#真木蔵人
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【以下、真木蔵人ステージ上でのMC】
盛り上がるのはいいんだよ、でもマスクは付けてくんねぇ
お前たちがお前たちの手でお前たちのイベントぶっ壊してどうすんだよ!
誰かがケツ取られんだろ
VIP席のみんなだってそうだよ、マスクぐらいしてやってくれよ
だから俺たちこれ開催出来るようになったんだぜ
なんでマスクしねーんだよ、おっ? 調子に乗ってんじゃねーぞ!
すぐこのイベント中止に出来るんだぜ
なんでだよ?お前たち騒ぎてーんだろ?楽しみてーんだろ?
だったら最低限のルールは守れよ! それ普通じゃねーかよ
色んなゴロツキがいっぱいいるんだよ、不良もいっぱいいるんだよ
わかる?その中で唯一出来ることじゃねーかよ
俺たちは感染を広げる為にこのイベントやってんじゃねーんだよ
わかるか?調子には乗んな!マジで
他の言うことは聞かなくていいよ
今日だけ聞いてくれよ、マスクして盛り上がるだけ盛り上がってくれよ それぐらいやろうぜ
自分たちそれぐらいのケツは持とうよ..
#namimonogatari#波物語#愛知#愛知県#常滑#常滑市#密#マスク#真木蔵人#マイク#ラップ#ラッパー#フェス#イベント#炎上#Twitter#ついったー#ツイッター#tokyoch#japan#jpn#話題#人気
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地蔵峠の道中にて

先日地蔵峠・唐沢の滝を見に行った際の道中もいい感じの場所があったので、足を止めてはパシャパシャと撮ってました。
今はもっと紅葉が進んでると思います。





開田高原側では御嶽山を真正面に望むことができます。
紅葉を見た後はそして、いよいよ冬になっていくのかぁ…個人的に好きでは無い季節がやってきます。
#風景写真#紅葉#木曽路#地蔵峠#御嶽山#景色写真#森林浴#カメラ#カメラ好き#カメラ好きな人と繋がりたい#sony#α7rⅱ#α7iii#macro apo-lanthar 65mm f2 aspherical#1424mmf2.8dgdn#japan#japan photography#秋#秋の写真#autumn
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Hinge presents an anthology of love stories almost never told. Read more on https://no-ordinary-love.co
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こちらへの投稿、ご無沙汰ぶりにございます。
先日のことではございますが、いつものメンツで久しぶりの撮影会に行ってまいりました。
今回は丹波篠山方面へ巨木巡り…なのに広角レンズを持っていくのを忘れるという。なので主に巨木の木肌を撮っておりました(笑) べ、別に衝動買いした安物レンズではしゃいでたわけじゃないんだからねっ!
まずは上立杭の大アベマキ。
It's been a while since I've posted anything here.
The other day, I went to a photo session with @masachi and his friends for the first time in a while.
This time we went to the Tanba-Sasayama area to take pictures of giant trees, but I forgot to bring my wide-angle lens. So I had to take pictures of the bark of the giant trees... I was disappointed to see so many powerful trees.
I'll start with the big Abemaki tree in Kamitachikui.
