#遠い声をさがして:学校事故をめぐる〈同行者〉たちの記録
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kennak · 2 months ago
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社会保険労務士としてデビューして十年目である。 開業当初は不安で仕方なかったが、今思えば大したことはない。もっと早く飛び出していればよかった。 自分の裁量で大変な仕事をやって、自分で責任を取るというのは「生きている」という感じがする。 いや、一人親方ではあっても、周囲の力なくしては仕事は成り立たないのだが。 はてな利用者の中では高齢である。黄金頭の人の数個上になる。若い頃は勤め人だった。 人材派遣会社で数年働いた後、労働基準監督官として関東地方で任官した。その頃の思い出を語ってみようと思う。 守秘義務には最大限配慮する。元国家公務員でいうと、高橋洋一や山口真由など、あれくらい力のある人だったら、守秘義務まで含めて好きに本などを書いて主張できるが、私にそんな実力はない。 はてなブックマークで取り上げられた公務員日記を読んだ限り、一線を超えない限りは表現の自由の範疇となるようである。偉大な先達の方々と、はてな運営の寛大な措置に感謝したい。日記タイトルも先人に肖っている。 どんなことを話そうか、実はこれから考えるところである。��とつだけエピソードを選んで掘り下げる格好を取りたい。字数が余れば、ほかの記憶も脳裏から取り出してみる。 あれは、30代手前の頃だった。採用五年目で、一年目はずっと労働大学校での研修のため、現場歴は四年目だった。主担当として違法賃金労働(サビ残)の現場を押さえた唯一の経験だ。 それまでは先輩や上司と一緒に臨検(臨検監督。会社に立ち入って調査)に出向いていたが、一人立ちできつつあった時期である。 なお、労基の採用パンフレットでは現場二年目から一人立ち~といった記述を見ることがあるが、そんなことはない。ほかの官公庁や民間企業と同じである。登記官と同じく独任制ではあるものの、20代だと普通に若手扱いである。 上記の「臨検」では何をするのか……管轄区域内に数多くある企業の中から、いくつかの基準・目安に則って抽出した事業所に出向いて、労基法違反がないか確認を行い、必要に応じて注意・指導や是正勧告を行う。近年では違法賃金(サービス残業)対策に重点を置いている。 私が勤めていた頃は、土木建設現場での事故防止や、下請けいじめの是正が叫ばれていた。 その現場では、経営者かその委任を受けた者に対して質問をして、必要事項を聞き取っていく。 最初は正式な社名や、所在地など基本的な事項から始まり、就業規則の確認に、従業員の名簿や、その雇用別の区分であるとか、元請下請関係、労働行政関係の補助金申請、賃金台帳や労働時間記録、終わりの方になると実務上の文書ファイルまで開いて法令との適合を確認する。 次第に深いところに踏み込んでいく。採用面接と似ているかもしれない。最初の質問は「今日の朝ごはんはなんでしたか?」から始まったりするだろう。 上記の結果による勧告は、いずれも行政指導(法令に適うように啓発・行動を促すこと)であり、処分性はない。 法的拘束力はないが、従わない場合は刑事処分に移行することがある。若手監督官の月の半分は臨検を含んだ監督業務に費やすことになる。 ※よほどのことをしない限り刑事処分に移ることはない。「指導を行いました」の報告書は保存年限まで残る。そこまで長い期間でもないのだが。 具体的なエピソードに入る。 あの時は定期の臨検で、と��る縫製会社(衣料品メーカー)を訪問した。総従業員は千人未満で、売上高は数百億円。社歴からすると伝統企業といったところ。東京から遠く離れたところに本社があり、この都内には支店とはいえ立派なビルが建っていた。 いつものように「事前にこの資料を準備してください」と依頼してあった。支店代表者と、本社経営陣の家族役員が私たちの対応をしてくれた。 最初は違和感がなかった。就業規則は法令に則ったテンプレートであり、賃金も書類上は適正に支払われていた。 事業所内をくまなく見て回ったが、原反(衣服の原料のロール。とても重い)の受入場も安全基準に問題なし、倉庫内も大量の衣料製品をカートハンガーで吊ってあったが、やはり問題ない。製品出荷場も糸くずひとつ落ちていない。トイレの数は、労働衛生法令の当落線上にあった。すべて和式。 ところ変わって、原反を長大な作業台の上に広げてCAD操作で裁断する現場でも、従業員は電動工具類を適切に取り扱っていた。職場に危険はないし、廊下もきれいに磨いてあった。 しいて言えば、ビール会社のキャンペーンガールのカレンダーが飾ってあったのだが、2025年現在では環境型セクハラに該当する。当時はギリギリセーフといったところか。 違和感があったのは……臨検というのは大体半日程度で終わるのだが、最後にもう少し時間を使ってみた。 「抜き打ちのようですいませんが、最後に一度、一人で周らせてもらいます。必要があれば呼びます」と言って、事業所内を再度歩いてみた。 すると、何点かの違和感があった。つい立ち止まることもあった。 ・すれ違う従業員に元気がない。多くの年代がいたが、特に外国人労働者 ・終業が近いのに、ほぼ全員が忙しなく動いている ・出荷場には本日付け伝票で、尋常でない数の段ボール箱 ・女性役員が管理職と厳しいやりとり。「あの若い子はいつも定時に帰る。辞めてもらえば?」など  ※家族経営の会社にはありがち。そこまで気に留めない ・タイムカードの退勤時刻があまりに連続的。定時以後にまとめて全員分を押している? 「怪しい」と思ったが、定期監督の域を出ないよう、支店代表者さん方に挨拶をして帰った。 帰庁後は、上司に感じたことをそのまま述べた。「必要なら追加調査すべし」というのが指示だった。 その日の退勤後、私は自家用��でその縫製会社の前を通ってみた。やはり気になったのだ。 手ごろな駐車スペースがなかったため、路肩に停めた。パトカーが来ないことを祈りつつ、会社敷地に入ってみると……。 「やっぱり」 という感想だった。午後八時を過ぎていたが、出荷場のある棟の1階部分にバッチリ明かりが点いていた。言い逃れできない次元だった。ご丁寧に、カーテンをかけて明かりを漏れにくくしている。 そして、私は裏手に回って確認した。出荷場の板目を踏む音からして、何十人も仕事に従事しているのがわかった。現場を見なくても、建物内に多くの従業員が残っているのは明白だった。 従業員の平均的な退勤時刻と全く合っていない。違法賃金労働(以下「サービス残業」という。)である。計算するまでもなく、賃金台帳と合っていない。 それから私は、毎日夜にその会社の前を通って、サービス残業の状況を確認していった。 するとどうやら、毎日に渡って行われていた。あれから10日分、毎日夜にあの縫製会社の前を通って、出荷場の裏手に回って聞き耳を立てた。 常套的なサービス残業だった。当時は若く、使命感に燃えていた。どうにかして、あの従業員たちを救ってあげたいと願っていた。私自身がサービス残業をしているのは突っ込まないでほしい。 後日手に入れた縫製業界の情報によれば……どうやら4月~6月の業界繁忙期に毎日サービス残業を行わせ、冬季の暇な時期にはそこまでさせていないだろう、という推測が立った。 そこまで情報を整理したうえで、再度あの支店代表者に架電してみた。「御社が違法賃金労働をしているという申告があったのですが~」という優しい嘘からやんわりと入って、早めに事実を認めていただきたい旨を暗に伝えたが……やはり想定どおりの回答だった。 「タイムカードの記録と、実際の退勤時効は一致している」 というのが向こうの言い分だった。 だとしたら、こちらも準備を整えたうえでやってやろうと思った。 五月の下旬だった。夜七時半を回った頃である。その縫製会社の前に、私と、当時所属していた監督署の若手約10人と、管理職2名(責任を取る人)と、他所の応援職員5人がいた。サービス残業の現場を抑えるために人を集めたのだ。 実際に現場を押さえても、授業員が蜘蛛の子を散らしたようになることが多く、相手方の管理職も証拠隠滅に走るおそれがある。最低でもこれくらいの人数が必要である。 この日の夜、以下の図のように、監督官全員で出荷場を取り囲んだ。 概略図(スマホの人すいません) ○○○○ |――――| ○    |    | ○    | 出  | ○    | 荷  トラック ○    | 場  搬入口 ○    |    | ○    ∥    | ○   扉∥    | ●    |    | ○○○○ |――――|      ↑会社敷地内↑ ___________________________      正面道路(都道) ___________________________ ●……監督官 約17人 〇……私 概ね、以上のような位置関係である。 「労働基準監督署です!」 私は大きい声とともに、出荷場の扉を開けた。中には……30人はいただ���うか。 その出荷場では、出荷する商品の検品と、箱詰された荷物をトラック運転手に受け渡す作業を行っていた。 従業員は全員、疲れた表情をしていた。覚えているのは、還暦ほどの人がヨロヨロと段ボール箱をカートに載せていたのと、製品の検査をしていた外国人労働者達である。彼らが一番ぐったりしていた。 「これから指示に従ってください。全員動かないように!」 「労働基準監督官」の文字入りの証票を提示した直後、私達とその後ろに続いていたほかの監督官も出荷場に突入した。管理職は別の入口から事務所を抑えにいった。 抜き打ちの臨検監督はおごそかな雰囲気で進んだ。従業員を早く帰したかったのもあるが、当日のタイムカードをその場で押収し、誰かが全員分のタイムカードをまとめて切っていたことを速やかに確認した。 サービス残業をしていた一人ひとりに簡易な聞き取りを行い、対象者のタイムカードのみ抜き出すと、従業員を帰宅させた。 縫製会社の管理職数人と、あの家族役員が社内に残っていた。深夜まで社内で取り調べを行った。 すべてが終わると監督署に帰庁し、参加者全員に(主に私の上司が)感謝の意を述べて、その日の記録をまとめて……臨検及びサービス残業の捜査は終わった。深夜2時を回っていた。 それからも長年、監督官としての業務に従事した。事務も企画も監督業務も、一通りやらせてもらった。 字数が余った残りだが……読み手の心に残りそうなものが2つある。2つとも、2025年から数えると20年以上は昔のことである。現行の労基対応とは異なる可能性があるので留意願いたい。 1件目は、スーパーマーケットでのことだ。高島屋か伊勢丹かは覚えていないが、百貨店の中にある食品スーパーだった。 ある日、私の職場にいきなり通報があったのだ。警察か消防(※救急)の人かはわからなかったが。精肉コーナーの中で、食肉をパック詰めにするために加工していた現場でのこと。 食肉加工機械(ミートスライサー)を使って作業をしていたアルバイト従業員の若い子が、指を切断したという内容だった。労基案件の可能性があるので現地に来てほしいとの電話だった。 現場は悲惨だった。私たちは遅れて参じたものの、警察官ができるだけ証拠保全をしていた。グロテスクであるため、どれだけ血が飛び散っていたとか、どういう体勢で事故に巻き込まれたのかなど、通報直後の様子までは描写しない。 ただ、指切断という次元ではなかった。一本の指を残して、後4本が手のひらごとミートスライサーに巻き込まれてミンチになっていた。 当時の私は20代半ばである。手や足元が震えて止まらなかったのを覚えている。現場には肉片が残っていた。証拠保全を終えるまで、掃除したくてもできないのである。 原因は、ミートスライサーの安全装置だった。会社にあるような業務用シュレッダーであれば、わざとケガをしようとしてさえも、ケガをしないような――安全装置等が付いている。 その精肉コーナーでは、安全装置が���り外されていた。そのうえで、作業用の特厚ゴム手袋を従業員に着用させていなかった。完全に自由に作業させていた。社員も指導しない。それらが原因だった。 結果として、食品スーパーの経営者が労働安全衛生法違反として書類送検された。使用者は、従業員に対して業務上の危険回避や、健康障害を避けるための措置を講じる義務がある。 ほぼ上限の罰金刑となったが、義務違反が強ければ懲役刑もありうる。この事例は、従業員側にも若干の非があると認められた。安全装置のくだりだが、経営側ではなく現場判断で取り外していたことが起訴前の段階で立証された。 もう1件だが、飲食店で働いている人からの申告案件である。 飲食店というのは、夜に接待を行う店舗だった(夜職分類だとガールズバーが最も近い)。いわゆる、有給不行使(結果としての賃金不払い)案件だった。 通常の申告・相談の場合、労働者側からの聞き取りに加えて、可能な限り証拠物を集めてもらう。そのうえでクロが濃厚となったら、使用者側に連絡を取る。 その際は、厳しい言い方ではなくて、「こういう申告があったのですが、もし本当にそうなら、(~法令の説明~)未払い賃金を支払ってください」などと電話をする。 あくまで行政指導である。従わなかったからと言って罰則はない。使用者が無視することもありうる。その場合は……残念ながら、機会的な対応(オポチュニズム)をならざるを得ない。やむを得ない時の裁量的判断であり、本来はよろしくない。公務員は常に法令をベースに動くべきだ。 一例として、違反レベルが小さい場合、労働者には自ら解決するよう監督官が助言・アドバイスを行うのが一般的である。もし、労基に強い対応を求めたい場合は、複数人で相談するか、よほど強い根拠書類を用意するなどしてほしい。 さて、この申告案件の詳しい内容だが……。 ・相談者は夜に接待する店舗の女性従業員。学生 ・約一年働いたところで退職したい ・職場の後輩と一緒に辞める際、二人で有給休暇を取得しようとした ・運営会社が有給取得(有給分の賃金支払)を拒否 という流れだった。 半年以上勤務していれば、非正規雇用者であっても有給休暇を取得できるし、彼女らは給与明細その他の根拠書類を揃えていた。タイムカードのコピーも。 私は、そういう夜のお店に行った経験はほぼゼロだった。業界知識もない。先輩方に相談したところ、「あいつらは難しいよ」と言う人が複数いた。 証拠付きで相談を受けている以上は、相手方に連絡すべき場面である。そして実際に、相手方にとって都合がいいであろう夕方頃に電話をし、事実確認及び有給取得の制度を説明したのだが、いい答えは返ってこなかった。 以下;相手方の主張の要約。 (主張①) うちの会社に有給休暇制度はないし、この業界にそんな会社はない (主張②) あの二人は就業態度がそこまでいい方じゃなかった。お客からの評判もいまいち。もっと会社に対して貢献とか、貢献できなくても努力した姿勢を見せてくれれば可能性はあった (主張③) どの業界にもルールがある。あの二人は大学生で、若いから知らないかもしれないが、その業界に入ったなら、そこでの常識に合わせられないとダメ。そんなのだと今後社会で通用しない ということだった。先輩方に相談したとおりの結果になった。相手は風俗業界の慣習を盾にしている。 だが、私もそんなに折れなかった。当時は若く、企業側を守る社労士となった今(※実は自著を上梓しています)よりも正義感に溢れていた。社会正義を実行する立場であるという自惚れに近い感情もあった。 引き続き、粘り強くその会社と交渉(※非弁行為には当たりません)を繰り返した結果、有給は本来10日のところを、月末までの5日であれば取らせてくれるということで妥結した。一応は全員納得の結果だった。 これで一応終わりである。
労働基準監督官だった頃の思い出
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kyoto4 · 2 years ago
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『遠い声をさがして     学校事故をめぐる〈同行者〉たちの記録』  石井 美保 著 (岩波書店)
とつとつ、と、丹念に。
序章 出来事のはじまり
第1部 つながりをなくした世界で(羽菜ちゃんという女の子;夏休みのプール学習中に起きた事故;「日常に戻りなさい」という圧力;追悼のかたちをめぐる学校と遺族の距離)
第2部 「公正中立」な調査とその限界(プールでの再現検証と聴き取り;第三者委員会の解散と残された疑問;自主検証の実現を求めて)
第3部 「遠い声」を探しつづける遺族と同行者たち(自分たちの手で検証実験をデザインする;救護プロセスと語りをたどりなおす;それぞれの視点から浮かび上がる問題点)
終章 「同行者になる」ということ
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uzurakoromo · 9 months ago
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いじめ記録 小学生編 
 私は小学校1年生から中学校2年生まで、いわゆる「いじめ」を受けていた側である。
 初めは小学校1年生のときだった。我儘な同級生がいて「王様家来ごっこをしよう」と言い始めたのをきっかけに、日常的にも命令口調で主従関係を強要する女子だった。思い返せば随分と背の小さい子どもだったから、そのときからコンプレックスで一杯だったのだろう。可哀そうに。
 母に相談したときには、昭和生まれの母は「言い返せ、やり返せ」としか言ってくれなかった。当時は「子どもの問題は子どもの間で解決させるもの、そうでなければ成長できない」という価値観が強固だったのだ。(ちなみに、いじめ問題が当事者間で解決できる可能性は限りなく難しいのが現状である。特に未熟な子ども同士なら猶更、間違いに間違えを重ねて泥沼化するのだ。それが後々世間でどれだけの悲劇を生むことになるのかを、愚かにも大人たちは知らなかった)
 当時、私はまだ大人の言うことが絶対だと思っていた。だから母が言ったものだから、その通りに従った。すると110cmの彼女は120cmの私に凄まれた途端に、萎縮していじめをしなくなったのだ。やがて廃校寸前だったそこから転校することによって、彼女との関係はそれまでになった。
 こうした後に、私は新しい学校に転校した。しばらく経って誕生日に男子から手紙とプレゼントをもらったが、それは余りにも皺くちゃな紙と下手糞な文字で書かれているものであり、プレゼントも掴み取ったような飴が幾つか渡されただけで困惑した。私には逆に嫌がらせのようにも見え、その疑念もあってかお返しする気も起きず、彼の誕生日のとき(翌日だった)には、言葉で返すことしかしなかった。それが彼にとっては恥ずかしくて、屈辱だったのだろう。それから避けられるようになり、男子からの当たりが強くなっていたように思える。男子にとって私は「不誠実なやつだからいじめていい」と認定されたのだ。
 牢屋といってもいい、窮屈な小学校の在り様に気付いていく3年生。暴れまわりたい男子たちは、八つ当たりのように私に吹っ掛けるようになった。話しかけても叫び、否定し、恫喝し、無視し、暴れることで優越感を満たしていく。それによって「私が絡むと男子が面倒になるから」と、女子たちさえ私を敬遠しだした。それで私が一人ぼっちになっていくと、ひそひそとからかって更に居心地を悪くさせる。
 頭ごなしに怒るだけの教師や両親に傷つけられた子どもたちは、八つ当たりのように誰かをターゲットにして私をいじめてきたのだ。
 そんな微妙な空気を知らない能天気な先生は、のうのうと作文の題材で「一年間の中での思い出」の中に私の転校を引き合いに出す。他に転校した男子が一人いたのだが、彼を題材にした作文が2つあったのに対して、私のことは0であった。なぜ覚えているのか、それは作文に書かれた綺麗な言葉から、反吐が出るような憎悪を感じ、私が二つとも引き抜いて破り捨てたからだ。そして文集自体も整理整頓のときにとうに捨てられ、今はもうどこにもないのである。
 そのように、私はただ「いじめられることに苦しい」だけの子どもではなかった。苦しみ、怖がり、自分を責め、ときとして泣くこともある一方で、当然のように彼らに怒り、憎悪し、軽蔑した。いじめっ子にある性悪が、どうして同じ子どもであるいじめられっ子にない筈だと言えよう。
 登校拒否は憎悪と軽蔑による「復讐心」が留めさせた。それが保てていたのも、自分は当時から体格が良い方(小学校6年時点で大人女性の平均身長になっていた)だったので、相手を報復するイメージがつきやすかったのだろう。本当に我慢できなくなったときには机の角で頭を叩き潰すことさえ決め、嫌々ながらも空手教室に通った。小学校の体育館で行われた市大会で優勝し、周りに自分の力を見せつけた。両親や先生には相談しなかった。なぜならとうに言われた通り、「言い返せ、やり返せ」をしたのだから。
 一方、勉学にも努めた。先生がいる授業中にいじめられることはなかったので、皮肉にも授業が楽しかったのだ。空手などの習い事と合わせて、大人の世界へと意識を持っていくことでやり過ごす。やがて賢くなっていくごとに「陰湿さ」も覚え、いじめっ子がするようなやり返しに、残酷な喜びを覚えるようになっていく。靴を隠されれば、目星のついた相手にドッチボールで避けるフリをして体当たりして恥をかかせた。
好きな人の名前を(余りにも問い詰められて面倒くさかったので嘘をついた)晒されたときには、「私、本当は別に好きな人がいるんだ」と恋バナで女子を「釣り」あげ、色んな男子の名前を適当に言って噂を噂でしっちゃかめっちゃかにさせて潰した。(さすがに小学生の時点で私を淫乱としてみなす相手はいなかった)
 そんな風に絶妙な加減で無視したり、言い返したり、そして陰湿にやり返したりを繰り返している内に、向こう側から疲弊していくようになり、私は卒業までやり過ごすことが出来たのだった。
 しかし、いくらやり過ごしたとはいえ、とてもじゃないが健全な学校生活を送ったわけではない。自分を守るために相手を突き放した行為で孤立し、先生が勝手に組み込んでくるグループ活動や移動教室では散々苦しめられ、大人に泣きついてしまったこともある。それ故に人との行動が嫌いになり、すっかりインドアになってしまった。(この校外授業嫌いは高校までずっと続くことになる)また、泣かされた苦しみとによって憎悪を湧き出たせた私は更に意固地になり、ますます彼女たちを軽蔑して険悪になっていくのだ。
 卒業式にはしばらく不登校をして学校の事情を知らない友だち(彼女もまた、私と別クラスのときにいじめられていたらしい)にべったりとくっつきながら、卒業終わった途端、誰とも話さないで通り過ぎ、すたこらさっさと家に帰ってあっさりとした別れを自ら決めた。その後の連絡先も破り捨ててけじめをつけさせた(上記の友だち以外)。そうした小学校時代だったため、時々ドラマや漫画で見るような仲睦まじいクラスの様子が出ているのを見ると、羨ましいなと思うことがある。しかし一方でふとして思う。あの映像も殆どの人にとってはフィクションではなかったのかと……。
 最後に、先に述べた不登校の友だちについて取り上げることにする。彼女とは小学校4年生のときのクラス替えで知り合い、列並びで近かった者同士友だちになった。つまり私と同じ位の背の高さを持ち、体格の良い自分と違ってすらりと細長い髪の綺麗な和風美人だった。また、とてもイラストが上手で、性格も申し分ないほど慎ましく、善性の象徴のような人だった。友だちグループにこだわらず誰とでも平等に接するとても大人な少女で、私も彼女には随分とべったりしていた。陰鬱と憤怒にまみれた小学校の思い出として、彼女の存在は一筋の光のように瞬いている。彼女のおかげで続いていた男子のいじめも無視してあしらことも出来、小学校時代では4年生のときが一番楽しかった。
 しかし、5年生のクラス替えから離れ離れになってからしばらく、彼女が不登校になったと巷の噂で聞いてしまった。心当たりはなかったが、どうやらいじめによるものらしい。私はそれによって改めて激しくいじめを憎悪した。が、私も私で新たに絡んでくるいじめとの攻防で手一杯になり、彼女のことを追いかけることが出来なかった。
 6年生になったとき再び同じクラスになったが、彼女は殆ど出席しなかった。やがて彼女がカレンダーを作ったと言って、新米の先生が作品を持ってきた。皆が騒がしくなったところで(「誰……?」という声もあった)、それを黒板の前で徐に見せていく。最初は彼女の新作だとすごく胸を躍らせた私だったが、色とりどりの画用紙で描かれたそれを見た瞬間、戦慄に震えた。
全く別人の絵になっていた。
むしろ、凄く下手になっていた。
リアルなデッサンを描いていた彼女のイラストは、手足が異様に丸くて太ったバランスの悪いデフォルメとなっていて、(確かに当時流行っていたミニキャラのようだったが)繊細な色使いで塗られていた小物は同一の色でべったりと塗られ、目も渦のようなハイライトがぐるぐる描かれてまるで焦点が定まっていない。
途中から見ていられなくなって、私は思わず頭を抱え俯いた。違う、こんなの彼女の絵じゃない。彼女は本当はこんなもんじゃない。するとそれを察した先生は、「この絵はうまいだけじゃいの。構図とか躍動感が見どころなんだよ」と言う。
うるさい、うるさい、うるさい。余計なことを言うな、話すな��先生の微弱なフォローは私を更に苛立たせるだけだった。
憎んだ。彼女からあの輝かしい感性とみなぎる情熱を奪った誰かを。彼女を苦しませ、意欲を失わせたいじめというものを。
後の「移動教室」でも、動物のような興奮と衝動によって男子が案の定深夜に探知器を鳴らしたとき、一斉に生徒たちが目覚めた中で彼女はピクリともせずに眠っていた。翌日聞いてみたら「ああ、薬のせいだね」と言われた。「劈く音が深夜に鳴っても起きない薬を、小学生から飲ませられるなんて……」と茫然としたものだ。
やがて中学生になると彼女とはそれっきりになった。彼女がどこの中学校に通うことになったかは知らない。当時の学区制度で、私の小学校に通っていた生徒はほぼ同じ中学に通うことになるのだが、例外になるのは私立に通う人だけだ。
住所は知っていたから手紙を送ったら、その3日後に返ってきた。律儀なところは変わっていなかったが、文字はやはり当時よりも乱れて読みづらく、行き先の学校についてはのらりくらりと躱されてた。末尾に描かれたオリキャラらしいパンダの絵もまた、異様に手足とお腹が膨れていたのだった。
 それは今でもロッカーの中にあるはずだが、私は開けられずにいる。
そうして、縁だった友とも別れ、私はいじめっ子たちと合わせて、まだ見知らぬ人たちと出会う中学校に行くことになった。環境が変わることに期待と不安を寄せていく。そしてもう次はいじめられまいと覚悟を持った。その子どもには相応しくない「毎日抱える極度の緊張感」は、これからの人生において、大きな問題を抱えることになる。
中学生編に続く
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3saizi · 1 year ago
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2月活動記録 ~ライブ編~
そういえば初めてライブハウスに足を運んだのも10年前でした
観るのも演るのも
ミルモでポン!
こちらは20年以上前のようです
20年前何してたかは流石に覚えてないけど、校長先生らしき人がステージの上で踊り狂ってるCMが衝撃的だったな…
ゲームばっかりしていたのは間違いありません
当時だったらポケモンのリーフグリーンですかね
ワイヤレスで通信できるようになったの、すごかったよね~
ピカチュウの通信ケーブルなんてのもありましたね
ゲームは結構攻略本を読みながらやる派でした
あと広技苑とか大好きだったな~
ライブの話どこ行った?
信じ難いかもしれませんが僕の脳内ではこんな風に思考があっち行ったりこっち行ったりして何を考えていたのか分からなくなったり話が着地できなくなったりします
ナーディのメンバーで会議通話してる時もよく話題がズレて皆でひとしきり盛り上がった後に「何の話だったっけ?」となりますね
本題!
2/25(日)、LiveSpotWOODYさんでライブ出演させて頂きました
初めてのWOODY
見るのも演るのも
幣バンドは足元の機材が多いというのはご存じの方もいらっしゃるでしょうが
僕も例に洩れずギターボーカルとは思えないサイズのボードになっているので
ライブ前日のスタジオからマグナカートを導入しました
すごい楽
ギターもハードケースから背���えるケースに替えたらすごい楽
逆になんで今までやってなかったんですかね
これでライブ当日も勝つる!
そう思ってました
WOODY様の階段を見るまでは
上がるにしても下がるにしても階段があればマグナカート持ち上げなきゃいけなくなるのは覚悟してたんです
予想の3倍段あんなぁ
いつも機材をライブハウスやスタジオの内外に運んでいる時に
「搬入業者か?」って自分達の事を笑っているんですけど
引っ越しのバイトってこんな感じなのかなって思いました
それもまた一興
今回の出演バンドさんは全員初めまして!
トッパーのRamblampさん
20代前半の勢いやパワフルさがあり、かつ歌声やサウンドにオリジナリティがあって素敵でした
ドラムが音で殴られてるんかと思うくらい力強くて、ビートも単調にならないように練られていて
チャイナが多用されてるのが好きでした
翌日はしっかり学業があるということで、打ち上げもノンアルかつ日付が変わったくらいの時間に古町から長岡に帰られてました…
若さ 若さってなんだ これさ
メンバー3人ともとてもとても愛想がよくてアラサーのめんどくさい話にも優しく対応して下さいました
ありがとう…ありがとう…(SMAP)
2番手はシステムキッチンさん
バンドアカウントが無かったのであまり情報収集できずにいたのですが
メンバーのサツヲから「このバンドシューゲイザーだった!」と貼られたMVのURLをクリックして沸きました
えっ 今日は全員ファズ踏んでも白い目で見られないのか!!
トリプルギターもいいぞ!
なんとシステムキッチンさんもギター3人編成
ストラトが3つ並んでいるのも壮観でしたね
ストラトキャスター・ストラトキャスター・ストラトキャスターだ
機材トラブルがあって苦労されている場面もありましたが
ドラマー不在にして、音量とサウンドの尖り具合はNo.1でしたね
打込みが凝られていて、いい意味でシューゲのドラムっぽくないビートの曲もあって素敵でした
先述のsundayも2曲目?で聞けて良かったです
他のメンバーの皆さんがカジュアルな装いの中でギターボーカルのユイスズカさんがお人形さんのような可愛らしい格好だったのも印象的でした
大学の軽音で可愛い先輩がバックバンドのオタク達が自腹で用意したお姫様のような衣装を着せられていた田村ゆかりのコピーバンドを思い出した
それこそ、軽音時代の同級生とギターのいかしさんが知り合いということもあり
是非とも仲良くなりたい!と思っていたんですけど
転換やら物販やら搬入出やらであっという間にライブが終わってしまい
打ち上げの時も会場に着いた時点でもう既に酒席が完成してしまっており
声をかけられなかった…
これだから陰キャはよ
退店間際にギターのお二方と少し話せたくらい
心残りです
ただ、テーブルの奥の方から「紋舞らん」って聞こえてきたのが引っくり返るほど面白かったです
スカパー!の100番台(誰も分かんねえよ)
20年振りくらいに耳にしました
伏線回収(?)
そして3番手ことトリがNerdy Pixieでした
セットリストはこちら
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初公開の曲が1個ありました
新曲って体だけど出来たのが3,4年前なのは内緒ね
珍しく俺がパワーコードを弾いている
そしてアウトロで俺がかっこい~いソロを弾いている
はずだったんです��
前日のスタジオ練習までなんともなかったのに
何故かソロを弾いている最中に1弦のチューニングがズレまして
とっさにペグ回してみたものの何とかなってるのかなってないのかも分からず
これじゃ星座になれないじゃんとか考える余裕もなく
とりあえずソロとしての体裁は守ったつもりでしたが、ヘタクソ!と思わせていたらすみません…
あとはボードがデカいせいでマイクスタンドが遠くなっちゃって(いつも悩んでいる)
1,2曲目は前傾姿勢過ぎて歌いながらずーっと脚がプルプルしてました
バレてないよね?
マジで生まれたての小鹿みたいだったんだけど
今回、過去一で自分のギターの音が聞こえてて
録画してもらってた動画を見ると外音でも結構聞こえていたみたいで良かったです
PAさんに大感謝
自分達でスタジオ入ってる時ですら「なんか全然聞こえなくない?」だの「俺の音でかい?」だの毎回やってるくらいなので…
メンバー一同とても喜んでおりました
ありがとうございました
Nerdy Pixie、昨年の3月から約半年おきにライブが継続的に出来ていて大変嬉しいでございます
次回はですね~
意外とすぐかもね
続報を待て!
以下 最近の話
今月に入ってから、人生で初めての無職というものを体験しております
12月半ばからの有給消化が1月末付で終わり、2月からは真の職無しになりました
この2か月半、何か機会を探しては外に出てみたり、初めましての人との出会いも多々あったのですが
何せ今の私は給与もなく失業給付も未だ受給できていない状態
それでも今まで通りに発生する支払い
加えて今までは給料から天引きされていた保険料などの負担
今はまだ「もう口座の残高が5桁しかないナリ…」みたいな状態ではないのですが
例えば
車が突然シャララシャカシャカになったとして
新潟という地で暮らしていく以上はモーストインポータントな移動手段で、買い直さないという選択肢は無いわけで…
みたいな色んな不測の事態に対応できるようにしておかないと、と思うと
今までのように行きたいお店やライブなんかに気の向くままに出掛けることを恐れてしまい
歯がゆい思いをしながら家で酒に溺れる日々です
それをやめれば幾らか浮くだろって?
無理
予定も作れず部屋で腐っていると、この季節感も相まってか精神的に不安定になってしまい嫌だな~と思っていたのですが
2週間ほど前から職業訓練というものが始まりまして
僕がやっているのはeラーニングという家にいながら受けられるものなんですが
次の仕事、それも未経験の業種に就く��めのお勉強をしております
なんせ経済学部を卒業してから7年弱の間、建設業にしかいなかったのでね…
言ってることおかしくないですか??
国公立大卒なのに就職先の選択肢が建設業とパチ屋しかなかった話はやめよう
机に向かって勉強するなんてほんと学生振りだし
別に学ぶことが好きで大学に行ったわけでもないから
大丈夫かな~29歳 と思ってたんですけど
思いの外「理解する」ということに喜びを感じられているのと
やらなきゃいけないからやってるにしても何かに打ち込んでいる時間があることで精神が安定しているのを感じています
いや自分で望んで受講してるんだけど
いつ頃からか、仕事が嫌すぎてプライベートの時間も無気力になってしまっていたのですが
そんな仕事を辞めて気付いたのは「労働することで無気力にならない時間を作り出せていた」という悲しい事実でした
無職になったら無限にも似た時間が出来て
また曲を作ったり、歌を歌ったり、ミックスしたりEPを作ったり
今まで出来なかったあれもこれも出来るようになると思ってたんですけど
何もしなくてもいい日ほど何もしたくない
体が動かなくて何も出来なくてこのまま一日終わりたくないと酒を煽って気分を上げようとしたらハイになりすぎて時刻は早朝、眠りから覚めれば既に日が沈んでいたり己を呪うほどの気持ち悪さに苛まれていたり
俺っていま人間ですか?と支離滅裂な疑問を誰にぶつけられるでもなく抱える事しかできませんでした
それが職業訓練という半強制的なタスクをこなすことで和らいでいるのも考えてみれば悲しい話な気がするけど
少しは人間らしい生活を送れていると思います
あとは、興味を失ったというより向き合い方を忘れてしまった、自分の好きな事にどう力を注げるかなんですが
やんなるくらい難しい
自分で自分にちゃんとやれよと何度も言ってるんですけどね
なんか空気悪くない??
何はともあれ
2024年は、30代になる前に訪れた転機の年だと思うので
人生変えられるように何とか頑張りたい所存でございます
次に更新する時には明るい話ができますように!
