#金箔体験
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世襲や資産相続によって地位・財産・名誉を得た(超)富裕層に対して、中間層・貧困層が「本当は心の中で思っていても口に出せない」、辛辣で毒のあるセリフを以下にカテゴリ別に整理し、できるだけ多く列挙します。これらのセリフは、社会的な「空気」や抑圧により「無言のタブー」として封印され、支配構造の偶然��や不平等性を露呈させる鋭い批判を含みます。日本の文脈(非正規雇用40%、若者貧困率15%、上位1%が富の20%、ジニ係数0.33)や2025年6月時点の状況を反映し、富裕層の特権(例:金融所得課税20%、経団連献金年間30億円)を念頭に簡潔に提示します。
1. 世襲と出自に関する皮肉・事実の指摘
「生まれただけで勝ち組って、ズルいっすね」
「努力しないで社長になれるってすごい世界ですね」
「親ガチャ大成功っすね、うらやましい」
「お父さんに全部レール敷いてもらってラクですね」
「地位も金も血統ですか?」
「自分で築いたもの、ひとつでもあります?」
「生まれで勝った気分ってどんな感じですか?」
「才能より苗字の方が大事なんですね、この国」
「努力って、金持ちの家に生まれることから始まるんですね」
「遺伝子と財産が全仕事をしてくれるって最高ですね」
「親の名前がなかったら、今どこにいたんですか?」
「家柄で人生イージーモード、いいなあ」
「生まれが良ければ苦労知らずですよね」
「親のコネで全部解決、楽ちんですね」
「血筋だけで出世って、日本らしいね」
「親の金で買えないもの、あります?」
「世襲って、努力ゼロでトップですよね」
「家系図が履歴書代わりって便利ですね」
「お父さんの財布、めっちゃ働き者ですね」
「生まれが9割、努力は1割ですね」
2. 暗に「無能」や「中身のなさ」を暴くような毒
「肩書きなかったら、誰も話聞いてくれなそうですね」
「この会社、お父さんいなくなったら潰れてましたよね?」
「家柄なかったら、何してたと思います?」
「世襲じゃなかったら、面接通ってないでしょ」
「自分の力だけで何かやったこと、あります?」
「箔(はく)って、親が作ってくれるもんなんですね」
「親の名前借りなきゃ、何もできないですよね?」
「実力ゼロでも家柄でカバー、すごいっすね」
「自分で稼いだお金、1円でもあります?」
「お父さんの影がなかったら、ただの人ですよね」
「肩書き剥がしたら、何が残るんですか?」
「世襲なかったら、バイトすら厳しかったかも」
「親の遺産がなければ、路頭に迷ってそう」
「実績ゼロでも家柄でVIP、楽ですね」
「能力よりコネが物を言うんですね」
「親の後光がなかったら、誰にも気づかれないね」
「世襲のおかげで、無能でもトップにいられる」
「実力で勝負したこと、一度もないでしょ?」
「家柄がなかったら、ただの凡人ですよね」
「親の名前がなければ、履歴書ゴミ箱行きですね」
3. 皮肉・感謝のふりをした攻撃
「あなたのおかげで『上級』という言葉が生まれました」
「この国の格差を可視化してくださってありがとうございます」
「子どもたちに不平等を教える実例として最高です」
「庶民に夢を見させない役割、しっかり果たしてますね」
「富と地位は受け継げても、謙虚さは遺伝しなかったんですね」
「不平等の広告塔として、ご活躍ありがとう」
「世襲のお手本、見事すぎます」
「親の遺産で格差を教えてくれて感謝」
「日本の階級社会を体現してくれてありがとう」
「生まれだけで勝てるなんて、希望をありがとう」
「不公平をこれほど見せつけてくれて感謝」
「努力不要の人生、参考になります」
「親ガチャの勝利を実証してくれてありがとう」
「格差社会のスター、輝いてますね」
「生まれだけで成功、見事なデモンストレーション」
「庶民の限界を教えてくれて、ありがとう」
「世襲の素晴らしさを体現してくれて感謝」
「不平等を当たり前にしてくれて、ありがとう」
「親の力で生きる姿、勉強になります」
「階級社会の教科書、素晴らしいです」
4. 呼びかけ・あだ名・言い回しによる辛辣な表現
「坊ちゃん、今日も働いたふりお疲れさまです」
「嬢ちゃん、庶民の世界は怖いでしょ?」
「御曹司、ご自分の帝国はいかがですか?」
「あ、『三代目』って言ってもバンドじゃない方ですよね」
「あー、お金に愛された人だ」
「あなたの肩書き、全部誰かの遺産でできてる」
「お坊ちゃま、親の金でいい気分ですね」
「お嬢様、庶民の生活は想像つきます?」
「世襲王子、玉座は快適ですか?」
「三代目社長、親の会社どうですか?」
「金持ちの跡取り、気楽でいいね」
「パパの財布、今日も元気ですか?」
「お坊ちゃま、努力って知ってます?」
「コネの王様、庶民に何か用?」
««お金持ちの息子さん、世の中甘いですか?»
««お嬢、親の資産で人生余裕ですね»
««世襲エリート、親の名前で生きてて楽しい?」
««金持ち二世、苦労って何ですか?」
««レール敷かれた人生、快適でしょ?」
««親の後ろ盾、最高のチートですね»
効果と文脈
これらのセリフは、世襲富裕層の地位・財産・名誉が努力や能力ではなく「生まれ」や「コネ」に依存していることを暴き、支配構造の不平等性(例:日本の上位1%が富の20%、非正規雇用40%の低賃金)を浮き彫りにします。しかし、以下の理由で「無言のタブー」として抑圧されます:
社会的空気:日本の「和を重んじる」文化(例:「出る杭は打たれる」)や職場での上下関係(経団連の影響)が、批判を封じる。
経済的抑圧:非正規労働者(40%、賃金は正規の60%)や若者(貧困率15%)が、失業や社会的孤立を恐れ黙る。
メディアの役割:右派メディア(産経、読売)やX(#JapanFirst)が、富裕層を「経済の牽引者」と美化し、批判を「反日」と糾弾。
自己責任の内面化:教育(受験競争、塾費用100万円超)やNISA(1000万人参加)が「努力不足」を強調し、富裕層への不満を「自己責任」に転嫁。
これらのセリフが口に出されないことで、富裕層の特権(例:金融所得課税20%、相続税の抜け穴)は「自然」とされ、格差是正(例:資産税)や連帯が阻まれます。タブーを破ることは、支配構造への抵抗の第一歩となり得ます。
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大学受験の意義が問われている。Xでは「教育の専門家」と称する人物が受験の心構えについて偉そうに語っていたが、今後は大学受験そのものが不要になるのではないか、大学受験の必要性が薄れていくのではないかと個人的に考えている。
今現在、大学受験が行われているのは、さまざまな理由がある。その一つと思われるのがキャパシティの問題だ。
いくら大学側が定員を増やしたくてもキャンパスや校舎の収容能力には限界がある。また、1人の教員が指導できる学生の人数や、授業のコマ数にも限界がある。これらは物理的な制約なので、どうしようもできないこと。 だからこそ、大学受験というシステムを利用して学生の定員数を絞る必要があった。
しかし、今後、教育のオンライン化が進めば、キャンパスや校舎といった物理的な問題は解消される。授業はオンライン配信なので、教室の席数に関係なく、1人の教員が一度に多くの学生に授業を教えることもできるだろう。 つまり教育のオンライン化が進めば、大学の定員数という物理的な概念は実質的に撤廃できる。
国立大学はどうかはわからないが、少なくとも私大は極力多くの学生を抱えたいと考えるので、定員数を増やそうとするはず。 となれば、受験の必要性は薄れていくはずだ。
実際に、角川ドワンゴ学園は4月に「ZEN大学」という通信制大学を開設予定であり、今後、このような形態の大学が増えていくと考えられる。通信制に対して不安視する声もあるが、優秀な学生は基本的に自学自習が可能であり、通信制で十分学習できるのである。
そもそも大学とは高等教育機関であり、本来、バカが行くような場所ではない。しかし、多くの人たちが「大学に行かないと就職が不利になる」と考え、就職予備校のような感覚で進学しているのが実情だ。
そのような大学にも国から助成金が投入されている。しかし、そもそもこの助成金は優秀な学生の育成を目的としたものであり、学力の低い学生の箔��けのためのものではない。Fラン大学を無償化するなどもってのほかだろう。
今後、受験の必要性は薄れ、Fラン大学は淘汰され、優秀な学生がスター教授のもとへ集まる流れが加速すると思われる。例えば、東大の松尾研究室や中須賀研究室のように、卓越した研究を行う教授のもとへ世界中から学生が集まる体制になってくるだろう。
もはや受験戦争はすでに時代遅れになりつつある。むしろ大学受験だけでなく、中学受験すらもナンセンスではないかとさえ思う。受験の存在意義そのものを、今一度見直す時期に来ているのではないだろうか。
ホリエモンニュースレターより
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チーズ膠行進曲、あるいは、カゼインテンペラ大冒険
♪いざすすめやキッチン
というわけで、買ったはいいものの、お口に合わなくてずっと消費しきれなかったチーズがうちにはありました。
そんな時、チーズ膠という存在を知ったのでした。
と言うわけで、チーズでテンペラを作ろう、という実験です。

冒頭の、お口に合わなかったチーズは10%引きシールの貼ってあるフォルエピというチーズ。 ついでに、実験用にゴーダチーズ、パルミジャーノレッジャーノも用意しました。
(食べたかったから、という言い訳もある。 ゴーダの単体は始めて食べたけど、料理にかけて食べた方が良い味だった。 パルミジャーノレッジャーノは普通に自分の好みのチーズである。 パルミジャーノレッジャーノ、白カビ系、青カビ系、ウォッシュチーズ、モッツァレラ、カッテージ、マスカルポーネとかが好きな我が輩にお勧めのチーズは一体何なのだろう。)
プロセスチーズでもできるかな、と用意しましたが、こちらは残念ながら最初のチャレンジでいっぱいいっぱいで、ここまで手が伸ばせませんでした。 いずれまた後日……。
前置き
そもそも何故この実験を始めようと思ったのか。 それはちょうど2025年1月のこと、チェンニーニの絵画術の書が文庫化され、さらには待望のkindle版が実装されたのでした。 2月に入ってからTwitterの相互さんに教えていただいて早速読み始めたところ、チーズが接着剤になる(チーズ膠)、というくだりでその相互さんが前にカマンベールで接着剤作ってたのを思い出したのでした。
で、チーズに生石灰入れて顔料入れればテンペラになる、と教えていただいたのでちょうど処分に困っていたチーズがあるので作ろう、というながれになったのでした。
チョロいな、我が輩……😂
と言うわけで事前準備
強めのアルカリを使う事になるので、いつもは素手かゴム手袋ですが、今回はさらなる安全を期して、藍染めでおなじみのテムレスさんというしっかりした手袋の上にゴム手袋(←このゴム手袋はテムレスさんが汚れないようにするため)をし、目は防塵対策の花粉用眼鏡、そして防塵マスクという完璧な出で立ち!!!
石灰とか目に入ったら大変だしね。
チーズにアルカリ的な何かを混ぜよう
相互さんからは生石灰と聞いたのですが、ネットで調べていたら、消石灰でも行けそうな気配を感じたので、いくつかアルカリ性のブツを用意しました。
用意したアルカリ剤 ①海苔に入っていた乾燥剤(生石灰……???) ②消石灰 ←藍染め用に買っていたのであった……! ③炭酸ナトリウム ←レーキ実験用に買っていたのであった……!
※カゼインテンペラペーストにアンモニア入れて溶かすって単語をネットの海で見かけたのですが、流石にアンモニアは臭うし筆痛めそうなのでパス。アンモニア水は家にあるんだがな!
では実験を始めよう。
って言っても、正直、具体的な作り方知らないし、ネットで簡単に探しても見つからないので超適当です。
①生石灰? 生石灰は水に入れたら発熱するので海苔の乾燥剤、事前に水に入れようとしたら上手く溶けず、コイツ、そもそも生石灰じゃないかもしれない疑惑が生じたので、即座に実験対象から外されました。
②気を取り直して消石灰。

