#栃木の喧騒
Explore tagged Tumblr posts
real-sail · 10 days ago
Text
駆け抜けきれなかった20代からのバトン
Tumblr media
先月、自身3年ぶり、東京では6年ぶりのリサイタルをおこなった。この6年のあいだに何の本番もなかったわけではない。オーケストラの公演や短い出番のソロなど舞台の上で弾いてはいたが、ソロをたっぷり弾く機会は実にひさしぶりであった。というのも、演奏活動に空白を作らなければならないほど自分の身にいろいろなことが起きたのだ。
わざわざ人に言うほどのこともない、とそれぞれの出来事の最中は黙していたが、ほとんど寝ているしかなかった3か月間、全てを投げ打って博士論文の追い込みに徹した半年、そして愛猫の闘病の日々は、何もなかったかのようにして振る舞うにはあまりにも大きなことで、自分の根幹を揺るがすものだった。振り返るにも痛みを伴うが、このあたりであえて書き残しておこうと思う。
そもそも日本での前回の本番というのが2019年冬のことで、そこから世界はあの2020年春を迎えるのはみなさんもご存知の通り。このときほとんどの演奏家が未来の予定を一旦白紙にしたはずだ。わたしはイギリスのナショナルロックダウン直前の2020年3月8日にロンドンでひとつ本番があり、その後演奏会という形でお客さんの前に再び立てたのは2021年12月だった。この間に、自宅のバルコニーから2度、玄関先から1度、ご近所さんに向けてささやかなライブをおこなった。
その裏側で、2021年4月に激しい腹痛で救急車を呼んで以来、病院に何度も足を運んで様々な検査を受けることになる(余談だが2021年夏に乗っていたタクシーが後続車に軽く追突をされて鞭打ちの治療に通ったことも忘れ難い)。およそ2年のあいだにイギリスの医療機関で受けられた検査はレントゲン1回・婦人科検診複数回・様々な血液検査とピロリ菌検査。一度もCTまで辿り着けなかった。検査の甲斐も虚しく原因不明のまま腹痛は半年に1回ほど繰り返され、食べるものに神経質になり、外食を悉く断って付き合いが悪いと噂された気もしたがそんなことを構う余裕も無い。
コロナ禍以降初の公演となった2021年12月の本番は短い出番でつつがなく終えたが、そのすぐあとにコロナのオミクロン株を拾う。急性期は軽く済んだものの予後が悪く、2か月ほど倦怠感を引きずり、何なら今もあのときやられた記憶力を司る何かの扱いに少し手こずる。暮れの演奏会がご縁を呼んで2022年春に在英日本大使館でリサイタルの機会を得るも、本番の数日前に例の腹痛が再発。そうして激しい痛みを繰り返すこと4回目の2022年10月には2度目の救急車コールと相なり、このときも原因不明・重篤な病ではないとけんもほろろに帰された。引き受けていたオケの仕事だけは辛うじて顔を出したが、体調は全く上向かない。
業を煮やして日系病院にかかり直したら俄かにヘルニア疑いが浮上し、診断確定には更なる検査を要するためイギリスの専門医の予約までは取り付けた。しかし重ねてウイルス性胃腸炎を引っ掛けたのがとどめとなり、1か月近く先の診察を待てず這うようにして日本に舞い戻った。帰国して3日と経たないうちに痛みの原因はヘルニアと確定。ただこれは過去2年に渡って受けてきた検査でほかの可能性を潰してあったからこその診断の速さだったとも思う。2度目の救急コールからひと月で体重を5kgほど落とした。体調を崩してからロンドンに戻るまでの3か月近くを、楽器を弾くことはおろかPCを立ち上げることもできずほとんど横になって過ごした。
博士論文の提出は半年近く遅らせることにして、伴って学生ビザも苦労して延長手続きをし、2023年明けてロンドンに戻ってからは生活の全てを投げ打って論文の仕上げに徹した。その半分は布団の中で書いたと言っても過言ではない。出かける用事があるときはその前後に多めの休養を要し、体力が追いつかなくて寝るしかない時間も多く、万全でない体を最大限に使って何とか7月に提出した。夏の一時帰国のフライト当日の未明のことだった。
その夏日本にいる間は友人を誘ってヴァイオリン・ソナタを1曲録音したが、実を言えばソナタを全楽章通して弾き切ることにすらそのときは不安があった。でもそう口外することも躊躇したのは、そして今だから語れるのは、あのときは自分が復活する自信を持ちきれなかったからだ。録音をしてみたら思いがけずちゃんと弾けて安堵したが、共演者がいたからというのもあるし、これだけのことがあった2年間、研究材料として、そしてYouTubeを口実として個人的な録音だけはコンスタントに続けていたので、それは助けになった。録音の直前だけやっつけ仕事のように楽器を触るのは後ろめたかったが、触らないよりマシだと思った。
以降もヘルニアは痛むので、うまい折り合い方を探して現在も模索は続く。少し飛んで2025年5月のヘルシンキへの学会旅はわたしにとって挑戦的であったし、実際学会中日はあまりにヘルニアが痛み途中で断念して宿に帰った。
話を2023年に戻すと、腹は痛みつつ、食べるものに相変わらず神経質になりつつも、2023年秋、わたしは博士論文の口頭試問に臨んで修正を伴う合格となった。2023年11月のオーケストラの本番は実に1年ぶりの舞台だった。連日のリハーサルを乗り切って、このお腹でもできたという小さな自信を得る。2024年3月、論文の修正を何とか仕上げて期限間近の学生ビザを何とか卒業生ビザに書き換えた話は昨年のブログに詳しい。
散々悩んでのビザ取得だった。申請するときに実家の14歳の愛猫の顔がよぎった。でも結局、先人たちの「帰ることはいつでもできる、ビザ申請は機会が限られる」という言葉はその通りだと思ってイギリスでの生活を続けることを選んだ。審査結果が届く頃に実家から最近猫の具合が芳しくないと知らせがあり、「会えるうちに会っておこう」とビザを受け取り次第日本へ飛んだ。そしてわたしの飛行機があと数時間で羽田に着く頃、猫ががんを告知されていた。
猫との闘病の7か月間の詳しくは別に項を立てると思うが、ここでも少し触れたい。愛猫の死はわたしにとって初めての身内の喪失だった。当初2週間の滞在のつもりで帰ったが、そこから猫の抗がん剤治療を決心、「最初の1か月が投与の頻度が高くて���変」という獣医師の説明を受け、わたしはロンドンへの戻りの便を遅らせて治療の最初を伴走した。その6週間は永遠にも感じられる時間で、その間に死なないとも言い切れない病状で、変更した航空券を使えないことがあるかもしれないと覚悟していた。
