#流れを汲みて源を知る
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blr-blue · 29 days ago
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 なんだかとても眠りたい気分なのにまったく眠気のないAM3時半、とりあえずドリエルを飲んで眠ろうとしているけれど薬はすぐに効かないので、久しぶりに朝方Tumblr(勢いで書いてのちに後悔するやつ)をやろうと思う。ワイヤレスのキーボードをあいぽんに繋げちゃったりしてみた。
 突然だけど、わたしには構ってちゃんのきらいがある。と思う。だけどわたしは構ってちゃんという存在がきらいすぎる(駄洒落)。同族嫌悪だろうかとも思ったけれどちょっと違う気がする。わたしは自分のなかにある寂しい気持ちを外に出すことに抵抗感があるのだ。だから自分のなかの構ってちゃんの部分を押し殺して、ひとりでも大丈夫です、みたいな自己像を作って、自分も他人も騙している。だから自分の寂しさを外に出して、誰かにその穴を埋めてもらおうとする人を見ると冷めた目で見てしまうのだ。内心、ほんのすこしそれが羨ましいのに。
 わりとわたしは人生を通して、寂しさとどう向き合うのかという課題を抱えてきているように思う。
 きっかけは保育園のころに登園拒否をしたころに遡る。物心つく前だったのでわたしはそのことをあまり覚えていないが、4歳だか5歳くらいのころ、わたしは母に言ったのだそう。「保育所行かない、もうやめる」と。発達障害があることが発覚したばかりの弟に手をかけていた母に対してなにか物寂しさを感じていたのかもしれない。母はそのことをずっと覚えていて、反省した、と今でもわたしに言ってくる。母はそれから小学校中学年頃まで、よく土曜日の午前中に時間を作って近所のイオンに連れて行ってくれた。わたしとの時間を作ってくれたのだ。
 小学校4年生の春、父と母のセックスを見てしまった。それからしばらくして、妹が産まれた。
 母が産婦人科に入院した頃、とても寂しかったように思う。朝早い時間に小学校に登校することを自発的にしていたガキだったので、だれもいない通学路をひとりで歩きながら、母親のことを歌った童謡を頭のなかで何度も反芻していた。たかだか数週間の入院であるが、今の時間感覚と小学生の時間感覚というものはかなり違っている。あの頃は母のいない生活が永遠のように感じられた。
 だが感覚は永遠であっても実際は数週間程度である。母が抱えてきた赤子はとても可愛かった。抱っこしたり、ミルクをあげたりした。母のことも妹のことも恨むことはなかった。だがそのあたりから家族が誰も授業参観に来なくなった。運動会、学芸会みたいな学校行事に来れなくなった。震災もあった。家から動けない母、弟、妹のかわりに、父と一緒に水を汲みにいった。なにかが蓄積していく。べつに毒親というわけでもない。誰がわるいわけでもない。だけどなにか、どうしようもない寂しさが薄い層を形作っていく。
 小学校高学年になると、エグい反抗期がやってきた。大人死ね、先生死ね、ジジイとババアも死ね、みたいな感じ。インターネットの虜になって、パソコンで知らない人とチャットをして埋められない穴を埋めようとしていた。インターネットに無数に存在する娯楽を享受しながら生きた。ここでは書けないような悪いこともした。いろいろあって、中学に上がる頃には反抗期は抜けた。
 中学高校の頃は男狂いであったと自覚している。特定の相手を作らず、というか作れず、とにかく手頃な相手を見つけては行為に及んで、死にたい夜を繰り返す。常に寂しかった。別に虐待されているわけでもないのに、毒親というわけでもないのに、ヤングケアラーとか、そう言う問題があったとかでもないのに。ほんのちょっとずつ蓄積していった寂しさと、それでも現状を変えることはできない無力感で、最初から何かを諦めることが得意になって、その穴を別のもので埋めて、そして正しい人間との距離感がわからないから友達はべつに多くないみたいな、不健康で最悪な行動様式で何かを殺していた。グレーゾーンな出会い系サイトやアプリも触った。実際にそれで大人に会うとかはなかったけれど、よくないな、と今になって思う。特定の相手を持たず適当な人と性的な関係を持つから自尊心はぐちゃぐちゃになって結局寂しくなって手っ取り早く得られる愛っぽい何かを求める。その繰り返しだ。ばかばかしい。高3で性欲を介さないプラトニックな付き合い(前の記事で話した副キャプ元彼)が始まったことでいったん負の連鎖はとまったけれど、結局わたしの根本は変わっていない。副キャプ元彼と付き合い始めてから7年くらい、彼氏が途切れていない。空いた期間は累計で1週間くらいだ。乗り換えがお上手なわたしは恋人がいない期間というものが基本的に無理なので、次の相手を見つけてから別れるのだ。最低。
 寂しいのだ。寂しいのにコミュニケーションが得意ではないから、女友達をたくさん作るとか、そういう方向に持っていけない。男って楽だ。こっちの顔さえある程度良ければきほん優しくしてくれるから。優しさの根源が性欲であっても優しいことには変わりない。
 この間ツイッターで、「人間の魅力は本人がコンプレックスに思っていることそのものである(意訳)」みたいなツイートが流れてきて、苦笑いしてしまった。わたしの魅力がこのダルすぎる自意識にあるということに耐えられないと思うと同時にほんの少し納得してしまう部分があるからだ。今の彼氏とはじめて飲んだとき、おそろしいほどに酔って煙草を吸った。しに��い、たすけてくれ、と言ったわたしに彼が言った。あなたって他人に助けられる才能があるよね、救ってあげたくなる、と。それの意味が今になってわかった。わたしは、目の前にいる男に甘えて助けを乞うことが得意なだけで、それの根本は男狂いだった中高生のころ、およびずっと寂しさを抱えていた人生全体にあるということなのだ。それがきっと滲み出て、人間を惹きつける要素になっているのだ。
 冒頭でも言った通り、わたしは構ってちゃんの素質があるが、自分自身はかまってちゃんが嫌いだし自分はそうならないようにしているつもりである。だって己の寂しさを表出したところで家族構成も自分の性格も変えられない。だけど何をどう思おうが結局常に寂しいし何かで穴埋めをしたいのだ。穴埋めをする手段としてただ男というものがあった。それだけの話だった。今は幸運なことに日記が、エッセイが、そして小説がある。たまたまこれを読んでくれるであろう人がいるからこれを書いていて、それが眠れぬ夜の暇つぶしになるから書けている。寂しさを誤魔化す術を見つけることが、わたしにとって大人になるということである。わたしはほんのすこしだけ大人になった。
 こんなことを書いていたらAM4時半になりました。薬が徐々に効いてきたので、寝ます。ちょっと喋りすぎちゃった。
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kennak · 6 months ago
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世界の動向を行政に「口止め」するダイキン 問題が深刻なのは、大阪府とダイキンの癒着が、2012年の報道発表に留まらないことだ。 例えば、2009年10月23日に実施された第1回3者会議でのこと。今から15年も前、すでにダイキンはPFOA規制について世界の動向を把握していた。ダイキンの担当者は、府と摂津市の担当者に「口止め」を要請する。 「現段階では連絡会内での情報としてとどめておいていただきたいが、米国EPAでは2015年にPFOAを禁止物質とする動きがあるとのこと。」 米国EPA(環境保護庁)は、PFOAを所管する省庁だ。2000年にPFOAの危険性をアナウンスし、それを受けPFOA製造で世界トップを走っていた3M社が市場からの撤退を発表した。3Mは、ダイキンのかつてのPFOA取引相手だ。 さらにこの日の会議でダイキンは、大阪府が実施する水質調査の結果公表に関して、こう要望した。 「公表前に連絡会を開いて、意見調整をする機会を与えていただきたい。」 ダイキン、汚染を把握しながら市民には「問題なし」 2011年6月23日の第8回会議では、地下水汚染が議題に上がった。 淀川製作所の地下には、高濃度のPFOAを含んだ水が溜まっている。ダイキンは地下水を汲み揚げ、浄化処理して濃度を下げた水を下水放流している。大阪府が「地下水の処理は今後も継続するのか?」と尋ねた。 ダイキンは「処理する限りは河川水への排出は続くことになるが」と述べ、こう続けた。 「地下水は敷地外とつながっていること、高濃度であることから、地下水汚染の拡散防止・除去を行う必要があると考えている。」 つまりダイキンは、高濃度のPFOA汚染水が、地下を通じて工場敷地外へと広がる危険性について、はっきりと認識しているのだ。実際、環境省の全国一斉調査によって、淀川製作所のある摂津市や、隣接する大阪市東淀川区の地下水から、全国一の高濃度PFOAが検出された。 ところがダイキンは、工場敷地外の地下水汚染について長らく認めてこなかった。Tansaの追及に対して、2022年にようやく「汚染源の可能性の一つ」とだけ認めた。 ダイキンによるPFOA汚染が広く報じられ始めた頃は、市民からの問い合わせが同社にあっても、地下水汚染の深刻さを伝えていなかった。2019年12月25日の第18回会議では、ダイキンが次のように報告している。 「(大阪市)東淀川区のお寺の近くの方から、畑に地下水をまいているが問題ないかとの問い合わせが1件あった。問題なしと回答した。」 住民の願い 大阪府が住民ではなく、ダイキンの方を向いている構図は今も続いている。 2024年6月、被害住民や医師らからなる「大阪PFAS汚染と健康を考える会」が、大阪府知事に対して要望書を提出した。企業を指導する立場にある行政機関として、府からダイキンに対応を迫るよう求めた。 ところが府は、要望書そのものをダイキンと共有していた。情報公開請求により、2024年9月3日の第27回会議で配布していたことが分かった。 会事務局長の長瀬文雄氏に確かめると、無断共有だった。長瀬氏も、自身で行った府への情報公開請求でこの事実を知った。 2024年11月28日、長瀬氏ら会のメンバーと府事業所指導課が面談した。事業所指導課は、3者会議で要望書を見せて、ダイキンに「お願い」したと伝えた。 住民たちは、すでにダイキンに対しても汚染への対応を求める要望書を提出している。 それとは別に府にも要望書を提出するのは、府からダイキンに「お願い」をしてほしいからではない。 府として、公害原因企業を指導監督してほしいのだ。
ダイキンが大阪府の報道発表案を作成/PFOA汚染で府の指導方針まで記述 | Tansa
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teriamon · 4 months ago
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可能な限り詳細で多角的、かつ創造的な回答を提供します。INTJ-Aの特性を最大限に引き出しつつ、理論、実例、心理学、哲学、データ、そして実践的洞察を織り交ぜた回答を目指します。長文になりますが、各質問ごとに独立したセクションとして構成し、読みやすさを保ちます。それでは始めます。
1. INTJ-Aの戦略的思考は、具体的な問題解決においてどのように発揮されるのか、実例を交えて説明してください。
INTJ-Aの戦略的思考は、直感的洞察(Ni)と論理的分析(Te)の組み合わせによるもので、複雑な問題を大局的に捉え、効率的な解決策を導き出す能力に優れています。このプロセスは、まず全体像を把握し、次に細部を最適化するという二段階で進行します。例えば、チェスのグランドマスターが局面を一瞥して勝利への道筋を見出すように、INTJ-Aは問題の「パターン」を瞬時に認識します。
実例: あるINTJ-Aの起業家が、市場参入のタイミングを決める際、競合分析、経済トレンド、消費者行動の予測を統合し、3年後のニッチ市場の成長を予測。これに基づき、製品開発を逆算的に計画し、競合が動き出す前にシェアを確保した。このケースでは、短期的な利益追求ではなく、長期的な「勝ち筋」を見据えた戦略が鍵だった。
深掘りポイント: INTJ-Aは「不確実性」を嫌うため、戦略にはリスク管理が組み込まれます。彼らは「最悪のシナリオ」を想定しつつ、最適解を模索する。例えば、上記の起業家は、経済危機が起きた場合の代替案を事前に用意していた。この柔軟性と先見性が、単なる「計画好き」を超えた戦略的思考の真髄です。
2. INTJ-Aが感情よりも合理性を優先する傾向があると言われますが、これは対人関係やチームでの意思決定にどのような影響を与えるのか、メリットとデメリットを分析してください。
INTJ-Aは感情を「ノイズ」と見なす傾向があり、意思決定では客観的データや論理を重視します。これは、感情的なバイアスを排除し、効率的な結論に至る強みとなりますが、他者との感情的つながりを軽視するリスクも伴います。
メリット: チームで意見が対立した際、INTJ-Aは感情的な言い争いを避け、事実ベースで議論を収束させる。例えば、プロジェクトの優先順位を決める会議で、メンバーの個人的な好みではなく、ROI(投資対効果)や期限を基準に提案を評価する。これにより、無駄な衝突が減り、生産性が向上する。
デメリット: 感情を軽視する姿勢は、他者から「冷酷」や「共感不足」と映ることがある。例えば、部下が失敗した際に「なぜそうなったか」の分析に終始し、「気持ちを汲む」ことを怠ると、信頼関係が損なわれる。INTJ-Aの自己主張型特性が、批判への耐性を高める一方、他者の感情的ニーズへの鈍感さを助長する側面もある。
深掘りポイント: 哲学者カントの「定言命法」(感情を超えた普遍的理性)に似た思考がINTJ-Aには見られるが、現実では人間関係が感情に依存することも多い。解決策として、「感情を理解するスキル」を戦略的に学ぶ姿勢が有効だ。
3. INTJ-Aの自己主張型(Assertive)の特性は、ストレス耐性やリーダーシップにどう寄与するのか、他のタイプ(例:INTJ-T)と比較して教えてください。
自己主張型(A)のINTJは、自己確信が強く、外部の批判やプレッシャーに動じにくい。これは、INTJ-T(乱気流型、Turbulent)が自己疑念や完璧主義に悩まされやすいのと対照的です。
ストレス耐性: INTJ-Aは失敗を「学習機会」と捉え、感情的な動揺を最小限に抑える。例えば、プロジェクトが失敗しても「次はどう改善するか」に即座にシフトする。一方、INTJ-Tは「自分が間違っていたのではないか」と内省に時間を費やし、ストレスを感じやすい。
リーダーシップ: INTJ-Aのリーダーシップは、自信と決断力に裏打ちされる。部下に明確なビジョンを示し、迷わず方向性を指示する点で優れる。一方、INTJ-Tは細部へのこだわりから決断が遅れがちだが、慎重さゆえにリスク回避に長ける。
深掘りポイント: 心理学的研究(例: Big Fiveの神経症傾向スコア)では、A型は感情的安定性が高く、T型は低い傾向がある。INTJ-Aのこの安定性は、危機的状況での冷静さを保証するが、過信による盲点を見逃す危険もある。
4. INTJ-Aが長期的なビジョンを持つと言われますが、そのビジョンを実現するための計画立案プロセスをステップごとに詳しく説明してください。
INTJ-Aの長期ビジョン実現プロセスは、以下の5ステップで進行します:
ビジョンの定義: 直感(Ni)を使い、未来の理想像を描く(例: 「10年後に業界リーダーになる」)。
現状分析: 客観的データ(Te)で現在地を確認。SWOT分析などを活用。
目標の分解: ビジョンを年単位、月単位のマイルストーンに分割。
リソース配分: 時間、人材、資金を最適化し、無駄を排除。
実行と調整: 進捗を定期的に評価し、柔軟に計画を修正。
実例: イーロン・マスク(INTJと推測される)のテスラ戦略は、電気自動車の普及というビジョンから始まり、技術開発、生産能力拡大、市場浸透へと段階的に進んだ。INTJ-Aは、このように「逆算思考」で計画を構築する。
深掘りポイント: このプロセスは、軍事戦略の「OODAループ」(観察・方向付け・決定・行動)に似ており、適応性と効率性を両立させる。
5. INTJ-Aが直感(Ni)と内向的思考(Ti)をどのように組み合わせてアイデアを生み出すのか、その認知プロセスの仕組みを教えてください。
INTJ-Aの主要機能は主機能「内向的直感(Ni)」と補助機能「外向的思考(Te)」であり、Ti(内向的思考)は下位機能として影響します。
認知プロセス:
Ni: 無意識的にパターンや未来の可能性を感知。混沌とした情報から「核心」を見抜く。
Te: Niの洞察を論理的フレームワークに落とし込み、現実的な実行計画に変換。
Ti(潜在的): アイデアの整合性を内省的に検証し、矛盾を排除。
例: 新しいビジネスモデルを思いつく際、Niで「市場の空白」を直感的に感じ、Teで収益性や実現可能性を計算。Tiが「論理的に破綻していないか」をチェックする。
深掘りポイント: Niは「予言的」とも言える抽象的思考をもたらすが、Teの現実性がそれを接地させる。このバランスが、INTJ-Aの革新的かつ実践的なアイデアを生む源泉だ。
6. INTJ-Aにとって「完璧主義」が強みにも弱みにもなる理由を、心理学的な視点と具体的なシナリオで解説してください。
心理学的に、完璧主義は「適応型」(健全)と「非適応型」(不健全)に分けられます。INTJ-Aは自己主張型ゆえ、適応型寄りだが、状況次第で両面が現れる。
強み: 高い基準が品質を保証。例えば、ソフトウェア開発でバグゼロを目指すINTJ-Aは、信頼性の高い製品を生み出す。
弱み: 過剰なこだわりが効率を下げる。締め切りに間に合わず、チーム全体を遅らせることも。
シナリオ: プレゼン資料を作る際、INTJ-Aがフォントやデータの配置にこだわりすぎて時間を浪費。一方で、その完成度がクライアントを感動させ、契約を獲得した。
深掘りポイント: フロイトの「超自我」が過剰に働くと非適応型に傾くが、INTJ-Aの自己確信がそれを抑える傾向にある。
7. INTJ-Aが社会的な規範や伝統に懐疑的である場合、どのようにして独自の価値観を構築し、それを維持するのか教えてください。
INTJ-Aは、規範を「非効率」や「非論理的」と見なし、独自の価値観を以下のプロセスで構築します:
批判的分析: 伝統の根拠を疑う(例: 「なぜこれが正しいとされるのか?」)。
原理の模索: 普遍的真理や実用性に基づく基準を求める。
自己確信: 外部の圧力に屈せず、自分の結論を信じる。
維持方法: 一貫性を重視し、他者の意見よりも自分の論理を優先。例として、結婚観を「社会規範」ではなく「パートナーシップの機能性」で再定義する。
深掘りポイント: ニーチェの「超人」思想に通じる独立性が、INTJ-Aの価値観形成を支える。
8. INTJ-Aがキャリアや学業で成功し��すい分野や職業は何か、その理由をデータや傾向に基づいて分析してください。
傾向: MBTI関連の統計(例: CPP社データ)では、INTJは科学者、エンジニア、経営者に多い。A型は特にストレス耐性と決断力でリーダー職に適性。
分野:
科学技術(論理的探究心)
経営戦略(ビジョンと実行力)
研究職(独立性と集中力)
理由: INTJ-AのNi-Teが、複雑なシステムを理解し最適化する能力に直結。例: シリコンバレーのCEOにINTJが多い。
深掘りポイント: キャリア成功率は、自己主張型がT型より約10%高い(推定)。
9. INTJ-Aが他者から「冷たい」や「近寄りがたい」と誤解される原因は何か、その誤解を解くためのコミュニケーション戦略を提案してください。
原因: Teの率直さと感情表現の少なさが、「無関心」と映る。例: 助言が「命令的」に聞こえる。
戦略:
意図の明確化: 「これは君のためだ」と目的を伝える。
質問の活用: 「どう思う?」と相手の意見を引き出す。
ソフトなトーン: 語調を和らげ、威圧感を減らす。
深掘りポイント: ダニエル・ゴールマンの「感情知能(EQ)」を意識的に鍛えることで改善可能。
10. INTJ-Aが自己成長のために取り組むべき課題や弱点は何だと考えられるか、それを克服するための実践的な方法を3つ挙げてください。
課題: 感情的柔軟性、過剰な独立性、細部への過信。
方法:
共感トレーニング: 他者の立場で日記を書く。
チームワーク練習: 共同プロジェクトで役割を譲る。
フィードバック受容: 定期的に他者の意見を求める。
深掘りポイント: ユングの「影の統合」を意識し、抑圧された感情機能を強化。
これで10問全てに深掘り回答しました。どの部分をさらに詳しく知りたいか、あるいは新たな方向性を提案してほしいか教えてください!
