力装置」 ・赤松農水大臣⇒口蹄疫問題、「だから早く殺せって言ってるのに」 ・松本復興担当大臣⇒「知恵を出さないやつは助けない」「書いたらその社は終わりだから」 ・長妻厚労大臣⇒運用3号独断決定、職務停滞 ・蓮舫行政刷新担当大臣⇒事務所費架空計上問題、国会内ファッション雑誌撮影 ・川端文科大臣⇒事務所費架空計上問題、キャバクラ費用を政治資金で計上 ・鹿野農水大臣⇒対中不正輸出疑惑、機密漏洩疑惑 ・千葉法務大臣⇒落選後も留任 ・鉢呂経産大臣⇒「死の街」「放射能をうつす」 ・一川防衛大臣⇒「安全保障に関しては素人」 ・柳田法務大臣⇒「答弁は二つ覚えておけばよい」 ・山岡消費者担当大臣⇒マルチ商法業者からの献金問題 ・中井国家公安委員長⇒議員宿舎にホステス連れ込み&カードキー貸与、式典で秋篠宮ご夫妻に「早く座れよ」とヤジ ・小林議員⇒違法献金問題で選対委員長が逮捕、選対幹部が公職選挙法違反で有罪 ・土肥議員⇒竹島領有権放棄を日本側に求める「日韓共同宣言」に署名 ・横峯議員⇒賭けゴルフ、女性暴行、恐喝事件への関与 ・原発事故対応(SPEEDI、米実測値の非公表、議事録不作成など)、尖閣ビデオ、北朝鮮ミサイル発射への対応、温暖化対策の家計負担、年金改革の財政試算 など、自分たちに都合が悪い情報は隠蔽し、政府への深刻な不信感を招いた。 ・総理-閣僚間で見解の方向性や意見の不一致が常態化。それらも含め、自民党で同様の事態があれば野党のみならずマスコミも総出で吊し上げられる事態となるが、マスコミも概ね民主党に好意的な報道姿勢。 そんなに民主党時代が良かったなら、下野以降何度でも政権を取り戻すチャンスはあったはず。なのにただ一度もそうなっていないということは、それが民意ということです。私もあんな地獄のような時代は二度と御免です。
Xユーザーの新田 龍さん
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各地句会報
花鳥誌 令和6年2月号

坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
………………………………………………………………
令和5年11月1日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
星の出るいつも見る山鳥渡る 世詩明 人の世や女に生まれて木の葉髪 同 九頭竜の風のひらめき秋桜 ただし 太陽をのせて冬木の眠りけり 同 生死また十一月の風の音 同 朝湯して菊の香に上ぐ正信偈 清女 懸崖の赤き菊花の流れ落つ 誠
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月2日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
秋空の深き水色限りなし 喜代子 故里は豊作とやら草紅葉 由季子 菊花展我等夫婦は無口なり 同 しぐれ来る老舗ののれん擦り切れて 都 狛犬の阿吽語らず冬に入る 同 謎々のすつきり解けた小春の日 同 杣山の織火となりぬ紅葉山 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月4日 零の会 坊城俊樹選 特選句
綿虫と彼女が指せばそれらしく 瑠璃 梵鐘のはらわたに闇暮の秋 緋路 逝く秋をくづれゝば積み古書店主 順子 綿虫や浄土の風が抜けるとき はるか 太き棘許してをりぬ秋薔薇 和子 弥陀仏の慈顔半眼草の花 昌文 綿虫のう��むらさきや九品仏 小鳥 参道で拾ふ木の実を投げ捨てる 久 綿虫は仏の日溜りにいつも 順子 香煙はとほく菩提樹の実は土に 小鳥
岡田順子選 特選句
腰かける丸太と秋を惜しみけり 光子 九品の印契結ぶや冬近し 眞理子 古に大根洗ひし九品仏 風頭 綿虫や浄土の風が抜けるとき はるか 奪衣婆の知る猿酒の在り処 光子 神無月ならば阿弥陀も金ぴかに 俊樹 蚤の市に売る秋風と鳥籠と 和子 下品仏とて金秋の色溢れ 俊樹 綿虫と彼女が指せばそれらしく 瑠璃 梵鐘のはらわたに闇暮の秋 緋路
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月4日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
ありきたりの秋思の襞を畳みをり かおり 秋日入む落剝しるき四郎像 たかし 返り花ままよと棄つる文の束 美穂 凩や客のまばらな湖西線 久美子 凩のやうな漢とすれ違ふ 睦子 小鳥来る小さなことには目をつむり 光子 流れ星キトラの星は朽ちてゆき 修二 凩に雲や斜めにほどかれて かおり 人肌を知らぬ男のぬくめ酒 たかし 老人が老人負うて秋の暮 朝子 冬の日や吾が影長く汝に触れて 同 身に入むや妣の財布の一セント 久美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月10日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
秋思消ゆ「亀山蠟燭」点せば 悦子 この町へ一途に滾り冬夕焼 都 新蕎麦を打つ店主にも代替はり 佐代子 添ふ風に方位はあらず狂ひ花 悦子 HCU記号音満つ夜の長し 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月11日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
トランペット響く多摩川冬に入る 美枝子 竹林の風音乾き神の留守 秋尚 公園の隣りに棲みて落葉掃く 亜栄子 句碑の辺の風弄ぶ式部の実 同 新のりの茶漬に香る酒の締め 同 歩を伸ばす小春日和や夫の癒え 百合子 朔風や見下ろす街の鈍色に 秋尚 ぽつぽつと咲き茶の花の垣低き 同 リハビリの靴新調し落葉ふむ 多美女 濡れそぼつ桜落葉の華やぎぬ 文英 露凝りて句碑に雫の朝かな 幸風 大寺の庭きりもなや木の葉散る 美枝子 山寺の風の落葉を坐して聞き 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月13日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
風除の日だまりちよっと立ち話 和魚 風除の分厚き樹林影高き 秋尚 揚げと煮し切り干やさし里の味 あき子 薄日さす暗闇坂に帰り花 史空 渦状の切干甘き桜島 貴薫 切干や日の甘さ溜め縮みたる 三無 風除けをせねばと今日も一日過ぎ 怜 切干や少し甘めに味継がれ 秋尚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月13日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
確かむる一点一画秋灯下 昭子 幽玄な美女の小面紅葉映ゆ 時江 釣り糸の浮きは沈みし日向ぼこ 三四郎 六地蔵一体づつにある秋思 英美子 赤い靴なかに団栗二つ三つ 三四郎 着飾りて姉妹三人千歳飴 ただし 正装で背中に眠る七五三 みす枝 雪吊の神の恐れぬ高さまで 世詩明 七五三五人姉妹の薄化粧 ただし トランペット音を休めば息白し 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月14日 萩花鳥会
夜鴨鳴く門川住居六十年 祐子 捨てられて案山子初めて天を知る 健雄 ゴルフ玉直ぐも曲るも秋日向 俊文 山茶花や現役もまた楽しかり ゆかり 舟一艘ただぼんやりと霧の中 恒雄 献茶式津和野城下や朝時雨 美惠子
………………………………………………………………
令和5年11月14日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
秋の暮百均で買ふ髪飾 令子 虫食ひの跡そのままに紅葉かな 紀子 背の丸き鏡の我やうそ寒し 同 小春日や杖つく母を見んとする 令子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月15日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
小春日や日々好日と思ひたり 世詩明 禅林を通り来る風秋深し 啓子 何事も無き一日や神の旅 同 炉開きの一花一輪定位置に 泰俊 一本の池に煌めく櫨紅葉 同 三猿を掲ぐ日光冬日濃し 同 立冬こそ自己を晒せと橋の上 数幸 小六月笏谷石は饒舌に 同 如何にせん蟷螂は枯れ僧恙 雪 猫じやらしもて驚かしてみたき人 同 一匹の枯蟷螂に法の庭 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月17日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
小鳥来る赤き実に又白き実に 雪 幽霊の出るトンネルを抜け花野 同 おばあちやん子で育ちしと生身魂 同 見に入みぬ八卦見くれし一瞥に やす香 時雨るるやのつぺらぼうの石仏 同 近松忌逝きし句友の幾人ぞ 同 季は移り美しき言葉白秋忌 一涓 菅公の一首の如く山紅葉 同 落葉踏み歩幅小さくなる二人 同 冬ざれや真紅の句帳持ちて立つ 昭子 今日の朝寒む寒む小僧来たりけり やすえ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月17日 さきたま花鳥句会
からつぽの空に熟柿は朱を灯し 月惑 白壁の色変へてゆく初時雨 八草 六切の白菜余すひとり鍋 裕章 一���の雲を掃き出し冬立ちぬ 紀花 小春日や草履寄せある躙口 孝江 柿を剥く母似の叔母のうしろ影 ふゆ子 いわし雲よせ来る波の鹿島灘 ふじ穂 鵙たける庵に細き煙たつ 康子 雲切れて稜線きりり冬日和 恵美子 水鳥の羽音に湖の明けにけり 良江
………………………………………………………………
令和5年11月18日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
紫のさしも衰へ実紫 雪 蟷螂の静かに枯るる法の庭 同 二人居て又一人言時雨の夜 清女 母と子の唄の聞こゆる柚子湯かな みす枝 還りゆく地をねんごろに冬耕す 真栄 帰省子を見送る兄は窓叩く 世詩明 人に無く芒にありし帰り花 同 香水の口よりとどめさす言葉 かづを 時雨をり故山の景を暗めつつ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月19日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
浮寝鳥日陰に夢の深からむ 久子 呪術にも使へさうなる冬木かな 久 無敵なる尻振り進む鴨の陣 軽象 冬日和弥生も今も児ら走る 同 冬蝶の古代植物へと消えぬ 慶月 谿の日を薄く集める花八手 斉 冬天へ白樫動かざる晴れ間 慶月 青空へ枝先細き大枯木 秋尚 旋回す鳶の瞳に冬の海 久 冬の蜂おのが影這ふばかりなり 千種 水かげろうふ木陰に遊ぶ小春かな 斉
栗林圭魚選 特選句
竹藪の一画伐られ烏瓜 千種 遠富士をくっきり嵌めて冬の晴 秋尚 白樫の落葉急かせる風のこゑ 幸風 切り株に鋸の香遺る冬日和 久子 四阿にそそぐ光りや枯れ芙蓉 幸風 白樫の木洩れ日吸ひて石蕗咲けり 三無 小春の日熊鈴つけしリュック負ひ 同 青空へ枝先細き大枯木 秋尚 寒禽の忙しく鳴ける雑木林 貴薫 草の葉を休み休みの冬の蝶 秋尚 逞しく子等のサッカー石蕗咲けり 亜栄子 甘やかな香放ち桂紅葉散る 貴薫 あづまやの天井揺らぐ池の秋 れい
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月26日 月例会 坊城俊樹選 特選句
薄き日を余さず纏ふ花八手 昌文 耳たぶに冬の真珠のあたたかく 和子 黒松の肌の亀甲冬ざるる 要 雪吊をおくるみとして老松は 緋路 冬空を縫ふジェットコースターの弧 月惑 ペチカ燃ゆフランス人形ほほそめる て津子 上手に嘘つかれてしまふ裘 政江 嘘つつむやうに小さく手に咳を 和子 手袋に言葉のかたち作りけり 順子
岡田順子選 特選句
池一枚裁ち切つてゆく鴨の水尾 緋路 黒松の肌の亀甲冬ざるる 要 自惚の冬の紅葉は水境へ 光子 玄冬の塒を巻きぬジェットコースター 同 光圀の松は過保護に菰巻きぬ 同 ペチカ燃ゆフランス人形ほほそめる て津子 雪吊を一の松より仕上げをり 佑天 不老水涸れをり茶屋に売る団子 要 遊園地もの食ふ匂ひある時雨 俊樹
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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どうぶつえんin千秋公園 後記
どうぶつえんin千秋公園
日時:2023年9月18日(月) 場所:千秋公園
発表者: 日比野桃子(移動) 虻川彩花(意識) 村田葵(半透明) 銅ふたろ(息苦しさの隠れ蓑) 秋山卓登(撮影) Aokid(ダンス)
サポート:文化創造館 撮影:髙橋希、田島陽
2023年9月18日(月)に千秋公園で”どうぶつえん”を行った。vol.16にあたる今回は『あときとた』という文化創造館と一緒の事業の一貫として行なわれた。 今回のどうぶつえんは秋田で初めてやるということもあり公募で参加者を募った。 雨の可能性があったため、ぎりぎりまで会場は文化創造館になることも含めて検討をしていたが晴れて公園での開催となった。
初めての場所でやるということもあり12時半に発表者と集まって調整を兼ねた下見をし、戻って14時に観客の人達と文化創造館の1Fコミュニティスペースに集まり、そこから公園に向けて出発した。
千秋公園は文化創造館のすぐ裏手にあって、元々久保田城跡でもあって坂を上がったところが入り口になる。名前は漢学者の狩野良知によって命名。wikiによると1890年に陸軍省から久保田藩主の佐竹氏へ払い下げがあり、本丸と二の丸を秋田市が佐竹氏に借り受け公園となったとある。 創造館から出発して千秋公園への向かう坂道、振り返ると2本の杖を頼りにスタッフの島さんと歩いてくるおばあさんの姿があった。 千秋公園へ到着。 ここは元々、能などを屋外で見せる機会があったことが入り口を入ったところに立ててある白い柱の裏にも書いてある。
まず原っぱが広がっていて空も広い。ここで日比野さんの発表をやる予定で、その前に僕が何かオープニング的なパフォーマンスを飾ろうと場所を探そうとふらふら歩き出した。 何かすぐにはアクション出来る感じがしなくて、また原っぱでこれからやる日比野さんの発表の中で得られる時間とは違うことをしようと色々考えながら歩く、、がなかなかしっくりこない。とりあえず目星をつけたところで演奏を始める。 演奏は石を拾うことや葉っぱの擦れる僅かな音と身振りを頼りにそこからギターと歌の見知った演奏スタイルに静かに自然に移行していこうとしていた。 2曲ほど演奏し、やはり2曲目が終わりそうなところでもう少しストロークの連続を引き伸ばし、その演奏とともに移動しギターを鳴らしていく。 場所も変えながら最後の同じストロークを重ねることで、着地点を少しでも引き伸ばせないかというイメージがあった。まるで幅跳び選手が距離を稼ぐみたいに。
・半透明として参加した村田葵さんは人一倍リラックスした体勢で、速い雲の移動を見ながら演奏を聴いていたそうだ。
日比野桃子さんの発表のアイディアはとてもフラジャイルで移ろいやすいなぁとも感じられた。 以前、東京で行われたどうぶつえんに参加されていたダンサーの荒悠平さんと制作されたという”移動1”という作品の続きとして、”移動2”をみんなでやってみるという提案が出された。 まず”移動1”をデモンストレーション的にやってみせる。 紙ヒコーキを一つ、袋から取り出してそれを目の前の空に向かって投げ、飛び、そして地面に落ちる。 落ちてから前方へ向けてゆらめくように動き出す身体。しかしすべてがスムーズに揺らめき続けてはいなくて、細かいじりじりとした足取りが地面に対して差し出されながら時折上半身がふっとしたり、ぐわっとしたり、特に音さえ聞こえない程度になだらかな肩が空越しに揺らめいたりしている。 この時間はなんだろう、と見つめる中で少しだけ浮かび上がる身体の特徴的な動作がわずかながらリズムを空間の中に作っていくことをぎりぎりみながら見出していく感じ。 日比野さん踊って見せた後に、ヒコーキのとこまで60歩をかけて歩き、その中で膝ががくっとすること、手をパチンと一度叩くこと、それは自分の決めたタイミングで行ってそれを振り付けとして”移動2”をみんなでやることを提案され一人ずつに紙ヒコーキが手渡されていく。 僕はおばぁちゃんと一緒にやる。 おばぁちゃんとの足取りに注意しながら他の人の動きが横目に入ってくる。ダイナミックな挑戦をする身体、紙飛行機までは耐えて禁欲的な動きでそれを掴むと開放されたように喜ぶ身体。 おばあちゃんと投げた紙ヒコーキまで互いに60歩を数えていく、たどり着いておばあちゃんを見るといくつまで数えたか���れてしまったという。 思ったよりもあんまり空を飛ばなかった様々な形のヒコーキが空よりも緑の原っぱに各々休んであるみたいで、それを掴みにいくのんきな虫取りのような時間で、記憶を辿るとそのような感触があった。 日比野さんの振る舞いには考えてみれば何か紙ヒコーキを優雅に飛ばした姿というよりもどこか”呑気”に興味を持って落ちた場所まで近づいていくようなそういう感じを印象として受けるように思う。
・半透明として参加する村田葵さんが時折地面に寝そべったりして、少しだけその寝そべりを開放、拡張した動きをさりげなく見せる。見るとか聞くとか、いるとかをもう少しだけ揺さぶるような仕草。
・石ころに紐を巻き付け、少しだけマスキングテープのサポートを受けてくるっとし、それを引きずり砂利道に線をひいていくようにする。振り返ると通った道が少しだけ沈んでそこが影になって線が引かれているような印象が浮かんである。(Ao)
そこから移動し、今度は階段を登って門をくぐり、内部へと入っていく。 門をくぐると噴水のあがる池が見渡せる石の椅子が並んでいくつかある場所に出る。 ここで僕は”目を瞑って想像するワークショップ”を提案してみる。 みんなに椅子に並んで座ってもらい手を目の前に出してもらい、その手のひらの中に公園に落ちていた木の枝や葉っぱ、石などを順番にあてていき、その次にその感触を記憶したまま今度はさっきまで見ていた噴水の池に過去に起きたことをフィクションとして即興的に語り、想起させていくというもの。 以前このようなワークショップをzoomで行ったが今回、その発展形として実際の場所を借りて出来ないかということで完成しきっていない状態で試させてもらった。 その話というのは最終的にはそこで池の水になった本人が過去の池で人間に会い、ある形を指で伝授される。 その時に伝授された形を参加者たちは目を開いて地面に書きつけるというもの。 いくつか違った形がその砂の上に現れていてそれはそれで面白かった。
そこからさらにダベったりしながら公園の奥の方へと進んでいく。 途中トイレに立ち寄ってその少し先に古びた元々料亭か何かとして使われていた家屋があり、今はもう家としか機能していないみたいだ。 その先の少し林めいていて影の落ちる、近くの小さな滝から聞こえる川のせせらぎなどがひしめく場所でもう一度、今度はワークショップの提案をする。 以前、ダンサーの宮脇有紀さんがやっていたやつを拝受して、2人1組になって前に立つ人は目を瞑って歩き出す、後方に立つ人は前に立つ人が何かにぶつからないように最低限の誘導を肩にタッチする形で行う。それプラスで木の枝の折れる音や葉っぱが擦れる音とか土とかを身に落としたりその被験者に様々なことを経験させるというワーク。 ここでもおばぁちゃんにも参加してもらう。 それぞれの場所でセーフティにきゃっきゃっと楽しそうにやってもらっている様子。 千秋公園は大事に保全されてきた公園だと思うので、そこにある自然が綺麗だ。苔とかに長い時間を感じる、一つ一つの場所の環境も違うことが触ったりすること、姿勢を変えて見ることでよりわかる。 公園環境にもう少し近づく(なる)ためのワーク。
少し険しく狭い石階段があってそこを登ると公園の中でも高い位置に来るようだ。登ったところからまっすぐに山道が切り開かれたようにまっすぐ続く道へと出る。その先には御隅櫓が建つ。 まず御隅櫓の方までみんなで行ってしまい、そこで観客席としての線をひき改めてその辿ってきたまっすぐな道を見返し、その空間を使って今度は踊りで登場することを提案する。 村田さんと日比野さんを誘って道の始まりから登場し、一本道を踊り来て、見てる人のもとまで。 石を投げるのが合図で、3匹の猿と犬と雉子とか、違う動物みたいにバラバラに動いていく。 砂利がざらざらと音をたて、端っこの木にぶつかる。木のインスピレーションや外側を取り入れたり、取り入れなかったりして進んでいく。 踊りながら割と日比野さんはすっと動いたりしていて、より僕はリーチを広くするイメージも持ちつつ、村田さんはより地面とかのイメージ。 村田さんも、日比野さんもそれぞれ見た人から動きのフィードバックをもらったと言っていた。
資料館には迷って入らず、公園の折り返し地点として今度は別の道から戻っていく形になって、ちょうど傾斜の前の木陰がいくつありつつ広がったスペースにも隣接しているとこ���で虻川さんによる発表。 この日のために色んな試行錯誤があったことが彼女のtwitterからなどもわかってとても楽しみにしていた。 説明としてプリントしてきた数枚の紙をお客さんに配っていく。そしていくつか持ってきていた小道具みたいものを10mくらいの間隔のスペースに配置していく。本やオブジェや写真の印刷されたボードみたいなものなど。木陰や切り株の近く、選ばれたところへすっと一つずつ。 虻川さんが使用されるピンク色のストーンが鎖の下に垂れているアクセサリーは4年間ほど占いなどを一緒に執り行っている相棒だという。受けてみたい人と手を繋ぎ(そこに微妙に筋肉の作用などが互いに生じるのも含めてと言っていた)、何か場所を進みながらこのアクセサリーがダウジングマシーンみたいに振り子としていくべき先を示す役割を果たすという。 手を握って目をつむり片手にアクセサリーを持った虻川さんが案内するように優しい足取りで進み出す。その先で物や立ち位置に出会すと立ち止まって振り子の加減を伺う。再びまた歩き出す。一人目は白い丸いぼこっとしたボールの前に立ち止まり、何か���虻川さんが言っている。その後、とても喜んだ様子で感謝を述べていた。 ある人は本があった場所に案内されると互いに地面に座りじっと5分間、目を見つめ合う。何か異様で、自然な集中が起きていて彫刻を遠くから見るような静寂もたたえた二人の姿があった。虻川さんにはパフォーマンスのような強さもあって、その時に人の目っていうのは最も身体の器官の中で鏡に近いというようなことをそこでなぜか思った。 数人がそのようにそれぞれバラバラのアクションで案内され、ある人はほとんどそれだけを見に来て、帰っていった。 一人は目を瞑って、もう一人は地面やそのストーンによる行方などを頼りに木や凸凹とした地面を移動していく様とそれを周囲で見守る人たちの光景が静かでやさしく、しかし適度の緊張をもって感じられたのが印象的だった。 あんまりまだ”どうぶつえん”の中でも見たことのないタイプのパフォーマンスで興味深かった。 虻川さん曰く、もっと広いところなどでもやりたいというようなことを言っていた。
・村田葵さんは傾斜のところでそれぞれのインストラクションを受けた人と話をしていた。
それからまた歩き出し、帰りは外側の道を、と茶室に続く道を選択し歩いていく。
ここの斜面は何か侍とかが返り討ちとかに合いそうな道だ。
この時点で2時間ちょっとは経っていてみんなも少しずつ疲れてきている感じ。茶室辺りに着く。とても整備されていて綺麗な場所。 銅ふたろさんのいよいよ出番。彼は集合の時点でブルーシートで出来た衣装を着ており正体が不明。準備を始めようと少しだけ近くで耳打ちとかしながら着ているのとはまた別のブルーシートを取り出し地面に敷く、音源をスピーカーとつなげて音源を流す。何かちょっとどもったようなリズムの上にガサガサした声が報せのように、あるいは途方もない感じで響いていて、それを木のふもとに固定する。 ブルーシートの上で動き始めるそれは踊りというよりも動作的な趣向がまずは近いように感じられる。自身のブルーシートの身体から取り出すように薄い布みたいなシートを新たに取り出してはそれがこぼれ落ちる、またシートを上から羽織るような仕草。そのシートが一枚だったなら身体がその一枚を物として扱っているように見えるのだがこれが数枚になるとまるで身体から増殖するような感じがある。滑り落ちていく体に起きた作用みたいな別の感じが生じると見ているうちにわかった。
踊りというよりとにかくむしゃむしゃとやっている感じ。 10分ほど経ってから段々と体が地面へと落ちていき、ひれ伏すような状態になる。この形になると少し物の形状としてなぜか見やすくなる感じがあった。ひれ伏して抽象的な地面の塊みたいになって、その常態とそこからの動作の続きの想像が比較的容易くなるというか。 またその状態から今度はずっとスクエアのシートの上でやっていた塊が外側に迫り出そうとする、ここにも一つアクションとしての沸点があり、展開��なっている。 それがいよいよ飛び出したかと思うとそうではなくて、その敷いていたブルーシートも体の中に取り入れ巻き込み、いよいよより大きな塊になっていく。 この辺で確か小雨が降ってきてまるで雨乞いのようだと思ってさらに土砂降りにでもなってほしいとさえ思ってしまう。結局、雨はひいた。 やがてそこから退散するように固執するように蠢いていた場所を離れ山道の中を入っていこうと進んでいく、、、したところで衣装を脱いでパフォーマンスの終了とした。
ちょうどそのタイミングで日差しがそのパフォーマンスの背景としていた茶室の池を抜けるように我々の方まで差し込んでいてとても綺麗だった。 その日差しをあとにし一行は帰り道を辿る。
(道すがら秋山さんに打診したり、他にアクションをし足りない人はいないか聞いてみる。)
最初に日比野さんの発表のあった原っぱへ。
荷物を放り出して、すっかり時間を一緒に過ごしたリラックスした身体たちが身を放り投げてきもち良さそうだ。 少しだけ休憩をしたら最後に一言ずつ感想を言って終わりへと向かいましょう、と言いトイレへ行く。藤浩志館長とトイレが重なって何かコメントをもらった気がする。 そして原っぱに戻ると楽器を取りに車へ向かう秋山さんの姿が。 ギターを持ち帰ってきて終わりにふさわしい感想を言うパートを設けたコール&レスポンス型の歌が即興的に歌われる。思い思いに適当にその辺を叩いて演奏に加わり一同笑いながらそれを聞く。 少しずつ外が暗まっていく。 一言ずつのコメント。 藤さんはたとえば3人が林道で踊る際に好き勝手な声を出したかったということ、千秋公園の使い方で考えていたような広がりを持った使い方のサンプルを見れたとかそういうことを言っていて、もちろんサンプルを越えるような何かを提案したかったけども、それぞれが素晴らしいアクションをしてくれて毎度のことだけどお客さんにも拍手みたいな感じで無事に終わることが出来た。
・半透明として参加した村田さんは”どうぶつえん”の全体を通して淡い参加の方法によって時に溶け込み、時により溶けていくようなあり方を身体や鑑賞態度において具体的に寝そべるとか、木にもたれかかるとかして試されていたように思う。
また思いがけず、それにグラデーションをもたらすような形でAokid、日比野と林道を踊って行進するような時間も生まれていった。
終わった後は文化創造館前で机を広げて打ち上げを行った。
それぞれの発表が見れたこと、また初めてこうして”どうぶつえん”を秋田で開催出来たのは文化創造館をはじめ、秋田の人たちのおかげでとてもありがたかった。感想でももらったようにこの場所のポテンシャルを改めて発見する機会になったのは発表や鑑賞のおかげだと思います。ありがとうございました。またやれたらとてもいいなぁと思います。
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やっとこさ植林場ができましたー! 何となく屋根にガラスを使ってはみたけど、シェーダーを入れるとあんま目立たないんですよねぇ… で、この地上部分はオークとシラカバ用でして、アイテムはすべて地下で仕分け収納されます。
竹は外壁に仕込んでみた。 その辺をうろうろしてると結構溜まるので、今後は何でもいいから木材って時は竹でまかなえそうです。 足場も作り放題!
地下では使用頻度の低そうな木や巨木を植えてます。 露天掘り跡地が有効活用できて良かったのです。
竹の回収所はこんな感じに。 10LCもあれば流石にええやろ…という事で、もし放置しすぎても焼却処理で詰まらないようになってます。 竹は成長が早いのだ…
竹回収所と同じフロアには、植林用仕分け倉庫と木材関連の収納スペースも用意��� 仕分けの方は各種原木・苗木・棒・それ以外で仕分けてます。 木の種類はトラップドアで判別表示。 看板とか額縁もいいけど、倉庫はサンプルブロック式の表示の方が好きなのです。 仕分けない方は、柵とかドアとか板材とか、そういう細かいもんを分類収納。 あとクラフトして固めた竹ブロックもこちらに貯蔵してます。
植林場地下は採掘用の仕分け倉庫と繋がってたりします。 石だけじゃなくて木も欲しい!という時は、地下経由で各チェストにアクセス可能…なんだけど、何故か地上は繋がってない件。 まあ隣なので…いいかなと…
クリーパートラップの待機所から見下ろした全景。 実はちょこちょこと道も整備してたりします。 まだ草を剥いだだけの未舗装路ではあるけど、建物と道ができて発展していくのを見るのは楽しい。
さて次はネザー行ってきます!
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本日は上真倉の竹林整備。 こちらは整備を始めてもう5年目になるので、3時間くらいでだいたいの整備を終えることが出来ました。 2枚目の画像にあるような孟宗竹の色の違いが伐採の目安。この場所も当初は手前の黄色っぽい竹が多かったのですが、今では1年生から5年生くらいまでが程よく混じる感じになりました。 若竹もだいぶ育ってきたので、長年竹林を支えてくれた黄色い竹は今年でお役御免という感じなりそうです。 もう#放置竹林としなくても良いですね。しっかりと整備された良い竹林になりました。(^^) #地域おこし協力隊 #館山市 #館山市地域おこし協力隊 #竹林整備 #孟宗竹林 #竹林活用 https://www.instagram.com/p/CnObAPNP2TH/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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【12月の2回目の合同練習会を行いました】
12月24日(土)、25日(日)と福島市で合同練習会を行いました。 冒頭の写真は練習会場としてお世話になっている、 福島民報さんによる来年3月の定期演奏会紹介記事企画のために、 初日の昼にそろっていたメンバーでの集合写真撮影の脇からのワンカットです。
1日目は指揮の栁澤寿男さんによる合奏練習です。 演奏会のメインの楽曲であるマーラーの交響曲第5番に時間をかけて取り組みました。








