#狭い部屋でスッキリ心地よく暮らす
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賃貸でもOK。狭い部屋をスッキリ見せるスリム収納棚の魔法
「もっと収納が欲しいけど、家具を増やすと部屋が狭く見える…」そんな悩みを抱えていませんか? 特にワンルームや1Kの賃貸暮らしでは、モノが増えるたびに部屋がぎゅうぎゅうになりがち。けれど、ちょっとした工夫と“スリム収納棚”があれば、見た目も気分もスッキリしたお部屋が手に入るかもしれません。
今回は、狭い賃貸でも快適に暮らせるスリム収納棚の選び方や配置のコツ、具体的な製品情報まで、たっぷりとご紹介します。詳しくは以下のリンク先にも載せています。(https://realestatehousing.tokyo/?p=1134)
空間を変えるスリム収納棚の魅力とは?
スリム収納棚のいちばんの魅力は、何といっても「場所を取らないのに、しっかり収納できる」こと。奥行き20cm〜30cmの縦型棚なら、冷蔵庫の横やベッドの脇、デスクの隅など“デッドスペース”を有効活用できます。高さを使って収納量をキープしつつ、床面積はそのまま。視界も開けて、部屋全体が広く見えるというわけです。
しかも最近では、デザイン性の高いものや、賃貸でも設置しやすい突っ張り式・置き型のタイプも豊富に出ています。
サイズ・素材・組立方式がカギ
スリム収納棚を選ぶときのポイントは3つ。
サイズ感を見極めること。 日本の賃貸事情に合うのは、幅30〜60cm、奥行き20〜30cmのモデル。通路に干渉しないよう注意しつつ、収納したいモノに合わせて選ぶのが◎。
素材による耐久性の違いを知ること。 プラスチックは軽くて安いけど、重いモノには不向き。スチールや合板はやや高めでも丈夫で長く使えます。
組み立てのしやすさも意外と大切。 工具不要で差し込むだけのタイプは初心者や女性にも安心。長期使用にはネジ式もおすすめです。
よくあるNG例とその対策
ありがちなのが、「棚が大きすぎて通路がふさがる」「重い物を上に置いて倒れそう」「よく使う物が取り出しづらい」といった失敗。
これを避けるには、
棚の奥行きは20〜25cm以内にする
上段には軽いモノを、重いモノは下段へ
日常的に使う物は“目線〜手元の高さ”に配置
加えて、地震対策として突っ張り棒や滑り止めシートも取り入れたいところです。
おすすめの3ブランドを紹介します
収納棚選��に迷ったら、「無印良品」「ニトリ」「アイリスオーヤマ」の3社をチェックしてみてください。それぞれに強みがあります。
無印良品
シンプルでどんな部屋にもなじみやすい
「スチールユニットシェルフ」や「スタッキングシェルフ」が人気
拡張性が高く、自分好みにカスタマイズ可能
ニトリ
初心者にもやさしい価格帯
スリムストッカーシリーズは幅20cmでキッチンや洗面所にぴったり
キャスター付きや引き出しタイプなども豊富
アイリスオーヤマ
組み立てが簡単で賃貸向けのモデル多数
突っ張り式や隙間収納タイプは省スペース派にぴったり
家電と連携できるモデルも展開中
詳細な製品情報やレビューも、こちらの記事で確認できます。(https://realestatehousing.tokyo/?p=1134)
賃貸でもあきらめない収納づくり
スリム収納棚を上手に使えば、狭い部屋でも“広くて快適”な空間に変えられます。選び方のコツは、「サイズ感」「素材」「設置場所」、そして「見た目の圧迫感を減らすこと」。配置ひとつで、部屋の印象も、毎日の気分も大きく変わります。
もし理想の棚に出会えたら、ぜひ公式サイトやレビューをチェックして、実際の使用感までしっかり確認してみてください。 暮らしやすい部屋づくりは、ちょっとした工夫から始まります。収納棚の見直しをきっかけに、あなたの部屋ももっと好きになれるはずです。
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心地良い風の流れ
一人暮らしの時や、一時期派遣の寮に住んでいた時、 部屋の古さや、狭さよりも、何より重視するのは、 日当たりと、風の通りでした。 日当たりが良いと、気持ちが明るく、 元気になる様な気がしたし、 風が通ると、なんとなく心地良く、 頭や心がスッキリする様な気がしていました。 私は風水等はさほど気にしませんが、 陽の光や、風の流れに関しては、妻がよく言ってくる、 「風水的にこれが良い」とか、「運気が良くなる」と言うのを、 自然にそう思って、受け入れていました。 9月���くらいは猛暑が続くとニュースで聞いていましたが、 ここ2~3日、三重県では朝夕過ごしやすい気温でしたね。 エアコン無しでも、部屋を流れる風が心地良く、 清々しい気持ちになりますね。 皆さんは、風の流れ、 どのくらい気にするでしょうか。

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* Stay home🧚🏡✨ * コロナのおかげで、仕事後はまっすぐ帰宅。 * 家で過ごす時間がいつもより長い! あったかくなって、衣替えシーズン! クローゼット整理のチャーンス🤟 * せっかく整理するなら、断捨離! 断捨離するなら自分に似合うものだけを揃えておきたい🥺 * パーソナルカラー、骨格、顔タイプを知っておくと、 似合うものが分かって断捨離に大活躍🤸♀️ * わたしも少しずつ模様替え&衣替え中.... 今日は帽子を引っ掛けるスペースを 100均アイテムのみでDIY💪🏼✨ * アイテムがますます見やすくなって、 ファッションが更にいろんな組み合わせで 楽しめるようになった👯♀️🌸 * 壁の収納がここまで使えるとは🙈❤️ * クローゼットに眠っている服を復活させよー🥳 * #パーソナルスタイリスト #パーソナルショッパー #横須賀 #収納アイデア #狭い部屋でスッキリ心地よく暮らす #クローゼット診断 #断捨離 #クローゼット収納 #パーソナルカラー診断 #骨格診断 #顔タイプ診断 #自宅待機を楽しもう #せっかく家にいるしね #インテリア #つっぱり棒 #自分の部屋が一番落ち着く #personalstylist #personalshopper #interior #closetorganization #closetideas #interiorideas #tinyhouse #japanesehouse #japan #stayhome #myspace #bepositive✌ (at Yokosuka, Kanagawa) https://www.instagram.com/p/B-j8NTrAawM/?igshid=16r63dgh1gpv1
#パーソナルスタイリスト#パーソナルショッパー#横須賀#収納アイデア#狭い部屋でスッキリ心地よく暮らす#クローゼット診断#断捨離#クローゼット収納#パーソナルカラー診断#骨格診断#顔タイプ診断#自宅待機を楽しもう#せっかく家にいるしね#インテリア#つっぱり棒#自分の部屋が一番落ち着く#personalstylist#personalshopper#interior#closetorganization#closetideas#interiorideas#tinyhouse#japanesehouse#japan#stayhome#myspace#bepositive✌
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エガキナマキナ/小鳥遊月美
「ネイル行くんで帰りま~~す。おつかれっすー」 「つーかもういいですか?」 「なんでそんなこと言うわけ?あたしのこと好きなんじゃないの?」 「あたしの仕送りでパチンコ行くなっつったろ!!」 「あーそれ元カレにもらったやつ」 「センパイに関係なくないですかぁ~?」 「てか今日めっちゃ可愛いね」 「キレーで大きい部屋借りてかわいー服いっぱい買って意味わかんないオブジェ置きたい」 「カノジョなんだからるみちゃんて呼んで♡」 「はぁ~~~?前と言ってること違うじゃん。ウソツキ!!」
◆月美身上調査書
姓名、略称:小鳥遊月美(たかなし るみ) 年齢:25歳 性別:女 血液型:B型 誕生日:6月30日 星座:蟹座 身長:163cm 体重:48kg 髪色:ピンク色 瞳の色:金のカラコン 元は黒色 視力:1.0 良い きき腕:右 声の質:やや舌ったらずで甘い声 やる気のないときは低い 手術経験や虫歯、病気:骨折数回、虫歯は治療済み 身体の傷、アザ、刺青:腕に薄く傷痕 その他の身体的特徴(鼻や目の形、姿勢、乳房、足、ホクロなど):華奢。八重歯。舌ピアス。 セックス体験、恋愛、結婚観:恋人がいない時期があまりない恋多き女。告白はされたい方。結婚もべつにしても良いと思っている。 尊敬する人:レディーガガ、ジャクソン・ポロック 恨んでる人:父親>母親 出身:千葉県 職業:国家公務員 所属:創務省 将来の夢:デザイナーズマンションでよくわからない芸術に囲まれて暮らす 恐怖:汚い部屋、虫 癖:爪を見る、髪の毛を触る 酒癖:笑い上戸、酒乱、飲みすぎて吐く 性格タイプ:ENTP(討論者)
*交流向け 一人称:あたし 二人称:あんた 呼び方:〜さん、〜センパイ、〜くん、〜ちゃん
*概要
ダウナーな雰囲気の創務省職員。検閲を担当し没討伐では火力の高さから前線に配置される。現代アート作家であり、抽象彫刻作品を好む。ファッション好きな恋多き女。スパンは短め。女児向けアニメ好き。コラボコスメやグッズに弱い。パチンコ中毒の母親と仲が悪く、よく電話口で金を無心されて口論になっている。
*性格
目上相手でも物怖じせず遠慮のない軽口を叩き、ひょうひょうとしたマイペースな性格。良くも悪くも開けっ広げで、愛想は好きな相手にしか振りまかないので、先輩や上司には可愛がられるかもしくは嫌われるタイプ。機嫌の上がり下がりが激しく我儘な自覚があるため、気に入られたい人には猫をかぶる。創務省に入っただけはあり勉強はできるが、仕事は手を抜くところはしっかり抜く要領のいいところがある。正義感は強く、かつ深く考えるよりは実践してみる傾向にあり、没討伐ではぐいぐいと前に行きがち。 初対面であれ誰であれ気軽に話しかけ、コミュニケーションに悩んでストレスを溜めることはあまりない。怒りっぽいが機嫌が治るのも早く、恋人や友達に愚痴を言ってスッキリすればまた頑張るの繰り返しで日々を過ごしている。見た目に反して生活には堅実で、貯金や資産運用を愛し、汚い部屋を嫌う。
*人間関係
親しくなりたいと思った相手にはわかりやすく好意的で、嫌いな相手にはわかりやすく態度が悪い。とはいえ機嫌を取るのも簡単なタイプなのでいいように操縦されていることもしばしばある。 恋愛関係に発展しそうな相手には特に分かりやすいアピールをし、さっさと恋人になることも多く、また別れるのも早い。相手が職場や身近な相手でも気まずくなるという心配で気後れすることはまったくなく、恋愛をオープンに楽しんでいる。
*家族関係、幼少期体験
小さい頃に父親が出てゆき、シングルマザーの母親のもとで育った。パートの稼ぎは少なく部屋の整理整頓ができない人間で、狭いアパートでゴミに囲まれて育つ。幼少期からの生活に嫌気がさし、ほとんど親に頼らず���学金などで進学し、大学では経済学部を卒業し、学費免除と年収アップにつられて知的財産系の研究で大学院まで進学、見事に創務省に就職した。 また歳をとるにつれて酒やパチンコへの依存と金の無心がひどくなる母親にうんざりしており、義務として仕送りはしているが口論が絶えない。育ちと親を恥じており人には隠そうとする。父親のことはさらに激しく恨んでおり、見つけたら八つ裂きにすると誓っている。親戚との付き合いはほとんどない。 きれいな家、服、よくわからない芸術品を飾った金持ちの家に憧れがある。
