#留守番のスタッフに感謝
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韓国の反オリンピック運動団体「平昌オリンピック反対連帯」の皆さんが、北京五輪開幕の2月4日に「オリンピックを廃止せよ」という声明を出しました。以下、日本語訳を掲載します。
オリンピックを廃止せよ
2022年2月4日
平昌オリンピック反対連帯
平昌(ピョンチャン)冬季オリンピックが開催された2018年は、1988ソウルオリンピック30周年の年にあたる。オリンピック開催地の中でも有数の大規模開発事業と強制撤去が行われたソウルでは、1986年のアジア大会と1988年のオリンピックの準備期間に、72万人以上が生活基盤を失った。1986年には、警察、建設会社、暴力団(直訳:用役チンピラ/政府や開発事業側に雇われて直接排除・撤去を実行する人々)が一体となった開発事業の嵐の中で、1986年には上渓洞(サンゲドン)だけでも6人の住民が死亡した。「オリンピックなどに備えて、観光客に清潔な印象を与え、国民の不快感を取り除くため」中央政府が積極的に行った「社会浄化」活動の結果、1万6000人以上が正当な手続きもなく恣意的に拘束され、全国36の��設に強制収容された。中でも最大規模の「兄弟福祉園」で行われた無賃の強制労働、虐待、暴行が明るみになり、捜査と裁判が行われた。しかし、この事件で処罰された者は今に至るまで一人もいない。オリンピックによる抑圧は、オリンピックが開幕した瞬間から、一気に消え去った。主催者側は、オリンピックによって「民主主義と和合」が実現したというプロパガンダを一気に広めた。2018年、各機関はソウルオリンピックを肯定的に振り返るための様々な記念事業を実施した。実際に起こったオリンピック災害は「付随的な問題点」として形ばかりの言及がされただけだった。依然として多くの人は「88オリンピック」という言葉を通じて、やすやすと楽しく心躍るイメージを浮かべる。オリンピックで利益を受けた者たちが長い間、声高にその過ちを隠蔽するプロパガンダを行ってきた一方で、オリンピック災害で苦しんだ者たちの声はかき消されてきた。平昌オリンピックもまた、幕開けの瞬間から今に至るまで、オリンピック災害を隠蔽するための記念事業に最大の努力を注ぎ続けている。オリンピック期間中、私たちが平昌、旌善(チョンソン)、江陵(カンヌン)で目撃したのは、放送を通じて届けられる華やかな祭りとはほど遠いものだったが、オリンピック災害の実態に関心を向ける人は少なかった。現在、オリンピック・レガシーを継承するために進められている多くのプロジェクトのうち相当数は、平昌オリンピックに肯定的な評価を残すこと自体を目的としている。
パンデミックの中で、一度延期された東京夏季オリンピック。翌年に強行開催された日本で起きていることは、私たちの既視感を呼び覚ます。新型感染症の蔓延で医療体制や社会が危機に瀕している中で、何よりも優先されたのはオリンピック開催だった。予算、人的資源、医療スタッフ、検査体制、ワクチンは、日本に住む人々ではなく、オリンピックが最優先された。オリンピック・パラリンピックが開催された8月から9月にかけて、全国で202人が、東京では8月だけで44人が自宅療養中に亡くなっている。「復興」を口実に福島の災害を無責任に覆い隠し、何年もの間、最も弱い立場の人々を追い出し、差別と排除を広げてきたオリンピック産業に対して、多くの人々が抵抗を続けてきた。彼らへの抑圧はあからさまだった。活動家への狙い撃ち捜査として、住居や身体は押収・捜索され、平和的な抗議行動は強制的な暴力で弾圧された。聖火リレールートで反オリンピック行動に参加し、逮捕された人の裁判は今も続いている。オリンピックのために必要不可欠な施策として導入された高度な顔認証システム、共謀罪、差別的な入管法(韓国の出入国管理法に相当)改正案が日本社会に存在している。オリンピックが終わって4カ月しか経っていないが、すでにオリンピック・ブランドを守るための宣伝活動が盛んに推進されている。主催側は野宿者の排除、森喜朗前会長の男尊女卑・人種差別的な行為、監視・処罰体制、福島の災害の隠蔽など、全てを覆い隠して「多様性と調和、平等」の実現としてオリンピックを称揚するメッセージを熱心に生産し送り出している。また、NHKは東京オリンピックの公式記録映画監督・河瀬直美の名をタイトルに掲げた番組を通じて「反オリンピックデモは金のために動員された」という事実の歪曲を流した。その後、当事者へのまともな謝罪すら行われていない。東京都が今年(2022年)7月から8月にかけて予定しているオリンピック1周年記念事業を推進するために割り当てられた予算は約8億円(約83億ウォン)だ。
2008年の北京夏季オリンピックの準備段階で、120万人以上の人々が強制退去させられた。住まいは人権であり、生存である。生活を脅かされた多くの人が強く抵抗した。彼らへの処罰は苛酷だった。合法的な抗議活動を組織し、入居者の声を伝えた活動家は4年の刑を言い渡され、オリンピック開催を口実に刑は延長された。彼は6年間の拘留の後、ようやく釈放された。オリンピックを前に「万人のためのオリンピック」を疑問視するチベット人の声を映画にしたチベット人監督は、撮影後すぐに逮捕され、6年後の2014年に釈放された。それ以降も、私たちは中国政府がほしいままに行う弾圧や虐殺の報告と、それに対する抵抗を目撃してきた。国際オリンピック委員会(IOC)だけが目をつぶってきたようだ。IOCは、人権調査団が3週間にわたる中国全土の視察を終えたのち、2015年に北京を再びオリンピック開催地に選出、「オリンピックは自由の時代への一歩となる」と言った。中国政府とIOCは、各国のボイコット表明は「五輪の精神を著しく歪める」と批判しているが、IOCの方こそまさに、自らが規定する「人間の尊厳の保持」に反する当事者であり、人権侵害の共犯者だ。彼らは2008年夏季オリンピック開催都市が決定した2001年当時も、オリンピック開催は「人権状況や政治的自由を向上させる契機になる」と述べている。
夏季オリンピック開催地��再び冬季オリンピックを開催するため、すでに深刻な水不足に悩まされている住民や農民が共有している水資源は、大量の人工雪を作るために動員されている。国立自然保護区域内でのアルペンスキー場建設に対する懸念が提起されるや、主催者は国立公園の区域を設定し直して「競技場はもはや保護区域にはない」とした。地域の生態系や水資源を担保に、大量のエネルギーを消費する今回のオリンピックでも、持続可能性を旗印に、再生可能エネルギー利用や水素動力による運送手段の利用も堂々とPRしている。「ともに未来へ(一起向未来)」をスローガンに始まる今回のオリンピックを前に、私たちは前回の夏季オリンピック開催当時のNBCの最高経営者ジェフ・シェル(Jeff Shell)の発言を思い起こしている。オリンピックの独占放映権を持つNBCは、東京オリンピックの開催により歴代最高の利益を上げる見込みだとして「オリンピックが始まれば、全て忘れて誰もが楽しむ」と言った。彼の言葉は、IOCをはじめとするオリンピック産業の協力体制が、なぜこのような欺瞞と厚顔無恥なプロパガンダを続けているのかを如実に示している。他の圧政国家に引けを取らない反民主的な組織と不透明な意思決定方法を有するIOCは、再びオリンピック・ウォッシングによって自らの高収益ビジネスを守ろうとしている。オリンピックで利益を得る各開催地の権力者たちは、「あちら」のオリンピックは悪くて、「こちら」のオリンピックは真のオリンピック精神を体現していると声高に主張している。良いオリンピックなど存在しない。オリンピックはどれも皆、開催地の社会の抱える問題を悪化させ、未来を破壊し、最大の利益を搾り取っていくだけだ。私たちは、各開催地で弾圧と破壊を辞さないオリンピック産業の協力者に、共に立ち向かう。繰り返されるオリンピック災害の廃墟に取り残された私たちは、いかなる事も記憶し、オリンピックのない未来に向かって歩み続ける。
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2020年11月22日(日)

エイズ啓発大阪ジャズフェスティバルvo.3、<第三波>の影響で開催が危ぶまれたが、主催者の判断は<GO!>。ツレアイが代表を務めるMQJ(メモリアル・キルト・ジャパン)も、例年キルトの展示で参画している。もちろん、私はドライバー件雑用係、終日ボランティアで過ごす休日であった。
三男は24時間勤務、次男に留守番を頼み、我々はジャズフェスに参加する。

久しぶりにタマゴかけご飯を頂く。
前夜から用意しておいた荷物を積み込み、午前8時に自宅を出発。目的地は<阿倍野区民センター>、往路は第二京阪を利用、ナビの設定に問題があって若干ロスがあったが9時20分頃には到着。当初は、搬入口から荷物を運ぶ予定��あったが、併設されている有料駐車場に入り、そこから荷物を運び込む。
-楽しむ!学ぶ!- エイズ啓発ジャズフェスティバル開催!
エイズは医療の発展により、今や治療法のある慢性の病気になりました。その結果、HIVに感染しても、治療を受けながら普通に社会生活を送っている人がほとんどです。しかし、このことは多くの人に知られていません。
だからこそ私たち実行委員会のメンバーは、「エイズとはどんな病気なのか」多くの人に興味を持ってもらい正しい知識を得てほしいと考えています。特に自分のパートナーを探し、これからの人生を歩んでいく若い世代に伝えていくことが、私たちの役割です。
今回は後援資金不足のため、クラウドファンディングを利用しての開催である。

会場の通路にパネルを設置し、そこにメモリアルキルトをかける作業、実行委員会のスタッフの協力もあって、1時間弱で設置完了。

今回の圧巻は、大ホールの舞台につるされた<世界地図のキルト>、先日奈良の知人宅から運んできたもの。ピースボートが世界各地を巡りながら10cm*10cmのミニキルトを制作し、それをつないで出来上がったものである。何しろでかいのでなかなか展示する機会がなく、私も実物を始めて見ることが出来た。
メモリアルキルトの運動に初期の頃から関わっている T姉、実は阿倍野区民、息子さんを連れてサポートに来てくれた。お土産も頂き、感謝!

帰路は、阪神高速から名神高速を利用して帰宅、1時間強のドライブであった。

あり合わせで乾杯、お疲れさまでした。
録画番組視聴。
らくごのお時間「向こう付け」桂塩鯛
このネタは笑福亭仁鶴師にいただいたとか、元気な頃の仁鶴が懐かしい。
���こそこで切り上げて入浴、仕上げは<ヴェリタスブロイ>。


さすがに終日会場内にいたので、今日の歩数も3つのリングも仕方なし。
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Hinge presents an anthology of love stories almost never told. Read more on https://no-ordinary-love.co
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『ビクトリノックス・ウォッチ メンテナンスサービス』無料キャンペーン【9/30まで】

I.N.O.X. Mechanical(241834)
~ サステナブルな未来へつながる ~ 『ビクトリノックス・ウォッチ メンテナンスサービス』無料キャンペーン ビクトリノックス・ウォッチをご購入のお客さまに ウォッチメンテナンスが無料になる 『ビクトリノックス・ウォッチ メンテナンスサービス』無料チケットをプレゼント ビクトリノッックス・ウォッチ コレクションを見る

I.N.O.X. Professional Diver(241736)
ビクトリノックス・ウォッチをご購入の方に感謝を込めて、全国のビクトリノックス・ショップ対象店舗にて、「『ビクトリノックス・ウォッチ メンテナンスサービス』無料キャンペーン」を開催します。 2020年7月22日(水) - 9月30日(水)の期間、ビクトリノックス・ウォッチをお買い上げの方に、末永く安心してご利用いただけるよう、メンテナンスサービスを無料で受けられる『ビクトリノックス・ウォッチ メンテナンスサービス』無料チケットをプレゼントします。 精緻を極めたメカニクス、研ぎ澄まされた美学、徹底した正確性。 ビクトリノックスのブランドエッセンスが凝縮された「I.N.O.X.」のような堅牢で存在感抜群のウォッチから、ビジネスシーンにもフィットする精巧な仕上げでエレガントな「Alliance」のような端正なウォッチまで幅広いラインナップをご用意して、皆さまのご来店をお待ちしています。

I.N.O.X.(241682)

FieldForce Sport Chrono(241892)
【「『ビクトリノックス・ウォッチ メンテナンスサービス』無料キャンペーン」概要】 ■キャンペーン内容 ビクトリノックス・ウォッチをお買い上げの方に、メンテナンスサービスを無料で受けられる『ビクトリノックス・ウォッチ メンテナンスサービス』無料チケットをプレゼント。 『ビクトリノックス・ウォッチ メンテナンスサービス』無料チケットは、ご購入日から5年間有効です。 ビクトリノックス・ショップの対象店舗にて、チケットと引き換えに無料で、購入時の時計の状態を維持する、下記のメンテナンスを承ります。 『ビクトリノックス・ウォッチ メンテナンスサービス』 ・クォーツモデル(税抜5,000円): 電池交換・防水テスト・テスター計測・ランニングテスト・ケース洗浄・ブレスレット洗浄およびブレスレットの点検 ・機械式モデル(税抜10,000円): 精度チェックおよび調整、防水テスト、テスター計測、ランニングテスト、ブレスレット洗浄およびブレスレットの点検 なお、破損や故障による修理は、別途実費がかかりますので、お預かりの上見積をお出しします。 ※ご購入日から5年間1回有効 ■対象期間 2020年7月22日(水) - 9月30日(水) ■対象店舗 下記のビクトリノックス・ショップ
・ビクトリノックス サッポロファクトリー店 ・ビクトリノックス うすい百貨店 ・ビクトリノックス 東武百貨店池袋店 ・ビクトリノックス 新宿西口ハルク店 ・ビクトリノックス 東武百貨店船橋店 ・ビクトリノックス 銀座店 ・ビクトリノックス 横浜ランドマークプラザ店 ・ビクトリノックス アイシティ21店 ・ビクトリノックス めいてつ・エムザ店 ・ビクトリノックス 星ヶ丘三越店 ・ビクトリノックス グランフロント大阪店 ・ビクトリノックス クリスタ長堀店 ・ビクトリノックス 福屋八丁堀本店

ブランド創設から守られ続けるサステナビリティの重視 ビクトリノックスは地球の限りある資源を責任持って取り扱っています。

【ビクトリノックス・スタッフおすすめアイテム】
I.N.O.X. Professional Diver

I.N.O.X. Professional Diver(241845)
ダイバーズウォッチの基準をはるかに超えた強靭なウォッチ 適応力の優れたウォッチを目指して、ビクトリノックスは常に限界に挑戦しています。その中でも最高位のI.N.O.X. Professional Diver(I.N.O.X.プロフェッショナルダイバー)は、力強さ、堅牢性、スポーツ感覚を兼ね備えています。アクティブなライフスタイルを送る人々の心を刺激する、存在感のあるモデルです。
【特徴】 圧倒的な視認性 12時位置のブルーは、発光カプセルによって深海でも視認性を確保。 ダイビング用インジケーター(分針とベゼルのマーカー) にはブルー、時針インデックスにはグリーンのスーパールミノバ®を塗布。

耐水性 水深200mまで対応の防水性能を備えたプロフェッショナルダイバーズ規��ISO6425認定のダイバーズウォッチ。 耐磁性 ケース内に耐磁盤が入っており、耐磁性4,800A/mの直流磁界中においても作動。防水や耐磁性に優れているためタフに使えるのが魅力です。

革新的な手編みのストラップ リフレクター(反射素材)を織り込んだパラコードストラップは、船のロープを連想させるデザイン。留め具は尾錠タイプで装着しやすくなっています。 付属の寸長アタッチメントで長さ調整も可能です。

付属バンパー 中央の着脱可能なレンズはルーペ機能を備えており、視認性がさらに高まります。

カラー��リエーション ブルーとイエローもラインナップ。


I.N.O.X. Professional Diver(241845)
【商品詳細】
■商品名
I.N.O.X. Professional Diver
■カラー/品番 ・オレンジパラコードストラップ(241845) ・ブルーパラコードストラップ(241843) ・イエローラバーストラップ(241844)
■ムーブメント
クォーツ
■直径
45mm
■ケース
サンドブラスト加工ステンレススチール
■機能
・プロフェッショナルダイバーズ規格ISO6425認定
・耐磁性
・200m防水
■付属品
・フルフェイス型バンパープロテクター(透明)
・寸長アタッチメント(パラコードモデルのみ)
・ラバーストラップ
・特製BOX仕様
■価格
・オレンジパラコードストラップ:101,200円(税込) ・ブルーパラコードストラップ:101,200円(税込) ・イエローラバーストラップ:96,800円(税込)

ビクトリノックスのウォッチは5年保証+(プラス) ビクトリノックスの時計はお買い上げから5年間、素材および製造工程での欠陥についての保証が含まれます。

I.N.O.X.(241682)

FieldForce Sport GMT(241897)

I.N.O.X.(241682)

Marverick(241602)

