#遠藤匡剛
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generalwonderlandpeace · 3 months ago
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sasakiatsushi · 7 years ago
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イズミズム最終回
 突然ですが、この連載は今回で最終回です。先日、森山編集長と打ち合わせの際に、彼の方から「ちょっと仕切り直しをしてはどうか」という意見が出た。実を言えば僕自身が(読者の皆さんもきっとそう思っていることと思うが)、この連載が途中から相当に迷走している、なんだか非常に息苦しい袋小路に入りつつある、ということは強く意識していて、正直に言うと、この申し出は渡りに船(?)だった。「イズミズム」は、当初に考えていたコンセプトから、あれよあれよという間に外れていってしまい、僕は自分が何をしたいのか、何をしなければならないと思っているのかは分かっているつもりでいながら(それは今でもそう思っている)、それをどうやったらいいのか、どうやれば上手くできるのか、をどうしても思いつくことができなかった。要するに、僕は失敗したのだと思う。それは潔く認めなくてはならない。今回���この文章の右の方にある筈の連載開始時の内容紹介文は、休載を挟んだ連載第五回以降はまるっきり形骸化してしまっているのだが、にもかかわらずレイアウト上はずっとその勇ましい文章が冒頭に置かれ続けていることが、ある意味ではこの連載の「失敗」を何よりも証立てている。
 うわあ。なんとも恥ずかしい告白になってしまっているが、しかしその一方で、僕にはこの「失敗」(?)が、ある意味では不可避であったとも思うのだ。それはつまるところ、僕がやろうとしたこと、やりたかったこと、やるべきだと思っていたこと、それ自体があらかじめ孕み持っていたどうしようもない難しさのせいだったのだと、これは言い訳でも開き直りでも何でもなく、そう思う。しかし、そのことをちゃんと説明すること自体が、やはりどうしようもなく難しい、のだ。これでは堂々巡りだけれど、しかし実際、この「イズミズム」とは、その「難しさ」について考えようとした連載だったのである。  前回は予定を変更して、七月末に僕が企画した「批評家トライアスロン」なる試みについてレポートじみた文章を書いてみた。そこでは書かなかった(書けなかった)ある事実と反省に関しては、どこかでまたあらためて述べる機会があるかもしれないが、実は急遽内容を変える前の(今回同様に)〆切ギリギリの極限状況下で、僕は別の内容を途中まで書きかかっていたのだ。それについては実際の原稿の冒頭にも少し書いてあるが、以下に書きかけだったテキストをほぼそのままコピペしてみよう。
 現在、この国の文化=思想=批評の状況には、いわば「ニュー“ニューアカ”」とでも名付けられるような現象/事態が出来している、と僕には思える。「ニュー“ニューアカ”」(以下めんどくさいのでニュニュアカと略す)は、「八〇年代」に起こった「ニューアカ」すなわち「ニュー・アカデミズム」の「反復」であり「持続」でもある。いや持続してるなら反復しないし、とか思われるかもしれないが、この少々矛盾(?)した言い方の意味については後で記すつもりだ。  まず簡単に「ニュー・アカデミズム」の解説をしておこう。「ニューアカ」とは八〇年代の前半に、当時京都大学経済学部助手だった(現在は助教授)浅田彰の著書『構造と力』のベストセラーを契機に出版界から巻き起こった、現代思想のサブカルチャー化と、知識人・大学人のポピュリズム的受容の、ほとんど社会現象にさえなった一大ブームと、その構成メンバーを指す。浅田と並ぶ人気を誇っていたのが、やはりベストセラーとなった『チベットのモーツァルト』の中沢新一だ。他には、のちに政治家への転身を果たしたりと迷走していくことになる栗本慎一郎などもいたが、もちろん重要なのは、浅田や中沢よりも上の世代ではあるが同時期に本格的な活動を開始したと言っていい柄谷行人と蓮實重彦だろう。現在に至るまでの流れを思えば、つまるところ「ニューアカ」とは、結果として「柄谷ー蓮實ー浅田」の三位一体の制度(?)を形成した現象だったとさえ言うことが出来るのではないかと思う。  ところで、あらためて考えてみると、「ニューアカ」には幾つかの特徴があった。以下、少し説明してみる。
*「ニューアカ」とはその名の通り「新アカデミズム」であって、「反アカデミズム」でも「超アカデミズム」でもなかった。浅田は京大、柄谷、蓮實、中沢は東大卒だ。もちろん他の構成メンバーの学歴はまちまちではあったが、少なくとも「ニューアカ」の権威性と信頼性は、明らかに東大と京大というこの国の「アカデミズム」の最高峰のそれに依っていた。前述のように浅田は現在も京大所属だし、周知のように蓮實重彦はのちに東大総長にまで昇り詰めることになる。
*にもかかわらず、実際には必ずしも「ニューアカ」は、それぞれの専門領域における研究それ自体によって評価されたわけではなかった。経済学が専門である浅田の『構造と力』はフランスのポスト構造主義の解説本 (その内容は現在であれば新書で刊行されていた筈だ)だったし、仏文学者の蓮實もフランス現代思想の紹介や文芸評論、とりわけ映画批評の分野で注目を集めた。学部は経済学で修士は英文学だった柄谷は夏目漱石を論じた文章で文芸批評家として��ビューし、『マルクスその可能性の中心』を文芸誌に連載した。つまり「アカデミズム」と言いつつも、彼らはいずれも語義通りの「アカデミック」な領域で頭角を現したわけではなかった。それゆえ「ニュー」と呼ばれたのだ、と言うことも出来る。「アカデミズム」に属していた者が「アカデミズム」の「外部」で/に「知」を発信した、と言うことも出来るかもしれない。
*「ニューアカ」の思想的バックグラウンドは基本的にはもともと「左翼」的なものだったと言える。柄谷は元ブントだし、蓮實も東大のいわゆる「造反教官」のひとりだった。だが「左翼」的ではあっても、それはそのまま「反体制」を意味してはいなかった。むしろ「ニューアカ」は、バブル経済の上昇気流にあった「八〇年代」においては、日本という「国家」に対して、親和的とまでは言わないまでもかなり現状肯定的だった。本来はいわゆる「68年的」な思想であった筈の「(ポスト)構造主義」を使って「八〇年代ニッポン」の繁栄を説明しようとする無理に、当時は��も気付かなかった(気付いても何も言えなかった)。ところが「ニューアカ」の多くは「九〇年代」に入ると、変節とも転向とも表立っては呼ばれることなく、すなわち公的には一貫性を維持したまま「左旋回」する。これはだから正確には「旋回」ではなかったのだが、スタンスとしてはかなり鋭角的に「反国家・反体制」化したように見えたことは確かだった(このあたりについては仲正昌樹の『ポストモダンの左旋回』を参照)。
 このような「ニューアカ」の特徴は、ほぼ二十年を経て「ニュニュアカ」によって「反復」されている。だが、その前にもう少し、続く「九〇年代」のいわば「ポスト・ニューアカ」についても触れておかねばならない。端的に「ポニュアカ」は「ニューアカ」に対する相対化というか異和の表明というかルサンチマンの発露というか、大体そのようなものとして登場した。その代表的な論客を、やはり現在との関わりにおける重要度に従って三人挙げるなら、これは疑いなく宮台真司、大塚英志、福田和也ということになるだろう。宮台は「ニューアカ」に対抗する戦略について度々語っているし、福田は柄谷・浅田とは良好な関係を保ちつつ、蓮實に対しては初期から徹底して批判的だ。大塚も湾岸戦争以後の旧「ニューアカ」勢の政治的言動の変節を執拗に批判していた。もちろんこうした個別的なことだけではなく、思想や批評が一種のブームになることによって、さまざまなことが可能になった時期には間に合わなかった彼ら「ポニュアカ」が、多くの意味でいわば「反ニューアカ」的スタンスをいささか露骨なまでに身に纏うことで世の中に出てきたことは確かで、受け入れる側もそのような存在として歓迎したり反撥したりしたのだった。これはある意味で単純きわまる「振り子の原理」のようなものだと思うのだが、しかし現実はしばしば単純な原理によって動くことがある。    書いてあったのはここまでだったのだが、この続きとしては、次に「ニューアカ」と「ポニュアカ」と「ニュニュアカ」のすべてを繋ぐ類いまれな存在として「東浩紀」という人について触れた上で、いよいよ「ニュニュアカ」のことを書くつもりでいた(もちろんもっと丁寧にやろうとするなら、たとえば松浦寿輝や丹生谷貴志や四方田犬彦のような人達や、渡部直己やスガ秀実のような人達や、あるいは笠井潔や加藤典洋や、あるいは椹木野衣や山形浩生や、そして大澤真幸についても当然触れるべきなのだが、それではさすがに字数がまるで足らないと思っていた。ニッポン批評史をやりたいわけでもないし)。  僕が「ニュニュアカ」という言葉で括ろうと思っていたのは、たとえば北田暁大や鈴木謙介、もっとも徴候的には稲葉振一郎のような人のことだった。本誌と同じ版元の長谷川裕一論『オタクの遺伝子』、ちくま新書の『「資本」論』、やはり太田出版からの『マルクスの使いみち』(松尾匡、吉原直穀との共著)、『モダンのクールダウン』(NTT出版)、立岩真也との対談本『所有と国家のゆくえ』(NHK出版)と、このところ立て続けに本を出している稲葉氏は、63年生まれ、一橋大卒で東大大学院博士課程単位取得退学、現在は明治学院大学社会学部教授だ。東大時代の付き合いなのか(彼らの一読者でしかない僕はこの辺の関係性をよく知らない、誰のこともよく知らないけど)、山形浩生とは旧知の仲のようで、インタ−ネットの稲葉氏のブログにはよく山形氏が登場する。ちなみに太田出版はもちろん「ニューアカ」の最後の牙城となった柄谷行人・浅田彰責任編集による「批評空間」の第二期の版元でもあり、『モダンのクールダウン』の元になった「片隅の啓蒙」が現在も連載されている雑誌「インターコミュニケーション」は、ICC(インターコミュニケーション・センター)同様、その成立と初期のコンセプトに浅田が深く関与していた(が、ご存知の方も多いように山形浩生は浅田彰に何度か極めて痛烈で痛快な批判を向けたことがある。稲葉氏が浅田彰的存在に対して何らかのスタンスを提示するようなコメントを発しているのかどうかは寡聞にして知らない)。ここ最近の「インコミ」には東浩紀と旧GLOCOMグループが度々登場し、最新号では稲葉氏と東氏の対談が、浅田彰と岡崎乾二郎の対談とともに巻頭に掲載されている(僕はこの二つの対談の並べ方は、タイトルの付け方と共にとても嫌味で最高だと思ったのだが、そのこともここで述べたいこととすごく関係があるけれど、とりあえずは置く)。  僕は稲葉振一郎氏の言説について、何事かを述べたいわけではない(し、さしあたり述べられるとも思っていない。述べてよいとも思えない。だが、これまた「何故、述べてよいと思えないのか?」ということも実は重要な問題なのだ。というか、本当はこんな韜晦をやたらと連発することで何かを語ろうとしている節もあるのだが。ただちょっと思ったことは、博覧強記というべき稲葉氏の論述の先にあるものは、そのすぐれて懇切丁寧な啓蒙的態度とある意味では相反するような、恐ろしく大文字のざっくりとした「問題」という気がして、それは氏自身もよく言及されているSF的な、というかほとんど空想科学的な荒唐無稽ささえ感じられて、それが僕にはなんだか、氏とほぼ同世代の椹木野衣が一時期やたらとフーコーの「人間の終焉」にこだわっていた、やはりほぼ同世代である僕にはしかし非常に不可思議な、こう言ってよければ大言壮語と重なる時がある)。そうではなくて、たとえば現在の「文化=思想=批評シーン」(「文学シーン」とか何でも「シーン」を付けるのはよくないと磯部涼が言ってたけど、「シーン」で括れるくらいどれもこれもちっちゃい、っていう事だよ)における「稲葉振一郎」の役割というか必要性のようなものが、僕の受け取り方では往年の「ニューアカ」の「反復」であり「持続」であるものとしての「ニュニュアカ」を、とても鮮明に示していると思うのだ(ところで63年生まれといえば、年齢的にはむしろ「ポニュアカ」に近いのだが、「○○アカ」の区分は世代ではない、ということは言わずもがなのことである)。  稲葉氏は『経済学という教養』や『マルクスの使いみち』などで、自らの想定読者層に対して「人文系ヘタレ中流インテリ」というタームを与えている。その意味については両書のそれぞれ序説の部分で述べられているが、「経済学という「教養」」や「片隅の「啓蒙」」という言葉に如実に現れているように、氏には人文的な専門知とでも呼ぶべきものを、アカデミックな研究者だけの愛玩物に留めておくのではなく、それに正当で健康な興味を抱く「素人」に対しても開いてゆくべきだ、という一種の信念のようなものがあると思える。彼らはアカデミシャンでも専門家でもありえない、それゆえに「ヘタレ」なのだが、しかし「教養」への意志や「啓蒙」への志向性は持ち合わせているぐらいには「インテリ」であるというわけだ。それはいわば「新書」的な「知」へのベクトル、とでも呼ぶべきものだと思う。コアな理論書でもテキスト=教科書でもない、不特定の「他者=素人」に向けた「教養」への導線としての「新書」。そしてそれは、嘗ての「ニューアカ」が纏っていたものと似てはいないだろうか。  浅田の『構造と力』が典型的だが、「ニューアカ」のひとつの本質は、多くの場合、地理的・言語的な障壁によって未だ知られていない何らかの「知」を「紹介」したり「整理」したり「解説」したりする行為のカジュアル化、すなわちファッショナブルな「啓蒙」ということであった。