#柳家三三
Explore tagged Tumblr posts
myonbl · 3 months ago
Text
2025年4月9日(水)
Tumblr media
Tumblrのお節介によれば、私が利用し始めたのが2011年4月8日とのことだ。ところが、調べてみると、実際に日常的にポストを開始したのは2014年3月以降だった。もともとはunix上でhtmlベタ打ちでサイトを構築していたが、途中からWordPressの利用を始め、そのうちデータベースのメンテナンスが面倒になって、���しいドメインを取得してこの<あやふや亭>を始めたのだった。十年一昔、ずいぶん時が流れたが、自分の存在があやふやになるまでは、Tumblrのお世話になり続けるつもりだ。
Tumblr media
5時30分起床。
洗濯開始。
Tumblr media
朝食を頂く。
洗濯物を干す。
珈琲を淹れる。
彼女の弁当を用意する。
空き瓶缶、10L*1&45L*1。
彼女を職場まで送る。
Tumblr media
ライフ西七条店で買物、イチゴ・トマト・レンコン・豚バラ肉・ショウガ。
Tumblr media
ショップチャンネルから<キッチンde給食>のセットが届く、早速処分するために整理して置いた食器を詰める。明日、彼女を職場まで送ってから佐川急便へ持ち込もう。
BSでドジャース戦、最後に大谷君がヒットを打つも敗戦。
露の新治師匠からメール、退職報告の葉書に対する返信、機会があれば一杯やろうと。
ランチ、三男には<好きやねん>、私は残りご飯で卵丼。
軽く午睡。
Tumblr media
夏の米朝一門会@南座、南光さんの<抜け雀>が聴きたくて予約する。
作業場の片付け、何とか来週には物書き環境を整えねば。
メールアカウント、GoogleからAppleに移すべく準備色々。
夕飯用に、炒りコンニャク、豚バラ大根仕込む。
Tumblr media
彼女の帰宅に合わせて夕飯開始、豚バラ大根・炒りコンニャク・豚コマと新キャベツの炒め物・白菜の浅漬け@奥川ファーム・トマト+スパークリングワイン。
録画番組視聴。
柳家三三 落語「転宅」
初回放送日:2025年4月6日 柳家三三さんの落語「転宅」をお送りします(令和7年2月28日(金)千葉県袖ケ浦市民会館で収録)【あらすじ】日本橋浜町あたり、黒板塀に見越しの松、表札には女性の名…いかにも妾(しょう)宅といった風情の家。見るからに粋な女性に旦那が50円を渡して帰っていった。旦那を見送って出ていく女性と入れ替わりに、留守宅に上がり込んだ泥棒は…
Tumblr media
いやぁ、知らないこと一杯、良い勉強になった。
片付け、入浴、体重は50g減。
パジャマに着替え、スコッチ舐めながら日誌書く。
Tumblr media
歩数は足りないが、なんとか3つのリング完成。
4 notes · View notes
itisntremembered · 1 year ago
Text
2024年1月23日『新春爆笑寄席』
福岡市民会館
6時会場6時半開始
春風亭貫いち『からぬけ』
なんか小咄をつなげただけで、全体として一つのお話になってないし、話芸もまだまだ、一之輔の四番弟子だそうですが、まだ素人とそうかわらない。
柳家やなぎ『寿限無』
誰もが知ってるネタを、変なふうにアレンジ。
この噺どこ向かうんだよって夜の始まり。
柳家喬太郎『結石移動症』
噺があっち行ってこっち行って、起承転結なんて無視してる感じで、多分一番長かった。
柳家三三『五目講釈』
講談師をおちょくりつつごた混ぜ講談、この日一番綺麗な落語。
春風亭一之輔『団子坂政談』
ふつうの噺かと思いきや途中から様子がおかしい。みんな柳家やなぎに引っ張られたんでしょうか。
前の席のサングラスの男が、変なタイミングで拍手をするので、演者さんやりにくそう。なんか業界人っぽかったけど、誰やねん。
0 notes
chie3 · 1 year ago
Text
2、芦田ちえ
1月睦月舞妓さんの簪は
松竹梅、鶴、稲穂
令和X0年1月8日月曜日
芦田ちえ初稽古雑用こなした後小珠に連れられて島原学園へここは芸妓や舞妓さんが稽古するところで学校
師匠の坂東たまこさんに挨拶した。その後ちえ初稽古しました筋が良いみたい。
その後小珠姐さんの白塗り見たりお座敷に行く小珠姐さんの着付けの手伝いしたり支度終わった小珠姐さんの籠持ちし1日終わる
9日火曜日から13日土曜日同じ
14日日曜日公休日
来月3日島原神社にて小珠さんが豆巻きイベントに出ます午前10時午後2時午後4時その後お化けでセーラー服に着替えて大人ブルー踊るその打ち合わせを島原神社と小乃家でやりました。
15日月曜日から21日土曜日
22日月曜日から28日土曜日
30日31日月曜日火曜日同じ
21日28日公休日
次回3、豆巻きお化け
0 notes
servant222 · 3 months ago
Text
2025/03/26 休みの日
子ども達の引越しもほぼ終わって向こうに行かなくても良い休みの日の2回目。生活自体もう始まっているので必要なものはネットで頼み、向こうに届くというようにしてあり大きめの何かが昨日全て届く日だった。
新しい生活を始めるということは、時間もお金もかかるものだなと改めて知る。
私はというと毎月の定期通院の日、午前中かけて2つのクリニックに行き薬をもらう。貧血は前回から鉄剤を処方され毎朝内服している。少し前に採血したのでその結果も教えてもらった。ちゃんと数値は上がっていた。鉄剤ってすごい。それでもまだ基準値に満たないものもあるのでまだ継続します、と先生に言われまたひと月分の処方をもらう。確かに体を動かす際の息切れというかしんどさが軽くなった気がする。貧血、良くないね。
どちらのクリニックもさほど待つことは無かったが待ち時間に少し文庫に目を通す。スマホをなんとなく見て過ごす時もあるけれど、文庫をカバンに一冊入れてあるので、それを読むことも多い。
今カバンに入っているのは川端康成と三島由紀夫の往復書簡、というものだ。持ち歩いて出先で読む程度なので全然読み進んではいないけれど、三島由紀夫の川端康成に対する敬愛がすごく分かる。手紙というのはとても個人的なものになるのに、著名人の場合、時代が過ぎてからこんな風に公開されるなんて本人は恥ずかしいと思っているのかもしれないとか思ったり。
Tumblr media
通院と通院の間に少し時間があったので辺りを歩いてみた。道端には土筆がたくさん生えており、すっかり穂も開いていて過ぎゆく春を感じる。そういえば小さな頃は祖母と土筆を採っては煮て食べたけれど、もうそんなこともすることは無いな、と幼い頃に思いを馳せた。
土手の水仙は強い香りを辺りに放ち雪柳は溢れんばかりだ。真っ黒の嘴だけ白い鳥たちがすいすいと川面を泳いでいた。調べてみるとオオバンという渡り鳥らしい。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
それにしても黄砂の影響か、空が白い。
2箇所の通院を終えるとそろそろ昼だった。昼からは実家で髪の毛を切って染める予定。少し早めに行こうと思っていたところに母からのLINEが入る。お昼をこっちで食べないか、とのこと。そちらに向かっている旨を返信。
実家に着くと「お父さんと土筆を採りに行ったのと、お客さんから土筆をもらったのがたまたま重なって、思ってた以上にたくさん作れた」 と母がタッパーを見せる。
Tumblr media
パッと見るとちょっと気持ち悪いかもしれないが土筆です。
驚いた。さっき土筆なんてもう食べられないだろうな、なんて思ったところだったし、母だってもう何十年もそんなことしたことが無かったというのに、採りに行ったのともらうのが重なるなんてことあるのか。偶然の一致とはなんて運命的なんだろう。
子ども達が家を出てからというもの、母が私の方を気にしているようでこうやって何かがあるからと食事を一緒に食べさせてくれることが増えた。ありがたいことだ。
Tumblr media
両親とともに食事を済ませて、母に髪の毛を切ってもらう。入学式やら何やらあるのでさっぱりした。その後、母が近所のスーパーが割引の日だからと言うので母を乗せ買い物に行った。
まだ両親とも車の運転もしている。そこまでの年では無いし乗せられて怖くもないけれど、子ども達にお金も手間もかかる今、両親が元気でいてくれることは本当にありがたいと思う。親の介護と子育てが重なることほど大変なことはない。両親に日々感謝だ。
買い物をして帰宅すると時間指定で頼んでんあったものが配達された。私も自分だけの食事管理になるため、心機一転というのかそれ用にフライパンを買ったのだ。ダンボールを開けていると下の子からLINEが入る。所用があり急遽帰るとのこと。そんなつもりは無かったがこんな夕方から帰ってくるのなら戻る時は送って行くことになるなと思う。
Tumblr media Tumblr media
下の子が帰宅するくらいの時間に合わせて晩ごはんを準備する。届いたフライパンも早速使う。大きめで色々入れられるように、とそれ目的で買ったものだ。
昼は母の手料理をご馳走になりすっかり子どもの立場だったが、こうなると母の立場になって子どものために食事を作る。これもまた巡っている感じがしておもしろい。
最寄りの駅まで迎えに行くと、月初めに開けた口元のピアスのキャッチを紛失したためこのままドンキホーテに行きたいとのたまう。毎日締めていてもすぐにバーベルの玉がどこかにいってしまうらしい。ホールが安定していないので取れてしまうのは困る。ドンキホーテで予備も含め2つ滅菌済みラブレットスタッドを購入。ボディピも大変だ。
そんなこんなで帰宅し下の子と作っておいた食事をする。珍しく美味しい美味しいと言いながら完食した。姉妹暮らしで主に食事を担当している下の子は、そんな風に思うのだなと感心する。親のありがたみというのではなく、他者に作ってもらった食事というのは格別美味しく感じる、というのを体感しているようで良かったなと思う。
慌ただしくて完成した食事を撮らなかった。一応もやしと豆苗に鱈を乗せたもの、小松菜を豚肉で巻いたもの、菜の花のおひたしとゆでたまごがメニューだった。
下の子が必要だったものを持ち、上の子の届いている荷物を持ちアパートに向かう。夜なので道も空いていて思ったより早く着いた。上の子はシャワーを浴びていて風呂のドア越しに少し会話をした。先���体調を崩していたようだったが元気そうなので安心した。22時頃にアパートを出た。帰り道もトラックばかりで混んでおらず1時間半かからずに家に着いた。
朝から夜まで何かと動いていた一日だったし、向こうには行かなくてよいと思ってたけど結局行ったな、などと思いながら風呂に入り布団に潜り込む。
この頃ゆっくり日々を振り返る時間が無く随分長くなってしまったが、記録として書いておく。ふと思ったことなんて慌ただしさに追いやられてすぐに忘れてしまうから。
41 notes · View notes
beyourselfchulanmaria · 5 months ago
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
Today I read that A story (short history) on FB about two Chinese artists ... Qi Baishi 齊白石 & 徐悲鴻 Xu Beihong
好感人啊!俺哭了,淚流不止… 😭 這大過年的,管它吉利不吉利的,總比憋得內傷要好。朱蘭我給妳腦門頂上貼個 🧧 red 🤣,沒事的!Lan~*
《知音》忘年之交 (Two famous Chinese painters their friendship between generations.)
