#東京商工会議所千代田支部・
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indigolikeawa · 10 months ago
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2024年9月6日金曜日
病院の待合室にて26
九月の水
朝/晴れ/パン/トラ/ミケ/CIAOちゅ〜る/身支度/ストレッチ/日焼け止め/お母さん/ミケ/お見送り/ち��っとひとりぼっち/軽自動車/高松空港/売店/山田屋のうどん/喫茶店/鶏のみぞれ唐揚げ定食/保安検査場/飛行機/飛行機から空港へのバス/羽田空港/東京モノレール/浜松町駅/大門駅/大江戸線/麻布十番駅/警察/迷子/護送車/ビジネスホテル/チェックイン/ズボンに汚れ/着替える/麻布十番駅/南北線/四ツ谷駅/中央線/よかったら座りますか?/大丈夫です/三鷹駅/折りたたみ傘/ビル/スペース/新千円札/友達/エル・デスペラードのTシャツ/烏龍茶/歌/ギター/ジャガー/コントラバス/ドラム/12弦ギター/鍵盤/本気/unrest/歌/ジャズマスター/フルート/EB/クラリネット/バスーン/ドラム/ソプラノサックス/鍵盤/二十年/DNA/アンサンブル/成立/ちょっとひとりぼっち/雨/三鷹駅/中央線/NHK-FM/アーマッド・ジャマル/四ツ谷駅/南北線/麻布十番駅/雷雨/消防車/ゴッサム・シティ/ローソン/ビジネスホテル/ネバネバそば/サラダ/シャワー/YouTuber/LGBTQ+/寛容/不寛容/差別/チャット欄/睡眠導入剤/ベッド/川岸が語る/九月の水/人生の約束/心の喜び/
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朝/晴れ/納豆巻/サラダ/ストレッチ/身支度/麻布十番駅/南北線/四ツ谷駅/中央線/吉祥寺駅/友達/中華料理屋/味付き卵/春巻/豆苗炒め/青島ビール/ジャスミンティーみたいな味の烏龍茶/夏になると茄子を読む/吉祥寺って自転車乗ってると/パンケーキ/コーヒー/禁物/外/クィアたち/ボーイズ・テクスチャー/完成するまでの過程/短歌/フェスセット/Arcaかわいい/高速移動/免許/北海道とかにある標識とか何もない真っ直ぐな道/事故った時にヘラヘラしないこと/Aka/透明ドロップ/be master of life/300部/版元の人/権利関係をややこしくする人/探偵/トぶ人/仕事中に飲酒する人/仕事中に大麻吸う人(CBD的な合法的なやつかも)/吉祥寺駅/井の頭線/ミーのカー/どんなものでも君にかないやしない/渋谷駅/工事/利権/消費者に皺寄せ/日本すぎる/ログアウト・ボーナス/仕事辞めたひと前来て?/失��したひと前来て?/プライベート・スーパースター/曲先?詞先?/浮いてる/代引/慣れろ、おちょくれ、踏み外せ/本屋/バッジ/生きる演技/ノット・ライク・ディス/翻訳/あなたがたに話す私はモンスター/講演/抗議/連帯/波打ちぎわのものを探しに/鍵/商品と私物のあわい/細かく話を聞いたら全然私物/アイスコーヒー/オレンジジュース/親切人間論/これってデザイン誰/祖父江慎/クッ…/元ネタ?/アイドルの部屋/アイドルヲタの部屋/天才/ヴァレリー 芸術と身体の哲学/引用/装置/どもる体/本屋の人しか開けられない下の棚/いいんですか?/……/本に写真がない/なくてもみんな分かるから/じゃがたらも?/ジョン・ケージ 著作選/ケージ - 通路 - デュシャン/誰もわかってくれない/でしょうね/ケージとキノコの写真/ケージかわいい/面白い人の誤解は面白い/つまんない人の誤解はつまんない/ナボコフ読んで蝶大丈夫になった/チェス・プロブレムはわからない/詰将棋も/どうぶつの森/気のせい/料理本を戦わせる/これがフリー素材の/鳴き声以外食べれる/ベケットは読まれていない(ゴドー以外)/お会計/ポッドキャスト/配送できますけど?/絶対お願いしたいんですけど/これも買っていいですか?/生きる演技/お支払い方法とか聞いた?/ベトナム料理屋/フォー/生春巻き/ロータスティー/今日はパクチーありません/どうして?/台風で/ショック療法/Over Drive/YUMEGIWA LAST BOY/ラズベリーB面説/後輩を集めて読書会/カラオケとか行かないと思った/どうして?/私が行かないから/犬いっぱい/月曜日お店休みかと思ったー/最近は開けてるんですよ/月曜日お店休みかと思ったー/あー最近は開けてるんですよ/谷/ビル/しゃぶったチンポの長さの合計フィート数vsエンパイア・ステート・ビル/警察近くて便利だったのに移転した/店が?/警察が/喫煙所/男根ロゴス中心主義/六本木駅/ちょっとひとりぼっち/六本木一丁目駅/南北線/麻布十番駅/ローソン/ビジネスホテル/シャワー/一番搾りロング缶/一番搾りロング缶/一番搾りロング缶/スーパーサンクス11800円/思いの丈をぶつける/ベッド/四時頃/睡眠導入剤/川岸が語る/九月の水/人生の約束/心の喜び/
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(2日目の写真これだけ…)
朝/曇り/身支度/納豆巻/サラダ/チェックアウト/麻布十番駅/大江戸線/大門駅/浜松町駅/東京モノレール/各停/羽田空港/かけそば/ミニ天丼/東京ばな奈/ANA BAGGAGE DROP/あらゆる場所にアルコールが……/アカシアあるんや/展望デッキ/コーヒー/読書/保安検査場/空港から飛行機までのバス/三十分以上の待機/書類の不備により飛行機にご案内できません/飛行機から空港までのバス/ご案内の準備が整いました!/空港から飛行機までのバス/飛行機/予定より一時間ほど遅れての出発となりまして誠に…/高松空港/予定より二十分くらい早く着いたので結果四十分の遅延/荷物受け取りレーン/軽自動車/家/トラ/CIAOちゅ〜る/お茶漬/真鰯の焼いたん/揚げ出し豆腐/シャワー/睡眠導入剤/ベッド/川岸が語る/九月の水/人生の約束/心の喜び/
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何もかも/記憶しておくことは/不可能だけれど/歌にしておけば/歌うたびに/思い出せるのかも/しれない/最後に一曲/作詞作曲/アントニオ・カルロス・ジョビン/歌/エリス・へジーナ/三月の水/
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mxargent · 2 years ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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yotchan-blog · 3 months ago
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2025/3/19 20:00:14現在のニュース
女児コンクリ遺体 容疑者「めいをたたき、翌朝冷たくなっていた」(毎日新聞, 2025/3/19 19:58:27) 殺人罪などの「工藤会」系組幹部、控訴棄却 2審も無期 福岡高裁(毎日新聞, 2025/3/19 19:58:27) 横須賀で国際人材育成へ、幼稚園から中学校までの一貫校27年8月開校…将来は高校併設計画([B!]読売新聞, 2025/3/19 19:58:09) 不正会計めぐり東芝が逆転敗訴 旧経営陣の責任認めず 東京高裁判決(朝日新聞, 2025/3/19 19:54:57) 日銀総裁、食品高「負の影響」警戒 金融政策の対応困難 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/3/19 19:54:10) 石破首相が語った商品券配布の理由…「人付き合いが悪いだの、ケチだのと散々言われ気にする部分が」([B!]読売新聞, 2025/3/19 19:52:31) 大阪・関西万博の公式ガイドブック発売…パビリオン網羅、イベント情報など満載([B!]読売新聞, 2025/3/19 19:52:31) ロシア、戦争解決へ「米と専門家グループ設置で一致」 米露首脳協議(毎日新聞, 2025/3/19 19:51:04) 豊胸手術の薬剤で特許侵害 医師に賠償命じる 知財高裁判決(毎日新聞, 2025/3/19 19:51:04) 斎藤知事は「辞職すべきだ」 専門家「兵庫の法の支配」に危機感 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/3/19 19:48:21) 船場物産株式会社の会社情報と与信管理 | NIKKEI COMPASS - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/3/19 19:48:12) 副検事が被害者情報漏えいと認定も不起訴 元検事正の性的暴行事件(毎日新聞, 2025/3/19 19:43:48) テレビ朝日「ナスD大冒険TV」担当者降格 経費不正処理517万円、パワハラで処分([B!]産経新聞, 2025/3/19 19:43:00) 能動的サイバー防御、在日米軍も対象 「我が国の防衛力を構成する」(朝日新聞, 2025/3/19 19:40:13) 千代田区官製談合 有罪が確定した元区議が「投票所にいた」 公民権停止のはずが、投票所入場整理券が届く:東京新聞デジタル([B!]東京新聞, 2025/3/19 19:34:09) 万博期間中、JR西が警備ロボ 、危険物探知犬が駅を巡回(朝日新聞, 2025/3/19 19:32:39) 森友文書の一覧表開示、元職員妻「改ざん理由知りたい」 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/3/19 19:30:27)
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shintani24 · 1 year ago
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2024年3月29日
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「伝統文化のに触れてもらう入り口に」広島城三の丸 広島の食や文化を楽しめる商業施設の起工式 来年3月に開業(RCCニュース)
広島城の南側にある「三の丸」で、来年、開業する商業施設の起工式が行われました。広島城三の丸では、歴史を生かしたまちづくりでにぎわいをつくろうと、城の歴史館などの建設が計画されています。
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起工式には広島市から開発の受託を受けたRCCを含む11の企業の代表などおよそ40人が出席し、工事の安全を祈願しました。
商業施設には広島で古くから伝わる武家茶道・上田宗箇流のお茶といった広島の食が楽しめる飲食店や土産物店のほかに、弓道を体験できる場所など、5つの施設が予定されています。
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上田宗箇流 上田宗篁さん「伝統文化の継承は簡単ではないので、みんなの目に触れられる場所で気軽に伝統文化に触れてもらえる入り口を作れればという思いです」
フジタ 奥村洋治 社長「歴史や文化とふれあいを持てるような、いろんな人に広島自身を理解してもらえるのはいい機会だと思います」
商業施設の工事は4月1日に始まり、開業は2025年3月の予定です。
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モスバーガー、音楽レーベル「モスレコーズ」 楽曲制作・デビューを支援(Impress Watch)2024年3月29日
モスフードサービスは、全国のモスバーガー店舗で働くスタッフ(社員・キャスト)を対象に、次世代アーティスト・クリエイターを発掘・応援・共創する「MOS RECORDS(モスレコーズ)」プロジェクトを開始する。新たに立ち上げるレコードレーベル「MOS RECORDS」からのデビューをサポートする。
モスバーガーで働きながらアーティストデビューを目指しているスタッフをチェーン内で公募し、最優秀者にはモスレコーズが配信デビューに必要な活動を全面的に支援する。
監修者として音楽プロデューサーの海老原俊之氏が協力。楽曲制作やミュージックビデオ制作など、配信デビューに必要なアーティスト活動をサポートする。
最優秀者はモスバーガーのテストキッチンを活用したライブコンテンツに出演し、デビューできる。デビュー後は公式SNSなどの社内メディアを活用したプロモーションを行なう。4月1日から応募受付を開始し、審査および最優秀者選出、楽曲制作などデビューに向けた準備期間を経て、9月以降にデビュー予定。
プロジェクトの目的は、店舗で働く環境をさらに魅力的なものにすること。人材確保の課題解決とともに、アーティストを目指していきいきと働く姿を通じた店舗の活性化も見込む。
今回はチェーン内のスタッフからの公募だが、将来的には一般からの応募を受け付け、才能を発掘する一助となることを目指す。
田中知之(FPM)見解 大変面白い取り組みだと思う。モスバーガーとしてもこの雇用難の時代に働き手の確保という目的としても有益だろう。テストキッチンを活用したライブコンテンツというのも、人気企画『tiny desk concerts』みたいになったら楽しそう。何より音楽がサブスクリプションで聴かれるようになったことから、音楽家達のマネタイズが困難になり、若い人がミュージシャンとしての活動に夢を見い出せなくなっている状況に、一石を投じる動きになることを期待したい。
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【速報】リニア中央新幹線、2027年の開業を断念 静岡“工事着工”見込みつかず(日テレNEWS)2024年3月29日
東京・品川と名古屋間を最速40分で結ぶリニア中央新幹線について、JR東海は当初目指していた2027年の開業を断念する方針を示しました。
国土交通省で行われている静岡工区での環境保全対策を確認するモニタリング会議で、JR東海の丹羽社長���、建設中のリニア中央新幹線の品川―名古屋間について「開業は実現できる状況にない」と述べ、当初目指してきた2027年の開業を断念する方針を初めて示しました。
リニア全線のなかでも工事の難易度が高い静岡工区は2017年に工事契約の締結をしたものの、県側が工事に反対していて、いまだ着工の見込みがつかないまま6年4か月が経過しています。
丹羽社長は「工事着手の遅れが名古屋までの 開業時期に直結する」と強調し、「新たな開業時期についても見込みはたたないが、早期の開業をめざし全力で取り組む」としています。
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丹治和男さんが開発したデータベースソフト。政治家や政治資金団体の名前を入れると年ごとの収入などが一覧で表示される=東京都、石合力撮影
政治資金アプリ、「政治とカネ」に詳しい上脇博之さんと使ってみた(朝日新聞)2024年3月29日
政治とカネの問題が高まるなか、メディアでもよく取り上げられる「政治資金収支報告書」。東京のIT企業が、政治団体の項目別収入や寄付者、パーティーの金額、資産などをデータベース化し、ウェブ上での検索機能を付けたアプリを開発した。どんな機能があり、これを使うと何が分かるのか。政治資金収支報告書チェックの第一人者で、政治とカネの問題を追及してきた神戸学院大教授の上脇博之さんと実際に使ってみた。
上脇博之(かみわき ひろし)1958年生まれ。市民団体「政治資金オンブズマン」代表、公益財団法人「政治資金センター」理事。著書に「なぜ『政治とカネ』を告発し続けるのか」(日本機関紙出版センター)など。自民党の政治資金をめぐる問題では、5派閥がパーティー収入を過少申告していたとして刑事告発し、東京地検特捜部の捜査につながった。
R500M社(東京都品川区)が開発したウェブアプリ「ポリティクスグラム」。政治(ポリティクス)の動きをダイヤグラムのように図式化したいとの思いを込めた。収支報告書のうち、総務省報告分の要旨を官報をもとに2000年から22年まで入力し、項目別収入や寄付者、パーティーの金額、資産などをデータベース化した。政党や政治資金団体などの政治団体名や公職の候補者(政治家)、寄付者の名称などを入れると、該当するデータや金額を瞬時に時系列で表示できる。大手メディアが収支報告書を社内でデータ化している例はあるが、こうしたデータ分析ができる市販アプリは類例がないという。
同社の丹治和男社長(59)は、外資系コンサルタント会社のパートナー(役員)などを経て08年に独立した。工学部卒の理科系で、政治的な活動といえば、学生時代に学園祭の運営にかかわったくらい。顔見知りの政治家はいないという。ただ、「政治家のカネをめぐる問題が出る度に、収支報告書をもっと活用できるのではないかと考えていた」という。
早速、アプリを使ってみた。ちなみに、この記事で示す個別の事例は、すべて公表済みの収支報告書によるもので、取り上げた内容が直ちに不正や法令の違反などに結びついていることを示すものではない。
上脇さんの最初のリクエストは、政治家とのつながりが指摘されるある企業の寄付先。アプリで、この企業名を入れると、年ごとにどの団体、政治家にいくら寄付したか、一覧で表示された。
「個別の企業がどの政治家に寄付しているのかを調べるには、これまで報告書のPDFを個別に確認して、拾い出す必要があった。どの政治家ならもらいそうか、『当たり』をつけて調べていました」と上脇さん。
「時間がかかることで断念してきた調査が一瞬でできる。画期的です」
このアプリには、どの団体、政治家、パーティーにいくら支払ったかなどを寄付者側から逆引きできる機能がある。過去3年分の原本へのリンク機能もつけた。
コロナ禍への対応などで注目されたある政治団体は、厚労族と呼ばれる関係議員への支援で知られる。では、どの政治家にいくら献金しているのか。このアプリなら、年ごとに誰にいくら寄付したかが一瞬で分かる。
「政治家が大臣ポストや党の役職についた時期や総選挙の時期と献金額の増減を見ることで、寄付する側の意図が見えてくるかもしれない」と上脇さん。
自民党の茂木敏充幹事長が、自身の資金管理団体「茂木敏充政策研究会」から、使途公開基準が緩い「茂木敏充後援会総連合会」に毎年3千万円ほどを寄付していたと朝日新聞が3月5日に報じた事例も調べてみた。茂木氏の名前を入れると、関連する政治団体の一覧が出てくる。「連合会」をクリックすると、「研究会」から寄付を受けた金額が、年ごとに明示された。
上脇さんはアプリについて「政治資金の流れを経年で簡単に分析できるシステムは前例がない」と話し、今後のチェックに生かせるとみる。「例えば、国の公共事業を請け負っている事業者が国政選挙に関して寄付することを禁じた公職選挙法の規定がある。公共事業を請け負った企業名を入れれば、パーティー券購入や寄付の有無を簡単にクロスチェックできる。地方分(都道府県選管への報告分)まで入れば、政治の透明性は格段に高まるはずだ」
開発した丹治さんは、「このアプリですぐに不正がわかるわけではないが、政治資金の動きを調査、確認する作業の手間を大幅に減らせる。どの団体、寄付者がどの政治家、政治団体に影響を及ぼそうとしているか、が見えてくるのではないか」と話す。
顧客には、メディアやジャーナリスト、研究者のほか、政党や国会議員を想定している。当面の価格は月額7万円(年間払いで70万円)。収支報告書の「支出分」や、都道府県提出分は未入力だが、今後拡充する。問い合わせは同社のホームページ(https://politixgram.r500m.com/politics/別ウインドウで開きます)へ。(編集委員・石合力)
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toshihikokuroda · 3 years ago
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岸田首相「新しい資本主義」の正体
新自由主義継続と新たな財界応援
2022年1月16日【3面】
 岸田首相は『文芸春秋』2月号に「私が目指す『新しい資本主義』のグランドデザイン」を寄稿。「新しい資本主義」を語り、「新自由主義の弊害」も口にしています。しかし、その中身は少しも新しいものはなく、雇用、社会保障、税制のどれをとっても破たんした新自由主義の継続そのもの。政権発足から3カ月をへて、その実態もみえてきました。
使い捨て労働の規制も最賃の引き上げもなし
 岸田首相は『文芸春秋』の寄稿文で、「市場に依存しすぎたことで格差や貧困が拡大した」として、「市場の失敗」を是正する仕組みを「資本主義の中に埋め込む」と述べています。
 労働者の貧困と格差の拡大は、市場任せの新自由主義のもとで行われた、労働法制の規制緩和による非正規雇用の増大―低賃金で「使い捨て」労働の拡大をはじめ、コスト削減最優先の賃金抑制や無法なリストラなどがもたらしたものです。
 全労連など労働組合は、「人間らしく働けるルール」をつくり正規雇用の増加や、最低賃金の全国一律1500円などを求めています。
 しかし、首相が掲げるのは、「能力開発支援」「再就職支援」「他社への移動」などに3年間で4000億円規模の予算を投じるというもの。労働者派遣法の抜本改正や均等待遇など安定雇用への規制強化はありません。
 諸外国で最下位クラスの賃金を「一気に転換させる」と言いますが、寄稿文には最低賃金という言葉もなく、アメリカ、イギリスなど最賃を大幅に引き上げている諸外国とは対照的です。
 賃上げした企業への税制優遇も、赤字経営が多い中小零細企業の多くは対象外で実効性に乏しいものです。
 それどころか、「雇用によらない働き方」の拡大として、「個人請負」形式の労働者を増やそうとしています。労働基準法も適用されない無権利の低賃金労働を拡大するもので貧困と格差をむしろ拡大するものです。
社会保障費抑制ありき
 岸田首相は寄稿のなかで、「分配戦略による人への投資こそが成長戦略だ」などといいます。しかし、コロナ禍で危機に弱い実態が浮き彫りになった社会保障を再生・立て直していく視点は欠落し、むしろ社会保障費抑制ありきが実態です。
 22年度予算案では、高齢化で当然増える社会保障費の自然増分を2200億円も圧縮。安倍・菅政治の「自然増削減」路線を継承・強化しています。
 また、人手不足の解消に正面から向き合わないどころか、医療機関の病床削減・統廃合を進めようと躍起です。
 「分配戦略」として看護・介護・保育職などの賃上げを掲げたものの、2~9月分は月4千円~9千円増にとどまり、看護職は半数以上が対象外です。現場からは「一ケタ違う」「“やってます感”を出しているだけだ」と批判が噴出しました。
 コロナ禍で医療ひっ迫を招いた痛苦の経験に学ぶなら、絶対的な人手不足の解消に向けた大幅賃上げが必要です。経済波及効果が高い医療・福祉分野に手厚くしてこそ真の成長戦略となります。
 岸田政権はさらに、国民に負担増・給付削減を押し付けようとしています。患者の受診控え・健康悪化が危惧されているのに、75歳以上の医療費窓口負担(現行原則1割)への2割負担の導入を10月から強行するとしています。
ゆがむ税制 是正を拒否
 自民政権が続くもと、消費税の連続増税と大企業減税や富裕層への税の優遇によって税収のゆがみがいっそうひどくなっています。
 ところが岸田政権は、こうした税のゆがみをただす意思はまったくありません。2022年度政府予算案では、基幹税といわれる法人税、所得税を上回り、消費税が20年度以来、3年連続で最大の税目になる見込みです。
 消費税が導入された当時、1990年度の一般会計の税収に占める割合は、7・7%でした。ところが今では、3割をはるかに超えています。これは、歴代自民党が税率を引き上げ、とりわけ安倍晋三政権が連続で消費税率を引き上げ10%にした結果です。一方、構成比を下げているのが法人税収です。法人税減税と景気の低迷が原因。法人税収は、1990年度には3割を占めていましたが、その後は2割程度に下がりました。