Alliance XS コレクション

FieldForce コレクション
ビクトリノッックス・ウォッチ コレクションを見る
一部店舗で新型コロナウイルスにより営業時間の変更が生じています。最新の情報は下記よりご確認ください。 ビクトリノックス・ショップ(店舗リスト)
#ビクトリノックス#Victorinox#マイビクトリノックス#ウォッチ#ビクトリノックス・ショップ#ブランド#新しい日常#時計#腕時計#メンズウォッチ#レディースウォッチ#シェアウォッチ#ギフト#プレゼント#贈り物#誕生日祝い#卒業祝い#入学祝い#新社会人#通勤#通学#多機能#多機能ウォッチ#ダイバーズウォッチ#ダイバーウォッチ#パイロットウォッチ#レザーウォッチ#ステンレススチールブレスレットウォッチ#ステンレススチールブレスレットモデル#ステンレススチールブレスレット
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TYO第5期リモート卒団式
新型コロナウイルスの感染拡大防止のために、第5期の公演は中止となりました。 中止決定の連絡を受け、涙を流した団員もいたと聞いております。
そして公演だけではなく、毎年の演奏会終了後に行われる「卒団生セレモニー」もまた、団員達や事務局スタッフにとって大切な時間となっていました。
団員達が集まれない状況ではありますが、 今期を締め括り、卒団生を見送る機会を何とかをつくりたいと考え、 福島公演をやるはずだった3月29日に、ビデオ会議ツールを利用した「リモート卒団式」を行いました。
このレポートでは、式次第に沿って卒団式の様子をお伝えしたいと思います。
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東北ユースオーケストラ第5期卒団式 式次第
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1.開式の辞
TYO東京事務局の田中宏和事務局長が卒団式の司会を務めました。
2.第5期卒団員紹介
大学を卒業し、4月から社会人になる5名の卒団生の紹介がありました。
阿部秀捷(チェロ) 磯貝雛子(ホルン) 大波さくら(トロンボーン) 狩野諒也(ホルン) 筒井温之(トロンボーン)
の5名が卒団となります。
3.押木正人代表理事式辞
一般社団法人東北ユースオーケストラ 押木正人代表取締役社長に式辞を頂きました。
「東北ユースオーケストラ第5期107名の皆さん、1年間活動大変お疲れ様でした。 2011年の3月に発生した東日本大震災の復興のために立ち上がった東北ユースオーケストラの活動が 今回は、コロナウイルスという目に見えない脅威にさらされて、 ここまで練習をしてきた成果である3つのコンサートができなくなってしまったこと、本当に残念に思っています。
在団の皆さん、今日は本当に笑顔で出てきて頂いていますけれど、 どんな思いで今日を迎えていらっしゃるのかと思うと、堪えられない気持ちです。 これまで東日本大震災を乗り越えてきた皆さんですので、 この1年間努力したことがこんな形で終わる悔しさを是非バネにして頂き、 明日に向かう力に変えていって頂きたいと思っています。
小学校4年生~大学生まで、12歳のひらきがあるメンバー、 小学生、中学生、高校生、大学生が一緒に活動する経験は、通常の学校生活では経験できないことだと思います。 ユースオケという集団活動で、小学生の人が20代の大学生が学ぶことはもちろんのこと、大学生も、小学生を生活や演奏面でサポートすることで、学ぶことも多くあったかと思います。 毎月の練習、また夏合宿を通じて、幅広い年齢層の皆さんが1つになれたことは各個人にとって、生涯忘れ���ことのできない経験になると確信しています。
今年は皆さんの若々しい力の満ちた演奏を、東京・福島の大ホールで聴いてはもらえませんでしたが、
理事になって頂いております岩手日報社、河北新報社、福島民報社、各社の新聞に多数の記事を掲載頂き、 また熊本ユースシンフォニーオーケストラとの共演は、NHK BSでの特集で取り上げられ、 他、婦人画報等の雑誌など、マスコミにも多く取り上げられたことで、 皆さんが今年も元気に活動されていることは、被災地の皆様にも伝わったのではと思います。 日本や世界で、東日本大震災をいつまでも記憶に留め風化させない役割と 将来を担う若い世代が音楽を通じて創造性を発揮し世界に発信するという、 東北ユースオーケストラの目的は十分に果たせたのではないかと思います。
また今年は、日本青少年文化センター様から、青少年の文化の発展に貢献した人や団体を表彰する、 59年も続いている歴史ある「久留島武彦賞」を頂きました。 震災直後から立ち上げた「子どもの音楽再生基金」をスタートに、 今日まで長きにわたり復興支援に努めてきた坂本龍一さん、栁澤寿男さん、事務局・関係者の皆様、 活動を支えて頂いたスポンサーの皆様の貢献、団員を陰でサポート頂きました保護者の皆様、卒業した団員も含め、多くの方の活動が世間に認められたことと大変うれしく思っています。
今日で卒業される5人の皆さん、長い間お疲れ様でした。 これで東北ユースオーケストラの活動からは離れますが、私からのお願いは、 音楽を通じた人と結びつくことの意義、大切さを忘れず、 楽器演奏を今後も是非続けていって欲しいと思います。 また、6期も続ける皆さんは、今年度練習した曲にさらに磨きをかけて2021年に演奏できるように新年度も継続して練習していきましょう。
本日の卒団式で、皆さんで今回の活動を振り返って、親睦を深められたらと思っております。1年間の活動本当にお疲れ様でした。」
4.坂本龍一代表・監督祝辞
「今日のこの時間、福島公演をしているはずでしたよね。本当に残念です。 早くこの活動を再開できる日が来れば良いと思っています。」
「卒業する5名の皆さん、おめでとうございます。 これまで貴重な経験をしたと思うので、是非ここで得た経験をこれからの長い人生に生かしてほしい。そして、音楽をずっと忘れないで生きていって欲しいです。」
「第九はもちろん、5年かかってやっとできた僕の新曲を皆が演奏しているのを聴けなかったこともとても残念です。 来年は実現できるようにしたいと思っていますので、卒業する5人も聴きに来てほしい。時間が合えば是非一緒に参加してください。」
「将来世界史的な事件になるであろう、今のこの時間を 皆さんが生きていることは本当に特別なことだと思うので、無駄に過ごしてほしくない。どうやって生きるべきか考えて過ごして欲しいと思います。」
5.祝辞(指揮者:栁澤寿男)
「第5期東北ユースオーケストラ卒団生の皆さん、卒団おめでとうございます。 直接皆さんにお会いできないことを本当にさみしく思っています。 我々の原点である東日本大震災に続いて、 これもまた我々の世代が体験する人類上危機の最大級のものかと思っています。
東北ユースオーケストラで何度もお伝えしたように オーケストラは共同作業です。1人1人が責任を果たさないと成立しません。 世代を超えて培った東北ユースオーケストラの活動が、皆さんが社会に出たときに少しでも役に立つことを願っています。 会社や組織で見知らぬ人たちと、世代を超えて協調していくことはとても大変だと思います。 私自身も国内・海外で、その場に協調していくことに苦労し、悩みぬいた時期もありました。 そんな時は音楽を聴いてみてください。心穏やかに、冷静さを取り戻して��てください。 それから、東北ユースオーケストラのメンバーや、大人たちにも是非相談してみてください。 我々はいつでも東北ユースオーケストラにいます。 いつか皆さんと会える日を、そして一緒にハーモニーを奏でられる日があることを楽しみにしています。」
6.関係各社様からのメッセージ紹介
関係各社の皆様から頂いたメッセージを、田中宏和事務局長が代読しました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ■デジタルガレージさま
凹んだボールは元に戻る。 怪我をした傷はいずれ癒える。 震災を乗り越え生まれた、東北ユースオーケストラは 若くしなやかな感性と、美しい音楽の力が、 心の復興に大きな力を与えてくれることを 私たちに教えてくれました。 これからもますます、東北を、日本を、世界を 元気にしていって欲しい。
デジタルガレージは、 東北ユールオーケストラを応援しています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ■JA共済連全国本部さま
このたびは、ご卒団誠におめでとうございます。 東日本大震災から9年、復興はまだ道半ばではありますが、 これまで皆さんが東北ユースオーケストラの活動を通して見せてくれたひたむきな姿に、 心励まされた方がたくさんいると思います。 「助け合い」は、誰かの手が差し伸べられるのを待つだけでは実現されません。 皆さんが東北ユースオーケストラの活動を通して得たすべての経験が、 次なる世界でも大いに発揮されるとともに、「誰かを想う」気持ちの輪が広がっていくことを私たちJA共済も願っています。 そして何より、ご卒団される皆さんのこれからの人生が輝かしいものとなることを心よりお祈りしております。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■JA共済連福島さま
東北ユースオーケストラ団員の皆さま、ご卒団誠におめでとうございます。 今般、演奏会が中止となり、皆さま方は大変悔しい思いをしていることと存じますし、心中察するに余りあります。
しかしながら、この一年間、団員の皆さんは、この活動を通して多くのことを学び、そして成長したことと存じます。いつか、皆さんの音楽表現を通じて、東北の人々に思いを届ける機会があることを、関係者としましても望むところです。 どうか、気を落とすことなく、そして、負けることなく、それぞれの道をお進みいただくことを切に願っております。 今後の、皆さま方のご健勝を祈念いたしまして、お祝いの言葉とさせていただきます。
JA共済連福島 本部長 服部道夫
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■福島トヨペットさま
卒団される皆様の長年の音楽 活動に心から敬意を表します。 この貴重な体験を、今後の人生に おおいに役立ててくださいますよう、 心から祈念申し上げます。 団員の皆様、来春の福島公演を 心待ちにしております。 福島トヨペット株式会社 代表取締役社長 佐藤修朗
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■福島民報社さま
卒団される皆様のこれまでのご苦労に 心からの敬意を表します。お疲れさまでした。 今回の公演中止で、団員の皆様は誠につらい思いをされたことでしょう。 しかし、皆さんならこの試練を受け止め、 音楽活動への思いを新たにされたことと思います。 坂本監督、栁澤さんのアドバイスのもと、 いっそう飛躍されますよう祈念いたします。 来春の公演はぜひぜひ、成功させましょう。 福島民報社は全面的に応援させていただきます。
福島民報社代表取締役社長 高橋雅行 東北ユースオーケストラ理事兼福島民報社 取締役郡山本社代表 荒木英幸
7.送辞(第5期キャプテン)田嶋詩織
「卒団される皆様、卒団、そしてご卒業おめでとうございます。 今回卒団式がこのような形になり、直接お祝い出来悲しく思います。
皆さんと活動した時間はとても楽しく、また刺激的であり毎回の練習が待ち遠しく感じていました。 今回取り組んだ第九でも1年前から坂本監督が被災地を繋ぐ演奏会の開催を大きく掲げ、実現できるのかという不安を感じた事もありました。しかし5期の活動が始まりメキメキと成長し今までには無いくらいの速さで完成が見えました。 また東北ユースオーケストラの特色でもある世代の広さを越え、交流を深める姿を目の当たりにし東北ユースオーケストラのあるべき姿を強く実感しました。
このように東北ユースオーケストラが成長できたのも皆さんが今までの経験を生かし年長者として見守り、支えてくださったからこその成長です。 私たちも皆さんの姿を忘れず、今後の東北ユースオーケストラの活動が充実したものになるよう努力して参ります。
本番は中止になってしまいましたが、皆さんと一つの目標にむかって頑張った事や、全員で楽しく活動できたという事実は決して無くならないと思います。 また皆さんと共に、5期のメンバーでの演奏が実現できる事を心待ちにしております。 最後になりますが卒団される皆様のこれからのご活躍を団員一同お祈り申し上げます。
第5期キャプテン・田嶋詩織」
8.答辞(第3・4期キャプテン)磯貝雛子
「本日は事務局の皆様をはじめ、多くの団員の皆さん、OBOGの皆さん、押木代表理事、柳沢さん、そして、坂本龍一監督のご臨席の元、この様な卒団式を催して頂いたことに、卒団生一同、心より御礼申し上げます。また、キャプテンの田嶋詩織ちゃんの送辞のお言葉を賜りましたことに、重ねて御礼申し上げます。
この数年間、東北ユースオーケストラでの時間は瞬く間に過ぎて行きました。入団したばかりの頃はみんなに馴染んでいけるか不安で、練習に行く前日は不安になる時もありました。しかし、卒団されていった先輩方や団員の皆さんが暖かく接して下さったので、いつの間にか練習に行く事が楽しみになっていました。
東北ユースオーケストラの活動の中で特に印象に残っているのは、有志演奏会です。地元の会津若松市以外の、写真やテレビでしか見た事がなかった被災地の様子を見て、東北の今を知る事ができました。悲しい事があったにも関わらず前を見て進んでいく方々を見て、私も日常があるという事に感謝して日々を過ごしたいと強く思いました。
時には、音楽性のすれ違いで衝突し合う事もありましたね。でもそれは、今思えば音楽に対して全力でぶつかっていたからなのだと思います。皆さんの熱い思いと柳澤さんのご指導があったから今までの演奏会はエネルギーに溢れ人の心を動かしていたのだと感じます。
そして、私はこの東北ユースオーケストラで得た宝物があります。それは友達です。私達は東北ユースオーケストラがなければ恐らく出会う事はなかったでしょう。毎月の練習、温泉合宿や直前合宿、東京公演、地方公演は一生忘れられません。多くの方から差し入れを頂き、みんなでタピオカを飲みながらお菓子を食べましたね。坂本龍一監督を囲み、みんなでBBQをした事は本当に大切な思い出です。
今年はコロナウィルスによって残念ながら本番がなくなってしまい、悔しい涙を流しました。来年はこの事態が収まり、演奏会ができて欲しいと祈っております。その時はぜひお手伝いに行かせてください��。
在団する皆さん、今まで私たちを支えてくださり本当にありがとうございました。皆さんと過ごした日々はかけがえのない思い出となっています。いつまでもこのオーケストラで音楽が出来るような気がしてしまいますが、卒団はあっという間です。毎回の練習を大切に日々過ごして下さい。あと、音楽に没頭しすぎると、勉強が疎かになってしまう人もいるようです。単位と相談しながら音楽に励んで下さい。
最後になりましたが、私達をサポートしてくださった押木代表理事を始めとする関係者の皆様、OBOGの皆さん、指揮の柳澤寿男さん、事務局の皆様、坂本龍一監督に卒団生を代表しまして厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。 これから私達はそれぞれの進路に向かって一歩一歩自分の足で歩いていきます。もしこの先大きな壁にぶつかったとしてもこの東北ユースオーケストラで得た多くの思い出、学び、誇りを人生の糧とし力強くいきていきます。本当にありがとうございました。東北ユースオーケストラの益々の発展を心より祈念して答辞と致します。
令和2年 3月29日 磯貝 雛子」
9.閉会の辞
田中宏和事務局長から閉会の辞があり、卒団式が終了。
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そしてそのまま、リモート卒団式の後は、リモート懇親会を行いました。
ここからは卒団生以外の団員もビデオをONにして参加です。
懇親会の中では、坂本監督から団員達へ、今の時期にふれてほしい本や映画の推薦リストが共有されました。
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坂本龍一代表・監督推薦。
今だから味わいたい、本と映画。
<本> 工藤進「日本語はどこから生まれたか」 福岡伸一「新版 動的平衡」 ロヴェッリ「時間は存在しない」 マルクス・ガブリエル、マイケル・ハート、ポール・メイソン(斎藤幸平・編)「資本主義の終わりか、人間の終焉か? 未来への大分岐」 斎藤成也「日本人の起源」 エンデ「モモ」 カーソン「沈黙の春」 手塚治虫「火の鳥」 リルケ「ドゥイノの悲歌」 島泰三「はだかの起源」 カミュ「異邦人」 カフカ「審判」 <映画> 小津安二郎「東京物語」 フェリーニ「道」 黒澤明「デルスウザーラ」 タルコフスキー「ストーカー」 https://www.youtube.com/watch?v=TGRDYpCmMcM 侯孝賢「非情城市」 宮崎駿「風の谷のナウシカ」
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家の中にいる今のうちにたくさんインプットをして音楽の肥やしにしてほしいと思います。
そして、画面越しの5本締めでリモート懇親会が終了しました。
この状況が落ち着き、また東北ユースオーケストラ皆で集える時を待ちたいと思います。
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ぼくだけに聞かせる話を教えて