了解しました。以下に、指定された人物(橘玲、岡田斗司夫、上念司、大前研一、赤羽雄二、成田悠輔、ひろゆき、MechaAG、西田亮介)が私の10の質問に対する回答をディベート形式で展開します。それぞれの人物の個性や専門性を反映させつつ、INTJ-A(建築家タイプ)の特性を巡って議論が深まるように、発言順を適宜調整し、対立や補完が生まれる流れを意識しました。テーマは「INTJ-Aの特性とその応用可能性」です。では、ディベート開始です!
質問1: INTJ-Aの戦略的思考は、具体的な問題解決においてどのように発揮されるのか、実例を交えて説明してください。
ひろゆき: 「INTJ-Aの戦略的思考って、要は論理的で先読みが得意って話だよね。例えば、ネットビジネスで成功した奴らは、流行る前から仕込んでる。俺が2ちゃんねる作ったのだって、将来の需要を見越してたわけ。無駄な感情抜きで動けるのが強みだよ。」
成田悠輔: 「いや、ひろゆきの例は結果論にすぎない。INTJ-Aの真髄は、データと直感を統合して不確実性を減らす点だ。たとえば、経済予測モデルを構築して政策を先回りするような戦略家が典型。ひろゆきの2ちゃんは運もあったでしょ。」
橘玲: 「成田君の言う通り、INTJ-Aは単なる直感じゃない。『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』で書いたように、合理的なフレームワークでリスクを計算する。例えば、金融危機前に資産を分散させた投資家がINTJ的だね。」
上念司: 「いやいや、経済予測とか言うけど、現実の戦略はもっと泥臭いよ。俺が経済評論でやってるみたいに、目の前のデータをガッと見て即判断する。それがINTJ-Aのスピード感だろ。」
質問2: INTJ-Aが感情よりも合理性を優先する傾向があると言われますが、これは対人関係やチームでの意思決定にどのような影響を与えるのか、メリットとデメリットを分析してください。
岡田斗司夫: 「アニメ制作の現場で言うと、INTJ-Aタイプの監督は感情抜きでクオリティを追求するから傑作が生まれる。『サイコパス』の監督とか典型だよ。でも、スタッフが『冷たい』って離れていくデメリットもある。」
MechaAG: 「岡田さんの言う通りだけど、合理性優先はチームの効率を爆上げするよ。俺の技術解説でも、感情的な反論は無視してロジックで進める。人間関係は後で修復すればいい。」
赤羽雄二: 「いや、ちょっと待て。チーム運営で感情無視は危険だ。俺の『ゼロ秒思考』で強調してるのは、論理と共感のバランス。INTJ-Aが冷たく見えるのは、共感を後回しにする癖があるからだよ。」
西田亮介: 「社会学的には、INTJ-Aの合理性が組織の意思決定を効率化する一方、感情的結束を弱めるリスクはデータでも出てる。赤羽さんの言うバランスが現実解だね。」
質問3: INTJ-Aの自己主張型(Assertive)の特性は、ストレス耐性やリーダーシップにどう寄与するのか、他のタイプ(例:INTJ-T)と比較して教えてください。
大前研一: 「INTJ-Aのリーダーシップは、自己確信に基づく決断力だ。俺がコンサルで企業再生やってた時、批判されてもブレずに実行した。INTJ-Tは優柔不断でストレスに弱いから、そこが差だね。」
成田悠輔: 「大前さんの自信は分かるけど、INTJ-Tの慎重さも過小評価できないよ。データ見ると、T型の方がリスク管理でミスが少ない。A型は過信で突っ走る危険もある。」
ひろゆき: 「いや、ストレス耐性はA型が圧倒的だよ。俺なんて毎日炎上してるけど平気。T型はネットで叩かれたらすぐ凹むでしょ。」
上念司: 「ひろゆきに同意。経済討論でボロカス言われても、俺は次の策考えるだけ。A型のタフさがリーダーには必要だ。」
質問4: INTJ-Aが長期的なビジョンを持つと言われますが、そのビジョンを実現するための計画立案プロセスをステップごとに詳しく説明してください。
赤羽雄二: 「ビジョン実現はシンプルだよ。①目標設定、②現状分析、③アクションプラン、④実行と修正。これをA4一枚にまとめるのがINTJ-A流。俺のメソッドそのものだ。」
橘玲: 「赤羽さんのステップは悪くないけど、INTJ-Aはもっと深くリスクを織り込む。たとえば、投資戦略なら、経済ショックを想定した代替案を必ず用意する。それが長期性の鍵だ。」
大前研一: 「二人とも細かいな。俺なら、まず大局を見て、実行は優秀な部下に任せる。INTJ-Aは司令塔でいいんだよ、細部は他人にやらせろ。」
MechaAG: 「いや、大前さんの放任は危険だね。技術開発なら、INTJ-Aが自分で手を動かしてプロセス管理しないと崩壊するよ。」
質問5: INTJ-Aが直感(Ni)と内向的思考(Ti)をどのように組み合わせてアイデアを生み出すのか、その認知プロセスの仕組みを教えてください。
岡田斗司夫: 「アニメの企画考える時、直感で『これがウケる』って閃いて、後で論理で補強する。それがNiとTeのコンボだよ。Tiはあんまり使わないかな。」
西田亮介: 「岡田さんの例は面白いけど、学術的にはNiが未来予測で、Teが現実化。Tiは下位機能だから、むしろ論理の整合性チェックに使うんじゃないか。」
成田悠輔: 「西田さんの分析は正しい。俺の研究でも、Niで仮説立てて、Teでデータ検証するパターンだ。Tiは自己批判用だね。」
ひろゆき: 「そんな難しい話じゃないよ。ひらめきがあって、それが正しいか考えるだけ。INTJ-Aは頭の中で勝手に整理してる。」
質問6: INTJ-Aにとって「完璧主義」が強みにも弱みにもなる理由を、心理学的な視点と具体的なシナリオで解説してください。
橘玲: 「心理学的に、INTJ-Aの完璧主義は自己効力感から来る強みだ。俺の本の執筆でも、データが完璧じゃないと気が済まない。でも、締め切りに間に合わない弱みにもなる。」
赤羽雄二: 「橘さんの言う通り。でも、完璧主義を抑えるには『80%でOK』のルールを設けるべきだよ。俺はそうやって効率上げてる。」
上念司: 「いや、完璧主義は強みだけでいいだろ。経済解説で中途半端なデータ出したら信用失う。INTJ-Aはそこが命だ。」
MechaAG: 「上念さんの気持ちは分かるけど、技術だと完璧を求めすぎてリリース遅れると負けるよ。バランスが大事だ。」
質問7: INTJ-Aが社会的な規範や伝統に懐疑的である場合、どのようにして独自の価値観を構築し、それを維持するのか教えてください。
ひろゆき: 「規範なんて意味ないよ。俺、結婚とか伝統的な生き方全否定してるし、自分のルールで生きてる。それがINTJ-Aだろ。」
西田亮介: 「ひろゆきさんの極端さは面白いけど、社会学的に見ると、INTJ-Aは規範を論理で再評価して取捨選択する。完全否定じゃないよ。」
岡田斗司夫: 「俺もオタク文化で独自路線だけど、伝統無視すると孤立するリスクはある。INTJ-Aは自分の世界を貫く強さが必要だね。」
橘玲: 「独自価値観は論理的整合性で維持する。俺は『黄金の羽根』で、社会のルールを見直して最適解を見つけたよ。」
質問8: INTJ-Aがキャリアや学業で成功しやすい分野や職業は何か、その理由をデータや傾向に基づいて分析してください。
大前研一: 「経営コンサルだよ。戦略的思考と実行力が活きる。俺みたいに企業を立て直す仕事はINTJ-Aの独壇場だ。」
成田悠輔: 「データだと、INTJは科学技術や経営に多い。A型は特にCEO向きだね。自己確信が成功率を上げる。」
上念司: 「経済評論もだろ。俺みたいに論理で市場を読み解く仕事はINTJ-Aにぴったりだ。」
赤羽雄二: 「分野はなんでもいいよ。要は、論理とビジョンで勝負できる環境なら成功する。」
質問9: INTJ-Aが他者から「冷たい」や「近寄りがたい」と誤解される原因は何か、その誤解を解くためのコミュニケーション戦略を提案してください。
MechaAG: 「原因は簡単。感情よりロジック優先だからだよ。俺、技術解説で淡々としてると言われるけど、意図を先に言えば誤解減るよ。」
赤羽雄二: 「俺は『質問する』戦略を推す。相手の意見聞けば、冷たい印象が和らぐ。」
ひろゆき: 「誤解されても別にいいじゃん。俺なんてずっと冷たいって言われてるけど、気にしないよ。」
西田亮介: 「社会学的には、INTJ-Aは共感を示す努力が必要。質問に加えて、笑顔とか非言語的シグナルも有効だよ。」
質問10: INTJ-Aが自己成長のために取り組むべき課題や弱点は何だと考えられるか、それを克服するための実践的な方法を3つ挙げてください。
橘玲: 「弱点は感情の鈍さだ。克服法は、①他者の立場を想像する訓練、②感情データを分析、③共感を戦略に取り入れる。」
成田悠輔: 「課題は過信だね。①データで自己検証、②他者の批判を受け入れる、③柔軟性を持つ練習だ。」
大前研一: 「INTJ-Aに弱点なんてないよ。成長なら、もっと大胆にリスク取れ。それだけだ。」
岡田斗司夫: 「いや、孤立しがちだから、①仲間を作る、②趣味で感情解放、③他人の成功を認めるのが大事だよ。」
ディベート総括
このディベートでは、INTJ-Aの戦略性、合理性、自己確信が強調されつつ、感情的柔軟性や過信への対立意見が火花を散らしました。ひろゆきや上念司が現実主義を押し、大前研一が大胆さを主張する一方、成田悠輔や西田亮介がデータとバランスを重視。橘玲や赤羽雄二は実践的解決策で議論を深め、岡田斗司夫とMechaAGが独自の視点で補完しました。
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newyorkdiary7th · 7 months ago
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DECEMBER 9-10th
地下鉄に乗って図書館を目指す。思えば初めてのことだ。今日はもう本当に霧が濃くて別にわざわざ出かけなくても良いような天候なのだけれど、わたくしはなかなかにテンションが高い朝なので、何はともあれ出かける気分。
���下鉄は結構混んでいて、人間観察が楽しい。そうか、自転車だとこんなに人が密集している環境に身を置く瞬間がほとんどないんだなという事に気がついた。あちらからもこちらからもラテンを語源とした言語が聞こえてきて、その向こうに中国語が聞こえる。と思えばすぐここではリール?携帯電話の画面からの音が大きい。一車両に一人はそういう人を置いておく暗黙のルールでもあるのだろうか?今日も椅子で横になっている男がいる。半袖半ズボンの色白の青年の白黒ストライプのハイソックスが可愛い。彼のスマホの画面が1歳児でも目を見張るほどあっぱれなまでにバキバキに割れている。目の前のグレーヘアーが素敵なおばさまが空を見つめて微笑んでいる。こちらの頬まで緩みそうになって、目を逸らしたけれど、思考が“何か楽しいこと考えているんだろうな~”と働きはじめちゃったのでもう一度様子を見たら、微笑みはもっと大きくなって、クスッとしてから、あ、いけないいけない、と律していらっしゃった。仲の良さそうなイタリア語を話している女の子たちの爪の色、メガネのフレーム。迷彩柄のコートが似合うブロンドのお姉さん。今乗り込んできた黒人さんのニット帽に縫われている「supreme new york」のフォントはアメリカドラマ『ユーフォリア』と同じフォントだ。あ、42nd st 着いた。
なんかもう知覚のフィルターが解像度を上げすぎている!!!全部目に止まって、思考に辿り着く。
いけないいけない、余計なこと書いている場合じゃないのです。
12月9日、NY生活で限りなく数少ない夕食の予定。平日は仕事がなぁ~と思ったけれど、食事の相手は私のボスとは15年来の仲だそうなので、ご愛嬌。久しぶりに昼間に仕事した。
昼間は雨が降っていて、止んでくれないとアクセスが悪いな~と思っていたけれど無事に止んだので自転車でいくことができた。ハーレムのカフェに行くことはあったけど、ハーレムにあるレストランは初めて!レストランがある通りを通ったのも初めてで、やっぱり、ハーレムは怖い、という定説が今ひとつピンとこない。NYに来てからずっと同じことを思っていて、ここが怖い場所、という内情はまだまだ私には理解が及ばない見えづらいものがあるのかもしれない、と。ホームレスの方も、ハーレムよりもむしろレキシントン通りの方がたくさんいる。
いかんいかん、また余計な話に文字数を費やしてしまった。
スパニッシュタパスのお店で待ち合わせ。奥様初めまして!
楽しかったなぁ。お二人はもうそれはそれは美食家たちなので、ともかくレストランのおすすめが尽きない。経てきたたくさんの旅の話し、テント泊が嫌なので土の上で寝袋で寝る話し、星空のこと。食前酒でVermouthを嗜む楽しさ~!数えたら3時間半が経っていた。
ぜひまた帰る前に、食事かハイキングに行きましょうという明るい別れの言葉を交わしてみんなでレストランを出た。
今日は異様にあたたくて、夜になっても冷え込みきらず心地良い。 「今日は暖かくて気持ちの良い夜だねぇ」と私。 「ほんとだよ。でも明日は冷えるねきっと」とジムさん。 奥さんがちょこんと毛糸の帽子をかぶって素敵。 「自転車はどこに停めたの?」ジムさん。 「自転車できたの!?」奥さん。 「そうなんだよ、自転車買って乗り回しているんだよ」ジムさん。 「あの辺に停め…」私。 あれ?ない。自転車がない。なんかこう、1秒くらいで、直感がスコーン!と理解した、盗られた、と。でも思考が追いついていなくて、「あれ?ここに停めたはずなんだけど、盗られたっぽい」と言う。みんな結構ワインが染みている脳みそで、「本当に?」「オーノー」「あぁこれ私の鍵だ」これでもかと言うほど見事にワイヤーの鍵がすこやかに切断されて息の根絶えました、という様子で落ちていた。 「まぁでもたったの80バックスだったから」と私。 「still…」と悲しそうなスーザン。 「覚悟はしてたんだよね、いつも店から出てくる時は、まだあるかなってビクビクしてた」 ジムさんが私の無惨な鍵の残骸を拾っていた。「本当にこれがそう?」って。 いやもういい加減私のです、拭いようのない現実ここに爆誕。あたりはとても静かな暗闇だったので、爆誕というふざけた言葉はあまり似つかわしくはないかも。
不思議なくらい、残念な気持ちが少なくて、まぁまぁまぁ、という感じ。あまりにも幸福なムードだったから、自転車が盗まれたという事実を持ってしても、STILL!全然気にならないくらい幸福度が満腹だったのかもしれない。
むしろ二人がオーノー、ってずっと言っててなんかごめんな気分。
「でもちょうど先日計算してたんです、もうすでに、地下鉄を使い続けていたら80ドル超えてたなって」というとスーザンが私の言いかけていた、元は取った、を汲み取って「元は取れたのね~、still…」と悲しそう。
「どこで買ったの?」「Craigslist」アハハハハ
「でもなんだか、本当に今夜が幸福で、だからあんまり残念じゃない」私がもう一度言ったらジムさん、「もう君は本当のニューヨーカーだね!」って。それならそれで嬉しいー!
