#翼がなくても飛べる人たち(仮題)
Explore tagged Tumblr posts
monthly-ambigram · 2 years ago
Text
2023-10月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
◆今月のお題は「ヒーロー」です◆
今月は参加者の皆様に「ヒーロー」のお題でアンビグラムを制作していただいております。  古今東西のヒーローにまつわる逆さ文字の数々をご覧ください。
Tumblr media
「勇者」 回転型:peanuts氏
勇者といえばヒーローの筆頭ですね。ゲームだけではなく神話においても英雄としての勇者は数多く語られています。 全体を斜めにすることで「勇」のパーツのずれの違和感を和らげています。正統派で王道を行く作品だと思います。ペンで書いたような作字もステキです。
Tumblr media
「正義」 回転重畳型:いんふぃにてぃ氏
正義こそヒーローの行動原理ですね。正義の反対はまた別の正義、という言葉もあり、真実と同じような意味合いを持つ言葉かもしれません。 「正」「義」それぞれを回転重畳型にしています。「回転重畳型×2」として並べることもできましたが、縮尺を変えることで一つのアンビグラムにまとめ上げているのが作者の工夫ですね。
Tumblr media
「英雄」 回転型:海氏
ヒーローは日本語で「英雄」ですね。 英雄という言葉にまつわる作品はいくつか寄せられましたが、まず正統派の回転型です。字画密度の差は「厷」を中心に据えて解決、字画の角度を一定のルールに揃えることで読みやすくまとまっています。
Tumblr media
「必殺技」 図地反転回転型:いとうさとし氏
ヒーローならば必殺技の一つや二つ使いたいものです。 見事な「殺」を中心に読みやすい図地反転アンビグラムに仕上がっています。ドット表現がゲームにマッチしそうで、必殺技を決めるヒーローの背景で光らせたくなるデザインです。
Tumblr media
「自己犠牲」 図地反転型:梅氏
自己犠牲の精神はよくヒーローと共に語られますね。 こちらのデザインは「犠牲」のほうに字画の区切り線があるため完全な図地反転の関係にはなっておりません。その意味で純粋なアンビグラムではないのですが、アンビグラム的表現の一つとして面白いデザインになっており作者の工夫が光っています。
Tumblr media
「大活躍」 回転型:lszk氏
ヒーローならば大活躍が確約されているものなのか、大活躍したからヒーローなのか。 氏には久しぶりに作品を寄せていただきましたが、相変わらずデフォルメした形状による作品が絶妙に読めるバランスで素晴らしいです。本作では翼のような形状が万能ですね。
Tumblr media
「ひろいんとひいろう」 旋回型:kawahar氏
ヒーローとともによく語られるヒロインですが男女の違いだけではなく非対称性がある点は興味深いところ。 氏は多面相旋回型を得意としていますが本作でも六面相に仕上げていて感心します。鏡像と回転により文字が変化する、バランスの調整具合をご覧ください。
Tumblr media
「スーパーヒーロー」 回転型:lszk氏
スーパーヒーローは主にフィクションで超自然的な力を持つヒーロー。人により思い浮かべるスーパーヒーローも違うでしょう。 デザインとしては中央に力が集中していくかのよう。後半「ーロ」の部分の重ね処理を自然に見せるため「パーヒ」の部分も重ね処理をしており、文字列の配置が絶妙です。
Tumblr media
「英雄/色を好む」 振動型:ヨウヘイ氏
「英雄色を好む」とは「英雄は活力にあふれ何事にも精力的に活動するため女性関係も積極的で派手」という意味。英雄ならそれでも許される、というニュアンスもあります。 「英/色」の下部分の処理、「隹/好む」の対応がうまく調整されています。太い文字なので切り欠きをうまく使うことができるのですね。言葉の選択が面白いです。
Tumblr media
「ダークヒーロー」  回転型:mishima氏
ダークヒーローは正義の味方として描かれない主人公でアンチヒーローとも。 ダークヒーローのシルエットをロゴに取り入れていてかっこいいですね。オーラのように燃え上がる形状が文字のゲシュタルトにうまく取り入れられておりステキです。
Tumblr media
「剛烈/疾風」 回転共存型:兼吉共心堂氏
仮面ライダージオウに登場する「仮面ライダーゲイツ」の強化フォーム「仮面ライダーゲイツリバイブ」の二つの変身フォームが「剛烈&疾風」だそうです。 この二つの言葉の相性が良すぎますが、氏の書道風の筆致によりより自然な仕上がりになっていると思います。気持ちよい作品です。
Tumblr media
「響鬼」 振動型:.38氏
「仮面ライダー響鬼」より。 決して近くはない「響/鬼」の二文字の中間点をうまく探し出して仕上げられています。実際のタイトルロゴに似せたデザインなのもよいですね。
Tumblr media
「科学忍者隊ガッチャマン」 図地反転回転型:いとうさとし氏
1974年から放映された変身ヒーローアニメ。タツノコプロの代表作の一つです。 「科学忍者隊」「ガッチャマン」がそれぞれ図地反転回転型の作品になっています。「ガッチャマン」はカタカナで字形を崩すと読めなくなりやすいのですが、しっかり読めるようになっている配置が魔術的です。
Tumblr media
「僕のヒーローアカデミア」 鏡像型:ぺんぺん草氏
ヒーローと名の付く漫画といえばこれでしょう。種々メディア展開された人気作です。 本家ロゴに似せたステキな作品ですね。「僕/デミア」のハマり具合が楽しいです。本家ロゴのテイストでアンビグラム化できるかは運命的なところもあり、奇跡的な作品ともいえます。
Tumblr media
「秘密戦隊ゴレンジャー」 図地反転型:いとうさとし氏
所謂「スーパー戦隊もの」の第一作。集団戦隊ヒーローのフォーマットが第一作にして確立されました。 「秘/密」「戦/隊」「ゴレン/ジャー」���それぞれ図地反転の関係です。対応付けの仕方に統一性がありながらどの文字の可読性も確保されており、さすが達人の仕事です。
Tumblr media Tumblr media
「シン・仮面ライダー/第1バッタオーグ」 回転共存型:兼吉共心堂氏
シン・仮面ライダーと、それに登場するショッカー上級構成員の対応。「第2~」でもできそうです。字画密度の差がある言葉同士を対応付けようという発想がいつもすごいと思いますし、それを作品に仕上げる力量が素晴らしいです。
Tumblr media
「五右ヱ門」 鏡像型:うら紙氏
安土桃山時代の盗賊の首長であった石川五右衛門、彼を創作材料とした作品は多くその中にはこの表記としたものもあります。 環状配置の作品ですが、上下左右に文字が配置される点が珍しいです。略字の「门」にしているのがぴったりですね。左に45度回転させると隈取のようにも見えてきます。
Tumblr media
「天下人」 鏡像型:.38氏
天下人は全国の政権を掌握した人のことで、ヒーローともダークヒーローとも見ることができそうです。 「天/下人」でシンプルな対応ながらパースをかけたようなデザインにより「天」第2画の短さと「下」の点の突き出しが自然に見えるようにしています。周りにある隠し文字もよいですね。
Tumblr media
「桃太郎」 回転型:オルドビス紀氏
おとぎ話のヒーローといえば桃太郎���連想する人が多そうです。 余る字画がほとんどなく仕上がっているのにも驚きですが、余った分も横画が細い様式と左上優先の法則の活用で全く気にならないですね。美しく素晴らしい作品です。
Tumblr media
「野茂英雄」 回転型:douse氏
「英雄」といえばこちらに発想を飛ばすのも自然。名前もさることながら野球選手としての実績もヒーローといってよいでしょう。 「野茂/英雄」がハマりすぎで気持ちよいです。作字としても最高ですね。ストレートとフォークボールを連想させるモチーフがステキです。
Tumblr media
「さらば一昨日殺人ライナー」 回転型:Σ氏
HACHI(米津玄師)の楽曲「パンダヒーロー」の一節。 巧みな文字組と掠れ処理の組み合わせで文字の切れ目をコントロールしています。中央の「日」を「昨」のひへんの字形と揃えているのは作字面でのこだわりですね。カッコいいです。
Tumblr media
「Q.17 ヒーローを右のコンテナに入れろ」 回転型:いんふぃにてぃ氏
パズルゲーム『Q』より、17問目からの引用とのこと。 180度回転型というのは解き方を示唆している、のでしょうか……? 発想の飛ばし方がさすがです。長い文字列への挑戦もよいですね。
Tumblr media
「痛みを知るただ1人であれ」 回転型:螺旋氏
シン・ウルトラマンの主題歌『M八七』の中の一節。映画の内容にマッチした印象的な歌詞です。 とにかく細かいところの対応をじっくり見てしまいます。特に曲線がきれいに調整されていてので見ていて気持ちよく、カッコいい作品です。
 最後に私の作品を。
Tumblr media
「英雄/悪役」 回転共存型:igatoxin
ヒーローと対立するものとしてヴィランが描かれますが、対極にあるものではないのかもしれません。
ヒーローがお題のアンビグラム祭、いかがでしたでしょう。皆さんの発想に触れヒーローとは何たるものかに思いを馳せ、幾重にも楽しめるものになったのではないでしょうか。お忙しい中 御参加いただいた作家の皆様には深く感謝申し上げます。
さて次回のお題は『ゲーム』です。ゲームから連想する語句、ゲームタイトル、ゲームキャラクター、なんでもOKです。締切は10/31、発行は11/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
——————————–index——————————————
2023年 1月{フリー}   2月{TV}        3月{クイズ}        4月{健康}   5月{回文}    6月{本}               7月{神話}   8月{ジャングル} 9月{日本史}  
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
6 notes · View notes
projectyn · 3 months ago
Text
【レビュー】宙吊りの抵抗 ——「ここではないどこか」と「今、ここ」の間で 小沼理
Tumblr media
撮影:菅原康太
●近からず、遠からず
「名前は?」 「身長体重年齢は?」 「仕事は?」 「恋人は?」
 スクリーンに質問が映し出される。男は宙を見ながら、静かに答えはじめる。橋本清。190センチ、74キロ、36歳。仕事は……。恋人は……。男のパーソナリティが一つずつ明かされていくのを見ながら、ゲイ向けマッチングアプリのやりとりみたいだなと思った。  その1分か2分後、橋本清が演じる「橋本清」は、マッチングアプリに言及した。正確には、まず言及したのはゲイビデオだった。ゲイビデオでは身長体重年齢や、仕事、恋人の有無といった数字と記号によって、手っ取り早くその人がどんな人かを示す。そういった説明があり、「1907436G、みたいに数字の羅列をTwitterのプロフィール欄に書くのが流行した時期があった」という話を経て、「マッチングアプリにも、ウリセンのサイトにだって、この7ケタか8ケタの数字は絶対に載ってる」と続いた。  こうして書いてみれば、「ゲイ向けマッチングアプリのやりとりみたい」という私の印象は、的中って感じではなかった。近からず、遠からずだ。  それだけなら、すぐに忘れてしまったかもしれない。しかし、この「近からず、遠からず」という印象が、『ゲイ・モノローグ』の序盤では何度も繰り返し訪れる。
 彼——「橋本清」は、生まれてから現在までの半生を回想する。  5歳。車が好きで着せ替え人形もほしかったけど、女子のおもちゃだと言われて買ってもらえなかった。  11歳。修学旅行の夜に好きな女子の話で盛り上が���ながら、「好き」の意味がわからなかった。  17歳。掲示板を通じてはじめて自分以外のゲイの人と出会った。  27歳。はじめて同級生の結婚式に出席した。思わず「結婚したい」と言ったら、「そういうことに興味あったんですね」と後輩に笑われた。  語られるエピソードは、シスジェンダーのゲイ男性である筆者にとって、身に覚えがあるものだった。筆者や「橋本清」と同世代のシスゲイ男性であれば、少なからずそうした印象を抱くのではないかと思う。同じ経験をしたわけではないけれど、知っている気がする。似たような分岐点に立ったことがあるけれど、違う方を選んだ。そんな近からず、遠からずの記憶があって、「自分も……」と、語り出すことができる。
 それは、ここで提示されるエピソードが「わかりやすい」ことに起因するのだろう。  ゲイビデオは手っ取り早くその人がどんな人かを示すため、数字と記号を用いる。『ゲイ・モノローグ』の冒頭部では、数字と典型化されたエピソードを用いることで、2020年代の日本を生きるゲイ男性の最大公約数的な姿をまずは描き出している。  それはゲイではない——特にシスジェンダーでヘテロセクシュアルの——観客にとっては、彼がどのような違和感を抱えながら生きてきたのかを知る効果的な導入として機能する。ゲイをはじめクィアの観客にとっては、共通項と差違を見出しながら、自身を投影するフレームになる。
Tumblr media
撮影:菅原康太
●I wish I were a bird
 同級生の結婚式のシーンのあと、「橋本清」はつぶやく。「I wish I were a bird」。  このセリフのあと、テキストを無感情に読み上げる英語教師のように、彼は続ける。「ああ、鳥だったらよかったのに。この文��は、私が鳥ではないことを意味しています」。それは「反実仮想」、現実にはそうじゃないことを空想してみることの例文だ。  私は鳥ではない。でも、思考は翼のある生き物のように、ここではないどこかへ飛んでいく。回想は36歳の現在を貫通して、未来の空想へと向かう。5年後、10年後、20年後、50年後、さらにその先。そこで進路が屈折し、話題の主役が「橋本清」ではなくなる。「長谷さん」という、一人のゲイ男性になる。ドキュメンタリー映画『94歳のゲイ』に登場する、94年間誰とも付き合うことも、セックスもしなかったおじいさん。  その人生に思いを馳せながら、彼は94歳になった自分を空想する。「94G」という数字と記号によって、2人の生が一時的に重なる。
 その後も数字を取っかかりにして、語りは時空を飛んでいく。  1913年。クラフト・エヴィングの「変態性欲」論が日本で紹介された。1949年。三島由紀夫が『仮面の告白』を発表した。その2年後。『禁色』の第一部が出版された。日本におけるゲイの歴史年表を作るなら、太字で記されるような話だろうか。  一気に飛んで、2000年。新木場の夢の島緑道公園で、一人の男性が「ホモ狩り」に遭い殺害される事件が起きた。  彼はこれを、高校生の頃の記憶として語る。  あれ、2024年に36歳ということは、2000年は? 暗算しながら、これが自伝ではなく「自伝的パフォーマンス」と銘打たれていたことを思い出す。  ずれた時間軸の上で、「橋本清」は2000年に高校生だった人物として生きはじめる。さっきとはちょっと違う生。でもやっぱり、「I wish I were a bird」な生。  彼は、その新木場の公園に足を運んだ時の記憶を語りはじめる。ハッテン場として知られる、夜の公園。襲われても誰も助けてはくれない場所。でも、同じゲイの人と会えるかもしれない場所。  公園を歩きながら、「殺されるかもしれない」と「ヤれるかもしれない」がめまぐるしく交錯する。彼の身体は、「今、ここ」にある恐怖と興奮ではち切れそうになっている。気づくと、内的なざわめきのようなホワイトノイズが鳴っている。その音が徐々に大きくなる。一段階、さらにもう一段階と大きくなって、ぷつりと途切れる。  静寂が訪れて、彼はその夜に誰ともヤれなかったこと、新木場の公園が東京オリンピック2020の際にきれいに整備されたことを告げる。ハッテン場も、「ここではないどこか」になった。
Tumblr media
撮影:菅原康太
●We’re here, We’re Queer, Get used to it
 この後ろめたいハッテン場の記憶以降、語りは深度を増していく。冒頭にあったような「わかりやすさ」は影を潜め、最大公約数では捉えきれない側面が現れてくる。典型化が難しく、説明を必要とする感覚。他の人(ゲイやクィアであっても)には理解されず、この感覚を抱いた本人すら受け入れ難いと感じているかもしれない感覚。  次に語られたのは2024年、日本のレズビアンカップルがカナダに亡命し、難民認定されたニュースだった。  そのニュースを聞いた「橋本清」は、自分が難民になって日本から出ていく姿を思い浮かべる。しかし、同性愛者であることに加えて家父長制的価値観のもとで女性としても差別を受けてきたそのカップルと、クローゼットで生活し直接的な差別を免れてきた自身を同列に置くことはできないのだと、彼はすぐに続ける。  ここには、ゲイ男性がジェンダー的にはマジョリティであり、さらにカミングアウトしなければマイノリティ性を隠して生活できるという事情が反映されている。  クローゼットでいれば差別を受けないわけではないし、またその責任はカミングアウトをしない個人ではなく、カミングアウトをできなくさせている社会が負うべきものだ。しかしそうはいっても、クローゼットでいることで、人を欺いているような、ずるいことをしているような感覚に苛まれることはあり得る。そして罪悪感の中で自身の苦しみを否定してしまい、身動きが取れなくなっていくことは、一つの現実として確かにある。
 「I wish I were a bird」。時空を自在に飛んで、ここではないどこかを空想する。しかしそれは仮定の話に過ぎず、最後は「今、ここ」に戻らざるを得ない。  「今、ここ」を肯定するために劇の後半で持ち出されるのが、「We’re here, We’re queer, Get used to it」というスローガンだ。LGBTQ+のアクティビストグループ、クィア・ネーションが1990年代初頭に広めたもので、『ゲイ・モノローグ』では「我らクィアはここにいる お前らそれ���受け入れろ」と訳している。  「クィア」は英語で「変態」を意味し、1990年代には今よりもずっと侮蔑語としての意味合いが強かった。その「クィア」という語をあえて自ら使うことで、このスローガンは「今、ここ」にいる自分たちを肯定しようとした。  彼はその力強さに「泣きそうになった」と言う。しかしそのあと、「我らクィア」に「自分が含まれていると感じない」と続ける。この言葉では、自分の「今、ここ」を肯定できない。
 「I wish I were a bird」、ここではないどこかを空想すること。「We’re here, We’re queer, Get used to it」、ここにいると叫ぶこと。抵抗をあきらめることも、主体的に引き受けながら誰かと連帯することもできず、二つの間で宙吊りになっている。  それが現在地なのかもしれない。しかし、積極的に規範を揺るがそうとしなくても/できなくても、逸脱する姿を曝すことで規範は揺らぐ。  ハッテン場の夜。難民認定の煩悶。スローガンに自分が含まれている気がしないこと……。後半で語られるのは、屈折した感覚だ。しかし屈折しているからこそ、正直にも感じた。ストレートじゃないのがストレート。その語りから、ある種のクィアネスがこぼれ落ちる。  宙吊りのまま抵抗すること。その困難と可能性を、『ゲイ・モノローグ』は静かに提示していた。
Tumblr media
撮影:菅原康太
小沼理 文筆家。1992年富山県生まれ。著書に『1日が長いと感じられる日が、時々でもあるといい』(タバブックス)、『共感と距離感の練習』(柏書房)、編著に『みんなどうやって書いてるの? 10代からの文章レッスン』(河出書房新社)。
1 note · View note
stormfrozen · 3 months ago
Text
鬼を探しに
本当に、常界にいるのか?彼女が…
ジニーエイラはワールドゲイザーとネクストゲイザーに写真を見せ、アルゼリアンがい��と言う場所を『エーデル・ヴァイス』の他の5人と一緒に探す事に。
一応ね、私はこの写真を撮ったホテルで会ったの。でも、それも大分前だからもしかしたら…。 違う地方に旅行しているかもしれないって事だね? 多分。
どう考えても規模が広過ぎるその人探しに、6人は少し考える。
こんな傷だらけの大自然だらけの地から探すのでしょうか? うーん、確かにね…。 でも、山だけは何とか無事だって言う話を聞いたが…? 行ってみましょう。
使命を受けて向かったキタカミの里。嘗ての鬼がこの場所を拠点にしていた時期があり、また、カロルディア特有の生物は大半が大昔に元々この地にいたと言われている。しかし、その時代では何者かによって災厄が降り注��、キタカミの里となったつい最近では大きな地震が襲い、今はもう瓦礫と土砂を残すのみのただの大自然のままの荒地と化していたのだった。6人はその中で、唯一地震の影響を受けなかった鬼が山の頂上、てらす池に向かう。
此処が、かの有名な『てらす池』ですね。 僕が持っている宝石と、同じエネルギーが出ているよ。 えっ…?
