#沖縄伝統行事
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しちぐゎち♪沖縄旧盆♪Okinawan Traditional Event “Obon”
うちなーぐちぐゆみ7月15日(うらんだぐゆみ2023年8月30日)
うってぃから しちぐゎち やいびーんやー。
ちゅーや うーくい なとーびーん。
ありくり はまてぃ くゎっちー すがとーびーんどー!
なままでぃ しきたる むぬ 紹介さびら!
―
一昨日から旧盆ですねー。
今日はうーくい(先祖をお送りする日)です。
あれこれ頑張ってご馳走作ってますよー!
これまでにお供えしたものを紹介します!
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ひな祭り時期の沖宮、那覇市の奥武山公園内にある古い神社。3月3日の桃の節句で女の子の成長を祝う風習。ピンクの提灯が可愛らしい。写真は無料でダウンロードできるようにしていますので自由に利用してください。
Okigu Shrine during the Hinamatsuri season, located in Onoyama Park, Naha City.
This old shrine celebrates the growth of girls on March 3rd, known as the Peach Festival. The pink lanterns are adorable. Feel free to download and use the photos for free.
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裁判員に選ばれた大学生が裁判に参加した際の授業の出欠や試験の取り扱いについて配慮する規則を設けている大学が、九州・山口・沖縄の主要15校のうち約3割に当たる5校にとどまることが、読売新聞の調査でわかった。福岡県内の大学に通う学生が、裁判員裁判に参加した結果、テストを受けられなかったケースも確認された。学生らは裁判員裁判に参加しやすい環境づくりの整備を求めている。(水木智、大森祐輔) 「休みたくなかったが…」 「授業やテストは休みたくなかったが、誰にでもできる経験ではないため裁判員を辞退しなかった」。昨年、福岡地裁で行われた刑事裁判で裁判員を務めた福岡県内の大学4年の男子学生(21)は振り返る。 裁判員として参加したことへの感謝状などを手にする大学生(4月17日、福岡県内で)=画像の一部を修整しています 裁判員に選ばれた後、裁判所から公判日程が記された資料が送られてきた。中間テストと重なっていたため、大学の担当課に裁判員に選ばれたことを伝え、追試験などがないかを尋ねると、職員から「教授と直接話してください」と言われた。 担当教授に相談すると、「どう対応していいかわからない。確認する」と告げられた。その後、教授からは特段の説明がなく、中間テストを受けずに裁判に参加。学生は「被告を目の当たりにして検察官、弁護士の主張に耳を傾け、裁判官と話すことで、犯罪や法律が身近にあることを学べた」と参加した意義を語る。 一方、教授からは「別の課題を用意する」と言われたが、課題が出されることはなかった。期末テストに注力し、単位は取ることはできた。しかし、釈然としない思いを今も抱える。「追試などの代替措置を設けてくれればよかったのに。こうしたことが繰り返されれば、大学生の参加は進まないと思う」と話した。 教員任せの大学も 今回の調査で規則があると答えた大学の中では、立命館アジア太平洋大(大分県別府市)が、裁判員やその候補者として裁判所へ赴く際に公認欠席(公欠)を取得できることをホームページで明示していた。一方、規則を定めていないと回答した大学9校では���教員の判断に任されているケース���多く、うち4校は、授業の出欠などに関する取り扱いについて「学生から申し出があった場合は、常に学部や教員で対応を判断する」などと回答した。 教員による裁量で、事実上の“公欠扱い”を受けることができたケースもある。東京都在住の会社員男性(25)は2022年、関東にある私立大大学院に在籍中に殺人事件の裁判に裁判員として参加した。審理が1か月以上に及ぶことから裁判員に関する公欠のルールを調べたが、見つからなかった。 従業員が裁判員に選ばれた場合、裁判員の仕事に必要な休みを取ることが労働基準法で認められているが、学生を対象にしたこうした法律はない。男性は担当の准教授に相談し、授業は休んだものの、出席扱いにしてくれた。男性は「各大学は統一した裁判員制度に関する公欠のルールを設け、学生がより参加しやすい環境を整えてほしい」と訴える。 文科省の通知なし 裁判員制度は抽選で選ばれた20歳以上の国民が参加する制度として2009年5月に導入されたが、22年の改正少年法施行に伴い18歳以上に引き下げられた。文部科学省は高校を管轄する教育委員会などに対しては制度に参加する生徒を欠席扱いにしないよう要請する通知を出したが、大学に対するこうした通知は「記録上ない」としている。 一方、最高裁が公表している裁判員経験者へのアンケート調査によると、23年中に裁判員を務めた計4525人中、18、19歳は26人で、全体の0・5%。裁判員法には学生らが裁判員の辞退を申し立てられるとの規定があり、学生らの中には学業などを理由にした辞退者もいる可能性がある。 専修大の 飯 考行教授(法社会学)は22年、1万人以上の学生が在籍するなどする大学100校に学生が裁判員に選ばれた際の配慮の有無などを尋ねるアンケート調査を実施した。回答があった46校のうち、25校が公欠扱いや追試を行うなど何らかの配慮をするとしたものの、19校は「特段の配慮はない」などとした。 飯教授は「国立私立関係なく、大学側の意識の差で対応が分かれていると感じる」と話す。その上で「様々な年代の裁判員や裁判官と議論し、責任を持って裁判に参加することは、大学では得られない貴重な経験。入った大学によって学生が不利益を被るようなことはあってはならない」と指摘している。
「学生裁判員」目立つ大学の配慮不足、出欠や試験で規則定めず…テスト諦めるケースも : 読売新聞
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「平和的」という欺瞞に騙されるな 麗澤大学特別教授、元空将・織田邦男
台湾を巡る中国の思惑
11月の米中首脳会談で習近平国家主席は、バイデン大統領に「台湾との平和的な統一を望んでいる」とした上で「米国は台湾の武装を中断し、中国と台湾の平和な統一を支持すべきだ」と���べた。
昨年10月の第20回中国共産党大会では、習氏は台湾に関し「祖国の完全統一を実現することは党の揺るぎない歴史的任務」と断じ、「最大の誠意と努力を尽くして平和的統一を実現しようとしている」と述べた。だが「武力行使の放棄を約束せず、あらゆる必要な措置を取る」と付け加えることも忘れなかった。
台湾有事は日本有事である。だが日本では「平和的」と言った途端、警戒心を解き思考停止してしまう傾向がある。「平和的」の意味するところを正確に捉え、日本の国益に照らし、いかなる影響があるか見極めなければならない。
習氏の言う「平和的統一」とは「不戦屈敵」、つまり戦わずして勝つ「流血なき併合」を意味する。その手段は、台湾住民に対する「認知戦」である。「認知戦」とは心理戦の延長にあり、敵の認知・思考・決定をコントロールする作戦であり日常行われている。
中国では2003年、政治工作条例で「三戦」が正式に取り上げられた。「三戦」とは世論戦、心理戦、法律戦からなり、心理的側面に政治工作からアプローチする情報戦争である。15年には「戦略支援部隊」が創設され、党内に中央統一戦線工作領導小組を設立し宇宙、サイバー、電磁領域のみならず、情報、ネットワーク攻防、心理戦など認知領域の戦いに深く関与するようになった。14年の認知戦、ハイブリッド戦を巧みに利用したロシアによる「クリミア半島無血併合」の影響が大きい。
台湾総統選への工作活動
人民解放軍は伝統的に政治工作を重視する。民心を混乱、動揺させる影響力工作は既に始まっている。偽情報の拡散、演習の活発化、海軍艦艇による接続水域内の航行、戦闘機による接近飛行、周辺海域への弾道ミサイル発射など軍事的威嚇・恫喝(どうかつ)により、戦っても無駄という敗北主義を民心に植え付けることを目的とする。報道によると今年になって中国軍用機による台湾接近飛行は、月平均350機以上にも上る。台湾のメディアに対する買収や報道介入なども公然と行われているという。年明けの総統選挙に対する工作活動は、今まさに絶頂期にある。
平和的であろうが軍事的であろうが、台湾併合は日本の国益を大きく毀損(きそん)する。2022年8月に公表された「台湾白書」で明確になった。白書���江沢民国家主席時代の1993年、2000年に公表され、22年ぶり3回目で、習氏の統治下では初めてだ。
ナンシー・ペロシ米下院議長(当時)の訪台直後に公表され、日本ではあまり話題にならなかったが、台湾政策に大きな転換があった。
これまでの白書では、統一後においても、中国は台湾に人民解放軍を進駐させず、台湾は自前の軍隊が持てるとされていた。だが、今回これが抜け落ちた。香港と同様に、台湾についても「一国二制度」を放棄したということだ。
「平和的」「軍事的」を問わず「中台併合」の暁には、人民解放軍が台湾に進駐する。それは台湾周辺の制空権、制海権が中国の手に落ちることを意味する。日本にとっては座視できぬ死活的事態である。日本のエネルギーの約9割、食料の約6割は、台湾周辺海域を通るシーレーンによって支えられる。この生命線が中国の支配下に置かれるわけだ。
台湾に寄り添う日本の国益
米海軍のプレゼンスも大幅に後退せざるを得なくなり、安全保障上のインパクトは大きい。第一列島線(九州―沖縄―台湾―フィリピン)以西は、既に中国の内海化した感があるが、第二列島線(東京―小笠原―グアム―ニューギニア)まで中国海軍の勢力圏が拡大する。東アジアの米中軍事バランスは崩れ、中国はさらに権威主義的傾向を強めるだろう。東アジア情勢の不安定化は避けられない。
台湾周辺が中国の支配下に落ちても、マラッカ海峡を迂回(うかい)し、ロンボク海峡、マカッサル海峡を通って太平洋南方からシーレーンを確保すればよいという意見もある。だが、某研究所の試算では、1隻当たり約3000万円の迂回費用がかかり、国民の負担は1人当たり年間約4万円弱になるという。人件費や保険料高騰を加味すれば、日本経済に深刻なダメージとなる。
平和的、軍事的を問わず、台湾併合は日本の国益に合致しない。世論調査によれば、台湾住民の9割は「現状維持」を希望しており、日本の国益と合致する。
習氏に誤算させないよう日米で防衛力を強化し、台湾有事の統合抑止を図らねばならないのは論をまたない。同時に台湾が認知戦に負け、敗北主義に陥らぬよう、台湾住民に寄り添う「日本版影響力工作」が求められる。���平和的」という欺瞞(ぎまん)に騙(だま)されることなく、「流血なき併合」も阻止しなければならない。
(おりた くにお)

