#真珠星円叶
Explore tagged Tumblr posts
Text
数珠回し


"念仏申す者は如来の光明に摂取せられ又護念の利益あることを思うて唱えよ。
光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨 南無阿弥陀"
唐突に渡された再生紙に印刷された文字を読むことはせず、ただぼんやりと眺めた。
とある調査で、東京からバスで4時間ほどの中山間地域に数日間滞在していた。調査のほとんどが自転車による移動だったが、自転車では登れないような坂を手で押しながら登っては、ブレーキ音を響かせながら下りつつ、写真をとったりメモをしたりしながら調査を進めていった。
宿舎は調査対象地からほんの少し離れた小さな集落にある大きな古民家であった。もちろんエアコンなんてものはなく、日頃都会で過ごしている私たちからしたら、真夏に冷房なしで寝るなんてことは考えられないことであったが、夜には8月とは思えないほど涼しい風が吹き込み予想に反して快適に過ごすことができた。毎朝、食事当番が準備した朝食をほぼ同じタイミングで各々が食べた後にその日のスケジュールを全員で確認し、1日が始まる。
8月16日。この日もいつもと変わらぬ朝をむかえた。なにか変わりがあるとすれば、先日雨に打たれすぎたせいか少し喉の調子が悪かったことぐらいであったが、気にせず朝食を平らげ、スケジュールの確認をした。「本日も同様にこれから役場に自転車を取りに行き、そこから移動して別荘地の方を調査します。帰りは5時半ぐらいに宿舎に着いて、そのあと数珠廻しをします。では今日一日頑張りましょう。」と山田さん言った。みんな、元気よく「はい!」と返事をし、それぞれの部屋に戻り出発に向けて準備を始めた。
この日の天候はあまり良くなく、自転車で走ってる最中に雨が降り始めたが、前日も激しい雨に打たれながら調査をしていたせいか、雨は気にならなくなっていた。昼時になり、昼食をどこでとろうかと話し合っている時には、雨など気にならないと感じていた私たちに対してムキになったかのように雨は逆ギレし、その強さを増した。雨宿しながら、しばらく引きそうにもない雨を見て、正直悪いのは雨だし、そんな小さなことで逆上するとか心狭すぎだろと思い、引いた。
結局、そんな理不尽雨に打たれながらも、ファミレスまで自転車を飛ばし、まるでこの街の悪いところを模したかのような擬洋風なハンバーグを食べる後輩の横で、私はラーメンを相変わらず残した。
この後のスケジュールをどうするかということを谷口先生と山田さんが話し合っていた。さすがにこの逆ギレ理不尽雨とはもう付き合えないと言うことなのか「今日は雨も強いし、6時から数珠廻しもあるので宿舎にもどります。」と山田さんが言った。みんな、元気よく「はい!」と返事をし、自転車を一晩ファミレに置かせてくれと無茶な交渉をし、迎えにきた役場の車に乗り込み宿舎へと向かった。私は人数の関係上役場の車ではなく、山田さんの車に谷口先生と共に乗り、明日に向けての調査の下調べとは名ばかりの、きまぐれドライブをした。その時に「6時から数珠廻しがあるからそれまでにはもどらないとなー。」と呟いた山田さんを見て、ようやくある疑問が湧いた。そういえば数珠廻しとは一体なんなんだ。
さらっと、今日のスケジュールの組み込まれていた数珠廻しというプログラムを私はまるで、朝食の味噌汁の中にミョウガが入っていたことと同じぐらい、すんなり受け入れていたし、インスタントとは一味違う味噌汁の風味を楽しむように、数珠廻しというプログラムを無意識のうちに楽しみにしていたのだ。そして、そうとなるともう1つの疑問が生まれる。数珠廻しのことを知らないのは自分だけなのではないかと。1日を振り返ると、朝からみんなは数珠廻しという行事が組み込まれたスケジュール確認に対し、しっかりと返事をしていた。
宿舎に戻り、その行事が始まるまでに1時間ほど時間があった。山田さんの提案でその1時間は宿舎まわりの調査をすることになったが、心なしか山田さんの声が弾んでるように感じた。数珠廻しをよっぽど心待ちにしているのだろうか。実は私はこの調査をにあたっての事前打ち合わせに参加できなかった。そのときに、きっとみんな数珠廻しの説明を受けたのだろう。そう思い、私は共に調査をしていた友人に数珠廻しについて問いかけて見たが、なにをやるのかは誰も知らなかった。逆に皆が皆、数珠廻しに対し同じ疑問を抱いていたようだ。そうとなると、なにが行われるのか気になって仕方がない。ハンドス��ナーのように数珠を手で回すものなのか、あるいはベイブレードのように数珠を回して戦うものなのか、畑に立っている派手な装飾をしたカカシをみては、もしかしたら数珠廻しとはDJを回すようなパリピイベントなのではないかと想像したり、もはや「数珠」だと思っていた「じゅず」はじつは「十頭」と表記されるもので、十人の頭を刈り取ってそれを転がしていくものなのかと想像が止まらない。そんなことを考えているうちに時間はあっという間に過ぎた。