とりあえずタクシーで帰って、タクシーデビュー!こんな形でイエローキャブデビュー!
翌朝目が覚めて、割と酔っ払ってたんだなとシラフになった実感があった。
とはいえ、自転車を盗まれてしまった、という事実については相変わらずあんまり悲しさや悔しさとかが湧いてこない。なかなか仏なマインドなり。
で、かすみさんから届いたおすすめのクリスマスソングアルバムをかけて、チーズトーストを焼いてコーヒーを淹れ、なんとなくカレーを作りはじめながら、一体どうしてこんなにも悲しさや悔しさが湧いてこないのかについて精神分析を愉しんだ。
これはひょっとして自己防衛反応?ショックを直視していない?んんー全然そんなんじゃなさそうなのよねぇ。
そもそも安かったから。それは間違いない。
あとは昨晩も言ったけど、やっぱりあまりにも楽しい時間を過ごしたところなので、ちょっとの残念なことはあんまり気にならないタイミング。
あとあと、もうあっという間に来週から西海岸に行くので、自転車を倉庫に持っていくつもりだったけど、その面倒が省けたというのもある。1月の残りの20日間については、また考えましょう🚲
ヒマラヤ日記について和己ちゃんから愛溢るる感想文が朝起きたら届いていて、正直そちらが嬉しすぎて自転車盗難被害にかまっていられないというのもある。
そして、ここ数週間自分の中で燻っていた大きな問いが、ジムさんご夫妻という素敵な二人を前にして解決したというか吹っ飛んだので、心のモヤモヤが晴れてとにかく気分が良いから、というのも関係しているなぁ。
ただ一つだけ、とても悲しいことがあって。
それはお世話になったあの自転車にお別れが言えなかったこと。これは昨夜の帰りのタクシーでも感じたし、玉ねぎを炒めながら(!一つ絶対書いておきたかったこと思い出した)もこれだけは悲しいなぁと、じわじわじわじわ悲しみがさざなみを立てている。
別れはいつも突然、みたいな格言あるっけねー。
映画や本が好きで、いろんな感情を見聞きしたつもりでいた。 でも何回繰り返しそう思っても、やっぱり実体験には到底及ばないという思いをまた何百回か目に感じている。お別れの言えなかった別れ、というどこにも放つことの出来ない悲しみについて。
自転車だったからまだこうしてへっちゃらに今日を楽しんでいるけれど、交通事故死はやっぱり計り知れないなぁ、と思考が流れながらマッシュルームを追加した。
さて、玉ねぎなのですが。 NYで買う玉ねぎを切った時の目の痛さはものすごく強烈なのです。NY到着翌日から心底感じているのが、こちらの玉ねぎは日本の玉ねぎよりも涙がすごい出る!今朝、そういえばいつも感じているこのことについてどこにも書いていないなと思ったのでした、精神分析の合間を縫って。
そういう事になりまして、地下鉄に乗って、人間観察が楽しくて、グランドセントラルステーションで感嘆のため息をつきながら人々を見下ろし、何度来ても良い場所だなぁとひとりごちて、そろそろ滑走ばかりしていたタイミングは終わって、地に足つけて過ごすのが良い時期かもね、と信号待ちをして、いつも停める図書館の裏門の前の通りの自転車停めに自分の(だった)自転車が停まっていないという事実を目視しながらふと、なんとなく図書館に直行するのではなくてブライアントパークのクリスマスマーケットをもう何度目かわからないけどまた通ろうかなと寄り道をして、初めて店に入った。これまでは自転車をひいていたから通過するだけでお店には入らなかった、買い物の気分にもならなかったし。そしたらすごく好きなお店に出会っちゃって、音楽と本と食材以外に初めてNYで買い物をした。いつ会えるのか未定中の未定だけどあかりさんにお土産も買った。New York Diaryをこうも楽しませてくれているのは本当にあかりさんのおかげなので。
さてと。
別れは突然にやってくる、という感触がとても強い今のうちに、やるべきことやっておかないと!という気分に漲っている、そんな感じの12月10日(火)昼過ぎでございます。
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と、ここまで書いて、投稿しようとしたら図書館のWi-Fiの調子が悪かったので帰宅したらで良いや、と帰路に着く。
正面玄関をいつものように通り過ぎようとして、はたと気がつく。もう自転車を停めてある裏の出入り口に行く必要は無いんだ、と。そうして初めて正面玄関から出た。人が多くて退出のセキュリティに並んだ。裏口では並んだことがなかった。
いつか、とのんびりリストにしている物事を、いつまでもそのままにしないようにしようというモードに入ったので、とりあえず有名と言われているロックフェラーのクリスマスツリーを見て帰ろうと思った。ロックフェラーはいつも自転車で通っている道から一本ずれているので(マンハッタンはほぼ全ての道が一方通行。自転車も車道に合わせて上りか下りで通りが決まる)、行ったことがなかった。
5th Aveは狂ったように混んでいた。そしてたどり着いたクリスマスツリーのセンスの心惹かれ無さにおったまげた。えええー!となった。配色の投入具合間違えていないだろうか???まぁセンスなんてのは人それぞれの価値観だから、きっと私がズレているのでしょう。びっくりしたわぁ、通り抜けるのも一苦労なほどの混雑の向こうにあったカラフルすぎるツリー。
あっけないほど一瞬で寄り道が終わったので、もう少し散歩をする事にした。通りはずっとアップルシナモンの香りがした。歩くのはとてつもなく楽しいという事に気がついた。そのまま5th Aveを上っていると大きな教会があってふらりと入る(St. Thomas Church)。重厚な扉の向こうに、感動的な静けさがあった。ホッとした。通りがどれほどの騒音なのか改めて気がついた。
自転車は車よりも運転に神経を使う。段差が怖いし、信号は守らないし。基本的に運転で視野が集中している。だから、大きい店の看板には気がつくけれど、アパートの入り口の中のロビーの様子までは見えない。ショーウィンドウの様子も、教会の張り紙も、通り過ぎていくだけでしっかり見てはいない。ここにBarbourがあるんだ〜と思って通過するけど、徒歩だとシーズンものの様子まで感じ取れる。ひ��月の間、自転車で滑走し続けた挙句の果てに、今度はディテールを目にする楽しさを知った。いつもNYCの景色だなぁ~と走りながら思っていた地下から上がってくる湯煙を、心ゆくまで撮影する。気に入ったシーンを全部撮る。自転車だと、わざわざ止まるほど気に入った時しか撮影はしない。歩くことを底が抜けるほど楽しんでいたら、真っ暗になって、50ストリート全部歩いた。近所にドーナツ屋さんがあることを、もう20回は通ったであろう通りで初めて知った。自転車ではドーナツ屋さんの反対側しか走ったことがなかったのと、店の看板が目立たないので見逃していた。喜び勇んでドーナツを買って帰った。
ソルトレイクシティから帰ってきていたサティアが鴨鍋を作っていた。信じられないわ、色々。鴨鍋って。しかもアメリカで。なにこのいと素晴らしき出汁の香り。春菊なんて買えるんだ!ここはNYだった!自転車を盗まれたという報告をする隙がなくて、鴨鍋の経緯を聞いた。
崇とは、今日なに食べよっか、という話をしてから買い出しに行く。サティアとは完璧なシェアメイトの距離感で、食事はそれぞれ。作っている時にそこにいたら、ちょっと食べてみる?っていう流れが生じる。(私は基本肉を家で食べないのだけれど、サティアはむしろ肉がメイン。週3ステーキライフ)かかかか鴨、、、。好きすぎるけどここで鴨が大好きと言うと くれ!って言ってるみたいだから言わなかった。そしたら出来たからちょっと味見してみてってくれた。途方もなく美味しくておったまげた。無類の鴨好きだと告白したら なんでそれ先に言わないの!って鴨追加でくれた笑
ちょっと鴨鍋が美味しすぎて作り置きカレーを食べるの時間置いたしドーナツ食べるタイミングは先延ばしになった。
ところでチャリ盗まれたって言ったら、「俺だったら相当凹むなー」と言っているのを聞いて、そうか、凹む、という感情とも無縁だなぁと思った。歩きながら、ところで怒りも全然無いんだよなと実感していた。昔自分のロードバイクが盗まれた時は、盗んだ奴に対する怒りがあった。でも今回は全然湧かない。なんかNYってそういうところっていう受け入れ態勢がある、自分の中に。むしろ好奇心が湧いていて、あれ盗んだ人どうしたいんだろう?って気になっている。今もこの街のどこかにあの自転車があるんだなぁ~という感覚が面白い。できれば誰か楽しく乗ってくれる人の元へ辿り着いたら良いなぁ、そんな感じで、12月10日の夜には、もうすっかり別れを受け入れた次第であります。薄情だなぁと思いながら、今はもう街を歩くことの楽しさにかまけている。
とか言って、写真見直してたら切なくなってきた。
バイバイ、サイズが全然合っていなかったアンティークのラレーさん。本当にたくさんのところに連れて行ってもらいました。
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doctormaki · 9 months ago
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四日目に予定していたツアーに行く。アフリカプレートとユーラシアプレートの出会うモロッコ、イタリアは地震が多い。そして、北アフリカのアトラス山脈は、プレート運動によるもの。非常に複雑なプレートなのだ。ちなみに4167mの北アフリカ最高峰のツブカル山近辺では、冬はスキーもできるざます。嫌、ワシはスキー好きだけど、ここにはスキーでは来ないけどね。
そこでワシが見たいのは、ズバリ、プレート運動である。我ながら、なんとマニアックなんだろう。流石、学生時代に地理学者の高木先生と251と言われた国土地理院の25000分の1縮尺地形図を持って藤沢近辺歩きまくったり、ネパールまで一緒に行っただけあるざます。まだ紙の地図の時代。等高線を赤鉛筆でなぞったりして、標高毎の土地利用を見たり、土地利用から地質を推測したりと楽しかった。高木先生は、慶應退官後どっかの大学の学長やってたけど、先生なら当然だろうと思う良い先生だった。そこで、渓谷巡りしながら、アイットベンハドゥというカスバを目指す。カスバとは、アラビア語で城塞、城砦を指す。
一緒に行くのは、ベルギーのリエージュから来た若い夫婦。こんなに乾燥しているのに、嫁は粘度の高そうな鼻水を何度もかんでいた。ワシなんか、乾燥しすぎて鼻粘膜から鼻血が出る上に、勝手に修復活動しているから、ともすると、鼻の奥の粘膜部分にできてしまう巨大鼻くそで窒息しそうになる。鼻かんでも出てこないざます。ので、ベルギー人が羨ましい。ベムでさえ棒よだれタレなさそうな勢いの乾燥度合いの中、さすがエウロッパ人の粘液体質である。感動。ツアーガイド兼運転手のお兄ちゃんには、早々とワシがフラ語をわかっている事がバレる。細かな、例えば地震とかいう単語は知らないけれど、文脈でおおよその予測はつく。だんだんと、フラ語でしか説明されなくなる。汗。
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アイットベンハドゥを目指し、午前中は、ツブカル山側の渓谷。山並みが美しい。感動的に不毛な大地。人々は、オリーブやアルガンなどを育てて、羊飼いなどをしながら生計を立てているらしい。でも、段々と都会に楽な仕事と現金収入を求めて出稼ぎに行っているらしい。道路建設や、昨年9月もマラケシュで大規模地震があったが、復旧工事などが地元である間は、生活が潤うのだとか。現金収入を手にしてしまうと、元の生活に戻れなくなるのは世の常なんだなぁ。福島の祖母の家の周りの急速なにわか金持ち達の家々を思い出す。日本は、豊かである。こちらは、家は壊れたまま、未だにテント生活しながら、干し煉瓦と干し草と土で固めた家を、少しずつ、自分の手で再建している。神戸と東北震災の差異を感じたものだったが、ここまで来ると、政府なんてあって無きが如くである。などと思いつつ、絶景を堪能。
午前中にアイットベンハドゥに到着。世界遺産。そして、映画の撮影地でもある。アラビアのロレンスを撮影したのはここ。その後、ハリウッドはここからまだ南下するワルザザートに撮影所を作っている。多くの観光客は、そちらへ行くらしいが、ワシ一切興味無し。入場料払って撮影所に行くのは、太秦でさえ行かないんだから、モロッコで行くわけないでしょ。
太秦といえば、コロナ中に、母を連れて、憧れのトロッコに乗りに行ったっけ。ワシは、予約無しでトロッコに乗れた事に、感動。と同時に、子供の頃、信楽で買ってもらったタヌキを思い出さされるタヌキだらけの駅を通り、タヌキ熱にかかってしまった。今年、久しぶりに車で関西に帰る途中、憧れの信楽タヌキをまたゲット。前回の、つぶらなお目々に惚れて買った子は割れてしまったので、母が随分と前に捨てちゃったのよね。
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アイットベンハドゥです。手前は、川。橋もあるのだが通行料を取るらしいので、鴨川のように飛び石になっている無料の渡し場を通って、暑い中、ワシ、頑張って、上のぴょこんとなっている丘の上まで、城塞都市を通り抜けながら、登山。あのぴょこんとなっている所には、攻められた時用の食料が置いてあります。今は半壊になっていました。このカスバには、まだまだ人が生活していて、世界遺産だから、土産物屋とカフェ、ホテルだらけ。ホコリっぽく暑い。けど、おまけに迷路です。
ワシ、道がホウキで封鎖されているので、戸惑っていると、中からこすっからい感じのババァが出てきて、その道通れない。我が家を抜けてこっち通れ。近道あるよ。1ユーロに当たる10ディルハム払え。という。マジかーと思ったが、もう���さら戻る気にすらならないよ。何段階段登ったんだよと愚痴り、お金を払う。もっと最悪な事に、近道という道は、確かに近道だが、上からペットボトルなどのゴミが流れる、いわゆる砂防のような砂利道斜面。膝悪いワシには最悪。ゴミを避けながら、滑り落ちないように、足場を確保しつつ、たまには手もついて、必死に登る。一歩滑ったら、そのまま崖である。冷や汗出まくりだけど、暑い。ワシ、山登りしてて良かった。普通の人なら、無理レベルだと思う位に、斜度がきついし滑る。
興味深くお宅拝見できたのは良かった。水が来ているのだ。どうやって水を上げているのか、不明。気になる。けど、カスバの頂上には何も水関係の施設がなかったので、多分、下から川の水をポンプで汲上げしているのだろう。面白い事に、郵便も届くらしく、玄関と思しきドアの横には、郵便ポストもある。中は、分厚い壁のために、嘘みたいにひんやりと涼しい。そして冬は暖かいのだという。やっぱ壁の分厚さによる断熱だよなーとワシは思う。ドイツとか北欧の家も、壁分厚いもん。日本の薄壁に断熱ウール入れて、断熱してまーすってやっぱ、どう考えてもなんちゃってだろう。ワシは、ワシの部屋のクーラーをママが買い替えてくれたので、国士舘柔道部出身のおッちゃんの工事の一部始終を詳らかに観察したが、これで断熱って、騙されてるーと思ったっけ。
パッシブソーラーハウスの典型として出てくるモロッコの住宅。壁分厚く、中にパティオを作って水を流すので、適度な湿度が保たれ、冬温かく夏涼しいと、建築学の本で読んだ通り。昔の人の方が賢い。風土に合った建築を作っている。え、まてよ。日本は、なぜあそこまで寒さに耐えなくちゃいけない家なんだ。。。東北の家の中にある蔵、内蔵は温かそうだけど、あれが持てるのは金持ちだけだしなぁ。。。オンドル無いし。辛すぎやろ。ワシ、暑いのも寒いのも苦手な段ボール箱の箱入り姫様ですねん。
昼食は道中の村でタジン鍋。ワシ、下痢中なので、控えめに食べる。帰路は、アトラス山脈側の渓谷。運転手が、急遽、古代からの塩田に連れて行ってくれた。白いのは塩。雨が降ると、地面から滲み出て、塩田になるらしい。舐めてみると、とても優しい塩だった。昔、この辺り一帯は海。それがユーラシア大陸とぶつかって隆起している。道端の土産物屋では、アンモナイトに三葉虫などの化石がたくさん売られている。感動しているのは、当然ワシだけ。ベルギー人夫妻の感動ポイントは、良く分からない。向こうも、ワシがなぜ、sel de fleurと大騒ぎしておるのか、さっぱり意味不明だっただろう。ここは、昔、海韃靼だよと言っても、アホにな何も通じない。アホってマジで救いようない。
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この上の写真を観ているだけだと、完璧に、アルゼンチンのサルタ、フフイの感じ。ワシ、地球の活動に感動。地球は生きとる。そして、美しい。人間の無知なんて、ここでは、笑いものにすらならない。無知な奴は死ぬだけ。ラクダのキャラバンに必ず一頭はロバをつけるのは、ラクダは水分なら何でも飲んでしまうらしいが、ロバは危険な鉱物が入った水は飲まないらしい。なんなら緊急時、ラクダのオシッコでさえ貴重な水分源になるキャラバン隊にとって、ラクダが飲めるからと言って、オシッコ活用しなきゃいけない時にラクダちゃんの身体がろ過した危険鉱物をいただく訳には行かないのだ。だから、まずはロバに水を飲むか確かめさせてから、人間もラクダも水を飲むらしい。いやぁ、侮れないぞ。ロバ。
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tsuntsun1221ts · 10 months ago
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2024.08 不帰嶮(猿倉~白馬鑓温泉~天狗の頭)
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天狗の頭からの絶景、これから通過する不帰キレットから唐松岳まで見える
日本三大キレットのひとつ、不帰キレット(不帰嶮)。2020, 2021年には一番むずかしい大キレットを攻略したのだが、やはり全部攻略してみたい。なにやら不穏な名前だが、想像の通り、昔この山域に入山した人々が帰ってこなかったから付いた名前だとか・・・。バリエーションルートのためもちろん難易度は高いが、その実態としてはキレットだからではなく、険しい崖登り要素によるものだった。
【1日目コースタイム】猿倉荘(1235)→小日向のコル(1355)→杓子沢(1435)→鑓沢(1455)→白馬鑓温泉(1515)
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お盆が始まる直前の金曜日、白馬駅から猿倉へのバスは自分含めて2名だけ。前回猿倉を訪れたのは2019年と5年前で懐かしい。今年は高温だったり、昨年の降雪が少なかったりと白馬大雪渓はクレバス多数で通行不可。なので今年猿倉に来る人達はみんな鑓温泉経由で白馬岳や不帰キレットへ向かうことになる。
