#足が疲れているけど。そうなければ、バス停に歩くだろう。
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変身中

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根室、そして、阿寒から帯広へ
今は7時、羽田空港第一ターミナル。朝4時過ぎに起きて身支度をして、息子の保育園の荷物を畳んで袋に詰めて家を出た。いつも流れ見ている風景を眺めながら駅に向かう。身体にまとわりつく湿度がどうにも心地悪い。荷物は少なくしたと思うがデイパックに詰めるには多過ぎたのか、いびつな形。駅には出勤時間の早いスーツ姿の人がちらほら、ジョギング中の人が2人、犬の散歩中の人が1人。いびつなデイパックを持った人が1人。静かな駅、音が少ない。静けさに「どうもすいません」と言うかのように遠慮がちな電車が入ってくる。電車には朝帰りの人がぐでんと身体を拗らせて眠っている。空港行きのバス停には先ほどの静けさが嘘のように人が並んでいる。どこからこんなに人が来たんだ?と疑問に思う。空港への車窓はきれいだった。霧というかスモークというか、太陽がもやがかって窓に入ってくる。街が、川が、海が、光で反射してる。少し青い、いや、碧い。仕事を除いて、1人旅はいつ振りだろう。これまでとは少し違う感覚がある。前はこのままどこかに行ってしまおうという気持ちがあった。今はちょっとお出かけするくらいの感覚である。家が、家族が、待っていることが疎ましくなくなった。そこが家だから、といつの間にか思うようになったんだろうか。空港でホットドック、アイスティ。コーヒーをやめてもう3ヶ月くらい経つ。皆んななんだか浮かれ顔だ。楽しそうだ。いい顔してる。いい旅を、なんて言うと怪訝な顔をされるだろうか。でもそんな気分でいる
20時45分、根室にあるコテージ。目の前には風蓮湖。完璧で完全な静けさ。それは無音ではなく、微かな音とともにある。釧路空港に着いて一路、根室に向かう。とにかく寒い。東京が暑すぎる。道のりは約2時間。車を走らせているとその道中に馬が居たり、白くきれいな花が咲いていたり、気になる道具屋があったり、ちょくちょく止まる。それなりのスピードで走らせているので毎回一旦は通り過ぎる。通り過ぎてから、戻るべきかどうかを考える。そんな時は大体「戻る」。戻って、写真を撮ったり、店をノックしたり、寒かったのでたまたま1着だけ売っていたウインドブレイカーを買う。寒いですよね?と少し苦笑いされる。はい、と答え、これで上下ともにベージュになった。ベージュ。悪くない。車中では最初Podcastを流していた。挨拶することの美徳、テキスト文化、漢字で書くべきか平仮名に開いて書くべきか、そんなことを話している。自分もテキストの漢字かそうでないか、句読点の位置など、細かく気になるポイントがあるので頷きながら聞いていた。途中からは音楽に、宇多田ヒカルのFirst Loveを初めから聞いた。Automaticを初めて聴いたのは中学生だったかな、ラジオでヒットチャート1位を独走するから、いつ聴いても鳴っていた。当時CDを買うなんて発想はなく、カセットテープに録音し、何度も何度も聴いた。そんな曲を20年以経った今も聴いているのだからすごいものだと思う。First Loveもそうだ。B&Cもそうだ。かれこれ100回、いや1000回は聴いているかもしれない。大声で歌っていると風蓮湖が見え始め、春国岱も見えてくる。今回の旅の一つの目的地だ。行きたい気持ちを抑えて、まずお昼を食べに市内に行く。エスカロップを食べる。にんにくが塊で入ったままのガーリックライスの上に薄い肉を揚げたもの、そこにタレがかかっている。味はしっかりめでおいしい。思ったよりも重くなくペロっと食べられた。春国岱に戻る。フットパスの一部が歩行工事中とのことで海沿いの砂浜を歩き、枯れた枝があるエリアに辿り着く。もっとディストピア感があるかと思っていたが、そうでもない。むしろ、一度枯れた木々がここから再生しようとしているかのようなパワーすら感じた。実際にはそんなことは起きないのかもしれないが、力が感じられた。道しなに鹿が見える。遠く、顔までは見えなかったが、鹿は鹿だった。こちらに顔も向けず、ツンっととしている。先に進むと、以前は砂丘だったが気候変動で森になったという場所に辿り着いた。砂丘だったとは思えないほどに鬱蒼とした森になっている。どういうことなんだろう、自然の力は底知れない。来た道を戻る。来た時とはまた違う感覚が残る。重力のような。納沙布岬に向かうことにする。少し喉が渇いたので「わたしの翼」という名前を持つ喫茶店で休憩してから向かうことにする。星座占いをしてみると、始めたことはキチンと最後まで、と書いてある。何のことか分からないけど旅を最後まで続けようと思う。岬まで走らせていると牛が放牧されているところがあった。車を降りてカメラを向けると一斉にこちらを向く。睨むというのではなく、むむむ、と言ったような。写真を何枚か撮らせてもらう。岬はとても寒かった。帰りは逆回りを歩く。帯広に行った時にも見つけたトーチカがあったので歩く。草花をかき分けて歩くと丘に抜けた。緑しかない丘に向かって紫、黄、赤の花たちが咲いている。見惚れるほどにきれいだった。夜ごはんを食べ、今に至る。今朝早かったから風呂に入ったらすぐ寝てしまおう
電気を消して目を瞑ってもなかなか眠れない。この日は4時起きのはずなのに、身体は疲れているはずなのに目を瞑っても頭が冴えてしまっている、いや、違う、枕が合わないのだ。最近は家にいる時も仕事で海外に行く時もテンピュールの枕を欠かさず持って歩いている。つまり、どんな時も同じ枕で寝ていることになる。元々、枕には敏感で、枕が変わると寝つきが悪くなるということを忘れてしまっていた。どれだけ寝返りを打っても落ち着かせどころがなく気になってしまう。気を紛らわせようとPodcastを付けてみても、また戻ってくる。そうしている内にようやく寝ることができた。寝ることができたと言っても2時間ごとに起きてしまうのでぐっすり寝たと言う感じがしないまま結局5時前に起きることにした。電気をつけて、歯を磨き、顔を洗い、軽く身体を伸ばす。凝りがある。ぐっと伸ばし直して少しずつ目が覚めてくる。外の空気を入れて、昨日マルシェで買った大判焼きを温める。荷物を車に運び、一路、阿寒へ向かう。道中はまたPodcast。走っているとホースパークがあった。気になるポニーがいたので車を戻して会いに行く。おはよう、と挨拶をすると近づいてくる。カメラを向けると顔をやや下に向けていぶし銀の目線を送ってくる。なんだか友だちになれそうな気がした。「朝はさむいね、ここで暮らすのはどうだい、他の馬は何している」と目で会話する。「そうだね、退屈だよ、皆んな退屈にしてる」そう答える。またねと挨拶をして、また車を走らせた。阿寒までの道はずっと霧がかっていた。霧の中にある白樺はとてもきれいだった。何度も車を停めようかと思ったが、景色として楽しむことにする。写真に撮らない方がいいこともある。約2時間の運転で阿寒湖に到着し、ボッケという火���ガスが噴き出ているところまで車を停めて歩く。小さな小道にある木々は力が漲っている。人地を超えた力を感じる。小道を抜けると鹿が二匹、サイズが違ったので親子か、恋人かと思うのだがこっちを見ていた。根室で見たそれとは違い、その鹿は話せるような気がした。「やぁどうも、どうも切ない気持ちが自分を包んでいるだけど、こういうことってどうすればいいんだろう、きっと皆んな同じ気持ちを抱えながら生きているのかもしれないけど、自分は少し対処するのが苦手なんだ」というと、「そうだろうね、顔見れば分かるよ、きっと何かあったんだろ?耐えるしかないよ、自分のことをもっと知った方がいい」と答えた。全てお見通しだった訳だ。そして、そのままいなくなった。ボッケの自然が故の力強さに感動したが、それより奥に入ったところにある湖自体の美しさにさらに感動した。静謐な場所、だった。その場に腰を下ろし、しばらくぼうっとしていた。今回の旅は自分の40年を振り返ること、そしてこれからを考えることを目的にしていた。ここには詳細は省くが、どうやら自分という人間は複雑で、手に入れたいと思っていたもの���てに入りそうになるとその場から離れようとし、手に入らないと分かっていると追い求める、という性格を持っているようだった。つまり結局は何も手に入れることができないし、満足することもない。延々とその状態を持続するだけ。全てのことにおいてそうか、と言われるとそうでもない気がするが、特に大事だと思っていることに対しては発生する。それが自分を振り回し、人を、物事を振り回す。同じ性分の人とは相性がいいが、延々に続いていく。それが気持ちを締め付ける。歳を重ねると余計にその締め付けがきつくなる。そんなことを考えていた。どれくらいいただろうか、1時間くらいはいただろうか。近くにあるアイヌコタンというアイヌの人が物売りをする場所に行くことにする。木彫りのものはどれも高く簡単には買うことができなかったが、小さなお守りを買った。人を災難から守ってくれるとのこと。とある店の主人から、オンネトーという湖を教えてもらう。時間はたっぷりあるので行くことにする。アイヌコタンから20分くらい。今回の旅で尋ねた場所の中でも特別に力のある場所だった。何がある訳ないのだけど、霧がかった湖に浮かぶ木々と森。それがなんとも神秘的で、ため息が出るほどだった。こういう、地元の人に教えてもらう場所がなんだかんだやっぱり1番なんだよな、と思う。今度はそこから帯広に向かう。帯広はコロナ禍の最中、Memu Earth Hotelに泊まった時にいたく感動した場所で再訪したいと思っていた。今回は1人だし、時間もまだたっぷりあるのでまたしても2時間かけて向かうことにした。帯広の大地は大きい。とにかく大きい。北海道の中でも特に大きさを感じるのが帯広で、走っている間も、その大きさに声をあげてしまう。たまたま見つけたピザ屋に入り、生ハムとサラダのピザを食べる。そこから中札内美術館、六花の森へと足を運ぶ。どちらも再訪だから、高なるものはなかったが改めていいところだということを実感する。六花の森でベンチに座る。旅の途中で椅子に座る、ベンチに座る、というのはいいものでずっと流れ続ける景色を一旦止めることで「ここにいた」という実感が増す。まだ飛行機に乗るには少し早いが釧路に向かうことにする。釧路に向かう間、ボイスメモをONにしてしばらく話をしていた。幼少期での記憶、学生時代のこと、その時の恋や音楽、社会人になってからのこと、自分に話しかけるように、自分の頭の中を整理するように話しかける。話しているうちにあの時のあの自分の気持ちを思い出し、今の自分といつかの自分の間にできた隙間にどうしようもない気持ちになる。このまま空港に着こうかと思った時に、釧路湿原展望台の看板が見えた。このまま帰るのは気持ちが宙ぶらりんのままになってしまうかもしれないとわずかな時間でももう一箇所訪れようと急旋回して展望台に向かった。ほとんど真っ直ぐの道を2回ハンドルを切ると展望台はあった。もう17時を回っていたのであいにく入り口は閉まっている。17時といっても全く昼と同じくらいに明るいので時間を錯覚してしまう、同じように来たものの中に入れず周りの森で記念撮影をしている人がいる、同じように周りを少し歩き、車の中を整理する。大した買い物はしていないが、旅というものは自然と積み重なっていく。荷物を整理している内に落ち着いてくる、「ここに来て本当によかったな」と本心からそう思った、内省し自分の弱さと性分を知りまたいつもの日々に戻る、この日々がいつも、だとは呼べない日々が来るのかもしれない、そして人生は続いていく。空港までの道、Stand by meが聴きたくなった、旅の最後はこの歌詞とともに締めくくろう、誰かではなく自分に向けての。
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Stand By Me
by BEN E. KING
When the night has come And the land is dark And the moon is the only light we'll see No I won't be afraid, no I won't be afraid Just as long as you stand, stand by me So darlin', darlin', stand by me, oh stand by me Oh stand by me, stand by me If the sky that we look upon Should tumble and fall Or the mountains should crumble to the sea I won't cry, I won't cry, no I won't shed a tear Just as long as you stand, stand by me And darlin', darlin', stand by me, oh stand by me Oh stand now by me, stand by me, stand by me-e, yeah And darlin', darlin', stand by me, oh stand by me Oh, stand now by me, stand by me, stand by me-e, yeah Whenever you're in trouble won't you stand by me, oh now now stand by me Oh stand by me, stand by me
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2024.08.14 (Wed)
早起きしてバスに乗りHay Market駅へ。事前にネット予約していたチケットを受け取り、はじめてのスコットレイルに乗車。日本でいう特急列車的な感じでした。前日の晩スーパーで拵えた1ポンドのドーナツとスタバのコーヒーを持って、車窓からどんどん緑が増えていくさまを眺める。

1時間でDunblane駅に到着。バス乗り継ぎまで40分あったので、駅近くの大型テスコへ。 (テスコは大きさ別に4種類あるらしい。街中にあるテスコエクスプレスから、テスコメトロ、テスコスーパーストア、テスコエクストラ。でも今調べたら他にもあった :0) 前日晩にドライヤーを誤って使ったせいで変換プラグを死亡させてたので、ずっと日本プラグに適合するやつがないかを見てた。
40分後、Stage Coachというスコットランドの遠距離走行バスに乗る。チケットは事前に予約済み。QRついてるのに結局スキャンされなかった(夜行バスもそうだったな)あれはなんなんだろう? 目的地はCrieffという街。Dunblaneも小さな駅だったけれど、バスが進むにつれどんどん景色がのどかになっていく。大量の羊や牛が草原でチルしてるのをたくさん見た。そして約1時間後、Crieff到着。ここも閑静でこじんまりとした街。たむろしていると工事のおじさんから「なんでこんなとこまで来た?」と珍しがって話しかけられる。

