#神戸モロゾフ
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na1129 · 4 months ago
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バレンタインデーにまつわる思い出/次女とおばあちゃん👵
~きんようび通信No.739📚~
2025年2月14日
▲今日はバレンタインデーですね。269年、ローマ皇帝の迫害下で殉教した聖ウァレンティヌスに由来する記念日。ヨーロッパでは、恋人や親しい人に花やケーキなどの贈り物をプレゼントするそうです。日本では、1936年神戸モロゾフが広告を出したのが最初と言われています
▲初めて意識したのは、小学校高学年の時だったと思います。クラスで人気のある男子は何個もも��っていましたが、その他の男子は無く当然僕もありませんでした。当時はまだ「義理チョコ」はなかったと思いますが、母親が買ってきた「ガーナミルク」が代わりを果たしていました
▲以前���前後1週間余り、冷蔵庫が子どもらに占領されてましたがここ4年程は無くなっていました。しかし先日、次女が「作る」と突然言い出したので母親は大慌て。時々けんかしながらも何とか間に合ったようです。「久しぶりで大変やったけど楽しかった」と喜んでいました
▲4月から就職する次女。最初2ヶ月は研修期間で東京でひとり暮しとなり、その後全国の支店のどこかに配属が決まるそうです。本人は「大阪に帰ってくる」と宣言していますが、どうなるかまだわかりません。チョコづくりは、祖母との時間を大事にしようとの思いがあったようです
▲さて朝野由彦さんが、先月亡くなりました。70年代春一番の常連で、ライブに行きたいとずっと思っていましたが叶いませんでした。昨年購入した最新CD(ピースランド)をずっと聴いていますが、その中でこれはと思う曲があったので今練習中。今年初のソロライブで披露します
【今日は何の日📌】
【今週の一句🔖】
酒飲み🍶🍻川柳
もう半分
2月の背中に
追い付けず😱
【今週の歌🎸】
・Kievit…Catbug
昨年出たアルバムの1曲目に入っている曲。柔らかい声とギター、草原や広い畑を渡る風を感じます。ヴァシュティ・バニヤンのような感じですかね😌
#Catbug
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【今週のグルメ情報😋】
・バリボン…御堂筋線あびこ駅から徒歩約4分
久しぶりに食べたダブルカレー・物価高の影響なのか、若干盛りが少なくなったような感じ。頑張って営業を続けてくれているお店に感謝です
#バリボン
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【追記📝】
明日は、第14回泉州フォーラム実行委員会による学習会。「合理的配慮」の提供に関わる取組みに学びながら、それぞれの地域でどう考え進めるかを話し合います。第二部ではコーディネーターを務めます。いい集まりにしたいです
#きんようび通信  #神戸モロゾフ #バレンタインデー #義理チョコ #ガーナミルク #朝野由彦
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tokyomariegold · 10 months ago
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2024/2/26〜
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2月26日 午後から目眩と吐き気と胃痛で、おかしくなって待って一目散に帰ってきている。
でもそれまでは、また一段といろんなお花が咲いていること、学生時代にお世話になった職員さんから私が撮った写真を使わせて欲しいという依頼を受けたこと、水野しずのnoteを購入して心療内科は江戸前寿司に「やってる?」と覗き入る感じで向かえばいいと気付かされたこと、友人からちいかわのポロショコラをやっと見つけたメッセージをもらったこと、これから聴くのが楽しみなポッドキャストをたくさん見つけたこと等、いろいろ嬉しかったことがあったはず。 体調第一。
でも少し歩いて帰って、体を動かしたらちょっと気分が良くなった。月をとりたくてカメラも持って出てきたけれど帰り道で月を見つけられなかった。まだ明るかったからかな。
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産業医の先生との面談があり「これってどうなったら終わりが来ますか?」と訊いてしまった。 どこかに今の病気と社会生活の落とし所をつけたい。 いつも「さあ最近はどうですか?」から始まり「では次回は…」で終わる、当たり前だけれど、何も私の心身の好転に加担しないとだけがわかるこの時間、なんなんだろう、と思った。 この人は何のために毎回そんなにメモしているんだろう、と思った。江戸前寿司屋さんなのかもしれない。やってる、だけなのかもしれない。
戻ってからデスクに座って、どんどん眩暈がして耳が聞こえなくなって、上司から話しかけられていることが全く理解できない状態で姿勢を保つのが精一杯なのを、度々ロッカールームへうずくまり休みを取りながら何とか時間を過ごした。 何とかしないで身体の通りに倒れてしまった方が色々伏線回収、つじつま合わせができたのに! でも!人生はつじつま合わせのためにあるのではなかったのでした!