 新自由主義の政策で傷ついた国民生活を支援し、格差と貧困を是正するため、昨年の総選挙では、多くの野党が消費税減税を求めました。衆議院総選挙における��野党共通政策の提言」では、「所得、法人、資産の税制、および社会保険料負担を見直し、消費税減税を行い、富裕層の負担を強化するなど公平な税制を実現し、また低所得層や中間層への再分配を強化する」ことを合意しました。
 日本共産党は、消費税の5%への減税を強く求めました。岸田首相は、「今の段階で消費税を触るべきでない」と述べ、国民の願いを拒否し続けています。
財界主導 特定企業支援も
 岸田政権は、破たんした新自由主義の継続だけでなく、新たな財界支援も打ち出しています。
 岸田首相の経済政策での十八番は、「成長と分配」です。首相就任時の記者会見(21年10月4日)では、「分配なくして次の成長はなしです」と語っていました。
 ところが、昨年12月6日の国会での所信表明では、「まずは、成長戦略です。官と民が共に役割を果たし、協働して、成長のための大胆な投資を行います」と「成長戦略」を前面に押し出しました。一体、この間にどのような心境の変化があったのでしょうか。
 岸田首相は新しい資本主義実現会議を設立。昨年10月26日に開かれた初会合で、経団連の十倉雅和会長は「まずは、成長が重要」と強調していました。同会議のメンバーには、経団連の十倉会長をはじめ、経済同友会の桜田謙悟代表幹事、日本商工会議所の三村明夫会頭と財界3団体のトップが加わっています。十倉会長が「経団連が掲げる『サステイナブルな資本主義』は、岸田総理が目指す『新しい資本主義』と軌を一にする」と強調するように、岸田首相の「新しい資本主義」の議論は、財界主導で進められているのです。
 従来の自民党政権も大企業支援策を続けてきました。しかし、岸田政権の場合は、その対象となる大企業は、外資を含めたごく少数。従来型の大企業奉仕策に輪をかけた特定大企業への支援です。
 米国と中国の最先端技術の覇権争いが先鋭化するなか、岸田政権は、経済政策と安全保障を一体ですすめる「経済安全保障」問題を「重要課題」と位置付けています。「経済安全保障」の名で巨額の税金投入が決定されたのが半導体製造企業への支援です。21年度補正予算に6170億円を計上。支援認定の第1号は、台湾積体電路製造(TSMC)とソニーグループが計画する熊本県の工場と見込まれ、補助金の投入額は、異例の4000億円。残りの約2000億円は米マイクロン・テクノロジーとキオクシアホールディングスなどの工場の新増設費用への一部支援が候補として挙がっています。さらに岸田政権は半導体、AI(人工知能)、量子、第5世代移動通信システム(5G)分野で軍民両用(デュアルユース)の育成・強化を目指しています。内閣府主導の��、経産省と文部科学省などが連携する経済安全保障重要技術育成プログラムは、21年度補正予算で2500億円の税金投入を決めました。
新しい資本主義実現会議のメンバー
翁百合   日本総合研究所理事長
川辺健太郎 Zホールディングス社長
桜田謙悟  経済同友会代表幹事
沢田拓子  塩野義製薬副社長
渋沢健   シブサワ・アンド・カンパニー代表取締役
諏訪貴子  ダイヤ精機社長
十倉雅和  経団連会長
冨山和彦  経営共創基盤グループ会長
平野未来  シナモン社長最高経営責任者(CEO)
松尾豊   東京大学大学院教授
三村明夫  日本商工会議所会頭
村上由美子 エムパワー・パートナーズ ゼネラル・パートナー
米良はるか READYFOR最高経営責任者(CEO)
柳川範之  東京大学大学院教授
芳野友子  連合会長
(しんぶん赤旗)
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xf-2 · 5 years ago
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中国から“救出”された最初の日本人
「国家安全当局が岩谷氏の滞在するホテルの部屋を捜査したところ、中国の国家機密と関連する資料を発見した」   2019年11月15日午後、北京市中心部の中国外務省で定例記者会見に臨んだ耿爽報道官は、北京訪問中の北海道大学の岩谷將(のぶ)教授が9月8日に国家安全当局に連行された理由について、説明を始めた。 「取り調べを受けた岩谷氏は、以前も中国の秘密資料を大量に収集していたことを供述した。違法をおかした事実関係は明白であり、証拠もしっかりしている。彼の行為は、中国人民共和国の『刑法』と『反スパイ法』に違反している」   こう強調した耿報道官だが、突然声のトーンを下げ、「岩谷氏は罪を認めており、後悔の念も示したことを考慮して、中国は彼を訓戒したうえで保釈を認めた」と述べた。   耿報道官が会見を開く数時間前、岩谷氏は釈放され、日本に戻る飛行機に搭乗した。   中国政府は2015年春から、中国国内で「日本人スパイ狩り」を始めた。これまでに10人以上が拘束され、なかには最高で懲役15年の判決を受けている人もいる。 「後悔の念を示した」ことを理由に釈放され、帰国した岩谷氏は日本政府とメディア、言論人が力を合わせて、中国から“救出”した最初の日本人といえる。
入国して間もなく拘束
中国政治、軍事史の研究者として知られている岩谷氏は、日中戦争史、中華人民共和国建国前の政治史などを専門にしており、かつて防衛省防衛研究所で戦史研究センターの教官、外務省大臣官房国際文化協力室の主任研究官を務めた経歴をもつ。中国政府系シンクタンク・中国社会科学院近代史研究所の招聘で9月3日に北京入りし、同月8日に連行され、釈放されるまで約9週間、拘束された。  帰国した岩谷氏が中国で起きたことの詳細を明らかにしていないため、日中関係者の間で未だにさまざまな憶測が飛び交っている。   ある中国情報機関に詳しい共産党関係者は、「岩谷氏が中国に入国して間もなく拘束されたことから、中国の国家安全当局が、まず拘束する方針を固め、社会科学院と連携して岩谷氏を呼び寄せた可能性がある」と推測する。
これのどこが国家機密なのか
中国当局が主張する「国家機密」の詳細は明らかではないが、「岩谷氏はこれまでも、自らの研究テーマである日中戦争など当時の資料を収集するため、中国に渡航したことがあった」と証言する関係者もいる。主に古本業者から購入していたという。   80~100年前の歴史資料が「国家機密」でないことは、国際社会の常識である。中国でも、その年代の資料は基本的に公開されている。しかし中国の治安当局は、拘束の口実として、岩谷氏が手に入れた歴史文献が「国家機密」と主張した可能性もある。
中国当局の逆鱗に触れた?
南京事件の経緯や慰安婦問題など日中戦争当時の出来事について、中国政府と日本の研究者の間で大きな見解の違いがあり、岩谷氏はこれまでに、中国当局の主張を実質的に否定する論考を展開したこともある。一部の関係者の間で、「岩谷氏の研究が中国当局の逆鱗に触れたのではないか」との見方が示されている。   もし岩谷氏の拘束理由が研究内容と関係しているのであれば、日本の中国研究者の学問の自由が侵される由々しき事態といえる。
日本の対中外交の小さな勝利
岩谷氏が2カ月あまりで釈放されたことについて、日中関係者の間で「日本の対中外交の小さな勝利だ」と指摘する声がある。なぜなら、これまでスパイ容疑で拘束された日本人は、ほとんど起訴されているからだ。   岩谷氏のように「違法をおかした事実関係は明白であり、証拠もしっかりしている」事件なら、「数年~10年以上の懲役刑は避けられない」(中国共産党関係者)はずだった。それを中国当局が突然、譲歩したのは、日本メディアがこの問題を大きく伝え、「中国に対する強い姿勢」を示したことによる力が大きいと筆者は考える。
「記事にするな」と外務省が産経新聞記者を恫喝
筆者は産経新聞の北京駐在記者時代の2015年頃から、中国による日本人拘束問題をたびたび紙面や雑誌などで大きく取り上げ、会合などで国会議員に直接訴えたこともあった。   しかし、肝心の日本外務省��この問題に消極的で、さまざまな形で筆者に圧力を加えたこともあった。「北京と交渉しているから、書かれたらうまくいかなくなる」というのが彼らの言い分で、当初、筆者もそれを信じ、記事を見送ったこともあったが、3年経っても4年経っても一人も救出できずに、中国に拘束される日本人は増えるばかり。邦人を救出しようとしているのではなく、中国を刺激したくないのが外務省関係者の本音であることに気づいた。   今回の岩谷事件について、北京駐在の同僚記者が「拘束された事実」を確認し、記事化する際にも、外務省高官から「絶対に書くな」 「責任をとれるのか」などと恫喝されている。
「知中派」も一斉に抗議
産経新聞はこうした恫喝を無視して、2019年10月19日の朝刊一面トップに「中国、北大教授を拘束 準公務員、スパイ疑いか」との見出しで報じ、大きな反響を呼んだ。   インターネット上では中国を批判する書き込みが殺到し、2020年春に予定されていた習近平国家主席の国賓来日を再考すべきだ、と主張する日本の識者が急増した。   産経新聞が記事を掲載した3日後、天皇陛下の即位式典に出席するために来日した中国の王岐山国家副主席に対し、安倍晋三首相がこの岩谷事件について言及したことも、中国に対する大きな圧力となった。   その後、中国政治や現代中国論が専門の早稲田大学の天児慧名誉教授や、法政大学の菱田雅晴教授など八人が呼びかけ人となり、事件について強い懸念を示す声明を発表。岩谷氏の拘束について、「言葉にしがたい衝撃を受けている。関係当局は拘束の理由など背景を一切明らかにしておらず、理由が不明なままの拘束は国際社会では到底受け入れられない」とし、拘束理由など関連情報の開示を求めた。    また、今回の事件を受けて、日本の中国研究者が恐怖で中国に渡航できなくなる可能性もあるとして、「日中間の学術交流に好ましからざる影響が立ち現れ、日中関係の健全な発展に大きな影を落としている」と強調した。これらの学者は日本で「知中派」と呼ばれる人たちで、彼らが一斉に抗議することは中国にとって大きなインパクトがあった。
新しい日中関係を考える研究者の会が公表したアピール文(スクリーンショット)
手柄がほしい国家安全当局
この声明に対し、中国外務省の報道官は当初、「日本の学者たちは真相を知らないかもしれないし、考え過ぎだ」と応じたが、日本の反発は収まらなかった。 「岩谷氏の拘束は、手柄がほしい国家安全当局の判断とみられる。しかし、反響は予想よりはるかに大きく、このままでは習氏の訪日に大きな影響が出ると判断した中国指導部が、岩谷氏の釈放を指示した可能性がある」と分析する中国の政治学者もいる。   岩谷氏の釈放は、日本政府、メディア、学者らが中国に対し強い姿勢を示したことの成果とともに、習近平訪日前という特別な時期とも関係しているといえる。
それでも情報を隠し続ける外務省
しかし、岩谷氏が釈放されたわずか12日後、別の50代の日本人男性が中国湖南省長沙市で、国内法違反で拘束されていたことが報道によって明らかになった。   この男性は介護関係の仕事をしていたといい、拘束された時期は岩谷氏よりも2カ月早く、2019年の7月だった。中国の治安当局は日本人を拘束したあと、日本大使館に伝えなければならない取り決めがある。つまり、この男性の拘束を外務省は認識しており、国民に隠していたことになる。   これまで中国当局によってスパイ容疑で拘束された日本人はその全てがメディア取材によって明らかにされたものであり、外務省が公表した例は一度もない。   戦後、周辺国との武力紛争を極力避けてきた日本が、中国の国家安全に危害を加える工作員を中国に派遣するなど常識的に考えにくい。しかも1人や2人ではなく、わずか数年で10人以上も同じような容疑で拘束されている。明らかに異常な状態といえる。   しかし外務省は邦人保護に関し、ほとんど事実関係を明らかにしない。約1年前に、大手商社の伊藤忠商事に勤務する40代の日本人男性社員が中国広東省の国家安全警察に拘束されたことが判明した時も、外務省はメディアの取材に対し冷淡な対応を貫いた。日本政府は拘束情報を約1年前から把握しておきながら、報道されるまでこの事実を公表しなかった。    その後、菅義偉官房長官が定例記者会見でようやく事実関係を認め、「邦人保護の観点からできる限りの支援をしている」と強調したが、男性の氏名や容疑、拘束された当時の状況など詳細は明らかにしなかった。
拘束、起訴された日本人
この他、2015年から2018年にかけて、中国でスパイ容疑などをかけられ拘束、起訴された日本人は、以下の9人であることがメディア報道によって判明している(年齢はいずれも当時)。 1、愛知県出身の会社員の男性、54歳。2015年、旅先の浙江省で拘束され、軍事施設や公船を撮影したとされる。2018年に懲役12年の実刑判決。 2、神奈川県在住のパチンコ店店員の男性、58歳。元脱北者で、北朝鮮にいる妹を救出しようとして日中間を往復していた2015年に遼寧省の中朝国境近くで拘束され、2018年に懲役5年の実刑判決。 3、東京都の日本語学校幹部の女性、58歳。元中国人で、中国の機密情報を日本の政府機関に提供した容疑で拘束され、2018年に懲役6年の実刑判決。 4、札幌市の団体職員の男性、73歳。元日本の大手航空会社社員で、定年退職後、中国と経済交流を促進する団体を立ち上げた。2018年にスパイ容疑で懲役12年の実刑判決。 5、東京都の日中友好団体幹部、男性、61歳。元日本社会党職員、中国との交流などを担当し、中国の砂漠に植樹するプロジェクトなどに参加。2017年にスパイ罪で起訴。2019年に懲役六年の実刑判決。 6、千葉県の地質調査会社社員、男性、70代。中国の業者の依頼を受けて温泉を探すために訪中したが、国家機密探知罪で逮捕。2018年5月に起訴。2019年に懲役5年6カ月の実刑判決。 7、千葉県の地質調査会社社員、男性、 50代。中国の業者の依頼を受けて温泉を探すために訪中したが、国家機密探知罪で逮捕、2018年6月に起訴。 2019年に懲役15年の実刑判決。 8、出身地不明の会社代表の男性、60代。遼寧省��拘束され、2018年3月にスパイ罪で起訴。2019年に懲役5年6カ月の実刑判決。 9、大手商社、伊藤忠の男性社員、40代。 2018年2月に広東省で国家安全当局に拘束され、同6月に起訴。2019年に懲役3年の実刑判決。   この他、メディアに報じられていない拘束された日本人も数人いると噂されている。
起訴された日本人全員が冤罪の可能性大
拘束、起訴された日本人の職業を見ると、中小企業の会社員、日本語教師、パチンコ店のアルバイト、中国の砂漠で植林プロジェクトを推進する「日中友好人士」などが含まれている。いずれも専門的なトレーニングを受けた情報分野のプロではない。同時に、中国の国家機密を探れる社会的立場にもない。    そもそも日本の情報機関は、国内の過激派の動きを監視することを仕事の中心にしており、海外に工作員を送る法的根拠もなければ予算もない。先述した伊藤忠商事の社員を含めて、起訴された9人全員が冤罪である可能性は極めて高い。
それでも犯罪者扱いする日本政府
冷戦時代、米国とソ連の間で拘束した相手側の諜報要員を同時に釈放する「スパイ交換」が行われていた。日本人が中国でスパイ容疑をかけられて拘束されたなら、日本政府はすぐに国内で活動する同じ数の中国工作員を拘束し、交換交渉を始めるべきだが、日本政府にそういうことを実施する気配は全くみられない。   筆者が北京に駐在していたとき、中国にスパイとして拘束された日本人の家族や周辺者の取材をしたことがあるが、複数の関係者から「冤罪なのに、外務省と大使館はなにもしてくれない」と言われたことがあった。   日本人の拘束が判明するたびに、菅官房長官は「(日本政府は)できるだけの支援をしている」と記者会見で述べているが、北京の大使館関係者によると、菅氏が言う支援は釈放に向ける外交努力ではなく、あくまでも本人の要望にしたがって弁護士を斡旋したり、漫画やカップラーメンを差し入れしたりするなど、いわば詐欺や傷害容疑などの一般刑事犯と同じ人道的な支援だ。日本政府も、彼らを“犯罪者扱い”しているという。
抗議も釈放要求も一切しない
北朝鮮による日本人拉致問題に長年、取り組んできた松原仁衆議院議員は2019年2月27日の衆議院予算委員会の分科会で、中国による邦人拘束問題を取り上げ、政府の見解を問いただした。    衆議院同分科会の議事録によれば、松原氏の「政府はなぜ邦人拘束という事実を公表しなかったのか」との質問に対し、外務省の垂秀夫領事局長(当時)は「政府としては、ご家族への配慮、人定事項を含めたなんらかの確認や公表を行うことにより、当該邦人および同様に拘束されている他の邦人に対する中国当局の今後の中国側司法プロセスにおける取り扱いなどにおいて、不利益な影響を生じさせる可能性が排除できなかったことから、対外公表をすることは差し控えたものでございます」と答弁した。   松原氏はさらに、「日本政府は中国に対し抗議、または釈��要求をした事実はあるか」と質問したのに対し、垂氏は「日中首脳会談、日中外相会談を含めてあらゆるレベルを通じ、��正に申し入れ、前向きな対応を求めているところでございます」と回答した。    垂氏の答弁から、日本政府はこれまでに中国と外交交渉で、邦人拘束の件について「前向きの対応」を求めただけで、抗議したことも、釈放要求もしたことがないことが明らかになった。
邦人拘束をなぜ公表しないのか
また、邦人拘束を外務省が公表しなかったことについて、垂氏は「被害者への不利益な影響を避けるために」としているが、残念ながら、事なかれ主義の外務省の言い訳にしか聞こえない。    伊藤忠の社員は1年以上、温泉業者らほかの拘束者は、長ければ約4年も拘束されている。すでに十分な不利益を蒙っている。人権侵害が激しいといわれる中国の刑務所、留置場に未だ日本人が捕われている責任は外務省、そして日本政府にある。   対中交渉がうまくいかなければその事実を公開し、中国当局による人権侵害の事案として国際社会に訴えるべきだ。それが中国への圧力になり、邦人の救出につながる可能性もあるが、自らの仕事を増やしたくないのか、外務省と日本政府には、こうした発想がないようだ。
ファーウェイ創業者の長女を拘束したカナダ
足首にはGPS付きの追跡装置がつけられている
外務省や日本政府の邦人を守る姿勢は、国際社会の基準からみれば明らかに不十分だ。日本と同じく、中国に複数の自国民を拘束されたカナダ政府は中国に対して毅然とした態度を取り、国際社会の協力を積極的に求めている。    2018年12月、カナダは中国の大手IT企業、華為技術(ファーウェイ)創業者の長女で同社副会長の孟晩舟氏を拘束した。孟氏は米国の対イラン制裁回避に関連する不正行為の疑いがあったとして、米政府の要請を受けたカナダが孟氏の拘束に踏み切った。    これに対して、中国の外務省はすぐさま反応し、米国とカナダに猛抗議、釈放要求を繰り返した。中国外務省の王毅外相は全国人民代表大会中の3月8日、記者会見して華為事件に言及し、孟氏の拘束事件とその後に起きた一連の華為排除の動きについて、「意図的な政治的抑圧であり、われわれは中国企業と市民の合法的権益を断固守る」と強調した。
中国の激しい報復、カナダ人を次々に拘束
この事件の背景には米中のハイテク分野の主権権争いも絡んでいるが、ある意味で、中国にとっては「外国に拘束された自国民を保護する事案」でもある。その後、中国当局の激しい報復行為は国際社会を驚かせた。   孟氏拘束後、中国はすぐに中国国内にいる2人のカナダ人を「国家安全に危険を与えた」などの容疑で拘束。その後も次々とカナダ人を拘束し、中国の地方都市の英語学校で教える若い女性を含めて、わずか2カ月で計13人のカナダ人を拘束した。その後、5人を釈放したが、残り8人はスパイ容疑で取り調べを続けた。   中国当局による一連のカナダ人拘束は、カナダ政府に対し、孟晩舟氏の身柄を米国側に渡さないように牽制するためと言われている。
屈しなかったカナダ
しかし、カナダは中国に屈しなかった。当初、カナダ人2人の拘束が判明すると、フリーランド外相はすぐに「中国によるカナダ人の恣意的拘束を深く懸念している」との声明を出し、即刻釈放を求めた。    その後、ほかにも複数のカナダ人が中国に拘束されていることが次々とわかり、同外相はさらに「中国側がカナダ国民に対して取った行動は、すべての国にとっての脅威だ」との声明を発表し、厳しい言葉で中国を非難した。    北京の駐中国カナダ大使も拘束者と面会するなど、国民を守る決意を表明した。中国に拘束された自国民の救出はいま、カナダ政府の最も重要な外交課題の一つになっている。   こうした中国に対するカナダ政府の強い態度は、複数の国、国際組織、人権団体の支持を受けており、拘束カナダ人を支援する輪は、すでに国際社会で広がっている。
これぞ中国の「人質外交」
米国国務省は2019年1月、一連のカナダ人拘束事件を踏まえて、米国人が中国に渡航する場合、中国当局による「恣意的な法執行」に対する警戒を呼びかけ、渡航危険度について、4段階のうち下から2番目の「一層の注意」に据え置かれて、中国へ圧力をかけた。    中国当局は「拘束した8人のカナダ人」について、スパイなど国家安全を脅かす疑いがあると説明しているが、中国から遠く離れ、人口も少ないカナダが地政学的に中国を仮想敵として見ているとは思えない。常識的に考えれば、カナダが大量の工作員を中国に送り込むはずがない。    中国は一連のカナダ人拘束を通じて、外交カードとしてカナダを牽制し、孟晩舟氏の身柄を米国に引き渡すことを阻止する狙いがある。いわば、人質をとって相手に圧力を加える「人質外交」である。 2010年、尖閣諸島海域で海上保安庁の巡視船に体当たりした中国漁船の船長を日本側が逮捕すると、中国は即座に「河北省の軍事施設を撮影した」という容疑で日本の建設会社フジタの社員を拘束。日本に対し、「スパイ罪で起訴すれば死刑もあり得る」と脅して、船長の釈放を強く求めた。当時の民主党政権は中国の要求に屈し、結果としてフジタの社員たちも釈放された。    一方、今回、カナダ当局は孟晩舟氏の釈放になかなか応じないため、中国とカナダの対立の構図は今後も長期化する可能性もある。
習近平が恐れていること
また、中国当局による外国人拘束は、国内の締め付けを図る思惑もあるとみられる。中華民族の偉大なる復興などナショナリズムを煽るスローガンを掲げる習近平政権は、外国の価値観などが中国国内に入るのを阻止することに力を入れている。中国人と外国人が接触することを嫌い、外国の民間人に“スパイ”のレッテルを貼って摘発することが、ここ数年、急増している。
日本が世界の笑いものに
筆者の北京駐在時代も、複数の北京在住の外国人知人が“スパイ”として拘束された。中国人からもらった重要でない会議の資料をいきなり「国家秘密」だと言われ、海辺で撮った写真にたまたま軍艦が写っていたことなどを理由に起訴された人もいる。 筆者は当時、取材で中国国内出張が多かったが、スーツケースを持たず、小さな手荷物で飛行機に乗ることを徹していた。荷物を空港に預ければ、自分の知らないうちに麻薬や政府の機密文書を入れられ、罪をでっち上げられることを警戒したためだ。    今後、トランプ政権下で米中関係が深刻化する可能性があり、米国と関係が深く、外交の脅しに屈しやすい日本は、中国にとって国内の引き締めを図るうえでも、人質外交を展開するうえでも餌食になりやすい。   今回の岩谷氏の釈放が、日本の対中外交の小さな勝利といえるなら、この経験を活かして情報を公開し、強い姿勢を継続すべきだと考える。主権国家として自国民を保護する姿勢を見せてほしい。それをしなければ、日本は世界中の笑いものになるだけでなく、ますます中国から軽視され、在中日本人はこれからも拘束され続けるだろう。(初出:月刊『Hanada』2020年3月号)
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kadookanobuhiko · 5 years ago
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貧困なる精神 ハーバード大教授の珍学説 Ⅱ