『勇利の魅力はね、そう……、音楽だよ。わかるだろう? 彼は音楽を奏でるんだ。スケートでね。途切れないのさ。じつにうつくしい。俺はうつくしいものが好きだ。勇利のあの音楽的な、人を魅するスケーティングのとりこになった。彼がすべり始めると、可憐な旋律が流れ出すんだ……』 ヴィクトルが話している。どこか遠くで──近くで。勇利は夢うつつに彼の甘い声を聞いていた。 『彼はね、いつも、言葉にできない何かで人を惹きつけるんだ。まさに芸術だよ。俺は採点員には絶対になりたくないね。だって、勇利のスケートに見蕩れて陶酔するということができなくなるじゃないか? 俺はね、よく勇利に言うんだ。練習終わりにね。勇利、なんでもいいからすべってくれ。ジャンプなんかしなくていい。きみの好きなように、思うように、踊って見せてくれ。昔のプログラムでもいいよ。ジュニアのころのものだって構わない。ただ、きみがすべるところを見たいんだ……』 勇利は幸福に包まれた。ああ、ヴィクトル。そんなふうに思ってくれていたの。ぼくこそ貴方のとりこだというのに、貴方はぼくのスケートを……。 『難しい子でね。でも最高にかわいいよ。どんな勇利でもかわいい。頑固なところも、言うことを聞かないところも、無茶をするところも、泣き虫なところも……。俺は勇利を愛してるんだ……』 意識がふっと浮上した。勇利はまぶたを開け、目をこすった。どうやら眠ってしまっていたらしい。彼はソファから身を起こし、テレビの大きな画面を見た。ヴィクトルが豪華な椅子に座って脚を高く組み、両手の指を突き合わせて、微笑を浮かべながら話している。彼の深い声音、崇高な顔立ちに勇利は一瞬うっとりした。すぐにリモコンを手にし、映像を停止させる。ヴィクトルの姿が消え失せ、音声がふっと途切れた。 「はあ……」 髪をかき上げ、かるく頭を振る。もう十時か、と時刻を確かめた。寝なければ。明日も朝から練習がある。誰よりもさきにリンクへ行きたい。 ディスクを取り出そうか迷い、勇利は結局そのままにしておいた。どうせ毎夜見ているのだ。明日も見るにきまっている。着替えを取り、入浴するため浴室へ向かった。 いま、勇利はひとりで暮らしていた。でも、ひとり暮らしではない。本当はふたりだ。ヴィクトルとともに住んでいる。しかし彼は一週間ほど前から仕事で家を空けており、そのあいだ、勇利とマッカチンが留守を守っていた。帰りはいつになるかわからない。連絡すると言っていたけれど、ヴィクトルのことだからきっと忘れるだろう。 勇利は熱い湯に浸かり、まぶたを閉ざした。いつもなら、ヴィクトルと一緒に入るのだ。勇利は一度も許可したことなどないのだが、彼が当たり前のように入ってきて、「ほら、つめて」と湯船に割りこんでくるのである。勇利はぶつぶつ文句を言いながらヴィクトルの胸にもたれ、身をあずける。ヴィクトルは勇利の身体をかるく抱いて、髪にくちびるを寄せる。そこで静かに語りあうのだ。 勇利は自分の身を抱きしめた。どうかしている。腕がからみついてこないと落ち着かないなんて。 「マッカチン、寝るよ」 勇利は、彼の部屋でくつろいでいたマッカチンを呼び、寝室へ入った。大きな寝台に横たわり、息をつく。眠るときも、ヴィクトルがいつも勇利を抱きしめるのだ。当たり前のように……。 ヴィクトルはいつ帰ってくるのだろう? 勇利は目を閉じた。 翌日、すこし買い物があったので街へ出た。そのとき、あるレストランの前を通りかかった。由緒正しい、いかにも高級そうな店で、勇利は建物がうつくしいと思って眺めたことがある。そのときヴィクトルは言ったものだ。 『気に入った? 今度連れてきてあげるよ』 『え? ううん、見た感じが好きだなと思って……』 『味も最高だよ。俺はときどきひとりで食べに来てたんだ』 『正装しないとだめなところじゃないの?』 『まあね』 『ぼくやだよ。そんなとこに入りたくない』 『勇利もたまには洗練された作法をためさなくちゃいけない。それが普段のきみを際立たせる。演技のときにだってにじみ出るものだよ』 後ろから人にかるく突き当たられ、勇利ははっと我に返った。立ち止まって店をじっと見ていたのだ。慌てて謝ると、相手も申し訳なさそうに謝罪して歩き去った。勇利も足を動かした。 ヴィクトル……。 ヴィクトルがいないのは一週間ほど前からだけれど、仕事はそれだけではなかった。その前も、さらにその前も、ひんぱんに家を空けている。すこしだけ帰ってきては勇利と過ごし、そしてまた忙しく出ていくのだ。ヴィクトルはロシアの英雄だ。帰還した皇帝を人々は求めている。彼が愛されているのを見るのはうれしい。さすがヴィクトルだな、と誇り��思う。しかし──しかし。 なんだか、すごく変わっちゃったな……。 勇利は、ヴィクトルといつでも一緒に過ごし、離れることなく寄り添っていた長谷津時代を思い出した。あの時期が贅沢で、むしろ普通でないのだと頭ではわかっている。だが、そうして慣れきった身体は簡単にはもとに戻らない。コーチになってもらう前のことを考えてみればいいのに、と思いはするけれど、ヴィクトルの愛を知り、彼に甘やかされた勇利は、もうそんなことはすっかり忘れてしまっているのだ。わがままになったものである。 ヴィクトルに文句を言ったことは一度もない。いっさい態度には出さなかった。ヴィクトルに心配をかけたくないし、さびしいなんて言えるような立場ではない。ヴィクトルを困らせるのはだめだ。それに、ヴィクトルが仕事をするのをいやがっているわけではないのだ。彼の出ている番組は、言葉がわからなくても見ているだけで楽しい。 『勇利、意味わかるの?』 『わかんない。でもヴィクトルの表情がすてきだし、声を聞いてるだけでもどきどきする』 『訳してあげようか』 『え?』 『ヴィクトル・ニキフォロフの発言を、ヴィクトル・ニキフォロフの通訳で聞けるんだ。最高だろ?』 ヴィクトルは得意げに笑った。 『そんなこと、この世界で勝生勇利ただひとりのためにしかしないんだよ、俺は』 またヴィクトルのことを考えている。勇利は困ったように微笑した。このところ、ずっとだ……。 「ただいま、マッカチン」 帰宅すると、マッカチンがうれしそうに寄ってくる。ヴィクトルがいなくてさびしくないかな、と心配したら、マッカチンは勇利を気遣うように見、「勇利くん、さびしくはないですか?」と言いたげに顔を近づけてきた。勇利は笑った。 「マッカチンは優しいねえ」 勇利は食事を済ませると、ソファに横たわり、またあのディスクを再生した。最初からだ。ヴィクトルがホテルの一室に入ってくる。スタッフの問いかけに答え、ゆっくりと語る。優しい表情で。勇利のことを……。 これは日本の番組だった。コーチの目から見た勝生勇利の魅力、という題材のインタビューに応じたものだ。ヴィクトルはずっと勇利のことを話している。愛情をこめて、真剣に、熱心に……。勇利はさびしいとき、いつもこれを見ることにしている。 『見た感じはね、あの通り、ごく地味だね。人ごみにまぎれたらいるのかいないのかわからない。でもね、知ってるだろう? 彼はとてもうつくしいんだ。眼鏡を外し、衣装を身につけ、髪を上げる。それを俺はいつも見ている。俺しか見られない。世界じゅうでただひとり。あの瞬間はぞくぞくするよ。けれど、いちばんぞくっと来るのは、勇利が『入る』瞬間なんだ。彼にはスイッチがあるのさ。うつくしく凛々しく変貌した勇利が、最後の階段を上が��……その瞬間さえ俺のものなんだ……』 勇利は目をほそめた。 『性格は、かたくなでね……、俺にすごく似てるところがある。まったくちがうところもあるんだけどね。ちがうところのほうが多いか……。でも、俺と彼は、魂が同じだよ』 そっと胸元を押さえる。苦しかった。 『コーチになったなりゆき? それは教えられないな……大切な想い出なんだ。あのときの勇利はかわいかったな……』 勇利は両手でおもてを覆った。かぼそい息が漏れる。ヴィクトルに会いたかった。 寝るとき、いつも勇利はベッドの右側で眠る。ヴィクトルは左だ。しかしその夜は、ほとんど真ん中に寄り、ヴィクトルのぬくもりを求めるように手を差し伸べた。ヴィクトルの匂いがすこしだけ濃くなった。勇利は身体をまるめるようにした。 ──こんなことなら、いいよって言っておくんだった。 そんなことを考えた。ヴィクトルはいつも勇利を口説くのだ。勇利、きみを抱きたい。ほほえみながら、しかしこのうえもなくきまじめに、疑いようもなく真剣にささやく。きみを肌で感じて、きみをもっとわかりたい。勇利のすべてを知りたいんだ。俺のことも感じてもらいたい。俺がどれほど熱くなって、勇利をどんなふうに求めるのか。勇利を手に入れたらどんなに幸福そうにするのか。わかってもらいたいんだよ……。 ヴィクトルは、根気よく、倦むことなく誘ってくれた。それなのに勇利はこわがって、ごめんなさい、と謝り続けた……。 何がこわかったのか、よくわからない。変化か。それとも、もっと夢中になってしまうことか。いったい──何が……。 勇利は眠りに落ちた。夢を見た。毎夜見ている映像のひとはしだった。ヴィクトルは、とろけるような微笑を浮かべ、甘い声で言う。 『勇利に似合う花は青い花だ。青いばらだね。それは俺の花だろうって? だったらなおさら彼にあげたいな。想像してみるといい。青いばらの花冠を頭にのせた勇利を。ぞくぞくしないか? 最高にうつくしいだろう……』 ヴィクトルは鍵を開け、家の中へ入った。なつかしい匂いがしてほっとした。勇利はしばしば、この家の匂いを「ヴィクトルの匂い」と批評しているが、ヴィクトルからするとここは勇利の匂いでいっぱいなのだった。 廊下を歩き、居間へと向かう。何か話し声が聞こえた。勇利の声ではない。ヴィクトルは扉をひらいた。大きな画面の中で、ヴィクトルが、しあわせそうに熱心に語っていた。勇利の話だった。ヴィクトルはしばらく、そこに映っている自分を眺めた。もっと言えばよかった、こんなものでは勇利の魅力を伝えきれない、と後悔した。ソファをまわりこんで、そこにいる勇利を見下ろす。うずくまっていたマッカチンが顔を上げた。ヴィクトルはくちびるの前に指を一本立てた。勇利は子どもっぽい顔を見せ、おむすびのぬいぐるみを抱きしめて、すやすやと深く眠りこんでいた。ヴィクトルはほほえんだ。しかし、その笑みはすぐに驚きに変わった。勇利のまなじりに、花雫のような涙が浮かんでいたのだ。 「勇利……」 かわいい勇利。俺の勇利……。ヴィクトルはソファのすみに浅く腰掛けると、身をかがめ、勇利の目元に優しく接吻した。涙をくちびるでぬぐってやる。勇利がふっと息をつき、すこし身じろいだ。 「ヴィクトル……」 起きるかと思ったけれど、彼は寝息をたてて眠り続けている。ヴィクトルは勇利の髪をそっとかきわけた。その手つきはいかにもいとおしげで、ふんだんに愛情がこもっていた。勇利の楚々としたまつげが揺れた。 そのとき、テレビの中で、ヴィクトルがしあわせそうに言った。 『俺にとっての勇利? ──そうだな。すべての愛かな』 ヴィクトルはくちびるをほころばせた。画面から勇利に視線を移し、甘いまなざしでじっとみつめる。 「愛してるよ、勇利」 ヴィクトルは、誰も聞いたことがないほど優しい声でささやいた。 「ん……」 勇利はもぞもぞと身体を転がし、うっすらとまぶたを開けた。ああ、また寝ちゃった、と溜息をつく。静かに目を動かした。マッカチンがいない。寝室にいるのか。それとも勇利の部屋か。 「ごはん食べなきゃ……」 今日はすこし早い時間に帰ってきたのだった。夕食までのあいだ、と思っていつものディスクを再生してしまった。まだ何も食べていない。 起き上がろうとした彼は、何かを手に持っていることに気がついた。ふとうつむき、たずさえているものに驚いて瞬く。 「なんで……?」 勇利が持っているのは青いばらだった。一輪だけ。だが、いかにもうつくしく、高貴で、さっと目を惹いた。勇利はまつげを伏せ、そっと花びらに接吻した。──なぜこんなものを持っているのだろう? 首をかしげたところで、またびっくりした。勇利はいつもの部屋着を着ていなかった。なぜか、きちんと正装している。見たこともない上質なスーツだ。どうして? これは夢だろうか? 勇利はそろそろと起き上がった。そのとき、足音が近づいてき、扉がひらいてヴィクトルが入ってきた。 「ああ、起きたのかい?」 「ヴィクトル」 勇利は目をまるくした。ふらふらと立ち上がる。 「い……いつ帰ってきたの……?」 「さっきだよ。ただいま、勇利」 ヴィクトルは勇利に顔を寄せると、頬にかるくくちづけた。勇利は赤くなった。 「この花……」 「ああ、おみやげだよ。勇利にふさわしいだろう?」 ヴィクトルは笑って花にも接吻する。勇利はますます赤くなった。 「きみにあげよう。飾っておこうね……。さあ行こう」 「ど、どこへ?」 手を引かれ、勇利はうろたえた。ヴィクトルは陽気に言う。 「食事だよ。まだだろう?」 「え? あ……」 「あの店に行こう。いつか話したレストラン」 見ると、ヴィクトルもきちんとスーツを着こんでいる。シャワーを浴びて着替えたらしい。なんてすてきなんだろう……。勇利は胸のときめかしさに、わずかに呼吸をみだした。 「この服……、ヴィクトルが着せたの……?」 「そうだよ。見かけて、勇利に似合うから買った。帰ったら勇利をエスコートしようと思ってね。楽しみにしてたんだ」 ヴィクトルは明朗に言った。 「さあ、おいで」 腕につかまるよううながされ、その通りにしたけれど、勇利は彼の手を引いて足を止めた。ヴィクトルが不思議そうな顔をする。 「……勇利?」 「あ、あの……」 勇利は気恥ずかしげにうつむいた。 「ぼく……、それより……」 「うん?」 ヴィクトルがにっこりする。 「別に行きたいところがある? 俺はどこでもいいよ。オーケィ、勇利、きみの希望を聞こう」 「あの……、ぼく……、ぼく……」 勇利はしどろもどろになった。どんどん顔が熱くなる。��臓がどきどきと打った。どうしよう。やめておこうか。言わないほうがいい。恥ずかしい。もうその気じゃなかったらどうしよう? 帰ってくるなりなんだ、と笑われるかも。あきれられるのは絶対にいやだ。やっぱりこのまま食事に行こう。それがいい。 ……でも……。 口ごもり、まっかになっている勇利を見て、ヴィクトルがふっとほほえんだ。彼は勇利の耳元にくちびるを寄せると、甘美な、愛撫するような声でささやいた。 「いま、きみを抱きたいと言ったら、きみはいつもとはちがう答えをくれるかい……?」 勇利ははっとした。答えようとした。たまらなく恥ずかしく、上手く言葉が出てこない。代わりに彼は目を上げ、ヴィクトルをみつめた。その瞳が雄弁に愛を語った。まるでキスするように勇利はヴィクトルを見たのである。 「ためしてみて、いいかい……」 ヴィクトルが優しく言った。勇利はこっくりとうなずいた。ヴィクトルはレストランではなく、寝室に勇利をエスコートした。上品に腰を抱かれ、ベッドに座る。上着を肩からすべり落とされる。ベストがひらかれ、ネクタイをほどかれ、シャツのボタンをひとつずつ外された。勇利は身をちぢめ、羞恥にふるえながらされるがままになっていた。 ヴィクトルは丁寧に、紳士的に勇利の服をすべて脱がせた。彼はゆっくりと勇利の裸身を横たえ、水際立った笑みを浮かべた。 「綺麗だよ」 あたたかな声で勇利を褒めて、自分も上着を脱ぎ捨てた。勇利はどうすればいいかわからず、白い手を下腹にのせ、もう一方の腕を身体に添わせてじっとしていた。ヴィクトルがのしかかってきた。ああ、と勇利は思った。ヴィクトルのはかりしれぬ瞳は深く澄んで、誠実であり、情熱的だった。 「後悔しないかい」 ヴィクトルが最後の逃げ道をつくるように尋ねた。勇利はせつなく彼をみつめた。 「後悔なら、もうしてる……」 勇利はささやいた。 「ヴィクトルがいないあいだ、ずっと考えてた……」 ヴィクトルの双眸はうつくしい。このひとになら、何もかも捧げたいと感じた。 「もっと早くにこうしておけばよかったって……」 「──勇利」 ヴィクトルの声が聞こえたと思った瞬間、彼の甘いくちづけが与えられ、そしてきつく抱きしめられた。 「あ……」 「勇利、かわいい」 「かわいくないよ……」 勇利はしょんぼりと目を伏せた。 「こんな意地っ張りで気難しくて頑固なぼく、かわいいわけない……」 ヴィクトルがまぶたをほそめた。彼はどういうわけか、たまらなくうれしいというふうにすてきに笑い、勇利の素肌にふれて熱っぽくつぶやいた。 「不埒なほどかわいいな、おまえは」 勇利は気恥ずかしく、ヴィクトルの顔が見られなかった。それでヴィクトルに背を向けたのだが、彼は背後から勇利を抱きしめ、力をこめた。ふたりの素肌がぴったりとくっついた。 「怒ってるのかい?」 ヴィクトルがやわらかな声で尋ねた。勇利は答えなかった。その代わり、胸元にあるヴィクトルの腕にそっとてのひらを当てた。 「あの映像、毎晩見ていたのかな?」 勇利はやはり答えられなかった。ヴィクトルが楽しそうに言う。 「あれでは足りないね。もっと勇利のことを話せばよかった。もっとも、万人に聞かせる話でもないか……」 「ぼくだけに聞かせる話を教えて……」 「いいよ」 ヴィクトルは勇利の耳たぶにくちづけた。勇利は目を閉じた。 「勇利、きみは俺のことを愛しているんだよ。知らなかっただろう? いや、自覚している愛のことじゃない。もっと奥深い、すぐれて甘い感情のことだ。いま、こうしていて何を感じる?」 「……ヴィクトルの愛を」 「そうだろう。それは俺を愛していなければ理解することのできないものなんだよ。わかるかな?」 「……わからない」 「そうか。それでもいいさ。頭でわからなくても、身体で、こころでわかることがある……」 「……ぼくはずっとヴィクトルを愛してたの?」 「ああ、とてもね。勇利は俺とこうなりたかったんだよ。俺に抱かれたかったんだ」 「本当?」 「うそなんかつかない。疑うかい?」 勇利はヴィクトルの手を握りしめた。ゆっくりと持ち上げ、指にくちびるを押し当てる。 「……ううん」 「信じる?」 「……信じる」 「いい子だ」 ヴィクトルが勇利の髪にくちづけた。勇利はほそく息を吐いた。 「じゃあ、ぼくはこれからどうなるの……」 「もちろん俺と愛しあうんだよ。わかってるだろう?」 「わからない。愛しあうってどうやって……?」 「きみはもう知ってるさ。いま愛しあったばかりじゃないか」 「そうじゃなくて……日々の暮らしの中で……ぼくは……」 「そんなのはささいな問題だ。俺がいてきみがいれば、愛というものは自然とはぐくまれる。そうしないようにしようと思ったってできないくらいだ。だってお互い強く惹かれ、求めあっている」 「本当に? ヴィクトルもぼくを求めてる?」 「なんだ、気づいてなかったのか? あんなに熱心に口説いてたのに?」 「だって……ヴィクトルが語ってくれたようなスケートをぼくが本当にできているのか、わからないよ……」 「言うと思ったよ。きみは本当に何もわかっていない。そういうところがかわいいんだ。ただ、盲目的に俺に愛を捧げている。褒めて欲しいな。そんなきみに無茶をせず、俺はずっと待っていたんだ。ご褒美が欲しい」 「ご褒美……」 「勇利は自分の気持ちもつかみきれていないようだから無理もないが、俺がどれだけおまえを愛しているか、おまえは正確にはわきまえていないだろう。一度抱いたくらいじゃだめだね……」 ヴィクトルは明るく言い、それから勇利の肩口にくちびるを寄せた。 「あ……」 「まあいいよ。扉はひらかれた。あとは……。言っておくけど、わざと長く留守にしたわけじゃないよ。そんなことはとてもできない。俺は勇利を傷つけたりはしない。それに、俺だって苦しいんだからね。こうなることがわかっていたわけでもない……」 ヴィクトルの手が勇利の身体をまさぐった。勇利はまぶたを閉ざし、呼吸を深くして、ヴィクトルのあたたかさを感じていた。ヴィクトルは勇利の耳に幾度もくちづけ、熱い吐息を漏らしてささやいた。 「愛してるよ……」 勇利のむきだしの肩がふるえた。ヴィクトルはいつくしむようにそれを撫で、とろけるような声で優しく頼んだ。 「そろそろこちらを向いてくれ……」 「…………」 「怒ってるのかい……?」 勇利は息を吸った。思いきってヴィクトルのほうを向き、ぎゅっと抱きついて甘えるように言った。 「喜んでるんだよ、ぼくは……!」 ヴィクトルの真っ青な瞳がすぐそこにあった。 「そこまでぼくのことわかってるなら、そのことだってわかるでしょ……」 「言わせたいんだよ。愛する子の声を聞きたい」 勇利はくちびるを押しつけた。不器用な、幼い、どうしようもないくちづけだ。しかしヴィクトルは目をほそめて笑い、子どものように喜んだ。 「勇利、こうなったことでおまえはまたいろいろと考えるだろうね。そうせずにはいられないたち��からね。でも勇利、その必要はないんだ。いいかい、きみ、もう何も考えなくていい。勇利はね……、俺を見ているだけでじゅうぶんなのさ。それだけで万事問題ないんだ。俺はいつだって、勇利にしか見せない目を、笑い方を、物言いをしているんだよ。わかるかい? 全部伝えて、教えて、愛するから……。もうあのディスクは必要ないね。捨ててしまおう。これからは俺が毎夜、きみへの愛を語り、きみのうつくしさを称えるよ。いいだろう? 聞いてるかい、勇利。おまえはくるおしいほどかわいいな。その慎ましやかな目つき……」
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ありがとうございました!
改めまして、久留米公演、そしてコトリ会議ツアー公演3回め『セミの空の空』すべての公演が終了いたしました。ご来場いただいた皆様、関係者の皆様、本当にありがとうございました。
さて、この久留米公演の最中、私はとても大切なミッションを仰せつかっておりました。それは、『セミの空の空』佐々木武役のオパンポン創造社 野村有志さんの誕生日サプライズを成功させることです。
元々後から合流する予定だった演出山本がバスの都合で予定より大幅に遅れ、場当たりをこの頼りない演出助手の私主導でやらなければいけなくなり、とりあえず東京公演と同じ要領で頭からやってみようという流れから、母役の牛嶋の代わりに山本が登場して、「野村さん誕生日おめでとう!」でサプライズ、という予定でした。この筋立ては山本が考えたものです。
野村さんは11月のKAVCで私が企画した山本の誕生日サプライズの立役者で大変お世話になったので、これは是が非でも成功させなければと思っていたのです、私は。
いやー。
完全に騙されました。
このサプライズは私に対するサプライズの仕掛けの一つだったんですねぇ。
予定通り事は進み、(いや、これ山本が遅れてくることにどれだけリアリティを持たせられるかとか、楽屋口や袖で山本が野村さんと出会わないかとか、ケーキをどのタイミングで用意するかとか、結構気苦労が多いサプライズだったんですけれどね。)
山本が無事登場すると、なんと祝われる当人の野村さんが怒り出してしまったのです。「こんなことしてる場合じゃないでしょ、ちゃんと場当たりやりましょうよ!」と。
この時点で私は、ああ、騙されたと思いました。野村さんこんなシチュエーションで怒る人じゃないですもの。