明日は出張なのでそれまでは何とかやり遂げておきたい気持ち。
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2月27日 明日は妹の誕生日。そして明後日で2月が終わる、と思うとやっぱりたかが2日3日でも��2月って短い。
昨晩、帰り道で探していた月を、お部屋の窓の外に見つけて嬉しかった。満月から1日遅れだけどお月見をした。
都庁へ出張して、午前中で終えた用事のあとは、本当は荷物を置きにだけでも職場へ戻りたかった。でももう午後をお休みにしたい上司に合わせて私も職場へ戻れず早々に帰宅。 帰ってから掃除をしたり、先日作ってみた豆腐と鶏ひき肉のレンジ蒸し(?)のリベンジをしたり、日記をリュックに入れたままで(道中で文字起こしをしようとしていた)、部屋にいるのにiPhoneで日記を書いている。 1日がとても長くて、半分お仕事、半分生活だったから充実していた印なのかもしれない。お仕事の日は自分の席にいる時間がほとんどでなのにあっという間に1日が過ぎてしまう。 今はどちらがいいのかわからない。
歩いたり手を動かしたり、何かしていないと眠ってしまうくらいずっとずっと眠たくて、昨日の目眩も引きずっている感じだった。 東京も住んでいる町も風がとてつもなく強かった。 今日も強風で眠れないかもしれない。
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都庁近くのナチュラルローソンにコバトン(Mサイズ)か2羽いて、なぜこんなところに!と思ったら、ナチュラルローソンの埼玉県アンテナショップコーナーだった。 埼玉県のアンテナショップってどこにあっても居心地悪そう。
突然の午後からできた自由な時間にとても困った日だった。 新宿西口地下でおばあさんに「京王デパートはどう行くの?」と道を訊かれて一緒に地図をみて、でも道案内をし終えてもずっと話しかけられていて、怖くな���近くの丸の内線の改札内にとりあえず逃げてしまった。 丸の内線沿線で降りたい駅もなくて、東京駅で降りてオフィス街のランチタイムに何となく巻き込まてれ何も買えず、本当に眠たいくて元気がない気がして帰宅した。 (でも帰宅して2時間くらいまたお掃除はできた。)
職場にいなくても、今はお仕事の内容ではなくて、職場の人たちのことを考える時間が長くなっている。
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2月28日 今困っている身体の症状に対処するためのものをamazonで注文。 ひびあかぎれに塗るタイプの絆創膏、口角炎(久しぶりにできたけれど本当にいやだ!)の塗り薬、花粉症と思いたくないけれど日々止まらない鼻水と鼻血に鼻炎の飲み薬。 これ以上飲み薬を増やしたら内臓がどうなってしまうのか。 そういえば今日はナイアシン摂取を控えめにしたら身体の疲労感と目眩がいつもよりましだった気がする。何が良いのか悪いのかわからない。早くコントロールラブでオールOKにしたい。
本当に一瞬で1日が終わって、今日は妹の誕生日なので2月も終わってしまう。
業務的に、来月大阪に行けるか不安になってきたけれど、大阪の友人からのメッセージに、これだけを今は楽しみにしれっと言ってこよう!という気持ちになった。
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2月29日 昨日は妹の誕生日だった。 高校生時代の閏日生まれの先輩は、当時まだ4歳だったけれど今年8歳になったということか、と思うと高校生までの時間を2回分過ごそうとしている!と気がつく。
職場の建物までの道で、その状況でも確かに鳥だとわかる感じで、鳥が2羽轢かれてつぶれてた。 1回目にその道を一緒に通った上司は「生き物ってやっぱりあんなふうに潰れちゃうんだな、人間もそうなのかな」みたいなことを言っていた。 2回目に他の上司とその道を通った時は、もう肉体は片付けられていて、でも地面に血痕は残っていて「今朝そこで鳥が…」と話してしまった。その上司は「朝からグロ画像を見ちゃったんだね」と言っていた。 画像じゃないんだけどな、と思った。 でも状況を示す概念みたいな単語ってあるような、とも思ってわかってしまった。
大阪の友人がおすすめしてくれた美容室を予約したので、3月は大阪に行く、きっと。
昨晩、docomo2.0のCMをみて、見てみてすごく色々思い出した。キャストがとてもちょうど良くて、一堂に会した合コン?のシーンがとても楽しかった。 ちょうどお昼に聴いたポッドキャストでは、蒼井優ちゃん表紙の森ガール特集のspoon.が話題にあがっていた。
冷蔵庫の豆腐をどうにかしたいけれど、何も案がない。
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3月1日 結局昨日はどうしたいかわからないまま豆腐2パックをやっつけた。 月末だからかスーパーの品揃えが良くなくて、いつも買っているものがなくて何も買えないまま狼狽えてしまった。
そのせいかたくさん掃除に追われて、そこからずっと腰が良くない感じで今日1日も過ごした。
穏やかにあっという間に1日を終えた。 今の部署のトップの方の異動が発表された。 3月に入ると人事異動の兆しや話題でそわそわして、心が無になる。 今のトップの方は2年前までは京都の大学で勤務されていて、挨拶の時は阿闍梨餅を持ってきてくれた方。大らかな雰囲気が、自分の所属する組織のトップとして安心感があって好きだったので、少し残念だな〜という気持ち。
先日LINEを交換した職員さんから、バレンタインに渡したモロゾフのミッフィーの写真とメッセージを送ってもらう。可愛らしいメッセージをもらって普通に嬉しくなる。 モロゾフのミッフィーを渡した他の方からは「可愛くってお雛様と並べて飾ってます」とご報告いただいた。 もう1人の方は「娘がとても喜んでた!もちろんわたしも!」と感想をいただいた。嬉しい。 何の見返りもなくただ少しだけ喜んでもらえてそのエピソードを聞いて嬉しくなるなんて、わたし神様かよ、と思った。
新しい調味料、味噌を手に入れた!
完売御礼の建設中の分譲マンションは完成が近くて、最近は夜はもう共用廊下は電気がついている。
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tumnikkeimatome · 5 months ago
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1931年創業のモロゾフ(2217)が築いた日本のチョコレート文化とバレンタインデーの歴史
神戸発、日本初のチョコレート文化 1931年8月8日、国際港湾都市・神戸のトアロードに「神戸モロゾフ製菓株式会社」が誕生しました。 大正から昭和初期の日本において、チョコレートは一般庶民にとって高嶺の花でした。 ロシア人菓���職人フィヨドル・ドミトリー・モロゾフ氏は、神戸商工会議所の支援を受けて本格的な洋菓子メーカーを設立。 欧米の伝統的な製法にこだわり抜いた高級チョコレートは、宝飾品のような美しい装飾が施された特別な贈り物として、上流階級の人々を魅了しました。 日本の洋菓子文化を牽引する老舗企業の歴史は、まさにこの神戸の地から始まったのです。 バレンタインデー文化の伝来 1932年2月、モロゾフは日本の洋菓子業界で革新的な一歩を踏み出しました。 欧米の「愛の贈り物」文化を日本に初めて紹介したのです。 創業者フョードル・ドミトリエヴィチ・モロゾフは、米国人の友人との交流を通じて、2月14日…