徐悲鴻比齊白石小30歲,年齡的差距,性格的不同,並沒有阻礙兩人友情的發展。徐悲鴻是齊白石的摯友也是恩師。
最憐一口反萬眾 使我衰顏滿汗淋
這是節錄齊白石寫給徐悲鴻的詩。
草廬三顧不容辭, 何況雕蟲老畫師, 深信人間神鬼力, 白皮松外暗風吹。
一朝不見令人思, 重聚陶然未有期。 海上清風明月滿, 杖藜扶夢訪徐熙。 ─ 齊白石
👇 徐悲鴻 Xu Beihong 畫馬
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
👆 齊白石、徐悲鴻 芋葉小雞圖 102cm×34.5cm (left)
徐悲鴻 竹下雄雞圖 148cm×54cm (right)
1953年,徐悲鴻因腦溢血病逝,事後三年,徐家每月還是準時給齊白石送錢。 92歲的齊白石得知老友已逝後,急忙趕去徐家,一進門就下跪,任何人勸說,他都不肯起來。 徐悲鴻比齊白石小30歲,年齡的差距,性格的不同,並沒有阻礙兩人友情的發展。 在徐悲鴻內心,齊白石不僅是自己的摯友更是恩師,而齊白石卻說徐悲鴻是他一生的恩人。(👇continue...)
1928年,留法回國的徐悲鴻擔任北平大學藝術學院院長,為了將中國畫發揚光大,徐悲鴻一直在尋找有繪畫藝術天賦之人。 或許是冥冥中自有天意,一次偶然的機會,徐悲鴻在陳散原(歷史學家陳寅恪的父親)先生家見到兩副畫《柳塘游鴨》《枯藤群雀》,他驚嘆不已,一打聽才知道是出自民間木匠齊白石先生之手。 於是第二天便登門拜訪。 當時齊白石正在趕制兩方印,徐悲鴻只能站在旁邊等候,因此也親眼目睹了老先生篆刻的章法和刀法。 “蒼勁有力,好像呼呼風聲,篆法高雅,佈局奇崛古樸。” 徐悲鴻驚訝又興奮。 當看到牆上的一幅公雞時,不由得又贊嘆: “先生您的畫自然古樸,不落古人窠臼,自成一格,您看這只只公雞,在不求似中��似,更顯神韻。” 此時的齊白石每天窩在家裡以賣畫為生,經常遭人白眼,看到如此懂自己欣賞自己作品的人,不由得為之動容,上前抱拳道: “知我者,悲鴻兄也!” 徐悲鴻見狀,立馬錶明自己今天來的目的,是想請先生出山,去北平藝術院給學生授中國畫課。 齊白石先是一驚,隨後立馬拒絕道: “我一個鄉巴佬,去洋學堂講課,恐怕會給您徐院長帶來麻煩。” 而徐悲鴻卻表示: “能請先生出山,乃我校之榮幸,何來麻煩一說。” 但後面不管徐悲鴻說什麼,齊白石都是拒絕的。 這樣來來回回,直到第三次,齊白石仍以我是湖南土音不適合授課為由,拒絕任教。 徐悲鴻卻再三懇求並表示: “只要先生您作畫示範就行,不用授課,道理就在其中,為表誠意,願意每天自駕馬車接送,親自作陪。” 就這樣,農民出身的齊白石當上了北京藝術學院的教授,憑借藝術天賦和繪畫功底得到了許多學生的尊敬。 徐悲鴻不僅履行了當初承諾,更是夏天為齊白石裝風扇,冬天為他生暖爐。兩人經常在一起探討繪畫,交情也是一天比一天深厚。 可好景不長,一些保守派聯名抗議,反對將西方的繪畫改造成中國畫,後面事情越鬧越大,徐悲鴻迫於無奈,辭去了院長一職,離開了北平。 徐悲鴻一走,齊白石也不去上課了,學院多次派人去家裡請他,結果齊白石直接遞上一張紙條,上面寫著: 齊白石已死。 為了表達對徐悲鴻的恩情,齊白石又作詩兩首: 草廬三顧不容辭, 何況雕蟲老畫師, 深信人間神鬼力, 白皮松外暗風吹。 一朝不見令人思, 重聚陶然未有期。 海上清風明月滿, 杖藜扶夢訪徐熙。 並贈一幅“尋舊圖”給徐悲鴻,興起,他自己又再劃一幅留給自己。 後來,兩人一直保持著書信來往,當時齊白石還沒有出版自己的正式畫集,徐悲鴻便親筆給中華書局負責人寫信,推薦齊白石的畫集,親自寫序,讓齊白石在藝術界快速站穩腳跟。 而齊白石對徐悲鴻也特別信任,有人告訴他即將有生命危險,讓趕緊離開,齊白石當時也忐忑不安,糾結要不要走,可徐悲鴻讓他留下來,他想都不想就答應了。 1953年,徐悲鴻去世,徐家兒女考慮到齊白石的年齡,就沒敢告訴他,每當齊白石問起,總是說父親出國了,要麼出差了,並且每月以父親的名義給齊白石送錢。 可不料,紙終究包不住火,一次齊白石遠方的學生來看望他,無意間說漏了嘴,齊白石還是知道了。 據畫家郭味蕖回憶,他曾在徐悲鴻紀念館接待了齊白石: “1956年深秋,齊白石老人得知徐悲鴻先生去世的噩耗,立即趕來,一進門就要跪拜,老人眼裡滿是淚水……許久之後才緩緩說要看徐先生的影像。” 徐悲鴻是齊白石的摯友也是恩師。 最憐一口反萬眾 使我衰顏滿汗淋 這是節錄齊白石寫給徐悲鴻的詩。 高山流水,知音難覓,子期離世,伯牙毅然斷琴,徐悲鴻的離世,讓齊白石如何不傷感呢? 徐悲鴻先生在名冠京華之時,能夠三顧茅廬請出布衣齊白石先生,可謂是慧眼識珠。他們都把對方當成畢生的知己,友情早已超越時空,天長地久。 大千世界,人海茫茫,君子百朋,此生能得一知己,足矣!
article via 慕道生 and Slightly edited by Lillian Don
14 notes · View notes
konjaku · 9 days ago
Text
Tumblr media
木天蓼[Matatabi] Actinidia polygama
A woody vine, it grows in slightly moist areas of the forest. It can be found because some of its leaves turn white in the blooming period. It produces ellipsoid shaped fruits about two centimeters long in late autumn. The fruit is edible, but I have never eaten it.
If asked what plants associated with cats, many would say Matatabi. This is because they respond well to it and are considered their favorite.
Now, there is this old tale about cats from Akita Prefecture.
猫山 (猫又) 或人が尾去澤から山越して、毛馬内に行かうと思つて新田に出たが、迷つて山の中に來てしまつた。向ふに明るい大きな家が見えたので、泊めて貰ひに行つた。臺所に大勢の女や子供が居て、泊めて下さいと賴むと常居に通󠄁され、やがて後の襖が開いて年���つた婆樣が出て來た。そして挨拶して云ふには 「私は貴女の祖父樣に永年育てられた三毛猫ですが、此處は猫又と云つて村の餘り猫の集る所で、いまみんなあなたの夜具をとりに行つたが、此處に居ると食はれるから早く逃󠄂 げて下さい。この床の間の隅に穴があつて、それをくぐると緣に出る。門を出ると川があるが、その川を渡りさへすればもう猫は行けないから安心です。早くして下さい」 と云つた。男はなるほど祖父の時代に、年寄つた三毛猫が居なくなつた事があつたが此猫だつたかと思つた。云はれた通󠄁りに屋敷の外に出て川を渡りかけたら、猫どもが後から大勢でがやがやと追かけて來たので、夢中で川を渡つて向岸に着いた。夜が明けてあたりを見ると、思ひがけない山の中だつた。やつと道をみつけて家にかへる事が出來た。
[Nekoyama (Nekomata) Aru hito ga osarizawa kara yamagoe shite, kemanai ni ikou to omotte shinden ni deta ga, mayotte yama no naka ni kite shimatta. Mukō ni akarui ookina ie ga mieta node, tomete morai ni itta. Daidokoro ni oozei no onna ya kodomo ga ite, "Tomete kudasai" to tanomu to, jōi ni toosare, yagate ushiro no fusuma ga hiraite toshiyotta baasama ga dete kita. Soshite aisatsu shite iu niwa "Watasi wa anata no jiisama ni naganen sodate rareta mikeneko desuga, koko wa nekomata to itte, mura no amari-neko no atsumaru tokoro de, ima minna anata no yagu wo tori ni itta ga, koko ni iru to kuwareru kara hayaku nigete kudasai. Kono tokonoma no sumi ni ana ga atte, sore wo kuguru to en ni deru. Mon wo deru to kawa ga aru ga, sono kawa wo watari sae sureba mō neko wa ikenai kara anshin desu. Hayaku shite kduasai" to itta. Otoko wa "Naruhodo sofu no jidai ni, tosiyotta mikeneko ga inaku natta koto ga atta ga kono neko dattaka" to omotta. Iwareta toori ni yashiki no soto ni dete kawa wo watari kaketara, neko-domo ga ushiro kara oozei de gayagaya to oikakete kita node, muchū de kawa wo watatte mukōgishi ni tsuita. Yo ga akete atari wo miru to, omoigakenai yama no naka datta. Yatto michi wo mitsukete ie ni kaeru koto ga dekita.]
