#著作権法30条の4
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)5月2日(木曜日)
通巻第8236号
コロンビア大学占拠組に学生は少数、プロの活動家、外人部隊が大半
悪名高きリサ・フィシィアが扇動。米国分裂の前衛部隊が政治演出を狙った
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極左活動家に占拠され器物を損壊されたコロンビア大学のハミルトンホールにニューヨーク市警冊が突入、およそ百名の活動家を逮捕した。
場外で扇動していたのは悪名高きリサ・フィシィア女史(63歳)。「われわれは99%」と叫んでウォール街占拠事件なども彼女が扇動した。
現在の米国分裂を作り出した前衛部隊の活動家である。
アメリカの世論は換わった。
7月の共和党大会の焦点はトランプが『副大統領』に誰を指名してチケットを組むか、である。WOKE批判の人間が選ばれるだろう。
ニッキー・ヘイリー元国連大使が予備選撤退の際にトランプを支持しないで、トランプ陣��から離れたため、彼女の副大統領指名の可能性は薄らいだ。
というのも軍需産業とウォール街の幹部でなりたつ共和党主流派はトランプに非協力的であり、現在もこれからもトランプは支持者だけの孤軍でたたかう姿勢にある。
となると最有力の副大統領候補はトゥルシー・ギャバートに絞られてきた。
第一に女性であること。第二に少数民族出身という条件をみたしており、第三に有力視される材料とは彼女が民主党幹部だった「履歴」、第四がイラクで戦った『軍歴』である。
彼女は最年少でハワイ選出下院議員、2020年には民主党の大統領候補予備選にでた。またヒラリー・クリントン批判で知られる女傑。されど美人。難点がもしあるとすれば、彼女がヒンズー教徒を信奉するインド系であることだろうか。ちなみにニッキー・ヘイリーもインド系である。
トゥルシー・ギャバードの新著『国を愛するために』が4月30日に発売され、たちまちベストセラーとなった。
彼女はこう書いた。
「無駄な時間はもう無いのです。私たちの国は激しく分裂しています。共和国として、労働組合としての私たちの将来は暗い。騒音、狂気、暗闇。。。多くを締め出してサーフボードで海に漕ぎ出したり、山にハイキングに出かけたりして、母なる自然の平和と雄大さを味わいたい」
つづけてギャバートは、なぜ民主党に絶望したかを語る。
「狂気が消え去ることを期待して目隠しをして生活を続けるには、あまりにも多くが危険にさらされています。私たちが立ち上がって、この国を破壊しようとしている人々に、私たちの政府は国民の、国民による、国民のための政府であることを思い出させない限り、立憲民主主義に対する狂気と脅威は消えることはなく、増大するばかりです」
▼アメリカはどうしてこうなったのか?
ギャバートは続ける。
「私が2002 年にハワイ民主党に入党したのは、当時、国民のための言論の自由を尊重し、参加者全員を大きなテントに歓迎し、多様な意見や意見を共有する政党のように見えたからです。第二次世界大戦中、隣人や友人たちが日本の強制収容所に放り込まれ、一瞬にして自由が奪われたことを思い出しながら、市民の自由と権利のために闘う政党だった。それはJFKとマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧��に触発された政党でした。アメリカ人として団結すれば何が可能になるかを示してくれました。その党はもはや存在しません」
エセ民主主義の偽善者が民主党のエリートだと批判が続く。
「民主党はあらゆる問題を人種差別化することで私たちを分断し、反白人人種差別を煽り、神から与えられた自由を損なうために積極的に活動する、卑劣な『目覚め』(WOKE)に煽られた『戦争屋』の「エリート主義陰謀団」の完全な支配下にあります。
憲法に明記されており、信仰と精神を持つ人々に敵対し、警察を悪者扱いし、法を遵守するアメリカ国民を犠牲にして犯罪者を保護し、「安全」だと主張しながら国境を開いたままにし、国家安全保障国家を兵器化して、政敵の追撃、そして何よりも日を追うごとに私たちを核戦争に近づけています」
激越な批判である。
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■ 計算資源確保だけ支援しても。。。。。。 NEDOが国内の生成AIの基盤モデル開発のために実施している「ポスト5G情報通信システム基盤強化研究開発事業/ポスト5G情報通信システムの開発」に採択された各事業者がそれぞれ喜びの声を上げています(画像はNEDO資料より引用)。 ABEJA、Sakana AI、NII、ストックマーク、Turing、東京大学、Preferred Elementsと、いずれも錚々たるプレーヤーです。 しかし、基盤モデルの開発のためには、計算資源だけでなく、大量かつ多様性を持つ豊富なデータが必須です。 2018年の著作権法改正により、日本の著作権法は、そのような大量かつ多様性を持つデータ収集を行うことの強い追い風になっていました。 「いました」と過去形で言っているのは、現在の文化庁での議論が、全く逆の方向に行っているのではないかと、強く懸念しているからです。 具体的には、文化庁が作成し現在パブコメにかかっている「AI と著作権に関する考え方について(素案)令和6年1月 23 日時点版」です。 著作権法の解釈は、本来司法判断によるべきものであり、「素案」は著作権法の解釈指針を示すだけに過ぎないものであることは「素案」自身が認めています。 しかし、この素案は、① 現実的には起こりそうにない仮定的な「リスク」を複数指摘している、② 著作権法の従来の通説的な解釈から逸脱していると思われる解釈も「意見もあった」などの書きぶりで記載されている、③技術的な検討が不十分ではないかと思われる記載が散見される、などの多数の問題点を含んでいると個人的には考えています。 言葉を選ばずに言うと「いらんこと書きすぎ」です。 この「素案」は文化審議会著作権分科会法制度小委員会(令和5年度)第5回(2023年12月20日)ではじめて提示されたものですが、その後わずか2ヶ月足らずで「素案」に対するパブコメが締め切られるのです。 文化庁の「素案」は、単なる解釈指針ではありますが、実務には極めて大きな影響を持ちます。 「素案」が現在の内容のままで確定すると、以下のような事態が生じるのではないかと強く心配しています。 ① 「長いものには巻かれろ」「できるだけリスクをとりたくない」「リスクがない方法を教えてくれ」という日本のAI開発企業・研究機関は「素案」内記載の「リスク」の記載を過大に捉えて大幅に萎縮するだろう。 ② 権利者による、AI開発・学習、AIサービス提供者に対する過剰な権利行使が多発するだろう。 ③ アメリカではAI企業に対する複数の訴訟が起こっているが、AI学習がフェアユースに該当し著作権侵害ではないと判断された場合、またもや日本企業だけが割を食うことになるだろう。 ④ 日本国内からの海外企業の流出も招き、せっかく世界に先駆けて30条の4を立法した意味がなくなるだろう。 つまり、せっかく国を挙げて生成AIの開発にベットしているのに「素案」が日本のAI開発に重大な悪影響を及ぼすのではないか、5年後に、「計算資源+大量の良質なデータ」により日本の生成AI開発は強い競争力を持つはずだったのにな。。。。」と関係者全員がしょぼんとするのではないか、と心配しています。 当然のことではありますが、私は現行著作権法を生成AI開発のために捻じ曲げて解釈してほしい、と言っているわけではありません。 文化庁が著作権法に関する解釈指針を出すことにも意味があります。 しかし、現状の文化庁素案が現状のまま確定すると日本のAI戦略・AI開発に重大な悪影響があるのではないかと考えます。
Xユーザーの柿沼 太一さん
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『イスラエル/パレスチナ/アラブ諸国』2020年
紛争の原因

1897年、テオドール・ヘルツルは『ユダヤ人国家』を著し、反ユダヤ主義者たちによる迫害からユダヤ人を守るためにはユダヤ人国家を建設しなければならない、と唱えた。1917年、イギリスの外務大臣で��ったバルフォア卿は、パレスチナにおけるユダヤ人の「民族的郷土」の建設への協力を宣言する。しかしバルフォアは同時にオスマン帝国の支配下にあったアラブ人に対して独立の約束もしていた。1919年から1939年にかけて、イギリスの委任統治の下でパレスチナのユダヤ人人口は6万5000人から42万5000人になり、パレスチナの住民数に占める割合は10%から30%に増加した。その原因は、中央ヨーロッパやドイツにおける迫害を逃れてやって来たユダヤ人の集団移動だった。このことはユダヤ移民に対するアラブ人の敵意を生んだ。第二次世界大戦後、国連はパレスチナ分割案を採択し、領土の55%をユダヤ人に割り当て、残りの45%をアラブ人に割り当てた国家を創設することにした。アラブ側はこの分割案を拒否し、第一次中東戦争が勃発した。その結果、アラブ側は敗北し、1948年5月14日にベン・グリオンが建国を宣言したイスラエルは、やがてその領土をパレスチナの55%から78%にまで増やしていく。残りはエジプト領とヨルダン領になった。つまりパレスチナ人への約束であったアラブ人の国家は実現しなかったのだ。結果的に72万5000人のパレスチナ人が避難し、難民になることを余儀なくされた。アラブ諸国はイスラエルを承認せず、イスラエルは保身のために西欧諸国とアメリカに接近し、かつての植民地大国の同盟国とみなされた。1956年、エジプトのナーセル大統領が国有化しようとしたスエズ運河をめぐって、イスラエルはイギリスとフランスとともに軍事行動を起こした。ソ連はエジプト側についてこの戦争に介入した。1967年には、イスラエルは「六日戦争」と呼ばれる戦争に勝利し、東エルサレム、ヨルダン川西岸地区、ガザ地区、そしてエジプト領のシナイ半島とシリア領のゴラン高原を占領した。このときの完膚なきまでの敗北は、アラブ諸国にとって屈辱の記憶となった。国連は安保理決議242を採択し、戦争による領土奪取を認めず、イスラエルには占領地域から撤退するよう要請した。1967年、スーダンのハルツームにおけるアラブ連盟の首脳会議で、3つの「NO」が採択された:和解への「NO」、イスラエル承認への「NO」、交渉への「NO」である。
アラブ側ではパレスチナ人が武力闘争を強く推し進めており、対話を拒むイスラエルを国家として認めなかった。1973年、イスラエルとエジプト・シリアのあいだで再び戦争が始まったが、領土問題は現状維持のままで終結した。1978年、エルサレムを訪問したエジプトのサダト大統領がイスラエルに対して和平を提案し、エジプトとイスラエルは互いの国を承認することになった。シナイ半島はエジプトに返還されたが、エジプトは単独で平和条約に��印したために、アラブ連盟から除名された。するとエジプトはアメリカと同盟関係を結び、多大な経済支援を受けるに至った。
1982年、イスラエルはレバノンに侵攻し、レバノンにおける国家内国家となっていたパレスチナ解放機構(PLO)を立ち退かせようとした。1964年にPLOを創設したヤーセル・アラファトは、イスラエルのレバノン侵攻が始まると首都ベイルートから逃亡しフランスの保護下に入った。しかしイスラエル侵攻下で、パレスチナ難民キャンプ内での民間人の虐殺が発生すると、イスラエルのイメージは地に落ちた。1987年から、ガザ地区のパレスチナの青年たちを中心に、イスラエルによる占領に抵抗するインティファーダ、通称「石の闘い」が始まった。1990年から1991年にかけての湾岸戦争が終わると、サダム・フセインが、イスラエルによる占領をうまく利用することでアラブ諸国の世論をたやすく操作していたという事実を、アメリカは初めて理解した。ジョージ・H・W・ブッシュ大統領は、イスラエルに方針変更を強要した。イスラエルとパレスチナの直接交渉が実現し、オスロ合意が成立した。この協定により、PLOはイスラエルを国家として承認し、イスラエル(イツハク・ラビン首相)はそれまでテロ組織とみなしていたPLOをパレスチナの正式な代表として認めることになった。オスロ合意(1993年9月にワシントンで批准された)の計画では、イスラエルは段階的に占領地域から撤退し、パレスチナ人の国家が建設されることになっていた。