「ポニュアカ」には、総じてそのような親切さは微塵も存在していない。彼らは「ニューアカ」の突破もしくは反転を企図していたのだから(たとえば宮台真司は「専門知」も「大衆知」も更に極限化することによって「ニューアカ」との差異を披瀝した)。また、東浩紀も(『動物化するポストモダン』は講談社現代新書だが)「新書」的な姿勢とは実のところ無縁なタイプであると思う。彼は明らかに、あくまでも個人的な主題を公(共)的な主題へと短絡させる剛腕を持った、ある意味では古典的な意味での「哲学者」だ。だが稲葉氏には明らかに「新書」的なベクトルがある。それはたとえ「片隅」ではあっても「啓蒙」はありうべきである、という、もう一度言うと「信念」によって支えられていると僕には思える。そして、彼に代表されるような論客がそれなりの存在感を発揮しつつある現状を、さしあたり「ニュニュアカ」と呼んでみたい、ということなのである。  さて、ところでしかし、ここでやはり意地悪な問いを発さなければならない(そして、この問いこそがこの最終回のテーマ?なのだ)。「人文系ヘタレ中流インテリ」は、本当に存在しているのだろうか?。そこにいるのは、実際には「人文系ヘタレ中流インテリになりたい人たち」でしかないのではないか?  興味深いことは、「ポニュアカ」の方々の著書の方が、「人文系ヘタレ中流インテリ」よりも、ずっとポピュラーな「一般読者」に対して開かれているということで(それは彼らが良くも悪くも「ニューアカ読者」の外側に自らの購買層を設定してゆくしかなかったという事実を示してもいるが)、それは書かれた内容の高度さとはあまり関係がなく、いわばプレゼンテーションの違いなのだが、そんな「ポニュアカ」を経て「ニュニュアカ」が、敢て「読者」のスクリーニング的なことを標榜していること、そうせざるを得ないということの意味が、僕には気になる。  稲葉氏の著書は、あからさまに啓蒙書的形式を持つ『経済学という教養』を除くと、実のところけっしていわゆる「入門」的な中味ではない。そこで述べられていることを十全に理解するためには、読む以前に一定以上の「教養」が必要であり、それは(矛盾するようだが)いわゆる「新書」的なヤワさとは異なっている。つまり、そこには稲葉振一郎オリジナルの「哲学」というか「思想」が込められているのだが、しかし氏は「読者」がそこに辿り着くまでに経由すべき「教養」の有無をもはや無視することができない(この一種の自信の無さが「ポニュアカ」との決定的な違いだと思う)。だが一方では、それを真に直視してしまうと、ほとんど書く動機が損なわれかねないほどの危険性が存していることにも、恐らく気が付いているのだ。  そこで「人文系ヘタレ中流インテリ」が登場する。それは一見、揶揄のようないでたちをしてはいるが、実はそうではない。稲葉氏が設定しているような「人文系ヘタレ中流インテリ」は、おそらく数としては相当に少ない。それは「ニューアカ」の時代よりも減っているし、減り続けている。おそらく文字通りの「人文系ヘタレ中流インテリ」にカテゴライズされるような「読者」は、自らをそう同定しはしないだろう。居るのは、「人文系ヘタレ中流インテリ」というレッテルに、かなり倒錯的なものではあれ、一種のエリーティズムを感じてしまうような、いわば永遠の「人文系ヘタレ中流インテリ予備軍」なのだ。そして煎じ詰めれば「ニュニュアカ」とは、そうした「読者」に対してチャームを発揮する「知」なのだと思う(これは稲葉氏の言説や存在の意義とは何ら関係がない、念のため)。  「ニュニュアカ」が「ニューアカ」の「反復」であり「持続」でもある、ということの意味は、「ニューアカ」自体が、実はそういうものだったのではないか、ということなのだ。「ニューアカ」の時代に「わかりたいあなたのための〜」といった枕が付いた現代思想の「入門」書があった。また(これも太田出版だが)柄谷・浅田など「ニューアカ」勢による『必読書150』には「これを読まなければサルである」というオビ文が刻まれていた。これらは「読者」の「知」的な劣等感/優越感を露骨に刺激するようにできていて、「わかりたい」は「わかってると思える」に、「これを読まなければサルである」は「これを読めばサルではない」に読み替えられる。だが、それはどこまでいっても、たかだか「サルではない」ということでしかない。サルよりはましだと思うかもしれないが、それはようやくヒトになれただけで、もしかしたら、ただそう錯覚し得ているだけかもしれない。サルであることに無意識でいられるサルと、サル��はないと思い込むことを(誰かに?/自分に?)許されただけのサルの、どちらが幸福だろうか?。  つい筆が走ったが、「持続」というのは、「ニューアカ」→「ポニュアカ」→「ニュニュアカ」の言説の担い手ではなくて、それらを「サルではない」と思いたい「人文系ヘタレ中流インテリ予備軍」に提供し続けている、いわば仕掛人的存在(端的に言うと「編集者」)が、三つのカテゴリーを通じて、現実としてほとんど変わっていない、という事実を指している。もちろん例外はあるが、それは実際に同じ人物か、もしくは同一の系列に属していることが極めて多い(ことは知っている人は知っていることだ)。彼らによってその時々の「アカデミズム」から人員がピックアップされて、「○○アカ」が生まれていく。そして、もっともクラい思いにさせられるのは、「ニュニュアカ」的なるものの台頭が起こっているとして、それは「啓蒙」の成果として「人文系ヘタレ中流インテリ」が増大しているからではなく、むしろ「人文系ヘタレ中流インテリ予備軍」と更に外側の「人文系ヘタレ中流インテリ予備軍の予備軍」の絶対的で不可逆的な縮小が、あるポイントを経過してしまったがゆえに、いわばあぶり出しのようにして、そうなっているのではないか、ということなのだ。  もちろん、それはそういうものなのだし、ずっとそうだったのであって、今更どうこう言うようなことでもないし、そもそもお前ごときが云々すべきことでもない、という意見はあるだろうし、僕もそれはもっともだと思う(正直ほんとうに)。そして、だから僕は、この連載を今回で終えることにしたのだ。最終回だというのに、やっぱり上手く書くことができなかったと思うし、むしろ更にもっと混乱したままになってしまったとも思うが、とりあえずここで筆を置きたいと思う。でもこれは終わりではない。ありがとうございました。
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captainjajajthings · 4 years ago
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1973年,毛主席為何對調八大軍區司令,鄧小平讚歎:主席真厲害
1973年,毛主席為何對調八大軍區司令,鄧小平讚歎:主席真厲害
原創2021-08-05 19:18·穀雪品歷史
1973年12月12日,在中央政治局會議上,毛澤東提議全國八個軍區司令員進行對調,此話一出,引起了極大的震動。
 彼時,全國一共有十一個大軍區,而調動軍區這項大事只涉及到了八個大軍區,卻沒有提到新疆、成都、昆明。毛澤東要調動軍區司令員的重要原因之一,那就是防止司令員在一個地方待得太久,產生“小圈圈”。而這三個軍區,恰好司令員剛調出去不久,因此沒有列入調動計畫中。
 1973年,毛主席為何對調八大軍區司令,鄧小平讚歎:主席真厲害
一個大軍區裏通常設置四個單位:司令部、政治部、聯勤部、裝備部。而我軍一向實行軍政雙首長制,本意是讓軍事主官和政委互相牽制、相互配合,然而正如毛澤東在會上所說的“搞久了,就會油了。”
 因為長時間的配合關係,司令員和政治委員之間不僅是默契增加了,互相之間的妥協���更多了,很容易出現政治委員沒有起到牽制作用,而對司令員言聽計從,甚至產生了個人勢力的“小圈圈”,在軍區地方逐漸形成自己勢力的情況。而這樣的後果,正是毛澤東所擔心的。
 因此,毛澤東在調動問題上“不走尋常路”,沒有將司令員和政委捆綁調動,而是選擇單獨調動司令員,這樣無論是政委還是司令員都將面對新同事,磨合中更容易起到互相制衡的作用。反過來說,有的軍區司令員和政委關係實在不好,甚至影響到了工作,也正好可以借此機會有一個改變。
 1973年,毛主席為何對調八大軍區司令,鄧小平讚歎:主席真厲害
從這個決定當中,我們可以看到毛主席確實具有十分深厚的政治智慧。軍區司令員對調,其實本質上是一種“流官制度”。這種方式從古至今並不是罕有的,其實早在宋朝時期就有一個相似的例子,那就是“更戍法”,由北宋開國皇帝趙匡胤提出,其目的也是為了防止武將在地方擁兵自重。
 但是,北宋的更戍法屬於一種慣例,造成的弊端就是將軍根本還沒來得及熟悉自己手下的將領,就被調往下一個區域。而毛主席的八大軍區對調,卻是出於深思熟慮之後的決定。各大軍區的司令員被調離原地,不僅僅是為了防止司令員和政委捆綁,更是為了讓各地司令員能熟悉一下其他地方的軍隊。這樣一來,即使在以後可能的作戰中司令員接手的部隊不是自己原先熟悉的,也能沉著應對。
 雖然提出這個決策只需要一句話的時間,但毛澤東卻用了不少時間來仔細權衡,背後的考慮是十分用心良苦的。當時無論是國內還是國外的形勢,對新中國都是十分嚴峻的考驗,我國急需要作出一些改變來。
 1973年,毛主席為何對調八大軍區司令,鄧小平讚歎:主席真厲害
從國外形勢來說,自六十年代以來,中蘇關係破裂,兩國之間的矛盾也日益激烈、衝突日益尖銳。曾經的老大哥蘇聯在撕破臉皮之後,不僅沒有好聚好散的想法,還把自己對軍事擴張、土地資源的極端渴求表露無遺。儘管兩國之間關於領土的談判一直在進行,卻一直沒有什麼實質性進展,蘇聯該陳兵北方還是陳兵,該挑起糾紛還是挑起糾紛。
 1969年珍寶島事件以後,因為雙方流血的性質,兩國的關係更是降到了冰點。建國二十周年之際,我國的氣氛卻十分緊張,時刻提防著蘇聯的突然襲擊。赫魯雪夫時期蘇聯在我國北方陳兵七十萬,到了勃列日涅夫時期竟然不減反增至一百十四萬。
 面對這樣的情況,毛主席心中壓力倍增。作為一個有經驗的領導人,他清楚地看到此時我國國內必須開始著手一些軍事方面的準備,進行一系列的整頓。
 然而,從國內形勢來看,政局也存在一定的問題。為了加強對軍隊的領導和控制,毛澤東開始著手重新啟用老一批的領導幹部,然而,老一輩的領導幹部互相之間都相對熟悉,早先也有過合作經歷,這一點是有利有弊的,其弊端自然就在於工作的時候很容易相互之間形成牽制,而這樣的掣肘現象十分不利於最終的大局。九一三事件過後,毛澤東更堅定了調整軍區的想法。
 1973年,毛主席為何對調八大軍區司令,鄧小平讚歎:主席真厲害
面對令人憂心的時局,毛澤東找來了老幹部、老戰友鄧小平,與他商討自己的一些擔憂和困惑,並問他意見如何。當時鄧小平和毛澤東兩人面前都放著一只茶杯,鄧小平聽完之後也沒說話,而是拿起這兩只茶杯對調了一下。
 毛澤東一下便領會了鄧小平的意思,正與自己不謀而合,於是大笑著說:“英雄所見略同。”與此同時,毛澤東在召開會議前也事先與周恩來、葉劍英等人商討過,並得到了兩人的一致同意。葉劍英作為軍中的老幹部,更是十分清楚此時整頓軍隊時是必要之舉,為的是能夠把過去十幾年以來人民軍隊出現的漏洞和積弊一一解決,重建隊伍的戰鬥力,短時期內是為了應對蘇聯可能的襲擊,從長遠考慮,更是為了中國的盛世太平。
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   對調的決心已定,只剩下最後一件需要考慮的事,那就是該如何向與會的各位提出這個決定。思來想去,毛澤東還是決定直接開門見山,不搞太多彎彎繞繞,以此來展現決心和真誠。
 在政治局會議上,毛澤東發表重要講話時,直截了當地說出了調動大軍區司令員的決定,並講明了葉劍英、周恩來、王洪文等人的支持。在場的許多人本以為這是一場正常的政治局會議,此��一下子不免都有些不明白了。
 然而,毛澤東個沒有給他們思考的機會,繼續說了一番雖然很凝練但也很重要的話,繼續用直白的方式闡述了原因:“一個人在一個地方搞久了,就油了呢!”這下,大家也就都明白了,毛主席的言下之意便是如今軍區政治委員與司令員不再能互相牽制,反而讓司令員可以一個人“拍板就算”。
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52ngbcom-blog · 6 years ago
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妳壹定有共鳴 只有姐妹才了解的事
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 妳壹定有共鳴 只有姐妹才了解的事1
   擁有壹個很親密的親姊妹都絕對是這個世界上最棒的事!姐妹總是可以跟妳分享所有的壹切,笑的時候可以壹起用力大笑,哭的時候可以抱頭痛哭,生氣的時候可以互相打抱不平,可能上壹秒想說的話下壹秒她就幫妳接好了,就好必利勁生命裏的蛔蟲壹樣懂妳的習慣,了解妳所有的大小事,今天整理15件只有閨蜜才懂的事給大家,壹起來產生共鳴吧!
   只有妳們才懂得笑話
   是不是和姐妹們下午茶聊天的時候常常講到某件共同發生過的事情時,總是會不自覺的捧腹大笑?而且當旁壯陽藥人都傻眼的時候只有妳們能樂在其中?不得不說,找到她能懂妳的點的人真的很難得,壹起為同件事幹杯吧!
 妳壹定有共鳴 只有姐妹才了解的事2
   給妳最壹針見血的評論
   當所有人都告訴妳沒事,壹定會沒事的時候,總是會有壹個人跳出來告訴妳說:有事!怎麽會沒事?妳應該要….」因為是最親密的人所以拐彎抹角的表面安慰話就省了,直接告訴妳最快速最有效的方法解決煩惱,這就是為什麽每個女生的生命中都至少要有壹個這樣懂妳卻又保護妳的人!