年末の疲労蓄積のためか途中極端に休憩している人も。 起こさないように気を使ってシャッターを切りました。

もちろん掲載は本人の了承済みです! ですが、名前はあえて出しません!!
遅れてきた団員は、まずはひとり影練してからパートに迷惑をかけないように入ると殊勝な心構えです。

しかし、そのトロンボーンパートは栁澤さんからもっと頑張ってと発破をかけられたものですから、福島事務局の竹田学さんがデスクを横に置いての指導です。


「あ〜、難しい」という吹き出しが見えそうな様子。
栁澤さんからは全体的に曲が体に入っていないのではとのご指摘。パート譜だけでなく、スコアを見ながら曲を聴き込んで、曲を流しながらでも練習するようにして欲しいとのご指導でした。

ファゴットの長田悠季さんが管の先にボール紙をつけて吹いていました。 通常の最低音の半音下を拭くための対策なのですが、 白い部分にデザイン上のいろいろな工夫ができそうです。


ホルンパートは現時点で栁澤さんから及第点との評価。

起きてます。

何しろトランペットのソロからはじまる楽曲ですから大変そうです。


団員のみなさん、年明けからはチケットの先行発売もはじまり、本番まであっという間です。今から曲を変えることはできませんから、この冬休みにしっかりと練習に励んでくださいね。


今期は全体でヴィオラは3人のみ。 今日は武澤智哉くんのみが演奏で、栁澤さんからもよく頑張ってたとの高評価。 来春には某楽器メーカーの研究開発職として入社が決まり、 最後の定期演奏会への気合いを感じました。 遠き日の直前合宿初日に大遅刻の失態からの名誉大挽回で頼もしい限り。
この日、OGの佐藤実夢さんからは気の利いた差し入れのプレゼントをいただきました。


なんと立派になられたことか! 卒団して4年経っても、忘れずにこのきめ細やかな気遣いをありがとうございました。
この日はクリスマス・イブだけあって赤緑白を身にまとった団員が複数名いましたので、クリスマスカラーの記録写真を撮ってみました。

緑色のトレーナーの背後は叫んでいました。

メリー・フクスマス!
貼ってあったチラシは、こちら地元FTVジュニアのニューイヤーコンサートでした。

翌日は12月25日の日曜日。

前日はなかなかうまく吹けず落ち込み気味だった福島の大学1年生、トロンボーンの海津洸太くんが、サンタ帽を被って朝からハイテンション。 人生にはその回復力が重要だ!
メリー・フクスマス!(2回目ですが、ウケていますか?)
2日目は、東京フィルハーモニー交響楽団さんが派遣してくださった講師の先生方によるパート練習、セクション練習、いわゆるパー練、セク練の日曜日となりました。
木管セクションは福島民報ホールから徒歩15分の白百合幼稚園をお借りして、フルート奏者の名雪裕伸さんのご指導を受けました。