*能力
優秀と言えるほど頭の回転は速くないが、目標を持てばその地点まで一直線に努力できる。仕事に関しては真面目。 また運動神経がよく、没討伐においては激しい火力を持つ重機関銃型のマキナを出現させ、ニジゲンの強化を受ければ銃弾を増幅させることが可能。前線での露払いを任せられることが多く、ちょこまかと足が速いため撤退も鮮やかにこなす。生傷が絶えない。
*著作、作品の評価
不定期でまったく意味のない、主に住宅などに飾ることを目的とした素材やフォルムの美しさや面白さを活かす彫刻作品や絵画作品を作る。作品には題名やキャプションもつけず、批評や解説を嫌っており高い評価がつくことはないが、洗練されたビジュアルを作るので展示目的でわずかながら購入者がいる。 本人は創作活動を完全に趣味と割り切っており、人からの評価はあまり気にしていない。キャラクター性やストーリー性は薄いほうなので検閲にもあまり引っかかったことがない。
*好きなもの
食べ物:焼き鳥、チキン南蛮、唐揚げなど鶏肉料理が好き。味の濃い料理の好む。嫌いな食べ物はしいたけとレバーとにんじん。 飲み物:ハイボール、クリームソーダ 季節:夏 色:クリーム色 香り:クリスチャン・ディオール「ミス ディオール ブルーミング ブーケ」ほか イヴ・サンローラン「モン パリ」。 エンジェルハートとか、消毒液やシンナー系のにおい 煙草:ほっそいメンソールたばこ たまに吸う 書籍:ファッション雑誌、インテリア雑誌 動物:うさぎ、猫 異性:真面目で綺麗好きな人 ファッション:セットアップが好き 体のラインが綺麗に出る可愛い服が好み 韓国ファッション系 場所:きれいな��テル、ラウンジ 愛用:女児アニメのコンパクトの手鏡 趣味:好みの相手探し、買い物、ファッション、ネイルアート、大きいものづくり *よく現れる場所 創務省周辺 コスメショップ 大型商業施設 古着屋 アウトレットパーク ヘアサロン ネイルサロン クラブかバー カフェ イタリアン ラーメン屋 定食屋さん 韓国料理屋 スタジオ(作品制作時) ホームセンター 美術館
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06090046
あるところに、それはそれは醜い姫がおりました。顔には幾つもの爛れた火傷の痕があり、目や耳は聞こえていましたが、人間が一目見ればバケモノ!と声を上げ逃げてしまいそうな、そんな顔でした。醜い姫は国の外れ、森の中で、真っ黒な面を被った魔術師の男と二人、暮らしていました。
姫は、街に住むことは出来ません。危ない場所だから行けない、と男に言われ、姫は素直に森の中、何もない狭い小屋で、野生の動物や花と戯れながら、日々を過ごしていました。
姫と男が住む国は、気弱な王と、それはそれは美しい王女が納めている国でした。元は普通の国だったその場所は、王女によって段々と変わっていきました。
彼女は王に成り代わって国の仕組みを変え、美しさこそが全てである、という法律をもとに、国を作り替えました。
美しの国、と呼ばれたその国は、6歳になった日、見た目の美しさで、社会的な地位が決められます。
その地位は、一生変わりません。見た目がとても美しくなって、上にのぼっていく人も稀にいましたが、皆、醜いものは醜いものに与えられた貧民街で泥水を必死に啜り、美しいものは美しい場所で美しい景色を見ながら、贅沢な暮らしをする、世界が光と影に真っ二つ。そんな国でした。
「相変わらず、あの国は醜いな。」
「あら、新聞を読んでいるの?」
「あぁ。天気が知りたくてね。もうじき雨季が来る。今日は林檎を見に行こうか。」
「やったぁ!行く行く!」
姫には、幼い頃の記憶がありませんでした。自分が誰から産まれ、なぜこんな顔になり、この一見不気味な男と暮らしているのか、全く分かりません。男に聞いても、「森で拾った。」としか言われなかった姫は、時々男が持って帰ってくる新聞や本、そしてさまざまな森の植物、動物を見ながら、色んな知識を付けました。
魔術師の男も、姫の前で面白い実験をしてみたり、野生動物を捕まえて捌いてみたり、常に好奇心を満たしてやろうと楽しいものをたくさん見せました。
姫は、側から見た自分の顔がとても醜く、国では酷い目に遭うことを知っていました。美しいものこそ全て、という価値観に染まりきった国の人間とは違い、姫の顔を気にせず、ただ何事もないように過ごしてくれる男は、姫にとって、かけがえのない人でした。
男は、姫と出会ってから一度も、仮面を外したことがありません。真っ黒なカラスのような嘴のついた仮面を被り、眼の部分も暗くてよく見えません。
でも、姫は、例え、その仮面の下を一度も見たことがなくても、男のことが大好きでした。
「魔術なんてものはね、本当は無いんだよ。全部、科学で説明ができるんだ。」
「科学?」
「そう。皆は知らないが、病気だとか、飢饉なんかも全て、科学で解決するんだよ。」
「それって素敵!よく分��らない迷信とか、思い込みに縛られているなんて、馬鹿みたいよ。」
「君は賢いな。さ、早く眠ろう。明日は16歳の誕生日だろう?収穫をして、君の大好物を作ってあげよう。」
「本当!?楽しみ、早く寝なくっちゃ!」
その日の夜、男は、小屋の外の気配に気付いてゆっくりと起き上がりました。隣のベッドでは、気持ちよさそうに寝息を立てる姫がいます。
男がナイフを手に玄関を開け、人影目掛けてナイフを突きつけると、そこには、ガタイのいい男が一人立っていました。
「なんだ、アンタか。」
「物騒なお出迎えだな。久しぶり。」
「姫はもう寝てる。外で話そう。」
仮面を外した男が、訪ねてきた男からタバコを貰い、肺に深く煙を吸い込んで口からぼわり、と吐き出しました。夜の闇に、薄ら白い煙が燻り、溶けていきます。
「誕生日だから、様子を見に来たのか。」
「あぁ。あれから10年経ったんだな。」
「立派に育ったよ。昔から変わらず、綺麗な人だ。」
「...そう、だな。」
「用はそれだけか?」
「いや、これを、姫に。と思って。」
「...生花のブローチか。は、クリスマスローズを選ぶなんて、趣味が悪い。」
「そう責めないでくれ。俺はあの日からずっと、姫を忘れず想って生きてきたんだ。」
「まあ、そのおかげで今ここに姫がいるんだ。責めやしないよ。」
「じゃあ、俺はもう城に戻るよ。夜明け前には戻っておかないと。」
「待て、これ持ってけ。」
「...変わらないな、お前も。ありがとう。帰りがてら食べるよ。」
ガタイのいい男は、渡された包みを懐に入れ、後ろ手で手を振りながら夜の闇の中へ消えていきました。仮面の男は仮面とブローチを抱えたまま、満天の星が浮かぶ空をぼーっと眺めていました。星の光が瞬いて、時折地面へ落ちてきて、木に実った沢山の果実を照らしました。
姫は、美味しそうなパンの焼ける匂いで目が覚めました。溶けたバターと、蜂蜜とミルクの匂い。飛び起きてキッチンに行けば、エプロン姿の仮面の男が姫を抱きとめ、「おはよう。」と言いました。
「おはよう。今日の天気は?」
「快晴さ。魔法の力でね。」
「ふふ、昨日は夕焼けが綺麗だった。だから晴れたんでしょ?」
「バレてたか。さぁ、ペテン師特製の朝食ですよ。席について。」
「はぁい。」
「「いただきます。」」
姫は手に持ったカゴへ、もぎ取った林檎を一つ入れました。もう5個、6個ほど入ったそのカゴはずしりと重たく、姫の目にキラキラと輝く群青が写ります。
「今年も綺麗に実ったね!」
「あぁ、10年目ともなると安定するね。出来がいい。」
「はぁ、早くおじさんのアレが食べたいわ。」
「支度はしてあるよ。林檎を小屋へ運んでくれるかな。」
「はぁい!」
普通の林檎は火よりも濃くて、血のように赤いものだと、食べたことがなくとも本で読んで姫は知っていました。ただ、男の育てる林檎はどれも群青色。一眼見ただけではくさっている、と思わなくもない毒々しい色をしていました。でも、勿論毒などありません。姫は毎年、この林檎を、男の一番得意な料理で食べているからです。
「出来るまで眠っているかい?」
「ううん、見てたいの。だって今日は、私の誕生日だもの。」
「分かったよ。」
しゃく、しゃりと大きめの角切りに切られた林檎。瑞々しいそれよりも、姫はたっぷりの砂糖で煮込まれて、飴色になった林檎の方がずっと美味しそうに見えるのです。そう、姫は男の作るアップルパイが、世界で一番好きでした。
「さ、あとは焼けるのを待つだけ。」
「この待っている時間、狂おしいほど愛おしいわ。」
「こちらへおいで。」
「...なぁに?」
彼らの住む国では、16歳の誕生日は特別なものとして扱われていました。社会的地位が決められてから10年。顔の美しい者たちがそれはそれは盛大に祝う誕生日として、どこかの祭りのように盛大に騒ぐのです。
男は、クローゼットの奥から、大きな箱を取り出しました。姫の目は期待にキラキラと輝いています。埃の被っていないその箱を開け、姫は、嬉しさのあまり悲鳴を上げました。
箱の中にあったのは、純白のウェディングドレスでした。姫が物語の中で何度も見た、幸せなお姫様が王子と結ばれて、そして祝福の中で着るドレス。シンプルで模様も飾りも何もない、上品なデザインでした。
つやつやした生地を恐る恐る触って、手のひら全体で触れて、頬擦りしてみました。気持ちが良いその絹に顔を埋めて、そして、仮面の男を見上げました。姫の目には涙が揺蕩って、今にも溢れそうに膨らんでいます。
「どうした?」
「私、こんな綺麗な服、着ていいのかな。」
「君に着て欲しくて、君のために作ったんだ。」
「でも、私、」
「出会った頃からずっと、君は美しい。生まれてきてくれたこと���、祝福したいんだ。それに、私は魔法使いだよ。いくらでも夢を見させてあげられる。騙されたと思って、着てくれないかな。」
「っ、分かった、大好きよ、おじさん。」
男はカメラを取り出して、中にフィルムを入れました。庭に置いた白いテーブルとチェアー。そして、姫の大好きなハーブティーにアップルパイ。外で待つ男の前に、着替えた姫が現れました。
純白のドレスに身を包んだ姫は、男が思わず見惚れてしまうくらい、それはそれは美しい姿をしていました。男は嬉しそうな声色で姫へ色々指示をし、座らせてみたりしゃがませてみたり、色々なポーズで写真を撮りました。
姫は写真が嫌いでした。でも、今日くらいは、綺麗な服を着た姿くらいは、せめて首から下だけでも、思い出として撮っておきたい、そう思って、涙を拭いながらカメラに向かって笑い続けました。
お腹いっぱいアップルパイを食べた姫は、日が沈む頃にはすっかり眠りに落ちてしまいました。キッチンの机の上には、現像された写真たちが何枚も散らばっています。その写真に写る姫の顔には、爛れた痕も、傷も何もなく、まるで白雪のような肌に、真っ黒で艶めかしい黒髪、熟れた正しい林檎のように赤く色づいた小さな唇、まさしく姫と呼ぶにふさわしい可愛らしい娘が写っていました。
「10年も掛かったよ、ごめん。」
そしてその夜、森に火が放たれました。男は姫を抱え、森の奥、人知れず作っていた岩の洞窟に逃げました。真っ赤な炎が青い林檎の木を包んで、飲み込んでいきます。
姫は震える唇を噛み締めて、その光景をただ見ていました。