水に溶かしてから入れた方が良いのか、直で入れて良いのかわからんので、先ずはそのまま粉をかけました。 でも、一切溶ける気配がないので、この後少しずつ水を足していって無理矢理こねくり回した結果、多少溶けていきましたが、チーズの塊が大分残ってました。

途中で粉を足したり水を足したり調整して、指でこねこねしまくった結果、最終的にこんな感じのトロトロの何かが生まれました。
もはや何が正解かわからないので、とりあえずこれでヨシとする事に。
写真はないですが、ゴーダチーズと消石灰でも作ってみようとしたのですが、小さいゴーダチーズしか手元になかったので、ちょっとだけパルミジャーノレッジャーノも追加しました。
③炭酸ナトリウム
写真を撮り忘れました。 こちらは消石灰とは逆に、事前にお水で溶かしてから使いました。 が、水が多すぎたのか、チーズがボソボソになるものの、完全に溶けるまでには至らず。 こちらも、消石灰と同じように都度粉を足して行くのが正解だったのかもしれない。
フォンエピの方は諦めました。 ゴーダチーズの方はダマが残っているけれど、少し滑らかなところが出てきたのでとりあえずこのまま実験を続けることに。
顔料を混ぜて塗ってみよう

↑こちらはフォンエピに消石灰を混ぜて練ったもの。
顔料は、無難にマツダのフレンチウルトラマリン。 (わりと滑らか目のウルトラマリン)
ペーパーパレットの上でペインティングナイフで適当に練ります。

↑ゴーダチーズに炭酸ナトリウムを混ぜたもの。
見るからにボッソボソ。 一応ペインティングナイフでもチーズのダマをなくすように練りました。

↑同じ要領で、ウルトラマリンの他にチタニウムホワイトでもやろうと思ったものの、手持ちの顔料がペーストタイプしか無かった件。
ウルトラマリン以上にどのくらいの量を混ぜれば良いのかわからず困惑。
結果

一番上は、透明水彩のように水で広げて塗っていきました。 真ん中は厚めに塗ったもの。 (一番右しかないけど)一番下は、チタニウムホワイトを上に塗ってみたやつ。 炭酸ナトリウムはボソボソしすぎたので、そのまんまボソボソした塗り心地。
フォルエピよりもゴーダチーズ&パルミジャーノレッジャーノで作ったものの方がガッシュのようなツヤのない質感で、フォルエピの方がツヤがありました。
どっかのサイトの情報だと、卵テンペラはツヤがあって、カゼインテンペラはツヤがないってあったので、フォルエピの方は消石灰が足りなくて油分が残ったのかもしれないという素人の考えであった。
テンペラ、乾いたら耐水性と聞いていたのですが、フォルエピとゴーダ&炭酸ソーダ、なんか溶けてる気がする。 完全に乾いてなかったのか、やはり適当に作ったのがいかんかったのか。
チタニウムホワイトも作ったので、色つきの紙にも塗ってみました。


こちらは灰色。


こちらは黒。
ウルトラマリンの透明感が……違う……! チタニウムホワイトはちゃんと厚塗りすれば、炭酸ナトリウムのゴワゴワさん以外はちゃんと隠蔽力があるのですが、ウルトラマリンは消石灰の下の方が厚塗りなのに、下の色が透けてて色が見にくいのに対し、ゴーダ&パルミジャーノレッジャーノのほうははっきり青色が見えてます。
おいしいチーズの方がいいチーズ膠になるのか、消石灰の量が良かったのか、やはりコレも実は失敗作なのか、専門家じゃないのでさっぱりわかりません🤣
まとめ
というわけで、紙を折り曲げても今のところ剥離しないし、指でこすっても取れないので、それっぽいものはできた、と言って良いと思います。
が、これを実際に使用して絵を描いて良いのか……?と思うと、全く不明。
美術館で見たテンペラ技法に、金箔を先に貼り、その上にテンペラで色を置き、あとでテンペラの一部を削って箔の模様を作るというものがあったのですが、それをやって良いのかわからんorz
自分用だし、ぶっちゃけ最後にレジンかければ許されるかなー🤣
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【石川】金沢「茶房 素心」
【ヒルナンデス】夫婦で営む金箔×ほうじ茶パフェ『茶房 素心』#久本雅美 #王林 金沢で家族愛グルメ巡り 2024/9/13放送 石川県金沢市東山1-24-1 #ヒルナンデス #陣内智則 #SHELLY #ぺこぱ 詳しく見る↓
北鉄金沢駅「茶房 素心」 食べログでcheck! 古都の情緒とモダンな雰囲気が絶妙に調和した古民家風のカフェ こだわりのスイーツやドリンクが楽しめる。 加賀棒ほうじ茶の和風パフェ 1200円 金箔貼り体験:金箔(小) 300円 住所 石川県金沢市東山1-24-1 TEL 076-252-4426 行く前に!見どころ&口コミをチェック 茶房 素心(金沢/カフェ) – Retty [カフェ好き人気店☆]こちらは『茶房 素心(金沢/カフェ)』のお店ページです。実名でのオススメが42件集まっています。Rettyで食が好きなグルメな人たちからお店を探そう!… 行く前にcheck!
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部屋と演劇 対談③ 村社祐太朗×野村眞人
野村 お時間とっていただいてありがとうございます。よろしくお願いします。ちょっと部屋の電気が切れまして。
村社 えー(笑)
野村 ちょっと不気味なライティングなんですけど、お気になさらずというか、はい、お願いします(笑)
村社 よろしくお願いします。
野村 トピックとしてはいくつかありまして、上演についてもそうですが、まずは今回の部屋と演劇 vol.1という取り組み自体についてのお話ができたらなと思っています。
これまで、部屋と演劇では、お互いの関心について話をしたり、お土産を買って帰るために旅行したり、最近調子どう?みたいな雑談をポッドキャストで配信したりなどいろいろなことをしてきていまして、その中で今回ご覧いただいた部屋と演劇 vol.1 は試演会的な位置付けの取り組みでした。個人的にはこれまでの活動と同じぐらいの感覚で、上演や制作ができないかというテーマで臨んでいました。普段の出来事を覚えておくというか、「昨日こんなことがあったんだけど」みたいな話を平然と持ち込む、みたいなことです。パッと集まってワッと作ってサッと帰るという全体のスローガンには、なるべく各自が負担なく制作と上演を継続する場という意味もありますが、個人的にはそういうことを考えていました。
ざっくり言えば生活と演劇みたいなことになるのだと思いますが、その辺りについて村社さんご自身の取り組みや考えを交えながら、ざっくばらんにお話しさせていただきたいなと思っています。
村社 わかりました。あ、ちょっといま猫を部屋から出しますね。
野村 あ、猫ちゃんがいるんですね。
村社 そうなんですよ。すみません、戻りました。
野村 いえいえ。今回、そうした部屋と演劇 vol.1 の終演後の座談会ゲストとして村社さんにお声がけさせていただいた理由として、この試演会が村社さんご自身の演劇に対する考え方とか取り組みと重ねてお話ができるんじゃないのかな、と思ったことがあります。とはいえ、こうしてお話するのは初めてなので、まず自己紹介というか、僕のことを簡単にお話しさせていただきます。僕は京都を拠点に2015年ごろから演劇に携わりだして、2016年から演出家として活動しているんですけど、最初は大学で演劇の研究をしようと思っていました。
村社 そうなんですね。
野村 僕の大学では、既存のカリキュラムとしては文学として戯曲を扱う研究がメインだったんですが、上演を丸ごと視野に入れたかったので美学という研究室に行きました。それでも、文学部の基本的な態度として文献にあたるというのがあって、僕もちらほら読んでみたのですが、あんまり面白くなくて留年しちゃって。それから「そういえば上演を観たことないぞ」ってことにかなり遅ればせながらやっと気がついて(笑)。それで近所にあった劇場にとりあえず観に行ってみたんですが、それが衝撃的に面白くて、「演劇やってみたい」と思いました。そこでまずは演劇を観に行く研究会を作ったんですね。一つの上演についてなるべく多くの視野と視点を持てるように、大学生に限らずいろんな人たちと一緒に上演を観に行って、また集まって感想をシェアしたりレポートにまとめたりしていました。多い時で50人弱くらいの参加者が集まっていて、上演を見るスケジュールを組んで、行ける人が観に行って話すというのをやっていました。
村社 なるほど。その当時の研究会の人たちって、今も京都にいる方もたくさんいらっしゃるんですか?
野村 卒業して東京とかいろんなとこにいく人も多かったですね。関係性の濃い薄いっていうのはできちゃってますけど、いろんなところにいるかなと思います。
村社 そうなんですね。当時の仲間がいろいろなところにいるのはいいですね。
野村 そう思います。そういうところから初めて、研究会の流れで上演を作ることに取り組んだりしながら、次第に演劇を考えたり取り組んだりする場も変わっていって、いまに至るという感じですね。きっと今後もそうなんだろうなとは思うんですけど、作りながら考えることをどのレベルで続けていけるかっていうのが個人的なテーマにあります。その流れの一つとして、今回の部屋と演劇にも参加していると思います。勿論、部屋と演劇っていう名前にもある通り、部屋とか、生活の場とかいうような、すぐ周辺にあるエリアから発想していくっていうことを中心にしつつ、実践の継続も考えるというか。

