#飾り原稿用紙
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tomoshiha · 28 days ago
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五月にみたもの覚え書き
 世がゴールデンウィークだからといって別に休みでもないのは毎年のことなのだけれども、なんもせんのもなんなのでなにかしらやることにしている。今年は東洋美術史をざっくり勉強する、と決めて、4月の末に武蔵野美大出版局の『東洋美術史』を買ってきた。ゴールデンウィーク中に通読することを目標にしていたものの、すっとろくて半分もいかず、五月も終わろうかという頃にようやっと読み終わった。ついでなのでずっと積んでいた美術出版社の『東洋美術史』も併読して、こちらも完走し��。
 で、先日、用があって神戸に帰省した。ついでなので奈良に寄ったりして、あれこれ見てきた。その覚え書き。 
 大和文華館にはずっと行きたいと思っていたのだけれども��かなか機会がなく、あっても逃し、行きたいな行きたいなと思っているうちに十年くらい経っていた。行けてうれしい。老若男女がバランスよくおり、そのどの層も、出されているものを信頼してじっくり見ているかんじがあってよかった。健全な集中力が展示室内をひたひたにしている。
 静かな衝撃だったのが北魏の石造二仏並坐像で、字の通り、仏と仏が並んで坐っている。こういう形式の仏像をはじめて見た。ほんのわずかに顔がお互いの方に傾いている。小ささも相俟って、閉じた、親密なかんじがする。とてもいい。
 青花双魚文大皿。二匹の魚のまわりに水草を二種描いている。一種は金魚藻みたいな形のやつで、もう一種は一枚一枚の葉の長いもの。前者が星を散らしたみたいな効果を出しているのに対し、後者はストロークの長い有機的な曲線が水の流れを感じさせるような効果を出していて、この取り合わせの妙がいい。外側は陸の植物複数種が切れ目なくぐるりと囲む(四季の花を組み合わせることで永続性を象徴させているらしい)。魚は、描かれている見込みの面積からすると小さめなのだけれども、背びれをグッと立てて全開にし、胸を張っるようにして頭のほうを起こし、口をギュッと結んで、上げた顎ごしに下を睨みつけるような、気合の入った顔をしている。でも小さい。小さい体に大きいガッツというかんじがして、いい。真横から描かれているが、胸びれも腹びれも左右両方が見えるようにズラしてあり、それが動きと若干の立体感を感じさせて、イキイキして見える。「魚」は中国語の発音がと「余」と音が同じなので縁起がいい、ということらしいけれども、たとえ縁起が最悪だったとしてもぜひ見たい、いい絵。
 『大和文華館所蔵品目録』として矢代幸雄直筆の書類が展示されていた。使われている紙が大和文華館仕様の原稿用紙なのだけれど、これがとても素晴らしくて、上部に広くスペースが設けられているので図なり註なりをたっぷり書き(描き)込める。一枚あたりがA5くらいの縦長で、ふつうの原稿用紙のハーフサイズ(だから200字?)になっている。もしやミュージア��ショップに売ってやしないかと覗いてみたけども、なかった。売るべきだと思う。売ってください。
 国宝展開催中の奈良国博は噂に違わぬ大混雑。奈良国博が、というより奈良がもう全体的に大混雑で、鹿にしても飽食状態なんかして人間に対する関心がやや薄く、煎餅差し出されても「まあそんなに言うんやったらもらってやってもいい」くらいの反応でしかない。しんどいので、見たかったやつだけじっくり見た。
 百済観音は細身な印象が強いが、腕は案外太い。肩の丸みがそのまま腕の太さになって、そのまま肘までおりるかんじ。本体のS字のシルエットに共振するように、装飾の曲線がつく(耳飾りと袖)。全身のシルエットそれ自体が蝋燭の灯のようにも見える。
 宝菩提院願徳寺菩薩半跏像。ウナギの群れのごときぐりゅんぐりゅんの衣文がすごい。衣自体にはほとんど嵩がなくて、濡れた布が体にまとわりついているようでもある。滝を描いた山水画をなんとなく彷彿とさせる。菩薩の体を源として、なにかが激しく流れ落ちているかんじがする。この作品を取り囲む人だかりからおじさまがひとり、「ピカイチやな……」と呟きながら出てきた。ほんまやね。
 中宮寺菩薩半跏像。この一軀のために一室設けられている。白い空間の真ん中に、黒い仏像が置かれている。シルエットの簡潔さが際立つ。パッと見は安らいだ表情のようにも思えるのだが、単眼鏡で眺めてみると小鼻の上あたりの肉にやや緊張したかんじがあり、差し迫った表情のようでもある。左目の下に筋状に漆の乱れがあるようで、これが涙の跡ようにも見える(同展出品の法隆寺地蔵菩薩立像の左目下にも筋みたいなものを見つけたけどなんなんだろう)。肘の位置が左右でけっこう違うが、肩は水平で、前後にもずれない。後ろ姿がいい(今回の展示では360°どこからでも見ることができる。一生分見とくつもりで、長いこと真後ろに立ってボーっと眺めていた)。肩甲骨などの凹凸は彫り出されず、中央の溝だけが一本、すばらしい微妙さで彫られていて、背中のなめらかな曲面の連なりをつないでいる。やや前側にかがみこむような姿勢なので背中がわずかに丸まっていて、そのことによって高い集中力を感じさせる。尻は体重で潰れることなく、高さを保ったまま小ぶりに締まる。それで腰の位置が高く見え、上半身に若干浮遊感が生まれているように思う。
 神戸にいる間に空いた時間で白鶴美術館にも行ってきた。ここは春季と秋季だけ開館していて、対する私は夏と年末年始くらいしか帰省しないので、行きたいな行きたいなと思っているうちに十年くらい経っていた。行けてうれしい。阪急御影から山側に十数分くらい歩いたところにある。
 おもに本館一階の展示室の古代中国の青銅器をじっくりみた。図版で見るといかにもいかめしいかんじがあって、近寄りがたく思っていたのだが、実物を見ると案外まろやかな印象を受ける。表面がなめらかな部分なんかは翡翠みたいに見える。単眼鏡で細部を観察するのがとても楽しい。饕餮夔龍文方卣は特にのびのびとしたかんじがあって、把手のつけ根のひょうきんな顔(キリンのツノみたいなのが生えている。顎がしゃくれていて、ちょっと口角が上がって見える)とか、フタの持ち手の犬の顔がついた鳥みたいな造形とか、見ていて飽きない。象頭兕觥は字の通り象の頭が象られていて、おもしろい。
 西周時代の車馬具のなかに「節約」という名称のパーツがあっておもしろかった。綱紐をつなげるのに使う、K字状のもの。
 金象嵌渦雲文敦は足とフタのついた球形の青銅器で、器形がまずたいへん愛おしい。三本足(動物の足のような形。こどもの虎のみたいなかんじ。かわいい)に二つの把手(虎?の顔)がついていて、顔に正面から向きあうようにして見ると足の一方が近く、もう一方が離れて見えることになり、そこにリズムが生まれている。なおフタには環が三つついていて、今回は足の位置に揃えて置かれていたけれども、ズラしてみるとまた違うリズムが生まれそうで、妄想していると楽しい。この環というのがやや外向きに開くように配置されていて、その点でも大らかさというか開放感みたいなものが感じられ、好きにさせられてしまう。
 二階は漢から唐ぐらいまでの金工作品が出ていた。
 鍍金花鳥文銀製八曲長杯は八辨の花形を横に引き伸ばしたような変わった形をした器で、杯というには浅いようにも思えるけれども、皿というには深さがある。外側側面は、銀色の地の上に金色の植物と鳥の文様がたっぷり詰めこまれている。他にも唐代の小品がいくつも出ていたけれども、いずれもたいそう趣味がよくて、なんという時代であろうかと思った。自分が遣唐使だったらたぶん、船に積む品物が選べなくて泣いちゃう。
 二階の展示室の端っこの小さい区画(昔は貴賓室だったらしい)が次の展示の予告のコーナーということになっていて、出品予定の南宋と明のやきものが出ていた。次は陶磁器の名品展的なことをやるらしい。自前のコレクションであれこれ展示を組み立てて回していけるからこそできることなんだろうなと思う。賢い。
 新館ではコーカサスの絨毯をみた。閉館間際であんまりゆっくりはできなかったのだけれども、眼福だった。V字型の鳥がたくさん織り出されたカザック絨毯が特によかった。絨毯の真ん中の淡い緑色の菱形の区画に、クリーム色、黄土色、朱色、こげ茶色の鳥がわんさかいる。絨毯の縁の枠の部分にもちらほらいる。
 帰りは住吉川沿いを少し歩いた。それからどういう道を通ったのかあんまり覚えてないのだけど、途中に時間が止まったような小さい公園を見つけた。一度は通りすぎたものの、やっぱり気になったので引き返し、写真を撮った。近くのどこかの部屋からピアノの音が聞こえていて、同じフレーズがつたない指で繰り返し練習されているようだった。
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tutai-k · 2 years ago
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わたしはいつも、まにあわない
先日、注文していた本が届いたから取りに来いと、いつもの書店から電話があった。小学生のころからずっと通っていた地元の本屋は、安定した収入が得られるようになってからは、月給の一割ぶん、かならず本を買うようにしていた。この日もその注文の品が届いたという電話だった。いつものように、「はいはい、行きます」と返事をして、そこで電話が切れるかと思ったら、「今月の末で閉めます」と言われた。 「えっ」という声は出たが、何を言えばいい���かわからなかった。「e-honで頼んである本があるから、また行きます」そう言って、電話を切ってしまった。
外食に行く金があるなら本を買ってくれと言っては親の機嫌を損ねるような子どもで、お小遣いをもらえばすべて本につぎこんでいた。
「なかよし」やコバルト文庫を買いに通った日々。 小学六年生のころ、お年玉で国書刊行会の「黄金の夜明け魔術全書」を買った。「こどもが一万円を超える本を注文するなんて、怒られたらどうしよう」と思いながらした注文はすんなりとできて、一ヶ月後、分厚い箱入りの本が届いた。 そこから興味が広がって、あの頃はまだ背表紙が黄色くなかった河出文庫の『黒魔術の手帖』を買った。あれが、長く付き合うことになる澁澤龍彦との出会いのはじまりだった。 中学生のときには、新聞の書評欄で見た高原英里の『無垢の力』を注文した。この本が紹介している本を全部読もう、と注文できる本は全部注文し、やっぱりそこから興味が広がって――森茉莉の『薔薇食い姫/枯葉の寝床』の講談社学術文庫を取り寄せてもらったとき、1000円を超える「文庫本」が存在することに衝撃を受けた。いまでは文庫も1000円を超えるのが当たり前だけれど、当時は4~500円で買えたのだ。 十代半ばは、熱心に投稿をしているころでもあった。コバルト本誌に詩や小説を投稿していたから、投稿作が採用されているかどうかをたしかめにもかよっていた。自分の作品や名前が載っているコバルト本誌を買って帰るとき、いつも、「いつか小説家になって、この書店にも本が並ぶのだ」と思っていた。
車、カメラ、服飾品、三ヶ月に一度のアフタヌーンティ……それなりのものに金を使ってはきたけれど、わたしは、人生でいちばんなにに金を使ったか、それも「どこに」金を使ったかと聞かれれば、きっとこの書店に違いない。それくらいに、とにかくここで本を買いつづけてきた。 生活費を除く可処分所得のほとんどが、この書店で買う本に変わった。
地方の書店で本を注文して届けてもらうと、一ヶ月はかかる。新刊本は、発売日には届かない。Amazonで本を買えば、取り寄せなんてしなくてもいい。インターネット書店も充実していて、一ヶ月近く待ってどうしてそこで本を買っているのか、と言われれば、わたしはただもう、「この町から本屋がなくなってほしくなかったから」としか言いようがない。 インターネットを使いこなして本を買うことは、だれもができることではない。子どもや、老人。本が欲しいと思ったら、書店へ行かなければならないひともいる。わたしもそういう「子ども」だった。Amazonというシステムが自由に使えるようになったのは、大学生か、社会人になってすぐ��……それくらいだけれど、それまではわたしは本へのアクセスは、実際の書店へ行って本を買うしかできなかった。そんなひとはまだこの土地にはたくさんいて、そんなひとたちが「本を買う場」を、保ちたかった。わたしは本を買いつづけた。