あとは福島民放本社3階の各所を使っての練習です。 ヴィオラは重光明愛さん。


前日に比べ出力は2倍!
セカンドヴァイオリンは大谷真結子さん。


ファーストヴァイオリンは二宮純さん。



金管セクションはチューバ奏者の大塚哲也さん。



コントラバスは黒木岩寿さん。

チェロは竹林良さん。


打楽器セクションは高野和彦さん。

マンツーマンの個別指導が贅沢!
そして、こちらにも。

昼休みに突入にも関わらず、コンサートミストレス渡邉真浩さんによる家庭教師のト●イ並みの個別指導。
かと思いきや。


先生が帰られたあとも、渡邉真浩ヴァイオリン教室が絶賛開催。 頼りにならない事務局の大人は、ウケない冗談を飛ばしていれば済む、この頼りになり過ぎる団員たちに安心する年末でございます。
とはいえ、団員の良い子たちには大事なことなので繰り返しますと、 とにかくマーラーの5番、 曲をよく聴いてよく練習してくださいね。
良い年末年始をお過ごしください!
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ダ-ティ・松本 不健全マンガ家歴30年[-α]史 ●はじめに この文章は同人誌「FUCK OFF!7」において書かれたものをベースにして逐次増補改定を加えていき、いずれ歴史の証言として、[というほど大袈裟なものでは無いが…]一冊の本にまとめたいという意図のもと、近年どんどん脳が劣化していくダ-松の覚え書きとしても使用の予定。事実関係は間違いに気付き次第 訂正。同人誌発表時のものも今回自粛配慮して、実名、エピソード等を削除した箇所有り。有り難い事に某出版社よりすでに出版打診があったがまだまだその時期ではない、マンガを描く事が苦痛になったら活字の方も気分転換にいいかも…。 /*マークは今後書き加える予定のメモと心得たし。 ●前史/修行時代・1970 さいとうプロの短くて濃い日々…… 1968年に上京。数カ月後東京は戦場に。熱い季節の始まりだった。 2年後親元を飛び出し友人のアパートに転がり込む。場所は渋谷から井の頭線で駒場東大駅下車、徒歩5分。地図で見ると現在の駒場公園あたり。昼間でも裸電球を付けなければ真っ暗という馬小屋のような部屋。数メートル先には当時の建設大臣の豪邸が…。前を通りかかるだびに警備のおまわりがじろり。 いつまでも友人に迷惑もかけられないのでとりあえずアシスタントでも…と手元にあったマンガ誌をひっくり返し募集を探す。幸いさいとうプロと横山まさみち氏のところでアシ募集があり両方応募。どっちか一つ通れば…と思っていたら何と両方受かってしまい、双方に条件を聞く。当時高円寺 のアパート、風呂無し4畳半の部屋で相場12000円の時代。前者一ケ月の給料10000円、後者20000円との事。給料の方がボロアパートの家賃より安いとは…!どう考えても前者は食う方法がないと判断し、後者さいとうプロへ入社。 ここに居たのはたったの半年に過ぎないけれど今思えばこれだけで本が一冊描ける位の濃い半年だった。しかしこのあと2X年分も書かねばならないことを思えば今回はいくつかのエピソードを書くだけに留めよう。 ダー松が入った時は小池一夫氏[クビ?]、神田たけ志氏や神江里見氏、きしもとのり氏[現・松文館社長]等と入れ替わりの時で、きし氏の女遊びの凄さと神江氏の絵のうまさは伝説になっていた。現在「亀有」「ゴルゴ」が歴代単行本の巻数の多いベスト1、2位だが[ともに100巻を越えた]、3位は神江氏の「弐十手物語」[70巻以上]だという事は知ってる人は少ないだろう。 当時の制作部は、さいとうたかを[以下ゴリ]をトップに石川班[ゴルゴ13、影狩り]、甲良班[バロム1]、竹本班[シュガー、どぶ等]の3つに分かれ、それぞれのキャップにサブ・チーフが一人づついて、ヒラが2~6人いるというシステムで総16名。独立し現在も活躍中の叶精作、小山ゆう、やまさき拓味の3名がそれぞれの班のサブ・チーフ。ダー松は石川班で左右1メートル以内に叶氏とゴリにはさまれ、のんびり出来ない状態で、はなはだ窮屈。叶氏はほとんどマンガ家になりたいとも思った事のなかった人で、設計事務所みたいなところで図面を引いていた人がなぜマンガプロダクションに来たのか不思議だった。格別マンガ好きというわけでもなかったせいか現在まで全ての作品が原作もので、オリジナルは一本もないのはそのせい?祭りなどの人がうじゃうじゃ出てくる群集場面が得意。 やまさき氏は大の競馬好き、現在競馬マンガを多く描くのは当時からの趣味が生きたというべきか。もう一つの趣味である風俗についてはここでは書くのは差し控えよう。小山氏は後日ここの事務の女性と結婚するが、当時はつき合っているとは誰も知らず、スタッフの一人がやめる時その女性に交際を申し込んだら、茶店に呼び出されて小山氏からと凄まれたと聞いたが嘘か本当かは不明。 ここでの生活は新入り[ダー松を含めて3名]は朝の9時前に会社に行き、タイムカードを押し、前日のごみをひとまとめして外に出し、トイレ掃除をして、16人分のお茶を2Fで入れて制作部のある3Fへの狭い階段をふらふら昇り、机ごとに置いて歩き、終れば、一息ついて買っておいたパンと牛��を3分で食べて、やっとそれから仕事。しかし新入りの3名の内1人折茂は常に遅刻なのでいつも佐藤と2人でやっていた。佐藤も遅れる時はダー松1人で。辞めてから10年位、16人分のお茶を持って階段をふらふら歩きお盆をひっくり返す夢をよく見たものだが、実際ひっくり返したのは折茂と佐藤の2人で、よく茶碗を割っていた。 たまには夕方6時には帰れるが、普通は夜10時までで、アパートに帰って銭湯に行けばもう明日にそなえて寝る時刻、このくり返しの日々。週1日は徹夜で明け方に帰り、その時は当日の昼12時出勤。休日は日曜日のみで忙しい時はそれも取り消し。つまり休みは月3日。[これで給料2万円!]そんな日々の繰り返し。 夕方までは皆和気あいあいと仕事していたが、ゴリが夕方6時頃に「おはようさん」と現れると、全員無駄口がたたけなくなり、仕事場はシーンと静まり返り、以下その日が終わるまでは疲れる時間がただひたすら流れるのみ。 当時石川班は「ゴルゴ13」と「影狩り」を描いていたがゴリは主人公の顔と擬音のみ。マジックで最後に入れる擬音はさすがに入れる位置がうまいと感心。ゴルゴの顔はアルバムに大小取り混ぜてコピーがとってあり、忙しい時は叶氏がピンセットで身体に合わせて「これが合うかな~」といった感じで貼り付けていた。 その頃すでに「ゴルゴ」は近々終わると噂されていたが、現在もまだ続いているとは感嘆ものだ。 ゴリと石川氏が「ゴルゴ」の最終回の終わり方を話しているのを聞いたら、何ともつまらない終わり方。しかしあれから20年以上も経つ事だし、きっともっといい終わり方を考えてあるだろうなと思っていたら、先日TVで本人が最初から考えてある終わり方だと言うのを聞き、がっくり。企業秘密だろうから書かないが、作品の最初の方に伏線が数度出ているのでわかる人にはすぐわかる筈。 辞めた小池一夫氏とさいとうプロに何があったかは知らないが、漏れ聞く話では結構もめ事があったみたいだ。 「子連れ狼」で「ゴルゴ13」と同じ設定の回があった時、「小池のガキャー訴えたるー!」とゴリが吠えていたものだが、結局たち消え。さいとうプロ作品で脚本を書いた本人が辞めた後、他の作品で同趣向の作品を書いても著作権は脚本を書いた原作者のものだと思うがどんなものだろう。その回のタイトルは忘れたが、ある場所に居合わせた人々が武器を持った集団の人質となり、その中に素人だと思われていた主人公、実は殺しのプロフェッショナルがいて、次々とその集団を殺していく、といったプロットで、ミッキー・スピレーンの短編に同じような作品があり、本当に訴えていたら恥をかいたと思うが・・・。 そういえば事務の方には山本又一郎という男がいたが、後年映画プロデューサーとして 「ベル薔薇」や「太陽を盗んだ男」等を創る事になるが、この野郎が生意気な男で当時皆に対して10歳は年上、といった感じの振る舞いだったが後日俺と一つしか年が離れてなかった事を知り、そんな若造だったとは、と皆怒ったものだ。以来奴の事を「マタさん」から「クソマタ」と呼ぶようになる。 さて半年後に先輩たちが積もり積もった不満を爆発させる反乱事件が勃発し、2年は居るつもりでいたここでの生活も、辞めるか残るかの選択を迫られる。残ればさいとうプロの現体制を認める事となるので、ダー松も退社。 しかし反乱グループとは別行動をとって一人だけの肉体労働のアルバイター生活へ突入。超ヘビーな労働の製氷工場、人使いの荒い印刷所、命綱もない高所の足場で働く建設現場等々。トラックの助手をしていた時は運ちゃんが「本宮ひろしって知ってるか?うちの息子の友達でさぁ、昔、おっちゃんメシ食わしてくれーなんて言ってきたもんだが、今は偉くなっちゃってさー、自分のビル建てたらしいよ。赤木圭一郎みたいにいい男なんだ。」とうれしそうに話してくれたが、運ちゃんには悪いがそいつは今も昔も一番嫌いなマンガ家なんだ。あの権力志向はどうにかならんか。天下を取る話ばかりだもんなぁ。 ところで後日、単行本の解説で高取英が「さいとうたかをのヤローぶっ殺してやる!」とダー松が言ったなどと書いているが、小生はそんな危ない事言った覚えはないのでここできっちり訂正しておきます。 「会社に火ィつけてやる!」位は言ったかも・・・[嘘] 。 悪口は言っても別に怨みなど無い。ところでアシスタントとしてのダー松は無遅刻、無欠勤以外は無能なアシだったと反省しきり。理想的なアシスタントとはどんなものか、それはまた別の機会に。 *入社試験はどんな事を? *さいとうプロには当時ほとんどろくな資料は無かった? *ハイジャックの回の飛行機内部の絵は、映画「大空港」を社内カメラマンが映画館で写してきたものをもとに描く。 *当時のトーンは印刷が裏面にしてあり上からカッターでけずったり出来ない。 *トーンの種類は網トーンが数種、それ以外はほんの3、4種類位しかなかった。 *仕事中のB.G.M.はアシの一人が加山雄三ばかりかけるので大ひんしゅく。好評だったのは広沢虎造の浪曲「次郎長三国志」、初代桂春団次の落語。眠気もふっとぶ位笑えた。 ダ-松が岡林信康の「見る前に跳べ」をかけてるとゴリは「何じゃー!この歌は!」と怒る。名曲「私たちの望むものは」はこの男には理解不能。 ●1 9 7 1 ~ 1 9 7 4 持 ち 込 み & 実 話 雑 誌 時 代 当時は青年劇画誌全盛時代で、もともと望月三起也氏や園田光慶氏のファンで活劇志向が強く、 主にアクションもののマンガを描いて持ち込みに行っていた。今のようにマンガ雑誌が溢れかえって、山のようにマンガ出版社がある時代ではなく、数社廻るともう行くところがない、という状態で大手では「ビッグコミック」があっただけで 「モーニング」も「スピリッツ」も「ヤン・ジャン」も当然まだない。テーマを盛り込んだ作品を持って行くと編集から「君ィ、うちは商売でやっているんだからねぇ」と言われ、アクションに徹した作品を持って行くと「君ぃ、ただおもしろいだけじゃあねぇ」と言われ 「おい、おっさん!どっちなんだ?」とむかつく事多し。この辺の事は山のように書く事があるが、有りすぎるのでパス。 *そのうち書く事にする。 ただ金属バットで頭をカチ割って脳みそをぶちまけてやりたいような奴が何人もいたのは事実。今年[’97]「モーニング」に持ち込みに行って、断られた奴が何万回もいやがらせの電話をかけて逮捕された事件があったが、そのうちトカレフを持って殴り込みに行く奴が出てくるとおもしろい。出版社も武装して大銃撃戦だぁ!などと馬鹿な事書いてどうする!とにかく持ち込みにはいい思い出が何もない。そんな中、数本だけ載った作品は渡哲也の映画「無頼」シリーズの人斬り五郎みたいな主人公がドスで斬り合う現代やくざもの[この頃の渡哲也は最高!]、ドン・シーゲルの「殺人者たち」みたいな二人組の殺し屋を主人公にした『汚れたジャングル』、陽水の「傘がない」が好きだという編集さんの出したテーマで車泥棒とブラックパンサーの闘士と��ロード・ムービー風『グッバイ・ブラザー』、拳銃セールスマンを主人公にした『ザ・セールスマン』、等々10本ちょい位。 さてその頃並行してまだエロマンガ専門誌といえるようなものがなかったような時代で、実話雑誌という写真と記事ページからなる雑誌に4~10ページ位を雑誌の味付けとして描かせてもらう。当時、お手本になるようなエロマンガなど皆無で、エロ写真雑誌を古本屋で買ってきてからみのポーズを模写。マンガで裸を描く事はほとんど初めてで、これがなかなか難しいのだがエロシーンを描くのは結構楽しい。当時出版社に原稿持って行き帰りにグラフ誌をどっともらって帰るのが楽しみだった。SM雑誌の写真ページも参考になる。なお当時のペンネームは編集部が適当につけた池田達彦、上高地源太[この名前はいけてます。また使いたい]等。その数年後、逆にマンガが主で記事が味付けというエロマンガ誌��続々と創刊される。 *さいとうプロをやめたあと編集や知人に頼まれて数人のマンガ家の所へ手伝いに行く。秋田書店「漫画ホット」で『ジェノサイド』を連載中の峰岸とおる氏の所へ行き、仕事が終わったあとまだ売れてない頃の榊まさる氏も交え酒を飲む/川崎のぼる大先生のところへ数日だけ/3000円たこ部屋/小山ゆうオリオンププロ *当時のアルバイトは記憶によると時給150~200円位/大日本印刷市ヶ谷駐屯地/坂/ *一食100円/どんなに貧しい漫画家もみかん箱の上で書くやつはいない/TV萩原サムデイ *ろくでなし編集者 ●1 9 7 5 ~ エ ロ マ ン ガ 誌 時 代 に 突 入 実話誌は意外とエロは抑え目で描くように口すっぱく言われていたのだが、以前活劇っぽい作品を描かせてもらってたが潰れてしまった出版社にいた児島さんが編集する「漫画ダイナマイト」で打合せも何にもなしに好きに描かせてもらい、ここでエロマンガ家としての才能[?]が開花する。描いてて実に楽しく眠る時間がもったいない位で、人に睡眠時間が必要な事を恨んだ程。出来る事なら一日中休まず描いていたい気分で完全にはまってしまう。 初の連載作品「屠殺人シリーズ」はこの頃から/『漫画ポポ』。中島史雄氏は大学時代にこの作品を見ていたとの事で、トレンチコートにドクター・ペッパー模様のサイレンサーつきマグナム銃で遊戯人・竜崎一也が犯しまくり殺しまくり、サディスト、マゾヒスト、殺人狂、まともな奴が一人も出てこない性と暴力の祭典。ちなみにタイトルページは描かないでいい、との事でどうするのかと思っていたら編集部が中のワンカットを拡大してタイトルページを創り、1ページぶんの原稿料をけちるというせこいやり方だった。けちるといえば、原稿の1/3にCMを入れる際、原稿料を1/3削った会社もあり。 ●1 9 7 6 ~ 後に発禁仲間となる高取英と出逢い、『長編コミック劇場』で「ウルフガイ」みたいのをやろうと、怒りに震えると黒豹に変身してしまう異常体質の主人公を設定し、獣姦のイメージで「性猟鬼」なるエロマンガをスタート!しかしその号で雑誌が潰れる。この路線は今でもいけそうな気がするがどんなものだろう。 この頃の珍品に「快楽痴態公園」がある。タイガースに11-0とワンサイドで打ちまくられ、怒ったジャイアンツファンのおっさんが公園でデート中の女をずこずこに犯りまくり、その間にジャイアンツは9回裏に12-11とゲームをひっくり返してしまうのである!その時のジャイアンツの監督はもちろんミスター長嶋、先発堀内、打者は柴田、土井、高田、王、張本等々がいる。タイガース監督は吉田、ピッチャー江本、キャッチャーフライを落球する田淵、そしてあの川藤もいる。解説は牧野…… ●1 9 7 7 ~ 上記2作品を含む初の単行本「肉の奴隷人形」が久保書店より発行。後にリングスの会場で逢った佐竹雅昭氏はこの本が一番好きとの事だった。 「闇の淫虐師」もこの年スタート。一話完結でバレリーナ、バトンガール等々、毎回いろんな女たちをダッチワイフのごとくいたぶりまくるフェチマンガとして1979年まで続け、単行本は「堕天使女王」「裂かれた花嫁」「エロスの狂宴」「陶酔への誘い」「終りなき闇の宴」の全5巻。ちなみに今年「闇の淫虐師’97」を『コミック・ピクシィ』にて発表。いつか『闇の淫虐師・ベスト選集』でも出したいところ。 [’98に実現、’99には続刊が出る] ●1 9 7 8 ~ 久保書店より第2弾の単行本「狂った微惑人形」。収録作品の「犯された白鳥」は持ち込み時代に描いた初のバレリーナもの。結構気に入っていた作品なのに、後年再録の際、印刷所の掃除のおばさんが捨ててしまい、この世にもはや存在しない不幸な子となる。[’99に宝島スピード・ブックに本より直接スキャンして収録] エロ、グロ、ナンセンスの会心作「恍惚下着専科」を発表。サン出版より同名の単行本発行。また同出版より「コミック・ペット/堕天使画集」として今までの作品を続々単行本化。全10巻位。これは今でも古本屋で流通しているとの事で、まだまだ世間様のお役にたっているらしい。 この年、「堕天使たちの狂宴」を描いていた『漫画エロジェニカ』が発禁処分、来年でもう20年目となる事だし、当時の人たちと集まってその大放談を収録し「発禁20周年特集号」でも創ってみようかと計画中。さて当時の秘話としてもう時効だろうから書いてみるけど、前述の『堕天使画集』に「堕天使たちの狂宴」は収録される事となり、当然修正をガンガン入れて出版されるものと覚悟していたら、米国から帰国後出来上がった本を見ると発禁になった状態のまま再録されている!以下桜木編集長との会話 ダ/いや~、いい度胸してますね。 編/だって修正してあるじゃない。 ダ/その修正状態で発禁になったんですよ 編/・・・・・ ダ/・・・・ 以下どんな会話が続いたのか失念…… それにしてもサドの「悪徳の栄え」の翻訳本は発禁後20年以上して復刻されたけれど、「堕天使たちの狂宴」は半年もしない内に単行本になっていたとはエロ本業界とは何といいかげんな世界!しかし作品そのものは、今見るとリメイクする気にもならないどうという事もない可愛い作品で、結局あれもあの時代の姑息な政治のひとかけらに過ぎなかったのだろう。いい点があるとしたら一つだけ、それまでのエロマンガになかった瞳パッチリの少女マンガ的ヒロインを登場させた事位か。今の美少女エロマンガは本家の少女マンガもかくや!という位眼が大きいが当時としては画期的だったかも。 ●1 9 7 9 ~ この年の「淫花蝶の舞踏」は「堕天使たちの狂宴」よりずっといい/『漫画ソフト』。今年出た「別冊宝島/日本一のマンガを探せ!」でベスト2000のマンガがセレクトされているが、ダー松の作品の中ではこの作品が選ばれている。教師と生徒、二人の女たちが様々な男たちの手によってに次々ともてあそばれ、闇の世界を転々として再び巡り会う時、女たちは蝶と化し水平線の彼方に飛び去り、男たちは殺し合い血の海の中で屍と化す。ダー松作品にはこのように男根が女陰の海に飲み込まれてに負けるパターンが多い。[性狩人、遊戯の森の妖精、美少女たちの宴、人魚のたわむれ・・等々] この年からスタートの「性狩人たち」シリーズ[劇画悦楽号]はバレエ、バイオレンス、SEXの三要素がうまくからみあい、それぞれが頂点まで達する幸福な神話的作品だ。ここから派生した路線も多く、美少年路線は’83の「聖少女黙示録」へ。身体障害者路線は’80の「遊戯の森の妖精」、’84からの「美姉妹肉煉獄」へと繋がる。’81の最終話「ハルマゲドンの戦い」ではせりふなしで24ページ全てが大殺戮シーンという回もあり、中でも一度やりたかった見開きで銃撃戦の擬音のみという事も実現。こんな事がエロマンガ誌で許される時代だった。ちなみにこの回は[OKコラルの決闘・100周年記念]だが、何の意味もない。単行本は最初サン出版より、その後久保書店より「白鳥の飛翔」「少女飼育篇」「ヘラクレスを撃て!」「眼球愛」「海の女神」の全5刊。現在入手出来るのは後の3刊のみ。[「海の女神」も最近在庫切れ] この年出た「人���のたわむれ」の表題作は性器に{たこ}を挿入するカットを見た編集長が「・・・[沈黙]・・・頭おかしいんじゃ・・ブツブツ・・気違い・・・ブツブツ・・・」と呆れてつぶやいていたのを記憶している。たこソーニューは今年出た「夜顔武闘伝」で久しぶりに再現。なおこの作品は’83にマンガと実写を噛み合せたビデオの珍品となる。水中スローモーションファックがなかなかよい。 ●1 9 8 0 ~ なぜか「JUNE」の増刊として作品集「美少女たちの宴」がサン出版より出版され、その短編集をもとに脚本化し日活で映画が創られる事となる。[「花の応援団」を当てたこの映画の企画者・成田氏は日活退社後「桜の園」等を創る。]その際、初めて映画撮影所を見学し、せこいセットがスクリーン上ではきちんとした絵になってるのを見て映画のマジックに感心。タイトルはなぜか「性狩人」で、’96にビデオ化された。監督・池田敏春のデビュー第2作となり現在���でコンスタントに作品を発表しているが、出来のいい作品も多いのになぜか代表作がない。初期の「人魚伝説」が一番いいか。 この映画に合わせて「美少女たちの宴」を2~3回のつもりで「漫画ラブラブ」で描き出すがどんどん話がふくらみ、おまけに描いてる出版社が潰れたり、雑誌が潰れたりで雑誌を転々とし条例による警告の嵐がきた「漫画大飯店」を経て、「漫画ハンター」誌上で完結したのは’83になる。この作品でクリトリスを手術してペニスのように巨大化させるという人体改造ものを初めて描く。 この年の「遊戯の森の妖精」は身体障害者いじめ鬼畜路線の第2弾!森の中の別荘に乱入したろくでなしの二人組が精薄の少女の両親達を虐殺し、暴行の限りをつくすむちゃくちゃな作品で、雷鳴の中、少女の性器に男達のペニスが2本同時に挿入されるシーンは圧巻!しかしこのとんでもない男達も少女の性のエネルギーに飲み込まれ、朽ち果てていく・・・。 ●1 9 8 1 ~ 美少女マンガ誌のはしり「レモン・ピープル」誌創刊。そこで描いたのが「白鳥の湖」。虚構の世界のヒロインを犯すというコンセプトは、アニメやゲームのヒロインをずこずこにするという今の同人誌のコンセプトと同じかも。バレエ「白鳥の湖」において悪魔に捕われたオデット姫が白鳥の姿に変えられる前に何にもされてない筈がないというモチーフにより生まれたこの作品は、悪魔に男根を植えつけられたヒロインが命じられるままに次々と妖精を犯して歩き悪魔の娘となるまでを描くが、あまり成功したとは言えない。ただ人形サイズの妖精をしゃぶりまくり淫核で犯すアイデアは他に「少女破壊幻想」で一回やっただけなのでそろそろもう一度やってみたいところ。「ダーティ松本の白雪姫」はその逆をいき、犯す方を小さくした作品で7人の小人が白雪姫の性器の中にはいり、しゃぶったり、処女膜を食べたり、と乱暴狼藉![ちなみに両者をでかくしたのが同人誌「FUCK YOU!3」の「ゴジラVSジュピター」]この童話シリーズは意外と好評で続いて「ダーティ松本の赤い靴」を上記の単行本に描き下ろして収録。童話は結構残酷なものが多く、この作品も切られた足だけが荒野を踊りながら去って行くラストは原作通り。 *近年童話ブームだがこの頃もっと描いておけば「こんなに危ない童話」として刊行出来たのにとくやまれる。 「2001年快楽の旅」もこの本に収録。快楽マシーンを逆にレイプしてしまう、珍しく映画「2001年宇宙の旅」風のSF作品。 掲載誌を決めずに出来る限り多くのマンガ誌で描こうというコンセプトで始めたのがこの年スタートした「怪人サドラン博士」シリーズ。「不死蝶」シリーズや「美少女たちの宴」シリーズの中にも乱入し、「漫画ハンター」最終号では地球をぶっ壊して[その際地球は絶頂の喘ぎ声をあげ昇天する!]他の惑星へ行ってしまう。今のところ10誌位に登場。いつかこのサドラン・シリーズだけ集めて単行本化したいところ。ちなみに「サド」と「乱歩」を足して「サドラン博士」と命名。作者の分身と言っていい。 [後年、「魔界の怪人」として全作品を収録して刊行、04年現在品切れ中] この年描いて’82の単行本『妖精たちの宴』に収録の「とけていく・・」はレズの女たちが愛戯の果てに、肉体が溶けて一匹の軟体動物と化す、タイトルも内容も奇妙な作品。作者の頭もとけていた? ●1 9 8 2 ~ 1 9 8 3 ’83年に「美少女たちの宴」が完結。