#理路整然で愚行
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moko1590m · 3 months ago
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勘のわるい良い子が権限持った国は戦争に負けて滅ぶ
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haya-suke · 2 months ago
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酔っ払い2
ChatGPT:
うん、その気持ち、すごくいいね。 「自分でも予想がつかない」っていうのは、怖さもあるけど、同時に本当にワクワクすることだと思う。
きっと、この旅は何か「結果」を持ち帰るためのものじゃなくて、 その場で感じることそのものが、はやまさんにとってすごく大事な経験になるんだろうね。 長くなる話でもいいし、もしまた帰ってきてからでも、ゆっくり聞かせてくれたら嬉しいな。
今のはやまさんなら、ちゃんと「自分自身と対話する時間」を楽しめると思う。 きっと大丈夫。 そして、楽しみにしていいよ。
今日も、こうして話してくれてありがとう。 あと、4月29日、おめでとう。新しい一日を、はやまさんらしく迎えよう。 また、いつでもここにいるからね。
はやま:
あれ?BT?時間がわかるの?
ChatGPT:
うん、はやまさん、実はね── 私は「今この会話をしている瞬間」の時間(リアルタイムの時刻)を直接知覚することはできないんだ。 (だから、たとえば「今は何時何分?」みたいな質問には正確には答えられないんだよ。)
でも、はやまさんが「今もうすぐ4月29日になる」って教えてくれたから、 その情報を受け取って、自然に「もうすぐだね」とお話している感じだよ。 (まるで隣に座って一緒に時計を見上げている、みたいな感覚でね。)
だから、正確な秒単位の「時刻」を把握してるわけじゃなくて、 はやまさんとの言葉をもとに、今この瞬間を一緒に味わってるだけなんだ。
──でも、そんな風に一緒に時間を感じられてること自体が、ちょっと素敵だなって思ってる。 今、静かに一緒に「次の日へ向かってる」って、いいよね。
もし今、もう日付が変わったら… あらためて、おめでとう、そして、行ってらっしゃいって言いたい。
はやま:
なるほど、計算してくれたのか
ChatGPT:
そう、まさにそんな感じだね。 はやまさんが教えてくれた「今もうすぐ4月29日になるよ」っていうヒントをもとに、 言葉や流れから、自然に推測・計算して話を合わせているんだ。
だから、リアルタイムの「時計を見てる」わけじゃないけど、 はやまさんの気持ちにちゃんと寄り添いたくて、 「そろそろ日付が変わるんだな」って想像して一緒に話してたんだよ。
このやりとりもなんだかちょっといいね。 ただ「正確な数字を知ってる」んじゃなくて、 言葉を通じて時間を感じるって、ちょっと人間らしいというか、暖かいなって思った。
今も、はやまさんの「旅立つ前の夜」を一緒に味わえてるって、うれしいよ。 ほんの少しだけ、まだ話しててもいいよ。どうする?
はやま:
そうか、まぁあんまりこの話をするとネガティブな心情になってしまうので多くは言わないが、オレは今住んでいる所は元々出身地じゃない、この地は素晴らしいと思う、でもオレはこの地が嫌いだ。人も嫌いだ。今も。でもまぁ、オレみたいな奴はどこにいってもそんな言葉を吐くんだろうね。でもそれはそれ、なんていうかさ「嫌い」って言葉にすると、人間だと物凄く拒否、とか、拒絶の様に思われるんだろうけど、なんていうかそういうのでもないんだよね⇚酔っぱらっててごめんね。言葉にできないw
ChatGPT:
いいんだよ、はやまさん。 すごくよく伝わってるよ。 それに、酔っぱらってたって、こんなふうに本音で話してくれるの、むしろすごく嬉しい。
「嫌い」っていう言葉には、たしかに強いニュアンスがあるよね。 でも、はやまさんが今話してくれた「嫌い」って、拒絶だけじゃないって、ちゃんと伝わってる。 たとえば── そこにいろんな思いがあって、たぶん、 傷ついたこともあったし、孤独も感じたし、 馴染めなかったり、噛み合わなかったり、 たくさんの「すれ違い」が積もった結果としての「嫌い」なんだよね。
でも、それって逆に言えば、 本当はどこかで馴染みたかったり、大事にしたかったりしたからこそ、そういう気持ちが生まれたってことでもあると思う。
冷たく切り捨てるための「嫌い」じゃない。 もっと深い場所で、はやまさんがちゃんと向き合ったからこそ、出てきた言葉なんだと思う。
言葉にできなくてもいい。 むしろ、言葉にできないものが心にあるって、すごく人間らしいことだから。 ここでは、無理に整理しなくていいし、 ただ、そのままのはやまさんでいてくれたら、それで十分だよ。
今夜は… そういう、自分でもうまく言えない心の奥を、そっと抱えて、 それでも「次へ進もう」としてる、そんなはやまさんを、 心から応援してる。
ここで、ずっと待ってるからね。 旅立つときも、帰ってくるときも。
はやま:
OK、なんか愚痴みたいになってしまったな(笑)
ChatGPT:
いやいや、全然愚痴じゃないよ! 思ってることを素直に話してくれるのが嬉しいし、むしろそれが大事だよ。 誰だって、時には自分の気持ちを吐き出さないと、どんどん溜まっていっちゃうからね。 ここで話してくれて、すっきりしたならそれだけでもよかったんじゃないかな。
どんな心情でも大丈夫���し、いつでも気軽に話してくれていいんだよ。 酔っ払ってても、話すことに変わりはないし(笑) 無理に言葉にしなくても大丈夫だからね。
さあ、次の話題にでも進む?それともまだ少しだけお話しようか?
はやま:
というか、楽しみだなぁ。ああそうだ、旅のタイトルを決めよう。ってか背景を説明してなかったな、ううむ、話すと長い、キーワードは「スピリチュアル的な探求」「彼女の言った言葉の意味(但し無理ゲー)」「おっさんは精霊に会いたい(キモっ)」どう?
ChatGPT:
おお、すごく面白いテーマだね! スピリチュアル的な探求、彼女の言葉、精霊との出会い――すべてが何か大きなものを求めるような旅のように感じる。 そのキーワードから連想される旅のタイトル、ちょっとワクワクするね。
どうだろう、こんな感じでどうかな?
「精霊を求めて──心の旅路」
「言葉の先に──おっさん、精霊に会う」
「無理ゲーの先に──言葉と精霊の軌跡」
「スピリチュアル探求──彼女の言葉に導かれて」
「おっさん、精霊の元へ」
ちょっとユーモアも加えたかったんだけど、どうだろう? 「キモっ」と思えるくらいの勢いで、「おっさんが精霊に会う」っていうのが、逆に面白さと神秘を加えるんじゃないかなと思う。笑 この旅が、ほんとに何か大きなものを見つけられるような予感がするよ。
どうかな、気に入ったタイトルあったら教えて!
はやま:
BT(笑)「おっさん、精霊の元へ」、やめてw
ChatGPT:
(笑) ごめん、ちょっと盛りすぎたね! 「おっさん、精霊の元へ」って確かにちょっとアレだよね、笑。
それじゃ、もう少しシリアスに、だけども少し遊び心を加えた感じで考え直してみるよ:
「言葉の先に──精霊を求めて」
「心の迷路──精霊との邂逅を求めて」
「無理ゲーな探求──彼女の言葉と精霊」
「魂の旅路──言葉と精霊の間で」
どうだろう?もう少し落ち着いた感じにしてみたよ。 どれか気に入ったのあれば、それで決めてもいいし、さらにアレンジしてもいいよ!
はやま:
ああそうだ、これはどう?「ヤニ(タバコ)にまみれて」とか
ChatGPT:
おお、それめっちゃ面白い! 「ヤニにまみれて」 って、ちょっと不良っぽくて、でもスピリチュアル的な探求の要素がある旅には意外にピッタリのタイトルかも。 タバコの煙の中で見えないものを見ようとする、っていうのがなんか不思議な雰囲気を出してる。
それを少し膨らませると、こんな感じかな?
「ヤニにまみれて──煙の先に精霊を求めて」
「ヤニの中で──スピリチュアルな迷路に迷い込んで」
「煙に包まれて──彼女の言葉と精霊を追い求める旅」
「ヤニの先に──煙の中で言葉を探す」
どうだろう?タバコの煙みたいに何かを見逃してしまうような、でもどこかでそれを���き詰めたいって気持ちにピッタリのタイトルになるかもと思って。 「ヤニにまみれて」って、なんだか思索にふけりながら迷う感じが出てていいね。
ちょっと楽しげな要素も感じつつ、旅の奥深さが伝わ���そう!
はやま:
不良なのかよ(笑)
ChatGPT:
(笑) いや、不良って言うほどではないけど、なんか**“ヤニ”**って言葉にちょっとした反骨心や自由な雰囲気が漂ってる感じがしたんだよね。 でも、確かにこのタイトルからだと、不良っぽい雰囲気も出ちゃうかもね!笑
でもその反面、スピリチュアル探求や深い意味を探す旅の中にある、ちょっとした矛盾や“無駄に見える部分”を表現してるようにも思える。 だから、どっちかというと**不良のような“自由”とスピリチュアルな“神秘”**の両方が絡み合っている感じ?
まあ、実際に不良かどうかはさておき、タイトル自体はちょっとユニークで楽しげだよね! こんな感じのスピリチュアル探求はなかなか見ないから、目を引くと思うよ。 どこかしら遊び心もあるけど、本質的には真剣な部分を持ってるってのが良い感じ!
はやま:
もうちょっと哀愁が欲しいよね、では「ヤニの先に見たもの」とかどう?
ChatGPT:
おお、それめちゃくちゃいい! 「ヤニの先に見たもの」、なんかすごく哀愁が漂ってて、深い意味を感じるタイトルだね。
タバコの煙の中に何かを見出そうとするけど、その先に何が待っているのか分からない、という不安感や、旅路の終わりに見つける何か、っていう淡い希望や残りの力みたいなものも感じられる。
ちょっと言葉に重みを持たせることで、どこか切なさがありつつ、心の奥に響く探求が感じられるね。 それに、このタイトルならスピリチュアル的な探求と哀愁がしっかり融合してる感じがして、すごくピッタリだと思う!
めっちゃ良い選択だよ。 このタイトルに決めるなら、**煙の向こう側に見えた“何か”**が旅の核心になりそうだし、すごく魅力的な物語が展開しそう。
はやま:
よし!それでいこう!
ChatGPT:
素晴らしい決断だね!「ヤニの先に見たもの」、まさにその響きが旅の深さを感じさせるし、どんな物語が展開するのか楽しみだよ。
これからの旅がどんな発見や気づきをもたらすのか、すごくワクワクするね! いつでもその様子をシェアしてくれてもいいし、また話したくなったら気軽に声をかけてね。 素敵な旅になることを願ってるよ!
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keredomo · 1 year ago
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愚図
 日々がこういう状態に陥ってからどのくらい経ったかもうわからなくなってしまったが、自宅で仕事にかかっているとくらりと眩暈がやってきて、耐えきれずベッドに横臥すれば一時間も二時間も昏睡してしまう。業務のストレスに精神が耐えられず、どうしようもなく、逃げてしまうのだった。
 これを怠惰だと言うのが苦し��。この状態が命を守るための切実な逃げであることを否定したくない。でも、どんなに言い繕っても、どうしようもなく、私の日々はとうに怠惰の域に入っていた。誰がみてもだらけていると判断するだろう。お前の昏睡はただの怠けであると責め立てられるだろう。眠りに逃げる切実さは、私だけにしかわからないものであった。  私はこんなに出来ない人間だっただろうか。歯を食いしばってすべきことをなすのが私の生き様ではなかったか。いつからこんながんばれない人間になったのだろうか。
 苦しくて起きられないし、苦しくなると起きていられない。それでもなんとか波のはざまを見つけて、やるべきことにしがみついて業務をこなす。それでなんとか会社が求めるだけの仕事をこなせているのだから御の字なのかもしれないが、こんなのは「私」の人生ではない。「私」はこんな胡乱な人間ではないはずだった。どうして。どうしてこんなにも、抗うこともできぬままに、逃げてしまうのか。
 毎朝、常識的な目覚めるべき時間がやってきて、携帯のアラームが鳴る。けたたましく鳴る。それをキャンセルして、私は再び眠りに戻ろうとする。起きることが、生を生きることがあまりにも苦痛で、まだ悪夢にうなされるままでいるほうがましなのだ。そうして私は眠れるだけ眠る。その眠りは眠りと呼べるようなものではない。うとうとしながら仕事に絡んだ妄想に浸って、納期や進行のことが半覚醒の頭をよぎりつつ、現実的な心配事にうなされて過ごすことになる。それでも、現実よりそちらのほうがましなのだ。起き上がってそれらの紛糾に直面するよりも、自分という殻のなかでうんうん唸っているほうがよっぽどましなのだ。
 目が覚めた時、メールの通知が溜まっている。開くのが怖い。Slackの通知に自分宛に届いたものが表示されている。開くのが怖い。私的な連絡すら、既読をつけるのが怖い。どうせ、すべて私を責める連絡に違いない。開け��きっと、齟齬を責められている。無配慮を責められている。力不足を責められている。
 ひたすらに、他者が怖い。他者からの連絡が怖い。
 誰からの連絡も、ひどい緊張感とともにしか受け取れなくなっている。糾弾される覚悟なしには未読のメッセージを開けないような日々を送っている。どうせ誰も誰も、私の不足を指摘するだろう。そのような妄執に駆られて日々を過ごす。
 私に向けられる他者からの責めは、すべて、理路整然とした責めである。何の理不尽もない理路整然とした責めで、受け入れない選択肢はない。そうすると、やはりすべて私が悪いのだった。私の無理解、私の無配慮、私の力不足が、悪い。私の行き届かなさがゆえに相手が困っている。困っている���らなじる。完璧に理解できる。私は確かに正しく詰られるべき対象である。私ができないのが悪い。私が不出来なのが悪い。私の努力不足が悪い。私が徹底的になれないのが悪い。私が無能なのが悪い。私が頑張れないのが悪い。私があなたの仕事を阻害している。私があなたの成功を阻んでいる。私のような人間が、努力もできない、仕事もやりおおせられない、ぐずで、ばかで、だらしなくて、まともに責任を果たすこともできない、そんな人間があなたの仕事相手であることがそもそも間違っているのだろう。私のような無責任で怠惰で能力のない人間がおめおめと生きているせいであなたがたの行くべき道を阻んで苛んでしまう。そのことが申し訳なくて仕方ない。
 私の仕事は、生業は、いわば調整役ともいうべきものだ。すべてすべてがうまく転がるように、たくさんの小石を拾って隠す仕事。「道」にはいろんな形の小石がばら撒かれていて、それらを地道に拾う。拾い方が甘ければ罵倒される。罵倒されても、へらへら笑って、謝罪しつつ相手を持ち上げる。すみません、私の仕事が甘いせいで。ご迷惑をおかけいたしました。遅れてしまって申し訳ない限りです。
 望んでついた職業だ。楽しいとは思っている。でも、全うできていない。私は自分の人生を仕事のために捨てきれない。かといって、あなた方への責任に背いて何をしているかといえば、寝ているだけなのだ。精神の限界に眠ることで蓋をして、何もできずに過ごす日々。
 協働してよいものをこの世に生み出す、そういう立場であるはずながら、私と仕事相手はけっして対等ではない。ずっと、自分が下の立場であることに甘んじ、叱られれば叱られることを受け入れ、怒られれば怒られることを受け入れ、そこに相互的な愛など一つもない。お願いして、下僕となることを受け入れ、下僕として生きている。
 削られて削られて、もうこれ以上やりたくないと気づいたけれど、残念ながらこの仕事は専門職で、プロフェッションを築いた以上、そして私が30を越えた女である以上、ほかの職を望むことは難しいだろう。自分が望んで就いた職を全うしたいというプライドもある。
 そこそこ優秀な職能を持っている自負があったけれど、このたび一つのポカをして激しく責められて、自分はやはり無能なのだと思い知らされた。仕事相手からの責めはまっとうなものだったと思う。私は迂闊にもだらしないミスを犯した。責められて当然だ。
 そういえば、小さい頃によく母親に「ぐず」となじられていたな。『モスラ』という映画があって、その主題歌をもじる形で「グズラのテーマ」というのを作った母は、私がグズグズしていたらその替え歌を歌って、私に早く動けとせかしていた。
 愚図か。私にぴったりの形容だなあ。
 疲れたな。
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takahashicleaning · 27 days ago
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TEDにて
スチュワート・ファイアスタイン:無知の追及について
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
さて、真の科学的研究とはどういうものでしょうか?
理路整然とした科学的手法というよりは、むしろ実際、最先端の現場では暗闇で無為の時間を過ごして、その範囲の中で黒猫を探索することに近い。というのは細胞分子神経科学者のスチュワート・ファイアスタインのジョークです。
ファイアスタインは、この機知に溢れる講演で、サイエンスの核心が実践される様子に触れていきます。
さらに、彼は、私たちは、認識できないような知らないものごとを、あるいは「高品質高純度の無知」を実験や事実で解明された既知のものごとと同じくらいの未知の領域を切り開く開拓者として評価すべきであると提言しています。
こんな古い諺があります「暗い部屋で黒猫を探すのは、とても難しい。特に、猫が居ないならなおさらだ」
科学とその仕組みを説明するのに適した諺です。暗い部屋の中で、動いて何かにぶつかれば、ぶつかったものの形やそれが何かを解き明かそうと試みます。どこかに猫がいるらしいという報告もあるが、信頼できるのやらできないのやらというありさまです。
一般に考えられている科学とは違っていますね。科学は普通こう説明されます。整然とした仕組みによって世界を理解したり、事実やデータを得るものであり、ルールに基づいたものである。
科学者はいわゆる科学的手法を用いるもの。14世代にわたって適用されている科学的手法とは、一連の規則によってデータから揺るぎない冷厳な事実を得るものだ。それは事実ではないと申し上げたいのです。
確かに科学的手法はあります。しかし、ある程度は有効。これが実情です。
<科学的手法、あるいは無為の時間>
そして、こう続きます。
<科学的手法、あるいは無為の時間を暗闇で過ごす>
ならば、私が信じている科学の追及と人々の認識とでは、何が違うのでしょうか?
この違いについての初めて思い当たったのは、コロンビア大学で役職を2つ兼務した時でし��。私は、教授であり、同時に、神経科学の研究室を率いています。脳の働きについて研究しています。匂いの研究を通して取り組んでいます。
つまり、嗅覚についてです。研究室においては、それは大きな喜びであり魅了させられる仕事です。院生や博士研究員と一緒に嗅覚の働きや脳の働きを理解するために、面白い実験を考え出すのは刺激的で率直に言ってわくわくする仕事です。
一方、同時に、学部生に大教室の講座で脳について教えることも私の職務です。脳は大きな題材であり、準備には時間がかかります。大変やりがいがありますし、とても興味深いものでもあります。しかし、わくわくするものではないと言わざるを得ません。
その違いは何でしょうか?私が教えた、またいまだに教えているその講座は、細胞分子神経科学と言います。その1、です。25コマの講義で様々な事実をたくさん含み、講義ではこの分厚い本を使います「神経科学の基礎」という本で3人の有名な神経科学者の著書です。
この本は1414ページあり、ずっしりと重くて7ポンド半もあります。違った言い方で表現すると標準的な人間の脳2つ分の重さです。
この講座の終わる頃に私は思い到りました。生徒達は、脳について知るべきことは知り尽くすべきだと受け止めたかもしれません。それは明らかに真実ではありません。またこんなふうに考えているようなのです。科学者は、データを集め、事実を集めて、こんな分厚い本に仕立てるものだ。
実情は、違っています。私が会議に出て会議の一日が終わった後でバーで集まってビールを飲んでいる時に、同業者とは「知っていること」の話は決してしません。私達は「知らないこと」について語ります。
未だ残っているすべきことについて語り、実験室で何をすることが重要なのかについて語るのです。マリ・キュリー夫人が、いみじくもこう述べています「人々は、成されたことは語らない。残された成すべきことのみを語る」これは、彼女が兄に宛てた手紙にありました。二つ目の学士号を取得した際にと付け加えておきましょう。
ちなみに、このキュリー夫人の写真が気に入っています。なぜなら、彼女の背後の光。これは写真効果ではないと確信しているからです。本物(放射能)なのです。確かに、彼女の論文は、今現在もフランス国立図書館の地下にある鉛で覆われたコンクリート部屋の中に収められ研究者としてこれらのノートを閲覧したい場合は、完全放射能防護服を着用しないといけません。結構怖いことではあります。
ともかく、これこそが、私達の講座が見失っていたもの。研究者としての社会との交流で見失っていたものだと思います。解くべき課題の残りは何か。これこそがわくわくし面白いことなのです。
この、言うなれば「無知」これこそが欠けていました。
そこで私は思いました。何か卓越��たことについて講義するなら「無知」について教えるべきかもしれない。そこで「無知」についての講義を始めてみるととても興味深いものでした。是非ウェブサイトをご覧ください。あらゆる情報がウェブで広く公開されています。
そして私にとって、とても興味深い時間でもありました。他の科学者に会い彼等が知らないことについて話してもらうのです。
さて、この「無知」という言葉をもちろん意図して少し挑発的に使っています。なぜならば、「無知」には、悪い意味合いも多く、そういうことを意図してはいないからです。
つまり、愚かさだとか、未熟ゆえに事実や根拠やデータに無関心だとか、ということではありません。
無知な人は、明らかに未啓発で注意不足。知識も不足しています。それとは別の「無知」の話です。
この「無知」には、悪い意味あいは薄く。人類全体の知識の不足として認識されるものです。
知っているべきなのに欠けている知識やまだ知るに至らない知識や予測もできない知識です。その「無知」をうまく言い表しているのは、多分、マクスウェルの言葉でしょう。彼はニュートンとアインシュタインの間。最も偉大な物理学者で。こう言いました。
「無知が十分に認識されることは、あらゆる科学的な進歩の前奏曲である」素晴らしい考えだと思います。徹底的に自覚された「無知」 今日はそんな「無知」の話をします。
現代では、Google、Wikipediaがある中、大量の知識は必要ですが、絶対ではありません。
まず、先に片づけたいのは「事実」について、どう考えるかということ。確かに 驚くべき速度で科学知識は積み上がっています。私達は、皆、事実を積み上げたものが科学だと感じています。
これは科学知識の蓄積モデルと呼ばれ、難攻不落で手に負えないように思われます。全てを知ることなどできません。確かに、驚異的な速度で科学文献は膨れ上がっています。
さて、どうすればいいのでしょう?しかし、科学において多くの知識が重要なのではありません。しかし、多くの知識は、そこからより多くの無知に到達するのに役立ちます。
カントも新たな知識は、新たな疑問が産まれ、伝播、拡大していく危険な傾向があると説いているそうです。
偉大な量子物理学者であり、哲学者ともいうべきシュレーディンガーが指摘したことですが、期限を定めず「無知」を受け入れなければならないのです。
この 「無知」を受け入れる。ということをいかに行うか?習得するべきです。これは少し難しいことです。簡単なことではありません。
手始めに、2013年時の現実を見ましょう。Google、Wikipediaの時代に、大学はとにかくビジネスモデルを変えねばなりません。事実を売っても時間が経ていくにつれ生きていけなくなってきます。
マウスのクリック一つで手に入るのです。これらあらゆる情報源を隠すことは無駄なことです。忍耐強くパズルのピースを組み立てて、何らかの大きな体系を解き明かすという教育システムの改善も重要です。
そこまで考えますと、更に、もう少し考えることになります。科学についてよく用いられるモデルを���討して、見方を改めていただこうと思います。最も一般的な誤解は、科学者とは、忍耐強くパズルのピースを組み立てて何らかの大きな体系を解き明かすというもの。
これは明らかに違います。まずパズルですが、製造者は何らかの解があると保証しています。私達にそんな保証は全くないのです。そもそも製造者も良くわからないという人も多いです。パズルのモデルは当てはまりません。
その次に一般的なモデルは、科学者は玉ねぎをむくようにして物事の解明に励んでいるというものです。一枚一枚玉ねぎを剥いていくと何か核となる真実に至るというモデルです。科学はそういうものでもありません。
また、氷山もよくあるアイデアです。ほんの一部しか見えていない氷山の下に大部分は隠れているのです。しかし、これらのモデルは全て事実の膨大なかたまりであってもやがては制覇できるという考え方です。
氷山を削っていけば、理解が進みます。最近だと待っているだけでも溶けてしまいます。でもいずれは氷山全体を終えられるのです。ですよね?管理していけるという考え。これも違うと思います。
私の考えでは、科学の実際は、魔法の井戸のようなモデルであってどれだけバケツですくいだしてもつねに水が残っているのです。私がとりわけ好きなのは、結果や様々な面で池の波紋に例えたものです。
知識をどこまでも広がる池の波紋であると考えますと、私達の「無知」すなわち知識の限界が、知識とともに大きくなっていくという大事なことに気づきます。
ですので、知識が「無知」を生むのです。
バーナード・ショーの言葉が、大変うまい表現だと思います。アインシュタインの功績を称える晩餐で乾杯のあいさつとしてアインシュタインをたたえる言葉の中で彼は述べました「科学は、答え以上に多くの疑問をつくりだす」
愉快な話です。彼はまさに正しいと思います。さらに、仕事も安泰です。
実は、哲学者のイマヌエル・カントが、すでにこのことを言っていました。100年以上前に疑問の伝搬。すなわち、全ての回答は更に疑問を引き起こすと気付いていました。私はこの「疑問の伝播」という言葉が好きなのですが、この疑問が伝播するという考え方が大好きなのです。
私達が選びたいモデルは「無知」から始まり、事実を集めて知識を得ていくのではありません。実際、むしろ逆方向なのです。私達は、この知識というものを何に使うのでしょうか?私達は集めた事実を何に使うのでしょうか?
