#木の塀
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Front Yard in Osaka

This is an illustration of a sizable stone porch with an added roof.
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最近の散歩写真
最近の散歩写真。 1枚目:電線地下埋設道路を横切る光ケーブル。まあ、東京電力とNTTで管轄が違うから……。 2枚目:トリフィドのように人間社会に侵食してくる現代の恐怖植物。 3枚目:生活道路に放置されていた機械。それほど古くもなさそうな農機具? 4枚目:子供向けの理科教室、らしい。白衣姿の幼児の写真にクレーマーがフェチ炎上を仕掛けないか心配で仕方ない。あ、サイエンスだからサイのイラストなのか。 5枚目:2階の入口に昇る外階段。空間を無駄にしてる気がするけど、施主がこれで良いなら……。 6枚目:古淵の住宅街に建つ送電鉄塔。下半分の腕が、組み立てに失敗したプラモの様にチグハグ。 7枚目:先の送電鉄塔の近くの電柱。高圧線が短く分岐して、開閉器に繋がっている。変圧器も配電線も見当たらないので、開閉器のためだけの分岐電柱? 8枚目:左中央、見たこと無い機器。何より不思議なのは、鳥よ…
#ぢー散歩#サイエンス倶楽部#ブロック塀#住宅街#朝焼け#木曽福祉��ービスセンター#農機具#送電鉄塔#鉄塔#鉄塔のある風景#鉄塔写真#階段#階段写真#電柱と空#電柱写真#電柱写真クラブ#電柱電線#電線#電線のある風景#電線クラブ#電線写真#風景写真
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'24.4 東大寺のとある院にて
東大寺の敷地内には、多くの院(住職さんの自宅)があります。それぞれに「〇△院」といった名前があって、おそらく昔から代々住み継がれてきているのだと思い��す。
そんな院の中は綺麗な庭園があることも多いのですが、基本的に個人のお家なので門から中へ入ることはできません。でもこの日は院の奥方様のご厚意で庭へ入らせてもらい、写真を撮らせてもらうことができました。
いつもは土塀越しや門の外から見える範囲だけしか見られなかった庭の景色、中は綺麗に手入れされていて非常に興味深かったです。
・・お庭の花木やお地蔵さん、石塔も並ぶ日本庭園。もちろんよき雰囲気で写真も撮らせてもらうのですが、ついいつものクセで古い建物のパーツに眼が行ってしまいます・・。
#奈良#nara#奈良公園#nara park#日本#japan#東大寺#todaiji temple#桜#cherry blossoms#春#spring#院#home of the temple's abbot#日本庭園#japanese-style garden#photographers on tumblr#natgeoyourshot
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雛鳥
滅多にないのでビックリ💦 クルマの修理も終わって、いつものようにあっちこっちの樹木を剪定します。これは住宅裏というか、北側外壁沿いに植えたマサキ? だと思うのですが、ご近所さんのを見てるとすごい勢いであっちこっちへ枝を這わせてるので、小さいうちに幅と高さを調整しておくことにしました。 塀につかないように揃えて、高さを揃えにかかった時にこの場面に💦 直径10cm強くらいの小さな巣の中に、何かの雛鳥が4羽はいます😳 危うく枝ごと落としてしまうところでした。 で、次の日の当番出勤後。午前8時にならないくらいですが、なんか元気で大きくなったような😂 さらに次の日の午前8時前に仕事場から戻りました。前日の夜中にけっこうなスコールがあったので心配だったのですが……

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自宅近くの住宅で
ブロック塀の傍で咲いていた、
「チャノキ(茶の木)」の花。
カメリア属。
別名:チャ(茶)。
学名:Camellia sinensis
撮影:iPhone14 Pro Max
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多賀城
東北にあった古代の城柵🏰その歴史は古く奈良時代まで遡り陸奥国府や鎮守府が置かれ、東北地方の政治、軍事、文化の中心地であった。