全てが無に帰すラストのページは真っ白のままで、このページの原稿料はいりません、と言ったにもかかわらず払ってくれた久保書店、偉い![明文社やCM頁の稿料を削った出版社=某少年画報社なら払わなかっただろうな……と思われる……]この作品以外は短編が多く、加速度をつけてのっていく描き方が得意のダー松としてはのりの悪い時期に突入。また10年近く走ってきてだれてきた頃でもあり第一次落ち込み期と言っていい。マンガがスタンプを押すように描けないものか、などとふとどきな考えまで湧いてくる。思えば一本の作品には、いったい何本の線を引いて出来上がっているものなのか。数えた馬鹿はいないだろうが数千本は引いている筈。一ヵ月に何万本とペンで線を引く日々・・うんざりする筈です。 この頃のめぼしい短編をいくつか書くと、少女マンガ家の家に税務調査にきた税務署員が過小申告をネタにねちねちいたぶるが、アシスタントに発見された署員は撲殺される。そして板橋税務署は焼き討ちにあう、といった作品「[タイトル失念]xx税務調査」。[後日読者よりこのタイトルを「色欲ダニ野郎」と教えていただく。ひどいタイトル *編集者のつけるタイトルはその人のセンスが実によくわかる。しかしサイテ-の題だなこりゃ…。 果てるまで「おまんこして!」と言わせながら処女をやりまくる「美処女/犯す!」はラスト、狂った少女が歩行者天国の通行人を撃ちまくり血の海にする。「嬲る!」はパンチドランカーとなった矢吹ジョーが白木葉子をサンドバッグに縛りつけ、殴って、殴って、殴りまくる。段平おっちゃんの最後のセリフ「・・ブスブスくすぶっちゃいるが・・・」「打てッ!打つんだ!ジョー!」「お前はまだ燃えつきちゃいねえ!」とはエロ・ドランカーの自分自身に向けて発した言葉だったのかも。トビー・フーパーばりの「淫魔のはらわた」は電気ドリルでアナルを広げてのファック!とどめにチェーンソーで尻を切断!いまだに単行本に収録出来ず。[’98の「絶頂伝説」にやっと収録]「からみあい」は夫の愛人の性器を噛みちぎる。「危険な関係」はアルコール浣腸をして火をつけ尻から火を吹かせる。この手は『FUCK YOU!2』の「セーラー・ハルマゲドン」で復元。そういえばこの作品の序章と終章だけ描いて、間の100章位をとばすやりかたはこの頃の「禁断の性獣」より。女性器にとりつき、男性器に変身するエイリアンの侵略により地球は女性器を失い滅亡する、といったストーリーで当時聞いた話では谷山浩子のD.J.でこの作品がリスナーの投書でとりあげられ、ダー松の名はダーティ・杉本と読まれたそうな。ヒロインの少女がひろ子という名前なのでこのハガキが選ばれたのかもしれないが、作者は薬師丸ひろ子からとったつもりだったのだが・・。[別にファンではない。] 「女教師狩り」は映画館で観客に犯される女教師とスクリーン上の同名のエロ映画の二本が同時進行し、一本で二本分楽しめるお得な作品。 ’83は’80に「漫画エロス」にて描いた「エロスの乱反射」の最終回の原稿が紛失したため単行本が出せないでいたのを、またまた「仏の久保さん」に頼んでラスト近くをふくらませて「漫画ハンター」に3回程描かせてもらい、やっと’85に出版。見られる事に快感を覚えるファッション・モデルが調教される内に、次第に露出狂となっていき、街中で突然裸になって交通事故を起こさせたり、最後はビルの屋上でストリップショー。そしてカメラのフラッシュの中に飛び降りていき、ラスト1ページはその性器のアップでエンド! 本格美少年・ゲイ・マンガ「聖少女黙示録」も’83。レズの姉たちの手によって女装に目覚めた少年がホモのダンサーたちに縛られなぶられ初のポコチンこすり合いの射精シーン。そして性転換して女となった主いるが、その中の’84の「白い肌の湖」はタイトルで解る通りのバレリーナものだがポコチンを焼かれた男が、一緒に暮ら人公が手術で男になった少女と暮らすハッピーエンド。この作品は単行本「美少女ハンター」に収録されてす二人の女と一人の男に復讐するエンディングがすごい!まず男の性器を切り取り、片方の女の性器にねじ込んだあと、その女の性器ごとえぐり取る。そしてその二つの性器をつかんだまま、もう一人の女の性器にフィストファック!のあげく、その二つの性器を入れたままの女性器をナイフでまた切って、ほとんどビックマック状態でまだヒクヒクうごめく血まみれの三つの性器を握りしめるとんでもない終り方!全くダー松はこんな事ばかりやっていたのかとあきれかえる。もう鬼畜としか言い様がない!しかし「ウィンナー」を二枚の「ハム」で包むなんて・・GOODなアイデアだ、又やってみよう。 ●1 9 8 4 ~ 「漫画ハンター」で「闇の宴」前後篇を描き、後日これをビデオ化。雪に包まれた六本木のスタジオで痔に苦しみながらの撮影。特別出演として中島史雄氏が絶妙の指使い、東デの学生時代の萩原一至が二役、取材に来たJITAN氏もスタジオに入ってきた瞬間、即出演で生玉子1000個の海で大乱交。カメラマンが凝り性で照明が気に入るまでカメラを廻さず、たった二日の撮影はやりたい事の半分も出来ず。撮影が終ると痔はすぐに完治。どうもプレッシャーからくる神経性だったみたいでこれに懲りてビデオは一本のみ。 この年の「肉の漂流」は親子丼もので、近所の書店のオヤジからこの本はよく売れたと聞いたが、一時よく描いたこのパターンは最近では「FUCK YOU!3」の「母娘シャワー」のみ。熟女と少女の両方が描けるところが利点。「血の舞踏」は久しぶりの吸血鬼もの。股間を針で刺し、噛んで血を吸うシーン等々いい場面はあるが、うまくストーリーが転がらず3回で止める。短編「果てるまで・・」は核戦争後のシェルターの中で、父が娘とタイトル通り果てるまでやりまくる話。被爆していた父が死んだ後、娘はSEXの相手を捜して黒い雨の中をさまよう。 またリサ・ライオンの写真集を見て筋肉美に目覚め、マッチョ女ものをこの頃から描き出す。しかしなかなか筋肉をエロティックに描くのは難しい。 ●1 9 8 5 ~ くたびれ果ててすっかりダレてきたこの頃、8年間働いてくれたアシスタント女史に代わってパワーのかたまり萩原一至、鶴田洋久等が東京デザイナー学院卒業後加わってダーティ・マーケットも第2期に突入!新旧取り混ぜておもしろいマンガをいろいろ教えて貰って読みまくる。「バリバリ伝説」「ビーバップハイスクール」「ペリカンロード」「めぞん一刻」「わたしは真悟」「Be Free!」「緑山高校」「日出処の天子」「吉祥天女」「純情クレイジー・フルーツ」「アクター」「北斗の拳」「炎の転校生」「アイドルをさがせ」「綿の国星」「いつもポケットにショパン」「バツ&テリー」「六三四の剣」永井豪の絶頂期の作品「バイオレンス・ジャック」「凄之王」「デビルマン」等々100冊以上とても書ききれない位で、う~ん・・マンガってこんなにおもしろかったのか、と感動! そこで眠狂四郎を学園にほうり込んで、今まであまり描かなかった学園マンガをエロマンガに、というコンセプトで始めたのが「斬姦狂死郎」。「六三四の剣」ばりに単行本20巻を目指すものの、少年マンガのノリは今では当たり前だが、当時はまだエロマンガとして評価されず、ほんの少し時代が早すぎたかも。’86に中断、今年’97に「ホリディ・コミック」にて復活!果たしていつまで続けられるか? →後に「斬姦狂死郎・制服狩り」、「斬姦狂死郎・美教師狩り」として刊行完結 前年末から始めた「美姉妹肉煉獄」は身障者いじめの鬼畜路線。盲目の姉とその妹を調教して性風俗店等で働かせ、娼婦に堕していく不健全・不道徳な作品で、肉の快楽にひたっていく盲目の姉に対し妹も「春琴抄」の如く己の眼を突き、自らも暗黒の快楽の世界にはいり、快楽の光に目覚めるラスト。 また、これからは女王様物だ!となぜか突然ひらめき「筋肉女」シリーズの延長としてフィットネス・スタジオを舞台に「メタル・クイーン」シリーズも開始。これは単行本2冊分描いたが、連載途中でヒロインの髪型を歌手ステファニーのヘア・スタイルにチェンジしたり、レオタードもたっぷり描けてわりと気に入っている。 10年近く描いた「美蝶」先生シリーズもこの年スタート!こうしてみるとマンガを描く喜びに満ちた大充実の年だったかも。 ●1 9 8 6 ~ この年は前年からの連載ものがほとんどだが、「エレクト・ボーイ」は空中でファックするシーンが描いてみたくて始めた初の超能力エロマンガ。コメディ的要素がうまくいかず2回で止める。この路線は翌年の「堕天使輪舞」で開花。 「夜の彷徨人」���自分の育てた新体操選手が怪我で選手生命を失ったため、その女を馬肉のごとく娼婦として夜の世界に売り渡した主人公という設定。しかし腕を折られ、女にも逆に捨てられ、そして事故によってその女を失ったあげく不能となってしまう。失った快楽を取り戻すため無くした片腕にバイブレーターを取りつけ、夜の街をさすらい次々と女たちをレイプしていくというストーリー。がっちり設定したキャラだったのにまったく話がはずまず、男のポコチンは勃起しないままに作品も不発のまま終る。 「斬姦狂死郎」が不本意のまま終わったため学園エロス・シリーズは「放課後の媚娼女」へと引き継がれる。当時見ていた南野陽子のTV「スケバン刑事・」とS・レオーネの「ウエスタン」風に料理。ラストの「男といっしょじゃ歩けないんだ」のセリフは一番好きな映画、鈴木清順の「東京流れ者」からのもじり。単行本は最初司書房から出て、数年後ミリオン出版から再販、そして’97久保書店より再々販ながら結構売れて今年また再版。この作品は親を助けてくれる有難い孝行息子といったところ。 ●1 9 8 7 ~ さいとうプロOBで那珂川尚という名のマンガ家だった友人の津田が「漫画ダイナマイト」の編集者になっていて、実に久しぶりに同誌で「堕天使輪舞」を描く。超能力エロマンガの第2弾。今回はエロと超能力合戦とがうまくミックスされ一応成功といっていい。この路線は「エレクト・ボーイ」とこの作品、そして’96の「夜顔武闘伝」も含めてもいいかも。一時、この手の作品は数多くあったが最近はめったに見かけない。しかし、まだまだこの路線には鉱脈が眠っているとにらんでいるがどんなものだろう。 ●1 9 8 8 ~ 「放課後の媚娼女」に続いて抜かずの凶一無頼控え「放課後の熱い祭り」を2年がかりで描く。’89に完結し司書房より単行本化。そして今年’97に改定してめでたく完全版として復刊!この頃が一番劇画っぽい絵で、たった2~3人のスタッフでよくこれだけ描き込めたなと改めて感心!エロシーンがちょっと少なめながら中島史雄氏がダー松作品でこの作品が一番好き、とお褒めの言葉を頂戴する。 TVで三流アマゾネス映画を見ている内、むくむくとイメージがふくらみ、昔から描きたかった西部劇と時代劇がこれで描けると、この年スタートさせたのが「不死蝶伝説」なるアマゾネス路線。昔々青年誌の創世期にあのケン月影氏がマカロニ・ウエスタンを描いていたことを知る人は少ないだろう。俺もあの頃デビューしていたらウエスタンが描けたのに、と思う事もあったが、このシリーズでほんの少しだけその願望がかなう。 この頃、アシスタントやってくれてた格闘技マニアの鶴田洋久に誘われ、近所の空手道場通いの日々。若い頃修行のため新宿でやくざに喧嘩を売って歩いたという寺内師範は、もう鬼のような人で、行けば地獄が待っていると判っててなぜ行く?と不思議な位休まず通う。体育会系はマゾの世界と知る。組手は寸止めではなく顔面以外は当てて可だったので身体中打撲のあざだらけ、ビデオで研究したという鶴田の体重をかけたムエタイ式の蹴りをくらい、右手が饅頭のように腫れ上がる。先輩たちの組手の試合も蹴りがもろにはいってあばら骨が折れたりで、なぜこんなヘビーな事をする?と思うが、闘う事によって身体の奥から何か沸き上がってくるものがある。スリランカの元コマンドと組手をやった時、格闘家の気持ちが少しだけ判るようになった。 ●1 9 8 9 ~ ’94まで続く「美蝶」シリーズでこの年は『ノスフェラトウ篇』を描き、シリーズ中これが一番のお気に入り。同人誌の「王夢」はこれが原点。 短編では「悪夢の中へ」はスプラッタ・エロマンガで久しぶりにチェーンソゥでお尻のぶった切り!はらわた引きずり出し、人肉食いちぎり!顔面叩き割り等々でラストに「ホラービデオの規制をするバカは俺が許さん!」などと書いているので、この年が宮崎事件の年か?世間は彼が日野日出志・作のホラービデオ「ギニーピッグ」を見てあの犯罪をおかした、としてさんざんホラービデオの規制をやっといて、結局見てもいなかったとわかったあとは誰一人日野日出志氏にもホラービデオさんにも謝らす゛知らんぷり。残ったのは規制だけで、馬鹿のやる事には全く困ったもんである。先日の「酒鬼薔薇・14才」の時も犯罪おたくの心理学者が、「これはマンガやビデオの影響です。」などと相も変わらずたわけた寝言をぬかしていたが、馬鹿はいつまでたっても馬鹿のまま。少しは進歩しろよ!お前だよ、お前!短絡的で幼稚な坊や、小田晋!よぅく首を洗っとけ!コラ! 「獣人たちの儀式」は退学者や少年院送りになつた生徒、暴走族、ヤクザ達が集まって酒盛りしながら女教師たちをずこずこにしてOB会をひらく不健全作品。編集長が「また危ない作品を・・・」とこぼしたものだが、岡野さん、田舎で元気にお過しでしょうか。この頃の「漫画エロス」には「ケンペーくん」だとか「アリスのお茶会」だとかおもしろい作品が載っていたものです。「爆走遊戯」は伝説の���トーカー・ろくでなしマンガ家の早見純が一番好きな作品と言ってくれたが、なぜだかわからない。人の好みはいろいろです。以上3本は単行本「熱き唇の女神」に収録。 「ふしだらな女獣たち」はフェミニストの女二人が美少年をいじめる話。これは「氷の部屋の女」に収録。 ●1 9 9 0 ~ この年の「美蝶」シリーズは『ダンシング・クイーン篇』。マネキン工場跡でJ・ブラウンの「セックス・マシーン」にのせて5人プレイをするシーンや文化祭でのダンスシーン等々結構好きな場面多し。暗くて硬い作品が多いので、この「美蝶」シリーズは肩肘張らずに、かなり軽いノリでキャラクターの動きに任せて、ストーリーも、そして次のコマさえも先の事は何にも考えず、ほとんどアドリブで描いた時もある。 「不死蝶伝説」に続いてシリーズ第2弾「不死蝶」は2誌にまたがって2年位続ける。これも結構お気に入りの一遍。 ●1 9 9 1 ~ 1 9 9 3 「性狩人たち」の近未来版、といった感じの「夜戦士」は学園物が多くなったので、マグナム銃で脳天をぶっとばすようなものが又描きたくなって始めたミニシリーズ。全5話位。松文館より単行本「黒い夜と夢魔の闇」に収録。 この年から知り合いの編集者がレディス・コミックを始める人が多く、依頼されてどうしたものかと思ったが、エロなら何でもやってみよう精神と何か新しい世界が開けるかも、という事から’94位までやってみたものの結果的に不毛の時代に終わる。与えられた素材が体験告白物という事で、非現実的なものは描けないという事は得意技を封印して戦うようなもので苦戦を強いられ、これって内山亜紀氏がやまさき十三原作の人情話を描いたようなミス・マッチングで不発だったかな。今後、もしやることがあれば美少年SMのレディス・コミックのみ。そんな雑誌が出来れば、の話だが。 いくつかやったレディコミの編集の一人「アイリス」の鈴木さんは同じさいとうプロOBで、マンガ・アシスタント、マンガ家、マンガ誌の編集、そして今はマンガ学校の講師、とこれだけ多くのマンガに関わる仕事をしてきた人はあまりいないだろう。これでマンガ評論でもやれば全て制覇だが・・・。 この頃はいつもと同じ位の30~40本の作品を毎年描いていたが、レディコミは一本30~40枚とページが多く結構身体にガタがきた頃で、右手のひじが腱傷炎になり1年以上苦痛が続く。医者通いではさっぱり痛みがひかず、電気針で針灸治療を半年位続けてやっと完治。その後、住んでいたマンションの理事長を押しつけられ、マンション戦争の渦中に巻き込まれひどい目にあう。攻撃するのは楽だが、話をまとめるなどというのは社会生活不適格のダー松には大の苦手で「お前等!わがままばかり言うのはいいかげんにしろー!」と頭をカチ割りたくなるような事ばかりで、ひたすら我慢の日々で血圧がガンガン上がり、病院通いの日々。確実に寿命が5年は縮まる。あの時はマジで人に殺意を抱いたものだが、今でも金属バット持って押しかけて奴等の脳みそをクラッシュしたい気分になる時もある。いつかこの時の事をマンガにしようと思っていて、まだ誰も描いてない「マンション・マンガ」というジャンル、タイトルは「我が闘争」。え?誰も読みたくない? この間に出た単行本は「血を吸う夜」、「赤い月の化身」「熱き唇の女神」[以上・久保書店] /「牝猫の花園」「真夜中の人魚たち」[以上久保書店]、「美蝶/放課後篇」「美蝶/ダンシング・クイーン篇」「不死蝶/鋼鉄の女王篇・上巻」[以上ミリオン出版]。 ●1 9 9 4 ~ 1 9 9 5 ろくでもない事が続くのは厄払いをしなかったせいか、このままここにいたら頭がおかしくなる、と15年以上いたマンションから引っ越し。板橋から巣鴨へ移動し気分一新!以前からうちもやりましょうよ、と言われていた同人誌創りをそのうち、そのうちと伸ばしてきたものの遂に申し込んでしまい、創らざるをえなくなる。しかもそれが引っ越しの時期と重なってしまい大いに後悔する。しかしいろんな人にお願いして何とか一冊でっちあげ、ムシ風呂のような夏コミに初参加。これが運命の分岐点。レディコミもこの年で切り上げ、以下同人街道をまっしぐら。現在まで「FUCK OFF!」が9まで、「FUCK YOU!」が4まで計10+&冊創る。 ’95からダーティ松本の名前にも飽きてきたしJr,Sam名でも描き始める。 レディコミ時代は松本美蝶。あと2つ位違うペンネームも考案中。 この間の単行本「氷の部屋の女」「双子座の戯れ」[久保書店]、「黒い夜と夢魔の闇」[松文館]、「危険な女教師/美蝶」[ミリオン] ●1 9 9 6 ~ 美少女路線の絵柄もこの年の「夜顔武闘伝」あたりでほぼ完成、今後また少し変化させる予定。しかしこの作品は超能力、アマゾネス、忍法エロマンガとでも呼ぶべきか。「グラップラー刃牙」みたいに闘技場での勝ち抜き性武道合戦までいきたかったけれど、残念ながらたどり着けず。 「冬の堕天使」は久しぶりの吸血鬼もの。都営住宅で生活保護をうけている吸血鬼母子のイメージが浮かび、そこから漫画家協会・加藤芳郎を撃つ有害図書騒動のマンガへ。吸血鬼少年が光の世界との戦いに旅立つまでを描き、「闇に潜みし者」は時空を越えて近未来での戦い。その間を描く作品を今後創らなければ。 「FUCK CITY 2006」はクソ溜めと化した近未来のTOKYOを舞台に久しぶりにダーティ・バイオレンスが炸裂!ハード・エロ劇画と同人誌風・美少女路線の合体は果たしてうまくいったかどうか?30ページほど描き足して、’97、9月にフランス書院のコミック文庫にて発売。[「少女水中花」] 「放課後の媚娼女」と「人形愛」刊行。[いずれも久保書店刊]前者は以前、上下巻だったのを一冊にまとめて。後者は近作を集めた同人時代を経ての初単行本で、同人誌を知らなかった読者はショックを受ける。メタルフアンから以下のようなお手紙を受け取る。「これはジューダス・プリーストの『ターボ』だ。ラストの『眠れる森の少女』は『レックレス』にあたる。しかしジューダスもその後『ラム・イット・ダウン』や『ペイン・キラー』という傑作を世に出した事だし、今後を期待したい」という意のダー松のようなメタルファン以外は意味不明の激励をうける。 ●1 9 9 7 同人誌「エロス大百科シリーズ」スタート!いろんな項目別に年2刊づつ計100ページ位を別刊シリーズとして出し続ければ10年で1000ページになり、以前「谷岡ヤスジ1000ページ」という枕に最適の本があったが、これも一冊にまとめて枕にして寝れば、目覚める頃は3回夢精しているなんて事に・・・などとまだたった40ページの段階で言っても何の説得力もないか。飽きたら2~3号でSTOPするだろうし・・。[推測通り「毛剃り」「美少年SM」「女装」3号でストップ中]冬にはやおい系にも進出の予定。 今年出した単行本は厚くて濃いエロマンガを集めた久保書店MAXシリーズ第2弾!「放課後の熱い祭り/完全版」と「夜顔武闘伝」オークラ出版。ともに大幅描き足して25周年記念出版として刊行。ティーツー出版よりJr,Sam名で「昼下がりの少女」、9月にはフランス書院より「少女水中花」の文庫本が出る予定で現在、この同人誌と並行して描き足し中。「斬姦狂死郎」第2部も「ホリディ・COMIC」誌にて6月よりスタート!年内創刊予定の『腐肉クラブ』なる死体姦専門のマンガ誌にも執筆予定。 さてさて25年間、旅行の時を除いて、現在まで2日続けてマンガを描かなかった事はほとんどない。これはその昔、伊東元気氏というマンガ家とお会いしたとき「今月何ページ描いた?」との問いに、「今月仕事ないんでぜんぜん描いてません」と答えたら、「そんな事じゃ駄目だ。仕事があろうがなかろうが、毎月100頁は描かなきゃ。」と言われ、以後その教えを守り[描けるページ数は減ったが]、マンガは仕事ではなくなり、朝起きたら顔を洗うのと同じで生活そのものとなり現在に至る。 今は何でも描けそうなハイな状態で、以前はたまには外出しないと煮詰まってしまうので週いち位ガス抜きをしていたものだが、最近はせいぜい月いち休めば十分の「純エロマンガ体」。[純粋にエロマンガを描くためだけの肉体、の意。ダー松の造語] こうしてふり返ると、この路線はまだえぐり足りない、これはあと数回描くべし、なぜこれを一度しか描かない!等々、残り時間にやるべき事、やりたい事の何と多い事! 爆裂昇天のその日まで・・・ 燃 え よ ペ ン ! なお続きは 1997年後期 1998年 INDEX
http://www.rx.sakura.ne.jp/~dirty/gurafty.html
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▲バイオマス由来高分子での材料今の所 不可能らしい