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【偉大なる先人たち】 アイヌ民族には、忘れてはならない偉大なる先人たちがいます。 熊狩りの名人(名猟師)でもあり 酋長(リーダー)でもある 『宮本エカシマトク様』 今回は、その長男である 『宮本トモラム翁様』の [カムイミノ]をデザインで表現してみました。 神をアイヌ語で「カムイ」といい、神に祈ることを「 カムイノミ」といいます。 今まで白黒写真でしか、お目にかかった事しかなかったですが もし、この時代に自分が生きていたら 是非共、お会いしたかったです。 話はさておき 自分の想いは 現代にアイヌ文化を生かしたい。 現代でアイヌ文化を活かした。 そうする事により、忘れては行けない大切な事に気付き 大切にして行きたい伝統文化によりスポットが当たるのではないかと考えております。 過去を学び 現在を知り 未来に生かす そうする事により アイヌ文化はより尊いものになって行くのではないでしょうか? 大切をより大切に 自分が好きなアイヌ文化をとことんカッコいい存在にしたい! もちろん側から見たらエゴかもしれません。 けど、信念は変わりません。 アイヌ文化を世界から愛される文化にしたい。 ただそれだけです。 そんな想いから、現代に活かせるようなアイヌ文化を創りたいと思い 先ずはアイヌ文化を知って貰おうと 今回、アイヌ文化を乗せた鞄を作りました! アイヌ文化を乗せた鞄に世界に旅に出てもらいたい 世界中の人にアイヌ文化の魅力を伝えたい 自分のミッションは アイヌ文化への入り口を創設する事です! 現在、マクアケというクラウドファンディングにて文化を乗せた鞄というプロジェクトを始めました! プロフィールページから飛べますので 是非ご賛同頂けたら嬉しいです! 皆様のお知り合いの方々にSNSを通してシェアして頂けるだけでも、とても嬉しく思います! 鞄を売るのではなく 文化の魅力を広めたい! 切なる想いです。 どうかプロジェクトページのシェアにご協力下さいませ。 宜しくお願い致します。 #木下清蔵遺作写真集 #宮本エカシマトク #宮本トモラム #アイヌ文化が純粋に好きって人達と繋がりたい #アイヌ #ainu#aynu #本革バッグ #トートバッグ #クラウドファンディング#マクアケ #アイヌ民族 #北海道#japan #先住民族 #伝統文化 #ゴールデンカムイ #白黒画像をカラーに変える #命を吹き込む https://www.instagram.com/p/BzBEY-ggTgY/?igshid=ltmqmkckknk0
#木下清蔵遺作写真集#宮本エカシマトク#宮本トモラム#アイヌ文化が純粋に好きって人達と繋がりたい#アイヌ#ainu#aynu#本革バッグ#トートバッグ#クラウドファンディング#マクアケ#アイヌ民族#北海道#japan#先住民族#伝統文化#ゴールデンカムイ#白黒画像をカラーに変える#命を吹き込む
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妻の実家にて #那須町 #栃木 #土蔵 #ジムニーシエラ #ジムニー #ジムニーのある生活 #jb64 #jb74 #jimny #jimnysierra #suzukisamurai #jimnylife #jimnylovers #suzukijimny #hokkaidojimny #オフロード #jimnygrams #ファインダー越しの私の世界 #山好きな人と繋がりたい #写真好きな人と繋がりたい #四駆 #新型ジムニー #4wd #ミディアムグレー #アウトドア (那須町) https://www.instagram.com/p/ChMa0M-v1CL/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#那須町#栃木#土蔵#ジムニーシエラ#ジムニー#ジムニーのある生活#jb64#jb74#jimny#jimnysierra#suzukisamurai#jimnylife#jimnylovers#suzukijimny#hokkaidojimny#オフロード#jimnygrams#ファインダー越しの私の世界#山好きな人と繋がりたい#写真好きな人と繋がりたい#四駆#新型ジムニー#4wd#ミディアムグレー#アウトドア
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浄土寺/愛媛県松山市【四国八十八ヶ所霊場】第49番札所
浄土寺とは 西林山三蔵院浄土寺(さいりんざんさんぞういんじょうどじ)は、愛媛県松山市鷹子町(えひめけんまつやましたかのこまち)にある真言宗豊山派の寺だ。 四国八十八ヶ所霊場第49番札所で、本尊は釈迦如来(しゃかにょらい) 本尊は行基の作と伝わる。 縁起によると天平勝宝年間に女帝・孝謙天皇(在位749〜58)の勅願寺として、恵明上人により行基菩薩(668〜749)が彫造した釈迦如来像を本尊として祀り、開創された。法相宗の寺院だったという。のち弘法大師がこの寺を訪ねて、荒廃していた伽藍を再興し、真言宗に改宗した。そのころから寺運は栄え、寺域は八丁四方におよび、66坊の末寺をもつほどであった。 空也上人が四国を巡歴し、浄土寺に滞留したのは平安時代中期で、天徳年間(957〜61)の3年間、村人たちへの教化に努め、布教をして親しまれた。鎌倉時代の建久3年(1192)、源頼朝が一門の繁栄を祈願して…

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#三蔵院#不動明王像#仁王像#四国八十八ヶ所霊場#寺#山門#愛媛県#木造空也上人立像#本尊#札所#松山市#松山市指定有形文化財#浄土寺#真言宗#行基#西林山#豊山派#釈迦如来#重要文化財#駐車場#鷹子町
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佐々木大樹が初めてではない!ブラジルでプレイしたアジア人選手
ヴィッセル神戸の佐々木大樹のパウメイラス入りを受けて、ブラジルのメディア、テーハが過去にブラジルでプレイしたアジア人選手を紹介している。
前園真聖。なんでこの写真?
