#沖縄島料理 食と暮らしの記録と記憶
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ishiduca · 2 years ago
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 ほかにも、1958年に創業し琉球王朝の宮廷料理を守り続ける料理店、米軍占領下の雰囲気が濃く残るステーキハウスの名店、嘉手納基地のゲート近くで営業を続けるカフェなどが掲載されていて、ひとつひとつがまるで映画のような濃密な時間と場面を見せてくれます。
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mxargent · 2 years ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島��両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服���尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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groyanderson · 4 years ago
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☆プロトタイプ版☆ ひとみに映る影シーズン2 第八話「シャークの休日」
☆プロトタイプ版☆ こちらは電子書籍「ひとみに映る影 シーズン2」の 無料プロトタイプ版となります。 誤字脱字等修正前のデータになりますので、あしからずご了承下さい。
☆ここから買おう☆
(シーズン2あらすじ) 私はファッションモデルの紅一美。 旅番組ロケで訪れた島は怪物だらけ!? 霊能者達の除霊コンペとバッティングしちゃった! 実は私も霊感あるけど、知られたくないなあ…… なんて言っている場合じゃない。 諸悪の根源は恩師の仇、金剛有明団だったんだ! 憤怒の化身ワヤン不動が、今度はリゾートで炸裂する!!
pixiv版 (※内容は一緒です。)
དང་པོ་
 高々とそびえる須弥山の麓。宙にはトンビやカラスが舞い、地上では鮎や鯉が戯れに滝を登る。その平穏な滝壺のほとりで、徳川徳松少年は私達に今生の別れを告げる。 『あんたらは何も気にしないでいい。地獄行きはぼくだけだ』 「そんな」  光君はしゃがんで徳松の両肩に触れた。 「利用されてただけで。地獄など!」 『ダメだ。御戌神は沢山殺しすぎた。誰かがその業を背負って行かにゃ、地獄の閻魔さんが困っちまう』  ……野暮な事実だけど、現代に地獄や極楽へ行く人は稀だ。大昔は全ての神仏と霊が宗教という秩序のもと、亡くなった人の魂を裁いたり報うための聖域が幾つも設けられていた。けど地球全土が開拓され人口過多の現代では、そういった聖地を置ける場所も管理する神仏も足りていない。誰もが知っている程の重罪人や、誰が見ても割に合わない一生を遂げた善人だけが、狭小な聖地へ招き入れられるんだ。それが当たり前となった平成の時代に徳松が『地獄』へ赴いたとしても、事務的な獄卒にちょっと話を聞かれて追い返されるだけだろう。ただ、江戸時代からずっと本物の地獄を生き続けた彼に、私もドマルもそんな残酷な事言えるわけがなかった。 「どうしてそこまで……島の人達が、あんたに見返りを?」 『見返りなど! これは誰かがやらにゃならねえ事だから。……そりゃ本当はぼくだって辛かった。大散減が飢えたらぼくも腹ペコになって、嫌だ嫌だって思いながら人殺しを。しかも殺るのはぼくと本来無縁だった来世達が! ぼくは……何も出来なかった。ゴメンナサイって思うしか出来なかった』 「僕が地獄へ行く」 『バカこくな……』 「こいてねえ!」  光君は徳松を抱きしめた。 「何が救済だ! この世界は誰かがババ引かにゃ成り立たねぇなら、僕が地獄へ行く! そして何一つ反省しないで永遠に場所取り続けてやる! あんたみたいな人が落ちてこれねぇように!!」 『……!』  すると光君の背中に後光が差していく。ドマルは無言で跪き合掌。私は徳松の隣に寄り添い、彼の顔から影を拭った。 「徳松さん、もう誰もこの件で地獄に落ちる事はありません。あなたは許されたんです」 「『え?』」  光君は振り返り、自分の後ろに光輪ができている事に気がついた。 「こいつは……!」 ༼ 正しい心のもとに、仏様は宿られる。今のこの青年の言葉は、あなたが犯した罪を浄化するに足る力があった。そもそも、殺生の罪とは誰か一人に擦り付けられる物ではない ༽  ドマルも徳松の傍に寄る。 『そんな……けどぼくは実際、何度も人殺しを』 「徳松さん」  これは、あなただけの問題じゃないんだ。 「人が生きるためには、誰かが絶対に殺生をしなきゃいけないんです。お肉を食べるためには、農家の人に動物を屠殺して貰わなきゃいけない。家を守るためには、ときどき���者さんに虫や鼠を駆除して貰わなきゃいけない。殺した本人が悪い、自分で殺してないならセーフ、じゃないんです」 ༼ 言っておくが、僧侶やヴィーガンなら無罪とかそういう事もないからな。草木を殺した死体を着て胡座をかいている坊主だって、もちろん業を背負っている。大事なのは、自分や大切な人々が生きるために糧となった命達への謝意。『謝罪』と『感謝』の心だ ༽ 『謝意……』  光君は徳松の頭を撫で、徳松と指切りをする。 「徳松様。僕達の救済は殺生って形だったけど、誰もせにゃもっと沢山人が死んでたかもだ。僕はあんたの苦しみをずっと忘れない。あんたと一緒にしでかした事、あんたと繋がる縁、全てを忘れない。だから、どうか、安らかに」 『光』  光君の後光は強まり、草葉の陰にまで行き渡る。するとそこから一匹のザトウムシが現れた。針金のように細い体を手繰る、か弱い盲目の虫だ。徳松は子犬のような笑顔を浮かべた後、もはや誰も傷つける事なきその小さな魂を率いて何処へと去っていった。 ༼ はあ、最高かよ。エモいなあ ༽  ドマルが呟いた。口癖なのかな、それ。 「ドマルはどうするの?」 ༼ 拙僧はあなたの本尊だ。ムナルの遺志をあなたが成し遂げた時、この自我は自然とあなたに帰するだろう ༽ 「そう。じゃあ、金剛を滅ぼすまで成仏はお預けだね」 ༼ 成仏……あいつみたいな事を言うな。そもそも拙僧は邪尊だ ༽  ドマルは須弥山の風景を畳み、また私の影に沈んでいった。あの世界で逝去した徳松は、私と光君の中で永遠に生き続けるんだ。
གཉིས་པ་
「じゃじゃじゃじゃあ、埋蔵金って徳川徳松を襲った大妖怪の事だったんですか!?」  空港エントランスにタナカDの馬鹿でかい声が響く。熾烈を極めた大散減浄霊から一夜、五月五日午前九時。私達はしたたびの締めコメントを収録している。けど佳奈さんと二人きりじゃない。この場には玲蘭ちゃん、後女津親子、そして光君がいる。モノホンのみんなで予め打ち合わせした筋書きを、玲蘭ちゃんがカメラに向かって話す。 「したたびさんが歌の謎を解いて下さって、助かりました。マジムンは私達霊能者が協力して、一匹残らず退治しました。ね、斉一さん」 「え! え……ええ!」  斉一さんは『狸おじさん』のキャラを再現しようと、痛ましい笑顔を作った。 「いやぁ、大変だったんすよ。でもね、私の狸風水で! 千里が島の平和は……ぽ、ぽんぽこ、ぽーん、と……」 「た、狸おじさん? ひょっとして泣いてるんですか?」  タナカDが���しむ。その涙は失った家族を思い出してのものか、はたまた安堵の涙か。カメラに映らない万狸ちゃんと斉三さんも、唇をぎゅっと噛んだ。 「い……いえね……俺今回、割とマジで命がけで頑張ったから……撮ってなかったなんてあんまりじゃないっすか、タナカDっ!」 「なはははは、そりゃすいませんねぇ! こっちも色々とおみまいされてまして……ぶえぇっくしょん!!」  そういえば光君が島民達に拉致されてから色々ありすぎて、私も佳奈さんもタナカDの事をすっかり忘れていた。スマホに入っていた何十件もの不在着信に気がついたのは、昨晩ホテルに戻っていた道中。二人で慌ててタナカDを迎えに行くと、彼は何故か虫肖寺の井戸の中で震えていたんだ。 「タナカさん、そっちは一体何があったんですか?」 「聞いてくれますか? 僕はねぇ、人生で一番恐ろしい思いをしたんですよぉ……」  未だ風邪気味な声でタナカDは顛末を語った。あの時島民達に襲われたタナカDは、虫肖寺のお御堂へ拉致された。そこの住職はタナカDに、「肋骨を一本差し出せばしたたびチーム全員をこの島から無事に帰してやる」というような脅迫をする。祟りなんて半信半疑だったタナカDは千里が島を『島丸ごと治外法権のヤバいカルト宗教村』だと判断、演者の命を優先するため取引に応じる事に。ところが「肋骨は痛そうだしちょっと……」「小指の骨とかで妥協して頂けませんかねぇ?」「足の小指です」などと交渉に交渉を重ねた結果、島民達を怒らせて殺されかけてしまう。慌ててお御堂から逃げ出したがすぐに追っ手が来たため、タナカDは咄嗟に井戸を降りて身を隠した。しかし数分やり過ごして地上へ戻ろうとしたその時、地震や爆発音などあからさまに異常事態が起きておちおち井戸から出られなくなってしまったのだという。色々とツッコミどころが満載な顛末だ。 「あなた、カルト相手に演者の命を値切りしたんですか」 「悪かったですって。けどあの時は本当に怖かったんですよぉ、紅さんだって同じ立場だったら値切るでしょぉ?」 「それは暗にまた私を小心者だと言ってるんですか? この三角眉毛は??」 「一美ちゃん、ここでキレたら小心者だよ!」 「なっはっはっはっはっは!!」  なんだか腑に落ちないけど、まあタナカDが無事だったのは本当に良かった。思い返せば虫肖寺という名前は『虫の肖像という名を冠したお寺』で、さらに漢字を繋げて読むと『蛸寺』になる。つまりそこも八本足のザトウムシ怪虫、大散減を祀る場所だったんだろう。 「皆さん、もうすぐ搭乗開始が」  光君が腕時計を見て告げる。二泊三日、色々あった千里が島ともついにお別れだ。それでも、この地で出会った人達や出来事、それら全ての『ご縁』は、決して捨てるべきじゃない大事なものだと思う。 「光君」  私は化粧ポーチから青いヘアチョークを取り出し、光君に手渡した。 「引越しが落ち着いたら、連絡してね」 「モチのロンで。一美ちゃんいないと、東京で着る服など何買えばいいかわからないんだから」  光君は徳松の成仏を機に、役場の仕事を辞めて島を出る事にしたそうだ。運転免許を取ったらすぐに引っ越すらしい。今は一時のお別れだけど、またすぐに会える。 「それじゃあみんな、帰るよ」  佳奈さんがここにいる全員の手を取った。 「……東京へ帰るよ!」 「「「おー!」」」
གསུམ་པ་
 それから数週間経ち、したたびで千里が島編がオンエアされる頃。  宗教法人河童の家は、『リムジン爆発事故で教祖含め大勢の信者が亡くなった』事故で、アトムツアー社に業務上過失致死の集団訴訟を起こした。リムジンを居眠り運転をしていたアトム社員が新千里が島トンネル前のコンビニに突っ込み、そこに設置されていたプロパンガスに引火、大炎上を起こした……という筋書きだ。この捏造によって私がコンビニを焼却した件も不問になり、私は本当に河童の家さんに落とし前をつけて貰った事になる。なんだかだぶか申し訳ない気もしたけど、先日あんこう鍋さんにお会いしたら『アトムから賠償金めっちゃふんだくれたんでオッケーす、我々はただの笑いと金が大好きなぼったくりカルトですから』と一笑に付してくれた。  加賀繍さんは、玲蘭ちゃんと斉一さんが辞退した除霊賞金三億円を一切合切かっさらっていった。その資金を元手に、電話やスマホアプリで人生相談ができるサービス『みんなのぬか床』の運営を開始。それが大ヒットして、今度は星占い専用人工衛星とやらを打ち上げる計画をしているそうだ。私も興味本位で一度ビデオチャットを課金してみたら、魔耶さんと禍耶さんが相談に乗ってくれた。そういえばこのサイトには、プロフィールも名前もない謎の占い師と繋がる事がある……なんて都市伝説があったような。  後女津親子は失った斉二さんの分の戦力を補充するため、木更津のどこかにあるという聖地『狸の里』で一から修行し直すと言っていた。斉一さんは生きながら強力な妖怪の魂を持つ半妖(はんよう)という状態を目指し、万狸ちゃんと斉三さんもそれぞれ一人前の妖怪になれるよう鍛錬を欠かさないとのことだ。ちなみに万狸ちゃんは九尾の狐みたいに糸車尻尾をたくさん生やして、佳奈さんの童貞を殺す服を着た女を殺す京友禅メイド服に対抗する服を作るのが目標らしい。  玲蘭ちゃんはなんと、あの後再び千里が島に行ったそうだ。今度は沖縄から神様を大勢率いて、長年大散減によって歪んでいた島の理を正したんだという。そこまでしたのにアトムツアーから何の見返りも受け取らなかったのは、『あんな賠償やら何やらで倒産寸前の会社と今更縁を持ちたくないから』。代わりに島の魂達から感謝の印にと、ちゃんと浄化済みの大散減のエクトプラズムをたくさん授かったそうだ。これまで多くの人々が追い求めていた徳川埋蔵金は、玲蘭ちゃんが手に入れたんだ。  さて。一方私はというと、顔のかなり目立つ位置にニキビができてしまいちょっぴりヘコんでいる。しかもこんな時に限って、メッセージアプリで久しぶりに光君から連絡が来た。だぶか、これが想われニキビというやつなんだろうか。 『From:あおきち 映画の前売チケットがたまたま二枚で! ご興味など?』  ……うーん、なんてベタな誘い文句! 返信をしたら詳しく経緯を説明してくれた。  実は来週公開の『シャークの休日』というイタリア映画が、光君が以前務めていた千里が島観光課とのタイアップで『全編南地語字幕上映』という企画をやるらしい。それで光君にも、地元の元同僚さんからチケットが送られてきたそうだ。イタリア人がチャキチャキの南地語を喋ってるような字幕ってまるで想像がつかないけど、確かに面白そうだと思った。 「えーと、『来週の月曜か木曜なら木曜がいいです』……と」  実はどっちも予定は空いているけど、ニキビを治したいから遅めにして貰った。返信を終えた私は早速洗面所へ。さっきお風呂で洗顔したとはいえ、ニキビの箇所はもう一度念入りに洗ってからちゃんとスキンケアしよ……
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Fjórði
 そして一週間後、『トラップブラザーズシアター東雲(しののめ)』にて。 「あ、一美ちゃん! ごめん、お待たせを!」  平日昼間にも関わらず混雑する複合ショッピングセンターで、私は道に迷った青木光、恋人の光君をメッセージアプリ頼りに探し出した。 「あれ、キョンジャクとカンリンは?」 「それが、なくなっちゃったんだ。探してるから見つけたら教えて。そんなことより、行こう?」  この期に及んで『デートできる服を持ってない』などと言い出す恋人を助けてやるため、私は映画鑑賞の時間が近付く前にメンズファッションフロアへ向かった。まるでコーディネートの基本もなっていない男に、流行に合わせた服装を宛がう。それだけで「さすがプロは違う」と煽てられるのだ。 「一美ちゃん? ひょっとして、退屈で?」 「ううん、光君と一緒にいられて楽しいよ」  上映十五分前になり、私達は映画館に戻った。ロビーのスクリーンでは、丁度今日見る作品『シャークの休日』のトレイラーが流れていた。 『餌食である人類の世界を見てみたい……海底は人喰いザメの王国から、自由を求めるサメ姫シャークリー・シャックバーンがローマにやって来たぞ! 姫は魔法で人間に化けて新聞記者と恋仲になるけど、デート中『真実の口』に手を入れたらサメだと見破られちゃった! 魔法が解けて、ローマの人々をヤケ食いし始めるお姫様……全伊震撼の大パニックムービー誕生!』  お世辞にも興味をそそられる内容とは思えないが、私は今までしてきたように楽しそうに振る舞う。 「映画、楽しみだね」 「うん。あ、一美ちゃん、あそこに真実の口が!」  光君が嬉々として示した方向には、記念写真が撮れる真実の口のパネルがあった。彼はタイマー撮影用スタンドに自分のスマートフォンをセットした。 「ねえ、光君。作中の真実の口って、トレイラーで喋ってたよね。『サメ……ウソ……』って。これも手を入れたら喋るかな?」 「一緒に確かめてみるので。いっせー……」 「のー……」 「「せ!」」 『シタタビ……ウソ……』  その時、私はこの真実の口が何か妙な事を言ったように聞こえた。シャッター音と被って耳が錯覚を起こしただけ、だろうか。 「ごめん、もう一回手を入れてみていい?」 「モチのロンで」  二人でセンサー部分に再び手をかざす。 『シタタビ……ドッキリ!』  ヌーンヌーン、デデデデデン♪ ヌーンヌーン、デデデデデン! 突然、テレビ湘南制作『ドッキリ旅バラエティしたたび』主題歌、『童貞を殺す服を着た女を殺す服』のイントロが映画館ロビーに響き渡った。忽ちこの身体は自らの意志に逆らい跳躍し、入場口とは反対方向のエスカレーターへ飛び降りていた。先月末、ドラマ『非常勤刑事』の撮影で主演の男に「一度も見破れないのはだぶか君の才能だ」と言われた記憶が脳で想起される。 「って、サメえええぇぇえええ!?」  エスカレーター階下にはサメ帽子を被ったエキストラの大軍が群がっていた。私はコミカルに叫び、スカート���タイルにも関わらず粗暴に下りエスカレーターを駆け上がった。すると階上には、『ドッキリ』と書かれたプラカードを掲げる光君と志多田佳奈が待ち受けていた。 「ドッキリ大成功ー! 志多田佳奈のドッキリ旅バラエティ、」 「「したたびでーす!」」  悔しがってどうこうなるわけでもないはずだが、この身体はヒステリックに地団駄を踏んでいた。 「やいやいやい小心者! ハニートラップに引っかかるなんてまだまだ小心者だぞ小心者!」 「うるさい万年極悪ロリータ! そこの真実の口で実年齢をバラしてやろうか!?」 「うわぁ~、みみっちー」  しかし、これを放送するのは芸能事務所に許可されるのだろうか。私はまだ世間に正式に発表できるほど、彼と進展した関係ではないはずだ。 「あのね、佳奈さん。私と光君は今日が初デートだし、まだ事務所に何も言っていないんです。こんなのオンエアされたらこちとらたまったもんじゃないんですよ!」 「あ、社長さんには私が色つけて説明しといたから大丈夫だよ」 「勝手に何してくれちゃってるんですか!?」 「だってだって、光君の一美ちゃんへの愛は本当だよねー?」  光君は気恥しそうに真実の口へ手を入れた。 『……ホント』  よく見ると真実の口は、画角外のタナカDが裏声で喋っていたようだ。 「初デートを返せこの三角眉毛ェェ!!」 「ぬわははははは!! ごめんなさいって! ナハハハ!」 「一美ちゃんごめん、本っ当ごめん! これで堪忍を!」  光君が私に何やら縦長なフリップを差し出した。それは特大サイズに拡大印刷されたシャークの休日の前売券だ。 「『映画の世界へご招待! リアルシャークの休日』……『inローマ』ああぁ!!?」 「そ! 今回のしたたびは海外企画、イタリア編! 実は私、この映画の日本版主題歌を担当させてもらったの。そのPVを、ラブラブなお二人に撮ってきて貰いまーす!」 「え、じゃあ佳奈さんは今回行かないんですか?」 「うん。だって主題歌が入るニューアルバム、まだ収録全曲終わってないし。代わりにPVでは一美ちゃんの彼氏役が必要でしょ? だから光君を呼んだの」  そういう事だったのか。今回は光君が撮影に同行するのだ。 「ドッキリは正直ちょっと気が引けたかもけど、テレ湘さんが僕達を海外旅行に連れてってくれるんだから。ローマで本物の真実の口やったり、トレビの泉でコイン投げるなど!」  光君はさぞ嬉しそうに小躍りした。だが、それでは浅はかというものだ。 「光君、ちなみにローマで何をするか知ってるの?」 「うん。だから、映画みたいに真実の口とか……」 「そのフリップ、『inローマ』の下にやたら余白があるよね。よく見て、端がめくれるようになってる」 「え? あっ本当だ! タナカさん……」 「いいですよ、めくって」  フリップから粘着紙を剥がした光君は、前髪で表情が隠れていても解る程、顔面が蒼白した。フリップ上に現れた文章は、上の文字と繋げて読むと『映画の世界へご招待! リアルシャークの休日inローマ県オスティア・ビーチ~スキューバダイビングで人喰いザメの王国へ~』と書かれている。 「そっちへ!?」  彼もまた、私と同様に番組に騙されていたという事だ。するとタナカDが高笑いしながら、タブレットPCで企画書を開いた。 「お二人には最初の三日間でライセンスを取得して、四日目にサメと潜って頂きます。天候とかあるので五日目は予備日にしていますが、運が良ければ真実の口にも行けるかもしれませんよぉ」 「行けるかもしれませんよぉ、じゃないですよ。何が悲しくてイタリアまで行ってサメのいる海に潜らなきゃいけないんですか!」 「あやや……あやややや……」 「しかもこんなショッピングセンターでネタバラシしたって事は、どうせここで荷物買って今から行くんでしょ? 予算一万とかで」 「さすが紅さん、よくわかってらっしゃる」 「今から!? しかも一万円で旅支度を!?」 「安心して下さい、一人一万です。うははははははは!」  私達したたびチームにとっては定石である無秩序な行動に、光君はただ困惑している。 「じゃあ光君、衣装買いに行くよ。デートに行く服がなかったなら、PVに出る服だって持ってないでしょ」 「えっでも、流石にダイビングスーツは現地じゃ?」 「サメと泳ぐだけで終わらせるわけないでしょ? だぶか海中ロケなんてさっさと終わらせて、二人で街ブラする撮れ高で佳奈さんのPV埋め尽くしてやるんだ!」 「そ、そうだ……せにゃ! 見てろよ佳奈さん!」 「ふっふっふー。そう簡単にいくかな? 衣装に予算使いすぎてだぶか後で後悔するなよっ!」 「国際モデルのこの私のプチプラコーデ力を侮らないで下さい。だぶか佳奈さん本人が出てるPVより再生数稼いでやる!」  斯くして、また私達は旅に出る事になった。『行った事のない場所にみんなで殴り込んで、無茶して、笑い合って、喧嘩して、それでも懲りずにまた旅に出る』とは佳奈さんの言葉だ。それが私にとっての日常であり、私はこのような日々がいつまでも続くと漠然と思い込んでいる。
 し か し 、 そ れ で は こ の 『 私 』 に 金 剛 の 有 明 は 訪 れ な い 。 間 も な く 時 が 来 る 、 金 剛 の 楽 園 ア ガ ル ダ が こ の 星 を 覆 い 尽 く す の だ 。
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artstropicalokinawa · 4 years ago
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慣れない新居で、慣れることについて考える
 引っ越してみた。引っ越しといえば大抵の人にとってかなり大きな決断であるだろうが、私がその決断をするときにはいくつかのチェック事項が足りていないような気がする。例えば、新居と勤務先の距離はどれぐらいか。新居の近くで食材や生活用品を揃えるにはどこに行けばいい��か。また、新居には旧居の荷物がすべて入りきるのか。新居で新たに必要となる家具は何か、など。
 決断力はあるが判断力はないと言われる。今回も決断だけを先に、「あとはどうにかなるだろう、えいや」と引っ越してしまった。沖縄に引っ越した時もそんな感じだったと覚えている。職だけ決めて、あとはどうにかなるだろう、と。どうにかなってしまったから、今の自分があるというのは確かなのだけれど。
 先日、初めて神戸市の新居から大阪市の職場まで行くと、その遠さに、この先が不安になった。特に退勤時刻が21時台になる遅番シフトの場合は、電車の乗り継ぎが悪く、帰宅に2時間ぐらいかかってしまう。さすがにこれは時間がかかりすぎだろうと笑ってしまった。週3日の勤務が現在コロナのおかげで1日は在宅勤務が認められているから、週2日、小旅行をするんだと思い慣れるしかない。そして、自宅内はすべての段ボールを開け終わった今でも物が溢れている。もう少し物を減らさないと、この部屋では過ごしづらそうだ。
 引っ越してみると、本当に、自分という人間は、習慣で、なんとなく生きていたんだなあと実感する。いざ引っ越して、自分の周辺の物の配置が変わると、朝起きて、まずどうしていたかも思い出せないし、日々どんなルーチンをこなしていたのか、さっぱりわからない。何をすればいいかわからなくなるととりあえず、一番やったほうが良さそうな、仕事用のPCを広げてちょこちょこメールを返したりスケジュールを調整するということをやってみる。そうすると、あっという間に時間が過ぎている。時計を見ると21時25分。あれ?旧居では、毎日この時間はいったい何をしていたんだろう?