中心の政庁跡



政庁跡から復元された朱塗りの南門を臨む

近くから見た立派な南門


南門付近にある祠の様なものに守られた国宝の多賀城碑


社の中にはこの様な石碑がある

南東にある外郭施設跡。今なお材木塀の根本が埋まっている

東門北櫓跡






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【かいわいの時】元禄六年(1693)八月十日:井原西鶴没 (大阪市史編纂所「今日は何の日」)
西鶴は、「誓願寺本堂西のうら手南向、三側目中程」(滝沢馬琴)に葬られた。その墓は、誓願寺境内で3回[註]移設されている。その経緯および実行者を記すと
(1回目 1889年)幸田露伴 今や露伴幸に因あり縁ありて、茲に斯に來つて翁を吊へば、墓前の水乾き樒枯れて、鳥雀いたづらに噪ぎ塚後に苔黑み、霜凍りて屐��の跡なく、北風恨を吹て日光寒く、胸噫悲に閉ぢて言語迷ふ。噫世に功ありて世既に顧みず、翁も亦世に求むるなかるべし。翁は安きや、翁は笑ふや、唯我一炷の香を焚き一盞の水を手向け、我志をいたし、併���て句を誦す、翁若し知るあらば魂尚饗。九天の霞を洩れてつるの聲 露伴。「井原西鶴を弔ふ文」『小文学 第1号』1889より。
*幸田露伴が処女作『露団々』で金港堂から得た原稿料は五十円(現在価値で約170万円)。その「資」で露伴は旅に出る。1888年大晦日から1889年1月31日まで丸ひと月(露伴来弔はこの折。移設費用は、その「資」で賄った)。「時に嚢中一銭も無くなりければ、自ら経済の妙を得たるに誇ること甚し」(『酔興記』)。
(2回目 1910年)木崎好尚 浮世の月二年見過ごして二百七十年の昔(略)印の墓はいつしか八丁目寺町誓願寺の無縁塔におし込められしを二十余年前幸田露伴君が旅の置みやげに現今の本堂東南手に再興されしも浮世草紙の紙よりも薄き人情今度の電路問題の墓地取払ひの憂い目見る墓のぬし誰も見返るものなく《略》二百十年忌の追善発起の手前それがし痩せ腕を揮うて施主と相成申さん四日の日曜の午後一時に形計の移転式を営んで下さいと口約して置いた《略》さて、今度の改葬場所は元の地点に近いと信ぜらるゝ本堂の西南手の樟の下陰と定めたれば鶴のなき声に尋ね寄らんとする文学上有縁の方々に此顛末を告参す(大阪にて好尚)。「東京朝日新聞 明治四十三年十二月五日」
(3回目 1933年)南木芳太郎 明治二十幾年の頃、幸田露伴氏によって無縁塔中より発見され、門内近き所に建てられてあったが、明治四十二年の冬、電車通路の爲寺域は狭められ墓地整理の止むなきに至ったのを木崎好尚氏によつて、本堂西南手の通路に面��移されたのである、その後星霜二十幾年、現在に至りては背後が隣地との境界線にあるため、いつしか建てられし古小屋の板塀は痛く損じ實に見苦しく且つ墓域もなく悄然として無縁塔に並んであるのは如何にも侘しく感じられるので、今回誓願寺住職を促し更に西北隅の好位置に再轉させ、墓域を画し松壽軒に因み大なる松樹を植え、塔上を被ふ事とした、ほんの心だけであるが、これで墓らしくなったと思つてゐる。「西鶴の墓」上方郷土研究会『郷土研究 上方 第三十ニ号』1933(=写真も)
[註]滝沢馬琴が報告した「誓願寺本堂西のうら手南向、三側目中程」を本来の位置(0)とすれば、西鶴の墓は正確にゆうと「4回」移動している。以下に。( )内実行者
0)本堂西の裏手、三側目中程(北条団水他1名) 1)無縁塔の内(誓願寺) 2)本堂東南隅(幸田露伴) 3)堂の西南手、樟の下(木崎好尚) 4)西北隅の一画(南木芳太郎)
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大きく育ったオオタニワタリ。風に吹かれた胞子は様々なところでその命を育みます。コンクリート塀のすき間、木の枝分かれする場所など、様々な場所で育ちます。写真は無料でダウンロードできるようにしていますので自由に利用してください。
The large-grown bird’s nest fern. Spores carried by the wind nurture life in various places. They grow in the gaps of concrete walls, the branches of trees, and many other locations. The photos are available for free download, so feel free to use them.
