#暮しの手帖社
Explore tagged Tumblr posts
Text



7月25日(木)open 12-18
雷鳴��たり晴れたり曇ったり、忙しい空でした。 今日もまたあっという間に夕方になっていて、驚きを隠せない店主です。
今日は暮しの手帖の発売日。 もちろん、中川にも並んでおりますよ。 表紙画はいわさきちひろさん。 この光景、近所で今朝見たんです。 小さな男の子が帽子をかぶって、虫とりあみを一生懸命に振っていました。 ああ、そうか夏休み。 子どもさんたちが、楽しく安全に過ごせますように。 大人の皆さんも、自分の中の"子ども"を大事にできますように。
わたしの手帖は、寺尾紗穂さん。 大事にしたい言葉がたくさん並ぶ。 読んでいて、松本のライブの際にリクエストに応えてくださったことを思い出す。 簡易的なキーボードで、弾けるかな?と少し戸惑わせてしまった曲だったけれど、とても鮮やかに嬉しく心に残っています。 さらに、懐かしい思い出がもう一つ蘇ったのは、「てと、てと。」に登場したおもちゃのお医者さん、「ひとみ座文庫」のおもちゃ病院の記事。 ひとみ座! そうあの「人形劇団ひとみ座」の団員だった伴通子さんのお話しです。 半年間だけ通った小学校に、ひとみ座が来た時の興奮をたまにふわっと思い出す。 転校生で心細く、辛い事の多い時期だったので、夢のような時間がとてもありがたかった。 今でも、子どもさんたちを笑顔にしてくださっている事がわかって、嬉しく読みました。 今回の号は、読んでいて胸がいっぱいになる記事が多かったです。 そしてまた、今号も時間が経っても何度も開くことでしょう。 「たとえぼろぼろになっても、この本を残しておいてほしい」 こう紹介されている4タイトルの本は、いつも中川の本棚に並んでいます。 戦争を語り継ぐ、大切な対談のページが今回の号にも。 是非お手に取ってくださいね。
"私たち一人ひとりは非力な存在かもしれないけど、無力とは違う。考え、対話し、声をあげることはできる。近しい人に自分の考えを伝え、間違っていると思うことは流さない、それも「声をあげる」なんですよね。"と綴られた編集者の手帖にも、またまた強く、勇気付けられました。
6 notes
·
View notes
Text
youtube
À Table!~ノスタルジックな休日~
この前テレビをつけたらBS松竹東急でオシャレなドラマをやっていた。
音楽がベンジャミン・ベドゥサックっぽいと思ったらやっぱりそうでした。
画面の色味とか、アングルとか、間合いとか、僕の大好きなドラマ「名建築で昼食を」にそっくりだったので調べたら、やはり松竹の同じスタッフによるドラマだったので感激。
こういう独特な映像スタイルは、地上波テレビ局ではなく、センスのある映画会社のそれじゃないと作れないといつも思う。
原案は暮らしの手帖社の「おそうざい十二カ月」と「おそうざいふう外国料理」。
企画・プロデューサーは「名建築で昼食を」と同じ松竹の清水啓太郎。
毎回登場するノスタルジックな建物と優しい手作り料理がたまらない。
イケメン俳優の中島歩と、市川実日子の掛け合いが「名建築で昼食を」に出演していた田口トモロヲと池田エライザの記憶とだぶります。
全13話まであるので毎週楽しみ。
Tverでも無料で観られるので、「名建築で昼食を」が好きだったオシャレさんは楽しめるドラマだと思います。
21 notes
·
View notes
Text
わたしはいつも、まにあわない
先日、注文していた本が届いたから取りに来いと、いつもの書店から電話があった。小学生のころからずっと通っていた地元の本屋は、安定した収入が得られるようになってからは、月給の一割ぶん、かならず���を買うようにしていた。この日もその注文の品が届いたという電話だった。いつものように、「はいはい、行きます」と返事をして、そこで電話が切れるかと思ったら、「今月の末で閉めます」と言われた。 「��っ」という声は出たが、何を言えばいいのかわからなかった。「e-honで頼んである本があるから、また行きます」そう言って、電話を切ってしまった。
外食に行く金があるなら本を買ってくれと言っては親の機嫌を損ねるような子どもで、お小遣いをもらえばすべて本につぎこんでいた。
「なかよし」やコバルト文庫を買いに通った日々。 小学六年生のころ、お年玉で国書刊行会の「黄金の夜明け魔術全書」を買った。「こどもが一万円を超える本を注文するなんて、怒られたらどうしよう」と思いながらした注文はすんなりとできて、一ヶ月後、分厚い箱入りの本が届いた。 そこから興味が広がって、あの頃はまだ背表紙が黄色くなかった河出文庫の『黒魔術の手帖』を買った。あれが、長く付き合うことになる澁澤龍彦との出会いのはじまりだった。 中学生のときには、新聞の書評欄で見た高原英里の『無垢の力』を注文した。この本が紹介している本を全部読もう、と注文できる本は全部注文し、やっぱりそこから興味が広がって――森茉莉の『薔薇食い姫/枯葉の寝床』の講談社学術文庫を取り寄せてもらったとき、1000円を超える「文庫本」が存在することに衝撃を受けた。いまでは文庫も1000円を超えるのが当たり前だけれど、当時は4~500円で買えたのだ。 十代半ばは、熱心に投稿をしているころでもあった。コバルト本誌に詩や小説を投稿していたから、投稿作が採用されているかどうかをたしかめにもかよっていた。自分の作品や名前が載っているコバルト本誌を買って帰るとき、いつも、「いつか小説家になって、この書店にも本が並ぶのだ」と思っていた。
車、カメラ、服飾品、三ヶ月に一度のアフタヌーンティ……それなりのものに金を使ってはきたけれど、わたしは、人生でいちばんなにに金を使ったか、それも「どこに」金を使ったかと聞かれれば、きっとこの書店に違いない。それくらいに、とにかくここで本を買いつづけてきた。 生活費を除く可処分所得のほとんどが、この書店で買う本に変わった。
地方の書店で本を注文して届けてもらうと、一ヶ月はかかる。新刊本は、発売日には届かない。Amazonで本を買えば、取り寄せなんてしなくてもいい。インターネット書店も充実していて、一ヶ月近く待ってどうしてそこで本を買っているのか���と言われれば、わたしはただもう、「この町から本屋がなくなってほしくなかったから」としか言いようがない。 インターネットを使いこなして本を買うことは、だれもができることではない。子どもや、老人。本が欲しいと思ったら、書店へ行かなければならないひともいる。わたしもそういう「子ども」だった。Amazonというシステムが自由に使えるようになったのは、大学生か、社会人になってすぐか……それくらいだけれど、それまではわたしは本へのアクセスは、実際の書店へ行って本を買うしかできなかった。そんなひとはまだこの土地にはたくさんいて、そんなひとたちが「本を買う場」を、保ちたかった。わたしは本を買いつづけた。
今日は給料日だった。今月の給料の、「使える金」はすべてこの店で本を買うために使おうと思っていた。薄っぺらい給料袋を持って店に行き、本を腕に積み上げた。『トランスジェンダー男性学』と『これからの男の子たちへ』が面陳されていて、最後まで誠実な書店であろうとしているのだなと思う。地元の島を描いたルポルタージュが刊行されたときも、この書店は、丁寧に丁寧に、好奇心に抵抗するようなPOPをつけて売っていた。 レジに並んだ。 わたしのまえに並んでいたひとが、「高校生の頃から通っていたから、なくなってしまうのがさみしい」と店主のおじさんに話していた。だから、わたしは、なんだか何も言えなくなってしまって(二連続でそんな話をされたらおじさんもきっと困るだろうと思って)いつものように、ただ黙って本を買った。 「しおり、ほしいだけ持ってって」とおじさんに言われた。たくさん本を買った。いつもだいたい、1冊の本につき、3つくらいしおりを入れてくれる。今日もおじさんはひとつかみくらいしおりをいれてくれて、わたしはレジの横にならべてある、きれいなしおりを1枚だけもらった。
書店がなくなるのだ。わたしはこれから、どこで本を買えばいいんだろう。――新しい職場が書店なので、本は買おうと思えばそこで取り寄せてもらえる、だからこんなことを思わなくてもいいのに、「わたしはこれから、どこで本を買えばいいんだろう」とずっと考えている。 町から本屋がなくなってしまう。本が欲しいと思ったとき、インターネットにアクセスできず、この書店に行って「あの本が欲しい、この本が欲しい」と言っていた子どものわたしが途方に暮れる。
書店を出る。車に乗る。 まにあわなかったな、と思う。 今年の九月に、同人誌じゃない本が出る。日本全国、いろんな書店にこの本は旅立っていくのだろう。だけど、どこよりも、この本を、わたしはこの書店に並べてもらいたかった。 わたしの本との出会いを支え、そして、わたしの小説の資料を、物語の血肉を、つねにわたしに与え続けてきてくれたこの書店に、「わたしの本ができたんです」と言って帰りたかった。 わたしの本を、きっと丁寧に丁寧に売ってくれただろう書店に、わたしは間に合わなかった。
もう一週間ある。 なんとかお金の算段をつけて、もう一度ここで本を買いたい。
20 notes
·
View notes
Text
秋山花 個展『Morning / Night - A Continuation』

5月8日より、イラストレーター・秋山花の個展『Morning / Night - A Continuation』をtwililightで開催します。
東京では3年ぶりの個展。ぜひ足をお運びください。
---
会期:2025年5月8日(木)~2025年5月19日(月)
会場:twililight(東京都世田谷区太子堂 4-28-10 鈴木ビル3F・屋上/三軒茶屋駅徒歩5分)
営業時間:12:00-21:00
定休日:火曜・第1, 第3水曜
--
2017年、資生堂が発行している雑誌「花椿」の付録「花椿文庫」にて、じゃばら絵本「朝/夜」を制作し発表しました。この絵本は、朝が好きな一人の女性の視点(表)と夜が好きな一人の男性の視点(裏)との2つの視点で構成されています。朝と夜の「音」をテーマにしたイラストレーションを描き、そこにオノマトペで表現されたテキストを添えて絵本を作りました。
この度は、この絵本の続きとして、新たに制作した作品を展示致します。
twililightという素敵な書店名にちなんで、光の要素を含んだ作品を考えることから制作をスタートしました。現実的で前向きさが感じられる朝の光と夢の要素を含んだ夜の静かな光を描く作品とにアイディアが分かれていきました。おそらく、2017年から、朝と夜のリズムについてを考えることが個人的にも多くなっていたのだと思います。この度は、音から光へテーマを進化させるという形で作品を発表できたらと考えています。
秋山花
--
《プロフィール》
秋山花(あきやま・はな)

