#真珠���円叶
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パラノマサイトクリアしたぞぃ
と、いうわけでさすがにツイッターに垂れ流すのも何なのでパラノマサイト真エンディングまで行けたのでその感想でも。 盛大にネタバレが入ってるから折りたたむのや!あと支離滅裂だぞ。
このゲーム、メタ視点も入れての攻略が必要になってくるわけだけど、まさか、まさかそのプレイヤー自身がマジモンのキーマンだったとは。
いや、ね?中盤のヤッコちゃんとミヲちゃんの憑依の話を聞いててうっすらと「まさかこいつ(プレイヤー)もそういう存在とかじゃねーだろーな…?」とかっては疑ってたんですよ。
チュートリアル後の案内人さんの何人殺したと思う?>答えは一人だけ というやり取りはてっきり興家君が知らない呪詛珠つかってやっちまったとかっていう感じだったのかと勘違いしてたの。 何人殺した?という質問と一人だけという答えっていうのはまさに自分(プレイヤー)が直に手を下した人数だったわけだ。(憑依先の興家君ははっちゃけ無双しちゃったけどあくまでプレイヤーがやったわけではなく「興家君」自身が勝手にやったことなんだよなぁ) ここ、チュートリアル興家君の時、何にもしなくても勝手に呪詛行使するんですよ。条件満たせば自動的に発動するもんだと思ってたんだけど、興家君以外の憑依した人物の呪詛行使、プレイヤーが押さないと行使できないんですよ。 行使ボタン押さなかったら何にもしないんですよ。 いやーよくできてる!コマかぁい!!あれ���づけた人いるのかな?
こういったちょいちょい自分に掛かってきそうな伏線を拾い集め、調べられるところはとことん調べてつぶしながら進んでいく奴大好き!!メタ視点も実はそういう存在だからこその演出って感じになるのはうまい調理方法やなぁって感心しっぱなしです。
また感動したのが徹底的にあの昭和!な雰囲気。UIもその時代背景に合わせたような雰囲気で、ブラウン管テレビを見てるかのような細やかさはそれを知ってるのと知ってないのとでは感動も違うんじゃないかなー?とも思わなくもない。いや普通に感動したんですよ。メニュー画面まんまブラウン管テレビの映り方そのものじゃん…!って。
あの画面のゆがみ、ブラウン管(カラーテレビ)ならではの色収差、チャンネル変えた際のグリッチノイズ。まさに案内人さんと一緒にテレビ見てチャンネル変えてるかのような空気感。
群像劇の人たちとはまた違う立場だからこそできる演出は憎いねーって思う。
久方ぶりに面白いゲームに出会えてうれしいことこの上ないのです。
キャラも全員立ってて文章の進みも小気味よくて緩急のつけ方が上手いなーって思います。あのクズオブクズの用務員()とかも結構好きなんですけど、クズはクズでもあのサイコパスあやめ女史だけはむりやったなぁ。同情できる部分はあるんだけどサイコパスすぎるやろ…やっぱりもう一回燃やしませんか。津詰のおっちゃんには非常に悪いんだけどさ。
あやめエンドはほんとなんというかもう…お前…!お前!!!!!って感じでした。目的の人物の復活さえ叶えば自分はどうでもいいって思ってるからなおさらやるせねぇというか。こえぇよあいつ。
で、すべて巻き戻っちゃって黒幕が死んでる所からだから彼女おっちゃんとの和解もなにもリセットされてる分なぁ…。いやまぁ…ある意味での親殺しの未来は回避できたからいいという見方もできなくはないけどいやでもなぁ…?
個人的に好きなの津詰のおっちゃんと襟尾君の漫才コンビとヤッコちゃんとミヲちゃんだったなー。いや全員良いキャラしてるよほんと。
幸薄マダム個人のエンディングはなんというかうん、これがエンディングでいいよ…!ってちょっと思ってしまった。(燃やしてくれたしな)
櫂さんに関してはいいキャラしてるというか駄菓子屋さんのおみくじで一喜一憂してるのかわいいな…かわいいぜ…っておもいました(小���感)
あとは回収しきれてない資料となめどりコンプを頑張るくらいかな。 資料集めもそうだけどコンプまでチャートをあさるのはちょっときついかも。システムに関しては既読個所のスキップ機能とエンディング確認用のエンディングリスト欲しかったなぁ
いやしかしこれが2000円もいかないのすごすぎない…?安い…
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日本の絶景スポットとパワースポット Japan travel,relaxing #59 平塚の金運パワースポット 土屋銭洗弁財天「天台宗妙圓寺(...
日本の絶景スポットとパワースポット Japan travel,relaxing music #59 平塚の隠れ金運パワースポット 土屋銭洗弁財天「天台宗妙圓寺(てんだいしゅうみょうえんじ)」平塚市 神奈川県 日本
Hiratsuka City, Kanagawa, Japan, Myouenji Temple
【relaxing music/study music/meditation music/nature sounds/sleep music/Japan】
神奈川県平塚市にある妙圓寺(みょうえんじ)は正式名称を和光山(わこうざん)醫王院(いおういん)妙圓寺(みょうえんじ)といい、 比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)を総本山とする天台宗のお寺です。
妙圓寺が開山された年代は残念ながら不詳ですが、1615年に比叡山の僧侶である舜尭阿闍梨(しゅんぎょうあじゃり)により中興されたと伝わっています。 阿弥陀如来座像(あみだにょらいざぞう)を御本尊とする「本堂」には、旧本尊薬師如来(きゅうほんぞんやくしにょらい)をはじめ数多くの仏像を安置されています。
境内の丘の上にある「寳珠殿(ほうしゅでん)」と名付けられた「辯天堂(べんてんどう)」があり、八臂宇賀辯財天(はっぴうがべんざいてん)が安置されております。
「思い描いた願いを必ず叶えて下さる」といわれる妙圓寺の八臂宇賀辯財天(はっぴうがべんざいてん)は8本の手にそれぞれ威徳を表す宝珠や宝刀を持ち、 頭上に人頭白蛇の「宇賀神」をいただき、面相はふくよかで微笑みをたたえ、常に「大黒天(だいこくてん)」と「毘沙門天(びしゃもんてん)」を従え、 回りを取り囲む十五童子(じゅうごどうじ)は人々の願いを具現し成就する使者として辯財天にお仕えするお姿を表現しています。
八臂宇賀辯財天(はっぴうがべんざいてん)様に願いを伝えるための言葉が「オン ソラソバテイエイ ソワカ」です。 これは、密教の真言(心の中に仏を感じるための呪文)で、弁財天に向かって唱えるためのものです。 金運アップを望むなら、この真言を唱えて八臂宇賀辯財天(はっぴうがべんざいてん)様と繋がることが近道になります。
「辯天堂(べんてんどう)」の真下には岩屋霊穴(いわやれいけつ)があり、岩屋本尊である宇賀神(うがじん)を中心に伝教大師像・天台大師像・胎蔵界大日如来・金剛界大日如来・舟形地蔵等が安置されています。
岩屋霊穴は奥行きが約50m程あり、奥へ行けば行くほどトンネルの高さが低くなりますが、かがめば大人でも通り抜けることができ、まさに辯財天様の「胎内くぐり」が体感できます。 この岩屋内で巳の日、巳の刻(午前10時)前後に護摩が焚かれ、願望成就の祈祷が行われます。
また、岩屋内には「銭洗い池(ぜにあらいいけ)」があり、「土屋銭洗辯財天」としても親しまれる枯れたことのない不思議な池があります。 この池の水でお金を清めると御利益により何倍にも増えると伝えられていることから足繁く通う人も多いとか・・・ お金持ちになりたいと思うことは人として自然なことです。 その大切なお金は、自分の所に巡ってくるまで様々な人の手に渡りいろいろな思いに触れてきます。
時にはお金が原因となり争いごとさえ起きてしまいます。 そこで、仏様の知恵の水でそのお金を洗い清め、お守りとして持ち歩くこともよいでしょう。洗い清めたお金を使う際「ありがとう」「ごちそうさま」などの言葉を添え気持ちよく使ってあげれば、銭洗いの御利益がさらに他の人に振り向けられることになり、まさに仏様の教えに叶うこととなります。 お金を清めることで自分の心も清め、世の為人の為に尽くす心を��いなさいというのが銭洗いの本義といえるかもしれません。
] 是非、「天台宗妙圓寺(てんだいしゅうみょうえんじ)」に行き、あなたの「思い描いた願い」を八臂宇賀辯財天(はっぴうがべんざいてん)様に届けてみては如何でしょうか!? あなたの努力と八臂宇賀辯財天(はっぴうがべんざいてん)様パワーで、きっと夢が実現します!!
■天台宗 和光山醫王院 妙圓寺(てんだいしゅう わこうざん いおういん みょうえんじ)の基本情報■
所在地:〒259-1205 神奈川県平塚市土屋1949
電話:0463-58-1436
参拝時間:9:00-17:00(冬季 16:00まで) ※参拝料は無料です
駐車場:普通車20台 ※無料
HP:https://benten-myouenji.jp
アクセス:
【車の場合】
東京方面から
・東名高速道路「厚木IC」から「小田原厚木道路」を経由、「平塚IC」から「62号線」を進み「県道77号」へ、「神奈川大学入口」を左折 名古屋方面から 東名高速道路「秦野中井IC」から約10分 「神奈川県道71号」を南へ、東名高速高架を潜ってすぐに左折 高速沿いの細い道を直進、右折して「県道77号」を進み、「神奈川大学入口」を左折
【電車の場合】
・JR平塚駅北口バス停から約26分 「妙円寺前(旧:早田寺前)」にて下車下さい
タイムライン
0:00 Start
0:01 富士山
0:11 妙圓寺(みょうえんじ)上空から 夏
0:22 妙圓寺(みょうえんじ)上空から 秋
0:31 寳珠殿(ほうしゅでん)辯天堂(べんてんどう)夏
0:36 寳珠殿(ほうしゅでん)辯天堂(べんてんどう)春桜
0:50 桜 2色咲き ※ハートに見える2色桜をお楽しみください!
1:05 メイン桜
1:16 山門 秋
1:27 山門 夏
1:31 参道→本堂入口
1:49 蓮(花)
1:53 妙圓寺(みょうえんじ)全景
1:57 北向地蔵尊(きたむきじぞうそん)
1:59 辯天堂(べんてんどう)と鳥居
2:10 寳珠殿(ほうしゅでん)辯天堂(べんてんどう)の鈴
2:15 八臂宇賀辯財天(はっぴうがべんざいてん)
2:31 稲荷宮(いなりのみや)
2:37 辯天堂(べんてんどう)と岩屋霊穴(いわやれいけつ)
2:44 石仏1
2:48 シオン(花)
2:50 石仏2
2:54 神橋(しんきょう)
2:58 錦鯉
3:00 トンボと石仏 ※青トンボは幸せの象徴とも言われています
3:03 岩屋霊穴(いわやれいけつ)
3:07 銭洗い池(ぜにあらいいけ)「土屋銭洗辯財天」としても親しまれる枯れたことのない不思議な池
3:09 岩屋霊穴(いわやれいけつ)本堂
3:22 胎蔵界大日如来(たいぞうかいだいにちにょらい)
3:26 辯天池・舟形地蔵・金剛界大日如来(べんてんいけ・ふながたじぞう・こんごうかいだいにちにょらい)
3:29 如意輪観音(にょいりんかんのん)
3:31 胎内くぐり
3:39 護摩供(ごまく)※巳の日には辯財天「護摩供」を岩屋にて修法します 5:46 岩屋霊穴(いわやれいけつ)本堂
5:52 宇賀神(うがじん)と不滅の法灯(ふめつのほうとう)
6:09 本堂の仏様 阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)
7:25 地蔵菩薩(じぞうぼさつ)
7:32 阿弥陀如来(あみだにょらい)
7:41 薬師如来(やくしにょらい)と十二神将(じゅうにしんしょう)
7:47 薬師如来(やくしにょらい)
7:54 阿弥陀如来(あみだにょらい)
8:06 真ん中上:宇賀神(うがじん)下段左から、毘沙門天(びしゃもんてん)•弁財天(べんざいてん)•大黒天(だいこくてん)
8:15 不空羂索観音(ふくうけんじゃくかんのん)
8:18 青不動明王(あおふどうみょうおう)
8:22 愛染明王(あいぜんみょうおう)
8:24 不動明王(ふどうみょうおう)
8:27 元三大師(がんざんだいし)
8:31 富士山(夕陽) 9:23 Fin
【GEAR】
・LUMIX DC-S1H
・LUMIX DC-S5
・LUMIX S PRO 16-35mm F4
・LUMIX S PRO 50mm F1.4
・DJI Mini2
【Music】 ・Epidemicsound - https://www.epidemicsound.com/music/featured/ #妙圓寺 #金運 #relaxing #銭洗弁天 #金運 #平塚市 #japantemple z #平塚市 #寺 #Japan #パワースポット一人旅 #myouenjitemple #hiratsukacity
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最初の特攻を命じたことによって、「特攻の産み親」と呼ばれることになった大西瀧治郎中将は、天皇が玉音放送を通じて国民に戦争終結を告げたのを見届けて、翌16日未明、渋谷南平台の官舎で割腹して果てた。
特攻作戦を採用した責任者といえる将官たち、前線で「おまえたちだけを死なせはしない」と言いながら特攻を命じた指揮官たちの中で、このような責任のとり方をした者は他に一人もいない。
そして、ひとり残された妻・淑恵さんも、戦後、病を得て息を引き取るまで33年間、清廉かつ壮絶な後半生を送っていた。
最初の慰霊法要に駆け込み、土下座した貴婦人
終戦の翌年、昭和21(1946)年3月のある日、全国の有力新聞に、
〈十三期飛行専修予備学生出身者は連絡されたし。連絡先東京都世田谷区・大山日出男〉 との広告が掲載された。
空襲で、東京、大阪、名古屋はもちろん、全国の主要都市は灰燼に帰し、見わたす限りの廃墟が広がっている。
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は昭和21年1月、「公職追放令」を出し、旧陸海軍の正規将校がいっさいの公職に就くことを禁止した。日本の元軍人が集会を開くことさえ禁じられ、戦犯の詮議も続いている。広告を見て、「戦犯さがし」かと疑う者も少なからずいたが、呼びかけ人の大山のもとへは全国から続々と連絡が寄せられた。
戦争が終わってこの方、掌を返したような世の中の変化で、生き残った航空隊員には「特攻くずれ」などという侮蔑的な言葉が投げかけられ、戦没者を犬死に呼ばわりする風潮さえもはびこっている。そんななか、大勢の戦友を亡くして生き残った者たちは、戦没者に対し、
「生き残ってすまない」
という贖罪の気持ちをみんなが抱いている。それは、はじめから陸海軍を志した、いわばプロの軍人も、戦争後期に学窓から身を投じた予備士官も、なんら変わるところがない率直な感情だった。
「十三期飛行専修予備学生」は、大学、高等学校高等科、専門学校(旧制)を卒業、または卒業見込の者のうち、10万名を超える志願者のなかから選抜された5199名が、昭和18(1943)年10月、土浦、三重の両海軍航空隊に分かれて入隊、特攻戦死者448名をふくむ1616名が戦没している。呼びかけに応じて集まった予備学生十三期出身者たちの意思は、
「多くの戦没者同期生の慰霊こそ、生き残った者の務めである」
ということで一致した。そして、同期生たちが奔走し、GHQ、警察、復員局の了承をとりつけて、ふたたび10月30日の新聞に、
〈十一月九日、第十三期飛行専修予備学生戦没者慰霊法要を東京築地本願寺にて行ふ〉
と広告を出し、さらにNHKに勤務していた同期生の計らいで、ラジオでも案内放送が流れた。
昭和21年11月9日、国電(現JR)有楽町駅から築地まで、焼跡の晴海通りを、くたびれた将校マントや飛行靴姿の青年たち、粗末ななりに身をやつした遺族たちが三々五々、集まってきた。築地本願寺の周囲も焼け野原で、モダンな廟堂の壁も焦げている。寺の周囲には、機関銃を構えたMPを乗せたジープが停まって、監視の目を光らせている。焼跡のなかでその一角だけが、ものものしい雰囲気に包まれていた。
広い本堂は、遺族、同期生で埋め尽くされた。悲しみに打ち沈む遺族の姿に、同期生たちの「申し訳ない」思いがさらにつのる。読経が終わると、一同、溢れる涙にむせびながら、腹の底から絞り出すように声を張り上げ、「同期の桜」を歌った。
歌が終わる頃、一人の小柄な婦人が本堂に駆け込んできた。「特攻の父」とも称される大西瀧治郎中将の妻・淑惠である。
大西中将は昭和19(1944)年10月、第一航空艦���司令長官として着任したフィリピンで最初の特攻出撃を命じ、昭和20(1945)年5月、軍令部次長に転じたのちは最後まで徹底抗戦を呼号、戦争終結を告げる天皇の玉音放送が流れた翌8月16日未明、渋谷南平台の官舎で割腹して果てた。特攻で死なせた部下たちのことを思い、なるべく長く苦しんで死ぬようにと介錯を断っての最期だった。遺書には、特攻隊を指揮し、戦争継続を主張していた人物とは思えない冷静な筆致で、軽挙を戒め、若い世代に後事を託し、世界平和を願う言葉が書かれていた。
昭和19年10月20日、特攻隊編成の日。マバラカット基地のそば、バンバン川の河原にて、敷島隊、大和隊の別杯。手前の後ろ姿が大西中将。向かって左から、門司副官、二〇一空副長・玉井中佐(いずれも後ろ姿)、関大尉、中野一飛曹、山下一飛曹、谷一飛曹、塩田一飛曹
昭和19年10月25日、マバラカット東飛行場で、敷島隊の最後の発進
淑惠は、司会者に、少し時間をいただきたいと断って、参列者の前に進み出ると、
「主人がご遺族のご子息ならびに皆さんを戦争に導いたのであります。お詫びの言葉もございません。誠に申し訳ありません」
土下座して謝罪した。淑惠の目には涙が溢れ、それが頬をつたってしたたり落ちていた。
突然のことに、一瞬、誰も声を発する者はいなかった。
われに返った十三期生の誰かが、
「大西中将個人の責任ではありません。国を救わんがための特攻隊であったと存じます」
と声を上げた。
「そうだそうだ!」
同調する声があちこちに上がった。十三期生に体を支えられ、淑惠はようやく立ち上がると、ふかぶかと一礼して、本堂をあとにした。これが、大西淑惠の、生涯にわたる慰霊行脚の第一歩だった。
生活のために行商を。路上で行き倒れたことも
同じ年の10月25日。港区芝公園内の安蓮社という寺には、かつて第一航空艦隊(一航艦)、第二航空艦隊(二航艦)司令部に勤務していた者たち10数名が、GHQの目をぬすんでひっそりと集まっていた。
関行男大尉を指揮官とする敷島隊をはじめとする特攻隊が、レイテ沖の敵艦船への突入に最初に成功したのが、2年前の昭和19年10月25日。三回忌のこの日に合わせて、一航艦、二航艦、合計2525名の戦没特攻隊員たちの慰霊法要をやろうと言い出したのは、元一航艦先任参謀・猪口力平大佐だった。安蓮社は、増上寺の歴代大僧正の墓を守る浄土宗の由緒ある寺で、住職が猪口と旧知の間柄であったという。