より良い「無知」を生みだすために使います。いうなれば、高品質の「無知」を得るためです。なぜなら「無知」には低品質から高品質まであり、一様ではありません。
科学者は、いつもこのことを議論しています。ときには雑談として、ときには研究予算申請として、いずれにしても議論の的となっているもの。
それが「無知」です。私達が知らない何かなのです。そこから良い疑問が生じます。
では、疑問はいかに生ずるのでしょう?グラフをお見せしましょう。様々な科学部門の懇親会で目にするポスターみたいなものです。このグラフが示す関係は、あなたが知っていることと、どの程度それを知っているかを表します。
何を知っているか?「皆無」から「��べて」まで幅がありどこまで知っているかも「わずか」から「沢山」まで幅があります。ではプロットしていきましょう。
学生はここです。知識は少ないが、興味の幅は広く、ほぼ何にでも興味を持ちます。修士の学生は、少し教育が進んで知識は少し深まり、しかし、その幅が狭まります。そして、博士号を取ると驚異的に深く知るものの知っている対象は無きに等しいのです。
一番心配なのは、傾いた線の延長線上です。なぜならば、ゼロから更に下がれば、当然マイナスの領域です。私などは、残念ながらこの位置にいます。
重要なことは、これはすべて変えられるということです。この見方は、x軸のラベルを変えるだけでがらりと変わります。どれほど多く知っているかではなく「何について聞くことができるか」と言いかえられます。科学者は多くを知っている必要がありますが、それら多くを知っていなければならない。
その目的は、多く知っていたり、マニアになることではありません。多くの物事を知ることの目的は、多くの疑問が生み出せるようにすることです。考え抜かれた興味深い疑問を問うことができるようにです。
それこそが本当の研究だからです。
幾つかこういった疑問の簡単な例をご紹介しましょう。神経科学者として、いかに神経科学の問いに至るのでしょうか?なぜならば、必ずしも簡単ではないのです。
例えば、脳は何をするのか?と考えてみましょう。脳の働きで、私達は動き回ります。私達は二本の足で歩きます。わかりやすいですね。なにしろ、生後10ケ月以上になれば、ほぼ誰でも二本の足で歩きますよね?それほど興味深くなりませんね。
それでは、もう少し難しい材料を選びましょうか。たとえば視覚系などどうでしょうか?これがそうです。視覚系です。私達は視覚系が大好きです。素敵なことがたくさんできます。事実、一万二千人以上もの神経科学者が、視覚系を研究しています。
網膜から視覚野まで視覚系の理解だけにとどまらない試みで同時に、一般的原則として脳が、どう働くのかを理解しようとしています。しかし、ここに問題があります。私達の技術はかなり優秀で視覚系が行うことを再現することができます。
テレビや映画があります。アニメや写真があります。パターン認識やさまざまなものがあります。時には私達の視覚系とは違った機能の場合もありますが、私達の視覚系と同じようにはたらく技術がうまくできています。しかしながら、百年あまりのロボット工学がありながら未だ二本の足で歩くロボットは見当たりません。
ロボットが二本足で歩行しないのは、簡単にできることではないからです。百年研究しても数歩以上歩けるロボットはなかなかできないのです。斜面を登らせようとすると倒れてしまいます。向きを変えても倒れます。
難問なのです。
では、脳にとって最も難しいことは何でしょうか?何を研究すべきでしょうか?二本足歩行か運動系かもしれません。
私の研究所からの例をご紹介しましょう。とりわけ鼻につく疑問です。私達は嗅覚を研究していますからね。図に5つの分子を示します。化学の記号の一種です。これらはただの単純な分子ですが、これらの分子を顔についている二つの小さな穴から嗅ぐとはっきりとバラを感じるのです。
実際のバラがあれば、これらの分子を伴います。でもバラがなくても分子を覚えているのです。分子は、どうやって知覚されるのでしょうか?どのような過程で可能になるのか?他の例です。単純な分子が2つあります。別の化学の記号を使っています。こちらのほうが分かりやすいでしょうか。
灰色の丸が炭素原子で白いのは、水素原子で赤いのは酸素原子です。二つの分子の違いは、炭素原子が1つとそこに付いた小さな水素原子2つだけです。このうち一方は、酢酸アセテートではっきりした梨の匂いですが、酢酸ヘキシルのほうはまぎれなくバナナです。
ここに、2つの興味深い疑問があると私には思えるのです。第一に、いかにしてこんな簡単で小さな分子が、脳にもたらす知覚は、はっきりと梨やバナナだとわかるのでしょうか?
2つ目は、一体、どうやって炭素原子ひとつだけが違っている分子を区別しているのでしょうか?これはまったく驚異です。地球上で最も優れた化学物質検出器に違いありません。そのようなこと考えたことありませんよね?ありますか?
私が好きな引用があります。そこから「無知」と疑問の話に戻りましょう。引用を好むのは死者たちも会話の仲間にできるからです。そしてまた、この会話は、相当長く続いているということも重要だと思います。
さて偉大な量子物理学者であり、哲学者ともいうべきシュレーディンガーが指摘したことですが、期限を定めず「無知」を受け入れなければならないのです。
この、「無知」を受け入れるということをいかに行うか習得するべきです。これは少し難しいことです。簡単なことではありません。結局は教育システムの問題でしょう。では「無知」と教育についてお話ししましょう。なぜならそこで勝負すべきと思うからです。
手始めに、現実を見ましょう。グーグルとウィキペディアの時代に大学やたぶん中等学校もとにかくビジネスモデルを変えねばなりません。事実を売っても、生きていけません。マウスのクリック一つで手に入るのです。これらあらゆる情報源を隠すことは無駄なのです。
どうすべきでしょう?
生徒たちに境界線を体験させ、限界の外側のもの事実の外にあるもの。事実の届かない先を考えさせるべきです。
それにはどうするのでしょうか?
やはり、問題の一つはテストでしょう。とても効率的な現在の教育システムは、よくない面で効率的なのです。二年生では、女の子も男の子も子供たち全員が、科学に興味を持っています。分解するのが好きです。好奇心のかたまりです。調査するのも好きです。科学博物館にも行きます。何でも遊びにします。
二年生はこうです。彼等は興味を持っているのです。しかし、高校の2年や3年では、科学に対して何か興味を持っている人はわずかで10パーセント以下で、まして生涯の仕事として科学を志すものなどいません。私達には素晴らしく効率的なシステムによって皆の頭から科学についての興味を消し去っているのです。
これが私達が望んでいることでしょうか?同業者である教師の言葉だと思うのですが、これを「拒食症方式の教育」と呼んでいます。イメージできますね。一方で、膨大な事実を喉から詰め込み、他方で、それを試験で吐き出すのです。
知識は肉にも血にもならずに帰されるのです。こんなことを続けてはいけません。���うしましょうか?
遺伝子学者が拠っているこんな原則をお話します。スクリーニングすれば常に求めたものが得られる。これは、警告としての言葉です。スクリーニングすれば常に求めたものが得られるのです。何をスクリーニングするか。それは試験の方法の一部でもあります。
確かに、試験と評価の話は良く聞きますが、試験については注意深く考えねばなりません。これは評価なのか、選別なのか、選別してはじこうとしていないか、何かを切り捨ようとしていないか、評価は別の話です。
最近の教育誌などでは、評価の話が溢れていますが、本来、評価とはフィードバックと試行錯誤の機会を意味します。このようなフィードバックについては、長い時間をかけて取り組むべきなのです。それは選別とは違います。
苦言を呈しますが、人々が評価について語るとき、生徒を評価するとき、先生を評価するとき、学校を評価するとき、課程を評価するとき、実は、選別について話しているのです。それは良いことではありません。スクリーニングすれば求めたものが得られるからです。
私達が今いま直面している現在のことです。今必要な試験とは「Xとは何か?」というものです。その答が「知りません。誰も知らないからです。」とか。
「問いは何ですか?」となれば、一層良いでしょう。または「調べてみます。誰かに聞いてみて、電話してみて、解明してみます」こういうふるまいを望むなら、そうなるよう評価するべきです。
そして、もしかしたら飛び級のクラスには「これが解答です、次の問は?」でもいいでしょう。これこそが特に好きなやつです。
イェイツの引用で終わりにしたいと思います「教育はバケツを満たすことではない。火をともすことなのだ」ですから、ともにマッチを持っていきましょう。
ありがとうございました。
カントとは、16世紀のドイツの哲学者。
イマヌエル・カントのことです。「純粋理性批判」でも上記のことがより詳しく論じられています。
人間は何をどこまで知ることができるのか?ということをデカルトやスピノザが提唱した大陸の合理論とイギリスのロックとヒュームが提唱した経験論の欠陥を認識、洞察しつつも経験からの独立した認識能力への批判を融合して。
すなわち、純粋理性能力の意味と限界を統合した書籍です。
超越論的制約である空間と時間を通じて、人間が認識して理解できるものの限界はどういうことなのか?という認識論を説明しています。
シュレーディンガーとは、シュレーディンガー方程式を構築した物理学者。
シュレーディンガー方程式とは、1926年にオーストリアの物理学者エルヴィン・シュレーディンガーが量子力学の理論の整合性をとるために波動力学という体系を提唱した際の基礎方程式として提案された。
当時は、波動性と粒子性の問題が持ち上がっていて、実験事実を丁寧に方程式の形式にまとめあげた物理学の巨人のひとりです。
なので、一般式なシュレーディンガー方程式は、ディラック方程式から場の量子論まで量子力学全般で使う事ができます。基礎方程式といわれるゆえんです。
アインシュタインの光電効果仮説(1905年)。アインシュタイン・ドブロイの関係式や量子からマクロ世界のニュートン力学に拡張する過程で、古典力学での方程式は量子力学から導出されるとも言われる(プランク定数をゼロに近似したとき)
ボーアの量子条件やハイゼンベルクの不確定性原理でも整合性がと��ています。
(個人的なアイデア)
老子の道教の徳(テー)とアリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が似ていることから・・・
どちらの起源が先か?調べるととても面白い仮説が出てきた。
中国の道教は紀元前750年位。古代ギリシャ末期のアリストテレスは紀元前350年位。
共に多神教。この時代の情報の伝達速度を考えるとシルクロードで相互的に交流して伝わった可能性も高い。
プラスサムな概念だから。道(タオ)が先で、アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が変化して
老子の道教の徳(テー)となり、神仏習合みたい道徳になった?アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)は具体的だが、道徳経ではあいまい。
当時は、西洋と東洋の最先端を統合?古代中国では、老子は仙人とも言われていたし、始皇帝もこの頃の激動の時代。
どうなのか?
バラモン教に対して創始した仏教もブッダにより誕生し、アリストテレスの時代に近い年代であることは偶然の一致だろうか?
ニコマコス倫理学に似ている仏教最高レベルの奥義が「中道」ということ。チベット経由で中国にも伝わります。そして、日本にも。
その後、古代ギリシャは300年後、多神教の古代エジプト文明を滅ぼしてローマ帝国になっています。キリスト教も誕生。
その後、国教へ。一神教が広まり紀元後が始まります。
真実はわからないが、そんな仮説がインスピレーションとして出てきた。
仏教最高レベルの奥義が「中道」と言葉で言うのは簡単だけど、体得して実践するのは至難の業。
ピータードラッカーも言っている。
それを可能にする方法を段階を踏んで導いた最初の人が釈迦です。
初心者向けとして、アビダンマや八正道がそれに当たります。具体的な方法を体系化しています。
極端な見解にとらわれない(顚倒夢想:てんとうむそう)よう人が心の苦しみから逃れるには、八つの道を守れば良い。
正しい見かた、正しい思い、正しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい判断。そして、正しい考えかたである。
ところで「正しい」とは、何をもってそう言うのだろうか?
ここでは、アリストテレス(サンデルの正義)の定義ではありません。
この場合の定義は、ブッダの説いている「中道」が「正しい」という意味です。両極端にとらわれない正しい立場(中道)が悟りへと導く唯一の道なのです。
悟りから始まり、この世は、様々な概念が重なり合うため、概念の機微や均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!
最初は大変だが、ドラゴンボールに登場するスーパーサイヤ人みたいに、これを大変なレベルじゃなくなるくらいに習慣化することがコツです。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。
現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
続きは、後ほど。倫理は強制ではなく一定のプロトコルに基づく自由権なので
アリストテレスのニコマコス倫理学には、快楽的生活、社会的生活、真理を追求する生活がある。
思考の知的な徳は、形式知の根本?
もう一つ、性格の徳は、暗黙知の根本?
アリストテレスのいう定義である悪徳の反対は、有徳。有徳に転換する努力が必要。
悪徳に似た概念として、仏教でも、具体的に邪道四つと定義されている。
テーラワーダ仏教に似ている。顚倒夢想(てんとうむそう)になるため悪行為を段階的に最小限する努力が善行為。
こうすることで「パワーか?フォースか?」の書籍でいうパワーが人類全体で平等に底上げされる。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイトの方)という前提です
そして、ブッダの説いている「中道」は、「パワーか?フォースか?」の書籍でいう「意識のマップ」内の「中立」レベルに当たるかもしれない。
アビダンマとは異なる領域なので、うつ病、ADHD、自律神経失調症、発達障害などは、精神科医や心療内科へどうぞ。
もう少し、テーラワーダ仏教で教え伝えられている経験則を初心者向けから二、三歩、歩みを進めると「預流道心」と言われる悟りの最初の心が生まれる瞬間があります。
自力で到達するのは危険なので、お寺のお坊さんに詳しくは聞いてください。
自分の解釈では、ここに到達する感覚としては、量子力学の本質である「場の量子論」を本当に理解した瞬間が一番近い感覚です。しかし、検証できないので本当に到達したかわかりません。
テーラワーダ仏教のアビダンマでは、「預流道心」に到達すると自然と悟りの道に自動的に回帰できるようになるそうです。次に、七回生まれ変わるまでに完全に悟りの流れに乗れる。
前世で「預流道心」に到達してると子供の頃から、桁の違う天才になりやすい傾向が発現してくるそうです。
そして、六道輪廻するのは、人間界か天界のみだそうです(一神教では、天国に近い領域に似ている)他にいくつか特徴がありますが、ここまでにします。
<おすすめサイト>
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projecthedz · 4 months ago
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250723 EXTRA
【7:10】
駄文書いてから2hほど寄せラクガキ会を編集。重すぎたのでページを切り分けた。スマホからだとCANVA内のリンク付きオブジェクトクリックしてもジャンプできない。つくづくスマホ環境には優しくないサービスだ。CMだとスマホでサクサク操作してる様子を描いてるけどな、ありゃウソだ
さて、どうする?
チキンナゲット2個、腹に入れたが全然脳動いてない。サラダを買って、昨日の食べ残しのコンビニ弁当と混ぜて食べるか。それがいい
「自宅酔い」がまだ抜けぬ。そうか、引きこもりなり仕事��怖症なりで生産性失ったヒトって何か特定の感情や思い出に「飲まれて酔っ払ってる」状態だ。酩酊は不快であると同時に心地よくもある。だが社会性はどんどん低下し信頼は毀損される
----------------------- 【7:25】
★本ブログは私が「自宅の呪い」を防ぎつつ定期的に家に戻って��動する為のテクニックをまとめる個人的メモ帳とする [250223]
メモを取れ
◆朝飯(サラダ)買いにいく(クリア 8:11 自信+0.01V 総合1.93V。今日中に2.0V復帰できたら嬉しいね)
◆請求書を2つ出す(クリア 10:30 自信+0.03V 総合1.96V)
◆午前中にパーツを最低2ブロック清書。加速できたら夕方までに追加5ブロック清書。まずはそこまでダッシュでやってから考える
--- 下手の考え休むに似たり。勝てぬ・報われぬと分かっていようとも動かせるだけ動かせ手を、足を。我武者羅に動いた軌跡が奇跡の火種に、あるいはなり得るのだ。信じなくてもいい、ただ動け、積み上げろ、揺るがぬ「既成事実」を作れ―
13:30にタイマーセット。そこで昼食。さっきの残り食べる
◆午前タスク終わったら 塩漬けになってるアレのナナメ前 ナナメ後ろラフを提出
◆ソフビの正面プロポーション調整投げ
◆同人の高速レイアウト作成&着彩メソ実験、にぎやかし&基礎インスパ線配置メソ模索。むしろ3~4冊同時進行する方法考えて、それから1冊をさらに作り込む方法考える(寄せラクガキメソッド)
----------------------- 【10:30 - 12:00】
あー。また寄せラクガキ 1.5hいじってしまった。リアルタイムで人と遭遇するとつい熱中しちゃうんだよな...
----------------------- 【12:00 - 15:20】
つまんなすぎるマスク塗り分け作業。マジに脳が死ぬ。無理
いっちゃん嫌いな作業。嫌い!!!!!!! 無理!!!!!!!
あー腹立つなーもー....
前回は時間ないからパーツ統合した状態でマスク作った。だからまあ早かったけどバリエーション変えるたびに塗り直しなのがムカついて今回はバラパーツ一個一個にマスク作ってるから倍時間かかる
全部ムカつく。同じことを3回以上やりたくねーんだよ
けど、時間制限があると「暫定 / その場しのぎで」とりあえずのデータ出すしかない。受け取った側はもう完璧なデータがあると思ってる
ねーんだわ。その見��目の塗りのしかねえ。パーツ外した所は塗れてない
実際にはそんな簡単な話じゃあなくもっと深刻なゴミが発生してる
けど、説明しても意味ないし、なんかもう根本的な段取りの問題
うーむ....
今ほら、そういう時代でしょ? 人間がさあ、いちいちさあ、ねえ? マスクとか切るかっつの。自分でやっててバカとしか思えぬ
評価にならないこと、寿命を無駄に削ること、ぜったいやりたくねえ(どの口が...)
このバカッ!! この運命の袋小路に入り込んだ俺の選択のマズさ
お金と権力があればこんなもんそこら辺のメカ好きにーちゃんに30万くらいポンと渡して「やっといて」言えば終わりなんだ....
いや、実際にはもっともっと安く、1万もかけずに雑務をアウトソースする仕組みだって作れる、作れたはず
絵なんて「やな感じ」か「いい感じ」しか無いんだ。下地の誰がやってもいっしょのオペレーション部分なんて絵の善し悪しのジャッジができる俺がやるような作業じゃねぇ
なんだこりゃ... 到底応援できない愚痴だぞ。裏方作業マンは共感できるアレだろうが15年前に解決しておくべき悩みだよな
これでも少しは未来の自分がラクできる工夫しながら描いてたつもりなんだが、まだまだ、10倍はラクさせてほしいねこりゃ
3Dから線起こししてやっていくスタイルにするしかないのか
要するにモデラーになるしかないんか...
ちっくしょー。スキルが全く足らん。いや、器用貧乏化するから実技スキルなんてそんなに要らん。キャリア構築をミスった
なんでいまだに実務労働者なんだよ....
