#草の根を紡ぐ旅
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anamon-book · 10 months ago
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海を翔ける-草の根を紡ぐ旅2 伊藤ルイ 八月書館 装幀=柊光紘、装画=下鴨哲朗
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naohayashi · 1 year ago
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2024.5.31-6.4 札幌
軌跡までの走り書き
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5/31,6/1 OTHERWISE@Precious Hallにて
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絵にプロジェクション
プレシャスホールの人類の進化がディスコボールの反射光で照らされている光が走っているそれだけで面白い
極小ミニマムから急に拡大
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プレシャスホール良すぎてやりたいこと発想が止まらない。絵にプロジェクションしたいし緩急つけたすごいのつくりたい。アイディアが止まらない
パソコン1台じゃ足りないソフトも足りてない。ソフトは��効買おう。プロジェクターもレーザープロジェクター買おう。でもレーザーは壊れたらまじショックだ。普通のプロジェクター何個も持ってたらいいのか、いや買おう。
お金貯めててもしようがない使っていこう
こんなことしてる場合じゃないし落ちぶれてる場合じゃない
でも今はMUSIC BRINGS US ALL TOGETHER!!!!!
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全てが収束する場をつくりたい
でも巡っていく
循環が大事
広がることもだいじ
繋がること
独立と共同
花の香禁止
良いお酒しかださない
身体に優しいご飯を喰らう
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6/2 明けの朝3日 河川敷、すすきのの道にて
札幌はやはりさすがの土地の広さ
中心部でも道路が広く空も広い
光がよく入る
そして空気も比較的きれいだからか
光がクリアに注いでいる 澄んでいる
これでは毎日の通勤時間だけでも
十分にセロトニン摂取できそう
みんな温かく非常に和やかだ
元気だ
素晴らしいことだ
(追記:コンビニ店員さんがアツイ)
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6/3 市内の夜道
みんなが視える 情動や役割 苦悩や快楽も 全てが手に取るように ただ祈る ひとつになれますように 大いなる母に守られていると 安心して今日も 眠れますように I love you 私だけじゃ足りない 私じゃ何もできない みんなが必要だよ それぞれができることを持ち寄って 誰しもが充たされますように 比喩なんてしない 伝わってほしい もう自分の中だけには留めない 確かめられるのは 今ここにあることだけ 明日の保証なんてない ただただ祈る 自身を愛せよ 隣人を愛せよ 草木を愛せよ 空を仰ぎ海を感じ 大地を踏みしめ火を讃える 全身全霊で感じ 星星を愛する 地球に感謝する 命を紡ぐことに頭を使う 大いなる創造にすべてを捧げる それだけでいい いいはずだ
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6/4 乙女の滝へ
自分を過信しすぎておりミス連発 教訓代を支払い万事解決の連続 Rose in the Darkに支えられてる ワスレタコトヲワスレナイデ Nazeのことばが何故かずっと巡る 気の元が枯渇すると自信も薄れる Thought I've always doubted myself Guess it was just not enough おごらず謙遜し 静かに抵抗する たくさんの人を守れるようにと 余裕を ゆとりを持たねばならぬ すべてに理由があると 学びを得ること忘れずに いやいやこんなこと書いてる場合じゃないぐらいミスってるな まずバス乗り間違え1時間待つなら電車と そちらは遅延でじゃあプラン変更まず銭湯 そのよさげな銭湯現地まで行くのに反対方向の電車乗って旅するも入れ墨禁止と まあそうですよね難しいなあ
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交わしたこんにちは しばらく電撃が走っていたこと ころんだこと 泥まみれになったこと きれいになったこと いい顔していると思えたこと 帰りの道は 足の先の感覚はなく でも足取りは軽く 忍者のように 腕を後ろに広げ飛ぶように走った 思ったこと スマホもあって 電波が立ってて インタネットのお陰で こうして友達みんなと繋がっていられる 私は元気だよと伝えられる いま、わたしは生きている 此処に在る 大地を踏みしめて歩いてる 空が広い 水に記憶を呼び覚まされる 忘れないようにしたい 忘れてしまったとしても もう忘れたことを忘れない 私には足りていない何か 誰かが持っている何か 私が分け与えられるものもある 人の中に己を見て 学ぶ 自信になる 見えたものは私が持っているもの 必要としているもの それぞれが違うということ みんなの世界があるということ 自分が一番、自分の真の価値を知っている ちっちゃいときにもう知っていたんだ みんな忘れているだけ 取り戻せるから 安心していて 感性を失わないで まあでも 頭使って考えて 理性的に冷静に観察して思考するのも この時代に生まれた私たちの宿命でもあり 醍醐味なんよね 思考というのもしかし 思って考えるだから 思うこと、つまりは感覚からくる感情に気づくこと どちらかではなくどちらもということ 乖離的ではないけどいろんな自分が存在するな と、この文章書いてても思う 全部私だと認めてやる かっこよくありたい自分と弱い自分を認めてあげる 全部包括して愛してあげる 思ったより遠かったり 思ったより近かったりする 記憶の中の主観 ぬぐい 広いところをみる 足元も確認 根っこは伸ばす いつでも戻ってくれるから 飛びたいときに飛べばいい わたしも誰かのhomeとなれるように 変動的で不変的なものを 培って待っていよう どの軸で交わるか分からない 平等には訪れない でもきっとすべて公���なんだ 地球が回っていることと同じなんだ 奇跡的にバランスが取れているんだ 豊かになりすぎると 欲を出しすぎると どこかで誰かが泣いてしまうから 頑張り過ぎないで 無理しないで 明日の自分が泣いちゃうから 答えなんてわからないけど それが今日を生きる証だ 幕を閉じるにはまだはやい ひとつ終わってもまた始めればよい 点を重ねて 繋げていくんだ 次世代への手綱になりますようにと なるほど、点から線へ 線が集えば手綱になる もっと頼り強いものができる
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6/4 旅立ち
札幌の会話が心地良い 急いでもいいことないということ 自分のペースを観察していくということ 余白をつくる
余白の長さもまちまち 人によっても日によっても 感じることを大事に 幸せだ 余韻に浸る空港までの電車 声や距離感が心地よい
今朝は3時に月と太陽がバトンタッチしていた 晴れ間の方へと流れるシルク 日差しに包まれまどろむ車内 離れることが自然に感じる ひとたび戻って整える 余白を作る ありがとう
いってきます
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fancollection-too-maaya · 4 years ago
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4.少年アリス [2003]
1.うちゅうひこうしのうた
何気なく見たテレビの向こう、いつか図書館で読んだ本の挿絵に似た素朴な線で、宇宙飛行士が漂っていた。優しい歌とピアノ、時折聞こえる未知の信号、嗅いだことのないレタスの匂いは黄緑色で、どこか懐かしいと思った。隙間のたった5分が待ち遠しい、それは2度目の出会い。
2.ソラヲミロ
赤く焼けた大地に聳え立つ岩場、地層を上に追っていけば厚い雲が走る空がある。強い風の中で、何度も倒れそうになりながら、その二本の足でしっかりと立つ姿。決意を感じさせる眼差しと、その背中は誇り高い魂を呼び起こして、咆哮にも似た声をあげる。まるでそれは映画のように。
3.スクラップ〜別れの詩
肌を切り裂くように吹きすさぶ風にさらわれて、溢れ落ちた記憶のスクラップが遠い空へ去っていく。疾走感に溢れたこの歌は、泥臭さの中に見つけた光の欠片。この鼓膜から体中を駆け抜けて、貫かれた魂が痺れる様にうち震える。追い立てるリズムが廻る車輪の様で息もつけない。
4.まきばアリス!
いろんな言葉に感嘆符がつくような、そんな楽しさで紡がれる言葉。手拍子をしながら、楽器隊は立ち上がり、高らかに歌う。握った君の手が少し汗ばんでいても、その足取りがもたついてもどうだって良くて、全部が愛おしくて世界ごと抱きしめたい。だって、僕らは恋人だから!
5.真昼が雪
触れればすぐに溶ける儚い雪も、降り続ければ世界を真っ白に変えてしまうように、積もり積もっていく思い。遠くまで続く送電線を伝って、この声があなたに届けばいいのにと思う。そんな事を呟いて思い出す、柔らかくて忘れたくないその腕はいつか来る春に似ている。
6.KINGFISHER GIRL
古びた背表紙の本を読んでいる。19世紀初頭に描かれた、子供たち向けの童話を集めた一冊。カリグラフィで飾られたタイトル、所々薄れた文字、そして鉱石のような輝きを持つ翡翠色のカワセミの羽根ーー歌うようにその物語をなぞる。燃えゆく最後さえも���しい、羽ばたきを聞いた。
7.ヒーロー
遮光カーテンの向こう側で、車や信号の点滅する光がちらついている。膝の上にはまるでずっとそこに収まっていたかのように馴染んだ体温があって、その硬い髪を撫でると時折耳の筋に指先が触れた。草臥れた重たい体に被さると、なんだか私達は一つだったかのような気がしてくるね。
8.夜
砕け散ったガラスの破片が暗い部屋の中でその輪郭をちらつかせている。片付けるのも嫌になって、ベッドに倒れ込んだら飲みかけのワインの縁が目に止まった。どうしてここにあなたが居ないのか、全然わからない、そうたとえ叫んでも声は夜に吸い込まれて、もうきっとあのドアは二度と開かない。
9 .CALL TO ME
夕暮れが傾いて、高い窓からこの部屋に落ちてくる。見覚えのある番号が、また鳴り出すのを待ちながら、どうしようもなく不安になって部屋の隅に座って夜が来るのを待っている。その焦がれるような空気がギターの刻みに見えて。弾き語りをするなら一番にこの曲が歌えるようになりたい。
10.光あれ
夕暮れの川沿いに立って、橙が世界を満たすのを見つめていた。掌に透かしても、真っ直ぐ胸に届くこの熱さに泣きだしそうになるのを堪えて、その光を見据えれば、眩さの中に見える未来に向かうのは自分の足でしかないと思い知らされる。信じる事が、かけがえのない力に変わる瞬間。
11.ちびっこフォーク
草原でギターを奏でながら、誰に向けてでもなく旅人が歌う。かき鳴らされるメロディに時折交じる、弦がしなる音に気付くと、かつてこの場所で起きた出来事が幻影のように今の景色に重なっては消えた。若人の嘆き、それでも戦うのは何故?答えを探して、僕らはまた旅に出る。
12.park amsterdam
ビルに囲まれた都会の公園で、高い背をした彼のポケットから出てきた恋人。歌うように笑い、面白可笑しく夢のような旅の話をしてくれた。気球の模様よりも、空から見た世界はそれはそれはちっぽけでしょう!二人だから素敵な物語に、私はもうお腹がいっぱい。どうかお幸せに。
13.03
世界が静かに生まれ変わろうとする夜明け、連なるビルが空の色に染まっていく。新しい日の訪れを知らせる風に乗るように、目を閉じれば、遠い果てまで見えるような気がした。朝の空気に溶ける身体は、やがて透明になり、金色の光が消えゆく輪郭を縁取ってゆく。それは私が最も私らしく在る時。
14.おきてがみ
手触りのいい、お気に入りの便箋にペンを走らせた。言い忘れている事がないか部屋を見渡すと、様々な物が大切な思い出として浮かび上がる。過ごした日々が教えてくれた事、愛された事を、忘れない。白い息を吐く。この部屋の窓から見る最後の朝日。そして私だけの道を行く、新しい旅へ。
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hirusoratamago · 5 years ago
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【QN】冒険者という選択
 夕暮れ。
 見渡す限りの草原を、牧舎へと帰る家畜の群れが歩いている。
 そよ風が黄金色の小麦畑を揺らし、大地のさざ波を響かせている。
 来週から収穫が始まるらしい。なんでも大豊作だそうだ。
 一番景色の良い時期にやって来れた幸運に思わず笑みがこぼれた。このささやかな幸運は、いつだって味方している。
 粒の大きく、色艶も良い小麦。これで作ったパンの味はもう保証されたようなもので、想像するだけで涎が湧き出した。
 長閑な村だ。一回りすれば、それがこの村の総て。見知った顔ばかりの小さな世界。
 自分の故郷もこんな感じだった。 両親、姉妹達、村の人々。 今でも一人ひとり、顔を鮮明に思い出すことができる。
 毎日がゆっくりと過ぎ去り、これが永遠に続くようで、心地よくて。
 冬が来れば次の春を、夏を、秋を――未来を家の中で語った。なんでもないシチューを家族と囲んで食べるのが、幸せな時間だった。
 日が沈む。一日が、終わる。
 日没を眺めていて、なぜだか感情が揺さぶられるようになったのは、何歳の時だっただろう?
 それが平凡な暮らしをよしとせず、広大な世界を、大空を羽ばたき見てみたいという欲求だったのにはっきりと気づいたのは13歳の時だった。だから、それより前の筈だ。
 大家族の四女、パティリッタという自分は、村という小さな世界で我慢できなくなっていたのだ。
「ラクトー!」
 今日の宿を世話になる村長の家、母親であろう女性が大きな声をどこか遠くへ投げかけたのを耳にして、意識を戻した。
 見れば一人の少年がこちらへ歩いてきている。この家に住む子供なのだとすぐにわかった。
「お客さんがいらっしゃったから、ラクトも挨拶なさい」
 家の扉が開いて、一人の少年が入ってくる。
「おぉ、戻ったか」
 彼の父親、つまりこの村の長が少年に挨拶を促している。
 ラクトと呼ばれた少年は、こちらを見ると怪訝な顔をしていた。こんな時期に客が来るなんて珍しい、と表情が物語っている。
 旅装束の自分はさぞ奇妙に見えているのだろう。尤もな反応だ。
「こいつはうちの倅、ラクトと言います」
 どこにでもいそうな素朴な雰囲気の少年だった。自分より一回りほど幼い。
 栗毛に丸いおっとりとした印��を持たせる瞳がこちらを見つめている。
 “はじめまして”と挨拶して、今日はこの家でお世話になることなどを伝えると彼は納得して��れたようだった。
 
 この村に来たのは全くの偶然だ。
 仕事を引き受けた帰りに道に迷ってしまい、たまたまこの村を見つけただけだった。
 道を尋ねるだけにしようかとも思ったが、夜に空を飛ぶのは慣れていないし、危険なものになる。
 多少路銀もあることだし、対価を示せば泊めてくれるだろうという安易な考えから滞在を決めた。なにより腹が空いていた。
 この村は雰囲気もいいし、ついでに冒険で疲れた躰をじっくり休めるのに、今日だけの宿ではなく明日の宿も頼んだところ快諾してもらえたのが嬉しかった。
「何もないところですが、ゆっくりしていってください」
 歓迎の言葉を改めて口にした村長が続ける。
「本当ならめったにこない客人ということで歓迎したいところですが、明日からは収穫で手が空いておりません。もし何かあれば、ラクトを呼びつけてください」
 その収穫を手伝おうかと申し出ようかと考えたが、一日限りの客人だ。よそ者には違いない。あえて言葉に甘えたほうが、妙な角を立てることもないだろうと思い直した。
「自分の故郷の村だと思って、ゆっくりなさってください」
 突然の来客にここまで手厚くしてもらえて少し申し訳なくも思う。それに村長は対価はいらぬと言っていた。
 本当に対価は必要ないのかと問うと、彼は改めて首をゆっくりと横に振った。
「あぁ、お礼はいりません。どうしてもお礼がしたいというのなら、この村の人々はとても親切で、美味しい小麦を作る村だったと話してもらえでもしたら十分です」
 こうして一時、冒険者稼業を忘れ、思い切り羽根を伸ばす休暇が始まった。
 翌日、日の昇る前に起きた。
 故郷によく似たこの村で、故郷で生活していた時のように目を覚ます。
 一瞬時間が巻き戻ったように感じるが、そばに放り出していた冒険用具を見れば、すぐに自分が冒険者であることを自覚した。
 そういえば道具の手入れをサボっていたなと思い出し、朝の静かな時間を手入れに充てる。
 しばらくするとラクトが起こしに来てくれた。そして、朝の仕事の前に軽い食事があるのだと教えてくれた。
 季節の野菜と、豚の脂身と、古くて固くなったパンを放り込んだ農家のシチュー。冒険者となり世界を見て回った今、それはひどく質素なものだと知っている。
 けれども、これ以上心が安らぐものもない。これが故郷の味、少し郷愁に駆られる味なのだ。
 食事が終われば、村長達は収穫のために畑へ出かける。あとに残されたラクトは、なにか自分にできることはあるかと尋ねてきた。
 難しい注文はできない。ならばと考えたのは、村の案内だった。
 既に一通り見て回ったが、村人であるラクトの目線から見て紹介されるこの村の風景は、また違って見えるのかもしれないから。
 古びた��車、広がる畑、脇を流れる小さな川。
 最後に見晴らしのいい丘まで登ってみると、やっぱり見て回るのはあっという間で、ラクトはここからどう案内したものかと頭を悩ませているようだった。
 “お礼になにかできることはない?”と、助け舟を出してみるとラクトは畑の向こうに目をやる。
 その先には街道が見える。あれをたどればどこか街に辿り着くことができるだろう。この村とは違う、もっと活気があって、忙しなくて、文化に彩られた街だ。
 更に街道をたどれば、その街よりもっと大きな都市があって、更に回れば、都市が集まり形成される国家というものを知ることができる筈だ。
 ラクトの表情は、どこか憧れのようなものが見えていた。その発見に、少しドキリとした。――かつての自分にそっくりだ。
 彼は予想通り、こんなお願いをしてくれた。
 ――じゃあ、色んな旅の話を聞かせてもらえませんか?
 喜んで、その“依頼”に応じることにした。
 華々しい大成功とまではいかないが、それなりに胸踊り手に汗握る冒険を繰り広げてきたつもりだ。
 普段は酒場で酒を片手に、同じ冒険者達へ話すその冒険譚を村の少年に話すというのは、新鮮な気持ちがした。
「じゃあ、ここに来る前の出来事から……」
 
 遠い地の話をした。
 異国の文化を語り、想像だにしない絶景を想起しながら言葉に起こした。
 まだ見ぬ人々の物語をした。
 噂でしか聞いたことのない、雲の上のような人々、本当に存在するのかどうか、霞のような人々を紹介した。
 笑ってしまうような冒険もあれば、今でも答えの出せない不思議な冒険、物悲しい背景を知り涙した冒険を、時間の許す限り伝えた。
 食い入るように聞き入ってくれるラクトに、普段以上に舌が回っていたように思う。
 気がつけば、今日という太陽はすっかり傾き始めていた。教会の鐘の音が響いた。
 あっという間の時間が過ぎ去り、ラクトはまだ冒険譚を聞いていたいと残念そうな顔をしたが、夕餉が始まるからと言い率先して家へと足を向けていた。
 一日楽しい時間が過ごせたと夕食の場で改めて村長らに礼を述べると、彼らも嬉しそうだった。ラクトは少し、残念そうだったけれど。
 そうして、また一日が終わった。
 次の日の朝、支度を整え泊めてくれた礼を述べ、街へと発とうとした時だった。
「僕、あの丘まで冒険者さんを送っていくよ」
 ラクトがそう申し出た。それはとっさに考えついたように少し早口で、頬が紅潮していた。
 彼はなにか、決めたのだと思った。かつての自分がそうだったから、よくわかった。
 けれど、あえて何も言わずに彼の見送りをただ受けることにした。
 そうして丘を登り終えた時、いよいよ彼はその心の内を口にする。
 収穫祭が終われば、自分は村の長になる準備を始める。
 そうして村を支える立場になれば、もうこの村からは離れることはできない。世界は、この村で閉じることになる。
 暖かくて平穏で、何も問題がない穏やかな生活。だけどそれがとても怖いと彼は言った。
 世界は広く、この村は狭い。それに気づいた今はもう。
「広い世界を見たい」
 彼はその先をどう紡ぐか長い間考え、そして口にした。
「だからお願いです」
 決心を宿した瞳がこちらを見据えている。
「僕を村から連れだしてくれませんか?」
 勇気を振り絞ったのだろう、その声と手は震えていた。顔は俯き、直視することができなくなったらしい。
 考える時間は十分にあった。何度もはじめから考えて、そして一つの答えを出した。
 
 ――連れて行ってもいい。
 そう答えた。ラクトの顔が跳ね上がり、明るいものへと変わっていく。
 けれどそれを見ながら、胸中は複雑なままだった。
 同じ思いを抱き、そして本当に冒険者になったからこそ、その選択がいかに重たく辛いものかを自分はよく知っている。
 昨日、この丘で彼に話した輝かしい冒険譚の陰に潜む闇を、知っている。 
 死の恐怖に怯え、飢えに恨めしげに空を仰ぎ、後悔を繰り返し、平穏な生活を渇望する、その辛さを語った。
 あなたはとても恵まれた場所にいる。家族がいて、家があり、温かい食事があり、未来が約束されている。
 
 ――それでも、それを捨て冒険者になるのか?