数珠廻しが行われる小さすぎる公民館に私たちは10分ほど早めに集合してしまった。数人でなんとなく会話をしていると、中からマリオと同じヒゲの形をした白髪のおじさんが私たちを招き入れてくれた。後に気づいたがそのおじさんはその集落の自治会長であり、あのヒゲはマリオよりもルイージ寄りであった。公民館に入ると既に数珠は準備されていた。予想よりもはるかに大きかった。無数の数珠からつくられた円周10mほどの輪っかが円とは呼べないほど乱れた形で畳の上に置かれていた。そして、これから行われる数珠廻しとやらを司る役となるおじさんがひとこと私たちにこう言った。「どうぞ円の周りに座ってください。ただ数珠は跨がないでくださいね。神聖な領域なので」と。思考をやめていた脳が再び想像の世界へと私たちを引きずりこむ。この円の中にもし足を踏み入れてしまったらどうなるのだろうか。数珠廻しとはこの円の外で行われるものなのか、もしくはある特別な儀式を経てこの中に入ることが許され、相撲紛いなことをするのか、、そんなことを考えていたら、再びさっきのおじさんがどこからか文字が印刷された紙をもって現れた。そしてこの紙をみんなに配っておいてといい私たちに紙を渡した。もう紙のことなんてどうでもよかった。なぜならば、紙を渡す際にそのおじさんは何のためらいもなく数珠を跨いで円の中に入り、私たちに紙を渡してきたからだ。つい数分前におじさんは円の中は神聖な領域だから数珠を跨がないようにと言ったばかりであったが、そのおじさんはいとも簡単にその領域へと踏み入った。動揺を隠せず、となりの友人に目をやると、友人も全く同じ気持ちであると言わんばかりの表情で私を見つめていた。あまりの衝撃的な光景に思考は停止し、紙に書いてある文字を読むことはせず、ただぼんやりと眺めた。
6人の村人が集まった。なぜか村人たちは正面玄関を使うことなく、裏口から出入りする。それが彼らの中での流行りなのだろうか。それとも今のところオカルトチックにも感じるこの儀式に参加する為にわざわざ異世界とつながる裏口からやってきてくれているのか、、裏口が気になる、、。数珠廻しには私たち全員は参加することが出来なかった。炊事当番は���珠廻しをせずに夕飯の準備をしなければならなかったからだ。しかし、数珠廻しがどんなものなのか気になったのか、少しだけ様子を覗きに来て、始まる前には戻っていった。その際に私の���つ左隣に座っていた女の後輩が炊事当番に声をかけた。「まわしてかんの?」と。その言葉には違和感があった、、。あまりに自然すぎる発言であったからこそ私はその言葉に違和感を抱いたのであろう。数珠廻しという儀式の名前の中にはたしかに、"まわし"という言葉ははいっているものの、何をするかは皆理解できていないはず。そんな状況ですんなりと「まわしてかんの?」なんて発言はできないはずなのだ。そう、彼女は経験者であるのだろう。そして、私の予想が合っているのならば、、彼女は異世界の住民である。私はまるで何事もなかったかのように、何も気づいていませんよ?というようなすっとぼけた表情で取り繕い、ちらっとそんな彼女を見てみた。正座している彼女の背筋は驚くほど綺麗に伸びていた。
そうこう困惑しているうちに、村人の一人が「それでは手短に、説明させていただきます」といい数珠回しの説明が始まった。説明はこの村のことについてからはじまり、気が付けば、彼の孫の話にまで発展していた。老人にしてはすらっと背が高く、手足の長い長老の話は、正直まったく手短とは言えない長さにまで達していた。われわれのメンバーの数人も長時間の正座に足がしびれたのか、もぞもぞ動いたり態勢を変えてみたりと、まだかまだかと耐えているようにおもえたが、「お前ら、これぞ修行なのだ!まだ甘い」と言わんばかりの表情の谷口先生は胡坐をかいていた。「あれ?先生正座じゃない?胡坐?」っと一瞬でも思ってしまった私は愚かだ。あれは座禅であった。谷口先生はまるで滝に打たれ、それでもなお穏やかな表情をしている。そんな幻想を体験したのは私だけではないであろう。そして、そんな幻想を体験した者は、そう数珠廻しに選ばれものなのであろう。まだ説明はされていないが、、、
数分後、説明はおわった。数珠回しは、いたって単純なルールであった。大きな数珠の輪を皆で持ち、時計回りにぐるぐる回すというものである。その数珠の中には特に大きな玉が一つだけある。それが自分の前に回ってきた時に願い事をその親玉に向かって心の中で唱えると願いが叶うというのだ。そして、もうひとつのルールは、数珠を回しながら「南無阿弥陀仏」と声を出して唱えつ続けることである。たたこれだけである。私は今まで何をそんなに深く考えていたのだろうか、、冷静に考えれば想像のつくことであろうに、自分は馬鹿だなー、おっちょこちょいだなー、天然さんだなー、あちゃちゃっうっかりさんしてしまいまちた。っと嘘天然ぶりっこ女かのように心の中でおちゃらけた。本来なら100回程この大きな数珠を回すらしいが、今回は体験ということで、三回だけまわすことになった。三回しか願い事を唱えられないのか、どんな願い事にしようかななんて考えていたが、うだうだ人生予備軍の私はもちろん就職祈願かなと心に決めた。