ロンドンに生活を残したまま、わたしは全てを投げ打っても完全帰国すべきか迷った。腹を決めてビザを得たつもりが、いきなり散々悩んだ末、わたしは結局ロンドンに戻ることを決めて目の前の数週間を夢中で過ごした。愛猫が死んだあともわたしは生き続けねばならない。そして何かを諦めたことを猫のせいにしたくなかった。猫が気の毒だ。
投薬直後の猫は終日誰かの付き添いが必要で、夜中にイギリス時間でオンラインレッスンをしたあとから朝までの時間帯はわたしが担当した。家族3人で24時間を回すのも体力的にキツかったから、その後わたしがイギリスにいる間は夜のほぼ全てを母が看たことを思うと言葉にならない。そして日本の田舎にいる間、車を持たないわたしの行動範囲はほとんど自宅と動物病院の往復のみ。SNSで人の動向を見るのが辛くて目を背けた。そのときは気持ちも卑屈になっているので、「遊びに誘われても煩わしい」と思って日本にいることすらもひた隠しにした。世界がとても遠く感じられた。
こうなると本番どころではなく、先の予定を入れるのは怖かった。演奏会なんぞ企画した日にはキャンセルのリスクを負う自信もなく、引き受けたら穴を開けられない演奏の仕事を入れてうっかり最期に立ち会えなくなるのも恐ろしい。未来の日付を見るとその頃まだあの子は生きているだろうかと考えてしまいても立ってもいられなくて、目の前のことしか見たくなかった。指導教官に勧めてもらった学会の締切も忘れる勢いだったが、先生はわたしの様子から何かを感じ取ったのだろうか、締切ぎりぎりで連絡をくれて、さらに申し込みのプロポーザルの添削を買って出てくれたので甘えた。結果として秋にノルウェーの学会に招待されたが、自分ひとりではなし得なかった。
2025年6月半ば、ロンドンに戻るや否や論文の製本を発注して滑り込むように7月の卒業式に間に合わせた。猫の隣で準備したエルガー『カラクタクス』序曲は忘れ難い。1週間前までは家のロフトで治療中の猫をほかの猫から隔離しながら過ごしていたわたしが、ロンドンの地でコンサートマスターの任務を果たしていることが不思議だった。どちらにも夏至目前の強烈な朝日がただそこにあったことが思い出される。そして父親が来るはずだった卒業式には、代わりに大家さんが来てくれた。
博士号取得なんてめちゃくちゃめでたい場面なのに、わたしの心はまったくめでたくなかった。想像よりもずっと大きな不安を抱えて踏み出した社会人の一歩は、変わらずにわたしを信じてくれた生徒の存在に支えられた。その後年末までに2回ほど日本に戻った���期も含めて、わたしが日本にいるあいだは辛抱強くオンラインレッスンで待っていてくれた生徒たちは、誰1人欠けることなくその日々の最後まで付き合ってくれたのだった。
願掛けのつもりで12月に東京行きの飛行機を予約し、それでも何かあればすぐ飛んでいく覚悟��四六時中携帯を握りしめて過ごした。猫には会いたいけれど“最後のフライト”がなるべく遠くあってほしい。リンパ腫の転移が疑われて胸水に怯える秋、10月の学会まではもってくれ、11月下旬のオケの本番まではもってくれ、と祈りながら恐る恐る入れた予定を遂行し、ロンドンで社会人1年生として不器用にも懸命に過ごして年末を待った。
結果として飛行機は2週間ほど早めることになったものの、当初宣告された余命からはかなり粘っていた。何の因果か彼(猫)はわたしを、わたしの誕生日に呼び寄せた。仕事の全てを放り出して駆けつけたわたしは、最期の1週間を一緒に過ごして、冬至が迫ったある朝、太陽が顔を見せる前に自分の膝の上で看取った。西の空に三日月が残っていた。
彼(猫)の葬儀を終えて、ロンドンに戻る便を待ちながら手持ち無沙汰になったところで、開催を決意したのが先日2025年5月のリサイタルだった。輪廻転生的なことで起こる再会はあまり信じていないが、ヴァイオリンの練習をわたしの足元で聞くのが好きなあの子だから、ヴァイオリンさえ弾いていれば音が届くかもしれない。そのまま呆然として退屈な年末年始を過ごすこともできた。でもここで立ち上がらなかったら2度と弾けなくなる気がした。
年末からほんの5か月で会場確保から告知宣伝とリサイタルにしてはずいぶん急ごしらえだったが、企画とレパートリー自体は何年も胸の内に温めていただけあって準備は間に合った。それこそ2時間のソロのプログラムをすること自体も6年ぶりで、技術的にも体力的にも不安なまま当日を迎えたのが本当のところだ。でも流れに身を任せるように弾いていたら、気がつくと最後の曲まで到達していた。1年前、あの子(猫)が余命宣告された頃に、思い出作りのために映ってもらった動画で弾いた、あの曲。
猫の最期に駆けつけた頃、わたしのメールボックスには2025年5月の学会の招待や研究領域での執筆の話が届いており、まるで何かわたしを現世に引き戻す力が働いたかのようだった。博士号を取ったときには、愛猫のいない未来を悲観する気持ちも重なってバーンアウトを感じていたが、「内からのモチベーションはまだ枯渇しているけれど、先生が学会の申し込みを後押しして��れたり、こんな話があったりして、ひとまず外から来たものを受け入れて波に乗ってみる時期があっても良いのかなと思って」と2025年の年明けに戻ったロンドンで指導教官とお茶をしながらこぼしたら、先生は「博士号のあとバーンアウトするのは当然のことだし、まほはよくやってるよ」と微笑んでくれた。
2020年春から本番を待ち続けたレパートリーを披露する会としてのリサイタルと、猫を思いながら過ごした日々に応募した学会を終えて、さらに昨秋の学会の成果物としての査読論文の修正をして、過去の自分からの宿題を果たした5月・6月だった。これが終わったら本当に燃え尽き症候群になってしまうのではないかと危惧もしたけれど、むしろリサイタルをより発展させたいというモチベーションが湧き、初めてだった査読論文の経験を得てもっと書きたいという気持ちにもなった。まもなく猫を泣く泣く置いてまで参加したオーケストラの本番から1年、同じ楽団の今年の夏のコンサートが迫る。
体の悲鳴を無視してでも駆け抜けようとした20代だったが、その最後でブレーキを踏まざるを得なくなったことで自分の持つマチズモみを自覚しながら30代が始まった。必要なふんばりは目の前の無理をすること以上に、無理が効かないときでも何とか未来の自分にバトンを渡すことかもしれない。そしてほんの少しではあるがケアの立場を経験して、大人というのは他者のケアを担える人を言うのかもしれない、と思った。
