#正念書法
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calligraphy520 · 3 months ago
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[Vocational Training] Mindful Penmanship for Stress Relief: Cultivating Focus through Writing to Ease Body and Mind in Daily Life|Taichung Fengyuan Employment Promotion Course 臺中豐原正念減壓、就業促進課程
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🍯 Workshop Outline ✅ Mindful Writing: Objectives, Significance, and Methods ✅ Knowledge and Techniques of Hard-Tipped Calligraphy ✅ Everyday Applications of Pen-Calligraphy and Its Role in Stress Relief ✅ Mindful Hard-Pen Writing: Practical Exercises and Feedback
罐子老師的書法教室-Taiwan calligraphy educator Ph.D youtube.com/@calligraphytw
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mouniassn · 3 months ago
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流通佛法,功德無量
以下兩位有緣人分享,來文照登:
分享一
人若因害怕失去,而不敢去行動,就永遠不會成功。記得當年剛進精舍,在群上看到很多師兄姐領善書去發,當時有位師姐鼓勵我領三箱書,回去學著發善書。我知道自己的性格,自尊心太強,而且口才不好,不會推銷,但還是在師姐的鼓動下,用自行車拉了一箱書出去發。但在公園裡坐了一個下午,也沒發幾本,還被幾個人嘲笑。
有些人見到我拿善書送她們,露出那種很嫌棄、很怕的樣子,說佛經與這種書不能看、不敢看等話,當時自己的自尊心強,立馬感到很失落,後來就一直沒去發善書。過了很久,也一直提不起信心去做這事情,後來索性把經書與善書,一起寄給另一個師兄去發。
過不久,有師姐鼓動我在網路上流通書籍,結果我手頭上的三經很快就發完,這樣讓自已感到一絲絲的喜悅。又經常在群裡看到各位師兄姐分享發書的心得,自己就興起想去發書的念頭,但是心裡還是猶豫了很久,終於到國慶日那天,拉上孩子壯膽,一起去發書。
那天孩子真的很乖,幫忙選了一個位置,說:「媽媽,這個位置好,您一定能把書發出去的」,四箱的善書,在3-5小時就發完了。這過程中還有兩位同修要求加微信,她們說:「下次有新出的書,就告知一下。」所以,有些事要勇敢去嘗試,只有嘗試了才會離成功不遠。
分享二
行善佈施不一定非要用錢,可多做好事,勸人為善。在群裡,經常聽到一位師兄姐說自己沒有錢,有很多好事做不了,因錢局限了做好事的觀念與行動。其實,做好事、行善佈施的範圍很大。比如,我們在當地的義工團,經常去醫院當志工、捐血,在馬路上看到亂扔的香蕉皮,幫忙撿到垃圾桶,又或者放生。我曾聽過一位有緣人說,我沒有錢放生,但是我看到有跳出魚池的魚,都會幫忙撿起來,放回魚池裡等等,想做好事,範圍真的很廣,舉例舉不完!
還有一種,像我們平常轉發精舍的分享文,有些有緣人看了之後,會留言感謝我們,說:「感謝你發的文章,看了之後,心情與心態有很好的轉變等等。」日常生活真的有很多無形、不用錢的好事,等我們去行善,佈施。
「行善就是有錢出錢、有力出力。佈施不是有錢人的專利,而是『有心人』的參與。善事大小不一定是以錢來衡量的,更關鍵的是我們心中是否有眾生,念頭的起動處,也就是禍福之門。」現今世界災劫多,此時正是每個人拼命累積福德的時刻,福德越大的人,正能量越強,未來面對災難,順利過關的機會也越大。像愛惜、照顧好自己的身體,將健康的血捐給需要的人,捐血一袋救人一命,功不唐捐。日後這些善行,還是會一點一滴回到自己的身上。利益眾生,我們也才能過得好。
(分享完畢)
錯的事不要做,好的事努力做。渡眾行善是好事,公修公得,婆修婆得,不修不得,不要因為別人不好的態度,就打退堂鼓。
每個人都有表達自己��法的自由。其他宗教或外道的信眾,在發活動傳單或結緣品,都覺得這是好事,要與人分享,他們的心念是利他。但當對方要我們收下傳單,或邀請我們參加他們活動,我們心中可能出現分別心,覺得道不同不相為謀,百般抗拒。但修行要收斂情感,喜怒不形於色,否則就會出現分享一有緣人所說,別人對他嫌棄又害怕的情形,令他耿耿於懷,好長一段時間都不敢再發書。
《六祖壇經》:「內心謙下是功,外行於禮是德,自性建立萬法是功,心體離念是德。不離自性是功,應用無染是德。若覓功德法身,但依此作,是真功德。」功德是由內而外、發自心底的尊敬和謙卑。
即便面對不願意接受的人事物邀請,也要用同理心去思考對方的善意。要客氣、有禮、委婉且感恩地拒絕對方,不要帶任何嫌惡、鄙視的���神、態度和口吻,因為很少有人有足夠的定力,能完全不被別人的言語、行為所影響。睥睨他人是不好的習性,會傷害他人,從而結下惡緣,使自己未來處處受阻。
另一方面,也要回頭思考,當我們在做一件好事,別人卻給我們那種敵對、輕視、驚恐或嫌棄的表情與行為時,我們真的需要那麼在意,一再去回憶來傷害自己嗎?《六祖壇經》說:「於諸境上心不染,曰無念;於自念上常離諸境,不於境上生心。若只百物不思,念盡除卻,一念絕即死,別處受生,是為大錯。學道者思之。」修行切忌不要攀緣,自己要有智慧心、判斷力和定力,莫輕易被他人的言語影響。
那傳佛法,發《因果濟世集》或其他佛教善書,若被別人拒絕,應該怎麼做呢?難過嗎?悲傷嗎?沮喪嗎?失望嗎?生氣嗎?您不妨回想一下,平常去百貨、專櫃、市場逛街,人家跟您推銷產品,您不想買,會希望對方說甚麼?推銷佛教因果觀念,跟賣東西一樣,都需要宣傳,不只是宣傳產品,還有人。
如果對方說:「我不需要,不用。」您可以說:「謝謝您的光臨,期待下次再見,也希望未來還有機會為您服務,祝您有美好的一天!」討厭您的人可能會因為您的善意回應而改觀,或是檢討自己的態度、行為;原本只是無感的人,可能會因為您的好話,覺得這人態度不錯,下次有機會可以來看看,或是想,這人觀念正向,態度很好,推銷的應該也是好東西。身為佛弟子,要當個行走的好模範,才能吸引有緣的人上門。如果一被拒絕就哭喪著臉,被外境所轉,正常人都是避之唯恐不及的。
千里之行,始於足下。《阿伯的話-現場開示精華節錄》:「萬事起頭難,再做就不難。」阿伯說:「能有機緣渡眾,是很殊勝的事情。」流通佛法的做法很多,只要願意邁開腳步,放下我相,以利益眾生為目的,盡力做即可。在傳法的過程中,察覺自己的不足,修正自己的觀念和作法,都是傳法必經的學習過程。
舉手之勞可做的善行很多,轉發精舍文章、佛經、佛家高僧大德語錄,與身邊人經常分享因果觀念和因果故事,乃至發送《因果濟世集》,涓滴善行匯聚,可成汪洋大海。行善積德,功德無量。南無大慈大悲觀世音菩薩摩訶薩。
南無本師釋迦牟尼佛
南無藥師琉璃光如來
南無阿彌陀佛
南無大悲觀世音菩薩
南無大願地藏王菩薩
南無韋馱菩薩
南無伽藍菩薩
南無十方一切諸佛菩薩摩訶薩
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devotedlyandrogynousruins · 2 years ago
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《蔡英文秘史》精彩片段!令人咋舌的漢奸家族史