それでは
明けましておめでとうございます
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picnicism · 1 year ago
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 年初来、能登半島を襲った大地震で身の回りも騒がしくしております。被災された方々や亡くなられた方、ご遺族の皆さまには深くご同情申し上げます。  また、激甚災害への対応につき、救難や復興に努力されている政府関係者や公務員の皆さま、消防・警察・自衛隊や海保の皆さま、道路���電気関係、通信関係など民間事業者の皆さまにも深く御礼申し上げます。  私の関係する大学や施設が甲信越に集中していることから、年始早々から慌ただしく私もあれこれ対応しておりました。通学していた大学生が帰省中に被災し残念なことになってしまったのはさすがにショックで、居ても立っても居られない学友の皆さんが大学の手配で現地の復興ボランティアに登録することになったのは、凄惨な災害に対する人々の心のつながりが再確認できたところではあります。  現在、被災地各地ではボランティアの募集をしている自治体もありますが、ボランティアなどが現地入りして問題ない状況であるかは受け入れ先の自治体によって状況が異なりますので、検討されている方はまず自治体サイトなどでチェックしてみていただければと存じます。  で、今回能登地震といっても被災地の「石川県」は能登と加賀では状況が異なり、金沢では震源地よりやや遠く普段通りの生活となっている一方、逆に震源地に近い富山県氷見市などでは一部の生活インフラに影響が出たと見られます。  経済的な復興支援をお考えであれば、被害はなかったけど客足の途絶えた石川県の金沢周辺や富山県、福井県あたりを訪れて飲めや歌えとおカネを落とすのが最適ではないかなと思いますのでご一考ください。 過酷な状況に心を折ってしまって失意のうちに帰ってくる子たち 「まずはできることから」ということで、大学や関係先に集まってきたボランティア希望者のうち40名ほどが避難所での物資輸送や割れた道路にはみ出たがれき撤去などの作業をするというので送り出したのですが…現地に行って、数日ほどで過酷な現状に心を折ってしまって失意のうちに帰ってくる子が複数出ております。  この記事を書いている間にも、メンタルやられ気味の子からのSOSが舞い込んできたので「世話になったお礼だけ頭下げてしてきて、すぐ帰っておいで」と促したりしております。  送り出した側からすれば「え、もう帰ってくるの」と言いたくなるところではありますが、オンラインとはいえ窓口をしている私としては彼らが直面した被災地の状況に思いを致すと「確かに非日常すぎて、単に善意で現地に行ってもなかなか大変なんだろうな」と思う部分はあります。  ボランティアとして入れる避難所は割と震源地より遠く、道路も復旧して二次避難も要らない(かもしれない)という状況だったようなのですが、その避難状況というのは声もかけられないぐらい悲惨で、職員も被災者も疲労困憊の状態のため口数も少なく、報告を聞く限りでは、ボランティアの若い人に対して「動きが遅い」とか「こんなこともできないのか」などと非常に攻撃的な口調で命令されたり批難されたりされるケースもあったようです。  人間、長く生きていても想定外に辛いことが起きるとギスギスしてしまうことは往々にしてあり、ましてや突然の被災で住み慣れた我が家を追われて不自由な避難所生活を送ったり、身近な家族・親族の不幸もあって心に傷を抱いたりしながら、はっきりしない未来に不安を抱いて暮らしている人たちのことを考えれば、恨み言のひとつも言いたくなって当然です。  福島で復興庁の作業も多少は経験している私からすれば、そういう彼らの「ボランティアで行ったのに召使のように使われた」というのは定番の愚痴ですが、それを乗り越えて被災した人たちや、日々現地で奔走する地方公務員の皆さんに寄り添えるかどうかはかなり人格の深さを持った子か、黙々と物事に取り組めるタイプの子しか順応できないように思います。 後悔ばかり抱いて何とか戻ってきた  また、状況が分からず所属したNPO団体の仕立てたワゴン車に乗ったまま能登半島奥地まで行ってしまった子が精神的にも肉体的にも大変衰弱した状態で帰ってきていました。  さながら現地は戦場みたいなもので、被災者を差し置いて勝手に水洗トイレを使うことはできないが軽装備でNPO団体が現地入りしたため手持ちのトイレットペーパーもすぐに底をついただけでなく、食糧も水も不足しているばかりか帰りのガソリンも心許ない状況だったことで、何のために現地に行ったのかという疑問と調べず安易に来るんじゃなかったという後悔ばかりを抱いて何とか戻ってきたとのことでした。  さらに、野外活動中に割と強めの冷たい雨が降ったことで、これはもう居られない、助けに来たのに自分がどうにかなってしまいそうだと感じたそうです。  人生、勉強の連続であります。  そういう非常時もあるのだといういい経験をしたのだと声を掛けてあげたいけど、人間、若くても数日飯が喰えず先が見えない環境に放り込まれると途端に衰弱してしまうのだ、というのは大事な知見だろうと思うのです。とはいえ、いい経験したじゃないかと肩を叩いて激励できるような状況に戻るまでどのくらいかかるのかよく分かりません。  通信が回復した被災地の避難所からは、一日何回か、まだ現地で頑張っている子たちから連絡を頂戴します。現地で盗難があるという噂でピリピリする中で変な疑いをかけられそうになって参ったとか、普段運動していなかったので被災地では朝から晩まで荷物を運ぶことになり身体が辛いとか、そういう話はたくさん来ます。  何事もない日常が、こんなにありがたいものなのだと思えたというのは共通した意見で、靴底の薄いスニーカーを履いて現地に行った子が倒壊した家屋のがれきに刺さっていた釘を踏み抜いてしまい帰ってきたのを見ると、学びというのはそういうところにあるのだと思わずにはいられません。  地方の大学は特に、地方公務員を目指す子たちが一定数いることもあって、公的な仕事で頑張るに当たって、こういう天災が起きたときに率先して住民のために働く使命を負っていることを体験できるのは大事なことだろうと思います。他方で、普段見ていて人格円満で、褒められて育った自信満々の子たちが、現地入りした割と早期からストレスを溜めた被災地の皆さんとのコミュニケーションに行き詰まり、帰ってきてしまう現象が今回特に多いような気がしています。 同情や善意だけでは、理不尽な環境を乗り越えられない  落ち着いたところで全員に話を聞きたいところなのですが、少し話を聞いた限りでは、やはり大変な経験をされた被災地の人たちへの同情や善意だけでは、理不尽な環境を乗り越えられるだけの覚悟や準備ができていなかった、ということのようです。 キラキラした瞳で「被災地を助けたい」と両手に同情と善意とを抱えて悲惨な現地に行った若者が、理不尽で不合理な現実に打ちのめされて死んだ魚の目になって帰ってくるわけですよ。  そもそも天災なんてものは理不尽の塊で、その理不尽な事態で苦労している人たちは疲れ切っ��おり、剥き出しの人格がストレスで表出してしまうのは仕方のないことなのです。  そして、いまの若い人たちの普段の家庭や学生生活において、存在自体をいきなり否定されたり、身に覚えのないことで叱責されたり、本人なりに頑張っているのに感謝されないどころかまったく認めてもらえず、新たなしんどいタスクをどんどん要求されたりするような過酷な状況は昨今そこまでないんじゃないかと思うんですよね。  意味のない変な校則に縛られたり、不思議な教師からブチ切れられる程度の経験しかないと、なかなかこの辺の理不尽を捌くコントロールはむつかしいのかなあとも感じます。  何かしてあげて、素直に「ありがとう」と返してくれる人が少数であったとしても、あるいは、挨拶をしても無視してくる人たちが仮に過半だったとしても、気持ちの続く限り何かをしてあげ続けなければならないし、皆さんに挨拶やお声がけを繰り返す必要があります。  かといって、女の子が現地入りして気さくに対応していたら性被害を受けかねない状況になったという話もある以上、なるだけ妙齢の女性は単独で現地入りしないことはやっぱりマストなのかなと思ったりもします。ジェンダー問題というのはある程度状況が落ち着いている環境でしか成立しない面もあるのかなと強く感じるところです。  被災した人たちに対して必要なことは圧倒的な物資とそれに伴う安心感に尽��るのかなあと思うところがあって、あなた方の生活は当面大丈夫ですよと一刻も早く言ってあげられる状況にすることが政治に期待されることなのでしょう。 被災した方々の生活をどこまで復興させるか  他方で、災害復興に関しては東日本大震災とそれに伴う福島第一原発事故の影響で15兆円以上の国富が復興庁などを通じて被災地に注ぎ込まれ、また、熊本地震や北海道胆振東部地震でも激甚災害の指定と共に被災した人たちの生活をどこまで復興させるのかという議論が繰り返し行われてきました。  おそらく、今回被災した奥能登の集落などは高齢者の極めて多い人口構成から、復興で「元の生活に戻す」選択は政策的に採用し得ないことも踏まえて地域や住む人たちにとって何が最善かは考えていく必要があります。  元旦の災害対応としては総理の岸田文雄さんの対応はほぼ完璧だった一方で、限られたリソースの中で、どこまで現地に寄り添って能登半島の復興に力を注ぐべきなのかという程度問題について、きちんと議論していかないとなあと感じる次第です。  …と、ここまで書いたところで、学校でボランティア部なるものに入っている長男が被災地に行くかどうか悩んでいたので、いやせめてちゃんと大学入って超身体鍛えてからにしろよと、親として思いました。
褒められて育った子が災害ボランティアをすぐにやめる理由…綺麗事ではない理不尽な世界を生き抜く知恵の不足 | 文春オンライン
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rakuhoku-kyoto · 3 years ago
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装幀を担当したご本。『たまふりの人類学』石井美保[著]青土社[発行]
 小社刊行の本ではございませんが、装幀を担当したご本を、ここで紹介させていただきます。  青土社から刊行されます。
『たまふりの人類学』 石井美保 著
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カバー銅版画┃ イシイアツコ
仕 様┃ 四六判 並製 272頁
発 行┃ 青土社
刊行日┃ 2022年11月21日ころ
 装幀を担当させていただきました。
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「文化人類学者は、世界の隙間のさらに奥深くへ――。ガーナの村の精霊、インドのトラ保護区、京都の借り暮らし、東北の津波跡、感染症と禁忌、ウクライナの国境、日本兵の面影と記憶……。  ふるえながらめぐりながれ、この世に現れては過ぎ去っていくものたちにことばを与え、一回性と偶然性に満ちた人間の生の営みを書き記す22篇。」
詳細は 青土社 をご覧くださいませ。
著 者 石井美保(いしい・みほ) 1973年、大阪府生まれ。文化人類学者。北海道大学文学部卒業、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。宗教実践や環境運動をテーマにタンザニア、ガーナ、インドで調査を行う。現在、京都大学人文科学研究所准教授。主な著書に『精霊たちのフロンティア』(世界思想社、2007年)、『環世界の人類学』(京都大学学術出版会、2017年)、『めぐりながれるものの人類学』(青土社、2019年)、『遠い声をさがして』(岩波書店、2022年)などがある。第14回日本学術振興会賞受賞(2017年)、第10回京都大学たちばな賞受賞(2018年)。
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目 次  まえがき  Ⅰ
花をたむける
アンフラマンス
世界する流儀
贈与と顔
 Ⅱ
石を積む
都市の縁側
あいづちと変身
うつつの向こう側
借り暮らし
 Ⅲ
数式と神話
センザンコウの警告
センサスの内と外
空の飛び方
 Ⅳ
少女たちの残像
声と現れ
地べたの民俗誌
風の祠
国境の森で
 Ⅴ
たまふりとふるえ
羽をもつもの
シャマンのうた
いしぶみと署名
 あとがき
   * * * また、同じ著者、石井美保氏の『めぐりながれるものの人類学』も、かつて(2019年に)装幀を担当させていただきました。
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『めぐりながれるものの人類学』  石井美保 著
���バー銅版画┃ イシイアツコ
仕 様┃ 四六判 並製 224頁
発 行┃ 青土社
刊行日┃ 2019年6月刊
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「フィールドで、文化人類学者が見たものとは? 学界の気鋭が書き下した27の文章は、タンザニア、ガーナ、インドから、60年安保の水俣、京都大学の「立て看」撤去問題まで、時間と空間を越えてめぐりながれる。  異なっていながら同じものに満ち、分かたれていながらつながっている私たちの生のありようを鮮やかに描き出すす27篇。」
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目 次  まえがき  I
「人」からの遊離
小人との邂逅
水をめぐるはなし
循環するモノ
道の誘惑
 Ⅱ
異形の者たち
鳥の眼と虫の眼
ふたつの問い
科学の詩学へ
 Ⅲ
敷居と金槌
公共空間の隙間
フェティッシュをめぐる寓話
隅っこの力
 Ⅳ
まなざしの交錯と誘惑
現実以前
流転の底で
Since it must be so
 Ⅴ
世話とセワー
ささやかで具体的なこと
台所の哲学
リベリア・キャンプ
追悼されえないもの
 Ⅵ
凧とエイジェンシー
島で
サブスタンスの分有
神話の樹
言霊たち
 あとがき    * * * また、こちらのご本は、装幀を担当していませんが、同じく石井美保氏の著作で、同じくイシイアツコ氏による装画の――、 『遠い声をさがして:学校事故をめぐる〈同行者〉たちの記録』
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発 行┃ 岩波書店
仕 様┃ 四六判 並製 338頁
刊行日┃ 2022年6月刊
「小学校のプールで失われた命。なぜ、どうして、事故は起きてしまったのか。  受容と忘却の圧力に抗い、「その時」に迫ろうとする両親と同行者たちの苦悩と行動。  そこから浮かびあがる学校や行政の姿。  同行者の一人として出来事にかかわった文化人類学者が、多声的な語りから亡き人とともに生きることの意味と可能性を考える。」
   * * *
 そして、11月11日の「朝日新聞」朝刊(2022年11月11日 金曜)の「折々のことば」に、『めぐりながれるものの人類学』(石井美保 著、青土社)から、引用がされています。
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※ 画像は、文章の一部分を隠しています。全文は「朝日新聞」「折々のうた」をご覧くださいませ。
以上、2022年11月17日 記
 .
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xf-2 · 4 years ago
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新型コロナウイルスの重症患者が急増している。特に40代・50代の重症化が目立つのが第5波の特徴で、東京都では重症患者の6割を占める。だが、この年代へのワクチン接種の進み具合は、自治体によってばらつきが大きく、かなり遅れている所も多い。そんな中、東京都墨田区では、今月7日時点で1回の接種を終えた40代は区民の6割を超え、50代は7割近くに達している。
今月13日付日経新聞電子版によると、同紙が緊��事態宣言下にある6都道府県の主要都市の1回目接種率を調べたところ、墨田区は50歳代で71.9%、40歳代で60.6%とダントツに高かった。40代については、さいたま市(6.7%)、那覇市(16.4%)、大阪市(17.7%)、世田谷区や品川区(17.8%)などと接種率が伸び悩む自治体が少なくない中、墨田区の進捗状況は際立っている。その効果か、陽性者数の推移を示すグラフからは、陽性者が下降の兆しも見てとれる。
 なぜそれができたのか。同区のコロナ対策の陣頭指揮をとる西塚至・同区保健所長に話を聞いた。
困難なスタートからの巻き返し
なぜ墨田区は、こんなに速いんでしょう?
「いえ、決して順調に行ったわけではありません。出足が遅れ、想定外のこともいろいろ起きました。大学病院があるわけでも、集団接種に向いた広い施設があるわけでもなく、大きい施設は五輪で抑えられて、条件は決して恵まれていません。それでもなんとか巻き返し、いろんなことを積み重ねて、結果的に今がある、というのが実情です」(西塚さん、以下囲み内は同様)
 どのようなことを積み重ねてきたのか。西塚さんへのインタビューや資料から、主要な事柄を確認していきたい。
高齢者枠を使ってでも、まずは医療従事者に接種、という判断
 同区では昨年7月頃から、地元医師会とコロナ対策について協議を行う中で、ワクチンについても話し合いを重ねてきた。12月に区役所内に予防接種調整担当課を立ち上げ、ワクチン接種の準備を進めた。
 しかし国のワクチン調達は遅れ、当初は輸入量が少なかった。高齢者への接種が開始される4月12日時点で、東京都に割り当てられたワクチンは4箱(3900回分)のみ。高齢者人口の多い地域から配分が始まり、初回は世田谷区と八王子市が2箱ずつ配分を受けた。墨田区としてはいささか出鼻をくじかれるスタートとなった。
 墨田区は接種初日の4月17日、集団接種の予行演習をかねて、区内の医療従事者に接種を行った。国の計画では、医療従事者の接種は都道府県が行い、市区町村は住民接種を担当する、ことになっていた。それをあえて、医療従事者からスタートさせたのだ。
「区は住民のことだけ考えていればよいはずでした。しかし、予約システムがダウンするなど、都の医療従事者接種は遅れ、(高齢者への接種を行う)医師がワクチンを打てずにいました。それで、うちは住民接種の枠を使ってでも、まずは医療従事者の集団接種を先に行おう、と」 
 これは、その後のワクチン接種について、医療従事者の士気を高める効果も生んだ、という。その後、全国各地で、自身は未接種のまま高齢者施設で接種を行う医師たちから不安の声があがったが、墨田区ではそうした事態はなかった。ちなみに、同区では救急車で患者を搬送する消防署員にも、5月には接種を行った、という。
”災害時の頭”で考える
接種券を早い時期に配ったわけ
 墨田区の特徴の1つは、ワクチン接種券の配布が早かったことだ。高齢者施設の接種に目処がつき、一般の高齢者の接種が始まったのは5月10日だった。だが65歳以上の区民の接種券は、2か月近く早い4月1日には発送していた。そして6月1日には、都内で最も早く、16~64歳の全ての区民に発送を行った。
「定期接種など”平常モード”では、事業開始の直前に接種券をお送りするのが普通です。しかし、今は”危機”。”災害時の頭”で考えると、大事なのは1人でも多くの人が、ワクチンを打つことです。一足早く接種が始まった世田谷区の高齢者施設に、墨田区民が暮らしているかもしれない。他区の施設で働いている区民もいるでしょう。そういう方々が、接種券がないために打ちそびれる、という事態が起きないよう、とにかく接種券だけは早くお配りしよう、と。1人でも2人でも、今居る場所で打って下さい、という思いでした」
 この”危機モード”対応は、後に想定外の恩恵を区民にもたらすことになった。
対象者の5%が自衛隊のセンターへ
 65歳以上に限定して行われていた自衛隊の大規模接種センターが突然、6月16日からの年齢制限撤廃を発表。遠方の東京・大手町の会場まで出向くよりも地元で打ちたい、という高齢者が多かったようで、希望者が想定を大きく下回ったためだ。
 若い年齢層の接種が可能となったが、予約には接種券が必要。しかし、この時点で多くの自治体は64歳以下には配布していなかった。そんな中、墨田区の人々はすでに接種券を手にしており、区民は次々に自衛隊のセンターに赴いて接種を受けた。
「これは大きかったです。1万2000人、対象者の5%が自衛隊に行って打って下さった」
災害時の助け合い
 住民の協力もあった。
 自衛隊のセンターでは、モデルナ社製のワクチンを使用。当初、厚労省はモデルナを接種可能な年齢を18歳以上としていた(その後12歳以上に変更)。また、モデルナは副反応が出やすいという話が出回り、1回目と2回目をファイザーより長く4週間空けなければならないこともあって、敬遠する人も少なくなかった。
「ところが、区内の大人たちから、『自分たちは自衛隊に行って、モデルナを打とう』という声があがったんです。ファイザーが足りなくなる、という時期でもあり、『ファイザーは子どもたちに回そう』という草の根の運動になって、自衛隊での接種が増えました。災害時は、地域の助け合いがあってこそ、です」
区直営の集団接種をメインに
危機には「割り切り」も必要
 墨田区の”危機モード”対応は、ほかにもある。
「”平常モード”であれば、日頃診てもらっている身近なかかりつけ医に打ってもらうのが一番です。ただ、今は災害時。危機にあっては、割り切るところは割り切って、最大限効率化を図り、数を多く打つのが大事。それに、このワクチンは1瓶から6人分とらなきゃいけないので、個別の診療所でやっていると余ってしまうことも。冷凍庫で保存する必要があるなどの使いにくさもあります。
 やはり、こういうものは集団接種がいい。これは2009年の新型インフルエンザの時の経験でもあります。国がいくら練馬方式(診療所での個別接種をメインに、集団接種で残りをカバーする)を推奨しても、うちはブレずに”危機モード”で対応し、集団接種メインで行くことにしました��
”小分け隊”の活用でムダなく数を稼ぐ
 当初は4つの区施設を使い、そのほか7病院でも個別接種を実施した。このうち墨田中央病院の接種では、千葉大学墨田サテライトキャンパスが会場を提供した。運営は民間に業務委託せず、区が直営し、ワクチンの在庫管理や配送は、職員による”小分け隊”が行った。
 キャンセルが出た場合は、区の危機管理Twitterやメールで区民に告知して希望者を区役所に集め、”小分け隊”が余ったワクチンを回収、西塚さんら保健所の医師が接種した。こうして、ムダを出さずに接種回数を稼いだ。地元医師会も”危機モード”を共有。集団接種の打ち手は、すべて区内の医師たちでまかなった。
「大きい施設はオリンピックに抑えられて使えないなど、条件は厳しく、地域にある資源を最適化して使うしかなかった。でも、それをやってみたら、いろんないいことがあった。特に地元医師会は自分たちが責任をもってやろうと士気が高く、おかげで事故なく、質が高く、長続きしている」
等身大の形作り
 接種券の発送や会場の設営は、選挙の際の入場整理券や会場作りと同じ、ということで、選挙管理委員会の職員が担当した。ワクチンに関する情報を掲載した区の広報紙は全戸配布することとし、これにも選挙公報配布のスキルが生きた。
「形を作って丸投げするのではなく、自分たちにできる等身大の形を作り、そこにちゃんと血が流れるように、職員が町内を回って苦情聞きなどもやって、形をさらに整えていきました」
 住民の声を聞く中で、若い世代の接種を進めるには、夜間、駅の近くで行う必要があると分かった。そこで、6月末から東京スカイツリーに隣接するビル、JR錦糸町駅と両国駅近くのホテルにも接種会場を設置。平日は午後8時まで、さらに土日祝日にも接種を行えるようにした。スカイツリー会場には託児所も設けた。
二転三転する国の方針にも柔軟に対応
当初から複数のワクチン使用を計画
 国のワクチン供給が不安定な中、墨田区は接種が始まる前の段階から、モデルナ社製ワクチンの使用を計画に組み込んでいたことが奏功した。
 接種が始まった時点で、厚労省が承認していたのはファイザー社製ワクチンのみだった。モデルナ社とアストラゼネカ社のワクチンが特例承認されたのは5月21日。しかし墨田区では、3月に公表した「実施計画」で、7月にはアストラゼネカとモデルナのワクチンを導入して、接種を加速させる計画を明らかにしていた。両社のワクチンは、ファイザー社製とは接種の間隔が違い、在庫管理も異なるので、複雑なオペレーションが必要になる。しかし、同区では接種の加速には、ファイザー以外のワクチンも必要になると考え、事前準備をしていた。それが、以下のように役立つことになる。
事前準備でモデルナ確保
 6月11日、ワクチン担当の河野太郎���制改革担当相が、市町村の集団接種でもモデルナの使用を認める方向を示した。あらかじめ計画済みの墨田区は、すぐに手を挙げた。この素早い反応で、同区はモデルナの配送を受けることができた。
 国が自治体でのモデルナ使用を認めたのは、7月からはファイザーの輸入量が減る分を補うためだった。ところが国は、同月22日には再度の方針変更をした。モデルナを使用する職域接種の申し込みが多く、「1日の可能配送量はもう上限に達している。このままいくと、供給できる総量を超えてしまう」として、自治体のモデルナを使った集団接種と職域接種の申請を中止したのだ。準備が間に合わず、配分を受けられなかった自治体もある。
在庫を出し惜しまない
 ワクチン供給不足への対策として、河野行革担当相が一時、在庫が多い自治体には配分を減らす、という新方針を示し、全国の自治体が混乱したことがあった。この時も、墨田区は影響を最小限に済ませた。扱いが面倒なワクチン接種記録システム(VRS)は、区職員が残業してこまめに入力。2回分を確保しないと1回目の予約をとれない、という自治体が予約を停止している中、墨田区では西塚保健所長が「在庫は出し惜しみせず、ペースを落とさずに予約や接種を進めて下さい」と、現場に檄を飛ばした。
「平常であれば2回確保してから予約をとる、となりますが、これも”危機モード”で対応しました。モデルナがありますし、国の輸入予定量は公表されていましたから、そういう情報を常にチェックしながら、大丈夫だろう、と。カラ元気でもありましたが、在庫ゼロのおかげで、”ボーナス(追加)”も来ました。この時期に加速するはずが、それはできなかったけれど、(ファイザー供給減の)前と同じ水準は保てた」
 このように、ワクチンを巡ってしばしば二転三転する国の対応にも、早い時期からの準備と、”危機モード”による柔軟で大胆な反応で、切り抜けてきたのが墨田区だった。
通年議会が補正予算に迅速対応
 加えて、区議会も”危機モード”を共有。ワクチン接種会場の増設など、様々な変化に伴う予算の確保に素早く対応した。
「昨年の11月から通年議会となっていたこともあり、毎月のように補正予算を通してくれるので、次々に変化する状況に迅速に対応できたんです」
 毎月の議会で、議員が住民の要望を披露したのも、情報として役立った、という。
”危機モード”共有の背景
 このように区、地元医師会、住民、議会などが”危機モード”を共有できた背景には、墨田区特有の事情もありそうだ。
 隅田川沿いに���る同区は、水害の危機と常に向き合っている。最悪の事態では、ほぼ全域が水没することもありうる、と予測されているからだ。大雨の予報が出るたびに、同区は水害の発生を警戒する。常に最悪の事態を想定して考える”危機モード”の思考が鍛えられ、コロナ対応でも生きたのではないか。
 同区では昨年1月末の段階から、新型コロナウイルスを新たな「災害」、それも警戒レベル5の最大級の災害ととらえて対応してきた、という。国や東京都では、第5波で重症患者数が過去最高を日々更新する事態になって、ようやく「災害級」という言葉が出てきたのに比べると、危機への向き合い方が異なるように見える。
 この”危機モード”を区、医師会、住民、議会が共有し、連携することで、次々に生じるいろんな問題をうまく飲み込み、ペースを落とさずに接種を続けることができた、と言えるだろう。
ワクチン以外でも素早い対応
 墨田区が速いのはワクチン接種だけではない。医療提供体制についても、際だった対応が見られた。2つの例を挙げる。1つは、地域完結型の医療体制「墨田区モデル」の構築。もう1つは、抗体カクテル療法のすみやかな導入だ。
回復期の患者を中小病院が引き受ける
 コロナ禍の日本で、医療が逼迫する原因の1つに、回復した重症者の転院が困難、という問題がある。患者は人工呼吸器から離脱できても、すぐに日常生活には戻れるわけではない。その後の治療やリハビリが必要だが、そのための転院先がなかなかみつからないのだ。
 これに対応するため、墨田区は今年1月25日、地域の病院が連携して、転院を進める仕組みを作った。同区では第一種感染症指定医療機関である都立墨東病院が重症患者を、同病院と重点医療機関の病院が中等症患者を引き受けている。そして回復期に入った患者は、他の中小私立病院が次々に受け入れ、重症者や中等症患者のためのベッドを空けるようにした。
 この体制を導入して3日後には、入院待機者が0になった。今も、医療崩壊を食い止めている。
 速やかな体制作りが可能になったのも、災害時を想定した、常日頃からの地元医師会と保健所の関係があったからだ。
「危機を想定し、墨東病院には『断らない医療』をやってもらい、そこがいっぱいになったら地域の医療機関が後方支援で引き受ける、という意識が、地元の病院経営者には以前からある。今回は、墨東をパンクさせないために、自分たちが支えていかなければならないという危機感が、地元医師会の中でより一層強い」
抗体カクテル療法にもいち早く対応
 抗体カクテル療法は、2種類の抗体を点滴投与する治療法で、軽症者の重症化を防ぐ効果がある。アメリカのトランプ前大統領が感染した際、この治療を受け、早期に回復したことで知られる。日本では、7月19日に重症化リスクの高い軽症・中等症患者の治療薬として特例承認された。墨田区では、同愛記念病院に区民優先の病床を20床確保していたが、ここで同月27日から必要な患者にこの療法を行うことにした。8月13日までに20人の患者に実施し、いずれも経過は良好、という。
 東京都がこの療法のための病床20床を確保したことを発表したのは同月12日だったことを考えると、墨田区の手際の良さが光る。これも、”危機モード”による早い準備が生んだ。
「4月に、近いうちに特例承認されるという情報があったので、区内の病院で実施しようと、5月頃から病院と勉強をしてきました。当初は4つの病院で実施しようと考えていたのですが、入院が必要とのことなので、区民のための病床を確保していた同愛記念病院で行うことにしました」
 準備を急いだのは、第4波の大阪の状況を見て、危機感を募らせたからだ。地元医師会と共に、神戸市民病院の医師を招いたweb上の研修会を行い、関西でどのようなことが起きたのか、詳細を学び、対策を検討した。
「酸素が足りない、中等症のベッドは一杯になり、感染者が減らない。このような大阪の第4波が東京でも起きる、という前提で準備をしたのが、今生きている」
十分な検査態勢を整える
 このほか、コロナ対応としては、検査態勢を区独自で充実させてきたことも大きい。それは、昨年4月に墨東病院でクラスターが発生し、新たな入院や救命救急センターでの患者受け入れを停止した時の教訓からだという。
「国立感染症研究所が入って、症状のない人も含めて全員の検査をやった。そのやり方から学ぶことが多かった。ウイルスは目に見えない敵なので、徹底した検査しかない」
 しかし当時、東京都としてできる検査は1日に200-300件ほど。そのため、医師が必要と判断しても、検査を受けられない発熱患者がいた。墨田区は、独自にPCRセンターを設置。6月に検査会社を区内に誘致し、通常の3割程度の金額で1日240件の検査を行えるようにした。
 さらに、保健所自身が唾液によるPCR検査を開始した。検体を唾液にしたのは、医師がいちいち咽頭を綿棒でぬぐう作業をしなくてすむので、大量の検査に適していると考えたからだ。
 最初に大規模な検査を行ったのは昨年6月下旬。地元のオーケストラ、新日本フィルハーモニー交響楽団の楽団員ら74人のPCR検査で、全員の陰性を確認した。それまで演奏活動を自粛していたオーケストラは、7月初めに演奏会を再開した。
「自前の検査なので午前中に検体を出せば、2時間後には結果が分かります。費用も1人1000円くらいで済みます。どこかの施設で1人陽性者が出れば、すぐに全員の検査をやる」
 陽性者の第一報を知ると、西塚所長自身も防護服を着込み、検査のために現場に向かった。高校受験の時期は受験生の検査を行い、小学校の移動教室など人数が多い時にはプール方式で検査した。夜の街が危ないという話が広がった時期には、向島の花街の芸者たちの検査を実施。「向島は安全だと示したいので、ぜひやってください」という芸者衆の要望に応えた。
「人は大事」
 こうした対応が可能になったのは、1人の保健所職員がいたからだ。ベテラン検査技師の大橋菜穂子さん。西塚所長が独自の検査実施の方法について頭を悩ませていたところ、大橋さんが「私はPCR検査ができます」と申し出た。
 2014年に代々木公園でデング熱が発生して以来、大橋さんは毎月のように、区内の公園で蚊を採取してはすりつぶし、PCR検査でウイルス感染の有無を調査し続けていた。結果はいつも陰性だが、それを確かめるために、大橋さんは黙々と検査を重ねた。PCR検査の技術を磨き、機械もメンテナンスを欠かさなかった。
 それが、このコロナ禍で生きた。大橋さんは、感染症研でコロナウイルスの検査の手法を学び、今では変異株の検査も担っている。
「昔は、検便も結核の検査も、水道の検査も、すべて保健所でやっていた。それが次々に民間委託となり、保健所から検査機能が失われ、保健所そのものも減らされてきた。そんな中、商売にはならない蚊の検査を続けてきた検査技師が1人いたおかげで、コロナにも対応できた。本当に、人は大事です。金にならないことをやって、危機に備える。これこそ公衆衛生です」
適切な情報の公開
 住民への適切な情報発信も心がけた。象徴的な事例が、早期にコロナ対応をする医療機関名の公表に踏み切ったことだ。
 新型コロナの感染が疑われる患者に対応する医療機関は、都道府県が「診療・検査医療機関」を指定した。ただ、多くの自治体は「風評被害」を恐れて機関名を公表しなかった。東京都も同様。そのため、患者が受診するには、かかりつけ医か都の発熱相談センターに相談し、紹介を受けなければならない。同センターに電話がつながらないことも多く、煩雑さから、症状があっても軽症の場合、医療機関にかからずに済ませる人も少なくなかった。
 そうした人が感染を広げる懸念から、墨田区は昨年11月、区内の「診療・検査医療機関」の名称公表に踏み切った。それによって受診がしやすくなる利便性と、感染拡大の抑制が狙いだった。区の広報紙では、年末年始の発熱外来を行っている医療機関名と診療日や連絡先などを詳しく伝えた。
 さらに、西塚所長がTwitterなどのSNSを使って、区の対応を丁寧に説明。西塚所長のアカウントには、「家族が熱を出した。どうしたらいい?」「熱がある。日曜日だけど、どうしたらいい?」といった相談も頻繁に飛び込む。そのたび、「○○なら、予約なしで受診できます」などといった情報を伝えている。
「自分が必要な時に必要な情報が得られずに困っている人がいる。そういう人をとりこぼさないようにしたい。災害時は、区としては大きく構えて対策をしなければならないが、こういう細かい情報を補強するにはSNSは有益です」
 このような対応をするため、自宅にいても、スマートフォンは手放さない。
 ちなみに、施設で患者が確認された時、噂や風評被害を防ぐため、同区では施設名も公表している。
保健所の役割とは
 保健所の仕事について、西塚所長はこう語る。
「いろんな資料を分析しながら、地域の弱みを常にウォッチして、必要な資源を作って供給していく。インテリジェンスとロジスティクスです。墨田区は一貫して、これが公衆衛生を担う保健所の役割と認識してやってきました。私たちは、尾身先生たち専門家が言うことを忠実にやってきただけです。その(提言を実現する)ために必要な資源は用意する。現場の医師たちが『検査をしたい』『患者を入院させたい』と言う時に、ちゃんとできるように��る。これが保健所の仕事です。
 資源が足りなければ、作る。たとえば、東京都の検査能力が限られているからと、検査数を絞るのではなく、検査がより多くできるようにしてきました。国や都の対応を言い訳にせず、資源にニーズを合わせるのではなく、ニーズに資源を合わせるんです」
 そのための工夫をし、早めに準備を整えて、あらゆる立場の人たちを結びつけていくのが、西塚流の真骨頂と言えるだろう。
 平成元(1989)年度には、全国に848あった保健所は、合理化の波に洗われて、現在は470まで減らされた。その保健所が今、新型コロナウイルスとの闘いで要の役割を担っている。
「だいぶ減らされたとはいえ、うちに検査技師がいたように、今もまだ保健所には様々なスキルが残っています。その力を、今発揮しないで、いつ発揮するのだ。そんな思いでやっています」
 各地でも今、それぞれの地域の事情を踏まえた保健所の奮闘がある。その保健所の機能を存分に生かすためにも、また、各地でワクチン接種を加速化するためにも、国や各自治体が西塚所長の話から学ぶところは多いのではないか。
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fyeah-haruto · 4 years ago
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TREASURE(トレジャー)って...?
BIGBANGやBLACKPINKなどのグローバルアーティストが所属するYG ENTERTAINMENTから、4年ぶりに生まれた大型新人ボーイズグループ。YG主催のサバイバルオーディション番組「YG 宝石箱(YG TREASURE BOX)」で選抜された超実力派のボーカリスト9人&ラッパー3人から構成される。韓国出身のチェ・ヒョンソク、ジフン、ジュンギュ、ユン・ジェヒョク、バン・イェダム、ドヨン、パク・ジョンウ、ソ・ジョンファン、日本出身のヨシ、マシホ、アサヒ、ハルトが所属。2020年8月に韓国で「THE FIRST STEP:CHAPTER ONE」をリリースしてデビュー。2021年3月に「THE FIRST STEP:TREASURE EFFECT」で日本デビューを果たす。ファン呼称は「TREASURE MAKER」、略して“TEUME=トゥメ”。
オープニングはGOING CRAZY。メンバーとトゥメが初対面
開演予定の16時になると、「GOING CRAZY」に合わせてメンバー紹介のオープニング映像がスタート。こちらは、TREASUREを生んだオーディション番組「YG宝石箱」のシグナルソング。初期からファンに愛される曲のオープニングに、トゥメの心拍数が急上昇!
12人の紹介映像が終わるや否や、なんと「GOING CRAZY」の続きを歌いながら、プレッピーな衣装に身を包んだ12人が笑顔でステージに降臨! ネイビーを基調とした清潔感のある制服コーデが彼らのフレッシュな魅力にぴったりで、トゥメのときめき指数もUP!
念願の初対面でちょっと動揺しているメンバーとトゥメに、リーダーのヒョンソクが「さて! 一回落ちついて(笑)! OK、挨拶したいと思います」と声をかけるも、自身も落ちつけていない様子が可愛らしい。
トゥメに向けたウェルカムメッセージは...
ヒョンソク「もうすでに感動をいっぱいもらっちゃった、リーダーのヒョンソクです! お会いできて、嬉しいです」
マシホ「こんばんは! マシホシホ~❤ 皆さん、今日は良い思い出をたくさん作りましょう!」
ヨシ「お会いできて嬉しいです!トゥメなしで生きるのは無理!」
ジフン「こんばんは! 今日皆さんの心に入るジフンです」
ジュンギュ「トゥメ、ウェルカム! 僕はジュンギュです。今日は楽しく遊びましょう」
イェダム「今日は一緒に笑える時間を作りましょう」
アサヒ「今日は一緒に、幸せな時間を過ごしましょう」
ジョンファン「皆さん、ようこそ!」
ジョンウ「やっとトゥメに会えて、とても幸せなジョンウです! 愛してまーす!」
ハルト「一度結ばれたら、永遠にパートナーですよ!」
ジェヒョク「皆さん、こんばんは! もうTEU-DAYが今日なんですよ。今日だけを待ちに待った、ジェヒョクです」
ドヨン「僕たちの愛しいトゥメ。会えて嬉しいです!」
など、それぞれが初対面のトゥメに向けて、愛のあるウェルカムメッセージを伝えた。イベントのタイトル「TEU-DAY」は、今日を意味するTODAYのほか、TREASURE MAKERを意味する“TEUME”が主役、ということが序盤から伝わる、ときめきに満ちた幕開けに。
ウェルカムセレモニーは「学校」がテーマ
まず、トゥメとして初めてのイベントなので、入学式をしましょう! という展開に。
突然メンバーの顔写真がついたフラッグが会場を彩り、それぞれがトゥメへ向けた誓約書を読みながら宣誓。
イェダム「たき火のような存在になる。消えない思い出と幸せを届けたい。ずっとそばにいてね」
ジフン「千年ドルになる! いつまでも笑顔で元気にね。幸せなことばかり、起きますように」
など、YouTube番組「TREASURE MAP」での彼らに比べるとかなり真面目なムードで全員が宣誓を終えると、客席にゴールドテープの紙吹雪が。
12人の誓いについてメンバーが確認していく流れとなり、ドヨンは裸眼で輝くメンバーを見ている現場のトゥメの目を気にして「眼医者を予約して」、ヒョンソクが「トゥメの365日のかかりつけ医になる」など、終始トゥメの健康を気にしつつ、「僕たちが誓いをちゃんと守っているか、ずっと見守っていてください!」とお願いした。
次に披露した曲は“I LOVE YOU”と“MY TREASURE”
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お次は、待ちに待ったライブ披露の時間。まずは、トゥメとメンバーが一体となって楽しめる特別な応援のやり方をメンバーが考案。「トゥメの近くでやらないとね」と照れながら、ステージ前方へと移動しつつ、2曲の応援方法をレクチャー。
清涼なメロディと中毒性のある音楽がクセになる2ndシングル表題曲「I LOVE YOU」と、ファンへの幸せなエネルギーがつまった1stフル��ルバム表題曲「MY TREASURE」のサビ部分の手拍子&足踏みを熱血指導。
「コメント欄を見たら、皆難しいと言っていたけれど上手です!」と褒めてくれるものの、なかなかのハイテンポ! 客席のトゥメはメンバーのために必死で頑張ったことが予想される。
そしてついに最初の曲「I LOVE YOU」がスタート!
この曲は、「サランヘ」と情熱的に畳みかけるサビの歌詞&振りがキャッチーだが、ライブVer.の迫力は圧巻のひと言。口から音源という生歌&ラップに激しいパフォーマンスで、トゥメの心を鷲づかみに。
イェダムが「皆さんも(演出の)炎も暑かった~!」と言いながら、2曲目「MY TREASURE」をあの神ボイスで歌い始める。お菓子などが舞うカラフルな背景と勢いよく噴き出すスモークの中、トゥメに会えた喜びがこみ上げ、徐々に緊張がほぐれて楽しそうにハンドマイクでアドリブを交えながら歌う姿で、トゥメの心は幸せ感でいっぱいに。ここで紙吹雪が舞う中、一旦の衣装チェンジへ。
2幕目はTREASUREの過去から未来を辿る旅に
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TREASUREの過去、現在、未来を示す映像が流れ、白ブラウス×黒スキニーの神秘的なムードが漂う衣装に着替えた12人が再登場!
長い時間を経て、ようやく会えたトゥメが照らすペンライトの海の中、12人が歌い上げたのは「SLOWMOTION」。作詞にヒョンソクとハルト、ヨシが加わり、トゥメとの絆や感謝がこめられたスペシャルな曲。
ラストには、ステージ後方の大画面いっぱいにSLOWMOTIONを合唱するトゥメが映し出されるサプライズが。「放送事故かと思った!」などと言いながら、感慨深そうに見つめるリーダーのヒョンソクの目にはきらりと涙が…。「早すぎじゃない!?」とからかう他のメンバーの目も心なしか潤んでいる中、「皆さんの声を本当に聞きたかった。感動的で幸せです」と感謝の気持ちを表した。
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T-LOGで過去から彼らの記録をふり返る
2020年8月7日のデビューステージや、11月28日の初めての授賞式。12月6日のMAMAでは夢が叶った瞬間に涙が出た、などとデビューからの軌跡を振り返り、ついに2021年10月2日、初のファンミーティング「TEU-DAY」の日に。まずは彼らがライブする準備ができているか、チェックしよう! という展開が。
まずは暗記力テスト。ワールドツアーに行ったら、世界各国の言語で挨拶をすることになるため、10秒だけ画面に映し出される言語を暗記して、全員が違う言語で挨拶できたらミッション完了。「こんにちは」と「愛してる」を無事にクリア!