「それでは始めます」という長老のなんとも柔らかい合図で数珠回しが始まった。数珠回しに手慣れ��村人たちは「なーむ あみ だーーぶ」「なーむ あみ だーーぶ」「なーむ あみ だーーぶ」と言いながらスムーズに数珠を回していく。え?ちょっとまって?なーむ あみ だーーぶ??、、、まってまって、そんな独特なイントネーションあるなら先に教えて、まってまって、てかそもそも癖がすごすぎませんか?と、またせたがり女子のように心の中でツッコミを入れた。数珠の回るスピードは思ったより速かった。私も皆に倣い「なーむ あみ だーーぶ」「なーむ あみ だーーぶ」「なーむ あみ だーーぶ」と言いながら無心で数珠を回した。親玉はどんどんと近づいてきてついに私が願い事をする番となった、親玉は一瞬で目の前を横切っていた。その時私は小さな声で、「なーむ あみ だーーぶ」と唱えていた。正直パニクった。三回しかない大切な願い事の一回をなーむ あみ だーーぶしてしまったのだ。まさか、あんなにも一瞬で親玉が通り過ぎるとは予想していなかったので、周りからは何一つ変わりなく見えていたかもしれないが、私の気持ちは相当焦っていた。この願いには人生がかかっているのだから。
流れ星に願いをなんてのはよく言ったもんで、突如として現れ、一瞬で流れ去っていく流れ星に願い事をできた人なんて実際にいるのだろうか。「私は流星群の時に願い事したよ」なんてぬかすやつもいるだろうが、そんな話をしているのではない。そもそも、流星群の時に大量に発生する流れ星になんて何のご利益もないだろ。私がここで言いたいことは、偶然目に飛び込んで、一瞬で消え去る流れ星に願い事をするなど、どんな瞬発力があろうと不可能であろうということである。それはただ見れただけで奇跡なのだ。
それに比べて、数珠回しはどうであろうか。速いとはいえ対応可能なスピード、そして来ることが、来るタイミングが目に見えて分かっているのである。流れ星と比べるとその難易度はレベチに簡単であるうえ、願い事は何回もすることができる。こんな絶好な条件を逃すわけにはいかない。一回目のミスがあったにせよ、もう心は整た。二回目の親玉に向けて着実にタイミングを合わせていく。速さは徐々に遅くなっていくように感じた。目が慣れてきたのである。長年球技をやってきた私の目には、もはや親玉はボール同然のように見え、若かりし頃のスポーツプレーヤーとしての本能が呼び覚まされ、ほんの数秒うちに球に反応する瞬発力、チームをまとめる統率力、タイミングを見計らう忍耐力の鎧を身に纏うことができたのだ。もうこれで、負けるはずがない、どんな相手でも絶対に勝つ!仲間たちと勝利を勝ち取るのだ!若かりし私よ、そう興奮するでない、これはスポーツでもなければ戦いでもない。ましてや、団体競技なわけがない。ここは冷静に余裕をもって、来たタイミングに合わせてさらっとお願い事をするだけ。そう、野球でいうところの流し打ち、サッカーでいうところのワンツー、テニスでいうところのスライス、これでいいのだ。そんなに身構えずに行こうや。私は冷静さを取り戻し二周目の親玉に狙いを定めた。「なーむ あみ だーーぶ」「なーむ あみ だーーぶ」「なーむ あみ だーーぶ」よし、そろそろだ、3.2.1よしここだ。「なーむ あみ だーーぶ」。私はまたしてもやらかした。
言い訳を言わせてほしい。原因は二つあった。一つ目は初歩的なミスである。タイミングにばかり気を取られていた私は、願い事そのものを忘れかけてしまい、とっさに言葉が出なかったのである。二つ目は、思ったよりも横からの引きが強く、やはり予想よりも早く通り過ぎてしまうということである。願い事を2回も無駄にしている。しかし、思ったよりも心は不思議と冷静であった。それはきっと最後の一回に向けて、明確となった問題点を、しっかり対策をすればいいだけのことであるからだ。まずは、どういう言葉でお願いをするのかをここでしっかり決めておきたい。「自分に合ったところに就職できますように。」だめだ長い。この長さはあの一瞬では言えない。「いい就職先に出会えますように。」いや、これでも少し長いか。「就職できますように。」うん。言いやすい短さだ。具体性はないがシンプルイズベスト。これでいこう。そして問題はもう一方のスピードへの対策だ。あのスピードではだれも願い事などできないはずである。しかし、昔から続いているこのしきたりで誰も願い事をしたことがないなんてことはないであろう。そんなことを考えながら、冷静に数珠回しをしている村人に目をやった。スピードへの対処はいたって簡単なものであることに気が付いた。数珠回しに手慣れた村人たちは、親玉が自分のところに回ってきたら、それをがっちりと抑え、自分の前で少しだけキープさせながらお願い事をしているのである。これさえわかれば3回目は間違えなくお願い事をすることができるであろう。