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roito-kanda · 4 years ago
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昨年受賞した【MUSE Design Awards 2020】のトロフィーと賞状が届きました。 関係者の皆さんに感謝申し上げます。 神田亮平 #musedesignawards #designawards #morozoff #morozoffkobe #kobe #flagshipstore #reflection #chocolateshop #chocolate #cafe #モロゾフ神戸本店 #chocolaphil #jiyugaoka #chocolate #gateauchocolat #inspiration #forestofcacao #interiordesign #cafedeisgn #shopdesign #retaildesign #storedesign #commercial #commercialdesign #designedbyRoito #Roito #Roitobyryoheikanda (Roito Inc.) https://www.instagram.com/p/CMuLPgEjunp/?igshid=f6oooht9b7mz
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cozyblue · 8 years ago
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神戸で用があり完了後広東料理店で汁そばと蒸し餃子を食し、その後一番大好きなのを味わう❤️ #チョコレートパフェ #モロゾフ #モロゾフ大丸神戸 #モロゾフのチョコレートパフェが好き (Kobe-shi, Hyogo, Japan)
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kijitora3 · 4 years ago
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ゴンチャロフ、そんな会社だったのね もう、モロゾフしか信じられないのかなあ
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cheesecake-ka · 5 years ago
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デパ地下洋菓子店の代表格モロゾフの看板商品「デンマーククリームチーズケーキ」。 濃厚さや重量感、口溶けや見た目を追求した最近の極端なチーズケーキとはうって変わって、優しくて控えめな味。 ベイクドなのに酸味が際立っていて、爽やかさと上品があります。さすが老舗。 モロゾフは1931年に神戸で創業した洋菓子店です。ロシア革命から逃れる形で日本に移住したモロゾフさんが創業しました。 当時はまだ日本で珍しかったチョコレートを主力商品として販売することで人気になりましました。 またモロゾフはバレンタインにチョコを贈ることを考案したとも言われています。 モロゾフがチーズケーキを販売し始めたのは1969年。 まだチーズケーキが一般的ではなかった時代でしたが、モロゾフが販売したことがきっかけで、1970年代にチーズケーキブームが起こったとも言われています。 またフィラデルフィア社のクリームチーズが販売されたのもの年代だそうです。 ---------------------------------------------- 【お店】モロゾフ 【メニュー名】デンマーククリームチーズケーキ ---------------------------------------------- ★チーズケーキ図鑑 https://cheese-cake.net/atozcafe/ ★Twitter https://twitter.com/cheesecakenet ★Instagram https://www.instagram.com/cheese_cake_ka/?hl=ja #モロゾフ #morozoff #デンマーククリームチーズケーキ #チーズケーキ #ベイクドチーズケーキ #cheesecake #スイーツ #チーズケーキ部 #チーズケーキマニア #チーズケーキ巡り #チーズケーキ好き #ケーキ https://www.instagram.com/p/B9wlDoeg6Ar/?igshid=e5agyl0jdo6a
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xf-2 · 6 years ago
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「バレンタインデー」の季節である。あさって2月14日の「バレンタインデー」を前にして、日本中どこでもチョコレート商戦が活発だ。私が住んでいる地域のスーパーマーケットでは、おニャン子クラブ時代の国生さゆりの「バレンタイン・キッス」がBGMとして流れている。ほぼ同世代の私にはとってはなんだか不思議な気分だが、懐かしさを感じたりもする。
 日本人の多くは「バレンタインデー」がいつ日本で始まったかについては、あまり関心がないかもしれない。もはや「伝統」といっても問題ないくらい定着しているからだ。
 廃棄ロスが社会問題化している節分の恵方巻きとは違って(参照:本コラム「節分には恵方巻? 「伝統」はこうして誕生する」)、同じ食品であってもチョコレートの賞味期限は、はるかに長い。廃棄ロス問題がないという点��関しては、バレンタインデーのチョコレートに目くじらを立てる人はあまりいないだろう。
 今回は、そもそも高級チョコレートが日本で定着することになった時点から歴史をふりかえってみたい。その主人公となるのは、今から約100年前のロシア革命による混乱から逃れて、亡命先の神戸で洋菓子店を開き、日本人に本場のチョコレートを紹介したモロゾフ一家である。
 ただし、モロゾフ一家と日本の洋菓子メーカー「モロゾフ」(兵庫県神戸市)とは直接の関係はない。その事情についてはモロゾフ一家の物語に触れるなかで取り上げることにする。
第1次世界大戦後、洋風の食生活普及が始まった
 日本で本格的なハムやソーセージが製造販売されるようになったのは、今から約100年前の1920年代のことだ。
 第1次世界大戦の青島攻略戦で日本軍の捕虜となり、日本各地に収容されていたドイツ人職人の技術が日本人に移転されたことによる。このことについては、このコラムでも紹介した(参照:「日本に住みつき『技術』を伝えたドイツ人捕虜たち」)。
 本格的なチョコレートが製造され販売されるようになったのも、やはり第1次世界大戦後のことだ。現在では世界最高水準との評判で、価格も上昇中の日本産シングルモルト・ウイスキーもまた同じ時代に誕生している。