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2024年5月22日(水)

沖縄・奄美地方が21日(火)に梅雨入りした、というニュースを今朝知った。出勤時にガレージの紫陽花をみると、大分大きくなって額も色づき始めた。拙宅から数軒西に行ったKさん宅では、すでにかなり大きな花が見事に色づいている。大丈夫、焦ることはないよ、雨を待って君のペースで自己表現してくれたまえ。この歳になると、待つということが苦痛では無く、むしろ楽しみに思えるのだからね。

5時30分起��。
洗濯機回す。

朝食。
珈琲。
弁当*2。
空き瓶、45L*1。

TNPで始めた手書きメモ、本日から3冊目に突入する。
ツレアイの職場経由で出勤する。

高槻JCで事故渋滞��10分程度のロス。
昨日の<スタディスキルズ(看護学科)>のレジュメのチェック、みな観察力が乏しい。全角と半角、大文字と小文字、指導のしがいがある。
OneDrive の挙動がおかしい。これまではスクリーンショットを撮るとすぐに<画像>フォルダにアップされたが、その機能が働かない。調べてみると、この仕様は廃止になったとのこと。macOS の場合には、スクショはデフォルトではデスクトップに保管される。そうか、それなら直接<写真>アプリにコピーすれば良いので、かえって私には一手間省けて都合が良い。

日清食品から悪魔のささやき、賞味期限が近づいた商品の激安セール、誘惑に負けてジャンキーなセットを購入してしまった。
水曜日は2限・3限<情報機器の操作Ⅰ(栄養学科)>、今週は<私の好きな〇〇>というテーマでスライドの個人発表、人数が少ないので入力練習も追加する。

帰路は順調、ただし燃費は良くない。途中で、記念メモリー=8888kmを記録した。
糠床メンテナンス、キュウリ漬ける。
酢タマネギ仕込む。
大根とコンニャクを煮込む。

保健協議会から回覧用資料届く、各組長宅に配付する。
ツレアイから早めに出てバスに乗ったとの連絡、それを受けて夕飯準備開始。
彼女が帰宅、すぐにココの点滴。

昨日の見切り品、からすかれいの西京漬けを焼き、タラはムニエルにしてバターソースがけ。我々は残りものをあれこれいただく。
録画���組視聴、新日本風土記。
「長崎 五島列島の春」
初回放送日:2024年5月20日 長崎の西、30ほどの島に人が暮らす五島列島。海流がぶつかる海には伝統の漁場があり、遣唐使の船がたどり着いた島には空海への信仰が根付く。故郷の島を愛する人々の物語 大小140を超える島々が連なる長崎・五島列島。春、進学や就職、転勤などで島を離れる人々を送る盛大なセレモニーが港で繰り広げられる。「東洋一」といわれたブリの漁場では漁師たちが「万越し」をめざし網を引き、お大師さんの信仰が根付く地域では各家の豪華な祭壇で参拝客をもてなす。一方で、水不足に悩んだ島や、島民がたったひとりになった島、児童数の減少で閉校する小学校も…。故郷の島で暮らすことを選んだ人々の物語
桂枝雀、昨晩の続きは「米揚げ笊」。これは小米時代の録音で高校時代にやったネタ。
片付け、入浴、体重は100g減。
パジャマに着替えて日誌書く。

帰宅後、買い物に出なかったので今日も3つのリング完成ならず。
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💗私の宝もの

🛸虹の彼方から
地球🌏へ
✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨
ぼく🌠
お星さまから来たよ
✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨
🛸🐬🐳🛸🐬🐳🛸🐬🐳🛸
25年前、自宅のお風呂で出産した体験記です。
まずは、生まれてから一年後(2000年)に書いた文章にそのままタイムスリップします。
🛸🎶💫🛸🎶💫🛸🎶💫🛸
🐬🎶🐳
1999年3月22日、予定日より少し早く3690㌘の元気な男の子、蒼(あおい)が生まれました🎉🎊
自宅のお風呂でパートナーと二人だけの水中出産です。
おしるしがあってから約三時間後父親の手で無事とりあげられました。
ヘソの緒がつながったままの蒼を胸に抱きかかえ
✨「よく来たねー」✨
✨「よく来たねー」✨
とこみあげてくる愛おしさで一杯でした。
覆っていた薄い透明感のある羊膜をはがすと、蒼は母親の顔を確認するように一瞬目を開け
✨「ふんにゃ〜」✨
と、ひと声
穏やかに優しい産声で挨拶してくれました。
「ぼく来たよ🐬 約束どおり・・・🎵」
そんな風に聞こえました。
それから、オッパイに吸い付いて スヤ…スヤ…スヤ…
そのまましばらく抱きしめていました🍀
ヘソの緒のカットも父親の手によってその辺りのハサミと糸で簡単に終了。
我が子が生まれたというより、再び仲間に会えたような不思議な感じでもありました🛸💫🛸
何となくベビーベッドもベビー布団も用意せずにいたので、私の布団に寝かせることにし、それ��らずっと一緒の布団に寝ています💕
ベビー用品などほとんどないことが、とてもたくさんのスキンシップにつながりました💞
忘れていた自然な出産は、病院での産後と違って母と子がひとときも離れることなく、蒼と二人でゆりかごの中にいたようでした🍀🍃

今までの出産は2回とも帝王切開で、医学上は普通分娩が不可能です。
2回となると傷口が裂けるというリスクが高いのがその理由です。
私の地球人生プログラムの中では、数年前からの様々な体験を通して女性性の解放と癒やしと同時に、この医学の倫理観を覆して命の本質へと戻していくメッセージを感じていました。
出産当日までは、たまーに不安が顔を覗かせたりしながらも導かれる流れにまかせて、深いところでは大丈夫!という確信がありました✨
陣痛が進行する中、ほんの一瞬だけ恐れが頭をよぎりましたが、全てを委ねきったとき内なるパワーは全開になりました✨
夫と二人で向かい合って両手を握り、蒼と三人の呼吸はぴったり合って、ベストなリズムで進行していきました✨
ただただ、
✨「ありがとう」✨
✨「ありがとう」✨
と湧き上がってくる想いが声に・・・
✨知識はほとんど必要なく、お互いに内なる叡智が全てを知っていたことを実感しました💖
🛸お風呂ごと宇宙船の中にいたような気もします🐬🐳
予定の出張助産婦さんが、���産予定日より遅れると言って先に他の出産へ立ち会っている間、同時にあおいは生まれてきました。
夫婦二人だけの水中出産になりそうなことは予定日が近づく頃から何となく感じていました。
出産のリスクを手放し、医学上のリスクを越えて自然出産が実現するには、夫婦二人の統合エネルギー☯️が必要不可欠でした。
(最も必要だったんです)
✨そこは、焦りや不安、恐怖の無い世界✨
✨(魂の)繫がっている安心と喜びのの世界だからです✨
✨ ✨ ✨ ✨ ✨ ✨
そこには、医学の危険なんて全くどこにも無いのです
✨ ✨ ✨ ✨ ✨ ✨
命がけの出産とか言いますが、そんな危険と隣合わせみたいなものではなく、
本来、いのちは
✨愛と光と叡智✨に満たされています💖
そまた、解放と癒やしの原点でもありました🌈
存在そのものへの祝福でした💝
🛸🐬🐳🛸🐬🐳🛸🐬🐳🛸
🎠体験から
想うこと🎠
究極の喜びであるはずの出産は、西洋医学の統計上でしかない危険性をつくりあげられている為、本来の母性が不自然になって妨げられているのを感じます。
(万が一の為に…とか、最悪の場合…等、恐れの思考です。)
母性が本当の意味で大切にされていない現実を、産婦人科の医療という制度で最も強く感じました。
男性社会に潜んでいる女性性への支配や抑圧(恐れ)を、私は産婦人科の現場に垣間見たような気がします。
本来、出産は病院の「ヤマイ」という字のつくところでおこなわれること自体が不自然だと思います。
💧多くの女性自らが、そのようなことにはほとんど気がつかず、疑問に思っていないことは残念な悲しいことです。
不自然になってしまった出産が、アンバランスな子育てにつながり、親子の問題はここから始まっているような気がします。
出産は、女性だけが主人公ではなく、男性と女性が平等に参加することによって、その後の子育ての同じスタートラインに立つことができるのではないでしょうか🎵💫🎶
🛸🐬🐳🛸🐬🐳🛸🐬🐳🛸