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川の詩人
彼女はお喋りだ
そのくせだれかが話しかけようとすると
もう先へ行ってしまっている
自分でもよく分からない
一体どこまで自分でどこから自分じゃないのか
仕方ないじゃない、と彼女は云う
立ち止まったとたんに
わたしはわたしでなくなってしまうんだもの
変転と移動だけの人生って
傍で見ているほど気楽じゃないのよ
彼女の背後で
雨雲がぴかぴか光っている
いつか永遠に己を解き放つ瞬間が訪れるだろうか
孕んでも孕んでも
彼女のお腹はほっそりしている
石の詩人
雲に憧れる気持ちがまったくないといえば
やっぱり嘘になりますね
いや、月になりたいとは思いません
大きさこそ違え
僕らは本質的に同じですから
(雨が、あがって、風が吹く。
雲が、流れる、月かくす。)
地上にありながら
深みを予感することが僕の仕事です
(そして夜になると重たい地球は沈んでゆく
星々の隙間を抜けて孤独にむかって)
その日の彼は
なぜか珍しく饒舌だった
モグラは相槌を打とうとしたが
なんだか恥ずかしくなってまた土にもぐった
木の詩人
いつ死んだっていい
ずっとそう思いながら生きてきたような気がする
ふと、あたりを見回せば
いつの間にか自分が一番歳をとってた
誰にも言っていないが
彼はいまや歩くことができた
それが特別な祝福であるとも思わなかったが
夜、村はずれの一軒家の垣根越しに
ラジオの声を盗み聴くことの
あの後ろめたい歓びを手放すつもりも
毛頭なかった
ラッパの詩人
その内実において
彼は洞だった
丸く開かれたロのなかの
限りなく滑らかな漏斗の表面を
空や、媒煙や、少年の震える睫毛や希望は
流れ落ちていった
その外観において
彼は畸形の口吻だった
それは中断された吐息を思わせた
だがその鋭利な外縁からは
鉱石や、水や、骨や、稀に羽虫を封じた琥珀が
迸った
午睡から覚めてバルコンに立つと
夕陽が彼を金に染めた
誰ひとり彼の地声を聴いたものはなかった
アホの詩人
崩れかけた塀の向こうの
物置小屋の庇の下に座りこんで
洟垂れ小僧どもに恐々と覗かれながら
えへらえへらしている
垢と泥にまみれた裸に
透明なビニールシートだけを纏って
風の舞う早春の丘の斜面を
駈け降りてくる
どろりと濁った片眼の端から
笑う女の
歯茎を盗み見ている
アホの詩人は
しどろもどろのうちに真理の炎に焼かれ
また我知らず詩をお漏らしした
雨の詩人
この世の森羅万象に触れることが
彼の野望だった
人前ではそんなそぶりは露ほども見せずに
俳句を捻ったりしていたが
一粒の砂をどんなに見つめても
世界はおろか砂漠だって見えなかったが
一滴の雨の雫には
たしかに全てが映っていた
屋根屋根と森と
小川と虻の羽音と鉄橋と
かなたにけぶるひとすじの海と
貨物船も
空の高みに生まれて
地面に叩き��けられるまでの時間を
測るようにして生きてきた
その最後の衝撃は雨粒ほどの音もたてなかったが
それともあれは上昇だったのだろうか
この世の一切合財を同時に感受しようとして
眩量に襲われることだけが
彼の才覚だった
-四元康祐『詩人たちよ!』
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昨年の訪日客数が過去最高の3686万人に達し、オーバーツーリズム(観光公害)対策が急務となる中、京都の古刹(こさつ)で憂慮すべき事態が起きた。中国人観光客が休山日(定休日)だった寺の境内に石垣をよじ登って侵入し、建造物侵入容疑で逮捕された。寺では同様の不法侵入が相次ぎ、対策を模索していた矢先のこと。「本当に腹が立つ」と住職。2025年大阪・関西万博が開催中の今、観光客の増加に伴う混雑やマナー違反への啓発が求められそうだ。 京都市右京区にある愛宕(おたぎ)念仏寺は、境内に表情豊かな1200体の羅漢石像があることで知られる。近年は観光スポットとして取り上げられる機会も増え、寺によると1日千人を超える人が訪れていた。西村公栄住職によると、観光客が増えすぎて家族で切り盛りできなくなり、運営が困難となったため今年から週1回の休山日を設けるようになった。 多くの観光客が足を運ぶ愛宕念仏寺=京都市右京区(堀口明里撮影) 多くの観光客が足を運ぶ愛宕念仏寺=京都市右京区(堀口明里撮影) そんな事情をあざ笑うかのように、休山日だった4月2日午後、境内に鳴るはずのない鐘の音が響いた。自宅でくつろいでいた西村住職が駆けつけると、2人の人物がいた。1人はその場から逃げ、残った1人に西村住職は語気を強めた。「これは犯罪だ!」。だが言葉は通じない。駆けつけた警察官が連行し、建造物侵入容疑で逮捕した。 京都府警によると、逮捕されたのは中国籍の観光客の男性(28)で「寺が休みで門が閉まっていたため、悪いと分かっていたが塀を乗り越えて勝手に入った」と供述した。男性は石垣をよじ登って境内に侵入したとみられるが「窃盗やいたずらをしようとした意図はなかったようだ」(捜査幹部)。逃げた別の1人はすでに帰国したとみられ、男性も11日付で不起訴処分となった。 