「なーむ あみ だーーぶ」「なーむ あみ だーーぶ」三周目ともなると手慣れたように「なーむ あみ だーーぶ」と言えており、確かに南無阿弥陀仏がどうしてここまで崩れた言い方とイントネーションになったのかも理解できる。まあ、言葉が略されることは、世界のどこでもやられていることで、日本なんかはそれが特に多い気がする。この文章の文面でも使っていたように、「レベルが違う」という言葉は「レベチ」と略されるし、少し前の時代だと「超ベリーバッド」は「チョベリバ」と略されていた。もう少しだけ遡ってみるとしよう。明治時代には「ホワイトシャツ」が略され「Yシャツ」となって現在でもつかわれているし、江戸時代なんかには「南方仁先生」がJINが題名であるにもかかわらず「ミナカタセンセー」と独特なイントネーションで呼ばれていた。もっと前の時代になると「なかとみのかまたり」なんてのは「中臣鎌足」と表記され、あれ?「の」の部分はどこに行ってしまったのですか?と思ってしまうような特殊な略され方も存在するのだ。あれ?そういえば「略す」という言葉も「省略する」の略語じゃないか?いや、まてよ、略すはサ変動詞だから彼は彼で独立しているのだ。危うくだまされるところであった。まあ、そんなことはどうでもいい、私は三周目に人生にかかわる願い事を唱えなければならないのだ。
「なーむ あみ だーーぶ」「なーむ あみ だーーぶ」親玉は着々と私の方に近づいてくる。言うことも決まっている、しっかり親玉をキープすればいい、簡単なことだ。自分の番が近づくにつれ少しの緊張感と恥ずかしさを感じた。皆はどのようなことを、お願いしているのだろうか、「彼氏ができますように」「お金が増えますように」「明日もいい日になりますように」なんてことをお願いしてるのかな、なんて考え出すと、「就職できますように」なんて超重いお願いをする自分が情けないし、神様にとっても、荷の重い仕事だろうとは思ったが、この一人ではどうしようもない状況ではここかけるしかないのだ。神は死んだ。ニーチェの言葉にもそんな言葉があるように、別段私自身も神を絶対的に信じているわけでもないし、多角的に物事を判断したいとも思っている。しかし、だからこそ多角的に物事を判断したうえで言わせてください、今日だけは、今日だけは神は生き返りました。神頼みさせてください。
「なーむ あみ だーーぶ」「なーむ あみ だーーぶ」私の前にはあと5人。「なーむ あみ だーーぶ」「なーむ あみ だーーぶ」4人、3人、「なーむ あみ だーーぶ」「なーむ あみ だーーぶ」2.1.よし!いまだ!私は思いっきり親玉をつかんだ。しかし思った以上に引きが強く、こののままではキープできないと感じ、私は自分の身の方に親玉をぐっと引き寄せた。その時にふと思った。これは数珠回しではないんだなと。まるで、年に一度の市民運動会で毎年父が筋肉痛になっていた綱引きと同じ感覚なんだろうな。そう、これはもはや「数珠引き」なのだなどと思っていた矢先、親玉は私の手からするりと離れようとしていた。私は、はっとなり咄嗟に言葉を発した。「なーむ 、、、」もうこの言葉は私に引っ付き、私のそれを占領していたのである。小さな声で「あみ だーーぶ」とため息交じりに続きを唱えた。
それからというもの特に変わりはない。別段開き直りもしてない。日々着々と生きている。2018年12月24日大手広告代理店の面接。見事に一度目の「なーむ あみ だーーぶ」を食らって、人生の先が見えなくなった。と同時に、何かが吹っ切れ、酒にまみれたクリスマス以降、意外と物事は淡々と良い方向に進み始めた。結局のところ、私がお願いしてしまった「なーむ あみ だーーぶ」はどんな事なのかはいまだによくわからないが、とりあえず今はあと二回分の「なーむ あみ だーーぶ」を所持しているはずだ。それとも「なーむ あみ だーーぶ」は私の気づかぬうちにどこかで叶っているのだろうか。とか言ってますが、まぁ、そんなことどうでもいいっすね。今が楽しいしね。まんじ
1 note
·
View note
Text
83 Jewel
舟から落下し、雲の結晶の守りを失った体を容赦なく砂粒の嵐が叩きつける。バルナバーシュは痛みのあまり目をかたく閉じ、またルドの甲冑が擦れて苛烈に鳴る音を近くに聞いていたが、やがて嘆き怒れるもの全てが遠ざかり、たった一刻が一年とも思えるほど引き延ばされた長い暗転と沈黙のあと、気づけば横たえられた背に砂の感触をただただ安らかに感じていた。胸元の懐中時計が心臓とともに脈打っており、フェレスの力がわずかでも主を守護したのかもしれなかった。嵐の精霊たちの金切声は耳鳴りとなって頭蓋に残され、いまだ混濁する意識に逆らいつつ身じろぐと、やはり体の節々は痛んだが、いずれも些細なものに過ぎない。物静かに降りそそぐ雨が砂に擦れた頬を優しげに労わり続けている――あの激しい航海から墜落したにも関わらず、バルナバーシュは大した衝撃も怪我もなく沙漠に仰向いて倒れているらしかった。