今日は給料日だった。今月の給料の、「使える金」はすべてこの店で本を買うために使おうと思っていた。薄っぺらい給料袋を持って店に行き、本を腕に積み上げた。『トランスジェンダー男性学』と『これからの男の子たちへ』が面陳されていて、最後まで誠実な書店であろうとしているのだなと思う。地元の島を描いたルポルタージュが刊行されたときも、この書店は、丁寧に丁寧に、好奇心に抵抗するようなPOPをつけて売っていた。 レジに並んだ。 わたしのまえに並んでいたひとが、「高校生の頃から通っていたから、なくなってしまうのがさみしい」と店主のおじさんに話していた。だから、わたしは、なんだか何も言えなくなってしまって(二連続でそんな話をされたらおじさんもきっと困るだろうと思って)いつものように、ただ黙って本を買った。 「しおり、ほしいだけ持ってって」とおじさんに言われた。たくさん本を買った。いつもだいたい、1冊の本につき、3つくらいしおりを入れてくれる。今日もおじさんはひとつかみくらいしおりをいれてくれて、わたしはレジの横にならべてある、きれいなしおりを1枚だけもらった。
書店がなくなるのだ。わたしはこれから、どこで本を買えばいいんだろう。――新しい職場が書店なので、本は買おうと思えばそこで取り寄せてもらえる、だからこんなことを思わなくてもいいのに、「わたしはこれから、どこで本を買えばいいんだろう」とずっと考えている。 町から本屋がなくなってしまう。本が欲しいと思ったとき、インターネットにアクセスできず、この書店に行って「あの本が欲しい、この本が欲しい」と言っていた子どものわたしが途方に暮れる。
書店を出る。車に乗る。 まにあわなかったな、と思う。 今年の九月に、同人誌じゃない本が出る。日本全国、いろんな書店にこの本は旅立っていくのだろう。だけど、どこよりも、この本を、わたしはこの書店に並べてもらいたかった。 わたしの本との出会いを支え、そして、わたしの小説の資料を、物語の血肉を、つねにわたしに与え続けてきてくれたこの書店に、「わたしの本ができたんです」と言って帰りたかった。 わたしの本を、きっと丁寧に丁寧に売ってくれただろう書店に、わたしは間に合わなかった。
もう一週間ある。 なんとかお金の算段をつけて、もう一度ここで本を買いたい。
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ao-aoyk · 27 days ago
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映画の感想とか日記を書けるところが欲しくてここのアカウントを作ったのを忘れてました。〜2025年5月の日記です。
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誕生日月でした。(5/30生まれ) ↑誕生日は高いケーキ食べて良い日なので今年もvironでケーキ買った。 誕生日の月だし自分を思いっきり甘やかそう!イベント(5/4のスパコミ)終わったし!と思って色々欲しかったものを購入しました。その一つ↓ LAMY safari – JETSTREAM inside - ちょっと高めのボールペン。いつもはuni-ball ONEを愛用しているのですが、頻繁になくす&インクを切らす! 長く愛用できるものが欲しいな〜と思ったところに手に届く範囲の値段の高さ&可愛さ。中身もジェットストリームなので書きやすい!最高!次の原稿のプロット・ネームもこれ��描くと思うとウキウキします。 あと最近お手紙交換をすることが多かったのですが、みなさん可愛い色のペンとかシールを使ってて、黒ペン1本の私大反省。カラーペンを数本買ったので次お手紙描く機会があれば華やかな紙面にしたい。 他にも色々甘やかして服を買ったり漫画買ったり好きな食べ物を食べたり…。甘やかしすぎたせいか誕生日当日は怪我したり体調不良になったり散々な目にあったので、これからは誠実・堅実に生きたいと思います。とりあえずゆるく太ったので運動再開します。
オフラインイベント(スパコミ)楽しかった! 私のメタで描いているCPは両方とも人口が少なめ…なので、(SNSにはいるけど)当日本を出される方は私だけかも…と思ってたのですが、い…いた…!私以外にスパコミで同カプの本出されている方…! (2サークルしかいないので当たり前ですが)スペース隣で、いっぱい推しカプの話を出来て楽しかった…! SNSでの交流とはまた違う楽しさ&ものすごく久しぶり��イベントでの交流でとても楽しかったです! 自分の出した本も、拙いものではあるけど今できる限り頑張れたので出せてよかったです。ゲストさんの寄稿(何度もいうけどめちゃくちゃ可愛い)もありとても心強かったです。 9月のオフラインイベント(アナコン)にも参加予定です。今度は主バジのシリアス系漫画を描きたいな。バジの話を深掘りしたいがための話になるので、同人誌にする必要は…という気持ちもあるけどそういうことやって良いのが二次創作の良さだと思っているので、頑張りたいです。
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グッズを作ったり交換したり集めたりした。 いままで公式/同人問わずあまりグッズに興味がなかったのですが、激闘のフィギュアを購入にしてから一気に物欲が高まり、グッズ収集に抵抗無くなった。 これは私の本棚の一部。公式以外のメタの推しキャラ・カプグッズはSNSで交流ある方々とありがたくもトレードしたり初めて自作したものです。私の作ったアクスタでっか〜…。グッズに慣れてない感溢れてて恥ずかしいですが、手にとって下さった方が可愛いと言ってくれるので嬉しいです。初めてつくったグッズなので自分でも大切にしたい。 人様作成の推しカプ・キャラのグッズ可愛すぎる…。デスクから見えるところに飾っているので、作業の合間にいつもみてます。あと公式のアクスタは全身・バストアップ共に作画参考としてすごい助かってる。7月に兄弟も揃うので、公式アクスタで推しカプ並べる楽しみすぎます。
tumblrこういう使い方しない気もするけどたまに日記を書けるところが欲しかったので!映画の感想も書きたいけど時間がうまく使えない…。また書きます。
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yotchan-blog · 1 month ago
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2025/5/27 20:00:05現在のニュース
IIJ、千葉にデータセンター増設 26年度に運用開始 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/5/27 19:57:34) NTTデータ、大阪府に新データセンター IOWNに対応 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/5/27 19:57:34) セブン&アイHD株主総会 創業家出身の会長ら新経営陣を承認(毎日新聞, 2025/5/27 19:56:40) 備蓄米、ファミマは1キロ400円 なお課題残る随意契約の実効性(朝日新聞, 2025/5/27 19:54:59) 寂聴さんへの批判、一喝した林さん 不倫あったからこそ名作生まれた:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/5/27 19:54:18) 市民団体が県の��応批判、「情報公開のあり方問われる」 オスプレイ:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/5/27 19:54:18) 対策が難しいボクシング「リング禍」 ダメージの蓄積が原因ではなく:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/5/27 19:54:18) 「コメ担当相」小泉氏、発信強化に余念なく 野党「選挙対策」と警戒(毎日新聞, 2025/5/27 19:49:37) 地中に埋まったガスボンベに引火か 38棟被害 江戸川区のガス爆発(毎日新聞, 2025/5/27 19:49:37) 寂聴さんも林さんもあふれるエネルギー 日大理事長「やりなさい」:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/5/27 19:48:29) 林真理子さんが見た寂聴さん「意地の悪さも魅力」「女性作家の支え」:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/5/27 19:48:29) 柴門ふみさんがマンガ化した「美は乱調にあり」 寂聴さんは伊藤野枝:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/5/27 19:48:29) 「恋愛の神さま」柴門ふみさんが見た寂聴さん 「一番モテるタイプ」:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/5/27 19:48:29) 寂聴さんは「エネルギーの量が天才」 柴門さんと盛り上がった恋愛話:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/5/27 19:48:29) 小川智大「バレーいっぱいしても苦にならない」 日本代表合宿(毎日新聞, 2025/5/27 19:42:32) 柴門ふみさんの恋愛マンガ 「米国にあこがれ、時代のちょっと先を」:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/5/27 19:42:29) 出会い系サイト「統括責任者」逮捕 全国1万人から53億円詐取か:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/5/27 19:42:29) 柴門ふみさん、同郷の寂聴さんが書いた「多角関係ラブ」がおもしろく:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/5/27 19:42:29) 寂聴さん、演歌の女王のうなじに 「これが女の色気というもんじゃ」:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/5/27 19:42:29) 立花孝志氏を大津綾香氏側が刑事告訴 「政党から3億5000万円を持ち出して一部を横領」 警視庁は受理:東京新聞デジタル([B!]東京新聞, 2025/5/27 19:42:21) 京都大、ハーバード大留学生を受け入れる方針 文科省の依頼受け(朝日新聞, 2025/5/27 19:40:43) 小川智大「バレーいっぱいしても苦にならない」 日本代表合宿(毎日新聞, 2025/5/27 19:39:50) ジャパンマテリアル、ロケット打ち上げ設備の飛鳥電気を買収 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/5/27 19:39:13) 三菱倉庫、15億円でタイに物流施設 完成後に売却し資産効率向上 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/5/27 19:39:13) 寂聴さんが不倫関係だった作家と共に書いた屛風 ショーケンの位牌も:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/5/27 19:36:25) 徳島に帰った寂聴さん、好き放題に仏具店を改装 支払いは、おい:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/5/27 19:36:25) 「お母さんは死んだ」 娘に言われた寂聴さん、おいが渡したおにぎり:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/5/27 19:36:25) ティリ監督が合宿初合流「日本風にしました」 バレー男子代表(毎日新聞, 2025/5/27 19:35:26) 「こち亀」イラスト使った葛飾区に複数の抗議 広報紙に迷彩柄のヘリ、編隊飛行…「戦争を想起させる」(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2025/5/27 19:35:25) 憧れの人の体験そのまま「コピペ旅行」 SNS投稿から即予約 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/5/27 19:33:13) 東北大学「共創研究所」、パナソニックやメニコンなど顔ぶれ多彩に - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/5/27 19:33:13) ティリ監督が合宿初合流「日本風にしました」 バレー男子代表(毎日新聞, 2025/5/27 19:32:47)
