#最上稲荷山妙教寺
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Inari Daimyōjin (稲荷大明神) as a goddess riding a fox from Saijō Inarisan Myōkyōji Temple (最上稲荷山妙教寺) in Okayama City, Okayama Prefecture
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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造営時は日本一の高さを誇った高松稲荷大鳥居 昭和47年に造営され高さ27.5mで日本4位の高さです この鳥居の造営後、彌彦神社、大神神社、熊野本宮大社が次々と記録を塗り替えていきました ちなみに高松稲荷以前は名古屋の豊国神社、平安神宮、出雲大社が日本一でした この鳥居はもちろん寺院の中では最も高い鳥居です #神社巡拝家 #最上稲荷総本山妙教寺 (最上稲荷大鳥居) https://www.instagram.com/p/CTswI20BpHq/?utm_medium=tumblr
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#japan #okayama #okayamashi #takamatsuinari #bicchutakamatsu #saijoinari #temple #tree #sky #winter #日本 #岡山 #岡山市 #岡山市北区 #高松稲荷 #備中高松 #最上稲荷 #妙教寺 #寺 #木 #空 #冬 #OEN #oenproduct #おえんぷろだくと (at 最上稲荷山妙教寺) https://www.instagram.com/p/Bs9P4EslQsB/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1hzi6052t2uc6
#japan#okayama#okayamashi#takamatsuinari#bicchutakamatsu#saijoinari#temple#tree#sky#winter#日本#岡山#岡山市#岡山市北区#高松稲荷#備中高松#最上稲荷#妙教寺#寺#木#空#冬#oen#oenproduct#おえんぷろだくと
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アートフェスティバル/震災/少女像

8月上旬。仙台出張から足を伸ばして石巻市へ向かった。
目的はリボーンアートフェスティバルの志賀理江子である。 私には3.11が何年前の出来事だったのかさえわからない。
震災を黙殺する
業務を終え、仙台駅で車を借り、石巻を目指してアクセルを踏む。 自分が3.11を無視し続けてきたことについて、高速道路で140km/hの恐怖に手汗をかきながら考える。ハンドルを切り間違えて塀に衝突する様を想像しながら、震災のことを思う。「考える」ができるほど知識がないので、ただただ、思う。無視し続けてきた長い時間のことを思う。
青い案内板に気仙沼の文字が現れると、びく、と体がこわばった。何も知らない私ですらその土地がその場所だと知っている。 今、私が土地の名を見て胸を痛めているのは欺瞞にすぎないかもしれない。それでも胸は痛み、泣きそうになって眉根を寄せた。 これは悼みではないかもしれない。これは後悔と恥の苦痛かもしれない。私はどこまでいってもみっともないほど自分本位のはずで、涙する権利をもっていない。
高速道路を降りると景色は一気に変わり、のどかな山の緑と広々と若稲を揺らす水田に囲まれた。新しく造られたらしいきれいな二車線道路をゆるゆると走る。 すれ違う車のほぼ半数が大型トラックだった。車体の正面に目立つオレンジ色のゼッケンをつけている。漁港や道路を修繕するための資材を載せている旨が書かれていた。すれ違うたびに、うおんと車体が揺れる。

アートフェスティバルの小積エリアをめざして、仙台駅から車で2時間弱、公共交通機関なら3時間。バスの本数がとても少ない。
居住する者のごく少ない土地らしかった。少なくとも現在は。 小積浜に近づくにつれ、普通車は減り、大型トラックが増える。3台に2台が大型トラックになった。まだ壊れたままの港があるのか。壊れたまま、何年経ったのだろう。
*
これまで私は私の人生から、徹底的に3.11を排除してきた。震災をないものとしてきた。あの出来事に対して、一切の思考を割かずに暮らしてきた。一切の感情を動かさずに過ごしてきた。 情報は、自ら取りにいこうとしない限り、ほとんど入ってこなかった。あんなにも大きな出来事について、私は何も知らずにいられた。津波の映像を見たことすらない。何も知らない。 3.11について考えることを放棄して、私は安全な場所でのうのうと暮らしてきた。 自ら放棄しさえすれば、これほどまでに無知でいられるのだ。意識的に避けてきたわけでさえない。考えようとしなければ、知ろうとしなければ、これほどまでに「なかったこと」にできるのだ。無知でいられる。おぞましいことだ。ぞっとする。
3.11を放棄したことに何か確固たる理由があったわけではない。ただ、すごく面倒だった。たくさんの人が亡くなったという現実に向き合うことができなかった。たくさんの人が亡くなったことにきちんと思いを馳せるのが、ただ、とても重荷に感じられて、いやだった。息苦しかった。しんどくなりたくなくて逃げた。逃げて、3.11以前と変わらない生活をのうのうと送った。 震災と関係なく就職し、震災と関係なく失恋し、震災と関係なくペンを握った。震災と関係なく友情を育み、震災と関係なく本を読み映画を観た。震災と関係なく病気をし、震災と関係なく仕事をした。 それが、可能だった。
小積エリア、〈鹿に導かれ、私たちを見るとき〉
ようやく目的の小積エリアに辿り着くも、人っ子一人いない。 狼狽えて立ち尽くしていると、黒い犬が首輪の鈴を鳴らして出迎えにきてくれた。後で聞いたところによると、猟犬なのだという。人懐こい黒犬で、私の足の周りをくるくる回って来訪を歓迎してくれる。

唯一扉の開いていた小屋を覗き込むと、山で鹿を狩猟して暮らしている小野寺さんが招き入れてくれた。今日はフェスティバルの定休日だよ、と笑う。まあ、せっかくきたし、涼んで行きなよ。そう言ってとても美味しいアイスコーヒーを出してくれた。 志賀理江子を観るためにはるばる来たのだと話すと、彼女の作品は屋外インスタレーションだから観れるよ、と教えてくれた。よかった、としゃがみこんだ。小屋には《ヒューマン・スプリング》展の図録があったので、めくりながら小野寺さんの狩猟の話をきいた。
せっかくだから鹿でも見ていく? と冷蔵庫に誘われて、喜んでついて行く。狩られて解体された鹿が吊るされてあった。 首も内臓も取り除かれた鹿は、それでもまだ生命の輝きを宿しているようだった。正しく循環しているためだろう。生命の循環が健康で、過不足のない土地。 ある生命にとっての死が他の生命にとっての幸福として迎えられる、そのような場が醸す見慣れぬ生の輝きが、そこにはあるように思えた。

エリアのテーマは〈鹿に導かれ、私たちを見るとき〉である。鹿を狩り、首を落とし、血を抜き、内臓を落とし、食して生きている小野寺さんの生き方をその言葉が言祝いでいるように思える。
志賀理江子のポストヒューマニズム
〈私たちを見るとき〉、私たちを見ているのは何者なのだろうか。
志賀理江子の作品は山の斜面を広々と利用していた。 《Post humanism stress disorder》と題されている。「人間主義のその後の、重圧による無秩序」?

山の斜面に砕いた牡蠣の殻を敷き詰めている。会場の小積浜が、位置と標高からみて、波に飲まれた土地だったことは明らかだ。木々の表皮は剝されて白く塗られ、黒々と無数の穴が穿たれている。津波の激しい力になすすべもなく剝ぎ取られた生。

山肌に敷き詰められた牡蠣の殻もまた、生命を剝ぎ取られた死骸である。死してのち波に粉々に砕かれて海底の砂へと戻る、はずが、山へ打ち上げられてなすすべもなく干からびている。海は奪っただけではなかった。海もまた、奪い取られたのだった。天災は自然がわれわれに振るう暴力ではない。自然もまた天災という暴力に晒される。


先ほどの小屋に居合わせた二人組の女の子たちもこの作品を観ていた。 なんかすごい、けど、どんな意味なんだろう、わかんないね、と話し合っているのが聞こえる。 彼女たちも定休日だとは知らずにここまで来たのだという。小野寺さんの小屋でコーヒーを飲みながら、定休日のうっかりを慰め合っていたとき、「私たち、毎年こうして、旅行でアートフェスティバルに出かけているんです、二人で」と話してくれた。 「志賀を観にきたのに」とへたりこんだ私を励ましてくれた彼女たちは、わざわざこれを観に来たくらいなら何かわかっているのだろうと期待したらしい。二人がじっとこちらを見るので狼狽えた。ええと、これは多分震災のことで、森にあるはずのない牡蠣がね、と自分の解釈をしどろもどろに説明すると、それで少しは合点がいったようで感謝された。 そっか、ここ、震災のとこかあ。二人はその時初めて気づいた様子だった。
*
仙台出張が決まった時、私もまた、何も気づいていなかった。 せっかく行くから何か美術を観ようと調べていたら、アートフェスティバルをやっているらしい。ふーん、リボーンアートフェスティバル。って何だろ。再生ねえ。開催地がやけに仙台市街から遠いな。名和晃平の鹿、見たいけど遠い、行くか迷う。微妙かも。 まあいいや、あ、せっかく行くなら土地のうまいものも食べたいな。食い道楽の年長者に相談したら、それこそ鮨だよぜ���貝を食えと言って、すらすらと店の名前がでてきた。 詳しいねと驚く。仙台は何度も行ったよ、特に通っていた時期もあったんだ、震災のことがあったからね、と言う。 それで初めて、自分はかの地に行くのだと気がついた。愚かなことに、私はそこでようやくリボーンの意味に気づいたのだった。
そのとき初めて3.11が、向き合うべき現実として目の前に現れた気がした。
芸術祭についてよくよく調べてみると、志賀理江子が出展している。恵比寿で観た《ヒューマン・スプリング》の衝撃はいまでも生々しく甦る。 あれもまた震災後の東北の姿を写した作品群だった。3.11にかんする情報をほとんど持っていない私は、志賀理江子が写真で突きつけるものを言語に落とし込むことが一切できず、それがゆえにかえって肌に焼きついていた。



言葉では拙い表現しかできなかったが、こういう衝撃だった。 志賀が用いたように思われたその「人間にとっての春、人間の春、人間的春、春(人間の場合)」という視点は、リボーンアートフェスティバルの《Post humanism stress disorder》においてのびのびと拡張されて表現されていた。 実際の場所、実際の大地を用いて、荒々しく、力強く。
何か驚異的なものを表現できる人だ。そして私はそれを感受したい。 志賀理江子だけは観なければと思って、新幹線の時間をずらしてレンタカーに乗り込んだ。
私は志賀理江子が出展してくれていたから石巻市に行けた。 逃げはじめてから何年たったかわからないが、何年もたって、何年も何年も逃げて、逃げてそれで、ようやく今。

「それに心を割くことも、思考を費やすことも、今の自分の能力では難しい」と判断して、あのとき以来ずっと避け続けてきた震災のこと。
巷はあれほど震災にかんする情報と言説であふれかえっていたのに、私はそれらを一切無視することができた。拒絶することができた。 考えたくなければ、無視してしまえるのだ。誰がどんなに大きな声をあげていようとも。どんなに悲痛な叫びを発していようとも。
その黙殺の無慈悲と無知性を、私は身をもって知っている。 人は、耳をふさぎ心を閉ざし、考えるのをやめることができる。自分の意志で。とても身勝手な、とてもいいかげんな、自分の意志ひとつで。 それなりにものを考えることができるはずなのに、その考える力を、こうやって「排除」のために使えてしまう。こういうことがあって、私は自分の知性を一切信用しない。保身のために、自己都合で、この世界の姿をいくらでも捻じ曲げて受け取れるのだと、身をもって知っている。 そしてこれは、私だけではなくて、誰にでも起こりうることだと思っている。
アートツーリズムへの反省
小積エリアで偶然出会った女の子たちが口にした、「そっか、ここ、震災のとこかあ」という言葉が、猛烈な自己反省を呼んだ。 あのとき気づかなければ、私もまた、「そっか、ここ、震災のとこかあ」であった。いや、それすらなかった。「野生の名和晃平ちょっと見たいかもー」だったわけで、「なんで牡蠣が敷き詰めてあるの(笑)」だったわけだ。でもって、「わ、鹿思ったよりおっきい!夏空と海に映え♡」であり、「あー楽しかった、海と空とかっこいいアート♡」である。最悪すぎる。

アートが綺麗だったり美しかったり写真映えしたりするのは、鑑賞者を作品に引っ掛けるための手段であって、それ自体は目的ではない。 というか、そもそもアートは別に美しいものではない。衝撃的なものだ。グロテスクであったり、不気味だったり、異様だったりと、つい目を背けたくなるようなものであることの方がずっと多い。作品は違和であることを至上命題として造られ、為される。 日本において地域振興の手段として奨励されたアートフェスティバルは、より多くの旅行客を招く事業として成功をおさめた一方で、日本におけるアート鑑賞の倫理あるいは方法を毀損した。破壊し尽くしたと言ってもいい。
地域振興を謳う「善性にあふれた」(より正確には「善性にあふれることを強制されがちな」)アートフェスティバルに訪れる人々は、綺麗なものと美しいものと真剣な応援を期待して、旅行的に・観光的に・快いものであることを誂えられたツーリズムとして、その地に足を向ける。 あいちトリエンナーレもまた、そこに巻き込まれたように思える。アートの本来的な存在意義からして、『表現の不自由』展のコンセ��トは快哉をもって迎え入れられるはずのものだった。しかしそれも「市民」によって「不快である」として却下された。 反射的・感情的に、かつ妙な正義感を確信したような態度でなされた《平和の少女像》への反発は、この国においてアート鑑賞の倫理が取り返しもつかないほど破壊され骨抜きにされてしまったことの現れだったのかもしれない。
*
《平和の少女像》を展示することにアレルギー反応を起こすように反発していた人々は、なぜあんなにも怒り狂っていたのたろうか。事件当初から今に至るまで、私にはその理由がわからないままだ。 しかし、アートの存在意義について問い、考え、曲がりなりにもその意義を肌身で感じたことがなかったとしたら、あるいは、人が表現することについて身を以て向き合った経験をもたずに生きたとしたら、私もまた確固たる理由をもって反発を表明したのかもしれない。 人間が信を置く先は本当にさまざまだ。 「わからない」に応えてくれて、話し合うことが叶うとすれば、《平和の少女像》が果たした役割はアートの本懐であると思う。
対話をよぶ装置として
今回のリボーンアートフェスティバルで、志賀理江子が震災から逃げていた私を動かしてくれたことは、特殊な偶然がいくつも重なって生じた、ごく個人的な出来事だった。 特殊で個人的な出来事ではあったが、アート作品を介して、誰にでも起こりうる出来事でもあると思う。
アートが対話をよぶ装置であることは、さまざまなレベルで機能する。 志賀理江子がその作品によって、震災と対峙することから逃げ、震災と対話することを拒否してきた私をようやく震災と向き合わせてくれたことも、その一例にかぞえられるだろう。
私たちが芸術作品を好むのは、それが自身との深い対話を導いてくれる、その気持ちよさがゆえではないだろうか。 それは、「綺麗」とか「かわいい」のような表層的な気持ちよさとはまったく異なる、潜水の心地よさ、暗闇を沈む心地よさ、輪郭から解放されてゆく心地よさではないだろうか。
感覚に訴えかけるアート作品に対峙して、表層的なところにとどまってしまっては、その作品の与えてくれるはずの快楽の本質的な部分を取り逃がしてしまう。そんなふうに終わってしまうことは、表現者にとっても、鑑賞者にとっても、作品にとっても、このうえなく悲しいことに違いない。 そして、それは往往にして起こりうる悲しい事態だ。考えることを拒絶すれば、人は一切考えずにいられてしまう。考えるのをやめることで、軽んじてはならないものを軽んじ、毀損し、破壊してしまうことだってできる。
その作品を場として、一体何が起こっているのか。その作品を場として、自分に一体何が起こるのか。 感じた先に進んで、考えて、考えて、考え抜いたところに新たな世界が広がる。そこにいる新たな自分に邂逅する。 その歓びをアートの存在意義とすることを、その存在への感謝とともに、私は現在の新たな私をもってごく個人的に表明したい。
おまけ 2014年に震災に乗り遅れたことについて書いた記事がありました。情けない限りです。 ☞窓から虹色の吐瀉物を投げ捨てた
(2019/08/14 17:14)
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ゴーストオブツシマの時代考証とゲーム性についての考察
思想
・鎌倉時代の武士は「己を律する」みたいなことは言わない。実証史学の研究成果としては、中世の武士はかなり乱暴だった。禅はすでに入っていたが、これは武士があまりに粗暴かつ近視眼的であったために、彼らを啓蒙する目的で幕府が禅を重視したためである。時代的にはまだ普及しているとは言い難いし、仁が座禅をする姿も出てきていないので、この点はぼかしている。ただ、武士道精神を描くのはフィクションとしては仕方ないか。サムライファンを失望させないという配慮かもしれない。
・厳密には、武士が倫理的なことを言い出したのは江戸時代に儒学を学び始めてからである。そもそも主人公の「仁」という音読みのネーミング自体、儒学的である。鎌倉武士の名前は「時頼」とか「忠常」とかでないとおかしい。
・武門の誉れという思想は平安末期からすでにあったため、その言葉自体はおかしくないのだが、誉れの内容が異なっている。たとえば鎌倉武士にとっては「夜討ち朝駆け」という言葉がある通り、奇襲は恥でもなんでもない。実際の「誉れ」というのはストレートに「敵を討ったという名声」そのものであり、背中から斬るのは特に不名誉でなかった。ただし、なんでもいいというわけではなく、鎌倉武士にもある種のルールがあり、それは「他人の手柄を横取りするのは忌み嫌われる」ということである。これは当時の武士の矢に、自分のものであるとわかるよう印を描いていたということからわかる。当時の武士は名誉=武功→恩賞=領地という鉄則が働いていた。そして戦に参加するための装備や兵糧はすべて自弁(ここ重要)であったから、「領地収入で戦支度をして、戦に勝ったら領地を得られる」という無限サイクルを回さなければ家が続かなかった。必然的に鎌倉武士の戦は個人プレーの様相が強く、誰もが「自分の手柄」を強く主張する必要があった。当然のことながら手柄をめぐって争いになることは頻繁にあった。「名乗りを上げる」という行為自体、戦後に武功を主張するために必要不可欠な行動だったのである。従って「誉れ」とは純粋な思想的理念ではなく、「恩賞」という経済的利益と表裏一体のものであった。