神風特攻隊敷島隊指揮官・関行男大尉。昭和19年10月25日、突入、戦死。最初に編成された特攻隊4隊(敷島隊、大和隊、���日隊、山桜隊)全体の指揮官でもあった。当時23歳
昭和19年10月25日、特攻機が命中し、爆炎を上げる米護衛空母「セント・ロー」
寺は空襲で焼け、バラックの一般家屋のような仮本堂であったが、住職は猪口の頼みに快く応じ、特攻隊戦没者の供養を末永く続けることを約束した。この慰霊法要は「神風忌」と名づけられ、以後、毎年この日に営まれることになる。
遺された「神風忌参会者名簿」(全六冊)を見ると、大西淑惠はもとより、及川古志郎大将、戸塚道太郎中将、福留繁中将、寺岡謹平中将、山本栄大佐、猪口力平大佐、中島正中佐……といった、特攻を「命じた側」の主要人物の名前が、それぞれの寿命が尽きる直前まで並んでいる。
生き残った者たちの多くは、それぞれに戦没者への心の負い目を感じつつ、慰霊の気持ちを忘れないことが自分たちの責務であると思い、体力や生命の続く限り、こういった集いに参加し続けたのだ(ただし、軍令部で特攻作戦を裁可した事実上の責任者である中澤佑中将、黒島亀人少将は、一度も列席の形跡がない)。
東京・芝の寺で戦後60年間、営まれた、特攻戦没者を供養する「神風忌」慰霊法要の参会者名簿。当時の将官、参謀クラスの関係者が名を連ねるなか、淑惠は、亡くなる前年の昭和51年まで欠かさず列席していた
十三期予備学生の戦没者慰霊法要で土下座をした大西淑惠は、その後も慰霊の旅を続けた。特攻隊員への贖罪に、夫の後を追い、一度は短刀で胸を突いて死のうとしたが、死ねなかった。ずっとのち、淑惠は、かつて特攻作戦渦中の第一航空艦隊で大西中将の副官を勤めた門司親徳(主計少佐。戦後、丸三証券社長)に、
「死ぬのが怖いんじゃないのよ。それなのに腕がふにゃふにゃになっちゃうの。それで、やっぱり死んじゃいけないってことかと思って、死ぬのをやめたの」
と語っている。
大西瀧治郎中将(右)と、副官・門司親徳主計大尉(当時)。昭和20年5月13日、大西の軍令部次長への転出を控えて撮影された1枚
暮らしは楽ではない。夫・大西瀧治郎はおよそ金銭に執着しない人で、入るにしたがって散じた。門司は、フィリピン、台湾での副官時代、大西の預金通帳を預かり、俸給を管理していたから、大西が金に無頓着なのはよく知っている。淑惠もまた、金銭には無頓着なほうで、もとより蓄えなどない。
家も家財も空襲で焼失し、GHQの命令で軍人恩給は停止され、遺族に与えられる扶助料も打ち切られた。
昭和3年2月、華燭の典を挙げた大西瀧治郎(当時少佐)と淑惠夫人
自宅でくつろぐ大西瀧治郎、淑惠夫妻。大西が中将に進級後の昭和18年5月以降の撮影と思われる
焼け残った千葉県市川の実家に戻って、淑惠は生きるために商売を始めた。最初に手がけたのは薬瓶の販売である。伝手を求めて会社を訪ね、それを問屋につなぐ。次に、飴の行商。元海軍中将夫人としては、全く慣れない別世界の生活だった。
昭和22(1947)年8月上旬のある日、薬瓶問屋を訪ねる途中、国電日暮里駅東口前の路上で行き倒れたこともある。このとき、たまたま日暮里駅前派出所で立ち番をしていた荒川警察署の日下部淳巡査は、知らせを受けてただちに淑惠を派出所内に運び、近くの深井戸の冷水で応急手当をした。
「質素な身なりだったが、その態度から、終戦まで相当な身分の人と思った」
と、日下部巡査はのちに語っている。柔道六段の偉丈夫だった日下部は、元海軍整備兵曹で、小笠原諸島にあった父島海軍航空隊から復員してきた。後日、淑惠が署長宛に出した礼状がもとで、日下部は警視総監から表彰を受けた。だが、その婦人が誰であるか知らないまま8年が過ぎた。
昭和30(1955)年、日下部は、元零戦搭乗員・坂井三郎が著した『坂井三郎空戦記録』(日本出版協同)を読んで坂井の勤務先を知り、両国駅前の株式会社香文社という謄写版印刷の会社を訪ねた。日下部は、昭和19(1944)年6月、敵機動部隊が硫黄島に来襲したとき、父島から硫黄島に派遣され、そこで横須賀海軍航空隊の一員として戦っていた坂井と知り合ったのだ。
香文社を訪ねた日下部は、そこに、あの行き倒れの婦人がいるのに驚いた。そして、この婦人が、大西中将夫人であることをはじめて知った。日下部は淑惠に心服し、こののちずっと、淑惠が生涯を閉じるまで、その身辺に気を配ることになる。
淑惠が、坂井三郎の会社にいたのにはわけがある。
淑惠の姉・松見久栄は、海軍の造船大佐・笹井賢二に嫁ぎ、女子2人、男子1人の子をもうけた。その男の子、つまり大西夫妻の甥にあたる笹井醇一が、海軍兵学校に六十七期生として入校し、のちに戦闘機搭乗員となった。
笹井醇一中尉は昭和17(1942)年8月26日、ガダルカナル島上空の空戦で戦死するが、戦死するまでの数ヵ月の活躍にはめざましいものがあった。ラバウルにいたことのある海軍士官で、笹井中尉の名を知らぬ者はまずいない。
その笹井中尉が分隊長を務めた台南海軍航空隊の、下士官兵搭乗員の総元締である先任搭乗員が坂井三郎だった。笹井の部下だった搭乗員はそのほとんどが戦死し、笹井の活躍については、坂井がいわば唯一の語り部となっている。
坂井��、海軍航空の草分けで、��ての親ともいえる大西瀧治郎を信奉していたし、
「敬愛する笹井中尉の叔母ということもあり、淑惠さんを支援することは自分の義務だと思った」
と、筆者に語っている。
坂井は淑惠に、両国で戦後間もなく始めた謄写版印刷店の経営に参加してくれるよう頼み、淑惠は、実家の了解を得て、夫の位牌を持ち、坂井の印刷店のバラックの片隅にある三畳の部屋に移った。日暮里で行き倒れた数年後のことである。
だが、坂井には、別の思惑もある。淑惠が経営に関わることで、有力な支援者を得ることができると考えたのだ。坂井の謄写版印刷の店は、福留繁、寺岡謹平という、大西中将の2人の同期生(ともに海軍中将)ほかが発起人となり、笹川良一(元衆議院議員、国粋大衆党総裁。A級戦犯容疑で収監されたが不起訴。のち日本船舶振興会会長)が発起人代表となって株式会社に発展した。
出資金は全額、坂井が出し、名目上の代表取締役社長を淑惠が務めることになった。会社が軌道に乗るまでは、笹川良一や大西に縁のある旧海軍軍人たちが、積極的に注文を出してくれた。淑惠は、香文社の格好の広告塔になったと言ってよい。
「裏社会のフィクサー」の大西に対する敬意
淑惠には、ささやかな願いがあった。大西の墓を東京近郊に建て、その墓と並べて、特攻隊戦没者を供養する観音像を建立するというものである。
苦しい生活のなかから細々と貯金し、昭和26(1951)年の七回忌に間に合わせようとしたが、それは到底叶わぬことだった。だが、この頃から慰霊祭に集う人たちの間で、淑惠の願いに協力を申し出る者が現れるようになった。
大西中将は、まぎれもなく特攻を命じた指揮官だが、不思議なほど命じられた部下から恨みを買っていない。フィリピンで、大西中将の一航艦に続いて、福留繁中将率いる二航艦からも特攻を出すことになり、大西、福留両中将が一緒に特攻隊員を見送ったことがあった。このときの特攻隊の一員で生還した角田和男(当時少尉)は、
「大西中将と福留中将では、握手のときの手の握り方が全然違った。大西中将はじっと目を見て、頼んだぞ、と。福留中将は、握手しても隊員と目も合わさないんですから」
と述懐する。大西は、自身も死ぬ気で命じていることが部下に伝わってきたし、終戦時、特攻隊員の後を追って自刃したことで、単なる命令者ではなく、ともに死ぬことを決意した戦友、いわば「特攻戦死者代表」のような立場になっている。淑惠についても、かつての特攻隊員たちは、「特攻隊の遺族代表」として遇した。
「大西長官は特攻隊員の一人であり、奥さんは特攻隊員の遺族の一人ですよ」
というのが、彼らの多くに共通した認識だった。
そんな旧部下たちからの協力も得て、昭和27(1952)年9月の彼岸、横浜市鶴見区の曹洞宗大本山總持寺に、小さいながらも大西の墓と「海鷲観音���と名づけられた観音像が完成し、法要と開眼供養が営まれた。
昭和27年9月、鶴見の總持寺に、最初に淑惠が建てた大西瀧治郎の墓。左は特攻戦没者を供養する「海鷲観音」
その後、昭和38(1963)年には寺岡謹平中将の筆になる「大西瀧治郎君の碑」が墓の左側に親友一同の名で建てられ、これを機に墓石を一回り大きく再建、観音像の台座を高いものにつくり直した。
墓石の正面には、〈従三位勲二等功三級 海軍中将大西瀧治郎之墓〉と刻まれ、側面に小さな字で、〈宏徳院殿信鑑義徹大居士〉と、戒名が彫ってある。再建を機に、その隣に、〈淑徳院殿信鑑妙徹大姉〉と、淑惠の戒名も朱字で入れられた。
この再建にあたって、資金を援助したのが、戦時中、海軍嘱託として中国・上海を拠点に、航空機に必要な物資を調達する「児玉機関」を率いた児玉誉士夫である。児玉は、海軍航空本部総務部長、軍需省航空兵器総局総務局長を歴任した大西と親交が深く、私欲を微塵も感じさせない大西の人柄に心服していた。大西が割腹したとき、最初に官舎に駆けつけたのが児玉である。
昭和20年2月、台湾・台南神社で。左から門司副官、児玉誉士夫、大西中将
児玉は、昭和20(1945)年12月、A級戦犯容疑で巣鴨プリズンに拘置され、「児玉機関」の上海での行状を3年間にわたり詮議されたが、無罪の判定を受けて昭和23(1948)年末、出所していた。
巣鴨を出所したのちも、淑惠に対し必要以上の支援はせず、一歩下がって見守る立場をとっていた。「自分の手で夫の墓を建てる」という、淑惠の願いを尊重したのだ。だから最初に墓を建てたときは、協力者の一人にすぎない立場をとった。
だが、再建の墓は、大西の墓であると同時に淑惠の墓でもある。児玉は、大西夫妻の墓は自分の手で建てたいと、かねがね思っていた。ここで初めて、児玉は表に出て、淑惠に、大西の墓を夫婦の墓として建て直したいが、自分に任せてくれないかと申し出た。
「児玉さんの、大西中将に対する敬意と追慕の念は本物で、見返りを何も求めない、心からの援助でした。これは、『裏社会のフィクサー』と囁かれたり、のちにロッキード事件で政財界を揺るがせた動きとは無縁のものだったと思っています」
と、門司親徳は言う。
鶴見の總持寺、大西瀧治郎墓所の現在。墓石に向かって左側に海鷲観音と墓誌、右側には遺書の碑が建っている
大西瀧治郎の墓石右横に建てられた遺書の碑
墓が再建されて法要が営まれたとき、淑惠が参会者に述べた挨拶を、日下部巡査が録音している。淑惠は謙虚に礼を述べたのち、
「特攻隊のご遺族の気持ちを察し、自分はどう生きるべきかと心を砕いてまいりましたが、結局、散っていった方々の御魂のご冥福を陰ながら祈り続けることしかできませんでした」
と、涙ながらに話した。
「わたし、とくしちゃった��
淑惠は、昭和30年代半ば頃、香文社の経営から身を引き、抽選で当った東中野の公団アパートに住むようになった。3階建ての3階、六畳と四畳半の部屋で、家賃は毎月8000円。当時の淑惠にとっては大きな出費となるので、児玉誉士夫と坂井三郎が共同で部屋を買い取った。ここには長男・多田圭太中尉を特攻隊で失った大西の親友・多田武雄中将夫人のよし子や、ミッドウェー海戦で戦死した山口多聞少将(戦死後中将)夫人のたかなど、海軍兵学校のクラスメートの夫人たちがおしゃべりによく集まった。門司親徳や日下部淳、それに角田和男ら元特攻隊員の誰彼も身の周りの世話によく訪ねてきて、狭いながらも海軍の気軽な社交場の趣があった。
「特攻隊員の遺族の一人」である淑惠には、多くの戦友会や慰霊祭の案内が届く。淑惠は、それらにも体調が許す限り参加し続けた。どれほど心を込めて慰霊し、供養しても、戦没者が還ることはなく、遺族にとって大切な人の命は取り返しがつかない。この一点だけは忘れてはいけない、というのが、淑惠の思いだった。
大西中将は生前、勲二等に叙せられていたが、昭和49(1974)年になって、政府から勲一等旭日大綬章を追叙された。この勲章を受けたとき、淑惠は、
「この勲章は、大西の功績ではなく、大空に散った英霊たちの功績です」
と言い、それを予科練出身者で組織する財団法人「海原会」に寄贈した。大西の勲一等の勲章は、茨城県阿見町の陸上自衛隊武器学校(旧土浦海軍航空隊跡地)内にある「雄翔館」(予科練記念館)におさめられている。
昭和49年、大西瀧治郎を主人公にした映画「あゝ決戦航空隊」が東映で映画化され、淑惠は京都の撮影所に招かれた。大西中将役の鶴田浩二、淑惠役の中村珠緒とともに撮られた1枚
淑惠は、毎年、この地で開催されている予科練戦没者慰霊祭にも、欠かさず参列した。
「こういう会合の席でも、奥さんはいつも自然体で、ことさら変わったことを言うわけではない。しかし短い挨拶には真情がこもっていて、その飾らない人柄が参会者に好感をもたれました。大西中将は『特攻の父』と言われますが、奥さんはいつしか慰霊祭に欠かせない『特攻の母』のようになっていました」
と、門司親徳は振り返る。
昭和50(1975)年8月、淑惠は最初に特攻隊を出した第二〇一海軍航空隊の慰霊の旅に同行し、はじめてフィリピンへ渡った。
小学生が手製の日の丸の小旗を振り、出迎えの地元女性たちが慰霊団一人一人の首にフィリピンの国花・サンパギータ(ジャスミンの一種)の花輪をかける。特攻基地のあったマバラカットの大学に設けられた歓迎会場では、学長自らが指揮をとり、女子学生が歌と踊りを披露する。警察署長が、慰霊団の世話を焼く。
予想以上に手厚いもてなしに一行が戸惑っていたとき、突然、淑惠が壇上に上った。
「マバラカットの皆さま、戦争中はたいへんご迷惑をおかけしました。日本人の一人として、心からお詫びします。――それなのに、今日は、こんなに温かいもてなしを受けて……」
涙ぐみ、途切れながら謝辞を述べると、会場に大きな拍手が起こった。
淑惠は、翌昭和51(1976)年にも慰霊団に加わったが、昭和52(1977)年6月、肝硬変をわずらって九段坂病院に入院した。この年の4月、二〇一空の元特攻隊員たちが靖国神社の夜桜見物に淑惠を誘い、砂利敷きの地面にござを敷いて夜遅くまで痛飲している。
「こんなお花見、生まれて初めて……」
77歳の淑惠は、花冷えのなかで嬉しそうに目を細め、しみじみつぶやいた。
九段坂病院5階の奥にある淑惠の病室には、門司親徳や、かつての特攻隊員たちも見舞いに駆けつけ、人の絶えることがなかった。児玉誉士夫は、自身も病身のため、息子の博隆夫妻に見舞いに行かせた。香文社時代の同僚、遠縁の娘など身近な人たちが、献身的に淑惠の世話をした。日下部淳は、警察の仕事が非番の日には必ず病院を訪れ、ロビーの長椅子に姿勢よく座って、何か起きたらすぐにでも役に立とうという構えだった。
昭和53(1978)年2月6日、門司親徳が午前中、病室に顔を出すと、淑惠は目をつぶって寝ていた。淑惠が目を開けたとき、門司が、
「苦しくないですか?」
とたずねると、小さく首をふった。そして、しばらくたって、淑惠は上を向いたまま、
「わたし、とくしちゃった……」
と、小さくつぶやいた。子供のようなこの一言が、淑惠の最期の言葉となった。淑惠が息を引き取ったのは、門司が仕事のために病室を辞去して数時間後、午後2時24分のことであった。
「『とくしちゃった』という言葉は、夫があらゆる責任をとって自決した、そのため、自分はみんなから赦され、かえって大事にされた。そして何より、生き残りの隊員たちに母親のようになつかれた。子宝に恵まれなかった奥さんにとって、これは何より嬉しかったんじゃないか。これらすべての人に『ありがとう』という代わりに、神田っ子の奥さんらしい言葉で、『とくしちゃった』と言ったに違いないと思います」
――門司の回想である。
淑惠の葬儀は、2月18日、總持寺で執り行われた。先任参謀だった詫間(猪口)力平が、葬儀委員長を務め、数十名の海軍関係者が集まった。納骨のとき、ボロボロと大粒の涙を流すかつての特攻隊員が何人もいたことが、門司の心に焼きついた。
こうして、大西淑惠は生涯を閉じ、その慰霊行脚も終わった。残された旧部下や特攻隊員たちは、淑惠の遺志を継いで、それぞれの寿命が尽きるまで、特攻戦没者の慰霊を続けた。戦後すぐ、芝の寺で一航艦、二航艦の司令部職員を中心に始まった10月25日の「神風忌」の慰霊法要は、元特攻隊員にまで参会者を広げ、平成17(2005)年まで、60年にわたって続けられた。60回で終わったのは、代のかわった寺の住職が、先代の約束を反故にして、永代供養に難色を示したからである。
大西中将の元副官・門司親徳は、「神風忌」の最後を見届け、自身が携わった戦友会の始末をつけて、平成20(2008)年8月16日、老衰のため90歳で亡くなった。昭和と平成、元号は違えど、大西瀧治郎と同じ「20年8月16日」に息を引き取ったのは、情念が寿命をコントロールしたかのような、不思議な符合だった。
大西夫妻の人物像について、門司は生前、次のように述べている。
「大西中将は、血も涙もある、きわめてふつうの人だったと思う。ふつうの人間として、身を震わせながら部下に特攻を命じ、部下に『死』を命じた司令長官として当り前の責任のとり方をした。ずばぬけた勇将だったとも、神様みたいに偉い人だった���も、私は思わない。だけど、ほかの長官と比べるとちょっと違う。人間、そのちょっとのところがなかなか真似できないんですね。ふつうのことを、当り前にできる人というのは案外少ないと思うんです。軍人として長官として、当り前のことが、戦後、生き残ったほかの長官たちにはできなかったんじゃないでしょうか
奥さんの淑惠さんも、無邪気な少女がそのまま大人になったような率直な人柄で、けっして威厳のあるしっかり者といった感じではなかった。でも、人懐っこく庶民的で、人の心をやわらかく掴む、誠実な女性でした。長官は、そんな淑惠さんを信じて後事を託し、淑惠さんは、つましい生活を送りながら、夫の部下たちやご遺族に寄り添って天寿を全うした。
正反対のタイプでしたが、理想的な夫婦だったんじゃないでしょうか。いまの価値観で見ればどう受け止められるかわかりませんが……」
そう、現代の価値観では計り知れないことであろう。責任ある一人の指揮官と、身を捨てて飛び立った若者たち。そして、自決した夫の遺志に殉ずるかのように、最期まで慰霊に尽くし続けた妻――。
「戦争」や「特攻」を現代の目で否定するのは簡単だ。二度と繰り返してはならないことも自明である。しかし、人は自分が生まれる時や場所を選べない。自らの生きた時代を懸命に生きた人たちがいた、ということは、事実として記憶にとどめておきたい。
旧軍人や遺族の多くが世を去り、生存隊員の全員が90歳を超えたいまもなお、全国で慰霊の集いが持たれ、忘れ得ぬ戦友や家族の面影を胸に、命がけで参列する当事者も少なくない。彼らの思いを封じることは誰にもできないはずだから。
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数珠回し


"念仏申す者は如来の光明に摂取せられ又護念の利益あることを思うて唱えよ。