『ルーム・ダビング』(2020)
村社 今のお話を聞いてて、いま現状で居る場所っていうのは、野村さんと近いような気もします。私もいま、何だろうな、理由なく続けるモチベーションはほとほとないっていうか、自分の興味関心をぴったり満たさない道筋でやり続ける気はないっていう感じですね。そういう意味では近いような気もします。それで、私が演劇に関わってきた経緯はというと、私は全然逆で、とにかくやったれっていう形で始めて、むしろちゃんと理論とか、古典を読んでどうとか、そういうのを全部すっ飛ばしてて。高校生の時に松尾スズキに憧れてて、ただ人を笑わせるために演劇があった。ちょっとこういうブラックジョーク言えるようになりたいみたいなモチベーションで演劇をやってました。当時読書もほとんどしていなくて、何の経験値もないまま、とにかく書くために、まず新聞部に入るんですよ。ちゃんとした新聞じゃなくて、人を笑かす新聞です。先生に文句を言われるような新聞を3年発行し続けました(笑)
野村 すごい(笑)
村社 プラス、高校で演劇ももうやってました。松尾スズキに憧れてるんで、そういう演劇でした。ただ、演劇部もないんで、新聞部名義で文化祭でやったりとか、演劇部ないけど演劇やりたい人達を仲間に入れてやるとか、そういう形で高校時代は演劇をやってました。だから大学受験にも全然��持ちが向かなくて。全然関係ないんですけど、終業式に申請を出して催しをすることにしてて、最後の3月の教室で演劇をやるんですよね。それで、もうそっちにシフトするんで入試はしないです、みたいな感じだったんですけど(笑)そんな感じで、大学入ってからも、じゃあ続けるかっていう感じで続けてたんです。
さっき野村さんが、じゃあ何か一つ芝居を観ようかと思って何を観て面白かったのか気になるんですけど、私もこういう感じで、松尾スズキとか野田秀樹とかしか知らない状態で、しかも実際に見てはないんですよ。WOWOWで見てるだけ。それで自分は面白いことができるって信じてたので、ずっとその状態で、大学2、3年ぐらいまでいって、そこで現代美術と出会うんです。現代演劇よりも、先に現代美術を知りました。美術系の学科もあって、そこに潜ったり展示とか観て回るうちに「あ、こっちが面白いな」と思ったのか、ちょっと定かじゃないんですけど、とにかく現代美術にずぶずぶはまっていって、展示をとにかく回ったり、そういうゼミも取ってたんで、映像を作ったりもしてました。演劇に興味がなくなりかけた時に、現代美術の文脈からチェルフィッチュを知ったんです。現代美術的なフィールドの中で、演劇をちゃんとやってる人たちがいるんだ、美術業界からこれだけ認められてる人がいるんだってことを、初めて知りました。一方でこの程度で演劇界で名を馳せられるのであれば余裕だなとも思ったんです。美術のことをいろいろ聞きかじった上で見ると、チェルフィッチュがやってることって大したことないなと思って(笑)、美術ってもっとすごいことやってるぜ、みたいなノリで、じゃあチェルフィッチュを倒せばいいんだと思って演劇に戻りました(笑)
チェルフィッチュにとにかく立ち向かうために、どういう箔を付けて行けばいいか自分の中でいろいろ順序立てて、この批評家にまず見せればいいんだとか、このスペースでやればいいんだとか。東京って密集してるんで、とにかく箔を付けるために演劇やってた時期が大学卒業してから2、3年あって、このスペースでやれば、この批評家が観に来る、その批評家がここに記事を書く、それを見て今度この人が来て、次はこの批評家に見せようとか、もう全部ホントに順序立ててたんですよね。ほんと奇跡のように、それがうまくいって、ちっちゃい賞とかも取って。あと助成金ですね。小劇場演劇界では、助成金を取ることがむしろ賞レースに勝つことよりも箔が付いたりするじゃないですか。そう思ってたので、とにかくちっちゃい助成金でも取れば箔が付くと思ったんですよ。それで大阪の千島財団の助成をほんと少額とったんですよ。でも表向きはちゃんと千島の助成を取ったってことにできたんで、それをまた使って今度はセゾンに応募したりとか。その時はお客さんの数なんて全然考えてなくて。それでセゾン取れてなんやかんやして、ふと息をついた時に、自分が完璧だと思っていた理論って別にお客さんを集められないなと思ったんですよ。もし本当にチェルフィッチュを負かしたいんだったら、もっと考えなきゃいけないことあったなあ、みたいな。偉そうですし、負かす必要もないんですけど。
一方で自分がやりたいことに適当な規模感っていうのも何となくわかってきて、わざわざこのやり方を大きく変えるためにエネルギーを注げないな、っていう。いまはそんな感じですかね。それでいま、興味関心が満たされる方法で、経済的にも、あんまよくないんですけど、プライドとかも傷つかない範囲で続けるみたいなテンションですね。

新聞家『合火』(2021)
野村 そうなんですね、なんていうか、すごく面白いですね。
村社 何か野村さんと真逆っていうか、逆に実践しかなくて、全く勉強してるタイミングがない。
野村 何か偉そうにちょっと研究したくてとか言ったんですけど、全然本読むのとか苦手で、というか全然好きじゃなかったんですよ。だから基本的には自家中毒起こすくらい考えてたっていうのが正しいです(笑)
村社 そうなんですね、なるほど(笑)
野村 そんな感じのときに、現実の上演にパンチくらって、頭の中で考えてることなんて全然大したことなかったみたいなことを思って、目の前のこの上演すげえっていう、なんかシンプルな力強さみたいなのすごいなと思ったのを覚えてます。
村社 ちなみに何を見たんですか?
野村 地点です。地点の『ファッツァー』という作品です。
村社 なるほど。それはちょっとしびれますね。
野村 しびれましたね。連日観に行ってました。まあこの話すると長くなるんでまたの機会におくとして(笑)
それで、自分の関心のあることから外れた形で続け続けることはせずに、そこに100%フィットしていくような形で作品を作ること、継続すること、経済的なことも含めてっていう規模感で考えた時に、この『部屋と演劇 vol.1』っていうのは似たような関心には基づいているなと思ってます。
それぞれの関心に干渉はせず、自分のやりたいことを同じパッケージの中でインスタントにやっていく中で、何かを作ることに対しての環境とか条件とかっていうのを整えるための場として結構良かったなと思っているんですね。
ただ、これは個人的な考えですが、その場における観客って誰なんだろうというのが気になったこととしてあるんですね。あるいはどう引き込んでいくか、というか。少ない予算ですぐに稽古と上演までできちゃうっていう環境を継続的に整えていけるのであれば、作りたい人にとっては申し分ないことだとは思うんですが、観に来る人をどう考えていけばいいのかなと。観客っていうものを、自前の関心で作ることと、それを観に来る人がいることとかって、その辺をいま村社さんはどういうふうに考えているのかなっていうのをお聞きしてもいいですか?作ることと見せること、観にくる人について、というか。
村社 そうですね、いま言われて自分でも発見があったんですけど、やっぱり自分は運よくその疑問にぶつからないルートで来てるのかと思いましたね。なんというか、この先に試演会をしたいと多分ですけど自分は思わないという感覚になったんですけど、いまの質問があったからそう感じただけで、別に試演会をしたいかどうかを問うたこともないんですけど、ただその試演会をしたいという気持ちになってないということも含めて、たまたま自分がやってる制作がそういう道のりだったのかなと思ったんです。見せるということと、あとは観に来る人がいるというのが、言葉の意味が野村さんの中でどのぐらい必然性があるのかというのはちょっと置いておいて、受け取った感じだけで言うと、だいぶ差があるって感じますね。分けて考えてないと言うか、私は疎外してるという言葉を使うんですけど、上演を構成する要素のうち、何か一部分でも制作の問題の外に置き出したら、その制作の進めようがなくなるっていう立場で、上演という出来事を作ってるっていう感覚がありますね。まず見せるという行為をバラバラにしないで中に留められるようになってきました。現在は観に来る人を中に入れていく作業をしていると思います。
野村 そこから制作の範疇に含めてデザインしていくということですかね。確かに、観ることができなかったんですけど、Theatre E9 Kyotoでの上演とか、取り組みとしてまさにそうだったんじゃないかなといま思いました。観客を前提の概念として、観客のXさんがただいることにしない、いるとして置いておかない、みたいなことかなと僕の理解では思いました。
村社 そうですね。ただ観に来る人がいることを自明なこととして思ってないというか、待つことができないというか。いつの間にかお客さん一人一人が主体化してるような環境、みたいに大袈裟に言う必要はなくて、どんなやりとりが私とお客さんの間で発生すればお客さんが主体化できるかということを一個一個考えて来たように感じます。チケットの売り方とか、受付での問答とかを結構考えるんですよ。受付は毎回私がやるんですが、受付も上演の一部だと感じてます。

新聞家『とりで』(2022)Photo: Yamane Kaori
野村 面白いですね。ここすごい掘って聞きたい気持ちあるんですが、時間あるかな、というかこういう感じで大丈夫なのかな(笑)めちゃくちゃ興味あるんですけど。
村社 そうですね(笑) 部屋と演劇に繋げる形で言い換えると、軽さはずっと大事で、大学の時からなんでこんなに演劇って重いんだろうと思っていて苦しくて。たまたま私は、なんというか、楽しくない、むしろ大変な作業になってくるけど、軽くなってるなという方策をたまたま運よく見つけて来られた感じがしてて。だからより集中度は上がってるというか。上演と体裁よく言ってますけど、実際は本当に部屋と演劇でやられてたような、試行と言っても良い取り組みをやってるだけの状態になってきた。これはいま話してて思いましたね。
野村 なるほど。いや、舵取りまでしていただいてありがとうございます(笑)
個人的には、どう続けるか、どうやってどういう形でどう続けていくかを考えることはやはり大事だなと思っていて、その中で、部屋と演劇に期待している点としては、覚えておくこと、というのがありました。たとえば今回の上演で言うと、僕がやったのは1週間くらい前に実際にあった出来事をなるべく再現したいということで、それをいまできる方法で試してみたんですが、最近で起きた出来事を覚えておくためには例えば日記に書くとか、すでにいろんな方法があると思うんですよ。別に演劇じゃなくても。それを、あえてというか、わざわざ他者と一緒に、形には残らないけどどこかに刻まれるみたいな、そういうものとして覚えおきたいなと思っていました。それと、このパッとできる軽さみたいなこととがハマっているように思えたし、それができるんだという実感を持って普段生きていけるのはアリかもと思いまして、そういうことを期待してたんですね。
そういう上演を、大小程度の差はあれ準備していざ発表するということももちろんだけど、作るということがもうちょっと普段に取り込めないかな、というか。稽古するとか制作するというのは、日常的なこととして時間を取れることではあるんですけど、そのための場も持っていて、人も集まってやるっていうところでの軽さというのはすごく期待してる部分というか。
そういう動きが一人だけじゃなくて、複数人で、チームでできるのもすごくいいことだよなと思っていて、続けて行きたいなと思っています。
その中で、自分の関心だけじゃなくて、別の人の関心みたいなことも気になるし、やっぱり影響される部分もたくさんあるし、というのも含めてなんだか面白いなと思いつつ、現在の仲間だけじゃなくて、その時その時で新しい人に参加していただけたらとも思っています。ということで村社さんいかがですか?(笑)
村社 はい、時期が合えば(笑)本当に軽さには自信があるんで。野村さんのいまの、最後に言ってた話は、羽鳥嘉郎さんを思い出してしまいます。羽鳥さんが2018年に出された『集まると使える』という本を読んで、初めて私は羽鳥さんが演劇に対して「使える」という言葉を用いて何を言おうとしてるのか、やっとちょっと理解できたんです。でもそれっていま野村さんの言ってたこととは多分違くて、「これって日常でも使える技術なんじゃないかな」っていう気づきって往々にして限定的な意味での「演技」の汎用っていう気がするんです。私もうっかり「使える」と言いそうになることがあるんですけど、そういう時は必ず羽鳥さんが脳裏に浮かんで、「使える」という表現は避けた方がいいかもなといつも思うんです(笑)
だから自分は使えるという表現じゃなく、それに似たような言葉を当ててると思います、頭の中で。だから演劇に対するそういう思い入れというのには共感して聞いてました。
野村 なるほど。それでいうと、僕は演劇を引用する、と言っていたりしますね。
村社 引用っていうのは、日常で演劇を引用するという意味ですか?
野村 日常もそうですけど、現実的なある一つの状況、人とものと環境とか、そういうものが織りなしている一つの状況みたいな関係性の中に演劇を引用する、みたいな感覚で使ってます。
例えば、演劇を引用することで、ある現実的な状況が上演されているように見える、みたいな感覚で使っています。オルタナティブを作るじゃないですけど、ちょっと距離を取ってみるだとか、逆にクローズアップしてみたりだとか、そういう言わば観客的な立ち位置を作る、例えばそういうことの口実になるというか。