イラストレーター。多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業。多摩美術大学大学院博士課程前期グラフィックデザイン領域修了。書籍、広告、雑誌、Web等でイラストレーションを手がける���(SUNTORY、無印良品、暮しの手帖など)個展などで作品を発表。NYADC賞銀賞受賞、他受賞。作品集「'IHATOV' FARMERS' SONG 」(PLANCTON)、絵本「ソックモンキーのおくりもの」(講談社)絵本「DRESS BOOK」(BOX&NEEDLE)がある。http://hanaakiyama.com
0 notes
Text
2022台灣文具店列表整理
此文章尚在編輯中。 這篇文章列出���的是特色文具店/獨立文具店,若想要購買英文書法用品,請見我另一篇文章的整理。
有★的是較知名/網友較多人推薦/報章雜誌報導或我的推薦店家。
▼台北
★鋼筆工作室:各大品牌鋼筆、書寫用具 ★大人小學古文具:古文具 、 古地圖 、時代物、謄写器 、喫茶室 ★小品雅集:各大品牌鋼筆、書寫用具、事務用品 ★水占文房:英文書法工具專門店,我的字帖在這裡販售唷! ★美好文具室:鋼筆、書寫用具、事務用品、紙膠帶、明信片、貼紙、美術用品 ★茉莉生活風格:鋼筆、書寫用具、事務用品、底片相機、紙膠帶、明信片、貼紙 ★禮拜文房具:鋼筆、沾水筆、墨水、生活雜貨、印章、裁縫用品 能藝文具華山店:吳竹商品專賣、麥克筆、墨筆、科學毛筆、字帖、墨水、書寫用品、事務用品 A Design&Life Project:書寫用具、事務用品、咖啡、香氛雜貨、鞋帽包包 尚羽堂:鋼筆、沾水筆、墨水、顏料 誠格美術社:鋼筆、沾水筆、美術材料 明進文房具:各大品牌鋼筆、書寫用具、事務用品、美術材料 日安小舖:紙膠帶、印章印台、貼紙 好心藝:纏繞用具專門、纏繞教室 Words我思文創:明信片專賣店 理想の部屋:紙膠帶專門店 品墨良行:美術、印刷用紙專賣店 沛芸的文具雜貨店:女孩貼紙、明信片、紙膠帶 針線盒:手帳、紙膠帶、明信片、貼紙、筆記本、印章 日日文創舖:書寫用具、事務用品、貼紙、紙膠帶、印章、扭蛋
▼新北
★賈絲筆咧:各大品牌鋼筆、墨水、英文書法用品、火漆章、手帳、簿本紙品、字帖 ★牽筆文具社:書寫用品、紙膠帶、印章印台、手帳 胖媽媽美術文具:書寫用品、美術用品、文具精品 王子創意文具國:橡皮擦的觀光工廠
▼桃園
★小鹿文具所 :鋼筆、墨水、沾水筆、明信片、貼紙、印章、生活雜貨 白屋小集:紙膠帶、貼紙、明信片、小擺件、手創器皿 緩緩日常・雜貨選物:生活雜物、明信片、貼紙、花企、乾燥花、小擺件 百色美術:書寫用具、事務用品、手帳、美術用品、英文書法用品 利百代彩筆文創館:鉛筆觀光工廠 雄獅想像力製造所:雄獅觀光工廠,全票五百元在觀光工廠中算比較高的…
▼新竹
★嗨賴文具工作室:鋼筆、墨水、手帳筆記本、紙膠帶、明信片、貼紙 暮らし生活道具家:陶藝、墨水、紙膠帶、貼紙 173雜貨:因疫情關係蝦皮及IG商品只剩一樣,不確定實體門市現在如何 內灣玻璃沾水筆:現場燒熱玻璃製作的沾水筆,內灣名物
▼苗栗
★共發:書寫用具、事務用品、生活雜貨 來本冊子Re:mainer:單一品項客製化手工書 小金石:以繪本桌遊、手作小學堂為主,文具品項較少 皇手製作-童正一手工原木筆:單一品項手作原木筆
▼台中
★六街文具房:日本進口文具專賣、書寫用具、印章、明信片、貼紙信紙….等 ★菓ノ文具曲:日本進口印章、卡片、簿本、編織線材、生活擺件、選物 ★有筆X鋼筆工作室:各大品牌鋼筆、書寫用具、紙品、明信片、手帳簿本、雜貨 ★茶筆巷文具生活:書寫用具、手帳簿本、生活選品、收納布袋、復古雜貨 ★覓靜拾光:咖啡、茶、酒、鋼筆、沾水筆、手帳簿本、鋼筆維修 ★iPaper:iPaper筆記本、鋼筆、沾水筆、日本文具 鋼筆工作室台中分舵:各大品牌鋼筆、書寫用具、紙品、明信片、手帳簿本 能藝文具審計店:吳竹商品專賣、麥克筆、墨筆、科學毛筆、字帖、墨水、書寫用品、事務用品 菩品:書寫用具、事務用品、紙膠帶、手帳簿本、生活雜貨、餐巾器皿 時代中西畫材:書寫用具、Molotow筆具、美術用品 詠昶鋼筆文具專門店:各大品牌鋼筆、墨水、事務用品 穀雨好學:日本生活雜物、印章、貼紙、紙膠帶、花器、擺件 發現了文房生活:書寫用具、紙膠帶、印章、便利貼、耳環小配件 實心裡生活什物店:實心美術手帳、布包、器皿、書籍、音樂 黑洞咖啡:鋼筆墨水販售試寫,主要是台中筆友聚餐廳,餐點亦佳! Melon文具禮品:火漆章、貼紙、印章、筆記本、紙膠帶
▼彰化
★愛治文具房:書寫用具、鋼筆墨水、事務用品、手帳簿本、特色貼紙、紙膠帶 魚露:明信片、紙膠帶、火漆章、生活雜貨、大小包包
▼雲林
歸途文畫室:鋼筆、墨水、紙膠帶、手帳簿本、印章
▼嘉義
★拾筆:書寫用具、鋼筆墨水、事務用品、手帳簿本、貼紙紙膠帶、印章 天才美術社:鋼筆墨水、美術用品、紙張、英文書法用品
▼台南
★同央美術:書寫用具、鋼筆墨水、事務用品、美術用品、英文書法用品 ★民安美術:書寫用具、鋼筆墨��、事務用品、美術用品、英文書法用品 什物:實體店鋪暫停營業中 墨客:書寫用具、鋼筆墨水、事務用品、美術用品、印章、紙膠帶、字帖 點店文具工作室:貼紙、紙膠帶、印章 文寶房:鋼筆、鋼筆墨水
▼高雄
★禮拜文房具:鋼筆、沾水筆、墨水、生活雜貨、印章、裁縫用品 小徑文化:小徑文化紙膠帶專賣店 灰灰商店:明信片、筆記本、布包、積木、明信片 森活小室:書寫用具、便利貼、紙膠帶、明信片、筆記本 菩品:書寫用具、事務用品、紙膠帶、手帳簿本、生活雜貨、餐巾器皿 墨里:鋼筆墨水、書寫用具、事務用品、紙膠帶、手帳簿本 森林小老木:印章印台、小卡、筆記本、花器、雜貨選物 no. 18 skyisland:明信片、紙膠帶,貓咪餐廳,主要是筆友聚會所
▼花蓮
★福福鋼筆店:鋼筆、墨水、手帳簿本、紙膠帶、明信片、貼紙、顏料、印章、畫材 ★歡迎光臨文具販賣部:手帳簿本、印章、紙膠帶、貼紙、書寫用具、卡片、畫材 腦弱文房具:腦闆娘紙品專賣店
▼南投
廣興紙寮:傳統手抄紙觀光工廠 造紙龍手創館:造紙觀光工廠
▼宜蘭
玉兔鉛筆學校:玉兔鉛筆的觀光工廠。
0 notes
Text
2025/03/02 BGM: The Beatles - The Fool On The Hill
今日は早番だった。今朝、風邪気味の身体を押していつものようにシャワーを浴びて洗濯機をまわした後、英会話関係のZoomミーティングに顔を出す。毎週日曜日は「フリートーク」の日で、いつもなら日替わりのお題が提示されてそれにもとづいてぼくたちは英語でワイワイとディスカッションに興じるのだけれど今日はこれといってテーマがない日だった。そこで、まずぼくたちは目下世界的に話題になっているゼレンスキーとトランプのミーティングの話について皮切りとして話しはじめる。だが、情けないことにぼくの勉強不足ゆえにいったいあの2人の政治家たちがなにを話したのか、いったいなにがあの席で起きたんだかフォローできていなかったのでまったくもって話についていけなかった。そこでホスト役の方がぼくに話を振ってくださり、ぼくからお題を切り出してもいいとおっしゃったのでどうしたらいいんだろうと0.1秒ほど迷ったものの、「枯れ木も山のにぎわい」だと居直って昨日鑑賞した『プロジェクトX』の藤里町の取り組みの話をした。ひきこもり支援を念入りにおこなったことで福祉の可能性を見せつけた町の取り組みの話だ。すると、他の方々も興味を示してくださった。
もうカンのいい方はお気付きの通り、謙遜でも自虐でもなんでもなく残酷な事実を認めたいから書くが、ぼくは現在のとこ��大学に籍をおいたりあるいは在野で研究生活に精を出したりしている身分ではまったくもってない。ただどこにでもいる(はずの)しがない小市民にすぎない。だからいまもって好奇心あるいはひまつぶしで宮台真司や大澤真幸などをめくったりすることはあっても、社会学的なことを真剣に学んだことなんてかけらもない。ぼくがこのひきこもり問題について(いや、たぶんもっとひろく取って社会全般・政治全般の話題について言えば総じてと言うべきか)語れることはしたがって、本やYouTubeやネットフリックス的なドキュメンタリーから付け焼き刃で学んだことではなくこれまでこのスットコドッコイな発達障害者なりに暮らしてきて体験・体得した経験が主となる。そのZoomミーティングのあいだ、ぼくは(どういう流れでそうなったのかは忘れたにせよ)自分が酒に呑まれていてゆえに未来にたいして希望を持つことも、人生において夢を持つこともまったくもってあきらめてしまっていた時期のことを話した。いや、なんだかあまりにも個人的すぎる・私的すぎる話ですくなくともいま思えばひきこもりとなんの関係があるんだかわからない(「直接的に」つながる話ではなかろう。ぜんぜんからまないとも思えないが、しかし一般論としてこうした私的な話を公的なポリシーに持っていくにはもっと段階を踏まないといけないかなあ、とも思う)。
10時から5時まで仕事をした後に自室に戻り、今日は佐伯一麦『社の日記帖』をめくったりして過ごす。ふと、前にも書いたかもしれないがぼくが所属させてもらっている、ぼくと有志が結成した哲学カフェのLINEグループにおいてその『プロジェクトX』が話題となり、そこから一般論としてひきこもり支援にどうした方途が有効か(別の言い方をすれば、どのようにしてあの番組を見きわめてぼくたちなりのユニークな異論を提示すべきか)といった話に花が咲いていた。ぼくたちはたしかに同じ志を持つが、それぞれのメンバーの置かれた背景(バックグラウンド)もいま生きている境遇も、趣味・嗜好もそれぞれ微妙に異なっている。だからたぶん「みんな一緒に」「一丸となって」といったことにはならず、時にこうした「きしみ」「不協和音(Discord)」も生まれる。でも、ぼくはそうして個々人がユニークさ・唯一無二の個性を発揮することが時に表面的には不協和音を生み出すことがあっても、それでもそれぞれのメンバーは相手を尊重・評価しておりそれゆえに誰もこのグループにおける「同調圧力」「群集心理」には呑まれないと信じたい。こうした個々人の個性���パブリックな世論・輿論の関係はたぶん(インターネットにはうといので間違っていたら忌憚のないご指摘をお願いしたいが)個々のサーバとインターネット空間(サイバースペース)の関係にも似てるんじゃなかろうか、とも思った。
それはそれとして、これまたカンのいい方はおわかりのとおりぼくは日本で暮らすただの日本人。したがって英語のネイティブスピーカーではないのだった。昼ごろに飛び込んできたニュースが気になってしまい、そのこともいまになって頭の片隅であれこれ考えてしまっている。そのニュースとはドナルド・トランプが大統領令を発令してアメリカの公用語を英語一色にさだめた、という話だった。いや、アメリカに住んだこともないのでこれがいったいどういうことを意味するのかわからないのだが(だからこれもまたしてもスットコドッコイな「政談」「珍プレー」になってしまうかもしれないが)、母国語とはその人のアイデンティティの基礎。そのアイデンティティがぶつかり合うことでアメリカの空気が醸成されていたのだとしたら、その空気は否応なしに――目立つかたちでなのか、ドラスティックに変わるのかはぼくにはとんとわからないにせよ――変わってしまうのではないか。いや、これにかんしてはほんとうにぼくはトーシロもトーシロ、ド素人なのでこれからいろいろ意見を聞いたり考えたりしないといけない。なんとも世知辛い(?)世の中であることよ。部屋の片隅でホコリを被っているベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』を読み返すべきかな?
1 note
·
View note
Text
Recommended Books 【日常・Everyday・Dairy】
京都 季節を楽しむ暮らしごと 365日: 日々の小さな発見が愛おしい古都の春夏秋冬 単行本 – 2022/10/21
smile editors (編集)
伝統行事を大切にし、季節の移り変わりを感じながら、毎日を丁寧に送る京都の暮らしごとには、自然と共存し、一日一日を心豊かに楽しむためのヒントがたくさんあります。 本書では、京都にゆかりがあり、京都をこよなく愛する方々がそれぞれに見つけた小さな発見、日々の楽しみを、春夏秋冬、季節の移ろいを感じさせてくれる二十四節気ごとに、1日1ページで365日分ご紹介しています。 京都に暮らす人も、よく京都を訪れる人も、いつか京都を旅したい人も、読むごとに、もっと京都が好きになる一冊です。
イギリスの心地いい暮らし 小さな愉しみ 単行本 – 2022/3/31
SMILE EDITОRS (編集)
紅茶やスコーン、タータンチェックやリバティ柄、ガーデニングなど、イギリスの魅力的な文化や、イギリス人の��朴だけれども堅実で温かみのある暮らしを365日紹介します。ロンドナーのロンドン歩きの楽しみ方も。
フランスの小さくて温かな暮らし 365日──大切なことに気づかせてくれる日々のヒント 単行本 – 2021/3/5
トリコロル・パリ (著)
旅がもっと楽しくなる 何気ない日常がもっと愛おしくなる めぐる季節の中で暮らしに取り入れたい毎日のエッセンスフランスに住む人たちの何気ない習慣、暮らしに欠かせない食べ物、ふと幸せを感じるひととき… そのいとなみが、遠く離れた日本に暮らす私たちに、日々を心地よく丁寧に過ごすために大切なことを教えてくれます。
丁寧に暮らしている暇はないけれど 時間をかけずに日々を豊かに楽しむ知恵 単行本 – 2018/2/21
一田 憲子 (著)
『暮らしのおへそ』(主婦と生活社)を立ち上げ、12年にわたり取材、執筆をしてきた編集ディレクター・一田憲子(いちだのりこ)さん。 これまでに、数多くの暮らしの達人たちを取材してきました。 そんな一田さんご自身の暮らしも、知恵とアイデアにあふれています。 築50年ながら、いつ訪れてもすがすがしい空気が流れ、とても居心地がいい部屋。 適度に片づき、適度にモノがあり、わが家のようにほっとできる。 そして、パパッと出てくる、おいしいごはんや手作りのおやつ。 ――そんな一田家のファンになってしまう人が、後を絶ちません。 でも、当の一田さんは、ご自身のことを、「生まれながらの大ざっぱ人間で、面倒くさがり」と言います。そして、常に仕事の締め切りを抱えて全国を取材で飛び回る毎日の中、家事に使える時間は限られています。 いったい一田さんは、どんなふうにして日々の暮らしをまわしているのでしょうか? その秘密は、取材先で教わったアイデアや、人とのやり取りで知ったモノ・コトを、家に持ち帰り、実際に試し、毎日の中に落とし込む。その連続の中にありました。 本書では、一田さんが実践してみて本当に役立ち、忙しい中でも続けてこられている習慣と知恵をご紹介します。 時間がなくたって、工夫次第で、毎日はずっと快適になるし、楽しめる。 そんな暮らしのヒントを、美しい写真とともにお届けします。
365日の気づきノート 単行本 – 2016/3/24
門倉 多仁亜 (著)
東京、鹿児島、ドイツを行き来し、各地で仕事をこなし、季節の行事も大切にしているタニアさん。 忙しい毎日のはずなのに、いつも穏やかで、タニアさんのまわりには清々しい空気が流れています。 そのシンプルな暮らしと、凛としたたたずまいは、どんなふうに生まれるのでしょうか? 本書では、タニアさんが日々の暮らしの中で見つけた気づきやアイデアを、 春夏秋冬、12か月を通して綴ります。 部屋をきれいに保つアイデアから、献立を考えるヒント、 旅の荷物のまとめ方まで、日々の暮らしをすっきり豊かにするヒントが満載。 読めば、タニアさんと同じ生活をしているような感覚になり、 心も身体もシンプルに生まれ変われる一冊です。
美しい暮らし (幻冬舎plus+) Kindle版 発売日 : 2017/11/24
矢吹透 (著)
味覚の記憶は、いつも大切な人たちと結びつく――。 冬の午後に訪ねてきた後輩のために作る冬のほうれんそうの一品。 苦味に春を感じる、ふきのとうのピッツア。 少年の心細い気持ちを救った香港のキュウリのサンドイッチ。 海の家のようなレストランで出会った白いサングリア。 仕事と恋の思い出が詰まったベーカリーの閉店……。 人生の喜びも哀しみもたっぷり味わせてくれる、繊細で胸にしみいる文章とレシピ。
フランス流しまつで温かい暮らし フランス人は3皿でもてなす (講談社の実用BOOK) 単行本 – 2016/9/16
ペレ 信子 (著)
著者はフランス人と結婚して23年。夫の家族やフランス人の友達から、いいところを取り入れつつ、心地よい暮らしを実践。たとえば、平日は週末にたっぷり作っておいた野菜スープを毎日飲み、週末は3皿の料理で家族の時間やもてなしもします。そんなふうにたまには肩の力を抜いて、その分家族との会話を楽しんでみてはどうでしょう。フランス人の暮らしぶりを知って、もっと気楽に豊かな生活を楽しむために参考にしてほしい1冊。
衣・食・住 暮らしの雑貨帖 ~ずっと愛したい、わたしのお気に入り~ 単行本(ソフトカバー) – 2013/12/21
甲斐 みのり (著)
自分の“好き"が胸の内にあれば、街に出て通りを歩くときも宝探しのような心地になれる」 本書は、文筆家・甲斐みのりさんが日頃から愛用している品々をまとめた雑貨帖。暮らしを彩る日用品、旅先で見つけた工芸品、家族を思い出す雑貨など、さまざまな愛用品を日々のひとこまとともに綴っています。長い間ずっと一緒に過ごしていける、衣・食・住の雑貨と、雑貨にまつわるさまざまな物語。著者ならではの着眼点で、雑貨の魅力をまとめた一冊です。
すてきなあなたに 単行本 – 1988/3/1
大橋 鎭子 (編集)
1969年から連載が続く『暮しの手帖』誌の人気エッセイです。実際に目でみて素敵だと思ったこと、人と接している時に感じた素敵なこと、心に深��染み込んでいったこと、食事の時に美味しかったものとそのレシピなど、日常の生活で感じて、メモに書き留めたものを綴っています。本書、第1巻は、1969年から1974年までの連載をまとめたものです。
0 notes
Text
ね群読書会:稲田一声『喪われた感情のしずく』
2024年9月15日、ねじれ双角錐群群員有志にて実施した、稲田一声『喪われた感情のしずく』(第15回創元SF短編賞受賞作。『紙魚の手帖vol.18』掲載、単話電子書籍版あり)読書会のメモを公開します。
全体的な感想
セクワ・ジュンの過去作品の伝説説明あたりから加速がかなり効いていき、ツイストが何重にも入って結末答えに至るまでピシッと決まった構成でとても良かった。
人工感情とインプラントっていうストレートな設定から、いろんな方向のアイデアが惜しみなく出てくるのがよかった。その助けもあってか各セクション(特に以下のうちの4〜9)でしっかりヒキがあって、ぐいぐい読ませられる感じ
設定がキマっていて終始読みやすい。機械と生体、感情と意識の話はもう少し理論を掘り下げた方が結末の説得力が増したのかもしれないが、やりすぎると野暮ったいだろうし、現状がいいバランスなのかもしれない。
この設定で書くとセックス&ドラッグ的な退廃的な世界観になりがちだけど、そうならないのはよかったなと。
ドラッグ小説のあたらしい形なのではないか
もしかしてこれはグルメバトルなのか?
部分ごとに
結構細かく多めにツイストを入れていて面白い構成になっていると思う、という前提で、ざっくり割ってしまうと、①~③で設定と状況を出して、④~⑨で事件を起こして細かくツイストしていき、⑩~⑫で主人公が答えを出す、という感じか。
①試作品をテストするとき、いつもすこしだけ
オーデモシオンとその調合師である主人公(コズ)、同僚のドッソさんの導入。最後に「あのセクワ・ジュン」でヒキ。