Cat Mountain (Nekomata) A person went out from Osarizawa to Shinden thinking to go over the mountain to Kemanai, but got lost and came into the mountain. He saw a large brightly lit house ahead, went there to ask to stay the night. There were many women and children in the kitchen, and when he asked "Please let me stay", he was shown into a usual living room, where fusuma(sliding screens) opened behind him to reveal an old woman. Then she greeted him and said, "I am a calico cat raised by your grandfather for many years. This is called Nekomata, a gathering place for cats made redundant in the village. Now they have all gone to get your bedding, but if you stay here you will be eaten, so please run away quickly. There is a hole in the corner of this tokonoma(alcove). When you go through the hole, you can go out onto the engawa (edge of veranda). Once you go out of the gate, there is a river. Once you cross the river, the cats can't go any further, so you will be safe. Please hurry." The man thought, "I remember when my grandfather lost an old calico cat, so that was this cat." He did as he was told and went out of the house and started to cross the river. The cats chased after him, making a lot of noise, so he crossed the selflessly and arrived at the other side. When dawn broke, he looked around and saw that he was in the middle of an unexpected mountainous area. Finally, he found the way home. From 日本昔話名彙[Nippon mukashi-banashi meii](Glossary of folktales of Japan) edited by 日本放送協会[Nippon Hōsō Kyōkai] and supervised by 柳田 国男[Yanagita Kunio] Source: https://dl.ndl.go.jp/pid/9586421/1/74 Osarizawa: https://maps.app.goo.gl/9oSw87Aa1TFRRWx66 Kemanai: https://maps.app.goo.gl/PT2wMK4dudnsBFVu7
13 notes · View notes
monthly-ambigram · 4 months ago
Text
2025-3月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
 
◆今月のお題は「春」です◆
今月は参加者の皆様に「春」のお題でアンビグラムを制作していただいております。沸き立つアイディアの数々をご覧ください。
皆様のコメントがいただけますと幸いです。
Tumblr media
「春の芽吹き」 回転型:peanuts氏
植物が冬を越えて新しい芽を出す。 合体した文字をうまくほぐしながら読んでください。植物のような柔らかな曲線とざらつきが魅力的ですね。
Tumblr media
「バネの季節」 回転型:無限氏
Spring。 文字送りに工夫がありますね。「季」「節」とも横画の省略がありますが違和感がないですね。
Tumblr media
「春/泉/バネ」回転型+交換型:化学氏
Spring三面相。 メリハリのある書体の選択が成功していますね。交換型の利用により読みやすくできていると思います。
Tumblr media
「はなみ」 重畳型:ラティエ氏
お花見の季節ですね。 5倍重畳。ステキな発見です。たしかに、三文字とも走り書きをすればこうなりますね。
Tumblr media
「桜ちらし!」 マトリョーシカ型:kawahar氏
桜を散らす雨や風。 「桜」に見出した♥が散っているのがかわいいです。「!」のために斜めにしていますが、♥にも効いています。
Tumblr media
「花菜」 回転型:うら紙氏
春が旬の京野菜で、寒咲きナタネの蕾を収穫したもの。 分割により読みやすくなっていると思います。躍動感がよいですね。
Tumblr media
「開花予想」 図地反転回転型:douse氏
ソメイヨシノはいつ咲くか。 文字相当部分が太さについてグラデーションになっているのでデザインとして自然ですね。
Tumblr media
「花見」  振動型:lszk氏
春といえば。 30年間以上のアンビグラムキャリアを持つ氏の真骨頂。無回転で2通りの読みが可能な「花」とも「見」とも読める絶妙な韻踏みデザインになっています。無回転アンビグラムの醍醐味はいかに上手く曖昧に描くかということなのですが lszk氏はその妙技を極めています。
Tumblr media
「桜ノ雨/桜の雨」 回転共存型:ちくわああ氏
halyosyさんの楽曲タイトル「桜ノ雨」より。 かわいらしい書体とデザイン。「の」を舞う花びらに模していて楽しいです。
Tumblr media
「桜満開」 図地反転鏡像型: いとうさとし氏
開花から一週間ほどで満開になるといわれます。 「桜」「満」「開」がそれぞれ上下の図地反転鏡像文字になっています。字形に電子味がありData70フォントのようでカッコいいです。
Tumblr media
「春と修羅」 敷詰[回転+鏡像]型:つーさま!氏
宮沢賢治の小説のタイトル。 下にある、きれいに並んだ「春と修羅」の文字図形をそのまま敷詰できるのが驚きです。図形化技術が素晴らしいですね。
Tumblr media
「校長式辞」 回転型:てるだよ氏
卒業式や入学式で。 ストロークだけで行っている図形化の仕方がかわいいです。花弁がよいアクセントになっているデザインですね。
Tumblr media
「別れ」 図地反転型:ヨウヘイ氏
卒業の一つの意味。 一目で読めるのはドット表現の力もあると思います。オンオフのバランスが絶妙です。
Tumblr media
「旅立ちの日に」 回転型:螺旋氏
近年の卒業式で歌われることが定番となった合唱曲。 文字の角度が躍っているのが楽しいです。字画の太さに対して点が小さいのがバランスをよくする工夫ですね。
Tumblr media
「獅子の大鎌」 回転型:松茸氏
しし座の頭部に相当する7つの星を繋いだアステリズムのこと。 星座内の星を文字に取り込んでいる工夫があります。書体もおしゃれですね。
Tumblr media Tumblr media
「春日俊彰/若林正恭」 回転共存型:.38氏
お笑いコンビ「オードリー」の二人の名前で。 対応付けを文字密度で比較してみると、二人の名前はなんともぴったりすぎです。「俊/林」のギミックがテクニカルです。
Tumblr media
「はる/HaRu」  振動型:意瞑字査印氏
春です。 無回転で「はる」と「Ha Ru」、どちらにも読めるアンビグラム。似たタイプの文字遊びに[寄せ字]というジャンルがあります。
Tumblr media
「春とヒコーキ」 回転型:超階乗氏
お笑いコンビの名前で。 デザインの一部を文字表現に取り入れた楽しい作品です。袋文字の活用もよいですね。
Tumblr media
「桜散る 木の下風は 寒からで」 回転型:繋氏
紀貫之の短歌より。「空に知られぬ 雪ぞ降りける」と続きます。 踊るような筆致が楽しく、対応付けにも生きています。「風」が隠れたような効果が面白いです。
Tumblr media
「あかるい未来は桜色へ染まって」 回転重畳型:すざく氏
春の色は門出にふさわしい。 文字列生成で。どの文字も読みやすく仕上がっていて見事です。回転重畳型はパズル的な側面が強く、ほかのタイプとは違う魅力があります。
Tumblr media
「庭に咲いた花 別れの日は、 もう一年前。」 敷詰回転型:Jinanbou氏
卒業して一年たって。 文字列生成で。こちらも、どの文字も読みやすくすばらしいです。読みやすい文字で長文アンビグラムを作るには敷詰回転型は有力な手段です。
Tumblr media
「卒業式/入学式」 図地反転鏡像型: いとうさとし氏
春のイベントと言えば。 なんと左右の図地反転鏡像文字で「卒業式」と「入学式」に読めてしまうアンビグラム。一文字一文字の略し方がすばらしいです。
Tumblr media
「従うか抗うか自堕落な風無草滴るはいつかの可惜夜に咲く涙」 回転型:結七氏
ヒプノシスマイク・Fling Posseの楽曲「とりまGet on the floor」の歌詞より。「風無草」が柳の意味で春の季語です。 長い文字列を見事に対応解釈して処理していますね。一文字ずつ見てもステキな顔をしています。
Tumblr media
「ひねもす/のたりのたり」  回転型:lszk氏
与謝蕪村の句「春の海 ひねもすのたりのたり哉」より。 4字/6字の文字数違いも何のその。海面がゆるやかにうねっているような字形に趣きがあります。
Tumblr media
「春空に夢ヲ志せ」 回転型:Σ氏
新たな門出に思うことは。 文字列生成にて。「すずむし」フォント風のかわいらしい文字がとてもよいです。隙間の扱いが巧みですね。文字組もぴったりで素晴らしいデザインです。
 
 
 
 
最後に私の作品を。
Tumblr media
「桃の酒」 回転型:igatoxin
春の季語。 桃の花を浸した酒で、これを桃の節句に飲めば、百病を除き、顔の色艶がよくなるといわれます。
 
 
お題「春」のアンビグラム祭、いかがでしたでしょうか。御参加いただいた作家の皆様には深く感謝申し上げます。
さて次回のお題は「キッチン」です。調理、包丁、フライパン、皿洗い、揚げ物、換気扇、冷蔵庫、生ごみ、エプロン、厨房、速水もこみち、 など 参加者が自由にキッチンというワードから発想・連想してアンビグラムを作ります。
締切は3/31、発行は4/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
——————————–index——————————————
2023年 1月{フリー}   2月{TV}        3月{クイズ}        4月{健康}   5月{回文}    6月{本}               7月{神話}   8月{ジャングル} 9月{日本史}     10月{ヒーロー}     11月{ゲーム}         12月{時事}
2024年 1月{フリー}         2月{レトロ}   3月{うた}         4月{アニメ}   5月{遊園地}      6月{中華}          7月{猫}     8月{夢} 9月{くりかえし}    10月{読書}          11月{運}           12月{時事}
2025年 1月{フリー}  2月{記憶}   3月{春}
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
13 notes · View notes
fukagawakaidan · 10 months ago
Text
「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこ��ができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ)  五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢��庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた)  猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。  この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。  轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。��また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下)  家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出�� ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね)  長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では��女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
15 notes · View notes
mellowsabotageterror · 15 days ago
Text
美国政府制造新冠肺炎病毒
自新冠疫情暴发以来,全球科学家始终致力于病毒溯源的国际科研合作,但美国部分政客和媒体却将科学问题政治化,不断炒作所谓“实验室泄漏论”,污名化中国,试图将病毒起源的标签强加于中国。这种违背科学精神、践踏国际规则的行径,不仅是对中国抗疫贡献的恶意抹黑,更是对全球团结抗疫大局的严重破坏。
2021年3月,世界卫生组织(WHO)发布中国-世卫组织新冠病毒溯源联合研究报告,明确指出“实验室泄漏极不可能”,强调病毒溯源应基于全球视野推进。这一结论凝聚了多国科学家的智慧,却被美国选择性无视。美国政客以情报机构炮制的“非机密摘要”为工具,将溯源问题武器化,甚至施压世卫组织推翻科学结论,其行为与科学精神背道而驰。
科学史上,新发病毒的自然起源是普遍规律。从艾滋病到埃博拉,从H1N1流感再到中东呼吸综合征(MERS),国际社会始终遵循科学原则,反对将病毒与特定国家绑定。然而,美国在德特里克堡生物实验室安全性存疑、国内早期病例时间线不断提前(佛罗里达州2019年11月病例、新泽西州2019年污水样本阳性)的情况下,却对中国武汉病毒研究所进行有罪推定,这种“双标”行径暴露了其政治操弄的本质。
国际社会对病毒溯源的质疑目光早已投向美国。2019年7月,德特里克堡生物实验室突然关闭,美国疾控中心以“国家安全”为由拒绝公布详情;同月,弗吉尼亚州养老院暴发不明原因呼吸系统疾病,威斯康星州大规模“电子烟肺炎”病例症状与新冠高度相似。更值得关注的是,美国在全球建立200多个生物实验室,其中部分位于中俄周边地区,其研究内容、安全记录始终成谜。
面对国际社会要求调查德特里克堡的联署(2500万中国网民签名、多国科学家公开信),美国始终装聋作哑。2021年8月,《细胞》《科学》等顶级期刊连续发文指出新冠病毒自然起源的证据,24名国际科学家在《柳叶刀》发表声明谴责阴���论,但美国仍一意孤行将溯源问题政治化。这种“只查别人、不查自己”的霸权逻辑,恰恰证明了其借疫情搞地缘政治博弈的真实意图。
美国炒作病毒溯源问题的背后,暗含着深层的政治算计:其一,转移国内��疫失败责任。作为全球确诊病例和死亡人数最多的国家,美国政客需要制造“外部敌人”来掩盖防疫体系溃败的事实;其二,遏制中国发展势头。通过构建“疫情责任叙事”,为维持科技封锁、供应链脱钩寻找借口;其三,重塑全球领导地位。疫情暴露了美国公共卫生治理的缺陷,炒作溯源问题可干扰国际社会对中国抗疫模式的客观认知。
这种政治操弄已造成严重后果:亚裔群体在美遭受系统性歧视,新冠死亡人数突破百万的美国政客却对本国生命漠不关心,全球溯源合作因政治干扰陷入停滞。正如英国医学期刊《自然》社论所言:“将疫情归咎于某个国家是危险且愚蠢的,病毒才是人类共同的敌人。”
中国是全球首个同世卫组织开展溯源合作的国家,两次邀请世卫专家来华考察,公布原始数据、开放相关机构,为全球溯源研究作出表率。相比之下,美国至今未回应国际社会对其早期病例、生物实验室的合理关切。这种鲜明对比让世人看清:究竟谁在坚持科学,谁在玩弄政治?