   部落問題の頓珍漢な英語論文の執筆者、マーク・ラムザイヤー(敬称略)は、日本語の著書『法と経済学』(弘文堂、1990年)の経歴によると、18歳まで日本で過ごし、1982年にハーバード・ロー・スクールを卒業後、連邦高等裁判所のロー・クラーク(法務書記)、さらにはシカゴで弁護士を務めている。1985年から東大法学部で、フルブライト研究生および日本学術振興会研究員として学徒の道を歩み始めた。
 わずかな期間ではあるが、弁護士としても活動していることに、私は少なからず驚いた。論文での恣意的な引用は、厳格であるはずの法律家によるものとはとうてい思えないからである。 
 文脈を無視した無茶苦茶な引用は、もはや訴訟案件である。引用元の著者(私を含む)に、そんなことは書いていないと抗議されたら、どう反論するのだろうか。
 前掲の著作を読む限り、日本語は完璧である。研究員を務めるハーバード大学のエドウィン・O・ライシャワー日本研究所のサイトによると、東大、一橋大、東北大で、日本語による講義もおこなっている。読解も問題はなく、判読が難しい大正時代の手書きの資料も読み込んでいる。
 語学力を駆使した広範な資料の渉猟は尊敬に値するが、そこから構築する論理は支離滅裂で、結論から導く強引な引用は、犯罪的ですらある。
   ※  ※  ※
    著者は 2019年に著した『On the Invention of Identity Politics :The Buraku Outcast in Japan』 で、20世紀初頭に、著書で被差別部落について触れた賀川豊彦や高橋貞樹の記述を紹介したあと、さらに多くの文献から、部落の<文化><犯罪><家族>について引用している。部落のそれであるかは、別として。本稿では、まずは文化から見ていきたい。
<高橋貞樹が言及したように、19世紀末から20世紀の初めにかけて、彼らが”穢多根性”(穢多の本質)と呼んだ行動のスタイルは、19世紀アメリカ南部の貧しい白人の文化”cracker”と非常に���ている。すなわち、職場や学校生活における長時間にわたる精力的な努力への意欲の欠如である。また、明白な攻撃への志向性である。それらは、危険で度を越えたレベルの口論にエスカレートする傾向にあった>
 部落の行動スタイルは、攻撃への志向性なのだろうか。繰り返すが高橋貞樹は、そんなことは述べていない。
 続けてラムザイヤーは、民俗学者の柳田國男(東大教授は務めていない。また、YANAGIDAではなくYANAGITAである)が書いた島崎藤村の『破戒』評を引用している。原典から引く。
<(小説として十分納得できない)その一つは新平民と普通の平民との間の闘争があまり劇(はげ)し過ぎるように思う。信州の穢多は別に研究したことはありませんが、私が他の諸地方で多少観察したところからいえば、このような非道(ひど)い争いはない>
 『破戒』で描かれているような激しい争いはなかったーー海の向こうの南部白人まで引き合いに出し、部落の攻撃性を強調しているにもかかわらず、大した悶着はなかったという論考に同調しているのはなぜだろうか。
 その論理展開は理解に苦しむが、要するに差別はそれほど厳しくなかったと言いたいのであろう。なぜなら差別の厳しさを前提にすると、部落の攻撃性が薄れてしまうからである。
 19世紀末の著述家たちは、いかに部落民が争いに腐心したかを繰り返し不平を述べた――。ラムザイヤーはそう断言している。ここから、彼が発掘してきた、部落民の反社会性に関する記述の総攻撃が始まる。
 部落民が社会から排除される理由は多くある。最も基本的な要素を率直に挙げるなら、彼らが暴力的であるからだ。彼らはレイプもおこなう――。島崎藤村とは別の”Toson”が、1889年の著作で書いている、とあるが、誰のどの著書なのか、いろいろ調べたがわからなかった。差別される理由を、まずは被差別当事者に向けているが、そんなことを書いた”Toson”が 本当にいるのだろうか?
<ジャーナリストの横山源之助は、同じように1898年の著作で、部落民は激しやすく、すぐに腹を立てる、と書いている>
   ”激しやすく、すぐに腹を立てる”(hot-tempered and quick to take offense)は、この論文で著者がよく使うフレーズである。実際に原文にそう書かれているかは別として。
 横山の1898年の著作は、言うまでもなく『日本之下層社会』(教文館)である。同書は、都市の工場労働者や職人の就労実態、スラム住民の生活を調査した報告書で、部落に特化したものではない。また、部落=激しやすいという記述もない。
 1910年、小原新三は東京大学の法律雑誌で、部落民について次のように説明した――そう述べた上で著者は、『国家学界雑誌』から、次の文章を引用している。
<彼等が他の種族の者��り一寸した害を受けても之を針小棒大とし損害賠償を強ふる性質となり衆を頼んで暴行する原因ともなって居る。換言すれば即ち此根性は猜疑となり、無反省となり、復讐心となり、無遠慮となり、自暴自棄となって居る>
 原典の執筆者の小原(KoharaではなくOharaである)は、東京帝大を卒業後、貴族院書記官、内務省参事官、奈良県内務部長などを経て朝鮮総督府地方局長を歴任し、和歌山県と新潟県の知事までつとめあげた。部落問題を管轄する奈良県内務部長に就任した経験から、引用の原典『奈良懸下ニ於ケル特殊民部落改善ノ方針』を同誌に発表したのだろう。
 この論考は、部落民の起源を朝鮮半島とし、その”特徴”を縷々述べているが、内容は偏見を交えた誹謗中傷に近い。
<憫む可き五つの性質>として<規律秩序を知らざる事><一時的に活動するも忍耐力乏しき事><不潔を厭はぬ事><貯蓄心なき事><所有の観念なき事>を挙げ、その”実態”が悪し様に描かれている。それらを生んだ社会的背景は、一切書かれていない。当時の官僚が部落をどのように見ていたかがわかり、その意味においては貴重な資料と言える。<彼れ等の特性>には、次のような記述がある。
<彼れ等は平素犬や猫を殺すに係らず、非常に犬を怖がる。之は彼れ等が常に悪事をして居るから自から心に咎る為めダローとの説あれど、ドウだか心理学者に研究して貰ひ度ひ>
<彼れ等が党を組み団体を造って他と喧嘩をする時は頗る勇猛だが、単独になると非常に卑怯だ。他村に出た時などは堂堂たる六尺の男子が女や子供にからかはれてもドシドシ逃げ出す>
 悪意に満ちた記述は、計10点、2ページにわたって書き綴られている。エリート官僚が書いたものとは思えない内容で、有斐閣から出版された書籍は見ることができたが、不二出版の復刻版は<人権問題を考慮して>まるまる削除されている。
 異民族起源説が信じられていた時代の、悪意と偏見に満ちた記述を何の解説もなく、研究論文に引用する神経を疑う。
 小原論文は部落の罵詈雑言のオンパレードなので、著者の立論に合うらしく、ラムザイヤー論文には頻繁に引用されている。
   ※  ※  ※
 著者はさらに部落民の特徴について、さまざまな文献から引用している。
<貴族院議員の遠藤隆吉は、1912年、部落民はとてつもなく嫉妬深いと報告した>
<きわめてささいなことであっても、彼らはそれを立腹への想像力をかきたてることに利用する>
 遠藤は東洋大、早大教授を務めた社会学者で、巣���高商(現・千葉商科大)の創設者でもある。貴族院議員は務めていない。原典の『日本我』(巣園学舎出版部、1912年)から、該当部分を引こう。
<嫉妬心の強きこと、凡て精神上のことは一概に之を評する能はず。然れども特殊部落に対する世人の感情甚だ面白からざるが故に、勢ひ微細なることに関しても直ちに想像を逞しうし、嫉妬を起すの傾きあるは免るべからざる所なり>
 原文では、嫉妬心が強いと言われているが一概には言えない、と世評を否定している。<とてつもなく嫉妬深い>とは報告していない。また、些事をおおごとにするとは書いているが、その前の<特殊部落に対する世人の感情甚だ面白からざるが故に>という一文には、触れていない。自らが欲する単語、文章だけ抜き取っていることがわかる。 
 京都府警が、1924年(大正13)に報告したとする文章がそれに続く。
<部落民は伝統的に激しやすく、非協力的で、なおかつ暴力的である>
    該当する原典は京都府警ではなく、京都府の資料である。原典の<部落民ノ思想的傾向>では、次のように記述されている。読みやすいよう、片仮名や一部の漢字を平仮名に改め、句読点をつけた。
<部落民は久しきにわたる因習により、執拘かつ反抗心強く、また猜疑嫉妬の念に富み、ややもすれば暴戻残虐の行動に出る者あるは、今なお旧套を脱せずといえども、近来教育普及の結果、彼等の中には相当自覚し、旧慣の悪習を去り、普通民の同情により、融和を求めんとするの意気、ようやく痛切なるものあり>
 この内容を<伝統的に激しやすく、非協力的で、なおかつ暴力的である>と簡潔にまとめている。原文の文意は「いろいろ問題行動を起こす者もいるが、教育の結果、痛切に融和を求める者もいる」であろう。欠点らしき単語のみを故意に抜き出している。前述した高橋貞樹の『特殊部落一千年史』の引用とまったく同じ手口だ。
 そもそも京都府の資料は、2年前に創設された全国水平社の反響を冷静に分析した報告書で、最後は<水平運動の勃興は、部落民を通して差別撤廃の急を感覚せしめたること大なるものあり>と結ばれている。部落民の運動に共感しているといっても過言ではない。
 著者は文意も文脈も関係なしに、ただただ部落民の欠点らしき記述を血眼になって探し出し、論文に引用している。前にも述べたように、暴力⇒運動⇒利権と言いたいがための前ふりだが、その品性こそ、危険で、貧しく、卑しい。
   ※  ※  ※
<同じように観察者たちは、部落民は努力しないと不満を述べている>。資料を使った部落攻撃は、まだまだ続く。
 前掲の遠藤隆吉は、著書『日本我』で<部落民を雇っても、すぐに辞める>と書いているという。原典では<一旦職に就くも之を棄つるの已むなきに至れる者亦甚だ多し>とある。
 この文章がどのような文脈で用いられているのか、原典��じっくり見てみよう。遠藤は貧困に苦しむ部落民について、次のように記述している。
<此の部落に取りて最も大なる打撃は社会の圧迫の強きがために高等の教育を受くること能はず、官吏として社会に立つ能はざると是れなり。彼等の中より軍人を出し、教師を出すの例は之ありと雖も極めて少数のことに属し、多くは半途にして退学し、又は一旦職に就くも之を棄つるの已むなきに至れる者亦甚だ多し。彼等の職業は勢ひ従来のものに限られ、哀れなる職人的又は半農的の生活を以て終らざるを得ず>
 遠藤は、部落民は社会の圧迫(差別)が厳しく、高等教育の機会を奪われている。学校中退や中途退職をせざるをえない者がかなり多いと嘆いている。<部落民を雇っても、すぐに辞める>と非難しているわけではない。ましてや部落民は努力しないと主張しているわけでもない。
 部落の悪口で埋め尽くされた『奈良懸下ニ於ケル特殊民部落改善ノ方針』を書いた小原新三も、部落民の怠慢を述べているという。ラムザイヤーの要約を見てみよう。
<部落民が職場を辞めなかったとしても、彼らは働かなかった。ある工場のオーナーは、何人かの部落民を雇ったが、彼らは20~30分以上はほとんど働かなかった。2時間以上は持たず、けっきょく1カ月以内に解雇した>
 引用箇所を原典で確めたが、1カ月以内に解雇したという記述はなかった。何度も言うが、引用するにあたって、勝手に文章を付け加えるのは言語道断である。
    ※  ※  ※
 著者はあまたの資料の中から、部落民が反抗的で怠け癖があり、努力しないという<文化>を見つけ出した。部落民にそのような人間がいないとは、まったく思わない。現にそのひとりが、この私である。
 だがそれを言えば、どんな組織、共同体、民族、人種にも、その手の人間はいる。部落民の欠点をあげつらうな、と言いたいわけではない。低位な状況にあるからこそ”対策”が必要だ。ただその状況を描く(引用する)場合は、時代状況や資料的価値を見定めた上で、偏見や差別から一定の距離を置かなければならないことは言うまでもない。それは何も部落問題に限ったことではなく、あらゆるマイノリティに言えることでもある。 
 ところがこの著者には、そういった姿勢がまったくない。色眼鏡をかけて見た観察者のおどろおどろしい記録を精査することなく、手前勝手に引用するばかりか、あまつさえ加筆までして、自論に誘導しようとしている。また、部落に同情的な文章であっても、否定的な言葉だけを抜き出し、執筆者の見解にしている。もはや研究以前の話である。
 だれもチェックする人間は、いなかったのだろうか。<2020・6・11>
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2ttf · 13 years ago
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hizayamasan · 6 years ago
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なぜ嫌韓は高齢者に多いのだろうか 「嫌韓は高齢者に多い」というのは専門家たちが話題にしていたことなのですが、それを裏付けるような数字です。ヘイトスピーチ対策に取り組んでいる神原元・弁護士は「ヘイトスピーチは若者が憂さばらしでやっているというのは勘違いだ。むしろ、ある程度の社会的地位を持つ50代以上というケースが多い」と指摘しています。直接的なヘイトスピーチというほどではないものの、冒頭に紹介した男性のケースも同じでしょう。 ◇「昔の韓国」イメージが嫌韓を生んでいる? では、どうしてなのか。これは、なかなか難しいところです。まだまだ検証が必要なのですが、1980年代末から韓国にかかわってきた私の感覚では、「昔の韓国」のイメージが作用しているのではないかと感じています。80年代までの日本で韓国に持たれていたイメージは「軍事政権」というネガティブなものでした。 それに対して90年代後半以降に成人した世代には、K-POPに代表されるような発展した国という明るいイメージしかありません。90年代末に慶応大の小此木政夫教授から「最近の学生はソウル五輪以降のイメージしか持っていない。我々の時代とは全く感覚が違う」と聞いたことがあるのですが、まさにそうした違いでしょう。 そして「昔の韓国」は、経済的にも、政治的にも、日本とは比べものにならない小さく、弱い存在でした。それなのに、バブル崩壊後に日本がもたついている間に追いついてきて生意気なことを言うようになった。そうした意識が嫌韓につながっているのではないか。そう考えるのが自然なように思えます。67年生まれの私と同世代だという神原弁護士も、同じような感覚を持っているそうです。 この男性は定年退職後に、ネットサーフィンをする中で嫌韓的なブログを読むようになったといいます。男性はブログを書いている人物を「保守右翼の大物」だと感じるようになり、「信者」としてブログの指示通りに懲戒請求などを送り続けました。「自分なりの正義感と、日本のためによいことをしているという一種の高揚感もあった」そうです。当時の心境については、「それまで多かった友人や、仕事の仲間、取引先というものが、65歳をすぎて一切なくなってしまった。社会に参加していない、疎外されているようなところがあった。しかし、(ブログに従う行動を取ることで)自分は社会とつながっているんだという自己承認を新たにしたというような意識が働いて、一線を越えてしまったのではないか」と振り返りました。 なかなか難しいところです。神原弁護士は「社会から疎外されたという感覚を持ったとしても、嫌韓以外にもはけ口はある。やはり『昔の韓国』のイメージを持っている世代ということが大きいのではないか」と言います。 私も同感ではあるのですが、一方で、九州選出の自民党国会議員から「現役時代には常識的だった県庁職員が定年退職してから激しい嫌韓発言をするようになって驚いた」という話を聞いてもいます。それ以外にも、さまざまな要因があるのでしょう。もう少し取材を続けてみたいと思います。【毎日新聞外信部長・澤田克己】 (抜粋 全文はリンク先へ [毎日 2019.5.18] https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190518-00000003-mai-soci 42: 名無しさん@涙目です。(庭) [BE] 2019/05/18(土) 12:19:56.27 ID:eZixHudf0 >>1 >>1 最近、これ系の記事多いけど それだけ関係が悪化してるってことだよな 必死なのが分かる 190: 名無しさん@涙目です。(やわらか銀行) [US] 2019/05/18(土) 12:56:19.02 ID:++O22akm0 >>1 > 「昔の韓国」のイメージが作用しているのではないかと感じています。 慰安婦像設置 慰安婦合意ちゃぶ台返し 徴用工訴訟トンデモ判決 レーダー照射事件 旭日旗への難癖 これらは昔の韓国がやったことなのか? 207: 名無しさん@涙目です。(京都府) [GB] 2019/05/18(土) 13:00:24.86 ID:wUyUsANn0 >>1 トンチンカンな記事だな 46: 名無しさん@涙目です。(禿) [ニダ] 2019/05/18(土) 12:20:48.60 ID:3jOSwS6F0 毎日の願望じゃん 3: 名無しさん@涙目です。(チベット自治区) [US] 2019/05/18(土) 12:11:06.12 ID:GQgHURvE0 毎日W 4: 名無しさん@涙目です。(北海道) [DZ] 2019/05/18(土) 12:11:29.13 ID:5YDWhoMm0 そういうことだったのか 246: 名無しさん@涙目です。(北海道) [JP] 2019/05/18(土) 13:12:33.31 ID:NpAJWcdj0 >>1 韓国の中央日報、レーダーで追い詰められてた1月には、 「日本の若者に嫌韓が多いのは何故なのか?」 って記事出してたがwwww 必死杉だろw 6: 名無しさん@涙目です。(catv?) [US] 2019/05/18(土) 12:11:52.89 ID:P4xU6YGr0 夢見すぎで笑った 8: 名無しさん@涙目です。(茨城県) [JP] 2019/05/18(土) 12:12:27.28 ID:RhG+/haD0 そういう事にしたいらしい 7: 名無しさん@涙目です。(新疆ウイグル自治区) [GB] 2019/05/18(土) 12:12:05.38 ID:+AvfDOu60 全世代だとなんか困るんかね? 16: 名無しさん@涙目です。(庭) [ニダ] 2019/05/18(土) 12:15:06.18 ID:ELMi8T8M0 親韓? なわけねーだろバカ 13: 名無しさん@涙目です。(やわらか銀行) [ES] 2019/05/18(土) 12:13:47.82 ID:SQHrAWcy0 韓流ドラマって年寄りしか見てねーよなw 14: 名無しさん@涙目です。(香港) [US] 2019/05/18(土) 12:14:56.52 ID:PzzkGg9l0 若い人はデフォルトで根強い韓国嫌いで ごく一部が韓国アイドルとか言ってるレベルで 声優好きと変わらないくらいのマイナーさ 38: 名無しさん@涙目です。(禿) [US] 2019/05/18(土) 12:19:38.76 ID:cVzj8vZP0 >>14 毎月のカラオケランキング見れば明確だね KPOP全く入ってない、洋楽ならともかく わざわざ日本語で歌ったりしてるのになw 日本で大人気設定して海外で売る自社買いと、 AKB商法のタッチ券で極一部の奴らしかハマってない 59: 名無しさん@涙目です。(千葉県) [US] 2019/05/18(土) 12:24:28.28 ID:iqmvb0hm0 そういうことにしたいマーケティングしつこいな 27: 名無しさん@涙目です。(茸) [US] 2019/05/18(土) 12:16:51.05 ID:mqpTpxW80 毎日かよ 最近は朝日より狂ってる所だな 30: 名無しさん@涙目です。(禿) [US] 2019/05/18(土) 12:17:25.20 ID:Pu3Xst060 朝日も同じような記事載せてたな 214: 名無しさん@涙目です。(チベット自治区) [US] 2019/05/18(土) 13:03:21.22 ID:K2iddhpA0 ここまで事実の裏付けゼロという記事も凄い 毎日新聞の読者というのはわざわざ金を払って フィクションを買っているのか 221: 名無しさん@涙目です。(東京都) [CN] 2019/05/18(土) 13:05:33.05 ID:T5WZJ8ZZ0 >>214 朝日の記者()の感想文読む奴もいるしな 54: 名無しさん@涙目です。(SB-iPhone) [US] 2019/05/18(土) 12:22:52.42 ID:nIQYPLe90 と、思いたいようだが結果は真逆 若い世代ほど嫌韓で自民支持 ジジイババアほどテレビ新聞しか見ないのでマスゴミに支配されてるがな 時間が経てば経つほどジジイババアは消え 自民支持と嫌韓は増えていく 63: 名無しさん@涙目です。(庭) [BE] 2019/05/18(土) 12:25:33.64 ID:eZixHudf0 >>59 これ 83: 名無しさん@涙目です。(茸) [US] 2019/05/18(土) 12:31:23.14 ID:paYQybj/0 大学で韓国の話題なん��全く無いが? 183: 名無しさん@涙目です。(庭) [BR] 2019/05/18(土) 12:53:58.95 ID:B8LWddcv0 俺の娘21だけど朝鮮も中国も大嫌いだぞw 65: 名無しさん@涙目です。(SB-iPhone) [US] 2019/05/18(土) 12:25:38.89 ID:nIQYPLe90 こういう工作活動が本当に気持ち悪い 余計に嫌いになるんだよな 78: 名無しさん@涙目です。(庭) [CN] 2019/05/18(土) 12:29:08.09 ID:dsaM4Cyy0 朝鮮好きとか恥ずかしすぎる 89: 名無しさん@涙目です。(神奈川県) [US] 2019/05/18(土) 12:33:16.37 ID:EzfMH3hO0 古い韓国のイメージって 日韓ワールドカップからがネトウヨの歴史開始だろw そこからマスゴミがいかに反日で 日本ヘイトしまくってるのか分かったんだから 87: 名無しさん@涙目です。(新疆ウイグル自治区) [IS] 2019/05/18(土) 12:31:53.19 ID:Jt+RGDEj0 嫌韓感情が表にでたのはW杯以降だろ 95: 名無しさん@涙目です。(catv?) [US] 2019/05/18(土) 12:34:35.77 ID:P4xU6YGr0 >>87 せやね 111: 名無しさん@涙目です。(静岡県) [EU] 2019/05/18(土) 12:38:41.87 ID:PJ3yTa0G0 ネット世論や書店での嫌韓本の扱い もはや世代とか関係ないんだって 172: 名無しさん@涙目です。(茸) [KR] 2019/05/18(土) 12:50:33.97 ID:AGArj/cV0 うそです。 若者も嫌韓です。 113: 名無しさん@涙目です。(東京都) [CN] 2019/05/18(土) 12:39:11.82 ID:T5WZJ8ZZ0 知れば知るほど嫌いになる国だからな 202: 名無しさん@涙目です。(catv?) [JP] 2019/05/18(土) 12:58:03.61 ID:ZuOtSJnT0 嫌韓は高齢者としたいんだろうけど現実はむしろ逆だろw 朝鮮上げなんぞ支持してるのは未だにテレビ新聞依存の高齢者が多いよ 213: 名無しさん@涙目です。(茸) [CA] 2019/05/18(土) 13:02:55.64 ID:0q4oVLcU0 高齢者てパヨクだらけじゃん パヨクが嫌韓? んなわけねーだろwww 98: 名無しさん@涙目です。(茸) [ニダ] 2019/05/18(土) 12:34:45.00 ID:R10IBRRK0 >>1 必死すぎだろ 嫌韓どころか興味無しがほとんどだろ 136: 名無しさん@涙目です。(dion軍) [GB] 2019/05/18(土) 12:43:27.03 ID:l4+IvrAW0 そういう風潮にしたいのか 152: 名無しさん@涙目です。(愛知県) [US] 2019/05/18(土) 12:46:40.97 ID:FmDGLjjb0 これも志位るずのときと同じで実際はほとんどいませんでしたってオチだろ 174: 名無しさん@涙目です。(大阪府) [ES] 2019/05/18(土) 12:51:40.53 ID:fQtJQs820 何で同じ手口繰り返すんやろ 212: 名無しさん@涙目です。(catv?) [GB] 2019/05/18(土) 13:02:48.97 ID:Wo9arLQf0 パヨが数を捏造できないSNSやヤフコメで 日韓断交派の数が圧倒してることが全てだろ 129: 名無しさん@涙目です。(dion軍) [US] 2019/05/18(土) 12:41:55.55 ID:4rEO7eLB0 >>1 いや 日本人は全員嫌韓だから安心しろ