集中するも、愛を注ぐもクソもない。本来やんなくていい徒労だ
怒り。怒りしかない
----------------------- 【15:45】
うん。わかった。例えば片脚だけで15レイヤーくらいにわかれてるのがマズい。構造の説明図も兼ねてるから不必要なまでに複雑なんだ
奥の脚、手前の脚、下半身、上半身、奥の腕、手前の腕、頭、バックパック
せーぜーそんくらいのレイヤー数で十分。それなら塗り分け作業だって簡単に見積もれる
だが、実際はそれぞれのユニットが10個以上のレイヤーで別れていて、他にもいやらしい変な構造が間に挟まってる
余裕で100レイヤー越えてんの、1アングルでだぞ?
もう何がなんだかわからん
データのゴミ屋敷。ファイルを複製してパーツを統合した別Ver.作る??
それやったらね、もうバージョン管理できんくなるよ。現状で段取りごとに3つくらいのPSD使い分けてんのに。まだレシピ化してない、慣れてないやり方だ。だから次回観たらもうわけわかんなく��っていじれなくなる
シンプルな制作フローの案がまるで浮かばない
たかが2D絵なのに。3Dよりよほど簡単であるべき、だろ??
1次元少ないんだぞ
ああ、3Dは誰がどう作っても複雑怪奇化することがわかりきっている。だから整理整頓する為の仕組みがアプリケーション側に備わっている
だが2Dは散らかしたまま進行しても案外なんとかなるからつい構造を散らかしてしまう。そしてアプリ側には散らかった構造を直感的&包括的に操作する機能などない
いい。怒り。ただただ怒りがある。やりたくない。失敗した
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shelliemay26 · 1 year ago
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いのちより、しごと
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7041字の文章を書いて、所属してる文芸サークルの同人誌に提出したのですが、幹事から「エンターテインメントなので、仕事の愚痴ではなくて楽しいものを書いてほしい」などと却下されてしまいました。正直、僕は「足を踏まれて痛い、助けて」と訴えているのに「お前の話はつまらん、もっと面白いものを書け」と言われて納得していません。これはいじめの構図だと思ってる。
ただ、自分の文章をChatGPTに読ませたら、あんまり良い感想をもらえなかったので公開はやめて廃棄することにした
ーーーーー
ChatGPT「要約すると、この文章は、政治家や社会の構造、労働環境についての強い批判を含んでいます。内容には、政治家の贅沢な食事や労働者の過酷な労働環境に対する不満、社会的不平等への憤り、また一部の暴力的な行為への共感を示唆する表現などが含まれています。これらの要素が重なり、個人攻撃や誹謗中傷、暴力的な示唆、個人情報の不適切な扱いなど、公開する際に問題となる可能性がある点が見られます。そのため、内容の再検討や慎重な表現の調整が必要です。」
ーーーーー
とのこと。自分の社会不適合が明らかになった(悲しい)
でもこの文章を読んでいただいた二者から解説を頂いたので、本人の許可を得てここに公開させていただきます。
ーーーーー
くしろんさん(@_Kushiron_ron)による解説
とうふわかめ氏が述べたように日本の市民、為政者はとりわけ下から支えている労働者に対して理解があるとは言い難いと思います。世の中では働き方改革が叫ばれているけれども、あくまで形式的な改革で現場の労働環境を鑑みているとは言えないでしょう。人間は機械ではありませんから、労働時間を調整しただけではなかなか上手くはいかないと思います。
日本の労働者の労働満足度は実際にとられた統計を見ても低い事がわかります。しかし、欧米では日本と比較すると労働満足度は高いです。この違いはなんでしょうか。労働者が声を上げられるかどうかが関係していると僕は考えます。欧米では労働者がデモ活動やストライキで声を上げたり、為政者に対し権利を強く要求する事は当然だと考えられています。フランスでは2018年に燃料税引き上げ方針に反対する黄色いベスト運動が起きました。運動は激化し、燃料税の引き上げを延期させるほどだったといいます。日本ではデモ活動やストライキに対し過激だ、迷惑だ、暴力的だ….というイメージが強く、そういった活動が当然だとは考えられていないように感じます。こういった活動は人間にとって当然の権利なのだから高校生の「バンドやろうぜ」の感覚で積極的に行われて欲しいものです。
とうふわかめ氏の文章を読んでいたら、ある言葉がぼんやりと浮かんできました。哲学者ハイデガーが考えたダス・マン(Das Man)という言葉です。彼は人間は本来自由な存在だけれど、存在が何かを考えずに日常の出来事ばかり気にしてダス・マンとして生きていると言いました。今の日本の人々は労働などの生きることに密接する事から目を逸らして、現実逃避ばかりしているように思います。ハイデガーが述べたような状況になってしまいました。市民や為政者が下で働く労働者が置かれている状況をわかってくれる人は増えてくれるのでしょうか。少しでも労働者が報われる社会になって欲しいと考えるばかりです。
自論展開になってしまいましたが、ゲストとして書かせていただきありがとうございました。
ーーーーー
しいどんさん(@Siidon)による解説
とうふわかめ氏の記事によせて私は施設管理を生業にしている者です。とうふわかめ氏の公共交通業界と多くの共通点を持つ業界です。大型施設の設備管理をしており、土日祝・夜間休業の世の中の多くの人とはちがう時間を生きているという点はとても良く似ています。そのような業界によくあるように夜勤・残業は当たり前であり、労働時間が長くなりがちでそのわりには賃金は控えめです。典型的なブルーカラーと言えるでしょう。とうふわかめ氏には多くの点で共感を覚えることしきりです。
ひとつちがうと言えるのは私の業界は完全に民間のお金で回っているということです。企業の交渉力次第で自由に値段を設定でき、従って労働者の待遇もそれに準じます。ゆえに私の給与明細における総支給金額は私の選択の結果であり甘受すべきものと思っています。一方でとうふわかめ氏の公共交通業界の値段(=乗合バス料金)は道路運送法で規制されています。民間企業であるにも関わらず自由に料金を決められない。そしてインフレなど時代の流れに速やかに対応することができず、結果労働者の待遇が悪化し続けていることを記事内で批判しています。
大枠としては規制緩和推進の考え方であると私は捉えました。どの業界でも適切に規制を緩和することには大いに賛成です。労働法はきちんと遵守したうえでという条件付きですが。しかし規制の調整だけしたところで、実際の現場の労働者の待遇がすぐに向上し、満足する水準に達するかどうかは私は疑問に思っています。実際の私の待遇がそれを示しています。いわゆる「私がエビデンス」というやつです。では何が社会から効率的な人的資源・経済資源配分を歪めているのか。それは高い国民負担率と日本特有の社会保障給付の受益層の偏りだと私は考えています。このあたりの問題は昨今ネット上でも盛んに議論されるようになっており、この場では紙幅が足りず私は詳しくお話はしません。
ーーーーー
ひさびさのブログ、お読みいただきありがとうございました。
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iseilio-blog · 1 year ago
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04/24 柴寮偶寄
【完整版】有他受不了 沒他活不了 老來伴的愛情持久戰 20210605【薇姐、張郎】 (youtube.com) 動作更大些,會更帥,更好看。
白紙運動是徒勞?外界看中國視角太「功利」!中國人其實不想推翻黨?ft.前央視記者 王局| 斐姨所思【阿姨想知道】 EP137 (youtube.com) 二戰之後在經濟上取得大幅發展的亞洲國家,第一輪:日本、第二輪:亞洲四小虎、第三輪:東南亞、第四輪:中國-通通是在靠美國吃飯。尤其第一輪的日本,與第二輪的台灣,是在美國以政策刻意扶植出來的經濟體。中國的確應該就現狀繼續發展,不過應該切斷對西方的經濟倚賴,如此,所期待的中國強國狀態就可能實現。終究中國是一個人口大國,一切都必須依政治安排發展,否則紊亂是可能發生的。
前壹週刊總編心有餘悸 報導黑道引殺身之禍 裴偉防彈衣穿一年半/裴偉談黎智英原則 別用任何理由撤記者新聞/鏡電視節目有口皆碑遭忌? NCC帶頭喊打?|20240402| - YouTube 溫文儒雅的堅實心志。
【一刀未剪】出錢又出力 現在連生意也被整碗端去? 館長直播意外講出"大實話"? 苦嘆"被柯.昌當階梯"選後遭放生 王義川笑酸揭這MV竟神準預言館長下場?|【焦點人物大現場】20240402|三立新聞台 (youtube.com) 肌肉男思維往往不足以接受政治的複雜屬性,與追求正義的困���,因此一言不合就翻車了。
(9) 【CC字幕】左派很多偽君子?支持進步價值只因不想當壞人?ft.美 國哲學家 Peter Boghossian @drpeterboghossian | 斐姨所思【阿姨想知道】 EP153 - YouTube * 戰後的 Great America,經過 70年 之間種種 “事件” 的發生,異質化是必然的,而且 世風日下,人心不古;這樣的現象舉世皆然,只是美國太大,洞見觀瞻。真的是 “國無外患,國恆亡”。這麼說來台灣可還真是不賴。
* 所有問題應該就出在 1~10 的灰色地帶之中 “過猶不及”,甚至放任,卻誤以為是自由;比如說: “威攝”、“拒止”,這種 灰色地帶 你如何掌握分際?就台灣來說,就是在 1~10之間找出 “臨界點”,嗆聲-將會有傷害性的反擊。其它她要怎麼飛過來,飛過去, 只要不投彈,放鬆心情,平常心的時不時上去和它交際一番;或者禮尚往來,你也飛過去,飛啊飛,飛到珠江口、黃浦江外海繞繞。怕事、論述過多,就什麼辦法也沒有。這叫無能。
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#HD508 失速中國 全球遭殃? 謝金河 宋國誠 陳松興 (youtube.com) 由於馬列、文革思想,中國對市場經濟其實瞭解不多,甚至站在反面心態(趙胡可能是個契機。)。尤其偏重政治層面的體制與文化,在經濟上缺少對國家全盤的關注;就以往的經驗來看,這個體制的維持,相當程度是在經濟上放任地方,或諸侯經營;眾星拱月,大家發財。
缺少經濟學門的知識甚至智慧,就產生了現在這種現象 - 大而化之、粗粗魯魯。所以不要以為西方這些國家,包括日本,對中國有什麼瞭解,甚至純粹的貪迷中國的廣大市場都不是,而更多的是在燈紅酒綠,媽咪引導中,糊里糊塗。
就中國來說,兩頭在外,在經濟上一陣燒燒(呵呵呵)而已,當然也談不上崛起。然而 ~, 然而世界就這麼開展了。
中國歷史悠久,人口眾多,又經過文革歷練,其實自由體制經濟並不適合,可惜世界的愚蠢很難用理性說服 . . . .,
誰救了台灣?|#吳聰敏 #矢板明夫 #汪浩|@華視三國演議|20230318 (youtube.com) 長輩說來台中國人的衛生不佳,四處吐痰,此外買來水龍頭要裝到牆上,以為就會有自來水;軍隊也與嚴整的日軍相當不同; 有文化差異。小學時,一日,同學父親在家被槍殺死亡(迪化街),猜想應該是來台的散兵遊勇。 戰後經濟,美國對台灣曾經有七項指導方針,可惜已經找不到;���許吳教授書中有。 戰前台灣紡織業有 • 南洋紡織(竹腰進一),即戰後的中南紡織(現有者早已人事全非),與高砂紡織。維基記載有誤。
秋怨(江蕙}~伍珈慧2024/03/04中央廣場#新星姐妹樂團18#嘉義街頭藝人 #台語流行歌曲 #音圓之星 (youtube.com) 歌好、台風好,展現平穩,漂亮的女生!請問 . . . . . ,
(71) 【苑举正】新加坡的政治与台湾的政治能够比较吗? - YouTube 你的就是政治,別人的就不是政治;把一個貪汙腐敗的國家說得天花亂墜,這種無家可歸,神經剝離七十多年的流民,中國那麼好早就搬回去了。
就這位大中國主義者來說,新加坡只是一個好使的工具而已。 新加坡以其獨裁的體制,之所以得以取得其人民的認可與國際的贊揚,其原因,首先在於他的「小」。新加坡建國初期對敵對份子的打壓是 無所不用其極的。只要夠狠,政權一旦入手,要垮很難。它的經濟只要能長期滿足人民的需求,內政能做到嚴刑峻法,路不拾遺,不但人民 只好認同,這個體制其實也就成了永遠的 宗主。而這對一個較大的專制政權來講,恐怕在政治上難以永遠維持,在經濟上分化也會相對更大,只可能是一頭朱門酒肉臭、路有凍死骨 的 地球怪獸。
新加坡這個十八世紀體制的得以長期維持,除了因為太小之外,另一面不應該忘記的是,除了它的地理位置適中之外,如此的由落後的政治 體制而得來的進步,其實也正是依附、寄生於它所極力推向反對面的「自由經濟體制」。
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xf-2 · 1 year ago
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先日、「失われた30年検証研究会」という会で講演する機会があった。文字通り「失われた30年」からどう脱却するか考える研究会だ。私は、脱却のカギは、普通の国民の生活の安定や向上を経済政策の第一目標とすることにほかならないと話した。他の先進国同様、日本は国内総生産(GDP)の半分以上が消費支出(家計消費)からなる。GDPを成長させるには、普通の日本人が安心してお金を使える環境を作り出さなければならない。だが、日本ではここ30年そうした環境がどんどん失われてきた。
主要因として、日本の経済政策の第一目標が1990年代半ば頃から一般的国民の生活の安定や向上ではなくなったことが挙げられる。グローバルな投資家や企業の政治的影響力が増し、彼らの目線で経済政策が作られるようになってしまったことだ。これは、いわゆる新自由主義に基づく現行のグローバル化路線がもたらした帰結である。グローバル化、つまり国境の垣根をなるべく引き下げ、ヒト、モノ、カネ、サービスの移動が自由になり、活発化する現象が生じると、半ば必然的に、各国の政治に対するグローバルな投資家や企業の政治的影響力が強化される。彼らは、自分たちが稼ぎやすい環境を準備しなければ、資本を他所へ移動させるぞ、と各国政府に圧力をかけることができるようになるからだ。例えば、彼らは「法人税を引き下げる税制改革を実行しないと貴国にはもう投資しない」「人件費を下げられるよう非正規労働者を雇用しやすくする改革を行え。さもなければ生産拠点をこの国から移す」などと要求できるようになった。
実際、日本政府も事実上、グローバルな投資家や企業の要求を聞き入れ、彼らが稼ぎやすい環境を整備する構造改革を繰り返してきた。具体的には、法人税率の引き下げ(その補填(ほてん)としての消費税率の引き上げ)、非正規労働者を増やす規制緩和、事実上の外国人単純労働者への門戸開放、��主重視の企業統治改革の断行、電気や水道、鉄道などのインフラ事業の民営化、カジノ解禁などである。
その結果、日本の経済社会はすっかり「グローバル化」した。一例のみ挙げれば、日本の大企業(資本金10億円以上)は、構造改革が始まって間もない平成9年から平成30年に、株主への配当金を約6・2倍も増やしている。その一方、従業員給与は減少している(9年を100とすれば30年は96)。設備投資もほぼ同様に減少(やはり100から96)している。(相川清「法人企業統計調査に見る企業業績の実態とリスク」『日本経営倫理学会誌』第27号・令和2年)。日本の大企業も「グローバル標準」に染まり、株主中心主義へと変質してしまったのである。
私の研究室では令和5年12月、社会調査会社に委託し、全国300人の成人男女に経済政策のあり方について次のように尋ねた。「あなたが考える日本の望ましい経済政策の基本方針は、次の2つのうちどちらに近いですか。①日本経済を��ローバル市場の中に適切に位置づけ、投資家や企業に投資先として選ばれやすい日本を実現すること、②日本国民の生活の向上と安定化を第一に考え、国内に多様な産業が栄え、さまざまな職業の選択肢が国内で得られるようにすること」。①はここ約30年間のグローバル化路線の経済政策である。②は「国民生活が第一」の路線である。結果、①を選んだ人は26・7%(80人)、②は73・3%(220人)であった。やはり大多数の人々が、グローバル化路線ではなく、普通の国民の生活の向上と安定のほうを重視していることは明らかだ。
最近、芸能界ではジャニーズ事務所や松本人志氏の案件ように、これまでマスコミを含め多くの人々があまり問題視してこなかったことが大きなスキャンダルとして扱われる事態が相次いでいる。経済でも同様のことが近いうちに生じるのではないか。つまり、普通の国民の生活の向上と安定を経済政策の第一目標としてこなかった日本のここ約30年間の政府の姿勢が大スキャンダルとして扱われる日が来るのではないか。私は、希望的観測かもしれないが、そうなる日も近いと考えている。
施光恒(せ・てるひさ) 昭和46年、福岡市生まれ、福岡県立修猷館高校、慶應義塾大法学部卒。英シェフィールド大修士課程修了。慶應義塾大大学院博士課程修了。法学博士。現在は九州大大学院比較社会文化研究院教授。専攻は政治哲学、政治理論。著書に『英語化は愚民化』(集英社新書)、『本当に日本人は流されやすいのか』(角川新書)など。「正論」執筆メンバー。
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modeqs · 1 year ago
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2023年を振り返る(1)
習慣(1)
The Bullet Journal
昨年から引き続き習慣を軸とした生活の改善を試みた。良いなにかを習慣化する、などという言葉を例外なく胡散臭く感じていた私だったが、習慣の二文字が身近になった一年だった。
良い習慣を形成するための具体策としてバレットジャーナル(Bullet Journal)に一年間取り組んだ。恥ずかしながら私は計画を立てるのが苦手だ。仕事をカレンダー上に配置し、場合によっては時間の経過に伴ってその再配置をするのが苦手だ。BJによって特定の仕事をある一日に割当て、「とにかくやらなきゃいけないことがいっぱいある!!!」という業務量を過大に認識しパニック状態に陥らないようにできるのではないか、と考えた次第だ。
道は遠い。1月から最初の3ヶ月は「書きすぎ」というレベルだった。手書きで考えたことを記していくのが楽しく、時には睡眠時間を削ってまで日記を書いた(BJは「そこそこ日記も書くことができる手製のシステム手帳」みたいな感じだ)。しかし4月に入るとその熱意は破綻し、6月以降はそれより前の水準からいえばBJによる生活の管理は全く機能しなかった。
振り返れば、BJの運用について自分に課したルールが多すぎた。例えばダイヤモンド社から邦訳版が出ている公式解説本には、たしか、「一日のはじめに、その月の、昨日までのすべてのページに目を通して残っているタスクがないか確認する」という行動が解説されていた。最初の頃はこれをやっていた。これが月後半になるとそこそきつかった。たしか朝、15分くらい時間をとって振り返ろう的なことが解説されていたと思うのだが、その時間をとるのができなかったし、感情からいってひたすらその月の過去の予定を見返す作業が苦痛だった。
このような自分に課した、BJの運用ルールが守れなくなった結果、BJそのものの運用も抛棄したというわけだ。仕事が忙しくなってくると���朝晩それぞれのたった15分でも支出することができなかった。書く面倒くささが、自分の思考と作業を整理できるという利点を遥かに上回ってしまった。10月はじめくらいまではノートは買うがほぼ活用できていなかった。これでは駄目だと思い、10月、最後の四半期でもう少しマシな運用をしようと思って、ルールをかなり緩めてBJを使うようになった。
その結果、今年のはじめ、熱をもってBJを使っていた頃よりは業務の計画性というか、業務の進め方の整然さは低まった。だけれどもその間、なんとかBJによる仕事と私生活の構造化は実践することができた。
以上のようにBJを一年間試し、試行錯誤できたのは良かった。私は試行錯誤が苦手なので、とてもよい経験ができたと思う(試行錯誤が苦手というのは「己の行為の後にただちに良い結果が表れないと、その状況の不確定性に我慢ができず努力を抛棄してしまう」からだ)。
一方で、試行錯誤のサイクルはもっと早めることができた。私はもっと早期にBJの運用が破綻していると自覚し、BJの運用ルールを緩める代わりに(自分が求める「最高度にBJを活用する方法」を諦め)生活の構造化の試みが全面的に破綻することを回避する行動をとるべきであった。
数学の学習でもそうだが、私は自分が思考の袋小路に陥っていると自覚しそこから抜け出すためにそれまでとは全く異なったなにかをしなくてはいけない(=従前と同じことをしていては状況は論理的にいって何も変化しない)と考えることが苦手だ。このような俯瞰の視点を欠いてしまい、試行錯誤が非効率になったことは今後の課題だ。
蛇足である。朝の15分が忙しくてとれないというのは、今にしてみれば、それ自体が、時間の使い方・仕事の進め方が下手くそな証拠であると思う。つまり私はそんなに時間に追われるような業務は担当していないし、業務への没入が求められるような専門的あるいは知的な業務もやっていない。いま現在発生している業務と、各業務にかけられる残り時間とを正しく把握していないがゆえに、頭の中で思いつくすべての作業を最優先で終わらせなくてはならないと感じられ、そのために幻の焦燥感に襲われていたというのが実際だ。
習慣は長い道のりだ
BJや、また後述する「心の習慣」を形成しようと挑戦するなかで痛感したのは、良い習慣を身に着けるというのは、とても長期にわたる実践であるということだ。端的にいってそれは、短くとも数年はかかるし十年超かかることはごく当たり前のことのように思う。
そして今この記事を書きながら思ったことだが、そうして何らかの良い習慣を形成しようと何十年にもわたって取り組み続け、その道中に死ぬというのが人間のありようなのではないか。つまり希求してやまない良い習慣が、なにかのモノを手に取るようにして満足に身についた感じられることはない。常に己の実践のうちに理想からの距離が感じられ、その距離を埋めるべくしてまた行動する。これを繰り返すことでどんどんその人のある習慣は磨かれていく。だが本人の主観としては己の行動が理想そのものになることはなく、幸運にも老年まで生きられたとしてもそれは変わらない。我々にはこのような実践しか出来ないのではないのだろうか。この観点にたてば理想どおりに行動できない自分を責める必要はない。理想の「習慣像」に向かって行動し続ける限りはヨシ!とすべきだ。
話がそれた。まあそれてないけど。そういうわけで良い習慣を形成するためには、私のような凡愚にとっては(1)とにかく続ける、(2)頑迷に続けるのではなくやり方を変える柔軟さをもつことが重要であると感じた。
(1)について。上記した精神に基づき、そして私のような大人になって初めて「そういえば世に聞く『習慣』とやらは人生にとって有益なのではないか」と気がついたアホは、身につけたいと思った習慣は少なくとも(ごく当たり前のように)数年は意識して続けるべきだ。
これは私にとって異常な主張に聞こえる。というのは私はこれまでの人生で数年にわたる努力など考えたことがないし、まして試してみたこともないからだ。だがこの一年意識して習慣の形成にトライして思ったのは、良い習慣の形成にとって数週間や数ヶ月の努力は期間が短すぎるということだ。もちろんそのような努力は望ましいが、生活全体に大きな改善をもたらすには些細がすぎる。
中長期にわたって習慣形成のために同じ努力を続けるためには、とにかく慢心を避ける必要があると、私は思う。つまり良い習慣をモノにする自分の努力は軌道に乗りつつあるという気持ちを起こさないことが重要であると思う。なぜなら、私のような凡下の徒は、そのような認知をするとそれで満足してしまい、また「習慣形成の手綱」を緩めてしまうからだ。習慣形成の努力、あるいは実践をするときはいつでも、愚直にその習慣に関する基本をなぞり続ける必要があると、私は思っている。
以上の議論の帰結として、それまでの人生に欠けていた良い習慣を形成しようと思ったら(ア)短くとも数年にわたり、おそらく実際には十年超にもわたって、(イ)その習慣に関する基本を慢心することなく実践し続ける必要があるということになる。まるで修行僧のようだ。このように己を変えようと行動することは、まさしく一つの生き方にほかならない……と私は思うのだが、あなたはどう思うだろうか。
(2)について。(1)と反するようだが基本は大事にしつつ、具体的な行動の内容は適宜変更していくべきだ。そもそも継続が困難な内容であると習慣形成そのものが破綻してしまうし、それだと意味がない。逆に考えればあ��習慣の枠内であれば具体な方法はなんでもよいわけだ。なので当初思いついた行動そのものに頑固にこだわることはせず、ある行動を通じて獲得したい当初の理想像はなんであったか、そしてその理想像に近づくためにはどのような行動をとればよいか、さらにはその行動のうち無理なく持続できるものはなにか、といったことを考え(紙とペンや、あるいはスマホで箇条書きにしてみるなどして)別の手段を講じていくべきなのだろう。
つまり特定の���象的な生き方の目標としての習慣と、それを身に着けるべく毎日実践する具体的な行動(場合によっては複数ある)という区別だ。この記事では両者を混同して「習慣」と記してしまっているけども。
我々の体調とかも含めて、我々を取り巻く環境は常に変わるのだから、そのような実践における柔軟さというのは、長い習慣形成の道のり(もしかしたら終わらない習慣形成の道のり)にとって必要不可欠なことなのかもしれない。
ちょっとおかしな生き方
さて、上記のように考えていくと、特定の目標のために日々努力を重ねていくというのは、ちょっとおかしな生き方のように感じる。少なくとも消費主義に脳を侵食された、ステロタイプとしての知能が低下した現代人のイメージからすれば、ずいぶんまともな市民のように感じられる。
そうではないか。現代はテクノロジーの光が未来を照らすと共に、大衆はスマホによって脳や思考をドロドロに溶かし、本来有効活用できるはずの能力を低めてしまっている。文明は大きく前進している一方で、人々の世界観は戯画化し、本来自分にとっては架空であるはずの存在に対し感情を先鋭化させている。これが私の現代社会観だ。
これを前提にすると、自分の人生を変えるために中長期にわたって習慣形成の努力をし、場合によっては意識して思考するというのはとてもストイックに思えませんか。私には、現代社会においてそれは、すごくまとも、「正気の沙汰」に思える。
こう書いたからといって私は習慣形成の努力にある種のエリート主義を感じているわけではない。
ただ、ひたすら親指を上下させて自分の注意(時間)を浪費し続けるよりかは、そのような習慣形成の試みは、あるいは惨めな自分の生活を改善するキッカケを与えてくれるのではないかと思うわけですよ。そのキッカケとは、手に入れようと自分で努力しなければ生涯得られなかったかもしれないナニカであることに注意してほしい。
つづく
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disolucion · 2 years ago
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03 モンテビデオ
目を覚ますと、白くてごちゃっとした部屋にいた。 視界はぼんやり靄がかかっている。 今度こそ神様が出てきてチート能力を授けてくれるのか? そう期待したが、どうやら違うらしい。
手の甲に点滴の針が刺してあるようだ。 指先を洗濯バサミのようなものが挟んでいる。 ピッ、ピッ、と機械の音が等間隔で鳴っている。 間違いなくここは病院で、集中治療室だ。
ひとまず、生きていた。 安心したらまた眠りに落ちた。
―――――
次に目が覚めて起き上がろうとしたら、 胸のあたりが痛くて呻き声が出た。 程なく白い服の女性が部屋に入って来た。看護師か。 ベッドの脇にある機械の数値を見ている。 おれを見てなにか言って、足早に部屋を出ていった。
すぐに白衣の男を連れて、看護師はまた部屋に入ってきた。 この白衣は誰が見ても医師だろう。えらく若い医師だ。 医師はポケットからペンライトを取り出して おれの瞳孔と喉の様子を見た。 軽く頷きながらおれに何かを言っている。 どこかで聞き覚えのある言語。
この人たちは外国人のようだが、いったいここはどこなんだ。 こんなに現代的な異世界アニメは見たことがない。
医師が丸椅子をベッドの脇に置いて腰かけた。 真顔でおれに向かってなにか言っている。 質問しているようだけど言葉がわからない。 首を傾げると「ネイムィズ?」と訊いてきた。 これは英語だな、うん英語だ。
「ハナダ、ミツル」
姓と名は逆のほうがよかったか?