西村住職が腑に落ちないのは「悪いと分かっていた」との男性の認識だ。寺では、休山日を設ける前から同様の不法侵入が相次ぎ発生。境内は人気アニメにも登場することから、聖地を一目見たいと考える一部観光客が悪質行為を働いていたとみられる。「泥棒とは違いそこまで罪は重くない」(西村住職)とこれまで被害届を出すなどはなかったが、「『寺は閉まっている』と書いてい���のに侵入してくることが本当に腹立たしかった。(境内に)入られたくない時間に入られ、大変だった」(同)。 観光客の境内への侵入を防ぐために設置された木=京都市右京区(堀口明里撮影) 観光客の境内への侵入を防ぐために設置された木=京都市右京区(堀口明里撮影) 今回の事件は通り抜けされやすい場所に木を植えるといった対策を検討していた中で起きた。 今後も、寺の建物の形状に合わせて柵を設置するなどの対策を進めるという西村住職。オーバーツーリズムへの対策としては「自衛」するしかないのが現状で、やり切れない思いを抱えている。(堀口明里)
住職怒り「定休日なのに…」京都の古刹で起きた中国人侵入事件、自衛迫られる観光地 - 産経ニュース
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高橋悠治 / Yuji Takahashi - 黒い河 / Black River (2020) pf : 高橋悠治 / Yuji Takahashi sop: 工藤あかね / Akane Kudo Haiku: 山本幡男 / Hatao Yamamoto (1908-1954)
1. 楡の実や樋鳴りそめ昼の雨 (夏) 2. 潦なお雨情あり鳳仙花 (秋) 3. 夕焼の極は青し冬木立 (冬) 4. 命日の速さ枯野の照り曇り (冬) 5. 冬晴や塀伝いゆく煙の影 (冬) 6. 獅子舞の囃しも遂に笑いけり (新年) 7. むらさきはかなし絵凧にともる時 (新年) 8. 小さきをば子供と思う軒氷柱 (春)
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秋旅2023 東北散策 - 角館 武家屋敷通り
秋の行楽シーズンに角館 武家屋敷通りを再訪。
昨年の夏に訪れた角館 武家屋敷通りへ再び足を踏み入れてみた。心地よい気候の中、程よく紅葉し始めた武家屋敷通りを散策。古いお屋敷の黒塀と色づいた木々のグラデーションが実に映える光景を堪能。




昨年に比べると圧倒的に外国人観光客が増え、閑古鳥が鳴いていた一帯も賑わいを取り戻していました。写真を撮る身としては人が多すぎるとちょっと辛い面があるものの、某疫病騒動がひと段落した故の嬉しい悩みだと思い、辛抱。楽しそうな人々と一緒に歩いているとこちらも楽しくなるものよね。


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国指定史跡小田原城跡 二の丸東堀 指定 昭和13年8月8日 小田原城は、江戸幕府の三代将軍家光の乳母、春日局の子稲葉正勝が寛永9年(1632)城主になると、大規模な工事が行われ、石垣を備える近世城郭として整備されました。 二の丸東堀は、本丸・二の丸を守る堀の中でもっとも大きなもので、幅は最大で約40mあり、現在よりもさらに北に約60m先まで続いてしました。また、西は常磐木橋、南は南曲輪の前までつながっていました。 現在の石垣は、大正12年(1923)の関東大震災で崩れたものを昭和初期に復旧したものですが、石の写真のとおり、江戸時代の石垣は今のものよりも高く、二の丸の石垣として威厳のある姿を見せていました。 なお、震災直後、一時この堀を埋め立てる計画がありましたが、小田原保勝会が中心となって保存運動を起こし、その結果二の丸東堀は、今日までその姿を残すことができました。 小田原市教育委員会
文久図 (江戸時代末期) 現在地 明治36年頃の二の丸東堀 (絵葉書[相州名所 小田原城址 御用邸])
馬出門 Umadashimon Gate 銅門 Akaganemon Gate
馬出門 馬出門は、三の丸から二の丸に向かう大手筋(正規登城ルート)に位置する門です。寛文12年(1672)に枡形形式に改修され、江戸時代末期まで存続しました。 石垣と土塀で四角く囲んだ枡形と、本柱と控柱を備えた高麗門形式の馬出門・内冠木門の二つの門から成ります。
銅門 銅門は、大手筋に位置する二の丸主部への表門で、寛永10年(1633)には完成していたものと考えられています。 入母屋造瓦葺の渡櫓門で、銅門は大扉を銅鋲で飾ったことに由来します。[勢溜]と呼ばれる広場の前には、突出部が設けられて住吉橋の橋会が造られ、住吉門が据えられています。