   對妳每個FB或IG動態點LIKE
   有沒有發現妳的每個動態壹post到網路上時,前十個按LIKE的絕對有妳姐姐在其中,而且對方已經默默地將妳設定到摯愛的選項裏了!不管持久液妳發什麽,永遠都會有好姊妹在背後支持妳!
 妳壹定有共鳴 只有姐妹才了解的事3
   捉弄不完對方
   雖然姐妹總是會沖第壹陣線保護妳,但有時候會嫌棄妳的穿搭,看不下去妳的妝發,在大肆批評後卻又默默告訴妳應該怎麽打扮最適合,甚至會在對方喜歡人的面前讓妳出糗,替妳制造和他互動的機會,沒辦法,姐妹就是這壹點會讓妳又愛又恨!
   聽同風格的音樂、看同部卡通長大
   不管��幾年級的妳壹定和姐妹們有著共同的卡通話題,或者講到某首歌總是會很有默契地開始哼唱,日本藤素KTV裏點的歌曲都是那幾首能唱出妳們心中的經典!有姐妹的妳是不是小時候還會跟姐姐在床上拿著寶特瓶大聲唱卡通的主題曲呢?
   知道妳下壹秒要講的話
   當妳們在看同部撒狗血的影集時,是不是會同時大喊:他去死拉!」這種反應?或是要和姐妹分享壹件事的開頭會先說:美國黑金欸妳知道嗎….」下壹秒瞬間姐妹就懂妳要表達什麽甚至幫妳講完妳要敘述的事,不管她描述的正不正確,但總會讓妳笑開懷阿!
   仔細聽妳遇到的問題
   不管妳今天發生什麽事,妳想要找人抱怨或是尋找解決辦法時,壹通電話,再忙的姐妹也會抽出幾分鐘的時間聽完妳的問題並當頭棒喝告訴妳什麽才是解決之道!
   永遠是妳的依靠
   很多人遇到分手這類的問題,第壹時間不會是打給媽媽而是找自己最親密的那壹位姐姐好好的來大哭壹場,甚至有些事明明是自己做錯,對方卻會幫著妳壹起罵男朋友,在姐妹眼裏,妳才是對的那壹個!
   兩間衣櫥!
   住在同壹個屋檐下的姐妹總是幸福的,姐姐的衣服拿不完,即便她老是生氣找不到她的襯衫來穿,但卻又無奈的說:記得還給我喔」威爾剛不過當買新衣服能第壹時間和姐妹分享肯定是最開心的事之壹了!
   對妳又愛又恨
   常常嫌妳房間亂、鞋子亂丟但在妳看不到的地方她總是以妳為傲阿!
   素顏躺在沙發上無止盡地嗑餅幹
   長大後和姐妹的相處時間越來越少,大老遠也要跑去找姐姐共度壹晚毫無偽裝的夜,至少不用擔心形象要不要顧,吃飯要不要裝模作樣,壹進到姐妹家裏,穿著睡衣,戴上大黑匡眼鏡,大口吃他的洋芋片、喝啤酒,絕對是壹個不怎麽浪漫但超享受的夜晚!
   多晚都可以把妳拖出門
   當妳決定分手後當壹個憤世忌俗的人後,過沒多久妳會發現有人突然大力地敲妳房間的門,原來姐妹試圖把妳帶上街好好血拼壹犀利士番讓自己有發泄的出口!
   發生喜事比對方高興
   不論妳今天升遷、要結婚、懷孕、新男友、生日,���方永遠可以找任何借口來好好跟妳大肆慶祝壹番,即便是家裏養的小狗學會在廁所裏尿尿都是件值得喝壹杯的好事!
   和男朋友討論以後或許怎麽說都還是未知數,但和姐妹談論到退休後要去哪玩、下個假期要怎麽渡過、未來要不要壹起開壹間喜歡的咖啡廳,都是怎麽講也講不完的事!甚至都要報名搶著第壹讓對方小孩叫妳壹聲阿姨!
   好姐妹就是會知道連妳男朋友或是自己爸媽都不知道的秘密啊!
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bptengsu · 6 years ago
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今天台灣民眾講一口流利中國話,很大歸功於光復後的國語運動
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殖民地回歸母國後,廣大民眾在精神層面上的變革通常是一個漫長的過程。台灣光復初期,台灣省行政長官公署行政長官兼警備總司令陳儀大刀闊斧,力排眾議,堅決剷除日本在台灣50年的殖民文化,變日語日文為中國的語言文字。這些做法對台灣青少年影響深遠,其成效逐漸顯現。今天台灣民眾講一口流利的中國話,熟練使用中文寫作,與陳儀主導推行的“國語運動”、與一批祖國大陸來台的中小學中文教師的開創性工作是分不開的。
台灣光復初期,台灣省行政長官公署為改造台胞的精神層面,發起了一場聲勢浩大的“國語運動”。
台灣省“國語推行委員會”成立
在抗日戰爭期間,台灣總督府推行皇民化運動,向台灣民眾宣揚日本皇國精神,教唱軍國主義歌曲,強迫各級學校的學生接受日本國民訓練,把中國人醜化成利己主義、蠻不講理,沒有國家觀念、鴉片鬼的形象,抹滅台灣學生的中華祖國觀念。學校廢除漢文課程,學生一律講日語,說台灣話要罰款。至1945年,台灣的日文普及率約70%。皇民化是要毀滅中華的國語、國文與歷史,代之以日語日文,及日本歷史。
出生於1920年代的台灣年輕人普遍在日本化的正規學校教育環境中長大,長期被灌輸要對天皇和皇國效忠,成年後又被矇騙要為“大東亞戰爭”獻身,潛移默化。其中一些人對中華祖國和文化產生疏離感。
1937年日本���動全面侵華戰爭,再一次打亂了中國現代化建設。日軍在佔領區內,實行“三光”政策,殺我同胞,搜刮物資,榨取民眾血汗,強制推行日語教育,要用日本文化取代中華文化,妄圖變中國人為天皇的奴隸。在抗日的烽火硝煙中,一盤散沙的中國人團結起來,冒著敵人的砲火,築起新的長城,誓不臣倭,發酵成的中國民族主義反對日本,進而指向日本的語言、生活習慣、制度、器物等一切東西。廣大民眾反抗日本文化中的殘暴性、奴役性,甚至全盤否定其中的合理成分。
1945年10月25日,台灣光復,陳儀任台灣省行政長官公署行政長官兼警備總司令。陳儀將原有的台灣總督府改為台灣省行政長官公署,其他基本上沿襲舊有的行政架構。
語言是日常交流的工具,是一個民族的精神載體。作為中華民族大家庭中的成員,所有的人都應該會說“國語”,使用“國文”。陳儀主張在各級學校,普遍教學“國語國文”,及中華歷史。設文史專科學校及訓練團,培養文史教師,希望在幾年內,褪去日本色彩。
針對皇民化,長官公署以一切中國化為號召,大力普及“國語”教育。廣大台胞也想學習“國語”。大陸各地的方言發音不一,東北人與福建人講的語音差異較大,浙江人與江蘇人講的語音也不相同。台胞聽到後覺得莫名其妙,不知所從。
大陸來台的官員,浙江人、福建人、廣東人居多,“國語”並不標準,家鄉口音甚重。台灣民眾難免聽不清、聽不懂。陳儀本人的“國語”就不標準,紹興口音很重。
光復初期,“國語”教學面臨諸多困難。首先是師資問題,600多萬台胞都要學“國語”,誰來教呢?就學校教育,1000多個“國民”學校,每一個學校要一個“國語”教員,就得1000餘人。其次是方法問題,閩南語、客家語是同一個系統的語言,應該有更方便的方法。
台灣省“國語”推行委員會於1946年4月成立,大陸兩位重要的“國語”推行專家魏建功與何容,擔任“國推會”的主任委員和副主任委員,常務委員有方師鐸、李劍南、齊鐵恨、孫培良、王玉川,委員有馬學良、黎錦熙、林紹賢、龔書熾、蕭家霖、徐敘賢、週辨明、張同光、朱兆祥、沈仲章、曾德培、葉桐、嚴學宭、吳守禮、王潔宇、王炬。
“國推會”是一個主持研究設計並協助國語教育行政的機構,隸屬於教育處。組織分為調查研究組、編��審查組、訓練宣傳組、總務組。各組設組長一人,會設秘書一人,由委員兼任。此外有編審、編輯、視導、幹事、辦事員等工作人員。在各縣市設立國語推行所,共19所,每所派推行員3至7人。儘管面臨諸多困難,“國語”教育仍在困難中實施,概況如下:
1、學校教師的“國語”講習。教育處在台北舉辦“國民學校教員國語講習班”,各縣市自行舉辦的講習班。教育處甄選合格的中等學校教員,在省訓練團受訓,“國語”是主要科目之一。從內地邀台的中小學教員,由“國推會”予以短暫講習。第一批“國語推行員”33人,從92位自福建來台的小學教員中選拔出來。1946年8月,教育處招考“國民學校國語教員”103人,台籍佔半數。10月,“國推會”魏建功主委赴北平,邀聘“國語推行員”。同時並邀聘“國民學校國語指導員”60人,分發到各縣市輔導教學工作。
2、“國語”讀音示範廣播。台灣省教育處在台北廣播電台設置讀音示範節目。第一期1946年3月1日開始,用教育部灌製、趙元任博士發音的“國語”留聲片。第二期從5月1日開始,由“國推會”齊鐵恨每日清晨7時,在電台擔任“國語讀音示範”,播講民眾“國語讀本、國語會話,國民學校國語”、常識、歷史等課本,供學“國語”的人收聽,匡正語音。學校教師現聽現學現教,使廣大的學生也能及時學到“國語”,學習標準的“國音”。教育處編印“國民學校”、中等學校暫用“國語”課本和民眾“國語”讀本。暫用課本廢止後,自6月20日起,改用“國定小學國語常識”課本。
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3、教學方法研討。閩南方言喪失了效用是推行“國語”的一大阻力。因日語和台灣話毫無關係,許多台胞覺得“國語”和台灣話也是毫無關係,只知用學外國語的方法來學“國語”,死記硬背,未能舉一反三。有些教育程度較低的人,一聽到內地來的人說出和台灣話差不多的詞語,以為他說的是台灣話而不是“國語”。為此,魏建功發表幾篇論文,題目是“台灣音系還魂說”、“從台灣語學習國語”、“怎樣從台灣話學習國語”。何容撰文“恢復台灣話應有的言語地位”。這種方法經過懷疑和爭辯,取得了社會的承認。
4、編印“台國”對照學習用書。“國推會”計劃編一套“台國”對照學習用書,包括台省適用注音符號十八課、“國台”音對照字錄、“台國”通用詞彙、“台國”對照詞彙、比較類推法“國語”會話易通。
5、教材教法。“國推會”於1946年10月,附設“示范國語推行所”一所,由教育部選派來台的“國語”專修科學生擔任傳習,由朱兆祥委員���責指導。下年度計劃分區設立4所,以推廣對照類推的學習方法。為了實驗“國民學校”適用的“直接教學法”,1946年8月,教育處把原來的省立台北小學校改為“國推會”附設實驗小學,完全用標準語教學,由從北平來台的有教學經驗的教員,和教育部選派來台的“國語”專修科學生擔任教學。從一年級起,作教法教材的實驗,由王玉川常委負責指導,並編輯教材。
6、編印“國音”標準參考書。日本人編教的北京話的書錯誤較多,內地來台同胞“國語”各異,台胞感到莫名其妙。推行“國語”的急務是確立“國語”標準。“國推會”收集了政府歷次公佈的關於“國音”標準的文件和書籍,彙編成冊,定名為《國音標準彙編》,由長官公署於1946年5月30日公佈,作為全省推行標準“國語”的依據。第一輯業已編成付印。
7、注音符號的應用和推廣。教育處編印的“國民學校”和中等學校暫用“國語”課本有了注音表和注音本,民眾“國語”讀本,左注方音,右注“國音”。全省鐵路的站名表、全省公路站名表、民營公司站名表、台北市街巷名稱表,在10月間已由“國推會”標註完畢。除鐵路各站名牌業已加註了注音符號外,其餘則一旦更換新牌,到處可以看見註音符號跟漢字攜用。
在“國語”推行中,人手缺乏,“國推會”成立時才12個人,從重慶、上海、廈門各地區陸續來的,到一個人,便開始一個人的工作。至1946年9月,才總算安定下來。完成了幾種小冊子和一種定期刊物《國語周刊》,其餘的只是開了一個頭。
台胞大都知道“國語”普及的重要性,努力學習“國語”,跟著收音機的每日“國語”教學來自我練習。要學好一種陌生的語言,文字並不容易,學校禁止教師用日語授課,因此學校的教師只能暫時採用本地方言。不過台灣方言不只一種,如教師用閩南語上課,則客家學生聽不懂。
由於在學習上遇到多種困難,加上不滿大陸一些軍公教人員的低能,1946年4月,台胞學習“國語”的熱情由熱趨冷。大陸來台人員的“國語”各異,台胞莫名其妙。不得已,一些學校的“國語課”正常用“國語”講授,台籍教師解釋可以用閩南語或客家語,以適應過渡時期的需要。一些台籍精英建議,改革常用字及注音符號,供民眾及“國民學校”低年級之用,“國語”閩南語並用