エメルソン・レオンに見いだされて1998年にサントスに加入した。デビュー戦ですぐに得点したが、その後4試合しか出場機会を得られずにゴイアスに移籍し、ゴイアスでは出場機会がなかった。前園は1996年のアトランタ五輪でブラジルを下した日本チームのメンバーだった。
水島武蔵。サッカー選手になるという夢を抱えて遠く離れたブラジルにやってきたミッドフィルダー。水島はサンパウロFCの下部組織からキャリアをスタートしたが、トップチームでのチャンスはなかった。ソロカバのサン・ベントでプロデビューし、その後サントス、ポルトゲーザでもプレイし日本に帰国した。
菅原智。ヴェルディ川崎を指揮したエメルソン・レオンのリクエストによりサントスに加入した。4試合で1ゴールをあげたが、サントスサポーターの印象には残らなかった。2011年に引退している。
三浦知良。日本サッカー界のスターのひとり。15歳でサッカー選手になる夢をかなえるためにブラジルに渡り、サントス、パウメイラス、コリチーバなどのビッグクラブでプレイした。日本代表では91試合で56ゴール。現在は51歳で横浜FCに所属している。プロにおける最年長出場、最年長ゴールでサッカー史にその名を刻んでいる。
ジザオ(中国)。コリンチャンスに加入した初めての中国人選手。主目的はコリンチャンスの知名度を中国で上げることであった。現在は30歳になり、広州富力でプレイしている。ジザオはコリンチャンスで5試合に出場。短い時間ではあったが、コリンチャンスのサポーターに愛されていた。
佐々木大樹。ヴィッセル神戸から1年間のレンタル契約で加入。U-20世代の補強選手として加入し、トップチーム昇格を目指す。
最近では元川崎フロンターレでアヴァイでプレイした東城利哉がいるが、この記事では触れられていない。
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こないだ観た映画 『無限の住人』 屋根の上に立つ 木村拓哉氏 超かっけぇー👯♂️👯♂️🖤 無双シーンで斬られ役 、ではない 福本清三氏が 逆に趣深し #無限の住人 #三池崇史 #木村拓哉 #杉咲花 #福士蒼汰 #市原隼人 #戸田恵梨香 #北村一輝 #栗山千明 #満島真之介 #金子賢 #福本清三 #山本陽子 #市川海老蔵 #田中泯 #山崎努 #沙村広明 #雅-miyavi- https://www.instagram.com/p/COerLuzDkMo/?igshid=4k8kvylt9nwf
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#千鳥ヶ淵 #九段下 #半蔵門 #桜 #桜並木 #風景 #風景写真 #風景写真好きな人と繋がりたい #春 #春爛漫 #白黒 #モノクロ #bwモノクロ写真マニア #スナップ #blackandwhite #monochrome #spring #snapshot #japan #cherryblossom #landscape #snapshot https://www.instagram.com/p/CNEvxVtFhEH/?igshid=13iq0evh8djzh
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. 温水、地蔵橋から恩曽川 . #神社 #春日神社 #初詣 #七詣 #武甕槌命 #日本神話 #丘の上の神社 #温水 #厚木 #地蔵橋 #恩曽川 #神奈川 #ウォーキング #散歩 #厚木らぼ #niceatsugi #カメラ #写真 #写真好きな人と繋がりたい (Nurumizu, Atsugi-shi) https://www.instagram.com/p/CJk133zghvp/?igshid=gk5e5w76u283
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📸旧玉置家住宅 / Former Tamaki Residence Garden, Miki, Hyogo 兵庫県三木市の国登録有形文化財『旧玉置家住宅』の庭園が素敵…! 播磨国・三木湯の山街道沿いに江戸時代に建築された町家は、遠く上州館林藩により設立された“切手会所“…。館林藩主・松平家の家紋も残る蔵や明治時代に増築された近代和風建築から眺める“京町家の庭”のような雰囲気の庭園が美しい! 兵庫・旧玉置家住宅の紹介は☟ https://oniwa.garden/kyu-tamaki-residence-hyogo/ ...... 