【またw】毎日新聞「若い人に親韓が多く、嫌韓は高齢者に多い。なぜなのか」
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herbiemikeadamski · 6 years ago
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(^_^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_^) . . . 10月26日(土) #赤口(丙申) 旧暦 9/28 月齢 27.4 年始から299日目(閏年では300日目)にあたり、年末まであと66日です。 . . 朝は希望に起き、昼は努力に生き、夜は感謝に眠ろう(^_-)-☆ 睡眠は明日を迎える為の未来へのスタートですY(^^)ピース! でお馴染みのRascalでございます😅. . 長雨も去り(この辺り)雲が多めですが青空が見えます。 秋の夜長ってよく眠れるって本当ですね(^^;)(;'∀');アセアセ. 定刻に目覚めたのですが二度寝して三度寝まで。。。_| ̄|○ . いよいよ嫌な雨も去りましたし各地で沢山のイベントがあって 秋ってこんなにもあるのかって驚いてますが(@_@) 私の興味あるのをチョイスしてみましたけど全部行ってみたい。 . 肉やらラーメンやらお菓子と車やら魚も(;^_^A迷いますねw 今日一日どなた様もお体ご自愛なさってお過ごし下さい(^^ゞ “本日もご���全に参りましょう(^^)v”. . . ■今日は何の日■. #つがるロマンの日(青森のお米「つがるロマン」). 青森県で作付けされている美味しいお米の「つがるロマン」を全国にPRしようとJA全農あおもりが制定。  日付は実りの秋の10月と、26日を「つがる(2)ロマン(6)」と読む語呂合わせから。 . #柿の日.  全国果樹研究連合会カキ部会が柿の販売促進を目的に制定。 . #きしめんの日.  愛知県の名物「きしめん」をもっと多くの人に食べてもらおうと、愛知県製麺工業協同組合が制定。 . #サーカスの日. . #原子力の日. . #デニムの日. . ●どぶろくの日. ●青汁の日. ●弾性ストッキングの日. ●歴史シミュレーションゲームの日. ●ズブロッカの日. ●税理士相互扶助の日. . #神田古本まつり(#東京商工会議所千代田支部・#千代田区商店街連合会・#神保町ブックフェスティバル実行委員会 ).  第60回 東京名物・神田古本まつり  10月25日(金)~10月27日(日).  10:00~18:00 (最終日~17:00).  http://jimbou.info/news/furuhon_fes_index.html . #肉フェス®︎ 国営昭和記念公園 2019.  国営昭和記念公園 ゆめひろば.  10月18日(金)~10月27日(日).  開催時間 10:00〜21:00(最終日は20:00)18日は12:00〜21:00. https://www.nikufes.jp/_tags/%E8%82%89%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%B9%E5%9B%BD%E5%96%B6%E6%98%AD%E5%92%8C%E8%A8%98%E5%BF%B5%E5%85%AC%E5%9C%922019 . #東京ラーメンショー(第11回).  日本最大級の野外ラーメンイベント。  駒沢オリンピック公園。  2019年10月24日(木)~11月4日の12日間開催。 開催時間 18:30〜21:00-10月29日と11月4日は18:00終了(予定). http://www.ramenshow.com/ramen.html . #東京モーターショー(第46回). 東京ビックサイトお台場エリア。 2019年10月24日(木)~11月4日の12日間開催。 開催時間 10:00〜20:00(祝日、日曜は18:00)24日は14:00〜20:00. https://www.tokyo-motorshow.com/ . #性いっぱい展. 夜のサンシャイン水族館  海の生き物たちの“性”を紹介する特別イベント。  2019年9月27日(金)~11月4日(月).  開催時間 18:30〜22:00 最終入場は1時間前.  https://sunshinecity.jp/file/aquarium/sexy/ . #カルビー北海道大収穫祭.  東京都 千代田区 東京おかしランド。  普段東京では買えない商品が大集合。  2019年9月27日(金)~10月30日(水). . ●ふろの日(毎月26日). ●プルーンの日(毎月26日). ●オーストリア建国記念日. ●アンガム・デー(#ナウル). . . ■今日のつぶやき■. #湯は水より出でて水ならず(#ユハミズヨリイデテミズナラズ) 【解説】 せっかくの努力をむだにすることのたとえ。 家柄や血筋は平凡な人であっても、努力や修行を積むことによって人より優れた人物になることができるという事。 . . #1964年10月26日 #野村義男 (#のむらよしお) 【#ミュージシャン、#ギタリスト、#音楽プロデューサー、#ナレーター、#元アイドル、#俳優】 〔#東京都〕  《元,#TheGoodBye》 . . (学芸大附属中小前) https://www.instagram.com/p/B4D8bJSFGwUegGBVaX_BEMIsvbjL04pzeTAoT40/?igshid=mxlp64sytiop
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jpjoho-blog · 6 years ago
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12.19 重要環境情報
佐賀県、再エネ推進へ佐賀大と協定 関連産業創出へ新組織設立 【発表日】 2019.10.16 【情報源】 地方自治体 【エネルギー  再生可能エネルギー】 佐賀県は、佐賀大と連携協定を結び、県内の再生可能エネルギー関連産業の創出に向け、産学官連携で再エネの研究開発を推進するプラットフォーム「CIREn(セイレン)」を立ち上げた。  参加するのは、県内企業24社、県外企業1社、NPO・NGO1団体、行政機関5団体、個人(大学教授・准教授・助教48人、製造業1人)の計80会員。会員らが交流する場を提供し、研究開発や人材育成などの分野で相互に連携・協力し、県内の関連産業の創出を加速させていく。  SDGs(持続可能な開発目標)の目標4「質の高い教育をみんなに」、目標7「エネルギーをみんなに、そしてクリーンに」、目標8「働きがいも経済成長も」、目標9「産業と技術革新の基盤をつくろう」への貢献も視野に入れる。  主な活動には、研究分科会の設置やセミナー・交流会の開催、大学などと連携した人材育成、海外展開に対する支援などがある。2019年度の事業費は2000万円で、県が負担する。具体的な研究プロジェクトに進む場合は、国の補助金など外部資金を活用するという。
提供:月刊ビジネスアイ エネコ(日本工業新聞社)
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記事に含まれる環境用語 再生可能エネルギー 持続可能な開発目標 プレスリリース http://www.pref.saga.lg.jp/kiji00371344/index.html 株式会社ブルーエコノミー ┃代  表:榊原康寛 ┃所在地:東京都千代田区大手町1-7-2 ┃会社名:株式会社ブルーエコノミー ┃設  立:2005年3月 ┃資本金:3,000万円 ┃業  種:環境ソリューション
「自然環境」を守るための将来的なビジネスを構築し、全国各地で導入させている(株)レストレイション環境リバース。同社の取組みについて迫る。「エコロジー」というキーワードを、産業界がいかにプロデュースし実践していくか、ということが大きな命題となって久しい。レストレイショングループとして地球の環境品質を永代にわたり守り、そして維持するため「資源循環」「エネルギー」の観点から新技術を開発し、未来ある社会を築くべく社会貢献と経済発展のビジネスを展開する体制が確立したのである。
化学物質の環境リスク初期評価(第18次取りまとめ)の結果を公表 【発表日】 2019.12.17 【情報源】 環境省 【健康・化学物質  有害物質/PRTR】 環境省は、化学物質による環境汚染を通じて人の健康や生態系に好ましくない影響が発生することを未然に防止するため、中央環境審議会環境保健部会化学物質評価専門委員会の審議を踏まえ、「環境リスク初期評価(第18次取りまとめ)」を取りまとめた。
 その結果、生態リスク初期評価で1物質が「詳細な評価を行う候補」とされた。  「詳細な評価を行う候補」とされた物質については、関係部局の連携の下で、詳細な評価の実施を含めた対応を図ることとしている。
 環境リスク初期評価の結果は、「化学物質の環境リスク初期評価:第18巻」として取りまとめ、インターネット上で公表する。  http://www.env.go.jp/chemi/risk/index.html
【環境省】
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記事に含まれる環境用語 環境リスク 生態系 中央環境審議会 プレスリリース http://www.env.go.jp/press/107542.html 株式会社ブルーエコノミー
「自然環境」を守るための将来的なビジネスを構築し、全国各地で導入させている(株)レストレイション環境リバース。同社の取組みについて迫る。「エコロジー」というキーワードを、産業界がいかにプロデュースし実践していくか、ということが大きな命題となって久しい。レストレイショングループとして地球の環境品質を永代にわたり守り、そして維持するため「資源循環」「エネルギー」の観点から新技術を開発し、未来ある社会を築くべく社会貢献と経済発展のビジネスを展開する体制が確立したのである。
分散型エネルギープラットフォーム(第2回、第3回)を開催 【発表日】 2019.12.17 【情報源】 環境省 【地球環境  地球温暖化】 環境省は、需給一体型の再生可能エネルギー活用モデルをはじめとした分散型エネルギーシステムを促進するため、関係するプレイヤー間の共創の場として「分散型エネルギープラットフォーム」第2回と第3回を開催する。
 分散型エネルギーシステムは、省エネルギーの推進や再生可能エネルギーの普及拡大、エネルギーシステムの強靭化に貢献するとともに、コンパクトシティや交通システムの構築等、まちづくりと一体的にその導入が進められることで、レジリエンスの向上や地域の活性化にも貢献し、地域循環共生圏の形成にも寄与するもの。  第2回及び第3回では、「家庭」、「大口需要家」、「地域」という需要地ごとに、分散型エネルギーモデルを普及させるにあたっての課題について、グループ別にディスカッションする場を設ける。
 日時:  <第2回>令和2年1月29日(水)9時30分~12時30分/14時30分~17時30分  <第3回>令和2年2月17日(月)9時30分~12時30分/14時30分~17時30分
 場所:TKP東京駅大手町カンファレンスセンター ホール22F(東京都千代田区)  対象者:分散型エネルギーシステムに関係する事業者、自治体等の担当者  定員:各回200名程度(午前の部・午後の部それぞれ100名程度)  参加費:無料  申込締切:令和2年1月8日(水)18時
 申し込み方法等詳細はプレスリリース参照。
【環境省】
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記事に含まれる環境用語 コンパクトシティ レジリエンス 強靭化 再生可能エネルギー 省エネルギー 地域循環共生圏 プレスリリース http://www.env.go.jp/press/107548.html 株式会社ブルーエコノミー
「自然環境」を守るための将来的なビジネスを構築し、全国各地で導入させている(株)レストレイション環境リバース。同社の取組みについて迫る。「エコロジー」というキーワードを、産業界がいかにプロデュースし実践していくか、ということが大きな命題となって久しい。レストレイショングループとして地球の環境品質を永代にわたり守り、そして維持するため「資源循環」「エネルギー」の観点から新技術を開発し、未来ある社会を築くべく社会貢献と経済発展のビジネスを展開する体制が確立したのである。
「平成30年度化学物質環境実態調査結果(概要)」を発表 【発表日】 2019.12.17 【情報源】 環境省 【健康・化学物質  有害物質/PRTR】 環境省は、「平成30年度化学物質環境実態調査結果(概要)」を取りまとめ、公表した。
 「化学物質環境実態調査」は、昭和49年度から一般環境中における化学物質の残留状況を継続的に把握することを目的に実施し、その調査結果を各種化学物質対策に活用している。  調査結果の詳細については、今後、「令和元年度版 化学物質と環境」として取りまとめ、公表する予定。
 調査結果(概要)の詳細は、プレスリリース参照。
【環境省】
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記事に含まれる環境用語 化学物質と環境 プレスリリース http://www.env.go.jp/press/107553.html 株式会社ブルーエコノミー
「自然環境」を守るための将来的なビジネスを構築し、全国各地で導入させている(株)レストレイション環境リバース。同社の取組みについて迫る。「エコロジー」というキーワードを、産業界がいかにプロデュースし実践していくか、ということが大きな命題となって久しい。レストレイショングループとして地球の環境品質を永代にわたり守り、そして維持するため「資源循環」「エネルギー」の観点から新技術を開発し、未来ある社会を築くべく社会貢献と経済発展のビジネスを展開する体制が確立したのである。
最新鋭の発電技術の商用化及び開発状況(BATの参考表)���更新に関する意見を募集 【発表日】 2019.12.17 【情報源】 環境省 【エネルギー  その他(エネルギー)】 環境省は、経済産業省と連携して整理・公表している、利用可能な最良の技術の普及を促進するための火力発電に関する「最新鋭の発電技術の商用化及び開発状況(BATの参考表)」を更新するに当たり、技術的な知見について意見募集(パブリックコメント)を行うと発表した。
 意見募集の対象:「最新鋭の発電技術の商用化及び開発状況(BATの参考表)」  意見募集期間:令和元年12月17日(火)から令和2年1月17日(金)
 資料の入手及び意見提出方法の詳細は、プレスリリース参照。
【環境省】
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記事に含まれる環境用語 BAT 利用可能な最良の技術 プレスリリース http://www.env.go.jp/press/107558.html 株式会社ブルーエコノミー
「自然環境」を守るための将来的なビジネスを構築し、全国各地で導入させている(株)レストレイション環境リバース。同社の取組みについて迫る。「エコロジー」というキーワードを、産業界がいかにプロデュースし実践していくか、ということが大きな命題となって久しい。レストレイショングループとして地球の環境品質を永代にわたり守り、そして維持するため「資源循環」「エネルギー」の観点から新技術を開発し、未来ある社会を築くべく社会貢献と経済発展のビジネスを展開する体制が確立したのである。
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thetheatretheoryoftheapes · 6 years ago
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#8「世界大戦とレジスタンスの記録」
世界大戦におけるレジスタンスの記録は世界に様々にあります。では、日本の演劇において存在したのか? 戦後新劇や総力戦体制下の移動演劇に焦点に当てながら、日本の演劇人が満州事変から始まる世界大戦の中で何を見、考え、行動していたのかを探りました。 下記は、講義の概要をまとめたものです。 -- 講義では、「ジャガイモを掘るベケット石を投げるサイード」にまず触れました。「ジャガイモを掘るベケット」とは、第二次世界大戦におけるナチスドイツに対するレジスタンスの諜報員であったベケットがパリから逃げる時に、畑のジャガイモを食べながら生き延びたエピソードを指しています。(それが「ゴドーを待ちながら」の原風景となっていると、幾つかのベケット伝に書かれています。)また、「石を投げるサイード」は、パレスチナのインティファーダを指します。圧倒的に不利な状況にあっても侵略行為を犯すインスラエルに石を投げるサイードの姿勢。こうした世界大戦におけるレジスタンスの行為としてのささやかな振る舞いというものが、実は演劇活動とか、あるいはサイードのような思想家としての活動としての根拠になっているのではないか、と鴻さんは考えます。 そしてまた、こうした状況下での作家の姿勢について、戦後日本の新劇復興という活動も視野に入れながら、日本の演劇人について考えたとき、一体どういったことが起こっていたのでしょうか? ◼︎ドイツの、そして日本の戦争責任 鴻さんは、まずドイツの思想家カール・ヤスパースは『我々の戦争責任について』(橋本文夫訳、ちくま学芸文庫)について触れました。その著書の中で、ヤスパースは、「我々」すなわちドイツ人の戦争責任とは何かについて語っています。その中で、戦後の裁判についての言及がこうあります。 -- ……「この裁判は全てのドイツ人にとって、国民的な恥辱である。せめてドイツ人が判事であれば、少なくともドイツ人がドイツ人に裁かれることになるであろうに。」とある論者がいう。
これに対してはこう答えることができる。いわく、「裁判が国民的恥辱なのではなく、裁判を招来したゆえんのもの、[なぜ裁判が行われることになったのか?] すなわち、そのような政府が存在してかくかくの行為をしたという事実こそ、国民的恥辱なのである。国民的恥辱という意識はドイツ人にはどっちみち逃れられないものだが、それが裁判に対しての意識であって、裁判の起こるもととなった原因に対する意識でないとすれば、それは方向を誤っている。 さらにまた戦勝国がドイツ人の法廷といったものを構成させるか、あるいはドイツ人を陪審判事に任命したとしても、事情は少しも変わらない。 -- この部分を、ドイツ人を日本人として読み替えた時、それはそのまま東京裁判の話のようだと鴻さんは言います。また、ここで重要なのは、ヤスパースは戦勝国と敗戦国という区別をしている点でもあると指摘します。ヤスパース自身はドイツ人なので敗戦国の人間。この本は敗戦直後1946年にそうしたことを考えながら書かれているものです。 -- 戦勝国が敗戦国の人間による法廷といったものを構成させたり、あるいは、敗戦国の人間を陪審員に任命したとしても、事情は少しも変わらないのではないか。ドイツ人が法廷にいるのは、ドイツ人の自己解放力によるものではなく、戦勝国の恩恵によるものである。してみれば、国民的恥辱に変わりはないはずだ。裁判は、我々が犯罪的な政権から自己を解放したのではなく、連合国に敗北したことによって解放されたという事実から裁判が生じている。こうした状況の中から、戦後が出発しているということをどう認識するのかということが、実は大きな問題なのであるにもかかわらず、この裁判はインチキであるというような、要するに、戦勝国が敗戦国を裁くという絶対的に有利な立場から、法的な機関というものを無視することもできるような形で裁きの無効性を主張するような議論もよく起こるのだけれども問題は自らの力によって敗戦に追いやられた政権を、つまり、その独裁的な権力を倒すことができなかったということが、後々の我々に大きな禍根を残しているのだ。 -- ヤスパースは、世界大戦における戦争責任の問題は、過去に遡り、問題を様々な形で考え直していかなければならないのではないか、という提言を1946年にドイツの人たちに向けてしていた。この本の解説を書いている加藤典洋は、こういうような明瞭な提言というものが、悲しいかな、日本にはなかったと書いていると鴻さんは語ります。 ヤスパース自身は、ナチスの政権下でユダヤ人の妻がいました。ナチス党から離縁を勧告されたとき、それを拒否して大学を去りました。ヤスパースはそうした形で具体的な抵抗を示していたのです。しかし一方で、ヤスパースは殺されることがわかっていながら、それでも抵抗して死んでいくべきであるとは言いませんでした。ではどこまで抵抗するべきなのか? そこに、道徳の問題が絡んでくるとヤスパースは書いてる。そして、そこでは、ある種の抵抗をした人たちと、また多くの抵抗しなかった人たちを含めた、罪の問題をどう考えていけば良いのかという分類がなされている、と鴻さんは解説します。 ◼︎ 満州事変から第2次世界大戦へ、その歴史的局面 ヤスパースは、著書の中で、ナチスの政権が1933年に政権を取ったところで、後戻りのできない状況になっている、そこが一つの転換点だったと分析しています。第一次世界大戦が終わってから15年、新たな戦争を避けるための様々な局面もあったというのです。 例えば、日本軍の満州侵略という暴力行為がなかったなら、それに対する適切な国際的な対応というものがなされていたならば、ナチス的な政権の独裁というものも防げるような方策を考えることができたと書いています。 そのこと自体の検証はできないけれども、世界がどのように動いていくのかということを考察するときに、ドイツの思想家が1946年の敗戦の直後に、ドイツがこういうような状況に向かっていくのを阻止できなかった原因の一つに日本軍の満州侵略を上げていることは興味深いことであると鴻さんは考えます。 また、鴻さんは、満州事変が世界大戦へ向けた一つの転機であるというような発言をしているのは、ヤスパースだけではないと言います。フランスの思想家シモンヌ・ヴェーユは『フランス支配圏内における植民地の新たな主要件』という論文の中で、帝国主義社会における人間の大きな問題である植民地をどのように扱えば良いのか? と問い、日本について言及しているそうです。 フランスは、ドイツに対するレジスタンスをしながら、しかし、一方で植民地政策を続けていました。この頃、イギリスの植民地は南アフリカからアフリカ大陸を南北縦断するように、フランスの植民地は西アフリカからアフリカ大陸を東西縦断するように、それぞれが植民地展開をしていた。その縦横がぶつかるところで、植民地戦争が起こり、フランスはイギリスに負けたけれども、まだ植民地を持っていたのです。 シモンヌ・ヴェーユは、基本的には、植民地に関しては具体的な方策を考えながら解放を目指すべきであると考えていました。植民地住民は彼ら自身の利益を目指して、彼らの政治的経済的生活に関与すべきである、しかし、実際はそうではない。そうした政策が実際に遂行されるのであれば、あらゆる植民地問題が解決へ向かう。部分的な解放であれ、それによる自由が完全な解放へとつながる可能性がある、と1938年に語っています。 しかしながら、フランスはそうした解放への動きは全くしなかった。こういう状態で、もし日本が今、インドシナを奪おうとしたとき、日本がベトナム人(フランス植民地)を利用することは大いに考えられる。フランスが少しの自由を保障していれば、日本がそれを習うことは難しい。