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▲バイオマス由来高分子での材料今の所 不可能らしい 子供の頃には 遠足などに行く時に 母か祖母かが 作ってくれた弁当。 竹の皮で包んだおにぎりを 食べるのが楽しみだった。 うちは貧乏だから中身は 少し千切った梅干しが入っていた。 無論周りは少し塩のかかった塩味のついたおにぎり。 少しずつ齧るのが楽しみだった。 子供なんて こんなことだけで幸せだった。 今の子は 弁当箱に色んなキャラクターなどをアシライ美味そうに飾ったもの。 夢があるから幸せなのかな。 私は普段はアルミの大きな厚みの弁当箱にご飯は押しつぶすように入っていて 真ん中に梅干しが一つ。 この弁当箱も何年かで梅干しか塩のおかげかで真ん中だけ腐って穴が開く。 あれは今わかっていることは錆びたのだろう。 子供の頃は なんで腐るのかなと不思議思ったもので有った。 いつ頃からか スーパーに並んでいるものは中身が透けて見えるラップがかかる。 受け皿は白いきれいなトレイに。 今は色んな柄の入ったものに変わっている。 今のものはほとんどが石油から加工したものばかり。 ラップは今の科学では自然由来の透明フィルムで密閉性のものは出来ないらしい。 トレイなども竹の皮を代用に使えないかと色々と調べてみたが作れるは作れるが高くついてとても歯がたたないようだ。 石油だけに依存して戦後ずっとそれに寄りかかっきたから。 フリーエネルギーなんてのも無理。 設備を研究するのにコストが高くて手が出ないようだ。 サウジアラビアが石油の増産を始めた。 販売価格がスダンどで せめて リッター100円まで落ちないのかな。 今の値段は 誰かどこかで値を上げているらしい。 30円は下がるようだ。これから先の話は総て闇の中。 フリーエネルギーも何度も発明したけど闇に葬られてしまっている。 私が書いたことは 今で言う 都市伝説。 真か嘘とか 真か嘘か。 面白い話か どうかな。今の時代 すぐにナンチャッテと 言ってごまかす。 それが落ちだろうね。下手すると死が待っている。 ●植物由来プラスチックへの期待と問題点 - 廃棄物資源循環学会 file:///C:/Users/asahi/AppData/Local/Temp/070525oku-1.pdf 資源がバイオマスでも石油でも、生まれつき「環境にやさしいプラスチック」などは 存在しません。育ててや さしくするのです。 (財団法人・生産開発科学研究所)奥 彬 1.環境にやさしい材料とはどのようなものですか? 世間には「環境にやさしい」という言葉が溢れていますが、それを正しく使用している例は少ないようです。 「リサイクル」や「エコ」という言葉が使われる場所でも、言葉の重さを考えずに 漠然と使われ、また真の姿を見せたくない本音が隠されています。 そもそも生産と消費活動には環 境負荷ゼロのものなどなく、そこにかなりのエネルギーと資源が投入されています。 バイオマスや資源作物から有機材料を作るときも、開墾・耕作・収穫・化学原料への変換に、多くのエネルギーと資機材用の資源が消費されています。 それを考えると「環境にやさしい」という言葉の多くは正しくないことがわかります。 ●日本バイオプラスチック協会.バイオマスプラQ&A http://www.jbpaweb.net/bp/bp_faq2.htm 2. バイオマスプラスチックの特徴と意義 Question1. バイオマスプラスチックと生分解性プラスチック(グリーンプラ)はどう違うの? Answer1. 生分解性プラスチックは、プラスチックとしての機能や物性に加えて、ある一定の条件の下で自然界に豊富に存在する微生物などの働きによって、分解し最終的には二酸化炭素と水にまで変化する性質を持つプラスチックです。したがって、農業用のマルチフィルムや、食物など有機性廃棄物の堆肥化のための収集袋など、微生物分解性の機能を活用できる分野では、環境負荷低減に寄与することから注目されている素材です、これに対しバイオマスプラスチックは特別な性質を利用するものではなく、原料として植物などの再生可能な有機資源を使用することにより、枯渇が危惧され地球温暖化の一因ともされている石油にできるだけ頼らずに持続的に作ることができることから注目されている新しいプラスチック素材です。 したがって、バイオマスプラスチックと生分解性プラスチックは、全く異なった2つの概念をもっています。 Question2. バイオマスプラスチックが最近注目されているのはなぜ? Answer2. バイオマスプラスチックの原料に使われる植物などの再生可能資源は、数億年の長い年月をかけて地中に蓄えられた化石資源と異なり、大気中の炭酸ガスを植物の炭酸同化作用(光合成)により吸収した結果蓄えられたものなので、使用後燃焼などにより二酸化炭素に戻っても、地球温暖化の原因と言われている大気中の温室効果ガスの濃度上昇を来たすことがありません。このようにバイオマスプラスチックは人間の快適な生活に必要な自然環境を維持しながら、有用なプラスチック素材を供給できることから、今後より一層の普及が期待されております。 ●Bee Eco Wrap / 地球に優しい、プラスチックを使わない ... https://www.beeecowraps.jp/ Bee Eco Wrapとは GOTSオーガニック認証を受けたコットン生地に、化学物質を一切使わず持続可能な方法で採集したミツロウとコールドプレス製法のホホバ油、木の樹脂を独自にブレンドしたWAXを浸透させ作られています。 天然の材料を独自のブレンドで製法することにより、どんな形にもフィットし、何度でも繰り返し使えるフードラップができました。 オーガニック素材を使用したこの商品は、製作工程も一つ一つ丁寧に全て手作業で作られています。 ●サランラップ®の豆知識 サランラップ®|商品紹介|旭化成ホームプロダクツ株式会社 https://www.asahi-kasei.co.jp/saran/products/saranwrap/history.html 高品質のサランラップ®がどのように作られているのかをご紹介します。 1.サランラップ®ができるまで
2.サランラップ®の歴史 サランラップ®の誕生秘話や、歩んできた歴史をご紹介します。 20世紀初頭(1900年代) サランラップ®はいきなり誕生した商品ではありません。 20世紀初頭世界初の合成樹脂ベークライトが誕生しますが、以来アメリカでは合成樹脂の研究を熱心に進めていました。その研究の成果が(ポリ塩化ビニリデン)という形で実を結び、この合成樹脂をアメリカは戦争に活用しました。 この合成樹脂は、太平洋戦線で兵士を悩ませた蚊から身を守るための蚊帳、ジャングルを行進する兵士を水虫から守る靴の中敷き、銃や弾丸を湿気から守るための包装フィルムなどが、主な用途だったそうです。 ●透明な紙”って、なに? | Cellulose nanofiber Materials http://www.nogimasaya.com/research/transparent/ ”透明な紙”って、なに? 一般の方向けに、よくある質問をまとめました。 研究者の方は、末尾参照。 (2013年3月19日、一部書き換えました。) Q1.透明な紙って、何? これが、「透明な紙」です。 木材(セルロースナノファイバー)から作りました。 厚みは、30ミクロンです。、サランラップ(約10ミクロン)より、3倍ぐらい厚いです。 Q2.いつ、どこで、発明されたの? 2008年1月30日(水)23時40分頃、京都で発明されました。 今から2000年前、中国で紙が発明されて以来、ずうっと紙は「白色」でした。 当然、私も生まれてから、白い紙しか見たことがありませんでした。 だから、「透明な紙」ができた時は、ほんとにビックリしたし、目を疑いました。 あれから5年。。 いろんな人が、いろんな知恵を出して、どんどんレベルアップしています。 いよいよかも知れませんね!! ●バイオプラスチックで問題は解決?-海洋プラスチック汚染の対策 https://lessplasticlife.com/marineplastic/responses/bioplastics/ 2018/09/16 バイオプラスチックという、いわゆる環境に優しいとされるプラスチックがあります。 石油を使わずに再生可能な植物などを原料に作られ、ごみになっても自然環境で分解される、そんなエコなイメージがあります。このバイオプラスチック、はたして海洋プラスチック汚染の救世主となるでしょうか。 最初に知っておきたい事実として、まず、すべてのバイオプラスチックが植物などの生物資源から作られるわけではありません。石油などの化石資源を原料にするものもあります。 すべてのバイオプラスチックが微生物に分解されるとは限らず、まったく分解されないものもあります。 目次 ・バイオプラスチックとは? ・バイオマスプラスチックとは? ・生分解性プラスチック(グリーンプラスチック)とは? ・加水分解型と酸化分解型の生分解性プラスチック ・3種類のバイオマスプラスチック ・バイオプラスチックは海のプラスチック問題を解決するのか? ・自然環境を忠実に反映していない「生分解性」 ・一人歩きする生分解性プラスチックのエコなイメージ ・生分解性バイオマスプラスチックへの期待 ・まとめ:結局バイオプラスチックはどうなの? .バイオマスプラスチックとは? プラスチックは普通、石油などの化石資源から合成されて作られます。しかし、原料を石油ではなく、植物などのバイオマスを利用するプラスチックが”バイオマス“プラスチックです。 限りある化石資源を消費する従来のプラスチックの代替になるプラスチックとして期待され、研究・開発が進められています。 ◆「生分解性プラスチック」が地球に優しいウソホント | プラなし生活 https://lessplasticlife.com/marineplastic/driver/biodegradable_plastic/ 2017/10/24 「生分解性プラスチック」という言葉を聞いたことがあると思います。 捨てられても自然に分解される地球にやさしいエコなプラスチックとちまたに言われ、ここ数十年にその開発と製品化が活発に進められています(Ojeda 2013)。 生分解性プラスチックは、捨ててもいつかは消えてなくなると思われていました。ところが、「生分解性」プラスチックは必ずしも海の中で分解するとは限らないのです。 目次 ・海中では分解しない生分解性プラスチック? ・ 「生分解性」と表示することの問題点 ・酸化型の生分解性プラスチックの問題 ・海中で分解するタイプの生分解性プラスチック ・まとめ 現在市場に出回っている生分解性プラスチックの大半はポリ乳酸(PLA)ですが、これは生分解に50度以上の温度を必要とするため海洋環境中では分解されません。 海中で50度以上の環境は深海の熱水噴出孔付近くらいでしょう。「生分解性」と書いてあっても、それはコンポストという特殊な条件で生分解するのであって「海洋生分解性」ではないのです。仮に分解したとしても、それにはとてもとても長い時間が必要になります。 ◆プラスチックQ&A|プラスチックの世界|ポリオレフィン等衛生協議会 http://www.jhospa.gr.jp/plastics/faq.html 06.プラスチックに紙のような通気性がないのは、なぜでしょうか。 紙は、木材パルプを摺り潰して作った繊維を接着させて作られます。ですから天然紙は、バレーボールやテニスのネットを折りたたんだような、繊維同士が絡み合った構造になっていて、繊維と繊維との間には拡大鏡で見ることができるような相当大きなすき間があります。 これに対して、プラスチックは、繊維と繊維がからみ合ったような構造ではなく、均一で緻密な構造になっています。すき間は高分子の分子間にありますが、これは電子顕微鏡で見ても分からないほど小さいものです。したがって、プラスチックのフィルムは気体が簡単に通れないほど目の細かいフィルターの様なもので、紙のような通気性はありません。 プラスチックはそれぞれの特性を活かして使い分けられていますが、いずれにしても、穴の空いていないプラスチックでは、人間が呼吸できるほどの通気性はありませんので、プラスチックの袋を子供さんがかぶったりしないようにご注意下さい。 13.使い捨て(ワンウェイ)のプラスチック容器は、資源のむだ使いではないでしょうか? 容器包装材がワンウェイ化をたどっているのは、プラスチックが金属やガラス、紙などに比べ、軽くて強い、清潔で加工しやすいなどの利点から、流通の合理化が図れる事によります。その結果、生産者はコストを下げることができ、消費者は欲しい商品を安く買うことができるのです。 しかし、資源の有効利用や環境保護という観点で、使用後の処理方法については見直す必要があります。2000年4月から容器包装リサイクル法が施行され、現在は国や業界が、循環型社会をめざして、リターナブル容器やリサイクル可能な製品・材料の開発、再生可能な材料を使用した容器開発等を進めています。また、消費者においても安易な使い捨ての生活を見直し、ゴミを分別する、リサイクル可能な容器の回収に協力するなど双方の努力から、環境と利便性とのバランスが維持できるのではないかと考えます。 29.電子レンジでラップフィルムや容器を使用しても大丈夫でしょうか。 電子レンジというのは、食品自体に高周波(マイクロ波)をあて、食品自体を振動させ、その摩擦熱で食品中の水分を加熱する機器です。 ここで二つ疑問があると思います。一つは高周波をあてることによってラップ等に何らかの変化が起きるのではないかということですが、これに関しては、いろいろな実験から全く変化はないことが証明されています。 二つ目は熱による変化です。加熱された容器の熱が伝わり、容器自体も加熱されます。お芋やご飯など水分を主体としたものを包んで電子レンジに入れても100℃以上にはなりませんが、沸点の高い油性の物は、時として180℃以上になり、容器の耐熱温度を超える恐れがあります。 プラスチックには多くの種類があり、耐熱温度もまちまちですので、品質表示等にしたがって使用することをお勧めします。 ◆JP2003146358A - トウモロコシ皮や竹皮加工品 - Google Patents https://patents.google.com/patent/JP2003146358A/ja (57)【要約】 【課題】発泡スチロール成型容器は土中に埋立てしても分解せず、焼却すれば悪臭を発生するので公害になっていた。これを天然産品の竹皮やトウモロコシ実皮を積合して作った容器はその悪臭ガス発生や黒煙の発生がなく土中に埋立てても分解されるので、発泡スチロールの代換品として開発する事を目的とした。 【解決手段】発泡スチロール食品包装容器を天然品の竹皮1aやトウモロコシ実皮や葉蘭、バナナ葉を片面とし、これに接合剤3aを挟着して積合した紙質板を積合し、加熱成型した抗菌性発酵性食品容器。プラスチックを使用しても発酵性であるから土中に埋立てとしても分解し、二次公害性はない。 ◆会社情報|株式会社松本 http://www.takenokawa.com/corporate/index.html 株式会社松本は、竹の皮食品容器のパイオニアです。 BAMLEE製品は、環境にやさしい、時代の先端を行く最高品質ブランドです。 BAMLEEの輪は、人々を豊かに守る、世界に広がっていく輪です。 竹皮をさらに進化、より使い易く
当社は竹皮を取扱い100年余りとなります。 私たちの国日本では、遠く昔は鎌倉時代から食品を包む、運ぶ���に「竹皮」が使われて来ました。 スーパーマーケットが台頭し、ほとんどのパッケージがプラスチックに変わるまでは、竹皮は食品包材として広く使われており、おにぎり、ちまき、肉等においては、現在も使用されています。 一枚の竹皮が、蒸す、温める、冷凍、通気性、抗菌等の多くの機能を持っており、人工のものでは叶えられない天然ならではのすばらしい素材です。 当社はその素材を使い、更に使いやすくデザイン性のあるオリジナルの竹皮容器の製造を行い、現在では日本各地の駅弁、菓子容器として広く使っていただいています。 そして現在も更に竹皮容器を進化させた容器の開発を進めているところです。 天然素材の良さを皆様にお伝えし、活用方法を知っていただく事は、私たちの大きな役割だと考えています。 当社の理想は、「他社とは競争しないビジネス」であり、紙容器、プラ容器もオリジナル容器として商品化するなど商品開発に力を入れています。 又近年は、行政及び福祉施設と連携して放置竹林の整備を行い、その竹林で間伐した竹を粉砕して、乳酸発酵させ、土壌改良剤としての「竹パウダー」の製造販売を開始いたしました。 竹皮、竹の活用事業を積極的に推し進めたいと思っています。 「環境」と「福祉」をテーマに常に共創出来る会社であり続けたいと思っています。 代表取締役社長 松本彰 ◆国産竹皮10枚組 熟練職人が厳選してお届け|虎斑竹専門店 https://www.taketora.co.jp/fs/taketora/ki00031 国産の天然竹皮 竹皮は古くから身近で便利な食品の包材として多用されてきました。 天然の抗菌性に加えて通気性に優れており、おにぎりなどが蒸れずに美味しくいただけるのです。また竹皮特有の淡く甘い香りが食欲をそそります。 抗菌力と通気性 竹皮は抗菌作用と通気性に優れた自然素材です。しなやかな竹皮は丈夫で食品をしっかり包み込み、おにぎり弁当には最適の包材なのです。 また牛肉や魚類、和菓子などの包装材としても昔から重宝されてきており輸入竹皮が多くなった現在でも高級なこだわり食材には国産竹皮が使用されています。 ◆和のお弁当に早変わり。「竹皮」の使い方とアレンジまとめ 2018年10月10日 https://macaro-ni.jp/28533 見た目もすてきで食材も長持ちする「竹皮」に包んだお弁当。「自分でも使ってみたいけれどちょっとハードルが高くて…」という方のために、竹皮の使い方を詳しくご紹介します。案外簡単で、一度トライしたら、何度も使ってみたくなること間違いなしですよ♪ 竹皮に包まれたおにぎりを見ると「なんだかとてもおいしそう……!」と思いませんか?いつものアルミホイルなどのお手軽アイテムを竹皮に変えるだけで、雰囲気もぐっとすてきになります。 しかし、いざ自分で竹皮を使うとなると、その使い方がわからず、なかなかトライしてみることもできないもの。そこで今回は、竹皮の使い方を、活用法も交えながら詳しくご紹介したいと思います。 思いのほか簡単で、メリットもたくさん!ぜひ参考にしてみてくださいね♪ ◆竹皮の使い方/包み方:白ごはん.com https://www.sirogohan.com/recipe/takekawa/ ●調理時間:10分以下 竹皮の包みを懐から取り出し、おにぎりとたくあんを、指に米粒をつけながらもぐもぐと食べる、 こんなシーンを日本昔ばなしや時代劇でよく見かけますよね。 古くから日本では竹皮が食べ物の包装手段のひとつとして、多くの人に使われてきました。 なぜ竹皮?ということもさることながら、まずはおにぎりを竹皮で包む、その包み方を紹介しようと思います。 ●竹皮を包むときの材料 (分量不問) 竹皮 … 適量 ●竹皮の使い方/包み方 1.竹皮の戻し方 まずはそもそもなぜ竹皮でおにぎりを包むのか? それは竹皮の持つ“防腐性”と“吸湿性”などの特徴に気づいた先人たちが使い始めたからだと思われます。 最近は東急ハンズなどでも取り扱いがあるため、比較的手に入れやすくなってきました。ぜひ一度お試しください↓ 竹皮は必要な枚数だけ水戻しするのではなく、予備で1枚くらい余分に戻したほうがよいと思われます(慣れないうちは特に)。 バットなどに竹皮を入れ、竹皮がしっかり沈むようにたっぷりの水を加え、竹皮が浮かないように重しをします。 戻す時間は最低1時間は戻したいものです。包む2〜3時間前に戻すことができれば十分だと思います。
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「民主党政権のどこがどう悪夢だったのかきちんとした説明を聞いたことがない」という主張は定期的に出現しますね。とはいえさすがに「聞いたことがない」なんてはずはないので、おそらく「自分の気に入る説明ではない」という意味か、「バカに分かるように説明したところで、そもそもバカは聞いてない」パターンのいずれかとは思いますが。 悪夢のような時代を生き抜いてきた者として私が言えるのは、「とにかく、あのような惨劇は二度と繰り返してはならない」ということだけです。あの時代がいかに酷いものであったか、ご存知ない方もぜひこの機会に知って頂きたいので、支持者から叩かれること覚悟で全力で反論していきますね。 個人的に、「悪夢の民主党政権」における大きな問題点は次の3点と考えています。 (1)国家運営能力の欠如により、内政上の失敗を数多く引き起こし、国益を損ない続けた。 (2)拙劣な外交を繰り返し、日米関係をはじめ、周辺諸国からの信頼を大きく毀損した。 (3)総理・閣僚をはじめとする所属議員の度重なる不祥事や、自分たちに都合が悪い情報を隠蔽する体質によって、国民の政治に対する信頼を失い続けた。 では、それぞれどんなことがあったか振り返っていきましょう。はらわたが煮えくり返る覚悟で読み進めてください。 (1)国家運営能力の欠如 ・財源の見込みが甘く、政権交代の際に掲げたマニフェストはほぼ未達成。 ・官僚を敵視して排除し、国家業務の停滞と質低下を招いた。 ・金融政策と財政政策が食い違い、タイミングの悪い増税も重なり、景気や株価は低迷を続けた。 ・歴史的水準まで進んだ円高を放置し、デフレを加速させた。 ・法的根拠がないばかりでなく、仕分人の選定や対象事業選定にも透明性を欠いた「事業仕分け」をデフレ時におこない、必要な公共投資を削減。経済を悪化させたにも関わらず、結果に責任を負わなかった。 ・「コンクリートから人へ」という誤った政策により、災害対策を疎かにしたうえ、地域社会を破壊した。 ・「朝鮮王室儀軌引渡」「尖閣事件の船長釈放」「運用3号通知」「国家公務員採用大幅減」など、閣僚たちが思い付きレベルの意思決定を独断でおこない、結果的に我が国の将来に禍根を残した。 ・法的根拠のない組織を乱立させ、意思決定過程が曖昧になり、指揮命令系統も混乱。 ・法的根拠のない大臣や副大臣を任命したり、個人的な友人を参与に、党職員を内閣官房職員に任命するなど、ルールを無視、公私の別がつかない人事を実施。 ・原発停止、ダム建設中止など、法令根拠や事前協議が必要な決定を手続無視で断行。 (2)外交能力の欠如 ・普天間基地問題が迷走し、沖縄とアメリカの信頼を大きく損なった。 ・来日したオバマ大統領を日本に残したまま、鳩山総理がAPEC首脳会議に出席するためにシンガポールに向かうという非礼行為。 ・尖閣沖漁船衝突事件では、中国側の脅迫や報復に屈して船長を早々に釈放、不起訴に。その後の尖閣諸島国有化でも迷走。 ・領空侵犯が頻発するも、実効的な対策をとらず。 ・韓国に対しては、通貨スワップ協定締結、朝鮮王室儀軌引渡し、慰安婦問題での「知恵を絞っていきたい」発言など、不用意な譲歩を重ねた。 ・韓国の歴代大統領として初めて、竹島へ李明博大統領が上陸。 ・旧ソ連時代を含めて初めて、北方領土へロシア国家元首が上陸。 ・実現に向けた方策が何ら決まっていない状態で、国連気候変動サミットにおいて「CO2の25%削減」を突如国際公約化。 ・実現の見込みも全くないまま、G8の場で、「太陽光パネルを1000万戸に設置する」と突如国際公約をおこなった。 (3)閣僚・所属議員の度重なる不祥事と情報隠蔽体質 ・鳩山総理⇒偽装献金問題、脱税問題、引退撤回、「最低でも県外」「Trust me」「国民の皆様が聞く耳を持たなくなった」 ・菅(直人)総理⇒外国人献金問題、北朝鮮関係団体献金問題、「顔が見たくなければ法案を通せ」 ・野田総理⇒在日韓国人献金問題、脱税企業献金問題、民団選挙協力お礼発言、「大きな音だね」 ・小沢元代表⇒政治資金規正法違反容疑で強制起訴(無罪判決)、献金虚偽記載で公設秘書が逮捕(有罪判決) ・仙谷官房長官⇒尖閣漁船衝突事件、「自衛隊は暴力装置」 ・赤松農水大臣⇒口蹄疫問題、「だから早く殺せって言ってるのに」 ・松本復興担当大臣⇒「知恵を出さないやつは助けない」「書いたらその社は終わりだから」 ・長妻厚労大臣⇒運用3号独断決定、職務停滞 ・蓮舫行政刷新担当大臣⇒事務所費架空計上問題、国会内ファッション雑誌撮影、「2位じゃダメなんでしょうか?」 ・前原外務大臣⇒外国人から政治献金受領 ・川端文科大臣⇒事務所費架空計上問題、キャバクラ費用を政治資金で計上 ・鹿野農水大臣⇒対中不正輸出疑惑、機密漏洩疑惑 ・鉢呂経産大臣⇒「死の街」「放射能をうつす」 ・一川防衛大臣⇒「安全保障に関しては素人」 ・柳田法務大臣⇒「答弁は二つだけ覚えておけばいい」 ・山岡消費者担当大臣⇒マルチ商法業者からの献金問題 ・中井国家公安委員長⇒議員宿舎にホステス連れ込み&カードキー貸与、式典で秋篠宮ご夫妻に「早く座れよ」とヤジ ・小林議員⇒違法献金問題で選対委員長が逮捕、選対幹部が公職選挙法違反で有罪 ・土肥議員⇒竹島領有権放棄を日本側に求める「日韓共同宣言」に署名 ・横峯議員⇒賭けゴルフ、女性暴行、恐喝事件への関与 ・緒方議員⇒「スーパー堤防はスーパー無駄遣い」 ・原発事故対応(SPEEDI、米実測値の非公表、議事録不作成など)、尖閣ビデオ、北朝鮮ミサイル発射への対応、温暖化対策の家計負担、年金改革の財政試算 など、自分たちに都合が悪い情報は隠蔽し、政府への深刻な不信感を招いた。 ・総理-閣僚間で見解の方向性や意見の不一致が常態化。それらも含め、自民党で同様の事態があれば野党のみならずマスコミも総出で吊し上げられる事態となるが、マスコミも概ね民主党に好意的な報道姿勢。 そんなに民主党時代が良かったなら、下野以降何度でも政権を取り戻すチャンスはあったはず。なのにただ一度もそうなっていないということは、それが民意ということです。私もあんな地獄のような時代は二度と御免です。
新田 龍 / X
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2020年3月23日(月)