「旧玉置家住宅」は兵庫県三木市の中心部、神戸電鉄・三木駅の程近くにある国登録有形文化財の町家建築。 江戸時代後期〜明治時代に建築された主屋/離れ/廊下/東土蔵/西土蔵/北土蔵の6棟が文化財で、主屋座敷から眺められる庭園があります。 . 国登録名勝&兵庫県指定名勝の文化財庭園『旧小河氏庭園(旧小河家別邸)』を目的に2022年春に初めて��れた三木で見られるもう一つの庭園がこちら。 小河家と異なり庭園は非文化財だけど、この町家の庭もすごく良い! . 戦国時代には羽柴秀吉が攻め落とした『三木城』🏯の城下町だった三木、江戸時代中期の1747年(延享4年)から1842年(天保13年)までの期間は遠く関東の上州・館林藩の飛び地領になりました。 . その館林藩が財政立て直しを図るために1826年に設立した“切手会所”(=現在で言う銀行)🏦として建築・利用されたのがこの町家で、明治維新後の1875年(明治8年)に玉置家に所有が移りました。 . 玉置家の初代となる玉置大器氏は元は『雲龍寺』の21世紀住職で“大器晩成大和尚”と名乗っていたそう👨🦲“大器晩成”がそのまま名前になっていた人って居たんだ…。 この建物の取得とともに僧籍を去って還俗。三代目の玉置福蔵氏は小河家別邸の小河秀太郎とともに三木銀行の設立に携わりました。 . 現在残る建築のうち母屋と南蔵が江戸時代後期のもの、そして渡り廊下・離れ・土蔵2棟が玉置家の所有になって以降に増築された明治時代の近代和風建築。 離れ座敷では違い棚や欄間、襖などに素敵な意匠が見られます。邸内には勝海舟の筆とされる《抱朴含真》の書も。 続く。 ーーーーーーーー #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #zengarden #beautifulkyoto #beautifuljapan #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanarchitect #japandesign #japanart #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #bonsai #建築デザイン #庭園 #日本庭園 #京都庭園 #庭院 #庭园 #近代建築 #近代和風建築 #町家 #三木市 #文化財 #アート #庭園カフェ #おにわさん (旧玉置家) https://www.instagram.com/p/Cgx7GcsPSQh/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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無題
連勤明けの休日、冷蔵庫を開けてかちかちの苺を頬張る。朝はカフェで副流煙を浴びながらバイトして、それだけでも精一杯なのに、そのまま昼から夜にかけて高層ビルの一角で日々インターンに勤しんでいる。わたし、偉すぎるでしょ〜!と自分を誇らしく思うのと同時に、優しくあろうとするほど、優しい人こそが損ばかりする現実に気づいてげんなりする。Twitterで、「たくさん感謝されるということは、その分のあなたの人生を棒に振ったということ、あなたがこの宇宙で本当にするべき仕事をしなかった」という呟きをしている人がいて、あ〜ほんとうにそうだよな〜と溜息が溢れた。昨日、疲労に疲労が重なってひさしぶりに爆泣きした。それを恋人が赤ん坊をあやすような真似をしながら電話越しにわたしを宥める。帰省中でしばらく会っていないのに、この人いまこういう顔をしているんだろうな〜というのがわかって、すこし気持ちが落ち着いた。
春に夏、人生で1番すきな時期がや���てくる。わたしの素肌がその質感を憶えている。からだがみるみる軽くなっていって、見るもの全ての解像度があがり、まるですべての歴史を忘れたかのように海が、木々が、草むらが無垢に輝く。朝の香り、花の微細な滑らかさ、うつくしいものをみたとき、しゃぼん玉みたいにぽわぽわ言葉が浮かんでくる。長い睫毛に乗る光を横目に、心の中でシャッターを切る。だれに伝えるわけでも、書き残すわけでもなく、言葉が泡沫の如く流れゆく時間の中で、ただそれを見つめている自分だけがいるということ、その尊さを信頼している。
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愛染明王坐像〔重文)奈良国立博物館蔵