1994年7月1日、それまで亡命していたヤーセル・アラファトPLO議長がパレスチナへの帰還を許された。ところが1995年11月4日、イスラエルのラビン首相が過激派ユダヤ人に殺害され、和平プロセスは暗礁に乗り上げた。そこで、大統領として2期目の守終了を控えたアメリカのビル・クリントンは和平合意成立に向けて、2000年7月��キャンプデービッドで両者の首脳会談を待った。しかし交渉は決裂し、再び武力闘争が繰り返される。2001年2月、イスラエルはアリエル・シャロンを首相に選んだ。新首相シャロンはオスロ合意には反対の立場で、ラビン路線(あたかも和平プロセスは存在しないかのように厳しくテロ組織との闘いを続けると同時に、あたかもテロ活動など起こっていないかのように友好的に和平交渉を進める方法)を退けた。シャロンがオスロ合意を少しずつ切り崩していく一方で、ハマスによるテロ活動は規模を拡大していく。2002年にはアラブ連盟から和平案の提案があった。アラブ諸国によるイスラエルの承認と引きかえにイスラエルは占領地域から撤退し、そこにパレスチナ国家を樹立するという内容だ。ところがシャロンは7000人のイスラエル人入植者が140万人のパレスチナ人に囲まれて暮らすガザ地区からの全入植者の撤退を突然決断する。そしてそのあいだもヨルダン川西岸地区では入植地建設が続いた。
パレスチナで2006年1月に行われた選挙ではハマスが圧勝した。ハマスはオスロ合意に反対しており、西欧諸国とイスラエルからはテロ組織とみなされている。
西欧諸国はガザ地区にあるパレスチナ政府との関係を絶った。パレスチナは地理的にはガザ地区とヨルダン川西岸地区に分断され、政治的にはガザ地区を掌握しているハマスとファタハに分離した。イスラエルが撤退したあともガザ地区の封鎖は続き、パレスチナはこれに対してイスラエルの都市にロケット弾を発射して対抗した。これをきっかけにイスラエルは新たに軍事侵攻を開始、ガザ地区を爆撃し、2008年12月から2009年1月にかけてパレスチナ側では1400人の死傷者を出した。さらに2009年2月に行われた選挙ではイスラエル史上もっともナショナリズム色の強い政府が成立した。当時、イスラエルとパレスチナの和平合意がゆくゆくはどのような形を取ることになるかは知られており、多くの文書においてすでに定義済みであった。その内容は、まずイスラエルの隣にパレスチナ国家を建設すること、そしてイスラエル人は67年ライン内に住む権利を有すること、さらに、領有権問題で両者に損失が出ず両者の合意がありさえすれば、境界線の変更も可能であったこと、などである。とはいうものの、この頃からまたもイスラエル・パレスチナ間では不信感が生まれ、敵意にまでエスカレートした。2014年、3人のイスラエル人が誘拐されるという事件が発生、イスラエル政府はまたもガザ地区を爆撃し、2200人が犠牲になった。2015年3月、ベンヤミン・ネタニヤフ率いるリクードが選挙戦で再び勝利をおさめ、パレスチナとの和平交渉に反対する右派と極右派による政府が発足した。大のイスラエルびいきであるドナルド・トランプのアメリカ大統領選出は、ユダヤ教原理主義者や植民地主義者たちとの結びつきが強いネタニヤフが、妥協を認めない政策を続けるうえで、強固な支えになった。アメリカ政府は駐イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移し、パレスチナ自治政府と断交し、ゴラン高原におけるイスラエルの主権を承認した。EUは現状を承認し、ロシアと中国もこれに続いた。インド、そして数多くのアフリカ諸国も密かにではあるがイスラエルに協力している。また、イランという共通の敵をめぐって、国交のなかったアラブ諸国との関係改善を図り、サウジアラビアとアラブ首長国連邦への接近も実現した。だが、アラブ諸国の政府にまで見放されたパレスチナの大義は、今でも世論に強く訴えかける力を持ち続けている。
『最新 世界紛争地図』
パスカル・ポニファス/ユベール・ヴェドリーヌ 著 神奈川 夏子 訳
ジャン = ピエール・マニエ(イラストレーター)
ディスカヴァー・トゥエンティワン2020年8月25日発行
原題:ATLAS DES CRISES─ET DES CONFLICTS
著者
パスカル・ポニファス(Pascal Boniface)
国際関係戦略研究所(IRIS)所長お呼びIRIS SUP(イリス・シュプ)学長。
パリ第8大学ヨーロッパ研究所で教鞭を執る。戦略的問題に関する著書は約60冊、YouTubeチャンネル『Comprendre le monde(世界を理解する)』も運営している。
ユベール・ヴェドリーヌ(Hubelt Vedrine)
1981年から1995年までフランス大統領府で外交顧問、報道官、事務総長を歴任し、1997年から2002年まで外務大臣(ジョスパン内閣)を務めた。
訳者
神奈川夏子(Natsuko Kanagawa)
上智大学仏文学修士課程、サイモンフレーザー大学日英通訳科修了。訳書『偉大なる指揮者たち』(ヤマハミュージックメディア)、『BIG MAGIC「夢中になる」ことからはじめよう。』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか』(草思社)、『ヴァン・ナチュールの名作300本』(エクスナレッジ)他。
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2023年8月17日 一般社団法人日本雑誌協会 一般社団法人日本写真著作権協会 一般社団法人日本書籍出版協会 一般社団法人日本新聞協会 (※分野名五十音順) 近時、生成AIが注目を集めています。社会の様々な場面で利便性を向上させる技術として期待を集める一方で、偽情報の拡散や個人情報の漏洩を招く恐れがあるほか、著作権者の権利が侵害されるリスクが強く懸念されています。私たちは、生成AIと著作権の保護に関する検討が不十分な現状を大いに危惧しています。 現在の生成AIは、AIに学習させる大量の著作物データなしには機能しません。多くの場合、これらのデータはネット上のクローリングにより著作権者の同意取得や対価の支払いなしに収集され、その解析結果に基づきコンテンツが生成されています。日本の著作権法第30条の4が諸外国に比べ、AI学習に極めて有利に作られていることは大きな課題です。同条のただし書きでは「著作権者の利益を不当に害する」場合は学習利用できないとされていますが、その解釈は明確ではなく、また海賊版の学習利用も禁止されていません。権利侵害コンテンツが大量に流通する恐れがあるにもかかわらず、著作権者に対する実効的な救済策は何ら示されていません。 このため、以下のような事態が生じて、著作権法が目的とする文化の発展を阻害する恐れがあります。 学習利用の価値が著作権者に還元されないまま大量のコンテンツが生成されることで、創作機会が失われ、経済的にも著作活動が困難になる。 海賊版をはじめとする違法コンテンツを利用した、非倫理的なAIの開発・生成が行われる。 元の作品への依拠性・類似性が高い著作権侵害コンテンツが生成・拡散される。AI利用者自身が意図せず権利侵害という違法行為を行う可能性がある。 著作権法第30条の4は2018年の改正でつくられましたが、当時、生成AIのような高度なAIの負の影響が十分に想定されていたわけではありませんでした。 第30条の4ただし書きの解釈を明確にし、著作権法改正の必要性を見極める必要があります。 また、創作活動で生成AIを活用するにも責任が伴います。生成物に権利侵害リスクがあるままでは、安心して生成AIを補助的に活用することもできません。 生成AIが文化の発展を阻害しないよう、技術の進化に合わせた著作権保護策があらためて検討されるべきだと考えます。 私たち権利者団体と関係当局の間で意見交換を行う場が設けられることを望みます。 以上
生成AIに関する共同声明|著作権|声明・見解|日本新聞協会
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「AI脚本」を人気声優が朗読…銘打ったイベントは中止、「盗作」と批判相次ぎ
4/10(水) 17:41配信602
専門家「権利者に配慮を」
(写真:読売新聞)
「AI脚本」を、人気声優が朗読する――。そう銘打ったイベントが3月、中止に追い込まれる事態が起きた。生成AI(人工知能)が脚本などの著作物を無断学習している可能性を踏まえ、「盗作脚本ではないか」「声優を応援できない」などの批判が相次いだためだ。専門家は「AIを使ったイベントでは権利者への配慮が必要だ」としている。 【図】一目でわかる…チャットGPTの仕組み
たたき台
中止になったのは、東京都内のイベント企画会社が計画した「~AI朗読劇シリーズ~ 『AIラブコメ』」。「予想を凌駕する朗読劇 声優 VS AI脚本」とうたい、生成AIに恋愛ドラマの脚本を作らせて、声優が都内の劇場で朗読するというものだった。
声優陣には、人気アニメ「鬼滅の刃」や「BLEACH」などに出演経験がある男女19人をそろえ、3月13~20日に予定されていた。
同社によると、脚本は、業務委託したクリエイターが、有料で契約したチャットGPTなどの生成AIにアイデア出しを指示し、生成AIが作り出したものをたたき台にして、作成したという。既存の著作物と類似していないか複数で確認したとしている。
劇場では、脚本の内容や話の流れに不自然な点があっても声優がそのまま読み上げて、終了後のトークセッションで、どの部分がAIで作られたものか種明かしする予定だったという。
無断学習
生成AIは、インターネット上の膨大な情報を機械的に学習し、精度を上げている。著作権法30条の4は、著作権者の利益を不当に害する場合を除き、AIが脚本などの著作物を無断学習することを認めているが、権利者団体などからは「ただ乗りだ」などと批判の声が出ている。
同社が3月4日以降、SNSで「AIが書いた脚本を声優が演じる!」などとイベントの概要を発表すると批判が殺到。「無断学習がまかり通っている今、盗作脚本と変わら��いのではないか」といった声や、生成AIを利用したイベントに声優が参加することで「声優さんの声を(AIに)学習されても何も文句言えなくなる」などの声が多く上がった。
同社に対しても、「出演する声優は応援しない」「中止にすべきだ」といった批判的な意見が500件ほど届き、イベントが始まる4日前の同月9日に中止を発表した。
同月6日から販売していたチケットは全額返金予定だといい、中止による損失額は1000万円に上るという。同社は取材に対し「エンタメの新しい可能性の一つとして生成AIを使ったが、説明不足な点があった。出演者の声優に迷惑がかかる危険があり、断腸の思いで中止の判断をした」としている。
法改正求める声
AIによる著作物の無断学習について、「日本シナリオ作家協会」(東京)と「日本脚本家連盟」(同)は昨年11月、「脚本家のみならず全ての創作者にとって著しく不公平」とする共同声明を発表し、法改正を求めた。
文化庁の文化審議会著作権分科会の小委員会は今年3月、権利侵害になりうるケースを例示。似た文章や絵を出力させる目的で特定の作品を集中的に学習させる行為などを挙げた。
日本シナリオ作家協会の担当者は小委員会の例示について「著作権侵害のケースがなお明確には示されていない」とした上で、「脚本家はAIに創作物を学習される側にも、AIを使って創作物を作る側にもなり得る。グレーゾーンが大きいと、今後も、AIを使ったことが理由で作品の発表が中止になる事態が起こる可能性がある」として、更なる法整備が必要と訴える。
AIと著作権法の関係に詳しい出井甫(はじめ)弁護士は、今回のイベント中止について「生成AIの利用について透明性や説明が不足していたことが原因ではないか」と指摘。その上で「生成AIを商業的に利用する場合は、どういう意図で使うのか丁寧に説明し、権利者側への配慮が必要だ」と話した。
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ダ-ティ・松本 不健全マンガ家歴30年[-α]史 ●はじめに この文章は同人誌「FUCK OFF!7」において書かれたものをベースにして逐次増補改定を加えていき、いずれ歴史の証言として、[というほど大袈裟なものでは無いが…]一冊の本にまとめたいという意図のもと、近年どんどん脳が劣化していくダ-松の覚え書きとしても使用の予定。事実関係は間違いに気付き次第 訂正。同人誌発表時のものも今回自粛配慮して、実名、エピソード等を削除した箇所有り。有り難い事に某出版社よりすでに出版打診があったがまだまだその時期ではない、マンガを描く事が苦痛になったら活字の方も気分転換にいいかも…。 /*マークは今後書き加える予定のメモと心得たし。 ●前史/修行時代・1970 さいとうプロの短くて濃い日々…… 1968年に上京。数カ月後東京は戦場に���熱い季節の始まりだった。 2年後親元を飛び出し友人のアパートに転がり込む。場所は渋谷から井の頭線で駒場東大駅下車、徒歩5分。地図で見ると現在の駒場公園あたり。昼間でも裸電球を付けなければ真っ暗という馬小屋のような部屋。数メートル先には当時の建設大臣の豪邸が…。前を通りかかるだびに警備のおまわりがじろり。 いつまでも友人に迷惑もかけられないのでとりあえずアシスタントでも…と手元にあったマンガ誌をひっくり返し募集を探す。幸いさいとうプロと横山まさみち氏のところでアシ募集があり両方応募。どっちか一つ通れば…と思っていたら何と両方受かってしまい、双方に条件を聞く。当時高円寺 のアパート、風呂無し4畳半の部屋で相場12000円の時代。前者一ケ月の給料10000円、後者20000円との事。給料の方がボロアパートの家賃より安いとは…!どう考えても前者は食う方法がないと判断し、後者さいとうプロへ入社。 ここに居たのはたったの半年に過ぎないけれど今思えばこれだけで本が一冊描ける位の濃い半年だった。しかしこのあと2X年分も書かねばならないことを思えば今回はいくつかのエピソードを書くだけに留めよう。 ダー松が入った時は小池一夫氏[クビ?]、神田たけ志氏や神江里見氏、きしもとのり氏[現・松文館社長]等と入れ替わりの時で、きし氏の女遊びの凄さと神江氏の絵のうまさは伝説になっていた。現在「亀有」「ゴルゴ」が歴代単行本の巻数の多いベスト1、2位だが[ともに100巻を越えた]、3位は神江氏の「弐十手物語」[70巻以上]だという事は知ってる人は少ないだろう。 当時の制作部は、さいとうたかを[以下ゴリ]をトップに石川班[ゴルゴ13、影狩り]、甲良班[バロム1]、竹本班[シュガー、どぶ等]の3つに分かれ、それぞれのキャップにサブ・チーフが一人づついて、ヒラが2~6人いるというシステムで総16名。独立し現在も活躍中の叶精作、小山ゆう、やまさき拓味の3名がそれぞれの班のサブ・チーフ。ダー松は石川班で左右1メートル以内に叶氏とゴリにはさまれ、のんびり出来ない状態で、はなはだ窮屈。叶氏はほとんどマンガ家になりたいとも思った事のなかった人で、設計事務所みたいなところで図面を引いていた人がなぜマンガプロダクションに来たのか��思議だった。格別マンガ好きというわけでもなかったせいか現在まで全ての作品が原作もので、オリジナルは一本もないのはそのせい?祭りなどの人がうじゃうじゃ出てくる群集場面が得意。 やまさき氏は大の競馬好き、現在競馬マンガを多く描くのは当時からの趣味が生きたというべきか。もう一つの趣味である風俗についてはここでは書くのは差し控えよう。小山氏は後日ここの事務の女性と結婚するが、当時はつき合っているとは誰も知らず、スタッフの一人がやめる時その女性に交際を申し込んだら、茶店に呼び出されて小山氏からと凄まれたと聞いたが嘘か本当かは不明。 ここでの生活は新入り[ダー松を含めて3名]は朝の9時前に会社に行き、タイムカードを押し、前日のごみをひとまとめして外に出し、トイレ掃除をして、16人分のお茶を2Fで入れて制作部のある3Fへの狭い階段をふらふら昇り、机ごとに置いて歩き、終れば、一息ついて買っておいたパンと牛乳を3分で食べて、やっとそれから仕事。しかし新入りの3名の内1人折茂は常に遅刻なのでいつも佐藤と2人でやっていた。佐藤も遅れる時はダー松1人で。辞めてから10年位、16人分のお茶を持って階段をふらふら歩きお盆をひっくり返す夢をよく見たものだが、実際ひっくり返したのは折茂と佐藤の2人で、よく茶碗を割っていた。 たまには夕方6時には帰れるが、普通は夜10時までで、アパートに帰って銭湯に行けばもう明日にそなえて寝る時刻、このくり返しの日々。週1日は徹夜で明け方に帰り、その時は当日の昼12時出勤。休日は日曜日のみで忙しい時はそれも取り消し。つまり休みは月3日。[これで給料2万円!]そんな日々の繰り返し。 夕方までは皆和気あいあいと仕事していたが、ゴリが夕方6時頃に「おはようさん」と現れると、全員無駄口がたたけなくなり、仕事場はシーンと静まり返り、以下その日が終わるまでは疲れる時間がただひたすら流れるのみ。 当時石川班は「ゴルゴ13」と「影狩り」を描いていたがゴリは主人公の顔と擬音のみ。マジックで最後に入れる擬音はさすがに入れる位置がうまいと感心。ゴルゴの顔はアルバムに大小取り混ぜてコピーがとってあり、忙しい時は叶氏がピンセットで身体に合わせて「これが合うかな~」といった感じで貼り付けていた。 その頃すでに「ゴルゴ」は近々終わると噂されていたが、現在もまだ続いているとは感嘆ものだ。 ゴリと石川氏が「ゴルゴ」の最終回の終わり方を話しているのを聞いたら、何ともつまらない終わり方。しかしあれから20年以上も経つ事だし、きっともっといい終わり方を考えてあるだろうなと思っていたら、先日TVで本人が最初から考えてある終わり方だと言うのを聞き、がっくり。企業秘密だろうから書かないが、作品の最初の方に伏線が数度出ているのでわかる人にはすぐわかる筈。 辞めた小池一夫氏とさいとうプロに何があったかは知らないが、漏れ聞く話では結構もめ事があったみたいだ。 「子連れ狼」で「ゴルゴ13」と同じ設定の回があった時、「小池のガキャー訴えたるー!」とゴリが吠えていたものだが、結局たち消え。さいとうプロ作品で脚本を書いた本人が辞めた後、他の作品で同趣向の作品を書いても著作権は脚本を書いた原作者のものだと思うがどんなものだろう。その回のタイトルは忘れたが、ある場所に居合わせた人々が武器を持った集団の人質となり、その中に素人だと思われていた主人公、実は殺しのプロフェッショナルがいて、次々とその集団を殺していく、といったプロットで、ミッキー・スピレーンの短編に同じような作品があり、本当に訴えていたら恥をかいたと思うが・・・。 そういえば事務の方には山本又一郎という男がいたが、後年映画プロデューサーとして 「ベル薔薇」や「太陽を盗んだ男」等を創る事になるが、この野郎が生意気な男で当時皆に対して10歳は年上、といった感じの振る舞いだったが後日俺と一つしか年が離れてなかった事を知り、そんな若造だったとは、と皆怒ったものだ。以来奴の事を「マタさん」から「クソマタ」と呼ぶようになる。 さて半年後に先輩たちが積もり積もった不満を爆発させる反乱事件が勃発し、2年は居るつもりでいたここでの生活も、辞めるか残るかの選択を迫られる。残ればさいとうプロの現体制を認める事となるので、ダー松も退社。 しかし反乱グループとは別行動をとって一人だけの肉体労働のアルバイター生活へ突入。超ヘビーな労働の製氷工場、人使いの荒い印刷所、命綱もない高所の足場で働く建設現場等々。トラックの助手をしていた時は運ちゃんが「本宮ひろしって知ってるか?うちの息子の友達でさぁ、昔、おっちゃんメシ食わしてくれーなんて言ってきたもんだが、今は偉くなっちゃってさー、自分のビル建てたらしいよ。赤木圭一郎みたいにいい男なんだ。」とうれしそうに話してくれたが、運ちゃんには悪いがそいつは今も昔も一番嫌いなマンガ家なんだ。あの権力志向はどうにかならんか。天下を取る話ばかりだもんなぁ。 ところで後日、単行本の解説で高取英が「さいとうたかをのヤローぶっ殺してやる!」とダー松が言ったなどと書いているが、小生はそんな危ない事言った覚えはないのでここできっちり訂正しておきます。 「会社に火ィつけてやる!」位は言ったかも・・・[嘘] 。 悪口は言っても別に怨みなど無い。ところでアシスタントとしてのダー松は無遅刻、無欠勤以外は無能なアシだったと反省しきり。理想的なアシスタントとはどんなものか、それはまた別の機会に。 *入社試験はどんな事を? *さいとうプロには当時ほとんどろくな資料は無かった? *ハイジャックの回の飛行機内部の絵は、映画「大空港」を社内カメラマンが映画館で写してきたものをもとに描く。 *当時のトーンは印刷が裏面にしてあり上からカッターでけずったり出来ない。 *トーンの種類は網トーンが数種、それ以外はほんの3、4種類位しかなかった。 *仕事中のB.G.M.はアシの一人が加山雄三ばかりかけるので大ひんしゅく。好評だったのは広沢虎造の浪曲「次郎長三国志」、初代桂春団次の落語。眠気もふっとぶ位笑えた。 ダ-松が岡林信康の「見る前に跳べ」をかけてるとゴリは「何じゃー!この歌は!」と怒る。名曲「私たちの望むものは」はこの男には理解不能。 ●1 9 7 1 ~ 1 9 7 4 持 ち 込 み & 実 話 雑 誌 時 代 当時は青年劇画誌全盛時代で、もともと望月三起也氏や園田光慶氏のファンで活劇志向が強く、 主にアクションもののマンガを描いて持ち込みに行っていた。今のようにマンガ雑誌が溢れかえって、山のようにマンガ出版社がある時代ではなく、数社廻るともう行くところがない、という状態で大手では「ビッグコミック」があっただけで 「モーニング」も「スピリッツ」も「ヤン・ジャン」も当然まだない。テーマを盛り込んだ作品を持って行くと編集から「君ィ、うちは商売でやっているんだからねぇ」と言われ、アクションに徹した作品を持って行くと「君ぃ、ただおもしろいだけじゃあねぇ」と言われ 「おい、おっさん!どっちなんだ?」とむかつく事多し。この辺の事は山のように書く事があるが、有りすぎるのでパス。 *そのうち書く事にする。 ただ金属バットで頭をカチ割って脳みそをぶちまけてやりたいような奴が何人もいたのは事実。今年[’97]「モーニング」に持ち込みに行って、断られた奴が何万回もいやがらせの電話をかけて逮捕された事件があったが、そのうちトカレフを持って殴り込みに行く奴が出てくるとおもしろい。出版社も武装して大銃撃戦だぁ!などと馬鹿な事書いてどうする!とにかく持ち込みにはいい思い出が何もない。そんな中、数本だけ載った作品は渡哲也の映画「無頼」シリーズの人���り五郎みたいな主人公がドスで斬り合う現代やくざもの[この頃の渡哲也は最高!]、ドン・シーゲルの「殺人者たち」みたいな二人組の殺し屋を主人公にした『汚れたジャングル』、陽水の「傘がない」が好きだという編集さんの出したテーマで車泥棒とブラックパンサーの闘士とのロード・ムービー風『グッバイ・ブラザー』、拳銃セールスマンを主人公にした『ザ・セールスマン』、等々10本ちょい位。 さてその頃並行してまだエロマンガ専門誌といえるようなものがなかったような時代で、実話雑誌という写真と記事ページからなる雑誌に4~10ページ位を雑誌の味付けとして描かせてもらう。当時、お手本になるようなエロマンガなど皆無で、エロ写真雑誌を古本屋で買ってきてからみのポーズを模写。マンガで裸を描く事はほとんど初めてで、これがなかなか難しいのだがエロシーンを描くのは結構楽しい。当時出版社に原稿持って行き帰りにグラフ誌をどっともらって帰るのが楽しみだった。SM雑誌の写真ページも参考になる。なお当時のペンネームは編集部が適当につけた池田達彦、上高地源太[この名前はいけてます。また使いたい]等。その数年後、逆にマンガが主で記事が味付けというエロマンガ誌が続々と創刊される。 *さいとうプロをやめたあと編集や知人に頼まれて数人のマンガ家の所へ手伝いに行く。秋田書店「漫画ホット」で『ジェノサイド』を連載中の峰岸とおる氏の所へ行き、仕事が終わったあとまだ売れてない頃の榊まさる氏も交え酒を飲む/川崎のぼる大先生のところへ数日だけ/3000円たこ部屋/小山ゆうオリオンププロ *当時のアルバイトは記憶によると時給150~200円位/大日本印刷市ヶ谷駐屯地/坂/ *一食100円/どんなに貧しい漫画家もみかん箱の上で書くやつはいない/TV萩原サムデイ *ろくでなし編集者 ●1 9 7 5 ~ エ ロ マ ン ガ 誌 時 代 に 突 入 実話誌は意外とエロは抑え目で描くように口すっぱく言われていたのだが、以前活劇っぽい作品を描かせてもらってたが潰れてしまった出版社にいた児島さんが編集する「漫画ダイナマイト」で打合せも何にもなしに好きに描かせてもらい、ここでエロマンガ家としての才能[?]が開花する。描いてて実に楽しく眠る時間がもったいない位で、人に睡眠時間が必要な事を恨んだ程。出来る事なら一日中休まず描いていたい気分で完全にはまってしまう。 初の連載作品「屠殺人シリーズ」はこの頃から/『漫画ポポ』。中島史雄氏は大学時代にこの作品を見ていたとの事で、トレンチコートにド��ター・ペッパー模様のサイレンサーつきマグナム銃で遊戯人・竜崎一也が犯しまくり殺しまくり、サディスト、マゾヒスト、殺人狂、まともな奴が一人も出てこない性と暴力の祭典。ちなみにタイトルページは描かないでいい、との事でどうするのかと思っていたら編集部が中のワンカットを拡大してタイトルページを創り、1ページぶんの原稿料をけちるというせこいやり方だった。けちるといえば、原稿の1/3にCMを入れる際、原稿料を1/3削った会社もあり。 ●1 9 7 6 ~ 後に発禁仲間となる高取英と出逢い、『長編コミック劇場』で「ウルフガイ」みたいのをやろうと、怒りに震えると黒豹に変身してしまう異常体質の主人公を設定し、獣姦のイメージで「性猟鬼」なるエロマンガをスタート!しかしその号で雑誌が潰れる。この路線は今でもいけそうな気がするがどんなものだろう。 この頃の珍品に「快楽痴態公園」がある。タイガースに11-0とワンサイドで打ちまくられ、怒ったジャイアンツファンのおっさんが公園でデート中の女をずこずこに犯りまくり、その間にジャイアンツは9回裏に12-11とゲームをひっくり返してしまうのである!その時のジャイアンツの監督はもちろんミスター長嶋、先発堀内、打者は柴田、土井、高田、王、張本等々がいる。タイガース監督は吉田、ピッチャー江本、キャッチャーフライを落球する田淵、そしてあの川藤もいる。解説は牧野…… ●1 9 7 7 ~ 上記2作品を含む初の単行本「肉の奴隷人形」が久保書店より発行。後にリングスの会場で逢った佐竹雅昭氏はこの本が一番好きとの事だった。 「闇の淫虐師」もこの年スタート。一話完結でバレリーナ、バトンガール等々、毎回いろんな女たちをダッチワイフのごとくいたぶりまくるフェチマンガとして1979年まで続け、単行本は「堕天使女王」「裂かれた花嫁」「エロスの狂宴」「陶酔への誘い」「終りなき闇の宴」の全5巻。ちなみに今年「闇の淫虐師’97」を『コミック・ピクシィ』にて発表。いつか『闇の淫虐師・ベスト選集』でも出したいところ。 [’98に実現、’99には続刊が出る] ●1 9 7 8 ~ 久保書店より第2弾の単行本「狂った微惑人形」。収録作品の「犯された白鳥」は持ち込み時代に描いた初のバレリーナもの。結構気に入っていた作品なのに、後年再録の際、印刷所の掃除のおばさんが捨ててしまい、この世にもはや存在しない不幸な子となる。[’99に宝島スピード・ブックに本より直接スキャンして収録] エロ、グロ、ナンセンスの会心作「恍惚下着専科」を発表。サン出版より同名の単行本発行。また同出版より「コミック・ペット/堕天使画集」として今までの作品を続々単行本化。全10巻位。これは今でも古本屋で流通しているとの事で、まだまだ世間様のお役にたっているらしい。 この年、「堕天使たちの狂宴」を描いていた『漫画エロジェニカ』が発禁処分、来年でもう20年目となる事だし、当時の人たちと集まってその大放談を収録し「発禁20周年特集号」でも創ってみようかと計画中。さて当時の秘話としてもう時効だろうから書いてみるけど、前述の『堕天使画集』に「堕天使たちの狂宴」は収録される事となり、当然修正をガンガン入れて出版されるものと覚悟していたら、米国から帰国後出来上がった本を見ると発禁になった状態のまま再録されている!以下桜木編集長との会話 ダ/いや~、いい度胸してますね。 編/だって修正してあるじゃない。 ダ/その修正状態で発禁になったんですよ 編/・・・・・ ダ/・・・・ 以下どんな会話が続いたのか失念…… それにしてもサドの「悪徳の栄え」の翻訳本は発禁後20年以上して復刻されたけれど、「堕天使たちの狂宴」は半年もしない内に単行本になっていたとはエロ本業界とは何といいかげんな世界!しかし作品そのものは、今見るとリメイクする気にもならないどうという事もない可愛い作品で、結局あれもあの時代の姑息な政治のひとかけらに過ぎなかったのだろう。いい点があるとしたら一つだけ、それまでのエロマンガになかった瞳パッチリの少女マンガ的ヒロインを登場させた事位か。今の美少女エロマンガは本家の少女マンガもかくや!という位眼が大きいが当時としては画期的だったかも。 ●1 9 7 9 ~ この年の「淫花蝶の舞踏」は「堕天使たちの狂宴」よりずっといい/『漫画ソフト』。今年出た「別冊宝島/日本一のマンガを探せ!」でベスト2000のマンガがセレクトされているが、ダー松の作品の中ではこの作品が選ばれている。教師と生徒、二人の女たちが様々な男たちの手によってに次々ともてあそばれ、闇の世界を転々として再び巡り会う時、女たちは蝶と化し水平線の彼方に飛び去り、男たちは殺し合い血の海の中で屍と化す。ダー松作品にはこのように男根が女陰の海に飲み込まれてに負けるパターンが多い。[性狩人、遊戯の森の妖精、美少女たちの宴、人魚のたわむれ・・等々] この年からスタートの「性狩人たち」シリーズ[劇画悦楽号]はバレエ、バイオレンス、SEXの三要素がうまくからみあい、それぞれが頂点まで達する幸福な神話的作品だ。ここから派生した路線も多く、美少年路線は’83の「聖少女黙示録」へ。身体障害者路線は’80の「遊戯の森の妖精」、’84からの「美姉妹肉煉獄」へと繋がる。’81の最終話「���ルマゲドンの戦い」ではせりふなしで24ページ全てが大殺戮シーンという回もあり、中でも一度やりたかった見開きで銃撃戦の擬音のみという事も実現。こんな事がエロマンガ誌で許される時代だった。ちなみにこの回は[OKコラルの決闘・100周年記念]だが、何の意味もない。単行本は最初サン出版より、その後久保書店より「白鳥の飛翔」「少女飼育篇」「ヘラクレスを撃て!」「眼球愛」「海の女神」の全5刊。現在入手出来るのは後の3刊のみ。[「海の女神」も最近在庫切れ] この年出た「人魚のたわむれ」の表題作は性器に{たこ}を挿入するカットを見た編集長が「・・・[沈黙]・・・頭おかしいんじゃ・・ブツブツ・・気違い・・・ブツブツ・・・」と呆れてつぶやいていたのを記憶している。たこソーニューは今年出た「夜顔武闘伝」で久しぶりに再現。なおこの作品は’83にマンガと実写を噛み合せたビデオの珍品となる。水中スローモーションファックがなかなかよい。 ●1 9 8 0 ~ なぜか「JUNE」の増刊として作品集「美少女たちの宴」がサン出版より出版され、その短編集をもとに脚本化し日活で映画が創られる事となる。[「花の応援団」を当てたこの映画の企画者・成田氏は日活退社後「桜の園」等を創る。]その際、初めて映画撮影所を見学し、せこいセットがスクリーン上ではきちんとした絵になってるのを見て映画のマジックに感心。タイトルはなぜか「性狩人」で、’96にビデオ化された。監督・池田敏春のデビュー第2作となり現在までコンスタントに作品を発表しているが、出来のいい作品も多いのになぜか代表作がない。初期の「人魚伝説」が一番いいか。 この映画に合わせて「美少女たちの宴」を2~3回のつもりで「漫画ラブラブ」で描き出すがどんどん話がふくらみ、おまけに描いてる出版社が潰れたり、雑誌が潰れたりで雑誌を転々とし条例による警告の嵐がきた「漫画大飯店」を経て、「漫画ハンター」誌上で完結したのは’83になる。この作品でクリトリスを手術してペニスのように巨大化させるという人体改造ものを初めて描く。 この年の「遊戯の森の妖精」は身体障害者いじめ鬼畜路線の第2弾!森の中の別荘に乱入したろくでなしの二人組が精薄の少女の両親達を虐殺し、暴行の限りをつくすむちゃくちゃな作品で、雷鳴の中、少女の性器に男達のペニスが2本同時に挿入されるシーンは圧巻!しかしこのとんでもない男達も少女の性のエネルギーに飲み込まれ、朽ち果てていく・・・。 ●1 9 8 1 ~ 美少女マンガ誌のはしり「レモン・ピープル」誌創刊。そこで描いたのが「白鳥の湖」。虚構の世界のヒロインを犯すというコンセプトは、アニメやゲームのヒロインをずこずこにするという今の同人誌のコンセプトと同じかも。バレエ「白鳥の湖」において悪魔に捕われたオデット姫が白鳥の姿に変えられる前に何にもされてない筈がないというモチーフにより生まれたこの作品は、悪魔に男根を植えつけられたヒロインが命じられるままに次々と妖精を犯して歩き悪魔の娘となるまでを描くが、あまり成功したとは言えない。ただ人形サイズの妖精をしゃぶりまくり淫核で犯すアイデアは他に「少女破壊幻想」で一回やっただけなのでそろそろもう一度やってみたいところ。「ダーティ松本の白雪姫」はその逆をいき、犯す方を小さくした作品で7人の小人が白雪姫の性器の中にはいり、しゃぶったり、処女膜を食べたり、と乱暴狼藉![ちなみに両者をでかくしたのが同人誌「FUCK YOU!3」の「ゴジラVSジュピター」]この童話シリーズは意外と好評で続いて「ダーティ松本の赤い靴」を上記の単行本に描き下ろして収録。童話は結構残酷なものが多く、この作品も切られた足だけが荒野を踊りながら去って行くラストは原作通り。 *近年童話ブームだがこの頃もっと描いておけば「こんなに危ない童話」として刊行出来たのにとくやまれる。 「2001年快楽の旅」もこの本に収録。快楽マシーンを逆にレイプしてしまう、珍しく映画「2001年宇宙の旅」風のSF作品。 掲載誌を決めずに出来る限り多くのマンガ誌で描こうというコンセプトで始めたのがこの年スタートした「怪人サドラン博士」シリーズ。「不死蝶」シリーズや「美少女たちの宴」シリーズの中にも乱入し、「漫画ハンター」最終号では地球をぶっ壊して[その際地球は絶頂の喘ぎ声をあげ昇天する!]他の惑星へ行ってしまう。今のところ10誌位に登場。いつかこのサドラン・シリーズだけ集めて単行本化したいところ。ちなみに「サド」と「乱歩」を足して「サドラン博士」と命名。作者の分身と言っていい。 [後年、「魔界の怪人」として全作品を収録して刊行、04年現在品切れ中] この年描いて’82の単行本『妖精たちの宴』に収録の「とけていく・・」はレズの女たちが愛戯の果てに、肉体が溶けて一匹の軟体動物と化す、タイトルも内容も奇妙な作品。作者の頭もとけていた? ●1 9 8 2 ~ 1 9 8 3 ’83年に「美少女たちの宴」が完結。全てが無に帰すラストのページは真っ白のままで、このページの原稿料はいりません、と言ったにもかかわらず払ってくれた久保書店、偉い![明文社やCM頁の稿料を削った出版社=某少年画報社なら払わなかっただろうな……と思われる……]この作品以外は短編が多く、加速度をつけてのっていく描き方が得意のダー松としてはのりの悪い時期に突入。また10年近く走ってきてだれてきた頃でもあり第一次落ち込み期と言っていい。マンガがスタンプを押すように描けないものか、などとふとどきな考えまで湧いてくる。思えば一本の作品には、いったい何本の線を引いて出来上がっているものなのか。数えた馬鹿はいないだろう��数千本は引いている筈。一ヵ月に何万本とペンで線を引く日々・・うんざりする筈です。 この頃のめぼしい短編をいくつか書くと、少女マンガ家の家に税務調査にきた税務署員が過小申告をネタにねちねちいたぶるが、アシスタントに発見された署員は撲殺される。そして板橋税務署は焼き討ちにあう、といった作品「[タイトル失念]xx税務調査」。[後日読者よりこのタイトルを「色欲ダニ野郎」と教えていただく。ひどいタイトル *編集者のつけるタイトルはその人のセンスが実によくわかる。しかしサイテ-の題だなこりゃ…。 果てるまで「おまんこして!」と言わせながら処女をやりまくる「美処女/犯す!」はラスト、狂った少女が歩行者天国の通行人を撃ちまくり血の海にする。「嬲る!」はパンチドランカーとなった矢吹ジョーが白木葉子をサンドバッグに縛りつけ、殴って、殴って、殴りまくる。段平おっちゃんの最後のセリフ「・・ブスブスくすぶっちゃいるが・・・」「打てッ!打つんだ!ジョー!」「お前はまだ燃えつきちゃいねえ!」とはエロ・ドランカーの自分自身に向けて発した言葉だったのかも。トビー・フーパーばりの「淫魔のはらわた」は電気ドリルでアナルを広げてのファック!とどめにチェーンソーで尻を切断!いまだに単行本に収録出来ず。[’98の「絶頂伝説」にやっと収録]「からみあい」は夫の愛人の性器を噛みちぎる。「危険な関係」はアルコール浣腸をして火をつけ尻から火を吹かせる。この手は『FUCK YOU!2』の「セーラー・ハルマゲドン」で復元。