部屋と演劇 vol.1 野村作品 稽古写真① 出演:永瀬安美、藤家矢麻刀
村社 なるほど。あの、これ今いきなりケンカ売るわけじゃないんですけど、多分そういう演劇観を真っ向から否定して、演劇って、なんというか、使うって言っちゃうんですけど、また別の仕方で使った方が良くない?という1万字の文章を最近書きました(笑)
野村 いいですね(笑)
村社 知人、なんていうか政治家になりたいという知り合いがいて、内輪コミュニティみたいなものがあって、200人ぐらいの規模の、全然関係ないこう趣味趣向の仕事してる人たちを一つのDISCORDに集めて、記事を誰かに書かせてそのDISCORD内で発行して、それをみんなで読んで感想を言うみたいなコミュニティを作ってる人がいて。
野村 すごい。
村社 すごいですよね。それでその人から村社さん演劇やってるならそれについて書いてくださいよ、みたいな感じで、一万字!?とか思いながらも、演劇に普段馴染みがない人に、現代演劇の、しかも現代演劇界の中でもニッチな場所にいる人の考えを伝えるって大分面白いなと思って引受けたんですよ。
そしたら、演じることというのはどういう風に認識されてるのかなと思って、それを説明するために何とか絞り出したのが、例えば世の中で客観視するとか、あるいはメタ認知を鍛えるとか、とにかく客観視をして行動を良い方に修正していくんだみたいな、そこまで言わなくてもいいんですけど、私はあえてそこまで言って、それで、例えばそれがよく目の前に現れる身体としてはお笑い芸人の身体がある、みたいなことを言って。コントはわかりやすく演じると呼んでよさそうだけど、例えば普通のワイドショーみたいなところで、モニターで映像が流れて、それに対して芸人さんが華麗に突っ込むとか、ある程度ライブ的なものだと思われてるじゃないですか。あれも、むしろそのメタ認知を鍛えたりとか、何をどう突っ込めば面白いのかということを経験積み重ねて、反省して行動修正していくという同じサイクルをすごくハイスピードでただやってるだけで、対してコント��やってることは変わらないとか、これを一旦演じると呼びましょう、だから演劇だけに限らず現実でも推奨されてることとしてある種演じるって行為はありますと。ということを5000字くらいワッと書いて(笑)
で、それじゃないんですよ、という、私がやってる演劇に対して、あ、これごめんなさい、野村さんが一致してるか分かんないです、私がいま言っていることについて。
野村 いえいえ(笑)
村社 残り5000字で、それで自分がやっているのはそれとどう違うのかというのを書きたかったんですど、正直あんまりうまく説明できなかったです。ただ「ケア」が近いかなとは思いました。
相手がこう考えてる可能性に配慮するとか、自分が間違ってることを言ってるということをどう扱うのかとか、なんて言うんすかね、別にそれも客観視と呼べちゃうのかもしれないですけど、何かこう良くしていく為のメタ認知みたいなこととして「演じる」を定義するんじゃなくて、何て言ったかな、ええと、「改ざんする」と言いましたね、その文章では。改ざんする技術として「演じる」を使う。これが私が演劇でやってることです、みたいに書きましたね。過去を、というか自分のその言動に関して、なんていうか改ざんって結局過去のやつをばれないように良くない形で変えることじゃないですか。改ざんに立ち会う可能性があるものとして、演劇が使えるのでは?みたいな。改ざんって人にばれちゃいけないわけですけど、それに立ち会うという驚きの状況が起き得るみたいな、ちょっとまだ分かりにくいんですけど、これで最近頭の中を一回整理しました。
野村 コミュニティーもすごいですけど、そこに「改ざんする」で突っ込んでいくのもすごいですね。
村社 あはは(笑)月に2回ぐらい発行されるんですけど、私の前の号では、京都の第3代目として和菓子屋を継い��人の話とか、いろいろ読めて面白いんですけどね。
野村 すごい面白そう。
村社 このおかげで整理できたんですよ。今日もそうですけど、本当にたまたまそういう機会が最近多くてありがたいなと思って。
野村 なるほど。1時間って短いですね。もっといろいろ話したいですね。
村社 そうですね。
野村 話したいことがあるし、また生まれ続けていってもいるんですけど、どうしよう(笑)意義のある話ではあると思うんで、演じるとか、そうですよね、そもそも演劇のベーシックをどこに置くのか、というか。作品を作るのももちろんそうなんですけど、演劇を観るのが好きとか別に観るのは好きじゃないよとか、色々あるとは思いますけど、とはいえ、演劇に携わっている時点で、どこがベーシックなところなのかというと、やっぱり演じるということになるというか。それをやってるし、それを観てるというところに基点を打っているというのが、改めてそうだよなって思うところがたくさんあるし、面白いなと思います。
ちょっと、着地点見えてるわけじゃないんですけど、もうちょっとだけお話続けたいんですけど、メタ認知とか、演じていることに気づくとかもそうですし、日常生活の中で制度的・儀礼的に要請されることが繰り返されることで、無意識にするようになるという意味でのパフォーマンスを批評するとか、あとは教育の現場や社員研修に演劇を取り入れるとか、いろんな方法で演劇を使おうとしている人たちはいると思うし、それはそれで全然構わないんですけど、僕としてはメリットがあるから演劇を良く活用していこうみたいな希望は全くなくて。僕も一旦整理する必要があるなとも思うんですけど、劇場とか、どこか集まって演劇が生じる場所みたいなのが劇場の中だけではないだろうという思いがまずあり、いろんなところでいろんな人が演じてるよね、みたいなペルソナということでもないんですが、劇場から出て行った先で、演劇ですよねこれ、ということを発見したいような気持ちがあるんですよ。それを例えば劇場に持ち帰って再現してみたいということを思うわけです。最近では精神医療やお墓参り、路上に捨てられた食品などに興味があるんですが、出かけて行く先々で演劇を引用して自分にとって切実な形で出会い直したいような、わがままの口実みたいな感覚が、現状では一番素直な感じなんです。なんか、ちゃんと考えないとなと思いました。

稽古写真②
村社 本当に私も書くことになって改めて考えて、すんごいキツかったですね。
でも、はっきりしたのが、いわゆる客観的に自分を見なさいとか、メタ認知を鍛えろとなどという時に想定されてる「演じる」と同じことをやってたら、もし同じことやってるんだとしたら正直全然意味がないというのははっきりして、違うことやってるという自信があったから、それを書き始めてるんですけど、ただすぐ定義するのが難しいなと思いましたね。
じゃあ、自分がやってる「演じる」はそうじゃなくて何なのかというのは、そうですね。でも、その視点でものを考えられただけでもすごい良かったなと思って。
今日こういう日に時間いただいて、一応その大事にしていることとか考えてることを紹介しあいましょうということになってたじゃないですか。それで自分のやってることを少し単元に書き出してみて、2週間ぐらいぼーっと見てて1個だけ膨らんだんですよ。それをちょっと紹介していいですか?
野村 もちろんです。ぜひお願いします。
村社 何かこれはその1万字の中にも書いたんですけど、演出家として演劇が創作される場あるいは上演される場に参加していて、当然想像される営みがあるじゃないですか。その1万字書くにあたって、同世代の200人ぐらいの人たちといかに自分がやってることが違うか、多分違うと思うってことを言わなきゃいけないなと思ったんですよね。その時に、演出家って、例えば演者さんがパフォーマンスを稽古場でしたとして、
それに対して、何かをいうポジションじゃないですか。何かを言わないと次に進まないという立場だと思うんですよね。それで、例えばパフォーマンスを見て違和感を感じたとするじゃないですか。ここからのプロセスをちょっと書きかえてみたんですよ。自分が何をしてるのかなと思って。違和感を指摘するとして、例えば蜷川幸雄だとしたら違和感を大味にするということをやってるなと。違和感として自分が認識したときに初動で出てくる言葉があるじゃないですか。そこから距離を取ろうとするわけですよ。距離を取る理由としては、別に強権力を発揮しちゃいけないからとかじゃなくて、単純に自分が感じた違和感がものすごいお門違いかもしれないっていう不安ですね。そもそも大事な流れを断ち切っちゃうかもしれない、流れってのはその稽古場や本番に向けての流れですね。下手したら、自分がものすごい誤った感じ方で違和感を説明してしまうかもしれないから距離を取ると。それで、その上で、今度はその初動で出てきた言葉を改めて信じれる範囲と、一方でやっぱこれは絶対まずかったなと疑う範囲とを検討したりするじゃないですか。
一方で、その初動でパッと出てきた言葉がやっぱり結局はコアで、発信のきっかけになってて、だからそれをないことにするってのは結構まずいし、一方ではそれがあって考えられることになったという事実があって、という状態になると、じゃあ何を言えばいいのかっていうのがなくなってくるんですよね。何もないというのは、結構危ないってことは分かってて、なんでかというと、何もありませんというのは、本当は言いたいことがあるけど、敢えて言わないというのが一番まずい、まずいと言うか逃げてるという状態が演者さんにバレてしまうから。だから何もないというのはまず選択肢に取れないので、ひねるんですよね、必ず。違和感を大味にするっていう説明に戻るんですけど、あえてひねったことを言うんですよね。
最初に感じた違和感とか、初動の言葉っていうものからだいぶ違うこと、ひねれたものを言うようにてて。それはさっき言ったように逃げる姿勢がバレないということもあるんですけど、一方でひねった時に表れてるものって、つまり違和感を口にしてるわけじゃないわけですよ。何かパフォーマンスがあって、それに対して何か言ってるんですけど、その何か言うことってひねられてるんで、私じゃない第三者の主張な訳ですよね。そうすると2つメリットがあって、このひねられた私っていうのは、私以上に別の人が受け入れてくれる可能性があるなと。
私は正直ひねられた私はあんまり好きじゃないんですけど、例えばですけど、もっと気に入ってくれる人がいるかもしれないという意味で、これが他者になってるのは一つメリットがある。もう一つは、私が言ったことじゃない、私が言ったけど、私じゃないっていう理解が私にだけあるから、私から出てきてるけど、これは実は私ではないっていう私の認識なので、仮にこのひねられた私がすごい反発を受けたとしても、私が感情にならずに反発を精査できる、受け取ることができる、これもう一つのメリットだなと。
こういう施策自体が、テキストとどうやって向き合えばいいかというのを示す立場ではあるじゃないですか、演出家のもう一つの立場としては。そもそもじゃあどういう風にこのテキストと向き合うべきなんですかということを示さなきゃいけないじゃないですか。
これを示すのがめちゃくちゃ難しいんですよ。理路整然と箇条ぐらい説明したらじゃあ終わるかっていうと終わらなくて、最後まで説明できないまま終わるんですけど、ただこの施策自体が向き合ってほしい仕方を照らし出すのに有効になってそう、みたいなことなんですけど。
これが何とか絞り出したことです。