1946年5月,在台灣省參議會一屆一次大會上,省參議員劉傳來提“擬將台灣語暫並用作教育用語案”,理由:“查本省市民教育水準較內地普及,此次重歸祖國,自應加緊文學歸宗,勵行國化教育;然以國內來台師資為數不敷,而推行國語運動亦��一載所能普及,鑑於目下各地實情,各級學校以國語教師人數不多,如欲專用國語教授,為事實上不可能之事,可否在此過渡時期,暫將台灣語參為教育用語,以免文化水準之退落。”辦法:“(一)最近物理、數學、生理方面師資,似因國語不精,致甄選落名,望確立一定方針;(二)物理、數學、生理方面教員不拘國語,能否多采用本省人。”大會議決,“送請政府參考”。
台灣省參議員黃純青提案建議“本省人應學習國語,外省人應學習閩南語”。教育處範壽康處長答复,肯定該提案“不無見地”,“國語為我國之唯一標準語言,迭經中央當局通飭全國普遍推行,務期統一”,“若能不斷推行本國標準語言,普及全省不難指日可期”。“至外省人學習閩南語,固為溝通語言之雙管齊下措施;但由政府明令實施,於法理上似欠依據,只能在輿論方面加以提倡。”
強制推行“國語國文”
長官公署希望台胞不可再習用日語。“從前你們是被日本政府壓迫著不許習用中國的國語和文字,這當然可以同情你們、原諒你們。但如果你們今後老是動筆就用日文,動嘴就講日本話,個人不以為恥,大家不以為怪,這便是安於奴性的生活方式,無論如何,是萬萬要不得的。”對台灣人,尤其是30歲以下的年輕人,一出生接觸的就是日文,日文和中文不同,想在短時間內學好“國語”十分困難。
1946年9月14日,長官公署下令中學禁止使用日語。教育處調整各校學習課程,加重“國文”、歷史、地理科目,強行規定每週學習“國語”課時數,要求新生入校先補習一學期語文、史地教育等。舉辦全省“國語”演說競賽,舉辦公務員語文實習班,命令各縣市成立“國語”推行所,將全省鐵路、公路、民營公司站名牌以及台北市街巷名稱,一律換成中文,並加上註音符號,以各種措施普及“國語”。被迫改用日本姓名者一律恢復原有姓名,並禁止民間新建房屋沿用日本式。但是,台灣“國語”教師及課本缺乏,各縣市中小學多由台籍教師教授“國語”。雖有採有“國音”符號者,然發音欠準確,約達三分之二。
在日據50年裡,廣大台胞受到日本文化的影響,大部分台胞均能使用日語日文,對漢字國語十分生疏。光復初,陳儀暫準報紙、雜誌附刊日文版,要求台胞盡快摒棄日語日文,改習漢字“國語”。廣大台胞多番指出該政策操切。
陳儀飽受日本文化的濡染,娶有日籍妻子,因痛恨日本給中華民族帶來的深重災難,恨不能台胞一夜間洗卻殖民色彩。他斷然表示:“文官任用方面,希望文官考試以日文應試,這一點是辦不到的。文官考試必須用國文。但如果目前因國文程度不好,文不達意,變通辦法,可於卷後附加日文,以免閱卷者誤解其意。……我們推行國文國語,必須剛性的,俾可增加效率。”
10月,長官公署“以本省光復已屆週年,為推行國語、國文以及執行國策起見,特將本省各種新聞紙、雜誌日文版撒除。公告自本年10月25日起撒除本省境內所有新聞紙、雜誌附刊之日文版,並令各縣市政府遵照。”
陳儀此舉嚴重堵塞了台胞的資訊管道,導致30餘萬接受日本中等以上教育的台胞,頓成文盲或半文盲。陳儀表示:“充實公務人員的能力:最要緊的是要公務人員能通曉國文國語。現在台灣的公務人員,本省籍的佔四分之三。這四分之三的公務人員,負責任,守紀律,服理從善,辦事認真;而其唯一的缺點是不通國文國語,以致影響工作效率。為提高工作效率起見,必須使全省公務人員迅速通曉國文國語以充實工作能力。”
光復初期,新舊法令轉變時期,台胞不諳內地各種法律,要遵照去實行,難免很不習慣,遇到做不好、做不通的事,就發出怨言。中年以下的台胞,大多不諳“國文”,不懂“國語”,和外省同胞感情隔閡,因語言上的阻礙而發生誤解,一時無法補救。
依照台籍志士謝南光等人的建議,台灣的過渡期應為10年。陳儀曾表示:“本人到台灣後,擬先著重國語及國文之教授,務期達到使台胞明白了解祖國文化之目的,此項工作艱鉅,然以本人在福建推行國語運動之經驗而言,則此種工作在台灣省可望於四年內大部完成。”陳儀原想用4年,來摒棄日語日文,改用漢語漢文。鑑於推行中文遇到的阻力,陳儀採取強制措施,希望立竿見影。
由於語言上的隔閡,本省人與外省人經常產生誤會。光復初期,台籍醫師的“國語”水平較低,有一天一位軍官受傷來到台灣大學附設醫院求診,一位台籍醫師診療要說“你的病是很輕”,因發音不清楚,誤說為“你是漢奸”,這位軍官生氣就打醫師,此事後到警察局審判,始知發音的問題,消除誤解,結果無事。
由於不同的發展道路和切身體驗,兩岸人民對日本文化的感受不一。在中國大陸軍公教人員看來,日本文化毒害人,必欲去之而後快。在台胞看來,50年日本統治,日本文化並非一無是處,亦有合理的成份。何況,要在一年內改用漢語漢文,實在是強人所難。
徹底剷除日本殖民文化
1947年2月,“二二八事件”爆發。隨後,台灣省行政長官公署下令:第一,要交響樂團演奏幾首中國最有價值的歌,介紹給本省各學校,不要再唱日本歌;第二,要體育會盡量將中國式體育姿勢介紹過來;第三,要趕快用中國的歷史、地理、風俗、習慣等作材料,編成故事小說​​給青少年看;第四,不論機關學校,都以用白話文為主,應極力避免用文言及深奧的典故;查禁日本歌曲唱片,各機關、鎮公所、各學校懸掛中國地圖。
多位有過祖國大陸經驗的台籍志士認為,關鍵在於台灣沒有經歷大陸的新文化運動和八年抗日戰爭。要想使台灣本省人與祖國大陸同胞在感情上和心理上彼此包融,必須改造台灣的文化。他們成立了“台灣新文化運動委員會”,號召台胞認識新時代、新環境,樹立新意識、新生活”,自己是祖國不可缺的一分子。
經過“二二八事件”的重創,陳儀等人深感,光靠武力,雖可平息“二二八事件”,但根本還在於台灣的徹底中國化,要讓台胞使用漢語漢字,穿中國服飾,讀中國書,吃中國菜,了解祖國悠久的歷史和燦爛的文化,與大陸同胞互相往來。陳儀等人意識到,此舉必須從娃娃抓起,因此,強制中小學生使用“國語國文”,禁止使用日語,甚至連閩南語、客家語都不准使用,加強對中小學學生的中國歷史與地理知識的灌輸,宣傳中華傳統文化。日本衣服、飲食、書籍、建築、禮節等等,都在禁止之列。
殖民地回歸母國後,廣大民眾在精神層面上的變革通常是一個漫長的過程。陳儀大刀闊斧,力排眾議,堅決剷除日本在台灣50年的殖民文化,變日語日文為中國的語言文字。這些做法對台灣青少年影響深遠,其成效逐漸顯現。今天台灣民眾講一口流利的中國話,熟練使用中文寫作,與一批祖國大陸來台的中小學中文教師的開創性工作是分不開的
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usubenisaka · 7 years ago
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[三日鶴] Let’s Love Again!
一刀入魂2 無料 1. 現Paro。 2. 三日鶴男校聯誼之後的交往實錄。 3. 姓名改為三条三日月與五条鶴丸。 4. Let’s Party!! 的後續, 插花感謝Kei!
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一面走到門邊跟燭台切光忠閒話家常,鶴丸也一面用眼角餘光瞟著教室內其餘眾人的反應。除了剛才那位離開教室的同學外,又有兩個人先後離開,目光很明顯是在躲著鶴丸的方向;剩下的人倒是沒什麼特殊反應,看書的看書、滑手機的滑手機,時不時也會有人聊上兩句。鶴丸和燭台切心照不宣地對看了一眼,拉起教室的門就靠在走廊上聊了起來。   「這次去比賽真是打得夠久啊,簡直能用遠征來形容了。」「鶴桑總是喜歡把事情誇大,但部員們也真的很累。幸好教練還多幫我們請假休息了一天,不然今天也沒有力氣做飯啊。」「一回來就趕著做便當來餵我,怎麼,要問我那件事?」   燭台切光忠沒想到鶴丸這麼快就切入主題,本來只想用吃便當的名義來看看鶴丸的狀況,誰想到他居然三兩句就直搗燭台切的來意,燭台切尷尬地笑了一下,對比鶴丸一臉閒散的態度,燭台切光忠覺得說不定自己的擔心完全是多餘的。   「我才去打比賽一周,你就鬧出這麼大的新聞……不管是哪裡都在討論鶴桑的照片哦。」「哈哈,因為是我發的照片嘛,新粉絲好像也增加了不少,那張照片的愛心數量簡直可以上我這一年的排行榜了。」   拿出手機畫面給燭台切看,愛心旁邊永遠消不掉的紅點正如燭台切光忠心內揮之不去的擔憂,他嘆了一口氣:「鶴桑,沒關係嗎?你也看到了,剛剛那幾個人態度不是很友善。」 「他們是他們,我是我;我和我喜歡的人拍照,難道還要經過別人同意嗎?」   看似溫和的鶴丸嘴上說起來卻是不饒人,燭台切光忠不知道裡面究竟有多少成分是鶴丸幫自己打氣的逞強之言、又有多少是真心對於現狀不在意的豁達,燭台切只知道這張網路上的照片就跟自己在車上噴出去那口水一樣收不回來了,他能做的只有確保鶴丸不會因為這樣做受到額外的傷害。   「好啦,那今天中午頂樓見?大俱利伽羅也會來,他很擔心你。」「真是──就這話完全不想聽到啊,我很好,剩下的中午再說吧。」   眼看著教室和走廊的人多了起來,鶴丸和燭台切靠在門口聊天的這段時間,路過的幾個熟人也跟鶴丸打了招呼,燭台切看著明顯熱絡起來的氣氛鬆了口氣,早上人還少的時候,鶴丸教室內那個劍拔弩張的沉默還真是讓他擔心了一陣,幸好現在看起來還行,如果身為劍道部主將的自己來了這一趟有幫助,那就再好不過了。這樣盤算著的燭台切光忠也跟鶴丸班內的熟人打了聲招呼,拉了幾個人一起過來閒話家常一陣才離開。鶴丸再度進到教室後,等著他的已經不是早上的沉悶空氣,幾個被燭台切光忠拉來聊天的同學還有說有笑地,一群人圍在鶴丸的桌邊就像是一圈堅固的堡壘,鶴丸直到上課鐘響之前才看到那幾個離開的人回到座位上。──他們是他們,我是我。在心中對自己默念這句之後,鶴丸一如往常地把目光轉向窗外的景色,在導師進來點名之前先慣常地神遊一番。 ──   「大俱利──好久不見好久不見!光忠不在家的時候你也不來我教室了,翅膀硬了都跑去哪玩啦──」   一見到大俱利伽羅就開始捧著便當大呼小叫的鶴丸,也不在意嘴裡是不是還有沒嚼完的肉,就想站起來給大俱利一個擁抱。當然這樣的舉動被後者毫不猶豫地推了開來,最後大俱利還是熬不過鶴丸的軟磨硬泡,勉勉強強挨著鶴丸坐下,倒也不多說地開始吃著午餐,跟聒噪的鶴丸大成反比。   「剛剛說到哪?──哦,我說三日月他第一次約會就帶我去約會聖地,這人很有一套是不是?」「……!」   燭台切光忠貼心地即時遞上衛生紙,讓大俱利在麥茶漬蔓延開來之前先阻止慘劇爬上他的褲管。大俱利一手捧著便當又夾著筷子、一手擦著溢出來的麥茶,看起來非常狼狽,但面上卻沒有太多表情,只用那雙和鶴丸與光忠相似的金眼看了鶴丸一眼,這一眼倒是把鶴丸看得安靜下來,接下來也不說話,一個勁地扒著光忠特製的薑汁燒肉與蛋捲便當。   「……你沒有什麼想說嗎?我們都會聽。」「唔?握五?」「鶴桑喝口水潤潤再說吧。」 又倒了杯麥茶給吃便當吃得有點急的鶴丸,燭台切光忠和大俱利伽羅安靜地等著鶴丸再度開口。這回鶴丸便不如之前那樣吵嚷了,手裡握著喝了半杯的麥茶,像是思考著該從哪裡接上,然而說出口的卻是八竿子打不著的問句:「你們覺得奇怪嗎?」   「奇怪倒是不至於,只是真的嚇到了,鶴桑這次的嚇人很成功呢。」「本來確實是抱著嚇人的心態放照片啦──但光忠,你要知道,我們都是認真的。」   「我知道,鶴桑雖然喜歡開玩笑,但這種事情是不會作假的。」燭台切光忠看著大俱利伽羅在旁邊默默地頷首,心裡又鬆了一口氣。