 彼は一瞬怯みそうになったが、それでも自分の意志は変わらないとはっきりと顔を見て答えてくれた。
 彼の返事に、頷く。そして言った。
「答えが出ているなら、その決断を誰かに委ねちゃいけません。あなた一人が決めるんです。他の誰でもない、あなたが、です」
「もし困難が立ちふさがるなら、力を貸しましょう。けれどあなたの前に道はあるし、歩ける足も持っている」
「冒険者になりたいなら、なればいいんだと思います。けれどそれは自分が選び、すべての責任を取る。……それができるのが冒険者なんじゃないかとあたしは思います」
 
 彼は驚いたように目を見開いた。それから、少し落ち込んだような様子を見せた。
 彼はどんな決断をするだろう。自分と同じように、世界へと羽ばたくのだろうか。
 何れにせよ、それを決めさせるのは役目ではない。できるのは、ここまでだ。
「もし、それでも冒険者を選ぶなら。きっとあなたはいい冒険者になれると思います! ……また、何処かで逢えるといいですね。それでは!」
 
 背を向けて、人の手を翼に戻し、飛び立とうとしたその瞬間だった。
「待って、ください」
 振り返れば唇をキュッと結んで、こちらを見るラクトの姿。
「最後に一つだけ聞かせてください」
 彼の表情に見える決意と、憧れ。それらがない混ぜになった物を見て、思わず微笑む。
「冒険者さんは、なんで冒険者になったんですか?」
 とても簡単な質問だ。
 あたしはこう答えて、今度こそ、空へと羽ばたいた。
「世界を――知るためですよ!」
 これは名もなき村で起きた、何処にでも居る冒険者と、何処にでも居る憧れを持った少年の物語。
 ――冒険者という選択。
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2ttf · 13 years ago
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syumidas · 5 years ago
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『終わりのない』 我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか
黒幕は降りているが、入場した時から森の中のような鳥の声と、耳鳴りのようなキーンという電子音、テレビのホワイトノイズのような電子音が流れている。
それは、これから語られる3つの世界の予告だ。
すなわち、現代のキャンプ場と32世紀の宇宙船、年代不明の惑星である。
幕が上がると、まず美術に目を奪われる。
背景に設えられた大きな円形スクリーンと、対になる円形ステージ。
背景の円は、場面によって月や太陽、水中、宇宙船の窓の見立てになる。
2つの円はブラックホールとホワイトホールのようでもあり、この物語の円環性や、死と再生のウロボロス、輪廻転生を象徴している。
暗闇に響く呼吸音。
水の中で溺れている、幼い頃の悠理だ。
ダイビング中、事故に遭った彼は、当時持っていたひらめきの能力によって溺死を免れ、代わりにその能力を失ってしまった。
ストーリーは、時空をまたにかけたロードムービーのような構成だ。
主人公の悠理は、自意識と周囲のズレを感じて引きこもりがちな思春期の青年。
連れてこられたキャンプで、両親の離婚や友達の進路など、周囲が次々と将来を決めて前に進んでいくことを知りショックを受ける。
時間が止まったままの自分を改めて突きつけられ、苦しむ悠里。
彼には、そうなったきっかけがあった。
中学時代に恋人だった同級生の杏を妊娠、流産させ、受験も失敗してしまった過去だ。
彼女を突き放した苦い思い出を回想し、やけになって泳いだ湖で彼は再び溺れる。
目覚めると、そこは32世紀の入植宇宙船内。
意識は21世紀の悠理のままだが、肉体はこの世界のユーリのクローンだとAIアンドロイドのダンに告げられる。
ダンは、マザーコン��ュータ(マザコン?)とつながった複数ある端末の一つで、悠理の意識が入ったユーリに興味を示す。
この世界のユーリは、ひらめき(無意識)のスペシャリストで、地球から他惑星への入植を目指す調査班の一員だったが、アレルギーで事故死した。
メンバーの中には、かつて自分が傷つけた杏とそっくりな女性もいる。
彼女らは、どうしても必要なユーリをクローンで復活させようとしていた。
様子がおかしい悠理を見て、同僚たちはバグだと判断し、悠理を宇宙へ放り捨てる。
皆に必要とされる存在から、一転、いらない子として捨てられる存在に。
���るで自分が切り捨て、流産で流れてしまった胎児のように、宇宙に流される悠理。
この場面で、「宇宙には人類しかいない」と告げられるのがショックだった。
広大な宇宙で、どこまで行っても孤独な人類を想像すると、その絶望と心もとなさが胸に迫る。
再び目覚めた悠理は見知らぬ惑星にいて、遭難者のエイと出会う。
彼は32世紀でブラックホールに飛び込んでホワイトホールを通り抜け、惑星にたどり着いた地球人だと言う。
惑星には、イプノス人という個と全の境界が曖昧で、原始人類のような部族が暮らしている。
イプノス人は杏をはじめ、悠理にとって大切な家族や友人らの顔をしていた。
幼い頃の悠理と32世紀のユーリが持っていたひらめきの能力は、このイプノス人の無意識からの囁きと同種らしい。
すなわちそれは、神のような存在であり、人類にとって精神のふるさとのような、根源的なものだ。
また、それはマザーコンピュータでつながれたAIダンたちも想起させる。
悠理はイプノス人を攻めてきた対立部族から彼らを守るため、自分は対立部族の王子だと偽って立ち向かう。
最初のキャンプ場から比べると、自己犠牲さえ厭わない悠理の精神的な成長が表現されている。
悠理はこの行動によってイプノス人の英雄になる。
それは、個がゆるやかにつながっていた彼らに、自分と他人を強烈に区別させ、自意識を目覚めさせるきっかけになっただろう。
このシーンの山田裕貴は、日頃から俳優王になる!と熱い魂を全開にしている彼にぴったりの熱演だった。
彼を知ったのは、映画『あゝ、荒野』に登場したヒットマンスタイルの敵ボクサー役からだが(今回もボクシングシーンがあった)、ギラギラして前のめりだった当時よりも少し肩の力が抜け、俳優として見やすくなったように感じる。
本作でも、できあがっているイキウメメンバーの中、ほぼ出ずっぱりで、悩み翻弄される等身大の悠理青年を自然体で演じていた。
ところで、前の場面で宇宙には人類しか存在しない事実が語られている。
ならば、この惑星は過去の地球なのではないか。
あるいは、環境破壊が進んで原始へと戻った未来の地球かもしれない。
次の場面は、最初のキャンプ場の世界が繰り返されるが、微妙にメンバー��増えている。
異分子は、杏と杏の父、悠理父の担当編集者だ。
彼らは、宇宙船で会った惑星調査班の同僚と同じ顔をしている。
杏がいるこの世界は、悠理にとって自分の罪がなくなった理想の世界。
だが、悠理はこの世界を選ばないで拒絶する。
そこにダンが現れ、彼と再び宇宙船へ。
この場面で、物理学者である母から平行世界や量子論の話が挟み込まれる。
平行世界は行き来できないと提示されるが、ならばこの場面は悠理が見ている夢なのか。
宇宙船で、悠理はまたしても同僚たちから失敗クローンとして排除されそうになる。
そこで、自分に興味を示していたダンと対話をし、彼を一人の人格として扱うことでダンの中に自我が生まれる。
ダンはマザーコンピュータと自身を切り離し、己の意志で悠理を逃がしてクローン実験を止めようとする。
ここでもまた、自意識の目覚めが重要なファクターになっている。
宇宙船でダンからもらった安定剤を飲み、目覚めた悠理はようやく最初のキャンプ場に戻ってくる。
居心地の悪い、だが、自分の居るべき場所。
たくさんの世界の中から、確かに自分が選択した世界だ。
彼の中に、長い旅を経て経験したたくさんの悠理が一気に流れ込んでくる。
たまらず叫び、嗚咽する山田裕貴。
そう、この場面は物語を紡いできた登場人物の悠理ではなく、物語の外にいる客観的な存在のように見えた。
目の前の舞台世界が一気に崩れ去り、彼以外の演者がステージを降りて去るせいもある。
やがて彼は、ゆっくりと立ち上がり、我々観客を見回しながら噛みしめるように言葉を紡ぐ。
「これは僕の…人類の物語だ…終わりのない…」。
改めて、前川知大のスケール感に驚く。
時空を操り、これだけ抽象的な概念を詰め込みながら、十数メートル四方の空間に、たった2時間で、人類を励ます物語を構築しようとしていた。
ただ、最後の台詞の「人類」は蛇足だったように思う。
冒頭の「これは僕の物語だ」という台詞との対比なのはわかるが、そのワードがなくても、我々人間の物語であることは十分に伝わってきた。
ちょうど同時期に、カミュ戯曲の『カリギュラ』を観たのだが、あれもまた人間が生きて死ぬ不条理と闘い続けた若者が、最後に「歴史の中に入るんだ」、「おれはまだ生きている(常にお前たち人間の中に)」と叫ぶことで、ローマ帝国時代の物語を、一気に今の我々の元まで吸引する力を持っていた。
台詞としては、そちらの方がセンスを感じる。
始まりもなければ、終わりもない。時間と空間。無限の世界。
命は繰り返され、つねに旅の途中にある。
歴史はいつ始まり、物語はいつ終わるのか。
旅、世界、物語。終わりのない。
 (公式ホームページより)
帰属する世界と切り離され、根無し草のように旅をする悠理の寄る��なさは、物理的な意味だけでなく、自己の核となるもの、根源となる精神的故郷の喪失を意味していると思う。
それは悠理個人だけでなく、人類、とりわけ現代人が失ってしまったと思っているものでもある。
この作品は、青年の思春期成長譚をモチーフとして、そうした孤立感を深めた人類を鼓舞する物語だ。
観客は、始まりもなければ終わりもない、無限の世界を悠理と一緒に旅することで、誰もが過去や未来、平行世界とつながる糸の一つの結び目であることに気づく。
自分で一つひとつ選択していくことで、“今ここ”の結び目にたどり着いたのだ。
俯瞰してみれば、選ばなかったことでできた分岐の糸、糸、糸。
ちょうど、そんな光景を『塩田千春展:魂がふるえる』で見たことを思い出した。
あの中の《不確かな旅》というインスタレーションが、まさにそんな世界を表現していた。
無数の分岐した真っ赤な糸は、数隻の華奢な骨組みの舟と繋がっている。
あの不確かだが確実に前に進んでいく舟こそが、我々の核となりルーツとなる、精神的故郷の象徴なのだろう。
時空を超え、平行世界を旅する悠理を見ていて、何かに似ているなと思った。
それは、現代人のSNSでのふるまいだ。
私たちはLINEやTwitter、Instagram、Facebookで、あるいは、それらの中の複数アカウントを使い分けて、同時並行的にさまざまな世界にログインする。
一昔前のように表裏があるというわけではなく、リアルの家族や恋人、友達と繋がっている自分、仕事上の繋がりの中の自分、趣味仲間との自分、映えるごはんを投稿する自分、情報を取るだけの自分と、生きる上で何人もの自分とコミュニティーを平行移動して使い分ける。
それらすべての自分は、一人の自分をよりよく生かすために自らが創り上げた、All for Oneなのだ。
私たちは、自分で生み出したすべての自分と平行世界を内在させながら、実在の足で独り立ち上がり生きていく。
最初、概要を読んだ時は、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」みたいな世界かと思ったが、実際の印象は7、80年代のジュブナイルSFや、萩尾望都のSF漫画のようだった。
個人的に、資本主義☓民主主義は最早どん詰まりで、それを打破するには宇宙に飛び出して新たなフィールドを開拓するしかないと思っているので、本作は興味深いテーマだった。
我々の自意識が宇宙で生きることを選択した時、我々は世界や人間のまったく新しい捉え方、思想哲学を獲得できるのではないだろうか。
それまでは、この瀕死の地球上に立ち続けるしかないのだ。
そんな人類を、人間を、私を励ます演劇作品だった。
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ppvv3388 · 6 years ago
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ぬいぐるみになったヴェインの話
1.
(た…大変なことになってしまった……)
 ヴェインは、誰も周囲にいない草原に転がり呆然と青空を見上げていた。
 その日ヴェインは、フェードラッヘを離れてランスロットともに騎空団に身を寄せており、いつも通り団長であるグランと共に魔物の討伐依頼に出かけていた。ランスロット、それからジークフリートとパーシヴァルというなんだか久しい組み合わせで向かった依頼は、聞いていたよりも魔物の数が多く、団長であるグランと五人と���やむなく分散させられたのだ。
数は多かったが、一体ずつはそうたいしたことはなく、ヴェインはさくっとひとりで周辺にいた魔物を蹴散らした。これならば他の四人もそう問題はないだろう。―さて皆と合流しようかと思った、その矢先。今まで見た事もない奇妙な生物に遭遇して、気が付けば草原に転がっていた。姿を確かめる暇もなく、ヴェインは瞬く間もなく現在の状態になってしまっていた。
(か、体が動かない……)
 ずっと上を向いたまま体どころか顔や視線さえ動かせず、ずっとヴェインの視点は一面の青空だけだった。しかも何故か声も出ない。一体今自分はどうなってしまっているのか、一緒に依頼に出たみんなはどうしているのか…そもそもこれからどうなるのか…。
 どのくらいの時間が過ぎ去ったのか、青空をいくつかの雲たちが移動するのだけ見える視界に突然ぬっと人の顔が現れてびくりとする―とは言っても身体が動いた気配はしないのであくまでも気持ち的に―。
(パーさん…!! …ってデカ!?)
 視界に入ったのは、同じ依頼に出ていたパーシヴァルだった。声は相変わらずでないもののとりあえずよかった誰か来てくれて、と安堵したのもつかの間でヴェインを覗き込むパーシヴァルは、なぜかとても大きく見える。
 パーシヴァルが巨大化したとも思えないし…ともなれば、もしや自身が小さくなってしまったのか!?とヴェインはただでさえ混乱を起こしている頭を余計に混乱させた。
ヴェインが考えをまとめる暇もなく、パーシヴァルはヴェインへ手を伸ばすとそのままむんずと掴んでひょいと持ち上げた。
「……駄犬の、ぬいぐるみか?」
 そんなヴェインをまじまじと見つめたパーシヴァルは、緩く首を傾げてぽつりとそんなことをつぶやいた。
(―……ぬい、ぐるみ…? 俺いまぬいぐるみになってんのかぁ!?)
 ぞぞっと震える。原因はどう考えても先程遭遇した魔物(仮称)だろう。道理ですべてのものが大きく見え、体も顔も視線も動かせず声も出ないわけだ。
どうやらヴェインはかなり厄介な術のようなものをかけられてしまったようだ。しかも、パーシヴァルほどの男も気づかないほど巧妙にかけられている。
(で、でもパーさんがこのぬいぐるみかっこ俺かっことじをランちゃんとかジークフリートさんとか団長とか他の団員に見せてさえくれれば誰かひとりくらいは…!)
 特に騎空団は、あらゆる種族やあらゆる職業、特技を持った人が集まっている。こういった術などに詳しい団員も中にはいるはずだ。ヴェインは頼むぜパーさんといまだにぬいぐるみヴェインをじいと見つめているパーシヴァルに祈った。
「パーシヴァル! どう、こっちにヴェインいた?」
 少し近くからざくざくと草原を走る足音と、少年…グランの声がすると、パーシヴァルは何を思ったか手にしていたぬいぐるみヴェインをずぼっと荷物に突っこんでしまった。
「…いいや、こちらにはいないようだな」
 どうやらグランを含めた他のメンバーでいつまでも合流しないヴェインを探しているようだった。
(ぅおおい、何してんだよパーさん!!)
 頼みの綱であるはずのパーシヴァルは、ヴェインに似たぬいぐるみを見つけたことをグランに言わずそのまま歩きだしてしまった。仕舞われたヴェインは、パーシヴァルが歩く度に他の荷物にもみくちゃにされながらも誰に聞こえるでもない声をあげるのだった。
 2.
 単純にいつもの方向音痴から道にでも迷っているんだろう、と思われていたヴェインの捜索は難航していた。―早いもので、数週間が経とうとしていた。
当初はみな、すぐに見つかると思っていたのだ。けれど、その予想に反して、ヴェインの姿どころかその痕跡や手がかりさえどこにも見つからなかった。まるで、はじめからその場所にいなかったように、ヴェインは忽然と姿を消してしまったのだ。
 ヴェインが消えたあの日、パーシヴァルと同じくして共に出ていたランスロットはヴェインが気が気でないらしく、連日遅くまで捜索に出ているというのにあれ以来ずっと眠れていないようだった。
「ヴェインに、何かあったのではと思うと…」
「…いいからおまえは眠ることを考えろ、駄犬が戻るより先におまえが倒れてどうする」
「わかっている、わかってはいるんだ……」
 いつも涼しげな目元には薄らと隈のようなものが出来ているランスロットは、パーシヴァルの言葉に弱々しい声を漏らしながら小さく息を吐いた。本当に、このままではランスロットは倒れかねなかった。
「わかっているのならばもう寝ろ、いいな」
「……ああ、すまないパーシヴァル…」
 と、と背をやんわりと摩るように押してやるとランスロットは僅かに間をあけてから頷いた。それから、平時であれば凛々しい足元をいくらかふらつかせながら廊下を歩いて騎空艇の自室へと戻って行った。その背は随分頼りなく、あんな姿フェードラッヘの民や騎士団に属する騎士たちにはとてもではないが見せられたものではなかった。
後ろ姿が見えなくなるまで見送りひとりになったパーシヴァルは、そっと吐息を零した。
「パーシヴァル」
「! ジークフリートか…」
 暫くその場に立っていると、不意に背後から声を掛けられ肩を揺らした。振り向くと、どうやらつい先程帰ってきたらしいジークフリートが立っており、警戒するような目をじろりと向けたパーシヴァルに困ったように苦くほほえんでいた。
「ランスロットの様子はどうだ」
「……どうも何も、おまえも知っているだろう。相変わらずろくな睡眠もとっていないせいでひどい有様だ、目も当てられん」
 ランスロットの痛ましい状態は、この騎空団に属している者であれば今や誰しもが知っていることだった。それは、ヴェインがいなくなってからは珍しく毎日騎空艇にこうして戻ってきているジークフリートもよく知っていることだろう。
パーシヴァルが僅かに眉間に皺を寄せ苦々しく放った言葉に、そうか、とだけ呟きジークフリートは何か思案するように目を伏せた。
「気になるのであればおまえから言ったらどうだ、おまえの言葉のほうがあいつも多少は聞く耳をもつだろう」
「そうか? 俺はおまえのほうが適任だと思うぞ」
「…おまえまで団長と同じことを言うな」
 心底そう思ってい���ようで、パーシヴァルにそのように言われるのが意外だとでも言わんばかりに一瞬琥珀色の瞳をまるめ、ジークフリートはきょとんとした。
パーシヴァルはそんなジークフリートの顔を見て、寄ってしまいそうになってひくつく眉間に手をやった。
 ヴェインの捜索は、当初はヴェインのいつもの調子で迷子になっていると思われていたからランスロットやパーシヴァルといった数名のみで行って、団長や他の騎空団のメンバーはその数名に任せて、各地に騎空艇を飛ばしていつも通り依頼などをこなしていたのだ。だが数日経っても、ヴェインは見つからなかった。パーシヴァルがその報告を団長にすると、こんなにも見つからないのはおかしい、と何かあったのでは、と同じくヴェインが消えたあの日にともにいた団長は顔を青ざめさせた。
 捜索にあたっていた人数が少なかったとはいえ、ここまで何の手がかりがないというのは確かに何かがおかしかった。仮にヴェインがいつものように道に迷っているのだとしても、さすがに周辺の街にたどり着けないということは、ヴェインと言えどもさすがにありえない。けれど、島に点在するどの街や村にもヴェインを見かけた者も、ヴェイン自身もいなかったのだ。
 やがて、何か決意したように立ち上がると団長は団をあげてヴェインを探そうと言いだした。今では、団長指揮のもと属性など関係なく数グループに分けてさらに広い範囲を端々と捜索、また島自体とヴェインが消えた周辺に何か不審な出来事がなかったか、などの情報収集をしている。
そして、その組み分けの際にランスロットと同じグループになったときに団長にも今のジークフリートの言葉のようなことを言われたのだ。
 ―正直なところ。ランスロットのことを見ているのが嫌だとか面倒だとかではないのだ。事実、パーシヴァルとてランスロットのことは心配だ。けれど、果たして団長やジークフリートが期待しているようなことを自分が出来るのかと考えると、とてもではないが自分は適任ではないと思っていた。あんな状態のランスロットにはもっと、細かに気遣って優しい言葉をかけ安心させられるような誰かが―。
そこまで考えて、いつもランスロットの傍にいる今はいない男の姿が脳裏を過ってパーシヴァルは顔をゆがめた。
「くそ、あの駄犬め…どこまで人に迷惑をかけるつもりだ…」