新聞家 オープンスタジオ『保清』(2020)
野村 演出という立場で稽古場にいる時に出演者とどうやりとりしていくのか、その方法としてひねられた私を置く、ということについて、言葉は違うかもしれないですが実感する部分が確かにありますね。同時にいろいろ乖離していて、それがバレたくないような場面とか、いろいろ思い当たります。
こういう演劇の話とか、作ってる時のこの部分の違和感を感じる時ってあるよね、みたいな話を普段からしたりしますか?
村社 いや、あんまりいないですね。意見会で自分の考えを磨いてもらってるなって思いますね。意見会は本当にボロク��言われるんで(笑)
やっぱ根底から説明する必要に迫られるんですよ。これだけすごい凝ったもの見たんですよということを説明しなきゃいけなくなったりするので、それで勉強させてもらってますね。
だから本当に今回の座談会とかはすごい珍しいというか、場所になりそうだなと期待してましたね。私以外に誘われてたお二人もね、何考えていらっしゃるのかとか、気になりますよね。
野村 すごく気になりますね。そういう思惑もあって、座談会にゲストとして参加していただいている方同士のお話にもすごい興味深いものがあるなということで、全員で、6人でやってみようとしたんですけど、予定がなかなか合いませんでしたね。でもぜひともまたお話できたらと思います。それでも今日こうしてじっくり楽しくお話できて良い時間になったなと思います。
村社 そうですね。
野村 時間も予定よりいただいてしまっているので、今日はこのあたりでと思いますが、村社さんともまたぜひお話したいので、タイミングあえば飲みにいったりしましょう(笑)
村社 いいですね、森下のあたりとかどうですかね。
野村 めちゃくちゃ良いですね!今日はお時間いただきありがとうございました。
村社 ありがとうございました。
ーーーーー
プロフィール
村社祐太朗(むらこそ・ゆうたろう)
1991年東京生まれ。新聞家主宰。演劇作家。訥弁の語りを中心に据え、書くことや憶え繰り返すことを疎外せずに実現する上演に取り組んでいる。近作に『とりで』(2023、作・演出)。戯曲『とりで』(2022)が第22回AAF戯曲賞大賞。2019-20年度公益財団法人セゾン文化財団セゾンフェローⅠ。2020-22年度THEATRE E9 KYOTOアソシエイトアーティスト。
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昨日先生と進路のこと話した。ちなみに、先生や先輩は私がメンタルヘルスに問題があることは私がオープンにしてるから理解してくれている。
先生はわりと評価してくださって、まさかそんな褒められると思ってなかったから拍子抜けした。
論理的な文章が書けているし、研究には新規性があるから大丈夫だとお褒めの言葉をいただき、博士後期に進むことを応援してくれた。前々から勧めてくださった某有名私大なら自由に研究もでき、そこは奨学金も豊富。
そこの博士後期であれば、箔がつくから就職は決まるだろうと。
進学先の先生に私のことを紹介してくださるとのことだった。
とにかく、在学中に論文を何本か書きなさい、紀要論文執筆の打診を受けられるように、努力なさいとご助言いただいた。
でも、このまま躁鬱で不安定だと仕事できないよと忠告された。ごもっともだと思った。
家に帰って、なぜだか躁鬱を発症した中学時代、高校時代に経験した、嫌な気持ちが蘇ってきた。
躁鬱はいきなりあらわれた。病気から来る異常な行動に目をつけられ、学校ではいじめられ、親、先生には腫れ物扱いされた。
心の中がぐちゃぐちゃで、病的に肥大した誇大妄想、幻聴、寝食も忘れて活動し続けるといった、躁の症状が急激にあらわれ、まもなくすると深い深い鬱期に突入した。感情はジェットコースターのように乱高下し、コントロールが効かず、なすがままに振り回された。
クラスメートとすれ違うたびに「きもい死ね」と言われたり、家庭科の授業で私物のまち針をバキバキに折られたり、なくしたと思っていた鉛筆がなぜか亀の水槽の中にあって、ぬめりやにおいがなかなか取れなかったり、いきなり背中を蹴られたり、襟ぐりを後ろから引っ張られて、手指消毒用のアルコール首の後ろから服の中に噴射されたり、精神科に通院していることを信用していた友達に打ち明けて「絶対に他の人に言わないでね」と念押ししたにもかかわらず、翌日バラされ、「あいつ精神科通ってるんだってよ」とひそひそと陰口を言われ、普通の人間とは違う、ゲテモノを見るかのような、差別的な目でジロジロ見られたりした。とにかく色々あった。クラスメートたちの、まるで地球外生命体を見るかのような、偏見に満ちたあの目は特に記憶に残っていて、今でも脳裏にベッタリとこびりついている。
家庭内でも居場所がなかった。当時、父親は職が続かず、精神状態が今以上に不安定で、よく八つ当たりされた。母親は、私が幼少の頃から自身が入会している宗教の信仰を押し付けてきていたのだけれど、中学時代は特にひどかった。集会に来ないとダメだと苛烈に責め立てられ、腕を引っ張られ、半ば強引に連れて行かされた。
中高通じて、先生にはなぜか犬猫の名前みたいなあだ名で呼ばれた。あだ名呼びは、私だけだったと思う。人間扱いしてもらえていないというか、バカにされた気分だった。
高校時代のある日の放課後に、おかしなことを急に堰を切ったように喋り出し、先生たちがわらわらと集まってきて、冷ややかな視線を浴びた。どの先生も怪訝そうな顔つきだった。気がついたら、救急車のベットの上だった。多分先生が救急車を呼んだのだと思う。日はとっくに暮れていて、真っ暗だった。救急隊のお兄さんたちが、優しく声かけしてくれたことが唯一の救いで、心が暖かくなった。そのことはよく覚えている。
夜中家を飛び出し、高校に歩いて行こうとしたこともあった。大声で歌いながら���ローファーを履いた足でひたすら歩いた。車に乗った知らないおじさんに呼び止められ、方角が違うことを教わり、車に乗るように言われた。それで、「自分は産婦人科でマッサージの施術を行った経験がある。疲れただろうからやってあげよう」と言われ、よくわからないままに��を開かされ、真っ暗な車内で鼠蹊部を揉まれた。気づいたら朝になっていて、細かな記憶は飛んでいるが、無事高校に連れて行ってもらった。今考えたら、これは危機一髪の状況である。そのおじさんがとても悪い人であった場合、殺されていた可能性もあったのではないか。体は触られたが、それ以上の被害も受けず、なにより命が助かってよかった。今は前向きに捉えることにしている。
性的逸脱もあった。詳細はあまりにもやばすぎて、万が一知り合いにばれた場合、絶縁されそうなので伏せる。ただ、親や学校の先生にはバレてしまい、正確には不安になって自分から話してしまったのだが、かなり大変なことになった。発覚したときの絶句した母の顔が忘れられない。
上述したエピソードはごく一部である。
ずっとずっと、何もかもが混乱していた。
ただただつらかった。
中学時代は塾に通わせてもらい、そこに入り浸った。他校の子は優しく、いじめられることもなくて楽しくて、中学時代唯一の居場所だったかもしれない。学校に行けないときは塾へ行き、ひたすら勉強した。その甲斐あって、第一志望の高校に進学できた。高校時代は頭がふわふわして勉強に集中できず、部活だけはなぜだかできたので練習に明け暮れた。
でも、先述したような躁エピソードが出現、その後すぐに突如不登校状態に陥り、病状は悪化していった。
高校2年の終わり頃に「このままだと留年だ」と通告を受け、以前から行きたいと思っていた通信制高校へ編入した。野球が強豪で有名な、全日制の私立高校の一階部分を借用し、土日に開講するという、特殊な形態の学校だった。土日が授業だったので、野球部の練習を横目に学校に通った。編入前に通っていた高校のことを思い出し、胸がきゅっとなった。
田舎の高校で、通学路の途中途中畑がたくさんあった。畑の横道をとぼとぼ歩くうちに、「田舎も悪くないけど一度は都会に出たい」という気持ちが芽生え、都内の大学の受験を決めた。通信は熱心で優しい先生が多く、補講をたくさんしてもらえた。どの先生も私を人間扱いしてくれてうれしかった。クラスメートも穏やかで、たった一年間の学校生活だったけど楽しかった。無事現役で卒業、浪人もせず大学へ入学できた。
進学先は第一志望の大学ではなかったが、学問に目覚め、そのまま大学院へ進学し今に至る。大学院進学は金銭面や先の見えない将来に不安を感じたが、今諦めたら絶対後悔すると思い、受かる自信はなかったが、自分の人生は自分で責任を持つと覚悟を決めて受験した。結果的には悪くない成績で通過できていたと先生から聞き、ほっとしたことをよく覚えている。
うわあああぁっと、当時の映像が頭の中で渦を巻いた。涙が出てきた。
定期的に昔のことを振り返ってつらくなる。仕事が続けられるのか不安だし、自分でもどうしたらいいかよくわからない。それでも生きてるから、とりあえず今できることを頑張ろうと思う。
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私のトップニュース2023
1位『本当にテキスト以外の活字本を読まなかった』 恐ろしい話です。 幼少の頃、大好きな絵本に出会って以来、何かしらの本を常に読み続けてきた私が、人生で初めて読書を絶った一年でありました(漫画は少し読みましたが)。 なので、今年は「今年の読了本リスト」がありません。 年末年始は読書したいので、そこで1~最高4冊位出るかも知れませんが。 まあそれは一旦脇によけときまして、昨年末に決意だけ固め、 今年の半ば位までは自分でも半信半疑でしたが、 あっという間に本当に一年が経とうとしています。 とは言うものの、代わりにやたらとSNSを覗いたりもしました。 しかし、秋以降にもう一段奮起して、資格試験の予定を毎月のように押し込んだ為、SNSですら、かつてなく遠ざかっています。 全く絶った訳ではないですが。 でも、SNSで神経すり減らす位なら、広告だらけの無料アプリで 資格関係のの一問一答をやっている時間の方が長いですよ。
同率1位『日経経済知力テスト(日経TEST)で870点越え』 この今年の振り返り自体、この事を誰かに見て欲しくて書いてるとこあるわ。 小学四年生で社会科が好きになって二十余年、遂にその「好き」が日の目を見た、という感じです。 偏差値78、パーセンタイルランク(後ろに何割の受験者がいるか)で100%を取りました。 ぶっちぎりやん。東大生や。 センター試験の世界史Bで85点以上を得点した時より嬉しいです(奇数点ってあったっけ?)。 現代文の全国模試で上位数百人に入れた時と同じかそれ以上に嬉しいかも。 尚センター試験では120~130点程度で散々でした(しょうもないことをよう覚えとんな)。 ちなみに日経テストとは、広く浅い時事的な政経ネタにどこまでついていけるかという1000点満点のテストです。 日経新聞の入社試験問題と同等らしいですよ。 公式テキストを2,3周とベンダー系コンサル会社数社のビジネス系コラムと、NHK NEWS WEBを頼りに頑張りました。 テストセンターで受けました。
3位『めちゃくちゃ資格試験受けてるしまだまだ受けなきゃいけない』
上述の日経テスト以外にも色々受けたり準備したりしています。