 けれど、きっとこの部屋にもまもなく慣れて、だらだらと過ごせたり、また出不精になってみたりできるんだろう。ルーチンも生まれていくのかもしれない。環境が変わるたびにひどい便秘になったり頭痛を生じたりするくせに、意外と私は習慣を自分の身に寄せることも得意である。
 中国福建省に留学したときには、あてがわれた寮の部屋にブーブー文句を言いながらも、最終的には出不精になっていたから、部屋の中の居心地はよかったということだろう。もともと部屋にあった椅子がボロボロで、たった50元ほど(当時約800円)で背もたれのないプラスチック製の屋台用椅子を購入し、それに1年間腰掛けて学習した。
 新居は山の麓にあり、窓を開けるとモワッと森林の匂いがする。私の記憶ではこの匂いは「おばあちゃん家」なのだが、これも、もうまもなくすると私の鼻腔はあたりまえの匂いとして何も感じ取らなくなるのだろう。
 三宮駅から新居へ向かうために市バスに乗る。後部の座席に座り、車窓を眺める。途中、何度か同じ系統番号のバスとすれ違う。バスとバスがすれ違うとき、必ず両方のバスの運転手の様子を観察してしまう。那覇市に住んでいる時もよくバスに乗っていて、たまに見かける運転手同士の挨拶を観察することが楽しみだった。同社どうしの運転手は挨拶し合っているが、やはり他社とは挨拶しないようだ。同社どうしでも、仲良しな場合はジェスチャーで互いに笑わせあったりしている運転手もいたし、目を合わさずに会釈するだけのクールな運転手もいた。神戸市バスでは、残念ながらそんな挨拶風景を見ることができなさそうで、残念だ。残念だけれど、もう半年もここに住めば、バスどうしのすれ違いに運転手が挨拶をするかしないかなんて気にすることもなくなって、沖縄で見たような光景はもう記憶から消えてしまうかもしれない。
 住んだことのない土地に住むことを決心した時、賃貸の契約書にサインをする時、いつも心の中で「住めば都」と、まじないのように、つぶやいている。また、19世紀末から神戸にはたくさんの中国系移民が定住している。彼らも、「住めば都」と思ったのだろうか。辞書を引くと、中国語表現で「住めば都」は「久居則安」(北京話読み:ジウジューヅーアン)と言うらしい。
 ある日、大阪の職場からほど近い台湾料理店に昼食に行くと、BGMにBEGINのアルバムが流れていた。もう14時頃、私がランチの最後の客だった。静かな店内でBEGINを聴きながら、辛い麻婆豆腐を食べる。涙と鼻水が出てくるほどの辛さなので、白飯で口を休めながらじっくり食べる。店内の静けさから音の細部まで聴き取ることができ、『かぎやで風』をアレンジした曲や民謡をアレンジした曲、様々な沖縄音楽のモチーフが散りばめられている。BEGINって、こんなに面白い音楽アレンジをしていたのか。古来から現在まで脈々と継承された沖縄伝統音楽と、ロックやポップスを見事に混ぜ合わせる。これぞ"沖縄大衆音楽"だったのだと衝撃を受ける。そして、那覇の国際通りで、観光地で、嫌ほど聴いたBEGINの最有名曲『島んちゅぬ宝』がついに流れる。イントロを聴いて「はいはい、日本全国民が沖縄といえば思い浮かべるこのアンセムね」とうんざりするも、他に客がいない店内では、その歌詞がするすると脳内に入ってくる。そして、沖縄を離れてから初めて気づく歌詞の素晴らしさに、心底感動する。今までBEGINを見くびっていてすみませんでした。少し落涙してしまったのだけれど、麻婆豆腐の辛さのおかげで、店員にはバレていなかったと思う。
 久々に台湾人の友人と梅田へ夕食に出かけると、関空から台北への飛行機代がバカ高く、とても帰ろうと思えるような状況ではないらしい。中国人の友達も、春節休みの頃に一度帰郷し、自分が飼っている犬を中国から大阪まで連れてくる予定だったらしいが、コロナのせいで帰郷さえできず、犬も中国で家族に面倒を見てもらうことしかできないとのこと。
 すっかり忘れかけていたが、私も、ゴールデンウィークに北京へ渡る予定だったのに、コロナのおかげで中国東方航空の航空券をキャンセルし全額返金してもらっている。少しだけ貯めていた中国東方航空のマイレージサービスからは、先日、マイル残高がいついつまでに失効しますよ、という機械的なお知らせがメールボックスに届いていた。
 コロナにびくびくしながら生きるこの期間が長くなるほどに、周囲の人や友人知人に「どこも行けなくて、(山本さんは)辛いんじゃないですか?」と言われることがあるが、実のところ、パッキングという旅行前の一大イベントが大嫌いなので、さほど辛いとは思っていない。あのパッキングという作業だけは、何度やっても慣れることができない。それに、今は距離を置いて中国の音楽状況をネットで俯瞰する方が面白いと思っている。
 家で食事するときに少しずつ、『乐队的夏天』(英名:THE BIG BAND)という中国で大人気のシリーズ番組を見ている。これは、バンドの格付け番組で、しかも、これまではテレビや動画サイトには登場しなかったようなインディーバンドが登場する。番組内では、各出演バンドの裏側にあるストーリーがAmerica's got talentのように感動的ドキュメント映像として放映され、バンドメンバーや関係者のインタビューも取り込んでリズミカルに進んでいく。ステージ上で1バンド1曲演奏し、それを観覧者と、司会者たち、音楽専門家たちが投票により評価する。M-1のようにランキングが決定し、下位の者は淘汰されていく。ときにはバンドのメンバー同士の喧嘩やその後の仲直りの様子が放映されたり、フルタイムの仕事を持っているバンドメンバーが仕事の合間にリハやライブをこなしていく並ならぬ努力の様子に観覧者や司会者が感嘆したり。音楽を聴く上で不必要なバックグラウンドがどんどん公開され言語化される。そして、バンドメンバーらの言動、友や仲間を大事にする姿勢、創作において諦めずに努力する姿勢などが褒め称えられていく。そしてこの番組を見ている私もバンドたちのストーリーを消費しているというわけだ。食事ごとに、もうこれ以上見る必要はないんじゃないかと思うぐらい下世話な番組なのだが、中国のポップ・カルチャー理解と語学習得のための修行と言い聞かせ、嫌々ながらも習慣化させて見ている。コロナを見事封じ込んだとされる中国の首都、北京で収録されているその番組に映る観覧者たちは、マスクこそしているが、ステージ前に密になり、バンドの演奏と一緒に大声で歌い叫び、友達どうし肩を組み、跳ね回る。
 コロナと生きる社会って、要は、良くも悪くも自分の「慣れ」や「習慣」を増やし妥協していく作業なんじゃないだろうか、と思ったりもする。人と会わないことに慣れてみる。代わりに、人とはメールや手紙を丁寧にやり取りすることを習慣化してみる。海外に行くことを我慢することに慣れてみる。代わりに、身体的に海外に行かなくてもできる、バーチャルな情報収集を習慣づける。もしくは、今まで慣れすぎていたものを見直してみる。今までしょっちゅう聴いて嫌になっていた沖縄の大衆音楽を聴くことは、土井善晴氏が提唱している「基本はご飯とみそ汁で十分」論に近い。みそ汁。こだわらなくても自分の好きな具が一つ入っているだけで、特別なおかずになり、ご飯とみそ汁だけで満足したりする。飽きたと思っていても、実はその中身をまったく見直したことがなかったりする。
 けれども、慣れるとまずいことだってある。『乐队的夏天』のようなインディーを謳っていたものが大衆性を帯びるときには、何らかのプロパガンダが含まれていることも怪しんだ方がいいんじゃないか。慣れすぎる前に、頭を冷やさなければいけない。そういえば、最も慣れてはいけないのは、日本政府がコロナ対策として行った愚策の数々である。当時、Go Toキャンペーンのニュースに違和感を抱き呆れた私たちも、結局は今、その言葉が世間に馴染んでしまったことを認めないわけにはいかない。
 対して、不必要な慣れを断ち切れたこともある。これまで、音楽関係者の末端のすみっこに自分がいると思い込んでいたから、何かと音楽イベントには足を運ぶようにしていたけれど、コロナでイベントが開催されなくなったことをきっかけに、それをやめた。徐々に音楽イベントは再開しているが、もう付き合いでイベントに足を運ぶようなことはしていない。そうしなくても、自分は自分で音楽イベント以外の他からきちんとインプットできているんだということを知ることができた。家で一人で寝転びながら聴く音楽は楽しい。
 コロナを恐れながら生活することにも慣れたし、夏は毎日暑くてもマスクをしたし、外食を減らすことにも慣れた。自分の適応能力をひとつひとつ確かめながら暮らすと、いろんなことができるようになったかのような錯覚に陥るのだが、結局は慣れてしまっただけである。そして自分の生活を全て見直してみると、慣れや習慣からくる行動がほとんどである。見えてしまったものも見えていないふりをし、そのまま慣れておいた方が幸せなことも多い。「住めば都」と念じながら、嫌なことには目を瞑り暮らす。
 新居からは、約30分歩くと繁華街に到着する。引っ越し前には歩かなかった30分という距離を、今は2日に1回は歩く。引っ越しから��週間も経たないうちに、この距離を歩くことに慣れてしまった。夕方、繁華街に向かおうと歩き始めると、寺の鐘の音が聞こえた。「もう5時か。」それ以外は何も思わなかった。ここに引っ越してきた初日は、夕方5時に寺の鐘の音が聞こえることに感動していたのに、もう慣れて、日常の音になってしまった。
(2020年11月2日)
My thoughts on how to get used to living in a new home
I moved houses. Moving is a pretty big decision for most people, but I feel that I do not ask myself enough questions when making that decision. For example, what is the distance between my new home and my place of work? Where should I go to get food and daily necessities in my new neighborhood? Will all the things I had in my old house fit in my new house? What kind of furniture will I need for my new home?
I have been told that I am decisive but I do not have good judgment. This time, too, I decided to move first, and I did it by saying to myself, "Let's go for it. Everything will be alright." I remember that it was like that when I moved to Okinawa as well. I had only decided on the job and I thought whatever would happen would happen anyway. I am sure that I am here today because everything did turn out alright. 
The other day, when I went from my new home in Kobe to my workplace in Osaka for the first time, I became worried about the future. Especially when I have a late shift and leave work at around 9pm, it takes me about two hours to get home due to poor train connections. I laughed to myself that this commute was way too long. Now, I am allowed to work from home one day of my three-day work week thanks to the coronavirus, so I just have to accept the long commute thinking that I am taking a short trip twice a week. Even now, when I have finished opening all the cardboard boxes, things in the new house are still overflowing. Living there will become uncomfortable unless I reduce my belongings. 
Whenever I move, I realize that my life is mostly a product of random habit. When I move and the layout of the things around me changes, I cannot remember what I usually do when I wake up in the morning and completely forget my daily routine. When I am not sure what to do, I do things that seem the most useful for me anyway, such as opening my work laptop, busily answering emails, adjusting my schedule, etc. When I do that, time passes really quickly. I look at the clock, and suddenly it is 9:25pm. Huh? What did I do at this time of day when I lived in my old home? 
Nevertheless, I am sure I will soon get used to this house and I will be able to laze around or become a couch potato again. I may form a new routine. Although I tend to suffer from constipation or headaches every time my environment changes, I am also good at creating habits for myself. 
When I studied abroad in Fujian, China, I complained about the dormitory room I was assigned to. However, in the end, I became too lazy to go out, so I must have been comfortable in the room after all. The chair in the room was almost broken, so I bought a plastic stall chair without a backrest for only about 50 yuan (800 yen at the time) and for a year I studied sitting on that chair. 
My new home is at the foot of a mountain, and when I open the windows, I can distinctly smell the forest. In my memory, it smells like "grandma's house," but I will soon think nothing of it as my nostrils become gradually accustomed to it. 
I take the city bus from Sannomiya station to my new home. I take a seat at the back of the bus and look out of the window. On the way, my bus passes other buses with the same system number several times. Whenever the buses pass each other, I always observe both drivers. When I lived in Naha, I often rode the bus, and sometimes I witnessed greetings between drivers, which I enjoyed seeing. Drivers of the same company greeted each other, but apparently did not greet the drivers of other companies. Even among drivers of the same company, some made each other laugh with gestures as though they were close friends, and some coolly nodded to each other without exchanging so much as a glance. Unfortunately, I do not think I will see such scenes of greetings on the Kobe City Bus, which is a shame. It is a shame now, but after living here for six months or so, I may no longer care whether drivers greet each other when the buses meet, and the scenes I saw in Okinawa may disappear from my memory. 
When I decide to live in a place where I have never lived before, I always think to myself, "Home is where the heart is" as I sign the rental contract. By the way, many Chinese immigrants have settled in Kobe since the end of the 19th century. I wonder if they also thought that "Home is where the heart is." I learned its expression is "久居則安" (pronounced "Jiǔjū zé ān") in Mandarin.
One day, when I went to a Taiwanese cuisine restaurant for lunch near my office in Osaka, BEGIN's album was playing as background music:  the most famous Okinawan pop band in Japan. It was around 2pm, and I was their last lunchtime customer. I ate spicy mapo tofu while listening to BEGIN in the quiet restaurant. The food was so spicy that my eyes got teary and my nose got runny, so I ate slowly while cooling my mouth with white rice. I could hear the music well because the restaurant was so quiet. The album was sprinkled with various motifs from Okinawan music, including an arranged version of "Kagiyade-fu" and Okinawan traditional music. I was shocked to realize that their music arrangement mixes modern and traditional and it presents true Okinawan Pop Music. Then, finally "Shimanchu nu Takara," had been played which is the most famous song of them in whole of Japan. I used to hear it ad nauseam in Kokusai-dori and other tourist spots in Okinawa. When I heard the intro, I felt annoyed, thinking, "Ah, this anthem again, too much" but the lyrics naturally entered my mind in the empty restaurant. I was deeply moved by the beauty of the lyrics, which I noticed for the first time after leaving Okinawa. I felt bad for underestimating BEGIN until then. I shed a couple of tears, but I think the restaurant staff did not notice—it could very well have been caused by the very spicy mapo tofu. 