お次はトラブル対応力テスト。予期せぬ事態–、例えばマイクトラブルが起きて、スペアマイク2本のみでも、本人のパートをしっかり歌いこなせるのか?
イェダムが「練習生のときにやったね」などと余裕を見せながら、まず「BOY」でトライするも、マイクの受け渡しが遅れてまさかの失敗…。「GOING CRAZY」で再トライすると、さすが順応力の高いTREASURE、マイクパスに慣れてきっちり大成功!
無事にライブをする準備が整ったことを証明できたので、あとはライブだけ…とその前に、メンバー同士で未来からの応援メッセージを届けることに。
ハルト→ジョンウ「韓国語の実力は、ジョンウのお陰。(それに対してジョンウが)今度は僕に日本語を教えて」
ジョンウ→ヒョンソク「TREASUREのママみたいなリーダー。いつも相談に乗ってくれて、解決策まで考えてくれて、ありがとう」
ヒョンソク→マシホ「キジョリン(マシホの愛称)。僕の人生で一番可愛いマシホ。何でも上手で心配いらないマシホ。僕たちに身長は必要ないね、可愛いから」
マシホ→ジョンファン「マンネは可愛いけれど、身体はカッコいいよ。マンネじゃないよ」
ジョンファン→ヨシ「ラップをするヨシさんがカッコいい!」
ヨシ→ドヨン「いつも作業室に来て、僕の曲を聴いてくれて、ありがとう。一番優しいドヨチ、愛してるよ」
ドヨン→アサヒ「パリ、韓国、日本に作業室があって、なかなか会えないから、早く韓国に戻ってきて(※妄想)。(それに対してアサヒが)9年後にはきっと曲が沢山できているから、プレゼントするね」
アサヒ→ジェヒョク「親友ジェヒョク。7周年。結構、付き合いが長いね。言葉はいらないね! 愛してるよ」
ジェヒョク→ジュンギュ「MYスーパーマン。デビュー前は、同じベッドで音楽を聴いて、一緒に解釈をしたり、話をしたね」
ジュンギュ→イェダム「とくに感謝している。TREASUREはイェダムのボーカルのお陰。曲を上���に仕上げてくれる。柱になってくれて、ありがとう」
イェダム→ジフン「リーダーの責任やプレッシャーをありがとう。(それに対してジフンが)いつかイェダムの声が東京ドームの天井を吹きとばす瞬間を楽しみにしている」
ジフン→ハルト 「(7周年の想定で)僕はThe Weekndさんとコラボしたけど、そちらはどう?」
など、各メンバーがお互いに未来を確認したところで、待ちに待ったプライベートステージが再スタート!
代表曲“BOY”と“MMM”で盛り上がりは最高潮に!
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まずは、1stシングルの表題曲かつデビュー曲の「BOY」。ダイナミッ��なトラックに、サビの「I just wanna be your boy」という少年の爆発しそうな恋心がはじけて、盛りあがること必須な名曲! ペンライトの海とレーザー照明、噴射するスモークの中、“カル群舞”による迫力のあるパフォーマンスと歌声でファンを世界観に引き込む。
お次は3rdシングルの表題曲「MMM」。出だしからハルトの色気のある低音ラップとヒョンソクの精密で華やかなラップが炸裂! 好きになりすぎて心が非常事態となって漏れ出てしまった「MMM~」という感嘆詞のサビがクセになる、これまた強烈なヒップホップ曲。炎の演出も相まって、汗だくになりながらトゥメを圧倒した。
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マシホ「幸せな時間はあっという間」
イェダム「今日が終わらないと、本当にファンミーティングができたのか、実感ができなさそう」
ヨシ「この瞬間をもっと鮮明に覚えていられるように、一緒に写真を撮りましょう」
などと、名残惜しさをにじませながら、観客をバックに集合写真タイム。
ハルト「僕たちにTEU-DAYをプレゼントしてくれてありがとう」
アサヒ「今日、僕たちが感じたくらい、トゥメにも幸せになってほしい」
ヒョンソク「年内のカムバックを目標に準備しているので、楽しみにしていてください」
ジフン「最後に拍手をお願いします」
などと言って、ステージにしばしの別れを告げる…と思いきや、マンネのジョンファンがステージに寝転がってしまい、なかなか帰らない展開に。「僕、寂しいです。もう少しだけ、ここにいちゃダメですか?」とのこと。「マンネがああ言っているけれど、どうする?」となり、本日ラストのアンコール曲に。
ラストの曲は、YouTube番組「TREASURE MAP」でファンのために公開された「EVERYDAY」。メンバーもペンライトを持って、名残惜しそうに会場のトゥメに手を振ったり、カメラの向こうのトゥメに向かって愛嬌を投げかけ、歌詞を噛みしめながら歌い上げた。
今回のプライベートステージは、TREASUREとトゥメにとって、何よりも大切な初めての公式な出会いの場所。ファンファーストな曲の構成や、ファンへの真摯な思いを伝えることに終始した演出が印象に残った。
最後は透明のアクリルボードに「COMING SOON SEE YOU THERE」「1ST 0000000」というカムバックのヒントを投げかけて、素敵なイベントの幕を閉じた。TREASUREのさらなる飛躍の可能性を実証したのはもちろん、彼らをずっと待ち続けてくれたトゥメにとって、思い出すだけで温かな気持ちが蘇る最高の「TEU-DAY」となったに違いない。
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nejiresoukakusuigun · 5 years ago
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『心射方位図の赤道で待ってる』読書会レジュメ
この記事について
この記事は、文芸同人・ねじれ双角錐群が、2019年の第二十九回文学フリマ東京にて発表した第四小説誌『心射方位図の赤道で待ってる』について、文学フリマでの発表を前に同人メンバーにて実施した読書会のレジュメを公開するものである。メンバーは、事前に共有編集状態のレジュメに自由に感想や意見を書き込み合った上で読書会を実施した。読書会当日の熱気は残念ながらお伝えできないものの、レジュメには各作品を楽しむための観点がちりばめられているように思われる。『心射方位図の赤道で待ってる』読者の方に少しでもお楽しみいただけたならば幸いである。
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『心射方位図の赤道で待ってる』についてはこちら
神の裁きと訣別するため
一言感想
実質まちカドまぞく
岸部露伴とジャンケン小僧的な
サウダージを感じる
むらしっと文体はミクロとマクロをシームレスに語るのに向いている、というか何を書いても神話っぽい感じがする。神待ちという地獄に誘う詩人ウェルギリウス的なポジとして冒頭に置かれているのがとてもいい。読者は思わず一切の望みを捨ててしまうだろう
いつもよりむずかしくなくて(?)そのぶんむらしっと文体の魅力に意識を割いて読めた
一読した印象として、古川日出男っぽいなというのがあった
完全なグー まったき真球〜チョキまでのくだり、かっこよさの最大瞬間風速
細部
箇条書きって進むポイントというか切れ目が明確? みたいな感じはあって、ノベルゲー(いや別にノベルゲーでなくても良い。ゲームで)で次のテキストに進むために決定ボタンを押すじゃないですか。なんかそういう感覚がある。箇条書きが一つ一つ切れていることが。
連打していく感じになる
それが後半で長いのがでてきたときに効いてくる
あとなんか連打のだるさみたいなのがあるじゃないですか? 別に箇条書きじゃなくてつながってるのと負荷変わってないはずなのに。ゲームもつながった文章を読むのと変わらんはずだが決定ボタンを押すリズムがこう負荷を作ってるよな。
上記は箇条書きがあげている効果について書いたんだけれども、そもそもどうしてこの作品は箇条書きなんだろうか? その意図というか、狙ったことがあるんだろうか? そこまでないにしてもなぜ箇条書きにしようと思ったんだろうか?
●のシーン。ナツキ(本田圭佑)が導入されてじゃんけんの話をしてこの時点でギミックと言うか、じゃんけん強いというのが、すでに引き込む力がある。じゃんけんからの視点の飛躍、特に蝉が木から落ちる下りで「次の年」っていきなりなるのは良いなと思った。
池袋西口、昔のおとぎ話、宇宙、キムチチャーハン、みたいな、遠近が入り乱れている世界観に特色がある気がする
★の家族のところが印象強くて、いたりいなかったりする兄とか、石を食べて予言をする姉っていうのが、マジックリアリズムな感じもありつつ、グラース家的なイメージも感じたりした。
▲のところで、つまり地の文のまなざしは父性だったということになるんだけど(実質)、それが変質していくというか、悪夢が変形する感じがちょっとあって。おとぎ話はグイグイ来て良い。
じゃんけんに関する要素が入れ子みたいになっている
完全なグー、外界を寄せ付けない孤独の象徴
P16「完全なグーについて」「ナツキの孤独について」で、ナツキがじゃんけんに絶対に勝ってしまい疎まれることが語られる。孤独。
●の部分がグーということなんだろうけど、ここでナンパの男にじゃんけんで勝ち続けて気味悪がられるナツキの孤独が語られている
完全なパー、記録すなわち過去の象徴
P18「完全なパーについて」「ナツキの記憶について」で、ナツキ(というより、「ぼく」)のナツキのはじめてのじゃんけんの記憶が語られる。
★の部分が(この完全なグーチョキパーを語っているところを含めて)ナツキの過去を語っており全体が記録、過去になっている
完全なチョキ、繋がりを切断する、他者との関係の象徴
P21「完全なチョキについて」ここはグーとパーと異なり「ナツキの●●について」という言葉は続かないんだけど、他者との関係、そしてそのつながりの切断についてということになるんだろう。家族のことが語られる
▲の部分が、逆に★の部分で語られなかった相手である「ぼく」、父親との関係とその断絶になっている
P21ではじめてのじゃんけんでナツキに無意識に出された手が、完全なチョキであったことの意味を噛みしめてる感
我が子に関係を「切断」されたということを否定したくて(その完全性を壊したくて)、躍起になったのかな
ところどころナツキが負けたがっていることを知っている描写があり、自分がナツキの完全性を否定することが彼女の救いになることもわかっているはずだ
でもなんか挑発的だし、やっぱり負けたのがすごく悔しかったのかもしれない
官吏(仮)も天体望遠鏡の順番決めでじゃんけんをしていた。むしろじゃんけんのほうをたのしみにしているようにも読める(P14)。
父もナツキに負けたことで、宇宙をいくつかまわって再び勝負をしかけるくらい入れ込んでいた。
父も実はじゃんけん自信ニキだった?
本田圭佑vs本田圭佑
全然関係ないが、じゃんけんする人の国民的ポジションを一瞬で本田圭佑がサザエさんから奪い去ったのすごいな
自信ニキにしてはパー(過去)を出すのにも「失敗したキムチチャーハン」で負けるあたり、舐めていたのか、地力が低かったのか、ナツキが強すぎたのか。
父は抱きしめてやるべきだったんだよこれ。
おとぎ話、これなんなんだ?
最強の手「グーチョキパー」と、官吏が囚人とのじゃんけんで出した手が官吏にしか分からない(グーとチョキとパーいずれかを事後報告できる)ということは、似ている
並行宇宙の話をしてたから、つまり重ね合わせの状態の手を出しているということか(???)
どの宇宙でも勝つように収束する
やけに星がよく見える池袋でナツキたちのちょうど反対側にいた男の故郷(この国でいっとう星がよく見える土地)と、官吏の故郷(星がいっとうよく見える土地というのがこの世界にはある。おれの故郷はそんな場所の一つだ)の類似
わからん。もう少し考えたい
それはちょっと意識してるのかなーとおもったけど、おもったけど、その先がわからなかったな
よく側を通り過ぎている女二人は官吏の妻と、彼女と密会していた女っぽい(P33)?
あの二人はなんか意味はありそうなんだけど、そうなんですかね? なんか手がかりある?
そもそも官吏の妻が密会していた女っていうのがよくわからん。p33「隣の独り身の女と、三日にいっぺんは会っていた」も最初は読み方がわからないというか、男の誤記か、会っていたの主語は官吏の方かとか考えてしまったから、でもここでその目立つ書き方をしているってことは、通り過ぎている女二人なのかもしれないな、必然性があるはずだと考えるならば。
「~しあわせな結末が待っている/そのまえにすこしだけの試練~(P12)」「おれの女房が、じつはおれのことを好いていない~(P33)」
同性愛で、片方には少なくとも家庭があり云々っていう話で素朴に読んでました。おとぎ話と「現実」が地続きなことを示唆する描写っぽいけど、地続きだとしてどういうことになるのかはまだよくわかりません。
反対側に官吏(仮)がいるので、当然彼女たちのことも見かけているはずだけど、そういうところには踏み込んでいない。
「塔のまわりを��るぐる回るわたしにまとわりついて、しゃべりはじめた(P30, L9)」
ナツキの父の一人称は「わたし」じゃなくて「ぼく」
ここの「わたし」が「ぼく」の誤りだったら、「実は父の回想でした」筋が通る気がするんだけど
だとしたら反対側にいる男がおとぎ話の官吏で、囚人がナツキの父親なら、ふたりともここにいる/そこにいないのはどういうことかってなるし
おとぎ話パートに一人称が出てきてもなんらおかしくないという当たり前の結論に達した
これがただのおとぎ話だとしたらやっぱり、上記の類似はなに?ってなるな
「官吏のいかさま/それを覆す方法」のどちらかが、ナツキに「勝てる方法(P30, L2)」と対応する?
「つまらない方法」でも「教訓がない」と強調されている
P16で完全なグーチョキパーと「昨日見た夢」が並列に扱われている
おとぎ話との関係ありそうか?
最後のじゃんけんのところ
「親指をひろげて」「人差し指をひろげて」「中指をひろげて」「薬指をとじて」「小指をとじて」なんかじゃんけんの最強の裏の手みたいなやつか?
『ラッキーマン』で勝利マンがじゃんけんで出す最強の手「グーチョキパー」の印象が強かったので読みながらウフフとなった
指を家族にたとえる歌「おはなしゆびさん」
「中指をひろげて おにいさんゆび」って言ってるけどこの宇宙には、もうおにいさんは「すでにいない(P22)」はず
ナツキはおにいさんが「すでにいない」ことを知らないのか
「だからおおむね、いるのだといっていいのだろう(P22)」で解決か
小指=あかちゃんゆび=ナツキ自身
「わたしはもういなくなるから」の意味とは?
めっちゃかっこいいんだが、なんで勝つと神の不在を証明できるんだ?
自分を負かす存在を待っている→やってきた男に勝つ、という構図で、テーマが神待ちだから?
(1)完全性の自覚を打ち砕いてくれるくらい完全なもの(神)に出会いたい→満を持して史上最も期待できそうなやつ(父)が現れるが、勝ってしまう→神の不在に感じ入る
(2)「勝てる方法」を使用してくる父に勝つには「最強の手」を使うしかない→勝つために「最強の手」を使った自分は完全ではなくなった→「じゃんけんの神」であるナツキはいなくなった。(※「最強の手」には完全性が宿らないという前提)
後者だと「わたしはもういなくなるから」に若干繋がりそうな気配��あるが……。
「気に入らない男だけれど、負けるのはほんとうらしい(P30)」
実は勝ってないけど負けることによって勝利しているとかそういう話の可能性は、ないか。
なにもわからなくなってきた。
最後のビュレットがないことの意図
ここまでの文が全部、ナツキが最後に出した「最強の手」の動線ってことなのか。
山の神さん
一言感想
広瀬の(声 - 小野大輔)感
笹さんは本当にエッチな男だなあ
広瀬の絶妙なすけべ感がすごいいいんだよな
舞台が大正時代なのもあって、なんとなく森見登美彦風味も感じた
実質ヤマノススメ
過去と未来、機械と人が「重なって」ゆき止揚される様がいい。
私は毎回打倒笹さんを目指してカワイイ女の子を描こうと四苦八苦しているのだが、そんな私の苦闘を尻目に笹さんは毎回さらりと可憐な少女を書いてしまう。私がシャミ子なら笹さんはさながらちよももといえるのではないか? この観点からね群とまちカドまぞくの類似点について指摘したい。
ね群とまちカドまぞくの類似点について指摘するのはやめろ
おもしろい小説を書くのってむずかしい(今回なぜかとくに思った)んだけど(隙自語)笹さんはすごいよ
時代は姉SF
対比的な文体芸が楽しい
ちゃんとそれぞれの文体の思考法でおのおのの結論に至るという意味での必然性もあり
短文が素打ちされていき、隙間にとぼけた感じが挟まれるこの手の文章が自分は好きなんだよなと思った。というか、思えるくらいに自然でうまいというのがある
p58で一瞬ネタにして明示してくれるの親切というか、やっぱりそうなんだ!っていううれしさがあり、かといってそれ以上しつこくネタにしない慎み深さがある
「機械の身体」にたいする各々の対照的な考えが、登山という身体性をともなう行為によって止揚される云々!テーマの消化のしかたがきれい
おれは登山をしたことはほとんどないが……
とまれ、こういう短いキャッチフレーズにまとめられるくらいの主題があるのは大事だよなあといつも思うんですよね……
会話が四コマ漫画を連想させてまんがタイムきららだろ、これ。
意識して読んだらマジでまんがタイムきららが脳内展開された。
ドキドキビジュアルコミックス
SF的な設定について
ものすごく複雑なことをしてるわけでもないと思うんだけど、人間と機械のきょうだいってのはちょっといろいろ考えがいがありそうなんだよな
血縁がないにもかかわらず姉妹を擬制するというのはひとつの伝統なので……
義姉妹の約を結んだのか……
単純にスペア的な存在のような気が(名前が神籬だし)
医王山登りたいな
プロットで動機や結末などを「重すぎず、軽すぎず」っていう思案してたっぽいけど、それがちゃんと活かされててよいな。
細部
大正15年、大正デモクラシーの流れで前年に男子普通選挙法、昭和が目前、世界恐慌前だしそんな世情はギスギスしてない感じだろうか。張作霖爆殺が昭和3年とかなので徐々に種が撒かれてた感もあるか
舞台は金沢らしい。旧制高校のエリートである
転移時の文章のくずれのかっこよさ、これなにか書くコツとかあるのかな……
実質パプリカ(映画)なんだよな
今敏監督で映画化だ
p52で先を歩かせてるときにスカートがちらちらするのぜったい気にしとるやろがそれを明らかにせず別の理由をつけるあたりのむっつり感
「まったく許しがたいことだ」じゃあないんだよ
p.72「広瀬は次に登る山のことを考え始めた」の爽快感がすごくよかった。
でもじつは神籬のことをめっちゃ考えてたんだけど、私小説的な照れ隠しでこの書きっぷりだった可能性もあるな
エピローグ(p.72の※以降)で広瀬たちと神籬の後日談があることが最高の読後感を提供してくるんだよな
囚獄啓き
一言感想
夜ごと街を走って体力を高めるの草
え、なんで妻は罪を犯したの?
愛だ。小林さんは愛の輪郭線をたどることで愛を浮かびあがらせるのが巧い。直江兼続の兜を想起させる。そして銀河犬が気になる。
いつもよりギュッとしてる
ぼくも同じ印象を持って、最初は漢字のとじひらきがかなり過剰に閉じ寄りになってるからかなと思ったんだけど、むしろいつもより地の文が多く、強めの短文を連打してるからなのかな
どこかに魚が出てくるかなと思ったけど、なかった
ところどころに小林さんの昏い性癖が出てる気がします
冒頭にある「地獄とは心の在り方ではないか」がポイントなんすかね
平等な地獄を作ったはずの主人公が、また別の、その人固有でしかありえない、妻の不在という地獄に……という、やっぱ愛か……
刑罰ってのがそもそも歴史がありその意義などいろいろな話があり現代に照らし返せるものの多い、したがって近未来の世界の「当たり前」がどうなっているかを描くまっとうなSFに向くテーマで、そのへんを上記の愛の話のもう片手として簡潔にまとめてるので、SF!って感じがするのだよな
理屈づけのおもしろさで魅せてく鴻上さんのとか、未来ならではの思索で魅せてく笹さんやばななさんのとあわせて、SFらしさのバリエーションがでてると思う
初読時には時系列というかエピソード間の間隔のことあんま意識して読んでなかったんだけど、妻が事件を起こしてから刑を執行されるまでにけっこう時間が経ってるのがわかって、なかなか大変やなというきもちになった
と言いつつ実はちょっとわかってないんですが、二人称で語られる断章は(多少その前な箇所もあるとして、おおむね)妻が捕まって以降の話ということでいいのかな?p85の妻への言及とかも相まって自信がないんですが
そもそもそのへんの語り全体が妻の見ている地獄という解釈もあるんだろうけど……(でないとなんで語り手がこんな詳らかに知ってるのかが説明できないというのもあり)
「牛乳を含んだ雑巾」みたいな独特の比喩から小林節を感じる。
SFってガジェット自体の新規性や利便性から話の筋を作るというのもあるんだけど、そういう未来を描くことで(かえってその迂回が)現在に通用する倫理とか問題意識を切実にさせる側面もあるんじゃないか、みたいなこと考えることがあり、これはすごくそれよりな感じがします(感の想)。時代によらず共感しうるものだったり、いま揺れている倫理に地続きの問いだったりが中心に据えられている。んじゃなかろうか。
「あなた」の作る地獄(への道)を「無関心」で舗装していたのは、むしろ妻のほうか(P79の後ろからL5、あるいは全体に漂うフラットな語り口から)? 舗装、とは言い得て妙かもしれない。その下に押しつぶされているもののほうをこそ俺はなんとなく想像してしまう。
妻の犯した過ちには子供の死と、ひょっとしたら、球獄とそれを取り巻く感情が関係している。いる?
平等であるというのは、ある意味残酷なことだ。だからこそふさわしいのだろう。意思が介入せず、全くぶれない罰を与える球獄だからこそ、罪の清算(救済)が可能である。それがどんなに償い難い罪だろうと、いやむしろ償い難いものであるほどそう感じられるのかもしれない。「あなた」による偏執的な研究の日々��傍で失われていったものがあるならば、それらの重さは球獄という完全性への期待に加担する。その信仰は、妻の中にも「あなた」の中にも、いつからかあるはずだ。
「神待ち」に関して
これから堕ちる地獄(世界)の創造主(=神)に「そこで待っている」という発言をしたことが、テーマに沿っている気がしたんだけど、どうなんだろう。
こういう発言にも妻の「あなた」への共犯意識が垣間見れるし、なんかやっぱり妻の罪の動機と球獄の製作って関わってるよね。そこをあえてすっぽり省いてる気がして。
脳波の逆位相を……という発想がよく考えたみたらどういうことだってところではあるんだけど、とくに瑕疵にらなないのはいいなというのがある
性的快感の逆位相=性的快感以外のすべてがある
妻がいない世界に生きる「あなた」=妻以外のすべてがある世界に生きる「あなた」
ということで、妻の地獄と、それ以降の「あなた」の生活は相似しており、このことがp.90「僕たちは二人並んで閻魔様に裁かれて、それから長い長い地獄に落ちるんだ」に繋がるところがうまいと思った。
細部
終盤で語り手が妻だとわかるみたいな仕掛けはやっぱりグッときちゃうんだよな
p80 パパ活やってて喫茶店のスティックシュガーパクる?と思って笑ってしまった
p81 京文��、なぜか印象に残る。急に架空の(だよな?)固有名詞が差し込まれるのが異質っぽいのかな?(ワイン、とか、省、とか、固有名詞が割と排除されている空気の中で)
「顔が見えていても私はいいんだけどね」「また来ても良い?」普通は、三倍払うと言われてそれに釣られてやってきた女は、こんな好意的な反応を返さないだろうから、そこに都合の良さというか、あるいは記録者による逆のバイアスがあるのかなとか思ったりする
p82「再び端末のキーを押下」エンジニアしぐさ
p84「君の身勝手な自棄で何人の未来を奪ったんだ」なにやらかしたの?
p.86「銀河犬」「(おばあちゃん)その辺で見ませんでしたか?」の台詞がすごく好き。小林さんは一作目からこの手のシュールさを志向している印象がある
記録の語り手が妻っていうのはなるほどねと思った
p.85「それから数年にわたって女はあなたの研究室に通い続けた」以降は、妻が罪を犯した後?
p.88「語りが過ぎた。ここで記録は結ばれ、以降は記録ではなく〜」記録3の後の最後の断章は、妻が地獄執行される場面であり、妻はその場面の記録を執筆できないということを意味している
p.89「私の心は現在どのレイヤーにあるのだろうか。」レイヤー?わからなかった
杞憂
一言感想
中盤からの加速感
これ絶対あれだろと思って読んでたのにやられた
デジタルタトゥーとかそういう意味じゃないけどわかる単語がずるいよな
インディアンのネーミングについて調べてしまった(おもしろい)
この手の一般名詞(?)をそのまま訳して名前として表すやつがなんか知らんが妙に好きなんだよな
ナツメもライチも中国原産っぽい?
原産というか縁がありそう
両方とも滋養強壮できるらしい
ちゃんと資料にあたり、ネイティブアメリカンの習俗とかJKリフレの店内の様子とかそういう細かいところをしっかりさせてて、小説の足腰ができている、見習いたいんだ……おれは……神は細部に……
SF的な理屈をいかに飽きさせずに読ませるかってところで、JKリフレとの強引な対応関係をつくる手つきがすげえ上手いんだよな
馴染みのある語彙に変な言葉を紛れさせて地の文で展開する、みたいな
オーバーロードが中年男性に……(さらにはそれがエルクに……)っていう絵面的なおもしろさと設定的な必然性を両立してるのとか、漫才っぽいプレイの流れのなかでちゃんと話進めるところとか
文化盗用とかアーミッシュへの皮肉っぽい視線みたいなのは前回の感動ポルノに通じるところあるよな
バトルシーンの手の込みようとおっぱいで窒息するくだらなさの融合だけで“勝ち”なんだよな……
もしかしてこれをやりたいがためにここまでの全部を作り込んできてないか!?!?!?
古事成語オチをつけてなんかやっぱネイティブアメリカンの伝承の話だった?みたいにするふざけかたも好き
あ、ここから怒涛のあれが来るんだって予感でわくわくしてやはり来て、凄かった。
SF的な設定、未来の世界での娯楽・趣味的的な観点がけっこうよくて
意図されたであろう魅力が初読で存分に伝わるつくりで、かつ細部に注目する部分がたくさん残されているのがめちゃくちゃつよい。
人物やガジェットのネーミング、その他取り扱われている文化へのリスペクトなど。
細部
p97「俺たちの世界の理にして〜」、読み返してみると、焼き脛は序盤からちゃんとわかって言ってんだな……
侍ミーて
「ひょっとするとお忍びで欲望を満たしにきた元老院議員の可能性さえある。」ここクソ笑うんだよな。千と千尋のあれかよ。
「あれこれ無駄な心配をする痴れ者をさして杞憂と呼ぶ習慣」これ文脈的に杞憂じゃなくてマウンティングベアって呼ばれるんじゃないの??
なんか笑った
略されて使用されていくうちに逸れていく、みたいな、なんかそういう言葉いくつかある気がする。いまは思いつかないけど
用語について調べて/考えてみる
赫の終端(レッドコーダ):ハンドラ族の長
赫は赤いこと、勢いが盛んであること。コーダは音楽で終わるあれ。なので日本語とルビは直訳的に対応しているっぽい。レッドコーダーだと、競技プログラミングのあれになる。プログラミング力が高いから長なのか?
ポアソンの分霊獣
ポアソン:名前。有名どころだと数学者? ポアソン分布の。
分霊獣:分霊は分け御霊。獣?
分霊という言葉のもともとの意味は、分け御霊ということで、コピーして増えるという意味の分けるなんだけど、作中でこの獣の動きとしては、流れを分ける、分配するという意味の様子。
っていうかロードバランサだよな? だからポアソン分布なのか! 待ち行列だから神待ちなんだ!(今更気づいたの俺だけか?)
待ち行列SFらしいということは垣間みえていたんですけど、まさかこんなん出てくると思わんやろ
杞憂(キユー)
杞憂は空が落ちてくることを心配した故事成語。カタカナでキユウではなくキユーなのはなにか意味あるのかな。待ち行列のキュー?
あー!なんで杞憂なのかと思ってたら、そうか、queueか!気づかなかった……
キューとかレッドコーダーみたいな二重の意味、他のやつにもそういうのあるんじゃないかと思ったけどわからんな
キノコジュース
一言感想
光――
初手「ふざけるなよ」と感想を書こうとしていたんですが、本人がふざけているつもりないとしたらめちゃくちゃ失礼になってしまうな、と口をつぐんでいました。やはりふざけるなよでよさそうです。
そういう意味では、我々としてはかなり楽しく読めるんですが、どこまで本気でやってるのか測れない距離の読者からすれば、読んでいて不安になる可能性もあるのかもですね
購入者の感想がたのしみです(なんなら自分の作品よりも)
ふざけどころの緩急がすき
ナンセンス漫画ってやっぱ絵があるからこそギリギリ成り立つもんなのかなあと思っていたところ、それを小説で成り立たせてる腕力がすごい
理路のつながらなさをゲーム的な世界観と苦しむ顔がかわいい女を好きな思い込みの激しい男とでギリギリもたせている感じというか、一般のナンセンス文学の退屈さを補う怒涛のクリシェというか
ほかの人のはそれぞれに「自分もこういうのできるようになりたい」という部分があり、その一方で「だけど本当にそれが書けるようになることを自分は求めてるのか?」という立ち止まりもあるなかで、国戸さんのは心情的に共感みがすごいんだよな。「これをやりたいし、これをやればおれのやりたいことができるのか!」みたいな
好き。酒呑みながらブコウスキー読んだときとおんなじ仕合わせな気持ちになる作品。
実際完敗した感じはあるんだよな。旋風こよりを前にした上矢あがりみたいな。
国戸さんの料理好きな部分が出てるのか。登場する食べ物飲み物が気になる。苔とか。
笑えすぎて本当にずるい
細部
すべてが細部なので読みながら挙げていきます(正直一文一文挙げてきたいところはあるんだが……)
そもそも冒頭の大剣のくだりからしていきなりバカにしてて、そこから「エロい体」の「悪魔系の魔物」が出てきて(系ってなんだよ)、ハートがパチン、そして光——の畳み掛けで完全に引き込まれちゃうんだよな
本当に最初の3行ですごいじわじわきたところに「セクシーで人間と同じ形状をしたエロい体の悪魔系の魔物」でトドメ刺されるんだよな。笑えすぎる。
くっそお、俺はこいつが好きだ
「大型魔物」、「の」を入れないのが良い
最強の二人のもう片方、だれだっけて
双剣を捨てる言い訳から店主を攻撃して半殺しってところまで一文一文笑いどころしかない
全体的にそうだという気もするんだけど、とくに「ルシエは用心棒で〜」からのくだり、なんか妙にサガフロ2を思い出したんだよな
キノコジュースのくだり正直まったく不要で、リアリティを増すための習俗の描写を馬鹿にしまくってる感がある
そういう意味ではその前の鴻上さんの緻密さと対比的でおもしろいな
「戦闘で、全力でしゃべってるんだと感じた」突然詩的になるな+ペンダントのくだりの思い込みの激しさ
いきなり世界が壊れだしてから第三世界の長井みがこれまでにも増して、ちゃんとゲームの世界なんですよという無用の目配せに笑ってしまうんだよな
素直に強く反省する主人公
p136の唐突な暴力描写の投げやりっぷり
「まさか点滅して消えるだなんて」ほんと好き
「その勢いは凄まじく、まるで矢のような勢いで飛び込んで来たのだ。」ここも好き
ひかりごけをいきなり食って、しかも飢えた人間へと連想をつなげるのをやめろ
もうこのあたり完全にゾーン入ってるんだよな、一文一文が常に笑える
「強い恐怖は、それまで持っていた弱い恐怖を克服する」の決め台詞感に至るまでの思考回路がくだらなすぎる
玉ねぎの連想から無理やり涙につなげて、象徴にもなってない象徴を引っ張り出したうえで「確かに」と結論づけさせるのすごすぎる
「過去の出来事が現在の状況を暗示している」みたいなありがちなアレをばかにしてる
いきなり寝ている、いきなり寝るな
「すると〜」からの段落の描写の雑さが主人公の現実認識の雑さを象徴しててめちゃくちゃいいんだよな
ダグラスの登場あたりからやにわに話が盛り上がるのだが(そもそもこれで盛り上がってる感がちゃんと出てるのがまずすごい)、インベントリがいっぱいなことを心配したり速い虫の話をしたりさらには親の回想がはじまったりしてこいつ集中力がなさすぎないか?
とても速いなにかしらの虫ってなんなんだよ、ほんとに。何回読んでも笑ってしまう
でもなんかちょっとかっこいいんだよな
p140からのなんかいいこと言ってる感の空虚さがすごいし、そもそもなんでダグラス現出してんだよだし、それらすべてが学校の机でガタンの恥ずかしさとなんかしらんが妙にリンクしてる感じがして凄みがすごい
「あれ、これだいぶ前にもやらなかったか?」で突然我に返って、読んでる方も一瞬我に返り、ページをめくると最終ページの登場である
「苦しそうな顔が〜」で最後までふざけて、ロケットが開くのもなんか勢いで、それから光——ではないんだよ
まさしく腕力
リュシー (Lucie)は、フランス語の女性名。 ラテン語の男性名ルキウス(Lucius)に対応した女性名ルキア(Lucia)に由来し、『光』を意味する。
蟹と待ち合わせ
一言感想
マァンドリン
わりと文章が硬質なんだけど擬音語擬態語とか、こういう音声的な話を印象的に使ってくる印象がばななさんにあったけど今回それが強まっている気がする
いつもより書いてて楽しそうな印象をうけた
どこかでも書いたがばななさんの導入いつもよいと思う(導入以外が、という話ではなく)
今作はわりとエキゾチックなんだよな。キャノンビーチの鳥居を蟹がくぐる光景がエモい。
全体的にアルカイックなのは意識の誕生以前の世界への回帰だからか。
おなじ文献に着想を得てるのに杞憂との落差よ。
御神体フェチ
毎回SFギミックがハードコアではあるのだけど今回もそうで、そのうえ↓の書き手の感想にあるとおり、実際書き方がより挑戦的になってる
んだけど、それなのに!夏の島のバカンスの雰囲気に包まれててめちゃくちゃさわやかなんだよな、なんなんだよ
そう、すごくさわやかなんだよな……本当に
ずっと空と海を描いていて、そのうつくしさは質感としては憧憬に近いんだけど、ラストで急にその突き抜ける青さが手元に戻ってきて調和するのがすきなんだ
人類補完でなにが起こるかのところにこの回答持ってきたのは(↓で書いた情報の出し方のおかげもきっとあるんだけど、個人的な考えとしても)個人的にはめちゃくちゃ納得感がある
収録作のなかでもアジテーション的で、わりと全体通してゆっくりアジってくるので「たしかにそうだよな……」みたいな納得感がある。あるよな?
「鯨」で強めの主張をしてからの「石球」での転調、そこからラストの「蟹」で落とす流れがきれい
というか、全体的に情報の出し方のコントロールという基本ががうまいんだよな。我慢できなくて設定語りしちゃわない?おれは我慢汁出ちゃう!
細部
ちょっと入り組んでいるので整理を試みます(みなさん適宜修正してくれ):
人類
全体と言語野を共有している
読む限り電脳である以外、形としては「普通の人間」でよさそう?
現代から100年後が舞台であること(そう遠くなく、まだ最後の電脳化が終わって間もない)、人間の肉体として考えて不自然な描写が出てこないこと
もし「異形」であるなら、相応の描写があっていいはず
自然な人間の形であるからこそ「四本足」や「七つの目」という描写が活きているんじゃないかと思って
しかし、なんでもいいというのも、この話の主題のひとつだ
「アラスカやシベリアの軍事拠点と並び、地球上で全住民の接続を完了した最後の地のうちの一つだった(P152)」
語り手たちはまだ完全に統合しておらず「人間らしい」雑念に溢れている(ように語っている、が)
笠木
御神体「ヘイスタック・ロック」
「キャノンビーチ」
笠木グループ:腕が各2本、脚が各2本の3体か
彼らの姿を想像することにあまり意味はなさそうだがいちおう
肉体(?)の数と一人称複数形のバリエーションの数は一致しない
p146で「三つの肉体」とあるから上記の解釈をしたんだと思うけど、最初読んだときそう読み取っていなかったのでなるほどと思った。何故かはよくわからないが、6本腕(兼ねる、脚)がある物理的には1つの塊を最初イメージした。p145で「七つの瞳」(3では割り切れない)とか、「三つの声、四つの声」とか書いてあるのを読んで、あまり整合的にわかりやすい体の形をしたものが何体かいるみたいな状況じゃないんだろうなと思ってしまったので。
でも油圧ショベルを操縦してるから、人間みたいな形をしているのだろうか(人間向けの油圧ショベルなのかどうかは定かではないが)
瞳のひとつは「対流圏から熱圏にいたる範囲を巡航する種々の飛行撮影機と衛星によって構成された視線(P163)」とのこと
なるほど!!
どうも彼らは記録をしているらしいことがわかる
マンドリングループ(たぶん)とは異なる一人称複数的な主体を維持しており、(一方的であれ)独立性を保てるらしいことがわかる
性交は非対称的な行為であること
「私たちは背中が三つある獣(P147)」すごいな
マンドリン
御神体「鯨→海自体へのイメージ」(仮)
マンドリングループ:腕が計6本、脚は計4本
……とあるけれど、海岸を歩んでいない2本があったりするかもしれないか
人類全体の意識(というべきではないかもしれないが)が共有されており、各々の肉体は物理的な入出力器官として位置付けられている、入れ替わることもあるていど自由っぽいことがわかる
「四本の足(P150)」という表現、ひとりはかならず共用スペースで開発をこなしているという描写(ここすき)
「肉体と精神の求めに応じて」とあるので海岸を散策する肉体も実際に交代してそうな雰囲気がある
「巨大な一つの意思たる海、それを身に纏う美しい惑星(P154)」(『ソラリス』だ)に自分たちの集合知としての存在を重ねる
パレイドリアがそれなり大事そうな概念として導入される
大戦があったこと、舞台が太平洋の群島であることなど、若干の歴史や場所の情報
環礁・核実験・地形などの情報からビキニ環礁だと思われる
鯨グループ:7つの眼
あとの「蟹」を読むかぎりでは笠木グループと同一であると思われるが……
パレイドリアの話の続きとして:自他の境界がない(このへんが神々の沈黙っぽい)→パターンを形作ることができず、生の感覚(?)としてしか受容できないみたいな話になってくる(現代的に見れば統合の失調ではある)
人間の意識(?)が完全に同一化するまでの過渡期らしいことがわかる
石球
御神体「石球」
「2121年9月のアラスカ」と明確に述べられている
時系列的にはちょっと前のように見えるが、正直よくわかってない
夢:イリアスっぽい描写
このへんも神々の沈黙で、ゆうたら「自他の境界がない、昔バージョン」の話
「開いた」球
視覚的な描写ができない、よね?