建長8年、 山城国相楽郡〔現在の京都府木津川市)で、大仏師・快成と小佛師快尊・快弁の手によって東大寺大仏殿の焼け残りの柱材を用いて造像・建立された愛染明王。
願主は真言律宗の開祖・叡尊の高弟で阿闇梨の寂澄。
尚、叡尊の高祖は空海です。
真言律宗は真言密教とその戒律である三昧耶戒(さんまやかい)を修学する宗派。
三昧耶戒とは、サンスクリット語のサマヤ(約束・契約という意味)からきており、仏との約束に基づく戒めと誓約という密教だけに存在する戒律のことを三昧耶戒といいます。
鎌倉・室町時代に一大宗派に躍り出た真言律宗ですが、明治時代にこの宗派も例外なく薩摩・長州の輩連中による廃仏毀釈によって復活が不可能というくらいの壊滅的な被害を受けました。
しかしその後、さまざまな知識人や常識ある人々の助けもあり、現在、北は福島、南は熊本まで100近くの末寺を擁する宗団にまで復活しました。
数多な国宝を有する京都・浄瑠璃寺も真言律宗の寺院です。
浄瑠璃寺はもともと奈良・興福寺の末寺でしたが、薩摩・長州からの廃仏毀釈で壊滅的な被害を受けた興福寺と同じ被害を受けないようにと、真言律宗に転じ貴重な文化財を守りました。
鎌倉時代作、奈良国立博物館蔵の重文・愛染明王。
真紅の身体と三眼六臂の憤怒相、怒髪天の頭上には、ひとたび雄たけびをあげれば、どんな猛獣や邪鬼もおとなしくなるという獅子の冠、後部には執着や愛欲を焼き���くす日輪形光背、腕には煩悩を打ち砕く五鈷杵に衆生の眼を覚まさせる鈴の五鈷鈴、悟りの世界の象徴である蓮の花、そしてトレードマークであるキューピットのような弓矢などを持っています。
仏教における仏は、そのいくつかが古代ローマ神話に出てくる神が起源になっています。
愛染明王もローマ神話の神クピードー(キューピット)が地中海からシルクロードを通り中央アジアでヒンズー教の神仏に姿かたちを変え、日本に伝わってくる過程で、このスタイルになったといわれています。
愛染明王は左手の第三の手だけは何も持っていない金剛拳のように見えますが、この拳の中には衆生の思いや願いに応じるための摩尼宝珠を隠し持っています。
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石の言葉
名古屋を巡る車の中で、静岡に砂丘があることを友人から教わった。鳥取以外に砂丘が存在することは意外だったが、私はちょうど、ぼうっと眺めるだけで済む単調な風景を欲していたところだった。というのも、このところ雑事に追われていたせいで、精神は干された雑巾のように疲弊しきっており、何事に関しても乾いた考えしか浮かばなくなっていたからだ。友人に請うて予定を変更し、翌日足を伸ばしてみることにした。
三月某日。朝から曇天。連休の中日であるせいか車道はしばしば滞った。昼過ぎにようやく浜名湖に着き、そばにある店で鰻を食べつつ、私は植田正治が撮影した写真を思い出していた。白い空と白い砂に二分された画面の中央に、黒い服を着た人物が立っている。現実から遊離した夢のような断片。まるでタンギーの時空にぽつんとある、マグリットのオブジェ。新しいのにどこか懐かしい、シンプルで強烈なイメージだ。そんな不思議な光景が、この先で待っているだろうか。重箱の蓋を閉め、肝吸いをすする。椀のなかにある黒い背景と白い肝のネガポジを反転すれば、近くて遠い異世界が現れるだろう。思いもよらぬ効果は、そのように簡単な操作で得られるのかもしれない。携えたカメラで何かを撮ってみよう。
中田島砂丘は浜松の南部に位置し、遠州灘に面している。砂は、その東端が接する天竜川の上流から運ばれてくるそうだ。駐車場に車を停め、滑り止めが敷かれた小道を歩いて登って行く。林を抜けると視界が開けた。友人が声を上げる。空と、一面の砂が広がっていた。砂���へと続く急斜面を、足を取られながら興奮ぎみに降りる。すると、不意に下方から視線のようなものを感じ、私は立ち止まった。目を凝らすとそれは人でも動物でも虫でもなかった。石であった。坂の下に、じっとこちらを見つめている石があったのだ。遠ざかる友人をよそに、砂に顔を打たれながら、私はそれを見た。あたりにごろごろ転がる石とは何かが違う。風と波の果てしない響きのなかで、その石は白くきわだち、寂しそうだった。
私たちにはどこか通じ合うものがあった。ルートを外れ、靴にざばざばと砂が入り込むのも構わず、石のもとまで無心で下って行った。拾い上げると、それは花崗岩であった。美しい卵型をしており、側面に少し平べったい部分がある。表面はチョコチップアイスを思わせる、白に��ずかな黒のまだら模様。握ってみるとたしかな重みがあり、旧知の仲でもないのに、手にしっくりとなじんだ。持ったまましばらく考え、その石を散策の相棒にすることに決めた。