🛸🎶💫🛸🎶💫🛸🎶💫🛸
✨このままでいい✨
🛸🐬🎶🛸🐬🎶🛸🐬🎶🛸
💐自宅のお風呂で出産したことは、あふれ出てくる愛と感謝を喜びいっぱい自由に表現できて、命の原点のようなところを実感した体験でした。
💕「イブの出産 アダムの誕生」という本には、水中出産について色々書かれています。
出産は女性性の解放だから
思いっきり声を出して解放しなさい、ということや、
母性は野生性だ���というような内容がありました。
🍃また、生まれてくる赤ちゃんは、激しく泣かないのが、本来の自然体です。
オギヤーと泣き叫ぶのは、元気なしるしなんかではありません。
不安や恐怖で叫んでいるみたいなのです。
本当の命の自然体で生まれると、安心感に包まれているので自然にちょっと声を出すくらいです✨
掌はぎゅっとにぎしめないで、ふわ~と開いてリラックスしています✨
このことは、自然出産した知人たちも同じように語っています。
この出産の2年後、沖縄県宮古島のある助産婦さんのエッセイにも同様の内容が書かれていました。
私のようにしゃがんで産むスタイルは、宮古島の伝統的な出産だということです。
このスタイルは、赤ちゃんが真っ直ぐ真下に降りてくるので、産む側の親にとっても、生まれる側の子にとっても、最も楽な姿勢になります。
🐬🎶🐳
🍀その時、夫は こう語っていました。
✨ものすごい感動だった🎊
✨『自分が産んだ』✨
という実感だ!💫
そして、母子手帳の父親記入欄には蒼に対するメッセージ…💝
感動だった
✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨
✨このままで
いい!✨
✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨
この一言に、人生のありったけの愛を込めて、全身全霊の喜びを表したと思います。
そのまま、ここに全てがあり、完璧、という意味だったと思います✨✨✨
🛸🐳🎵🛸🐳🎵🛸🐳🎵🛸
🐬💫🐳
ようこそ🍃🌱
母なる大地へ
🎉生まれてきてくれて🎊
💐ありがとう
🛸🐬🐳🛸🐬🐳🛸🐬🐳🛸
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初��午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩��紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲��触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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全国宣伝キャラバン in沖縄 レポート(6/7&6/8)
5月5日に行われた本作の完成報告会見にて、「『宝島』は、“人生のバトン”の物語。映画を越える存在になっているこの作品を、皆さんに直に会いに行って届けたい!」と、“宝島宣伝アンバサダー”として全国行脚することを宣言した主演の妻夫木さん。 その<全国キャラバン>が遂に開幕となり、第一弾として、物語の舞台・沖縄の地に広瀬さん、大友監督とともに降り立ちました!

6月7日(土)には、那覇市の劇場・シネマQにて沖縄プレミア試写会舞台挨拶が実施され、沖縄の皆さまへ初のお披露目を迎えるとともに、熱気と歓声に包まれた会場に三人が登壇し、万感の思いを語りつくしました! さらに上映後には、“宝島宣伝アンバサダー”の妻夫木さんが、感謝の想いを込めて、映画を観ていただいた約340名のお客様に名刺を手渡しするサプライズイベントも実施!

妻夫木さん「この映画を通して過去を描くことは未来への問いかけだと思いました。過去は無かったことにはできないし、いろいろな思いを背負って僕たちは生きています。だからこそ精一杯に生きていかなくちゃいけないし、今を生きる僕たちは、未来を生きる子供たちのために、何を託せるのか��、今一度考える時なのかなと思っています。 今こそ手と手を取り合って共に歩む、そういう力持った映画になったと僕は思っています」

広瀬さん「この映画が皆さんにどのように届くのか、どういう景色として残るのかと。思いながら撮影していたのですが、少しでも皆様の希望になる作品になったらいいなと思います。この映画がとても大きな輪になることを願っております」

大友監督「映画は人生を変えるきっかけにもなる、そういう力を持っていることを思いながら、そういう映画の力を発揮できる題材があるとしたら、『宝島』だと思います。アメリカ統治下の沖縄で何が起きていたのか?それをエンターテイメントの中で結論を押し付けるのではなく、皆さん1人ひとりに感じていただけるような映画にしたいと常々話してきた。映画『宝島』は、宝の島と言われているその宝は何だったのか?ということを一人ひとりが考えるきっかけになるんじゃないかと思ってます」


さらに、今回の全国宣伝キャラバンでは“宣伝アンバサダー”としてのお仕事もある妻夫木さん。劇場スタッフの方々とのご挨拶、ポスターへのサインなども行い、温かな気持ちで劇場を後にしました。
宣伝アンバサダーのお仕事 ① 劇場支配人へ宣伝認定証(感謝状)の授与 ② 劇場スタッフの皆さまへ名刺お渡し ③ 劇場スタッフの皆さまと記念撮影 ④ 劇場ロビーに掲出されているポスター等へのサイン ⑤ 舞台挨拶登壇 ⑥ 舞台挨拶終了後お客様全員に1人ずつ名刺お渡し 6月8日(日)は、前日の舞台挨拶の熱気も冷めやらぬまま、那覇市立那覇中学校をサプライズ訪問し『宝島』特別交流会を実施。 “沖縄の平和と未来”をテーマに、32名の生徒たちと熱いトークを交わし、事前に映画を鑑賞した生徒たちが妻夫木さん、広瀬さん、大友監督に直接質問する「質問コーナー」や、キャストから子供たちに質問するなど、温かく時に熱い想いを伝え合い、子供たちの素直な言葉に、勇気をもらう貴重な時間となりました。






最後に、参加した生徒の皆さん全員と並んで記念撮影をし特別交流会は終了しましたが、そこでさらにサプライズ!“宣伝アンバサダー”妻夫木さんによる、名刺配布会が急遽行われました。名刺を渡し握手をし、子供たちからエネルギーを受け取った様子の妻夫木さんは、名残惜しそうに最後まで、熱い交流を交わしていました。