光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨 南無阿弥陀"
唐突に渡された再生紙に印刷された文字を読むことはせず、ただぼんやりと眺めた。
とある調査で、東京からバスで4時間ほどの中山間地域に数日間滞在していた。調査のほとんどが自転車による移動だったが、自転車では登れないような坂を手で押しながら登っては、ブレーキ音を響かせながら下りつつ、写真をとったりメモをしたりしながら調査を進めていった。
宿舎は調査対象地からほんの少し離れた小さな集落にある大きな古民家であった。もちろんエアコンなんてものはなく、日頃都会で過ごしている私たちからしたら、真夏に冷房なしで寝るなんてことは考えられないことであったが、夜には8月とは思えないほど涼しい風が吹き込み予想に反して快適に過ごすことができた。毎朝、食事当番が準備した朝食をほぼ同じタイミングで各々が食べた後にその日のスケジュールを全員で確認し、1日が始まる。
8月16日。この日もいつもと変わらぬ朝をむかえた。なにか変わりがあるとすれば、先日雨に打たれすぎたせいか少し喉の調子が悪かったことぐらいであったが、気にせず朝食を平らげ、スケジュールの確認をした。「本日も同様にこれから役場に自転車を取りに行き、そこから移動して別荘地の方を調査します。帰りは5時半ぐらいに宿舎に着いて、そのあと数珠廻しをします。では今日一日頑張りましょう。」と山田さん言った。みんな、元気よく「はい!」と返事をし、それぞれの部屋に戻り出発に向けて準備を始めた。
この日の天候はあまり良くなく、自転車で走ってる最中に雨が降り始めたが、前日も激しい雨に打たれながら調査をしていたせいか、雨は気にならなくなっていた。昼時になり、昼食をどこでとろうかと話し合っている時には、雨など気にならないと感じていた私たちに対してムキになったかのように雨は逆ギレし、その強さを増した。雨宿しながら、しばらく引きそうにもない雨を見て、正直悪いのは雨だし、そんな小さなことで逆上するとか心狭すぎだろと思い、引いた。
結局、そんな理不尽雨に打たれながらも、ファミレスまで自転車を飛ばし、まるでこの街の悪いところを模したかのような擬洋風なハンバーグを食べる後輩の横で、私はラーメンを相変わらず残した。
この後のスケジュールをどうするかということを谷口先生と山田さんが話し合っていた。さすがにこの逆ギレ理不尽雨とはもう付き合えないと言うことなのか「今日は雨も強いし、6時から数珠廻しもあるので宿舎にもどります。」と山田さんが言った。みんな、元気よく「はい!」と返事をし、自転車を一晩ファミレに置かせてくれと無茶な交渉をし、迎えにきた役場の車に乗り込み宿舎へと向かった。私は人数の関係上役場の車ではなく、山田さんの車に谷口先生と共に乗り、明日に向けての調査の下調べとは名ばかりの、きまぐれドライブをした。その時に「6時から数珠廻しがあるからそれまでにはもどらないとなー。」と呟いた山田さんを見て、ようやくある疑問が湧いた。そういえば数珠廻しとは一体なんなんだ。
さらっと、今日のスケジュールの組み込まれていた数珠廻しというプログラムを私はまるで、朝食の味噌汁の中にミョウガが入っていたことと同じぐらい、すんなり受け入れていたし、インスタントとは一味違う味噌汁の風味を楽しむように、数珠廻しというプログラムを無意識のうちに楽しみにしていたのだ。そして、そうとなるともう1つの疑問が生まれる。数珠廻しのことを知らないのは自分だけなのではないかと。1日を振り返ると、朝からみんなは数珠廻しという行事が組み込まれたスケジュール確認に対し、しっかりと返事をしていた。
宿舎に戻り、その行事が始まるまでに1時間ほど時間があった。山田さんの提案でその1時間は宿舎まわりの調査をすることになったが、心なしか山田さんの声が弾んでるように感じた。数珠廻しをよっぽど心待ちにしているのだろうか。実は私はこの調査をにあたっての事前打ち合わせに参加できなかった。そのときに、きっとみんな数珠廻しの説明を受けたのだろう。そう思い、私は共に調査をしていた友人に数珠廻しについて問いかけて見たが、なにをやるのかは誰も知らなかった。逆に皆が皆、数珠廻しに対し同じ疑問を抱いていたようだ。そうとなると、なにが行われるのか気になって仕方がない。ハンドスピナーのように数珠を手で回すものなのか、あるいはベイブレードのように数珠を回して戦うものなのか、畑に立っている派手な装飾をしたカカシをみては、��しかしたら数珠廻しとはDJを回すようなパリピイベントなのではないかと想像したり、もはや「数珠」だと思っていた「じゅず」はじつは「十頭」と表記されるもので、十人の頭を刈り取ってそれを転がしていくものなのかと想像が止まらない。そんなことを考えているうちに時間はあっという間に過ぎた。
数珠廻しが行われる小さすぎる公民館に私たちは10分ほど早めに集合してしまった。数人でなんとなく会話をしていると、中からマリオと同じヒゲの形をした白髪のおじさんが私たちを招き入れてくれた。後に気づいたがそのおじさんはその集落の自治会長であり、あのヒゲはマリオよりもルイージ寄りであった。公民館に入ると既に数珠は準備されていた。予想よりもはるかに大きかった。無数の数珠からつくられた円周10mほどの輪っかが円とは呼べ���いほど乱れた形で畳の上に置かれていた。そして、これから行われる数珠廻しとやらを司る役となるおじさんがひとこと私たちにこう言った。「どうぞ円の周りに座ってください。ただ数珠は跨がないでくださいね。神聖な領域なので」と。思考をやめていた脳が再び想像の世界へと私たちを引きずりこむ。この円の中にもし足を踏み入れてしまったらどうなるのだろうか。数珠廻しとはこの円の外で行われるものなのか、もしくはある特別な儀式を経てこの中に入ることが許され、相撲紛いなことをするのか、、そんなことを考えていたら、再びさっきのおじさんがどこからか文字が印刷された紙をもって現れた。そしてこの紙をみんなに配っておいてといい私たちに紙を渡した。もう紙のことなんてどうでもよかった。なぜならば、紙を渡す際にそのおじさんは何のためらいもなく数珠を跨いで円の中に入り、私たちに紙を渡してきたからだ。つい数分前におじさんは円の中は神聖な領域だから数珠を跨がないようにと言ったばかりであったが、そのおじさんはいとも簡単にその領域へと踏み入った。動揺を隠せず、となりの友人に目をやると、友人も全く同じ気持ちであると言わんばかりの表情で私を見つめていた。あまりの衝撃的な光景に思考は停止し、紙に書いてある文字を読むことはせず、ただぼんやりと眺めた。
6人の村人が集まった。なぜか村人たちは正面玄関を使うことなく、裏口から出入りする。それが彼らの中での流行りなのだろうか。それとも今のところオカルトチックにも感じるこの儀式に参加する為にわざわざ異世界とつながる裏口からやってきてくれているのか、、裏口が気になる、、。数珠廻しには私たち全員は参加することが出来なかった。炊事当番は数珠廻しをせずに夕飯の準備をしなければならなかったからだ。しかし、数珠廻しがどんなものなのか気になったのか、少しだけ様子を覗きに来て、始まる前には戻っていった。その際に私の2つ左隣に座っていた女の後輩が炊事当番に声をかけた。「まわしてかんの?」と。その言葉には違和感があった、、。あまりに自然すぎる発言であったからこそ私はその言葉に違和感を抱いたのであろう。数珠廻しという儀式の名前の中にはたしかに、"まわし"という言葉ははいっているものの、何をするかは皆理解できていないはず。そんな状況ですんなりと「まわしてかんの?」なんて発言はできないはずなのだ。そう、彼女は経験者であるのだろう。そして、私の予想が合っているのならば、、彼女は異世界の住民である。私はまるで何事もなかったかのように、何も気づいていませんよ?というようなすっとぼけた表情で取り繕い、ちらっとそんな彼女を見てみた。正座している彼女の背筋は驚くほど綺麗に伸びていた。
そうこう困惑しているうちに、村人の一人が「それでは手短に、説明させていただきます」といい数珠回しの説明が始まった。説明はこの村のことについてからはじまり、気が付けば、彼の孫の話にまで発展していた。老人にしてはすらっと背が高く、手足の長い長老の話は、正直まったく手短とは言えない長さにまで達していた。われわれのメンバーの数人も長時間の正座に足がしびれたのか、もぞもぞ動いたり態勢を変えてみたりと、まだかまだかと耐えているようにおもえたが、「お前ら、これぞ修行なのだ!まだ甘い」と言わんばかりの表情の谷口先生は胡坐をかいていた。「あれ?先生正座じゃない?胡坐?」っと一瞬でも思ってしまった私は愚かだ。あれは座禅であった。谷口先生はまるで滝に打たれ、それでもなお穏やかな表情をしている。そんな幻想を体験したのは私だけではないであろう。そして、そんな幻想を体験した者は、そう数珠廻しに選ばれものなのであろう。まだ説明はされていないが、、、
数分後、説明はおわった。数珠回しは、いたって単純なルールであった。大きな数珠の輪を皆で持ち、時計回りにぐるぐる回すというものである。その数珠の中には特に大きな玉が一つだけある。それが自分の前に回ってきた時に願い事をその親玉に向かって心の中で唱えると願いが叶うというのだ。そして、もうひとつのルールは、数珠を回しながら「南無阿弥陀仏」と声を出して唱えつ続けることである。たたこれだけである。私は今まで何をそんなに深く考えていたのだろうか、、冷静に考えれば想像のつくことであろうに、自分は馬鹿だなー、おっちょこちょいだなー、天然さんだなー、あちゃちゃっうっかりさんしてしまいまちた。っと嘘天然ぶりっこ女かのように心の中でおちゃらけた。本来なら100回程この大きな数珠を回すらしいが、今回は体験ということで、三回だけまわすことになった。三回しか願い事を唱えられないのか、どんな願い事にしようかななんて考えていたが、うだうだ人生予備軍の私はもちろん就職祈願かなと心に決めた。
「それでは始めます」という長老のなんとも柔らかい合図で数珠回しが始まった。数珠回しに手慣れた村人たちは「なーむ あみ だーーぶ」「なーむ あみ だーーぶ」「なーむ あみ だーーぶ」と言いながらスムーズに数珠を回していく。え?ちょっとまって?なーむ あみ だーーぶ??、、、まってまって、そんな独特なイントネーションあるなら先に教えて、まってまって、てかそもそも癖がすごすぎませんか?と、またせたがり女子のように心の中でツッコミを入れた。数珠の回るスピードは思ったより速かった。私も皆に倣い「なーむ あみ だーーぶ」「なーむ あみ だーーぶ」「なーむ あみ だーーぶ」と言いながら無心で数珠を回した。親玉はどんどんと近づいてきてついに私が願い事をする番となった、親玉は一瞬で目の前を横切っていた。その時私は小さな声で、「なーむ あみ だーーぶ」と唱えていた。正直パニクった。三回しかない大切な願い事の一回をなーむ あみ だーーぶしてしまったのだ。まさか、あんなにも一瞬で親玉が通り過ぎるとは予想していなかったので、周りからは何一つ変わりなく見えていたかもしれないが、私の気持ちは相当焦っていた。この願いには人生がかかっているのだから。
流れ星に願いをなんてのはよく言ったもんで、突如として現れ、一瞬で流れ去っていく流れ星に願い事をできた人なんて実際にいるのだろうか。「私は流星群の時に願い事したよ」なんてぬかすやつもいるだろうが、そんな話をしているのではない。そもそも、流星群の時に大量に発生する流れ星になんて何のご利益もないだろ。私がここで言いたいことは、偶然目に飛び込んで、一瞬で消え去る流れ星に願い事をするなど、どんな瞬発力があろうと不可能であろうということである。それはただ見れただけで奇跡なのだ。
それに比べて、数珠回しはどうであろうか。速いとはいえ対応可能なスピード、そして来ることが、来るタイミングが目に見えて分かっているのである。流れ星と比べるとその難易度はレベチに簡単であるうえ、願い事は何回もすることができる。こんな絶好な条件を逃すわけにはいかない。一回目のミスがあったにせよ、もう心は整た。二回目の親玉に向けて着実にタイミングを合わせていく。速さは徐々に遅くなっていくように感じた。目が慣れてきたのである。長年球技をやってきた私の目には、もはや親玉はボール同然のように見え、若かりし頃のスポーツプレーヤーとしての本能が呼び覚まされ、ほんの数秒うちに球に反応する瞬発力、チームをまとめる統率力、タイミングを見計らう忍耐力の鎧を身に纏うことができたのだ。もうこれで、負けるはずがない、どんな相手でも絶対に勝つ!仲間たちと勝利を勝ち取るのだ!若かりし私よ、そう興奮するでない、これはスポーツでもなければ戦いでもない。ましてや、団体競技なわけがない。ここは冷静に余裕をもって、来たタイミングに合わせてさらっとお願い事をするだけ。そう、野球でいうところの流し打ち、サッカーでいうところのワンツー、テニスでいうところのスライス、これでいいのだ。そんなに身構えずに行こうや。私は冷静さを取り戻し二周目の親玉に狙いを定めた。「なーむ あみ だーーぶ」「なーむ あみ だーーぶ」「なーむ あみ だーーぶ」よし、そろそろだ、3.2.1よしここだ。「なーむ あみ だーーぶ」。私はまたしてもやらかした。
言い訳を言わせてほしい。原因は二つあった。一つ目は初歩的なミスである。タイミングにばかり気を取られていた私は、願い事そのものを忘れかけてしまい、とっさに言葉が出なかったのである。二つ目は、思ったよりも横からの引きが強く、やはり予想よりも早く通り過ぎてしまうということである。願い事を2回も無駄にしている。しかし、思ったよりも心は不思議と冷静であった。それはきっと最後の一回に向けて、明確となった問題点を、しっかり対策をすればいいだけのことであるからだ。まずは、どういう言葉でお願いをするのかをここでしっかり決めておきたい。「自分に合ったところに就職できますように。」だめだ長い。この長さはあの一瞬では言えない。「いい就職先に出会えますように。」いや、これでも少し長いか。「就職できますように。」うん。言いやすい短さだ。具体性はないがシンプルイズベスト。これでいこう。そして問題はもう一方のスピードへの対策だ。あのスピードではだれも願い事などできないはずである。しかし、昔から続いているこのしきたりで誰も願い事をしたことがないなんてことはないであろう。そんなことを考えながら、冷静に数珠回しをしている村人に目をやった。スピードへの対処はいたって簡単なものであることに気が付いた。数珠回しに手慣れた村人たちは、親玉が自分のところに回ってきたら、それをがっちりと抑え、自分の前で少しだけキープさせながらお願い事をしているのである。これさえわかれば3回目は間違えなくお願い事をすることができるであろう。
「なーむ あみ だーーぶ」「なーむ あみ だーーぶ」三周目ともなると手慣れたように「なーむ あみ だーーぶ」と言えており、確かに南無阿弥陀仏がどうしてここまで崩れた言い方とイントネーションになったのかも理解できる。まあ、言葉が略されることは、世界のどこでもやられていることで、日本なんかはそれが特に多い気がする。この文章の文面でも使っていたように、「レベルが違う」という言葉は「レベチ」と略されるし、少し前の時代だと「超ベリーバッド」は「チョベリバ」と略されていた。もう少しだけ遡ってみるとしよう。明治時代には「ホワイトシャツ」が略され「Yシャツ」となって現在でもつかわれているし、江戸時代なんかには「南方仁先生」がJINが題名であるにもかかわらず「ミナカタセンセー」と独特なイントネーションで呼ばれていた。もっと前の時代になると「なかとみのかまたり」なんてのは「中臣鎌足」と表記され、あれ?「の」の部分はどこに行ってしまったのですか?と思ってしまうような特殊な略され方も存在するのだ。あれ?そういえば「略す」という言葉も「省略する」の略語じゃないか?いや、まてよ、略すはサ変動詞だから彼は彼で独立しているのだ。危うくだまされるところであった。まあ、そんなことはどうでもいい、私は三周目に人生にかかわる願い事を唱えなければならないのだ。
「なーむ あみ だーーぶ」「なーむ あみ だーーぶ」親玉は着々と私の方に近づいてくる。言うことも決まっている、しっかり親玉をキープすればいい、簡単なことだ。自分の番が近づくにつれ少しの緊張感と恥ずかしさを感じた。皆はどのようなことを、お願いしているのだろうか、「彼氏ができますように」「お金が増えますように」「明日もいい日になりますように」なんてことをお願いしてるのかな、なんて考え出すと、「就職できますように」なんて超重いお願いをする自分が情けないし、神様にとっても、荷の重い仕事だろうとは思ったが、この一人ではどうしようもない状況ではここかけるしかないのだ。神は死んだ。ニーチェの言葉にもそんな言葉があるように、別段私自身も神を絶対的に信じているわけでもないし、多角的に物事を判断したいとも思っている。しかし、だからこそ多角的に物事を判断したうえで言わせてください、今日だけは、今日だけは神は生き返りました。神頼みさせてください。
「なーむ あみ だーーぶ」「なーむ あみ だーーぶ」私の前にはあと5人。「なーむ あみ だーーぶ」「なーむ あみ だーーぶ」4人、3人、「なーむ あみ だーーぶ」「なーむ あみ だーーぶ」2.1.よし!いまだ!私は思いっきり親玉をつかんだ。しかし思った以上に引きが強く、こののままではキープできないと感じ、私は自分の身の方に親玉をぐっと引き寄せた。その時にふと思った。これは数珠回しではないんだなと。まるで、年に一度の市民運動会で毎年父が筋肉痛になっていた綱引きと同じ感覚なんだろうな。そう、これはもはや「数珠引き」なのだなどと思っていた矢先、親玉は私の手からするりと離れようとしていた。私は、はっとなり咄嗟に言葉を発した。「なーむ 、、、」もうこの言葉は私に引っ付き、私のそれを占領していたのである。小さな声で「あみ だーーぶ」とため息交じりに続きを唱えた。
それからというもの特に変わりはない。別段開き直りもしてない。日々着々と生きている。2018年12月24日大手広告代理店の面接。見事に一度目の「なーむ あみ だーーぶ」を食らって、人生の先が見えなくなった。と同時に、何かが吹っ切れ、酒にまみれたクリスマス以降、意外と物事は淡々と良い方向に進み始めた。結局のところ、私がお願いしてしまった「なーむ あみ だーーぶ」はどんな事なのかはいまだによくわからないが、とりあえず今はあと二回分の「なーむ あみ だーーぶ」を所持しているはずだ。それとも「なーむ あみ だーーぶ」は私の気づかぬうちにどこかで叶っているのだろうか。とか言ってますが、まぁ、そんなことどうでもいいっすね。今が楽しいしね。まんじ
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76
ポポロ 2003年5月号
读者来信问答部分
110 宫城县 T·W
Q:听说你会在演唱会前吃香蕉,冬季演唱会的时候也吃了嘛?