I went to Umeda with my Taiwanese friend for dinner for the first time after a long while. According to her, the cost of flying from Kansai Airport to Taipei was so high that she could not even consider returning. A Chinese friend of mine also planned to return home during the Chinese New Year holidays to bring her dog from China to Osaka. However, because of the coronavirus pandemic, he could not go to China at all and had to ask his family to look after his dog. 
Although I have almost forgotten about it now, I was also planning to go to Beijing during the Golden Week, but because of the pandemic, I canceled my flight with China Eastern Airlines and got a full refund. I have saved a modest amount of mileage points for China Eastern Airlines, but they sent me a machine-generated email the other day to notify me that my mileage balance would expire on so and so date. 
The longer this time of living in fear of the coronavirus continues, the more people around me ask me, "Isn't it difficult for you not to go anywhere?". Actually, I do not mind so much, because I hate the big hassle of packing my suitcase before going on a trip. No matter how many times I pack my luggage, I never get used to it. Besides, I find it more interesting to take an overview of the music situation in China from a distance on the Internet. 
When I eat at home, I watch bits of a TV show called "The Big Band" which is very popular in China. It is a TV program where people rate music bands. It invites indie bands that have not appeared on TV or video sites before. In the program, the story behind each band is aired as a moving documentary similar to those in America's Got Talent, and the program rhythmically develops including interviews with band members and their colleagues. Each band plays one song on stage, and the viewers, MCs, and music experts evaluate the bands by voting. The ranking is decided like M-1 which is the most popular annual Manzai gran-prix in Japan, and those in the lower ranks are eliminated. Occasionally, the program shows scenes of fights between band members and their subsequent reconciliations, and the viewers and MCs express their admiration as they see the extraordinary efforts of band members who have full-time jobs to carry out rehearsals and live performances in their spare time. The program reveals and narrates a great deal of background on the bands, which is not really necessary for listening to the music itself. Thus, people admire the words and actions of the band members, their attitude of respecting friends and colleagues, and their efforts to create music without giving up. In the end, I also consume the stories of these bands as I watch the show. It is such a vulgar program that, at each mealtime, I feel that I should not watch it anymore. Even still, I am reluctantly making it into a habit to better understand Chinese pop culture and learn the language. The show is recorded in Beijing, the capital of China, which is said to have brilliantly contained the coronavirus. The studio audience flock together in front of the stage—albeit wearing masks—and shout, jump, and loudly sing along with the bands, with their arms around each other’s shoulders. 
I sometimes think that living in a society that coexists with the coronavirus means, for better or for worse, to make compromises by creating one's familiarity and habits. I try to get used to not meeting people. Instead, I try to get into the habit of exchanging thoughtful emails and letters with them. I try to get used to a situation where I cannot take trips overseas. Instead, I try to get into the habit of collecting virtual information, which I can do without having to physically go abroad. Or, I try to re-evaluate the things I have become too familiar with. My experience of listening to Okinawan popular music, which I had become sick of hearing in the past, is somewhat similar to the stance, "rice and miso soup are good enough as a basic" advocated by cooking expert Doi Yoshiharu. Ah, miso soup. I can turn miso soup into a special side dish without making a fuss by simply adding one of my favorite ingredients, and I can be satisfied with just rice and miso soup. Even if I get tired of something, I may just have to re-evaluate its contents. 
However, there are things that we should not get used to. When a TV program that praises indie bands like The Big Band becomes popular, we should suspect that it also contains some kind of propaganda. We have to cool our heads before becoming too engrossed in it. By the way, one thing we should definitely not get used is the number of ridiculous policies introduced by the Japanese government as measures against the coronavirus. Still, I have to admit that Japanese people have got used to the Go To Travel campaign in the end, even though we found the phrase silly and strange at first. 
Conversely, I have been able to put an end to some unnecessary habits. In the past, I assumed that I was somewhere at the bottom of the music industry, so I tried to go to music events as much as possible, but the coronavirus has helped me quit the habit as those events have been canceled due to the pandemic. They are gradually returning, but I no longer go to music events to tag along with my friends. I have realized that I can still get the input I need from other sources without going to music events. I enjoy listening to music while lying down alone at home. 
I have got used to living in fear of the coronavirus. I wore a mask even when it was hot every day in the summer, and I got used to eating out less. As I live my life while testing my adaptability again and again, I get the illusion that I can now do all sorts of things. However, I have simply grown accustomed to doing these things. When I re-evaluate all aspects of my life, most of my behaviors are the product of habit. It is often the case that you can live more happily if you simply let yourself get used to your situation and pretend not to see things even when you do. I shut my eyes to unpleasant things while saying to myself, "Home is where the heart is." 
My new home is about a 30-minute walk from the downtown area. I hardly ever walked for 30 minutes before, but I walk that distance twice a day now. Less than a week after I moved here, I got used to walking that distance. In the evenings, as I started walking toward the downtown, I heard the sound of the temple bells. I simply thought, "It's already 5 o'clock." On the first day I moved here, I was impressed to hear the sound of the temple bells at 5pm, but by now, it has become a daily occurrence and I have got used to it.
 November 2nd, 2020
山本佳奈子 / KANAKO YAMAMOTO
ライター。アジア(特に中国語圏)のメインストリームではない音楽や、社会と強く関わりをもつ表現活動に焦点をあて、ウェブzine「Offshore」にてインタビューやコラム記事を執筆。不定期に発行している紙のzineではエッセイを書く。尼崎市出身。2015年から2017年まで那覇に暮らし、2017年から2018年までの一年間は中国福建省福州市にて語学留学。その後、那覇で一年、大阪市此花区で一年暮らし、現在は神戸市在住
Writer. She writes interviews and column articles on the web magazine "Offshore," focusing on non-mainstream music in Asia (especially Chinese-speaking countries) and expressive activities which are strongly related to social issues. She writes essays for the print version of the magazine, which is published irregularly. Born in Amagasaki, she lived in Naha from 2015 to 2017 and studied Chinese in Fuzhou City, Fujian Province, China for a year from 2017 to 2018. Later, she lived in Naha, Okinawa, and Konohana-ku, Osaka for a year each, and now lives in Kobe. https://offshore-mcc.net
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kuroda-kanbee · 8 years ago
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数年分のコピペ007
6月 24, 2016 高校の同期に教えて貰った→ 「知的であるかどうかは、五つの態度でわかる。 世の中を見渡すと、あらゆる属性、例えば学歴、職業、資格、言動、経済的状況などが「知的であるかどうか」のモノサシとして使われており、根拠があるものないもの含め、混沌としている。 だが、私がこの先生からお聞きした話はそういった話とは少し異なる。 彼は「人間の属性と、知的であるかどうかの関係はよくわかりませんが、少なくとも私が判断をするときは、五つの態度を見ています」 という。 エピソードを交え、様々な話をしていいただいたのだが、その5つをまとめると、次のようなものになった。 一つ目は、異なる意見に対する態度 知的な人は異なる意見を尊重するが、そうでない人は異なる意見を「自分への攻撃」とみなす 二つ目は、自分の知らないことに対する態度 知的な人は、わからないことがあることを喜び、怖れない。また、それについて学ぼうする。そうでない人はわからないことがあることを恥だと思う。その結果、それを隠し学ばない 三つ目は、人に物を教えるときの態度 知的な人は、教えるためには自分に「教える力」がなくてはいけない、と思っている。そうでない人は、教えるためには相手に「理解する力」がなくてはいけない、と思っている 四つ目は、知識に関する態度 知的な人は、損得抜きに知識を尊重する。そうでない人は、「何のために知識を得る���か」がはっきりしなければ知識を得ようとしない上、役に立たない知識を蔑視する 五つ目は、人を批判するときの態度 知的な人は、「相手の持っている知恵を高めるための批判」をする。そうでない人��、「相手の持っている知恵を貶めるための批判」をする。 知的である、というのは頭脳が明晰であるかどうか、という話ではなく、自分自身の弱さとどれだけ向き合えるか、という話であり、大変な忍耐と冷静さを必要とするものなのだ、と思う。」 http://blog.tinect.jp/?p=16095 (via takigawa)(libranixから)
2016/06/24 ※ これはPTAの脱退を妨害した(そもそも多数決すらさせなかった)当時の校長(松本)とか教育委員(ババア)と同じ手口 民共は「憲法改正阻止」と日本の足を引っ張ることを目標にしています。 民進党(偽)にいたってはツイッターで「まず2/3にさせないこと」と 憲法改正を発議させないことをひたすら主張しています。 憲法改正は最終的には国民投票によって選択されるのに その国民による選択という民主主義の手段を採らせないようにするのが民共の目的です。 国民には選択させないという彼らこそ民主主義の敵です。
6月 20, 2016 オーストラリア首相のジョン・ハワードは退任直前に「オーストラリアには百万人の中国スパイがいる」と述べて、オーストラリア人を爆笑させ、有名な中国礼賛政治家のケビン・ラッドが首相の座につく道を舗装したが、現実は常に意外なもので、この「オーストラリアの百万人中国スパイ説」はイギリスのような閉鎖的なところで政治が語られる習慣がある国では長い間常識とされていたことにすぎない。 ハワードは連合王国の誰かから在任中に警告を受けていたのでしょう。 アメリカに暮らす中国人スパイの人口は百万人どころではないが、なぜスパイ人の数がそんなものすごい数になってしまうかというと、「中国のスパイ」はかつてのロシアのKGBというような専門職ではなくて「パートタイム」だからです。 たとえば横浜のバーで働く若くて気立ての良い中国人ホステスがいたとして、日本の暮らしも悪くないと考えて働いて、横須賀の海上自衛隊の将校と恋に落ちる。 この将校がたとえばイージス艦の技術将校ならばまず間違いなく、知らない中国人があらわれて「これこれこういう情報を聞き出してくれれば報酬をやろう。断れるとは思ってないよね。きみの両親は四川省の成都にいるんだっけ?弟さんは優秀で北京大学で政治学を勉強しているのだったね」と言われることになる。 日本のような国では外交回復以前の「日中友好協会」時代から育てた専業スパイもいると言っていたが、こっちはブログで書くことではないと思う。 明日があるさ | ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の  ふむ(via odakin)(gkojax-textから)
6月 20, 2016 ●がんセンターの集中治療室で働いています。 がんを奇跡的に克服したケースや、胸が張り裂けるような最期を多すぎるほど見てきました。そして自分は誰もが「自分の最期のとき」を決める権利があると強く信じています。
まだ若い家族が、命の質をとるか、長さをとるかで苦闘する姿も見てきました。 心に強く残っているのは若い女性で、何年も赤ちゃんが欲しくてようやく授かり、ところが2度目の検診時に結腸癌の診断を受けました。彼女は無事に赤ちゃんを産むことはできて、延命治療をしないことを選択しました。
今でも彼女の言葉は忘れられません。「私はもう治る見込みはゼロで、死ぬことがわかっています。幸運でも1年の延命ができるかどうかで、それをすると赤ちゃんを抱く力はなくなり、限られた時間をこの子と過ごすことができません。私は自分の運命を受け止めて、これからの数か月を有意義なものにしたいのです」
そう言って、彼女はその通りにしました。彼女の娘が将来、母親の読み聞かせを聞けるようにするため、見つけられる限りの子供向けの本を読んで録音しました。娘の誕生日カードやクリスマスカードを買い、毎年のメッセージを書き、母親からのアドバイスを録音していました。やがて彼女は弱っていき、自らの最期を自分で選び、全ての痛み止めを服用したのです。