 現在では当たり前になっている洋風の食生活が普及し始めたのは、第1次世界大戦後の1920年代のことであり、日本では大正時代にあたる。「大正デモクラシー」として知られている大正時代には、食生活を含めた生活全般の洋風化も始まっていたのである。
 戦争と革命は多大な犠牲をもたらすが、一方では新たな文化の誕生と普及にもつながる。第1次世界大戦において、日本は直接的な被害は受けなかったが、間接的な影響は社会全体に及んでいた。
バレンタインデーのチョコは日本人の発明
 バレンタインデー(Valentine’s Day)のバレンタインとはキリスト教の聖人、聖バレンタインであることは、ほぼ日本人の常識となっていると��っていいだろう。
聖バレンタインは、正確にいうと聖ヴァレンティヌス(Valentinus)という3世紀に生きた人だ。ローマ帝国でキリスト教が迫害されていた時代の司祭で、絞首刑に処せられ殉教者となった。キリスト教がローマ帝国で公認されたのはその後の313年、コンスタンティヌス帝によるミラノ勅令による。
 殉教者となった聖バレンタインは、カトリック教会とその流れを組む聖公会、東方正教会で聖人とされている。カトリック教会では“恋人たちの守護聖人”とされてきたため、聖バレンタインの殉教日である2月14日がバレンタインデーとなったのである。
 日本で「バレンタインデー」とチョコレートを結びつけたのは、メリーチョコレートカムパニー(東京都大田区)だとされている。今から約60年前の1958年(昭和33年)2月、東京都内の百貨店の催事で初めて手がけた販促として始まったのだという(参照:「メリーのバレンタインヒストリー」)。このことは、すでに本コラムでも取り上げている。
 だが、日本で高級チョコレートを普及させたのは、ロシア革命後に日本に亡命してきたロシア人のモロゾフ一家である。亡命先の日本で生計を立てるため、1926年(大正15年)に港町神戸で洋菓子店、神戸モロゾフ製菓を開設。ここから高級チョコレートが広まった。この原点はぜひ知っておくべきだろう。
ロシア通小説家が執筆した2つの評伝
 NHKの連続テレビ小説(いわゆる「朝ドラ」)で2014年から翌年にかけて放送された「マッサン」は、日本で初めて本格的なウイスキーの製造販売を始めたニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝の生涯を描いたものであった。
 広島の日本酒醸造家に生まれた竹鶴政孝氏が、ウイスキー製造の修行のためにスコットランドに滞在していたのは、1918年から1920年にかけてである。ちょうど第1次世界大戦中から戦後にかけてのことであった。
 日本に帰国する途上でスコットランド出身の新婦リタとともにフランスに立ち寄った竹鶴は、世界大戦の戦場となって荒廃した国土を直接見聞している。日本経済新聞に連載された「私の履歴書」には、そのときの感慨をつづっている。「労働力は減り、生産力は破壊されて、フランスの北の方は、ちょうど戦後の東京の焼け野原のような状態で放置されていた」、と。
大正十五年の聖バレンタイン―日本でチョコレートをつくったV・F・モロゾフ物語
』(川又一英著、PHP研究所)
「マッサン」の原作は、『ヒゲのウヰスキー誕生す』(新潮社、1982年、テレビ小説の放送時に文庫化)だが、著者の川又一英氏は早稲田大学文学部ロシア文学科出身のロシア通であった。『ヒゲのウヰスキー誕生す』の次作として発表したのが、『大正十五年の聖バレンタイン―日本でチョコレートをつくったV・F・モロゾフ物語』(PHP研究所、1984年)だ。この2つの作品は、ほぼ同時期を題材にしている。
 以下、モロゾフ一家についてはこの本の内容に沿って記述していくが、この本は現在では絶版のままであり、文庫化もされていない。テレビドラマに取り上げられることもないのは残念なことだ。
波瀾万丈の亡命者、モロゾフ一家の苦闘
 さて、1926年(大正15年)神戸で初めて高級チョコレートの製造販売を始めたモロゾフ一家だが、そのファミリーヒストリーは波瀾万丈で、まさに苦難の連続であった。モロゾフ一家はいわゆる「白系ロシア人」。「白系」の「白」とは、共産主義を意味する「赤」の反対語で、帝政側の立場にいた人を意味している。白人という意味ではない。
 共産主義を掲げて私有権を認めないボルシェヴィキが暴力によって政権を奪取した「10月革命」(1917年)のあと、ロシアは大混乱状態に陥っていた。そんな状況のなか、資本主義時代のロシアで商売に成功していたモロゾフ一家は、シベリア経由で満洲のハルビンに脱出。ハルビンではボルシェヴィキ率いる「赤軍」に対する反革命の「白軍」の資金援助のために貿易活動を行っていた。だが、ロシア内戦の終了のため計画は失敗、1923年には日本を経由し、親戚を頼って米国西海岸のシアトルに渡った。
 ところが安住の地を求めたシアトルでは生活再建ができず、再び日本に戻って東京でやり直すことに。しかし、関東大震災(1923年)のため横浜港に船が寄港することができず、寄港地変更のため神戸港に上陸することを余儀なくされた。その神戸で腹を括って、人生の再建に取り組んだのである。華僑流にいえば「落地生根」といったことになるだろう。
 所持金は全部で3000円、当時の日本では月に100円あればそれなりに裕福な暮らしができたようだが、そのままでは資産を食いつぶしてしまう。その前になんとか所持金を元手に、確実にカネになる事業に踏み込まなくてはならない。家長である「無国籍の亡命者」フョードル・モロゾフにとっては、起業はまさに死活問題であったのだ。無国籍の外国人を雇う会社など、当時の日本では存在するはずがなかったからだ。
 幕末に開港した横浜と並んで、神戸もまた日本では最も早く生活の洋風化が始まっていたが、モロゾフが目をつけたのが洋菓子、なかでも高級チョコレートの製造と販売であった。当時の日本では、チョコレートといえばキャラメルと同様に駄菓子程度のものでしかなく、高級チョコレートにビジネスチャンスがあると見てとったのだ。そしてそれは正解であった。
 1926年(大正15年)に開業、ハルビンからロシア人の洋菓子職人を呼び寄せ、息子のワレンティンには15歳で菓子職人の道を選ばせた。後ろ盾も国籍もない異国の地で始めた洋菓子の製造販売は軌道に乗り、神戸だけでなく東京にも販路を拡大し、日本での定着は成功したかにみえた。
ファミリーネーム由来の「モロゾフ」の商標を喪失
 だが、一難去ってまた一難。異国の地での苦労は簡単には終わらない。なんと、事業拡大のための設備投資に必要な資金を調達するため増資した際、出資によって共同経営者となった日本人から裏切られたのである。商標権をめぐる訴訟に敗れた結果、コーポレートブランドであったファミリーネームの「モロゾフ」(Morozoff)が使えなくなってしまったのだ。
日本語が不自由で無国籍者のロシア人モロゾフとの契約をうまく利用し、契約を楯にとって創業家を事業から追い出したのである。まさに狡猾な日本人としか言いようがないが、近代日本が法治国家である以上、契約書記載事項をめぐる訴訟の結果を受け入れるしかない。とはいえ、信頼していたパートナーから裏切られたことは、どれだけ創業者一家には精神的にもダメージになったことだろうか。この時点で、モロゾフ一家とモロゾフ製菓とは関係がなくなった(1936年に神戸モロゾフ製菓からモロゾフ製菓に商号変更している)。