笠木グループっぽい
7つのうちのひとつの瞳が別の夢を見たらしい
俯瞰することの話ふただび
ここまでときどき出てくる語りのアップロードなどなどの話から徐々に彼らの生態の全体像が見えてくる形になってる
小さなボートのなかに女
「人類すべての言語野がつながったのが、いまからちょうど半年前(P152)」で七つ目の瞳は「一年以上にわたって(P160)」漂流していた女を見ていた(という夢を見ていた?)
P158で大地が揺れたことと関係がありそうなんだけど
鳥居をくぐる。今まで、あえて鳥居をくぐることはしなかった(P161)
純粋な観測者であるはずの7つ目の瞳が女をとらえて震える
「間近で見た御神体の岩肌は、海鳥の糞にまみれて白く汚れていた(P164)」は単純に美醜の描写を行ったり来たりすることで対象の存在感が強まるという効果もあるんだけど、もしかしたら「岩→女」への神性の移行ともとれる
女は一人称単数でしゃべる
濃い日焼け、脇毛ぼうぼう、乳に蟹
その前の段落の「あたしはようやく目を覚ます」の主体���ちょっとあいまいで、おそらくこの女なのだけど、どうもここまでの一人称複数であった人間たちのうちの一個体のようにも読める……読めない?
むずかしい……最後の台詞の読解にかかっている気がする
ここで個としての人間が復活しているらしく、たしかにしているっぽいのだが
システムの「手足」に回収されつつある在りかたを、独立した「動物」のほうに引き戻してくれたらということなんだろうけど、この言いかただとそういう流れは止まらないと展望している
しかし七つ目の瞳のほうは、純粋な観測者としてあるまじき挙動をしていて……
もはや個を剥奪された端末になりつつある人間から全体への、人間性の逆流? といえばいいのか?
鳥居(文脈から切り離された木一般の意味が異邦で再構築される)というのが、いや鳥居に限らず漂着物の再構築などが(マンドリンもそうだ)、女の登場と構造的に対応しているように思う
単純な近似ではなく、その異質さを強調するための
イリアスパートの「怒り」は、システムに回収されつつある生の叫び(全体的な語りから読み取れる)に沿っている気がする(捕らわれたクリューセーイスの奪還と、漂着した「女」の物語的な関係やいかに。未読なので詳しくはわかりません)
鯨も同様、またソラリスの話も寓意に富む
女、オフラインなのかな(最後の台詞からははっきりと推測できない)
書こうか迷ったが、もしかしたら「正体」があるんじゃないか
P150の環礁・核実験・軍艦というワード(七つ目の瞳では観測できない海底)
ビキニ環礁のクロスロード作戦
鳥居への祈りから、日本の軍艦を連想
クロスロード作戦で沈没した日本艦は長門・酒匂
軍艦の擬人化と言えば艦これ・アズレン
双方のキャラクターの特性に照らす
「あたし」という一人称と「ささやかな乳房」という情報
「酒匂」ちゃん??
艦これの話か?
なんかこうもっとロジカルに導きたいんだけど、まだひらめきに近い
でもこう読むとすっと入ってくる描写とかある気がするんだよ
海への柔らかい執着とか、肉体の話とか
深海棲艦説としか思えなくなってきた
あー、なんかそっちっぽい!
最後の台詞がわかった気がする
元の肉体(艦)が(七つ目の瞳以外に)憧憬?をもって観測されつづけたことによって顕現できた、みたいなことか?
どうなんや
元あたし(傍点)じゃん?
いくつもあった「すれ違う」描写、しかし最後に「越境」して交わり、岐路に立つ!
つまり女の漂着は人類にとっての“クロスロード”だったんだよ!!!(キバヤシ)
ブロックバスター
一言感想
コインを振る。裏。←かっこいい
まったくわからないんだけど、いつもよりわかるよな
Cの盛り上がりがBとDのクライマックスと呼応していく感じが好き
読後感すごくいいからやっぱりこれ最後配置で正解なんだよな
津浦さんの作品一番難解なんだけど、なんか童話的な柔らかさがあるんだよな
ポリフォニック(ね群メンバーの作品は全体的にそうかもだけど)
こーしーもう一杯
王の祈る姿が比例して増えた←感謝の正拳突きしそう
細かな表現のかっこよさはもはや言うに及ばずなんだよな
Aの語りに出てくるモチーフの並置の伸縮自在さとか
あと「その大きさはもはや比喩の範疇を超えて唯一だった」がめっちゃ好き
挙げてくとキリがないのでやめます
細部
こっちもまずは整理してみる(修正求む)構成:4幕。
(1) p.168「「世界」という言葉がきらいだった」
(2) p.171「「世界」という言葉は、ずっと昔のあいまいな約束だった」
(3) p.174「「世界」という言葉は、その実なにも説明できていない」
(4) p.177「「世界」という言葉が薄い殻から芽吹くとき、その平熱の期待を逃してはならない」
語りの種類:5種類。
A:ほかと同じ明朝体のやつ
各挿話の最初に置かれ、「「世界」という言葉」からはじまる
p.168は病院に行く(お見舞い?)シーン?
p173「恋人の手」と「犬のクソ」は素晴らしいものと価値のないものを表しておりそれらを混同しないとみんな言いはるんだけど実際には紙一重だ、みたいなことを言っているように読み取れる、一方でp174では「生きている私たち」の強調によって、両者はいずれも生命を示しているというふうにも止揚されてくる
p.177「意味のある対象が〜
B:丸ゴシックのやつ
母を知らず、物語を作るハルと、魚から這い出したところを見つかった、八つ目の毛玉のキャット
八つ目!魚から!Cの「ものども」あるいは王だ!
母を知らないっていう宣言的な言い方がDとの関係というか、そういうものを感じる
p171「私は無垢を演じているのではないかと~」からも、直截的にはそういう読み方が誘発されると思った。Dの母との問題を無視した空想の世界。p171の描写は作り物感を補強している。p172「自身のスペアを要請」
世界の果てでコインを投げる
世界の果てが出てきて殻を破るって実質ウテナじゃん
p.180「あるいは誰かのその前駆が私と私の世界を作ったのだとしたら〜」エフェメラルな雰囲気がする
最後に揺れて、そのあと魚、でもって「彼」は(世界の)棘を持つ、(Cの)大亀だわな…
C:教科書体(?)のやつ←例のクレー
彷徨し、「世界の棘」を持つ大亀、王とものども
p.183より、ものども(たぶん王も)八つ目である
最後、魚がめっちゃとんできて世界の殻が壊れる
p.183Bによれば、Bにおける「物語」が世界と同一視できそうではある
D:薄めの丸ゴシックのやつ
現代劇っぽさのあるわたし(空想が好き、大学は文学部、就職に困る)と母。二人は折り合いが悪い
p178「世界に目を向けて」という母親の言葉とそれに従わずに目を閉じる私。「世界」という言葉への反発はAにつながっているように思う。
目を閉じて以降、空に魚が出現し母が消えるので、ここで世界に背を向けたように感じられる。というかp182のBにシーン的には合流しているように読める。丸ゴシック繋がりもあり。
ふと思ったがここの「わたし」が神待ち行為を行なっていた可能性があるぞ!!!!(ないです)
最後、やっぱ空に魚(バラクーダ!)が出現する。母はいなくな
E:薄めの明朝体のやつ
わたしと「彼女」(母性を感じはする)、あやとり
p.174「わたしは彼女の暇潰しの相手に過ぎない」が、その前のp.173B「気晴らし」につながらなくはなくて、そうなると物語自体ってことになるのか?
p.183「名づけたのは他でもない、わたしだ」。「世界」を?「世界の棘」を?
「ふだん浮遊している〜彼の棘はもたらす」らしいぞ!(だいじそう)
ストーリー性は希薄で、間投される語り
p.183、やっぱ魚は大亀の斥候なんだよな
あ、ここに寝室(Dの末尾の舞台)出てくんじゃん
あえて階層構造を仮定するなら、基底から順にD→B(Dのわたしの空想あるいは物語)→C(Bのハルの物語)で、大亀による崩壊がC→B→Dと還流してるように読めなくはない気はするんだけども……(BとDは……つーか、いうたら全部上下がなく並列でもいけるか)。で、それで世界がつながるのはわかる。じゃあ「その外に残された」の外って?(火じたいは王の演説にも出てくる)
レイヤーを想定しちゃうのは悪い癖だな。読み返してたらあんま上下関係ない説の方が強まってきた
自分だったらレイヤーを想定して書くのだろうが、多分作風的にはレイヤーとかじゃないんだと思う。しかし相互の関係性とかが変奏していく感じがあって良いんだよな
テーマについて
神待ち
神の裁きと訣別するため:自分を負かす誰かを待っている→勝って神の不在を証明
山の神さん:神待ちアプリ
囚獄啓き: 「地獄とは神の不在なり」なので、不在なんじゃないかな 
杞憂:中年男性(世界を維持するための計算資源→神?)待ち、待ち行列理論
キノコジュース:ルシエが宮殿で完全性を持つであろう存在を待っていたこと
蟹と待ち合わせ:蟹待ち
ブロックバスター:亀待ち
むりやりまとめると、神待ちの「神」を、原義側に寄せた、圧倒的なものとか完全なものとかでとって書いたのが多数派、という感じだろうか
とどのつまりは祈りだ。
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cuttercourier · 5 years ago
Text
[翻訳] コロナ禍と印中対立のなかのインド華人
中国系インド人の愛と憧憬
2020年7月25日 アスミター・バクシー
ガルワーン渓谷事件後の印中関係緊迫化、コロナウイルス・パンデミックによる反中感情の高まりとともに、インド系中国人コミュニティは集中砲火を受けている
3月17日、41歳のミュージシャン、フランシス・イー・レプチャは、急遽切り上げたプリー〔※オリッサ州の都市〕旅行からコルカタに戻る列車の中にいた。新型コロナウイルスは全国でその存在感を示しつつあり、ナレーンドラ・モーディー首相が厳重な全国ロックダウンを発表する日も近かった。レプチャが家族と一緒にまだプリーにいた間も、彼がチェックインしようとするとホテルの宿泊客は反対の声を上げ、路上では「コロナウイルス」と呼ばれ揶揄された。
フランシスは中国系インド人で、母方と父方の祖父は1930年代に他の多くの人と同様に日本の侵略から逃れてインドに来た。彼らはダージリンで大工として働き、地元のレプチャ族の女性と結婚した。のちに彼の両親はコルカタに移り住み、そこで彼は生まれ育った。
このミュージシャンは1980年代に幼少期を過ごし、ドゥールダルシャン〔※インド国営TV局〕で『ミッキー・マウス』や『チトラハール』を見たり、マドンナに憧れたり、クリフ・リチャードの「ダンシング・シューズ」に合わせて頭を振ったりと、これらを6歳で楽しんでいたわけだが、童歌「ジャック・アンド・ジル」に関係があるという理由が大半だった。彼は流暢なベンガル語と「荒削りなヒンディー語」を話し、そして、彼によれば「ほとんどお向かいのチャタルジー一家に育てられた」という。
列車がガタンゴトンと進むなか、冷房寝台車の他の乗客たちは、彼には自分たちが何を言っているのかわからないと思い込んで、「中国人」について疑いの声を上げはじめた。フランシスはすぐさま口を挟んだ。「私は流暢なベンガル語で、自分がコルカタ出身で、中国に行ったことはなく、彼らに感染させることはないと説明した」のだという。「彼らの顔を見せてあげたかった」。
コルカタに戻ると、フランシスはプリントTシャツを注文した。彼はコルカタ・メトロのセントラル駅の真上に住んでいるのだが、それが明るい否定のメッセージとなり、かつ人種差別に対して有効なツールとなるだろうと考えた。フランシスのさっぱりとした白いTシャツの上の端正なベンガル語のレタリングには「私はコロナウイルスじゃない。コルカタ生まれで中国には行ったこともない」とある。
6月15日、国土の反対側では、俳優兼歌手のメイヤン・チャンが、過去13年にわたって本拠地と思ってきた都市ムンバイで、夕食をともにするために友人宅を訪れていた。彼らはテレビのニュースを見ていたが、その放送は特に憂慮すべきものだった。2つの核保有国が数十年間争ってきた境界である実効支配線に沿ったラダックのガルワーン渓谷でインド兵20人が中国軍に殺害されたのだ。
「衝突の後、ダウン・トゥ・アース誌のインタビューに答えた時、私の最初の反応は怒りでした。『どうして私が自分の愛国心を証明しないといけないのか。どうして私がインドを愛し、中国を憎んでいると言わなければならないのか』。私はその国のことを知りもしません。中国というレンズを通して自分が引き継いでいるものは理解していますが、それだけです。私にはインド以外の故郷はありません」と彼は言う。しかし、彼の経験上、怒りは何の役にも立たない。「その代わりに、私は異文化交流の美しさについて話しました。それはインド全土に存在するものです。私たちの外見だけを理由に自分たちの仲間ではないと考える人々には驚かされます」。
チャンもまた中国系である。彼はジャールカンド州ダンバードに生まれ、ウッタラーカンド州で学校教育を受けた。彼の父親は歯科医で、チャンもベンガルールで歯学の学位を取得している。彼は自分の家系を詳細に遡ることはできていないが、先祖が湖北省の出身であることはわかっており、そこは1月以来、ニュースを席捲している。新型コロナウイルスが最初に報告された武漢とは、同省の首都である。
37歳の彼は、主流エンタテインメント産業で名声を得たおそらく唯一の中国系インド人コミュニティ出身者である。2007年にTV番組『インディアン・アイドル』の第3シーズンで5位になり、2011年にはダンス・リアリティ番組『ジャラク・ディクラー・ジャー』で優勝し、さまざまなTV番組やクリケットのインディアン・プレミアリーグなどのスポーツイベントの司会を務め、『バドマーシュ・カンパニー』『探偵ビョームケーシュ・バクシー!』『スルターン』『バーラト』という4本の大作ヒンディー語映画に出演してきた。
しかし、この数ヶ月の間、彼もまたCOVID-19についての世間の興奮と、そして目下の印中対決についてのそれを感じている。パンデミックのせいで人々が人種差別的発言を黙認しているため、彼はオンラインや路上で野次られてきた。実効支配線での印中対峙後は、これに無言の圧力、あるいは彼が言うところの飽くなき 「愛国欲」が続いた。「医療、経済、そしてある程度の人道的危機の最中に国境での小競り合いや恐ろしい話が出てきて、どう考えていいのかわからなかった」と彼は言う。
中国系インド人3世として、チャンとフランシスは共通点が多いように見える。二人ともインドで生まれ、家系は中国に遡り、家業を継ぐという中国的伝統から逸脱し、ディーワーリー、イード、クリスマス、旧正月をまぜこぜに祝って育ち、フランシスが的確にもこの国の「微小マイノリティ」と呼ぶものに属している。
この二人はまた、パンデミックが世界中で反中国の波を引き起こし、米国のドナルド・トランプ大統領が新型コロナウイルスを繰り返し「中国ウイルス」と表現している時にあって、中国系インド人が味わっている苦難を象徴している。インドでは中国との国境問題が状況をさらに悪化させている。怒りの高まりにより、政府は59の中国製アプリを禁止し、大臣たちは中華食品やレストラン(大半はインド人によって経営されている)のボイコットを求め、中国の習近平国家主席の肖像が燃やされ、COVID-19と紛争は危険なまでに一体視された。
この敵意の副作用はチャンやフランシスのような市民や北東部インド人が被ることになり、路上で暴言を吐かれたり、家から追い出されたりした。デリー在住の中国系ジャーナリスト、リウ・チュエン・チェン(27歳)は、地元のスーパーで人種差別的な悪罵を浴びせられた。「私の母はいつもならウイルスから身を守るためにマスクをするように電話で言ってきたはずですが、国境紛争の後は顔を隠すためにマスクをするよう言われました」と彼女は言う。
印中関係が緊迫するなか、世代を越えて広がりつづけているトラウマである1962年の中印戦争の記憶が前面に出てきた。では、こんな時代にあって中国系インド人であることは何を意味するのだろうか。
中国人の到来
インドにおける中国系インド人コミュニティの起源は、1778年に海路でインドに上陸した商人、トン・アチュー〔塘園伯公〕、またの名を楊大釗に遡る。伝承によれば、アチューは当時のイギリス総督ウォーレン・ヘイスティングスより、日の出から日没まで馬に乗るよう、そしてその間に彼が通過した土地は彼のものになると言われたと、あるいは(より公式なヴァージョンでは)彼のホストとなったイギリス人に茶を一箱プレゼントしたおかげで土地を与えられたとされている。
フーグリー川沿いにあったアチューの土地は、現在はアチプルとして知られている。彼を讃えて記念碑が建てられ、中国系インド人の巡礼地となっている。アチューの後を追って何千人もの中国系移民が続いた。彼らの上陸港はコルカタであり、長年にわたっていろいろな職業の多様な集団が植民地インドの当時の首都にやってきた。
「1901年の国勢調査はカルカッタに1640 人の中国人がいたと記録している。中国人移民の数は20世紀最初の40年間、特に内戦と日本の中国侵略のために増加しつづけた」と、デバルチャナ・ビスワスは2017年8月に『国際科学研究機構人文社会科学雑誌』に掲載された論文「コルカタの中国人コミュニティ:社会地理学によるケーススタディ」1の中で書いている。
ダナ・ロイの祖父母も、日本による侵略の時期にインドにやってきた。コルカタの学校で演劇を教えている36歳の彼女は、『亡命』と題した作劇のプロジェクトに取り組んでいるときに、母方の中国人家系を辿った。「中国の家庭は一夫多妻制��ったので、私の祖父は三度結婚しました。そのうち一人は中国で亡くなり、二人目は第二次世界大戦中に日本の侵略から4人の子供を連れて逃れました」と彼女は説明する。彼らの家は、広東省の小さな村唯一の二階建ての建物で、日本軍はそれを司令部としたのだという。
ロイの祖父は、その頃には既にインドで輸出入業を営んでおり、インドにはヒンディー語と広東語の両方を話す中国系の妻がいた。彼の職業柄、家族を船で渡らせるのは容易だった。「叔父の一人には眩暈症があり、大きな音を怖がっていたのですが、(道々)聞いたところでは、村から逃げる際に日本の戦闘機に追われたからだとのことでした」と彼女は言う。
長い間、彼らは均質的集団として見られてきたが、インドに来た中国人は実際には相異なるコミュニティの出身だった。その中でも最大のものは客家人で、まず皮なめしに、最終的には靴作りに従事した。彼らはコルカタのタングラ地区に住み着いた(市内に2つあるチャイナタウンのうちの1つであり、もう1つはティレッタ・バザール)。このコミュニティは他のいくつかのグループのように一つの技術に特化してはいなかったが、ヒンドゥー教のカースト制度が皮革を扱う仕事をダリトのコミュニティに委ねていて、客家人にはそのような階層的制約がなかったため、彼らはコルカタで皮なめし工場の経営に成功することができた。
チャンが属する湖北人コミュニティは歯医者と紙花の製造に従事していた。「ラージ・カプールやスニール・ダット主演の古いヒンディー語映画に出てくる花は全部私たちが作りました。俳優がピアノを弾き、メフフィル〔舞台〕の上に花々が吊り下がっていたなら、それは全部我が家の女たちが作った物です」とコルカタ湖北同郷会会長、65歳のマオ・チー・ウェイは言う。
広東人は大半が大工で、造船所や鉄道に雇われたり、茶を入れる木製コンテナづくりに雇われたりしていた。1838年、イギリス当局はアッサムの茶園で働かせるため、多くが広東人の職工や茶栽培農夫からなる中国人熟練・非熟練労働者を導入している。
1949年に毛沢東率いる共産党が政権を握ると、中国への帰国は問題外であることが明らかになった。そのため、女性たちはインド在住の家族と合流しはじめ、すぐに東部諸州の中国人居住区にはヘアサロンやレストラン、ドライクリーニング店などが点在するようになった。
寺院が建てられ、コルカタのタングラとティレッタ・バザール、アッサム州のティンスキアには中国人学校ができた。賭博場や中国語新聞、同郷会館などもでき、春節や中秋節を祝うほか、中国の儀礼に従って結婚式や葬儀を行うようになった。
「彼らがコルカタに定住し始めた18世紀後半から、1960年代初めまで、中国人移民は、とりわけ同じ方言グループでの内婚や、文化実践、独特の教育システム、住居の排他的なあり方を通じて『中国人アイデンティティ』を維持することに成功した」と、張幸は彼の論文「中国系インド人とは誰か?:コルカタ、四会、トロント在住中国系インド人の文化的アイデンティティ調査」の中で述べている2。
このコミュニティと祝い事の時代は、1962年の印中紛争で突然終わった。戦前には5万人と推定されていた中国系インド人の人口は約5,000人にまで減少した。彼らの多くはその後、海外に移住した。
融合する文化
「アイデンティティとは、単に『私は中国人か、それともベンガル人か』というよりも複雑なものです」とロイは言う。「アイデンティティを主張したり断言したりする必要性を本当に感じるのは、それが奪われつつあると感じたときだけです。アイデンティティについて聞かれたとき、特にこのような時世には、『他のインドのパスポート保持者はこんなことを聞かれるだろうか』と疑問に思うのです」。
ロイは中国系移民と地元民との不可避的な混ざり合いの象徴である。彼の母親は中国系で、ベンガル人と結婚しており、一家はタングラやティレッタ・バザールから離れたコルカタ南部に住んでいる。ロイがこれらの地区を訪れるのは、たいてい中国式ソーセージを買うためか、たまに友人と中華の朝食を食べたりするためだ。
今日の中国系インド人は、中国的伝統が失われていく一方、国籍と文化遺産の間の摩擦が増えていくという二重の現実に直面している。例えば、かつてコルカタのチャイナタウンで行われていた旧正月の祝賀会は、ほとんどがプライベートなものになっている。チャンはただ友人を家に招待することが多い。ロイは親戚とご馳走で盛大に祝ったり、「みんなが忙しければ」ただオレンジを食べて祝ったりしている。
若い世代が広東語や北京語ではなくヒンディー語や英語を学びながら成長し、儒教のような中国の伝統的な宗教的習慣から遠ざかるにつれ、彼らのアイデンティティの中国的側面はますます衰えつつある。以前はそのアイデンティティの別称として機能していたタングラも、今や混合文化に道を譲った。また、環境問題により1996年には皮なめし工場が閉鎖された。
それでもフランシスのように、自分たちの文化を守るためにできることをしている人もいる。彼は友人と毎年の旧正月にはコルカタで龍の踊りを披露する。「私たちは衣装と太鼓を身につけ、旧チャイナタウン、新チャイナタウンその他、コミュニティが散在しているコルカタの各地で4日間にわたって上演するのです」とのことだ。彼らは彼が子供の頃に喜んで受け取っていた赤い封筒入りのお金を配る。
しかし、帰属と受容という、より大きな問題は残ったままである。チャンによれば、自身がエンタテインメント産業に加わっていることと「ヒンディー語とウルドゥー語に堪能」であること(彼はボリウッド作品を観て育ち、父親はマフディー・ハサンのガザル歌謡が大好きだった)は、人々が常に彼を「インド人」として受け入れてきたことを意味する。彼のファンは年齢層やエスニック・グループを跨いで存在する――『インディアン・アイドル』に参加していたときには中国人コミュニティが彼を支持し、より若いファンは彼が「K-POPスターやアニメ・キャラクターを彷彿とさせる」ゆえに彼を愛している。しかし、ソーシャルメディアで意見を表明することは、特に最近では危険であり、時に大騒ぎになる。
「CAA(修正市民権法)のような問題については、間接的に言及して自分の意見を伝えるようにしています。これは大事なことだからです」、彼は言う。ガルワーン渓谷での衝突の後、陸軍大尉を名乗る匿名アカウントが、彼のYouTube動画の一つにコメントして、国家に忠誠を誓い、インド人兵士への支持を公に表明するよう彼に求めた。「私はそれを大したことではないと思い、〔陸軍大尉という〕彼の名乗りに引っかけて『敵との戦いに集中してください、あなたの仲間の国民とではなく』と言いました」。
ジャーナリストのリウ・チュエン・チェンは、アイデンティティとインド政治の両方についての自身の率直な物言いは、コミュニティ内では異例であり、しばしばオンラインやオフラインで嫌がらせの標的になることにつながっていると述べる。「一度、エアインディアの飛行機に乗るとき、係員たちが私に有権者証ではなくパスポートを見せろと言い張ったことがありました。彼らは私がインド出身でないと信じていたからです」、彼女は言う。「私はパスポートを取ってすらいなかったのに」。
年長世代の政治との関わり方はやや異なっている。彼らは今でも中国政治を追いかけてはいるが、距離を置いている。「調査中、国民党シンパと共産党シンパの間にあるコミュニティ内の分断を感じました」とジャーナリストのディリープ・ディースーザは言う。彼は1962年の印中戦争の歴史を、当時強制収容されていたジョイ・マーの口頭の語りとともに記録した『ザ・デオリワーラーズ』3の共著者である。
「しかし、それだけです。彼らは台湾とPRC(中華人民共和国)の対立を私と同じように見ています。そこに親戚はいるかもしれませんが、台湾市民になりたいとか、PRCに忠誠を誓いたいというようなものではありません」。
このような関わりの多くは目に見えない。このコミュニティに共通する話として、彼らは頭を低くして注目されずにいることを好む。これは1962年に中国系コミュニティと関係者が強制収容された結果という部分が大きい。
消えない恐怖
1962年の戦争後、中国軍が国境東部のNEFA〔北東辺境管区〕、国境西部のアクサイチンに進出したとき、インド世論は怒りと疑念に満ちていた。インド人は当時のジャワーハルラール・ネルー首相の保証に憤慨し、中国に裏切られたと感じていた。今回もまた、この敵意の矛先はインドの中国系コミュニティに向けられていた。
作家クワイユン・リー氏が学位論文『デーウリー収容所:1962~1966年の中国系インド人オーラル・ヒストリー』4で書いているように、「国民的な熱狂に駆り立てられ、主流派インド人は中国人住民を追放し、時に暴力を振るい、また、彼らの家や事業を攻撃したり破壊したりした」。
リーは付け加える。インド当局は「毛沢東支持に傾いた中国語学校や新聞、中国系団体を閉鎖した。蒋介石(台湾)を支持する学校、クラブ、新聞は活動を許された。これらの学校やクラブは、マハートマー・ガーンディーの肖像とインド国旗を孫逸仙〔の肖像〕と十二芒星の〔ママ〕国民党旗の横に加えた」。
これらの状況は、当局に「敵国出身者」を逮捕する権限を与えるインド国防法が1962年に成立し、1946年外国人法と外国人(制限区域)令の改正が行われたことと相まって、ラージャスターン州のデーウリー収容所で中���系インド人を抑留するための「法的なイチジクの葉〔方便〕」になった、とディースーザは言う。
3000人近くの中国国民または中国系の親族をもつインド国民がスパイ容疑で逮捕され、最長で5年間拘束された。
「ガルワーン渓谷の小競り合いが起こったとき、私はそれについて思いもしませんでした。祖母が最初にそれを口にしました。『もし雲行きが悪くなったら、私たちは逮捕されるかもしれない』」、チャンは言う。「たとえ私達も同じことを考えていようがいまいが、そんなことは起こらないと彼女を説得するのが私のおじと私の役目でした」。
フランシスは1962年に当時10代前半だった母親がダージリンの祖母を訪ねており、二人とも収容されたという思い出話を語る。イン・マーシュも同様であり、1962年11月に13歳でダージリンのチャウラスタ地区から父、祖母、8歳の弟と一緒に収容所に連行された5。
マーシュのように、このコミュニティの多数の人がインドを離れカナダ、米国、オーストラリアに向かった。しかし、歴代の政府がこの歴史の一章を認めたり、謝罪したりしていないことを考えると、圧倒的なトラウマと裏切られたという感情は今日に至るまで残っている。
中国系インド人はなおも傷を癒やす途上にある。アッサム州の同コミュニティ出身の48歳の女性(匿名希望)は、ガルワーン渓谷事件の後、89歳の父方のおばから電話を受けた。彼女はまたも強制収容されるのではないかと心配していた。「私はそれを笑い飛ばし、心配させまいとしました。私はね、もしまたそんなことになったら、皆一緒に行ってダルバートを食べましょうって言ったんです」と彼女は言う。
大昔の法改正はまた、1950年以前にインドに来た、あるいはインドで生まれた中国人移民のほとんどは決してインド市民権を与えられないということを確実にした。例えば、彼女のおばは今や87年間インドに住んでいる。「彼女は今でも毎年外国人登録事務所に行って滞在許可証の更新をしなければいけません。ここは彼女が知っている唯一の故郷ですが、法的には決して帰属することはなく、常に部外者のままです」と彼女は言う。
以上のような要因が、生まれた国への忠誠心を公にするようインドのこのコミュニティをせっついている。例えば、ガルワーン渓谷の衝突の後、コルカタでは中国系インド人が「我々はインド軍を支持する」と書かれた横断幕を掲げてデモ行進をした。
「人々には中国共産党(CCP)が中国系インド人のことを大して気にかけていないことに気づいてほしい。彼らはおそらく我々が存在していることすら知らない。もし私が完全ボリウッド風でやりたいと思ったら、『マェーンネー・イス・デーシュ・カー・ナマク・カーヤー・ハェー〔※私はこの国の塩を食べてきた、の意〕』と言う〔=愛国心を歌い上げる〕ところまでやります」とフランシスは言う。「私の優先順位は単純です。私はインド市民であり、インド憲法に従って暮らしており、私の支持は常にこの国にあります」。
印中間の緊張がすぐには緩和されそうにないなか、アイデンティティと帰属意識の問題が頻繁に前景化されるかもしれない。チャンの不安もまた、このような思慮をめぐるものだ。「エンタテインメント産業の誰もが仕事はいつ再開できるのかと心配していたとき、敵のような見た目の顔をしているから自分には誰も仕事をやりたくないのではないかなどと、余計な不安を私が感じていたのはどうしてでしょうか」と彼は問いかける。
http://www.iosrjournals.org/iosr-jhss/papers/Vol.%2022%20Issue8/Version-15/J2208154854.pdf ↩︎
張幸(北京大学外国語学院南亜学系副教授)は女性。引用論文は2015年刊行の論集に掲載されたもの。これを補訂したと思われる2017年の雑誌論文あり。 ↩︎
http://panmacmillan.co.in/bookdetail/9789389109382/The-Deoliwallahs/3305/37 デオリワーラー(デーウリーワーラー)はデーウリー収容所帰りの意。 ↩︎
1950年カルカッタに生まれ、強制収容は免れたが1970年代にカナダに移民した著者が、トロント在住の客家人元収容者4人の聞き取りをもとに2011年にトロント大学オンタリオ教育研究所に提出した修士論文。 ↩︎
元デーウリー収容者で、収容経験を述べた『ネルーと同じ獄中で』(初版2012年、シカゴ大学出版会より2016年再刊)の著者。 ↩︎
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kkagneta2 · 6 years ago
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長身女性 : 短編集
本当はもっと長々とした小説の一部だったけど、それはやめにしてこうして短編として残しておきます。
基本的にM な方向けですが、長身女性が好きでなくっても、頭の良い女の子に興奮するタイプの人は笑顔になれます
ジーンズ
幼馴染宅。夕食後。あいつの部屋。あいつの匂い。あいつのジーンズ。あいつのジーパン。
俺は今、そのジーンズの前で佇んでいる。遠目から見る限り何の変哲もないそれは、ベッドの上に乱雑に脱ぎ捨てられており、実際にさきほど、
「お風呂行ってくるねー」
と、俺の目の前で脱ぎ捨てられたものである。
――だが、一体なんなんだ、これは。
冗談のようにしか思えなかった。きれいに伸ばして形を整えてみると、その異様さが分かる。
――でかすぎる。……
もう訳が分からなかった。そのくらい、ベッドの上のジーンズは大きかった。
どのくらい、……と問われて長さをそのまま云っても良くわからないかもしれないが、センチにして約130センチ程度。手を軽く広げてようやく、裾からウエスト周りまでをカバーできる、俺の腕とジーンズのヒザ下がだいたい同じ、あいつのベッドは特注品だから今はパッと分からないが、俺のベッドではたぶんいっぱいっぱいになるだろう。とにかく、信じられないくらい長い。
「いったい、股下何センチあるんだよ。……」
正直に云って、わからない。ただ、100センチを超えているのは確か。もしかしたら110センチにも達しているのかもしれない。身長はいくつだったか、ちょっと前に2メートルまでもう5センチも無いと云っていたから、たぶん196とか、197センチくらい。だとすると、……
「いやいや、それだと半分以上が足じゃないか」
しかし、ここ最近のあいつを見ていると、なんだかしっくりくる。さっき、一緒に部屋に居た時には、お互い裸足だったのに、もうこちらの胸のあたりにあいつの腰が来ていたし、俺の頭と云えば、あいつのでっかいおっぱいにすっぽりと収まっていた。それに、今日も一日中連れ回されたけれども、「普通に」歩いては俺を置き去りにし、手を引いて歩いては、ひぃひぃ云いながら走る俺を、
「あははっ、おんぶしてあげようか? ぼく?」
と無邪気に笑う。
冗談ではない。同い年なのにそんな子供扱いなんて、況してやこちらのことを、まるで小学校低学年の男子児童のように「ぼく」と呼んでくるなんて、屈辱的である。しかも赤の他人の目の前で、親の眼の前で、友達の目の前で!