0 notes
unti2soil · 2 months ago
Text
Tumblr media Tumblr media
映画「かば」&「うんちから土へ」北関東ツアー
《茨城県》
・つくば市立市民ホールやたべ 【視聴覚室】
(茨城県つくば市谷田部4711)
◯5月13日(火)
オープン 11:30
①12:00~14:15(かば)
②14:30~15:10(うんちから土へ)
③15:30~17:45(かば)
④18:00~18:40(うんちから土へ)
⑤19:00~21:15(かば)
〇5月14日(水)
オープン 10:15
①10:30~12:45(かば)
②13:00~13:40(うんちから土へ)
③14:00~16:15(かば)
④16:30~18:45(かば)
⑤19:00~21:15(かば)
〇5月15日(木)
オープン 9:45
①10:00~10:40(うんちから土へ)
②11:00~13:15(かば)
③13:30~15:45(かば)
④16:00~16:40(うんちから土へ)
⑤17:00~19:15(かば)
《群馬県》
・昌賢学園まえばしホール 【第1第2会議室】
(群馬県前橋市南町3丁目62−1)
🎥5月16日(金)
オープン 15:45
①16:00~18:15(かば)
②18:30~20:45(かば)
《埼玉県》
・熊谷市スポーツ・文化村 くまぴあ【創作ルーム402】
(埼玉県熊谷市原島315)
◯5月17日(土)
オープン 12:15
①12:30~14:45(かば)
②15:00~15:40(うんちから土へ)
③16:00~18:15(かば)
④18:30~20:45(かば)
〇5月18日(日)
オープン 9:45
①10:00~12:15(かば)
②12:30~13:10(うんちから土へ)
③13:30~15:45(かば)
④16:00~16:40(うんちから土へ)
⑤17:00~19:15(かば)
《茨城県》
・取手市福祉会館 【3F 講座室A】
(茨城県取手市東1丁目1−5)
◯5月21日(水)
オープン 11:30
①12:00~14:15(かば)
②14:30~16:45(かば)
③17:00~17:40(うんちから土へ)
④18:00~20:15(かば)
〇5月22日(木)
オープン 10:15
①10:30~12:45(かば)
②13:00~13:40(うんちから土へ)
③14:00~16:15(かば)
④16:30~18:45(かば)
《栃木県》(かば のみ)
・宇都宮市文化会館 【第2会議室】
(栃木県宇都宮市明保野町7−66)
・5月23日(金)
オープン 16:00
①16:30~18:45(かば)
②19:00~21:15(かば)
・5月24日(土)
オープン 11:00
①11:30~13:45(かば)
②14:00~16:15(かば)
③16:30~18:45(かば)
④19:00~21:15(かば)
・5月25日(日)
オープン 9:45
①10:00~12:15(かば)
②12:30~14:45(かば)
《栃木県》
ラーメン山一
(栃木県鹿沼市西茂呂3-39-14)
🎥5月27日(火)
《群馬県》
・マシュマロ前橋 テント劇場
(群馬県前橋市下大島町547 有限会社宗長商会 内)
《時間》
・5月30日(金)
19:30~21:45(かば)
・5月31日(土)
18:00~20:15(かば)
・6月1日(日)
18:00~20:15(かば)
・6月2日(月)
18:30~20:45(かば)
・6月3日(火)
19:30~21:45(かば)
・6月4日(水)
19:30~21:45(かば)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「胴鳴り」https://donari.jimdofree.com/ 
「片袖の魚」https://redfish.jp/ 
「うんちから土へ」
3作品同時上映!!
「胴鳴り」
◯5月31日(土)
20:30~22:20
◯6月1日(日)
20:30~22:20
「片袖の魚」
◯6月2日(月)
21:00~21:35
「うんちから土へ」
◯ 6月3日(火)
18:30~19:10
◯ 6月4日(水)
18:30~19:10
-------------
スペシャルゲスト
川本貴弘監督
群馬県出身の俳優 石川雄也(藤岡先生役)
5月16日(金) 30日(金) 31日(土) 6月1日(日) 来場予定!
《東京都》
・町田市民ホール 【第2会議室】
(東京都町田市森野2丁目2−36)
◯6月6日(金)
オープン 15:00
①15:30~17:45(かば)
②18:00~18:40(うんちから土へ)
③19:00~21:15(かば)
〇6月7日(土)
オープン 10:15
①10:30~12:45(かば)
②13:00~13:40(うんちから土へ)
③14:00~16:15(かば)
④16:30~17:10(うんちから土へ)
⑤17:30~19:45(かば)
《千葉県》(かば) のみ
・アミュゼ柏
(千葉県柏市柏6丁目2−22)
🎥6月8日(日)
(かば) のみ
時間未定
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
【参加費】
「かば」
一般・大学生 1500円
高校生 1000円
中学生500円
小学生以下無料
~~~
「うんちから土へ」
一般・大学生 1000円
高校生 500円
中学生以下 無料
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
《映画うんちから土へ》
埼玉県所沢市糀谷にあるオギノエンファームは、明治から続くお茶農家。
都会の喧騒から少し離れた所沢。 プラタナスの木が目印のこの場所では、 人と共にヤギやヒツジ、ニワトリ、アヒル、 イヌ、ネコがおだやかに暮らす。 5代目の荻野茂喜さんと家族は、 1990年から有機無農薬栽培に挑戦。 無農薬のお茶や野菜、味噌づくりなどを通じ、 動物たちと共に無農薬無化学肥料で循環農法を追求。
環境にやさしい持続可能な農業のヒントと 自然と共にある暮らしがぎゅっと詰まった短編ドキュメンタリー。 ぜひスクリーンで一緒に体感しませんか?