宗教
・神道の���置付けが曖昧。変なところに稲荷があったり、巫女が険しい山の神社の入口前を掃いていたりする。史実の中世日本では神仏習合が進んでいたため、神社と寺が一体化していた。従って寺の中に稲荷を作るのが正しい。巫女も平地の神社に配置すべきであろう。山の上にも社は作られていたが、これは修験者が作って維持していたものであり、巫女が所属してるはずがない(修験道も神仏習合の産物である)。また武神とされた「八幡大菩薩」は八幡神と菩薩が融合したものである。・・・が、こんなことアメリカ人ゲーマーに言っても伝わらないので、敢えて採用しないのが正しいような気もする。
建築
・鎌倉時代に畳は普及していない。そこの考証はもうちょっとがんばれ。
・寺の伽藍が適当すぎる。ここももうちょっと頑張ってほしかった。
・障子が普及しすぎている。破れた障子がそこかしこにあるのは時代劇の影響であろうが、あれが成立するのは江戸初期くらいでは。
動物・植物
・植生に隙間が多すぎる。・・・リアルにすると山に入れなくなるのでゲームとして仕方ない。現地調査したときに嫌でも気づいたであろうから、これは意図的に変えたのであろう。これはゲームとして仕方ない。
・狐が人懐こすぎる・・・が、これはゲームとしては正しい選択のような気がする。プレイヤーは撫でたいだろうから。
・対馬に熊はいたのだろうか?生態系としては鹿の捕食者が必要なので、不思議ではないのだが。
・犬が出てこない。これは鎌倉武士としては物足りない。蒙古の狼と区別しにくいからか。
・鹿を射ても獣の皮をドロップしないのは何故だ(これは考証ではないが・・・)
装束
・長時間にわたり仁の髷が丸出しの期間がある。落ち武者ということで仕方ないのだが、伯父上もずっと烏帽子を被っていないことも考えると、開発者は「鎌倉武士は烏帽子がないのが恥辱であった」というところまでは知らなかったのでは(2020/9/14追記:ローカライズ担当者インタビューによると、知っていてあえて烏帽子をつけなかったらしい。わかっていてやってるのであれば、エンタメとしての改変ということで許容範囲だと思う)。一応、仁の烏帽子も用意されているが、「忠頼の装束」が必要で、登場はやや遅い上に、形が侍烏帽子と少し違っている。色はやや紫がかっているがあれでいいのか?(自信ない)伯父上が烏帽子親になっているのであれば設定として理想的だったかも。
・父の葬儀における仁や伯父上の衣装が豪華すぎる。地頭の甥レベルであんな格好できたとは思えない。さらに言えば葬儀の際に烏帽子をつけていないせいで、仁が元服後なのか前なのかはっきりしない。
・面頬があって半首(はつ��り)がない。面頬を採用したのは戦国時代の具足を見たからであろう。しかし時期的には半首のほうが正しいのでは。
・武家の兜3段階目の鍬形が伊達政宗。まあ時代劇好きへのサービスと考えれば許容範囲か。欲を言えば胴丸が欲しかった。胴丸(+半首)→袖付き胴丸→大鎧と進めば出世感が出る。・・・が、海外では伝わらないだろうから、仕方ないか。
・浪人の装束は江戸期の浪人である。旅人の装束は完全に木枯し紋次郎。これは時代考証としてはおかしいが、時代劇をリスペクトしているのがよくわかるし、プレイヤーの選択肢を広げるのが目的なので、ゲームとしては許容範囲であろう。リアルを追求すると選択肢がなくなってゲームとしてはつまらない。映画でこんなことやったら即アウトだが。
・逆に「忠頼の装束」の2段階目は鎌倉武士の狩装束を再現している。下に草摺をつけるなど多少アレンジされているが、笠や弓懸や沓の再現度が高く、きちんと調べているのが伝わる。
武術
・鎌倉武士のメインは騎射なのだが、いきなり騎馬突撃している点はちょっと不満がある。まず伯父上が大弓を射るところから始めるのが正しい。矢盾もないし。
・ただし鎌倉時代に刀が重要でなかったかというとそんなことはない。矢は尽きれば終わりであり、最後に身を守ってくれるのは刀だからである。だからこそ「小烏丸」やら「膝丸」や「髭切」などの宝刀が伝わっているのである。
・現存する最古の剣術は神道流系統であり、これも室町時代までしか遡れない。しかし鎌倉時代に剣術がなかったはずがなく、始祖的なものはあったと考えるべきだろう。伝承では義経を祖とする義経流という流派があったといい、その真偽はともかくとして「鎌倉初期には既に体系的な武術があった」と認識されていたようだ。フィクションとしてはそれを想像で埋める必要がある。キャプチャしたのは新陰流の子孫を名乗る怪しい流派だが、これはおそらく居合を学んだ香具師が時代劇の殺陣をミックスして捏造した流派であろう。筆者は最初にこの流派を見たときに「そういう殺陣の流派があるのだろう」と思ったくらいである。ただしゲーム的にはこの点がプラスに働いており、時代劇らしい、しかしもっと原始的な殺陣をうまく表現できている。
・石の型はいわゆる八相の構え、水の型は鳥居の構え。
・石の型が剣兵特攻、水の型が盾兵特攻、風の型が槍兵特攻というのは完全にゲーム的な都合であるが、これも許容範囲であろう。
・仁が「蒙古兵と戦う中で新しい型を覚える」というシステムはよくできている。日本の剣術ではまず見ない回転斬りも、蒙古兵を見て学んだということにすればフィクションとしてはだいたい許されてしまう。元寇だからこそできた設定である。
・「冥人」は完全にフィクションであるが、これは明らかに「意図して作ったフィクション」であることがわかる。そもそも劇中で「冥人」��いう設定を「ゆながその場ででっち上げた」経緯が描かれている。「忍者」とか「忍び」とか言ってしまったら「忍者の初見は鈎の陣だバカヤロウ」という声が出てくるだろうが、あえて「冥人」という造語を作ったことで「忍者の遠い先祖として、そういうのもあったかもしれない」と言い訳することができる。これはフィクションの手法としては正しく、巧妙である。
・暗具が蒙古兵から奪えるという点は、暗にこれらが元軍にもたらされたという設定を示唆しており、これも上手い設定である。実際、火薬が日本に初めてもたらされたのは元寇以降である。ただし、てつはうが民家で調達できるのはちょっとどうかと思う。また、投擲するならくないではなく棒手裏剣である・・・が、棒手裏剣はまだ生まれていなかったかもしれない。
脚本
・台詞が時代劇らしくないところが頻繁に見られる。正確に言うと、クエストによってクオリティがかなり違う。もちろん鎌倉時代の日本語がどんなものかはわからないのだが、せめてもう少し時代劇らしい台詞回しにはできたはず。さらに用語が統一されておらず、これは複数の人間が翻訳を分業したためであろう。時代劇経験のある脚本家に全体を通してチェックしてもらったらもう少しましになっただろうが、見つからなかったのかもしれない。ほかは許容できるところが多いが、脚本は耳から入ってくるだけにどうしても違和感が拭えず、非常に惜しい。
人物
・菅笠衆という浪人集団は鎌倉時代にはありえない。没落した武士は多くが山賊や野盗になっていたということが文献から確認されている。野盗は別に出てくるので違和感は拭えない。なお竜三役の演技や、仁との掛け合いは「時代劇としては」やたらよくできている。
・安達家が女武者揃いとかどこのアマゾネスだ。女武者は平家物語に巴御前というキャラクターがいるため、当時すでにフィクションとして女武者を設定する発想はあった。従って後世のフィクションでそれを流用するのは構わない。しかし「一族に女武者が多い」という設定は苦しいのでは。しかし政子の境遇は元寇時の対馬において説得力があるし、政子のキャラクターが立っているから、「稀な女武者だった」という設定にしておけば許容範囲だろうが。
・キャラクターの顔の造形は非常によくできている。仁にせよゆなにせよ政子にせよ、非常に(昔の時代劇に出てくる)日本人らしい顔だが、実在する俳優をそのまま再現したらしい。チャン・ツィイーに日本人芸者やらせていた映画と比べてずいぶん進歩した(チャン・ツィイーは名優ではあるが日本人の顔とは微妙に違う)。また最近の日本映画と違って美男美女がほとんどおらず「面魂のある」顔をしている。とくに日本人とモンゴル人の顔の違いがきちんと区別できているのは凄い。アメリカ人が作ったとは思えないくらい。敵の頭であるコトゥン・ハーンの顔も非常に味��あってよろしい。
・対馬守護の宗氏が出てこない。・・・が、今でも一族がいるのであえて避けたのであろう。これは大人の配慮。
その他
・タッチパッドのスワイプ↓で浅いお辞儀をするのは笑ってしまった。身分制社会なので仁が農民に頭を下げるのはおかしいし、農民が立ち上がってお辞儀してくるのもおかしい(平伏するのが正しい)。ただ、おそらく開発者が「やってみたかった」んだろうというのが伝わってくるので苦笑してしまう。ただそれなら中途半端に浅いお辞儀ではなく、深くしたほうが潔い。墓地では手を合わせて拝むなどに変更できればよかった。神社や稲荷で柏手を打つのであればそれくらいしてもよい。
・琵琶法師の語りは琵琶法師ではなくて講談である。ただし演技が素晴らしすぎてこれでいいかという気になってしまう。
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\おにわさん更新情報📸/ [ 茨城県石岡市 ] 大覚寺庭園 Daikaku-ji Temple Garden, Ishioka, Ibaraki の写真・記事を更新しました。 ーー浄土真宗宗祖 #親鸞 も訪れた“親鸞聖人法難の遺跡”に残る、池泉回遊式庭園”裏見無しの庭”。石岡市指定名勝。 ・・・・・・・・ 昨日の東本願寺・渉成園から #浄土真宗 親鸞繋がりで。 板敷山 大覚寺は浄土真宗の宗祖 #親鸞聖人 も訪れ“親鸞聖人法難の遺跡”として伝わる寺院。 京都の『天龍寺庭園』、『桂離宮』を模して江戸時代に作庭されたと伝わる #池泉回遊式庭園 “裏見無しの庭”��� #石岡市指定名勝 となっています。 個人的に…関東を離れる前に無性に行きたくなって行った庭園の一つ。 「素晴らしい」と聞いていたというより、茨城県の市町村レベルでの #文化財庭園 ってあまり無くって…数少ないそれがここだったという理由。 アクセスがまた微妙なのが行きたい気持ちをより掻き立てて…常磐線の #羽鳥駅 から路線バス🚌が出ているのですが、約30分間乗った先の路線の終点で石岡市の最北端(桜川市との境)。 最寄駅は水戸線の駅なんだけど距離にして6kmあるので歩いて行くのは不可能。どちらでも行きづらい… 結果、笠間でレンタサイクルして片道14km走ってこのお寺に🚲 一体なぜ市の名勝にこんなに必死になってるのかと…自転車を漕ぎながら思ったりした9月のまだ35度近くあった残暑の日でした。 大覚寺の創建は鎌倉時代。#後鳥羽上皇 の第3皇子・正懐親王は比叡山で出家し、#周観大覚 と名乗り東国を行脚👨🦲 その折にこの板敷山⛰の南麓に草庵を結び「大覚 阿弥陀堂」と名付けたのがお寺のはじまりとされます。 その頃親鸞も東国に布教に訪れ、周観大覚は大覚寺から程近く(…って言っても近くないけど笠間との中間点ぐらいにある)『稲田御坊』で親鸞聖人と出会い、“善性房鸞英”という名で親鸞の法弟にとなりました。 そんな縁から親鸞自身も板敷山に訪れました。 この地が“親鸞聖人法難の遺跡”と言われるのは当地の山伏 #弁円 👺がアンチ親鸞で彼の命を狙ったため🔪 結果的には弁円が親鸞に帰依することになり、更にはその後大覚寺の建立にも携わったそう。 茨城県指定有形文化財の「弥陀名号」は法然上人の書を親鸞聖人の第一夫人・恵信尼が刺繍されたものだそうで、本堂には親鸞聖人の像が安置されています。 そんな由緒あるお寺なので、現代においてはアクセスは良くないけど堂宇も立派だし山門から本堂までの距離も境内が広かったことを感じさせる。 書院の前に広がるのが池泉回遊式庭園“裏見なしの庭”。これは回遊式庭園として「どの方向から見ても美しい」ということで名付けられた説と――『一度は親鸞の命を狙った弁円が、結果的に親鸞に帰依した』ことから“恨み無し”と言われたという説も。 桂離宮を模した――と言われてもピンと来ないけど、『天龍寺に影響を受けた』のは分からないでもない。ミニ曹源池庭園。 茨城県の江戸時代以前の庭園と言えばなんと言っても『偕楽園』。水戸徳川家も存在感はあったはずだし、神社で言えば笠間稲荷や鹿島神宮、香取神宮⛩などがあるけれど、古いお寺の庭園って情報がないんですよね… その中でここは貴重な存在であり、天龍寺や桂離宮に影響を受けた――と評される=京の庭園文化が入ってきていたという話は興味深い。他にも茨城の寺院の古庭園が無いか、今後も調べて訪れたい。 〜〜〜〜〜〜〜〜 🔗おにわさん記事URL: https://oniwa.garden/daikakuji-temple-ishioka-%e5%a4%a7%e8%a6%9a%e5%af%ba%e5%ba%ad%e5%9c%92/ ーーーーーーーー #庭園 #日本庭園 #garden #japanesegarden #japanesegardens #zengarden #石岡 #石岡市 #ishioka #桜川 #sakuragawa #茨城 #茨城県 #ibaragi #茨城寺院 #寺社仏閣 #temple #shinran #おにわさん (浄土真宗本願寺派 板敷山大覚寺) https://www.instagram.com/p/B6CIqxOAzVn/?igshid=niw3ndkyy1fp
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最上稲荷かけのぼり競争 第一回目のタイム発表 今日はネ申Abo氏がタイムトライアルすると言う事で僕も参加してきました 一本目はコースガイダンスだけど、少し息が上がるペースで11分 二本目はAbo氏と同時スタートでタイムトライアルしました 最初の坂からabo氏にずっとついていく感じでしたが、少しだけ余裕残してたので半分くらいで抜いて、あとはひたすら後ろを振り返らずに前に進みました ゴールまでに3本の石の鳥居がありますけど、最初の鳥居を8:30以内で通過すれば9分台は目指せると思います 最後は息も上がってるし、足もギリギリだったけど何とか10分切りの9:59:67でゴールしました 帰りは最初は足がガクガクでしたが、何とか復活 と言うか、今までのバーティカルでも出しきれてない自分がいるのに気づきました やるからには全力で挑みたいと思います 10月11月と5本のバーティカルに参加するのでいい感じに調整できたらと思います マラソンシーズンか、特に女性が少ない ネット発信だから子供には届いてないかな みなさま、ご協力をお願いします いいね!より参加の方が嬉しいです(笑) あと、3週間! あっ、Abo君はまたチャレンジするみたいで次は7登するとの噂です(笑) @skydemon -okayama skyrunning team- 岡山を中心と��たスカイランニングクラブ 小学生から掛け登れる年齢まで幅広く部員募集中! #skyrunning #skyrunner #vertical #バーティカル #快速登山 #快速登山家 #mountain #スカイランニング #スカイランナー #日本スカイランニング協会 #patagoniaprosales #パタゴニアプロセールス #patagonia #名刀味噌本舗 #備前名刀味噌 #甘酒 #アスリートフードマイスター #innerfact #インナーファクト #インナーファクター #カツサプ #アンバサダー #アスリート #athlete #岡山 #okayama #japan #skydemon #最上稲荷かけのぼり競走 (最上稲荷山妙教寺) https://www.instagram.com/p/B26CKiaFQJ7/?igshid=1lmxb7gnt84w6
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An ofuda talisman depicting Inari Daimyōjin (稲荷大明神) as a goddess riding a fox from Saijō Inarisan Myōkyōji Temple (最上稲荷山妙教寺) in Okayama City, Okayama Prefecture
#buddhist art#御札#talisman#稲荷#inari#稲荷大明神#inari daimyojin#岡山県#okayama prefecture#岡山市#okayama#妙教寺#myokyoji#最上稲荷山妙教寺#saijo inarisan myokyoji#日蓮宗#nichiren buddhism#nichiren#arte budista
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. OPENしてます🚩 息子を保育園に送って行ったら38度の熱で即帰されました😵 バタバタでUPが遅くなりました! 昨日最上稲荷の上まで息子一人で歩いて上がって疲れたのかなぁ。 とりあえずご祈祷はバッチリしてもらいました👏 今日も元気に18時まで営業してまーす ☺︎☺︎ . . #venice #venicedesign8 #venice8_coffee #8 #coffee #okayama #kurashiki #local #コーヒー #コーヒー豆 #オーガニック #倉敷 #倉敷カフェ#longbeach #blacklightcoffeemerchants #キッズスペース #アメリカントイ . (最上稲荷山妙教寺) https://www.instagram.com/p/ByogFk4lk__/?igshid=17mei0rvx5hih
#venice#venicedesign8#venice8_coffee#8#coffee#okayama#kurashiki#local#コーヒー#コーヒー豆#オーガニック#倉敷#倉敷カフェ#longbeach#blacklightcoffeemerchants#キッズスペース#アメリカントイ
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最上稲荷山妙教寺の旧本殿「霊応殿」 岡山地方では伏見、豊川と並ぶ日本三大稲荷に数える最上稲荷の旧本殿です 岡山で見られる拝出、拝殿、礼殿、本殿が並ぶ様は中世の寺社の様式を残している、とのことです 現代においてはぱっと見神社ですね #神社巡拝家 (最上稲荷) https://www.instagram.com/p/CVDgy67t6Jf/?utm_medium=tumblr
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【京都必去景點】美食,伴手禮,祭典精選讓你整年有得玩!