石は、大人しい。しかしその性質はなかなか気難しい。浜を東へ歩いていく途上、こいつをどう扱おうかと悩んだ。ぐっと握りしめたり、持ち上げたり、掲げたり。ときに置いたり、立てたり、回したり。はたまた投げたり、落としたり、転がしたり。その全面が顔ともいえる、しかしいっさい動いてくれないカタブツをなだめすかしながら、何枚も写真を撮った。そのうち何やら、石の言葉が聞こえてくるような気がした。しかしその言葉とはいったいどんなものだろう。
雨に濡れて。/独り。/石がゐる。/億年を蔵して。/にぶいひかりの。/もやのなかに。
そう書いたのは詩人草野心平だが、なんでもない石について、石そのもののごとく簡潔に、そこに秘められた歴史と存在の必然性を言い表している。なおかつ映像的でもあり、事物を外部から見た限界ぎりぎりのところを巧みに描写している。とはいえ、それは石の発した言葉ではなく、あくまで人間から見た石の姿にすぎない。最終的にその主張を想像して汲み取るのは我々読者だ。詩人石原吉郎によれば、詩とは「沈黙を語るための言葉」だという。結局、我々が読めるのは「書かれた詩」でしかない。ほんとうの詩は事物と感興との沈黙の関係にあり、口にしたとたん霧消してしまうたぐいのものなのだ。ただしその意味で、カメラは言葉と同等に詩をつかみ得る道具となる。
石の言葉の意味は石にしかわからないが、聞くことはできる。それは生成と漂着の場所にこだまする音に根ざしているはずだ。ここは砂丘。海と空と砂と風がある。それらを組み合わせて固めた言語が質量となって、いま手のなかにある。石の組成、つまりこの風土の中心に改めて石を据えてみようと思った。空へと放り投げて、あるいは、太陽と重ね合わせたシルエットに向けて、シャッターを切る。一連の試行錯誤の末、徐々に一個の石の多様な側面が見えてきた。浜にある無数の石の中、風紋を斜めに切る光彩と陰影の間、人の足のような流木の上、それぞれの関係性の中で石は表情を変え、異なる何か訴えかける。それは静かだが、熱のこもった対話であった。
石のようになかなか動こうとしない私に友人はやきもきし、途中からどんどん先に進んでいった。帰りがけに走って追いついたところ、持って帰るつもりかと聞かれた。私は黙って首を振り、堆砂垣の向こうにそっと転がした。ホテルに戻ると、お気に入りを見つけたと言って、友人はポケットから小さな黒い石を取り出してみせた。彼は彼で写真を撮っていたらしい。そうしてにやりとしながら差し出されたカメラの画面には、私と石の出会いが切り取られていた。少し笑うと、名残惜しさが込み上げてきた。ふたたび永遠の海亀の卵へと還った石は、満月とともに夜を語り明かすにちがいない。ここちよい疲労に包まれてほんとうの石となった私は、夢幻のなかでその会話を聞いただろうか。








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The Quest for Buddhism (69)
Early Buddhism and the disciples
Ten Principal Disciples No. 9: Rahula - foremost in practicing the dharma meticulously and properly
Rahula (Ref1) was a biological son who was one of the 10 principal disciples (Ref) of the Buddha, was regarded as the first to have performed the righteous practice of esoteric Buddhism. He is also one of the 16 Arhats.
The story of Rahula is mostly in the Vinaya Pitaka (Skt, Pali; lit. 'Basket of Discipline') which is a Buddhist scripture, one of the three parts that make up the Tipiṭaka (lit. Three Baskets).