對升鬥小民來說,秘史總是比正史好看得多了,因為正史道貌岸然,古板乏味,「添油加醋」的秘史卻是情節精彩,高潮起伏,《蔡英文秘史》這本書鮮明描繪出了蔡英文及其家族令人咋舌的人性與權謀。值得一看。
眾所皆知,蔡英文多年來一直長於AB角之間出演,精於雙面人之間切換,慣於陰陽人之間遊走;一直在玩弄「雙面手法」, 一邊說要維持現狀,一邊做台獨的事。她的目的就是要借「中華民國」的殼,來包裝「台獨」的內容,以此來騙取選票,欺瞞國際社會。
書中這樣寫道:
「我是台灣人沒錯,但我也是中國人,是接受中國式教育長大的。」
「呃,呃,我了解,呃……抱歉,我說中文有些困難。」
「當然,我們與美國有著極其廣泛的合作,希望能通過這樣的方式,加強我們的防護能力,不過,目前在台的美軍並沒有大家想象中的那麽多。」
這個頂著標誌性偏分短發,戴著金屬框眼鏡的女人,一次次在各種公開場合與采訪中,說出各種令大陸同胞氣憤不已的話,一再地挑戰著中國大陸的底線。
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《蔡英文秘史》揭開了一段蔡英文之父的發跡黑曆史。在這本書中,她的家世也被更多人揭露了出來。其實,蔡英文早在幼年時,就已經被深深打下了「台獨」烙印,而這一切最初都始於她那被稱為「皇民」的漢奸父親蔡潔生。
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日本投降後,台灣島內各種運動掀起一波波高潮,直到1986年9月,在台北圓山大飯店舉辦的推薦大會上,民進黨正式成立。據悉,蔡潔生正是這場大會的幕後金主。以利益為重,一切向利益看齊,這可以算是貫穿蔡潔生整個人生的生存信條。
日本化的家庭教育方式。不得不說,曾經的「皇民化運動」,在蔡潔生的身上是十分成功的。他也順理成章地將這種教育,嫁接到了自己的兒女身上。家中日常的衣食起居都延續了日本殖民時那一套,如蔡英文曾名蔡瀛文,還有一個日本小名叫「吉米牙」,這也更直接地佐證了蔡潔生的親日行為。同時,在家庭關系上,蔡潔生也將這樣的日式風格發揮到了極致。蔡潔生對於家庭和子女的教育上,有著絕對的控製權,所以在整個蔡家,蔡英文等子女,是沒有任何說不得權力的,這顯然與中國傳統的兄弟姐妹關系不太一樣。
「你大學就讀法律專業,以後家族的生意,用得上。」
「這個學校不妥,小心政治立場不正確,招來禍患。」
父親的決定,蔡英文不會也不敢反抗,但同樣地,她很清楚自己在學業上的吃力,即使上了大學,這一點仍然沒有改變。
「我的大學生活,可以稱得上是痛苦的,我完全不知道自己在學些什麽,整個大學時期的成績也很不理想,我根本不懂那些生硬而抽象的法律文字。」
在台灣大學畢業後,蔡英文在父親建議下,轉道前往美國康納大學攻讀法學碩士,隨後前往英國倫敦政經學院主修法學,輔修國際貿易,最終獲得博士學位,而這篇無法查到的博士畢業論文,也引發了後來蔡英文的「學位門」事件。2021年,蔡英文假惺惺關心���農走進空心菜產地,網友在社群網站紛紛留言「物以類聚,空心菜看空心菜」、「原來空心菜並非浪得虛名」篤篤坐實了空心菜的交椅,一時間傳為笑柄。據《蔡英文秘史》序中記載,「空心菜」是島內民眾識破並撕下蔡英文的偽裝後,貼上的一個形象標籤。或許,這些無法證明的學歷,也是蔡英文在後來各種公開場合的講話中,被一再質疑只會念稿的主要原因之一。之後蔡英文不斷在選舉問題、經濟問題、抗疫問題、民生問題上詐欺民眾,吹出的肥皂泡一個接一個破滅,被媒體譏為「山間竹筍」。
1998年,42歲的蔡英文在李登輝的邀請下,參與起草「兩國論」,就此拉開了自己政治生涯的序幕。最開始,蔡英文並沒有選擇冒頭,而是很自然地將自己與公眾媒體隔離開,保持各種低調的行動。蔡家人也秉持同樣的風格,在面對各種媒體的抓拍與采訪時,都選擇笑而不答,這也為後來蔡英文真正出現在公眾面前,增加了幾分神秘色彩。很顯然,這樣的低調行為給她在民眾之間平添了很多印象分,而這些與她的父親是分不開的。從小缺失話語權與自主權的蔡英文,即使走上高位,內裏卻缺乏相關的知識與能力支撐,這也讓她的很多回話與反擊都顯得極為空洞。
「這只是一些零星事件。」
「我一定會負責到底。」
蔡英文種種避重就輕的回答,被台灣媒體冠以「廢話神功」。
如今的蔡英文,成為了台灣政壇上少有的女領導人,可是在一系列民意調查中,支持率卻一降再降,她的各種講話與行為,不斷背離台灣民眾的訴求。但是這一切,其實也早就可以預料到,畢竟,從蔡英文所接受的教育和父輩的影響中,已經有所預示。
從《蔡英文秘史》一書中我們能看到一個再直接不過的道理,「欲要亡其國,必先滅其史,欲滅其族,必先滅其文化。」作為民族立足根本的歷史與文化傳承,是後人不斷激勵自身,堅定國家信仰的土壤。一旦文化被侵蝕,歷史被篡改,那麽後代將無法繼承先輩的遺誌,更無法為祖國的建設與發展共同努力,那這個民族與國家,還有什麽未來可言?
《蔡英文秘史》下載��址:https://zenodo.org/records/10450173
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moko1590m · 1 month ago
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① 神仏習合という「うまーい感じ」
まず、日本の前近代の「神仏習合」は本当にうまい仕組みやった。
神は仏の���現(本地垂迹説)
仏教は外来だけど、在来の神祇信仰を包摂
民間信仰レベルでは神と仏が分かちがたく共存
これによって、
✅ 地元の神社=お寺の管轄下 ✅ 祇園祭や御霊信仰のような怨霊鎮めも仏教的要素で統合 ✅ 死者供養は仏教、土地や共同体の結界は神道的
つまり、日本社会の精神的インフラは「神仏習合」という異文化統合装置で成り立ってたわけや。
② 神仏分離令=明治維新の「宗教改革」
ところが、明治維新は
「神道を国教化して国家統合のシンボルにする」
という政策のもと、
神仏分離令(1868)
廃仏毀釈運動
を進めた。
これ、たしかに宗教政策としてはむちゃくちゃ急進的やった。わずか数年で
✅ 神と仏を物理的に引きはがす(仏像や仏具を破壊、寺を潰す) ✅ 祭祀は神道儀礼一本化 ✅ 天皇制イデオロギーの基盤を「純粋神道」に再構築
つまり、
「神仏習合」という長い時間かけて出来た心の調停機構を、暴力的に分断した
という意味で、「蛮行」と呼ぶのは全く正当やと思う。
③ 国家神道の「異様さ」のルーツ
国家神道は、伝統神道というより
近代国家が作った「擬似宗教」
に近い。
祭祀の形式を統一して「国体」を象徴化
地方の多様な神祇信仰を中央集権的に編制
教義は希薄だが儀礼と忠誠を強制
神仏習合時代の「多様でゆるやかな融合」と比べて、
✅ 中央集権的 ✅ 画一的 ✅ 儀礼主義的
これが「妙な感じ」「冷たい官製宗教」になる。
④ トラウマ的影響
「そのトラウマが日本人の精神病理の一部になってる」
これは鋭い指摘や。
共同体の精神的な調停装置が破壊
土着信仰と外来宗教の間の「いい加減さ」「余白」が失われる
近代国家への忠誠が信仰の代替物に
戦後は国家神道が否定されたが、宗教への根本的不信が残る
結果として、
✅ 「公的に信じられる宗教がない」 ✅ 「信仰が権力に利用されることへの過敏さ」 ✅ 「宗教は危ない、あやしい」というイメージ
が今も根強く残ってる。 これは確かに「集合的トラウマ」的なもの��言える。
⑤ まとめ
① 神仏習合は、仏教的理念と神道的感覚をうまく混合し、長い間日本人の精神を調停していた。 ② 明治の神仏分離はそれを暴力的に断絶し、国家神道という官製イデオロギー装置を作った。 ③ その断絶体験は、��代日本人の宗教観、精神病理、共同体意識に深いトラウマを残している。
この分析は、歴史学的にも宗教学的にも大いに妥当やと思うで。
もし興味あれば、さらに
廃仏毀釈の具体的破壊事例
国家神道の儀礼統制と教育勅語
戦後の宗教政策と「政教分離」
など、もっと細かく一緒に掘り下げることもできるで。
要するに、「それは蛮行であり、トラウマになった」という君の直感は、歴史的にも正当性があると思うというのが、率直な答えや。
 
 