よく見ると、フェリンソワのスカートにあるポケットの中の赤い宝石と、エオレンスタのスーツの内ポケットにある青い宝石が、大きく光り輝いていた。宝石を取り出す2人。
そう言えば、ラグナロク戦争でも最後に戦った時に…私とエオレンスタの宝石でテラスタルが起きましたね。 うん。僕とフェリンソワの宝石だけ、他のテラスタルとは一線を画する物と聞いたけど…どうなのかなぁ。 テラスタル…?確かカロルディアでは『八角形の世界』で見ましたね。 エリアゼロは無いけど、大元の結晶さえあればテラスタルは使えるのかもね。あっちの世界でも見たし。 ああ…。そう言えば俺達が旅している間にエリアゼロの楽園の守護龍と戦ったんだってな、ジニーエイラ?
テラスタルと言えばパルデアのエリアゼロを想起させるが、ジニーエイラはその上空を飛んでいた『翼の王』と呼ばれる楽園の守護龍と一度戦闘を交えている。当の彼女の感想はと言うと………。
ふぇっ!?…うん。でも、そんな私もカロスからパルデアに飛んで向かう途中だったからね。結構強かったよ。互いにテラスタルしてなかったけど、仮にしてたらどれ程大変だったか…。 そっか。ジニィですら大変なら、私が戦ったら多分負けてたかも。 え。イヴは知ってるの? 一応ね。旅している間に『テラスタル』の現象を調べてたら、天候と足元の効果を消す『ゼロフォーミング』と呼ばれるパワーを持っている神様の話を知ってね、それで古代や未来から来た生物をジニィの撮ってくれた写真を元��辿ってみたの。そして、『日緋色の鼓動』を持つのが翼の王で、古代の野生的本能の血を目覚めさせる効果を持ってるの。
翼の王にアイヴァンヌが勝てないと言う理由。それは、相性を考えれば否が応でも思い知らされる事になるだろう。
古代の世界ではあの化石になる前の恐竜達ですら負ける程の強さだったと聞いたぞ。肉弾戦や格闘技では誰も勝てる生物はいなかったとか。 あ………そうだった。
そう考えると、相性上最悪な彼女がグゥエルに立ち向かえたのは恐らく、最低限の戦い方で対抗すると決めていた彼女の潜在能力の高さだろう。それを窺わせる程に、真性のメレンジアのしぶとさは恐ろしい。
うわっ!?…見て下さい! どうした? あれを…!
フェリンソワとエオレンスタの持っていた宝石が光を放った。それを浴びた結晶の光が、とある1人の女性を光照らす。その女性はと言うと…。
この人だ。私が会った人は…! え? お面が光っている………! 本当にこの人が、ジニィが言ってたアルゼリアンさん? うん!
強い光で共鳴した結晶。もしこれを彼女が知ったら、どんな反応をするか分からない。だが、それでも7人は会わなくてはならない。反応が少し怖いが、大元の大きなテラスタル結晶のあるパルデアの地に向かい、そこで彼女を合流させる事を考えた。
エリアゼロは流石に今調査中だから…東1番エリアとかで待ち合わせするか? それは良いかもしれませんね。 パルデアは多分、初めて行くかも…。 まだ慣れない? んー、うん。
そんなこんなで、7人はキタカミの里を後にし、パルデアへと向かう。
何も無い場所だな………。 草しか無いです。
風車のある町、ボウルタウンを抜けてハッコウシティに向かう最中に通る道、それがあるのが東1番エリア。辺り一面だだっ広い草原地帯で、ハッコウシティ周辺には海岸沿いの砂浜まである。
この辺で待っていましょう。 見せたテラスタルの光に導かれて、彼女は来るはず… でも僕達がいたら、流石に警戒はするとは思う。一応隠れた方が。 いや、そこまでしなくても良いと思うよ。ジニィがいれば、あっちから声をかけるだろうし。
1箇所の木に固まり、7人は他の王達とやりとりをする。それから30分が経ち…
確かこの辺に………反応が。あ!ジニーエイラさん! 久し振り、アルゼリアンさん!
緑の花柄のワンピースを着ている女性が1人。やって来たのは、7人が今回探していたと言う『鬼様』基…アルゼリアンだった。ジニーエイラとは以前会った時とかなり間が空いてはいるが、互いに旅に行ってた頃を覚えていた。
あの…そちらの方々は? 初めまして。 私達は、神界の神様達が所属する世界機関『I.A.』に所属する組���『Aile』の王であり………その1人、ジニーエイラの同僚の『リベティーナ』です。 私は『フェリンソワ』と申します。 僕は『エオレンスタ』です。 私は『アイヴァンヌ』だ。 俺は『サンディエゴ』と言います。 そして…俺が天界の貴族『セブンスヘブン』が1人…『ブリオッシュ』だ。 …と言う訳なんです。隠しててすいません。 え…?ジニーエイラさんって、王様だったんですか!? はい、と言っても[Aile]はかなりの実力者の集まりで構成されてまして…その強さを讃える為、『王』と言う称号を与えられているだけですので。全員で50人はいるとされていますが、王は王でもいわゆる『国王』とか『天皇』みたいな『帝』や『主君』では無いので、街を統治したりとかはしていませんよ。 そ、そうなんですね…
少し咳払いをして、ブリオッシュは本題を話した。
実は、俺達はその所属している[Aile]の命を受けて、以前にジニーエイラが出会った『鬼様』に会うべく…この場所で待ち合わせをしていた。もし嫌なら直ぐに言って欲しい。一応、コンタクトが取れた時点で此方としては構わないが… ごめんね、アルゼリアンさん。キタカミの里まで来たんだけど、手掛かりが掴めなくて。
素性を明かしたとは言え、やはりあまり会ってない人に掌を返されるのでは無いかと不安になったジニーエイラ。だが、当のアルゼリアンから返って来た言葉は………
…いえ。私はこの場所、実は知ってるんです。とある男の人と会いまして、この地にある結晶の事も全て知ってます。そうでなければ、私の持っていたこのお面は光りませんので。
過去を話しながら、懐に入っていたお面を取り出すアルゼリアン。その4つのお面とは緑色の喜びの仮面、赤色の怒りの仮面、青色の哀しみの仮面、灰色の楽しげな仮面。そしてそれらと、反応する様に光るのはフェリンソワとエオレンスタの宝石。
成程。2人の宝石で私は導かれたのですね。テラスタルの結晶が共鳴している以上、それはただの宝石では無さそうです。もし…宜しければ私と、お手合わせ願えませんか? えっ!? それは光栄ですが…アルゼリアンさんは大丈夫なんですか? はい。
何と拒絶するどころか、お手合わせする事になった2人。とは言え、どれ程の規模になるのかは未知数なのでテラスタルでの対決は流石に街付近ではしない事にした。
『エーデル・ヴァイス』としては、会えればそれで良いんですけど。 それにしても…エリアゼロは大変ですね。 え…と言うか私達、普通に禁足地に入っちゃってるけど大丈夫かな。 あー、イヴ。それは大丈夫だよ。 [Aile]はそもそも神界でも相応の実力者なので、中位なる世界にあるのです。 まあ、そう言われたらそうだね…。
何とエリアゼロにて、アルゼリアンとお手合わせする事に。地下深い第3観測ユニットから少し離れた隠れ岩場で、フェリンソワ・エオレンスタ��彼女と戦う。
此処なら邪魔は入らないでしょう。 今、『ジャンクション』と『フェアボーテン』が確か第4観測ユニット付近で調査を続けているので、問題無いでしょう。 では、行きます。
0 notes
takahashicleaning · 9 months ago
Text
TEDにて
マルコ・アンヌンツィアータ:インダストリアル・インターネット―人と機械の融合―の時代にようこそ!
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
2014年の最近の誰もが話題にする「モノのインターネット」、私たちの将来にとってどんな意味があるのでしょうか?
この思慮に富んだトークで、経済学者マルコ・アンヌンツィアータは、テクノロジーが産業セクターをどのように変えつつあるか!について語ります。
この200年の間、全世界は、人間の限界をはるかに超えるような2つの創造的破壊のイノベーションを経験しました。
1つは 産業革命で紡績機械分野や工場システム、蒸気の動力による鉄道、大規模電気を使用した電動機や鉄鋼業などの重工業、航空機をもたらし 私たちの生活は一変しました。
そして、インテルなどの半導体集積回路の飛躍的な向上とインターネット革命。クラウドコンピューティング。
私たちは、人間の限界をはるかに超えるような演算能力や情報ネットワーク、開かれた情報へのアクセス、電子的な通信手段を手に入れまたも、生活は一変しました。
ここでのインダストリアル・インターネットとは何でしょうか?
産業��械は、より多くの電気的なセンサーが搭載され、以前にも増して電子的な視覚、聴覚、触覚を持つようになりスマートフォンによる普及でセンサーの価格が急激に下がり
クラウド・コンピューティングも進んだおかげでデータの保存・処理にかかるコストも 瞬く間に下がりました。ただの物である機械が見て、感じて、反応し、より効率的な運転が可能になるのです。
今、迎えつつある世界では、共に働く機械が単にインテリジェントなだけでなく卓越しています。
機械は、自己認識し、予測行動ができ、反応できると同時に社交性があります。
ジェットエンジンや機関車。ガスタービン。医療機器が互いに、そして、私たちと途切れることなく意思疎通します。
この世界では、情報自体もインテリジェントになります。
必要なときには、自動的に情報が提供され、私たちは、わざわざ探す必要はありません。
産業システム全体に取り込もうとしているのは、自動可視化、マルチコア・プロセッサ技術。高度なクラウド・コミュニケーションや機械の機能がソフトウェアで可視化される。
ソフトウェア基軸の機械インフラです。
これによりハードから機械ソフトを分離し、遠隔的かつ自動的に産業機器を遠距離からも監視、管理、改良できるようになります。
なぜ?これが重要なのでしょうか?
まず、すでに、これらは予防的な状態監視保全を可能にしています。
つまり、壊れそうなときを察知して、修理作業をすることで定期的なメンテナンスで時間を無駄にしなくてすむのです。
これにより、計画外の休止時間がなくなり、停電やフライト遅延とも無縁になるわけです。
考えてもみてください!― 航空機の部品が、補修が必要なときに自らアラートを送ったら?
風力発電のタービン同士が、お互いに調整し合い、全体として調和しより多くの発電をできるようにしたら?
これこそ、私たち皆に素晴らしいことをもたらしてくれる未来の始まりにすぎません!
同様の進展は、再生可能エネルギーを含むエネルギー産業でも起こりつつあります。
次に、医療です。
今、看護師は平均して1回のシフトのうち21分を医療機器を探すために使っています。たいしたことないようですが、これにより患者に向き合う時間が減っているのです。
テキサス州ヒューストンの聖ルカ病院は、インダストリアル・インターネット技術を導入し、電子的に患者とスタッフ。
医療機器をモニターし、結びつけたところ、ベッドから離れる時間を1時間も減らせました。手術を考えたら1時間は大きいですよね。
つまり、より多くの患者を治療し、より多くの命が救えます。
ワシントン州にある別の医療センターは、スキャナやMRIの医療画像をクラウドで分析することができるアプリケーションを試験導入し、より良い診断をより低いコストで提供しています。
ここに重傷を負った患者さんがいて、複数の専門家の診察が必要だとしましょう。神経医と心臓専門医。外科医の治療が必要��す。
もし、彼らが全員、その場で同時にスキャン画像を見れたら、より良い医療をより早く提供できます。
これらは、より良い医療につながり、さらには、大きな経済的利益をもたらします。
今の非効率さをたった1%なくすだけで全世界の医療産業全体で6千億ドル超の支出を減らせます。
それは、九牛の一毛でしょう。持続可能で手頃な医療を提供するのに するべきことは山ほどあります。
同様の進展は、再生可能エネルギーを含むエネルギー産業でも起こりつつあります。
風力発電地帯には、新しい遠隔監視・分析機能が備えられ、風力タービンが互いに情報共有し、全体的な発電効率を高めるようタービン翼の向きを風の吹き方にあわせて調整します。
それにより発電コストは、キロワット時。5セント以下になります。10年前の発電コストは、30セントで現在の約6倍でした。
でも、これはデータの話にとどまりません。そこで視点を変え、私たちの日々の仕事にどんな影響があるか?お話しします。
この新しいイノベーションは、新しいツールやアプリケーションをもたらし、私たちが、よりスマートに速く、連携できるようにしています。私たちが、よりスマートに速く連携できるようにしています。
仕事を、単に効率的にする以上の利点があります。例えば、風力発電施設のフィールドエンジニアは、携帯端末を見るだけでどのタービンの補修が必要か?分かります。
予め、問題が分かっているので必要な補修部品も持っています。
もし、何か予期せぬ問題があっても同じ携帯端末でサービスセンターの同僚と連絡を取り、自分が見ているのと同じものを見せ、診断に必要なデータを送信すればよいのです。
同僚が、必要な修理手順の説明ビデオを送り、機械を直すためのどんなに複雑な手順でも一つ一つ伝えることが出来ます。こうしたやり取りは記録され、検索可能なデータベースに保存されます。
ちょっと考えてみましょう。
これは重要なポイントです。
この新しいイノベーションの波は、私たちの働き方を根本的に変えます。このイノベーションが仕事に与える影響を心配されているでしょう。失業率は、すでに高くイノベーションが仕事を奪うと 恐れられています。イノベーションは破壊的です。
でも、ここで2点強調させてください。
1つは、私たちはすでに農業の機械化。産業の自動化を生き延び、雇用は増えました。イノベーションはそもそも成長なのです。製品は、より手頃になり、新しい需要や仕事を生み出しました。
2つ目に懸念されているのは、将来、仕事は、技術者やデータ科学者。その他の高度専門職にしか仕事がなくなることです。私も経済学者としてそれは怖いですよ。
でも、考えてみてください!
子どもが、簡単にiPadを使いこなせるように産業アプリケーションは、どんなレベルの産業アプリケーションは、どんなレベルの労働者にも使いやすいはずです。
将来の労働者は、むしろアイアンマンでチャップリンの「モダン・タイムス」にある姿ではないのです。
そして、確実に新たな高度専門職も生まれます。機械とデータを両方理解する。
デジタル・メカニカルエンジニアもそうで、自らの業界や分析論も理解できる経営者は、技術を最大限活用し、ビジネスを再構築します。
技術を最大限活用しビジネスを再構築します。
2023年からChatGPTが急速に普及しましたが、この流れの一環です。
2024年からは、Appleインテリジェンスも登場してます。
実は、アメリカのゼネラル・エレクトリック社が2012年に提唱したもので、製造業やエネルギー、ヘルスケア、運輸、公共サービスなどの分野に応用されています。
インダストリアルインターネットは、IoT(モノのインターネット)の一種とも言えますが、より高度なデータ分析やサービス提供を目指しています。
インダストリアルインターネットの将来の展望としては、拡張現実(AR)や仮想現実(VR)などの技術との融合が期待されています。
拡張現実とは、現実の風景にデジタル情報を重ね合わせて表示する技術で、スマートフォンやスマートグラスなどを通して体験できます。
拡張現実をインダストリアルインターネットに活用することで、以下のようなメリットがあります。
1、遠隔地にいる専門家が現場の作業員に指示やアドバイスを送ることができる。
2、製品や設備の3Dモデルを現実空間に表示して、動作や状態をシミュレーションできる。
他には、作業や点検の過程を記録や共有が瞬時にできる。
拡張現実は、インダストリアルインターネットの現実とデジタルの融合をより深める技術と言えます。
今後は、より高精度な空間認識や3D表示、ユーザーインタフェースなどの技術の発展が求められます。
もう一度
2023年からChatGPTが急速に普及しましたが、この流れの一環です。
2024年からは、Appleインテリジェンスも登場してます。
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
ヨーロッパでの一般データ保護規則(GDPR)でも言うように・・・
年収の低い個人(中央値で600万円以下)から集めたデータほど金銭同様に経済的に高い価値を持ち、独占禁止法の適用対象にしていくことで、高価格にし抑止力を持たせるアイデア。
自分自身のデータを渡す個人も各社の取引先に当たりデータに関しては優越的地位の乱用を年収の低い個人(中央値で600万円以下)に行う場合は厳しく適用していく。
技術が、すべてのことを解決できると言いますが、我々が、100倍エネルギー効率のいい乗り物を作ることができるとすれば、大枠としてこれは正しい意見です。
しかし、エネルギー効率ではなく、生産性を高めた結果、イギリスは見事に産業が空洞化してしまいました!
これでもバカのひとつ覚えのように、生産性を高めますか?基本的人権も無視して・・・
ロビン・ハンソンの言うように、一神教での仕事や労働の概念、定義などがトーマ��クーン「科学革命の構造」で言うところのパラダイムシフトを起こし、ベーシックインカムや年金を毎月支給されるだけで生活できるようになるかもしれません。
そうすれば、アンソニー・ゴールドブルームの言うように、機械に先んじる可能性が開けるでしょう。
キャシーオニールによると・・・
思考実験をしてみましょう。私は、思考実験が好きなので、人種を完全に隔離した社会システムがあるとします。どの街でも、どの地域でも、人種は隔離され、犯罪を見つけるために警察を送り込むのは、マイノリティーが住む地域だけです。すると、逮捕者のデータは、かなり偏ったものになるでしょう。
さらに、データサイエンティストを探してきて、報酬を払い、次の犯罪が起こる場所を予測させたらどうなるでしょう?
あら不思議。マイノリティーの地域になります。あるいは、次に犯罪を犯しそうな人を予測させたら?あらら不思議ですね。マイノリティーでしょう。データサイエンティストは、モデルの素晴らしさと正確さを自慢するでしょうし、確かにその通りでしょう。
さて、現実は、そこまで極端ではありませんが、実際に、多くの市や町で深刻な人種差別があり、警察の活動や司法制度のデータが偏っているという証拠が揃っています。実際に、ホットスポットと呼ばれる犯罪多発地域を予測しています。さらには、個々、人の犯罪傾向を実際に予測しています。
ここでおかしな現象が生じています。どうなっているのでしょう?これは「データ・ロンダリング」です。このプロセスを通して、技術者がブラックボックスのようなアルゴリズムの内部に醜い現実を隠し「客観的」とか「能力主義」と称しているんです。秘密にされている重要で破壊的なアルゴリズムを私はこんな名前で呼んでいます「大量破壊数学」です。
民間企業が、私的なアルゴリズムを私的な目的で作っているんです。そのため、影響力を持つアルゴリズムは私的な権力です。
解決策は、データ完全性チェックです。データ完全性チェックとは、ファクト(事実)を直視するという意味になるでしょう。データのファクトチェックです!