 モロゾフ一家は1941年(昭和16年)からは、「コスモポリタン」(Cosmopolitan)という名前で再出発した。商標の重要性について身をもって知ることとなったわけだが、他方では全面的に支援してくれた日本人たちもいた。第2次大戦後の再建も、顧客を含めた支持者たちのおかげであったことはいうまでもない。
 神戸は阪神大震災(1995年)によって壊滅的打撃を受けたが、洋菓子産業は復興後の神戸で元気産業の1つとなっている。だが、「コスモポリタン」は2006年に業績不振を理由に自主廃業している。モロゾフ製菓とは大きく運命が分かれたことになったわけだ。時代の変化について行けなかったのであれば、経営能力にかかわるものであり、仕方ないことだ。ロシア語なら「ニチェヴォー」とつぶやく状況であろう。
 神戸には、同じく白系ロシア人亡命者マカロフ・ゴンチャロフによって1923年(大正12年)の創業になる「ゴンチャロフ製菓」がある。こちらは現在でも健在であるが、モロゾフ一家とは違って、創業者のゴンチャロフは創業から10年後に会社を売却して日本を出国している。
 チョコレートの味は甘く、人生の味は苦い。そんな気持ちにもさせられる��命ロシア人モロゾフ一家の物語である。 
「白系ロシア人」がなぜ日本に亡命したのか
 ここで、「白系ロシア人」が生まれた時代背景について見ておくことにしよう。
 ロシア革命は、第1次世界大戦のさなかに起こった出来事であったが、革命前の帝政ロシアは、日本もその一員であった英仏主導の連合軍に属しており、欧州の東部戦線ではドイツ帝国およびハプスブルク帝国(オーストリア・ハンガリー帝国)と戦っていた。
 ロシア革命後に、ブレスト・リトフスク条約でドイツと単独講和を実現したボルシェヴィキ政権は東部戦線から離脱し、ドイツは全勢力を西部戦線に振り向けることが可能となった。この状況に強い危機感を感じていたのが英国とフランスである。
 この英仏からの強い要請に応じてロシア極東とシベリアに干渉軍を派遣することになったのが、1918年に日本と米国の連合軍を中核とした15カ国に及ぶ多国籍軍であった。いわゆるシベリア干渉戦争(Siberian Intervention)である。1904年の日露戦争で激しく衝突した日本とロシアだが、その後4次にわたる「日露協商」を通じて政治的にも軍事的にも良好な関係にあったことは、意外と知られていない。皇室どうしの関係も良好であった。
 日本が指揮権を握ったこの干渉戦争は、日本では「シベリア出兵」と呼ばれている。ロシア領内に侵攻して、厳冬期にはマイナス40℃にもなる極寒のシベリアで、神出鬼没のパルチザン(いわゆる農民主体のゲリラ部隊)と戦ったこの戦争は、一般市民を巻き込んだ虐殺や略奪を伴い、文字通りベトナム戦争に匹敵する泥沼の戦争となった。
連合軍の中核となっていた日米だが、出兵当初から同床異夢といった状況であり、米国が1920年に撤兵したあとも日本は単独出兵を続けた結果、国際的な非難を浴びることになる。シベリア出兵は、日本にとっては最終的に10億円(当時)を越える莫大な戦費と3500人を超える戦死者を出したが、ほとんど何も得ることができなかっただけでなく、革命後のソ連とロシア人に反日意識という大きな禍根を残すことになった。これが第2次世界大戦末期(1945年)の日ソ戦とシベリア抑留につながっているのである。日本人はこの歴史的事実を認識しておく必要がある。
 モロゾフ一家が、日本を亡命先に選んだのは、そんなシベリア出兵の時代であった。モロゾフ一家は、「白系ロシア人」として反革命勢力の「白軍」を支援しており、同じく白軍を全面的にバックアップしていた日本や米国を亡命先に選んだのは、そういう文脈で捉えることが可能だろう。
 日本だけでなく、米国もまたボルシェヴィキ政権の「赤軍」と戦っており、戦死者も出している。米ソ対立は第2次大戦後後の冷戦時代に先鋭化したが、その根源はシベリア出兵の時代にあったのである。
「無国籍者」を貫いたモロゾフ一家
『大正十五年の聖バレンタイン―日本でチョコレートをつくったV・F・モロゾフ物語』の��述をベースに「白系ロシア人」の亡命者モロゾフ一家について見てきたが、この本が出版された当時の店主、ワレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフのファーストネーム「ワレンティン」は、英語でバレンタインとなる。書籍のタイトルはそこから取られたものだ。
 1911年生まれで6歳のときに両親とともに生まれ故郷のロシアを離れ、各地を転々としたのち13歳から日本に定住することになったワレンティンは、死ぬまで「無国籍」のままだったという。祖国の帝政ロシアに強い愛着をもち、ソ連の国籍も取得せず、また日本国籍も取らなかった。国籍変更によって名前を日本風に変えるのは、祖国とのつながりを断ってしまう行為に思えたからだという。
「無国籍」状態がいかに大変なことかは、陳天璽氏の著者『無国籍』(新潮社、2005年)に詳述されている。陳天璽氏は、台湾人家庭に生まれたが1972年の日中国交回復後に、親の方針で国籍放棄した結果、無国籍になっていた(現在では日本国籍を取得しているようだ)。日本に定住していながら日本のパスポートを取得できないため、海外渡航に際しては不便きわまりないが、それだけではなく、自らのアイデンティティに直結する問題であるのだ。
「白系ロシア人」といえばモロゾフ一家のほか、野球選手として読売巨人軍でピッチャーをつとめたヴィクトル・スタルヒンが有名である。スタルヒンもまた一生を通じて無国籍のままであった。また、バレエ教師として数々の日本人バレリーナを育成した「日本バレエの母」エリアナ・パブロワもそうだ。ロシア貴族出身のエリアナ・パブロワは、1937年に日本に帰化して日本国籍を取得している。
 モロゾフ一家に限らず、異国の日本で人生を再建せざるを得なくなった人たちは少なくない。それぞれ異なる人生ではありながら、絶望的な状況のなかでも前向きに道を切り開いていった人たちの物語を知ると、勇気が湧いてくるのではないだろうか。
 日本の高級チョコレート誕生の原点に、そういった亡命ロシア人が存在したことを、記憶にとどめておきたいものである。
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na1129 · 1 year ago
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きんようび通信No.687📚
2024年2月16日
▲14日はバレンタインデーでした。子どもらが高校生の頃は1週間余り冷蔵庫が占領されてましたが、そういったことは無くなりました。「大変やったけど作るの楽しかったわ」と母親。「今は家の手伝いして欲しいけど」と次女に言うと、「今度するわ」と逃げられていました
▲もともとは269年、ローマ皇帝の迫害下で殉教した聖ウァレンティヌスに由来する記念日。ヨーロッパでは、男性も女性も花やケーキなど様々な贈り物を恋人や親しい人に贈るそうです。諸説ありますが、日本の習慣は1936年神戸モロゾフが広告を出したのが最初と言われています
▲さて、大問題となっている自民党派閥の「裏金問題」。資金パーティー券の売上(派閥貢献度)に合わせて、相当額がキックバックされていました。会計担当者の責任が問われ、事務総長である国会議員は不起訴。訂正された政治資金収支報告書では、高額書籍代等が問題となっています