●自分も集中治療室で働いています。人は尊厳を保って死ぬ権利があると強く信じています。 政府の補助金が途絶えないために、患者を生かし続けるように主張する家族の姿を何度も見てきました。家族には訪問者用の食事が提供されるので、そのためだけに患者を生かし続けるように依頼する人までいます。そうした人々は病院に来ると食事だけ要求し、患者にも会わずに帰って行きます。家族のことを気にもかけずに食事だけ求めてくるのです。ホームレスの人々がいるのも理解していますが、それが1か月も家族を訪ねない言い訳になるとは思えません。
むごい亡くなり方をする人々も見てきました。彼らは生きているとは言えません。とても人間とは言えません。肉の塊になっているだけのときもあるのです。チューブや点滴でつながれ、私たちが呼吸をさせ、血液をきれいにし、半永久的にそんな状態にし続けることができるのです。
だけどそれを生きているというのでしょうか。そして何が残るのでしょうか。しかし痛みは感じています。そんな死んだような状態で、とても苦しんでいるのを見ることができるのです。生かし続けるべきだという主張のために。本当に壊れた状態だと思います。それが自分の仕事で最もいやなところでもあります。
尊厳死を選んだこの女性は特殊であり、それは間違いだと言う人は、私の12時間の仕事に招待したいくらいです。私の仕事について、いろいろ見て、彼女がどんな苦しみを被ることになるのかを見ても、泣かずにいられるのかを体験してほしいです。怖いのは主張されたら生かし続けることができるところです。
●どうして他の人が苦しんでいてもいいと思える人がいるのか自分は理解できない。僕は救急医療士だが、想像を絶するような重病人を運んだことがある。
診療のために、どんな状態だろうと関係なく運んだ。苦しんでいるのがとてもわかり、そこには人生のクオリティというものがない。家族が「この状態が終わってくれればいいと思う」と言ったのを聞いたこともある。そして家族にも重い負担である。精神的にも肉体的にもだ。それが見てわかるんだ。そしてそれは悲しいことである。
正直に言うと、何度もこの人を楽にしてあげたらという考えが脳裏をよぎった。とてもつらいほどに。彼らの中で、心が落ち着いている人で、とても苦しんでいる人なら、本人に決めさせてあげてもいいと感じている。自分の選択であり、他の誰の選択でもない。動物は安楽死させるのに、人間は苦しませてもいいという考えが理解できないままだ。
●がんの研究が自分の専門だ。 1度、20代前半のとても若い患者を受け持った。胃がんで手の施しようがなく、モルヒネのポンプとともにホスピスへ来た。
憶測ではあるが、彼は私たちが何をしているかを常にわかっていたようだ。彼の痛みを和らげるために常に薬を投与していたが、彼の痛みはコントロールできないレベルまで来ていた。焼けるような苦痛が四六時中、彼を痛めつけていた。
ある日、新しく補充した直後に彼はポンプを離し、服用量の限度をリセットした。それから彼は自分が死ぬまでボタンを押し続けた。
彼に携わった全員が同じリアクションをした。「よくやったぞ」と。僕はいつも彼を思い出す。そのことだけでなく、彼が「いったいHo-spsice(ホスピスとホー・スパイスをもじっている)って何だったんだ」と尋ねたことを。
彼が笑顔だったときを覚えている。おそらく15年くらい前のことだが、彼のことが脳裏にこびりついているんだ。彼の名前はウィルだった。ウィル:ホー・スパイス・マンだ。安らかに眠ってほしい。
●ホスピスの看護士として、彼女の気持ちがよく理解できます。そしてこのことが合法になって、どこでも可能になるといいと思っています。
自分の患者への義務は、尊厳を持って亡くなるときのお手伝いをすることで、死が近いと知ることは幸運であると思っています。
自らの命を奪った彼女は、自己中心的だとか罪人だと呼ばれ続けるかもしれないけど、その本人の立場にいる人だけが本当に理解することができるし、今までに「全てを終わりにしてほしい」と患者に尋ねられたり、懇願されたりしてきました。
出来ることは痛みや苦しみを��くらか和らげる助けくらいで、最後に息を引き取ったときは自分の中の何かが安堵するのも事実です。だから彼女が生きて、自らそのときを選んだことを喜んでいます。
●私は腫瘍学の看護師をしています。膠芽腫の患者に、数えきれないくらい携わってきました。
この病気は人を別人に変えます。家族が知っている人はその目前で完全に消えていくのです。その苦しみは堪えがたいものです。彼らが感じる痛みがどれほどのものなのか、想像もつきません。
彼女のとった決断を支持します。同僚と私たちも同じことをしたと話し合っています。必要もない苦しみをずっと被り続けることに疑問です。最終結果は同じことになるのだから。 尊厳死について…多くの死を見てきた医療従事者たちのコメントが心を打つと反響 (via drhaniwa)(hiroakisから)
6月 20, 2016 息子へ おまえにこの手紙を書いたのには3つの理由がある。 1. 人生は幸福も災難も無常だ。いつ死ぬかは分からないので早めに言っておきたい。 2. 私はおまえの父だ。私が言わなければ、誰も言ってくれない。 3. この手紙は私の悲惨な失敗体験から得たものばかりで、おまえの人生に役立つだろう。 今後の人生において、以下のことをよく覚えてほしい。 (1)おまえを悪く扱う人のことを気にしない。私とお前の母親を除けば、誰もおまえによくしてあげる義務はない。だからおまえによくしてくれる人を必ず大切にし、その人への恩を忘れてはならない。 (2)世の中には、居なければ困る人は存在しない。所有しなければ困る物は存在しない。お前が愛しているすべてを失っても人生は何とかなるものだ。 (3)命は短い。今日も浪費しているこの命は、明日にはもう消えるかもしれない。命を大切にしたいのであれば、命を楽しむ時間を増やすとよい。長生きよりも早く楽しむことが大切だ。 (4)愛情は一種の感覚に過ぎない。時間や心境と共に変化する。最愛の人がおまえから離れた場合、慌てずに時間を待つがいい。時間がおまえの心を洗い清め、おまえの苦痛を和らげてくれる。恋に憧れ過ぎないこと。失恋を悲しみ過ぎないこと。 (5)確かに多くの成功者はあまり勉強していない。しかし、これは勉強しなくても成功できることを意味しない。勉強で獲得した知識はおまえの武器だ。人はゼロから富を築くことができるが、何の武器も持たないと無理だ。これを絶対覚えておくのだ。 (6)私の老後はおまえに頼るつもりはない。おまえの老後は私に頼れる訳がない。おまえが成人して独立した時点では、私の責任は終わった。今後、バスに乗るのかベンツに乗るのか、春雨スープを飲むのかフカヒレスープを飲むのかそれは、全部おまえ自身の責任だ。 (7)おまえは自分に信用を守ることを要求できるが、同じことを他人に要求できない。おまえは人に優しくすることができるが、同様なことを人に期待してはいけない。おまえが他人を扱うように、他人がおまえを扱うとは限らない。これを理解できないと人生は苦痛��溜まるばかりだ。 (8)私は26年間、宝くじを買ってきたが、未だに三等賞にも当たっていない。リッチになりたいならば努力して仕事せよということだ。この世にはただのランチなどない。 (9)おまえと私は一回限りのご縁だ。お互いの縁がいつまで続くかは分からないが、共に過ごす時間を大切にしよう。お互い愛があろうがなかろうが、来世にもう出逢うことはない。 「息子への家書」紹介 | gentak.info (via 719043) (元記事: drhaniwa (hustler4lifeから))
6月 18, 2016 大事なことは「栄養バランスの取れた食事」「価値のある人間に会うこと」「得意な事で社会貢献すること」であって、苦手を克服しても殆ど何の意味もない。 砂鉄さんのツイート: “大事なことは「栄養バランスの取れた食事」「価値のある人間に会うこと」「得意な事で社会貢献すること」であって、苦手を克服しても殆ど何の意味もない。苦手の克服ってのは「究極の贅沢」なんだよ。野生でこれに挑戦したら100%死ぬわけ。” (via sukoyaka) (akeylarideagainから)
6月 13, 2016 ダミーの日本人を使って日本の山が中国資本に買い占められつつあり、このままでは地下水脈が奪われ、タイと同じく干殺しの憂き目になりかねないと。 痛いテレビ : 櫻井よし子「タイの次は日本」 (via narukish) (via soulboy) (via
6月 13, 2016 しあわせは、なるものではなく、 気づくもの 3秒でハッピーになる 名言セラピー / ひすいこたろう (via ebook-q)(gen-destinoから)
6月 13, 2016 前職上司に言われた忘れられない言葉。「仕事とプライベートで同時に重要な問題が起こったら、プライベートを優先しなさい。あなたがどれだけ優秀でも、仕事ではあなたの代わりはいる。でも、プライベートであなたの代わりになる人は��ないのだから。」ぼくが部下を持った時には必ず言おうと思ってる。 Twitter / shinichi_taka (via 13py2)(元記事: mezotaro (gen-destinoから))
6月 14, 2016 1949年の中国共産党による中華人民共和国成立に際して統合され、その支配下に入った(ウイグル人にとっては漢族による征服)。1955年には新疆ウイグル自治区が設置された。しかし、自治区とはいえ実際の政治・政策は北京の中国共産党政府主導のもとで行われている。 また、中国政府は「政治犯」として50万人もの東トルキスタン人を処刑したといわれ、妊婦に対して「計画生育」と言う名目で胎児の中絶を強制し、犠牲になった胎児は850万に上ると推計されている。 またチベットでも同様の産児制限と中絶・不妊手術の強制が行われた[1]。 東トルキスタン - Wikipedia (via tiga)(gkojax-textから)
6月 14, 2016 昭和の韓寇・・・昭和27年6月 ���然、韓国が竹島に侵攻し占領した。 以降、周囲で操業した漁師40人を殺傷4000人を強制連行し、人質とし、 昭和40年の日韓基本条約締結において、日本に対し、 現金(現在の円換算で100兆円)と、日本に密入国していた不逞朝鮮人への「特別 在留許可」を認めさせた(現在の在日)。 ※「竹島問題」 とは、竹島帰属の問題ではなく、韓国が日本を侵略したということ。
6月 14, 2016 沖縄県民による性犯罪は、今年9月だけで21件起きているそうです、内訳は被害者の内7人が高校生、14人が中学生です。この資料はあくまでも未成年者のみを対象にした資料なので成年者を含めると数はもっと増えると思われます。 しかし、未成年者が被害者でもこれだけ多くの性犯罪があるのにそれの報道はほとんどなく(新聞の隅に小さく載るだけ)、米軍人の性犯罪に対しては、新聞、ラジオ、テレビ、議会あらゆる場所で抗議の声が上がるのは何故でしょうか? おーるじゃんる : 石垣市議「沖縄県民による性犯罪は月に21件 米軍は年に1件の犯罪率なのにマスコミが騒ぐ おかしい」 (via jinx-)(amenokgから)
6月 14, 2016 在日による鬼畜強姦事件1
1.「聖神中央教会連続小学生強姦事件」 永田保こと金保  (少女を強姦するためのカルト宗教を創設、少なくとも小学生35人以上を「拒否すると地獄に落ちる」と脅して強姦)
2.「摂理連続強姦事件」 鄭明析 (日本人を強姦するために全国約80箇所に教会を設置、大学でサークル活動と偽って勧誘し数百人の女性をレイプ、小学生も強姦していた)
3.「国際福音キリスト教会連続強姦事件」 卞在昌 (強姦するためにカルト教団を利用し「私と一つになることは神と一つになることだ」と多数の女性を強姦)
4.「フジテレビ社員成りすまし140人連続少女強姦事件」 李昇一 (人気番組のスタッフを名乗り、「タレントに会わせてやる」と若い女性に近づき、薬物と強い酒を飲ませ約140人の女子中高生を強姦)
5.「カナヤマン少女連続強姦事件」 金山昇一 (少女を強姦する目的で偽の芸能事務所を設立、多数の芸能界志望少女を芸能人にすると嘘をつき強姦しその模様を撮影、映像はネット上にばら撒かれ永遠に回収は不可能)
6.「ルーシーブラックマンら連続強姦殺人事件」 織原城二こと金聖鐘 (1970年以来薬物を飲ませて少なくとも女性、400人以上を強姦、英国人ルーシー・ブラックマンさんら2人以上を殺した、親は密入国してきた賭博成金)
7.「大阪市女性2人キャリーバッグ拉致強姦強盗事件」 山元平和こと金平和 2008.4.22 (多数の女性をバッグに押し込み拉致して強盗強姦、10~18年に大阪、神戸両市内で計21件の強盗強姦事件を繰り返した)
8.「浜松連続強姦強盗事件」 李正遠 (浜松市内の家に侵入し、15歳の女子高生をはじめ中にいた女性など8人に強姦傷害、窃盗などの罪に問われあわせて11 の事件で起訴 )
9.「目白一人暮らし女性連続強姦強盗事件」 宋治悦 1998年8月21日 (目白通り沿いに住む一人暮らしの女性19人を強姦し金を奪った。銀行の防犯カメラの様子がテレビ局でも報道されたが、韓国人とわかると報道はなくなった。)
10.「逃亡韓国人による200名連続強盗強姦事件」 金允植 (43)  (韓国内の強姦事件で指名手配直前に逃亡目的で来日(98年9月)。大阪で夫が出勤後の民家を狙い主婦を連続強姦。2年間で被害者約200名、被害総額は、約四千二百万円以上) お前らが笑ったコピペを貼れ in 市況2 part37 (via rulebook) (tk1024から)
6月 14, 2016 うつで一番恐ろしいのは、気分が憂鬱になることではなく、判断力が低下することです。 判断力が落ちるとどうなるかと言うと、自分が健康なのかどうか判断できなくなり、仕事を休むべきなのかどうかで判断を誤り、病院に行くべきな のかどうかで判断を誤り、良い医者かどうかで判断を誤り、周りの助言は正しいのかどうかで判断を誤り、自分は絶望的な状況にあるのかどうかで判断を誤り、 生きるべきか死ぬべきかで判断を誤ります。 プログラマーが知っておくべきうつ病の知識 - aikeの日記 (via noteasuola) (元記事: noteasuola (amenokgから))
6月 4, 2016 人事関連の研究報告書 を見てみると、「お金」が社 員の満足度の促進要因でないことは数値的にも立証されています。 どんなリサーチ結果を見ても、「衣・食・住」といった基本的な欲求が満た されている限り、「お金」を満足度要因のトップに上げる人はほとんどいません。せいぜい四番目か五番目です。 だから、 「社員の幸せはお金では買えない」と いうのは、別にザッ ポスが言い始めたことではなくて、世間的にも立証済みのことなんです。つまり、 社員により高い給料を与える ことで満足度を上げようというのは、企業にとって、いわば「お金の無駄遣い」なのです。 社員が楽しく、やりがいを もって働ける企 業文化をつくること、また、個々の社員が、直属の上司とより良 く、より近しい関係を築ける環 境をつくることに注力したほうが、よりコスト効 率的に、社員の幸せを実現することができま す。 もうひとつの指標として、 「職場にどれだけ友人がいる か」、あるいは、「職場に親友がいるかどうか」は、社員のエンゲージメントや生産性に 大きな影響をもたらします。 企業のリー ダーというのは、そういった職場環境をつくることに努力を注 ぐべきで、ただ給料を上げればいいというのは、まったく「怠慢極まりない」経営管理の方法だと、僕は思います。 経営者が、「幸せ」について突き詰める、ということ :: INSIGHT NOW! (via nakano) (via tiga) (via yaruo) (via gkojax)
6月 5, 2016 マーケティングの究極の目標は、「人の嫌な気持ちを知ること」だと思っている。「もっともアタマにきていることは何か」「うんざりしていることは何か」「あきらめてしまっていることは何か」それさえ見つかればそれを言葉にすることさえできれば、金鉱を掘り当てたようなものだ(くらたまなぶ) balance-meter:
6月 6, 2016 日本にいて違和感を感じるのは、楽しくしていることがイケナイことみたいで、苦労していないとケシカランみたいな空気。一般的なアメリカ人なんかは、楽しくなければ人生じゃないと思っている。そもそもなんでわざわざ苦しまなきゃいかんのですか。生きてるだけで大変なのに。 balance-meter:
6月 7, 2016 どうして変わったのかというと、幕末にペリーがやってきて、日本は開国しました。 そのとき一般に言われる「不平等条約」が結ばれました。 欧米列強の「力の外交」の前に、日本は屈せざるを得なかったのです。 その後、日本は、この不平等条約の改正のために、血の滲むような努力を重ねました。 そのなかのひとつが、黒の喪服だったのです。 欧米では、喪服は黒です。 ところが日本は白です。 そこで日本が欧米並の文明国であることを世界に誇示し、条約改正を有利にするために、まずはご皇室から、喪服を白から黒にあらためました。 それが次第に政府高官に広がり、明治11(1878)年の大久保利通の葬儀のときには、多くの関係者が黒の大礼服で葬儀に出席、のちに次第に民間でも喪服が黒に変わっていったのです。 ちなみに、日本のご皇室では、外国の賓客を招くとき、晩餐会での食事にはフランス料理を出します。 けれども世界中どこの国でも、インドならインド料理というように、その国の民族料理を出すのが国際的慣例です。 ところが日本では、日本料理ではなく、フランス料理で賓客をもてなします。 これも、喪服を白から黒に変えたのと同じで、明治の日本が不平等条約の改正のために、日本が文明国であることを証明し、すこしでも条約改正を有利にしようと努力したことが発端になっています。 ですから、いまでもご皇室が賓客をおもてなしする際は、フランス料理です。 明治の鹿鳴館は有名です。 東京日比谷にある帝国ホテルのすぐ隣の敷地に明治16(1883)年に建てられたこの鹿鳴館では、毎夜舞踏会が行われました。 これも、日本が欧米と対等な文明国であることを、すこしでも印象づけようとした当時の日本の、まさに血を吐くような努力のひとつであったものです。 外国人が日本で犯罪を犯しても、日本の官憲はこれを取り締まることができない(治外法権)。 日本に関税自主権がなく、諸外国の製品から日本の産業を守ることができない。 欧米列強の力の前に、これら条件を飲まざるを得なかったことが、幕末の激しい攘夷論となり、戊辰戦争をひき起こし、ついには江戸幕府から明治新政府への転換に到りました。 幕末の志士たちにとって、日本が欧米と対等に付き合える国になること、それがまさに夢にまで見た手の届かない坂の上の雲でした。 日本は、喪服の色を変え、宮中晩餐会の料理をフランス料理に変え、鹿鳴館をつくり、日清、日露を戦い、やっとの思いでついに不平等条約の改正を実現したのは、幕末から半世紀を経た明治44年のことでした。 おそらく、喪服の色まで変え、外国の賓客を招いた晩餐会で、外国の料理を出す国は、世界広しといえども、日本だけであろうと思います。 ちなみに、お隣の韓国では韓国料理、支那では、あたりまえのように中華料理が出ます。 世界にただ一国、自存自立と人種の平等の実現のために戦い、満身創痍となりながらもそれを実現した日本は、同時に、悲しいまでに我慢と忍耐を続けた国でもありました。 そして私たちの諸先輩が、そういう努力をしてくださったおかげで、いまの私たち日本の繁栄があります。 皆様も喪服を着る機会がありましたら、葬儀のあとの精進落しの席で、お隣に座った方に、 「実は、江戸時代までは喪服の色は白だったんだ。それが黒になったのはね・・・・」と、ちょっとお話されてみられたらいかがでしょう。 白い喪服 ねずさんの ひとりごと (via chikuri) 2013-08-13
(via mmtki)
6月 2, 2016 >かつて自民党総務会で、野中広務が、 >「創氏改名は朝鮮人が望んだ」と発言した麻生太郎を吊るし上げたことがある。 >でも当時はまだ奥野誠亮がいて、 >「野中くん、きみは若いから知らないかもしれないが、麻生君が言うことは100%正解だよ。 > 朝鮮名のままだと商売がやりにくかった。 > そういう訴えが多かったので、創氏改名に踏み切った。判子をついたのは内務官僚、この私なんだ」 >と言ったら、野中はそこで中座して出ていってしまった。 >横で聞いていた野呂田芳成が、「いや、奥野先生、今日はホントにいい話を聞かせていただきました」と。 在日韓国人「仕事で通名を強要された」として提訴 <-応援する!通名廃止しよう!
(via volnay007)
5月 18, 2016 第一次安倍政権 2008/4/27 安倍晋三とは たった就任3ヶ月で、教育改革と防衛省昇格を成し遂げ、 就任早々から各国との外交を精力的にこなし、 経団連の圧力に負けずにWCエグゼンプションの対象者を目標だった年収1000万円以上の近くで踏みとどめ、 それでいて企業側に非正社員の社会保険と厚生年金の適用を認めさせ、 児童福祉と子育て手当てとフリーター自立支援を予算に設けつつ、 国債を減らして財源建て直しをスピードアップ、 北朝鮮制裁をガンガン強化して朝鮮総連をガサ入れ、 パチンコ屋を税務調査の波状攻撃で締め上げて総連を逆ギレさせ、 貸金規正法を改正してグレーゾーン完全廃止で悪徳サラ金業者を締め、 「負けたら即引退スペシャル」の重圧下でも重要な選挙に連勝し、 「女系天皇容認」を白紙に戻し、 「日本海」を「平和の海」に改名しようと提案した盧武鉉大統領のアホな要求を見事に拒否し、 人権擁護法案を凍結し日本国民の言論と表現の自由を守って、 国民の大多数が疑問に感じていた「ゆとり教育」の見直しを明記し、 中国への武器輸出禁止解除反対をEUに働きかけて、 在日や凶悪犯罪を取り締まる共謀罪成立に全力をあげた政治家。 (via shinjihi)(peckoriから)
こちらが昭和32年、防衛大学の一期生に吉田茂元首相が贈った言葉です 「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。 きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。 しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやさ���る事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。 言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。 どうか、耐えてもらいたい。」
【社会】民進党 「次の内閣」会議で妊娠期からの養子縁組にも道を開く「特別養子縁組の促進等のための児童の養子縁組に関する法律案」を了承 [H28/5/17]  上のスレにもあるようにコレが狙いなのか?