バス停から更に歩いて30分移動。道中に公園があったので遊具で遊ぶ。赤ちゃんはみんなかわいいけど、ヨーロッパの赤ちゃんってレベチでかわいい。途中迷い込んだ道は等々力みたいな渓谷だった。
そしてはるばる到着したのは、最終目的地であるグレンタレット蒸留所。スコットランドに来た理由の一つは、ウイスキー蒸留所にいきたかったから (恋人がウイスキーにハマってる) 本当はスペイサイドやアイラ島まで行ければよかったのだけど、時間が足りなかったのでここにした。グレンタレットは日本であまりメジャーな銘柄ではないが、スコットランド最古の由緒ある蒸留所らしい。宿泊先から約3時間で到着し、蒸留所ツアースタート。蒸留所内は撮影禁止だったが、どでかいポットスティルを生で見て、木製の樽で熟成させている部屋はお醤油みたいな麹みたいな良い香りがした。そしてグレンタレットには伝説の猫タウザーがいたらしく、ネズミの捕獲数でギネスに載ってるらしい (捕獲後彼自身が食べたらしいけど、尻尾だけ残すので尻尾の数を数えてギネス認定されたらしい :0) 嘘みたいな本当の話。
最後にウイスキーのテイスティング。自分はピートが効いてるほうが好みかな、と思いつつ、普段ストレートでウイスキー飲まないからテイスティングだけで結構なダメージを喰らう… ツアーだけで2種類飲ませてもらったのに、事前に追加のテイスティングも予約していたので(滅多に来れないので予約しよう、となった記憶だが我々以外に誰もいなかった xD) 結局すべて飲みきれず、小瓶に入れて持ち帰るオチ。場違いくらいの素敵なバーで、ウイスキーたくさん出てきて嬉しいはずなのに、2人して「飲めないよね…」って小声で言い合う日本人があまりにもダサすぎて、「私たちアルコール強くないので…」って思わず店員さんに言ってしまった(じゃあ何でオーダーしたのだ?と思われてそうでまた草ですね)


小瓶を携えて蒸留所を出発。ノリで寄り道することになり、スターリングというスコットランドの古都を経由して帰ることに。バスに揺られて1時間で到着。スターリングはエディンバラよりも更にこじんまりとした街だが、とてものどかで美しいところ。到着後smokeysというバーガー屋さんで遅めのお昼。変換プラグを購入し、スーパーで水を買ってたらまさかの日本人の方に遭遇。スターリング大学に留学しているのだとか。ロンドンやパリで会うのとはわけが違うので少し感動(相手も嬉しそうだったのでよかった)

せっかくなのでスターリング城へ。しかし思ったよりも急な坂で険しい道、連日2万歩歩いていた疲労困憊の体を引きずりながら、何度も引き返そうと思いながら頂上に到着。こんなに人いたの?ってくらい人がたくさんいて、何より最高にチルなスポットで気持ちよかった。こういうのって写真で全然伝わらないので載せないが、頑張って登ってよかった。
この時点で19時。すっかり疲れたので帰宅してもよかったけれど、スコットランド最後の夜なのでエディンバラ市内のパブへ行くことに。スターリングからエディンバラのウェーブリー駅まではスコットレイルで1時間。スコティッシュパブでビールとfish&chipsをいただく。




夜のエディンバラはまたまた綺麗で、この度を通して自分はすっかりスコットランドのファンになりました (元々映画で気になってたのもある) エディンバラはとっても美しく歴史のある街、パリやロンドンと比べて華やかさは少ないのかもしれないが、コンパクトだからこそ見渡す限り常に歴史の色香がただようので、本当にずっと浮かれていた。また来れたらいいな。次はグラスゴーにも行ってみたい。1日大移動してよかった :)

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2023/10/2〜

10月2日 昨日ちゃんとレンジでスパイスカレーを作ることができて、ちゃんと美味しかった。誰にも報告してない。こうゆう時に写真を撮っていないので報告しがいがない。
あと少しでつみたてNISAの口座設定が完了する。マイナンバーカードの登録(また?)を残すのみ。いつもマイナンバーカードのところでつまずいてしまう。
午前中、東京の事務所の同期がこちらにきていて、今日こそは吉澤嘉代子ちゃんのポロシャツの真相を確かめたい、とそわそわしてしまった。 お昼で戻る同期を呼び止めて、ほとんど初めてくらいに仕事以外の話をした。なのでなんかお互いどぎまぎしていてたけれど、やっぱり吉澤嘉代子ちゃんを聴いている方だった!わー��!
そんな感じで今日の任務を終えた感で、でも午後もバタバタとお仕事をした。明後日の出張のこととか、これからの検査のこととか、来年度の異動希望のこととか、いろんなことを考えながら今日のところは結論を出せずに、また日が短くなってすっかり暗い道を歩いて帰った。
今日は(久しぶりに復活した?)内定式だった���しく、リクルートスーツの方々がちらほらしていた。なんと来年度も2人新しい方が今の部署に入ってくるらしい。
今期の朝ドラの主演は趣里ちゃんなんですね! cosmosのPVとおとぎ話みたいをまた観たくなる。

10月3日 お金関係の手続きに一区切りがついて、でもまだよくわかっていない仕組みと、やっぱり写真展までの期間かなり使い過ぎていたことが判明したことで、ひりひりした日。 お金のことを考えるとどうしても、節約しなくては!将来の不安のために!と元気がなくなってしまう。そしてどんなに今日のところそう思ったとしても、来週くらいに起こった悲しいことを埋めるように、何かにお金を使ってしまうのだと思う。 節約したいものが何もないです。
明日は久しぶりに東京出張。雨予報が出ていて、確かに気圧の変化?で身体が重苦しい。でもそんなことも、お金のことを考えすぎてあまり感じられずにいる。
そういえば今朝はバス停が行列で久しぶりに歩いて出勤してしまったのと、お仕事もバタバタで忙しかったので、疲れてマイナス思考なのかもしれない。
睡眠負債も返済したい。

10月4日 また一つ季節が進んだ気がして昨晩、もう、いい加減休まないと!と思いながら衣替えをして正解だったな、と思った。
東京の現場へ出張してから、今住んでいる町を通り過ぎて職場へ戻って、帰る時間はすっかり真っ暗になった風景を見ながらまた戻って、移動時間が長い1日。
あわよくば途中でお金関係の手続きに銀行へ行きたかったけれど、そんな余裕もなく、一瞬降り立った池袋でコジコジの催事がされているのと今日もポケモンカードの機械にメンテナンスが入って、並んで待っている人がいる様子を見ながら乗り換えをした。
なんとなく今持ち場でぬるま湯?的な心地よさを感じつつあり、結局、移動希望の意をはっきり示すことのない調書を提出した。
1番疲れる木曜日を目の前にふらふらで、やっぱり今日は出張先から直帰すればよかったかもしれない。
スーパーで今月から1000円お買い物ごとに一ポイントずつ貯めてピーターラビットグッズと交換できるキャンペーンが始まって、ぬいぐるみが可愛いので貯めてみようかな?と、このポイント・クーポン沼に入ろうとしている。

10月5日 もうエアコンを入れなくても一晩過ごせるようになった。 昨日からへとへとだったので、朝のバス停が長蛇の列だったけれど、乗れるのでは!と祈るように並んでみる。結果、私の前10人くらいを残して満員となり出発してしまった。職場まで5〜6kmの道のりを歩いて、前に並んでいた人を途中で見かけて、たぶん同じ様に絶望しながら歩いていた。
今日は久しぶりに細かい用事をこなして、自転車でくるくると移動した日だった。 今月から新学期が始まり、学生さんの自転車が乱雑に置かれる駐輪場に自転車を停めたら、取り出せなくなってしまい、隣の自転車のストッパーが外れて動き出してしまう。わたわた2台を抑えて動けずにいたら「バカな奴がいるんですよね、抑えてるから大丈夫っすよ」とたぶん学生さんがビーサンの足でストッパーをかけてくれる。普通に、かっこいい!と嬉しくなり「ありがとうございます…」とお礼した。 ふと視界に入ったちょっと困っている人を当たり前に助けられるのって、社会人であまりいない気がしていて、お仕事相手とか自分にとっての存在価値を自然と図って、ここで助けた結果までジャッジできてしまうからなのかな、と思った。 いつまでもかっこいい人でいて欲しい。
お仕事のことで、決定的な私だけのミスではないけれど、確実に自分にも起こってしまったことを防げたポイントがたくさんあったミスが起こってしまい、解決できたけれど少し落ち込んだ。けれど!それよりも!定時になったら全てをほっぽり出して帰りたかったり、今日初めて行った部署の温室の隣にあるプレハブ小屋みたいな事務室で猫を飼っていたこととか、そっちの方がずっと気になってしまうなんて、いつまでも本当の真面目にお仕事に専念なんてできない気がする。
明日は通院なのに今日まででへとへとを使い切ってしまった。
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7/29
行きのバスは、かなり酔った。バスが2階建ての上段席であったこと、ドイツの道が非常に凸凹であること、運転手がまじでブレーキの扱いが下手だったことが原因であった。しっくりくる体勢が見つからず、ずっと芋虫のようにくねくね動いていたら、気づいたら3時間が経過し、何だかんだあっという間にプラハに着いた。すでに時刻は13時であった。
Mittweidaでの暇な期間に死ぬほどリサーチをしていたため、Googleマップはすでに星マークだらけ。目星をつけていたパン屋やカフェなどをルート通り辿りながら、プラハの街並みを楽しんだ。もちろん治安はそこまで良くない。物乞いは多いし、ゴミも散乱している地域が多かったが、それでもかなり素敵な街並みであった。迷路のような道は僕の足腰を無駄に疲弊させるが、行く先々で様々な出会いがあり、歩くだけでテンションが上がる街だった。途中道に迷い、間違って虹色の旗を片手に、LGBTQのイベントに参加してしまった。大盛り上がりのステージ前方には、チェコ版のマツコデラックスのような女装をした屈強な男が、客に向かってダイブをしていた。間違っても僕のいる方に運ばれてきませんようにと祈りながら見た。なんかよくわかんなくておもしろかった。夕方には高台に登り、夕陽を眺めた。高台には多くの人が芝生にレジャーシートを敷いて日の入りの瞬間を待っていた。そして、太陽が水平線に近づくにつれ、少しずつカップルのキスが増えていった。中には、子供を連れた夫婦が、子供を挟んで熱いキスをしている場面もあった。子供の教育に良いのか悪いのかも良くわかんなかった。夜は夜景を見に、昼に行ったカレル橋を再度訪れた。今まで僕が見た夜景の中で間違いなく一番綺麗な景色であった。カレル橋と、その後ろにはプラハ城。音楽とか映画に心を動かされることは多いが、景色にここまで心を奪われたのは初めてかもしれない。素敵な夜になった。気づいたら、夜行バスの時間まで20分を切っていた。Googleマップで調べると、ここからバス停まで2.4km、徒歩34分。ナイトクラブやジャズバーで盛り上がる夜のプラハを、全速力で走り抜け、ギリギリバス停に到着。ここ最近かなり引きこもりをしていたせいで、バスに乗る頃には僕の脆い膝は限界を迎えていた。今日1日で30085歩。プラハ、必ずもう一度来たい街。
↓名前忘れたけどかなり美味しかった