「エモーショナルディレクター」かっこよすぎる。
②セクワ・ジュンが生み出したオーデモシオン
セクワとは誰ぞやという話と、セクワの過去作品の紹介。セクワの作るオーデモシオンはいずれも罪悪感をテーマにしている。コズのプライベート(配偶者にスウ)。インプラントと〈紙吹雪〉あたりの導入。
セクワさんの過去作品の面白さと説得力。人工的に感情をまとう香水、というまあありがちっちゃありがちな設定を出してきた①に対して「ありがちで済まさないぞ」と差し込んでくる感じ。
『何かを轢いた』→『正方形を轢いた』コンボとか面白すぎる
『犬の絶滅』こわすぎる
��空の職業の「仕事柄」を描写するの、いいな
「身体的な反応が、文脈を通して感情を形作る」
紙吹雪交換OKなの、エッチじゃん
後半のこと考えると、たんに自分と分離された機械を交換してるんじゃなくて、それこそ体液みたいな……ってなってよりエッチにみえてくるんだよな
③その後も、僕の試作品はいまひとつだった
コズとセクワさんが実際に会う。セクワさんはわりと茶目っけがある人のようである。
「セクワ・ジュンの新作が出るのなら、わざわざ僕がオーデモシオンを作る必要なんてないのでは?」憧れの度合い、そこからくる好奇心と行き詰まりがよく出てるし、結末はオーデモシオンを作るということに迷いなくセットされるし、良いよね
この天才を追いかける的な構成はSF短編だと王道っぽい
あとでお母さんのファイル資料室で見つけちゃうとかもベタベタのベタでいい
④セクワさんに招待されて、
セクワの新作発表会。どんな感情なのか当て会ののち(ここの感情と身体反応の関連をみせる描写がすごい)、「差別感情だ!」でヒキ。
セクワさんガチ勢の『なにかを轢いた』語りがガチ勢すぎて好き。弛緩したゴムのような油断?(これを②のとこにまとめて書かずにこっちに持って来てるの上手い)
これ完全にワインの味の表現とかああいうのですよね
テイスティングノート感
「差別感情」がこんなふうに描写できるのかよ!ってなった。すごい
3つのフェーズで襲ってくる各々の身体反応と情動とか、その科学的説明もかっこいいし、自負とかの出方も怖い!!!(作者もこの小説でこういう盛り上げ方を企図してるだろ!!!怖い!!!!!)
自分もここは本当にすごいと思った
3層にリアリティがある。恐怖から入って……
3段階の層で作っていくのが盛り上げ的にも上手いし、「差別感情」の恐ろしさが読者にしっかり伝わってくる(それ自体の恐ろしさもそうだし、それを作ってしまうのが倫理的にまずくないか、という怖さも)
「差別感情」を導入して一発デカいヒキが作られてて、テーマは差別感情なのかな、と一瞬思うんだけど、全然そんなことなくてこの先も伸びていく感じがすごいよね。
展開が割とスピーディー。枚数のなかでシーン数は多そう
「自分が自分でなくなっていく。こんな感情、初めてだ」設計者たるセクワが、自分が自分でなくなる(=自分が素の人間であるかのようになる)ように、オーデモシオンを設計している。
⑤「……り、リセッタ!」
セクワの新作(『ほろびたもの』)に対する、「まずいのでは?」的な会場の反応。差別感情は差別感情でも、いまやなくなった、「素の人間」による機械化した人間への差別感情であるとのこと。
⑥出社して商品開発室の扉を開けると、
憤慨したドッソさん退職。『ほろびたもの』バカ売れ。スウが『ほろびたもの』を服用している。『ほろびたもの』で起こる直接の感情ではなく、そのあとにくる「ほんものの罪悪感」がキモなのではないか。ここまででおおよそ『ほろびたもの』がなんなのかがわかる。
罪悪感というキーワードは一貫している、ということへの気づきが、気づきを与えつつそれがまた謎を呼ぶ、良い案配で引っ張る。
⑦僕は、セクワさんの若い頃のインタビューや
ここからコズは、「なぜセクワは罪悪感にこだわり、『ほろびたもの』を作ったのか」という謎を追っていくことになる。セクワの母の死が鍵になるのではないか?というところでヒキ。
⑧「ごめん、よく考えたら食事中にする話題じゃ
コズがスウに話す体でセクワの母の死の状況が明かされる。死んで数日間、インプラントの誤作動によって死後も生体機能が維持され、セクワ自身はその母の亡骸から乳を飲んでいたらしい、的な。スウは「誤作動ではないのでは」と意味深なことを言う。ドッソさんからのメールでヒキ。
前章からのつなぎ方が参考になる
「……ほんとに誤作動だったのかな」やや露骨だけど、『ほろびたもの』にハマっているスウくんだとちょっと違う見方ができるという……
⑨画面の中心にセクワさんが映っている
ドッソさんの連絡は『ほろびたもの』の是非をめぐる公開討論会のお知らせだった。討論会のなかでセクワは、「私たちの抱く感情や意識は、すでに大部分が脳内のインプラントや〈紙吹雪〉によって成り立っている」と大々的に発表する。現代の人間のルーツはむしろ機械知性にある(機祖)のではないか、と。
常識をひっくり返す盛り上げシーンがまた討論会というかたちで出てくるのが楽しい。
このサイズの短編で、お披露目会と討論会両方あるのすごくない? 圧縮力というか、ツイストの回数というか。
⑩あの公開討論会から、半年が経った。
機祖派的な考えが世にひろまり、すこしずつ受容されつつある状況。セクワの狙いはこれだったのかもしれない。いっぽう、コズの会社では『ほろびたもの』以外のオーデモシオンがどんどん廃番になってゆく。オーデモシオンを蔑ろにしたセクワへの怒り。
最後のシーンに繋がるコズの行動理由は直接はここなんですよね。全部廃番にして終わらせようとするセクワさんへの怒り。ドッソさんのような許せなさとかじゃないし。
⑪およそ一月後のその日は、
なにかを作ったらしいコズはセクワ宅にカチコミをかける。セクワからの「理由」のネタバラシ。
機械知性としての母親が(も?)真正であることの主張と、それを誤作動としていちどは認めてしまったことへの罪悪感。それを塗りつぶすのではなく、周りの人々を変革するための新作であった、と。
このカチコミからのレスバの流れも様式美
ここで語られるセクワさんの動機、材料的にはここまでのシーンで全部出ているので総合すれば推測可能だけど、読んでいるときに気づけていなくて、なるほどとなった
⑫「それでも僕は、オーデモシオンにはまだ
コズはみずから作ったオーデモシオンをセクワに服用させる。それは機械の身体化を狙ったオーデモシオンであり、そこから、「機械知性ならではの感情を表現できるかもしれない」というオーデモシオンの可能性の話につながる。なんと、セクワの母が子に対して最後に抱いていたであろう感情を表現したものだという。セクワはこのあとどうするのだろうか、というところで締め。
セクワさんの長広舌←言っちゃってるじゃん!
「私に何のメリットがあるんですか?」一応言いつつさらっと使ってくれるセクワさん
グルメバトルマンガなんだよな。すごい料理を食べさせて感動させて勝利みたいな
そのほか
タイトルについて
応募時タイトルが「廃番となった感情について」で、選考過程で「廃番の涙」に改題、さらに受賞後に掲載にあたって「喪われた感情のしずく」に改題されてい��。
個人的にはとても良い改題のように思った。
「廃番」というあまり親しみのないワードによって興味を惹かれる部分はあると思っていて、応募時タイトルが狙っていたのはそういう線だろうと思う(「廃番」という、聞き慣れないし、意味としても何かの製造をイメージさせる言葉で、それと「感情」という一見結びつきづらそうなものの繋がりという異化効果)。「廃番」をタイトルから外してしまうというのはその意味でちょっともったいないかなという風に最初は思った。
けど「廃番」は作中の後半で主人公にショックを与える出来事として出てくるんだけど、最終的に主人公が出している答えの中において「廃番となった感情」はあまり重要ではない(主人公は「廃番にしないでください」と言ってるけど、それは廃番となった感情が大切だからというよりも、オーデモシオンの役目がもう終わったような扱いにしないで下さいということに力点が置かれていると思う)。そう考えると実は最初のタイトルは主題の正鵠を射てはいないのかもしれないと思えてくる(2回の改題を見てから言っている後知恵だけど)
「涙」も微妙で、ラストシーンで「オーデモシオンの液が滴っていた」とあるのは当然涙を意識した絵面だけれど、これは涙ではないし、人間が涙を流すときのような感情をセクワさんが抱いているのかどうかもわからないことがポイントになっているし、さらにその感情は「廃番」になった感情によるものでもない(これは掲載時にラストシーンが改稿されている可能性が高いから、最終選考時での描写とは整合していたのかもしれないけれど)
その点、「喪われた感情のしずく」は、まさにラストシーンで「オーデモシオンの液が滴っていた」とピッタリくるタイトルだと思う。「廃番」になった方ではなくて、機械知性としての母親の最期の感情という意味での「喪われた」感情であることが最後まで読むとわかるようになっている。「しずく」は冒頭から出てくるスポイトで垂らすオーデモシオンのイメージで素直に入ってきた上で、一番最後のシーンで涙のイメージとも重なるようになっている(が、その感情が人間の普通の涙の時の感情だったのかどうかは読者にはわからない。喪われた感情だから)
オーデモシオン、香水関連の小ネタ
オーデモシオン:オーデコロンeau de Cologneならぬ、eau de émotionsみたいな造語?(フランス語の格変化とかがよくわかってません)
つけぼくろ(ムーシュ):16世紀中頃から18世紀末にかけてフランスの上流階級の間で流行。もともと肌の白さを際立たせたり天然痘などの肌の傷跡を隠すための用途であったものが発達して色んな形の切り絵のようになったり付ける位置によって意味づけがなされたりしていった
https://www.cosmetic-culture.po-holdings.co.jp/culture/history/12.html
……というのが、ポジティブな感情に自分を持っていく、それを周囲に表出する、という元々のオーデモシオンの主要な用途から逸脱して発達していったセクワ・ジュン作品のポジショニングにぴったり合っているネーミング、ということなのだろう
前徴・中徴・後徴:香水のトップノート、ミドルノート、ラストノートに対応すると思われる概念で、人工的な感情を味わうことができるというSFガジェットに対して3段階の時間的に変化という設定を入れることで複雑化できている(単発だとそんなにレパートリー生まれないだろみたいなツッコミが生じそう)し、お披露目会シーンの緊張感の描写にも役立っていて素晴らしい
テクい!!!!!
作者の過去作品関連
なんかまとまってないんだけど、スウくんの存在ってかなり稲田一声作品っぽい一方で、今作では結構機能的な活躍もしているのが面白い。はじめはコズのパートナーで、セクワさんに憧れて職業にまでしたオーデモシオンには興味がないっていう、それが家に帰るといるっていう、コズにとって安全地帯的なポジション(実際、包容力キャラなんだよな)から始まるんだけど、それが『ほろびたもの』にはハマってしまって(若干中毒者っぽくておい大丈夫かみたいなとこあってちょっと面白いんだがそれはそれとして)機祖派の典型例になっていく、という流れで『ほろびたもの』で認識を変革しようというセクワさんの試みに一定の説得力を出すことに貢献してる。でも実際本当に中毒になってしまうとか人格が変容して二人の関係が壊れるとかそういうことはなくてあくまでそこは安全地帯で、最後も雨なのに行くのを呆れつつもセクワさんのところにいくコズを送り出してくれるんだよね。(半年間たぶん憑かれたように「泡」を開発してて、遂にできたから今すぐセクワさんのとこへ持っていく!!ってなってるわけですよ。普通はそれ送り出したらヤバいんですよ、配偶者としては。でも送り出せる。雨降ってるけど?とか言いながら。それがスウくんの器)
具体的に過去作品のどれからそう感じるんだよ、といわれたらわかんないけど。安全地帯的な機能とは違うけど関係のあたたかさみたいなのは「サブスクを食べる幽霊たち」でもそうだったかな��
「おねえちゃんのハンマースペース」のアピールコメントで「「今まで当たり前だと思わされていたものや他人から勝手に押し付けられたものにどう対峙するか」という話が好き」という話がされていて、その構造は本作も似てる意識があるよなと思った。(本作の方がかなりマイルドではあれ)人間性の前提破壊という意味で同じなので。https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/17plus1/4181/
そういえば「故人である母のまじないに囚われている」というモチーフも本作にも受け継がれていると言えるかもしれない。そして本作においてはセクワの父についてはいたのかどうかすら何も語られない!ワオ!
議論してみたいところ
コズが最後につくったオーデモシオンはほんとうに「機械知性の感情(の再現)」につながるのか?
個人的にはやや否定的なところがあるのでいろいろ聞いてみたい
もちろん、素直にうけとると、できそうにはみえるんですよ。ただ……
コズが『ほろびたもの』を体験している際のみごとな描写はたしかに身体反応から感情へのつながりに説得力をもたせている(し、おそらく現代の知見からいっても妥当性がありそうな)一方で、身体反応から恐怖や嫌悪、忌避感、自負や軽蔑への回路の詳細については、空想的な理屈をつけることはなく白紙のままになっている。あるいは討論会でのセクワの発表をみても、作中現在においてもはや機械知性なしの感情というのはありえないということが示される一方で、機械的身体/知性と人間的身体/知性の有機的なつながりがどうなっているかについては(セクワにとっては部分的に機械が「主」であるということ以外に)やはり詳しい言及がない
ここまではよいのだけれど、問題はこれらに絡む「身体感覚から感情への飛躍」というのが本作の最後のピースになっている(ようにみえる)ということ。コズはあくまで「可能性を示した」というだけにすぎず、セクワがどう受け取ってどんな選択を行うかは示されないというある種オープンな結末となっているところから、あえてこの「最後のピース」を埋めきらなかった作為のようなものを感じなくはないんですよね
想像力たくましいことを言ってしまうと、セクワによる強めの母の解釈を受け取ったコズが、分の悪い賭けに(師匠を信じて)賭け金上げてベットしている状況のようにみえるというか
もちろんこの見方をしたらしたでそれはそれでかっこいい終わり方ではある
最後ちょっと棚上げ感があったな。
後半の話の展開は心身問題の領域にもろツッコんでいるんだけど、そこの掘り下げを意図的にしていないというか、さらりと深入りを回避している感じはありますよね
そういう意味では「機械知性の感情(の再現)」につながるのか、っていうと、よくわかんない、と思うけど、「オーデモシオンの可能性がまだあることをセクワさんに示す」「セクワさんの感情を動かす」ことには成功したと捉えるべきかなと感じる(明確に成功したのかどうかは書かれていないオープンなエンドだけれども、涙の代わりに「オーデモシオンの液が滴っていた」が末尾なのは、そういうことなんちゃうの、と自分は思う)
コズは「機械知性の感情(の再現)」を目的としているというよりも、罪悪感を塗りつぶすことができずにオーデモシオン作りをやめて全てを廃番にしようとするセクワさんに、戻ってきて欲しい、自分の憧れの人はそんなじゃない、というエゴをぶつけてる方が主である、と自然に読んでたことに気づいたけど、ウェットすぎるか?
改めて読んでみると、ここはもしかして「想像する」というところに力点を置いてるのかもって気もしてきました。差別感情の話というか、いわゆる「共感」とつながってくるというか(ハント『人権を創造する』の書簡体小説→共感→人権みたいなあれがイメージとして近いのかもしれない)
実際のところ、コズもセクワも、セクワ母が「ほんとうに」どんな感情を抱いていたかは想像するしかない(現状2人とも人間知性と機械知性の混合なので)
罪の装いシリーズ後期作が存在しない罪悪感をつくりだすものであったことや、『ほろびたもの』がすでに存在しない感情から「ほんもの」の罪悪感を生じさせるとか、そのへんとの関連が気になってくる(という意味で、喪われたかどうかは二次的だったりしない?)
過去作との関連として、「サブスクを食べる幽霊たち」の、故人の意識そのものではないけど、でもある種「そのもの」としてとらえようとしてもみる、みたいな姿勢と似通っているところがあるのかもしれない。強引か!?!?
受け容れ力
そもそも、オーデモシオンが感情を再現する(体験させる)というのも、(日常語彙を雑に使うと)感情というより認識のレベルのような気がする。作中で一般的なオーデモシオンの例として「喜び」系統のライン、とかの表現が出てきて、それはまあ、素朴に感情なんだろうなと思うけど、「正方形を轢いた」「犬の絶滅」とかってその人の外側で起きていることであってそれを体験したときの感情って……そもそも単一の何か感情なのか。素の人間に対する差別感情、機械知性としての母の最後の感情、も似たような面があるのでは。
これらの高度な(?)オーデモシオンって、付与されたラベルが効果にとって必要なはずであり、言ってしまえばプラシーボ的な面が多分に有るのではないか。「ほろびたもの」のお披露目会がブラインドテストで行われたとき、オーデモシオンのプロたちでも「差別感情」という正解になかなかたどり着けなかったのもそれを示しているのでは。というか厳密に「素の人間への差別感情」にノーヒントでたどり着くのは不可能では?
実際本文中にも「身体的な反応が、文脈を通して感情を形作る」とある。「泡」は、あの時点でコズがセクワに対峙しているあの文脈の中でもって初めて機械知性としての母の最後の感情(の再現)を形作ることができるものであるはずだ(極端な話、直前の問答なしに、コズがサンプルをセクワに郵送して、セクワがそれを服用しても、同じ感情が得られるようには思えない)
という、ある種の師弟関係、憧れの人に対する完全オーダメイドの一撃必殺であるという解釈をしています
……みたいな狭い見方が「泡」のラストシーンについてはできる���というか自分はしてしまうんだけど、「ほろびたもの」はそれよりも広い効果、社会的変容を���定もたらしていることになっていて、その機序もそれなりの納得感があったりして、うーん面白いな色々考えられるなと思う
ヒトにおける感情は、人の肉体でおこる生体反応の機序に結びつき、感情→生体反応、生体反応→感情、の両方の経路で相互作用的、カスケード的に形成されると考える。「泡」によって生成されるのは、感情ではなく生体反応に終止しているように思える。素のヒトが知覚する生体反応(鼓動、体温など)に対し、機械知性が知覚する生体反応を「泡」は知覚させる。おそらくミナモトたちの時代にあっても、機械知性の感情は十分に認知されておらず、機械知性の感情を指し示す◯◯感といった語彙が存在しないのだろう。だから「泡」は、この時代の言語で語られる以上、「ほろびたもの」を評した「自負」や「軽蔑」といった感情を直接示す言葉で形容できず、感情以前の語=機械知性が知覚する生体反応の描写に終止せざるをえないのだ。
「機械知性の感情」が知覚され、表現されるようになるまで、ミナモト以後しばらく時代を経なければならないと考えられる。本作はその入口に立ったところで終わっている。その先へ進むには、「機械知性の感情」を記述する理論的基盤と、言語的基盤が必要になり、これを作家一人の仕事として行うのは多大な困難を伴うように思える。
1 note
·
View note
Text
2024年7月26日