そういえばこの作品の序章と終章だけ描いて、間の100章位をとばすやりかたはこの頃の「禁断の性獣」より。女性器にとりつき、男性器に変身するエイリアンの侵略により地球は女性器を失い滅亡する、といったストーリーで当時聞いた話では谷山浩子のD.J.でこの作品がリスナーの投書でとりあげられ、ダー松の名はダーティ・杉本と読まれたそうな。ヒロインの少女がひろ子という名前なのでこのハガキが選ばれたのかもしれないが、作者は薬師丸ひろ子からとったつもりだったのだが・・。[別にファンではない。] 「女教師狩り」は映画館で観客に犯される女教師とスクリーン上の同名のエロ映画の二本が同時進行し、一本で二本分楽しめるお得な作品。 ’83は’80に「漫画エロス」にて描いた「エロスの乱反射」の最終回の原稿が紛失したため単行本が出せないでいたのを、またまた「仏の久保さん」に頼んでラスト近くをふくらませて「漫画ハンター」に3回程描かせてもらい、やっと’85に出版。見られる事に快感を覚えるファッション・モデルが調教される内に、次第に露出狂となっていき、街中で突然裸になって交通事故を起こさせたり、最後はビルの屋上でストリップショー。そしてカメラのフラッシュの中に飛び降りていき、ラスト1ページはその性器のアップでエンド! 本格美少年・ゲイ・マンガ「聖少女黙示録」も’83。レズの姉たちの手によって女装に目覚めた少年がホモのダンサーたちに縛られなぶられ初のポコチンこすり合いの射精シーン。そして性転換して女となった主いるが、その中の’84の「白い肌の湖」はタイトルで解る通りのバレリーナものだがポコチンを焼かれた男が、一緒に暮ら人公が手術で男になった少女と暮らすハッピーエンド。この作品は単行本「美少女ハンター」に収録されてす二人の女と一人の男に復讐するエンディングがすごい!まず男の性器を切り取り、片方の女の性器���ねじ込んだあと、その女の性器ごとえぐり取る。そしてその二つの性器をつかんだまま、もう一人の女の性器にフィストファック!のあげく、その二つの性器を入れたままの女性器をナイフでまた切って、ほとんどビックマック状態でまだヒクヒクうごめく血まみれの三つの性器を握りしめるとんでもない終り方!全くダー松はこんな事ばかりやっていたのかとあきれかえる。もう鬼畜としか言い様がない!しかし「ウィンナー」を二枚の「ハム」で包むなんて・・GOODなアイデアだ、又やってみよう。 ●1 9 8 4 ~ 「漫画ハンター」で「闇の宴」前後篇を描き、後日これをビデオ化。雪に包まれた六本木のスタジオで痔に苦しみながらの撮影。特別出演として中島史雄氏が絶妙の指使い、東デの学生時代の萩原一至が二役、取材に来たJITAN氏もスタジオに入ってきた瞬間、即出演で生玉子1000個の海で大乱交。カメラマンが凝り性で照明が気に入るまでカメラを廻さず、たった二日の撮影はやりたい事の半分も出来ず。撮影が終ると痔はすぐに完治。どうもプレッシャーからくる神経性だったみたいでこれに懲りてビデオは一本のみ。 この年の「肉の漂流」は親子丼もので、近所の書店のオヤジからこの本はよく売れたと聞いたが、一時よく描いたこのパターンは最近では「FUCK YOU!3」の「母娘シャワー」のみ。熟女と少女の両方が描けるところが利点。「血の舞踏」は久しぶりの吸血鬼もの。股間を針で刺し、噛んで血を吸うシーン等々いい場面はあるが、うまくストーリーが転がらず3回で止める。短編「果てるまで・・」は核戦争後のシェルターの中で、父が娘とタイトル通り果てるまでやりまくる話。被爆していた父が死んだ後、娘はSEXの相手を捜して黒い雨の中をさまよう。 またリサ・ライオンの写真集を見て筋肉美に目覚め、マッチョ女ものをこの頃から描き出す。しかしなかなか筋肉をエロティックに描くのは難しい。 ●1 9 8 5 ~ くたびれ果ててすっかりダレてきたこの頃、8年間働いてくれたアシスタント女史に代わってパワーのかたまり萩原一至��鶴田洋久等が東京デザイナー学院卒業後加わってダーティ・マーケットも第2期に突入!新旧取り混ぜておもしろいマンガをいろいろ教えて貰って読みまくる。「バリバリ伝説」「ビーバップハイスクール」「ペリカンロード」「めぞん一刻」「わたしは真悟」「Be Free!」「緑山高校」「日出処の天子」「吉祥天女」「純情クレイジー・フルーツ」「アクター」「北斗の拳」「炎の転校生」「アイドルをさがせ」「綿の国星」「いつもポケットにショパン」「バツ&テリー」「六三四の剣」永井豪の絶頂期の作品「バイオレンス・ジャック」「凄之王」「デビルマン」等々100冊以上とても書ききれない位で、う~ん・・マンガってこんなにおもしろかったのか、と感動! そこで眠狂四郎を学園にほうり込んで、今まであまり描かなかった学園マンガをエロマンガに、というコンセプトで始めたのが「斬姦狂死郎」。「六三四の剣」ばりに単行本20巻を目指すものの、少年マンガのノリは今では当たり前だが、当時はまだエロマンガとして評価されず、ほんの少し時代が早すぎたかも。’86に中断、今年’97に「ホリディ・コミック」にて復活!果たしていつまで続けられるか? →後に「斬姦狂死郎・制服狩り」、「斬姦狂死郎・美教師狩り」として刊行完結 前年末から始めた「美姉妹肉煉獄」は身障者いじめの鬼畜路線。盲目の姉とその妹を調教して性風俗店等で働かせ、娼婦に堕していく不健全・不道徳な作品で、肉の快楽にひたっていく盲目の姉に対し妹も「春琴抄」の如く己の眼を突き、自らも暗黒の快楽の世界にはいり、快楽の光に目覚めるラスト。 また、これからは女王様物だ!となぜか突然ひらめき「筋肉女」シリーズの延長としてフィットネス・スタジオを舞台に「メタル・クイーン」シリーズも開始。これは単行本2冊分描いたが、連載途中でヒロインの髪型を歌手ステファニーのヘア・スタイルにチェンジしたり、レオタードもたっぷり描けてわりと気に入っている。 10年近く描いた「美蝶」先生シリーズもこの年スタート!こうしてみるとマンガを描く喜びに満ちた大充実の年だったかも。 ●1 9 8 6 ~ この年は前年からの連載ものがほとんどだが、「エレクト・ボーイ」は空中でファックするシーンが描いてみたくて始めた初の超能力エロマンガ。コメディ的要素がうまくいかず2回で止める。この路線は翌年の「堕天使輪舞」で開花。 「夜の彷徨人」は自分の育てた新体操選手が怪我で選手生命を失ったため、その女を馬肉のごとく娼婦として夜の世界に売り渡した主人公という設定。しかし腕を折られ、女にも逆に捨てられ、そして事故によってその女を失ったあげく不能となってしまう。失った快楽を取り戻すため無��した片腕にバイブレーターを取りつけ、夜の街をさすらい次々と女たちをレイプしていくというストーリー。がっちり設定したキャラだったのにまったく話がはずまず、男のポコチンは勃起しないままに作品も不発のまま終る。 「斬姦狂死郎」が不本意のまま終わったため学園エロス・シリーズは「放課後の媚娼女」へと引き継がれる。当時見ていた南野陽子のTV「スケバン刑事・」とS・レオーネの「ウエスタン」風に料理。ラストの「男といっしょじゃ歩けないんだ」のセリフは一番好きな映画、鈴木清順の「東京流れ者」からのもじり。単行本は最初司書房から出て、数年後ミリオン出版から再販、そして’97久保書店より再々販ながら結構売れて今年また再版。この作品は親を助けてくれる有難い孝行息子といったところ。 ●1 9 8 7 ~ さいとうプロOBで那珂川尚という名のマンガ家だった友人の津田が「漫画ダイナマイト」の編集者になっていて、実に久しぶりに同誌で「堕天使輪舞」を描く。超能力エロマンガの第2弾。今回はエロと超能力合戦とがうまくミックスされ一応成功といっていい。この路線は「エレクト・ボーイ」とこの作品、そして’96の「夜顔武闘伝」も含めてもいいかも。一時、この手の作品は数多くあったが最近はめったに見かけない。しかし、まだまだこの路線には鉱脈が眠っているとにらんでいるがどんなものだろう。 ●1 9 8 8 ~ 「放課後の媚娼女」に続いて抜かずの凶一無頼控え「放課後の熱い祭り」を2年がかりで描く。’89に完結し司書房より単行本化。そして今年’97に改定してめでたく完全版として復刊!この頃が一番劇画っぽい絵で、たった2~3人のスタッフでよくこれだけ描き込めたなと改めて感心!エロシーンがちょっと少なめながら中島史雄氏がダー松作品でこの作品が一番好き、とお褒めの言葉を頂戴する。 TVで三流アマゾネス映画を見ている内、むくむくとイメージがふくらみ、昔から描きたかった西部劇と時代劇がこれで描けると、この年スタートさせたのが「不死蝶伝説」なるアマゾネス路線。昔々青年誌の創世期にあのケン月影氏がマカロニ・ウエスタンを描いていたことを知る人は少ないだろう。俺もあの頃デビューしていたらウエスタンが描けたのに、と思う事もあったが、このシリーズでほんの少しだけその願望がかなう。 この頃、アシスタントやってくれてた格闘技マニアの鶴田洋久に誘われ、近所の空手道場通いの日々。若い頃修行のため新宿でやくざに喧嘩を売って歩いたという寺内師範は、もう鬼のような人で、行けば地獄が待っていると判っててなぜ行く?と不思議な位休まず通う。体育会系はマゾの世界と知る。組手は寸止めではなく顔面以外は当てて可だったので身体中打撲のあざだらけ、ビデオで研究したという鶴田の体重をかけたムエタイ式の蹴りをくらい、右手が饅頭のように腫れ上がる。先輩たちの組手の試合も蹴りがもろにはいって��ばら骨が折れたりで、なぜこんなヘビーな事をする?と思うが、闘う事によって身体の奥から何か沸き上がってくるものがある。スリランカの元コマンドと組手をやった時、格闘家の気持ちが少しだけ判るようになった。 ●1 9 8 9 ~ ’94まで続く「美蝶」シリーズでこの年は『ノスフェラトウ篇』を描き、シリーズ中これが一番のお気に入り。同人誌の「王夢」はこれが原点。 短編では「悪夢の中へ」はスプラッタ・エロマンガで久しぶりにチェーンソゥでお尻のぶった切り!はらわた引きずり出し、人肉食いちぎり!顔面叩き割り等々でラストに「ホラービデオの規制をするバカは俺が許さん!」などと書いているので、この年が宮崎事件の年か?世間は彼が日野日出志・作のホラービデオ「ギニーピッグ」を見てあの犯罪をおかした、としてさんざんホラービデオの規制をやっといて、結局見てもいなかったとわかったあとは誰一人日野日出志氏にもホラービデオさんにも謝らす゛知らんぷり。残ったのは規制だけで、馬鹿のやる事には全く困ったもんである。先日の「酒鬼薔薇・14才」の時も犯罪おたくの心理学者が、「これはマンガやビデオの影響です。」などと相も変わらずたわけた寝言をぬかしていたが、馬鹿はいつまでたっても馬鹿のまま。少しは進歩しろよ!お前だよ、お前!短絡的で幼稚な坊や、小田晋!よぅく首を洗っとけ!コラ! 「獣人たちの儀式」は退学者や少年院送りになつた生徒、暴走族、ヤクザ達が集まって酒盛りしながら女教師たちをずこずこにしてOB会をひらく不健全作品。編集長が「また危ない作品を・・・」とこぼしたものだが、岡野さん、田舎で元気にお過しでしょうか。この頃の「漫画エロス」には「ケンペーくん」だとか「アリスのお茶会」だとかおもしろい作品が載っていたものです。「爆走遊戯」は伝説のストーカー・ろくでなしマンガ家の早見純が一番好きな作品と言ってくれたが、なぜだかわからない。人の好みはいろいろです。以上3本は単行本「熱き唇の女神」に収録。 「ふしだらな女獣たち」はフェミニストの女二人が美少年をいじめる話。これは「氷の部屋の女」に収録。 ●1 9 9 0 ~ この年の「美蝶」シリーズは『ダンシング・クイーン篇』。マネキン工場跡でJ・ブラウンの「セックス・マシーン」にのせて5人プレイをするシーンや文化祭でのダンスシーン等々結構好きな場面多し。暗くて硬い作品が多いので、この「美蝶」シリーズは肩肘張らずに、かなり軽いノリでキャラクターの動きに任せて、ストーリーも、そして次のコマさえも先の事は何にも考えず、ほとんどアドリブで描いた時もある。 「不死蝶伝説」に続いてシリーズ第2弾「不死蝶」は2誌にまたがって2年位続ける。これも結構お気に入りの一遍。 ●1 9 9 1 ~ 1 9 9 3 「性狩人たち」の近未来版、といった感じの「夜戦士」は学園物が多くなったので、マグナム銃で脳天をぶっとばすようなものが又描きたくなって始めたミニシリーズ。全5話位。松文館より単行本「黒い夜と夢魔の闇」に収録。 この年から知り合いの編集者がレディス・コミックを始める人が多く、依頼されてどうしたものかと思ったが、エロなら何でもやってみよう精神と何か新しい世界が開けるかも、という事から’94位までやってみたものの結果的に不毛の時代に終わる。与えられた素材が体験告白物という事で、非現実的なものは描けないという事は得意技を封印して戦うようなもので苦戦を強いられ、これって内山亜紀氏がやまさき十三原作の人情話を描いたようなミス・マッチングで不発だったかな。今後、もしやることがあれば美少年SMのレディス・コミックのみ。そんな雑誌が出来れば、の話だが。 いくつかやったレディコミの編集の一人「アイリス」の鈴木さんは同じさいとうプロOBで、マンガ・アシスタント、マンガ家、マンガ誌の編集、そして今はマンガ学校の講師、とこれだけ多くのマンガに関わる仕事をしてきた人はあまりいないだろう。これでマンガ評論でもやれば全て制覇だが・・・。 この頃はいつもと同じ位の30~40本の作品を毎年描いていたが、レディコミは一本30~40枚とページが多く結構身体にガタがきた頃で、右手のひじが腱傷炎になり1年以上苦痛が続く。医者通いではさっぱり痛みがひかず、電気針で針灸治療を半年位続けてやっと完治。その後、住んでいたマンションの理事長を押しつけられ、マンション戦争の渦中に巻き込まれひどい目にあう。攻撃するのは楽だが、話をまとめるなどというのは社会生活不適格のダー松には大の苦手で「お前等!わがままばかり言うのはいいかげんにしろー!」と頭をカチ割りたくなるような事ばかりで、ひたすら我慢の日々で血圧がガンガン上がり、病院通いの日々。確実に寿命が5年は縮まる。あの時はマジで人に殺意を抱いたものだが、今でも金属バット持って押しかけて奴等の脳みそをクラッシュしたい気分になる時もある。いつかこの時の事をマンガにしようと思っていて、まだ誰も描いてない「マンション・マンガ」というジャンル、タイトルは「我が闘争」。え?誰も読みたくない? この間に出た単行本は「血を吸う夜」、「赤い月の化身」「熱き唇の女神」[以上・久保書店] /「牝猫の花園」「真夜中の人魚たち」[以上久保書店]、「美蝶/放課後篇」「美蝶/ダンシング・クイーン篇」「不死蝶/鋼鉄の女王篇・上巻」[以上ミリ��ン出版]。 ●1 9 9 4 ~ 1 9 9 5 ろくでもない事が続くのは厄払いをしなかったせいか、このままここにいたら頭がおかしくなる、と15年以上いたマンションから引っ越し。板橋から巣鴨へ移動し気分一新!以前からうちもやりましょうよ、と言われていた同人誌創りをそのうち、そのうちと伸ばしてきたものの遂に申し込んでしまい、創らざるをえなくなる。しかもそれが引っ越し��時期と重なってしまい大いに後悔する。しかしいろんな人にお願いして何とか一冊でっちあげ、ムシ風呂のような夏コミに初参加。これが運命の分岐点。レディコミもこの年で切り上げ、以下同人街道をまっしぐら。現在まで「FUCK OFF!」が9まで、「FUCK YOU!」が4まで計10+&冊創る。 ’95からダーティ松本の名前にも飽きてきたしJr,Sam名でも描き始める。 レディコミ時代は松本美蝶。あと2つ位違うペンネームも考案中。 この間の単行本「氷の部屋の女」「双子座の戯れ」[久保書店]、「黒い夜と夢魔の闇」[松文館]、「危険な女教師/美蝶」[ミリオン] ●1 9 9 6 ~ 美少女路線の絵柄もこの年の「夜顔武闘伝」あたりでほぼ完成、今後また少し変化させる予定。しかしこの作品は超能力、アマゾネス、忍法エロマンガとでも呼ぶべきか。「グラップラー刃牙」みたいに闘技場での勝ち抜き性武道合戦までいきたかったけれど、残念ながらたどり着けず。 「冬の堕天使」は久しぶりの吸血鬼もの。都営住宅で生活保護をうけている吸血鬼母子のイメージが浮かび、そこから漫画家協会・加藤芳郎を撃つ有害図書騒動のマンガへ。吸血鬼少年が光の世界との戦いに旅立つまでを描き、「闇に潜みし者」は時空を越えて近未来での戦い。その間を描く作品を今後創らなければ。 「FUCK CITY 2006」はクソ溜めと化した近未来のTOKYOを舞台に久しぶりにダーティ・バイオレンスが炸裂!ハード・エロ劇画と同人誌風・美少女路線の合体は果たしてうまくいったかどうか?30ページほど描き足して、’97、9月にフランス書院のコミック文庫にて発売。[「少女水中花」] 「放課後の媚娼女」と「人形愛」刊行。[いずれも久保書店刊]前者は以前、上下巻だったのを一冊にまとめて。後者は近作を集めた同人時代を経ての初単行本で、同人誌を知らなかった読者はショックを受ける。メタルフアンから以下のようなお手紙を受け取る。「これはジューダス・プリーストの『ターボ』だ。ラストの『眠れる森の少女』は『レックレス』にあたる。しかしジューダスもその後『ラム・イット・ダウン』や『ペイン・キラー』という傑作を世に出した事だし、今後を期待したい」という意のダー松のようなメタルファン以外は意味不明の激励をうける。 ●1 9 9 7 同人誌「エロス大百科シリーズ」スタート!いろんな項目別に年2刊づつ計100ページ位を別刊シリーズとして出し続ければ10年で1000ページになり、以前「谷岡ヤスジ1000ページ」という枕に最適の本があったが、これも一冊にまとめて枕にして寝れば、目覚める頃は3回夢精しているなんて事に・・・などとまだたった40ページの段階で言っても何の説得力もないか。飽きたら2~3号でSTOPするだろうし・・。[推測通り「毛剃り」「美少年SM」「女装」3号でストップ中]冬には���おい系にも進出の予定。 今年出した単行本は厚くて濃いエロマンガを集めた久保書店MAXシリーズ第2弾!「放課後の熱い祭り/完全版」と「夜顔武闘伝」オークラ出版。ともに大幅描き足して25周年記念出版として刊行。ティーツー出版よりJr,Sam名で「昼下がりの少女」、9月にはフランス書院より「少女水中花」の文庫本が出る予定で現在、この同人誌と並行して描き足し中。「斬姦狂死郎」第2部も「ホリディ・COMIC」誌にて6月よりスタート!年内創刊予定の『腐肉クラブ』なる死体姦専門のマンガ誌にも執筆予定。 さてさて25年間、旅行の時を除いて、現在まで2日続けてマンガを描かなかった事はほとんどない。これはその昔、伊東元気氏というマンガ家とお会いしたとき「今月何ページ描いた?」との問いに、「今月仕事ないんでぜんぜん描いてません」と答えたら、「そんな事じゃ駄目だ。仕事があろうがなかろうが、毎月100頁は描かなきゃ。」と言われ、以後その教えを守り[描けるページ数は減ったが]、マンガは仕事ではなくなり、朝起きたら顔を洗うのと同じで生活そのものとなり現在に至る。 今は何でも描けそうなハイな状態で、以前はたまには外出しないと煮詰まってしまうので週いち位ガス抜きをしていたものだが、最近はせいぜい月いち休めば十分の「純エロマンガ体」。[純粋にエロマンガを描くためだけの肉体、の意。ダー松の造語] こうしてふり返ると、この路線はまだえぐり足りない、これはあと数回描くべし、なぜこれを一度しか描かない!等々、残り時間にやるべき事、やりたい事の何と多い事! 爆裂昇天のその日まで・・・ 燃 え よ ペ ン ! なお続きは 1997年後期 1998年 INDEX
http://www.rx.sakura.ne.jp/~dirty/gurafty.html
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政治的思想や信条を分類する言葉には、保守や革新、リベラル、共産主義などいろいろあるが、近年インターネット上では、「ネトウヨ」(ネット右翼)という言葉も頻繁に目にする。私のツイッタータイムライン(フォローした相手のツイートが表示されてくる画面)に流れてくるつぶやきの中にも、ある国会議員のこんな記述があった。
NHKの受信料不払いの呼び掛けや、私のことを「ネトウヨ」と批判していた(中略)人物がNHKの現職ディレクターではないかとのご指摘を頂きましたが、さすがにNHK現職ディレクター��そんなことはしないのではないでしょうか。もしそうだとしたら驚きです(2018年6月24日 和田政宗氏公式ツイッターより)
なにげなく私のタイムラインに流れてきたこのツイートを初めて見たとき、私もこの「ネトウヨ」という表現に、侮辱的なニュアンスを感じたのと同時に、「なんだかな〜」という妙な違和感を覚えた。
この「ネトウヨ」という表現でこれまでに何か問題が起きていないか、どんな人が使うのか、興味が湧きグーグルで検索してみた。すると、ネット上から削除された記事を半永久的に保管する「インターネットアーカイブ」という場所で、現在は東京新聞のサイトから消されている
2015年11月の記事
を見つけた。要約すると、およそ以下のような内容であった。
見出しは「報道部長が暴言ツイート 新潟日報、弁護士に謝罪」。新潟日報の報道部長が自身のツイッターで、新潟水俣病3次訴訟の原告側弁護団長を務める弁護士に向け、「ネトウヨの**弁護士」「弁護士やめろ」などと投稿した。中傷された弁護士がツイッターの投稿者を特定したところ、報道部長が投稿を認め、弁護士に謝罪したという。
このような事例から見ても、「ネトウヨ」とは、単なる政治的思想や信条の分類を示す単語ではなく、形容詞的な強い侮蔑の意味合いを含んだ表現であるということが分かる。この言葉をいたずらに組み込んでムーブメントに悪用したのが「ネトウヨ春のBAN祭り・夏のBAN祭り・秋のBAN祭り―アットウィキ」(以下「ネトウヨBAN祭り」と言う)であり、数カ月の間に、一般人から著名人までの数々のウェブサイト、動画アップロードサイトのユーチューブやフェイスブック、ツイッターなどのあらゆるアカウントが凍結(削除)、いわゆる「BAN」されるという社会問題が起こったのだ。
実は、私自身はそんなムーブメントがネットに存在することは全く知らず、このネトウヨBAN祭りを知ったのは、昨年10月で、事務所のスタッフから「おー有名になったなあ…小西もネトウヨ人物辞典に載ってるよ」と言われたからだ。スタッフから聞いたアドレスをのぞいてみると、タイトルは「ネトウヨ春のBAN祭り・夏のBAN祭り・秋のBAN祭り―アットウィキ」となっており、 「アットウィキ」という名の示す通り、いわゆるウィキペディアのような百科事典風のページになっていた。
現在、
当該ページ
は「アットウィキ」のサーバー管理運営会社によって削除・凍結されており、いわゆる祭りの後で、昨年11月ごろはウェブキャッシュに残っていたが、現在は閲覧できない。
ただ、当時はこのページの左側中段以降に人物辞典があり、さまざまな人物名が掲載されていた。その中の「か行」に���の名前も載っていたのだ。この人物辞典のか行をざっと眺めてみると、
ケント・ギルバート
アメリカ人弁護士、タレント。かつて日本のバラエティ番組で活躍していた外国人タレントであったが、語学学校経営の失敗やマルチ商法の広告塔などを経て、ビジウヨに転向した。
小池 百合子(こいけ ゆりこ)
東京都知事、元環境・防衛大臣。都民ファーストの会創設者。
2018年にオリンピックへの対応を理由として都道府県単位では初となるヘイトスピーチ規制条例を都議会へ提案し、賛成多数で可決・成立した。一方で知事選挙の公約に「韓国人学校への都有地提供の白紙撤回」を掲げたり、関東大震災でデマに基づくジェノサイドの犠牲者となった朝鮮人の慰霊集会において歴代の東京都知事が慣例的に行っていた知事挨拶文の送付をとりやめたことがヘイトではないかと批判を受けている。
などといった面々が列挙され、その下方に自分の名前を発見したのだが、どういうわけか私の名前と紹介文だけがかなり侮辱めいた表現だったのだ(笑)。
小西 寛子(こにし ひろこ)
元声優。NHKの長寿アニメ『おじゃる丸』で主人公のおじゃる丸役を務めていたが、突然の配役交代を経て表舞���から姿を消した。 その後、ツイッターで「おじゃる丸出演時に収録した音声を無断でキャラクター商品に転用された」と主張し、NHKバッシングで利害が一致するネトウヨ界隈へ急速に接近しているが、元ファンの諫言にはまるで耳を貸さずブロック芸を炸裂させるため呆れられている。
これを見て怒りが込み上げてきたが、クールダウンの時間をはさんだ後、ドメイン情報やら管理者情報を調べ、それら情報と共に運営会社の企業情報などを確認し、私は1通のメールをサーバー運営会社に送った。するとその翌日、ネトウヨBAN祭りのすべてのページが凍結されていたのだ。
私がネトウヨ秋のBAN祭りのページについて、侵害情報の削除申請をしたのは昨年10月29日午後6時ごろ。その後、実際に削除されたのは10月30日午後2時ごろだ。これは私に返信されたサーバー運営会社の内容を確認し、ネトウヨBAN祭りアドレスをクリックすると既に凍結されていて気がついた。ほっとしたのと同時に少し驚いた。何に驚いたかというと、私のことが書いてある人物辞典だけでなく、紐づいた項目が全て凍結されていたからだ。
考えられることの一つは、「ネトウヨ」という侮蔑を含む表現を用いて、客観的事実に基づかない単なる憶測で、ある種のレッテルを貼られたことによる社会的評価の低下ない��その恐れに対する送信防止措置だろう。
私は削除申請を出したことをツイートなどで公表はしていない。ただ、私がアットウィキの運営会社にメールを送ったことを明らかにしたツイートを見た人が、その後アットウィキへの感謝の意を綴った一連のツイートの前後関係をつなげて、「ネトウヨBAN祭りのページが凍結」された事実を突き止めた人がいた。
そもそもこうした申請をしても、これほど早い対応は極めて稀(まれ)なことだ。では、一体私はどんな手続きを使ったのか。
事務所スタッフによると、ネット上の掲示板に「アットウィキは削除申請のルールがあり郵送でなければ申請を受け取ってもらえない。メールなどでは当然受け取ってもらえないのになぜ?」と書かれていたそうで、「こんなに早く消されることはこれまでない」などの書き込みもあったようだ。
さらには、「異例の対応」だとか「有名人だから運営が早く対応した」、「弁護士がやったからだ」などいろいろな憶測が語られたようだが、私は浅学ながら法律の知識が多少あり、会社の法務(音楽芸能とは別の会社)などで培った実務のノウハウと、事務所スタッフにも著作権をはじめとする法務のプロがいるため、今回のようなケースであえて外部の弁護士に依頼する必要もない。ただ、内容や表現方法の違法性を運営会社にもれなく指摘しただけだ。
今から3年ほど前の事件だが、ツイッターやネット掲示板に私を中傷する書き込みをした自称アニメライターの男が名誉毀損罪で起訴され、有罪になった事件がある(「『おじゃる丸』の声優、小西寛子さんをネットで中傷 容疑の男性を書類送検」産経新聞
2016.3.19
)。
平成27年4月末ごろから、ツイッターやネットの「まとめサイト」などに「元声優の小西寛子、ネット訴訟で損害賠償をせしめようとする」「NHKに高額なギャラを要求しておじゃる丸を干された」といった中傷の書き込みがあるのを事務所関係者が発見(「『おじゃる丸』声優をネットで中傷 相模原市の男に罰金10万円」産経新聞
2016.6.29
)。
この事件は、自称アニメライターの45歳の男(当時)が、小西寛子が「仕事を干された」「高額のギャラを要求した」「引退した」「元声優」などと名誉を毀損する表現を含む記事を、ツイッターおよびネットブログや掲示板、アニメ声優情報アカウント、そしてなんとアマゾンの小西寛子のダウンロード音楽の商品各レビューなどに至るまで多数投稿・書き込みをし、長期にわたり私の名誉・信用を毀損していたというものだ。
先に紹介した人物辞典の記述の中にも「元声優」という表現がある。元声優の何が悪いんだ? と思う人もいるかもしれない。ところが、私に対するこの「元声優〜」という表現は、ある意図をもって20年近く用いられているものであり、これは私だけの問題に止まらず、業務の性質によっては死活問題になりうるものだ。
元横綱、元職員、元裁判官…「元」というのは、現在はその職を離れている人、いわゆる引退をした人などの肩書きに付される接頭辞だ。つまり、私は引退宣言もしていないのに、20年近くも、「過去の人」にされていたことになる。
自称アニメライターの男が投稿するとき、執拗に「元声優」を用いることで分かるように、「元」と表記することによって、「引退したイメージを抱かせ、仕事のオファーがいかないように仕向ける」ことができる。これと同時に、NHKのアニメおじゃる丸の降板に関して、「高額のギャラを請求して降板させられた」という虚偽の事実をもってあたかも問題児であるかのように仕立て、社会的評価や信用を低下させる書き込みを行うことで、事実上の引退に追い込み、「元声優」というイメージを定着させていくのだ。実際、この男はかなり多くのアカウントを巧みに使い分け、自ら書いた記事などの信憑性を演出し、執拗に嫌がらせをしていた。
とどのつまり「元声優」という記述が凍結の決め手なのかというと、単純にそうとまでは言えず、記事の凍結(削除)はサーバー運営者の権限なので、実際のところ、どういう基準を引いて、またどのタイミングでこれを行ったのか分からない。ただ言えるのは、送信防止措置などは、相手の自由な言論を制限するものであり、公益性や急迫性の有無、競合する権利との比較衡量など、それなりのハードル(要件)がある。
いずれにしても、その判断は当然慎重であるべきだが、やはり情報を発信する側の行為が容易なことに比べ、風評などの拡散により侵害を受ける側の被害は甚大であり原状回復は不可能なので、送信防止措置は、まずは被害者保護の実現を第一義に、迅速性を担保するべきだと思う。今回の件に関しては、私が送付したメールの趣旨を、サーバーの運営会社が正しく理解して適正に判断したのだろう。
それにしても「こんな急速凍結はおかしいじゃないか!」との懐疑的な意見もあるが、別に特別扱いをされているわけではない。私は、幸か不幸か、先に述べた事件を含め、民事やその他司法行政機関による名誉毀損に関する認定もしくは判断された事実と公的文書を複数持っている。ゆえに、これらに該当する名誉毀損の書き込みが不特定多数に閲覧可能な状態であった場合、送信防止措置の手続きにおいて違法状態を証明する事実の提示が比較的容易だったのだ。
また、名誉毀損の具体的な内容もニュースや新聞記事になっているので公知の事実に近いため、措置を講ずる運営側も「リスクが少なく判断がしやすいので迅速な対応ができる」という、微妙な事情があるのだ。うらやましい? とんでもない! このアイテムを手に入れるのにどれほど苦労したことか! 刑事告訴も含めすべて本人訴訟であり、それは長い道のりだった。法実務の勉強と人生における有益な経験となったので結果オーライではあるが…。
さて、削除申請の話はこのくらいにして、なぜBAN祭りが凍結されたのかというと、一つには、先に述べた通り、名誉毀損表現や侮辱表現が含まれていたからだが、そもそも、私はツイッターでもネットでも、もちろんテレビでも一切政治的思想や信条を公表していない。私の政治的意思決定や思想などは内心のものであり、誰かがこれを強制することはできない、他人が私に対してレッテル貼ることはできないはずだ。
冒頭でも述べたが、「ネトウヨ」という呼び方は、各種のウェブ辞典やウィキペディアなどにも書かれているように「バカにした表現」であることなどから、特定の人物を指して「ネトウヨ」と呼ぶことは、その言葉の形容的意味合いを考慮すると、明らかに侮辱であると容易に判断できるだろう。
そして、私に限らず人物辞典をあ行〜わ行の最後まで眺めてみると、「ネトウヨ」というレッテル貼りの表現だけでなく、その他たくさんの侮辱表現と取れる名誉毀損表現が散見される。ネトウヨBAN祭りに書き込みをした人が、この程度は侮辱表現ではないと個人的に思ったとしても、「本人が侮辱と感じる」こともある。また、一般社会から普通の感覚で見て「侮辱」と受け取られることもある。大げさかもしれないが、これだけでも表現として、侮辱罪という犯罪行為を構成する要件たりうるのではないだろうか。
もう一つ気になったのが、裁判所の決定や判決などの効力が及んでいるわけではないのに、サイトなどから「広告を剥がせ」というのはやり過ぎだろう。ネットの中には保守だけでなく、革新やリベラル、共産主義者などの反対意見も当然存在する。保守だけがターゲットにされるのはおかしいし、企業が不買などのユーザーの声を気にすることを悪用した広告の通報は、業務妨害になる可能性もある。
それら手口の指南をしたとみなされれば、幇助(ほうじょ)や教唆、共謀など何かしらの責任を問われてもおかしくない違法性のある行為と言えるだろう。彼らのウェブサイトには正当性の記述もあり、ここでは詳述しないが、それ以外の表現も含まれており、やはりその部分においては違法性も検討されることがあるだろう。仮に、私がサーバー運営者であったとしても、遅かれ早かれ、当該サイトの名誉毀損表現などに対し警告を発し、期間を定めて自らの権限で凍結させるだろう。
以上のように、ネトウヨBAN祭りのアットウィキが凍結された理由はいくつかあるが、今回のように保守派、いわゆるネトウヨとされている人たちをターゲットにした攻撃は、左派などがやっているのか?というと、それだけでは片づけられないのだ。想像や憶測でしかないが、広く、深く、ウェブサイトにはただ単にオモシロイ遊びとしていわゆるBANをゲームとして楽しんでいることもあるようだ。
例えば、ゲームにはルールがあってそのルールがたまたま「ヘイトスピーチをつぶやくアカウントを攻撃するというお題目によるもの」だったわけで、たまたまゲームのターゲットが「ネトウヨ」と呼ばれる人たちだったりするのだ。
私の頭の中に彼らのゲームを感じさせたのは、この凍結された「ネトウヨ春のBAN祭り・夏のBAN祭り・秋のBAN祭り―アットウィキ」が削除されたその日のうちに、新たな場所でじわじわとサイトが作り直されていたことだ。そしてそれは、より「安全な場所へ」などと新たにサイトを作成するにあたり、準備段階でも彼らはいろいろと議論したようだ。事務所スタッフがのぞいたウェブ掲示板には、今回のミスは「誰かが小西寛子を人物辞典に入れたこと」であるとし、彼ら曰く「小西寛子というとても大きな地雷を踏んでしまった」ことを皆反省すべきだと書かれていたという。
今後は攻撃ルールにふさわしくないものを省いて、自分たちがBANの場として構築されていくものを容易に破壊されないように、新たなルール作り(リスクマネージメントを考慮?)をしていこうなどの意見も見られたようだ。
実際、私から見ても、見苦しい明らかなヘイトスピーチや、単なる嫌がらせやうっぷん晴らし、そして金銭的利益のためにいわゆる偽右翼活動している人などの言動には嫌悪しており、攻撃されてもやむなしとの考えは一理あると思う。そして、現代のディープなネット社会にはそれなりのいろいろな形のゲームがあるかとも思う。そのゲームの中のルールが一種のグレーゾーンの中に正当性をいわしめるものならば、百歩譲って「あっちの芝生に行ってやれ」程度には言うが(認めているわけではない!)、ここぞとばかり便乗して、思想信条や自分の反対意見を押し通すために自由を制限しようとするならば、私もBANするしかない(笑)。
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「キーサン革命宣言」2013年アットワークス社刊行追加原稿
「精神病用語解説」
「精神病患者会用語解説」
「精神医療用語解説」
「精神福祉用語解説」
「キーサン革命用語解説」
キーサン
やくざがやーさんなら、わしらキチガイはキーサンだ、という誇りを持った自称のこと。自主自尊自衛自闘自炊自レクを目指す意識を持った精神病患者たちの自称。この世の中で狂ったことに誇りを、という我々の文化と思想とセーカツを表す端的な言葉かもしれない。キーサン文化語の代表格。キーサン革命、キーサン患者会、キーサンペース、キーサンのノリ、キーサン革命の鬼、キーサン革命宣言、のように使う。
電パチ ES、ECT、電気ショック療法の患者側の隠語、電気をこめかみに流す、という、拷問のこと。おおぴっらに言えないので、なかま内で、恐怖と冷や汗とともに、こう言った。精神病院内の治安管理の道具。m-ECT、修正型電気ショック療法として、関東中心に復活したら、あっという間にニホン全国に広まって、トンデモナイことになっている。たとえば、ワンクール10回とかで、それを何クールもやる。保険点数も高く、ぼろ儲けにつながる。脳に電気をかけて、わざとに痙攣をおこさせる。痙攣中の圧迫骨折など、後遺症も悲惨で、記憶障害をはじめ、筆舌に尽くし難い。施術中の死亡も多い。レビー小体型痴呆症に電気ショックをかけると治る、という��文まで発表されるのが、現在のニホンの精神医療の実態でである。せめて、電気ショックは止めろ。
スイカ割り ロボトミー、チングレトミーなどの、精神科脳外科手術の患者側の隠語。おおぴっらに言えないので、恐怖と手のひらの脂汗ともにこう言った。頭蓋骨に穴をあけ前頭葉の脳みそを掻き出す、吸い出す、或いは焼く、という、拷問のこと。手術中死亡、後遺症の悲惨さは、筆舌に尽くしがたく、想像を絶する事態となったため一旦は止まった。過去のことと思われがちだか、最近では、脳外科分野の脳定位手術として、欧米で、既に復活している。ニホンにも、再上陸してくるのは、確実。というか日大板橋病院のやっていることはナンナノダ・・・・ドウスルノダ・・・コレカラ・・・オソロシイ