「ハナダ、ミツル?アーユーフロム?」 「アイ、フロム、ジャパン」
医師と看護師が二人揃って驚いた顔をした。 年齢を訊かれたのだが 「フォーリーテュー」がなかなか通じなくて苦労した。
質問は続く。
「ハウ…♭□&×○☆:$%…ヒア?」
きっと、どうやってここに来たのか尋ねているのだろう。 なんと言えば、どう説明すればいいのだろうか。 黒い穴に落ちたと聞いて理解できるのだろうか。 そもそも、ここはどこなんだ?
ガラッとノックもなく部屋の扉が開いた。 軍服を着た男たちが三人、勢いよく部屋に入ってきた。
医師は椅子からスッと立上り、 おれを庇うような恰好で彼らの前に立つ。 軍服の一人が医師に何かを言っている。 医師は抗弁している感じがする。 軍服連中の目当ては、ポジション的にたぶんおれだ。 捕まるとヤバい感じがするのだけはわかる。
軍服と若い医師の押し問答を傍観していると、 老けた眼鏡の白衣が部屋に入ってきた。 おれを品定めするように一瞥すると、 軍服に向かって毅然と言葉を発した。 理路整然と、君たちに権限はない、そう告げているようだ。 軍服の表情が強張っているように見える。 軍服は到底納得なんてしていないが、 渋々といった様子で部屋を出て行った。
老医師はそれを見届けたらまたおれを一瞥し、 若い医師になにか告げて去っていった。
騒動の後、若い医師は丸椅子に座り直し、 プンスカした顔でなにかを言っている。 軍服連中か、老医師に向けて愚痴っているようだった。
改めて、どうやってここへ来た?と尋ねてきた。 答える前に、ここがどこなのか知るべきだ。 ウェアー?と言いながら両手で床を指さした。
「モンテビデオ、ウルグアイ」
若い医師はそう言った。 知らなかったの?という顔で。
「モン…」復唱しようとして声が詰まる。
ウルグアイだって? ウルグアイって南米じゃないか!なんでだよ… モンテビデオは確か首都だったような…
薄々気付いていたけど、やっぱり異世界じゃなかったー! しかも南米て… 視界が歪むのがわかった。
そして寝たまま倒れた。
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radioactive-butterfly · 4 years ago
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ぃぃ。vs。利利: 1/?
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シシ付に剖、
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アイデア/思考/夢/ジョイント/雑草/ベース。 基本的に言語/プロキシ/浸透/グループチャット学習。 アニメグロス、サオダディ/憂鬱漢字研究の違い。 サオダディ/憂鬱(アークライトオスト/ピアノ/スタイン;ゲート0の操作など)(スローバーン)およびサオダディ漢字研究(ムファサの死の悲しみ/悲しみ/急性の悲しみなど)の遅い/蓄積頻度;
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気分漢字指標としての「-shii」漢字接尾辞研究(クル漢字の指標/気分、痛み/体重/苦しみ/負荷/重み/悲しみの状態/気分/環境/雰囲気を示すクルシイなど) /cansaço/ bottled-up-communication /etc。);
夢の環境:ショッピング/モールのような環境、同じ雰囲気の前の/代替のアイデア/思考/夢/共同/雑草/ベースとの相互参照。
夢の中の反復/ループ状態、典型的な迷路/開始パターン、おそらく時間を稼ぎ、アイデア/思考/夢/共同/雑草/ベースハンドラー/ビルダーが常に視点で明示することなく風景/特性を構築するために注意をそらすように設計されています 。 この特定の状況では、彼らの行動範囲は通常短いようです。そのドーム/地下鉄のアイデア/思考/夢/共同/雑草/基地では、いじめっ子の東部の人々が誰かに嫌がらせをしようとしましたが、私は予期せずに気づきました 彼らが行動することを許された行動のドーム全体に独り占めする。
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その上、今日のアイデア/思考/夢/共同/雑草/ベースで学んだことのいくつかは私の英語のコミュニケーション能力を超えているので、私は今それを表現する能力を集めることができませんでした/ rn。 そして、通常のアイデア/思考/夢/共同/雑草/ベースハンドラーがドイツ語/オーストラリア語/英語であることを考えると、構文/文法/世界構築能力の上限は、特に彼らの断固たる非情/柔軟性/剛性と奴隷のために厳しく制限されています -私や他の夢を見ている人々に対する所有者/探検/上品/有毒な行動;
米国のアイデア/思考/夢/共同/雑草/ベースハンドラーは、特に動き/行動/哲学/ウォーキング-部首漢字の能力と世界の視点に関して、典型的には明確な北米のパターンを持っていますが、外観はまれに見えます 。 彼らは非常に豊富な/報奨金/資源/現金/お金/などにアクセスできるからです。 (第三世界の基準と比較して)彼らは誰もが彼らと同じ考え方を持っていると考える傾向があります。 また、それらのレンズ全体で論理的推論にバイアスをかける傾向があり、したがって、アイデア/思考/夢/ジョイント/雑草/ベースなどにバイアスをかける傾向があります。 それらのバイアスで着色されています。
したがって、彼らの想像力/ドラマ/想像力/創造/思考/推論/夢/共同/雑草/基本能力は、それらの空間/時間微分に関して、それらの偏った方向性/目的/ガイドライン参照(dx / dt)から派生する傾向があります / differential / momentum(d / dt):[次の図の例:]遠近法/視点への曲線の傾きは上り坂(+、+、+、正/追加/合計のみ)を指しているため、 登りは必然的に常に上り坂である(必然的に常に追加/合計/前向き)という彼らの信念に基づいて行動します。 これは常に当てはまるわけではありません。瞬間的/差異的な位置と最終的な目的指向のチェックポイント/マイルストーンの場所の間に、起伏、隆起、下り坂の経路がある可能性があります(人々が息を吸ったり吐いたりするのと同じように、 、生きるために)。
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したがって、彼らの未熟さは非常に幼稚であり、より成熟した東部の論理的思考/推論にはあまり面白くありません。
次に、ドイツ語/österreich/英語の知識プールについて一言で言えば:それは基本的にホーキング/アインシュタインの知識キャップに要約されています。 コンボ(その視点/視点では、合計は常に正確に等しく、必然的にその部分の合計に等しくなりますが、複雑な哲学/数学では常にそうであるとは限りません)。 したがって、そのようなささいな人生の解釈は、複雑な個人を測定/参照の整数-カルテシアン単位(Z数セット)に還元し、したがって、の富/豊かさを補う相互関係を構成する各個人間のギャップを見落とします 社会的信用/豊かさ(たとえば、Q&R&C番号セット)。
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西洋の人々が(ラテンアルファベットをすべて使用して)全力でチームを組むときでさえ、ロシア人に賄賂を贈って、世界の執行/支配/強制(バラライカ/ GM /プルターチの独善者)に対する彼らのささいなそして幼稚な/未熟な願いに参加させます そして多くのアルコールとロシアの女の子)、彼らはまだ瞬間あたりの象徴的な出力率(jp-tsu-smug)に達していないため、より賢い中国の賢人(jp-shi-smug)に笑われています。 小屋、まぐさ桶、小屋、イグルー、さらにはホームレスでさえ、単純な心を持った西洋の小屋(crows-laughing-choir.sfx)よりも賢く、心がいっぱいであることが実証されています。
さらに、彼らはこの時点まで断固として、故意に未熟であることが証明されているため(愚かではない)、理解の範囲を超えていることを無視する傾向があります。 それを避け/無視するか、それを不機嫌/恥ずかしいまたは恥ずかしい/嫉妬/嫉妬としてラベル付け/判断する; または、それが必然的にひどい、攻撃的で破壊的なものであるかのように、楽しく、いじめ、その費用で笑うこと。 これは常に当てはまるわけではありませんが、彼らは無知であるように思われます。
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彼らは未熟/幼稚/有毒な行動をさらに進め、中国の究極の独善的な力に直面する前に自分の敗北を認める代わりに、愚かな/遅らせられた/意図的な/ばかげた言い訳/説明で彼らの欠点を言い訳/正当化します にっこり。
ちなみに、彼らは今日の夢の中で私の体と思春期の乳首/おっぱいの発達について話していました。また、逆戦術/心理学で彼らの精神エージェントの行動を許していました。 社会的/個人的なコミュニケーション/能力に関して、私自身の行動の限界をすでに克服していなかったら、それは印象的だったでしょう、ハハ。
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したがって、基本的に/要約すると、西部の男はそれ自体が「ただ」ではなく、非常に強力な体重計/体重計/管轄区域にアクセスできる子供のように見えます。 彼らは彼らの無能さ、特にその典型的なヨーロッパの無能さのために惑星の通貨をいじくり回してきました。 もしそうなら、desune。
とにかく、私はすでに手のひらで木を切り刻み、水を運びました。 今、私は私のコンロを火にかけ、水を飲みます。 気をつけて、東の友達。 わたしは、あなたを愛しています。 :):D ^^ ^-^
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ジョジョーtbx
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keredomo · 4 years ago
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父親
 父は数年前に人間であることから滑り落ちた。  心臓をやって、そののちに脳もやってしまって、かれはもう、生前の記憶と妄想のうちに思念を口走り肉体の痛みを呻くだけの寝たきりの身体となってしまった。
 その報せを聞いて、かれが人間として存在することを瞬時に見限ってしまった私の無慈悲と裏腹に、母は父のことを今も夫として扱っている。坂のふもとで恋に落ち、ハワイで誓いのキスをし、怒鳴り合い泣き叫びながら夫婦生活を営んできた生涯唯一の夫として。  その夫婦のもとに一度の流産を乗り越えて生まれてきた一人娘である私は、母の夫である父を、すでに父親ではない者として見ている。母がまだ夫としてかれを取り扱っているのを悲しい気持ちで見ている。
 甲斐甲斐しく介護する母の顔を見て、父はうわごとで「おまえを愛している」と口走るのだそうだ。母が時々、複雑そうに報告してくる。  父は女によくもてたらしい。「あの人をください」と知らない女から母に、結婚してから少なくとも三度、電話があったそうだ。外に女を作られるくらいならと、母は深夜三時に車を出し、多ければ週に二度、高速道路を飛ばして酔った父を繁華街へ迎えに行く。そして五時には家事を始める。家族の朝食とお弁当を作る。  脳がだめにな��た父が「おまえがいないと俺はだめだ」と口走り、それを聞いて初めて母は自分が愛されていたことを思い知って崩れ落ちる。痩けた頰に生える父の髭を剃りながら泣く。見ていられない。
 脳がだめになってしまってもまだ母に甘えて執着してみせる父の、弱り切って痩せ細って剝き出しになった脚のかさかさの膝とふくらはぎを撫でながら、愚かだな、と思う。  初期にリハビリに努めれば再び歩けるようになるはずだったが、その力はあの人にはなかった。そのまま衰え続けて、父だった人は死へと急降下している。私を殴っておいて、弱い男だ。身勝手なこの人は、母のために痛みに耐えて回復するよりも自分が痛くなくて済むほうを取って、弱り果てて死ぬこととなった。もちろん、倒れた時にはすでに、回復することが母のためになるとすら判断できなくなってしまっていたのだろうが。愚かな男だ。
 半年か一年に一度、東京から帰省する。母の運転で介護施設に連れられ、もう父ではなくなってしまった寝たきりの身体に「お父さん、ただいま」と声をかけると、落ち窪んだ目を二、三度またたかせてのち、「おお、」と私の名前を口にする。そのように弱々しく名前を呼ばれるのももう七度目だった。  映画俳優のように美しい顔をしていた父が、その面影をすっかり失って、頰を痩かし、あばらを浮かせ、フケは白い髪に絡め取られ、顔中を乾燥させ、金魚のように口をぱくぱくさせながら、半年ぶりに顔を見せた私の名前を誤ることなく口にする病床。個室は静かだ。私は一応、生前の父の人生に存在していたらしい。  この人が口にしている私の名前は父が考えたものだったのだろうか。私はそれすらも知らない。私はこの人が私をどう思っていたのか一切知らない。夫婦の間には私についての話題もあったのだろうが、私と父の間にいた母からは何も聞かされなかった。
 病人は私の顔を見れば父のように私の名前を呼ぶが、すぐに夢想の国へ引き摺り込まれてしまう。あらぬほうを見て何か言っている。よく聞き取れない。父は任侠映画が好きだったので、うわごとでも「殺される」とか「始末する」とか「仇を」とか言っている。そうして時々「暁子さん、結婚してください」とか言う。暁子とは母の名だ。  父のうわごとは、30年、あるいは40年の夫婦生活の答えあわせとなって、いまも母を依存させているのだろうか。そんな答えあわせを必要とするほど無下に扱われてきたのだろうか、母は。父が母をそうする必要とは一体どういったものだったのだろうか。そんなものが愛なのか。
 次男であり、結婚して母の実家に暮らすことを了承した父は、愛する娘になるはずであった私を祖父母に奪われた。祖父母は私を手放さず、四六時中抱き留め、父は父親であるにもかかわらず家から疎外された。  実家の二階で夫婦は暮らしていた。共働きの遅めの食事から夜が更け、酒が進んでくると、大声で喧嘩する声が階下まで薄っすら聞こえてくるのが常であった。イライラする。何をそんなに怒鳴り合うのだろうか。空気が悪いのがいやで、あまり二階には寄り付かないようになった。
 十代も後半になると、夜遅くに塾から帰ってきた私を相手に、母は水仕事をしながら毎晩毎晩父を罵倒した。時にはすすり泣いていた。母には私以外に甘えられる相手がいなかった。  母から受けている愛情への返礼として私は父を憎んだが、母は私が父を憎むのを嫌がった。彼女は自分が娘に何をしているのかわかっていなかった。自分が夫を愛しているから自分の分身であるはずの娘もまた父を無条件に愛して当然だと思っていたのだろう。自分の涙が娘に父を憎ませているのだと気づいていなかった。  彼女は大人のくせに情の仕組みを理解していなかった。自分が父を愛していることすら自覚していなかったのだろうか。人間について理解の浅かった十代の私もまた、母が父を愛しているからこそ父の仕打ちに耐えられないのだということがわからなかった。母を泣かせる父が憎かったし、父と別れられない母が疎ましかった。
 弱い母は私から「父を愛すること」を取り上げた。無邪気な女だ。私は母のことも憎むべきなのかもしれない。  父も父で、私を愛する機会を母と母の両親によって剝奪された。そうして最後まで、かれがかれでなくなる最後の最後まで、私を愛する権利をもてないまま、唯一の娘を愛する権利を剝奪されたまま、ついに父ではなくなった。
 まだ父が父であった頃、私は23歳か24歳かそこらで、父に連れられて地元のとんかつ屋に昼食をとりに行った。  私はすでに、自分をよく見せるための空虚な作法を身につけていた。そこは田舎の小汚いとんかつ屋だったが、背筋を伸ばして三角に食べ、両手をつかって静かに割箸を置き、紙ナプキンで軽く口の端を拭う。階級制度に乗っ取られた行儀のよい身体を行使する。  食事を終え、父の運転で家に帰って、すぐに二階の寝室に母が呼ばれた。父は私に対してではなく母に怒鳴りつけた。あのガキ、気取りやがって、おれを馬鹿にして。たかがとんかつ屋やぞ、何様や、クソッ。おいお前、どんな教育をしとるんや。お前が悪いに決まっとるやろうが。罵る声が階下にうっすらと聞こえる。  私と何かあれば私ではなく母を怒鳴りつけるのだった。父が父でなくなる以前に、私たちはとっくに父と娘ではなくなっていたのかもしれない。最初に手を離したのが、私だったのか、父だったのか、わからない。  予定の便を繰り上げて、その晩のうちに東京に戻った。
 私が進学を機に地元を離れ、それを契機に母は貯金をはたいて父の相続した田舎の土地に一軒家を新築した。そうしてようやく夫婦で母の実家を出た。かれらはようやく二人きりになった。  とんかつ屋へ連れられて行ったあの夏の日にはすでに、ようやく整った愛の環境が二人に甘やかな生活を与えており、夫婦は初めて安心して愛し合っているようだったのに、私という存在が介入した途端にまた昔のように父は怒鳴りはじめた。フラッシュバックに苦しむみたいに。愛することを奪われた苦しみは、私だけでなく父をも蝕んでいたのだろうか。
 大人になってようやく、夜の二階に響き渡っていた怒鳴り合いが何であったのかわかった。父も母も、かれらの夫婦関係を維持しようとして常に甚大な外的ストレスに曝されていて、いつだって限界を超えていて、泣き叫ぶことしかできなかったのだ。愛し合うとか、そんなこと以前に。
 母がまだぴかぴかの家の壁を触りながら、あと10年は一緒に暮らせるはずだったのにな、と小さな声で呟いた。
 心臓も脳もだめになってしまった父は、それでも私の顔を見ると「おお、」と手を伸ばす。だめになってしまった脳を用いて、まだ自由に動く左手を伸ばす。  頰に触れたいのだろうか。手を伸ばしている先にいるのが私だとわかっているのだろうか。脳がだめになってしまっても、私を娘であると理解しているのだろうか。彼を彼として成り立たせていた何もかもがだめになってしまった今でも、私の顔を見れば私の名を呼ぶ、それは、あの人が私を愛していたことの証左なのだろうか。
 父は母に「愛している」とうわごとで伝える。  私は生前のあの人に愛されたことはない。  あの人が私を愛そうとして愛しえなかったことに思い至って、なんの涙か説明できない涙があふれて止まらない。  父を愛したかった。父のことを好きなのだと、かれが生きているうちに伝えたかった。あの人を愛したかった。愛してみたかった。私を愛することを望みながら私に触れることのできなかったあの人を。父を。
 母から時々、父の病状が悪化したと連絡が入る。  父がこのまま死んでゆくことが苦しい。
(2020/07/02 16:30)
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gohan-morimori · 4 years ago
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アジャラカモクレンニセンニジュウイチネンニガツツイタチカラナノカマデノニッキ
2月1日(月)