8月15日に終わった戦争などない 「平和報道は9月にシフトを」(朝日新聞)
毎年8月にメディアにあふれる風物詩的な戦争・平和報道は、半ば揶揄を込めて「8月ジャーナリズム」とも呼ばれてきた。加害性の視点の欠如や、内容の定型化も指摘されて久しい。そもそも「8月15日=終戦日」という日本の常識自体が内向きの8月ジャーナリズムの産物で、国際的には非常識であり、世界との対話を阻んでいる――。そんな刺激的な議論を世に問うたのが、佐藤卓己・上智大教授(メディア史)だ。それなら本来の終戦日はいつなのか。先の戦争が人々の「記憶」ではなく「歴史」に変わりつつあるいま、私たちはそれをどう論じていけばよいのか。8月ジャーナリズムは乗り越えられるべき過去の遺物なのか。疑問をぶつけた。
「終戦の日」は8月ジャーナリズムの産物
――今年も8月を迎えます。8月15日をピークとした日本メディアの戦争・平和報道「8月ジャーナリズム」は、他者の存在と降伏の事実を忘却したものだと指摘し続けてきました。
「1945年8月15日に終わった戦争は存在しないからです。日本が連合国にポツダム宣言受諾を伝えたのは8月14日ですが、15日は、どの前線でも戦闘が続いていました」
「『終戦』は相手国のある外交事項です。米戦艦ミズーリ号で降伏文書に調印した9月2日が国際法上の終戦日であり、翌3日をロシアも中国も対日戦勝日としています。交戦国ではなく、あくまでも『臣民』に向けた昭和天皇による終戦詔書の放送、いわゆる『玉音放送』があったに過ぎない日を節目としていること自体、極めて内向きの論理に基づいています」
「そもそも、千島列島や旧満州は8月15日以降もソ連軍の侵攻を受けており、終戦どころではない。放送局が破壊され物理的に『玉音』体験が困難だった沖縄も同じ。ゲリラ戦を続けていた残存在沖日本軍が降伏文書に調印したのは9月7日で、アジア各地の日本軍が降伏したのも9月2日以降です。『8.15=終戦記念日』は、沖縄や外地の邦人、南方の戦地に取り残された兵士らの記憶を捨象し、周縁化することで成立しているのです」
「8月15日が終戦日と明記されたのは1963年の閣議決定で、その正式名称『戦没者を追悼し平和を祈念する日』が決まったのは、連合国軍総司令部(GHQ)が廃止されてから30年も経った1982年です。今ではそのことを知らない人がほとんどでしょう」
「創られた記憶」に基づくエモい報道
――「8.15=終戦の日」という日本人の「記憶」自体、8月ジャーナリズムの産物だとも指摘しています。
「8月ジャーナリズムが確立されたのは戦後すぐではなく、多くの新聞が終戦10年特集を組んだ1955年です。この時の紙面に掲載された、玉音放送を流すラジオの前でうなだれたり泣き崩れたりする国民を写したとする新聞写真は、実は撮影日時や状況が不確かなものや、『やらせ』も含まれていました。宮城(皇居)前でひざまずく人々の姿を伝える1945年8月15日の記事も、見てきたように書かれているものの、多くは予定稿に基づくものでした」
「また日本人の多くは、あの日を『じりじり照りつける太陽の下』の出来事として記憶しています。『暮しの手帖』の花森安治は『あの日は誰でも知っているように日本じゅうがたいへんな晴天で(略)非常に暑かった』と書いています(『一億人の昭和史』第4巻)。ですが、東北は曇りだったし、北海道の一部は雨でした」
「記憶のウソは『8.15』だけではありません。8月6日も、国民的な平和反核運動の起点となるのは戦後すぐではなく、独立回復で原爆報道の統制が解かれた後、1954年の第五福竜丸事件以降です。広島市生まれの私の記憶では、被爆者への差別はかなり後々まで残っており、被爆体験は完全に自由な語りの中にあったわけではなかった。しかし、放射能雨や放射能マグロの恐怖とともに、広島と長崎という地方都市の悲劇が突如、国民的な原水禁運動の『起源』に据えられたのです」
「8月前半に集中する戦争回顧の報道をつぶさに調べてみると、いかに『創られた記憶』が多いかに、驚きます。通常の報道をする際には当たり前の真偽の検証すら不十分という点で、8月ジャーナリズムは『ジャーナリズム』の名にも値しないものが少なくありません。昨今、ネット上の『エモい』記事に対する批判が高まっていますが、伝統芸能化した8月ジャーナリズムの多くも、残念ながらそれに陥ってしまっている」
「戦後長らくメディアが作り上げた『記憶』は、引用や孫引きが繰り返されることで、国民の集合的記憶=体験として歴史化していく。それはもはや『神話』と言えます」
「8月革命論」と「記憶の55年体制」
――その「神話」が浸透・定着したのには、戦後の政治・思想空間が大きく作用していたようですね。
「戦後憲法に深く共感した政治学者の丸山真男は、1945年8月15日に日本が国体の呪縛から解放され、人民主権への変革が起き��とする『8月革命論』を唱えました。一方、保守派は天皇の御聖断によって戦争が終結し国体も護持されたという物語を信じてきた。これらは正反対に見えて、左右のイデオロギーが背中合わせにもたれかかる心地よい均衡であり、双方が『降伏』に目を背けることで一致した『記憶の55年体制』とも言うべきものです」
「『8.15』を境に日本に『自由なる主体』が生まれたというのは、明らかに虚妄です。丸山はそれを承知のうえでその虚妄に賭け、8月ジャーナリズム最大のイデオローグとして戦後言論界に君臨しました」
「しかし、戦前と戦後の断絶を設定する『8.15神話』は、両者の連続性を隠蔽する効果をもたらしてきました。その意味で、8月ジャーナリズムは『戦争の記憶』ではなく、『戦後の忘却』の上に存在しているのです」
「戦前」と「戦後」の断絶史観、世界と乖離
――世界との対話を阻む障害となっている8月ジャーナリズムではなく「9月ジャーナリズム」を展開すべきだと提唱しています。
「私はメディア論の学者なので、報道や言論の『内容』だけでなく『効果』に関心があります。内容の真偽や善悪を問題にするジャーナリズム論に対し、効果の程度や射程を問題にするのがメディア論です」
「終戦の日に首相や天皇が反省の弁や世界平和を口にしても、靖国神社に閣僚が参拝する報道とともに伝われば、本心では反省していないと世界からは見られます」
「8.15終戦記念日は、周辺国との歴史的対話を困難にしてきました。いくら私たちが戦後の象徴たる平和憲法にコミットする姿勢を示しても、その前提となる内向きの『あしき戦前』と『良き戦後』の断絶史観は外国と共有されていない。外部の他者に開かれていない空間で、いくら自己反省を繰り返しても、対話なきゲームです。『8.15』をリセットタイムとする日本史において、『戦後』は世界史との経路を遮断され、その記憶は自閉化されています」
「本当に世界史への接続を考えるなら、7月7日(盧溝橋事件)や12月8日(真珠湾攻撃)を国家的記念日にしてもよいでしょう。でも、そんな試みはほぼありません。だったら、8月ジャーナリズムを9月にシフトし、世界標準の終戦日である2日、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約の調印日である8日、そして満州事変が勃発した18日まで、新学期の教室でも議論できるものにすべきです」
「もっと言うなら、私の提唱する9月ジャーナリズムは、8月29日から始まります。何の日かご存じですか?」
――……。
「日韓併合記念日です。この日を国恥日としている朝鮮半島だけでなく、戦後しばらくは日本人もみな覚えていましたが、今やすっかり忘却されています。9月1日の関東大震災後の朝鮮人虐殺も、植民地支配を背景にしたものです。戦争と平和についてさらに広く考えるなら、米同時多発テロが起きた『9.11』や、戦後70年の節目だった安保法制の成立日(9月19日)も射程に入れてもよいでしょう」
戦没者追悼と歴史的対話、記念日の分離を
――8月ジャーナリズムは内容的にも、被害や受難の語りに偏重してきたと言われています。
「8月6日や9日、あるいは空襲や引き揚げ、特攻や玉砕の体験は、紛れもなく悲劇の記憶です。それを前提にする限り、報道やドラマの内容が『犠牲』に偏るのは避けられない。侵略や植民地支配の加害性を見つめなくてはいけない、といくら主張しても戦災者には響かないし、この語りの傾向を変えるのは難しいでしょう。お盆の8月15日は、戦前から慰霊と供養の日としても定着していました。宗教的追悼と政治的議論を同時に行うことは、ふつうの人にはなかなかできることではない」
「だから私は、終戦の日を二つに分け、8月15日を『戦没者を追悼する日』、9月2日を『平和を祈念する日』にすべきだと訴えています。8月15日はこれまで通り死者に祈りを捧げ、9月2日は戦争責任や加害の事実に冷静に目を向け、諸外国と歴史的対話をする日にする。政教分離の観点からもそれがよいでしょう。その意味では、9月ジャーナリズムは8月ジャーナリズムの全否定の上にあるわけではなく、その内向きさと情緒性を省みたうえで、理性的で対話的な新たなジャーナリズムを構築する試みです」
歴史対立踏まえ、未来志向のジャーナリズムへ
――戦後生まれが人口の85%を超え、戦争の記憶の継承が課題です。「新しい戦前」というきな臭い言葉も飛び交っています。
「今は『記憶の歴史化』の潮目です。平均寿命に近い80年という時間の経過は、生存者の反証を物理的に不可能にします。そのため、『戦争の記憶』は『記憶の戦争』の中で再編されていく。それは、事実関係よりも表現の効果に人々の関心が向けられていく時代に、今後は突入するということです」
「すでに近年、終戦や戦争をめぐる『歴史のポリティクス』は過熱しています。中国は従来、靖国参拝問題などで歴史カードを切れる8月15日を重視してきましたが、日中の経済力が逆転した2010年代以降、改めて9月3日を抗日戦争勝利記念日と明確に定めました。ロシアも昨年、9月3日を『軍国主義日本に対する勝利と第2次大戦終結の日』と名称変更し、ウクライナを支援する日本を強く牽制しました。歴史戦や情報戦という不穏な言葉を使うのは適切ではないでしょうが、私たち自身が内向きな『記憶の55年体制』に閉じこもっている限り、こうした他国の功利的な歴史利用に対峙することはできません」
「情緒的で紋切り型の8月ジャーナリズムがもたらしてきたものは、現代の戦争や安全保障問題に対するイメージの貧困化です。日本人は『豊かで平和な戦後』において、米国の核の傘の下、周辺国との敵対性を無視することができました。しかし、国家利害の対立が深まるなか、現実に目を背けることは、あまりに反政治的です」
「外交とは、敵対性を討議性へと開く技術です。歴史の対立が存在することを前提に、それならどのような対話が可能なのか、私たちは模索し続ける必要がある。戦争の記憶の問題にメディアが果たす役割とは、本来そうした未来志向のものでなければならない。だからこそ、他者と向き合うための9月ジャーナリズムが必要なのです」(聞き手・石川智也)
佐藤卓己 さとう たくみ 1960年生まれ。上智大教授、京大名誉教授。専門はメディア史、大衆文化論。著書に「『キング』の時代」「言論統制」「八月十五日の神話」「輿論と世論」など。