上半身を起こ��て辺りを見渡すと、依然としてそこは闇沙漠であったが、まるで夢まぼろしだったかのように嵐のあとは何一つとして見て取れない。風もなく、雨は温かだった。だが、砂丘群を越えた先から遠雷がどよもし、ヒトでないものの叫び声が聞こえた気がした……それはまさしく嵐の前触れだった。
「ルドは……?!」
息を呑んで立ち、ルドとマックスの姿を探したが、雨にけぶる視界が探索をさえぎってしまう。ディオレから非常用にと預かっていた七色の光る小石を携行ランタンに詰めこんでありあいの明かりとしたが、みずからの道行きを助けるのが精々だった。ルドを呼ばわる声にもいらえは返されず、バルナバーシュは見上げるほどの砂丘のひとつをさして孤影悄然と歩みだした。高みから眺めれば彼らの明かりや、あるいはディオレと雲の小舟を見出せるかもしれない。バルナバーシュはひとり、嵐によってどこか遠くの地へ投げ出されたのだと思った。
しかし砂丘をようよう登りきると、突如としてバルナバーシュの足元は融けるように雪崩れて、目的を果たさぬまま彼は短い悲鳴を上げ、砂丘の向こう側へ無様に転がり落ちていった。まるで何ものかの意思が働いて彼を妨げ、前進する意気を削ごうとしている。乱暴に低地へ投げ出され、雨と砂にまみれて重く伏した体をどうにか起こすと、なにやら地面から発せられる、多くの名指しできぬ色彩の光が目にちらついた。
まさぐる手で正体を探ってみると、無数の石――それも数々の希少な宝石のかけらだった。ひとつを手に取ればそれは燃え立つルビーの粒で、他にも新緑を空想する橄欖石、アメシストの混沌、明晰たるシトリン、深き青の瑠璃、夢見る真珠……その魅惑ゆえに強い力にさらされ、幾星霜、あまたの人々に求められた末にこの辺涯に流れついた亡がらばかりだったが、それが皮肉にも惻隠と玉石たちのもろく儚げな純美を訴えかけてくる。あたりには同様に宝石のなれの果てが鏤められ、沙漠の夜に浮かぶ星々のようにかすかに煌めき、いまや遠い人々の心と流された涙を汲んでいた。宝石はバルナバーシュの七色のランタンを反射してさだかならぬ小径を示し、彼は半ば魅せられながら砂地を進みはじめた。
嵐の気配が近づきつつあり、先刻、小舟で挑んだはずのそれとほとんど似通っていることにバルナバーシュは奇妙な違和感を覚えた。一度止んだ嵐が、ふたたび生まれようとしているのだろうか。闇沙漠の精霊たちの沸き立つ怒りが魔力に慣れ親しんだ肌にひりつき、地表を走る風塵に外套が宙高くなびいた。宝石の径を踏みしめながらさらに進むと、やがて前方に巨きな岩――枯れ草がぼうぼうと茂る岩らしきものの影が見えてきた。それから人の姿が見え、声も聞こえる。雄叫びを上げているようだった。人影はヒトの身長を上回る長大な剛槍を突き出し、一散に岩へ突き進んでいく。
(ハイン……?)
直感に打たれたバルナバーシュは、唐突に風に逆らい、砂に足をとられながらも駆けだした。フェレスが脈打つ。再会の喜びではなく、不穏な胸騒ぎに追い立てられて彼は限りなく急いだ。ハインの身が危ない……! 剛槍は巨岩――いや、巨岩と見まごう獣、腐らずにおかれた太古の鯨の死骸のごとく砂地にうずくまる鈍重な体に、体表は太い毛に覆われ、頭部と思わしき場所には無垢な色に濡れた二つの黒曜石の瞳が埋まっている――その眉間を狙って繰り出されようとしていた。駆けつけると確かに人影は黒衣の外套をまとったハインであり、日焼けした明るく健康的な肌に、外はねの銀髪をターバンで無造作にまとめ、瞳は楽園のコーラルブルーの輝きに溢れていた。丈夫な長靴で砂を蹴り、勇猛果敢に彼は獣へ突撃する。間に割って入るのは叶わず、ハインの槍は外すことなく獣の眉間を深々と刺し貫いた。だが致命傷にもかかわらず、獣はその場で微動だにせず体毛を震わせるのみで、固く、鉄が弾けるような音だけが獣の内外で幾度も打ち響かれる。
「ハイン……ッ!!」
バルナバーシュの呼び声にハインは振り向いて、思いもよらぬ人物の登場に驚き、目を見開いた。獣の内部で高鳴る心臓が不吉な波動を発し、眉間に食い入った槍の奥からスペクトラムの光を放ちながらその巨体が膨張していく。バルナバーシュはハインの腕をしゃにむに引くとともに二人で倒れ込んで伏せ、銀剣アルドゥールを抜いて砂地に突き立てると、詠唱を介さず、代償にありたけの魔力と精神力を柄から流し込んだ。刹那、無音が支配し、獣は内に溜め込み続けた膨大なエネルギーを爆発させた――轟音と数知れない愛惜を抱いた宝石が命尽きる甲高い悲鳴のなか、獣は木っ端みじんに爆散して、すさまじい爆風と礫がバルナバーシュとハインを襲う。だが、アルドゥールを触媒にとっさに展開させた障壁によって、わずかな剥片だけが防具を浅く傷つけるにとどまり、二人はどうにか惨事から守られていた。
「バルナバーシュさん、あんた……どうしてここに!」 「今のが宝獣イープゥか……?」
バルナバーシュはこの状況について何ひとつ��えられず、逆に聞き返すしかなかった。ハインはきびしい面持ちでうなずいた。