これをアルゴリズム監査と呼んでいます。
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
(合成の誤謬について)
合成の誤謬とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが、合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じること。物理学では、相転移みたいな現象です。性質が変わってしまうということ。
ミクロのメカニズムが個人同士の経済における仕組みであるのに対して、マクロのメカニズムは、国家間や経済全体の循環における仕組みだからである。
例えば、家計の貯蓄などがよく登場するが悪い例えです。前提条件が、所得が一定の場合!!所得が一定じゃない増加する場合は?これは、論じていませんので参考になりません!!(法人が提供する製品やサービスの価格も一定の場合も前提条件です)
1930年代のアメリカ経済が金融危機2008と似たような状態に陥った時、ケインズは、「倹約のパラドックス」というケインズ経済学の法則を発見しています。
それは、ポール・A・サミュエルソン(1915-2009)が、近代経済学の教科書「経済学」の冒頭で「個人を富裕にする貯金は、経済全体を貧困にする!(所得が一定の場合)」というわかりやすい言葉で表現しました。しかし、庶民の所得が増加し、貯蓄が投資、消費に回る場合には、「倹約のパラドックス」は生じません。
その後、この「倹約のパラドックス」は、アメリカの経済学者・ケネス・J・アロー(1921- )が「合成の誤謬」を数学的論理に基づいて「個人個人がそれぞれ合理的選択をしても、社会システム全体は合理的選択をするとは限らない」を検証してみせた。 要するに、部分最適ではなく、全体最適させていくということ。
つまり、新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との 戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!ということに集約していきます。
なお、金融危機2008では、マイケル・メトカルフェも言うように、「特別資金引出権(SDR)」は、2008年に行われた緊急対策で、一国だけで行われたのではなく、驚くほど足並みの揃った協調の下に国際通貨基金(IMF)を構成する188ヶ国が各国通貨で総額2500億ドル相当を「特別資金引出権(SDR)」を用いて世界中の準備通貨を潤沢にする目的で増刷してます。
このアイデアの根本は、元FRB議長であったベンバーナンキの書籍「大恐慌論」です。この研究がなければ、誰一人として、変動���場制での当時の状況を改善し解決できなかったと言われています。
それ以前では、固定相場制でのマーシャルプランが有名です。
続いて、トリクルダウンと新自由主義
インターネットの情報爆発により隠れていた価値観も言葉となり爆発していくことになった。
しかし、法定通貨の方が、その価値、概念に対する通貨量拡大として価格で応じることができず、圧倒的に通貨量が足りない状況が生まれていたのが、2010年代の問題点のひとつでした。
リーマンショックの後に、新自由主義が誤りであることが、ピケティやサンデルによって指摘され、当時のFRBバーナンキ議長が、通貨供給量を大幅に増やした対策により、ベースマネーの金融、銀行間の相互不信を解消して収束した。
それでも、まだ足りないが、適正水準に収まったことで、さらに価値も増幅され、マネーストックの財政政策から再分配、事前分配を大規模に行い、さらなる通貨供給量が重要となっている現在の日本国内。
例えば
Googleがしようとしてた事は、まだ新産業として、基礎研究から発展できない機械学習の先端の成果をすべて持ち込んだ社会実験に近いこと。
シュンペーターの創造的破壊は、一定数の創造の基礎を蓄積後に、未来を高密度なアイデアで練り上げてから破壊をするのが本質です。
こうして、憎しみの連鎖や混乱を最小限にする。
アルビン・トフラーの言うように、法人と行政府とのスピードの違いが縮まらないのは、構造上の違いであって、それを補うためにプラスサムな連携するということが、必要になってくることを説いています。
三権分立が、規制のないGAFAMを非政府部門としてMMT(現代貨幣理論)からプラスサムに連携したらどこで均衡するのか?という社会実験も兼ねています。
このような前提で、あらゆるインターネット企業が、創業時、貢献するためコンセプトの中心であったものが、今では、悪性に変質して違う目的に成り下がっています。
ジャロン・ラニアーも言うように、再分配、事前分配の強化がスッポリ抜けてる欠点があり、ここに明かしたくないイノベーションの余地があります!!
2021年には、新自由主義のような弱肉強食では自然とトリクルダウンは生じないことは明らかになる。
確かに、トリクルダウンは発生しないが、法律で人工的に同じ効果は、貨幣の再分配、事前分配という形にできる可能性は高い。
再分配や事前分配をケムにまく「金持ちを貧乏にしても、貧乏人は金持ちにならない」「価値を生み出している人を罰するつもりがないのであれば税に差をつけないほうがいい」(サッチャー)
とあるが、新自由主義は誤りで、ピケティやサンデルによると違うみたいだ
(個人的なアイデア)
電気を作る熱力学のサイクルで熱効率は、ほぼ50%、45%~50%の効率まで高めることは可能ですが・・・
高温の物体から熱を受け取り、電気という「使えるエネルギー」に変換できる機械を一般的に「熱エンジン」と呼んでいる。
高温の物体から受け取った熱エネルギーのうち、どれだけ活用できたかという比率を「効率」と物理学では定義している。
この効率は、原理的に超えられない「カルノー効率」という上限があることが知られている。
カルノー効率が達成されると、効率は上がるが、同時に仕事率がゼロになる現象。
つまり、熱エンジンの効率を最大限に上げると出力がほぼゼロになることを意味しています。そして、効率100%は物理的に不可能ということです。
中世で試行錯誤が行われたことに終止符が示され、機械での永久機関は作れないことが、この現象から理解できます。エネルギー保存の法則からも理解できます。
他には、燃料の持つエネルギーをどれだけ動力として取り出すことができるか?これをエンジンの熱効率と定義しています。
2020年の段階で、ガソリンエンジンの熱効率は最高で40%前後あり、10年くらい前までは30%程度。低燃費の技術競争もあるけどカルノー効率から限界も見え始めています。
だから、ガソリン自動車から電気自動車へ世界中の法人が開発を加速して切り替えている潮流があります。
そして
まだまだ、イノベーションの余地がある貨幣の再分配や事前分配をベンチャー企業が、究極まで強欲に追求すれば、確実に人工知能の時代、人類への貢献として、世界史に刻まれる可能性は高い。
<おすすめサイト>
実用に向けた大規模言語モデルApple インテリジェンス 2024
Apple Vision Pro 2024
visionOSにおけるスクリーンから飛び出すインタラクティブな体験の設計 - Apple Vision Pro
WebXRによる3Dイマーシブなインターネット体験の構築 - Apple Vision Pro
アラン・セイボリー:砂漠を緑地化させ気候変動を逆転させる方法
ロジェカイヨワ戦争論と日本の神仏習合との偶然の一致について2019
ジャロン・ラニアー:インターネットをどう善の方向に作り変えるべきか!
ピーター・ヴァン・マネン: フォーミュラ1システムが赤ん坊を救う?
(原子力)
スチュワート・ブランドとマーク・Z・ヤコブソンが討論:原子力発電は必要か?
ジョー・ラシター:気候変動の解消に向けた原子力発電の必要性?
「フロート式原子力発電所」について
テイラー•ウィルソン:僕のラジカルな計画 ― 小型核分裂炉で世界を変える!
劣化ウランゼロへのイノベーション:ビル=ゲイツ、エネルギーについて語る
(再生可能エネルギー)
レイ・カーツワイル:今後現れるシンギュラリティ(技術的特異点)を学ぶ大学
Solar Roadways(道路としても敷き詰めて活用できる太陽光発電パネル)
「考えるクルマ」が世界を変える―アーバン・モビリティの革命
Powerwall 2 & Solar Roof Launch - Teala Motors
デイビッド・マッケイ: 再生可能エネルギーの現実
ベティーナ・ウォーバーグ: ブロックチェーンが経済にもたらす劇的な変化
量子コンピューターの基本素子である超電導磁束量子ビットについて2019
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
東京都北区神谷の高橋クリーニング店Facebook版
0 notes
misasmemorandum · 2 years ago
Text
『真夏の死 ー自選短編集ー』 三島由紀夫
ネイスンの本を読んで、「真夏の死」と「春子」を読み直したくなって借りた。初めて読んだのは高校生の時だったはず。はるか昔の物語。
「煙草」昭和21年 とても繊細な少年の物語。
そして一番先にある強烈な、なまめかしいともいえる複雑な匂いが鼻を打った。柔道部の匂いともちがった、もっとメランコリックな匂い、遣瀬ないともいえる匂い、非常に烈しくしかもどこか儚い匂い、ーー煙草をのんだあといつまでも私が悩まされた、煙草の本来のそれではなくむしろ仮想のあの匂いにそっくりであった。(pp21−22)
少年は火のついた煙草を吸うことで、図らずも火をつけてくれた先輩と間接キスし、それに特別な思いを持ったのだろうな。三島らしい。
「春子」昭和22年 レズビアン小説なのだそうですが、主人公男性の妄想について行けなかった。若い三島の短編は今の私にはちょっとしんどいかも。
「翼」昭和26年 戦中、従兄妹の恋人同士の瑞々しい恋、そして性欲芽生え。寓話的。so cute. 
二人の無垢な誓いの言葉で埋めてしまえば、煉瓦を一つ一つ漆喰で固めるように、いつか住むにたのしい堅固な家が築かれるような気がしたのである。(p115)
翼は二人の純粋な恋のシンボルなんだろうな。少女は死に、忘れられないでいる男。三島は自分の妹のことを書いているのかもしれないと思ったり。
「離宮の松」昭和26年 一才の赤ん坊をおぶって守りをする16歳の少女。少女は叔母である赤ん坊の母親に子守りとして引き取られてる。少女と赤ん坊の1日冒険譚かと思いきや、やはり三島、突飛な展開だけど少女らしいといえばらしい。クライマックスまで持って行くのがとても上手かった。
「クロスワードパズル」昭和27年 美男のボオイが何故醜女と結婚したのかを語る内容。男前のボオイと有閑マダムのアフェア。小気味のいいお話でした。
「真夏の死」昭和27年 三島が一回目の世界旅行から帰って来て書いた作品。避暑地で子ども二人と夫の妹である子守りを失った夫婦のお話。東京で仕事していた夫が事故先に向かう道中で思うこと。
 われわれはこういうとき、ふだん疎遠にしていた不幸の、仕返しを受けるのである。幸福とは日頃あれほど身を入れた附合をしているのに、こんな時には何の役にも立たない。われわれは久々に会う不幸の顔をいつも御見外れする。(p190)
次の苦しみの表現、凄すぎ。読んでて泣けた。
Tumblr media
苦しみからどうにかこうにか脱却出来たに見えた事故後2年、事故先に行ってみる。そしてクライマックスで、夫は妻が苦しみに耐えていた時と同じ表情をして海を見ているのに気づく。それは何かを待っている表情で、夫は妻が何を待っているのか分からなかったが、尋ねようとしたその瞬間にわかったような気がする。そして「勝は悄然として、つないでいた克雄の手を強く握った(p242)」。
三島曰く、この物語の主題は「癒切ったのちのおそるべき空虚から、いかにしてふたたび宿命の到来を要請するか(p190)」��そうで、そしてクライマックスは、「或る過酷な恐ろしい宿命を、長い時間をかけて、ようやく日常生活のこまかい網目の中へ融解し去ることに成功したとき、人間は再び宿命に植え始める(p190)」ことを書いたものなのだそうだ。なるほどね。壊れてしまった人間の話なんだろうな。もしくは、代理ミュンヒハイゼン症候群(まさか!!)。
「貴顕」昭和32年 私にはいまいちでした。
「葡萄パン」昭和38年 ツイスト・バーなどに来る若者(互いをメリカ名で呼び合ってる)たちの隠語/流行語/会話を使って書いたもの。三島が内部の人ではないから、何処か寓話的に感じられる。
「雨のなかの噴水」昭和38年 別れの言葉を言いたいために女の子と付き合った男。思いの外に可愛い話だった。
この本の最後に、三島自身の解説がある。三島は己の過敏なくらいな繊細さは、肉体改造で失われたと言っている。けど、これって、自己否定というか、自己催眠って言うか、自分で自分に思い込ませてるように感じた。繊細さを希釈するために、肉体の鎧を着たんだろうからさ。
三島の他の短編も読んでみる。再読の再読くらいのもあるだろうな。
0 notes
psalm80-lilies-iii · 2 years ago
Text
黒い×点/「本業」に立ち返る
「パブリシティのツール」としてツイッターに向き合った人たちは発信者の側にも受信者の側にもいなかった、それがツイッターのテクノロジーが「持ち腐れ」てしまった理由である。自分のパブリックな責任を見失った人たちに今回イーロンマスクから送られたのが、烙印と言うべき「黒い×点」である。
— ドイツ削り (@german_sharpner) July 25, 2023
ぼくの人生はパブリシティを必要としない。だからほんとうはツイッターも必要ではないのだ。ツイッターを「パブリシティのツールとしてではなく」利用するのはツイッターのテクノロジーに対する愚弄だとぼくは思うので、「それは許されない」と言われたらぼくは全く心外には思わない。
— ドイツ削り (@german_sharpner) July 25, 2023
この際ついったらの皆さんは「自分にとって必要なパブリシティとは何か」を改めて見つめ直されてはどうか。イージーさだけで肥え太ったツイッターが採算割れで自壊することを「何か思いがけないことが生じたかのように驚き怪しんではなりません。」
— ドイツ削り (@german_sharpner) July 25, 2023
ツイッターによるパブリシティは「実名性」(芸名やPNは実名扱い)「社会性」(社会通念上議論の余地のある分野は可)が必要条件、「即時性」「有用性」が十分条件だろう(企業やアーティストのアカウントは現にこれを満たすはず)。こういう建前が生きていれば広告政策も立てやすかったはずだ。
— ドイツ削り (@german_sharpner) July 28, 2023
現実のツイッターは実社会で相手にされないならず者の巣窟と化し「バカ発見器」「ついったらんど」と揶揄される始末だが、実社会で���よほどの勝ち組でなければ「相手にされない」目に遭わずには済まないので日本人の3人に1人は「ついったら」でおそらくそのほとんどはパブリシティ目的ではない。
— ドイツ削り (@german_sharpner) July 28, 2023
「バーチャル主人公気分」を味わう仮想空間としてのついったらんどに「社会的で即時的で有用なツイート」なんてないと思うし、そんなぼくも匿名だし社会性・即時性・有用性もこの程度なので烙印としての「黒い×点」はお似合いである。ビッグデータとしてのツイートの価値とかぼくは知らない。
— ドイツ削り (@german_sharpner) July 28, 2023
イーロン・マスクによってツイッターのトレードマークが青い鳥から見るからに烙印そのものの黒い×点に代えられたことを心外に思う人たちが続出したが、ぼくは昔から「ツイッターなんて賢い人のやることじゃない」という気持ちが強かったので、この機会に烙印としての「黒い×点」の意味を直視してみようと思った。ツイッターという場所から何ほどかのものを得てきた身としてこういう切り捨て方はひどいんじゃないのかと思う向きもあるかもしれないが、ぼくがもしツイッターという場所の意義を自分で信じていたなら、自分のアカウントを「フォローなしリプライなし」にはしなかったはずである。
*
この機会に改めて考える、「オレはなぜネットでものを書いているのか」と。
ぼくがネットでものを書くようになった最大の理由は「クリスチャンとして教会に居場所がなかったから」である。ネットが「実社会で相手にされない」人たちのたまり場だという構造はネットが一部の研究者から一般人に解放された当初からいまに至るまで変わらないとぼくは思うが、ぼくにとって、相手にしてもらえなかった「実社会」とはキリスト教会だったしそれはいまも変わらない。ぼくは実社会ではなんちゃってエンジニアだったりお掃除のおじさんだったりしたが、そういう立場からネットでものを書いたことは(あるにはあるが)ほとんどなかったし、マンガやアニメのレビュアーとしてもほどほどに読まれた経験はあるが、それもあくまで「余業」に過ぎない。
ぼくの「本業」はクリスチャンなのである。すでに失われてしまった未公開原稿「教派・教団を移るということ」に始まり、ココログ時代の「聖書の読み方・信じ方」「自由祈祷入門(初版-第3版)」「神の怒りとさばき」「断食体験記」、タンブラーの「はじめてのバルト」「原発とキリスト教」「3代目・聖書たん」、FC2ブログに転載してきた「カトリックの信仰」「近代日本でキリスト教が定着しなかった理由についての考察」「国民国家に教会共同体としての実態を見る」「自由祈祷入門(第4版)」「ロシアのための祈り」など、ぼくが主力を傾注してきた作品はみんなキリスト教関連である。
ぼくが教会で「相手にされなかった」理由はふたつある。ひとつは母教会でのパワハラや転籍先での左翼牧師たちに対する反発など教役者とうまく行かなかったという直接的な側面。だがもうひとつは、ペンテコステの母教会で森本あんり氏のいわゆる「反知性主義」に飽き足らずキリスト教をもっと伝統に根差した深い霊性の中で捉えたいという欲求(それはペンテコステが出発点だったからこその欲求だとも言える)や、転籍先で体験した教会の「左傾化」の持つ歴史的な必然とキリスト教会として左翼思想に侵食され続けることの問題とを自分の中できちんと総括したいという欲求などのいわば学究的な側面。ペンテコステで「反知性主義」を乗り越えたいと志すことと伝統的な教団で「左傾化」を乗り越えたいと志すことはどちらも既存の教役者の簡単ではない反発を惹き起こす。母教会で体験したパワハラはそういう問題とは直接の関係はなかったが、教役者ににらまれる信仰生活をあえてすることの困難さにぼくは入信後1年半で直面し、それがぼくの信仰生活を教会での交わりからネットという場所へと押し出したのである。
最初の頃、ぼくは「オレが正しくて間違っているのはあいつらなんだ」という、凡百のネット民と同じ心象に囚われていた。感情的な軋轢を自分の中で乗り越えられなかったのである。だがいろんな作品を書きながら自分のキリスト教観の限界に直面し、一方でいろんな本を読みながら「オレが知りたいと願ったことはほんとうは『学究的』というレベルではなく教会内でふつうに説教として聞かされてもいいレベルだったのだ」と思ったりして、まあとにかく自分がこうだと思う方法でキリスト教を学び直してみようじゃないか、と冷静になってきた。感情的な軋轢を自分の中で消化する(消化できる余裕を心の中に持つ)のに20年かかったということなのだが、落ち着いた時に気づいたのは、ほとんどの教会で教派・教団の伝統の枠内に閉じ込められている信徒教育に、結局オレは満足できなかったんだよな、ということである。「真に今日的なキリスト教信仰とはなにか」を考えるためには、今日的な目から見ればレガシーに過ぎない既存の教派・教団の枠組みを超える学びが必要だったのである。
*
ぼくはツイッターでクリスチャンとして振る舞ったことはほぼない(唯一の例外)。キリスト教が正しく、あるいは好意的に、理解される場所だと思ったことはないからだ。聖句を羅列したり教会暦を紹介したりするアカウント、あるいは特定の教会のカラーをアピールするアカウントはいくつか見かけたが、「真に今日的なキリスト教信仰とは」とか「既存の教派・教団はレガシーに過ぎない」とかいったカゲキな主張のアカウントは、少なくともぼくは見たことがない。ツイッターの情報は「使い捨て」であり、「使い捨て」できるものにはそれなりの「分かりやすさ」が必要なのだが、キリスト教にとっての「分かりやすさ」、すなわちレッテルとは教派・教団なのである(上智大学はカトリック、立教大学は聖公会、みたいな)。だが数世紀単位で古い存在である既存の教派・教団から「今日性」を引き出すのは至難の業であり、だからこそ20世紀のクリスチャンは20世紀における「今日性」の指標として左翼思想に飛びついたのである。「そのいずれも真に今日的とは言えない」というスタンスから「今日的な」キリスト教を鮮やかに語ってみせるアカウントをぼくは知らないが、そんな芸当はいまのぼくにだってもちろん不可能だ。
0 notes
toriik-blog1 · 2 years ago
Text
第3章 【その日を摘め】
Dyan:翼がなくても飛べる。じっとしていられない
Nexsa:翼がなくても飛べる。一人になれる場所がある
Sympan:翼がなくても飛べる。平和と友愛の世界を模索している。拳は硬い方。
声とはいうが、潜水艇のソナーに近い。
ダイアンは広範囲に発した声がぶつかった光りを感じた。あちらからもダイアンの声はよく見えているはずだ。
 その光に向かって再び跳ぶことが出来たたからダイアはラッキーだな、とグッと拳を握った。シンファンからネクサーの様子がおかしいがコンタクトが取れない、たどり着けないと聞かされて、もし石碑に引きこもっているのならさすがに干渉することができないし闇雲に彼のいるチャンネルを探すにも限界があると諦めるところだった。
 他人の不調にちょっと怖いくらいにすぐ気づくシンファンだけれど“秘密の場所”に跳ぶことがでずに困り果ててダイアンに相談を持ち掛けて、座標さえわかればどこへでも跳べるダイアンがネクサーの元へ跳んだ。
 これが結構手間なのだが、心優しく生真面目でけっこう気の短いシンファンの前でやる気のない素振りをするとたいてい痛い目にあう。苦しむ仲間を放っておくのかとビンタをされたり、負担を強いてすまないとエネルギーの過剰供給をされたり、ほかにもいろいろ。これは普段から余裕ぶってヘラヘラして余計な一言を言わないと気が済まないダイアンの性格のデメリットでもあるからシンファンを悪者にするわけにもいかないのだけれど。
 “秘密の場所”だなんてもったいつけているけれど、世界を作り出すテクスチャーの割れ目だとか並行宇宙の隙間だとか、そういうよくわからない温かな光の差しこむ場所でネクサーは繭のなかでしずかに眠っていた。その繭すらところどころ傷ついて赤黒く濁っていて、これはシンファンが放っておくわけがない、と苦笑した。
 「ネクス」
 と呼びかけても応えはない。みっともなく視線が震えて緊張を思い知る。きっと放っておいてもしばらくすれば元気になるのだろう。シンファンだって、ダイアンには治療とか治癒とかそういう能力がからっきしだと知っているから、なにもできなくても納得してくれるはずだ。ここは安全だし、見捨てるのとはワケがちがう。
いくつかのためらいのあと、ダイアンはこの場に残ることを決めた。軽薄で軽率で思いつたら即行動のダイアンに根気強く付き合ってものごとの理屈をひとつひとつ教えてくれた人の側にいたいとおもうのは当然じゃないか、そう思って。
ネクサーにとってのダイアンはたくさんいる手のかかる若者の一人に過ぎないと冷静な部分はいうのだけれど、それはネクサーの都合で、ダイアンは関係がない。ダイアンのなかではネクサーは温かな手で背中を撫で手を引いてくれる人だ。半端なことをすると蹴り飛ばしてやり直しだというし、最善の最良を探して疲労困憊してもまだもっと良い方法があるはずだと静かに問い詰めてくる。時には一番危ない場所に飛び込んで一番つらい役回りを引き受けて、どうあるべきかを、つよく、指していた。
ダイアンはそういう遠回しで寛大なふるまいはできそうにないけれど、そうありたいとあの背中を追いかけている。とおいむかしにいなくなった父は教えてくれなかったことだ。
落ち着かない心と退屈を紛らわせるようにダイアンは鼻歌をくちずさんであたりを散策した。こういう空間はよくわからない破材が漂着していて、それが案外使えたりする。
根気強く探し回ったダイアンは意気揚々とミドリの樹の枝を拾ってくると傘のように振り回しながらネクサーの側に戻ってきて、枝の先を丹念に研いだ。鋭い切っ先に満足すると、枝先で自分の胸元で蒼穹色の光を放つ炉を突き破り、枝が溶けてできた穴のふさがらないうちに両手を突っ込んで充分に広げて、とろとろと滴をこぼれる黄金の体内に利き手を突っ込んで、片手にすこし余る、うつくしい、東雲色のボールをとりだした。
粒子に還元するはずの体液は気化するよりも多く流れ落ちるせいでダイアンの腹をつたい足を汚し、飛び散る燐光はネクサーの眠る繭をしとどにぬらしてゆく。
 「俺っていい子じゃないからさ、やっちゃうんだよね。こういう無茶。
 いやぁ、痛みがないのはいいな、さすがの俺でもできねぇよ、てか、死んじまうし。あんたたちは、光があれば、光があるかぎり、何度だってやり直せるんだよな。トリニタスがそうだったもん。どんなに絶望的な状況だからって諦めなきゃ、戦ってたら、光はあるんだってさ。俺ひとりじゃこれっぽっちだけど、でも、ほら、さっきより明るいし?