「そうだな、ヴェインがそう簡単にどうこうなるとは思えんが…手がかりさえないともなると心配ではあるな」
「っ人の言葉を曲解するな! 俺は!」
「わかったわかった」
 言葉の前後のかみ合わなさに思わず眉尻をあげ、睨みつける。だが、ジークフリートは噛み付かんばかりのパーシヴァルを制するように両手を上げどうどう、とするばかりで言葉に反して納得しているという様子ではなかった。
  それからいくつか今日の捜索の話を互いに情報を交換したが、ジークフリートのほうでもあまりめぼしい成果は得られなかったようだ。
ジークフリートとわかれてパーシヴァルは自室へと戻ってきた。武装も解いて、軽装に着替えてベッドに横になると、ようやく肺に溜まった重苦しい空気を吐き出せた。
明日も、恐らくああは言っていたがろくに寝ていないランスロットが例えひとりでも早く出ようとするはずだから、パーシヴァルもそれに合わせて早起きをし��ければならない。
 ふと、視線を向けると月明かりの僅かな光が差し込む窓際にはヴェインがいなくなってから暫くしてから捜索場所付近で偶然転がっているのを見つけた、ヴェインによく似たぬいぐるみが静かに座っている。
何故、これを持ち帰ってきたのか―パーシヴァル自身にもよくわからなかった。
 初めは、ヴェインを模したぬいぐるみなのかとパーシヴァルは思っていた。白竜騎士団―というより団長のランスロットはフェードラッヘの城下の女性たちに大人気で、姿絵といった本人を模したものが数多く存在している。もちろんそれは副団長であるヴェインも同じだ。だからヴェインを模したぬいぐるみが存在していても何らおかしくはないと考えていたのだ。ヴェイン本人はいつも、“ランちゃんのほうが”だのなんだのとすぐにランスロットのことばかり口にするが、ヴェインとて城下の女性に人気があるのだ。知らないのは本人だけで。
 けれど、よく冷静に考えてみれば本当にこれはヴェインを模したぬいぐるみなのだろうか。どこにでもあるような、金の髪と翠の瞳のぬいぐるみなのではないだろうか。ぬいぐるみが着ているのはヴェインの鎧であればまだしも、このぬいぐるみが着ているのはごくごく質素なシャツ姿だ。
…もしや。ヴェインを探すあまりに、ヴェインの影をこの何の変哲もないぬいぐるみに自分は求めてしまっていたのでは…、と冷静になった今では思いはじめていた。いや、そもそも例えこれがヴェインを模したぬいぐるみだとしても何故持って帰る必要があったのか…と、パーシヴァルは思わず苦々しく顔を顰めた。
「……」
 手を伸ばして、ごく小さなぬいぐるみを手に取って再びベッドに寝転ぶ。
見れば見るほどに、このぬいぐるみはヴェインに似ている。柔らかそうな金髪も、額に流れる前髪も、甘い目尻も、弧をえがく口元も。
(―今おまえは、どこにいるんだ)
 何のぬくもりもない、ただただ中に詰まった綿の弾力だけが伝わるぬいぐるみの顔を指でなぞる。
 普段、国に仕える騎士であるヴェインはフェードラッヘにいて、自身は理想の国造りのため騎空団と共に全空のあちこちを周る旅をしている。会えない時期なんていうものはうんと長いのが当たり前だった。
けれど、行方がわからない、というだけで、ヴェインが姿を決してから今日までのたった数日でも、今はぬいぐるみに縋ってしまうほどにその姿をもとめている。あの陽気な声と無邪気なわらった顔がひどく恋しい。
「ヴェイン…」
 騎空艇が動く低音だけが僅かばかりみちる部屋に、ぽつりとパーシヴァルの切実そうな声がおちる。なんて声をしている、と自分でもわらえるようだった。
 そっと瞳を閉じて手にしていたぬいぐるみを抱く。すると、どうしたことかそのぬいぐるみからふわりと覚えのある匂いがするような気がした。
すん、と吸ったその匂いはヴェインからするものと少し似ている。―いつも、パーシヴァルの気など知らず、何の気もなく肩に腕を回してきたりなんてことのないスキンシップのようにひっついてきたときに香るものと同じ匂いだ。無知は罪である、という言葉通りまさかパーシヴァルが自身へどんな想いを向けているのか、なんて知る由もない無遠慮なヴェインがパーシヴァルは自分勝手にも時折少し腹立たしかった。だからパーシヴァルが最もきらいで、憎くて、一番すきな匂い��のだ。
 ぬいぐるみからそんな匂いするはずがない。だからきっとこれも、幻��ようなものだとそう頭でわかっているのに、胸の奥がざわざわと騒がしくなる。眠る前の穏やかであった心臓は早鐘を打ちはじめている。
早い鼓動でくるしくなった呼吸を、は、と零すと随分と熱っぽく―それどころか体があつい。
 瞳を閉じたまま、ぬいぐるみを抱いたままそろりと片手を自身のからだの下の方へと伸ばす。案の定、触れた下半身は衣服を押し上げ布越しからでもわかるほどに熱を持っていた。
くそ、と噛みしめた唇の隙間からそんな悪態を零すが、昂ぶった身体と心は冷め切った頭を徐々に浸食していき熱に浮かせる。
 布越しに擦るように爪を立てると肩が跳ね、同じように下衣に包まれたままのそれもびくりと反応し存在を主張するようにまた大きくなる。
濡れてしまう前に、寝衣のズボンを下着ごとおろすと先程までぎゅうぎゅうと苦しげに押し込まれていたペニスが解放されてぶるりとまろびでる。
そろりと触れるといつの間にかすっかり勃起しきっていて、少し上下に擦るとあっという間に先端からとぷとぷと体液が零れ始めた。
「…っ、ハ、ぁ」
 瞳を閉じたままだと、すぐ傍にヴェインによく似た匂いを感じて、まるですぐ傍で、となりでヴェインが眠っていて意識がないのをいいことに自慰をしているような…ただぬいぐるみがあるだけなのにそんな気さえ起きる。びりびりと下半身に快楽が走って何を馬鹿らしいことをと自身の妄想とも呼べるそれに羞恥さえ覚えていた頭から、正常な判断を奪うように痺れさせた。
 それに、何もかも今更だ。ヴェインを好いていると、そういう意味で好きなのだと気付き想いが加速していって劣情を抱いてからもう幾度となく同じようなことをした。脳内で、都合のよい想像をして自身を慰めていたのだ。
「ク、ッん…、ぅ、はぁ…、っヴェイン、」
 にちゃにちゃと上下に扱く手に粘質のある液体が絡まって立つ音と、抗えぬ快楽で頑なに引き結ばれていた口元が綻んでほろほろと零れた喘ぎ声がまじる。
喘ぎ声と同じように零れた唾液で濡れたくちびるで、その名前を呼ぶだけで幸福感と背徳感でおかしくなってしまいそうで枕に頭をこする。吐息と共に幾度目かの彼の名前を紡ぐと、ぐうとせりあがってくる射精感に思わず根元をぎゅうと握りこんで押しとどめてしまった。あと少しで弾けそうだった手の中のペニスは切なげに震えどくどくと脈動しながら、まるで涙のように恐らく白濁色が混じっているであろう体液を零している。
寸止めとも言えるその自身の行動に、ビリリと下半身に走った痺れに思わず“ああ”とうっそりとした声を漏らして、閉じた瞳から快楽で滲んだ熱い涙が頬を伝った。
 ただ内に宿る熱に身を委ねるだけのこの時は、余計なことも何もかも考えなくて良いから。射精してしまえば全て波のように引いていって、後は冷静すぎる頭が残るだけだ。だから、思わず止めてしまったのはこの後襲われるであろう虚無感を避けたかったのかもしれない。
けれど、いつまでもこうしてはいられない。わかっている、そんなことくらい―と根元を押さえていた手を離して、裏筋を辿って絶え間なく液体を零しつづける亀頭を親指をぐりぐりと刺激する。
「ぐ、ぅッ…!」
 びゅ、と勢いよく白濁とした液が噴出した。ここ最近は、もちろんヴェインの捜索のこともあって特に忙しくて、騎空艇の自室に帰ってからは泥のように眠っていたから処理をしている暇など当然なかったので随分と溜まっていたようだ。ハーハーと荒い吐息を吐き出すのに合わせて上下する腹筋に飛び散らしてからも、びゅるびゅると緩く精液は零れ続けていた。
 ようやっと射精が終わり、薄らと瞼を持ち上げると眼前にはあのぬいぐるみが目を閉じる前となんら変わらぬ姿でパーシヴァルを見つめている。
射精の余韻でぼんやりとその表情も変わらぬ無機質なぬいぐるみを見つめ返す。そしておもむろに、白濁に汚れていないほうの手を伸ばして再びそのぬいぐるみに触れた。
「―ヴェイン」
 ぽつりとつぶやいたそれは、自分でも笑えるほどに切実そうな音だった。
「おまえに会いたい」
 ぬいぐるみに言ったところで、どうしようもないとわかっていてもそう零さずにはいられなかったのだ。常ならば無遠慮で無神経なスキンシップも、許そう―いいやそれどころかどう思われようとその体をつよく抱き返してやりたい。パーさんなどという間の抜けな呼びかけをする声ですら今は遠く、恋しかった。
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nemurumade · 7 years ago
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シーツを手繰る
 午後十時過ぎ。夜の色はさらに深くなり、遠くに見えるビル群がチカチカと瞬いていた。  彼が持っている同じ形の鍵を使って玄関のドアを開ける。 「ただいま」 と、声を掛けても、薄暗い家の中から返事が返ってくることはない。  スニーカーを脱ぎ、廊下に直通するリビングへ向かう。そこで脱いだ春物のジャケットをソファーの背に掛け、ベランダへ出た。  洗濯して干しておいた白いシーツを取り込み、ベッドに被せる。泉に口うるさく言われたため、皺を伸ばすことにも慣れた。最初は、どうせすぐ皺になるからいいじゃん、と思っていたが、朝起きて皺が寄っているのを見るのも悪くない、と思うようになった。  高校を卒業した、十九歳の年。Knightsの活動は一度セーブして、司が卒業する年に再会しようと五人で決めた。  レオはふたたび一人で海外を転々とした。ちゃんと、連絡手段であるスマートフォンを手放すことなく。そこには、度々メンバーからのメッセージが入った。レオはそれに対し、気紛れに、旅先の写真を添えて返信をした。  そうやって繋がりを持ちながら、いろんなものを見た。荘厳な神殿遺跡、南国のコバルトブルーの海、ロシアの真っ白な雪原、先住民が奏でる民族音楽のメロディー。それらはすべて、レオが紡ぐ音楽としてアウトプットされた。  そんなふうにして一年を過ごし、日本に帰ってきてすぐに、泉に鍵を渡した。 「……おれと一緒に住んで」 プロポーズさながらに真剣に言えば、泉は照れ隠しのようにはにかんで、うん、とだけ言った。その手で、その鍵を握り締めながら。  泉はといえば、モデル業を再開しながら、歌やダンスのレッスンも欠かすことなくしていたらしい。また、俳優としての仕事も始めたらしい。当時は、凛月に大根だと笑われていたが、最近はテレビドラマや映画に出演することも珍しくなくなった。現に彼は、二週間前から映画の撮影のために九州に泊まり込みなのだ。  シャワーを浴びる前に、スマートフォンを確認すると、二十分ほど前に泉からのメッセージが入っていた。 "23時には家に着きます" なぜか敬語のメッセージにももう慣れた。 "分かった" という一言だけを返信し、服を脱いで浴室へ入った。
 スウェット姿で、ベランダで煙草を吹かしているときだった。  後ろから抱きつかれて、驚きのあまり息を吸い込み過ぎてしまい、思い切り噎せた。 「セナ?」 と、声を掛けても、彼は黙ったまま頭をレオの肩に擦り付ける。  二週間ぶりに見る彼は、役作りのためか、疲労のせいか、少し痩せて見えた。レオも東京の方で忙しくしていたため、ろくに連絡も取っていなかった。  レオは喫いかけの煙草を灰皿に押し付けて、泉の腕をそっと離して振り返る。  俯いたままの泉の髪を撫ぜる。 「セナさーん、」 と、しゃがんで泉の顔を覗き込む。  手を伸ばして、垂れた前髪を持ち上げた。 「セナ、おかえり」 ただいま、と疲れ切った声で答えた泉の手を引き、ゆっくりと口づける。泉は、やっと、ふふ、と笑みを零した。 「なんだ、元気じゃん」 「疲れてる」 「でもおれはセックスしたい」 そう言いながら、泉のうなじを指でなぞる。熱っぽいまなざしで、泉はレオを見下ろした。  できれば、今すぐに抱き潰してしまいたい。その衝動を必死で呑み込んだ。 「先にシャワー浴びてこいよ」 というレオの言葉に頷いて、泉は浴室へ向かった。がちゃん、とドアが閉まる音だけが響いて、レオはもう一本だけ煙草を吸って、寝室に向かい、常夜灯を灯した。チェストの引き出しの奥から、愛用のローションとコンドームを出して、ベッドサイドに置いておく。  することを終えて、ベッドに一人で仰向けに倒れて天井を眺めていると、泉がやってきて、ふは、と笑い声を漏らした。 「待てされた犬みたい」 「ワン」 と鳴き声を真似をしながら、レオは起き上がった。 「セナ、来て」 泉の腕を掴んで引き寄せる、ゆっくりと。泉は抵抗することなく、ベッドに上がって、レオの肩に顔を埋めた。 「腹減ってるから、容赦しないけど」 そう低く囁きながら泉の喉仏を軽く押せば、ピアスを軽く噛まれた。 「……痛くしないで」 「痛い方が気持ちいいくせに」 と言えば、耳朶を強く引っ張られて、「いてて」と悲鳴を上げた。  ゆっくりとシーツの上に押し倒し、もう一度優しく口づける。  鼻を擦り合わせて、視線を絡めて、お互いにはにかんだ。 「……ダメになっちゃったなぁ、おれ」 と、レオは泉のスウェットの中に手を入れる。 「なんで?」 滑らかな肌の感触を確かめた。泉は熱い息を漏らしながら、自らの指に、レオの長い髪を巻きつけて弄んだ。 「一年も待てたはずなのに、二週間でしんどくなる」 「……そりゃあ、毎日一緒にいたら、慣れるに決まってるでしょ」 「セナは?」 セナは、寂しくならなかった?  その問いに、泉はじっとレオを見つめた。彼の双眸は、どこかの海よりも、吸い込まれそうなほど深い色をしていた。 「ならないわけ、ないでしょ」 そして、堰を切ったように、二人は激しくキスをした。熱い唇と舌に、残っていた理性はどろどろと溶けていく。  強張った肩に歯を立てれば、泉は微かに甘い声を漏らした。 「泉、」 そう名前で呼べば、泉は涙の膜が張った瞳でレオを見上げた。  あぁ、どんな遠くの知らない場所へ行くよりも、この男の傍にいるときのほうがインスピレーションが湧いてくる。  泉の細い手が、レオの頰に伝った汗を拭った。  ゆっくりと、彼がほくそ笑む。 「……なぁに、レオ」 低く囁かれた自分の名前に、レオは思わず息を吐いて、もう一度、泉に深く口づけた。  泉は肩で息をしながら、シーツを手繰り寄せる。その手を取って、指を絡ませた。  まっさらだったそれは汚れ、二人の身体の下で皺を寄せていた。  明日も洗濯しなきゃなあ、と頭の片隅でぼんやりと考えながら、泉の身体を抱き竦めた。
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mashiroyami · 7 years ago
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Page 83 : 衝突
 そのままの足で彼等はガストンとアランが宿泊しているホテルへと向かう。点々とした人通りなため、気温が高くなってきても風通しが良く、歩きやすい。アランはラーナーと並んで、その後ろにクロと圭がつくという形で、コンクリートで固められた歩道をゆったりとした速度で歩いていく。 「今は北区に泊まってるんだっけ」  アランが尋ねる。ラーナーは頷いた。 「うん。クロの知り合いの人に、お世話になってる」 「そっかあ北区って基本住宅街だよな。行ったことないんだよなあ大体どこもホテル代たっけえし。あいつ顔がそんな広そうに見えないくせに点々と知り合いがいるよな」 「それ、私も思うよ」  一致すると、二人の間で朗笑が広がる。 「……髪がちょっと伸びたな」  アランがそう言うと、ラーナーは思わず自分の栗色の髪の毛先に触れた。微かな枝毛が目に入って少しだけ億劫になる。しかし、確かに、そう言われてみれば伸びたかもしれない。ウォルタを旅立つ前夜、肩に触れるか触れないかというほどまで切ったのに、鎖骨まで届きそうになっている。 「言われるまで気付かなかった。よくわかったね」 「まあ久々だしな。そのまま伸ばしてみてもいいと思うけど」 「前は長くしてた。けど、まあ……短くしたい気持ちもあったから、ばっさりと、ね」  遠い昔の思い出を話しているようだった。実際、随分と遠いところまで来てしまっている気がした。傷がかさぶたに覆われていくように喪失の痛みが乾いていくのと同時に、故郷の記憶のはじっこ部分はぼやけつつある。時が癒すとは、つまり忘れることだ。胸にちらつくのは、今生の別れとは別種の淋しさだった。 「じゃあ伸ばさない?」 「そうだね……とりあえずほっといて、また気になったら切り直そうかなあ。まだ暑いし、短くて丁度いいよ」  成る程、とアランは返した。ラーナーはちらと目線を上げる。少しだけクロより背が高い彼を見上げると微笑んでいるのに気がついて、あんまりに綿雲のやわらかさのようだったので、気恥ずかしくなる。 「とりあえずは元気みたいで良かった」  表情の色がそのまま滲んでいるような声で言うので、やはりくすぐられているようだった。慌てて目を逸らす。 「勿論! まさか心配した?」 「まあねえやっぱり気になるもんは仕方ないっていうか。クロはあんな性格だしあんな身体してるからそれについていくラナちゃんも大丈夫かなって」 「私は平気だよ。本当に」  まるで泳いでいるような覚束ない言い方になってしまわぬようにぐっと堪えて、彼女は穏やかに笑った。アランもつられて笑った。小春のようなぬくもった空気が心地良い。 「それは何よりだ健康が一番だからな」  発作に倒れるクロをずっとみてきた彼がそう言うと、他の誰かが同じことを告げるよりも質量が増すようだった。  アランの方では、首都への道中、クロからラーナーが倒れたという連絡を受けた時のことを思い返していた。あの後クロが結局どうしたのか、ラーナーはどうか、引っかかり続けていたが、ここで直接話題を出すのも野暮だと思い、胸の奥にしまい込む。さて何を話そうか、と、足元に視線を落とした。隣、乾いた土で汚れきった灰色のスニーカーが目に留まる。 「……旅はしんどくないか?」  優しく言ったつもりのアランだったが、ラーナーはぎくりと硬直した。 「……うーんと」  しどろもどろになってしまいそうだった。それを自覚すると、自然と適当な逃げ道を導きだそうとする。 「しんどくないっていったら嘘になるけど、でも、楽しいこともあるし、大変ばっかりじゃないから」  彼女にしては早足で言い切った。アランと別れてからのことがふと駆けめぐる。ホクシア、女性の笑み、ザングース、熱風、キリ、クラリス、雷撃、それから、昨夜に隠されている血生臭さ、クロの苦痛な顔、圭の諦めた顔。言葉とは裏腹に、楽しい思い出よりも苦しい思い出が激しく瞬いてたくさん流れ込んできたけれど、口にしようとは考えなかった。  旅についてクラリスに尋ねられた時と似ていると思った。旅の話に目を輝かせたクラリスと自分との間に大きな壁を感じた瞬間が蘇る。  共にいると信じられたはずなのに、クロ達はどこか違う暗いところにいってしまったようで、アランにも明かせず、一体彼女はどこに立っているのか。 「……そっか」  一瞬見せた彼女のやつれたような横顔に不可侵の気配を感じ取ったのか、アランは短く相槌を打つに留まった。 「話ならいつでも聞くしあんまり無理はするなよ」 「ありがと。わかってるよ。大丈夫」 「それは怪しいやつだわ悪い部分でクロに似るなよ」  まるで自身に言い聞かせているようにアランには聞こえたので、力無く苦笑した。  駅から徒歩十分程度の場所に目的地はあった。ガストン達が参加している研究会の開催地も近く、現在は参加者向けに安価で部屋が提供されているらしい。色の褪せたような壁には年季の入りようを彷彿させ、しかし清潔感の���たれているロビーを抜けると、エレベーターで五階までやってくる。 「俺、場違いじゃないかなあ」  濃厚なブラウンのカーペットが敷かれた廊下を歩きながら、圭は申し訳なさそうに呟く。 「今更。むしろ付き合わせてて悪いな」  即座に圭は首を横に振る。 「それは全然いいんだ」  アランが苦笑いを浮かべながら振り返った。 「師匠も会ってみたいって言ってたからさ安心しなよ。いい人だしそんなに緊張することない。さあ着いた着いた」  長い廊下の奥まできて、アランは上着のポケットからカードキーを取り出し、扉の脇に設置されているカードリーダーに上から下へと通す。短い電子音の直後、アランは扉を勢いよく開けた。 「師匠! クロ達つれてきましたよ!」  入り口に立つなりアランは声を張り上げた。  扉の向こうには白い壁に囲まれた通路が奥へと通じており、トイレやシャワールームに続いていると考えられる扉もすぐに目に入る。その反対側には小さな台所が設置されており、長期滞在者にも向いた部屋であるようで、簡素なワンルームマンションのようである。台所の前を通り過ぎるとベッドが二つ用意された部屋に出る。奥の窓側のベッドに腰掛けてぼんやりとテレビニュースを眺めていた人物、ガストンは客人の姿に頬を綻ばせ、すっくと立ち上がった。 「クロにラーナー、久しぶりだな」 「お久しぶりです」 「ご無沙汰しています!」  お互いにすぐ傍まで近寄り、簡単な挨拶を交わす。少年達の健康的な声にガストンは満足そうに頷いた。