 某国から妊婦が来日   ↓  養子縁組を探す ←←← 戸籍着手   ↓  その間の滞在出産費用を休眠口座金で賄う   ↓  出産したら養子拒否と滞在延長申請 or 背乗り   ↓  本国から家族を呼ぶ   ↓  ナマポ申請   ↓  寄生完了
5月 16, 2016 知り合いの教授が名誉毀損で刑事告訴された。名誉毀損と侮辱罪の違いをその教授が上手く説明してくれた。 「ブスにブス!と言ったら名誉毀損」 「美人にブス!と言ったら侮辱罪」 明快な回答に思わず拍手 裁判になったら傍聴しにいくと約束した。 Twitter / inukikanako1121 (via tkr)(908908から)
5月 15, 2016 太陽光発電モジュールは、火災を起こす ハンダが溶けて外れるぐらいの熱を出している、壊れたソーラーパネルが屋根にのっていたり、屋根に組み込んであったりしても、安全なのだろうか? まあ当然、まったくもって安全ではない。家ごと燃えることもある。国内事例だと消費者庁のサイトに一件だけ公表されているのがあるそうな。欧米では結構ばんばん燃えているらしい。日中燃えると、水をかけることができないので燃えっぱなしになるそうだ。消防士感電しちゃうからね。 太陽光発電は、日光が当たっていると絶対に止められない 家が燃えている時、水をかけたいから発電を止めたい、と思っても太陽光発電はとまらない。光が当たると絶対に電気が出てしまうのだ。原子力発電とは違った意味で、太陽光発電も人間の都合では止まらない。ほったらかした太陽光発電は、安全でも安心でもないのだ。 太陽光発電には安全神話がある (via deli-hell-me)(pgtwitterから)
5月 7, 2016 前も書いたけど日本人は日本が、 ・世界一の債権国で ・世界三位の経済規模 ・世界七位の国土(領海EEZ含む) ・世界十位の人口 を持つ大国だ、ということを忘れがち。そんな国が世界情勢と無縁でいられるはずがない(´・ω・`) Twitter / zakmustang (via netinago99) 世界六位の国土(領海EEZ含む)じゃなかったっけ? http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9410.html(newtonblueから)
5月 4, 2016 北朝鮮の一番の支援国は日本というブラックジョークがあったけど ジョークじゃなくてマジじゃん
30 :名無しさん@1周年 [] :2016/05/02(月) 11:13:55.40 ID:pfrdqC8Q0 (2/3) [PC] >>22 うん、北朝鮮最大の支援国家は間違いなく日本。 パチンコで莫大な送金ジャブジャブ。朝銀の1兆円も踏み倒され、 朝鮮総連の差し押さえさえ出来ない。 技術スパイたちもスパイ天国を謳歌。ホリエモンとかもロケット技術支援。 北朝鮮幹部から「在日を通じて何でも手に入る」と言われる始末。 [北朝鮮] 在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)代表団が平壌到着 党大会に参加へ + 核研究で総連系から奨励金受け取る 京大准教授に対北制裁 再入国禁止措置 + 京大内情 | memo (via 774rider) (morisovaから)
5月 5, 2016 とにかく誰かに会ったら『この人が欲しがっているものは何か?』ちゅうことを考えながら接してみい。そして欲しがっていること、求めていることをできるだけ与えるようにこころがけるんや。 夢をかなえるゾウ / 水野敬也 (via ebook-q) (toufuから)
5月 6, 2016 学生時代にWILLFUという起業スクールに通い、次のことを教わった。 1:Said≠Heard 言ったからといって、聞いてもらえたわけではない。 2:Heard≠Listen 聞いてもらえたからといって、聴いてもらえたわけではない。 3:Listen≠Understood 聴いてもらえたからといって、理解してもらえたわけではない。 4:Understood≠Agreed 理解してもらえたからといって、賛成してもらえたわけではない。 5:Agreed≠Sympathized & Convinced 賛成してもらえたからといって、共感し、納得して行動したいと思ってもらえたわけではない。 ※参照:WILLFUでもらった資料 「伝えたつもり」では伝わらない。足りないのはテクニックではなく「回数」だった。 | Books&Apps (via mayumiura) (hirofusから)
5月 3, 2016 誰かの考えを変えようと思うのなら、人が憧れるような、考えを改めるような物語を最初に見せることです。 物語が世界を支配している。というのはネイティブアメリカンの言葉ですが、人を動かす憧れの源泉は確かに物語だと思います。 良い物語をきかせてあげてください。以上説明終わり。 Twitter / siva_yuri (via ryuuya)(quote-over100notes-jpから)
5月 3, 2016 同国との付き合い方について「理由なく謝れと言われたりカネを払えと言われたら、粛々と無視する。すると相手が勝手に自壊するので、それから付き合うのが正しい」と訴えると、会場からは大きな拍手が湧き起こっていた。 【韓国発狂】産経の加藤達也氏が韓国人との正しい付き合い方を伝授してるぞwww 2ch「素晴らしい!!」「経験者が語ると説得力あるな」 - 中国・韓国・在日崩壊ニュース (via 774rider)(the-man-of-justiceから)
5月 3, 2016 容姿端麗な14歳の王女が、目の前で勃発している戦争に対して「私も国民と戦います!」と軍服を着て軍需工場に通い始めて、3トントラックを駆りながら輸送人員として戦いだしたら、そらもう国民総決起しますよね。物語のヒロインのようですが、今のエリザベス女王2世のことです。 Twitter / bgizu (via ffftp)(yokokickから)
5月 3, 2016 機会には二種ある。求めずに訪れる機会と我々の作る機会とである。世間でふつうにいう機会は前者である。しかし真の機会は、時勢に応じ理にかなって我々の行動するときに訪れるものである。大事なときには、機会は我々が作りださなければならない(西郷隆盛)balance-meter:
5月 3, 2016 思想弾圧の手順なんて既にマニュアル化されてて 1.エログロなどこれは駄目だろうと思うものを規制する 2.社会全体に「理由があったら規制していい」という空気をができる 3.適当な理由で表現を規制していく 国民が馬鹿ならこのパターンを使えば100%楽勝で思想弾圧できる これに対して現代の国民が取った対策が「��んな理由があれど何一つ規制させない、そもそも空気を作らせない」というもので、これが「表現の自由」の存在理由なんだよ。これを守らないと何百万人と死ぬから、数万単位の生き死には含み損にしようという考えであって、別に人道主義でやってる訳じゃない https://twitter.com/satetu4401/status/681273081529147394 https://twitter.com/satetu4401/status/681274836857913344
(via mug-g)
(dotnukeから)
5月 3, 2016 あらゆる人間関係のトラブルは、他人の課題に土足で踏み込むことにより起こります アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉 / 小倉 広 (via ebook-q) (nashi-kyoから)
5月 3, 2016 中国人民解放軍中枢の日本自衛隊に対する認識の程度がわかる資料があります。 軍事委員会のやりとりの中でのQ&Aです。 Q....この映像(12年度自衛隊総合火力演習)は本物かね。 A....本物です。各国武官と一般日本人を対象とした公開演習です。 Q....空砲を使って何か細工をしている可能性は? A....ありません。これは実弾演習です。 Q....10式戦車と我が軍の戦車の能力差は? A....比較ができません。 Q....劣るというが、同等あるいは追い越すのに5年程度はかかるということかね。 A....はっきり申しまして、5年では無理かと思います。 Q....この戦車の砲はドイツ製と聞いているが国産率はどの程度なのか? A....100%日本国産です。 Q....我が国は兵器スペックを公表していないが日本は公表している。その信頼性は? A....最低100%。ほとんどがそれ以上です。 Q....青島出港の原潜が帰港まで全てチェックされていたというのは事実か? A....出港直後はわかりませんが事実です。 Q....我が国の潜水艦潜航深度は300m。日本は? A....現状配備600m。来年進水のそうりゅう型は800mと聞いております。 Q....ソナーの探知能力は? A....約20㎞~30㎞。日本は200㎞~300㎞程度と推測されます。 Q....魚雷の速度は日本の3倍だそうだが。 A....その代わり射程が15㎞程度で、日本は有線誘導魚雷でも40㎞以上です。 Q....魚雷に関して他にあるか? A....探知能力に差があり、かつ日本の魚雷は深深度魚雷です。けんかになりません。 Q....現状で日本潜水艦に対抗できるか? A....まず難しいかと......。 Q....水上艦艇はともかく、戦時に潜水艦の第一列島線突破は可能か? A....たぶん(無理かと)......。 Q....南シナ海への原潜展開について問題はあるか? A....空は監視衛星。海はケーブルセンサー網です。......。 Q....日本は監視衛星なんかもっていないだろう。 A....表向きはそうですが、すでに情報収集衛星は運用しています。   Q....我が国と比較して、その衛星の能力、精度はどの程度か? A....少なくとも100倍以上はあるかと....。 Q....具体的に説明してくれ。 A....光学���号の分解能はおそらく30㎝程度。米の軍事衛星と同等レベルでしょう。 Q....5年で追いつけるか? A....たぶん(無理かと).......。 Q....ケーブルセンサーというのはいったい何だ? A....海底電信同軸ケーブルです。現在は海底津波地震ケーブルとして運用されてます。 Q....そんなもの南シナ海の原潜展開にどんな影響があるのか? A....取り付けの6種類のセンサー情報は機雷、水上艦艇、航空機とリンクしています。 Q....その範囲は? A....日本海、東シナ海、南シナ海、インド洋、西太平洋全域です。 Q....知るところ、中国にこのシステムはない。なぜなかったのか。 A....必要がなかったからです。 Q....南シナ海のような深い海で機雷敷設など不可能だろう。 A....日本の機雷は深深度機雷です。少なくとも5000m以上の深度に対応できます。 Q....日本の戦略として海上封鎖は当然予想される。機雷封鎖には何ヶ月程度かかるか? A....日本海から南シナ海まで1000基程度ならば1日で終わるでしょう。 Q....戦争となれば地勢的に制海権確保は必須である。それができないということか? A....困難かと.....。 Q....空軍の比較だが優劣の評価は? A....個々の戦闘機の能力は別として評価すると明らかに劣勢です。 Q....具体的には? A....索敵システムとレーダーの能力、ミサイルの能力が比較になりません。 Q....ミサイルの1000発飽和攻撃というが、実際に可能なのか? A....(無言)......。 Q....中国全核基地において日米に気づかれずに核ミサイル発射準備は可能か? A....24時間監視されている。まず不可能だ。 Q....日本が対中国戦に核武装を決断した場合、抑止力レベルまでどのくらいかかるか? A....報復攻撃ならば、メガトンクラス10基に約3ヶ月程度でしょう。 余命3年時事日記:So-netブログ (via hapirai) (onibi-onibiから)
5月 3, 2016 わからない人のために解説。 若者の死因で自殺がトップになるのは,若者が「事故・病気・犯罪で死なない」から。平和だと自殺くらいしか死ぬ原因がない。 他国ではカーチェイスで死んだり,薬物に逃避して濫用で死んだり,犯罪に巻き込まれて死んだりしてるのだが,それを目指してどうするんだと。 Twitter / eis_baerchen (via shinoddddd)(y-kasaから)
5月 3, 2016 任天堂の岩田前社長が残した言葉 「自分の長所を見つけるには、自分が楽にできることを探すこと」 感情的な人間が陥りがちな努力主義・苦労主義をぶっ飛ばす冷徹で理知的な言葉だと思います つまり、人は苦労して何かを身に付けると、それにすごい価値があると思い込みたがります。 でも実は自分は何気なくやってるけど他の人は結構苦労してる物があって、それこそが「金になる」本物のスキルだということです。 えいす|学園祭G-15_ド嬢本さんのツイート (via hutaba)(chartercourtから)
5月 4, 2016 人生を幸せに生きるためには、3つのものが必要です。 自分で変えられないものを受け入れる強さと、 変えられるものを変えていく勇気と、 その違いを見分ける賢さの3つです。  『20代にしておきたい17のこと』     (via mmgen)(mr-moaiから)
4月 30, 2016 山田氏は常々、「部下というのは『自分は評価されていない』『上司が無能』『部署にチームワークがない』など、必ず『何かしら不満』をもっているものや」と話していた。よって上司の仕事は、部下の不満につねに耳を傾け、できる範囲でそれらを少しでも減らすこと。それができれば、部署全体の生産性アップにつながる――。それが山田氏の持論だった。 楽園企業は「バカ管理職」にはとことん厳しい | 日本一“社員”が幸せな会社の「うらやましすぎる真実」 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
そもそもの問題として管理職が「管理」するのは部下じゃなくて仕事だという話なのに、部下を「管理」するんだと勘違いしているのが起点なんじゃないかなあ。
(via yoosee)
(gpx250r-ninjaから)
4月 27, 2016 俺は外国に出て気が付いたことがある。 日本人は必ず、どんな相手でも精神的に距離を置く。 身内の、親とか兄弟とかでさえ、距離を置いてるよ。 理由は知らないが多分、日本人の民族性だろうね。 これは外国人と親しくならないと気が付かない。 外国人は1度親しくなると、もの凄く精神的に入り込んでくる。 心の距離が凄く近い。 ここまで相手に入り込んでい来るのか?って驚くよ。 ただ、そういう親しい関係ってのは、相手が否定しだすと壊れるんだね。 日本人が精神的に一定の距離を置くのは、相手に否定されても ギリギリの所で関係を維持する保険のようなものだって理解してる。 外人とは1度関係がこじれると、身内ですら関係断絶されかねない。 外人は距離を置いて関係を維持するっていう事が出来ないからね。 http://copipe.cureblack.com/c/29684
4月 26, 2016 トヨタには「人を責めずに、しくみを責めろ」という言葉があります。  作業者が失敗をしても、個人攻撃をせずに、しくみが悪いと考えるのです。 トヨタ 仕事の基本大全 (中経出版) / (株)OJTソリューションズ (via qsfrombooks)
4月 25, 2016 外交にはカードが必要です。そんな事も分からない人は、予算しか見ない。日本とトラブルを起こしている国々は、外交に軍事力を使ってるでしょうが、そんな事もわからんのか?と問いたい。 「軍事力 カード」 これは戦争をするために持つものではなく、戦争をしない、その前の侵略をさせない。攻めこませない為に持つカードなんです。 切るべきカードもないのに相手と対等に外交交渉が出来ますか?
自衛隊がなかった時に、韓国が竹島を日本から奪ったんですよ。 自衛隊があるから、中国は尖閣諸島を奪えないんです。
予算を削って自衛隊を縮小している集団は売国奴だと言っているのはソコ。 「経済力カード」「軍事力カード」の両方を捨てろと言ってるんです 誰得ですか?考えれば分かるでしょ。日本の弱体化を狙っているんです。 25DD 新型5,000トン型汎用護衛艦|子供には読ませられないブログGIGO (via 719043) (元記事: jackrose (billmenhanakoから))
4月 21, 2016 これ読んでも分からんのならオレは風呂入る。 シナは領土の拡大を狙っている。 そしてアメリカのポジションを欲しがっている。 そしてシナは朝鮮半島を手に入れたいと思ってる。 北はシナの子分みたいなもんだから、ずばりキーマンは『韓国』だ。 すてに工作が進み韓国はどんどんシナに取り込まれている。 『安全保障はアメリカへ、経済はシナへ』が韓国の立ち位置だ。 すでにここまではシナの思惑通りになった。 そうなると次にシナは韓アの安保が気に入らない。 そして反米工作員を使い徹底的に反米、在韓米軍基地にデモをかけ、2015年7月に在韓米軍基地の撤退が決定した。これは韓アの安保が終わるという事だ。 シナは韓国を取り込み、まず朝鮮統一を図る。そして「中国領朝鮮自治区」となる。 日清・日露戦争がなぜ起きたか知ってるか?わからんならクグれ。 「第二次日清戦争」の脅威が目の前にあるんだ。 そうなる前に、芽を摘む為に、アメリカは日本に集団的自衛権の容認を急いぎシナに牽制したんだ。 これでも分からんなら池上彰に聞いてくれ。 集団的自衛権について真剣に議論したいんだ : 大艦巨砲主義! (via tamejirou)
4月 22, 2016 「オスプレイ、お前だったのか、今まで物資をくれたのは」オスプレイはこくりと翼を動かしました。反対派はぱたりとレーザーポインターを落としました。緑色の光線が、筒先からまだ出ていました #オスプレイ文学 ヤトー・M・エイブラムスさんはTwitterを使っています
4月 22, 2016 「来てもよい頃だろ、来いよモテ期!」って回文、「ロリコン外科医いい加減懲りろ」「世の中ね、顔かお金かなのよ」くらいの完成度を感じるな。すごい。 Twitter / 極東極楽 (via ssbt)
4月 19, 2016 日の丸への寄せ書きなどの注意事項 真ん中の赤い部分には何も書いてはいけません 名前を書くときも 最初の文字が赤い部分に触れてはいけません、にじんで赤い部分と接しないように離して下さい 漫画などで セリフなどが重なったり視覚効果を狙って日章旗の上に文字が描かれたものもあるかもしれませんが 実際の寄せ書きなどで 赤い部分に触れるのは畏れ多いとしてしなかったものです 知らなかったのなら仕方がありませんが 皆さんに知らせていただきたいです 米国から送られた寄せ書きでさえ 真っ赤な部分には触れずに書かれているのに 日本人がその事を忘れてしまうのはあまりにも悲しい事です 今日は敬老の日です。 「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」日です。ニートな2ちゃんねらー日記 (via shima-ken)(nandemo812から)
4月 19, 2016 多くの中国人や韓国人がアメリカに移住したがるのは、それだけ中国や韓国が住みにくい国だからで、アメリカに住みたがる日本人が少ないのは、日本がアメリカなんかよりずっと住みやすい国だからです。 本来は喜ぶべきことなのに、それについて文句をいうなんてどうかしてます。 私はこのマキハラ・クミコという女性についてよく知りませんが、アメリカの新聞に英語で寄稿できるくらいだから、過去、アメリカに滞在した経験があるのでしょう。 彼女は離婚したシングルマザーだそうですが、別れた夫はアメリカ人だったんじゃないでしょうか。 彼女の文章を読んでいると、日本人であるにもかかわらず、アメリカ男と結婚していることで、自分がアメリカ人になったような気分になって、 上から目線でエラソーに日本人に説教を垂れる、欧米コンプレックス丸出しの外専オンナの姿が浮かんできます。 しかも彼女はそれを日本人に対してではなく、アメリカの新聞読者に向けてやっているわけで、相当、屈折しています。 人種差別の本場ともいうべきアメリカの地方新聞にわざわざ寄稿して、どうでもいいような日本人の外国人に対する偏見(?)の例を取り上げて、 日本人は人種差別主義者だと糾弾しているんですから、テキサス親父が呆れるのも無理はありません。 via ジャックの談話室 : アメリカの地方新聞に日本批判記事を書いている日本人女性 (via twinleaves)(kabakenから)
4月 19, 2016 特別な権利を略して特権といいます。 >三重で在日の住民税が半額 どう見ても特別な権利(特権)ですね。 http://gensen2ch.com/archives/58118216.html 東京新聞記者「三重で在日の住民税が半額なのは在日特権ではない。野間さんの本は素晴らしいから読んでください」 : 厳選!韓国情報 (via worldwalker2)(nerazurinerazuriから)
4月 19, 2016 日本人「日本では格差が開く一方だ」 インド人・ブラジル人・中国人・アメリカ人「はあ?スラム街ってあるの?親が子供の臓器を売ったり売春強制したりしてる?本当の貧困を見に来る?」 “自虐”日本に驚く世界のエリートたち ――日本人の自国批判で傷つく人も|田村耕太郎の「坂の上に雲はない!」|ダイヤモンド・オンライン (via jinon)(windsockから)
4月 19, 2016 ヤクルトは(故)代田稔博士がラクトバチラス・カゼイ・シロタ株という乳酸菌の育種に成功したのが起源です。 以来、派生商品はあれど、この1株に注力して商品開発をしてきた故のブランド力ですね。 この株は、正式には、Lactobacillus casei という種類の乳酸菌から、最もエリートの1株を純粋培養し、育て上げたものです。 ちなみに、ピルクルの菌もLactobacillus casei のNY1301株という乳酸菌。同じ種類で違う株ですね。 同じ種類で違う株… 人間もHomo sapiensという種類の生物ですが、頭脳や運動能力に大きな幅があります。人間でいえば、我々一人一人が『株』です。 微生物の『株』にはこれ以上の差があるのです。同じ種類でも、食べるものが全然違ったりします。 人間で例えるなら、 『おれは酸素で呼吸するけど、お前は無酸素でも土を食えば生きていけるよね』 くらいの差があったりします。 『株』のバリエーションはハンパないのです。 話を戻します。ヤクルトのシロタ株で現在解明されている主な健康効果ですね。 まず、機能性ヨーグルトでメジャーな効果は網羅しています。 プロバイオティクス、免疫向上、便秘解消、悪玉菌減少、ビフィズス菌増加… このあたりはヒト試験で豊富なデータが発表されています。 加えて… (マウス)免疫細胞の活性化によるインフルエンザウイルス感染の耐性向上 (マウス)ピロリ菌の増殖抑制 (細胞)免疫細胞(NK細胞)の活性化によるガン化抑制 (細胞)抗腫瘍、腫瘍転移の抑制作用 (細胞)シグナル伝達制御による腸管炎症の改善 などが動物実験、細胞レベルでは解明されているのです…。 まぁ、乳酸菌の最前線で研究していた身で言えば、 ヤクルトの乳酸菌はガチ ってことです。 乳酸菌のプロが本気で『ヤクルトとピルクルの違い』決定版を作ったよ - レコメンタンク (via junmyk) (awordlikealeafから)