▲開いた口が塞がらないとはこのことですが、見過ごすことはできません。関係者には刑事及び政治責任が徹底的に問われること・企業団体献金の禁止を明瞭にした法律の制定が必要です。政治への信頼回復には根本的転換が必要ですが、今の政権で実現することは難しいと思います
▲こんな時に注意しないといけないのが、暮らしに関わる重要テーマが置き去りにされること。先日公表された介護・障害報酬改定では、訪問介護及び生活介護報酬の引き下げなどが示されました。地域生活を支えることは出来ず、事業撤退や家族依存が進む懸念大。再考を求めます
【今日は何の日📌】
【今週の一句📝】
酒飲み🥃🍻川柳
もうないの
食べ物の恨み
怖いです😨
【今週の歌🎸】
・良元優作…満月の手紙
良元優作がギターを手にして初めて作った曲で、2019年にピアノ演奏で再収録したものとのこと。 いいですね😌
#良元優作
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【今週のグルメ情報😋】
・紀乃國屋○中…JR阪和線・長居駅西口から徒歩4分位
久しぶりに食べた和歌山ラーメン。変わらぬやさしい味でした🍜
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【追伸📮】
日々の温度差が激しい季節ではありますが、最近の寒暖差には参ってしまいますね。みなさん、健康に留意してください。新型コロナに関することはほとんど報道されませんが、第10波の状態です😳🤔
#きんようび通信 #バレンタインデー #裏金問題 #キックバック #報酬改定
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uedah1 · 2 years ago
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先日、我が大名古屋都市圏を離れ、暫しの里帰り等を行った。
神戸の街を朝な夕なと楽しむ機会に恵まれた。
私は神戸のすぐそばに住んでいたにも関わらず、あまり神戸をしっかりと楽しめていなかった。当然、モザイク(メリケンパーク)もumieも中華街もセンター街も北野坂もその他諸々、まあ通り一遍回った事はあったけれど、何か物足りない感じだった。
今回は、神戸市内に宿泊できる幸運もあり、明るい内にも暗くなってからものんびりと散歩することができて、それが凄く良かった。特に旧居留地周辺をうろうろしてデジカメで写真を撮ったりしてそれが楽しかった。最終日には生まれ変わった(というかまさしく原形を留めていない)東遊園地の芝生の健康的で開放的な雰囲気と、見るからにそれとわかる安藤建築の「神戸 子ども図書館」のコンクリートとガラスの外観を堪能し、昔はそごうだった気がするなと思いながら神戸阪急のモロゾフで神戸限定のプリンクーヘンという土産を購入したりもした。
結局めちゃくちゃベタな事しかしてへんやん、という気もしなくはないが、個人的特別ポイントが何点かあって。
普段しない宿泊を伴う観光だった事。
レトロな建物の写真を撮るという趣味の発揮。
新スポットへ行けたという満足感。
限定品を購入し人に贈るという珍しい気の利かせ方。
んー、端的に旅行はいいぞ、という事なのだろうか。そうかも知れない。
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naieonu · 3 years ago
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神戸1人旅メモ
a la ringo
嵐にしやがれで特集されたお店!前に来た時、嵐さんが食べた焼きりんごは既に売り切れていて、今回はリベンジやったんやけど、悲しいことに販売終了やった…。残念…。やっぱり食べ物も一期一会やなあって思いながら、りんごヨーグルトを飲むことに。甘すぎなくて美味しかったなあ。
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生田神社
これも前に行った時にやったリベンジ!恋愛みくじが普通の紙のものと水に濡らすと浮かび上がってくるものの2種類あって。前回はもしかしたら水みくじしかやらんか���たんかもしれん。スマホにやった時の写真が残ってて、結果もそんなにパッとしなかったんよ。ちょっと記憶を上書きしたいなと思って(笑)まず紙の方の恋みくじを引いたらもうめっちゃ良くて!恋愛に関する短歌が書いてあって、その下に結果が書いてあるんやけど、まず短歌が「嬉しくて楽しくて浮かれちゃうような恋だよ、ハッピー!」みたいな。もう何の心配も要らないような内容で。こんな脳内お花畑みたいな結果出たことないからめっちゃ笑ってもたんよ。読み進めていったら結果が目に入って「1番の大吉」やってん!1番ってやっぱり大吉なんやって思ったし、初めて目の当たりにしてめっちゃ嬉しかった!水みくじの方も大吉で「焦らずに何回かトライしたら叶います。」みたいな内容でめっちゃええやん…ってなってた。
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赤のれん
そのまま商店街を散策して、オススメしてもらったお店へ!神戸牛のひつまぶし!美味しすぎて幸せすぎてこれで2000円行かないのホンマに価格破壊やん…って思ってました。お得な話に目がない関西人です。嘘です、関西の血は入っとるけど!
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ビリケンパーク
そこから少し歩いてビリケンパーク。やっぱり将来異国情緒溢れる港町に住みたい。休みの日に海沿いのベンチでアイスティー片手にのんびり日向ぼっこしてたいってずっと思ってる。ツイートしたらみちりゅちぇとシェアハウスの話まで飛躍して笑ったわ(笑)
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神戸ハーバーランド
そのまま近くの商業施設のモザイクと神戸ハーバーランドumieへ。お土産何にしようか見てて1番トキめいたのは神戸ビリケンパークのペーパークラフトやってんけど、多分作らないでそのまま放置やなあと思ったら買わんかった。クリスマスカードみたいに開けば勝手に浮き上がってくるタイプやったら嵩張らんし、すぐに見られるし買ってたなあ。誰か作ってくれへんかなあ(笑)こっちにもある洋服屋さんもいくつか見ていて、もしかしたら神戸で見たら同じ店でも欲しいものあるかもしれへんと思ったんやけど、そんなことはなかったから早めに切り上げたわ(笑)
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CAFE MAMOUNIA
電車で元町まで戻ってオススメのカフェへ!ナポレオンパイのマスカット1種類しかなかってんけど、これがめっちゃ美味しかった…。それまでの歩き疲れた身体に甘さが染み渡って、ペロッと食べてもた…。カスタードとマスカットとブルーベリーソースのバランスが最強…。
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神戸阪急 モロゾフ
インターネットで調べていて食べてみたいと思ってたプリンクーヘン!危うく買い忘れるところやったけど、なんとか回収!やりきった満喫した大満足や!