ガン箱退院 死亡退院の患者側の隠語。棺桶に入って退院すること。長期入院患者にとっては、生涯で、唯一の退院かもしれない。虐待されていじめ殺されてガン箱退院、も、もちろんある、というか、元々はその意味での退院を指した。おおぴっらに言えないので、こう言った。現在は、老齢化ガン箱退院も、多くなってきた。前進友の会では、20代に強制入院させられ、おおよそ、30年閉じ込められて、ありとあらゆる虐待にあうものの、50代で、シャバに出られて20年間暮らすものの、70代をむかえ、シンドクなり、精神病院に逆戻りし、老後を迎えるといった、老精神病者の、行きつく先となりつつある。実のトコロ、ガン箱退院しても、離れられない。生保で、墓がなく、身寄りもないため、あれほど嫌がっていた精神病院の「倶会一処」などと書かれた共同墓に、入れられる。実は、「キチガイは死んでも退院できない例」かも、シレナイ。。。。
ニクマン 憎しみのおしくらまんじゅう。略してニクマン。患者会のシビアーなセーカツの一端を、独自のコトバで、表現した、キーサン文化語。この他に、「キーサン」「やぁまいペース」「反社会復帰」「働かない権利」などがある。
カチコミ 学会やその他健常者的催しに対する、キーサンの抗議行動のこと。それまでのサヨク的抗議行動とは、マッたくのイシツ文化。抗議行動というウンドー的側面よりも、患者会のある種のレクレーション的側面に重きが置かれる。健常者的ノリが皆無でアルのが、傑出したトコロであった。90年代に多発し、各所に轟轟たる非難批判と多大なる応援と涙と笑いと喜びをもたらした。ハッキリ言ってすごくツカレるのが、特徴である。もう一度やるかも・・・・・まっとってや・・・・
CVPPP 包括的暴力防止プログラムという名前の、看護士看護婦が、患者を集団で、暴力的に制圧する、実戦方法と、教育・資格システムのこと。その適正手続きと適法性も、含まれている。特にチームテクニクスという、看護士が、3人、4人がかり、で、患者を制圧する行動は、恐怖そノモノである。CPIプログラム、というのもある。基本的に刑務所での看守の囚人に対する制圧技術と警官の逮捕術が基になっている。どう言い逃れようと、精神医と看護士看護婦は、精神科医療ではなく拷問課収容課勤務の看守だ、というコト。
CP クロルプロマジン換算、というもの。余りの多種多剤大量投薬なので、せめて、その多種多剤大量なクスリをクロルプロマジン、つまりコントミンなら、どれくらいの量になるか、換算してみたもの。換算の仕方は、それなりにムズカシいが、一応の目安にはなる。1000ミリを超えたら、毒殺である。3000ミリから9000ミリという驚くべき数字もある。えばっちとしては、せめて100ミリから200ミリ、多くても、400ミリまで、と想う。簡単に言ってしまうとCP換算250ミリというと、ムカシのあの黄色のコントミン25ミリの錠剤を10錠飲まされている、ということ。おそろしい。こういう考え方もアルというのを当事者に拡めてほしかった。
OT 作業療法士のこと。精神科にも進出している。結局はデイケアなどでのお遊戯の相手役をやって、けっこうな賃金を貰って帰る。いっそのこと保母さん保父さんと、交代したらドウダロウ。
Rehab リハブ、精神科リハビリテーション評価尺度、BakerとHallとかいうのにより1983年に開発、1994年田原らが、日本語化して、病院地域学会などを中心に広めようとした。類似したものにGASだのMASだのASAだの、さわ式リハブ「しゃかいふっき」だの、喧しいことである。グラフが好きなのか、学会での報告がやりやすいのか、患者の生活態度に点数をつけて、評価せにゃ、退院も決められんのか、という怒りのあまり、えばっちが、2001年に医者用リハブまで開発した。が、見向きもされなかった。なんなら、ソレお分けシマスよ。
病地学会 病院地域精神医学会、【改革派】の拠点であった。精神神経学会の余りナ所業に、一時は、【改革派良心派】が、対抗してつくり、運営していたハズ、なのだが、中味は、あまり、変わらなくなった。そもそも、だったらなんで、精神病院の殺人事件のたんびに、病地学会と精神神経学会とで、合同調査委員会をこしらえて、モンダイ無シ、という、結果を出すかなぁぁぁーーバカタレが、学会ごっこにうつつを抜かす前に、やることがあるやろ、アホども。もっとも現在は精神科救急学会だの小児精神医学会だの、精神科診断学会だの、ドウタラ研究会だの、腐った学会のオンパレードになってしまい、益々、その意味���も地盤沈下した。
スクカン スクールカウンセラーのこと。学校内で、精神科医の手先を演じることになる。医療観察法の社会復帰調整官と、カンカンカンと並んで、治安管理官になるのは、確実。特に早期介入の先兵になるであろう。特に、心理系は、国家資格がないため、国家資格法制化のためなら、ドンな条件でも、飲みこんでいくだろう。おそろしい。
説教 精神医の精神療法のこと。なんともはや、だが、精神医が、診察室で、患者と2,3分も話せば、精神療法という治療行為を為したと、みなされ、けっこうな、診療報酬が、ころがりこむ。実際は、精神医の患者や家族に対する、就職強要、就学強制、暴言、暴行、怒鳴り、モノの投げつけ、見下し、嫌がらせ、せせら笑い、虐待、まるでセカンドレイプのようなセカンドオピニオン、精神医側のストレス解消、等々となっている。コレデ金になるのやから、精神医はボロイ商売である。説教ぐらいなら、まだカワイイ方だ。
SIADH抗利尿ホルモン不適合分泌症候群の略。肺癌や髄膜炎などに随伴するが、精神科関連では、薬剤の副作用で生じる。血漿浸透圧の低下、低ナトリウム血症により、浮腫や多尿を伴うこともあるが、初期症状は目立たない。痙攣や意識障害に至りやすい。抗精神病薬&抗うつ剤の、不適切大量処方が原因となる。ナトリウムの補正と飲水制限が必須となる。身近な精神病院で、年間何例あるのか、聞いてみたらよい。前進友の会では、なかまが、ひとり、寝たきり状態となった。
悪性症候群抗精神病薬や抗うつ剤の不適切過剰投与により生じる致死的な病態。発熱(→高熱)、筋強剛、血清CK値の高度上昇、頻脈、血圧異常、呼吸促迫、意識障害、発汗、白血球増多、痙攣などの症状が出現。補液、処方薬の減量または中止、ダントリウムやセルシン静注などが必要になる。近くの精神病院で、年間何例あるのか、聞いてみたらよい。前進友の会では、なかまが、何人も、危なくなった。恨んでいる。ちなみに、この悪性症候群に対して電気ショックをかけると治る、という論文まで発表されるのが、現在のニホンの精神医療である。
ACアダルトチルドレンの略。小児期に、アルコール中毒の親を持つ・・とか、虐待を受けて育った、宗教的抑圧があった・・など、心的トラウマを抱えて、大人になった人たちを指す。自己否定感情や愛情の飢餓感を抱え、それゆえに、生きていくのが不器用で、様々な葛藤から、アディクションやうつ状態、強迫神経症などに陥りやすい。人生を左右する、余りにもヒロく、ムズカシい概念である。
発達障害先天的に、発達の偏りが顕著な、「特性」の総称。知的障害やてんかんから、ADHD、自閉症、LD、アスペルガー症候群などが含まれる。発達障害特性が皆無の人は居ない。誰もが、このスペクトルの中に居る。人や趣味、仕事との出会いが、才能を伸ばせたり、障害に陥ったり、人生を左右する。あらゆる意味合いにおいて、悩ましくムズカシい概念である。この前後四項目ほどの専門職の使う精神医学心理的用語については、エバッチ的には、肯定的側面と否定的側面が、両方あると、想っている。矛盾しながら���イイとワルイを同時に言わなアカン。端的に言って、えばっちの立場は「道具論」である。意味するところは本文を読んでいただきたい。
アスペルガー広汎性発達障害の中で、知的障害の無い高機能自閉症を言う。特有のコミュニケーション方法、特有の興味関心を持ち、過敏性、過集中、過回転な資質を有するため、誤認や錯覚、とらわれ、こだわりに陥りやすい。それが、才能として表現される場合と、逆に障害として表現される場合がある。つまり、人生を左右するガイネンであり、あらゆる意味合いに置いて、悩ましくムズカシい概念である。
精神病患者会 前進友の会 キーサン革命の鬼 えばっち
えばっちのホームページ 乾坤一擲
http://ebacchihomepage.dousetsu.com/index.html
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沖縄復帰50年 建議書は生きている
復帰の原点「基地のない平和な島」
2022年1月13日【1面】
「沖縄県民の大半は、あの復帰を認めていない」。今年、本土復帰50年を迎える沖縄県。復帰前、琉球政府職員だった平良亀之助さん(85)はこう言い切ります。「基地のない平和な島としての復帰」を要請した「復帰措置に関する建議書」の作成に携わった立場から、こう断言します。「建議書はいまも生きている」
1952年4月に発効したサンフランシスコ講和条約で、沖縄は日本から切り離され、米軍の統治下におかれました。アジアへの侵略・核攻撃拠点として基地強化が進み、住民の土地は「銃剣とブルドーザー」で強奪され、世界最大の「基地の島」となります。県民の自治は否定され、相次ぐ事件・事故で人権を踏みにじられてきました。
自治の拡大を求める県民のたたかいにおされ、米軍はついに行政主席(県知事に相当)の公選を認めます。68年10月、沖縄の「即時無条件全面返還」を掲げた屋良朝苗(やら・ちょうびょう)氏が圧勝。米政府が施政権返還を決断する決定的な力となりました。
■□ ■□
69年11月、日米両政府は「佐藤・ニクソン共同声明」で沖縄の施政権返還を正式に表明。屋良主席は「復帰対策室」を設置し、地元紙の記者だった平良さんも調査官に任命されました。
「自分たちの手で沖縄県をつくるのだと、みな生き生きと仕事をしていた」といいます。しかし、しだいに日本政府からの情報が途絶え、「政府主導」の色合いが濃くなってきました。71年6月には、復帰後も基地を維持・強化する沖縄返還協定が調印され、県民の不満が高まっていきました。「自分たちは、新たな琉球処分(明治政府による琉球国の併合にいたる一連の措置)の片棒を担がされているのではないか」。平良さんたちに焦燥感が強まります。
■□ ■□
局面が変わったのは、同年9月30日。平良さんは、復帰関連措置法案が対策室に届いていることを突き止めました。偶然、庶務係長の机に山積みの資料が目に留まり、「もう届いているのか」とかまをかけると、係長は両手で資料を覆い隠しながらこう言いました。「さすが元新聞記者」。平良さんは「この一言で確信した」といいます。
政府が琉球政府内の一部にひそかに法案を届けていた事実を伝達された宮里松正(まつしょう)副主席が職権で法案を出させ、屋良主席に提出。主席はただちに「復帰措置総点検プロジェクトチーム」を立ち上げ、平良さんもその一員となりました。10月16日開会の臨時国会に間に合わせるため、徹夜の作業を重ねた末に完成したのが、「復帰措置に関する建議書」でした。11月17日、屋良主席はこの建議書を携えて上京します。ところが―。
(1面のつづき)
「健全な国家つくり出す原動力に」の気概 真逆の現実「建議書実現まで掲げ続ける��
1971年11月17日午後3時すぎ。琉球政府の屋良朝苗主席が東京・羽田空港に到着する直前、衆院沖縄返還協定特別委員会は、自民党の緊急動議で沖縄返還協定の強行採決に踏み切りました。しかも、沖縄県選出の瀬長亀次郎(沖縄人民党)、安里積千代(あさと・つみちよ、沖縄社大党)両議員の質問直前。沖縄の声は、最悪の形で封殺されたのです。
屋良氏が都内のホテルに着くと、多くの報道陣が待ち構え、強行採決を知らされました。「茫然(ぼうぜん)自失、なにをいってよいかわからず、コメントを断ってホテルの部屋に逃げ込んだ」(『屋良朝苗回顧録』)という屋良氏。その日の日記には、強い憤りが記されていました。「要は党利党略のためには、沖縄県民の気持ちというのは全くへいり(弊履=破れた履物)のように踏みにじられるものだ。沖縄問題を考える彼らの態度行動を象徴するやり方だ」
その後、屋良氏は気を取り直し、桜内義雄特別委員長に建議書を提出し、強行採決に厳しく抗議。翌18日には佐藤栄作首相や沖縄担当の山中貞則総務長官、衆参議長らと面会し、抗議の意思を伝え、同日夕、記者会見であらためて全国民に向けて抗議の意思を表明しました。
琉球政府の復帰対策室調査官だった平良亀之助さんは言います。「屋良さんは、一度はうなだれたが、そのあと、建議書を手渡したことで県民の思いを伝えることができた。この建議書には期限はない。その後、自民党県政を含め、現在の玉城デニー知事にいたるまで、誰一人として建議書を否定した知事はいない。だから、私は今も建議書は生きていると解釈している」
■□ ■□
130ページ余の建議書は、返還協定や復帰措置関連法案に対する県の見解、さらに厚生、労働、教育、文化、司法、財政、金融など行政全般にわたり、復帰後の「あるべき姿」が記されています。そこには、政府主導ではなく、県民自身の手で沖縄の未来を築いていこうという気概がこめられていました。
建議書の最大の柱は「平和」の希求です。沖縄戦で多くの県民が犠牲になった後も26年におよぶ米軍支配下に置かれ、「基地や核兵器や毒ガスに囲まれて生活してきた」「異民族による軍事優先政策の下で、政治的諸権利が著しく制限され、基本的人権すら侵害されてきた」と指摘。「従来通りの基地の島ではなく、基地のない平和の島としての復帰」を強く求めました。
さらに、沖縄戦で悲惨な目にあった県民は「世界の絶対平和を希求し、戦争につながる一切のものを否定している」と述べ、自衛隊配備に多くの県民が反対している事実、沖縄の基地を必要とする日米安保条約は「反対せざるを得ない」と伝えています。そして、「新生沖縄の像」として(1)地方自治(2)反戦平和の理念(3)基本的人権の確立(4)県民本位の経済開発―を掲げ、その実現が「健全な国家をつくり出す原動力になる」と訴えています。
■□ ■□
しかし、「建議書に書かれていることと真逆のことが、いまの沖縄で起こっている。しかも、当時よりさらに悪質になっている」と平良さんは警鐘を鳴らします。
復帰前に存在していた主要基地は日米両政府の密約でほぼ維持され、今なお沖縄は世界最大の「基地の島」のままです。それどころか、MV22オスプレイの配備など新たな強化が進み、県民は爆音や墜落、米兵の犯罪、環境汚染に苦しんでいます。さらに、名護市辺野古の米軍新基地など、県民の圧倒的多数が反対する基地建設が日本政府の手で強行。米軍に否定されていた自治が、今度は日本政府によって否定されています。
72年に約3000人で発足した沖縄の自衛隊は1万人近くにまで増強。中国をにらみ、ミサイル基地化が進んでいます。
何より建議書は、沖縄県民が独立ではなく本土復帰を望んだ最大の理由として「国の平和憲法の下で基本的人権の保障を願望していた」ことをあげていますが、その憲法そのものが、「海外で戦争できる」憲法に改悪されようとしています。
平良さんは言います。「県民はあの復帰を認めていない。建議書が今も実現されていない以上、私たちは建議書を掲げ続けなければならない」
玉城デニー知事は4日の年頭あいさつで、復帰50年にあたり、「県民のさまざまな意見も取り入れながら、今後の建議・宣言のあり方についても検討していく」と語り、新たな建議・宣言を出す考えを示しました。「基地のない平和な島としての沖縄」が実現するまで、建議書は生き続けるのです。
(竹下岳)
■「復帰措置に関する建議書」抜粋
・アメリカは戦後26年もの長い間沖縄に施政権を行使してきました。その間にアメリカは沖縄に極東の自由諸国の防衛という美名の下に、排他的かつ恣意(しい)的に膨大な基地を建設してきました。基地の中に沖縄があるという表現が実感であります。100万の県民は小さい島で、基地や核兵器や毒ガス兵器に囲まれて生活してきました。それのみならず、異民族による軍事優先政策の下で、政治的諸権利が著しく制限され、基本的人権すら侵害されてきたことは枚挙にいとまがありません。
県民が復帰を願った心情には、結局は国の平和憲法の下で基本的人権の保障を願望していたからにほかなりません。経済面からみても、(中略)沖縄の県民所得も本土の約6割であります。その他、このように基地あるがゆえに起こるさまざまの被害公害や、取り返しのつかない多くの悲劇等を経験している県民は、復帰に当たっては、やはり従来通りの基地の島としてではなく、基地のない平和の島としての復帰を強く望んでおります。
■本土復帰までの主な出来事
1945・4・1 米軍が沖縄本島に上陸
45・6・23 日本軍の組織的な抵抗が終結
47・5・3 日本国憲法が施行
52・4・28 サンフランシスコ講和条約で沖縄を日本から分離
53 「銃剣とブルドーザー」による土地の強制接収が始まる
59・6・30 宮森小学校に米軍機が墜落
60・4・28 沖縄県祖国復帰協議会が結成
60・6・23 現行日米安保条約を批准
68・11・10 初の行政主席選で屋良朝苗氏が圧勝
69・11・21 日米両政府が沖縄の施政権返還を正式表明(佐藤ニクソン共同声明)
71・11・17 衆院特別委で沖縄返還協定を強行採決
72・5・15 沖縄県が本土復帰
(3面) (しんぶん赤旗)
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聴講メモ 情報法制学会第1回研究大会
聴講時に入力したメモです。断片。配布資料からのメモも引用符はありません。 聞き取り間違い等、あります。おかしな部分は記録者のせいです。
2017年12月16日(土) 10:00-17:00 一橋大学 一橋講堂
開催案内 http://itlaw.tokyo/symposium.html 主催 情報法制学会(ALIS) 共催 一般財団法人情報法制研究所(JILIS) 日時 2017年12月16日(土)10:00〜17:00 会場 一橋講堂(東京都千代田区一ツ橋2-1-2 学術総合センター2階)
総合司会 千葉大学 横田明美准教授
開会挨拶 情報法制学会代表, 京都大学 曽我部真裕教授
本年6月に設立総会開催。情報法に関わる学術的、実務的論点について報告される。
公募報告1 医療分野におけるロボット法の日独比較研究 -民事責任、刑事責任、情報法を中心に- 桃尾・松尾・難波法律事務所 松尾剛行弁護士
医療分野はロボットの投入便益が大きいと見込まれる。侵襲性のより低い手術が可能。 ドイツ法はまとまった先行研究文献がある。 医療ロボット法は範囲が広い。製品安全、医療行為等々。 民法、刑法、データ保護法について検討したい。 責任の問題 医療行為の制限
医療ロボットによって事故が起こり、死亡事故等が起きるというのは現実のものとなっている。日本ではH22年。ダ・ビンチというロボット。 N大学医学部事件 初期の胃がんをダ・ビンチで手術した際に、すい臓を損傷し、死亡。椎体にすい臓を圧迫された。 術野を確保するためにすい臓を圧迫してしまった。ロボット鉗子は過度の力がかかる可能性がある。 経験者による監視、指導がなかった。
この事件ではビデオ映像の解析で責任の所在が明らかになっているが、今後、さらに複雑な事故が起きた場合はどうか?
自動化、自律化、ネットワーク化が複雑さに拍車をかける。関与者が増えていく。
被害者保護の視点 責任の所在をはっきりさせ、責任を取らせる。
ロボット開発者等へのインセンティブの視点 重い責任が簡単に負わされると開発等の意欲が減退する可能性も。
ドイツ民法の特徴-立証責任等に関する特別規定
刑事の責任と民事の責任がパラレルに考えられている。
630H条 過誤の推定 治療者が十分に統御しうる治療の危険が現実化 治療者に十分な能力がない
日本は被害者側に立証責任。事実上は推定、経験則が採用されている。 ドイツは法律で推定される範囲を規定。
2013年のドイツ民法改正は直接的にロボットを意識したものではない。
刑事責任
自動運転の場合は第三者が被害者になることも。危険の法理は第三者にも適用できる。
医療ロボットとデータ保護法の交錯
GDPRの前から旧ドイツ連邦法では参考にすることもあり。
どういう順番で優先順位付けをすれば本人の正統な利益の保護となるか。
保険の文脈で例外を認める。
質疑応答
司会から 刑事と民事が本当に重なっているのか?
ま 刑事のコンメンタールを見ると、民事の議論をそのまま引用していたりする。 民法と刑法の目的の違い 民事で過失がないとされた場合には、刑事でも過失はないと考える程度にすべき(シュミット氏意見)
会場 特別法と一般法の違い
ま 二つの視点について、ここに寄せるべきとの議論はしていない。一定の着地点は想定していない。
会場 公的な補償等も考慮すべきでは。
公募報告2 カナダ国境サービス庁によるAPI/PNR標的絞り込み;OPCプライバシー監査報告の分析 明治大学法科大学院 丸橋透兼任講師
2015年からCJEUでPNRについて争われている。
PNRGOV レベル0はフライト全体
CBSA 年間2千900万人のデータ シナリオ自体は米国と共通 年間552人のターゲット
カナダは定期監査のほかに、臨時の監査もできる。
質疑応答
司会から 日本はPNR情報の収集について、情報開示しているのか?
ま 法定収集権限を法律には書いてある。保有個人情報ファイルに何を収集しているかは明示。
よ 追跡調査等の枠組みは?
ま 中で何をやっているかは不明。分析に足る情報公開はすべき。
会場 このようなプロファイリングを過度に行うと憲法問題になるのでは?
ま 必要性の問題はある。税関にしても、入管にしても、一応、それなりの議論はしている。 が、中身がよく分からない人たちが審査会をしているのではないか。 バスケット条項のような条項を入れると、なりうる。
ま これはプロファイリングの一段階ではある。本当のプロファイリングはターゲティングセンターで行われているのではないか。
会場 個人情報保護委員会の今後の役割への示唆と、越境データ問題との絡みは?
ま 日本ではただ集めるだけの状況。インテリジェンス手前、個別のテロリストを入国させない為に何をしているのか、出していかないと、逆に問題とされてしまうのでは。
司会 日本では行政は総務省の管轄。
報告1 ビッグデータ・AIの活用における競争法上の課題 森・濱田松本法律事務所 池田 毅弁護士
データは競争法の世界では従来から投入物として扱われていた。 データは複製できるので、競争法上は問題にならないと考えられていた。 ビッグデータ むしろ複製不可能なのでは? 公取は独禁法適用可能性。 契約ガイドライン 優越的地位の濫用 独仏共同レポート OECDレポートは参考になる文献
個人情報保護法制で済むのか?独禁法の出番はないのか?
役割分担の問題
何の情報が取られているか分からない 膨大な規約 支配的事業者と選択肢の無さ
データの世界でどうやって市場を確定するのか
多面市場と無料市場
ユーザは無料 コンテンツ提供者からコンテンツ 広告主から広告料
無料市場を独禁法で管理できるのか
SSNIPテスト 緑茶が値上がりした時に一定のユーザがウーロン茶の市場にうつるか うつったら同一市場
SSNDQテスト 品質劣化で市場が縮小するか
伝統的な独禁法上の世界では役者は一人、市場も見え易い
データ市場は役者が何人もいる。舞台もバラバラ。
データ収集の問題点 データの収集は通常、独禁法上問題とならない→例外は? 単独へのデータ収集 ロックイン状態の誘発 優越的地位の濫用 共同でのデータ収集 カルテル
アクセス 基本的には事業者の自由 データが不可欠 代替的なデータの取得が技術的または経済的に困難
競争者を排除する目的以外には合理的な目的が想定されないにもかかわらず、正当な理由なく、従来可能であったデータへのアクセスを拒絶:欧州MSインターフェイス情報開示
データを利用した商品の市場における競争者を排除することとなるにもかかわらず、正当な理由なく、当該競争者(又は顧客)に対してデータへのアクセスを拒絶:東芝エレベータ補修
不当行為により取得されたデータを利用することによる優越的な地位を得た後に、当該情報へのアクセスを拒絶:標準化におけるランバス事件
ドイツ Facebook事件 市場支配的企業が個人情報保護法令に違反して個人情報を取得することは市場支配的地位の乱用になりうる。(ドイツ) →個人情報保護法令違反がなかったら?
不利益変更を拒めない→優越的地位の濫用では?
個人に対して優越的地位の濫用は成立するのか?
JASRAC事件 包括使用ライセンス
Uber訴訟
人がやってもデータ/AIがやってもいい結果が出るなら…
質疑応答
会場 サプライチェーン最適化において、垂直的統合は問題なのか?技術的制約による価格統制は? デファクトの技術標準は?
い 垂直と水平はどう区別されるのか?ハブアンドスポークは個々の関係を見ると垂直と捉えられる。 サプライチェーンの最適化は生産量の操作につながるのでは。 アップルeブックカルテル事件はハブアンドスポークの例。 標準化は程度問題。例えば保険料算定のアルゴリズムを複数社が利用することはどのような効果を持つか。他社排除に向かうのであれば問題になる。
報告2 ドイツのSNS法 福岡大学法学部 實原隆志准教授
自主規制の効果に対する疑問→法的効果を伴う規制に踏み込む コンプライアンス・ルール
3月27日に提案されて6月末に修正案可決、10月1日施行
適用対象事業者 営利目的でプラットフォームをインターネット上で運営 利用者がいかなる内容でもほかの利用者と共有したり、公衆にアクセスできるようにするためのもの
除外 ジャーナリスト的なもの 個人的な、もしくは、特定の内容のもの ゲーム、ショップ、メール、メッセンジャー 国内登録者が200万人未満
ヘイト・スピーチに関わり、刑法上の要件を満たすもの
明らかに違法な内容は申立て受理後、24時間以内に隔離・利用停止
オーバーブロッキング対策として例外あり。
削除するかどうかを審査する��� 違法なら遅滞なく隔離・利用停止 合法なら隔離等をしてはならない
不適切に隔離された人が申し立てる苦情窓口を設置
苦情処理手続きを設けていないと、最大5千万ユーロの過料
過料ガイドライン
検討する枠組みを作らないことに対して罰則
既存の法制度と極端な齟齬は生じていない
共同規制的手法 メディア青少年保護・秀才協定とは自主規制機関を認証する機関が異なる。
刑法上の違法性に限定 認証を行う機関の独立性の問題
質疑応答
会場 従来から憎悪表現はドイツで規制されていた。SNS上でも同様にするということだと思うが、日本では従来、規制はなかった。児童ポルノ等への規制と比較するとどうか。
じ 児童ポルノはすでに法律があるので、まだやり易いかもしれない。日本ではヘイト・スピーチの法的規制がない。国会で議論して、刑法上の規定を作ることから始めないと。議論すら、本格的に始まっていないことは指摘が必要
会場 適用対象事業者の例外があるが、ゲームなどはSNS的機能を持っていたりする。線引きはどうなるのか。 規模による適用除外はアカウント数と実活動ユーザーの差はどう扱うのか。
じ 線引きの問題はある。登録者数による除外規定は影響力を考慮したものだとは思うが。利用者の定義に困って、登録者という表現になったと思う。
会場 EUのテロリスト対策として、宣伝コンテンツデータとしてブロッキングしようとしているが、つながりはあるのか。
じ コピーすら削除しなければならないと当初案ではなっていた。立法者の狙いとしてはあるかも。
報告3 カナダ著作権法における「利用者の権利」の保護 福岡大学法学部 谷川和幸講師
著作物を利用する側の権利と情報法との接点
自炊代行事件 知財高判H26.10.22 著作権法30条1項 自分でやる分には構わない 個人的 私的領域 複製の主体が利用 複製権侵害として差し止め請求 知財高裁はこれを支持 零細な使用であれば権利者への影響は少ない→指摘複製の量を抑制
「個人の私的な領域の活動の自由」解釈論には反映せず。 権利者側の利益だけを考えるのはおかしい
カナダ著作権法のフェア・ディーリング 29条以下 研究、私的調査、教育、パロディ、風刺を目的とするフェア・ディーリングは対象とならない。
米国にはフェア・ユース 使用目的は例示列挙で限定は緩やか フェア・ディーリングは 目的 フェア の2要件
1990年までの著作権法は著作(権利)者の権利擁護が中心。フェア・ディーリングは権利の抜け穴。
2002年テバージ(Teberge)事件 ポスターのインク層をキャンバスに移し販売。被告の移し替え行為は複製か? ポスターはなくなっているので、数の増加はない。複製となるのか? 4対3で複製に該当せずと。
バランスをとるのが著作権法と 著作物の捜索・普及に関する公共の利益を促進すること 創作者に適正な報酬を得させることの
上記判例では��有権と著作権の調整として問題設定
2004年 CCH事件 出版社と専門図書館の争い 放送や研究者からの申し込みに応じて、文献を複写して郵送
争点 フェア・ディーリングの「研究」の解釈 全員一致 フェア・ディーリングは著作権法の不可欠の部分 フェア・ディーリングの裁定は制限的に解釈されてはならない researchという言葉は、広く、寛大に関尺されなければならない →非営利や個人的研究に限定しない
2012年 最高裁5部作(2012年7月22日)
Bell判決 試聴機能に著作権は及ぶか バランスをとる方向へ。 研究かどうかは、試聴提供者ではなく、最終的な利用者(試聴者)を基準に考えるべき。
Alberta判決 教育現場での複写配布→周りに人がいても「私的調査」に該当
著作物へのアクセス(利用)は「利用者の権利」
転換の契機は?
インターネットと著作権 WIPO著作権条約
2001年の改正提案は一般国民から多くの反論 コンピュータ技術者、教育機関、図書館など。 DMCA
2012年に法改正、翌月に最高裁5部作
保護とアクセスのバランスはそれほど先進的というわけではない。
日本の著作権法1条
利用者の権利を持ち出す必要性はあったのか?
はたらくじどうしゃ事件 東京地判H13.7.25 46条 屋外の見やすい場所に恒常的に設置 一般人の行動の自由
「利用者の権利」の具体的な効果は? DRMの解除を要求する権利?
学説による「利用者の権利」の捉えなおし
馴染みのある概念に戻す パロディー→表現の自由 教育→教育を受ける権利、人権
所有権概念の拡張の試み(コンテンツの所有権) 有体物から無体物への拡張
コンテンツ所有権(バーチャルプロパティ)
尼が購入済みの書籍を勝手に削除 電子書籍配信サイト閉鎖 電子書籍や音楽ファイルの相続可能性、転売可能性 Bitcoinの保有(東京地裁H27.8.5)
自炊代行への示唆 30条1項の公共性 アクセス権限の視点
『知的財産権 コンピュータと法』
他人の所有物を複製しても、原本の返却をもって複製を廃棄する義務はない
「利用者の権利」というのは一種のマジックワード その内実が問題 マクロレベル(公共の利益)とミクロレベル(所有権)でとらえる2つのアプローチ
質疑応答
司会 どのような示唆があるか
た 著作権法が伝統的にはインセンティブ論。著作物として世に出すからには利用は必須。利用についても注目をする必要があるのでは。著作権法も所有権を無視はしていない。有体物所有権でカバーできないものを所有権概念の拡張でカバーできないか。
会場生 ライセンス契約の物権化傾向がある。(9700回やったゲームが終了するので悲しい。) 所有概念の拡張は立法で対応できるのか。
た ライセンスの物権的効力、ドイツでは消費者法的な観点で着目。コピー可能性や、耐久性で違いが。
会場 ダウンロード販売では使えないのでは。
JILIS報告 「オンライン広告研究TF」成果報告 情報法制研究所理事、産業技術総合研究所 高木浩光主任研究員
「オーディエンスターゲティング広告における匿名加工情報の利用に関する提言」 ※来週には出るはず
オンライン広告の法的課題に関する論点整理
第1期 改正個人情報保護法の「匿名加工情報」がターゲティング公告にもたらす影響について検討 「オーディエンスターゲティング広告における徳雄明加工情報の利用に関する提言」を発表 第2期 データ保護法制とターゲティング広告 EUではどのように合法と整理されているのか 日本では 取得の委託モデルで整理できる可能性 第三者提供は一部でしか行われていないのではないか 将来の法改正に備えた提言を
名寄せではない、匿名加工情報の利用
オーディエンスデータ オンライン広告事業者が保有 端末ID等に紐づく履歴 ユーザーデータ メディア事業者、広告主が保有する履歴等(氏名等と容易照合)
2者方式と3者方式
媒体と広告作成・配信、広告主で3者
自ら渡した匿名加工情報をターゲティング広告に用いるのは「照合」にあたるか? 事務局レポートでは基本属性の類似度による識別行為とみなす。 突合は可能なのか…データがどこから来たのか ”確率的な”識別 同じ属性を持つ人々は、共通する別の性質を持つ場合があり、マーケティング上、有益な突合となりうる。 ※データフュージョン 38条で禁止された「識別行為」なのか
2015年3月経産省報告書では駄目と。 パーソナルデータ利活用に関するマルチステークホルダープロセス パーソナルデータ検討会2014年事務局案では個票としての突合はしていない
匿名加工情報から「知見」を得て知見を個人データに当てはめる方法が適法であると整理 匿名加工情報を統計情報に集計する処理 統計情報は識別情報ではない 特定された利用目的の範囲内で行われるものであれば適法
グループサイズによって適法性、違法性のグラデーション→k-匿名性と同じなのか、違うのか。
条件式を返す
最初から「知見」データを貰えば? 匿名加工情報は広告主側で分析したいという需要に対応できる
残る論点 加工基準の在り方 オーディエンスデータの個人データ該当性
質疑応答
会場 位置情報や行動履歴については言及がなかったが、その辺は?
た 今回はどのような情報を使うかについては検討していない。位置については履歴よりもある1点の位置が有益。
会場 生活上の履歴でレコメンデーションを出すというのは?
た スイカ事案で日立が打ち出したようなものは、用途がはっきりしていればそれにあった匿名加工が可能であると思われる。使う側の、どういう使い方に依る。
会場 短距離の行動を追っかけるくらいがターゲットになるのでは。
た ニッチな状況をターゲットにするのは広告に資するか疑問
会場 ダブルクリックのヘッダ情報が公開��れているが、調査対象になっているか。グーグルのユーザIDに紐づいた情報が使える。108つくらいの情報がある。これは匿名加工情報なのか。情報としては匿名情報なのか。
た それは仮名情報に相当する。
会場 グーグルの場合はIDが個人情報に紐づいていると思われるので、それがDSPに仮IDとして渡されていると考えているのか。
会場 グーグルの場合はプライバシーセンシティビティ上がるという議論がある。パーシステントなIDを持っているところは強い。
た 法制度上はだれがデータコントローラなのかが重要。委託関係として整理できるのか。
閉会挨拶 新潟大学 鈴木正朝教授
次回は6月、JILIS主催で行う。第2期は多分、消費者団体が入る。スイカ事案から3年経ち、状況は随分変わった。立法論の時代になってきた。行政分野が総務省管轄でいいのか。AIやゲノム等の情報流通が焦点。学は立法時に適切な情報を提供しているのか。
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我が国の未来を見通す(64)
『強靭な国家』を造る(1)
「少子高齢化問題がもたらすもの」(補足)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
今回からメルマガ第4編を再開させていただきま
す。しばしの「充電期間」を頂いている間に、国内
外で様々なことが発生しました。個人的に最もショ
ックを受けたのは、何と言いましても、4月6日に
発生した沖縄・宮古島近海における陸上自衛隊第8
師団所属ヘリコプターの事故でした。
私自身は、若い時分に航空宇宙工学、なかでもヘリ
コプター工学に関心を持って学んだことや現役時代
にUH60の機種選定にも関わった経験があること
に加え、宮古島という現在の我が国防衛の最前線で
起きた事故であるとか、昔からよく知る師団長をは
じめ、「身の危険を顧みず」と誓って国防に人生を
捧げている10名の自衛官たちが事故に巻き込まれ
たことなどが重なって、言葉で言いつくせないほど
ショックを受け、ただただ残念無念で心が痛み、呆
然自失の状態の中で祈るばかりの日々が続いており
ました。
本メルマガが発刊される25日当日まで、行方不明
者の捜索や救出などがどれほど進展しているか不明
ですが、1日にも早く、本事故に遭遇した自衛官達
全員がご家族のもとに帰れることをひたすら祈って
おります。
▼第4編を取りまとめるにあたって
さて、頂いた読者反響の中に、本メルマガのデータ
について語っておられた方がおりました。遅ればせ
ながら御礼申し上げます。実は、本メルマガ『我が