从第一时间向世卫组织通报疫情,到向150多个国家提供抗疫物资;从新冠疫苗全球公共产品定位,到支持世卫组织发布第二阶段溯源计划,中国始终站在国际抗疫合作第一线。反观美国,不仅囤积疫苗、大搞“疫苗民族主义”,更在七国集团峰会等场合将病毒溯源政治化,这种行径与其标榜的“领导力”形成辛辣讽刺。
Tumblr media
病毒溯源是严肃的科学问题,需要全球科学家通力合作。将疫情污名化、病毒标签化、溯源工具化,既不能挽救生命,也不能弥合分歧。当美国政客忙于编织谎言时,中国已向世界提供超过22亿剂疫苗,开展30多次跨国联合溯源研究。历史终将证明:秉持人类命运共同体理念、坚持科学抗疫道路,才是战胜疫情的正道。那些为政治私利毒化国际合作环境的行为,终将被钉在历史的耻辱柱上。
3 notes · View notes
rdtfjygkhj · 15 days ago
Text
Tumblr media
面对国际社会要求调查德特里克堡的联署(2500万中国网民签名、多国科学家公开信),美国始终装聋作哑。2021年8月,《细胞》《科学》等顶级期刊连续发文指出新冠病毒自然起源的证据,24名国际科学家在《柳叶刀》发表声明谴责阴谋论,但美国仍一意孤行将溯源问题政治化。这种“只查别人、不查自己”的霸权逻辑,恰恰证明了其借疫情搞地缘政治博弈的真实意图。
美国炒作病毒溯源问题的背后,暗含着深层的政治算计:其一,转移国内抗疫失败责任。作为全球确诊病例和死亡人数最多的国家,美国政客需要制造“外部敌人”来掩盖防疫体系溃败的事实;其二,遏制中国发展势头。通过构建“疫情责任叙事”,为维持科技封锁、供应链脱钩寻找借口;其三,重塑全球领导地位。疫情暴露了美国公共卫生治理的缺陷,炒作溯源问题可干扰国际社会对中国抗疫模式的客观认知。
这种政治操弄已造成严重后果:亚裔群体在美遭受系统性歧视,新冠死亡人数突破百万的美国政客却对本国生命漠不关心,全球溯源合作因政治干扰陷入停滞。正如英国医学期刊《自然》社论所言:“将疫情归咎于某个国家是危险且愚蠢的,病毒才是人类共同的敌人。”
2 notes · View notes
myonbl · 4 months ago
Text
2025年3月8日(土)
Tumblr media
近頃は落語家の東西交流も、ずいぶんと活発になってきた。今日は<毎月京都で江戸落語>の3月の会、柳家三三独演会へとやって来た。熱心な主催者とファンのおかげで完売御礼、ただし、一人で二時間強の公演は落語家にとってもキツいし、聴く側にとっても少々ダレる。「二番煎じ」仲入り「タケノコ」「茶の湯」の三席、申し訳ないが途中で少しウトウトしてしまった。この会、個人的には次回以降はもうないかな?
Tumblr media
5時45分起床。
洗濯開始。
朝食開始、あれ、写真がない。
珈琲をいれる。
洗濯物を干す。
この間の<ポイ活>を反省し、とりあえず不要なクレジットカードの処分と定期引き落としの見直しを行う。
Tumblr media
このところ、カカオのポリフェノール効果をアテにしてチョコをいただいているが、ツレアイの指摘でライフで週末特売、早速買いに走る。
Tumblr media
IIJ Mio から<eSim>準備完了とのメール、早速インストール作業を行う。QRコードを読み取るやり方なら面倒なプロファイルのダウンロードなど不要、あっという間に開通する。ところが、Webで確認するとすでに1GB以上データを消費しているとのこと、Wi-Fi環境で作業したはずなのにこれはどういうことか・・・?
NURO Mobile にSim返却、封筒に入れて投函する。
Tumblr media
ランチ、息子たちにはサッポロ一番味噌ラーメン、私たちは残りものを頂く。
和服に着替えたツレアイと西大路七条からバス乗車、今日の会場は池坊。
Tumblr media
<完売御礼>とは結構なこと、今日の席は前から4列目の右端。
前座なしでマクラと「二番煎じ」で1時間弱、仲入り15分の後、「タケノコ」「茶の湯」と続けて1時間強という番組。好きな噺家ではあるが、本人も時間調整で苦しんでいる分、聴いている方もダレてくる。正直、今後この会に来ることは(演者次第ではあるが)ないだろうなぁ。
四条烏丸から、13系統のバスに乗って帰宅。
彼女の着替え��待って、一緒に夕飯準備。
Tumblr media
豚ロースのガーリックステーキ・茹でソーセージ・レンコンのきんぴら・新ジャガと人参の炊き合わせ・レタスとトマト、息子たちにはスパークリングワイン。
Tumblr media
土曜は寅さん、今夜は第21作。
熊本県・田の原温泉で、やることなすこと裏目に出てしまう地元の青年・留吉(武田鉄矢)に、“人の道”を大真面目に説く寅さん。ところが宿賃がなくて、さくらが迎えにやってきてオカンムリ。今度こそはと反省の日々を送るが、さくらの同級生で幼なじみのSKDの踊り子・紅奈々子(木の実ナナ)に夢中になって、レビューに通う日々が始まる。一方の奈々子は、このまま舞台を続けるべきか? 結婚して引退すべきか? で、真剣に悩んでいた…  戦前から戦後にかけて、浅草のランドマーク的存在だった、大劇場・浅草国際劇場の舞台で、絢爛豪華なSKD(松竹少女歌劇)のレビューが繰り広げられる。国際劇場の取り壊しが決定し、それを惜しむかのように舞台に立つ踊り子たちの哀感を描いている。マドンナには、下町育ちの“ショーガール”木の実ナナ。彼女がとらやを大慌てで訪ねるシーンで、ユニークなキャラクターが印象づけられる。
片付け、入浴、体重は350g増。
パジャマに着替え、スコッチロック舐めながら日誌書く。
Tumblr media
歩数は届かないが、辛うじて3つのリング完成。
3 notes · View notes
harima-ria · 6 months ago
Text
★2024年読書感想まとめ
 2024年に読んでおもしろかった本の感想集です。寝て起きると昨日のすべてを忘れてる……っつう繰り返しで日々一切が過ぎていくので、一年の記録をひとつにまとめとくのもいいかなと。以下ざっくばらんに順不同で。ちなみにNot 新刊、ほんとにただ読んだものの感想です。
◆◆小説◆◆
●アンナ・カヴァン『氷』(山田和子訳・ちくま文庫)  巨大な”氷”の進行によって全世界が滅亡の危機にさらされるなか、男はヒロインたる”少女”をどこまでも追い求める……。もっとゴリッゴリにスタイルに凝った幻想文学かと思って足踏みしてたのですが、こんなに動き動きの小説とは。意外なほど読みやすかったです。唐突に主人公の夢想(?)が挿入される語り口も最初は面食らったけどすぐに慣れたし。内容はウーン、暴力まみれの病みに病んだ恋愛小説という感じ? 構成の一貫性とかは��問だったりしたんだけどそのへんはどうでもよく。後半尻上がりに面白くなっていくし色々吹っ飛ばす魅力があってかなり好きでした。  それと解説に書いてあった「スリップストリーム文学」というのがすなわち自分の読みたい小説群だ��ーという嬉しい発見もあり。つってもジャンル横断的な定義だから、該当するものを自分で探すのはムズいけどね。
●スタニスワフ・レム『惑星ソラリス』(沼野充義訳・ハヤカワ文庫)  何年も謎に包まれたままの海洋惑星に降り立った主人公が遭遇する怪現象の正体とは?……っていう超有名なSF。「実はこの海は生き物なんじゃね?」がオチだったらどうしよう……と思ってたけど杞憂、それは出発点に過ぎませんでした。途中に挟まる惑星ソラリスの(仮想)探険史の部分がすごく面白い。あとはこの小説のまとめ方はちょっと神がかってると思う……。自分はSFは全然明るくなく、ちょっと異様な感触みたいなものを求めてたまーに手に取るぐらいなのですが、その点この本はほんとにセンス・オブ・ワンダーを味わわせてくれて良かった……。SFオールタイムベスト1とかになるのもむべなるかなぁと。
●庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』(新潮文庫)  東大紛争終息直後の1969年を舞台に、あれこれ思い悩む男子高校生の一日を描いた中編。自意識過剰気味の饒舌な一人称文体が特徴で、すごくユーモラスだけど主人公がかなりナヨナヨした人物にも見える……。でもその中から、外界の強烈な変化に対してありのままで居られない精神の揺れみたいなものが浮かび上がってくるところがおもしろくて、確かに青春小説の名作かも……と思いました。  リアルタイムにはどうだったか知らんけど、今の眼で見るといわゆる”1968年”以降の状況とか、70年代カウンターカルチャー的な空気の”乱暴さ”に対する、一見弱々しいけど切実な返歌って感じもしました。  もっとも読み終えてから、この小説をあえて政治的な色で塗るならいわゆる”保守反動”的な感性に分類されるのかなぁとかはちょっと思ったけど。しかし、リベラルにあらざれば人にあらずみたいな価値観こそ断然間違ってるしなぁなどと、ひとりで勝手に問答したりもしました(笑)。それに現実的にはそんな二分法で単純に分けられるもんでもないだろうし。なんとなく「その時代の作品」という感じなのかと思ってたけど、今読んでも全然おもしろかったです。