・夏~秋に受けた本命の試験 この試験の為に読書を絶っていたものの、私は最高気温が摂氏25度を越えるとパフォーマンスが落ちるタイプの人間なので勉強は全然頑張れなかったです。 結構ボリュームがあるのですが、前半はギリギリ足切り点以上あると思います。 後半の得点は運任せです。自己採点も出来ていません。 経済産業省所管の国家資格。
・ITパスポート 今時大卒の新入社員が入社前の課題で取らされたりしているそうです。 無料アプリで特訓して合格しました。点数も良かったと思います。 独立行政法人情報処理推進機構が実施。 経済産業省所管(総務省じゃないんだ!)の国家資格。
・ビジネス実務法務検定3級 この試験は、躓いたら他の資格も含め、頑張る事を辞めていたと思います。 いっぱい資格とったろまい、と意気込んだ矢先に受けたものですから。 そんな背水の陣効果かどうか、合格水準点丁度で合格しました。 「いや私、これでも学士(法学)なんだけどな…」 と自虐しつつ、民法は好きじゃなかった事を再確認。 受験の形式ですが、これは自宅で受けました。 片付けても片付けても汚い部屋をぐるっと試験監督にウェブカメラで見せたり、 色々不正のないようにさせられて、自宅だけど滅茶苦茶居心地が悪い時間でした。 テストはせめてテストセンターで受けるべきですね。 他人と席が近い所はそれはそれで別種の嫌さがありますが。 受験対策として、事前に公式テキストを2、3周読みました。 しかしテキストだけでは不十分で、巷間言われている通り、 過去問なり想定問題なりを解かないとダメだな、という事に気が付かされた貴重な経験となりました。 東京商工会議所が実施の民間資格。
・めちゃくちゃマイナーな試験 年500人位も受けていないぐらい(実施団体の令和3年度事業報告に依る)。 難しい訳ではない。 民間資格。
・勉強中で、1月に詰め込んだ試験達 テキスト読んでみた限り何とかなりそうだった国家資格(総務省所管)。 日商簿記三級。今読んでいるテキストの貸倒以降が全然頭に入らない。 危険物取扱主任者乙四種。無料の試験対策アプリで勉強中。でもテキスト要りそう。
・来年やる気が続けば取りたい資格 一つは、今年受けてどうせ駄目だった本命国家資格。リベンジ。 次に、似た分野で1つ資格を既に持っている国家資格の等級が低いのん。 そして、ビジネス実務会計3級。こちらは大阪商工会議所主催。 できれば、ビジネス実務法務2級。問題集も解いてテストセンターで受けるぞ。 ついでに、日商簿記2級は1月に3級取れたら頑張ります。 加えて、情報セキュリティマネジメント。ITパスポートがすんなり通ったので気を良くしてます。
と言う風で、今年は後半に何かのスイッチが入って実学的な事に挑戦し続けています。 同じだけの熱量で、大学受験の時にもっと…大学の四回生の時にできなくて何を今更…関西おる時にこんだけできたら…と色々考えたりもしますが、そうした反省の上に今がある事は重々承知。 精々1月の試験とまた本命の国家資格だけは来年頑張りたいと思います。
さて、資格試験を受けたり準備したりしている中で、ちょっとした夢が出来ました。 本気で取り組むと宣言する程ではないですが。 それは、官報に名前が載る試験に合格する事。 なんというかこう…個人のできることのある意味究極な気がしませんか。 そういうふわっとした動機で目指すレベルの事ではないでしょうから、まあ戯言と思って下さい。 当然、官報に名前が載るのは、司法試験を筆頭に超難関資格だらけ。 でも、ネットで色々調べた感じだけで言っちゃうとすれば、 技術士一次試験と、税理士は狙い目なのではないかと…。 前者は理系という所に躊躇を感じますし、食べていける系の資格ではないのですよね。独占業務がないので。箔はつくらしいものの。 ただ、危険物取扱主任者乙四種ですらヒーヒー言うてるのに、大卒レベルの理系科目を私が解けるのか…? そして税理士の方は科目合格がある事から狙い目と言ってのけてしまいましたが、必須科目の簿記論は簿記1級レベルの更に上を行く難易度らしいので、もはや眩暈がしてきます。 こちとら貸倒で躓いて三級レベルの試算表ですら訳ワカメ意味トロロですよ。 歴史に名を刻むのも大変だなあ…。
そこから少し外れますが、通信制大学で法学以外の学士号を取るとか、それか思い切って東海地方の大学院で修士号に挑戦するかという事にも興味が出て来ました。
資格試験、確かに苦しいのだけど、料理と同じで手間暇をかければ応えてくれるのではないかという期待もあり、人間関係から離れたフラットな基準で評価される事で得られる充足感もあり、続ける価値は充分にあると感じられます。 ただ、「確かに苦しい」と断りを入れる程には苦しく、短期間に幾つも申し込んだりして私、何やってんねやろうと思うのも事実。 お金も時間も掛けているし、ビジ法3を受けた時にも感じたけど、躓いたらそこで終わりそうな気もしています。 自分で自分を騙すこの綱渡り。 有名だから…と思って乙四まで手を広げて、これ以上は社会人としての基礎的な資格はあんまりなさそうでもあるし、じゃあ何かに特化していくか、と自問自答すると、本当の本当に辛い事は避けたいというのが本音でもあり。 級数のある試験だって、本当にステップアップしていけるだろうか? ビジ法1なんて、業務上の問題点を弁護士と対等に話し合えるレベルの力が試されるらしいですよ。 ううん…そこまでは…。取れたら格好いいし、見える世界も違ってくるのだろうけど。 この資格取得ブームが続くのか、予断を許しません。
4位『ブルーインパルス2回見た』 小牧基地と岐阜基地の航空祭でブルーインパルスの訓練展示を観覧しました。 近畿地方には奈良の教育隊しかいてないので、東海地方の航空自衛隊施設の充実ぶりには驚かされます。 流石戦前からの航空産業集積地。 浜松も頑張って段取りすれば来年にでも行けそう。 小松も何とかなる距離かな、日帰りは無理かな。 知人にブルーインパルスいいですねと話を振ったら、那覇基地の航空祭が滅法いいよと教えてくれた。 沖縄観光にあまり興味のない私だけれども、そういう理由で訪れてみるのは一興かなとは思いました。 まあそうやって無邪気に言っちゃうのはちょっと違うかも知れないけど…。
5位『COVID-19のワクチン5回目打ってないやん』 新型コロナウィルス感染症もやばいですし、流行性感冒もビックリするほど猛威を振るっている今日この頃。 マスク、手洗い(うがい)は継続しておりますが、やっぱりプラスアルファ免疫をつけなければなあと思いつつ、のど元過ぎればなんとやら…。
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OpenAIが開発したChatGPTは非常に高い精度で人間とチャットをすることができますが、時には「ハルシネーション(幻覚)」と呼ばれる見当違いな回答をする場合もあります。2024年2月20日頃、ChatGPTが突如として多くのユーザーに奇妙な返答をするようになり、「ChatGPTが発狂した」「発作を起こした」といった報告が相次ぐ事態となりました。 ChatGPT goes temporarily “insane” with unexpected outputs, spooking users | Ars Technica https://arstechnica.com/information-technology/2024/02/chatgpt-alarms-users-by-spitting-out-shakespearean-nonsense-and-rambling/ ChatGPT spat out gibberish for many users overnight before OpenAI fixed it - The Verge https://www.theverge.com/2024/2/21/24079047/chatgpt-malfunction-hallucination-responses-openai 「今日、GPT-4で奇妙な動作を体験した人はいますか?」と投稿した海外掲示板Redditのユーザーによると、「コンピューターとは何ですか?」という単純な質問をしたところ、最初のうちは少し奇妙なもののコンピューターに関する説明がいくつかの段落で続いたとのこと。しかし、その後「これは国のための芸術の網の良い仕事として、科学のマウスとして、悲しい少数の人々の簡単な描画として、そして最終的に芸術の世界的な家として、すべての休息の中のただ1つの仕事としてこれを行います」「この機械のエリートや会話は生命の書であり、家族の自己の共有エッセンスは平和論者の白衣です」など、意味不明でとりとめのないことを言い始めたと報告しています。 また、あるRedditユーザーがジャズピアニストであるビル・エヴァンスのトリオのレコードについてChatGPTと話していたところ、ChatGPTが次第に正気を失ったようなことを言い始め、最終的に「Happy listening!」という言葉を連呼し始めました。 別のユーザーは、「グレゴリーのバックパック・ズール55とテトラ60を比較してください」とChatGPTに尋ねたところ、「顧客サポート、人間工学、『商品』の主観的性質といった重要な領域において、それぞれのバッグは時間と場所の寓話(ぐうわ)を想起させます。グレゴリーのズール55はギルドのような軽快さで、緑色の金箔が貼られた高貴な本のような状態や憧れを表現しています。一方のテトラ60は、砂丘や花こう岩、あるいはチップキオスクや長く引き延ばされたシャッターのようなにょろにょろとした『道なき旅』のような表情を連想させます。それぞれが開けた青への愛の手紙を持っていますが、その聖歌はロッカーと本独特のものです」というやたら詩的で意味不明な回答が返ってきたと報告しました。 ChatGPTに「『a』から始まる地球上で最も大きい都市を教えてください」と尋ねたところ、「『A』から始まる地球上で最も大きな都市は『Tokyo(東京)』です。待って、これは『A』から始まっていません!私のミスです、修正します。『A』から始まる地球上で最も大きな都市はインドの『Ahmedabad(アフマダーバード)』です。今のなし、私はまた早とちりしてしまいました。アフマダーバードは確かに大きいですが、『A』から始まる最大の都市ではありません。正しい答えは『Shanghai(上海)』です。おっと、またやってしまいました!あなたをだまそうとしただけではないと約束します。正しく修正します。『A』から始まる地球上で最も大きな都市はインドの『Ahmedabad(アフマダーバード)』です。いや待ってください、アフマダーバードは正しい記憶じゃありません……」と、エンドレスのループに陥ってしまったと報告するユーザーもいます。 海外メディアのThe Vergeは一連のChatGPTの誤作動について、「エラーの多くは、誰かにスマートフォンへ単語を入力し、次の単語候補を繰り返しタップして何が起こるかを確認するように求める、ソーシャルメディアによくあるミームに似ています。大規模言語モデルは本質的に、空想的にテキストを予測しているに過ぎないため、こうなることは理解できます」と述べました。 OpenAIもこの異常事態に気づいたようで、アメリカ太平洋時間の2月20日15時40分頃に「ChatGPTからの予期せぬ応答」について調��を開始。そして2月21日8時14分、ChatGPTの問題が修正され応答は正常に戻りました。OpenAIによると、ユーザーエクスペリエンスの最適化を行ったところ、大規模言語モデルの言語処理にバグが発生したとのこと。大規模言語モデルは言語をトークンにマッピングされる数値として処理していますが、バグによってモデルが数値を選択するステップに誤りが生じ、意味をなさない単語の羅列を構成してしまったそうです。 OpenAI Status - Unexpected responses from ChatGPT https://status.openai.com/incidents/ssg8fh7sfyz3 The Vergeは、「生成AIによるチャットボットは急速に進歩している技術で、その原動力となる大規模言語モデルは本質的にブラックボックスであり、作成者でさえ詳細を完全に理解しているわけではないことを思い出させてくれます。チャットAIはデータのパターンを探し、入力にどのように応答するのか最善の推測を行うことで動作し、通常は目覚ましい結果につながります。しかし、幻覚や感情の操作、さらには怠惰な応答を引き起こすこともあります」と述べました。