広島原爆の日の式典、周辺での「平和運動」を締め出しへ 公園一帯で「入場規制」、プラカードやのぼりは禁止(東京新聞)
8月6日の広島市の平和記念式典で、原爆ドーム周辺を含めた平和記念公園の全域に入場規制を広げる市の方針が波紋を広げている。メイン会場から離れたエリアも手荷物検査を受けないと入れず、プラカードやのぼりの持ち込みを禁止。安全対策を理由とするが、法的根拠はなく行きすぎた表現規制との懸念も。背景には近年の平和行政の変質も指摘される。(山田雄之、山田祐一郎)
◆物議を醸した「園内での禁止行為」
広島市は5月、平和記念式典で、入場規制エリアを昨年まで対象外だった原爆ドーム周辺を含む公園全体に広げる「安全対策」を発表した。当日午前5〜9時に入場規制し、6カ所のゲートで手荷物検査を行うとした。
広島市の平和記念公園で、松井一実広島市長(左から5人目)から説明を受けるG7首脳ら=2023年05月
これに加えて物議を醸したのが園内での禁止行為。「式典の運営に支障を来す」としてマイクや拡声器のほか、プラカードや横断幕の持ち込み、はちまきやゼッケンの着用まで禁じ、従わなければ退去を命令することがあるとした。
規制強化の理由としたのは昨年の式典の際、原爆ドーム周辺で市職員に活動家の集団が腕を組んでぶつかるなどした「衝突事案」だ。5人が暴力行為法違反の疑いで逮捕、起訴された。
松井一実市長は記者会見で「参列する市民の安全を最優先に考えての措置」と強調。「原爆ドームや供養塔の周辺で毎年、慰霊に関する行事をしている団体もあると思うが」と問われると、「今までのような集会はできなくなるかと思いますね」と淡々と応じた。
◆「核廃絶の思いを自由に伝えたいと考える人は多い」のに
被爆者たちの受け止めはさまざまだ。広島県原爆被害者団体協議会の箕牧(みまき)智之理事長(82)は「こちら特報部」の取材に「騒動を起こす人がいることも事実。犠牲者を追悼するために厳粛に式典を行いたい。規制は仕方ない」と理解を示す。一方、もう一つの県被団協の佐久間邦彦理事長(79)は「祈る場所は必要以上に制限されるべきではない。反戦や核廃絶の思いを自由に伝えたいと考える人は多い」と話した。
6月上旬、日本ジャーナリスト会議(JCJ)広島は「ゼッケンなどの着用禁止は表現の自由に抵触する。取り消すべきではないか」と市長あての質問状を出した。JCJ広島幹事の難波健治さん(76)は「そもそも式典を巡る問題は騒音だった。いつのまにか安全の問題にすり替わった」と強調する。
◆「条例は関係なく法的根拠はない」
どういうことか。会場周辺のデモで拡声器が使われたことを受け、市が2019年に参列者に行ったアンケートでは、音が聞こえたという人の約6割が「式典に悪影響がある」と回答。市議会は21年、議員提案された「市民の理解と協力の下に、厳粛の中で行う」と定めた市平和推進基本条例を賛成多数で可決した経緯がある。ただ「厳粛」の具体的な規定はなく、県弁護士会などは「市民の表現を萎縮させる」と懸念を示していた。
公園からの退去などを市民に強制できる根拠はあるのか。市の市民活動推進課の担当者は取材に対し、手荷物検査や禁止行為による退去命令���ついて「条例は関係なく法的根拠はない」と断言。「安全な式典にするための必要最小限の規制。表現の自由を制限するとは思わず、あくまでご協力いただくもの」と述べた。プラカードなどを使って平和や核廃絶を訴えたい人については「規制終了後や公園外でしてほしい」と話した。
◆「ここまであからさまな表現の自由の制限は…」
デモの音量に対する「騒音規制」の問題だったはずが、いつの間にか目的が「安全対策」にすり替わったという今回の出来事。広島大の田村和之名誉教授(行政法)は「別の場所から大音量が発せられる可能性があり、騒音問題の解決になるのか疑問だ」と話す。
「式典が安全に行われることに異論はないが、論理の飛躍だ。差し迫った危険の発生が具体的に予見されるわけでないのに、短時間とはいえ拡声器やプラカードといった表現活動を禁止するのは言論の自由や集会の自由の制限に当たる」と憲法違反を指摘する。その上で「ここまであからさまな行政による表現の自由の制限は最近、目にしたことがない」とあきれる。
松井市長は5月の会見で、衝突事故の再発防止のため、式典会場外の区域も式典会場と位置付けて規制する考えを説明した。田村さんは「式典として使用実態がない場所は自由利用が原則であり、市長の説明は詭弁だ」と批判。都市公園法の原則に反し、正当な理由なく住民の公共施設利用を拒んではならないとする地方自治法にも違反するとした上で「屋外の平和公園で式典を行う以上、騒音は避けられない。行政が必要以上に規制すれば、異を唱える人を排除することになる」と危ぶむ。
◆広島の平和行政が変質していないか
2023年度に差し替えられる前の平和教材の「はだしのゲン」のページ
近年、広島の平和行政を巡っては平和団体が懸念を示す問題が相次いできた。広島市教委は、平和学習教材に引用掲載してきた漫画「はだしのゲン」や、1954年にビキニ環礁で米国の水爆実験で被ばくした「第五福竜丸」の記述を2023年度から削除。市民団体が実施したオンライン署名では、約半年間で削除に反対する声が5万9000筆以上寄せられた。
昨年6月には広島市の平和記念公園と、旧日本軍の真珠湾攻撃を伝える米パールハーバー国立記念公園が姉妹協定を締結。同年9月の市議会で市幹部が、米国の原爆投下の責任議論を「現時点では棚上げにする」と答弁し、被爆者団体などから批判を受けた。今年の式典を巡っても、パレスチナ自治区ガザへの攻撃を続けるイスラエルを招待する方針を表明。ウクライナ侵攻以降、招待していないロシアへの対応との違いを「二重基準」と会見で指摘された松井市長が声を荒らげて否定する場面もあった。
「根拠やプロセスを説明しないという松井市長の政治姿勢が年々、顕著となっている」と指摘するのは広島市立大の湯浅正恵教授(社会学)。「行政は法律や条例の規則に基づいて政策決定をするべきなのに、納得できる説明がない状況が続いている」。7月には突如、来年以降の式典招待国の基準も見直す考えを示した松井市長。湯浅さんは「近年にない特殊な状況」と受け止める。
◆「アメリカ��ご希望に沿う岸田首相、追従する広島市」
平和記念公園で記念撮影に納まるG7首脳ら=2023年5月
「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」は先進7カ国(G7)広島サミット後の昨年7月、「広島市平和行政の変質を問う声明」を発表し、現状への危機感を訴えた。
共同代表を務める森滝春子さん(85)は「広島市の平和行政の変質は、原爆被害が見えなくなることを望む米国に沿った岸田首相の政策に、市が追従していることによって起きている」と危ぶむ。「G7の広島ビジョンも米国の核の傘の下での核抑止論を肯定する内容。その場所に広島が利用された」と批判する。
今回の入場規制が原爆被害の実相を伝える上での悪影響を及ぼすのではないかと懸念する。「世界や日本から原爆被害者を悼みに来るのに、法的根拠なく入場を厳しく規制すれば、近づかない方がいいという人が出るかもしれない。被爆者が減る中、マイナスの効果しかない。それを止められないのは歯がゆい思いだ」
◆デスクメモ 前に公園内の韓国人原爆犠牲者慰霊碑に足を運んだ。日本は米国の原爆の被害者だが、アジアとの関係では加害者でもある。立場の違いも含め原爆の実相を知り、犠牲者を悼み、核なき世界を願う場と思ってきた。戦後79年の夏空に「NO WAR」と掲げられる公園であってほしい。(恭)
0 notes
Text
暮しの手帖(5世紀29号)