Vocab 史跡 (しせき)historic landmark 小田原 (おだわら)Odawara 城跡 (しろあと)castle site 二の丸(にのまる)outer citadel 堀 (ほり)moat 将軍 (しょうぐん)shogun 家光 (いえみつ)(Tokugawa) Iemitsu 乳母 (うぼ)wet nurse 春日局 (かすがのつぼね)Lady Kasuga 稲葉正勝 (いなば・まさかつ)Inaba Masakatsu 寛永 (かんえい)Kan’ei era 城主 (じょうしゅ)lord of a castle 大規模 (だいきぼ)large scale 工事 (こうじ)construction work 石垣 (いしがき)stone wall 備える (そなえる) to prepare for 近世 (きんせい)early modern period(from the end of Azuchi-Momoyama period to the end of the Edo period) 城郭 (じょうかく)castle, citadel, fortress 整備 (せいび)maintenance 本丸 (ほんまる)inner citadel 幅 (はば)width, breadth 常磐 (ときわ)Tokiwa 木橋 (もっきょう)wooden bridge 曲輪 (くるわ)(refers to things both inside and outside of the castle grounds (incl. the walls, moat, (etc.) 関東大震災 (かんとうだいしんさい)Great Kanto Earthquake of 1923 復旧 (ふっきゅう)restoration なお furthermore 埋め立てる (うめたてる)to fill up, reclaim 保勝 (ほしょう)preservation of a place of scenic beauty 残す (のこす)to leave undone, not finish 文久 (ぶんきゅう)Bunkyu era (2.19.1861-2.20.1864) 絵葉書 (えはがき)picture postcard 御用邸 (ごようてい)imperial villa 三の丸 (さんまる)outermost region of the castle 大手筋 (おおですじ)large-scale operators 正規 (せいき)regular, normal 登城 (とじょう)attendance at a castle 寛文 (かんぶん)Kanbun era (4.25.1661-9/21/1673) 枡形 (ますがた)rectangular space between the inner and outer gates of a castle (where troops can gather) 改修 (かいしゅう)repair, improvement 存続 (そんぞく)continuance 土塀 (とべい)earthen wall 控柱 (ひかえばしら)secondary pillars 備える (そなえる)to furnish/equip with, install 高麗門 (こうらいもん)Koraimon, a style of gate architecture that consists of a tiled gabled roof with two pillars and two smaller roofs over the 控柱 冠木門 (かぶきもん)Kabukimon, a gate in a wall formed by two square posts and a horizontal beam から成る (からなる)to consist of, be composed of 主部 (しゅぶ)main/principal part 表門 (おもてもん)front gate 入母屋造 (いりもやづくり)Irimoya, a building with a hipped, gabled roof 瓦葺 (かわらぶき)tile roofing 櫓門 (やぐらもん)Yaguramon, a gate with a tower/turret on top 渡櫓 (わたるやぐら)a turret built on top of a stone wall 銅 (どう)copper 鋲 (びょう)rivet 勢溜 (せいがまり)a place where troops can gather and prepare 突出部 (とっしゅつぶ)extrusion, overhang 設ける (もうける)to prepare, provide 住吉橋 (すみよしばし)Sumiyoshi Bridge 据える (すえる)to place (in position), to lay (foundation)
https://tetsugakunomichi.jp/about.html (defines 保勝 as 景勝地の保全)