「私が、醜いから、森を焼かれたの?」
「違うよ。君は悪くない。」
「おじさんの林檎の木、沢山リンゴが実ってたのに、燃えてしまう。」
「大丈夫だよ。落ち着こう。ゆっくり3数えてごらん。」
「......さん、にぃ、いち、」
数を数え、男のかけた術によって眠った姫を、男はそっと洞窟の奥へと寝かせました。被っていた仮面を外し、彼女へと被せ、洞窟へも術をかけた男は燃え盛る木々を見ては笑い、火のついた木を四方に投げ、むしろ森に広がる火を手助けしました。
「燃えろ燃えろ。これでいい。はは、ははは!」
森は延々と燃え、舞い上がった青銀の灰が風に乗せられ舞い上がって、街の方へと流れていきました。
王女は爪を噛みながら、城の中で怒鳴り散らしていました。10年前に殺したはずの姫が、生きていると鏡に知らされたからでした。
王女はその日も日課を済ませるべく、鏡の間で鏡に話しかけていました。
「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは?」
『......おぉ、なんということ、この世で一番美しいのは、貴方の娘、白雪姫です。』
「何言ってるのよ、あの子は10年前に死んだわ。」
『いえ、生きています。街の外れ、森の中で自由に暮らしています。』
「なぜ10年もわからなかったの!?」
『強い魔力を感じます。』
「まぁいい、��ょっと!」
そばにいた側近の、ガタイのいい家来を呼びつけた王女は、冷酷な顔で一言、言いました。
「夜の間に火を放ちなさい。」
「お、王女様...しかし、あの森は...」
「焼け野原になれば、醜い者たちに土地を与えて畑にでもすればいい。早く火を。燃やし尽くして更地にして、殺すのよ。」
「......仰せのままに、王女様。」
城に突然の来訪者があったのは、火をつけた次の日の朝でした。王女は、呼んでも誰の姿も見えない城の中を、カツカツと苛立った足音を鳴らしながら歩いていました。
そして自室に戻った王女の前に、全身が黒い男が現れたのです。
「おはようございます、王女様。」
王女は固まりました。その男の、口の端の裂けたような傷痕と、色の違う左右の瞳、そしてその卑しい笑顔、神聖な城になど絶対入れるはずもないアシンメトリーな醜い顔には、嫌と言うほど見覚えがあったからです。
「あぁ、やっぱ覚えてた?そりゃそうか、自分の子供殺させた相手忘れるほどバカじゃねえな、さすがに。」
「何をしにきた。」
「お礼を。」
王女のベッドへ勝手に腰掛け、タバコへ火をつけて吸い出す男。困惑したままの王女を見て、心底楽しそうな笑顔を浮かべた男が、謎解きを始める。
「まずは10年前のお礼。娘の美しさに嫉妬したアンタの目の前で娘の顔に薬品ぶっかけて、その後一旦解放した俺を襲って、死体奪って、こんなご褒美までくれて、どうもありがとう。」
にこにこと上機嫌に笑いながら、男は昔を思い出していました。
鏡によって娘の美しさを知らしめられた王女は、6歳になる頃、呪術師の男に顔が醜くなる呪いをかけさせ、そして失望のあまり娘が自ら命を絶った、と、そういうストーリーを作り上げていたのでした。
勿論手を下した男も、二度と街を歩けないよう顔を傷つけて、トドメを刺させたつもりでした。
「10年前、アンタが娘の死体だと思ったあれは、俺が術をかけた豚の死体だよ。」
「な、そんな...確かに、鏡は死んだと、」
「何のために俺みたいな呪術師がいると思う?アンタみたいな醜い人間の心を騙して、呪うためだよ。ははは。」
高笑いが止まらない男は、ゆっくり瞬きしながら王女に近付き、煙を吐きかける。
「なぁ、王女さんよ。引き連れてるお供はどうした?」
「!!!まさか、それも、お前が...?」
「くく、ははは、あはははは。お前ならあの森を焼くって、分かってたからなぁ。俺は。」
王女は慌てて自室の窓に駆け寄り、バルコニーに出て外を見下ろしました。城の外、普段は美しい者たちが仲睦まじく集っている広場が、夥しい数の倒れ込む人々で埋まっています。
「10年間ずっと呪い続けたんだ。人も、土地も、何もかも、終わり。もうこの国は死んだ。」
「嘘だ、そんなはずは...貴様!」
「足掻くなって。もう、あとアンタが死ぬだけだから。」
男が人差し指を王女に向け、そして、オッドアイを見開き、何か言葉を呟きました。ニヤリ、と歪められた口角が釣り上がり、耳まで繋がった痕が引き攣れました。
ふわり、と浮いた王女が恐怖を顔に浮かべ、そして、男の指の動きと一緒に左右に揺らされ絶叫が城に響きます。
「さようなら。世界で一番醜い、王女様。」
下を向いた人差し指に操られるまま、王女は地面に顔から落ちていきました。男がバルコニーから下を覗けば、恨みがましい顔で見上げている王女がいます。楽しくてしょうがない男は、王女目掛けてバルコニーに置かれていた鉢植えを全て落とし、そしてスッキリした面持ちで城を後にしました。
男の育てていた青い林檎は、呪いの林檎でした。摂取しても、灰を吸い込んでも、育った大地さえ猛毒になる恐ろしいものを、男は森いっぱいに広がるまで育てていたのです。
ただ、男と、そして姫だけは、守りの呪いをかけたアップルパイを食べ続けていたので、この世界でも無事に生きられる。そんな理不尽すら、男は厭わないほど、この国を、人を嫌い、呪っていたのです。
死体の転がる小綺麗な広場を、男が楽しそうにスキップしながらかけていきます。転がる死体の中には、かつて姫と男が逃げるのを手助けした、あのガタイのいい男の姿もありました。
洞窟で丸二日眠っていた姫が目覚めた時、目の前には本の中でしか見たことのない海が広がっていました。今までは緑に囲まれていた姫は、また違う世界の自由を手に入れたのです。
そばに座って姫を見ていた仮面の男は、いつもと変わらない「おはよう。」を姫へと伝え、そのつるりとした頬をなぞりました。
いつもと違う感触に姫が目を見開き、己の顔に触れ、あふれる涙とともに男に抱きつくまで、あと3秒。
めでたし、めでたし。
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絶望のパレード
魂がうわついている。まるで自分が自分でないみたいだ。ここしばらく意識は常に前方斜め下で、歩いているのは抜け殻か尻尾のようなものである。いつから、そしてなぜそのようになってしまったのだろうか。正月にかこつけて内省的になってみる。
昨年の初めに私家版詩集を刊行した。それまでに書き溜めた僅かな詩編を、2人の詩人と編集者、美術家とともに共著の形でまとめた。処女詩集にして全集のようなおもむきがあるけれども、自分としてはそれでよい。稲垣足穂風に言うなら、以降に自分が書くものはその注釈かバリエーションに過ぎないということだ。共著者と編集者が営業に奔走してくれ、関西の大型書店のみならず、関東の書店にも置いてもらうことができた。ありがたいことに帯には人類学者の金子遊氏が一文を寄せてくださった。個人的には、自分の高校時代からの読書遍歴を決定づけた恵文社一乗寺店に置いてもらえたこと、そしてそこで一度品切れになったことが大変嬉しかった。これで一地方のマイナーポエットになることができたという感じがある。それ以上は望まないが、この営みは細々と���けていくつもりだ。
詩集に関するあれこれが落ち着いてからは、英語の学習に明け暮れた。一昨年は仕事で繁忙を極めており、勉強どころか読書も満足にできなかったため、それを取り戻すように必死にやった。おかげで昨年度中の目標としていた点数を一発で大きく上回ることができ、すぐに違う分野へ手を出した。次はフランス語であった。気合を入れて5000円もする参考書を買い、基礎からやり直していった。ところがその参考書、誤植があまりにも多く、解説も非常に不親切で、ページをめくるのが億劫になり早々にやる気を失ってしまった。なんとも情けない話である。新しい参考書を買う気もなくなり、漢字の勉強へシフトしたところ、こちらはうまくいった。徐々に、平日はカフェで、週末は図書館で勉強するスタイルが出来上がっていった。その間も読書は続け、昨年で40~50冊程度は読むことができた。
秋ごろには面白い出会いがあった。実存的な不安が高まったこともあり、有休を取って哲学の道を散歩していたところ、海外からの観光客に、掛かっている看板の意味を聞かれた。訛りのある英語だったため、フランス人ですか? と問うと、そうだとの答え。自分がわずかばかりフランス語が話せるとわかって意気投合し、3日間観光ガイドのようなことをした。彼の名はムッシュー・F、ひとりで日本にバカンスに来て、東京でラグビーの試合を見たりしたとのこと。七十を超える高齢だが、つい最近まで自分もラグビーをしていたと話すエネルギッシュな人物で、全く年齢を感じさせない。パリで会社を営んでいるそうで、これが私の家だと言って見せられたのは、湖畔に浮かぶ大邸宅の写真であった。週末には森を散歩したり、湖にモーターボートを浮かべたり、馬に乗ったりしているよと言う。もちろんそれらは全て私有(森や湖でさえ!)、モノホンの大金持ちである。京都では一緒にカフェに行ったり、大文字に登ったり、うどんをご馳走したり、孫用の柔道着を探したり、旅行の手配を手伝ったりした。是非フランスにおいでと言い残し、彼は去った。それから今でも連絡を取り合っている。実に50歳差の友人ができた。
かつて自分は、日本で日々を平穏に過ごしながらたまに外国語を話す生活を望んでいたが、今になって少しばかり叶っていることに気が付いた。仕事ではしばしば英語を使う。ただ、本音を言えば、金子光晴のように海外を旅して回りたい。学生時代に思い描いていた生活はと言えば、高等遊民か世界放浪者であった。金子は詩の中で「僕は少年の頃/学校に反対だった。/僕は、いままた/働くことに反対だ。」と言った。人間は何からも自由なのである。自分も「成績」や「評価」、「管理」などには絶対に反対である。人に指示され、その目を気にして送る生活など耐えられない......。ところが、じっさいの自分には構造の外へ飛び出す勇気がない。そもそも自分は道の外から生のスタ-トを切ったのだ。そこから正道に戻るだけで精いっぱいだった。血の鉄鎖に引きずられながらもなんとか空転を繰り返した結果、保守的な思想が全身に染みついてしまった。今はなすすべもないまま泣く泣くレールの上を鈍行で走っている。窓からは、空中を並走するもうひとりの自分が見える。全てに背を向けて純粋な精神の飛翔を楽しむ自分の姿が。金子の詩友・吉田一穂は「遂にコスモポリタンとは、永生救はれざる追放者である」と言った。世界は狭量だ。自分にとっては、シュマン・ド・フィロゾフもアヴェニュ・デ・シャンゼリゼも等価である。どうにか国や所属を超越したいと強く思う。やはり勉強をし直さねばならない。