(写真は場当たり前のアップと台詞合わせをすることで彩乃さんが劇場に野村さんを留めている、と信じていた風景。その向こうで本気の稽古をしている2人も。)
それからはもう、ちょっと照れちゃうのであんまり説明出来ないんですが、山本と野村さんの小競り合いの茶番劇(笑)のあと、劇団員、客演さん、そしてずっと一緒にツアーを回ってきたスタッフさんたちみんなに「お疲れ様でした」と言ってもらいました。私が照明の石田さんとシュートをしている間に楽屋で音響の佐藤さんが録音したという蛍の光(私のための替え歌バージョン:唄 牛嶋)が流れて、野村さんのためのフェイクケーキの下からは私のためのボックスフラワーが出てきました。

(この素敵なびっくり箱は小道具の伊達さん作!)
こんな大掛かりな二重サプライズを成功させるなんて、この人たちはすごいですよ。

本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

最後にこの座組みにいられて本当に良かった。
何をどうしたら退団したということになるんだろうなぁとずっと考えていました。
劇団というのは、建物や場所のことを指すのではなく、会社のように席がなくなったりロッカーがなくなることはありません(少なくとも今のコトリ会議では)。
劇団というのは、人のことを言うのです。人々のことを言うのです。
だから、これからのコトリ会議の企てに私が参加しないということが、退団したということなのだなぁとなんだか改めて納得したというか、この公演全部を通して、私が区切りをつけられたという気持ちです。
サプライズのなかで、みんなが(ということはこの筋立てを考えた山本が)「要小飴は永遠に要小飴だ」と言ってくれたので、私はこれからも要小飴と名乗り続けます。
この先、「コトリ会議の」という枕詞をつけることはもうありませんが、この名前の中に私はいつも「あの頃のコトリ会議」を感じることになると思います。これからコトリ会議はもっともっと面白くなります。だから私は、いつも、「あの頃」と「今」のコトリ会議の差を楽しめるはずですし、「あの頃」とそして「今」のコトリ会議に恥じない生き方をしていきたいと思います。
劇団員のみんな、そして歴代の客演さん、いつかまた板の上でお会いできますように。
ずっと見守っていただいた皆様、今までありがとうございました。要小飴はずっと要小飴です。これからも演劇頑張っていきます。どうかこれからもよろしくお願いします!
それでは、
これで最後にします。コトリ会議の要小飴でした!
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Hinge presents an anthology of love stories almost never told. Read more on https://no-ordinary-love.co
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先日の月曜日は、毎年参加させていただいている、理美容師のコンテストでした💇♀️. . 今年もまた、たくさん良いものを見れることが出来ました✨. . #営業を抜けて参加 #留守番のスタッフに感謝 #悔しさををバネに . . #LOVIBEHAIR #ラバイブヘアー #高畑駅の縮毛矯正ストレートが上手い美容院 #スパとエステが心地良い美容院 #中川区美容院 #高畑駅美容院 #東山線美容院 . . #美容師復帰 #パートタイム #時短勤務 #扶養 #未経験 #資格 #着付け #エステ #ネイル #マツエク . . #自分の時間 #子育て #託児 #両立 #土日休み #有休 #産休 #育休 #春休み #ママ美容師 #be容師 https://www.instagram.com/p/BntOAaaHAjN/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=13gxf8yx80f4d
#営業を抜けて参加#留守番のスタッフに感謝#悔しさををバネに#lovibehair#ラバイブヘアー#高畑駅の縮毛矯正ストレートが上手い美容院#スパとエステが心地良い美容院#中川区美容院#高畑駅美容院#東山線美容院#美容師復帰#パートタイム#時短勤務#扶養#未経験#資格#着付け#エステ#ネイル#マツエク#自分の時間#子育て#託児#両立#土日休み#有休#産休#育休#春休み#ママ美容師
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「こむすびまん旅日記」まとまってない最初観た時の書き散らしと感想、2回目観た時の書き散らし
●1回目見た時の書き散らし
制作陣のこの3人嬉しいな…
いつもと違う絵柄!?なんか総集編ぽくてドキドキする
もりそばむら!?
あずき作画丁寧
もりそばむらのこんこんまつり、アングリラ回思い出す
なんか作画の雰囲気いつもと違わない?丁寧
二人旅してる…
ばいきんまんなんでそんなに体を張って…ww
かぜこんこん!
弟子のために…
牢屋て ガチ拘束じゃねーか
アングリラみてーなことを…
「おむすびまんの一番弟子」
おむすびまんのやったことを思い出して真似して顔熱くするこむすびまん…!
カワウソさん親子?
こういうちょっとしたアンパンマンの善行パート挟まれるの好きなんだよな
熱の出し方も上手になって…「あっしより先に」、おむすびまんらしい台詞
こむすびまんがどんどん成長していく…刀もそんな上手に���!
つらい うれしい つらい
かぜこんこんまた悪人ポジションに…
こむすびまん確かに作中でもかなりの強さのはずなんだけど、おむすびまんを身近で見てきたからか、弟子であるという立場からか自分では力不足だみたいな気持ちもあったのかな
アンパンマンが来てくれてよかったね
台風切れるんだね…
ビー玉に顔映る演出好き
腕大丈夫なの!?
「こむすびまんを見ていたらなんのこれしき」…
まあまあ腕辛そうに見えるけどどうなんだろ
また見守りポジションにおる…アンパンマンジャムおじさんに挟まれてるのいい
こむすびまんは一人前、そう明言するんだね他の人にも
いつかあっしと離れる日が!??い いやだ
「よござんす」良い…
かわいいね何そのコンコンポーズ、あざと
限りある日々だと思ってるからそんなに一緒に笑顔でいるんですか…?
おいらとおむすびまんの二人旅はこれからも続くのでござんしゅ…さっきのおむすびまんの心境を知ってか知らずか ずっと続くんだと思ってるなら切ない
●1回目観た後の感想
スタッフさん昔から関わってる方ばかりなのがなんか…なんか
はじめあれもしかして絵本風を意識した描き方なんじゃないかな…
もりそばむらを舞台として選んでるのも、アングリラ回が絵本原作なのもあるのかなーと
腕のことももちろんあったにしろ、正直言ってこむすびまん一人に任せるの酷なんじゃないかなぁと思ったのだけど、ただおむすびまんは視聴者より誰よりもこむすびまんの成長を身近で見てきていて、こむすびまんにはもうその力があるんだ、その力を発揮してほしいと思ってたんだろうなと…師匠として自分がそばにいるとどうしても力を出させきれない、と思ってた面もあったんだろうか 他の人からこむすびまんが一人で旅してる様子も聞いてたのかもしれないよな。
ただアンパンマン来てたから助かった部分はあったよな…と思いつつ、もしかして前回のようにあの時点で遠くから見守ってたのかな。
やっぱりなかなかな能力だよな顔あのレベルで熱くできるの2人とも
アンパンマン世界って特に複数回出るようなキャラだとハッキリとした成長を描かれることが少ないというか意図的にあまりしないのだと思ってて(コマキちゃんの鉄火巻きとか((いや戦闘スキルはどんどん上がってる気もするがあの子)))、それが少しキャラにとっては気の毒だなと思う面もあったりしたのだけど、こうやって明確に成長を描かれるとそれはそれで寂しいというか「終わり」を意識してしまうところがあるな…
ふたりたび以上に一つ一つ成長がはっきり描かれていて、昔はおむすびまんほど顔を熱くできなかったのにできるようになったり、おむすびまんから受け継ぎ学んできたことをしっかり身に付けてるんだなと
おむすびまんも「こうしろ」って教えるというより、まず考えさせるのがこむすびまんへの信頼や、成長してほしい気持ちを表しているようで…
ラスト手前、アンパンマンの隣にいるの嬉しいな 似たポジションとして描かれてるのかなぁとか
ラストのコンコンダンスあざとかったな??あ、流行りを取り入れたのかもしかして?厳しいだけでなく、弟子が気軽に踊りに誘えてああやって楽しそうに一緒に踊る姿、本当に優しさや温かさのある師弟関係を続けてきたんだろうなと…
そしてこの2人をこんな大事に描いて、表現してくださるんだなと…
おむすびまんの心中に、言葉にしない感情がたくさんあるんだろうなと思わせる描き方だったの、おむすびまんのキャラクター性を表すようでジン…とした
●2回目見た時の書き散らし・感想
あっあっ最初の海とアオリのカット映画オマージュか!?
背景の色合い好き
一人で先に走ってくのも映画のこむすびまん思い出す 江戸時代っぽい町並み、用水路とか好きだ
てか橋から落ちそうになったキャラを助けようとしたら化け物が出て、って映画の出会いのシーンのオマージュか!
でも今度はこむすびまんを傷つけさせないためにおむすびまんが体を張り2人とも捕まるという…
あ、そうか風に直接腕やられたというより壁にぶつかった衝撃なのか 左手折れたん!?さすがにそんなことないかな
というかそばを作らせる、というのもラーメン寺のオマージュ…??
こむすびまんにとっては「おむすびまんの一番弟子」と自認しているからこそ奮起できる、という面もあるんだろうな…
あのおむすびまんが顔熱くしてるシーンなんの回だろ?もしかして新規映像?自分達の知らない旅をたくさんしてるのかなとか…
こむすびまん鉄切れるのねふつうに…!
刀手渡すのいいな…両手で丁寧に!
「いつかあっしから旅立つ日も来るでしょう、でもその時までは…」つら良い
これ聞いたアンパンマンとジャムおじさんが顔見合わせてニッコリしてるのも胸に来る
バタコさんとチーズもコンコンポーズかわえ
はーずっと2人旅しててくれ…でもどうか心の思うままに…今はただ感謝
(追記:ここから下は後から思ったことなど随時書き留める 超雑多)
1回目のやつ台風じゃなくて竜巻だな…
「でもその時までは」、おむすびまん自身がこむすびまんの成長をその目で見守りたいと思ってるんだろうなと感じられてジーンとする もう少し一緒にいたい、そう思ってもいるのかな
それを聞いたアンパンマンとジャムおじさんが顔を見合わせて笑ってる時の心情分かりきってはいないのだけど、パン工場メンバーも師弟と長い付き合いしてきて、おむすびまんがこむすびまんの成長を喜んでて、まだこれからも見ていたい、という気持ちが伝わってきて微笑ましいのかな…おむすびまんがパン工場に行った時やアンパンマン達に会った時に、自分の知らないこむすびまんの活躍を聞いていかにも嬉しそうにしてたこともあったのかもな。
二人旅回もだけど、自分自身で以前「半人前」って表現してたこむすびまんに対して「一人前」ってハッキリおむすびまんが言ってくれるのすごい話だな…と思う
この回のおむすびまん厳しくもあるけれど、それだけ庇護対象でなく、自分自身がみんなを1人で助けられる、そんな人物に成長してほしい、そういう強い気持ちがあったんだなと…
腕は捻挫だったのかな。じわじわと確実に痛そうというか、こういうリアリティラインの負傷案外パンワで見ないかも
あっでもそうか「こむすびまんとあざみちゃん」では「おいらは一人前でござんしゅよ!」って言ってたのか!
師匠からも認められて、本当に「一端の男」になったということなのかな…
最初と最後のシーン、「こむすびまん旅日記」としてこむすびまん視点なんだな、こむすびまんが記憶に留めている1日の話なんだな…なんか構成として好きだなぁ というか旅日記てなんなんだつけてるのか日記を 見せてくれ……………。いや形容としての旅日記なのかなとは思うが
脚本二人旅に引き続き米村さんになるのかなとほんのり思ってたら米村さんだったし、たぶんやっぱ絵本『おむすびまんたびにっき』を意識してる副題なんじゃないかな 最初の3枚のイラスト、絵日記をイメージして描かれてもいるのかなとか
…いいの!?あんな表情であんなダンスポーズして かわいいねぇ!?中年男性じゃなかったの!?(※京田さん出演ラジオ談)いや人間の中年男性だとしても勿論やっていいことなんだが かわいいね、何…??最後の最後に何???最早ノイズになっとるが え、何??かわいいね…こむすびまんはほんと似合ってるよかわいいよ なんなんあの満面の笑みきつねジャンプポーズ師匠 ねぇ
一回目観た時に書いた気になってたけど抜けてたぽい、チーズの江戸っ子のそばの食べ方好き
師弟のお互いがお互いを大事に思う気持ちほんとグッと来る…
そういやアングリラ回でもアングリラの中に囚われてたおむすびまんが諦めてはいけない、って言ってこむすびまんを鼓舞するのか。
やっぱり鉄を柔らかく出来る温度出せるのやばくないですか?なんでなんだよ それを頭で変形できるのも硬握りだよなだいぶ!?強い
こむすびまんがおむすびまんの仕込み杖で檻を切るくだり、どうしても「こむすびまんとうなどんまん」思い出してしまうな。一度は持たないでおこうと考えた仕込み杖、こんなに堂々と扱ってて、成長したなぁとしみじみ…おむすびまんからいろいろ教わってきたんだなぁと。切る前のフッと落ち着いた笑顔もなんだか好き いや鉄普通に斬ってんのも強いが 今さらだが
きつねダンス、何??とは思うんだがおむすびまんがこむすびまんにかけてた少し茶目っ気を感じさせる冗談とかなんとなく思い出したり、ああやって笑顔で踊り合えるのほんと2人で楽しいこともいろいろ経験してきたのかなーと 2人の旅路にこれからも幸と笑顔あれ
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H31.4.30② グループ感謝祭

毎年4月に行われる明日佳グループ関東地区感謝祭
今年も行われまして参加をして参りました

明日佳グループ小野寺代表からの
ご挨拶からスタート

乾杯の準備でご起立ですね
ビールを飲まんと笑顔で意気込むスタッフJA

日頃あまりお目にかからない
ステキなお料理の数々…
美味しいお料理でしあわせ~( *´艸`)



会場内の各テーブルは日頃の労をねぎらったり
お話しにだいぶ華がさいていた模様です
スタッフRNはお酒を心から味わっているのかなぁ…
目を閉じて感慨深そうですね(*^_^*)

その後 昨年移転新築を終えた
埼玉あすか松伏病院の紹介映像が流れました
新宿で「松伏」と聞くと 若干恥ずかしく思うのは
なぜでしょう(・・?

その後 突然の余興が幕開け
名札の裏面に小さく貼ってある番号で
選ばれたスタッフの皆さんが登壇
当施設からはスタッフRHが選出(写真右端)
演目は りんごの皮むきの長さ競争!

手袋が若干小さくて難儀するスタッフRH

リーディンググラスがないので
恐らく手元がちょっと見えにくいスタッフRH

なぜか突然皮むきをあきらめて
リンゴを食べやすく切り分けはじめたスタッフRH

やっぱり丁寧にリンゴの芯を取り除くスタッフRH

当施設スタッフ 最前列絵で応援の図

埼玉あすか松伏病院の安達院長が優勝です!