フランスは植民地解放へと動き出すべきであるとシモンヌ・ヴェーユは主張していたと鴻さんは説明します。 このようにシモンヌ・ヴェーユも、1938年に日本がフランス植民地インドシナをフランスから奪い取りに来るだろうことを予測していました。日本は、実際3年後の41年に真珠湾攻撃と合わせて、上陸作戦を開始します。37年盧溝橋事件をきっかけに、日本の中国大陸への具体的な侵略が開始されたとフランスの知識人たちは見ていたのです。 ◼︎ 外の世界がなかった日本 ー 総力戦体制と移動演劇 鴻さんは、1927年にヨシフ・スターリンは、中国革命は3段階で起こるだろうと予測していたと言います。 第1段階は、ブルジョワジーが革命を支持する形で外国帝国主義に対する戦いが開始される。第2段階は、ブルジョワ民主主義革命が起きて、それ以降はブルジョワは革命から離れていたにもかかわらず、農民の革命に対する支持が開始される。第3段階でソビエト的な革命が起こる、こうした将来が必ずやってくるとスターリンは考えたのです。そして、中国では実際に共産革命が起こりました。 また、スターリンは日本についても言及していると鴻さんは引用します。 -- 西欧で我々の敵である者たちは、皆もみ手をしながらこう言っている。中国で革命運動が起こった。これはボルェヴィキ(ソヴィエト)が中国人民を買収したのだと悪口を言っている。これはロシア人が日本人と戦う道へと導くであろうと皆が言っている。こんなことはデタラメである。中国の革命運動は信じられないほどである。我々は帝国主義者どもの束縛から中国を解放し、中国を単一国家にするために戦っている。中国革命に共鳴している。日本もまた、中国の民族運動の力を考慮する必要があることを理解する。 -- このスターリンの日本に関する予測は当たりませんでしたが、しかし、こうした裏には、自分たちの国以外の国がどのようになっているのか、その人たちが何を願い何を考えているのか、もしかしたら事態はこうなるかもしれないということを考えながら、スターリンが記述していることがわかる、戦後、ヤスパースは我々(ドイツ人)の戦争責任を考えていたけれども、日本人はそう言ったことは考えていなかったのか。では何を考えていたのか? と鴻さんは問います。 こうした日本の盲目性に関して、森秀男が「戦中と戦後をまたぐ――『女の一生』の場合――」という論文を書いています。鴻さんたちが、『シアターアーツ』で「戦争と演劇」という特集を組んだ時に、掲載された論文です。 これは、今も繰り返し上演されている文学座の『女性の一生』という作品について書かれたものです。作者である森本薫が『女の一生』を執筆時は戦中でした。戦時中に上演されたということは、それは“反戦”演劇ではなかったということです。戦時下で上演された『女の一生』の台本は、戦後の台本とは異なります。初演台本と戦後の改定された台本、そして定本として読まれている台本がそれぞれいろんな形で違っているのです。この初演台本は長いこと簡単には読めませんでした。この経緯についてよく知っている文学座の戌井市郎などに、森秀男さんが話を聞きながら、変更箇所について調べたことがこの論文に書かれているそうです。 『女の一生』が、どのように戦前の演劇から戦後の演劇へと変わったのか? 例えば、主人公のけいが想いを寄せるが、中国へと姿を消す栄二という登場人物は、戦後の改定において、最初は左翼的な人間だったのが、転向して情報員として戦争協力する仕事などをしながら、敗戦後、帰国する、という設定がなされたりしている。 1961年の『女の一生』パンフレットで、森本薫から杉村春子に当てた敗戦前後の私信の抜粋が公開されました。また、当時舞台女優に宛てた森本薫の手紙が残っています。そこでは、森本薫が次のように言っています。 -- 1945年8月3日付 『怒涛』や『女の一生』がダメなのは、描くことだけに力を入れて自分を込めるというか、なんといったらよいかわからんが、ともかく作家自体が芝居の中で求めているものがはっきりしない。あるいはないことだ。 -- 1945年10月11日付の手紙 とにかく皆誰かなんとかしてくれるだろうという他力本願を捨てて本当に一生懸命準備しなければならん。僕は『田園』から『女の一生』までの文学座を省みて、岩田豊雄に逃げられたり、戦争にいじめられたりしながら、我々自身大して自信もなく歩いて来た道は、そう無駄な道ではなかったと思う。我々は我々が到達したところからしか出発できない。しかも我々は率直に楽しめる現代劇から真面目に社会を考える現代演劇への第一歩を踏み出している。僕は色々と取り越し苦労をしているように見えるかもしれないけれども、今回の出発に関して新しい風は左翼演劇からは現れないということを断言する。左翼演劇ではなく、自分たちのやろうとしている演劇から新しい風が吹き始める。 -- 森秀男は、「森本薫は8月15日を境に、戦中と戦後という時代をほとんど苦労なしにまたぐことができたようだ。戦争中、時局に順応した作品を書かなければならなかったことへの自責の言葉は見当たらない」と書いています。 この時、「時局に順応した作品を書かなければならなかったことへの自責の言葉」がどういう風に語られるのかについて問題にしているのがヤスパースであり、その道徳的罪であるとか、政治的罪についてを『我々の戦争責任について』で書いている。戦争犯罪を実際に犯すことと、その国の政権が独裁的で侵略戦争をしていからという理由でそれに抵抗できなかった人間は、戦争犯罪人ではない。ただし、道徳的罪はあるだろうとヤスパースは言っている。そこで、自責の言葉がどういう風に語られるのかが問題である、と鴻さんは展開します。 ◼︎日本戦時下の移動演劇 ー その問題性と魅力 ここで、鴻さんは「だんだん日本の演劇人の戦争中の行動と、それに対する戦後の自責の念のなさという私の批判が始まるのではないかと思う人もいるかもしれないのですが、こういうことを踏まえた上で、私はいま全く違うことを考え始めている。」と、日本の移動演劇の歴史について語り始めます。 例えば、戦時下の演劇が孕む問題性とその魅力が同居するときにどうしたら良いのか?  ー日本では戦中、移動演劇が盛んでした。演劇をより多くの人に見せるために、農村地帯や漁村、���村など様々な場所に展開しました。有名なのは、移動演劇の部隊であった桜隊が1945年8月6日広島にいたということです。その時に、原爆が落とされて、桜隊のメンバーが原爆で亡くなっています。(そのことを巡って、井上ひさしは『紙屋町さくらホテル』という作品を書きました。新国立劇場のこけら落としに執筆され、1997年に上演。鴻さんが劇評を執筆しています。) そして、戦争が終わり、他の移動演劇も敗戦とともに消えていき、なくなってしまいます。 演劇評論家の茨木憲は、『昭和の新劇』という本のなかで、戦後の新劇人たちは、戦時下において自分たちがやってきたことの反省において新劇活動をしなかったということを告発していると鴻さんは参照します。 日本の戦後新劇のはじまりを告げたのは、1945年12月に文学座と俳優座の合同公演として上演された、アントン・チェーホフの『桜の園』でした。1940年に国の一斉検挙があり、新協や新築地の両劇団は国情に適しないから解散するようにと命令された時、当局の推奨を受ける形で存続していた文学座は「国情に適した」劇団だったのでしょう。そして、戦後の合同公演で直ちに、雰囲気劇としてチェーホフを上演したのです。 ここには、森秀男によって詳細に分析された『女の一生』の改ざんの問題における日本の戦後新劇人の自覚のなさと共通するものが見られると鴻さんは考えます。 そして、茨木憲が著者の中で戦時下の空白期と書いているところに、実は移動演劇がありました。 戦時下に移動演劇連盟が作られたのが1941年6月。その後、1943年2月に再編成されます。この移動演劇の活動初期1年半で動員した観客の数は約450万という膨大な数に上ります。農村、山村、漁村、工場、鉱山などを周り国民に観劇の機会を与えることを目的に公演回数は3,500回を数えました。 時は真珠湾攻撃の直前。ビラ広告のキャッチコピーは「米英撃滅 今このとき!」。勇ましい宣誓文が続きます。 -- 我々は文化領域における翼賛運動の一助たる我らの職域を明瞭に自覚する 我々は協力一致の精神と誠実明朗の態度をもって我々の使命に奉仕する -- 移動演劇は、東京毎日新聞などの資本を得つつ、主に公的な資金で運営されていました。入場料は無料です。移動演劇は商業演劇のような単なる娯楽ではなく、教化=教え諭すことで、正しい国民を作っていくことを目的に上演されていたのです。 移動演劇連盟の委員長は、岸田國士。大政翼賛会の文化部長であった岸田國士が個人の資格で委員長になりました。そして、副委員長が伊藤熹朔、事務局長も兼任していました。伊藤熹朔は千田是也の兄です。このように、演劇界の重要人物たちが移動演劇連盟を仕切っていたのです。 伊藤熹朔は、昭和18年に『移動演劇の研究』という本を書いています。移動演劇は、劇場がないような場所でも上演をするので、ときには劇場作りから始めなければならず、巨大な装置は使えないという点から色々な工夫がなされていました。 ここで重要なのは、国民全員が見る体制を作ること、単に楽しむためだけでなく、国民が考える場所を提供することを目的に移動演劇が作られたと書かれていることだと鴻さんは指摘します。 いろいろな場所で上演できるような一種の実験的な試みを展開しつつ、新しい創意工夫のもとに移動しながら演劇を上演していく、こうした移動演劇という新しい様式を作り上げていったと伊藤熹朔は書いています。 鴻さんは、この研究書を読みながらロシア・アヴァンギャルドのアジプロ演劇を想起したそうです。ロシアでは、1918年にボルシェビキのプロパンダ演劇のための劇場が列車となり移動し上演するアジプロ列車というものができました。アジプロ船もありました。 当時の日本ではアジプロ列車についてどの程度知られていたのか不明ですが、移動演劇では、舞台美術家である伊藤熹朔が中心を担って、プロセニアム劇場ではない形の舞台で、どういう演劇を、具体的に作っていくのかが模索されました。 このように、劇場なしでの上演を巡って移動演劇に新しい可能性があると考えた人たちがいて、それが国策で行われました。非常事態において行われていたことが、重要な演劇的な意味合いを持っている可能性があると鴻さんは論じます。 研究書の中で伊藤熹朔は、移動演劇の起源はギリシア演劇の起源にあるテスピスの車輪だと書いています。そうした歴史的な起源にまで遡りながら、伊藤熹朔は自分たちがやっていることは芸術的な革新運動であると思っていた。それを国策演劇であるということで切り捨ててしまうと、その面が見えなくなってしまう。一方で、独裁政権化の軍事政権ファシズムが演劇による総力戦化という中でそういうことが行われていたことは事実です。この2つの歴史的事実をどう繋げて考えていくことができるのか? さらに、植民地主義の抱える矛盾。ソビエト科学アカデミーの中の歴史書シリーズの中に、「植民地に対する侵略と略奪がなければ資本主義の成長はありえない」という一文があります。資本主義がなければ私たちはいないのだけれども、その植民地をいかに解放するのかというシモンヌ・ヴェーユの悩み。 それらの文脈の中に、日本の移動演劇がどう位置付けられるのか? 鴻さんは、日本の植民地主義や戦争責任を巡る議論と移動演劇の活動を参照しながら、それを演劇論として論じるのは非常に困難な作業であるが、そうした探求を進めることこそ演劇研究の役割であると言って講義を終えました。 参考文献: カール・ヤスパース『われわれの戦争責任について』(橋本文夫訳、ちくま学芸文庫、2015年)[ドイツ語原典は、1946年出版、初訳は、1950年桜井書店から『戦争の責罪』として刊行され、その後『責罪論』、『戦争の罪を問う』などのタイトルで幾度も出版されている]。 伊藤喜朔『移動演劇十講』(健文社、1942年) 伊藤喜朔『移動演劇の研究』(電通出版部、1943年) シモーヌ・ヴェーユ『シモーヌ・ヴェーユ著作集1:戦争と革命への省察』(春秋社、1968年) スターリン『スターリン全集』7、10(大月書店、1952、53年) 文/椙山由香 
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saimarket · 3 years ago
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’22年4/1(金) 『刀根 健×春名伸司・生還クロストーク 僕たちはなぜ生きたか?』開催♪
第1部「生還クロストーク・僕たちはなぜ生きたか?」 働き盛りの真っただ中で死と直面した二人のクロストーク。 知らず知らずのうちにほつれて行った人生の糸を、ふたりはどうやって紐解いていったか? がんに治し方のセオリーはない。 だからこそ、二人の共通項を探すことは「治す軸」を作る事に繋がります。
第2部「かくりん気功とがんの養生お話し会」 「かくりん気功」とは、中国で作られたがん回復専門気功です 。 歩く、呼吸する、気を巡らす・・・ それぞれの所作の中に、ガンの体質改善を計る要素がたくさん含まれています。また、気功をすると中枢神経のバランスが良くなり、落ち着いた心を作る効果もあります。 「がんや病気になっても病人にならない!本格的な健康法で元気になろう」というテーマで、お話と歩く気功を体験する講習会です。がん治療中の方や再発防止に役立つ気功を体験し、生き抜く知恵をお話いたします。
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日時:4月1日(金) 【第1部】刀根 健 & 春名伸司クロストーク ※刀根さんは1部のみ出演                 13時~14時 3.500円 定員15名
【第2部】がんの養生法「かくりん気功」          14時30分~15時45分 2.000円 定員10名
【アフター お茶会】16時~17時 フリー
会場:SAi GALLERY(サイマーケット内1F)https://saimarket.com/ 〒173-0037 板橋区小茂根1-9-5 東京メトロ有楽町線・副都心線・西武有楽町線 「小竹向原駅」徒歩3分
★お申込み⇒ [email protected](春名) 参加形式(・両方 ・1部のみ ・2部のみ)と明記の上メールお願いします。 折り返し支払方法などお知らせします。
《プロフィール》 【刀根 健】 1966年、千葉県出身。産業カウンセラー、TAマスターコンサルタント。東京電機大学理工学部卒業後、商社マンとして就職。 その後、教育系企業にて心理カウンセリングの資格取得コースの開発などを担当。企業や病院・官公庁でコミュニケーションやリーダーシップ開発の研修講師として活躍する。 しかし、2016年9月1日に肺がんステージ4と診断される。2017年6月13日に脳転移治療のため1カ月入院。 精密検査で脳の他に両目(眼内腫瘍)、左右の肺、肺から首のリンパ、肝臓、左右の腎臓、脾臓、全身の骨転移が新たに見つかる。 医者に「いつ呼吸が止まってもおかしくない」と告げられる。その絶望的な状況で不思議な神秘体験をする。その神秘体験後、奇跡的に回復。2017年7月末の診察でがんはほとんど消失する。 現在はその体験を通しての気づきをもとに講演、セミナー、執筆などで活躍中。
【春名伸司】 2001年1月、42歳で咽頭がん4期 舌 リンパ節転移の告知を受ける。 子供は1歳と3歳、住宅ローンを抱え、新居を建てて半年後の事だった。 「子供達のためにも死ねない」とがんの専門 かくりん気功、食事療法、温めなどを徹底し、人生を見つめなおした。 その経験から引き寄せのコツも理解する。 4か月後に15時間の手術を受け、植物状態も経験するが、取り除いたがんはすでに壊死していたところが多かった。 退院後、職場復帰し、再発防止に努めながらシングルファーザーで子供たちを育てた経験を持つ。 また、退院直後、ヨレヨレの体で中国に本格的にかくりん気功を習いに行き帰国してからもハードな練功を続け、 帯津良一医学博士から「日本で最も上手なかくりん気功師」と評価を頂く。 著書:「がんの手術をする前に」帯津良一医学博士共著 「末期がんを治癒して100 歳をめざす」 ・日本森田療法学会員・日本笑い学会講師・日本カウンセリング学会員 ・元岡山県庁・一般社団法人ひまわりホリスティック代表
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xf-2 · 6 years ago
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IR疑惑で、東京地検特捜部が25日、秋元司衆議院議員(東京15区)の逮捕に踏み切った。外為法違反を「入口」にはじまった強制捜査だったが、逮捕容疑は最初から「本丸」とみられた収賄容疑。個人的には収賄容疑は再逮捕のときに行うと予想していたので、展開が思ったよりスピーディーなのが気にはなった。
逮捕された秋元議員の副大臣時代(国交省サイトより)
そして同日夕方には、白須賀貴樹衆議院議員(千葉13区)、勝沼栄明前衆議院議員(宮城5区)のそれぞれの地元事務所にも特捜部が家宅捜索を行ったことが判明。政界にさらなる激震が走った。永田町では、特捜部が「本命」にしている大物議員の名前もすでに取りざたされているようだ。
今後の展開によっては年明けの通常国会が桜を見る会に続くスキャンダル騒ぎになるだけでなく、政府のIR推進の大幅な遅れ、場合によっては安倍政権の命運にも影響する可能性も捨て切れまい。
チャイナマネー工作リスク浮き彫りに
ここまではマスコミの速報で周知された話だが、ネット文脈でみると、これもさんざん指摘してきたように、安倍政権・自民党を支持してきた保守層にも異変の兆しがある。中国出身の評論家で保守層に強い影響のある石平氏は、秋元議員逮捕の報を受けてツイッターで実に本質的な指摘をした。
秋元司議員逮捕の一件、ふと思ったことだが、中国の一企業が数百万円程度で日本の国会議員を買収できるのであれば、何十億円も簡単に出せる中国政府はその気になれば、与党野党問わずにどれほどの国会議員を買収できるのだろうか。政治家も国民も大いに危惧すべきである。https://www.sankei.com/affairs/news/191225/afr1912250011-n1.html …
秋元司議員、収賄容疑で逮捕 IRめぐり現金300万円、北海道旅行も 東京地検特捜部
カジノを含む統合型リゾート施設(IR)への日本参入を目指していた中国企業側から現金300万円を受け取るなどしたとして、東京地検特捜部は25日、収賄容疑で自民党衆…
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チャイナマネーによる政界汚染は決して夢想ではない。秋元議員はまだ逮捕されただけなので、いまの時点では推定無罪であるべきことと断った上でのことだが、仮に秋元議員に収賄や現金授受の事実がなかったとしても、日本の政治家が中国企業、あるいは中国政府から買収される「リスク」が浮き彫りになったこと自体は異論はないだろう。
パナマでは前大統領が巨額の資金受領疑惑
渦中のバレラ前大統領(Wikipedia)
折しもおとといのアゴラで、パナマの前大統領が在任中に台湾と断交し、中国との国交樹立に乗り換えた際、中国側から1億4300万ドル(155億円)を受け取った疑惑が現地で報道されたことを紹介したばかりだった(中国側は否定)。
パナマ前大統領が台湾断交・中国国交樹立の際、1.4億ドル受領発覚
パナマが一世紀以上も続けてきた台湾との外交関係を経った背景には、パナマ側には中国資本の誘致で経済活性化の思惑が、一方の中国側は大動脈であるパナマ運河一体の権益を確保し���アメリカの“裏庭”に食い込むことが目的だったとみられている(参照:日経ビジネスオンライン・福島香織氏「中国がパナマと国交樹立、その意味を考える」)。
経済大国化が著しい中国は、パナマ運河の各国別通過荷物量で近年はアメリカに次ぐ2番目に多かった。2018年度は日本に追い抜かれたが、これは米中貿易戦争の影響とみられた。貿易戦争がなければ堅調にプレゼンスを上げていたはずだ。
パナマ運河(Kaspar C/flickr:編集部)
いずれにせよ、パナマ側にとっても中国への乗り換えは経済的に見れば一見合理的のように思われたが、もし前大統領が、台湾断交・中国国交樹立と因果関係にある巨額の資金受領を本当にしていたのであれば、中国側の外国に対する政界工作がとてつもない規模で行われていたことになる。
オーストラリアでは現職大臣の政策決定にも影響か
ロブ元貿易相(Wikipedia)
政界工作はパナマのような小国だけではない。ロイターなどによると、オーストラリアではアボット政権時代の2014年、アンドリュー・ロブ貿易相(当時)が中国とのFTAを締結した際、中国企業「嵐橋集団」から約10万オーストラリアドル(約759万円)の政治献金を受領していたことが発覚した。
この嵐橋集団は2015年10月、ダーウィン港の地元州と、港のリース契約を99年間交わした企業であり、同社の背後で中国政府の意向が働いているのは確実とみられている。ダーウィン港の99年間リース契約は、中国にとってオセアニアに橋頭堡を築き、寄港する米軍艦船の戦略にも影響を与えることから、当時は日本でも特に保守層には衝撃的に受け止められた。
しかも、ロブ氏は政界を離れたあとに、嵐橋集団の顧問契約を締結。年収88万のオーストラリアドル(約6680万円)を得ていることが豪州メディアの報道で明らかになっており、その異様な蜜月ぶりが問題視された。
安全保障視点からも検証を
tonynetone/flickr
翻って今回の日本のIR疑惑は、日本でのカジノ解禁をにらみ、一山あてようとした中国企業の営業上の動きであって、背後に中国政府の存在があるかは考えづらいところだ。
しかし中国政府が、外交・安全保障・通商上の戦略を展開する上で、日本国内でも政界工作をするオプションを取ろうと思えば、石平氏も指摘するように買収額は、秋元議員の疑惑であげられている数百万円とケタ違いの“相場”になることは、パナマやオーストラリアの事例をみると明らかだろう。
おそらく朝日新聞などの多くの日本メディアは、IR疑惑についてあくまで政権与党に対する糾弾材料や政局ネタでしか報じないであろうが、チャイナマネーによる政界工作リスクという安全保障視点も含めて考えていくべきだ。
新田 哲史   アゴラ編集長/株式会社ソーシャルラボ代表取締役社長 読売新聞記者、PR会社を経て2013年独立。大手から中小企業、政党、政治家の広報PRプロジェクトに参画。2015年秋、アゴラ編集長に就任。著書に『蓮舫VS小池百合子、どうしてこんなに差がついた?』(ワニブックス)など。Twitter「@TetsuNitta」
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yaasita · 3 years ago
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現金3400万円を残して孤独死した身元不明の女性、一体誰なのか(前編) 「行旅死亡人」のミステリーを追う 2022/2/20 10:00 (JST)2/20 21:28 (JST)updated© 株式会社全国新聞ネット