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magazine-hitori · 4 months ago
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書物礼賛④
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味噌ノ山/ひざが痛い!/自費出版2024
前回取り上げた『大便革命』の印象的な一節「女はたまる、男はくだる」。くりぃむしちゅーのANNで語られる、彼らの名物マネージャーからやがて独立社長となるババア大橋氏の便秘エピソードは抱腹絶倒。大橋氏への愚痴をはじめ、独身時代のくりぃむ有田氏が女性全般への不満をしばしば語るのに対し、現役のラジオ番組・中川家のラジオショーでは兄の剛氏がしばしば女性賛美を語る。
「女はどんなことでも楽しめる。友達と何時間でもしゃべっていられる。嫌いな人とも会話できる」。そうした美質が最大限発揮された入院体験リポート漫画が本書。著者はクリスマス飾りを撤去しようとして転倒し膝の靭帯を断裂。義母の介護があるためしばらく温存療法で耐えていたが、コロナ禍に突入し義母が特養ホームに入所することなったので入院・手術に踏み切ることに。
手術までのあれこれ、装具や車椅子、リハビリの様子など、確かな観察に基づく丁寧な描写、配慮の行き届いた人物造形、入院マニュアルとしても使えるよう大きな出版社から流通させてほしいと思うような充実した一冊となっている。学生時代漫研だったが創作から長く離れていたとのことで、一般社会にはこうしたポテンシャルのある人が山ほど隠れているのだろうなと。長所と短所は表裏一体になっていることが多く、有田氏の不満も剛氏の賛美も「男と女は違う」という本質論なのではないか。芸人さんのラジオは人気があるほど本質を避けて、何を買ったとかどこへ出かけたとかうわべの消費を語りがち。その人から見た本当のことを語ってほしいし書いてほしい。
藤谷治/新刊小説の滅亡・新刊小説の逆襲/破船房2023
2015年ダ・ヴィンチ誌に掲載された短篇とその続篇。文芸出版協会が新刊小説の出版を止める協定を結び、それによって新刊に占められて存在意義を失っていた既刊書籍が一定の復権を果たすも小説の退潮は止めようもなく、それでもなお良質な新刊小説に夢を託す編集者と無名小説家の悪戦苦闘を、筒井康隆『大いなる助走』の舞台設定や文体まで借りたような形で描く。「同時代を見つめた結果、タイムスリップで歴史上の有名人に会うとか、魔界に選ばれた高校生が悪の根源と闘うような小説ができたってことですか? 同時代を見つめるとか、時代の要請じゃなかったんですよ。右顧左眄ですよ。マーケットリサーチだったんですよ」。
鬼越トマホークのユーチューブ・チャンネルに三四郎の相田氏と小宮氏が一人ずつ連続で呼ばれて半生を語る企画は、金持ち学校(成城)で出会った2人の、微妙に異なる角度から語られる学園生活が陰影に富んでいて良い本を読んだような充実感があった。しかしたとえばそれに類するお笑い芸人さんのラジオ番組も、文字に書き起こして即良い本になるとは思えない。本書が言うまでもなく、小説をはじめ紙メディアにおける日本語の語りというのは終っているのだと思う。皆川博子の小説は完成度が高いが、読後感が胸糞で、2度と手に取る気が起きない。松本清張はどれも似たようで抜きんでた傑作がない。出版社であれテレビであれ東京に集中し、国民を「(支配側と)お気持ちお立場ご一緒に」誘導する官僚制の装置であって、分断と棲み分けを志向するから、メジャーな漫画雑誌やオリンピック開会式のように「意味さえ分らない」惨状を呈したのである。意味や価値観を提示すると、森喜朗のような各界のジジイが怒るからねえ。「八戸さんは自分で校正せず、専門家に出したようだ。外注だからお金がかかっている」。甘いですね、私は本をマーケットに送り込むまで、作品を書くのと印刷製本以外すべて自分でやっていますよ。
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売野雅勇/砂の果実 80年代歌謡曲黄金時代疾走の日々/朝日新聞出版2016
チラシを読んでいたら「ちょっとHな美新人っ娘」というキャッチフレーズが目についた。ミルキーというルビがふってある。新人=ルーキーというシャレだと一年以上経つまで気がつかなかった。(中略)原稿用紙に大きな文字で、「少女A(16)」と書いた。新聞の社会面と同じに見えるように、年齢もいれた。(中略)下書き用のノートに残っていた、沢田研二さん用の 「ロリータ」の設定を借りることを、苦しまぎれに思いついたのだ。「ロリータ」が、アッシェンバッハの視点から書かれたものなら、「少女A」では、カメラをタジオの視点にする。しかも、美少年から美少女に変えて。
音楽は救い。しかし私にとって音楽に包まれることは、すなわち自分が非国民であるという自覚にも包まれることになる。日本のポピュラー音楽の全盛は、浜口庫之助らが活躍し、ニューミュージック勢が台頭した1960~70年代。1978年からザ・ベストテンが洋楽を締め出す形で毎週お祭りを提供し、作曲とパフォーマンスの質が世界最悪となっていく没落が始まる。
「セクシャルヴァイオレットNo.1」「もしも明日が…」「おどるポンポコリン」…。あざとい下品な作曲、しかし広告やテレビ番組とタイアップすれば驚くほど売れて儲かる。レコード大賞を受けたウインクの「淋しい熱帯魚」は、洋楽カバーである2つ前のシングル「愛が止まらない」の曲想そのまま少し加工しただけの模造品。恥ずかしくてiTunesに入れられない。日本で一番売れたシングルも盗作だ。歌の下手なボーイズグループなんていうのは他の国では存在しえない。広告・テレビ・芸能の業界人が結託してキャラをでっちあげて素人以下の芸をヒット商品に換える、その音楽上のキーマンが阿久悠、松本隆��そして著者のような作詞家である。
沖田浩之という男性アイドル、私と近い年で、同じ時代にも業界が売り出し方を間違えている印象があった。舟木一夫や橋幸夫のようなズレたイメージ。そこへいくとやはりジャニーズ事務所は巧みだった。サザンや山下達郎が作るようなフェイク洋楽を、下手くそでも衒いなく堂々と歌う。どうせ日本語の歌なんて日本人以外誰も聞かない。低レベルでも細かな消費の記号を散りばめてメディア上で輝ければいいのさ。中森明菜のミルキーっ娘もズレていたが、不良イメージの強さが不満で一度だけレコーディングで歌えばいいからということで出した2曲目「少女A」が大ヒット、スターの階段を駆け上がる。詞・曲は凡庸だと思うが、少しふてくされて、しかし天性が発揮された歌いぶりが素晴らしいのである。
売野氏は1951年生まれ。上智大卒後いくつかの広告代理店、レコード会社宣伝担当を経てフリーランスのコピーライターから作詞家に転身。普段は無口で、自作を売り込む時だけ饒舌になる。売れない雑誌の編集も手がける。業界人としてポジションを得ている、しかしクリエイターとしてはズレていて人脈が財産というような人物から気に入られる才能があったようだ。消費の記号をたくさん知っていて流行の波を仕掛けることができる。歌謡曲やJ-popに愛着ある人なら楽しく読めるのでは。私は薄っぺらい人物だなと思いました。
色川武大/喰いたい放題/集英社文庫1990・原著1984
私の母親のところに米を運んできていたおじさんは、荷をおくと熱い茶を所望して弁当を使ったが、彼の弁当は米飯ではなかった。うどん粉のバンか、芋だった。
そうして彼等の姿も昭和三十年代にはほとんど見られなくなった。
察するに、目白のたまごのお爺さんは、そういう類の生き残りであろうか。──私ははじめそう思った。
ほどなくその考えを変えた。お爺さんがたまごをあつかうときの手つきが撫でさするように丁寧なのである。この仕事を本当に愛してるんだな、と思う。たまごを運んで、売る、そうしていることが好きで好きでしようがないんだ。そうとしかいいようがない。ただの惰性で老人に続けられるわけがない。
とにかく、ありふれた無精卵よリも、お爺さんが難行苦行して運んでくる本物のたまごの方が、ずっと安いのである。
主婦たちは皆、容器を持って並んで、ーキロ、ニキロと買っていく。周辺のおソバ屋さんや小料理屋さんも並んでいる。 せっかく安売りしたって、その人たちが商売に使って結局もうけてしまうわけで、あほ らしいようにも思えるが、お爺さんはついぞ��んなことは考えないらしい。本質的に人間が高貴なのである。
(中略)まったくそれは絵になる光景だった。ものを売り買いするということは、こういうことなのだ、と思う。(中略)大切なたまごを、カチッ、と割って喰べてしまう。お爺さんの汗と執着が、つぅッと喉のあたりをすべりおちる。実にあっけなく、またうしろめたいが、ものを喰べるということは、実はこういうことなのだと思う。
長々と引用してしまいました。谷崎潤一郎が『文章讀本』の中で文章は含蓄がすべてである的に述べていたが、メディア上にこれでもかと即物的な情報があふれている今、小説家のそういう特権的な意識は通用しないのではないか。結局は、情理を尽くして分ってもらおうという姿勢、そうさせる人徳を賞味させていただくことが読書なのだと思う。それは時代や流行によってすり減らない。何度でも味わえる。著者は阿佐田哲也名義の『麻雀放浪記』でも知られる、博徒から業界紙編集を経て作家として名を成した異色の人物。30代でところかまわず眠ってしまう難病ナルコレプシーを発症、長年の放蕩のため肝臓・腎臓も弱く、それでもなお食を堪能しようとする生きざまが遺憾なく発揮された好著。60歳没。
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山本高穂+大野智/東洋医学はなぜ効くのか/講談社ブルーバックス2024
東洋医学によれば気・血・水の流れこそ生命活動の本質。脳ではない。昨夏に始まった耳鳴りと、それに伴って���化した肩こりを癒すべく、12月下旬から鍼治療を受け始め、人体の神秘を実感。施術初日は最中にお腹がグゥ~っと鳴る人が多いとのこと。自律神経が刺激され胃腸が活発にはたらく。私の場合はそれに加え、2~3日の間風邪をひいたような症状が表れる。悪寒・鼻水・喉の痛み・関節痛など。交通渋滞を緩和しようと体のあちこちで道路工事を行っている感じがその後も続き、ちょっとしたことで調子を崩す。人手不足で道路工事の費用も高騰、そもそもアトピーだったり猫舌だったりタバコの煙を肺に入れるなんてとんでもないという神経過敏の60歳には刺激が強すぎたようである。腎経・膀胱経と呼ばれる経絡に沿って全身を少しずつ、相対的に後頭部など上半身の刺激を弱めてもらうことで症状緩和。ここに辿りつくまで7ヵ月余…。
緩和といっても、耳鳴りにせよ肩こりにせよ病気未満の生理現象・老化現象でもあり、半減がいいところでしょう。なぜ効くのか、効くと断言する書名にすがる思いで手にした本書、先史時代から積み重ねられ、経験則的に体系化された東洋医学、その効能を実証的に解き明かそうという趣旨。ツボ・鍼灸・漢方薬について「家庭の医学」的な小辞典として常備してもよい一冊。
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bokonone · 1 year ago
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1. “G.L.O.S.S. (We’re From The Future)”
やつらは私たちのことを女の子だと言った/私たちがどのように話し、どんな服装をし、どんなふうに見え、どのように泣くのか/やつらは私たちのことを女の子だと言った/だから私たちは自らの女性の生を主張した/今ではやつらは私たちのことを女の子じゃないと言う/私たちの女性性はフィットしない/私たちは社会のごみの外側で生きる未来の女の子だ!