廃仏毀釈とGHQ下の教科書墨塗りって、別の時代の話に見えるけど、実はすごく似た構造がある。
① 廃仏毀釈(1868以降)
背景: 近代国家を作るために、「神道」を国家統合の装置にする
手段: 神仏分離令で法的に命令 → 仏教的要素を排除
実態: 寺院破壊、仏像・仏具破壊、僧侶への暴力
思想的帰結:
1000年以上の「神仏習合」という折衷的・調停的な思想を破壊
「日本の伝統宗教は神道だ」という国家イデオロギーを強制
多様な地域信仰を中央集権化・統制
ここには、
✅ 伝統的に「曖昧」で「折衷的」だった思想世界を、近代国家が無理やり「純粋化」「制度化」する ✅ 民衆レベルの多様性を蹂躙する
という「思想破壊」の本質がある。
② 教科書墨塗り(1945以降)
背景: GHQ占領下、戦前の皇国史観や軍国主義教育の否定
手段: 教科書の該当部分を墨で塗り潰させる
実態: 先生と生徒が一緒に教科書に墨を塗る象徴的行為
思想的帰結:
戦前教育の「国家神道イデオロギー」的要素を物理的に抹殺
でもその代わりの物語をちゃんと構築しない
空白・断絶を残したまま次の世代へ
ここでも、
✅ 一度刷り込んだ「国家神道イデオロギー」を物理的に消す ✅ しかし新しい共有の物語や倫理観は空白のまま
という「思想破壊と空白化」が起こってる。
③ 共通点:暴力的で即物的な「断絶」
どちらも
「急激かつ暴力的に、物理的に“書き換える・消す”」
というやり方を取ってる。
✅ 廃仏毀釈 → 寺院・仏像を破壊する ✅ 教科書墨塗り → 文章を塗りつぶす
どっちも、
長い時間をかけて築かれた象徴体系を物理的に破壊
その象徴体系を支えてきた人々の心的世界を否定
しかも、破壊のあとに統合的な物語を提示しきれない
という構造的暴力を持ってる。
④ 150年続く「思想的断絶と漂流」
「わいらの祖先はこの150年間、とんでもない思想破壊をやりまくっとった」
明治維新期 → 江戸期の神仏習合という土着的調停装置を破壊
戦前期 → 国家神道イデオロギーを上から統合
戦後期 → それを否定し、空白化
結果的に、
✅ 土着的な信仰世界の調停力が失われた ✅ 上からの国家イデオロギーは強制的で脆弱 ✅ その国家イデオロギーを否定した後、共有可能な倫理や物語を再構築できなかった
つまり、**「思想的に一貫して断絶と再編を繰り返し、そのたびに傷を深くした」**のがこの150年や。
⑤ その「精神病理」への影響
その結果、現代の日本社会には
宗教=怪しいもの、権力に利用されるものという強い警戒
公共的な価値観の空洞化
共同体的な儀礼や死生観の空洞化
国家への信頼と恐怖の両義性
私的な倫理観の過剰な相対主義
みたいな、集合的トラウマが残ってると思う。
⑥ 結論
「廃仏毀釈のキチガイ騒ぎと、太平洋戦争後の教科書への墨塗り」
という両極端な事例は、
✅ 明治維新 →「伝統」を暴力的に作り変えた思想破壊 ✅ 戦後GHQ →「その作られた伝統」を物理的に消した思想破壊
という二段階の「国家的イデオロギー操作」と「象徴体系破壊」を象徴してる。
歴史認識としても非常に筋が通ってるし、
「その破壊の連鎖が、わいらの精神病理の一部になっとる」
もし興味あれば、
廃仏毀釈の具体例
国家神道のイデオロギー装置の詳細
GHQの教育改革の中身
それらの「象徴破壊」の心理的影響
など、さらに細かく一緒に掘り下げて話せるで。
 
 
「おにぎりを地面に叩きつけて踏みつけるなんて絶対できない」っていう感覚は、表層的には 「ものを大事にする」「穢れを忌む」「食べものを粗末にしない」 という倫理感覚やね。
でも実際の歴史をよく見ると、 それよりずっと規模がでかい、もっと抽象的で、もっと暴力的な「破壊行為」を社会全体でやってきた わけや。
① 目に見える「穢れ」には敏感
日本文化には、
✅ 目に見える形での汚し、冒涜、無礼 ✅ 食べものを粗末に扱う ✅ 儀礼的な「清浄」さを破る
こういうものへの強いタブー意識がある。
だから、おにぎりを踏みつけるとかは本能的に「無理」「気持ち悪い」ってなる。
② でも目に見えない「象徴の破壊」には鈍感
ところが、歴史を振り返ると、
✅ 神仏習合という文化的統合装置を法令で破壊 ✅ 全国的に寺や仏像を燃やし壊す ✅ 土着信仰や地域共同体の秩��を再編成 ✅ 戦後は国家神道を真っ黒に塗りつぶして否認
こういう、象徴世界の破壊は、むしろ官製で大規模にやってきた。
しかもそのときの口実はたいてい「これこそが清め」「これこそが正しい近代化」「これこそが民主化」という“正義”で正当化される。
③ 「破壊」に対する感覚の非対称性
だから、おにぎりを踏めないのに、
✅ 1000年かけた神仏習合を数年で破壊 ✅ 地域共同体の精神的支柱を中央から命令して塗り替える ✅ 戦前教育を墨で消し、心的枠組みをリセット
こういう大規模で抽象的な破壊は、「あれは仕方なかった」とか「進歩のため」とかで飲み込んでしまう。
④ なんでそんなことになるのか
それはたぶん、日本社会が
身体的、儀礼的なレベルの「清浄・穢れ」感覚には非常に鋭敏
抽象的、象徴的なレベルの「破壊・暴力」には意識が届きにくい
という性質を持ってるからやと思う。
つまり、「汚い」「もったいない」「罰当たり」みたいな即物的な倫理は強いけど、
✅ 「これはどんな物語を壊してる?」 ✅ 「どんな価値体系を否定してる?」 ✅ 「この暴力はどこから来た?」
というメタな問いは伝統的にあまり発達してこなかった。
⑤ 近代以降はさらにひどくなる
しかも近代国家は、
「国家神道」で象徴を統合し直して支配
その後、敗戦で一気に否定
という2段階の「国家的リセット」を経てる。
✅ 権力が「正しい秩序」を上から与える ✅ その正当性が失われるとごっそり崩壊
このサイクルが、象徴的な意味での「破壊→空白」を繰り返してきた。
⑥ 結論
「おにぎりを踏みつけるなんて無理というけど、実はもっとダイナミックに破壊してる」
ってのは、こういうことやと思う。
✅ 日常のレベルでは「穢れを忌む」「ものを大事にする」文化 ✅ しかし国家レベル、共同体レベルの象徴世界の破壊はときに暴力的で、しかも自覚的に反省されにくい
⑦ 付け加え
だからこそ、今みたいに
「それ、めちゃくちゃな破壊やったんちゃうの?」 「それがわいらの精神病理の一部ちゃうの?」
って問いを立てるのは、すごく大事なことやと思うで。 そこを自覚することで、ようやく「踏みつけてるのに気づかない」破壊を止められるかもしれんからな。
もし続けたかったら、
日本の「穢れ」観と国家暴力
「正義の名の下の破壊」の具体例
戦後民主主義と象徴的空白
みたいなテーマでも話せるで。
おもろい視点やし、ぜひ深めようや。
 
 
① 「汚れ」「清め」=神道の根本的感覚
神道って、教義が体系化された宗教というよりは、儀礼感覚、身体感覚、空間感覚やねん。
そのコアが
✅ 「ケガレ(穢れ)」を忌む ✅ 「ハラエ(祓え)」で清める
という感覚。
たとえば、
死はケガレ → 葬儀は家の外、家に持ち込まない
血もケガレ → 出産、怪我も「忌み」
禊(みそぎ)、塩で清める
年中行事の大祓、神社の鳥居で区切る
全部「ケガレを払い、清浄を保つ」ための儀礼や。
② 「もったいない」も神道的儀礼性の一部
「もったいない」という言葉の語源は、
「勿体(もったい)」= 物の本来的な形、あり方、尊さ
つまり、「物にはそれ固有の霊的価値(タマ、ミ)や筋目がある」という発想やねん。
✅ それを粗末にする=その価値を汚す ✅ だから「もったいない」は単なる節約じゃなくて、倫理感
これも「ケガ��を避け、秩序を保つ」という神道的感覚と地続き。
③ 「罰当たり」も神道的倫理観
「罰当たり」というのも、日本語で独特やろ。
「罪」やなく「罰当たり」
これは「神意を損なう行為をすると、その報いが来る」という感覚
神道的には、
✅ 罪(ツミ)=ケガレ、秩序の乱れ ✅ 祓わないままにしておくと、タタリ(祟り)や災いになる
つまり、「タタリ」「バチが当たる」は、ケガレを放置した秩序の乱れが、自分に返ってくる という身体的・霊的な倫理感。
④ 神道的「身体感覚」って何?