「案内人の――幸星の民のグレイスカルに頼んで、イープゥの領域に立ち寄ってもらったんだ。イープゥの持つ宝石、砂のなみだを手に入れるためにな」 「私は君が危険を冒してでもイープゥに挑んだかもしれないことを聞いていた。なぜだ? 君が金目のためにここまでやるとは思えない」 「そう考えてるならとんだ勘違いだぜ、バルナバーシュさんよ……」
ハインは自虐の笑みを浮かべながら身を起こし、砂をはらった。あたりにはイープゥだった破片が粉々に割れたガラスのごとく無残に散らばっており、血や肉といった生々しさはほとんど見られない。ハインは砂のなみだを探してイープゥの破片のひとつひとつを調べ出した。破片は様々な石が融け合わさり、あたかもイープゥの体内で未知の異次元を構成していたかのように名状しがたい形状で、ゆがみ、重なり合い、およそ現次元にはありえぬ強烈な色相の移り変わりを閉じこめた複雑怪奇な結晶が多くを占めていた。
砂のなみだがどんな宝石かハインに尋ねると、彼にも分からないと言う。嘘をついている様子はなかった。
「だが、見ればきっと分かる。そんな気がするんだ……」 「ハイン、急いだほうがいい。じきに精霊たちが宝獣の死を嗅ぎつけてやってくる」 「分かってる!」
ハインは徹して目的のものを探し、バルナバーシュも仕事を手伝ったが、長くはかからなかった。ハインは見つけたと声をあげ、砂に汚れて濁ったひとつの石を迷いなくつかみあげると、鑑定せずにすぐさま腰に下げた袋にしまいこんだ。
「バルナバーシュさん、助けてくれてありがとな」 「友の危機に駆けつけられてよかったよ」
ハインが親しみをこめてバルナバーシュの肩に手を置き、かつてオストル沼沢でハインに命を拾われたことに思いを馳せながら、感慨深げにバルナバーシュはうなずきを返した。だが先ほどのむやみな魔法の扱いで長くは立っていられず、膝をついてしまう。
「一体どうしたんだ?」 「すまない、力の消耗が……少し休めばなんとか。嵐は近い。君は先に行け」
ハインはともに腰を下ろし、その場から動かなかった。
「あんたを置いていけるわけないだろう」 「ああ、君はそういう男だったな……だが、仲間が待っているんだろう。それに私もルドを探さなくては」 「実は俺もはぐれちまったんだ。狂った魔道機の起こした砂嵐に巻き込まれて……アセナもグレイスカルも、ナナヤも」 「ナナヤだと?」
顔を上げて、バルナバーシュはハインの片腕をつかんだ。
「君に同行している獣人の少女というのは、まさかナナヤなのか」 「ああ、そうさ! あいつの口から、あんたたちのことは聞いてるよ。何があったのかもな……だが、俺がぜんぶ解決してやる。だからあんたは何も心配しなくていいんだ。この砂のなみださえあれば――」
ハインが宝石を収めた袋を叩いてみせた���、突風が糠のような雨を彼らに被せ、語られるはずだった言葉をさえぎった。言い知れぬ気配を感じて見上げれば、三匹の実体のあいまいな精霊らしき姿――それぞれが金、銀、青の、細い光の線が幾重にも渦を描いて形取った蝶の羽根を持つ、生命体とも超自然存在ともつかぬ者たちが、ひらひらと雨雲を背に舞い踊っていた。霊次元に存在する精神が現次元に具現化したのが精霊なる種族だが、彼らが固有の意思を持つのかは分からない。銀の羽の精霊が閃光と金切り声を放つと、二人のすぐそばに落雷の槍が閃き下り、宝獣を殺されたもだしがたい悲憤に地を焼き焦がす。雨と風塵ものたうちはじめ、もはや抑えられぬ徴候に二人の本能は粟立った。
「畜生!」 「ハイン、やはり君は行くんだ! 今の私では走れないし、さっきの爆発で仲間たちも気づいているかもしれない。助けを寄越してくれ」 「つまらない自己犠牲はやめてくれ。殺されるぞ」 「私を見くびるな。君に救われた命でもある。みすみす無駄には出来んよ」
それでもハインは迷っていたが、意を決して立ち上がると全速力でその場から離脱した。荒む景色にその姿はすぐかき消え、バルナバーシュもよろよろと立つと、アルドゥールを両手に構えて心気を研ぎすます。しぶきをあげて怒れる霊次元の大いなる破壊もものかは、これまで乗り越えた冒険の数々がならびない度胸となって彼を支えたが、蓄えたる魔力はいまだ回復せず、まじろがぬ眼光の奥で切り抜けるための知恵を必死に絞ろうとした。あたりに散らばる宝石やイープゥの欠片には力が残されており、寄せ集めれば代替にできるだろう。しかし……。
(……だめだ)
バルナバーシュは失意から剣を下ろした。石たちを自らの助けとするには、魔術の晦渋たる路を経て彼らと魂を通わせねばならない。今しも犠牲にされた、この亡がらたちと……。碧眼の虹彩が揺れる。嵐は、奪われ、損なわれた宝石たちのために慰めを超えて流される涙だった。紫電の矢が四肢をかすめて神経を突き刺し、砂の息吹にさらされ傷ついた額や唇は血が滲みはじめていた。だがその痛みに目の覚めたバルナバーシュはふたたび剣を構え、見据える瞳には手放しかけた生気がよみがえっていた。