暮しの手帖(5世紀29号 2024年3月25日 発売)の「随筆」というコーナーに寄稿しました。
タイトルは「小泉八雲との有縁」です。
機会があれば、ご一読下さい。
そして、この場でひとつ、情報を解禁します。
8月末に、大人向けの翻訳小説を出版します。
『黒い蜻蛉(とんぼ) 小説 小泉八雲』というタイトルです。
私の去年1年間(2023年)は、小泉八雲だったと言っても過言ではありません(現在も推敲中ですが💨)。その1年のエッセンスをギュッと凝縮させて、本の完成前に『暮しの手帖』に掲載させてもらいました。これを読んで、本小説に興味を持っていただけたら、これからの続報を楽しみにお待ち下さい!
✼••┈┈┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈┈┈••✼
黒い蜻蛉 小説 小泉八雲(8月27日 発売予定)
ジーン・パスリー /著
小宮由 /訳
佼成出版社
✼••┈┈┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈┈┈••✼
暮らしの手帖
小泉八雲
ラフカディオハーン
こみやゆう

0 notes
Text
選択肢はいらねえな作れ
心が世界だ。タイトル、引用ともに波羅夷空却の「そうぎゃらんBAM」より。この歌……好きなんだ、すごく……。ありがたい、私の人生を賛歌してくれる曲であります。空却ってそういうところがいいよな、坊主(僧)だからなのか、なんか、説教つーか、先生じみてるところが良い。最初から人を導こうという構えがある。そういう人によく惹かれる。誰かに自分の持てるもの全て与えよう(伝えよう)、自分がいなくなっても大丈夫なように。というスタンスの人。自分の終わりを前提とした教育家。みたいなこと?
スナックの体入に行き、結局今日の本入店は蹴った(連絡はした)。ママもキャストの女の子もみんないい人で、向上心があって、雰囲気が良くて、お客様の層も面白そうだったが、でも、だめだ。と思った。なんというか、夜職の厳しさにもうついて行く体力や瞬発力がない。とくにスナックは1人で団体を回すことが多そうなので(面積が狭くキャストが少ないため)、それを考えると、私のかなり苦手な1:多になる上に(人に対して気を使いすぎるため、同時に脳が処理できる相手人数はせいぜい4~5人)、絶対ここにいるの私じゃなくていいよな、というか私じゃない方がいいよな、が発生するので、そのマイナス点のために、無理だ!となった。そして、体入でわかったことだが、女の子の容姿のレベルが高すぎる。スナックってこんな感じ!!?ガチの「いい女」しかいないけど!!??となり、自分の容姿ではコンプレックスを持ち続けるだろうし、太っていることがまた苦しくなるだろうと思った。そして、時給換算したら初日なので仕方がないが1500円程度だったため、こんなに辛い思いをしてまで、わざわざ教育システムの鬼すぎる夜職をする必要はない、と思った。すでに時給の高い(1500〜2000)医療系テレオペのアルバイトに応募し、書類が通ったので金曜日に面接を受けてくる。かなり時給が高いので業務内容はハードかもしれないが、昼職のほうがまだ耐えられる気がする。とにかく今の私は容姿にかなりのダメージを負っている(適正体重+8kg、BMI25、肥満度Ⅰ)ので、その舞台に乗りたくないという気持ちが強かった。受かれば勤務開始を12月からにしてもらい、3月まで粛々と稼ぐしかない。大学編入学を前提としているが、お金のことを考えると、受からない方がむしろいいのかもしれない。しかし、大局的に考えれば、やはり私には大学で被虐待児童の児童相談所「以降」の人生について調査し、社会に訴える必要がある。これは個人的な復讐や自分への救済ではない。私はそもそも誰が聞いても「虐待だ」と思えるほどの仕打ちを受けていないし、もはや記憶もおぼろだし、自分は元被虐待児童といえるかと言われれば、��れはかなり微妙なラインだと思う。ただし、家庭内が安全な場所ではなく、そのストレスで精神疾患を15歳で発症し、その後の10年間の健康で文化的な最低限度の生活を親に潰された人間として(未だに健康とは程遠いが)、周りの友人たちの自殺未遂や被虐待が他人事とは思えなかった。友人たちの世話や手助けに関しては、それを自分の支えともしていた(自分より力のない者を守るために立っていられた)が、ここから先は、抽象化された大勢の「友人」たちのために、この問題に気づいてしまった自分が「やらなければならないこと」だという気持になっている。何をどうしても体が勝手にやってしまうこと、自分がそうするようになぜか動いてしまうこと、それは私にとっては「自殺するまでに精神疾患を悪化させた、元被虐待児の友人のケア」であり、そのような人々がこの世に大勢いることの、世間への周知である。やりたいとかではなく、明確に「やるべきだ」と感じている。他でもない私がやるべきだと感じている。他に既にやっている人がいるなら嬉々としてその人の著書を紹介するが、残念ながらこの分野ではまだ「世間に轟く」ほどの影響力を持った書物はない。とにかく話題にしなければ。確かなエビデンスをもって。何が問題なのか明確にしなければ。解決策がわからなくても問題提起はしなければ。それを強く思う。ということでちゃんと大学に受かるように勉強をすべきだし(あと7日)、受かったあとに暮らしていけるだけのお金を作らなければならない。
今日は久しぶりに本を買った。全くもって買っている場合ではないのだが、以前から中を見たいと思っていた『モヤ対談』(花田菜々子)を書店で立ち読んだら止まらなくなり、観念して買った。左川ちか特集の現代詩手帖11月号も、結局買った(これは井戸川射子さんの連載している詩がよすぎて買って帰ってしまった。左川ちかの特集も少し読んでいるがとくに翻訳に関して面白い。きちんと左川ちかの詩を読んだことがないので、対訳の新刊が気になっている)。モヤ対談は、出会い系で出会った70人にそれぞれ読んでほしい本を薦めてみた、という感じのタイトルの本の著者で有名になった花田さんが、様々な分野の方の著作をテーマにその人と対談した連載のまとめ本。花田さんのこの世を生きるセンスは抜群だな、と思う。様々な書店を転々とした、とあるが、たぶん(私と違って)社員を経験しているのだろう。セレクトしている本もすごく良いので、「現代日本」と向き合うための真摯なブックガイドにもなっている。このモヤ対談を読んで、テーマに挙がっている、対談相手の著作を読みたいと強く思った。まだ全部は読み切れていないが、対談、かつ頭に入る時にノイズの少ない、軽快で明晰な対話を拾い上げてくれているので、どんどん読み進められる。
字書き同人女の日記、として話題になったらしい(と友人が教えてくれた)『罪悪感にさいなまれた日曜日の夕方は散歩に出ると良い』という同人誌(デカダンス川崎さん)をBOOTHで購入し、一昨日には届いていたと思う。とくにどこから読むとは決めずに好きなところを拾い読みしていて、人の日記を読むのが好きだなあと改めて思った。
書きたいことがまだまだあるが今一瞬寝ていた。夢の中で金原ひとみの『蛇にピアス』のラストのことを思い出していた。寝ます。
2023.11.21
1 note
·
View note
Text