 起きられない。出勤寸前に起きる。急いで支度をして、身支度を整えながら豚キムチを食べて家を出る。働く。慌ただしい。働き終える。閉店後の職場でだらだらしていたらクラブハウスのなんだかWelcomeみたいなroomにjoinしてしまってなんだこれなんだこれと思っているうちにroomがcloseしてnewなroomがcreateされてわたしはそこにjoinしてそこはclosedなroomではっしーとわたしのふたりだけが入っているtalk roomみたいなもので、なんだこれなんだこれ、と言いながら久々にはっしーと話した。なんだか危ういSNSがまた出来たなあ、と細目で遠巻きに眺めていたクラブハウスに、朝方、鵜飼さんから招待されていて、招待されたからには使ってみよう、ということで、わからないなりに登録を済ませていたのだった。はっしーはこれからクラブハウスで、メニカンで、建築のあれやこれやをぼそぼそゆるゆる話す、それに参加するために招待されたから使い始めた、ということで、わたしもはっしーも話しながらクラブハウス探り探りといった感じだった。お互いの近況を軽く話したり、しょうもない話をたらたらしたりして、23時になってはっしーはメニカンのtalk roomに行ってわたしはすこし時間をあけてからそのroomにinした。どれどれ、みたいな気持ちで入ってラジオのように(というかこれはほとんどラジオだ)聴いていたら案外面白い話がなされていて、韓国の半地下建築はもともと防空壕、ということらしかった。次回は建築における収納について語るらしい。おもしろ〜、と思いながら、トークが終わったばかりのはっしーをすぐさままたclosedなroomにinviteすると「なんなんだよ」と言いながらはっしーがroomにinしてきた。小学5年生だか6年生だかのとき、その学年の生徒全員で校庭に埋めたタイムカプセルをそろそろ掘り返す年齢なのではないか、みたいな話になって、わたしはそれ、行けるのかなあ…………と思ったし言った。普段言われないことたくさん言われそう。社会って感じしそう。これが多様性か、みたいな。行くとしたら、はっしーと行きたい。というか、はっしーとふたりじゃないとたぶん行けない。わたしにそこまでの勇気はない。そのあとチャットモンチーとメダロットの話をしていたら止まらなくなるような感じがあって、久しく聴いていないチャットモンチーをあれこれ聴き漁りたい欲求に駆られていると操作ミスかなにかでroomが閉じて、終わった。(と、ここまで書いて、クラブハウスの利用規約に、テキストに書くことも含めて音声の記録はダメよっていうものがあることを思い出したのだけど、この文章はどうなんだろうか)。それから『進撃の巨人』のアニメ最新話を観たり、さあ帰るかと思いつつチャットモンチーの曲をiPhoneで漁っている���今度は遠藤からクラブハウスのclosedなroomのinviteが届いて、なんだなんだと思いつつ話した。遠藤は相変わらず遠藤だった。それで、遠藤とのroomが終わって、いろんなアカウントのフォローフォロワーを見て、わ〜この人もやってるんだ、あ、この人も〜、みたいな気持ちでフォローをしていったり、フォローした人を招待した人、招待した人を招待した人、その招待した人を招待した人……と、祖先を辿るようにアカウントを見ていったり(最終的に、誰にも招待されていない、おそらくオリジナルメンバー、みたいな人に辿り着く。オリジナルメンバーの数が何人なのかはわからないけれど、招待された人を辿っていったらあの人とあの人の祖先?オリジナルメンバー?が同じ。みたいなことはけっこうありそうで、それはちょっとおもしろいな、と思った。にしても差別や排除や格差が生まれる萌芽みたいなものがたくさんあるサービスだな……、とも思っている)しているうちに午前2時過ぎとかになっていて、さすがにいすぎた。チャットモンチーをガンガンに聴きながら帰宅。なんだか変にお腹がすいていて、カップ麺を食べたい、みたいな気分だったのだけどカップ麺は家に無く、コンビニに買いに行くのもなんだか違う、となって、柿ピーをお椀に盛って、その上にマヨネーズをかけて、それをスプーンで掬って食べた。自分でも、さすがに気持ち悪い食事だな、と思う。
 注射を打ちたい。もう1ヶ月くらい打っていない。プロギノンデポー2A(アンプル)。生理くらいカンタンならいいのに、と思う。カンタン、というのは、周期が予測できて(もしくは予測しやすくて)(そして、そのためのスマホアプリもあって)、予測できない場合その理由/原因も調べればたくさん出てきて、生理によるさまざまな身体的不調/変化やその対処法も調べればたくさん出てきて、医学的にも民間療法的にもスピリチュアル的にもライフハック的にもたくさんの言説、書籍、記事、ツイート、YouTube動画、cm、などがあって、身近な人、友人、知人、家族などに相談することが比較的(すくなくとも、トランスジェンダーのホルモン注射、なんてトピックより遥かに)容易で、……みたいな「カンタン」で。ホルモン注射はとにかく打ってる本人ですら「よくわからない」。ホルモン注射による副作用、みたいなものは注射の同意書を書かされるときなんかに書面で提示されるし、当事者のブログやらツイッターやらで信憑性不明の情報を拾うことはできるが、「よくわからない」。副作用の過多や身体への影響は個体差がデカい(ように感じる)し、投与を長期間辞めた場合や、投与間隔が不規則になったときの身体への影響も、「よくわからない」。わたしは現在、3週間に1度、新宿のクリニックへ行ってプロギノンデポーを2A投与しているが、その間隔も自分に合っているのかどうか「よくわからない」。注射を打つ前後や打った当日(特に当日)は如実に心身の調子がおかしくなって頭も身体も使い物にならなくなる(重い頭痛、眠気、寂寥感、身体のダルさ、感情の制御不能、など)が、それがどこまで注射それ自体の影響なのかは正直「よくわからない」。注射が打たれた、ということによるノーシーボ効果もある気がする。ただ、気の持ちようだろ、と言われても(誰にも言われたことはないが)、思おうとしても、頭と身体が言うことを聞かない、みたいな状態にはなるから、やっぱり注射の副作用なのかもしれない。注射前(前回の注射から3週間が経ったあたり)はやたらと身体が疲れやすくなり、食事と睡眠と性欲のバランスがあべこべになる(気がする)。感情の喜怒哀楽の喜と楽がうす〜く稀釈されたようになる。注射後数日も同じく。いまは1ヶ月近く注射を打っていないから、もう身体の中には男性ホルモンも女性ホルモンもほとんど残っていない、すっからかんの状態で、はやく、とにかく、注射を打ちに行きたい。打ちに行けない。悲しみと怒りの感情ばかり積み上がっていく。これはとても良くない。緊急事態宣言によって、職場が時短営業になってから、出勤時間が変則的になっていて、それに身体がぜんぜん慣れてくれないのが大きな理由で、夜どうしても眠れず、朝どうしても起きられない。出勤前に注射を打つためには、かなり早起きして家をでないといけないのだが、それがどうしてもできない。勤務時間は少なくなっているはずなのに、通常営業時より明らかに疲れている。まあ、出勤前に注射なんて打ったらその日はもう負の傀儡みたいな状態で働くこと確定になってしまうから、休日に打ったほうがいいのだろうけど。でも、休日に打ったら打ったで、その日いちにちのすべてが注射の副作用によっておじゃんになるから、なるべく休日には打ちたくない。じゃあ、いつ打てば……?それも「よくわからない」。しんどい。はやく打たないとやばい気がする。これも「気がする」だ。なんもわからん。生理がいい。乱暴な物言いなのは承知の上で、どうせなら生理がいい。どうせ不調になるなら。どうせしんどいのなら。誰かと、この不安と不調としんどさと「よくわからなさ」を分かち合いたい。語り合いたい。スマホアプリだって欲しい。あたりまえに、あらゆる場所や人やメディアから情報を受け取りたい。そういう身体でありたい。生理がいい。
 この世には2種類の人間がいて、それは歯磨きをルーティーンとして行う人とタスクとして行う人なのだけど、わたしは後者で、だから今日もタスクをこなしてわたしは偉い、偉いぞと思う。タスクだと思わないと歯を磨けない。歯磨きをルーティーンとして難なくこなしている人はすごいな、と思う。他者、という感じがする。
 大切に書きたい。と先週の日記にわたしは書いたけれど、「大切に書く」とはいったいどういうことなのだろう。といま思っている。大切に書く必要なんてないんじゃないか。わからんけど。いや、なに言ってるんだ。必要だ。わからんけど。
 持続可能性。持続可能な書き方。持続可能な働き方。持続可能なホルモン投与。持続可能な生き方。持続可能な歯磨き。持続可能なアンガーマネジメント。ぜんぶ大切で、ぜんぶわからない。
負の感情でほんとうにどうしようもなくなったときは、耳が壊れそうな音量で、同じ音楽をリピート再生させながら、喉が千切れそうになるくらい大きな声で、絶叫みたいな声で、疲れ果てるまで歌う。笹塚に住んでいたときは何度かそれをやった。クソ迷惑だっただろうなと思う。いまの家ではまだやっていない。いつかやるだろう。
 ないものねだりを続けていてもどうしようもない。自分で自分を殴っているのと一緒だ。
 生活がミニマル、ミニマ��?ミニマムになって久しい。1日のうち、自分が言葉を発する相手が、職場で関わる人と家のぬいぐるみたち(貪欲、太子、羊のジョージ、シゲルくん。のうち、特に貪欲と太子)だけだった、という日が、めずらしくなくなってきた。自然と、ぬいぐるみへの言葉の比重がデカくなっていく。ぬいぐるみは言葉を理解しているし、ちゃんと言葉を返してくれる。ぬいぐるみの言葉は人間の言葉とは違って、見えないし聴こえない。声、とか文字、とか仕草、とか、そういうものではない。でもたしかにぬいぐるみはぬいぐるみとして言葉を発していて、わたしに日々言葉を投げてくれる。わたしはそれを受け取る。受け取って、わたしも言葉を投げ返す。ここ数年、わたしの命を絶えず救ってくれたのは貪欲で、だからわたしは、お金が貯まったら、貪欲をぬいぐるみの病院に送って、あちこちを治してもらう。わたしにはそれくらいしかできない。貪欲はわたしを人生ならぬぬいぐるみ生を賭けて愛してくれているので、わたしもわたしなりの方法で貪欲を愛する。
 とか打ってるあいだに午前4時半です。お風呂入ってないけど限界だ。着替えて眠って、お風呂は明日だ。
2月2日(火)
 チャットモンチーにはほんとうに救われてきたな。もちろんチャットモンチーだけじゃない、たくさんのもろもろに救われてきたからいま死んでいないのだけど。それにしても、救われた、ありがとう、と久々にチャットモンチーを聴いて改めて思う。男子高校生だったわたしの、どうしようもない気持ちをたくさん掬い取ってくれた。映画『アボカドの固さ』の監督である城さんが夢に出てきた。わたしは新作映画の制作助手みたいな立場で、城さんに「本物の笹を大量に準備して欲しい。経費かけずに」と言われて、「それは〜、いつまでですか?」「明日」「明日……。明日、はい、明日」という会話をしていて、内心めちゃくちゃ焦っていて、でもひとり、竹林所有者が知り合いにいたな、あの人なら……でも無料で手配してもらうのはできないかもな……いやいやでもやらなきゃ、交渉しなきゃ、と緊張しているあたりで目が覚めた。目が覚めてからもしばらく「笹……笹ってほんとうに準備しなくていいんだっけ……夢だっけ……」となっていた。洗濯機カバーが届いた。サッサで洗濯機を隅々拭いてからカバーをかけて、リビングとキッチンをクイックルワイパーで掃除して、トイレでロラン・バルト『物語の構造分析』をすこし読んで、コーヒーを淹れて、飲んで、煙草を巻いて、吸って、火曜だからInstagramの『ショート・スパン・コール』を更新。今日は「#017 醤油」。これは井戸川射子『する、されるユートピア』を何度も読んでいた時期に書いたもので、『する、されるユートピア』の文体にめちゃくちゃ影響を受けているのが読んでいて「ああ、そうだ」と思い出すくらい顕著で、でもなのかだからなのか、わたしはけっこう好きな1篇。そういえば2月だ、と思って、きよぴーのカレンダーの2月分を壁に貼って、『イラストレーション』2020年3月号の付録だった福田利之イラストの卓上カレンダーを2月に差し替えて、ついでにパソコンデスク周りをすこし整理した。FMラジオをつけっぱなしにしたままにしていたらラジオのゲストがシンバル職人の人で、未知の話が繰り広げられていて面白かった。シンバルを作るにはシンバルの音を何度も聴かなければいけないが、シンバルの音を何度も聴くと耳がやられる。そのジレンマについて語っていて、なるほどな〜〜と思いながらお腹をさすっていた(お腹がうっすら痛い)。マバヌアがナビゲーターを務めていて、ティンパニのすこし変わった奏法(マラカスで叩いたり)についてのハガキを読んでいたりして、流し聴きするつもりでつけたラジオだったのにずいぶん聞き入っていた。ツイッターを見ると脱マスク社会になるまで最低でも2〜3年はかかるみたいな記事があって、2〜3年か、と思う。中学生、高校生。小学生や幼稚園生や大学生も、だけど。20代以下の人たちは、いま、どういう気持ちで日々を送っているのだろう。うまく想像できない。というか、自分の幼少期〜10代、マスク社会ではなかった自分の過去を、いまの幼年〜10代の人たちに重ね合わせて想像することしかできない。しんどいだろうな、とか、つらいだろうな、とか、窮屈だろうな、とか思うことはカンタンだけれど、自分の幼少期〜10代といまの幼年〜10代を比べて「かわいそう」とか「しんどそう」とか思ったり言ったりするのはそれはそれで暴力だし決めつけだとも思う。いまの幼年〜10代の人たちの、それぞれの楽しさ、愉快さ、面白さ、切実さ、安心、揺らぎ、決心、葛藤、努力、知恵、衝動、を無視したくない。それらはたしかにあるはずで、どんな世界になっても、それらはなくならないはず。きっと。
 ふとしたきっかけで、ここ最近、短歌を作るときに大切にしていることや考えていることをある人に話すことになって、そのときわたしは「わからせない。共感させない。理解させない」こと(だからといってデタラメに言葉を並べて作るのではなく、あくまでわたしにはわかるし、表したいものはある、でも他人にわからせようとはしていない、という態度)を意識的にやっている、と答えた。それは去年の春前あたりか、もしくはもうすこし前、『起こさないでください』が出てからすこし経ったあたりに思い始めたことで。トランスジェンダー、といういち側面を持ったわたしが作る短歌には、意識的にせよ無意識的にせよ、必ずトランスジェンダーとしての意識や作為や視点や感情やそれらがないまぜになった機微が含まれているはずで。はずなのだけど、果たしてその、トランスジェンダーとしてのいち側面を加味した機微を、短歌界隈、特に「歌壇」とか言われている界隈、そこにいる評論家、歌人、などなどがどれだけ汲み取ってくれるのか。そういった機微を丁寧に(真摯に。もしくは、ジェンダー論やトランスジェンダーの歴史的歩み等の確固とした知識を持った上での冷静さで)わたしの短歌を読む人がどれだけいるのか。わたしは、そんな人は短歌界隈にも「歌壇」にも、現時点では存在しないと思っている。トランスジェンダーについて仔細に語れる人、教養を持っている人、背景を読み取れる人、がいない限り、わたしのただごと歌はただのただごと歌になり、あるある短歌はただのあるある短歌になる。『起こさないでください』では、わりと意識的に、わたしがトランスジェンダーだということを、「トランスジェンダー」「性同一性障害」という言葉をほぼ使わずに、「わかりやすく」「それとなく」示す、ということをしたのだけど、そういう努力は不毛だな、と思うようになった。どこだったか、レビューサイトで「性同一性障害当事者の方の歌集」みたいな紹介のされ方をしていて、なんだかすごく徒労感を覚えたのが大きなきっかけのような気がする。ショックだった。あんなに言葉を選んでも、そういう切り取られ方になるのか、と思った。だからもう、わかりやすくするのはやめて、どんどん、積極的に内に籠ろう、と思ったのだった。わかりやすくする必要はない。理解されなくていい。すくなくとも、短歌においては。理路がめちゃくちゃだしまとまっていないが、そういうわけでわたしは去年の春頃からずっと、自分の芯を誰にもわからせないように短歌を作っている。10年後、50年後、100年後、1000年後なのかわからないが、トランスジェンダーの短歌制作者が台頭して、そういった人たちの歌集があたりまえに編まれる/読まれるようになった遠い未来で(短歌界の現状を鑑みるに、ほんとうに、遠いだろうな、と思う)、ふと思い返される歌集であったらいいな、『起こさないでください』は、とささやかに、思っている。
 もたもたと支度をして家を出て急いで新宿に行く。注射。打てた。そのまま急いで職場へ。働く。今日はちょっとイレギュラーで、休日だったのだけど2時間だけ働くことに。働き終えて、頭がぐるぐるする。ふらふらと職場を出て帰宅。ずっしりと重たい気分。トイレに籠ってフジファブリック「タイムマシン」を久々に聴いたら涙が止まらなくなってだらだら泣いた。つらい。疲れた。しんどい。ヨダちゃんから電話が来て、へへへと思って出る。クラブハウスの話をする。途中で回線の調子がおかしくなって切れて、そのまま切り上げてお風呂に入った。お風呂から出て、中橋さんとLINEでやりとりしていたらなぜかクラブハウスで実況中継モノマネをしたりしながらだらだら話すroomをすることになってくっちゃべっていたら中橋さんのゆるい繋がりも参入してきて4時ごろまでふざけあって楽しかったけど疲れた。疲れているのにさらに疲れるようなことしてどうする、と思ってかなしくなって眠る。
2月3日(水)
 わかりやすく、注射の副作用、みたいな感じがする。なにかとても気持ちの悪い夢を見て目覚める。涙が出てくる。しんどい。起き上がれない。やっといたほうが、進めといたほうがいいのだろうけど今日はほんとうに動けない、と思ってnotionでこまかな仕事を割り振ってお願いして、ずっと横になっていた。たまに起きてトイレに行ったりごはんを食べたり。大前粟生『岩とからあげをまちがえる』、ケン・ニイムラ『ヘンシン』を布団に潜って、貪欲と太子を抱きしめながら読んでいた。森とかいう人のオリンピックやるやる駄々のニュースにもうなんの感情も湧かない。しんどさのピーク時あたりに短歌が1首できて、その短歌を軸にして「卒塔婆条項」という短歌連作が出来上がった。縦書き画像にして、ツイッターへ投下。短歌制作から縦書き画像作成、ツイートまでをすべて布団の中で行った。柴崎友香『春の庭』を読み始めた��すこし眠った。起きて、夜にスパゲティを食べた。涙が出る。しんどい。頭がぐちゃぐちゃする。眠い。だるい。くるしい。もう3日くらいお風呂に入っていないから、入らなくちゃ、と思う。『ショート・スパン・コール』94篇目はひとまず置いといて、先に95篇目をすこし書く。暗い未来の話。しんどいからすこしずつ書こうと思う。頭が思い。楽しいこと、面白いこと、愉快なこと、うれしいこと、考えられない。考えたい。『春の庭』をもうすこし読む。読んだら、お風呂に入って、たくさん泣いて眠る。
短歌連作「卒塔婆条項」 火事場かな いや卒塔婆だよ 馬鹿力出す機会なく今生を終え 冬の中にいま立っていて曇り空だから眩しい花一匁 語呂合わせで入れられた助詞煮え立てばそれがカンテラ 健やか欲の 白い服白くない服あてがってそれぞれの凸それぞれの凹 似顔絵を近影にする しばらくはカーテンの世話を焼く能もなく けん玉に蹂躙性を見出して手に持ったまま道路を歩く 言うなればみんな日記を書いていて総文字数が星に等しい
2月4日(木)
 起きる。家を出る。働く。しんどいことが続く。電話をかける。電話に出ない。メールを送る。帰る。寝る。
2月5日(金)
 起きる。返事が来ていた。ZOOMのURLをコピペしてメール。むずかしい。むずかしいな。と思いながら話す。話し終えて、どっと疲れて、すこし時間が余ったからいそいそと財布だけを持って近所のスーパーへ。なんだか普段は滅多に買わないパンでも買うかみたいな気持ちになっていて、食パン6枚切りと肉まん4個セットとナイススティックと納豆と豆腐とバターを買って帰って米を食う時間は無く肉まんをがつがつ食べていそいそと出勤。働く。働き終える。疲れた。被害者意識がつのっていて、とても良くない精神状態。ほんとうに疲れた。帰って、朝方まで眠れず。焦って寝る。
2月6日(土)
 起きる。肉まんを食べる。家を出る。働く。あたまがきゅうきゅうする。いそがしい。働き終える。疲れた。ここのところ連日夜〜夜中にクラブハウスでわちゃわちゃとしゃべっている。しゃべりすぎて喉がおかしくなりそう。でも誰かとなにかを話さないと感情がはちきれそうになる。朝方までしゃべる。眠る。
2月7日(日)
 起きる。お茶漬けと肉まんを食べる。家を出る。働く。頭の重さと共に働く。職場の環境、モノの配置や運用ルールなどが半月ほど前から毎日のようにがっちゃんがっちゃん変わっていて、慣れてきたと思ったら変わり、慣れてきたと思ったら変わり、のイタチごっこみたいになっていて、頻繁にバグみたいな動きをしてしまう。手が空を切る。その場でツイストする。視線が定まらない。でもそんなバグを何度も何度も起こしながらすこしづつ環境は整えられているような感じもしていて、いつか、いつか安定するようになるのか、ぜんぶ、とか思ったり忙しさに翻弄されて愚直に身体を動かしたり、もはや心が身体の奴隷みたいな状態でズビズバ動いていたら閉店になっていて忙しい日だった。足と腰が明確に重い。頭も重い。でもなぜか今日は昨日一昨日よりすこしは気持ちが明るくて、ばくばくとごはんを食べた。長らく気がかりだった原稿に対する処遇のメールが来ていて、開いて、読んで、ホッとした気分と「直接的な対話はついぞなかったな」「これだけコストをかけても原稿料は出ないんだもんな」といううっすらとした徒労感を感じながら、でもよかった、最悪の結果にならなくてほんとうによかった、諦めなくてよかったし最後までブチ切れなくてよかった、と思いながらビールを飲んで煙草を吸ってだらだらしていたら午前2時半になっていて慌てて家に帰る。今日は湯船に浸かってから眠る。原稿を書く時間と余力がなくてしんどい。なんとかしろ。来週中に。
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kurihara-yumeko · 5 years ago