Raised by his mother Yashodhara (Ref2) and his grandfather King Shuddhodana (Ref3), the young Rahula followed the Buddha, when the Buddha returned to his home city of Kapilavastu, in spite of the hindrances of his mother and the king.
After Rāhula reached the Park of Nigrodha, where the Buddha was staying, the Buddha considered that the heritage of the throne would one day perish, and was tied up with suffering and stress: "I will give him the wealth I obtained under the tree of enlightenment thus making him the heir of an inheritance that does not perish."
Once Rāhula had become novice, the Buddha taught Rāhula regularly. His instructions were very age-specific, using vivid metaphors and simple explanations. Besides the Buddha, Sāriputra (Ref4) and Maugalyayana (Ref5) also helped to teach Rāhula. Rāhula often assisted Śāriputra on his rounds for alms in the morning, and sometimes on other travels. Every morning, Rāhula woke up and threw a handful of sand in the air, making the wish that he may be counselled by good teachers as much as those grains of sand.
Still in the same year as Rāhula's ordination, the Buddha taught his son the importance of telling the truth in a discourse known as “the Ambalatthika-Rāhulovāda Sutta: Instructions to Rahula at Mango Stone”. In this discourse, the Buddha taught and encouraged consistent self-reflection, to help let go of all evil actions that lead to harm to oneself and others, and to develop self-control and a moral life. He encouraged reflection before, during and after one's actions, and explained that lying makes the spiritual life void and empty, leading to many other evils.
King Shuddhodana, who was shocked by Rahula's ordination, pleaded with the Buddha not to ordain any more princes of the Shakya clan without their parents' permissions, which was accepted by the Buddha. Subsequently, it was established in Buddhism that parental permission was required for underage ordination.