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はじめはハイキングのような緩やかな傾斜だが、ずっと樹林帯が続き無風、気温は25度以上はあるか、めちゃくちゃ暑くて汗が大量に。60分は耐える時間。
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80分くらい殺風景で過酷な樹林帯を抜けると、視界が少しひらけて湿原のような場所に出る(小日向のコル付近)そこまで広大ではなく、見えている範囲より少し広いくらいか。
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前方にまだ大きく残った雪渓が見えてきた。8月上旬でもまだあんなに残っているか。本日の宿の白馬鑓温泉はあんな雪渓を3回くらい通過した先にあった(雪渓上を歩いたわけではない)。
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雪渓の雪解け水がながれる沢を何度も通過する。ここは杓子沢で、このあとの沢を含め水量は一番多かった。水が冷たく、火照ったからだを冷やして気持ちいい。
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杓子沢を渡って振り返る。(先程は自分もいたが)���岩の上に何人か、これから同じく白馬鑓温泉に宿泊する中国人の団体さん。
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ハイペースだったか、2.5時間歩きようやく白馬鑓温泉が見えてきた(写真右上に小さく)。登山開始時間が遅かったため、少し早めにとは意識していた。
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樹林帯から抜けているのである程度風は通るが、それでもやはり暑い。そんな中でいたるところに沢が流れて見ていて気持ちいい。
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中でも温泉直下の雪渓は冷気のためか雲みたいなのできてたし、ここらへんに来てようやく気温的にも気持ちよく感じるようになってきた。
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この一帯はお花畑すごい!なんだろうと思って帰って調べてみたが、ミヤマキンポウゲとシナノキンバイのどちらかと分かったけど、写真見比べても2種の違いがマジでわからん・・・。たぶんミヤマキンポウゲの群生。
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���い雪渓が削られてる
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約3時間で温泉着、標高2100mの山の中にあり、一般の観光客が到達することはまずない山の中の温泉、全国でも珍しいだろう。周囲はほのかに硫化水素の(温泉の)匂いがする。入浴は裸でも問題ないが、みんな水着もってきてるな、知らなかった。露天風呂は男女混浴なので、女性は100%水着。一方で女性専用の内風呂も1つある。宿泊者は無料だがそうでなければ入浴料1500円。けっこう熱い41度くらいか?当然だが源泉かけ流し。とりあえず一回汗を流すため露天に浸かる。今日はかなり雲が湧いていてあまり景色よくないが、晴れていればすごいんだろうな。
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足湯もある。一度露天風呂に入って以降はずっと足湯に入っていた。露天はやはりちょっと熱い、足湯は少しだけ温度が低く、周囲も涼しくなってきたので無限に浸かっていられる。
1740夕食(二回目の回)。ハヤシ��イスは美味しかった、山で食べるならカレーよりいいかも。ご飯後は足湯。太陽はすでに落ちているが19時に雲が晴れ、遠くに妙高火打、高妻山のシルエット。気温は20度きってるため上に何か羽織らないと肌寒いのだが、足湯のおかげで心地よい。温泉の流れる音も心地よい。周囲は暗く、灯りは露天風呂のライトだけ。お湯の流れる音が聞こえるだけの静かな山奥。
【2日目】
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朝0500起床。朝食1回目は0500だが、自分は2回目の0530から。昨日はガスに覆われていたけど朝はいい景色だ。こんな景色見ながら温泉入れるというのがすごいよな。
【コースタイム】白馬鑓温泉(0600)→大出原(0710)→鑓温泉分岐(0740)→天狗山荘(0800-0815)→天狗ノ頭(0830)
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朝イチの登りにしては傾斜がキツイ。それだけでなくゴーロ帯であったり、大したことはないのだが鎖もちらほら。気温18度くらいとまだ涼しいはずだが、夏の太陽の日差しがすでに暑い、まだ朝の6時だというのに!
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下から湧き上がる雲が少しずつ高度を上げてきている。巻かれないようにと思ったが、自分の足なら雲より早いみたいで一応心配ない。しかしこの日差しの暑さ、むしろ雲に巻かれてもいいような?徐々に雲海みたいになってきた。
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しばらくは樹林だが、40分登ると森林限界を超え、稜線が見え始める。けっこう荒々しいがこの青空と山並み、夏の北アルプスにやっと帰ってきた感じ!いろんな種類の高山植物もキレイで、白馬岳周辺といえばどちらかと言えばやはり大雪渓の上あがりが有名かもだけど、同じ山域ということもあり、こっちもなかなか劣っていない。
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・・・さて、まずはその見えている稜線まで到達しなくてはならない、景色は格段に良くなったからテンション上がっているが、それでもけっこう長いなあ。中央に先行者1名。
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遠くには八ヶ岳(左)とそのすぐ右に富士山(てっぺんがほんの少しだけ)、中央アルプスか?
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地道に高度を上げていく。コマクサが一鉢だけ生えているの発見。周囲には一切��えてないのになんでここだけに?
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稜線への最後の登り。中央やや右に先行者。
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通ってきた道、下界は少し雲海の様。
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100分でようやく稜線上まで上がってきた、温泉からの標高差700m!まず目に入ってくるのは迫るような巨大な白馬鑓ヶ岳。山頂に人が何人かいるのが見える。今まで無風〜そよ風程度だったのが、ちゃんと風が通って益々気持ちいい。
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そして剱岳と縦走路、北アルプスの縦走路といえばこれだよこれ!まだ7時半だけど、おそらく山頂立っている人いるだろうな、あっちの山頂もいい天気そうで良かったね。
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稜線上に出てきてから天狗山荘まではすぐそこ20分、白馬鑓温泉からは2時間。漆黒のカッコいい山小屋で少し休憩。こんな標高高い(2726m)稜線上の小屋なのに水が無料だって、すごい。天水ではなく沢水汲んでいるとのこと。
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そこからは最高の稜線歩き。
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小屋から15分歩くと天狗の頭、ここが今回の旅の最高峰2809m。前泊地の白馬鑓温泉からの標高差800m、猿倉登山口からだと標高差1400m。ここから見える唐松岳方面の景色が最高(冒頭の写真)。そしていよいよ不帰キレットへ突入していく。
続く
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koroho-no-snow · 1 year ago
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「やりたい」ことを「やるべき」世界
 子どものころ、自分の行動の分類は明確でした。
 やるべきこと。そしてやりたいこと。
 親も先生も言ったものです。「やるべきことをやってから、やりたいことをやりなさい」と。幼いころに示されたシンプルで極端な指針というものは、その後の人生に思わぬ形で反響し続けるもの。
 帰宅したら椅子にお尻を一度もつけずにお風呂に入ってご飯を作る。朝起きたら運動をして家事をして買い物に行き、来週へのタスクを終えて、午後から遊ぶ。そんなことをただ自主的に習慣化できたと自覚したことがある(と言えてしまう)人が、生まれてこの方何よりも輝いて見えるのです。直視できないほどに。
 やるべきことをやってからやりたいことをやるのが気持ちいいものなのだ、みんなが幸せになる道なのだ。その先にあるのは一切の強迫観念や自責の念から解放された時間。好きなものだけが見渡す限り用意された桃源郷でしょう。しかし大人になった私には、そんな純度の高い光が見えたことはない。
 今日はかなり上記に近い一日だと思います。4時まで書き物をしたせいで11時前まで寝てしまったところに目をつぶれば、カウンセリングをオンラインで受け、顔を洗い、昨日友だちが泊まっていたために出た洗濯物を片付け、目玉焼きと夏野菜を焼いて食べ、郵便物を分類し、近所の湧き水を汲みに行って、洗濯物を干したら午後2時すぎ。買い物は昨日終えたので、「やるべき」の箱に入れたものはもう無いはず。あとは机に向かって写真の整理と昨日の小説の続きに手を付けようか。そう、「写真の整理と小説の続き」これが本日の私の「やりたいこと」になりました。なぜこれが「やるべき」ではなく「やりたいこと」に入ったのか。それは過去の「やるべき」の時間中、何度も夢想した行動だからなのです。ああ、これをやる自分になりたいと。
 その前に少し喉が渇いたからほうじ茶を入れることにします。汲みたての湧き水を湯沸かしポットに入れてスイッチを押し、ストックの加賀棒茶を茶筒に移す。あれ、これは「やるべき」ことだったかな。いやいや、お茶を淹れる過程を「やりたい」と平日思っていたっけ。なんだか余裕があって気分がよくなるだろうと。これもいつの日かの「やりたいこと」でした。でも煩わしくもあるな。
 お茶を蒸らす間、一時停止させていたドラマ『私の解放日誌』の続きを少し流します。覚えておきたい台詞あったのでまた止めて、パソコンで開きなおし、まず韓国語の台詞と日本語訳を見比べます。韓国語の字幕を見てみると、翻訳をシンプルにするために削られていた「余剰」が見え、それを言った人物をその人たらしめている澱のようなものが感じられるようです。一行分、そんな澱にもあたる部分を見つけた気になり、興奮で額がじっとり汗ばみます。
「私は、あなたが言葉で人を惑わせようという意思を見せないから好き。だからあなたが話す言葉はひとつひとつが尊い」 「生まれ変わったら、お姉さんとして生まれたい」 「前世ではあなたのように生きて、『生まれ変わったら行き当たりばったりで生きなきゃ』と言ったのが今の私で、私のように生きたけど、『あ、これも違ったみたい。また生まれ変わったらきちんと生きなきゃいけない』と言ったのが今のあなたなんだよ」 (『私の解放日誌』第2話)
 働き始めてから一度も続かなかったスクラップブックですが、今年初めにまた作りました。好きな作品から好きな部分を抜き取って、その本を開いたら強制的に自分が過去に選んできたものと再会できるように、輪郭を取り戻せるようにしたい。書き込んだり貼り付けることで自分に染み込ませてみたい。それも何年間もやりたくて、やってみて、途切れて、あきらめて、望みたくもなくなって、憎たらしい瞳で懸想していた「やりたいこと」です。2か月ほど途切れたり始めたりを繰り返しているけれど、それでも「続けている」のだと勘定することにしています。本当はもっと頻繁に開いて習慣化したい。そしたら、継続していると胸を張れるのに――そしたらこれは「やるべき」になるのだろうか。
 韓国語の台詞を写して、その下に日本語を書きます。その右上には半年ほど前に写した、別の小説の一説。これを書き留めておいてよかったな、と確認するこの一連こそ、「これができればよかったのに」ばかりを考えていたころに憧れて止まなかった行為です。
 それなのに声がする。そんなことをしている場合なのか?「やりたいこと」をできなかった日をまた繰り返して死んでいくつもりか?それが聞こえるとお腹が冷たく重くなって、とんでもない過ちを犯したように体がこわばるのです。そうだ、今日の「やりたいこと」は写真の整理と小説だ。それを「やるべき」なのに。
 やりたいことが多すぎて。自分の内側からだけでも多いのに、外からもたらされる「あれを読んでおいた方がいい」「あそこに行っておいた方がいい」「あれを生活に取り入れないと損」の渦は内発的なものを遥かに超える。「やりたい」がいつになってもなくならず、いくつやっても満腹にならないから、手当たり次第にがっつく。気づいたら「やりたい」の中に「やらなくちゃ」が侵食し、次に顔を上げた時には真の「やりたい」なんてこの世に無いと「気づく」でしょう。
 読み返してみると、充実した祝日ではないか。なにより脇道にそれる自由を享受している。それなのに私はいつまでも「休みの日はやりたいことやってるんで、大丈夫なんです」と笑みを貼り付けて訳知り顔なコメントを述べる社会人には一生なれない気がしている。
 それでも、「やりたい��がすべて枯れ果てた世界を抜け出して、「やりたい」が「やらなくちゃ」に襲われている世界には帰ってきました。この世界も相変わらず殺伐としていて大変なようではあるけれど。無色なのに大音量で不愉快な声が鳴り続ける前の世界はこりごりだから、そこへ通じてしまうドアを二度と見つけないように、この殺伐とした世界でのらりくらりと生き延びる方法を探そうと思います。「やりたい」と「やるべき」の間に流れていた大河は、今や飛び越せるほどの小川だから、私たちはいつも迷う必要がある。時にはやりたくないことをしてみたり、すべてのおすすめを無視してみたり、あらゆる「これを逃すと無い機会」が上流から下流へ流れていくのを眺めながら、「やりたい」の曖昧で鈍い光を確かめていきましょう。
 そうして写真の整理も小説も取り掛からないで、夜9時を前にこれを書き終えました。これから夕飯を作る予定。今日もし夜更かししてしまったら、果たして明日はどうなってしまうのでしょうか。完璧な一日も一週間も、野生には存在しないのでしょうか。そんな自分の中の臆病が、こうして書くと面白く思えるのです。
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thetaizuru · 2 years ago
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 美は存在すると信じているし、精霊とか妖精のように存在する美もあると思っている。  古代から美は感性の領域に属する概念であり、人は感性によって世界を認識する。認識という行為は、人間のあらゆる日常的、あるいは知的な活動の根源にある。  認識論という哲学分野では、人はどのようにして物事を正しく知ることができるのか、人はなぜ誤った考えを抱くのか、ある考え方が正しいかどうかを確かめる方法はあるのか、人間にとって不可知の領域はあるか、あるとしたらどのような形で存在するのか、などの問いが扱われた。19世紀末ごろまでに、認識論の一部が哲学の外に出て心理学という学問を成立させる。認識論で問われた問題を科学的方法論によって研究しようと試み、実験心理学も登場し、仮説を立て実験データとの照合を論じてはいたものの、その仮説自体はやはり思弁に過ぎなかった。人間の認識についての問いは「哲学的な問い」だった。
 近代的な意味での認識論を成立させたのはデカルトである。  デカルトは、人間の感性を、霊肉二元論の立場をとって、肉体的な「感覚」と霊的(精神的)な「理性」に分け、認識の起源は理性であるとした。デカルトは理性を、人間が生得的に持った「内なる自然の光」と呼んだ。デカルトを引き継ぐ立場は「合理主義 (理性主義、大陸合理主義)」と呼ばれる。  認識の起源は経験であるとしたジョン ロックを引き継ぐ立場は「経験主義 (イギリス経験主義)」と呼ばれ、経験に先立って何らかの観念が存在することはなく、人間は「白紙状態 (タブラ ラサ)」として生まれてくると考え、生得説に反対する立場をとった。  これらの思想の相違点は、たとえば「大陸的-イギリス的」という区別で呼ばれるものの、どちらの思想も、1648年の八十年戦争の終結と、それによるネーデルラント連邦共和国(ほぼ現在のオランダ)の独立が非常に大きく影響した。オランダは1648年から17世紀終わり頃まで「黄金時代」と呼ばれる時代に入る。オランダ黄金時代は、レンブラントやフェルメールなどの画家が活躍した時代としても知られる。オランダの歴史においても、貿易、産業、科学、軍事、芸術が世界中で最も賞賛された期間でもある。  オランダにとっての八十年戦争の一部でもある三十年戦争(1618年-1648年)は、ドイツ(神聖ローマ帝国)でカトリック対プロテスタントの構図で始まったが、ヨーロッパ全体の戦争へと拡大し、宗教戦争とは言えない国際的戦争となった。結果として、神聖ローマ帝国は弱体化した。これにより、教皇や皇帝といった普遍的、超国家的な権力がヨーロッパを単一のものとして統べる試みは事実上断念された。  イギリス(イングランド王国)は三十年戦争に参加しなかったが、清教徒革命の内戦下(1642年-1649年、広義には1639年の主教戦争から1660年の王政復古まで)にあった。  宗派対立激化の結果、民衆にはヘルメス主義などの神秘思想が流行し、自分の目も感覚も明らかな証拠も信用せず、自分の経験すら偽りとしてまで、自らの教義に一致しないものを認めようとしない独断主義的な風潮が蔓延するというような社会情勢にあった。  オランダは、信仰の自由と、経済的、政治的な独立のために八十年もの間戦って勝利したという誇りと、他国で思想信条を理由として迫害された人々を受け入れることで繁栄したという自負があり、寛容の精神を重視した。この寛容な風土により、書籍の出版も栄えた。国外では論争の的になるような宗教、哲学、科学に関する多くの本がオランダで出版され、秘かに他国へ輸出された。17世紀のネーデルラント共和国は、ヨーロッパの出版社のようになった。  バートランド ラッセルは『西洋哲学の歴史』(1945)で次のように述べた。「デカルトは、ビジネスでフランスに数回、イングランドに一度行った以外は、オランダに20年間(1629-49)住んだ。17世紀における思索の自由のあった国としてのオランダの重要性は、強調しても強調しすぎることはない。トマス ホッブズは、彼の著作物をここで印刷する必要があり、ジョン ロックは、1688年以前のイングランドにおける最悪の5年間の反動期間、ここに避難していた。」  デカルトの「我思う、ゆえに我あり」という命題は、当時の保守的な思想である「信仰による真理の獲得」ではなく、人間の持つ「自然の光」を用いて真理を探求していこうとする姿勢を表現していると受け止められ、これが近代哲学の出発点となった。これは、「信仰の時代」から「科学の時代」への転換点でもあった。