2025年/40分 
登場:荻野茂喜、荻野克江    オギノエンファーム    オギノエンファームに集まる人々    
監督:小杉えいぞう
撮影・編集:ヘアリーベッチ小杉
製作:電影工房 円環
~~~
《映画かば》
youtube
1985年、大阪西成。何にも動じず、何にも屈しない、伝説の教師(たち)がいた! 2万人以上が完成を待ち望んだ、実話に基づく《'80s 熱血青春エンタテイメント》!
山中 アラタ / 折目 真穂 / 近藤 里奈 / 木村 知貴 / さくら 若菜 高見 こころ / 石川 雄也 / 牛丸 亮 / 安永 稔 /八尾 満 / 松山 歩夢 / 冨士田 伸明 大橋 逸生 / 八松 海志 / 速瀬 愛 / 島田 愛梨珠 / 辻 笙 / 辻 音色 / 趙 博 / 皷 美佳 山本 香織 / 竹田 哲朗 / 浅雛 拓 / 髙橋 瑞佳 / 白善 哲 / 徳城 慶太 / 川上 祐 / 西山 宗佑 島津 健太郎 / 中山 千夏 / 四方堂 亘
1985年、バブル景気を迎えようとする日本に、世の中の矛盾が集まったかの ような地域があった。 大阪西成区。出自、偏見、校内暴力、すさんだ家庭……過酷な環境のなかで よりよい明日を夢見て、悩み、苦しみ、しかしたくましく自分たちの生き方を 模索するたくさんの子どもたちがそこにはいた。 彼らと向き合い、正面からぶつかった実在の教師、蒲益男(かば・ますお)の 生き方を描いた感動の物語。
Tumblr media Tumblr media
1 note · View note
tabilist · 6 months ago
Text
【栃木】那須町「那須別邸 回」
【かりそめ天国】栃木・那須町 取材NGの隠れ家高級宿『那須別邸 回』北関東の冬グルメ&極上宿で頂上決戦!2025/1/10放送 〒325-0301 栃木県那須郡那須町湯本206 #かりそめ天国 #マツコ #マツコ・デラックス #有吉弘行 #U字工事 詳しく見る↓
那須別邸 回 喧騒から離れ、静かに時を過ごしたい大人のための隠れ家のような旅館リゾート 住所 〒325-0301 栃木県那須郡那須町湯本206 TEL 0287-76-3180 ホテルを予約 那須別邸 回 ホテルを予約する 【那須別邸 回】の空室状況を確認する – 宿泊予約は[一休.com] 那須別邸 回 2,000坪の敷地佇む全9室のオールスイート宿で、原点回帰を体感 一休.comをcheck!
0 notes
singamindscape · 6 years ago
Text
Tumblr media Tumblr media
静寂の中の
喧騒
.
雑踏の中の
沈黙
.
耳の聞こえぬ
画家が聴いた
それらの音は
窺い知れないが
.
絵を通して
空気を介さず
心に直接響く
音色がある
.
.
2019.8.16
.
美術館巡りの小旅行。14歳の時に聴力を失った画家、松本竣介が遺した作品を観に来ました。
.
浅川コレクションの世界展
@足利市立美術館(栃木県足利市)
.
ベストコレクション展
@大川美術館(群馬県桐生市)
7 notes · View notes
release-info · 6 years ago
Photo
Tumblr media
栃木県宇都宮市にある若山農場は日常の喧騒を離れてリフレッシュできるおすすめな場所です。 東京ドーム5個分の敷地に鮮やかな緑の竹林トンネルが続きます。 お~いお茶のCMのロケ地になったことでも有名な場所ですね。 ただ深呼吸をしながら散策するのも良いですがお抹茶セットを頂きながらまったりとするのもおすすめな過ごし方です。 https://s.jalan.net/2GvAmQ1 #栃木 #宇都宮 #観る #観光 #癒し tags[undefined] http://bit.ly/2IInrvS
0 notes
duffffwwwww · 8 years ago
Text
矢のように過ぎたあの日
活気があふれる空間は,そこにいるだけで元気がもらえる.
上野で,はしご酒をした.大学時代の後輩とだ.後輩は,実家が茨城で栃木に就職した.その中間地点にある上野が,二人が会うにはちょうど良い場所だった.
集合時間は,13時.駅前のこぎれいなに整ったスペースから信号を渡り,路地に入る��,意外にも多くの人でごった返していた.そういえば,今日はGW初日だったと振り返ると分からなくもないが,大の大人が4,5人で列をなして歩いているのだから,なんとも元気な通りだと思った.
私はいつも遅れて到着する.この日もそうだ.別の後輩からは,「先輩に時間を伝えるときは,他の人よりも30分ほど早めの時間を伝えてちょうどいい」と言われたことがある.会う人によって,臨機応変に対応することができる優秀な後輩だ.それに甘える.立て看板に隠れるように立っていた後輩に,簡単に挨拶を済ませ,店へと向かう.
地下に降りると,外の喧騒同様に,ゲラゲラと笑い声をあげながら顔を真っ赤にしているおじさんたちが,食事を楽しんでいた.飲み放題のお店だから,みんな思い思いの酒を注いで,「数年前はあれがあった」だとか「車を買い替えた」だとか,談笑している.今から自分も仲間入りしよう.予約した席に着くと,さっそく生ビールをジョッキグラスで2杯ほどあおった.後輩は,梅酒.甘いのが好きなのだそう.ロックで飲んでいる.私は,後輩のこういうところが好きだ.