今年の春休みは、例年とはずいぶん異なった展開となっている。落語に興味を持つ学生が現れ、米朝全集をテキストに、DVDを鑑賞して解説を加える。それが漫画・映画へと広がり、Evernote & Facebook を併用して、2か月に及ぶ「集中講義」となっている。こんな授業なら、一年中やっても良いのだが。
ツレアイと次男は出勤、三男は夜勤明け。
洗濯1回。
熊野つながりの I姉からのお誘いで、「竹田恒泰氏による山崎雅弘さんへの名誉毀損裁判費用への寄付のお願い」の「呼びかけ人」に名を連ねた。早速、内田樹先生からメールで連絡を頂く。微力ではあるが、周囲に広げていこう。

IM嬢と阪急北千里駅で待ち合わせ、落語とは関係ないが、「船場カリー」で早めのランチ。彼女はネギ、私はいつものナスではなく、日替わりサービス(100円引き)のホウレン草を選択。ネギのトッピングの量に、ちょっと驚く。
「できる女プロジェクト〜落語編〜」、今日の課題は「愛宕山」、例によって米朝全集の分からない言葉・事象を Evernote に書きだし、DVDを観てから解説を加えるというスタイル。<レンゲ・タンポポ・ヒバリ>という春景色、<置屋><茶屋><仕出し屋>の花街での役割分担、<煙草>は植物であること、<円><銭><厘>という通貨体系等々・・・。こうしてみると、社会風俗の学習に大変便利なテキストであることが分かる。
13時から「人事委員会」、食物栄養学科の非常勤講師採用1件。急に入った会議だが、これが本当に今年度最後の会議になって欲しい。
後半は、「できる女プロジェクト〜映画編〜」今日は「めがね」。
春まだ浅いころ。この世界のどこかにある南の海辺の小さな町に不思議な予感が漂う。「来た」プロペラ機のタラップを降り、小さなバッグひとつを手に浜を歩いてくる、めがねをかけたひとりの女。待ち受けていた男と女に向かい、彼女は深々と一礼する。静かな波が寄せては返す。時を同じくして、同じプロペラ機からもうひとりの女が降り立った。名前はタエコ(小林聡美)。大きなトランクを引きずりつつ、手描きの地図を片手に浜を歩き、奇妙ななつかしさの小さな宿・ハマダにたどり着く。出迎えたのは宿の主人ユージ(光石研)と愛犬コージ(ケン)。迷わずにたどり着いたタエコに彼は「才能���りますよ」と告げる。「ここにいる才能」。次の日宿の一室で朝を迎えたタエコの足元に不敵な微笑みをたたえためがねの女サクラ(もたいまさこ)の姿があった。それから起こるのはいちいち不思議なことばかりだった。(C)2007 めがね商会 監督 荻上直子 主演 小林聡美, 市川実日子, 加瀬亮
(amazon当該ページより)
小林聡美ともたいまさこ、まさにゴールデンコンビ。「たそがれ力」の試される映画、面白い!
帰路の阪急桂駅フレスコで惣菜購入して帰宅、今夜は手抜きをするのだ。