A:吃了啊有啥问题吗(笑)!吃了哦,没什么特别原因,主要是演出前吃不了主食嘛,想简单摄入营养的话香蕉就很方便。也不是每回必吃的食物,不过会常备在休息室里哦。
111 大阪府 Y·A
Q:开演唱会的时候会戴着隐形眼镜吗?
A:会戴。不过也有忘了戴的时候哈。我裸眼视力差不多是0.2,虽然日常不怎么会戴隐形,但上综艺节目之类必须要看监控器的时候都戴着。平时有一直随身带着框架眼镜哦,前段时间去看《青之炎》的试映会时就戴上眼镜看了呢。
112 石川县 T·K
Q:演唱会的时候,能看到粉丝的脸和衣服吗?
A:还是能看到相当一部分的哦~虽然不会全部一个个确认,但果然打扮有趣的话的确会很显眼,视线就会被吸引了呢。说起来,冬季演唱会的时候还看到穿着比基尼泳衣的人哎,不过虽然这样够吸睛,还是会令人困扰的。另外还能看到印着自己脸的应援扇,也能看到请求小树岔饭撒的图案。就单纯只是紧紧盯着我的人我也有看到哦,毕竟什么都不做反而也很显眼,这样的孩子能多一点也挺好的呢。
113 大阪府 K·K
Q:在小学时代是什么样的小朋友呀?
A:是什么样的呢。总之记得那时候最喜欢玩了。从放学后到日落前就一直在外面玩。踢足球啊打篮球之类……啊、 “抓小偷(*1)” 这种游戏也经常玩呢~一开始是在学校校园里抓,后来渐渐觉得不够有劲了,就把校园划作警察的阵地,小偷则是被设定成可以逃到校园外面。这个升级版被我们称为“校外小偷(*2)” (笑)。虽然也有小偷偶尔要回到学校里来这样的默认规则,做警察还是非常难啊(笑)。在外面玩过之后回家也会打游戏看动画。至于是什么动画,那当然还是对《龙珠》的沉迷了!对了对了,除了动画之外,我也很喜欢综艺节目,看了不少呢。
*1:原文为 “どろけい” ,发音为 “Do Ro Ke i” 。
*2:日语中这个说法的发音很有趣,原文为 “外どろ” ,发音为 “So To Do Ro”。
114 大阪府 S·H
Q:会喷香水吗?
A:现在没有喷,不过用了有香氛的身体乳。基本上我是挺喜欢香水的,一直使用同一款香的话,那种味道就会渐渐成为自己的香气吧,总觉得那样挺不错的呢。我自己比较倾向于那种有点甜味,但不会甜到过分的香型。如果是用在女孩子身上的香水,我大概一样会比较喜欢这种的吧。不过喷太多绝对不行,有一些女孩子身上的香水味会时不时就哗哗地扑鼻而来,这种时候就会觉得啊啊真是够了啊(笑)。女孩子的话就算不用香水也行啊,比如淡淡的润肤露味道,或者留在发间的香波味道也都很好。在一起的时候,哪怕只有一丝,能感受到那个人的味道就很美好。
115 大阪府 M·J
Q:平时都会听些什么音乐呢?
A:R&B吧,还有嘻哈、爵士等等各种类型的都会听哦。最近主要是听史蒂夫·旺德的精选辑,还有SUITECHIC吧。史蒂夫·旺德的碟是自己去买的,SUITE CHIC的是别人送的。也会听听铃木重子的歌。在家的时候大多时间都在听爵士呢,情绪来了也会听听比较华丽的音乐。不过,私下基本不听J-POP呢。
116 东京都 F·K
Q:没有和别人说过的秘密?
A:没有告诉过任何人的秘密也不会在这里说!再说秘密的具体内容对于11岁的孩子(编辑部注:提问者F·K是一位11岁的女孩子)来说太heavy了啦(笑)。等再长大一点点就告诉你哟。
117 宫城县 N·M
Q:还有在和《极道鲜师》的出演者们见面吗?
A:最近正好在拍摄《极道鲜师》的特别篇呢,摄制工作刚刚开头,有几个比起去年播出的时候更加忙碌的家伙,虽然都没法和他们好好聊天,但像这样在特别篇里和大家重聚真的很开心呢。随着拍摄的进行大家也能取得更多交流,而且会渐渐地团结到一起,我现在就已经非常期待了呢。这次的特别篇讲的是,3年级D班的学生和小美一起迎接毕业礼的故事,请大家一定要看哦~!
118 京都府 M·F
A:大概有多少身衣服呢?
Q:没数过呢,首先大衣那种有大概四件,其他样子的外套大概有15件左右吧,裤子倒是有好多好多条呢,常穿的大概有四、五条。至于T-恤衫真的是多到数不清。我已经买了一些春季衣物了。最近不知道为啥很喜欢编织的夹克衫呢,等天气暖和点了我打算多穿穿哟。
119 埼玉县 M·A
A:松本君你好像很喜欢你自己吧,那又是怎么看待翔君的呢?
Q:怎么回事啊这个问题(笑)。为什么只问翔君啊~。提问前半句的假动作也不明不白(苦笑)。我对翔君没什么特别想法(笑)。杂志采访之类的情况虽然讲过各种各样的话,说到底也就是玩梗啦。真的,对我来说就是普通的,成员中的一人。
120 东京都 W·Y
A:洗澡的时候从哪里开始洗?
Q:首先是啪——地把全身打湿从脑袋开始洗吧。然后,抹上护发素,就那样发呆等着。这段时间什么都不做,就是单纯呆着(笑)。有时候时间很紧也会在护理时刷个牙。接着是,洗掉护发素之后就洗脸。洗身体的时候一起冲掉护发素的人好像也有吧,我是完全不会那样做。护发素沾到身体上的话会很讨厌啊,好好冲干净之后才好洗身体。沐浴时间长短要根据当天情况看吧,有时候就洗一会儿,但偶尔也会在热水里泡到手都发皱,这种程度的澡好舒服呀。
121 爱知县 H·R
A:在什么情况下会觉得自己很任性呢?
Q:在工作中坚持自己的意见时吧,不过那也都是我认为必要的时候才会这么做呢,在清楚知道自己这么说很任性的基础上还是会继续,有时候真的觉得这种任性也有它必不可少之处。无论什么事,不以最真实的想法去交流怎么能行呢!更何况是为了能让大家获得快乐,不全力以赴的话更是不可能完成的。
122 福岛县 T·Y
A:有100万円的话会怎么使用呢?
Q:买衣服、配件或者家居内饰啊什么的,总而言之拿去买身边常用的物件。大概这种买法一转眼就会花完吧。啊,这样!租个什么地方,把平时我承蒙关照的人们集合起来开个派对也不错呢。想办一次试试。
123 枥木县 K·R
A:在节目《生岚》中你有和SHAKA(シャカ)搞笑组合的二位合作,比起初次见面的时候对他们的印象有变化吗?
Q:第一次见面的时候啊,就觉得 “这俩人咋回事儿啊?” 这种困惑到现在也没怎么变哦(笑)。不过其实双方工作都很忙,也没时间慢悠悠聊天呢。不止是SHAKA的两位,和其他的嘉宾们也很少有机会交流。最近,节目渐渐走向正轨,倒是也有想过好好组织大家聚一聚呢。
124 北海道 K·M
A:最喜欢哪个季节呢?
Q:每个季节都有自己的优点呢。喜欢冬天长长的夜晚,喜欢春天多多的绿色,那种绿色呀,我喜欢它有些黄绿的感觉。夏天的时候活动很多呢,上学的时候有暑假,工作了的夏天有演唱会,还有生日也在夏天所以有活动多多的印象吧。至于说到秋天呢,就想到有很多好吃的呀,是最能轻松度过的一段时间吧。果然,无论哪个季节都很喜欢。
向松本润提问岚的五选一
Q1. 如果要同居?
A:大野智
虽然哪个都不想一起住啦,非要选的话就大野君。因为就算我为所欲为,大野君看起来也不会说我的样子。
Q2. 一起去购物的话?
A:大野智或者相叶雅纪
如果是和大野君一起的话就和我自己去买没什么两样啦所以挺好(笑)。然后小相叶的品味我不讨厌嘛,他逛的地方让我去的话应该也会很开心。
Q3. 挑一个当你的孩子?
A:樱井翔
因为我们之中破习惯最少的就是他了感觉是新手向很好养。如果要做大野君的亲人,哄他去买衣服都很麻烦啊(笑)。
Q4. 如果有一天的时间可以替换成他人,选谁?
A:无
因为无论和谁换都感觉很麻烦嘛。不过挺想做一天大野君呢,尝试一下画画好像也挺不错的。
Q5. 不想和谁成为恋人?