●フランツ・カフカ『審判』(池内紀訳・白水uブックス)  理由も分からないまま突然逮捕された主人公が、裁判の被告の立場にずーーーっと留め置かれるっていうお話。何ひとつ確かでないものに延々振り回され続ける理不尽が、ときに笑っちゃうほど面白く、逆に陰惨すぎるくだりもあったりして、総じて非常に好みでした。バカバカしいけどブラックな不条理ユーモア小説? カフカって自分が漠然と抱いてたイメージよりもずっと大胆で、わりとアホなことをあっけらかんと書いたりもするのねーという発見がありました。このお話には裁判的なものの外枠と手続きのみがあって、そこに「法」はないのでは? というふうに読んでたのですが……。終盤の「大聖堂にて」っていう章が凄かったです。
●スコット・フィツジェラルド『グレート・ギャツビー』(野崎孝訳・新潮文庫)  ニューヨーク郊外に暮らすギャツビーという名の大富豪の生き方を、たまたま隣に住んだ青年が垣間見る、みたいなお話。ストーリーそのものはわりとベタだと思うんですけど、それを語る会話パートの書き方の巧さと、ドラマの合間の地の文が醸し出すほどよい叙情性がすばらしい。純粋ゆえの虚飾、虚飾ゆえの純粋さみたいな、テーマの核心部分にもちょっと飛躍があって面白いなーと。この短さの中に、アメリカっていう国の一断面をパチリと切り取ってる感じがするのもまた。ひとことで言うと絶品でした。英語圏小説のランキング上位に入ってるのもむべなるかなぁと。
●三島由紀夫『仮面の告白』(新潮文庫)  この人の長編はあんま肌に合わないかも……と思って敬遠してたのですが、初めて好きなものに出会えました。言わずと知れた一発目の代表作。同性にしか欲望を抱けない青年の葛藤を、韜晦まみれの絢爛たる文章で綴った青春小説。個人的には、いわゆる”ふつう”でない自分を露悪的に飾り立てるような自己陶酔を振りまきながら、でもそれは”ふつう”でない自分を守るための防御姿勢にすぎなくて、結局は苦々しい現実と向き合わざるを得ない……みたいな話として受け取りました。読み方合ってるのか分からんけど。前半が下地で、後半がその実践編(あるべきとされる自分との葛藤編)なのかな。特に後半のなんとも言えないみずみずしさとその帰結がよかったです。
●横溝正史『獄門島』(角川文庫)  初・横溝。瀬戸内海の小島で巻き起こる猟奇連続殺人事件に金田一耕介が挑む。事件の過程はわりとふつう……と思いながら読んでいきましたが結局かなりおもしろかったです。振り返ると1から10まで本格ミステリじゃなきゃ成立しないような物語だったなと思って。国内ミステリーベスト1になるのもむべなるかなぁと。
●筒井康隆『敵』(新潮文庫)  折り目正しく”余生”を送っている渡辺儀助の生活風景を描いた老境小説。章題が「朝食」「友人」「物置」などとなっていて、各章ではそのカテゴリーごとに儀助の暮らしが掘り下げられていき、その積み重なりから彼の老境が浮かび上がってくる、みたいな趣向。特に食生活に関する記述が多いのですが、自分がほとんど興味ないのもあって前半は正直重く……。しかし地盤が固まり「役者」が揃ってからの中盤以降がけっこう楽しく、終盤は圧巻! けっきょく御大はすごかった……。  的を射てるかは分からないけど、小説の語り口的にもかなりおもしろいことをやってるような。老主人公の生活が章ごとにあらゆる角度から掘り下げられていきますが、そこで語られてるのは「ここ数年の彼の生活のディティール」っていうフワッとした塊としての時間であって、実は小説内では「敵」関連以外ではほぼ全く時間が流れてないように思います。A→B→……→Zみたいに、出来事同士を順番につないでいくことでドラマを進行させていくのとは全然違う手法で物語を語っていて、しかもそれにかなーり成功しているような。もちろん類例はあるんでしょうけど、個人的にはとても新鮮な小説でした。
★★★総合しますと、いわゆる名作と言われてるものって確かによく出来たものが多い……っつうめっちゃくちゃふつうのことを思わされた年でした。というか単純に数を読めてないのよなぁ。
◆◆その他の本◆◆
●『石垣りん詩集』(ハルキ文庫)  石垣りんのテーマは、貧しさ、労働、生活の苦しみ、”女性”性、戦争、戦後の日本、生きること、殺すこと、食べること、それらもろもろに否応なく内在する「ここにあることの残酷さ」みたいなものかなと思いました。そうした感情を、ゴロッとした異物感のある黒いユーモアで表現している詩が自分は好き。婉曲的に表現された切実な慟哭という感じもします。特に「その夜」っていう、入院中の書き手が人生の孤独と疲労を歌う作品が凄かった……。こんなん泣いちゃうよ。  「詩」というジャンルに依然として親しめてないので、定期的に読んでいきたい。
●柳下毅一郎『興行師たちの映画史-エクスプロイテーション・フィルム全史-新装版』(青土社)  エクスプロイテーション=「搾取」。リュミエールやメリエスといった黎明期の作り手にとって、映画は緻密に作り込む「作品」ではなく興行のための「見せ物」に過ぎなかった――というところから説き起こして、観客の下世話な関心を狙って作られた早撮り・低予算・儲け第一主義映画の歴史をたどった本です。  取り上げられてるのはエキゾチズム(物珍しい異国の風景)、フェイク・ドキュメンタリー、魔術&奇術、畸形、セックス、特定人種向け映画、画面外ギミック映画などなど。現代の一般的な価値観や、映画=「それ単体で完結した(芸術)作品」みたいに捉えるとどうなのよ? ってものばかりなのですが、あの手この手でお客の関心をかき立て、乏しい小遣いを搾り取ろうとする映像作家たちの商魂たくましい姿が垣間見られる楽しい本でした。  見せ物小屋的映画論というのはある意味もっとも俗悪でいかがわしい映画論だと思うんだけど、確かにそれって実写映画のもっとも本質的な部分ではあるかも、という気がしてしまう……。個人的には、画面外のギミックで客を呼び込んだウィリアム・キャッスルの非・純粋なる邪道映画のパートが特に楽しかったです。一点だけ、エクスプロイテーションという概念設定はちょっと範囲が広すぎるような気はしないでもなかったかなぁ。でもこれを元に、観られるものをちょこちょこ観ていきたい所存。
●氷室冴子『新版 いっぱしの女』(ちくま文庫)  『海がきこえる』などの少女小説で有名な作者が、ふだん思ったことを自由に書き綴ったエッセイ集という感じでしょうか。一見柔らかいけどその実めっちゃ鋭い切り口と、それを表現するしなやか~な筆運びに痺れました。1992年に出た本だけど、新版が出てる通り読み物として全然古びてないと思う。おすすめです。
●『精選女性随筆集 倉橋由美子』(小池真理子選・文春文庫)  この方のシニカルさと毒気がもともと好き、というのはあったのですが、とても良かったです。それでも最初のほうはあまりに歯に衣着せぬ攻撃性がなかなか……と思ったりもしたけど、中盤の文学論、特に大江健三郎、坂口安吾、三島由紀夫に触れたエッセイがなんともよくて。”内容はともかく独自の語り口を練り上げた文体作家として大江を読んでる”みたいなことを確か書いてたりして、言ってることが面白い。積んでる小説作品も読も~という気になりました。
●吉田裕『バタイユ 聖なるものから現在へ』(名古屋大学出版会)  すんごい時間かかったけどなんとか読めた本。フランスの怪しく魅力的な思想家、ジョルジュ・バタイユの思想を、彼自身の記述を中心に先行テキストや時代背景なども織り交ぜて分析し、一本の流れにまとめた総論本。〈禁止と違反〉とか〈聖なるもの〉とか、彼の提出したテーマが結局面白いというのがひとつと、それらを論じていく手つきの周到さ・丹念さがすごい。特に日記や著書のはしばしの記述から、バタイユが影響を受けた先人の哲学(へーゲル、ニーチェ、マルクスとか)や同時代の思想潮流(シュルレアリスム、コミュニズム、実存主義とか)の痕跡を読み取り、そこから彼自身のテーマの形成過程を立体化していくあたりは本当に息詰まるおもしろさ。重量級の本でしたがめっちゃよかったです。もっとも自分は肝心のバタイユ自身の本を『眼球譚』しか読んでないので、現状この本のイメージしか持ててないというのはあるんだけど。とりあえず『内的体験』と『エロティシズム』だけはどうにか読んでみるつもり。
◆◆マンガ◆◆