大俱利伽羅就算和他們在一起也不多話,何況這次是這麼大的事情、自己又才剛比賽回來,對事情的全貌不比路人知道得更多。昨天大俱利伽羅打電話給自己的時候一定是嚇到了,電話兩端都是尷尬地沉默,要知道大俱利伽羅從來都不打電話給別人的,能把他嚇到打電話卻又說不出話來,光忠不禁在心裡感嘆──鶴丸這次真是各種意義上都成功了啊。   「不是吧,光忠,這是什麼啊!」「紅豆飯,昨天不是說了嗎,要吃紅豆飯了啊。」 看著便當下面的米飯,鶴丸不禁大笑了出來,純白的米粒染上淺淺的紅色,坐落在綿延的米飯之丘上的,不正是一顆顆渾圓的紅豆嗎?   「我和大俱利昨天通過電話,決定不管你怎麼做,我們都會支持你,誰叫我們是好友呢?」  「這可真是嚇到我了啊,光忠,你居然會說出這種肉麻話,還有大俱利居然打電話……」「真心對待身邊每個人,也是帥氣的一種呢。啊,可是紅豆飯的主意是大俱利……唔唔唔唔唔!」   大俱利夾起一個蛋捲把滔滔不絕的光忠塞了滿嘴,但鶴丸還是摸清了光忠沒說出口的下半句話,在皺著眉頭抗議的燭台切光忠和假裝沒事的大俱利面前不客氣地大笑出聲,讓塞了整個早上的不安感都在陽光普照的空氣中煙消雲散。   『你那邊怎麼樣?』   到了放學,鶴丸率先發出一封簡訊,他沒有再度打開社群網路的程式,只是打開了通訊軟體跟三日月聊天。三日月大概在搭車,很快地就讀了鶴丸的訊息並且發了回覆過來:『哈哈哈,很好啊,鶴丸呢?』   『馬馬虎虎吧,有好的也有不好的,還好光忠回來了,中午也吃了飯。』   『光忠是──鶴丸上次說過很會煮飯的朋友?』   『嗯,他是我們學校劍道部的主將,這次帶隊出去別的地方比賽,請了一整周的假,前兩天才回來的樣子。』   『他對你說了什麼嗎?』   『說不管怎樣都支持我,還帶了低年級的學弟過大俱利伽羅一起過來吃飯,他雖然話不太多,但是意外的好相處,之後和光忠可以一起跟你見個面。』   『感情真好,小狐倒是都不幫忙我。』   『你同班的兄弟?』   『是啊,把我丟給整班抓著手機活像記者的同學們,一下課就不知道拎著豆皮壽司去哪享用了,整天都不見人影。』   『最養眼男子高校生排行榜的冠軍當之無愧啊!』   『哈哈哈,好說好說,只是今天話說得有點太多了,很累啊。』   『累的話別看手機,快點回家補眠,周末再見吧。』   手機上最後傳來三日月說OK的貼圖,鶴丸關上螢幕,想著三日月那裏是怎樣的情況,對比自己學校暗潮洶湧的風暴,暗自希望三日月的狀況不要太糟糕。話說回來,三条家在那間學校的勢力龐大,大概也沒人敢真的對三日月怎麼樣吧?何況三日月看起來文弱,力氣可是一等一的大,鶴丸簡直不敢想像如果三日月認真打架起來,對手會不會需要進加護病房?   想想三条家的兄弟們都知道三日月和自己交往的事情,反而這邊的好友卻被鶴丸瞞到最後一刻,鶴丸現在也覺得有些抱歉。不光是因為之前什麼都沒有提,而讓這些好友現在要面對一些連他們自己都不明白的詢問,同時也對於自己不如三日月那樣坦蕩的作風感到些許不及。三条三日月看起來就是會中規中矩地把制服所有扣子都扣好,用優等生的面貌活在眾人讚美的光環下;但鶴丸知道那表皮下的骨子可是相反到極點,說得好聽點就是自我中心,完全不在意他人的想法,從不配合他人期望而生的人一舉手一投足,卻都如明星般成為普通人的心之所向。對比之下,五条鶴丸的作風雖然開放,但無時無刻在觀察別人的情感,他總是不讓自己存在之地的氣氛冷下來、一直忙著在生活中摻些新鮮的玩意兒避免安靜。他比自己以為的還要重視其他人的感受,最後在人來人往的街道上,鶴丸是最熱鬧也最孤獨的一個人。   他們本質和表面都如此不相像,現在卻完���地安撫了心裡那個有稜有角的自己,走到了一起。   「敗給三日月了啊……好,接下來看我的吧!」   拉了拉圍巾,鶴丸從車廂內步出,已經入秋的冷空氣讓他縮了下脖子,堅定的步伐則沒有絲毫遲疑,帶著鶴丸往家裡的方向走去。 ──   「哇,不給糖我就搗蛋──」「鶴丸哥來了!不給糖就搗蛋!」   和岩融串通好一起開門的鶴丸把今劍抱得高高的,鶴丸打趣著跟今劍要糖,今劍則是耍賴著不肯交出手上的提籃,兩人在玄關鬧了好一陣子,鶴丸才用巧克力換得今劍籃子裡的一小包金平糖。放下心滿意足的今劍和岩融去玩後,鶴丸才轉頭就看到三日月從後面的客廳走了出來。   「嗚哇──你弄得還蠻像樣的嘛?」「那是我弄的,要感謝我的話不用糖果,看在你是三日月男友的份上幫你打個折,豆皮壽司十份就可以了。」   跟著三日月走出來的小狐丸身上仍是一般的裝扮,鶴丸不可置信地看著三日月,後者補充:「小狐每年都這樣,他不過節。」   「第一,萬聖節是商人操弄之下的產品,不具有任何紀念性。第二,我光是幫你跟今劍準備行頭就耗盡精力,恕我自己就不奉陪了,三日月出門前記得給我站前那家高級壽司店的儲值卡。」「在我錢包裡面你自己拿吧。」   鶴丸笑著說這是賄賂,三日月讓小狐丸幫自己在頭頂別上帽子之後,不置可否地笑了笑,拎著小狐丸最後遞過來的籃子,和前頭蹦跳著的今劍岩融一起上街去了。   「我說這血漿還真像樣啊,在裡面看到的時候嚇了一跳呢。」「小狐丸手製的,要嘗嘗看嗎?」   不等鶴丸回答,三日月就湊過去親了鶴丸一口。鶴丸舔著三日月嘴邊的血漿,不禁笑了出來:「你愛吃甜,連你兄弟都配合把血漿調成甜的?」   「小狐會的可多了,今劍跟我的行頭都是他親手做的,化妝也不例外哦。」「看你說得這麼理所當然……這次要請小狐丸吃多少盤壽司啊?」   看著三日月比出的數字,鶴丸差點把嘴裡的假犬齒吃下去,一臉震驚換來三日月認真的點頭:「小狐是真的很愛吃豆皮壽司,尤其是站前那間餐廳。」   嚇到了、真的嚇到了,小狐丸這數量簡直就是放高利貸吧!鶴丸摸了摸身上的行頭,幸好是拜託剛從國外回來的一期一振帶的,款式既獨特又不太貴,重點是一期一振沒跟自己收額外的代買費真是太好了。   雖然昏暗的街道上路燈已經亮起,周圍的亮度仍然維持著鶴丸可以看清三日月面貌的程度。三日月今年萬聖節扮裝的主題是吸血鬼,外面那件披風的料子看上去非常厚實,內裏則搭上與三日月髮色一樣的深藍絨布,在起風的秋夜裏也不怎麼飄動。披風裏面是一整套合身剪裁的背心和西裝,鶴丸本以為是拿現成的酒保制服來用,三日月卻說這全身衣服都是小狐丸親手量尺寸挑布去做的,讓鶴丸���禁對小狐丸的能力更加佩服。就不要說領子和包邊上的華麗金線刺繡了,鶴丸記得以前自己試著縫扣子的下場就是走一步掉一個,到了學校之後還得跑去家政教室借用針線包,拖著光忠幫自己補兩顆扣子應急。   「說得好像自己沒興趣,結果卻對你的衣服全力以赴啊。」「哈哈,小狐確實是對這種活動沒有興趣,如果把搗蛋的獎賞從糖果換成豆皮壽司的話,或許他就會來了也說不一定。」「好主意,下次的萬聖節就把糖果通通拿掉,這也是萬聖節驚嚇的一種可能性!」   今劍和岩融一邊走一邊玩,已經離他們很遠了,鶴丸只能聽到岩融豪爽的笑聲,今劍在岩融的肩膀上說什麼已經聽不清。鶴丸只見到今劍那燈籠褲的外面有著像水滴一樣的裝飾,在岩融的肩頭跳啊跳的,也讓鶴丸的心雀躍了起來。   「鶴丸這身也是自己做的嗎?」「不──怎麼可能,我是拜託朋友從國外一起買的,朋友家裏有十幾個弟弟,每年的萬聖節都會買一大批衣服,我就厚臉皮的跟上他們囉,要是我自己縫,都還沒出我家家門就散光了吧。」   鶴丸今年選中的是一套立領的海盜船長服,和三日月那斜戴略顯俏皮的小禮帽不同,鶴丸頭上戴的是三角的羽毛帽,左手縮在袖子裏頭只露出了偽裝的鉤子,從包得密不透風的衣服內伸出的右手和露出來的頭臉一樣,都顯出了過於蒼白的顏色。鶴丸笑說自己已經夠白了,偏偏還挑上了殭屍海盜這種角色,為了弄得更白還傷透腦筋,最後是在店員建議之下選了超白的化妝品拍上去,又隨意用眼線筆在眼睛下面畫了幾圈陰影,鶴丸笑說:「第一次看的時候還覺得自己不像殭屍,反而像是吸毒吸了三天三夜的毒蟲,那個樣子把我也嚇了一跳!」   「殭屍啊,這樣可困擾了,鶴丸的血要是凝固了,那我今晚要吃什麼呢?」   「出去打獵啊!聽說吸血鬼都會變成蝙蝠,飛幾百里應該還行吧,在那之前千萬不要餓死啊,要不然等等綁架幾個來要糖的童男童女好了!」   「鶴丸捨得我出去打野味嗎?」「嗯,這可不好說。」「可是外食吃不慣呢,我還是喜歡吃家裡的東西。」「家裡?我是你的儲備糧食嗎?」「是精神糧食哦,不管怎麼樣都很美味的那種。」   鶴丸一本正經的胡扯最後換來三日月的輕笑,被鶴丸吃掉一角的血漿在燈光下顯得又淡了些,鶴丸想著,索性讓它都消失吧,大不了等等進便利商店買隻筆補畫就是了。   他們一起體會油性筆多難洗的十月,是三条三日月與五条鶴丸開始交往的第七個月。 ──   「抱歉我晚到了,沒耽誤到各位的時間吧?」「沒事,飲料先幫你點好了,先坐下吧。」   匆匆忙忙進到包廂內的一期一陣頭髮有點凌亂,裡面坐著的三個人倒沒責怪向來準時的一期一振臨時晚到這一點,鶯丸放下手中的熱茶溫和地招呼著一期一振,自己則往裡面挪了一些,讓一期一振能順利坐進旁邊的位子。   「厚藤四郎沒事吧?」「沒事,謝謝關心,厚的傷口需要縫合,在醫院哭個不停,連藥研他們都勸不住,所以讓我過去一趟。」「一期真是弟弟們的主心骨呢,有那麼多家人得照顧,加上社團活動的話,時間完全不夠分配吧?」「該怎麼說呢,照顧所有人雖然費力了些,但撒嬌起來的時候到是讓人招架不住的可愛,辛苦一點也沒問題的。」   坐在對面的江雪適時的叫來服務生打斷這段對話,若讓一期一陣進入弟弟經模式,那麼今天聚會的主軸就完全偏了。服務生先送上了咖啡,握著杯子的一期一振緩了緩情緒,抬起眼睛望著其他二人:「所以,今天是要說什麼呢?」   「嗯,首先是鶴丸的生日快到了,大家來想想今年送什麼好吧。」「鶯丸,你剛剛說的不只這樣。」「啊啊,還有一件重要的事情。」   鶯丸彈了下手指,轉向一邊的一期一振:「鶴丸上個月公告周知他交男朋友的事情,一期你怎麼想?」   「怎麼想、是嗎?……我個人沒有太多想法,之前也去跟同社團的燭台切打聽過,他也說鶴丸的態度很認真,基本上和我們找他問的時候沒有二致,既然鶴丸內心沒有疑惑,那麼身為朋友的我們便支持他的決定就是。雖然我真的是被那張照片嚇了一跳……一開始我還沒認出那是三条三日月的背影。」   「那麼關於三日月呢?」「是?」「我記得一期家的生意跟三条家頗有往來,應該是結盟合作?那麼,三日月的狀況你清楚嗎?」   「在家裡生意的茶會上有見過一兩次,主要是閒話家常,私底下倒沒見過面。畢竟現在敝社的社長是父親大人,許多事情會帶著我去也僅僅因為我是長子,打個照面而已。真要說商業上的合作提案,我的經驗還是遠遠不及,這點我想三条三日月也是一樣的。整體來說,三日月給我的印象是彬彬有禮的,就這一點似乎跟我有點像吧……兄弟很多這點也是。另外就是絕對不會去做多餘的事情,謹守分際的樣子似乎很得前輩們的好感。」   「這樣啊,真是三日月的拿手招呢。」「鶯丸。」「放輕鬆啊,江雪,我僅僅是想獲得多一點客觀的資訊,來看要不要往上修正對這個人的評價而已。」   這麼說的鶯丸又啜了一口茶,意會到鶯丸從剛剛開始就直呼三日月名字的一期有點驚訝的轉向鶯丸:「鶯丸對……三日月的印象不好嗎?」   「該說深藏不露?在這世界上,沒有人是不戴著一張以上的面具而活的,我想三日月也一樣。就如同他在你的面前是個文雅的君子,在他兄弟面前那唯我獨尊的樣子才會露出來。說得好聽是能用有個性解釋,否則便只能說他城府深沉。順帶一提,我和他家是很遠的遠親,據我每年家族聚會的觀察,這就是三日月給我的印象。」「你的意思是……但若真只是玩玩,鶴丸不會看不出來,他也不會讓自己的自尊被這樣的玩家踐踏。」   鶯丸手上的茶早就涼了,面前上的餐點誰都沒伸手去碰過。江雪則接下鶯丸的話:「你記得三条三日月之前搶鶴丸班級聯誼對象的事情吧?再怎麼說,我都覺得這樣過於針對的事情不太道德。」   