就職したばかりだから,後輩にはまだ仕事の愚痴がたまっていないのかと思ったら,案外たまっていたようで,口を開いてから,止まらない.相槌を打ちつつ,ビールやお茶割,ハイボール,水割り,日本酒を口元に運ぶ.うまい.
安売りの店はコスパはいいものの,その分,モノにはこだわらない.背もたれもなく少し傾いた椅子に座り続けるのにはしんどくなってきた.ここいらで,店を変えようと,外に出る.15:00ごろになっていた.変わらず,それどころか,さらに往来が激しくなっているようだ.
それから数件,ビール専門店・HUB・もんじゃなどを賞味しつつ,道端の香水をかいだりと,恍惚の表情を浮かべながらゆらゆら千鳥足で町中を闊歩した.後輩も同様である.空気と肌の間に熱いどろりとしたものをまとったような感覚を味わえるのがはしご酒の魅力だ.まるで桃源郷を歩くかのよう.
話す内容も,仕事の話や色恋沙汰,そうかと思ったら人生論など話は尽きない.尽きなかったと思う.この辺から記憶はあいまいだ.
ふと気が付くと,時計は21時ごろを指していた.夢のような時間はおしまいだ.自宅に帰らなければならない.自分ばかりが楽しんでしまったのではないかと後輩に目��せをすると,なんだかとても幸せそうな笑顔を浮かべている.また,行こうじゃないか.
4 notes · View notes
esthe-zukan · 8 years ago
Link
Tumblr media
日本人セラピストによる完全個室のアロマリラクゼーションサロンです。 真心こめたおもてなしでお身体の疲れを取り除くのはもちろん、心にも極上の癒しをご提供いたします。ぜひ当店で日常の喧騒を忘れた贅沢なひとときをお楽しみくださいませ。
0 notes
notakako · 8 years ago
Text
矢のように過ぎたあの日
活気があふれる空間は,そこにいるだけで元気がもらえる. 上野で,はしご酒をした.大学時代の後輩とだ.後輩は,実家が茨城で栃木に就職した.その中間地点にある上野が,二人が会うにはちょうど良い場所だった. 集合時間は,13時.駅前のこぎれいなに整ったスペースから信号を渡り,路地に入ると,意外にも多くの人でごった返していた.そういえば,今日はGW初日だったと振り返ると分からなくもないが,大の大人が4,5人で列をなして歩いているのだから,なんとも元気な通りだと思った. 私はいつも遅れて到着する.この日もそうだ.別の後輩からは,「先輩に時間を伝えるときは,他の人よりも30分ほど早めの時間を伝えてちょうどいい」と言われたことがある.会う人によって,臨機応変に対応することができる優秀な後輩だ.それに甘える.立て看板に隠れるように立っていた後輩に,簡単に挨拶を済ませ,店へと向かう. 地下に降りると,外の喧騒同様に,ゲラゲラと笑い声をあげながら顔を真っ赤にしているおじさんたちが,食事を楽しんでいた.飲み放題のお店だから,みんな思い思いの酒を注いで,「数年前はあれがあった」だとか「車を買い替えた」だとか,談笑している.今から自分も仲間入りしよう.予約した席に着くと,さっそく生ビールをジョッキグラスで2杯ほどあおった.後輩は,梅酒.甘いのが好きなのだそう.ロックで飲んでいる.私は,後輩のこういうところが好きだ. 就職したばかりだから,後輩にはまだ仕事の愚痴がたまっていないのかと思ったら,案外たまっていたようで,口を開いてから,止まらない.相槌を打ちつつ,ビールやお茶割,ハイボール,水割り,日本酒を口元に運ぶ.うまい. 安売りの店はコスパはいいものの,その分,モノにはこだわらない.背もたれもなく少し傾いた椅子に座り続けるのにはしんどくなってきた.ここいらで,店を変えようと,外に出る.15:00ごろになっていた.変わらず,それどころか,さらに往来が激しくなっているようだ. それから数件,ビール専門店・HUB・もんじゃなどを賞味しつつ,道端の香水をかいだりと,恍惚の表情を浮かべながらゆらゆら千鳥足で町中を闊歩した.後輩も同様である.空気と肌の間に熱いどろりとしたものをまとったような感覚を味わえるのがはしご酒の魅力だ.まるで桃源郷を歩くかのよう. 話す内容も,仕事の話や色恋沙汰,そうかと思ったら人生論など話は尽きない.尽きなかったと思う.この辺から記憶はあいまいだ. ふと気が付くと,時計は21時ごろを指していた.夢のような時間はおしまいだ.自宅に帰らなければならない.自分ばかりが楽しんでしまったのではないかと後輩に目配せをすると,なんだかとても幸せそうな笑顔を浮かべている.また,行こうじゃないか.