 場所、シンファンに伝えたから、来るのは難しくても、助けてくれるだろ、あいつ、器用だし、こういうのも、慣れてるかもじゃん」
 くふくふ、と笑って拙くなる言葉にダイアンは薄れてゆく意識をはっきりと自覚した。
 「みてみろよ、あれ、ミラーボールみたい。白色、オンリーの。あれがね、俺をねここまで、連れてきたんだぜ。空、どんな飛行機より早くて、飛べる。人、泣いてる人、助けてきたんだ。暖かいだろ。あれが、俺。あぁ。クソ、眠い。かあさんは、星に、星なんだって。おおぐまの、あしを、きた、に。いつつ、のばした、ところ。こぐま、の、ひたい、の、うへ、かあさんの、星。とうさん、は、銀、銀色の龍…」
 ダイアンの開いた胸からこぼれる光は徐々に少なくなったが、それと同じ���けダイアンの身体も小さくなってとうとう元の背丈の膝くらいになってふらふらとネクサーの繭を抱きしめた。
「まつのは、なれている」
 ダイアンはすこし眠ることにした。
 
金色に輝く雨の街を泳ぐ、銀色のクジラを見て、ダイアンは最初、これは夢かとおもった。
ただ、寝る前にずいぶん気弱になってしまって、ネクサーに抱き付いたままだったことを思い出すと気恥ずかしくてたまらなかった。格好つけて助け出すつもりが、ネクサーの繭のなかに庇われてしまった。気をつかってもらわなくても大丈夫なようにわざわざ器を変えたのに、うたた寝なんてするからだ、と顔をおおってうなだれていても銀のクジラは降り注ぐ雨に全身を濡らし気持ちよさそうにしている。ダイアンはそのクジラにぴったりと寄り添っている小さなトンボらしかった。せめて、ハヤブサとかタカがよかったのだけれど力の大部分を分離させて、有機の肉体はこちらに持ち込めないとなるとこんなものだろう。並べるだけ、上出来。いややっぱりもっと強くてカッコイイやつがいいな。
「ネクサーはどうおもう」
ダイアンの問いかけにネクサーはなにも答えなかった。最初はクジラだと感じたけれどずいぶんと細長くてナマズとかハイギョにも見える。
「いい加減だな」
ネクサーは立ち並ぶ石造りの塔や神殿を避けながら降り注ぐ雨と柔らかな陽光に輝く街をひとしきりみてまわると、おおきな螺旋を描いてゆっくりと上昇して次の街に向かった。今度は、木と泥の建物が並んでいて、こちらにも雨は降り注いでいた。
しかもよくみてみれば、雨を受けた陽の光に照らされた部分だけが重厚なヴェールのような宵のとばりの平野から浮き上がっている。さっきの街も深い闇から雨と光の当たるところににょきにょきと生えていたのかもしれない。
夜と朝を同時に見ているような奇妙な光景だ。
 ネクサーは何軒かの民家と石塀の物々しい城跡のような場所をしばらくみたあと、また街全体を見回して螺旋を描いて浮上した。
3つめの街も同じように雨のなかぼんやりとした暗闇のなかに浮かび上がっている。街の造りもちょっと近代的になったけれどダイアンはあまり興味がわかず黙ってネクサーについて行った。静かにしていると、この廃墟のなかに微かに、人の気配を感じ取った。もう姿も失って、やさしい手触りだけをネクサーに託した誰かの気配だ。触れればほどけてしまいそうな彼らのふるびた彼らの存在を、ネクサーはたいせつに大切に慈しんでいる
0 notes
ari0921 · 4 years ago
Text
織田先生よりシェア
シェアさせていただきます。
━━━━━━━━━━━━━━━━━
背景に左翼勢力、横行する実子誘拐
━━━━━━━━━━━━━━━━━
        櫻井よしこ
これからお伝えするのは不条理な離婚のあり様と気の毒な父親の物語であ る。この悲劇を抉り出したのが、ノンフィクション『実子誘拐ビジネスの 闇』(池田良子 飛鳥新社)である。読めば、左翼陣営が如何に巧妙に日 本社会に浸透し、家族を崩壊に導きつつあるかが見てとれる。
卒田譲司氏(仮名)は2006年に結婚し翌年長女が誕生した。しかし夫婦は 不仲となり、10年5月、卒田氏が仕事で不在のとき、妻は長女を連れて家 を出た。
 
事情もわからない中での突然のことだった。卒田氏は娘に会わせてほしい と懇願し、同年7月、2歳半の娘に会えた。娘は「パパ、手を握ってて」と 言って強い力で必死に卒田氏の手をつかんだが、やがて迎えの車に押し込 まれた。泣き叫ぶ娘に卒田氏は「必ず迎えに行くからね」「もう少し待っ ててね」と約束した。
その後、同年9月末にもう一度会えたが、娘との面会はそれが最後となっ た。11年近くが過ぎ、娘は中学生になっているはずだ。
親権を巡る裁判で元妻は、卒田氏はDV夫で子供を連れて逃げたのはやむ を得なかったと主張し卒田氏は全く身に覚えがないと反論した。千葉家 裁松戸支部は、1、卒田氏のDVを認定しなかった、2、妻が娘を囲い込ん で育てることを認めなかった、3、両親による娘の共同養育を認めた。
これは離婚後も両親双方による養育を認める点において、日本で初めての 画期的判決だった。しかし東京高裁に移ったとき、大ドンデン返しが起き た。ごく普通の夫婦の離婚話なのに、元妻擁護に31人もの左翼系弁護団が 結成されたのだ。共同養育を認めた松戸判決に彼らが如何に動揺したかを 物語るものだ。結論をいえば、東京高裁も卒田氏のDVは認めなかった が、親権を元妻に与えてしまった。卒田氏が娘に会えない状態は今も続い ている。
愛し合って結婚して、子供まで授かった夫婦が離婚に至るとき、片親が子 供を連れて家を出るという話はよく聞く。この場合、子供と共に家を出て 行くのは、勿論父親の場合もあるが、圧倒的に母親が多い。
子供の海外への連れ去りは、ハーグ条約で禁止されており、連れ去り自 体、欧米諸国では刑事罰に問われる。両親は離婚後も協力して子供を見守 り育てることが求められている。
「フェミカン」
対照的に日本では母親が子供を連れて家を出るのは罪とはならず、父親が 子供に会いたくて、または子供の養育に関わりたくて、子供を連れ戻そう とすると、犯罪になる。日本では先に連れ去った方が勝ちであり、子供の 連れ去りが罪に問われない国は世界で日本くらいなものだ。
なぜこうなるのか。背景に松戸判決に驚いて大弁護団を結成した左翼系弁 護士らの暗躍がある。はすみとしこ氏編著の『実子誘拐』(ワニ・プラ ス)には、このあたりの事情が詳述されている。結婚問題で悩む妻は女性 相談所やカウンセラーを訪れる。彼女たちの悩みを聞き親切に相談に乗る のは「フェミカン」(フェミニスト・カウンセラー)と呼ばれる人々が多 いそうだ。相談窓口、フェミカン、そこから紹介される弁護士などは圧倒 的に左翼系が多く、妻��、あなたが受けているのは実はDVなのですよな どと教唆するという。
「そこに引っかかった場合は、100%離婚を勧められる」と、はすみ氏は 書いているが、離婚の具体的行動の第一歩が子供を連れて家を出ることな のだ。
私は6月25日、この「実子誘拐ビジネス」問題をネット配信の「言論テレ ビ」で取り上げ、「正論」編集長・田北真樹子氏と、子供連れ去り事件を 手掛ける弁護士の上野晃氏と共に語り合った。その結果、確信したのは、 日本においては家族のあり方まで「赤い勢力」の深謀遠慮によって蝕まれ つつある、知らず知らずの内に日本社会の深部まで左翼思想が浸透してい るということだった。
左翼陣営が、世界の潮流とは正反対に子供の連れ去りへと誘導する理由は 大別して二つだと、上野氏は語る。第一はカネである。離婚を成立させれ ばそこには慰謝料や教育費、養育費などさまざまな名目の金銭が関わって くる。条件は個々のケースで異なるだろうが、多種多様な名目の金銭の、 10%から30%が手数料として弁護士に入る
現在日本では、結婚する人の3人に1人が離婚する。上野氏はその内、子供 連れ去りに関わる案件は年間15万件から16万件と推測する。この人々が左 翼系弁護士らにとっての大事な客となり収入源ともなる。
弁護士らは妻と子供を守るためと称して活発に動く。まず全ての手続きを 引き受け、妻が夫と直接会わなくてよい状況を作る。生活費や養育費も弁 護士がきちんと処理する。「DV夫」と直接会う必要はないようにして妻 側を全面的に守るという姿勢だ。見返りに全ての種類の支払いの一定割合 を懐に入れるのだ。
「第2のクレサラ特需」
こうした仕組みの大前提は夫婦が離婚すること、離婚後の夫婦は互いに会 うことなく、あくまでも弁護士が間に入ることである。それによって弁護 士は確実に手数料をとれる。松戸判決のように、夫婦が共同養育をする場 合、弁護士の介在は不必要となり弁護士の収入源も断たれる。31人もの大 弁護団結成の背景に、収入源を奪われてなるものかという動機があったの ではないだろうか。
弁護士の世界ではこの実子連れ去り離婚からもたらされる利潤は「第二の クレサラ特需」と呼ばれているそうだ。クレジット会社とサラ金業者への 借金返済問題で、過払い利息返還請求が起きた。返還額は大手4社で1.4兆 円にも上り、弁護士らに特需をもたらした。それと似たような「ビジネ ス」になっているのが、「DV夫とされてしまった夫」から子供と一緒に 逃げる「子供連れ去り」事件の数々だというのである。
もうひとつの理由は左翼弁護士らの価値観の実現だと、上野氏は語る。
「家族に対する彼らの考え方は、一言で言えば家族の否定です。彼らは家 族を壊したいと考えている人たちだと、私は認識しています」
上野氏が断定調で語るのは、氏が卒田さんの弁護を引き受け、千葉家裁松 戸支部で約5年にわたる長い裁判を闘った体験ゆえであろう。
氏は言論テレビでざっと以下のように説明した。卒田氏の元妻側について いる左翼勢力の考え方を凝縮すると、共同体としての家族は子供にとって 必ずしもよいものではない、子供は個人として尊重されるべきであり、家 族から解放されるべきだ│となるという。
日本だけでなく、どこの国でもおよそ通用しない考え方だろう。マルクス 主義社会ではあるまいし、家族は日本社会の基盤だ。左翼的考え方で毎年 多くの親たちが子供と生き別れの悲劇に突き落とされている。この事態を 見逃し続けてはならない。
Tumblr media
11 notes · View notes
xf-2 · 4 years ago
Link
「イージス・システム搭載艦」の運用構想をめぐる一考察
衆議院議員 長島昭久
 2020年6月、防衛省は、突如イージス・アショア配備計画の断念を発表した。その後、政府与党間で紆余曲折の政策調整を経て、12月18日、イージス・アショアに代わり「イージス・システム搭載艦」を2隻建造することが閣議決定された。陸上イージス・システム2基を配備する計画が洋上のイージス・システム搭載艦2隻建造へと転換されることにより、我が国の「総合ミサイル防空」にどのような影響を与えるのか、また、イージス・システム搭載艦とはいかなる「艦艇」であるのか、さらに、その運用構想はどのようなものであるべきか、以下、若干の考察を加えてみたい。
1  我が国を取り巻くミサイル脅威とイージス・アショアの導入
(1) 「総合ミサイル防空」の対象
 我が国の今後の「総合ミサイル防空」の在り方について考える際、2つのディメンションがあることを念頭に置く必要がある。
①北朝鮮からのミサイル防衛
②A2/AD(接近拒否・領域拒否)環境下におけるミサイル防衛(主に中国からの多様なミサイル脅威を念頭)
 ①への対応は、実験や訓練発射への備えを含め、平時から、24時間・365日の常続的な対応が求められる。ただし、北朝鮮のミサイルの種類は、多様になってきているものの、発射弾数は限定的(※)であり、ミサイル以外の脅威(航空機や水上艦、潜水艦など)はほとんど考えられない。
※  北朝鮮は、金正恩体制になってから(2012~)、日本海方面等に向けてこれまでに累計88発の弾道ミサイルを発射したとされるが[1]、ちな��に中国は、一般報道その他によれば、2019年1年間だけで100発超の各種ミサイルの発射実験、訓練を実施している(ただし、主に内陸部)[2]。
 ②への対応が必要となるの���、主に有事。つまり、事態が生起してからで、九州から南西諸島における自衛隊部隊や米軍基地等を目標とした攻撃への対処が主体ということになろう。こちらは、ミサイル以外の脅威も含め、質・量ともにかなり深刻な脅威に直面することになるだろう。
(2)  イージス・アショア導入の目的と意義
ア.我が国のBMD態勢とイージス艦の運用
 言うまでもなく、イージス・アショア(AA)は、「北朝鮮の弾道ミサイル」に対するBMDシステムとして構想されたものであるが、その結果として、A2/AD環境下におけるイージス艦運用等の柔軟性を期待するものでもあった。
 すなわち、AA配備構想の背景には、3つの必要性があったと考えられる。
北朝鮮による弾道ミサイル攻撃から、我が国を24時間・365日、常続的に防護し得る態勢を構築する必要、
それによって、海上自衛隊のイージス艦を日本海における「BMDパトロール任務」からリリースし、南西方面等への展開を含めた運用の柔軟性、艦隊防空のような、「本来任務への対応」を確保する必要、
南西方面の脅威の高まりとともに「新しい戦い方」への対応を迫られる海上自衛隊全体の訓練機会の確保や人的負担の軽減の必要、などである。
イ.米海軍イージス艦のジレンマと日米協力の必要性
 これらの点に関しては、実は米海軍も海上自衛隊と同様、日本近海においてBMDパトロール任務に就いていたことから、全く同じ状況にあった。その苦悩を端的に表したのが、2018年6月に行われた米海軍作戦本部長リチャードソン提督(当時)の講演における次の発言だ。(※)
①  イージス艦が特定の海域においてBMDパトロールを実施しなければならないことが、「シーコントロール」等、本来の海軍としての洋上任務を圧迫している。多機能で洗練されたイージス艦を他の任務に回すために、日本周辺や欧州におけるBMDパトロールをやめ、その役割をAA等のような陸上のアセット(Land-based BMD system)に移管したい。
②  BMDパトロール任務は、日本に展開する7艦隊の即応態勢をどんどん疲弊させ、また、艦隊の訓練時間は削られ、その結果、駆逐艦フィッツジェラルドの衝突事故(2017/6/17=乗組員7名が殉職)、その2か月後の駆逐艦ジョン・S・マケインの衝突事故(2017/8/21=乗組員10名が殉職)の要因となった。
※ 「海軍イージス艦によるBMD計画の背景と課題」(米国連邦議会報告, 2021年2月改訂)[3]
 
 つまり、我が国の「総合ミサイル防空」を考える際には、日米同盟におけるRMC協力(Roles, Missions, Capabilities sharing)の視点も忘れてはならない。これは、冒頭に挙げた、二つのディメンションのいずれにおいても重要となるポイントといえる。
 以上概観したように、AAの導入計画は、①の北朝鮮の弾道ミサイル対処態勢を常続的に確立するとともに、従来、日本海等におけるBMDパトロールのために拘束せざるを得なかった海自および米海軍「虎の子のイージス艦」を、南西方面への展開を含め艦隊防護(防空、対潜任務等)その他の本来任務のために振り回し可能とすることを基本構想の一つとしたものでもある。
ウ. 厳しさを増すA2/AD環境下での海上作戦の様相
 ちなみに、「イージス艦」は、そもそも1970年代にソ連の強大な対艦攻撃能力から米空母部隊を防護するため、特に対艦ミサイルによる飽和攻撃に対する同時対処能力の拡大を目的として開発されたものだ。
 まさしく、今日、中国の多様な対艦弾道/巡航ミサイル攻撃能力が、当時のソ連を遥かに凌ぐような脅威となっているのである。
 実際、現在の中国と日米の軍事バランスを考えた場合、事態生起の初期段階において予期される、第一列島線の内側(東シナ海)の制海権の状況は、1996年に米国が2個空母打撃群を派遣して台湾海峡危機の拡大を抑止した頃とは一変しており(※)、今や様々な努力を払わなければ獲得できないレベルになっている。
※   1996年台湾海峡危機の屈辱以来、PLAの計画立案者は、米空母を主たる脅威とみなし、米空母打撃群を打破する方策を研究してきた。
 その結果、仮に中国軍が米軍と衝突した場合、中国は、米軍の空母打撃群およびイージス艦による防御ラインに対し、中国本土および航空機、艦艇、潜水艦など多方向から大量の対艦弾道・巡航ミサイル等による飽和攻撃を浴びせてくることが想定される。[4]
 このような「南西方面有事」を想定すれば、我が国としても、海上作戦部隊の防護や日米共同作戦のために8隻のイージス艦の相当数をこの戦域に投入できる態勢を構築せねばならないことになる。しかし、そのような中国の脅威の増大の一方で、多機能で高性能、高い機動力を持った日米のイージス艦が、平素からの事態に備え、日本海等において「BMDパトロール」に常時従事しなければならない状況は、運用上の合理性からも、また、訓練や人的な負担からも受容できない状況となっている。
2.イージス・アショア配備計画中止後の議論
(1) 「イージス・システム搭載艦」の閣議決定へ
 このような厳しい戦略環境が全く変わっていないにもかかわらず、昨年、AAの配備計画は中止されることとなった。(その経緯については、本題とは逸れるのでここでは詳述しない。)
 そして、政府および自民党内における様々な議論を経て、昨年12月18日に閣議において、次のような決定を見たのである。
「①陸上配備型AAに替えて、イージス・システム搭載艦2隻を整備する。
②同艦は海上自衛隊が保持する。
③同艦に付加する機能及び設計上の工夫等を含む詳細については、引き続き検討を実施し、必要な措置を講ずる。」
 最後のところが微妙な言い回しになっているが、現時点で最大限言えることは、①北朝鮮の弾道ミサイルに対応するために必要なイージス・システムは、陸に置くことを諦めて海に出す。②それを「イージス・システム搭載艦」と呼ぶ。しかし、③その艦艇の設計や機能は、今後策定される運用構想に基づいて検討される。つまり、現時点で「イージス・システム搭載艦」がどういう代物になるかは確定していない。ここが今後、議論となるポイントだと思われる。