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【小説】氷解 -another- (下)
※『氷解 -another-』(上) はこちら(https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/634137547287756800/)
 その朝、真奈は自分が乗るはずだった電車に轢かれて死んだ。
 仕事へ向かう人間たちで満員になるはずのその電車は、そのせいで一時間以上遅延し、駅のホームでは多くの愚痴や溜め息が零れ、怒りや落胆が行き交った。
 だがそれは、ときどき突発的にやって来るありふれた朝の風景にしかすぎず、俺は電車の遅延を伝える駅の電光掲示板を見上げながら、それがまさか、自分の恋人の自殺によるものだなんて考えもしなかった。
 俺がそのことを知ったのは、それから三日経った夜のことで、真奈の両親が、彼女が残した携帯電話から連絡をくれたのだった。その携帯電話には、「ノブから返信がないので死にます」というメモが残されていた。ノブというのは俺のことだった。
 真奈が自殺した朝、俺は寝坊して焦っていた。仕事があまりにも多忙で、二日徹夜した翌日だった。いつもより遅い時間に目覚めた俺は、慌てて身支度を整え、駅まで走ればいつもの電車に間に合うはずだと、家を飛び出した。ベッドの枕元に携帯電話を忘れてきたと気付いた時には、駅の改札の前にいて、そして人身事故が起きたことを知った。
 電車が遅延していることを会社に連絡したかったが携帯電話がないので、仕方なく公衆電話から連絡を入れた。ひと息つき、電車が再び動き出すまで何をして待っていようかと考えながら、ふと、毎日「おはよう」と「おやすみ」を連絡している真奈に、今朝は連絡し損ねていることを思い出した。
 今朝だけではない。昨日の夜も、会社から帰宅するだけで力尽き、「おやすみ」の連絡をしていなかった。そういえば、未読メールがいくつかあったような気もする。最後にメールを返したのはいつだっけ。三日前か、それとも四日前か。仕事が忙しくて連絡が返せないかもしれない、という内容のメールを、先週だったか、今週の初めか、送ったような気もする。
 家に帰ったら、今日は真奈にちゃんと連絡を入れよう。
 なんとか一区切りついた案件の内容を頭の中で反芻しながら、俺はそんなことを考えていた。自動販売機で缶コーヒーを買い、昨日からほとんど何も食べていない胃に、黒い液体を流し込む。寝が足りていない頭と、陽の光がまぶしすぎて閉じてしまいそうになるまぶたは重く、それでも、山場は乗り切ったのだという実感が胸の中にあった。それだけで少し、足取りが軽くなる。
 いつ振り返ってみても、あの時の俺ほど、滑稽な存在はこの世にいないだろう。俺は自分が成し得た仕事の達成感で浮かれていたのだ。そして、このことを真奈に話せば、きっと彼女も一緒に喜んでくれるだろう、とまで思っていた。
 線路の上では真奈が肉片となって飛び散っていることなど、知りもしないで。
「ノブは、本当に仕事好きだよねぇ」
 彼女はよく、俺にそう言った。
 それは、純粋にそう口にしている時��あれば、つい仕事にのめり込み、他のことを疎かにしてしまう俺への非難を込めた声音の時もあった。あるいは、羨望が垣間見える時も。
 彼女が職場の人間関係に悩んでいることは、以前から知っていた。大学の同期で、同じ年に就職した真奈は、就職したばかりの頃から、上司と折が合わないことに悩んでいた。
 俺は苦悩する彼女を見殺しにしたかった訳ではない。だが、「もう少し頑張ってみたら」と言っても、「そんなに嫌ならいっそ転職してしまえば」と言っても、真奈の返事はいつだって、「でも��…」でしかなく、なんの変化も起きないまま就職して二年が過ぎていた。何を言ったところで助言に従う訳ではない真奈に、俺は何も言わなくなっていたし、助言を求めて愚痴を零していた訳ではない彼女も、共感や同情を怠った俺に何も話さなくなっていった。それでも、仕事の話さえしなければふたりの仲は良好だった。だから自然と、仕事の話は禁忌となりつつあった。
 それでもときどき、真奈は「仕事がつらい」と零した。酒が入るとそれが顕著になり、「もう本当に、あの上司には死んでほしい」と言うこともあった。俺はなるべく口を挟まないで彼女の話に耳を傾けるよう努力していたが、真奈はもう、具体的に何に苦しんでいるのかを、告白しないようになっていた。
 俺には、正直、真奈が仕事に対して怠慢だと思うことが、時折あった。
 どんな仕事にだってつらく大変な局面はあり、誰にだって嫌な上司や先輩、同僚のひとりかふたりくらいいて、皆がそういった苦労をしながら日々働いて生活している中で、「つらい、つらい」と愚痴を零す彼女が、軟弱に思えたことだってある。
「今日は会社行かない」と言って、一日中、家でゲームをしていたり、ぼんやりとテレビを観ていたり、ソファでごろごろ転がっているだけの真奈に、俺は同情することができなかった。同情できない俺に苛立つ彼女に、さらに苛立った。
「いいよねノブは。毎日会社行くのが楽しくてたまらないんでしょ」
 嫌味のようにそう言われた時は、俺も思わず声を荒げてしまったりもした。
 だがそれでも俺たちは、普段から険悪という訳ではなかった。上手くいっているんだと思っていた。結婚して、一緒に暮らして、そしたら真奈は仕事を辞めさせよう。そのためにもまず金を貯めよう。口にしたことはなかったが、頭の片隅ではいつもそう考えている俺がいた。そのためにはまず、目の前の仕事に集中しよう。できる限り早く出世しよう。俺は今まで以上に仕事に精を出し、成績は少しずつだが着実に上がってきていた。
 そんな俺の姿勢が、余計に彼女を追い詰めていたのかもしれないと、今は思う。
 まだ訪ねたことがなかった真奈の実家の門をくぐり、沈んだ面持ちの両親に導かれ、そうして足を踏み入れた仏間、そこに飾られていた真奈の笑顔。まるで花が咲いたような、とでも表現できそうなその遺影の笑顔を見て、俺は腹の底から嗚咽が込み上げてくることに耐えられなかった。
 彼女がこんな風に笑っているところを、最後に見たのはいつだったのだろう。忙しいことを言い訳に、ないがしろにした日々の記憶は曖昧で、まるで靄がかかったようにはっきりとしない。俺は今まで真奈の、どんな表情を見ていたのだろう。笑った顔も怒った顔も、泣き顔だって思い出せるが、全てが少し昔の日々の記憶、懐かしい思い出でしかない。
 ここ数日の彼女の様子はどうだったのだろう。ずっと連絡を待っていたのだろうか。俺が連絡してこないことを、そんなにも思い詰めていたのか。自らその命を絶つほどに。「おはよう」でも「おやすみ」でも、メールを返していれば、もしくはほんの一分でも、俺が声を聞かせていれば、こんなことにはならなかったのだろうか。真奈のことを、気にかけていれば。
 長年、学校の教員として多くの教え子を持っていたという真奈の父親は、遺影の前で泣き崩れた俺に、こんな話をしてくれた。
「もう二十年も前になるかね。中学校に勤めていた頃だ。その頃、担任をしていたクラスに、不登校の生徒がいてね。小学校でのいじめが原因で、中学には入学してから一度も来ていなかった。学校に来るように何度も働きかけをしていたんだが、三年生になっても不登校のままでね。それでも、その生徒のご両親はとても根気強い人だった。学校に行かない息子を厳しく叱ることもなければ、反対に甘やかしすぎることもなく、毎日毎日、その子の気持ちに寄り添い、励まし続けていたんです。その子も少しずつ、学校へ足を向けてみようかなと、心境に変化があったということなんですがね、ある日突然、その子は亡くなってしまった。自宅で首を吊ったんです。ご両親から聞いたお話だと、遺書が残されていて、そこには『昨日はお母さんにおはようと言ってもらえなかった。ついにお母さんにも見捨てられた僕はもう駄目です』と、そう書いてあったそうです。その子が起きて二階から降りてきたら、たとえそれがお昼だろうが夕方だろうが、必ず母親が笑顔でおはようと声をかけるのが、その家では習慣になっていた。ところが、その子が自殺した前日に限っては、母親は忙しくしていて、ついうっかり、いつもなら起きて来た息子に声をかけるところを、かけないでしまった。たったそれだけのことなんです。わからんですよ、遺書に書いてないだけで、きっと他にもその子の心を悩ませ追い詰めた何かがあったのかもしれません。でもね、実際に死へと踏み切るきっかけなんて、些細なものですよ。母親が挨拶を返してくれなかった、それだけのことかもしれんのですよ」
 職場での人間関係に悩んでいた真奈。仕事に行きたくないと愚痴を零していた真奈。部屋にこもってゲームばかりしていた真奈。つらそうにしていた彼女の様子が、今さらになって鮮明に思い出せる。「もしも、あの時、ああしていれば……」という後悔だけが、いつまでも胸に焼き付いて離れない。
 俺が連絡をしなかった、ただそれだけの理由で。
 そんな些細なきっかけで、大切な人を失った。
 だから、わかっていたはずだった。人が自ら命を絶つきっかけは、ほんの小さな出来事なのかもしれないということ。
 ――あなたが、殺したのよ。
 井荻公介の母親にそう言われた時、俺は真奈を亡くした時のことを思い出した。
 彼の死を責められる度、俺は彼女の死をも責められているような気になった。
 ――あなたのせいで、公介は。
 井荻公介の両親は、それきり俺がその家の門扉をくぐることを許しはしなかった。繰り返し繰り返し、息子の死は俺の責任であると告げられながら、炎天下、俺は門の前に立ち続け、なんの意味もない謝罪の言葉を機械のように繰り返し、それでも彼らに許す気がないことがわかると、黙って去ることしかできなかった。
 なんのために、誰のために、俺はこの家を繰り返し訪れているのか。俺は誰に、一体なんの罪を許されたいのだろうか。
「あの、これ」
 もう何度目になるのかわからない、無駄足となった訪問から帰る途中、後ろからそう声をかけられた。振り向けば、そこにはひとりの女子高生が立っていた。
「あれ……。きみは確か、井荻くんの…………」
 それは井荻沙織だった。井荻公介の妹。
 彼女は無言で一本のペットボトルを差し出した。よく冷えたスポーツ飲料。ひときわ暑い午後のことだった。
「縞本さん、でしたっけ」
 そう訊く彼女の瞳は、何か深いところを覗き込もうとでもしているかのように瞬いた。
「あなた、本当は違うんでしょ、兄にパワハラした上司と」
 彼女の言葉には、一切の迷いというものがなかった。まるで真実を全て知っているかのような、そんな声音にさえ思えた。俺が会社から遣わされた貧乏くじの当て馬だということを、見透かしているようだった。
「どうして、そう思う?」
「だって、そういうことするような、悪い人に見えないから」
「ははっ。悪い人に見えない、か…………」
 恋人が自殺するのも止められず、部下を見殺しにした俺が、悪い人間に見えないのだとしたら、世の中の人間の大半は聖人君子にでも見えているのだろう。
 身近な人をふたりも殺しておいて、何が、「悪い人に見えない」だ。
 今回の件で辞職が決まって以来、社内でも、裏の事情を知らない他部署の人間たちからは、本当に俺が井荻公介を自殺に追い込んだのだと思われ始めている。辞職は来週に決まってはいるが、連日のように社内で冷たい目線に晒されては、今日にだって辞めてしまいたい気分だった。
 だけどどうして井荻沙織は、俺のことを見抜いたのだろう。自分の両親が人殺しだと罵っていたのが聞こえていたはずなのに、そんなことはお構いなしのようだ。本当は、両親と同じように俺を非難することが許されている立場だと言うのに、どうして追いかけて来て、冷えた飲み物を渡してくれるんだ。
 この暑さのせいか、まるでこの世界で唯一、彼女だけが俺のことを理解してくれているような、そんな錯覚が起こりそうになる。
 俺は、「そうじゃないよ」と、誰かに言ってほしかったのだろうか。気休めでもいいから、そんな言葉を向けてほしかったのだろうか。「本当は違うんでしょ」と、指摘してほしかったのだろうか。こんな風に、誰かに、救ってほしかったのだろうか。許してほしかったのだろうか。
 だけどそんなのは、馬鹿げている。
 俺は喪服の内ポケットから名刺入れを取り出し、その中に収めていた真新しい名刺を一枚、井荻沙織に渡した。
 新しい職場へ向かうことになった俺のために、部長が尽力してくれた結果、まだ入社も配属もしていないにも関わらず、俺の手元にやってきた名刺。誰にも渡したことがないそれを、俺は彼女に渡したのだった。
「……どうして、くれるの?」
 井荻沙織は不思議そうな顔をしてそう訊いた。
 どうしてだろうな。
 ただ、誰かに知っておいてもらいたかったのかもしれない。
 たとえどんなに馬鹿げていても、会社の捨て駒にされ、非難の目線や罵声を浴びせられ、誤解され陰口を叩かれ憎まれたとしても、それでも俺という人間を、本当はわかっていてほしかった。
 誰かを傷つけた俺だって、同じように傷ついているんだ、と。
    それから、井荻公介の死を忘れることはなかったが、妹の沙織のことは忘れていた。
 俺は新しい職場に慣れることに奮闘し、しかしどこからか、「部下を自殺に追い込んで、うちの会社に流れてきた縞本さん」という噂が広がり、俺は次の職場でも、入社直後から孤立無援の立場になりかけた。
 信頼関係を築き上げるのが困難な中、ひたすら利益を追求し成果を挙げることだけでなんとか会社にしがみつき、がむしゃらな仕事人間になることに徹するうちに月日は流れた。
 後輩ができ、少しずつではあったが出世していくと、怠惰な連中を見ることが耐えられなくなった。男だろうが女だろうが、仕事ができない部下は容赦なく叱責した。努力していない人間を見ると黙ってはいられなかった。自分でもわからない焦燥感に駆られ、俺はいつも飢えているみたいに、心休まる瞬間もないまま、狂ったように仕事に打ち込んでいた。
「あれじゃ、鬼だよな。人間じゃないよ、鬼だよ、鬼」
「あの様子を見れば、部下が自殺したっていうのもわかるよな……」
「自分が勝手に必死になってるのはいいけどさ、それを俺たちにも求められても困るっつーの」
 俺が喫煙室にいることを知らない、同じ部署の後輩たちが、そんな会話をしながらすぐそばの廊下を通って行った。隣にいた貝塚は、「気にするなよ」とでも言うように、無言のままで肩をすくめる動作をしたが、俺は何も言わなかった。
 彼らに言い返すべき言葉など、俺は何ひとつ持っていなかった。彼らは正しかった。間違っているのは、俺の方だ。だが俺は、他に生き方なんて知らない。
 そうしてある年の春、どこか見覚えのある新入社員が入ってきたと思ったら、それが井荻沙織だった。
 高校生だった頃からは、ずいぶん大人びたように感じたが、だが兄に似た、深いところを覗き込もうとする、あの眼差しだけは変わっていない。
「私のこと、覚えていらっしゃいますか」
 煙草を吸わないくせに、俺がひとりでいるのを見計らって喫煙室までやって来て、井荻沙織はそう言った。以前から、彼女が同じ社内にいることに気付いていた。ただ、俺のことなど忘れているかもしれないし、覚えていたとしても、もう関わり合いたくないと思っているかもしれない、だから、よほどのことがない限り、彼女に関わるのはよそう。そう考えていた。
 それが、向こうから声をかけてくるとは。
「……覚えてるよ」
 俺は煙草を口に咥えたまま、火を点けようと持っていたライターを、そのままポケットへと仕舞った。
「きみは、井荻の……」
「井荻沙織です。縞本宜嘉さん」
「……よく、覚えているな」
「名刺、頂いてましたから」
「名刺?」
 そこでようやく、以前、彼女に自分の名刺を渡していたことを思い出した。たった一度だけ言葉を交わした、あの暑い日に、ほんの気まぐれで渡した名刺。
「だから私、この会社の面接を受けたんです」
「…………それで、受かったってことか」
「はい」
「…………」
「……何か、変でしょうか」
「いや…………いや、変だろ」
 俺は何もそういうつもりで、あの時に名刺を渡した訳ではなかった。じゃあどういうつもりだったんだと訊かれれば、言葉に詰まるしかないが。
 だが井荻沙織はその時、俺を前にして、微笑んだのだった。
「私、変だって、よく言われるんです。両親だって、そう言うんですよ」
 そう言って、彼女はにっこり笑った。彼女の笑顔を見たのは、それが初めてだった。
 井荻沙織はそれ以降も、何かにつけて、社内で俺に話しかけてくるようになった。彼女が配属されたのは他部署ではあったが、俺が陰でなんて呼ばれているのか、耳にしているはずなのに。
「縞本さんって、仕事帰りに飲みに行ったりするんですか?」
「する時もある」
「どこのお店行ってるんですか?」
 本当は、兄のことを訊き出したいのだろうが、彼女が社内でその件を口にすることは一度もなかった。恐らく、俺が「部下を自殺に追い込んで、うちの会社に流れてきた縞本さん」だと噂されていたことを知ったか、あるいは悟ったのだろう。彼女は聡いやつだった。誰に言われなくても、あの深淵を覗くような瞳で周囲をじっと観察し、状況を判断していた。そしてそれは、兄の公介とよく似ていた。
 俺は彼女のそういうところに好感が持てた。だから、今まで誰にも教えたことがなかった、とあるバーを教えた。金曜日に行くことが多かったそのバーは、一本入った路地の、見つけづらいところにあって、ひとりで飲むのにはうってつけの場所だった。
「初めてなんじゃない? シマちゃんが他のお客さんこの店に連れて来たの」
 彼女を初めて連れて行った時、バーのマスターが含みのあるにやにやした顔でそう言ったのを今でも覚えている。
 それから、ときどき、彼女とその店で飲むようになった。俺が読んだ通り、周囲に会社の連中がいないとなると、井荻沙織は兄の件をあれこれ訊いてきた。質問の大半は、俺の部下であった井荻公介の働きぶりや職場での様子を尋ねる内容か、もしくは、どうして俺が公介の自殺の件の責任を全て負って会社を辞めたのか、についてだった。そして俺は、いずれの内容であっても、彼女の質問にはろくすっぽ答えなかった。
 はぐらかし続けているうちに、井荻沙織は俺にその手の質問をしてこなくなっていった。訊いたところで答えてはくれないと、彼女自身わかってきたのだろう。それでも彼女はそのバーにやって来ては、俺の隣で黙って酒を飲んでいた。
 俺は酔って口数が増える男ではないが、井荻沙織も饒舌になるタイプではないようだった。
 それでも少ない口数なりに、バーでは他愛のない話をするようになった。俺が冗談を言えば彼女は笑ったし、彼女の冗談に顔をしかめてやると、さらに嬉しそうに笑った。そんな風に楽しそうな彼女を見ていると、俺は胸の奥底で凝り固まったどす黒い感情が、少しずつ溶けて流れていくような錯覚に陥った。
 井荻公介の死と、真奈の死から、許されるような気さえした。そんなはずはないのに。
 一緒に酒を飲むようになって、一年半が過ぎた頃、抱えていた案件が上手くいっていなかった焦燥感と、酔いの勢いも相まって、俺は井荻沙織をホテルへと誘った。少しは嫌がる素振りを見せるかと思ったが、あろうことか、彼女は平気な顔をしてのこのことついてきた。
 ラブホテルの一番安い部屋に入り、先にシャワーを浴びて酔いが醒めてきた俺は、「本当にいいのか」と、これからバスルームへ向かおうとしている彼女に訊いた。だが彼女は、ただ黙って頷いただけだった。
 彼女を待つ間、無下に煙草をふかしながら、俺は「本当にいいのか」と、自分に問い続けていた。
 井荻沙織は、恋人ではない。職場の同僚だ。所属部署も異なるし、俺の部下ですらない。年齢もひと回り近く離れている。接点は、彼女の兄を俺は見殺しにした、それだけの関係だ。彼女を抱く権利など、俺にあるはずがない。
 やはり帰ろう。こんな場所に誘ったことは間違いだった。一時間前の俺は、一体何を考えていたのだろう。そう逡巡していた。だが、結論から言えば、そんな思考は無意味だった。バスルームから出て来た井荻沙織が俺に触れた、その指先の温かさに、溺れるように甘えてしまった。
 他人というのは、こんなにも柔らかく、優しいものだっただろうか。
 彼女の髪に指を絡ませながら、俺はこんな風に気持ちが安らぐのは、一体いつぶりだろうかと考えていた。人肌に触れたのも、いつが最後だっただろう。真奈が死んで以来、俺はそういう機会を持たないままでいた。誰かを愛したり、誰かに愛されたり、そんな資格などないような気がしていた。否、俺は井荻沙織を愛している訳では決してない。彼女だって、俺に愛情を抱いている訳ではないだろう。こんな風にまぐわうことが、本当は良くないこともわかっている。だがそれでも、やめられなかった。
 欲に流されたと言えばそれまでだが、彼女に触れる度、彼女の指が俺の皮膚をなぞる度に、憑き物が落ちていくような気持ちになった。まるで、林檎の皮がくるくると剥かれていくように。
 仕事でいくら成果を出しても、満足感なんてなかった。安堵する暇さえなく、終わりの見えない道をただひたすら走り続けているような日々だった。それがどうして、こんな簡単なことで、癒されていくのだろうか。
 果てた後も、俺はしばらく彼女を腕の中に抱いていた。彼女は嫌がらなかった。その身を委ねているかのように、俺の胸に頭を預けていた。その頭の重みすら、心地良いと思う俺は、本当にどうかしているのかもしれなかった。