「くそ、……でも、どうして、……」
どうしてこんなに興奮してるのだろう。くそぉ、……。ベッドの上に横たわるあいつのジーンズを見て、さっきから股間が痛くてたまらない。
「ちくしょう。……昔は小さかったのに。昔はお兄ちゃんって呼んできたのに、……」
今では「ぼく」呼ばわりである。子供扱いである。
いや、あいつが小さかったのは本当である。ままごとをやる時はいつでもこちらが年上の役をやっていた。外に出れば可愛い兄妹のように見え、二つの家の者が会せば、
「お兄ちゃん」
とこちらのことを呼んでくるあいつと、その頭を撫でてやるこちらを、可愛い可愛いと云って持て囃す。
それが変わったのは、いつ頃のことだっただろう、確か小学校に上がってからだ。小学校に上がってからあいつの身長はグングンと大きくなって行ったんだ。
今思えば、本当にあっという間のことである。入学時には首元にあったあいつの頭が、一年経つと俺の口元に、一年経つと俺の目元に、一年経つと俺の額に、そして、もう一年経つと俺の頭の天辺、…………よりも高くなっていた。
「あれ? こんなに小さかった?」
と云いながら自身の頭に乗せた手を、こちらにスライドしてくる。
俺はとっさに背伸びをした。たぶん3センチほど背伸びをしたと思う。
――けれども、あいつの手は俺の頭上を掠めていった。――いや、掠めてもなかった。
「やったっ、私の勝ちだ! やーい、お兄ちゃんのチビ~」
背伸びをしても勝てなかった。それも女の子に、それも昔から知っている女の子に、それも今まで妹のように可愛がってきた女の子に。
この時の悔しさは今でも思い出す。俺はその後、何度も何度も手をスライドさせてくるあいつを突き飛ばして、自分の部屋で泣いた。あいつに身長を追い抜かれた。あいつにチビと云われた。あいつに、あいつに、……
それからもこの屈辱は変わることはなかった。俺は4ヶ月に一回、親に身長を測ってもらって柱にその記録をつけてもらっていたのだが、そういう時に限ってあいつは俺の家を訪れるのである。
「あ、身長測ってるの? わたしもわたしも!」
「いいわよ。ほら○○ちゃんも、そこに立って立って」
「はーい!」
と、一度こちらに顔を向けてから、柱に背中をぴったりつけて立つ。もう、この時点で、ついさっきつけた俺の跡は体に隠れて、……
嫌だったけれども、見るしか無い。心なしか俺の青ざめた表情を見て、あいつは勝ち誇った目を向けてきているけれども、そっぽを向いて興味が無い風を装う。
「ずいぶん高いわね~。168センチ、……と。うちのと比べると31センチ差! お父さんよりも高いじゃない! すごいわ!!」
これはお互い小学校を卒業する前のことである。あい��は小学生にしてすでに、160センチも残すところ2センチという長身。……
俺はまた泣きそうになった。けれども、この時はまだ、希望があったから泣くことはなかった。まだ自分の身長は伸びていない。伸びていないだけ。聞けば男性の平均身長は171センチ、……このまま俺も人並みに成長すれば、168センチなんて結局は超えられる。もう一回、あいつを見下ろす時が必ず来る。あいつをチビと罵る日が、……
――だが、儚い夢でしかなかった。
今では俺の身長は158センチ、あいつの身長はあれからも伸び続け、少なく見積もっても195センチ、……もはや比べるまでもない。しかも、もうお互い高校三年生である。あいつはともかくとして、俺の身長はもう伸びないだろう。伸びたところで160センチを少し超える程度にしかならないだろうから、この先ずっと、俺は小学生時代のあいつにさえ勝つことができない。もし、タイムマシンがあって、今の俺が過去に旅立っても、向こうのあいつは、
「チビ~~」
と罵しってくるに違いない。
「細いな。……」
ジーンズを手にとった時、俺はそう呟いた。昔は可愛かったあいつ、「お兄ちゃん」と可愛らしく呼んできたあいつ、今でもその可愛らしさは変わらず、体つきもほっそりしなやかで、たぶんモデルになれば途端に頂点へと上り詰めるだろう。
「で、でか、……」
立った状態で、あいつのジーンズを体に合わせてみる。足ではなく、「体」である。
「う、うわ、……すげ、……」
何せ、股下が俺のよりも2倍近くあるのである。その股の部分がヘソよりも上に位置しているのである。そして、ウエスト周りはちょうど胸��位置しているのである。
全くもって、同い年の女子高生が身につけていたとは思えない。
「すげ、……すげ、……」
と、その時、
――クスクス、………
あっ、と思った時には遅かった。俺の後ろ、……それもずいぶん高いところから、そんな声が聞こえて来た。
「お、お姉ちゃん、……」
恐る恐る振り返ってみると、そこには口元に手を当てて、笑いをこらえる一人の大きな大きな少女が、……
「クスクス、……おチビくん? 何してるの?」
「い、いや、……これは、それは、……」
「何がそんなにすごいの?」
「え、えと、……」
「ん?」
「これが、その、……大きくて、……」
「あははははっ、この変態っ。背比べする時は、あんなに嫌な顔するのに、かわいいやつめ!」
とガバっと抱きしめてくる。お風呂上がりのしっとりとしたあいつに、俺の体が包まれる。柔らかくて気持ちいい。……特に、頭を丸ごと包んでくるおっぱいの感触は、もうどうにかなってしまいそうなほどに気持ちいい。……
「お、おねえ、……」
「んふふふ、お風呂入ってきなさい。続き、……したいでしょ? 」
「ふ、ふぇ、……」
「あっ、背中流してあげよっか? ほら、おいで、おいで」
と、手を取って来たあいつの顔は、本当に同い年とは思えないほど綺麗で、優しくて、天井を見上げるほど高い位置にあって、俺は、
「おねえちゃん。……」
とつい本心から、彼女をそう呼んでしまった。
  高校二年生の妹
ドアをバタン! と勢いよく開けられたのは、宵闇もそろそろ暗くなろうかという頃合いであった。
勉強をしている時は極力邪魔をするなと云っていたはずである。数年前から何度も何度も云っているのに、絶対に守らないのは、もはや力関係が変わってしまったからであろうか。けたたましい音を立てて扉を開けたその者は、今度はズカズカと部屋に上がりこんで来て、ぴらりと一枚の書類を見せて来て、
「お兄ちゃん! 見てみて、A 判定だったよ! しかも今回は上位100人のランキングに載ってた!!」
と嬉しそうに云った。見ると一枚の紙は、何ヶ月か前にあった模試の結果であり、俺の手元にも同じような紙がある。
――が、そこに記されている結果はまさに雲泥の差。雲は妹の方であり、泥は俺の方である。
「そろそろお兄ちゃんの結果も見てみたいな~~~」
と、彼女の結果を見て唖然とする俺を尻目に、机を椅子代わりにして「座ってくる」。
「あ、これ?」
「――おい! やめろ!!」
と、彼女の手につままれて、ひらひらとはためく一枚の「紙」に手を伸ばす。が、しかし、
「ふふん、――」
と、立ち上がられてしまった。
「ほーら、ここまでおいで~?」
と、手を天井へピトッとつける。「紙」を抑えるのはたった一本の人差し指、それも軽く抑えているだけ、……けれども、俺は必死である。こうなってはもう諦めるしか無いが、精一杯背伸びをして、時にはジャンプもして、「紙」を取り戻すべく手を伸ばす。
――それほどまでに、妹には「結果」を見られたくなかった。
「んふっ、んふふふ。……あわれだね~、お兄ちゃん。そんなに見られたくない?」
「か、返せ!!」
「ならここまでおいでよ。チビなお兄ちゃんにはできない?」
「お前がでかいだけだ!! くそ!! 返せって!!!」
ぴょんぴょんぴょん、……それはまるでおもちゃを取られた子供のよう。
「あははははっ! ほら、そーれっ、そーれっ、――」
と、今度は「紙」を人差し指と中指でつまんで、軽く上下させる。――が、俺にはとてもではないが、届かない。
それほどまでに、俺と妹とでは、身長に差があった。
――その差、実に47センチ。
もうこの時点で、手を真上に伸ばしても、妹の頭の天辺には届かない。況してやその上にある「紙」など、届くわけがない。俺からすれば、突然ダンクシュートを決めろと云われているようなものである。
「も、もう頼む! たのむからやめてくれ!!」
と涙声で懇願する。だが悲しいかな、俺をいじめるのが何よりの楽しみである妹は、今度は俺の手がちょうど届かない位置で、「紙」をゆらゆら、ゆらゆらと泳がせ始める。
「ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう!」
ぴょんぴょんぴょん、……
「ふんふ~ん、ふふーん」
俺の懸命な叫びなど、妹にとってはなんともない。鼻歌を歌いながら、次は、手の届くところで待機させておいてから、俺が手が当たる直前に、ひゅっと引き上げる。余裕の表情で笑いながら、もはや慈しみさえ含んだ表情で笑いながら、……
いったいいつからこうなったのか。いや、もはや物心ついたときから何をしてもこの妹には勝てなかったから、俺の中では最初からである。特に学力は顕著で、3歳違いだと云うのに、昔から同じテキストで勉強をし、与えられた課題は妹の方が点数がよく、本を読めばあっという間に知識を吸収するものだから、俺の方が後追いで余分に勉強しなければいけない始末。
それに加えてこの身長である。小学生にして、もはや学力では妹に勝てないと悟った俺は、身長だけはと思って、背を伸ばす数々の方法を試してきた。が、結果は非情なものである、20歳も目前にしてたった156センチまでしか伸びなかった。
対して妹の身長はと云うと、156センチの俺と47センチ差、……つまり203センチ。……嘘だと思われるだろうが、本当である。つい数ヶ月前の身体測定の結果を嬉しそうに見せてくれた時、そこには確かに203.6と云う数字が並んでいた。
いったいこの妹をして、どうしてこの兄なのか。また、いったいこの兄をして、どうしてこの妹なのか。身長156センチの馬鹿で、物覚えも要領も悪い兄に対して、身長203センチの頭脳明晰、運動神経抜群、何をしても初めから人並み以上に出来る妹、……力関係が変わるのも当然であろう。俺が今こうして、ぴょんぴょんと飛び跳ねられているのも、妹が好きで遊んでくれているからである。
「そろそろ諦めない? ちょっと見てて痛々しくなっちゃった」
「やめるか!!」
と、哀れな目線に耐えきれなくて掴みかかる。だが、しかし、
「ぐえっ!!」
「ふーん、そういうことするんだ」
「あが、……や、やめ、……はなせ。……」
何をしているか。それは妹が俺の首を手で掴んで来ているのである。そして、俺は手足をばたつかせているのである。――体を空に浮かせながら。
「お兄ちゃん、ちゃんと食べるもの食べなよ~。軽すぎて準備体操にもならないよ~」
ほいっ、と云って、俺の体をぽいっとベッドの上に投げ捨てると、妹は再び、
「ふんふんふんふふーん、……」
と鼻歌を歌いながら、さきほどまで俺が腰掛けていた椅子に座った。
「うわっ、低っ」
それはもはや「椅子に座る」というのでは無かった。俺のよりも二倍以上長い妹の足は、床からほぼ直角に腰から伸び、それでいて足元を見ると、ぺたんと大きな大きな足が床についている。例えるなら、体育座りしているような、そんな感じである。
先程、机を椅子代わりにして「座ってくる」と云ったのは、誇張でも何でも無い。妹にとっては普通の椅子とはミニチュアの椅子でしかないのである。実際、彼女の部屋に行けばそのことがよく分かるであろう。まるで自分が小人になったかのような大きさの椅子と机が、これまた冗談のような大きさのベッドと共にお出迎えしてくれる。
「お前がでかすぎるだけだろ、……」
と、まだ痛む喉をさすりながら云った。
「ちょっと、その云い方やめてくれない? 不愉快」
「ごめん、……」
「ま、いいや。見るからね。どれどれ、……」
と俺の模試の結果が載っている「紙」を広げる。
「や、やめ、……」
「えっ、……なにこれ」
信じられないものでも見たかのような顔をする。
「D 判定って、お兄ちゃん、……真面目にやった?」
「……やった」
「えっと、同じ、……模試だったよね?」
「……うん」
「うっわ、なにこの数学の点数、今回簡単だったじゃん。一問も完答出来てないって、……えっ、ちょっとお兄ちゃん、真面目に聞くけど、今まで何をしてきたの?」
「うぅ、……」
「何をしてたの? 高校三年間と予備校の半年間、いったいなにをしてたの? 遊んでたの?」
「………」
「だってさ、まだ二年生の私ですら上位100人に入ったんだよ? しかもただの力試しで。お兄ちゃん、これだと本当に今年もダメになっちゃうけど、これでいいの?」
「………」
「はあ、……黙っててもわからないってば。いいの? 私の方が先に大学生になっちゃっても」
「………」
「もう、こっち来て。――」
と、ぬるりと手が伸びてきたかと思いきや、俺は妹の方へ引き込まれてしまった。そして、何が何だかわからないうちに、脇の下に手を突っ込まれると、ストンと妹の膝の上に乗せられ、耳元にしごくこそばゆい息を感じながら、
「えっち。何見てるの?」
とささやかれる。実のことを云うとさっきから、スカートから覗く妹の玉のような肌の太ももをじっと見つめてしまっていた。筋肉質ではあるけれども、それでいて女性らしいしなやかさを保っており、見るだけでも変な気分になってくる。あとついでに云うと、背中に感じる二つの柔らかい、――しかも結構な大きさの膨らみも気になってしょうがない。
「ごめ、――」
「ねっ、お兄ちゃん。勉強、教えてあげよっか」
と妹が云う方が早かった。
「えっ?」
「だってさ、一年かけてもぜーんぜん成績上がってないしさ、もうお兄ちゃんでは無理だったんだって、早く悟りなよ。――お兄ちゃんにはこの大学は無理」
「そ、そんなに云う、――」
「でも、そんなお兄ちゃんでも一人心強すぎる味方がいます。さて、誰でしょう?」
「は?」
「……私だって、もうお兄ちゃんのあんな顔は見たくないんだよ。……って、これ以上云わすなっ。いいからペンを持って、早く体を起こしておっぱいから離れなさい」
「はっ? えっ?」
とうろたえているうちに始まった妹の家庭教師は、誰の説明よりも簡潔��瞭で分かりやすく、たった一時間程度で、俺はこの数年間続けてきた努力以上の実りを手にすることが出来たのである。
    夏祭り
 「あのー、……久しぶりに夏祭りに行きませんか?」
急に浴衣が欲しいと云ったかと思えば、妻がそんなことを云ってきた。いや、実は、毎日食卓に一緒に並べられる夏祭りの広告だったり、話せば必ず夏祭りの話題に行き着くことから、察しはついていたけれども、浴衣まで用意するとは思わなんだ。
「どうしたんです、急にそんなこと云って」
「うーん、……何故でしょう、……?」
と首を傾げて微笑まれる。私に問われても困るが、しかし何歳になっても可愛いなこの仕草。
「いいですけど、せっかくなんで私も浴衣が欲しいですね。何と云っても、私たちの出会いはそこでしたからねぇ、――」
「それ!」
と、手をポン! と叩いて立ち上がる。危うく天井に吊ってある電燈に頭が当たりそうだったけれども、上手く避けたようである。
「びっくりした。――」
「ごめんなさい。でも、それです、それ」
と云いつつ椅子に腰掛ける。
「久しぶりにあの頃に戻りませんか? しょうくん」
「ちょ、ちょっと待ってください。あの頃って、僕が恥ずかしいだけじゃないですか!」
「ふふ、もう自分のこと『僕』って呼んでますよ? ほら、行きましょ? きっと楽しいでしょうから、ね? しょうくん?」
「その呼び方をしないで、――うわ、うわうわうわ、……もう穴があったら入りたくなってきまし、……ああ! そんな顔で見ないでください!」
慈しみに溢れたその顔には、昔私に見せてきたうっとりとした微笑みが顕れていた。
 普通ならば、男など一瞬で虜になってしまうであろうこの笑みが、私にとってはどうしてこんなに恥ずかしいのか、大したことないのでここで語ろうと思う。
私たちの出会いは、上の会話から分かる通り夏祭り。当時、私は高校1年生だっただろうか、何せ入学してすぐに夏祭りに行った覚えがあるので、たぶん16歳の夏のこと。妻の年齢は、……今は控えておくことにする、それも良いスパイスでであるから。
さて、夏祭りは街一つをそのまま会場にしてしまうほど、結構な規模で行われており、路端には途切れること無くで店が立ち並んでいたり、どこもかしこも人で溢れかえって歩くのもままならなかったり、とにかくひどい賑わいであった。と、すると一緒に来た者と逸れるのは当たり前のことであろう、30分もしないうちに、私は一緒に来ていた友達がどこへ行ったのか、すっかり分からなくなってしまった。
だが、このくらいのこと、大した事ではない。はぐれて寂しい感じはするけれども、周りが賑やかすぎて寂しさなどすぐにかき消されてしまったし、その友人と云うのも、
「今日はお前そっちのけで他校の子と仲良くしてるかもな」
と云っていたから、最初から当てになどしていない。
そこで、私は一息つくためにも、椅子を求めて公園に向かった。
――妻と出会ったのは、その公園である。
「ふう、……」
と息をつきながら提灯の赤々とした明かりを眺めていると、ギシッ、……という音と共に、青い浴衣姿の妻が隣の椅子に腰掛けてくる。
「こんばんは」
「こ、こんばんは」
私がちょっと言葉に詰まったのは、妻が何とも大人びて綺麗に見えたからである。
「ふふ、迷子?」
「い、いえ、そういうわけでは、……」
「うそ。迷子じゃなかったら、一人でこんなところに座ってないし、それに迷子の子はすぐそう云う。ほら、お姉さんと一緒に、お母さんを探しましょう?」
どうやら、妻には私のことが迷子になった子供に見えていたようであった。だが、何故か云い出せなかった。私は妻の差し出した手をそのまま握って、彼女に引かれるがままに立ち上がった。
――妻の背の高さに気がついたのは、その時だった。
今でもこの時の衝撃は忘れられない。同時に立ち上がったのに、私が足を伸ばしきっても、彼女の膝はまだ「く」の字に折れていた。上がり続ける彼女の顔はどこまでも登っていくようであった。そして、すっとお互いの背筋が伸び切った時、私の頭は彼女の首元にしか届いていなかった。二倍にも、三倍にも、妻の体は私の体より大きく見えた。
「で、でか。……」
「ふふ、当然ですよ。お姉さんなんですから、ね? ぼくもいつかは伸びるから心配しないで」
と私の頭を撫でながらうっとりと微笑む。
云っておくが、私はそんなに背が低かったわけではない。妻の身長が高すぎるだけである。当時の私の身長がたしか170センチ弱であったから、おそらく彼女はその時すでに、185から190センチの間であっただろう。確かに子供に見えなくともない身長差だが、なぜ妻が私のことを迷子だと思ったのかは、今でも謎である。
「そうだ、お名前はなんて云いますか?」
「しょ、昭一です。……」
「しょういち、しょういち、……うーん、しょうくん、って呼んでもいいですか?」
「ぼ、僕はお姉さんのことをなんて呼べば、……」
「お姉ちゃんでいいですよ。――ふふ、さ、行きましょう」
私たちはそうして歩き始めた。が、妻は迷子の子を母親の元へ連れて行くと云うよりは、私のような子を引き連れて歩くのが何よりも楽しいと云った風で、で店を覗いたり、神社に行っては参拝したり、
「お姉さん、射的がすごく上手だから見ててくださいな」
と云いつつも、何発も外したり、それでふてくされたかと思いきや、私の歩幅に合うよう歩みを緩めて人混みの中をただ練り歩いたり、――とにかく私にとっては夢のような時間であった。
しかし、周りの人の視線はかなり痛いものがあった。奇しくも高校一年生の男と、年齢不明の麗しい長身女性である。男が
「お姉ちゃん」
と舌っ足らずに呼び、女性が、
「しょうくん」
と子供をあやすように云う様は、それだけで見ものであろう。何よりも妻は繋いだ手を離そうとしてくれないのである。もう熱くて仕方が無いのに、時には手を振って歌ったり、時には立ち止まって私の両手をあの大きな手のひらで優しく包んでくれたり、その度に私は恥ずかしさで死にそうになった。
そんな視線の中で1番痛かったのは、彼女の友人たちと遭遇した時のことである。
「○○ちゃん!」
と呼び止める声がするので、私も妻も振り返って見てみると、そこには彼女と同じように浴衣を着た女性が何人か。だがしかし、その顔からはまだあどけなさが抜けきっていない。呼び止めた声もまた、どこか幼い気がする。
「もう、探したんだからね! 何してるの?」
「ごめんごめん。この子のお母さんを探してて、――」
「この、……子?」
と、近寄ってこちらの目をまじまじと見てくる。その気まずさったら無い。
が、私は別なことに気を取られてそれどころではなかった。彼女たちが近くに来て、またもやびっくりしてしまったのである。なんでこんなにでかいんだ、と。――
みんな長身ぞろいであった。それもただの長身ではない。私の頭は彼女たちの顎の下にあり、こちらを覗いてくる女性は腰を曲げて、膝に手を当て、その上で首を曲げていた。誰もが私のことを見下ろし、誰もが通り過ぎる人よりも頭一つ分突き抜けている。……
私は彼女たちの顔を見ようと顔を上げた。まさに天を見上げるような心地であった。星の煌めく夜空を背景に、彼女たちのあどけない顔が見える。下駄を履いているとは云え、誰もが身長180センチ代後半はあるように思えた。中には妻よりももっと大きな女性も居たから、190センチを余裕で超える者も居たと思う。
あれよあれよと云う間に私はそんな長身女性たちにすっかり囲まれてしまった。この時、どんなに可愛らしい女性と云えども、囲まれて見下されれば怖いと感ずるのだと知った。
「へーえ? かわいいじゃん?」
と後ろから私の肩に手を下ろしている女性が云った。ちなみにこの女性はこれを云う直前に、私の脇の下に手を入れて、俗にいう「たかいたかい」をしてきたのである。
「でしょう」
と得意げに妻が。
「うーん、まあ、確かにかわいい、けど、……」
と私を覗き込んでいた女性が云った。
「私たちは、このへんでうろうろしてるから、終わったら来てよね。花火は一緒に見よっ」
「うん。ちょっと連れて行ってくるね。――さ、しょうくん、行きましょうか」
と開放された私たちは再び歩き出した。
「ごめんなさい」
しばらく歩いた後に、妻がこう云ってきた。
「な、何がですか?」
「今日はバレー部の子たちと来てたの。だから、みんな体が大きくて怖かったでしょう?」
「いえ、みんな可愛らしくてそんなことは、……」
「ふふ、ありがとう。しょうくんは優しいです。謙遜でも、そう云ってくれると、みんな喜ぶと思います。――」
「あの、お姉ちゃん」
「ん? 何ですか?」
「バレー部って、ことはお姉ちゃんってまだ高校生なんですか?」
と云った時、妻の動きがふと止まった。と、思いきや、
「――あははははっ、違う違う、あははっ、……」
妻はしばらく笑った。腹を抱えるほどではないけれども、口に手を当てて、体を屈めて、笑いが漏れるのが抑えきれないと云った風であった。
「……ごめんなさい。えとね、私はまだ中学生なんですよ」
「ええっ?!」
「ちゃんと云うと、中学二年生。あの子たちも今中二で、一緒にバレーをしてます。改めてよろしくね」
「えっ、ちゅ、中学生?!」
信じられなかった。妻がこの時まだ中学生であることにも信じられなかったが、それよりもあんな背の高い、――身長185センチ以上、190センチを超えている者も居る女性たちが、まだ中学生だなんて、いったい誰が信じられようか。
――でも、信じるしか無い。あのあどけない顔立ちと、あのちょっと甲高い声は明らかに中学生のそれであった。
「そんなに驚くことないですよ。バレーをしてる人って、みんなああいう感じですし、……まあ、確かに私たちの中学校は少し背が高いような気がしますけど、……」
少しだろうか。身長185センチ以上の女子中学生なんて、学校に一人居ればいいくらいである。それがあんなに、しかも妻の口ぶりではまだまだ居ようかと云う気配���……後でアルバムの写真を見せてもらったら、確かに恐ろしいまでの長身ぞろいの中学生たちであった。あの身長を持つ妻が「紛れて」しまっていたのである。それどころか、監督をしていた男の教師が一番小さかったのである。――もちろん、入学したばかりの一年生も含めて、である。
「す、すごい。……」
「ふふ、……さ、私たちのことはこれくらいにして、早く行きましょ。そろそろ花火が始まっちゃう」
それから私たちは歩きに歩き回って、二人して疲れと云って、再び出会った公園に戻ってきた。ちょっとした奇跡だと思ったのは、花火が一番見える場所と云うのが、その公園だったのである。私たちは二人きりで花火を眺めた。もっとも、私は花火がボン! という音を立てて弾ける度に、妻の顔が鮮やかに照らされるのだと気づいて以来、彼女の方を向きっぱなしであった��。
「おーい、昭一!」
「はーい!」
友人の大きな声が聞こえたので、私も大きな声で返事をした。
「お友達も帰って来たことだし、お姉ちゃんはここでお暇することにしましょうか」
と、妻はゆっくりと席を立った。
「僕のお母さんを探すんじゃ、……?」
「あれ? そうだったっけ?」
と首を傾げて微笑まれる。私はこれまでの人生で妻のこの表情以上に可愛い女性の仕草と云うものを知らない。
「ぼ、ぼく? お母さん? お姉ちゃん? は? お前に姉が居るなんて、……」
「ふふ、お元気でね。また、会いましょう?」
としゃがんで私の頬へキスをしてから、妻は颯爽と公園から去って行った。
その後の友人の詮索については思い出したくもないので、ここには書かない。とにかく、他の学校の子と仲良くする、という友人の目的は私が代わりに達成してやったのである。――全校生徒中の笑い者にされるという代償を払って。
 「しょうくん、あの時は私の顔見すぎでしたよ?」
「えっ、バレてました?」
「バレバレですよ。顔が火照るのを我慢するのにどれだけ苦労したか、分かってます?!」
と口を尖らせて怒る。その様子が何だかおかしくって笑うと、ますます怒ったような口ぶりで、こちらに文句を云ってくる。――ああ、可愛いなぁ。なら、もっと可愛い仕草をさせてやろう。……
「――ところで、なんで僕の事を迷子だと思ったんです? そんなに子供っぽく見えましたっけ?」
「さあ、どうでしょう、――」
と、妻は首を傾げて、顔を赤らめて、微笑みながら云った。―――
      後輩
 今俺が対峙しているのは、一人の女子高校生、なんだかぼんやりとしているのは気のせいではあるまい、お腹が空くと同時に力が出ないと云って、毎日昼前の授業は寝て過ごすのである、今日はその昼前の授業というのが体育だったから、寝ることが出来ず、体操服を着たまま、こうして眠そうな目をこちらに向けて突っ立っているのである。
「勝負ですかぁ? いいですよぉ?」
と先ほど彼女は云った。その間延びした声に俺は勝ちを確信し、彼女の前に立った。
賭けるものは昼食の弁当、――この学校では昼時になると業者が弁当を売りに来て、それが中々安いのに結構なボリュームで、しかも美味しい、……絶好のbet 案件である。
「で、何で勝負するんです、かぁ、……?」
もうフラフラである。こうなれば何であっても俺の勝ちは揺るぎないだろう。
「腕相撲とかする?」
「うで、ずもうですかぁ?……それはダメです先輩、……ダメです、……」
「なんで?」
「だってぇ、そんな勝ち負けが決まっている、……ようなもので勝負したらぁ、……勝負に、あれ? ……とにかく、勝負にならないじゃないです、かぁ。……」
「ああ、俺の勝ちってこと?」
「いいえぇ、違います。……私のです、……私の。……試しにやってみます?」
場所は体育館であるが、試合結果やら何やらを書くための机が常に配置されているから、俺たちはその一つへ移動した。途中、フラフラと足取りがおぼつかない彼女の背を押してやらなければならなかったが、とにかく、机を挟んで向かい合う形になった。
「俺は全く負ける気はしないんだがな」
「それは私も同じですよぉ。……」
と、右へふらり、左へふらり。もう立っているのもやっとのことであるようである。……
――しかし、こうして目の前に立ってみると、めちゃくちゃでかいな、こいつ。
後輩の女子高生とは云っても、以前聞いた話によると、その身長は195センチあるらしい。嘘だと思いたいが、俺の背がすっぽりと彼女の胸元あたりに収まるから、本当だろう。それで、ヒョロヒョロのモヤシ体型かと思ったら、どうもこうして対峙してみると違う感じがする。ムチムチとした腕に、ムチムチとした太ももに、服の上からでも分かるほど、引き締まった腰回りをしている。一見細そうな手足も、長いからそう見えるだけで、ほとんど俺の腕や足と、――いや、もしかしたら彼女の方があるかもしれない。……
負ける? いやいや、それでも普通の女の子である。腕相撲では絶対に負ける気がしない。俺は机に肘をついて、カクンとうなだれる彼女の手を取った。
「うわ、なんだこれ」
「んぅ? どうしたんです? もう初めてもいいですよぉ。……」
彼女の手は俺のよりも遥かに大きかった。そして、きめ細やかな肌が途方もなく気持ちがいい。……俺が声を出したのはそれが原因であった。しばらくはニギニギと握って、この心地よさを堪能することにしよう。
「せんぱぁい、……早く、……もう私お腹が空いて、……」
と、しばらくするとさすがに文句を云ってきた。
「あ、ああ、ごめん。俺は準備出来たが、お前は? 相変わらず力が入ってないようだけど」
「これでいいですよぉ、……勝手に始めちゃってください。これで負けたら私の負けでいいです。……」
――さすがにカチンとくる。なんでこんなに余裕なのか。勝負だから俺は本気でやりたい。女子高生相手に本気なんて大人気ないけど、やるからにはある程度は真剣にやりたい。
「いいのか? 始めるぞ?」
「どうぞどうぞぉ。……」
いいだろう、後悔させてやる。――
「………」
「………」
「んん……?」
「………」
「ク、……クソ、……なんで、……!!」
「んーん? せんぱぁい、もしかしてもう始まってますぅ? それで全力なんですかぁ?」
全力だった。上半身も全部使って、腕に力を込めている。
「ぬおおおおおお、……」
――なのに、彼女の腕は、嘘のように動かない。全く微動だにもしない。地面に突き刺さった鉄棒のように動かない。
「んふふ、せんぱぁい、私の云ってたこと、理解しました?」
いつの間にか彼女は眠そうな目を歪ませて、こちらを見つめてきていた。途方もない恐怖が俺を襲ってきて、この手の震えが過負荷からなのか、恐怖からなのかわからない。……
「じゃ、いきますよぉ? 勝負をしかけてきたのはせんぱいなんですからね? 折れても文句は云わないでくださいね?」
折れるってどういう、……
――突然、ガァン!! と、云う音がした。
「へっ?」
見ると、俺の腕は、彼女の手の下で、押し潰されていた。――
「があああああああ!! 痛い! 痛い! 痛い!」
甲が砕けたかのような激痛が腕に走り、床に倒れ込んで咽び泣く。何が起こったのかもわからない。痛みすら、一瞬遅く伝わってきた。訳が分からなかった。音からして机が割れたのかと思った。
「加減しましたから、大丈夫ですよぉ。そんなに痛がらなくても折れてませんから」
あんな冗談みたいな力を込めたのにも関わらず、彼女は呑気なものだった。
「ん~~~」
とゆっくり伸びをして、
「ふわあ、……目が覚めてきちゃいました。先輩、次はドッジボールしましょう」
と近くにあったバスケットボールを取りながらのんびり云う。
「く、くぅ、……何だったんだ今の、……って、お、おい、まて、それはバスケットボ、――」
――ヒュッと、風切り音がした。
その直後、バァン!! と後ろから破裂音が耳をつんざいた。跳ね返ってきたボールは、それでも物凄い勢いで俺の横を掠めて、彼女の手元へ戻っていく。
「は?……」
全く見えなかった。こんなのは野球をしたときと同じである。バッティングセンターで調子に乗って最高速度を試した時の、あの感覚、……白い筋が見えたかと思いきや、次の瞬間には後ろのネットに叩きつけられたボールが、ぽてんぽてんと目の前に転がる、あの感覚、……
彼女の投げたバスケットボールはそれに近かった。いや、それ以上だった。軌跡すら目に映らなかった。あんなのが体に当たるなんて考えたくもなかった。ドンドンとボールを手元でバウンドさせる彼女は、すっかり目を覚ましたのか、はっきりとこちらを見据えていて、――めちゃくちゃ怖い。……
「せんぱい? 次は当てますからね? ちゃんと取ってくださいよ?」
「待って、待って!! 悪かった! 俺が悪かったから!!」
「えー、……」
「もう俺の負けでいいです、はい。くだらないことに突き合わせて、すみませんでした」
「えー、……もう負けを認めるんですかぁ? それでも男ですかぁ?」
と、云われても俺の腰はすっかり抜けてしまって、立つことすら出来ない。
「うん、もう負けです。お弁当は約束通り買ってあげます。一週間続けてもいいです」
「えー、……つまんなー、……」
と云って、彼女はつまらなさそうに背伸びをして、バスケットボールを軽くリングの中へ入れてから近寄ってきた。いつもはのんびりとした、しごく大人しそうな子なのだが、彼女の2メートル近い長身も相まって、今は鬼のように怖い。
しかも分かってやってるのか、一歩一歩確実に、ゆっくりと近づいてくる。……
と、俺の元にたどり着いた時、そんな恐ろしい彼女が脇下に手を入れてきた。そして抱きしめるようにして俺の体を抱えると、ひょいと、まるで猫でも抱きしめるかのような体勢で持ち上げてくる。俗にいうお姫様抱っこというやつか。傍から見れば軽々と抱えられているように見えるだろうが、俺はあまりの力強さに、喉からひゃっくりのような声を漏らしてしまった。
「んふふ~、せんぱぁい、わたし今、ちょっと機嫌が悪くてですね、普段出せない力を見せたくなってるんです���~」
「ひっ、……」
「かと云って、せんぱいにこれ以上危害を加えると嫌われてしまいそうですし、どうしましょ」
「こ、このままお昼ご飯に行くというのは、……?」
「ダメです。最後に一回勝負をしないと、気が、――あ、思いつきました。せんぱい、手を出してください」
と、云われるがままに手を差し出すと、するりとあの気持ちのいい手で握られる。
「あ、……これって、もしかして、……」
「んふふ~~、そうですよ~? 指相撲です!」
これなら先輩にも勝てるかもしれません! と元気よく云うのだが、もはや勝敗は決していた。俺の小さな手は、彼女の大きな手に握り「込まれ」、人差し指から小指までは全く見えず、何よりも向かい合った親指が、……巨人に立ち向かう小人のような、そんな感じで、彼女の親指と面しているのである。たぶん長さにして二倍は違うだろう。指相撲は相手の親指を上から抑え込まねばならないが、俺の親指と云えば、彼女の親指の第一関節に触れられたら良いくらいで、勝負が始まった途端に押し込められることであろう。
 案の定、指相撲は彼女の圧勝で終わった。初め! と云った瞬間に、あの長い親指で、しかも恐ろしい力で抑え込まれるのだから、勝ち負け云々を議論するほうがおかしい。
「ふぅ、いつかはせんぱいも強くなって、私の本気を受けてみてくださいね。――あ! あのバスケットボールを投げたのはまぁまぁ本気だったので、他言無用でお願いします。せんぱいだけにお見せしたので、……まぁ、うん、それだけはご考慮を、……」
と顔を赤くして云うのが不思議で、やっぱり女の子とはいつでもか弱いところを見せたいのかなと思った。
それから俺は彼女の着替えを待って、弁当売り場へと向かった。けれども、すでに弁当は売り切れ、業者は撤退した後であった。俺たちは仕方なしに購買へパンを買いに行って、仲良く空き教室で、むしゃむしゃと口を乾かせながらコッペパンやら何やらを食べたのである。
  妹たちの背比べ w/ お兄ちゃん
 「せーのっ」
「せーのっ」
 「――184センチ!」
「――179センチ!」
 「あー! またお姉ちゃんに負けた!!」
「でも6年生だった頃の私より高いじゃん」
「お姉ちゃんに勝ちたいの!!」
「もー、……」
 ……里乃と詩乃、二人の少女が何を比べているのかと云うと、それは互いの身長である。姉の里乃に負けて、妹の詩乃が悔しそうな顔をするのは、もはや毎年、身体測定の行われる季節の定番となっている。
「179.8センチって、もうちょっとで180じゃん!」
「だから悔しいんだってば」
女性で180センチ前後の身長を有する者は珍しいだろう。しかし、彼が驚いたのはそこだけではない。
「中学生になるまでに、お姉ちゃんを追い抜けるかな?」
「この調子だと、あと半年くらいじゃない?」
そう、妹の詩乃はまだ小学生なのである。6年生になったのは、つい半月前ほど。
そして、姉の里乃はまだ中学生なのである。1年生になったのは、つい半月前ほど。――
「んー、もう少しなんだけどなぁ。……」
と、詩乃が頭に手を当てて、里乃の額にコツンとぶつける。二人を見上げる彼からすれば、二人の身長差なんてあまり無いように感じたが、確かに数センチは差があるようである。
「もうこんだけじゃん」
「お姉ちゃん、いつもそう云ってる」
「そうだっけ?」
「あはははは、――」
「ふふ、ふふふ、――」
――と、そんな笑い声が二人の間で木霊する中、
「はあ、……」
と彼はため息をついていた。――なんで妹たちばかりこんなに大きくなっていくんだ、と。
小学6年生の詩乃ですらもう180センチ、……里乃が小学生にして150センチを超え、160センチを超え、170センチを超え、どんどん垢抜けていく一方で、まだ幼い詩乃に希望を抱いていたのだが、そんな詩乃ですら一昨年、――まだ彼女が小学4年生の時に自分をさらりと追い抜いて、今では姉の身長に追いつこうとしている。……
「はあ、……」
と彼は再びため息をついた。こんな信じられない妹たちを持っているものだから、ものすごく肩身が狭い。
出かければ子供扱いされるのは自分なのである。プールに行けば溺れるのを心配されるのは自分なのである。店に行けば「弟さん」と云われるのは自分なのである。親戚の家に行けば年下扱いされるのは自分なのである。食事をすれば「こぼさないように」と云われるのは自分なのである。……
もちろんそんなことを云ってくるのは何も赤の他人だけでも、親戚だけでも、親だけでもない。ため息をつくのを目ざとく見つけた二人の少女、――彼の妹たち、――中学生にして身長184センチの里乃と、小学生にして身長179センチの詩乃、――この二人にも数々の屈辱的な言葉を並べられるのである。――ほら、今も項垂れている彼を見て、クスクスと笑っている。……
「兄さん?」
と里乃が。
「お兄ちゃん? どうしたの、そんなにため息をついて。」
と詩乃が。
「あっ、分かった。混ざりたいんでしょ?」
「えー、お兄ちゃんはいいよぉ。だって、かわいそうだし!」
「もう、そんなこと云ったらダメだよ。兄さんだって、好きでこんな小さい訳じゃないんだから、……」
「なんでお兄ちゃんだけ、こんなに小さいのかなぁ。……」
そんな風に、無意識に彼を傷つける言葉を並べつつ近づいて行く。
一歩一歩、妹たちが近寄ってくる毎に、彼の首は上を向いていった。壁に引っ掛けてあるカレンダー、カーテンレール、エアコン、そして天井、……と云った風に、視界に入るものがどんどん移り変わっていく。
――妹を「見上げる」、なんて体験はそんなに出来る人は居ないだろう。どんな心地であったか。それはとんでもなく屈辱的で、そのあまりの悔しさから心臓は脈打ち、気をつけなければ自然に涙が出来るほどである。
二人の妹たちが目の前に来た時、彼は思わず一歩退いた。彼女らの顔はにこやかだったけれども、なぜか途方もない威圧感を感じた。それは本能が、この二人の妹たちを恐れたからだろうか。きっとそうである。感じる威圧感だけで彼は押しつぶされそうな心地を抱いていた。