A:全员
都不要!!不过最不想的应该就是翔君了吧。他是要建立樱井帝国的,做樱井帝国的霸王的恋人太不妙了呢(笑)。
图源:@aaa_alien
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2020/4/11(土)
「ねえ、ミーコはほんとうに、死んでもよいから天竺へわたりたいと考えていらっしゃいますの。」 その秘密めいた抑揚のある声の調子に、親王ははっとして、あらためて姫の顔を横からうかがい見た。微笑をふくんではいたが、姫の面上には、これまでに親王が何度も見たことのある、あの残忍のいろが一瞬、さっとはしりすぎたように思われた。それでも親王はことさら気にかけず、 「もちろんですとも。渡天はわたしのいのちを賭けた大業ですから、死ぬことは少しも厭いませぬ。」 「すると、天竺へついてから死なれても、死なれてから天竺へおつきになっても、結果的にはそれほど変りませんわね。」 「それが時間的に一致すれば、それに越したことはないでしょうがね。望み薄だとあらば、どっちが先でも一向にかまいませぬ。」 とたんに姫は目をかがやかして、 「それでしたら、よい考えがありますわ。 餓虎投身という故事を御存じでしょうか。ミーコは仏典の学識がおありだから、きっとよく御存じでしょう。この国をずっと南まで行きますと、つい海をへだてた北方に羅越という国があり、そこには虎がおびただしく、その虎はつねに羅越と天竺のあいだを渡り鳥のように往復して、けっしてほかの土地へはみだりに足を向けないといいます。しかも虎はつねに飢えていて、生きた人間の肉を欲しております。ただし屍肉には見向きもしませぬ。もしも死んでから天竺へついてもかまわないとおっしゃるなら、この虎にみずからすすんで食われ、虎の腹中に首尾よくおさまって、悠々として天竺に乗りこむのも一法かと思いますが、いかがなものでしょうか。」 親王、われにもなく声をはずませて、 「それはおもしろい。まるで牛車にゆられて、ゆるゆると物見遊山に行くようなものじゃ。虎がわたしのかわりに、わたしを腹中にかかえて、天竺まで足をはこんでくれるとは、なんたる妙案だろう。」 (『高丘親王航海記』澁澤龍彦 文藝春秋) 目を開くと目に鮮やかな緑が広がっていた。 葉が尖ったソテツや、椰子、極楽鳥花やリュウビンタイが其処らじゅうに繁っている。上を見上げると葉に覆い尽くされた隙間から覗く蒼い空。ぎゃあぎゃあと鳥の声が遠くから聞こえる。周囲を見渡すと何かの石像がその身を崩して自然と一体になっていることがわかった。裸足の足で湿り気を帯びた苔を踏みしめ僕は石像に近づく。蒸し暑くは無く、心地よい涼しさが僕の白いシャツを通り抜ける。石像は等身大の仏像だった。一体ではなく、合わせて二十二体。全てが折り重なって倒れており、シダ植物に浸食されている。 此処は何かの遺跡なんだろうか、と考えていると、草を踏む音が背後から聞こえ慌てて振り向く。一瞬、世界が静止した気がした。 視界の少し先に立つ人物がこの世のものとは思えなかったからだ。
緑色に塗りたくったキャンバスに一滴、白い絵具を垂らしたようだった。骨格から判断するに男性なのだろうが、輪郭がぼやけていて中性的な雰囲気を醸し出している。纏っている長めの白い服から覗く腕と足の白さ。腰まで届く長い髪は真珠色に艶めき、周囲の緑を反射している。その白を締める色として置かれた瞳の赤はまるで林檎のようだった。世界に存在する美しいものを一つに集めて人形を作ったなら、今目の前に存在する人物こそが其れではないのかと僕は溜息をついた。それと同時にこの人と何処かで会ったような、会話を交わした事があるような妙な錯覚に陥っていた。 不思議な感覚に苛まれながら、僕は彼に声を掛けようとしたが声が出せない。思わず喉を抑える。同時に白い彼の背景が瞬間、ぶれた気がして一度目を瞑る。それは錯覚ではなく、目を開いたその時には彼の背後に一斉に花が咲いた様な色彩が広がっていた。 一言で言うなら「部屋」だ。 植物と石像しかなかったこの空間に色彩を纏った「部屋」が突如として現れたのだ。 「部屋」の周囲には卵が割れたかの様に見えるステンドグラスの殻が其処此処に突き刺さっている。赤や青、エメラルドグリーンの光彩を変則的に放つその「部屋」の入り口をまるで親が子をあやす様に彼は手のひらで撫でている。絵画の如きその光景に目を奪われていると、彼が此方に目を向けた。「部屋」に注がれていた穏やかな目線と違い、冷やかな視線だ。立ち竦んだ僕に向かって銀糸の髪を揺らしながら彼は少しずつ歩み寄ってくる。 逃げなくてはと頭が警鐘を鳴らすが、足が動かない。息を吐く間もなく距離を詰められ、僕は湿った苔の上にその身を叩きつけた。押し倒されたと気づくまでに三十秒程掛かった。 先程まではっきりと分からなかった彼の顔が目の前にある。遠目からでも美しいと思ったのに其れが眼前に有ると最早暴力に近い。目が潰れてしまうかもしれない。それ程までに、絶望的と言える位に、彼は美しかった。 白銀の髪が僕の顔に掛かる。影を落とす長い髪は牢獄を思い起こさせる。僕はこれからどうなってしまうのだろう。生きて帰る事は叶わないかもしれない、乾いた虚無感が思考を覆い、しかしある種の甘い欲望と快楽がこの先にあるのではないかという期待に近い心持ちで僕は力を抜く。それを確認したのか彼は目を細め、僕の胸元に顔を近づける。はだけて素肌が覗いている僕の心臓部分の位置に彼は無表情のまま、歯を突き立てた。 「……………………。」 鬱蒼と茂る植物たちの中で僕は彼に食されている。 しかし不思議な事に痛みが無い。肉を断ち、筋肉を引きちぎられる感覚だけは生きているのに痛覚だけが僕の身体から引き抜かれたかの様だった。白の彼は一心不乱の様相で僕を喰べている。 その歯で肉を抉り、内臓を咀嚼し、骨をしゃぶり、血を啜る。 美しい真珠の髪も白い肌も僕の血液で既に真っ赤に汚れてしまった。僕自身も赤く染まりながら、嗚呼、彼と一つになっている様だと馬鹿げた考えが頭を過った。異様なまでの恍惚感に体と精神が苛まれている。僕という存在は彼が胃に納めるためだけに生まれてきたのではないかと錯覚する。切断されていない、残された片腕に力を込めて彼の頭を撫で、髪を梳く。其れに気づいた彼がゆるりと顔を上げた。血塗れの顔は少し上気しており、赤い林檎の瞳が潤んでいる。目が合った事が嬉しくて僕は少し笑ってしまった。 このまま彼に全て 喰べ尽くされて生を終えるのなら惜しくはない。 僕の脳も、 骨も、 瞳も、 鼻も 手も、 足も、 髪も、 内臓も、 性器も、 そして最後に遺るであろう骨でさえも全て彼の中に還り、彼の中��ら宝箱を開く様に世界を見る。 きっと素晴らしい場所に連れて行ってくれるだろう。 再度立てられた歯に喜びを感じながら僕は緑の天井から覗く蒼空を見つめる。
******************** スマートフォンのアラームが鳴り、僕は重い目蓋を開いた。時刻は朝五時。始業までにまだ四時間ある。 普段、僕と安展、円と三人で使っている研究室には今は僕しかいなかった。二人とも所内の実験室に一日がかりで籠もっているのだ。 ぼんやりとした頭を軽く振る。少し額が痛むのはパソコンのキーボードに突っ伏して眠ってしまっていたからだろう。書きかけの論文を見ると理解不能な文章が打ち込まれていた。 ふと、閉じたカーテンの隙間から漏れでた光がデスクの植物標本を照らしているのに気付いた。白いドライフラワーが試験管に反射した朝日を浴びて煌めいている。シルバーデイジーと呼ばれる花で、小さな花弁が可愛らしく偶には良いかなと思ってデスクに置いてみたのだ。思い立った理由が澁澤さんの研究室に置かれている沢山の植物標本に影響されたから、というのは否定出来ない。 白い花を選んだのも彼を連想させるからではないかと自分で気づいてしまい、背筋にひやりとしたものが走った。
『高丘君』 澁澤さんが僕を呼ぶ声が頭の中に響く。 男性にしてはほんの少し高く、しかし深みのある声。絶妙なトーンの声色が僕の脳に麻酔を打つように広がっていく。あの声を耳にするとどうしようも無く、彼の言うことを聞かなくてはならないような衝動に駆られる。まるで麻薬のようだ。 机の植物標本を微かに照らす朝の光を薄目に見ながら、僕はまた眠りについた。
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『ウエスト・サイド・ストーリー』シーズン1、終演しました。
2018年秋に 「これからは手がけた作品についてのブログを 真面目に書こう」と決めたので、 第2弾として、書き残しておこうと思う。 もちろん、演出作品ではなく演出補としての参加では あるので、その立場からの文章を。 IHI ステージアラウンド東京における 『ウエスト・サイド・ストーリー』、シーズン1。 (以下の文章はネタバレとは少し違うと思うが、 読み手が観劇済みであるという前提で書いたので、 真っさらな状態で観たいという人の楽しみを殺ぐ 恐れはある。 「『ウエスト・サイド・ストーリー』という作品を これから、そして真っさらで観たい」という方は、 良かったらどうぞ観劇後にご覧ください) わたしにはいわばシーズン0的な存在がある。 2018年1月に東京で、同年7月から8月に大阪で、 公演された宝塚歌劇団宙組の『WSS』に、 翻訳家として関わっていたのだ。 (訳詞は演出補も兼ねた稲葉太地さんが手がけられた) わたしの中で『ウエスト・サイド・ストーリー』は 【原点にして、頂点】だ。 誰もが知り、 また誰もが一度でも関われれば誇りに思う、名作。 この作品を境にミュージカルいや演劇そのものが 不可逆の変化を遂げた、まさに【原点】であり、 初演から62年の時を経てもあらゆる意味で 未だに超えるもののない、【頂点】でもある。 しかしそれはとても恐ろしいことだ。 そんな作品を今の日本の観客に届けるという 責任の大きさ重さ以上に、 「知ってるつもり」という恐ろしさがある。 「別プロダクションで(何回も)観た」 「原作の映画を見た」 (注:映画は舞台を映画化したものであって 【原作】ではないのだが、映画があまりに 有名すぎるため、しばしば目にする誤解だ) 「現代版『ロミジュリ』でしょう」 「曲は知ってるし大好き」 初演から62年間【名作】として君臨してきた せいで、演劇として取り組んだり見つめたりする ためには邪魔なる余計なブヨブヨが、たくさん くっついている。 作品にではない。我々の目に、だ。 ので、まずは目を開く必要があった。 いわば【曇りなき眼】を。 具体的には、ディスカッションの時間を多く取った。 これはアメリカ側演出補マストロの意向と重なった こともあり、集団で思考する時間を、通常より かなり多めに取れたのではないかと思う。 ディスカッションとはいえ、まずはこちらから、 1957年のアメリカNY市アッパーウェストサイド という、彼らが生きる場所と時代、その背景に 関する情報を、渡せるだけ渡した。 『WSS』は今でこそ【不朽の名作】だが、発表当時は、 劇場の数ブロック先で今まさに起きている社会問題を 鮮烈に切り取った、衝撃作かつ問題作だったのだ。 だから、情報といっても、本やインターネットで 調べれば出てくるような知識ではなく、 人物たちが生きていて感じただろう感覚に近そうな、 肌で実感できそうなことや、 大きな意味での時代の空気みたいなものを、 なるべくたくさん。とにかくたくさん。 わたしは偶然、作品世界を訪れるのが3回めだったし 別の演目だが時も場所も近い作品に関わった経験も あったため、それらの蓄積が大いに役立った。 それに加え、実際に普段ニューヨークで暮らす アメリカ側演出補 マストロ(イタリア系) 振付リステージング フリオ(プエルト・リコ生まれ) からの(時代は違えど)本物の実感のこもった言葉が もらえたことも、非常に有益だった。 トニーがポーランド系という台詞が印象的なので ジェッツはポーランド系と紹介されてしまうことが多いが 実際にはジェッツはイタリア系やアイルランド系も 入り混じっていると台詞にある。 だから我々はジェッツ側、シャークス側それぞれの、 いわば生の言葉が(時代は違えど)もらえたわけだ。 しかし、それだけでは足りないとわたしには思われた。 『WSS』で描かれる人種間の偏見や断絶は、 多くの日本人が無自覚に「他人事」と感じている問題だ。 差別をされる側としての当事者意識も、 差別をする側としての当事者意識も、持ったことがない ‥‥という日本人は多いのではないかと思う。 そういった土壌がないところに幾ら実感の種を ざくざく植えたところで、育つものは限られる。 そこで、日本生まれ日本育ち日本国籍でありながら 香港チャイニーズ移民2世でもあることで いわば日本における被差別当事者であるわたし自身の 体験や眼差し、実感も、積極的にカンパニーにシェア していった。 しかし、わたしは常々、 差別される側の意識よりも、 差別する側の意識を持つことの方が この作品にとってずっと大切だ、と考えてきた。 そしてそれは、日本で暮らす人にとって 差別される側の意識を持つことより ���に機会が少ない。 しかも、自分の中のそんな部分と向き合うことは、 人間であれば誰にとっても難しいことだ。 だから、その問題に対する免疫がない日本人でも 身近に、肌で実感できそうな手がかりを、少しずつ 見つけては、取り上げて、育ててゆくよう 心がけたつもりだ。 稽古を始めてすぐの時期には特に意識して このディスカッションの時間を多めに取ったが、 それにより、結果的に「対話しながら進める」という スタイルを、稽古の中に確立できたように思う。 そのおかげだろうか。 わたしは25年の間、 「外国人作家の戯曲や外国人演出家の演出を 日本人のカンパニーが表現する」という構図の 演劇作品に数え切れないほどたくさん、 それも橋渡しという立場で携わってきたが、 もしかしたらこの『WSS』シーズン1で初めて、 翻訳や通訳が介在したのでは追いつかないレベルにまで 表現を、そのためのコミュニケーションを、 探求することができたのではないか‥‥と、 そんな気がしている。 それはつまり、 外国の文化や価値観を基に与えられた作品や演出を 日本人側が咀嚼する、その咀嚼の仕方や、 そのためのコミュニケーションが、 今までのわたしの体験にないほどの頻度や深度や精度に 到達できた‥‥ということなのかもしれない。 一言で言うならば 「自分のものにする」といったようなことだ。 そうやってこの大きすぎる作品を カンパニーが自分たちのものにし、 世に届けるにあたり、 目指したことが、わたし個人として幾つかあった。 わたしはもちろん演出家ではないのだが、 送り手側に立つ以上、 そして演出家をやっている人間として 演劇作品に関わる以上、 どうしてもクリアしたいことはある。 1つめは、人物たちの筋を通すこと。 『ウエスト・サイド・ストーリー』は 【愚かな不良の若気の至り】という断定も できてしまう物語だ。 『WSS』の登場人物たちは1人として 社会的に恵まれた立場にない。 明るい未来を思い描くために必要なものを、 社会や大人世代によって、与えられていない。 ところが、作品を届ける我々スタッフキャストの 多くは、演劇という夢を叶えてそこにいる。 また、観劇する観客の多くも、1万5000円を 観劇という体験のために支払えるからそこにいる。 つまり、劇場に集まる我々はいわば、 人物たちの誰より、恵まれているのだ。 彼らより多くの選択肢を持ち、 彼らよりずっと広い世界を知っているのだ。 よほど意識しない限り、人間は 他者の苦しみを感じることができない。 ましてや自分より恵まれず余裕もない人間の 苦しみなど、なかなか理解できないどころか、 知らず知らずのうちに上からジャッジすること すらあるのではないだろうか。 しかしこの戯曲では、 若者たちの、一見若さの暴走とも取れる言動、 その一つ一つに、非常に丁寧に、筋が通されている。 選択肢が極めて少ない社会の中で、 「数の論理」「やられたらやり返す」という、 いつの時代でも国家すら動かす明快で単純な 理屈を基にして、この戯曲には全てにおいて 細かく詳細に、因果の鎖が描き込まれている。 人物たちはその因果の鎖の上を、 信じ、大切にしているものを 信じ、大切にすることによって、突き進んでゆく。 しかし、人物それぞれの筋や それが互いに分かち難く絡み合うように 編み上げられた因果の鎖は、 人物たちの背景という裏付けを知ることなくしては 読み取れないようになっている。 また、(これはもう作者たちが意図的に仕組んだ としかわたしには考えられないのだが) この戯曲ではきっちり編み上げられた因果の鎖、 それを繋ぐリンクのうち、最も重要なものが幾つか、 スコッと、抜けているのである! 我々は代数の問題を解くように、抜け落とされた 幾つかのリンクを割り出さなければ、 物語の真髄というか、ラストシーンまでも、 到達できないようになっている。 そんな戯曲なので、人物たちを上からジャッジ するような眼差しを持っているうちは、 物語のスタートラインにすら立つことができない。 だいいち観客の方だって、1万5000円も出して 人物たちを「愚かな若者たちだ」と一蹴にするより、 もっと奥へと分け進みたいものだろうと思う。 『WSS』を世に届ける上で、個人的に どうしてもクリアしたかったことの2つめは、 舞台上に生きる人物一人一人が常に、 本物の人間の感情を、とんでもない色濃さと とんでもない熱で、一瞬一瞬生きている‥‥ ということだった。 ‥‥まぁそれは、敢えて言語化するまでもなく、 全ての演劇が目指すことではあるかもしれない。 しかしこの劇場では、通常と少々、事情が違う。 何しろ機構が大掛かり。 何しろ美術が超リアル。 少し補足説明をすると、 IHI ステージアラウンド東京では、 客席の方が動いてくれるため、 まず舞台が8面も存在する。 そのため、転換をする必要がない。 動かす必要がないから、 舞台美術というよりは建築物と呼ぶべき 重厚なセットが建て込めるし、 本当に人が暮らしているかのように 小道具を細かく飾り込めるのだ。 そんな超リアルな美術が、 客席が回転するという大掛かりな機構が、 芝居を助けてくれると思ったら大間違いだ。 少しでも緩い芝居ぬるい芝居をしたら、その瞬間、 機構に、セットに、 役者は飲まれてしまう。 「アトラクションみたい」と言われる 機構の、美術の、インパクトを上回るほどに 必死に生きていないと、負けてしまうのだ。 