全国宣伝キャラバン、2箇所目は広瀬さんの地元でもある静岡に行きます!
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2025/6/17 11:00:12現在のニュース
ヤマメが「誰にでも釣れる」? 研究進む伝統の仕掛け、試してみると(朝日新聞, 2025/6/17 10:57:31) 石破首相、関税交渉合意には「双方の認識一致せず」 日米首脳会談(毎日新聞, 2025/6/17 10:56:50) 白黒映画「ゴジラ」などAIでカラー化 無断販売の疑いで男性逮捕 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/6/17 10:55:13) 西田氏「ひめゆりの塔」発言の抗議決議見送り 沖縄県石垣市議会、修正要望に野党応じず([B!]産経新聞, 2025/6/17 10:51:01) 「伝説の娼婦」描く「横浜ローザ」 女優・五大路子さんの絶えぬ情熱(毎日新聞, 2025/6/17 10:49:20) 元県総務部長を自民県議が告発 漏えい問題で /兵庫 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/6/17 10:42:53) 人事、もみじ銀行 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/6/17 10:42:13) コメ売れ筋は「ブレンド備蓄米」 銘柄米より1000円安、日経POS分析 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/6/17 10:42:13) セブンが備蓄米販売開始、コンビニ大手3社で取り扱い 先行2社完売も(毎日新聞, 2025/6/17 10:42:00) LINEの通知メッセージ拡充 料金支払い予定日や��航連絡を追加 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/6/17 10:36:08) 高さ15メートルのエノキが倒れる 広島市内、原爆の慰霊碑の壁を損壊(朝日新聞, 2025/6/17 10:35:13) なぜインドや韓国の首脳もG7サミットに参加? 先駆けは日本開催(毎日新聞, 2025/6/17 10:34:13) イランのミサイルは残り何発? 報復はどれぐらい続けられるのか(毎日新聞, 2025/6/17 10:34:13)
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宮台真司『子どもを森へ帰せ』②
宮台 僕が懇意だった廣松渉の四肢構造論は前期と後期のハイデガーの統合です。いわく潜在行為群を文��とした道具性が認知を与えます(飲水という潜在行為がコップを与える)。その潜在行為群は分業連関が与えます。認知を上部構造に、潜在行為群を与える分業連関を下部構造に配当するのが、廣松的マルクス改釈。ハイデガーベースのマルクス理解です。 分業連関が与える潜在行為群という発想は後期ハイデガーの総駆り立て論です。森で暮らすハイデガーは木こりの例が好き。昔は生活に必要な道具を製作すべく木を切る。今は製材所に駆り立てられ切る。製材所はパルプ工場に駆り立てられ製材する。パルプ工場は出版社に駆り立てられ製紙する。出版社は書店に駆り立てられ出版する。書店は読者に……。 駆り立て連鎖は誰かの主体性に服さない。木こりは製材所の駆り立てを拒めば切られる。だから原生自然の贈与に感謝して切り過ぎないというフィジオクラティックな選択肢はない。そもそも駆り立て連鎖の全体性が見えない。資本主義であれ共産主義であれ分業編成の複雑化があれば変わらない。ゆえに自然生態系の破壊は止まらず、気付いたときは遅い。
宮台 事後に熟考しました。話した通り1996年から過剰を回避して「KYを恐れてキャラを演じる」作法が拡大。悩みをすべて話せる友達がいなくなり、友達=知り合いに頽落した。結果、窓開けの率先すら、過剰だと見做され始めた。これは共同体の同調圧力とは似て非なるもの。周囲が何を感じているのかを探らないまま、行為の外形だけをキョロメする浅ましさです。 結果「空気の支配」が、周囲の内面をスキップし、外形にだけ照準したものになる。すると「空気の支配」を破る契機が失われます。山岸俊男が計量分析を元にいわく、一般にイジメを見たときに止めに入るか否かは、同調する者が何人いるかという見立てに依存する。アメリカでは1人いれば踏み出すのに、日本では10人いないとダメ。それが「空気の支配」。
宮台 ユダヤ人と中国人はグローバル化に強い。ディアスポラやジェノサイドの悲劇の共有を経て形成された血縁主義ゆえホームベースが失われないからです。彼らは世界中どこに赴任・留学・進出しても「単身乗り込む」ことはない。どこにでも血縁ネットワークがあり、見ず知らずの者でも同じネットワーク上にあると分かれば、徹底的にリソースをシェアします。 血縁主義とは血縁ネットワークをホームベースとする生活形式。血縁ネットワークに育まれてリソースをシェアされる。疲れたり失敗したりしたら、そこに帰還して力をリストアし、新たにバトルフィールドにリエントリ(再参入)する。リソースのシェアと、バトルフィールドでの戦闘とホームベースでの回復のサイクルが、圧倒的な強さを支えます。 その営みは国境と国籍を超えます。19世紀アメリカでは、清教徒の教義ゆえに差別された、利子を生業とする金融業を、ユダヤ血縁ネットワークが一手に担い、国外に勢力圏を拡大して巨大投資を要する重工業化を支え、各国でユダヤロビーが力を持つようになります。血縁主義を知らぬ者から見ると陰謀を巡らす利権集団に見え、更に差別されるようになる。 日本では久米三十六姓に象徴される中国の伝統で、沖縄だけが例外的に血縁主義です。就職にしろ結婚にしろ、疲れたり倦んだりしたらいつでも戻ってこいというホームベースからのメッセージを受け取り、そのぶん失業率と離婚率が高くなります。沖縄に限らず、失業率と離婚率は必ずしも社会の劣化を意味せず、弱者が助け合うという絆を意味し得るんですね。
アルバート・バンデューラ カナダ出身の心理学者。1925~2021年。主著に『激動社会の中の自己効力』『モデリングの心理学-観察学習の理論と方法』がある。
ラルフ・ウォルドー・エマソン アメリカの思想家。1803~1882年。主著に『自己信頼』がある。
宮台 取っ組み合いの喧嘩は危険。でもそうした経験がないのもまた危険。①イザというときに暴力に立ち向かえない。②程度が分からず手加減できない。③本気の対立を収拾する仕方が分からない。④言語的対立に於いてすら本気を示せない。⑤長じて自己防衛のために公共的意義がある本気の対立に向かえない。⑥喧嘩したからこそ信頼を得て仲良くなるという回路を使えない、などなど。 総じて危険回避ゆえの劣化の危険です。それを昔の人は「雨降って地固まる」と伝えてきました。
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Her Majesty (3)
オールドサンホセ教会の鐘楼は17世紀から19世紀までスペインが島民をグアムに強制移住させ無人島にした上で統治した時代のもので、高さは20メートルほど、さっきタガビーチからもタガ遺跡からも見えていた。趣のあるランドマークといった感じで、珍しいがゆえに、ここに宗教的大規模建築と呼ぶべき遺産が存在することが大きな欺瞞に感じられる。サグラダ・ファミリアや私の地元の横浜駅がまだ完成していないような不思議さと嫌疑。実際写真で見る雰囲気とは違っていた。本当にぼろぼろといった状態でオーガニックな、いやむしろ有機体的と呼ぶべき愛嬌があった。かわいらしいペットのような。そして風景ともマッチしていた。実に優れたスポットだと思う。妻と写真撮影をし、確認してホテルに向かうことにする。
そして今、外の虫の合唱を聞いている。思い返すとこの虫の声はベートーヴェン交響曲第9番「合唱」の第四楽章「歓喜の歌」に似ていなくもない。規定された楽譜を再現する一万人の第九がある。日本人ならおなじみの年末の特番がある���ですよ、とホテル中の人間に教えてやりたかった。私はなぜか夜の空気と虫の鳴き声が誇らしかった。
2日目
2日目のテニアンのホテル。昨日と同じ席。ヨーロピアンだが落ち着いた造りの薄緑の四脚椅子、頑丈なものに違いない。ホテルの客室に戻ってきて妻はいの一番に「あぁ、楽しかった」と口を開いた。私は「楽しくないけど。むしろ暗い気持ちになった」と答えた。名所の内容が暗かったから。
妻は浴室に向かった。向かう際、妻が昨日ドライヤーのコンセントを、本体に丸めて風呂を出たので「ドライヤーコンセントに差しといて」と言った。奇妙な言葉だ。ユングが言わせたんだろう。それかスーサイドクリフが言わせた。スーサイドクリフは湿っていた。だから、この海域は涙の海と化し、我々はそこに最後に取り残された部隊である。二度と戻れない。「ドライヤーコンセントに差しといて」あくまで自己分析だ。カウンセリングの定義に反する。カウンセリングは他者に対して行うものだ。
浴室から出てきた妻は薄手の白いガウンを着ており、私に向かって微笑みかけた。思うところあって妻に近寄り抱きつく。唇に自分の唇を当てる。5秒間のフレンチキス。リアルな時間。リアルな距離。「え、どうしたの」と妻が言った。私は答えずに浴室に向かった。
今日、朝起きたのは7時過ぎで外は太陽が燦々と照っていた。非常に爽やかな朝である。昨日と同じく生垣が邪魔だと感じた。客室を出たのは8時半ぐらいだろうか。ブッキングしたチャーターはホテルの前で待っていた。さっきフロントに連絡しておいた結果だ。おそらく因果関係だろう。ホテルのある島南西からすこし南に離れたタチョンニャビーチへ。スケジュールはサイパンにいる間にチャーターを運行する営業所に伝えてある。早め早めの対処である。ビーチは昨日訪れたタガビーチとそう変わらない風景だった。白い砂浜に透明なビーチ、打ち寄せる波。海の底には何があるというのか。
浜辺でしばらくぼーっとしていた。20分ほどゆっくりと散策し、妻を残し、引き返したところにある自動販売機に向かった。カフェラテにしよう。米国の通貨で支払う。島の上での営利活動。これこそが尾田栄一郎の約束した資本主義だ。さらにそこで20分ほどとどまった。
チャーターが2番目に向かうのは東に向かった先にあるスーサイドクリフ。日本が島を委任統治した時代に太平洋戦争勃発、戦線の拡大によりアメリカが島の戦略的重要性に気づき、軍は1944年8月に占領に成功する。この島から戦争末期において毎日のように本土への空襲へ向かうB-29が��び立った。のみならず広島、長崎へ原子爆弾を投下したエノラゲイとボックスカーはここから出発した。そのような島への米軍の侵攻の際、犠牲になった人々は沖縄からの移住者が多数を占め、それら多くの民間人は同じく移住していた朝鮮人とともになすすべもなく殺された。そのような経緯から集団自決が図られたこの崖には多くの慰霊碑が建造され、毎年慰霊祭が催され、本土や沖縄から多くの者が参加しているということだ。
そのような北マリアナ諸島の歴史は知らなかった。私はあ然とした。いわゆる当時の呼称「南方戦線」のことはよく知っているつもりだった。これは無論政治にかかわる項目であるし、テレビでも夏になれば毎年のように「戦争特集」というかたちで放送する内容だ。おそらく私の及ばぬところがあったのだ、情けなくなったことは間違いない。慰霊碑を眺め辺りを散策していたら30分は経っていたようだ。時計を見た。
3番目に向かったのは、旧帝国海軍、司令部跡である。ここは、第二次世界大戦中に日本海軍第一航空艦隊司令部が置かれていたコンクリート製の2階建ての建物。戦時中にアメリカ軍の砲撃により破壊されたが、建物の形は今も残っている。この遺構は、島北部ハゴイ空軍基地跡地の近くに位置している。以上は英語の観光ガイドを読めば分かる。ジャングルに囲まれたこの遺構を見ると、東本願寺の静謐でありつつも、訪問者の醸し出すものとは違う建築物そのものが本来持つ活気やにぎわいを感じた。あるいは坂本龍一のピアノ演奏とその優しくも正確なタッチ(ピアノの鍵盤を叩く強さ)を思い起こさせる。そして彼の演奏時に見せる苦悶の表情がそこにはあった。きっと司令官とは坂本龍一のような人なのだ。
2日間の島での旅程最後に向かったのはエイブル飛行場と原爆ピットで、前者は先述したB-29が飛び立つのに使った滑走路で、後者は原子爆弾を搭載するのに使ったスポットだ。現地の米軍がノース・フィールドと呼ぶこの広大な飛行場は、島北部の多くを占める山林に囲まれている。ここに来てみてやはり世界の終わりを感じる。文字通り黙示録的なのだ。「エルサレムのアイヒマン」がここにいた。アメリカ人が適当にフォードを走らせていたら、「エルサレムのアイヒマン」に遭遇したといった趣で、そのような揺るがせない脅威がある。アイヒマンは経験論的事実なのだ。昨日の自分に言い聞かせる。やはり1940年代に世界が終わったのだ。それとも1950年代だろうか。離接的総合と離接的読書。私にできるのは読むことだけ。
原爆ピットに向かうと異様な空間の重さと妖気を感じる。現在は使われていない滑走路跡は広場としてあり、学校のグラウンドを思わせた。そこにガラス張りの記念碑が建造されており、建築物としてみると小さい。一風変わった記念碑と言った方が正確で、内部に当時の写真が収められていた。この他にもノース・フィールド内部に別のものがもうひとつあり、そちらは入れないんだとか。チャーターが伝えてくれた。これ以上の肝試しはないだろうと感じる。それもそうだが。日本人の多くが気になる戦争という闇がある。光ではなく闇。アラビアのロレンスのようにはいかないわけだ。日本だったら心霊スポットの仲間入りだな。
そのようにして、夜が来る。すべての者どもは夜へ。今分かっているのはここまでだとでもいうのだろうか……、ひょっとして……。橙色の照明がやけによそよそしい。私の離島を事務的に待ちわびているかのようだ。「朝が来る前に」。「朝が来れば僕ら旅立つ 新しい日々の始まりへ」。これは妻が好きな23年前の日本のポップスだった。この後の予定は放りだしてもよい。さようなら、テニアン。さようなら。
2日後、翌々日のサイパン国際空港でのチェックインを済ませ、あとは帰りの便に乗り込むだけだとセンチメンタルな気持ちになっていた時だった。眼の前にあったテレビがベイルートでのテロを報じ出した。アメリカのNBCテレビで、音声は聞き取れなかったが字幕は読める。現地時間昨日午前7時頃、この場所では昨日午後3時頃に高層ホテルで発生した爆破テロで3発の爆弾が使われたようだった。この報道ではイスラム教シーア派の武装勢力が新たに犯行声明を出したと伝えた。事件の背景について説明するのは控えるが、レバノンの諸外国諸勢力との緊迫状況と外交努力は片手間程度だがリサーチを進めてはいた。なのでそれほど驚きはしなかったが、たしかにこの2年間は起きなかった大きな動きだと言えるだろう。もちろんシーア派武装勢力のことだ。私は苦々しい思いを味わった。しかし普通の人にとっては恐ろしいの一言で済む話だ。午前10時の便に乗った。
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松田るか&照屋監督登壇トークショー付き試写会<オフィシャルレポート>
2月21日(金)の全国公開に先駆け、松田るか&照屋年之監督登壇トークショー付き試写会が、2月7日(金)に東京・一ツ橋ホールにて開催されました。
イベントではサプライズで主演の松田るかさんが登壇し、約650人が来場した一般試写会&トークイベントが行われ、撮影秘話や作品への思いなどを語り、会場は感動と笑いに包まれ大いに盛り上がりました!