その直後、すぐに目立つオレンジ色の髪が彼の視界に入り、無意識に注目してしまう。気がついた圭はぐんと相手を見上げながら、小さく会釈する。 「紅崎圭、です」 「ああ、君がクロの昔馴染みだという。ガストン・オーバンだ。よろしく」  ガストンは数歩前に出て、後方でやや萎縮している様子の圭に手を差し出す。圭は困惑した表情を浮かべつつ、握手に応える。大きく骨ばっているガストンの手と、それより小柄な圭の手が繋がった瞬間に、ガストンは少年のがっしりとした堅い皮膚に気がついた。 「……ガストンさんと並ぶと、圭の小ささが際だつな」 「うるせえ!」  噛み付く様子に、どっと笑いが起こった。  クロの言うとおり、体格ががっしりとしており背の高いガストンと、まだ体つきが幼く背も低い圭の間には頭一つ分以上の差が開いている。彼がぐんと顔を上げて、ようやく視線を絡ませられるようだ。  雰囲気が和らいだまま握手を解くと、ガストンは各自に座るように促す。元々ガストンが座っていたベッドにガストンとアランが腰掛け、もう一つのベッドにはクロとラーナーが彼らに向かい合うように座る。圭は入り口付近に設置された机に合わせて置かれていた椅子を引き出してきて、円を描いたようになる。  計五人という大所帯になれば、部屋も些か狭くなったように錯覚する。一気に人口密度が高くなり一呼吸を置いたところで、ガストンが切り出す。 「見たところ今は落ち着いているようだが、身体の調子は大丈夫か」 「はい」  クロはすぐに頷いた。 「そうか」  ガストンは慈愛を含めた微笑みを浮かべる。彼は一見肩幅が広くがっしりとした身体つきをしており一見圧倒されがちだが、内に秘めているのは穏やかな性分である。 「首都に到着したのは、いつ頃だったか」 「一昨日ですね」 「そうか、なら一日違いだな。タイミングが合って良かった」 「トレアスの店の方は大丈夫なんですか」 「調剤ができないからな、店は閉めている。エリアも友人と旅行に行くと張り切っていたよ」 「そういやおばさん友達とウォルタに行くって言ってたわ」 「ウォルタに?」  ラーナーが素早く反応する。 「そうそうラナちゃんがいた頃に話聞いて行きたくなったんだってさ。確か今日帰るって言ってたけど。俺たちも明日研究会の全日程が終わって夜に懇親会に参加して明後日の朝に帰るんだ」 「うわ、じゃあぎりぎりだったんだ」 「そうなんだよ次いつ会えるかもわからないからクロの薬も持ってきたし渡しておきたかったんだよ丁度良かった」  その話題を出すと、アランは素早く立ち上がり、ベッドの脇に置いていたボストンバッグを漁る。すぐに掌にすっぽり収まるだけの小瓶を取り出した。中には、鶯色の丸剤が瓶の七割ほど詰められている。クロのために調剤された発作抑制剤だ。 「残りはどの程度あるんだ。急だったからあまり多く作れなかったんだが」  クロは無意識に顔を強ばらせる。  些細な変化だったが、ガストンやアランはそれを見逃さなかった。何を意味するか想像に難くない。 「……見せてみろ。クロ」  ガストンはいつも通りの落ち着きをはらった声音で言う。アランの責めるような鋭い視線も合わさって、濁す道も無いと判断したクロは、鞄に手を回す。間もなく取りだした小瓶には、アランの手にしているものと同じ丸剤が入っているが、どれだけ消費されているかは一見してすぐにわかる程度で、三錠しか残されてはいなかった。それを見て、アランは息を呑み、ガストンは僅かに眉を顰める。 「お前それ」戸惑いを隠せずにアランは言う。「本当ならまだ半分は残ってるはずだぞ」  ラーナーと圭もクロを見た。  クロの表情は変わらなかった。無表情を貫いており、外からは何を考えているのか読みとらせまいとしているかのようにもとれた。  半分という理想と、三錠という現実が、どれほどの重みかを完全に理解しているのは、アランとガストンの二人だけだろう。そして彼らにとっての最大の問題は、服用過多に対してクロ本人がそれほど危機感を抱いていないとみられる、という事実だった。  絶句していたアランが身を乗り出そうとしたところを、ガストンは制するように一瞥する。膝の上で手を組むと、長く細い息をこぼした。 「何か、つらいことでもあったか」  肺がぐっと掴まれたような感覚にクロは襲われた。 「……どうして、そんなこと」 「これに含まれているブショウの葉は、クロに対しては発作を抑制する効能があるが、鎮静効果として、気持ちを落ち着かせる作用もある」  ガストンはすらすらと話し始める。 「けど、過剰に服用すると、中毒症状がでる。精神依存に陥って逆に不安定になる場合もよくあるし、副作用が起こる可能性も高くなる。最悪の場合は昏睡状態に陥る。服用のしすぎは厳禁だと……この話は、何度もしているはずだが」 「……は���」 「前の発作の時も、飲み過ぎていたな」  返答できなかった。数週間前にトレアスを出た時には既に、わかっている、という文句は、最早形骸化して中身を失っていた。 「この間トレアスに来た時、薬を飲んでいたにも関わらず発作に倒れたのは、過剰摂取で体内バランスが崩れて逆に発作を誘発しやすくなったから。いつもより長時間昏睡状態に陥ったのは、鎮静効果が高まっていたから、だとも考えている……という話は、したか。けど、その時よりも短期間でずっと多く飲んでいるな。……薬に縋るのは、時に毒だ。クロの場合は、特にシビアだということを、どうして」  言葉を呑みこむ。他の音も全て道連れにされて重圧の中に沈みこんだ。責任感と苦悩の重みがそのまま空気を形成しているかのようだった。  代わりに出てきたのは、深い息。 「身体が妙に怠い感覚はないか」 「……ありません」  ガストンは肩を落とす。 「その頑丈すぎる身体は考え物だな。鈍感といった方が正しいのか。正直短期間にこれだけ飲んで、普通に動けているのは逆に異常だ」 「はっきり言いますね」 「茶化そうとするのはやめなさい。現状、すぐに元に戻すのは難しいだろう。少しずつ、量を減らす。それは間違えれば、毒だ」  クロは返答に時間を要し、じっと考える。膝の上に置かれたまっさらな掌に、赤黒い記憶が鮮明に映し出される。深く突き刺さるような真夜中の血は、これだけの明るみに居ても尚逃してくれない。  あの出来損ないの瞳が二点、暗闇の中で、じっと責めるようにクロを見つめている。  全てを燃やしてしまえば、何もかもが消えてなくなって、解放されるはずだった。しかし、出来損ないも、子供達や組員、ポケモンの悲鳴も、血も、火傷のようにこびりついたままだった。感じたのは解放ではなく、呪縛だった。彼を破壊衝動に導いたのは、殺せと言った遠くの声、癖、思い出、何処かより引き続けている、糸だった。普段は気が付かない程に緩んでいるのに、あの時、出来損ないを前にしたとき、存在を誇示するように締め付けた、糸。或いは、天から下がって身体を動かす、糸。その縛られた名残として、今、出来損ないの影が佇み、皮膚は見えない血で穢れている。いや、糸自体も本当はいつかのただの名残なのか。そうなのだとすれば、他の誰でもない、彼自身の意志、潜在意識が、糸となって、自身を動かして、自身を縛り続けているのならば。  自由とは、一体なんだったのか。  心の奥底で蜷局を巻いている形のない恐ろしさや暴力が自分自身だとして、制御出来なくなることの方が、ずっと、それは。 「……多分、無理です」 「どうして」  クロは視線を上げる。  身体を、心を、騙してでも、追いこんでも、求めているものがあり、進ま���ければならなかった。 「戦わなくちゃいけないから」  静かな一言。ガストンとアランは自然と身構え、絶句した。 「最近、黒の団と対峙することが、本当に、増えました」  しばらく傍観して過ごしていた圭が、クロが何を言おうとしているのかなんとなく察知したのか、鋭い視線をクロに送った。牽制のつもりかもしれない。クロは無視して、息を吸い込んだ。 「ずっと前、少しだけ話しましたよね。黒の団のことは。……もう、避けて通れないんだと思います。多分、もう、逃げられない。でも、俺は笹波零を探さなくちゃならないから、殺されるわけにもいかない。ラーナーやガストンさん達、無関係な人たちに危害が及ぶのは、もう終わりにさせたい。……俺自身も、本当の意味で解放されるために……ちゃんと決別するために、黒の団を、倒します。そのために、こいつに多少蝕まれようと、戦えるのなら構わない」  しん、と室内が静まりかえる。  クロの放つ雰囲気も至って静かだが、その内にある猛々しさや冷たい覚悟が滲んでいる。ラーナーは輪からやや距離を置いている圭に視線をよこすと、彼もまた険しい顔つきをしていた。 「冗談きついな」  切り裂くようなアランの声が唐突に飛び込んできた。クロは視線を渡すと、アランの訝しげな歪んだ表情があった。薬の話ではガストンに任せて口を閉ざしていたが、いよいよ我慢ができなくなったようだった。 「それ、本気なのかよ」  部屋のどこにいても聞こえるような深い溜息をあからさまについてみせる。 「何が言いたいんだ」 「何って」  いつもなら考えるよりも先に口から出てくるかのように止めどない言葉が流れ出してくるというのに、珍しく歯切れが悪い。 「どうしてわざわざ自分からそんなことを。お前の目的は、笹波零を探し出すことだろう。それなのになんで黒の団にベクトルが向くんだ」 「零を探すことを諦めたわけじゃない。ただ旅を始めてから何も零の情報を得られていないことも事実だ。俺には黒の団と因縁もある。そこに零が噛んでいる可能性はある」 「……百歩譲ってそうだとしてもなんで倒すってとこまで話が進む? 俺は反対だ」 「それこそ、なんで」 「だってそれって自分から」躊躇いがちに目を伏せた。「……人を殺しにいこうとしてるってことだろ」  クロの隣でラーナーの身体が硬直した。 「今までは自己防衛って盾があったけど、だめだろ、それは、どう考えたって。……だめだろ」  渋い顔のまま、自分で納得するように、アランは頷く。 「師匠はお前が健康に旅をできるように薬を出してるし俺だって支えてやりたいと思って手を貸してる。それは人殺しの力をやるためにやってることじゃない」 「それには勿論感謝してる。けど、それとこれとは話が別だろ。俺のやることは俺が決めることだ」 「相談も無しに勝手に決めるなよお前はいつだってそうだよな」  平静を繕っていたクロの顔だったが、その一言で遂に眉間に変化が訪れた。 「俺はいちいちお前に相談しなきゃ次にどうするのかすら決められないのか?」 「そこまで言うつもりはないけどこの間も言っただろお前は一人で生きてるつもりになってて周りのことをぜんっぜん気にしてないって、そういうところなんだよ。……ちゃんと説明しろ」 「説明?」 「目的も無しに突っ込むほど馬鹿なわけじゃないだろ」 「犠牲者を増やさないため」クロは吐き捨てた。「現状を変えるんだ、アラン。零も見つからない、本来なら直接関わることのない人間が危険に曝される……ラーナーがその筆頭だ。身内が殺されてる。彼女も標的。これからずっと逃げ続けなければならない。これがどういうことか、わからないか? 終わらない旅だ。アラン達も守るためにも、もうこれしか手は残っていない。むしろこれが一番確実だ。そして、奴等との因縁を切る」  ラーナーは身を固めた。アラン達には自分の身の上を話したことはない。アランとガストンは思わずラーナーに目を配る。その時、漸くクロがラーナーをつれて旅をしている真の理由を察したが、今はそれどころではなかった。 「そのためなら自分がどうなってもいいって?」  クロに視線を戻し、声が荒くなっていくのと歩みを同じくして、アランの顔は赤くなっていた。クロとアランの口論はこれまで何度も重ねてきたが、それ故に彼等の間に遠慮はない。その物言いにクロの苛立ちも高まっていく。 「……もしかして、俺が奴等に殺されると思ってるのか?」 「可能性は無きにしもあらずだろ。俺達を守るためとか恰好つけてるけどこういう時だけ都合よく他人を使うなんて自分の身の危険とかどうでもいいのかよ。そうやって命を無茶に晒すなよそんなことのために師匠はお前を助けてるんじゃない!」 「確かにガストンさんやアランのおかげで今こうしていられる。けど、その先は俺が決めることだ。そこまで首をっ込まれる筋合いはない」 「ああそうやってまあたお得意の線引きか」  苦々しげに吐き捨てる。 「いつも、いつもいつもそうだ……周りの気持ちも知らずにお前ひとりで決めて……俺は、お前は変わってきてるって信じてたんだけどな……根本は何も変わっていないんだな……」  悔しげに、拳に力が入った。  空気が淀んでいき、尖っていき、火種は一層大きくなり感情は加速していく。 「何が、そこまで首を突っ込まれる筋合いはない、だ! 師匠に生かされてるってのにその言い草はなんだよ何様のつもりだよ!? とにかく一度頭冷やして考え直せ、俺は絶対に反対だ!」 「……そっちこそ、俺のことなんにも知らないくせに、人の命を助けていることでよくそこまで偉ぶれるな」 「なっ」 「あの店に来る客の一人一人と俺は変わらない。何も知らない客に、薬渡して、その先の生活にそんなに首を突っ込むか? そこまでしないだろ?」 「……ッお前は俺たちの家族みたいなもんだ! 俺はそう思ってるし師匠もおばさんもそうで」 「俺達は家族じゃない!」  アランの言葉を遮る叫びが強烈に部屋に響く。  剃刀で引き裂いたような言葉に誰もが声を失った。  突き放した本人は、僅かでも後悔したように目を逸らした。しかし、再度、尖った視線でもって、ショックを隠しきれずに茫然としているアランと対峙する。 「所詮は他人なんて、今更だ」 「……ああ、お前はそういう奴だったな。性根がねじ曲がって恩の返し方も知らねえ」 「恩の押し売りをしているのはそっちだろ」  クロのその一言に、アランの目の前が真っ赤に光る。頭に血が一気に登って弾けた途端、立ち上がってクロに飛びかかるように彼の胸元を引いた。唾までかかるような距離で、怒りに目を見開いて、クロも負けじと厳しく睨み返した。激しく血走ったような閃光が二人の間で爆ぜた。 「お前それ本気で言ってるのか? 師匠やおばさんに向かってそんな風に思ってたのか!? ふざけんのも大概にしろよ!!」 「ふざけてない、家族だのなんだの勝手に押しつけるな! 誰も命を助けてくれなんて頼んだ覚えはない!!」 「んだと……っ」  胸倉を掴んでいない、もう片方の拳が振りあがった。 「いい加減にしろ!!」  激化してきた口論を見かねたガストンの怒号が、口論を無理矢理に遮断するように部屋にぴしゃりと響いた。腹の底から突き出したような骨太い声は雷の如し。熱くなった場を一瞬で鎮めるのには十分な一撃だった。  クロとアランは口を閉ざし、揃って驚いた目でガストンを凝視する。周囲が一切見えていなかった彼等の視界が、霧が晴れていくように広がっていく。険しく顔をしかめたガストンと、戸惑いを隠せずに怯えているラーナー、それに、口を強く紡いで睨むように厳しい表情をしている圭の姿。清潔な部屋に漂う空気は、重く、ひとたび動けば電撃が走りそうなほどに緊張感に満ちていた。  ガストンは部屋にいる五人の中では言うまでもなく年齢が抜きんでているうえ、がっしりとした体つきをしていて、一歩踏み出して注目を浴びれば圧倒的な存在感を見せつける。無言の圧力が少年たちの熱に圧し掛かる。  と、勢いよく椅子が動いた音がして、周囲の注意が圭のもとに集中した。相変わらず彼の顔は険しいままだった。 「ちょっと、外出てくる」  裏表無く、声に苛立ちをそのままぶつけているかのような、素っ気なく怒りを籠めた声音だった。消しきれない苛立ちを滲ませながら、誰にも目を合わせることなく歩き始め、そのまま足早に部屋を横切り、扉を叩きつけたような音が部屋を震わせた。  あっという間にクロ達を置いて圭は飛び出していってしまった。何かが圭の癇に障ってしまったようだったが、その理由が何であるのか、平静を失っていたクロに解るはずもない。  扉の残響が、気配としてまだ漂っている。後ろめたい、声をあげる糸口すら見当たらないようなもやもやとした空気に包まれた。  アランはようやくクロから乱暴に手を離す。ガストンの叱咤と圭の退出をきっかけに、クロとアランの双方ははっきりと我にかえったようだった。二人の様子をよく確認してから、改めてガストンは口を開く。 「折角会えたというのに喧嘩してどうする。お互いの言い分はわかった。一度頭を冷やせ」 「師匠……師匠はどうも思わないんですか。クロがどうなったっていいっていうんですか!?」 「アラン」  感情を押し殺したように静かだったが、口論の興奮が冷めやらないアランを見事に押さえ込む一言だった。ただ名前を呼ばれただけだというのに、叱られた幼子のようにアランはいたたまれない気持ちで俯く。しかし、まだ沸々と沸き上がってくる怒りを原動力にするように、勢いよくアランは立ち上がって踵を返す。誰も遠ざかっていく彼の背中を引き留めようとはせず、そのままアランは部屋を後にした。扉を閉める音は先程までの激情とは裏腹に実に静かだった。辛うじて取り戻した理性が必死に感情を抑え込んだのだろう。  圭に続いてアランも姿を消してしまった。部屋に残ったのは三人だけで、幾分景色が侘びしさを増す。 「……クロ、いくらなんでも言い過ぎだよ」  ラーナーが宥めるように呟いたが、クロは口を固く閉ざしたまま、動かない。  喧嘩相手を失ったクロはひとり取り残されたような気持ちになる。逃げるなんて卑怯だ、とも思った。ガストンの言葉の矛先は、今自分にしか向かない。  窓の外から、霞んでいるような車のエンジン音が届いてくる。張りつめた空気に染みだすように、首都の喧騒が入り込んでくる。片割れがいなくなっただけで、時間が経っていくうちに、ほつれた紐がほどけていくように空気は少しずつ軽くなってい���。頃合いを見計らって、ガストンは組んでいた腕をおろした。 「アランがあれだけ粘るのも珍しい。……クロ、叱るわけじゃない。顔を上げなさい」  萎れたように俯いていたクロの顔がゆっくりと上がると、彼の予想に反して、ガストンの穏やかな表情がそこにあった。家族ではないとまで突き放したのだ。どんな叱責を受け、そしてどんな言い訳をすべきかまで朧気に考えはじめていたクロは面食らってしまう。 「あまり悪く思わないでやってくれ」  表情に偽りがないように、声音も随分と優しいものだった。 「アランは随分とクロに会える日を楽しみにしていた。恩の押し売りだとお前は言ったけれど……そうだな。そうとも言える。けど、本心から心配しているのは確かだ」  クロは何かを言いかけて、ぐっと堪えた。あまり変な言葉を使うと、自分の意に沿わない形で相手に伝わりそうな気がした。熱が完全に冷めきらない今は尚更である。頭は鎮まりつつあったが、鳩尾の底はまだぐつぐつと煮えたぎっている。 「わかっています、けど」 「けど、だろうな」 「……ガストンさんも、俺がしようとしていることを、止めたいですか」  そう質問を投げかけると、ふむ、とガストンは再び腕を組んだ。次の言葉が出てくるのに、そう時間はかからなかった。 「勿論、当然」  幻滅も憤りもしない。クロの表情は変わらないし、実際彼は落ち着きつつあった。予想通りであり、仕方がない、と。 「クロはいつも無茶をするからな。相談の欠片もしないで突拍子もないことを言い出すのは今に始まったことじゃないが、アランは特にそのことを気にしている。誰に似たのか、世話を焼きたがる性格でね」 「お人好しなんだ。過剰に」  それはガストンや、エリアにも言えたことだと常々クロは痛感している。 「さて、誰のせいか」  やや意地の悪い言い方だった。針がつんと指の腹を突いたような小さな痛みが、クロの胸に刺さった。 「……少し昔話になるが」そう前置きしてから、ガストンは続ける。「俺は、今でもあのリマで、黒の団とやらが突然店にお前を探しにきたことを痛烈に覚えている」  クロの表情が歪む。  まだオーバン夫妻とアランが、今住んでいるトレアスではなく、リマに住んでいた頃。発作を起こし生死をさまよっていたクロは、そのリマで彼等と出会った。彼等の懸命な治療の末、一命を取り留めた。が、クロがオーバン家に滞在している情報がどこかから漏れたのか、ある日突然黒の団はやってきた。そこからのことは、一瞬の出来事だった。クロは完膚無きまでに斬りつけ返り討ちにした。誰一人、一匹とて逃しはしなかった。オーバン家に罪はない。彼等は善意でクロを療養しただけだ。それでも、そのことで、あの家に血が流れたのは確かだった。黒の団を斬り捨てたと同時に、平穏に暮らしていた彼等に一生焼き付くだろう傷を与えてしまった。  だから、クロは彼等に対して強い罪悪感を背負い続けている。 「普段、あまりこの話題は出さないようにしているけど」 「知ってます」 「あまり言わないようにしてくれているんだろう」ガストンは紛らわすように苦笑した。「アランはああ言っていたけど、クロはよく人を見ようとするようになったし、気を遣ってくれていることは知っている。数歩引いているから、そっけないように見えるだけで。アランはその数歩の部分を埋めたくて仕方がないんだ。それは俺も同じだが」  緑のかかった睫毛が下を向く。 「……あの時のクロの様子は普通ではなかった」  記憶を手繰り寄せながらガストンは言う。 「単純に、君がまたああいった戦いに巻き込まれて、最悪、命を落とすことになってしまうだなんて、想像するだけでも恐ろしい。ただ、当人であるクロが一番わかっているはずだし、そのうえでの判断ではないかとも思う。けれど、クロ」  快活なアランやエリアとは違い、基本的には一歩引いたところで見守る大人しい気性で、それほど多くを語らないガストンにしては随分と喋るとクロは思った。こうして、面と向かって、つらつらと話しているのは随分と久しぶりのことで、珍しいことだった。だからこそ自然と、きちんと聞かなければならないと背を伸ばす。 「普段の、物静かで真面目なクロ、発作前後の、どこか遠くに思い馳せているかと思えば、急に気性が荒くなるクロ、君は、よく揺らぐ。発作のこともあるが、その不安定さが俺もエリアも気がかりだった。薬で発作を抑えることはできても、若いうちから作用の強い薬を飲ませて、悪い方に作用しないか、ずっと不安だった。けど、それでもこうして、目の前で話せる、薬を渡せるうちはまだいい。けど、自分から喧嘩にいって、君がどうなってしまうのか、正直不安だ。きっと、俺たちの手の届かない範囲になる」  そこが、怖い。  ガストンはあまりに素直にそうこぼした。クロは返す言葉を見つけることができなかった。絶句したまま、感情の在処もわからない。 「アランや俺がいくら言っても、覆らないこともあるだろう。けれど、このまま突き進んだら、なにか、とても良くないことが起こるんじゃないか。そんな気がしてならない。……君のやろうとしていることは、本当は、誰がなんと言おうと、やってはいけないことだ」  ごく短い小休止を置いた。言葉を慎重に選びながら話しているのがわかる間だった。 「クロ、君を止められる術は、無いのか」  噛みしめるように凝縮された苦渋の念。目線を合わせて話そうとしてくれているからこそ、痛いほどに突き刺さってくる願い。  だが、放った言葉を無かったことにはできないように、人殺しの烙印は決して消えないように、クロは既に後戻りのできないところまで来てしまっていた。  クロは黙って頷いた。そうする他なかった。