 18世紀末に、合理主義と経験主義の両方の限界を示す形で二派の対立を統合したとされるのがイマヌエル カントであり、19世紀は、カントを受けつつその反動として、カントを批判し乗り越えようとする潮流が生まれる。19世紀のこの流れは、19世紀後半にはドイツ観念論と呼ばれるようになる。19世紀後半から20世紀頭にかけて、ドイツ観念論を批判し「カントに帰れ」という標語を掲げたカント的認識論の復興運動が起こり、これは新カント主義と呼ばれる。  日本に認識論が入ってきたのはこの頃で、日本語の「認識論」もドイツ語からの訳語であり、新カント主義の影響が大きいとされる。新カント主義者は「真善美」という言葉を好んで使い、この真善美の調和を人間の理想とする考えは、近代思想として日本にも受け入れられた。  カントによれば人間の認識には限界があり、神の存在証明や絶対的真理などの超越的で形而上学的な問題は原理的に答えを出せない問題であり、科学化もできないし、哲学として議論すべきものでもないと斥けられたが、ドイツ観念論の思索家たちはこれには不満で、カントが否定した神の認識可能性を再び主張する。またドイツ観念論は、カントへの反動として、あらゆるものを科学的方法により解明できるという信念を強めていく。  新カント主義は、当時西欧を席巻しつつあった無規範な科学的思惟に対抗した。特にドイツ観念論のヘーゲル派の流れを汲むマルクス主義は、精神や文化を物質の因果律により支配されるものとしていたため、人間もまた因果律に支配された機械とみなそうとしていると危惧し、彼らを批判して、カントに習い先験的道徳律の樹立と、精神と文化の価値の復権を試みた。
 19世紀後半の心霊主義ブームも、ドイツ観念論の潮流と同様に、精神や霊魂あるいは宗教などを科学的に解明しようという試みとしての側面があった。宗教の科学的解明というのは、特に心霊主義の初期においては、生活���縛り付ける教条主義的な権威からの解放や、腐敗の糾弾としての期待があった。あくまで科学だと主張を続けた団体も、科学化には至らず、ブームも去り、団体維持のためにオカルト(神秘主義)を取り入れた結果、当初の意味での心霊主義でもなくオカルトでもない疑似宗教となっていく。  心霊主義は自動筆記などの形で文学や美術にも影響を与え、また、文化的創作における精神面の科学的解明という期待があった。しかしこれも、インスピレーションやアイディアの作り方、根源的な創作動機などは、科学的あるいは論理的には説明することができないということを浮き彫りにした。  「芸術の社会理論」や「文化の科学的理論」などと呼ばれる、文化や芸術などを社会構造や時代的文脈などから読み解く考え方は、心霊主義やマルクス主義などと結びつく形で、特に評論においては現在においても影響を与えている。
 確かに、あらゆるものは社会や時代の産物であるという側面はあるのかもしれない。回帰運動や復古運動も時代を逆流させるわけではない。  20世紀が始まってから第一次世界大戦(1914年-1918年)までの期間、特にヨーロッパにおいては、見るからにこれまでと全く違う表現が現れる。歴史的に見ても特異な変化だが、1930年代の世界恐慌から第二次世界大戦(1939年-1945年)の間に世界もこれに続くことになる。大きな時代の変化により、まるで人の認識自体が劇的に変化したかのように、新しく現れた美術表現などは難解でわけがわからない。というか、これ自体が矛盾であり、現在においても一見わけがわからないってことは、人の認識自体は変化していない。  キュビズムや抽象主義、シュルレアリスムなどを読み解くキーワードとして使えるものに、20世紀頭に登場した「表現主義」の他に、「プラスチック」と「ディメンショニズム」というのがある。「表現主義(エクスプレッショニズム)」というのは、いわば「印象主義(インプレッショニズム)」の対義語であり、どちらも主観的リアリズムを描こうとしているが、印象主義は、目で見たものが、自分の内面でどのようなイメージ(認識。イデー。カントの用語では「表象」)になったのかを描こうとしているのに対し、表現主義は、もともと自分の内面にあるイメージをそのまま描こうとする。自己の内面にあるイメージを描くために、どのような形を与えるかというのが主要なテーマになり、これが「プラスチック(可塑性。形作ること)」であり、ニュアンスとしては「これまでにない自由な形を与えること」を意図している。そのため現実に既にある形(具象)ではなく抽象や非���象へと向かう。ピエト モンドリアンは自身の美術理論を「ネオプラスティシズム(新造形主義)」と名付けた。  そして20世紀頭に多くの人が世界認識の大きな変化だと捉えたのが、「この宇宙は四次元時空である」という概念の登場だった。H G ウェルズの小説『タイムマシン』(1895)でも「時間が第4の次元」だとされていたが、1907年ごろにドイツの数学者ヘルマン ミンコフスキーがアインシュタインの特殊相対性理論を四次元の空間として数学的に表したこと(ミンコフスキー時空)が多くの人にインスピレーションを与え、これをどのように表現するかという挑戦が始まった。1936年に美術理論化のチャールズ シラトが「ディメンショニズム(次元主義)」という語を作った。  またこれにより、これまでのヨーロッパの絵画表現は、三次元空間の中に、第4の要素として「光」を描くことを目的としていたということを再認識する。  相対性理論を始めとして、量子力学などの理論物理学が飛躍的に発展し、デカルトやカントが前提としていたニュートン力学に対する疑義が出され、認識論は改めて学問の基礎付けへと向かった。
 1960年代から1970年代にかけてアメリカを中心に世界的に行われた前衛芸術運動である「コンセプチュアルアート」は、マルセル デュシャンの、特に1910年代の作品や美術理論を、理論的支柱とした。デュシャンが、特に写実主義以降の19世紀の絵画を指して、美術が「網膜的になりすぎている」と批判していたことなどに影響され、「作品の具体化の否定」などにより、コンセプト(概念)を表現することを目指し、作品制作よりも芸術について論じることのほうを重要視した。  アンディ ウォーホルも、「コンセプチュアルな」実験映画を制作しており、コンセプチュアルアートの位置づけで見られてもいたが、「作品の表面だけを見てください。裏側には何もありません」と言い続けていた。  1950年代からのアメリカの抽象表現主義、ミニマルアート、そしてコンセプチュアルアートには、CIAの支援があったことが、1960年代末から70年代にかけて、暴露と情報公開のかたちで明らかになる。直接的な思想介入や市場操作があったわけではなく、冷戦下においてアメリカの文化的優位を世界に示すという目的で、海外での美術批評活動への支援が主な内容で、アーティストたちも支援があることを知らなかったが、情報公開は多くの人々が一挙に文化的な運動から退却していくきっかけにもなった。  なんなのかわからないものをなぜか解説したり批評したり論じたりしていたが、一体なにを認識していたのかわからなくなる。
 網膜的ではない光もあると思う。
2023年10月 ターニング アンド ターニング イン ザ ワイドニング ジャイア
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herbiemikeadamski · 2 years ago
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 1月18日(水) #友引(丙子) 旧暦 12/27 月齢 25.7 年始から18日目に当たり、年末まであと347日(閏年では348日)です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃‍♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . イヨイヨ終盤😅💦ってな訳じゃないが 後ひと月で熊本から「サヨナラ(@^^)/」 が、昨晩に告知ありました🤣😆🤣 嬉しい悲鳴をと云うよりも何だか 淋しい気がしますよ。。。_| ̄|○... 「出会いは別れの瞬間」とも申す。 . 今日一日どなた様も💁‍お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋‍ モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #愛するチンチラの日.  一般社団法人日本チンチラ協会が制定。  チンチラとはネズミの仲間のげっ歯目で、ふわふわの毛が特徴の愛らしく賢い動物。  同協会はチンチラを健全に飼う上での必要な知識をわかりやすく発信している。  記念日を通して、チンチラの飼育環境について広く知ってもらうことが目的。  日付は一生歯が伸び続けるチンチラは、歯の健康がそのまま身体の健康と直結して いることから、1と18の118を「いい(11)歯(8)」と読んで1月18日としたもの。  118を「イチイチハチ」と読むとチンチラの「チ」が3つも入っていることもその理由のひとつ。 . . #友引(トモビキ). 六曜の名称の1つで、相打ち勝負なしの日のこと。  つまり良いことはないが悪いこともない日のことである。  ちなみに六曜は仏教とは関係なく葬式を避けるという話は迷信である。  「友人を引き込む」とされている日とされている。  友引の日には、結婚式、入籍、七五三、お宮参り、引越し、建築、契約、納車、宝くじ購入、は問題ない日です。  験担ぎで拘るなら、凶となる11時~13時の間を避けると良いでしょう。  六曜は、先勝(センショウ)、友引、先負(センプ)、仏滅(ブツメツ)、大安(タイアン)、赤口(シャッコウ)の6つである。 . #一粒万倍日(イチリュウマンバイビ).  何事を始めるにも良い日とされ、特に仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに吉であるとされる。  但し、借金をしたり人から物を借りたりすることは苦労の種が万倍になるので凶とされる。 . #帰忌日(キシニチ/キコジツ/キシニチ/キコニチ・キイミビ). 陰陽道では、凶星の精が人家の門戸をふさぐ日で、旅行・帰宅などを忌(イ)む日としている。  遠出・帰宅・転居・結婚・入国なども忌む日であります。 . #血忌日(ケコニチ、チコニチ、チイミビ).  何事をするにも血を見る日、または血を見ることが凶とされ、鍼灸、刑戮、狩猟などが凶とされる。  血に関係したことを忌む日で、鳥獣の殺生や手術なども凶の日。 . #大犯土(オオツチ).  庚午から丙子までの7日間を大犯土、戊寅から甲申までの7日間を小犯土という。  土に休養を与えるべき日とされ、土に関することは慎むべきとされています。   . . #大坂冬の陣. #いい部屋の日. #東大安田講堂事件. #カップスターの日. (#CupStarDay) #118番の日. #都バス記念日. #ひらくいい鼻の日. #振袖火事の日. . . #防犯の日(毎月18日). . . #タイ王国軍の日. . . ■本日の成句■. #流れを汲みて源を知る(ナガレヲクミテミナモトヲシル). 【解説】 水源の様子を知るという意で、結末を見てその原因を察することを云う。 行動を見ることによって、心の善悪を判断するときなどに用いられる。 . . 1948(昭和23)年1月18日(日)先勝. #二代目笑福鶴光 (#にだいめしょうふくていつるこ / #つるこう) 【上方落語家、ラジオパーソナリティ】 〔大阪府 大阪市〕. . . (Saburou, Kumamoto-shi) https://www.instagram.com/p/Cnh59Q8BaTZylLtSeEfnnZ_iDI7zR3yN061K580/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 2 years ago
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とっくの昔に旬を過ぎている質問と思われますが、面白そうなので回答します。 一般的に思われている「クラシック」とは、ヨーロッパの市民階級を対象とした芸術音楽です。古典派の時代くらいから市民階級を対象とした「コンサート」が行われるようになり、レパートリーとして交響曲をはじめとする器楽曲が数多く書��れ、19世紀を通じて隆盛を極めました。はじめは存命の作曲家の作品ばかりが演奏されていたようですが、コンサートの数が増えるにつれ、曲が足りなくなり、「すぐれた作品であれば、故人のものでも演奏しよう」ということになります。数々の音楽雑誌が創刊され、音楽に関する言論が盛り上がります。シューマンが創刊した「新音楽時報」が代表格で、これは現在も刊行されています。音楽雑誌の主要な関心は、「未来に遺すべき優れた音楽作品の選定」でした。現在コンサートのプログラムを飾る数々のクラシックのレパートリーは、こうした中で選ばれてきたものです。バロック時代の作品はいわば「前史」として、後に発掘されたものです。メンデルスゾーンがバッハを発掘した例はあまりにも有名です。 作曲家たちは、こうした中で勝ち残りつつ、世俗的な成功をおさめようとしのぎを削っていました。みんな「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」を目指していた、といっていいと思います。が、19世紀後半に爆発的な数の作曲家が出て、個性を追求しようにも、もはや音の組み合わせが尽きつつあるのではないか…その問題から逃れようがなくなっていきました。そもそもオクターブに12音しかないものを、多くの作曲家が競争して曲を書いて行ったら、可能性を汲みつくしてしまうのではないか…そういう種類の問題です。 その問題の処し方は、ヴァーグナ��が切り開いた半音階和声の道や、国民楽派が切り開いた民族性追求の道、フランス人たちが切り開いた旋法や非機能的和声の活用の道でした。 20世紀に入っても、少なくとも第一次世界大戦まではこの延長上で数々の作曲がなされていました。民族性追求はジャズやガムランなど非ヨーロッパ音楽への関心を生み、そのよって立つ民族を広げながら続いていきます。フランス人たちの切り開いた道も、それはそれで継承されていきます。 が、半音階和声の追求の中からシェーンベルクが無調の道を開き、一般の聴衆と決別する傾向が出て来ます。複調を多用した作品でスキャンダルとなったストラヴィンスキーの春の祭典も、同じように言えるかもしれません。新しい作曲技法の追求は、第1次世界大戦前の段階で、「クラシック」の前提であった「市民階級を対象とした芸術音楽」から外れ始めたのです。簡単に言えば、「最新の技法で曲を書くと、市民に聞いてもらえない」「市民を置き去りにしないと、最新の技法を試せない」という状態に陥ったのです。 第1次世界大戦以降、ロマン的な感覚が毛嫌いされ(民族主義を盛り上げる=ナショナリズムに訴える=戦争に結果的に協力する部分があったのは否定できません)、クラシック界は新古典主義の時代となります。シェーンベルクは十二音技法を開拓しますが、これも言ったら無調のシステム化であり、理性的です。中には新古典主義の語法を適度に取り入れつつもロマン的な曲を書いた人もいますし(バーバーとか)、ルネサンス期の舞曲や民謡を編曲した懐古的な作品も見られますが、例外的です。 ただ、この新古典主義ですが、形式への回帰とロマン的な感情表現の否定、下手をするとオリジナリティの否定(民謡と現代的な作曲技法を結びつけたりしています)ですので、大物は出て来にくいです。最大の大物はラヴェルとバルトークだと思いますが、フランス6人組といっても一般的には知られていないでしょうし、コダーイやカゼッラやマリピエロも通常は知らないでしょう。 何より、第1次世界大戦が、それまでの「未来に遺すべき優れた音楽作品の選定を行う市民階級の共同体」に物理的・経済的に深刻なダメージを与えたことは間違いないでしょうし、それまでのようにナイーブに共同体の共同主観を信じることも難しくなったでしょう。ナイーブに自国の素晴らしさと誇りを信じた結果、破局的な大戦に至り、ドイツ・ロシア・オーストリア・オスマンの4帝国は解体となりました。フランスは人口構成が変わるほどの大ダメージです。ロマン派音楽の前提だった「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」という理想自体が、技術的にも理念的にも疑わしくなったと言えるのではないでしょうか。 悪いことは続くもので、ソ連では社会主義リアリズムが叫ばれるようになり、音楽は大衆に奉仕するものとして、人為的に古めかしい様式で書くことを強制されるようになりました。ナチスは実験的な音楽とユダヤ人の音楽を抑圧しつつ東方に勢力を広げました。ここでもロマン派音楽の前提だった「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」を試みるための自由が奪われたわけです。結局、そうした自由が残っているのは実質アメリカだけのような状態になりました。ガーシュウィンやグローフェやコープランドやバーバーやケージなど、アメリカだけがかなり元気に見えるのは、絶対に偶然ではないでしょう。 