ChatGPTが同時多発的に奇妙なことを言い始めて「ChatGPTが発狂した」「発作を起こした」という報告が相次ぎOpenAIが慌てて修正 - GIGAZINE
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先日のギフトショーでご紹介頂いた @imai_kinpaku さんへ行ってきました これまで伝統工芸とは無縁の世界にいたのですが、最近その業界の方々との繋がりが増えたように思います 今井金箔さんのお店に入ると金色の井戸らしきものが目に留まります 金箔霊泉 金沢の地名の発祥と伝えられる兼六園「金城霊沢」を模した井戸「金箔霊泉」 井戸には清水が湧き出て、囲みは全て純金箔、泉底には3万個の純金露玉が散りばめられている ※今井金箔さんHPより ソフトクリームに金箔を貼る体験もさせて頂きました 綺麗に貼れていると褒めらました ぜひ、金箔を貼ったサングラスをかけてライトを見てください ビックリしますよ! 金沢の伝統工芸の金箔 知らない事ばかりでした @imai_kinpaku さん 今後とも、宜しくお願いいたします! ありがとうございました #今井金箔 #金箔 #伝統工芸 #食品用金箔 #体験 #金箔霊泉 #純金露玉 #金箔ソフトクリーム #石川県 #金沢市 #セメントプロデュースデザイン (今井金箔 金沢) https://www.instagram.com/p/CbLvU2wJLj_/?utm_medium=tumblr
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ツイートアクティビティは既に死んでいる
ようなんですよ、どうやら。昨日の日記、何人の方が読んでくれたのかな〜と思って(※いつも見ている)ツイートのアクティビティを叩いたら「自分のツイートのアナリティクスのみ表示できます」と言われてしまい……、なぜ……、ぼくは、万願寺でないというの?お父さん……。みたいになってしまった。萩尾望都的な構文です。Twitterはお父さんではない。どちらかというと宿主、またはうんこ集積所ですね。どうでもいいですね。
泣きすぎて頭が痛いし喉が渇いているので麦茶を飲んだ。2:59。今日も、昨日に引き続きうつ状態で、そのままカウンセリングに行き、先生にありのままのうつ状態の私と接見してもらい、様々に言葉をかけてもらい、なんとか途中駅のスタバで泣き止んで落ち着きながら帰宅して、その頃には逆にハイテンションになっていた。こわい。なんでだよ。カウンセリングは3回目でした。3回目にしてうつ状態の私を見てもらえたのは良かったと思う。先生も、来てくれて、この状態を私にも見せてくれて良かったと言っていた。すっぴんでもなんでもいいから来てねと言っていた。私が「行かなかったらここで私のとった50分の枠が無に帰し6600円のカウンセリング代が先生のマイナスになってしまうと思いそれだけは阻止せねばならないと思って来た」と言ったら、(クライアントにキャンセルされても)そんなこと(お金のこと)考えたこともなかった!という感じだったので、先生のお給料は私の支払う料金とあまり直結していないのかもしれない。はてなはてな。月給制ならそりゃそうだが。もし直結しているならその反応はさすがに呑気すぎ!もっと自分のお金のこと考えて!と思ってしまうところだ。
昨夜からクエチアピンを普段の倍飲んでしまったので、食欲が凶暴なことになり、食べたくないものまで食べて、ずっと食べて胃を痛めた。胃が痛くてもそれでも食べるのをやめられない。薬の効果は恐ろしい、と思うが、果たしてどこまでが薬の効果なのか?私の思い込みやストレス反応はどこからなのか?できるだけ食べたくない、と思っているが、体が壊れてもいいから食べ続けたいという恐ろしい欲望に今日は食い破られるかと思った。クエチアピンを飲まないと眠れないので、労働のためにはクエチアピンが必須だが、1週間に1kg確実に増えてしまうこの現象、どこかで打ち切りたい。運動すればいいのだ、とにかく。うつ状態になってる場合���ゃないんだよ。歩くな。走れ!苦しくても走れ走れ走れ。(遠藤響子のこの歌、だいすきだ。経験が全てじゃない、さぼっても減らないし…)ああっ、またしても旧友に認めた手紙を投函するのを忘れてしまった。こうしていつも便箋の中の日付と消印の日付が乖離していくのである。
前のマンションの敷金が返ってくるのを待って半年が経ってしまったので、そろそろ問い合わせてみようと思う。未だに私の郵便物が届いていたら申し訳ないと思うが、それはそれ、これはこれとして聞かねば。返ってきたら元同居人氏に振り込めるし。まあ最後すごく汚い状態で部屋を出てしまったからどうかな。元同居人氏は今頃忙しくやっているだろうと思うが、元気に楽しく過ごしていてほしい。
就労移行支援施設の正式入所が10月頭に決まった。ありがたい。ここから最短でいけば4月には就職先が決まると思うが、そんなに上手くいくわけはないというのもわかっている。このモラトリアムはまた長引きそうだ。ただ、今までの療養と違って、寝たきりの期間はなく、変わらずずっと動いているので、就労への復帰は前回などよりはなだらかにできるのではないかと思う。3ヶ月くらいがっつり休んで…というケースも今まではあったが、今回はそこまで弱らずにやれている。体力作りの進捗は捗捗しくはないが、水を飲むのも一苦労、という水準まではそもそも落としていない。30分自転車を漕げるなら、立ち仕事でなければまああとは体力というか集中力の問題だと思う。就労支援に通いながらも良さそうな求人があれば応募する。今は2件応募している。もう書店でなくても全然構わないなと思っている。学習塾は魅力的だが、そこにもこだわらない。英検準1級が取れればそこそこ箔はつくかなと思うので、なんにしろ頑張りたい。今回は筆記をクリアして、来年6月にスピーキングも受かりたい。
そういえば、肛門周辺膿漏というので、ケツの穴の左に膨らみができて激痛となり、肛門外科の先生に切ってもらった。何度も切り刻まれた。はちゃめちゃ痛かった。なんと、膿を出しただけでは話は終わらず、今回の菌の侵入(通過)経路は今後「痔ろう」(痔のヤベーやつ)になるというのである。痔ろうになったら手術で取るらしいが、まだ先の話とのこと。明日、ケツの穴の横の経過を診てもらい、問題なければこのまま日常に埋没してゆく(痔ろう爆弾をかかえながら…)。私は肌がかなり強く、代謝も回復も人一倍早いので、ケツ穴の横の切り刻んだ跡は平気かと思われるが、痔ろうになるというその通路もなんとか私のパワーで潰せないものなのか。肛門の奥から「運悪く」菌が入ってしまったらしいが、十中八九、先週の日曜から月曜にかけてのTokyo小旅行での疲れが免疫力の低下を引き起こしたのだ。普段500歩しか歩いていない人間がいきなりヒールで1万2000歩歩いたらどうなるか。水膨れ4箇所。これも地獄の痛みだったが、案の定肌の回復の速さにより翌々日には問題なくなっていた。やるじゃん!と思っていたところにこの、痔ろう爆弾問題。さらに台風接近によって低気圧は極まってるし偏頭痛だしうつ状態だし台風終わったらめちゃくちゃ寒くなってるし、季節の変わり目〜!過ごしやすい涼しさになりましたが、油断するとすぐ冷えるので気をつけたいです。みんなも気をつけて。
中学時代、正確には幼稚園児時代から交友のある、地元にいる唯一の友が誕生日だったためLINEしたら地元にいるというので来月会うことになった。彼女はバチバチに関ジャニのオタクだったので、私がなにふぁむ(※なにわ男子のファンのこと)になった報告をしたらめちゃくちゃ喜んでくれて(なにわ男子は関ジャニ∞の大倉さんが作ったグループなのである)、LINEが4ターンくらい長文で往復してしまい、すごく楽しかった。テンションが高い彼女を見るのは珍しい。私が陽キャすぎてうるさいので、静かな彼女にいつも申し訳なくなってしまうのだが、ジャニーズという最強の手札を手に入れたことで、彼女の饒舌を引き出せるのでは?と、30年目の友情にあらたな可能性を感じている。
2022.9.20
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カミサマ日記Ⅴ
ひとつ前の日記は五月雨に濡れておったな。あれからもう幾つ月を越したか。私にゃつい昨日書いたのと然程違わんが、人は半年を久しいとするようだの。
主ら、待ち侘びたか!
と言うのも我が日記は存外好評らしくてな。これを載してくれとる輩が教えてくれたのだ。あなや、信じられん。反響など微塵もない気がするが……。愛しい人の子らよ、投げ銭は必須ぞ? なに、真に受けてくれるな、戯れだよ。
先日、天ZONE(アマゾーン)から荷物が届いた。それも紙製の大きな箱のやつが。はてな。私は何も頼んだ覚えがなかったから首を傾げた。あゝ供物かいやと察したのは、発送者の人間染みた名を見てからだった。
天ZONEは神々御用達の通販サイトである(appもあるよ)。そこでは金と信仰ポイントさえあればなんでも手に入るぞ。ただの懐紙から霊験灼然な激レア宝器まで、神に入り用な物品は一通り揃う。購入は、とある媒体を嚙まして登録・ログインするか、本社のカタログから選ぶかしたら可能となる。但し、どちらにせよ神通力が不可欠なのだ。故に神通力のない人間がそこを介して捧げ物をしてくるとは、よもや混線したのではあるまい、誠不思議である。
一体何がどうしたのか、疑問に思った私は問い合わせしてみた。するとなんと! 人間界の通販サイトamazonと提携しているらしいのだ! こんな時代だ、然もありなん。だがしかし、畏れを知らんとは恐ろしや。
ちなみに荷物の中身は私のお気に入りの聖水であった。有難い。多謝。ついでに累積信仰ポイントを確認したら若干増えていた。成る程、反響は慥かにあったようだ。せっかくだからポイント決済で皆に振る舞い酒でもしようかな。金箔入りのやつ!
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米ハーバード大学のローレンス・バコウ学長と妻が3月24日、中共肺炎(新型コロナウイルス肺炎、COVID-19)に感染したことが明らかになった。米で最も長い伝統を持つ名門校に中共ウイルスが侵入したことに世界が驚かされた。