0 notes
tabilist · 9 months ago
Text
【栃木】日光「奥の院 ほてる とく川」
【#小泉孝太郎&#ムロツヨシ 自由気ままに2人旅】日光 サシ呑みで本音を語り合った高級お宿『奥の院 ほてる とく川』栃木・日光 2024/10/2放送 〒321-1415 栃木県日光市日光220�� #自由気ままに2人旅 詳しく見る↓
奥の院 ほてる とく川 四季折々の自然美と伝統的なおもてなしが融合した、まさに大人のための隠れ家 日光東照宮などの歴史的建造物や華厳の滝などの雄大な自然に囲まれたこのホテルは、喧騒を離れ、心身ともにリフレッシュできる特別な空間を提供している。 特に、客室露天風呂付きの部屋は、プライベートな空間で日光の澄んだ空気を満喫しながら、温泉を楽しむことができる。 住所 〒321-1415 栃木県日光市日光2204 TEL 0288-53-3200 ホテルを予約する! 奥の院 ほてる とく川 栃木県日光市日光2204 楽天トラベル じゃらん JTB 一休 るるぶ
0 notes
real-sail · 8 years ago
Text
陶芸の街、文化の街
Tumblr media
地元に益子町という陶芸の街があります、お正月には初市が開かれます 今年のお正月は、そんな益子の初市に初めて行きました
益子は習い事で週に一度通っていたのですが、それが日常になってしまったがゆえに、かえって観光地の部分に寄ることはなく何年もたっていました
行ったのは、まとめてあれこれ見られる共販センター 益子焼窯元共販センター|陶器市・陶芸教室・栃木県益子町|TOP http://mashikoyakikyouhan.jp/smp/ 街の中心部を通るメインストリートにはひしめくように窯元のお店が並びますが、共販センターはその玄関口にあって、様々な作家の陶器が販売されています
Tumblr media
見ていくと思っていたより安く、これはいろいろ揃えたくなります
Tumblr media
ひとつひとつ表情の異なる器は見ていて楽しいです
将来は益子焼のカップをいろいろ集めて、お客さんに好きなのを選んでもらってお茶を出すような暮らしをするって決めました
Tumblr media
そして帰りに甘酒ののぼりに誘われてみれば、300円で器つき、器は3種類から選べます 麹の甘酒はとてもおいしく、またこの器もゲットしちゃいました
0 notes
real-sail · 9 years ago
Text
僕の世界地図の下書き
Tumblr media
朝井リョウの『世界地図の下書き』を読んだ
最初の章から涙を抑えられなかったが、ページをめくる手も止められない
特に本の半分より手前の辺りからは一気に読んでしまった
置かれた状況を受け入れることの難しさ 自分の気持ちを伝えられないことのもどかしさ 困難な状況に立ち向かうことの辛さ そして、時に、逃げる勇気
もし自分を守るために逃げるのなら 逃げることに勇気がいるのだったら それは弱さの表れではない
そんなすべての感情を包み込んで 人は前に進んでいく
そして世界は自分たちが思っている以上に ずっとずっと広いこと これからもいろいろな人に出会い 自分の世界は広がっていくこと
若ければ若いほど その事実に気づくことは難しいが そのことを理解することは ぐちゃぐちゃに混ざった感情を 整理することに役立つ
わたしは今、英語で楽典を学んでいる 日本では楽典のメソッドが学閥ごとに異なる
わたしの海馬には 母校式の用語が詰まっている 長年志望校とした母校の受験のために 丹念に刷り込んだからだ
その知識ひとつひとつに 新しい名詞を並べる
その作業はまるで 愛する母校で過ごした時間を 上塗りしているような気にさせることもある
実際、わたしは 上書き保存をしているのかもしれない
でも人は過去にしがみついたら 世界を閉ざしてしまう
わたしが今せっせと行う上書き作業は わたしの知識が 外の世界の人にも伝わるようにするための つまり わたしが広い世界に出ていくための儀式なのだ
0 notes
real-sail · 9 years ago
Text
田舎の映画館も悪くない
Tumblr media
過ぎし日の面影はどこへやら、
ドラえもんやハリー・ポッターでにぎわっていた頃が
もはや信じられないレベルに
さびれた感じの映画館、シネマロブレ5。
ところが都内でも数カ所でしか見られないような
マニアックながら良い映画を
数か月遅れでやってくれたりするんですよ。
そんな感じでいつだかも、
母がわざわざ東京に探して見に行った「冬の小鳥」という
韓国映画を地元で遅れて見られたりしたんですけども(観客4人)
先日は「黄金のアデーレ」を見てきました(観客5人)
美術品返還がテーマなんですけども、
要は戦時中にナチスによってユダヤの人々の宝物を
奪われてしまったことに端を得ていて
クリムトの有名な絵画の返還を求めて闘うお話です
でもって、法廷でがんばる若手弁護士が
作曲家アーノルト・シェーンベルクの孫
物語のクライマックスでシェーンベルク初期の傑作
「浄夜」がかかって泣けました
やっぱ「浄夜」ええ曲やわ
じゃなくて
しかし戦争のかなしみとは…
戦争前夜のまだ幸せな頃のウィーン、
ナチスが陥落させて後のウィーン、
そして現在のウィーンとを
行ったり来たりしながら物語が進みましたが、
ナチスの追っ手から逃れるシーンはマジで泣きました
0 notes
real-sail · 10 years ago
Text
ただの日記
Tumblr media
今日はめずらしくただの日記書きますね
今日の講義は2限から しかし昨夜の夜更かしがたたり今朝盛大に二度寝をかまし、余裕で起きたはずが結局ギリギリで電車に乗ることに
新幹線を降りたら新幹線���ームのエスカレーター独特の風にあおられ、髪が乱れまくります
まだ眠いなぁと目を瞬かせながら上野公園に出たら、友人Kちゃんに会いました 先日の新聞の日曜版が彼女の関心分野である添加物について特集していたので、渡す約束をし、別れました
学校に着くと今度は友人Sちゃんが Kちゃんの親友だけに、同じタイミングで会うとはさすが似るなあという感想を持ちました Sちゃんはきちんと三つ編みを施したヘアアレンジをしていて、風にあおられて乱れ髪な自分に内心苦笑しました
講義室には誰もおらず、窓を開けて酸素を確保、すると講義室に続けて友人Hくんが入ってきました わたしは教育実習に行っていましたので久しぶりに会いましたから、二三話題を交わします