私たちは未来から来た/過去からでなく/私たちは歴史ではなく自らのやり方で生きる/やつらのハードコアを再現する気も演じる気もない/ストレート・ボーイ・キャノンはロイヤル級のくだらなさ/未来/ファゴットやフェム!/未来/単なるはみ出し者じゃない/社会のごみの外側で生きる未来の女の子たち!/やつらのモノを咥えたって何になるってんだ?/流行りの突然変異的スキンヘッズは自慰をしてればいい/私たちはやつらからの認可なんて要らない/やつらは自分のことを最高にイケてると思っているけどハードフェムにはお手上げなのさ/未来/ファゴットやフェム!/未来/単なるはみ出し者じゃない
 
2. “Masculine Artfice”
病人化される/手術を受ける/感謝を期待される/シス視線のレンズに閉じ込められる/ありふれた悲しきトランスセクシュアル/男性性はやつらの策略だった/そんなもん破り捨てちまえ/女性性、いつも私たちの心の中にある!/���ランス・ガールよ、自由であれ!/私は哀れなんかじゃない/私はお前らのプロジェクトなんかじゃない/私がここにいたのはお前らのためなんかじゃない/私の身体についてのまたいつものでたらめ話/メディアはさっぱり分かっていない/男性性はやつらの策略だった/そんなもん破り捨てちまえ/女性性、いつも私たちの心の中にある!/トランス・ガールよ、自由であれ!/ほっといてくれ!ほっといてくれ!ほっといてくれ!ほっといてくれ!
 
3. “Outcast Stomp”
これは、はみ出し者や落ちこぼれ、女の子、クィアのために/最後の涙を流した虐げられた女性のために/戦っている人、精神病の人、変人、フェムのために/絶えず性移行中のすべてのトランスジェンダー・レディーのために/のけ者/アウトキャスト・ストンプだ!/はみ出し者たちよ/踏みつける、切りつける、モッシュする、取る/騙す、盗む、昼飲みする悪ガキ/戦う、欺く、信じない/毎日失っている、だけど私たちは負けたりしないよ/社会へのリベンジ構想/ボスへのリベンジ構想/私たちの敵へのリベンジ構想/あいつら全員へのリベンジ構想!/アウトキャスト・ストンプだ!/はみ出し者たちよ/アウトキャスト・ストンプをかましたれ!/変人たちが今そっちへ行くぜ/変人たちが今そっちへ行くぜ/変人たちが今そっちへ行くぜ/乗っ取ってやるぜ乗っ取ってやるぜ乗っ取ってやるぜ乗っ取ってやるぜ乗っ取ってやるぜ
 
4. “Lined Lips And Spiked Bats”
やつらは私に男になってほしがっていた/やつらは私にやつらの一員になってほしがっていた/ストレートで抑圧されたグロテスクな感情/戦争とキュービクル・デスクの準備/ストレートなアメリカよ、お前にゃ私を破滅させれやしねえ!/スポーツとテレビが子供たちを洗脳する/とてもシンプルに思われる/だってそうだから/やつらは私たちに死ぬよう言った/私たちは生きることを選んだ/やつらは私たちに死ぬよう言ったけど私たちは生きることを選んだ/ストレートなアメリカよ、お前にゃ私を破滅させれやしねえ!/キモいアメリカン・ドリーム/くだらないものとの闘い/不良少女は背中合わせになる/ラインを引いた唇/釘バット/女性性を取り戻さなきゃ
 
5. “Targets Of Men”
消えろ/失せろ/ありえねえ/んなわけねえだろ 路上で/お前は私に付きまとい/背後から野次り、私の顔を見て、私を痛めつける/「トラニー」/「シーメール」/「ファゴット」/「売女」/でも、私は非の打ち所のないビッチだし、お前はクソつまらん野郎だ/このメイクは私が自分の目で見るためのものだ/この網タイツは私の太もものためのものだ/この歩き方は私が人生を切り抜けた方法だ/お前はひとまずペッパースプレーがほしいのか、それともポケットナイフか?!/男どもにターゲットにされる/私たちは男どものターゲット/男どもにターゲットにされる/私たちはターゲット/私を見ていいなんてお前に言ったか?!/私に話しかけていいなんて言ったか?!/私たちが友達だなんて本気で思ってんの?!/口を閉じて顔を伏せろよ/お前の言葉なんか求めた覚えはない/お前の視線なんか求めた覚えはない/お前のクソみたいな意見を伺う気なんてさらさらねえよ!/私の身体/私のルール/さっさとやれよ
 
<書きもぐら> 今回、アメリカ西海岸のワシントン州はオリンピアで結成されたG.L.O.S.S. (Girls Living Outside Society’s Shit = 社会のクソの外で生きる女の子たち) の2015年のデモの5曲を訳してみました。今年に入ってからこのバンドの名前よく見かけるなぁくらいで頭の片隅にはあったのですが、実際にどんなバンドなのかとかどんな曲をやってるのかとかは全然知りませんでした。んで、Peeple Watchin’という僕の好きなバンドがおるのですが(ちなみに最近ニューアルバムを発表してます)、そのメンバーがG.L.O.S.S.にも在籍しているっていうのを先日発見した流れで興味を持ったわけです。他にもVexxやSlouch、Parasolといったバンドをやっている人たちもおるらしく、それで僕は「あれっ?」って思ったんです。というのも、Peeple Watchin’とParasolはともにマサチューセッツ州ボストンを拠点に活動しておるバンドですが、ボストンはオリンピアとは反対側のアメリカ東海岸に位置する都市なので、まさかメンバーが被ってるとは。しかし、それらのメンバーの幾人かがオリンピアに滞在してそこの仲間と組んでいるバンド(の一つ)がG.L.O.S.S.ってことですな。
G.L.O.S.S.はトランス、クィア、ハードフェムのメンバーたちで構成されたバンドで、マッチョ主義、家父長制、性差別、性別的役割といったもの、現行社会の中で「性のあり方」を一方的に押し付けてくるもの、「本来的とされる」規範的性の範疇から外れた人たちへの抑圧や暴力など、そういったものに対して抵抗しながら強烈な怒りを表明したD-BEATハードコアをやっている、というのが雑ながら僕の印象です。そして、1曲目“G.L.O.S.S. (We’re From The Future)”で「私たちは未来から来た」と言っています。もし未来において自由で平等な世界が実現したとしたらそこではどのように生きているだろうか。そこでは、出生時に割り当てられた性別に基づいた慣習的な生き方を迫られるなんてこともないだろう。この人たち自身はすでに自分たちの望む世界に生きているかのような振る舞いを実践しているのではないでしょうか。未来の先取りですね。だから、それを阻むものと現状において闘っている。音的には正直こういうのを進んで聴いてはこなかったのですが、ともかくかっこいいですね。
ジェンダーやセクシュアリティ、クィア、フェミニズムなどに関わる理論や思想、その中での様々な類型やその定義、また歌詞中に出てくる用語などについてここでは���きません。それと、毎度のことながら翻訳に関してはそんなに自信はないので、元の英語の歌詞の意味を全く取り違えている箇所もあるかもしれません。G.L.O.S.S.のBandcampで楽曲の試聴およびダウンロードが可能ですし、歌詞も掲載されているので、そちらをチェックされたし。  
【以下追記です】
Maximum Rocknroll誌の2015年5月号ではG.L.O.S.S.が表紙を飾りインタビューも掲載されているみたいで、そちらの方は僕は未読なのでありますが、同じくMRRの新バンド紹介コーナー“New Blood”におけるバンドのプロフィール部分(2015年2月時点の記事)を以下に訳してみました。原文はこちら。
バンド名: G.L.O.S.S. – GIRLS LIVING OUTSIDE SOCIETY’S SHIT
結成時期&場所: 2014年秋、ワシントン州オリンピア。
結成理由: 完全に薬物を絶っている白人男子の“slimy creep”なものに私たちはうんざりしたんだと思う — こういった連中は、あらゆるところで反映されるアイデンティティーを有しているのに、自分自身をはみ出し者だと見なしている。他のすべてを締め出して白人男性に迎合するパンクに私たちはうんざりしている。私たちはジョックたちに不快感や標的にされる気分を味わってもらいたい。私たちは変になろうとしているわけじゃなく、私たちは実際に社会ののけ者たち — クィア、トランス女性、有色女性、ジェンダー・クィア・フェム、フェミニスト等であるし、それに、私たちはハードコアを愛しており、脇に追いやられたり事実を歪められたりすることに嫌気が差しているので、私たちは自分たち自身を表現しているんだ。
歌詞は何についてですか? 私たちの歌詞は、シス女性から女性性を取り戻すことについて、トランス女子の諸問題について、男性たちに抵抗することについて、つまらないパンク男子について、Bad Girl Shitをやっている不良少女について、女性、とりわけトランス女性や有色女性のような、軽んじられている女性たちが直面しているダブルスタンダードについて。
あなた方のサウンドはどんなふうに言い表せるでしょうか? その歴史において生き延びるためにハードコアパンクを拠り所としてきた人々によるハードコアパンク。はちゃめちゃで、心を込めて。
このバンドにはどんな将来がありますか? Not Normal Tapesより私たちのデモ(現在オンライン上で利用可能)のカセット、またNervous NellyとTotal Negativityからその同じデモの7″ (Sabotageがヨーロッパ盤を扱ってくれることになっている)。途切れることなくうまく続けていくために私たちは2nd 7″用の曲作りをしているところさ。2月の終わりに西海岸ツアー…シアトル、ポートランド、サンフランシスコ、オークランド、サンノゼ、オリンピア、それからうまくいけばこれから先にはもっと大きなツアー。
リンクと問い合わせ先: girlslivingoutsidesocietysshit.bandcamp.com
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seikaihado-ruri · 4 years ago
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ACジャパンの広告より 「未来へ綴ろう、東北のこころ」 雨ニモマケズ 風ニモマケズ 宮沢賢治 大地を一歩一歩 踏みつけて 志賀直哉 走るのだ 信じられているから 走るのだ 太宰治 闇があるから 光がある 小林多喜二 人間は 奇蹟そのもの 井上ひさし 我が往く道よ 大きくあれ 草野心平 #インク #八文字屋オリジナルインク #樹氷アメジスト #水没林エメラルド #久保桜ブルームピンク #月山ブルームーン #銀山スノーグレー #くらげアクアリウム #ガラスペン #多山文具本通りヒルズ店 #ルビナート#ルビナートガラスペン28ALFブルー #原稿用��� #あたぼうステーショナリー #飾り原稿用紙 #飾り原稿用紙綾至極 https://www.instagram.com/p/CTZzW0RFMvQ/?utm_medium=tumblr
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hekigaura-railway · 4 years ago
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BLUE, Blue, blue. *** 青いリフターはknoxから出ているはずなのですがあまり見かけないし旧ロゴのものしか見ないのでひょっとしたらこのまま廃盤なのか?と思ったので自分で作ってしまった次第。下地はダヴィンチのガイドプロテクター。使用シール枚数9枚。 慣れないことをして疲れたんですが手帳をちゃんとデコられている皆さん凄いなと改めて。 #手帳デコ #手帳の中身 #システム手帳 #青 #青しか勝たん #青色 #blue #bsidelabel #japanblueシステム手帳 #飾り原稿用紙 #ノックスブレイン #knox #手帳タイム #ノックス #knoxbrain #ビーサイドレーベル #システム手帳宝箱化計画 #シール沼 #カミオジャパン https://www.instagram.com/p/CMq6EHspo0F/?igshid=wps7zuqgc5hl