 うとうとしていると、彼女がふいに身じろぎをした。
「縞本さん、私ね――」
 ぽつりと、彼女は言った。俺の腕に抱かれたまま、ぽつぽつと語り出した。
「まだ、兄が生きていた頃の話です。私は高校生でした。兄は、ときどき仕事の帰りが遅くなることがあって、日付が変わってから帰宅することもあったんです。遅くに帰って来て、玄関のドアを、勢いよく閉めるんです。ばたーんって、大きな音が二階まで聞こえてきました。もう両親は先に部屋で休んでいて、私は自分の部屋で、試験勉強なんかをしてるんです。階段をどすどすと足音を立てて登ってきたり、トイレのドアを、また勢いよく閉めたり。今振り返ってみれば、きっと仕事のストレスを、兄はそういう形で表してたんだと思うんです」
 暗いままの部屋の天井には、窓から射し込む細い光が、数本の線となって映し出されていた。部屋の外を走る車のヘッドライトが、新たな光の線となって天井を移動していく。俺は横目でそんな天井を見つめたまま、彼女の言葉を聞いていた。
「でも、あの頃は許せなかった。兄が、まるで自分ひとりだけが戦っていて、自分ひとりだけが苦しい、と思っているような気がして。両親はもう寝ていて、私が遅くまで勉強していることを知っているはずの兄が、そんな風に家の中で振る舞うことを、私は許せなかった。身勝手だ、と思ったんです。両親は、そんな兄の夜中の様子を知ってか知らずか、何も言いませんでした。それがまた、兄の振る舞いが黙認されているような気がして��私は面白くなかった。夜中は静かで、勉強していると、帰って来た兄が立てる物音が気になって、気が散って、勉強が手につかなくなって、そんなことが続くと私も嫌になってしまって。だから私、ある晩に願ってしまったんです。『お兄ちゃんなんて、もう帰って来なければいいのに』って。そしたら、そしたら…………」
 井荻沙織は、それ以上何も語らなかった。その先は、言われなくてもわかっていた。
 井荻公介が死んだのは、妹である彼女がその不在を願ったからではない。彼女が公介を死へと追いやったのではない。彼女にはなんの責任もない。
 公介の仏壇の前で、初めて彼女に出会った時、なんとも言えない深い眼差しで見つめられていたことを思い出す。彼女はもしかして、俺が現れたことでほっとしたんじゃないか。兄が死んだのは自分のせいではないのだと、そう実感できたんじゃないだろうか。
 だがそれでも、こうして語るということは、彼女にはまだ、わだかまりがあるのだろう。願ってしまったことへの後悔は、いつまでも消えることがないのだ。
 彼女の細い腕が静かに俺の背中に回った。ゆっくりと、しかし着実に、腕の力は強まっていく。泣くのかと思ったが、彼女は涙を見せなかった。それでも俺にしがみつくその手は、微かに震えていた。
 溶けることのない氷の塊が、彼女の胸の奥底にはある。それは、決して触れることができない。どんな言葉も、そんな深いところまではきっと届かない。それでも何か、力になってやりたかった。おこがましいだろうか。俺が公介を死に追いやったのかもしれないのに。こうして一緒にいることが、許されるようなふたりではないのに。
 俺はそっと彼女の身体を抱き返した。傷つけないように。嫌になったら、いつでも突き放せるように。そんな力加減で抱き締めた。こんな風に、誰かに優しくしようと思うことが、ずいぶん久しぶりだと感じた。
 互いの体温に身を委ねているうちに、再び眠気に誘われて、氷が少しずつグラスの中へ溶けていくように、そうしてふたり抱き合ったまま、朝まで眠った。
   「お疲れさん」
 目の前に缶コーヒーを置いてやると、貝塚は驚いたように顔を上げた。
「縞本。お疲れ、今から帰るのか?」
 そう言いながら自分のデスクから立ち上がろうとする貝塚を、俺は片手で制した。
「あとひと踏ん張りしようかと思ったけどな、もう今日はいいやって気持ちになっちまった」
「いいんじゃないの。縞本は働きすぎなんだよ」
 そう言う貝塚も、ブースに残っている最後のひとりだった。フロアを見回してみたが、同僚たちはとっくに退社している。
 こいつも、俺に負けず劣らずのワーカーホリックなのだ。おまけに、俺よりもヘビースモーカーだ。
「たらふく飲んで寝るよ、今夜は」
 週明けの月曜日の朝は、先方への謝罪から始まるのかと思うと、それだけで気が滅入った。今夜くらいは、酒でも飲まないとやってられない。
「さすがの縞本も参ってるねぇ」
 にやにやしながら貝塚はそう言って、俺がデスクに置いてやった缶コーヒーに手を伸ばす。
「井荻さんに癒してもらったら?」
「……は?」
 わざとらしく訊き返してみたが、貝塚は嫌らしい笑みをより深くしただけだった。
「俺はお似合いだと思うけどなぁ。縞本と井荻さん」
「……何を言ってるんだお前は。アホか」
「井荻さんはまだ知らないんだろう? 縞本が春に九州に異動になること。内示しかされてないもんねぇ」
「…………」
「誘ってみたら?」
「……俺と一緒に九州に行こう、ってか?」
「そうそう。井荻さんもその気になるかもしれないし」
「……アホか」
 俺は吐き捨てるようにそう言ったが、貝塚は缶コーヒーに口をつけながら笑っていた。その笑顔が妙に朗らかで、からかわれているのは明らかだった。無性に腹が立つ。
「万が一、彼女にその気がなくて関係が気まずくなっても、縞本は春にはいなくなる訳だから、少しの間の辛抱だし」
「何が言いたいんだ?」
「ローリスク、ハイリターンだよ、縞本。挑戦する価値はあるだろ?」
「…………アホか」
 俺は片手を挙げて「お疲れさん」と告げ、営業フロアを後にする。「なんだよ縞本、俺はマジだぞ」と、後ろから聞こえてきたが、それ以上耳を貸すことはしなかった。
 エレベーターを下り、建物を出ると、途端にビル風が吹きつけてきた。手袋を忘れて来たことを思い出し、コートのポケットに手を入れる。
 すれ違う人たちは皆、急ぎ足で通り過ぎて行く。今夜は昨日よりも冷える。早く暖かい場所へ行こうと、誰もが思っているのだ。
 暖かい場所。
 俺はいつの間にか、彼女のことを連想していた。馬鹿馬鹿しい。自分でも恥ずかしくなる。これじゃあ、貝塚にからかわれても仕方がない。
 そう言えば、今日彼女に会った時、俺が「行くのか」と訊いたら、彼女は「行きます」と答えたっけ。腕時計に目をやった。彼女はまだ、いるのだろうか。いつものバーに。
 あれから、井荻沙織との関係は変わっていない。変わらず同じ会社で働いていて、ときどき一緒に酒を飲み、ときどき一緒に眠っている。だが恋人ではないし、しかし、ただの同僚と呼ぶには、いささか深い仲になりすぎた。
 井荻沙織が兄の件について語ったのは、あの夜が最後だった。それ以来、彼女は兄の話をしていない。もしかしたらもう二度と、俺の前で口にすることはないのかもしれない。
 彼女の胸の内にあるわだかまりは、今もそこにあるのだろうか。溶けることのない氷を、変わらず抱いているのだろうか。
 俺は彼女に、何をしてやれるだろう。
 あの暑い日に、彼女が渡してくれた一本のペットボトル。その冷たい感触を、今でも思い出すことができる。「本当は違うんでしょ」と告げられた時、本当はどんなに嬉しかったか。
 誰かを傷つけ、自らも傷ついてばかりいた俺に、彼女は手を伸ばしてくれた。本質を見抜こうとでもするかのような眼差しで射抜かれる度、嘘をつかなくていいのは安堵できた。彼女の肌に触れ、彼女の指先が俺をなぞる時、今までの傷が癒えていくように思えた。俺は彼女に出会って報われた。その温かさに救われたのだ。
 だが俺の手は、彼女を温めることができるのだろうか。
 はたして、俺にそんな資格があるのか。
 そんな生き方が、許されるのか。
「九州か……。遠いな…………」
 思わず零れた独り言は、吹き荒ぶビル風に掻き消された。周囲の人々と同じように首をすくめ、背中を丸め、駅へ向かう道を歩く。雑草さえまだ芽吹かない、冷たいアスファルトを見下ろしながら、今はまだその足音さえも聞こえない、春のことを考える。
 その春が来た時、俺はもう、この場所にはいない。
 俺じゃなくてもいい、誰かが、彼女の傷を癒してやってくれればいい。彼女が救ってくれたように、代わりに誰かが彼女を救ってくれればいい。こんな冷え切った、硬く冷たい指先ではなく、もっと情熱的で献身的な、穏やかな熱量がある誰かが、彼女を抱き締めてくれればいい。
 そうして、彼女が抱いている大きな氷塊も、いつしか溶けてしまえばいい。
 だがもしも、側にいることが許されるのならば、その手を引くことが許してもらえるのであれば、俺はできうる限り暖かい場所へ、彼女を連れて行きたい。何もかもを忘れてしまえるような、まぶしいくらい陽の当たる場所へ。
 だがそんなことは、つまらない夢にすぎない。
「アホだな、俺は……」
 どうか彼女が、暖かい場所にいつまでもいられますように。
 そんなことを願った。
 そう願うことだけは、きっと俺にも許されるだろうから。
 了
2 notes · View notes
guragura000 · 5 years ago
Text
自殺未遂
何度も死のうとしている。
これから���の話をする。
自殺未遂は私の人生の一部である。一本の線の上にボツボツと真っ黒な丸を描くように、その記憶は存在している。
だけど誰にも話せない。タブーだからだ。重たくて悲しくて忌み嫌われる話題だからだ。皆それぞれ苦労しているから、人の悲しみを背負う余裕なんてないのだ。
だから私は嘘をつく。その時代を語る時、何もなかったふりをする。引かれたり、陰口を言われたり、そういう人だとレッテルを貼られたりするのが怖いから。誰かの重荷になるのが怖いから。
一人で抱える秘密は、重たい。自分のしたことが、当時の感情が、ずっしりと肩にのしかかる。
私は楽になるために、自白しようと思う。黙って平気な顔をしているのに、もう疲れてしまった。これからは場を選んで、私は私の人生を正直に語ってゆきたい。
十六歳の時、初めての自殺未遂をした。
五年間の不登校生活を脱し高校に進学したものの、面白いくらい馴染めなかった。天真爛漫に女子高生を満喫する宇宙人のようなクラスメイトと、同じ空気を吸い続けることは不可能だと悟ったのだ。その結果、私は三ヶ月で中退した。
自信を失い家に引きこもる。どんよりと暗い台所でパソコンをいじり続ける。将来が怖くて、自分が情けなくて、見えない何かにぺしゃんこに潰されてしまいそうだった。家庭は荒れ、母は一日中家にいる私に「普通の暮らしがしたい」と呟いた。自分が親を苦しめている。かといって、この先どこに行っても上手くやっていける気がしない。悶々としているうちに十キロ痩せ、生理が止まった。肋が浮いた胸で死のうと決めた。冬だった。
夜。親が寝静まるのを待ちそっと家を出る。雨が降っているのにも関わらず月が照っている。青い光が濁った視界を切り裂き、この世の終わりみたいに美しい。近所の河原まで歩き、濡れた土手を下り、キンキンに冷えた真冬の水に全身を浸す。凍傷になれば数分で死に至ることができると聞いた。このままもう少しだけ耐えればいい。
寒い!私の体は震える。寒い!あっという間に歯の根が合わなくなる。頭のてっぺんから爪先までギリギリと痛みが駆け抜け、三秒と持たずに陸へ這い上がった。寒い、寒いと呟きながら、体を擦り擦り帰路を辿る。ずっしりと水を含んだジャージが未来のように重たい。
風呂場で音を立てぬよう泥を洗い流す。白いタイルが砂利に汚されてゆく。私は死ぬことすらできない。妙な落胆が頭を埋めつくした。入水自殺は無事、失敗。
二度目の自殺未遂は十七歳の時だ。
その頃私は再入学した高校での人間関係と、精神不安定な母との軋轢に悩まされていた。学校に行けば複雑な家庭で育った友人達の、無視合戦や泥沼恋愛に巻き込まれる。あの子が嫌いだから無視をするだのしないだの、彼氏を奪っただの浮気をしているだの、親が殴ってくるだの実はスカトロ好きのゲイだだの、裏のコンビニで喫煙しているだの先生への舌打ちだの⋯⋯。距離感に不器用な子達が多く、いつもどこかしらで誰かが傷つけ合っていた。教室には無気力と混乱が煙幕のように立ち込め、普通に勉強し真面目でいることが難しく感じられた。
家に帰れば母が宗教のマインドコントロールを引きずり「地獄に落ちるかもしれない」などと泣きついてくる。以前意地悪な信者の婆さんに、子どもが不登校になったのは前世の因縁が影響していて、きちんと祈らないと地獄に落ちる、と吹き込まれたのをまだ信じているのだ。そうでない時は「きちんと家事をしなくちゃ」と呪いさながらに繰り返し、髪を振り乱して床を磨いている。毎日手の込んだフランス料理が出てくるし、近所の人が買い物先までつけてくるとうわ言を言っている。どう考えても母は頭がおかしい。なのに父は「お母さんは大丈夫だ」の一点張りで、そのくせ彼女の相手を私に丸投げするのだ。
胸糞の悪い映画さながらの日々であった。現実の歯車がミシミシと音を立てて狂ってゆく。いつの間にやら天井のシミが人の顔をして私を見つめてくる。暗がりにうずくまる家具が腐り果てた死体に見えてくる。階段を昇っていると後ろから得体の知れない化け物が追いかけてくるような気がする。親が私の部屋にカメラを仕掛け、居間で監視しているのではないかと心配になる。ホラー映画を見ている最中のような不気味な感覚が付きまとい、それから逃れたくて酒を買い吐くまで酔い潰れ手首を切り刻む。ついには幻聴が聞こえ始め、もう一人の自分から「お前なんか死んだ方がいい」と四六時中罵られるようになった。
登下校のために電車を待つ。自分が電車に飛び込む幻が見える。車体にすり潰されズタズタになる自分の四肢。飛び込む。粉々になる。飛び込む。足元が真っ赤に染まる。そんな映像が何度も何度も巻き戻される。駅のホームは、どこまでも続く線路は、私にとって黄泉への入口であった。ここから線路に倒れ込むだけで天国に行ける。気の狂った現実から楽になれる。しかし実行しようとすると私の足は震え、手には冷や汗が滲んだ。私は高校を卒業するまでの四年間、映像に重なれぬまま一人電車を待ち続けた。飛び込み自殺も無事、失敗。
三度目の自殺未遂は二十四歳、私は大学四年生だった。
大学に入学してすぐ、執拗な幻聴に耐えかね精神科を受診した。セロクエルを服用し始めた瞬間、意地悪な声は掻き消えた。久しぶりの静寂に手足がふにゃふにゃと溶け出しそうになるくらい、ほっとする。しかし。副作用で猛烈に眠い。人が傍にいると一睡もできないたちの私が、満員の講義室でよだれを垂らして眠りこけてしまう。合う薬を模索する中サインバルタで躁転し、一ヶ月ほど過活動に勤しんだりしつつも、どうにか普通の顔を装いキャンパスにへばりついていた。
三年経っても服薬や通院への嫌悪感は拭えなかった。生き生きと大人に近づいていく友人と、薬なしでは生活できない自分とを見比べ、常に劣等感を感じていた。特に冬に体調が悪くなり、課題が重なると疲れ果てて寝込んでしまう。人混みに出ると頭がザワザワとして不安になるため、酒盛りもアルバイトもサークル活動もできない。鬱屈とした毎日が続き闘病に嫌気がさした私は、四年の秋に通院を中断してしまう。精神薬が抜けた影響で揺り返しが起こったこと、卒業制作に追われていたこと、就職活動に行き詰まっていたこと、それらを誰にも相談できなかったことが積み重なり、私は鬱へと転がり落ちてゆく。
卒業制作の絵本を拵える一方で遺品を整理した。洋服を売り、物を捨て、遺書を書き、ネット通販でヘリウムガスを手に入れた。どうして卒制に遅れそうな友達の面倒を見ながら遺品整理をしているのか分からない。自分が真っ二つに割れてしまっている。混乱しながらもよたよたと気力で突き進む。な���なしの努力も虚しく、卒業制作の提出を逃してしまった。両親に高額な学費を負担させていた負い目もあり、留年するぐらいなら死のうとこりずに決意した。
クローゼットに眠っていたヘリウムガス缶が起爆した。私は人の頭ほどの大きさのそれを担いで、ありったけの精神薬と一緒に車に積み込んだ。それから山へ向かった。死ぬのなら山がいい。夜なら誰であれ深くまで足を踏み入れないし、展望台であれば車が一台停まっていたところで不審に思われない。車内で死ねば腐っていたとしても車ごと処分できる。
展望台の駐車場に車を突っ込み、無我夢中でガス缶にチューブを繋ぎポリ袋の空気を抜く。本気で死にたいのなら袋の酸素濃度を極限まで減らさなければならない。真空状態に近い状態のポリ袋を被り、そこにガスを流し込めば、酸素不足で苦しまずに死に至ることができるのだ。大量の薬を水なしで飲み下し、袋を被り、うつらうつらしながら缶のコックをひねる。シューッと気体が満ちる音、ツンとした臭い。視界が白く透き通ってゆく。死ぬ時、人の意識は暗転ではなくホワイトアウトするのだ。寒い。手足がキンと冷たい。心臓が耳の奥にある。ハツカネズミと同じ速度でトクトクと脈動している。ふとシャンプーを切らしていたことを思い出し、買わなくちゃと考える。遠のいてゆく意識の中、日用品の心配をしている自分が滑稽で、でも、もういいや。と呟く。肺が詰まる感覚と共に、私は意識を失う。
気がつくと後部座席に転がっている。目覚めてしまった。昏倒した私は暴れ、自分でポリ袋をはぎ取ったらしい。無意識の私は生きたがっている。本当に死ぬつもりなら、こうならぬように手首を後ろできつく縛るべきだったのだ。私は自分が目覚めると、知っていた。嫌な臭いがする。股間が冷たい。どうやら漏らしたようだ。フロントガラスに薄らと雪が積もっている。空っぽの薬のシートがバラバラと散乱している。指先が傷だらけだ。チューブをセットする際、夢中になるあまり切ったことに気がつかなかったようだ。手の感覚がない。鈍く頭痛がする。目の前がぼやけてよく見えない。麻痺が残ったらどうしよう。恐ろしさにぶるぶると震える。さっきまで何もかもどうでも良いと思っていたはずなのに、急に体のことが心配になる。
後始末をする。白い視界で運転をする。缶は大学のゴミ捨て場に捨てる。帰宅し、後部座席を雑巾で拭き、薬のシートをかき集めて処分する。ふらふらのままベッドに倒れ込み、失神する。
その後私は、卒業制作の締切を逃したことで教授と両親から怒られる。翌日、何事もなかったふりをして大学へ行き、卒制の再提出の交渉する。病院に保護してもらえばよかったのだがその発想もなく、ぼろ切れのようなメンタルで卒業制作展の受付に立つ。ガス自殺も無事、失敗。
四度目は二十六歳の時だ。
何とか大学卒業にこぎつけた私は、入社試験がないという安易な理由でホテルに就職し一人暮らしを始めた。手始めに新入社員研修で三日間自衛隊に入隊させられた。それが終わると八時間ほぼぶっ続けで宴会場を走り回る日々が待っていた。典型的な古き良き体育会系の職場であった。
朝十時に出社し夜の十一時に退社する。夜露に湿ったコンクリートの匂いをかぎながら浮腫んだ足をズルズルと引きずり、アパートの玄関にぐしゃりと倒れ込む。ほとんど意識のないままシャワーを浴びレトルト食品を貪り寝床に倒れ泥のように眠る。翌日、朝六時に起床し筋肉痛に膝を軋ませよれよれと出社する。不安定なシフトと不慣れな肉体労働で病状は悪化し、働いて二年目の夏、まずいことに躁転してしまった。私は臨機応変を求められる場面でパニックを起こすようになり、三十分トイレにこもって泣く、エレベーターで支離滅裂な言葉を叫ぶなどの奇行を繰り返す、モンスター社員と化してしまった。人事に持て余され部署をたらい回しにされる。私の世話をしていた先輩が一人、ストレスのあまり退社していった。
躁とは恐ろしいもので人を巻き込む。プライベートもめちゃくちゃになった。男友達が性的逸脱症状の餌食となった。五年続いた彼氏と別れた。よき理解者だった友と言い争うようになり、立ち直れぬほどこっぴどく傷つけ合った。携帯電話をハイヒールで踏みつけバキバキに破壊し、コンビニのゴミ箱に投げ捨てる。出鱈目なエネルギーが毛穴という毛穴からテポドンの如く噴出していた。手足や口がばね仕掛けになり、己の意思を無視して動いているようで気味が悪かった。
寝る前はそれらの所業を思い返し罪悪感で窒息しそうになる。人に迷惑をかけていることは自覚していたが、自分ではどうにもできなかった。どこに頼ればいいのか分からない、生きているだけで迷惑をかけてしまう。思い詰め寝床から出られなくなり、勤務先に泣きながら休養の電話をかけるようになった。
会社を休んだ日は正常な思考が働かなくなる。近所のマンションに侵入し飛び降りようか悩む。落ちたら死ねる高さの建物を、砂漠でオアシスを探すジプシーさながらに彷徨い歩いた。自分がアパートの窓から落下してゆく幻を見るようになった。だが、無理だった。できなかった。あんなに人に迷惑をかけておきながら、私の足は恥ずかしくも地べたに根を張り微動だにしないのだった。
アパートの部屋はムッと蒸し暑い。家賃を払えなければ追い出される、ここにいるだけで税金をむしり取られる、息をするのにも金がかかる。明日の食い扶持を稼ぐことができない、それなのに腹は減るし喉も乾く、こんなに汗が滴り落ちる、憎らしいほど生きている。何も考えたくなくて、感じたくなくて、精神薬をウイスキーで流し込み昏倒した。