映画が終映すると会場は大きな拍手に包まれ、さっそく照屋監督がステージへ登壇。大きな拍手で迎えられ、「短編や長編を15年前からコツコツと作り続け、今回の作品を含めて14本目になります。前作の『洗骨』から約6年ぶりの長編で、(本作は)約2年前には完成していたのですが、やっとみなさまにお届けできることができてホッとしていますし、映画が終わった後に拍手が起きていたので、満足していただけたのかなと思い、嬉しく思います」と感慨深げに語った。

また美花役を演じた主演の松田るかについて、「彼女は沖縄出身で、いじめっ子役から3歩下がったお淑やかな演技をするいろんな顔を持った女優さんということを知っていたので、松田さんにオファーをしたら快く受け入れてくださって。美花は喜怒哀楽も激しくて、とても難しい役だったと思います。美花を演じた上での町子も(父親の前で)演じるっていう、結構複雑な役だったと思うんですけれども、それも見事に演じてくださいました。最後のシーンではものすごく美花が愛おしくて、見終わったら美花のことを大好きになっていると思うんですよね。みなさん美花のこと好きですか?」と観客に問いかけると、答えるかのように大きな拍手が起こった。
するとここで照屋監督の呼びかけとともに、サプライズゲストとして松田るかが登壇し、会場は大盛り上がり!

松田は「いかがでしたか?なんて聞こうと思ったんですけど、皆さんの表情を見ていると、楽しんでいただけたのかなと思っております。」と挨拶。主人公の美花について松田は「(監督が)おっしゃっていたように喜怒哀楽がすごい激しい役だったんですけど、それだけ親から深い愛情を受けてたんだなって。あんなに怒ったり泣いたりって、あまり家族の前ではそんな感情を出せない人は出せないし、それをストレートに表現できるって、美花がどれだけ愛されていたかが表れていたんだなと思いました。」と振り返った。

また浅野忠信や堀内敬子への方言指導について、「堀内さんはよく台本を開いて『るかちゃん、これってどう読むの?』と発音について聞いてくれました。浅野さんの指導は照屋監督が録音した音声を使って行いました」と明かし、照屋監督は「浅野さんは気を抜くとなぜか東北訛りになるので、『もう少し南に下がってください』とよく言っていました(笑)」とユーモアたっぷりに撮影時のエピソードを披露。

初めて照屋監督の作品に参加した松田は、撮影現場の印象について、「照屋組はすでに何本か作品を撮っていて、チームワークができている現場でした。ちゃんと最後のシーンや、ここ力入れたいよねっていう重要なシーンはしっかりと時間をかけてくださって、メリハリがすごくある現場だなと思いました。」と述懐。照屋監督も「そのスタッフとは10本以上一緒に沖縄を舞台にして撮影しているので、お互いに冗談を言い合いながら、カメラセッティング、照明を合わせたりしたりして。でも喧嘩をするシーンや泣くシーンなどの真剣な場面では、みんな静かで一切喋らずにセッティングするっていう、もうお互いにそのシーンをわかった上での環境作りができています。だから東京から来た役者さんはこの現場を結構気に入ってくれます。」と照屋組のスタッフについて紹介。

そして本作の原案、脚本、監督を務めた照屋監督は、ストーリ��の着想について「もともと満島ひかりさん主演で『演じる女』という短編を撮ったのですが、それを長編にしたものです。人間関係において、みんな色々うまくいかないこともあるじゃないですか。父と娘の確執の中で、人はどのように許しを与え、また受け入れるのか。『死』を前にした時に、最も美しい赦しや見送り方とは何なのかを描きたくて、この作品を作りました」と今作のなり立ちと想いを語った。
松田は「『演じる女』を観ていたので、それが長編になるということで、一体どんな風になってるんだろうってワクワクしながら台本を読んだんですけど、1番最初に感じたことは、人間が生きてるなって思いました。なので役作りで大変だったことはありますか?とよく取材で聞かれたんですけど、読んでいけばおのずと美花になれるようになってると言いますか、台本に身を任せていれば私は美花になれるというすごい安心感がありました」と振り返ると、これに対し、照屋監督は、「嬉しいです。結構難しいシーンとか多かったと思うんですよ。お母さんと台所で口喧嘩になるシーンもあれば、浅野忠信さんに向かってものすごい勢いで怒ったりとか。そういう感情の激しい中で、よくぞあの演技を使い分けてくださったなって思ってます」と松田の演技を絶賛。