這下連一期一振也沉默了,雖然鶴丸之前跟他們解釋過『那是因為三日月想找等級差不多的人看上的女生』,但就一期一振的觀念來說,事情有先來後到的順序,何況一期一振自恃堪為溫良恭儉讓的好人好事代表,搶聯誼這種損人損己的事情他絕對不會做,被江雪這麼一提醒,他也想起以前三条三日月對鶴丸做過多惱人的事情。   「雖說現在他們算是打得火熱的戀人……但你們還是不放心嗎?」 江雪點頭,鶯丸嗯了一聲,一期一振嘆了一口氣,開始後悔那時候為什麼要幫鶴丸找三条三日月的校名,讓鶴丸就這樣送上門去。   「不吵架的戀人,根本不能算是戀人喔。」沒頭沒腦地,鶯丸忽然冒出這一句,在服務生又來過一次,替他換上熱騰騰的熱茶之後,鶯丸的思考能力似乎又回到了正常運轉的軌道。他捧著茶說著:「鶴丸跟你們任何人說過,他和三日月有吵架過嗎?」   看著江雪和一期都搖頭,鶯丸把臉藏在熱氣蒸騰的杯子後面低下眼睛,看著空空如也的茶杯裡面一根茶梗都沒有,聳了聳肩又把杯子放下:「人啊,會因為不了解而相愛、因了解而分開,這句話你聽過嗎?」   「請不要這樣,我相信鶴丸他……」「就我們所認知的三日月就有這麼多面貌,一期,你覺得鶴丸真的理解全部的三条三日月嗎?就這樣一頭熱地栽下去,對他可不好。」 「你擔心得確實有道理,但或許三条三日月也只在鶴丸面前展現某個他從未���其他地方表現出的自己吧。」   「一期說到重點了啊。」放著一期和鶯丸爭執的江雪在對面露出淺淺的微笑,看著鶯丸張大眼睛的樣子,一期一振和江雪對視了一眼,然後三個人不禁都笑了出來。   「讓鶯丸這麼擔心,今天應該要叫鶴丸來請客的。」「這句話我原封不動還給你,一期一振,看到照片的那天嚇得一直在通訊軟體上問我們『怎麼辦要報警嗎我有認識的親戚』的人可不是我。」「江雪不是也震驚到暫離去佛堂念經靜靜心嗎?還一直在視窗內貼金剛經文,只針對我太刻薄了吧。」   狀況總算恢復到一期一振和鶯丸的唇槍舌劍,江雪偶爾說兩句控制場面的樣子。三人都已經決定,在鶴丸和三日月還在一起的時候,他們都會負起替鶴丸守望的責任,無論是禍是福,也一定會陪著鶴丸一起度過這段旅程。 ──   鶴丸今年的生日有點不一樣,他和一期一振家的弟弟們感情很好,以往都是先在生日前的一個周末到一期一振家,讓年幼的孩子們替自己辦名為慶祝實為陪玩的慶生會,然後在生日當周會收到其他朋友們的禮物;生日前一天燭台切光忠會叫上大俱利伽羅一起吃飯,當然會附上一個特製的精美蛋糕。到了生日當天,鶴丸通常是回家和父母一起過。今年則是因為交了「男朋友」的關係,本來要多留一天給三日月的,不過父母正好到海外出差,已經先透過視訊跟鶴丸過了生日,所以原本要和父母一起過的生日當天,在鶯丸的提議下,鶴丸乾脆叫上三日月,和江雪四個人一起到卡拉ok開包廂唱歌。   「啊,一期你們是初次見面吧,我是不是該介紹一下?」「我和三条不是第一次見面,因為家裡的生意往來多少有在公開場合見過。」「咦?這我可不知道,你當時給我三日月聯絡方式的時候似乎跟他很不熟啊。」「你又不是不知道三条在那間學校有一對同年級雙胞胎的事情。」   鶴丸一面跟一期搭話一面確認包廂,跟著的三日月只跟鶯丸點了點頭權充招呼,鶯丸則是隨意的揮揮手,走在最後的江雪和三日月才來了場正式的寒暄問好,沒兩下就被鶴丸大聲地打斷,領著一群人浩浩蕩蕩地進到包廂。早已來過幾次的一期和鶯丸熟門熟路地開始裝麥克風和找歌,江雪則是先出去替眾人買飲料,三日月第一次來這種地方,和鶴丸挨著坐下之後饒富興趣地看著鶴丸點開手機的檔案,一連點了十幾首歌興奮地唱了起來。雖然那些歌三日月一條都沒聽過,看鶴丸唱得興起,三日月也跟著在旁邊打起節拍,跟著鶴丸點了幾首進去之後,眾人卻都在歌曲前奏出現的一瞬間陷入沉默。   「隠し���れない~移り~香が~」   ──喂喂這條歌到底是……   ──別看我,不是我點的。是鶯丸你點的嗎?   ──我的品味還沒這麼老,江雪?   ──這種不和睦的歌不是我的風格。   「あなたと越えたい~天○越え──」   「喔喔!唱得好!厲害!」完全無視剛剛室內詭異的沉默,三日月以外的參加者展現出超沒必要的熱絡反應,江雪甚至拿起了旁邊的鈴鼓敲了幾下,誰也沒料到跟他們同齡的三日月,點歌的品味至少早了他們四十年。看著下一首歌名又是上一輩的經典,鶴丸使勁憋著笑──沒想到一口答應自己來唱歌的三日月,點歌的層次意外的有笑點,雖說三日月的歌聲也很不錯,但這發現簡直就是最大的驚喜啊!   「我去廁所一下。」跟身邊的鶴丸交代了一句,三日月在鶴丸比出OK手勢之後才起身離開包廂,走沒兩步就看見迎面而來的鶯丸,三日月順勢向對方開口搭話:「好久不見了,該說是表兄?」「那種繁文縟節不用也可以,再說我們也只是一年見一次的親戚。」「也是,不過你和鶴丸就讀同一間學校也真是巧合。」「是挺巧的,盯著你也方便些,呵呵?」   窄窄的走道被兩人各據一方,幸好現在沒有人要經過這條路,否則大概會被這暗潮洶湧的氣氛嚇得尿意全失。三日月還想說些什麼,卻被鶯丸打斷:「你知道你是怎麼樣的人,別拿那些招數用在鶴丸身上。」   「我的形象就這麼差?」「誰叫你的常識水平跟一般人沒在同一個標準上,我是來給你忠告的,若是失足,裡面那兩個可不會跟我一樣冷靜。」   ──我會注意的。三日月只留下這句話就離開了現場,鶯丸則是去櫃檯捧了才剛送到的蛋糕點上蠟燭,在聽見包廂內傳來生日快樂歌的時候和恰巧回來的三日月一起推開門扉,兩人間的合作流暢得像方才的緊張氣氛從未存在過。看著鶴丸趕忙湊到蛋糕旁邊偷吃一口、卻被一期拉住後領的樣子,三日月伸出手摸了摸鶴丸的頭,換來對方一臉孩子氣的淘氣笑容。   大家一起替鶴丸慶生的十一月,是三条三日月與五条鶴丸開始交往的第八個月。
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yorunaruyna · 8 years ago
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【DRRR/臨正】The end of life(上)
  以前的自己總是怨自己為什麼什麼都看不到,每次都輕易的相信一個人,最後被自己信任的人親手推入無盡的深淵。
  「臨也先生。」
  為什麼明明知道他很危險,卻義無反顧的去相信他。跌的這麼慘,完全是因為自己咎由自取嘛。
  到最後連自己都不知道自己到底是討厭那個總是叫自己棄子之王、算計了自己無數次的那個男人,還是討厭那個被欺騙了無數次、依然肯相信他的那個自己。
  「我看到了。」
  現在的自己卻是對於看得太清楚而感到無奈。看到的不是別的,就是對於一個人類來說很重要的一件事。
  --尤其是眼前這個不想死的人。
  「……你今天會死。」
  --匡啷。
  突然間,本來寂靜的一棟公寓內,傳來了玻璃破碎的聲音。本應該要很突兀才對,卻因為一聲怒吼讓一切都如此自然。
  「爲什麼又讓沙樹闖進那個地方!你明明知道不管你說什麼沙樹都會相信、都會遵從,為什麼還要……」
  面對這咄咄逼人的質問,眼前這個一身黑的男子,只是用著一如往常的溫柔笑臉笑著,彷彿是在面對自家小孩的無理取鬧似的。沒有絲毫違和感。
  「是哦~正是因為知道她很聽話,所以我才會告訴她的嘛~」
  「你這個……」
  「不過你這麼事不關己好嗎?當初可是沙樹自己回來找我商量的哦,而且我也對她說了,遇到危險就跑出去再找我求助。我想、要是有危險的是沙樹她自己,也許就會照我的話做了吧~哈哈哈、很有趣不是嗎?一直不會反抗的沙樹,為了你竟然反抗了兩次呢。果然人類、很有趣啊~」
  這個有著血色眼睛、穿著黑色大衣的人,帶著依然溫柔卻逐漸瘋狂的笑容,說著會讓眼前的少年絕望的話語。面對質問,沒有否認、反而承認,卻又在承認的同時把別人也一起拉進名為罪惡的深淵。
  纪田正臣自己也很清楚,雖然眼前的人也許有扭曲事實,但絕大部分的真相連自己都心知肚明。當知道沙樹又跑進藍色平方的陣營裡,一直以為已經脫離了的過去又慢慢的浮現在眼前,已經不再害怕的正臣這次毫不猶豫的向前跑去。
  於是,這一切就這麼發生了。
  像是作夢一樣的看向了迎面而來的鐵棍,在完全無法動彈的情況下準備迎接接下來的攻擊,接著就只看到代替自己接下攻擊、滿頭是血倒在地上的沙樹。回過神來自己已經抱著沙樹走到了醫院門口,看著沙樹進到手術房之後,正臣才靠著牆滑坐下來。
  正臣認為自己還算耐打,但爲什麼當時會突然因為無力而閃避不及?還是因為自己其實依然會害怕?因為害怕而腿軟了嗎?
  之後,就連正在懊惱中的正臣也被叫去處理傷口,看到完全不像是普通打架程度的傷,醫生也很識相的什麼也沒問。即使沒問也知道發生了什麼吧,這在池袋實在稱不上是少見。
  但是正臣知道,這不是獨色幫之間的鬥毆,而是自己因為一些個人因素而闖進去罷了。雖然自己已經脫離黃金賊一段時間了,但似乎還是脫離不了黑暗的地下世界。這讓他想起自己曾經聽到的一句話。
  「要踏進這個世界很簡單,想出來時卻很難全身而退……嗎?」
  正臣處理完傷口就趕到幫沙樹動手術的手術房前,慢慢的讓自己冷靜下來。接著就在這段空閒的時間整理自己的思緒,想著想著就開始胡思亂想了,於是這句話就是這麼從正臣的嘴邊冒出來的。’想當初聽到那句話的時候也沒有很隨便對待、反而還認真的想過了,但還真的沒想過會有這麼難離開。
  不知道過了多久--也許其實沒過多久--手術房的門就打開了。得知道沙樹因為頭被打破而縫了幾針、現在已經沒有危險,有種明明擔心卻又感覺鬆了一口氣的微妙情感。
  「你隔天再過來看她吧。」
  也許是看到正臣臉上不甚明顯的疲憊、也許是因為目前還無法讓他去探望才勸自己先回家休息。總之正臣還是先回去了。
  在回去的路上眼角瞄到了熟悉到令人痛恨的身影,腳步頓時停住了。臉色蒼白的往那個身影的方向望去,卻早已看不到人影了。
  --絕對沒有看錯、絕對是他。
  正臣站在那裡一段時間後,就瘋也似地跑回家。一回家就躲到棉被哩,腦子一片混亂,一直思考著那個人出現在池袋的原因,而且那個方向還是自己剛走出來的地方--來良綜合醫院。
  --該不會,他知道這件事了?!不、這不可能,即使是他也不可能這麼關注與他無關的事情……等等,時間算的這麼精準不可能是情報……難道?!
  「……可惡!」
  這樣一切都說得通了,這一切一定都是他一手策劃的。早就算到了這些事所以才會剛好再這個時間點去醫院。
  「可惡!可惡、可惡!」
  正臣咬緊牙根,內心正強烈掙扎著。他不知道自己該不該去質問那個男人,可以的話他根本不想見到他。比起身為池袋最強的平和島靜雄,正臣明顯的更害怕被叫池袋最惡的那個男人--折原臨也。事實上說到暴力的代表,無庸置疑會想到靜雄,從這點來看正臣很是害怕跟靜雄產生衝突,但因為發生過各式各樣的事情,讓正臣對臨也產生了更大的恐懼。
  這一天,正臣就在這種混亂中睡去了。
  隔天去醫院的時候,去櫃檯問了一下沙樹的病房房號,發現他被分配到跟之前一樣的病房,正臣雖然對這點有些質疑,但也沒有多想。一看就知道是剛到池袋的見習護士,一臉不贊同的看著正臣。
  「你是那女孩的男朋友吧,既然如此就應該好好保護她啊!讓她被扯進你們男生的糾紛裡,還受這麼大的傷。你……」
  「身為護士別對著人說三道四,在這裡還這麼做小心得罪到不該得罪的人了。」
  從裡面走出來一位好像是這個見習護士的臨時上司的醫生,冷著臉打斷她的話。仔細想想好像就是昨天讓正臣去上藥的那個人。
  現在正臣一心只想去看沙樹的傷勢,再剛才聽到好像很嚴重的時候就更加著急了。所以當這個幫自己上藥的醫生過來解圍的時候,正臣只是匆匆的簡單道了謝之後就快步離開了。
  可是當他走進病房看到沙樹的時候,卻看到她好好的坐在病床上,看著窗外沉靜的笑著,正臣心中咯噔一聲。跟以前一模一樣,唯一不一樣的是頭上纏著的紗布。
  「你就是正臣吧?」
  「……哎?」
  --怎麼回事?