4月 19, 2016 drhaniwa: この大風でシートを張らなければならなくなったりしていませんか? また、被災地では様々な理由で雨が降っていても、建物の中にも車中にも身を寄せることができない方もいらっしゃるんですね。 雨をしのぐ際にブルーシートは定番のツールなのですが、シート自体のハトメに紐やロープを通し、何かに固定することが多いと思います。ところが風が吹きシートがあおられると、このハトメって非常に弱くすぐに破れてしまうんです。 紐を使用しての比較的強いブルーシートの張り方の一部をご紹介します。板などでシート自体を抑え込めなかったり、土のうが載せられない現場でこういうやり方をよく行います。 1.シートのどこでもいいので、小石等(崩れないものなら何でも)を使い、てるてるボーズの要領でコブを作ります。 2.そこ(くびれた部分)を紐やロープで絞め込むだけです。 簡単でしょ!しかもハトメのピッチ(穴の間隔)にこだわる必要がないので、シートのどの部分でも引っ張れますし、ガッチリとその現場の状況にあった張り方ができるはずです。 一度お試しください。 (Facebook)drhaniwa:
4月 19, 2016 普通の商売では S社の5万のパソコンがある N社の5万のパソコンがある どっちも仕入額は4万で、1台売れると量販店のC社は1万儲かる。 土日でパソコンが50台売れるとすると50万儲かる。 この儲け方を純利益と呼ぶことにする(本当は全然違うけど、ここではそうします)。 この50万円を目指すだけだったら、 S社が25台売れてN社が25台売れても良いし、 S社が49台売れてN社が1台売れても同じ。 こんなことやってたら量販店は儲からない そしてなによりメーカーも嬉しくない。←ここが重要。 いつまで経ってもシェア拡大ができないからだ。 インセンティブを出すメーカーが登場する そこでS社が「土日の2日間でうちのパソコンを51台売ってくれたら追加で200万円C社さんに支払います」という。 メーカー(この場合はS社)が一番欲しいのはシェアであり、S社のパソコンを使っているお客様が世の中に増えることだからだ。 量販店がお客様に幾らで売ろうが知ったことではない。重要なのは、お客様が買ったパソコンが「S社製」であることだ。 そうすることで、そのお客様はテレビもスマホもS社製を選んでくれるようになるからだ。 その為にこの200万円は惜しまない(この200万円の呼び方は色々あるが、ここでは「インセンティブ」とする)。 「店員のオススメ!」の裏側 こうなると量販店側では、店員が必死になってS社を売る。 もちろん店頭には「店員のオススメ!」って書いてS社のパソコンを並べる。 N社のパソコンでは到底やらないような価格交渉も、もう一押しでS社のパソコンを買ってくれそうなお客様が相手にだったら凄まじく応じる。 なんなら仕入額4万のパソコンを39,800円にしちゃったりする。 もはや45台目くらいから、純利益なんてどうでもよくなっている。 S社が25台売れてN社が25台売れても50万の儲け、 S社が49台売れてN社が1台売れても50万の儲け、 S社が50台売れてN社が1台も売れなくても50万の儲け、 ここまでは同じ。 ただし、S社の51台目が売れるときは一気に250万の儲けになる。 この51台目はお客様との値引き交渉の末、3万で売ってしまっても(つまり1台分赤字にしても)、200万円のインセンティブと相殺して有り余るお釣りがくる。 そういうわけで、インセンティブの条件を達成できそうな見通しが立ち始める45台目くらいから、店員の方が「超絶値引きますから“今日“買ってください」ってテンションになってくる。 お店に入ってS社のパソコンを眺めているだけで、いきなり店員の側から「これ今なら値引きできますよ」って声を掛けてきたりする。 量販店はインセンティブで儲けている 量販店の店員の給料は、ほとんどこっちから出ている。 純利益なんてのは比にならないくらい、インセンティブ��儲かるのだ。 さらに言えば、この条件下では S社のパソコンを4万円(=純利益0円)で、 N社のパソコンを5万円(=純利益1万円)で、 それぞれ店頭に並べてしまってもいい。 S社のパソコンは50台目までは儲けがゼロだが、51台目が売れた瞬間、インセンティブの200万円が入る。 つまりN社のパソコンを200台売ったのと同じだけ儲かるのだ。 5万のパソコンを土日とはいえ2日間で200台売るのは難しい。 20人の店員を雇ってN社のパソコンを200台売るより、5人の店員を雇って「1万円安いS社のパソコン」を50台売る方が遥かに効率が良いし、人件費も抑えられる。 (もちろん、さすがにこんな極端なことはしないが) そして、次の土日にはこうなる。 S社「先週はありがとうございました。申し訳ありませんが今週はインセンティブ出せません。」 N社「土日の2日間でうちのパソコンを51台売ってくれたら追加で200万円C社さんに支払います!」 そうして、量販店では週ごとに「店員のオススメ!」が違うメーカーのパソコンになるのである。 なぜ家電量販店で凄まじく値引ける(ことがある)のか教えてやる (via junmyk) (tk1024から)
4月 19, 2016 不要なもの一覧 1、千羽鶴・応援メッセージや寄せ書き 2、成分表が読めない海外食品(アレルギー成分がわからないため) 3、冷凍食品(冷蔵庫が使えないため) 4、保存食以外の食料(缶詰・瓶詰・カップ麺も賞味期限が切れたものは不安) 5、古すぎる古着・洗濯していない毛布・布団・下着など 6、自分で食料などを確保できないボランティア 今だから言える「要らなかった支援物資」 - 東日本大震災【第二の災害】 - NAVER まとめ (via prodigalboys)
南京大虐殺があったことは世界の常識です。 http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/liveplus/1274985931/
8 :Ψ:2010/05/28(金) 03:55:43 ID:14GPSzOZ0  久しぶりだなテンプレもはっておけよ
  「確かに有った。で?どれのこと?」   548年 東魏の降人侯景、南京(建康)を陥落、徹底的破壊され大虐殺。   589年 隋、陳の南京(建康)を陥落、徹底的破壊。大虐殺。   618年 隋の煬帝、南京(江都)で殺害され、南京大虐殺。   907-960年 十国五代時代 戦乱で南京(金陵)大虐殺続発。   1273年 元軍、南京(建康)攻略略奪、南京大虐殺。   1368年 朱元璋、南京(金陵)攻略、南京大虐殺。   1645年 清軍、南京乱入略奪、南京大虐殺。   1842年 英軍、南京突入、南京大混乱。    1853年 太平軍、南京乱入。腐敗清軍南京略奪。   1862年 ウォードの常勝軍、南京(金陵)乱入。南京大虐殺。   1864年 曾國軍、南京乱入。南京大虐殺。   1911年 辛亥革命、南京略奪。   1927年 国民党の国民軍、南京占領。南京事件。   1949年 中共軍、南京乱入、資本家の財産強奪、国民党員金持ちを大虐殺。
420 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 01:17:36 ID:iFmU0EF3
  「健全な精神は健全な肉体に宿る」は誤訳   本来は「美貌とか富とかは誰もが欲しがるけどトラブルの元にもなるから、   願うなら心身の健康くらいにしておきなさい」というような文脈だった
  「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」は   人類平等を説いてるわけではない   本来はその後に「~と言えり(と言われている)」と続き、   「でも現実には利口な人がいればバカもいる。貧乏人がいれば    金持ちもいる。その違いを生むのは学問の有り無しである」と   書かれているから『学問のすすめ』   学校ってウソばっか教えるよなー
4月 10, 2016 女性を喜ばせる方法 * 食事を一緒にする * 一緒に飲む * 電話をかける * ハグする * 抱きしめる * サプライズを用意する * 褒める * 笑いかける * 一緒に笑う * 一緒に泣く * 寄り添う * 一緒に買い物をする * 花を買ってあげ��� * 手をつなぐ * ラブレターを書く * 世界の果てまでいって彼女の元へ戻ってくる らばQ : これでバッチリ、異性を喜ばせる方法 (via rm233) (via usaginobike)
携帯電話やスマートフォンで情報を収集し、知人と連絡を取りつつ欧州へ逃れる難民の人たちの映像に「難民がスマホを持っている」と驚かれる方が多いようです。しかし実態は逆です。難民がスマホを持っているのではなく、携帯やスマホをもって、欧米先進国と同様の生活していた人たちが、難民となったのです。 視点・論点 「シリア難民問題と日本」 | 視点・論点 | NHK 解説委員室 | 解説アーカイブス Source: nhk.or.jp
メーカーではおおむね、高卒→製造現場、高専卒→製造寄り技術(検査とか)、高専専攻科卒→設計と製造の間(品証とか)、大卒→設計、修士→開発、博士→研究 みたいな学歴による配属先の振り分け方がある、ってことを中学生に教えたい。 Twitter / OjohmbonX (via chptr22)
4月 6, 2016 事前に入念に調査を行い、避難所で真に必要とされている物を用意した。主な物資はおむつ、女性用ナプキン、トイレットペーパー、ウェットティッシュといった紙製品。靴下、下着、トレーナーといった衣類。ミネラルウォーター、あられ、菓子パン、カップ麺といった食品。マスク、タオル、歯ブラシセット、綿棒といった衛生関連用品、等々だ。 【拡散】東日本大震災で民主党が逃げ回ってる間、安倍首相が何をしていたか知っていますか?たった3人で動き出した安倍 晋三。マスゴミは総スルーだった : まとめ安倍速報 記事の内容云々じゃなくて、備忘録として(via irregular-expression)(the-man-of-justiceから)
4月 7, 2016 ある人が古くさい高級腕時計メーカーの社長になったとしましょう。 その新社長は、会社の資料ひっくり返して、大昔に作った限定品とか、持てる技術を注ぎ込んだ一品物とかの 資料を探すんです。 で、これはと思った物を見つけたら、その持ち主を探偵とかに頼んで捜すんですね。 それで運良く持ち主の高級腕時計コレクターを見つけたら、売ってくれ、とは頼まないんです。 オークションに出してくれ、と頼むのです。 そしてオークションに出されたら10億円とかスゴイ値段で落札するのです。 もちろんそれは世界中で大ニュースになりますよね。 史上最高額の腕時計!と。 10億円元の持ち主に払いましたが、あとはただで自社を宣伝してくれるのです。 そしてその後、その落札した高級腕時計のレプリカを、500万円で限定500セットとかで売り出すのです。 世界中でニュースになった物なのに、たった500セットなら簡単に売り切れますよね。 で500万円×500セットで、25億円懐に入るのです。 さっきの10億円の投資は回収できましたね。 ブランドとは歴史や伝統が作る物、ではないのです。 こうやってステマっぽいやり方ででっち上げる物なのですよ。 過コピペ@2ch タブーかもしれないコピペ集 披露宴でのタブー 他 (via growmoss) (元記事: kakopipe.blog38.fc2.com (gearmannから))
4月 7, 2016 また「仮に差別語ではないとしても、人が嫌がる呼称をわざと使うのはよくない」などと もっともらしいことを言う人もいますが、シナ人が嫌がっているというのも非常に疑わしい話です。 上に示した通り、シナは世界中の国々からシナもしくはその変形で呼ばれているのに、 なぜそれらに対して抗議をしないのでしょうか。 そもそも中華人民共和国の英語名は “People’s Republic of China” で、 シナ政府自身がつけた呼び名です。 これを日本語に訳すなら、「シナ人民共和国」になる事は言うまでもありません。 2002年、シナの巨大ポータルサイト 新浪(sina.com) に対して、 日本に留学経験のあるシナの学者が抗議をしたことがありました。 「sina は日本による差別語だから改名するべきだ」と言うおなじみの主張です。 その時 sina.com の代表者は 「シナは英語のチャイナ(China)の過去の発音で、それ自体に侮辱の意味はない」と言って拒否したそうです。 さらに続けて、「sinaを世界のブランドにし、シナ人が誇れる呼び名にする」と言ったそうです。 至ってまともな意見です。 大体シナを「差別語」だと主張する人達は、日本にいて日本のマスコミの報道に接した人が多いようです。 もしシナにいるシナ人が sina.com の名称を嫌がっているとしたら、 わざわざ日本に留学した学者に指摘されるまでもなく、最初から大騒ぎになっていたはずですし、 間違っても人気サイトなどにはならなかったでしょう。 シナ(支那)を「中国」と呼んではいけない三つの理由 (via gkojax) (hustler4lifeから) 43 リアクション 4月 7, 2016 結局第二次大戦後、シナは満州国をまんまと自分のものにし、 日本が多額の投資をした満州の産業をも手に入れました。 しかしそれまで満州は、歴史上ただの一度もシナの支配下になったことはありませんでした。 それなのに満州国の建国を助けた日本は、いつのまにか「中国を侵略した」ということにされています。 その後シナは、モンゴル人(一部は独立)、ウイグル人、チベット人に対する侵略、抑圧、虐殺を繰り返し、 それらの地域に大量のシナ人を流入させて「民族浄化」を推し進めています。 シナ政府はこれらの地域で起きていることをひた隠しにしてきましたが、 亡命した人々が世界中で声を上げるにつれ、 次第に世界の人々もそこで何が起きているかに気づき始めました。 シナ政府は世界からの批判に対して「内政干渉だ」と言って反発していますが、 本来これらの国々は、清が倒れた時に満州国のように独立するべきでした。 シナ(支那)を「中国」と呼んではいけない三つの理由 (via gkojax) (dormouse0から) 40 リアクション 4月 7, 2016 日本の山陽・山陰を合わせた地域を中国と呼ぶ歴史は非常に古く、 『類聚三代格』の元慶二年(878)二月三日の官符の記録に既に見られるということですから、 少なくとも千百年以上の歴史があります。 一方、一般に日本人がシナを「中国」と呼び始めたのは戦後の事ですから、 まだ60数年の歴史しかありません。 また「中国」と呼び始めた時点で、中華民国(建国1912年)はまだ三十数年の歴史しかなく、 中華人民共和国(建国1949年)に至っては存在すらしていませんでした。 ということは、千百年以上も在り続け、使われ続けて来た日本国内の由緒正しい地名を脇に押しやって、 海外にある新興国の略称を優先させていることになります。 なぜこんな不自然な事が起きてしまったのでしょうか。 シナ(支那)を「中国」と呼んではいけない三つの理由 (via gkojax) (pipcoから) 50 リアクション 4月 7, 2016 それにしてもマスコミの力は絶大でした。 ありとあらゆるすべてのメディアにおいて「支那」から「中国」への書き換えが行われ、 過去の戦争の名前までもが、 例えば「支那事変」は「日中戦争」にという具合に書き換えられました。 その一方で「中国四千年」「中国文明」などと、あたかも何千年も前から「中国」という国があって、 日本人がそう呼んでいたかのように触れ回りました。 つまり単に国の呼称が変えられただけではなくて、歴史全体が書き換えられたと言ってよいと思います。 このような洗脳により、最近まで日本人がシナをシナと呼んでいた事も歴史から消し去られて しまいました。 それでも個人の中にはいまだにシナと呼ぶ人はいるのですが、 マスコミがこぞってシナを強引に「中国」と呼び続けるものだから、 逆にシナと呼んでいる人達の方が、何か特別な意図を持った人のように思われています。 シナ(支那)を「中国」と呼んではいけない三つの理由 (via gkojax) (dormouse0から)
「大和心への回帰」大和心さん 「昼寝ネコの雑記帳」昼寝猫さん 「待ち望むもの」豆腐おかかさん 「春、不遠。~はるとおからじ~」花菱さん 「神州再生を願うブログ」信濃太郎さん
4月 4, 2016 もし今の仕事が嫌で嫌でたまらない人は、もしかしたらその場所が本当はあなたに合っていないのかもしれない。そんな人には、昔どこかの本で読んだ、リンカーンだかフランクリンが言った名言を送りたい。 『もしあなたが、やけに銃弾が飛んで来るなと感じているなら、それは立っている場所が間違っている』 「仕事は楽しいか?」は愚問である。なぜブロガーは会社を辞めさせたがるのか? - さようなら、憂鬱な木曜日 (via namimory)(gallianoから)
4月 4, 2016 さまざまな経験を踏まえて、相手と波長の合う場合は交流し、そうではない場合は交流しないようにするのです。きわめてシンプルですが、人付き合いにおいて私はこれ以外の物差しを持たないようにしています。 悩まない / 矢作 直樹 (via pan-no-mimi)(元記事: ebook-q (it-shine-readingから))
4月 4, 2016 ウォーレン・バフェット曰く、
「時代遅れになるような原則は、原則ではない」 「私は76歳になった今も、19歳の時に本で読んだ考え方を実践している」 「ビジネスの世界で最も危険な言葉は、“他の誰もがやっている”だ」 「集団の中から飛び抜けた投資実績は生まれてこない」 「辛抱強さや冷静さは、知能指数より重要かもしれない」 「最も重要なのは、自分の能力の輪を���きくすることではなく、 その輪の境界をどこまで厳密に決めるかである」 「事業の多角化は無知を隠す1つの手段だ」 「どこかの会社がコスト削減に乗り出したというニュースを聞くたびに、 この会社はコストというものを理解していないと思ってしまう。 コストの削減は、一気にやるものではないからだ」 バフェットの名言 - 知識・教養ライブラリー - Yahoo!ブログ (via orekane)(1kanから)
4月 4, 2016 世の中にすきな人は段々なくなります、そうして天と地と草と木が美しく見えてきます。 夏目漱石『書簡』(大正三年三月二十九日、津田青楓宛) - つれづれ (via ginzuna)(80236から)
4月 4, 2016 「すべきこと」の選択肢がほぼ無限にある現代では、むしろ自分の価値観に照らした上で「しないこと」を決めていくことが非常に重要になってくる。現代において何かをしないと決めることは、何かをすると決めることと同等、あるいはそれ以上の価値がある。 何かをしないと決めることは、何かをすると決めるのと同じ価値がある――『しないことリスト』 - 脱社畜ブログ (via rancorcool)(rancorcoolから)
4月 5, 2016 ヘブライ語、英語、フランス語、スペイン語を話すイスラエル人に 「日本人は外国語を習得するのが苦手なんだよね」 と話したら、マルチリンガル人曰く 「日本は国がなくなる心配がないからね」 と返されました。 なんとなくですが、政情が落ち着かない国の人々はバイリンガルの人が多い感じがします。 バイリンガルな子供は「頭がいい」? | スラッシュドット・ジャパン サイエンス (via gkojax)(dormouse0から)
4月 5, 2016 労働とは商品である。資産を持たない人が変わりに労働力を商品として売るのだ。 それを投売りで、まして無料で売る事が以下におかしい事か日本人は理解してない。 って経済学の教授が言ってた。ちょっと感動したからよく覚えてる。 すくいぬ 日本の労働環境クソすぎワロタ (via gkojax)(mg360sから)
堀江 社会にそぐわないのは、よくないという強い思い込みがある。というかそもそも、学校なんて社会じゃないんですけどね。あんな小っちゃなコミュニティのなかで認められなくても全然、困らないのに。でも、そういうことは誰も言ってあげないんですよ。
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penkick · 6 years ago
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宮崎駿監督「自分に与えられたフィールドとチャンスにおろそかになってはいけない」
1月28日、笹川記念保健協力財団主催の「ハンセン病の歴史を語る 人類遺産世界会議」で、映画監督の宮﨑駿氏が「全生園で出会ったこと」と題する講演を行った。
ハンセン病の原因となる「らい菌」の感染力は弱く、国内での新規感染者は毎年数名程度という状態が続いている。一方、かつて国が患者を強制隔離していたことから、治療法が確立されてからも、元患者やその家族に対する差別や偏見が解消されずに残ってきた。今も多くの元患者が全国の療養所で暮らしている。
(左から)佐川さん、宮崎監督、平沢さん「全生園」は、このうち東京都東村山市にある「国立ハンセン病療養所多磨全生園」のこと。同所の近くに住む宮崎監督は、散歩や通勤途中など、折に触れて「全生園」を訪れ、平沢保治さん(88歳、多磨全生園入所者自治会前会長)、佐川修さん(84歳、同自治会会長)ら入所者との交流を続けてきた。講演などを滅多に行わない宮崎監督だが、平沢さんと佐川さんからの依頼を受け、登壇を決めたという。
入所者の平均年齢が80歳を超える中、「全生園」の敷地や建物を「人権の森」として残していく構想を提唱している宮崎監督。「全生園」との関わりや、創作活動において大きな影響を受けたことを語った。講演の内容と、その後の記者団との質疑応答の内容をお送りする。
”おろそかに生きてはいけない”と思った
BLOGOS編集部こんなことは初めてなんですが、朝、ズボンぐらいは折り目のついたものにしようとして、慌てて履き替えたものですから、いつも入れている財布からハンカチからライターから、全部忘れてきました。車の中で気がついて、今さら戻るわけにもいかなくて(笑)。それで、「全生園」へ入所する時には私物を全部提出して、それからお仕着せを着て入院するんだっていう話を思い出しました。
僕は、全生園から急いで歩けば15分ぐらいのところに住んでいます。50年前に女房とトラックを借りて引っ越しをしたんですけど、所沢街道を通って、右手に立派な生け垣が続いているところに差し掛かって、そこが全生園だってことを、初めて知ったんです。その角を曲がって、自分の住む秋津の方に向かったんです。
その頃もハンセン病についてそれなりに知ってはいたんです。伝染性は極めて弱いとか、特効薬があるかとか。でも、なにせ新婚ホヤホヤで、仕事の方にも夢中でしたから、ほとんど関わることもなく、20年ぐらいが経っちゃいました。
今から20数年前ですけども、後に『もののけ姫』という映画になる、日本を舞台に時代劇を作る企画を立ち上げていました。
原作はもちろんないわけで、主人公が刀を下げた侍ではないとしたら、どういう形になるか。貴族でもなかったらどういう映画が作れるだろうかと。それで参考になったのは、一遍上人の時宗という宗教改革を描いた『一遍上人絵伝』でした。