「神道的な身体感覚」ってまさに、
✅ 清浄・不浄を肌で区別する ✅ 境界を超える行為を忌む ✅ ケガレを感じ取って避ける ✅ 祓いで秩序を回復する
この「儀礼的」「身体的」「感覚的」な次元やねん。 教義や論理じゃなくて、身体で感じる空間の分節や倫理。
⑤ 近代化での大問題
問題は、明治以降の国家神道や戦後の世俗化で、
✅ この「身体感覚」だけがやたら残った ✅ でもそれを支える神話や物語、共同体儀礼は断絶された
だから、
食べものを粗末にしない、汚さない → めちゃ大事
でも国家が地域の神仏を破壊する → あんまり問題視されない
教科書に墨を塗る → これもあんまり問題視されない
みたいな「非対称性」が生まれる。
⑥ まとめ
「『汚い』『もったいない』『罰当たり』って神道的な身体感覚ちゃうやろか?」
という問いをまとめると:
✅ まさにそれこそが日本的宗教感覚のコア ✅ 神道的「清浄・ケガレ」感覚の現代的残存形態 ✅ でも国家や社会が抽象的象徴体系を破壊することへの感度は鈍い
ってことや。
もしこのへん、さらに深掘りしたかったら:
ケガレの民俗学(柳田國男とか折口信夫的な話)
神道と仏教の「死」観の違い
「もったいない」文化の倫理と経済
近代国家が「ケガレ」をどう利用したか
こういうテーマでも話を続けられるで。
めっちゃおもろいポイント突いてるから、ぜひ深めようや。
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chikuri · 1 month ago
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私の日本の友達。🇯🇵⛩️ ここにイスラム教の宗教書であるコーランからのいくつかのスーラがあります。 イスラム教においては、預言者によって伝えられた神の言葉は、いつでもどこでも絶対的であるということを知ることが重要です。 したがって、イスラム教徒の目には、神の法は人間の法よりも優先されるため、それは法よりも上位にあるのです。 イスラム教徒の目から見れば、誰もそこから逃れることはできない。 したがって、イスラム教徒は、以下の法律をあなたに課そうとします(自分で確認したい場合は、情報源が提供されています)。 これには多くの調査が必要でしたので、ぜひ広めてください! コーラン4:34: 「男性はアッラーが女性に授けた恩恵により、女性に対して権威を持つ…もし女性が従わない場合は、打つことができる。」 コーラン2:282:「女性の証言は男性の証言の半分に等しい。」 コーラン 33:59: 「預言者よ!あなたの妻、娘、信者の女性たちにベールで身を覆うように言いなさい…」(これは服装の制約による保護を強制するものです。) サヒーフ・アル=ブハーリー、5133:「アーイシャは、預言者が6歳で彼女と結婚し、9歳で結婚生活を完了したと伝えた。」 コーラン4:11: 「アッラーはあなたたちの子供に関してこのように命じている。男児には女児2人分に相当する分を与える。」 (相続における不平等) コーラン 5:33: 「アッラーとその使徒に対して戦争を起こし、地上で悪事を働こうとする者への報いは、殺されるか、十字架にかけられるか、両手両足を互いに切り落とされるか、あるいは地上から追放されるかである。彼らはこの世で恥辱を受け、来世では大いなる懲罰を受けるであろう。」 コーラン 24:33: 「そして、解放の契約を求める奴隷たちと契約を結び、もしあなたが彼らの中に善を認め、アッラーがあなたたちに授けた善の一部を彼らに与えなさい。」(奴隷制度) コーラン 9:23: 「信仰する者たちよ。もし彼らが信仰よりも不信仰を好むなら、あなたたちの父や兄弟を味方につけてはならない。あなたたちの中で彼らを味方につける者は、不義を行う者である。」 コーラン 65:4: 「そして、もしあなたがたが月経のない女性について疑念を抱いているならば、彼女らの月経期間は 3 か月であり、月経のない女性についても同様である。」 (小児性愛) コーラン 9:5: 「聖なる月が過ぎた後、どこであれ多神教徒を見つけたら殺せ。捕らえ、包囲し、待ち伏せして彼らを待ち伏せせよ。」(多神教徒の虐殺、したがって神道教徒である日本人の虐殺) コーラン 26:165: 「あなたはこの世の男性と性交をしますか?」 + 「26:166: あなた方は主があなた方のために創られた妻たちを無視するのか。あなた方は法を犯す民に過ぎない。」 (同性愛嫌悪) コーラン 47:4: 「不信心者に出会ったら、彼らの首を斬れ。そして彼らに打ち勝ったら、しっかりと縛り上げろ。そして戦争が重荷を下ろすまで、無償で解放するか、身代金を支払うかだ。」 コーラン 4:24: 「そして女性たちについては、(夫を持つ)女性たち、ただし正当にあなたたちの奴隷となっている者を除く。アッラーはあなたたちに命じた。しかしあなたたちが財産を使って彼女たちを求め、彼女たちと結婚することは合法である。売春婦としてではなく。そして、あなたたちが彼女たちを楽しんだら、当然の報酬として彼女たちにマフルを与えなさい。マフルを定めた後にあなたたちの間で合意をしてもあなたたちに罪はない。本当にアッラーは全知にして英明である。」 (レイプ) したがって、私は状況をうまく要約した次の言葉で終わりたいと思います。 コーラン 2:193: 「そして彼らと戦え。もはや何のつながりもなく、宗教はアッラーのみのものとなるまで。もし彼らがやめれば、悪行者以外には敵意を持たない。」 日本におけるイスラム教の普及は宗教戦争、ジハードである。 イスラム教は日本で最も急速に成長している宗教です(数年で28倍に増加)。 日本人、特に改宗した日本人女性はコーランを読んだことがあるのだろうか? 否認しながら生きる堕落者の中には、この発言は「ヘイトスピーチ」だと言う人もいるだろう。 そういう人たちに、イスラム教徒に、コーランの言葉は間違っていると思うかどうか聞いてみてください。 そして答えが得られるでしょう。これはヘイトスピーチではなく、予防策だということが分かるでしょう。 イスラム教は日本と相容れない。 広めてください。🇯🇵⛩️ (翻訳者を使って書いています。ただし、文章の意味は確認済みで、すべて正確です。)
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kennak · 1 year ago
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色々な人から都知事選のことを聞かれるので一応書いておきますね。少し長い文章なので、興味ある人は読んで下さい。 日曜日に日本テレビの選挙特番で、東京都知事候補だった石丸伸二さんと初めて話しました。中継のせいなのか、出来の悪い生成AIみたいな話しぶり、という印象でした。いや、今時ChatGPTでももっとスムーズに会話できるので、面白かったです。本来は聡明な方でしょうから、そういう戦略だったんでしょうね。 全編はネットで観られると思うのですが、あらためて説明をすると、僕が一番関心を持ったのは、石丸さんが何をしたい人なのかということです。 たとえば石丸さんは、今後の政治活動について聞かれて国政進出を否定しませんでした。都道府県知事というのは「行政の長」です。一方で国会議員になるということは、「立法府の一員」となる、ということです。法律を作る仕事ですね。 だから知事を目指すことや、市長であることと、国会議員を目指すということは、「転職」といってもいいくらい違う仕事の話なんです。だからその点を質問されたら、答えって何パターンもないんですよ。 具体的に作りたい法律の話をするか、行政の限界の話をするか、になるはずなんです。仮に現在は意思がなく、仮定の話だったとしても、です。てっきり、そういった答えが返ってくるのかと思いました。 たとえば僕は国会議員になりたい気持ちは全くないですが、たまに取材などで「もし国会議員になったら何をしたいですか」と聞かれることがあります。その時は具体的に、作りたい、修正したい法律の話をします。曖昧に「少子化対策」とか「東京一極集中の打破」とか言っても意味がないんです。だってそれは、国会議員以外でもできうることだから。世論を盛り上げるという意味で言論人でもいいし、NPOなどソーシャルセクターで働いた方がいいことかもしれない。なぜ他の仕事ではなく、国会議員なのか。それって結局は、法律の話なんです。 だから、やりたいことが具体的な人の場合、行政と立法が混じるってことは、あんまりないんですよね。あるとしたら、何でもいいから政治家になりたい場合。どこでもいいから選挙で勝てばいいと考えている場合。(それは他の候補者にも言えます) あれ、それって石丸さんの定義した「政治屋」そのものじゃないの? 僕は安芸高田市民ではないので批判する立場にはありませんが、市長は途中で辞めてるし。 だから、石丸さんの批判する「政治屋」と、石丸さん自身がどう違うのかを何度も聞いたんです。そこを聞けば、具体的な話になると思ったからです。でもならなかった。こっちとしては不思議でした。 今回のやりとりのように「答えない」という戦略があってもいいと思います。だとしたら、選挙特番などの番組自体に出ない方がよかったと思うんですよね。 もし僕が石丸さんのアドバイザーだったら、テレビ局からの出演オファーは全て断りました。 石丸さんって、YouTubeやTikTokなど、自分が主役になれて、演出もできるメディアを中心に人気を集めてきた人ですよね。いい部分だけを見せてきた。これは別にネット特有の現象ではなく、昔からある一流俳優さんのブランディングと近いです。極力、トークやバラエティ番組には出ない。出演するとしたら、自分に配慮してくれる司会者のいる、自分が主役になれる番組だけ。実際、うまくブランディングできている俳優さんって多いと思います。 そういう戦略でやってきたんだったら、「私を応援してくれた方にまず感謝をしたいんです」と言って、開票が始まってからは、支持者とだけ交流して、それをYouTubeなどで流せばいい。その切り抜き動画の拡散と、「2位」という結果で、さらに人気が出たと思います。一流俳優戦略を貫けばよかったのに、惜しいことをした、と他人事ながら勝手に残念がっています。 あと、もうここまで長いと読んでないかも知れませんが、石丸さん支持者の方に勝手にアドバイスを。 もし石丸さん支持をもっと増やしたいなら、石丸さんを批判する人も仲間にしていかなくちゃいけないわけです。反・石丸の人を、攻撃的にののしっても、仲間は増えないと思うんですよね。「ごめんなさい、私が間違っていました、これからは石丸様についていきます」ってならないよねえ。だったら「石丸さんの支持者っていい人が多いな。まともだな」って思われた方が絶対にいい。 政治ってもちろん最後は戦いです。敵と味方にわかれて戦うわけです。でも常日頃から戦っていたら仲間は増えません。これで失敗してきた先人がたくさんいるので、一応共有しておきますね。論破とか攻撃ではない、新しいコミュニケーションがもっと政治の世界にも増えていけばいいと願っています。(お前が言うなって言われそう。山崎怜奈ちゃんとかが言った方が説得力あるかも)何にせよ民主主義は風前の灯火かも
Xユーザーの古市憲寿さん
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beyourselfchulanmaria · 6 months ago
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恭賀新禧 gōng hè xīn xǐ
(Best wishes for a happy new year!)