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せわしなき芽吹き
まいにちよくこんなに眠れるな、というくらい眠っています。きょうは、偏頭痛の薬が切れてしまったので脳神経外科へ。といってもうつが重すぎて全然歩けなかったので、母親を連行して電車に乗りバスに乗り、診察3分で脳神経外科を出て、薬を貰いバスに乗り、ミスドに寄ってなんかおいしいトマトレモン塩海鮮涼風麺みたいなものをたべて、電車に乗ってかえってきた。帰ってきても薬を飲んでもあたまがいたくて、オエーッとなっていたが、11日午前3:51現在やっとおさまってきた。が、頭痛疲れをしてしまって全然眠れる気配はない。毎日面白く過ごしたいなあとおもうものの、朝から希死念慮!おわりです!という感じで結局夕方まで寝てしまったり、ほんとうに人生の浪費。でもここでしっかり眠って治療を進めておかないと(なぜか眠ることが必要だと思っている。不眠のとき眠れなかったぶんを取り返しているのだと思っている)、のちのち全然なにもかも上手くいかずそうそうにしっぽを巻いて逃げ出すはめになるので、とにかく体の命ずるがままに寝ている。4月はどうせ医師からのストップがかかっていて働けないし、しばらく寝てみてもいいかとも思ったのだ。
小説は1日4000字書きたいところだが、なんだかんだで2000字くらいになってしまって、ぐあいわるのせいで書けない日もあるので、まあ2000でも書きゃいいか、ゆっくりでも進めばいいか、という気持ちになっている。2作目はうさぎの話になった。一応ここにも貼る。
青天のもちつきうさぎ - Privatter https://privatter.net/p/11468563
全然何も起きないしこれは小説ではないというひとのほうが多いと思う。書き始めて1週間くらいの2作目だから許して。うそ、許してくれなくていいです。小説を読む人は、過激で狭量で、そういうのがいいと思う。今は3作目の、水色のスカートの女の子の話を書いています。(これもぷらいべったーで読めます)
カウンセリングの先生に言われたことがいい方向にはたらいて、もしかして、焦る必要はないのかもということが、やっと実感として行動にあらわれはじめているのかもしれません。あたまいて。私はやはり、ソーシャルワーカーというより、公認心理師だな、という気持ちがしており(傷ついた子供たちとかかわるうえで)、でも公認心理師なんてめちゃくちゃ遠い道のりなので、まずはやはり精神保健福祉士を目ざして、取得したらそれで就職しよう、公認心理師のことはそれから考えよう、と長い目で(長い目で?)目標をもてるようになった。そして、精神保健福祉士を取るまでは、やはりまた本屋で一旗あげようという気持ちになっている。そのためには体力作り。と言ってもこれも焦るものじゃなくて、まずは家の中でできることから。寝たきりじゃなくて座っている時間を増やすとか、お風呂にできる限り毎日はいるとか、そのていどの、体力作りから。そうじゃないと全然なにも長続きしなくて、逆に時間がかかる。見せてやるよ、ほんもののスモールステップってやつを。もうしばらく、あと何ヶ月かは働かずにひたすら体力作りをして、いい感じになったら、本屋に応募して、それも急がずに、行きたい本屋の求人が出たらにしよう。あたまいてて。今は本当に、むずかしい。なぜなら父親と同居しているから。私は本当に父親が嫌いで、許せなくて、人間として「無理」が強いのであるが、この状況下で治療をするよりほかになく、じょじょに強くなっていかなければいけない。嫌いな人間(嫌いを通り越して「殺したい」のであるが)が同じ家にいるというのは、とても、とても、私の想像以上におおきなストレスで、この家にいる限り、ほんとうに治療は進むのか?はてな…という感じだが、そこは楽観的に考えるしかないだろう。たった一人の嫌いな人よりも、私を好いてくれる数百人の人からの影響を大切にしたい。私はこの世の人類大抵全て好きだが、やはり父親のことは好きになれないと思う。とても無惨なかたちで殺してやりたいと思う。この異常な殺意がどこから来ているのか、私にももはやよくわからない。17の頃だったらはっきりと答えられたと思うのだが、私は歳をとりすぎて、過去は薄くなり、殺意だけが残った。その殺意もかなり軽いものになったので、このままもっと軽くなってほしいと思う。
赤森さんが日記本のお話を進めてくれている。この日記が本になってしまうのかよ!と思うとぞくぞく(わくわく?)するが、私の体調がわるすぎるため停滞している。申し訳ない。この日記も、だいぶん腑抜けでかすかすな日記になってきたと思う。4年以上続いているのが奇跡だが、内容はどんどん薄くなってきていると思う。ほとんど体調日記。というのも、眠れない夜に書いているから。もっと面白く日記を書いていた頃は、逆に日記を書くのに時間を��けすぎて遅寝になっていた。まあそれも青春の一つ。いまは、Twitterでもそうだが、感じたことをあまり文章にしない。口語にもしない。本の感想なども、とくにアウトプットしない。どんな本を買ったとか、これからこれが読みたいとか、そういうのを外に出すのは、もう若くないからしなくていいか、というか、承認欲求みたいなものが薄れてきたのかもという感がある。昔はよく、月に1回は買った本紹介のひとりスペース録音をしたりしていたのだが、そういうのも別にやりたくなくなった。買った本は今でも普通に積んでいるが、紹介したいみたいな欲がなくなった。読み終わった本だけ、話をしようと思う。そして、読み終わった本も、著者に益するようにと2、3のツイートはするが、まとまった文章でアウトプットしたりはしない。本は読めばいいのだ。そのことを私は長らくわかっていなかったと思う。本にマーカーを引いたり付箋を付けることはやめた。読み返した時にノイズになるから。本はまっさらのまま、ただ読めばいいことに気づいた。何がどの辺に書いてあったかは、記憶しておけばいいことだ。何年もかけて読んでいる大澤真幸の『資本主義の〈その先〉へ』だが、これも残りはまっさらなまま読もうと思う。そういえば、『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』では、論文を書くための引用のための色分けでマーカーを使うことを推奨されていたが、私は研究者ではないので論文を書かないし、趣味で本を読んでいるだけなので、本はまっさらなままでいい。忘れるなら忘れるだけの人生だ。詩集に線を引こうと思わないように、人文の一般書にも線を引かなければいい。私は頭が悪いのでマーカーを引いて付箋を貼ってノートにまとめながらしか本を読めないと思っていたが、そんなことはもうしなくていい。ただ読んで、理解が不足していると思ったら、もう一度その箇所を読めばいいだけだと気づいた。読む気が起きない時は無理してマーカー引いてまで読まなくていい。読みたい時に集中して読めばいいだけであったのだ。そして一冊を読み始めたらその内容を忘れないうちにその一冊を読み切る。本の読み方として当たり前だが、最近やっとこれができるようになった。私って37年目にしてやっと本が「読める」ようになったんだなと思う。これが今年1番大きな変化です、今のところ。読みたい本がどんどん本棚から出てきて机に積み上がっている。またあっちこっち読まずに、一冊の本を集中して読むように、訓練していかなければ。
2025.4.10
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250221-23 韓国・ソウル編
ただいま!
おそらく人生初だな5泊6日の旅
感想、すごく楽しかった!けどやっぱり疲れたね
今回は一人だったけどこれが家族、友人となるとまた楽しさも感想も違ってくるんだろうなと旅の間何度も思った
今まで旅に行くたびにしっかり感想を書きたいと思うけど長くなるから書き切る前に疲れちゃって下書きに残ったままの日記が複数ある
今回こそは絶対に残したい、と言う気持ちで前半(ソウル)、後半(釜山)分けて書く
いきます、
21(金)初日
朝イチとまではいかないけど10時台の便だったからチェックインのことも考えて朝早く家を出た
平日だったから誰かに送ってもらうこともできず小学生が歩いて登校してる中でかいキャリーをゴロゴロゴロしながらバス停に向かった
空港着、今回は初めてのエアソウルを利用したチェックインまで20分くらい待ってチェックインと荷物を預けを済ませた
韓国の友達が空港まで迎えにいくよって言ってくれていたので早く空港を出られるようオプションを追加して(といっても500円)優先荷物受け取りのサービスを追加してみた
あのレーンの前でじっと自分のキャリーを待ち続けるの地味にストレスだよね
特に遅延もなく離陸からの着陸
そのまま足早に入国審査のエリアに行って紙をささっと書いて
過去ニ回とも第一ターミナル着のジンエアーを利用したから今回初めての第二ターミナル、いろんな航空会社の飛行機が着陸するからか私含め外国人の方が多いきがした
入国審査めっちゃ並ぶって聞いてたから1時間くらいかかるのかとビビってたけど15〜20分くらいで行けたと思う
でもさ、自分の番が来る直前にさっき書いた入国の紙がない!って(多分書いた台のところに置いてきた)なってめちゃくちゃ焦ったけどその紙書いてる時にこれいつも書く内容忘れてその場で調べたりするの大変だから予備でもう一枚もらっておこうと思ってパスポートに挟んでたから小分けの列の後ろに戻って急いで新しい紙書いたから被害は最小限に抑えられた
この時点で到着して30分以上経ってたから入国審査終わって荷物受け取りのレーン行った頃には私の荷物含めて3つくらいしか流れてなかった、500円無駄にしました(お勉強代ですね)
自分のキャリーもゲットして自由の身だ〜ってなったところで迎えにきてくれていた友達とも合流できてまずハグ、大好きハグ
ちなみに会話はできない、全部携帯の翻訳
そろそろフレーズだけでもいいから覚えようねと思った
ちょっと待ってたらアッパが颯爽と登場して荷物乗せてその日泊まる宿があるホンデまで送ってくれた
お土産で持って行ってたお酒を渡したらすごく喜んでくれてよかった
普段お酒を飲まないから詳しく無いけど学生の時バイトしてたお店で出してたやつが美味しかった記憶があってそれを頼りに選んだ
一応福岡、九州のものを選んでみた
その後アッパも一緒にお昼食べるかと思ってたらそのままお家に帰っていった
また夜ごはん食べる時に来るって〜だって
娘の友達を送ってくれるためだけに休日の貴重な時間を…なんて優しい…ここで私の父との違いを感じ感動
その後荷物を預けてお昼ご飯を食べに行った

ここ私的今回の旅で一番衝撃的な美味しさだったお店
中華料理だと思うんだけど
食べたことない味だけどなんかもう美味しくて、うまい!うますぎる!!!って感じ無心で食べた
韓国に行ったらつい韓国料理を食べようになるから油断してた、ここはまた行きたい
その後友達と毛糸屋さんに行ってその上に併設されてるカフェで編み物やってみた
ここにいる人みんな1人でひたすら編んだりお友達たくさんで編んでたり楽しい空間だった

私の買い物についてきてくれて一緒に毛糸見てたら私もやって見たくなったと挑戦する友達、がんばってた、私はスイスイと編むかと思いきやいつもとは違うかぎ針編みだったので二人して全然できねぇ〜となって終わった
その後はオンニと友達の家族と合流してタッカルビを食べに行った!
ちょいと予約の時間に遅れてしまい事前に注文しててくれたみたいでお店に着いたらすでに完成していた
オンニとオンマが素早くテーブルセッティングしてくれるのを眺めてすごい!となる私(あなたも手伝え)


タッカルビ、家でもどきみたいなのは食べたことある気がするけど本気のタッカルビはなかったから初、美味しかった
エゴマの葉を入れて食べて、麺を追加して食べて最後にご飯入れての三部構成だった、鍋食べる時みたいな流れだったね
私があまり辛いものに強くないから辛くないのにしてもらったよ!と言われたけど少しだけ辛かった、けど本当においしかった!
辛いものは好きなんだけど強くないという悲しい性質韓国の辛くないレベルでも全然辛く感じて日頃から食べてるからかと感じた
2日目!
朝昼ごはんにカルグクスのお店に連れてきてもらった

まず左上の前菜セットが出てきた、
ご飯にエゴマ油をかけてちょっと食べる、その後にコチュジャンをかけて混ぜて即席ビビンバのようにし食べるんだって
アッパはもう最初からエゴマ油とコチュジャンかけて混ぜて食べてた
コチュジャン摂取を極めていた
これ具材がたくさん入ってるわけじゃないのにすごく美味しくて帰ってきた今でも家でよくやってる
そして海鮮チヂミとカルグクス
左は冷たい豆乳スープ麺で右はアサリが入ったあったかいうどん
韓国人は夏に暑いからこの冷たい豆乳スープのカルグクスを食べるんだよ〜って教えてもらった
そうめんとか冷やし中華的なポジなのかなと思った
オンマ、朝だけどマッコリ飲んでいいかしらと言って飲んでた(かわいすぎる)ので私もすこしいただいた
初マッコリ&初朝から飲酒で楽しかった
その後は私が行きたかった東大門市場まで送ってもらって布を買いに行った、
安かったなーツイード生地が日本で買うより1/4くらいの値段で買えて満足!
その後布ゾーンからリボンとかデコパーツゾーンに移動した
土曜だったからか子供から大人まで家族で来てたり自分の好きなものを作ることへのハードルがすごく低くて自分のアイデアを形にしやすいのいいなーと思いながら眺めてた
その後KWANGYAに寄って먹2Uに登場してたチキンのお店に行った

どうやったらこんなパリッパリカリッカリに仕上げられるんだと感動して食べた
味も美味しくて後半はヤンニョムソースにつけながら食べるのもよかった
店員さんもトレカとかぬいを見てシズニ?写真撮ってあげるよー携帯貸して〜とやさやさだった
3日目!
この日は威神のソウルコンに入る日だったの��お昼ご飯を一緒に食べて別れた


ミナリ&しゃぶしゃぶ
スープも辛すぎず豚スライスとミナリときのこと一緒に食べるの美味しかった…
お店の情報はない!記録し忘れた

そして近くのカフェで時間までお茶しよ〜って入ったお店でまさかのお誕生日おめでとう〜してもらった
お店の中では火つけちゃダメって言われたみたいでちょ、外出てって連れてかれて外出てろうそくフ〜しました
嬉しくて号泣、書いてないけどこの3日間で合計8回くらい泣いた、ずっと優しくてご飯食べる時あったかくてこんな幸せでいいものか…と胸いっぱいだった
この後威神に行ったんですけど写真これ以上貼れないので一旦終わる!
ほぼご飯
ずっと美味しかった
次は後半釜山!書くぞ!