自分の様子がおかしくなったのは10月頃からだ。一昨年度に忙殺されたせいで少なからず人間の心を失った自分は、仕事における虚脱感に苛まれていた。家における問題もあり、また昨年度新たに来た上司とは全くウマが合わず、フラストレーションも募っていた。そもそもが5年で5人も上司が変わるという異常な環境である。自分はよく耐えてきたと思う。働くことが馬鹿馬鹿しくなり、ぼーっとする時間が多くなる。そんな中、自分はある大きなミスをしでかしてしまった。それは実際大した問題ではない、誰にでも起こりうることだった。尻ぬぐいは上司とともに行うこととなった。しかし、そのミスのせいでかなり落ち込んでしまい、さらに事後対応や予防策の打ち出し方が虫唾が走るほど不快なものであったため、自分は深く考え込むこととなった。さらにそこで追い打ちのごとく転勤が告げられたため、自分はついに心身に不調をきたしてしまった。抑鬱、不眠、吐き気、緊張性頭痛、離人感、悲壮感、食欲不振……全ての事物から逃げ出したくなる衝動に眩暈がする。ある日職場で人と話している時に、どうにもうまく言葉が出てこなくなったため、何日か休む羽目になった。初めて心療内科を受診し薬をもらった。一日中涙が止まらなかった。その頃の記憶はあまりない。日々、ふわふわと悲しみのなかを漂っていたように思う。ただ、話を聞いてくれる周りの人々の存在はかなりありがたく、ひとりの人間の精神の危機を救おうとしてくれる数多の優しさに驚かされた。転勤の話は自分の現況を述べたところひとまず流れた。その際、上役が放った言葉が忘れられない。「私は今までどこに転勤しても良いという気持ちで仕事をしてきましたけどね」。他人の精神をいたずらに脅かすその無神経さに呆れて物が言えなかった。薬の服用を続け、1ヶ月半ほどかけて不調はゆるやかに回復したが、自分が何もできずに失った貴重な期間を返して欲しいと強く思う。仕事に対する考え方は世代間でもはや断絶していると言ってもよいだろう。
労働を称揚する一部の風潮が嫌いだ。仕事をしている自分は情けない。それにしがみついてしか生きられないという点において。システムに進んで身を捧げる人間の思考は停止している。彼らは堂々と「世の中」を語り始め、他人にそれを強制する。奴隷であることの冷たい喜びに彼らの身体は貫かれている。何にも興味を持てなかった大多数の人間が、20代前半に忽然と現れる組織に誘拐され、奇妙にも組織の事業であるところの搾取に加担・協力までしてしまう。それは集団的なストックホルム症候群とでも言うべきではないか。社会全体へのカウンセリングが必要だ。尤も、使命感を持って仕事に臨む一部の奇特な人々のことは尊敬している。生きる目的と収入が合致しさえすれば、自分も進んでそうなろう。だが自分は、「社会とはそういうもの」だという諦念には心の底から反抗したい。組織とは心を持たない奇形の怪物だ。怪物は人間の心の欠陥から生まれる。ただ怪物のおかげで我々は生きられる。それをなだめすかしておまんまを頂戴しようという小汚い算段に、虚しさを深める日々。人間的であろうとする以上、この虚しさを忘れてはいけない。
どうしようもない���実だが、労働によって人の心は荒む。労働は労働でしかない。肉体を動かすことによる健康維持という面を除けば、それ自体、自己にとっては無益なものだ。勤労意欲のない文学青年たちはいかなる生存戦略を以て生活に挑んでいるのか。彼らの洞窟を訪ねて回りたいと思う。現代には、彼らのように社会と内面世界を対立させたまま働き消耗する人々がいる。ある経営者がその現象を「ロキノン症候群」と呼んでいた。芸術に一度でもハマったことがあるような人々がそうなのだという。しかし彼らも納得はいかないながら、どこかで折り合いをつけて頑張っているはずだ。自分は彼らに一方的な連帯感を覚える。来る亡命に向けて、励まし合っているような気さえするのだ。世間様はきっと我々を馬鹿者だと罵るだろう。「なんとでもいはしておけ/なんとでもおもはしておけ」と、山村暮鳥の強い声が聞こえる。目に見える���のだけを信じるのもいいが、それを周りに強いてはならない。我々は今、ようやく開けてきた時代を生きている。だが認識は未だ模糊としている。完全な精神が保証される世界からすると、まだまだ古い時代なのだ。人間の姿を見失いがちな現代に対して言えるのはただ一つ、みんなで一緒に幸せになろう、ということだけだ。
さて、年末に3日間の有休をぶち込んだので年末年始は12連休となった。天六で寿司を食べ、友人宅に入り浸ってジャークチキンをむさぼった。ポルトガル料理に舌鼓を打ち、サイゼリヤで豪遊した。特に予定を立てずに、ひたすら酒とコーヒーを鯨飲する毎日であった。心身の不調はマシになったものの、不運が続き、人と会わなければどん底に落ちると思った。それはまるで自分という神輿を中心にした絶望のパレードのようだった。
休みの初日、ふと思い立ち、生き別れた父親の所在を探るべく、戸籍を請求してみた。私は父親の顔も名前も知らなかった。さほど興味がなかったというのもあるが、これまで家族に問うても曖昧な答えしか返ってこなかったのだ。働き出してからしばらくして、親戚から聞いたのは、父親は母親と同じく耳が聞こえなかったこと、暴力をふるう人間であったことの二つだけだ。養育費が払われることはなかったともどこかで聞いたような気もする。いずれにせよクズのような人間であったことは疑いようもない。生まれてから会った記憶もなく、不在が当たり前の環境で育ったため、会いたいと思ったことはほとんどない。ただ、自分の身体の半分が知らない人間の血によって構成されていることに何とも言えない気持ち悪さを覚えていた。というのも、顔は母親似だと言われるが、色覚異常の遺伝子は父親から受け継いだものであり、おかげで少年はある夢を断念せざるを得なくなったからだ。その「不可視の色」を意識するたび、自分の身の内には不在の存在がかえって色濃く反映された。違和感は自分が年を重ねるごとに増してゆくような気がした。そのため、せめて名前と消息だけでも知っておこうと思い、今回ようやく役所に出向いたのだ。職員に尋ねたところ丁寧に教えてもらえた。自分の戸籍から遡れば簡単に辿ることができる。しばらくして数枚の紙きれが手渡された。そこには聞きなれない苗字が書かれてあった。そして、案外近くにひとりで住んでいることがわかった。ふーん。何か虚しさを覚えた。自分は何がしたかったのか。カメラを持って突撃でもすれば面白いのかもしれない。ネットで調べてみると同じ名前の者が自己破産者リストに載っていた。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。結局自分には関係のないことだ。じっさいこの文章を書いている今、父親の下の名前をまったく忘れてしまっている。思い出そうとしても思い出せないのだ。
旅行前日の夜中に家の鍵���なくした。普段ほとんど物をなくさないのでかなり焦った。約4㎞の距離を3往復し、交番に駆け込むも見つからず。最後に寄ったコンビニの駐車場を這うように探し回ったところ、思いがけない場所で発見し安堵した。寒くて死ぬかと思った。自分は落とし物を探す能力には自信がある。物をなくさない、などと言いながらイヤホンのイヤーピースはこれまでに3度落としたことがある。しかし、その都度血眼になって道端から救出してきたのだ。今回見つからなかったら自分はどんなに落ち込んでいただろう。2時間も無駄にしてしまったが、とにかく良かった。もうお洒落を気取ったカラビナは使わない。
中学時代の友人3名と有馬温泉に行った。ここ数年、年末の旅行は恒例行事となっている。とはいえこの4人で遊ぶために集まるのはおよそ10年ぶりだ。有馬は京都から車でおよそ1時間半。温泉街は観光客でごった返している。外国人も多い。昼飯にカレーを食べ、しばしぶらつく。細く入り組んだ坂道が続く。公園には赤く錆びついた蛇口があった。飲用可能な鉄泉だったが、衝撃的な味に顔がゆがむ。血だ。その後、目当ての温泉旅館に行くも臨時休業であった。どこの湯も混雑しており、20分待ちがザラだった。日帰り湯の看板が出ていないホテルにダメもとで聞いてみると、幸運にも入れるとの答え。客もほとんどおらず、金泉をこころゆくまで楽しめた。歩き途中、炭酸せんべいを土産に買う。特徴のない普通のせんべいだ。ここで一旦宿に戻って車を置き、再びタクシーで温泉街へ。鉄板焼き屋でお好み焼きを食べ、銀泉に入る。顔がツルツルになった。宿はそこからかなり離れた山裾にある合宿所のようなところだった。嫌がるタクシーに乗り込み、外灯のない急坂を登る。受付には緩い感じのおじさんがいて、懐かしさを覚える。鍵を受け取り、宿泊棟へ。一棟貸しなので騒ぎ放題だ。大量に仕入れた酒とつまみと思い出話で深夜までウノに耽った。翌朝気が付いたのは隣の棟の声が意外とよく聞こえるということだ。大声、というか爆音で昔の先生のモノマネやらツッコミやらを繰り返していた我々の醜態は筒抜けになっていたようだ。棟を出る時に同年代くらいの若者と鉢合わせてかなり気まずかった。ここにお詫び申し上げる。この日は朝から中華街へと移動し、料理を食らった。鰆の酒粕餡かけという聞きなれない一皿がめっぽう美味かった。バリスタのいるコーヒー屋でエスプレッソを飲み、だらだら歩いて旅行は終了。京都に着いてから��ぜか3時間ほどドライブし、大盛の鴨南蛮そばを腹に入れてから解散となった。
大晦日は友人宅で蕎麦をご馳走になってから鐘を撞きに行き、深夜まで運行している阪急で松尾大社へ。地元の兄ちゃんが多い印象。社殿がコンパクトにまとまっていて良かった。おみくじは末吉だった。年明け早々、以前付き合っていた人が結婚したことを人づてに聞く。めでたい気持ち半分、複雑な気持ち半分。元日は高校時代の友人3人と四条で酒を飲むだけに留まる。2日は友人らと蹴上の日向大神宮へ。「大」と名づくが割合小さい。社殿の奥には天の岩屋を模したと思しき巨大な岩をL字型にくりぬいた洞窟があり、潜り抜けることができる。いつ作られたものかは不明だそう。暗闇を抜けて日の光を再び浴びる時、不思議にもスッキリとした感覚になる。ここでもおみくじは小吉だった。その後は下鴨神社の露店を物色し、ケバブとヤンニョムチーズチキンなる悪魔のような食べ物に枡酒で乾杯。旧友と合流し、深夜まで酒を飲み、コーヒーで〆。怒涛のアルコール摂取はここで一旦落ち着いた。
3日、昼に起きる。夕方ごろ喫茶店に行くもぼんやりして何もできず。3時間で本のページを3回めくったのみ。その帰りがけに初めて交通事故を起こした。自分は自転車に乗っていたが、考え事ごとをしていたかそれとも何も考えていなかったか、赤信号の灯る横断歩道の真ん中で車に真横からはねられて、初めて意識が戻った。即座に状況を理解し、平謝りする。非常に幸運なことに怪我も物損もなく、さらには運転手が気遣ってくれたおかげで大事には至らず、事故処理のみしてその場を後にした。自分はあまりにぼーっとしすぎていたのだ。赤信号はおろか、横断歩道があることさえも気づいていなかった。完全にこちらが悪い。ただ、こんなことを言ってはヒンシュクを買うだろうが、何か自分のせいではないような気もした。昔、轢かれたことのある友人が、「車は鉄の塊、人なんて無力」と言っていた。生と死は笑えるほどに近い。車の同乗者には、生きててよかったなぁ! と半ば怒った口調で言われた。果たしてそうなのか。苦しんで生きるか、知らぬ間に死ぬか、どちらが良いのか。よくわからない頭のまま先輩の家に遊びに行き、帰ってからおみくじを捨てた。馬鹿にもほどがある。
“WWⅢ”がツイッターのトレンド入りした日に、リニューアルしたみなみ会館で���画「AKIRA」を見た。第三次世界大戦で荒廃・復興した2020年のネオ東京が舞台である。東京オリンピックの開催まで予言されていて瞠目する。作画の緻密さと色彩の美麗さ、展開のスピードが尋常ではなく、見るドラッグのようであった。見に来ていたのは意外にも20代の若者が多かった。なぜか終了30分前に入ってきた女性3人組もいた。目がぐるぐる回って、もう何が何か訳がわからなかった。溢れそうな鍋に蓋をしたところ、その蓋の上から具が降ってきた。そんな脳内で、世界の終わりというよりは、自分の終わりという感じだった。翌日から仕事だったが、変に興奮して夜中まで寝付くことができなかった。