(2)「イージス・システム搭載艦」=「イージス艦」なのか
 ところで、私自身も含め、自民党内の議論では、「2隻の『イージス護衛艦』を新造する案」がほぼ大勢を占めた。それは、一見すると2隻分の「プラス作用」があると思われたからだ。もちろん、それは、南西方面の脅威の深刻さについての認識を共有していたからに他ならない。 
 しかし、『軍事研究』(2021年3月号)所収の池田徳宏提督論文[5]に詳述されているように、実際の運用(定期修理・検査等の「非稼働期間」や、補給・休養のための停泊、必要な訓練や行動海域への往復などの運用サイクル等を含む)を考えれば、イージス護衛艦の現有8隻に加え2隻を新造することが、ただちに8⇒10隻で2割アップの戦力発揮(作戦海域での行動)につながるわけではないのである。
 すなわち、AA計画を断念する代わりに、相変わらずイージス艦2隻を日本海におけるBMDパトロール任務に張り付ける必要があるとすれば、南西方面で本来任務に就けるのは、2隻を新造したとしても艦艇の修理検査・運用サイクル全体を考慮すれば、現状からわずか0.75隻程度増えるにとどまるということになるという。(しかも、米海軍イージス艦の一定数も、日本周辺等での「BMDパトロール」への拘束が続き、その他の任務への運用の柔軟性にもつながらない。(前述のリチャードソン提督によれば、全部で6隻が現に洋上でのBMD任務に就いている。))(※)
※   加えて、池田論文でも指摘されているように、新たなイージス護衛艦を運用するために確保すべき最低600名の人員確保のための方策について、自民党国防部会・安全保障調査会合同会議に対して防衛省から説明された検討施策(海上自衛官の募集の強化、艦隊勤務の魅力向上、勤務環境の改善、女性自衛官の活躍推進、処遇の改善、定年延長、再任用の拡大など、要員確保策を総合的に強化する等)は、どれも即効性のある具体的な解決策としては疑問であり、典型的な「画餅」に過ぎぬものであったことは甚だ遺憾である。
 ちなみに、海自関係者によれば、AA配備を前提(「BMDパトロール」からはリリース)としてイージス護衛艦8隻を運用する場合、南西方面等の本来任務に最大3-4隻振り向けることができたはず(+さらに、米海軍イージス艦も増派が可能)だったという。
 つまり、今に至るも「『イージス・システム搭載艦』2隻建造」の意味するところをフルスペックの『イージス護衛艦』2隻���と誤解している政治家や国民はたくさんいると思うが、必ずしもそうではないということだ。この点は、敢えて確認しておきたい。昨年12月の閣議決定の複雑な言い回しが、その事実を如実に物語っているといえよう。
2.「イージス・システム搭載艦」の運用構想
(1) 基本的な考え方
 結論からいえば、イージス・システム搭載艦は、その「運用構想」次第で様々なヴァリエーションが考えられるということだ。
 では、「イージス・システム搭載艦」の運用構想はどうあるべきか。
 忘れてはならないことは、AAの代替がイージス・システム搭載艦となったとしても、AA導入の目的、意義は、基本的に変わってはいないということである。つまり、「イージス・システム搭載艦」の主任務は、まず、AAが担うはずであった、平時からの24時間365日常続的な北朝鮮弾道ミサイル対処能力(ただし、近年の弾道ミサイルの飛翔経路の多様化や所謂「変則軌道ミサイル」等に加え、各種巡航ミサイルへの対処能力を確保することが必要)の代替にある。それによって、8隻のイージス護衛艦をBMDパトロール任務から解放し、本来任務に振り向け、海上自衛隊全体の運用の柔軟性を確保するとともに、訓練機会の確保や人員の負担の軽減を図ることに他ならない。したがって、イージス・システム搭載艦は、先ずは、そのような目的に資するような設計や配置を目指すべきである。
(2)「イージス・システム搭載艦」のイメージ
 以下、私が考えるイージス・システム搭載艦のイメージを列挙しておく。
洋上に出たとしても、できる限り陸上のAAと同様の常時持続性を追求する。言い換えれば、できる限り長期にわたり洋上にとどまる能力(滞洋性)を持たせることが肝要だ。
したがって、推進システムは、可能な限り長期間無補給でイージスシステム搭載艦を稼働させられることが望ましい(主任務はBMDパトロールだから、速度は要求されないし、仮に南西方面での運用が必要とされる場合でも、その展開移動のためだけに高速力を確保しておく必要性はないであろう)。
省人化、無人化、自動化を徹底するとともに、「クルー制」によって、洋上でBMDパトロールを継続しつつ、ヘリなどでクルーを入れ替える。運航等については海上自衛官が行うとしても、イージスシステムのオペレーターは(30大綱別表に明記されているように)陸上自衛官で行い、統合運用とする。
配備位置については、まず、AA導入計画時に検討されたとおり、陸上沿岸部2か所のAA(SM-3 BlockⅡA搭載を前提)でも日本全域の防護が可能なことから、同様に「イージス・システム搭載艦」も、洋上沖合に進出させることを必須としない。
 また、平時の警戒監視や自隊警備、並びに人員の交代や補給活動等が容易で、かつ事態生起時の制海、制空権のカバーに有利な、陸地に近い沿岸海域が運用上も滞洋性の観点からも最適となる。 
(仮に、情勢により南西方面におけるミサイル防衛(有事が前��)に従事する場合にも、昨今の脅威認識からすれば、どのような形態の艦であれ、単艦で東シナ海前方に展開することは合理的ではない。)
したがって、平時においては、常続的なミサイル警戒を主たる任務とするとともに、事態生起時においても、航空機、水上艦、潜水艦等からの直接脅威の低い海域で活動することを前提とするならば、イージス・システム搭載艦には最低限の防御機能(たとえば、近接対空防御、対水上テロ攻撃防御等。自艦へのミサイル攻撃に対しては、固有機能で対処)の装備にとどめるに足るのではないか。
4.今後の検討課題
 最後に、今後、検討していかなければならない課題について、いくつか付言しておきたい。
(1) 極超音速滑空弾のような新たな脅威への対処
 近年、その存在が取りざたされている極超音速滑空弾等については、まだ米国も含め研究開発途上にある。小型衛星のコンステレーションや無人機などによる探知、追尾、エネルギー志向型兵器による捕捉、撃墜等が考えられるが、我が国も、セキュリティ・クリアランスの問題などを早急にクリアして早期の段階から米欧との共同研究開発に参画し、急速に高性能化する脅威に対処できるようにしていかなければならない。
 なお、「イージス・システム搭載艦」についても、就役から除籍まで40年程度運用することが想定されるので、このような将来的なミサイル防衛機能についても対応できるような拡張性(スペースや電力供給等)は考慮しておく必要がある。
(2) 中国のA2/AD環境下における海上作戦
ア.「新たな戦い方」 “DMO; Distributed Maritime Operation”
 これについては、「イージス・システム搭載艦」の在り方よりも幅広い議論となるが、海上作戦全体の中での位置づけを考える上でも関連する課題になるので、言及しておきたい。
 現下の厳しいA2/AD環境下で、弾道・巡航ミサイルの飽和攻撃に対処しつつ海上作戦を遂行するためには、新たな装備体系の開発とともに、大きく変わりつつある兵力バランスの中での「戦い方」についても見直していかなければならない。その点で、米海軍において、「新しい戦い方」として導出された、“DMO”(兵力分散型海上作戦)を参考とする必要があろう。 すなわち、小型水上戦闘艦艇(新たなミサイルフリゲート艦(FFG)等)や大型無人水上艦艇(LUSV)等 、様々な水上艦艇に長射程の対空・対艦ミサイル等の攻撃力を持たせて分散配備するとともに、それらを高度なネットワークで連接することで、分散していながらも一体化した攻撃力を発揮し、相手の情勢判断、意思決定を複雑化するとともに、数的優位に立つ相手に対して制海権の獲得・維持を図る作戦、戦術だ。
 日本の海上自衛隊で今後その役割の一翼を期待されるのが、現在、急ぎ配備に向け建造中の30FFMであろう。これまでに、1番艦「もがみ」、2番艦「くまの」が命名・進水式を終え、当面、年2隻ずつの急速調達が31中期防で計画されている。
 また、現在、我が国では、攻撃兵器搭載アセットとしての無人艦艇(USV)開発は具体化していないが、米国では既に無人水上艦(Unmanned)や「選択式有人/無人艦」(Optionally Manned; 平時は少人数で各種任務を遂行し、有事やハイリスク場面では無人運用する小型艦艇)[6]が、試作、自律航行試験段階となっており、それらの状況についても、立ち遅れることのないように注視していく必要がある。
イ.長距離ミサイルの開発、配備
 しかし、南西方面の現状は、それでもまだ足りないほど深刻だ。そこで、米海軍では、インド太平洋軍が、第一列島線への陸上発射型の長距離ミサイル配備を含めた270億ドル(2022-27年)の予算要求を議会に提出した。[7]
 同様に、我が国も更なる攻撃力の拡充が喫緊の課題だ。
 この点、昨年12月18日の閣議決定では、イージス・システム搭載艦の導入と共に、「新たなスタンド・オフ・ミサイルを国内開発し、抑止力を強化する」方針を確認した。
 すでに、航空自衛隊は、平成30年度予算で、射程500キロのJSM(Joint Strike Missile)の導入を開始するとともに、31中期防において、射程900キロのJASSM(Joint Air to Surface Stand-off Missile)、射程800キロのLRASM(Long Range Anti-Ship Missile)の整備を進めていくこととしているが、ここに今回の閣議決定で、スタンド・オフ防衛能力の強化のための国産ミサイル開発が加わることになったのである。
 防衛省によれば、国産開発中の12式地対艦誘導弾(改)をさらに長射程化し、スタンド・オフ・ミサイルとして開発できる見通しが立ったという。しかも、このようにスタンド・オフ化されたミサイルは、閣議決定においても、「様々なプラットフォームからの運用を前提とした 能力向上型の開発」とされており、艦艇および航空機にも搭載しファミリー化する構想である。
 これらを艦艇用として実用化し、JASSM並みの長射程が実現できれば、CSBA(Center for Strategic and Budgetary Assessments; 米国戦略予算評価センター)のトシ・ヨシハラがその論文[8]中において懸念した中国海軍に対する海自艦隊部隊の能力的なギャップ、特に長距離対艦ミサイル能力の空白を埋めることが期待され、中国海軍に対する劣勢を挽回する切り札の一つとなるのではないか。
(3)「打撃力」の保有について
 我が国の「総合ミサイル防空」体制を検討するにあたって2つのディメンションで考えなければならないことは、本稿冒頭で述べたとおりである。
 まず、北朝鮮からのミサイル防衛について、平時からの「イージス・システム搭載艦」による(極力、常続的に近い)ミサイル防衛態勢を確立することによって、南西方面への日米イージス艦の兵力展開を確保することを提唱した。しかしながら、それでも、有事にA2/AD環境下における「制海権」を獲得・維持するとともに、南西方面でのミサイル防衛態勢を確立することは、容易ではないことは、数々の研究者も指摘しているところである。
 このことは、北朝鮮からのミサイル防衛とA2/AD環境下におけるミサイル防衛が、単なる「2方向対処」という性格のものではなく、「2つのディメンション(特質、様相)の差異」であることを如実に物語っている。特にA2/AD環境下におけるミサイル防衛に関しては、質・量ともに急速に増大していく中国の弾道・巡航「ミサイル脅威」が、我が国の「ミサイル迎撃能力」を超える場合、それ自体が「抑止力」とはならない。したがって、それを補完する「抑止力」としての「打撃力」(自衛反撃能力)(※)を持つことについての議論から目を背けることはできない。
※   現に、我が国がミサイル攻撃を受けた場合、国際法並びに我が国の憲法解釈(専守防衛の考え方等)の範囲内において自衛的に反撃する能力とその意思を持つことによる「拒否的抑止力」。所謂「防衛的先制攻撃」で��ないことは、誤解のないようにしておきたい。
 またそれは、我が国単独の問題ではなく、米国との情勢認識の共有のもと、日米RMC協力の中で、「打撃力」による抑止力の在り方についても真剣に考える必要がある。
 そして、日米は、従来の「盾」と「矛」の分担にとどまらず、「盾と矛」の双方を適正に補完するという新たな次元に進むことを検討することになるかもしれない。それは、決して米国による「拡大抑止」の信頼性が揺らいでいるということではく、むしろ、「自由で開かれたインド太平洋」の達成のために、我が国が能動的・主体的にどのような役割(たとえば、これまでの受け身の姿勢から能動的な“Security Provider”となる等)を果たすべきかという、その安全保障戦略をもう一度問い直す時期に来ているということであろう。[9]
 過去、日米防衛ガイドラインは、両国を取り巻く安全保障環境の変化に応じて、日米防衛協力の在り方を再定義してきた。[10]今後の更なる情勢変化の中、抑止力としての「盾と矛」の補完関係のあり方を見直すのであれば、日米防衛ガイドラインにおける再定義に取り組んでいく必要もあると考える。
 CSBAのトシ・ヨシハラが警告するまでもなく、我が国を取り巻く情勢は「待ったなし」の情勢にあるのだ。
2 notes · View notes
kadookanobuhiko · 5 years ago
Text
貧困なる精神 ハーバード大教授の珍学説 Ⅹ
 部落解放同盟は、政府をゆすり、部落に対する特定の支出を引き出すため、暴力による脅しを使うことに捧げた組織であったーー。そう断言するマーク・ラムザイヤーは、これまで述べてきた部落史と解放運動を次のようにまとめている。
<この議論をする過程で、ふたつのポイントを心に留めておいてほしい。ひとつは先述したように、部落民は穢れた前近代のギルド(職能集団)ではないということだ。そうではなく、彼らは単に非公式に特定されたグループの血統に過ぎない。その集団は、主に内海(inlnad sea)に接した地域に限定された貧農だった>
 部落民が穢れとは関係がない貧農だったという説は、ラムザイヤーが繰り返し述べている。それゆえ部落民は、あらたに設定したフィクショナルな立場だというのが彼の自論だ。
 その帰納法的な論理には驚くほかないが、部落が主に内海に接した貧農だったというのは新説である。
 要するに、瀬戸内海を囲んだ西日本に部落が多いということを言いたいのだろうが、言葉足らずなため、説得力がまったくない。ちなみに部落民=貧農を唱える歴史学者は、日本にはひとりもいない。
<戦後間もなくの時期、もし多くの日本人が、部落民との結婚や雇用を避けたとして、その回避の理由は著しく複数の要因(massively over-determined)がからんでいる。もしなんらかの人種差別が合理的ならば、それは部落差別においても合理的である。部落に暴力犯罪や違法行為、犯罪組織がうごめいているとすれば、なぜ一部の日本人が部落民と結婚したり雇用したりしたがらないかを理解するには、穢れ概念に対する注視はほとんど必要ない>
 部落差別があるのは、部落民が穢れているからではなく、暴力的だからだと言明している。
 ラムザイヤーがこれまで多くの資料の中から、部落の暴力性に関する記述だけを漁ってきた理由がよくわかる。その学説には1ミリも首肯できないけれど。
 そもそも差別に合理性があるのだろうか? このような内容の学術論文が公表されていることにあらためて驚く。
  ※  ※  ※
 続けて部落に対する同和対策事業の問題点を追及し、私の著作が引用されている。
<ふたつめは、建設事業は腐敗の大いなる機会を与えてきたといういうことである。1980年代までに、その機会は派手に明らかになった。
 ”現役あるいはかつて組員だった同盟員は珍しくない”
 部落出身のジャーナリストの角岡伸彦は、『ピストルと荊冠 <被差別>と<暴力>で大阪を背負った男・小西邦彦』(講談社、2012年)の中でそう書いている。
 ”ある者は差別への怒りから、またある者は同対事業でひと儲けすることを企んで荊冠旗の下、戦列に加わった。いずれにしても歴史ある反差別団体に、現役あるいは元ヤクザが重要な役割を果たしていた時期があった”>
 拙著『ピストルと荊冠』は、暴力団に所属しながら長らく部落解放同盟の支部長を務め、同和対策事業に関連する犯罪(飛鳥会事件)で逮捕された人物を描いた作品である。
 舞台は大阪市だが、同対事業が暴力団と関係したり腐敗を生んだりしたのは、あくまでも一部の府県で起こった現象である。一部をあたかも全体であるかのように引用されたのでは、執筆者としてたまったものではない。
 改良住宅に代表される同和対策における建設事業の中で、土地ころがしなどの不祥事が摘発されたのは事実である。だからといって<建設事業は腐敗の大いなる機会を与えてきた>と言い切ってしまうと、では同和対策は必要なかったのかという”そもそも論”にもなる。同対事業を必要とした歴史や背景を抜きにした記述は、いかにもうすっぺらい。
 2017年にラムザイヤーが発表した『Outcaste  Politics and  Organized Crime in Japan : The Effect of  Terminating  Ethnic Subsidies』(Eric B. Rasmusenとの共著、2017年)では、より詳しく同和対策事業に関する不祥事が記載されている。私が書いた部落問題の複数の著書から17箇所も引用、参照しているが、そのすべてが、部落解放運動の問題点を指摘した箇所である。