それを見ますと、ありとあらゆる生業が出てきます。例えば、お寺・神社の周りには、乞食やハンセン病の人がいます。その他、得体の知れない、唐傘を差して一本歯の高下駄を履いている男たちとか、本当に不思議な人達がいっぱい出て来るんです。時代劇で見てきた世界とは全然違う、本当の民衆の姿が描かれているなと思いましたよ。
なんとかして、この人達が登場する映画を作れないか、と。主人公にする上では、それなりに活動する能力を持っていないと映画になりませんので、謎に満ちている「エミシ」という人々ですね。
それから、『一遍上人絵伝』を見て興味を持っていました、”たたら者”っていう、朝鮮半島を経由して入ってきた、製鉄をする人々です。中国地方の山の中で、砂鉄と��を求めて、山から山へ移って行く集団ですが、その人達が作った鉄が色んな人間を経て、里に降りてくる。農具になり、あるいは武器になり、ということだったらしいんです。
で、たちまち行きづまりました。そうすると、ノートを持ってウロウロ歩き回るしかないわけです。そのうちに、家から15分のところにある「全生園」の前に来たんです。『一遍上人絵伝』の中にあったハンセン病の人達のことを考えると、そこで私が踵を返して帰ることは出来ないのではないかと思って、初めて中に足を踏み入れました。
なぜそれまで入らなかったのかというと、それは大変な、惨憺たる運命に生きている人達に出会った時に、自分がどういう顔をしていいか分からないという、恐れが大きかったからなんです。
冬の日でしたけど、全生園の裏の方から入っていきましたら、すごい桜の並木が見えました。桜の見事な巨木が実に生々しくて、衝撃を受けてその日はそのまま帰ってしまいました。
それから何度か訪ねて行くうちに、資料館にも入ったんです。当時はまだ古い資料館(旧「高松宮記念ハンセン病資料館」)でした。療養所で使われていた、お金に代わる、ブリキで作った通貨など、色々な生活雑器が大量に保存されていました。大変な衝撃を受けました。
そのあと、何度も資料館へ行くようになるんですが、その度に、”おろそかに生きてはいけない”という風に思いました。”おろそかに生きてはいけない”、というのは、今、自分がぶつかっている作品をどういう風に作るかということを、真正面からキチンとやらなければいけない、そういうことだと思います。
実際、『もののけ姫』にはハンセン病の人も出しました。それは”無難な線”ではなくて、当時”業病”と言われたハンセン病を患いながら、それでもちゃんと生きようとした人達のことを、はっきり描かなければいけないと思ったんです。
しかし、本当のことをいいますと、これを患者のみなさんが見た時に、どういう風に受け取るかということが、ものすごく恐ろしかったんです。平沢さんや佐川さんに見てもらうのがとても怖かったんです。でも、とても喜んでもらったんで、本当に僕は救われた思いがしました。
生きてきた人たちの巨大な記念碑をずっと残しておきたい
今、戦前からあった建物がボロボロになって取り壊されています。これを残したいと思いまして、わずかですけど、僕も少しはカンパできますからとお話をしたんです。 それから色々な方がお金を出し合って、「山吹舎」(昭和3年に入所者によって建てられた独身男性のための寮。昭和52年まで使用されていた)をきちんと直して後世に伝えようということになりました。学校もあったんですけど、シロアリに食われていて、これは直しようがないと取り壊されてしまいました。僕が他の仕事でうつつを抜かしているうちに壊れちゃったんです。あと、「少年少女舎」っていうのもあるんですけど、今やもう残骸のようになっています。これも消えていくしかないのかなと思います。 資料館は素晴らしいものです。2007年に「国立ハンセン病資料館」として新しくなった時、中身が随分薄まったなと思ってたんですけど、その後、色々な努力によって、また前の雰囲気が出ています。あの場所にいくと、粛然とした気持ちで出て来るような。無駄に生きてはいけない、おろそかに生きてはいけないという気持ちになる。そういう場所だと思います。 いずれ厚生労働省は全生園をただの公園にでもしてしまうんじゃないかという気がしています。全部とは言わないけれど、記念の場所を作らなければいけない時期が来ているんじゃないかと思います。何かの記憶があそこに残っていくことが、とても大事なことなんじゃないかなと思います。大きな緑が残ったということも良いことだと思いますが、同時に、生きるということの苦しさと、それに負けずに生きてきた人たちの巨大な記念碑をずっと残しておきたいと、本当に思います。 
質疑応答
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BLOGOS編集部
講演終了後、別室で記者会見が行われた。予め主催者側から質問は講演に関するもののみ、という申し送りがあったにもかかわらず、講演や会見の機会が少ない宮崎監督とあって、詰めかけた大勢の記者から「憲法改正」「原発」「普天間基地移設問題」に関する質問が飛び出した。 -ハンセン病療養所を世界遺産として残すということについてはどういうお考えでしょうか。もう一点は、富国強兵の中に、このハンセン病隔離政策が行われてきたという歴史について。それと、3.11から間もなく5年ですけども、原発再稼動についてどう思いますか。 宮崎:療養所は全国にいっぱいありますよね。それをどういう風にするかっていうのは、それぞれの人が知恵を出し合って、俺のとこさえ残せばいいっていう風じゃない視点で、何か残していくことは必要だろうと思います。それも、そこで多くの人が苦しみながら生きたっていうことだけじゃなくて、人間が善意で間違えるってことがあるんだってことを。「らい予防法」が一度出来てしまうと、廃止させるまでに本当に長い戦いをせざるを得なかったっていう教訓のためにも、どこか残すべきと思います。 富国強兵策については、本当に難しい要素があって、簡単に切り捨てられない部分があるんです。というのは、隔離政策で、貧しいとはいえ、寝るところと食べるものを提供しなかったら、多くの人が行き倒れで死んでいたんですよ。だから、「らい予防法」が出来たことも功罪があって、そこは考えなければいけないことなんじゃないかと思うんです。「らい予防法」のせいで、酷いことになったというだけではなく、救った部分もあるんだと思うんですよね。 ハンセン病に関しては全世界で克服出来るような、医療的な成果も出ているわけですけど、中国ではまだ患者数が分かっていないですよ。そういう部分もいっぱいありますから、まだケリがついた話じゃありません。 ですから、やっぱり人は何度も同じ過ちを繰り返す。繰り返すけど、それを忘れないようにするために、「全生園」を残せるなら、残して欲しいです。 -改憲の流れについて、戦争に向かっているという雰囲気について、日本外国特派員協会の会見でおっしゃっていたんですが、それについて話していただけないでしょうか? 宮崎:21世紀に入って、いままでの枠組みでは考えられないようなことが世界中で起こり始めているんだと思います。それこそ、ゲルマンとスラブと、イスラムと。イスラムの中でもISと、そういう葛藤がはっきり形を見せてきた時期だと思いますね。 今、僕らの中に「鎖国していればいいんじゃないか」っていう気分が、日常の中や職場の中に、濃厚に出てきています。僕にも出てきているんですよ。「隅のほうで静かにしていよう」って。さらに「20世紀の人間で、21世紀についてはなかなかわからん」ってこの頃、口走るようになってしまっているんですけど、本当に新しいレベルの葛藤と矛盾が噴出しつつある世界に居合わせているんだから、なるべく目を開けて、道を誤らないようにやっていくしかないと思っているんですけどね。 -改憲についてはどういうお考えですか? 宮崎:それは僕、反対に決まっているじゃないですか(笑)。家内の父親は、懲罰的な招集を受けて大陸に行ってましたから。思想犯で1年3ヶ月捕まってますんでね。 ですから亡くなった義理の母は、子供5人の留守家族で、本当に苦労したんですよ。そういう人達がいっぱいいるわけです。その人達の目の黒いうちは、「平和憲法をやめよう」なんて言えないんですよ。僕は家で絶対言えませんね。だから、僕は憲法を変えるのに反対です。もし世界で変えなきゃいけないとしても、一番最後で良いと思っています。 -もうすぐ3.11から5年経ちますけども、原発再稼働について一言。 宮崎:原発を使わなくて済むような、しかし石油に依存しないで済むような。何か違う発想でやらないと、石油を巡ってISと揉めていても、これは先行きがないなという感じはしますね。でも僕は、原発は再開しないで頑張るべきだと思っています。 -作品の中にハンセン病の患者さんを登場させることに対しての迷いについて、お伺いしたいなと。それも含めて登場させた理由をお答えいただければと思います。 宮崎:主人公(アシタカ)は、村に突然やってきた「タタリ神」っていう、鉛の玉を打ち込まれた化け物から村の娘達を守るために闘うわけですけど、その結果、腕に大変なアザを持つことになった。そのアザは生きていて、コントロール出来ない力と、蝕んでいくものを持っている。非常に非合理なものを抱え込まざるを得ないという運命を主人公に与えたわけです。 それは、ハンセン病と同じなんですよ。ですから、そういう主人公を作ったり、タタラ場の人たちを描きながら、ハンセン病を出さないわけにはいかなくなったんです。その時、本当にためらいました。 でも、彼らに相談はしませんでしたから、映画を観てくれた時にどういう反応があるかっていうのは、本当に恐ろしい覚悟で作りましたので、さっき一緒に並んでいた方々が、映画を観て、とても喜んでくれた時には、本当に肩の荷が降りたような気がしたんです。でも一方で、それで安心していいんだろうかっていう思いもあります。 主人公のアザは完全には消えずに、映画は終わっています。そのアザと共に、主人公の少年は生きていく。 映画では描ききれませんでしたけども、実は中国地方の斐伊川は、たたら者が砂鉄を取って流していた結果、どんどん川底が上がって天井川になってしまった川ですね。今そこ���訪ねてみると、とてもキレイな川ですけども、そういう風に人間が作り変えてきた自然のシンボルみたいなものがあるんですよね。 そういう、良いの悪いのと、簡単にケリがつけられない部分で、人は生きて行かざるを得ないし、美しいモノには美しいと感じるし、醜いものには醜いと感じる。もっと深い知恵と、もっと多くの知識を持たないと、楽園はとても作れないにしても、継続可能な国土を作ることも、人生を作ることもなかなか難しいんだろうと思います
-全生園の建物や緑を残すのは、とても大切なことだと思うんですが、悲惨な体験をされた患者、回復者の方々のですね、建物だけでは分からない体験とか記録とかそういうものを、残し伝えていくっていうのは、なかなか大変なことだと思うんです。 宮崎さんが作品に取り上げたのは、ハンセン病を語るために取り上げたわけではないと思うんですけども、映画を含めどういう風にそういう経験を語り伝えていくかっていうのも、また1つの課題ではないかと思うのですが、どのようにお考えでしょうか? 宮崎:資料館に学会員が赴任して以来、様子が変わってきました。今まで出したくないと言っていた映像が随分出て来るようになったんです。写真集も出ていますし、少しずつ開かれつつあるように思います。そこが一番物語っているんで、一般論として語るよりも、行けば誰でもそれを見ることが出来るようになっていることですね。 それから定期的に色々展示をやっていますけども、本当に胸を打たれるような展示がいくつもありますから。特に、社会復帰出来るようになった人達も、生涯が終わるような年頃になっています。その人達がどういう風にやってきたか、本当に感動的に生きた人達の話がいくつもあります。 同時に、生きるのが苦しかったという話の中には、何もそれはハンセン病だけじゃなくて、都市に集まってきて、そこで暮らさなくてはいけなかった多くの若者達が味わった孤独や無力感みたいなものとそっくりですから。この都市生活というものの中に持っている、大きな黒い泡のようなものを感じて。それはハンセン病じゃなくても、僕自身も青春の時によく感じていたものなので、そこら辺も含めて、あそこの資料館は、非常によく努力されていると思います。だから、展示が変わるたびに観に行っています。 -沖縄県で政府が対立していて、さらに工事がドンドン進められようとしています。それについてのお考えと、今後どうすればいいでしょうか。 宮崎:僕は止めなさいといいます。要するに沖縄に基地が多すぎるってことですね。 その次の問題は、日本のどこにも基地を作らせる場所がないってことなんです。 それからもう1つ。中国はISの問題の方が大事で、海軍で東に出て来る能力は今持っていません。しばらくは持たないと思います。だから、中国海軍が増強しているから云々、というのは当たらない。新しい航空母艦を造ったからって、あんなもん全く役に立ちません。自信を持って言います。むしろ、あそこで危機感を煽る事自体が滑稽です。 むしろ、コントロール出来ていない軍隊のほうが危険でね。中国軍はコントロール出来ていないですよ。だからパイロットがミサイルを見せびらかして接近してくるとか、本当に国際的感覚が欠けているんですよ。よその国の軍隊の悪口を言ってもしょうがないんですけど、一緒に共同演習でもしてルールを教えていかないと、つまらないことで戦端が開かれてしまう危険が出てきたってことは確かだと思います。 でも、辺野古の海は残しておいたほうがいい。沖縄の人のためにも。それでも埋めるやつは埋めるだろうと思うんですけど。そこから先の戦いは、極めて政治的な判断と、粘り強さが必要なんだと思います。 -社会全体として、ハンセン病に限らず、原発事故も含めた負の問題。これに蓋をしてしまうような感覚がどうしてもあるような気がしています。抽象的な質問なんですが、社会としてはこういう問題に対して、どのように求めていくべきというか…。 宮崎:手分けしていくしかないんです。僕は原発が無くなってもいいと思いますけど、署名を集めるために、仕事を放り出していくわけにはいかないんです。 ハンセン病についてもそうです。ハンセン病について先頭に立ってやることは出来ないです。今、平沢さんとか佐川さんは、自分の残された時間をそれに賭けようと思ってやっています。 それぞれに偏見を持たないで、出会ったらそれについて賛同いたしますとか、幾ばくかのカンパはしますってことは出来るかもしれないけど、僕らはジャーナリストじゃないんだから、なんでもかんでも手を広げてね、この世にある問題全てに関わるというのは不可能です。 「おろそかに生きてはいけない」というのは、自分に与えられたフィールドについて、僕の場合は映画を作るってことですけど、そのフィールドについておろそかに生きてはいけないという意味です。そうすると、家庭生活は入っていないのかって、家内に言われそうですけど、それも少しは入っているという(笑)。 やっぱり自分に与えられたフィールドとチャンスに対して、おろそかになってはいけないということだと思います。
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chin3gahondana · 8 years ago
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鷹取愛さんの本棚 in京都
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京都で6年半暮らした鷹取愛さん。古本と紙雑貨のお店homehomeの人であり、「京都ふるどうぐ市」や「太陽と星空のサーカス」などイベントや展覧会の企画を多数行って忙しくしてる人。2017年5月、京都を引き払って東京へ戻るという、その引っ越し直前に家を訪ねて、その本棚を拝見しました。
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――(朕)引っ越し準備で本も結構、処分しちゃったとか。
鷹取(以下、鷹):もう1段くらい棚があったけど、「東京蚤の市」とかに出しちゃって。かわいい雑貨みたいな本はもう全部売っちゃった。
――卒業した本。
鷹:うん、卒業。
――反対に言えば、残された本はまだ卒業してないということ。
鷹:そうかも。『火星の人類学者』(著・オリヴァー・サックス)は、学生時代にこれで評論みたいなのを書いたことがあって。例えば、急に目が見えなくなった人とか、体の一部を失った人がそれ以外のところが発達していくって本で。なんで、体とかこうなんだろうって。昔から廃墟がすごく好きだったんですよ。そこにかつてあったものとか、結構好きで。
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――痕跡みたいなものですね。
鷹:うんうん。妖怪とかね。だけど、京都って意外に妖怪が少なくて、水木(しげる)さんの本でも、京都の妖怪って少ないんですよ。
――妖怪以上に怖いものがいるんでしょうね。
鷹:ねえ。そうだと思う。妖怪もいられないような街(笑)。
――廃墟の痕跡って具体的なものですけど、『火星の人類学者』の話はもうちょっと精神的なものですよね。
鷹:そっちも好きなんです。この本の話をbgm(gallery and shop。五条モールにある)の大久保(加津美)さんとしてたら、大久保さんが「僕が跳びはねる」みたいな本を貸してくれて(『自閉症の僕が跳びはねる理由』著・東田直樹)。まだちょっと読んだだけですけど面白い。人のなんだろうな、人間だけど通じないことがあるとか、言葉でもわからないことがあるとか。そういうことにも興味があって。
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――学生のときに論文をって言ってましたけど、心理学かなにかやってたんですか。
鷹:桑沢デザイン研究所に行って、その時にとってた授業でなんだったかな、御手洗(陽)先生がこういう話が好きで、いろいろと薦めてくれたんです。クラゲは影で世界を察知しているとか、ハチは花を形で判断するとか。
――デザインを考える手前に、世界を認知する仕方にまで思いをいたすのはよさげな授業ですね。
鷹:ねえ。難しいことは私、得意じゃないんですけど。絵描きの山口洋佑さんって友だちがいて、宇宙のこととか話しはじめると止まらずにしゃべる感じなんですけど、その人に中沢新一を教えてもらって、よく読みました。
――『アースダイバー』とかのことを思えば、深層に入っていくという点では通じるかも。
鷹:つながるかわからないけど、だから、つげ義春もすごく好きなんです。
――大きな作品集がありますね。ちょっと高そう。
鷹:ううん、たしか下鴨神社の古本市で1,200円くらい。
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――つげ義春の本がいくつかあります。
鷹:こっちは、帽子屋のしゃっぽさんという人がいて、浅草の帽子屋の息子なんですけど、一時期、沖縄で古本屋をやっていたこともある人で、しゃっぽさんのセレクトする本がすごく好きなんです。
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――帽子屋のしゃっぽさんがセレクトした古本。アラーキーの本も結構、目につきますね。
鷹:この『恋する老人たち』(著・荒木経惟)をすごく好きな友だちがいて、まりっぺって今、東京の八丁堀でスペイン料理屋をやってるんですけど、その日によってこの本の好きなページを開いてトイレに置いてます。まりっぺとは学生時代に『ぼんくら』ってフリーペーパーをやってました。
――フリーペーパー『ぼんくら』! それも読んでみたい。
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鷹:荒木さんは、最近また新しくなって出た『さっちん』をまりっぺ��ら借りて、その写真から銅版画をつくったことがあります。予備校の授業で銅版画があって。そこからすごくアラーキーに執着するようになって。 いちばん好きなのは『春の旅』。チロちゃんって猫が亡くなるやつで、4年くらい前かな、表参道でその展示をやってて、会場を5周くらいして、5周ともぜんぶ泣いて。たぶん、あんまりお金がなかったけど、がんばって買った本だったと思います。
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――アラーキーの限定900部の写真集。『春の旅』というのも出てたんですね。
鷹:写真家さんがすごい好きで。いちばん好きなのは牛腸茂雄さん。桑沢(デザイン研究所)の写真の先生で、牛腸さんと同級生だった先生がいて、その三浦(和人)先生が牛腸茂雄のほぼ全作品を見せるような展覧会を三鷹かどこかでやってました。
――牛腸茂雄も桑沢デザイン研究所の学生だったんですね。『牛腸茂雄 1946−1983』、その回顧展にあわせて出された1冊ですね。
鷹:三浦先生のポートレイトもどこかに載ってます。目が大きくてすごく見透かされてるような気持ちになって、すごく好きな先生でした。
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――牛腸茂雄のカラー写真というのもあるんですね。
鷹:これは、いまでも桑沢の授業課題であって、暗室に入っていろんな形を組み合わせるって授業で。私もやった。まったく一緒。
――牛腸茂雄って同時代じゃないけど、大好きなんですか。
鷹:ほんとだ、まさに私が生まれたくらい(に亡くなってる)。けど、その三鷹の展示はすごかったですよ。今、行方不明になっちゃった、仲良かった友だちと見に行ったんですよ。
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――そのこととセットで思い出す。
鷹:思い出す。桑沢の同級生でキドコロって友だちで。卒業してしばらく経ってから行方不明になって、その4年後くらいに突然、私の誕生日に本が送られてきて、その本があるはず。
――そんなドラマのある本が。
鷹:これだ。なんか、すごい本で。
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――奥山民江という画家の画集。独特なタッチの絵ですね。
鷹:昔、流行った曲とかが入ったCD-Rと共に。すごいよね。桑沢つながりでいうと、今は『POPEYE』とかでイラストを描いてる三上数馬って男の子が、学生時代にこういう雑誌をつくってました。
――ガチンコな漫画雑誌。すごい力作ですね。
鷹:これを毎年出して。三上くんはずっとこういう絵を描いてきたので、すごい。本をつくるの、お金もかかるし。いや~本を見せるの、楽しくなってきた。
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――学生時代の記憶にまつわる大事な本が続々ですね。
鷹:ほんとに。でもちょっとビール飲もうっか。実家から金麦が送られてきたから。いりますか。
――いただきます。
鷹:あと思い出深い本だと、これ。『イヌイットの壁かけ』は超大事な本。表参道のIDEEの壁に絵を描くみたいなバイトを学生のときにしたことがあって、その時にこの本が売っていて、店員さんがいろいろ説明をしてくれて買ったんですけど、ほんとにいい本で。戦争とか恐ろしい出来事が繰り広げられてるけど、絵がすごくよくて。形をマネして描いたりしました。
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――本のつくりもいいですね。
鷹:でしょう。めちゃくちゃいいいじゃん、最高。
――イヌイットにも興味があって…?