#日本語#Japanese langage#Japanese vocabulary#Japanese langblr#日本#Japan#小田原市#Odawara#小田原城#Odawara Castle#Japanese history#日本歴史#tumblr has made it significantly harder to apply my color coding but gdi I'm going to finish this project
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棕櫚の姫
そのコンクリートの塀を城壁と呼んでいた。広い広い敷地を囲って、高さもあり、壁の上には有刺鉄線が張り巡らされいかめしい。書道教室の行き帰りにいつも通る道で、城壁の作る影は湿っていた。苔が生え、蟻や蜘蛛が這っていた。蟻を目で追い、歩いていると、足元がぼこんぼこん鳴った。壁とはちがう色のコンクリートで蓋がされており暗渠だった。かつて川だったところにかけられた蓋で、ところどころ揺れる。城壁だなんて巨大に感じていたのはわたしが小さかったためだろう。
城壁の内側は二階建ての細長い建物で、庭が広いのでぽつんとして見える。クリーム色の壁がくすんでいた。そんなに豪華な建物ではないのでかえって城だった。余計な華美は避���、質素に屹立している。ほんとうの城はこうでなくっちゃと納得し、庭の芝生がかなり禿げていてそういう滅びの気配も城だと思った。どうやらどこか大学か会社の寮であるらしく、何々寮という文字が見えた。といっても、城門はめだたないつくりで奥まったところにありそっちへ行くのはこわかった。どんな寮だか、どんな人が住んでいるのか、ちゃんと見たことはなかった。
わたしが見ていたのは壁と棕梠シュロだった。お城の庭には一本だけ、背の高い棕梠の木があった。灰色の壁の向こうですっくと伸びている。壁よりも建物よりも高く、ぼさぼさの幹が風にしなっている。棕梠という名を知ったのはもっとあとで、わたしはあれはヤシの木だと思っていた。あの揺れ方は南国だなあと、南国のことを知らないのに感心していた。雪の降りそうな寒い低い雲の日でも、冷たい風に手の甲が痒くても、壁の向こうのヤシの木だけ南の島で、お城の中だから当然だと思った。壁の外から見上げる葉はいつも影になり、動物の毛みたいにぎゅっと密集して見えた。
この木の下にどんな人が住んでいるのだろう。なんとなく、人魚姫の姉たちを想像した。絵本の話、もっとわたしが小さかったころの話。母が、人魚姫の姉たちが泳ぎ回るページを開いて、「この中だったら誰が好き?」とわたしに選ばせた。深い意味はなかったと思うが——人魚の姉たちは色とりどりで、きっとわたしに色の名前を言わせたかった——、わたしは青い髪のお姉さんを指した。彼女の髪の毛はそんなに長くないがAラインにふわふわ広がっていて、ひたいに垂らしたアクセサリーが大人っぽく、いちばん素敵だと思った。そうして青い髪の人魚はその一ページだけの登場で、人魚姫に短刀を渡すシーンにはいなかった。それもよかった。きっと海の底で静かに悲しんだ。悲しみはするが彼女にはその後の人生があり、死なない。青い髪の姉についてわたしは幾度も想像した。棕梠のお城にいる誰かを想像すると、彼女になった。
やがて暗渠の町からは引越して、わたしは川に挟まれた町に住むことになった。両親が離婚し、母と二人の家になり、近くに祖母と伯母が住んでいてちょくちょく行き来した。蓋のない、どころか、おおきなおおきな川で河川敷もだだっ広い。二つの川はカーブし、町はレモンの形をしている。アーケードの商店街があり暗渠の町よりだいぶ騒がしい町だったが、学校は小さかった。わたしの学年はそれまで三十九人で、わたしが引っ越してきたことにより四十人になり、あなたのおかげで一クラスだったのが二クラスになったのだと春休み明けの転校初日に先生に言われ、自分が福音なのか災厄なのかわからなかった。
新���期早々ずっと休んでいる子がいて、盲腸で入院しているとのことだった。クラスみんなでお見舞いの手紙を書きましょうと先生が言った。色画用紙が配られ、一人一通、工夫してメッセージカードを作るよう言われ、まだ一度も会ったことがないのにわたしも書くんですかと先生に尋ねたら、「みんなクラスの仲間でしょう」とたしなめられた。でも知らないんだよな、となりのクラスの子たちは書かないのかな、わたしが来なければひとつのクラスだったのにな……と思った。
どうせ知らない人に書くのなら棕梠のお城にいるはずの彼女、青い髪の人魚に宛てて書きたかった。棕梠のお城の人魚たちには足があり、城壁の外では完璧に人間のふりができる。王子に恋をせず生き続け、芝生の上を駆けたり寝そべったり、真夜中、お城の中でだけ人魚に戻る。庭に水をまいて海にするかもしれない。そうか、だから芝が禿げていた。棕梠の葉ずれの音を聞きながら足の使い方を練習し、人魚の下半身がいらなくなったらお城——寮から出て行く。でも彼女たちは人間のふりも人魚でいることも好きだから、のらりくらりお城に住みつづけ、出て行かない。棕梠はどんどん伸びてゆき、葉の重さで腰が曲がる。青い髪の彼女はぼさぼさの幹をやさしく撫でてくれる。それなら手紙を書けるのだ。書けるか? わたしはなにを書くだろう?