講義を終え、午後の約束を待つべく練習室に行けば、友人4人が集まっていたのでひやかしに行きました 彼女たちが演奏している姿をパノラマ写真に収めたら、シャッターが手の動きより遅いので手がたくさん写ってしまいました
そこで急遽午後の約束がなくなったので、帰ることにしました お昼を調達し、新幹線の列に並んだら、前に先ほどの友人Hくんがいましたが、なんとなく気づかないふりをしてしまいました
車内はとても混んでいて、仕方なくデッキにいたら傍若無人なおじさんたちが現れて居心地悪かったです わたしがいざ降りる時も、わたしが中の座席を狙っていると勘違いしたのかわたしの前にわざとらしく立ちはだかるので、もう発車ベルが鳴っていましたから、無理やり前を突っ切って差し上げました
最寄り駅はひとつ先ですが、ここで定期券の更新を思い立ちます しかし今、明日からの定期を買ってしまうと今日今からの帰りが実費になってしまうと気づき、列を離れます
駅ビルでペンのインクなど、文房具を調達します ノートを選んでいたら携帯を落として、カバーが棚の下に入ってしまいました こんなことってあるのとうろたえながらも、棚の下段は引き出しだったのでうまいこと取り出せました
そして電車に乗りました そのまえにコンビニでリプトンのアプリコットティーがあったら買いたいなと思いましたが無かったので、最寄り駅を降りたら家の近くのコンビニに寄ることにしました
改札を出て、改めて定期券の更新です しかし今日までが在来線定期で明日からが新幹線定期という、説明は割愛しますが裏技を使っているせいで更新がややこしくなってしまい、まだ残っている定期券を放棄するために書類を書きました
Suicaの表の印字が薄くて読めないレベルになっていたのが、とても濃くなって返ってきたので、思わず「めっちゃ濃くなった!」と言ったら駅員さんはわりと笑っていました
歩いてコンビニに寄るもリプトンのアプリコットティーはなく、泣く泣くイチゴヨーグルトドリンクを買います
いざ家に着いてみたら、鍵が見当たりません 庭のテーブルでカバンを全部ひっくり返していたら野良猫が3匹も来て不思議そうに見ていました
所用で出かけていた母を召喚して開けてもらうという荒技を駆使してとりあえず家に入り、本気の捜索に入るも、なかなか鍵が見つかりません
果ては、鍵などを入れているポーチを実習中に一度ぶちまけたことがあるのを思い出し、高校に電話までしましたが、いよいよ見つからず焦ります
ところで実習にかまけて本やらプリントやらがとっ散らかっていましたからこの機会に整理します そうしたらとある空だと思っていたポーチの角から鍵が見つかりました
0 notes
real-sail · 10 years ago
Text
7日目の蝉
Tumblr media
虫苦手な方ごめんなさい
わたしわりと昆虫は大丈夫なタイプです。 田舎っ子なので様々な昆虫と親しみながら育ちました。 ちなみにミミズは直にはさわれませんが、かわいいと思うタイプです。
きのう、部屋で歯磨きをしていたら、バタバタッという音が聞こえました。
冷房をかけずに窓を開けていた自室、これは確実に外でセミがひっくり返って羽をバタバタ言わせている音です。
セミってひっくり返っちゃうとなかなか起き上がれないんですよ。成虫期間短いのにそんなことに時間使ってたらかわいそうだなと思って、歯磨きしながら救いに出たんですね。
太陽は真上から当たる時間。扉の外は、光で真っ白でした。
玄関の戸を開けたところすぐに彼は案の定ひっくり返っていて、うちの庭をよくうろうろしている猫ちゃんにからかわれていたみたいです。猫ちゃんはわたしにびっくりして離れていきました。
見ると、さっきまでバタバタ言っていたのに、今は静か。でも足が動いているので生きてはいるようです。羽、痛めてしまったのかなと思って見ましたが、折れたりはしていませんでした。
さすがにいきなり触るのは気が引けて持っていた歯磨き粉のチューブでセミくんをひっくり返そうとするも、どうもビニールではすべってダメなようです。仕方なしに指を差し出したら、すがりつくように彼はわたしの指を掴みました。
そのまま手を挙げると、セミくんはまだしがみついたまま。わたしの指をつたって歩いているので、ほれほれ、腕じゃなくて木に行きなはれと木でできた庭のテーブルにセミくんを置きました。
ところが彼は何を誤ったか、フラフラと歩みを進めたら、テーブルの、パラソルを立てるための穴に落っこちかけたんです。かろうじてテーブルにしがみついたものの、もがいています。
やれやれ、軽く引っ張ってみても不安がって足をテーブルに強くかけたまま。相変わらず歯ブラシをくわえたまま奮闘。その様子を先ほどの猫ちゃんが少し離れたところからじっと見ていました。
いろいろ試した結果、穴の下に手を差し出して受け止めることに。それでも言葉は伝わらないので彼はなかなか降りてきません。穴にまた人差し指を差し出したら、彼は再びしがみついてきました。
セミくんごと、指をそっと穴から抜き出すと、彼はほっとしたようにまたわたしの指をつたいました。
指の先に、その辺に落ちていた枝を出したら、枝に移ってくれたので、今度は枝を近くのオリーブの木に立てかけたら、彼は枝をよじ登って木に移ったところで、落ち着きました。
そこで止まったので、先ほど猫ちゃんに羽でもやられてないかと顔を近づけてみたら、彼の右前足は、途中までしかありませんでした。だから不器用に歩いていたんだ。途端、堪えきれないものがわたしのアイラインに浮かびます。
猫ちゃんの名誉のために言うと、きっと猫ちゃんの仕業ではありません。あの丸い手で、あの細い足だけを傷つけるのは無理ですから。
でも、彼には羽がある。きっと生きてね。たった7日間の地上生活なのだから、しっかり生きてね。そう心で呼びかけて、わたしは家の中に戻りました。
あまりに悲しくなって母に顛末を話したら、虫さんは大丈夫だよ、足がそうなってもどうにかして行きていくから、と慰められ、ふと母が外を見たら、「あ、セミさんまだ木に止まってる」と。「あそこで少し休んだらきっと大丈夫。」
数時間後。母が夕ご飯の買い物から帰ってきて言いました。
「まほちゃん、あの子、今日が最後だったみたい。」
「セミって、どうやって死ぬの?」
「地面に、パタリと。」
彼はオリーブの木のふもとにいたようです。
「あの子、最後にまほちゃんに助けられて、木に止まって死ねて、きっとよかったんじゃないかな。」
そう思うのは人間のエゴでしょうか。そう、思わないと、なかなか生きていくのが難しい世の中でございます。
0 notes
real-sail · 10 years ago
Text
ぼくらのバレエ発表会
Tumblr media