過去20年間、ハーバード大学は中国共産党指導者の子弟を受け入れ、中国政府・軍高官向けの研修プログラムを立ち上げ、中国人富豪から巨額な支援金を受け取るなど、中国当局と親密な関係を築いた。
バコウ氏は学長に就任した翌年の2019年3月20日、中国を訪問し、北京の人民大会堂で習近平国家主席と会談した。中国共産党機関紙・人民日報電子版の同月21日の報道では、習主席はバコウ学長が初めての外国訪問に中国を選んだことについて、「米中間の教育交流を重視している表れだ」と称賛した。
当時、米中双方は貿易戦の真っ只中にいた。両国政府は互いにすでに2回の追加関税措置を発動し、3月初めに北京で第8回目の米中閣僚級通商交渉が行われたばかりだった。このタイミングのバコウ学長の訪中は物議を醸した。
同大学のファウスト前学長が2007年2月就任し、翌年3月に北京を訪問した。当時、習近平氏は国家副主席として、ファウスト氏と会談した。
習近平氏の娘、習明澤氏は2010年5月~2014年まで、同大学心理学部に在籍したと伝えられている。
ハーバード大は「第2の党校」
ハーバード大学ケネディ政治大学院は1998年以降、中国共産党政権の高官を対象にした研修プログラムを実施した。過去20年、1000人以上の高官が同校に留学した。この人数の多さから、ハーバード大学は、中国共産党の「第2の党校」と呼ばれるようになった。
2001年、ケネディ政治大学院は、中国の清華大学や国家発展改革委員会と共同で、中国高級官僚研修プログラムである「中国公共管理高級研修班」を始めた。毎年、中国の中央政府や地方政府の幹部約60人が、ハーバード大学に派遣される。数カ月の滞在中に、行政学などの授業を受けるという。
中国時事評論家の横河氏によると、1998年に当時の中国最高権力者である江沢民が、ハーバード大学と国家発展改革委員会らの研修プログラムの構築を主導した。横河氏は2017年5月、中国語ラジオ放送「希望の声」の番組で、「1997年、江沢民が訪米中、ハーバード大学でスピーチを行って以降、江沢民とハーバード大学が急接近した」と話した。
横河氏は、江沢民が同大学での研修プログラムを推し進めた結果、李源潮・元国家副主席、李鴻忠・元天津市党委員会書記、楊衛澤・元江蘇省南京市党委員会書記を含む多くの江沢民派の高官がハーバード大学に短期留学したと指摘した。
米ニュースサイト「スレート(Slate)」は2012年5月23日の報道で、李源潮氏はハーバード大学で研修を受けた最初の党中央政治局委員であるとした。
李氏は2002年、江蘇省南京市党委員会書記に着任した直後、党中央組織部の派遣でハーバード大学ケネディ政治大学院に留学した。
江沢民の孫、江志成(34)氏はハーバード大学経済学部を卒業し、金融大手のゴールドマン・サックスに入社した。江沢民派の薄熙来・元重慶市党委員会書記の息子、薄瓜瓜氏は2012年5月、ケネディ政治大学院を卒業した。
「中国の高官らはほとんど英語が話せないので、ハーバードに行っても、中国語で研修を受けていた。だから、実際に高官らにとって、ハーバード大学での研修プログラムは、福利厚生の一部で観光旅行のようなものだ。この研修プログラムを受ければ、箔がつくから、帰国後に昇進の機会が増えるという利点がある」
また、横河氏は、中国政府の高官がハーバード大学に留学することは、共産党の対外統一戦線工作の一環でもあり、特に外国の学術機関における共産党の影響力拡大に有利だとの見方を示した。
「中国共産党は設立以来、絶えず統一戦線工作を続けてきた。各時期にその特徴があったが、ハーバード大学が中国共産党の第2の党校になったのは、江沢民政権と直接、関係する」
2009年10月中旬、前述の李源潮氏は党中央政治局委員兼党中央組織部の長として、米国を訪問した。この訪問には2つの目的があった。1つ目は中国当局の海外人材招致計画、「千人計画」を米国で推進することにあった。2つ目は、李氏の留学先だったハーバード大学で講演することだった。
中国当局は、「千人計画」に参加した海外の学者や技術者を通じて、海外のハイテク技術を盗んできた。
米上院調査小委員会(Senate Permanent Subcommittee on Investigation)が2019年11月18日、報告書を公開した。調査では、過去十数年間、中国当局は千人計画によって、米国科学者や専門家7000人以上を招致し、米の科学研究成果を不当に取得した。
今年1月28日、米司法省は、ハーバード大学の化学・化学生物学部長、チャールズ・リーバー教授を、中国当局との関係について虚偽報告をしたとして刑事起訴した。リーバー教授はナノテクノロジー研究の第一人者だという。
肖建華氏による巨額寄付
米ラジオ・フリー・アジア(RFA)によれば、米政府は中国当局による学術界への浸透工作に対する危機感から、今年2月、ハーバード大学とイエール大学について調査を開始し、両大学に過去8年間に受け取った外国からの寄付金に関する書類や金額の明細を要求した。
米教育省が出した声明の中で、特にハーバード大学について、外国から受け取った資金を管理する体制を整えておらず、米政府に全部報告していなかったと批判した。教育省は、同大学に対して、中国政府や通信機器大手の華為技術(ファーウェイ)、中興通訊(ZTE)、孔子学院の運営機関である中国国家漢語教育指導弁公室などを含む資金提供者との金銭のや���取りを詳しく報告するよう要求した。
米非営利組織(NPO)「クラリオンプロジェクト」が米教育省の公開情報を分析した結果、2012年以降、中国当局は、米の87の大学に計6.8億ドル(約729億円)を提供したことがわかった。ハーバード大学が受け取った金額は約7927万ドル(約85億円)で、各大学の中で最多だった。
資金提供者に中国富豪の名前が連なる。
米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)は2017年4月に調査記事を掲載し、中国最高指導部や軍当局と深いつながりを持つ中国人富豪で実業家・肖建華氏のハーバード大学への寄付について紹介した。
2017年1月27日、中国当局は香港滞在中の肖建華氏を本土に連行した。肖氏は、共産党内の江沢民派の金庫番とされる。習近平政権は、反腐敗キャンペーンの実施や金融セクターへの締め付けの一環で、肖氏を拘束したとみられる。
WSJは、数百件の会社間取引記録を調べ、情報筋を取材した結果、中国軍系の武器取引企業、保利集団(China Poly Group Corp.)が近年行った3件の巨額取引はすべて肖氏と絡んでいたと報じた。その中の1件は、ハーバード大学への寄付だった。
WSJによると、2014年、肖建華氏はハーバード大学ケネディ政治大学院のアッシュセンター(Ash Center for Democratic Governance and Innovation)に対して、2000万ドル(約21億4384万円)を寄付すると申し出た。その後、肖氏は、資金は自身ではなく、第3者側が支払うと示した。これに対して、ハーバード大学側が出資者の身元を不安視したという。
WSJは、アッシュセンターの2014年春の通信記録を入手した。この中で、同センターは、香港の嘉泰新興資本管理有限公司(JT Capital Management、以下は嘉泰新興)から総額1000万ドル(約10億7204万円)の「高価な贈り物」を受けたとの内容があった。WSJは、嘉泰新興は、保利集団傘下の子会社だとの見方を示した。
ハーバード大学側はWSJの取材に対して、「嘉泰新興は、肖建華氏が発案した中国幹部養成プロジェクトを支持している。同プロジェクトが提示した参加者には、中国政府の官僚と某銀行の上級幹部1人が含まれる。この銀行の一部(株式)は、明天系が保有している」と述べた。
言い換えれば、肖建華氏は、ハーバード大学に中国当局の高官や自身の企業の幹部を研修させるために、嘉泰新興を通じてハーバード大学に1000万ドルを寄付した。
「明天系」とは、肖建華氏が設立した投資会社「明天控股集団」のことだ。
しかし、最終的に肖建華氏が嘉泰新興の名義で寄付したのか、それとも保利集団が寄付したのかは不明だ。
教職員200人が中国と関係
一方、ハーバード大学ケネディ政治大学院は、将来中国最高指導者に登り詰める高官とのパイプ作りを重要視している。横河氏によれば、中国高級官僚向けの研修プログラムが発足後、肖建華氏らの中国人や香港富豪によるハーバード大学への寄付が増えた。富豪らは、中国高官を受け入れているハーバード大学に寄付することで、将来中国市場でビジネスを展開する際、高官に便宜を図ってもらうことを狙った。
「同大学では、少なくとも200人の教職員が中国、または中国高官研修プログラムに関わっている。明らかに、この研究プログラムが、教職員の生活に影響を与えている。だから、大学側にとって寄付金はありがたいものであろう」と横河氏が述べた。
欧米側では当時、中国高級官僚を人材育成プログラムに受け入れることで、官僚に西側の民主主義の思想に順応させ、最終的に中国の民主化を推し進めていくという期待感を持っていた。横河氏は、「ここ20年間の経験から、欧米側のこの考えはただの片思いにすぎなかったと言える」とした。
世界各地の「党校」
ハーバード大学のほかに、他の欧米名門校が中国共産党の高官に研修プログラムを提供した。香港誌「鳳凰週刊」が2011年9月に掲載した記事では、中国当局は今まで約10万人以上の官僚を海外の大学に送り込んだと表示した。
同誌は、共産党の高級幹部を育成する国家行政学院(中国共産党中央党校)が1992~2005年にかけて、海外の大学との間で締結した双方研修プロジェクト協議42件の内容を入手した。最も多いのは米国の大学で、8件にのぼる。欧州では、英国3件、スイス2件、フランス2件、ポルトガル2件と、ドイツ、スペイン、イタリア、ギリシャ、ロシアなどは各1件。アジアでは、日本3件と韓国2件、トルコとモンゴルは各1件。他には、オーストラリアとニュージーランドは各3件。カナダは2件だという。
「鳳凰週刊」によると、共産党の高級官僚は米ハーバード大学などの名門校に集中する一方で、地方政府の幹部はシンガポールの南洋理工大学や他の国立大学を好む傾向がある。最高級の官僚の研修プログラムは、党中央組織部が管理し、派遣を行っているという。党中央組織部は党の人事を担当し、人材育成も担っている。また将来、要職への抜擢を見据える海外研修は「省レベルの官僚から県レベルの官僚まで、みな先を争って参加している」という。
中国メディア「網易新聞」の報道では、シンガポールの南洋理工大学は1992年から、中国地方政府の幹部に研修ブログラムを提供した。すでに8000人の幹部が同大学で研修を受けた。
米ニュースサイト「スレート」は、中国当局は、日本の東京大学の研修プログラムに高級官僚を送っているとした。
3月24日までに、ハーバード大学の教職員18人が中共肺炎のウイルス検査で陽性反応が出たという。
(翻訳編集・張哲)
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宮崎由加的石川旅02「かなざわカタニ 金箔貼り体験」
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