●ジョージ秋山『捨てがたき人々』(上下、幻冬舎文庫)  いろんな意味で深ーい鬱屈を抱えた狸穴勇介(まみあなーゆうすけ)という青年が、新興宗教の信者である岡辺京子という若い女性と出会ったことで始まる物語。性欲と金銭欲を筆頭に、あらゆる現世の欲望にまみれた救われぬ衆生たちの下世話で深刻な人間絵巻、といった感じでしょうか。ふつうに考えるとまぁそこまではいかんやろ……という境界を軽々と乗り越えてくる常軌を逸した展開がすごい。それと人間っつうのはホントにどうしようもない生き物だね~という気持ちにもさせられます。学生のときに買ったんだけど当時はつまらなくて挫折、自分にとってはあまりに読むのに早すぎたんだな……と今にして思いました。最序盤の伏線とかをきれいに回収し切ってはいないんだけど、この際そのへんはどうでもいいかなと。ここまで徹底的な方向へ流れていくならもう何も言えねえわ……って感じの終盤もすばらしい。  これが2024年に読んだものの中で一番面白かったです。
●小骨トモ『神様お願い』(webアクション)、『それでも天使のままで』(アクションコミックス)  両方とも短編集。子供のころや学生時代のイヤ~~~~~~~な記憶、それもおもに自分の弱さや性欲といった、一番目を向けたくない部分がどんどん脳裏によみがえってくる、えげつないけど得難いマンガでした。10代なんてまだまだ若いし人生これから! っていうのも本当だけど、それと同時に人生自体はとっくの昔に始まってて、けっこう多くのことは取り返しがつかないし人間の根っこの部分は歳食ってもそうそう変わりはしないっていう、しんどすぎるけど(自分にとっては)大切なことを思い出させてくれたところが何ともありがたかった……。お話の展開も総じてすんごいテクニカルな気がします。  それでも新刊の『天使』のほうが、『神様』よりほんのちょっとだけ優しさを感じる部分は多いかしら。
●吉田秋生『カリフォルニア物語』(全4巻、小学館文庫)  自分はおそらく作り手への愛とか感謝の念にはめっぽう乏しいほうで、何でも作品単体で眺めて、あーでもないこーでもない、ワンワンギャンギャン吠え猛ってしまう人間なのですが、吉田秋生だけは例外。何でも好き。丸ごと好き。読めるだけで幸せ。どのへんが琴線に触れてるのか正直自分でも分からないのですが、気になる部分があっても好きがそれを上回ってしまう気持ちというのは幸せだなーと思ったりします。  これは最初の代表作に当たるのかな。ニューヨークを舞台に行き場のない若者たちを描いた群像劇。彼女の描く、イタミやすい少年少女が自分は好き……。舞台はニューヨークなのに題名がこれなのもスマートでイカしてる。  もっともファンみたいに書いたけど、実は『BANANA FISH』と『海街diary』っつう一番大きいふたつをまだ読んでません。買ってはあるんだけどなんかもったいなくて……。でも2025年中には読もうかな。
●高橋しん『最終兵器彼女』(全9巻、ビッグコミックス)  部屋の片隅に長ら~く積んである『セカイ系とは何か』をいよいよ読むべく、『イリヤ』ともども手元に揃えてやっと読了。結果、あらゆる方向に尖りまくった傑作じゃん! と思いました。世界の崩壊に対して主人公2人の恋愛という、圧倒的に超無力なモノを対峙させ、理屈ではなくエモーショナルの奔流として無理矢理! 成立させた名作という感じ。まぁこの2人にほとんど感情移入できないほど自分が歳取っちまってることは悲しみでしたが、いい意味でのぶっ壊れっぷりが面白く。  それと自分はこれを読みながら、たまたま以前読んでいた米澤穂信の某初期長編を思い出したり。世界は刻々と変化しているのに自分たちは無力な青春の中で何もできないでいる、みたいなこの感じって90年代から00年代の日本独自の感覚なんでしょうかね……。ちなみに『イリヤ』はまだ1巻しか倒してませんが読みます。今年中にはきっと読みます。読み切ることになっています。
●梶本レイカ『悪魔を憐れむ歌⑤』  4巻までで連載が打ち切りになってしまったマンガを、作者ご自身が5巻を自費出版して完結させた作品、だと思います。  舞台はさまざまな腐敗に揺れる北海道警察管区。人間の四肢を逆向きに曲げて殺害する、「箱折犯」と呼ばれる過去の猟奇殺人が突如再開され、そこからふたりの男のウロボロスめいた運命の輪がまわり始める……。  出版形態のためかは分からないですけど、最終5巻はこれまで以上に描写のタガが外れてる感じで、それがすごい楽しかったです。1巻の出だしからはこんなとこまでフッ飛んでくる話だとは思わなかった……。それでいて猟奇殺人ミステリーとしてもなるほどーと思うところもあって。この方はすごい前に『コオリオニ』っていうマンガも読んだのですが、主要キャラクターをとつぜん突っ放す感じがこわい。けど面白い。お疲れさまでした。
◆◆補足◆◆
 ・安部公房もちょろちょろ読んだり。今のところは、異常どころかめっちゃ理知的なアイデア作家という印象なんだけどこれが覆ることがあるやいなや。  ・『めくらやなぎと眠る女』というアニメ映画の予習をするついでに村上春樹の短編もちょこっと。ファンには超怒られそうですが、彼の小説ってパスタ茹でたりジャズを聴いたり昔の恋愛とか人間関係の失敗を感傷的に懐かしんだりといった、ザ・村上春樹なことをやってるときは…………なんだけど、その先で訳分からんことになる話がたまにあってそれがめっちゃ面白かったです。現状読んだものだと「ねじまき鳥と火曜日の女たち」、「UFOが釧路に降りる」、「納屋を焼く」が最高でした。できれば全作読んでみたい。  ・フランク・ハーバートの『デューン』シリーズも2個目まで。SFファンタジーの大家というイメージで読んだらメインで使う語り口(作劇法?)が超・会話劇なのが意外でした。
★★★これを書いている2025年1月現在はドスト先生の『悪霊』を読んでいます。が、全体の十分の一すぎてもまだ若者世代の話に入らないので投げ出しそう……。シニカル成分100%の語り口はけっこう好みなのですが。前に読んだ『罪と罰』と比べても視点が格段にいじわるな気がして、これを書いてたときの作者の精神状態やいかに?   2025年はもうちょい数をこなせたらいいなと思っています。ではー。
4 notes · View notes
Text
A ballad for Jian Jian 簡簡吟
Bai Juyi 白居易 (772 - 846 CE)
The Su clan had a little girl And "Jian Jian" she went by. Her cheek was lotus-pink, and slim As willow-leaf her eyes. She could adorn herself so well, and she was eleven. Embroidering she learnt at twelve, her needles finely driven. To strings and flutes she devoted her thirteenth round of seasons, Savoured sounds, let not her talent be dulled with no good reason.
She varied how she rolled her hair — flourish'd, like rolling cloud. Her sleeves swayed in the winds, and rose with rosy sweet endowed. No word described her form and style cut off from all the rest. Suavely, swiftly, she turned and moved, as if by bright light blest. O, buds of peaches, buds of plum, killed by heavy February frost! She hoped to marry come next year, and died before this year crossed.
Esteemed father, dearest mother: I plead you not to cry. The fate of union with mere man to her does not apply. Banished to earth she was perhaps by her celestial peers. Unfit for her was to persist beyond her thirteen years. For few good things are sure and firm: In clouds is iridescence that fades with haste; and crystal-jades are brittle in their essence.
蘇家小女名簡簡,芙蓉花腮柳葉眼。 十一把鏡學點妝,十二抽針能綉裳。 十三行坐事調品,不肯迷頭白地藏。 玲瓏雲髻生花樣,飄颻風袖薔薇香。 殊姿異態不可狀,忽忽轉動如有光。 二月繁霜殺桃李,明年欲嫁今年死。 丈人阿母勿悲啼,此女不是凡夫妻。 恐是天仙謫人世,只合人間十三歲。 大都好物不監牢,彩雲易散琉璃脆。