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happeace-rie · 4 years ago
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✎𓂃 #谷川俊太郎 #からだ より 最後まで書いてから気づく 用紙が逆さまだったと😭 #飾り原稿用紙 #コクヨ #鉛筆シャープ https://www.instagram.com/p/CKsQzsDA8_m/?igshid=1vop6a9gn0rzg
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shigeto · 6 years ago
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久しぶりの京都丸善が嬉しくて(^^) 原稿用紙:蔓葡萄 ペン:PLATINUM 3776 ブルゴーニュ(SM) インク:PLATINUM Blue Black #飾り原稿用紙 #飾り原稿用紙ユーザー会 No. 190 https://www.instagram.com/p/Bs28lpMAul2p_keHnowG7GB0alxEIckHn_VHGQ0/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=yjmo4ic95hs2
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mochipro2022 · 3 years ago
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#84 装飾職人に俺はなる!
日時:12/14 
場所:223 
出席:全員
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今回の会議では、全体でそれぞれがやってきたことを共有した後、ポスター印刷や会場に飾る装飾品を制作しました。
印刷
ポスターも出来上がって綺麗に印刷された時は泣きそうになりました(泣いてない)。ポスターだけでなく最終発表会で利用できる教室に飾る装飾などを印刷していました。
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久しぶりに折り紙に触れましたが、小学校の図画工作の時間を思い出して泣きそうになりました(泣いてない)。
撮影
プロジェクトの成果物を紹介する映像のテスト撮影をしました。
目の前にカメラを向けられると緊張して言葉が詰まってしまいますね。。。
プロジェクトの魅力がしっかり伝わるような映像にするためにみんなで協力していきましょう!
議事録の共有
装飾が完成した
 教室外は、片ちゃん、教室内のモニタは阿部ちゃん、その他はひかるん
配置に関して
 前回からちょっと移動をした
 教卓がちょっと動かせない、ひもが繋がっていた
あえて混雑をなくそう(机を移動すること)
完全に一方通行で流れを作ろう
下の方に決定。
発表原稿 困ったらこれを読め について高安が作ってくれた
ポスターの内容を言えばいいが、重要だというところは、箇条書きで作ってもらった。
担当からの一言
最近寒すぎませんか?あと個人的に静電気が嫌いすぎて泣きs...
皆さんも何枚も着込んだりマフラーなどして��さ対策を忘れずに冬を乗り切りましょう ☃️
本当に一言。
川村
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kobayashimasahide · 6 months ago
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Happy New Year !    January 1, 2025
“Snake in the Grass”
Masahide Kobayashi, 1.1. 2025,
14.8 (h.) ×10 (w.) cm
“Uni Clip” *: Bag Closure (Plastics, Black Ink),
“Color Baran” **: Artificial Blades of Grass for the Japanese Box Lunch Partition or Decoration (Polyethylene)
あけましておめでとうございます
                        令和七年元旦
<野原のミーコちゃん>
 袋口閉具「ユニクリップ」* (プラスチック, 黒イ ンク),  
 バラン「カラーバラン」** (ポリエチレン)
*   [https://www.nou.co.jp/shop/g/g0903027790100/] 
**  [https://www.yodobashi.com/product/100000001001789064/]
  ○ー〜ー○ー〜ー○ー〜ー○ー〜ー○ー〜ー○ー〜ー○ー〜ー○
 今年の年賀状の「顔」も (胴体も)、素材は先おととし(1) ・おととし(2) と同じ「ユニクリップ」ですが、黄/虎→赤/兎から緑/蛇へと、また、口の形もポリ袋用の歯車形→網袋用の三角形から両者の併用 (顔は歯車で、胴体は三角の重ね連ね) へと替りました。 
 (もう一つの素材=「バラン」の使用と配置も一昨年とほぼ同じです。ただ、蛇の胴体が蜷局 {とぐろ} を巻いて大きくなったため、台紙��大きさもA4に拡大せざるを得なくなり、相対的に草叢が小さくなりました。)
 本来この図案は昨年=辰年の龍用……でしたが、喪中で昨年は年賀のご挨拶を欠いたため、今年=巳年の蛇に流用……しました。これで、このクリップのシリーズは全三色を使い切ったので、これにて打ち留にします。
 さて、これまでこの年賀状シリーズで毎年のように解説してきた例の造形原理と造形手法(3) ––––シミュラクラ (Simulacra)/パレイドリア(Pareidolia)/チャンス・イメージ (Chance Image)/プロジェクション (Projection)/レディ・メイド (Ready-made)/ファウンド・オブジェクト (Found Object)/アッサンブラージュ (Assemblage) ––––に関しましては、今年は、つい二ヶ月前に追記(4) したばかりのエドワード・ゴーリーのそれについて、もう少し詳しく補うことで代えたいと思います (偶然ですが、今年=2025年の日本の猫の日=2月22日は、彼の生誕100周年でもありますので)。
 
 先ずはその追記を引用しますと…………
 追記 ー2
 最近知ったのだが、エドワード・ゴーリーは、自分の “collecting” を “accumulating” =「溜め込み」と称し ([https://austinkleon.com/tag/edward-gorey/])、更に実に興味深いことには、その溜め込んだ品々を––––例えばこの林立する沢山の塩/胡椒容れを––––楕円形のお盆にぎっしり詰め並べて、それに偶然似通った全く別のイメージ (“chance image")……即ちイスラムの丸屋根を頂く塔の建ち並ぶ砂漠の城塞都市……を投映 (“projection") し重ねる「見立て」まで行なっていて
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([https://www.atlasobscura.com/articles/edward-gorey-collector])、まさに同じ造形原理を専らとする私を大いに喜ばせ励ましてくれるのである。              (10/19/2024)
 …………最近、彼の初期の代表作で人気作の『うろんな客 (“The Doubtful Guest”)』(5) を見ていましたら、その中の一場面––––「気に入りし 物をひそかに運び去り/池に投げ入れ 保護に尽力 (“It would carry off objects of which it grew fond . / And protect them by dropping into the pond .”)」(6) ––––が、この塩/胡椒容れの都市 (“City of Salt/Pepper Shakers”) によく似ていることに気が付きました。
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(6)
 この場合の「物 (“objects”)」は懐中時計ではなくて “塩/胡椒容れ” で、「保護…池 (“protect…pond”)」が “楕円形の金物のお盆 (或いは鍋か何かの容れ物の蓋?)” で、そんな「うろん (“doubtful”)」なことをしているこの変な生き物は、むろんゴーリー自身(7) というわけです。
 この塩/胡椒容れ (salt/pepper shaker) の他にも、ゴーリーの「溜め込み (accumulating)」でよく知られたものに「おろし金 (grater)」があります。
 この写真(8) の下半分は、
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(8)
彼の死後に博物館となった彼の家【ゴーリー・ハウス】が2017年に企画/開催した《エドワード・ゴーリーの驚異の部屋》展でのおろし金の陳列の様子を撮った写真(9) (の部分拡大) ですが、その上に、
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(9)
おろし金のラフ・スケッチの上に “city of graters” =「おろし金の都市」とインク+ペンで書かれ、最下部には “10. xii. 83” と日付けも書き込まれた構想メモが、組み合わされています。
 また、これとは別に、白泉社の絵本雑誌『M0E』が「特別編集」したムック本『エドワード・ゴーリーの優雅な秘密』(2016.4.5)(10) ––––の同ハウス内を撮ったグラビア写真頁「アメリカ現地取材 エドワード・ゴーリー・ハウス探訪」––––には、「『何かの形に見える』古道具が好きで集めていたという」(p.60) とのキャプションが付された、5~6個のおろし金がガラス戸棚に並べて飾られている写真––––(この写真(11) がよく似ています)––––が掲載されています 。
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(11)
 恐らくゴーリーはその「何かの形に」––––上記メモの中の “skyscraper (摩天楼)” や “monument (記念建造物)” という言葉から判断して––––彼が生まれ高卒まで暮らしたシカゴや大卒後30年近く住んだニュー・ヨーク–マンハッタンの高層ビル群を見ていたのではないかと思われますが、私なら、このおろし金のチャンス・イメージ (偶然の類似形) に、アフリカのマリ (Mali) 共和国の古都ジェンネ (Djenné) に建つ「泥の大モスク」(12) 
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(12)
を想起してプロジェクション (重ね映し) したくなります。
 こうした塩/胡椒容れやおろし金の他にも––––スティーブン・シフによると––––「とにかくいろんなもの。たとえば先端装飾 (フィニアル)。だだっ広い居間には、ありとあらゆる種類・サイズの…支えのない巨大なものから、小さくてデリケートなものまで…棚に載せられ…床に放り出されている…。…また、ロブスター漁に使う浮子 (うき) など…奇妙な代物が、壁際に積み上げられ…ソファの後ろに隠され…暖炉のそばには、古い…便器が置かれ、床には…巨大な牙が一本転がっている。………明らかにゴーリーには蒐集家の感性がある––––いや、『蓄積家』といったほうがぴったりするかもしれない」(13) ––––のであります。