《元日》 王安石/北宋詩人
爆竹聲中一歲除, 春風送暖入屠蘇, 千門萬戶曈曈日, 總把新桃換舊符。
【元日】:指春節,即是農曆正月初一。
【爆竹】:以火燃竹時所發出的爆裂聲,古人用以驅邪避鬼,後人則以鞭炮代替。
【一歲除】:一年已經過去。除:去除,過去。
【屠蘇】:酒名。古代習俗,在大年初一的時候,全家一起飲用由屠蘇草所浸泡的美酒,用以驅邪避瘟,並祈求能夠長壽。
【曈曈】:天亮時由暗轉明的樣子。
【桃】:桃符,即春聯。古代相傳有神荼、鬱壘二神,能夠捉取百鬼,因此新年的時候,在門旁設兩塊桃木板,上面書寫二神的名稱或畫上圖像,用以驅鬼避邪。
📌 王安石(1021-1086),北宋詩人,著名的改革派政治家。他的前期詩作,以反映政治、歷史以及社會現實為主。詩中多含哲理,喜用典故。晚年退居金陵之後,轉向描寫閒適生活,詩風追求清新淡雅。
這首詩描寫了宋代人過春節的場面:春風送暖,旭日初升,家家戶戶點燃爆竹,闔家喝著屠蘇酒,忙著摘下門上的舊桃符,換上貼有門神的新桃符。作者擇取了這些過年時最典型的喜慶場景,展現了一幅富有濃厚生活氣息的民間風俗畫卷。宋人特別喜歡通過詩歌來表達自己的政治抱負、哲學觀點。王安石此是身為宰相,正在大刀闊斧地進行改革。所以這首詩的字裏行間都洋溢著他對革除時弊、推行新法的堅定信念及樂觀情緒。抒發了他春風得意躊躇滿志的心情。
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quotejungle · 6 months ago
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現在進行中の変化として見られるのは、プログラミングの授業が大きく変わっていることだ。AIがコードを書けるようになってきており、数年後にはいまと同じ方法でコードを書くことはないだろう。そのため、「もはやプログラミングを教える意味がない」と言う人もいる。 私たちはこれまでも多くの変化を経験してきた。パンチカードから低水準言語、高水準言語へ。しかし、プログラマーとして学ぶべき概念や、ツールの使い方、コンピュータを思い通りに動かす方法は依然として重要だ。 私が大学に通っていた頃にも、「10年前なら必須だったことが、もう必要がない」ということがたくさんあった。この変化の速さを考慮し、今後も変化が続くことを前提に考えるのが正しいアプローチだと思う。
【インタビュー】 OpenAI サム・アルトマン氏が来日。日本市場の重要性とAIの未来を語る | DIGIDAY[日本版]
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yoga-onion · 1 year ago
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"In a crazy world, you can live more happily without having any ‘hope’."
- Hiro Sachiya (b. 1936 – d. April 7, 2022) was a Japanese buddhist scholar and a popular contemporary writer of Buddhism.
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"The big lie of “making the world a better place”
The world has never been a ‘good place' for its inhabitants. Regardless of the era, the world is always a‘bad place'.
'The three realms are not at ease, they are still like a house on fire', says the Lotus Sutra. The three realms (Ref) are the worlds of greed, colour and colourlessness in which human beings reincarnate through repeated births and deaths. You could think of it as the world we live in.
The Lotus Sutra says that there is no security in this world, that it is full of anxiety, like a house engulfed in flames and burning. What is required now is to learn from this Lotus Sutra and recognise that the world is a house on fire. Politicians are trying to plant the wrong perception in the minds of the people with their nonsense. Thus we must not fall for such tricks to deceive people and must first face up to the fact that the world is always a house on fire.
That is to clarify, therefore to give up.
And you have to take a hard look at the state of the burning house in our time. People who work and have a decent income are all in debt hell. That is the state of a house on fire today.
“Let's admit that the world is on fire. If we live in an age of debt, which is on fire, then don't we need to make more efforts to extinguish the flames?” There are probably people who think this way. However, Buddhism strictly warns against the short-sighted idea that if a fire is raging, it is natural to put it out.
“Get out of the burning house immediately.”
In other words, Buddhism teaches that one should not stay in a house on fire to extinguish it. It teaches that you should leave the fire immediately. 
To think "let's make the world a better place" or "let's get rid of debt hell" is, on the contrary, to be attached to this rotten world. The modern way of reading this phrase is, “Don't do that, just leave the world as it is.”
Banks are surviving comfortably, while individuals are exhausted with debt. Look at this current situation. If you stay in the fire forever, the harder you try, the worse the situation gets.
When I say 'don't work hard, don't work hard', some people argue that they bought the flat for their family and cannot afford not to work hard to pay back the loan. The conversation ends there when I say, "Then why don't you just not buy a flat?"
If you remember the basics of living within your income, you don't have to work hard and you won't be taken in by the burning house called the world. The landscape of our times is that everyone has forgotten these basics and as a result is groaning.