    私は部落解放運動や同和対策事業には問題があったと考えている。繰り返すが、そのことと解放運動や同対事業の存在意義は別である。私は拙著で差別や貧困の実態を書いているが、ラムザイヤーはそれらをすっ飛ばして、運動や事業の瑕疵だけをあげつらっている。
 運動団体の問題点を指摘する論調はこれまでにもあったが、初めから利権目的で部落民という立場をでっちあげ、脅しと暴力で補助金をふんだくったと書いているのは、ラムザイヤーだけだ。
  ※  ※  ※
 部落解放運動の”暴力の系譜”はまだまだ続く。1951年に起きたオールロマンス事件。雑誌『オールロマンス』に京都市の臨時職員が『特殊部落』を発表した。部落解放同盟の前身の地方組織である部落解放京都府委員会は<部落をヤミと犯罪と暴力の巣窟にしあげて売り物にしている>と指摘し、抗議に立ち上がった。
 わざわざ抗議内容を紹介したのは、その文言がラムザイヤーの論文にも丸ごとあてはまるからである。
 部落解放京都府委は、執筆者だけではなく、劣悪な環境���放置してきたとして京都市も追及した。行政闘争の先頭に立ったのは、水平運動の闘士・朝田善之助である。ラムザイヤーは皮肉をこめて、次のように記している。
<朝田にとってその(小説の)ストーリーは、水平社がでっちあげた(invented)アイデンティティ・ポリティクスを現金化する(monetize)チャンスを提供した>
 以後、京都をはじめ全国の自治体の部落関係予算が計上される。例によってラムザイヤーは、当時の京都や全国の部落がどのような状態であったかについては、まったく関心がない。
 問題の小説は、あくまでも行政闘争の幕開けとなるきっかけであって、仮にこの作品が発表されていなくても、部落の劣悪な環境は、いずれは問題になったであろう。
 ものごとを一面的にしか見ることができない研究者にとっては、興味の対象外だろうが。
 それにしても<でっちあげ><現金化>とは、いかにも品が無い表現ではある。研究者の品格も問われよう。
  ※  ※  ※
 暴力、運動、利権をテーマにするラムザイヤーが、次にスポットライトをあてたのは狭山事件である。
 1963年に埼玉県狭山市で女子高校生が行方不明になり、身代金を要求する脅迫状が送られた。警察は犯人を取り逃がし、遺体が発見される。焦った警察は、付近の被差別部落に住む石川一雄を逮捕した。石川は犯行を認め、翌年に死刑判決が出た。
 控訴審では石川は一転して警察によって自白を強要されたとして争ったが、74年に東京高裁は無期懲役判決を下し、77年に確定した。石川は94年に仮出獄するも、事件発生以来60年近くが経つが、現在も再審を求めて闘っている。
 ラムザイヤーは事件の経緯を述べた上で、次のように明記している。
<脅迫状における筆跡と読み書きができないことや、石川の他の文章は、彼が少なくとも強姦・殺害した一味の一員であるというわずかな疑いを残した>
 脅迫状の筆跡や非識字の状態にあったことこそが、冤罪を裏付ける物証であるにもかかわらず、ラムザイヤーは石川が犯行グループの一員であったことを示唆している。彼が引用し、参考文献に挙げている『裁判員時代にみる狭山事件』(菅野良司、現代人文社、2009年)は、冤罪説に立った書籍である。
 今日では狭山事件は冤罪事件として知られており、石川犯行説を唱える有識者はほとんどいない。だが、部落と暴力を追い続けてきたラムザイヤーにとって、是が非でも石川を犯人にしたいのだろうが、事件・裁判資料の何をどう読んだら<石川≒犯行グループの一員>と書けるのだろうか。弁護士資格を持つハーバード大教授の見識を疑う。
   ※  ※  ※
 ラムザイヤーは、石川が犯行グループの一員であるとを匂わせたあと、次のように続ける。
<証拠が有罪であることを示唆しているように見えるが、部落解放同盟は石川はとにかく無罪であると宣言し、国民運動を呼びかけた。1960年代には新左翼のトロツキストと連携(ally)し、部落の指導者はできるだけ暴力による脅しに信頼性があるように見せようとした>
 部落解放同盟は1971年、狭山公判闘争を同盟主導で闘うことを新左翼諸派に宣言し、自派の勢力拡大のために利用しない、ゲバ棒、ヘルメットは着用しないことを確約させた(『戦後部落解放論争史 第五巻』99頁、師岡佑行、柘植書房、85年)。裁判闘争への参加は拒否しないが、大衆の支持を得られない暴力路線とは一線を画したわけである。
 ところがラムザイヤーは、部落民と部落解放同盟の暴力性を強調せんがために、同盟が許容しなかった暴力・暴走行為を列挙する。
<1969年には、デモの参加者が火炎瓶を浦和地裁に投げ、建物を占拠した。1974年には、石川を支持する11万人の強力な暴徒が組織され、東京高裁に侵入し、職員を鉄パイプで襲撃し、高裁長官の自宅を爆破しようとした。1976年には、車で移動中の最高裁判事をバットで襲撃し、1977年には最高裁判事の自宅に火炎瓶を投げようとした。1979年には法務省庁舎に同様の行動をおこそうとした。1990年には石川に死刑判決を下した地裁の判事の自宅に火炎瓶を投げつけた。1995年には最高裁判事の自宅をついに全焼させた>
 ゲバ棒、ヘルメットどころの話ではないではないか。69年の浦和地裁の占拠や以後の裁判官への襲撃は、明らかに新左翼による犯行である。74年の11万人の動員は解放同盟によるもので、<強力な暴徒>ではない。また、高裁長官室の占拠(自宅の爆破ではない)は、やはり新左翼の犯行だ。
 新左翼の過激な行動と大衆運動をごちゃまぜにして、部落と運動団体の暴力性を際立たせるハーバード大教授の凶暴性は、いったいどこから来るのだろうか。<2020・11・30>
2 notes · View notes
2ttf · 13 years ago
Text
iFontMaker - Supported Glyphs
Latin//Alphabet// ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZabcdefghijklmnopqrstuvwxyz0123456789 !"“”#$%&'‘’()*+,-./:;<=>?@[\]^_`{|}~ Latin//Accent// ¡¢£€¤¥¦§¨©ª«¬®¯°±²³´µ¶·¸¹º»¼½¾¿ÀÁÂÃÄÅÆÇÈÉÊËÌÍÎÏÐÑÒÓÔÕÖרÙÚÛÜÝÞßàáâãäåæçèéêëìíîïðñòóôõö÷øùúûüýþÿ Latin//Extension 1// ĀāĂ㥹ĆćĈĉĊċČčĎďĐđĒēĔĕĖėĘęĚěĜĝĞğĠġĢģĤĥĦħĨĩĪīĬĭĮįİıIJijĴĵĶķĸĹĺĻļĽľĿŀŁłŃńŅņŇňʼnŊŋŌōŎŏŐőŒœŔŕŖŗŘřŚśŜŝŞşŠšŢţŤťŦŧŨũŪūŬŭŮůŰűŲųŴŵŶŷŸŹźŻżŽžſfffiflffifflſtst Latin//Extension 2// ƀƁƂƃƄƅƆƇƈƉƊƋƌƍƎƏƐƑƒƓƔƕƖƗƘƙƚƛƜƝƞƟƠơƢƣƤƥƦƧƨƩƪƫƬƭƮƯưƱƲƳƴƵƶƷƸƹƺƻƼƽƾƿǀǁǂǃDŽDždžLJLjljNJNjnjǍǎǏǐǑǒǓǔǕǖǗǘǙǚǛǜǝǞǟǠǡǢǣǤǥǦǧǨǩǪǫǬǭǮǯǰDZDzdzǴǵǶǷǸǹǺǻǼǽǾǿ Symbols//Web// –—‚„†‡‰‹›•…′″‾⁄℘ℑℜ™ℵ←↑→↓↔↵⇐⇑⇒⇓⇔∀∂∃∅∇∈∉∋∏∑−∗√∝∞∠∧∨∩∪∫∴∼≅≈≠≡≤≥⊂⊃⊄⊆⊇⊕⊗⊥⋅⌈⌉⌊⌋〈〉◊♠♣���♦ Symbols//Dingbat// ✁✂✃✄✆✇✈✉✌✍✎✏✐✑✒✓✔✕✖✗✘✙✚✛✜✝✞✟✠✡✢✣✤✥✦✧✩✪✫✬✭✮✯✰✱✲✳✴✵✶✷✸✹✺✻✼✽✾✿❀❁❂❃❄❅❆❇❈❉❊❋❍❏❐❑❒❖❘❙❚❛❜❝❞❡❢❣❤❥❦❧❨❩❪❫❬❭❮❯❰❱❲❳❴❵❶❷❸❹❺❻❼❽❾❿➀➁➂➃➄➅➆➇➈➉➊➋➌➍➎➏➐➑➒➓➔➘➙➚➛➜➝➞➟➠➡➢➣➤➥➦➧➨➩➪➫➬➭➮➯➱➲➳➴➵➶➷➸➹➺➻➼➽➾ Japanese//かな// あいうえおかがきぎくぐけげこごさざしじすずせぜそぞただちぢつづてでとどなにぬねのはばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽまみむめもやゆよらりるれろわゐゑをんぁぃぅぇぉっゃゅょゎゔ゛゜ゝゞアイウエオカガキギクグケゲコゴサザシジスズセゼソゾタダチヂツヅテデトドナニヌネノハバパヒビピフブプヘベペホボポマミムメモヤユヨラリルレロワヰヱヲンァィゥェォッャュョヮヴヵヶヷヸヹヺヽヾ Japanese//小学一年// 一右雨円王音下火花貝学気九休玉金空月犬見五口校左三山子四糸字耳七車手十出女小上森人水正生青夕石赤千川先早草足村大男竹中虫���天田土二日入年白八百文木本名目立力林六 Japanese//小学二年// 引羽雲園遠何科夏家歌画回会海絵外角楽活間丸岩顔汽記帰弓牛魚京強教近兄形計元言原戸古午後語工公広交光考行高黄合谷国黒今才細作算止市矢姉思紙寺自時室社弱首秋週春書少場色食心新親図数西声星晴切雪船線前組走多太体台地池知茶昼長鳥朝直通弟店点電刀冬当東答頭同道読内南肉馬売買麦半番父風分聞米歩母方北毎妹万明鳴毛門夜野友用曜来里理話 Japanese//小学三年// 悪安暗医委意育員院飲運泳駅央横屋温化荷開界階寒感漢館岸起期客究急級宮球去橋業曲局銀区苦具君係軽血決研県庫湖向幸港号根祭皿仕死使始指歯詩次事持式実写者主守取酒受州拾終習集住重宿所暑助昭消商章勝乗植申身神真深進世整昔全相送想息速族他打対待代第題炭短談着注柱丁帳調追定庭笛鉄転都度投豆島湯登等動童農波配倍箱畑発反坂板皮悲美鼻筆氷表秒病品負部服福物平返勉放味命面問役薬由油有遊予羊洋葉陽様落流旅両緑礼列練路和 Japanese//小学四年// 愛案以衣位囲胃印英栄塩億加果貨課芽改械害街各覚完官管関観願希季紀喜旗器機議求泣救給挙漁共協鏡競極訓軍郡径型景芸欠結建健験固功好候航康告差菜最材昨札刷殺察参産散残士氏史司試児治辞失借種周祝順初松笑唱焼象照賞臣信成省清静席積折節説浅戦選然争倉巣束側続卒孫帯隊達単置仲貯兆腸低底停的典伝徒努灯堂働特得毒熱念敗梅博飯飛費必票標不夫付府副粉兵別辺変便包法望牧末満未脈民無約勇要養浴利陸良料量輪類令冷例歴連老労録 Japanese//小学五〜六年// 圧移因永営衛易益液演応往桜恩可仮価河過賀快解格確額刊幹慣眼基寄規技義逆久旧居許境均禁句群経潔件券険検限現減故個護効厚耕鉱構興講混査再災妻採際在財罪雑酸賛支志枝師資飼示似識質舎謝授修述術準序招承証条状常情織職制性政勢精製税責績接設舌絶銭祖素総造像増則測属率損退貸態団断築張提程適敵統銅導徳独任燃能破犯判版比肥非備俵評貧布婦富武復複仏編弁保墓報豊防貿暴務夢迷綿輸余預容略留領異遺域宇映延沿我灰拡革閣割株干巻看簡危机貴揮疑吸供胸郷勤筋系敬警劇激穴絹権憲源厳己呼誤后孝皇紅降鋼刻穀骨困砂座済裁策冊蚕至私姿視詞誌磁射捨尺若樹収宗就衆従縦縮熟純処署諸除将傷障城蒸針仁垂推寸盛聖誠宣専泉洗染善奏窓創装層操蔵臓存尊宅担探誕段暖値宙忠著庁頂潮賃痛展討党糖届難乳認納脳派拝背肺俳班晩否批秘腹奮並陛閉片補暮宝訪亡忘棒枚幕密盟模訳郵優幼欲翌乱卵覧裏律臨朗論 Japanese//中学// 亜哀挨曖扱宛嵐依威為畏尉萎偉椅彙違維慰緯壱逸芋咽姻淫陰隠韻唄鬱畝浦詠影鋭疫悦越謁閲炎怨宴援煙猿鉛縁艶汚凹押旺欧殴翁奥憶臆虞乙俺卸穏佳苛架華菓渦嫁暇禍靴寡箇稼蚊牙瓦雅餓介戒怪拐悔皆塊楷潰壊懐諧劾崖涯慨蓋該概骸垣柿核殻郭較隔獲嚇穫岳顎掛括喝渇葛滑褐轄且釜鎌刈甘汗缶肝冠陥乾勘患貫喚堪換敢棺款閑勧寛歓監緩憾還環韓艦鑑含玩頑企伎忌奇祈軌既飢鬼亀幾棋棄毀畿輝騎宜偽欺儀戯擬犠菊吉喫詰却脚虐及丘朽臼糾嗅窮巨拒拠虚距御凶叫狂享況峡挟狭恐恭脅矯響驚仰暁凝巾斤菌琴僅緊錦謹襟吟駆惧愚偶遇隅串屈掘窟繰勲薫刑茎契恵啓掲渓蛍傾携継詣慶憬稽憩鶏迎鯨隙撃桁傑肩倹兼剣拳軒圏堅嫌献遣賢謙鍵繭顕懸幻玄弦舷股虎孤弧枯雇誇鼓錮顧互呉娯悟碁勾孔巧甲江坑抗攻更拘肯侯恒洪荒郊貢控梗喉慌硬絞項溝綱酵稿衡購乞拷剛傲豪克酷獄駒込頃昆恨婚痕紺魂墾懇沙唆詐鎖挫采砕宰栽彩斎債催塞歳載剤削柵索酢搾錯咲刹拶撮擦桟惨傘斬暫旨伺刺祉肢施恣脂紫嗣雌摯賜諮侍慈餌璽軸叱疾執湿嫉漆芝赦斜煮遮邪蛇酌釈爵寂朱狩殊珠腫趣寿呪需儒囚舟秀臭袖羞愁酬醜蹴襲汁充柔渋銃獣叔淑粛塾俊瞬旬巡盾准殉循潤遵庶緒如叙徐升召匠床抄肖尚昇沼宵症祥称渉紹訟掌晶焦硝粧詔奨詳彰憧衝償礁鐘丈冗浄剰畳壌嬢錠譲醸拭殖飾触嘱辱尻伸芯辛侵津唇娠振浸紳診寝慎審震薪刃尽迅甚陣尋腎須吹炊帥粋衰酔遂睡穂随髄枢崇据杉裾瀬是��征斉牲凄逝婿誓請醒斥析脊隻惜戚跡籍拙窃摂仙占扇栓旋煎羨腺詮践箋潜遷薦繊鮮禅漸膳繕狙阻租措粗疎訴塑遡礎双壮荘捜挿桑掃曹曽爽喪痩葬僧遭槽踪燥霜騒藻憎贈即促捉俗賊遜汰妥唾堕惰駄耐怠胎泰堆袋逮替滞戴滝択沢卓拓託濯諾濁但脱奪棚誰丹旦胆淡嘆端綻鍛弾壇恥致遅痴稚緻畜逐蓄秩窒嫡抽衷酎鋳駐弔挑彫眺釣貼超跳徴嘲澄聴懲勅捗沈珍朕陳鎮椎墜塚漬坪爪鶴呈廷抵邸亭貞帝訂逓偵堤艇締諦泥摘滴溺迭哲徹撤添塡殿斗吐妬途渡塗賭奴怒到逃倒凍唐桃透悼盗陶塔搭棟痘筒稲踏謄藤闘騰洞胴瞳峠匿督篤凸突屯豚頓貪鈍曇丼那謎鍋軟尼弐匂虹尿妊忍寧捻粘悩濃把覇婆罵杯排廃輩培陪媒賠伯拍泊迫剝舶薄漠縛爆箸肌鉢髪伐抜罰閥氾帆汎伴畔般販斑搬煩頒範繁藩蛮盤妃彼披卑疲被扉碑罷避尾眉微膝肘匹泌姫漂苗描猫浜賓頻敏瓶扶怖附訃赴浮符普腐敷膚賦譜侮舞封伏幅覆払沸紛雰噴墳憤丙併柄塀幣弊蔽餅壁璧癖蔑偏遍哺捕舗募慕簿芳邦奉抱泡胞俸倣峰砲崩蜂飽褒縫乏忙坊妨房肪某冒剖紡傍帽貌膨謀頰朴睦僕墨撲没勃堀奔翻凡盆麻摩磨魔昧埋膜枕又抹慢漫魅岬蜜妙眠矛霧娘冥銘滅免麺茂妄盲耗猛網黙紋冶弥厄躍闇喩愉諭癒唯幽悠湧猶裕雄誘憂融与誉妖庸揚揺溶腰瘍踊窯擁謡抑沃翼拉裸羅雷頼絡酪辣濫藍欄吏痢履璃離慄柳竜粒隆硫侶虜慮了涼猟陵僚寮療瞭糧厘倫隣瑠涙累塁励戻鈴零霊隷齢麗暦劣烈裂恋廉錬呂炉賂露弄郎浪廊楼漏籠麓賄脇惑枠湾腕 Japanese//記号//  ・ー~、。〃〄々〆〇〈〉《》「」『』【】〒〓〔〕〖〗〘〙〜〝〞〟〠〡〢〣〤〥〦〧〨〩〰〳〴〵〶 Greek & Coptic//Standard// ʹ͵ͺͻͼͽ;΄΅Ά·ΈΉΊΌΎΏΐΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩΪΫάέήίΰαβγδεζηθικλμνξοπρςστυφχψωϊϋόύώϐϑϒϓϔϕϖϚϜϞϠϢϣϤϥϦϧϨϩϪϫϬϭϮϯϰϱϲϳϴϵ϶ϷϸϹϺϻϼϽϾϿ Cyrillic//Standard// ЀЁЂЃЄЅІЇЈЉЊЋЌЍЎЏАБВГДЕЖЗИЙКЛМНОПРСТУФХЦЧШЩЪЫЬЭЮЯабвгдежзийклмнопрстуфхцчшщъыьэюяѐёђѓєѕіїјљњћќѝўџѢѣѤѥѦѧѨѩѪѫѬѭѰѱѲѳѴѵѶѷѸѹҌҍҐґҒғҖҗҘҙҚқҜҝҠҡҢңҤҥҪҫҬҭҮүҰұҲҳҴҵҶҷҸҹҺһҼҽҾҿӀӁӂӇӈӏӐӑӒӓӔӕӖӗӘәӚӛӜӝӞӟӠӡӢӣӤӥӦӧӨөӪӫӬӭӮӯӰӱӲӳӴӵӶӷӸӹӾӿ Thai//Standard// กขฃคฅฆงจฉชซฌญฎฏฐฑฒณดตถทธนบปผฝพฟภมยรฤลฦวศษสหฬอฮฯะัาำิีึืฺุู฿เแโใไๅๆ็่้๊๋์ํ๎๏๐๑๒๓๔๕๖๗๘๙๚๛
see also How to Edit a Glyph that is not listed on iFontMaker
9 notes · View notes
stormfrozen · 2 years ago
Text
決戦!双拳の塔9
ふっ!せいっ!!
9階にある紫の部屋にやって来ていたアイヴァンヌ。取り巻きの敵を次々と2本の剣で斬り飛ばし、扉の先へ進む。
うーん…。この部屋には、大した敵はいなさそうね。
扉を開けて、開けた紫色の空間の部屋に入るアイヴァンヌは遂に、玉座に座る紫の翼と対峙する。
あら。私の相手は貴方ですか………困りましたね。
仮面を付ける紫の翼。そして、それを取り外した素顔には、眉間に大きな傷跡が縦に入っていた。
…一体、どうしてそんな傷が…!?
最悪の事態…つまり、貴方が来る事を危惧してグゥエル様から授かりました。この仮面からパワーを手にして………私の凍てつく視線が通らなくとも問題無く、戦えると言う訳です。
それは、どんな力だろうか? …おや?気になりますか。でもそれは、先に私の視線を感じてみては如何でしょう?
面倒だが、先に凍てつく視線を受ける事にしたアイヴァンヌ。真剣な表情で、紫の翼の見せた凍てつく視線を見つめ返す。
…どうやら一切の迷いも、動揺もありませんね。ああ嫌だ、私の相手がこんな事では………
私以外の他の人はそれを受けて、凍ったのか?
ええ。凍り付きました。この目から発生するビームには、敵を凍らせる力を持ちます。通らなければ、意味はありませんがね。��から貴方と戦うのは………
そうね。私の立場で言えば、貴方達の方にいる橙の翼の女性と戦う様な物だからね。
…そうなりますね。グゥエル様から、貴方は真性のメレンジアと聞きました。確かにこの私達にとっては脅威でしかありません。ただし…それだけで勝敗が決まる勝負では無い事、ご存知でしょう?
私も、望んでメレンジアになった訳じゃ無い。生まれつき持った種族の違い、ただそれだけなの。何かで必ずしも、メレンジアが優位になれる訳じゃ無いわ。
そうでしょうね。前置きは此処までにして…始めましょう。貴方のその言葉が、遺言にならないと良いですが!
飛び上がる紫の翼、剣を抜くアイヴァンヌ。最大の戦いが、今始まる。
これで攻めるしか無いですね。果たして避けられますか? どうでしょうね。
飛ばされた無数の風の刃が襲い掛かる。アイヴァンヌは動き回って回避するが、同時に背中の盾を構えて防御態勢を取る。
ばきぃぃんっ!!
…相当な威力ね。だけど、当たらなければ!
防御の姿勢を崩さないアイヴァンヌ。だが彼女は同時に、攻撃に転じる隙を窺う。
きゃあっ!!
上擦った空気の刃の1つが、彼女の前髪を掠めた。ふわり舞い上がり、髪で隠れていた左目が一瞬だけだが見える。
そのオッドアイ…2人を倒されて怒り狂う貴方の姿は実に恐怖でした。まさか、殺されるのではと思いましてね。 でも、どうだろう。この戦いではもう、貴方も後には引けない。合ってる?