  シフが挙げているこの「蓄積家」––––原文が探せず確認していませんが多分 “accumulator��(14) だと思われます––––の蓄積物の中で、私がここで特に採り上げたいのは、フィニアル (“Finial”) と、便器です。と言うのも前者は、かつて私が一度だけ小さいそれを拙作(15) で使ったことがあり、
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(15)
また、これを「シグネチャー (“Signature”=署名)」のように自作の殆ど全てで使っ���いる美術家(16) も居るからで、
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(16)
後者の便器の方は、現代美術の画期を成したもので、これについては別の拙稿(17) でも言及したからです。
 先ずフィニアルに関してですが、ゴーリーが「蓄積」していた実物で、私がウェブ上で探し出せたのは12個ほどです。
 その内の一つは––––上掲 2017年の展覧会のサイトに掲載された [左-中-右] 3枚の写真(9) の内の右の写真に写っているそれ––––例のおろし金群の奥に見えるガラス戸棚の天板の上、右端の黒っぽい瓶 (?) の左隣に置かれた白い小さいサイズのそれと思しきもので、二つ目は、この写真(18) 
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(18)
の暖炉の左の床に置かれたそれです (残りの10 個ほどは、註(18) に掲げた写真 -3, 4, 5 です)。
 一方、彼が描いたそれらに関しては、比較的大きなもので印象的なものを7~8 個、見つけることができました。
 これらを見ると、ゴーリーはどうやらこのフィニアルに、自身を含む人間の姿やその心情を投映していたような気がします (擬人化)。実際、(19) は、
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(19)
肩の上に猫に乗られて “猫マフラー” されている彼のポートレート(20), (21) に似ていますし、
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(20)
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(21)
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(22)
(22)は、一人寂しくオーボエを吹く男 (“The Oboist”) に寄り掛かられ、その音色にじっと耳を傾けるふくよかな女性を思わせます。
 また、(23) は、
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(23)
告白のカードを何枚もらっても一瞥怪訝な態の女性の冷たく干からびヒビ割れたつれない心根を思わせますし、(24) の
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(24)
ジャズ・エイジ・ファッションの女性が––––風に吹かれて宙に舞い飛ぶポスト・カードを掴もうと––––右手でしがみついているそれは、少し皺の寄った痩身の老紳士を表しているようにも見えます。
                     (1. 1. 2025)
  <後編に続きます>
(1)   [https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/672114062376697856/tyger-tyger-burning-bright]。
 一昨年は書き忘れましたが、手法はいずれも同じコラージュ (Collage 糊貼り) で、インクジェットプリント用フォト光沢印画紙 (今年は蛇の体が大きいので、これまでの葉書サイズではなくて A4サイズ) に、糊で二つの素材 (クリップとバラン) を貼り付けています。
(2)   [https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/705204964256088064/bunny-in-the-grass]。
(3)   特に、[https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/189982445375/happy-new-year-january-1-2020-clockey] の〔註 (チュウ)〕や、[https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/639079714964783104/あけましておめでとうございます-令和三年元旦-牛の仮面] の冒頭部分を御参照下さい。
(4)   [https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/181593924840/あけましておめでとうございます-平成三十一年元旦] の「追記 ー2」。
(5)   エドワード・ゴーリー著, 柴田元幸訳『うろんな客』河出書房新社, 2000 (原書は1957)。
(6)   via [http://goreyana.blogspot.com/2019/11/the-doubtful-guest-original-artwork.html]。このアーウィン・テリー (Irwin Terry) のサイトから、敢えてこの––––画家の苦心/工夫が窺える––––白修正 (ホワイト) で初めのフレーミング (枠取り) を消して外側に線引きし直し、「客」も初めのものを消して小さく描き直した版下を採録させて頂きました。
 因みに、上掲書(5) の訳者あとがき––––「〈うろんな客〉とは誰か ゴーリーとルーリー」––––には、この二行一連の “fond” と “pond” のように脚韻を踏んだ韻文である原文に合わせて訳文も日本の韻文=短歌形式にしたという訳者苦心/工夫の “本訳” とは別に、“別訳” =「散文バージョン」が収められていて、この連は––––「気に入った物があると 勝手に持ち去って/それを護るために 池に投げ入れてしまいます。」––––と訳されています。
(7)   柴田元幸は、白泉社の雑誌『M0E (絵本のある暮らし:月刊モエ)』2019年12月号 (No.482) の《巻頭大特集/謎に満ちた異色の絵本:エドワード・ゴーリー》(pp.6-37) の〈柴田元幸インタビュー:ゴーリーを翻訳する愉しみ〉(pp.14-7) の p.14 で、2018年にアメリカで出版されたマーク・デリー (後註(44) 参照) によるゴーリーの評伝をどのように読んだかとの問いに対して––––「『うろんな客』の…あの生き物がゴーリーだという解釈も新鮮だった。今まではそんなベタな読み方は無意識に避けてしまっていたんだけれど。……どこか斜に構えた読み方をしなくてはいけないような気がしていて。素直にうろんな客は、ゴーリー自身を表しているのでいいんだと腑に落ちた…。……僕は『うろんな客』のあとがきに、これは子どものメタファーだという…アリソン・ルーリーの解釈を紹介した…らいろいろな媒体がそのことばかりに言及して…そこだけ取り出して書く…。やっぱりああいう書き方はするものじゃないなと思った」––––と答えています。
(8)   [https://www.facebook.com/EdwardGoreyHouse/photos/pb.100076128755460.-2207520000/3476743572393521/?type=3]。
(9)   via [https://www.edwardgoreyhouse.org/pages/our-2017-exhibit]。
(10) [https://www.amazon.co.jp/MOE特別編集-エドワード・ゴーリーの優雅な秘密-白泉社ムック-MOE編集部/dp/4592843045] (但しこれは同誌の前年3月号[https://www.amazon.co.jp/MOE-モエ-2015年-03月号-エドワード・ゴーリー/dp/B005YJMWNA] の「巻頭大特集」をレイアウト等を変え「豪華」絵葉書8枚を綴込付録に加えたもので、初出はこちらです)。
(11) [https://www.flickr.com/photos/seblanglaw/2768736216/in/photostream/]。 
(12) [https://www.tripadvisor.jp/LocationPhotoDirectLink-g480205-d325056-i20765132-Great_Mosque_Of_Djenne-Djenne_Mopti_Region.html]。
(13) スティーブン・シフ Stephen Schiff,「エドワード・ゴーリーのノンセンス道 (“Edward Gorey and the Tao of Nonsence.”)」 (初出 “The New Yorker”, 11.9.1992, pp.84-94):カレン・ウィルキン編/小山太一・宮本朋子訳『どんどん変に…:エドワード・ゴーリー インタビュー集成』河出書房新社, 2003初版/2023新装版, pp.155-178 収録。引用は p.169 (但し丸括弧 で括った振り仮名は、引用元ではルビです)。
(14)【ひとでなしの���】の「ワズワース・アテネウム美術館で開催された…ゴーリー展のカタログ……Gorey’s Worlds, by Erin Monroe」を紹介したブログ [http://leonocusto.blog66.fc2.com/blog-entry-3679.html] は「ほぼ同時期に開催された…コーネル展『Birds of a Feather: Joseph Cornell's Homage to Juan Gris』」と絡めて、ゴーリーとコーネルの十個ほどの共通点を列挙していて興味深いのですが、その一つに「コレクター」を挙げ、ゴーリーに関しては「コレクター(というかゴーリーの自己規定によれば『accumulator』=ためこみ屋)」と但し書きを付しています。私が「ためこみ」の語を教わったのもこのブログからで、遅ればせながらここに記して感謝します。
(15) [https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/135620816060/キリストの左手の聖遺物箱-7252015-小林正秀-作-混合材-85-h-18]。
(16) Janet Eskridge <Touching The Sky> 2021 (ジャネット・エスクリッジ<天に届く> via [https://janeteskridge.com/works/])。
(17) [https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/152794762970/光線男は二度ドアを叩く-マンレイのドアノッカーと騙し絵卵平面卵透明巨人について]-註 (*3) (cf. 後註(33))。
(18) via [https://provincetownindependent.org/history/2024/10/30/to-edward-gorey-everything-was-a-gem/]。
 使われていないとは言え暖炉の側という置き場所や、その色から推測して恐らく下の柱部と一体のコンクリート造と思われますが、その形は極く単純で、どこにでもありそうな “角柱+球” 型です。
 例えば『敬虔な幼子 (“The Pious Infant”)』(柴田元幸訳, 河出書房新社, 2002, 原書は1965) の第7場面=「坊やが階上 (うえ) で…よく見受けられた… (“He was often discovered…upstairs…”)」(18)-1(via [https://www.ebay.com/itm/116307311424]) の、