  正臣聽到沙樹開口說了第一句話,就立刻愣住了。不是因為她好像什麼事都沒發生過的模樣,而是她對自己說話時那陌生的口吻。好像彼此不認識似的……
  「啊咧?不是嗎?」
  「啊……啊!不是哦!正確來說的話我可是將來要成為沙樹的老公的紀‧田‧正‧臣哦~」
  即使正臣一時間的發愣,回過神來後還是用著開玩笑的語氣回答這個問題。正臣現在還在考慮要不要像當初真正初次見面時那樣與她對話。
  「呵呵~正臣果然很會說笑呢。」
  正臣又是一愣,心中突然又出現了許久不見強烈的不安感。
  「哎?怎麼這麼肯定?難道沙樹妳真的是超能力者嗎?看透了眼前這爲名叫紀年正臣的少年心了嗎?」
  沙樹帶著跟當初一樣的笑容,跟當初一樣被正臣的話弄得呵呵笑,一切都跟以前一樣。正因如此正臣才會這麼不安。
  「嗯~雖然我不是超能力者,但是告訴我的那個人就像超能力者一樣哦。」
  --不要說。
  正臣好像感覺到了什麼。要是在這麼說下去,以前兩人的努力都會回歸原點似的。
  「那個人正臣也認識吧,他告訴了我很多正臣的事情哦。」
  --怎麼樣都好,快點停下來。
  「所以我知道正臣不會喜歡上我。」
  「等、等等!沙樹--」
  接著,沙樹不顧正臣的阻止、像念咒語一般的將話毫不考慮的說了出來。
  「因為,臨也先生是這麼說的啊。」
  --絕望。
  一切又重新回到了原點……不,這根本連原點都稱不上。之前的折原臨也是告訴沙樹正臣會喜歡上她,而現在的沙樹又重新崇拜上臨也、並且在還沒喜歡上正臣之前就被阻斷了一切的可能性。真正的兩條平行線,完全的不會有可能。
  不知道是不是刻意,臨也又像以前一樣從正臣的背後悄悄接近,拍了拍他的肩。帶著與以前一模一樣的笑臉只讓正臣覺得特別煩躁。
  「嗨!沙樹。還有好久不見,正臣君。」
  正臣充滿敵意的看著面前這個男人,不管是笑容還是動作,都讓他感覺到異常的不爽。
  正當正臣要開口的時候,臨也就朝著沙樹的方向看了過去,不在理會他。而正臣也猶豫了一會兒,放棄了這次談話的機會,跟沙樹道了別就往外面走去。出去後並沒有直接回家,而是在附近到處逛了逛之後再慢慢的往車站方向走去。
  雖然正臣���不想再看見臨也,但是既然已經確定這件事一定跟他有關係,就不得不去一趟了。正臣在往新宿的路上不斷的這麼自我催眠著。
  直到現在只要看到臨也身體還是會下意識的想逃避,但是正臣記得他的公寓或工作場所總是有一位類似秘書職位的女性在工作著--至少最近一直都是--所以他認為自己應該還是可以應付才對。
  這麼想著的正臣,努力壓下心裡的不安往臨也的公寓走去。雖然正臣不知道臨也現在到底在哪裡,但他最常去的地方也就只有那兩個,所以他就隨便走,反正找不到人再掉頭就好了。
  雖然一路上已經做了很多心理建設,但當正臣到了公寓前的時候,還是不自覺的感到恐懼。當他下定決心要按下電鈴時,門卻突然的打開了。
  「……」
  正臣帶著沉重的心情走進這個他曾經下定決心絕對不要再過來、絕對要忘得一乾二淨的地方。
  在打開臨也家的門的時候,又很可悲的發現自己根本什麼也沒有忘記��一眼就發現了這個地方跟以前沒有什麼不一樣,而且自己連臨也之前曾站著迎接他的地方都記的一清二楚。於是他很清楚的發現了,臨也根本是故意要讓一切跟之前一模一樣,連他打開門後說的第一句話也是一樣的。
  但是那個像秘書一般的女性並不在這裡。
  意識到這點的正臣開始有些緊張了。
  「……怎麼,今天那個秘書不在嗎?」
  「秘書?……啊,你是說那傢伙嗎?剛才我讓她去處理些事情了。可真是不巧呢~?」
  「……哦,沒什麼。」
  接著就是一陣沉默,本來正臣是想著只要不跟這個危險的傢伙獨處自己就不會有問題了,但他好像沒有要讓我輕鬆應對的打算。正臣現在在思考,這種情況下用平常心跟他對話的時間有多久,自己必須在那之前早早結束對話。
  不得不承認,正臣一直想要忘掉的恐懼、忘掉的人、忘掉的事,恐怕要一輩子跟著他了。要說以前還可以逃避般的否決這個想法的話,現在反而是被現實逼著不得不面對了。
  最先打破沉默的是折原臨也。
  「所以呢,你想問我什麼?」
  臨也帶著正臣走向沙發,示意讓他坐下後,在他面前放了一杯水。完全是接待客人的模式。
  「……」
  正臣的嘴張了又合,支支吾吾不知道該怎麼開口,又或許是在考慮該怎麼問才好。
  「就盡情的問吧,我今天特別給你免費哦。」
  --講的好像自己施了多大的恩惠一樣。
  正臣聽了心裡十分不屑,但倒也很聰明的沒有表現在表面上。
  「是你讓沙樹去那個地方的嗎?」
  「是哦。」
  毫不猶豫。
  就因為完全沒有猶豫,才會讓正臣更氣憤。就好像讓沙樹受傷的不是自己,甚至根本不認識沙樹這個人、自己跟這件事沒關係而只是��純賣情報一樣。
  「……為什麼?」
  「嗯~?什麼?」
  本來就一直再壓抑自己的怒氣而顫抖的聲音,因為這一句反問句而不在忍耐。本就是不算太低沉的少年嗓音,此刻因為憤怒而變得格外尖銳。
  身子突然的從沙發上站起來,因為動作幅度太大而把桌上的玻璃杯揮開。而玻璃杯掉到地上破碎的聲音即使很大,卻也無法進入正臣的耳中。
  「爲什麼又讓沙樹闖進那個地方!你明明知道不管你說什麼沙樹都會相信、都會遵從,為什麼還要……」
  正臣現在雖然還保持著理智,但是卻已經無法壓制住滿腔怒火,一股腦兒的把心裡的話一瞬間全傾倒出來。
  「是哦~正式因為知道她很聽話,所以我才會告訴她的嘛~」
  「你這個……」
  「不過你這麼事不關己好嗎?當初可是沙樹自己回來找我商量的哦,而且我也對她說了,遇到危險就跑出去再找我求助。我想、要是有危險的是沙樹她自己,也許就會照我的話做了吧~哈哈哈、很有趣不是嗎?一直不會反抗的沙樹,為了你竟然反抗了兩次呢。果然人類、很有趣啊~」
  正臣知道他是在拖著自己下水,告訴自己這件事情會發生跟他也脫不了關係。雖然此時的正臣不知道事情為什麼會變成這樣,但心裡已經感到十分自責。從得知沙樹去到他們的基地裡的時候就開始自責了。
  從以前到現在,沙樹做的每一件事幾乎都是為了自己,甚至為了自己還努力著把以前依賴折原臨也的這個習慣給改正。而他……卻一點長進也沒有,總是再無意間傷害了自己愛著的人。
  不,甚至還不敢確定自己是否真的愛著沙樹,或許只是普通的喜歡著這樣而已。因為沙樹是對自己而言很特別的存在,所以才會對她有著特別的感情。但是正臣很確定的是,沙樹確確實實的愛著自己,比自己想像中的不知道多了多少倍。
  正臣也總是在想,這樣的自己真的配的上沙樹嗎。其實答案呼之欲出,只是自己不敢去想、不敢去承認、不敢讓答案出現而已。
  「……什麼意思。」
  他知道自己很卑鄙、很膽小,明明心裡總是很清楚的事情卻還是要從別人口中得到答案,僅僅是因為自己不敢承認、僅僅是因為自己還存有一點可以否定的希望。
  「你也很清楚不是嗎?女孩子最想要的就是另一半給自己的那深深的愛了,即使是沙樹也不例外。況且沙樹可是很敏感的孩子呢,你那點不確定連我都瞞不過了,何況是沙樹呢?當初她可是十分掙扎的跑來找我,讓我告訴她怎麼樣才能確定你對她的愛。嘛,現在確定是確定了,但她也不需要了,真諷刺呢。」
  聽了這番話正臣終於知道了,知道為什麼沙樹又會與臨也連絡,知道為什麼會再一次不顧危險的聽了他的話。這兩次,沙樹都是為了自己而自願去了藍色平方的聚集地、兩次都是因為自己而受傷。正臣現在很慶幸沙樹不會再喜歡上自己,因為他只會帶給沙樹無限的痛苦。
  「都是……我的錯?」
  即使自己內心已經承認,嘴上卻還是不自覺的問著。不知道是在問眼前的人還是在問自己。
  而對於這句問答,臨也似乎認為這並不是在向他提問,而也沒有做回答。只是冷冷的看著眼前慢慢陷入絕望的少年。
  臨也其實很好奇,這次這個少年是不是終於會真正的絕望。之前的這麼多次遊戲中,每次到了最後正臣總是又會帶著堅定的眼神站起來。也許正是因為這個原因,臨也對正臣的這種性格愛不釋手。
  精神恍惚的正臣不知道是怎麼走出臨也的公寓的,更不知道自己是怎麼回到池袋的。現在時間還不算晚,路上的車子依然很多,可是正臣卻什麼也沒有看到。
  「正、正臣!」「正臣君?!」
  恍惚間突然聽到了好像是自己青梅竹馬與杏里的聲音,正臣下意識的停下腳步,用手輕拍自己的臉,用著他們兩個十分熟悉的開朗表情看著他們。但轉過去的時候,卻看到他們驚恐的表情。
  「正臣!快躲開!」
  龍之峰帝人才剛把話說完,正臣就被迎面而來的車子撞上。
  「正臣君!!」
  帝人跟杏里瞪大眼睛,一時間沒有辦法做任何反應,連救護車也是旁邊的路人幫忙叫的。兩人一開始見到友人的喜悅,瞬間因為一場變故而消失無蹤。
  而他們在著急的同時,卻沒有看見正臣在那一瞬間,一時間感到解脫的眼神。
  正臣一睜開眼睛,看到的是一片白茫茫的天花板。本來是沒有發現有什麼不一樣的,……在他的那兩位好朋友過來之前。
  他正想要起身,才發現全身一陣劇痛。
  --啊、是了,我是被車撞了嘛。
  好不容易終於認清了事實,就躺著閉目養神了一下。好像是在休息的時候又不小心睡著了,睜開眼睛後才發現自己的點滴被換新了。
  正臣不知道自己對著天花板發呆了多久,突然聽到門打開的聲音。
  「正臣君,還好嗎?」
  進門後看到正臣醒著,杏里就沉不住氣擔心的問候了一聲。
  正臣再次閉上眼睛,然後臉上帶著跟以前一模一樣的笑容、說著跟以前一模一樣輕浮的話語。
  「嗯?能被這麼可愛又性感的杏里擔心,我真是罪孽深重的男人啊!怎麼了?迷上我了--」
  在轉頭看向自己的好朋友的那一剎那,正臣不自覺的深吸了一口氣。
  「正臣?……難道有哪裡不舒服嗎?很痛嗎?」
  看到帝人擔心得連吐嘈都忘了,正臣才趕緊回過神來。
  「啊哈哈哈哈,難道連帝人都迷上我了嗎?……啊、這樣感覺起來有點噁心了。」
  「……我這邊才是快吐了呢。真是的,我真的在擔心你耶。」
  帝人一臉受不了,但是卻還是用著擔心著的語氣回答著,但是聽到正臣還可以開玩笑,心裡倒是放心了一些。
  「嘛、先不說這些了,帝人,我有件事想問問你。」
  正臣用著格外嚴肅的表情看著帝人,害的帝人都緊張的吞了吞口水。
  「你們……進展到哪裡了?」
  「……」
  「……」
  「啊啊啊啊啊啊啊!以為是什麼嚴重的事情還擔心的要命的我真的是大笨蛋啦!」
  「正、正臣君,什、什麼進展的,才沒那回事!!」
  看見眼前的兩個摯友還在原地停滯不前,正臣無奈的笑了笑,但也沒有多做些什麼,只是帶著祝福。接著又想想自己,才剛遭遇了什麼事情了,還有餘力去關心他們兩個,正臣覺得也許自己真的沒有自己想像的這麼在乎沙樹是否喜歡自己這件事。
  還真是過分呢。雖然自己一直都清楚自己是個很差勁的人。
  等到帝人和杏里離開後,正臣到剛才為止一直掛著的輕浮笑容瞬間消失無影無蹤。
  剛剛看到的,不只是以前看到的那樣。不只是看見帝人和杏里擔心的臉,還看到了一串本不該出現的數字。
  --那、到底是代表著什麼呢?