本当に心が動いたわけでもないのに 唇が触れ合ったというだけで、 それをキスと呼び恋と呼ぶような、 そんなミュージカルや演劇や映画やドラマは 世界中にいくらでもある。 しかしそんな芝居は、この劇場では通用しない。 (本当は、どこでも通用しないのだが) これについては、 対話を重ねる稽古を通して 人物たちそれぞれの【筋】を通せたことで 俳優たちはその分、人物の言動を信じて 生きることができたのではないかと感じている。 自分の言動を信じて生きている人間には、 信じて生きている人間にしかない熱がある、と わたしは思う。 とはいえこの物語にはもちろん 理屈を超えたものも描かれているから、 【筋】=理屈だけでは太刀打ちできない。 しかし、理屈や筋といった理知の部分を 余すことなく追求し抜いた先でしか、 理屈を超えたり、打ち壊すような激情には 到達できないのではないかとわたしは考える。 人物たちが一瞬一瞬を精一杯命いっぱいで生き、 それを俳優たちが持っているもの全てを賭けて、 生きる。 わたしが演出補として観たいと願い 取り組んだのは そんな『ウエスト・サイド・ストーリー』だ。 そんな『ウエスト・サイド・ストーリー』に なっていたかの判断は、 観客ひとりひとりにお任せするとして。 そんな探求を共に歩んだシーズン1の 出演者たち一人一人についても書いておこう。 (これを目にする出演者たちへ。 一人一人への言葉、ここには全然 書ききれなくて、こんな感じになった。 書ききれなくって、ごめんね) トニー、宮野真守。 オーディションで見せてもらった、 全てを包み込むような圧倒的な包容力が、 わたしにとってはキャスティングの決め手だった。 (キャスティングは集団で段階的に行ったので 審査をした一人一人にそれぞれの決め手があったと 思うが、わたしにとっての決め手はこれだった) 宮野真守という表現者は世間から「器用」と 評されているのではないかと思うことがあるが、 わたしから見たマモはむしろその逆だった。 傷だらけになったり失敗したりしつつ恐れることなく 常に心の全てで、全力でぶつかってゆく、 不器用で人間くさいトニーを生きてくれた。 トニー、蒼井翔太。 「この人は本当に新しい世界、新しい自分が 見たいんだな」とオーディションから伝わってきた。 それこそまさに、トニーではないか。 与えられたり見つかったりした手がかりの 一つ一つを、一瞬にして、しかも物凄く本質的に、 捉える翔太持ち前のセンスと、 やはり翔太持ち前の、脱帽する他ない勇敢さで、 翔太にしか表現できないトニーを切り拓いた。 本当に対照的な2人のトニーだったけれど、 演じた2人のお名前にそれが象徴されていたことが わたしにはとても運命的に思われた。 大切な人や、自分なりの真実を、守りたいトニー。 新たな世界を求めて、蒼い空高く飛翔するトニー。 対照的でいて、確かにどちらも、トニーだった。 マリア、北乃きい。 オーディションの時から、一般的なマリア像、 通り一遍のヒロインとは一線を画すような、 熱と情念、そして同じだけの繊細さが、感じられた。 若さゆえに兄から色々と押さえつけられてはいても 既に情熱と官能が成熟した、プエルト・リコ���女。 ベルナルドと同じ、熱く誇り高い血が流れていて、 たった1日だけでも、一生分の愛を生きることが できる——きいちゃんは、そんな説得力を持って、 マリアを生きてくれたと思う。 マリア、笹本玲奈。 これほどミュージカルを知り尽くした女優が これほど裸で飛び込むということそれ自体に、 オーディションでも、稽古でも、本当に多くを 教えてもらった。裸で飛び込むからこその、 少女が女になる直前の、儚い煌めきと愛らしさ。 舞台上で起きて転がった全て、命も死も、 本当に全てを、その身に引き受ける、 あのとてつもない大きさ。強さ。そして気高さ。 玲奈ちゃんに、大きな愛を、見せてもらった。 アニータ、樋口麻美。 太陽のように、熱くあたたかいアニータ! 全てを受け止め、全てを受け入れられるほどに 大きな器を、絶えず愛や悲しみでいっぱいに 満たして、アニータを生きてくれた。 アニータ、三森すずこ。 自信がなさそうにも見えた稽古の最初の頃が、 今ではもう信じられない。 花って、大輪の花って、こうやって咲くのかと思う。 愛と自信が大輪に咲き誇る、強く美しいアニータ。 リフ、小野田龍之介。 ブレなくて頼れるリーダーでありながら、実は一番 やんちゃで、負けず嫌いで、いちいち何でも悔しくて、 甘えん坊。本当はジェッツを一番必要としているのは リフだって、リフ之介は心から納得させてくれた。 リフ、上山竜治。 何も持っていない若者が、まるで全てを持っている 者かのような優しさで、仲間たちを丸ごと愛していた。 それがとても頼もしく、同時に切なくもあった。 男の気骨、その脆さは、竜治ならではのリフだった。 ベルナルド、中河内雅貴。 何て愛の大きい男だったろう。 でっかい夢を見て、仲間と家族を愛し抜き守り抜き、 手が届かないことを心底悔しがって、時に吠え、 世界に立ち向かう。男だね。雅のベルナルド。 ベルナルド、水田航生。 シャークスならではの隙のない物腰と殺気。 恋人はもちろん妹や仲間たちに対しても細やかで 紳士的で、余裕と器の大きさを感じるけれど、 敵に回すと実は一番怖い。それが航生のベルナルド。 ドク、小林隆。 こばさんのドクは、トニーだけじゃなくジェッツを、 そしてこの荒んだ街での営みの一つ一つを、 たゆみなく、時に父のような厳しさで、愛してくれた。 作品世界を映し出す、鏡のような存在。 シュランク、堀部圭亮。 シュランクの存在によって物語は常に追いつめられる。 戯曲より今回、それが際立ったのは堀部さんのお力だ。 現代東京とは全く違った警察という存在を 理屈でも理屈じゃない部分でも体現してくれた。 クラプキ、吉田ウーロン太。 作品世界において本当に大切な警察という存在の うち、シュランクとはあまりに対照的な一面を、 ウーロン太さんはたった1人で担ってくれた。 グラッドハンド、レ・ロマネスク TOBI。 TOBI さんは3つの役を通して、 物語が曲がり角を迎える時に必ずいてくれた。 大切な役回り、ありがとうございました。 アクション、田極翼。 超絶頼れる我らが(ダンス)キャプテン翼。 芝居の面でも、まるで生まれ変わったみたいに 目覚しい変化を見せてくれた! ビッグディール、樋口祥久。 矛盾を抱えて複雑なビッグディールという人物を、 ぐっぴーは繊細で柔らかな感性で演じてくれた。 A-ラブ、笹岡征矢。 ベビージョンとA-ラブの2人が物語で辿る旅が、 かつてのトニリフと完全に重なるということを、 征矢の芝居が教えてくれた。 ベビージョン、工藤広夢。 工藤広夢の【いま】に『WSS』上演が重なった 奇跡を、演劇の神さまに、幾ら感謝しても、 感謝し足りない。 スノーボーイ、穴沢裕介。 スノーボーイからリフへの愛とリスペクトが 徹底的に貫かれていたことが、ジェッツの底力の 基礎になっていたと思う。 ディーゼル、小南竜平。 無口で頼れるディーゼルそのもの!芝居の話を するたびに、竜平のまなざしの細やかさと深度に、 いつもいつもハッとさせられた。 エニィバディズ、伊藤かの子。 オーディションで一目惚れしたエニ子! この作品世界の描く希望を、そして絶望を、体現し、 背負い、繋ぎ、抱きしめさせてくれた。 グラッツィエーラ、酒井比那。 たった1人でリフとのあのとんでもないダンスを 78回踊りきってくれたことに拍手したい。 リフを亡くした後の芝居、好きだったなぁ。 ヴェルマ、今井晶乃。 一分の隙もない美しさとシャープさ、 これぞ誇り高きジェッツ・ガール! かと思えばバレエでは、浄化を体現してくれた。 ザザ、井上真由子。 ジェッツの複雑な男女関係を一手に引き受けた その姿、かっこよくて、哀しくて、大好きだった。 ホッツィ、笘篠ひとみ。 小柄でキュートなとまちゃんが、踊り始めると 空気が変わる。ジェッツ男子も顔負けの切れ味、 これぞ COOL! マグジー、鈴木さあや。 ダンスパーティでもスケルツォでも 子鹿のようなダンスと存在感を見せてくれた。 ジェッツにも希望がある、といつも思えた。 チノ、高原紳輔。 大人なチノだからこその悲劇を見せてくれた。 「一つ違ったら、チノは王子さま」それを 体現しつつ、それに囚われずにもいてくれた。 ペペ、斎藤准一郎。 表情の豊かさと、クールなシャークスの ナンバー2を、絶妙のバランスで生きてくれた。 コンスエロとの睦まじさ、好きだったなぁ。 インカ、前原雅樹 aka パッション。 パッションのインカが持つ熱さと暖かさと、 ジェッツに対して見せる猛烈な怒り。 その振り幅に、いつも釘付けだった! ボロ、東間一貴。 シャークスの中で突出して爽やかに見せて おきながら、真っ先にトニーに飛びかかっていく あの熱さ。忘れられない。 ティオ、渡辺謙典。 大人っぽい佇まいのけんけんティオなのに、 フェルナンダとのカップルっぷりは とってもキュートで‥‥素敵だった! フェデリコ、橋田康。 ダンスパーティでの色っぽさはシャークス 随一だったと思う。いつも目を奪われていた。 コンスエロ、大泰司桃子。 桃ちゃんの頼れるコメディエンヌっぷりが 思う存分発揮されたということは、シーズン1の 成果の一つではないかとさえ思う。 しかも、我らが頼れるヴォーカルキャプテン。 フェルナンダ、山崎朱菜。 あんなにハードな『アメリカ』のナンバーを あんなに嬉しそうに楽しそうにキラキラ踊る人が、 いや踊れる人が、他にいるだろうか! ロザリア、田中里佳。 ガールズにどんなにプエルト・リコを悪く 言われても、ロザリアの心のプエルト・リコは いつも変わらず、負けずに、美しい。その強さが 『アメリカ』には不可欠だった。 アリシア、内田百合香。 ブレないロザリアの隣で、プエルト・リコへの 悪口に心を痛めたり憤慨したり、そして最後には‥‥ くるくる変わる表情にいつも楽しませてもらった。 ベベシータ、淺越葉菜。 『アメリカ』では地に足ついて自信に溢れて‥‥ でもバレエの時は幻想を全て纏うかのような、 心溶かす美しさ! 最高に頼れる、我らがダンスキャプテン! スウィング、大村真佑。 ジェッツの一員アイスとして毎公演『Cool』を 踊り、公演によってはバレエもセンターで踊り、 アシスタントダンスキャプテンでもあって‥‥ 大活躍の、頼れるダイソン。 スウィング、畠山翔太。 翼の代わりにアクション役を務め上げた 勇姿はシーズン1の忘れ難き光景の1つだ。 日々シャークスのニブルスを演じ、 バレエも踊り、その上ファイトキャプテンも‥‥! スウィング、脇坂美帆。 シャークスとしてダンスパーティを艶やかに彩り、 時にはバレエもセンターで踊り‥‥ 頼れるアシスタントダンスキャプテンとしても 日々活躍してくれた。 スウィング、矢吹世奈。 『アメリカ』での、独特のウィットと女っぽさ、 茶目っ気ある色気に溢れた魅せ方は実に鮮やか! 存在感があって、流石だった。 41人の出演者全員、それぞれに、心から、 ありがとうございました。 「〜してくれた」という表現は ちょっと上からな印象を与えてしまうかも 知れないが、舞台に立って物語を伝えるということが どれだけ大変か、そして勇気の要ることかを知り、 かつそれを見せてもらう立場であった わたしなりの、精一杯の言葉のつもりです。 次は演出補でなく演出家としてみんなに 再会できるよう、精進したいと思います。 本当はこのままスタッフ一人一人についても 書きたいけれど、絶対に行き届かないことに なってしまう気がするので、割愛します。 最後に、 『ウエスト・サイド・ストーリー』シーズン1を ご観劇いただいた皆さま、 愛してくださった皆さま、 ありがとうございました。 次は演出補でなく、 わたしの演出家としての仕事をご覧いただけるよう、 精進したいと思います。 (敬称略) 薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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2018年7月20日 筑紫野市 武蔵寺 ~ 瓜封じ
The ceremony in which troubles are sealed in the cucumber. ~ Buzo-ji, chikushino city, July 2918.
令和になって知名度が増した太宰府市ですが、その中心ともいえる太宰府天満宮に祀られる菅原道真公が自らの姿を彫ったという木造があります。太宰府と向き合う位置にある天拝山 ( Mt. Tenpai ) のふもと、筑紫野市の武蔵寺に隣接して「御自作様」と呼ばれる神社に置かれています。道真公が武蔵寺に立ち寄った際に作ったといわれています。年に2回御開帳されますが、今回はその話ではなく、武蔵寺で毎年7月の丑の日に行われる「瓜封じ」についてです。
写真は2018年。この年は7月20日に行われました。

上の写真の右手にお寺さんの駐車場があって十台ほど駐車可能です。日常でも天拝山を歩く人が駐車してることもありますがなにかしら停めれます。もしもいっぱいのときは隣接する公園の無料駐車場や高速下の市営駐車場(4時間まで無料)が利用できます。

武蔵寺は道真公が立ち寄ったというくらいで、九州最古のお寺さんだそうです。


開放的な雰囲気で、自由にお参りできます。境内にはお堂の中の御本尊様のほかにも仏像が祀られています。

右手の藤棚の下で祈願内容を書きます。用紙に住所氏名や年齢とともに記入して、自分で選んだ瓜に貼り付けます。その際、瓜の代金を賽銭箱に入れます。金額はお気持ちで、決まりはありません。
この藤は「長者の藤」といわれ、1300年の歴史があるそうです。

本殿左手の受付で祈願料を払って、瓜を渡します。2000円でした。

願いが込められた瓜は僧侶が祈祷し、後ほど境内の敷地内に埋められます。場所��決まっていて、翌年に瓜が消えていたらその願いが叶っていると言われてます。
祈願をお願いした後は本殿に上がって、僧侶を中心に大きな数珠を参加者で回しながらお経が唱えられます。(参加は自由です。)
お経と僧侶のお話で、15分程度で終わります。大数珠回しはある程度の人数がそろってから始められます。それまでの間、この時だけ御開帳される御本尊の薬師如来様を見ることができます。霊木の自然の造形から薬師十二神将像を彫り出したそうです。なので、よく目にする仏像ではありません。
うり預かり所では二日市温泉の博多湯の割引券が配られてます。瓜封じの日に限りの利用ですが、100円で入浴できます。二日市温泉まで少し距離がありますが、その温泉も武蔵寺のゆかりと直接関わる温泉です。立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
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虎だらけ。朝護孫子寺①
2019/06/01は両親&祖母と奈良県平群郡信貴山にある朝護孫子寺へ行ってきました。
朝護孫子寺は、大きな虎の張り子があるお寺くらいの知識しかなく、事前にHPで少し勉強。
(でもこの大虎が見たいから、今回は連れて行ってもらいました)
★信貴山
今から1400余年前、聖徳太子は、物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中、この山に至りました。太子が戦勝の祈願をするや、天空遥かに毘沙門天王が出現され、必勝の秘法を授かりました。その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻でありました。太子はその御加護で勝利し、自ら天王の御尊像を刻み伽藍を創建、信ずべし貴ぶべき山『信貴山』と名付けました。以来、信貴山の毘沙門天王は寅に縁のある神として信仰されています。
★朝護孫子寺
醍醐天皇の御病気のため、勅命により命蓮上人が毘沙門天王に病気平癒の祈願をいたしました。加持感応空なしからず天皇の御病気は、たちまちにして癒えました。よって天皇、朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」の勅号を賜ることとなりました。また、朝護孫子寺は、「信貴山寺」とも呼ばれ、多くの方に親しまれています。
“商売繁盛”、”必勝祈願”、”金運招福”、”合格祈願”など民信仰の場として広く親しまれています。
※朝護孫子寺HPより
なるほど!虎にはそういう意味があったのですね!しかも山の名前、信貴山の名前の由来は、「信じ貴ぶべき山」!今まで、何の疑問も抱かず、信貴山って読んでいたけれど由来やその背景などを知ると、とても面白いですよね!
信貴山前駐車場に車を止めていざいざ。
・駐車料金500円
まずは開運橋。

ここでまず虎の可愛いイラストがお出迎え。
テンションが上がります!
開運橋の下は大門池という大きな池で結構な高さ。
ここでバンジージャンプもできるみたい。
池の上の気持ちいい風を感じながら、ゆっくりと進みます。渡りきると信貴山観光iセンターの建物。
中はお土産やさんと、食事を取れる喫茶スペース、そして綺麗なお手洗い。
観光マップなども充実しており、ここで信貴山マップをもらいました。
「帰りにここでアイスたべよう!」と約束して、まずはお参り。
今日のお目当の大虎が見えてきました!


かなり大きくって、しかも顔が結構可愛い。笑
世界一の福寅だって。
その横には可愛いチビ虎。
虎の写真を撮りまくって、
まずは成福院へお参り。
★成福院
諸々の願いを意のままに叶えていただける「如意宝珠(如意融通宝生尊)」が祀られており、左脇侍に厄難消除の不動明王、右脇侍に立身出世の弘法大師が祀られております。
※成福院HPより

小銭を弄る祖母
願いが叶うという、打ち出の小槌を家族総出でとりあえず撫でる。

灯籠が並ぶ小道を歩いていると、本堂が見えてきました。

高台にそびえる立派な本堂。
(指が写っちゃってる…)
お参りに来ている方は、この位置で皆さん本堂を見上げていました。
本尊は毘沙門天。


毘沙門天と言えば、戦いの神様と上杉謙信くらいしか知識のないわたし。
毘沙門天は、国を守り、社会を守る四天王最強の神さまなんですって。
お参りされている方もたくさんいらっしゃって、
沢山の人から愛され、大切にされているお寺だとわかります。

↑本堂からの景色
観光センターでもらったマップを見ると、
山頂に信貴山城跡があると。。。
これは登らないといけない!ということで、
80代の祖母を引き連れ、いざ山頂へ!