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(18)-1
その「階上」=「うえ (注:元文ではルビです)」= “upstairs” に描かれた階段手摺りの角 (かど) の角 (かく) 柱もこのタイプです。
 (因みに、角柱ではない “円柱+球” 型のものは、『思い出した訪問』や『金箔のコウモリ』や『オズビック鳥』や『悪いことをして罰があたった子どもたちの話』等の中のベッドの脚に多く見られます)。
 しかし私がより注目するのは、彼の処女作––––『弦のないハープ または、イアブラス氏小説を書く』(柴田元幸訳, 河出書房新社, 2003. 11, 原書は 1953. 11) ––––の第11場面に描かれた階段手摺りの角 (かど) の柱です(18)-2 (via [https://www.gargoylebooks.net/product/13543/The-Unstrung-Harp-or-Mr-Earbrass-Writes-a-Novel])。
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(18)-2
 柴田元幸の「訳者あとがき」を、前後を無視して切り貼りして都合よく繋げますと––––「第一作にはその作家の本質が詰まっている、とはよく言われることだが」「ゴーリーのトレードマークのひとつ…『フ……』もいち早く登場し…『ゴーリー氏本人』も…いつもの白いテニスシューズを履いて…作品中に出てくる、主人公イアブラス氏が執筆中の小説の登場人物『グラスグルー氏』にそっくりで」「その他、あちこちに置かれたお馴染みの壺型の装飾、骨董品店で…購入され棚の上に飾られたフ……等々の細部も楽しい。ゴーリーの本はどれも細部が飽きないけれど、この本の細部の豊かさ、飽きなさは相当なもので…存分にお楽しみいただけます」––––となります。
 この第11場面は、この主人公イアブラス氏がある晩ディナーに出かけようと画面右の自室から出てきた出会い頭に、階段を上り切った階上に忽然と現れた作者ゴーリーそっくりのグラスグルー氏に出っくわす場面ですが、まさにこの「二人」(実はドッペルゲンガー=“Doppelgänger” で一人) の間に––––まさにゴーリーの「署名=シグネチャー (“Signature”)」と言ってよい––––チェスの駒のフに似たシンプルな球体のフィニアルで頭を装飾した (階段手摺りと階上手摺りが直角に交わる) 角の角柱が描かれているわけです。
 (因みに壺の方は、第1場面のクロケー場とその向こうの草藪を隔てる柵の端––––これは例の『うろんな客』の表紙と裏表紙や、彼がいつの間にか家に入り込んでその上に立って上から家族を見下ろす壺に似ています––––や、第12場面右端の暖炉の左端や、第16場面のデスクの左上や、第29場面の右端……但しこれは端が切れて上部が見えないのでフィニアルかも……というように3~4個見出せます)。
 実物のフィニアルの方に話を戻しますと、ゴーリーが亡くなった直後に撮影されたケヴィン・マクダーモットの写真/文による写真集 “Elephant House or, The Home of Edward Gorey : photographs and text by kevin McDermott” (Pomegranate Books, 2003) の中の一枚 (18)-3 (via [http://goreyana.blogspot.com/2011/05/edward-goreys-home-elephant-house.html]) には、
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奥の二つの窓の前に置かれた白い二つと、左端手前の床の上に置かれた黒い大きな一つが写されています (後者の切れて見えない上部は、(18)-4 [https://www.digitalcommonwealth.org/search/commonwealth:fx71cs102] の暖炉の右側に写っていて、フィニアルであることが分かります。
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(18)-4
 因みにこのサイトの別の写真 (18)-5 [https://www.digitalcommonwealth.org/search/commonwealth:fx71cs12m] の左上には、白くて丸い大きな一つと、黒くて細い小さなそれが7~8個、黄色いミニカーの側に写っています)。
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(18)-5
 もう一つ、興味深いものに、(これはフィニアルではないのですが) 五輪塔=“Gorintoh, Five-ringed Tower" (18)-6 (via [https://www.yelp.ca/biz/edward-gorey-house-yarmouth-port]) があります。この写真
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(18)-6
の右側の––––因みに前掲書 (10) の p.62 下段の「暖炉もある、広々としたキッチン」(キャプション) の写真 (にも写っていますが、そこ) では左側の––––窓辺のワークトップ/キッチン・カウンター (worktop/kitchen counter) の右端手前の際に写っているのが見えます。それでなくても死や墓地や墓石に惹かれて作品の中にもそれらを多く描き、また、英訳の『源氏物語』を耽読し、<竜安寺の石庭>に憧れ続けたゴーリーですから、この日本固有の墓石造形の意味を知らないわけはなかったと思いますが、私が思うには、彼はその意味を離れた「始原の目」–––– (“l’œil existe à l’état sauvage”-André Breton : Le Surréalisme et la Peinture, 1928 ; [https://www.edition-originale.com/fr/litterature/editions-originales/breton-le-surrealisme-et-la-peinture-1965-53539]) ––––で、それを一風変わった面白い “変わりフィニアル” の一種と見たのではないでしょうか。
 因みに、この「暖炉もある、広々としたキッチン」の、その暖炉
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(18)-7 [https://www.flickr.com/photos/greenvelvet/7851978788/] の焚き口には、一対の鉄製であろう細くてシンプルな “角柱+球” 型の “andirons (薪載せ台)” が写っていますが、これによく似た商品の広告サイト(18)-8 [https://www.ebay.com/itm/265394440144]
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(18)-8
の併載商品を見ると、このジャンルもまた、華麗なフィニアルの活躍の場/見せ場/見本市なのだということがよく分かります。
(19) [https://www.etsy.com/jp/listing/938469346/gothic-home-decor-vintage-gorey-cat?show_sold_out_detail=1&ref=nla_listing_details]。
(20) <エドワード・ゴーリー、マサチューセッツ州ケープ・コッド、1992年10月18日>(via [https://www.newyorker.com/magazine/2018/12/10/edward-goreys-enigmatic-world])。
 撮影者はファッション写真家のリチャード・アヴェドンで、彼の美学が隅々にまで行き亘った “ファッション・モデル、ゴーリー” の写真です。
(21) via [https://www.newyorksocialdiary.com/jill-krementz-photo-journal-a-celebration-of-cats/]。
 こちらの撮影者は、小説家のカート・ヴォネガットの二番目で最後の夫人であるジャーナリズム/ポートレート写真家のジル・クレメンツで、上のアヴェドンのそれ(20) とは対照的な、アンティーム (“intime”) で穏やかな優しさにあふれた写真 (“April 24, 1976”の日付と署名入りのプリント) です。
(22) [https://www.facebook.com/EdwardGoreyHouse/photos/pb.100076128755460.-2207520000/5380529615348231/?type=3]。
 この<The Oboist>は【ゴーリー・ハウス】2016年企画/開催展の紹介頁 [https://www.edwardgoreyhouse.org/pages/our-2016-exhibit] ���カットにも使われています。
 因みに、同ハウスのウェブサイトの “Exhibits”→“Past” の頁 [https://www.edwardgoreyhouse.org/pages/edward-gorey-house-exhibits] の2016年の項のカット(22) -1 の方は、
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(22)-1
足を投げ出して坐った腿の上に載せた画板の紙片に “EG” という「モノグラム (“Monogram”=組み合わせ頭文字署名)」をレタリングしているゴーリーと、その前に置かれた (後掲の “トルコの塔型” チェス(25)-6 の “Bishop”や“ Knight” によく似た) フィニアルを––––まさに “もう一つの署名 (Signature)” ででもあるかのように––––描いています。
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<* 後編より* (25)-6 (via [https://royalchessmall.com/en-jp/collections/camel-bone-chess-pieces/products/4-6-turkish-tower-pre-staunton-chess-pieces-only-set-black-white-camel-bone])。>
(23) via [https://www.pomegranate.com/products/edward-gorey-mysterious-messages-boxed-notecards]。
(24) via [http://goreyana.blogspot.com/2012/05/national-post-card-week.html] (前掲(6), (18)-3 と同じアーウィンのサイト)。
 この作品は、前掲誌(7)  の中の〈濱中利信コレクション2:日本初公開も多数!;ゴーリー・カード・ギャラリー〉(pp.34-7) の p.34 に、「ニューヨークの書店、ゴサム・ブックマートで毎年行われた、貴重なポストカードを展示するNational Post Card Weekの告知用にゴーリーが描きおろした……1984~1996年までの全13種からセレクト」された7枚の内の一枚として掲載されています (画中の女性の、風に長く棚引くスカーフに日付が書き込まれている通り、これは7番目=1990年のものです)。