しかし、二人ともまだ12歳と13歳だけあって、何とも可愛らしい。顔だけみれば、台にでも登っているような心地を抱いてしまう。とてもではないが、180センチもあるようには思えない。
が、現実は二人ともぺったりと、30センチを余裕で超える大きな素足を床につけているのである。彼は妹たちの笑顔を見るのに耐えられなくて下を向いたとき、そのことを実感した。彼女らの足に比べれば、自分の足は子供のそれである。以前、無理やり里乃の靴を履かされた時の、あの笑い声が聞こえてくるようだった。
「ごめん兄さん、変なこと試しちゃって」
と、里乃は笑いをこらえられたようだったが、詩乃の方はカポカポと音を立てて歩く自分を笑いに笑った。
そう云えば逆もあった。が、入るには入ったけれども、残り三分の一を残してつま先が先端に到達したらしく、
「きゃははっ、お兄ちゃん足もちっちゃ~い」
と何度も何度も詩乃が靴を踏んづけていたのは記憶に新しい。本当に自分の足は、彼女らに比べれば、子供のそれなのである。
それに、その足自体が、めちゃくちゃ長いのである。
――えっ、そんなところに腰があるのかと、もう毎日見ているのに思ってしまうのである。なんで自分はこんなに短足なのに、妹たちは身長の半分以上もある脚を持っているのか、彼には理解できていない。――もはや理解できないのである。それほどまでに、里乃と詩乃の脚は長いのである。
例えば昔、――と云ってもつい1ヶ月前に飛行機に乗った際、ゆとりのない席だったせいで、彼女らはこれほどないまでに膝を折り曲げて座らねばならなかった時があった。
「あ~、これはちょっと、……」
「狭い!」
と何度も何度も文句を云った。
ただ、里乃はまだよかった。
「兄さんごめん。ほんとうにごめん」
と云いながら彼の座席の方へ足を伸ばせられたのだから。しかし、片側が見知らぬ夫人だった詩乃の方はそうもいかず、常時通路側へ飛び出してしまい、道行く人々のじゃまになっていたのであった。もう彼女らにとっては、この世界は小さいのである。
「兄さんどうしたの? そんな俯いて、……」
「ほらほら、怖くない怖くない、……」
と、彼を引き寄せた詩乃が頭を撫でてくる。――もはや子供扱いである。外では終始、彼の方が弟扱いされているものだから、次第に彼女自身もこういった行為が増え始めて、今では誰が見ていようが見ていまいが、頭をなでてきたり、膝の上に座らせたり、後ろから軽く抱きしめるように腕を回してきて、隣に居る里乃と談笑するのである。
「お兄ちゃん?」
と、顔を上げられる。詩乃の溌剌とした可愛い顔が見える。
「兄さん?」
と、クイッとそのまま横に向かされる。里乃のおしとやかな可愛い顔が見える。
――もう、頭一つなんてレベルじゃないのか。……
と彼は思った。どう考えても、自分の頭は詩乃の首元にしかたどり着いて居なかった。里乃に至っては肩にも掠っていない。
「兄さんは何センチだったっけ?」
「もう、お姉ちゃん知ってるのに、……」
「詩乃、静かに」
「はーい」
「………」
彼は黙っていた。妹たちの身長を聞いた今では、自分の身長を思い出すことすら嫌だった。が、
「ん?」
と、里乃がお姉さんっぽく微笑む。――当然、彼女も彼のことを弟扱いしているのである。もうこうなってはお手上げである。口をパクパクと動かしてから、ようやく彼は喋り始めた。
「……ひゃ、ひゃく、ご、……」
「んーん?」
「ひゃくごじゅ、……」
すでに詩乃は笑いをこらえている。
「157センチ、……です。……」
「あははははっ、――」
と詩乃が吹き出す。
「はい、よく云えました。よしよし、――」
と里乃が頭を撫でてくる。――
彼の身長は157センチしかなかった。実は1センチくらいサバを読んでいるのだが、それは去年の里乃に、
「もう20センチも差がついちゃったね~」
と云われないためであった。が、今では、
「あははははっ、もうわたしと比べても、20センチ以上小さいじゃん! あはははははっ、――」
詩乃にすら実に23センチも差を付けられてしまった。
「こら詩乃、そんな笑わない。――兄さん、兄さんは小さくても可愛いから、そんな悩まなくても大丈夫だからね? もう、泣かないの」
目元を拭って、里乃が慰めてくる。……もうそれすらも、彼にはたまらなかった。拭われても拭われても、とりとめのない涙が目から溢れて仕方がなかった。
 だが、彼の地獄はまだ終ってなど居なかった。里乃に涙を拭われ、詩乃に笑われ、それからちょっとして家の外に車の止まる音が聞こえた。
「あ、来たかなぁ」
「たぶんね」
ああ、そうだった。――と、彼は今この家に居ることを後悔した。今日はその日だった。逃げ出したかったけれども、詩乃の膝の上に座らされて、しかも抱きしめられているものだから、動こうという気すら起きなかった。
「一ヶ月ぶりくらい?」
「うん。楽しみだね~。ね、ね、お兄ちゃんもそうでしょ?」
と里乃が彼に問いかけたところで、コンコンとノックの音が聞こえてきた。と、間もなくして扉が開き、久しぶりの来訪者が「腰をかがめて」入ってくる。――
「里乃ちゃーん、詩乃ちゃーん、久しぶり~~~」
「久しぶり~~~」
「小さいお兄ちゃんも久しぶり~~~」
と、まずは部屋の中に居た三人の兄妹に挨拶をした。
顕れた人物は二人。名前は紗絢(さあや)と香音(かのん)と云う。両者とも可愛らしい顔つきをしており、さすが里乃と詩乃の従姉妹だけある。歳は紗絢が15歳、つまり中学3年生、そして香音が里乃と同じ13歳である。
そして、二人とも巨人である。いや、彼が勝手にそう思っているだけで、普通の可愛らしい女子中学生なのだが、紗絢も香音もとてつもなく背が高い。身長179センチの詩乃よりも高ければ、身長184センチの里乃よりもずっと高い。特に、姉の紗絢の背は2メートルにも達しているのかと思われるほどで、天井に頭をぶつけないよう腰を屈めて、三人の兄妹と対峙している。
「紗絢姉さんも、香音も久しぶりだねー」
と、まずは立ち上がった里乃が。
「うひゃー、……」
と、次に詩乃が感嘆の声を漏らす。
「ひ、久しぶり」
と、最後に彼が詩乃の膝の上で怯えながら云った。――と、途端に紗絢の目が変わる。
「もー、お兄さん! そんなところに居ると詩乃ちゃんが動けないでしょ、――」
「相変わらず甘えん坊さんですねぇ」
「いる?」
と詩乃が彼を抱きかかえて、二人の長身姉妹に差し出した。
「えっ、ちょ、ちょっと詩乃、――」
「私がもらいましょう」
香音はそのまま彼をお姫様抱っこすると、赤ちゃんでもあやすかのように、トントンと腕の力だけで揺さぶる。
「ふふふ、お兄さんかわいい。……」
「まって香音、おろ、……下ろして、――」
香音の身長は恐らく190センチを軽く超えているだろう、そんな彼女に抱きかかえられると、身長156センチの彼からしれみれば、いつもより高い位置から部��を見渡しているようなものなのである。それに何より体勢が不安定なのである。中学1年生の女子とは、――いや、人間とは思えないような力で支えられているけれども、ものすごい恐怖を感じていることだろう。
「紗絢も見てないで助けて!」
「えー、嫌ですよ。この通り、香音のスイッチ入っちゃいましたし」
確かに香音はこの上ない優しい表情を浮かべて、彼をあやしている。たぶん、子供と遊ぶのがかなり好きなのだろう、やめる気配はどこにも無い。
「だから、しばらくはこのままで。――もう、大丈夫ですって、香音のことだから落ちることはありませんってば」
「そんな、……り、里乃!」
「なぁに、兄さん? 嫌だよ、だって香音の邪魔をするとすごく怒られるもん」
「ふふ、そうですよぉ、おにいさん。このままおにいさんは私の赤ちゃんになっちゃうんです。……ふふ、ふふふ、――」
それから紗絢と里乃と詩乃が喋っている間、香音は彼をあやし続けた。途中、
「そうだ、お腹空いてませんか? おっぱい飲みますか?」
と云って、本当に姉譲りの巨乳を曝け出そうとした時はさすがに紗絢に止められたけれども、実に30分間、彼を腕の中に抱きかかえたまま、とろけるような声をかけ続けた。それが終わったのは、「たかいたかい」をして天井に頭をぶつけてしまったたからで、恐らくその「たかいたかい」が無ければ、赤ちゃん扱いはずっと続いたことであろう。この部屋どころか、階下に降りて行って互いの両親に見せびらかしたことであろうし、夕食も一口ずつスプーンに乗せて食べさせられたことであろうし、お風呂だって一緒に入ったかも知れない。もちろん寝る時は、湯たんぽ代わりに抱きかかえられるに違いない。
香音が彼を下ろしてから、残る三人も彼の元に集まって、彼は後ろに詩乃、右に里乃、左に香音、前に紗絢、――という風に、すっかり長身の少女たちに取り囲まれてしまった。もはや天井も見えないし、彼女らに光が遮られて昼過ぎなのに薄暗いし、でもなんだか良い匂いが立ち込めているし、それに前から突き出ている紗絢のおっぱいが顔に当たっているのである。
「ふぁ、……」
「ふふ、幸せそう」
と香音が云った。
「えー、そんなことないよー。だって私たちが近寄っただけで逃げるんだよ? お兄ちゃんは」
「でも幸せそうですよ? ね、お姉ちゃん?」
「うん。さっきから必死で私の谷間の匂いを嗅いでるからね。――」
「え、ほんまに?」
「ほんまに」
「ちょっとお兄ちゃん!」
と詩乃が思いっきり抱き寄せるので、彼の顔は紗絢のおっぱいから引き剥がされてしまった。だが、怒っているのは詩乃だけで、里乃も香音も、それに紗絢もしごく優しげな顔をしている。詩乃もまた、ひとしきり叱った後は、後ろから自分のおっぱいに彼の後頭部を押し付けつつ、頭を撫でる撫でる。……
彼は、一番の年長者が一番小さい上に、余裕もないと云う事実に震えた。妹たちも従妹たちも巨人だった。一番小さい詩乃でも179センチもあることが信じられなかった。二番目に小さい里乃でも184センチもあることは、もっと信じられなかった。ならその妹たちをを見下ろす香音は? そしてそんな香音を見下ろす紗絢は? いったい何センチあるのだろう。二人とも天井に顔がある。自分の頭は香音の胸にしか届いていない。脇の下にも届いていない。紗絢に至っては、下手するとおっぱいの下に顔が入るほどである。
――巨人だ。……
彼は二人の身長を知らない。昔から彼女らの方が大きくて、子供扱いされるのが嫌で、とうとう今の今まで聞かずじまいであった。
と、ふと、従妹たちの身長を知りたくなった。本当は知りたくなどないのだが、もう40センチも差を付けられてしまえば、一度すっきりしてしまうのも手であろう。
「あれ? メジャーが落ちてる。……」
と、ふいに後ろを向いた紗絢が、折良く先日に机を新調したいからと云って使っていたメジャーを見つけた。拾い上げてスルスルスル、……と引き伸ばしていく。
――途端、ピン! ……と、腕が伸び切っていないのにメジャーが張る。
「あー、……身体測定前に身長を測りたかったけど、2メートルしかないかぁ。……」
まだ伸び切っていない腕を見て、紗絢がつぶやいた。
「残念だったねぇ。うちの家はそれしかメジャーが無いから、紗絢姉さんには短すぎますねぇ」
「あちゃあ、……じゃあ、今はやめとこうか。でも、香音はギリギリ測れると思うから、一応測っときな」
「はい、姉さん」
と香音がメジャーを貰い受ける。
ところで彼は、
「へっ、……えっ、……?」
などと声にならざる声を上げて、目を見開いて妹たちの会話を聞いていた。
――2メートルしかないかぁ。……
――紗絢姉さんには短すぎますねぇ。
この言葉、そして伸び切っていなかった腕から察するに、紗絢の身長はとっくの昔に2メートルを超えているのだろう。
彼は思わず身震いした。妹たちも信じられないが、今までこんな日本中どこを探しても居ない中学生が身近に居たなんて、しかも従妹に。いったい何を食べればこんなに大きく、――それも女性らしい美しさを保ったまま背を伸ばすことができるのだろうか。自分はこれまで身長を伸ばすために何でもやってきた。妹たちに笑われながらも、牛乳は沢山飲んだし、夜は遅くとも10時には寝ていたし、里乃に腕を持ってもらってぐいー、……と背筋を引き伸ばしてもらったこともあった。恥を忍んで紗絢に背の伸ばし方を聞いたことさえあった。だがそれで得たのは156センチという、大概の女性と同じか、低いくらいの身長のみ。……もうみんなに笑われる、みんなにからかわれる、みんなに子供扱いされる、妹たちに弟扱いされる、従妹たちに赤ちゃん扱いされる。
屈辱で心が折れそうだった。今すぐにでも駆け出したかった。
けれども、詩乃が後ろから抱きしめてきていて、全く動けそうにない。……香音の身体測定を見守るしか出来ない。……
「はい、背筋伸ばして―」
と上で待機している紗絢が云った。
「準備出来たよー。いつでもどうぞ」
と云う里乃は下でメジャーを抑えている。
いよいよである。紗絢の身長は結局分からずじまいで終わりそうだが、香音の身長はこれで分かる。分かってしまう。
「おー、結構伸びたねー、……おっ、おっ?」
「おっ?」
「香音すごい! ……うん! ぴったり2メートル!! おめでとう!!」
「えっ、うそ、ほんとうに?」
「ほんまにほんまに」
「――やった! お姉ちゃん、とうとうやったよ!」
と大人しそうな顔に、心底嬉しそうな表情を浮かべて、姉とハイタッチをする。ついでに里乃にも、ついでに詩乃にも、そして、ついでに彼にも。――
「香音おめでとう! さすが!」
「私もあと21センチ頑張らなくちゃ」
と、4人の妹と従妹たちはすっかりお祝いムードである。
ただ彼一人だけは、途方に暮れていた。
――2メートル、2メートル、女で2メートル、中学1年生で2メートル、……
そんな考えだけが頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。胸はドキドキして止まらなかった。屈辱やら悔しさやらで息が上がって苦しかった。立っているのもやっとだった。
そのうち、4人の中の一人がメジャーを片手に近づいてきた。そして、こう云った。
「ほら、お兄さんも測りましょう。今日こそは教えてもらいますよ」
――ああ、そうだった。そういえば今までのらりくらりと躱し続けて続けてきたんだった。……
声の主は、先程2メートルぴったりだと判明した少女であった。見下ろしてくるその顔は確かに中学生の可愛らしさ、幼さがあった。
――だが、2メートル。
もうダメだった。彼はとうとう体中に力が入らなくなって、床に崩れ落ちた拍子に頭を打って気を失ってしまった。その直後の展開は、彼はよく知らない。が、目が覚めると、なんだか途方もなく柔らかくてあたたかいものに、体が丸ごと包まれているし、なんだか楽しげな話し声が聞こえてくるし、それになんだか良い匂いが漂ってくる。
辺りを見渡して、それが食事だとは彼にもなんとなく感づいたようであった。だが、
「あーん」
と、スプーンに乗って差し出された料理が離乳食だとは、全くもって気が付かなかったようであった。妹たちの笑い声は、しかし、再び紗絢の腕の中で眠った彼には聞こえてなどいなかった。
 (おわり)
       出来すぎた妹
 これから話すことは惚気と受け取られてもしょうがない話であるが、生まれて5年後には生涯の伴侶が居たのだから、生い立ちを語れと云われて惚気話になるのは致し方あるまい。
さて、俺の生まれはとある地方の山の中で、周りに店の一つも無ければ家もなく、駅すらも歩いては行けない場所にある、今の華々しい生活からすればひどい環境としか云いようがない田舎だった。恵まれたものは何もなく、強いて云えば川が綺麗としかもう覚えていないのだが、特に恵まれてなかったのは金だった。彼女のことを知っていると云うなら、俺の家にどれほど金が無かったのかはご存知だろうと思う。あいつが生まれて間もなく父親が交通事故で亡くなり、母親一人で家計を支えるのは大変だったろうに思える。いや、思えるなんてものではない。毎晩毎晩、家に帰れば死んだように青ざめた顔で、海苔も巻いていない握り飯を一時間も書けて食う母親を見て、俺たちは二人して抱きしめ合ってシクシクと泣き、絶対にこの哀れな女性を楽にしてあげようと誓ったのである。
ところで生まれたばかりの彼女の姿をご存知だろうか? それはそれはものすごく可愛かった、目に入れても口に入れも耳に入れても痛くないほどに可愛かった、今では考えられないほど小さな手足を一生懸命に動かして、生きようとする健気な姿は何度も何度も俺の心を強く打ってきた。家計が家計であるから、父親が死んで数年もすれば、俺はこの子のために生きようと、この子のために何でもしてあげようと、この子のために我が身を捧げても良いようと思った。
だから働いたのである。小学生の頃から何でも出来ることはした。中学校を卒業した折にはすぐに地元の建設業で働き始めた。全ては妹のためだと思えば、先輩からのパワハラなど気にもならず、無茶苦茶な仕事内容を与えられるのも気にもならなかった。もうその時には彼女は小学5年生か6年生になっていただろうか、スラリと伸びた手足に、まっすぐに伸びた美しい黒髪に、ぷっくりと膨らみ始めた蕾のような胸には、十二分に将来の可能性が顕れていた。それに何より、その頃から急激にあいつの背が伸び始めたのである。俺だって背が低かったわけではない、今立ち上がって見ても分かる通り、男性の平均身長はある。けれども、あんなに可愛かった妹はたった一年や二年で俺の背丈を追い越すと、そのままグングンと背を伸ばして行ったのである。悔しいと云えば悔しいと云えるが、それよりもどんどん大人びて行く妹が綺麗で、美しくて、それでいて可愛くて、兄思いで、母親思いで、あろうことか俺は、次第に実の妹に心を寄せていってしまっていた。――いや、当然と云えば当然だろう。何と云ってもあの誰もが認める美貌である。もう中学二年生の時には、明らかに他の女の子とは一線を画していた。それに度々仕事場に訪れては、汗まみれの俺を気遣い、最後にはちょっとした差し入れと、「頑張ってね」の一言を添えてサラサラと長い髪の毛を、あぜ道の緑と晴れ渡った空の中に揺らめかせながら、地平線へと消えていく。それを見届けつつ、手渡された包を開けるのが俺の楽しみであった。差し入れられたお茶とおにぎりの味は、今食べるどんなご馳走よりも美味しい。今でも時たま具の入っていないおにぎりを所望して思い出したくなるほどに、美味しい。……まあ、そんなこんなで俺は実の妹に恋心を抱いていたのである。
時は妹が中学3年生のときである。この時期ほとんどの中学生は受験のことで頭を悩ませると思��。それは妹も同じではあったが、少し違うのはやはり家を顧みてのことだった。彼女は時おり俺と母親を招いては、
「私も、お兄ちゃんのように、……」
と泣きそうになりながら云うのである。俺にはそんな考えなど無かった。俺はこのまま頑張り続けて、妹を高校へと行かし、大学へと行かし、豊かな生活を歩んで欲しかった。だから母親と一緒に彼女を説得して、進学へと道を決めさせたのである。そもそも思うに、妹ほどの才女が高校へも大学へも行かないというのは、ものすごくもったいないことであろう。それというのも、成績通知表を見る度に、俺は目を瞬いて「本当に同じ腹から生まれた子なんだろうか」と思ったほど、妹は頭が良かったのである。運動はあまり得意では無かったようだけれども、国語数学理科社会音楽、……と云った座学の方は全て、――それも全学年に渡って、最高ランクの「5」がついていた。毎日疲れて帰ってくる俺を、明日が試験日だろうが何だろうが寝るまで労るので、
「俺のことはいいから勉強しなさい」
と云っても、
「いいよ、お勉強は授業聞いてたらだいたい頭に入るし、今はお兄ちゃんが最優先。ほら、マッサージするから寝て」
と優しい手付きで足やら腕やらを揉んでくる。それでも次の日のテストでは、本当にほとんどの科目で満点を取るのである。
話が逸れてしまったが、とにかくあの天才は受験勉強などほとんどせずに、県内で一番の進学校へ歩みを進めた。袖の短くなった制服から、あの長身に合った制服を身に着けた瞬間、俺と母親はついうっかり涙を流した。もう妹はすでに立派な女性だった。180センチを大いに越した身長も、H カップにまで育った豊かな胸も、全てが美しかった。妹は美そのものだった。俺は妹に見下ろされながら、神と対峙した時のような畏れを抱いた。ぷっくりと膨らんだ唇が、ものすごく魅惑的に見えた。シミひとつ無い白い肌は、触るのも恐れ多かった。長いまつげの下にある慈しみの籠もった目には、何もかもを見通されているような心地がした。俺は彼女には勝てないと悟った。
だから、つい唇を奪われるのを許してしまったのである。風呂から上がって自室へ行く途中の出来事だった。彼女が待ち構えているというのにも気が付かずにのこのこと階段を上った俺を、あいつはまず肩を掴んで拘束し、じっと見つめて来た。
「ど、どうした?」
俺が放った言葉はそれだけだった。いや、真剣な眼差しで見つめてくる彼女に威圧されてそれだけしか云えなかった。高校生になってもまだ伸び続けている彼女の身長は、この時188センチもあり、ちょうど首元に目が来る俺からすれば、蛇に睨まれた蛙のような心地がする。
「お兄ちゃん」
「おう」
「お兄ちゃん?」
「だ、だからどうした」
「お兄ちゃんっ」
としばらく妹は俺を呼び続けた。それも一言一言、こちらの反応を楽しむかのようにして、調子を色っぽくしたり、子供っぽくしたりしてくるのである。今、小悪魔的と呼ばれるのは恐らく俺のせいであろう。
「ふふ、……ねぇ、お兄ちゃん」
「なんだ?」
「愛してる。ずーと、ずーと昔から、愛してる」
と最後に云うと、あいつはなんと、目を閉じて唇を近づけてくるのである。もちろん、俺も目を閉じた。そして、顔を近づけた。悲しいことに精一杯背伸びをしなくてはならなかったが、こうして、俺は妹と唇を重ねたのである。初めてのキスの味は如何ほどであったか、それを語るには紙面が足りないから省略するにしても、唇を離した時のあいつのうっとりとした顔は、生きとし生ける物全てが思い浮かべる必要がある。ペロリと口の端に垂れた、どちらのものか分からない涎を舐めて、ふわりとこちらの体を包み込むようなハグをして、ポンポンと頭を叩いてから、意外にもあっさりと、彼女は自室へと戻って行った。今思えば、それもまた、俺を焦らそうという気持ちからやったのであろう。
彼女が高校生の時の思い出はそんなものであろうか。繰り返しになるが、やはりあいつはとんでもなく頭が良く、勉強をしているのかどうか分からないにも関わらず、定期試験だろうが、模試だろうがなんだろうが、ほとんど満点を取ってきていた。だからなのか、高校3年生のときの面談で進められたのは国の最高学府であった。いったい、天は俺の妹に何でもかんでも与え過ぎである。誰もが振り向く美貌に、誰もが驚く長身に、誰もが惑わされる大きな胸元に、誰もがひれ伏したくなる長い脚に、誰もが惚れざるを得ない優しい性格に、誰もが天才だと認めざるを得ない知能。一つだけ、まだ金だけは与えてくれていなかったが、それももう時間の問題である。まず最初の出来事に、彼女は驚くことに特待生であの大学へ入学し、入学金も授業料も免除されたことがある。これで浮いた金のほとんどを俺は仕送りとして送ろうかと思っていたのであったが、妹に強く、
「それはお兄ちゃんのために、そしてお母さんのために使ってください。特待生に選ばれたのはただのまぐれですから、お気遣いなく」
と云われては引っ込めるしか無い。だからその頃にはすっかり母親も持ち前の朗らかさを取り戻したような気がするのだが、やはり遠くで頑張る娘が気になっていたようだった。
そんなこんなで始まった妹の大学生活であったが、やはり語らねばならないのは、ミスコンのことであろう。そう、彼女の転換期である。ずっと昔から、俺はさんざん妹に面と向かって「可愛い」だの「綺麗」だのを云い続けてきたけれども、本人は本当に自身の容姿に自身が無かったらしく、
「いえ、そんな」
「私なんて」
などと云っていたから、そんなものには出ないと俺は思っていた。が、誰かにそそのかされたのか、彼女の友人の勧めで客席に座っていた俺の前に顕れたのは、確かに妹だった。いつもと変わらないナチュラルメイクに、いつもと変わらない長い黒髪を後ろで束ねて、いつもと変わらないぷるんとした唇を赤くした彼女は、信じられないほど美しかった。一人だけ後光が差しているような気がするほどに、美しかった。結果が発表される前から、もはや決着はついていた。予想通り彼女は1位を��得し、恥ずかしいような、もどかしいような笑みを浮かべて、周りの者どもそっちのけで俺の元へとやってくる。
「お兄ちゃんごめんなさい」
と彼女は何故か謝った。
「私、お兄ちゃんがあれだけ容姿を褒めてくれたのに、全然信じられずに適当に返事をしてました。ごめんなさい」
理由を聞くと泣きながらそう云った。俺は、
「自信はついたか?」
と聞いた。すると、とびっきりの笑顔を見せて、
「うん! なんだか生まれ変わったような心地がする!」
と云う。全く、今から見ても、あれで容姿に自身が無いなど、他の女性から刺されてもおかしくは無いだろう。
その夜、俺は妹の下宿先へ初めて二人きりで夜を明かした。酒に酔った彼女を見たのも初めてだった。顔を赤くして、
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、おにいちゃぁん」
と猫のようにじゃれてくる妹は、もう見ることの無いと思っていた、かつて甘えん坊だった時の彼女そのものだった。実はその時に、彼女の初めてを頂いてしまったのだが、これは語ると俺が刺殺されかねないのでここには書かない。タオルケットにくるまって、自身の大きくて蠱惑的な体を隠そうとする彼女は、女神と云うよりはいじらしい生娘のようで、どれだけ体が大きくなろうとも妹は妹であった。つまりは可愛かったのである。
さて、転換期を迎えた妹の躍進は、ものすごいものがあった。急に、
「私、モデルになっちゃうかも」
と云ったかと思いきや、次の瞬間には海外に飛んでいるのだから、俺たち家族ですらあの頃の彼女にはついていけてなかった。ただ、これはみなさんご存知であろうから、ここでは多くを語るには及びまい。重要なのは、大学在籍中に本格的にモデルやら女優やらの仕事に打ち込み初めて、溺れるほどに金が入ってきたことであるから、それだけは云っておくことにする。
それで、パッと大学を卒業した彼女は、しばらく各地を点々と放浪していたらしいのだが、ある日突然、思ったよりも大人しめな衣装で実家に帰ってくるや、触れるが恐ろしいまでの金を家に振り込んできた。おおよそ一生を遊んで暮らせるほどの額である。そして、こう云った。
「これでお兄ちゃんの人生を買ってもいいですか?」
と。思い出せば物騒な物言いだが、実際には彼女の優しさが詰まった言葉であった。この金を使って私のために人生を捧げてくれたお兄ちゃんに恩返しがしたい。私はお兄ちゃんが高校に行けなくてどんなに惨めな思いをしたのかちゃんと分かっていないかもしれないけれども、でも少なくとも高校入試の時に同じ気持ちを抱いたことはある。だからまずはこれで高校へ行き、青春というものをもう一度味わいませんか? そして、行く行くは大学へと進学し、そして、 ――と、そこで顔を赤らめて云った言葉だけが頭に残って、はっきりとは思い出せないが、そんなことを彼女は云った。――俺はその言葉に乗るしか無かった。何故かと云って、どういう訳かその日づけで職場から俺の名前がなくなっていたのだから、彼女の提案に乗るしかあるまい。
それから、俺は初めて訪れた受験を乗り切るべく、勉強漬けの日々が始まった。朝から晩まで、妹の作ってくれたテキストで妹の授業を受け、妹の作ってくれた問題を解き、妹の回答解説を聞く。分かりやすくはあったけれども、俺と妹とではあまりにも能力に差があって、しばしば歩みを緩めなければとてもではないがついていけなかった。
「えぇ、……お兄ちゃんまだ覚えられてないの。……」
と、暗記物では云われた。いや、これは妹がおかしいのである。英単語を500個、一晩で全部の読み方綴例文まで覚えろと云うのだから、所謂天才で無ければ無理であろう。あの妹の吸収力は心底羨ましい。
そんなスパルタな教え方もあって、俺は妹と同じ高校へ進学した。10年と云う歳月を経て、妹の後を追って同じ高校へ進学するというのは、中々屈辱感があったが、意外にもすぐに私はクラスに受け入れられ、楽しい学校生活を送った。ただ次に始まったのは、妹の大学受験対策で、一ヶ月くらい部屋に引きこもる日が多くなったかと思えば、とんでもない量のテキストを俺に差し出して、
「はい、お兄ちゃんは今日から大学受験までにこれを全部問いて、覚えて、覚えて、覚えて、私の解説を聞いてもらいます。まあ、簡単だし、あんまり量も無いから大丈夫大丈夫」
と明るい口調で云うのであるが、机の上に50センチくらい積まれたテキストの山はどう考えても「量がない」とは云えないし、それに妹の「簡単」は全くもってあてに出来ない。実際、問題を問いていると、10年に一度クラスの難問がどんどん出てくるのである。しかもどうやら妹は過去の問題から引っ張ってくるようなことはせずに、自分で作った問題をテキストに載せているらしく、ズルすることもできない。結局俺は毎日、
「ちょっと、ちょっと、これくらい解けなくてどうするの。これはもっと単純にこうすればいいんだよ。お兄ちゃんって意外と頭が堅いタイプの人?」
と妹の目がさめるような解法を聞いて、驚くばかりであった。だが毎日やっているうちに彼女の考えに染まって来て、次第に正解する問題も出てきた。そういう時は二人で抱きしめ合って喜んだ。模試もまた、妹のテキストに慣れているせいか、どれも簡単に思えて実際に中々良い点数を取ることが出来た。擬似的に体験しただけだけれども、天才の頭の中とはこういうものとは、たぶんああいうものなのだろう。眼の前の問題が、自分の頭の中に追いついていないような感覚である。
俺はその頃、逆に妹に感謝したくなっていた。大金を用意し、あんなハイレベルなテキストを作っただけではなく、毎日毎日、朝早くから俺のために朝食と弁当を用意し、学校帰った俺を迎えてくれ、それからずっと付きっきりで勉強を見てくれ、夕食を用意し、そして一日の締めくくりに体を重ねた後、俺が寝静まったのを確認してから採点をする。まったく、出来すぎた妹を持つのも大変である。俺はもうすでに妹の金で実質暮らしていたが、それまで稼いだ金にはあまり手を付けておらず、それなら、普段の豪遊っぷりからすればささやかなものではあるけれども、妹を食事にでも誘おうと思って、土曜の昼食時に提案してみた。
「んもう、お兄ちゃん。どこまで私を惚れさせれば気が済むんですか。ダメです。――ま、せめて大学に合格した日に誘って下さい。はい、勉強に戻りましょう」
と断られてしまったが、その嬉しさで溢れる顔から、合格発表時に誘えば必ず首を立てに振るであろう確信が取れたので、その時はそれでよかった。
だから、頑張った。日々理不尽なレベルの妹の問題に文句を云いつつ、理不尽なレベルの妹の要求に悲鳴を上げつつも、俺は頑張りに頑張った。だからなのか、努力が実って、俺は妹がかつて通っていた大学に合格した。残念ながら特待生ではなく、平均的な点数でもなく、ドベから数えて5番目くらいではあったけれども、とにかく妹と同じ大学へ通うことになったのである。そして、合格発表の時、俺以上に涙を流している妹と抱き合いながら、再び彼女を食事に誘った。彼女は快く頷いてくれた。ワイングラスを傾けた時、彼女は云った。
「今日は、さ、お互いを名前でみ、みませんか?」
と、たいそう恥ずかしがりながら。
「そうだなぁ。じゃ、まずは俺から。――美希、今日の今日までありがとうな。これからは妻として、――」
「うっ、……」
「美希?」
「――ダメ! ダメ!……やっぱやめ! 無理! 恥ずかしすぎる! やっぱり今まで通りで!」
「えー、美希の提案だったじゃん」
「お兄ちゃん!!」
その時のあたふたとする妹の姿は、恐らく歴史に名を残すであろうモデルとは思えないほど、子供らしく、いじらしく、それでいて艶かしく、――まあ、一言で云えば、めちゃくちゃ可愛かったのである。
 それで今、俺は妹と暮らしながら優雅な大学生をやっている訳だが、年々彼女が可愛く見えてくること意外には特に特筆すべきことがない。結局俺の生い立ちを語るようでいて、彼女の人生を語ったようなものであるが、いかがだっただろうか。たぶん誰も俺の人生には興味が無いだろうから、これはこれで良いのではないかと思う。後は彼女の出したエッセイやら何やらを参考にすれば、大方俺たちの、謂わばちょっとおかしな家族関係というのが明瞭に見えてくるはずであろうから、今はここで筆を休めることにしよう。
  人魚
 人魚は外の世界に憧れを抱くなんてよく云うが、ここに佇んでいる彼女もまた、その一人である。日々海の中に沈んでいる外の世界のガラクタを拾ってきては、格好の隠れ家へしまい込み、それを眺めてはため息をつく。ああ、外に出てみたい。出来れば素敵な恋を、素敵な王子様としてみたい。が、そう思えば思うほど、この自慢の尾びれが自分を縛る足かせのような気がしてならない。
「はあ、……」
とまたため息をついてしまった。もう何度目だろうか。一日に20回や30回はしているはずだから、一年365日で、物覚えついたのが5歳ごろだから、……と、虚しいことを考えているうちに、何者かが近づいてくる物音が聞こえてきた。実際には水流の音なのだが、彼女らにとっては物音である。
「誰、――?」
「おやおや、こんなにたくさんゴミを溜め込んで、……」
と、入ってきた人、……嫌に黒い尾びれをした、老齢の人魚が云う。
「ゴミだなんて! 私には宝物です!」
「ゴミはゴミだね。あいつらは要らなくなったものを海に投げ捨てるのさ。私は地上に降りた時にこの目で何度も何度も見たわよ」
「えっ、――」
今、「地上に降りた」と云わなかったかしら? ――と、彼女は思って目を見開いた。黒い人魚の嫌な笑みなど、その目には入っていなかった。
「地上に降りたいかい?」
「……」
「降りたいならそう云いな。条件は付けるがね」
ヒッヒッ、……と、黒い人魚は悪い魔女のように、眼の前の無垢な人魚に見えるようわざと白い歯をむき出しにして笑った。――
 「わあ、素敵!」
人魚は空を仰いでそう云った。初めて感じる足の感覚、初めて感じる土を���みしめる感覚、初めて感じる地上の空気、――そのどれもが新鮮で、気持ちよくて、今までの人生が灰色のように見えてくる。
「これが地上、……これが空気、……」
あの人魚は怪しかったけれども、こうして服までちゃんと用意してくれたし、実は良い人魚だったのだろう。
「いいかい? 時間はきっかり12時間。それを超えて地上に居ると死ぬからね。覚えときな」
と、ぶっきらぼうに云った割には時計までよこしてくれた。さすがにここまでされては、あの人を悪者をには出来ない。……
「うふふ、たのしい!」
しばらくは野原を駆け回った。本でしか見たことのない、兎や、鳥や、花や、草花たちがお出迎えしてくるような気がして、いつまでもどこまでも走り回れるような気がする。
「あっ、そうだ、――」
と、云ったのは唐突に人と喋りたくなったからである。――海は広い。広すぎて普段は同じTribe の者としか会うことが出来ない。数年に一度程度の割合で、餌を求めて海流に乗って回遊していると、志を同じくする者と出会うことはあるが、だいたいすぐにはぐれてしまう。
なれば早速行動である。12時間のうち、もう2時間も使っている。急がなくちゃ、恋どころか友達すら出来ない。
「でも、どこに行けばいいんだろう?」
ま、初めての地上である。こういうのは多めに見てもらいたい。
 「ああ、やっと見えてきた」
それから数時間後、迷いに迷って人魚はとある王宮のある街へとやってきた。
「ああ、ああ、――」
と感嘆の声を漏らす。門の中では目まぐるしく人が行き交い、賑やかな声がこちらにまで聞こえてくる。
人魚は思わず走った。もう少し、もう少しで憧れの人々と言葉をかわすことが出来る。――
「やっとだ、やっとだ、……」
ふう、……と息をついて顔を上げた、だがその時、
「えっ?」
と思わず彼女は驚いて、ぽかんと口を開けて固まってしまった。
「――ち、ちっさ、……」
憧れの人々、先程まで目まぐるしく行き交って居た人々、――その誰もが人魚の腰にしか頭が届いて居なかった。
「うおおっ、――」
「な、なんだ、……?」
「でけぇ、――」
彼女の姿を見た者がそんなことを云いながら、わらわらと集まってくる。が、誰一人として、彼女の首元にも、肩にも、脇にも、胸にも辿り着けていない。
「う、嘘でしょ?……えっ? 人間もこんなにちっちゃいの、……?」
間違って小人族の街に入っちゃったかしら? と思ったけれども、先程見かけた看板には、列記とした人間の街の名前が刻まれていた。
――なら、本当に人間って本当にこんなに小さいんだ。
「うふ、なんだか可愛いく見えてみちゃった、……」
半分くらい本心からそう思った。ぴょんぴょんと飛び跳ねる者などは、物語などに居る、高いところについた木の実を取ろうとする子供のよう。いや、遊び場にお姫様が迷い込んできた子どもたちと云った方がいいか。こういう時は、その小さな体でお城まで連れて行ってくれるのが常である。
「こんにちは、小さな人間のみなさま」
と、人魚はスカートの裾を持ち上げながら、少し足を屈めて、本を読んで学んだ通りの挨拶をした。失礼なことに、動いた拍子に悲鳴を上げて逃げた者が居たが、まあいいだろう。後で覚えていらっしゃい。
「――私、ここの国の王子様に用があるのですけど、どなかた案内してくれませんか?」
「で、では私が案内いたしましょう」
と、名乗り出たのは、これまた小さな男、……正直、彼女には子供にしか見えなかったが、顔立ちからして20代そこそこの青年だろう。こちらの手を取ってきて、案内してくれるようである。
が、その手もまた、めちゃくちゃ小さい。きゅっと握り込んでしまえば、潰れてしまいそうである。
「す、すみません。もう少し力を緩めてくださると、嬉しいのですが」
体が小さいせいで、彼らは力も無いようである。こちらとしては、これほどにないまで軽く握っているつもりなのに、さらに力を緩めろと云うのは如何なものか。逆にもう少し力を入れてやろうではないか。
「うっ、……」
と顔を歪ませたが、何も云わないので、まあ、大丈夫だろう。
それにしても、本当にみんな小さい。露店も小さければ、人も小さく、家も小さい。あんなドアでは上半身がつっかえてしまうだろうに。それに、あれは二階というやつかしらん? 私の頭と同じ高さにあるのに、……ああ、そうか、こんなに小さい人たちならぴったりな大きさね。まさか憧れていた地上の人がこんなに小さかったなんて、なんだか幻滅だわ。……王子様はせめて私の胸のあたりに顔があればいいのだけど、……
人魚はそんなことを思いつつ歩いていたのだが、道行く人々の反応は相変わらずであった。
「で、でっかー!」
と叫んだ者すら居る。
と、そのうちに王宮の中に入っていたのか、門番の兵士に(――この人もめちゃくちゃ小さい!)、待つように云われて、案内されるがまま、応接間で王子様を待つことになった。すんなり通してくれたのは、どうもすでに人魚の噂がここにまで届いていたらしく、物珍しいものが好きな王子様が、むしろ自分から会いたいと仰っていたからだと云う。――物珍しいなんて失礼な。これでも私はまだ生まれてから18年しか経っていない、若き人魚だぞ。人間になってもまだ大きいからってそんな風に云うな、……と、文句の一つも云いたかったが、静かに待った。椅子が小さくて座れなかったが、せっかくの憧れの世界である。それも我慢することにしよう。いや、ちょっと我慢ならないかな。扉は腰を曲げないと通れないし、天井に頭はつっかえそうだし、ろうそくのついたシャンデリアには実際につっかえたし、もう少しまともな部屋はないのか。
「おまたせしました」