国の未来を見通す』を発刊しようと決心した時、最
も悩んだのはメルマガの“スタイル”でした。その
時にヒントになったのが、『Numbers Do
n‘t Lie』(カナダ・マニトバ大学特別栄誉
教授バーツラフ・シュミル著)���した。本書は、サ
ブタイトルが「世界のリアルは『数字』でつかめ!」
となっているように、広範囲にわたるテーマを細部
までに“見える化”する手段として、信頼できる数
字とかデータを多用して解析しており、とても説得
力がありました。
この書籍の手法が私の好奇心に火をつけ、我が国の
未来についても、ただその傾向性や見通しなどを単
に文章で書き綴るだけでなく、可能な限り「数字」
を追ってみようと決意させました。
そうさせた背景には、日本人の多くが、時には国会
のような議論の中でさえも、「だれだれが言ってい
る」とか「マスコミが報道している」、そして最近
は「SNSで話題になっている」など、周りの意見
や考えに振り回され、それらをしっかり評価するこ
ともせずに、知らず知らずの間に自分の“知識”と
しているような傾向がある、と考えていたこともあ
りました。
最初の言い出しっぺ、つまり世間に流布される“意
見の源流”についても、よく調べてみると、その根
拠などをろくに分析しないまま、自分の主張とか思
想などに添った“観念論”を言い放っているだけに
すぎない場合が“ままある”こともわかりました。
そのような現状を打破するためにも、本メルマガで
掲げたテーマについては、可能な限りのデータを集
めることを心がけてみました。そうした所、“観念
論”で作り上げられた世間の“常識”とは違った事
実があったり、また違った見方ができることがたく
さんあることも発見しました。
一方、いかなる分野やテーマにおいても、著者が自
分の主張や意見に合った数字やデータを都合よく使
うこともよくあることから、数字やデータが正確な
ものかどうかについては、努めて違った視点のデー
タ等と比較検討するなどかなり時間をかけましたが、
その見極めは困難を極めました。
最近は、「チャットGPT」なるものが話題になっ
ていますが、使うデータの数や事例は人間では到底
及ばないことは明白としても、それらの数字やデー
タをいくら大量に収集したとしても、それらは「過
去のデータ」であることには間違いありません。い
くら丹念に集めて駆使したとしても、「未来」が正
確によめるかどうかについては異論があることでし
ょう。
現時点では、私は“懐疑派”の立場に立っています。
と言いますのは、世界の歴史を振り返ると、人類は
いつの時代も時に不合理とか不条理といえるような
判断を繰り返してきたからです。これから先も、A
Iがはじき出した「未来」とは別の「未来」を選択
する可能性は十分あると考えるのです。
「歴史はその時々の人間と国家が生き抜いてきた努
力の積み重ねであり、人間と国家の営みの大きな流
れである。大きな流れの中で戦争も生じれば平和も
生じる。その善悪を論じるべきものではない」と
元外交官の岡崎久彦氏は「歴史」を振り返っていま
すが、時には国家の命運を左右する「戦争」のよう
な問題についてさえ、「人間と国家の営み」の中で
決断され、「歴史」を織りなしてきたのでした。
これから先���特に、日本の未来については、その時
々の日本人と日本という国家の努力と営みの中で創
り上げられることでしょう。一方、過去の歴史を振
り返れば、「歴史の繋がり」という点では、時代や
世代、あるいは日本の動きと世界の動き、つまり時
間軸・空間軸の両軸の繋がりは決して無視できない
ことも明白です。
「歴史に“if”は禁物」といわれますが、後から
振り返ると、「あの時こうしておれば」ということ
にしばしばで出くわします。しかし、「過去」はい
くら振り返ることはできても、時計の針を戻しても
う一度やり直すことはできません。
しかし、これから先の「未来」は違います。「現時
点の様々な判断が未来の歴史を創り出す」のです。
つまり、「より確からしい」「より明るい」「予想
される(あるいは想定外の)危機事態に対してより
的確に対処できる」などの「未来」は、現代に生き
る私たちが、過去の歴史に学び、様々な知恵を絞り、
議論を重ねつつ、完全ではなくとも、未来の日本人、
つまり後世の人達の選択肢を広げ、最適で合理的な
“営み”の中で未来の国家を創り上げることができ
るような“基盤”を整備することにかかっており、
このこと自体が今を生きる私たちの責任であると私
は考えます。
その中でも、「国家の生存そのものを失う可能性が
ある」、つまりその後の未来に繋がらないような、
致命的な選択肢の採用を回避できることこそが最優
先であると考えるのです。
本メルマガ『我が国も未来を見通す』は、これまで
「少子高齢化問題」「農業・食料問題」「気候変動
・エネルギー問題」を取り上げ、巷で述べられてい
るような観念論や理想論、さらには「多勢に無勢」
とか「長いものに巻かれろ」的な風潮にあえて棹を
指し、少数意見であってもより合理的で確からしい
と判断できたものについては、素人の勇気を振り絞
って取り上げてみました。
その結果、それぞれの「専門家」とか「権威」に対
して疑問を持つこともしばしばでした。例えば、気
候変動問題などは、大方の国際機関や大半の人類の
現状認識についてさえ疑問を持つこととなりました。
色々調べるうちに、国際連合のような国際機関であ
っても、ある目的を達成するためには、「反対意見
を封じる」ような“事実”があることもわかりまし
た。
こうなると、何が正しいのか、何を信じてよいか、
悩んでしまいますが、それぞれの問題に取り組んで
から1年余りの歳月が流れました。その経験を踏ま
えると、私たちが今、向かっているのは、本当に
「未来を明るくする道なのか」、あるいは「破滅」
とは言わないまでも、「未来に負の遺産をもたらす
道ではないのか」について、一度立ち止まって考え、
要すれば軌道修正する必要があるのではないかと考
えるに至っています。
さて、前置きが長くなりました。我が国の未来に立
ちはだかる「暗雲」は本メルマガで取り上げた3つ
の問題だけでないことも明白です。まず、現下の国
際社会や周辺情勢から厳しさを増しつつある「国防
問題」があります。これについては昨年末、「戦略
3文書」が策定され、十分かどうかはさておき、国
家として予想される事態に対する対処戦略は出来上
がりました。
もう一つは、近未来から将来にわたって発生するこ
とを覚悟しなければならない「天変地異」です。自
衛官であった経験から悲惨な被災現場を何度も目に
していることもあって、「天変地異に対する備えは
十分なのか」との疑問についても頭から離れません。
歴史的に災害大国であるとの我が国の特性を顧みず、
かつて「コンクリートから人へ」という、狂ってい
るとしか思えないような政策を掲げた民主党が政権
を担った時がありました。そのような時に、(誤解
をいとわずに表現すれば、“神様に見透かされたよ
うに”)なぜか大きな災害が発生するのも不思議で
す。
今年3月のある日、宮城県の仙台港の近くで仕事を
する機会がありました。仕事の合間に、岩手、宮城、
福島の3県の太平洋側にまたがる総延長400キロ
メートルに及ぶ防潮堤の上に立つ機会がありました。
今年は東日本大震災から13回忌にあたります。せ
っかくの機会と思い、遅ればせながら黙とうを捧げ
させて頂きましたが、その瞬間、「この防潮堤が東
日本大震災の前に完成しておれば、何人の人の命が
救われたことだろう」との思いが頭を駆け巡り、涙
が溢れてくることでした。
そして、東北地方の復興や備えがほぼ完成した今、
“30年以内に70%の確率で発生する”といわれ
る「南海トラフ」などへの備えを行なうべきとの思
いも沸き上がりましたが、そのような動きが依然と
して全く話題にならないことにも不思議さを感じて
います。
我が国は、伝統的に「将来に対する『備え』とか
『未然防止』が苦手である」との特性そろそろ気が
つく必要性があると考えます。そのような我が国の
本質的な欠点を含めて、これまで取り上げた5つの
「暗雲」に対していかに対処するかについては、個
別の対応のみならず、外してはならない「共通の要
素」があるような気がしてなりません。
第4編は、「『強靭な国家』を造る」と題して、こ
れらに対処するための「共通の要素」をあぶりだし、
その集大成として、未来に繋ぐ「国家のあり様」に
ついて不十分ながらも取りまとめてみたいと考えま
す。どうぞしばらくお付き合い下さい。
▼超高齢化社会がもたらす「介護」の現状と将来
さて、本メルマガ第1編「少子高齢化問題」につい
ては18回にわたり発刊し続けてから1年ほどの歳
月が流れました。最近、「異次元の少子化対策」と
の言葉が一人歩きしていますが、それらの是非につ
いては後述することにして、まず、第1編の発刊の
後に、私自身が発見したデータを紹介しつつ、第1
編を補足しておきたいと思います。超高齢化社会が
必ずもたらすものとしての「介護の問題」です。
歳をとるにつれ、要介護・要支援状態になる可能性
については説明を要しないと考えますが、現状のデ
ータからその比率や確率を知るとまさに驚愕します。
「要介護」の各段階を要約すれば次のように区分さ
れています。「要介護1」は「運動能力や認知能力
の低下により生活の中で一部介護が必要な状態」、
「要介護2」は「見守りや介助が必要な状態」、
「要介護3」は「ほぼすべての日常生活で介助が必
要な状態」で「要介護3」から特別養護老人ホーム
を利用できます。「要介護4」とは、「自力で立つ
・歩くなどの基本的動作が難しく、周りの人との意
思疎通も難しい状態」、「要介護5」は「1日中寝
たきり、意思疎通ができない状態」です。
厚生労働省の統計によると、令和4年1月末現在で
「要介護(要支援)」認定者数は、689.7万人、
そのうち、男性が218.9万人、女性が470.
9万人となっています。
平均寿命は、女性が男性に比して約6歳前後長くな
っていますが、健康寿命と平均寿命の差異という点
では、男性の約9年に比して女性は約12年と女性
の方が長くなっています。その差異がこの認定者数
にも表れていると言えるでしょう。
また、その内訳は、65歳以上が676.7万人で
すが、中でも80歳以上の受給者が517万人と全
体の約4分の3を占めています。また、「要介護3」
以上の受給者は237万人であり、全体の約3分の
1を占めています。
2020年度末の厚生労働省の資料に基づきもう少
し詳しくみてみましょう。「要介護」の「被保険者
に占める受給者の比率」を年代別にみますと、80
歳未満では、全体の12%ほどなのが、80歳から
85歳になると約27%と急増し、85歳以上90
歳未満では50%、90歳以上になると78%に増
加します。そのうち、90歳未満では、「要介護3」
以上は、各世代それぞれの「要介護」比率の3分の
1ほどですが、90歳以上になると約半数に増加し
ます。
私たちの認識を深めるために再度整理しておきまし
ょう。「要介護」に関しては、「80歳未満の高齢
者であればほとんど無視しうる水準ですが、80歳
以上になると約4分の1、85歳以上になると約半
数、90歳以上になると約8割の高齢者が『要介護』
になっている」のが現実です。そして、90歳以上
になると、3分の1を超える高齢者が「要介護3」、
つまり「ほぼすべての日常生活で介助が必要な状態」
になっているのです。
最近はまた、夫婦間の介護や老々介護なども話題に
なっていますが、「夫婦とも受給者にならない確率」
をチェックしてみると、さらに驚愕します。
80歳未満の夫婦が「要介護にならない確率」は7
7%で、ほぼ無視できる水準ですが、80歳以上8
5歳未満の夫婦の場合は、54%、85歳以上90
歳未満の夫婦は25%、90歳上の夫婦になるとわ
ずかに5%に減ってしまいます。そのうち、「要介
護3」については、90歳以上の夫婦の約4割のみ
が「要介護3にならない」とのデータもあります。
繰り返しますと、夫婦ともに長生きするのはおめで
たいことではありますが、夫婦とも「介護」に関係
ない生活ができる確率は、80歳を越えたあたりか
ら半数弱に減���、85歳を越えれば4分の1に減り、
90歳を越えるあたりで5%に激減します。つまり、
健康な日常生活を送れるのは、100組の夫婦のわ
ずかに5組のみという水準になるのです。
このように、高齢化に従い、夫婦のどちらか一方が
「要介護」になることは避けられない問題になりま
す。最近も「介護」が関連していると考えられる殺
人事件が発生しましたが、これらのデータを見る限
り、その背景がよく理解できるのではないでしょう
か。
「人生100年時代」といわれるように、平均寿命
が毎年のように伸び続け、2050年には、男性は
現在の約80歳から85歳に、女性は約87歳から
91歳に近づきます。最近、100歳以上の高齢者
が9万人を超えたことが話題になりましたが、20
50年頃には68万人になると見積もられています。
当然ながら、現時点では95歳以上、あるいは10
0歳以上に限定したデータはありませんが、現在の
「要介護」の実態をみる限り、「人生100年時代」
の到来を手放しで喜ぶことはできないようです。
これ以上の詳細は省略しますが、核戦争が現実のも
のになると言われた1960年代のフルシチョフが
語ったといわれる「核戦争の生存者は死者をうらや
むだろう」の言葉を引用して、野口悠紀雄氏は、自
書『2040年の日本』の中で「来るべき人生10
0年の時代に、長寿者は死者をうらやむだろうか」
と述べています。
「少子高齢化問題がもたらすもの」として、今回は
「介護」の問題を取り上げましたが、それだけでは
ないことも明白です。次回以降、「我が国の近未来」
について、特に「経済成長」予測などと絡めて「社
会保障の給付と負担」の増加などの問題についても
取り上げてみましょう。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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システムの本番稼働直後に復旧不能な障害が発生して頓挫した事案において、契約解除の範囲等が争われた事例。 事案の概要 X(Z会)が、Y(日立ソリューションズ)*1に対して基幹システム(本件システム)の開発を委託したが、頓挫したために、既払い金の返還や損害賠償等の合計約27.3億円の支払いを請求したという事案である。 本件システムの開発は、ウォーターフォール型で行うこととされ、XY間では、基本契約は締結されず、フェーズ等に合わせて38個の契約(判決文では、「本件個別契約1」などと表記される。)が締結されていた。 Yは順次、設計、開発、テストを進め、総合試験、受入試験、本番稼働準備まで行われた。 Xは、2017年1月11日から本件システムの本番稼働を開始した。同月13日に初回の夜間バッチ処理を実施したところ、夜間に終了せず、異常終了するという障害が発生した(本件障害)。その結果、Xは本件システムの利用を停止し、現行システムに切り戻すこととした。その後、本件システムが再稼働することはなかった。 Xは、Yに対し、不具合があるとして修補を求めたが、Yは、テスト工程においてXがコストを優先させて工数を大幅に削減したり、本番データの提供がなかったうえに、Xが本番稼働を強行したからであって、Yが責を負うべき不具合はないなどと回答していた。そこでXは、2017年12月に本件各個別契約をすべて解除し、本訴を提起した。 Xの請求は、Xの請求原因は、多岐に渡るが、 ①開発・単体テストに係る請負契約(本件個別契約7)の債務不履行を理由とする本件個別契約7と、これに密接関連する本件各個別契約の解除、又は ②本件各個別契約に付随する信義則上の義務(ユーザから適切に情報を収集するなどしてシステムを構築する義務)の債務不履行を理由とする解除 に基づく原状回復請求としての既払い金の返還(約20.2億円)と、システムが使えなかったことによる社内の費用等の損害賠償金(約7.1億円)から構成される。 なお、本件各個別契約には、下記のような責任制限条項が定められていた。 Yの責めに帰すべき事由による債務不履行に起因してXが損害を被った場合,Xは,Yに対し,当該損害の直接の原因となったサービス商品(Yが本件各個別契約に基づいて提供する各業務の総称をいう。)のサービス料金相当額を上限として,当該損害の賠償を請求することができる。 原審(東京地判令4.2.24・平29ワ39366)の結論が、控訴審でも維持されている。高裁の判決は、地裁判決の「改め方式」になっており、以下の裁判所の判断部分は、すべて地裁判決の引用部分である。 控訴審では、Xは予備的主張として瑕疵担保責任に関する主張を追加し、改正前民法635条に基づいて契約が解除できるとも主張していたが、 ここで取り上げる争点 (1)本件個別契約7におけるYの債務の内容及びその違反 Xは、夜間バッチ処理は9時間以内に完了するという性能要件について合意していたところ、これを満たさなかったことが債務不履行にあたると主張していたのに対し、Yは性能要件について合意はないと主張していた。 (2)Xの協力義務違反 Yは、Yが必要な試験を適切に実施するためのスケジュールや予算を確保すべきであったのに、Yの提案した試験に必要な工数を削減したなどと主張していた。 (3)解除できる契約の範囲 Xは、最判平8.11.12を挙げて、目的が相互に密接に関連付けられた2個以上の契約について、いずれかが履行されるだけでは契約の目的が全体として達成できない場合には、1つの契約上の債務不履行を理由に、他の契約を解除できると主張し、本件個別契約7の不履行を以って、全体を解除できると主張していた。 (4)責���制限条項の適用の有無 Yは、本件個別契約7に債務不履行があるとしても、責任制限条項により、サービス料金相当額である約6.2億円が賠償の上限になると主張していたが、Xは、原状回復請求権には適用されないことや、著しい悪質性が認められるから適用されない等と主張していた。 裁判所の判断 争点(1)夜間バッチのパフォーマンスの合意とその違反 裁判所は、契約の目的や、設計書、さらにはバッチジョブ運用スケジュール表などの文書から、夜間9時間以内に正常終了するという合意内容が含まれるとした。 本件個別契約7は,詳細設計,プログラミング,単体試験及び結合試験を行い,本件システム(V1.2)の開発作業を実施する旨の個別契約であるところ,一般にシステムにおいて定期実行されるバッチ処理が,想定されるデータ処理量の処理を所定時間内に完了する性能を有していなければシステム全体が機能しなくなる可能性がある(略)ため,データ処理量及びその処理が完了するまでの時間というバッチ処理の性能要件に関する定義はシステムが正常に稼働するかどうかに関わる重要な問題であり,システムの開発作業前にそのような性能要件を定義しないことは通常考えにくく(略)本件個別契約7(略)を締結するに至るまでの間,新業務フローによるXの業務を実現する本件システムの開発に向けて,バッチ処理の機能及び性能に関する検討を含めた準備が実際に進められていたものであり,当事者間では,教材発送に係るバッチ処理を含め,Xの業務を実現するのに必要な機能及び性能を有するシステムを開発することが当然の前提となっていたものと考えられる。 (略) 本件システム方式設計書には,個々のバッチの処理時間,要求性能等に関する具体的な記載はないものの,本件システム方式設計書の目的として,「以降の工程で詳細化する上でのインプットとする」旨記載されており(略)そして,本件システムの機能設計の段階から平成28年11月24日頃までの間,ジョブ名及びジョブIDなどで特定される個々のバッチの周期(日次,週次等),実行開始時間,実行時間帯の区分,目標処理時間,終了時間,処理内容などが記載されたバッチジョブ運用スケジュール表が作成及び改訂されており(略),同日に交付されたバッチジョブ運用スケジュール表の最終版(甲19)においては,夜間に定期実行される教材発送に係るバッチ処理を含むバッチの実行開始時間及び終了時間が,いずれも午前0時30分から午前9時30分までの9時間の間に割り当てられていたことからすると,夜間バッチ処理において,Xの業務で通常想定される教材発送に係るデータ処理量の処理を夜間9時間以内に正常に完了するシステムを完成させることが,本件個別契約7における合意内容になっていたというべきである。 そして、バッチジョブ運用スケジュール表に記載された目標処理時間が45分-60分のジョブが15-20時間かかったり、異常終了したりするなど、夜間バッチ全体で9時間以内に正常に終了する性能を有しておらず、本件個別契約7について債務不履行があったことを認めた。 争点(2)Xの協力義務違反 Yが主張していた「協力義務違反」の内容としては、①十分な工数を確保した試験ができるような契約を締結しなかったこと、②本番相当データを用意しなかったこと、③Xが主体として行う受入試験・運用試験を先送りし、本番稼働を強行したことなどを挙げた。裁判所は次のように述べ、①について否定した。 Xは,システム開発について専門的な知見を有していなかったために,上記プロジェクトの実現を当初から専門業者に委ねていたものであり,本件システムの開発作業等にもほとんど関与していなかったのであるから,本件システムの開発作業等の内容を詳細に把握することはできなかったと考えられる。そうすると,Yが,Xに対し,提案する試験工数を削減した場合のリスクについて具体的な説明をしなければ,XにおいてYが提案する試験内容で契約を締結すべきかどうかを適切に判断することが困難であるから,上記説明がされなかったのであれば,Yが当初提案した試験工数を削減した内容で契約を締結したことをもって,Xに協力義務違反があったということはできない。 また、本番データを用いてバッチ処理の性能検証を先送りにしたことについて、Yからの十分な説明があったとは認められないなどという補足もしている。 その他に、②と③の義務違反についても退けた。 争点(3)解除できる契約の範囲 この点は、法的にも実務的にも関心があるため、少々長いが関係する箇所を引用する。 確かに,XとYとの間で締結された本件各個別契約は,いずれもXの新たな基幹システム(本件システム)を構築して稼働させることに向けられた1つのプロジェクトのうちの一過程であるという側面を有しており,本件個別契約7の債務不履行があったことによって,Xが本件システムを稼働して業務を行うことが困難な状況になっているという意味では(略),上記プロジェクトが全体としてはその目的を達成するに至らなかったということができる。しかし,他方において,X及びYは,本件システムを構築して稼働させるまでに必要となる作業を各工程に分けて,一工程を終えると次の工程に進むといった具合に段階的に本件システムの構築に向けた作業を進めるウォーターフォール型と呼ばれる手法を採用し,工程ごとに細分化した形式で本件各個別契約を締結したものである。このような契約形態がとられるのは,一般にコンピュータシステムの構築に向けた作業が進められる過程で当初予定されていなかった種々の問題が一定程度不可避的に発生し得ることなどを見据えて,必要に応じて次の工程の作業内容の見直しや変更も検討しながら作業を進めることを可能にするという当事者双方にとってのリスクマネジメントの機会を確保するという意味合いがあり,本件システムの構築についても,当事者双方が,各工程で行うべき作業の範囲をその都度検討した上で,それぞれ独自の債務の目的・内容を設定して本件各個別契約を締結したものと解される。そして,本件では,本件各個別契約に共通して適用されるような基本契約が締結され,本件システムを構築して稼働させるに至らなかった場合には直接の債務不履行となった個別契約のみならず他の個別契約をも解除することを可能にするような条項が設けられているといった事情もない。 以上の点を踏まえると,本件各個別契約のうち本件個別契約7についてYに債務不履行があったことを理由に,Xがその他の本件各個別契約の全体を解除し,全ての契約の拘束力から解放される結果を認めるのは,本件各個別契約を締結した契約当事者の意識に適合した解釈とはいい難く,それぞれの契約に設定された独自の給付ないし債務の目的に照らし,本件個別契約7のそれと密接関連性が認められ,当該他の個別契約のみの実現を強制することが相当でないといえる場合に限って解除が認められるというべきである。平成8年判決は,一方の契約のみの実現を強制することが契約当事者の意識に適合せず,相当でないと認められる場合に,一方の契約の債務不履行を理由に他方の契約の解除を認めたものと解されることから,上記のような考え方が平成8年判決の趣旨に反するものではない。 ウォーターフォール型で工程ごとに分けて契約しているので、1つの契約を解除したら残り全て解除することは当事者の意識に適合しないとしつつも、一定の条件を満たす他の個別契約については解除ができると述べた(私が知る限り、このような中庸的な平成8年判決の射程を定めた事例は知らない。)。 そのうえで、本件個別契約7以外の37個の個別契約のうち、上流工程の契約や、仕様変更関連、受入試験の支援、データ移行などの契約については、「それぞれの契約において独自に設定された債務の履行が,必ずしも本件システムの開発作業が完成しなくとも完了し,それによって債務の目的は達成されるものであることからすると,本件個別契約7の債務不履行を理由に解除を認めることが相当であるとはいえない」としつつ、以下の個別契約については、「本件システムの開発作業等を目的とした本件個別契約7のそれと密接に重なり合い,本件システムの開発作業の完成に向けて,いわば一体的に進められるべきであった作業に係る契約である」として、解除を認めた。 本件個別契約7で開発したシステムの総合試験に関する本件個別契約22 個客支援サブシステムの機能設計,詳細設計,プログラミング,単体試験及び結合試験(本件個別契約11) 個客支援サブシステムの結合試験(本件個別契約12) 本件個別契約7において開発したシステムの改修作業を含んだ本件個別契約13及び14 現行システムや、フロント系システムと本件システムの連携プログラムの設計・開発に関する本件個別契約21、29、30及び31 一部の仕様変更を含む本件個別契約32 これにより、これらの契約の解除と既払い金合計約11.1億円の支払義務を認めた。 争点(4)責任制限条項の適否 裁判所は、次のように述べ、責任制限条項は適用されるとしつつ、本件個別契約7以外の解除に伴う原状回復請求には及ばないとした。 かかる責任制限条項を設けた当事者の合理的な意思は,本件個別契約7の債務不履行があった場合,請求の根拠が本件個別契約7の解除に基づく原状回復請求であるか本件個別契約7の債務不履行であるかを問わず,Yが負担する債務を本件個別契約7のサービス料金相当額である6億1850万円に制限するというものであったと解される。 したがって,本件個別契約7の解除に基づく原状回復請求ないし本件個別契約7の債務不履行に基づく損害賠償請求が認められるとしても,Yが負担する債務の上限は,6億1850万円に制限されるというべきである。なお,このように解したとしても,本件個別契約11ないし14,21,22及び29ないし32については,本件個別契約7とは別個の契約であるから,本件個別契約7の責任制限条項の効力は,本件個別契約7と併せて解除される本件個別契約11ないし14,21,22及び29ないし32の解除に基づく原状回復請求に及ぶものではない。 若干のコメント 個人的な体験でいえば、バッチウィンドウ*2に収まるようにジョブネットを組んで、思ったよりパフォーマンスが上がらず朝5時くらいにひやひやしたという昔の体験を思い出させる事件です。 バッチ処理時間について、性能要件を合意していないということは考えにくく、そしてまたテストの工数を削って本番相当データでのテストをしないまま本番稼働を迎えたというのもなかなか考えられないことです。 本文中では触れませんでしたが、Xは、本番稼働以降の保守をYではなく、別のベンダに委託するという話をしており、その影響で、本番稼働直後の障害についてYが最後まで対応せず、紛争に至ったのではないかと思われます。 その点はさておき、本件は、38個という多数の個別契約が独立して存在していたという点に特徴があり、処理がバッチウィンドウに収まらなかったという不具合があったとしても、すべての個別契約に債務不履行があったとは言い難いので、Xとしては、他の個別契約の支払済み報酬をいかにして取り戻すかということに頭を悩ませたのではないかと思われます。もちろん、他の契約に基づいて支払った報酬は、問題があった契約(本件個別契約7)の債務不履行によって生じた損害だという主張は可能ですが、明示的な責任制限条項があるため、ここを乗り越える必要があります。 そこで、平成8年最判を持ち出して複数の契約を芋づる式に解除しようと思われますが、裁判所は、一連の契約に関連性があると認めつつも、平成8年最判との事案の違いなども考慮し、「その中の一部について解除を認める」という技巧的な判断をして、中間的な結論を導きました。判決文からだけでは、どこまで解除できるとすべきかはなかなか判断が難しいのですが、少なくとも要件定義や基本設計などの上流工程やデータ移行、運用試験支援などは解除を認めていないものの、一部の試験やインターフェースの部分については解除を認めています。 平成8年最判の事例は同時並行で進む契約であり、意図的に契約を分割したシステム開発の多段階契約においてまで射程を及ぼすことは否定的で、現に東京地判平31.3.20(野村vs日本IBM)でも事案が異なるとのべています。システム開発の事例で、平成8年最判を援用して契約の解除を認めた事例としては、東京地判平28.11.30がありますが、ソフトウェアの開発とハードウェアの購入というもので、比較的平成8年最判と近いといえます。 そういう意味で、過去の事例からすると、本件で平成8年最判を根拠に複数の契約を解除するという結論には疑問があります。しかし、ウォーターフォール型開発では、契約を細かく分ける実務があるものの、さすがにここまで細かく分けて、責任制限条項の壁を設けると、ベンダを過度に保護することになるのではないか、実質的に1つの契約でよいものを細かく分け過ぎではないか、という価値判断があったのかもしれません。 *1:判例DBでは、当事者名が仮名化されていたが、本事案は、日経クロステックの記事 「Z会がシステム開発裁判勝訴も、日立子会社から「11億円しか」賠償されないワケ」で知ったため、当事者名を記載した。 *2:オンライン利用時間等を考慮しながら夜間バッチ処理に使える時間の枠
複数の個別契約の解除の可否(Z会・日立ソル事件)東京高判令4.10.5(令4ネ2390) - IT・システム判例メモ
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「安倍政権による強権的な国会運営と説明責任の放棄に対する声明」発表記者会見の模様
先日(2017年6月26日)に行いました「安倍政権による強権的な国会運営と説明責任の放棄に対する声明」発表記者会見のやりとりの模様を以下に掲載します。 ※出席者のチェックを経た上での掲載となっております。
日時:2017年6月26日(月)15時30分~16時30分 会場:参議院議員会館B101会議室 出席者:山口二郎(法政大学・政治学)、石川健治(東京大学・憲法学)、西谷修(立教大学・哲学)
山口二郎(法政大学・政治学) それでは、時間になりましたので、記者発表を始めたいと思います。本日は、お忙しいなかを集まっていただきまして有難うございます。私はこの会の共同代表をしております、法政大学、政治学の山口です。通常国会が閉幕しましたが、いろんな意味で、議会政治、民主政治を破壊するような出来事が次々と起こりまして、わたくしたち立憲デモクラシーの会としても、何等かの見解を出さなければならないという共通了解を持ちました。メンバーのなかでメールを通していろんな議論をしまして、今、お配りしたような声明をまとめました。今日は、その発表であります。それでは、この声明を読み上げたいと思います。
「安倍政権による強権的な国会運営と説明責任の放棄対する声明」
山口 では、今日出席のメンバー、まず西谷さんからコメントをお願いしたいと思います。
西谷修(立教大学・哲学) ちょっと今日はメンバーが少ないんですけれども、この声明そのものは、いろんな人たちの意見を加味して、ここには名簿がありませんが、呼びかけ人60数人が加わるかたちで作成しております。ということで、とても私などではその皆さんを代表するには心もとないんですが、私のつけ加えるべきことを少し述べさせていただきます。 実は、共謀罪の法律そのものについては、これが民主政治にとっていかに危険な法律であるかということとか、すでに三回も廃案になったうえで、また出てきたとか、国際社会からも危惧が示されているといったこと等については、もう批判は十分出ています。それが最後に強行採決されたということについても各所から抗議声明が出ています。それにさらに重ねて、われわれが今日、国会が閉じたこの時期に声明を出そうとしたのには、二つ意図があります。一つは、やはりこの事態を立憲デモクラシーの会として座視してすますことはできないだろうということ。われわれの会は、立憲主義、つまり憲法を立て、それに準拠して作られた法体系のもとに社会が運営されるという考え方ですね、それと、それを民意によって、政治のなかに実現していく、これが、デモクラシーですけども、そういうものを軸にして考えようというこの会が、今回の声明のなかにもあったような、「国会崩壊」とも言うべき事態を、やはり座視することはできないということです。もはや国会が議論の場としての体をなさず、政府は説明責任を負おうとしない、そんな状態の中で共謀罪を通してしまう。そして、次々と浮上する疑惑の追及も切り捨てるようにして国会を閉め、かつ国民の耳目をつぎに移そうとして改憲アジェンダをまで設定してくる。そういうことが、この日本の社会で実際に起こっているわけです。そのこと自体が、実はとんでもないことだということを、はっきりわれわれは打ち出して、そのことに関して警鐘を鳴らしていかないといけない、そう考えたからです。 それともう一つは、とりわけこういう会を設けて、例えば、立憲デモクラシーの会がここで意見を公表するということは、メディアの皆さん方を通して、この危機感を社会化していく、こういう見方を社会化していきたいという試みなわけです。だから、メディアの皆さん方がいなければ、われわれのこのような働きかけ、呼びかけというのは一切意味がないわけです。にもかかわらず、そのメディアの方がたに、私たちは多くの語りたいことがある。 メディアというのは媒介です。たとえば、われわれと社会一般との媒介ということですけれども、その媒介を担う人たちに、むしろ語りかけたい。というのは、最近の一番のトピックと言いますか、それは市川海老蔵さんのご夫人が亡くなって、海老蔵さんが会見をしたことではなくて、前文部次官の前川喜平さんが、あらゆる障害を押して、公務員の鏡とも言うべき責任感と勇気をもって、この間の文科省が関わった事態について会見を行われたわけです。その前川さんの会見のなかで、前川さんがとくに強調されたのは、現代の日本の社会の「メディアと権力」との関係ということでした。メディアはいま権力の言うことをそのまま伝えたり、あるいは今の権力のふるまいを論評なしに伝えている。そして権力がいろんなかたちでメディアに圧力をかけ、メディアをコントロールしている。そういうなかで、発言していくということの困難さと危険のようなものを前川さんは強調しておられた。 私なども常々思っていることですが、この間に何か起こったかというと、声明の3節目あたりでふれていますが、まず自衛隊の日報をめぐる問題が起きます。それを稲田防衛大臣がきちっと把握していなかったとか。そして、軍事を預かる政治家としての資質、あるいは大臣としての資質が問題になる。これは大問題なんですけれども、ともかく官邸は「問題ない」として逃げ切り答弁でごまかし、稲田大臣は責任もとらずにそのまま職にとどまるわけですね。そこに森友学園問題が出てくる。それによって、今の政権が行っている政治の実態の一端が露見してくる。お仲間優遇の権力私物化、それも安倍晋三記念小学院というわけですが、知らぬ存ぜぬ、書類はなし、でそのこと自体が問題になってくると、今度は、わざわざ今やらなくてもいい、そしてとてつもない悪法と言われる共謀罪というのを国会に出してくるわけです。もっと大きな土石流を作って状況を押し流すというやり方です。そうすると、世間の目がそちらに移ります。そしてその共謀罪のまったく不誠実な審議を通そうとしているときに、加計問題が出てきて、さらに混乱してくる。 すると政権は横合いからさらに大きな決壊を引き起こしてきます。それが新手の改憲の具体的テーマと日程です。そしてその大きな決壊が、いままでの土石流を飲み込むようにして、これもはっきり言っていいと思いますが、国会で言ったことでも何でもなく、わざわざ読売新聞を通して発表したそれが、今の日本の政治のアジェンダになってしまうのです。そうすると、2020年のオリンピックまでに憲法改正をやるということは既成事実であるかのように扱われ始めます。こういうふうにして、毒に対してさらに大きな毒を、あるいは事故に対してさらに大きな事故をかぶせ、大きな濁流を作ってしまう。これが「戦後レジームからの脱却」というか、「戦後レジーム撤去」という例の路線の貫徹ですよね。こういうことが起こっているのに、そんなふうには報道されない。一つ一つ微視的に、「ここにがけ崩れ何トン、今度はこちらに」とか、そんなことだけしか報道されないわけです。 だから、メディアは一体何をしているのかというふうに、われわれは思わざるを得ない。そういうことを、今の政権はなんと言うかというと、「岩盤規制の突破」と言うわけです。つまり「戦後レジーム」というのは彼らにとって、壊せない岩盤だったんですね。それを次から次へと大きなドリルの歯を持ってきて、次々に崩しながら突破する。これがアベノミクスの新兵器、これで経済を活性化するんだというかたちでやるわけです。そして、国会に関しても、何時間審議したから「これはもう決めていいんだ」「これが決められる政治」とか言って「決断力」を売りにする。こういうのをまさに「ポスト・トゥルース」の時代というんですけれども。 民主主義社会で、メディアの最大の役割は何かというと、権力の振舞いを見えるようにすることです。ただ伝えるのではなく、批判的に事実を評価しながら語り下ろしてみんなに見せる、それがメディアの役割のはずです。選挙で議席は決まります。議席が決まって、委託を受けたとされる権力ができる。そうしたらその権力のやることは常に監視しなきゃいけない。そして、ひどいことをしたら規制もしなきゃいけない。その規制のためには、警察があり、司法があります。ところが、この警察・司法も今の政権下ではどうなっているか。皆さんご存知ですよね。とりわけ一番ひどいのは、官邸に近い記者が、とんでもない犯罪を犯しても、警察の上層部を使って不起訴にしているわけです。このことは、大メディアは報道したがりませんね。誰でも知っている大問題なのに。でも、それが素通りされてしまうというのが日本の今のメディア状況です。 だから、こういう事態の下で、メディアの役割というものをしっかり考えてほしい。今メディアが動かなかったら、日本の状況は変わらないでしょう。国会を吹っ飛ばして、国会を空洞化して、次から次へとさきほど言ったような「岩盤突破」が行われていく。それが何事でもないかのように扱われて、おそらく10年後に「あのとき、私たちがこうしていれば」とは言ってほしくない。10年後に反省してもらっても遅いんです。ということで、こういう機会を作ることで、メディアの方がたにも考えていただきたい。そして、なかなか表に出にくい、あるいは大きな声になりにくい声の媒介を、メディアの方がたにお願いしたい、そういう思いもあって、小さい形ですけれどもあえて会見を設定したということです。