 *
 ガストンに別れを告げて重い足取りでホテルから出たクロとラーナーは、玄関の側にある花壇にじっと腰掛けている圭にすぐ気が付いた。気まずい思いを抱えながらも、無視して置いていくわけにもいかない。鈍い心持ちで彼等は圭に近づいた。圭の表情は未だに仏頂面で、腰に下げていた自らの刀、五月雨を握っていた。その手の甲に薄い血管が浮き上がり、痙攣しているかのようだった。  皮膚を撫でる空気が湿りつつある。上空の雲は存在感を増し、鈍色に立ち込めている。雨の気配がした。 「圭」  穏やかに努めようと、クロは彼に小さく声をかけた。  返事は無い。圭はクロ達を見向こうともしなかった。もう一度、今度は先程よりも強く名前を呼んでも、圭は無視を貫いた。  彼等の間に流れる重苦しい空気から背けるようにクロはぎこちなく振り返ると、隣に立っているラーナーも困ったように表情を曇らせている。  刃物が鞘と擦れる音がした。 「なんだ、あいつ」  唐突に圭は話し出した。激しい感情に任せてに鞘の先で地面を勢いよく突くと、硬いコンクリートの音がした。 「人のこと、俺達のやろうとしてること、知った顔でべらべらと喋って、やめろやめろって、そればかり。こっちの気持ちをこれっぽっちも知らないくせに。……知ろうともしていない。結局聞く耳なんて持っていなかっただろ」 「……圭」 「こっちはもう、覚悟してきてるっていうのに」  衣を纏っていないあからさまな怒りだった。  あの場でアランと直接話していたのはクロだ。アランと圭は初対面であり、二人の間に交わされたのは、ただ名乗っただけの挨拶のみだ。圭が旅に参加することになった経緯をアランは勿論知らない。  また鞘を地面に叩きつけた。 「俺は」  圭は呻く。 「ただ……守りたくて、……」  クロは目を細めた。  迷うように圭は顔を歪め、五月雨を持つ手に更に力を籠める。太い柄糸が皮膚に食い込んで、締め付ける音が聞こえてきそうだった。小さな身体の中で、抱えきれないだけの脆い感情が迸っている。 「何もわかってない。そういうなら俺はどうなるんだ。俺たちはどうなるんだ!」 「……アランは、悪気があったわけじゃない」  耳を疑った圭は立ち上がりクロを睨みつける。燃え滾った朱い眼だった。圭は敏感に荒み尖りきって、何をされても何を言われても引っかかり、衝動にまかせて噛みつくだけの力が燃えていた。 「クロ! あれだけ喧嘩してたくせに、今更あいつを守るのか!?」 「そういうわけじゃない」  ただ、とクロは間を置いた。 「仕方ないことだろう」  とても静かな一言が落ちる。溜息をつくように、なめらかで、乾ききった声だった。撒き散らすような激しい感情を押さえつけて呑みこむだけの力が込められていたのは、クロの意志が揺るがぬものに為っていたからか。  純度を帯びた静かな瞳に、圭はたじろいだ。 「俺達とアラン達は違う。あまりにも通ってきた道が違うんだ」  躊躇うような息を吐いた。 「本当にわかりあえるはずなんて、ない」  最後を明らかに強調した。まるで、その瞬間、誰かの背中を突き飛ばして崖から落とすように。重力に従って落ちていき、心臓が宙に置いていかれて息を止め、崖上にいるクロを見つめているのは、――隣でぞっと背中に寒気が走った、ラーナーだった。  圭の激昂は火に水をかけたように通り過ぎていき、クロの顔をじっと見つめた。クロの表情は浮かないもので、同時に冷たさを帯びている。深緑はま��ます深海に沈んでいく。  同じような顔をして、そうだな、と一つだけ圭は呟いた。
 クロの言葉がラーナーの頭の中で何度も反芻していた。冷たく寂しい断言は、焼き付いたように離れない。  あまりにも露骨に溝の深い境界線を引かれてしまった瞬間から、どこからともなく底知れぬさみしさが沸き上がっていく。また遠くなっていく。あの深い視線、つまりは断罪のような拒絶が、ラーナーにも向けられている、或いは向けられていくことは彼女の想像に難くなかった。それがとても、恐ろしかった。  空から雨粒が落ちてきた。触れて、音無く弾ける。皮膚を、髪を、服を濡らし、コンクリートの色をひそりと変えていく。 < index >
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image-weaver · 7 years ago
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57 Sacrifice
彼ら四人はデッドマンの骸に湧いた光の泉水をかこみ、ルド以外の三名が己れのフェレスを荷物から差し出した。フェリクスは手から少し余るほどの角ばった機械人の人形――古く、幼少期のおもちゃだろうか――を、イブは深い飴色の琥珀をフェレスとしていた。イブの琥珀は果実らしい独特の丸みがあり、中には羽虫が閉じこめられている。バルナバーシュにはそれがカゲロウだと分かった。
「私が誕生した日にフェリクスからもらったんだ」
ルドの興味深げな視線に気づいて、イブが短く言った。そこへルドの言いつけを守ってずっと柱の陰に隠れていたマックスも駆けてきて、呼気を弾ませながら四人の顔を見上げる。ルドは彼を胸に抱き、小さな従者の忠節をよくよく誉めてやった。
バルナバーシュも懐中時計を手に吊り下げてかざすと、フェレスは深紅の霊気をまとい、泉水はいっそう輝きを増して、薄暗い封廟を青白い光で満たしていく。柩、骸、冒険者たち、すべての輪郭がひと時、���ススィールのふところへと呑みこまれていった。
バルナバーシュは目を開く。廟塔の隠された場所なのだろうか――白いろうそくの火がたゆとう静謐な間で、消えそうに透き通った姿の女性が竪琴を弾いていた。なぞる細指から、神寂びた金の腕木に張られた弦は数々の夢に悶えてささなみをたて、調べにのせて慎ましい唇が悲しい歌を紡いでいる。周囲にルド達の姿は無かったが、ごく近くから気配だけは感じ取れた。次元に何らかのずれが生じ、互いが不可視となってしまったのか。
《私は生贄の巫女ミフィクティ……。この塔が存えるためにこの命を捧げた……。私は歌う……レイの子孫に届ける歌を。私は歌う……この塔の未来を守るため。私は歌う……誰かが眠らせてくれる日まで》
ミフィクティの長衣の裾より白い炎が上がり、ほんのかすかな灰の匂いだけを残して彼女は消え去った。闇が下りてきて、彼女のいた場所に男の後ろ姿がふっと現れる。生前のデッドマンの彫像とよく似た甲冑を着込み、波打つ長髪を後ろに流した偉丈夫だった。やがて辺りの風景は封廟に移りかわり、男は開かれたデッドマンの柩を前にしていた。
《誉れなきレイの血に連なるグッドマン……! 我が記憶と力を今その身に想起せよッ!》
デッドマンの険しい声がして、突如としてグッドマンと呼ばれた男の胸を光がつらぬいた。彼の膝がくずおれ、身はしばらく自失にさまよわせていたが、やにわに首を反らせて天窓を仰ぐと笑声とともに打ち震えだす。怒りとも悦びともつかぬ、だが腹の底の底より沸騰する血で総身を焦がし、なにものかへの犠牲に供してみずからを燃やし尽くすかに見えた。常ならば豪放として親しみも勝ち取るのであろう、重厚に通る声も、今は凶兆をはらんで円天井にこだまし続けている。銀の光だけが黙して語らず、この場に降りそそいでいた。
《そうか……フハハ、そうかッ……理解、したぞォ!》
グッドマンが立ち上がり、髪とマントを鋭気にひるがえして振りかえる。年のころは四十か、眼光の鋭く、がっしりとして昂然たる面差しであったが、目元に浮かぶ笑みは情の豊かさ、篤さをうかがわせるものがあった。だが今は彼の発するあらゆるエネルギーは、ただ一つの意志に集束して折れぬ剛剣と化している。バルナバーシュと目が合うと、彼は満面に不敵を刻んだ。
《遠い昔にな、今よりはるかに安定した時代があった。変化を嫌う世に進化は否定されてきたンだ。……だがその先に進境は無いッ。だからレイが革めた! 古い柱を壊し……、悪魔と罵られながら次の世代の礎となったンだ。それが、オレの一族のさだめなのさ》
それから彼は、塔の意味を語って聞かせてくれた。レイ一族はエターナルデザイアーの奇跡に異議を唱え、神器の再来をはばむべく魔王を呼び覚ます使命を帯びた者たちであり、そのためには祖先の一人であるデッドマンの記憶と力が必要なのだと――今しがたグッドマンが見せたように、塔はそれらを得るための機構だった。かつて使徒として魔王グノ・レイの復活を託されたデッドマンは、彼らを信奉するマフェリアリ王に塔を建てさせた。そしてレイ一族の戦いはこの世にフェレスのある限り、幾世紀も続いている。フェレスが欠片であり、いつかエターナルデザイアーに回帰するものゆえに。
今のバルナバーシュには、クレスオールのもたらした救済が正しいのか、レイ一族やロマルフ王家の立場こそ人を導く力なのか、何一つとして自身の見解を示せなかった。ただ分かるのは、彼ら一族が血を炎と変え、宿命に身を投じる資質と覚悟をそなえる事実だけであり、それは観念を超えたある種の敬意をバルナバーシュにもたらしてくれた。
《いいか、ロマルフ城に行ってェ、マフェリアリ王に会え。奴に、かつてのイススィールを聞くンだ。……付き合せて悪かったな、アバヨ!》
レイ一族の男は足元より暗い炎を上げて灰となった。灰―― バルナバーシュの脳裏にエリグヒドの図書館跡がよぎる。ゲルダットで火を放ち、焼失させた書物がよぎる。クヴァリックを葬送する色の失われた夢が、���塔より見晴るかす銀灰の空がよぎる。<灰の乙女>セニサ=ロル・ジルヴァがよぎる……。バルナバーシュの中で、不意におそろしい想像が頭をもたげる。ここには、この島には、いまや灰しかないのではないか。火が全てを焼き尽くしたあとの灰だけがあり、「かつてイススィールがあった」という記憶を宿しているにすぎないのではないか……。
柩から霊水があふれでて、階段を流れ落ち、足首に触れる高さで封廟の床を満たしていった。今ならば分かる。これはミフィクティの血なのだと。彼女の血は肉体と霊体に分かたれて塔をくだっていく。眠ることなく、墓所に生き続ける語り部として。厳かな封廟の穹窿から、ふたたび彼女のうたかたのような声が降りてくる。
《デッドマンの記憶は伝わったのかしら……。私は知らない……求めない……。自分の時間は失ったけれど、多くの時間を守ることができたから……。私はもう……歌わない……。あとは静かに……眠る……だけ……》
靴底に浸みこむ霊水より、光の奔流が体内へ湧きあがってくる。ミフィクティとレイ一族の流した血よりイススィールに根ざしたパワースポットであり、純然たる献身の力だった。それはただ自らが失われて終わるのではない――他者や大地のエネルギーと変えた同化であり、個を超えた融合でもあった。バルナバーシュには、旅路の中でこの力に幾度となく触れ、何たるかをすでに心得ている確信があった。それでもフェレスの進化は新たなきざはしを主に見いださせ、導きを示してくれるだろう。
しかしそれは果たして、イススィールの心臓へと至る道なのだろうか。分からない。望んでいた秘密はむしろ、我々が離れることで遥かかなたへ遠ざかっていくようにも思えた……。
現実的な夢から覚める心地で瞼を開くと、パワースポットはかすかな光を余韻にして消えていくさなかだった。ルド、フェリクス、イブも目を開け、四人は顔を見合わせた。いまだ慣れぬ体験に言葉は多く交わせなかったものの、皆が同じイメージを見ていたのは確かで、しかしそれぞれの心中まで察することは難しかった。
バルナバーシュが思いを巡らせるのはルドだけだった。フェリクスの仮説を聞いていたバルナバーシュには、エターナルデザイアーという希望に仇なすレイ一族の話を理解する余地があったが、ルドは違う。ルドは黙ってうつむいており、腕の中のマックスが首を傾げて彼を見上げている。バルナバーシュが寄ってルドの肩に手を置くと、そこから震えが走った。考えごとをしていて、急な接触に驚いたようだった。
「ごめんなさい、ぼうっとしていて……」
気の抜けた声だった。先だってフェリクスがその場から離れ、イブが犠牲にした腕を床から拾い上げると、それをしばらく見つめていた。機械の体は他種族とは由来をまったく異にするはずなのに、配線や管、非自然材の人工筋肉が無残に千切れ、燃料をしたたらせる流血はバルナバーシュに並ならぬ痛ましさを感じさせた。なぜだろうか。機械に人間の似姿をただ重ねているのとは違う気もして、理由ははっきりとはしなかった。フェリクスも心ここにあらずという珍しい有りさまだったが、一同に振りかえる時には統率者としての気高さを回復させ、戦友と認めたバルナバーシュに襟を正して向かい合う。
「すまないが、私とイブは修理のためにこのままレオ鉱山の鍛冶場へ向かう」 「ぜひそうしてくれ。私たちも同行していいか?」 「もちろんだ。報酬の支払いもしたいし、そうしてくれるとありがたい」
彼らは剣の塔からくだり、力の霊水を取り入れてからアラミティク廟塔をあとにした。馬にまたがり、道行きの途上で顧みると、永劫に続くかに見えた色の無い群雲の果てに終わりを見いだすことができた。嫋々たる緋色のすじを山向こうに横たえた薄明より、冷たい風が枯れ野を渡って吹きつけてくる。しめりけがあり、かすかな鉄と潮の香りがした。この場に戦びとがいたなら、懐旧を感じたのかもしれない。塔の影は忘れえぬ墓標として厳然とそびえ、バルナバーシュの目には、大地に突き立たれた剣の、深く根を下ろした揺るぎない姿もまた見えていた。屍の築く不動の地層、太古の夢と犠牲に支えられ、決して倒れることのない姿が。
「私たちに彼らの宿縁を背負えるのだろうか」
誰に向けたわけでもないバルナバーシュの言葉に、イブが答えた。
「気に病むことではない。私たちは彼らではないのだから、選ぶ権利がある。ただ、知らなければならなかったのさ……私たちが何の上に立って生きているかをね。そうだろう、フェリクス」 「ああ」
神妙にフェリクスはうなずいた。ルドだけが、馬上でバルナバーシュの背に浅くうずまり、回す腕に力をこめてただ身を固くしていた。衣服越しに伝えられる憂懼に、バルナバーシュは沈思する。マフェリアリ王に会うときまで、この子と話さなければならない。この子をひとりにしてはならない。ひとつの現実を知りながら、希望を絶やさぬために。四人は一路、鉱脈を擁する山を目指して馬を走らせる。この迂路がロマルフ城に待ち受ける戦いをきっと助けるのだと信じ、背を帆に変え、枯草の海を抜けていった。
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hakusekinami-blog · 8 years ago
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笑うサモエドと能面勇者(4)
 さて、森を彷徨い歩くこと五日。  ジークたちはついに、森の浅い部分を走る街道を発見した。
「や、やっと見つけた……! 人工的に踏み固められた大地!!」 「わぅ……!!」
 路肩に跪いて天に祈りを捧げる成人男性の図。どう足掻いても不審者である。周囲に人影がなくてよかった。ともすれば森から出た瞬間に危険人物としてしょっ引かれかねない。
 まぁ、ジークはそのくらい感無量な心地であった。  なにせ彷徨い歩いて早五日。調味料代わりに使っていた干し肉も底をつき、今日のご飯は塩味抜きで食べなければならない状況だったので。  ジークは王都に居るであろう友人を恨んだ。ヤツが無駄なことをしなければ、今頃ジークは悠々自適な馬上の人だったのに。せめていつも持ち歩いている遠出用鞄くらいは持ってきたかった。
 まぁ今ここにいない人物を恨んでも仕方がない。いらんことしかしない友人だが、ましろに出会えたのはある意味友人のおかげと言えなくもないような気がするかもしれない。もしそうだったとしても感謝などしないが。  ジークは早々に立ち上がると軽く服を叩いて砂埃を落とす。律儀にもジークに付き合ってくれていたましろは、ふぁっさふぁっさと尻尾を振ってごきげんだった。人のニオイでもするのかもしれない。今まで野生で暮らしていたましろにとっては、嗅いだことのない未知のニオイばかりだろう。
「さて、どっちに向かうかな」
 ひとしきり感動に打ち震えたので、今のジークはちゃんとシラフだ。少なくともジーク自身は己をシラフだ���認識していた。神妙な表情で横たわる道を見つめている。
「ましろはどっちに行きたい?」 「わっふ」
 ぱたぱたと小さく尻尾を振るましろに水を向ければ、あまり迷いなく道に向かって右側、太陽から鑑みた方位で言うと北西に進む方向へ吠えた。よくよくみれば、道にはまだ新しいと見える轍が残っている。それと、何頭かの馬の蹄と、ジークの頭ほどありそうな大きな足跡。どうやら北西に向かう荷車と馬、そしてなにやら巨大な生物がいたらしい。
「ほほう」
 轍と蹄跡を見つけたジークは機嫌良さげに顎を撫でた。  街道に出て早々、アタリを引いたらしい。見たところ、荷車と馬は一緒に行動している様子。巨大な足跡にも心当たりがある。となるとなかなか大きな一団だ。轍の本数からして、荷車も一台や二台ではなさそうである。もしかしたら商隊かもしれない。  となれば、きっと調味料や調理道具なんかも売っているだろう。陣を張っているところに遭遇できれば味なしご飯は食べなくて済みそうだ。
「商隊だとすると、動きも遅いし休憩もこまめに取るだろうから……。……走れば追いつくかな……」
 ジークは「おいしいごはんが食べたい欲」が限界までキていた。  何時間前に通ったかわからない商隊を目指して走る、などという、シラフのジークが聞いたら「バカなこと言ってないでさっさと寝ろ」と殴られそうなことを、至極真面目な顔で熟考していた。  つまるところ、ジークはとてもとても疲れていた。ある種のランナーズハイってやつだ。
「……」
 ぽんこつと化したジークは考えた。  一昨日の夜に雨が降ったから、この場所を商隊が通過したのは昨日の朝以降。ぬかるんだ道を通ったのならもっとはっきりと跡が残るだろうから、道が乾いていたとかんがえられる昨日の昼~夕方以降に絞られる。  ポンコツと化したジークは空を見上げた。  太陽はまだ低い位置にある。日の出からはそれなりに経っているが、まだまだ「朝」と言って差し支えない時間帯。商隊はその規模ゆえ移動に多大な時間がかかるため、野営地から出発したとしてもまだそれほど時間は経っていないだろう。  もしかしたら、轍の跡は今朝のものかもしれない。ありえない、と言うには状況が恵まれすぎている。
「……よし。走るか」 「わん!」
 ぽんこつと化したジークの脳味噌は、「今から走ってもたぶん今日中に追いつく」と判断を下した。  どれだけのスピードで、どれだけの時間走ればいいと思っているのだろうか。ぽんこつジークの脳味噌は調味料がほしいばかりに重要な情報を意図的に無視していた。むしろ「最悪ましろに乗っていけばいいや」くらい考えていそうである。それでいいのか王国騎士。
 ふんすふんすと大きな足跡のニオイを嗅いでいたましろに声をかければ、尻尾をふりふり嬉しげに応えてくれた。  調味料が手に入る、となれば一人と一匹の足取りも軽くなる。ましろのほうは何がなんだかわかっていないはずだが、ジークが嬉しそうなのでそれに釣られているのだろう。  意気揚々と一歩踏み出して。
「あ」
 ジークはふと隣を歩くましろを見下ろした。
「?」
 急に足を止めたジークを見上げるましろ。どうしたの? と見上げる瞳は青い。深く澄んだきらめきの少し上には、その瞳の青より更に透き通った色の、角。