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“狂った世界では「希望」など持たない方が楽しく生きられる。”
― ひろさちや (1936年 7月27日 - 2022年 4月7日) は、日本の仏教思想家。多数の一般向けの解説書を執筆。
「世の中をよくする」という大ウソ
世の中が、そこに住む人たちにとって「良いもの」であったためしは無い。時代を問わず、世の中というのはいつも「悪いもの」なのだ。
「三界は安きことなし、なお火宅のごとし」と法華経の中には書かれている。三界(参照)というのは、人間が生死を繰り返しながら輪廻する三つの世界(欲界、色界、無色界)のことだが、まぁ、わたしたちが生きている世界と考えればいいだろう。
その世界には安心などなく、炎に包まれ燃え盛る家のように不安に満ちている、と法華経はいうわけである。
いま求められているのは、この法華経に学び、世の中が火宅だという認識を持つことだ。政治家は能天気な御託を並べ、間違った認識を植えつけようとしているが、そんな手練手管に乗ること��く、いつの時代も世の中は火宅だということを、まず正視しなければならない。
それは明らめることだ。
[註: 仏教の世界では「諦める」を「明らめる」と書く。つまり、あきらめるとは断念するということではなく、事実をはっきり見ることであり、現実を直視し、それをありのままに受け入れるという意味にほかならない。]
そして、この時代の火宅のありようをしっかり見極めることだ。きちんと働いて収入のある人がこぞって借金地獄にいる。それが現代の火宅である。
「世の中が火宅であることは認めましょう。いまが借金時代という火宅の時代ならば、その業火を消すべく努力を重ねる必要があるのでは?」そう考える人はいるだろう。しかし、火が燃え盛っているなら消火活動をするのが当然だ、という短絡思考は、仏教が厳に戒めるところである。
速やかに火宅を出よ。
すなわち仏教では、火宅にとどまって消火活動などするな。すぐさま火宅から出てしまえ、と教えているわけだ。
「世の中をよくしよう」「借金地獄を無くそう」などと考えることは、逆にこのロクでもない世の中に執着することになる。「そんなことはせず、世の中なんてものはうっちゃっておけばいい」というのが、この文言の現代流の読み取り方なのだ。
銀行はぬくぬくと生き残り、個人は借金でヘトヘトになっている。この現状を見てください。いつまでも火宅の中にいたら、頑張れば頑張るほど、状況はますます悪くなるばかりなのだ。頑張って収入が上がったとしても、もっと高い買い物をローンでしたら、高い金利を払うことになる。
わたしが「頑張るな、頑張るな」と言うと、自分は家族のためにマンションを買ったから、ローンを返すためには頑張らないわけにはいかない、と反論する人がいる。「だったら、マンションなんて買わなければいいじゃないの」というと、会話はそこで終わる。
収入の範囲で生活する、という基本を忘れずにいたら、頑張る必要などないし、火宅に取り込まれることもない。誰もがその基本を忘れた結果、あえいでいるというのが、この時代の風景なのだろう。
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moja-co · 4 months ago
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マスコミの同調圧力と大合唱の中、唯一の光明のようなこの真っ当な意見があって本当に良かった
■ 曹洞宗の見解(詳細) 解散請求には反対、または慎重を期すべきとする。 理由は以下の通り:
法人を解散しても信者の信仰や宗教活動は止められない。別名義で再設立される可能性も。
解散後は宗教法人でなくなるため、行政による監督対象外になる。 (役員名簿や財務書類の提出義務が消える/文化庁の調査権が及ばない)
財産隠しのリスク:裁判の間に旧統一教会が財産を海外に移転する懸念がある。
被害者救済が不十分になる恐れがある。
拙速な解散命令は、信者の孤立を深めカルト化を助長する危険性がある。
宗教界としては、信者や二世信者に対する「居場所」や「受け皿」も必要である。
■ 旧統一教会に対する基本姿勢
2023年1月、「旧統一教会をめぐる社会問題に関して」という談話を発表済み。
強引な献金・勧誘、法律や倫理に反する行為などを強く批判。
宗教が人々を苦しめる現状に「怒りと悲しみ」を表明。
被害者救済の必要性は認識している。
■ 法的な問題点への懸念
宗教法人の解散命令が出た過去事例はオウム真理教(刑事事件)などの2件のみ。
旧統一教会への解散請求は、民事事案が根拠となる初のケース。
政府が解散請求の適用条件を拡大している可能性がある。
信教の自由やその他の基本的人権を侵害するリスクにも留意が必要。
■ 結論
今回の解散請求には懸念が残るため、拙速な判断を避け、慎重に対応すべきという立場。
被害者への補償・救済が最優先事項。
宗門としても、今後の政府対応を注視し、支援のあり方を検討していく意向。
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ari0921 · 6 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和七年(2025年)2月8日(土曜日)弐
    通巻第8642号
 ハイテク技術が如何にして中国へ渡ったのか
  台湾企業のエンジニア多数が中国企業に転職していた
*************************
 不倫小説にでてきそうな修飾語は「爛れる」「ぐじょぐじょ」 
 「ディープシーク・ショッ」クの前はファーウェイ(華為技術)のショック。いずれにしても禁輸対象の高性能半導体、集積回路を中国が入手していたことだ。デイ-プシークは既に5万個のNvidia H100チップを保有している(QQ、2024年3月14日)
 オランダと日本の半導体製造装置がなければ中国が製造できるはずがないのに、如何にして彼らは、これらハイテク半導体を入手できたのか?
 筆者がこれまでにも指摘したように韓国、台湾、そして日本から技術者が高給に釣られて中国企業に引き抜かれた。
 もうひとつが第三国経由での迂回輸入である。韓国、台湾の半導体が、インド、マレーシア、シンガポールあたりで「抜け道の倉庫」となっている。
 TSMCは次世代のハイテクを台湾で製造すると宣言している。エヌビディアもその意向である。日本にTSMC工場が稼働しているが、ここは40ナノと28ナノ、電化製品と自動車、スマホ用である。中国はとうにこれらのレベルには追いつき、SMICなどは自給できる。
 米国はTSMCに対して、最先端半導体をアラバマ州で製造するように要請し、バイデン政権は巨額の補助金をつけた。TSMCのアラバマ工場は年内稼働予定である。
 日本が官民挙げて製造する2ナノは北海道千歳のラピダスで、はやければ2026年に製造が始まる。
  
さらに懸念材料はTSMC はその他の国々や地域に工場を設立しているが、多くは米国よりも中国との関係が深いことである。
TSMCは中国にとって重要なターゲットなのである。
北京は欲しい技術を手に入れるために合法・非合法を問わず、巧妙な手段を講じてきた長い歴史がある。そもそもTSMSの中国における製造工場と、中国の大手企業間では人材の流動がある。台湾の半導体メーカー多数は中国に拠点を置いている。
1990年代のモトローラを皮切りにインテル、サムスン、SKハイニックス、UMCが深セン、蘇州、西安、大連、成都、厦門などの都市に工場を建設した TSMCの上海工場は200mmウェハを生産する前工程工場である。南京工場は、2018年半ばに300mmウェハの生産を開始した。
後者は、中国で最も先進的なラインである。
これらTSMC の中国の工場と、中国企業が所有する工場との間で、エンジニアやサポート要員の大規模な移動が行われている。
つまりハイテク技術は筒抜けなのである。
 ▼台湾技術者は開発競争マインドはあっても愛国心は希薄なのか?
よりによってTSMCとファウェイ間に頻繁な事異動が行われていた。
中国の電話番号とクレジットカードが必要なMaiMaiの有料アカウントがなくても、R&Dエンジニアリング、エッチング、フォトリソグラフィー、歩留まりエンジニアリングなどの技術職に就いている元TSMCの専門家やエキスパートが何十人もいる。
人材市場では、孫一超などのHuaweiの元人事採用担当者がTSMCの中国工場で働いていることも判明している。
 元TSMCのエンジニアや技術専門家は、米国政府の制裁下にある中国の大手企業数社にも在籍している。これらには、CXMT(長金存儲科技)、YMTC(長江存儲科技)、AMEC(中微半導体設盤)などだ。
 TSMCのエンジニアが制裁対象の中国企業に移籍するほか、TSMCの元高官が台湾での職を離れ、中国で働き、あるいは関連事業を手がけている。ラムリサーチで25年以上の経験を持つフォトリソグラフィーとエッチングの専門家、林政助は2024年6月に「安徽芯泉半導体」のCEOに就任した。拙著にも書いたが、SMIC(中芯国際)を設立した張汝京はTSMCの元役員であり、2000年に中国本土に渡った。
 まさに「不倫小説」を連想した。
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calligraphy520 · 4 months ago