②へ続く
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東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻第11期生修了制作展
みんなで映画のつくり方を学ぶために友だちに書き送る手紙 vol. 2
わたしたちは遊ぶ 映画で遊ぶ この遊びとはなんだろう いくつか定義がある ここに二つ、三つその例を示そう 他人��鏡のなかに 自分の姿を映してみること 世界と自分自身とを 素早くそしてゆっくりと 忘れそして知ること 思考しそして語ること 奇妙な遊びだ これが人生なのだ
───「みんなで映画のつくり方を学ぶために友だちに書き送る手紙」より ジャン=リュック・ゴダール
本上映会は東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻第11期生の修了制作展です。最初の上映から一年、四通の新しい手紙を書き送ります。
◆2017年1月28日(土) 29日(日) 横浜会場:東京藝術大学横浜校地馬車道校舎
◉2017年3月4日(土)〜10日(金) 渋谷会場:渋谷ユーロスペース
Twitter:@GeidaiFilm_11 Facebook:https://www.facebook.com/mintomo11/
◆横浜会場 【会期】2017年1月28日(土) 29日(日) 【会場】東京藝術大学横浜校地 馬車道校舎 3階大視聴覚室(103席) 横浜市中区本町4-44(みなとみらい線「馬車道」駅5、7番出口すぐ) 【料金】入場無料・予約不要 【主催】東京藝術大学大学院映像研究科 横浜市文化観光局 【スケジュール】 1月28日(土)12:30開場 13:00 『ミュジックのこどもたち』 14:30 『みつこと宇宙こぶ』 15:30 『わたしたちの家』 17:10 『情操家族』
1月29日(日)12:30開場 13:00 『情操家族』 14:40 『わたしたちの家』 16:20 『みつこと宇宙こぶ』 17:20 『ミュジックのこどもたち』
◉渋谷会場 【会期】2017年3月4日(土)~10日(金) 【会場】渋谷ユーロスペース 渋谷区円山町1-5 KINOHAUS 3F 【会場ウェブサイト】http://www.eurospace.co.jp/ 【お問合わせ】03-3461-0211 【料金】前売券:700円 当日券:900円(均一) フリーパス券:1500円(会期中何度でも入場可能) 【主催】東京藝術大学大学院映像研究科 【スケジュール】 3月4日(土) 『情操家族』 3月5日(日) 『わたしたちの家』 3月6日(月) 『みつこと宇宙こぶ』 3月7日(火) 『情操家族』 3月8日(水) 『ミュジックのこどもたち』 3月9日(木) 『わたしたちの家』 3月10日(金) 『みつこと宇宙こぶ』『ミュジックのこどもたち』 ※連日21:00から上映 ※会期中舞台挨拶・トークあり
単純明快な作品などひとつもない。みんなそれぞれに、何か大きなものに挑み、気持ちのいいくらいの試行錯誤を繰り広げ、複雑で重層的な語り口の中から、必死で信じるに足るものを探し出そうとしている。そしてその中から、おそらく偶然なのだろうが、全ての作品に共通の物語的主題がはっきりと浮かび上がってきていることに驚いた。そのひとつは、いまや従来の家族はまったく機能していないという点。もうひとつは、男はほとんど役に立たないか傍観者にすぎず、主体は女性の手に握られているという点。……なるほど、そうかもしれない。しかし4人の若い作家たちにとって、そのことは決して悲観すべきことではなく、むしろ希望、世界と映画に立ち向かうための絶好の主題であるように思える。 黒沢清(東京藝術大学大学院映像研究科教授)
ふと、昔見たある映画の中のセリフを思い出す。「世界を救うのはこどもや兵士や狂人なんだ」と。こどもとは、疲弊して色彩を失った世界を真新しい視線で再び息づかせるものであり、狂者とは、自分が何者であるか知らぬままに、世界の秩序や意味をかき乱し再生させるものであり、兵士とは、我を忘れて戦いに身を投ずるものであるとするなら、この4本の映画の中では、確かにそのようなものたちが、自ら傷つきながらも生き生きと行動し、世界に新たな光を与えているように見える。奇抜なアイディアや、派手な出来事によって映画を飾り立てることもないが、4本の映画はこどもと兵士と狂者とともに、それぞれの回路で世界に亀裂を生じさせ、映画と世界の新たな接続を試みるのである。 諏訪敦彦(東京藝術大学大学院映像研究科教授)
『ミュジックのこどもたち』
『ミュジックのこどもたち』 2017年/75分/ヨーロピアンビスタ/5.1ch/カラー/DCP 監督・脚本・編集:佐々木健太 脚本:木村暉|プロデューサー:池本凌太郎 渡邊健悟|撮影:龍浩錕|照明:上野陸生|美術:美崎玲奈|衣装:栗田珠似|衣装協力:山崎忍|サウンドデザイン:川神正照|サウンドデザイン助手:仲間章雄|記録:李奥洋|助監督:野頭雄一郎|俳優担当:小林のんき|製作担当:森田雄司|音楽:高橋宏治 出演:伊東茄那 中崎敏 新津ちせ 鎌滝秋浩 長内映里香 生津徹 菊池芙美 小林永実
【あらすじ】 女子高生のマーフは、幼い時に母を亡くし、実父と義母、そのこどもである6歳のまあやと暮らしている。しかし酒に溺れる父には乱暴に扱われ学校でも孤独な生活を送っていた。夢見がちな幼いまあやとだけはいつも一緒にいる。ある日、森に迷いこんだマーフたちは、狩猟を生業とし、森の入り口に建つ古びた一軒家に住むマサとその叔父の次郎に出会う。マサと過ごす日々に、亡くなった母親の記憶やなつかしいうたを思い出すマーフ。音楽とうたのあふれるふしぎな森から、こどもたちの新たな旅がはじまる。
【監督プロフィール】 1985年北海道生まれ。立教大学映像身体学科卒業。大学在学中に『クーラン・オプティック』が仙台短篇映画祭に入選。『帰って来た珈琲隊長』は、ぴあフィルムフェスティバル2015にて上映された。藝大で16mm短編作品『どうでもいいけど』(脚本:木村暉)、他に杉野希妃主演のファンタジー短編『Alice』。
毅然と憎しみの感情を爆発させる主人公のたたずまいが美しい。憎しみが美しいというのが粋である。映画のヒロインとはこうでなければならない。家の内から外へ、あるいはその逆へ、彼女は自分の居場所を見つけようと絶え間なく移動する。まるで映画そのものが居場所を見つけ出そうとしているかのように。それにしても、ここはいったいどこだろうか。街のような森のような、この世のようなあの世のような…全ての境界線が曖昧になった一種の寓話的世界で、コミュニティの崩壊と再生が思いのほか壮大に描かれる。それと、森の中で突然行われる情事がまことにエロチックだった。 黒沢清
映画は、たとえどんなに荒唐無稽な世界であっても、それを「信じる」ように仕向けられる。その世界に綻びがないよう細心の注意が払われる。しかし、ここでは映像と映像が相互に補いながら一つの出来事をスムーズに了解させるよりむしろ、断絶し、エッジを際立たせ、世界は軋みはじめる。震え��ようなその綻びには、何かのっぴきならないアンビバレンツな力学が働いており、そこに「映画」と向き合う作者の精神が現れていると思う。山間の古い家屋で世界と隔絶し、銃によって「命を頂いて」暮らし、やがて気球で好きなところへ自由に飛んで行こうとするマサたちの暮らし=孤立したユートピアが箱庭のように描かれるのであるが、地上にもはやユートピアが不可能であるとすれば、本当に空を飛んでいかなくてはならないのかもしれない。しかし、私たちは目に見えるものよりも、この軋み(音楽)こそを信じるべきなのだ。冒頭のマーフの微かな歌声が、やがて、堂々とした死者とのコーラスとして響くとき、音楽はその綻びから物語を超えて世界へ染み出すような感動的な響きを湛えている。 諏訪敦彦
『みつこと宇宙こぶ』
『みつこと宇宙こぶ』 2017年/40分/アメリカンビスタ/5.1ch/カラー/DCP 監督・脚本:竹内里紗 脚本協力:峰尾賢人|プロデューサー:池本凌太郎 関口海音|撮影:松島翔平|照明:諸橋和希|美術:侯捷 王慧茹|衣装:栗田珠似|録音:清水裕紀子|サウンドデザイン:伊豆田廉明|編集:小林淳之介|助監督:川上知来 大杉拓真 山本英|製作担当:崔得龍|ヘアメイク:熊谷七海|特殊メイク:征矢杏子|音楽:金光佑実 出演:小松未来 金田悠希 島野颯太 宮野叶愛 百合原舞 伊原聖羅 篠崎颯夏 根矢涼香 坂井昌三 永山由里恵
【あらすじ】 9月20日。晴れ。目に見えない部分だから気になるのかな。最近「こぶ」の中身についてよく想像をふくらませてる。学校に行く道でも、お風呂に入っていても、夜に眠れないときも、ずうっと考えちゃう。だって「こぶ」の中身がわかれば、他のことについてもわかるような気がするんだ。
【監督プロフィール】 1991年生まれ。神奈川県出身。立教大学映像身体学科・映画美学校フィクションコース卒。大学の卒業制作として監督した『みちていく』が第15回TAMA NEW WAVEにてグランプリとベスト女優賞をW受賞し、翌年劇場公開。現在、DVDがレンタル・発売中となっている。DVDには藝大にて1年次に制作した16mm実習の短編『感光以前』も特典として収録されている。
主人公は13才の女子中学生だ。だから彼女の人間関係は学校を中心として形成されている。にもかかわらず、授業も教師も出てこない。彼女も作者もそういうものにまったく関心がないのだ。それより彼女は、驚くべき執着で何でも破壊してまわる。おそらく表面を砕いてその中身を確かめたいのだろう。それが大人になるための通過儀礼なのか、それとも子供の領域だけに許された遊戯なのかはわからない。しかし、一途に突き進む彼女の身のこなしは、有無を言わせぬ感動を呼ぶ。ふとジャン・ヴィゴの名前が浮かんだ。映画はきっと、このような者を肯定するために発明されたのだろう。 黒沢清
映画の中のこどもは、多くの場合その可愛らしさを利用されたり、大人が見たいと思う子供らしさを演じさせられたりする。しかし光子がしりとりをしながら商店街を駆け抜けるスピード、横断歩道でフラミンゴのように片足をブラブラさせる立ち姿、セリフの間合いやちょっとした仕草が、彼女を映画世界の中にユニークに息づかせる。撮影、美術、音響も演出を的確に実現しているが、監督が俳優のユニークさを捉え、その身体を生かしながら、一方的な操作に陥らぬよう、共働者として光子を演じる俳優に映画作りに参画させているように思える。そのことで、私たちはまだ子供っぽい光子の妄想を生きることが可能になる。こぶを恋心のシンボルのように扱ってしまえば陳腐なイメージになってしまうが、こぶは光子の言うように宇宙そのものであって、その妄想を生きる狂気が、世界を息づかせるのだ。こぶが消えると、光子は大人になって、この現実世界に回帰する。彼女の身体表現や発話を変化させて成長というものが確かに視覚化されていることが素晴らしいが、光子がさらに別の宇宙を生きる結末を見てみたい気もする。 諏訪敦彦
『わたしたちの家』
『わたしたちの家』 2017年/80分/アメリカンビスタ/5.1ch/カラー/DCP 監督:清原惟 脚本:清原惟 加藤法子|プロデューサー:池本凌太郎 佐野大|撮影:千田瞭太|照明:諸橋和希|美術:加藤瑶子|衣装:青木悠里|サウンドデザイン:伊藤泰信|編集:Kambaraliev Janybek|助監督:廣田耕平 山本英 川上知来|音楽:杉本佳一 出演:河西和香 安野由記子 大沢まりを 藤原芽生 菊沢将憲 古屋利雄 吉田明花音 北村海歩 平川玲奈 大石貴也 小田篤 律子 伏見陵 タカラマハヤ
【あらすじ】 ある一軒の家には二つの時間が流れていた。 14歳のセリは母親の桐子と二人暮らし。セリは桐子が新しい恋人をつくったことに反発している。ある日、セリはお父さんの倉庫からクリスマスツリーを出してきて……。 自分がどこからやってきたのかわからない、突然記憶を失くしてしまった女、サナ。目覚めた船の中で、サナは透子という女に出会う。あてのないサナは透子の家で暮らし始める。
【監督プロフィール】 1992年生まれ。東京都出身。武蔵野美術大学映像学科卒。同大学在学中に監督した『暁の石』がPFFアワード2014に入選。同卒業制作の『ひとつのバガテル』がPFFアワード2015に2年連続で入選、第16回TAMA NEW WAVEにノミ��ートされる。他に藝大で制作した『しじゅうご円』『音日記』がある。
暗い古風な家の中で二つの物語が交錯していくわけだが、よくこんなアイデアを思いついたものだ。しかも、その突飛な設定がまったく上滑りせず、あらゆる画面にサスペンスとして機能している。これを実現するには、相当な才能と計算が必要だろう。また、海の向こうがザワザワしていて、妙に気になった。ここは多分どこかの島なのだろうと思うが、ひょっとすると黄泉の国? もしかして、どちらかが幽霊なのか!? そう言えば、冒頭は少女たちが白衣をまとって暗闇の中で揺れているシーンだった。あれが恐ろしい物語が始まる予兆だったのか!! 興味は尽きない。 黒沢清
目覚めると記憶を失っていた女は自分が誰であるのか分からないまま、偶然に出会った女と共同生活を始める。亡くした父の面影と、新しい母親の恋人との間で揺れる少女の日常。全く関係のない二つの物語が、いわゆる平行世界として同じ一つの家屋で進行してゆく。二つの別の脚本を、一つの家屋を舞台に撮影するという実験は、ともすれば作り手の作為が透けて見えるようなものになりかねないが、この作品が魅力的なのは、平行世界を俯瞰して操作するような��者の視点を消し去り、ただポリフォニックに響き合う二つの世界の音楽に耳を傾けるように寄り添い構成されていることにあるように思える。1+1が2になるのではなく、互いに依存することも葛藤することもなく、ただ1と1としてあることで世界を開いてゆく。その「開かれ」に風が吹き込むように、それぞれが奏でる淡い物語はやがて溶け合って、世界をみずみずしく息づかせるのである。 諏訪敦彦
『情操家族』
『情操家族』 2017年/80分/アメリカンビスタ/5.1ch/カラー/DCP 監督:竹林宏之 脚本:今橋貴|プロデューサー:池本凌太郎 井前裕士郎|撮影:城田柾|照明:上野陸生|美術:侯捷|衣装:栗田珠似|録音:伊豆田廉明|サウンドデザイン:清水裕紀子|編集:小林淳之介|助監督:西川達郎 大杉拓真|製作主任:林宏妍 鈴木麻衣子|ヘアメイク:橋本申二 中麻衣子|音楽:久徳亮 出演:山田キヌヲ 韓英恵 遠藤史人 松田北斗 川瀬陽太 柳谷一成
【あらすじ】 冬休み、小学校教師・小野今日子は勉学に遅れがある生徒・鉄平の補講授業を行う事になる。今日子は、鉄平の母・美映と不思議な絆で結ばれるのであった。一方、冬休みの合宿に行っていたはずの今日子の息子・三四郎が、なぜか万引きで捕まったという報が入り、ある隠し事をしている事が発覚するのだった……。
【監督プロフィール】 1988年生まれ、福岡県出身。明治学院大学文学部芸術学科に入学後、映画史を学び、映画制作を始める。主な監督作に『ハチとミツ-新しい季節-』(14)『帰れないふたり』(15)『ジョンとヨーコ』(16)がある。
面倒見のいい女教師が、何でもかんでも面倒を背負い込み、実に面倒臭いことになっていく物語。それにしても素晴らしくヘンな映画だった。まず主人公を含めて大人たちがみんなヘン。あまりにもずけずけと物を言う。家の構造もヘンだ。熱演する山田キヌヲが部屋を飛び出してクリスマスツリーか何かを押し倒すバルコニーのような場所のヘンさ。別れた夫がどうやら海辺の堤防と思われる場所で、突然タップダンスを踊るシーンでそのヘンさは極まる。息子もつられてタップを踏むのだが、これまで見たことのない異様な光景だった。テッペイという子供だけが唯一マトモで、物言わぬ彼のたたずまいが不思議と印象に残る。 黒沢清
小学校教師今日子は、彼女を取り巻く世界を律儀に秩序づけようと奔走し、同時にその過剰な行動によって世界を撹乱するトリックスターである。主婦仲間の下らない雑談から立ち去る今日子が、突如直角に方向転換して走り出す後ろ姿のように、彼女には他人や自分に見せようとする私と、彼女を突き動かす衝動の間をとりまとめる中間というものはなく、その変化は不意打ちとして周囲をたじろがせるのだ。しかし、不意打ちを食らうのはむしろ彼女のほうである。彼女の秩序は彼女だけのものであり、世界のほうは常に今日子の期待を裏切るように出現する。奇人、変人による(スクリューボール)コメディというジャンルに敬意を払いつつ周到に造形された脚本が素晴らしいが、一歩間違えばから騒ぎに陥ちるかもしれない狂気の主人公と世界との喜劇的対決を、俳優の演技、身体を信頼し、活写する演出の手腕がしなやかで恐ろしいほどに冴えている。 諏訪敦彦
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83 Jewel
舟から落下し、雲の結晶の守りを失った体を容赦なく砂粒の嵐が叩きつける。バルナバーシュは痛みのあまり目をかたく閉じ、またルドの甲冑が擦れて苛烈に鳴る音を近くに聞いていたが、やがて嘆き怒れるもの全てが遠ざかり、たった一刻が一年とも思えるほど引き延ばされた長い暗転と沈黙のあと、気づけば横たえられた背に砂の感触をただただ安らかに感じていた。胸元の懐中時計が心臓とともに脈打っており、フェレスの力がわずかでも主を守護したのかもしれなかった。嵐の精霊たちの金切声は耳鳴りとなって頭蓋に残され、いまだ混濁する意識に逆らいつつ身じろぐと、やはり体の節々は痛んだが、いずれも些細なものに過ぎない。物静かに降りそそぐ雨が砂に擦れた頬を優しげに労わり続けている――あの激しい航海から墜落したにも関わらず、バルナバーシュは大した衝撃も怪我もなく沙漠に仰向いて倒れているらしかった。
上半身を起こして辺りを見渡すと、依然としてそこは闇沙漠であったが、まるで夢まぼろしだったかのように嵐のあとは何一つとして見て取れない。風もなく、雨は温かだった。だが、砂丘群を越えた先から遠雷がどよもし、ヒトでないものの叫び声が聞こえた気がした……それはまさしく嵐の前触れだった。
「ルドは……?!」
息を呑んで立ち、ルドとマックスの姿を探したが、雨にけぶる視界が探索をさえぎってしまう。ディオレから非常用にと預かっていた七色の光る小石を携行ランタンに詰めこんでありあいの明かりとしたが、みずからの道行きを助けるのが精々だった。ルドを呼ばわる声にもいらえは返されず、バルナバーシュは見上げるほどの砂丘のひとつをさして孤影悄然と歩みだした。高みから眺めれば彼らの明かりや、あるいはディオレと雲の小舟を見出せるかもしれない。バルナバーシュはひとり、嵐によってどこか遠くの地へ投げ出されたのだと思った。
しかし砂丘をようよう登りきると、突如としてバルナバーシュの足元は融けるように雪崩れて、目的を果たさぬまま彼は短い悲鳴を上げ、砂丘の向こう側へ無様に転がり落ちていった。まるで何ものかの意思が働いて彼を妨げ、前進する意気を削ごうとしている。乱暴に低地へ投げ出され、雨と砂にまみれて重く伏した体をどうにか起こすと、なにやら地面から発せられる、多くの名指しできぬ色彩の光が目にちらついた。
まさぐる手で正体を探ってみると、無数の石――それも数々の希少な宝石のかけらだった。ひとつを手に取ればそれは燃え立つルビーの粒で、他にも新緑を空想する橄欖石、アメシストの混沌、明晰たるシトリン、深き青の瑠璃、夢見る真珠……その魅惑ゆえに強い力にさらされ、幾星霜、あまたの人々に求められた末にこの辺涯に流れついた亡がらばかりだったが、それが皮肉にも惻隠と玉石たちのもろく儚げな純美を訴えかけてくる。あたりには同様に宝石のなれの果てが鏤められ、沙漠の夜に浮かぶ星々のようにかすかに煌めき、いまや遠い人々の心と流された涙を汲んでいた。宝石はバルナバーシュの七色のランタンを反射してさだかならぬ小径を示し、彼は半ば魅せられながら砂地を進みはじめた。
嵐の気配が近づきつつあり、先刻、小舟で挑んだはずのそれとほとんど似通っていることにバルナバーシュは奇妙な違和感を覚えた。一度止んだ嵐が、ふたたび生まれようとしているのだろうか。闇沙漠の精霊たちの沸き立つ怒りが魔力に慣れ親しんだ肌にひりつき、地表を走る風塵に外套が宙高くなびいた。宝石の径を踏みしめながらさらに進むと、やがて前方に巨きな岩――枯れ草がぼうぼうと茂る岩らしきものの影が見えてきた。それから人の姿が見え、声も聞こえる。雄叫びを上げているようだった。人影はヒトの身長を上回る長大な剛槍を突き出し、一散に岩へ突き進んでいく。
(ハイン……?)