たとえばいつも棕梠を見上げていたこと。黒い葉。風。書道教室は畳の部屋で薄暗かったこと。流しの水がいつも細く、冷たくて、お湯は出ず、わたしは手についた墨汁をきれいに落とせなかった。黒く染まった指先をきつく握って、すれちがう人たちから隠した。なぜ隠さなければと思ったのか、わたしがあらゆる視線をおそれていたためだが、そそりたつ棕梠にはぜんぶばれている気がした。人魚を見守る南の島の木は、わたしのことだって知っていたはずだ。墨汁はいつも風呂で落とした。浴槽で足を伸ばし、そのころにはもう一人で風呂に入るようになっていた。墨の溶けた湯だからほんとうは透明ではない、目に見えない黒色の混じった湯なのだと思った。そういうことを書く。書いた。学校から帰ってきて便箋につづり、糊をなめて封をした。でもこれでは、わたしが思っていることを書いただけで、受け取る相手、青い髪の彼女に向けてなにか発信しているわけではないなとも思った。
盲腸のクラスメイトには、画用紙を切ったり貼ったりして「飛び出すカード」を作り、おだいじにとか当たり障りのないことを書いた。
レモンの町では書道教室に通わなかった。伯母はフラダンス教室の先生をやっており、招かれたので何度か見学したが、自分にはできる気がしなかったので(踊るのは恥ずかしい)、見学しただけだった。伯母はフラをやるからこまかいウェーブの髪がすごく長くて、想像の人魚よりも長かった。教室はおばあさんが多く、ハイビスカスの造花がたくさん飾ってあり、でもヤシの木はなかった。
盲腸のクラスメイトとは友だちになれた。退院してすぐ話しかけられ、飛び出すカードすごくかわいかった、どんな子が転校してきたのだろうと楽しみだったと言われ、わたしはちょっと申し訳なく思った。
だからというわけではないがかなり仲良くなった。すみれちゃんという名前で、しばしば自分の名前をSMILEと書いた。たとえば授業中に回ってくる手紙、ノートの切れ端にぎっしり書かれたいろいろの最後にSMILEとあり、それは署名だけども、受け取ったわたしには「笑って!」というメッセージにも見え、わたしはすみれちゃんの手紙がけっこう好きだった。
きのうみた夢とか、好きな音楽とか、誰々が雑誌のインタビューでこう言っていた、ラジオでこんな話をしていた、いますごく眠い、親とケンカしてすげえムカついてる、そういう日記みたいな手紙で、いや日記でもないようないろいろで、思っていることを書くだけでもちゃんと手紙になることを知った。わたしが手紙を読むときすみれちゃんはもう眠くないし、すげえムカついた気持ちもいくらかおさまっている。その時差こそが手紙の肝だと思った。
手紙ではたまにシリアスな悩みも吐露され、そういうときはSMILEの下に「読んだら燃やして」と強い筆跡で書かれていた。わたしはすみれちゃんの手紙を一度も燃やしたことはなかった。うちにはマッチもライターもなく燃やし方がわからなかったためで、ガスコンロで火をつけるのもこわかった。父親がいたらライターがあったろうか。ないな。たばこは吸わなかった。うちに小さな火がないのは父とは関係ない。父にはときどき会った。父も暗渠の町から引っ越したので暗渠の町に行くことはなくなった。
中学に入り、すみれちゃんの家が建て替えすることになった。古い家をぜんぶ取り壊すからラクガキしていいよということになり、友だち何人かで誘われた。すでに家具はぜんぶ運び出されからっぽになった家の壁や床だ。油性マジックとか書道の墨汁とかカラースプレーとか、みんなでいろいろ持ってきて、こんなことは初めてだったから最初わたしたちはおそるおそるペンを握ったが、だんだんマンガの絵を描いたり好きな歌詞を書いたり、家じゅう思い思いにラクガキした。腕をぜんぶ伸ばし、肩がもげるくらい大きなマルを描いてみた。マルの中に顔も描いた。すみれちゃんの妹が壁いっぱいの巨大な相合傘を描いた。片側に自分の名前、もう片側はいろんな人の名前で、芸能人もマンガのキャラクターもあったがやがて尽きたのか、後半は「優しい人」「うそをつかない人」「趣味が合う人」と理想を並べていた。すみれちゃんは最後、床に大きく「ありがとう」「SMILE」と書き、このラクガキは家への手紙だったのかと思った。