鷹:全然ないです。私はいろいろテキトーなので何も知らないし、その後も突き詰めるとかはなくて。その時によかったらって感じで。すいません。
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――いや、でもこの本はいいですね。このいろんな壁かけを本にまとめようとした動機もよくわからないけど、こうして本になってみると、確かにすごくいい。
鷹:3年前くらいに三軒茶屋の生活工房かな、で展示をやってて、それもよかった。これは一生、大事な本ですね。あと、好きな本は…。
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――笑福亭鶴光の本が気になりますよ。
鷹:この本(『続・かやくごはん』著・笑福亭鶴光)は、家が看板屋なんですけど、ずっとお父さんが鶴光のラジオを流してたんで。だから、小学校から帰ると鶴光の番組を聞いてて。しかも、お父さん、マムシとかをお酒に漬けてて、小学校から帰ると飲むものが赤マムシドリンクとかだった。1本しか飲んじゃいけないって言われて。
――鶴光の番組に赤マムシドリンクの小学生時代! ぐんと成長できそう。でも、この鶴光の本、表紙がやけにかっこいい。
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鷹:中もいいんですよ。あんまり読んでないけど。…めちゃくちゃな本だな。
――昔の本って自由ですよね。
鷹:自由だった。ほら、「もしも女だったら」「if」って書いてある。こういう謎のデザイン、いいなあ。
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――急に投稿欄がはさまったり。
鷹:私が最初、勤めてた文房具屋さんでも雑誌に「文房具、売ります」って投稿して、連絡があった人には手づくりのカタログを送って、そこから注文をもらうってやり方でした。
――いまどき、そんな物の売り方があるんですね。
鷹:ヨーロッパの文房具を扱ってたんですけど、今はもうないです。
――看板屋で鶴光だったことを思えば、最初に見せてもらったつげ義春とか、自然につながってきますね。鷹取さんの普段からはそんなに昭和を感じることはないですけど。テキトー
鷹:唐十郎の芝居とかめっちゃ行ってました。下北沢のスズナリ劇場とか。その隣りの映画館はいきなり閉まっちゃったんですけど、そこで杉作J太郎の舞台挨拶付きの短編上映も見に行って。その頃、すごい青春だな。
――『下北沢物語』という本もありますね。
鷹:うん。通ってた高校がシモキタから2駅のところで、その頃はカラオケ館にしか行ってないんだけど、高校の頃の打ち上げとかもシモキタで。いまは謎の駅になっちゃって、いろんなことが悲しいけど、この本に載ってるみんなの話、すごい面白いです。
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――そうそうたるメンバーが書いてますね。
鷹:柄本明さんとか、三軒茶屋とかシモキタでよく見かけます。10年くらい前までやってた「うさや」って駅前の飲み屋で飲んでたら、その息子が来たり。
――柄本佑さん。そういうエピソード、東京っぽさを感じます。
鷹:そんなのでもないけどな。芸能人ってよりは普通に。たとえば、京都でも街を歩いてたら、知り合いの山下(賢二)さん(ホホホ座)に会うような感じで、その街にふつうに住んでる人って感じで。この本読むと、シモキタが好きになる。うめのくんが仕入れてた本だったと思う。
――homehome店主のうめのたかしさん。この度、鷹取さんと同じタイミングで京都を離れて、実家の北九州へ。
鷹:この本もいいかな。古本で買ったら、めっちゃ落書きがしてあって。
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――1日ごとにその日にあった出来事などをまとめた本。書きいれてあるのは、きっとこの日、誕生日の知人の名前ですね。
鷹:ここに書くんだなぁって。けど、よく見ると、いろんな字がまじってるから、飲み会とかやった時にみんなで書いちゃったのかなって。
――巻末に索引もついて、ちゃんとしたつくりの本だけど、最後の12月31日の後に謎のイラストがあったり、突然、カレンダーが挟まったり。
鷹:最高ですね。なんで今こういうムダがないんだろう。
――なかなか企画書に含められないから、こういうページは。
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鷹:ムダ系な本、いいな。もっと見せたいな。
――『宇宙人の死体写真集』もありますね。
鷹:うん。これも内容のない本で。
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――だけど、やけに状態がいい。古本屋で見たら買うかも。
鷹:買っちゃうよね。ムダ系じゃないけど、これもなかなか。普段見ると、具合が悪くなる。たぶん、あまり開かないほうがいい本。ちゃんと元気な時に読もうって。
――『韓国の仮面』。仮面はこわいですね。よく、この近距離で撮影したな。
鷹:そういう系のも好きです。
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――その横には島尾伸三夫妻の本も。
鷹:チープなのに憧れてるのかな。なんだろう、あーそうだ、今、ちっちゃいものをすごく集めてて。小さい人形とか。
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――そのノリですね。洋書系の本もまだ開いてませんでした。
鷹:これは下鴨神社の古本市で買ったんですけど、超ヤバイ。ヘンリー・ダーガーも好きで、それとはちょっと違うけど、なんか刺さったり、死んだりしていて、うわっ痛いって感じの、それも好きなんです。すいません。
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――えぐめな場面をヘタウマタッチで描いてて。
鷹:怖いんだけど、馬の形がすごくかわいかったりして。ヘンリー・ダーガーもそうですけど、さみしいところも好きです。1,000円くらいで買ったと思います。
――インディアンの歴史みたいですけど、何を描いてるんでしょうね。
鷹:字とかはダサくてちょっと読めないから、そこは見てない。ガチャガチャしたものが好きなのかな。フンデルトヴァッサーも好きなんで。でも、最近は全然開いてませんね。
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――あ、このあたり(の棚)はZINE、ミニコミ的な感じで。『やだ』、タイトルもいいですね。
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鷹:早稲田の学生だったキーチャンって面白い子がいて、いいんですよ。東京で知り合う面白い人は、早稲田の人が多い気がする。
――いかつい表紙のもあります。
鷹:鈴木哲生さんってデザイナーの人が、グループ展『大恐竜博』で売ってた漫画。話も超面白いですよ。
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――岡本綺堂の原作で。ツカミがすごい。
鷹:このあたりのがよかったら、これも好きだと思う、『車掌』。
――あ、僕も結構持ってます。
鷹:いいですよねー。なんかマジメじゃないのがいいのかな。デザインもちょっとかっこいい。
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――今こそって感じのミニコミですけど、最近長らく出てない気がします。 鷹:なんか真面目じゃないのがいいんだなあ。 ――遊ぼうと思っても意外に遊べない。 鷹:デタラメでいいのにねえ。意外と生きていけるんだよね、デタラメでもね…。
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――背がなくて積んであるのはZINE関係ですね。大きさがバラバラやし、本棚ムズいですよね。 鷹:ね、わかんない。これは、新宿眼科画廊でやってた展覧会の図録。 ――1回行ってみたいんですよね、新宿眼科画廊。 鷹:これは、IIBA galleryって、神戸でデザイン事務所がやってるギャラリーができて、最初の展示が横浪(修)さんで。そこで作ってた本。 ――三宮ですよね。 鷹:すごいいい空間。 ――本もいい作りですね。 鷹:あと、こういうの。すごく昔の本で、Gomaとか杉浦さやかさんとか、イシイリョウコさん、すげさわかよさん、落合恵さんとか。山村光春さんが仲良いメンバーと作ってた。こういう本、今意外と無いなと思って。 ――「初恋BOOK」。言うても10年経ってないですよ、2009年発行だから。 鷹:あ、そっかー。
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鷹:これ、テニスコートって学生時代から見てる友達のコント集団が、ライブの時に公演の後みんなに渡してるフリーのZINE(『私物』)。
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――すごい! こんなん配ってんねや。 鷹:牧寿次郎さんデザイン。 ――フリーで���られたんですか? 鷹:そうなんです。テキストや漫画、テニスコートがやってるラジオなんかがあって、懺悔シリーズ。クレームがあってそれに対する返信の手紙みたいな連載があるんですけど、超イイ本なんです。
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――関西に来てないですよね。 鷹:一度プリンツに呼んだことがあります。 ――その時は、ラジオのCDとか配ってましたね。 鷹:うんうん配ってた。ずっとデザインが立花文穂さんだったんですけど。 ――立花さんが作ってる雑誌で連載してるじゃないですか。それでも見てました。 鷹:そっか、『天体』…じゃなくて『球体』。ちょっと前の『BIRD』って超おしゃれ雑誌で…あ、ないわ。もう売っちゃったかな。 ――女の子の雑誌ですよね。 鷹:特集の最初の1ページ目で、リーダーの神谷さんが文章を書いてて。それがすごくズレてて面白かったんですけどね。 ――へえ。それにしても、この冊子はだいぶ凝った作りですね。こんなんくれるんやったら絶対行くなあ。
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鷹:これは学生時代の同級生の二艘木洋行の、共同っていう東京の駅に昔あったギャラリーで展示をやってた時のZINEなんですけど。 ―この方の絵、以前にどこかで作品を見て、謎やなーって思ってて。つかみどころがないっていうか、まさに現代アート感。桑沢の同級生?
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鷹:あ、そうです。イラスト研究会っていうのを一緒に作って、一緒に毎週絵を描いて講評してました。 私は彼の絵がすごく好きで、毎回講評の度に持って帰って、カラーコピーさせてもらってスクラップして。 ――ええ〜。そんなに! 鷹:もう好きすぎて。 ――この振り切った装丁も、作品と合ってますね。 鷹:うん。で、ニソくらい変な人でいうと、この今度この家で展示(鷹取さんが引越しに際して住んでいた家で「小田原亜梨沙×山フーズ×山ト波展示会」を行った展覧会。5/18~5/21)やってもらう小田原亜梨沙ちゃんも、すごく変なんです。彼女は何回も同じ絵を繰り返し描く。同じ情景を何枚もちょっとづつ違う形で仕上げる。顔を少しリアルにしたり、簡易にしたり、というのを繰り返したりする。石とか岩とかがよく出てくるんですけど。
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――何のシチュエーションやねんっていう。
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鷹:頭の中の記憶を辿って描いていて。参加者の過去の記憶をヒアリングして、刺繍入りのTシャツを作るワークショップもやってます。 ――ほほう。絵もいいけど、刺繍もかわいいですね。 鷹:そうなんですよ。 ――このカクカクっとしたね。 鷹:かわいいを超えてくるんですよね。 ――ちょっと(イヌイットの刺繍と)似てますよね。 鷹:似てるかもー! ――これやばい。
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鷹:犬とパンを食べあってる。いいよねー。 ――いいですね。 鷹:亜利沙ちゃんの展示もしよかったら。 ――きますよ。 鷹:山フーズとのコラボ作品を作ろうと思ってます。絵の中に本物の食べ物があったり、絵をちょっとくりぬいて、本物を組み合わせたり、とか。 鷹:そうだ、もう1個見せたいものがあったんだけど…(ガサゴソ)。あ、これこれ! 私の「山と波」のロゴも作ってくれた加瀬透君が結構前に作った漫画本。あ、でも2011年か。
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――へえ。 鷹:桑沢の後輩。 ――いいなあ、面白い人楽しいなあ。 鷹:はい、次、この本なんですが、私も結構デタラメなんで、タイトルとかを決めるときにいつも参考にしてるんです。 ――そういう本あるよね。
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鷹:ヨーンじいちゃんの話し方が突拍子もなくて、目次も「ヨーンじいちゃん、舌をだす」「ヨーンじいちゃん染めものをする」「ヨーンじいちゃん、三角パンツ」とか。
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――意味がわからん(笑)。どうやったら買えるんですか、こんな本。意味わからなさすぎて買いづらくないですか? 鷹:ね、なんで買ったんだろう。 ――まあでも、これ(推薦図書)ついてるから、その世界では有名なのかな。確かに、自分じゃない言葉が欲しい時ありますよね。 鷹:もう一本金麦飲んでいいですか(笑)。
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――そっち(棚)全然見れてない。漫画とかあんまり無いですか? 鷹:漫画は…少ないね。 ――つげ…ですかね。
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――詩集あるじゃないですか。 鷹:これね、私の本じゃないんです。人が置いてった本で。返さないといけない。 ――確かにちょっとノリがちゃいますね。 鷹:安部慎一も好きですよ。
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鷹:この間、安部慎一展が3か所でやってました。 ――そっか、今人気なんだ。 鷹:安部慎一のすごいいい漫画ですよ。 ――安っ! 500円。 鷹:すごいですよね、それ。シリーズで2巻もあるんだけど、見つからないですね。 ――これはなかなか。
鷹:で、これいい本。『猫のジョン』っていう。
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――へえー、どっちやねん、っていうね。 鷹:これもいいんだよ、『フルフル』。表紙のクマがベロでてるやん、いいなあと思って買ったの。
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――そこ1点で(笑) これだけなんかノリが違いません? 鷹:そっか、なんか変(笑)。 ――変で好き? 話も「ししゃもという魚を見たことありますか」って…。 鷹:あんまり読んでないから覚えてない。 ――まあ、そんなねえ、覚えてられないですよね。本ってほんま覚えられない。 鷹:覚えられないなあ。あと、尊敬している人の一人。沢野さん、すごく好きです。
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――お〜! そんな本あるねんや。山登ってる人ですよね。ふーん。この本もいいですね。 鷹:いいですよね。 ――いいなあ。やっぱりずっと売れない、手放せない本たちですか? 鷹:うん、引っ越しに際して、すっごい手放したけど。 ――それでもなお。 鷹:そうですね。これ、『西荻夫婦』とかも多分一生一緒に読むだろうな、と思います。
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――ふむふむ。読んだことないなあ。 鷹:結構苦しいです。 ――ここへ来る前、トランスポップギャラリー行ったんですけど、少し前にやまだないとの春画企画をやってたみたいですね。 鷹:知らなかったー!
鷹:あ、懐かしい、これも思い出深い。二十歳ぐらいにお世話になった、埼玉のyuzuriというお店で買ったのかな。
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――いいですね、これねえ。 鷹:ホホホ座の山下さんも大好きな本だって話したことあります。 ――山下さん、意外に真面目な本好きですもんね。
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鷹:蛭子さんの本もいいですよ。 ――脱力系��ちゃんとしたものと、両方好きなんですねえ。 鷹:蛭子さん好きです。私ももっとテキトーに生きたいですねえ。 ――なかなかねえ(笑)。
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鷹:東京でテキトーだと、ちょっと本当にマズいのかなと思って。 ――東京で何をするかは決まってないんですか? 鷹:実家の看板屋さんの手伝いもしようかなと思ってます。 ――ええ〜。看板屋、面白いじゃないですか! 鷹:そうなんですよ、今まで関わっていた人たちとも一緒に仕事ができるかもしれない、と思って。親ももうすぐやめてしまうかもしれないし、最後に一緒に働いてもいいかな、っていうのもあって帰ろうかなと。 ――看板屋、場所はどこなんですか? 鷹:地元は町田市です。 ――あ、それで町田の図書館の本が…。 鷹:そうなんです。 ――僕も最近、20年ぐらい借りてた本をこっそり返しましたけどね。 鷹:大丈夫でしたか? ――わからんように置いてきた(笑)。
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鷹:この本は、表紙とこれ(写真右の雑貨)がすごい似てて、買っちゃった。似てない? ――まあ似てるけど…気持ち悪いと思いつつも買っちゃうやつですね。GIFアニメとかで似てるの見たことあります。 鷹:最後にこれ見て欲しい、tupera tuperaが昔に作った『MUSHI HOTEL』。
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――へえ。 鷹:虫研究者が虫研究のための、虫をなくしちゃって。泊まったホテルで、こんな変な場所でいっぱいいたっていう。良い本。 ――うまくやってますね。
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鷹:で、私が生涯一番好きな画家のnakabanさんのいいマンガです。 ――確かにいいマンガ。 鷹:こっち(写真右)は、nakabanさんに1ページめ描いてもらった木のノートです。 ――木なんだ、これ。 鷹:木に版を刷ってる。このノートには、私が毎日マンガ描いてたの。 ――えーっ。貴重なやつ出た。日記代わり? 妄想? 鷹:本当にあったことを描いてた。
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――いいっすねえ。 鷹:本当? もう止まっちゃって、こんな最後余っちゃったけど…また描こうかな。そういえば、横山雄くんのデザインで、「ニコラ」っていう東京のお店が発行するZINEにマンガを描いたので、よかったらみてください。 ――なるほど、また見てみます。
鷹:何度もごめんね、あとひとついいですか。専門学校の時に撮ってた写真。
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――濃いですねえ。
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鷹:これいい構図でしょ? ――男くさいですね。 鷹:これは高校の写真。東京農業大学の付属に通ってて。それの野球応援で、応援してるとこ。大根踊りっていうのをやるんですけど。 ――点を取ったら? 鷹:1点取ったら1大根踊り、2点取ったら2大根踊り。 ――名前がダサい…。
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鷹:なつかし〜。 ――S✳︎M✳︎Lっていうのは? 鷹:子供、大人、おじいちゃん、かな? わかんないけど。 ――年齢? 鷹:年齢かな、年齢だと思う。当時からテキトーだったんです(笑)。もうこれは治らない感じだね。そんな感じでした。 ――いえいえ、かなりたくさん教えていただきまして。ビールまでいただいてしまって、ありがとうございました。
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(2017年5月に訪問)
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ishiduca · 2 years ago
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 沖縄で暮らしてみて、食文化の違いにとても驚きました。沖縄へ来る前に沖縄そばやタコライスの存在は知っていたものの、それ以外は知らないことだらけだったのです。家庭料理におけるポークランチョンミート(いわゆるSPAM)とツナ缶の使用頻度の多さ、沖縄てんぷらのどこでも売っているお手軽なおやつ感、スーパーでビニール袋に入ったまま売られているゆし豆腐、弁当を買えば必ず隙間に入っている「ひじき」と「にんじんしりしり」のすぐれた汎用性。そして名前を見てもどんな料理なのかピンとこないけど非常においしい「イナムルチ」と「ナーベーラーンブシー」。
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