「……ましろ、その角って仕舞えるか?」 「!」
 一人と一匹は忘れていた。  魔獣が、他の人間からはどう思われているのかを。
 魔獣とバレたら確実に追い払われる。それどころか捕縛されかねない。  一応、世間には「家畜化された魔獣」というものも存在するが、その多くが草食の魔獣だ。ましろのような見るからに肉食な魔獣は敬遠されこそすれ、受け入れられることはないだろう。
 この世界の魔獣の立ち位置をわかりやすく説明するなら、「気性の荒い野生動物」が一番近い。街の中に魔獣が居る、という状況は即ち、日本で言うところの「街中に肉食動物が現れた」に等しい。飼い犬ですらリードを付けなければ散歩もできない昨今、たとえ人懐っこい性格だったとしても、街中に熊や虎がいる、なんて状態は全力でご遠慮願うだろう。たとえ首輪をつけていても、だ。
 つまり、ましろが街に入るためには、普通の犬に擬態すること、必至。
「ぐるぅ……!」 「ましろがんばれ!! 一日中変な角度で帽子被って過ごしたくなければ頑張って角を隠すんだ!」
 この街道に人通りがなくて本当に良かった。  大の男と大の魔獣がぐるぐる唸りながらうろうろしている姿なんて見られた日には、とんでもない騒ぎになっていただろう。その日のうちに討伐隊が組まれかねない。
 はたして、頭を悩ませること数十秒。
「もうそういう犬種ってことでいいんじゃないか」 「?!」
 ジークは考えることを放棄した。  どうせましろの顔はアホっぽ……柔和だし、性格も人懐っこいし、もふもふだし、かわいいし、もふもふなので、街の人も受け入れてくれるだろうという希望的観測。ペットが魔獣でもいいじゃない。  ジークは疲れていた。一刻も早く美味しい料理をお腹いっぱい食べてふかふかの布団に包まれて眠りたい程度には、疲れていた。
「ゥヲォォオオオオオオオオン!!」
 頼りにならない飼い主に「これではいけない」と一念発起した飼い犬。ましろは己に秘められた特殊能力を解放すべく必死だった。そんなものあるかどうかなどこの際関係ない。このままではおいしいものが食べられなくなる!! と何時になく必死だった。
 はたして願いが通じたのか、遠吠えに合わせて身体がカッ! と発光するましろ。
「おお?!」
 頭の回転が鈍っていたジークは素直に驚いた。  これが万全な状態で、相手がましろでなければ即座にその場から退避するような事象であるが、なにせ今のジークは極限に疲れ果てていた。「爆発するかな」とか考えているにもかかわらずその場を動かない辺り相当キている。粗食も過ぎれば身を害するらしい。
 さて、急に発光し始めたましろだが。
「きゅぁ」 「……おお」
 発光自体は数秒にも満たない僅かな間のことだった。  光が収まったその場には、一回り小さくなって角の消えたましろの姿が。美少女戦士よろしく、ちょっと大きめの犬にメタモルフォーゼしたらしい。
 なんでもアリか、魔獣。ジークは改めて魔獣の生態に疑問を持った。  そして思った。幼女とかにメタモルフォーゼしなくてよかった、と。ある種のお約束展開だが、今ここでそんなもんにメタモルフォーゼされたらジークの手に余る。そして、ジークの年齢で幼女ないし少女連れというのは、とても身動きが取りづらくなる。  ましろが犬でよかった。ジークはよくわからない部分で、あまり信じてはいない神に感謝を捧げた。
「なんかよくわからんがよくやった! これで心置きなく宿に泊まれる!!」 「ぅあん!!」
 どや! と誇らしげな表情のましろの前足を掴んで小躍りするジーク。目の前で起きた不思議事象に言及するより、懸念事項が払拭されたことのほうが重要なのである。森で遭難した五日間はジークからツッコミスキルを奪っていった。大きすぎる代償だった。元からそんなにツッコミしてない、という指摘は受け付けない。
 そもそも喜ぶ部分が当初の目的から若干ズレている。が、ジークにとってはそんなもの些事だ。ジークは可及的速やかに宿の布団で眠りたいのである。「今、自分がどこに居るかわからない」という不安感は確実にジークを蝕んでいた。
「よし! いざ行かん約束の地へ!」 「わん!!」
 約束の地ってなんだ、と頭の隅で思いつつも、テンションがおかしいまま突き進むジーク。  均された道を無駄に走りつつ、一人と一匹は先にあるだろう街を目指してひた進むのであった。
 そして走り続けること約三時間。
「お、見えた!」
 涼しい顔をして走るジークたちの前方に、森の隙間から昇る煙が見えた。どうやら前方を走行中の一団に追いついたらしい。丁度休憩中らしく、煮炊きの煙が数本立ち昇っている。
 遭難中、肉と野菜(※野草)はたらふく食べていたので体力的には充実しているジーク。だからって普通三時間ぶっ通しで疾走できる体力があるのかという話だが、彼は一応国から勇者に任命された程度の力量の持ち主で、ここは地球ではなく異世界である。その異世界人の身体能力だが、実は地球人とあまり変わりない。  つまりジークはかなり人間離れしていた。なお本人にあまりその自覚はない。
「思ったより煙が立ってる……かなり大きな集団っぽいな。やっぱ商隊か?」
 前方に見える煙を見上げながら首を傾げる。  立ち昇る煙はかなりの本数がある。荷車の五台や六台では足りない量だ。軽く見積もって十数台規模はあるだろう。
「これはいろいろと期待できそうだな」 「わふ!」
 弾んだ口調のジーク。さいわい背嚢の中にあるお金はジークのお給金換算で三ヶ月分ほどある。一般騎士の給料一ヶ月分で、王都に住む七人家族(父母、祖父母、子供三人)がちょっとリッチに一ヶ月暮らせる給料になる。ジークは一応役職持ちの王宮勤めなので、一般騎士よりも給料は高い。  つまり、背嚢の中には七人家族が余裕で半���暮らせるお金があった。節約すれば一年は暮らせるだろう。今のジークは小金持ちなのである。  だがこれも、装備を整えたり香辛料を買ったりすればすぐになくなってしまう程度。特に香辛料が高いため、ジーク的にはあまり心許ない金額だった。
 しかし、あるのとないのじゃ大違い。無一文よりよほど恵まれているのだから文句は言えない。  食べ物が減った分、狩った獲物の素材等を詰め込まれた背嚢はパンパンに膨らんでいる。売ればそれなりになるだろうとジークは睨んでいた。前方に居るのが商隊であれば、きっと食料品も多めに積んでいるだろう。お金がダメなら物々交換してもいい。
「よし、ましろ、ラストスパートだ!」 「うぉん!!」
 調味料と調理道具を手に入れる目処が立って、ジークの精神状態は大いに回復した。  多少汗はかいているが、それほど息の上がっていないジーク。並走するましろも同じで、むしろこちらはどことなく楽しそうですらある。  スピードを上げて走る一人と一匹を避けるように、木々が背後へと流れていく。かなりのスピードで走っているのだが、残念ながらこの場に比較対象がいないため、ジークとましろが己の規格外さに気付くことはなかった。
 そんなこんなで走ること数分。
「すっげぇ……」 「ぅわぅ……」
 ジークとましろが見つけたのは、森の中にぽっかりと拓けた場所で陣を敷いている、巨大な商隊だった。ジークの予想通りかなり規模が大きく、軽く見積もって百人以上の隊員が忙しそうに動き回っている。飛び交う喧騒は、まるで街の中に居るよう。  見渡す限りの人、荷車、馬、嘴走魔獣、地竜。ひしめき合うそれらは不思議な熱気と一体感に包まれており、見る者を圧倒させる何かを放っていた。
「うぁん」 「ん? どうした?」
 ジークは初めて見る規模の商隊に、ましろは初めて見るたくさんの人や物に圧倒されることしばし。はた、と正気に戻った様子のましろがジークの服の裾を引っ張った。
「ぐゅるる」 「ん? なに? ……ああ、地竜?」 「んんー」
 ぴすぴすと鼻を鳴らしながらマズルで指示す先に見えたのは、のっそりと地面に寝そべった巨大なトカゲ――地竜。硬そうな薄い苔色の鱗と、ゆるく捻れた光沢のある象牙色の角を持ち、かなり大型の爬虫類のように見える。体高は成人男性の肩程度、体長は三、四メートルにはなるだろうか。馬よりも大きく、どっしりとした安定感がある。
「アレは『地竜』。山脈の麓や乾燥地帯に住む小型の竜種だ。見た目は怖いかもしれないけど、気性は穏やかで草食、鞍をつければ人も乗れるぞ。粗食に耐えて力が強く、持久力もあるから荷車を牽くのに使われることが多いかな。馬車ならぬ竜車ってやつだ」 「きゅるぁ」
 ジークの説明を聞いて納得顔のましろ。気になるのか、尻尾がぱたぱたとリズ���カルに揺れている。ジークも初めて地竜を見た時ものすごく感動したので、ましろの反応がほほえましい。地球には居なかった生物なので、興味が尽きなかったのを思い出す。行商のおっちゃんを質問攻めにして呆れられたのも今となってはいい思い出である。
 地球に居なかった生物というと、嘴走魔獣もそうだ。体高三メートルを超える、ダチョウやヒクイドリに似た飛べない鳥の魔獣である。特筆すべきは太く発達した脚。魔獣だが家畜化されているため、魔法は使えないが知能が高く力も強い。走力は馬に劣るが、荒れ地や岩山を物ともせず進む万能性と、鳥類故の育てやすさで、この世界では馬よりも広く使われる輓獣となっている。
「しかし、この数の地竜とは、すごいな……。地竜は一頭で小さな家一軒分の値段がするらしいから、これだけの頭数を持っているとなると……。ん? あのマークは……」
 大量の地竜を観察していたジークは、ふと地竜に掛けられた布や荷車に彫り込まれているマークを発見して小首を傾げた。意匠化された心臓を、目つきの鋭い鷹が翼で囲い込むように掲げ持っている紋章。何処かで見たことがある気がする。  ぽくぽく、と考え込むこと数秒。
「ましろ、お手柄だぞ! どうもアタリを引いたらしい」 「?」
 思い当たった答えに、ジークは小躍りしそうなほど弾んだ声を上げた。
「心臓を掲げた鷹の紋章……間違いない、『旅をする街』の異名を誇る巨大商隊、『カラーラカルブ』の賢鷹隊だ!」
 キラキラと瞳を輝かせたジークの気迫に、耳慣れない言葉を聞いたましろは頭上に「???」を飛ばして小首を傾げるのだった。
 『旅をする街』カーラカルブ。とある部族の言葉で「大陸の心臓」を意味するその商団は、ジークたちの過ごす大陸「アマルガマル」全土を股にかけ旅をする、他に並び立つもののない巨大商隊である。
『すまない、少しいいだろうか』
 言葉は通じるだろうか。  若干不安になりつつ、ジークの所属する国の公用語である「ザマロ語」で、商隊に追従する下男らしき男に声をかけた。なおましろは人畜無害な表情でジークの足元に追従している。
『ん? なんだいニイちゃん、旅人さんかい? こんなところにいるなんて珍しいなぁ』
 はたしてザマロ語は通じた。麦わら帽子をかぶった気の良さそうな男は、軽装のジークを見て首を傾げつつも、丁寧に対応してくれる。男の紡ぐザマロ語は若干イントネーションに引っかかりがあったが、流暢で聞き取りやすかった。  へっ、へっ、とご機嫌に尻尾を振る犬に目尻を下げた下男は、『触ってもいいかい?』とジークに訊いている。どうやらましろが魔獣だとは微塵も思われていないらしい。さもありなん。
『ああ、それが実は……』
 麦わら男の「こんなところ」という言葉に若干の嫌な予感を感じつつ、ジークはここに至るまでの経緯をかいつまんで説明する。
『……というわけで、無作法なのはわかっているんだが、食料を売ってはもらえないだろうか。無ければ調味料だけでもいいんだが』
 故あって身一つで森の中を彷徨っていた、食料も底をついたので売って欲しい、厚かましいお願いだが今日も朝から何も食べていないのでできれば何か分けてほしい、と説明すれば、麦わら男はましろを撫でながら心配そうにきゅっと眉根を寄せた。
『なるほど。そりゃあ難儀だったなぁ』
 くしゃりと顔を歪ませて同情してくれる麦わら男。この世界でもなかなかに荒唐無稽な話だったが、麦わら男はあまり疑わずに聞いてくれた。それどころかかなり親身になって世話を焼こうとしてくれている。やはり人がいいらしい。ジークはちょっとだけ「大丈夫かなこの人」と思った。  ジークの説明は間違ってもいないのだが、空腹なのはテンションが振り切れて四時間ほどぶっ通しで走り続けたためである。つまり自業自得。  だが麦わら男はそれを知らないわけで。
『そういうことなら、ちょっくら隊長に聞いてみらあ。ついてきてくれ』 『かたじけない』
 ニカッ、と笑ってその場を他の人間に預けた麦わら男がちょいちょいとこちらを手招いているのを確認し、ジークはホッと肩の力を抜いた。これで調味料なしの食事は食べなくて済みそうだ。ありがたい。
 そして、商隊員に声をかけられつつ、陣の前方に進んでいく麦わら男の背中を見て思った。この人多分下男じゃない。よれたズボンに薄手のシャツを着て麦わら帽子を被っている、なんて格好をしているのに、まわりの対応が下男相手のものじゃない。
 これはもしかしてちょっと対応を誤ったかな、と思いつつ、ましろを伴って麦わら帽子を追いかけること数分。  何台もの竜車や人をかき分けたどり着いたのは、商隊の先頭近く。人々がひときわ忙しそうに動き回っているエリアだった。
「隊長、お客人を連れてきました」
 麦わら男が声をかけたのは、ジークとそう年の変わらない、猛禽のような瞳をした細面な男。炊き出しを行っているらしく、木を組んで簡易かまどを作っているその男は、ぱっと見では「隊長」と呼ばれるようには見えない。  しかも、用いた言語がジークには耳慣れた言葉――日本語。ジークの眉がぴくりと動いた。
「ああ、ラソット。お客人、ですか?」 「へい、こちらの方でして。どうやら森で遭難していたらしく、食料を分けてほしい、と」 「……なるほど。森で遭難」
 ギラリ、と、隊長と呼ばれた男の瞳が鋭く光った気がする。
 ああ、これはたぶんめちゃくちゃ面倒な流れになったぞ。隊長に睨まれたジークはバレないようにそっと遠い目をした。足元でましろがぴすぴす鼻を鳴らしながらお利口さんにお座りをしているのに癒やされる隙もない。
 はぁ、と気取られないように溜息を吐き出して、ジークはぐっと下腹にチカラを込める。どうやらこの商隊、一筋縄では行かなそうだ。
「……ジーク、と申します。故あって森で遭難し難儀していたところに、名高きカーラカルブと行き会えたのは僥倖でした」 「これはこれは、ご丁寧にありがとう存じます。大陸大商隊カーラカルブにて、装身具を主に取り扱う賢鷹隊の隊長を勤めております、シャーヒーンと申します。どうぞ、お見知りおきを」
 これが漫画なら「にっこり」と書き文字で記されそうな笑顔を浮かべて、ジークとましろを見据えるシャーヒーン。  ああー、これぜったい面倒になるやつだー、とじんわり頭が痛くなってくるジーク。  若干緊張を孕んだ空気などまるっと無視して���ークの服の裾をひっぱるましろ。  なんだなんだ、とジークたちの周りに集まってきて、野次馬根性丸出しな視線を向けてくる隊員たち。
 どうやら受難はまだまだ終わらないらしい。ジークはふぅ、と諦めを湛えた息を吐き出した。  ああ、どうしてこうなった。
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sabooone · 8 years ago
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5|或る晴れた日に
夏真っ盛りとばかりに庭の蝉が鳴く。 夏の風が吹き、白いレースのカーテンを揺らした。 百合子は寝台の上にあれこれと洋服や身の回りの品を並べる。 櫛や手鏡、髪を結うリボン。最低限の物だけを選ぶと、旅行用の鞄一つに収まった。 着物は品の良い物しか無かったので日常では着にくく、手放す事にした。 鞄を持ってみるとずしりと重い。けれど、何だか身軽になった様に思い百合子は知らず微笑む。 ふと窓から外を見下ろすと、真島が律儀に庭の手入れをしていた。 百合子は持っていた鞄を玄関まで運び、そのまま庭へ出た。 真島は燦々と降り注ぐ陽の光の下で、額に汗をしながら剪定している。 木々たちの青々とした葉の色が濃く、香り高い。 真島は百合子を見ると、台から降りて額の汗を手ぬぐいで拭く。 「姫様? 何か御用ですか?」 「お前もよそのお邸に移るのでしょう?」 「ええ、でも――最後まで手をかけてやりたいと思いまして」 そう言ってはにかむように笑う。 爵位を返上し、野宮の邸や資産を借財の返済にあてた。 邸は家具や一部の使用人はそのままに、人手に渡る手はずになっている。 貧乏をしていた頃もずっと仕えてきた真島も、これを機に別の邸で働く事が決まったと聞いていた。 百合子は真島と、その庭を見渡して、眩さに目を細めた。 そんな百合子を不思議そうに見ながら真島は問いかける。 「姫様こそ、何をされているんですか?」 「私は、皆にお別れを言おうと思って」 そう言って百合子は真島の手を取った。 柔和な顔立ちの割に、しっかりとした体躯で手も働く者の手らしくごつごつとしている。 藤田のピアノを弾く大きく繊細な手とも、瑞人の白く細い手とも違う固さがある。 「真島、ずっとこの家を私たちを支えてくれてありがとう。  お前の事、私ずっと忘れないわ。幸せになってね」 真島の顔を見上げて微笑む。 その顔を忘れまいと見つめて、添えていた手をぎゅっと握りしめた。 真島は少し驚いたような顔をして、息をつく。そして、苦笑した。 「何だか、今生の別れのようですね」 百合子は真島の手を握る力を少しだけ強めて、困ったように微笑む。 突然の両親の死は、百合子に言えなかった言葉や感謝の想いを素直に伝える決意を持たせた。 「私、今まで死というものを意識したことがなかった。  ずっとずっと皆と幸せに暮らしていけるのだと、信じて疑わなかった。  誰かが、亡くなって――それも突然に居なくなってしまうなんて思ったこともなかった」 両親が亡くなってしまったことが悲しかった。 もう二度と自分の名前を呼んで、抱きしめてくれる事がないのだと思うと辛くて辛くてたまらなかった。 それは、百合子自身の悲しみだった。百合子は自分の為に悲しんで泣いた。 人は、いずれ死ぬ。それは避けられない事だ。 けれど、自分の気持ちを伝える事はいつでも出来たはずだった。 死後に溢れた感謝の気持ちや言葉は、伝えられるはずのものだった。 「だから、今、お前に伝えたくて」 「幸せに……」 百合子の白く柔らかい手を握り返す。 そして、瞳を伏せた。 翳りのせいかわずかに一瞬、真島の表情が悲しげな面持ちになる。 次に顔を上げた時にはいつもの明るい笑顔だった。 「俺の方こそ――姫様の事、絶対に忘れません。  俺は姫様にお仕えできて幸せでした」 百合子は、照れくさそうに顔を赤らめる。 そして、藤田や料理長にも伝えるのだと言うと庭を後にした。 真島は庭に取り残されたように立ち尽くす。 明るい日差しに、足元の影は濃い。 百合子が真島の真意を知ることは無い。 復讐の相手としてただただ憎み続けた野宮の狂気の血筋は散り散りになり、邸は人手に渡る。 両親を殺した鬼を憎んだ。 身の内に流れる膿んで腐った血を憎み、血が通う肉体も、魂までも憎み抜いた。 幼い頃の無邪気で無垢だった自分は、とうに死んでいる。 鬼に斬り付けられ虫の息だった小さな自分に最後には自身で止め���刺した。 新しく生まれ変わるのだ。そして、復讐にのみ生きるのだと。 それが、真島の幸せだった。 百合子は言う、死んだ両親に気持ちを伝えられなかった事を後悔したと。 (俺にも、そんな頃があっただろうか――) 真島は考えたが、その頃の記憶は自分を屠ったと同時に失われて、何も思い出せなかった。 庭に風が吹き、草花と木々が一斉に揺れた。優しくさやかな音をさせて。 /// 「これだけ?! 本は、本はどうした。  貴方は読書をするのが好きだっただろう?」 「いらないわ、だって純一さんのお話を聞く方が面白いんですもの」 そう言われると、斯波は黙って顔を赤くするほか無い。 やれやれと息をついて百合子を抱きしめて額に口付けを落とす。 荷物を持ち、居間に置く。 百合子も暮らすからと箪笥を開けて、布団や食器を買った。 「着物も手放したのか。引き出し二つで済んでしまうな」 我が事のように沈痛な面持ちをする斯波の肩に身体を預ける。 斯波がふとした拍子に、考えこむのを百合子は何度も目にした。 その度に、斯波が後悔しているのだと分かる。 百合子の重みを感じた斯波は、ゆっくりと腕を背中に回す。 そして百合子の瞳も見ずに、誰にともなく呟く様に口にするのだ。 「本当にこれで良かったのだろうか――」 斯波はいまだに何度も自問する。 百合子はそんな斯波の顔を見て、呟く。 「純一さんって、人魚姫のようだと思ったの」 「人魚姫? 童話の?」 「そう。王子様を愛していたのに、本心を語れなくて。  そして、最後には王子様を守るために泡になってしまうの。  私、人魚姫が可哀想でたまらなかった。  そして人魚姫の愛に気が付かない、王子様が大嫌いだったわ」 そう言うと、斯波の耳に手をあてる。 「こうして目を瞑ってしまうとね、まるで水の中にいるようでしょう?」 斯波の頭の中を、ごうごうと渦巻く波の音が響く。 百合子は、斯波の邸で最後に斯波が百合子に口付けた夜の事を思い出した。 深い睡魔に、ほとんど意識は眠ってしまっていたが、斯波が泣いているのが分かった。 まるで壊れ物を扱うように、優しく口付けし髪を梳かした。 どうしてか、斯波という男は悲しんだり泣いたりする事などないのだと思い込んでいた。 