瞼を閉じ、バルナバーシュは静謐の領域へ己れを送り込もうとした。自らの魂を縛るあらゆる枷をひとつ、またひとつと外し、闇沙漠の深く果てしない海淵のイメージに身を投げ、重々しく濃密な液体のなかを沈んでいく――彼はこれを魔術と呼ぶが、同時にディオ��の語るセンスのなせる秘技であり、夢想へと導く力でもあった。感覚が次元流をとらえると、やがて��が意味をもたなくなり、安らぎも確かなものもない夜寒の洞窟へ彼はさらに落ち込んでいく。
暗く、身を切る隔絶のなか、そこでは海中に降る雪のように宝石たちが寄る辺なく蕩揺に浮かんで、記憶によってむなしく砕け散るごとに、秘めたる情景がおぼろな幻影となって現れるのだった。黒煙に巻かれて燃え上がる歴史のなかで、富や力の次元を超えた無欠の宝石――愛の似姿――のために、人々は争い、奪い合い、傷つき倒れ、いつしかその火も鎮まるころ、疲弊の末に関わりを捨てて立ち去り、多くの願いは遠く忘れられていった。あらゆる墓標への悲しみだけが無残にあった。流された血への後悔のまま流謫を選んだ者たちは、己れの種族の愚かなるを悔い、求めることをやめてしまった……。恐れ、目を背け、雲影の向こうへ隠しながら。求めずともヒトは生きていける。だが、闇沙漠――世界の涯に忘れられた宝石たちは今でも、あの無限の力を覚えている。時代は流転し、かつて願われたものを砂の大地に表しながら彼らは待ち続けている。人々がふたたび見つけ、目指してやってくることを。バルナバーシュは、太古の海で満たされた洞窟の縦穴をゆっくりと落ちながら、闇に没した底へと力の限り腕を伸ばして、ひとつの宝石を掴もうとした。かすかな青白い光がまたたく。それは沙漠の星――ハインもまたその命を懸けて求めた、砂のなみだの光だった。
「私たちから失われたのではない。ただ、思い出すだけ」
宝石の中から誰かの声がした。それはセニサのようでもあり、湖の水精たちやクヴァリックのようでもあり、まだ見ぬ未来の誰かのようにも聞こえ、砂のなみだは真円だったが、まばゆい光に守られて真実の姿は知れなかった……それでもバルナバーシュは手を伸ばす。指先に宝石を捉えたとき、胸元のフェレスが白熱して、目もくらむ光の奔流を解き放った。バルナバーシュの手にはアルドゥールが握られ、星々の光を集めた刀身に導かれて振るうと、稲妻を裂き、冷雨をしりぞけ、風塵を切りひらく手ごたえが息も詰まる震えとなって返された。視界が弾け、急速な勢いで意識は現次元の闇沙漠へと引き戻されていく。
魂の帰還を果たしたバルナバーシュの手のなかでは、アルドゥールはなおも光輝き、知らず精霊の放つ猛威を受け流していたようだった。精霊たちは狂おしく羽ばたき、バルナバーシュは振り返ったが、ハインが戻ってくる様子はまだない。彼はひとり、精霊たちへ決然と剣を構えた。
「フェレス――いや、全てのものに眠れる光よ。私はおまえを信じる。たとえおまえが世界を憎み、破壊し尽くしたとしても、私はおまえを祝福するだろう!」
0 notes
Text
球に世界を閉じ込めて
キーアイテム”フェレス”を、三つの視点から考察したもの。
【フェレス】 pheres
アナグラムのもとであるsphereには(広義では同じですが)大きく分けて三つの意味があります。
1.球体、球 2.天体、星 3.範囲、領域
この三つの意味にそれぞれ紐づけて、フェレスとはなんなのかを考察していきます。ただしロジックの都合上、考察の順序は2→3→1をとります。
《星のフェレス》
願いや導きなど、希望のシンボルとしての星(フェレス)です。
願���かける対象、旅や航海の目印など、星は総じて明日への希望につながるものです。”希望を信じ、フェレスの導きによって願いを叶える”ストーリーにもっとも即した解釈かもしれません。また逆説的に、大きな希望であったエル・セイダ、それが砕けて幾千と散り別れたフェレスを星々とも例えられます。
また星には多様な内的イメージが含まれており、「頂点の美」「目指す場所」「無数の存在」「生まれて死にゆくもの」など、さらに行きつくところには「永遠性」も感じられます。
アストラまでの冒険を達成したフェレス、 散り別れて誰しもが所与する出発点としてのフェレス、 道半ばに潰え、あるいは後世に託されるかもしれない夢としてのフェレス、 さらにそれらが紡いでいく未来としてのフェレス。
流れ星に願いをかける信仰が単なる迷信ではなく、星という存在が太古の人々に想像をもたらして根付いた夢を見る力と考えると、この解釈はより興味深いものとなります。引用できる資料が手元にないため流説となりますが、流れ星は神様が下界の様子を見るために天の扉を開けた時に漏れる光、つまり神がこちらを見ている瞬間であるから願いを伝えたとも言われ、エターナルデザイアーにおいては、エル・セイダの砕け散った欠片が流星、イムド・エガトを天の扉と考えると通じる部分もありそうです。(古今東西の伝承をモチーフにしたり、エンセスの入り口でオルム(orrum=rumor=噂)という敵も出現するため、迷信を論理的な観点だけで斬り捨てる作品ではないと思われる)