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a4w · 3 years ago
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���活用している」「保管している」「資源ゴミとして捨てていた」「モロゾフのプリンを知らない」の4択でアンケート。活用は50%、保管は18%で、ガラス瓶があるお宅は7割近くに。「モロゾフのプリンを知らない」は18%でした。神戸限定での調査ではありませんが、かの“伝説”はおおむね実証されたといえそう…です。
神戸新聞NEXT|モロゾフ空き瓶「ある」7割 都市伝説をSNS調査
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roito-kanda · 4 years ago
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ドイツのデザイン誌 aveditionより [ RETAILDESIGN INTERNATIONAL 6]が発売され、弊社デザインの[CHOCOLAPHIL ETOMO JIYUGAOKA ] と[MOROZOFF FLAGSHIP STORE ]が掲載されました。 日本のプロジェクトは弊社が手掛けた2つと、ヘルツォーク&ド・ムーロンによる[UNIQLO TOKYO FLAGSHIP STORE ]が掲載されております。是非、手に取ってご覧下さい。 #retaildesigninternational #avedition ##chocolaphil #jiyugaoka #chocolate #gateauchocolat #inspiration #forestofcacao #tokyo #morozoff #morozoffkobe #flagshipstore #kobe #cafe #モロゾフ神戸本店 #interiordesign #commercialdesign #bardesign #restaurantdesign #cafedesign #interior #lightingdesign #modern #designedbyRoito #Roito #Ryoheikanda (Roito Inc.) https://www.instagram.com/p/CMHf7qHjKvj/?igshid=h4bsxaj1havi
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tokyomariegold · 3 years ago
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2022/7/29〜
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7月29日 歯医者へ行くと席に着いた途端に「最近は黒ごまラテ飲んでないですか〜?」とニヤニヤされる。もう1年以上続けていてつまらなくないですか?あなたのツボが黒ごまなんですね、の意を込めて「飲んでませんけど…」と答えると、少し、あっ……という感じになった。態度で示すことも大切。 コンクールのホワイトニングは研磨剤入りなので、歯磨き粉を使うならシュミテクトのホワイトニングがおすすめとのこと。 あまりお目にかかれない院長が、受付で三脚を持ってガタゴトやっていた。入口の熱帯魚たちに餌をやっていて、これは院長先生のお仕事なのですね〜、となる。 図書館で「食とジェンダー」の特集雑誌を読んでいたら待ち合わせに遅れてしまった。女性が料理をすること、みたいな内容がメインみたい。私は、グミは柔らかくてフルーティーで基本女性向けのため、男性向けのコーラ味ハードガチ固グミ出ました!!、は?、みたいなのを期待していた。 用賀で待ち合わせをして、わかやまけん展へ。���スがだいぶ来ないので、タクシーで美術館まで行った!スムーズで臨機応変で、大人!と思った。 作家さんは、しろくまちゃんのホットケーキ位しか知らなかったけれど、あかべこの絵本を描いていたらしくあかべこが展示されていた。ヘドバンしないかな〜、と思いながら観ていた。(今日の夢にマンスーンさんが出てきたな、そういえば。) 出口の撮影スポットで、お姉さんに写真をお願いした。友人と来ていた彼女はとてもチャーミングで、そのチャーミングさに似合わない子供が乗ったベビーカーも連れていた。こうやって子供ができても一緒に美術館へ行ってくれる友達がいるのは良いね。「中高の図書館でMOE読んでた〜」と言っていたので、同級生なんだろうな。
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7月31日 今日まで7月だったことを、これを書いていて気がついた。とても暑くて、目がくらくら、足ががくがくで、周りの人達が元気に歩いたり喋ったりできているのが不思議でたまらない…という感じになった。たぶん、かなり体調がおかしくなっていて、OS1ゼリーを買って、あとは記憶はあるけれど体の感覚がないままに帰宅していた。 4年くらい前の毎日サバイバルな程体調が良くなかった時を経ているせいで、(当時に比べれば)まだまだいける…と、無理をするのが当たり前になっている気がする。そして、その無理に耐えられなくなってきているのは、年齢を重ねたせいなのかもしれない!と怖くなった。
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8月1日 退職された方の机と椅子が廊下へ運び出されていた。 お手洗いでマレーシア帰りの方に会う。会うなり「試験ぜんぜん出来なかったんです…」と報告してくれた。それと、マレーシア滞在記を少し聞かせてくれた。やっぱり「私も来年は試験を受けようかな…」と流れで言ってしまう。 マレーシア出張中は、上層部の方々と毎晩食事を共にしたらしく、一度だけ話したことある部長は私のことを「おっとりした人だね。イメージと違った。」と言っていたらしい。 引き出しに入れっぱなしの貰った手紙を開くと、もう2ヶ月近く時間が経っていた。なにやら、あーでもないこーでもないとうだつの上がらない内容の様に思えて、まあ運動でもして、少し良いものを食べて、社会で認知されて、そうね優しいワークでお金を稼ぐと良いのでは?とかお返事を出してしまいそうなので、暑中見舞いを書こうと思う。
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8月2日 ずっと気持ちが悪い!耐えられずにお昼休みにOS1ゼリーをコンビニへ買いに行く。でもコンビニでは取り扱ってないみたいなので、熱中症タブレットをなめてみた。 コンビニで他の部署の上司がレジにいるのを見かける。私が店を出るとまだ上司の車が駐車場に。なるほど、コンビニで買ってきてjeep飯をしてお昼休みを楽しんでいるのですね。 気持ち悪さと眠気覚ましに、ロッカーに溜め込んでいた頂き物のお菓子を処分��ることにした。地元の洋菓子店のマドレーヌ、モンドセレクション金賞のれんこんクッキー、ココアの焼き菓子、ヨックモックシガール、コアラのマーチ、どら焼き、ハラダのラスク、神戸の洋菓子屋さんのパイ、醤油のお煎餅、モロゾフのチョコレート。どれもこれも賞味期限切れで助かった。 エルフの、日常生活というものへのディス、みたいな文章が楽しい。