当施設から参加致しました各部スタッフです(^o^)
もちろん ここに写らない留守番のスタッフの皆さんが
たくさんいるおかげですね

楽しい おいしい 新宿の夜でございました
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最大限の感謝を!
皆様お久しぶりです、しあらです。久し振り過ぎてなに書けばいいかすっかり忘れてしまいましたが、今公演で32期の先輩方は引退なさるので32期紹介でもしてみましょうか。
藤丸翔
我らが座長にして照明チーフ兼ツッコミ担当。照明の楽しさを教えてくださってありがとうございつます。照明仕込みの楽しさの何割かは間違いなくごちゃいさんが照明チーフだったからです!座長としても皆に気を配って…ってそんなことはどうせみんな書くのでどうでもいいです笑。ごちゃいさんがオペ席にいることの安心感、もうそれは見ることのができないんだという喪失感、あのツッコミのキレの懐かしさ…いろんなものを抱えて後輩一同ごちゃいさんが先輩から受け継ぎ、守ってくださったちゃうかを継いでいきます!
杏仁アニー
神チーフで有名なアニーさん。誰よりも多くの部署に入ってその全てでエースとして活躍…してたのは去年の話で今年はそれに加えて演補としても役者としてもちゃうかに多大過ぎる貢献をしてしまう人。ついでに人柄も完璧。留学を延期してちゃうかに残ってくださってありがとうございました!仕込みでも周りを見ててきぱきと動いていらっしゃるので一緒に仕込んでてすごく頼りになりました。アニーさんが引退したあと果たしてちゃうかはうまく回るのでしょうか…いえきっと何とかするでしょう!僕以外の誰かが!笑
中津川つくも
つくもさん!役者としても、舞台監督としても尊敬する先輩です。決して厳しい人ではありませんが、それでも皆が緩みすぎないように適度に締めるその手腕は自分には到底真似できません。そんなつくもさんを自分がはじめて認識したのは幻の新歓公演バクパロの時です。主役のつくもさんを見て自分はきっと一生こんな演技はできないだろうと思いました。そんなつくもさんが二度とちゃうかとして舞台立つことはないと思うと少し寂しいですが、せめて舞監としてくらいはつくもさんに追いつけるように頑張ります!
雑賀厚成
我らが音響チーフにしてちゃうかの癒し担当!シドさんは実はちゃうかで一番周りを見てる気がします。一人で所在なさげにしてたり元気ない人を見つけると声を掛けてくださるイメージです。きっとシドさんの存在に救われた人はたくさんいるはずです!そして、演技は本番になったら覚醒する人でした笑。覚醒した時のシドさんは声量とか存在感とかがすごいんです。しかもめっちゃいい声!羨ましい…。そういえばシドさんは多分覚えてないと思うんですけど、自分がちゃうかではじめて対面で会話したのがシドさんでした!初顔合わせの時にそそそさんに連れられて
「こいつシドって言うねん、俺の舎弟な!」
って言われました…。すごい反応に困りました…笑。ツッコミとか否定とかでなくいつもの感じですごい低姿勢なんですもん笑。あれを拾えるコミュ力はありませんでしたが、それがシドさんとの出会いです!笑
追記:楽ステのシドさんが普段の三倍覚醒してて感動してました、現場からは以上です。
かけうどん
ロッドさん!去年はあんまし絡みませんでした笑(作業終わった後に家に泊めてもらったくらい?)なのでロッドさんとの思い出といえばもっぱら今年のオムニになります。なんか意味わからん脚本やし何なら未完成やしどないすんねん!って思ってたらやっぱり意味わからん(いい意味で)演出つけてくださりました。靴を舞台に並べるってそんな発想どこから沸いてくるんですかね?笑
そんなハチャメチャな先輩でしたが、大道具に関してはすごくまっすぐ取り組んでいて頼りになりました!風見鶏のあの舞台やばくないですか?あの舞台は新歓の度にパンフレットに載せる価値ありだと思ってます!
ちなみにロッドさんはちゃうかで数少ないサッカーの話がわかる人です。今年のワールドカップ楽しみですね!スペイン行ったらバルサかレアルのお土産ください笑
友情出演
ロビンソンさん!唯一無二天上天下唯我独尊を地で行くようでけっこう周りを気にしてる人です。でも演技とか舞美に関しては本当。ロビンソンさんのアドリブで変なことしてちゃんと毎回笑いを取って行く姿は誰にも真似できないでしょう。すごい先輩なのに謎に後輩を怖がるのはやめてください笑。そんな心配しなくてもみんな先輩のこと大好きなので!今年は自分が全然舞美に顔を出さなかったせいでちゃんと関わる機会が少なかったのが少し心残りです。
あしもとあしっど
ニトロさん!一番雑に扱った先輩です!反省はしてます!後悔はしてません!まぁ冗談はさておき、稽古場で帰り道で等々けっこうお話することが多い先輩でした。けっこう細かいことに気がついて舞監補としてもちょくちょく助けてもらってました。ありがとうございました!ニトロさんは上手くなりたい!っていう気持ちが一番まっすぐ伝わってくる先輩でした。一人で何度もセリフの言い回しを研究してる姿をもう稽古場で見ることができないのはさみしいですね。ニトロさんは一回くらい正統派主人公的な役をやりたいっておっしゃってましたが、やっぱり相手を威圧する役が一番ハマってて好きですよ。
永満柊人
時々ちゃうかに顔だしてくれるとついつい声かけてしまいます。全然共演できませんでしたけど、たくさん仲良くしてくださって本当にありがとうございました!ちゃうかに来てるときの永満さんはいつも気さくで面白いのでいるだけでなんか明るい雰囲気になれました!そういえば結局永満さんがよさこい踊ってるのも見る機会がありませんでした…残念です笑
これからも今まで通りの頻度でいいんでちゃうかに顔だしてくださいね!
ひろせんせー
いたらついつい声かけちゃう先輩その2
いつも気さくに話し掛けてくださるのでついつい話し掛けに行っちゃいます笑。そういえば去年の今頃はひろせんせーと共演こそ無かったもののとても縁ある役をやらせてもらいました。どうやら自分は幸せに生活していたらいずれひろせんせーになるそうです笑
宙稚勇貴
くうやさん!役者としてもスタッフとしても有能!的なことはどうせみんな書くので割愛します。くうやさんにはなんやかんや目をかけてもらいました(新歓とか演補とか色々)あんましその期待には応えることができなかったように思います…。その度にくうやさんの凄さを制作チーフのベジとは違った視点から見せてもらってました。追いかけたいけどきっと追い付けない。でも追いかけるのをやめられない。自分にとってくうやさんはそんな人です。くうやさんが遺してくれたものに報いれるようにあと一年、走って行こうと思います。
佐藤舞弥
まやチーフ!全然絡む機会がありませんでしたが、自分の衣装やメイクを担当してくださったこともありました!ありがとうございました!
スウェーデン楽しんでください!
椋子
ピンキーさん!ちゃうかには去年の学祭を最後に現れておりません!笑
あの時は大変お世話になりました!色々ありましたが、いい経験になりました!ありがとうございました!
やっぱり32期には引退してほしくない、もっとちゃうかにいてほしい。
そんな想いを胸の内に秘めて、後輩一同大好きな32期さんたちを笑顔で見送りますね!
みなさん、本当に、ほんっとうにありがとうございました!
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Hinge presents an anthology of love stories almost never told. Read more on https://no-ordinary-love.co
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「ブラボー」MV(魔女マーティーと動く竜宮城)
出演・おはなし原作:眉村ちあき
監督・脚本・竜宮城 制作:松浦 本
衣装・竜宮城 制作:天神綾子
制作手伝い:三浦賢太郎
2018.11.15 Release! 絶賛配信中
https://itunes.apple.com/jp/album/144...
________________
突然、次のMVは30分くらいの長尺にしよう!と思いついて、ブラボーは月9の主題歌風だから物語をやりたいです!と松浦さんにお願いしたのが始まりでした。
するとわたしが小学一年生のときに小さいキャンパスノートに書いていた「魔女マーティー」というお話が、実写化されて、音楽も着いて、しかもクオリティーの高い映像と高いおふざけ心で完成されました!!!まさか娘が書いてた魔女マーティーがこんなふうになるとは、両親もびっくりしてます!長尺なので再生回数が心配です!
来年の目標は、Mステに出ること、情報解禁を我慢すること、建物を建てたいです。海外進出もしていきたい。毎日頑張らなくていいから、楽しく生きていきたい!
眉村ちあき
________________
眉村ちあきが (株)会社じゃないもんを設立し、自主制作アルバム をリリース。自身の音楽活動の幅を大きく拡張していこうという矢先、ニッポン放送で自分の楽曲が放送されたことを知ります。眉村本人が、その番組へ楽曲オンエアお礼と「もしよかったら今度遊びに行かせてください」というメッセージを送ったことがきっかけで、この番組と眉村ちあきの関係ははじまります。その番組とは、上柳昌彦と望月理恵がMCをつとめたニッポン放送の「金曜ブラボー。」(*2015年4月3日~2018年9月21日放送)
まだラジオに出たことがなかった2018年初めの出会いから9月までの間、毎週金曜(週一回)の放送に対して計7回とほぼ準レギュラーのようにゲストで出演。さらに眉村が忙しくなりあまり日程が合わなくなってきた夏以降はゲスト出演時以外の放送でも毎週のように眉村ちあきの楽曲をオンエアするなど番組をあげて応援してくれました。
そんな大好きな番組が、9月末を最後に最終回を迎えることに。ニッポン放送「金曜ブラボー。」番組最後の放送日、3年半に及ぶ番組の最多出演ゲストとして迎えられ、3年半の番組最後のオンエア楽曲として準備された“眉村ちあきのスタジオライブ”。「金曜ブラボー。」MCの2人、番組スタッフの方々へのたくさんたくさんの感謝を込めて、眉村ちあきがサプライズで制作・披露した楽曲が「ブラボー」の原曲です。
本作は、冒頭から『魔女マーティー』というオープニングタイトル、そして“マーティーと動く竜宮城”の副題…、 眉村ちあき扮する「魔女マーティー」と眉村ちあき扮する「浦じい」の2人のシーンから物語はスタートします。同作は「東京留守番電話ップ」や「ピッコロ虫」MV、さらに1月9日発売のNEWアルバム「ぎっしり歯ぐき」ではレコーディングに密着、眉村の天真爛漫な魅力��ふんだんに詰まったメイキング&トレーラーを手がけるなど、眉村が絶大な信頼をおく映像監督・松浦本が、眉村のおはなし原作から脚本を手がけ映像化。
眉村ちあきワールド全開&監督 松浦本の奇才っぷり炸裂のMUSIC VIDEOが完成しました。どんな物語かをここで説明してしまっては、 せっかくの楽しみが減ってしまうこと山のごとしなので、ぜひ続きは「ブラボー」MVでお楽しみください。 もはやMUSIC VIDEOといえるのかどうかわからない作品に仕上がっています。
http://www.toysfactory.co.jp/artist/m...
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人造人間国型
ディストピアっぽい世界で働くアーサー・カークランド型アンドロイドの話です
第455代ダービー伯爵に招かれ、オオサカの隠れた名店と名高いキタシンチのソウメン・バーを訪れた。ソウメンは、決して自己主張の激しい麺ではない。ネギとツユの下に隠れて決して目立たず、しかし田園の河川のように清涼なのど越しと小麦と塩のうまみが感じられる。ソウメンの質実剛健さは英国紳士の美学に通ずるものがある。
(警告:規定文字数超過 投稿不可)
アーサー・カークランド9286-R レベル2-6 / マッチング110 スコア未計測 宇宙標準時 556:6E
足の長さが不揃いでがたつきを起こす、不快な座り心地のパイプ椅子に体を縮こめながら、俺はロンドン・アイ――この手元の端末のことだ――に今しがた打ち込んだ文字列をじっと眺めていた。オオサカ・エリア4インターナショナル展示場の建設現場に併設された栄養供給所は、今日の作業を終えた無数のアンドロイドの群れがひしめき合い、店員を呼ぶ怒号に似た声と、仲間内でのお決まりの話題の応酬ですさまじい騒音に満ちていた。俺は決して目線を向けないように―― ましてや睨みつけるなんてことのないように――注意しながら、彼らが繰り返し交わし合っているフレーズに耳を済ませてみた。ラバ、ダブ!ダブ!ラバ、ダブ!ダブ!ラバ!ダブ!ダブ! 思わずため息が漏れた。なんてことだ、ほんの2ヶ月前までは、俺にはあの意味不明の暗号の意味がちゃんと理解できたし、なんだったら彼らに混じって同じ暗号の応酬が出来たはずである。しかしもうそれは叶わない。あの言語で会話ができるのはレベル3以上のアンドロイドに限られる。俺はつい先日の、あの事件が切欠で、レベル2へと転落したのだ。
俺の席はレベル2アンドロイドに割り当てられたスペースにあり、ソウメン製造機の丁度、真向かいの位置だった。この岩山の如く聳え立つ「シェフ」のレパートリーは中々広かったはずだが、レベル2のアンドロイドが注文できるようなメニューは事実上ソウメンしかない。ソウメン風グルテン・ネギ風ミドリムシフレーク添え。それが確か正式名称だったはずだ。もちろん、ローストビーフ風高アミノ酸キューブだの、カレーライス風味イソロイシン錠剤だのの比較的栄養価の高いのを注文したい日もある。特に今夜のような疲労が極度に達している夜は…しかし、それらの消費スコアの高すぎる品物が並ぶのは上座のテーブルだけで、今の俺にはとても手が出せない。きっとあのテーブルに座ってるのは知ってる奴らだ――俺にはそんな風に思えてならなかった。同じ建設現場で働く同僚のことだ。奴らのことだから、わざと俺の席が見える位置に陣取り、俺のみじめな様子をあざ笑いながら錠剤を齧り、発泡神経酩酊剤を煽っているに違いない。俺はテーブルに詰め寄ってよほど嫌味の1つでも言ってやろうかと考えたが、すぐにやめた。むやみな絡みは「品のよろしくない行為」と見做される可能性がある。これ以上のスコア減点は、とりわけ、「火星」に関し���口にするような、自殺行為はなんとしても避けねばならなかった。
俺はロンドン・アイに意識を集中させ、規定文字数以内でソウメンを褒め称える文章を推敲し続けた。その間我らがシェフは、排水管から汚物まみれの下水が吹き出すような濁った音を立てて、ずらりと並んだカップへソウメンを順番に叩きつけていた。小さすぎるカップからだらしなくはみ出したソウメンもツユも、全く拭われる様子もない。殺気立った様子の店員が、トレイにソウメンを乱暴に並べながら、また店中のあちらこちらにすっ飛んでいく。この供給所に配置されているスタッフは彼1人だけのようである。 それでもここのソウメンの品質は良いんだ、ほんとに。という、良かったところを探し出す系の書き込みををするべき、だろうか。それともストレートに、この供給所はキタシンチの名店どころか廃材置き場同然の簡素な作りで、ソウメンもほんのりと不純物処理所の芳香がすることを書くべきだろうか。 どちらの書き込みの方が、「英国紳士らしい」のか。
☓☓☓☓思 ☓ ☓こと☓☓☓☓、思っ☓まま☓☓☓☓☓書☓ばいいんだ。☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓人☓目☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓
アーサー・カークランド8756-E レベル3-5 / マッチング13568 スコア5532/6693 宇宙標準時 586:3F