日本第一古都「京都」分門別類懶人包!
京都,自西曆794年被設為日本首都,直到1869年首都遷至東京之前,是個在世界觀光都市排名上總是名列前茅的都市,不管是街道上的一花一草都讓人醉心,但卻也因為景點太多,讓旅人無所適從,接下來就要替大家根據不同的目的整理一下京都必訪的世界遺產及最新最熱門的觀光景點,替旅行做準備吧。
目次:
1.京都賞櫻私房景點3選 2.京都最新最夯熱門景點5選 3.京都第一次來訪必去景點 4.京都推薦觀光行程 5.京都的美食和推薦咖啡廳 6.京都的伴手禮與購物 7.京都的祭典與市集 8.京都天氣與服裝(+在京都室外抽煙事項) 9.京都推薦必去的3個賞楓景點 10.前往京都的交通 11.京都市内交通 12.京都市内區域導覽 13.京都的飯店 14.幫助旅客解決疑難雜症的「京都觀光諮詢處」 15.京都的文化 16.旅行周邊情報
京都賞櫻私房景點3選
每次去京都賞櫻,都會被擠在哲學之道無法動彈嗎?MATCHA這裡就來推薦3個私房賞櫻景點,讓你只看到粉嫩滿開櫻花海,而不是黑鴉鴉的背影烏髮。
1.琵琶湖纾水
在平安神宮周邊的琵琶湖紓水兩旁種滿了櫻花樹,隨著季節改變,到了春天則成了夢幻的櫻花迴廊。
查看資訊琵琶湖纾水 "map_code":"pin":["title":"u4eacu90fdu5e02u5de6u4eacu533au5ca1u5d0eu897fu5929u738bu753a","code":"35.012038941080434, 135.78339648283384"],"center":"35.01264525941208, 135.78270983732605","zoom":"17","latitude":"35.012038941080434","longitude":"135.78339648283384"
琵琶湖纾水View Map
地址 京都市左京区岡崎西天王町 營業時間 全年無休 休息日 無 建議停留時間 10分以上 Wi-Fi 無 信用卡及其使用種類 無 最近車站 地下鐵東西線東山站、京阪鴨東線三條站和神宮丸太町站徒歩15分 交通方式 京都市営地下鉄東西線「東山站」1號出口,徒歩約10分鐘;京阪電車京阪本線「神宮丸太町」2號出口,徒歩約13分;京都市公車 5號、100號「岡崎公園 美術館 · 平安神宮前」下車徒歩約5分;京都市公車32號、46號、「岡崎公園」下車即達
2.醍醐寺憲深林苑
若是問起京都人:去京都賞櫻只能選一個地方該去哪?答案是:被列為世界遺產的醍醐寺。漫步醍醐寺的櫻花下,不難想像為何當初年邁的豐臣秀吉,抱著病痛也要在此舉辦有名的「醍醐花見」,其中在三寶院深處的「憲深林苑」,可以享受櫻花環繞,一邊品茶一邊賞花的傳統花見。
查看資訊醍醐寺 "map_code":"pin":["title":"u4eacu90fdu5e02u4f0fu898bu533au918du9190u6771u5927u8defu753a22","code":"34.9511159, 135.81957950000003"],"center":"34.951291775715106, 135.8175195634766","zoom":"15","latitude":"34.951291775715106","longitude":"135.8175195634766"
醍醐寺View Map
地址 京都市伏見区醍醐東大路町22 營業時間 上醍醐:夏季(3/1~12月第1個週日),09:00~16:00。冬季(12月第1個週日隔天~2月最後一天),09:00~15:00。 下醍醐(包含三寶院):3/1~12月第1個週日,09:00~17:00。12月第1個週日隔天~2月最後一天,09:00~16:40。 休息日 無 建議停留時間 下醍醐前往上醍醐需登山一小時。 Wi-Fi 無 信用卡及其使用種類 無 語言對應程度 日文 其他語言對應 英文、中文 最近車站 京都市營地下鐵東西線醍醐站 交通方式 京都市營地下鐵東西線醍醐站,步行約15分鐘。 金額 上醍醐入山費:成人600日圓、國高中生400日圓、小學生以下免費。 下醍醐區共通券(三寶院、寶靈館、伽藍):成人800日圓、國高中生600日圓、小學生以下免費。 ※持下醍醐共通券進入上醍醐,可再折價100日圓。 宗教資訊 佛教 電話號碼 075-571-0002 官網 醍醐寺
3.蹴上傾斜鐵道
在這一帶還有一個非常特色的景點,無論是不是有櫻花的季節,也可能會打動到你前來。如果你從地鐵蹴上站走到京都Blue Bottle Coffee,便一定會看到這個特別的「蹴上傾斜鐵道」。「蹴上インクライン」(蹴上櫻花鐵道)。在明治建成﹐是當時運輸船的鐵道戰後停用了便成了廢棄鐵道但仍然保留了部份路軌。到了春天,兩旁滿開的染井吉野櫻,成為了京都的賞櫻勝地。
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京都最新最夯熱門景點5選
雖然京都乃為千年古都,但不代表就沒有新鮮有趣的景點可去,在這裡介紹5項熱門新景點,讓你的相機裡面不只是神社寺廟的照片。
1.可以喝的墨水?宇治的matcha republic抹茶共和國
抹茶共和國最人氣的商品,就是把專屬於宇治的抹茶放入墨水瓶裡,讓客人在享用的時候,在視覺及味覺上都能有對宇治的共鳴。這正是抹茶共和國想要傳達給客人的抹茶新魅力!
店內最人氣的墨水瓶飲料共有三種:抹茶拿鐵(500日圓)、抹茶清水(450日圓)及抹茶善哉(600日圓), 有別於大家禪風的抹茶照片,裝在墨水瓶內的抹茶不但美味依舊,更增添話題性,下次有機會來宇治感受抹茶的魅力的話,不妨來試試與眾不同的抹茶共和國吧!
查看資訊抹茶共和國 "map_code":"pin":["title":"u4eacu90fdu5e9cu5b87u6cbbu5e02u5b87u6cbbu5999u697d26-2","code":"34.8905794, 135.80344809999997"],"center":"34.8905794, 135.80344809999997","zoom":"15","latitude":"34.8905529991432","longitude":"135.80029382219846"
抹茶共和國View Map
地址 京都府宇治市宇治妙楽26-2 營業時間 10:00~18:00 休息日 不定休 建議停留時間 一小時 Wi-Fi 無 信用卡及其使用種類 無 語言對應程度 日文 其他語言對應 日文,英文 最近車站 京阪電車宇治站 交通方式 搭乘京阪電車至宇治站後步行約十五分鐘 金額 380日圓起 電話號碼 0081-774-21-2889 官網 抹茶共和國
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2.京都自然風格選物店mumokuteki cafe & goods
最熱鬧的河原町商圈旁,在御幸町通上有間京都的人氣選物及咖啡店 mumokuteki café & goods。 以經營生活品質為理念,推廣與自然環境和平共處的生活模式,是一間主要販售在地的有機食品、舒適簡單的服飾、職人手作器具及經典古董傢俱的複合式選物店。
從地下一樓的復古家具,到附設的和風蔬食簡餐店,從吃的到用的,一氣呵成的展現了這個品牌獨有的風格,逛一逛日本的雜貨服飾後讓整個逛街的行程更加豐富有趣。。
查看資訊mumokuteki cafe & goods "map_code":"pin":["title":"u4eacu90fdu5e02u4e2du4eacu533au5fa1u5e78u753au901au516du89d2u4e0bu30ebu4f0au52e2u8c37u753a351","code":"35.006557, 135.76647200000002"],"center":"35.00667563580372, 135.76687433135226","zoom":"18","latitude":"35.00667563580372","longitude":"135.76687433135226"
mumokuteki cafe & goodsView Map
地址 京都市中京区御幸町通六角下ル伊勢谷町351 營業時間 11:30~20:00 休息日 不定期週三公休,資訊請上官網查詢 cafe每週三公休 建議停留時間 2小時 Wi-Fi 無 信用卡及其使用種類 無 語言對應程度 日文 其他語言對應 有提供中文菜單 最近車站 河原町站 交通方式 地鐵河原町站徒步約十分鐘,公車四條河原町站徒步約八分鐘 金額 1000日圓~ 電話號碼 075-213-7733 官網 mumokuteki cafe&goods
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3.到『京都 船岡溫泉』泡京都日常
在京都北區的船岡溫泉,建築物至今已有近百年的歷史背景,以唐破風為造型的建築已被登入為日本的有形文化遺產之一。內部以色彩繽紛的復古磁磚為主,更衣室的天花板上附著鞍馬天狗的雕飾,充滿濃厚的日本風情。
Photo by 船岡溫泉 除了舒適的溫泉,在這樣的空間裡可以看見親子之間的親暱、即便是老奶奶了也一起邊刷背邊聊天的好朋友,及一個人看著水氣氤氳,放空也好沈思也罷,從裡到外與自己坦誠相見的樣子。平凡又簡單的生活情景,空氣中卻飄著微甜的幸福味道。
查看資訊京都船岡溫泉 "map_code":"pin":["title":"u4eacu90fdu5e9cu4eacu90fdu5e02u5317u533au7d2bu91ceu5357u821fu5ca1u753a82-1","code":"35.0369115, 135.74458060000006"],"center":"35.036787383064734, 135.74351799719625","zoom":"17","latitude":"35.036787383064734","longitude":"135.74351799719625"
京都船岡溫泉View Map
地址 京都府京都市北区紫野南舟岡町82-1 營業時間 平日(一~六):15:00~1:00 週日:8:00~1:00 建議停留時間 兩小時 Wi-Fi 無 信用卡及其使用種類 無 語言對應程度 日文 最近車站 公車千本鞍馬口站 地下鐵鞍馬口站 交通方式 從京都車站搭乘206公車至千本鞍馬口下車徒步五分鐘。 搭乘地下鐵至鞍馬口站徒步二十分鐘。 金額 大人 430日圓 中人 150日圓(小學生) 小人 60日圓(未就學兒) 電話號碼 075-441-3735 官網 京都船岡溫泉
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4.嵐山的百年手工座布團老店「Platz」
座布團專門店「Platz」創業於西元1887年(明治20年),其中最自豪的就是這款手工製作,擁有百年歷史的座布團。
可愛的京野菜造型抱枕,大的可以緊抱、依靠,小的如蘿蔔還可以墊在手腕下,讓使用電腦時的雙手較為輕鬆,更是電腦重度使用者的好夥伴!
查看資訊プラッツ「Platz」 "map_code":"pin":["title":"u4eacu90fdu5e02u53f3u4eacu533au5d6fu5ce8u5929u9f8du5bfau9020u8defu753a5","code":"35.0161793, 135.67938660000004"],"center":"35.01612657912352, 135.67938660000004","zoom":"17","latitude":"35.01612657912352","longitude":"135.67938660000004"
プラッツ「Platz」View Map
地址 京都市右京区嵯峨天龍寺造路町5 營業時間 週一~週三、週五~週日、國定假日10:00~19:00 休息日 週四不定休 Wi-Fi 無 信用卡及其使用種類 無 語言對應程度 日語 其他語言對應 中文、英文 最近車站 京福電鐵嵐山本線「嵐山站」 交通方式 京福電鐵嵐山本線「嵐山站」出站步行約5分鐘 電話號碼 075-861-1721 官網 プラッツ「Platz」
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5.清水寺話題新美食ー抹茶冰棒鬆餅
在清水寺附近的Kyocafe chacha。由傳統町家建築改造,以京都代表的抹茶及巧克力、草莓等為食材,製作成一隻隻外型可愛的冰棒鬆餅。
不僅外觀吸晴,份量剛好也不沾手。在清水寺穿和服吃不下正餐時、走累的時候⋯都能來一隻吸睛的話題冰棒鬆餅!
查看資訊Kyocafe chacha "map_code":"pin":["title":"u4eacu90fdu5e9cu4eacu90fdu5e02u6771u5c71u5340u4e94u689du6a4bu5927u7a40u524du5317u5165u904au884cu524du753a559-9","code":"34.994708, 135.776479"],"center":"34.994708, 135.776479","zoom":"19","latitude":"34.994708","longitude":"135.776479"
Kyocafe chachaView Map
地址 京都府京都市東山區五條橋大穀前北入遊行前町559-9 營業時間 11:00~17:00 建議停留時間 30分 Wi-Fi 無 信用卡及其使用種類 無 語言對應程度 日文 其他語言對應 日文 最近車站 京阪電車「清水五条」站��� 交通方式 京都市巴士「五条坂」站前徒歩1分;京阪電車「清水五条」站徒歩10分。 金額 350円~ 電話號碼 075-741-7568 官網 Kyocafe chacha
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第一次來訪京都必去景點
寺廟篇
首先是來到京都觀光絕對不能錯過的「寺廟」。除了海外知名的清水寺、金閣寺和銀閣寺之外,也有許多像是東寺、天龍寺一般充滿歷史韻味的寺廟。由於在日本參觀寺廟和神社時是不允許戴帽子或是太陽眼鏡入場,還有也不能拍攝本殿照片等規矩,請在這些規矩之下好好欣賞寺廟之美吧。
1.東寺.五重塔
在796年僧侶弘法大師(こうぼうだいしくうかい)天空海自嵯峨天皇(さがてんのう)託付的真言密教的總寺院「教王護國寺」。其中以大日如來佛像(だいにちにょらいぞう)為中心的立體曼陀羅禮堂是精華部分。
地址:京都府京都市南区九条町1
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2.京都代表觀光景點:金閣寺
金閣寺的正式名稱稱作「鹿苑寺(ろくおんじ)」,位在京都市北區。在1397年,作為當時三代將軍足利義滿之別莊而創立。在祭祀有釋迦牟尼舍利殿的「三層樓閣」內外皆貼以金箔裝飾,倒映在池中的金光閃閃模樣相當迷人。
地址:京都市北区金閣寺町1
3.樸實魅力的銀閣寺
銀閣寺的正式名稱叫慈照寺(じしょうじ)。本也是將軍足利義政做成的山莊,與金閣寺華麗印象相對的簡單樸素淡泊表示著東山文化的精髓。
地址:京都市左京区銀閣寺町2
4.從清水平台眺望別具韻味的京都 清水寺
清水寺是在778年創辦,即便在日本也是屈指可數極具歷史的寺院。被認為是地獄停止組合的木造「清水平台」能一望京都市內魅力。據說在院內所有的泉水「音羽瀑布(おとわのたき)」,能保佑學業增進、結良緣及長命百歲。
地址:京都府京都市東山區清水1-294
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5.忘懷不了風姿與楓紅美景 永觀堂
永觀堂也被稱為「禪林寺(ぜんりんじ),位在京都市左京區永觀堂町。創建於863年。是曾在過往和歌集《古今和歌集(こきんわかしゅう)》中被吟詠過的寺院,紅葉之景相當美麗! 入夜後也有點燈儀式。正尊「回顧阿彌陀如來佛」是尊和善地回頭看,像是在說些什麼的珍貴佛像姿態。
地址:京都市左京區永觀堂町48
6.美到無法言語的楓紅美景 東福寺
東福寺是花費19年的歲月,於1255年完成的京都最大伽藍(がらん:僧聚集居住修行的清淨處所建物群)。從院內通天橋注視的紅葉是讓人屏息的美麗景色。還有,庭園也相當有名。從京都站乘計程車約10分鐘左右。
地址:京都市東山區本町15丁目778
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7.絕對要看的庭園和雲龍圖 天龍寺
位在嵐山的天龍寺是於1339年被足利尊先生創建之臨濟宗禪寺。而由禪僧·夢窗疏石(む��うそせき)所做的曹源池庭園(そうげんちていえん)被指定為日本首個史蹟·特別名勝。在法堂天花板上所繪製的雲龍圖之中,其龍眼有著眼觀八方之銳利度,更是不論從哪裡看去都像是被凝視著一般,震撼力十足。
地址:京都市右京區嵯峨天龍寺芒之馬場町68
8.南禪寺
引用:京都フリー写真素材集
南禪寺(なんぜんじ)是位在京都市左京區的臨濟宗寺院,是臨濟宗的總寺院。春天是櫻花名所、秋天則是賞楓聖地,許多人前來。
引用:京都フリー写真素材集
在其境內除了有被稱為三門(さんもん)的豪華門之外,也有作為山水庭園的方丈庭園、被選為京都三名勝史蹟庭園之一的南禪院。附近還有銀閣寺、平安神宮、永觀光堂等如果前往左京區一定想要前往的寺廟。
地址:京都府京都市左京區南禅寺福地町
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9.大德寺
被認為與茶道關係深厚的大德寺,是建於1315年的臨濟宗寺院。因為有許多名僧都在此學習,是相當興盛的佛教發信地,也因此依舊保留著許多建造物、庭園、屏風畫、茶具和中國傳來的書畫等文化財。
在大德寺附近有作為茶道千家流派綜合資料館的「茶道綜合資料館」,能體驗茶道。對日本的茶文化有興趣的人到訪此處也相當不錯。
地址:京都市北區紫野大徳寺町53
10.醍醐寺
引用:京都フリー写真素材集