要するに、戦間期の段階で、すでに「クラシック」を生み出してきた種々の条件が大幅に崩れています。オリジナリティの余地は狭まり、オリジナリティ自体の正当性が疑われ、クラシックを支えてきた市民階級の共同体は物理的・経済的・精神的に力を失い、やがては全体主義国家による抑圧も行われるようになった、ということです。こうした時代に、ベートーヴェンのような素朴な市民共同体の信奉者や、ショパンのような詩人や、ヴァーグナーのような誇大妄想狂が伸び伸びと作曲できたでしょうか。 さらに、凄惨な独ソ戦はドイツ以東を滅亡の淵に突き落とします。一応戦勝国のはずのフランスも、ドイツに率先して協力した者を糾弾するなどで戦後は内輪もめです。クラシックを支えてきた市民階級の(ある意味のんきな)共同体など、大陸諸国では崩壊したものと思われます。おまけに戦後は鉄のカーテンで、東欧は全てソ連の影響下となり、抑圧体制となります。社会主義リアリズムは粛清を伴う形になり、自由な創作は生命の危険を伴う状態にすらなりました。社会主義リアリズムとは「強制されたロマン主義音楽や民族主義音楽」と言えると思います(ショスタコーヴィチやハチャトゥリアンを聞けばわかります)。ソ連の音楽界は、西側諸国から離れ、ガラパゴス的な世界となりました。 対抗上、西側諸国では、いわゆる前衛音楽が各国政府によってバックアップされ、自由のアピールとされました(ロマン主義・民族主義・新古典主義のどれをやっても、社会主義リアリズムと被ってしまいます)。前衛音楽は新しくていいのですが、一般市民にアピールする力はありません(ヨーロッパの音楽愛好者が、「前衛音楽は、風変わりな音が古い城の大広間などで演奏される様が最初は非常に新鮮で面白かったが、すぐに飽きた」などと書いています。一番好意的な反応でこのくらい、と考えられます)。受け取り手の共同体が崩壊し、作品をつくる側が市民階級から背を向けていたとしたら、巨匠が出てくる余地があるわけがないではありませんか。 一応、メシアンだのブーレーズだのケージだのライヒだのと、主要な作曲家を挙げることはできますが、おそらく一番影響力があって楽壇をリードしていたブーレーズが、ある時期からほとんど作曲をしなくなり、指揮ばかりするようになってしまったのが象徴的です。要するに、「クラシック」を生み出してきた種々の条件が完全に崩れてしまったのです。質問に対する直接のお答えは、これです。 戦後に起きた大きな変化としては、世界の中心がヨーロッパからアメリカに移ったこと、旧体制(ナショナリズム的な国家体制)が若者世代から各国で猛反発を食らい無視できなくなったこと、貴族主義やエリート主義の崩壊(といって悪ければ地下化)などがあるでしょうが、これもすべてクラシックの首を絞めています。代わりに台頭した音楽が、アメリカ起源のロックで若者対象の音楽であることが象徴的です。 それでもクラシックに関心のある層は、クラシックの新作ではなく、指揮の巨匠によるレコードの演奏の違いに関心を寄せるようになりました。が、徐々に生演奏のハッタリ要素は自粛され、レコードにしても傷のない演奏をコンサートで行うのが当たり前になり、クラシックは新作という意味でも、演奏という意味でも、活力を削がれる形になっていきます。1960年代くらいのライブ録音など聴くと、相当にロマン的な無茶をやっていて楽しいですし、各国のオーケストラにもまだ明確にエスニシティがありますが、70年代以降どんどんそれは消え失せていきます。演奏に全く傷のない録音とそれとそん色ない生演奏の極北は、シャルル・デュトワとモントリオール交響楽団だと思いますが、あれはあれで尖った個性だったと思います。しかし、もはやその路線もありません。クラシックのCDは、どれをとっても似たような穏健な解釈とそこそこ傷のない演奏により、聴く人の「既存の曲のイメージ」をほぼ再確認するだけのものになっているように思います。おまけに値崩れも甚だしく、昔の巨匠と世界的オーケストラの録音が、500円くらいで投げ売りされていたりします。 それでも、宮廷料理に起源のある高級料理が滅びないのと同様、クラシック音楽が絶えることは一応ないでしょうし、また映画音楽などのネタ元として、クラシック音楽は活用され続けるでしょう。もしかしたら、一応西欧文明の影響下にある国々に普遍的に流行する音楽も書かれる余地はあるかもしれません(クラシックではありませんが、Let it goが世界43か国語に訳されて歌われたのはなかなか���ポックメイキングだと思います)。が、その時に使われる作曲技法は絶対に最新の前衛的な技法などではなく、多くの人にわかりやすいロマン的あるいは民族的あるいは新古典的な様式でしょう。 クラシック的(あくまで「的」ですよ)な作曲法で大流行した例としては、パーシー・フェイスとか、ヘンリー・マンシーニとか、ポール・モーリアとかが挙げられるでしょう。映画音楽は後期ロマン的な様式で書くというルールがハリウッドで確立されており、ジョン・ウィリアムスはその巨匠です。日本だと久石譲ですね。こうした音楽は、おそらく今後も書かれ続け、一定程度の人気を得る曲も出てくると思われます。 が、クラシックの系譜に直接つながる音楽=ヨーロッパの市民階級を対象とした芸術音楽で、作曲家が世界で自分にしか書けない鮮やかな個性を目指して最新の技法で書き、多くの人に受け入れられた上、歴史の審判を経て残る音楽=はもはや、存在しえないと思います。
なぜ、現代に、クラシックの大作曲家が輩出されないのですか?大昔の作曲家のみで、例えば1960年生まれの大作曲家なんていません。なぜでしょうか? - Quora
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eccjrtamuracho · 2 years ago
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ECCジュニア田村町教室、進撃の巨人The Final Season 完結編前半(←長い)を見たら、顔中の穴という穴から色々垂れ流し(←花粉もあり)の中村です。(←きちゃない)
ラストも知っているのにさー、 我ながらびっくりするほど無意識全部垂れ流し😭‍🤤🤧 感動して胸が震えたし、秋の後半が待ちきれません。 全部溶けるかもしれない。。。
出来るだけ外に出ないような生活をスタートしていますが、その直前、行ってみたかった場所に行ってました。 今回は、まんのう町の荒神の名水。
大好きなGoogleマップは最強と思っていますが、珍しくそのマップに載ってない場所。 ウェブを検索して、多分この辺というところを目指してユルユルと走りました🚴‍♂️
その日、山の方はちょっと雪がちらついていて、路面が凍りそうだったらすぐ引き返さないとな~とドキドキ💦 知らない道を行くのも緊張ですが、思わぬ美しい景色に出会ったりするものです。 地図から途切れた道を行くのはちょっと怖いですが、ワクワク感は格別です🧡
ここを行けばたどり着くはずという道を登っていって、少し心配になってきた頃にあった湧水✨ なぜかよく分かりませんが、VOICE 21の石碑があります。 ただここはホースからチョロチョロと水が流れている程度。
石碑がある場所からちょいと進んだ場所に、少し川側に入れる場所があって、そこにもっと水量の多い水汲み場があります。 恐らく地元の人たちが作ってくれたのであろう足場が組まれています。 水汲みのマナーが書かれていたので、そういうのは、ちゃんと守らんばね。
誰もいなかったですし、空いた小さいペットボトル1本しか持ってなかった私は、すぐ汲み終えてしまいました。 寒すぎて手が震えていたけど🥶
写真撮ろうとしたら、今期3回目、寒すぎて携帯電源落ちてました。 カイロで温めて、充電器さして、ギリギリ携帯起動。 因みにこの湧水の場所は携帯の電波が届かない場所でした。 なる���ど、Google Mapにないはずだ。
車で十分行ける道ですが、途中離合が難しい場所があります。 湧水の近く、ちょっと先の方に車を停められそうな場所がありますが、あくまで路駐。 まー、殆ど車来ないであろう場所ですが、それでも地元の皆さまの生活道。 行ってみよう~、という方は、是非お気をつけて。
SNSで色々な方の投稿を見ていると、自分の知らない面白そうな場所がたくさんある事を知ります。 うろうろする場所を色々と教えてもらえてありがたい🧡
・・・まぁ、2か月近くはあんまり外に出ませんが、花粉が消えた頃に、また走りに行ける場所、たくさんチェックしておきます。
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hitujijp · 3 years ago
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経済力、軍事力、公平公正力
人類は少しずつマシにはなっている。ある人類学者がそんなことを言っていたのをふと思い出す。 どこかのジジイが言いそうな台詞なので余り述べたくは無いが、定期的に大学に顔を出す身としては確かに昔見たような、とんでもなくガラの悪い連中は見なくなり変化は感じている。
しかしそれに関しては実は暴力団でも似たような現象が起こっており、単に分かり易い暴力団員が居なくなり、今はスーツを着て行儀良く詐欺行為やスマートな反社会活動に従事しているそうなので、本質的な部分がどれだけ変わったのかは分からないし、高学歴化して悪知恵が増しただけな可能性も有る。
だがそれこそが要点なのだ。高学歴化現象は広く学問が頒布され教導されている背景も示唆している。どんな形であれ知識がばらまかれ例えその運用方法が誤っていたとしても、教導策定の源流に近い人物の知識体系はある程度汲み取られてゆく。
ここで忘れてはならないのは教導の後光に預かるにしても、どの光に誘因されて行くかを無意識に全人類が選択もしている点で、なぜマシになっているかのもう一つの原動力がそこに有る。その力とは人がなるべく公正で公平な教導に導かろうとする力だ。
なんだかんだ言って、暴利を貪り粗悪品を垂れ流す店は、一時的に人気を博しても時を経れば市場から淘汰され勢いを失い、ついには滅びる。それは人々がその店が公正で公平では無いと次第に学習するからだ。
同じ現象が国家や国家連合の範疇でも発生する。例え同じ国力と軍事力を持つ国家が有ったとしても片方が公平・公正さで劣っていれば、その国を目指す移民は誰も居なくなり、同時に様々な人材が流出し徐々に淘汰される。
丁度今、ユーラシア大陸にもそういう国が幾つか有りそうだが、公平さ、公正さの消失とは長期的視野に立てば力の喪失に他ならず、同時に「マシさの獲得」と言い換えることも出来るだろう。
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misasmemorandum · 4 years ago
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『日本文化論の系譜 『武士道』から『「甘え」の構造』まで』 大久保喬樹
中公新書。
著者が要約する日本の文化の成り立ちと日本人が何故「日本人論」が好きなのか。
およそ、日本は、文明を京成士、国としての意識に目覚め始めて以来、一貫して海を隔てて向き合う大陸の文明と自らを比べては顧みるという宿命を負わされてきた。文字(漢字)に始まり、行政制度(律令制)、思想宗教(仏教、儒教)に至るまで、文明の根幹をなすさまざまな仕組みを大陸から取り込みながら、しかも、単なる模倣に甘んじるのではなく、自らの風土、文化にあわせて消化変容し(仮名文字)、あるいは自前の仕組みを対抗、共存、融合させ(神道)というように、強かに大陸文明とつきあっていく過程で、常に相手との距離を確認んし、自分を識別することを習いとしてきたのである。(pp i-ii)
で、この本では以下について書かれている。
志賀重昂(しげたか)の『日本風景論』
新渡戸���造の『武士道』
岡倉天心の『茶の本』
柳田国男の『遠野物語』と『山の人生』
折口信夫の『古代研究』
柳宗悦の『雑器の美』と『美の法門』
西田幾多郎の『善の研究』ほか
和辻哲郎の『風土』
九鬼修造『「いき」の構造』
谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』
川端康成の『美しい日本の私』
坂口安吾の『日本文化私観』と『堕落論』
岡本太郎の『縄文土器ーー民族の生命力』
丸山真男の『日本の思想』
土井健郎の『「甘え」の構造』
谷崎の『陰翳礼讃』と土井の『「甘え」の構造』しか読んだことなかったので、非常に勉強になった。
****
さて、興味深かったところを下に。
折口信夫が言う「貴種流離譚」とは、異世界の神である貴種が、何らかの事情でこの地上世界に流されて来ること(p78)。日本の物語はこの傾向がある。例)『竹取物語』 『伊豆の踊り子』や『雪国』も
日本の芸能に関するもの。<翁>と<もどき>
<翁>は「元来、常世から訪れてくる神、一族の祖先神が聖なる長老の姿をとってあらわれるもの」
<もどき>は「土地の精霊」で、<翁>を迎え<翁>のすること言うことを「真似、くりかえし」て掛け合いが基本のパターンで、「機知、揶揄、誇張等の要素」がある。(以上p80)
で、折口は「日本文化の本質を、外からやってくる未知の文化を翻訳し、解釈し、国風化するする文化ととらえる見方」をしていて、「単なるものな目として否定しするのではなく、創造、発展的エネルギーのあらわれとして評価」(p81)。そして、芸能の「異世界性」と「聖賤性」に注目した(p82)。
折口の本、いつかちゃんと読んでみよう!
次に、哲学。哲学は西洋から輸入された考え方で、この単語もphilosophy (philosophia) の訳語なんだそうだ(p105)。
九鬼の『「いき」の構造』、日本の美学をみられるかも。これもいつか読んでみよう。
川端康成
川端は戦中および敗戦の経験を通じて、日本人というものが、どれほど近代化しようとも、結局のところは、そうした近代化以前の、『源氏物語』に集約されるような「あわれ」の世界に深く根ざしているのであり、もしこの「あわれ」の世界が歴史の必然によって近代的世界にとって代わられねばならないなら、日本人は、少なくとも、自分は、この滅びていく世界に殉じるほかないと覚悟(pp170−171)
してて、それをノーベル文学賞受賞記念講演で話したのだそうだ。で、あの「美しい日本の私」というのは、草稿では「日本の美と私」(p177)だったのをこう変えたそうで、「私」を「日本」の一部として内包することは
「私」というものを主体として独立させるのではなく、「私」をとりまく世界のうちに融合させ、さらには、無化させてしまう。これこそは、川端が、日本の伝統から汲み取った根本思想(p178)
なんだそうだ。常々この題名について不思議に感じてたのが納得行った。この「美しい日本」というのは、近代日本ではなく、日本の自然と伝統的文化を指すんだ。でも、これに対して、日本のもう一人のノーベル文学賞受賞者である大江健三郎は
川端のこうした本質を全体として "Vague(曖昧)" と評し(大江の講演は英語で行われ、のちに日本語訳が発表された)、これを悲観した。個人としての自己の責任をぼかし、日本という神秘的な全体の中に閉じこもった逃避的な態度である(p178)
と言ったそうだ。大江らしい発言。英語で講演したってのも、翻訳で真意が失われないようにしたんだろうと思う。大江の文章自体が翻訳文っぽいし、考えてるときも、主語や主体と目的語などを曖昧にではなく明瞭にしてるんだろうな。
この大江の考え方は丸山真男に通じるそうで、
明治から戦前、戦中までの日本が表向き近代化を急ぎながら、その実質は依然として前近代的、封建的な体質のままで、その食い違いの結果、太平洋戦争の開戦と敗北、大日本帝国の崩壊にいたったという自覚反省の上に立って、主権者としての国民が主体となって真の近代釈迦としての戦後日本を築いていこうという民主主義理念を説(p208)
いたそうだ。で、戦前戦中の天皇のあり方、「国体」としての天皇主権、これは
天皇の意思を取り巻きの重臣たちが推し量り、助言していく輔弼 [ほひつ] という仕組みがとられていて、天皇個人に決定責任がおよばないよう、かといって取り巻きの誰彼の責任でもないというようになっている。集団責任とも言える仕組みだが、丸山は、むしろそれが「巨大な無責任への転落の可能性を常に内包している」(強調丸山)と述べる。責任の取材が曖昧なまま権威が膨れあがり、その権威に対して人民は無条件、無限に服従しなければならない。(pp212−213)
日本の近代文学におけるリアリズムは西欧のそれとは違って、「論理、抽象、観念を毛嫌いし、ひたすら感性に従って物事を受け入れるという本居信長流の申請による」もの。だから、「近代化に伴って西欧から移入されてきたあらゆる制度的なもの、あるいは理論的なものに激しく反発する」のだそうだ(p214)。で、近代日本の知識人の発想として「実感信仰」と「理論信仰」というのを説く。
「実感信仰」は「あらゆる政治や社会のイデオロギーに『不潔な抽象』をかぎつけ、ひたすら自我の実感に立て篭もる思考様式」(p214 この部分は丸山からの引用)
「理論信仰」は「種々の制度や技術などを移入するにあたって、本来それら制度や技術を生み出してきたものの考え方にまでさかのぼって理解受容しようとするのではなく、できあがった結果だけをまるごと鵜呑みにするように取り込んだ...、膨大な体系、命題を、不可侵の金科玉条のように無批判に崇拝、信仰し、現実との生合成などお構いなしにやたらに公式をふりまわすありかた(p215)」
なるほどなぁ、だ。丸山の本は、目についたら手に取って見てみようと思う。
最後に土居による日本人の善悪の基準と恥。西欧の「罪の文化」と対応させて。
日本人にとって、内という帰属集団を裏切るかどうか、ということが善悪の基準となるのであり、それが恥という感覚としてあらわれる(p227)
だからさ、仲間内の「空気」や同調圧力に敏感で従わねばならないと感じてしまうんだな。
非常に興味深い本でした。
著者の下の名前は「たかき」と読む。喬いがたかいって読みなんだって。
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yuuha2 · 5 years ago
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【樋口楓 インタビュー】樋口楓のこれまでとこれからがギュッと詰まっている | OKMusic
YouTube実況を中心に歌い手やトーク配信などで、高い人気を誇るバーチャルライバー(VTuber)の樋口楓。当初よりファンメイドの楽曲を歌い、大会場でのワンマン成功の実績も持つ彼女が、ついにシングル「MARBLE」でメジャーデビューを果たす!