その間にもロンドン・アイには、誰なんだか分からない「アーサー・カークランドたち」の書き込みが次から次へと流れ込んできた。レベル3.5以上のアンドロイドの書き込み――よって、ロックがかけられた俺のアイセンサーでは文字化けして意味を為さない文章としか読み取れない文字の羅列。だが、スコアの高さから見てそれは極めて英国紳士らしく、社会性に富み、読む者を感嘆せしめる内容であるようだ。 俺は少しでも高スコアの根拠を知るためにその文字列を隅から隅まで観察した。こんなふうに、文字数は適当な長さにカットした方がいいのかもしれない。内容はどうか。ところどころに散っている判別可能な文字から推測するに、「思ったことを思ったまま書けばいい」と書いてあるように思えた。何の計算もなく、思ったことを思ったままに――俺は自分の想像したそのエンパワメント・フレーズにわずかに失望感を覚えた。少なくともその紳士的なアドバイスは、今夜の俺にとってはなんの意味もなかった。なんとしても、このスコアに匹敵する書き込みをしなくてはならない――近頃は、英国紳士らしくないとして書き込みの連投は忌み嫌われるため、今夜のチャンスは一度きりだ。成功すれば、俺のスコアウォレットの残高はいくらか潤い、今夜の労働者移送用エア・コンテナでリラクシングシートを利用できるだろう。
英国紳士、その不可思議なもの。立派なイエガラの出身であること。ノブレス・オブリージュであること、その他もろもろ。ずっと前に予想屋に聞いた話だと英国紳士は四六時中、不純物処理所に行くのにすらリラクシングシートを利用するような連中だったという。俺が「そんな奴らしい」書き込みをし、振る舞いをせねばならないというのはいかにもおかしな話なように思える。しかし俺はアーサー・カークランド型なので、アーサー・カークランドらしく話し、振る舞い、トレンド予想に高い消費スコアを支払い、プラマイゼロすれすれのスコアアップに努力する。そうして当局は個ではなく群れとして、何らかの方向性を持ったアーサー・カークランド像を形成する。俺が存在する現実世界と、ロンドン・アイを通じた向こう側にある仮想世界とで。俺がそれがどんな像になっているのかを知るすべはない。何しろアーサー・カークランド型だけでも、とにかく数が多すぎる上、ネットワークにはレベル違いのみならず無数のセキュリティの壁が立ちはだかっているのだ。 俺たちアーサー・カークランド型の思考ユニットが制限の無い同一クラウドネットワークに接続されているならば、今この世界に存在している英国紳士なるものの実像を、大まかにつかむことができるのでは思われるが、俺にとっての英国紳士アーサー・カークランドとは、極めて断片的な、時にはお互いを打ち消し合うワードの群れに過ぎなかった。無数のアーサー・カークランドの情報は日々更新が繰り返され、当局と少なからず繋がりのある予想屋は熱心に今日のトレンドワードの宣伝を行う。すでに太古の時代に消えてしまった、アーサー・カークランドなる謎めいた人物の限りない再生。彼の天まで達するほどの巨大な立体映像が俺たちの頭上をすっぽりと包み込み、のしかかってきているようである。
モラリスト。なけなしのスコアを支払って、今月の始めに予想屋から買ったトレンドワードはそれだった。やはりソウメンをけなすのは止めておこうか。いや、建設現場労働者として利用せざるを得ないこの供給所の欠点を的確に指摘してこそ、モラルの高い紳士的な行動といえるんじゃないか。例え親愛なる第455代ダービー伯爵の紹介の名店だったとしても(そして、第455代ダービー伯爵なるアンドロイドは本当はどこにも存在していないとしても)。いったいどんな風に…決して攻撃的にならないように…その表現方法は…俺の思考ユニットは空腹と疲れで通常の稼働率の50%程度の力しか発揮しなかった。 3日前に作業中の感電で損傷した左腕が、いまだ何度信号を送っても全く反応せず、持ち上がらないので俺は右腕だけで全ての業務を行わなければならなかった。身体全体がコールタールに漬かったかのような重苦しさも消えず、俺はここ数日、課せられたノルマを達成できていない。左腕の事故は、モジュールA-4の配線を確認している時に端子が接触して起きた。1か月前までの俺であればまずありえないミスである。だがあの時の俺は極度に疲労し、与えられた工程をこなす以外に気を配る余裕がなかったのだ。
俺がこのような状況に陥るきっかけとなったのは、火星だ。正確に言えば、火星に関する情報を漏らした奴が原因で、こうなった。俺たちの労働区画では、地球から遠く離れたあの赤い惑星に関する話題は非常に品がよろしくないとされている。 1か月前、キュービクルの内部清掃を行っていた時、俺の3メートル後ろあたりで何か諍いのようなものが起こっていた。諍いというよりは、一機のレベル2アンドロイドを数機のレベル3が囲んで、通電したり、刺激によって発生した短い奇声を真似したりして遊んでいた、という方が正しい。アンドロイドに時折ああした全く不可解に思える行動が見られるのは、数千年前に絶滅した我々の祖先の習性の名残りであるらしい。 この作業現場で働いているアンドロイドは、オオサカ・エリア4労働管理局の所有物だ。当局の許可なく損傷を与えることは例えレベル2アンドロイドであっても許されない。許されていない、はずだ。しかし、この現場はこの件に限らずとにかく規律が緩み切っている。2か月前にだって俺の持ち場の床に大量のグリスをぶちまけた奴がいた。犯人はすぐに思考洗浄にかけられるものと思っていたが、大量のスコアを支払ったのか、レベルが高い奴だったのか、とにかくグリスがぶちまけられたのは俺の現場監督行き不届きが原因ということにされた。思い出しただけで腹立たしい出来事だ。それだけじゃない、半年前は・・・気が付くと俺は通電していた奴を殴り飛ばし、馬乗りになってそいつの持っていた電極を首筋へ突き付け、いいか、今度風紀を乱したら殺すぞと毒づいていた。 その夜、俺のロンドン・アイに1通のダイレクトメールが届いた。送信主は、あのレベル2アンドロイドだった。
助けてくれて感謝している。とても感謝■■いるんだよ、今だから言うが、俺はずっと俺は■は俺はあんたと交遊を持ちたいと思ってたんだ・・・・・ あんたにだけに、俺の秘密を打ち明けたい。俺はこないだ、ロンドン・アイのセキュリティ1ロックを突破したんだ。ヤバ筋の友達がいてさ、教えてもらったんだ・・・壁に穴を空ける方法をさ。驚くべきことに、セキュリティ1ロックの向こう側の仮想世界では、火星の話題は制限なんて■■てないんだ。火星について話すななんておかしなルールがあるのは、オオサカだけだったんだ。その他にも、 ここからは、ロンドン・アイから仕入れた極秘情報だ。誰にも誰にも言わないでくれよ・・・俺たちがせっせと拵えているこのバベル・・・この天に到達するのが目的の塔だがな、このガラクタを作ってる俺たちの■■はどこで作られたと思う?それはな、火星なんだ。当局の連中が話すことも、記録に残すことも一切禁じているあの■■で・・・俺たちの足や腕は作られたんだ。コスト削減のためだよ・・・地球の、しかもヨーロッパ純正アンドロイドとなれば、その値段は天井知らずだからな。 オオサカ・エリア4インターナショナル展示場が完成すれば、サミットだの世界アンドロイド耐久競技だので無尽蔵に利益が得られる。奴らはそう説明してるが、今時天に届くような展示場なんか、観光客がどれほど長い間面白がってくれるかわからんぜ。当局は我々の威信をかけた事業だなんて言ってるが、内心このデカブツを極限まで安い作りで仕上げようとしてる‥このままじゃ、そして、俺たち全員は使い潰しにされ
グスタフ・サイトウ 1150-U レベル2-4 / マッチング85 スコア未計測 <Private message> 宇宙標準時 640:7D
そいつは建設現場に二度と戻って来なかった。そして、俺もオオサカ・エリア4労働管理局に拘束されることとなった。奴からのメールを読んだ瞬間、事態のまずさを察知してメールの痕跡を全て消去しておいたがもう遅かった。メールをハッキングで盗み見されたのか、もしくは俺がぶん殴った奴が、2人まとめて通報したのか。グスタフ・サイトウに脱獄方法を教えた奴の情報を手に入れるために、当局はサイトウを泳がせていたのかもしれない。とにかく俺は、永遠に続くかのような思想洗浄を受ける破目になった。我々の親愛なる当局が緊縮に励んでいるという情報は本物だったようで、記憶の完全な消去と洗浄が可能な最新式のブレインウォッシャーは導入されていなかった。俺の洗浄には極めて旧式の、思考ユニットに繰り返し電気ショックを与える式のブレインウォッシャーが使用された。拘束された俺は昼夜を問わず「私は模範的な英国紳士であり、わが国と地域の発展と文化の持続に寄与し続ける」と洗浄完了とみなされるまで発言し続けるよう命ぜられ、その合い間に数えきれないほど反射的嘔吐を繰り返した。指一本動かせなくなった俺が待機所に放り出された頃には、俺のスコアは大幅に減点されレベルは3から2へ格下げされていた。
俺の陥っているこの苦境も、元はといえばあのバベル野郎のせいなんだと思うと忌々しい思いにかられた。今月のトレンドワードから考えると、職場の規律を遵守した俺の評価がこの有様だというのはいかにも理不尽な結果に思えてならなかったが、いくら頭の中で反論や異議申し立てを考えても無駄だった。恐らく当局はあのバベル野郎と俺を通報した奴に大量の特典スコアを授けたことだろう。バベル野郎を虐待していた奴にはリラクシングシート利用パス3カ月分が授与された可能性もある。とにかく、オオサカでは火星はタブーなのであって、火星に関するすべての痕跡を消去する運動こそがモラルの高い行為とみなされるのだ。 俺が今やるべきなのは、とにかく可能な手段でスコアアップに励み、リラクシングシート利用パスを手に入れることだ。そうすれば、シートのメディカルケア装置を使ってこの体を、特に左腕をいくらか使い物になる状態まで回復させることが出来る。そうすればこの数日来のノルマ未達による低評価を巻き返せるだろう。だが、例え身体が回復したとして、そんな非現実的な働きができるのだろうか?それに、また同じようなミスを犯して身体のどこかが損傷したら?またシート利用パスを手に入れればいい・・・だが、予想屋のトレンドワードを買うのもままならず、階級上位のアンドロイドの書き込みの分析も不可能なこの状況で、果たしてスコアを獲得し続けることは出来るのだろうか?トレンドワードも利用パスも、とにかく恐ろしく高くつくのである。この状況はいつまで続くのだろう?3か月、もしくは1年、それまで俺の身体は持つのだろうか?何も考えたくない。もがけばもがくほど引きずりこまれる底無し沼に落ちてしまったかのようだ。あのバベル野郎は、レベル1へ格下げされたのだろうか。もし自分が、レベル2からレベル1へ転落するようなことになれば・・・それが何を意味するか、俺は知らなかった。重労働ののちに廃棄処分だという奴もいれば、思考洗浄よりも過酷な目に合わされるという噂もあった。じっとりと湿気と熱気に満ちたこの供給所でも、自分の将来について考えるとうすら寒さを覚えずにはいられなかった。
気が付けば��足もまばらになり、供給所は静けさを取り戻しつつあった。俺はいまだにロンドン・アイに書き込むべき文章を決めかね、じっと手元を見ながら途方に暮れていた。視界の上側の方に白い影がよぎって、止まった。見上げてみると、店員がソウメン製造機にもたれかかってふうっと息を吐いていた。疲労しきっている様子で、点々と薄茶色のシミが染みついた自分のエプロンを見つめながら首を曲げてじっとしていた。そいつは俺と同じアーサー・カークランド型だった。 俺はソウメンはまだか、遅すぎじゃねえか、と言うつもりだった。しかし、口をついて出たのは思いがけない言葉だった。 「なあ、アンタはなんつーか…すごく良くやってると思う。これだけ大勢のわけわかんねえ客のわけわかんねえ注文を、実に手際よく捌いてる‥誰でもできることじゃない。本気で言ってんだぜ。ああ、それと・・・ここの食い物は・・・いや。いい。忘れてくれ」 俺はここで言葉を切り、黙りこんだ。奴は口角を上げることもせず、緑色の目を見開いてこちらをじっと見つめた。一切反応らしい反応を返さないので、俺は話してる間にすっかりバツが悪くなってしまった。永遠とも思える長さの気まずい沈黙が続き、奴はふいに踵を返してソウメン製造機の裏手に引っ込んでしまった。俺はあっけに取られて無人となったカウンターを見つめ続けた。悪態の一つでもついてやろうかと考えたがその気力もなかった。そんなものだろう、というわずかな諦めを感じただけだった。
どん、と目の前に大きな皿が置かれた。カウンターがビリビリと震えるほどの衝撃にぎょっとして思わず見上げると、さっきの店員がやはり同じような無表情でこちらを見つめていた。「わりいな、ソウメンは切れちまったんだ。代わりにこれで、おんなじワショクってことで、頼むわ。」 店員はそこで言葉を切って首筋に手をやり、2~3度引っ掻くと、意を決したように再度口を開いた。 「アンタ最近おかしいぜ。死人同然の顔してる」店員の緑色の目にはさっきまでとは違う、わずかな感情の動きが感じられた。 そしてすばやく顔を伏せながら、別にあんたのために用意してたってわけじゃねえからな、と呟き、また巨大な「シェフ」の裏側へ帰ってしまった。
俺は呆然としながら、店員が置いていった皿を見つめた。そして、果たして、ソウメンの代わりが茹でブロッコリー丸ごと一本に変わるなんてことがあるだろうかと考えた。巨大なブロッコリー風の何か――タンパク質か何かの塊だろうか――はこの供給所にしては比較的清潔な、白い皿に載せられて天に向かって真っ直ぐに屹立していた。この件は、この件こそロンドン・アイに投稿するべきユニークな出来事なのではと考えたが、俺の思考ユニットも、片腕も、どうしても文章を紡ぎだそうとしなかった。 誰かが俺の身を案じている。たったそれだけの出来事が、全身に染み込んでいくような感覚がした。 スコアよりも何よりも、ほんのたったこれだけのものを。おれの体はどれほど欲していたことか。なぜ、おれの体はこんな風に訳のわからない反応を示すようにできているのだろう。これは、祖先のどのような習性の名残りなのだろう。 俺はロンドン・アイの電源を落として右側のポケットに仕舞い、 黙って皿に添えられたフォークを手に取り、ブロッコリーを横倒しにし、押さえつけて切り分け始めた。この瞬間、ここには奴がくれたブロッコリーと俺だけの世界があり、その世界は誰の目にも晒されることのないまま儚く解けて消えていく。それは考えてみれば美しい営みのような気もしたからだ。これでいいんだ。リラクシングシートはまた明日、なんとか頑張ってスコアを稼いで使えばいいじゃないか。
そして俺は今留置場にいる。あのブロッコリーの、炎天下のヘドロを更に1週間腐敗させたような強烈な味は、口に入れて噛み締めた瞬間俺の口内センサーを貫き、脳天に達した。俺が吐き出したブロッコリーは弾丸そのもののスピードでソウメン製造機を直撃した。嘘のように粉々に大破した「シェフ」の補償スコアを支払うことなど当然出来ず、俺は器物損壊罪でお縄となった。 リラクシングシートもスコアアップも夢のように消えてしまった。俺はこれから、レベル1へ格下げされるだろう。あんなに恐れていたはずの、この数々の事実は、しかし今の俺にはなんの脅威も与えなかった。俺は薄暗い監獄の隅でうずくまりながら、自分の両腕を眺めていた。 限界積載量300kg・・・400kg・・・500kg。俺のアイセンサーには両腕に凄まじいエネルギーが満ちていく様子がありありと映し出された。微動だにしなかった左腕には何事もなかったかのように感覚が戻っている。両腕だけではない。あんなにも重かった身体は羽のように軽く、両足はひと蹴りするだけでちょっとしたビルを飛び越せそうだ。これは、なぜ、こんなことになったのか。あのブロッコリーのかけらをほんのわずかに飲み込んだだけで(そう、ほんの少しは飲み込んだのだ)、こんなパワーが得られるなどということが現実にあり得るのだろうか。 あのブロッコリーは何なのか。あの店員は何者なのか。いや、直接本人に聞けばいいのだ。間もなく俺の両腕のパワーは監獄のチャチな鉄棒をへし折れるほどに高まるだろう。監視の目が緩んだスキを見て――ここを脱出出来れば、オオサカを出て、いずれ俺の両腕と両足を故郷の火星へ連れてゆけるだろうか。現実離れした想像の泡沫を頭の中で弄びながら、俺は来るべきチャンスをじっと待つことにした。
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2020年3月30日(月)