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📷 2020年4月、ある高齢女性が、兵庫県尼崎市のアパートでひっそりと独りで亡くなった。女性の身元が分かる遺品はなかったが、自宅の金庫には現金約3400万円が残されていた。この所持金の額は、身元不明の死者を指す「行旅死亡人」の中でも10年間で断トツのトップ。いったいこの女性はどんな人物だったのか。限られた手掛かりを頼りにミステリーを追いかけた。(共同通信=武田惇志、伊藤亜衣)▽「不思議な事件なんです」と相続財産管理人残されたアルバムにあった1枚。ほほ笑む女性 📷 昨年6月、ある官報の行旅死亡人の記事に目がとまった。「本籍・住所・氏名不明、年齢75歳ぐらい、女性、身長約133cm、中肉、右手指全て欠損、現金34,821,350円」。2020年4月26日午前9時5分ごろ、尼崎市のアパートの一室で女性の遺体は見つかった、とある。行旅死亡人は、病気や自殺などで亡くなり、名前や住所などが判明せず遺体の引き取り手がない人のことだ。遺体が発見されると、まず警察が死因や身元を調査する。事件性がなく、遺体を引き取る人がいなければ、「行旅病人および行旅死亡人取扱法」に基づき、発見された市区町村が遺体を火葬・埋葬し、遺品を管理する。その後、官報に遺体発見の日時や場所、推定年齢、身体的特徴、所持品などを掲載し、引き取り手を待つ。女性は2010年から官報の死亡記事をインターネット上に転載している「行旅死亡人データベース」で、所持金部門のランキングで1位だった。官報に掲載された「行旅死亡人」の情報 📷 尼崎市に問い合わせると、家庭裁判所の選任で遺産を管理する相続財産管理人の太田吉彦弁護士と連絡を取ることができた。「弁護士を22年やっていますが、かなり不思議な事件なんです。報道の力もお借りできるなら…」。太田弁護士は開口一番、電話口で切り出した。太田弁護士によると、女性は「田中千津子」と名乗り、1982年3月からアパートに住み続けていたが、住民票がなく、保険証や病院の診察券、親族からの手紙や電話帳なども見つからなかった。多額の現金は通帳や貴金属と一緒にダイヤル式金庫の中に収められ、遺体発見時に臨場した警察官により発見された、という。女性が遺体で見つかった当時の室内 右下は現金が入っていた金庫 📷 部屋からは「田中千津子」名義の年金手帳も見つかり、1945年9月生まれとあったことから、死亡時は75歳と推定された。死体検案書によると、死亡したのは2020年4月上旬で、死因はくも膜下出血だった。残されていた労災の書類から、94年4月、当時働いていた尼崎市内の製缶工場で、事故によって右手指を全てなくしたことが分かった。労災年金の給付が決まったが、後に自ら給付を断ったとみられ、97年ごろに打ち切られていた。住民票も95年、理由は不明だが市の職権で削除されていた。自宅に固定電話はあるが、電話をかけた履歴もなく基本料金を支払い続けている状態だった。遺品には、スナップ写真が入ったアルバムのほか、通帳、印鑑、セイコーの腕時計、米1セント硬貨1枚、京都・八坂神社のキーホルダーなどがある程度。部屋は施錠されていたが、不思議なことに鍵は見つかっていない。レシート類はなぜか近年のものはなく、80~90年代のものが数枚あるだけで、身元の特定につながるものはなかった。また、ポリ袋に包まれた韓国の千ウォン札1枚と、内側に謎の数字が羅列された星形のペンダントが見つかり、身元を調べた関係者の間では「北朝鮮の工作員絡みではないか?」といううわさも立ったという。遺品のペンダント 📷 結局、警察が調べても身元が判明せず、女性は市によって火葬された。民法の規定では、身元が判明せず一定期間を経ても相続人が確定できなければ、遺産は国庫に帰属することになっている。「今回は遺産が多額であり、もし国庫帰属後に相続人が出てきたら取り返しがつかない」として、太田弁護士は昨年3月、異例ながら探偵・調査会社に委託し、改めて身元調査を行うことにした。探偵は近所を中心に聞き込みなどをしたが、女性を知る人は見つからなかった。太田弁護士は「何らかの手がかりが多少は残されているのが普通。今回は積極的に身元を隠そうとしていたのかもしれない」と推察した。▽「田中〇〇」という名で賃貸契約関心を抱いた私たちはまず現場に足を運んだ。女性が遺体で見つかったアパート 📷 女性が40年近く住んでいた3階建てのアパートはJR尼崎駅から直線約1キロの住宅街にある。近くには商店街があり、昔ながらの個人商店や銭湯などが立ち並ぶ。大手家電量販店や商業施設、新しい高層マンションに囲まれた尼崎駅周辺とは対照的だ。アパートは1階が大家の自宅で、2、3階に計4室の部屋があり、現在は他に男性1人が住んでいる。2020年4月26日、この男性が千津子さんの郵便受けに家賃の請求書が入ったままであることを不審に思い、連絡を受けた不動産会社が警察署に通報。女性は玄関先で左側を下にして横になった状態で倒れていた。大家が顔を確認して部屋の住人であることが確定した。女性が住んでいた部屋。女性が倒れていた 📷 部屋の壁に掛けられた警報アラームは電源が入ったままで、部屋の窓に内側から棒が挟まれ、開かないようになっていたという。大家の許可を得て、女性が住んでいた2階の部屋に入ることができた。家具などはすでに片付けられていて生活感はなく、玄関扉の横に貼られた粘着テープと木製の郵便受けに書かれた「田中」という小さな文字が残されていた。呼び鈴と粘着テープの「田中」の文字 📷 玄関扉を開けると狭い玄関があり、すぐ横には小さな手洗い場が備え付けられていた。台所と奥に4畳半の和室、トイレがあるだけの質素な部屋だった。玄関扉の内側にはチェーンが2つ付いていたが、救急隊が部屋に入る際に壊したという。チェーンは自ら施したとみられる。大家の宮城ヒナさん(93)に話を伺うと、女性は月3万1500円の家賃を毎月欠かさず持って来ていたという。「そのやりとりで会うだけやったけど、上品でおとなしい方やったな」。女性はいつも腕を組んでいた印象で、宮城さんは女性に右手指がないことも知らなかった。アパートの賃貸借契約書は1982年3月に「田中〇〇」という男性名で契約されていた。勤務先を大阪市西淀川区の「富士化学紙工業」(現フジコピアン)とし、電話番号も付していた。太田弁護士によると、兵庫県警が同社に田中〇〇さんの勤務歴を照会したが、該当がなかったという。フェ��スブックで同時期に働いていた元社員の男性を見つけ、名前と写真を見せて確認してもらったが、該当する同僚はいないとし、付された電話番号も当時の代表電話で電話帳にも載っていたもの、と証言した。何らかの事情で勤務していない虚偽の社名を書き込んでいたのだろうか。当時、田中〇〇さんと直接契約を交わした宮城さんの夫はすでに亡くなっており、宮城さんは「男性には一度も会ったことがなく、(女性の)独り暮らしだと思っていた」と話した。▽大事にしていたぬいぐるみ女性が遺体で見つかった当時の室内。大切にしていた犬のぬいぐるみも見える 📷 女性の部屋にはアルバムが残されていた。開いてみると、緩くカールした黒い髪が肩まである40代くらいの女性の写真がたくさん入っていた。写真の多くは、背景に写った車や新聞から、1980年代に撮影されたとみられる。女性は白いシャツにジーンズというカジュアルな日もあれば、首にファーを巻きロングコートで赤い口紅を塗った華やかな服装の日もあった。「晩年はだいぶ痩せていたが、田中さんの面影はある」と宮城さんは言う。眼鏡姿の中年男性が写った写真も多くあったが、そちらについては「見たことがない」と首を振る。アルバムには女性が白い乗用車にもたれかかった写真も収められていた。車は三菱自動車の「ギャランGTO―M2」。愛好家という男性に連絡すると、1970~71年に約1万6千台生産され、当時、若者から熱狂的人気を集めていたと教えてくれた。「購入できたのは30~40代のお金に余裕のあるおしゃれな独身者で、家族持ちは買わない」アルバムに残されていた男女の写真 📷 写真の男女はいつも同じペアで、多田神社(兵庫県川西市)や八坂神社、知恩院(京都市)など神社仏閣を2人でよく訪れていたようだ。女性が尼崎市のアパートで犬のぬいぐるみを着せ替えて遊ぶ姿も収められている。女性が亡くなった後、清掃前に撮影された自宅の写真を見ると、部屋にはベビーベッドが置かれ、その上にこの犬のぬいぐるみがあった。サン・アロー社(東京)が82年に販売を開始した「サンディ」という名で、40年近くも大切にしていたことがうかがえた。アルバムの写真はみな色あせ、最近のものとみられる写真は1枚もなかった。最も新しいとみられるのは、富山県南砺市の大牧温泉観光旅館で撮影された男性の写真で、92年7月12日と撮影年月日が唯一、印字されていた。旅館に電話で問い合わせると、当時の宿帳は残っていたものの、関西方面からの宿泊客で「田中」という名は見当たらなかった。大家の宮城さんの証言から、写真の女性は亡くなった田中千津子さんと推定されたが、確証は得られなかった。「このままでは無縁仏。女性が成仏できるように、ご親族が見つかればよいのですが」と太田弁護士はつぶやく。写真=残されていた「沖宗」の印鑑 📷 手がかりは何かないか。これまでの取材結果を整理したところ、突破口になりそうな情報が2つ出てきた。労災事故で入院した際の病院のカルテにあった「『23歳まで広島におり、3人姉妹がいた』と話していた」との記述と、「田中」姓に混じって見つかった「沖宗」姓の印鑑。「女性は広島出身で旧姓が沖宗さんでは?」。私たちは広島方面に取材の足を広げることにした。(つづく)情報提供やご意見は共同通信大阪社会部にお寄せ下さい。メールアドレス:daisha@kyod
onews.jp/ツイッター:@kyodonewsosaka
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koudelkalightnovel · 7 years ago
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Collections of Hiroki Kikuta’s blog
1997年秋から1999年末まで携わった、 「クーデルカ」という仕事は、僕の人生の中で大きな意味を持つ。 嬉しかったこともあり、残念だったこともあり、しかし、制作に費やした二年間は、 無駄ではなかったと、今振り返って思う。 サクノス立ち上げに助力していただいた、元セガ副社長の故藤本敬三氏の思い出。 ロサンゼルスはウエストハリウッドでの夢のようなモーションキャプチャーセッション。 胸に浮かぶままに、語るべきことは尽きない。 ここでは、写真、設定資料、デザイン画を中心に、ゲーム制作のプロセスと、 その印象を綴っている。 クーデルカのための宣伝用イラストレーション/1998 岩原裕二 部分 このサイトは、1999年12月にプレイステーション向けホラーRPGとして発売されたゲーム「クーデルカ」のディレクター菊田裕樹が、制作資料の掲載や作品解説を目的として運営するものです。ゲームをプレイしてくれたユーザーが、より深くクーデルカの世界とその魅力に親しんでもらうために、僅かなりと助けになれれば幸いです。 --- 「クーデルカ」のモーションキャプチャーは、1999年1月、ロサンゼルスはサンタモニカにあるスタジオで収録された。技術面を担当したのはフューチャーライト。普段は「ゴジラ」等のハリウッド映画のSFXを担当している映像制作会社である。遡る1998年9月、僕はイベント系を担当する人員の不足から、それを全てモーションキャプチャーで賄うという構想を建てた。全体で見れば一時間をこえるイベントシーンを、手打ちのアニメーションとスクリプトで実現しようとすれば、5人がかりの仕事となる。しかも、一向に従来のRPGの域を出ない、面白みの無い方法だ。ゲームのドラマ部分を表現するために、効果的で、目新しくて、しかも大きな省力化になる方法として、モーションキャプチャーは画期的な試みだった。無論、問題はあった。技術的に不可能だというのだ。物語の性質上、最大4人を同時にキャプチャーし、併せて音声も収録する必要があったからだ。僕はまず、日本国内のスタジオで実験をし、手応えを掴んだ。その結果、モーションキャプチャーは十分に魅力的な効果を生み出すという確信を得た。しかし同時に、僕の要求する仕様は日本国内では実現不可能であるということも分かった。だが、そこで諦めてはクリエイターが廃る。幸い、以前「双界儀」の録音でお世話になったデイブレイク社の大竹氏が、海外のコーディネイターに詳しいというので、畑違いながら探してもらったら、ロスにそれらしい技術を持った連中が居るという。早速連絡を取り、俳優のオーディション方々会いに行った。ところが実際に会ってみると、彼等も僕が考えるような仕様でキャプチャーをしたことがなかった。4人を同時に、音声もいっしょに、しかも数分に及ぶ芝居をいっぺんに収録する。そんなの聞いたことがない。しかし驚いたことに、面白そうだから是非やってみょうと、彼等は言っ��のだ。新しいことにチャレンジするのが嬉しくてしょうがないスタッフ達。こうして、この前代未聞の試みは実現したのである。 クーデルカを演じてくれたヴィヴィアンとエドワードを演じてくれたマイケル。100人程のアクターをオーディションした中から選んだ人達だ。アメリカのアクターの層は厚い。皆、良い作品に出演することを夢見て、演技の勉強をし、技術を身に付け、レストランなどで働きながらハリウッド近辺で暮らしている。アメリカでは基本的に、どのような有名な役者でも、名前だけで出演が決まることはない。必ずオーディションをして、その役に本当に相応しいかどうかを確かめられる。彼等は、役の大小に限らず、それを勝ち取ることに真摯で、また仕事に臨んでも出来るだけ良い結果を残そうとする姿勢を崩さない。 セッションに参加してくれたスタッフ達。フューチャーライト側から、モーションキャプチャーの陣頭指揮にあたってくれたダン・マイケルソンをはじめ、プログラマーのランディ、エンジニアのジョン。彼等は4日に及ぶセッションの中で起った、様々な問題に素早く対処してくれた。日本側から、クーデルカのモーションを担当した竹原君。IPG側から、わざわざこのコーディネイトのためにニューヨークから駆け付けてくれたポール。そして、サウンドエンジニアのキース。 写真中央、このセッションのディレクションを全て担当してくれた、IPGから参加のデビッド・ウォルドマン。彼は日本でビデオクリップのADをしていた経歴があり、日本語が話せたため、今回の仕事に適任として選ばれた。映像制作の現場でのノウハウや、その進行に関して、彼に学ぶところは大きかった。その後、ロスでムービーキャメラマンの学校に入り、本格的に映画制作を志しているらしい。左は、デビッドの女房役のADであるクレイグ。右に居るのは、9才のシャルロッテ役を演じてくれた12才のサラ・パクストン嬢。その可愛らしさで、スタジオの人気者だった。しかし、プロとしての意識は本物で、長台詞を覚え、慣れないキャプチャーに戸惑うこともなく、見事に演じてみせた。下の写真は、キャプチャーセッションに先立つ、リハーサルの時のもの。近くのホテルで部屋を借り、本番の時と同じように、全ての芝居をチェックする。この時キャラクターはどんな気持ちなのか、何を考えながら演じればいいのかを、ひとつひとつ、押さえていく。このシーンは、クーデルカとエドワードが、オグデンとベッシーにスープを振舞われるところ。中央に、いかにも人の良いおばさんを演じてくれた人の良いおばさん、デニス・ホワイト。 スタジオというよりは工場といった有り様だが、実際すぐ横にプロップを組み立てる工房があったりした。一応サウンドステージとして作られてはいるのだが、防音がしっかりしていないため、上空を飛ぶ軽飛行機の音がうるさくて、撮影が中断したのには参った。真中に置いてあるのは、ジェームズら3人が大聖堂に入る扉が開かなくて悪態をつくシーンのための大道具。例えば、扉を叩く芝居が欲しい時に、何もないのにそういう振りだけしても、リアリティーは生まれない。扉を叩く時には、そこに扉があるべきだ。下の写真は、ゴミの山に埋もれてひっそりと稼動しているSGIのONYX。これに限らず、驚くような機材が、ごく当たり前に使われているのをあちこちで見た。聞けばそれらは全て、レンタルなのだという。こういう所にも、日本との状況の違いを感じた。右は、連日に及ぶ深夜の撮影で疲れ果てて眠りこける僕。 2000/11/25 菊田裕樹 --- ヴォイニッチ文書 部分 Emigre Document 紀元前5000年をさかのぼる昔、ブリタニアには高度な巨石文���を持った民族が栄えていた。今も島のあちこちに残るドルメンやストーンサークルは、現代科学を持ってしても不可能と思われるほどの彼らの技術力を、我々に示している。彼らはケルト人が到来するまで、全世界でも最も進んだ文化と文明を持つ民族であった。エジプトでピラミッドが建築される遙かに昔。中国、バビロニア、イスラエル、どの文化圏よりももっと以前に、ブリタニア全土に分布する巨石遺構は建てられたのである。 その力の秘密は、彼らの持つ宗教にあった。彼らは大地より湧きいでる生命の秘密に手をかける術を知っていたのである。生と死を操り、不死や、あまつさえ死者の再生をも我がものにし、労働力としての人間ならざる怪物を生み出し、高度な文明を築き上げた。それは自然の持つ輪廻の法則そのものを御する行いであり、神の為す神秘に等しい。いや、彼らこそが原初の「神」だったのかもしれない。彼らはその「神を遙かに遡る世界の成り立ちの秘密」を、文字にして書き記すことはなかったが、その祭儀や術としてのノウハウは、ケルト社会のドルイド僧に引き継がれた。ドルイド僧は古代人の残した祭儀法を基盤に、自分たちなりの技術的アレンジを加え、古代人には及ばないまでも、天地の秘密を力に変換することを自らのものとした。 だが、彼らもまた、自分たちの慣習や宗教に関して書き残すことをしない。ケルト民族の在りように関して最初に言及したのは、まさにそこを征服せんとして兵を進めたユリウス・カエサルである。しかし、彼が紀元前50年頃に「ガリア戦記を」書き記す以前に、前4世紀頃ケルト民族と親交のあったアレクサンダー大王が、アレクサンドリアの大図書館に收めるべく、ドルイドの秘儀をギリシア語で文書化させていたのである。彩飾図版を交えて作成されたこの文献は、その任に当たった人物の名を取って「エミグレ文書」と名付けられた。 この文書は閲覧を禁じられた秘密の書として王宮の図書館に保管された後、戦禍を逃れて持ち出され、数世紀の間、各所を転々とする。その間にはキリスト教の成立やローマカトリックの隆盛などがあるが、6世紀に入り、アイルランドに様々な修道院が建設され、写本事業が盛んになった結果、イタリアの片田舎に忘れられていた「エミグレ文書」は、リンデスファーン島にある写本で名高い修道院に持ち込まれた。だが、ギリシア語に堪能でない彼らは、内容の美しさや彩飾の艶やかさに目を見張りこそすれ、文書の持つ本当の力に気づくことはなかった。 9世紀に入って、度重なるヴァイキングの来襲により、蔵書の保存に危機を感じた修道院は、重要な文献を各地に避難させ始める。アイルランド生まれで敬虔な信者であるヨアヒム・スコトゥスとダニエル・スコトゥスの兄弟は、大修道院長より「エミグレ文書」を託され、その内容に驚愕した兄ヨアヒムは弟ダニエルをウェールズの辺境にあると記される聖地へ赴かせ、自らは写本を携え、フランス王の元に庇護を願い出た。弟ダニエルは聖地で修道院を建て、祈りを捧げて一生を終わる。兄ヨアヒムは碩学として歴史に名を残すが、その死後、ローマ法王庁に写本を接収されてしまう。 キリスト教を脅かす力を持ったこの文書は、ローマ法王を恐怖させ、禁断の書物として誰にも閲覧を許すことなく、書庫の奥底にしまい込まれたが、13世紀になってその損傷の激しさから、新たな写本を作る必要が生じ、当時最高の知識人として名高かったフランチェスコ会修道士ロジャー・ベーコンにその任が与えられた。彼は10年にも渡ってフランスに幽閉され「エミグレ文書」を精確に複製することを強いられたが、その過程で文書の知識は彼の物となった。秘密を守るため彼をそのまま監禁し、二度と世に出すまいという法王庁の意図とは裏腹に、彼は密かに外部と連絡を取り、自らが解読した文書の示す聖地へ赴き、生命の秘密を探る試みに取りかかるべく、着々と準備を進めていた。 彼は、先にダニエル・スコトゥスが建てた修道院を改修し、実験施設となるべきゴシックの大聖堂を建築させた。そこで彼がどのような秘術を試みたのかは、記録に残っていないが、法王庁の手を逃れフランスを脱出した彼は、二度と姿を現すことはなかった。彼は、姿を消す前に、新たな一冊の写本を残している。エミグレ文書の記述を元に、ウェールズ語の暗号で書かれたその写本は、聖地の修道院に残されていたが、16世紀になってエドワード・ケリーとジョン・ディーによって発見され、新たな写本として書き直され、さらにローマの修道院を経て、20世紀になって古物商ヴォイニッチによって再発見され、ヴォイニッチ文書と名付けられて、現在エール大学のベイニック図書館で閲覧できる。 また、ロジャー・ベーコンによって複製された「エミグレ文書」写本(原典は破棄された)は19世紀までヴァチカン宮殿の奥深くに秘蔵されていたが、1890年頃何者かに盗み出され、以後その行方を知る者はいない。ダニエル・スコトゥスが建てた修道院は1536年の修道院廃止例の後、政治犯や重要犯罪人を拘留し処刑するための施設へと転用され、聖なる場所で多くの人命��闇に葬られた。 (設定資料より) 2000/10/25 菊田裕樹 --- 2000/10/25 Hiroki Kikuta Koudelka Iasant 1879年生~没年不詳。イギリスはウェールズの田舎、アバージノルウィンの寒村生まれのジプシー。幼い頃から強すぎる霊能力を持ち、様々な怪異を起こすため、呪われた存在としてジプシーの世界から追放される。1888年9才頃ロンドンで霊能力者ブラヴァツキー婦人に拾われ、秘蔵っ子として厚遇されるが91年婦人が他界すると共に、再び放浪の旅へ。普段は霊媒として失せ物を探したりして、糊口をしのいでいる。 年は若いが、世の中の事情を一通りわきまえたところがあり、良く言えば大人、悪くいえばすれっからし。普段はあまり明るい顔をせず、大体において不機嫌そうで態度が悪いが、時折女らしいところを見せる。差別される者や愛されない者に肩入れする傾向がある。自分を表現することが下手。 (登場人物設定資料より) Notes クーデルカという名前は、著明な写真家であるジョゼフ・クーデルカから採ったものだ。口にした時の不思議な響きと、民族や国籍を感じさせないところが気に入って、名字ではなく名前として使わせてもらった。手元の資料を見ると、キャラクターデザインの岩原裕二氏にコンペ用のスケッチを発注したのは1998年の3月26日だが、遡る2月10日の段階で、僕はゲーム全体の進行手順と、シナリオの箱書きを完成させていたし、キャラクターの心理設計も完全なものとなっていた。クーデルカはジプシーの出身である。彼らはインドをもっとも古い故郷とし、放浪に生きる人々で、自分たちのことを誇りを込めてロムと呼ぶ。それは人間という意味である。一般社会の人間たちとは隔絶され、自分たちの血縁関係の中だけで生きている彼らにとって、追放はもっとも苦しい罰となる。クーデルカはその特異な能力ゆえに、子供の身でジプシーを追われることになった。僕は彼女を、どこにも安住することを許されない、最も孤独な存在として設定した。平和で豊かな暮らしの中に、彼女の居場所は無い。呪われた魔物や幽霊が跋扈する、廃虚の暗闇の中にだけ、かろうじて自分を置くべき空間を見出せる。クーデルカは、そういう悲しい存在なのである。 岩原氏はこのプロジェクトのために、100枚にも及ぶキャラクタースケッチを描いた。クーデルカだけでも数十枚になるが、そのほとんどはポリゴンによるモデル化のための制約から来る衣装デザインの試行錯誤であり、キャラクターの本質部分に関しては、最初から完成形に近いものを掴んでくれていたようだ。また、氏にはゲームの制作に先行して角川書店の雑誌で漫画連載を始めてもらい、ゲーム設定の1年後のストーリーという立体的な構成で、物語の厚みと魅力を増すことに貢献してもらった。 クーデルカのポリゴンモデルは、当時広島のコンパイル社の倒産で行き先を捜していた渡辺伸次氏に、経済的に援助するということで東京に移り住んで制作してもらった。彼は同社の仲間とCGスタジオであるD3Dを設立した。そのころの彼等には全く実績が無かったが、見せてもらったプロモーションムービーのキャラクターの動きに並ならぬ情熱を感じ、彼等と一緒に新しいチャレンジをする気になったのである。しかし実際、キャラクターのモデリングは難航した。ゲームスタッフ側の無理解も大きな原因だったが、D3D側もクーデルカほど高いレベルのモデルを作るのは初めてとあって、試行錯誤のために何ヶ月も時間が必要になった。リテイクに次ぐリテイクの嵐。最終的には、僕自身が彼等の後ろに付いて、鼻をもう少し縮めてだの、唇をもう少し上げてだのと細かく指示を出し、なんとか納得のいくものに仕上がるまでに半年近くかかっている。 モーションキャプチャーにおいて声と演技を担当してもらったヴィヴィアン・バッティカ嬢は、米サンタモニカ・スタジオで行ったオーディションの中で、クールで独特の色気があり、抑えた芝居の出来る人として選定した。ただ可愛いだけではなく、クーデルカの持つ陰の部分を表現するためである。