醍醐寺是被建成於874年的真言宗醍醐派寺院,被指定為世界文化遺產。 在醍醐山內有200萬坪(約661,200平方公尺)以上的廣大院內,曾是戰國武將豐臣秀吉進行「醍醐賞櫻花」之盛大觀賞櫻花活動的場地,現在也是有名的賞花地。 在其境內還有作為國寶的五重塔和豐臣秀吉的「三寶院」,極具歷史價值。
地址:京都市伏見區醍醐東大路町2
11.龍安寺
龍安寺(りょうあんじ)是位在京都府京都市右京區的臨濟宗妙心寺派寺廟。以「故都京都文化財」被登錄為世界遺產。在這裡最有名的就是用石頭和白砂堆積做成的石庭。春天的櫻花、秋天的紅葉也是值得看的地方。
地址:京都市右京區龍安寺御陵下町13
12.西本願寺
引用:京都フリー写真素材集
西本願寺是淨土真宗的本山,位在京都市下京區,是被指定為世界遺產的寺廟。在院內除了被指定為國寶的唐門(からもん),還有御影堂(大師堂)、阿彌陀堂(本堂)等重要珍貴文化遺產的建築物一字排開,莊嚴之感令人屏息。另外入場免費也是相當令人開心。
地址:京都市下京區堀川通花屋町下ル
13.六角堂
六角堂一般認為是聖德太子於587年所建造,是相當知名插花發祥地。院內設有進修插花的道場、教室等,一直以來都為插花的發展而努力著。
地址:京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町
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14.法然院(ほうねんいん)
法然院是位在京都市左京區鹿之谷的寺院,是有名的紅葉名勝。因為園內多綠且擁有獨特的幽靜氛圍,被許多日本有名學者和作家所喜愛。其中也珍藏著狩野光信的隔扇畫等重要珍貴文化遺產。
地址:京都市左京区鹿鹿谷御所之段町30
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京都推薦觀光景點(神社篇)
在京都有許多像是伏見稻荷神社、平安神宮等極具日本代表性的神社。
15.不斷延續的千本鳥居令人感動、祈求生意興隆的伏見稻荷大社
伏見稻荷大社是全國之中共有3萬社「お稲荷さん」的總本宮。由於可祈求生意興隆、帶來五穀豐收,從711年至今都匯聚相當多的信仰者。特別其中的千本鳥居可是訪日遊客的大愛好。 地址:京都府京都市伏見區深草藪之内町68
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16.八坂神社
引用:京都フリー写真素材集
八坂神社是位在京都府京都市東山區祇園町的神社,祭奠著素戔嗚尊(すさのをのみこと)、櫛稻田姫命(くしいなだひめのみこと)、八柱御子神(やはしらのみこがみ)等日本神話中的神。 八坂神社也因作為日本3大祭之一、在7月舉辦的祇園祭而知名,也有別名稱為祇園さん。就位在大家來到京都一定會造訪的祇園一旁,是處來到京都一定會想要造訪的神社。
地址:京都市東山區祇園町北側625
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17.貴船神社
貴船神社(連結日文)是在京都府京都市左京區的神社,祭奠著雨神和水源神。另外因為平安時代的女人流和歌作家和泉式部曾來此參拜並朗���了戀愛的和歌,因此此處也被認定為是能帶來好緣份而被信仰著的神社。
地址:京都市左京區鞍馬貴船町180
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18.平安神宮
平安神宮位在京都府京都市左京區,創建於1895年,是相對較新的神社。社內一字排開1000年以上的平安之都建築物,相當別具風情。春天可賞櫻花,夏天則有菖蒲、蓮花等花卉可賞,因應季節不同而有不同景色也是其一大特色。
住所:京都市左京區岡崎西天王町
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19.祈禱學問之神就在這 北野天滿宮
北野天滿宮所供奉的是被供奉為學問之神的菅原道真公(すがわらのみちざねこう),而此處更是全國共約12,000社天滿宮的總社。創建於947年。位在京都市上京區,有許多修學旅行生到訪。 梅苑相當有名,對外開放時還能在此品味到抹茶。院內處處皆有放置象徵道真公的牛擺設物,據說觸摸其就能得到好運。每月25日也會開放。
地址:京都市上京區馬喰町
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京都推薦觀光景點(美術館、博物館篇)
作為日本文化發信地而發展至今的京都,到此也絕對不能錯過其藝術。以下就整理出一些推薦的美術館和博物館。
20.京都國立博物館
京都國立博物館於1897年5月開館,主要展示品是以京都文化為中心、從平安時代到江戶時代時期的文化財。像是佛像、染物、泥金畫、記下佛法的教導經典等京都在地文物相當之多,若是到訪此處之後,相信能幫助旅客提升日本文化的造詣。
地址:京都市東山區茶屋町527
21.京都文化博物館
京都文化博物館是位在京都市中京區的博物館。展示作品有連結京都歷史和文化的繪畫資料、工藝品。1樓的博物館商店中也有販售京都傳統工藝品,相當合適作為伴手禮。此外也設有雜貨店、喫茶店和餐廳,可透過味覺、觸覺、嗅覺等五感來品味京都文化之奧妙。
地址: 京都市中京區三条高倉
22.京都市美術館
京都市美術館是位在京都府京都市岡崎公園之中,於1933年開館的美術館,主要展示著近現代藝術作品。因為館內收藏了許多日本著名藝術家的日本畫、油畫等作品,若是對日本藝術有興趣的人可千萬不要錯過。
地址:京都市左京區岡崎圓勝寺町124
23.京都近代美術館
京都近代美術館是間以京都為首,還展示了關西、西日本等地美術品、工藝品和照片的美術館。其中像是海外知名藝術家亨利·馬諦斯的繪畫也有展示,相當推薦喜歡藝術的朋友。
地址:京都市左京區岡崎円勝寺町
24.京都國際漫畫博物館
京都國際漫畫博物館是日本最大的漫畫博物館,從漫畫的歷史到漫畫產業的連動皆有展示。館內還有可以教導如何繪製漫畫的區域。若你是喜歡日本POP文化的人的話,可不要錯過一探究竟的機會。
地址:京都市中京区烏丸通御池上ル
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25.京都鐵道博物館
京都鐵道博物館是展示有鐵路歷史和與鐵路一起發展的日本歷史的博物館,還設有體驗區。 除了展示有牽引日本近代化的53輛蒸汽火車和新幹線之外,在館內也能登上貨真價實的蒸汽火車。還有在本館2樓也可以使用駕駛模擬器實際體驗駕駛電車。只要實際操作一下,就能知道日本鐵路正確運行的秘密了。
地址:京都市下京區觀喜寺町
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26.細見美術館
細見美術館位在京都市左京區岡崎,是主要展示著日本古美術的博物館。其可看之處在於從神道、佛教美術與茶道美術到琳派·伊藤若沖的江戶繪畫等,網羅日本美術大部分領域、時代的展示。
地址:京都市左京區岡崎最勝寺町6-3
京都推薦觀光景點(其他)
到京都觀光,除了神社寺廟之外,保有京都古都韻味的祇園和楓紅相當美麗的嵐山也不能錯過。
27.祇園
祇園指得是位在八坂神社週邊,極具京都代表性的鬧區,因為有舞妓招待客人的茶莊而知名。 在祇園有被稱作為花見小路通的主要街道,林立著京都才有的傳統工藝品、飲食店和咖啡店。彷彿是被舊城氣氛吸引總是有從許多國內外遊客到此一遊。
地址:京都市東山區祇園町
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28.看盡日本澎湃歷史的二条城
二条城是於1603年築城於平地上的城堡。是讓日本歷史產生很大地變化的「大政奉還」發生地,街中有的外層護城河相當起眼。到此能實際能走進日本城中,是相當貴重的體驗。
地址:京都市中京區二条通堀川西入二条城町541
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29.國之史蹟、名勝觀光地 嵐山
嵐山不僅櫻花美,就連紅葉景色也相當動人,作為京都代表觀光地可說是有相當多值得一看之處。以渡月橋(とげつきょう)為中心,周邊有天龍寺(てんりゅうじ)、結緣的野宮神社(のみやじんじゃ)、清涼寺(せいりょうじ)、松尾大社(まつおたいしゃ)、法輪寺(ほうりんじ)等景點。造訪竹林也別具風情,幾乎可逛之處一天都快要無法全部走完了。
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30.東映太秦映画畫村
東映太秦映画村是位在京都市右京區的電影主題公園。園內重現江戶時期城鎮風貌,還有比劍的表演。此外也能試試忍者體驗、變身體驗,變身成為忍者或是江戶時代的人、公主等等。由於有卡通表演秀,所以家族一同前來也能相當開心。這裡更是東映公司拍攝時代劇的場地,作為《銀魂》真人版電影拍攝現場的太秦映畫村,今年夏天在入口處重現了《銀魂》知名場景「萬事屋事務所」,而連和室也有寫實版的重現喔!
地址:京都市右京區太秦東蜂岡町10
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31.京都塔
京都塔是位在JR京都車站附近,高131公尺的塔。可到高100公尺的展望台上觀賞360度的京都景色。
地址:京都市下京區烏丸通七条下ル 東鹽小路町 721-1
32.圓山公園
圓山公園位在京都府京都市東山區,鄰接八坂神社、知恩院。是相當知名的賞櫻名所,也被指定為國之名勝。必看的地方是在公園內展現出瀑布、池塘等自然景色。與祇園距離不遠,是剛好合適散步的距離。
地址:京都市東山区円山町
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京都市外觀光景點
以上所介紹的都是以京都市內的觀光景點為主,但是其實京都市外也有相當多可看之處,要是旅遊時間天數夠的話,請一定要到天橋立、立岩、伊根等地走走。
33.天橋立
天橋立位在京都府北部,被選為日本三景,是隔著京都府宮津市宮津灣和阿蘇海的沙洲。從傘松公園或是天橋立VIEW LAND看過來的話可以看見此天橋立的絕佳景色。 附近也有從以前就極具名氣的伊勢籠神社和知恩寺等神社佛閣,可以好好享受一趟悠閒自在的旅程。
地址:京都府宮津市
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34.立岩
引用:京都フリー写真素材集
與天橋立所在宮津市距離不遠的丹後市間人浦(たいざうら)這裡,有一個名為立岩(たていわ),浮在海上的巨大岩石。 謠傳是過往要退散棲息在此的鬼怪之際,從天而降的大石。
地址:京都府京丹後市丹後町間人
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35.面海的京都小港城鎮 「伊根町」
京都的港口城市,伊根町是從翠綠色伊根灣展開,而有著一排展開「舟屋(ふなや)」的有名城市。因為來此也能體驗住在舟屋裡,所以不妨留宿一宿,從窗邊眺望寧靜的海洋,是不是相當羅曼蒂克。在町內有女性杜氏在的「向井造酒」酒窖和能品嚐乾海參蓋飯的餐館「Nagisa」。是處能夠體驗與華麗京都完全不同情調的城市。
地址:京都府与謝野郡伊根町
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京都推薦觀光行程
接下來要介紹兩天之內就能逛完京都主要景點的旅遊路線。首先第一天就以東山區為主來繞繞吧。
第一天
早上:錦市場➞京都伏見稻荷神社➞中午:東福寺➞ 清水寺 ➞Kyocafe chacha ➞晚上: 祇園➞八坂神社
第二天
早上:四條烏丸的都野菜賀茂京都風早餐 ➞金閣寺中午: 龍安寺 下午: 嵐山 ➞嵐山和牛料理店「おゝつか」 這樣行程移動距離是合理的,若只是短時間造訪京都的話,推薦可以此方式遊玩。
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京都的「美食」
京都是長久以來的文化中心地,美食文化也長年發展下,衍伸出了精進料理、京懷石等日本飲食型態,也因此在京都有許多延續日本料理精神的店家,以懷石料理來說,「吉兆」是相當有名的老店。雖然懷石料理一餐大約就要2萬日圓,感覺有點昂貴,不過卻可以真的感受到日本的飲食精髓,要是有預算的話,不妨可以去試試看唷。
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京都在地市場ー錦市場
「錦市場」 是大家到京都必排的行程之一。但不知道該從哪一攤開始吃起,這次抹茶小編幫大家整理出最值得一吃的「小吃店九選」,照這著吃準沒錯!
但如果吃得太飽,只想選一家嘗鮮,就來錦市場的「玉子燒專門店」ー三木雞卵。「湯包玉子燒」是這間店的人氣商品,不同於普通的玉子燒,不僅有新鮮的雞蛋及利尻昆布為原料,在製作的過程中還加入日式湯汁在內,也因此玉子燒的內餡特別的水嫩,味道也特別的鮮!
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嵐山和牛料理店「おゝつか」
用遠紅外線慢慢的燒烤高品質的村澤牛肉,村澤牛得過很多獎,在每年日本全國的牛肉品評會中都會得到「最優秀賞」,不只是肉的品質,連料理方式都很講究,肉種稀少、供國內外來訪的客人最高級的美食。
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馬耳東風
馬耳東風使用日本國產雞肉,採用備長炭火烤,當燒鳥上桌時,你會發現整串被烤焦的地方非常少,肉質鮮嫩多汁,而且平價且高品質!因為太受歡迎,在沒有訂位的情況下是很難有位子的喔。
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京都境內推薦咖啡廳
在京都市內散步完之後,就到咖啡館休息一下吧!在京都不僅時髦的咖啡廳,就連傳統咖啡店鋪也有相當多唷。
鴨川河畔的異空間「efish」
在「efish」裡可以恣意眺望流經京都市內的鴨川美景。由於店內窗邊總會撒入自然天光,讓人不自覺地就感覺到心情相當放鬆。相當推薦在京都觀光的時候可以到這裡放鬆一下心情。
靜靜佇立在京都街道上的傳統咖啡廳「佛朗索瓦咖啡館(フランソア喫茶室)」
佇立在高瀨川沿岸的佛朗索瓦咖啡館,有著80年不變的傳統風情,京都市民也相當喜愛。西洋風情的內部陳設是其特色,在此可以喝到咖啡喊品嚐相當有名的起司蛋糕。
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由大眾澡堂所改建的「SARASA西陣」
以過往大眾澡堂改造而成的咖啡廳「SARASA西陣」,不僅僅提供有咖啡、蛋糕等產品,還準備了各國的特色料理。
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京都的伴手禮
除了已經買到膩的生八橋,還有日本人人手一袋的阿闍梨餅(滿月)甜點之外,抹茶挑選出3項伴手禮,讓你除了美食,還有其他選擇可買,回去送禮不用愁翻天。
lululun 京都限定版面膜
藝伎風的lululun 京都限定版面膜,使用木蠟與酒粕成分,具有鎖水以及美白功效,還能讓肌膚變得更滑嫩。(五片不含稅1500日幣)
抹茶色的lululun 京都限定版面膜,使用據說是京都美人胚的法寶秘方:宇治茶葉的兒茶素精油使肌膚滋潤。這款還有淡淡茶香喔! 在各大藥妝店皆可購入(一盒不含稅1500日幣)
「一保堂」京都百年茶鋪
喜歡喝茶的朋友來到京都絕對不能錯過這間近300年歷史,在京都一帶無人不知曉的一保堂茶鋪,茶品選自口感醇厚的宇治茶,從抹茶、玉露到煎茶都能品嘗到一保堂專業的製茶技術與茶品精緻度,是送長輩的首選。 雖然京都車站也可以買到一保堂茶品,但在直營店店內所設置「嘉木喫茶室」,除了能讓旅客能搭配日式和果子茗品茶香外,也體驗日式泡茶樂趣。
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「SOU・SOU」配飾
以「新日本文化的創造」為概念的日式品牌「SOU・SOU」,與日本伊勢木棉製造商臼井織布合作,將江戶時代的古織法傳承,以注重舊時日本傳統的文化,再加上現代創新及舒適感設計產品,熱門商品為穿夾腳木屐所設計的兩趾襪,因將傳統服飾加入新潮文樣設計,大受年輕人歡迎。
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京都購物
新京極・寺町通
從阪急京都線的河原町車站,或是地下鐵東西線的市役所前車站出來步行幾分鐘,馬上就會看到新京極、寺町通商店街,長長的兩條商店街是連通的,裡面東西應有盡有,文具店「鳩居堂」、到上述介紹的「一保堂」及「SOU・SOU」設計店,京都風味的伴手禮都可以在此一網打盡。
查看資訊寺町京極商店街 "map_code":"pin":["title":"u4eacu90fdu5e02u5bfau753au901a","code":"35.0048978648255, 135.76686751352236"],"center":"35.0040366341469, 135.76773654924318","zoom":"17","latitude":"35.0040366341469","longitude":"135.76773654924318"
寺町京極商店街View Map
地址 京都市四条寺町通 營業時間 約11時~21時 休息日 無 建議停留時間 40分以上 Wi-Fi 有 信用卡及其使用種類 無 語言對應程度 日、英 其他語言對應 日、英 最近車站 阪急河原町站 交通方式 搭乘阪急電車至河原町站,步行約一分鐘;或搭乘京阪電車至祇園四条站,步行約五分鐘;搭乘市公車至四条河原町,步行約一分鐘
老舖林立的三条名店街
從京都的三条京阪車站出發,走路不用五分鐘的時間,就可以抵達三条名店街。這是三条通在從河原町到寺町之間是一段有屋頂的商店街,其中包含創業超過三百年的手縫針「福井みすや針」,還有經過七百多年時間淬煉,甚至得到天皇御賜菊花文的「菊一文字」刀具行,雖然只有短短的150公尺,可是聚集了相當多的歷史名店在這喔!