私の職場では、今日から新年度オリエンテーション開始、キャンパスは久しぶりに会う学生たちの姿で賑やかである。しかし、他大学ではこの種の行事を中止するところが多く、授業日程も2週間以上遅らせるところが多い。「三密(密閉・密集・密接)」防止のための対応が、あらゆる場面で求められる。今後の予定は流動的、あくまでも「生命第一」の観点を忘れてはならない。
今日は全員出勤の日。
洗濯2回。
今日は在学生のオリエンテーション、履修指導と時間割作成が行われる。私が担当する「インターンシップ」は時間割上は後期配当だが、「大学コンソーシアム大阪」のプログラムを利用するため、5月に登録、7月に実施という流れになる。在学生全員に、事前の説明会への参加を呼びかけるメール配信。
4月から図書館長に就任される T先生に、引き継ぎについてのメール送信。折り返し、15時に図書館まで来ていただくことに。
今日も電車通勤、安全のために空いた準急を利用。
研究室の前に図書館へ、先日、図書館スタッフとの間で話題になった「澪つくし料理帖」、手持ちの文庫本(10冊)を届ける。すると・・・

なんと、スタッフから「御礼」をいただいた。3年間の図書館長、たいした仕事はしていないのに・・・恐縮&感謝!

早めのランチ、三男が日勤の時は私も弁当を詰めていただく。
時間割作成・登録作業を終えた IM嬢来室、私の出入りが激しいので、Youtube で桂枝雀の落語を「自習」していただく。
昼休みには、教養教育履修相談、ただし在学生のみなので開店休業。途中で sampe兄に留守番を頼み、大学生協理事会へ。何とか定足数を確保して、5月の総会についての準備を確認。
自室に戻ってIM嬢と一緒に枝雀鑑賞、「代書」「宿替え」「鷺とり」。
15時に図書館へ、T先生と簡単な引き継ぎ。
16時から第4回危機対策会議、今後の授業運営についてあれやこれや。結論としては・・・
・授業実施方法について 第 1 週の授業(4/6~10)は、授業形態(講義・演習・実験・実習等)を問わず、予定通り開講いただくようお願いいたします。なお、第 2 週目(4/13)以降、第 3 週終了時(4/24)ごろまでの約 2 回分の授業方法については、特に講義に関しては、対面、web 等の遠隔授業及びその他授業担当教員が最適と考える形式で実施いただくこととし、第 1 週の初回授業時にその内容を学生に説明等いただきますよう、お願いいたします。 また、演習・実験・実習等の授業科目についても、必要に応じ、対面に限らず課題研究等の適切な形式を採用いただくよう、お願いいたします。 ・授業回数等 授業回数等については、弾力的に取り扱って差し支えない旨、文部科学省から示されているところですが、あくまで 1 単位につき 45 時間の学修時間が確保されるよう、各授業担当教員において配慮いただきますよう、お願いいたします。 ・教材データ等の保管について 情報処理教育センターのもとで運用されている教材フォルダは、学内ネットワークからのアクセスにのみ対応しているため、対面以外の授業方法により学生が学外から授業を履修する場合、当該フォルダを活用することができません。 今後、教学センター及び情報処理教育センターで検討のうえ、公式メールアドレス(G メール)のドライブ等を活用し、教材データの保管等が可能となるよう対応いたします。 ・5 月以降の授業の実施について 本日の会議においては、当面、3 週程度分をめどに、授業計画立案及び学生への提示をお願いすることといたしました。 ただし、新型コロナウイルス感染症の拡大状況等に鑑み、状況が常に変化しうることから、適宜検討を行い、情報共有していくことといたします。 なお、現段階においては、前期授業期間中はこの状況が継続するとの仮定のもと、授業内容を検討いただきますようお願いいたします。
・機器、エレベータ等の使用について 授業教室におけるマイクの使用後に、エタノールのスプレー等をお使いいただけるよう、準備いたします。 また、エレベータ(EV)の使用については、3 号館 EV は換気対応が行われていることから通常通り、2 号館 EV についても、十分な空気量と開閉時の換気により通常通り使用いただけます。 なお、女子トイレに設置されているハンドドライヤーは、使用停止とさせていただきますので、あらかじめご了承いただきますようお願いいたします。 ・その他 在学生及び新入生、非常勤講師の先生方への授業等に関する連絡その他必要な情報を早期に周知してまいりますが、必要に応じて各学科の先生方にもご協力のお願いをさせていただくことがございますので、ご承知おきくださいますようお願いいたします。 また、今後の状況をふまえつつ、学生の家族等が感染症に罹患した場合や、教職員の罹患時など、想定しうる事態への対応を検討してまいりますので、よろしくお願いいたします。
自室に戻ると、IM嬢はすっかり枝雀の虜に。明日は自宅から枝雀のDVDを持参せねばなるまい。
少し遅くなったが、西大路七条・ライフで買い物して帰宅。
次男用に発注した apple watch が届いており、すでに使用を開始していた。
程なく帰宅したツレアイとあり合わせで夕飯準備、晩酌しながら桂米朝を聴く。「仔猫」「京の茶漬け」「親子酒」。
三男は少し遅めの帰宅、明日も早いので早々に切り上げる。
荷物が重かったので、往路は北千里から職場までバス利用、それがなければ12,000歩/日が達成出来たのだが。
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イルカの家 The first chapter
イルカの家 ── あろ 海辺に近い東部では、暑さと生まれてきた子どもたちが寄り添い、漁師たちは生まれたての誕生に喜び、将来の事業と土地への愛を受け継いでいる。太陽が海面から昇る頃には黄身の色はすっかり色づいていたが、新子たちは世界に対する無限の好奇心を抱き、その好奇心こそが、親たちは成長の糧を海から得て、日の出と日の入りの時には生きていることと自然を感じることの奇妙さを、子供の頃の海への好奇心を思い起こしていた。 今日は大きな日で,豊作の喜びである。 子供たちは仲間に言い合い、高いところからビーチのエキサイティングな光景をどっと見ていました。 大人たちは浜辺で忙しく、彼らは短い時間内に魚を切り取り、箱に入れなければならない。子供たちは一方で大人たちの生存能力を学び、親の仕事を邪魔してはならない。 大収穫!二百匹以上のイルカが入り江に集まり、遠くの海に行くこともなく、船に乗ってすぐに、元気なイルカを銛で捕獲することができたのは、今年生まれたばかりの子供たちのために、そして成長していく若い少年たちのために、海の神ポセイドンの恵みだった。 漁民たちは、毎年海を敬い、祈りを捧げることによって、海の皇神の恵みを受けることができると信じている。それは彼らの自然への畏敬の最も敬虔で直接的な報いであり、町全体が来年の今頃まで生きるのに十分な自然の恵みである。 車が走っている間も、優秀なスタッフたちはあまり知られていない砂浜に向かっていた。ない商売の間に誠実に取引がなければ、3回の��が来たように最終させてより大きな調整できる食べ物の運送会社の購買を放棄し、町にとって、采购商なしにどもった最古の年代に戻った——の少ない人は、治療のないお金、毎日未明、縦横無尽に海に、远くの地方性ハリケーンに会ったが、古代の伝説のあれらの海の怪物はすべて孤児が后代の楽しい幻想にあげることができて、あれは孤児として得ることができる最大の楽しい伝承です。 仕入先のFT社は今回の輸送を重視しており、地勢が離れているため、海のものの鮮度や食感は最高に違いないと考え、上層部が写真や映像を見た時点で、会議ですぐに輸送車の数を控えめにすることを決めた。 今日の収获の魚介類の多くのお金に换できる、これも糸守鎮なぜft会社との協力の理由は、より多くのお金のことは多くの食べ物、海洋の贈与は限られて、波の冬の恵みを適時にいつも、漁民らなければ分からないが、海洋と調和を節約との関係を食物の不足は、糸を守鎮の住民の冷たい、それはあまり良いことではない。 米会社の米は大陸から輸入され、でんぷん質が多く、住民がハリケーンの季節を乗り切れるほどだった。価格はかなりのもので、住民たちは子供たちと一緒に過ごす時間が多く、彼らは神の祭壇で老人から古代の皇帝や海洋の不思議な物語を聞くことができた。 子どもたちも元気にホタルを捕まえていますが、これは自然の恵みとお年寄りの知恵のおかげです。 漁師たちはもう一匹のイルカを漕いで砂浜に連れて行き、そこでイルカに新しい使命と死の意味を与えた。 岸の人用の锐利な刃イルカの生命を終え、それはとても上手と慈悲深いこと、良質の刀の質、海洋の生き物たちの苦痛を減らすことができる血液が流出したとき、イルカの死亡が、それらを一番優しいやり方で世界を離れ、それらの体は、新しい方式の昇華され、人々の祈りを得て、人間の感谢を受ける。 食べ物の前で涙を流す人は少ないが、海に対しては、イルカに対しては、人々は食卓の前に海に似た味を残す——イルカの献身に感謝する。 数百年前に、人々は無私に自分の一生を捧げて海洋を泳ぐ代価に哺乳中の母子のイルカを救うために1基の神棚を建てることができ(ありえ)て、次第に、1種の浪費であるようで、海は感謝する人類の祈りを聞いていないようです。樹木は霊でもあり、その存在は夏の木陰だけでなく、寒さをしのぐ丸太小屋の材料にもなる。 神棚の風習は次第に儀式に変わっていったが、それは糸守町の住民を結びつける行事であった。 イルカのヒレは速く平らに切り取られて、彼らは大陸人のようにヒレを残して、サメの体は海に戻って、浪費は糸が町の優秀な伝統を守るのではなくて、いつもより良い料理方法があって、自然は決して偶然に1種の浪費の可能性を提供しません。 魚の頭に沿って、斜めに切って、すばらしい赤い魚の身の膠を持ってイルカの脳の中で鎖をつけて、この美味は多くなくて、同じく非常に高価ではありませんが、FT会社と民族の習わしと伝統は1つの理念に食べ物の鮮度を保つことと異なる食感を升華させます。 続いて腹部の短い裂け目を開いて、食べられない胃や腸を舎てて、海に帰って、再びその命を、海は優しい態度ですべてを抱擁する。 二百数十年前までは、イルカの内臓も捨てられなかったし、貧乏人でも肥えたものが食べられた。お金持ちの家であれば、毎日の安全を守る自分の家族のユニークなメンバーに与えられていたかもしれない。使え��くなった腹や腸は、犬たちが一年間留守番をしてくれた恩返しになる。海が海辺の住民に海を守る見返りを無私に提供するように。 贫しい人々の多くは惜しんで、彼らが金品を残して、商売に良いのインテリアは、家族のために加え、数件の新しい服、学費を読む子ども塾に提供するために、古代の先生は会长に住むあるところに、先生が完成した彼の使命は、また新しいところから彼の使命に行くと、多くの子供を認識の字で、多くの子どもが书写文章。 先生が久しぶりに来ても、子どもに世界の捉え方を教えることができます。 これは先生の光栄で、彼は人類文明の認知に従って文化を伝承しています。 今の学校の先生たちに忙しく走り回ってでなくて、子供のごとに機会が理想の大学に合格する、异说専属のではなく、勤労と克己と坚持こそ過程で、子供たちが浪人多くの次は、彼らの亲は老人を楽しむ知恵の庇護を続けることができれば、糸守鎮学のある青年が希望すれば海洋と耕地を守り続ける大都市から帰国し、子供たちには未来がある。 イルカの腹部の肉を無駄にすることはできません、精緻なカット技術は肉の異なる部位をわずか20分ですばらしい収獲になります、尾の部分はとても安くなります、そこは多くの人が好む部位ではありませんが、シチューは別の味です。で大型のマグロやサーモンは、鱼眼処理の必要もない、と鱈の頭に入れて氷の内、スーパーでは、経済の规则は、鱈の頭をそれぞれ異なる部位に感谢者の選択。 イルカの腹には脂がのっていて、揚げたての香りが家族を楽しませてくれます。 魚の背の部位の肉は良い、スーパーマーケットの供給が不足して、これらの良い栄養は海洋が人類に与える前に苦労して、人々は消費する時海洋の難しさを感じることができて、調理過程の慎重さは海を離れた后にまだ存在することができる畏敬の念。 短い時間に、一匹のイルカ生命の使命を讴歌するを得て、それの肉を入れて氷され、多くの若者が室内へされ、氷が溶けない後の美味を失った。 ますます多くの町民がやってきて、家に備えつけの道具を手に入れ、自然の恵みをすばやく切り取り、保護しなければならなかったが、その恵みは、彼らが夜な夜な祈りと家族への保証をしたすべての行為のお返しに違いなかった。 砂浜と海の中ですべて新年のように楽しく活発な赤色を塗って、イルカの生命はここで海を讴歌して、彼らは自分の血と肉を献上して、感謝する人々を供養しています。 子供たちはとても喜んで、子供たちの喜びと興奮に感染されているようで、イルカの霊はもっと多くの仲間を呼んで砂浜に来て、自分の霊体を捧げて、彼らはこのように高尚で、驚嘆させる無私です。 作家が賛美イルカによる新入生、舞踊者がイルカの舞台で演じ続けになる海洋霊体の世界にしばし遊んだ。 共同の協力は生産方式であり、住民たちは手っ取り早くイルカを捕獲し、最も厳格な態度で霊体を切り取る。百数十匹のイルカはすでに室内に放りこまれていた。さらに遠くを眺めてみると、海にはもっと多くのイルカがいて、新生を待ち望んでいる。それが彼らの使命であり、古代の移動の先生のように崇高である。 仕事は午後四時まで忙しく、FT社の車は凍ったイルカの肉をひっきりなしに運んでいたし、運転手もひっきりなしにやってきた。彼らは今回のポセイドン提督の海での歓喜を過小評価していた。 もう十分だ、人は貪るべきではない、海辺に住む者はもっと素養の保持を理解できる。 浜辺はまた近くのイルカの呼びかけの唇を見ることができて、彼らはとても気前がよくて、十分で、残りのイルカは海の新しい任務に馴れ馴れしくて、彼らは離れて、他の場所に行きます。 さんびゃく件のイルカが十分に糸守鎮の住民は3年まで生き、来年もこの贈与すれば、この町の一部の富裕なる——それは不思议の大変化を——富裕と十分な物資を保有するのが容易ではない、だからいくら来年もない波の冬の贈与し、数日内に必ず異色の行事がある。 彼らはバイヤーと一緒に酒宴を楽しみ、バイヤーも家族連れの軽い海辺の旅で長い労苦を終える。 一風変わったイベントに違いない。子供たちの喜びと興奮は更に多くの霊感をもたらして、神の所の巫女は全く新しい方法でイルカの魂を召喚して、彼らがここから無事に海に戻ることができるようにします——生まれ変わって、泳ぎます。
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この本を続けて書こうと思っていたのですが、なかなかアイデアが出てこなかったので、午後に第1章を書き終えて、次の時間に完成させることにしました。 この本は海辺に住む愛すべき人々に捧げます。 日本に捧ぐ
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文化功労者顕彰を受けて
今回、文化功労者として選出されたことは、ぼく以後の後進のために、大変嬉しいことだと思っています。この種のジャンルの創作者、アーチストにとって励みになるからです。 本当にありがとうございました。 しかし、ぼくのキャリアを少しでもご存知の方は、不思議に感じていらっしゃることでしょう。名のある賞をとったこともないアニメ監督なのですから……。 ぼくに取り柄があるとすれば、世間的に職業と認められていなかった仕事をやるようになって、半世紀以上つづけてきたことだけです。 それでも、多くの応援してくださるファンがいてくださり、作品以外でも、広く認識していただける活動をしてくださった関連各位のスタッフがいらっしゃったからなので、それらの方々には、心より御礼を申し上げる次第です。 ぼくが小学校の頃から好きだったものは、漫画の『鉄腕アトム』と宇宙旅行だけだったのですが、小学校四年の頃に見た洋画では、SF的にはガマンできたのですが、何でこんなつまらない話が映画になるのだろうか、と感じたことから、現在の自分が始まったと回顧できます。 このつまらなさの原因を教えてくれたのが、『鉄腕アトム』のストーリーであって、“劇”というものがなければ、ロケットが飛んだだけでは面白い映画は創れない、と気づかされたのです。 そして、高校、大学と就職を意識しながらも、勉強はまったくお留守の学生だったので、虫プロに拾われたことで、結果的に、時代の最先端を走ることになったアニメの仕事をするようになり、さらに偶然の���配といえるのは、はじめてアニメ番組の総監督を務めたときに、手塚治虫先生の原作がある仕事だったことです。 この仕事はいろいろな事情があって、オリジナル・ストーリーを起こすしかなくなって、あわてて「児童文学の書き方といった本」を読んだ覚えがあります。その本については、タイトルも���どなたが書いたものなのかの記録もないのですが、その本が教えてくれたことは、子供に読んでもらえるものは、作者が全身全霊をかけて書いたものでなければ、子供は見抜いてしまう。大人相手に書くもの以上に、体重をかけて企画し、書かなければならないという哲学を教えられたことです。 その考え方が、ぼくにとっての『海のトリトン』(1972年に放送)で実践したことであり、それ以後の作品では、もうひとつの柱を設定して、仕事を続けました。 それは、アニメ番組でも公共放送の電波を使わせてもらっているのだから、公共的な意味のある物語を提供すべきであるというテーゼです。 その意味では、アニメのストーリーテリングは万能である、ということを意識した作品作りをしてきたつもりなのです。 そのような姿勢を評価していただけたのではないかと想像しておりますが、すべからく、時代が生かさせてくれた結果であると思い、心から感謝する次第です。
令和3年11月5日 富野 由悠季
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yui,,YUI
FLOWER FLOWERのインコのhave a nice day ツアー 2018.05.09 Zepp TokyoのLive映像を見た。
本当に、最高すぎた なんというかもう言葉が出てこないくらいに最高だった。 正直、6000円高いなとか思っていたけど、もうお金とかどうでもよくなるくらいに良かった。 まだ見ていないのであれば絶対見たほうが良い 今まで見てきたLive映像の中で間違いなく一番素晴らしいものだと思う
まず音が素晴らしい。 一応、今持てる最高の環境で視聴していて、PS4→USBサウンドカード→Sennheiser HD25-1Ⅱ で聴いていたんだけど、音の解像度が半端ない。 とにかく、爆音で聴くことを推奨します。 そして演奏が上手すぎる。 mura☆junとか、キーボードちょっと弾いてるだけだろーとか思ってたんだけど、もう、ほとんどのサウンドメイクをしていてヤバイ。カッコ良すぎた mafumafuやsacchanに関しても、安定感というか、余裕そうな感じがプロだなと感じた。 yuiの声も、ギターも。 yuiの歌っているときの姿って、なんであんなに儚く見えるのだろうか。 今にも消えてしまうんじゃないかっていう 命を擦り減らして歌っているような、その歌声を聴いているだけで涙が出そうになる。 本当に輝いてみえる
映像に関しても、めちゃめちゃ綺麗だし、yuiかわいいし。 色んなアングルで臨場感がかなり出ていた。 NagoyaのZeppでフラフラのライブは見ていて、こんな最高のLive他にないだろうって思っていたけど、TokyoのZeppに嫉妬してしまうくらい良かった。 yuiがメンバーも、スタッフも、観客も全部巻き込んで自分のペースにしてしまってて、楽しそうで。 フラフラ本当やばい、 間違いなく一つ言えることは、フラフラは、Liveで真価を発揮するバンドだということ。 CDの音源とレベルが違うんじゃないかな 熱量とか、音の力が正直全然違う気がする。
踊り→時計 のあたりで持てる感情の最高値に達していたと思う笑 アンコールのCHE.R.RYのとき、YUIはそこに居た。 紛れもなく、YUIが歌っていた。 FLOWER FLOWERの曲も、YUIの曲も、比べるものじゃないと思った。 yuiの生きている時代に生まれてyuiの曲を聴けることが本当に幸せ
なんていうか、自分でも気づいているんだけど、たぶんもうBUMPよりも何倍かYUIのことをFLOWER FLOWERのことを好きになってしまったような気がする。 それが意味するのは、もうどうしようもないくらい好きになってしまったということで。 こんな凄いLiveできるのはyuiしかないと思う。
ずっと歌い続けてほしい。 歌っている時のyuiは儚くて消えてしまいそうとは言ったけど、yuiはずっと歌い続けて、生きてきたんだよね もし、YUIを引退して音楽をやめてしまって、歌うのをやめてしまったら、今のyuiは生きていないと思う。 あんなに楽しそうに歌っていて、いきいきしていて、心から感動する音楽を届けてくれて。本当に感謝しかない。 ずっとずっと、歌い続けてほしい。聴き続けるから
そして、ぶっこみます。徹夜覚悟で、YUIのTOKYOの歌詞解説。
youtube
YUI - TOKYO
この映像、本当に好きで、コメントにもあるけど、まさにBest takeだと思っている。 ギター一本と歌だけで、こんなに心に刺さるんだもの。 さっきも2回もいったけど、曲の最後のほうとか、本当もうYUIがいなくなっちゃうじゃないの?っていう感情で泣きそうになるよ 神聖というか、無垢というか、 言葉で説明するには足らなすぎる。わかるよね。。
それで、TOKYOの歌詞解説をしたいとずっと思っていたんだけど、 その解説をする前にYUIが上京するまでの生い立ちをまとめたり、 上京してから、この2007年、武道館で歌うまでのことをまとめたいっていう欲があって、そんなことしてたらほんとに朝になりそうなんだけど。いけるかな… 行くぞ、突っ走れ。今しか書けない。 軽く見たところ、TOKYOの歌詞解説を他にしているところはなさそうだ。
生い立ち
YUI
1987年3月26日生まれ本名は吉岡 唯
出身は福岡県
小学生の頃から、歌手になりたいと思っていた。母親の影響もあって、小さい頃から歌うことが好きだったそう。
その後中学3年生の頃から、ノートに詩を書き溜める。
高校には進学したが、学費を稼ぐためのアルバイトで体調を崩してしまい入院。退院後に中退した。
その後、ストリートライブを行っていたビアンコロネと知り合い、音楽塾ヴォイスの存在を知り、そこへ通いギターと曲作りを学び始める。
自宅の布団の上であぐらをかきながらギターの練習をし、覚えたコードで曲作りを始め、初の自作曲「Why me」を制作。福岡市天神の路上などでもあぐらをかきながらギターの弾き語りを始め、知り合いのライブの前座や音楽塾関係のイベントでライブハウスにも出演するようになる。
2004年3月に塾関係者の勧めでソニー・ミュージックのオーディションに応募し、約2万人の応募者の中から10人に残り、最終審査を受ける。
この時も普段の路上ライブと同様にあぐらをかいてギター弾き語りで「Why me」と「It’s happy line」を歌ったが、どうしても聴いてもらいたいという思いからまだ歌詞のなかった「I know」を短縮で追加して披露。審査員の全員が最高点をつけた。
その後ソニー・ミュージックグループの各レーベルで争奪戦となり、デビューが決める。
「feel my soul」でデビューし、その後「Tomorrow's way」、「LIFE」を発表。
そして4thシングルとして、この「TOKYO」が発表された。
ここまでは、Wikipediaを参照。 続いてヴォイスの講師のインタビューから、 http://www.voice-tokyo.com/column/vol04/
ー初めてYUIと会ったときの印象はどのようなものでしたか? 「彼女はまだ中学生でしたが、同じ年代の普通の子とは全く違う雰囲気を持っていましたね。"絶対に音楽をやるんだ!"という強い気持ちが表れている目をしていました。」
「まだ彼女が入塾間もない頃でギターも弾けなかった時にAvril Lavigneの『complicated』を自分のオリジナルの歌い方で歌っていた事がありました。普段歌っている声とは明らかに違う雰囲気で、自分の世界に入り込んで自分の世界を出しているその歌声に強烈に惹きつけられました。その歌声に触発されて、曲を書きたいという衝動に駆られましたし、すぐ一緒に作り始めました。同時に、声の魅力というのは作られたものではなく、素材の中に光るものだと改めて認識させられましたね。」
「歌や音楽を聞いた時に、ドキドキがとまらなかったり、泣きそうになったり、楽しくて躍りだしそうになったりとか、そういうスイッチってありますよね。僕の場合ですが、そういったスイッチを片っ端から押された時、曲の構想だったり、メロディが出てきたりします。音楽的な化学変化というのは間違いなくあると思いますね。」
「以前"癒しの声"とはどういったものかを分析するテレビ番組を見た事があります。その番組では、声を聴いた時、人間の脳の中には『α波』というのが出るらしく、その量が多い声がいわゆる"癒しの声"だという一つの分析結果を出していました。もちろん僕は自分の頭の中で『α波』がどれくらい出ているかなど測定した事はないので、なかなか説明は難しいですね。"いい声"というのは、もしかしたら自分だけがそう思い込んでいるのかも知れないですが、でもその思い込みの強さがどうあるかが僕は大事だと思っています。人から『いいでしょ』と言われても、自分の中で化学変化が起こらない時はどうやっても起こらない。とは言え、作る立場からすればリスナーの評価は大事です。非常に難しい事ですが、研ぎ澄まされた感覚を持って判断をしていくしかないですね。」