1月25日(土)open 12-18
昨日は、初めての本・中川で読書会を開催した記念すべき日でした。 常連の方から、遠方からわざわざ初めて来てくださった方、お近くの方々が参加してくださって、小さく親密で、とても良い会だったと思います。 お茶の提供をひだりてさんが協力してくれました、ありがとう。 私はお店の営業があったので、会の様子をちらちらとのぞきに行くことしかできませんでしたが、終わった後の島田さんや、参加者の皆さんの表情や様子を見ていると、とっても良い���間になったことは間違いないのだろうなぁと伝わってきました。 お店の中に新しい、柔らかな風が吹いたような、そんな時間。 二十年教室の島田さん、そしてご参加くださった皆々さま、本当にありがとうございました。 昨日はそんなこんなで一日中ばたばたとしていたため、今日改めて『暮しの手帖』を広げて「編集者の手帖」を読み始めて、手が止まりました。 わからない、ままならないことの多いままにオープンし、突き進んで来た本・中川ですが、2019年から暮しの手帖社さんとのご縁ができ(きっかけを振り返ってみると、画家の牧野伊三夫さんでした...忘れていた!)その頃から、本屋らしくなれたように思います。 一人の店で、同僚や先輩はいないので、暮しの手帖社の皆さんや、ちょうどその頃から編集長となった北川さんに対しては勝手に頼れる先輩のような親しみを持った感情を抱いていました。 いつも発売日に届く『暮しの手帖』は、楽しい記事、ためになる記事、今後も何度も読むだろうな、という記事を読者として楽しみにしているのはもちろん、北川さんの「編集者の手帖」の言葉にはいつも背中を押され、本屋として何度も勇気をもらってやってきました。 その北川さんが編集長を「卒業」されることが、今回の号には書かれています。 もちろん、今後の暮しの手帖も楽しみだということは間違いないのですが、なんだか「どうしよう....」とおろろしてしまう自分がいるのです。 誤解を恐れずに書いてしまうと、一時、暮しの手帖離れをしていた私にとって、北川さんの掲げた「丁寧な暮しではなくとも」という言葉は、こっちで大丈夫、という指針のような、心のお守りのようなものでした。 本当にありがとうございました。 こんなことをここに書いてどうなるものでもないことはわかっているのですが、今日は一日中そんな気持ちが払拭できず、気がつけば夕方。 2月の西荻窪 もりのことで開催される「勝手に暮しの手帖まつり」に飛んでいきたい気持ちです... (詳細は暮しの手帖でライターをされいてる渡辺尚子さんの投稿で....)
写真は呆然としたまま撮ったカウンターの写真です。
2 notes
·
View notes
Text
宇壽山貴久子 新作展『HOW MANY DAYS?』