查看資訊三条名店街 "map_code":"pin":["title":"u4eacu90fdu5e02u4e09u6761u6cb3u539fu753a","code":"35.00875588143823, 135.76848399867254"],"center":"35.00877345665139, 135.76924574603277","zoom":"17","latitude":"35.00875588143823","longitude":"135.76848399867254"
三条名店街View Map
地址 京都市三条河原町 營業時間 11時~21時 建議停留時間 30分以上 Wi-Fi 有 信用卡及其使用種類 無 語言對應程度 日、英 其他語言對應 日、英 最近車站 京阪電車 「三条」站 交通方式 搭乘京阪電車至三条,步行約五分鐘
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京都的祭典與市集
接下來要來介紹京都幾個特色祭典與市集,讓大家與在地人一起沈浸在京都氛圍。 京都的祭典有些甚至已經持續了1000年以上,特別是被稱之為京都三大祭的祇園祭、葵祭、時代祭,更是除了日本人以外就連外國人也會特地前來觀看的重要祭典。參加祭典的話,可以看到穿著過往日本傳統服裝的人們登場,更能品味1000年前貴族文化之雅韻。
祇園祭
源自約1100年前為了鎮壓當地流行病而開始的祭典。祇園祭舉辦期間是從7月1日到7月31日為止共計一個月,場地則是在京都的烏丸到河原町間舉行。其中最為熱鬧的會是被稱之為「宵山」(7月14日~16日)和敲擊鑼鼓遊行街道(7月17日)的4天之中。其中相當有魅力的就是可看見大約50名男性拿著高達25公尺鑼鼓在街道中遊行的身影。
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葵祭
Photo By Nobuhiro Suhara 「葵祭」是和祇園祭、時代祭並稱為京都三大祭典中之一。對於現今來說,是能夠知曉約一千年前日本貴族樣貌的重要祭典。祭典時一路從京都御所到下鴨神社、上賀茂神社共延伸8公里長的街道上集結了共約500名身著優雅衣著人士以及數十頭馬、��以及牛車的行列。
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時代祭
此時代祭可以一次觀賞到平安時代到明治時代的轉變。祭典時人們會身著歷史傳統衣物在街上遊行。每年都為了介紹京都的歷史和文化在京都被認定為日本之都的10月22日那天舉辦。祭典中所著衣物、所使用的道具全都是受到專門人士監修而成,是個能夠就近觀賞日本歷史的祭典。
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大文字點火
每年8月16日在京都府京都市左京區的如意嶽等處所舉辦,稱之為五山點火祭(ござんのおくりび),又或是大文字點火(だいもんじのおくりび)的祭典。本是為了將死者亡靈可以順利送至仙界而開始舉辦,現今則是京都的夏季風物詩。在排著文字的燈籠上點上火後,即可在入夜的山顛看見文字浮現的景色。
七夕
七夕也是京都人很喜愛的祭典之一。每年大約都在8月1日到15日左右會在北野天滿宮、二条城和梅小路公園等處進行點燈活動,街道上相當熱鬧。
除此之外,下鴨神社的古書祭、東寺僅在每月21日舉辦的弘法市、五条坂的陶器市等等,京都有許多有趣的祭典,若是停留在京都的時候有遇到祭典的話,請一定要去看看。
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京都市集
來到京都若想體驗在地的人文風景,感受京都人的假日生活,那就要到京都市集逛逛囉!
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【京都】錢到用時方恨少!荷包失血也要逛的京都市集 (上集)
京都最大手作市集 百萬遍知恩寺 (每月15日)
攤位超過三百攤,是京都規模最大的手作市集。百萬遍市集始於西元1987年,由京都在地居民與知恩寺合作,在青空下展出及販售素人手作品。
京都最古老市集 東寺弘法市 (每月21日)
據說弘法市已持續七百多年,是京都最古老的市集。販售商品包含有二手和服、職人製造的刀具、農人清晨剛採收的蔬菜之外,還有許多相當有趣的二手商品跟手作包包、配件等可以挑選。
最適合親子同遊 梅小路公園市集(每月第一個星期六)
位在京都車站南邊的梅小路公園,只要到了每月第一個星期六就會舉辦梅小路公園市集,除了有手作的服飾跟配件之外,還有人帶自家烘培的麵包來擺攤呢!由於交通方便,可以和鐵道博物館一起排進行程喔!
下鴨神社森之手市(一季一次)
佔地三萬多坪的糺之森擁有京都市內少見的原生林,是京都地區非常重要的生態保護區,並與下鴨神社一同被列為世界文化遺產。在不定期舉辦的市集中,不論哪一個季節前來,都能在這個古老樹林中感受到帶有時間感的獨特氣息。在這可以喝到手沖咖啡,手作麵包,與居民近距離交流。
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京都的天氣和合宜服裝
京都是四面環山的盆地地形,因此有著「夏熱、冬寒」的氣候特徵。特別是常被說夏天時街道裡總是充滿了黏黏一般濕氣。冬天則是偶爾也會下雪。建議夏天來訪時著輕便衣物即可,但若是秋天或是冬天來訪,可是要好好的做好防寒對策。
在京都抽煙事項
photo credit: tinou bao via photopin cc
在京都原則上是不能在路上吸菸的。若是在路上吸菸的話,會被罰一千圓罰金。
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賞楓名勝3選
古色古香的寺院神社,配上成群鮮紅楓葉,樹梢偶爾灑落下的陽光,秋風紅葉捎來和風式情懷,讓很多觀光客趨之若鶩。不過京都賞楓景點眾多,Matcha小編今天精選三大必看楓葉私房地點,讓你一覽成群楓紅。
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盡享秋季京都!精選京都10處賞楓地
1. 東福寺
若是跟京都人請教賞楓地點,第一個跳出來的答案絕對是東福寺。 身為京都五大寺院之一,但更為出名的則是東福寺庭院內的2000株楓樹。每到秋季紅葉時期,東福寺境內的楓樹彷若直接潑上紅色顏料般,一整片鮮紅映入眼簾。從寺廟入口處的臥雲橋進入東福寺境內,左手邊立刻登高一覽整個楓樹園全景,壯觀美麗令人驚豔。
若是登上通天橋後,從兩側完全被紅葉包圍,慢慢地走入庭園後,漫步於千株楓樹所搭建成的曾層紅葉下,搭配上飄落地面的丹楓落葉形成的一片紅毯,如詩如畫地美麗景緻令人沉醉。
查看資訊東福寺 "map_code":"pin":["title":"u6771u798fu5bfa","code":"34.97932718025269, 135.7719217148193"],"center":"34.97932718025269, 135.7719217148193","zoom":"13","latitude":"34.97932718025269","longitude":"135.7719217148193"
東福寺View Map
地址 京都府京都市東山區本町15-778 營業時間 4月~10月底 9:00~16:00 11月~12月初 8:30~16:00 12月初~3月底 9:00~15:30 Wi-Fi 無 信用卡及其使用種類 – 最近車站 京阪本線 東福寺駅下車, 交通方式 京阪本線東福寺站, 徒歩約10分鐘。 金額 入寺免費,通天橋400日元 官網 東福寺
2.琉璃光院
有京都人的私房景點之稱,開放時間僅有春、秋兩季,但是絕對是令人屏息的美。
如蜷川實花風格般的琉璃之庭,鮮紅楓葉與黑鬱建築物交錯下的強烈對比,隨著光線不同,楓葉色澤也不斷變換,很適合在這裡靜靜地感受著緩慢流動的時空。
查看資訊琉璃光院 "map_code":"pin":["title":"u7409u7483u5149u9662","code":"35.064421774655194, 135.8084401809509"],"center":"35.064421774655194, 135.8084401809509","zoom":"13","latitude":"35.064421774655194","longitude":"135.8084401809509"
琉璃光院View Map
地址 京都府京都市左京區上高野東山 55 營業時間 僅有春、秋兩季開放入內參觀,2016年秋季參觀預定為10/1~12/4 詳細時間請以官網為準 Wi-Fi 無 信用卡及其使用種類 – 最近車站 叡山電鉄「八瀬比叡山口」站 交通方式 叡山電鉄「八瀬比叡山口」站,經過右手邊的橋右轉直走,約5分鍾。 金額 2000日元 官網 琉璃光院
3. 永觀堂
京都經典賞楓景點之一,最令人驚豔的就是晚上的夜楓。每到秋天賞楓盛季,永觀堂的夜晚就會聚集人潮,在夜燈、旅人稀少的入夜京都,人聲嘈雜的永觀寺周邊顯得異常熱鬧。塔樓、楓葉、燈光、湖面倒影,一切是那麼地相輔相成,和風、禪意、優雅就是這般意境吧。
查看資訊永觀堂 "map_code":"pin":["title":"u6c38u89c0u5802","code":"35.012081811106626, 135.78906915921633"],"center":"35.012081811106626, 135.78906915921633","zoom":"13","latitude":"35.012081811106626","longitude":"135.78906915921633"
永觀堂View Map
地址 京都市左京区永観堂町48 營業時間 09:00~17:00,16:00停止進入 夜楓參拜時間依網站公布為準 Wi-Fi 無 信用卡及其使用種類 – 最近車站 地下鐵蹴上站 公車站南禪寺永觀堂道 交通方式 地下鐵蹴上站,步行約15分鐘。 市區巴士5號到南禪寺永觀堂道站,步行約3分鐘。 金額 平日門票600日元 夜楓門票1000日元 電話號碼 075-761-0007 官網 永觀堂
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如何前往京都?
介紹如何從成田機場、東京都内,以及關西國際機場前往京都市内之交通方式。
從成田機場前往京都
抵達成田機場後想直接前往京都,而不打算安排在東京玩的話,可搭乘成田特快前往東京站或品川站,再轉乘開往京都的新幹線。
【成田機場】→(成田特快)→【東京或品川】→(新幹線)→【京都】 從成田機場搭乘成田特快至東京為2,820日圓,搭至品川為2,990日圓。搭乘新幹線從東京、品川至京都站票價為13,080日圓(自由座)。車程約2小時30分鐘。票價總計約16,000日圓,但若使用Japan Rail Pass即可無限次數搭乘成田特快、新幹線、日本全國鐵道、路線巴士(僅限JR營運之運輸系統)。
若您是預計規劃從東京前往京都等長遠距離移動的遊客,可事先申請Japan Rail Pass。
Voyagin網站購買票券,請按這裡 JR Pass — 全日本鐵路7日/14日/21日周遊券(全球速遞)
從東京前往京都
從東京都内至京都站,可搭乘新幹線及夜行巴士。
搭乘新幹線前往京都站
如欲從東京前往京都,最方便的交通方式就是搭乘新幹線。搭乘新幹線希望號(のぞみ號),可從JR東京站直達京都站,時間約2小時20分鐘,單程票價13,080日圓(2016年8月),車內還會播放英文廣播。
・利用Voyagin,預約訂購新幹線票券。 Voyagin>
搭乘夜行巴士前往京都站
從東京前往京都搭乘夜行巴士比起新幹線便宜。夜行巴士的主要上車處是JR東京站八重洲口的巴士轉運中心和JR新宿站南口的高速巴士總站(バスタ新宿)。從新宿或東京車站前往京都約需要7~9小時,價位平均是6,000~9,000日圓。
搜尋從東京到京都的高速巴士 Kosokubus.com
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如何從關西國際機場前往京都?
從關西國際機場移動到京都市内的交通方式有很多選擇,以下介紹兩個無需轉乘、相對便利的交通方式。
方法1:無需換車!「關空遙號列車(関空特急はるか)」
從關西國際機場搭乘「關空遙號列車」,就可無需換車直達京都。如欲購票可洽京阪神各大車站的綠色窗口或各大旅行社。
票價:自由座 2,770日圓(1,830日圓+940日圓) 對號座 3,080日圓(1,830日圓+1,250日圓) ※乘車券1,830日圓以外,尚需購買依票種而異的特急券
車程:至京都約80分鐘 價格約3,000日圓。從關西國際機場至京都站,車程約80分鐘。
方法2:搭乘開往京都站前的機場利木津巴士
關西國際機場的巴士乘車處有行駛開往京都站前的利木津巴士。 票價:2,550日圓 所需時間:1小時30分鐘
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京都市内交通概況
京都除了JR西日本,還有京都市營地下鐵、近鐵京都線、阪急京都線、京阪本線、叡山電車、市營巴士、京都巴士等大眾交通工具。
京都觀光一日(二日)乘車券
若想玩遍京都市各個觀光景點,推薦您使用京都觀光一日(二日)乘車券,非常方便。使用此票可在1日或連續2日期間內,不限次數搭乘京都市巴士全線、市營地下鐵全線、京都巴士(部分路線除外),京都市內的各大景點幾乎都可使用此乘車券前往。凡購票還會附導覽地圖。
如欲購票可洽以下地點:地下鐵各站售票機、市巴士營業所、市巴士及地下鐵諮詢處、京都巴士營業所(嵐山、高野)、諮詢服務處(出町柳)、東京的京都館。
票價:一日乘車券 全票 1,200日圓 半票 600日圓 二日乘車券 全票 2,000日圓 半票 1,000日圓
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市營巴士
觀光京都最推薦的交通工具就是市營巴士。若是購買一日乘車券的話可以盡情乘坐行駛於京都市内的巴士。可在市巴士、地下鐵諮詢處、定期票販賣處、地下鐵窗口以及市巴士車內購得「市巴士專用一日乘車券」。若事先就已經確定要購買的人,可在到達京都站後直接先前往市巴士・地下鐵諮詢處。
票價:大人500日圓、小孩250日圓。 請注意要是搭乘以下區間的話,會產生其他費用,高雄方面、桂・洛西方面、岩倉・修學院方面、大原方面。
地下鐵
想要遊歷京都觀光名所不可或缺的就是京都地下鐵。由烏丸線(からすません)和東西線兩條線路構成的地下鐵,可以前往京都御所、本能寺、二条城、平安神宮等有名觀光景點。利用地下鐵觀光旅遊的時候使用「市營地下鐵1day free ticket」 相對便利。也一樣是可在市巴士・地下鐵諮詢處所和定期券販賣所或是各地下鐵的販賣窗口購得。
票價:成人600日圓、小孩300日圓。詳情請看京都市交通局的官網。
電車(JR、京阪、阪急、路面電車)
在京都境內共有JR西日本、近鐵京都線、阪急京都線、京阪本線、叡山電車鐵道運行。若是要前往京都市街的嵐山或是比叡,請一定要搭乘鐵道。
路面電車的搭乘方法
在京都市内唯一運行著的「路面電車」,通稱為「嵐電(らんでん)」,運行路線從京福電車的四条大宮站到京福嵐山站。沿線除了嵐山之外,也會途經世界遺產的天龍寺、龍安寺、仁和寺。嵐電的搭乘方式是後方上車、前方下車。從電車中間的門上車,然後從前方門下車時支付車費。票價一律是200日圓。
京都市内區域導覽
①祇園・東山(ひがしやま)
飽含日本傳統文化韻味的祇園・東山此區,絕對是來到京都必定要造訪地區之一。在此充滿歷史韻味的區域內,不僅能觀光,還能親自體驗藝伎、製作和菓子等等飽含日本文化的活動。
②四条河原町・烏丸(からすま)・大宮
推薦給找尋特色伴手禮遊客的是四条河原町・烏丸・大宮區域。此區以多是百貨、商業設施的四條通為中心,此外還有身受學生喜愛,有著許多伴手禮和雜貨店鋪的寺町通。沿著鴨川邊開展的先斗町(ぽんとちょう)通則是佇立著諸多町家改造的時髦餐廳,入夜後燈籠光芒照耀,充滿羅曼蒂克的氛圍。
③北野・北山
在保有傳統風情街道中畫出一條時髦、摩登道路的就是北山區。有許多現代感咖啡廳,滿溢著新潮氛圍。另外,在北野區則是有在全日本也相當之命、奉祀著學問之神的「北野天滿宮」,總是有許多學生前來祭拜。
④嵐山・太秦(うずまさ)
位在稍微偏離京都市區的嵐山・太秦區域是處擁有廣闊自然景色的京都私房景點。特別是楓紅季節時相當美麗,有許多觀光客造訪。
⑤京都車站
京都車站以交疊的鋼筋交織出有如格子狀、充滿未來感的空間,是觀光客進入京都旅遊的玄關。不僅擁有漂亮的外觀,其內也有豐富的百貨商店、購物區域,相當適合想要尋找伴手禮的遊客。此外,車站周邊也友都八喜、永旺等大型家電販賣店、文化復合性設施。
⑥伏見・宇治
以千本鳥居而廣受人知的伏見稻荷大社(ふしみいなりたいしゃ)是伏見本地最知名的觀光景點。一定要來看看身為世界遺產,被刻劃在十圓硬幣上的歷史建物「平等院」(びょうどういん)。宇治也是知名抹茶產地。
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京都的飯店
一年四季都有旅客造訪京都,於是住宿選擇相當多,像是「Kaosan京都guest house」一般的Guest House到「The Ritz-Carlton, 京都」的高級飯店,甚至是可以體驗日本特色的旅館等等應有盡有。其中也相當推薦可以入住房間裡裝飾有藝術品的概念旅館,像是「ANTEROOM HOTEL 京都」就是其一。
根據旅遊行程、預算來決定住宿飯店吧!近來,飯店內也增加了會說英文、中文跟韓文的員工。
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幫助遊客解決疑難雜症的「京都觀光諮詢」
若是有不瞭解之處、碰到什麼麻煩,或者是有什麼想要嘗試體驗的旅遊方案的話,就到「京都綜合觀光諮詢處」(京都総合観光案内所)或位在河原町的「京都市内交通觀光諮詢處」(京都まちなか交通・観光案内所)詢問吧。