浅野忠信との共演について、松田は「すごくチャーミングで、すごく可愛らしい方でした」とコメント。照屋監督も「あんなに低姿勢な人だとは思わなかったです。皆さんの想像をはるかに超える腰の低さで、最初は小銭落としたのかなと(笑)。ただただ腰が低かったんです。ただ演技には真摯に向き合う方で、涙を流すシーンでは10回ほどテイクを重ねても、最後まで真剣に取り組んでくださいました」と浅野の人柄を明かした。
また照屋監督は「台所のシーンで町子が言う”あるセリフ”が思い出に残っています。撮影の時にそのセリフを言い終わった後、全スタッフが拍手しました。」とエピソードを語り、松田も「すごく映画の現場が大好きになりました」と話した。

今回のタイトルである主題歌の「かなさんどー」を歌ってみてどうだったかと言う問いに対し、松田は「伝統的な歌い方というものをそもそもしたことがなかったので、できるのかなとすごい不安だったんですけど、実際に指導を受けてみると、先生に『あなた耳いいね。やっぱうちなんちゅ(沖縄の人)だから自分の中にあるんだね』って言ってもらって。沖縄に住んでる時に、自分から聞こうとしなくても、どこからか民謡がずっと流れていて。そんな環境の中で育ったので、自分が気づかなかった県民性みたいなのに改めて気づかされました」と振り返った。監督は「町子と悟という夫婦の愛を歌った沖縄民謡の歌詞をたくさん調べる中で、『かなさんどー』の歌詞がいちばん2人を表現していました。でも原曲は非常にポップなので、バラードに変えていいですか?と前川守賢さんに言ったところ、快く了承いただきました。そして今回『演じる女』じゃなくて、もうそのまま『かなさんどー』というタイトルも使わせてもらいました」とタイトルの由来を語った。

本作の作品にかけて“理想の夫婦像”について問われると、松田は「背中を預けられる人」、照屋監督は「人生というジェットコースターの中で、疲れない関係が長続きの秘訣」とそれぞれの考えを述べた。
イベントの最後には、松田が「この映画を観て、誰か大切な人の顔が思い浮かんだら、その人にぜひ『かなさんどー(愛してるよ)』と伝えてほしいです」とメッセージを送り、照屋監督は「日常には楽しいことばかりでなく、辛いこともあります。僕はエンタメに救われてきたので、皆さんの背中をそっと押せるような作品を作りたいと常に思っています。今日の拍手を聞いて、それが少しでも実現できたのかなと感じました。本日はありがとうございました」と感謝を伝え、大盛況の中、イベントは幕を閉じた。