演奏会があって『くるみ割り人形』組曲の練習をしているのですが
その昔バレエをやっていました わたしはとことん運動神経がありませんが、意外にも体を動かす習い事をしていたもので、それは小学生の間ずっと続けていました
でもすっごく下手だったんです
小学4年生の時の発表会の演目は『くるみ割り人形』 年齢やレベルで分けられた各クラスごと���組曲の各曲を踊るのです
わたしのクラスは人数が多かったので、半分は「葦笛の踊り(SoftBankのCM)」、わたしのいるもう半分は「アラビア(コーヒー)の踊り」でした
ロシアやカザフスタンから先生を呼んでいたので、3か月ごとに先生を交代していて、
振り付けはわたしが初めてバレエを習った優しい優しいエレーナ先生(名前間違ってたらごめんなさい、仮名ってことにしといて)でしたが、
先生は発表会の2か月前に期限が来てしまったので、直前は前の年にも来てもらったビエラ先生が教えてくれました
エレーナ先生はかわいくってとっっても優しいので大好きでした、 反対にビエラ先生はほんとに美しいのですがおもっきり怖くて、できの悪いわたしはいつも怒られてばかりでした
アラビアの踊りチームが、初めてビエラ先生に見てもらった時、わたしを含め、メンバーの半数が振りを覚えていないことが発覚しました
エレーナ先生がいつもお手本を見せながらレッスンしていたので、我々はちょっと甘えていたのですよね、覚えた気でしたが、エレーナ先生がいなかったら全然踊れませんでした
ビエラ先生は激怒、わたしは泣きじゃくるし、お母さんたちも深刻な顔をしているし、末期だと思いました
いっぱい怒られたあとで、ビエラ先生は「忘れてしまったものはどうしようもないから、新しい振りを考えよう」と、新たな振り付けをして、
ちょっとおっとりしていたわたしなんかをバシバシスパルタ指導でお尻を叩き、ていうか姿勢悪すぎてリアルに背中叩かれましたが、本番まで持っていってくれました
ちなみに先生方は日本語が話せません たまにロシア語しか話せない先生もいるくらいでした
ビエラ先生は英語もできましたが、日本語を一生懸命覚えて、片言ながら指導してくれたのをよく覚えています
当日のリハーサルでは、とてもよいからがんばってとわたしたちを励まし、本番の最中はずっと袖に張って、出る時はエールをくれたし、はけた時には「今、一番ヨカッタ(日本語で)」と言ってくれ、
そして本番の後で、数十人はいる生徒ひとりひとりに声をかけてくれました
とりわけできの悪かった子(わたしとか)には、
「本番までほんとにがんばったね、いっぱい怒っていっぱい叩いてごめんね、真帆ががんばってくれてわたしは本当に嬉しい、今日はすばらしかった」 (確か英語だった、当時のわたしの貧弱なボキャブラリーでも思いがビンビン伝わってきた、たぶん簡単な英語で話してくれたんだと思う)
と涙ながらにハグをしてくれて、人前で泣くのが嫌いなわたしが、化粧を落とす勢いで泣きました
あの無償の愛のある厳しさは、バレエをやめて何年たっても忘れられません
言うて本番だって、うまい子に比べたらきっと断然下手だったんです でも���エラ先生がほめてくれたことが、何よりも嬉しかった
アラビアの踊りを耳にすると、今でもあの暑い夏が思い出されます
今のわたしは、あの頃の自分に恥じないくらい、ちゃんとがんばれているだろうか
時々あの夏を思い出しては、自分の怠惰ぶりを恥じる限りです
0 notes
real-sail · 10 years ago
Text
とりとめのない記憶
Tumblr media
加工なし。
午前10時過ぎ。地元のターミナル駅です。 乗り換えながら、所用を済ませに途中下車。
駅前のバス停に止まる中型バス。 たくさんの若い子が乗り込んでいきました。大概の子がリュックでした。
ゆえにてっきり大学生かと思えば、「オープンキャンパスはこちらです。」という案内の声が聞こえて、あれ、オープンキャンパスって私服で行くのか、と思ったり。
考えてみたら自分はオープンキャンパスに行ったことがないのでした。
数か月越しで、硬貨を扱えるATMに行けてすっきり。急ぐ用事ではないからタンス貯金していましたが、やはり手元に置くと使ってしまいそうで怖いのです。
大量硬貨が発生したのは、あの時のコンサート。もうずいぶん遠い感覚を覚えながら、駅に戻ります。
この駅は、正確には自分の地元ではないけれど、幼稚園の最寄り駅はこの駅で。だから西口の風景はいつも、ちょっとだけ幼稚園やその時代に思いを馳せる瞬間です。
あの頃から、その前からずっと変わらずにあるコーヒー屋さん、パン屋さん、食堂。あの頃はなかったビジネスホテルやドンキホーテ、コンビニ。
駅前のマンションに、昔公文式の教室がありました。わたしは物心がついた頃から通っていたので、街の変化はずっと見つめてきました。
その中で忘れられないのが、マンションのふもとにある、古いレストランです。
それに気づいたのは、母とはマンションの前で別れて、ひとりで教室に行くようになった頃。
教室がある4階の通路に、ところどころあるガラスから下が見えました。もう少し大きくなると手すりの上から見られました。
もう当時すでにレストランとしては機能していなかったのかもしれないけれど、その建物は確かにレストランで、食品サンプルが並んだショーケースが表にあって。古びた建物にはどうも人が住んでいるようでした。
きっと昔この街の洋食文化を支えたんだろうな。でもその末路にしてはずいぶんさみしさを感じさせる風貌で、背の高いマンションやビルの真ん中に埋れているように見えました。
わたしが見つめていないと、誰も覚えてられないんじゃないか。そんな感覚すら持ちました。
ある日。課題を終えて帰ろうと外に出ながらやはり下をのぞいたら、めずらしくレストランの住人がせわしなく門と家の間を行き来していました。
週一通いの公文式。翌週また下を見たら、レストランだったはずの建物は、跡形も無くなっていました。
公文式は中1でやめましたが、大学に合格した時に、お世話になった先生にご報告をしようと思って、母とマンションの4階に赴きました。
ドアには公文式の看板がかかっているはず��のに、何もありません。インターホンを押しても誰も出ません。
どうも様子が違うということでとりあえず退散。もちろん、マンションを後にする時に、わたしは下をのぞきました。あのレストランのように教室が消えていたらどうしよう。
帰宅してから先生のご自宅にお電話してみたら、その先生が運営していた3つの教室を合併させて、新築したご自宅に併設し、そこで毎日教室を開いているとのことで、とても安心したものでした。
0 notes