直感に打たれたバルナバーシュは、唐突に風に逆らい、砂に足をとられながらも駆けだした。フェレスが脈打つ。再会の喜びではなく、不穏な胸騒ぎに追い立てられて彼は限りなく急いだ。ハインの身が危ない……! 剛槍は巨岩――いや、巨岩と見まごう獣、腐らずにおかれた太古の鯨の死骸のごとく砂地にうずくまる鈍重な体に、体表は太い毛に覆われ、頭部と思わしき場所には無垢な色に濡れた二つの黒曜石の瞳が埋まっている――その眉間を狙って繰り出されようとしていた。駆けつけると確かに人影は黒衣の外套をまとったハインであり、日焼けした明るく健康的な肌に、外はねの銀髪をターバンで無造作にまとめ、瞳は楽園のコーラルブルーの輝きに溢れていた。丈夫な長靴で砂を蹴り、勇猛果敢に彼は獣へ突撃する。間に割って入るのは叶わず、ハインの槍は外すことなく獣の眉間を深々と刺し貫いた。だが致命傷にもかかわらず、獣はその場で微動だにせず体毛を震わせるのみで、固く、鉄が弾けるような音だけが獣の内外で幾度も打ち響かれる。
「ハイン……ッ!!」
バルナバーシュの呼び声にハインは振り向いて、思いもよらぬ人物の登場に驚き、目を見開いた。獣の内部で高鳴る心臓が不吉な波動を発し、眉間に食い入った槍の奥からスペクトラムの光を放ちながらその巨体が膨張していく。バルナバーシュはハインの腕をしゃにむに引くとともに二人で倒れ込んで伏せ、銀剣アルドゥールを抜いて砂地に突き立てると、詠唱を介さず、代償にありたけの魔力と精神力を柄から流し込んだ。刹那、無音が支配し、獣は内に溜め込み続けた膨大なエネルギーを爆発させた――轟音と数知れない愛惜を抱いた宝石が命尽きる甲高い悲鳴のなか、獣は木っ端みじんに爆散して、すさまじい爆風と礫がバルナバーシュとハインを襲う。だが、アルドゥールを触媒にとっさに展開させた障壁によって、わずかな剥片だけが防具を浅く傷つけるにとどまり、二人はどうにか惨事から守られていた。
「バルナバーシュさん、あんた……どうしてここに!」 「今のが宝獣イープゥか……?」
バルナバーシュはこの状況について何ひとつ答えられず、逆に聞き返すしかなかった。ハインはきびしい面持ちでうなずいた。
「案内人の――幸星の民のグレイスカルに頼んで、イープゥの領域に立ち寄ってもらったんだ。イープゥの持つ宝石、砂のなみだを手に入れるためにな」 「私は君が危険を冒してでもイープゥに挑んだかもしれないことを聞いていた。なぜだ? 君が金目のためにここまでやるとは思えない」 「そう考えてるならとんだ勘違いだぜ、バルナバーシュさんよ……」
ハインは自虐の笑みを浮かべながら身を起こし、砂をはらった。あたりにはイープゥだった破片が粉々に割れたガラスのごとく無残に散らばっており、血や肉といった生々しさはほとんど見られない。ハインは砂のなみだを探してイープゥの破片のひとつひとつを調べ出した。破片は様々な石が融け合わさり、あたかもイープゥの体内で未知の異次元を構成していたかのように名状しがたい形状で、ゆがみ、重なり合い、およそ現次元にはありえぬ強烈な色相の移り変わりを閉じこめた複雑怪奇な結晶が多くを占めていた。
砂のなみだがどんな宝石かハインに尋ねると、彼にも分からないと言う。嘘をついている様子はなかった。
「だが、見ればきっと分かる。そんな気がするんだ……」 「ハイン、急いだほうがいい。じきに精霊たちが宝獣の死を嗅ぎつけてやってくる」 「分かってる!」
ハインは徹して目的のものを探し、バルナバーシュも仕事を手伝ったが、長くはかからなかった。ハインは見つけたと声をあげ、砂に汚れて濁ったひとつの石を迷いなくつかみあげると、鑑定せずにすぐさま腰に下げた袋にしまいこんだ。
「バルナバーシュさん、助けてくれてありがとな」 「友の��機に駆けつけられてよかったよ」
ハインが親しみをこめてバルナバーシュの肩に手を置き、かつてオストル沼沢でハインに命を拾われたことに思いを馳せながら、感慨深げにバルナバーシュはうなずきを返した。だが先ほどのむやみな魔法の扱いで長くは立っていられず、膝をついてしまう。
「一体どうしたんだ?」 「すまない、力の消耗が……少し休めばなんとか。嵐は近い。君は先に行け」
ハインはともに腰を下ろし、その場から動かなかった。
「あんたを置いていけるわけないだろう」 「ああ、君はそういう男だったな……だが、仲間が待っているんだろう。それに私もルドを探さなくては」 「実は俺もはぐれちまったんだ。狂った魔道機の起こした砂嵐に巻き込まれて……アセナもグレイスカルも、ナナヤも」 「ナナヤだと?」
顔を上げて、バルナバーシュはハインの片腕をつかんだ。
「君に同行している獣人の少女というのは、まさかナナヤなのか」 「ああ、そうさ! あいつの口から、あんたたちのことは聞いてるよ。何があったのかもな……だが、俺がぜんぶ解決してやる。だからあんたは何も心配しなくていいんだ。この砂のなみださえあれば――」
ハインが宝石を収めた袋を叩いてみせた時、突風が糠のような雨を彼らに被せ、語られるはずだった言葉をさえぎった。言い知れぬ気配を感じて見上げれば、三匹の実体のあいまいな精霊らしき姿――それぞれが金、銀、青の、細い光の線が幾重にも渦を描いて形取った蝶の羽根を持つ、生命体とも超自然存在ともつかぬ者たちが、ひらひらと雨雲を背に舞い踊っていた。霊次元に存在する精神が現次元に具現化したのが精霊なる種族だが、彼らが固有の意思を持つのかは分からない。銀の羽の精霊が閃光と金切り声を放つと、二人のすぐそばに落雷の槍が閃き下り、宝獣を殺されたもだしがたい悲憤に地を焼き焦がす。雨と風塵ものたうちはじめ、もはや抑えられぬ徴候に二人の本能は粟立った。
「畜生!」 「ハイン、やはり君は行くんだ! 今の私では走れないし、さっきの爆発で仲間たちも気づいているかもしれない。助けを寄越してくれ」 「つまらない自己犠牲はやめてくれ。殺されるぞ」 「私を見くびるな。君に救われた命でもある。みすみす無駄には出来んよ」
それでもハインは迷っていたが、意を決して立ち上がると全速力でその場から離脱した。荒む景色にその姿はすぐかき消え、バルナバーシュもよろよろと立つと、アルドゥールを両手に構えて心気を研ぎすます。しぶきをあげて怒れる霊次元の大いなる破壊もものかは、これまで乗り越えた冒険の数々がならびない度胸となって彼を支えたが、蓄えたる魔力はいまだ回復せず、まじろがぬ眼光の奥で切り抜けるための知恵を必死に絞ろうとした。あたりに散らばる宝石やイープゥの欠片には力が残されており、寄せ集めれば代替にできるだろう。しかし……。
(……だめだ)
バルナバーシュは失意から剣を下ろした。石たちを自らの助けとするには、魔術の晦渋たる路を経て彼らと魂を通わせねばならない。今しも犠牲にされた、この亡がらたちと……。碧眼の虹彩が揺れる。嵐は、奪われ、損なわれた宝石たちのために慰めを超えて流される涙だった。紫電の矢が四肢をかすめて神経を突き刺し、砂の息吹にさらされ傷ついた額や唇は血が滲みはじめていた。だがその痛みに目の覚めたバルナバーシュはふたたび剣を構え、見据える瞳には手放しかけた生気がよみがえっていた。
瞼を閉じ、バルナバーシュは静謐の領域へ己れを送り込もうとした。自らの魂を縛るあらゆる枷をひとつ、またひとつと外し、闇沙漠の深く果てしない海淵のイメージに身を投げ、重々しく濃密な液体のなかを沈んでいく――彼はこれを魔術と呼ぶが、同時にディオレの語るセンスのなせる秘技であり、夢想へと導く力でもあった。感覚が次元流をとらえると、やがて時が意味をもたなくなり、安らぎも確かなものもない夜寒の洞窟へ彼はさらに落ち込んでいく。
暗く、身を切る隔絶のなか、そこでは海中に降る雪のように宝石たちが寄る辺なく蕩揺に浮かんで、記憶によってむなしく砕け散るごとに、秘めたる情景がおぼろな幻影となって現れるのだった。黒煙に巻かれて燃え上がる歴史のなかで、富や力の次元を超えた無欠の宝石――愛の似姿――のために、人々は争い、奪い合い、傷つき倒れ、いつしかその火も鎮まるころ、疲弊の末に関わりを捨てて立ち去り、多くの願いは遠く忘れられていった。あらゆる墓標への悲しみだけが無残にあった。流された血への後悔のまま流謫を選んだ者たちは、己れの種族の愚かなるを悔い、求めることをやめてしまった……。恐れ、目を背け、雲影の向こうへ隠しながら。求めずともヒトは生きていける。だが、闇沙漠――世界の涯に忘れられた宝石たちは今でも、あの無限の力を覚えている。時代は流転し、かつて願われたものを砂の大地に表しながら彼らは待ち続けている。人々がふたたび見つけ、目指してやってくることを。バルナバーシュは、太古の海で満たされた洞窟の縦穴をゆっくりと落ちながら、闇に没した底へと力の限り腕を伸ばして、ひとつの宝石を掴もうとした。かすかな青白い光がまたたく。それは沙漠の星――ハインもまたその命を懸けて求めた、砂のなみだの光だった。
「私たちから失われたのではない。ただ、思い出すだけ」
宝石の中から誰かの声がした。それはセニサのようでもあり、湖の水精たちやクヴァリックのようでもあり、まだ見ぬ未来の誰かのようにも聞こえ、砂のなみだは真円だったが、まばゆい光に守られて真実の姿は知れなかった……それでもバルナバーシュは手を伸ばす。指先に宝石を捉えたとき、胸元のフェレスが白熱して、目もくらむ光の奔流を解き放った。バルナバーシュの手にはアルドゥールが握られ、星々の光を集めた刀身に導かれて振るうと、稲妻を裂き、冷雨をしりぞけ、風塵を切りひらく手ごた��が息も詰まる震えとなって返された。視界が弾け、急速な勢いで意識は現次元の闇沙漠へと引き戻されていく。
魂の帰還を果たしたバルナバーシュの手のなかでは、アルドゥールはなおも光輝き、知らず精霊の放つ猛威を受け流していたようだった。精霊たちは狂おしく羽ばたき、バルナバーシュは振り返ったが、ハインが戻ってくる様子はまだない。彼はひとり、精霊たちへ決然と剣を構えた。
「フェレス――いや、全てのものに眠れる光よ。私はおまえを信じる。たとえおまえが世界を憎み、破壊し尽くしたとしても、私はおまえを祝福するだろう!」
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球に世界を閉じ込めて
キーアイテム”フェレス”を、三つの視点から考察したもの。
【フェレス】 pheres
アナグラムのもとであるsphereには(広義では同じですが)大きく分けて三つの意味があります。
1.球体、球 2.天体、星 3.範囲、領域
この三つの意味にそれぞれ紐づけて、フェレスとはなんなのかを考察していきます。ただしロジックの都合上、考察の順序は2→3→1をとります。
《星のフェレス》
願いや導きなど、希望のシンボルとしての星(フェレス)です。
願をかける対象、旅や航海の目印など、星は総じて明日への希望につながるものです。”希望を信じ、フェレスの導きによって願いを叶える”ストーリーにもっとも即した解釈かもしれません。また逆説的に、大きな希望であったエル・セイダ、それが砕けて幾千と散り別れたフェレスを星々とも例えられます。
また星には多様な内的イメージが含まれており、「頂点の美」「目指す場所」「無数の存在」「生まれて死にゆくもの」など、さらに行きつくところには「永遠性」も感じられます。
アストラまでの冒険を達成したフェレス、 散り別れて誰しもが所与する出発点としてのフェレス、 道半ばに潰え、あるいは後世に託されるかもしれない夢としてのフェレス、 さらにそれらが紡いでいく未来としてのフェレス。
流れ星に願いをかける信仰が単なる迷信ではなく、星という存在が太古の人々に想像をもたらして根付いた夢を見る力と考えると、この解釈はより興味深いものとなります。引用できる資料が手元にないため流説となりますが、流れ星は神様が下界の様子を見るために天の扉を開けた時に漏れる光、つまり神がこちらを見ている瞬間であるから願いを伝えたとも言われ、エターナルデザイアーにおいては、エル・セイダの砕け散った欠片が流星、イムド・エガトを天の扉と考えると通じる部分もありそうです。(古今東西の伝承をモチーフにしたり、エンセスの入り口でオルム(orrum=rumor=噂)という敵も出現するため、迷信を論理的な観点だけで斬り捨てる作品ではないと思われる)
そして星(希望)を目指す旅は、始まり(出発)と終わり(到達)、また終わりからふたたび始まりをも生み出しますが、これは後述の「球形のフェレス」の話へと繋がっていきます。
《領域のフェレス》
個人の所有する空間、幸福な空間、外敵から守ってくれる空間としての領域(フェレス)です。
人それぞれにとっての「家」のイメージです。そこはただ外から帰ってきて、食事して体を清めて眠るだけにとどまりません。住む人の心次第で好きなものや趣味にあふれ、無限に存在価値を高め、たくさんの思い出のつまった場所にもなるものです。それは心の豊かさにも直結し、主人をあらゆるストレスから保護する力も強くなります。
『エターナルデザイアー』の欠片は、様々な物に宿り、眠りました。 宝石、生活用品、武具、おもちゃ……。 その”物”が大事に大事に扱われ、 いつしか持ち主にとってかけがえのない存在となったとき、 『エターナルデザイアー』の欠片は静かに目覚めます。 それは『フェレス』と呼ばれました。
――オープニングより
休息とはどこに、またいかなる方法によって特権的な位置をみいだすのであろうか。かりそめの避難所や偶然の隠れ場所が、われわれの内密の夢想によって、ときになぜなんら客観的な基礎をもたない価値を獲得するのであろうか。
ガストン・バ���ュラール[著] 岩村 行雄[訳] 『空間の詩学』筑摩書房 2002年 p38
フェレスは家(避難所)の役割を果たします。自分”だけ”の領域であり、主観によってのみ絶対的価値が生まれ、客体であってはなりません。自分だけのものになればなるほど、強烈な力を得られます。心底から安らぎ、英気を養い、嫌なことを忘れて敵意から守ってくれる家を持つ、というのは現実世界においても不可欠なものです。パワースポットを巡り、絆を深めることで高い可能性(ポテンシャル)を発揮する。それはフェレスという心の家を豊かにし、困難と戦う力を得るプロセスなのです。
ゆえにこのことは、広く共有されているものや、(生涯のパートナーなどの特別な例を除き)他者や他者の所有するものを自分の家にしてしまうというのは、一般には危うく、不幸の由縁にもなります。自分の居場所がたやすく揺らぐために、依存や権力で支配しようとしたり、裏切りを恐れて不信に陥ったりもするでしょう。本編ではエワギスがこれに該当するかもしれません。(以上はあくまで領域の話であり、愛のなすこと、愛の物語として否定する意図はありません)
家の持つイメージとは本来、版図を広げていくつも持つものではなく、地層のように積み重なり洞窟のように深くなるものです。仮に家や故郷と呼べるものが複数あったとしても、その愛着は一つの場所、一つの家、自身の心に思い描く家へと招かれ、富として保存されていきます。外部の他者ではなく内部の主人によってフェレスの価値は決まり、主人が死ぬ時、フェレスもまた価値を失って砕け散るのです。
フェレスの持ち主が強いのは、自分だけの揺るぎない場所を所有するからであり、また同じ境遇の者を理解し、味方とする、つまりパーティを組んで決戦の地に挑む仲間とすることも可能にします。それは孤独を生きると同時に人と支え合える、強固でかけがえのない関係となるはずです。
《球形のフェレス》
完全体としての球形(フェレス)です。
大切なもののたとえとして「掌中の珠」という言葉もありますが、これは手の中にあるから大切なのではなく、大切だから手の中にある。つまり自己とは常に、球の外ではなく中心部にあるのです。
くりかえしていえば、完全な円がわれわれをたすけて自己に集中させ、原初組織をわれわれ自身にあたえさせ、われわれの存在を内密に、内面から確認させるのである。内部からいきられ、外在性をうしなった存在は、円であるほかないのだ。
ガストン・バシュラール[著] 岩村 行雄[訳] 『空間の詩学』筑摩書房 2002年 p392
星として出発(始まり)と到達(終わり)が内在するフェレス。領域として幸福な空間を作り出し、主観によって完結するフェレス。みずからを中心として内部空間を生みだし、五感によって世界を見て、想像力を活発化させ、多様なイメージを育みながら統一イメージをまとめあげる。そしてその外部ではなく内部で生きることは、孤独と没入、客体による有限から脱出した主体による無限の愛とセンス、相対的な価値を捨てさり絶対的な価値を手に入れることです。フェレスは生の根源とその価値を閉じ込めるものであり、『空間の詩学』の現象学で語られるようなまるくて完全な形をとるはずです。
そして球形のフェレスは、星のフェレスと領域のフェレスに多大な力を返還します。夢を見る希望を強くし、生きる意志をいっそう守り、持ち主を完全無欠の存在とすべく助けてくれるでしょう。
フェレスが内包する星、領域、球形の三つの意味は、互いに交感しながら円を描き、運動によって無限のエネルギーを生み出しながら、真の広義として pheres - sphere という言葉を取っているのです。
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