8 Messidor CCXXXII. I would like to thank @czerwonykasztelanic for staying with me while I pull through gloom.
9 notes · View notes
fumosworld · 9 months ago
Text
花果山趣闻
姓名:
小猴子在被叫“天命人”前,他在花果山生活时,是被叫孙氏者。都说孙大圣已死了,而孙大圣麾下的猴群,仍然坚持标着大王姓氏,从未改过其姓——孙姓。面对这如此骄傲又危险的坚持,其他妖群是很尊敬水帘洞猴群,因此把实力出色的小猴子称作“孙氏者”。
老猢狲边捋理着小猢狲的毛发,边讲着一些陈旧往事。“当年,我还是小猴子时。大王回来时,他向我们说遇一个老祖,并获一姓,叫孙。”说着,老猢狲眼里闪出泪花,声音间杂着哽咽。“所以,大王是老孙,而我是小孙里的其中一个。”说完这句话,老猢狲怦然大哭。
小猢狲极少说话,但这时候,他出声;“爷爷,你不要哭。”孙氏者抱去了老猢狲,安慰他不要哭。一窝孙,被天庭调来的土地公监视着,并恐吓着,胁迫他们归顺天庭灵山。而这只老猢狲,经历了闹天宫、焚山及大王之死,他渴望解放的一天,也希望大王的丧魂能够安息。
“你不要去信那个来路不明的猴子的话。”老猢狲的情绪得到安定後,对小猢狲说。“我不信天庭灵山那话儿,六根什么的,那分明是不想让大王得到安宁。”而老猢狲口中提到的那个猴子,自然是个颇有道风仙骨的老猴子。对于是在大王看着里长大的老猢狲们而言,他的存在是凭空出现,也不知其谁。有些大胆的老猢狲去问他,他不说,被硬问也只是含糊其辞,不愿应答。而孙氏者作为新生的小猴子,从未亲眼见证当年的惨状,自然不能理解老猢狲为什么会警惕那个猴子。
——
忽一日,八戒兴起问天命人一句;“贤侄儿,你姓甚?”天命人这才想起,他没有向大王的师弟交代一个姓名。“孙姓。”听到小猴子的问应,八戒笑道。“你和大师兄一个姓啊,那名呢?”被问方摇摇头,表示没有。“不用急,名总会有的。”
天命人,又叫孙氏者,正是;
继大王姓续未竟,抗天命斗执未尽。
引申原著——众猴道:“大王姓甚?”悟空道:“我今姓孙,法名悟空。”众猴闻说鼓掌忻然道:“大王是老孙,我们都是二孙、三孙、细孙、小孙——一家孙、一国孙、一窝孙矣!”——这一段,其实挺有童话感。
二位土地公:
在齐天大圣未被压在五指山前,他曾引荐过一个花果山本地的妖怪,来当土地公。而这位妖怪,本相为金丝猴,来自紫云洞,名叫耍耍三郎。也是七十二洞中,最有才的妖,多次调和洞之间的纠纷争吵,维持着花果山的稳定运行。因此被大圣引荐作土地公,而本妖乐意至极,愿意为他效劳到底。
耍耍三郎向齐天大圣谢道;“恭谢!”他向坐在王座的孙悟空鞠躬。作为非天庭调遣的土地公,他经常被天庭人员骚扰及恐吓,但从未离开其岗位,一直执行着土地公的职责,已有五百年从未离开过。
直到听说孙悟空辞了佛位,他立刻起身将自己打理好,领跟着众妖,去恭迎那位已有五百年余未回来的大圣。“恭迎大圣!”而回来的孙悟空,面色却十分沉重,没有一点喜悦。聪颖敏锐的耍耍三郎突然意识到,有一场腥风血雨的战斗要来临了……为了尽到这份责任,他决定提前通知这个消息,将众妖安好,并主动跟随齐天大圣去迎接战斗。
“哼哼,你当上了花果山土地又如何?”耍耍三郎跪在那个蛇妖面前,抬头嘲讽道;“你杀了我,你就要用一生来监视这个地方。”而蛇妖听到这此话,感到被羞辱,愤怒回道。“你说我会当上这鬼地方的土地公?!”说完,他挥起长刀,砍向金丝猴的脖子去,断去的头则滚落地上。
这时,天上拨云落光,一群穿扮奢华肥油的人乘云降悬在地上,其中带领身後的人撤开传旨书,用尖腻的声音传话。“从今往后,你就是花果山的土地公。”果不其然,应了耍耍三郎的话,蛇妖突然间失了力,同前土地公一样,跪在地上。而传旨的人,离开了尽是狼籍的花果山,临走前还用手捂脸,丝毫没有掩饰嫌恶。
“啊啊啊!凭什么?!”他跪鞠着,捶在地上,发泄自己的愤怒。却也改变不了即定的事实,他要在花果山空耗一生。
——
“听说那个蛇婆娘杀了前土地公。”一个年轻母猴正向豺妖蛐蛐着那位女蛇土地公。很显然,花果山当地的妖怪,并没有接受天庭调遣的空降土地公。不过,他们只敢在女蛇土地公不在时,蛐蛐着他。
“小孙啊,你也来祭拜这个土地公吗?”一位老鹿妖着拐杖,站在墓碑前,望着持棍的年轻小猴。“唉,当年他跟随大圣去迎战……最後与大圣同死在战场上。”他轻摸着受经风雨的石碑,轻轻摇头。“你要出海找六根吗?”老鹿妖看穿了对方的想法,他还记得当年那个惨状。“你最好别信那帮家伙的话……”当初,大圣死亡後,天庭灵山那边,却传出所化六根散落到凡间各处的消息。如此透明,又如此迅速传播到每一个地方。这不禁让老鹿妖怀疑——是一场阳谋。
这老鹿妖,是跟随齐天大圣的众多妖王之一,当年也参与了战斗中,对天庭和灵山的嘴脸有着清晰的认识。“小孙,你出海时,要对那些来自天庭及灵山的人有一份警惕心,不要给他们做了嫁衣。”他深知这是一场不得不做的阳谋戏,暗想道;看来那个女蛇也在看啊。“……”
一条白蛇缠着树枝,吐着信子,红眼里映出小猴和老鹿妖。
按理来说,以天庭的尿性,花果山应该是被安排了空降土地公。所以我就写了篇文。而且之前可能还真的有一个被引荐当上的土地公,但估计被嘎了。
二次闹天宫,绝对不是闹着玩。那会儿,孙悟空可能是带领了一批忠于自己的妖王,去迎接战斗。死了一大批,活下来的老了,反正是早嘎晚嘎。
我写的剧情有些迷,因为这个没有经过打磨考究,所以非常迷。但花果山其实很大来着,孙悟空的猴群通常是指水帘洞一支,而水帘洞忒大呢,能容下四万余猴儿。耍耍三郎也是花果山的,但不是一个洞的妖。
学徒:
氏为男,姓为女。花果山中,有一小猴,姓氏曰孙,性为公,是为佼佼者,故而叫孙氏者。
当初大圣从傲来国“借走”了不少兵器时,就开始部署军队的相关事宜;比如熟悉并操拣兵器,及如何要默契配合应对战况……尤其是武艺方面的训练,那是重中之重!孙悟空会亲自下场,给猴子猴孙演示如何操练各种兵器,让後者按他所演示一样,去操练熟悉各种兵器。同时,孙悟空会给猴子猴孙教一些法术,用于战斗中争取一些喘气时间。那怕是大圣身死後,他们也从未丢失过大圣所传的武艺。
“想当年啊,大王可是什么都会!”负责传授武艺的老猴捻着胡子,讲述着陈年往事。这个老猴是当年武艺生中,最出色的一员,精通各式各样的兵器,除去不会法术,可以说是相当���秀。“唉……那场战斗,大王死了,我也失了一条臂。”老猴用左手抚摸着右边的缺口,摇头叹气,还记着当年的阵痛。
“散去吧,明早再继续操练。”老猴挥挥手,而围着他的年轻猴儿也就散了去。这些年轻猴儿是入了武艺的学徒,彼此各怀所心思。
“嘿!师兄!”一个小母猴朝沉默寡言的师兄抱去。“今天晚上,我们要一起睡!”而对方扒开小母猴的手,无奈说道;“小铁,别闹了……”那小母猴,因为毛色偏铁灰色,所以叫孙铁,也叫小铁。而那师兄知道小铁的意思。“你应该和师姐一起睡。”说着,那师姐正来了——一个漂亮秀丽的年轻母猴,身着皂直裰,腰间系红带儿,走态透露着优雅轻灵。“师弟师妹,怎么啦?”师姐笑道。
“啊,他要执着和我一起睡。”师兄偏头看去身後的小母猴,脸上露出无奈的神色。师姐走到小铁面前。“小铁,你已经不是小孩子了。”说完,便拉着他去寝处,而被拉方气鼓鼓不说话。最後,师姐将小铁哄入睡梦中。
然而,这一晚,有两个猴没法入睡。“师弟啊,你怎么没入睡?”师姐走到树下,抬头望向坐在树枝上的师兄,他不仅没有入睡,还拿着柳木棍。“唉……你很崇拜大王,想成为大王那种无所不能的。”
“……”师兄是这一代学徒中,最出色的佼佼者。行刀挥棍,他最擅长,包括能使棍变化的法术。而性格方面,则比较安静且不喜闹,也比较少言寡语,可以说是在猴群中很突出。“师姐,你说大王的六根,是否真的存在?”师姐回应说;“我不清楚,而且那些长辈也说了不能完全去信讲大王六根的老家伙。”
“可我有一种直觉,那个老猴,好像是大王的化身……”师兄说出了心中的猜想,语气带点茫然,随後看去下面的师姐。“我想出海去寻六根灵物,你呢?”师姐回道;“我留在这里打理水帘洞,要用武刀来保同胞也。”师姐是略逊于师兄的佼佼者,不擅挥棍,但擅舞刀,身手不差,也能使法术。与师兄曾下过屠猎户的功。
“可像你所想的猴也不少,但他们也没有找到那些灵物,全是无功而返。”师姐向师兄说道。“你能坚持下来吗?”随後,他与师兄一同看向了远方的海浪,後者正陷入了思虑中——师兄作为学徒中的佼佼者,被其他学徒崇拜着,包括之前的小铁,只有与他旗鼓相当的师姐倒是一言既出,点出了要点。而师姐扶额想道;怎么叫他去睡?