女など道具か装飾品の様に気紛れに愛してみたり乱暴にしてみたりするだけの人間だと思っていた。 百合子の素っ気ない態度に怒るのは、思う様にならないからで、悲しんだりはしないのだと、 女である百合子の言葉や態度に傷ついたりしない人間なのだと決めつけていた。 「あの夜、貴方が、泣いているのが夢現にわかったわ。  ――それで私、本当はこの人は不器用なだけなんじゃないかって思ったの。  悲しさを紛らわすために、怒ったり乱暴にしたりするだけで本当は優しい人なのかしらって」 斯波のその口付けで百合子は目が覚め、死んでいた心が息が吹き返すような気がした。 百合子は斯波の耳に当てていた手を離すと、にこりと笑って唇に優しく口付ける。 そしてその大きく広い斯波の身体に手を回して、やんわりと抱きしめる。 「それから、もうずっと貴方の事ばかり考えていたわ。  お兄さまが教えてくれたの、これが恋焦がれると言う気持ちなのだって。  貴方を愛しているの。――私を置いて、泡になって消えたりしないで」 百合子の初めて口にする愛の囁きに、痛いほど心が締め付けられる。 愛しさが込み上げ、喉が詰まる。 金や権力がある時には、大勢の人間が斯波の周りに群がっていた。 唯一、手に入れたいと願った姫だけが遠く離れていた。 そして、全てを失うと、群がっていた人間たちの多くは斯波に背を向けた。 誰もかれもが斯波の元を離れていく中で、百合子だけが斯波の元に留まったのだ。 百合子さえ居れば、何もいらないと、ずっと思っていた。 彼女を世界一の幸せな妻にするのだと思っていた。 (もう二度と手放したくない。手放せない――) 百合子の言葉に、何か、言葉で返そうと思うのだが、言葉が紡げられない。 斯波は頷くしか出来なかった。柔らかな百合子の身体をただ抱きしめ返した。 /// 斯波の働く工場は、経営者が変わってやや忙しくなった。 他の労働者と同様に夜遅くまで仕事をして帰るが、その足取りはいつも軽い。 軽くなった弁当箱を鞄にしまって足早に仕事場を去る斯波に従業員達が囃し立てる。 「工場長、最近付き合い悪いですね」 「あんな美人な奥さんなら一刻も早く帰りたいですよね」 「だから、工場長は止めろと何度も言っているだろう」 斯波は呆れたように振り返った。 今は工場長ではなく、同じ社員の一人だというのに何故か仲間は敬語を使った。 せめて工場長と呼ぶのは、新任の人に悪いから止めろというのだが、癖になっているのか直らない。 「まあまあ、いいじゃないですか。工場長」 「そうだそうだ。どうせまた工場長になるんでしょう?」 このご時世に景気がいいことに工場が足りず、新しく稼働させるのだと新任の工場長が言っていた。 そして、斯波を工場長に戻すと言う話が出ていたのだ。 まだ正式に決定していない話なのに、従業員たちの耳は早かった。 「俺は今の工場長の様に甘くはないからな。  こき使ってやるからな、泣いても知らんぞ」 斯波は冗談めかした声で言うとにやりと微笑った。 こわいこわい、という従業員の声を聞きながら、事務所の扉を閉めて工場を出た。 この所熱帯夜が続き、昼の暑さも去る事ながら夜もむわりと蒸れて暑い。 真っ暗な夜道を足早に歩く。 あの家に百合子を置いておくのはどうも心配だった。 全てではないが借財を返済したからか、 乱暴に追い出した借金取りたちもなりを潜めているが、何が起こるか分からない。 坂を下って、新しい戸板を渡した小川をひょいと飛び越える。 荒屋と表現してもいいぐらいの見窄らしい家は、ところどころ開いた隙間から光が漏れでて明るい。 その、明かりを見る度にほっと息をつく。 「お姫さん、今帰ったぞ! 何だこの煙は!!!」 「純一さんお帰りなさい」 「どこだお姫さん! 火事か?!」 斯波は一面の煙に慌てて百合子を探すが、煙の中にうっすらと肉の焼ける匂いがする。 もうもうと白い煙が立ち上がる中、うっすらと白いもやの向こうで百合子の姿が見える。 「お祖母様が牛肉を下さったのだけど、網で焼いていたら脂が落ちてしまって――」 ようやく近づいていてみると、布巾を顔に巻き、団扇をもって涙目になっている百合子が居た。 百合子は嬉しそうに言うと、ぱたぱたと火鉢を煽る。 斯波は引き戸を開けたままにして、居間の雨戸を開けた。 「純一さん、ステーキお好きでしょう?」 「大好物だ」 「付け合せは、マッシュで良かったかしら?」 「もちろん、大好物だ」 「良かった。丁度良い頃合いかしら……もうすぐ焼けるからお待ちになってね」 斯波は牛肉を干物と同じ要領で焼く百合子を見て、 工場長になって金を貯めたら瓦斯台のある文化住宅に越そうと心に決める。 火鉢の火を落として、ようやく家の中の煙が晴れていく。 百合子は炭火でじっくりと焼けた牛肉の塊を食べやすい大きさに切り、 得意料理の一つになっているマッシュを添えた。 シャツの襟元を緩める斯波から鞄を受け取り、軽くなった弁当箱を流しにつける。 「お仕事お疲れ様でした」 「ただいまお姫さん。すっかり忘れていた、お帰りの接吻だ」 斯波は百合子の肩に手を置き、少し屈んで口付けをする。 つんと尖った百合子の可愛らしい唇に吸い付く。 いつもよりもずっと長い口付けに、百合子はそわそわしながら斯波を見上げた。 「じゅ、純一さん? 冷たくなってしまうから……」 「ん、ああ、――そうだな」 斯波は熱くなる身体を誤魔化すように、ちゅっちゅと百合子の両頬に軽い口付けを落として、居間の畳に腰を下ろした。 確かに、牛肉もマッシュも大好物だった。 百合子が何かにつけマッシュを作っていた時の事を思い出し、笑みが零れる。 そして箸をとり、手を合わせた。 「よし、それじゃいただこう! いただきます」 そう言うとステーキを一口頬張る。 徳子から貰ったという牛肉はかなり上質な物らしく、よく焼けているのに驚くほど柔らかかった。 洋酒を使ったソースが芳醇な香りがして、牛肉とよく合う。 「美味い! 絶妙の焼き加減だ。ソースも申し分ない。  流石だな我が家の料理長は。ほらほら、貴方も冷めない内に食べなさい」 「ええ、このソースはね、お祖母様と一緒に作ったのよ。  秘伝のソースだと教えてくれたの」 「貴方とお祖母様が?」 「そうなの。結婚したばかりの頃に婦人の会で習ってお祖父様にも作って差し上げたのですって」 「なるほど。門外不出、一子相伝の技と言う訳か」 斯波は大げさに言うと、ふた切れ目を口に運ぶ。 徳子には数度会ったことがある。 初めて会ったのは結婚式の前、正式な申し出をした時。 その時は繁子に似た固い雰囲気を持つ人だなと思った。 そして、最後に会ったのがつい先日だった。 孫娘には甘いのか、百合子の意思に任せると明言し、斯波に宜しくとだけ伝えた。 まさかこの調理台で一緒に料理をするとは思わなかった。 「もう少し広めの――そうだな、文化住宅と言うのに移りたいなあ」 「どうして? 私この家が好きよ?」 「貴方だって瓦斯台があると楽だろう?」 「それは、そうだけど。部屋は沢山はいらないわ……」 竈は火を起こすのも、料理の最中も、後の処理も手が掛かる。 居間は、二つも布団を敷いてしまうといっぱいになった。 縫い物の作業や、着替えの事を考えると狭いくらいだ。 百合子は斯波を見上げて首を傾げる。 「でも純一さんは身体も大きいから……今の居間は狭すぎるかしら?  二人で寝るのには、ちょっと窮屈よね」 「何を言う。貴方と寝るのは何とも言えず心地の良い甘い窮屈さだぞ」 斯波が得意げに笑って、マッシュを口に運ぶ。 百合子は別のことを想像してしまい、かあと顔を赤くして俯いた。 もそもそと噛み続けるステーキを、なかなか飲みこめない。 斯波は百合子と一緒に暮すようになってから一日たりとも百合子をその腕に抱かない夜はない。 それを考えると、今の隙間だらけの家では声が漏れでてしまうのではないかと言う心配はある。 百合子はどうにか牛肉を飲み込むと、ごくごくと水を飲む。 斯波は犬歯を剥き出しにして嬉しそうに牛肉を頬張る。 いつも笑顔で美味しい美味しいと食べてくれる。 靴下を繕ったと思ったら上下を縫いつけていて、足の指が通らなかったこともあった。 真夏の炎天下に布団を干してはいけないと知らず、言われるまでずっと干し続けていたことも。 料理が焦げてしまうことも、ご飯がおかゆのようになってしまうこともあったが、斯波はいつも陽気に笑って百合子を抱きしめた。 百合子は持っていた箸を置く。そして赤いままの顔で恥じらう様に目を伏せて言った。 「今の家が好きよ。お部屋が一つしかないからずっと一緒に居られるもの」 斯波の箸が止まり、今度は焦ったように箸が動く。 「明日が休みで本当に良かった。一日中だって一緒に居てやるぞ。  貴方ももっと食べなさい、精力をつけなくてはな」 「わ、私、何だか胸がいっぱいで苦しくって……。明日の朝食べるわ」 百合子はそう言うと食べかけの皿に布巾を被せて戸棚にしまった。 弁当箱を洗っていると、斯波が食べ終わった食器を運ぶ。 水で皿を流していると背後から斯波が百合子を抱く。 「洗い物をする後ろ姿も絵になるな……」 「もう、まだ洗い物の途中なんだから――」 耳元で熱っぽく囁く、それだけで百合子は身体が火照ってくるのが分かった。 怒った風に百合子が諭しても聞かず、後ろから耳に口付けしては洋服の上から身体の線をなぞるように触れる。 スカートを纏う細い腰を熱い掌で撫で回すと百合子の身体が震えるのが分かる。 「あ、だ、だめ――」 「さ、洗い物はもういいだろう。お姫さん」 「もう、もう……!」 百合子は弱々しい抵抗を見せるが、斯波がその真っ赤になった項に口付けると、 震えるように皿を置いて、肩と胸に回った斯波の腕に手を添えた。 悪戯っ子の様な顔した斯波が後ろから百合子に接吻する。 百合子は顔をそちらに向けるように首を捻って寄りかかる。 畳の上に百合子を寝かせると、何だかいけない事をしている様な気分になる。 百合子の美しく高貴な身体を、こんな荒屋の色の褪せた古い畳の上で抱いていいのかと戸惑うからだ。 だが、そう思えば思うほど、斯波の獣の様な性欲は昂ぶる。 快楽に溺れる百合子が、抗うように畳に爪を立てるその音さえも甘美ないやらしさをもっている。 百合子を上に乗せて突き上げれば快楽によがる顔の後ろに映る天井板の古めかしさ。 「貴方があんないじらしい事を考えていたとはな――」 「んっ、ああ、あっ――だって……」 いつも食卓で使っている机が、ぎしぎしと軋む。 百合子はたっぷりとした乳房を押しつぶすように机に押し付け、しがみついている。 本来は食事が乗る物の上に、百合子を乗せて後ろから突き上げて抱く。 「ひぃ――いいっ、あっ、んっ」 百合子の形の良い柔らかい尻が、摩羅を押し込む度に斯波の下腹部を圧迫する。 細い腰を持って乱暴に打ち付ければ、揺れる陰嚢が百合子の花芯にとんとんと弱く当たる。 以前とはまるで別人の様に淫乱になる百合子の身体は、抱けば抱くほどに柔らかく蕩けて斯波を酔わせた。 「ああ、あん、いくっ……あっあっ、は、あん」 「は、は、ああ、可愛いな。いいのか? いきそうなのか?」 「んっ、いい……あっ、奥……んっ、ついて、ついて……!」 「お姫さんは奥まで突かれるのが好きか?」 「す、き……好き、だから――は、あ! あ、ああっ、いくっ」 百合子の望み通りに尻を鷲掴みにして奥深くまでぬめり込ませる。 膣庭にまで膨らんだ亀頭が届き、百合子の身体がびくびくと震えて膣が締まる。 ぎしっ、ぎしっ、と大きく軋んでいた机も、百合子が絶頂し身体が強張ると軋む音が弱まる。 斯波は百合子の膣に搾り取られそうなほど摩羅を扱かれるが、力を入れてどうにか耐える。 百合子の身体の強張りが緩むと、荒い息と共に絞り込んでいた膣も緩まる。 摩羅を膣から引き抜くと、百合子はびくりびくりと痙攣するように肩を震わせる。 反り返る傘の部分が内側の襞を引っ掻き、摩羅が抜けると愛液も一緒にこぼれ落ちた。 百合子の愛液がその白い太ももを一筋、二筋と伝う。 それを拭ってしまうにはあまりに艶めいていた。 斯波はくったりと息を繰り返す百合子の身体を抱き寄せて、 布団に寝かせ闇夜にも青白い太腿を左右に押し開くと内腿を膝を伝う蜜を舐めとる。 「はは、ああ、すごい蜜だぞお姫さん。舐めてもしゃぶっても次から次に溢れてくる」 「あ、貴方が、舐めるから――!」 「ああ、そうだな。貴方はここを飴玉の様にしゃぶられるのが、好き、だろう?」 「――す、好きなんかじゃ――」 「好きじゃない? 本当に?」 しゃぶるという言葉の響きが恥ずかしいのだろう。 百合子の女陰を避けて腿の付け根に舌を這わせて舐める。 それを何度も繰り返しているだけで、百合子の女陰から甘い香りと共に甘露が漏れる。 「ひぁ、ああ、あっ、お願い……好き、なの。  しゃ、すきぃ……や、だめ――」 羞恥心に抗いながらも口に出来ず、真っ赤になって今更のように恥じらう姿に、斯波は喉を鳴らして唾を飲み込む。 筋を浮かべて勃起した摩羅が痛むほどに欲情する。 真っ赤になって震えている花芯に吸い付き舌を這わせると、百合子が嬉しげな喘ぎ声をあげる。 いやらしい小さな百合子を、優しく扱いてやる。 百合子はあっという間に達した。 斯波はとけきった百合子の身体を抱きしめて、零れ落ちそうになる愛液を摩羅に絡めた。 骨の柔らかくなった身体は丸で羽のように軽く、斯波は百合子の膝を胸につくまで押し曲げるとずぼりと一気に挿入した。 その深くを抉る烈しい挿入に、百合子は目を見開いて上半身を捻ろうとする。 斯波の重みで押さえつけられた身体は一寸も動かず、手が虚しく布団を掻き毟った。 「ひ、い、あ、ああっ――!」 ずぼずぼと奥まで叩きつける様に深く挿入られ、百合子は唇を噛み締めて耐える。 挿入の度に、ひいひいと噛み締めた口の間から悲鳴とも嬌声とも付かない掠れた息が漏れる。 斯波は欲望のままに百合子の身体に自身を打ち込み、百合子の好きな奥を掻き混ぜる。 深く挿入したまま腰を押し付けて回すと、陰嚢が百合子の尻とも女陰とも付かない良い所に当たり嬉しげに喘ぐ。 「あっ、ああ、出る――。う、ぐっ、はあ、はあ……出るッ」 射精感に腰を何度も打ち付ける。 「あっ、あっ! ひぃ、ひ、い――」 「ああ、お姫さん! ああ、ぐっ、は、ああ、くっ――!」 百合子が唇を強く噛んだまま絶頂し、斯波は百合子に締め付けられながら達した。 摩羅を引きぬき、百合子の腹に射精する。 先端から垂れる様に零れた後、ぶるりと震えるとびゅうびゅうと勢い良く飛ぶ。 むわりと甘い香りが霧か蒸気の様になって、二人の身体から立ち昇る。 じゅくじゅくにとろけた女陰に挿入し、摩擦した摩羅が百合子の蜜にぬめっていた。 荒い息を繰り返して布団に横たわる百合子を抱きしめて口付けをした。 百合子はころりと斯波の胸の中に転がってその腕に顔を埋めて寝息を立てた。 斯波は長く百合子の髪を撫でて、その無防備な寝顔に魅入っていたが、 細い身体を引き寄せると狭い布団に一緒になって眠ってしまった。 夜が明けて、人々が起きだす時間になっても百合子は目覚めず、 一足早く起きた斯波は朝食の用意でもしようかと考えた。 けれど、そうすると百合子が頬を膨らませて悔しがるので止めておいた。 すうすうと小さな寝息を立てる寝顔は可愛らしく、 長く見ていたいのに早く起きてほしくもあり斯波は思わず百合子の額に口付ける。 それでも起きないので、斯波は続けて耳や頬や瞼に優しく口付けを落とした。 華奢で薄い肩を抱きしめて、良い香りのする髪の毛や生え際にも接吻する。 すやすやと無防備な寝顔に口付けている内に、斯波の欲望が高まり始め、 そのあまりにも動物的で、けだものじみた性欲に自分でも呆れて溜息をつく。 「お姫さん、愛している……」 眠っていて聞こえないはずの百合子に耳元で囁く。 くす、と百合子が微笑みを漏らし、斯波は腕の中の百合子を覗きこむ。 「お姫さん、起きているのか?」 斯波の胸元に顔を埋めたまま、百合子は首を振った。 その瞳は閉じたままで眠っている振りをしているが、 斯波がぎゅうと抱きしめてしまうとくすくすと笑い声が零れる。 百合子は斯波の腕の中でまどろむ。 「姫? 一体いつから起きていた?」 「んん、おでこに接吻した時、から……」 「この、眠り姫め!」 「きゃっ、あはは」 斯波は百合子の項に絡まる黒髪を梳きながら、白い肌に口付ける。 百合子にくすぐるような軽い口付けを繰り返し、いつしか甘い香りが立ち白い肌が熱くなっていく。 居間に昇り始めた陽の光が差し込む。 随分と日に焼けて色の変わった畳に布団を敷いて疲れた身体を横たわらせて泥のように眠り、 斯波が背を伸ばして寝ると足が出るほどの布団で毎晩百合子を腕に抱く、 そして、二人が卓台を挟んで座ってしまえばいっぱいになる居間で食事をとるのだった。 /// 寝苦しい夜だった。 布団の上で腹掛けをかけただけで寝転がり、 枕に頭を預けて眠っているのだが、暑くてじっとりと全身が汗をかく。 眠った意識のまま何度も寝返りを打ち、苦しげに息を吐く。 それが、突然に目が覚めて、がばりと起き上がった。 真っ暗な視界に、ぜいぜいという自分の荒い息ばかり響く。 ここはどこだ、と自問しながらも、自分の家であることは分かっていた。 目がなれないまま、横に眠っている百合子を振り返った。 唾を飲み込み、夢を見ていたのだと大きく息をつく。 ほうほうと夜の鳥が鳴き、重い頭を巡らせて夢の内容を思い出そうとした。 「純一さん……?」 百合子が眠そうに目を擦りながら身を起こした。 斯波はその声にはっとして、思わず百合子を抱きしめる。 力があまりに強かったのか、百合子は驚いて苦しげな声を上げた。 「何でもない――」 夢の内容があまりにも恐ろしすぎて、口にすることさえ憚れた。 あれは夢だ、夢だ、と自分に言い聞かせてみても、あまりにも鮮明な夢で恐怖を覚える。 百合子は膝を立てて、斯波の背中に手を回すとまるで母親がするように背中を撫でて優しく叩く。 「大丈夫よ」 「ああ、はあ、百合子さ――」 斯波の頭を撫でてやると、大きな斯波がまるで少年の様に百合子に縋り涙で百合子の寝間着を濡らす。 滅多に見せる事のない斯波の弱い影に、百合子ははっとして斯波の頭を抱えてぎゅうと抱きしめる。 小さな子どもをあやすように、頭を撫でてやり、よしよしと背中を撫でる。 普段があまりにも男らしく頼もしいので、初めて見せる弱い部分を優しく抱きしめて口付ける。 斯波は動揺が収まると、百合子を抱え直してすっぽりと腕の中に包み抱きしめる。 「貴方が、いなくなってしまったら――俺はどうしたらいい」 夢の内容を僅かに思い出していた。 百合子が亡くなり、その遺体を火葬すると言っていた。 夢のなかの百合子はまるで眠っているようで、死んでいる風には見えなかった。 その美しい身体を、肌を、顔を、焼いてしまう事など斯波には到底出来なかった。 例え死んでしまって身体が動かなくなったからと言って、焼いてしまい灰にして小さな骨壷に閉じ込める事など出来ない。 斯波は夢の中で、百合子の眠る様な死体に取り縋って泣いて叫んでいた。 百合子と出会って、再会する夢や一緒になる夢は幾度と無く見たが、 彼女が死んでしまう夢を初めて見た。 再会の夢や、一緒になる夢が現実の通りになった様に、いずれは彼女が死ぬ夢も現実になる。 「私も小さな頃、お父様とお母様が死んでしまう夢をよく見たわ。  わんわん泣いてお二人の寝室に行くと、私を優しく抱き締めて一緒に寝てくれたの。  私が眠れるまでずっと背中を撫でてくれた」 百合子は斯波に口付ける。 恋人としてではなく、家族として。 斯波は母親が死んでから、家族が死ぬ夢を見たことが無かったのだ。 結婚したばかりの頃も夫婦とは言っても所詮形だけのもので、 今になってようやく家族としての実感が湧いたのだ。 そして、その実感が、斯波に恐ろしい夢を見させた。 彼は、少年で居られる時期があまりにも短すぎた。 幼い子どもであれば当然の様に与えられる愛情を、知らずに生きてきたのだ。 百合子は、大きな身体をした少年を抱き締めて背中を撫でてやる。 愛しいという気持ちが張り詰めて、ぱちんと弾け溢れでてしまいそうだった。 「大丈夫よ、私が貴方を守ってあげるわ。  ずっと側に居てあげる。貴方を置いていなくなったりしないわ」 「あなたが、貴方が居なくなってしまったら俺はまたひとりになってしまう!」 「貴方を一人になんて絶対にしないわ」 斯波が疲れて眠ってしまうまで、百合子はその広い背中を撫でてさすってやった。 翌朝、気恥ずかしそうに起きだした斯波に、百合子は何も言わずに口付けする。 いつもの通りに布団を上げて、朝食を居間の卓台に並べた。 /// ようやく、暑い夏が終わり、木々の葉が黄金色に色づき始め��。 すっかりと、涼しくなった夕方に百合子は道子に分けてもらった栗を剥いていた。 近くの山を登ると大きな栗の木が野生しており、気紛れに散歩する者がそれを拾うらしい。 道子の子供たちが毬を踏みつけて中をくりだし、袂をじゃらじゃらにして持って帰ったそうだ。 五つ六つ程だが、二人分の栗ご飯には丁度いい。 工場長に戻った斯波は相変わらず忙しく、夜遅くにならないと帰って来なかった。 すっかりと家事にも慣れた百合子は、昼の時間をもてあますようになっていた。 その為、どこかに働きに出られないかと相談したのは昨日の事だった。 「駄目だ。第一、どこで働くと言うんだ?」 「そうね、お女中さんとか……」 「駄目だ。貴方がこの家に居てくれないと俺は嫌なんだ」 「なら、朝のうちから夕方くらいまでのお仕事なら良いでしょう?」 「確かに、まだ借財もあるし貧乏もしている。  けれど、貴方を働きに出させるつもりはない。  何か欲しい物があるのか?」 「いいえ――」 百合子はがっかりと息をついて肩をすくめた。 ぶうと頬を膨らませてご飯を口に運ぶ。 斯波も話は終わったとばかりに、漬物に箸をつけた。 渋皮に手こずって大夫身は減ってしまった。 百合子は栗の灰汁抜きをして、またふうと溜息をついた。 確かに、借財の返済も滞り無く、斯波の給金があれば今の生活は続けられる。 百合子には欲しいものがあったのだ。 先月の斯波の誕生日には何も贈れる物がなく、 夕飯の品を多少豪勢にしたぐらいだったがそれだって元は斯波の給金だった。 着古した斯波のシャツや靴下なども新しく買いたいが、 冬の備えを考えると、そこまでの余裕はなかった。 斯波が帰ってきても何となく気分が落ち込んで暗い顔をしていると、 仕方がないというように溜息をついて口を開く。 「そんなに働きに出たいというのなら分かった。  ――俺の知り合いの孤児院で教師を探しているんだそうだ」 「教師?」 「そうだ。読み書きそろばんを教えればいい。  孤児院だし、週に三日ほどだから給金は良くないがだ。どうだ?」 「私が、先生……」 「ぴったりだろう? 百合子先生、か……何とも綺麗な響きだなあ。  ああ、俺も貴方の様な美しい先生に教えてもらいたかったなあ」 斯波はそう言うと心底羨ましそうに百合子の顔を見上げた。 百合子は卓台に夕飯を並べながら、喜びに頬が赤くなる。 女学校時代、級長ほど成績はよく無かったが学ぶことが好きだった。 今の時代の子供達はどんな事に興味が有るのだろうか、そう考えるだけで嬉しくて夜も眠れなかった。 /// 雪で真白になった孤児院の庭。 赤い毛糸でざっくりと編まれたセーターに、白いブラウスと足首まで長いスカートに編み上げブーツ。 外を歩く時はマフラーと手袋をして上着を着こめば、ぽかぽかと暖かい。 孤児院の一角、木造の教室では数十名の子どもたちが降り積もった雪を見て大はしゃぎをしている。 百合子は手を叩いて、黒板に美しい字で「手紙」と書く。 藁半紙を全員に一枚ずつ配った。 「今日は、お手紙を書きましょう。相手は未来の自分です」 子どもたちがわいわいと声をあげる。 ここにいる子どもたちは親がいない、もしくは家庭が複雑で親と一緒に暮らせない子供たちだ。 百合子は「手紙」と書いた横に「十年後の自分へ」と書き足す。 「みんな、今よりずっと大きくなっているわ。  働いているかもしれないし、学校に通っているかも。  ひょっとしたら、結婚をしているかもしれないわ。 ���――今日の授業は、このお手紙を書いたらおしまいよ」 雪で遊びたくて仕方がなかった子どもたちは歓声を上げる。 百合子が注意すると、ようやく静かになって、手紙を書く音が教室に響いた。 授業が終わり、庭で雪玉を投げ合っている子どもたちを見て笑う。 百合子は午後までの勤務だったのだが、鞄から毛糸を取り出すとゆっくりと編み始めた。 まだ雪が降っていて、家に帰るには時間がかかるので教室で雪が止むのを待つつもりだった。 給金で買ったその毛糸は深い緑色をしていた。 手編みのマフラーは、最初に編んだ端の方は寄れて縮んで不恰好だが、 首に巻きつけてしまえば問題はない。 雪が止んで、日が差すのを見て、ふう、と満足気に嘆息する。 もう少しで編み上がりそうだった。くるくると折り畳み鞄にしまう。 どうにかクリスマスには間に合うだろう、と明るい気分になる。 このマフラーを見た斯波が何というか楽しみで、帰路につく足は自然に軽くなった。 「うう、寒い寒い」 「純一さん、お帰りなさい」 「ああ、ただいま」 手を擦り合わせながら引き戸を閉める。 夜半をすぎると雪は収まったが、寒さは一段と厳しくなり、風も強くなった。 百合子は用意していたお湯を桶に入れる。ふわりと湯気が立ち、暖かかった。 桶を持った百合子に軽く口付ける。斯波の唇は氷の様に冷たい。 そして、桶の中の湯で手を洗いながら、真っ赤になった顔をほころばせて笑う。 「家の中は暖かいな。竈も良い物だなあ」 じんわりと凍えた手が、お湯でゆるむ。 ばしゃばしゃと顔も洗って手ぬぐいで拭く。 百合子は冷たくなってしまった上着を受け取り、暖かい綿入れを差し出す。 「おっと――」 寒さでかちかちになった靴も脱いでしまうと、居間の際に腰掛けてぬるくなった湯に両足をつけた。 百合子は新しい湯を上から注ぐと、斯波のまだ濡れている手を優しく手ぬぐいで挟んで水滴をとる。 「ちゃんと拭かないと手が荒れるわ」 優しく丁寧に拭き、顔を洗った時に髪についた水滴も襟元に零れた水滴も拭う。 斯波はその甲斐甲斐しく動く百合子を見つめ、冬には冬の趣があると一人頷いた。 百合子はカーキ色の斯波のズボンの裾を捲って、ごつごつと節くれだった湯で足を揉む。 「お湯かげんはいかが?」 「ああ、極楽だ。よし、お姫さん俺が交代してやろう」 「え? 私はいいわ」 「まあまあ、そう遠慮するな。な?」 斯波は足を上げてごしごしと手拭いで拭くと、百合子を居間に座らせて長いスカートを膝まで折る。 真っ白な細い足首から靴下を引きぬいて、そっと湯桶につけた。 更に温かい湯を足すと、その白い足を持ち湯の中に付けたまま揉む。 「どうだ、気持ちいいだろう?」 得意げにそう言うとむき出しの膝の内側にちゅっと接吻する。 指の股まで丁寧に揉み、形の良い薄紅色の爪を強く擦る。 だんだんと血流が良くなり、百合子は足だけでなく全身が暖かくなるのを感じた。 斯波は膝をついて百合子の白い足を自分の膝に乗せこれ以上無いほど丁寧に拭いてやった。 居間の机に夕飯を並べ、居間に座る。 土鍋の蓋を開けると、熱い湯気が立つ。 斯波の小皿に鍋をよそいながら、百合子は今日の授業の話をする。 「それでね。その子が、十年後は百合子先生をお嫁さんにするって言うの」 「そ、それで、貴方は何と答えたんだ?」 「ね、可愛いでしょう?」 斯波の焦る顔も目に入らず、百合子は思い出してはほんわりと微笑んだ。 この頃の子どもたちはやんちゃで生意気なところもあるが、素直で可愛い。 にこにこと笑っている百合子に、斯波は憮然として言い放った。 「全っ然、可愛くなどない! なんってませたガキだ!」 「もう、子供の言うことに本気になってどうするの」 「なあ、百合子さん。勿論、素敵な旦那様がいるから御免なさい、と断ったのだろう?」 「いいえ、ありがとうと言ったわ」 斯波が求婚を続けた時はあんなにつっぱねたのに――と斯波は怒る。 百合子は斯波の怒る理由が分からなかったが、笑顔で漬物を摘むとぽりぽりと小気味のいい音をさせて食べた。 夜になって寝間着に着替えても、斯波はどこか怒った風にむっすりとしていた。 百合子は長い髪を櫛で梳きながら、ちらりと斯波を見る。 「純一さん、まだ怒っているの?」 「嫌だな、怒ってなんかいませんよ。  それに……ま、子供の言う事だしな」 言葉とは裏腹に棘のある声だった。 振り返ってみると、拗ねたように唇を尖らせている。 普段は百合子が髪を梳かしたり乳液をつけたりする所を面白がって見ているのに、今日はそっぽを向いていた。 百合子は子供の言うことなのに、と少しだけ憤慨してその日はお互い別々の布団で眠った。 /// 「ああ、ただいまお姫さん!」 大雪の降った年末の夜、斯波は肩に積もる雪も払わずに家に入った。 首元には斯波に贈った緑のマフラーが巻いてある。 その手には大事そうに抱えているものを、急いで居間に置く。 それは着物を包む和紙だった。するりと紐を解くと、左右に開く。 中から現れたのは薄紅色の桜模様をした、美しい着物だった。 その繊細な柄と、柔らかな光沢のある生地。 「これ――」 「以前、この反物を見かけて、ずうっと欲しいと思っていたんだ。  工場に勤めているやつで着物を縫える奥さんがいたから前々から頼んでいたんだが、やっと今日出来上がった。  ほら、帯も帯留めも、一式全てあるぞ」 百合子はこの見窄らしい家には似つかない、場違いな程に美しい着物を見た。 邸に住んでいた頃は、それこそ嫌というほど斯波が着物を買ってくれた。 澄んだ薄紅色は、百合子が手で触れるのを躊躇うほどに優雅だった。 「どうした――気に入らなかったか」 「違うの」 心配そうな斯波を見上げて首を振る。 その瞳には溢れんばかりに涙が溜まっている。 少しでも動いてしまったら次から次へと流れてしまいそうだ。 「私――私、いいのかしら。こんなにも幸せで……」 百合子はこの着物を買うために、どれほど斯波が苦労をしたかを知っている。 決して楽ではない生活を、更に切り���めて、働いて金を作ったのだ。 胸がいっぱいになり、喉が詰まる。 恐る恐るという風に、美しい着物に手を伸ばした。 さらりとなめらかな肌触で、身体に当ててみると百合子の白い肌と黒い髪によく似合う。 「ああ、やはり思った通りだ。  百合子さん、桜の精の様だ」 「勿体無くて袖を通したくないわ、ずうっとこうやって眺めていたい」 「おいおい、俺は貴方がそれを着た所を見たくてだな。そうだ、こうしよう、春の晴れた日にその着物を着て桜を見に行こう!」 「春に? 気が早いわ。だってまだ年末なのに」 「こう言うのは早め早めがいいんだ。  いいだろう百合子さん? それも毎年だ。な、そうしよう」 斯波は強引にそう言うと百合子に口付ける。 百合子はせっかちな斯波の頬に手を添わせて仕方がないというように頷いた。 家の外は春には程遠く、ぼたん雪がひらひらと降り注いでは積もっていく。
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image-weaver · 7 years ago
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45 Alamityc
鉛色に重い雲の群れが後先の果てなく垂れこめる中、色彩の失われた山間の広く薄暗い裾野を、三つの騎馬が抜けていく。風は強く、冷たく荒んでいた。どの灌木も枝を歪ませて葉を散らし、冬を前にして葉先を枯れさせた草はらが波を打って、往く者たちを歓迎しない声で騒ぎ立てている。彼らはフェクトナ湖より続く、次のパワースポットを目指す途上にあった。以前に道を経たオストル沼沢は、冷たくも湿り、温かな抱擁で――共に腐りゆくともがらとしてだが――冒険者たちを引き入れんとしたが、この地は乾ききり、いわく言いがたい抵抗の念が進む者を平穏へと押し戻そうとしている。草の間に道らしい道はあったが、標もろとも古えの時代より風化して、通るのはいまやフェレスの主だけであり、むきだしの地面に小石ばかりの転がる寂しい旅路が続いていた。
騎馬のうち、後方のなかんずく逞しい一頭に跨るのはバルナバーシュとルドであり、時折吹き付ける突風に彼らの外套は何度も剥がされかけ、とうに頭巾の払われた面貌は砂塵に汚れていた。ルドは乗馬を知らないため、バルナバーシュが彼を後ろに乗せて手綱を取っていたが、不慣れからか疲労も見え始めているようだった。必死にバルナバーシュの背中にしがみつく中、呼気を荒くして、不安げに身を固くしている。
「バルナバーシュ殿、大丈夫か!」
前方のひとりが振り向いて、目深にした頭巾の奥から大声で叫んだ。若い男の声だった。
「少し休みたい、速度を落としてくれ!」
バルナバーシュが頼むと、前方の二人は徐々に馬足を落ち着かせ、バルナバーシュとルドの馬もそれにならった。くつわを並べると、若い男ではないもう一人が預かり、前に乗せていたマックスがルドに一吠えして、健在ぶりを伝えてくれた。
「我らのなかで抜きんでて体力に優れるのは、どうやらこの者のようだ」
預かり主の頭巾から低く泰然とした女性の声がして、手甲に覆われた手がマックスを優しく撫でてやった。その様子に若い男のほうが肩を竦めてから、北西の方角へ手を伸ばし、バルナバーシュとルドに何かを指し示した。
「見たまえ、じきに到着だ」
バルナバーシュらが目をやると、山陰に聳える二つの塔の影が見えた。いや、正確には一つなのかもしれない。二つの塔はその頂上で、アーチを描いて繋がっている……。雲間より一筋の光が差し、灰がかった黄色に浮かび上がる石造りの塔は遠目にも長大で重々しく、殺伐とこの地に漂い、旅人を阻む寒気はあの場所より発せられているのだとバルナバーシュには感じられた。
「アラミティク廟塔……アラミティクとはイススィールの言葉で災いと解く。実に不吉なことだ。だが、ここはオストル沼沢のような累々たる負に行き詰まる袋小路とは違う。災いをもたらすがゆえに開けてはいけない棺、禁足地に至る門――そう、あの場所にこそ、我々をさらなる探求に導く甘美な秘匿があるのだろう。ああ、イススィールよ……今より我らが暴いてやるとも。お前の心臓にいつか届くきざはしを! フェレスある限り、我らに穏やかな夜はない。憤怒してみせようではないか!」
腕を広げ、そう高らかに語る男の口調は愉悦を隠さなかった。バルナバーシュは手巾で顔の汚れを拭きながら、男の横顔を大人しく傍観している。この者と連れの女性と出会った、先日の宿場町での出来事を思い返しながら。
旅の前々夜、バルナバーシュは島の情報の集まる薄汚れた酒場へ久方ぶりに顔を出した。少なくとも今のイススィールにおいて、フェレスの主は普段、互いに積極的な干渉はしないが、取引と互助は比較的な好意の中で根付き、通い合っており、人の集う場所は自然、その仲介役として機能していく定めにあった。しかし人の数は、バルナバーシュらがしばらく帰らぬ間に目に見えて少なくなっており、苦難を前にして挫ける者が続いたか、また矜持の中で道半ばに斃れたのか……いずれにせよ、バルナバーシュにはそれが我がことのようにも思えてならなかった。壁にかかる角灯の質の悪い火に揺れ、陰翳を落とす明かりの下にハインを探したが、姿はない。旅先で出会うこともなかったが、彼は湖をとうに越えたのだろうか。
水割りのラム酒を注文し、杯を手にしながら店を眺めていると、酒に似つかわしくない卓が目に留まった。書物が積まれ、広げられて、その知識の遠洋で支配者然とした青年が一冊を熱心に読んでいる。表紙には、胸の悪くなる歌集と書かれた付箋紙が貼られていた。その他に分かるのは、スラッシュ入門、はじめての召喚、頭のたいそう読本といった、ごく簡単なイススィール語の背表紙のいくつかがバルナバーシュには精々であり、手がかりすら掴めない題もあったが、いずれも古書の風情で、島より見出された貴重な資料には違いなかった。
青年はこちらの凝視など気にも留めず読書か、あるいは解読を続けていたが、バルナバーシュは彼の額にあるものが飾りでないのが分かると、情熱に水を差さざるを得なくなってしまった。
「失礼、あなたは古代人の後胤か」
仰々しく足音を立てて近付いても見向きされなかったので、思い切って声をかけた。すると青年は掘りのある気難しげな顔を上げ、眉を寄せ、丸みを帯びた銀縁眼鏡をそのブリッジに中指をあてて整えた。眼鏡には耳掛けがあり、パンスネが主流であったゲルダット人のバルナバーシュには見慣れない型だったが、合理的な洗練を窺わせる品だった。隣国ハンターレクから運ばれる舶来品に一度、これとよく似たものを目にした覚えがある。
顔を合わせると、容姿はよりはっきりとした。薄青と灰を帯びたらくだ色の髪を肩まで下ろし、中肉中背を藍の胴着と黒みのある茶色の洋袴からなる飾り気のない旅装束で包んでいたが、やや白目の多いルベライトの瞳は鋭く、手厳しい執念の火を宿して見る者に熱傷を与えるかのようだった。鼻筋の通った面差しながら、他者を寄せ付けないどころか、自らにとって生半可な者は相手にするつもりのない一蹴を��している。それはまた、過去の失態による不信や人嫌いではなく、生来のすげなさであった。愛想など母の胎内に自分から置いてきてやった、とでも言いたげな挑戦的な態度が、この者の全身から充溢しているのだ。
だが<古代人>に馴染みのないバルナバーシュの興味を一段と引くのは、額の目だった。それは宝飾ではなく、また入れ墨でも化粧でもなく、第三の目――生きている瞳だった。まばたき、同じルベライトの色に光る瞳は、双眸と共にバルナバーシュを曇りなく映している。このように見つめられるのは全く初めてのことだったので、内心はまごついていたが、古代人の青年が黙って続く言葉を待っていたので――そして長くは待たないのだろう――バルナバーシュは簡明直截をもって本題を口にした。
「直していただきたい遺失文明の品がある。小さな機構なのだが」 「そうか、見せてみろ」
懐中時計を手渡すと、青年はそれを見て眉を上げた。
「これはフェレスか?」 「ああ。フェレスとしては問題ないが、針が動かない。動力か、あるいは細工に支障が出ている」 「なるほど、しかしここでは無理だ。技術はあるが、道具が無い」
青年はバルナバーシュに懐中時計を返し、腕を組む。
「レオ鉱山の小屋へ行けば叶うことだが、生憎、私は明日に出立せねばならん。探索行が終わってから互いの機会があえばよいが」 「いや、それで構わない……」 「貴殿、名は?」 「バルナバーシュだ」
それから青年は薄い唇を指でなぞり、遠くを見るような目で考えたが、長くはかからなかった。
「時にバルナバーシュ殿よ。貴殿はフェクトナ湖を越えたのか?」 「あ、ああ……その先はまだ見ていないが、それが何か」 「ゆくりないことだが、我らも――ひとり連れがいるのだが、貴殿と同じ途上にある。そして準備、実力、士気に抜かりはない。よって、故も無い者を引き入れるぐらいなら、二人で挑んで間違いはないのだが……私が望む探究をより為すために、出来ればあと二人ほど同行者が欲しいのだ。貴殿を見込んで勧誘したい。報酬の用意もあるが、我らについてきたなら必ずや、貴殿にも利のある協力となるだろう。値踏みも馬鹿らしくなるほどにな」
唐突な申し出だった。ごく真剣に、またごく当然と語る顔は、なにせこの私がいるのだからと、一切の疑いもなく言葉の後に付け加えている。
「無論、断るも良しだ。あるいは人手に心当たりがあるなら、時計修理の前金代わりに教えてほしいが」 「それは……少し考える時間が欲しいが」 「私は待たない。だが目下のところ、湖を越えてなお進まんとする者とこうして会えたのは、貴殿が初めてだ。諦めて島を出る者や――彼らは極めて正しい選択をしたと言えよう――また、倒せぬ敵がいるから助けてくれとせがむ腑抜けも稀にはいたが、貴殿はそのようにも見えない。あの水精らの試練をしりぞけたなら、私の考えは分かるはずだ。だからあと一日ならば、貴殿のために出立を遅らせられる。それ以上はなしだ」 「……話は分かった。私のほうも二人連れだから、数を合わせる必要はない。相談し、明日の夕刻には、仲間を連れてこの酒場に返事を持ってくる。あるいは私たちの姿が遂に見えなければ、行ってくれ」
バルナバーシュはこの尊大で、微塵の悪意もなく、ゆえにたちは悪く、そして認めた相手には彼なりに敬意を払うつもりのある男を、懸念こそすれ嫌いにはなれなかった。この者は故郷ゲルダットで最も傲慢で、欲に醜く肥え太り、糞の山の上に立って己こそ完美と標榜してやまぬ家門、<ニールの高き壁>と何が違ったのか。バルナバーシュは、自分がこの男にかつての友……下水に棄てられて死んだウィローの面影を見ていることに気が付いた。
ウィローは高き壁の傍系にありながら、いかな痛烈な皮肉をもって本家の者どもの虚栄を突き、一夜の花火のように暴くさまを心に描いて、奸智を費やし、なによりもその楽しみの中には、意外なことに一切の不幸も過去も存在していなかった。不幸や過去は、きっかけではあったかもしれない。だがバルナバーシュにとっては、それでも驚くべきことだった。ウィロー自身が地位の低さから受けたありとある蔑みも、その痛みから生まれたはずの復讐心も、彼が生み出したものは忘れ、華やかに世界を刷新した。若き日のウィローム=アガス・ニールは、ただひとり心を許したセインオラン=エルザ・バルナバーシュと一緒になって、高き壁の連中へ悪態をつき、ささやかに一泡吹かせてやり――たとえば品行方正を自称していた男の浮気の現場を、いっとうまずい相手に目撃させたりとか――そうして悪だくみの成功を笑いあうとき、ただひたすらに幸福だったのだ。ウィローは才のある詩人であり、芸術家の素質の持ち主だった。二人はどしゃ降りの街路で、口をあけながら天に向かって笑い、雨粒を受けて駆け抜け、疲れ果て、秘密の袋小路で仰向けに転がって、息は荒く、それでも幸せに笑い続けた。ウィローは学び舎に入ると、実際に詩も書いた……美しく、自由で、それは不知によって紡がれていた。バルナバーシュの恐れた無知とは違う。ウィローは生み出す瞬間、知りながら、忘れ去るのだ。周りは彼の不幸な出自が胸を打つ詩を書かせたのだと、憐れみをもって評していたが、ウィローはその者らを一笑に付した。お得意の皮肉と嘲笑を交えて。
古代人の青年は、ウィローとは違う。いかにもな学究肌で、無駄を好まず、決して軽薄ではない。なのになぜ、面影を見たのか。彼の大胆不敵な物言いに、不幸と過去を少しも感じられなかったからだろうか。何かを掴みかけて、だがバルナバーシュには結局分からなかった。そも出会ったばかりなのだから、早計と片付けるのが今は正しいように思えた。
「待て、まだ名乗っていなかったな」
古代人の崇高な作業の邪魔をいつまでもして、気を損ねないうちに立ち去ろうとしたバルナバーシュを彼が引き留めた。
「私はフェリクス。我がフェレスに誓って、魔王を証明する者だ」
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