位於京都車站內的「京都綜合觀光諮詢處」,只要走出京都車站2F西出站口右轉約步行約30即可。此處服務是針對日本人、海外遊客說明如何前往觀光旅遊處以及推薦旅遊方案。因有會說日文、英文、中文、韓文、北韓話的員工,不用害怕語言不通唷。
由京都府和京都市同經營,內放置有京都市内地圖和活動介紹廣宣。不僅可以協助告知想要前往目的地之交通情報,也放置有像是「春のをどり」等活動的活動票券。就連飯店、Guest House的介紹也有唷。
京都綜合観光咨詢處 地址:京都府京都市下京区東塩小路高倉町8-3 營業時間:08:30~19:00 定休日:年中無休
位在京都市中心的「京都市内交通觀光諮詢處」
在河原町內的「京都市内交通觀光諮詢處」,從四条河原町十字路口往河原町通北上約走五分鐘即可抵達。這裡和京都觀光諮詢處一樣是會說明引導遊客如何前往觀光旅遊處的地方。
有關前往金閣寺、清水寺、下鴨神社等觀光地的交通方式、參拜時間等,或是四條、河原町、錦小路、新京極、寺町等區周邊商店街,還有阪本龍馬相關在地景點等等京都市内觀光景點介紹全都可以協助。甚至體驗工房、餐廳,京都代表店家也會有在地推薦,絕對能夠徹底享受京都旅遊。
京都街道交通・觀光諮詢處 京都市中京區河原町通蛸薬師下ル塩屋町339番地 開館時間:10:00~18:00 公休日:毎週二、12月29日~1月3日
另外,這兩個地方也販售有京都市交通局的一日乘車券、午間優惠回數券和Torafuka京卡(トラフィカ京カード)等優惠京都旅遊票券。若是有想要知道更多京都觀光的資訊的話,就到這兩處地方晃晃吧。
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京都的文化
京都之所以可以保有當初作為日本首都一千年之地位,就是因為保留了藝伎、和服、書道和日本茶等文化之因。
舞伎、藝伎
所謂的舞伎、藝伎指得是在被稱之為「御茶屋」的包廂型餐飲店、料亭內,以舞蹈、歌唱取悅客人的女性們。另外在京都也能在藝伎屋群聚、被稱之為花街(はなまち/かがい)的區域發現其蹤跡。
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和服
若要講到日本傳統服裝的話,就是和服了!據說從江戶時代開始到現在為此,此種前開式用帶子綑綁的衣著形式已經發展的相當完善。此外,平時所穿或是睡覺時所穿的衣物則稱之為浴衣,現在多是在夏天時穿著。但不論是浴衣還是和服,若是想要一個人完成穿衣的話,都是需要練習的。在京都有可以體驗穿著浴衣或和服拍攝照片的店家,如「夢館-ゆめやかた-」,不妨可以試試看。
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友禪染(ゆうぜんぞめ)
友禪染指得是在和服布料上染上顏色和圖樣的傳統技術,在京都尚有幾間店鋪傳承了此技術。因為相當耗時的關係,也同時讓和服能夠呈現出更美麗的顏色。但是以女性和服來說,一件大約都要30~100萬日圓,相當昂貴。
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書道
書道(しょどう)是自古以來用筆墨來表現漢字或是平假名的日本傳統文化之一。本是從中國開啟,但傳進日本後,隨之盛行。
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清水燒
清水燒(きよみずやき)是代表京都傳統工藝品的其中之一。出產於京都的陶器中帶有深紅色、青色等豐富色彩是其特色。
茶、茶道
茶道指得是曾以日本貴族為中心所流行過的泡茶方式。使用抹茶,準備者與接受者兩方依照著特定規則所進行的儀式。有實際可以體驗的場所,請前去試試看。
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日本酒
日本酒指得是用米釀造而成的酒。因為是在日本神道祭祀上貢獻神明的酒,可謂是日本國內不可或缺的酒品。在京都市內也有能夠比較日本酒的BAR,名為「釀 -Jo- Social Sake Bar」。
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除了以上提到的之外,還有在京都的浄慶寺所舉辦「廟之音」音樂會等各式各樣文化活動。若是來京都的話,不僅是觀光,也來體驗一下茶道或是書道等日本文化吧。
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旅遊相關情報
若是想要兌換日圓的時候,請利用銀行的兌換外幣服務,或者是利用7-11的ATM。
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另外,若是手上現金不夠的時候,請記得要找印有「PLUS」標誌的ATM。相當便利的就可以使用海外服務。
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住宿飯店時,若可以說日文的話可以省下不少麻煩。
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此外,在日本有提供給海外觀光客所使用的Wi-Fi服務「Japan Connected-free Wi-Fi」。建議可以事先下載,以便於到日本時可以使用。
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規劃行程時,應該也需要知道大約需要花費的飲食餐費為多少。
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想要好好地玩樂京都
因為京都的街道包含了各式各樣魅力,不論是華麗的祇園周邊,還是有如天橋立一般的自然景色,建議比起只觀光一天,不如多花幾天逛逛較為合適。下回就來看看堪稱是日本文化精髓的京都魅力吧。
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慟哭と吃驚ー小島信夫と小沼丹ー
「第三の新人」と呼ばれた作家たちの中で、小島信夫と小沼丹は、理由は異なるが、どこか収まりの悪い存在に思える。 小島信夫については言うまでもなく、彼が一九一五年生まれと「第三の新人」では最年長であり、それどころか「第二次戦後派」とされる三島由紀夫(一九二五年生まれ)や安部公房(一九二四年生まれ)、井上光晴(一九二六年生まれ)や堀田善衛(一九一八年生まれ)よりも年上、「第一次戦後派」の野間宏や梅崎春生とおない年であるという事実に依っている。これは一九一七年生まれの島尾敏雄が「第三の新人」と「戦後派」のどちらにも入れられていることがあるのに似ているが、小島にかんしては「戦後派」とされているのは読んだことがない。 「第三の新人」という呼称は、山本健吉が「文學界」の一九五三年一月号に発表した同名の論文が初出とされるが、そこで山本が取り上げている作家は「第三の新人」とはあまり重なっておらず、実際にはその後、山本を含む文芸評論家やマスコミが、この時期に文壇に登場もしくは頭角を現してきた一群の小説家たちを、この便利なフレーズの下にカテゴライズしていったということだったのだと思われる。小島は五二年に「燕京大学部隊」と「小銃」(初の芥川賞候補)を、五三年に「吃音学院」を、五四年に「星」「殉教」「微笑」「馬」「アメリカンスクール」といった力作を矢継ぎ早に発表し、五五年に「アメリカンスクール」で芥川賞を受賞する。この経歴からすれば、彼は如何にも「第三の新人」と呼ばれるに相応しい存在だった。 しかし最初期の作品集『公園/卒業式』(冬樹社/講談社文芸文庫)を繙いてみればわかるように、小島は戦前から小説を書いていたし、その中には「死ぬということは偉大なことなので」(一九三九年)のような重要な作品もある。でもまあ「小島信夫=第三の新人」という等号は、文学史的にはごく常識に属すると言っていいだろう。単に他の面子よりも年を取っていたというだけである。 これに対して小沼丹の場合は、もう少し微妙な浮き方をしている。彼も一九一八年生まれと「第三の新人」では年長組だが、そういうことよりもむしろ、存在感というかアティチュードというか、その小説家としての佇まいが、他の「第三の新人」たちとは、かなり異なった風情を持っていると思えるのである。小沼は井伏鱒二の弟子だったわけだが、彼が井伏から受け取った或る種の態度と、それは関係があるのかもしれない。比較的横の繋がりの強い印象がある「第三の新人」の中にあって、小沼は他の作家たちと親しく交流することもあまりなかった(庄野潤三とは付き合いがあったが)。年譜を見ても井伏鱒二と旅ばかりしている。しばしば言われることだが、小沼にとっては、あくまでも早稲田大学の英文学の教授が本職であって、作家活動は趣味というか余技というべきものだった、というのも、あながち間違った見方ではないだろう。もっともそれを言うなら小島信夫も英文学の明治大学教授だったのだが。 小島と同様に「第三の新人」ムーヴメントの頃の小沼の筆歴を記せば、一九五四年上半期に「村のエトランジェ」、下半期に「白孔雀のゐるホテル」、五五年上半期に「黄ばんだ風景」「ねんぶつ異聞」で、計三度、芥川賞候補に挙げられたが、受賞はして���ない。ちなみにそれぞれの回の受賞者は順番に、吉行淳之介、小島信夫/庄野潤三(二名受賞)、遠藤周作と、見事に「第三の新人」で占められている。これ以後、小沼が芥川賞候補になることはなかった。ちなみに五五年下半期には石原慎太郎が「太陽の季節」で受賞し、もはや「第三の新人」が新しかった時代は過ぎ去ってしまう。とはいえ翌五六年には「第三」の近藤啓太郎が「海人舟」で受賞するのだが。 小沼の第一作品集『村のエトランジェ』(みすず書房/講談社文芸文庫)は五四年刊だが、そこには収められている小説には、四〇年代後半には原型が書かれていたものもある。同時期に彼はスティーヴンスンの翻訳や『ガリヴァー旅行記』『ロビンソン・クルーソー』の子ども向け翻案などを手掛けており、大昔の異国を舞台とする「バルセロナの書盗」や「ニコデモ」(ともに四九年)や「登仙譚」(五二年)には、そういった仕事からの影響を窺うことが出来る。 先にも述べたように、小沼丹が「白孔雀のゐるホテル」で候補になり落選した一九五四年下半期の芥川賞は、小島信夫の「アメリカン・スクール」(と庄野潤三「プールサイド小景」)だった。両作の冒頭を引用してみよう。
大学生になったばかりの頃、僕はひと夏、宿屋の管理人を勤めたことがある。宿屋の経営者のコンさんは、その宿屋で一儲けして、何れは湖畔に真白なホテルを経営する心算でいた。何故そんな心算になったのか、僕にはよく判らない。 ……湖畔に緑を背負って立つ白いホテルは清潔で閑雅で、人はひととき現実を忘れることが出来る筈であった。そこでは時計は用いられず、オルゴオルの奏でる十二の曲を聴いて時を知るようになっている。そしてホテルのロビイで休息する客は、気が向けばロビイから直ぐ白いヨットとかボオトに乗込める。夜、湖に出てホテルを振返ると、さながらお伽噺の城を見るような錯覚に陥るかもしれなかった。 コンさんは、ホテルに就いて断片的な構想を僕に話して呉れてから云った。 ーーどうです、いいでしょう? ひとつ、一緒に考えて下さい。 (「白孔雀のゐるホテル」)
集合時間の八時半がすぎたのに、係りの役人は出てこなかった。アメリカン・スクール見学団の一行はもう二、三十分も前からほぼ集合を完了していた。三十人ばかりの者が、通勤者にまじってこの県庁にたどりつき、いつのまにか彼らだけここに取り残されたように、バラバラになって石の階段の上だとか、砂利の上だとかに、腰をおろしていた。その中には女教員の姿も一つまじって見えた。盛装のつもりで、ハイ・ヒールをはき仕立てたばかりの格子縞のスーツを着こみ帽子をつけているのが、かえって卑しいあわれなかんじをあたえた。 三十人ばかりの教員たちは、一度は皆、三階にある学務部までのぼり、この広場に追いもどされた。広場に集まれとの指示は、一週間前に行われた打ち合わせ会の時にはなかったのだ。その打ち合わせ会では、アメリカン・スクール見学の引率者である指導課の役人が、出席をとったあと注意を何ヵ条か述べた。そのうちの第一ヵ条が、集合時間の厳守であった。第二ヵ条が服装の清潔であった。がこの達しが終った瞬間に、ざわめきが起った。第三ヵ条が静粛を守ることだという達しが聞えるとようやくそのざわめきはとまった。第四ヵ条が弁当持参、往復十二粁の徒歩行軍に堪えられるように十分の腹拵えをしておくようにというのだった。終戦後三年、教員の腹は、日本人の誰にもおとらずへっていた。 (「アメリカン・スクール」)
小島信夫は五四年だけで実に十編もの短編小説を発表しているのだが、個人的には「アメリカン・スクール」よりも「星」や[殉教」、そして「馬」の方がすぐれていると思う。単行本『アメリカン・スクール』の「あとがき」で、小島は実際に自分がアメリカン・スクールに見学に行った経験が出発点になってはいるものの、それはごく最近の出来事(「先年」とある)であり、しかも「事件らしい事件は、その時には一つも起らなかった」と述べてから、こう書いている。「僕はこの見学を終戦後二年間ぐらいの所に置いてみて、貧しさ、惨めさをえがきたいと思った。そのために象徴的に、六粁の舗装道路を田舎の県庁とアメリカン・スクールの間に設定してみた。それから今までなら「僕」として扱う男を、群像の中の一人物としておしこめてみた」。 その結果としての、主題的な、話法的な、一種の紛れもないわかりやすさが、芥川賞の勝因だったと言ったら怒られるかもしれないが、「終戦後二年間ぐらいの所」というのだから、一九四七年頃の物語を一九五四年に(五三年の体験をもとに)執筆したこと、それから「六粁」すなわち「往復十二粁」という「行軍」の設定、そして「僕」から「群像の中の一人物」への変換(右引用の少し先で、この小説の主人公というか狂言回し的な人物は「伊佐」という男だとわかる)という三種類の「距離」の導入が、その「わかりやすさ」に寄与していることは間違いない。もちろん小説とはこういうことをするものであるわけだが、「現実」を巧妙にずらすことによって却って「現実味」を増すという操作が、ここでは見事に上手くいっている。と言いつつ、であるがゆえに、わたし的には今ひとつ物足りない気もするのだが。兎角上手くいき過ぎているものはどうもつまらない。だがそれはとりあえず置く。 これに対して小沼丹の「白孔雀のゐるホテル」の場合は、ここで夢見られているホテルの「お伽噺」めいたイメージとは裏腹に、現実の宿屋は二軒長屋を若干改造しただけの古臭くて襤褸い代物で不便この上なく、何故だか自信満々の「コンさん」に驚き呆れた「僕」は、ひと夏の間に六人以上の泊まり客が来るかどうかの賭けをすることになるのだが、その賭けの顛末が綴られてゆく物語は、この時期の小沼小説の一大テーマというべき男女の色恋がメインに据えられてはいるものの、どこか牧歌的であり、こう言ってよければ妙に非現実的な「お伽噺」ぽさの内に全編が展開されるのである。つまりこの小説には「アメリカン・スクール」にあったようなリアリティへの配慮と戦略が著しく欠けている、というかそれはほとんど顧みられていないようにさえ見える。小沼丹がやろうとしているのは、もっとあからさまに「物語」らしい小説であり、その意味では「文学」らしからぬ小説なのである。そのせいで芥川賞を得られなかったのかどうかはよくわからないが、この作風は「第三の新人」においてはやはり異色である。 それは「村のエトランジェ」や、二編と同年発表の「紅い花」など、この頃に書かれた多くの作品にも言える。「エトランジェ」は衝撃的な殺人の目撃シーンから始まるが、現在の感覚からするとまだほとんど子供と言っていい「中学一年坊主」の「僕」の視点から、戦時中に田舎に疎開してきた美人姉妹と若い詩人とのロマンス、そのドラマチック過ぎる結末が、しかしやはりどこか牧歌的な雰囲気の中で物語られる。「紅い花」の舞台は「戦争の始る三年ほど前」だが、「大学予科生」の「僕」によって、郊外の山小屋を借りて独り暮らしを始めた「オスカア・ワイルドのように真紅のダリアを一輪飾った女」の波乱に富んだ恋愛模様が、おそるべきショッキングなラストに向かって物語られてゆく。いずれも極めて人工的なお話になっており、特に「紅い花」には一種の心理サスペンス風ミステリの趣がある。そして実際、この数年後の五七年から五八年にかけて、小沼丹は雑誌「新婦人」に「ニシ・アズマ女史」を探偵役とするユーモラスな短編を連作し、その後も何作かミステリ小説を発表している(「ニシ・アズマもの」は『黒いハンカチ』として一冊に纏められている。ミステリ作家としての小沼の側面にかんしては同書創元推理文庫版の新保博久氏の解説に詳しい)。ミステリに留まらず、五〇年代末から六〇年代頭の小沼はいわゆるジャンル小説にかなり接近しており、当時隆盛を迎えていた「宝石」「オール読物」「小説中央公論」などの中間小説誌にも作品を書いている他、六一〜六二年には新聞小説としてユーモア長編『風光る丘』を連載している。ジャンル的な方向性や出来映えの違いはあるが、デビュー以来、この頃までの小沼の小説は、おしなべて物語的、お話的なものであり、言い替えればそれは、どこか浮き世離れした雰囲気を持っていた。ところが、よく知られているように、この作風は、その後、大きく変化を見せることになる。 一九六三年の四月に小沼丹の妻・和子が急逝する。彼は娘二人と現世に残された。翌六四年には母親も亡くしている。そして同年五月に、のちに「大寺さんもの」と総称されることになる連作の第一作「黒と白の猫」が発表される。 この小説は、次のように始まる。
妙な猫がいて、無断で大寺さんの家に上がりこむようになった。ある日、座敷の真中に見知らぬ猫が澄して坐っているのを見て、大寺さんは吃驚した。それから、意外な気がした。それ迄も、不届な無断侵入を試みた猫は何匹かいたが、その猫共は大寺さんの姿を見ると素早く逃亡した。それが当然のことである、と大寺さんは思っていた。ところが、その猫は逃出さなかった。涼しい顔をして化粧なんかしているから、大寺さんは面白くない。 ーーこら。 と怒鳴って猫を追つ払うことにした。 大寺さんは再び吃驚した。と云うより些か面喰つた。猫は退散する替りに、大寺さんの顔を見て甘つたれた声で、ミヤウ、と鳴いたのである。猫としては挨拶の心算だったのかもしれぬが、大寺さんは心外であった。 (「黒と白の猫」)