↑渡す前にバタバタ撮った酒の写真(記録用)
・米焼酎の「鳥飼」←これはすごく飲みやすくて美味しかったはず
・日本酒「若波」←なんかよく見かけるから多分おいしいはずと思って買った
・あらごし梅酒「うぐいす鶯とろ」←これも果肉が入ってて美味しかったと思う
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2110kmの旅
福岡に行ってきた。全部
陸路で。
私の壮絶な旅、もう2度としないと心に決めたけど、経験として日記に残しておこうと思う。
週末前なのに積まれた採血の山を捌いて、なんとか定時で夜勤を終わらせた。前日にある程度準備した必要最低限の荷物の最終確認をして、前日にようやく取り込んだ最新のアルバムの曲たちを聴き込む。15時半発の高速バスに乗って、思いついた最大限まで西に向かう。その時点でおかしい。もっと新幹線とか使えばもっと西に行けたのに、なぜか名古屋で前泊をした。ちなみに乗ったバス停から次の乗車扱いのバス停までの距離(電車一駅分くらい)で乗り物酔いして、食べようと思ってたパンは中津川すぎるまで食べられなかった。
名古屋に足を踏み入れたのは2年ぶり。もっと言えば名古屋駅は3年ぶり。名古屋の街を最後に歩いたのは大学4年生の時。21時前の名古屋駅にはたくさんの人がいた。名古屋の地下鉄はいまだによくわからない。覚えていたのはよく使ってた路線が青色だったということ。なんとか地下鉄乗り場まで行って、道に迷いそうになりながらホテルに向かう。伏見で取ったホテルはコスパが良くて大満足。大浴場にサウナ付き。時間ギリギリに入ったからそんなに時間はなかったけど、夜勤の疲れを取るには十分。寝坊したらどうしよー、とか考えながらも、泥のように眠れた。
6時に起きた。ホテルから名古屋駅までのバスチケットが早朝から先着で配られるらしく、これを使わない手はない!と寝起き姿のままフロントに出向き、残り数枚になっていたチケットを獲得。このチケットの存在を知っていたら、もっとはやい時間の新幹線を予約しておくんだったなー、と今になって後悔する。伏見駅から名古屋駅は電車で1本なのに、迷う自信があったから余裕を持って新幹線を予約したんだけど、もっと調べておくんだった。
そんなこんなで快適に名古屋駅まで到着。10月からずっとリアルタイムで見ていたオーディション番組の最終回が10時から配信。新幹線は11時。1時間駅構内のカフェで朝昼ごはんを食べながら配信を見ていた。(この話は長くなるからまた今度。) 新幹線に乗っても見ていた。ずーっと見ていた。おかげで新幹線で暇をすることはなかった。3時間半かけて、名古屋から福岡でたどり着いた。思ったより岡山〜広島間が長く感じた。海を渡るところを見たかったのに、気づいたら小倉にいて、見れなくて残念だった。
今回の福岡の目的は、SixTONESのドームツアー。モチベーションはあんまりなかったけど、希望休が出せる日程だけを申し込んだら、見事に福岡だけ当選。ロッカーをなんとか探し出して、うちわとペンラと充電器だけを持って会場に向かう。すでに空港線は人だらけ。会場までの道のりとか調べてなかったけど、人の波についていったらなんなくたどり着けた。福岡paypayドーム。ドーム公演は2年前の東京ドーム以来2回目。前回のツアーは泣く泣く見送って、そこからモチベがなかったから、久しぶりに、ああ、ライブに来たんだなあ、とちょっとワクワクする。1人でこの事務所のライブに行くのは3回目だけど毎回緊張する。小雨が降っていて、寒くはなかったけど、もう少し暖かい格好をすればよかったなあ、なんて思いながら会場入りする。
席はなんとなんとなんと、6回目のツアー参戦にして初のアリーナ席!しかも端だけど実質前から2列目、メンバーが外周移動したら確実に汗が飛んできそうな距離。これはやばい、これはやばいかもしれないとひとりで高まる。一番くじとかって物欲ない方がいい景品が当たったりするけど、まさしくそれで、高望みしない方がいい席になるんだなあ、とちょっと思った。
公演は・・・・・とても・・・・・・・・よかった・・・・・・・・!MCが自分史上最高に中身がなかったけど、気づいたら55分もやってたらしい、それで公演時間2時間50分って、過去最長すぎて笑ってしまった。オノデラさん手作りの井戸、今後活躍する場所が出ればいいなあ、と思ったのと、今回東京ドームのレポも読んでなかったけど、給水タイムでボケる自担が愛おしすぎて、さらに愛が深まりました🫶 あと、やっぱ席が近いってすごいなあ、って思ったのが、トロッコ(というよりはもはや海賊船みたいな感じだったけど)での移動の時、メンバーの4/6の顔がはっきり見えて、なんなら京本さんは隣のきょも担さんのおこぼれもらってファンサをもらって、まじで京本さん同じ人とは思えないくらい顔小さくて鼻高くて美形すぎてびっくりした・・・・・・・。髙地も満面の笑顔で手振ってくれて、慎太郎もじゅりもまーじでかっこよかった。自担は肌が綺麗すぎて発光していた・・・・・・・・すき・・・・・・・。前の方の席あるあるなのかわからないけど、銀テープが飛んでこなかったのだけが悲しかったなー。手に入れたかったけど、話しかける余裕も���胸も私にはもちあわせていませんでした・・・。
当選日にホテルを探したんだけど、その日は別会場でハロプロ、ドーム下のZeppでバニラズのライブやってたから、まーーーーーーどこもホテルがない!男性専用のカプセルホテルか、素泊まり40000円のバカたかホテルしかなくて、考えた結果私が出した結論は
夜行バスで本州に帰ればいいんじゃね?
でした。ということで公演終わり、本当は博多ラーメンを食べたかったけど、いかんせんMCで公演時間が伸びたので、お土産をバスセンターのコンビニで買うことしかできなくて、福岡らしいものを何一つ食べることができず、滞在時間わずか7時間(うち公演3時間、開場で1時間、会場への移動往復1時間半)で福岡とさようなら。なんとか次の日の着替えだけ買って、スカートからパンツにだけ履き替えて、京都行きの夜行バスで、同じ公演にいたんだろうなあっていうお姉さんたちで満席になったバスで本州へむかった。
夜行バスでなんとか寝て、気づいたら京都。朝8時半にすっぴん裸眼、土地勘なし、体力なしで満身創痍の女が爆誕。当初の計画はそのまま9時発の高速バスに乗ろうと思ったけど、流石にお尻が褥瘡になりそうだった+京都でお風呂はいれば?という助言で、一旦京都に着陸。生まれ育った地域の檜と、今住んでいる第二の故郷の溶岩を使用した温泉を偶然見つけて、満身創痍女は徒歩10分の道のりを倍の時間かけて移動。温泉につかった時はライブを除いたこの3日間で1番に幸せな瞬間だった。
ゆっくりお風呂に入って、体力と気力を少し復活させて、帰りどうしよっかな〜〜〜〜〜〜。の悩みに。結局時は金なり方式にはならず、最安で帰れる道で、JRで京都〜名古屋、名古屋から高速バスで帰った。京都駅改札内の蕎麦屋さんで3日ぶりにまともなご飯食べた。美味しかった。JRで一瞬だけ岐阜に立ち寄って、少しだけ岐阜の空気を吸ってきた。まあ大垣だから私とは無縁なんだけど。なんだかんだバスの30分前に名古屋到着、エスカのマツキヨで足リラシートを買って、バス乗った瞬間に足リラシートとホットアイマスク装着して秒で爆睡、途中の休憩で少し起きたけど、総じて爆睡して気づいたら甲府に到着。
てなわけで、総移動距離2110km、移動時間23.5時間の壮絶陸路旅。言う人みんなに「なんで飛行機使わなかったの?」と言われるけど、ひとりで飛行機乗るの怖くて乗れなかっただけ🥺なんですよね・・・・。20代のうちに、ひとりで飛行機に乗って旅ができるようになりたい、というか、なろうと決めた3日間でした。総じて楽しかったけど、もう2度としない!!!!!!そしてまた来年もツアーに行けますように🫶 できれば人と一緒に行けますように・・・。
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2024.11.19
日本人の多くは仏教徒だよね。君は仏教徒か?10日間のスリランカでこの質問を何回されただろう。初めのうちは、無宗教だけど仏教の教えとは身近に生きてきた。と答えていたが聞かれれば聞かれるほど、仏教徒というのは何を意味するのだろうかと考えさせられた。
スリランカの第二都市であるKandyでSadunとSamanに出逢った。スリランカに到着してから土着の人ではないという理由だけで毎日数えきれない人たちからお金を乞われたり、ぼったくろうとされた。2人に最初に声をかけられたときは、またか、と思いながら適当にあしらおうとしていたのだが、少し話をしていると純粋に話したかっただけのようだった。結局その日はKandyを半日案内してもらい、宿まで送ってもらった。翌日からはスリランカを訪れるきっかけとなったGeoffrey Bawaが建てたHeritance Kandalamaに行く予定だと話すと、どうやって行くのかと訊かれた。バスだと答えると、Kandalamaまでの道中には見るべきものがいっぱいある、バスだとそういうところに寄れないからトゥクトゥクで送ってあげるよ、君にとってもきっといい経験になる。と言われた。KandyからKandalamaまでは2時間ほど離れている。バスの方が安いからバスで行くと伝えると、いくら払うかは自分で決めていい、その答えがタダならタダでもいいと言われ、うますぎる話に半信半疑ながらもその誘いに乗ることにした。翌朝8時に宿まで迎えに来てくれて、まずはKandyの中心部から20分ほど離れた小さい村にあるSamanの���に行き、彼の家族とセイロンティとともに団欒した。Kandalamaまでの道中、のどかな田畑と熱帯系の植生の景色が続く小さな村に、ぽつんと仏教寺があった。スリランカ全土には小さい寺院が数千と存在し、その寺院がある村々には100-150の家族が住んでるという。そして一家族が1日ごと順番に僧侶たちの食事を用意すると教えてくれた。自分を犠牲にして人々のために全てを捧げた仏陀、つまり僧侶たちへの感謝の行為であり、これはスリランカで2700年以上続く伝統であるらしい。スリランカに来てから、SadunとSamanだけでなく色々な人からカルマという言葉もよく耳にした。良い行動は良いカルマとして自分に返ってくると。そういえば昨日Kandyを案内してくれたのにも関わらず、お金は一切求められなかった。半日私の行きたいところやしたいことに付き合ってもらった上に、彼らの商売道具でもあるトゥクトゥクで移動していたので、宿に着いたときに私の気持ちのお金を渡した。そのときにも、ありがとう。これはgood moneyだ。私たちは本当にカルマを信じていて、Rikuにもgood karmanがきっとあるし、訪れる。と言っていた。私は村人が僧侶たちのために食事をつくるという伝統の話を聞いたときに、仏教というのはどういうものなのかということを深く理解した。それと同時に2人のことを少しでも疑った自分を恥じた。もちろん仏教徒であっても(スリランカでは約70%が仏教徒である)皆が皆良い人とは限らない。スリランカに来てから、押しの強い客引きや、わざと同情を利用した行為に良い気分がしなかったことも何度も起こり、人にもお金にも敏感になっていた。しかしそのとき私は、清らかなさらさらとした心地よい中で生まれた、心が押しつぶされるような気持ちをどこにもやりようがなく、トゥクトゥクの後部座席に座りながら静かに泣いていた。
景色がいいところで停まったり、昼食を共にしたり、約2100年前にDambullaという都市にある巨大な岩山を掘ってつくられた洞窟の中にある寺院を訪れたり、途中トゥクトゥクを運転させてもらったりしながらホテルに到着した。翌日の予定を訊かれ、5世紀に栄えた王国Sigiriyaの遺跡に行くつもりだと伝えると、10時をすぎると暑くなる(マチュピチュのような遺跡で入り口から頂上までは1時間ほどかかる)から早朝に出発した方がいい、よかったら明日も送ってあげるよ。友達の家が近くにあるから私たちはそこに泊まる。その辺りには原始的な生活をしている小さな村もあって、そこで触れられる体験はRikuもきっと気にいると思う。と言われた。その日彼らとずっと話していて、彼らがどういう人間か理解し、私がどんな人間でどういうものを求めているのかも理解していてくれていたので、今回は迷うことなくお願いした。ホテルで夕食を食べると高いだろうから、また夜迎えにくるから友達の家で一緒に食べないかとも誘われたがGeoffrey Bawa建築を堪能したかったし、連日の移動の疲れと自分の中で消化したいこともあったので、その誘いは断ることにした。
翌日遺跡を訪れた後、Samanの弟の娘が働いているフルーツジュースが美味しいカフェで少し休憩し、人里離れた村へと向かった。トゥクトゥクで行けるところまで行き、そこからは水牛に引かれてジャングルとも森ともつかない景色の中、湿気を含んだ空気が肌にまとわりつくのを感じながらゆられていた。20分ほど進んだ先には、東南アジアの原風景(スリランカは南アジアだがここだけは少し違っていた)という言葉が似合う景色が広がっており、村人たちが長い年月をかけて歩いてつくった轍が続いていた。横には湖、反対側には家が小さく見える。湖岸には村人が手でつくった小舟が数隻あり、そのうちの一つをだしてもらった。風も声もなく、ただ静寂が漂い、平和そのものだった。Sadunがたまに陽が沈んでから友達や家族と飲んだり話したりすると言った瞬間、私はその光景を想像した。今みたいに肌を焼く太陽は姿を隠し、月明かりが湖一面を照らす。もしかしたら夜は虫たちの歌声が聴こえてくるかもしれない。澄んだ静寂は愛する人たちとの会話で掻き消されるが、この平和はそこにあるままだ。これ以上何を求めるのだろうか。水面を覆う蓮の葉で帽子をつくってもらったりもした。昼食をそろそろ食べようかということで湖岸へは私が舟を漕いだ。先ほど遠くに見えていた家に到着すると、まだこの世に生を受けて10ヶ月しか経っていない子どもを腕に抱えながら料理をしている30代ぐらいにみえる夫婦が待っていてくれた。家の柱や壁、台、椅子などは木と土で、屋根はココナッツの葉でつくられていて、窓はない。電気やガスは通っておらず、水も近くの井戸に汲みにいくという。土でできたかまどの前で奥さんが子どもをあやしながら、土鍋で炊いている米の具合を確認していて、旦那さんは裏の庭でとってきたココナッツを割ってウェルカムドリンクをだしてくれた。裏庭で採れた野菜とスパイスでつくった3種類のカレー、ココナッツから抽出した油をつかった湖で釣った魚のフライ、ココナッツの果肉をトマト、スパイス、ライム汁を合わせてすり潰したもの(これが一番美味しかった)、すべて自分たちでつくったもので昼食を振舞ってくれた。お腹いっぱい食べた後には屋根になるココナッツの葉の編み方も教わった。彼らは住処を建てられて、舟の作り方も知っていて、近くでは魚も釣れて、フルーツや野菜の育て方も知っていて、またそれを余すことなく食べて、残った食べられない部分の他のことへの使い道も知っている。もしかしたら”教育”こそ受けていないかもしれないが、彼らは”自然”をよく知っている。
Sadunが言っていた。ここの村では気候が比較的いいので人々は”自然と生きる”伝統文化が残っている。他には酪農や陶磁器、ジュエリーなどその土地の環境に適したそれぞれの伝統が色濃く残っているらしく、お互いの伝統を交換して足りないものを補い合い、支え合いながら伝統を守っている。ここでの生活はシンプルでお金は持ってないが皆、”生きる”ために仕事をして平和に幸せに暮らしているのだと。しかしスリランカでも現代化が急速に進んでおり、今の若者はこの生活を知ることはなく、遠くない未来にはそれらの伝統は消え去るだろうと嘆いていた。Sadunは知識が豊富で、今世界で何が起こっているのか、何が流行りの思想なのかも知っていた。だからこそ彼は、私をここに連れてきたかったのだろう。
これを書いていると2人の顔が見たくなりSadunに電話(Samanは携帯を持っていない)をすると、彼の気持ちのいい笑顔が画面に広がった。内臓が少し悪く、この数日間入院していたと言われ心配したが、今は回復して翌日には退院できると聞いてひとまず安心した。電話中にちょうどSamanがSadunの見舞いにやってきた。本当に仲がいいなとこちらまでほっこりし、最後2人と別れたときのことを思い出した。私が3日間の感謝の気持ちのお金をSadunに渡したとき、Samanに気づかれないようにその3分の1を受け取り、残りをSamanに渡していた。仏教の教えに「自他不ニ」というものがある。Samanが見舞いにやってきたことも、Sadunが自分の取り分を少なくしたことも、彼らが私にしてくれたことも、そのすべてがその教えを体現していた。
私は自分を仏教徒だと思ったことはない。スリランカでの体験をした今、なおさらそう簡単に口にはできない。しかし、今まで以上に仏教の教えとは身近に生きたいと思うようになった。2人に感謝する。
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住環境に対して思うこと
東京に住み始めて半年が経った。 「慣れた?」とよく聞かれるが、慣れたと言えば慣れたが、馴染んだとはまた別の感覚な気がする。
20歳で一人暮らしを始めて、気づけばもう13年。 振り返ると東京で5つ目の借り暮らし生活。今のところ家を買う予定はないので、このまましばらくは転々と賃貸生活が続く予定。 せっかくなので、少し振り返ってみたいと思う。
*2011年10月〜2014年3月(2年半):神戸六甲 片道2時間の通学時間に耐えきれなくて、2回生の前期��単位を落としまくり、母と喧嘩別れのようにして始めた一人暮らし生活。 不動産屋さんの内見も一人で見に行ったし、契約時に親がいたようないなかったような。ほぼハンコだけ押してもらっただけな気がする。 (今思うとなんと可愛くない娘…笑) 6畳1Kで値切って5万円のハイツだったけれど、学校まで歩いて 15分、駅まで徒歩7分と立地も気に入って、何より初めての一人暮らし生活にワクワクして、大学生の私はこの暮らしに十分満足していた。 朝が苦手ということもあり、8時に起きても1限に間に合う生活はそれだけで贅沢だった。 友達が遊びに来た時はたしかに狭かったけれど、学生だからあまり気にしなかった。まな板を置くのがやっとのキッチンでも気分良く自炊していた。 お風呂とトイレが別になっている点は唯一こだわったところだったような。 *2014年9月〜2016年6月(1年10ヶ月):静岡県三島 社会人になって、数ヶ月のホテル缶詰生活を経て、初めての初任地は三島だった。 特に都会に住みたいとも当時思ってなかったから、「三島配属」と言われて、とりあえず静岡の端っこの方なんだな、くらいしかあまり印象がなかった。特別嫌でも、嬉しくもなかった。 住んでみてからは何よりも仕事が大変で辛くて、そのせいか、今ではあまり三島という場所に愛着がない。笑 当時はなぜか2口コンロであることにこだわりがあって、駅から多少遠くても良いので、2口コンロのそこまで古めかしくないマンションを当時の上司と一緒に探した。 新人の住居は直属の上司と共に探すというのがその時のルール。 独身寮ならではのルールも決まっていて、30平米以内で三島の家賃上限は5.5万円。いくら静岡の片田舎といっても5.5万円じゃオートロック付きのマンションもあまり見当たらなかった。 築7年、駅から徒歩 15分(体感は17分くらい)ほぼ30平米の1Rマンションを選んだ。 車もなく、周りにはドラッグストア、電気屋、スーパーくらいしかなかったので、暇な土日は一人で三島駅のドトールか近くのコメダ珈琲でのんびりするか、自転車で市営のジムに行くような生活だった。 他社の同期や会社の先輩と飲むことも多かったけれど、田舎で車がないと、本当に飲むかお茶するかくらいしかすることがない。笑 片道3800円ほどで新幹線で東京にも出れるので、たまに遊びに行ったりもしていたけれど、仕事の疲れで土日はできるだけ寝ていたかった。 こだわった2口コンロもあまり使われないまま三島生活は終わった。 *2016年7月〜2023年6月(7年):静岡県静岡市 上司との折りが合わず、無理を聞いてもらったようにして叶った異動。特に静岡市を希望したわけではなかったが、同じ県だったからとりあえず動かしやすかったんだと思う。どちらにしても短い期間で異動させてもらえたことに対しては感謝すべきことだった。 同じ静岡県でもこんなに違うのかと思うほど、三島と違って静岡は住みやすかった。 駅から徒歩17分と、三島の時ともそこまで変わらないくらい駅から離れていたが、���く道中もいろんなお店やショッピングモール、おしゃれなカフェなどもあって、しかもバス停が家の真ん前にあったので、結局大きな荷物を持っている時は大体バスに乗って家に帰れたのでとても便利だった。 三島の時はなんのお店もなく、ただ東レの工場の横の道をひたすらに歩くだけだったので、同じ時間でも気分が全然違った。 仕事内容自体は大きく変わらなかったが、比較的年の近い同僚もいて、元気を取り戻していった私は社会人サークルや英会話に通う余裕も出てきた。 家自体は築2〜3年、37平米、家賃8万円、静岡の代官山と言われる(静岡の中では)おしゃれエリアに立つ1LDKのマンションで、オートロックも付いていて今までの家よりも少しランクアップしたような気持ちになった。 縦長の部屋だったので、南向きとは言えどそこまで日当たりは良くなかったけれど、それでも風通しはよかったし、今までのマンションに比べると何倍も住みやすく、気持ちよく暮らした。 *2023年7月〜2024年3月(9ヶ月):名古屋 静岡歴が長かったので、後半数年は毎年のように、「今年こそは異動かも」と思っていたが、結局静岡には7年弱も住んだ。 結婚を経て最後は手狭になっていたことと、社内の部署異動も希望していたので、次の名古屋異動は希望通りで嬉しかった。 ただ、静岡から名古屋となると、大都会のイメージがあって、都会の喧騒に慣れていない私たちは、名古屋駅から地下鉄で25分ほどの閑静な住宅地を選んだ。 築7年、駅から徒歩6分、60平米の2LDKで、静岡の37平米と比べると体感だと広さが2倍になったくらい、広々と暮らせた。 日当たりも抜群で、4面採光、角部屋で風通しもよく、それでいて電車の音も気にならないくらい静かで住みやすい場所だった。 今までオフィスまで5〜10分で車で通勤していたところ、職種が変わったので電車に22分ほど乗ってドアツードアで40分ほど通勤には時間がかかったが、残業もあまりなく、ストレスも減ったせいで通勤時間はあまり苦にならなかった。電車の中では大体資格勉強用の動画を見ていたり、それなりに有意義に過ごすことができた。 自家用車も持ってきたので、車の維持費にお金は少しかかったけれど、キャンプやプールや登山やスーパー銭湯など、毎週のように出かけることができて、この生活に十分満足していた。 *2024年4月〜:東京 名古屋での生活が気に入っていたばかりに、自分でも予期せぬ異動だった。異動自体は悪い話ではなくキャリアの幅も広がりそうだったこと、昔は東京に住みたいと憧れていたこともあり、悲しさや寂しさももちろんあったけれど、引越し自体はなんとか前向きに考えることができた。 でも、いざ不動産を探してみると東京の家賃の高さに驚いた。 そして名古屋の時のような広さを求めると、優に家賃は20万を超えてしまう。場所によっては30万以上出さないと住めない。 名古屋で始めたキャンプのせいで、静岡の時よりも荷物が増えてしまって、50平米以上ないと物が入り切らないという事態も発生。 ただ、大学の時の経験や朝弱いということもあり、通勤時間が長くなると会社に行くのが嫌になってしまうだろうなということは予想できたので、アクセスの良さと広さ(少なくとも50平米以上)を重視して選んだ。 名古屋の家よりも採光面積は4分の1くらいになったが、ベランダ菜園も継続したかったので南向きということも譲れなかった。 そして行き着いたのが今の1SLDKの家。 駅から徒歩3分、新築(こだわってはいなかったがそれ以外の選択肢が築20年以上しかないという極端な物だった)、50平米と、ギリギリ私たちの希望を満たした物件となったものの、やはり物が収まり切らず、納戸の机下にキャンプ道具は追いやられている。 駐車場も3万円弱かかること、東京は電車が発達している&駅近ということもあり、車は手放した。 名古屋の家で一度住居レベルが上がってしまったことや、駅近ゆえ窓を開けると電車の音がうるさくて気になること、収納スペースが少なく物が収まり切らない&部屋が狭いと感じること等、気になることは色々とあるが、それでも家賃は名古屋の1.5倍するので、細かいことは飲み込むこととした。 住んでみると、意外とファミリー層が多く治安がいいことや、交通の便がいいこと、気持ちのいい広い公園があること等、思っていたよりも暮らしやすいので、少なくともあと6年ほど(社宅が切れるまで)はこの家に住むことになると思う。
今は次はどこに住もうか、東京ではない場所で働くことも考えつつ、日々悩む毎日。
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エジプト旅行記2
アレクサンドリアに着いてまず宿に歩いて向かう。バス停から宿まで一時間強。着く頃には汗でぐっしょり。シャワーを浴び、何も上手くいかない旅。何も楽しい思えることが転がっていない。これが旅なのか。二人してイライラを落ち着かせる為に一時ボーっとする。 歩く選択をしたのが良くなかった。いつまで俺を歩かせる気だとめちゃ怒られた。