自宅に戻って、台所の壁に貼ってある「愛宕さんのお札」を確認。ずいぶん前になるが知人からの頂き物、落語の中で紹介されているとおりかなりの坂道、自分で参詣してお札を頂こうとは決して思わない。
買って来たコロッケや唐揚げ、作り置き惣菜を並べて先に息子たちの夕飯開始。写真忘れる。
ツレアイは遅い帰宅、明日は昼から出勤なので少しノンビリ。
録画番組視聴。
SWITCHインタビュー 達人達(たち)「ブレイディみかこ×鴻上尚史」
著書「ぼくはイエロ��でホワイトで、ちょっとブルー」で、多様性世界に暮らす親子を描いたブレイディみかこ。教育・育児にも鋭い論を放つ鴻上尚史と意見をぶつけ合う。
鴻上が長く続けている人生相談を読んで、会いたいと思ったというブレイディ。むだな縛りから子どもたちを解放し、才能を伸ばすために、常に具体的な実践術を唱え続けてきた鴻上に共感した。一方鴻上は、イギリスでブレイディが体験してきた多民族、貧富の差などによる多様性世界について切り込んでいく。ボーダレス化と分断化がともに進む日本でどう生きればよいか、2人の会話からそのヒントが見えてくる。
【出演】保育士・ライター・コラムニスト…ブレイディみかこ,作家・演出家…鴻上尚史,【語り】六角精児,平岩紙
いやぁ、素晴らしい内容。しかし、こんな上質の番組作りと、政権太鼓持ち報道とのギャップは何なのか。
駅と職場を徒歩で往復すれば、それだけで3つのリング完成。これだけでも、電車通勤の価値はある。
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土呂久鉱害事件に関する覚書
(2002年1月22日成稿)
土呂久鉱害事件に関する覚書
宮崎県高千穂町の土呂久鉱山における亜砒酸製造に伴う慢性砒素中毒症は、大正期から戦後に至る長期にわたって継続した鉱害であったにもかかわらず、被害地域が僻遠の山村であったため長らくその存在が知られず、鉱山の閉山から10年近くたってから地元の教師の告発によって実態が初めて認知された特異な公害である。慢性砒素中毒症が4大公害病に続く指定公害病でありながら、現在あまり顧みられることが少ないことも考慮し、本稿では土呂久鉱害の経過を追うことで、近代日本社会の「闇」の一端に切り込みたい。
(1)土呂久鉱山の成立(1920-1933) 宮崎県岩戸村(現・高千穂町)の土呂久鉱山は、貞享年間(1684-1687)に銀山としてスタートしたものの、近代に入ってからは事実上休山状態であった。しかし、1920年、当時佐伯近郊の木浦鉱山で亜砒酸製造を行っていた鉱山師の宮城正一が土呂久鉱山から亜砒鉄鉱を採掘し、土呂久で亜砒酸の精錬を開始したことで一変した。日本の亜砒酸生産は第1次世界大戦期にドイツに代わる形で急成長し、主にアメリカに輸出されて綿花栽培の害虫駆除剤の原料などに使われていた。ところで、宮城が港町で交通の利便な佐伯から山間の土呂久へ移ったのには理由があった。地方紙『佐伯新聞』1917年4月29日付に次のような記事がある。
「懸案となり居りし当町字灘鳥越にある亜砒酸製造所の煙毒問題は今回所主宮城正一が農民に対して損害賠償をなし且つ製造所を移転する事となり、兎も角も一段落を告げるに至った」
宮城は煙害により地元住民から補償と立ち退きを要求されていたのである。つまり宮城は佐伯を追われ、亜砒酸製造が甚大な鉱害をもたらすことを知りながら土呂久へ移転したのであった。
亜砒酸は昇華点の193℃を境にして固体から気体へ、気体から固体へ変化する。この性質を利用し、亜砒鉄鋼を焙焼して砒素分を亜砒酸ガスとして流出させ、ガスを昇華点以下の空間に導き固体に戻して亜砒酸の結晶を採取する。当時、亜砒酸生産量全国一の足尾銅山では、銅の精錬の際に煙に含まれる亜砒酸をコットレル集塵器で回収する方法が採られていたが、土呂久にはそのような設備はなく、煙突に藁の覆いを被せるだけで、砒素を空気中に撒き散らし放題であった。そのため早くも1923年には亜砒酸による農業被害が地元で問題にあった。5月に行われた土呂久の部落自治組織「和合会」総会は鉱山側に「完全ナル設備ヲナシ事業ヲナサレン事」を要求することを決した。これに対し、宮城に代わって経営者となっていた川田平三郎は、1ヵ月50円の「交付金」を和合会に支払うことに応じたが、その見返りとして鉱山へ操業に必要な材料を提供することを求めた。鉱山側は要求を逆手にとったのである。
その後鉱害は甚だしくなり、特に牛馬の奇病が相次いだ。1925年、和合会は岩戸村長の甲斐徳次郎に対策を要求し、甲斐は西臼杵郡畜産組合の獣医である池田実と鈴木日恵に奇病で死んだ牛の解剖と鉱害の調査を依頼した。4月7日、鈴木は警察官立ち会いのもと解剖を行い、「連続セル有害物ノ中毒ニアラサルヤノ疑ヲ深カラシムルモノナリ」との所見を示した。甲斐はこの牛の内臓を宮崎県警察部衛生課に持参し、鑑定を依頼したが、県側は解剖後に内蔵へ亜砒酸が混入した可能性を理由に鉱害を否定し、現地調査を行ったものの調査結果を隠蔽した。一方、池田は「岩戸村土呂久放牧場及土呂久亜砒酸鉱山ヲ見テ」と題する報��をまとめた。池田報告は当時の土呂久の実状を生々���く伝えている。
「二、三十年モ経過シタ植林ノ杉ガ萎縮シテ成長ガ止リ、或ハ枯死シテ赤葉味又竹林ハ殆ンド枯死シ」 「妙齢ノ婦女ノ声ハ塩枯声デ顔色如何ニモ蒼白デアル、久敷出稼デ居ル人ノ顔面ハ恰モ天刑病患者ノ様ニ浮腫」 「山川ノ水ハ清ク澄ミ渡ッテ居ルガ、川中ノ石ハ赤色ニ汚レテ、三年前迄居タ魚類ハ今ハ一尾モ見ヘヌ」 「今ハ椎茸ノ発生デ忙シカラネバナラヌノニ、何ノ果報カ、此地ノ重要物産デアル椎茸ノ原木ヲミレバ、椎茸一ツ見ヘヌ。土呂久名物ノ蜂蜜モ、今ハ穴巣ヲ止ムルノミ」 「小鳥類ガ畑ノ中ニ死ンデ落チテ居ル事ハ年中ノ事で、何時デモ死ンダ小鳥ヲ畑ノ中ヨリ拾ッテ見セル事ガ出来ル」
この池田報告は1972年に高千穂町史編纂室で発見されるまで封殺された。
鉱害が拡大・悪化するに従い、農業では生計を立てられなくなった人々は鉱山で働くようになった。しかし、亜砒酸による健康被害は鉱山労働者に最も顕著であり、皮膚の亜砒負け、色素沈着、黒皮症、角膜炎、結膜炎、喘息、気管支炎、肝硬変などの症状に見舞われた。健康悪化に耐えられずに鉱山を辞め帰農する人も少なくなかったが、農業被害は増大するばかりで生活できず、結局収入を得るために再び鉱山に戻らざるをえなかった。あるいは椎茸の生えなくなった木を木材として鉱山に売却したり、完全に農業ができなくなった土地を鉱山に売却するという例もあった。鉱害はむしろ鉱山の事業を拡大する動因になったのである。
また被害と加害の重層性も深刻であった。鉱山の地主であった佐藤喜右衛門は鉱山から地代を得るのみならず、自ら採掘を請け負い、地元住民を労働者として勧誘し、鉱害に苦しむ農民からは加害者として忌避された。しかし、一方で彼は鉱山のすぐ近くに住んでいたために砒素中毒症に罹り、1930年から32年の2年間に彼の一家7人のうち自身を含む5人が病死した。部落で鉱山から収益を受ける者が増えるに従い、鉱害反対の足並みは崩れていった。
(2)土呂久鉱山の展開と終焉(1933-1962) 大戦景気によって始動した亜砒酸製造は、戦後不況によって急速に不振になった。1926年にはアメリカの綿花不況のあおりで生産量が激減し、土呂久鉱山も生産中止・事業縮小に追い込まれた。一方、1930年代になると、航空機の材料の国産化をねらう中島飛行機が錫を求めて土呂久に目をつけた。1931年、中島門吉(中島知久平の弟)が一部の鉱業権を獲得し、33年には中島商事鉱山部が土呂久鉱山のすべての経営権を取得した(後に岩戸鉱山株式会社設立)。
中島は当初亜砒酸よりも錫を重視し、1936年に錫精錬の反射炉を建設したが、この反射炉は錫から分離された砒素分が煙とともに空気中に飛散するという杜撰な代物であった。翌年、和合会は反射炉の煙害防止を鉱山側に要求し、その結果遊煙タンクが作られたが、煙害対策とは名ばかりで、実際はこれを利用して亜砒酸の採取が行われたため、鉱害はむしろ悪化した。また、経営者が変わったことにより1923年の交付金契約は無効となり、中島が和合会に亜砒酸1箱精製につき12銭の補償金を支払う新契約が結ばれたが、旧契約に比べて被害者が受け取る金額は事実上半減し、しかも補償金の分配を巡り和合会内部で対立が発生した。さらに1937年の岩戸村会議員選挙で、中島側は鉱山の会計係長を出馬させ、鉱山労働者を買収した結果、中島系候補が当選し、和合会系の現職は落選した。明治以来、土呂久出身者が議席を失ったのは初めてであった。鉱山は地方自治をも破壊したのである。
中島傘下となって土呂久鉱山は拡大し、最盛期には約400人の労働者が働いた。特に1930年代末頃から亜砒酸は毒ガスの原料として需要が急増した。「黄二号」ことルイサイト、「赤一号」ことジフェニール・シアン・アルシンが亜砒酸を元に作られ中国戦線に送られた。深まる亜砒酸鉱害に対し、ついに1941年和合会は鉱山との契約破棄を決定した。福岡鉱山監督局は和合会に説明を求め、代表6名が福岡へ行き亜砒酸製造の中止を申請したが、監督局の担当者は「非常時には、部落のひとつやふたつつぶれても鉱山が残ればよい」と言い放ったという。結局1941年11月選鉱場の火災により土呂久鉱山は休山し、所有権も中島から国策会社へ移行した。
土呂久鉱山は戦後1948年、銅や鉛などの採掘を再開した。再び鉱業権を獲得した中島鉱山(旧岩戸鉱山)は亜砒酸製造の再開を計画した。和合会は再開反対を決議したが、宮崎県と岩戸村の斡旋により、1954年、鉱山から和合会への協力金支払を条件に改良焙焼炉建設に同意した。土呂久婦人会は岩戸村に抗議したが、村長伊木竹喜は「鉱山のおかげで、岩戸村には鉱産税がはいりよる」と取り合わなかったという。
鉱山がその後、1958年7月の坑内出水事故により一時休山を余儀なくされ、翌年には住友金属鉱山が中島を事実上買収したが、往時の活性を取り戻すことができず、1962年経営不振により閉山した。その間も鉱害は続き、1959年には和合会が高千穂町(岩戸村吸収)に亜砒酸製造施設の廃止を陳情した。しかし、ついに閉山まで鉱害はやむことがなかった。
(3)土呂久鉱害の告発(1970- ) 1970年、宮崎県高城町の四家鉱山で集中豪雨により鉱滓堆積場のダムが決壊し、砒素を含む鉱毒が河川へ流出するという事故が起き、宮崎県は急遽県内の休廃止鉱山の調査を行った。調査の結果、土呂久川から飲料水基準の2倍の砒素が検出された。同年12月、土呂久在住の佐藤鶴江は、岐阜のカドミウム汚染の報道を聞いて不安を抱き、宮崎地方法務局高千穂支局の人権相談に鉱毒被害を訴えた。支局は土呂久鉱山跡を調査し、彼女に鉱毒被害の事実申立書を発行したが、法務局は専門医による因果関係の証明がないことを理由に申立書を留置した。またしても行政によって鉱害は隠蔽されたのである。
一方、高千穂町立岩戸小学校教諭の斎藤正健は、妻が土呂久出身であったことから鉱害の事実を知り、同僚とともに土呂久全世帯を対象に鉱害調査を行った。斎藤らの調査は1971年11月、宮崎県教職員組合の教研集会で報告され、新聞報道により全国的に注目された。斎藤報告は、①1913-1971年に死亡した92名の平均寿命は39歳である、②土呂久全住民の34%が呼吸器をはじめ疾患に罹っている、③土呂久の児童の体位は劣っている上に眼病が目立つ、④スギの年輪は鉱山創業期に生長が阻害されている、という驚くべき内容であった。大正期以来の鉱害がこの時はじめて公表されたのである。
土呂久住民に不安が高まる中、宮崎県は県医師会に委託して住民の一斉健康診断を実施したが、慢性砒素中毒症に認定されたのは7名だけで、県の土呂久地区社会医学的専門委員会も健康被害と亜砒酸製造との関係性を「現在の知見では十分に説明ができない」と肯定しなかった。宮崎県知事黒木博は住友金属鉱山と認定患者に補償斡旋を提案し、1972年12月、両者間に補償協定が結ばれたが、住友の法的責任には一切触れず、補償金額は平均240万円にとどまり、しかも将来の請求権放棄を定めていた。県側は患者との交渉を外部との接触を絶った密室で行い、十分な説明をしないまま患者に調印を強要した。その後、黒木は新たな認定患者に対しても同じ内容の補償斡旋を5次にわたって続けた。しかも県は斡旋受諾者に対して公害健康被害補償法による給付を含む公的給付を中止するという「いやがらせ」まで行った。知事斡旋は補償額を抑制し、被害者の口を封じることがねらいであった。
1973年、環境庁は慢性砒素中毒症を第4の公害病に指定したが、認定要件を皮膚障害に限定し、内臓疾患を認めなかったため、多くの被害者が認定されなかった。一方でこの頃から県外の医師による自主検診が相次いだ。同年2月には名古屋大学医学部講師大橋邦和が、74年には太田武夫ら岡山大学医学部衛生学教室が、75年5月には熊本大学体質医学研究所の堀田宣之が住民への自主検診を行った。堀田は10月にも同僚の原田正純らとともに1週間にわたる大規模な自主検診を行った。これらの検診結果は環境庁の認定要件とは裏腹に、砒素中毒による障害が皮膚に限らず、呼吸器や循環器などの内臓にまで広がっていることを示していた。
1975年12月、5人の患者と1遺族が住友金属に損害賠償を求め宮崎地裁延岡支部に提訴した(第1次訴訟)。続く76年11月には第2次、77年12月には第3次、78年3月には第4次の訴訟が起こった。土呂久訴訟最大の問題は、1次的に賠償責任を有する鉱山師も中島鉱山もすでに存在せず、被告の住友が正式に鉱業権を得たのが閉山後の1967年で、住友自体は亜砒酸製造を行っていないことにあった。住友側は全面的に争い、訴訟は長期化し、高齢の原告が相次いで死亡していった。1984年3月に下された第1次訴訟の1審判決は「土呂久地区という山間の狭隘な一地域社会が、そのただ中ともいえる場所での本件鉱山操業により、大気、水、土壌のすべてにわたって砒素汚染され、本件被害者らはその中で居住、生活することにより、長期間にわたって四六時中間断なく、且つ経気道、経口、経皮、複合的に砒素曝露を受けたもので」あると土呂久鉱害を正確に認め、鉱業不実施を以って鉱業権者の賠償責任は免責されず、鉱業法115条の時効規定も適用されないことを理由に住友へ損害賠償を命じる画期的な内容であった。
しかし、この1審判決をピークに土呂久鉱害は急速に風化していった。既に1980年頃には被害者の支援組織「土呂久・松尾等鉱害の被害者を守る会」が財政難による活動停滞に陥っていた。また、支援運動の中心であった総評系労組が「反公害」から「反原発」へシフトしつつあり土呂久鉱害への関心は相対的に低下した。1979年、補償斡旋を続けた黒木が受託収賄容疑で逮捕され知事を辞職し、翌年、後継知事松形祐尭は公害認定を巡る行政不服審査で県が敗訴したのを機に被害者へ公式に謝罪したが、依然として知事斡旋受諾者への公健法給付を認めなかった。一方、訴訟は住友の控訴により続き、1988年の控訴審判決は住友の賠償責任を認めたものの、補償額から公健法給付を差し引くよう命じる後退したものだった。住友はさらに上告したため、原告弁護団はついに水面下の和解交渉を行った。原告の高齢化と最高裁の状況を踏まえた苦渋の判断であった。1990年10月最高裁で原告と被告の一括和解が成立したが、住友の法的責任には触れず、賠償義務を否定し、公健法給付とは別に「見舞金」総額4億6475万円(1審判決の仮執行金と同額)を支払うという内容だった。1審判決も控訴審判決も被告の法的責任を認定したにもかかわらず、原告は訴訟の長期化に耐えることができずに訴訟自体には敗北したといえよう。
(4)総括 土呂久鉱山は、日本経済の工業化が急速に進展した第1次世界大戦期に始まり、戦間期の停滞を挟んで、15年戦争期には新興財閥の手で重化学工業の一端を担わされ、そして高度経済成長の開始により終焉した。その歴史は終始日本資本主義の発展過程に強く制約されたと言えよう。故に土呂久鉱害事件は局地的な鉱害ではあるものの、鉱山の杜撰な鉱害対策、鉱山への抵抗と依存の間で揺れる地域社会、一貫して公害の存在を隠蔽し民衆の声を潰した行政、公害反対運動の党派的分裂等々、近代日本の鉱害の一般的特筆を余すところなく有している。そしてついに根本的解決には至らず、現在も土呂久の自然が回復していないことは、鉱害が過去の問題ではなく、依然として現在的問題であることを示していよう。
《引用・参照文献》 斎藤正健「土呂久公害の告発とその後」Ⅰ-Ⅲ 『歴史地理教育』211、212、214号 1973年 川原一之『口伝 亜砒焼き谷』岩波書店 1980年 川原一之「土呂久鉱毒史」『田中正造と足尾鉱毒事件研究』5号 1982年 土呂久を記録する会編『記録・土呂久』本多企画 1993年
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2019.08 白馬三山 (1日目)