仏教の探求 (69)
初期仏教と弟子たち
十大弟子その九: 羅睺羅 (らごら、梵: ラーフラ)〜密行第一 (みつぎょうだいいち)
ラーフラ(参照1)はブッダの実子である。彼は十大弟子(参照)の一人であり、正しい修行を為した密行第一と称される。また十六羅漢の一人でもある。
ラーフラの物語は、仏教の経典である律蔵 (りつぞう、巴・梵: ヴィナヤピタカ)に多く含まれている。『ヴィナヤピタカ』とは、サンスクリット語とパーリ語で「修行の籠」と訳され、仏典・三蔵 (さんぞう、梵:トリピタカ、3つの籠)の一部であり、僧伽内の規則である「律 (巴・梵: ヴィナヤ)」をまとめたもの。
母ヤショーダラー(参照2)と祖父シュッドーダナ王(参照3)のもとで育った若いラーフラは、ブッダが故郷のカピラヴァストゥに戻ったとき、母と王の妨害にもかかわらず、ブッダの後に続いた。
ラーフラがブッダのいるニグローダ精舎に到着した後、ブッダは王位の遺産はいつか滅び、苦しみとストレスに縛られていると考えた。「私は、悟りの木の下で得た富を彼に与え、彼を滅びない遺産の相続人にしよう」。
ラーフラが初心者になると、ブッダはラーフラに定期的に教えを与えた。彼の指導は非常に年齢に応じたもので、生き生きとした比喩と簡単な説明を用いていた。釈尊の教えにより、『初期仏教文書』にはラーフラにちなんだ多くの説話が収められている。ブッダのほか、シャーリプトラ(参照4)とマウドガリヤーヤナ(参照5)もラーフラを教えるのに協力した。ラーフラは、シャーリプトラの朝の托鉢をよく手伝い、時には他の旅にも出かけた。ラーフラは毎朝起きると、一握りの砂を空中に投げ、その砂粒のように良い教師に助言されるようにと願った。
ラーフラが出家した同年、釈尊は『アンバラティカ・ラーフーロヴァーダ・スッタ: マンゴーストーンでのラーフラへの指示』として知られる講話で、真実を語ることの重要性を息子に説いた。この講話の中で、ブッダは一貫した自己反省を説き、自分や他人を傷つけるあらゆる悪行を手放し、自制心と道徳的な生活を身につけるよう奨励した。また、嘘をつくと精神生活が空虚になり、他の多くの悪につながると説いている。
ラーフラの出家にショックを受けたシュッドーダナ王は、両親の許可なしにこれ以上釈迦族の王子を出家させないようにと懇願し、ブッダはそれを受け入れた。その後、仏教では未成年の出家には親の許可が必要と定まった:
"僧よ、両親の同意のない子供は、外に出してはならない。誰であれ(そのような者を)出歩かせる者は、不義を犯すことになる。"
#rahula#buddha's son#10 principle desciples#buddha#buddhism#wisdom#philosophy#history#vinaya pitaka#nature#art
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唐沢の滝と古いLレンズ

先日、木曽の地蔵峠にある唐沢の滝に行ってみました。
紅葉はまだ深まってなかったですね。
それでも結構人がいて良い場所で写真を撮ることができませんでした。
唯一の救いは望遠ズームを持っていたことですね。
普段は持ち歩かないのでラッキーでした。
で、その時持っていたのが「EF80-200mm F2.8L」という平成元年発売のキヤノンEFマウントで一番初期の大三元望遠ズーム。

カメラはα7シリーズになりますから、SIGMAのMC-11を介す必要があります。
ジャンクで¥1,600でしたが使えますね。
AF/MF切り替えスイッチが取れてしまっているのでMFでの撮影になりますが、三脚に乗せるので問題ないですね。
このほかに「EF20-35mm F2.8L」という上記大三元の広角ズームも持っていて、こちらは会社の先輩から頂きました。
ほんと、太っ腹な先輩で感謝しています。

開放では周辺が流れてしまいますが、絞れば綺麗に写ります。


なんなら標準ズームもジャンクで出てこないかなと密かに狙っていますが、まぁ無いでしょうね(笑)
古い機材もたまに出して使ってあげると、意外とよく写ったり面白いゴーストやフレアが出たりして、それはそれで楽しいものです。
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