と、しばらくして声がしたので、ふっと顔を上げた。
「王子様、……?」
「ええ、そうです。お会いできて光栄です。長々とした名はついておりますが、ぜひエドと呼んでください」
深々とお辞儀をする王子様であったが、その姿を見た途端彼女は、
「――嫌です」
と、ついうっかり口にしてしまった。
「えっ? 今、なんと?」
「嫌です。――小さい人は嫌です。さようなら」
人魚は鍵が壊れるほどの力でドアをこじ開けると、呼び止める王子様とさきほどの青年の声を無視して、行き交う人々を蹴り飛ばしながら、ずんずんと街を歩いていった。――ふん、人間を蹴るのは気持ちがいいわ。蹴りやすいところに体があるのがいけないのよ。
街を後にしたとき、数人の兵士が追いかけてきていたような気がするのだが、歩幅が違いすぎて、彼女が走れば誰も追いつけないのは明白であろう。あっという間に海にまで戻ってきてしまった。
「――まさか王子様が一番小さかっただんて、……」
と、灯台の横で夕日を眺めながら人魚はつぶやいた。実際、王子の顔は、彼女の腰どころか、股の下あたりにあった。あれではお互い立った状態でも、跨げるのではないだろうか。人の脚の長さがそっくりそのまま身長だなんて、いくらなんでも小さすぎる。
「あーあ、なんだか幻滅しちゃった」
初めての地上はあまりにも小さかった。まるで怪物のように見られたし、思い出してみればすごく恥ずかしいので、今後来ることはないだろう。
「おっと、いけないいけない。あと5分か。……」
辺りはすっかり暗くなっていた。幻滅したけれども、空に浮かぶ星々はどれもはっきりと輝いていて、まことに美しい。ザバン! と、海に入った彼女は体を表にしてプカプカと浮きつつ、ぼんやりと空を眺めていた。もう人はいいけれど、この星や、兎や、鳥たちを愛でるためにもう一度来よう。そうしよう。――
 「時計を返せ」
と、隠れ家��戻った時、例の人魚に突然そう云われたので、素直に返す。
「どうだったかい? 初めての地上は」
「なんだかもういいやっ、て感じだわ。でもありがとう、貴重な体験だったわ」
ヒッヒッ、……と黒い人魚は笑って、
「これに懲りたら、こんなゴミ捨ててしまうことだね。――ヒヒッ、ではまた会おう」
と穴から去っていった。
残された人魚はしばらくこのガラクタたちの未来を考えていた。そして、再び地上の思い出を振り返るや、こう呟いた。
「はあ、……まさか人間も小さかったなんて、私に合う殿方はもうこの世にはいらっしゃらないのかしら、……」
と。―――
   女尊化社会
 最近、小学生中学生の男子生徒が、あらゆる面で同学年の女子生徒に劣り始めているのだそうだ。勉強をしては順位表をつけられないほどに差をつけられ、運動をしてはかわいそうになるくらいにボコボコにされ、教室では大人と子供が一緒に授業を受けているような印象を受けると云う。これを受けて政府は女子生徒だけ学年を一年か二年繰り上げる、……なんてことも検討しているらしく、つい先日に始まった選挙では、それをマニフェストとして掲げることが当たり前となっている。
普段、そんなに女子小学生や中学生に触れることのない私は、にわかにはそんな現状を信じることが出来なかった。ここ1年で始まった女尊化現象、……その大部分を担う少女たちを一目見たく、私はとある中学校へ取材に申し込み、次の週に実際に訪れることを許可された。これはその時の手記を元に書いた、いわゆる一つの随筆文である。――
 私が訪れたのは都内某所にある名門私立校で、全校生徒は500人ほどのそれなりに大きな中学校ではあったが、とにかく男子女子の比率が一対一、かつ、勉強だけではなくスポーツにも力を入れていることから、様々なことを比較するには打って付けだろうと思い、そこを選んだ。
「それなら、登校も見ものですよ」
と応対してくれた先生の一人に云われていたので、私はちょうど授業の始まる20分前頃に校門をくぐったのであるが、まず驚いたのは少女たちの背の高さであった。
前方にとびっきり大きな制服姿の女の子が居るかと思えば、次の瞬間には楽しげな声で会話する、これまたとん��もなく大きな少女に追い抜かれるのである。私は一瞬動きを止めてさえして、彼女らが校舎に消えていく様子を眺めた。別に、今どきの子供に身長を越されることなど、まだランドセルを背負ったあどけない女の子ですら、身長175センチの私より高いのがざらに居るのだから、全く驚くことではない。だが、身長190センチとも、200センチとも取れる女子中学生が、こうもたくさん登校して行く風景は、私の目を瞬かせるに足ったのである。
「ふわあ、……」
と手を伸ばしながらあくびをする子ですら、私より頭一つ分以上は大きい。と、云うよりは、私より頭一つ分大きくない少女は居なかった。みんながみんな、190センチ以上の長身を持て扱いながら登校していた。
「おはようございます。今日の案内を担当する○○と申します」
「よろしくおねがいします」
親切なことに、学校側は人を一人割り当てまでして、私の取材の手助けをしてくれるようであった。案内をしてくれたのは、まだ教師になりたての若い男性で、ついでに学校の宣伝にもなりますからと、身も蓋もないことを云っていたのは、まだ覚えている。
「さて、女生徒学年繰り上げ問題についての取材だと伺っていましたが、どうしましょう? 延々と書類を見ながら説明するのも、飽きてきますでしょうから、彼女たちの授業風景を見ながら、私が口を挟む、……と云う形でよろしいですか?」
「ええ、構いません。むしろそうしてくれるよう、こちらから頼もうかと思っていた所でした」
こうして私たちはまず、教室で英語の授業を受けている彼女たちを見に行った。
ガラッ、……と扉の開く音に反応した生徒たちに、まじまじと見られたのはそれなりに気まずかったけれども、確かに大人と子供が同じ教室で同じ授業を受けているかのようだった。すらりと伸びた足を艶かしく組んで、つまらなさそうに頬杖を付きながらため息をつく様は、中学生のそれとは到底思えなかった。それに対して男子は、袖の余った制服に身を包み、どこか落ち着き無く授業を聞いている。
だが、やはり気になるのは、男子と女子で机の高さも大きさも全然違うことである。一回りどころか、二回りも三回りも大きいような気がした。
「すごいな。……」
と私は自然に声を出していた。後で教えてもらったのだが、中学一年生の女子の平均身長が191.6センチ、中学二年生で199.7センチ、中学三年生で206.2センチもあるらしく、私たちが見たのは中学一年生の教室であったから、まだマシと云ったところで、これが中学三年生の教室に行くと、もっと机の高さに差があるらしい。実際に見ることは叶わなかったけれども、空き教室にある女子用の机に座らせてもらったところ、20センチも30センチも足が浮いてしまい、もはや巨人の学校に訪れたような心地がした。
私はこの時、実は女性が巨大化すると同時に、男性の方はどんどん小さくなっているのだ、と思っていた。たぶん女子の体が大きすぎて、相対的に男子の体が小さく見えただけだろうが、同じ学年だと云うのに、ここまでの差を見せつけられては、そう思わざるを得なかった。それを確かめるには、後10年弱時が経たねばならないが、それがもし違っていたとしても、結局女の子の方が圧倒的に体が大きい事実は変わりあるまい。私たち男は、一生を首を上げて過ごさなければいけないのである。
しばらく私は、髪の毛をくるくると弄って暇をつぶしている女の子を眺めつつ、一緒になって授業を聞いていたのだが、
「女の子の方は、みんなすごくつまらなさそうにしてるでしょう。――」
と突然喋りかけられた。
「ええ、やっぱりそうなんですか?」
「ええ、そうなんですよ。ちょっと出ましょうか、――」
私たちはそこで一旦教室の外に出て、廊下で話の続きをし始めた。
「こちらがつい先日に行われたばかりの、このクラスのテストの結果です。すごいと思いませんか? 上位は皆、女の子たちです、それもほとんど者が満点で、一位の次が15位なんてことに。……」
「うわ、……ほんとだ。……」
「他のクラスでもだいたい同じ結果で、――あ、こちら学年の全クラスを通してのランキングですが、見て下さい。――」
と云われたので、差し出された書類の一部に目を通したのだが、最初の7ページ目まで順位が全部一位であったし、その後も次々と女性の名前が連ねられ、最終的に男子の名前を見たのは後半になってからであった。
「男子女子の名簿みたいですね。……」
「そうでしょう。男女混合にしてしまうと、もはやランキングの意味がないので、最近では男子なら男子、女子なら女子、と云うように作ってます」
「でも女子の方はそれでも機能してなさそうですね」
「おっしゃる通りです。女子の最低点が、男子の最高点よりも高いですからね、彼女たちはもう満点かそうでないかで、互いを競っているそうです」
「確かに授業をつまらなさそうに聞くわけですね。それに政府が女子の学年を繰り上げるのも頷けます」
「ですが、一年や二年程度では話が収まらないかも知れません。何せ、彼女たちは高校の内容まで熟知していますから。いっその事男子女子で、学校まではっきりと分ける必要があると思います」
「なるほど確かに。それで小学校の次が大学、――と云うのが彼女たちの能力に一番合っているのかもしれませんね。――」
この会話が契機となって、私たちは窓の中でこれほどになくつまらなさそうに授業を聞く少女たちを眺めながら、彼女たち、――ひいては日本の、――特に私たち男の行末を話し合った。
私の取材は中々円滑に進んだと思う。途中、一人の男子生徒を捕まえて、
「テストの結果どうだった?」
と聞いて顔を青ざめさせてしまったのは反省点だが、案内役の先生の話は大変実りのある話題ばかりであった。
「もうあと数年もすると、ここに居る女の子たちが世界を席巻するでしょうね。いえ、冗談ではなくて、事実、確実にそうなります。学問も、政治も、経済も、スポーツも、……全てあのテストの結果のようになるでしょう」
と、お昼を一緒に食べている時に、彼は寂しそうに語った。それは毎日、あの中学生と触れ合っているからこそ出来る顔だったように思える。
「ところで、午後は体育館の方へ行きませんか? あなたもご存知の通り、私共の学校では特にスポーツに力を入れておりまして、……」
そこで学校の自慢になったので、ここで多くは書き記す必要はあるまい。だが、一つ興味深い事を云った。
「――しかし、私は一つ楽しみにしていることがあるんです」
「と云いますと?」
「男が打ち立てた世界記録が次々破られる瞬間が、――なんだか変なことを云っているように自分でも思いますが、楽しみなんです。それで、ついでなのでぶっちゃけてしまいますが、ちょっとこれは、――」
アフレコでお願いしますと云って、彼は話を続ける。
「実は、もうすでにいくつか破っているのもあるんです。――」
「なんと」
「例えば、トレーニングルームにあるベンチプレス。彼女たちは涼しい顔で持っていますが、その重量は世界記録を大幅に超える800キロとか、900キロなんです」
「ええっ!」
「それともう一つ例を取ると100メートル走。彼女たちは早かった遅かったで、喜んだり悔しんだりしていますが、その記録はだいたい8秒から10秒なんです。11秒台の子は滅多に居ません。確か一番遅かった2組の子で11.1秒とか、そんなだったと記憶してます」
「そ、そんなに?」
9秒台に乗ったとか、乗らなかったとか、もはや馬鹿らしくも感じる。相手にもならない。しかもまだ中学生で、恐らく体育の授業で遊びで測ったのだろう。本気で練習に励んだらもしかすると7秒台も夢ではないかも知れない。
そうやって、私が驚いているうちに体育館へついたようである。中ではバレーの試合をしているらしく、元気な声とボールを打つ音が響いているのだが、
「あれ? もしかして、相手は男性の方ですか?」
と私は思わず聞いた。白い体操服に赤いゼッケンを着けた少女たちの向かいのコートには、ちゃんとしたユニフォームを来た男性が居たのである。
「ええ、話せば長くなりますが、端折って云うと、今はとある男性プロチームと試合をしています。あ、そうそう、授業なので体操服を着ていますが、部活では私たちもちゃんとユニフォームを着ますよ」
と、云うことは彼女たちは全くの素人がほとんどなのであろう。だが、その体つきはプロチームよりも遥かに大柄であるし、その動きはプロチームよりも遥かに機敏であるし、それに表示されている点数を見て、私は目を見開いて固まってしまった。
「20 - 0、……」
さっきから中学生チームばかりがサーブを打っているから、きっと負けているのはプロの方なのであろう。見ると、ゲームはだいたいサーブで決まっているらしく、男性プロの方は飛んできたボールを唖然として見るだけである。反応したかと思えば、あらぬ方向へ飛ばしてしまい、またサーブが飛んでくる。上手く取れても、うっかり彼女らのコートへ飛ばしてしまって、次の瞬間には耳をつんざかんばかりの音を立てて、ボールは空高く跳ね上がる。
確かにかわいそうに思えてくるような試合運びであった。
「でも大体の競技はこんなものですよ。以前、野球の試合をした時には、男子高校生のチームに初回だけで17点も入れてましたからね。それに、つい先月に、こっそりとプロ野球のチームとも試合したのですが、結果は15対1、……もちろん彼女らの勝ちですよ。あまりにも一方的な試合だったので、3回途中で切り上げられてしまいましたが、あのまま続行しておくと、少なくとも50点は入ったのでは無いのでしょうか。まったく恐ろしいものです」
その後、バスケもテニスも卓球も、何もかも一方的な試合をやりすぎて、もう外からは練習試合を組んでくれないことを彼は語った。
電光掲示板に25 - 0が刻まれ、焦燥しきった様子の男性プロチームの面々がベンチに戻る中、私はそのベンチに座る一人の男に話しかけた。彼は試合中もベンチに座っていたのだが、怪我をしているのか腕に包帯を巻いて、頭を抱え���自分のチームが素人の女子中学生に、ボコボコにされている様子を見守っていたのであった。誰に話しかけてもよかったのだが、悲壮感の漂う監督に話しかけるのも気が引けるし、まだ息の整っていない選手たちに話しかけるのも気が引けるので、しごく真面目な顔で、ちょっとお話をお伺いしたく、……と声をかけると、意外にも朗らかに彼は応対してくれた。
「こんな試合は初めてですよ。3セットやって、一点も取れないなんて」
「い、1点も、……ですか?」
「そう、1点も。と、云うより昨日から初めて、うちが取った点数はたったの3点ですよ、3点。しかもそのうち2点はあの子らのミスで取れたようなものです」
聞けば、練習試合はこの前の日から行われていたらしく、彼らは毎時間、体育の授業として訪れる女子中学生相手にボコボコにされ続けたと云う。最終的に取った点数は合計で10点だったらしいが、その時のことはもうどんなに聞いても教えてくれない。
「それで、その腕はどうしたんですか?」
と、真新しい包帯に包まれた、真新しいギブスに嵌められた腕が気になって仕方が無かったので、私は問うた。
「あ、それ聞いちゃう?」
「ダメでした?」
「まあ、ここまで恥ずかしいところを見られてたら、同じか、……」
彼はギブスの巻かれた腕を上げながらそう呟いて、
「あの子たちにやられたんですよ」
「喧嘩でもしたんですよか?」
「喧嘩なんて、……そんな恐ろしいことする訳ないじゃないですか。折れたんですよ、彼女らのスパイクで、バッキリと真っ二つに」
「お、折れたんですか、……?」
「俺たちがあの子らのスパイクを取らないのは、体がついてこないんじゃありません。折れるんですよ、あんな強烈なスパイクで骨が。だから、絶対に当たらないよう、逃げるんです。悔しいけど、そうしないと体がもたない」
と、歯ぎしりをしながら彼は云った。それはプロの意地というものであろうか、負けると分かっていて、なお体を動かせないもどかしさが存分に顕れていた。――
私は次いで、コートを横断して賑やかな声を出す少女たちの元へ向かった。
「あ、はーい?」
と声をかけると可愛らしい声で反応してくれたが、あまりの身長差から、私には壁に立ちはだかったかのような心地がした。
「何でしょう?」
驚くことに、男性のプロチームをボッコボコにするほどの試合をしたというにも関わらず、彼女らの息はもう整っていた。
「どうでしたか、さきほどの試合は?」
「あ、……えーと、……まあ、いい相手だったです」
と、彼女はかなり言葉を選びながら云うので、
「正直に云っても構いませんよ」
「いいんですか?」
「ええ、何とも思わないので大丈夫です」
「えーと、それじゃあ、……正直に云って弱すぎでした。じゃれ合っているみたいで、途中から私たちも手を抜いたんですが、それでも弱くって、……」
こんな正直すぎるほどの回答が得られたのだが、彼女が話しているうちに周りに居た子らも、わらわらと集まってきて、気がついた時には私は2メートル前後の長身女子中学生に囲まれてしまっていた。
「弱かったねー。プロだって云うからもっと強いのかと思ったのに」
「うんうん、あんなのでプロになれるなら、誰だって出来ちゃうよ」
「体も小さいしね」
「何回パーフェクトゲームした?」
「もう5回? 6回くらい?」
「もっと多いよ―」
「っていうか何回ボールがこっちに入ってきたっけ?」
「私サーブを打つしかしてない!」
……はるか頭上で繰り広げられる会話に入り込む隙なんてなく、私は黙って聞いているしか出来なかった。聞きたかったことは山積みだったけれども、その後も結局、彼女らの圧倒的な体格に、文字通り圧倒されてしまい、少女特有の甘酸っぱい匂いと立ち込める「熱」にやられたこともあって、今の今まで聞けずじまいである。
「どうでしたか、我が校の生徒たちは?」
と、帰り際に案内役の先生に問われた。
「素晴らしかったです、色々な意味で」
「そう思ってもらえたのなら、嬉しい限りです。それで、取材はこれだけでも十分ですか?」
「ええ、ええ、もう十分すぎるほどです」
「それは良かった。ぜひ、またいらしてください。今度は今回見せられなかったトレーニングルームも案内しますよ」
「ありがとうございます。――」
 さて、その後の展開であるが、私の取材した内容は、次の日のどこそこの雑誌に先手を取られたために、結局公表できずじまいでそのままになってしまった。だが、あの学校を訪れた時の衝撃には、未だに忘れられないものがあるので、この日記にしたためて、時おり見返したいと思う。
 (おわり)
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zaregoto1914 · 6 years ago
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土呂久鉱害事件に関する覚書
(2002年1月22日成稿)
土呂久鉱害事件に関する覚書
 宮崎県高千穂町の土呂久鉱山における亜砒酸製造に伴う慢性砒素中毒症は、大正期から戦後に至る長期にわたって継続した鉱害であったにもかかわらず、被害地域が僻遠の山村であったため長らくその存在が知られず、鉱山の閉山から10年近くたってから地元の教師の告発によって実態が初めて認知された特異な公害である。慢性砒素中毒症が4大公害病に続く指定公害病でありながら、現在あまり顧みられることが少ないことも考慮し、本稿では土呂久鉱害の経過を追うことで、近代日本社会の「闇」の一端に切り込みたい。
(1)土呂久鉱山の成立(1920-1933)  宮崎県岩戸村(現・高千穂町)の土呂久鉱山は、貞享年間(1684-1687)に銀山としてスタートしたものの、近代に入ってからは事実上休山状態であった。しかし、1920年、当時佐伯近郊の木浦鉱山で亜砒酸製造を行っていた鉱山師の宮城正一が土呂久鉱山から亜砒鉄鉱を採掘し、土呂久で亜砒酸の精錬を開始したことで一変した。日本の亜砒酸生産は第1次世界大戦期にドイツに代わる形で急成長し、主にアメリカに輸出されて綿花栽培の害虫駆除剤の原料などに使われていた。ところで、宮城が港町で交通の利便な佐伯から山間の土呂久へ移ったのには理由があった。地方紙『佐伯新聞』1917年4月29日付に次のような記事がある。
「懸案となり居りし当町字灘鳥越にある亜砒酸製造所の煙毒問題は今回所主宮城正一が農民に対して損害賠償をなし且つ製造所を移転する事となり、兎も角も一段落を告げるに至った」
 宮城は煙害により地元住民から補償と立ち退きを要求されていたのである。つまり宮城は佐伯を追われ、亜砒酸製造が甚大な鉱害をもたらすことを知りながら土呂久へ移転したのであった。
 亜砒酸は昇華点の193℃を境にして固体から気体へ、気体から固体へ変化する。この性質を利用し、亜砒鉄鋼を焙焼して砒素分を亜砒酸ガスとして流出させ、ガスを昇華点以下の空間に導き固体に戻して亜砒酸の結晶を採取する。当時、亜砒酸生産量全国一の足尾銅山では、銅の精錬の際に煙に含まれる亜砒酸をコットレル集塵器で回収する方法が採られていたが、土呂久にはそのような設備はなく、煙突に藁の覆いを被せるだけで、砒素を空気中に撒き散らし放題であった。そのため早くも1923年には亜砒酸による農業被害が地元で問題にあった。5月に行われた土呂久の部落自治組織「和合会」総会は鉱山側に「完全ナル設備ヲナシ事業ヲナサレン事」を要求することを決した。これに対し、宮城に代わって経営者となっていた川田平三郎は、1ヵ月50円の「交付金」を和合会に支払うことに応じたが、その見返りとして鉱山へ操業に必要な材料を提供することを求めた。鉱山側は要求を逆手にとったのである。
 その後鉱害は甚だしくなり、特に牛馬の奇病が相次いだ。1925年、和合会は岩戸村長の甲斐徳次郎に対策を要求し、甲斐は西臼杵郡畜産組合の獣医である池田実と鈴木日恵に奇病で死んだ牛の解剖と鉱害の調査を依頼した。4月7日、鈴木は警察官立ち会いのもと解剖を行い、「連続セル有害物ノ中毒ニアラサルヤノ疑ヲ深カラシムルモノナリ」との所見を示した。甲斐はこの牛の内臓を宮崎県警察部衛生課に持参し、鑑定を依頼したが、県側は解剖後に内蔵へ亜砒酸が混入した可能性を理由に鉱害を否定し、現地調査を行ったものの調査結果を隠蔽した。一方、池田は「岩戸村土呂久放牧場及土呂久亜砒酸鉱山ヲ見テ」と題する報告をまとめた。池田報告は当時の土呂久の実状を生々しく伝えている。
「二、三十年モ経過シタ植林ノ杉ガ萎縮シテ成長ガ止リ、或ハ枯死シテ赤葉味又竹林ハ殆ンド枯死シ」 「妙齢ノ婦女ノ声ハ塩枯声デ顔色如何ニモ蒼白デアル、久敷出稼デ居ル人ノ顔面ハ恰モ天刑病患者ノ様ニ浮腫」 「山川ノ水ハ清ク澄ミ渡ッテ居ルガ、川中ノ石ハ赤色ニ汚レテ、三年前迄居タ魚類ハ今ハ一尾モ見ヘヌ」 「今ハ椎茸ノ発生デ忙シカラネバナラヌノニ、何ノ果報カ、此地ノ重要物産デアル椎茸ノ原木ヲミレバ、椎茸一ツ見ヘヌ。土呂久名物ノ蜂蜜モ、今ハ穴巣ヲ止ムルノミ」 「小鳥類ガ畑ノ中ニ死ンデ落チテ居ル事ハ年中ノ事で、何時デモ死ンダ小鳥ヲ畑ノ中ヨリ拾ッテ見セル事ガ出来ル」
 この池田報告は1972年に高千穂町史編纂室で発見されるまで封殺された。
 鉱害が拡大・悪化するに従い、農業では生計を立てられなくなった人々は鉱山で働くようになった。しかし、亜砒酸による健康被害は鉱山労働者に最も顕著であり、皮膚の亜砒負け、色素沈着、黒皮症、角膜炎、結膜炎、喘息、気管支炎、肝硬変などの症状に見舞われた。健康悪化に耐えられずに鉱山を辞め帰農する人も少なくなかったが、農業被害は増大するばかりで生活できず、結局収入を得るために再び鉱山に戻らざるをえなかった。あるいは椎茸の生えなくなった木を木材として鉱山に売却したり、完全に農業ができなくなった土地を鉱山に売却するという例もあった。鉱害はむしろ鉱山の事業を拡大する動因になったのである。
 また被害と加害の重層性も深刻であった。鉱山の地主であった佐藤喜右衛門は鉱山から地代を得るのみならず、自ら採掘を請け負い、地元住民を労働者として勧誘し、鉱害に苦しむ農民からは加害者として忌避された。しかし、一方で彼は鉱山のすぐ近くに住んでいたために砒素中毒症に罹り、1930年から32年の2年間に彼の一家7人のうち自身を含む5人が病死した。部落で鉱山から収益を受ける者が増えるに従い、鉱害反対の足並みは崩れていった。
(2)土呂久鉱山の展開と終焉(1933-1962)  大戦景気によって始動した亜砒酸製造は、戦後不況によって急速に不振になった。1926年にはアメリカの綿花不況のあおりで生産量が激減し、土呂久鉱山も生産中止・事業縮小に追い込まれた。一方、1930年代になると、航空機の材料の国産化をねらう中島飛行機が錫を求めて土呂久に目をつけた。1931年、中島門吉(中島知久平の弟)が一部の鉱業権を獲得し、33年には中島商事鉱山部が土呂久鉱山のすべての経営権を取得した(後に岩戸鉱山株式会社設立)。
 中島は当初亜砒酸よりも錫を重視し、1936年に錫精錬の反射炉を建設したが、この反射炉は錫から分離された砒素分が煙とともに空気中に飛散するという杜撰な代物であった。翌年、和合会は反射炉の煙害防止を鉱山側に要求し、その結果遊煙タンクが作られたが、煙害対策とは名ばかりで、実際はこれを利用して亜砒酸の採取が行われたため、鉱害はむしろ悪化した。また、経営者が変わったことにより1923年の交付金契約は無効となり、中島が和合会に亜砒酸1箱精製につき12銭の補償金を支払う新契約が結ばれたが、旧契約に比べて被害者が受け取る金額は事実上半減し、しかも補償金の分配を巡り和合会内部で対立が発生した。さらに1937年の岩戸村会議員選挙で、中島側は鉱山の会計係長を出馬させ、鉱山労働者を買収した結果、中島系候補が当選し、和合会系の現職は落選した。明治以来、土呂久出身者が議席を失ったのは初めてであった。鉱山は地方自治をも破壊したのである。
 中島傘下となって土呂久鉱山は拡大し、最盛期には約400人の労働者が働いた。特に1930年代末頃から亜砒酸は毒ガスの原料として需要が急増した。「黄二号」ことルイサイト、「赤一号」ことジフェニール・シアン・アルシンが亜砒酸を元に作られ中国戦線に送られた。深まる亜砒酸鉱害に対し、ついに1941年和合会は鉱山との契約破棄を決定した。福岡鉱山監督局は和合会に説明を求め、代表6名が福岡へ行き亜砒酸製造の中止を申請したが、監督局の担当者は「非常時には、部落のひとつやふたつつぶれても鉱山が残ればよい」と言い放ったという。結局1941年11月選鉱場の火災により土呂久鉱山は休山し、所有権も中島から国策会社へ移行した。
 土呂久鉱山は戦後1948年、銅や鉛などの採掘を再開した。再び鉱業権を獲得した中島鉱山(旧岩戸鉱山)は亜砒酸製造の再開を計画した。和合会は再開反対を決議したが、宮崎県と岩戸村の斡旋により、1954年、鉱山から和合会への協力���支払を条件に改良焙焼炉建設に同意した。土呂久婦人会は岩戸村に抗議したが、村長伊木竹喜は「鉱山のおかげで、岩戸村には鉱産税がはいりよる」と取り合わなかったという。
 鉱山がその後、1958年7月の坑内出水事故により一時休山を余儀なくされ、翌年には住友金属鉱山が中島を事実上買収したが、往時の活性を取り戻すことができず、1962年経営不振により閉山した。その間も鉱害は続き、1959年には和合会が高千穂町(岩戸村吸収)に亜砒酸製造施設の廃止を陳情した。しかし、ついに閉山まで鉱害はやむことがなかった。
(3)土呂久鉱害の告発(1970-  )  1970年、宮崎県高城町の四家鉱山で集中豪雨により鉱滓堆積場のダムが決壊し、砒素を含む鉱毒が河川へ流出するという事故が起き、宮崎県は急遽県内の休廃止鉱山の調査を行った。調査の結果、土呂久川から飲料水基準の2倍の砒素が検出された。同年12月、土呂久在住の佐藤鶴江は、岐阜のカドミウム汚染の報���を聞いて不安を抱き、宮崎地方法務局高千穂支局の人権相談に鉱毒被害を訴えた。支局は土呂久鉱山跡を調査し、彼女に鉱毒被害の事実申立書を発行したが、法務局は専門医による因果関係の証明がないことを理由に申立書を留置した。またしても行政によって鉱害は隠蔽されたのである。
 一方、高千穂町立岩戸小学校教諭の斎藤正健は、妻が土呂久出身であったことから鉱害の事実を知り、同僚とともに土呂久全世帯を対象に鉱害調査を行った。斎藤らの調査は1971年11月、宮崎県教職員組合の教研集会で報告され、新聞報道により全国的に注目された。斎藤報告は、①1913-1971年に死亡した92名の平均寿命は39歳である、②土呂久全住民の34%が呼吸器をはじめ疾患に罹っている、③土呂久の児童の体位は劣っている上に眼病が目立つ、④スギの年輪は鉱山創業期に生長が阻害されている、という驚くべき内容であった。大正期以来の鉱害がこの時はじめて公表されたのである。
 土呂久住民に不安が高まる中、宮崎県は県医師会に委託して住民の一斉健康診断を実施したが、慢性砒素中毒症に認定されたのは7名だけで、県の土呂久地区社会医学的専門委員会も健康被害と亜砒酸製造との関係性を「現在の知見では十分に説明ができない」と肯定しなかった。宮崎県知事黒木博は住友金属鉱山と認定患者に補償斡旋を提案し、1972年12月、両者間に補償協定が結ばれたが、住友の法的責任には一切触れず、補償金額は平均240万円にとどまり、しかも将来の請求権放棄を定めていた。県側は患者との交渉を外部との接触を絶った密室で行い、十分な説明をしないまま患者に調印を強要した。その後、黒木は新たな認定患者に対しても同じ内容の補償斡旋を5次にわたって続けた。しかも県は斡旋受諾者に対して公害健康被害補償法による給付を含む公的給付を中止するという「いやがらせ」まで行った。知事斡旋は補償額を抑制し、被害者の口を封じることがねらいであった。
 1973年、環境庁は慢性砒素中毒症を第4の公害病に指定したが、認定要件を皮膚障害に限定し、内臓疾患を認めなかったため、多くの被害者が認定されなかった。一方でこの頃から県外の医師による自主検診が相次いだ。同年2月には名古屋大学医学部講師大橋邦和が、74年には太田武夫ら岡山大学医学部衛生学教室が、75年5月には熊本大学体質医学研究所の堀田宣之が住民への自主検診を行った。堀田は10月にも同僚の原田正純らとともに1週間にわたる大規模な自主検診を行った。これらの検診結果は環境庁の認定要件とは裏腹に、砒素中毒による障害が皮膚に限らず、呼吸器や循環器などの内臓にまで広がっていることを示していた。
 1975年12月、5人の患者と1遺族が住友金属に損害賠償を求め宮崎地裁延岡支部に提訴した(第1次訴訟)。続く76年11月には第2次、77年12月には第3次、78年3月には第4次の訴訟が起こった。土呂久訴訟最大の問題は、1次的に賠償責任を有する鉱山師も中島鉱山もすでに存在せず、被告の住友が正式に鉱業権を得たのが閉山後の1967年で、住友自体は亜砒酸製造を行っていないことにあった。住友側は全面的に争い、訴訟は長期化し、高齢の原告が相次いで死亡していった。1984年3月に下された第1次訴訟の1審判決は「土呂久地区という山間の狭隘な一地域社会が、そのただ中ともいえる場所での本件鉱山操業により、大気、水、土壌のすべてにわたって砒素汚染され、本件被害者らはその中で居住、生活することにより、長期間にわたって四六時中間断なく、且つ経気道、経口、経皮、複合的に砒素曝露を受けたもので」あると土呂久鉱害を正確に認め、鉱業不実施を以って鉱業権者の賠償責任は免責されず、鉱業法115条の時効規定も適用されないことを理由に住友へ損害賠償を命じる画期的な内容であった。
 しかし、この1審判決をピークに土呂久鉱害は急速に風化していった。既に1980年頃には被害者の支援組織「土呂久・松尾等鉱害の被害者を守る会」が財政難による活動停滞に陥っていた。また、支援運動の中心であった総評系労組が「反公害」から「反原発」へシフトしつつあり土呂久鉱害への関心は相対的に低下した。1979年、補償斡旋を続けた黒木が受託収賄容疑で逮捕され知事を辞職し、翌年、後継知事松形祐尭は公害認定を巡る行政不服審査で県が敗訴したのを機に被害者へ公式に謝罪したが、依然として知事斡旋受諾者への公健法給付を認めなかった。一方、訴訟は住友の控訴により続き、1988年の控訴審判決は住友の賠償責任を認めたものの、補償額から公健法給付を差し引くよう命じる後退したものだった。住友はさらに上告したため、原告弁護団はついに水面下の和解交渉を行った。原告の高齢化と最高裁の状況を踏まえた苦渋の判断であった。1990年10月最高裁で原告と被告の一括和解が成立したが、住友の法的責任には触れず、賠償義務を否定し、公健法給付とは別に「見舞金」総額4億6475万円(1審判決の仮執行金と同額)を支払うという内容だった。1審判決も控訴審判決も被告の法的責任を認定したにもかかわらず、原告は訴訟の長期化に耐えることができずに訴訟自体には敗北したといえよう。
(4)総括  土呂久鉱山は、日本経済の工業化が急速に進展した第1次世界大戦期に始まり、戦間期の停滞を挟んで、15年戦争期には新興財閥の手で重化学工業の一端を担わされ、そして高度経済成長の開始により終焉した。その歴史は終始日本資本主義の発展過程に強く制約されたと言えよう。故に土呂久鉱害事件は局地的な鉱害ではあるものの、鉱山の杜撰な鉱害対策、鉱山への抵抗と依存の間で揺れる地域社会、一貫して公害の存在を隠蔽し民衆の声を潰した行政、公害反対運動の党派的分裂等々、近代日本の鉱害の一般的特筆を余すところなく有している。そしてついに根本的解決には至らず、現在も土呂久の自然が回復していないことは、鉱害が過去の問題ではなく、依然として現在的問題であることを示していよう。
《引用・参照文献》 斎藤正健「土呂久公害の告発とその後」Ⅰ-Ⅲ 『歴史地理教育』211、212、214号 1973年 川原一之『口伝 亜砒焼き谷』岩波書店 1980年 川原一之「土呂久鉱毒史」『田中正造と足尾鉱毒事件研究』5号 1982年 土呂久を記録する会編『記録・土呂久』本多企画 1993年
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yuupsychedelic · 6 years ago
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詩集「十代プリズム」
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詩集「十代プリズム」 1.子供時代 2.夢想少女 3.家出少年 4.最終遊戯 5.満員電車 6.夢遊する泡沫 7.政治家たちのナイトクラブ 8.群衆の断末魔(Heart to Heart) 9.杭 10.大丈夫の呪文 11.嫌いな人との付き合い方 12.21XX -オーサカ狂想曲- 13.シースルー・エモーション 14.ラブ・カルチャー 15.二人は恋人同士 16.混沌と瞑想のポピュリズム 17.詩人の生息地 18.青春プリズム
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1.「子供時代」
艶やかに燃える あの頃の思い出 大切なのは自分の意志だ 湧き上がる欲望だ
純粋だった頃の僕にはもう戻れない だけど今できるのは 夢へ走ることだけさ 後悔なんてしたくない だから頑張れる
嵐のように過ぎ去った青春の日々 もう遅すぎると懺悔を繰り返し いつしか僕たちは大人になってしまった 子供時代を思い出す度に涙が止まらなくなる それでも立ち止まってちゃ何も始まらない 君は君のままで走り出すしかない
艶やかに燃える あの頃の思い出 大切なのは自分の意志だ 燃え上がる欲望だ
僕たちは社会の歯車として生きている 今できる精一杯(ぜんりょく)を 愛する人のためにぶつけて せめて子供時代の自分を裏切らぬよう 理不尽に耐えて ただ生きている 希望がなくとも ただ生きている 愛する人の笑顔のために
愛がなくちゃ ただの歯車さ 愛があるから 生きている価値がある 価値なんて自分で創造するものだ 誰かに認められるものじゃないのさ 自分の道くらい自分で決めればいいさ 誰かが決める人生なんてつまらないじゃんか
そんな当たり前さえ僕らは忘れてしまった 大人になった僕たちはゾンビのように生きている まるで魂を抜き取られたかのように 無表情で社会(マクロ)の一匹として生きている 未来なんて 明日なんて 今日があればそれでいい 画面が友達さ 空想が友達さ 友達なんて何処にもいない 現代社会の縮図
艶やかに燃える あの頃の思い出 大切なのは自分の意志だ 燃え上がる欲望だ 僕が僕でいることだ
純粋だった頃の僕にはもう戻れない だけど今できるのは 夢へ走ることだけさ 後悔なんてしたくない だから頑張れる
涙なんて拭いて 悲しみも吹き飛ばせ 嵐のように変化する 現代(いま)をまっすぐに生きてゆ��� 大人たちの声に耳を塞いでいいんだ 子供時代のように自分だけを信じて生きろ
生きているだけで価値なんて生まれない 価値は自分自身で創り出すものなのさ
これは自分という名の物語の始まりに過ぎない
2.「夢想少女」
何かにかぶれて 誰かに紛れて いつかに怯えて 目線を逸らして 時代に遅れて 泣き出して 夢の中でしか自分になれない少女たち
君はまるで操り人形 操られることでしか主張できない 心棄ててる
何かが駆け出し 誰かが叫んで いつかが始まり 目線は何処かへ 時代は変わった 涙も枯れた 夢と現実の狭間で絶叫する少女たち
お前はまるでピエロのよう いろんなカルチャー着せ替えて 自分で何にも出来ないくせに 生意気ばっか言ってんじゃねえ 大人の本音
何かを信じて 誰かに任せて いつかを願って 目線に入らず 時代に流され 絶望し 再び夢の中で妄想する少女たち
少女を彩るのは 安物のリップクリームと石油仕立てのコスチューム 夢想少女(きみ)は何処へいく??
3.「家出少年」
大人になりたくない 子供のままでもいたくない 大人と子供の境界線 あと少しだけ駄々を捏ねさせてよ
大人は理解ってくれない 子供の蒼い主張(ビート)を 大人と子供の境界線 あと少しだけ子供のままでいさせてよ
だから 僕は家出をしたのさ 片道切符と下着忍ばせ 君の元へ向かうぜ もう僕は自由なのさ!
大人は自分勝手さ 「子供の癖に生意気だ」って言う 大人と子供の上下関係(ヒエラルキー) あと少しだけ背伸びさせてよ
大人が何かを主張(ビート)する 子供はそれに追従(グルーヴ)する 大人と子供の上下関係(ヒエラルキー) あと少しだけ歯向かわせてよ
だから 僕は不良になったのさ 往復切符と教科書(テキスト)忍ばせ 君の元へ向かうぜ もう僕は自由なのさ!
何でもかんでも否定されてばかりじゃ 何にも言えなくなって 僕は僕を見失う そうなってしまう前に……
だから! 僕は独りになったのさ 両手に覚悟と夢を忍ばせ 君の元へ向かうぜ 君だけのために走るぜ
もう僕は自由なのさ! もう僕は自由なのさ!!
4.「最終遊戯」
独りを過剰に怖がり 誰かと群れることがすべてだと そう声高らかに宣言する君は 本当に人間かい?
「生きろ」 「死ぬな」 「生きてることに価値がある」
大人はいつも無責任 子供はいつも無計画
虚無に放り出された frustration 夢幻に放り込まれた satisfaction
僕らは今何処で何をしているのだろう? 何のために生きているのだろう?
僕らは今何処で何をしているのだろう? 何のために生きているのだろう?
「諦めるな」 「今を大切にしろ」 「夢を持て」
うるせえんだよ ふざけんなよ 消えちまえよ
声なき叫びがこだまして 君は君でいられなくなる
けたたましく響く vibration ぬくもり求める communication
君は今何処で何をしているのだろう? 何のために生きているのだろう?