少しだけ笑う紫の翼。勿論です。そうでなければ、この仮面の力など使いませんからね。
剣に持ち替え、空気の刃を弾くアイヴァンヌ。そしてその勢いのまま、彼女は紫の翼に接近した。
近付かなければ私はチャンスが無い。だけども………近付かれると貴方のアドバンテージが無い。此処は1つ、やらせてもらう。
ばしゅあっ!!
くっ……!流石にやりますね。それでも、未だ終わりではありませんよ。そろそろこれ…受けてみますか?
脇腹を斬られ、大きく出血する紫の翼。しかし直ぐ様体制を立て直し、悍ましい影で満たされた強い冷気を飛ばした。
きゃっ!?冷たい…!!
ええ、凍える程に冷たいでしょう。それもその筈、これこそが私が新たに手にした力…「ダークフリーズ」です!
強烈なダークフリーズの冷気がアイヴァンヌの右腕に直撃した。剣を落としてしまい、凍り付いて力が入らない。
貴方の手を、足を、そして体を!一つ一つ凍らせられれば…この私にも勝つ見込みはあるのです。次は足に…
そうはさせないわ!
右手に火炎を起こし、凍り付いた腕を解かす。そしてそのまま、アイヴァンヌは紫の翼を燃え上がる右ストレートで殴り飛ばした。
厄介ですね。では先に足を凍らせましょうか。
手からが駄目なら、足からという理論。今度はアイヴァンヌの足を執拗に狙い、ダークフリーズを連発する。
確か貴方の仲間、フェ��ンソワ…さんでしたか。もし貴方じゃ無くてあの人が相手なら、先に手から凍らせていたんですけどね。まあ良いでしょう。
時折来る空気の刃の波状攻撃に、防戦一方のアイヴァンヌ。何とかするべく飛び上がり、紫の翼の上を取る。両手で剣を構え、懐まで急降下した。
…あっ!? 隙ありだわ。そこ!
今度は胸元を斬られ、紫の翼が怯む。序でに彼女の持っていた剣には毒が仕込んであり、痛みと共に傷が疼く。
うぅ…今度こそ、凍らせます!
紫の翼は毒を浴びても尚同じ箇所を狙う。だが、先程受けたダメージと引き換えにアイヴァンヌの動きを捉えていた。
貴方の隙は…その技を出す直前!足元が疎かになるその瞬間です。防御している時は、私にもチャンスはありません。ですが、攻撃している時なら此方にも!
ダークフリーズがアイヴァンヌの両足に直撃した。だが同時に紫の翼もまた彼女からの辻斬りを受けるが、急所は外した。
しまった…!足が動かない…!!
凍り付いた足を動かそうとしても、その動きが鈍くなるだけ。
ふぅ。危なかったです。では入念に…追い剥ぎをしてから全身を凍らせましょうか。もう終わりです。さあ、出番ですよ。
紫の翼が合図を送ると、数千体の量産型の敵が両サイドの壁からゾンビの如く湧き上がって来た。
…隠してたの!?何て事を!!
ああ、コレクションも良いですね。この真性メレンジアが、私達の作り出した劣性メレンジアに蹂躙されるのは見ていて気分が良いものです。
ま、まずい……!!このままじゃ………
うじゃうじゃ迫る量産型の敵。例え剣を持っているとは言え、捌き切るには限度がある。後ろから、体を掴まれるアイヴァンヌ。
きゃあああぁぁぁ!!!
自分も危ういと言うのに、何故か馬鹿笑いする紫の翼。だが次の瞬間!
どごぉぉぉ!!!
な、何をするのですか!大事な私の部屋を!!
成程、お前か。随分とやられてないか? この敵は私達が取り持ちます。
爆音と共に壁とドアが爆破され、量産型の敵が吹っ飛ぶ。そしてそれらは、やってきた2人の仕業だった。
グルナッシュさん、アーレンティさん…何故?
私達の考えた作戦です。 足はどうだ?動けそうか?
この部屋には『アヴェック・スター』のグルナッシュとアーレンティが攻め立てる作戦だった様だ。先程の2人が起こした爆風で凍り付いた足が解け、再び動いたアイヴァンヌの足。破かれたワンピースを整え、再び剣を取った。
危ない所だった。ちょっと遅かったら、私はどうせ裸にされていたかもしれなかったから。有難う。
……チッ……後少しの所だったと言うのに………まあ仕方ありません。貴方達を殺して、グゥエル様の土産にしましょうか。
舌打ちし、機嫌を損ねる紫の翼。だが直ぐ立ち上がり、今度こそアイヴァンヌに止めを刺さんとエネルギーを貯める。
先程の様には行きません、これでも未だ戦いますか。
ダイマックスエネルギーを浴び、巨大化した紫の翼。それに臆す事無くゆっくり、紫の翼に歩みを進めるアイヴァンヌ。ある程度まで近寄り、彼女は右手に持っていた剣を向ける。
臨む所よ。
0 notes
sennetu · 6 years ago
Text
191101 バカのハロウィン
うろおぼえなので全てニュアンスです
[[MORE]]
ぶうさん…ダパンプキン太郎
ミドさん…狼男A
Joeさん…おじいさんおばあさん
クラオカさん…吸血鬼A
たかぴーさん…第15宇宙を統べる森羅万象を支配する神
華凛ちゃんさん…メイドさん
豪さん…フランケンシュタイン
小川さん…パンプキン太郎
ジョジョさん…吸血鬼B
アンディさん…戸愚呂弟
ノヴさん…狼男B
カエデさん…おじいさん
ワジョ���さん…戸愚呂兄
▷舞台は仮装した人々が暴徒化し、街を破壊し尽くしてしまうようになった世界の渋谷
▷魔法使いのおじいさん(カエデさん)と魔女のおじいさんおばあさん(Joeさん)はそんな渋谷を嘆いている
カ「仮装してスピッツ歌ってるような人もいましたからね」
美魔女おじいさんおばあさんさんは魔法で荒廃した渋谷を癒している。
Joe「誰が定年退職したあんたのためにこんな短いスカート履いてやってると思ってんのよ!!」
舞台下手に大きなジャックオランタンを見つけ、切って煮付けにしよう云々で口論になる。メンヘラ気味のおじいさんおばあさんさん(既に手にリスカ跡が何本もある)、おじいさんのスマホ(手作りのiPhone11 ちゃんとカメラのとこ再現されてたすごい)を胸元から出し、マッチングアプリを発見してしまう。突き飛ばされたおじいさんおばあさんさんが大きなかぼちゃにぶつかると、中から赤ん坊が出てくる
おじいさんおばあさんさんはこの子をパンプキン太郎と名付けて可愛がりはじめるが、育てる育てないでまた口論した末にでかいカッターでおじいさんおばあさんさんはおじいさんを刺し、パンプキン太郎を一人で育てることにする。パンプキン太郎は「うわ〜〜こいつと暮らすの嫌やな…」みたいなことを既に思っていた
▷1年後のハロウィンには立派に成長したパンプキン太郎(小川さん)は、南🎃瓜って書かれた鉢巻をした姿で渋谷のハロウィンを奪還しようと仲間探しの旅に出る。おじいさんおばあさんからきびだんごではなくなんかの目(生臭い)を授けられる
Joe「なんでお母さんも一緒にって言ってくれないのよお!!!!」
小川「オトンはオカンのこういうところ嫌やったんやろな…」
▷最初に出会ったのが狼男A(ミドさん)と竹から生まれた竹太郎もといフランケンシュタイン(豪さん)
僕、分身ができるんです!と言う狼男Aが呼ぶと、狼男B(ノヴさん)(バイトで雇われている)が出てくる。分身とは そして狼男の牙は着脱できる仕様
ノ「時給はもう最低賃金で!」
狼男ABがくるくる回りながら本物はどっちでしょうかクイズをパンプキン太郎に出題しながら4人で旅にでる
問題出すときに逐一テテン!って言うノヴさん可愛くて困った
▷一方、ダパンプキン太郎(スヌーピー)(ぶうさん)、何も喋らない人(たかぴーさん)戸愚呂兄弟の兄(ワジョウさん)、弟(アンディさん)の仮装集団と、吸血鬼A(クラオカさん)吸血鬼B(ジョジョさん)(浦飯幽助)、メイドちゃん(華凛ちゃんさん)率いる自警団が対立していた。
ダパンプキン太郎、衝撃的すぎて一周回って誰だかわかんなかった メイドちゃん、吸血鬼ABにめちゃくちゃ抱きついてて大変大変可愛かった
吸血鬼Aが「フリーハグ」って書かれたダンボール持って暴れてた 面白かった
ぶ「こいつ酒よりやばいもんやってんじゃねえか?」
「フリーハグってカタカナで書いてるけど普通英語じゃねえのか!?」 トイレットペーパーが入っていたダンボールの裏を使っていたのも指摘されてたな
▷対立が激化して戸愚呂兄の攻撃!戸愚呂兄が戸愚呂弟の肩から降りようとして死んでしまう。
人が死ぬたびにライトが真っ赤になって「○○は死んだ その魂は平和の礎となったのだ」みたいなこと(もっと長かった気がする)がナレーションで流れる
続けて吸血鬼Bは戸愚呂弟に首をバキバキ折られてしまう 霊丸〜〜!
ジョ「台詞が少なかった!」確かに二言三言しかなかった
クラオカさんによる「Janne Da Arcを歌って相手を魅了しているところを嫉妬したメンヘラメイドが刺してくれる」的な必殺攻撃で戸愚呂弟さんメイドちゃんに刺されてやられてしまう。
ア「やるねえ…」
ここでおじいさんおばあさんさんも何故か刺しに来る そして去る
ク「あれも昔の俺の女」 さすが
▷そこにパンプキン太郎御一行が到着。その時メイドちゃんが「私は仮装してイケメンに会ってお持ち帰りされる目的でここに来たの!」と言い出しイケメン探しになる→ぶうさんによるモノボケ大会が始まった みんなペンから機材からいろんなものをぶうさんに渡してた 華凛ちゃんさん割と普通に役を忘れて大爆笑してる
その後イケメン狼男Bがメイドちゃんお持ち帰りしてホテルへGO
▷ぶ「ドンキで買ってきたやつそのまま着やがって!」
吸血鬼Aがまた必殺技を繰り出そうとした時フランケンシュタインが攻撃する。「技を出そうとしてるときに攻撃するのはルール違反!」「仮面ライダー見てないのか!」「ちゃんと頭に釘さしてこいっていたでしょうが!」と非難されたあまりに死んでしまう。
ミ「たまごボーロぐらいの脳みそしかないから……」
その後メイドちゃんと狼男Bが帰ってくる
華「あなたの名前を教えて♡」
ぶ「!? 聞いてなかったのか!?」
ノ「狼男Bです!」
華「そうじゃなくてあなたの本当の名前が知りたいの〜!」
狼男B、何かに気づいてスマホを取り出したところ突然倒れてしまう。
ミ「え〜!?豪さんほどバカじゃないと思うんだけど…」 ←!?
狼男Aが見てみるとSNSで寝顔等々が晒されてるのを見てショック死したことがわかる
華「先に寝る方が悪いんだもん」
そういうメイドちゃんをどこからか現れたおじいさんおばあさんさんが刺す、それを実は生きていたおじいさんが刺す
カ「我が生涯に一片の悔いなし!」
ぶ「今日一おっかねえアドリブだった」
▷ダパンプキン太郎の抱腹絶倒物真似100連発コーナーで狼男Aが面白くなさに耐えかねて倒れる
その上ダパンプキン太郎には恐るべき力があり、死人に跨って犬小屋で温めると生き返らせて意のままに操ることができるのだっだ その力で抱腹絶倒物真似100連発を舞台に転がってる人たちから選んでて、Joeさん ワジョウさん 豪さんがやってた(ミドさんにもやってたけど起きなかった) その後ダパンプキン太郎に再び斬られ��
▷パンプキン太郎がダパンプキン太郎とお酒を飲んで和解しようとする
ぶ「やっぱほろよいは桃だよなあ!」
と見せかけてほろよいに青酸カリを混ぜてダパンプキン太郎もやられてしまう。犬小屋のままステージ中央で鎮座するように死ぬ
ぶ「でかくてごめんね…」
小「青酸カリめっちゃ入れたからなあ…俺のはウーロン茶や…これでハロウィンを制覇したんや」
と言ったところでそれまで何も喋らなかったたかぴーさんがパンプキン太郎さんを刺す。実はたかぴーさんは第15宇宙を統べる森羅万象を支配する神だった ここしかない台詞なのに飛んだ!って言っててみんなで神を応援した
「折角箱庭を与えてやったのに!たった2、3万年で人間たち自ら滅んでしまうとは!」
「「「そして 全員死んだ」」」
暗転
最後「翼をください」を合唱してカーテンコール 劇団みたいなことになっていた 楽しかった
2 notes · View notes
kurano · 6 years ago
Text
※ ニキ・ラウダ氏死去、70歳 伝説的F1ドライバー
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190521-00000011-jij_afp-moto
 世間は、F1王者としての彼を偲ぶのだろうけれど、私が思い出すのは、1991年に起こったラウダ航空004便墜落事故です。彼は実業家でもあり、B737のライセンスも持つラウダ航空のオーナーでもありました。
 バンコクで、B767型機が離陸して上昇中に、左エンジンのスラスト・リバーサーが作動するという悪夢に見舞われ、急激な推力の左右アンバランスに陥り、機体を捻りながら墜落、乗客乗員223人全員が亡くなった大事故でした。
 この事故を巡る経緯は、今まさに問題となっている、B737型機の事故経緯と非常によく似た経過を辿りました。そしてボーイングもFAAも、あの頃の体質から何ら進歩していないことが今回、明らかになった。
 事故直後、ボーイングは、仮に上空でスラスト・リバーサーが作動しても、安全に飛行できると主張した。FAAも型式証明でそれを認めていた。所が、ボーイングべったりのFAAが認めたのは、高度1万フィートでそれが起こっても推力は10%減に留まるという話だった。ご存じのように、旅客機の巡航高度は、普通3万から4万フィートです。
 主翼に吊り下げられ、しかも前方にせり出しているエンジンで、飛行中にスラスト・リバーサーが作動したらこれはもう悪夢です。主翼のほとんどの揚力を引き剥がされる。
 ニキ・ラウダは、ボーイングの言い分に納得せず、ボーイングの嫌がらせと闘いながら真相究明に乗り出す。ボーイングは、パイロットはそれをリカバリーできると言い張るものだから、彼は自分でシミュレーション操縦に挑む。所が、何度やっても墜落する。
 最終的に、ボーイングは、その高度と推力で飛行中にスラスト・リバーサーが作動したら、25%もの推力低下が発生し、パイロットによるリカバリーはほぼ不可能であることを認めて、スラスト・リバーサー回りの安全装置はより高度なものに進化し、FAAの型式証明も、全て更新反映されることになった。
 私たちが今、安全に空の旅を楽しめるのは、この時、ニキ・ラウダが執念を燃やしてボーイングや糞ったれなFAAと戦ってくれたからです。有り難う! ニキ・ラウダ。ご冥福をお祈りします。
 該当の事故に関しては、日本語版のWikipedia で詳しく読めます。ナショジオ・メーデーでは、第12シーズンのドキュメントとして、ニキ・ラウダ本人がインタビューに応じて放映されました。
1 note · View note
nemosynth · 6 years ago
Text
遠近法の次は魚眼レンズ
Tumblr media
24 年前に書いた文。じつは、北朝鮮から帰国当初に勢いで書いた文章。いま読むとこっぱずかしいが、記録なのでここに。 ------------------------------------------- 遠近法の次は魚眼レンズ  ベルリンの壁も見た。すでにソ連ではゴルバチョフがグラスノスチを進めていたとはいえ、共産体制は崩壊せずそのままに軟着陸するかに思えた。よもや壁が崩壊するどころか、私の目の黒いうちは絶対に崩れまいと思った。ナチスという求心力を失い、豊かさの中に我を見失った西側。我を見失うまいと、強大なイデオロギーの壁の向こう側に自らを封じ込めた東側。壁をめぐらせるだけで、周囲との差異が際立って見える。壁を用いるのは、自我を保つ古典的な手段。ヒステリックに自由を叫ぶ壁の落書きは、だが壁の向こうがわで展開する狂信的な体制礼讃と、奇妙なシンメトリーを成していた。  むしろ、なじみある土地から浮遊させられ、自己を相対化されたおびただしい数の難民こそが、二十世紀の真の主役ではないか。  それは両ドイツを訪れた時に私を圧倒した膨大な心象の、小さな結晶のひと��だった。私がそれを見たのは、十代最後のまぶしい夏のことであった。  帰国した日本も、そうとう不自然に歪んでいた。  樹木が巨木に育つには、何百年とかかる。どうやら、自分が植えた樹が大きくなるのを、己の目で見たい、と思ってはいけないものらしい。それは自分の死後、成し遂げられる。同様に、私たちの世代では完了し得ないことでも、5世代後に日の目を見るのかもしれない。未来を事前に知ることがかなわぬ以上、展開も見通しもないまま、じっと耐えるのも必要なキャリアであろう。  だが、日本��は誰もが性急に答に、すぐ飛びつこうとしていた。  ワールドニュースが簡単に手に入り、すぐにも世界を知ったつもりになってしまう国。受け売りは受け売りを超えることが出来ないと言うのに、やたらと評論ばかりが多い国。言葉も所詮は道具にすぎないというのに、かっこいい言葉に捕われている国。 「自分の言葉で喋れ」 と言われてみたところで、今度は自分の言葉で喋ると称して、自分になじみある言葉でばかり解釈してしまい、本質を見失う。しかも、言葉さえ知っていれば他を批判するのは簡単だというのに、人は他を批判したがるばかりか、批判の対象も玉虫色の言葉の影に隠れ、自在に趣旨を変化させて逃げ切ろうとする。  それもビジネスの一つの手段だというならよいが、それはビジネスマンの口から聞ける言葉であって、評論家の賢い口から出てきても不毛なだけ。  しかし、地球はまだまだ広い。  就職してから3年ないし4年毎に、精神的危機が訪れるという。それは、それまでの教育制度のおかげで、入学と卒業という、天から与えられる転機のサイクルに慣らされてしまっているからではないか。結局、自分の問題意識すら、自力でつかめない私たち。私たちの行動が、所詮、この国独特の教育体制によって刻印された様式美でしかないなら、個性を尊重した教育なんて存在するわけがない。せいぜい、自分で新しい様式美を構築するぐらいか。 「次の問いに答えなさい」 という質問ばかり与えられているうちに、いつのまにか我々は、宇宙のすべてに答があると思い込むようになり、性急に答に飛びつくようになった。答が不明瞭に思える時は、いらいらするようになった。こうして、全てを形に起こさないと満足しない現代人ばかりが、社会を動かすようになった。  無形の、あいまいなものを嫌がるようにしつけられ、気づかぬうちに己の思考自身が既に様式美となったのが、私たち共通一次世代。選択肢が無ければ答えすら思いつかない。形が無くては満足に思考することすら不可能。形無くして生きて行けないのなら、せめて自分を規定している形がどんなかたちをしているのか把握しておきたい。  何故なら、自分が自分である必然性は、どこにもないから。  無論、自分に生まれてしまった以上、自分を生きるしかないのも事実。だが、その真の意味を解している人間が、どれほどいることだろう。  様式美の中では視界も限られてしまう。曖昧模糊に見える大衆の中、紛れ込んでしまった自己の小ささ。でも消費に励めば、高嶺の自己実現も手に届きそう。流行という多数派閥にうずもれる安心と、複製がたくさん出回るというのに商品化された自己実現による差異化への試み。この二律背反を無批判で享受する私たち。  自己実現にはげむのは、決して悪いことではない。いや、むしろぐうたらな私より数倍も崇高な行動だ。  しかし、曖昧模糊とした大衆の中では、確固たる尺度がないから、己の分を知ることが出来ない。しかも近代科学のおかげで、答えを性急に求めたがるようしつけられ、確固たる尺度もないままでいることに神経が耐えられない。尺度がないと不安に駆り立てられ、尺度がないのを良い事に、ある者は言葉をたくさん仕入れ、検証される心配のない仮想領域ばかり語る評論家になることで、台頭しようとする。ある者は真面目に人生と期待に真っ正面から取り組み、取り組んだものの、自分の達成を測ることが出来ないが故に際限もない自己実現を迫られ、疲れ果ててしまう。  きっと相手は疲れ果てているだろうと察するからこそ、私は黙してしまう。  達成への強迫にまで肥大化してしまった自己実現至上主義。これを打破するには、どうしたらよいのか。自己実現の自己表現への転化も、一つの方法には違いない。オタクどもが、まさにそうだ。  私にあるのは、インプリンティングされた枠組みであり文脈であり、それをどこまで異化して眺めることができるかという分析力であり、自己を相対化してでもその分析をいとわない意志であり、ためらっている場合ではないという状況認識であり、自己を束縛する枠組みと付き合うことを考えることである。  