以前から身辺雑記的なエッセイは発表していたが、この作品によって小沼丹はいわば「私小説的転回」を果たしたとされることが多い。淡々とした、飄々とした筆致から「大寺さん」の、とりたてて劇的な所のない平凡な日常が浮かび上がり、いつの間にか自宅に上がり込むようになった猫の話が綴られてゆくのだが、小説の後半で「大寺さん」は妻を突然に亡くす。しかしそのことを伝える筆致もまた、どこか淡々と、飄々としている。事情を知る読者は、おそらく作家自身に現実に起こったのも、こんな感じであったのかもしれないと思う。そしてこの作品以後、かつてのような人工性の高い「お話」は、ほとんど書かれなくなってゆく。これが多分に意識的な「転回」であったのだということは、次の文章でもわかる。
小説は昔から書いているが、昔は面白い話を作ることに興味があった。それがどう云うものか話を作ることに興味を失って、変な云い方だが、作らないことに興味を持つようになった。自分を取巻く身近な何でもない生活に、眼を向けるようになった。この辺の所は自分でもよく判らないが、この短編集に収録してある「黒と白の猫」という作品辺りから変わったのではないかと思う。 (「『懐中時計』のこと)
作品集『懐中時計』は一九六九年刊。右は九一年に講談社文芸文庫に収められた際に附された「著者から読者へ」より抜いた。この先で「黒と白の猫」についてあらためて触れられているのだが、それは(明記されていないが)一九七五年発表の「十年前」というエッセイの使い回しとなっている。なので以下は同エッセイ(『小さな手袋』所収)から引用する。「十年前」とは勿論「黒と白の猫」が書かれた時のことである。
日記には「黒と白の猫」を書き終わって、一向に感心せず、と書いているが、これはそのときの正直な気持ちだろう。尤も書き終って、良く出来たと思ったことは一度も無いが、この作品の場合は自分でもよく判らなかったような気がする。よく判らなかったのは、主人公に初めて「大寺さん」を用いたからである。 突然女房に死なれて、気持の整理を附けるためにそのことを小説に書こうと思って、いろいろ考えてみるがどうもぴったり来ない。順序としては一人称で書いたらいいと思うが、それがしっくりしない。「彼」でも不可ない。しっくりしないと云うよりは、鳥黐のようにあちこちべたべたくっつく所があって気に入らなかった。此方の気持の上では、いろんな感情が底に沈殿した上澄みのような所が書きたい。或は、肉の失せた白骨の上を乾いた風邪が吹過ぎるようなものを書きたい。そう思っているが、乾いた冷い風の替りに湿った生温い風が吹いて来る。こんな筈ではないと思って、一向に書けなかった。 それが書けたのは、大寺さん、を見附けたからである。一体どこで大寺さんを見附けたのか、どこから大寺さんが出て来たのか、いまではさっぱり判らない。 (「十年前))
「兎も角「僕」の荷物を「大寺さん」に肩代りさせたら、大寺さんはのこのこ歩き出したから吻とした。しかし、出来上がってみると、最初念頭にあった、上澄みとか、白骨の上を吹く乾いた風の感じが出たとは思われない。それで一向に感心せずとなったのだろう」と小沼は続けている。ここでわたしたちは、小島信夫が「アメリカン・スクール」について「今までなら「僕」として扱う男を、群像の中の一人物としておしこめてみた」と語っていたことを思い出す。つまり小島も小沼も、一人称を架空の固有名詞に変換することによって、或る転回を��し得ている。興味深いことに、「私」で/と書くのを止めることが、むしろ「私/小説」を誕生、もしくは完成させているのである。 「アメリカン・スクール」前後の小島信夫の小説で、一人称の「僕」もしくは「私」で書かれていないのは、他には「声」(一九五五年)など数える程しかない。一九五五年には初の長編小説『島』の連載が「群像」で開始されるが、これも人称は「私」である。そして長編小説にかんしてみると、続く『裁判』(一九五六年)、『夜と昼の鎖』(一九五九年)、『墓碑銘』(一九六〇年)、『女流』(一九六一年)は全て一人称で書かれている。そして小島が初めて三人称で書いた長編小説が、他でもない『抱擁家族』(一九六五年)なのである。その書き出しは、次のようなものである。
三輪俊介はいつものように思った。家政婦のみちよが来るようになってからこの家は汚れはじめた、と。そして最近とくに汚れている、と。 家の中をほったらかしにして、台所へこもり、朝から茶をのみながら、話したり笑ったりばかりしている。応接間だって昨夜のままだ。清潔好きの妻の時子が、みちよを取締るのを、今日も忘れている。 自分の家がこんなふうであってはならない。…… (『抱擁家族』)
この「三輪俊介」は『抱擁家族』から三十二年後の一九九七年に刊行された長編『うるわしき日々』に(それだけの年を取って)再登場する。当然のことながら、一人称で書かれているからといって作者本人とイコールでないのと同じく、三人称で書かれているからといって作者とまったく無関係とは限らない。小島の他の長編小説、たとえば大作『別れる理由』(一九六八〜八一年まで連載)の「前田永造」であるとか『美濃』(一九八一年)の「古田信次」であるとかも、基本的には「小島信夫」の別名であると言ってしまって構わない。これはあらためてじっくりと論じてみたいと思っていることだが、日本文学、少なくとも或る時期以降の「日本」の「文学」は、煎じ詰めればその大半が広義の「私小説」である。それは人称の別にかかわらず、そうなのだ。その中にあって小島信夫は、かなり特異な存在だと言える。何故ならば小島は、自身の人生に材を取って膨大と言っていい小説を書いたのみならず、それらの小説群によって自らの人生自体をも刻々と小説化=虚構化していったからである。だが本稿ではこの点にはこれ以上は踏み込まず、小沼丹との比較対照に戻ることにする。それというのも、言うまでもないが『抱擁家族』でも「三輪俊介」の妻が亡くなるからである。 『抱擁家族』は、前半では「三輪俊介」の妻である「時子」と、三輪家に出入りしていたアメリカ兵ジョージとの姦通(次いで三輪家の二番目の家政婦である「正子」と息子の「良一」も関係を持つ)によって生じた「家/族」の危機が、後半では「時子」が癌に罹り月日を経て死に至るまでと、それ以後が描かれる。現実の小島信夫の最初の妻・キヨは、一九六三年十一月に数年の闘病生活の末に亡くなっている。これは小沼丹の妻の死の半年後のことである。小島信夫の代表作、おそらく最も有名な作品であろう『抱擁家族』は発表以来、さまざまに読まれてきた。言わずもがなではあるが、よく知られた論としては、実質的に「第三の新人」論と呼んでいい江藤淳『成熟と喪失』(一九六七年)が挙げられるだろうが、今から見れば些か過剰に社会反映論的とも思えるそこでの江藤の立論は、たとえ当たっていたとしてもわたしにはあまり面白くはない。今のわたしに面白いのは、たとえば小島の最初の評論集である『小島信夫文学論集』(一九六六年)収録の「『抱擁家族』ノート」における、次のような記述である。
時子の死ぬところがうまく行かない。つまらない。自然の要素が強すぎる。 しかし、ここをとるわけには行かない。一応こういう自然の時間を追うスタイルの小説だからである。
小説の推移、一つ一つの会話がそのまま混沌としていて、しかも人生そのものというようにすべきである。そのくらい複雑でなければ、こういう問題を書く意味がない。 (「『抱擁家族』ノート」)
二つの断片を引いた。この「ノート」は、小島が実際に『抱擁家族』執筆に当たって作成した創作メモがもとになっているそうだが、最後の一文に「俊介は狂っている」とあり、思わず戦慄させられる。周知にように、小島信夫は小説と同じくらい、ことによるとそれ以上の労力を傾注して多数の小説論を書いた作家だが、自作にかかわる論においては常に、右の引用に示された紛れも無いパラドックスをめぐる葛藤が旋回している。すなわち「小説」と「自然の時間=人生そのもの」との、ややこしくもあり単純でもある関係性が孕むパラドックスである。それは小沼丹が「突然女房に死なれて、気持の整理を附けるためにそのことを小説に書こうと思って、いろいろ考えてみるがどうもぴったり来ない。順序としては一人称で書いたらいいと思うが、それがしっくりしない」と悩んだあげくに、ふと「大寺さん」を発見したのと同じことである。 それならつまり、小島信夫も小沼丹も、自らの実人生に起きた、たとえば「妻の死」という決定的な出来事、悲劇と呼んで何ら差し支えあるまい出来事を、如何にして「小説」という虚構に落とし込むかという試行に呻吟した結果、それぞれにとっての小説家としてのブレイクスルーを成す『抱擁家族』と「黒と白の猫」という「三人称の私小説(的なるもの)」が産み落とされたのだ、と考えればいいのだろうか。それはまあそうなのだが、しかし両者の対処の仕方は、一見すると対照的である。『抱擁家族』では、夫である「三輪俊介」が、妻である「時子」の死に対して激しく動揺し、狼狽し、慟哭するさまが執拗に描かれている。その様子は勿論シリアスなものではあるが、しかし同時に奇妙な諧謔味を湛えてもおり、そしてその諧謔がぐるりと廻って哀しみを倍加する、というようなものになっている。それは名高い「私の妻は病気です。とても危いのです。その夫が私です」という台詞に象徴されているが、そこに作家自身の生の感情が吐露されていると考えてはならない。「アメリカン・スクール」で施されていたのと同様の戦略と計算が、ここにはより大胆かつ精妙に働いている。 たとえば次の場面には、小島の独特さが現れている。
病院での通夜までの間に一時間あった。その間、彼は病院の玄関に立っていた。涙がこみあげてきて、泣いているとうしろで廊下をするような足音がした。ふりかえるとカトリックの尼が、トイレから出てきたところで、トイレのドアがまだ動いているところであった。 二人の尼は俊介のところへおびえるようにして近よってきた。 「お亡くなりになったそうで」 眼から涙がこぼれおちてくる、と俊介は思った。 「先日はどうも」 と彼は口の中でいった。 「祈ってあげて下さい」 と若い女の方がいった。 「それは僕も祈りつづけてきたのですが、祈る相手がないのですよ。だからただ祈り、堪え、これからのことを考えるだけです」 「あなたは、今、神に近いところにおいでになりますよ」 「なぜですか」 俊介は尼について歩きはじめた。 「家内に死なれたからですか。これは一つの事業ですよ。その事業をぶざまになしとげただけのことですよ」 俊介の涙はとまった。 「ただ僕は子供がふびんで……これからどうして暮して行ったらいいのだろう。ずっと前から予想していたが、やっぱり思いがけないことが起きたのです」 (『抱擁家族』)
「『抱擁家族』ノート」には、こうある。「カトリックの尼を出す。時子は求めているらしいのに、追払う。こういう錯覚、洞察力のなさが俊介にはある。神の問題は、この程度にしかあらわれない。そういうこと、そのことを書く」。これはつまり、敢て、故意にそうしている、ということである。小島は、あくまでも意識的なのである。小島は「演劇」にも関心の深かった作家だが、ある意味で「三輪俊介」は、演劇的に慟哭してみせているのだ。 小島信夫は徹底して方法的な作家であり、彼の方法意識は『抱擁家族』でひとつの極点に達し、それから数十年をかけて、ゆっくりと小島信夫という人間そのものと渾然一体化してゆくことになるだろう。従って、それはやがて「方法」とは呼べなくなる。だが、ともかくも言えることは、『抱擁家族』という小説が、たとえ表面的/最終的にはそう見えなかったとしても、実際には精巧に造り込まれた作品なのだということである。以前の作品と較べて、明らかにスカスカを装った文体や、一読するだけではどうしてそこに置かれているのかよくわからない挿話、あまり意味のなさそうな主人公の述懐さえ、周到な準備と度重なる改稿によって編み出されたものなのである。 小沼丹の「大寺さんもの」は、「黒と白の猫」に始まり、計十二編が書かれた。最後の「ゴムの木」の発表は一九八一年なので、実に十七年にわたって書き継がれたことになる。いずれも、ほぼ作家と等身大とおぼしき「大寺さん」の日々が綴られている。そこでは確かに、お話を「作らないこと」が慎ましくも決然と実践されているようであり、また「自分を取巻く身近な何でもない生活に、眼を向け」られていると読める。この意味で、小沼の姿勢は小島信夫とは些か異なっているかに思える。 だが、ほんとうにそうなのだろうか。「黒と白の猫」の、今度は末尾近くを読んでみよう。
大寺さんは吃驚した。 例の猫が飼主の家の戸口に、澄して坐っているのを発見したからである。大寺さんは二人の娘に注意した。娘達も驚いたらしい。 ーーあら、厭だ。あの猫生きてたのね。 ーーほんと、図々しいわね。 この際、図々しい、は穏当を欠くと大寺さんは思った。しかし、多少それに似た感想を覚えないでもなかった。大寺さんもその猫は死んだとばかり思っていたから、そいつが昔通り澄しているのを見ては呆れぬ訳には行かなかった。 (「黒と白の猫」)
この短編を、そして続く「大寺さんもの」を読んでゆく誰もが気付くこと、それは「大寺さん」が、やたらと「吃驚」ばかりしていることである。もちろん小沼丹の小説には、その最初期から「吃驚」の一語が幾度となく書き付けられてはいた。たとえば「村のエトランジェ」の冒頭も「河の土堤に上って、僕等は吃驚した」である。『黒いハンカチ』の「ニシ・アズマ」も、一編に一回は「吃驚」している。だが、それでも「大寺さんもの」における「吃驚」の頻出ぶりは、殆ど異様にさえ映る。なにしろ「大寺さん」は、悉く大したことには思えない、さして驚くには当たらない小さな出来事にばかり「吃驚」しているのだ。そして/しかし、にもかかわらず「大寺さん」は、真に不意打ちの、俄には信じ難い、受け入れ難い出来事に対しては、むしろ淡々としている。その最たるものが、身近な者たちの「死」に向き合う態度である。「黒と白の猫」には「細君が死んだと判ったとき、大寺さんは茫然とした。何故そんなことになったのか、さっぱり判らなかった」とある。彼は「茫然」としはするが、そのあとはせいぜい「しんみり」するくらいで、取り乱すことも、泣くこともない。「茫然」は、あっさりと恬然に、超然に席を譲るかにさえ思える。演劇的なまでにエモーショナルな『抱擁家族』の「三和俊介」とは、まったくもって対照的なのである。つまり「大寺さん」の「吃驚」は、実際の出来事の強度とは殆ど反比例しているのだ。 「大寺さんもの」第三作の「タロオ」(一九六六年)は、タロオという飼犬のエピソードで、最後にタロオは知人のAの所に貰われてゆく。
大寺さんがタロオを見たのは、それが最后である。タロオはその后十年以上生きていて死んだ。死ぬ前の頃は、歯も悉皆抜けて、耳も遠くなって、大分耄碌していたらしい。老衰で死んだのである。 その話を大寺さんはAから聞いた。 ーータロオが死んだとき、とAは云った。お知らせしようかなんて、うちで話していたんです。そしたら、奥さんがお亡くなりになったと云うんで、吃驚しちゃいまして…… ーーうん。 大寺さんの細君はその二ヶ月ばかり前に突然死んだのである。 (「タロオ」)
ここには「吃驚」の一語があるが、それは「大寺さん」のものではない。この短編で妻の死が持ち出されるのはこのときが最初で、そしてこれだけである。あと数行で、この小説は終わる。「……タロオをルック・サックに入れて持って来て呉れたTも、五、六年前に死んだっけ、と思った。そして、みんなみんないなくなった、と云う昔読んだ詩の一行を想い出したりした」。この幕切れは寂寞としてはいるが、哀しみと言うにはやはり妙に飄然としている。 「大寺さんもの」を通して、小沼丹は繰り返し繰り返し、幾つもの「死」を話題にする。それは疑いもなく作家自身が「身近な何でもない生活」の中で現実に出逢った「死」がもとになっている。要するに「大寺さんもの」とは、死をめぐる連作なのだと言ってもいいくらいに、そこでは死者たちの思い出が語られている。しかし、にもかかわらず、小沼の筆致はその点にかんして��、いや、とりわけそれに限って、只管に抑えられており、そしてその代わりに、彼の言う「何でもない生活」の周囲に、夥しい数の「吃驚」が配されているかのようなのだ。 だとしたら、これは、これもまた、一種の「お話」と言ってしまっていいのではあるまいか。小沼丹は「黒と白の猫」で変わったわけではなかった。彼の創意と技術は、むしろ以前よりも研ぎ澄まされていったのだ。小島信夫とは別の「方法」によって、だが底の底では極めてよく似た動機に突き動かされて、小沼は「大寺さん」というキャラクターを造り上げていったのではなかったか。その「動機」とは、受け入れ難いのに受け入れなくてはならない出来事を受け入れざるを得なかった、この自分を虚構化=小説化する、ということだった。 「大寺さんもの」の最終篇「ゴムの木」の終わりを引用して、本稿を閉じることにしたい。「黒と白の猫」が「黒と白の猫」のお話だったように、「タロオ」が「タロオ」のお話だったように、これは「ゴムの木」のお話である。
いつだったか、大寺さんの娘の秋子が、ちっぽけな男の子を連れて大寺さんの家に遊びに来たとき、何かの弾みで想い出したのだろう、 ーーウエンズさんに頂いたゴムの木、どうしたかしら? まだ、あります? と訊いた。 ーーあれだ。 と大寺さんが教えてやると、 ーーまあ、驚いた。あんなに大きくなったの……。 と眼を丸くした。大寺さんも何となくゴムの木を見ていたら、青い葉の傍に恨めしそうな眼があったから吃驚した。 (「ゴムの木」)
最後の「吃驚」に、わたしは思わず吃驚した。この「眼」はいったい何なのか、まったく説明はない。まるで「村のエトランジェ」の頃に戻ったかのようではないか。しかしこれ以降、小沼丹の小説は、ますますエッセイと見分けがつかなくなってゆく。彼は一九九六年、七七歳で没した。「ゴムの木」が書かれたのと同じ一九八一年、小島信夫は大作『別れる理由』の連載を終え、『女流』の続編である『菅野満子の手紙』の連載を始め、『美濃』を刊行した。小島は二〇〇六年、最後の長編『残光』を発表し、それから間もなく亡くなった。九一歳だった。