  在聊天的過程當中,那些數字不斷的倒數、不斷的倒數,本來想說服自己只是眼花,但是就算不仔細想,這種情況也不是眼花能夠解釋的。
  又過了幾天,正臣越來越確定,那串數字絕對代表著什麼。
  不管是醫生、護士,又或者是來探望自己的人,每個人的身上都有一串數字。正臣自己也有去鏡子前看,甚至連自己身上都有一串數字。
  這種情況一直到出院之前,都沒有改變。
  「走在路上要小心啊,別再回來了。」
  在正臣準備走出醫院的時候,一直很照顧他的護士、藤本織香笑著對他說。
  「啊、難道織香小姐在擔心我嗎?!哎呀、不好,聽到織香小姐這麼一說,說不定我下一分鐘就會因為太想念妳而故意又被送回來哦。」
  「別耍嘴皮子了,你要是被送回來的話我絕對會把你丟出去的哦。」
  在住院這段期間的相處下,藤本織香已經很清楚該怎麼回紀田正臣的話,甚至已經十分了解正臣說這些話其實並沒有什麼特別的意思。
  簡單一點來說的話,就只是下意識戴上的面具罷了。
  在織香的眼裡,紀田正臣大概就屬於那種即使在很危險的處境下,也可以一笑帶過緩和氣氛的人。
  於是在結束這簡短又毫無意義的話之後,正臣就真的毫不猶豫的轉身離開醫院。
  在走回家的路上,正臣一直在想著該不該去看一看沙樹,但是卻又不知為何的不敢去面對她。在大家都不斷在前進的時候,只有自己依然跟以前一樣是個膽小鬼呢。正臣不由得自嘲了一番。
  可是想了想,才剛出醫院又返回去,即使說是為了看人也會被丟出來的吧。況且自己也不知道沙樹還在不在醫院裡。
  「算了,明天再說吧。」
  正臣聳了聳肩,又繼續走上了回家的那條路上。
  當然不是回到之前與沙樹住的那一個家,而是回到之前還在來良學園上學的時候,一直住著的那一個家。
  走到家門口才又想到,是時候把之前跟沙樹一起住的公寓也處理處理了。
  出了一次車禍、住了一次院,終於冷靜下來後才發現,要處理的事情真的太多太多了,一時半刻哪有什麼後悔、懊惱、自責的時間,更沒有時間讓自己絕望跟自我厭惡了。
  把眼前浮現了許多數字都忘掉、把被折原臨也嘲諷的事情也忘掉、把沙樹忘了自己不再喜歡自己的事情也先忘掉,先把以前還沒處理完的帳都先清一清吧。
  正臣是這麼想著的,直到回到家���覺前也是這麼想著的。可是到了隔天他才發現,他現在認為最不需要關注的事情,代表著的是多麼沉重的東西。
  隔天一大早,正臣本來的打算是先到醫院去看一看沙樹,在去把公寓給退了。畢竟沙樹大概也不再需要那間房子了吧。
  但是在去醫院的路上,正臣無意間的看到了真正在倒數秒數的數字。
  18、17、16、15……
  到底會發生什麼?正臣不自覺的停下腳步看著那個正在數字倒數的上班族。
  8、7、6……
  不知怎麼的,莫名的有種不好的預感。
  3、2……
  正臣瞪大了眼睛,想要大喊卻做不到,眼睜睜的看著一輛平常不會出現在這裡的大卡車就這麼朝著那個上班族衝撞上去。
  1。
  等到秒數全倒數完之後,身邊是許多尖叫的聲音。場面混亂到沒有人注意到一個始終關注著那一邊的男孩,正站在原地,邊用手用力遮蓋住自己的嘴不讓自己叫出聲、邊努力克制住自己怎麼也停不下來的顫抖。
  發生了什麼?
  為什麼會變成這樣?
  那個人死了嗎?
  ……是死了的吧,因為數字已經倒數光了啊。
  不、還有希望的,這只是巧合,只是撞到了一下,自己之前不是也出過車禍嗎?
  「喂!誰快叫救護車啊!這個人沒有呼吸了啊!」
  聽到遠處叫喊著的聲音,正臣覺得自己的身體正逐漸變得冰冷。
  如果這個數字代表著的是這個意思,那麼……意思就是我之前一直漠視著的是人們的生命長短嗎?
  正臣這麼恍惚著的到了醫院,不知怎麼的,自己現在突然很想馬上見到沙樹。
  「……正臣?」
  「……啊,沙樹,最近還好嗎?」
  正臣一來到沙樹的面前,雖然不做誇張的偽裝,但還是勉強的笑了笑。
  「嗯,醫生說我的狀況很穩定,但還是必須要多觀察。」
  他聽到面前的女孩這麼說,什麼驚訝或放心的表情都沒有。想也是呢,畢竟腦袋受到的衝擊都大到可以讓記憶全都不見了。
  「話說回來,發生了什麼事嗎?」
  「……咦?」
  「正臣看起來狀況很不好,是遇到什麼事了嗎?」
  雖然一直都知道沙樹很敏感,但是如果之前是因為很了解自己所以才什麼都知道,那麼現在又是為什麼會一眼就明白了呢?
  而沙樹好像也看穿了正臣的疑問,繼續說道。
  「雖然我也不知道為什麼我會知道,但是既然知道了,就不能放著不管對嗎?」
  「……」
  正臣聽到後依然什麼也沒有說,而沙樹也不逼迫。就跟之前一模一樣,如果自己真的不想說,沙樹也只會等到自己想說的那一天,在那之前,一句也不會問。
  知道沙樹是這種性格的正臣,猶豫了一會兒,還是決定把一切都說出來。
  「……還真是不可思議呢。」
  聽完整件事情經過的沙樹,第一句話就是這麼不可思議的一句話。
  正當正臣想回話的時後,沙樹又接著往下說。
  「但是正臣,你無法接受的,真的只是因為你之前沒有重視過那些數字嗎?」
  「……什麼意思?」
  「其實你真正無法接受的,是漠視那個人去死,所以懷抱著罪惡感吧?」
  「其實你真正無法接受的,是你怕你什麼也做不到,只能眼睜睜看著那些生命消失在你眼前吧?」
  「所以其實,如果你什麼數字也看不見,那麼即使那個人就這麼死在你面前,你也會當作這只是你人生中的小插曲而已對吧?」
  「……」
  正臣聽完後,什麼話也沒有說。因為沙樹說的,也許就正是自己當時所想的,聽完這番話,正臣自己也有感覺到什麼。
  她說的一點也沒錯,自己就是這麼想的,如果自己什麼也看不到,那個上班族就算死了也與自己一點關係也沒有。正因為自己看到了,所以就好像是自己對他見死不救一般,才會讓自己難以接受。
  「那麼正臣,為什麼你非得要救他們不可?」
  「誒?」
  「他們沒有幫助過你,甚至你還不認識、沒有見過他們,那麼為什麼非得要幫助他們不可?」
  「……」
  聽到這正臣才浮現出這點疑問。對啊,自己為什麼要為了這個而自責,不是自己推他去大馬路上的,並不是自己殺了他的,為什麼自己會這麼難過?
  「如果正臣真的這麼無法接受,去幫助他們就好了。」
  「啊?怎麼可能,誰會相信自己就快死了這種事。」
  「是呢,那要是正臣想幫助別人的時候被打擊到了,就到我這裡來吧。」
  「咦?!」
  聊到這裡正臣突然想起來了,沙樹失憶了,沙樹不喜歡自己了。可是感覺上好像什麼都沒有改變,沙樹一樣了解自己、一樣會揭穿自己不敢看的一面,也一樣會包容自己。甚至自己再講這些荒誕無稽的事情的時候,沙樹也毫不猶豫的相信了自己。
  真正不可思議的不是自己遭遇到的這種事情,而是沙樹這個人本身吧。正臣下意識的這麼想。
  「因為我覺得我沒有辦法丟下正臣不管啊。」
  沙樹就這麼帶著跟以前一樣的微笑看著正臣。
  「……果然沙樹,總是能知道我需要什麼呢。」
  正臣用著只有自己才聽得到的音量這麼說著,同時也強烈的意識到了。
  並不是三島沙樹需要紀田正臣,而是紀田正臣不能沒有三島沙樹。如果紀田正臣失去了三島沙樹,那紀田正臣將會成為真正的廢物。
  如果紀田正臣的身邊沒有三島沙樹,那麼當紀田正臣遭受到第一個挫折的時候,就應該從此一厥不振。
                                  From  2014.06.09.
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generalwonderlandpeace · 4 months ago
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generalwonderlandpeace · 5 months ago
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以前健太郎居候オートバイ無断またぎ無断いじりをしておりました。きちんと断ってからいじるまたぐなりしなければなりませんから、いつまでもふざけては居られません。人をうらやむのはウヌラの勝手ですが、理不尽な行動するのは却って後悔やら損ミジメになる為落ち着いてなければなりません。
2025/01/26
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generalwonderlandpeace · 9 months ago
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generalwonderlandpeace · 9 months ago
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generalwonderlandpeace · 11 months ago
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【健太郎居候の主な略歴】
1975…10月06日出生 一卵性双生児 中尾和昭
1976…いたずら披露
1977…遊びに没頭
1978…ろうそくで遊ぶ
1979…ケンカに明け暮れる
1980…中尾家から強制的に外される
1981…残留孤児後高橋家の継子化 高橋健太郎になって再出発
1982…小学生になるもいじめられる
1983…綱渡りしてお尻ペンペンされる
1984…哀れな行為を繰り返す
1985…ケンカに遭遇される
1986…当時中3の遠藤孝治・遠藤匡剛から軽蔑されながらその都度つねられる 11歳
1987…理不尽な行為をする 12歳
1988…中学生になっても更に憎まれながら虐待を受けられる 13歳
1989…雑誌を読んで鬼武正子先生から実際に怒鳴られる 14歳
1990 …受験生でありながら遊びまくる 15歳
1991…高校生になるも更に遊びに没頭する 16歳
1992…福澤諭吉の言葉に身をひからされる 17歳
1993…運転免許証取得する機会を失う 18歳
1994…過年度生1廻目 19歳
1995…過年度生2廻目 
固定電話に依る未使用電話番号回す行為を終了した 20歳
1996…大学入学及び運転免許証取得 21歳
1997…遊び心 22歳
1998…就職先決められなくまごつく 23歳
1999…陸上自衛隊採用試験不合格 24歳
2000…5箇所職転々した後人工大理石加工兼マンション向けシステムキッチン製作に於ける工場系の会社に就職し更に地獄の特訓を受けられ過酷さを味わう
以前の祖父を交通事故で亡くす 25歳
2001…7箇所職転々とやった後新たに倉庫系の会社に契約社員として入社し自動車工場向け部品の入出荷梱包他諸作業に従事する 26歳
2002…焦り伴う原因作る 27歳
2003…継父・継母を見習い大型二輪運転免許証取得した 28歳
2004…他人結婚しているのにのんびり過ごして更に進歩無し 29歳
2005…以前の祖母を乳がんで亡くす 30歳
2006…何処かで正社員を目指そうなんて考える 31歳
2007…なかなか恋愛出来ない 32歳
2008…自動車部品倉庫狭山から北関東へ移転することを知らされる 33歳
2009…食品関連の倉庫内作業に従事し生きがい見いだせない生活を送る 34歳
2010…同居していた継祖母老衰及びペットとして飼われ鳴き声小さかったメスネコ肺炎により死去 35歳
2011…東日本大震災&書物を熟読する 36歳
2012…以前の親友田村幸二と再会及びカラオケを楽しむ 37歳
2013…中型自動車第一種運転免許証取得 38歳
2014…契約社員生活に限界感じた ペットとして飼われていたオスの大型犬癌で死去 39歳
2015…なぜ倉庫作業に於ける正社員目指そうとしなかったのか頭を抱え込む 40歳
2016…羽村のマブチで海外向け自動車部品の供給に従事する 41歳
2017…自動車工場向け部品の目視検査出荷準備その他諸作業に従事する 42歳 
2018…自動車メーカー向けゴムホース目視検査接着梱包出荷に従事する 43歳
2019…上司から一方的に怒号殴打蹴りを喰らわれて惨めな事態となる 44歳
2020…愚かさ儚さを存分に味わう 45歳
2021…自動車工場向けタイヤの搬入作業全般に従事する ペットとして飼われていたメスの小犬慢性呼吸器不全により死去 46歳
2022…全く未経験なのに対し偉そうに自動車運転好きを理由に2tドライバーとなる 47歳
2023…前父1周忌及び無事故無違反継続と共に大型特殊自動車第一種運転免許証追加取得した  48歳
2024…兎に角全面的に落ち着く 本年秋を以て49歳見込み
現在に至る
2024/08/06
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generalwonderlandpeace · 1 year ago
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健太郎居候過去に元知り合いから『お前なんかとお茶したってそう長続きしない。僕やらねばならない忙しさに遭遇されているんだ。従って、今後お前と僕とのお供は諸般の事情により切り離していただき、誠に勝手ながら連絡先交換すらやらなかったと見なし、そしてお別れ致そう!!💢』と述べられました。今後はカラオケやるなら元知り合いより全く異なる人とカラオケ・お食事・その他を励行し、薈自身さえバリエーションをFMCせねばならない為落ち着きます。あとは健太郎居候結婚ですから、一人喋りや理不尽な言動せず異なる生き方致します。
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generalwonderlandpeace · 1 year ago
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安西進過去には本人事情により休学したのは間違いございませんでした。その後通信制に転校した後卒業して民間企業に就職しましたが、経営不振により2年で退社し引きこもりしてしまいました。従って健太郎居候安西進の前に姿現せないのを掴みます。セーラームーン扮した日野さくら魅力を感じさせます。それと故羽佐間道夫氏アドリブしっかりしていた声優さんでしたし、健太郎居候遊び心すねかじりでは結婚出来なくなる恐れございませんでしょうか?
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generalwonderlandpeace · 1 year ago
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健太郎居候中学生時代担任ずっと渋谷朱美先生でした。相川史崇先生は家庭教師としてお世話になりましたし、仮令中学生時代担任相川史崇先生でなかったとしても渋谷朱美先生から見守れたのをきっちりと理解してくれなくてはやばくなるばかりです。それと健太郎居候め青伸産業運輸入間第二営業所で在庫管理を徹底し、御取引先様から信頼されやすい自動車工場向け部品の入出庫及び梱包をトータルに行える倉庫作業員として活躍し���りゃ今どきはリーダーになり、しかも結婚出来て子ども授かっていました。人工大理石加工会社/食品メーカー/リサイクル/足場仮設整備を転々としなくて済む為にも愚か者から賢者になる心構え持たねばなりません。
2024/05/01
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generalwonderlandpeace · 1 year ago
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健太郎居候以前人工大理石加工会社にて地獄の特訓を受けられ過酷さを味わった経験ございます。製品受注者徐々に減少され、人員削減と共に会社都合により退職しました。人工大理石会社時代の親分ってものすごく冷徹で厳格な人物だったことを掴み、深く反省しなければなりません。
それと我様在庫管理を徹底し、御取引先様から信頼されやすい自動車工場向け部品の入出庫及び梱包をトータルに行える正規の倉庫作業員として活躍出来る心構え持って行動出来ればありがたいです。
2024/04/18
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