あとになってGoogleマップで暗渠の町を見たら棕梠のお城はなくなっていた。見つけられ���かっただけかもしれないが、区画整理にひっかかったのか、暗渠の道もないように見えた。お城を取り壊すさい誰か壁にラクガキしたろうか。しなかったろう。だからすみれちゃんの家はとても幸運だったろう。そうして道の形が変わっても、地面の下にかつて川だった跡は残っているとも思った。
あのとき人魚に宛てて書いた手紙が、このあいだ本棚のすきまから出てきて、なにを書いたかだいたいおぼえていた。恥ずかしいなと思いつつ封を開けたら、しかし便箋は白紙だった。文字はどこかに消えてしまったのか、書いたというのはわたしの思い込みだったのか、ぜったい後者なんだけど、後者なんだけど……と思う。すみれちゃんはマスカラを塗るとき、ビューラーをライターの火であたためる。小さな火を持っている。
ペーパーウェルというネットプリントの企画に参加します。
セブンイレブン【24438044】 10/8 23:59まで
ファミマ・ローソン【DA5W82BGB9】 10/9 16時ごろまで
これは4年くらい前に書いたやつ。読んだ���とある人もいるかもしれない(覚えていてくださる方がいたらうれしい)。
今回のペーパーウェルのテーマが「時間」だったので、時間のことを考えながら書いた小説にしました。いやどこらへんが?って感じなんだけど、自分の中では…。過去のことを語るときの距離感、時間の長さとか流れを探りたかったというか。
つい最近読んだ川上弘美のインタビュー記事ですが、「年をとって記憶がいっぱい自分の中に貯まっているせいか、ある時期から、一瞬にフォーカスして書くよりも時間の流れを書くことが多くなってきた」とあって、なるほどなあと思いました。そして「でもコロナのもとで生活しながら小説を書いていると、なぜだか自然に、今この瞬間にフォーカスした書き方に回帰していくことになりました」と続き、とても興味深かった。
『群像』のweb記事で、「物語るために遠ざかり、小説全体であらわしていく」という題の鴻巣友希子との対談です。
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ビワの収穫
取れる分だけやってみました ビワの前に、外壁から飛び出したクロキを少々剪定しておきます💦 これがかなり大変でした😩 2~3年の間、剪定を怠けたツケは大変な量となって返ってきました💦 今年はぜひ枝打ちをしないとまずいですね😢 今回は大ざっぱにやっておきますが、ちゃんとする時には塀の内側から30cm以上空けるようにしてます。たった30cmですが全ての��木を、そのくらいのスペースを空けとかないと作業がしにくくて💦 次の作業があるので、今回はこのくらい💦 ホントは早くクロキにかかりたいです😢 いい色まで熟してくれましたが、数が多すぎて😢 剪定をちゃんとしなかった自分が悪いのですが、まさかここまで実をつけてくれるとは💦 全くの想定外。袋がかかっているとこの1番上のほうは、180cmの脚立の1番上に立って枝を掴んで引き寄せてなんとかできたヤツら。袋をかけれなかったとこは高さ3m以上の場所にあるので…

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自宅前の住宅にある玄関先で
ブロック塀の前の小さな花壇で咲いていた、
「チャノキ(茶の木)」の花。
カメリア属。
別名:チャ(茶)。
学名:Camellia sinensis
撮影:iPhone14 Pro Max
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