そして星(希望)を目指す旅は、始まり(出発)と終わり(到達)、また終わりからふたたび始まりをも生み出しますが、これは後述の「球形のフェレス」の話へと繋がっていきます。
《領域のフェレス》
個人の所有する空間、幸福な空間、外敵から守ってくれる空間としての領域(フェレス)です。
人それぞれにとっての「家」のイメージです。そこはただ外から帰ってきて、食事して体を清めて眠るだけにとどまりません。住む人の心次第で好きなものや趣味にあふれ、無限に存在価値を高め、たくさんの思い出のつまった場所にもなるものです。それは心の豊かさにも直結し、主人をあらゆるストレスから保護する力も強くなります。
『エターナルデザイアー』の欠片は、様々な物に宿り、眠りました。 宝石、生活用品、武具、おもちゃ……。 その”物”が大事に大事に扱われ、 いつしか持ち主にとってかけがえのない存在となったとき、 『エターナルデザイアー』の欠片は静かに目覚めます。 それは『フェレス』と呼ばれました。
――オープニングより
休息とはどこに、またいかなる方法によって特権的な位置をみいだすのであろうか。かりそめの避難所や偶然の隠れ場所が、われわれの内密の夢想によって、ときになぜなんら客観的な基礎をもたない価値を獲得するのであろうか。
ガストン・バシュラール[著] 岩村 行雄[訳] 『空間の詩学』筑摩書房 2002年 p38
フェレスは家(避難所)の役割を果たします。自分”だけ”の領域であり、主観によってのみ絶対的価値が生まれ、客体であってはなりません。自分だけのものになればなるほど、強烈な力を得られます。心底から安らぎ、英気を養い、嫌なことを忘れて敵意から守ってくれる家を持つ、というのは現実世界においても不可欠なものです。パワースポットを巡り、絆を深めることで高い可能性(ポテンシャル)を発揮する。それはフェレスという心の家を豊かにし、困難と戦う力を得るプロセスなのです。
ゆえにこのことは、広く共有されているものや、(生涯のパートナーなどの特別な例を除き)他者や他者の所有するものを自分の家にしてしまうというのは、一般には危うく、不幸の由縁にもなります。自分の居場所がたやすく揺らぐために、依存や権力で支配しようとしたり、裏切りを恐れて不信に陥ったりもするでしょう。本編ではエワギスがこれに該当するかもしれません。(以上はあくまで領域の話であり、愛のなすこと、愛の物語として否定する意図はありません)
家の持つイメージとは本来、版図を広げていくつも持つものではなく、地層のように積み重なり洞窟のように深くなるものです。仮に家や故郷と呼べるものが複数あったとしても、その愛着は一つの場所、一つの家、自身の心に思い描く家へと招かれ、富として保存されていきます。外部の他者ではなく内部の主人によってフェレスの価値は決まり、主人が死ぬ時、フェレスもまた価値を失って砕け散るのです。
フェレスの持ち主が強いのは、自分だけの揺るぎない場所を所有するからであり、また同じ境遇の者を理解し、味方とする、つまりパーティを組んで決戦の地に挑む仲間とすることも可能にします。それは孤独を生きると同時に人と支え合える、強固でかけがえのない関係となるはずです。
《球形のフェレス》
完全体としての球形(フェレス)です。
大切なもののたとえとして「掌中の珠」という言葉もありますが、これは手の中にあるから大切なのではなく、大切だから手の中にある。つまり自己とは常に、球の外ではなく中心部��あるのです。
くりかえしていえば、完全な円がわれわれをたすけて自己に集中させ、原初組織をわれわれ自身にあたえさせ、われわれの存在を内密に、内面から確認させるのである。内部からいきられ、外在性をうしなった存在は、円であるほかないのだ。
ガストン・バシュラール[著] 岩村 行雄[訳] 『空間の詩学』筑摩書房 2002年 p392
星として出発(始まり)と到達(終わり)が内在するフェレス。領域として幸福な空間を作り出し、主観によって完結するフェレス。みずからを中心として内部空間を生みだし、五感によって世界を見て、想像力を活発化させ、多様なイメージを育みながら統一イメージをまとめあげる。そしてその外部ではなく内部で生きることは、孤独と没入、客体による有限から脱出した主体による無限の愛とセンス、相対的な価値を捨てさり絶対的な価値を手に入れることです。フェレスは生の根源とその価値を閉じ込めるものであり、『空間の詩学』の現象学で語られるようなまるくて完全な形をとるはずです。
そして球形のフェレスは、星のフェレスと領域のフェレ���に多大な力を返還します。夢を見る希望を強くし、生きる意志をいっそう守り、持ち主を完全無欠の存在とすべく助けてくれるでしょう。
フェレスが内包する星、領域、球形の三つの意味は、互いに交感しながら円を描き、運動によって無限のエネルギーを生み出しながら、真の広義として pheres - sphere という言葉を取っているのです。
0 notes
Text
0 notes
Text
0 notes
Text
0 notes