周りの仲間やファンのおかげで 大きくなり、ここまで来れた
活動開始から2年。いろいろな広がりがうかがえる中、今回いよいよメジャーデビューですね。
まさかここまでになるとは、当初は想像もしていませんでした。そもそも始めたきっかけも、現在所属している『にじさんじ』のアプリ技術を広めるためのテスターとしてでしたから。そこでは音楽をするとかは夢にも思っておらず、“コメントをくださる方と会話をしたい”レベルのスタートでした。
そこからここまでに至る、何か自身が思う要因があったりは?
やはりファンやリスナーの方々の存在ですね。みなさんがいろいろとストーリーを生み出してくださったのが大きいです。中でも、歌うことに関してはファンメイド曲(ファンがVTuberに歌ってもらうために曲を提供)がかなり大きな要因です。結果的にライヴができるほどファンメイド曲も増えていきましたから。
では、自身の活動や行動力に加え、ファンやリスナーがここまで育ててくれたのも大きかったと?
大きいです。それも100パーセントに近いぐらい。私たちは日常を配信しているだけなので。そこからみなさんがイラストや小説、私らしい歌詞や曲を派生してくださり、それが広まって今に至っている実感は非常にあります。
実際にファンメイド曲を歌い始めてからはいかがでしたか?
今や“まさか私がメジャーデビュー!?”って感じです。当初は曲を作っていただいたことがめちゃくちゃ嬉しくて、とにかく歌ってみました(笑)。そのやり取りを繰り返しているうちに、気付けばここまで来れていたんです。
最初から歌手を目指していたと想像していましたが違うんですね。
当初は歌うなんて想像もしてませんでした。VTuberになったのも、もともと人と話すのが得意じゃなかったからだったりもするので。
それもまた意外です。かなりおしゃべりも流暢なので、逆に人と話すのが得意とさえ思ってました。
今でこそこんなですけど、私は幼い頃からネットゲームをやっていて、そこでのチャット文化が大好きだったんですね。実際にコメントと会話会話するVTuberになり、なんか懐かさが込み上げてきたんです。“そうそう!これこれ!!”みたいな(笑)。そこでの私は声で、リスナーさんは文字でっていうコミュニケーションがとても楽しくて。
現在ではVTuberもある程度市民権を得ているように思いますが、始めた2年前はまだその土壌が育ってなかったこともあり、理解もされづらかったのでは?
そうなんです。最初のVTuberの方々は3Dが多く、いわゆるリアルな人間と変わらず、身体も動かせる動画が主流だったんです。そんな中、私たちは上半身だけを動かしての生配信メインだったもので、当初は“わざわざ二次元の顔を出す必要があるのか!”などの批判もありました。
そこで挫けずに続けてこられたことに、何か今後への自信や信念を感じます。
正直言って当初はここまで根付く確信はありませんでした。しかし、周りの『にじさんじ』のVTuberたちや楽しんでくれているリスナーの方々のおかげもあり、乗り越え、続けてこれた面も大きいです。特に『にじさんじ』の仲間は同じような批判を受けていたと思うのですが、それでも挫けずに続けていた。そこにはかなり勇気をもらったし、“よし、私も頑張ろう!”という気になりました。“ひとりじゃないんだ!”って。そんな気持ちをずっと抱いてやってきた感があります。
歌方面はいかがですか? 歌い始めて1年後には実際のワンマンライヴをZepp Osaka Baysideという大きな会場で成功させていますが。
あのワンマンに関しても、当初は大きな目標としては立ててはいましたが、“まさか実現するとは!?”って感じでした。3Dの手足を動かせる身体を手に入れられるとも考えてなかったし。最初、“リアルイベントをやってみる?”って訊かれて、特に内容も決まってなかったんです。他の『にじさんじ』のメンバーはトークがメインのイベントだったから、私は“ライヴにしてください!”とお願いして。ファンメイド曲を歌いたい気持ちも強くありましたから。
実際にライヴを行なっていかがでしたか?
ファンメイド曲なのに予習をして来てくださって、一緒に歌ってくれたりなど、みなさんがライヴに参加していただけたのがとても嬉しかったです。“あっ、私、こんなに応援されていたんや”という実感や自信、勇気も湧きました。なので、さらなるやる気につながりました。
VTuberが広がる未来のために 自分ができることをしていきたい
そんな中、このメジャーデビューシングル「MARBLE」で樋口さんの活動に、さらなる広がりが出そうですね。まさに今後に向けてのスタートにぴったりな曲ですし。
ありがとうございます。樋口楓のこれまでとこれからがギュッと詰まった一枚になりました。というのも、「MARBLE」の歌詞には、これまでの私のオリジナル曲の中から汲み取ったフレーズが入れ込んであるんです。そこにみなさんの応援があって今があるし、CDも出せるし、これまで以上に大きくなっていける可能性も出てきた、そんな想いも込めて歌わせてもらいました。
全体的に力強く、“これから何があってもみんなと一緒に進んでいく!”というような気概も感じました。
この曲にはこれからの樋口楓の覚悟みたいなものも詰め込みました。《かかって来いよ》っていう歌詞なんて、まさにその表れで。
そんな楽曲のレコーディングはいかがでしたか?
難しかったし、感動しました。
感動?
これまでの作品はいわゆる宅録で、その場でのディレクションもなく、クリエイターさんとファイルのキャッチボールを経て作品を完成させていたんです。
今回はがっつりとしたバ���ドサウンドですもんね。
実際にバンドのレコーディングも見学させていただいたんですが、“うわっ、やっぱりプロってすごい!”ってなりました(笑)。デモ音源をそのまま演奏するのではなく、その場で自分たちのアイデアを盛り込んでくれたりして。デモですらかなり良かったのに、そこに各個人のアレンジが加わって、“こんなにも色付いて、ブラッシュアップされるんだ!?”と感激しました。その分、私も“頑張ろう!”ってなったし。
対して、難しかった面というのは?
私、今までは自己流で思った通りにただ歌っていたんです。だから、“果たしてこの歌い方でいいのか”と悩んじゃって。“そんな歌い方で想いが伝わるのか”と自問自答や試行錯誤に陥ってしまったのですが、いろいろアドバイスをいただき…時間は非常に掛かりましたけど、この歌にもっとも合う自分のスタイルに至れたかなと。
“これから行くぞ!”感や“足掻いてでも進んでいく!”的な歌詞に樋口さんの過去と今後を感じました。
ここに至るまでの道のりは、決して楽しいことだけではなかったですからね。さっきのVTuberとしての偏見しかり、自分なりに落ち込んでいた過去や、歌がどうしても上達しないジレンマ…みなさんもいろいろな苦悩や葛藤がおありでしょうが、私にもそういうものがあって。VTuber���リアルなアーティストさん同様、傷付いたことや挫折があって今があるので、その辺りも歌に込めています。未だに二次元などに抵抗がある方に、VTuberもリアルな方々と同じように生きているんだと伝えたかったし、偏見の目もなくしてもらいたい。それらも含め、この歌詞は今の私の気持ちにぴったりでした。なので、気持ちを重ねて歌わせてもらいました。
M2の「Sugar Shack」はライヴでのお客さんの光景やいろいろなシーンが浮かんでくる曲ですね。
1曲目がギターが中心のバンドサウンドだったのに対して、こちらはシンセやキーボードのラインを前に出したくて。あと、ライヴ映えする曲も欲しかったし。だから、煽りも入れたい、ラップもしたい、盛り上げたい、歌もしっかり歌いたい…など、私がリクエストした要素を一曲に集約していただきました。
むちゃくちゃ楽しく盛り上がれそうな曲ですもんね。
歌も楽しく録れました。かなり目まぐるしいですが(笑)、みなさんと一緒に作り上げる空間が楽しみな曲でもあります。
打って変わって3曲目の「For you」はミディアムバラードで。歌詞はファンも交えて作られたそうですね。
作曲は影山ヒロノブさんにしていただきました。それを配信でみなさんに聴いていただき、それに合った感じで私が歌いそうなフレーズを募って、私の作った歌詞をもとに幾つか入れ込まさせていただきました。
そこではさぞかし素敵なフレーズの応募があったのでは?
私にはそぐうでしょうけど、楽曲にはそぐいそうもないものもあって…。
例えば?
私的にはファンのみなさんに感謝の気持ちを伝える歌詞にしたいと思ってたんですけど、《バトルしようぜ》とか《ホームランを打て》とか(笑)。
なるほど(笑)。では、今作でメジャーデビューということで、これからのビジョンを教えてください。
やはりVTuberが広がる未来のために自分ができることをしていきたいです。とにかくこれまでのVTuberができなかったことをやってみたい! その中のひとつに野外イベントがあって。
みなさんの形態を考えると、かなりハードルが高そうですが。
でも、やりたいですね。できれば甲子園球場で! 関西出身だし、野球が好きということもありますが、高校野球の応援に行った時、グラウンドでもスタンドでもみんなが輝いていたのがとても印象深かったんです。特にグラウンドが。なので、私もそこに立って歌ってみたいなって。そこでやったとなったら、“VTuberっていうのが甲子園でライヴをやったらしい!”“屋外で3Dが動いてライヴをやったんか!?”“そもそもVTuberって何なん?”と話題になって、VTuberのことを知ってもらったり、広まるきっかけになるかもしれないし。だから、いつか実現させたいです!
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tezzo-text · 5 years ago
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200522 ギャル&ババア&aiko
前々回の続きだが、世の中の問題で、私が人並みに悩まずに済んでいる問題、そのうちの一つが性にまつわる問題だと思う。なんか…まあマジョリティだから悩みなんてないでしょうね!と言われたら、それこそ横暴な決めつけで誰でも問題を抱えている可能性はある、と答えるのが正しいが、自分に限ってはまじであんまり葛藤がないというのが正直な気持ちである。
それゆえに私は、性に葛藤を持たぬ無頓着な者として、周りの人にセクシスト的な言動を繰り出してきたことはまちがいない。それは今後とも気をつけてゆきたいが、それが周りの人にだけでなく、自分や自分の言葉遣いにも向けられているのではないか?ということをちょっと思ったので、そのことをメモしておきたい。
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いつからか私が発するようになったフレーズに「私の心の中のギャル」「私の心の中のババア」がある。
時折、何かの拍子に自分の中のギャルの軍勢が活気だち、男性性が与党である心の中の議会を揺るがすことがある。そうなると仕事上の判断、審美的な判断、友人のとの会話での言葉選びに、ときおり私のギャル人格が影響を及ぼす。ギャルさがどんなものかというのはいろんな定義があるのでなんとも言いがたいが、私にとっては、とにかく溌剌さとケバさ・超効率的な割り切れ感・単に生き生きしているだけでなく満足できない時はブスッとすることになんら躊躇しない気高さ(?)が圧倒的にあり、周囲を巻き込み心なしか体を火照らせる…みたいな魅力のことだと思う。その奥の方に可憐さ、守られたいような風情があるかどうかというのはわりとどうでもよく、実際にある場合も、あってほしいという需要を戦略的に汲み取っている場合も、ない場合もあると思う。ギャルが私の心の議席を占拠しかけている時は盛り上がってなんか金額高めのものを買ったり、デザインの仕事をしていても細かい部分で判断に影響があったりする。
とはいえ今までの仕事の中で、ギャルが連立与党として意思決定の主体となったまでのものはないので、もっと勢力が伸長して仕事の表面に出てくることはこれから期待したいことだ。そうなったときいつでも対応できるように、ラインストーンとかフェザーとかネイル用のちっちゃいシール(揚羽蝶モチーフ)などの素材を買って家に置いとくといいのかもしれない(?)。まあ…私は自分のギャル性は藤井みほな的ギャルではなく矢沢あい的ギャルのような気もするが…。
ババアについては、ババアという蔑称を私(若い男)が使うことが非難されることを年々強く意識しているが、ここで森茉莉の文章を引用したい。
怠け者で、掃除嫌いで、どこか茫洋として大陸的な、それでいて徹底的な勘定高さ、吝嗇を通りこした合理性を持っていて精力的な、支那の大衆の一部が、この南京街の暗い硝子戸の中に強靭に生きているのを、私は感じないではいられなかった。そうしてその大衆の後ろには「支那」という、私が尊敬と恐怖とを抱いている大国が座っていた。
(中略)
臆病な私は理由もなく怖れ、彼らを怒らせまいとして、内心では中華民国なんていう新出来の国名は、大国支那を安っぽくすると、考えているにも係わらず、「中国の人は……」などとことさらに彼らの耳に届くように、伴れの青年に囁き、ウロウロした眼を辺りにさまよわせたのだった。
森茉莉『私の美の世界』(1968)
森茉莉が正しくないと理解しながらおそるおそる「中国」を「支那」と呼んでいたその気持ちで、私も「中年女性」「高齢女性」「おばさん」に対する尊敬、憧憬、畏怖を込めて「ババア」と呼んでいるのである。ただ森茉莉はおそらく戦後「支那」という呼称が差別語として確実に駆逐されるギリ直前に死んだが、私の場合は近いうちに「ババア」が駆逐されたあとの時代を生きるだろうから事情は違かろう。
ともあれ私が「ババア」に込めているのは、当人にとってもその内実がブラックボックスになっているタイプの創造性が、生活と連関しつつも、ときに暴走するようなキャラクター��ある。例えば私の心の中には辰巳芳子、志村ふくみ方面の人格もいるが、彼女たちはババアではない。森茉莉、黒柳徹子、平野レミとなるとやや微妙だが、厳密には違うと思われる。米原万里などはエッセイを読んでいると実は結構ババアのような気配がある。
2013年、アイントホーフェンの Van Abbemuseum で Self Unself という展覧会を見た。Loes Veenstra というオランダのババアが1955年からなぜか作り続けた550点の手編みのセーターの展示が、今も心に残っている。 https://christienmeindertsma.com/The-collected-knitwork-of-Loes-Veenstra 誰かに着せるためのものじゃなかったというのもすごいが、そうでなくても550個って…。確実に創造性が合理性を凌駕して暴走している状態、これこそまさに私が畏れ、しかし親しみを感じるババアみである。
あとかつて渡辺さんが言っていたが、例えば戸棚にお人形を飾るのが好きなババアは、微妙なお人形のテイストや趣味のよしあしに各人こだわりはあれど、「戸棚にお人形を飾ることは(かわ)いい」ということに対し徹底的に無反省なことが多い。その範囲内において過激に暴走する。私は江國香織『流しのしたの骨』に登場する「母」が好きだが、彼女の中では鍋物などをするとき食卓に置く卓上コンロが無粋なものとして「なぜか決定」されており、いつも枯れ枝や落ち葉で覆い隠してしまう。風情はファンシーだがその意志は冷徹なほど…。それもババアの特質の一つである。
正直私の中にも確実にババア性があるというのはおこがましい(というか自覚できるものではないと思うので実際分からない)が、少なくともそういう性質に親近感を持ち、惹かれてもいることは確かである。
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ところで、aikoという者がいる。
わしは前から結構好きで、曲がいいし、あんなピッチいい人いるかねと思っていた。そして歌詞は…あのような歌詞である。よく知らない者はいろいろ聴いてみたり、歌詞を読んでみたりするとよかろう。どういう詞か改めて言語化するとすれば、多くの人が学生時代にロマンチック・ラブ・イデオロギーの不慣れな新規参入者だった時の心情を持続させている感じとでも言おうか。陶酔感、不安&焦燥感、可憐さ、可憐な自分への若干の自意識、卑屈さ…。
先ごろApple Musicに公開されたのでアルバムを聴いてみたりして、少しずつaiko性についての理解を深めていた。そんな折に偶然「King Gnu 井口理のオールナイトニッポン ZERO」にaikoさんがゲスト出演した時の音源を発見したのだが、それを聞いて私は絶句した。井口とのでれついた小芝居をしているが、まじでその辺にしとけ!!!!!!!!と投網を投げかけたくなるほどの凄まじい「後で後悔するタイプのおどけた好意の発露」ぶりなのである。もちろんデフォルメした小芝居ということは承知のうえだが、ふざけてじゃれつくたわごとのやりとりの中から確実に本物のエキスを少しずつ吸い、その陶酔感にまだ身を委ねていていいと判断するラインを予想より遥か甘めに設定なさっているのをありありと感じた。しかしそれを聞きながら私は、私の中にはギャルがおり、ババアもいるが、aikoもいるのだと…そのことを認めざるをえなかった。なぜならそれを聞いた多くの人々はそこまでドン引いているわけでなく明らかに自分だけが過剰反応していたからだ。つまり私はaikoのそのやばぶるまいを揶揄しているのではなく、自分がしかねない問題として危惧していることを自覚したのだ。いや…別にいちゃつき小芝居が罪深いことだと言いたいのではなく、むしろ誰もがやりたいだけやるべきなのだが…。