その後洗濯機を借りたのだが、洗濯槽下の排水パイプがガッツリ外れている。その為気づいた時にはキッチンから廊下まで水浸し。排水口も隣の風呂場にしかなくて、三十分かけて床をきれいにしていく。水を掃いても掃いても傾斜があるトイレとキッチンに戻ってくる。そらそうだ、水だもの。
健さんは早く外出したいのか。腹が減ってイライラしているのか、こんな所で時間をつぶしていられないという。その通りである。がオーナーから後々文句言われるのも嫌だったので急いで掃いた。取り敢えず近所の酒が飲めるというギリシャレストランへ。
何本かビールを飲み、ご飯を食べたのち、宿に帰って眠りました。
エジプト四日目。
まだ四日目かと少しがっかりする。気持ちはもうジョージアに帰りたいと少しどころか、がっつりホームシックになりかけていた。
チェックアウトは十二時頃、掃除のおばちゃんがやってきて、掃除するから出て行けと急かす。健さんはまだ寝ている。適当におばちゃんを相槌を返し、準備を始める。
おばちゃんは違う部屋のシーツを剝がし、洗濯機にぶち込んでいる。使った者としてこれは壊れているよと伝えたのだが、話を聞かない。気が付いたらスイッチを入れている。
案の定自分たちがホテルを出るころ、おばちゃんは床をせっせと掃いていた。馬鹿なのかと思ったが、もしかしたら毎日これをやっているのかもしれない。
取り敢えず不安になり、近くのネットが使えるカフェに移動。どうするのか作戦会議。
自分たちは休む暇もない移動に疲れていた。何処か安いところでゆっくりしたかった。その中で面白い人も知り合いたかった。
もっと西側に行くのか、東側のナイル川沿いの植物が生えているところを狙うのか。ナイル川沿いに安めのAirbnbで地域文化体験ツアーなるものもやってるところを見つけたので接触。健さんはヒッピールートか~と気が乗っていない。
その場所はナイル川沿いのフウワという町。その町の田舎で文化を伝えるツアーとかもやってる所らしい。
しかしオーナーのおじさんは もうそこには住んでいないと言っている。今はフルガダという紅海沿岸、北西のほうにある町に住んでいて、そして今はアレクサンドリアに来ているとのこと。
やることも移動する場所も決まっていないので、取り敢えず会ってみることに。
息子が待ち合わせ場所に来てくれ、そのままホテルまで連れて行ってくれる。連れてかれたホテルはこれぞ良いホテルって感じでとてもゆっくり出来た。映画で見たような良いホテルに自分は落ち着かない。
ロビーでお父さんと話す。お父さんはナイル川沿い地域を盛り上げる活動をしていたそうで、観光客が来たら色んな体験やらツアーとかもしていたようだ。自分たちもやっていることを軽く説明し、なんかできないかと相談する。相談と言っても、今この時点で何も計画に移れないのだけど。
お父さんはフランス語はぺらぺらにしゃべれるのだそうだが、英語はちょっとらしく、詰まれば息子が通訳として会話をつなげてくれる。
その息子がまた賢いのだが、今通っている学校はエジプトで学年の上から2000位までに入らないと今の高校には行けないらしい。第一、高校が基本的に少ない。一つ県に一つか二つしかないらしく、勉強できる奴は滅茶苦茶頑張ってその高校に行き、大学にも行くそうだ。お金も大分いるそうだ。
その後、散歩に連れて行ってもらい、アレクサンドリアの歴史を聞く。あの大昔のアレクサンドロス大王が作った港町で、今の横にある海底には遺跡があるらしい。また大きな図書館があるとかで、まあ大きかった。
最後にお茶を飲んで、そこで別れた。ご飯も一緒に食べようと言ってくれたのだが、自分たちは酒を飲みに行くことに。この日は前日とは違うBarに足を延ばす。一軒目は潰れており、近くにあったBarに入ると、えらい雰囲気がいい。店員のおじさんは優しく、店主のおっさんは顎で何飲むのか問うてくる。
お通しの魚のフライも美味しいし、自分たちには嬉しい限り。