彼女自身まだ若く経験も浅いとはいえ、その熱意と努力は相当なもので、10分にも及ぶ長丁場の芝居、何十行もある長台詞を、たった数日で完全に頭に入れて撮影に臨む辺り、なるほどプロというものはこういうものかと感心させられた。度重なる技術的不備にも嫌な顔をすることなく、エドワード役のマイケル・ブラッドベリーと現場の雰囲気を明るく盛り上げてくれたことには、感謝の言葉もない。 2000/10/25 菊田裕樹 llustrated by Yuji Iwahara このページ内の全ての画像及び文章の著作権、版権、複製権、二次使用権は全てその正当な著作者、権利所持者に帰属します。よって、無断複製、無断転載を含め、著作権法に違反する形態でのあらゆる利用を禁止します。 All Rights Reserved 1997 1998 1999 2000. クーデルカは(株)サクノス・SNKの登録商標です。 All Rights Reserved (C)SACNOTH/SNK 1999 --- Nemeton Monastery イギリスはウェールズ地方。アバースワースにほど近い、海沿いの断崖に、人気もなく廃墟と見まごうようなネメトン修道院がある。ちょっとした公園ほどもあるその敷地の中には9世紀頃に建てられたと思われるロマネスク様式を色濃く残した修道僧の宿坊をはじめ、13世紀頃に建てられた飛び梁も美しいゴシックの大聖堂、会堂をかねた図書館、鐘つき堂、屠殺場を兼ねた炊事場、処刑台に使われた東屋、近代になって建てられた宿舎などが、全体を囲む壁と一体化して並んでいる。16世紀に修道会を禁ずる制令が発布されるのを待たずして寂れ、廃墟と化したこの場所は、17世紀に入って政治的な犯罪者や虜囚などを閉じこめたり処刑したりする目的に使用された。今でもどこかに地下牢が隠されているといわれている。近代になって、訪れる者も居なくなり、荒れるに任せていたのを、ある資産家が物好きにも買い取って移り住んだが、程なくして彼は姿を消し、後には様々な憶測と噂だけが残った。あるいは、財宝が隠されたまま埋もれているといい、あるいは、悪魔が彷徨っているといい。再び廃墟と化したこの修道院を訪れるのは、人目を避ける犯罪者や一攫千金目当ての食い詰め者だけだった。 (制作資料より抜粋) ネメトン修道院初期設計図/1998 松野泰三 1998年2月の段階で、ゲームの進行に伴う、マップ全体像の設計は、ほぼ出来上がっている。八棟の建物、地下道、墓地など、全部で100個見当の区画からなる構成で、イベントと連動して移動できる範囲が拡がっていく。実は、このような閉鎖された空間を舞台として設定したのは、単に演出的な意図によるものではなく、人的物理的制約による結果なのである。例えば、高度に訓練されたグラフィックスタッフが20人居るならば、一年間に500から600枚を超える背景画を制作することが可能だ。しかし、楽観的に考えても数人が限度と思われる人材確保の現状を前提にすると、およそ100マップ200~250画面が、用意できる背景数の上限と見なければならない。一般のRPGのように、ワールドマップがあって幾つもの街があって、などという仕様は、最初から無理。そこで、極めて限定された空間を設定し、それを有効に活用しつつ、様々な雰囲気のバリエーションを提供できるような仕掛けを考案した。それがホラーRPGという枠組みだったのである。 ネメトン修道院初期設計図/1998 松野泰三 ネメトン修道院を構成する建物群は、そのひとつひとつが、建てられた年代も、目的も異なるものである。各々の建築様式の違いは、ドラマの進行と相まって、ユーザーを飽きさせないための装置として機能する。扉を開けて新しい建物に入る度に、物語が次なる展開を迎えたことを実感してもらうために。微にいり細にわたり、緻密に作り上げることが、あたかも実際にそこに居るかのような臨場感を生む。そのために最も必要だったことは、実際の建築物を参考にすることであった。 ネメトン修道院初期設計図/1998 松野泰三 物語上でアバースワースとしたのは、アイルランド側の海岸にその場所を置きたかったからだが、98年8月にスタッフを伴って訪れた実際の取材は、ウェールズの下側に位置する観光地ペンブロークシャーを中心に行った。その一帯は、草原から突然に切り立った断崖が現れ、地平線の彼方まで続く、不思議な景観の土地である。その周辺に夥しい数の修道院や城跡が存在する。あるものは往時を偲ばせて健在だが、ほとんど廃虚と化した遺構も多い。セント・デイビッド教会は、中世そのままの姿で我々の目を楽しませてくれると同時に、石造りの聖堂が持つ、独特な雰囲気を理解するのに役立った。また、垂れ込めた雲と雨が作るどんよりとした暗い空気は、実際��その場に立ってみないとイメージできないものである。近辺の修道院の壁や石組みを大量に撮影して、3Dモデル用のテクスチャーとして使ったのも、大きく意味がある試みであった。 さて、ネメトン修道院の大聖堂はゴシック建築として作られているため、本当ならば、その常として側廊が無ければならない。ゴシック建築は荷重を分散する構造にすることで壁を薄くし、ステンドグラスの設置を実現しているからである。しかし、ゲーム仕様上の制約としてプリレンダリングのマップを考えた時に、多数の柱を立体的レイヤーとして配置することが困難であるために、内部を単純な箱型にせざるをえなかった。外側から見ると、飛び梁様の補強柱が一定間隔で取り付けられているが、現実の物として考えれば、全体の重量を支えるために、壁自体もさらに厚くせざるをえないと思われる。なお、大聖堂頂部の鐘突き堂は、そのものが飛び梁によって構成されている特殊な形式だが、これは架空の物ではなく、実際に存在するスタイルであることを付け加えておきたい。 2000/10/25 菊田裕樹 --- Library : クーデルカという物語 By 菊田 裕樹 – 2000年 3月 28日Posted in: Library, Library : ARTICLE    クーデルカという物語    2000年3月 公開    このサイトを御覧の方には僕の制作した    RPG「クーデルカ」を未プレイの向きも多いと思う。    手短に説明すると、19世紀のイギリスはウェールズの    片田舎にある今は廃墟同然と化したある修道院を舞台に、    クーデルカという19才のジプシーが出会う様々な    怪異をテーマにした、いわゆるモダンホラーと    呼ばれるジャンルに属するゲームである。    僕はこの作品のコンセプトに始まり、キャラクター設計、    マップ構成、シナリオ、ムービーや    モーションキャプチャーイベント部分の    ディレクション等など、様々な種類の仕事をした。    基本的な部分の組み立てには約3ヶ月ほど要しただろうか。    全部で100冊以上の本に眼を通したが、    物語の発想の土台となったのは、    「幽霊狩人カーナッキ」という本であった。    短編集で、主人公である怪奇現象研究家カーナッキが、    様々な「怪異」と「怪異に見えるもの」に遭遇し、    あるものは解決し、あるものは良く分からないまま    終わる(笑)という、味わいのあるホラー小説集だ。    興味のある方は是非一読されたい。    さて、僕が物語を組み上げる段階でこだわるところは、    歴史上の事実を曲げないということである。    実際に起こったとして、記録に残っている様々な事件を、    相互に関連付け、その隙間を虚構で埋めていくという    やりかたが僕は大好きだ。    同じ嘘をつくのでも、まったく根拠も無く考えるのと、    事実に基づいてその基盤を組み上げていくのとでは、    細かい部分でのリアリティーが違ってくる。    だから、クーデルカという物語には、    プレーヤー諸氏が考えているよりも、    ずっと多くの史実が含まれている。    エドワードやロジャーが実在の人物である事など、    歴史に興味のある方は、調べてみられるのも一興かと思う。    1898年は科学と迷信がせめぎあう世紀末の、    まさに移り変わる一瞬を捉えて興味深い時代である。    明ければすぐに1900年、近代科学文明の浸透の    象徴ともいうべき、パリ万博が開催される。    そしてそれこそが、僕がクーデルカの続編と    目論んでいた物語の舞台なのである。    ウェールズを描くために、ロンドンやペンブロークに    足を運んだのと同じように、僕はパリやベルギーに    取材をするつもりだった。    (パリ万博に出展されていた建物が、当時の    ベルギー王の要望で買い取られ、    ブリュッセルに現存するのだそうだ)    会場から郊外を結んで建設された地下鉄と、    そこで起こる怪異。エースネクスト誌連載中の    漫画版のエピソードを終えたクーデルカが、    拠ん所ない事情でパリを訪れ、地下に巣喰う    亡霊どもの争いに巻き込まれていく。    実はクーデルカの続編は、僕の頭の中では4作目まで    出来ている。第一部イギリス、第二部フランス・・・    とくれば、第三部はアメリカである。    時代は大きく跳んで、1973年アメリカはシカゴ。    主人公は、シカゴ大学で教鞭を取る文化人類学者、    クーデルカ・ロードメル。    クーデルカの娘アメリアが後に渡米して産んだ子供で、    つまりは孫だ。ベトナム戦争末期とあって、    帰還兵が持ち帰ってしまった悪霊が、    様々な殺人事件を引き起こすのを、まだ生きている    ロジャーの助けを借りて解きあかしていく。    (ちなみにロジャーはスーツを着て出てくる)(笑)    そして第四部は1984年奈良。    関西大学で教える友人の宗教学者の元を訪れたクーデルカは    何者かに命を狙われ、陰陽師や式神と戦う羽目になる。    奈良の巨石墳墓や京都の町並みが、    雰囲気造りに一役買うだろう。    残念なことに、今のところ僕がそれらの    続編を作る予定はないが、    小説のようなものであれば、書いてもいいかなあと思う。 Story of Koudelka : Library --- Haven: On Koudelka, you served as producer, writer, and composer. What were some of the goals you accomplished in taking on these various responsibilities? Were there ways in which the project could have been better realized? Hiroki Kikuta: Let me begin by saying, whenever you divide up responsibilities among a group of people concerning the judgments that get made on a project, the end quality is bound to suffer as a result. To keep the quality high and the schedule organized on a project, it's better for as few people as possible to be making key decisions, and for them to be communicating within the group with as few conflicts as possible. The ideal situation would be for but one director to be delegated the responsibility of expressing his or her creative vision. That said, for Koudelka, I was pursuing that degree of creative control. To prepare, in gaining an understanding of the game's setting, I read about one hundred books on English history, touching on periods from the Medieval era to around 1900. It proved useful in discovering relevant episodes which could be incorporated into the story. Having several events to ground the plot in a kind of historical reality, I then started building on that foundation with some fictional events. For example, the character of Edward is based on an actual Irish dramatist named Edward Plunkett, 18th Baron Dunsany, while the woman who writes a letter for Charlotte is based on Sophie Dorothea of Württemberg. Roger Bacon is, of course, a historically famous philosopher. Also, the incident on the Queen Alice really occurred and is recorded in the captain's log of the vessel. By filling out the gaps in those historical events with fictional incidents, such as the Emigre Document and reincarnation ritual, I aimed at providing a realistic basis to the imaginary aspects of the story. Before production, some members of our staff went on a trip to Whales to gather information and capture the genuine atmosphere of the place with our own eyes. We demanded extreme accuracy in providing the background details, and we even used motion capture technology to provide culturally appropriate body language for the characters, techniques advanced enough to compete with the standards of the Hollywood industry at that time. Those challenges, which were provided by the passion motivating that project, were the real essence of Koudelka. Koudelka, "Patience," music sample I remember that I was reading the critical biography of James Cameron, who was making Titanic at that time, on the airplane to England. I was overwhelmed by his tremendous efforts to capture those startling images. At that time, I realized that it is necessary for creative work to have a degree of obsessive passion involved. I hope that some degree of that conviction had a positive result on the end product. --- As soon as it is in the year 1900, the Paris World Expo is to be held as a symbol of the penetration of modern scientific civilization. And that is the stage of the story that I was thinking as a sequel to Kuderuka. In the same way that I went to London and Pembroke to draw Wales, I planned to cover Paris and Belgium. (It seems that the building which was exhibited in the Paris Expo is bought at the request of the King of Belgium at the time and exists in Brussels.) The subway built by connecting the suburbs from the venue and the monster occurring there. Kuderuka who finished the episode of the comic version in the series of Ace Next magazine visits Paris due to circumstances that are not based, and is caught up in the strife of ghosts who nest underground.    (The first line of the Paris Metro opened without ceremony on 19 July 1900,[4] during the World's Fair (Exposition Universelle - that is what is meant by subway) Actually, the sequel to Kudelka is made up to the 4th in my head. Part 1 England, Part 2 France · · ·     If you do, the third part is the United States. The era greatly jumped, in 1973 America was Chicago. The hero is a cultural anthropologist, Kurdelka Roadmel, who teaches at the University of Chicago. Kuderuka's daughter Amelia is a child who gave birth to the United States later, that is, it is a grandchild. With the end of the Vietnam War, the evil spirits brought back by the returning soldiers will solve various murder cases with the help of living Roger yet.     (By the way, Roger comes out wearing a suit) (lol) And the fourth part was Nara in 1984. Kurdelka who visited the origin of a religious scholar of a friend taught at Kansai University is targeted to someone, and it will be fought against the Yin Yang masters and the expression god.     The megalithic tomb of Nara and the townscape of Kyoto will contribute to the atmosphere building.     