石川健治(東京大学・憲法学) 現状における国会運営についてさまざまな見方が可能だと思いますけれども、立憲デモクラシーの会として発信しなければならない問題というのは、例えば共謀罪なら共謀罪、その他個別の論点についての賛否を越えて、立憲デモクラシーがすでに破壊さ��ているという事態に、警鐘を発することなのではないかと。これが少なくとも最低限の要請だろうと、わたくしは受け止めてここにおります。 立憲主義というものの定義はなかなか難しいのですけれども、例えば、戦前の標準解答は何だったのかというと、自由主義と、民主主義と、そして責任主義の三点から構成される考え方、という定義でした。人によって力点は違いますけれども、一番大事なことはこのうち責任主義だったんですね。立憲主義が自由主義であるということは自明のことなんですが、しかしこの立憲主義と民主主義というものを、どう向き合わせるかというのはなかなか難問で、大正政変以降、日本の憲法学はこの問題に取り組むことになったわけですが、そのなかで出した答えは、責任主義というものを梃子にして、自由主義と民主主義をつなぐ、言い換えれば、立憲主義とデモクラシーをつなぐと、こういう発想だったわけです。立憲デモクラシーは、つまるところ、責任政治なのです。 この「責任」政治という場合の責任は、まず何よりも、国会を媒介とする「政治(的)責任」です。それに加えて、先ほど西谷さんがメディアの話をしていましたけれども、メディアが発達するなかで、メディアを媒介とする「社会的責任」というものも発生すると観念されていました。これは直接には、当時の日本の憲法学者が参照した、ドイツの議論がそう言っていたわけなんです。国会という媒介(メディア)を通じて現れる政治責任とは別に、当時は新聞紙でしたけれども、新聞紙をはじめとするメディアを通じて発生する社会的責任というのがあるんだ。そして、政府は、国民に対して、政治的責任だけでなく、社会的責任を負っている。そういうことを言っていました。それらを視野に入れたうえで、広い意味で責任主義ということを戦前日本の憲法学者は語っていて、これが立憲主義の、現在でも最低限の要請なんだろうと思います。 この責任主義の第一歩というのは、問責方法としての「質問」と、それに対する「説明」責任です。この責任主義のいわばアルファは、この質問とそれに対する説明なんですね。これに対して、オメガとなるのは、最終的には問責方法としての不信任決議と、それに対して連帯しての総辞職という対応になるわけですが、そういう広いスペクトラムのなかで責任というものが発生していると。その責任主義を梃子にして初めて、立憲主義とデモクラシーを結びつけるというのが、戦前の標準回答だったと、こういうことなんです。 この物差しを今あてはめてみると、何が起こっているかというと、まさに責任主義の消失ということなのではないかと思うわけなんですね。責任の、とりわけ政治責任の第一歩は説明責任であるわけですけれども、質問に対して説明をしない。そもそも、「国会を開いているとろくなことがないので、早めに閉じてしまおう」と。これはまさに、説明責任の放棄であるわけですが、この説明責任の放棄ということは責任主義の放棄であり、結局、立憲主義の放棄につながっている。この問題はやはり、ここで強調していく必要があると思うんですね。 ですから、それぞれの法案に対する個別の立場はあるでしょうけれども、こうやって、本来国会で説明しなければならないのを、読売新聞へのインタビュー記事で済ませるとか、あるいは十分な審議が尽くされていないにも関わらず、説明しないまま先へ進めてしまう、という顕著な現象が現れているわけで、これは説明責任の否定であり放棄であって、結局これは責任主義の放棄であり、立憲主義の放棄につながっている。こういうつながりでぜひ捉えていただきたいというのが、第一にここで申し上げたいことです。 そうなると、立憲主義の危機そのものであるということがご理解いただけると思いますが、先ほどのいわば戦前の説明をここで当てはめますと、現在は国会が閉じてしまいましたので、改めて臨時国会が始まれば政治責任の世界になりますが、政治責任の世界から社会的責任の世界へと、アリーナが移行しつつあるという状況なんだと思います。そこで、先ほどの西谷さんのご発言が生きるんだと思いますが、ここからはやはりメディアが勝負というところになるんじゃないかと思うんですね。 十分に社会的責任を、とりわけ説明責任をメディアに向けて果たしているかどうかということを、ぜひ質問していただきたい。国会における質問に対する説明という政治的責任のアリーナから、これからはメディアを通じた社会的責任のアリーナに移っていこうとしているのではないかということで、とりわけその点は皆様方にお願いをしておきたいというのがございます。これが二点目に申し上げたいことであります。そういう社会的責任のアリーナであり、国会とは違うもう一つの媒体として、これからはぜひ、メディアの皆様に期待するところが大きいと。そして、そこも突き破られてしまうということになりますと、まさに立憲主義の土俵際ということになってしまいますので、ぜひその点は、そういう社会的責任のアリーナとして報道していただきたいということを、お願い申し上げておきたいと思います。 三つ目ですけれども、「民意」というもののあり方について、一言申し上げておきたいと思います。国会というのは、確かに民意の媒体、しかも公式の媒体ではあるわけですが、しかしそれが正しい意味で民意なのか。あるいは、正しい意味で国民代表になっているのかという、その論じ方については熟考を要するのではないかと思います。この点は、あえて戦前でもそうだったという話をさせていただきますが、1934年に宮澤俊義という憲法学者が出した論文のなかで、国民代表の概念を扱ったものがあります。 当時、宮澤先生の師匠の美濃部達吉は、帝国議会を代表機関であるというふうに言いまして、帝国議会を通じて民意が現れる、言いかえれば、帝国議会の外にいる群衆というのは民意ではないのだ、という議論をしていたんですね。帝国議会は何のためにあるのかというと、民意をつくるためにあるんだと。代表機関であると。こういうふうに説明をしていたわけです。 しかし、これに対して弟子の宮澤先生は批判をいたしまして、それは現実には民意でもなんでもないものを民意であると呼ぶことによって、支配者に奉仕をする議論になっているということを言って、師匠の美濃部達吉を批判したわけです。 この際に参照していたのは、カール・マンハイムという社会学者の議論なんですね。『イデオロギーとユートピア』という本の名前をどこかで聞いたことがあるのではないかと思いますが、それを宮澤先生はよく読んでおられまして、現に帝国議会が国民代表だと言ってしまうと、これは支配者の利益になる。ごく限られた少数の支配者の支配に過ぎないものを覆い隠す、イデオロギーになってしまうだろうということを述べたわけですね。しかし、これがイデオロギーにしか過ぎないのだということを明らかにし、それをこれから目指すべき理想に転化をすれば、それは被支配者、民衆の利益になるんだということをおっしゃった。 これは現在でも有効な議論だと思うんです。現に国会が民意そのものだということはあり得ない。近似的に民意だということはありますが、民意そのものであるということはあり得ないわけで、それを現に民意そのものだと言ってしまえば、現に権力を握っている人間の利益になる。しかし、これから目指すべき民意というのが、まだこの先にあるのだということになれば、「民意」は民衆の利益になる、被支配者の利益になるという議論をなさっていたわけです。 どうも最近気になりますのは、「国会で与党が多数をとっているのは民意なんだから」という論調です。確かに、美濃部ふうに、公式の民意であると言ってもいいんですけれども、ことさらに「民意なんだから、民意なんだから」ということによって、誰の利益になっているのか。端的に言うと、現に権力を握っている官邸の利益になっているということなんですね。ここは、とりわけ民意のもう一つの媒体としてのメディアの皆さんには、よくよく考えていただきたいと思います。 現にそこに民意があると言ってしまえば、それは官邸の利益になるイデオロギーです。ただでさえ強い官邸を、これ以上強くすることはないでしょう。そうではなくて、「民意」をここから目指すべき理想に転化するような、そんな議論の仕方。国会とは違う、もう一つの民意の媒体を握っておられる皆さん方であるだけに、それを追求していただきたい。「民意」はこれから接近すべき理想だというイメージで、この先にある「民意」を、ぜひ報道していただきたい。民意が現にこうだからと決めつけると、結局は官邸の利益になる、そういう議論をしていることになるのだということを、この宮澤先生の着想からぜひ汲み取っていただきたいというふうに申し上げて、さしあたりわたくしの話は終わらせていただきたいと思います。
山口二郎(法政大学・政治学) わたくしからも一言。今、思っていることは、近代的国家から家産制国家への逆行であると、私はあちこちで書いています。家産制というのは、家の財産と書きます。要するに、法の支配が確立する前、家産制の国家というのは、要するに国家において公と私の区別がない。国は権力者の私物である。権力も、権力者の私物である。だから、私的な利益のために使うのは当たり前。これが家産制国家なんですね。もう一つ、家産制国家における官僚、家産官僚というのは身分的な従属関係。だから為政者、権力者が黒を白と言ったら、官僚も黒を白と言わなきゃいけない。これが家産制です。マックス・ウェーバー等、いろんな学者が説明していますけれども、近代国家というのは権力を持つ人の個人的な意図とか恣意とか利害というものと公の権力の運用、公の財産の処分の仕方などをはっきり区別する。それから役人、官僚は、法に従って仕事をする。身分的な従属関係ではない。法に従う限りにおいて上司の命令を受ける。こういう概念で近代国家というのを説明したわけですけれども、安倍政権はいわば家産制国家に逆行を起こしている。森友、加計問題というのは、要するに財産や権限を私的な目的のために、えこひいきのために使う。さらに役人は為政者の指示ないし忖度によって、公文書を廃棄し、あったことをなかったことにする。こういう現象ですね。そのなかで前川さんたちがやったことは、自分たちは近代官僚であって法に従って仕事をしている。為政者に身分的に服従する存在ではないということを言いたかったわけだろうと思います。だからこれはもう本当に、深刻な病理であるということです。 もう一つ。やはり、議論に対するニヒリズムというのがここまでひどくなると、これはもう議会政治の否定である。つまり、国会の質問というのは、何の意味があるのかと言ったらやっぱり意味があるんです。国会で法律を所管する担当官庁の責任者が、さまざまな答弁をするということは、その法の運用について非常に大きな影響を残すわけですから、とりわけ委員会審議って大事ですよね。ところが中間報告という手法で、参議院の委員会審議を途中で打ち切り、採決もせず、本会議で可決をするというのは、国会自身が国会における議論の意味を否定したということです。これは国会の自殺としか言いようがない現象だと思います。ということで、ちょっと何とも形容のしがたい議会政治、立憲主義の崩壊現象を目の当たりにして、大変な危機感を持っているということであります。
山口:石川さん、53条にもとづく臨時国会の開会の要求について、政府は応えなくてもいいのかという憲法上の論点について、まず解説をお願いできますか。
石川:これは2015年の秋にも起こったことですので、釈迦に説法の話になってしまうかもしれませんけれども、一応お話させていただきます。 まず内閣が、臨時会の召集決定権を持っているということ。これは、53条に書いてあるわけです。ただ、前段は「決定することができる」というかたちで書いてありますので、臨時会を開くこともできるし、開かないこともできるということなのです。けれども後段に、今、山口さんがご指摘のように、「いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」、という義務づけの規定になっているということです。義務づけがあるということ、ここが非常に大事なわけですね。 これが何を意味しているかというと、もし国会の召集決定権を内閣に完全に委ねてしまうと、結局、国会の活動能力が内閣によって左右されることになってしまいますので、そこで、国会が自ら立ちあがれるようにしておこうということです。いわゆる他律型ではなく自律型を加味した国会をつくろうということです。さらに加えて、要件が4分の1ということ、これがポイントなんですね。 法律で4分の1の要件を書くことって、非常に珍しいんです。例えば、会社法関係だと大抵3分の1なんです。わたくしの親しい友人で、あえて名前は伏せておきますが、いわゆる4大事務所の1つにお勤めの大弁護士がおられまして。その方のお嬢さんがパパに「臨時会というのは、それぞれの議院の総議員の何分の1の要求で、内閣が召集しないといけなくなるんでしたっけ」ときいたら、パパは自信を持って「3分の1」と答えてしまって権威を失ったと。それから、娘は二度と憲法や法律のことをきいてくれなくなったと、大弁護士は言っていましたけれども。 ことほど左様に3分の1が多くて、4分の1は珍しい。4分の1というのはどういうことかというと、マイノリティにイニシアティヴがあるということなんです。少数派の会派であっても、国会の召集を要求できるんだ、というのがポイントなんですね。普通の要件よりもハードルを下げてある。しかも、衆参どちらかの少数派の会派の要求がありさえすれば、充分なのであって、それで内閣は国会の召集を決定することを義務づけられる。これが憲法の意図であるわけですね。 ですから、この義務づけは、非常に重大な意味を持っている。それにもかかわらず、安倍内閣は、あの安保法制の2015年に、義務づけられているにも関わらず、とうとう召集しなかったというかたちで、憲法を破った実績を持っている内閣であるということですね。ですから、お二方がおっしゃっていますように、立憲主義や議会主義の崩壊のプロセスは、確実に着実に進んでいて、今日さらに進行しているという様がよくわかると思うんです。それだけに今回は、何が何でも要求をして、要求に従って臨時会を開いてもらわなければいけないと、こういう理屈になるというわけです。
【質疑応答】
質問1:今日の声明は国会に関するものですが、国会の外では安倍さんやその周りの人たちが憲法改正に向かってアクセルをふかしているという状況だと思います。他方でこの件については、それほど物事を考え詰めて発言されているとも思えない面があり、関係者のなかからも「今、想定されている改憲には緊急性もなければ、大きな必要性もない」という声が聴こえてきて、何を考えているのかがわからないところがあります。他方で首相は読売新聞の最初のインタビューで、自衛隊について「合憲化」という言葉を使っており、それはつまり「違憲」の存在だと考えているという節があります。そのあたり、議論の仕方が乱暴だと思われるのですが、石川先生はそのあたりをどのようにお考えでしょうか。
石川:まず迂遠なようですけど、先程の補足でもありお答えの前提にもなる話を二、三させていただいた上で、ご質問にお答えしたいと思います。 まず、第1は、これは先ほど申し上げたことの繰り返しですけれども、さまざまな見解が対立するなかで、すべての立場にとって共通の前提条件が損なわれようとしている、ということを、ここでも強調したい。 例えば加計問題は、ともすれば、岩盤規制や特区制度の是非に関する話に、論点をずらされてしまっているわけですが、是か非かどちらの立場に立つにしても、これでいいはずがないというところの仕組みが壊されているし、前川さんもその部分を訴えようとして出てきているんだと思います。 彼も、もちろん私的な利害をお持ちですから、ご自身の個人的利害や古巣の文部省の省益も関係があるのでしょうけれども、しかし、そのご自身や文科省の利害を越えたところで問題を出しておられるように、思われます。われわれも岩盤規制がいいんだとか、あるいは特区制度がけしからんのだということを、ここで言っているわけではなくて、それらに対する賛否を越えたところで、問題が起こっていると考えていただく必要がある、ということです。 ですから、ご質問についても、個別問題の賛否の論点に矮小化しないように議論をしていきたい、ということを、まず申し上げておきたいと思います。そうでないと、論点がずらされてしまいます。 それから、第2の問題として、改憲提案の性急さにも現れているように、決定にかかる時間的コストの問題を、関係者が真面目に考えていないということの問題性を、指摘しておく必要があると思います。 多数決でいいのであれば、これは頭数を数えれば、時間をかけずにたちどころに問題は決するわけですよ。ですから、審議時間を問題にするというのは、別のところに本来のねらいがあったはずです。それは結局、コンセンサスとか合意であるわけで、多数派と少数派が歩み寄って合意を目指すというデモクラシーが、本来、日本のデモクラシーだったわけですね。 そして、合意を目指すためには、時間的コストがかかる。だからこそ、審議時間が問題になっていったというのが、本来だったと思うんです。けれども、現在、その審議時間に関する問題意識が完全に形骸化、形式化していて、ただ単に時間をかければいいという話になっている。最初から歩み寄るつもりがない。だからもう、共謀罪についても、待ちきれずに多数決ということになるわけで、あえて時間的コストをかけることの意義に対する思いというのが薄い国会になったな、という印象があります。ここにもやはり、これまでの議会制の変質というのを、見てとれるのではないかということを申し上げておきたいと思います。 そして、第3に、ご質問の前半に緊急性の有無に言及されたことに関連して、今後の憲法改正論議のなかで、緊急事態条項の話が蒸し返しになる可能性がないとは言えませんので、これについても一言申し上げておきたいのです。かねてわれわれが緊急事態条項を批判してきたのは、「緊急事態が起こらない」ということを主張しようとしていたからではなくて、客観的に言って緊急事態というのは起こりうるけれども、問題はそれを誰が判断するかであり、ここで緊急事態を主観的に判断する資格を内閣総理大臣に与えることの是非でした。 今回の国会で一つ明らかになったのは、やはりこういうかたちで緊急事態の判断を主観化するということについて、危機感を持たなければいけないな、という問題です。本日の声明のなかでも問題にしていますけれども、委員会採決を省略して、中間報告をさせて一気に本会議で可決という、この手続きを採るためには緊急事態があることが前提なわけですね。いまそこに危機があるという判断を、官邸が主観的にしたからこそ、政権与党が牛耳る議院が委員長に中間報告だけさせて委員会への付託を打ち切ったわけですが、果たしてこの共謀罪の制定の、どこに緊急性があったのか。少なくとも、今日の明日にも何か起こるという状況には、まったくないことが明らかで、緊急性があったとすれば、加計問題を抱える官邸が緊急事態だったという、自己都合だけですね。 こういうことになるのであれば、なおさら憲法に緊急事態条項をつくって、緊急性の判断を委ねるわけにいかない、ということになりはしないか。これぞまさしく、「立憲デモクラシーの会」的な危惧を抱かされる、そういう事態を目の当たりにしました。そのことも考慮に入れて、ご質問の9条をめぐる憲法改正について、お答えしたいと思います。この論点は、今日の声明の本題とは違いますし、すでに前回の記者会見で取り上げたばかりですので、あまり重複感がないように話したいですから。 で、その折に、「なぜ今、憲法改正をしなければいけないのか、それは必要不可欠なのか」、ということを厳しく衝いてゆけば、改憲の本当の動機は、ほかのところにあることが、あぶり出されてくる、という話をいたしましたね。実際、「いま本当に必要なのか」というふうに執拗に問い詰めれば、本当に今すぐやらなければいけないというわけでもない、ということが明らかになるはずなんですよね。現状と何も変わらないと、安倍さんご自身がおっしゃっているわけですから。すぐにでも改憲しなければいけないという緊急性はないと、自白しておられるわけです。 先程は、共謀罪に関する委員会審議の省略に関連して、本当は緊急事態がないにもかかわらず、緊急性があるかのようなふりをして、加計問題に幕を引くという隠された動機を実現しようとしている、という主観性の問題に言及いたしましたが、それは、まさに同じ構造の問題が今回の9条の改正提案にもあることを、申し上げたかったからです。 そこで、ご質問の1番の中心である、改憲による自衛隊の合憲化という主張について、です。政府解釈による限り、すでに自衛隊に正統性を付与できているはずで、9条を改正する必要は存在しないはずなのに、変ですよね。語るに落ちているという感じがないことはない。「ほんとうは、政府解釈は間違っていると、自分も思っている」というやましさがあるのではないでしょうか。 しかし、安倍さんは、建前上はこれまでの政府見解に則って、自衛隊は当然に合憲だということを言ってきたし、その解釈を拡大して、あれだけの反対を押し切って安保法制を実現した。その手前、憲法学者に責任を転嫁するわけです。改憲をしなくてはならなくなったのは、自分ではなく、憲法学者が悪いんだと。依然として自衛隊から正統性を剥奪し続ける、憲法学者の違憲説を封じ込める必要があるから、9条の加憲を求めている、ということですね。 本音の部分では、自衛隊を合憲化し、強引に安保法制まで実現した政府の9条解釈について、誰よりも安倍さんご本人にやましいところがあるので、その責任を憲法学者に転嫁をして、自己を防衛する心理が働いているのではないか。そう受け止めるのが一番的確なのではないかというふうにわたくしは考えています。 けれども、その結果として、現在9条から発生している、正統性の剥奪によるコントロールのメカニズムを取り去ってしまうことになり、自衛隊を憲法上無統制状態におく、最も危険な提案になってしまっている。そういう説明を、前回の記者会見ではさせていただきましたが、ここで詳細を繰り返すのは控えます。以上で、さしあたりのご説明に代えさせていただきます。
西谷:一言いいですか。私は憲法学者ではないので、立ち入った議論には踏み込みませんが、ごく普通にこの憲法を受け止めて多少考えている立場から言いますと、安倍首相が今回、自衛隊の違憲性を払拭すると言ったのは、「では、今、違憲だというのなら安保法制どうなるんですか」という質疑がすぐ来ないとおかしい。それだから異論のない読売新聞で発表したということでしょうが、まともな記者会見とか、ほかの議論の場所なら、そういう突っ込みがまず来ないとおかしいでしょう。アメリカやフランスならすぐにそうなります。これも、メディアの姿勢の問題です。 自衛隊の違憲性を云々するのであれば、集団的自衛権の行使が可能だとした、あの閣議決定は何なのか、という話にすぐに戻らなくちゃいけない。南スーダンの派遣もそうです。 もちろん、今の憲法が、国際状況の現実に照らして法理としてすべて対応できるようになっているかと言ったら、そんなことはないでしょう。けれども憲法は、現実をすべて律するべく項目を尽くしている必要もない。だから、多くの人たちが、憲法の手直しについていろんな意見を出しています。けれども、だから「変える」ということだけを先行させてそのような多様な意見を一気に巻き込もうとするというのは、憲法を扱ううえでは乱暴すぎるでしょう。 自分たちがこの数年間、秘密保護法以来やってきた違憲状態とも言いうるプロセスに一切蓋をして、むしろそれをこの改憲に利用してくるというのは、あまりに無体です。改憲を語るより、まずこの政権の政治姿勢そのものが問われないといけない。それを吹き飛ばすような報道もおかしいということです。
質問2:山口先生におうかがいしたいんですが、6月24日に神戸で安倍首相の講演があり、秋の臨時国会での衆参の憲法審査会で「とにかく改憲を出す」という発言をしたのですが、これに関してはどういうふうにお考えでしょうか。
山口:5月3日の読売新聞インタビューで、今度は『正論』主催の講演会での発言ということで、専ら身内、仲間に対して改憲のメッセージを出していて、一つの政治的流れをつくるという手法は共通しているわけですよね。そこまで憲法という重要な問題についていろんなことを考えているんだったら、まさに国会を召集して、国会議員に対して、国民に対して、おのれの理念、所信を述べるべきではないか。ますます国会を開かない理由がなくなったというのが、私の最初の感想でした。 それから中身について、皆さんが自民党の案を作るということであれば、外部から批判をするというのは筋違いなのかもしれませんけれども、それにしてもやはり、この間何年もかけて自民党の憲法改正案を議論してきた作業と、これから秋の臨時国会まで3か月でなにか正案をまとめようという話と一体どう整合をつけるのか、まったくわからない。本当に真面目な改憲論議ではないと言わざるを得ない。ついでに言うと、獣医学部を全国展開するというのもちょっと呆れましたよね。如何に自分がやましいことをしていたかということを自白し��ようなものですね、あれは。
質問3:5月3日の憲法改正発言でもそうでしたが、最近の政府の姿勢で目立つのが、自民党総裁としての立場と総理大臣の立場の使い分けのようなことが見られるのですが、そういうことについて憲法学上あるいは政治学上の見解はどうなのでしょうか。
石川:まず、その自民党総裁という立場と内閣総理大臣の立場を仕分けしにくいのが議院内閣制である、ということを申し上げておく必要があると思うんですね。例えば、9時5時のサラリーマンであれば、5時から後はプライベートだと言えるわけですけれど、議院内閣制の場合には、公私を論理的には切り分けられるけれども、実際上はきわめて切り分けが困難である。しかも、同じ内閣の構成員であっても、国務大臣に比べて内閣総理大臣のほうが、より困難だということです。さらに、総理総裁を兼ねている場合は、一層困難であるということが、まずあるわけです。 観念上はもちろん、憲法の名宛人は国家であって、99条の憲法尊重擁護義務が課せられているのは、国家公務員としての立場においてでありますので、内閣総理大臣としての立場では憲法尊重擁護義務を課されていても、自民党総裁としてはフリーであるというのが、まさに日本国憲法のよさではあるわけです。けれども、議院内閣制のもとでの内閣総理大臣というのは、その切り分けが非常に難しいということです。これが、象徴としての天皇ということになりますと、もう論理的に不可能だということになりますが、内閣総理大臣の場合も非常に難しい。 ですから、自民党総裁としてなら改憲提案をしてよいというのは、極めて技巧的な説明で、観念的には成立可能な説明であるけれども、そんなに簡単に容認できる話ではないんですよね。あくまで観念上の技巧的な説明に過ぎないというふうに申し上げておきたいと思います。
山口:政治学のほうからひとこと言うと、議会において、与党、野党あるいは政府と野党との論戦というのがあるわけですけれども、もちろん行政府の長たる内閣総理大臣に対して野党が質問、追及して議論するという関係性が主ですけれども、当然、政党内閣、政党政治ですから、多数党の党首に対して少数党の党首が質問、追及して、その間で論戦するという多数党対少数党という関係性もあるわけですよね。「国会のなかでは、総理大臣対国会という関係性でしか議論しない」と勝手に土俵を狭めるというのは、これは議会政治の意味をはき違えているというか、議会政治をとても狭く設定している勝手な議論だというふうに思います。
質問4:強権的な国会運営に関わることですが、憲法について最近首相の近辺では、憲法審査会は一応多数決で決められるわけで、憲法改正案を多数決で決めてしまおうという議論が出てきています。これについてどう思われるか。もう一つは、その先にある国民投票ですが、これまでのいくつかの世論調査のなかでは6割程度が9条改正に反対であり、否決されるリスクもあります。「自衛隊を明記する」という改正案であれば自衛隊が否定されることになり、日本の安全性にリスクを伴うこともあるのではないかと思われますが、そのあたりのことはどのようにお考えでしょうか。
山口:まず憲法審査会の話で、まあ憲法改正というのはやっぱり、国会の3分の2に加えて、国民投票という非常に高いハードルがあって、かなり大きなコンセンサスが存在しているところで憲法改正をするという前提があると思います。多数決で何か物事を決めるということは、あまり好ましくないと個人的には思いますが、とにかくその多数決でも決めてしまうということを与党がするのであれば、それも含めて与党が進める憲法改正の本質を国民に知らしめるということに、たぶんなっていくんだろうと思います。 国民投票の話なんですが、一つ危惧するのは、安倍さんが言った9条3項について反対をするとすれば、「では自衛隊は違憲と言いたいのか」のような、ちょっと論理をすり替えたキャンペーンを、安倍さんや自民党が仕掛けてくるという可能性は確かに私も危惧しているところなんですね。だから、まずは9条3項という提案自体の非論理性、破たん。さっき西谷さんが言った、じゃあ安保法制、集団的自衛権のあの閣議決定はなんだったのかというような形で、安倍首相の9条3項そのものの杜撰さについて、まず入り口のところでしっかり議論をするということが、まずは私の考える憲法擁護側の課題かなと思いますが。
石川:今回の安倍さんが投げて来られたボールに対して、各方面なかなか苦慮しているという話をうかがうんですけれども、これは前回のこの会の記者会見で申しましたように、やはり「現状から見て、何を加え、何を失おうとしているのか」ということを考えてみるのが大事だということですね。 繰り返しになってしまいますけれども、結局現在、9条が根拠になって発生しているある種の軍事力コントロールのメカニズムが、とりさられてしまうという帰結をもたらすということ。これが現状から失うものであるということは、はっきりしているわけで、その部分の検討なしに突っ走ろうとしていること自体が問題だということを、まずは言っていく必要があるんじゃないかと思います。何となく「現状を追認するだけならいいじゃないか」という議論ではないのだというところを、まずは最初に訴えていくというのが第一段階ではないかと思います。 ですから、今回の安倍さんの投げたボールそれ自体が、厄介なクセ球でもなんでもないことは明らかだと思うのですが、その後の展開が難しいだろうなと思います。たしかに、このままの改憲提案が突っ走って、しかも国民投票で否決されて、自衛隊の立場がなくなるという可能性も、ご指摘の通りにあります。しかし、そういう展開よりも、「9条3項をつけ加えることによって、現に戦後70年機能してきた軍事力コントロールのシステムが、憲法上消えてしまう」とここで強調したのに対して、「なるほど、それはいけない」と、9条に代わる軍事力統制のオルタナティブを出そうという展開になってきた場合にどうするか、ということをわたくしは心配しています。 例えば、実際に2012年の自民党改憲案には、不十分ながら、シビリアン・コントロールによる軍事力統制の考え方が打ち出されています。それを安倍提案につけ加えればいいじゃないかと言ってきた場合に、それでは足りないと打ち返せるだけのものを、こちらで用意しておかなければいけない。わたくしや、あるいは前回の記者会見でお隣に座ってお話をされていた青井さんは、やはり9条方式以上にうまくいっている軍事力コントロールの方式というのは、世界中に存在しないのだ、ということを言っているのですが。 それを議論しようとすると、9条と自衛隊の論理的整合性の問題に、これもしばしば論点をずらされてしまいますので、なかなかややこしいのですけれども、それとは別に、現に日本が戦後70年持ってきた軍事統制のメカニズムというものをどうするか、という論点があって、既存のメカニズムに替わる代案があるのかどうかという問題だ、と考えていただければいいのです。そして、現状は非常にうまくいっているわけですね。なんでうまくいっているのかということを解明しないで、より性能の悪いことがはっきりしているものに取り換えようとしている、というのが、たとえば自民党改憲草案に対するわれわれの批判です。 そうでありますだけに、なぜこれだけうまくいっているのかという説得的な説明を、われわれができるかどうか。他方で、向こうが、よりまともなシビリアン・コントロールの代案を出してこられるかどうか。そういう戦いになってきたときが、厄介なのではないかと思います。9条論の強みというのは、現にうまくいっているという、この現状ですよね。現状における盤石のパフォーマンス、これが頼りになっています。世界的にこれだけうまく軍事力がコントロールされている国はない、と言ってもいいぐらいではないかと思いますけれども、現にうまくいっているという事実が頼りです。 しかし、自衛隊それ自体に対する国民の高い支持を前提として、コントロール方式の勝負になってきたとき、そこでどうやって闘うのかというのは、山口さんもおっしゃったように、そこは厄介な戦場に入っていくことになるのではないか。それにもかかわらず、そこに入る前に、コントロールをすべて取っ払ってしまうという最悪の選択だけは、やはり避けなくてはなりません。その最悪の選択に、うかうかとみんなで一緒に飛び込もうとしているわけですから、それが危険だということは、やはり言わなくてはいけないのではないか、というのが、前回の記者会見だということだったと思います。
山口:では、予定した時間を過ぎましたので、今日の記者会見はこのあたりで終わりにいたします。どうもありがとうございました。
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PAIPATILOMA QUEST vol.1 (4/9)ハテルマの語源と台湾原住民(※)
國立台湾史前文化博物館に来ました。
タクシーの運転手さんにgoogle map を見せて「ここに行きたい」と言っても「?」だったのが、地球の歩き方を見せた途端、「上等〜上等〜」とニコニコして連れて行ってくれました。
度々出会う、地球の歩き方バンザイの謎。
そして、数少ない日本語ボキャブラリーの中で、「上等」が出てきたのにはびっくりしました。 波照間のおじいおばあは良く「上等」を使います。
山を背にした気持ちの良い博物館。