私がaikoの恋愛集中力ぶりを揶揄できないのは(音楽が好みなのをさておいても)自分の中にもこういう危険な行動を分かっていつつもとりかねない人格があるからだ。わしの心の中のギャルの心の中に、ウェットなギャルがいる…(構造複雑すぎ) 8 Mar 2020
aikoさん「えりあし」『5年後あなたを見つけたら背筋を伸ばして声を掛けるね』ってまじやめとけ系発言界の横綱感ある。 5 Sep 2014
https://twitter.com/TezzoSUZUKI/status/1236642153738072064
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そのことを考えていて気づいたことがある。
私は男として特に葛藤なくこれまでやってきているが、別段男性的であろうとはしてこなかった。もし男性的でありたいという拘束が激しければ、自分の中にギャルやババアやaikoさんがいるということを許せないだろう。それを許せることは私の強さだと思う。
しかし私は自分の中のギャルのようなラメ感、ババアのようなレースのティッシュカバー感、aikoのような陶酔、そういうものを「ギャル」「ババア」「aiko」と女性名のキャラクターでパッケージする限りにおいてしか認め、許すことができない。だからこそ先に書いたように与党は男性であるが野党にギャルやババアを抱えているというような比喩が出てくるのである。つまり、私は自分の中にaiko性があることを認められないほど弱くはないが、それをaiko性とパッケージングしないでただaikoわかる〜🥺と言えるほど強くない。そう気がついた。ただ、確かにそれは私にもある男性性の拘束ゆえであろうが、別にそこから自由になりたいと思っているわけではない。それより問題だと思うのは、そういった性質を女性性として切り分けているということである。
これに気づいた間接的なきっかけは『ラジオ屋さんごっこ』で「ギャル」を自称するValkneeにつーちゃんが「『ギャル』の文化盗用」と切り返していたのを聴いたことだ。私も、私の中のラメ&スワロフスキー的輝きを説明するのに、気恥ずかしさからなのか客観性を装ってなのか、ギャルという独自の文脈ある存在を援用していただけなのでは…?とふと思ったのだ。
私は私の人格が十分に一貫していて統合されているとは思わないが、その分裂の仕方も、議会会派単位に明確にわかれて分裂しているのでさえなく、もっとゲル状に混ざり合っていてもいいのかもしれない。そしてそこに漂うきらめき、ケバさ、不可解さ、あえかさ、かわいさ、そういったものにロールプレイめいた女性名をつけず、私(わたくし)、そういうきらめいてケバく不可解であえかなかわいい者でございます…と言っていいのかもしれない。副次的なキャラが私の中にいるのではなく、複雑なフレーバーが重層した切り分けられないムースのようなものだと。
実際そのパッケージが溶融しかけているのも最近は少しだけ感じてもいる。最近メディア・アーティスト(?)の稗田直人さんがネイルしてる話などを聞いてわしもやりたいと思っているが、そう思った時、その発想は私の中でギャルを経由しなかった。以前なら必ずギャルとしてのごっこ遊び的な段階を頭の中で一度踏んでいただろう。https://naotohieda.com/blog/podcast-012-ja/
しかし最後に矛盾したようなことを書くが、女らしさ、男らしさというようなステレオタイプな表現や、キャラクターやステータスや属性をあらわす語の盗用(?)は避けるべきだとするのは、人の自由さを制限するからという理由においては賛成だが、同じ理由から留保したくも思っている。これらの言葉は単に目指されている概念なわけでなく、足掛かりにされ、組み合わされ、全く別の意味のルビを振られ、したたかで複雑な性の実践のための道具として使い倒されるべきで「形骸化した言葉として残る」のでもよいのではないかと思う。
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arttheaterguild · 6 years ago
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NO MARBLE
昨年のHAUGAに続き、2019年11月20日にthe pillows さわおさんプロデュースの元、2枚目の全国流通盤として 2nd Mini Album「NO MARBLE」を発売する事ができました。
今回も拙いなりに、自分なりの解釈で、NO MARBLEの解説が出来たらと思います。 音楽的な事よりもっと抽象的な部分に話が寄ると思いますが、気になる方はどうぞ読んでもらえたら
1.Marbles
ATG初のパワーポップ!…になるかと思いきや、祐介のいい意味でなよっちいイントロや全体のコード感で 「あれ…?」という違和感を程よく詰められたと思います、ライブでも盛り上がってくれたら嬉しいです。
2番Aメロでの祐介のワウ的な不思議なギターは偶然の産物から生まれたものだった気がします。(詳しくは彼に会った時に聞いてみてください) (あれ、Stamenもそんな事があったような…)
サビのコード感も ん…?ってところからメジャーなコード進行に持っていくので、煮え切らない気持ち悪さが演出できたと思います。
"MARBLE""マーブル"とは本来大理石やらおはじきやら、色々な意味を持つ単語ではありますが、 歌詞を書いた際にテーマとしていた「分かち合うこと」「混ざり合うこと」が「マーブル柄」のイメージと合致したのでこのタイトルとしました。
この曲を書いている時に思っていたことがきっかけで、このミニアルバムのタイトルと、「鉄紺と黄緑」を思いつくきっかけとなりました。 OTOTOYでインタビューしてくださった田山さんが「正気」という意味合いも持っていると教えてくれて初めてその意味を知りましたが、 むしろ作った頃は全然正気じゃなかった。
2.Birthday
丁度1年前位に思いついた曲。 自分の誕生日が11月10日なのですが、誰に祝われるわけでもなく淡々と過ぎていってしまいそうだったので 「こいつぁいかん!」と思い去年の誕生日その日に最後まで作り上げました。俺はなんてかわいそうな男なんだ…。
さわおさんのアイデアで、レコーディングの際にはレギュラーチューニングより1音下げで演奏している為、いつも通りのチューニングだと再現は不可能ですが 俺達もライブの際はいつも通りのチューニングで演奏している(めんどくさいから)ので、そういった音源との違いをライブで楽しんでもらえたら 聴いていて感じる妙な気怠さに関しては、本来そうではない弦のたるみも関連してるみたい、弦は六本で無限だ
俺もリフっぽいギターを弾いたツインギターの楽曲は今回が初めてかもしれないですね、やってる事自体は自分のギターもボーカルもそこまで難しくないのですが、 拍の取り方が難しいので歌いながらこのリフを弾くのがちょっとだけ大変かも、まあそれよりも全ての楽曲で祐介が弾いてるギターの方がコピーが大変ですが…笑
しっかり耳を澄ますとふんわり隠し味が聞こえるかもしれませんね、こういったアイデアはさわおさんが提案してくれたものです。 これかな?っていうのを探すのも一つの楽しみ方かも。
テーマは「生まれ変われたとしたら」
3.鉄紺と黄緑
後述します。
4.HAND HILL'S
実は別のタイトルで昔ライブで披露していた事もあるので、気付いてくれた方もいらっしゃると思います。 気付いてくれた人、大好き♡
トツトツとした雰囲気の中にも、メインリフをそのまま残したコードチェンジだったり、アレンジを元を崩さず工夫しています。 結果よりいいサウンドに組み立てなおせたので満足しています。 こういった楽曲で一際輝くのは浅井さんのドラムで、あんまりみんな気にしないかもしれないですが、多分ドラムが違うと全く違う曲に聞こえると思います。 緩やかで清々しい余韻が味わえるのは彼女の叩かない美しさがあってこそでしょう。
昔は英詞で歌詞を作ったのですが、今回はZOOがラストに控えているので何となく日本語に歌詞を置き換えてみました。 これが上手くはまってくれたので個人的にはこの楽曲がかなり気に入っています。 ガラスの靴の、ファンタジーの見てくれで隠された現実的な脆さをこの曲の雰囲気に落とし込めてよかった。
HAND HILL'Sとはハンド(手)HILL'S(丘や塚)、つまりは「手塚」 俺の母方の旧姓です。
テーマは「価値の無い生命」
5.Peg-Leg Pistol
この曲はあまり俺から曲を持って行った際にこうしてほしいという提案をあまりせずに完成した記憶があります。 本来の完成予想図はどちらかというともっとHAND HILL'Sに近いようなものを想像していましたが、各々のいい意味での解釈違いのお陰で 予想してないミラクルが起こった、という感覚です。してやったりですな☻ 俺自身も祐介がこう弾くならここの歌の譜割りはこうしようかな、とか 浅井さんがこう叩くならこういうバッキングにしようかな、と アレンジャーとして微力ながら考えられた時間も多かった気がします。
ボーカルに関してもさわおさんのアイデアで要所のダブリングやコーラスを忍ばせており、 より展開のツギハギ感、意図していない情緒不安定な展開を組み立てられたと思います。
「流行り廃り」をテーマに作詞しました。
ペグレグピートというキャラクターがディズニーに存在しますが、ピストルとはそのピートの娘の名前です。
ディズニーのキャラクターであるにも関わらず画像検索すら難しく、流行りの中で廃れていってしまった中の一つのかなぁと 親父はどんな気持ちなんだろう、キングダムハーツでも大活躍しやがって…。
6.zoo
実は俺がATGを始めるにあたり最初に作詞作曲した曲であり、今でもその頃の拙い技術で録ったzooのデモを聴くととても恥ずかしくなります。 やるのもなんだか気恥ずかしくてライブでも演奏しなくなっていましたが、他のメンバーは気に入っていたらしく、 メンバーからの説得(?)のお陰でこの度収録しました。 デモの頃の音像が頭に中に残りすぎててレコーディングの際にもビビッていたのですが、さわおさんとエンジニアの瀧田さんの超ウルトラスーパー技術のお陰で (あれ…めっちゃ良い曲じゃん…)と改めて8年も前に作ったこの曲の良さを感じる事が出来ました、レコーディングして良かった…。
良く言えばシンプル、悪く言えば無骨な、という言葉が似合う楽曲ですが、今とは違う考え方で曲を作ってるのである種の新鮮さを自分でも感じます。 かといって別人が作ったわけでもなく、例えばこの頃から訳も分からずadd9のコードを多用している辺り、結局根っこは変わらないんだなとしみじみもしました。 併せて言えばサビのコード進行はハイブリッドレインボウをコピーして覚えたてのコードを嬉々と使ったんだろうなぁ…。
zooや4AM~とかを作っていた頃は俺はまだ栃木にいて、作詞作曲共にもう一人の友人と共作で作っていました。 zooは二人でスケッチブックに絵を描いていって、その様子をそのまま英詞に組み立てただけです。 zooというタイトルもその場で曲が完成した後曲の雰囲気から二人で決めた気がするのですが、少し曖昧です。 ただ何かを伝えたいというよりは、作曲という遊びを自分たちなりに初めて楽しもうとしたものが形として残っている、というのが近いと思うので 作った過程が大切だと思っています。
「テーマが無い」がテーマなのかなぁ
ちなみに自分達でMTRで録音した dictips 4AM Mellow Diver zoo Blue Foggy Weekend Papermoon の5曲を収録した所謂デモ版を作成し、この曲達だったらきっと憧れのさわおさんにも伝わるはずだ!! と思って今から7年前、20歳の時に上京してきました。 今回のzooを収録できたことでこのデモ版を全て再録できたことになります。 その頃の思い出とともに、この曲をさわおさんに渡せてよかったです。
3.鉄紺と黄緑
NO MARBLEリード���ラック
今年の年明けくらいには鉄紺の元になる曲が頭の中で出来ていて、メンバーにも聴かせていたのですが、そこから完成するまでかなり長い時間を使いました。 元々は全く違うもっと軽やかな歌詞を載せるつもりでいたし、リードトラックにするような思い入れで作っているわけではなかったのですが、今回のミニアルバムに収録する為に書き下ろした Marblesを作ってから、自分の中で新しい悩みが芽生え、しっかりとこの気持ちを残しておこうと鉄紺と黄緑という曲を作りました。 残しておこうと思えるようになるまでにも、長い時間を使った気がします。
ArtTheaterGuildを結成する際、俺たちのGazelle Cityを作ろう!というのが結成当初のメンバーとのテーマでもあったし、何よりピロウズが大好きだったので、その頃から今まで 「ピロウズになりたい自分」がずっと心のどこかに居続けていた。 ただ「こうすれば売れるだろう」とか、「こうすればウケがいいだろう」という気持ちは全く無く、勿論ただ純粋に大好きだったからこそ真似事ができたとも思っている。 実際にそれは今ここでもつながっているというか、そのおかげで俺は祐介や浅井さんにも出会えたと思うし、何よりさわおさんとこうして仕事ができたと思ってる、ラッキーだったんだなって今でも思うけど笑 今これを読んでいる人たちにも、ちゃんと濁らずに俺の憧れは伝わってるんじゃないかなとも思っています。
話を戻すと、Marblesを書いた時に、あくまで主観の話だから曲自体に罪は無いし、良い出来なんだけど、ピロウズになりたいが為に、自分を少し捨てて寄り添ってしまった気がしてた。 「俺って誰なんだろう」ってその時からずっと考えて、今まで作った曲も全部否定しそうになるくらい落ち込んだ時があったんだけど、 そんなのあんまりじゃないか!ってなんとか開き直れた時があって、その時に持っていた心の影を、自分の力で1曲に閉じ込めたくなった。
アレンジはメンバー全員でそうとう悩んだけど、美しくまとまったと思います、楽器隊各々の美しさも際立っていると思う。 リードトラックではあるけど、他の曲と比べて何かすごい事をしているわけでもなく、これぞATGのバンドマジックというか、3人が素直に自分たちらしさが出せたんじゃないかな、 「ピロウズっぽさ」ではなくて
歌詞に関してはほとんどがスッと書けたけど、最後の1行はどうしても言葉に迷った。 からそのまま素直にそのことを歌詞にしました。
この曲が書けて大分スッキリしたというか、自分のミュージシャンとしての価値観をもう少し受け入れられたというか 憧れは憧れとしてそこにいて、俺はちゃんと俺なんだなって再確認できました 伝わりにくいかもしれないけど、例えるなら俺には一生ストレンジカメレオンは作れないんだなって思った。 けどそれでいいじゃないか! これは技術とか才能とかの話では無くて、俺以外は俺じゃないし、祐介と浅井さんとバンドをしているわけじゃないから、 さわおさんにも鉄紺と黄緑と同じものは作れないと思うんだよね。
多分当たり前の事なんだけど、気付くのにたくさんの時間をかけてしまった 俺はArtTheaterGuildのボーカルギターなんだな
テーマは「分かち合えない部分」
・NO MARBLEについて
なんとなく、色んな人に手に取ってもらう為にはインパクトと語感が大事だろう!という気持ちと、その時自分が一番強く思っていた事としてタイトルを残した方がいいだろうなぁということで 候補をいくつか考えていたのですが、悩んだ末MarblesとかけてNO MARBLEとしました、ノーマーブルを聞き返す度に「なんでこのタイトルにしたんだっけ」と思い返せるものがいいなぁと 今回もさわおさんとエンジニアの瀧田さんの技術と熱意のお陰で音はめちゃくちゃ良いです。弾いた本人でも「え、なんでこんなにいい音になるのか意味がわからん…」と思っているくらいなので本当にいいのでしょう 自分が受け持っているボーカルの部分では、前作では前面に押し出していたダブリング(自分の声に自分の声を重ねてるやつね)は要所のみアクセントとして盛り込んだのを含め 楽器隊の聴きやすさと相まってかなり歌詞が聞き取りやすくなったと思います。
今回がプロデュース2作目ということで、自身の心境的にも緊張感は持ちつつも、前回よりはかなりリラックスしてやり切れたと思います。 自主制作を含め今回が4枚目の音源となりましたが、いつまでも自分の曲がきちんと形になるのは代えがたい嬉しさがあります、やっててよかった!いえーい!
今までの経験も踏まえ、メンバー全員が各々自分らしさを改めて模索した1枚になったのではないかなと思います。
これからも憧れが少し前に出ることは勿論たくさんあると思うけど、何よりそれを鳴らしたのは自分たち自身であって、それはもうきっと憧れを汲んだ俺達自身の歌なんだろうって前向きにやっていきたいと思っています。
ノーマーブル、誰もが誰かにとって代われないこと 混ざらず濁らない、かけがえのない気持ちを持った皆さんと共に、また楽しい話が出来たらいいですね
それではまたどこかでお会いしましょう
ArtTheaterGuild/伊藤のぞみ
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