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≪スキップフロアのある家≫ 壁一面に大きな棚を置くこともできる広々としたスキップフロア。 子どもの勉強部屋として、キッチンで料理をしながらでも子どもの様子がわかるので安心です😌 また、リビングとスキップフロアを併用すればホームパーティ会場に早変わり。 快適な空間と楽しい時間が生まれます スキップフロアの家は収納力も高く、家の中はいつでもスッキリ✨ 玄関横にはキャンプ用品や自転車などを置いておくことのできる大きめの収納を備えています。 スキップフロアは1階と2階をつなぐ1.5階のようなフロアです。 このため、3層からなる立体的な空間として家全体に広がりを持たせる効果があります。 また、立てに伸びる間取りを採用することで視線の抜けが良く実際の床面積よりも広く感じられるのが特徴です。 スペースを無駄なく有効活用できるため、狭小地にもおすすめです。 間取りのご相談も承ります☺️ ママスタッフに��る暮らしのあれこれアカウント ▶️ @woodlifestyle00 家づくりのアイディアや家づくりの流れも分かるホームページ/こちらのお家の施工事例もあります! ▶️woodlife-style.com プロフィール欄にリンクもあります。 #woodlifestyle #woodlifebox #スキップフロア #スキップフロアのある家 #全体を見渡せるキッチン #収納力 #立体的なリビング #狭小地 #狭小住宅 #スペース有効活用 #長く住み続ける #長期優良住宅 #耐震等級3 #地震に強い家 (WOOD LIFE style・日向×涼風×花のパッシブハウス) https://www.instagram.com/p/CKuq0cNAsUN/?igshid=16a2823icnx72
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中年の文鳥を飼う方法
私はめちゃくちゃ心が狭い。体感的には二畳半くらいだ。一応これでも広くなった方だ。二十歳のころは、多分今の半分以下だったと思う。
部屋と一緒で、心が狭いと本当に生活しづらい。周りの何もかもに憤りを感じて、すべて自分の部屋に収まるサイズに削り取ってしまおうとする。とんでもねえことだ。
ああ、もっと広い心に住みたいな。使いづらいオシャレなローテーブルとか置きたい。洗濯機で洗えない、デリケートなアルパカのラグとか敷きたい。
部屋が広いのは目で見ればわかるけれど、じゃあ、心の広さはどうやったらわかるのか。シャーディーの千年錠があれば簡単だけど、持ってないしな。
仮に、心の広さを「ゆるせること」で捉えてみたらどうか。ひらがなで書いてるのは「許す」「赦す」のどちらの意味も含むような気がしているので。
H先生の『想像メソッド』
「ゆるすこと」について考えているといつも思い出すのは、大学時代の恩師、H先生のことである。
ある日、H先生の研究室で、先生を慕う学生数人と先生と仲の良いM先生と一緒に、放課後のほほんと、おしゃべりvery timeを過ごしていた。すると突如M先生が大学関係者に関する愚痴をぶちまけ、だんだん怒りのこもったトーンになってきた。なんでああいうことをするんだ。何もわかってないんじゃないか。自分のことばっかりじゃないか。
我々学生はハラハラしながら曖昧な表情であいづちをうつしかなかった。
するとH先生が、「ねえ、もしかしたら何かこちらには見えていない事情があるのかもよ。想像してあげないと。いい風に捉えてあげるのよ。」と穏やかな口調で言った。
「想像してあげる」これは大事なキーワードかもしれない。誰かに対して、「なんでやねん」という気持ちになった時、その人の事情や気持ちを慮れば、その人の振る舞いが理解できるようになるかもしれない。しかもそれは事実である必要はない。極端なことを言えば、自分を納得させるために、話をでっちあげたっていいわけだ。
H先生の話を聞いてから、大学生の私はこの想像してゆるす方法を勝手に『想像メソッド』と名付け日常生活に取り入れるように��た。
想像メソッドの実践
翌日、5階の講義室に行こうと思ってエレベーターに乗ったら、一緒に乗ってきた人が2階のボタンを押した。私は瞬時に「階段使え!」と思ったが、「いや、もしかしたら体調が悪いのかも」と想像することで、その人を自分の中で「ゆるす」ことができた。
え、いや、そんなことで怒ってるの?そもそもこれは「ゆるす・ゆるさない」の話ではないのでは?と、すでにドン引きの方がいるのは想像に難くないが、当時の私の心の狭さは一畳くらいだったのです。こんなものなのです。自分の周りのありとあらゆるものに反射的にキレているのです。ついてきてください。
別の日、パン屋のレジで店員さんに「レシートはご利用ですか?」というトリッキーな質問をされ、いつもなら「ご利用じゃなくて『ご入用』な!!!」とシャウトしそうになっているところだったが、「もしかしてこの店員さんの地元の方言には英語の『サイレントE』みたいに、書かれているけど発音しない文字のルールがあるのではないか。語中の「い」は発音しない、その名も『サイレントい』的なルールが……」と想像して、「ありがとう。ノーご利用です。」と言って店を出た。自分が日本語を喋っているからと言って、日本語をすべて理解しているわけではない。むしろ知らない日本語の言葉やルールのほうが多いのだ。私はパン屋さんで「サイレントい」という新しい日本語の一面に出会ったのだ。もちろん、検証はしていない。想像メソッドだからだ。
また、別の日、電車を降りようとした時、同じタイミングで降りようとしたスーツの中年男性とぶつかった。私が「すみません」と言う前に、男性は「チッ」と舌打ちをした。今までの私なら、すぐに男性を線路内にドーーーン!案件だが、想像メソッドを取り入れた私は、もちろんそんなことはしない。
この男性、人間に見えるが、実はほんの一週間前までは文鳥だったのである。文鳥の「文彦(ふみひこ)」は一人暮らしの会社員の岩本(40)に飼われていた。岩本は不器用な男で、友達や恋人もおらず、話し相手は文彦だけだった。文彦には、人語がわからぬ。文彦は、ペットの文鳥である。 岩本が落ち込んでいる時は、主人を励まそうと「チュピチュピ」と鳴いて慰める、心優しい文鳥だった。 でも、もしも人語が喋れたら、いや、もしも自分が人間だったなら、岩本の親友になって、話し相手になってやれるのに。そう思うようになった。そう願い続けていたら、ある朝、なんと文彦は人間になっていた。それも岩本と同世代の中年男性になっていた。岩本は朝起きたら知らないおっさんが裸で鳥かごの前をうろついていたので、とりあえず気絶した。気絶から覚めても尚パニック状態の岩本に、文彦はなんとか自分が文鳥であることを全裸で説明した。人間になっていたので人語は使えるようになっていたが、時折「チュピ」とか「チュン」とうい小鳥っぽい音を発してしまう。だが、そのおかげで岩本は文彦が文鳥であることに、半信��疑ながらも、納得してくれた。そしてとりあえずズボンをはくように言った。岩本は文彦に一人では外に出ないように言いつけていた。文彦は外の世界のことなど全く知らないからだ。最初の6日間はおとなしく家でテレビを見ていた文彦だったが、7日目の朝、岩本が忘れていったスマホが鳴った。文彦が苦労して電話に出ると、慌てた岩本が「鞄を移し替えたせいで、大事な書類を忘れた。届けてくれないか。」と言った。文彦は岩本のためなら、と会社までの行き方を鳥頭で覚え、戸惑いながらもなんとか電車に乗ることができた。しかし、電車内は想像以上に息苦しく、何度もチュピチュピ鳴きながら耐えていた。ようやく目的の駅に着いた。やっと降りられる!そう思って扉から飛び出そうとした瞬間、隣の人間にぶつかった。文彦は驚いて思わず「チ���ッンッ!!」と鳴いた。
これが『side story F~小さな文彦の大冒険~』である。初めての外出、人込み、岩本に託されたミッション、文彦は小さな文鳥には抱えきれないほどのプレッシャーだらけの中、懸命に電車を降りようとしていただけである。驚いて、思わずさえずった。それだけのことだ。そんな幼気なおっさん文鳥を、誰が責められるというのだろう。
その後、乗り換えた電車内で私ははたと気が付いた。文彦、ネクタイしてた。すごいぞ、文彦。めちゃくちゃすごいぞ。人間でも手こずるのに、文鳥の文彦が岩本のためにネクタイまで…。そうだよな、会社の人に見られるかもしれないもんな。ちゃんとした服装で行かなきゃって思ったよな。そう考えると、涙が止まらなくなった。私は泣いているところを他の人に見られないように、そっと顔を窓の方に向けた。文彦は無事に岩本に会えただろうか。西宮の閑静な住宅街が窓外に流れていった……。
この一連の話を、後日H先生にしたところ「ちょっと色々と考えすぎとちがう?」と言われ、なぜかお坊さんが書いた、前向きに生きるヒント的な本を貸してくれた。すごく心配された。その前の週に、私が期末レポートの資料用にブックオフで買った鶴見済の『完全自殺マニュアル』が鞄に入っているのを見られたことも関係しているかもしれない。
いずれにせよ、私は先生のメソッドを取り入れたつもりだったが、なんかたぶん色々と間違っていたっぽい。
当時の私を振り返る
そもそも、自分が常に「ゆるす・ゆるさない」のジャッジを下す側にいると思っていることが間違いであった。(ここでやっと皆さんに追いつきました。お待たせしました。)それが私に向けられた言動ならいざ知らず、他人の行動にいちいち目くじらを立てている方がおかしいのだ。謂わば、自分の部屋の前を通り過ぎている人に向かって「私の部屋に入れてやらねーからな!」と叫んでいるようなものだったのだ。ただ���変質者である。
「ひっこし!ひっこし!さっさとひっこし!しばくぞ!」
かつてリズミカルにこんなことを叫んでいてニュースになった(そして騒音傷害という罪で捕まった)人がいたが、私のメンタリティも似たようなもんだったかもしれない。
私が想像メソッドを実践した上の三つのケースを例に考えてみる。
まず一つ目のエレベーターについては、エレベーターが各階に止まるように設計されていて、施設の利用者ならば誰でも使っていいはずなので、2階のボタンを押した人には全く非はなく、この人は自分が持つ施設利用者としての権利をルールの範囲内で行使したに過ぎない。したがって、私が「ゆるす・ゆるさない」のジャッジの対象にするべき問題ではないのだ。むしろ、私は自分がなぜそんなことでイライラしたのか、と自分自身の苛立ちについて考えるべきではないだろうか。
これは私の中にいつの間にか「エレベーターを使うのは4階以上の時だけ」という自分ルールが作られており、それを他人にも当てはめようとしていたことが原因だと考えられる。自分ルールは自分だけに適用すればよい。でも、他の人にはそのルールを守る義務も義理もないのだ。エレベーターも、自分が2階に行く時は階段を使えばいいだけ。もっと言えば、そういう人を見てイライラするならどの階に行く時も階段使えばイライラしなくて済むよ、大学生の私。
「あいつだけずるい!」みたいな気持ちになった時は、自分が作ったルールを社会規範のように思い込んでいないか考えてみる必要がある。というわけで、このケースは想像メソッドを使うまでもなく、私が他人に自分ルールの順守を求めることをやめれば済む話であった。そういうところだぞ、大学生の私!