入ってすぐ目に入ったのは、「跨越黒潮」のフライヤー。

「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」という、当時の材料・方法で船を作り、風・うねり・星から方角を読んで航海するプロジェクト。
2019年に台湾→与那国を渡ろうとする、まさに台湾と沖縄をつなぐサインにテンションがあがります。

これが実現されれば、パイパティローマ以前に、ずっと太古から波照間をはじめ八重山の島々と台湾の交流があったことの証明になるようです。
そしてエントランスを入ってすぐの「特別展示室」に無造作にかかっていた写真の数々…




これって沖縄じゃないよね…?
台湾の写真であるのは間違いないのだけど、この地で見なければ、沖縄の写真かと思ってしまうほど、纏っている空気感が力強くも暖かい沖縄のそれと同じものでした。
館内をざっと見て回り、気になったのは、「台湾の南島民族」というコーナー。 南へのつながりと、原住民の文化、祭事などを展示したものでした。

ここで見つけた「南島語族(オーストロネシア語族)」というキーワード。
オーストロ���シア語族とは?
台湾から東南アジア島嶼部、太平洋の島々、マダガスカルに広がる語族である。アウストロネシア語族とも。日本語では南島語族とも訳される。 かつてはマレー・ポリネシア語族と呼ばれていたが、台湾原住民諸語との類縁性が証明された。この台湾原住民の諸語が言語学的にもっとも古い形を保っており、考古学的な証拠と併せて、オーストロネシア語族は台湾からフィリピン、インドネシア、マレー半島と南下し、西暦 5 世紀にインド洋を越えてマダガスカル島に達し、さらに東の太平洋の島々に拡散したとされる。ただしパプア・ニューギニアの大部分(パプア諸語)とオーストラリアの原住民の言語(オーストラリア・アボリジニ諸語)は含まない。 (出典:Wikipedia)

台湾、ハワイを北限として、東はイースター島、西はマダガスカル、南はニュージーランドまで広がる世界最大の、海をわたる言語。

もしかすると波照間はこのオーストロネシア語族に入っていたのかもしれません。
波照間の語源
多くの沖縄の島々がそうであるように「波照間」の漢字は当て字です。そもそも「はてるま」という言葉はどこから来たのでしょうか?その語源は2つあるとされています。
①「果てのうるま(珊瑚礁)」説

一般的でガイドブックなどにも紹介されているのが「果てのうるま」説。「うるま=珊瑚礁」で、つまりは南の果ての珊瑚礁という説です。
②インドネシア語系の「沖合いの島」説


もう一つのこの説は、人類学者金関丈夫によるもので、彼は波照間がかつてパトローと呼ばれることがあったこと、そして1477年、朝鮮済州島民が漂着時残した記録に「ポタルローマ」「ポトルマ」と書かれていることに着目しました。
彼は台湾東岸に住む先住民族ヤミ族が沖合いの島を指す言葉としてBotul,Votol,Botoru,Botrolといった言葉を用いていることを紹介します。 ここでは事例として台湾南東部の離島、蘭嶼島の呼び名「ボテルトバコ」が挙げられています。(偶然にもそこは「パイパティローマ」と推測されている島!)この「ボトル」という言葉と「パトロー」「ボトロ」が関係があるのではないかと指摘しています。
一方で、フィリピン、ボルネオから台湾東岸に多く見られる地名の語尾にran,ron,ruanがあることを指摘し、この語尾が沖縄から九州南部にかけても1.~ラン、レン、ロン 2.~ラマ、ルマ、ロマ 3.~ラブ、 といった語尾をもつ地名として(「論」「良間」「呂麻」など)幅広く分布していることを指摘します。
彼の論旨に基づけば、「はてるま」は「沖合いの島」という意味を持つインドネシア系の言葉が語源にあるということになります。
(出典:波照間島あれこれ )
このインドネシア語源説(つまりはオーストロネシア語族説)は一般的には、ほとんど知られていませんが、南へのつながり、そしてパイパティローマとのつながりを感じる、魅力的な説です。
波照間のおじい・おばあの方言は、完全に外国語で、その響きはどことなく「もっと南、もっと南」を感じさせるのです。
台湾原住民(※)
※台湾では、原住民という言葉は差別的な意味を持たず、公式に使われています。
博物館では、それぞれの特徴的なタトゥーや衣装が印象的だった台湾原住民。
現在、政府から認定された原住民族は16。
部族によって言葉が違うため、違う部族を認識するためにタトゥーや衣装が発達したそう。
今回気になったいくつかの部族をピックアップしてみました。
●ブヌン(布農)族
台湾に行く前から気になっていた原住民。 八部和音唱法という独特の歌をもつことで有名です。
youtube
チェリストで作曲家のDavid Darlingがその歌と共に収録した作品を、友人が教えてくれたのがきっかけで、知りました。
youtube
太陽がサンサンと降り注ぐ朝にぴったりの歌です。
博物館内のmuseum shopの青年が「ブヌンの歌はハンティングの歌だ。一人が���々に向かって歌い始めると、また一人、また一人が山々に呼びかけるように歌を重ねていく。」と教えてくれました。
閉館時間が一時間以上過ぎても、話が盛り上がって色々と話してくれました。
●プユマ(卑南)族
そのmuseum shopの青年の生まれ。 現在の台東県太麻里郷美和海岸附近の山にある巨石が割れ、そこから祖先が誕生したという巨石誕生伝説があるそうです。

その青年が言っていた言葉で印象的だったのが、「プユマ族の言葉はマレーシアでも通じる。海を越えて繋がってることを知ってる。」という言葉。
自分のルーツをしっかりと知っている強さを感じました。
●パイワン(排湾)族
タトゥーや装飾品が美しいことで有名。 後の蘭嶼島でもらったこのブレスレッドもパイワン族のトンボ玉を使ったもの。

男性は彫刻、女性は刺繍が得意で、特に人物やトーテムである蛇(百歩蛇)を表現することが多いそう。 噛まれたら百歩歩くうちに死ぬとされることから「百歩蛇(ヒャッポダ)」で、 広東料理には食材として、台湾でも漢方薬の材料とされるが、パイワン族では貴族の先祖として崇拝されており、殺傷は禁忌とされているそう。
空港の木彫壁画にあった、この蛇も、どうやら百歩蛇みたい。 ヒャッポダ!