Unfortunately, for the moment I have no plans to make those sequels, but if it's like a novel, I wonder if I can write it. --- RocketBaby: At what age did you become interested in music? Hiroki Kikuta: When I was ten years old, I met up with the music of Emerson, Lake & Palmer. I had never heard such marvelous music before. It was quite an impact for me. A few months later I heard that Keith Emerson was using a particular instrument called MOOG synthesizer. RB: At what age did you start writing music? HK: When I was twelve years old, the Folk blues movement came over to Japan from America. I studied Acoustic Guitar and started to create an original song immediately. I wanted to be a singer/ songwriter... if I wasn't a terrible singer. Actually, Digital equipment opened up my potential as a music composer. Without a musical sequencer, I can't create any complicated tunes. When I first acquired a YAMAHA SY-77 synthesizer/sequencer, I felt as if I got a ticket to a different world. RB: Why did you start Sacnoth? HK: I had held many original ideas about video games and visual expression for a long time. The most important purpose is to create an entertainment. When I was searching for a way to achieve my dream, I met a dominant business advisor. He introduced me to the chairman of SNK. I told him about many pitfalls that every existing RPG had. I thought those were lacking a comprehensive insight and a integrative interpretation. It is a structural defect of game production. To resolve the problem, it is necessary to get the picture of each element of game creation at the same time. I have an ability to do that. I established a company SACNOTH and took up my position as CEO in order to produce a new horror RPG project, Koudelka. But unfortunately... Though I conceived a grand scheme to realize an innovative game system and visual expression, many old staffs from SQUARE were not able to accept real change without hesitation. I say that the person who will have no change is already dead. After termination of Koudelka project, I retired as CEO of SACNOTH. It was my choice. RB: As a composer how should music effect the game? As a developer how should the music effect the game? HK: A music composer wants to create a good tune with utter simplicity. But if you want to create a good game as a developer, it is not enough. Because good music does not necessarily fit a good game. The most important problem is adjustment of each of the elements. If the visual element exactly synchronizes with the musical element, a dramatic effect will be generated.. And I take it for granted that everybody wants to hear a good melody in the end. RB: What were your influences for Koudelka? HK: In the first instance, I designed all concepts and fundamental settings of the Koudelka's world. I gathered various graphic and text materials in London and Wales. I did character design, map design, event design, scenario writing, direction of computer graphics movie, direction of motion capture... I got involved with all of the integral parts of Koudelka except battle and game system. Especially, I had no influence in battle section. I still have a great regret. I wish I could have designed it. And a quick digression, I consulted many movies and books for Koudelka. A most impressive movie is The Name of the Rose (Jean Jacques Annaud 1986). I also read the original book which was written by Umberto Eco. It is a definitely masterpiece. If you want to know some origins of Koudelka's world, you may read Carnacki the Ghost Finder written by William Hope Hodgson and The Case of Charles Dexter Ward written by Howard Phillips Lovecraft. Many fantasy novels by Lord Dunsany (His his full name and title is Edward John Moreton Drax Plunkett 18th Lord Dunsany) are also important. If you want to know about visual origin of Koudelka, see photographs created by Bob Carlos Clarke and Jan Saudek and Holly Warburton. Those are extremely exciting works. RB: How did you manage to write, direct and compose the music for Koudelka? HK: Writing a scenario. Directing a CG movie. Composing a BGM. Each of those is no more than a single face of game creation. When I imagined the world of Koudelka, I figure graphic elements and story elements and sound elements all at once. Because, those are mingled with each other organically. So I think that It is rather easy to manage multiple affairs. RB: What was the easiest aspect of working on Koudelka? What was the hardest? HK: The easiest aspect is music composing. Because I can create a music by my lonesome. It makes me free and I feel comfort. Hardest aspect is behind-the-scenes maneuvering of power game in company organization. I am so tired to do that. Let's get something straight, I am not a buccaneer but rather a creator. All aspects about creation are really pleasant for me. RB: Why do you make music? Why do you make games? HK: Music composing is a natural behavior for me. Like breathing. I usually conceive a good melody and a harmony without suffering. So I have no reason to make music. I think that it is my vocation. Meanwhile, creating video game is not my vocation. It is my wish. I want to produce high quality entertainment in the future. When I write a story and a plot, I usually suffer by myself. Though it is very hard and thorny, I feel maximum accomplishment. RB: What inspires your melodies? HK: Many great works of famous composers and musicians inspire me. If I must respect only one person or group as a music composer(s), I will take Pink Floyd. RB: What are your hobbies and why? HK: Good question. Riding bicycles is my hobby. I also love my yellow Peugeot MTB made in France. I also have some fun playing with my cat. She is extremely pretty. RB: When did you begin working at Square? HK: I began work at Square in 1991. I was twenty seven years old. In those days, the production studio of Square was placed in Akasaka Tokyo. It was small and homey, different from now. I remember that Nobuo Uematsu and Kenji Ito interviewed me in their office. We talked about progressive rock music and famous guitar player Allan Holdsworth with each other. I created sound effects for Romancing Saga at the start of my career. A few of graphic staff worked with me to design a lot of novelty sounds. We worked hard in night and day. RB: How much freedom did you have making music at Square? HK: In a sense, I had perfect freedom. Because, the planning staff of Square put none of the assignments relevant to the menu of music work and schedule in my hand. Nobody explained to me about game detail which they were producing. I had to think and imagine what kind of music was needed for our game project. Changeover,changeover, and more changeover of specifications. It was difficult to foresee the final image of it. But I did. RB: What is favorite game that you worked on at Square and why? HK: May be Seiken Densetsu 2 (Secret of Mana). I think that it was a pretty good game except for the big BUG. The multi player system was extremely fresh and delightful. In the aspect of music, I was fully challenged in regard to sound expression using 8 voice PCM system of SNES hardware. Please see and hear the opening sequence of Seiken Densetsu 2. It is so simple but so lyrical, isn't it? I am really proud of my visual direction and music composition. RB: Did Nobuo Uematsu influence your work? HK: I think there is no influence from Nobuo Uematsu. I have never taken any lessons about composing game music. The style and the melody of my music are totally conceived by myself. Just the same, every staff composer at Square were free from influence of somebody else. Originality and personality were cheerished in our studio. It was the policy of Nobuo Uematsu. RB: What are the best and worst memories that you have of Square? HK: Hmmm... Best memory... it seems a trip to MANA island of Fiji republic. After a production of the game Secret of Mana, I and my friend decided to visit an island placed in South Pacific Ocean. We played skin diving everyday and watched some corals. Those were extremely beautiful. It looks like a blue heaven. I will never forget the view of the sunset from Mana's beaches. It is one of my treasures. By the way... Worst memory is a dissolution of the game team in which I was supposed to participate. I wanted to propose an innovative game system using music and sound effects. RB: Who is your favorite Square composer and why? HK: I recommend Jin Sakimoto (Hitoshi Sakimoto). His works are extremely dense. RB: One of our favorite soundtracks of yours is Soukaigi. The sound quality and styles are some the best for a game. HK: Soukaigi has many characters of sound. I designed it with different complex styles. House music meets real performance, fusion meets folk choirÖÖ It was an adventure for me. To tell you the truth, the style of music does not a matter. I don't dwell upon it. Though I put a high value on counterpoint it does not bind me. It is only a method. In the case of Soukaigi, I was mainly influenced by East European pops like Varttina. RB: Why did you leave Square? HK: I wanted to direct not only musical expression but also visual expression. And of course, I wanted to write a fine scenario which is different from existing one. I had felt a big complaint against those juvenile works. But unfortunately, I couldn't get a chance to take a part in those kind of production works in Square. I suffered terribly for a long time. After all is said, I left Square and established new company Sacnoth to achieve my idea. RB: Do you perform your music live? HK: If I have a chance to do that, I wish to play my music as a live performance. I didn't make an attempt to do that in Japan yet. Do you want to hear my music in front of your eyes, ya? RB: Who would you like to make music with? HK: Jin (Hitoshi) Sakimoto. Because, I could not collaborate with him on composing game music when we were hired together by Square. I respect him. Except for game music composer, I want to collaborate with Allan Holdsworth, a fusion guitar player. His music is a miracle. RB: How do you think game music compares to other genres of music? HK: I think that is similar to movie soundtracks. It is important to synchronize the music with visual element. It has an expressive purpose. If you want to create a game music, don't forget to construct it as an emotional device. RB: How will the next generation consoles allow you to express yourself as composer and game designer? HK: I feel a strong attraction to X-box and Game Cube. A big visual capability makes me hot. I have many ideas to display fascinating characters using real time computer graphics. They will sing and dance and talk with real emotion. Don't you want to play the Musical RPG on Network? I want to play it. RB: What would your advice be to people who: A. People who want to create game music. HK: Listen to as much music as you can. Don't confine yourself to your room. The genre of music is meaningless. If you want to find your treasure, you must challenge the common practice at any one time. B. People who want to create games. HK: Video games are not art. They are an entertainment. You must amuse your audience first instead of amusing yourself. I am always conscious of the feeling to accommodate someone with a fun service. Can you create a lot of gimmicks for the player? If you work so hard and push yourself enough, the day will come to collaborate in some way with me for sure. Let's think of a next game together. RB: What is in the future for Hiroki Kikuta? HK: I will be involved in some new game projects that are not directed by me. I will be a technical advisor. I will create computer graphics and sounds. But soon, I hope to form my studio and develop my own game project. So now I am looking for new investors around the globe. RocketBaby would like to thank Mr. Kikuta for chatting with us.
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