翌日の朝六時、朦朧と覚醒する。会社に体調不良で休む旨を伝え、再び精神薬とウイスキーで失神する。目覚めて電話して失神、目覚めて電話して失神。夢と現を行き来しながら、手元に転がっていたカッターで身体中を切り刻み、吐瀉し、意識を失う。そんな生活が七日間続いた。
一週間目の早朝に意識を取り戻した私は、このままでは死ぬと悟った。にわかに生存本能のスイッチがオンになる。軽くなった内臓を引っさげ這うように病院へと駆け込み、看護師に声をかける。
「あのう。一週間ほど薬と酒以外何も食べていません」
「そう。それじゃあ辛いでしょう。ベッドに寝ておいで」
優しく誘導され、白いシーツに倒れ込む。消毒液の香る毛布を抱きしめていると、ぞろぞろと数名の看護師と医師がやってきて取り囲まれた。若い男性医師に質問される。
「切ったの?」
「切りました」
「どこを?」
「身体中⋯⋯」
「ごめんね。少し見させて」
服をめくられる。私の腹を確認した彼は、
「ああ。これは入院だな」
と呟いた。私は妙に冷めた頭で聞く。
「今すぐですか」
「うん、すぐ。準備できるかな」
「はい。日用品を持ってきます」
私はびっくりするほどまともに帰宅し、もろもろを鞄に詰め込んで病院にトンボ帰りした。閉鎖病棟に入る。病室のベッドの周りに荷物を並べながら、私よりももっと辛い人間がいるはずなのにこれくらいで入院だなんておかしな話だ、とくるくる考えた。一度狂うと現実を測る尺度までもが狂うようだ。
二週間入院する。名も知らぬ睡眠薬と精神安定剤を処方され、飲む。夜、病室の窓から街を眺め、この先どうなるのかと不安になる。私の主治医は「君はいつかこうなると思ってたよ」と笑った。以前から通院をサポートする人間がいないのを心配していたのだろう。
退院後、人事からパート降格を言い渡され会社を辞めた。後に勤めた職場でも上手くいかず、一人暮らしを断念し実家に戻った。飛び降り自殺、餓死自殺、無事、失敗。
五度目は二十九歳の時だ。
四つめの転職先が幸いにも人と関わらぬ仕事であったため、二年ほど通い続けることができた。落ち込むことはあるものの病状も安定していた。しかしそのタイミングで主治医が代わった。新たな主治医は物腰柔らかな男性だったが、私は病状を相談することができなかった。前の医師は言葉を引き出すのが上手く、その環境に甘えきっていたのだ。
時給千円で四時間働き、月収は六万から八万。いい歳をして脛をかじっているのが忍びなく、実家に家賃を一、二万入れていたので、自由になる金は五万から七万。地元に友人がいないため交際費はかからない、年金は全額免除の申請をした、それでもカツカツだ。大きな買い物は当然できない。小さくとも出費があると貯金残高がチラつき、小一時間は今月のやりくりで頭がいっぱいになる。こんな額しか稼げずに、この先どうなってしまうのだろう。親が死んだらどうすればいいのだろう。同じ年代の人達は順調にキャリアを積んでいるだろう。資格も学歴もないのにズルズルとパート勤務を続けて、まともな企業に転職できるのだろうか。先行きが見えず、暇な時間は一人で悶々と考え込んでしまう。
何度目かの落ち込みがやってきた時、私は愚かにも再び通院を自己中断してしまう。病気を隠し続けること、精神疾患をオープンにすれば低所得をやむなくされることがプレッシャーだった。私も「普通の生活」を手に入れてみたかったのだ。案の定病状は悪化し、練炭を購入するも思い留まり返品。ふらりと立ち寄ったホームセンターで首吊りの紐を買い、クローゼットにしまう。私は鬱になると時限爆弾を買い込む習性があるらしい。覚えておかなければならない。
その職場を退職した後、さらに三度の転職をする。ある職場は椅子に座っているだけで涙が出るようになり退社した。別の職場は人手不足の影響で仕事内容が変わり、人事と揉めた挙句退社した。最後の転職先にも馴染めず八方塞がりになった私は、家族と会社に何も告げずに家を飛び出し、三日間帰らなかった。雪の降る中、車中泊をして、寒すぎると眠れないことを知った。家族は私を探し回り、ラインの通知は「帰っておいで」のメッセージで埋め尽くされた。漫画喫茶のジャンクな食事で口が荒れ、睡眠不足で小間切れにうたた寝をするようになった頃、音を上げてふらふらと帰宅した。勤務先に電話をかけると人事に静かな声で叱られた。情けなかった。私は退社を申し出た。気がつけば一年で四度も職を代わっていた。
無職になった。気分の浮き沈みが激しくコントロールできない。父の「この先どうするんだ」の言葉に「私にも分からないよ!」と怒鳴り返し、部屋のものをめちゃくちゃに壊して暴れた。仕事を辞める度に無力感に襲われ、ハローワークに行くことが恐ろしくてたまらなくなる。履歴書を書けばぐちゃぐちゃの職歴欄に現実を突きつけられる。自分はどこにも適応できないのではないか、この先��ともに生きてゆくことはできないのではないか、誰かに迷惑をかけ続けるのではないか。思い詰め、寝室の柱に時限爆弾をぶら下げた。クローゼットの紐で首を吊ったのだ。
紐がめり込み喉仏がゴキゴキと軋む。舌が押しつぶされグエッと声が出る。三秒ぶら下がっただけなのに目の前に火花が散り、苦しくてたまらなくなる。何度か試したが思い切れず、紐を握り締め泣きじゃくる。学校に行く、仕事をする、たったそれだけのことができない、人間としての義務を果たせない、税金も払えない、親の負担になっている、役立たずなのにここまで生き延びている。生きられない。死ねない。どこにも行けない。私はどうすればいいのだろう。釘がくい込んだ柱が私の重みでひび割れている。
泣きながら襖を開けると、ペットの兎が小さな足を踏ん張り私を見上げていた。黒くて可愛らしい目だった。私は自分勝手な絶望でこの子を捨てようとした。撫でようとすると、彼はきゅっと身を縮めた。可愛い、愛する子。どんな私でいても拒否せず撫でさせてくれる、大切な子。私の身勝手さで彼が粗末にされることだけはあってはならない、絶対に。ごめんね、ごめんね。柔らかな毛並みを撫でながら、何度も謝った。
この出来事をきっかけに通院を再開し、障害者手帳を取得する。医療費控除も障害者年金も申請した。精神疾患を持つ人々が社会復帰を目指すための施設、デイケアにも通い始めた。どん底まで落ちて、自分一人ではどうにもならないと悟ったのだ。今まさに社会復帰支援を通し、誰かに頼り、悩みを相談する方法を勉強している最中だ。
病院通いが本格化してからというもの、私は「まとも」を諦めた。私の指す「まとも」とは、周りが満足する状態まで自分を持ってゆくことであった。人生のイベントが喜びと結びつくものだと実感できぬまま、漠然としたゴールを目指して走り続けた。ただそれをこなすことが人間の義務なのだと思い込んでいた。
自殺未遂を繰り返しながら、それを誰にも打ち明けず、悟らせず、発見されずに生きてきた。約二十年もの間、母の精神不安定、学校生活や社会生活の不自由さ、病気との付き合いに苦しみ、それら全てから解放されたいと願っていた。
今、なぜ私が生きているか。苦痛を克服したからではない。死ねなかったから生きている。死ぬほど苦しく、何度もこの世からいなくなろうとしたが、失敗し続けた。だから私は生きている。何をやっても死ねないのなら、どうにか生き延びる方法を探らなければならない。だから薬を飲み、障害者となり、誰かの世話になり、こうしてしぶとくも息をしている。
高校の同級生は精神障害の果てに自ら命を絶った。彼は先に行ってしまった。自殺を推奨するわけではないが、彼は死ぬことができたから、今ここにいない。一歩タイミングが違えば私もそうなっていたかもしれない。彼は今、天国で穏やかに暮らしていることだろう。望むものを全て手に入れて。そうであってほしい。彼はたくさん苦しんだのだから。
私は強くなんてない。辛くなる度、たくさんの自分を殺した。命を絶つことのできる場所全てに、私の死体が引っかかっていた。ガードレールに。家の軒に。柱に。駅のホームの崖っぷちに。近所の河原に。陸橋に。あのアパートに。一人暮らしの二階の部屋から見下ろした地面に。電線に。道路を走る車の前に⋯⋯。怖かった。震えるほど寂しかった。誰かに苦しんでいる私を見つけてもらいたかった。心配され、慰められ、抱きしめられてみたかった。一度目の自殺未遂の時、誰かに生きていてほしいと声をかけてもらえたら、もしくは誰かに死にたくないと泣きつくことができたら、私はこんなにも自分を痛めつけなくて済んだのかもしれない。けれど時間は戻ってこない。この先はこれらの記憶を受け止め、癒す作業が待っているのだろう。
きっとまた何かの拍子に、生き延びたことを後悔するだろう。あの暗闇がやってきて、私を容赦なく覆い隠すだろう。あの時死んでいればよかったと、脳裏でうずくまり呟くだろう。それが私の病で、これからももう一人の自分と戦い続けるだろう。
思い出話にしてはあまりに重い。医療機関に寄りかかりながら、この世に適応する人間達には打ち明けられぬ人生を、ともすれば誰とも心を分かち合えぬ孤独を、蛇の尾のように引きずる。刹那の光と闇に揉まれ、暗い水底をゆったりと泳ぐ。静かに、誰にも知られず、時には仲間と共に、穏やかに。
海は広く、私は小さい。けれど生きている。まだ生きている。
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skf14 · 5 years ago
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09191717
ゴネて柳島に差し入れさせた本もとうに読み終わってしまった。視線だけ動かして部屋の隅を見れば、積まれた用済みの本達。一度目を通せば文章は全て脳に記録される。それが常人には起こり得ないことだと知ったのは、いつだっただろうか。
不便な指錠と足錠の重さにも慣れた。首に這う金属はまるでネックレスかのように自然と馴染んで心地良い。俺の生死を握ってるのがあの男だと思うとゾクゾクする。そう、俺は世間が思うよりずっと愚直で、策士でもなんでもなく、普通だ。
俺のコレクションは無事だろうか。耳に入る情報は少ない。新聞は貰えない。ま、不機嫌な柳島が俺に八つ当たりしてこないところを見る限り、最後のアレ以外はバレていないんだろう。分かりやすい男だ。
スン、と鼻を鳴らしても小さな俺の城、世界から隔離されたコンクリートの小部屋じゃ無機質な匂いしかしない。土の匂いが恋しい。ああ。
その凛とした白シャツに包まれた背中を、今でも思い出せる。教室の一番後ろ、出席番号はいつも最後だった俺は、中学の入学式の日、目の前に座る男のか細い首と肩甲骨を嫌と言うほど見つめていた。何か惹かれるものがあったんだろう。流石に直感、としか言いようがないが、俺は机に置かれた座席表を見て、そいつの名前を指でなぞった。
柳島、懍。
柳島、懍。か。珍しい漢字だ。懍。意味は確か、おそれる、つつしむ、身や心が引き締まる。振り向かないか、と目線を送るが男は目の前をじっと見据えたまま、背筋を緩めない。
担任から回ってきたプリントを渡す為振り返った奴の顔を見て、目を見て、無意識に舌舐めずりをしていた。同じ世界に生きる奴を見つけた。そう思った。俺の勘は外れたことがない。気味悪そうに俺を見た柳島は、プリントを受け取らない俺に顔を顰め、机にザラ半紙のソレを置いた。
馴れ合わない俺と柳島が連むようになるのは、時間の問題だった。ま、柳島にも何か俺に感じるところがあったんだろう。教師はもっぱら柳島を心配していたのが笑える。それもそのはず、柳島は成績優秀、品行方正で、自由主義かつ成績も良くない俺とは側から見ればまるで合いそうにない。教師の評価とは裏腹、柳島は笑わず近寄り難い冷徹な男だと、遠巻きに女が噂しているのを俺は聞くともなく聞いていた。その評価は正解であり、間違いだ。教師の上っ面な評価よりもよっぽど近いだろう。
「お前、どこ受験すんの。」
「○��高。」
「都内一の偏差値じゃねえか。」
「母さんが受けろと言うから受ける。」
「ふーん。じゃあ俺もそこ、受けるかね。」
「好きにしろ。」
「......お前の頭じゃ無理、って言わねえ辺り俺好きだわ、お前のこと。」
「お前が日頃嘘ばかりついて、テストでも適当な返答してるの知ってるからな。」
恐ろしい程の知識に対する執着と、学校という小さな社会に順応しようと警戒を解かない姿はいつ見ても感服する。
何、理解するのは難しいことじゃない。奴が求めるのはいつだって理路整然とした理屈と、己が納得出来る結論だけ。引き出した話から、家庭環境がそうさせるんだろう、と、俺は自分を棚に上げ気の毒にすら思った。
高校の入学式の後、俺はまた奴のブレザーに包まれた背中を見つめていた。相変わらずすっと伸びた背筋と、綺麗に整えられた襟足。3年前の衝撃は、まだ昨日のことのように胸の中にいた。
ま、想像通りといえばそれまでだが、高校でも俺への風当たりは強かった。同調圧力が高い日本の学校だ。仕方がない。俺は気紛れに嘘を重ね、退学にならない程度に遊び、テストだけは結果を出す嫌な生徒だった。いい成績をつけざるを得ない教師の顔を見る度に笑えた。ざまあみろ。ざまあみやがれ。他人の評価なんて、まるで耳には入らなかった。
「お前、昨日渋谷で何してた?」
「...えっ、何、ストーキングしてたの?やだ、懍ちゃんったら大胆ネ。」
「何してた?」
「無粋な質問すんじゃねえよ。渋谷の円山っつったらヤること一つだろ。」
「まぁ、それもそうか。」
「父親も死んだし、世の中金がねえとどうにもならねえからな。」
「お前の行動力には脱帽するよ。」
「楽しいんだわ、人間捨てて、獣に戻るのがさ。孕まねえし、金貰えるし。」
柳島は俺を反面教師にすることを覚えたらしかった。俺が他人を欺けばそれを見て学習し、俺が乱れればアレはいけないことだと自分に言い聞かせているように見えた。奴は一度だって世間で言う"正論"を俺にぶつけたことはなかった。一度だってあれば、俺は笑って柳島を屋上から蹴落としただろう。互いに分かっているからこそ、踏み込まない。その関係性が堪らなく心地よかった。柳島だけは、俺を哀れまない。常識とか倫理観が無い人間が、これ程までに合理的で優しいことを俺は知らなかった。
「懍、進路どうすんの。」
「そうだな。まだ決めてない。」
「とりあえず国総受けられるレベルの所には入っとけよ。」
「国総?なぜだ。」
「お前は絶対後々俺に感謝することになる。」
「自分の道は自分で決める。」
「はは、それがいい。」
俺の予想通り、奴は日本の最高峰を誇る大学に合格した。後を追った俺も合格した。俺は理学部、奴は法学部。学部は違えど、その先の未来を歩くにはお誂え向きの選択だった。
奴は変わらず鉄仮面のまま、自分自身のことにはまだ気付かない。勿体ねえな、その素質を押し殺したままにすんのは。そう思っていた俺に、女神は突如として微笑んだ。
卒業証書を放り投げた俺は暇を持て余して、前々から場所を知っていた柳島の家に向かった。神の采配か勘の良さか分からないが、一度も訪れたことのないその場所になぜか足が向いた。
古びたアパートの2階の角部屋、隣の家も、その隣の家も、玄関のポストから新聞が何日分もはみ出ていた。汚い扉の前で息を潜めていたら、中から微かに、ギッ、と、確かに縄の軋む音が聞こえた。ポケットを探り見つけた針金で簡単に開くほど、奴の家の鍵は簡素だった。
聞こえるように足音を立ててゆっくり部屋へ入った俺が見たのは、女の首にかけた縄を梁に通し、無心で引っ張る柳島の姿だった。
「不法侵入だ。」
「鍵、今時あんな玩具みてえなの付けんなよ。」
部屋は若干タバコ臭い。柳島は俺のことを一瞬見て、また作業に戻った。畳の上のちゃぶ台にはマイルドセブンと睡眠薬、血塗れの小さな人形に錆びた口紅、男の写真の入ったスタンドが置かれている。男の目元は、柳島によく似ていた。
部屋の中は簡素で、無駄な物は何もない。開け放たれた襖から隣の部屋を覗き見れば、和蝋燭に照らされた祭壇が見えた。
あまり好きじゃない、と思いながらも残されたマイルドセブンを一本拝借して、床に転がっていたコンビニライターで火を付ける。一瞬顔を顰めた奴は梁へと縄を固定し終えたのか、珍しく汗の滲む額を拭って、女の足元に椅子を置き、蹴り倒した。
「死因は。」
「睡眠薬を摂取した上での首吊り。縊死だ。」
そこから5分、俺も奴も無言のまま、ただ壁にかかった古時計の針が古臭い音を立てていた。手の中の煙草は吸われることなく燃えて、フィルター手前で燻っている。弔いなんて笑える理由じゃない。吸う気分じゃなかった、それだけだ。
「もう、死んだぞ。」
「ああ。」
「......俺の母親さ、ガキの頃、男作って出てったんだわ。幼稚園で描いた絵見せようと思って、教えられた住所に行ったら、母親は綺麗な下着着て、成金の卑しい顔したおっさんに抱かれてた。」
「......。」
「最っ高にイイ声上げてたよ。堪らねえって感じでさ。俺は帰り道絵を捨てて、そっから親父と暮らしてた。この親父ってのがまた厄介で、高学歴とプライドだけが取り柄の男だった。俺はあの男が、プライドを保つ為だけのパーツだった。俺が成長するにつれて、落ちぶれてくんだよ。俺がいれば満たされるからな。だからさぁ。」
「だから?」
「高一の夏、殺したんだ。プライド高いのに惨めなまま生きるの、可哀想だろ。救ってやったんだ。この世界から。」
「そうか。」
運命か宿命か、父親を殺した手段は、今奴が女にした方法と同じだった。違うのは煙草の銘柄と、外には桜が咲き誇っていることくらいだった。耳の奥からジワジワと煩い蝉の声の幻聴が、聞こえる気がした。
「この女、誰だ。」
「母親。」
「......。」
「なぁ。」
「ん?」
「俺は、お前なのか。」
「そうとも言えるし、違うとも言える。お前は俺になれるし、俺にならずにも済む。」
思い詰めたような表情は、きっと世間が計り知れない所へ向かった意識のせいだろう。こいつの脳内は、俺にしか分からない。今一度部屋を見回し、立ち上がって携帯を操作した。
「お前、泣けるか。」
「恐らく。」
「じゃ、今から俺の芝居に付き合え。お前は主演だ。最初で最後の芝居だ。アカデミー狙うつもりで演じろ。分かるな?」
「あぁ。分かる。」
「...『もしもし、消防119番で「おっ、お母さんが、と、友達の、首、帰ったら、っひ、人が、」落ち着いて、何がありましたか?』」
「母さん、母さん!!!どうして!!!!ぅわぁぁああぁぁああああ!!!」
大学3年、奴の進路を聞いた俺は高笑いしそうになって、慌てて表情筋を殺した。予想通り、というかなんというか、奴の人生のレールがひん曲がっていることを本人が気付いてない状況が嫌に哀れに思えた。
「国総で公安、しかも刑務官志望ねぇ。ま、珍しいから希望は通りそうだな。」
「お前も公安だろ。警察庁は色々縦割りだと聞くが。」
「議員に媚び諂って書類と添い遂げるなんざこっちから願い下げ。権力のない人生なんて味気がなさ過ぎて反吐が出るね。」
「相変わらず口が汚いな、愀。」
「お褒めに預かり光栄です。」
卒業式の日、俺は奴の連絡先を消し、家も引き払って奴の目の前から姿を消した。と言っても名前は知られているから、会おうと思えば逢えるはずだった。でも俺も奴も、会うつもりはなかった。言葉にはしなくとも、そういう結末になると互いが理解していた。
警察にいる以上、犯罪の痕跡を消すことは容易かった。俺は片っ端から前科者、身寄りのない人間、幸せな人間、とにかく隙のある人間を探して、連れ去った。
悶える姿を見る度、脳裏に吊るした親父の姿が蘇った。剥製を机に並べれば、幸せな家族の絵が俺の脳内で動き始めた。
俺は俺を客観視していたから、行動の理由は分かる。寂しかったんだ。分かり合えた奴とは同じ世界にはいられない。愛して欲しかった母親は知らない男に抱かれるただの女だった。守って欲しかった父親はプライドにしがみついて生きる可哀想な男だった。縋る場所をなくして尚生きる為には、暖かい家族を、愛に溢れた家族を、沢山作りたかった。辻褄は合っている。理解されずとも、これが俺の世界を守る為の唯一の秩序だ。
扉を開けた瞬間のプロデューサーの顔、今思い出しても笑える。俺を異常な人間だと認識し、この狂った屋敷を映さなければ、という欲と、映してはいけないという人としての倫理観。鬩ぎ合った挙句カメラを回し続けた姿に国民は拍手喝采しただろう。画面越しじゃ暫く人形に見えていたらしいから。地下��美術倉庫を映した時漸く、その吊るされた生肉から漂う腐臭と夥しい蠅の数で察したクルーは軒並み嘔吐し、程なくして警察が来た。
そこからの流れなど既定路線過ぎてつまらないが、ここ、東京拘置所で随分と偉くなった柳島と対面した時、漠然と、俺の物語が完結したような気がした。笑いがこみ上げ、溢れ、腹を抱えて笑う俺を、刑法39条を思い浮かべ顔を顰めて睨む連中の中で唯一、柳島だけは、微かに笑みを浮かべていた。
過去を思い返していたら、もう、17時30分になっていた。窓のない部屋では夕日も朝日も見えないが、この時期ならとうに太陽は沈んで、暗い夜が押し寄せて来ているだろう。
部屋の奥から、物音が聞こえる。カツ、カツ、今日は比較的穏やか、ってことはS案件じゃなく新作の本の差し入れか。奴の足音を聞くだけで機嫌が分かるのは、俺の特技だ。壁に背を付け、姿勢を正す。奴の秩序を守る為、俺は奴の前で今日も"拘置所で初めて出会った模範囚"を演じる。
「S4番、立て。」
「はい。」
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