二つ目のパン屋の「ご利用/ご入用」問題についてはどうか。
店員さんは「レシート要りますか」と聞きたかったのだから、やはり正しくは「ご入用ですか」と聞くべきだったと思うのだが、例え「ご利用ですか」と言われた(というか聞こえた)ところで一体何が問題だったのだろうか。文脈から「レシートが要るかどうか」の質問であることは明白で、その数秒のコミュニケーションに何ら支障をきたすような間違いではない。
私の中の日本語憲兵みたいなのが「乱れた日本語おおおおおお許すまじいいいいいい」みたいなことを言って暴れていただけのような気がする。言葉は知らない間に変わっていく。誤用が浸透すれば辞書に載るし、正しい意味が忘れられれば消えていく。そういうものではないか。誰も死語のために墓を建てたり弔ったりしない。言葉は静かに少しずつ変わっていくのだ。(私はひそかに「ナウい」「ヤング」を死守するために戦っているが。)
それよりもむしろ、正しさを笠に着て相手より優位に立ってやりたいという、そのマウンティング根性を何とかしたほうがいい。非常にあさましい。あさましいぞ!大学生の私よ。
さて、問題は三つ目の電車降車時の舌打ち事件である。
文彦(仮名)は明らかに私に対して敵意を向けていた。しかも私はただ電車を降りようとしただけなのに、見ようによっては向こうからぶつかってきたともとれるのに、そして私は謝ろうとしていたのに、舌打ちをかまされ、唖然として謝ることもできなかった。
これはまさに「ゆるす・ゆるさない」の俎上にのせるべき問題だと思う。そして、私は見事に想像メソッドを活用して、暴力に訴えることなく、平和的に「ゆるす」ことができた(神戸線の車内でネクタイのことに気づいて号泣したことはさておき)。三つの中で最も適切に想像メソッドを活用できたケースだと言える。
想像メソッドの有効な活用法とは
しかし、一方で別の想いもある。文彦は、私が小沢仁志みたいなルックスだったら、同じことをしただろうか。私が室伏広治のような見た目でも舌打ちをしただろうか。絶対にしていない。春の野原でこっそりとかくれんぼをしている、たんぽぽの妖精のような可憐で愛くるしい見た目の私だから、文彦は反撃されないと思って舌打ちをしたのだろう。
小沢仁志・主演『制覇17』
文彦はあれ以降も、弱そうな相手には同じように攻撃的な態度を見せているかもしれない。私がやつをゆるしたばかりに、罪を重ねている可能性がある。やはり「なにが『チッ』じゃ、おのれが気を付けんかい、このドぐされスーツじじい!」くらい言っても良かったのではないか、そんな気もしている。
ゆるすことで何となく心は穏やかでいられるが、スッキリはしない。想像メソッドはその瞬間の衝突を回避するには向いているが、カタルシスを得るには十分ではないし、根本的な解決にはつながらない。
これらのことから、想像メソッドは、①相手が自分と対等な関係で②相手の言動が明らかに自分に向けられていて③その言動によって自分が傷つけられたと感じた時には有効である。例えば友人や家族の言葉や態度に傷ついた時、怒りや悲しみを相手にぶつける前に、想像メソッドを使ってみる。そうすれば、一旦、負の感情の爆発は抑えられる。その状態であらためて自分が傷ついたことを、相手に伝えてみる。
こういう活用方法が一番よさげだ、という結論に至った。10年かかった。長かった。はやくにんげんになりたい!!
H先生がゆるさなかった��と
最後に、私が実践した3つのケースに含まれていない例についても書いておきたい。このメソッドの開発者(私が勝手に呼んでるだけ)であるH先生がぶちぎれた時のことである。
ある学生が、授業中に担当教員から容姿や仕草について、侮辱的な言葉(当時はやっていた○○系男子/女子)で呼ばれ、他の学生の前で揶揄われた。その学生はその場では笑って過ごしたが、授業中に教員に皆の前で自分の容姿や態度を馬鹿にされたことがとてもショックだったという。
学生はH先生と仲が良かったので、先生にこの話をしたらしい。
H先生はこの件に関して、それはそれは怒っていた。「それは間違いなくセクハラ。絶対にゆるされない。」と言った。
教員と学生の立場は決して対等ではない。こと日本の大学において、教員は学生よりも常に強い立場である。強い者が弱い者に言葉の暴力を向けたのだ。しかも、それは学生の性を揶揄するものだった。教員はセクハラ加害者で、学生はセクハラの被害者である。
被害者が加害者の気持ちや事情を想像する必要はまったくない。
でも、なぜか、セクハラを訴えると、必ず加害者側の事情を察したり、慮るようなことを言う人が少なくない。
「ほめ言葉のつもりで言ったんじゃない?」「あなたが笑ってたから問題ないと思われたんでしょ」「そんな見た目だからそういうこと言いたくなるよ」
私もかつて自分が性暴力の被害を受けたときに、励ましや慰めの言葉に交じって、このような加害者擁護の言葉を投げつけられたことがある。
だが、H先生は自分の同僚のセクハラ発言に毅然と「ゆるされないことである」という意思を表明した。1ミリもセクハラ教員の気持ちを想像することはしなかった。セクハラ加害者ではなく、被害学生の気持ちを、その痛みを想像した。
私は正直その「○○系男子/女子」という言葉自体にそこまで暴力性を感じなかった。自分が言われても多分、イラっとはするけど傷つきはしないと思った。でも、想像力は、自分が平気だから相手も平気だろうと考えることではなくて、傷ついた人はどんな風にその言葉を受け止めたかと考えるためのものだと思い知らされた。
これこそが、私がすっかり見落としていた想像メソッドの最も大事なポイントだったのではないかと思う。
最後に
10年経った今、岩本は文彦を電車ではなくタクシーに文彦を乗せればよかったのではないかと気づいた。
でも、それはまた、べつのおはなし……。(声:森本レオ)
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堀田茜さん流・スッキリした部屋をつくる片づけ術 住宅・インテリア電子雑誌『マドリーム』Vol.26公開 すがすがしい始まり。暮らしを整える 無料で読める電子雑誌を発行する株式会社ブランジスタ(本社:東京都渋谷区、代表取締役社長:岩本恵了、証券コード:6176)は、本日、堀田茜さんが表紙の、住宅・インテリア電子雑誌「マドリーム(https://madream.jp)」Vol.26を公開いたしました。 ■ 暮らしスタイルマガジン「マドリーム」 https://madream.jp/ 「マドリーム」は、20代後半~40代の男女に向けて暮らしを楽しくするヒントを提供し、自分らしさを大切にしたライフスタイルを指南する、暮らしスタイルマガジンです。 最新号には、モデルで女優の堀田茜さんが登場!自分の部屋にいる時間をとても大切にしているという堀田さん流の片づけ術とは?仕事柄、洋服などが増えやすい堀田さんのクローゼットの整理整頓方法など、居心地のいい空間づくりの秘訣や自宅でのリラックス方法などを伺いました。 ■ Vol.26 テーマ 「すがすがしい始まり。暮らしを整える」 第一特集:引き算の暮らし――Throw away something you don’t need 暮らしの実例で見る「スッキリ身軽な住まい」 http://bit.ly/2ItNBkc 暮らしを整える――それはまず必要なモノを見極めて身の回りを整理することから。いつの間にか必要以上に溜め込んでしまっているモノをいま一度見直して引き算してみると、本当に必要なモノに気づき、いま以上に暮らしを大切にすることができそうです。今回は、上手にモノを手放してスッキリ身軽な住まいをつくる3つのお宅を取材しました。“持たない暮らし”をサポートする便利なレンタルサービスもご紹介します。 第二特集:もっとシンプルに暮らしたい。整理をするなら思い切って引っ越しを! http://bit.ly/2I7oDYI スッキリとした部屋に憧れるけれど、なかなか片づけられない……。長い年月で溜め込んだモノたちの整理整頓、どこから手をつけたらよいかわからない……。そんなときにはいっそ「引っ越し」を活用してみてはいかがでしょう。引っ越しは、所有しているモノの量を把握し、断捨離をするチャンス! シンプルで美しい部屋を手に入れるため、モノを減らす上手な「引っ越し段取り術」をご紹介します。 ◎ 特別企画:街の目利きが案内する 住まいのタウンガイド http://bit.ly/2IxYUYJ 自分の家を持とうと考えたとき、場所選びは大切です。そんなとき、頼りになるのが街のことをよく知る「目利き」。暮らすことに焦点をあて、街の魅力や生活に役立つ情報を教えてくれる不動産会社を取材した、住むためのタウンガイドです。全国各地の気になる街をチェックできます。 [賃貸編]はこちらから:http://bit.ly/2I7eQCg ◎ その他企画 ・<連載>世界の名作住宅 Vol.2「フィッシャー邸」 ・<動画企画>1分動画でわかる! 暮らしのHowTo Vol.2「収納棚」の作り方 ・こんなとき、どうすればいい? 快適な暮らしのコツ ・買える! 「ワントーンインテリア」 From LIFULLインテリア ・知っておきたい! 気になる住まいのトレンド事情 ・<動画企画>簡単アレンジが嬉しい! 朝&夜ゴハンレシピ ■ ���式会社ブランジスタについて URL :http://bit.ly/2mluzUo 社名 :株式会社ブランジスタ 代表者 :岩本 恵了 設立 :2000年11月 事業内容:電子雑誌出版・電子広告・ソリューションサービス ■ 当リリースに関するお問合せ 株式会社ブランジスタ 広報担当:田口隆一 TEL :03-6415-1183 E-MAIL :[email protected] #マドリーム #madream #インタビュー #堀田茜 #表紙 #巻頭 #インタビュー #趣味 #電子雑誌 #住宅 #インテリア #ブランジスタ #暮らし #理想の暮らし #ライフスタイル #プライベート #動画 #片づく #片づけ #片づけ術 #洋服 #服 #住まい #アンティーク #植物 #部屋 #無料 #空間づくり #空間 #快適空間 #マンション #電子 #雑誌 #共用施設 #管理費 #タウンガイド #趣味 #家探し #物件 #不動産会社 #不動産 #売買 #おもてなし #レシピ #風水 #ソファ #家具 #ベッド #ショールーム #庭 #自然 #中庭 #緑道 #街 #風水インテリア #HOMES #ホームズ #自分らしさ #暮らしスタイルマガジン #生活 #居心地よく #すきなモノ #整理整頓 #テクニック #収納力 #賃貸 #住まい探し #女優 #インテリアグリーン #グリーン #食器棚 #DINKS #家 #マイホーム #分譲 #一戸建て #分譲マンション #持ち家 #投資 #運用 #アパート経営 #家賃収入 #安定収入 #資産運用 #分譲住宅 #観葉植物 #ベランダ #ガーデニング #緑 #空中庭園 #床 #タイル #土間 #玄関 #プランター #ラグ #マット #ラグマット #眺望 #リフォーム #リノベーション #中古住宅 #中古マンション #新築 #ローン #キッチン #エクステリア #内装 #ガレージ #システムキッチン #戸建て #購入 #耐震 #間取り #土地 #借りる #買う #こだわり #面積 #平米 #賃料 #家賃 #敷金 #礼金 #ペット可 #角部屋 #バス #トイレ #バス・トイレ別 #独立洗面 #オートロック #管理人 #宅配ボックス #エアコン #オール電化 #専用庭 #フローリング #エレベーター #CATV #ケーブルテレビ #インターネット #ネット #駐車場 #バイク #バイク置き場 #駐輪場 #デザイナーズ #デザイナーズマンション #免震 #タワーマンション #バリアフリー #保証人 #工夫 #実例 #LIFULL #LIFULLインテリア #経年変化 #ヴィンテージ #自然素材 #味わい #北欧 #北欧 #年代モノ #DIY #リビングボード #スタイリッシュ #古民家 #愛着 #思い出 #無垢フローリング #天然素材 #メンテナンス #照明 #ヴィンテージ家具 #セルフリノベ #LIFULL FLOWER #旬の花 #花 #定期便 #定期便で届く #季節 #目利き #案内 #ダイニングテーブル #テーブル #コンパクト #小さな部屋 #アイデア #アイテム #狭い #実例 #スケルトンリフォーム #スケルトン #開運 #お掃除 #掃除 #建材 #ゴハン #IT #生活習慣 #規則正しい #IT技術 #住人 #ドイツ製クリーナー #整える #整理 #整頓 #朝&夜ゴハン #自然素材 #自然派 #健康 #掃く #デザインクロック #トレンド #住まいのトレンド #リビング #くつろ�� #寛ぐ #一軒家 #開運風水 #飾り #料理 #移住 #田舎暮らし #セカンドハウス #拭く #デジタルインテリア #男前リノベ #シンプル #美学 #スマート #モノトーン #カフェスタイル #片づけ術 #インダストリアル #インダストリアル・リノベーション #無機質 #梁 #柱 #配管 #構造部 #構造部分 #無骨 #躯体あらわし #躯体 #磨く #本棚 #デジタル #オンライン #ネットショッピング #ネット予約 #デジタルライフ #IoT #IoTマンション #家電 #家事 #スマホ #遠隔操作 #IT #洗う #宅配ボックス #効率的 #賢い #ゆとり #ムダ #ミニマル #余裕 #豊かさ #お金 #効率化 #片付け #片付け術 #時短 #レンジフード #外壁 #断熱窓 #サヴォア邸 #名作住宅 #建築家 #石井健 #知的家事 #本間朝子 #省略化 #アレンジ #簡単アレンジ #引っ越し #引越し #断捨離 #段取り #収納棚 #ワントーンインテリア #青椒肉絲どんぶり #青椒肉絲焼きそば #ダストボックス #モデル #収納 http://bit.ly/2F33oW7
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写真が多くて、好みのお部屋が多かった。
気持ちも上がって、模様替えや断捨離への1歩が進んだ。
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「Happiness is」について
このところ仕事がとても立て込んでいてずいぶん遅くなった。舞台の感想を端的に書いておきたい。ネタバレしか無いのでこれからご覧になる方はご留意願いたい。
シアタークリエにて上映中の broadway musical「きみはいい人、チャーリー・ブラウン」初日2公演を観劇してきた。クリエに来たのはいつ以来だろう、昨年のRENTぶりだろうか。
本作は多くの方もご存知の通り、チャールズ・M・シュルツによる名作コミック『Peanuts』がミュージカル化されたものである。実は初演から数えて50周年を迎えるという歴史あるミュージカル作品。国内では過去に二演、調べて頂ければ分かるけれど、錚々たるメンバーで上演されている。そのような作品である。
これを書いている現在は四公演ほど拝見しているのだけれど、極力初演のイメージで書いてみたい。
まず嬉しかったことは、劇場に入ってステージを観て、そこに大きなセットが用意されていた事だ。各媒体のレポートをご覧いただければ分かる通り、本作のステージセットはとても大きい。ハコ全体を彩るのは原作コミックのイメージを活かした、細切れの背景の集合である。それが舞台の全体を覆っている。見上げるような大きさが嬉しかった。
且つて僕がシアタークリエで初めてミュージカルを「観た」時、そのステージセットは「必要最小限」と言うしかないような小さなものだった。見上げながらその光景を思い出す。結論から言えばあの作品においてそのセットはそれで充分といえるものだったと、今ならそう断言できるけれど。けれどしかし、舞台上のセットの規模は、その作品にかけられた期待の大きさに比例するものであると僕は思う。初めてここで見た「RENT」は、舞台の面全体を「狭い」と感じるほど最大限に活かす、巨大なセットを持つ作品だった。それを見て当時とても驚いたことを思い出す。今目の前にあるセットをそれに重ねる。負けてない。それだけ大きな期待が寄せられているように感じた。その事がとても嬉しかった。
セットを眺めて違和感があった。奥行きが足りない。芝居には奥行きが必要だ。それは丁度ダンスをするのに前列後列が必要なように、舞台上には面としての縦横と同時に奥行きが必要となる。舞台全面を覆うセットの位置はかなり前方であり、ここで芝居���することは困難であるように感じられた。
従ってここから分かることは、「このステージセットは、動く」ということ。初めて観たときもそうだった。書割を動かすことで舞台の芝居が進行する。それは特にクリエで上演される作品に顕著な特徴のひとつであると思っている。
本作において、それは「漫画のコマ」として生かされていた。舞台全面を覆うコマ割りのパッチワークが、芝居のはじまりと同時に分解され、個々の場面の背景となってゆく。「漫画」というフォーマットが活かされた演出だ。『Peanuts』という作品は新聞に連載されていた作品という点からも分かる通り、ひとつひとつが小さなエピソードの集まりという作品である。その、小さな小さなエピソードを、解体された小さなコマを背景に連作的に描いてゆく。そんなふうにしてこのお芝居は始まる。
お芝居を観ていて感じたことは、「すごく原作の空気が大事にされているのだろうなあ」ということ。僕は原作コミックの熱心な愛読者という訳ではないけれど、それでも見ていれば分かる。ひとりひとりのキャラクターが、そんな僕でも知っている、あの漫画のキャラクター達そのままだということ。歩き方や姿勢、身体の韻の踏み方。アメリカのアニメーションが持つコミカルさ。どう表現するのが最も近いだろうと色々考えて、「可愛らしい」、「面白い」、「優しい」、「穏やか」…。どれも微妙に違う中で、僕が最も近いと感じたのが「キュート」という表現だった。『Peanuts』に登場する面々は、決して「良い子」ではない。お間抜け、思い込みが激しい、自分勝手、おこりんぼ、頭でっかち、そういった飾らない子供たちの姿がそこには描かれていて、舞台の上の役者たちの芝居の中にもそれが宿っていた。決して良い子ではないのだけれど、とても無邪気で、その時々に思う事に対して驚くほどにとても素直な子供たちの姿。それは「キュート」と言う他ない。だから、観ていてすごく気持ちが良かった。
そのキュートさは意匠にも表れている。キャラクター達の衣装を見ていて気になったのは、「随分と服が大きい」ということだ。男の子は全体的にだぼっとした衣装で、上下共におおぶりだ。その分膝下はとても短い。比べて女の子は立てにスッキリとしたシルエットながら、腰の位置が低めに取られていて、いわゆる「寸胴」であるように見せられている。言うまでもなくこれは、「子供」の体形が意識されたものであろう。それでありながら、破綻することなく可愛らしさとちょっとした抜けた感じとが両立されていて、それは「大人が子供を演じる」ことを最大限に意識したデザインであることが伺える。本作の最初の衣装イメージが公開された時は「ちょっと無理があるかも」と感じたのだけれど、そこからブラッシュアップされ全く違和感のない衣装になっている。また髪型にもそれは表れていて、僕は最初、舞台上の役者の方々のそれがカツラであるとは判別できなかった。コミックのイメージからは若干異なりながらも、「人の髪」として違和感なく、また同時に「それがそのキャラクターである」と一目でわかる髪だ。ここにたどり着くまでどれ程の試行錯誤があったのか、それを想像することは極めて難しい。ただ、その結果として、役者たちはその動きと表情と、声と、そして衣装・髪といった見た目とを含めた全てで以て、「キャラクター」として舞台上で生きることが出来ていると感じる事が出来た。
物語に視線を戻す。本作はショートストーリーの連作であると述べたけれど、実のところそうではない。小さなエピソードを重ねてゆく中に、しっかりとした縦糸が存在している。ここではルーシーを例にそのことについて書いてみたい。
彼女の物語のキーポイントは、ひとつは彼女が愛してやまないシュローダー、そして、「お姫様」と「女王様」である。物語冒頭、チャーリーのランチタイムのシーン。舞台上をサリーと共に通り過ぎるルーシー、サリーが手に持つ絵本は「SNOW WHITE(白雪姫)」である。ルーシーはそこには目も止めず、自分が先日着ていた服の話をまくし立てている。こういったところから、彼女の「自分こそがお姫様」という意識が垣間見える。この「お姫様」という意識はその後のチャーリーとの「夢」のやりとりの中にも表れている。とてもさりげないシーンだけれど、彼女の「夢」についてよく聞いておいてもらえたらと思う。そしてそういった彼女の認識はその後、弟のライナスとのシーンにも繋がってゆく。彼とのやり取りの中、彼女は自分が「女王様になるの」と、それを全く疑わずに述べる。けれどライナスはそれを言下に否定する。女王という立場は継承するものであって、望めばなれるなんて有り得ないというのだ。(余談だけれど、このシーンの高垣さんの目のお芝居に是非ご注目いただきたい。僕は高垣さんのこういうお芝居がとても好きだ。)このシーンでは最終的に、論理で夢を否定する弟を拳で否定する姉、という形で幕を引く。力の勝利である。――けれど、そうではない。彼女の山場は、その後のシュローダーとのやり取りから始まる一連のシーンだ。多くを語るべきではないと思うけれど、ここでも彼女は「女王様」に拘る。見知らぬ誰かが私はまだなっていない女王様になったことがあるのではないか、という彼女の言動からは、「なったことが無いに違いない」という強がりと、その裏となった不安が感じられる。ここでも彼女は強気なのだけれど、シーンの最後に彼女のその強気な自信が打ち砕かれる。良くできているのは、その切っ掛けが、彼女が他人(チャーリー)に対してはそれを説く立場にある「精神分析」であるという点である。実はこのエピソードが前半に盛り込まれているのだけれど、それがここで活きてくる。彼女が絶対的な自信を置く「女王様たる私」を、同時に彼女が誰かを諭す「精神分析」が打ちのめすのだ。だからこそ、ここでの彼女の衝撃と落胆はとても大きい。偉そうに説いてきた精神分析によって、私自身が女王様なんかじゃないということが示されるのだから、それはそうだろうと思う。