翌日、チェックアウトの時間で起される。いいホテル過ぎて寝れなかったのだ。
おじさん達は既に出発した後だったようで、自分達もロビーまで取り敢えず出る。
アレクサンドリアに来たが情報を一切持っていない訳ではない。頭に情報がある訳ではないが、アレクサンドリアに来て楽しかったと話す一個上の兄ちゃんが今UZUに住んでいるのだ。その兄ちゃんが言うにはエジプト日本科学技術大学なるものが車で一時間かかるところにあるというのだ。しかもそこにはホテルもあり、かなり安く泊まれるという話だ。買ったSIMでそこに電話してみるが電話に出ない。かなり怪しそうだが、どうなのだろうか。取り敢えずそこに行くだけ行ってみようと云う事になり、タクシーを呼ぶ。
着いてみるとホテルは泊まれるのだが、47ドルすると言われ、開いた口が塞がらない。暫く考え、また移動する。辺境の地に来てもモスクはあり、皆近所の兄ちゃん達はモスクに集まって来ていた。
見つけたドーナツ屋に入り、作戦会議。エアコンが効いている事が救い。
結局、もっと西側に行こうということになり、西の果て、リビア国境沿いの町、シワというところまで行くことになった。
シワまで遠い。砂漠のど真ん中にポツンとあるそのまんまオアシス。でも行く場所が見つかったのは幸いしている。このまま目的地を見つけられず空中分解していくのも、お互いの精神をすり減らしていくのも辛い。
ドーナツ屋の店主はやはり暇なのか、PS4で遊んでいる。新品のデカいモニターを買ったようだった。その店主にバスが止まる場所を教えてもらい、アレクサンドリアまで意気揚々と戻ったのでした。


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Kちゃんのフットマッサージ
Friday 18 July 2014
真観は9時に起きた。Uさんは9時半に起きて来た。 そして真観は10時半少し前にUさん宅を後にした。 東京駅に向かった。 東京駅には11時5分前に着いた。 丸ビルを目指して歩いたが中々見付からず真観は迷子になった。 Kちゃんのお店に行くのは11時の約束だった。 出来れば手土産を何か買ってからお店に行きたかった。 重いスーツケースに重いディバッグを背負っていると汗が額にダラダラ出た。 Kちゃんに連絡してやっと丸ビルにあるKちゃんのお店に着いたのは11時20分。 そしてKちゃんのマッサージを受けた。 以前Kちゃんが茶畑庵に来た時まだ習い始めの頃だったがマッサージを受けことがある。 フットマッサージを30分。足裏のツボを押さえられて痛かったが気持ちよし。 Kちゃんは、眩しいくらいに綺麗だった。"花の満開"を感じる。
今回の東京滞在で真観は手ぬぐいを静岡に忘れてしまった。昨日は、Uさんにハンドタオルを借りたが今朝Uさんに戻した。天気は昨日よりも曇りで涼しかったのでなんとかなるかと思ったが丸ビル探しに手惑いやはり手ぬぐいかタオルが必要だった。マッサージが終わり真観は、Kちゃんをランチに誘った。真観が先にお店を出てKちゃんは後から真観との待ち合わせたカフェにやって来た。すると『はい、松谷さん』と新品のタオルを渡した。Kちゃんの素晴らしいところはこうやっていつも何かプレゼントをしてくれる気遣い。真観は嬉しく感心した。
丸ビルのレストランはお昼時で、どの店も入り口でお客が列を作って並んでいた。やっと見つけた入ったのはベトナム料理店だった。しかし食事の時間は30分しかなかった。真観は、12時15分、東京駅発の電車に乗って新宿駅に行きたかったことと、Kちゃんの休憩時間の両方を考えるとその時間しかなかった。食事はなんとか済んだ。その間、Kちゃんの恋愛話の進展を聞いた。真観は自分の考えを伝えた。揺れ動く女心があった。
帰り際、Kちゃんは、真観に家から用意していた紫色のタイパンツが入ったバックを手渡した。それはKちゃんが自分用に買ったがサイズが大きいので真観に譲りたかったものだった。真観は有り難く頂戴した。
そして、真観は急いで東京駅へと向かった。改札に入り中央線へのエスカレーターを登ってホームに着いた。すると電車は停まっていた。どうも遅延していた。出来れば13時40分、新宿発のバスに乗りたかったが難しかった。真観は、真観は諦めてオフィスへ向かった。Uさんはいなかった。オフィスに着くと真観はソファーベッドで寝てしまった。疲れていたのだろう。次のバスは、15時50分新宿発か16時東京駅発。真観が目を覚ましたのは15時あたり。すると間もなくUさんが戻って来ると連絡が入った。真観はUさんを待つことにした。こうなったらバタバタせずにもう一本バスを遅らせようと。Uさんと昨夜の話を続きをしたりしてやっと新宿駅に着いたのは17時だった。ヨドバシカメラに行き、ローライフレックスで撮ったモノクロフィルムの現像出しをする。そして17時30分のバスに乗って静岡に帰った。帰りのバスは山手通りでの渋滞にハマり予定時刻よりも遅く裾野のバス停に着いた。
真観は、静かに戻るとホッとした。 3日間の旅だった。
茶畑庵に戻ると早速シャワーをして疲れを取った。 充実した旅だった。出会いも再会もメッセンジャーのお仕事も学校も撮影も勉強も。 真観さん、よく頑張りましたね。
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え、もう7月なん?早すぎん?って気持ちを連れて、俺らの記念日も来ちゃったね。11ヶ月やってー。2桁突入して、はじめの一歩みたいなとこある。11って。やから、初心忘れずに。今月もありがとうの気持ちを俺なりに伝えられたらええなーって。伝わりづらい部分もあるかもしれへんけど、そこはちょっと察して?無理やー分からんわーってなるんやったら、どういうこと?って聞いてほしい。
書くタイミングなくて、新幹線の中で打ってんねん。謙杜も同じなんかなー?どうなんやろ。デートした次の日に記念日ってなんかちょっとえもない。そう思うの俺だけ?しかも初デートした場所やで。なんか、名古屋は何回も行ってる場所やから新鮮味なんてゼロなんやけど、待ち合わせしたときかな。ちょっと改札出るのわくわくしたもんな。この前新幹線で寝過ごして、名古屋まで行ってもうたときもそう。乗り過ごして名古屋の夜行バスの停留所行くまでに写真撮ってんって見せたことあったと思うねんけど、ビッグカメラのやつ。どこ撮ってん!って言われた気するけど、覚えてへんかもなー。そこ謙杜とホテル帰るときに通ったなあーって懐かしなって撮ってん。終電逃した奴がすることじゃないのは分かってるけど、懐かしいなって。ダッシュでお金下ろしに行ったセブンもここでパイナップル買ったなって。でも、当たり前やけど謙杜おらんなって。終電逃してやらかして不安なる気持ちと寂しい気持ちが混ざって苦い思い出もあった名古屋やったからさ、嬉しかってん。前は南口から出たけど、前回あいつ北口から来たって言う出たなーって思ってそっちから出たらまさかのトイレでおらんくてしょげーってしたけど、久しぶりに謙杜の顔を直接見れて、会えて、嬉しかった。ちょっと人見知りしすぎて目合わせれんかったけど。
謙杜はさ、この2日間楽しかった?ってここまで打ってぐずり始めてきたわ。どないしよ。俺はめーちゃ楽しかった。初めて2人で犬山城行ったし、11月ぶりに大須商店街で食べ歩いたし、夜はふたりでいっぱい飲んだし。俺な、密かにベロベロなってる謙杜見るのが夢やってん。いっつも俺やし、先に酔うの。でも、今回は朝めっちゃ早起きしたってのもあったやろうし、暑かったから疲れてたんか謙杜ちょっと酔っててさ。かわいーってなった。でも、なんか元々人懐っこいからそれが増されるわけやん?ちょっと心配やな?ってなったって話!あと、付き合う前から行きたいよなーって話してたジブリパーク。あの時から行きたい場所いっぱいあって、その当時はカカオだけの関係やったからまあ行こーって言うて行かんやつやろなって思ってて。やから、実際こうやってほんまに行けたのえぐいなって。最後のお土産屋さんに売ってたアリエッティの髪留め。謙杜も見つけたかな?洗濯ばさみのやつ。行ったらそれ買ってアリエッティのところ行きたいねって言うてたなーとかなんかすんごい思い出してさ。あの頃から変わらずすきやなーって。やのに、絶対めっちゃ気使わせた部分もあると思うねん。自分でもめっちゃ分かってるから、謙杜なんてもっとしんどかったと思う。ごめん。物の言い方とか態度とかもうちょい大人にならなあかん部分まじでいっぱいあると思うねん。それに毎回付き合ってる謙杜がいつか無理や限界やってならへんかってだけが心配やった。絶対疲れたやんなー。めっちゃ反省してる。だるいってお前って怒ってええのに。
そういえば、前の記念日のときに謙杜がタンブラーに書いてた「嫌いなところ10個」のやつ。人の良いところより悪いところの方が目立ちがちやんか。やからやってみようと思って、あれを読ませてもらってからちょくちょく考えとってんけど、なかなかにむずいて。嫌い嫌いも好きのうちって言うし、そもそも嫌いって思う部分が見つからへんかった。だいすきフィルターかかっちゃってるから、謙杜やったらなんでもすき。なんでもってざっくりやけど、とにかく嫌いって思ってへんってことやわ。おもんな!あーでも浮気とかされたらちょっと無理かもなー。浮気できなそうやけど。本気になるほうが早そう。無理やて。そんなんしてほしくなーい。俺だけ見とけばええと思うけど、自分にそんな自信あるわけちゃうし、もし仮に謙杜が俺のことどうでもええかもーってなって、好きな人できたときは隠さんと言ってほしいかな。怒らへんから。また好きなところ10個もやってみたいね。また今度ね。
次会えるのもまた月末かー、って考えるとやっぱりばりさみしいもんやな。2日じゃ足りひん。でも、3日も足りひん。結局何日でも足りひんってことなんやろうけど、マカロンみっちーええなあって思うときもちょっとだけある。ここだけの話。休み被ったからご飯ぱぱっと行けちゃう距離に居るんやーって。無理やり休み合わせてもらって、もぎ取らんと会われへんから俺ら。やからええなあーってシンプルに羨ましくなる。やきもち妬くとはちょっと違うやつ。俺も謙杜とご飯行ってー、ガチャ巡りしたいー!って思ってた。最近。来月絶対しよ!なんなら毎月やってる気するけど、嫌や!絶対やるねん。
周りの人たちによく言われることなんやけど、ふたりとも幸せでおってほしいってめっちゃ言われるんやんか。捻くれすぎとって幸せでおってほしいってまあざっくりしてんなって思うねん。しあわせの定義って人それぞれちゃうからさ。でも、俺が幸せでおるためには、謙杜がおらなあかんと思うねんな。おらんくても生きて来れてたけど、今まで。でも、お前って���う人間を知ってしまって、好きになっちゃったからにはもうおらんとむりってことやん。俺の生活の中にもインプットされてるわけやし。寝るときはいっしょー、とか。仕事の合間に時間あったら謙杜に返すー、とか。あとはあれや。美味しそうなもの見つけたら共有するー、とかとか。俺の幸せは謙杜で成り立ってるみたいなとこある。謙杜のしあわせはなにで出来てるか俺には分からへんけど、俺の場合はそうやねん。やから、これからも、この先ずーっと、一緒にできるだけ居ってほしいねん。言葉にするのも、自分の感情表現するのも、あんまり得意じゃない俺やけど。それでもいい?11ヶ月目も愛してんで。
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タイ旅行記2019/09/24編③
10時に起床。同室は人気がなく恐らく一番寝坊しているのは自分だと気づいた。
ホテルの予約を全然していなかったので、連泊する旨を受付に伝えた。
ついでにネットから予約した際に朝食付きの内容だったので、どうやって朝食を食べられるのか質問すると、
追加で払ってくれと言われた。予約してるので、そんなことないだろうと戦う姿勢を見せたものの、
やはりダメと断られ、お腹も空いていたので、仕方なく払ってしまった。
まだまだ押しに弱いぜ。
朝ごはんはザ朝ごはんを食べ、目玉焼きとハッシュポテトを食べた。
日本なら和食とか洋食選べたりするが洋食オンリーだったので
洋食の広がりに驚きながら食べた。

地球の歩き方を読みながら寝てしまったので、
ゲストハウスに併設しているプールに浮き輪でぷかぷか浮きながら当日の予定を考える。
BGMは爆音で流れるテイラースイフト。
ここでもまた洋の広がりを感じた。
ある程度予定が固まったのでプールから上がり、
着替えて部屋へ戻るとジム終わりのアンドリューが汗だくになっており、
「これからプールに飛び込まなきゃ」と言っている。すごい体つきだった。
お土産を買いにカオサン通りへ向かう前に、
タイに着いてからお気に入りになったレストランで昼から飲酒しながら前来た時と同じメニューを注文。
冒険しにきたが、この辺は冒険しない自分を嫌いではない。
昼食をとり終えると、時間があまりないことに気づいたためパタヤーへ向かうことを諦める。
アユタヤ同様、目的意識を持ってしまうとうまく思考ができずまたぼったくられることを
リスクと感じたのた。大人になるとリスクヘッジがうまくなる分、つまらなくなってしまうなあ。