2024年2月14日(水)から3月4日(月)まで、twililightにて宇壽山貴久子 新作展『HOW MANY DAYS?』を開催いたします。これは2020年春から2023年にかけて撮影した写真とテキストで構成される展覧会となります。会場では写真集『HOW MANY DAYS?』とプリント作品を販売するほか、ライブやトークイベントなども予定しております。
お誘い合わせの上、ぜひともお運びくださいますようお願い申し上げます。
---
会期:2024年2月14日(水)ー 3月4日(月)
開催場所:twililight
住所:世田谷区太子堂4-28-10 鈴木ビル3F&屋上
営業時間:12:00 ー 21:00
休業日:2月20日(火)、21日(水)、22日(木)、27日(火)
--
《会期中イベント》
2月16日(金)
*定員に達したため、キャンセル待ちの受付です!
北里彰久ライブ&作者によるギャラリートーク
開場:19:00 開演:19:30
定員18名
料金:2500円(+1ドリンクオーダー)
--
2月17日(土)
トークイベント:岡本仁 + 宇壽山貴久子
開場:19:00 開演:19:30
定員20名
料金:2000円(+1ドリンクオーダー)
--
受付開始:1月14日(日)0時から
件名を「2月16日イベント予約」もしくは「2月17日イベント予約」とし、お名前(ふりがな)、ご予約人数、ご連絡先を明記の上メールをお送りください。
*このメールアドレスが受信できるよう、受信設定のご確認をお願い致します。2日経っても返信がこない場合は、���惑フォルダなどに入っている可能性がありますので、ご確認ください。
--
プロフィール
宇壽山貴久子(うすやま・きくこ)

1999年にニューヨークで写真家として活動を開始、現在東京在住。ポートレート撮影などの他、様々なテーマで作品を発表している。2002年『犬道場』で写真新世紀奨励賞。『暮しの手帖』連載を書籍化した『ワンピースのおんな』(2021 草思社)、『SAME TIME NEXT YEAR』(2019)など。
--
北里彰久(きたざと・あきひさ)

2009年よりフリーフォームなソロユニットAlfred Beach Sandalとして活動開始。2019年のアルバム『Tones』より現在の名義。2023年、最新アルバム『砂の時間 水の街』を発表。ブラジル音楽やブルース、ソウルなどから影響を受けた独自の日本語ポップスを奏でる。酩酊と素面の間
--
岡本仁(おかもと・ひとし)

北海道生まれ。 マガジンハウスにて『BRUTUS』『relax』『ku:nel』などの雑誌編集に携わる。2009年よりランドスケーププロダクツに所属し、コミュニティづくりやコンセプトメイキングを担当。主な著書に『果てしのない本の話』『東京ひとり歩き ぼくの東京地図』『また旅』『HERE TODAY』『ぼくのコーヒー地図』など。
---
展示について
本展覧会は、2023年7月に刊行した作品集『HOW MANY DAYS?』から選んだ写真と、制作途上の『15歳と20歳のポートレート(仮)』などで構成する予定である。
2020年4月、最初の緊急事態宣言が発令された数日後、近所でたけのこを買った。茹でる前に突然撮影しようと思い立ち、白い紙に並べ、窓からの光で撮った。その時「いつまで続くのだろう?」という言葉が頭をよぎり、“How many days?”を仮タイトルにしてとにかく撮り始めることにした。3年後、空(くう)に何かを描くように撮った写真と、日記のようなテキスト、コロナに罹患した友人数名へのインタビュー、途中で始めた15歳と16歳のポートレートなどで一冊の本を作る。いつか読み返す時までそっと土に埋めておくノートを残すように。仮の題名はそのままにした。
2022年春、自分と最も縁のない十代半ばの人々にいちばん好きな服を着てもらい好きな場所で撮る試みを開始した。5年後にも再び同じ人を、その時点で好きな服、好きな場所で撮る約束をして。『ワンピースのおんな』(2021 草思社)はお気に入りの一着を身に着けた50歳以上の女性をモデルとした作品だ。この手法を部分的に継承しつつ、まったく異なるものになるだろう。
独り言だった“How many days?”に、“until you grow up”という一節が加わり続いていくことになった。月日が流れる間、わたしの知らないところで被写体にいろいろなことが起こるかもしれないし、起こらないのかもしれない。その5年後を見ること。そして、5年後に5年前の写真を見ること。ふたつの視点によってもたらされるものはあるだろうか。
宇壽山貴久子
--
写真集『HOW MANY DAYS?』
写真、文:宇壽山貴久子 / セルフパブリッシング / 184mm × 260mm / 124P / ソフトカバー
発行日:2023年7月12日
価格:3850円(税込)


0 notes
Photo

#今日拾った言葉たち #武田砂鉄 #暮しの手帖社 ライター・ラジオパーソナリティとして活躍中、暮しの手帖での人気連載をまとめた充実の一冊。 本を読み、新聞を読み、テレビを見て、ラジオを聞いて、街中の声に耳をそばだて、自分が気になって拾った言葉を、これってどういうことなのか考えて綴る。 YouTubeでいうところの"切り抜き"にプラスしてなかなか痛快な批評が繰り広げられ、どこからでも読み進められる、隙間時間読書向けでしょうか。 LIS摂田屋2F(@lis_nagaoka )にて販売中📕 ・ ・ ・ #ブックスはせがわ #書店 #本屋 #移動本屋 #移動販売 #移動販売車 #bookknock #LIS摂田屋 #雑誌 #書籍 #写真集 #文庫 #漫画 #絵本 #児童書 #エッセイ #小説 #magazine #book #新潟県 #長岡 #bookstore (Food & Lifestyle Store LIS) https://www.instagram.com/p/Ck5MnQvr-lt/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#今日拾った言葉たち#武田砂鉄#暮しの手帖社#ブックスはせがわ#書店#本屋#移動本屋#移動販売#移動販売車#bookknock#lis摂田屋#雑誌#書籍#写真集#文庫#漫画#絵本#児童書#エッセイ#小説#magazine#book#新潟県#長岡#bookstore
0 notes
Photo

【7日間ブックカバーチャレンジ】Day 4 いつも通りにホームベーカリーで食パンを焼いたつもりが、出来上がったらフランスパンだった。 用意をした昨夜のことを思い返してみると、どうにもバターを入れた記憶がない。 外側がカチカチの、ザクザクした舌触りのパンは、それはそれで家族には好評で(娘は抜けかけのグラグラの歯にはつらいと言ってたけど)、なんだか可笑しくてひとりで笑ってしまった。 同じような毎日のような気がしていても、暮らしの中には季節の変化や喜びと驚きがあって、それが日々を暮らしていくってことだよなあと思う。 祖母の家に何冊もあった「暮しの手帖」から生まれたこの本を読むたびに思い出すのは、いつも台所に立っていた祖母や母のこと。 私もそんな風になれるかなあ。 「すてきなあなたに」暮しの手帖社 #bookcoverchallenge #book #bookstagram #7days #7dayschallenge #暮しの手帖社 #すてきなあなたに #kitchen #台所 #本 https://www.instagram.com/p/B_mTnCphiJs/?igshid=1ixhpyjuo2zje
0 notes