(初出:三田文学)
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【アンケート企画】 「2018年の3本」
WLでは読者のみなさんから2018年に見た舞台作品の中で印象に残った3本を、その理由などを書いたコメントとあわせて募るアンケートを実施しました。WLスタート以来毎年行っているこの企画、4回目の今回は17名の方にご参加いただきました。掲載は到着順です。
まなぶ(司書) ・北海道余市紅志高等学校『おにぎり』(サントミューゼ) ・志賀澤子『ROSE ローズ』(シアターΧ) ・スペースノットブランク『舞台らしき舞台されど舞台』(カフェムリウイ) 『おにぎり』高校演劇を観始めて1年半くらいたつが、初めて全国大会に参加することができた。何回も反芻してもう一度観たいのは『おにぎり』で、野球部員が黙々とおにぎりを握るあの静けさをまた体験したい。と思ったら東京学芸大が再演するそうなのでたのしみ。で、高校生たちのうち何人が演劇/観劇を続けるのだろう。 『ROSE ローズ』3回鑑賞して、演者だけでなく観客としての私自身の変化を定点観測的に感じることができた。安すぎる価格設定や毎回のアフタートークなど、シアターΧの取り組みは素晴らしいと思う。両国門天ホールを含めて両国によく通った一年だった。再演文化の定着は私も希望したい。 『舞台らしき舞台されど舞台』信頼があるからこそ演者や観客に負荷をかけることができる。せんがわ劇場演劇コンクールや高松アーティスト・イン・レジデンスへの参加など、積極的に外に出ようとする姿勢が創作の源泉になっているのだと思う。(年間観劇本数:83)
中西理(演劇舞踊評論) ・劇団ホエイ『郷愁の丘ロマントピア』(こまばアゴラ劇場) ・青年団『日本文学盛衰史』(吉祥寺シアター) ・範宙遊泳『#禁じられた遊び』(吉祥寺シアター) 山田百次(青年団演出部、劇団ホエイ)の劇作家・演出家・俳優としての八面六臂の活躍ぶりには凄いものがあった。作・演出・出演を兼ねる劇団ホエイでは北海道三部作の完���編として夕張の炭鉱町に生きた男たちの群像をみごとに描き出した「郷愁の丘ロマントピア」を上演した。俳優として出演したオフィスコットーネ「山の声」も忘れがたい名演であった。青年団はこの山田を代表に演出部の作家たちの群雄割拠の活動が目立ったが、平田オリザの新作「日本文学盛衰史」も明治の文学者たちの生き様を現代と重ね合わせた傑作。青年団以外では範宙遊泳の山本卓卓も引き続き存在感を見せた。(年間観劇本数:250)
野呂 瑠美子(一観客) ・東京ハンバーグ『夜明け前、私たちは立ち上がる』(シアターサンモール) ・ナショナル・シアター・ライヴ『Young Marx』(TOHOシネマズ日本橋) ・西瓜糖『レバア』(テアトルBONBON) 過疎化している貧乏な地域が狙われるという鉄則通り、標的の町となった三重県芦浜原発の、地元有志による37年に渡る白紙撤回闘争の有様が、懐かしい伊勢弁とともに心に滲みた「夜明け前、私たちは立ち上がる」。札びらで頬を撫でられて、次々と屈服していく人々や、それでも闘志をかきたててピケを張りに行く人々の姿が沖縄やフクシマと重なった。また、西瓜糖「レバア」も敗戦後の日本人のたくましさや惨めさをリアルに描き、半壊した洋館など舞台美術も役者の演技も秀逸。イギリスの舞台はどれを見ても水準が高く、俳優の層の厚さ、舞台美術、斬新な演出など、どれをとっても素晴らしいものが多いが、「Young Marx」は舞台装置と場面転換の妙、俳優たちの名演で、深刻な話を明るくコメディタッチで描き、最初から最後まで楽しめた。(年間観劇本数:70)
kiki(地方公務員) ・iaku『粛々と運針』(こまばアゴラ劇場) ・青年団リンク やしゃご『上空に光る』(アトリエ春風舎) ・MCR『櫻井さん』(OFF・OFFシアター) 自分の好みが変わったことを気づかされる3本。それぞれに、人が生きていく中で出会う行き場のない想いを鮮やかに切り取っていた。 粛々と運針:題材・構成・演出・俳優等がとてもよく噛み合って、芝居というものの面白さってこういうことだよなぁ、と思わせられた。 上空に光る:正解なんかない、それぞれの抱えたものは抱えたままで、それでも生きていくしかない人々の物語。特定の状況を丁重に描きながら、その中に普遍的なものが息づいていた。 櫻井さん:変な奴ばかり出てくるのに、どうしてこんなに刺さるんだろう。声を立てて笑ってるのに、いたたまれないくらい遣る瀬ない。ヒリヒリするほど酷い話なのに、登場人物たちへ向ける眼差しはどこかやさしい。この奇妙な物語を観ることができてよかった。(年間観劇本数:139)
青木 克敏(地方公務員) ・iaku『逢いにいくの、雨だけど』 ・iaku『梨の礫の梨』 ・オーケストラ・アンサンブル金沢『ペリアスとメザリンド』 iakuの横山拓也さんの活躍、そして深化が著しかった。3作品全て横山作品としたいぐらいでしたが、8月に上演されたボルドー国立歌劇場との共同プロダクションが素晴らしかったので。(年間観劇本数:40)
北村 紗衣(研究者) ・東宝『おもろい女』(シアタークリエ) ・『ヴェニスの商人』(ユタ・シェイクスピア・フェスティヴァル) ・ナショナル・シアター・ライヴ『ジュリアス・シーザー』 舞台を撮って映画館で上映するという形式がどんどん力を増しているように感じます。(年間観劇本数:118 )
矢作 勝義(劇場プロデューサー) ・mizhen『溶けない世界と』(日暮里d-倉庫) ・スペースノットブランク『ネイティブ』(せんがわ劇場) ・iaku『逢いにいくの、雨だけど』(三鷹市芸術文化センター星のホール) 今年の3本は、さらなる活躍が期待される3つのカンパニーの作品を選びました。並びは観劇順。mizuhenの作・演出の藤原佳奈は世界を切り取る独特な視点の面白さが秀逸。スペースノットブランクの小野彩加と中澤陽はオリジナリティーに溢れ、今後どのような作品を見せてくれるか楽しみ。特に小野さんの身体能力の高さは注目。iakuの横山拓也は、繊細かつ緻密に物語を紡ぎ出し、三鷹の大きな空間を生かした美術と演出により、iakuの作品の可能性をさらに広げた。 もちろん、先行世代も素晴らしい作品を上演した一年でした。穂の国とよはし芸術劇場で上演された糸井幸之介と木ノ下裕一による「とよはしの街の物語」、桑原裕子によるKAKUTA「ねこはしる」をはじめ、岡田利規、長田育恵、金山寿甲、柴幸男、詩森ろば、高木登、谷賢一、タニノクロウ、中村暢明、野木萌木、藤田貴大などのアーティスト達の2019年が楽しみです。(年間観劇本数:169)
和哉 遊柘 (観客) ・ヨーロッパ企画『サマータイムマシン・ワンスモア』(本多劇場) ・TEAM NACS『PARAMUSHIR~信じ続けた士魂の旗を掲げて』(森ノ宮ピロティホール、赤坂ACTシアターほか) ・くによし組『ケレン・ヘラー』(王子小劇場) ・精緻で巧みでそして何より面白い。前作より登場人物が増えたのに魅力が増してるのはマジックとしか言い様がない。傑作。 ・このカンパニーで今できるベストの公演かつ演出家として森崎博之の持ち味のエモーショナルさ・ダイナミックさが遺憾無く発揮されている。 ・切実で突き刺さる物語とその疾走感もいい上に、二人一役の必然性のある演出もぴったり嵌っていた。 他、次点で、ブラボーカンパニー『タイトル未定2018』『サムシング・ロッテン!』は、ほぼ同時期に福田雄一が関わる作品で双子のような作品でセットとして観ても面白い。 今年は良作は多数あったが傑作は少ない印象で物足りないのが正直なところ。また中~大劇場規模の演出が出来る演出家やその規模の客席を埋められる人材不足が目に付く。中~大規模の舞台を観る身としては、早急に見直しをお願いしたい。特に演出家は急務では。(年間観劇本数:103 )
薙野 信喜(無職) ・ヨーロッパ企画『サマータイムマシン・ワンスモア』(西鉄ホール) ・フィリップ・ドゥクフレ/DCA『新作短編集(2017)―Nouvelles Pièces Courtes』(北九州芸術劇場) ・KERA•MAP『修道女たち』(北九州芸術劇場) 2018年もいい舞台が九州で観られたのはありがたかった。選んだ3本以外にも、二兎社「ザ・空気 ver.2 誰も書いてはならぬ」、「老いと演劇-OiBokkeShi《オイ・ボッケ・シ》の活動から学ぶ「人生100年時代」の生き方!」、中村敦夫一人芝居「朗読劇 線量計が鳴る」、SPAC「寿歌」などのすばらしい舞台が多かった。九州の劇団では、 最新旧型機クロックアップ・サイリックス「上下左右」、go to・Theちゃぶ台「愛の讃歌」がおもしろかった。九州で作られた、北九州芸術劇場プロデュース「彼の地Ⅱ」、ニコちゃんの会「走れ!メロス。」も楽しめた。(年間観劇本数:129)
町田 博治(会社役員) ・静岡県立三島北高校演劇部『またね。』(山梨県立県民文化ホール) ・青年団『日本文学盛衰史』(吉祥寺シアター) ・モメラス『反復と循環に付随するぼんやりの冒険』(北千住 BUoY) 3作品を選ぶのはかなり難しい。初見の作品を選ばせていただいたが、再演の作品にも、SPAC『マハーバーラタ』、iaku『粛々と運針』、劇団こふく劇場『ただいま』など素晴らしい作品が多くあった。今年の3作品以外にも、ホエイ『郷愁の丘ロマントピア』、千葉県立松戸高校『Time After Time (「インディアンサマー」より)、iaku『人の気も知らないで』、『逢いに行くの、雨だけど』、うさぎストライプ『空想科学Ⅱ』など素晴しかった。 『またね。』高校生達の葛藤を深く掘り下げた見事な脚本と演技で魅せられた。女性、女子高生だから書けた女子同士の関係性や友達関係が崩れたあとの女子の葛藤を、受験を柱に深く掘り下げた見事な作品。 『日本文学盛衰史』日本文学と演劇への青年団からのエール。 『反復と循環に付随するぼんやりの冒険』これぞ演劇。観終わったあとの高揚感が凄かった。役者の演技も出色だった。(年間観劇本数:316)
りいちろ (会社員) ・マームとジプシー『BEACH』(VACANT) ・iaku 『逢いにいくの、雨だけど』(三鷹市芸術文化センター星のホール) ・マコンドープロデュース『空と東京タワーの隣の隣』(下北沢 スターダスト) 3本は演劇だから受け取りうる、言葉に為しえない細微で立体的な記憶の感触に深く染められた舞台。 演劇だからということでは、シリアルナンバーや劇団チョコレートケーキなどの作品たちが編む世界観にも心揺さぶられた。長田育恵戯曲達の強さと確かさにも痺れる。RoMT『ギャンブラーの為の終活入門』、MCR『親展』、サカサマナコ『静かな欠片』なども圧巻だった。 モダンスイマーズ、シリアルナンバー、MCR、泣かないで、毒きのこちゃんなどによる過去作品群の再演があり、回顧ではなく作り手の踏み出しと感じることがとても豊かに思える。qui-co、月刊根本宗子、くによし組、ピヨピヨレボリューション、キュイ、mizhen、第27班、アナログスイッチ、牡丹茶房、日本のラジオ、肋骨蜜柑同好会、劇団普通、遠吠え、やみ・あがりシアター、ワワフラミンゴ、書ききれない程多くの作り手たちの企てや進化が心強く思えた一年でもあった。(年間観劇本数:330)
片山 幹生(WLスタッフ) ・ゲッコーパレード『リンドバークたちの飛行』(早稲田大学演劇博物館) ・ゴールド・アーツ・クラブ『病は気から』(彩の国さいたま芸術劇場 大ホール) ・iaku『逢いにいくの、雨だけど』(三鷹市芸術文化センター星のホール) ゲッコーパレード『リンドバークたちの飛行』は2018年に見たなかで最も印象的な舞台だった。早稲田大学演劇博物館という空間の特性を十全に利用した見事な演出。リンドバークを引き受けた河原舞は観客たちをかの地への旅へと誘う魅力的なパイロットとなった。彼女の身体と声が伝えるリンドバークのことばに観客はさまざまな隠喩を読み取ったはずだ。ノゾエ征爾演出の『病は気から』は数百人の素人老人俳優のエネルギーに満ちた驚異的な規模と発想のモリエール劇だった。今年はiaku/横山拓也の年だった。アクロバティックでスリリングなせりふのやり取りのなかから生まれるドラマの豊かさが横山戯曲の魅力だ。上演作品はいずれもせりふ劇の面白さを堪能することができる傑作だったが、ここでは彼のこれまでの劇作術の成果が集約されたような『逢いにいくの、雨だけど』を特に挙げておきたい。(年間観劇本数: 118)
中村 奏太(プロデューサー) ・高松桜井高校演劇部『わたしの星』(綾歌総合文化会館アイレックス 大ホール) ・OM-2『ハムレットマシーン』(d-倉庫) ・青年団『銀河鉄道の夜』(さいたま市 プラザノース ホール) 今年は高松桜井の『わたしの星』が圧倒的だった。二年前、同校が初演版の『わたしの星』を上演したときも3本に挙げた。今回は代替わりをし、再演版の『わたしの星』を上演。人間の美しさ、一瞬の煌めきが世界に広がり、鼓動のように心に響く60分。驚くほどのクオリティだった。 OM-2『ハムレットマシーン』は、テキストでしか読んだことのなかったこの作品世界の深さ、広がりを体感できた。 青年団『銀河鉄道の夜』は、広い舞台に立ち上がる美しい世界と、ジョバンニ役の井上みなみの好演により、心が宇宙と一つになった風景が見えた。 2018年は、演劇の時間のなかで、世界の広さを体感できる作品に特に心を動かされた。(年間観劇本数:200 )
でんない いっこう(自由業) ・パルコプロデュース『チルドレン』(さいたま芸術劇場 大ホール) ・新国立劇場『スカイライト』(新国立劇場 小劇場) ・風姿花伝プロデュース『女中たち〉』(シアター風姿花伝) 意識はなかったが3人のみの芝居に充分に惹かれた。決して内向きになる訳ではない。①は”心の痛み”が人を動かし、②は”生きるということ”の違いを出し、③は”嫉みの愛情”の結末。それぞれが社会、教育、権力などについて考えさせられる。他には台詞の面白さで『忘れる日本人』一人芝居の凄さで『FULLY COMITTED』老いの日常で『うん、さようなら』正義の歪さで『わたし、と戦争』国が人を殺す戦争以外の死で『善悪の彼岸』を挙げたい。(年間観劇本数:58)
森岡 実穂(大学教員) ・KJプランニングス『ザ・モニュメント 記念碑』(プロト・シアター) ・世田谷パブリックシアター『岸 リトラル』(世田谷パブリックシアター) ・パルコプロデュース『豊饒の海』(シアターコクーン) 順番は上演順で、演劇・ダンスのみからの選択。小劇場の上演からは川口典成演出、コリーン・ワグナー『ザ・モニュメント』(翻訳:神保良介)。娘を奪われた母親(西田夏奈子)の、理性を超えた「忘却」への抵抗があまりに強烈で、2018年はほかの作品を観てこの作品を思い出すことが何度もあった。外国戯曲上演の中では上村聡史演出、ワジディ・ムワワド『岸 リトラル』(翻訳:藤井慎太郎)。これも豊かなイメージで喪と記憶、残された者たちの生が語られた。ムワワドの作品はぜひ今後も紹介してほしい。世田谷パブリックシアターでは森新太郎演出『The Silver Tassie 銀杯』など、他では難しそうな翻訳戯曲を積極的に上演してくれてありがたい。日本で書かれた戯曲上演では、素晴らしい役者陣を揃えて壮大な物語を美しい構造で語ったマックス・ウェブスター演出、長田育恵『豊饒の海』。長田は『海越えの花たち』も素晴らしかった。(年間観劇本数:50 )
今井 克佳(大学教員) ・渡辺源四郎商店×(一社)おきなわ芸術文化の箱『ハイサイせば~Hello-Goodbye~』(こまばアゴラ劇場) ・こふく劇場『ただいま』(こまばアゴラ劇場) ・地点+空間現代『グッド・バイ』(吉祥寺シアター) 多くの優れた演目、記憶に残る舞台を2018年も見ることができた。大劇場や高額の演目および新劇系統にももちろん優れた上演がたくさんあったが、サイトの特質上避けて、小劇場中心に選んでみたところこの三本となった。いずれもやや前衛的な演出傾向のある演目となった。『はいさいせば』はウチナーグチと津軽方言という発想が印象深く、『ただいま』は古典芸能の道具立てで展開していく家族ドラマのスタイルが興味深い。『グッド・バイ』地点と空間現代の共演のレベルが一つ上がり、言葉と音楽と身体が一体化したパフォーマンスを楽しんだ。また出演俳優の力量も三本とも優れていた。いずれも東京で鑑賞したが、発信地は、青森、沖縄、京都、宮崎と全て地方である。演劇における周縁(地方)の力を再認識するとともに、うち二本が上演されたこまばアゴラ劇場が果たしてきた役割の重要性にも思いが至る。(年間観劇本数:118)
小泉 うめ(観劇人・WLスタッフ) ・なかないで、毒きのこちゃん『やっぱり!おれたちにあすはないっすネ』(ザ・スズナリ) ・制作「山口ちはる」プロデュース『恋愛監獄』(小劇場 楽園) ・地蔵中毒『「淫乱和尚の水色腹筋地獄」改め「西口直結!阿闍梨餅展示ブース」』(王子スタジオ1) 選んだ3団体はいずれも驚異的なペースで創作を続けており、また単に多産というだけでなくどれもが秀作揃いで団体を選んでから作品を選ぶのもまた大変だった。なかないで、毒きのこちゃんのこの作品は地方公共劇場のプログラムディレクターに是非知って欲しい。この3団体は2019年も継続して活躍が期待できると思う。2018年を概して言えば、遅筆騒動が多く、またそれを扱った作品も多かった。それが理由とは感じていないが、新作戯曲に目を見張るものが少ない。これは2019年に更に期待したい。(年間観劇本数:365)
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集団ストーカーの皆様に朗報。稲荷眷属神は悪しき事さえしなければ参拝は大歓迎するとのことです。
邪教と決めつけず信心をもつて参拝されれば必ずご利益はあります。
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