カオサン通りに着いて、まず自分のお土産からと、お香たてを探した。
前回来た時の顔を覚えていたのか、気にしてたお香たてを売ってるおばさんが表示価格より安くしてくれた。
(家について実際に使おうとしたら全く灰落としの長さが足りていなくて使えなかった。)
時間もなかったので一人一人考えるよりもまとめて買った方が楽だと思ったのでそのお店で10着以上のタイパンツを購入。
一着100Bだったが、値切って150Bにしてもらい安く購入できた。
値段の概念がわからなくなってしまう国だ。。
店主のおばあちゃんがなんか前回来たときよりも優しい顔をしていて微笑みの国たる所以を感じた。
衣類を大量に購入したのでもっと散歩しようと思っていた気持ちが荷物の煩わしさに負けてしまった。
煩わしくなったお土産をゲストハウスに置いておくために一度ホテルへ戻ることに決めた。
戻ったゲストハウスではたくさんの利用者がプールでわちゃわちゃしており、
大きめの手提げを抱えていた自分は田舎もの感がでてしまったことで、少し恥ずかしさを感じながら部屋へ向かった。
現在地から近い距離でタイをたくさん感じるために行くことに決め、
近場にあるワットポーを見に行くために外に出ると露天で190Bのアロハシャツが売っていた。
リゾートっぽいから着て歩きたいぞ!と思い浮き足だって覗いてみた。
結局はタイシャツを購入したのだが、友達にあげることにした。
ワットポーは徒歩圏内だったので、タイ旅行で培った徒歩移動しているとトゥクトゥクおじさんが声をかけてきた。
150Bというので50Bにしてくれというとダメだとの返答。
歩き出��と袖を掴んできて80Bならいいよという。
70Bでどうだいと返すと仕方なく了承してくれた。
おじさんの友達が笑いながら50Bでいいよ、と言ってきたので、
本当に50でいい?と聞くとトゥクトゥクおじさんにはシカトされた。
トゥクトゥクは移動にはコスパ悪いけど、折角だし乗ってよかった。
タイのほどよい暖かさにちょうどいい風を感じた。
次はリモバイクに乗ってみたいなあと思った。
ワットポーはメインだと思われる大きめな涅槃像よりも、寺院内にある大仏の方が趣があって好きだった。
理由は昨夜のレストランで、ライブを見ながら興奮気味にチップを渡して路上で呑んだくれてた青年が寺院内で静かに拝んでいた姿があったからだ。
ちょっとしたヒッピーみの彼の旅に幸あれと胸に秘めながら寺院を散策。
ワットポー内で猫が横になっているのを見つけたので、寝顔を納めようとカメラを近づけると
動物特有の複式呼吸がなかった。
しっかりと確かめなかったが、きっと亡くなってるんだろうと思いカメラを下げた。
ひとり旅はなんでも刺激的で記録として残したかったためいろんな箇所でカメラを向けてたけど
その瞬間ハッとしてしまった。
写していいものと悪いもの、BE HUMBLEしなきゃいけないことが頭によぎった。
(寺院内には至る所にBE HUMBLEという注意書きがあり、恐らくうるさくしないでといったことがメインであるが
生き物を尊重する、ということも含まれると勝手に解釈した。)
ワットポーは社会人1年目の研修のミャンマーで見た涅槃像がファーストインプレッションなので、ワットポーの涅槃像との違いがイマイチわからないかったので
刺激も興奮もなかった。
ただし、寺院内の装飾が素晴らしく、大仏や涅槃像よりもお寺の中の手入れのされ方などがタイの寺院の魅力なんだと個人的には感じた。

ワットポーを見終わった後にワットアルンを見に船着場へ。
船着場の猫がフラフラと天井に上がっていて
猫特有の気ままさが可愛かった。
タイの猫は特に人懐こさがあり、飼い主によく躾されているように見える。
(もしくは野良だけど常識ある猫。)
人の言葉がわかるような印象がある、魔女の宅急便のキキのような佇まいだった。
タイでは犬よりも猫を見る方が多かった。
ワットアルンは厳かで感動した。
白を基調にした場所で、日差しが差し込むことによって言葉に言い表せない感動があった。
途中揉め事が近くで起こっていたけど、何が起きてるかは分からなかった。
(恐らくゲイのカップルが面白がられて写真撮られたりした雰囲気だった。そしたら最低だと感じる。)

ワットアルンを一通り楽しみ、ワットポー側の岸に着いたとき
次のワットアルンへ向かう船の列に並ぶ日本人がちんたらと歩いており、欧米系の人に抜かされていた。
抜かされた日本人が日本語で「白人ってこういうことするよね」って言っており、
とてもイラついた。
海外に来ている以上、お前の常識ではないんだぞ?思った。
少し腹が立った状態でワットアルンを後にし、名所と思しきルンピニ公園の入り口を眺めながら、
歩きたくない病によりバスを待つことにした。
となりの欧米系の若いカップルがバスに乗ろうとするがタイ独特のパワープレイアピールでないと
バスが止まってくれないらしく、なんどもトライしていたが結局乗れず、諦めてバス停から去っていった。
俺もトライしようとしたが、まずこの路線のバスはどこへ行くのか調べてみようと思い、
地球の歩き方に書いてあったバンコクのバスアプリをダウンロード。
最寄りのバス停を調べるため目的地までの移動手段をグーグルマップで検索をかけると歩いて最寄り駅に行って、
メトロに乗れとのことだった。
(デジタルデトックス言うてる場合ではなく、インターネットさまさまになってしまっていた。)
サンセットが近づいており、フォトジェニックな風景を撮りたいと思い、
最寄り駅からメトロに乗ってリバーサイドレストランへ向かう。
一杯引っ掛けながら、日没を見ようと楽しみにしていたが、
到着すると船着場しかなくてレストランやバーが見当たらない。
残念がりながら駅周辺を探索をしてみた。
映画ハングオーバー!で使われていたスカイタワーがあるため、そこで飲むか!高いところの景色綺麗だし!と調べてみると
ドレスコードが存在し、サンダルがNGのためバカンス気分でサンダル短パン姿の俺はスカイタワーに行けなかった。
(次回リベンジしたい。)
目的地だったリバーサイドレストランも
タクシー、バスに乗ろうにも交通量が多く、結局向かっても日没は車内で迎えると判断して諦めた。
駅付近を探索してるとシャングリラホテルという有名なホテルの近くで見つけた「chill」の文字が書いてあるバーで
そろそろチルしたいと体が悲鳴を挙げていたため、
タイに着いてからずっと飲んでいるレオビールのブラ��クを注文し、少しのチルタイムを迎えた。

特にすることもなく、手持ち無沙汰になったため、お土産を買いにサイアムへ向かう。
サイアムへ向かう途中で汗疹?もしくは蕁麻疹が出てきて、
悪いもの食べたかなと思い返しても直近はビールだからきっと疲れが原因だと思った。
サイアムに到着し、MBKセンターで買い物。
これは紛い物ばかりだー、ワハハ!という品揃えだったので全然魅力を感じない。
安いからとかそういうことじゃないだろう!と思いながら一種のエンタメを味わった。
MBKセンターではトムヤムクン味のプリッツを購入し、お土産ミッションをコンプリートしたので
MBKセンターを後にした。
流石にもうサイアムからカオサンまでは歩けないと思い、タクシーを捕まえる。
50Bでどうです?とタイ慣れてます、アホな日本人ではないです、というアピールを兼ね備え
交渉とメーターだよ、アホと言わんばかりの態度をされた。
(タイでは交渉式とメーター式のタクシーがあり、メーター式はある程度しっかり金額管理されている)
メーターならまだ安心かと判断し、乗せてもらった。
昨日のアユタヤからの帰りとほぼ同じ道中をタクシーで通った際に、この距離を歩いたんだなあと物思いに耽っていると
あっという間にカオサン通りに着いてしまった。
乗り物すげーな。と思いながら、徒歩でしか味わえない街の空気と、ドラマも楽しいよなと自分を正当化した。
カオサンに着くとメーター通りの70Bを請求されたので100Bを出すとお釣りが25Bで帰ってきた。
あれ?という大袈裟なリアクションをして再計算していると
運転手から早く降りろと言わんばかりの態度をされた。
5Bと10Bは似てるから単なる間違いだよなと思い、
100B出したから30Bのお釣りのはずだけど、5B硬貨だよ、これ、と渡すと「はて?」という顔をされた。
失敗から学び続ける気持ちで、折れてはいかんと思い、はい、5B!って運転手の顔の前に出すと
タイ語でブツブツ言われていたが、結局10Bのお釣りを返してもらった。
カオサン通りに着くと、連泊しているからか、もはや安堵感が生まれた。
相変わらず、賑やかな街並みを通り、お土産を置きにゲストハウスへ向かう。
昨日ついたばかりと言っていた、アンドリューがほかの宿泊者と仲よさそうに話しており、
アンドリューにとって第一ゲストハウス村人だった俺は謎の「一番の友達だよね、俺ら!」感を持ってた自分に羞恥心を感じながら
こうやってゲストハウス過ごすもんだよね!びびってるよね、俺!と反省した。
(転校生と一番最初に仲良くなったけど、そいつは別の友達と仲良くなった時の気持ちみたいな)
一息ついたのでシャワーを浴びた後、最終夜のカオサン通りに繰り出す。
さすがに今夜は行き慣れたレストランとは違うレストランに入ってみようとトライしたが、
きっと同系列のお店だった。なぜならメニューが同じだった。
タイ最後の晩餐はトムヤムクンとビール。
翌日の空港へ向かうタクシー代を考えると、あまり豪勢な食事はできなかった。
(あまりタイ料理で豪勢というのもイメージつかないが。。)
これで満たされるかと不安があったが、スープは意外にも腹にたまりビールがなかなか進まなかった。
ひとり旅だし、解放的になった俺は”なんか街で歩いている人みんな可愛く見える病”にかかりながら
カオサン通りを歩いていくバックパッカーや観光客を眺めていた。
持ってきていたブラッドベリの短編を読みながらビールを流し込んでいく。
しばらく過ごすことができたのだが、流石にビール一杯とトムヤムクンで
長時間居座るのも、居心地が悪くなりゲストハウスに戻ることにした。

翌日のタクシーを予約するため、受付脇に置かれていた”taxi”と書かれたシートに記帳していたため、
タクシー来るまでの段取りをゲストハウスの受付に確認すると
「カープールは同じ方向に向かう人を集うシートであって、タクシーを予約するやつではない、自分で調整してくれ」と言われ、
無知って怖いなあと勉強できました。英語で書かれているんだから文字もちゃんと読むべきだよなあ、という反省。
どうしようかと考えあぐねていたが、まあ明日考えようという持ち前ポジティブマインドになってしまったので
お酒が買えなくなる24時前にビールとお水を買いに外に出た。
ゲストハウスへ戻ってくるとロビー内のテーブルが片付けられていたので
フロントでビールを飲みながらぼーっと旅の思い出を整理しながら時間を過ごした。
コンビニでも買うくらい、お気に入りとなったレオビールを飲み干し、最後の夜を無事に終えた。
あとは空港までの移動のみだ。
翌日のタクシーのことは明日の自分に任せて、ベッドに入った。