さらに私には理解の種を蒔く努力と、発芽するまで待つ忍耐が加わる。そして時として全てを、めんどうだ、と言って放り投げてしまう。ついつい答を求めてしまうからいけないのだ。  だが世界には答が立派に用意されている国家が、今もなお存在する。  世界には奇跡のような版図が、今もなお、たくさん存在している。  そして私には、イデオロギーが生んだ分断国家を、もうひとつ、見る機会に恵まれた。  15万人が入るというスタジアムに案内された。  東京ドームもはだしで逃げ出すスタジアムの一角には、これまた十メートル四方以上もある巨大な故金日成主席の肖像画が掲げられていた。その真下で、やっと見分けられるくらい小さく見える一人の男性が、一生懸命に両手で旗を振っていた。彼の旗の一振りが合図となり、5万人の学生が繰り広げるマスゲームが、そのパターンが、一斉に変化する。場内には金日成の息子、金正日将軍を高らかにたたえる歌が、巨大なスピーカー群も割れんばかりの大音量となって轟き、響き渡っていた。  初日に見たマスゲームには、子供のように目がくらんだ。15万人のどよめきは、関西大震災の地鳴りと、そっくりだった。それにもまして15万人の完璧な静寂は、身震いが止まらない無気味さだった。まさしく天変地異に等しいスペクタクル。壮大な無形文化財。   だが、三日目ともなると、人間を愚弄した演出の数々に、私達は憤りのあまり言葉もなかった。ただ、軍隊のようにデジタルな割り切りのはっきりした直線的で明解な動きだけでなく、波動を多用したアナログなたおやかな曲線美も演出するあたり、共産主義も90年代に入ったということなのだろうか、などと、かろうじて理性で考えることができた。それほどまでに、マスゲームは衝撃的で異質な演出であった。寒気がするほどすばらしい完成度だったが、一人でできる踊りは、一つもなかった。  演じるの中には幼い小学生の姿もあった。1万人の小学生たちが、一糸乱れぬ国家的シュプレヒコールを展開する。  あなたがいなければ私たちもなく  あなたがいなければ古里もない  金・正・日! 金・正・日! 金・正・日! 万歳! 万歳! 万歳!  そして死せる前主席、金日成を懐かしむ一万人の小学生たちが右手を挙げて敬礼し、一斉に、無気味なほどそろったタイミングで、一斉に号泣する。その声が、ただ、霞のように、飛蚊の雲の音のように、スタジアムを満たすばかり。しかも、泣きじゃくりながらも、彼らの手足はきっちりそろって行進しているのだ。  むごたらしいまでの完成度の高さ。  虚飾を排したデザイン。しかも巨大な建築ばかり。どれもこれも刑務所のような外観をした、偉大な建築の数々。鮮烈な配色を嫌うのはまだしも、そこは全てが統制された殺風景。センスもダサい。広告は一切なく、その代わりこうこうと夜も電飾で輝く政治的プロパガンダの数々。半島は一つ。偉大なる指導者・金正日将軍、万歳! 偉大なる首領金日成主席、万歳! 栄光の朝鮮労働党、万歳! 我々は絶世の偉人、金日成主席の革命戦士だ! 我々は金日成主席の人間爆弾になろう!  金日成が死去してまだ一年たらず、その巨大な肖像画は国のあちこちで共和国人民たちを見まもる。  色あせた北朝鮮では、どんなラフな格好をしていても日本人は派手。そして人民たちは、根深いひとみしりによって、絶対に目をあわせようとは、しない。  だが、住んでみたいとは絶対に思わないにしろ、言われているほど、北朝鮮は異国でもなかった。  たとえ黙り込むにしても素朴な人々の反応。裏を読むことを全くしない、すなおな田舎の心理。恐らく最近まで、東京でもこうだったはずだ。私たちが子供のころの東京や京都。今の日本でも、外国人に対して慣れていなくて構えてしまう人々はたくさんいるだろう。意外にも両国は共通項が多い。  かつてタイでみかけたのは、は��かむ上目遣いの視線だった。水気を含んでしっとりとした空気もあいまって、それはとても東洋的なセクシーさをたたえていた。北朝鮮は少し違い、乾き切った大陸の荒野そのままに、表情も荒涼としていた。それは紛れも無く偏狭で過敏な郷土愛に満ちた、ひとみしりの視線。彼らは無口でぶっきらぼうだが、物心つく前に離ればなれになって忘れ去られたままの兄弟に出会った気になったのも事実。それは帰国子女の私が、それだけ、ひとみしりする日本人に肉迫して来たと言う、個人的に感慨深い事実でもあったのだが。  しかし偏狭で繊細な郷土愛は、時に凶暴な警戒心にも転化しうる。監視され尾行され警告まで受けるのは、何度経験しても、みぞおちが堅くしめつけられる。旅を終え帰国してきた直後、我々は自由世界に帰還できたという気のゆるみから、名古屋市内の道端にへたばってしまった。ツアー・バッジを外した時の解放感は、仕事から帰宅してネクタイをはずしスーツから私服に着替えたときの気分にもまさるというのが、自分でも笑えた。  今回は、たまたま無事に帰ってこれた。だが次回、同じことをしたら、果たして帰って来れるかは未知数。最後には帰ってこれても、彼らが我々を交流することなく観光旅行を続けさせてくれるかは、未知数。生命の危険と言うだけでなく、たとえ彼らが言うところの「帝国主義陣営」の抗議により釈放してくれたとしても、そもそも釈放されなければならない事態に陥ること自体、一観光客にとってどれほどシビアな状況か。シンガポールでは、フィリピン人のメイドが故国とは違う法律によって処刑された。北朝鮮刑法でのスパイ罪は、最低7年の強制労働と修正教化である。修正教化! 皇民化教育の再来、いや仕返しか、パロディか。あとで無事帰国できたとしても、あまりに大きな代償。今を思えば朝8時にホテルを出発し、夜10時以降にホテルに帰ると言うハード・スケジュールも、早朝から夜間に至るまで我々を管理しておきたいという意図があってのことではないか。単独行動を起こす時間を、極限まで無くしてしまいたいという狙いではないのか。郷土愛は、時に凶暴な警戒心に転化する。  それにしても彼らがお膳立てしてくれたコースは、往々にして哀しくさせた。古都、開城(ケソン)の遺跡展示がつまらなかったのは、単に展示が貧相であったというだけではない。安らかに眠るはずの遺跡をたたき起こし、今なお血気盛んな共産主義の偉大な歴史背景として演出する意図に満ちているからだ。封建支配に叛旗をひるがえす農民一揆の展示に力を注ぐあたり、どこまで思想は皮肉なものなのか。抗日英雄たちの霊廟も同様、抗日戦争は素直に受け止めるにせよ、それが個人崇拝に至るなら、興ざめである。  忘れた兄弟にめぐりあえた気分にしてくれる、偏狭で繊細な郷土愛のまなざし。だがそれは、時に相手が自分よりすぐれているか劣っているかでしか判断しない。  ただ、帰国したその時、かすかだが確固たる疎外感を感じたのも事実。何を体験したか、そのシビアさは実際に行った人間でないと分からない、というだけではない。  警告するにしても目をそらすにしても、彼らは我々が眼前にいることを、はっきり認めていた。帰国直後、名古屋の道端でへたばっていた我々を見ようともしない日本人の群れの中、我々は背景の景色の一部品でしかなかった。せいぜい、その他大勢。曖昧模糊とした大衆。  私たちは、監視され VIP 待遇まがいの特別警戒を食らうことに、あまりにも慣れてしまって、人から視線を浴びない事には自我を保てなくなってしまったのだろうか。寂しいような、しかしこれが、あるべき姿でもあるという実感なのか。  そして全体主義が海をはさんで隣接しているのも意識せず、眼前に我々が存在している実感も認めさせてくれぬまま、日本はどこへ行こうとしているのか?  尾行される緊張にみなぎった行動と、背後に広がるプロパガンダ。  出発前の私は正直言って興味本位だった。地球最後のワンダーランド。目の前に、現実に展開するスペクタクル。国家権力の壮大なパロディ。北朝鮮が半世紀も続いたのは驚異だが、大日本帝国とて四分の三世紀も続いたことを考えると、それは歴史の隙間としてあり得る数字なのかも知れない。哀しいのは、それがちょうど1世代まるごと飲み込む時間であること、その中で生まれ死する世代がいるということ、他を知らずに。  しかし大日本帝国には、大正デモクラシーというリベラルな一コマもあった。極端な管理社会は極端な自由放任同様、絶対に長続きし得ない。それは判断を放棄した社会であり、そもそも純粋な体制などあり得ない。北朝鮮は国家のパロディとしか思えなかった。  だが、それは北朝鮮を理解する入口でしかなかった。決して悪くない入口ではあったが、いつまでもそこにとどまることは、できなかった。  めくるめく圧政の中、極めてまじめに生きる素朴な人たちがいたからである。  姿勢正しい人々の、礼儀正しく、まっすぐな視線。なにごともけじめを大切にする礼節厚い人々。「一人の一生で終わる生物学的生命より、世代を越えて伝わる政治的生命に自己を捧げる」などと心底ほこらしげに語���て聞かせる人々。暖衣飽食の人生よりも、歴史に名を残すことを重んじる気高い人々。曇りなき自己の純粋さを尊ぶ人々。管理することで初めて得られる安心。  恐らくは儒教精神に根ざしているであろう、それら感覚や価値観は、だが日本人にとっても少なからず馴染みあるはずであり、時に基本的なしつけだったりもする。欧米にもマスゲームはあり、軍隊式マーチングバンドが盛んであり、何よりも軍では自己犠牲が叩き込まれる。集合美、組織美は、東洋の特権ではない。そして管理は生活の保障を生む手段であり、それ自体は善し悪しではない。手段の一つに過ぎないはずの管理という言葉が日本では嫌がられるのは、非本質的な管理が多いからだ。  根底の発想はまるで異質に思えても、その上に立脚し構築し見せてくれる演出は、実に念入り。一挙手一投足にいたるまでが、彼らの高い理想と純粋な使命感に裏打ちされている。そして機械に頼らず生身の人間を大量に現場へ投入する人海戦術。この彼らの誇る究極のテクノロジーを駆使することで、むごたらしいまでに高い完成度をめざす。しかし、身の毛もよだつほどむごい向上心と全体主義が、じつは日本の高度成長期の滅私奉公会社人間と比べ、いかほどの違いがあるのだろう。街中をひるがえるイデオロギッシュなプロパガンダと、日本の吊り広告の中で物質文明の享楽に溺れる決まり文句の洪水と、いかほどの違いがあるのだろう。北朝鮮と日本とは、同じものの両極にいるに過ぎない。  マスゲームに参加した学生たちが退場するとき軒並み号泣するのは、演出によるものとはいえ、あながちこの社会で育った者なら、涙腺が金日成に感じるようにできているのかもしれない。  小学生たちは罪ない声で指導者たちを賛美しながら、一生懸命に踊りを踊ってくれる。褒めてあげれば、ほんとうに嬉しそうな顔をする。完全無欠の表情をつくってくれる優等生もいれば、本心から恥ずかしそうに嬉しい顔をする正直な子もいる。この年代なら、誰だって認められたいものだ。ネタがネタだっただけで、大人が嬉しがることを素直に実践する彼らに、罪も曇りもなかった。私たち観光客に授業参観させてくれたばかりか、雨をもろともせずに濡れながら純真に手を振って観光バスを追いかけて見送ってくれた小学校の子供たちの笑顔に、なんの罪も曇りもなかった。  その笑顔がこころを刺して痛かった。思わず泣けてきた。  それは私がなし得た、数少ない共感であった。彼らと私との、ダークだがれっきとした他者理解の成功例であった。北朝鮮と日本は、同じものの両極にいるのだ。  だがそれはダークだった。何も外の世界を知らず一生をまっとうできれば幸せという意見もあったが、それは、自分の価値観と使命感とを一点の曇りもなく疑わず猛烈に働きつづけ過労死するサラリーマンの一生を幸せというのと、同じかもしれない。そもそも、人民はそこまで意識できるよう教育されているのか。純粋な気持ちで子供たちが歌うのは、大政翼賛の歌。降りしきる雨に濡れながら私たちの観光バスを追いかけてくれた子供たちの背後には、校長先生だという太った中年女性が、部下に雨傘をささげさせ、かっぷくある手ぶら姿で微笑んでいた。北朝鮮では、すべてがパロディには違いなかった。しかしそれは、私たちの日常を実感として再検討させてくれる、極めてシリアスで重いパロディでもあった。  その明快さから、とかく遠近法こそが真実に忠実な画法とされがちだが、注意深ければ、視野は自分の眼を中心とする球面上に展開していることが分かるはず。だが、球面上に広がる視野を平坦な紙の上に転写すれば、それは見なれない像を結ぶ。  象徴的なまでに、すべてが単一の消失点へ収束する遠近法の技法、一点投射法。極めて単純明快、かつ熟練すれば複雑で柔らかな像を描くこともできる。だが、どこまで卓越しつづけても、遠近法は魚眼レンズのように発想の転換を迫ることはない。この国の数々の偉大なる建築を可能にせしめた一点投射法、その中心には、つねに金さん親子が燦然と輝いていたのだろう。だが、中米の先住民は世界最大のピラミッドを石で建設したが、ついぞ車輪を思いつかなかった。  人が意外な忘れものをしがちな存在なら、私たちもまた。  理解は、だがそこまでだった。桁外れの人みしりの向こうは熱烈な郷土愛で満ちていて、いったん心が融けると猛烈な勢いでお国自慢が始まる。出生にコンプレックスを持った田舎者が急に自信を持ち出したような、お国自慢。程度の問題かも知れないが、さすがに、かくも自尊心高く排他的な感情の奔流に、私はついていけなかった。吐露させることが理解への遠くて近い道と分かっていても、それは一方的に行われるコミュニケーションにさらされる苦痛であり、さらに偏狭な感覚から解放されたいという欲求との戦い。  アイデンティティーの名の下に、許されてしまっている我がままなヘゲモニー。南朝鮮との違いにヒステリックなまでにこだわる北韓。そんなに声を高くしないでも、北朝鮮は充分にユニークな国。共産主義(彼らは独自性を出そうとし金日成主義と呼ぶが)国家という名の儒教国家なんて、いまどきここにしかない。だのに自他の違いを徹底的に強調した舌の根も乾かぬうちに、今度は同じ民族だ、自主統一に向けて南北は一致団結しようと言い出す矛盾。  自他の差異は、じつはささやかなものでしかなく、ただそのわずかな差異すら人間には満足に乗り越えて相互理解できないばかりか、たとえ相互理解できる状況であっても、わずかな差異がありさえすれば、それは人間にとってこだわりがいのあるある差異なのか。それは、なじみある分析の筈だったか文化相対論を突き詰めたとき、今までに出会ったどの普遍論よりも広大な海原が姿を表わしたという点で、再発見に等しかった。  相対論は小気味良い思考道具であり、普遍論は桁外れに大きい。  彼らに国を憂うことが許されているのだろうか? それを私が憂うことは、主体を重んじる人々にとって、おせっかいな内政干渉になるのか? EU のように誰もが国境を自由に横断できるようになれば、なにもいま統一を急ぐこともないのか? だが、日本人である私が、他国の行く末を口にして良いのだろうか?  派遣に留まらない働きを発揮して下さった現地人ガイドさんには、是非とも訪日いただき、きれいなところもきたないところも、ぜんぶ案内してさしあげたい。何のトラブルもなく行き来できる日が、ほんとうに早く来てほしい。  しかし、ひとみしりは危険な警戒意識をも生み出す。たびたび尾行され、一時はフィルムまで没収された前科者の我々は、果たして再入国させてもらえるのだろうか。あるいは無事帰国させてもらえるのだろうか。その答は風の中。 '95年5月
Tumblr media
2 notes · View notes
cdne211170 · 3 years ago
Text
#7 隣の芝生は青くみえた。(11/7)
前回の課題で制作した9コマシナリオに基づいてプロダクトを操作し、シャッフルディスカッションで他グループに我々のグループの企画を発表した。
私は、先に他グループの発表を聞きに行った。
ー チームD 飛ぶ鳥 ー 鴨さんワークショップの飛行体バージョン。よく飛ぶ鳥にするために、翼の素材を自由に選べることは子どもたちの試行錯誤する欲を掻き立てたり、なぜこの素材だとよく飛ぶのか?という思考につなげさせることができたりして良いなと思った。子どものオリジナリティが生かせるので、素敵なコンテンツである。”鳥を飛ばす”ということは楽しそうで、男の子からの人気が高そうだと思った。
ー チームF ハチの視点 ー ハチは花粉が黒く見えているらしい。その性質を子どもたちがハチになりきって体験できるコンテンツ。生田緑地はハチで有名なので、ハチをテーマにしたのは良い選択だと思った。想像力豊かな子どもたちにハチの世界を体験させることは、面白そう。ハチの世界観に入ってもらうために、ハチのカチューシャなど小物を用意する予定だそうだ。ハチの仮装?している子どもたちの姿、絶対に可愛い。
ー チームG 薔薇のトゲ ー 生田緑地は薔薇園があるので、生田緑地で行うということに強い意味があり、良いテーマだと思った。薔薇のつるを巻き付け、ポイントを稼いでいくというゲーム。薔薇のトゲに関して学べるこのコンテンツのアイディアは新しく、オリジナリティを感じた。手を動かして薔薇のトゲの性質を体験できることは能動的な学びにつながり、記憶に残りやすいのではと思った。
他チームの発表を聞いて、どのグループもそのグループならではの要素やアイディアが含まれていて、自然との関係や生田緑地ならではの企画となっており、魅力的だなと思った。それに対して私たちのグループは、ネットにある既存の不思議な現象を遊びやすくするためにキット化するだけで、自然や生田緑地に限定することではない。このままだと、つまらないなぁと思った。 ”チームCならではの個性” を作りたい、、、。
次に、企画案を他グループの人たちに発表した。
ーー そのときにいただいた意見の一部 ーー ・親も楽しめそう ・色水にするとかわいいかも ・難易度が高い ・こどもがどうやって言葉で他者に説明できるのか ・試行錯誤がずれている 鴨さんのワークショップのように原理を思考するのではなく、正解を行うための練習になってしまうのでは? ・インクが浮く仕組み、インクの成分が怪しい ・体験が既存のものなので、新たな体験とは言えない ・インクが浮いた!分離した!で、何��つながる?
Tumblr media
嬉しい意見もいただけたけれど、厳しい意見もたくさんいただいた。 厳しい意見に目を向けると、今まで調査を怠っており、「なんとなく・多分・予測」で話を進めてきてしまったなと反省。それは大問題だ。
否定したいわけではないけれど、違和感?モヤモヤ?をずっと感じていた。何が問題なのかうまく言語化できないから、黙っていた。ちゃんと伝えた方が良いのだろうけれど、何が気になるのかわからない、どうしよう、、となっていた。その間にどんどん話が進んで、いろいろ決まってしまって、置いてかれている感覚があった。
コミュニケーションって難しい。 このタイミングで、企画をもう一度考え直すきっかけとなってよかった。シャッフルディスカッションでたくさん指摘していただき、私が感じていたモヤモヤの正体が言葉にされて、すっきりした。
・子どもたちが試行錯誤する要素がないのでは? ・オリジナリティがないのでは? ・インクが水に浮く仕組みを正しく理解できているのか? いろいろな人にたくさん厳しいこと言われて傷ついたこともあったけれど、これはチームにとって大切なことだなと思った。 より良い企画にするための「愛の鞭」なのだろう。 今後も不安はいっぱいあるけれど、来週も頑張ろう🔥
<学んだこと> 他グループの企画内容を聞くことで、我々のグループの企画を客観的に捉えて考えることができるということ。 第三者の意見を聞くことで、思考を広げることができるということ。 自分の語彙力の乏しさ。
<やること> 企画の練り直し、改善→11/12 18:00〜MT タイトル(仮)を決める ワーキングプロトタイプの材料準備
0 notes