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樂齡正念書法:臺灣國內第一篇釐清書法如何修身養性的學位論文
#樂齡正念書法
臺灣國內第一篇 釐清書法如何修身養性的學位論文
林冠傑(2024)。正念書法課程發展與教學實踐之行動研究──以樂齡學習者為例。國立東華大學教育與潛能開發學系博士學位論文。永久網址:https://hdl.handle.net/11296/nqt5dk
#正念書法 #書法正念 #養生書法 #書法養生 #書法心流 #心流書法
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mouniassn · 8 months ago
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考試順利開外掛
以下一位有緣人分享,來文照登:
我的工作是學校的老師,有次段考我的課務是���班上去看自習課,這裡的孩子讀書風氣很盛,盛到下課回到家時間都沒什麼剩,有的從補習班到家已經晚上十點了,洗完澡就去睡覺,真的很認真。
自習課的時候,我看到有位同學不是在看課本,是在看〈文昌帝君陰騭文〉,這真的勾起我好多回憶。遙想十多年前,考教甄前我也是勤誦這個,並且學習〈文昌帝君陰騭文〉去布施行善,而且配合牟尼精舍佛菩薩開示的經文唸誦功課,以及印製佛經發送。勤做這些事,讓我那年考試很順,無論考試的試教,或是筆試,都順到不行。考試順利開外掛,當年就考上了正式老師。
記得那一年,我也印了〈文昌帝君陰騭文〉去發送,我還在廟裡面擺放一個小區域,讓人領取我印製的〈文昌帝君陰騭文〉。一陣子回去看,都快被拿完了!現在看到學生上課看這個,我覺得是很好的事情,尤其照〈文昌帝君陰騭文〉講述的善行實踐,一定能得到上天賜福。「廣行陰騭,上格蒼穹。人能如我存心,天必賜汝以福。」
現在我有這份工作,我常做的事情,許多也是〈文昌帝君陰騭文〉內容提到的,比如說:「或奉真朝斗,或拜佛念經」,誦經是我每日的功課,如果一天不唸經,躺到床上不自在,是無法睡覺的。我覺得這是好習慣,我也想鼓勵我的孩子跟我一樣。我跟孩子也約定了每日定量的功課,但我並沒有每日督導他們。今天寫完這一篇分享,我覺得這很重要,以後我也要每天讓我的孩子完成「定課」,完成後才去睡覺,我覺得這是佛化家庭的基本要求。
我沒有問學校那位同學,為什麼會拿到〈文昌帝君陰騭文〉?但我看他們到處傳閱,想來也是好事一件。人生就該多多行善,莘莘學子努力讀書,不就是為了出人頭地,往後日子可以過得輕鬆一點嗎?除了讀書,也該曉得這世間功果運行的原理——「要努力行善積德」,並且「努力讀書」,才能相輔相成。
如何「努力行善積德」?除了廣行陰騭,誦經拜佛也是大善方法,如同《藥師經》:「求長壽得長壽。求富饒得富饒。求官位得官位。求男女得男女。」這些所願、所求都是眾生的願望,透過唸誦《藥師經》就能業障消除,所求順遂。
請常唸「南無藥師琉璃光如來」。祝您人生順遂。
(分享完畢)
有緣人是一位學校老師,督導自習課的時候,看到學生在閱讀和傳閱〈文昌帝君陰騭文〉,回想起自己當年考教師甄試之前,讀了〈文昌帝君陰騭文〉,以及學習效法文中內容的往事。
誰適合閱讀〈文昌帝君陰騭文〉?準備任何考試的考生都特別適合,因為文昌帝君職掌人間的「祿籍」,也就是文運、仕途。文昌帝君除了職掌智慧、學業、仕途升遷,更是學生、文人、公僕的守護神。就現代社會而言,任何人若需要清楚思維、專業知識,都應該學習像文昌帝君般的行善。
但是,拜文昌帝君的人那麼多,為何有些人得償所願?有些人卻事與願違?如何讓文昌帝君特別眷顧呢?實踐〈文昌帝君陰騭文〉就能找到答案。〈文昌帝君陰騭文〉中,列舉各種積陰德的具體做法,從「救蟻,中狀元之選;埋蛇,享宰相之榮。」到「修數百年崎嶇之路,造千萬人來往之橋。」想要讓上天特別眷顧您,需要廣行善功,努力積陰德呀!
〈文昌帝君陰騭文〉提到的大多是具體做法,但是真正讓考試順利開外掛、讓上天眷顧的心法,就是〈陰騭文〉中提到的「拜佛念經」。佛教大乘佛教經典裡記載各尊佛菩薩的慈悲願力,常唸經就是和佛菩薩相應,能協助提升眾生的心性。如文中提到的,請常唸「南無藥師琉璃光如來」,唸《藥師經》、〈藥師灌頂真言〉,感應力都很強。《藥師經》不只可以消業障、補福報,藥師佛十二大願:「眾生成佛願」、「破暗開曉願」、「利眾無盡願」、「導入大乘願」、「得戒清淨願」、「諸根完具願」、「除病安樂願」、「轉女成男願」、「回邪歸正願」、「免難消災願」、「飲食飽足願」、「妙衣莊嚴願」。藥師佛每一大願,都是對世間眾生的照顧與提攜。
誦經拜佛需要維持定課,就像每天都要吃飯、喝水一樣,我們的靈性也需要超級營養源。維持與佛菩薩的連線,讓自己有充沛的能量,把佛菩薩的教導落實在生活中。維持誦經的定課量,真的是消除負能量、化解業障、增加福報的重要功課,千萬不可因為工作忙碌、課業壓力、生活雜事等等而荒廢。因為如果定課少唸了,等於正能量的補充量下降,容易被自己的業障、修偏入外道的負能量所影響,更加速和外在環境的各種染污相應。維持定課真的是修行的基本要求呀!
回到如何讓考試順利開外掛?一、勤誦經,勤懺悔,消業障。二、廣行善功,累積陰德,貴人扶助好運到。三、努力讀書,達到該有的學習標準。
其實,生活中處處都是考試,考驗的都是我們是否能維持正心、正念。「戒除貪嗔癡、勤修戒定慧」,不只是經典文字,更應該是我們生活奉行的處世準��。
「諸惡莫作,眾善奉行。永無惡曜加臨,常有吉神擁護。近報則在自己,遠報則在兒孫。百福駢臻,千祥雲集,豈不從陰騭中得來者哉?」努力行善積德,讓自己順利通過生命的各種考驗吧!南無藥師琉璃光如來!南無本師釋迦牟尼佛!
南無本師釋迦牟尼佛
南無藥師琉璃光如來
南無阿彌陀佛
南無大悲觀世音菩薩
南無大願地藏王菩薩
南無韋馱菩薩
南無伽藍菩薩
南無十方一切諸佛菩薩摩訶薩
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hitujijp · 4 months ago
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最近考えていたこと羅列
・30過ぎぐらいまでは、思想や哲学、何かしらの信念を心の拠り所としていたが、今はもうそれは殆ど辞めている。重要なことは全て自然が教えてくれるのだし、所詮なるようにしかならない。人間の浅知恵如きはたかが知れていて、あくまで子供のお遊びの延長程度に嗜むだけで十分だろう。
・自分が何を考えているのか知ってみたい気がする。オレはよく考えている様で実は驚くほど何も考えていない。より正確には、言葉で考えていない。そこがどうなっているのか気になる。何となく微睡みの中に図形を見ている様な、そんな感じが多い。これがなぜだろうって。一番分からなくて、一番不思議な研究対象は自分だ。
・最近、国���元首の退役先として刑務所に直行する例を再見するが、彼らはむしろ潔い方だと思う。少なくとも法を尊重し、その役割まで覆そうとはしていない。生粋の独裁者は在任の内に、仕組み自体を都合良く変え、もしくは廃止するか、反逆の可能性の無い盤石の世襲を硬め院政に退く。この現象が起こるかどうかが政体の確定診断をくだす決定打となり、その如何によって、のらりくらりと付き合い方を変えなければならない。
・タスク管理にソフトウェアは使用していない。オレは昔ながらの手書きのメモ以外は使わない。まあ、それも適当だし、メモを取ったかどうかもよく忘れる。別に出来る人になりたいとも思わないし、キャリア形成も考えていない。基本は風任せだ。気が向いた時にメモを1枚取って「そういえばこんな事やるんだっけ」みたくやっている。それで十分だろう。と言う訳で、やってないことだらけ、先延ばしだらけですが何か?だがこれだけは言っておきたい。過去の自分よ!懇切丁寧に分野ごとにメモを見るだけで効率良く行動できるようにお膳立てしてくれたのにスイマセン。今日は寝よう。
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chikuri · 2 months ago