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8月3日 感染症が拡大しているため、オンラインで打ち合わせ。会議室で宇宙との交信みたいな音を聴いて、初めは頑張って聴いていたけれど、途中から、もうどうにもできない!となっ���しまう。 資料にメモしていたタブレットとペン。微妙な筆圧も感知して書きづらいな〜、と思っていたけれど、スケッチ等に向いているのかな、と落書きしてみる。楽しい。 久しぶりに絵を描いてみたら楽しい(素人画の趣き)の、典型的なイラストが出来上がりスクショしておく。
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帰りにスーパーに寄ると、セルフレジがざわざわしていた。バーコードを見つけられない人、ポイントカードの登録がわからない人、パック寿司をひっくり返してしまった人。 パック寿司���人も店員さんも穏やかで「気をつけて下さいね〜」と言われながら残りの商品を詰めてもらっていた。(パック寿司をもう4つくらい買っていた。) 床にいくらが散らばり、海苔に抱かれた玉子だけが寿司で、ひっくり返る軍艦と共にカートの網目に引っ掛かっている様子が、とっても写真!だった。トーマスデマンド先生…。 バーコード決済をしながら写真を撮る。今日はモラルとリテラシーが落ちている。
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8月4日 地震と雷が怖かった日。 エドワード・エルフの本が面白い。と、いうか、神話とか現代の没場所性について、いろんな文献や事柄を取っ替え引っ替え言い換えて、時々よくわからないので、何度か読み返して読み進めている。やっと最終章目前になった途端、言いたかったのはコレでした!!と言わんばかりに流暢な文体になった気がする。(訳者の裁量でもあるのかしら。) 8月5日 現場から戻ると空きデスクに切られたスイカが置かれていた。2期下の方がスイカを片手に業者さんからの預かり物の報告をしてくれる。 どう見てもスイカを食べている真っ最中過ぎて、思わず「めっちゃ夏ですね。」と言った。彼女はスイカを食べていることよりも、食べるためにマスクを外したまま私に話しかけたことを気にして「あ!すみませんでした!」と言っていた。 彼女は新人さんだけれど、物怖じせず平等な態度と正直さとハツラツさがまぶしい。 来週のお仕事の予定も、彼女からお誘いしてくれた。業務の中で真っ当なシーンでコミュニケーションをとってくれるので嬉しい。私はいつも話しかける口実みたいなお菓子を用意してしまう。 気になっていた豆腐もちをつくった!実験みたいで楽しい!(美味しいとなおいいな。)
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team-ginga · 3 years ago
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大阪放送劇団の『神の子供たちはみな遊ぶ』
 『メフィスト』で共演した白樫由紀子さんが出演する大阪放送劇団の芝居『神の子供たちはみな遊ぶ』を妻と一緒に見てきました。
 会場は大阪・千里中央のA&Hホール。大阪放送劇団がいつも公演に使っている会場です。
 私はいつも阪急神戸線で十三まで行き、そこから西中島南方まで行って、少し歩いて南方で地下鉄御堂筋線に乗り換え、千里中央まで行っていましたが、ネットで調べると十三から蛍池まで行き、モノレールに乗り換えて千里中央に行く方が早いし安いとのこと。
 し、知らなかった……
 早めに行って、ラーメン屋で昼食(妻はシンプルな中華そば、私は冷やし坦々麺)を食べて、ぶらぶら歩いていたら人だかりがありました。
 なんだろうと覗いてみると、関西大学と……関西学院大学の応援団、チアガール、吹奏楽部が何やらしています。関関戦の開幕イベントのようです。
 ちょっと嬉しかった(?)のは関学の応援団長が女性だったこと。女性が学ランを着て音頭をとっている(という言い方でいいのかな)のはかっこいいと思います。
 私は白樫さんのFacebookで公演を知ったのですが、公演のチラシにも大阪放送劇団のサイトにも、さらには会場でもらった二つ折りのパンフレットにも、芝居の中身の紹介はありません。
 わざとかな? それとも書き忘れたのかな? これではどんな芝居か全く分かりません。まあ、予備知識ゼロで芝居を見るというのも悪くはありませんが……
 ストーリーは、20年前超能力ブームに乗って「サイキック・ファイブ」(ジャクソン・ファイヴかフィンガー・ファイブからの連想でしょうね)というアイドルユニットを組んでいた超能力小学生5人の「その後」をある女性ジャーナリストが探るというもの。
 こう書くと真面目な話のようですが、そうではなく壮大なホラ話というか与太話(もちろんいい意味で)です。
 ちょっと気になったのは、役者がみんなセリフを大切に、一生懸命に言いすぎていたことです。新人公演というのかな、若い役者さんが多かったからかもしれませんが、セリフをはっきり大きく言おうとするあまり、メリハリがないような気がしました。
 そういう芝居をしてしまうと、見る側は疲れてしまいますし、本当に一生懸命にならなければならない場面が際立ちません��もっと引くところ、下げるところを作ればいいのにと思いました。特にこの芝居はコメディーですから、もっと軽快さ、軽妙さが欲しかった気がします。そういうところをきちんと指導するのが演出家の仕事だと思うんですが……
 とはいえつまらない芝居だったわけではありません。私自身大いに笑わせてもらいました(最前列で難しい顔をして、足を組み、腕を組み、芝居が始まったら大声で笑う客がいたら、だいたいそれはワタシです)し、私の後ろに座っていた女性客は私以上に大笑いしていました。
 終演後は近くのモロゾフ・カフェへ行って、焼きたてのワッフルを食べて帰ってきました。
 いい1日だったと思います。
追記:  今回の公演はコロナ対策のため席数を減らし、開演後40分足らずで休憩を入れて換気をしていました。最近は芝居もコンサートも普通の状態で行われていることが多いので「そこまでしなきゃいけないんだ……:とちょっと驚きましたが、これって大阪放送劇団が決めたことなのでしょうか。それともA&Mホール側の要請だったのでしょうか。  なんとなく後の方かなと思いました。
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otoriyose-sweets · 3 years ago
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