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25年1月1週目
就職してから初めての長い年末年始休みだった。旅行行かないのに6連休取ったのは初めてだ。
映画や本などいろいろ借りたけど想定通り全然見切れなかった。カレーやクロテッドクリーム・スコーンなど作りたいものは作ることができた。
映画は『告白小説、その結末』『ムトゥ、踊るマハラジャ』は今ひとつ集中できなかったけど、台湾映画『セデック・バレ』がすごかった。DVD2枚組4時間半の大作なので、腰を据えて観ることができて本当に良かった。台湾の先住民セデック族は山の中で狩りをし、男は敵対する部族の首を狩ることで1人前の戦士として認められ、死後も祖先に迎え入れられ安らかに暮らせるという言い伝えを元に生きていた。日清戦争後、台湾の統治は日本に変わり、山の部族に対しても日本教育が強制され、安い賃金で働かせていた。それがある出来事をきっかけに山の部族が日本人に反旗を翻す。実在した事件がモデルとなった作品。この映画のすごいところはセデック族はセデック族の血を引くものが、日本人は日本人が、おそらく華人は中国人が演じているところ。それぞれの立場の演技に違和感がない。よく中国映画とかで首をかしげてしまう片言の日本語はこの映画ではリアルにネイティブではない者の発話なのだ。主役の方も俳優ではないらしい。足や動きを見ると本当に迫力があり、それもまたリアリティを感じさせる。セデック族が日本人と戦ったのは、暮らしを取り戻したかったからではなく、誇りを取り戻したかった、つまり死後に祖先に迎え入れられるためであった。日本人の大戦の最後もそうであったけど、そういう考え方は失うものがなく、1番敵にしてはいけないタイプだと思う。沖縄でアメリカ人に捕まることを恐れ、家族が自分の家族を殺して自死した話を聞くけれど、ここで起きていたことと同じだったのだと思う。戦争は始まってしまえは誰かの力で止められるものではなく、だからこそ始めてはいけないのだと思った。
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在沖縄米兵の性的暴行事件が相次ぎ発覚した問題を受け、米軍の特権を定める日米地位協定の抜本的改定を求める集会が2日、東京都内で開かれた。沖縄の女性史を研究する識者は、戦後も伏せられながら続いてきた米軍性暴力の構造を指摘。改定なき「運用改善」には限界があるとし、地方で声を上げ、国際社会に人権問題として訴えようという動きも起きている。(中川紘希、宮畑譲) ◆「隠された事件まだある」政府へ怒り 「またか、と思った」。沖縄県で起きた米兵らの性犯罪を調べている女性史家の宮城晴美さんは、女性団体が主催した2日の集会で怒りをにじませた。 米兵による性暴力について講演する宮城晴美さん=東京・永田町の衆院第1議員会館で(佐藤哲紀撮影) 県では6月、昨年12月に16歳未満の少女を車で誘拐し自宅に連れ込み、同意なくわいせつな行為をしたなどとされる米兵の性的暴行事件が相次ぎ2件発覚。事実を把握した県警や外務省は県に連絡せず、いずれも報道で明らかになった。 宮城さんは、警察統計の数字でしか表れない性犯罪事件があると把握していたとし、「隠されている事件はまだたくさんある」と指摘した。県議選が終わった後で事件が明るみとなったことについても、「沖縄の危機感をあおらないようにする政府の姑息(こそく)なやり方」と批判し、沖縄の「いらだち」を代弁した。 ◆米兵ら性犯罪被害、沖縄戦以降少なくとも948人 宮城さんは日本復帰前の琉球政府や米軍資料、新聞、書籍を基に沖縄の米兵の性犯罪を年表として冊子にまとめている。沖縄戦があった1945年から2021年までに、少なくとも948人が被害に遭ったと報告。冊子は13版を数える。 「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」がまとめた米兵による性犯罪の冊子 宮城さんによると、米国統治下に置かれた沖縄で、米兵たちはけが人を救助すると同時に、性暴力も重ね、病院に入院した重傷の女性を襲うなどした。ベトナム戦争が始まった1960年代には、米兵らの事件は凶悪化。ホステスの女性が裸で埋め立て地や墓地に放置されるなどの事件も相次いだという。 その背景を、宮城さんは「米軍の中に『沖縄は力で奪い取った戦利品』という意識がある。女は襲ってもいいと暗に思われていた」とみる。 ◆「落ち度論」に阻まれ、伏せられてきた被害 一方で性被害の多くは伏せられてきた。その理由の一つが、沖縄の女性への「落ち度論」だ。55年に6歳の少女が暴行を受け、殺害、遺棄された事件では「母親が1人でエイサー(伝統舞踊)に行かせたのは軽率」と批判され、被害者側に追い打ちをかけた。夫の家を重んじる沖縄の家族制度において、被害女性の側が家族や集落に責められることもあ���たという。 米兵3人による95年の女子小学生暴行事件で、女性団体が声を上げたことで「戦後50年たってようやく、米軍基地問題が女性の人権の視点から問われることになった」と宮城さん。事件をきっかけに、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の返還合意が動き出した。 ◆発覚遅らせる日本政府の「プライバシー保護」論 集会には、自衛隊の南西シフトが進む宮古島市の元市議、石嶺香織さんもオンラインで参加。日米一体の軍拡への不安の中で、今回の性的暴行事件が発覚したと指摘。日本政府が「プライバシー保護」を理由として県に連絡しなかったことを批判し「名前は出さなくても具体性を持たせて発信すれば、予防や注意ができるはずだ」と訴えた。 米兵による性暴力について講演する宮城晴美さん=東京・永田町の衆院第1議員会館で(佐藤哲紀撮影) 名古屋学院大の飯島滋明教授(憲法学)も集会に登壇。日米地位協定では米軍の公務中の犯罪の第1次裁判権は米国にある。「日本の刑事裁判権が著しく侵害されている」と協定の改定を訴えた。公務外の犯罪を巡っても日本政府は53年、重要な事件を除き裁判権を行使しない方針を米側に伝達。2011年に判明し「密約」と批判された。日本政府は「双方の合意はなかった」と密約説を否定したが、飯島教授は米兵の性犯罪の起訴率の低さに触れ、「密約の影響を考えないといけない」と指摘した。 ◆機能しなかった日米合意、県には今も米側から連絡なし 1995年の米兵による少女暴行事件を受け、日米両政府は97年に事件・事故を速やかに通報することで合意。しかし今回、通報が徹底されていない実態が明らかになり、日本政府は、捜査当局が公表しない事件についても「可能な範囲」で沖縄県に連絡するよう今年7月から運用を始めた。 在日米軍司令部も7月、再発防止策を発表。在日米軍幹部と県、地域住民が意見交換する「フォーラム」の新設を表明した。ただ、県基地対策課によると「外務省から『今後、調整したい』との連絡はあるが、米側から直接のコンタクトはない」というのが現状だ。 ◆県に通報、報道発表がなかった例、長崎でも 2日の集会でも「運用改善だけでは、根本的な解決にならない」と批判が上がった。さらに、在日米軍基地がある沖縄以外の地域でも近年、報道発表や県への通報がなかったことが判明し、波紋は広がっている。 米海軍の佐世保基地がある長崎県では2016年、17年に米軍関係者による性犯罪事件があり、書類送検されたが、県警は公表しなかった。この報道を受けて佐世保市の女性団体「佐世保女性ネットワーク」は先月、事件の速やかな公表や、再発防止策を市に申し入れた。 しかし、市からは県を通じ、県警に「コメントできない」と対応されたと伝えられただけという。ネットワーク役員の山崎満喜子さんは「警察は個人情報を盾にしている。全て明らかにする必要はないが、加害の実態が明らかになって、初めて再発防止策につなげられる」と憤る。 ◆国連女性差別撤廃委員会で人権状況審査へ 7月には、各地の地方議員有志でつくる会が、外務省や防衛省などに抗議。賛同者は260人超に上った。同会は、9月議会で提出する意見書の準備を進める。東京都小金井市の片山薫市議は「意見書の細かい内容は、議会ごとに出しやすいものに変えていく。ただ、沖縄のような事件やその隠蔽(いんぺい)は許されない、各自治体に知らせるべきだ、との趣旨は共通している」と話す。 外務省前で米兵の暴行事件について抗議活動をする人たち=7月2日、東京・霞が関で さらに、世界に訴えようとする動きもある。国連の女性差別撤廃委員会が10月、スイス・ジュネーブで、日本の女性の人権状況について審査する。審査では市民団体が提出したリポートも参考に、日本政府への意見が出される。 ◆「米兵の性犯罪は沖縄だけの特殊な事例ではない」 リポートをまとめた、沖縄の大学で非常勤講師を務める親川裕子さんは「米軍から派生する性暴力を日本国内の法律、制度でどう防止していくのかを明らかにするよう訴える」と話す。10月は現地を訪れ、委員へのロビー活動を展開する。国連から勧告が出れば、今後の国会での議論につながることが期待できるとし、「最終的に偏在する沖縄の基地の整理、縮小への一助になれば」と思い描く。 宜野湾市の住宅密集地に隣接する米海兵隊普天間基地(後方) 前出の飯島教授は「自民党などが『日本を守る』というならば、改憲よりまず地位協定を変えるべきだ」と強調する。全国に広がる抗議のうねりを受け、「米兵の性犯罪を、沖縄だけの特殊な事例とみなすことはできない。誰にでも起こりうることであり、被害の苦しみはずっと続く。その感覚を持ち、地位協定の見直しを含め国に求めるべきではないか」と呼びかけた。 ◆デスクメモ 「また防げなかった」。5年前、米兵が日本人女性を殺害した事件を受け開かれた沖縄の集会は悲嘆に包まれていた。飲酒運転の米兵の車の事故で両親を亡くした女性は「戦争がなくても今も沖縄は平和と言えない」と話した。13版を重ねる宮城さんたちの冊子は軍の暴力性も物語る。(恭)
米兵の性暴力「まだ隠されている」 沖縄だけでなく他県にも 積み重なる犯罪 記録が示す被害の構造とは:東京新聞 TOKYO Web
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)12月1日(金曜日)
『中国の代理人』、最後の『パンダハガー』の大物
怪物キッシンジャー、毀誉褒貶のなか、百歳の大往生
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1971年、世界に孤立していた中国に「利」を説いて近づき、反米路線を大胆に修正させたリアルポリティックスの体現者は、その北京秘密訪問が劇的だったので、なぜかアメリカ外交の立役者のように言われた。
じっさいに現在のホワイトハウスの対中影響力よりヘンリー・キッシンジャーの立場は強いと評価された(台北タイムズ、12月1日)。なお中国語のメディアはキッシンジャーを基辛格(環球時報、連合報)、季辛吉(台湾『自由時報』)と書く。
キッシンジャーは1969年から1977年までの八年間、米国外交の舵取りを担った。ロックフェラ-の外交顧問だった彼を政権に招き入れたのは���チャード・ニクソン大統領だった。
ニクソンとキッシンジャーが、外交で重視したのはリアリティであり、モラルやイデオロギーより優先し、力の均衡で冷戦構造を形成した文脈では戦後米国外交の立役者ニクソンと並ぶだろう。
ところがFBIの工作でウォーターゲート事件のスキャンダルに襲われたニクソンがレイムダック入りした時期に、キッシンジャーはするりと外交の主役の座をもぎ取っていた。
従来の歴史学に重点に置いて学説、地政学の伝統に囚われてき外交を、リアルポリティックの実現に結び、米中関係の回復、ソ連の孤立化を導き出した。これは元来、ニクソン大統領の発想だった。ところが、北京秘密訪問を演じたキッシンジャーにスポットが当たった。
当時、NYタイムズにでた風刺漫画を筆者は鮮明に記憶している。
ニクソンとキッシンジャーがホワイトハウスの庭を歩いている。柵外からみていた見物人が言う。
「ところでキッシンジャーのとなりにいるのは誰だい?」
キッシンジャーは泥沼に嵌まっていたベトナム戦争を早期終結されるため、ラオス、カンボジアのホーチミンルートに秘密爆撃をなして圧力をかけ、ベトナムと交渉し、停戦をもたらす「功績」があった。
これでノーベル平和賞をうけたのが、彼の絶頂だったのではないか。
「あのノーベル賞はいかがわしい」とする世評をよそに、トニー・ブレア元英国首相などは「外交を芸術にした」などと褒めあげた。「和製キッシンジャー」と言われた若泉敬(佐藤栄作時代の沖縄返還の密使)は、「キッシンジャーの著作に書かれたことを信用するな」と言っていた。
NYタイムズのコラムには「偽善者」というコラムが掲げられた(11月30日)。
キッシンジャーは中東和平でもエジプト、シリアを説得し、中東地域の秩序と安定を優先させたが、最大の成果はサウジアラビアとの密約で「ペトロダラー体制」を構築したことである。
▼リアリスト外交官の光と影
一方でキッシンジャーはチリの軍事クーデターへの介入など暗い面も多く、セイモア・ハーシェ、オリバー・ストーン等はキッシンジャーを「戦争犯罪人」と呼んだ。ニクソンを継いだフォード政権下で引き続き米国外交を担い、ときに大統領よりパワフルだった。
「中国は一つ」という幻影を作り上げたのはキッシンジャーであり、北京訪問は百回を超えたが、台北へは一度も足を踏み入れなかった。『中国の代理人』の面目躍如だ。
「台湾問題は解決不可能。戦争を避けるには時間の経過をまって、米中の話し合いでしか前進はない」などと台湾を不快にさせる発言が連続した。台湾はキッシンジャーを評価しないのも当然である。
1977年に理想主義を掲げたジミー・カーター政権が誕生すると、晴れ舞台をさった。替わって安全保障担当の大統領補佐官となったのはポーランド系ユダヤ人のズビグニュー・ブレジンスキーというグローバリスト、中国礼賛学者だった。
大統領当選前の1976年にカンザスシティで開催された共和党大会で、ロナルド・レーガン「キッシンジャーとフォードの下でこの国は、二番手になることは致命的ではないにしても危険な世界で、軍事力で第二位になった」と指摘していた。
米国の保守派はキッシンジャーを首肯していなかった。
1981年から82年までのレーガン政権では、キッシンジャーは共和党主流派から遠ざけられた。レーガンの支持者の多くがキッシンジャーを蛇蝎の如く嫌った。「反共」の信念が希薄だと言うのである。
このため、かれはロビィ活動と著作活動で、外野席からの影響力を保持した。
キッシンジャーは1982年に親中ロビィ団体「キッシンジャーアソシエイツ」を設立し、スコウクラフトら歴代大統領補佐官を政権中枢の送り込み、事実上の中国外交を舞台裏で担う。最大の顧客は北京だった。
晩年にニクソンは言った。
中国の不気味な台頭に「われわれの意図に反して、フランケンシュタインをつくってしまったのではないか?」。
米国外交は道を誤った。
キッシンジャーは、結果的に「中国の代理人」だったことを忘れてはならないだろう。だから中国はキッシンジャーが訪中すると特別待遇で報い、五月の百歳誕生日にはわざわざ王毅外相がNYの国連本部に近いキッシンジャーのオフィスに挨拶に訪れ、七月の訪中でも習近平がじきじきに会った。
▼米国が中国の脅威を認識するに時間がかかった
中国が軍事大国としてのしあがり、アジアの脅威となると、対中国スタンスを徐々に変えたのはオバマ政権後半からだった。
だが、オバマ政権は外交的手腕のないブレーンで周りを固めたため、大胆な方針の切り替えは出来ず、トランプの登場を待たなければならなかった。
トランプは就任前にキッシンジャーをNYのトランプタワーに呼んだ。しかし彼の言うことを「聞き置く」だけで、はっきりと安全保障方面では中国敵対路線に切り替えた。
この基本方針だけはバイデンも踏襲した。つまり、トランプ政権誕生でキッシンジャーの神通力は消えていたのだ。
キッシンジャーが拘わった各国は如何なる反応をしたか?
中国は「中国を理解した最大の友人を失った」とし、「米中時代の終わり」という論調が華字紙に溢れた。
インドは「彼は一度、インドを蹴飛ばし、やがて近寄ってきた」(『ザ・タイムズ・オブ・インディア』、12月1日)と評価は冷たい。
イスラエルは「ユダヤ人ならびにイスラエルにとって、キッシンジャーは英雄であり、また悪人である」(『ハーレツ』、11月30日)
米国は「毀誉褒貶甚だしいが、かれが冷戦構造を形成した」(NYタイムズ)
「権力こそが最大の媚薬であると信じた世界情勢の巨人」(英紙『タイムズ』)
キッシンジャーは反日家だった。日本での講演はべらぼうな額をふっかける「商売人」の側面が強くあった。
それはともかくとして、現在のブリンケンもサリバンも、最後のパンダハガーの威圧的風圧に比べるとその力量たるや、軽い、軽い。
平林たい子が中曽根を評して「鉋屑(かんなくず)のように軽い」としたが、バイデン政権における米国外交の担い手たちの軽きこと!
▼ロシアはいかなる反応を示したか?
モスクワタイムズは次のように報道した(11月30日付け)
「キッシンジャーは、冷戦時代に米国のソ連との緊張緩和の主要な立案者として、米国の外交政策だけでなく、ロシアの外交政策にも消えない足跡を残した。ウクライナ戦争中、ロシアと米国の対立が激化していることに深い懸念を表明する一方で、ウクライナのNATO加盟支持を途中から(23年5月から)主張するようになった。」
英誌『エコノミスト』で、「もし私がプーチン大統領と話したら、彼もまた、NATO加盟国であるウクライナのほうが安全だと言うだろう」とし、ロシアと中国の関係の将来については懐疑的だった。
キッシンジャーは同誌のインタビューで続けた。
「両国間の制限のないパートナーシップの公式宣言にもかかわらず、北京とモスクワ双方での相互軽蔑を感じた。私は中国について良いことを言ったロシアの指導者に会ったことがない。そして、ロシアについて良いことを言った中国の指導者に会ったことがない」
クレムリン宮殿は下記のプーチン談話を発表した。
プーチンはキッシンジャー氏を「優れた外交官、賢明で先見の明のある政治家」と評し、「外交政策への現実的なアプローチはヘンリー・キッシンジャーの名と密接に結びついており、国際的な緊張緩和を実現し、世界安全保障の強化に貢献した最も重要なソ連・アメリカ協定を締結することを可能にした」と評価した。ホンネとはとれない。