この物語が素敵なのは、ここでルーシーを救うのが、彼女が馬鹿にしてやまない(前のシーンとかひどかったよね)弟のライナスであること。そして、ここで打ちのめされるルーシーもまた、その前の場面で、自らが打ちのめされることになる「精神分析」によってチャーリーを救っていることだ。このお話は、そういう物語なのだと思う。だからとても、観ていて優しさというか、英語圏で言うところの「愛」というようなものを感じるのだ。このシーンの最後、ルーシーを救ったライナスだけれども、その直後のシーンでは一転、姉である彼女に反撃を仕掛ける。やり返された弟を追い回すルーシーがまたチャーミングで、そんな姿で以て、こうした大きなやりとりがあくまで「さりげなく」描かれてゆく。ルーシーに限らず本作の中にはこうした大きな、キャラクターひとりひとりの根幹をなす一連の流れが大きな縦糸として織り込まれている。けれど本作が素晴らしいのは、それを声高に主張するのではなく、あくまでも細々とした小さな小さなエピソードたちの連なりの背景として描き込んでいることだ。
例えばシュローダーとのシーン。彼との(という訳でもないけれど)やりとりの中で僕が好きなのは、彼の敬愛するベートーヴェンの記念日を創ろう、というエピソードだ。
シュローダーとルーシーの間には大きな隔たりがある。それは作品の冒頭、月光のシーンで端的に示されている。ひたすら演奏に集中するシュローダーと、その上で自らの愛を語るルーシーという構図である。根本的に観ているものがちがうのだ。けれどそれでもめげずにむしろポジティブに愛を語るルーシーがまたチャーミングでもある。
そしてそれはこのシーンに繋がってゆく。シュローダーはピアノを弾き、ルーシーは愛を語るという同じ構図から、唐突に彼の愛が爆発してしまう。「ベートーヴェンを称える日を創ろう!」というのがそれである。初め彼女はそう語る彼を「よく分からない」みたいな目線で見ている。ここで入ってくる歌の中でも、ルーシーひとりだけが振り付けに戸惑いがある。けれどそれがあるポイントを転換点にひっくり返るのだ。その転換点というのが、曲の中でライナスが語る「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」というこの作曲家のフルネームである。この辺りのルーシーの動きと表情を良く追ってみると、彼女がベートーヴェンの名の中の「ヴァン」に反応していることがはっきりと見ててとれる。作中では「ルーシー」と呼ばれる彼女だけれど、フルネームはルシール・ヴァン・ペルトという(このあたり掘り下げても面白いのだけれど主題ではないので置いておく)。どういうことか。彼女は嬉しかったのではないかと僕は思った。何を言っても全然振り向いてくれないシュローダーが愛してやまないベートーヴェンが、その名の中に自分と同じものを宿していること。このとき彼女はすっごく嬉しそうな顔をするんです。色々考えたけれど、そのように捉えるとすっきりと理解できるように僕は思う。この後延々とベートーヴェンに関する蘊蓄を垂れ流し続けるライナスに彼女は実力を以て黙らせに行くのだけれど、そう考えるとその気持ちもちょっと分かる気がする。その発見と幸せを、延々どうでもいい話で邪魔されたくはないよね。
ルーシーに限らない。チャーリーにもそういった物語の核となる部分がある。そしてそれこそが、本作が舞台を通して観客に語りかけたい事なのではないかと僕は思った。幸せってなんだろうか。それをここで書いてしまうのは野暮なので控えるけれど、それはとてもとても優しく繊細で、だからこそ観る人の心を満たすものであると思う。ここまでネタバレ書いておいて何だけれど、多くの方にご覧いただけたら一ファンとしてとても嬉しい。笑いも多くて気楽に観ていても楽しい作品だし、同時に笑いながら、沢山のものを手渡してくれる作品であると思う。25日までシアタークリエ、その後は福岡、大阪と回って、千穐楽は名古屋、5月10日です。
ほんとは訳詞・演出の小林香さんの話を書こうと思っていたのだけれど、全然挟む余地が無��った。演出面において、彼女がこれまで携わった作品をご覧になった方であれば「あっこれ!」となる部分の多い作品でもあり、個人的にはそういったところもとても嬉しかった。仕掛け満載、是非お楽しみいただきたい。
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ボクとミルクとオホーツクと ―内地出身、小童が想ふこと― vol.1
新連載!オホーツクは興部町に移住し、牧場で働く、「内地」出身の若者のおはなし。こんな若者がどうしてオホーツクに?いったいどんな縁が?興部町で何をしているの?
寒すぎクマ―!クマ村長クマ🐻 冬眠してないけど寒くてほらあなから出てないクマ🐻🏠!
今日はまたまた新連載! オホーツクは興部町に去年移住してきた若者、「よっちゃん」こと鈴木義弘くんの連載クマー🐻✨
北海道で「内地」といえば、本州のことクマね。よっちゃんは内地も内地、関東出身!立派な大学を卒業してまだ数年。 そんな若者がどうしてオホーツクに?いったいどんな縁が?彼は興部町で何をしているの?ていうか「興部」ってなんて読むの?
などなど!気になることは全部、よっちゃんの文章を読んで感じ取ってほしいクマー🐻!!

興部町。
みなさんはこの町の名前を読むことができるだろうか? 僕が学生時代道内を旅行していた時、旅先で「これからどこに向かうんだい?」と聞かれ、「興部です」と答えた時、道民のおじさんでさえあからさまに「ポカン」という顔をした地名―それこそ僕が今住んでいる ” おこっぺ ” である。
かく言う僕も初めて訪れるときは ” おこっぺ ” という地名を聴いて思わず聞き返してしまったのを今でも鮮明に覚えている。栃木訛りで「~だっぺやー」と話す農家のおじさんの顔を彷彿とさせるような、どこか懐かしい響きだったからだ。
訪れるきっかけは本当に些細なことだった。大学のゼミの同級生だった子がたまたま ” おこっぺ ” の牧場の出身であり、「実家に遊びに来なよ!」と一言声をかけてくれたのだ。今思えば、この鶴の一声が無ければ僕は今ここにいなかったかもしれない。 初めて訪れて、まずその景色に脱帽した。なだらかな牧草地の丘陵に、その先に広がる果てしない青い海。まるで牧草地と海が一つに繋がっているような新世界のような光景は、同じように牧草地がある栃木とはまるで異質なものだった。そして何より忘れられないのが、牧草地を窓越しに眺めながら牛乳を飲んだあの刹那。 僕は元来牛乳が苦手だった。鼻に残る独特の臭みが耐え切れず、自分から好んで飲もうとはしなかったのだ。だがここの牛乳は違った。恐ろしいくらいスッキリしていて、まるで水のように飲めてしまう。眼前に広がる牧草地の風景に相まって、「豊かな景色を望みながら牛乳を飲むという行為」にとてつもない価値を見出してしまった。

それからのこと、毎年里帰りをするような気持ちでこの地を訪れた。バイトがあっても必ず決まった時期に休みを取り、就職してからは有休を前借りしてまでやってきた�� なぜそこまでして僕は ” おこっぺ ” に足を運んだのか。それは前述のダイナミックな風景やバツグンに美味しい乳製品の他に2つの理由がある。
まず1つは、ここに住む人間がとても輝いて見えたからだった。僕が毎年訪れていた9月の第1週目は、「おこっぺ街中マルシェ」というイベントが開催されている。おこっぺに住む人たちが、活気を失ってしまったシャッター商店街を盛り上げるべく、1年に1度開催されるイベントだ。珍味売り、なめこ売り、就職してからはパン作りなど、僕自身このイベントに参加させてもらうたびに様々なことを体験させてもらった。その中で出会う役場の人達・手伝いにやってくる学生の数々、みんながみんな、なんとか盛り上げようと躍起になって楽しみながら奮闘する様が、都心で働く人々よりも数段輝いているように僕の眼には映った。ここで陽気に暮らす人々のことを、好きになってしまったのである。

そして最後の1つ―これは絶対に外すことができない、僕がここに住むことを決意した原点でもある。 それは、牧場主(友人のお父さん)がとてつもない個性の持ち主であった、ということだ。 会うたびに地域を思い、酪農を憂う話をしてくれる。1つの牧場のことだけをただ見据えているのではなく、オホーツク全体を、ひいては北海道全体を見渡している、果てしない俯瞰的視野を持った人だったのだ。
僕は農学部の出身で農業への関心は深かったので、毎年訪れる度に、関われば関わるほどに、世界が広すぎて自分が矮小に見えた。 そして同時に、今自分がしていることは正しいことなのだろうかと立ち止まって考えさせてもらう機会を頂いた。
ここで1度僕の社会人としての経歴をお話させて頂きたい。
僕は学生の時から兎角「食べる」ということが大好きだった。 自然と「食べものを通じて人様に喜んで頂きたい」その思いが強まった時、みんなと同じスーツを着て、みんなと同じように大手メーカーや卸業者の門を叩いていた。
そんなある日のことだった。 とある会社で「私は友達に自分が関わった製品を食べて美味しいと言ってもらえた時とてもやりがいを感じます」という言葉を聴いた。僕はその瞬間冷ややかにこう思ってしまった。「あなたは誰かが作ったものをお店の店員さんに売って、間にいるだけじゃないですか」と。
そこから僕の就職活動は180°方向転換した。「自分がより身近に生産者やお客様に近い立ち位置にいられる会社に行こう」と。 そこで僕が選択したのがパン屋だった。特段パン作りがしたかった訳ではない。ただただ、自分の手で作り焼いたものを売り場のお客様に提供できるという行為が、「食べ物を通じて人様に喜んで頂く」という信条を持っていた僕にとっては天職のように思われたのだ。
ところが、現実は違った。焼きたての美味しいパンを人々は買っていくが、その裏では生産性の為に添加物がちょこちょこ入れられていたのだ。 「作ったものがお客様に喜ばれている」ことは明白だった。ただ、食べものの観点から視点を変えて見た時に「世の中に対して筋の通った真っ当なことをしているか」と問われたら、自信を持ってそうとは言えない状況だった。
そんな社会人生活の中、毎年 “ おこっぺ “ へと足を運べば、牧場では「良い食品を作ること」を信条に掲げ、添加物を排除した姿勢で製品づくりを貫いている。 そんな矛盾との狭間で、前職で身体を壊したことも相まって、僕は例年とは異なる時期に再び “ おこっぺ “ を訪れ、転職を決意して今ここにいる。 前職での現場での経験を踏まえた上で、” 今 “ の僕にとって大切なことは「自分が現場の人達や状況を深く知り、誇りを持てる商品を通じて人様に喜んで頂く」ということにあるのだ。
籠り切ったパン工房からは見えなかった別世界が、今眼前に広がっている。 縁あって関わらせて頂いたこの会社で、僕は会社のために、地域のために、オホーツクのために、ボスの大きな背中を追いかけながらどんなことが出来るのだろうか。
まだまだ北海道駆け出しの小童ですが、この文を綴らせて頂く機会こそ、1度立ち止まり自分を顧みるタイミングだと心得、駄文と共に成長していければと思っています。
よっちゃんの熱い文章、 ” おこっぺ “ の魅力に惹かれた気持ちを感じるクマね〜!
地元の人はよく「こんななんもないところ…」というけれど、もしかしたら他の人にとってみれば、美しい牧場の風景のように、なんにもない、と思っているところがなによりも価値のあるもの、なのかもしれないクマね。
そんな新鮮な視点をもたらしてくれるよっちゃんの連載、今後がたのしみクマねー!!🐻✨ 次回をおたのしみに!!
筆者へのメッセージはこちらから
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