●アミ(阿美)族
ハテルマンが今回の旅で最も多く間違えられた民族。
会う人会う人に「阿美族?(アーミーズー?)」って聞かれました。 それだけ似ているならドッペルゲンガーとかいそうだから、今度訪れてみたいと思います。
歌と踊りで有名。 集落ではリズミカルな歌が歌い継がれ、フォークダンスのような踊りが日頃より行われているそう。
●タオ(達悟)族
ヤミ(雅美)族とも。
これから行く蘭嶼島にだけ居住している原住民。 トビウオ漁を生業とし、同時にトビウオが神様でもある。
ほかの原住民族とは大きく異なる文化を持ち、彼ら独自の文化・風習が長く保たれていた。

(by tintincai 三木淳 蘭嶼)
これはタオ族の伝統的な衣装。 最初見たとき宇宙人かと思った…
詳しくは蘭嶼篇で。
そんなこんなで博物館を後にし、明日早朝に蘭嶼島に渡るため、富岡港近くの宿に向かいます。
台東旧駅〜富岡バス
富岡行きのバスが出ている台東旧駅。
鼎東客運の海線で30分くらい。 5番線から出てます。

バスが来る頃には辺りも暗くなり、 怪しげな青と赤の薄暗い車内。 何故かBGMは沖縄民謡でした。

真っ暗な山道を通っていきます。 対岸の明かりが彼岸のよう…
youtube
途中「ここで降りるの!?」ってところで数人が降りたりしながら、揺られているうちに眠ってしまいました。
「フーカン!フーカン!(富岡)」という声で起きると運転手が目配せで「降りろ」と教えてくれました。
寝ぼけ眼で降ろされた見知らぬ土地。
完全にもう眠っている町の中をテクテク歩き、ケイトリンB&Bに到着。
パイパティローマTシャツをつくる。
蘭嶼で着るためのパイパティローマTシャツを作成します。

台北で買ったヂェン先生の服に、描いていきます。

これで喋らなくてもパイパティローマの手がかりが見つかる(予定)。
富岡漁港の朝
朝になりました。いよいよ出発です!
富岡漁港→(120分)→蘭嶼島
7:30発のフェリーに乗り込みました。

蘭嶼に釣りに行くという4人組が保力達というお酒と、檳榔をくれました。
まだ朝の8時ですが…

後に紅一点も加わり5レンジャーに。

5レンジャーのボス的存在、レッドは北海道に行ったことがあるそう。
蘭嶼が見��てきた
分厚い雲が空を覆うようになると、ダイナミックな地形の島が見えてきました。
蘭嶼島。 いよいよ上陸です…!
Part5に続く!
【おまけ】台湾の歴史
台湾原住民は台湾総人口の約2%。特に今から行く蘭嶼島のタオ族は多くの台湾人と全く違う歴史を歩んできたので、逆に多くの台湾人はどんな歴史を歩んできたかも知っておきたいと思い、簡単にまとめてみました。
先史及び原住民時代 (1624年以前)
オランダ占拠時代(1624年 - 1662年)
大航海時代にあったヨーロッパ各国のうち、オランダとイスパニア(スペイン)が、東アジアにおける貿易・海防の拠点として、台湾の地理的位置に目をつけた。 オランダは台湾南部、イスパニアは台湾北部に城を築いたが、その後オランダがイスパニアを駆逐し、台湾原住民を懐柔して台湾を支配するに至った。
鄭氏(明朝)→清朝統治時代(1662年 - 1895年)
17世紀初頭、突如せきを切ったように漢民族の台湾南部への移住が開始。
1644年に大陸では、清朝が明朝を滅ぼし中国を支配していた。 追われた明朝の鄭氏は「反清復明」の拠点としてオランダに代わって台湾を支配。反清勢力の撲滅を目指してきた清朝は、1683年に鄭氏政権を滅ぼし、台湾を制圧。
台湾領有後の清朝は、渡航条件を厳しく制限したため、台湾に残された漢民族は土着化していった。彼らの子孫が現在の台湾の大多数を占める。
日本統治時代(1895年 - 1945年)
1895年、日清戦争に圧勝した日本は、下関条約により台湾を割譲され、台湾は日本の統治下に。 日本は公学校を設け、インフラを整え、台湾の「日本化」を着々と進めていった。1945年、太平洋戦争が終わるまで、日本の統治は続いた。 「インフラの整備」をはじめ一生懸命台湾を治めた日本に対して、親日家も増えた一方、抗日運動を通して台湾人が今まであまり意識しなかったアイデンティティが強く意識されるようになった。
中華民国時代(1945年 - 現在)
【中国国民党ー蒋介石・蒋経国】
日本の敗戦にともない台湾が中国(中国国民党政府)に「返還」(不法占拠説もある)され、台湾は「祖国」復帰(=「光復」)した。 当初は、中国国民党政府軍(国府軍)を歓迎したが、彼らの士気の低さと驕りに対し、「犬が去って、豚が来た」と嘆くようになった。(日本人はうるさく吠えても番犬として役立つが、中国人は貪欲で汚いという意味。)
次第に亀裂が生じ2.28事件が勃発。この国民党に対する台湾人の「反乱」は、蒋介石によって武力鎮圧され、多くの台湾人(数万人と言われている)が闇へ葬り去られた。
ここに本省人(=台湾人)と外省人(=在台中国人)との対立が始まった。 中国大陸への精神的依存状態から、一部脱却しはじめた時期とも言える。
蒋介石はアメリカ化を促し経済活動に専念し、奇跡的な発展を遂げた。後にパソコン関係の生産は世界のトップクラスとなった。
【中国国民党ー李登輝】
台湾経済の著しい発展にともない、国民党自身も変貌した。 本省人の李登輝は台湾の民主化を推し進め、1996年には台湾初の総統民選を実施、そこで総統に選出された。
【民進党ー陳水扁】
2000年、台湾で2度目の直接総統選挙。 李登輝は高齢のため出馬せず、代わって民進党の陳水扁が総統に選出され、台湾史上初の政権交代が実現した。
【中国国民党ー馬英九】
2008年の総統選挙で国民党の馬英九が当選。 第2次政権交代が起きた。 「親中派」の馬英九政権は、徹底した「中国一辺倒」政策を採った。
【ひまわり学生運動】
2014年、立法院で馬英九政権と中国共産党とが「サービス貿易協定」を批准しようとする時、学生らが突然なだれ込み、阻止しようとした。 中国からモノやヒトやサービスが台湾へ流れ込めば、台湾経済は中国に隷属するとの危機感を持った結果である。 週末には彼らを応援する大規模デモが行われ、行政院長がもう一度審議すると約束するに至った。
【民進党ー蔡英文】
2016年の総統選挙で民進党の蔡英文が当選。 総統就任後、早速、馬英九の「中国一辺倒」政策をやめ、「新南向」政策を打ち出した。 安全保障の面では、米国と日本との関係強化を目指している。
(出典:地球の歩き方・Wikipedia)
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●大御心【オオミココロ】●勅語●勅命●皇室典範●ドグマ
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●大御心【オオミココロ】●勅語●勅命●皇室典範●ドグマ 「女性宮家創設問題」が浮上している。 ・女系天皇反対-藤原正彦 https://www.dailymotion.com/video/x17qaz ●藤原正彦の男系天皇論【書きおこし】 | 歴史と文化 巡礼の旅日記 https://ameblo.jp/mejirotabi/entry-12464807343.html 2019/05/31 これは昔(小泉内閣の時に「女系天皇」が政治課題となった時代)、フジの「新報道2001」という番組に、数学者の藤原正彦先生が出演した時の書きおこしです。 男性司会者 藤原さんは「女系天皇」には反対だということですが、どうしてですか? ●藤原正彦、女系天皇を切る - 日本の傳統(伝統)を守らう! https://blog.goo.ne.jp/fuji2630/e/f1ab798f8c4ec8302bdcec16ba0d4405 2006/03/14 「國家の品格」の藤原正彦先生が 2006/03/12 のフジテレビの報道2001で 女系天皇をばっさりと切ってゐて、痛快でした。 司會: 藤原さんは女系天皇には反對(反対)ださうですが、どうしてですか? 藤原: 餘り(余り)にも明らか過ぎて、 1+1はどうして2かと言はれるやうなもので、 答へやうが無い。 譬(たと)へば2000年間男女男女で續(続)いて來たら、 今後永遠に男女男女と決まってるわけで、 或(あるい)は男男女、男男女と桂馬のやうに飛んで來たら、 此れからも永遠に桂馬のやうにする。 或(あるい)はですね、天皇家が毎朝1時間鰯の頭にお祈りしてきたとする、 そしたら今後永遠に鰯の頭にお祈りしないといけない。 傳統(伝統)とは其のやうな物で、ただただただ跪(ひざまづ)く物です。 論理も意義も何も考へる必要が無い。 其の傳統を守ること自身が最も價値(価値)があることだと、 此れを国民がみんな忘れてますね。
(この後、ケンブリッジ大學でのディナーの話。 12世紀からイギリスの白鳥は女王陛下の物で、 食べるのに許可が必要なことに、胸を張る教授の話) 皇室は二千年続く系統である。 憲法はその時の流行の主張である。 皇室典範は延々と続いてきた伝統である。 万世一系は延々と続いている伝統である。 憲法の下において世論の意見を聞いて変えるとはトンデモないこと。 不変なのが皇室で有り簡単に有識者などと如何わしいものの意見で 左右されるものではない。
今の利益主義と何ら変わりなくなってしまう。 老舗商法を悪く言う人がいるけれども決して悪いものではない。 楽だからこっちにアッチに変更ばかりしていては守れるものも守れなく成る。 私たちの血の中に脈々と流れているものは不変なものだ。 震災でそれは証明されている。 米国のような昨日今日出来た国とは違う。 ましてや長い年月 歴代の権力者に翻弄されてきた支那とも違う。 動画の中で英国の話で白鳥は総て女王陛下のもの。 こんなちやちな物事と一緒には出来無い。 個人のものなんてコレほど変な意見はない。 天皇家は自然をも含めた大切な心。 一時の世論と伝統を一緒のラインに置くのはおかしい。 おかしいのではなくて同列に扱う問題ではないということ。 自然の原理に近いものではないかと理解した。 思いやる心もココから出ているのでは無かろうか。 ●数学者が語る日本の国柄ー藤原正彦氏 - 草莽崛起ーPRIDE OF JAPAN http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-254.html?sp 2006/01/30 万世一系の美しい形に手を加えるなど、数学者としての美感が耐えられない。 お茶の水女子大学教授 藤原正彦 ふじわら まさひこ ■プロフィール 昭和十八年満州生まれ。数学者、エッセイスト。父は作家の新田次郎氏、母は戦後の大ベストセラー『流れる星は生きている』の著者、藤原てい氏。東京大学理学部数学科卒業。コロラド大学助教授などを経て現職。数学者でありながら、国語教育の重要性を訴えている。著書に『数学者の言葉では』『若き数学者のアメリカ』『遥かなるケンブリッジ』『祖国とは国語』など。近刊の『国家の品格』がベストセラーに。 前編 世にも恐ろしいことを ― はじめに、「皇室典範を考える有識者会議」(以下、有識者会議)の報告書についてのご感想は。 藤原◆私は、最近の「改革」についてはほとんど全てに腹を立てております。日本の昔からあった国柄を片端から壊してしまう愚行がまかり通るようになってしまったと。ただ政治上経済上外交上の失敗は腹を立てても蒼ざめることなどあり得ません。しかし、女性女系の天皇を認めるという有識者会議の報告書には、驚愕して蒼ざめました、「世にも恐ろしいことを」と。 ● 日本の伝統中の伝統、皇統に手を入れ、国体を揺るがそうというのです。数学者は一匹狼です。私一人で世界中を相手に戦うという気持ちでいつも生きていますから、徒党を組むのは屈辱と思うくらいです。ただ、今回ばかりは生まれて初めて発起人というものに名を連ね(皇室典範を考える会)、あちこちで書いたり話したりしています。万世一系を毀損するとは、あまりにも恐ろしいことです。 ●万世一系 - Wikipedia http://bit.ly/yMsBiw 万世一系(ばんせいいっけい)は、永久に一つの系統が続くこと。多くは皇室・皇統についていう。 伊藤博文は、皇位継承における万世不変の原則として、万世一系を以下のように定義している。 第一 皇祚を践むは皇胤に限る 第二 皇祚を践むは男系に限る 第三 皇祚は一系にして分裂すべからず 『古事記』と『日本書紀』を編集した人物は、神武天皇から仲哀天皇までの治世を記述した。これは、当代の天皇の正統性を確保するためである。 6世紀までの日本で王朝が次々と交代したか、複数の王朝が異なる地方を同時期に並列して支配していたことを示唆する手がかりが公式の編年誌にあるとする諸説が存在する。 だが、日本の現王朝は6世紀以降には王朝交代した証拠はなく、少なくとも1500年もの間存続している。1500年以前に存在した他の君主家で今日なお在位しているものは、世界のどこにもな。 皇室に名字がない事実も、天皇の王朝の古代史に遡る古さを示している。日本人が歴史が始まって以来知っている唯一の王朝だからである。 天皇が日本を統治する根拠とされたのは、天照大神が「天壌無窮」に葦原中国を治めよという神勅をニニギ(瓊瓊杵尊)とその子孫に下し、ニニギの曾孫である磐余彦が初代の天皇・「神武天皇」として即位したことによる。 『古事記』には天照大神が孫のニニギに「この豊葦原水穂国は、汝の知らさむ国なり」とある。『日本書紀』には「葦原千五百秋瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就でまして治らせ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ」とある。 この記述が、皇室が日本を永遠に統治する歴史的・法的な根拠であるとされた。大日本帝国憲法第1条はこの記述を明文化したものである。日本神話に登場する初代の天皇・神武天皇から現在まで、天皇の王朝が断絶せずに皇室が日本を一貫して統治してきたとする史観を形成し、万世一系は国体において不可欠なものとされていた。 「日本は、王朝交代したことがない点で他国と基本的に異なる」という信念は、日本の王朝と同じくらい古くからあった。 ●成熟した論理を身にまとった二人の女系天皇論 - THINKSELLの裏側 http://blog.thinksell.net/2005/12/18/165900/ 2005/12/18 『国家の自縛』の佐藤優氏と『国家の品格』の藤原正彦先生が、女系天皇について言及している。成熟した論理を身にまとったご高説は、ともに「女系天皇反対」で一致している点が興味深い。ただ、佐藤優氏の方はインタビューアーの表現が"女帝”となっているので、「女性天皇と女系天皇」を峻別しているかわかりません。 ●万世一系と国家の品格 - ne.jp https://00m.in/ujUlG 2006/02/01 「日本の息吹」平成十八年二月号 万世一系と国家の品格 お茶の水女子大学教授 藤原正彦. 万世一系の美しい形に手を加えるなど、数学者としての美感が耐えられない。 インタビュ─〈前編〉 ◎世にも恐ろしいことを ─ はじめに、「皇室典範に関する有識者会議」(以下、有識者会議)の報告書についてのご感想は。 ●藤原正彦「公と私」 2015/07/30 https://youtu.be/gpJ3N0rhL4c ●藤原正彦 国語教育の重要性 1/2 2009/10/09 https://youtu.be/Xhi2bE1o2r0 「国家の品格」を出版する前の藤原正彦先生が語る! 小学校での英語教育に反対!(塾や家庭での英語を否定しているわけではない) ●藤原正彦 国語教育の重要性 2/2 2009/10/09 https://youtu.be/BOA3oAVDiPw ●女系天皇容認論の賛否 第30回 2007.11.10 丸 淳一 file:///C:/Users/asahi/AppData/Local/Temp/30_maru.pdf 1.女性天皇と女系天皇の違い・・・ (1)国民は本当のことを知らない (2)「愛子様が可愛いから」とか「雅子様がお世継ぎの問題でプレッシャーがありか わいそうとか、それから解放されるとか」 そんなレベルの問題ではない 2,過去の女性天皇は8方 10 代 (1)48 代称徳天皇の時、危機が訪れる (2)称徳天皇の寵愛をいいことに弓削の道鏡が皇位をうかがう (3)和気の清麻呂が出てこれを防ぐ (4)もし弓削の道鏡の子を産みその子が天皇になれば、弓削の道鏡の天皇ということ (5)藤原正彦教授も同じことを言っている藤原王朝ですよと ●勅語 - Wikipedia http://bit.ly/AmGYCJ 勅語(ちょくご) 原則として���皇が口頭により発する公務上の意思表示であり、詔勅 の一種である。 主に明治時代から日本国憲法が施行される前に出され続けた。 現在では「おことば」と呼ぶことが普通である。 ●勅命 とは - コトバンクデジタル大辞泉 1 天皇の命令。勅諚(ちょくじょう)。みことのり。 2 明治憲法下で、法律・勅令の形式によらず、天皇が国家機関に直接下した命令。 ●勅 - Wikipedia http://bit.ly/xKp5qL 勅(ちょく)は、皇帝、天皇の命令。 また、命令が書いてある文書。勅が書いてあるものを勅書(ちょくしょ)と言う。 主に特定の人物・組織などを対象に天皇の意思を伝えるために用いられた。 なお、口頭によるものを勅語(ちょくご)と言う。 『日本書紀』などに由来が求められるが、金石文としては天武天皇の時代に 改葬された船王後の墓誌に、船王後が舒明天皇より勅によって位を 与えられたことが記載されている。 大宝律令の制定後は公式令に基づいて出された勅旨などの勅書のことを主に指した。 また、奈良時代の天平宝字8年(764年)には勅及び勅書の遂行と天皇及び 宮中の用度を担当する勅旨省(ちょくししょう/てしのつかさ)が 設置されていたことがあるが、延暦元年(782年)の行政整理の際に 造宮省とともに廃止されている。 ●皇室典範 http://bit.ly/xvw6dz 皇室典範(こうしつてんぱん、昭和22年1月16日法律第3号)とは、日本国憲法第2条及び第5条に基づき、皇位継承及び摂政に関する事項を中心に規律した皇室に関する法律である。 「皇室典範」は1889年(明治22年)2月11日に、大日本帝国憲法と同時に裁定(勅定)され、1947年(昭和22年)に、日本国憲法第100条及び第2条、第5条に基づき、日本国憲法施行前に、憲法に附属する法律の制定手続によって、枢密院の諮詢及び帝国議会の協賛を経て、現在の「皇室典範」(昭和22年1月16日法律第3号)が制定された。 ●明治神宮-ご参拝・ご祈願される方へ-明治神宮のおみくじ「大御心」について http://bit.ly/yqWPAc 「大御心(おおみごころ)」 「大御心(おおみごころ)」は、明治神宮独自のおみくじです。 他の神社で見られる吉凶を占うおみくじではなく、御祭神である明治天皇さまの御製(ぎょせい=天皇の作られた詩文・和歌)93、032首、昭憲皇太后さまの御歌(みうた=皇后・皇太后・皇太子などのよまれた和歌)27、825首より、特に人倫道徳の指針となる教訓的なものを15首ずつ、合計30首選び、それに解説文を付したものとなっています。 ●「大御心(おおみごころ)」三省堂 大辞林 天皇の心を敬っていう語。天皇のお考え。叡慮(えいりよ)。 ●大御心【オオミココロ】デジタル大辞泉 天皇の心。叡慮(えいりょ)。 ●九頭竜伝承 https://ja.wikipedia.org/wiki/九頭竜伝承 九頭龍(大神)伝承(くずりゅう{おおかみ}でんしょう)、九頭龍(大神)伝説(くずりゅう{おおかみ}でんせつ)は、日本各地に残る九頭龍(大神)に関する伝承・伝説の事である。 寛平元年(889年)6月、平泉寺の白山権現が衆徒の前に姿を現して、尊像を川に浮かべた。 すると九つの頭を持った竜が現れ、尊像を頂くようにして川を流れ下り、黒竜大明神の対岸に泳ぎ着きたという。 以来、この川を「九頭竜川」と呼ぶようになった。 (『越前国名蹟考』福井県郷土誌懇談会 著 1958年発行より) 大慈大悲の大御心で衆生に利益を与えんとする実体なり。 ●大御心は大切です。しかし、もし・・・。 「道鏡事件」に学ぶ「女性宮家」問題 umayado17 2011年12月30日 雑誌に「(女性宮家創設は)天皇陛下のご意志」 でもあると語った輩がいるらしいですね。 そう言う事はありえませんが、仮にそんな時は、道鏡事件の再来ということになりますから、嫌われても諫言するのが忠義の道、ということになるのかもしれません。 天皇陛下の「大御心」は大切です。「詔を承りては、必ずつつしめ」(17条憲法・三に曰く)です。 http://togetter.com/li/234520 ●女系天皇(じょけいてんのう)http://bit.ly/Ac2EEG 日本において母のみが皇統に属する天皇を指す呼称である。母系天皇と称されることもある。 語句の類似から、単に女子の天皇を指す女性天皇と混同されることも多いが、皇統についての「女系天皇」と、天皇個人の性別についての「女性天皇」とは異なる概念である。 その天皇自身が男か女かという性別とは関係がなく、概念上は女系男性天皇と女系女性天皇の両方が存在しうる。また逆に、男系についても、男系男性天皇と男系女性天皇が存在しうる。 『古事記』、『日本書紀』やその他歴史書の記載によれば、日本の皇統は初代神武天皇から現在の第125代今上天皇まで男系の血筋のみで続いてきたとされる(いわゆる「万世一系」。 その信憑性については諸説あるが、少なくとも「高群逸枝(民俗学者)が古代は母系制であったと主張している」というのは誤認である。 高群が提示した概念は「父系母族制」という名称の通り、母権的であってもあくまで父系(=男系)であった)。 神武天皇以来、男系で続いてきたことを万世一系とする立場からは、女系天皇は即位しても神武天皇以来の皇統に属さず、その結果として日本史上初の王朝交代が生じる、という意見も出されている。 ●女性天皇(じょせいてんのう)http://bit.ly/zjzhkh 女性の天皇のこと。古くから女帝(漢音じょてい、呉音にょたい)と呼ばれていたが、皇位継承問題の議論が盛んとなった2004年以降、日本の公文書や報道では「女性天皇」の表現が用いられることが多くなった。 ●家督相続(かとくそうぞく) [ 日本大百科全書(小学館) ] 戸主(家の長)の身分と財産とを1人の人が受け継ぐ形(単独相続)の相続をいう。 主として封建時代の武士階級の相続法に範をとって、1898年(明治31)に制定された民法(旧民法)で採用されたもので、第二次世界大戦後、現行民法(1947)が制定されるまでの、家の制度の中心をなすものであった。 戦後、家の制度が新憲法の理念に反するものとして廃止されたのに伴い、家督相続も廃止された。 家督相続は、戸主が死亡した場合のほか、戸主の隠居・国籍喪失、入夫婚姻(女の戸主との婚姻)など、被相続人の生存中に相続が開始されることがあった。 家督相続人となる者は1人で、まず直系卑属のうち、親等の近い者、男と女では男、年長者と年少者では前者が選ばれ、したがって普通は長男が相続した。 直系卑属がない場合には、被相続人の指定した者、一定の家族のなかから一定の選定権者が選定した者などが相続することになっていた。 家督相続は、戸主の財産を承継するだけでなく、戸主の身分をも受け継ぐ(身分相続)とされていた点も現在の相続とは大きく異なる。また、法定推定家督相続人(被相続人の直系卑属である相続人)は相続を放棄することは許されなかった。なお、当時においても、戸主以外の家族が死亡した場合には、現在の相続法と同じような共同相続法(家督相続に対して遺産相続とよばれ、現行民法では相続という)が行われていた。 ●家制度(いえせいど)http://bit.ly/wV0KLO 1898年(明治31年)に制定された民法において規定された日本の家族制度であり、親族関係を有する者のうち更に狭い範囲の者を、戸主(こしゅ)と家族として一つの家に属させ、戸主に家の統率権限を与えていた制度である。 江戸時代に発達した、武士階級の家父長制的な家族制度を基にしている。 女性参政権の施行と日本国憲法の制定に合わせて、1947年(昭和22年)には民法が大規模に改正され、親族編・相続編が根本的に変更された為に、家制度は廃止された。 ●ドグマ (dogma) ・宗教・宗派における教義のこと。 ・広義として��、上項から派生して「独断・偏見的な説や意見」、「教条主義」を指すようになった。 ・ドグマ (アダルトビデオ) - 日本のアダルトビデオメーカー。1961年設立。 ・特撮テレビドラマ『仮面ライダースーパー1』に登場する架空の王国。(→ドグマ王国) ・ドグマ95 - 1995年にデンマークで提唱された、映画製作の作法。 ・ドグマ (映画) - 1999年に公開されたアメリカの映画作品。 ・コンピューターゲーム『ドラゴンクエストVI 幻の大地』に登場する架空のキャラクター。 ■女性宮家(じょせいみやけ) https://ja.wikipedia.org/wiki/女性宮家 皇統に属する女性皇族が成人もしくは結婚後に皇族のままで独立した生計を営む宮家のこと。 これまで皇室の歴史上、女性皇族が当主となり子を儲け又その子が継承した宮家はなく、歴代の女性天皇も未亡人か未婚のまま生涯を終えている。 結果として、「女系皇族」は一例の例外も存在していない。 大日本帝国憲法下の旧皇室典範及び日本国憲法施行に伴い制定された現皇室典範においては、女性皇族は皇族以外の男子と結婚した場合は、皇族ではなくなることとなっている。結果として将来においても「女系皇族」が誕生することは禁止されている。 皇室典範を改正して女性皇族を当主とする宮家を創設して皇族以外の男性と結婚し、その配偶者およびその女性宮家から生まれた子供を皇族としようとするのが「女性宮家創設問題」である。 歴史始って以来、配偶者として民間人男性が皇族となるのに加え、女性宮家から「女系皇族」を誕生させることになり、皇室制度の根本的な転換になる。
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