最後にキッシンジャー路線とは距離をおく情勢の流動化のなか、米国の「レーガン基金研究所」が11月30日に発表した世論調査では「中国が台湾侵攻した場合、アメリカ国民の72%が台湾独立を支持する」とした。
NYタイムズは台北総督府で蔡英文総統にインタビューを行った。これも異例の珍事である。
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すぐに修復、第2撃通用せず UCB長期サイバー安全保障センター「紛争時のサイバー作戦」 有事を読み解く㉔ 2024/12/24 10:00 今後起き得る戦争は必ずサイバー攻撃を伴う。これは多くの専門家が共有する見解だ。だが、サイバー作戦が、大規模な被害を伴う事態や軍事的な紛争にエスカレートしやすいか否かは見解が分かれる。米国と中国が台湾をめぐり対峙(たいじ)した場合、サイバー作戦はどのような役割を果たすのか。米大学の研究機関が発表した分析では、危機発生時のサイバー作戦は、事態のエスカレーションを防ぐ効果を生むと結論付けた。
サイバー戦が重要な領域と認識されるにつれ、従来の常識を当てはめてサイバー戦を理解しがちになる。例えば、サイバー攻撃により重要インフラの機能が停止すれば、敵からの組織的かつ計画的な攻撃の一環と捉えられ、物理的な破壊を伴う武力紛争に発展するという具合だ。
米海兵隊大のベンジャミン・ジャンセン教授らは2018年に米カリフォルニア大バークレー校(UCB)の研究機関「長期サイバー安全保障センター」で発表した論文「紛争時のサイバー作戦」で、こう指摘した。
「多くの場合、研究者は戦略的核抑止のような旧世代の概念をサイバー抑止に当てはめようとするが、このようなアプローチには大きな限界がある」
台湾艦が機能停止 ジャンセン氏らの論文では、米国と中国の間で台湾をめぐる緊張が高まったシナリオを提示し、ウオーゲームで米中それぞれの役割を割り振られた参加者にサイバー作戦をどのように使うのか聞いた。シナリオはこうだ。
《尖閣諸島(沖縄県石垣市)の約5キロ沖合で、台湾軍のコルベット艦が中国軍の駆逐艦に航行を阻止された。この直後、台湾のコルベット艦に異常が発生する。航海ナビ、エンジン、レーダー、ソナーシステムの全てが制御不能となったのだ》
台湾のコルベット艦「沱江」(田中靖人撮影) 台湾のコルベット艦「沱江」(田中靖人撮影) 中国側は台湾コルベット艦を移動させるため乗艦を求めたが、コルベット艦を中国本土の港に移動させられれば、軍事機密を知られてしまう恐れがあった。
《台湾当局は、コルベット艦のトラブルは中国の電子・サイバー兵器が原因と断定し、謝罪を要求した》
各国政府は状況を不安視しながらも公式声明を出せないでいた。こうした中で、米国が行動に出る。
《米政府は中国の行動を「まぎれもなく攻撃的だ」と断定し、空母部隊を現地に派遣した》
こうしたシナリオを前提に、米国役、中国役の参加者は「サイバー」「軍事」「政治」に大別される計12個のオプションを提示され、この中から行動を選択した。例えば、サイバーなら「相手が下した攻撃命令を検出」「相手の軍事防衛システムを攻撃」、軍事なら「全部隊が近傍を警戒監視」「敵の拠点を攻撃」といった選択肢の中から1つを選び、これを3回繰り返すゲームを計8回行った。
ウオーゲームの結果、米中双方ともサイバー作戦を抑制的に使う傾向が明らかになった。
中国役の参加者の多くは「様子見」のオプションを選び、米側の意図を把握するため、サイバー空間でのスパイ活動と伝統的な警戒監視を強化した。あるいは、国連や地域の国際会議で正当性を主張し、軍事、サイバーのいずれでも防御的姿勢を取った。
これに対し、米国側は、一部の参加者が中国本土のネットワークに攻撃を加えたものの、大勢は部隊の配備やサイバー防衛の強化を選択するなど中国側と似たような行動パターンがみられた。
1600人を対象とし、3つの選択肢から行動を選んでもらったインターネット調査でも、52・3%が最も穏健な「敵が第1撃を仕掛けてきた場合のみ、サイバーやその他の領域で高レベルの報復を行う」という選択肢を選んだ。
攻撃をためらう訳 なぜ、参加者は敵の軍事システムを破壊するようなサイバー攻撃をためらったのか。論文では、サイバー戦能力の特徴が原因の一つだと指摘した。
「大規模サイバー攻撃は一度使ってしまえば能力が使えなくなってしまう可能性が高い」
攻撃を受けた側は、システムの脆弱(ぜいじゃく)性に気づき、修復する可能性が高い。これにより、サイバー攻撃の第2撃は通用しなくなってしまう。
このため論文は、通常のサイバー作戦をスパイ行為やプロパガンダ合戦の手段として利用されると位置づけた。つまり、サイバーは、戦争や戦略的エスカレーションの領域ではなく、こちら側の決意を相手に伝えたり、敵の評判を落としたりするために使われるということになる。
ただし、ロシアは22年2月にウクライナ侵略に着手する直前、大規模なサイバー攻撃を行っている。このため、仮にサイバー作戦が意図しないエスカレーションを招く可能性は低いとしても、攻撃側が本格的な戦争に踏み切る覚悟を決めている場合は、サイバー戦がエスカレーションの一環となり得ることに留意する必要がある。
(杉本康士、田中靖人)
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(すぐに修復、第2撃通用せず UCB長期サイバー安全保障センター「紛争時のサイバー作戦」 有事を読み解く㉔ - 産経ニュースから)
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