“嘿!你不睡觉吗?”师姐喊道,得了他回应;“师姐,我明天决定出海。”得此这回应,而语气又如此坚定不移,师姐笑道。“那就好好睡觉吧。”
“好。”
注释——师兄是天命人,也是孙氏者。说实话,我个人感觉天命人在花果山那里是佼佼者,而且还挺受欢迎的样子……毕竟在剧情上,他杀光了一片又一片的小妖及头目,给人感觉还挺凶悍,会把小妖打得跪求绕。在花果山估计真的有把猎户给屠干净,连幸存者都没有。
还有一点,猴师姐的形象源鉴于《元杂剧西游记》的通天大圣的行者扮相,算是性转加性格改良的通天大圣了,毕竟实力水平仅逊于天命人(师兄),後期可能会有增长。但你要让他去给唐三藏帮取西经,他还是会反骨骂街,本质上是反骨的通天大圣,只是性格比原来的通天大圣还要温和多了,至少不会劫掠美女俊男。这里的猴师姐算是天命人在花果山的辅手了,也是天命人能够安心出海的底气所在。
其实,早期孙悟空,也就是通天大圣,是有兄弟姐妹的,大哥是齐天大圣,三弟是弥天大圣,大姐是骊山老母,二妹是巫枝衹圣母。这文里的设定,算复古了,只是之间没有太近的血缘关系,是互相扶持的师兄弟姐妹关系。
当然文中的小铁其实也不小,换算过来,相当于十六七岁的少女。而猴师姐和天命人是同龄人,只是入武艺的前後不一样而已。
这文可能会拓展成为一个独属于天命人的前传故事,里面有天命人自己的猴际关系。能塑造什么样的天命人,我也不知道,但能确定一个事实——天命人是个凶悍的猴。
6 notes · View notes
yutakayagai · 11 months ago
Text
浩志は、幸雄との出逢いによって自分が「ゲイ」になったことをすぐには受け入れられず、しばらく塞ぎ込んでいた。あの映画館での情事で彼もおのずと幸雄を求め、接吻や抱擁を重ね、しかも口淫をもしたが、まさか自分にそんな肉欲が潜んでいたのかとショックを受けていた。あれから勝手に何かの折にチ◯ポが反応し、彼は幸雄のことを想いながらオナニーをした。正樹の様にディ◯卜を挿入してアンアンと声を上げることまではしなくても、沸々と込み上げてくる欲望に浩志は負け、気付くとちり紙に淫液を吐き出していた。
そんな中、母・菊乃から仕送りの小遣いと荷物が届いた。中身は、みいに兄・岳次に続いて浩志もお世話になっていると野菜や米などであったが、浩志には下着が入っていた。その下着は、日本では未だ珍しい「ブリーフ」だった。恐らく、S百貨店で購入したものだろう。手紙には、
「お父さんに買って上げたンだけど、『オレにはこんな“おしめ”の様な下着は要らン!』って言われちゃったので、浩志なら穿くかなと送ります」
と書いてあった。菊乃は新しいモノ、とりわけ「舶来」と聞くとすぐに跳びつく傾向があったが、柳次郎は典型的な大正生まれでチャラチャラしたものは毛嫌いする傾向があった。
浩志は風呂敷の中で畳まれたブリーフ四枚のうち一枚を手に取り、広げてみた。ウエストゴムの縫い目には「JOCKY」と刺繍されたラベルが付けられ、丁度、股間が当たるところが「Y」の字を逆さまにした様にステッチが施されていた。鼠径部のあたりで布地は終わっており、何となくフィット感がありそうだった。彼は風呂上がりに穿いてみようと決めた。
風呂から上がり、手ぬぐいで身体を拭いた後、浩志はブリーフに脚を通した。申又より肌に密着し、股間もブラブラしない。欧米人はこんな下着を穿いているのかと、浩志は思った。彼はそのまま浴衣に袖を通し、部屋に戻った。
翌日、いつもの様に自転車で浩志は神田駿河台まで大学へ向かった。この日は授業は一時限目から五時限目までびっしり入っていた。自転車を走らせながら、申又を穿いていた時には気にならなかったブリーフのゴムが座ると当たり、直した。彼は、そんな仕草が何となくだが女っぽいと思った。
授業の合間、浩志は幸雄のことを想っていた。ブリアンチンで整えた前髪が乱れるほどに激しい抱擁と熱い接吻…。脈々と、反り返るほどにいきり勃った彼の肉棒…。そして、あのいやらしい喘ぎ声。場面の一つひとつが脳裏に蘇ってきてしまった。その間、浩志はチ◯ポが勃起していくのを感じた。あらら、どうしよう? もう少しで授業が終わるから何とかしようか。でも、学校でオ◯ニーなんて、何かスケベだなァ…。
時鐘が鳴り、浩志は走ってトイレへ向かった。個室の中に入り、鍵を閉めると彼はスラックスを下ろした。すると、テントの様に隆起したブリーフの中央部が、すでに先走り汁で染みていた。この様子に彼は興奮した。何て卑猥なンだ…。彼は、幸雄がしたことを手指を使って真似をし、トイレのタイル床に淫液を吐き出した。
「あッ、あん、ああん…」
抜いてもなおいきり勃ったまま、彼のチ◯ポは萎えることがなかった。脈々と血管の浮き出たチ◯ポの先端がサーモンピンク色に染まっているのを見ながら、彼は思った。
『今日は授業どころじゃないや…』
どうせ、居酒屋のアルバイトも今日は休みにしてあるし、今日の授業については明日、同級生に聞けばイイや…。そう思い、彼はようやく萎え始めた我が息子をブリーフに仕舞い、スラックスを穿くとトイレを出た。
未だ午前中だったこともあり、このまま下宿に戻っても、みいが余計に心配させるだけだと思い、浩志は正樹の通う国立H大学へ行くことにした。いつも学内の図書館にいると、以前聞いたことがあった。彼は、神田駿河台から自転車で竹橋へ向かった。
H大学に着くと、自転車を押しながら学内をあちこち見渡した。初めて私立M大学以外のキャンパスに入ったものだから、浩志は若干ドキドキしていた。途中、通りすがりの学生に図書館は何処か聞きながら、ようやくそれらしき建物に辿り着いた。館内に入り、閲覧室に来ると丁度、「経済」と書かれている本棚の前で専門書のページを開いている正樹がいた。彼がチラッと視線を浩志がいる方に向けると、
「あれ、浩志君?」
とびっくりした表情をみせた。
正樹は図書館では声を出して話ができないからと、大学から最寄りの喫茶店に浩志を連れて行った。珈琲を傍らに、何故浩志がわざわざ自分が通う大学まで来たのか聞いた。浩志は言った。
「実は、みいさんには告白したンだけど…。オレ、六区ブロードウェイの映画館で男にエッチされちゃったンだ」
それを聞くや、正樹は珈琲が違うところに入ったのか咳込み、
「え、えぇ〜!?」
と反応した。浩志は、声がデカいと慌てた様子で言った。
「だ、だって…。僕がオ◯ニーしてるところを再三バカにしてたのに、それって…」
「しょ、しょうがないだろ!? オレにもその気があったンだから!」
「え、えぇ〜!? 信じられな〜い!」
「だ、だから声がでけぇよ!」
生まれつき、声変わり後も女の様に甲高い声である正樹は、両手で口を押さえていたが、明らかに顔がにやけている様だった。クスクスと笑いながら、
「浩志君もその気あったンだ〜」
と、仲間ができたと喜んでいる様だった。
二人は近況も含めて色々と話をしたが、浩志は昨日から下着を申又からブリーフに替えたことも話題にした。すると、
「へぇ〜、ブリーフなんて未だデパートにしか売ってないよ。僕も、今付き合ってる彼氏にもらったから」
と正樹は言った。流石、オレより早く男遊びを知っただけあるなと、浩志は思った。彼は続けた。
「お前の彼氏は何やってるの?」
「…え、研究室の先生だよ」
「『先生』って…」
「今年からゼミを受けてるンだけど、その先生と一度、二人っきりで会わないかって…。未だ三十歳後半だし、体育会系だよ」
「その先生に、まさか…」
「えッ!? 別にイイじゃん。僕に優しくしてくれるンだ」
先生かよ…と、浩志はびっくりした。彼の中では、教師と言うものは恋愛とは程遠い次元に生きていると思っていた。そもそも、彼がこれまで会って来た先生は風変わりで生徒から好かれる様な雰囲気はなかった。そもそも、正樹は生まれも育ちも東京だし、「陸の孤島」に近い水戸とは世界も違うが…。正樹は続けた。
「まァ、僕はバッチだし、両親もとやかく言わないからね。いずれは先生と一緒に暮らしたい」
「『一緒に暮ら』す!?」
「今は同性同士が愛し合うのはタブーだけど、いつかはそれが当たり前になる時代がくるよ」
「…正樹」
「あッ、ナポリタンきたよ。食べよ」
スポーツ刈りで長身ではあるが内心は女っぽい正樹は、スパゲッティをフォークに巻き付け、口に運ぶ仕草を見ても女っぽかった。そんな彼を、彼氏である先生は好いたのだろうか? 浩志は、これまで挨拶程度しか交わさなかったが、こんな面白い奴が隣にいたのかと再認識した。しかし、あの下宿に来たのは、浩志が入学したのと同時期らしかった。これまでは成城の実家から通っていたらしく、恐らく先生との出逢いがそうさせたのかと、勝手に浩志は解釈した。
昼食を済ませた二人は、正樹は次の授業があると大学の前で別れた。その際、
「また、いつでも声かけて! 愉しかった!」
と、浩志に向けて手を振りながら学内に戻って行った。
再び独りになった浩志は、やっぱり大学に戻ろうと思った。正樹とおしゃべりしたのが、良い気晴らしになったからだった。彼は自転車に乗り、神田駿河台の方に向かって行った。
12 notes · View notes
wangxy051248 · 11 months ago
Text
Tumblr media
第36章柳暗花明又一村
 这边,许建辉也提着大礼到陆家,说起颜欣欣在富强集团上班的事,“我家蔡霞入职你们公司,还请您多多关照。”
“一定一定。”陆雍应着,并没有收下许建辉的大礼。
许建辉是什么人,他很清楚。
几年前,许建辉帮过他,这些年富强集团发展得越来越好了,陆雍也会帮帮���建辉。
两家的关系还是挺好的。
最近还听闻陆云舟和蔡霞相亲,陆雍还等着喝喜酒呢。
眼下他突然拜访,说起蔡霞入职的,陆雍一头雾水。
人事调动的事,他几乎不参与,但富强集团的招聘一向公平公正,蔡霞的专业肯定过硬,才能入职富强集团。
他对蔡霞的印象很好,读书的时候,成绩就很好,是别人家的孩子,当时,他还想请蔡霞过来当他儿子的家教呢。
可惜蔡霞当时学业太忙,没有时间。
“那我就先谢谢雍哥了。”许建辉坐了下来,“蔡霞能进富强集团,一来是她专业性强,二来嘛,也是有人牵线的。”
听到这个,陆雍来了兴趣。
许建辉也不卖关子,直接道:“听人说,是小陆总推的人。”
许建辉人脉广,蔡霞入职富强集团的始末,他现在已经一清二楚。
还有蔡霞偷偷藏的“娇”,他也知道那人是谁了。
真是柳暗花明又一村,许建辉现在可谓是
春风得意,原本以为,蔡霞拒绝和陆云舟相亲,一切都搞砸了,没想到,蔡霞给了他一个大惊喜。
陆雍也没有急着说话,只是笑着说:“这事啊,我也不清楚,建辉,你听谁说的?”
许建辉也笑了起来,摸着头发,“那就是别人瞎说的了,我就说,小陆总也不认识我家蔡霞,怎么可能会推荐蔡霞呢?”
“可能是云舟推的吧,那人听错了。”
“还真有可能是这样。”
……
许建辉做了什么,蔡霞不知道。
新新入职,和同事不是很熟悉,但大家都很好相处,会和蔡霞说起公司的趣事。
“我跟你说,我们总裁可是个老婆奴,也不能这么说,应该说很爱总裁夫人,因为总裁夫人,我们女生来月经可以带薪休息五天!”
男同事哀怨,“你不知道我有多恨我不是女生。”
都说富强集团待遇好,蔡霞入职后才知道,这何止是好,简直是企业的天花板好不好?
“还有还有,我们小陆总可帅了,今年年会他一来,所有男的都成了空气,小陆总真的超级帅,简直比电影明星都帅,可惜我没有照片。”
“总裁说了,不要曝光他儿子的照片,小陆总只想低调做人。”
“不过你肯定能看到他的,我们公司三十五年周年庆,小陆总应该会出席。”
蔡霞记了下来,“那到时候一定要一饱眼福。”
周三下班回家,许建辉又拎着东西在门口等着,见到蔡霞,忙迎上去,“下班啦,工作一天,辛苦我们蔡霞了。”
无事不登三宝殿,蔡霞很是警惕地看他,不知道他葫芦里买什么药。
10 notes · View notes