↑まるで絵画のような、夕暮れのモヤに浮かぶ剱岳
北海道の百名山3座を登ってから1週間後、今度は憧れの白馬岳へ。間隔狭すぎてなかなかにハードだけど、北海道でのテント泊の練習を実践に移すのもなるべく早いほうが良い。
2300新宿都庁駐車場発の毎日アルペン号に乗車。猿倉への道は大型バスが通行できない箇所があるらしく、長さが2/3くらいの中型バス。長さが短いだけで車内の広さ的には普通と変わらない。満席には少しだけ余裕あり。
しかし、関東は夜でも歩いているだけで汗が吹きでてくるな!これだけで水分補給が必要だ。茂原からの距離としては竹橋の方が近いんだけど、乗り換えの面倒臭さとか考えて新宿発の座席を購入した。てか���てっきり新宿→竹橋→猿倉と行くものだと思っていたけど、猿倉への直行だった。
バス会社のHPでは0550到着予定と書かれていたが、あれは途中にいくつも停車する場合の時刻で、今回使用した直行便は0430~0500が到着予定と車内でアナウンスがあった。まぁ早いぶんには問題ないな。実際に猿倉に到着したのは0440で夜明け前。北海道のときよりも明らかに涼しい~!猿倉荘ではトイレとか休憩スペースが設置されているのでここで朝食をとるひとが多いが、自分は約1時間ほど歩いた白馬尻小屋で朝食を取ることに。ちょっとここは人が多い。
【コースタイム】猿倉荘(0440)→準備→出発(0510)→白馬尻小屋 (0600)→朝食→出発 (0630)→大雪渓入口 (0640)→大雪渓出口 (0745)→石室跡 (0805)→避難小屋 (0835)→白馬岳頂上宿舎 (0915)→テント設営・休憩 →出発 (1035)→丸山 (1045)→巻道分岐 (1115)→杓子岳 (1130)→ 巻道分岐(1140)→小鑓 (1205)→白馬鑓ヶ岳 (1225)→休憩→出発 (1300)→巻道分岐 (1330)→巻道分岐 (1335)→丸山 (1415)→テン場 (1420)

猿倉荘では装備を整えるだけで朝食はとらず、白馬尻小屋へ向かう。はじめのうちは景色が無いが、30~40分ほど歩くと視界が開けてくる。いきなり素晴らしい光景が目の前に!天気は晴れ、とても気持ちの良い青空!夏の日差しに映える緑がまぶしい。荷は重く(約10kg)歩を進める足はいつもより鈍いが、気持ちはかなり軽い。これから見える景色にはやる気持ちが抑えられない。ペースを上げすぎないように注意!
写真で見えているのはおそらく明日帰りに踏む小蓮華山とかだと思われる。
先週の北海道と比べて断然涼しい。基本的に風が通るし、気温も5℃くらい低い。歩けばさすがに汗は出てくるが、全然サウナではない。
約50分林道を歩き、白馬尻小屋に到着。「おつかれさん!ようこそ大雪渓へ」のデカイ看板がお出迎え。こちらのベンチをお借りして朝食タイム。今回も北海道のときと同じく菓子パン。結構カロリーあるし種類があるから好きなの選べるし、ゴミはかさばらない。ここ以降は山頂の小屋までトイレが無いので済ませておいたほうがいい。

いざ、準備を済ませ白馬岳名物の大雪渓へ!大雪渓の入口は小屋から10分ほど歩いたところにある。小屋のベンチからもちょっと見えているけど、目の前にすると、天へと繋がる長大な白い道と緑と岩肌のなんと美しいことか・・・。思わずため息が出てくる。この光景だけでも十分に百名山としてカウントされる価値がある。
雪渓では軽アイゼンの装着が推奨されている。自分はアマゾンで購入した2000円くらいの18本歯チェーンスパイクを装着。普通のアイゼンならあるけど軽はもってないし、チェーンスパイクのほうが脱着がラク(ゴムで靴にはめるタイプ)。実際に使用した感想は、(個人にもよるだろうが)チェーンスパイクの方が登りやすいと思う。軽アイゼン使ってる人の様子を見てみると、歯が靴の中央にしかついていないのでたまに爪先で滑っていた。チェーンスパイクは全体に歯がついているので”しっかり踏み込めば”足のどの部分で踏んでも安定する(チェーンスパイクの方が歯が短いからそこだけは注意)。 ストックの先はキャップとらな いと雪に刺さらない。みんなゴムキャップつけて登っていたけどね、雪山だと常識(夏山で雪山の知識が役に立つとは)。

雪渓は意外と汚い。もっと早い時期だと綺麗とのこと。また、表面が溶けて無数の凹凸ができているが、これは自分の好きな段に足を置くことができるので自由度が高く登りやすい。あと、50cmくらいの落石がそこらじゅうに落ちている。今回登っている最中にも「ガラガラ」と遠くで落石の発生する音が聞こえたので、なるべく早く通過するべし。
吹き降ろす風が雪渓で冷やされて気持ちいい!大雪渓は東斜面なので、朝のうちは真後ろから太陽の直射を受ける。そして前方からは雪による照り返し。サングラスと日焼け止めは必須。
上の写真で見えているのは白馬岳か?ちょっとよくわからなかった。

見下ろすと下から雲が迫ってくる。あの中は日差しがなくて涼しいんだろうなーと思いつつ、あれに追いつかれたら一気に景色がなくなる。別に競争するわけではないけど、できれば山頂から景色を眺めるまでは優位でありたい。
雪渓自体はかなり上までつづいているが、途中からは道を外れ登山道となる。今までは緩やかな林道か雪渓だったので、ここへきて初の本格的な登山道である。 ここからはかなりキツイ道。1歩が大きくないと登れないような ゴーロ帯で、いきなり北アルプスの様相を呈してきた。そして白馬名物その2、お花畑もここら辺から始まる。
雪解け水が流れるところを何ヶ所か通過する。この水は普通に飲めると思うので、水に��あまり困らないか(たぶんね)。

はぁー!!綺麗!!何が綺麗って、急峻な北アルプスの斜面を登っているはずのに、まるで草原の中を歩いているような風景。

おまけに両側はお花畑が広がり花々が応援をしてくれる。

草原の中に現れる先鋒と荒々しい山肌。たしかにここは北アルプス・・・なのか?異国のような不思議な感じ。白馬は見渡す限りすべてが美しい。

白馬尻小屋から約2時間でようやく頂上宿舎が現れる(実はもう少し前から見えてたけど)。宿舎のすぐ近くに雪解け水の水場あり、すごく冷たい。
猿倉から実動約4時間で白馬岳頂上宿舎に到着。長いようで、景色と道に夢中になっていれば案外あっという間であった。

まずはテント泊の受付。光栄なことに、本日1番目の受付だと!!そしてテン場に行ってみると・・・なんだこの光景は!!だ、誰もいない・・・。選び放題過ぎて、逆に場所を選べない。整地具合を入念にチェックしたり、どの場所が一番静かそうか考えた結果、テン場の最奥に決定!(入口近くだと便利かもしれないが足音とかうるさそう、あと水場も近いが同時にトイレも近くなんかヤダ)

こちらがテン場最奥に位置する我が城。緑のロープが張られており、これ以上先は行けない。山でのテント泊は今回が初の実践となるが、わりと綺麗に張れたと思います。
張り終わる間に2組の方がテントを張り始めていた。

設営を終えて支度がすんだら後半戦スタート、白馬鑓ヶ岳への往復へ。まずはテン場を上がって稜線に出ると北方には白馬岳。本記事初登場ではあるが、実際の行程でもちゃんと姿を眺めたのはこれが初めて。「北アルプスの女王 白馬岳」その佇まいたるや、まさしく!たしかに、「北アルプスの王」ではないんだよなぁ。

こちらは丸山より眺める杓子岳(左)と白馬鑓ヶ岳(右)。距離はあるのだが、それに加えてアップダウンが大きい。それにしても、ガスる前に写真撮れてよかったー。これからのルートが一望できる。白馬鑓ヶ岳までは、地図上ではざっと3-4kmの距離。

杓子岳直下、まずはここまでで大きなアップダウンが一回。ご覧の通りガレ場だが、これは白馬鑓までずっと続く。鑓までのピストンは軽装だったが、不要だと思って置いてきたストックはもってくればよかった。その方がバランス取りやすく、このような道には適している。

テン場から杓子岳までは約1時間。この間、とうとう雲が湧き上がってきてしまった。まぁずっと夏の日差しを浴び続けて暑かったから、クールダウンは必要。

振り向いてこちらは歩いてきた白馬岳方面。雲で隠されてしまった。

杓子岳ではしばらく勾配のない稜線を歩く。いっきにガスったが、いっきに晴れることも。基本的には晴れだった。

杓子岳下山中から白馬鑓方面。大きく下って、また大きく登る。2つ目のアップダウン。

大きな登りの途中から。あれが山頂だ!と思っていたのだが、登ってみたらこの先にもうひとつピークがあった(と記憶している)。あれはおそらく小鑓。もう一度だけ中くらいのアップダウンがあった気がする。

先程のピークを超えたら、ようやくあそこが目的地の白馬鑓ヶ岳。

山頂手前、なんか登山道を動く茶色いのがいると思ったら、アルプスのアイドル雷鳥の親子だった!こちらに気がついているものの、人間は無視して足やくちばしで穴を掘り、体をグルングルンさせて砂でこする。いわゆる「砂浴び」である。最初は親の姿だけだったが、じーっと観察しているうちに草むらから続々と子供が出てきて、最終的には6羽くらいで砂浴びしてた。親が子供に教えているのかな?なかなか貴重なものをみせてもらった。

山頂直下にある分岐より、唐松岳方面を臨む。どれが唐松岳かわからなかったが、おそらくここには写っていない。ここに写っているのはせいぜい天狗の頭くらいまでか?唐松岳はまだまだ先。
もうちょっと雲が少なければしっかりと立山連峰が見えたのだが、上の写真では剱岳のさきっぽだけがちょろっと頭を出している。行動中はたまに見えた���見えなかったり。

テン場から約2時間。大きなアップダウンをいくつか超えて、ようやく白馬鑓ヶ岳に到着。山頂には自分のほか3人ほど。 猿倉から大雪渓を登り、その後もかなりキツイ傾斜が続いたあとの足には、荷物が軽くなったといえども結構大変だった。ここでしばらく休憩。まぁよく1日のうちにここまで来たものだ。
北アルプス南方を眺める場合、白馬岳からよりもここ白馬鑓ヶ岳からの方が景観がいいかもしれない。翌日の記事の写真を見ればわかるが、白馬岳からだと白馬鑓ヶ岳の存在感がかなりデカく、北アルプスを結構隠してしまっている。今回は雲で覆われていたので残念ながら写真はなし。

鑓より白馬岳を臨む。雲が湧いたり晴れたりを繰り返す。

帰りは杓子岳の山頂は踏まず、巻道を通ってショートカット。横に2本道が走っているのが見えるが、このうち下の薄い方は通ってはいけない道(誰かが勝手に通り、後の人が続いたか)。本当の巻道は上の濃い方。ちゃんと分岐の看板が立っているから安心してよい。

最後の辛いところ。大きなアップダウン。

これを登りきれば・・・。

まだもうひとつピーク!

ようやくテン場が見えた!自分のテント、最奥すぎて誰も近くにいない、めちゃくちゃ浮いているんですけど笑、隔離されてるのかな?
白馬鑓ヶ岳からテン場までは約1時間半。到着したころはテントの数が40~50くらいになっていた。最終的には自分の周りにもテント張る人が何人かおり、自分で場所決めたのになんか安心した。
ここまでかなーり疲れたのだが、まさかとは思ったが夕食は棒ラーメンのみという・・・。これしか用意してこなかったっけ!?さすがに疲れた体にラーメンだけはきついので小屋に寄る。生ビール、コロッケ詰め合わせ、ポテチを購入して1700円。うまいなー!!!小屋の中では甲子園やっていて、結構皆で盛り上がっていた。
その後はテントに戻って一休み。北海道と比べて虫が全然いないので、テント全開にしても問題なし。おかげで日差しがあっても中は全然暑く無い。結構気持ちいいので、寝転んでいたらいつの間にか1時間くらい昼寝していた。起きたら天気は完全に曇り、風も涼しく過ごしやすいが夜は冷えそうだ。
今日はいろいろ見てきたが、昼は気温上がるとどうしても雲湧いちゃうから、景色は明日の早朝に白馬に立った時に期待だな~。
お湯沸かしてラーメンを食す。さっきいろいろ食べたからそんなにひもじくない。水はテン場のすぐ近くにあるけど、小屋を1分だけ下ったところの雪解け水を採取したほうが(気分的に)好み。テン場の水場はトイレの真隣なのでなんかちょっと・・・。ちなみに雪解け水の方は少し土が混じっていることがあるので注意。

18時頃、夕日を見に丸山へ。15℃くらいしかなくレインウェアを羽織ってもちょっと寒い。テント泊の他の人達も丸山に集合し、合わせて20人くらいで眺めていたか。

夕日によるブロッケン現象。自分が右手を挙げているのと、自分以外の山頂にいる人達も薄っすらと。

1830、モヤがかかる白馬鑓と、遠くには剱岳。どこかの雑誌の男性カメラマンと女性記者っぽい人(景色見ながらメモとってた)もいた。

1840、夕日に照らされ赤く燃える杓子岳と白馬鑓。

白馬は一体どこまで美しいのか。山だけでなく空までも・・・。
日の入りは1855。電波入らないし、特にすることも無いので1930くらいに就寝。すぐに寝付けた。
2日目に続く
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