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2023/09/04
微妙に寝不足だが適当に起きる、何故か4時過ぎからめちゃくちゃうるさくなってきたので諦めて4時半前に起きる、ひとまず荷物を預けようと思ってチェックインカウンターに向かったらまだ開いておらず、適当に待つ。5時少し前にようやく開き、無事チェックインをして荷物を預けられた、箱は20キロちょっとだったがトランクがちょうど23キロでギリギリだった、ついでに持ち込み荷物も計ったが全然9キロでオーバーしていたが特に何も言われなかった、ざっと顔を洗い早速ゲートに向かう、案の定地下鉄に乗っていく離小島みたいなところ、早すぎてどこなのかまだ出ていないので適当にベンチを見つけてちょっとダラダラして、ゲートが出て端っこだった。ゲート前に行ってまだまだ時間があるので課題を進めたり充電をしたりして待つ、ちょうど課題が終わったところでなんとなくちょっとギリギリかなくらいの時間に搭乗開始、20分遅れくらいで出発した、作業しようとも思っていたのだけど2時間ちょっとしかないので適当に映画を見る、これがハズレでつまらなかった。無事ちょっと遅れてイスタンブールに着く、出国にちょっと時間がかかったがなんとかクリア、地下鉄に乗るところで券売機が難しく、困っていたジジイたちと協力してなんとか買う、謎の連帯がある。みんなで仲良く中心部まで向かう、ひとまず時間がシビアっぽかったので宮殿に向かい、鯖サンドの屋台に寄ってから旧市街を歩いて向かうことに、橋上の駅で降りて屋台を見つけるも案の定現金のみで、現金の調達に手こずる、結局ATMの使い方が分からなかったので残っている5000円を両替した。ちょっと変えすぎたかなと思いつつ、お土産をこれで買えばいいかと考え直し、美味いけどそこまで騒ぐほどでもなかった美味しい鯖サンドを食べて宮殿へ、これが結構遠かったし水を調達しようと色々見て買うタイミングを逃し、一番高い宮殿内の売店で買うことに。オーディオガイドが無料だったので付けてみて、多分アルハンブラ宮殿と同じナレーションだった。かなり見応えがありそうな上に、展示によっては建物の前に長蛇の列が出来ていたので、入れなさそうなのはスルーして一通り回ってみることに、奥の第三の中庭を囲む四阿群が面白い、というかソファはこういう風に成立したのか。宮殿をざっくり見て、ハーレムへ。これもかなり面白い空間だった。見どころがたくさんあったがちょっとモスクもいくつか見たかったので駆け足で回ってしまった、あと敷地の南にあるモスクは工事中で期待外れだった。宮殿を出て、隣のアヤソフィアへ、これも長蛇の列になっていて、ひとまず並んでみるも入れ替え制らしく全く進まない、後ろに並んでいる人がどう見ても日本人らしかったので話しかけてみて、アジアの方を旅してきてトルコについた人とのこと、一緒にモスクを見て、このあとカッパドキアに行くらしくお邪魔しました、と行って別れてまた隣のモスクへ、こっちも面白い、中庭があるタイプ、というか多分アヤソフィアが無いだけかもしれない。この後もいくつかモスクを回ろうと思って旧市街の繁華街を歩いているとケバブ屋が声をかけてきて、どうやら日本人のガールフレンドがいて今度日本に行くのだと、彼のやっている別のお土産屋にも連れて行ってもらい、アップルティーをご馳走してもらった、なかなか美味いがやはりめちゃくちゃに甘い。その後も絨毯のちっちゃいのを買った店の店主に隣の陶器の店に連れて行かれたり、フラフラしていたらもうバザールが閉まっていた。仕方がないので近くにあったモスクに一個寄って、もう夕飯を食べることに、少し想定より早いが空港への足が心配なので早いに越したことはない。YouTubeでみた大衆食堂みたいなところでケバブ、ひき肉の棒状に丸めたようなやつ、あとアイラン、酒がないので仕方ない。もう空港に帰ろうと思い地下鉄駅に向かうも、チャージをする機械が現金しか受け付けておらず、しかも道中で雑なスイーツ屋でバクラヴァを買ってほぼ使いはてしまったので困る、高速バスに乗るかと思って警官がいたので近くのバス停はどこかと聞いて向かってみるも、そういえばトラムの停留所でチャージできるかもと思って行ったらビンゴ、地下鉄駅に戻って当初の予定通りのルートで戻る。途中乗り換えでやたら遠回りで歩くハメになったりしながらなんとか着く、まだゲートの情報も出ていないしなんだったら30分遅れ予定となっていた。お土産をちょっと多めに買ったりダラダラ支度して着替えたり充電しながら待つ、ゲートは結局1時過ぎに出て、しかもかなり反対側の端っこだった、大量の日本人が同じ方向に向かって歩いていた。多少待ったが難なく搭乗、あんまり眠くないが疲れてはいるのでとりあえず寝る。
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【遭難した話】 3/31(金)始発のバスを下りて私は1時間ぐらい歩いたつもりだったが、警察の方は30〜40分ぐらいの距離だと言っていた。 まずここから滑落まではただただ情報収集不足だったし、装備不足、判断能力不足。 落ちるべくして落ちました。 山屋だから当然、YAMAP、ヤマレコ、ココヘリも所有済。 なのに一切準備してなかったんです。 登山じゃないからって、渓流釣りを舐めてました。 知らない土地なのに、とにかく行ってみよう!と甘く見ていた。 地図読みなんかも一応出来るのに、ちゃんと見ていなかった。 そんなアホが大勢の人達を巻き込んでこの大事故を起こしたことを、まずお叱り下さい。 橋の近くまで来て川を覗き込んだ。 岩肌を見てここから下りれそうだなと、登山の経験を過信して行けると判断した。 その判断は大間違いだった。 土が柔らかく思ったより足場が悪かった。 捕まる木々も根っこが不安定だった。 案の定、早速落ちた。 10〜20mあったんじゃないか? 一回転したと思う。 そう、私はこの日釣りに来て早々に滑落したんです。 救助に来た警察官にも言われました。 えーじゃあ全然釣り出来てないじゃん!って😂 その後正しい入渓点を教えてくれました。 リベンジしに来なきゃねって。 優しい世界です。 私の返事はもちろん! 妹は余計なこと言いやがってと言っていましたが…w 落ちた先は川の端っこでした。 記憶が定かではないけど、多分お尻から落ちたんでしょう。 横に転がり両手を川の中に付いてました。 直後はパニックになったけど、落ち着いて落ち着いてって自分をなだめながら、まずスマホを落としたのを確認。 手足がどれだけ動くか確認。 生きてる?動ける?歩ける? スマホの電波はここまで来る途中からなかった。 だからスマホがあってもどうせ救助要請はできなかった。 頭は打ってない、首も胸も大丈夫、手も動く。 呼吸を整えて!ふうふう。 うん、立てない… あぁ右脚がダメだ。 左はなんとか付ける。 お尻も痛い。 あぁ、骨盤やったな、こりゃ… 右脚を引きずりながら腕の力で上流に少し移動したけど、ハングした岩があってそれ以上行けない。 まず落ちた場所が道路側で上から覗き込んでも見えない位置だったから、川を渡って対岸に移動することを決めた。 約2mの川幅で水流も弱め。下手したら水に流される可能性もあったけど、そこは意地と根性… 水に入れば浮力で足は楽になるから、後は腕力だけで移動。 顔に水が付くぐらい深い所もあり這って進んで流されそうにもなったが、女の根性火事場の馬鹿力。 無事対岸に到着。 上半身まで濡れて低体温症も恐れたが、その日暖かくなることを知っていたし、向こうに行かないと発見されないと思った。 そこから登り返すことは不可能だったし、右脚の大腿部頸部と骨盤をやったかもしれないと思っていた。 骨盤骨折が如何に危険なことかは知っていた。 内臓や血管を傷付けたら出血死すると分かっていたから、これ以上動かない、もうここで救助を待つことを決めた。 ある程度平らな場所で力尽きて寝転がった。 案の定寒くなって来て、まずリュックに入ってる物を出した。 若干濡れたULダウンと、レインウェアを急いで着る。 でも足が動かなくてズボンを履くのに苦労した。 痛過ぎてお尻が上がらない… そもそも体を起こすのも辛い。 痛みを我慢してやっと履いた。 靴もびしょ濡れで一旦脱ぎたかったけど、脱いだら履き直せなくなりそうだったし、それ以上手を伸ばすのはもう痛すぎて紐を緩めるまでに留めた。 着ていたフリースはしっかり水を吸ってしまったため、絞れるだけ絞って、足の上に広げてかけた。 このお天気で少しでも乾いてくれたらと願って。 食料は多めに持っていて、おにぎり、サンドイッチ、パンを各1個。 しかし水を入れてたボトルも紛失したことに気づいた。 沢の水を飲めば良いんだけど、動けない。 どうしたものか… 釣り竿にコンビニ袋を付けて、袋で汲み上げる作戦! 持ち上げると竿が折れるから、ズルズル引きずり上げて、大成功。 ただ袋の水を手で掬って飲むことが出来なかった。 何故なら痛過ぎて手を付いていないと上半身を起こしていられなかったから。 朝食べたおにぎりの空を使って、それで掬って飲むことにした。 大した量は入らないが、いっぱい飲む訳ではないから、充分のぐい呑みだった。 いつ発見されるかわからなかったから、脱水、低血糖、低体温症にならないようにと考えた。 動かないからお腹も空かないけど、食べないと低血糖を起こすし、エネルギーも必要だと思って、ちびちび囓った。 もしかして一週間も見つからない可能性もあるかもしれない… 食料は残さなければと思った。 ここまでまだ朝の話だ。 一日長かった。 平日で釣り人や沢登りの人は皆無だろうと思った。 天気も良い。 だが定期的に寒気がやって来た。 悪寒と言うべきか、全身の震え。 いちいち筋肉が強張って患部が痛んだ。 これは外傷による身体反応なのか、外気に対しての寒さなのか、最後まで分からなかった。 長靴もあった。 靴を履き替えることも考えたし(無理だった)、最初は手を突っ込んで腕を温めるもしたが、体幹を温めることが大事だと思って、上着の中、胸に入れた。 小さい保冷バックもあったからそれも胸に。 他にもジップロックやコンビニ袋があったから、背中に入れた。 替えの靴下は手袋になった。 周りには落ち葉がたくさん積もっていた。 少しでも身体を温めるように、枯れ葉を掻き集めてこんもり足に乗せた。 どうやって集めるかって? タモ(釣り用の網)を使って、見えない頭の方も目一杯手を伸ばして回収。 時間はたっぷりあるから、普段のサバイバル精神をフルに使って色々工夫した。 流石に夜は寒かった。 リュックを肩に乗せて寝ていたら、自分の近くに石が落ちた音が聞こえた。 上の山で鹿が歩いてるんだと思った。 あいつらが歩く度に落石があると思うといつ頭に直撃するか怖かった。 リュックに両腕を入れ頭を保護。 追っ払うために声を出したら、そのうち落石はなくなった。 ちなみに翌日も同じことが起きた。 熊もいるかもしれないけど、岸壁に囲まれた深い谷の渓流だから、餌場もないし動物はあまり入らないだろうと予想していた。 熊だけは来ないことを祈るしかなかった。 ロキソニンとエペリゾン(鎮痙剤)とデパス(抗不安薬)、眠剤各種を持っていた。 夜をメインにちょっとずつ時間を見ながら内服していた。 夜がとにかく長いから、眠りたかった。 時計はあまり見ないようにした。 見てもあまり時間が経ってないから。 2日目も良い天気だった。 今いる場所がどうも斜めになっており、真っ平だったため体を起こすのが辛かった。 頭側を高くしたかったから、数m、ほんの少しずつ腕の力で移動し、具合の良いところで収まった。 万能道具達も同時に移動させ、また枯れ葉を掻き集めた。 土曜日だから釣り人に期待した。 時々見上げた先の道路に車が通るのが見えた。 声を上げてみたが当然気付かれることはなかった。 よっぽど車から降りて見下ろさない限りは見えない深い谷だった。 天気が良いのに相変わらず定期的な悪寒と、とても眠かった。 窮地に立って仮死状態になるのか? ウトウトすることが多かった。 寝てると悪寒が来て寒さに震えてたまに痛みを堪えてなんとか起き上がって水を飲んで食料齧って… そんなことを繰り返してると、夕方になった。 この日出勤予定だったから、職場に来ない連絡も取れないとなれば確実に捜索願が出るだろうと思った。 ここから捜索か… 夜は動かないから明日の朝からだな… どこかで明日には見つけて貰えるだろうと期待していた。 Suicaの履歴を調べりゃ直ぐわかると思っていた。(実際はそうじゃなかった) もう一晩我慢しなきゃ。 いよいよ体力?筋力?が落ちて来て自力で首が上げられなくなった。 手で頭を持ってなんとか半身を起こして水を飲んだ。 2つ目の食料残り僅か。 3日目に入った夜、小雨が降った。 眠ってて気付いたら足の上に乗せていたフリースが濡れてしまって凹んだ。 まぁ下半身はすでに濡れてたし、落ち葉をたくさん乗せて葉っぱに埋もれるようにしていたからそのままにした。 足が寒いのは仕方ないから上半身だけを守った。 幸い雨はすぐ止んだ。 夜が明けて青空が見えたのは奇跡だ。 今日は日曜日、人が来ないか期待した。 ふと横を見ると釣り人が見えた。 と思って大声で叫んだけど、向こうに行ってしまった。 とうとう幻覚が見えるようになったか? 低体温症で幻覚が見える症状があるが、そこまで重症になっている印象はなかった。 そもそもそうなれば自覚もないんだろうけど… 脱水も低血糖もなさそう。 貧血でもないと思う。 それを心配する余裕もまだあった。 冷静を保っているつもり。 沢の音で声はかき消されるし、横たわってたので見えなかったのかもしれない。 ただ、前日より更に眠気が強く、夢だと思うしかなかった。 首が上がらないし、疲労もあって起きるのは精一杯だった。 もう半身の半身で、ほぼ横向きで水をやっと飲んでいた。 眠気が酷い。 この日も時々車が通り過ぎるが、声を出して無駄な体力を使うより、大人しく見つけて貰うのを待とうと、辞めたというか諦めた。 どこかで今日見つけてくれると信じていた。 上のガードレールとは別方向の道路に、白い車が停まってるのが見えた。 いつから停まってるか気付かなかったが、何度も見てあれは車だよな?と目を凝らした。 きっと釣り人が来てるんだろう。 車にはいないだろうから、車に帰って来たところがチャンスだと思って、その時に声を出そうと決めていた。 眠気に負けてよく寝ていた。 悪寒で起きて、水を飲んで、食料を齧って、また寝て… 時計は見たくなかった。 空の色や影を見て、なんとなくの時間を予想していた。 時間が経つに連れ、もし今日来なかったら…また夜かぁ… そろそろ雨が降るんじゃないか。 体力…持つかなぁ… なんて不安もよぎった。 陽が傾いて来た頃、ふと見ると白い車が消えていた。 しまった!いなくなってしまった。 まぁ声を出したところで無駄だっただろう。 諦めるしかなかったが、一つのチャンスだと思っていたから多少凹んだ… 時計を見たのは15時半頃だと思う。 捜索時間はもってあと1時間半だな… 陽が暮れたら明日だ。 間もなくして、ふと見るとガードレールから人が覗いているように見えた。 声を出したらどこかへ行ってしまった! 待って!行かないで!ここだよー! やっぱり幻かと思った… そしたら、いなくなった人が戻って来た。 …手を振ってる。 そして続々と人が集まって来た。 あぁ…救助が来たんだ。 両手を振り返した。 第一声、「大丈夫ですかー」と聞かれた。 腹から声を出した。 それからもその距離で大声で叫びながら会話した。 名前を言えるか、動けるか、どこが痛いか、等々。 到底3日遭難して弱っている声ではなかった。 なんだ、自分結構元気じゃん、と思った。 そ���からまず一人の警察の方がロープで下りて来たが、私が下から見て下りるルートを指示するほど、急な崖だったことを再認識した。 もし両腕、両脚を付いていたら開放骨折、出血死だっただろうし、頭や首だったら即死。 肺を傷付けていたら3日は持たなかっただろう。 出血がないことは本当に奇跡。 消防の救助隊をもう一人要請している間、警察の方と和やかに会話した。 温かいお茶を保温ボトルに入れて来てくれて、ありがたいと受け取ったが熱過ぎて火傷するわい!と心の中で突っ込む余裕もあった。(最後熱過ぎると正直に言った←この期に及んでワガママ言うな!) 骨盤と、当時は右大腿骨頸部もやったと思っていたからそれを報告して、簡易的に固定してくれた。(激痛) もう一人も下りて来て、後は救助用の担架のボードに折り畳められた。(激痛) 下半身は川に沈みながらも対岸へ移動。(激痛) 上の道路から崖を吊り上げる形で無事、地上に戻った。(激痛) もうそこからはたくさんの人間に取り囲まれ、外すもの付けるものガチャガチャやいのやいの。 皆さんのプロの手際でストレッチャー に移動し、救急車に乗った。(激痛) 本当に情けないことに、毎度断末魔の叫び声を上げ、涙が出るほど痛かった。 テメェが悪いんだから痛いのぐらい我慢せいと言われるだろうが、こんなことになるとこんなに痛いんだよというのを伝えたいから敢えて言う。 今も痛いけど、生きているんだから感じる痛み。 もし死んでたら、痛いなんてワガママも言えず、今ここにいないんだ。 私の不徳の致すところで、最初は誰一人行き先を知らなかった。 そんな中での救助に至るまでの経緯は、また改めてツイートすることにします。 怪我はもちろん、見つかったのも奇跡があった。 全ては妹と友達、たくさんのいいねと拡散で心配してくれた皆様、警察及び捜索隊の方々のお陰です。 遭難の間の話は一旦これで終わりますが、感謝してもし切れず、伝えたいこともいっぱいです。 アホの遭難話をどうか笑い事にしながら、山や渓流、自然を楽しむ皆様がどうか安全に楽しんでくれることを願って、このお話を締めたいと思います。 まずはここまで本当にありがとうございました。
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