嵐の中に放り出された 一欠片のmoral 刹那の中に放り込まれた 孤独のfunny girl
大人にすべてを依存して 行く先さえも決められない それが現代の私たち 私はただの子羊さ
5.「満員電車」
ちょっと、そこの君。 そんなに座ることに拘らなくたっていいじゃん 座って何が得になるの? 人生変わるの?? 少年のまっすぐな瞳が胸に突き刺さる
いつしか、僕らは純粋な心を忘れてしまった。 ずっとずっと少年のままでいようと約束したのに 今や永遠のスパイラルの中で生きている 孤独の中で生きている
たかが三十分、されど三十分。 イヤホンを付けた君は本当に大切なものに気付かずに 耳の中を流れる音楽にただ夢中で 運命の出逢いさえも流れていってしまうんじゃないか そんな気すらもしてしまうよ
結局、 僕らは猿に逆戻りしているんじゃなかろうか 人間であることを放棄しているんじゃなかろうか 人が人である証拠は感情を言葉にできることだ しかし、 今の人はそれを極端に恐れている
もしも、満員電車の中で。 わたしがわたしであることに満足して あなたが他の誰かにもし入れ替わっていたとしても わたしはそれをあなたとして認識するのだろう
それが人間ってやつさ
少年はつぶらな瞳で真実を見つめている
6.「夢遊する泡沫」
今日も僕は宇宙旅行を続けている 希望と失望と絶望を携え 誰とも理解らない誰かのために闘っている 闘いは誰のためにあるものなのか 答えさえも理解せず あるはずのない永遠を信じて闘っている 僕らは何のために生きているのだろう そもそも 何故生きているのだろう 哲学的思索の果てに 夢幻世界で夢遊を続ける泡沫たち 朝から 真昼間から 夕方から その拠り所は知らないが とにかく 誰かのために闘っていることだけは確かだ 時代は変わり 運命も変わり続けてゆく そんな過去と未来のコンツェルトに翻弄され 僕らは夢遊する泡沫として生命を紡いでいる あゝ 何故生まれてきてしまったのか 何処かで大男が叫んでいる 恨めしい声で叫んでいる 最終電車が堂々と通り過ぎた頃 見えない誰かが線路上で踊っている 生きろ 生きろ 生きろ 誰かが呪文のように唱えている
7.「政治家たちのナイトクラブ」
君が誰かなんて関係ない ただ闇雲に踊り明かそう 片手にドンペリ 片手にシャンパン お酒の力でノーサイド
あんなこと言ってゴメンね 敵も味方もない夜だから 大人同士のカンバセーション 「好きだよ」弾む会話
今日の主役は私たち 国民なんてどーでもいい 明日も主役は私たち またあの場所でヨロシクね!
何を言ったかなんて関係ない ただ頓狂に語り明かそう 片手に印鑑 片手にFAX 時代なんて気にしない
こんなこと言ってゴメンね 愛も希望もない世界(くに)だから 子供のように笑わせて 「好きだよ」皮肉な言葉(こえ)
今日の主役は私たち 国民なんてどーでもいい 明日も主役は私たち またあの場所でヨロシクね! くれぐれもお手柔らかに!!
いつも主役は私たち 今が良ければそれでいい 明日も主役は私たち スーツは素性を隠す仮面
今日の主役は私たち 国民なんてどーでもいい 明日も主役は私たち またあの場所でヨロシクね! ここは政治家たちのナイトクラブ
8.「群衆の断末魔 -Heart to Heart-」
今日も群衆の真ん中で 悲しいニュースがスキップをしている 愛なんて、独りなんて、と喚きながら 傍観者たちはただ感情論に走っている 怒りをぶつけようにもぶつける場所がない だったら周りの誰かにぶつけてしまえばいいじゃない 自分じゃない自分がまるで悪魔のように囁く 解決策も見出せないのに 慈しむだけのあなたに何ができるのだろう? 心と心を付き合わせ 変えようのない昨日よりも どんな風にだって変えられる明日を変えることが どれだけ有意義なことなのか何故わからないのだろう?? 夢は夢の中で言えばいい 独り言は独り言のままでいい 屁理屈なんて言わないで 被害者を減らすたったひとつの方法は 加害者を生まないようにすればいいんだ そうすればもう誰も悲しまなくて済むんだ ゼロになるまで考えろ 誰かのために心と心を付き合わせ ゼロになるまで考えろ それがきっと僕らにできる唯一のこと 傍観者にできる唯一のこと 泣かなくてもいい 寄り添わなくてもいい そっと手を差し伸べてあげられる勇気があればそれで十分だ
9.「杭」
僕が生きている 世界は狭すぎて 大事なことさえ 何も見えないよ
群衆の中に潜む 静かな時代の風 求められるのは忠順さ 個性などは要らない 世界を知らない子供(ひと)に 大人(きみ)は正義ぶって 世の掟(きまり)を教えようなんて 口癖(ルーティン)のように言う
ぶち壊せ! 何もかも、変えてしまえ。 走り出せ! どんな声も、耳を塞げばいい。 大切なのはその意志さ 出過ぎた杭は打たれない
君が生きている 世界は広すぎて 嫉妬心すら 感じてしまうよ
ビル群の影に隠れて いつも君は泣いている 常識が口癖さ 大人はつまらないよ
外界(せかい)を知らない子供(ひと)に 大人(きみ)は大人ぶって 外界(せかい)はつまらないよなんて わかりきったように言う
ぶち壊せ! 何もかも、変えてしまえ。 走り出せ! どんな声も、耳を塞げばいい。 大切なのはその夢さ 出過ぎた杭は打たれない だから思いっきりはみ出そう
ぶち壊せ! 何もかも、変えてしまえ。 走り出せ! どんな声も、耳を塞げばいい。 大切なのはその意志さ 出過ぎた杭は打たれない だから思いっきりはみ出そう
10.「大丈夫の呪文」
気安く言わないでよ うるせえんだよ 何度も、何度もさあ、 私だって言うときゃ言うよ ロボットじゃないんだから 人間なんだから 画面の向こう側にいるからって なんでも言っていいと思ったら大間違い 私は私なの、わかる? ずっと泣いてるし、ずっと怒ってる、 やり場のない感情をどこにもぶつけられず 誰かの言葉に怯え 誰かの行動に身構え 後ろ指を指されないように透明人間を演じてるの 目立たないことが正義なんでしょ? 制服はきっちり着てほしいんでしょ?? わかるよ、黒髪のままでいてほしいって ほんとはそう思ってるよね 私だってあなたの言いたいことくらいわかる 全部お見通しよ、女の子を舐めないでよ ……ちょっとくらい好きにさせてくれたっていいじゃん
11.「嫌いな人との付き合い方」
現代は「キライ」と言いづらい世の中だ。 「キライ」という言葉はどうしても角が立つ。
でも、やっぱり「キライ」なものは「キライ」だ。 「キライ」なものを「スキ」って言うのは難しい。 そういうもんだ。
「だってさ、キライなんだぜ?」 「キライなのにスキっていうほど面白くないものはないよなあ」
ちょっと気取って言ってみる。
現代は「キライ」と言ってはいけない世の中だ。 「キライ」という言葉よりも「フツウ」という言葉の方が好まれる。
だが、「フツウ」はやっぱり「フツウ」だ。 「フツウ」という言葉ほど曖昧なものはない。 もっと言えば、馬鹿馬鹿しい。
「そのマヌケヅラを何とかしろよ?」 「君は二文字の言葉さえ躊躇するのかよ」
言葉にそう言われているような気さえしてくる。
ばーかばーか。
絶対現実では言えないけれど、 布団の中では声を大にして叫べそうだ。
夢の中で、僕は毒舌になる。 臆病者の独演会、今夜も始まる。
12.「21XX -オーサカ狂想曲-」
数十年前、関西弁は消滅した。
すべてはひとつの言葉に統一され、 見知らぬネオンが街を支配し、 僕が僕を認識できなくなる。
お好み焼きも、たこ焼きも、どこへ行ってしまったのだろう。
日本食はとっくの昔に放棄され、 食糧不足のこの国に残されたのは、 ご飯のような無味無臭のなにか。
美味しくもなければ、不味くもない。
僕は何も感じない食事を済ませ、 ダイスほどの荷物を纏め、 メトロポリスを跡にした。
ここはいつから、こんな砂漠になってしまったのだろう。 最新式の方位磁石に目を凝らし、 まるで一ミリメートルの糸を手繰るかのように、 砂漠の都会(まち)を進んでゆく。
どんなに頑張っても、夢なんて掴めっこないんだ。
胸に刻まられた消えない証が、 僕の好きに生きたいという欲望を、 永遠に不可能のまま葬ってしまう。
逃げたい、逃げられない、逃げようもない。
好きな人も、守るべき家族も、 誰かによって紡がれた石碑も、 みんな何処かへ行ってしまった。
環状線跡のスラム街に足を踏み込む。
明朝八時、 僕の最後の冒険は高らかに幕を開ける。 生きるために、最後の闘いを始めよう。
13.「シースルー・エモーション」
これ着けてごらんよ。 今流行りの、何もかも御見通しってやつ。 ほら、タダであげるからさ。
「えっ、いいの?」
少年はぎょっとした瞳でこちらを見た。 何か続けなきゃなと思い、私は必死に言霊とやらを膨らませた。
みんな、近いうちに必ず着け始めるから。 これさえ持っていれば、君も流行を先取りできるよ。 遠慮なんていらない。 さあ、早く着けなよ。
「でも。知らない人にモノを貰っちゃいけないって言われてるんだ」
私はよく教育された少年だな、と思った。 だけど、これを売らないと私は殺されてしまう。 命が懸かっているんだ。
お願い、これを受け取って。 私からの一生のお願い。 幸せになれる。 ほら、開運のおまじないだと思ってさ。
「わかった。貰ってあげる」
『良い子だ』 ……思わずそう言いそうになった。 いけない。 少年の前ではこの言葉は禁句だ。 これを言った瞬間、あどけない表情は怪訝な瞳に変貌する。
私は未来人として、このメガネを売らなければならない。 たとえ、そのメガネが何の変哲もないタダのメガネだったとしても。 私は私の仕事をするだけさ。
14.「ラヴ・カルチャー」
恋そのものが軽くなっている、 と、誰かが言った。
いつでもどこでも出逢えて、 誰とでも恋ができる。
手紙を送り会わなくても、 文通を繰り返さなくても、 パッと手を伸ばせば、 君を抱きしめることだってできる。
それが、 現代のラブ・カルチャー。
大人たちに何かを言われる筋合いなんてないし、 私たちは私たちのコミュニティをつくっている。
それが自由の正しい使い方であって、 真のクリエイティビティと言えるだろう。
愛と、理想と、希望を掲げて。 僕らは夢を叫び続けている。
15.「二人は恋人同士」
今年の夏が待ち遠しいよ キミと一緒につくろう 最高の思い出を
夏のビーチに水着姿の彼女 いつもと違うメイクに とびきりの笑顔を
キミと過ごした夏 世界色にきらめいてる あの日の記憶(メモリー) ずっと続かないかな 二人だけの素晴らしき日々 いつか歳を重ね 思い出 色褪せたとしても 僕たちはずっと一緒だよ 青春は終わらせない
夏の訪れに張り切る海岸線 半袖のTシャツに とびきりの時めきを
キミと過ごした夏 貴女色に輝いている 最高の思い出を
どうか終わらないで 二人だけの素晴らしき時間(とき)
いつか歳を重ね 今日(いま)がセピア色になっても 僕たちはずっと一緒だよ 青春は終わらせない
いつか歳を重ね 思い出 色褪せたとしても 僕たちはずっと一緒だよ 青春は終わらせない キミと最高の思い出を……
16.「混沌と瞑想のポピュリズム」
貴方を惑わす置き手紙 もううんざりよ その微笑(えがお)には 心残りは結ばれなかったこと きっと貴方はそう呟くでしょう
混沌と瞑想のポピュリズム 貴方は夢を見ているの
混沌と瞑想のポピュリズム 愛を知らぬ貴方にお似合いね
混沌と瞑想のポピュリズム 独身貴族は愛を知らない
悩ましく囁く愛の言葉 もううんざりよ 嘘つきには 「貴女に出逢って良かった」なんて 紳士気取りはもう止めてよ
混沌と瞑想のポピュリズム 私も夢を見ていたのかもしれない
混沌と瞑想のポピュリズム 嵐の前の静けさよ
混沌と瞑想のポピュリズム 涙は愛の渇望(リクエスト)
見つめ合い抱きしめ合い接吻(くちづけ)交わせば 誰でも虜に出来るなんて 貴女の口癖 独身貴族の悪い癖
混沌と瞑想のポピュリズム 誰もが夢を見ているの
混沌と瞑想のポピュリズム ずぶ濡れになりながら君は泣いている
混沌と瞑想のポピュリズム
混沌と瞑想のポピュリズム
独身貴族は愛を知らない
17.「詩人の生息地」
何をしていても、何処にいても、何故だか落ち着かない。 そんな日々が続くと、人は不安になる。
得体の知れない何かに常に追いかけられているような、 哀しみとも言えない感情に支配されているような、 とにかく、ネガティヴな気分になってしまう。
好きな人なんて、もういらない。
そう高らかに宣言したはいいけれど、結局恋を求めるのが人の性分。 愛と、夢と、希望があって、やっと半人前。
独りでいるだけで、世間からは白い目で見られているように感じる。
本当は独りが好きなのに、本当は独りでいたいのに。 これが同調圧力ってもの。 カフェテリアに、今日も誰かのヴォイス・アンサンブルが聞こえる。 その隙間で、息苦しそうに言葉を紡ぐひと。 それが詩人という生き物だ。
18.「青春プリズム」
屈折する、 感情も、行動も、何もかも。
挫折する、 夢も、目標も、何もかも。
愛なき時代とは言わないけれど、 今の時代に希望なんてない。
何もせず、 何かを始めようとするわけでもない、 そんな奴に希望なんて叫んでほしくない。
僕らに芽生えた反抗心は、 ひとつの青春プリズムを産み落とすこととなった。
かつて、大人にその力で反抗しようとした学生たちのように。
表面的には沈静化したつもりでも、 学生たちにはずーっと芽生え続けている。
大人にもなれず、子供にもなれない。 ジレンマが僕たちを大人にする。
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あとがき「わたしの十代プリズム」
わたしたちは十代プリズムで屈折する。 内面的にも、外面的にも。 屈折しないと学べないことがいっぱいある。 ずっと楽しいまま生きられる人なんていない。 十代のわたしたちにとって、この世界は狭すぎるのだ。 なぜ、校則を守らなければならないのだろう。 どうして、就職活動の際にスーツを着なければならないのだろう。
わたしたちの素朴な疑問は、いつしか多忙に相殺されていく。 こうして、ティーンエイジャーたちは諦めるという言葉を知る。 要するに“挫折”を知ってしまうのだ。
挫折を知ってしまった人々は、もうまっすぐに生きてはいけない。 何をしようとも、屈折して生きるしかない。
わたしは四ヶ月後に十九歳になる。 あれだけ長いはずの十代が終わりを迎えようとしている。
「十代って、素晴らしいものだ」
十代になった頃、わたしはそう思っていた。 でも、それは半分正解で、半分間違っていた。
この詩集はわたしの十代の記録だ。 何処かがフィクションで、何処かがノンフィクション。
わたしは十代に入って、ようやく物心がついた。 誰かに指示されるのではなく、自分で考えることを学んだ。 多くの挫折を経験し、多くの絶望を味わった。 今も決して希望が見えているとは言えない。
だからこそ、書けた作品である。 逆説的に言えば、今しか書けない作品とも言えるだろう。
わたしにとって「創作」とは、ライフワークそのものだ。 恋人でも、親友でも、捉え方は好きにしてもらって構わない。
でも、ひとつだけはっきりしていることがある。
十代に創作という分野に出逢えて、本当に良かった。
たくさんの人に迷惑をかけ、多くの人を失望させてしまった。 過去はもう変わらないし、変えられない。 だけど、今から何かを変えることは可能だ。 物語という白紙のキャンバスに、無限の世界を描いていく。 その道筋の中で、誰かの人生を変えることだってできる。
あなたも何か描いてみたらいい。 みんなも、創作しよう。
いじめたり、いじめられたり、嫌なこともたくさんあった。 でも、いつもそばには創作がいた。 だから、今音楽大学で夢を追いかけられているし、ここで生きている。
最後に、あとひとつだけ。 不器用で、どうしようもなくって、文章も大して上手くはない。 話をすれば散らかり放題だし、ボソボソ喋るからみんなを困らせてばかり。 こんなわたしを支えてくれてありがとう。 ちょっとずつ直していこうと思っています。
これまで出逢ったすべての人々、これから出逢うすべての人々に感謝の意を込めて。
ありがとう。本当にありがとう。 これからもよろしくね。
詩集「十代プリズム」
Produced by YUU_PSYCHEDELIC Concept Created and Designed by UYUNOONUYU(ウユノユウ) Written by Yuu Sakaoka
Special Thanks to My Family,my friends and all my fans!!
YUU_PSYCHEDELIC
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nemosynth · 6 years ago
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遠近法の次は魚眼レンズ
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24 年前に書いた文。じつは、北朝鮮から帰国当初に勢いで書いた文章。いま読むとこっぱずかしいが、記録なのでここに。 ------------------------------------------- 遠近法の次は魚眼レンズ  ベルリンの壁も見た。すでにソ連ではゴルバチョフがグラスノスチを進めていたとはいえ、共産体制は崩壊せずそのままに軟着陸するかに思えた。よもや壁が崩壊するどころか、私の目の黒いうちは絶対に崩れまいと思った。ナチスという求心力を失い、豊かさの中に我を見失った西側。我を見失うまいと、強大なイデオロギーの壁の向こう側に自らを封じ込めた東側。壁をめぐらせるだけで、周囲との差異が際立って見える。壁を用いるのは、自我を保つ古典的な手段。ヒステリックに自由を叫ぶ壁の落書きは、だが壁の向こうがわで展開する狂信的な体制礼讃と、奇妙なシンメトリーを成していた。  むしろ、なじみある土地から浮遊させられ、自己を相対化されたおびただしい数の難民こそが、二十世紀の真の主役ではないか。  それは両ドイツを訪れた時に私を圧倒した膨大な心象の、小さな結晶のひとつだった。私がそれを見たのは、十代最後のまぶしい夏のことであった。  帰国した日本も、そうとう不自然に歪んでいた。  樹木が巨木に育つには、何百年とかかる。どうやら、自分が植えた樹が大きくなるのを、己の目で見たい、と思ってはいけないものらしい。それは自分の死後、成し遂げられる。同様に、私たちの世代では完了し得ないことでも、5世代後に日の目を見るのかもしれない。未来を事前に知ることがかなわぬ以上、展開も見通しもないまま、じっと耐えるのも必要なキャリアであろう。  だが、日本では誰もが性急に答に、すぐ飛びつこうとしていた。  ワールドニュースが簡単に手に入り、すぐにも世界を知ったつもりになってしまう国。受け売りは受け売りを超えることが出来ないと言うのに、やたらと評論ばかりが多い国。言葉も所詮は道具にすぎないというのに、かっこいい言葉に捕われている国。 「自分の言葉で喋れ」 と言われてみたところで、今度は自分の言葉で喋ると称して、自分になじみある言葉でばかり解釈してしまい、本質を見失う。しかも、言葉さえ知っていれば他を批判するのは簡単だというのに、人は他を批判したがるばかりか、批判の対象も玉虫色の言葉の影に隠れ、自在に趣旨を変化させて逃げ切ろうとする。  それもビジネスの一つの手段だというならよいが、それはビジネスマンの口から聞ける言葉であって、評論家の賢い口から出てきても不毛なだけ。  しかし、地球はまだまだ広い。  就職してから3年ないし4年毎に、精神的危機が訪れるという。それは、それまでの教育制度のおかげで、入学と卒業という、天から与えられる転機のサイクルに慣らされてしまっているからではないか。結局、自分の問題意識すら、自力でつかめない私たち。私たちの行動が、所詮、この国独特の教育体制によって刻印された様式美でしかないなら、個性を尊重した教育なんて存在するわけがない。せいぜい、自分で新しい様式美を構築するぐらいか。 「次の問いに答えなさい」 という質問ばかり与えられているうちに、いつのまにか我々は、宇宙のすべてに答があると思い込むようになり、性急に答に飛びつくようになった。答が不明瞭に思える時は、いらいらするようになった。こうして、全てを形に起こさないと満足しない現代人ばかりが、社会を動かすようになった。  無形の、あいまいなものを嫌がるようにしつけられ、気づかぬうちに己の思考自身が既に様式美となったのが、私たち共通一次世代。選択肢が無ければ答えすら思いつかない。形が無くては満足に思考することすら不可能。形無くして生きて行けないのなら、せめて自分を規定している形がどんなかたちをしているのか把握しておきたい。  何故なら、自分が自分である必然性は、どこにもないから。  無論、自分に生まれてしまった以上、自分を生きるしかないのも事実。だが、その真の意味を解している人間が、どれほどいることだろう。  様式美の中では視界も限られてしまう。曖昧模糊に見える大衆の中、紛れ込んでしまった自己の小ささ。でも消費に励めば、高嶺の自己実現も手に届きそう。流行という多数派閥にうずもれる安心と、複製がたくさん出回るというのに商品化された自己実現による差異化への試み。この二律背反を無批判で享受する私たち。  自己実現にはげむのは、決して悪いことではない。いや、むしろぐうたらな私より数倍も崇高な行動だ。  しかし、曖昧模糊とした大衆の中では、確固たる尺度がないから、己の分を知ることが出来ない。しかも近代科学のおかげで、答えを性急に求めたがるようしつけられ、確固たる尺度もないままでいることに神経が耐えられない。尺度がないと不安に駆り立てられ、尺度がないのを良い事に、ある者は言葉をたくさん仕入れ、検証される心配のない仮想領域ばかり語る評論家になることで、台頭しようとする。ある者は真面目に人生と期待に真っ正面から取り組み、取り組んだものの、自分の達成を測ることが出来ないが故に際限もない自己実現を迫られ、疲れ果ててしまう。  きっと相手は疲れ果てているだろうと察するからこそ、私は黙してしまう。  達成への強迫にまで肥大化してしまった自己実現至上主義。これを打破するには、どうしたらよいのか。自己実現の自己表現への転化も、一つの方法には違いない。オタクどもが、まさにそうだ。  私にあるのは、インプリンティングされた枠組みであり文脈であり、それをどこまで異化して眺めることができるかという分析力であり、自己を相対化してでもその分析をいとわない意志であり、ためらっている場合ではないという状況認識であり、自己を束縛する枠組みと付き合うことを考えることである。  さらに私には理解の種を蒔く努力と、発芽するまで待つ忍耐が加わる。そして時として全てを、めんどうだ、と言って放り投げてしまう。ついつい答を求めてしまうからいけないのだ。  だが世界には答が立派に用意されている国家が、今もなお存在する。  世界には奇跡のような版図が、今もなお、たくさん存在している。  そして私には、イデオロギーが生んだ分断国家を、もうひとつ、見る機会に恵まれた。  15万人が入るというスタジアムに案内された。  東京ドームもはだしで逃げ出すスタジアムの一角には、これまた十メートル四方以上もある巨大な故金日成主席の肖像画が掲げられていた。その真下で、やっと見分けられるくらい小さく見える一人の男性が、一生懸命に両手で旗を振っていた。彼の旗の一振りが合図となり、5万人の学生が繰り広げるマスゲームが、そのパターンが、一斉に変化する。場内には金日成の息子、金正日将軍を高らかにたたえる歌が、巨大なスピーカー群も割れんばかりの大音量となって轟き、響き渡っていた。  初日に見たマスゲームには、子供のように目がくらんだ。15万人のどよめきは、関西大震災の地鳴りと、そっくりだった。それにもまして15万人の完璧な静寂は、身震いが止まらない無気味さだった。まさしく天変地異に等しいスペクタクル。壮大な無形文化財。   だが、三日目ともなると、人間を愚弄した演出の数々に、私達は憤りのあまり言葉もなかった。ただ、軍隊のようにデジタルな割り切りのはっきりした直線的で明解な動きだけでなく、波動を多用したアナログなたおやかな曲線美も演出するあたり、共産主義も90年代に入ったということなのだろうか、などと、かろうじて理性で考えることができた。それほどまでに、マスゲームは衝撃的で異質な演出であった。寒気がするほどすばらしい完成度だったが、一人でできる踊りは、一つもなかった。  演じるの中には幼い小学生の姿もあった。1万人の小学生たちが、一糸乱れぬ国家的シュプレヒコールを展開する。  あなたがいなければ私たちもなく  あなたがいなければ古里もない  金・正・日! 金・正・日! 金・正・日! 万歳! 万歳! 万歳!  そして死せる前主席、金日成を懐かしむ一万人の小学生たちが右手を挙げて敬礼し、一斉に、無気味なほどそろったタイミングで、一斉に号泣する。その声が、ただ、霞のように、飛蚊の雲の音のように、スタジアムを満たすばかり。しかも、泣きじゃくりながらも、彼らの手足はきっちりそろって行進しているのだ。  むごたらしいまでの完成度の高さ。  虚飾を排したデザイン。しかも巨大な建築ばかり。どれもこれも刑務所のような外観をした、��大な建築の数々。鮮烈な配色を嫌うのはまだしも、そこは全てが統制された殺風景。センスもダサい。広告は一切なく、その代わりこうこうと夜も電飾で輝く��治的プロパガンダの数々。半島は一つ。偉大なる指導者・金正日将軍、万歳! 偉大なる首領金日成主席、万歳! 栄光の朝鮮労働党、万歳! 我々は絶世の偉人、金日成主席の革命戦士だ! 我々は金日成主席の人間爆弾になろう!  金日成が死去してまだ一年たらず、その巨大な肖像画は国のあちこちで共和国人民たちを見まもる。  色あせた北朝鮮では、どんなラフな格好をしていても日本人は派手。そして人民たちは、根深いひとみしりによって、絶対に目をあわせようとは、しない。  だが、住んでみたいとは絶対に思わないにしろ、言われているほど、北朝鮮は異国でもなかった。  たとえ黙り込むにしても素朴な人々の反応。裏を読むことを全くしない、すなおな田舎の心理。恐らく最近まで、東京でもこうだったはずだ。私たちが子供のころの東京や京都。今の日本でも、外国人に対して慣れていなくて構えてしまう人々はたくさんいるだろう。意外にも両国は共通項が多い。  かつてタイでみかけたのは、はにかむ上目遣いの視線だった。水気を含んでしっとりとした空気もあいまって、それはとても東洋的なセクシーさをたたえていた。北朝鮮は少し違い、乾き切った大陸の荒野そのままに、表情も荒涼としていた。それは紛れも無く偏狭で過敏な郷土愛に満ちた、ひとみしりの視線。彼らは無口でぶっきらぼうだが、物心つく前に離ればなれになって忘れ去られたままの兄弟に出会った気になったのも事実。それは帰国子女の私が、それだけ、ひとみしりする日本人に肉迫して来たと言う、個人的に感慨深い事実でもあったのだが。  しかし偏狭で繊細な郷土愛は、時に凶暴な警戒心にも転化しうる。監視され尾行され警告まで受けるのは、何度経験しても、みぞおちが堅くしめつけられる。旅を終え帰国してきた直後、我々は自由世界に帰還できたという気のゆるみから、名古屋市内の道端にへたばってしまった。ツアー・バッジを外した時の解放感は、仕事から帰宅してネクタイをはずしスーツから私服に着替えたときの気分にもまさるというのが、自分でも笑えた。  今回は、たまたま無事に帰ってこれた。だが次回、同じことをしたら、果たして帰って来れるかは未知数。最後には帰ってこれても、彼らが我々を交流することなく観光旅行を続けさせてくれるかは、未知数。生命の危険と言うだけでなく、たとえ彼らが言うところの「帝国主義陣営」の抗議により釈放してくれたとしても、そもそも釈放されなければならない事態に陥ること自体、一観光客にとってどれほどシビアな状況か。シンガポールでは、フィリピン人のメイドが故国とは違う法律によって処刑された。北朝鮮刑法でのスパイ罪は、最低7年の強制労働と修正教化である。修正教化! 皇民化教育の再来、いや仕返しか、パロディか。あとで無事帰国できたとしても、あまりに大きな代償。今を思えば朝8時にホテルを出発し、夜10時以降にホテルに帰ると言うハード・スケジュールも、早朝から夜間に至るまで我々を管理しておきたいという意図があってのことではないか。単独行動を起こす時間を、極限まで無くしてしまいたいという狙いではないのか。郷土愛は、時に凶暴な警戒心に転化する。  それにしても彼らがお膳立てしてくれたコースは、往々にして哀しくさせた。古都、開城(ケソン)の遺跡展示がつまらなかったのは、単に展示が貧相であったというだけではない。安らかに眠るはずの遺跡をたたき起こし、今なお血気盛んな共産主義の偉大な歴史背景として演出する意図に満ちているからだ。封建支配に叛旗をひるがえす農民一揆の展示に力を注ぐあたり、どこまで思想は皮肉なものなのか。抗日英雄たちの霊廟も同様、抗日戦争は素直に受け止めるにせよ、それが個人崇拝に至るなら、興ざめである。  忘れた兄弟にめぐりあえた気分にしてくれる、偏狭で繊細な郷土愛のまなざし。だがそれは、時に相手が自分よりすぐれているか劣っているかでしか判断しない。  ただ、帰国したその時、かすかだが確固たる疎外感を感じたのも事実。何を体験したか、そのシビアさは実際に行った人間でないと分からない、というだけではない。  警告するにしても目をそらすにしても、彼らは我々が眼前にいることを、はっきり認めていた。帰国直後、名古屋の道端でへたばっていた我々を見ようともしない日本人の群れの中、我々は背景の景色の一部品でしかなかった。せいぜい、その他大勢。曖昧模糊とした大衆。  私たちは、監視され VIP 待遇まがいの特別警戒を食らうことに、あまりにも慣れてしまって、人から視線を浴びない事には自我を保てなくなってしまったのだろうか。寂しいような、しかしこれが、あるべき姿でもあるという実感なのか。  そして全体主義が海をはさんで隣接しているのも意識せず、眼前に我々が存在している実感も認めさせてくれぬまま、日本はどこへ行こうとしているのか?  尾行される緊張にみなぎった行動と、背後に広がるプロパガンダ。  出発前の私は正直言って興味本位だった。地球最後のワンダーランド。目の前に、現実に展開するスペクタクル。国家権力の壮大なパロディ。北朝鮮が半世紀も続いたのは驚異だが、大日本帝国とて四分の三世紀も続いたことを考えると、それは歴史の隙間としてあり得る数字なのかも知れない。哀しいのは、それがちょうど1世代まるごと飲み込む時間であること、その中で生まれ死する世代がいるということ、他を知らずに。  しかし大日本帝国には、大正デモクラシーというリベラルな一コマもあった。極端な管理社会は極端な自由放任同様、絶対に長続きし得ない。それは判断を放棄した社会であり、そもそも純粋な体制などあり得ない。北朝鮮は国家のパロディとしか思えなかった。  だが、それは北朝鮮を理解する入口でしかなかった。決して悪くない入口ではあったが、いつまでもそこにとどまることは、できなかった。  めくるめく圧政の中、極めてまじめに生きる素朴な人たちがいたからである。  姿勢正しい人々の、礼儀正しく、まっすぐな視線。なにごともけじめを大切にする礼節厚い人々。「一人の一生で終わる生物学的生命より、世代を越えて伝わる政治的生命に自己を捧げる」などと心底ほこらしげに語って聞かせる人々。暖衣飽食の人生よりも、歴史に名を残すことを重んじる気高い人々。曇りなき自己の純粋さを尊ぶ人々。管理することで初めて得られる安心。  恐らくは儒教精神に根ざしているであろう、それら感覚や価値観は、だが日本人にとっても少なからず馴染みあるはずであり、時に基本的なしつけだったりもする。欧米にもマスゲームはあり、軍隊式マーチングバンドが盛んであり、何よりも軍では自己犠牲が叩き込まれる。集合美、組織美は、東洋の特権ではない。そして管理は生活の保障を生む手段であり、それ自体は善し悪しではない。手段の一つに過ぎないはずの管理という言葉が日本では嫌がられるのは、非本質的な管理が多いからだ。  根底の発想はまるで異質に思えても、その上に立脚し構築し見せてくれる演出は、実に念入り。一挙手一投足にいたるまでが、彼らの高い理想と純粋な使命感に裏打ちされている。そして機械に頼らず生身の人間を大量に現場へ投入する人海戦術。この彼らの誇る究極のテクノロジーを駆使することで、むごたらしいまでに高い完成度をめざす。しかし、身の毛もよだつほどむごい向上心と全体主義が、じつは日本の高度成長期の滅私奉公会社人間と比べ、いかほどの違いがあるのだろう。街中をひるがえるイデオロギッシュなプロパガンダと、日本の吊り広告の中で物質文明の享楽に溺れる決まり文句の洪水と、いかほどの違いがあるのだろう。北朝鮮と日本とは、同じものの両極にいるに過ぎない。  マスゲームに参加した学生たちが退場するとき軒並み号泣するのは、演出によるものとはいえ、あながちこの社会で育った者なら、涙腺が金日成に感じるようにできているのかもしれない。  小学生たちは罪ない声で指導者たちを賛美しながら、一生懸命に踊りを踊ってくれる。褒めてあげれば、ほんとうに嬉しそうな顔をする。完全無欠の表情をつくってくれる優等生もいれば、本心から恥ずかしそうに嬉しい顔をする正直な子もいる。この年代なら、誰だって認められたいものだ。ネタがネタだっただけで、大人が嬉しがることを素直に実践する彼らに、罪も曇りもなかった。私たち観光客に授業参観させてくれたばかりか、雨をもろともせずに濡れながら純真に手を振って観光バスを追いかけて見送ってくれた小学校の子供たちの笑顔に、なんの罪も曇りもなかった。  その笑顔がこころを刺して痛かった。思わず泣けてきた。  そ���は私がなし得た、数少ない共感であった。彼らと私との、ダークだがれっきとした他者理解の成功例であった。北朝鮮と日本は、同じものの両極にいるのだ。  だがそれはダークだった。何も外の世界を知らず一生をまっとうできれば幸せという意見もあったが、それは、自分の価値観と使命感とを一点の曇りもなく疑わず猛烈に働きつづけ過労死するサラリーマンの一生を幸せというのと、同じかもしれない。そもそも、人民はそこまで意識できるよう教育されているのか。純粋な気持ちで子供たちが歌うのは、大政翼賛の歌。降りしきる雨に濡れながら私たちの観光バスを追いかけてくれた子供たちの背後には、校長先生だという太った中年女性が、部下に雨傘をささげさせ、かっぷくある手ぶら姿で微笑んでいた。北朝鮮では、すべてがパロディには違いなかった。しかしそれは、私たちの日常を実感として再検討させてくれる、極めてシリアスで重いパロディでもあった。  その明快さから、とかく遠近法こそが真実に忠実な画法とされがちだが、注意深ければ、視野は自分の眼を中心とする球面上に展開していることが分かるはず。だが、球面上に広がる視野を平坦な紙の上に転写すれば、それは見なれない像を結ぶ。  象徴的なまでに、すべてが単一の消失点へ収束する遠近法の技法、一点投射法。極めて単純明快、かつ熟練すれば複雑で柔らかな像を描くこともできる。だが、どこまで卓越しつづけても、遠近法は魚眼レンズのように発想の転換を迫ることはない。この国の数々の偉大なる建築を可能にせしめた一点投射法、その中心には、つねに金さん親子が燦然と輝いていたのだろう。だが、中米の先住民は世界最大のピラミッドを石で建設したが、ついぞ車輪を思いつかなかった。  人が意外な忘れものをしがちな存在なら、私たちもまた。  理解は、だがそこまでだった。桁外れの人みしりの向こうは熱烈な郷土愛で満ちていて、いったん心が融けると猛烈な勢いでお国自慢が始まる。出生にコンプレックスを持った田舎者が急に自信を持ち出したような、お国自慢。程度の問題かも知れないが、さすがに、かくも自尊心高く排他的な感情の奔流に、私はついていけなかった。吐露させることが理解への遠くて近い道と分かっていても、それは一方的に行われるコミュニケーションにさらされる苦痛であり、さらに偏狭な感覚から解放されたいという欲求との戦い。  アイデンティティーの名の下に、許されてしまっている我がままなヘゲモニー。南朝鮮との違いにヒステリックなまでにこだわる北韓。そんなに声を高くしないでも、北朝鮮は充分にユニークな国。共産主義(彼らは独自性を出そうとし金日成主義と呼ぶが)国家という名の儒教国家なんて、いまどきここにしかない。だのに自他の違いを徹底的に強調した舌の根も乾かぬうちに、今度は同じ民族だ、自主統一に向けて南北は一致団結しようと言い出す矛盾。  自他の差異は、じつはささやかなものでしかなく、ただそのわずかな差異すら人間には満足に乗り越えて相互理解できないばかりか、たとえ相互理解できる状況であっても、わずかな差異がありさえすれば、それは人間にとってこだわりがいのあるある差異なのか。それは、なじみある分析の筈だったか文化相対論を突き詰めたとき、今までに出会ったどの普遍論よりも広大な海原が姿を表わしたという点で、再発見に等しかった。  相対論は小気味良い思考道具であり、普遍論は桁外れに大きい。  彼らに国を憂うことが許されているのだろうか? それを私が憂うことは、主体を重んじる人々にとって、おせっかいな内政干渉になるのか? EU のように誰もが国境を自由に横断できるようになれば、なにもいま統一を急ぐこともないのか? だが、日本人である私が、他国の行く末を口にして良いのだろうか?  派遣に留まらない働きを発揮して下さった現地人ガイドさんには、是非とも訪日いただき、きれいなところもきたないところも、ぜんぶ案内してさしあげたい。何のトラブルもなく行き来できる日が、ほんとうに早く来てほしい。  しかし、ひとみしりは危険な警戒意識をも生み出す。たびたび尾行され、一時はフィルムまで没収された前科者の我々は、果たして再入国させてもらえるのだろうか。あるいは無事帰国させてもらえるのだろうか。その答は風の中。 '95年5月
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meidooo · 2 years ago
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 「巻き込まれた者として、どうしていくのか」。
 それは重い問いかけであり、この問いを抱きながら歩んでいく道のりに終わりはない。だが、日常に没入することで痛みを忘れようとするのではなく、未来へと向かう「回復の物語」によって癒されようとするのではなく、ただ、そのような〈同行者〉でありつづけようとすること。そのようにして喪失の痛みを感じとり、失われた生の輝きを想起しつづけることを通して、他者である私たちもまた、亡き人とともに生きていくことになるのだと思われる。
石井美保 『遠い声をさがして 学校事故をめぐる〈同行者〉たちの記録』
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