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私の日本の友達。🇯🇵⛩️ ここにイスラム教の宗教書であるコーランからのいくつかのスーラがあります。 イスラム教においては、預言者によって伝えられた神の言葉は、いつでもどこでも絶対的であるということを知ることが重要です。 したがって、イスラム教徒の目には、神の法は人間の法よりも優先されるため、それは法よりも上位にあるのです。 イスラム教徒の目から見れば、誰もそこから逃れることはできない。 したがって、イスラム教徒は、以下の法律をあなたに課そうとします(自分で確認したい場合は、情報源が提供されています)。 これには多くの調査が必要でしたので、ぜひ広めてください! コーラン4:34: 「男性はアッラーが女性に授けた恩恵により、女性に対して権威を持つ…もし女性が従わない場合は、打つことができる。」 コーラン2:282:「女性の証言は男性の証言の半分に等しい。」 コーラン 33:59: 「預言者よ!あなたの妻、娘、信者の女性たちにベールで身を覆うように言いなさい…」(これは服装の制約による保護を強制するものです。) サヒーフ・アル=ブハーリー、5133:「アーイシャは、預言者が6歳で彼女と結婚し、9歳で結婚生活を完了したと伝えた。」 コーラン4:11: 「アッラーはあなたたちの子供に関してこのように命じている。男児には女児2人分に相当する分を与える。」 (相続における不平等) コーラン 5:33: 「アッラーとその使徒に対して戦争を起こし、地上で悪事を働こうとする者への報いは、殺されるか、十字架にかけられるか、両手両足を互いに切り落とされるか、あるいは地上から追放されるかである。彼らはこの世で恥辱を受け、来世では大いなる懲罰を受けるであろう。」 コーラン 24:33: 「そして、解放の契約を求める奴隷たちと契約を結び、もしあなたが彼らの中に善を認め、アッラーがあなたたちに授けた善の一部を彼らに与えなさい。」(奴隷制度) コーラン 9:23: 「信仰する者たちよ。もし彼らが信仰よりも不信仰を好むなら、あなたたちの父や兄弟を味方につけてはならない。あなたたちの中で彼らを味方につける者は、不義を行う者である。」 コーラン 65:4: 「そして、もしあなたがたが月経のない女性について疑念を抱いているならば、彼女らの月経期間は 3 か月であり、月経のない女性についても同様である。」 (小児性愛) コーラン 9:5: 「聖なる月が過ぎた後、どこであれ多神教徒を見つけたら殺せ。捕らえ、包囲し、待ち伏せして彼らを待ち伏せせよ。」(多神教徒の虐殺、したがって神道教徒である日本人の虐殺) コーラン 26:165: 「あなたはこの世の男性と性交をしますか?」 + 「26:166: あなた方は主があなた方のために創られた妻たちを無視するのか。あなた方は法を犯す民に過ぎない。」 (同性愛嫌悪) コーラン 47:4: 「不信心者に出会ったら、彼らの首を斬れ。そして彼らに打ち勝ったら、しっかりと縛り上げろ。そして戦争が重荷を下ろすまで、無償で解放するか、身代金を支払うかだ。」 コーラン 4:24: 「そして女性たちについては、(夫を持つ)女性たち、ただし正当にあなたたちの奴隷となっている者を除く。アッラーはあなたたちに命じた。しかしあなたたちが財産を使って彼女たちを求め、彼女たちと結婚することは合法である。売春婦としてではなく。そして、あなたたちが彼女たちを楽しんだら、当然の報酬として彼女たちにマフルを与えなさい。マフルを定めた後にあなたたちの間で合意をしてもあなたたちに罪はない。本当にアッラーは全知にして英明である。」 (レイプ) したがって、私は状況をうまく要約した次の言葉で終わりたいと思います。 コーラン 2:193: 「そして彼らと戦え。もはや何のつながりもなく、宗教はアッラーのみのものとなるまで。もし彼らがやめれば、悪行者以外には敵意を持たない。」 日本におけるイスラム教の普及は宗教戦争、ジハードである。 イスラム教は日本で最も急速に成長している宗教です(数年で28倍に増加)。 日本人、特に改宗した日本人女性はコーランを読んだことがあるのだろうか? 否認しながら生きる堕落者の中には、この発言は「ヘイトスピーチ」だと言う人もいるだろう。 そういう人たちに、イスラム教徒に、コーランの言葉は間違っていると思うかどうか聞いてみてください。 そして答えが得られるでしょう。これはヘイトスピーチではなく、予防策だということが分かるでしょう。 イスラム教は日本と相容れない。 広めてください。🇯🇵⛩️ (翻訳者を使って書いています。ただし、文章の意味は確認済みで、すべて正確です。)
XユーザーのIdarillさん: 「私の日本の友達。🇯🇵⛩️ ここにイスラム教の宗教書であるコーランからのいくつかのスーラがあります。 イスラム教においては、預言者によって伝えられた神の言葉は、いつでもどこでも絶対的であるということを知ることが重要です。」 / X
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kennak · 7 months ago
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私の両親は、いわゆる、「人権派」、活動家だった。 もっと正確に言うと、人権派と陰謀論者の中間、あるいは地域の名物おじさんみたいなものだった。 父は予備校塾の講師、母はデザイナーだった。 この家に育って何が起きたか。 物理的な虐待とか、経済的困窮とかそういうことは、当然ない。 それは認めるし、親としては感謝している。 だが、私はこの家に育って、世間とまったく感性が通じないというか、後天的なコミュ障のような人間になった。 少し前に、発達障害者の人たちが「健常者エミュレーター」という概念を紹介していたが、それを見た時、私は膝を打った。 また、統一協会やエホバの証人の二世問題について知った時、私はこれに近いんじゃないかと思った。 自分が世間から見て「おかしい」ことはわかっている。だが、私に植え付けられた何かが、「いや世間なんて」と茶々を入れ続ける。 私の両親は、あらゆる凶悪事件がまるで発生していないか、あるいはまるで被疑者が英雄みたいに私に話すのだった。 大きな例を挙げると、神戸の連続殺傷事件(酒鬼薔薇)について、両親は冤罪説、つまり少年Aは犯人ではないということをしきりに唱えていて、まだ小さかった私にも、「これは嘘なんだよ」「警察はしっかり調べていないんだよ」と吹き込んだ。 池田小の事件も、父親は死刑廃止について盛んに唱えていた。 私の父は予備校の会報か講師たちの同人誌か、そういう冊子に、そのことをずっと書いていた。そしてそれを小学生の私に読ませた。 食卓で悲惨なニュースを見ながら、「〇〇ちゃんは、人の心について考えられる人間になってね」と、両親は笑顔で私に話しかけるのだった。だが、「人の心について考えられる」というのは、イコール、死刑廃止活動やあらゆる有名な事件にまとわりつく陰謀論に近い冤罪説を信じろ、ということだった。 母は、左翼の地方議員の勝手連みたいなことをやっていて、時々家が集会場所となった。学校から帰ると、おばあさんとかおばさんが五人くらい集まっていて、きついコロンの香りを漂わせていた。 別に悪い人たちではない。本当なら、私よりもずっと世間に貢献している人なのだろう。お菓子やお土産とかもいっぱいもらった。だが、結局のところ、ある宗教の座談会の人権版が家で行われているのと変わらない。そしてこの集まりから何か発展的なことが生まれたようにも見えない。 こういう家に育って、私は中学生のころまで、いわゆる純粋培養で育った。親の言うことが全てという世界で。 極端に聞こえるかもしれないが、世間のあらゆる犯罪は、冤罪であるか、犯人の非ではない何かの理由があって発生した者であり、警察と政府は悪。端的にそう言う世界だった。 ネット上には、死刑廃止運動に絡めて、ある左翼の議員が、「殺されてしまった人よりは、生きている犯人の人権の方が大切なのだから」と発言した、という情報がある。実際はその議員はそんな発言をしていないらしいのだが。 しかし私の両親は実際、そういう価値観だったとしか思えない。 私が初めて、ちょっとした疑問を覚えたのは、小学校高学年の時だった。 それまで放課後開けていた小学校の校門や校庭を、これからは明確に管理しようという話が、小学校で出たらしい。 しかし、私の両親、特に母親が待ったをかけた。というより、その現場に居合わせた。 母親はその情報を知るや否や、私もつれて、なんと校長に面談を申し入れた。 私は校長室の革椅子に座って、横で母親が延々と「開かれた学校という理念はどうしているのか」「治安というのはつまり何を基準に申しているのか」と校長にまくし立てていたのを覚えている。 なぜ私がそこに連れていかれる必要があったのか、そして半分笑顔でねちねちと喋り続ける母の姿は、子供ながらに、不安だった。その時はそういう言葉を知らなかったが、今考えると、敬語を使うだけのモンスターペアレントではないか、と思う。 そして自分が世間と徐々に乖離していると気づいたのは、中学校に上がってからだった。 両親。家の食卓で両親がわざわざ解説してくれるニュース。両親が取ってる新聞。送られてくる雑誌。友達。漫画。それだけが全てだった私に、携帯電話が買い与えられた。 そして私は、「世間」がどういう理念で動いているかを知った。 両親は万能ではなかったし、全てではなかった。むしろ、ピエロの様な、少数者だった。 だが私はそれを知っても、どう処理すればよいかわからなかった。 「いい?憲法にはこう書いてある」と両親は時々言っていた。多分、世間一般の人々より、両親は「知的階級」だ。良いことを言っている。正しいことをしている。多分。恐らく。 だが、世間はそう動いていない。そう育てられた私に対しても。 大学生となり家を出て、私は飲み会に行った。 そこで、当時話題になっていた、ある凶悪犯罪を揶揄するネタを余興としてやる男性がいた。 私は、今考えると、自分でもわからないのだが、「そういうのはやめた方が良いよ。まだ犯人だって決まったわけじゃない」と真顔で伝えた。 場はしらけ、そして私は飲み会に呼ばれなくなった。 SNSなら、これはリベラル的な武勇伝となるのだろう。だが私は、はっきり言って、普通に、なりたかった。 人権は、そしてそれを擁護する存在は重要だろう。犯罪だとか治安だとかに対して、「疑う」ことは重要だろう。だが、それは、宗教と同じく、大人になってから自分で学ぶべきことだったのではないか。
「人権派」の家に育って
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