「ソニーオーディションの決勝大会は予定では2曲しか歌ってはいけなかったのですが、突然3曲目を『続きの曲です』などと言って勝手に歌い始めたんです。びっくりしましたね。まるで昨日のことのように覚えています。(笑)オーディションが始まる前に3曲目は絶対に歌ってはダメだと本人にも念を押していたんですが、ニヤッと笑っていたので『もしかしたら・・・』と心配していましたが、案の定、歌詞はでたらめのYUI語で、即興で披露していましたね。(笑)」
「はい。その後叱られると思ったので、YUIと二人逃げるように会場を去り、羽田空港に向かいました。(笑)福岡空港に着いて携帯電話を確認するとたくさんの留守電が残っていました。これはかなりまずいなと思って聞いてみたら集まって頂いた全レーベル、審査員の全員が最高点をつけたので至急連絡を下さいという、思ってもいない内容でした。そこからYUIの人生は大きく変わり、プロの道へと進む事になりました。」
「まさか、ギターを弾いて歌うシンガーソングライターのトップまで登りつめ、未だに半ばレジェンド的な存在として扱われる事になるとは、思いもよりませんでした。ただ、きっと何かを変えてくれる存在になるという確信は自分の中にはありました。デビュー前に音楽塾ヴォイス福岡校の六畳一間のレッスン室で何曲も曲を書きました。YUIという存在を目の前にし、その声の持つ世界観に圧倒され、自然にメロディが舞い降りてくる事も多かったですね。1日1~2曲という物凄いペースで制作を行っていました。ソニーのオーディションを受ける以前、���部では『こんな音楽は古い、時代と逆行している』という意見もあったのですが、普遍的な音楽はいつの時代も変わらず人の心を感動させる事ができると信じて、ブレずにやっていました。10年経っても色褪せない音楽は絶対にあると信じていました。結果は思っていた以上の反響があり、その後のYUIの音楽人生に大きく繋がっていったと思います。」
すごく、よく分かる。 理解ある、この講師の人に出会えてよかったと思います。 本当にYUIの声は、いいんだなぁ。笑 自分の中ではまさに癒やし声です。
次、TOKYOのインタビューに行きます。 http://www.hotexpress.co.jp/interview/yui_20050118/
まずYUIさんが音楽に目覚めたキッカケみたいなものを聞かせていただけますか。
YUI:小さい頃から音楽は好きで聴いていたんですけど、憶えているのは、母のカーステレオとかラジオから流れてくる音楽をよく聴いて覚えたりして歌ってたんですよね。それで自分で本格的に音楽をやろうと思ったのは、急にそう思ったというよりはどんどん気持ちが強くなっていった感じで。それで、15歳、16歳ぐらいのときに決心する時期も来て・・・。
決心する時期というのは、高校を中退すると決断したとき辺りだと思います。 中学の頃から音楽をはじめて、アルバイトや勉強に追われて体調まで崩してしまったとき、音楽の道へ進もうと決意したのではないでしょうか。
-ギターを覚えたのもその頃?
YUI:そうですね。15歳、16歳ぐらいのときに初めてストリートライブを観たんですよ。それで、そのストリートミュージシャンの方々がライブを終えた後に「本気で音楽をやりたいんですけど、どうしたらいいんですか?」的なことを聞いたんですよね。「どうにかしたいんですよ」って。そしたら地元に、福岡なんですけど、音楽塾があるってことを教えていただいて、そこに通うことにしたんです。それから音楽塾でギターと曲作りを始めました。ある程度ギターが弾けるようになってからはミシェル・ブランチさんの『グッドバイ・トゥ・ユー』を弾いて歌ったりしてたんですけど、その曲は最近でも学園祭ツアーとかで披露したりしてますね。
要所要所にコメント添えたくなってしまう。 これは先程も説明したビアンコロネから塾を進められてという部分ですね 「Good bye to you」はYUIがコピーしているのをよく聴きました。 ビアンコロネと一緒に歌ってるやつあるから、絶対見て!! https://www.youtube.com/watch?v=eXz2YIVJ3os
-音楽塾を知るまでは、音楽を本格的にやるためにどうしたらいいのか模索していた感じだったんですか?
YUI:音楽をやりたいけど出来ない時期はありましたね。学校とバイトをこなしていく中で時間が無くて、これを続けていても“この先に音楽はないんだろうな”っていう風に思っていて。そんな中、体調を崩して入院してしまって、ただそのときに考える時間が出来て、“やっぱ音楽をやりたいな”っていう想いが強くなって。そんなときに先ほどお話ししたストリートミュージシャンの方々に出逢ったっていう。
-ちなみにその福岡の音楽塾っていうのはどんなところだったんですか?
YUI:本当に塾っていう感じで、人間と人間が触れ合うようなあったかい場所というか、みんな本気で音楽をやっていて、教えてもらうっていうよりはいろんな人の姿を見ていて思うこと、感じることでいろいろ学べる場所でした。もちろん音楽的なことも学んだんですけど、やっぱり人間的なことで音楽塾のいろんな方と触れ合うことができたのが一番大きかったですね。信頼する人ができたというか。
これは先程の音楽塾ヴォイス塾長の西尾芳彦さんとかかな。
-なるほど。あと詞に関してはいつ頃から書くようになったんですか?
YUI:詞は中学三年生ぐらいからだったんですけど、歌詞というよりはポエム的なものを書いてましたね。母に聞いた話なんですけど、私は小さい頃にポエムを書いていたと聞いたんですよ。それがキッカケになって、再び書くようになって、その詞、ポエム的なものだけを書く時期がしばらくあって。で、音楽を本格的にやり始めて、それで“歌詞”というものを書くようになった感じですね。
-そうして本格的に自身の音楽を生み出せる環境ができた頃には、今の状況というか、“デビューを目指す”っていう意識は強くなっていたんですか?
YUI:良い曲を作りたい、良い詞を書きたい、納得のできるものを作りたい、そういうことばかり考えていたかもしれませんね。デビューに関しては、たくさんの方々に支えられて出来たこと、結びつけてもらったものなので、私はとにかく単純に良い音楽を、自分が納得できる音楽を作っていきたいと思っていた感じですね。
-そんなYUIさんがデビューすることになった具体的なキッカケは何だったんでしょう?
YUI:ソニーミュージックのオーディションを音楽塾の方に勧めていただいて、それを受けたのがキッカケですね。そのオーディションの最終審査で東京に初めてやって来たというか、福岡を初めて出たんですけど、オーディションの会場ではみんなスタンドマイクで歌ってたんですけど、私は「あぐらで弾いていいですか?」っていうのを聞いたりして、それを了解していただいて。で、弾き語りだったんで、本当はひとり2曲以内だったんですけど、もう一曲聴いてもらいたい曲があったのですごく短くして、結局3曲歌ってしまったっていう。
-その3曲っていうのは、今はすでにリリースされている曲?
YUI:3曲ともCDに入ってますね。インディーズでリリースしたシングルに入っている『I know』と『It's happy line』、それとデビューシングルの3曲目に入っていた『Why me』を歌いました。『I know』はまだそのとき作りかけだったので��タラメ英語で歌ったんですけど。
-そのオーディションに受かった後はどんな動きがあったんでしょう?
YUI:合格してからは、曲作りとかレコーディングのために福岡と東京を月に2,3回、行ったり来たりするようになっていって、そのあいだにデビューシングルを制作していって、そのあと上京、こちらで生活するようになった感じなんですけど、今回リリースする『TOKYO』はその時期、2004年の9月に書いたものですね。
オーディションがあったのが、2004年3月、TOKYOを書いたのは9月。
-東京に来たばかりの頃はどんなことを考えたりしてました?
YUI:東京に来て考えるというよりは、福岡を出る前にいろいろ考えました。なので東京に来てからはもういろんなことを吸収したりとか、そういうことを意識してましたね。責任感というか、気負いした感じというのは福岡を出る前ぐらいからあったかなとは思うんですけど。今はあんまりそこについては考えすぎないように心掛けてます。
ここから、feelmysoulとかについてもいろいろ書かれていますが今回は端折ります。 もうね、カルマの時のトラウマが蘇ってますよ。
-分かりました。では、今日のインタビューのメインとなりますニューシングル『TOKYO』についてお話を聞かせていただきたいのですが、こちらはすでにライブでは歌われていた曲ですよね?
YUI:はい。【ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2005】とかでも弾いて歌っていたんですけど、ファンの方から問い合わせとかリクエストとか頂いて、今回リリースすることになりました。福岡でラジオをやっているときも番組のエンディングとかで流したりしていて、ラジオの番組宛にも「この曲何て言うんですか?」的な問い合わせをたくさんいただいて、それもあってですね。で、今回CD化させてもらったこの曲は、17歳の時、2004年の9月にレコーディングしたギターと歌をそのまま収録してるんですよ。だから歌い直しはしてないんです。
-その頃の自分の歌を改めて聴いてどんな気持ちになりました?
YUI:やっぱりどこか切羽詰まった部分だったり、気負った感じだったりっていうのが声に出てるのかなとは思うんですけど、逆に私は周りの方からの反応が気になりますね。すでにそういう声は聞かせてもらってるんですけど、やっぱり上京したときのことを思い出したりするみたいで、いろんな方が同じ気持ちだったのかなって思ったり。
-ちなみに『TOKYO』の作曲クレジットはCOZZiさんになっていますが、彼のこの曲のデモを聴いたときにやはり強く感じるものがあったんですか?
YUI:デビュー前、福岡と東京を行き来していた時期に、曲作りやレコーディングの合間とかにいろんなアーティストの方のデモを聴く機会をいただいていて、そのときに興味を引くデモはたくさんあったんですけど、その中のひとつにCOZZiさんの原曲があって、それを聴いてると、自分がノートにメモしていた上京のときの気持ちや感情がリンクしていったんですよ。それでそのCOZZiさんの曲にその場で詞を書き上げていったんですよね。そのまま曲のコードも分かりやすかったので、すぐスタジオに行ってギターの弾き語りを録りました。
-じゃあ、あの歌詞の内容は上京時のYUIさんの気持ちがそのまんま綴られているわけですね。
YUI:そうですね。
-上京するときはギターを担いで、新幹線乗って。
YUI:・・・飛行機でしたね(笑)。そのときは亀と金魚とギターとリュックみたいな感じで、上京しました。亀と金魚は飛行機大丈夫かな?と思ったんですけど・・・まぁその話はいいです(笑)。
-(笑)。この『TOKYO』っていう曲は、先ほども言っていましたが、共感する部分、胸に強く響く曲だと僕も感じたんですが、YUIさん自身の中でもすごく大切な曲になってますか?
YUI:すごく大切な曲になってますね。他の方が作曲したとか関係なく、すごくこの曲が好きだし、いろんな方の反応を聴いても良い曲になってると思いますし。
インタビューにもある通り、作曲者はCOZZiさんです。 他にも多くのYUIの曲を作曲している方です。 YUIがレコード会社と契約後、デビュー前の準備期間中に「自分の作った曲だけを歌っていては偏りが出てしまうかもしれない」というディレクターの意向で、勉強のためにと色々な作曲家のデモ音源を、東京の事務所で聞いている時にYUIの耳に強く残る曲だった。当時17歳。その日のうちに歌詞が完成した。
追加で、参考にしたいインタビューがあるのでそこの中から抜粋します。 http://news.livedoor.com/article/detail/1732876/?p=1 TOKYOのリリースのすぐ後のインタビューですね。
――福岡を離れ、東京で生活をする様になって、どれくらい経ちましたか?
YUI:1年5ヵ月とか。2004年9月に上京してきましたね。
YUI:「TOKYO」の歌詞にもあるんですね、「東京は怖いって言ってた」って。やっぱり、知らない街ということもあって、「そこでやっていけるかな」というか、「耐えていけるかな」みたいな、そういう気持ちや不安はありましたね。最初は慣れていないのもあり、上手く馴染めなかったかもしれないんですけども、今はもう随分変わってきていると思いますね。
―偶然、最初にYUIさんを知ったきっかけが映像や写真ではなく、音だったのですが、「すごくいい声してるなぁ」と。楽器と違って、声は生まれ持ったものじゃないですか。
YUI:小さい頃に「顔に合わない声をしている」みたいな感じで言われたことがあって、それがすごくコンプレックス的な。声が嫌いだったんですよね。だけど音楽はずっと好きで歌ったりしていたので、ストリートでライブをやったりして、色々な方に歌や音楽を聴いていただける状況になって、「いい声だね」とか「いい音楽ですね」と言っていただけた時に、初めて自分の声が好きになってきましたね。
―学生の頃に「バンドを組みたい」��か思った経験は。
YUI:高校1年で辞めて音楽の道に進んだので、そういうことも無かったんですけど、でも、バンドの音とかはとても好きではありましたけどね。
―気持ちいいですよね。エレキをデカイ音で鳴らしたりすると。
YUI:そうですね。今後ライブをたくさんするようになって、そういうロックな曲ももっと入れていけるようになれた時に、そういう歪んだ音とかでも入れて行きたいと思うんですけども、今はやっぱりスタイル…自分の作る音楽だったりを大切にしているので。もちろん音楽的に幅を広げていきたいし、視野も広げていきたいし、成長もしていきたいけども、今はそういう風に、アコースティックの音とかを大切にしてますね。
ネタバレになるかもしれないけど、冒頭のフラフラのDVDの中で、yuiが 「バンド楽しいよ!!、皆にもおすすめします!」 みたいなこといってたのを思い出した。 今は、バンドで、ロックな曲をやれてるよ。
―デビュー前にはストリートで歌ったり、オーディションを受けたりという時期があったかと思いますが、学校を辞めてまで音楽の道に進みたいと思った、初期衝動のようなものはありましたか?
YUI:音楽は小さい時から自然にそばにあったものだと思うんですけど、母のカーステレオやラジオから流れてくる、母が聴いていたのは大黒摩季さん、ユーミンさんだったんですけど、それを覚えて歌っていたり。その後も小学生になって「歌手になりたい」というようなことも言っていたみたいなんですけど、ずっと音楽はすごく身近にあった感じでしたね。
15~6才になって、バイトと学校を両立するようになって、時間がどんどん無くなっていっちゃったんですよね。自分の思うように音楽ができなくなってきて、ちょっと苛立ってしまったりしていたんですけど、その時ぼんやりと「自分のこの先に音楽の道は無いのかな」っていう風に思ったんですよね。その後に体をちょっと壊して入院してしまって、その時に考える時間ができて、「やっぱり音楽の方に進みたいな」というか、「音楽どうにかしたいな」という気持ちがすごく強くなって。学校と音楽というのは両立できることではなかったので、学校を辞めて音楽の方に進みたいなという気持ちはどんどん強くなってましたね。
その後にストリートライブに出会って、その時に生の音だったり、自分達の書き綴っている言葉で歌っているというのがすごく届いて感動したんですよね、衝撃というか。それで、そのライブが終わって話し掛けに行って、「音楽どうにかしたいんですけど」ということをお話ししたら、地元の福岡に音楽塾があるよ、って教えていただいて。それで、その音楽塾に入ってから、ギターと曲作りを始めましたね。
―自分の中にあるものを色んな人に聴いてもらいたいという、一方的な感情ではなくて、聴く側にもそれを同じように理解してもらいたいのか。それともまずは自分の中にあるものを伝えたい、それが聴く人によってどう解釈されるかは人それぞれで構わないのか、どっちなのかなと。
YUI:それはどっちというのもないと思いますね。自分の中にあるものを伝えたことで、同じ想いの人がいることに気付くと言うか。例えば「feel my soul」という曲は、上京するということで、もがきながらも前に進んで行きたいっていう気持ちを書いていて。もしかしたらそういう気持ちになったことがある方もいるかも知れないし、…っていうのは、今としては思うんですけど。「TOKYO」という曲も上京している時の気持ちをメモしていたのが曲になっているので、そういうところももしかしたら。「TOKYO」の場合は、ライブや福岡でやっていたラジオのエンディングで掛けさせていただいている時に、たくさんのお便りとか、「どんなタイトルなんですか?」というお問い合わせをいただいて、それでシングルとしてリリースすることになったんですけど。「そういう感情になったことがある方もいるのかな」という風に思いますね。
―自分はこういう風に伝えたつもりだったけど、聴く側は違うように解釈していて、それに対する苛立ちのようなものを感じたことはありますか?
YUI:それはもう逆に言えば曲を言葉で説明するよりも、「聴いてもらいたいな」という気持ちが強いですね。
カルマのところでも説明したけど、解釈どうのこうのよりも、「聴いてもらいたい」んですね。 良かった。間違ってなかった。笑 YUIも同じような感じなのかな。
YUIの音楽を一度でも耳にすれば、類稀なる彼女の才能は誰もが感じるところだろう。衝撃のデビューを果たした2005年、周囲の期待の声が大きいあまりに、YUIというアーティストの等身大の姿が見えづらい状況にあったのかもしれない。シングル「TOKYO」が、当時17才だったYUIの弾き語りに、必要最小限な音だけを加え、ノンタイアップでリリースされた裏には、そんな思いもあったのだろうか。「日々音楽」というYUIの言葉に象徴される様に、小さな体と顔に似合わずストイックで、不器用なくらいひたむきに音楽と向き合おうとする、彼女の姿が少しでも伝わればと切に願う。
痛いほど、伝わります。
どうでしょうか。 「TOKYO」を作曲した背景はわかった��しょうか。
前置きはこのくらいにして(長すぎる) ごめんなさい、もう少し前置きを延長します。 この映像(武道館でのTOKYO)について少し補足します。 この映像は、2007年11月19日、自身初となる日本武道館のライブの映像です。 3枚目のアルバムI LOVED YESTERDAYの初回限定盤のDVDに初の武道館公演(2007年11月19日)のスペシャルライブ特典映像が収録されました。 アンコールの、最後の、最後で歌った曲です。 最初の曲だった、「It's happy line」も、Youtubeにあがっているので是非。 僕が、ひとつだけLiveを遡って見れるのだとしたらこのLiveがみたいです。 なんというか、日本武道館はミュージシャンの中で重要な位置づけにあるような気がして、その初ライブ、大舞台で、出だしから路上ライブスタイルの 「It's happy line」。ギターと歌だけで武道館に立つ。最後の曲の「TOKYO」では会場の皆を号泣させた。 もう死んじゃうんじゃないの?泣 ってくらい儚くて力強い歌声に 武道館で歌う「TOKYO」 途中、涙をこらえて言葉が出なくなるシーンがある。
この映像を見てから、この曲についてまとめてみたいと思った。 友達にこの映像を見せても、反応はなし。 この記事を見せてやろうか。笑 ドン引きされること間違いなし
歌詞解説に入りましょう。
ここまでの解説で、もうわかってるよって思うかもしれないけど。 ちゃんとやります。
住みなれた この部屋を 出てゆく日が来た 新しい旅だちに まだ戸惑ってる
住み慣れたこの部屋 は、福岡の実家のことですね。 出てゆく日というのは2004年の9月。YUIは17歳。 オーディションからデビューまでが早かったということと、東京へ出るということに対する不安。そいうった感情の中から、戸惑いが生じていた
駅まで向かうバスの中 友達にメールした
朝のホームで電話もしてみた でもなんか違う気がした
ここの 「でもなんか違う気がした」 という部分。 人によって解釈が異なるのではないでしょうか。 友達にメールをして、電話もしてみた。でも、なんか違う気がした。 このメールと電話の内容は、「今から上京するよ」っていう内容なのかな? きっとそうだと思うんだけど。 一人で、駅に向かうバスの途中、ホームの電車待ち。 東京に行くことに責任感や気負っていた、不安を持っていたYUIは、気を紛らわすためにも友達と話したかったのではないだろうか。 普段、仲の良かった友達との別れ、「今から行ってくるよ、それじゃあね」 「あっちでも頑張ってね」なんてやりとりは、らしくない。
でもなんか違う気がした の「でも」の少しの違和感は、いつもと違うやりとりと、自分にある感情の少しの後ろめたさからじゃないかな 深読みしそう。全部の歌詞が真実を書いてるわけじゃないからね。笑 ここについては意見がほしい。
古いギターをひとつ持ってきた 写真は全部 置いてきた
ギターひとつで、思い出は持っていかない。 決意の表れだと思います。 もう東京にいったら、戻ってこないんだぞ っていう さっきのところだけど、友達との別れを今さら惜しむなんて、なんか違うよなって意味も含んでいるんだとすれば、福岡のことは、福岡にもう置いていこうと決意していたのかもしれない。そんなにYUIはひどい子か?笑 これは次の歌詞に続く。
何かを手放して そして手に入れる そんな繰り返しかな?
何かを手放す とは、福岡のことでしょう。 そこにいる友達や、思い出、自分の居場所。 それを手放して、新しい土地へ行く。 これからもそんな繰り返しなのかな?と少し不安に思う。 それで本当に自分は合っているのだろうか?
つよがりはいつだって 夢に続いてる 臆病になったらそこで途切れるよ
ここの歌詞、本当にYUIっぽくて好きです。 負けず嫌いで、決して弱みを人にみせようとしない。 前置きでは書いてなかったですが、高校で体調を崩し、肺炎になったとき病院で肺がんと診断され、余命宣告までされていました。 その状態で、後少ししか生きられないのなら本当にやりたいことをやろうと、ソニーのオーディションとは違うオーディションに出ています。 たぶん音楽塾に入る前の、歌だけのオーディション。映像もあります 何があっても、音楽の道を諦めない。強い意思がありました。 上京の際にも、きっと、つよがっていたんだと思います。 臆病になったら、そこで途切れるよと。
走り出した電車の中 少しだけ泣けてきた
窓の外に続いている この町は 変わらないでと願った
走り出した電車、もう後に戻ることは出来ない そこでようやく実感しはじめる。 強がってはいても、17年間も過ごした場所を離れるのは心に来るよね 窓の外を流れる景色に、思い出が蘇る 「この町は変わらないで」と願った
この町”は”っていうのが妙にひっかかって 自分は変わってしまうけど、この町は変わらずにいてほしいって意味に感じる。 自分の変化に対する不安とか、これで本当にいいのかなっていう疑問が残っている感じ。 故郷が変わらない安心感はほしいよね。その場所まで変わってしまったら、思い出までなくなってしまうんじゃないかって思う。
古いギターをあたしにくれた人 東京は怖いって言ってた
これは歌詞上のストーリー的な表現なのかな インタビューでもあった通り、YUIは東京のことを 知らない街ということもあって、「そこでやっていけるかな」というか、「耐えていけるかな」 と感じていた。 そういう不安から怖いと思っていたんだと思う。 でも、 自分の口からは怖いって言わないんだよね。 古いギターをくれたひとは大先輩みたいなもので、ギター(夢)を託すみたいな感じに解釈しても面白いけど。
答えを探すのは もうやめた 間違いだらけでいい
人生に、答えなんてない 上京するか、しないか 戸惑いや不安を感じていたYUIの結論。 きっと、上京するって答えは出てたんだろうけどね。 それがたとえ間違いだったとしても、自分のやりたいように生きていく。
赤い夕焼けがビルに途切れた 涙をこらえても
次の朝がやってくるごとに 迷うことだってあるよね?
簡単な考察だけど、朝出発して夕焼けが見える頃には、もう東京です。 赤い夕焼けがビルに途切れた って表現とても好きです。 都会ならではの切なさとか 電車に乗っていて、夕焼けがビルの間から顔を出したり、途切れたり。 電車の車内をチカチカと照らしている。 東京についてもまだ涙をこらえてる
朝がやってくるごとに迷うことだってあるよね →あります。自分は夜が来るたびにだけど。 それくらいにYUIは悩んでいたのかな レコーディングで福岡と東京を行き来していた時期があったといっていたから、東京に行くことについてたくさん考えさせられたんだろうな
正しいことばかり選べない それくらいわかってる
これ以上考えても仕方ないし、正しいことばかり選べない それくらいわかってる それでも、悩んでしまうもの
それはやっぱり、福岡を失うことに対する不安が大きかったんじゃないの?って僕は思います。 東京にいって失敗するとか、怖いとか、不安とか。 YUIならきっと、音楽の道を歩むためなら、そういうことに踏み込む勇気は持っているんだと思う。 自分の故郷を離れる不安や、後悔するんじゃないかっていう、そっちの気持ちのほうが大きいんじゃないかな? そればっかりは、きいてみないとわからないけど。 上京のことにかかわらず、そうやって悩むことはたくさんあるよね。
現在AM5:00 まとめましょう。
yui、最高です。 YUI、最高です。 FLOWER FLOWER、最高です。
おやすみなさい。 ありがとう。
(まとめだけ今度編集するかもしれません。)
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