 因みに、このアーウィンのブログに再録されているゴサム・ブックマートの販売/宣伝用説明書を見ると、先ず、この “スカーフを風に長く棚引かせたジャズ・エイジ・ファッションの女性” のカードを “Isadora’s lost card (イサドラの失くしたカード)” と書いていて、これがゴーリー自身による命名かどうかは兎も角––––何しろ1967年に創立者の後を継いで書店を買い取り、ゴーリー没後は著作権管理者の一人となった二代目店主アンドレアス・ブラウンとゴーリーの親交から考えて、これは充分有り得る話だとは思いますが––––この女性は (イサドラと言う以上は) イサドラ・ダンカンのつもりなのかもしれません (ただ、ギリシャ・リヴァイヴァルのチュニックを着て裸足で踊ったダンカンに唯一通じている所は、乗っていた車の車輪に巻き込まれて彼女を死に追いやることとなった風に棚引く長いスカーフだけですが……)。
 また、前掲(23) も、そのオリジナルは、横に伸びる欄干に “N… P… … W…  MAY 3-9, 1992” の日付が入った白黒で、この NPWシリーズの9番目のものです。アーウィンの記述では–––– “このシリーズは、NPW が終われば宣伝/招待状の役割を終えて、新たに文字や数字を削消してメモカードや絵葉書として印刷/販売された (they have been issued as note cards and post cards with the wording and dates removed)”––––とのことです。
  <後編に続きます>
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kennak · 3 years ago
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アマゾンの大量の商品は、どのように管理されているのか。アマゾンの小田原物流センターに潜入したジャーナリストの横田増生さんは「複数の社員から『物流センターで業務中の死亡事故が何度も起きている』という証言を得た。その中には、倒れてから救急車が到着するまで1時間かかったケースもあった」という――。(第1回/全2回) 【写真】横田増生氏の著書『潜入ルポ アマゾン帝国の���』(小学館新書)  ※本稿は、横田増生『潜入ルポ アマゾン帝国の闇』(小学館新書)の一部を再編集したものです。 ■「何でもかんでも隠し通そうとする姿勢に嫌気がさしたんです」  私のアマゾンでのアルバイトの最終勤務日が終わった後の夕刻、平塚駅前の個室居酒屋で西川正明(仮名)に会った。アマゾンの小田原物流センターが稼働したときから働いている古参社員だった。  席に着くとまず、西川の社員証を見せてもらった。アマゾンの正社員であることを表すブルーバッジに、顔写真が貼ってあり、名前が記してあった。私を含めたアルバイトのバッジが緑色であるのに対し、アマゾンの正社員はブルーバッジとなる。アマゾンの正社員がブルーバッジをつけるのは、世界共通だ。  私は最初に、どうして週刊誌の情報提供サイトにアマゾンを告発するメッセージを送ったのか、と尋ねた。メッセージは、A4用紙で4枚分あった。アマゾンという会社は、どこもかしこも秘密主義で貫かれており、こうした内部告発をする社員は皆無に等しいことを、これまでの取材で骨身にしみて知っていたからだ。西川は一気にこう答えた。  「ボクは、アマゾンが自分たちに都合の悪いことは何でもかんでも隠し通そうとする姿勢に嫌気がさしたんです。小田原では作業中に亡くなった人を何人も知っています。けれど、亡くなった翌日に、花瓶に入れた花を飾るだけで、ワーカーさんには何も説明しないんです。  ボクが、死亡事故の後で、ワーカーさんにもちゃんと説明した方がいいんじゃないですか、と社内で言っても、みんなに話してもたいして意味がないから、といったわけのわからない理屈をつけて、説明することから逃げたことがありました。  また、自分たちがセンター運営に関する大きなミスをしてワーカーさんに迷惑をかけても、それを謝るわけでもなく、ひたすらごまかそうとします。さらに、社員間やワーカーさんに対する、セクハラやパワハラもあります。アマゾンの秘密主義のため、こうした話が、マスコミで報道されることなく、ネットの2ちゃんねる(現在の5ちゃんねる)ですら、ほとんど見つけることができません。
なぜすぐに救急車を呼ばないのか…業務中の死亡事故が相次ぐ「アマゾン物流センター」の異様な実態(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース
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translation-diary · 3 years ago
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カレンダーデザインの短い歴史
私たちの身の回りには、何世紀にもわたって歴史を刻んできたものがあるが、私たちは時にそれを全く気にかけることがない。
by Francesco Bertelli
2018年10月10日
カレンダーというと、皆さんはまずどんなイメージを思い浮かべるだろうか。おそらく、7列5行(1日目によっては6行)に数字が配置され、1ヶ月先まで表示されている表だと思う。スマホでも壁掛けでも、私たちは毎日使っている。媒体が変わっても同じデザイン、同じフォーマットがポスターからデジタルアプリへとそのまま移行している。
私たちの周りには、時には何世紀にもわたる歴史を持つモノがあるが、それを完全に無視している。私たちの生活に深く浸透しているデザインパターンに出会うたびに、そのモノが今日あるようになったのは、誰がどのようなデザイン上の決断をしたからなのか、と考える。カレンダーグリッドもそのひとつだ。
私の考えでは、パターンが時の試練に耐えたとき、そのパターンは最大改善点に達している可能性がある。つまり、ユーザーが特定の問題の解決に満足し、ニーズを満たすためにこれ以上の反復は必要ないということだ。デザイナーが反復を続けることを止める人はいないが、ほとんどの場合、彼らが追加する機能(例えば、カレンダーの場合の読みやすさ)は、漸進的な改善のプラトーの中に横たわっているだけだろう(図1参照)。
通常、ある製品がその領域に到達すると、同じ問題を別の方法で解決した新製品に追い越され、先代の製品は廃れてしまうことが多い。しかし、私たちが知っているカレンダーは、他のどんなデザインよりも長持ちしており、誰も新しいバージョンを必要としていないようだ。携帯電話のキーパッドの電卓のように、今日私たちが使っている一般的なインターフェースのように、カレンダーはおそらく転換点を迎えたのだろう。
では、この素晴らしいデザインを生み出したのは誰なのだろうか?この記事では、カレンダーグリッドの起源を証明するような現存する遺物はほんの一握りしかないので、この曖昧な道に少しだけ光を当ててみたいと思う。
しかし、デザインを調べる前に、カレンダーのコンセプトを簡単に説明しておこう。
7日周期は、追跡が困難な混合的かつ同期的な起源を持ち、究極の発明者を提供しているようだ。紀元前6世紀からユダヤ教で行われており、バビロニアでは7という数字も神秘的な意味を持っていた。7という数字は、太陽、月、火星、水星、木星、金星、土星の7つの天体と結びついていた。この7つの天体に基づいた週7日制は、遠く日本や古代中国でも採用されていた。しかし、週休二日制が普及し、現代のカレンダーにも採用されるようになったのは、ローマ帝国のコンスタンティヌス帝がAD321年に週休二日制を正式に採用したことによる。つまり、私たちは約1,700年前から週休2日制を採用していたことになる。
ユリウス・カエサルが紀元前46年に導入したユリウス暦。現在からそんなに離れてしまっては、ユニークな発明者を見つけることはできない。だから、慣習を普及させる能力という観点から語らなければならない。ローマ人はまた、30日/31日の月を作った張本人であると言える。もちろん、彼らは1年に8ヶ月しか使っていなかったので、正しい計算をしていなかった。しかし、西欧文化の中に彼らが存在していたおかげで、この習慣は今日までグレゴリオ改革に耐えてきました。
ローマ人が現在のカレンダーをもたらしたとすれば、グリッド形式を広めたのは誰なのかはまだわかっていない。エジプト人はすでにカレンダーにグリッドを使用していた。文字を発明したのは誰かと聞かれても答えられないように、カレンダーには発明者が必要ないように思える。
カレンダーも同じ道を辿っているようだが、月や週の視覚的表現は16世紀から17世紀にかけて方向転換している。
1600年代以前は、年、月、週を円形の図で表現するのが一般的だったが、これはサイクルを表現するのに最適な方法だからだ。暦は恒久的な装置として考えられており、1年先を示すプランナーではなく、日の名前と日付の間に相関関係はなく、現在のような1週間7日制ではなかった。
今後何十年にもわたって使用できるのは、永久カレンダーだけだ。永久カレンダーは、将来の特定の日付の曜日を計算できるように設計された、長年にわたって有効なツールだ。使い捨てのカレンダーや広告用のカレンダーは、産業革命によって印刷が非常に安くなり、大衆が利用できるようになってからのことである。
現代のカレンダーは、宗教、文化、気象、天文、占星術などの情報を表形式でまとめたアルマナックなどと一緒に発展してきた。しかし、暦のデザインが円から表組みへと大きく変化するのは、15世紀後半になってからである。1582年のグレゴリオ暦の改訂だけではなく、おそらくグーテンベルクによる印刷機の導入が原因であろう。
私の仮説を裏付ける史実はないが、可動式活字がグリッドシステムに自然に適合したことと、表のフォーマットが標準化されたことには相関関係があると考えている。特殊なデザインの場合、印刷業者は、活字を使うのではなく、アーティストを雇って別の版(通常は木版)を作らなければならなかった。そのため、印刷機によって、万年カレンダーのグリッドレイアウトがより実用的な標準になった可能性は高いと思う。
サミュエル・モーランドの万年暦は1650年に作成されたもので、これらのアプローチの初期の例として興味深いものだ。興味深いのは、曜日の名前が書かれておらず、アルファベットの最初の7文字だけが書かれていることである。
プランナー、日記、広告の寄稿
1773年、出版業を営んでいたロバート・エイトケンは、アメリカ初のデイリープランナーと称する手帳を発明した。アメリカ人は初めて、現代の手帳のように自分の一日を一覧表にして見ることができ、アルマナックの一般的な予測を超えた「やるべきこと」を計画することができたのである。
カレンダーはその実用性に加え、装飾品としても発展した。18世紀後半から第二次産業革命にかけての広告用カレンダーは、人々の家庭にブランド・アイデンティティを浸透させる手段として人気を博した。ホテル、ガソリンスタンド、銀行、大小さまざまなブランドが、自分たちの存在感を高めるためにカレンダーを無料で提供している。
1960年代には、グラフィックデザインと書体が実験の対象となるミニマリズムへの回帰を待たなければならない。この時代の最も有名な作品は、同じ年に2人のイタリア人によって生み出されたものだ。ヴィニェリの有名な大型壁掛けカレンダーとエンツォ・マリの永久保存版で、どちらも私たちの家庭に残ってる。
カレンダーの未来
カレンダーの改良は限界に達したのか?そうかもしれません。AndroidやiOSに対応した最新のデジタル版を見れば、新しいフォーマットを試してみたいという欲求があることは間違いないが、デザインが依然として強固であることは間違いない。
慣習を打ち破ろうとしたデザイナーもいる。有名なところでは、ジョン・マエダが、現在MoMAのパーマネントコレクションに採用されているインターフェースを実験的に開発したり、最近では、カナダのエージェンシーであるTeehan+Lax(後にFacebookに吸収される)が、新しいパラダイムで遊んでみた。
確かに、シンプルなグリッドに勝るものはなく、私たちが知っているようなカレンダーは、これからもずっと残っていくだろう。
タイムライン
321: コンスタンティヌス帝が週7日制を導入
900–1500: この時代の出土品から、カレンダーが円形の図で表現されていたことがわかる
1500: グーテンベルク活版印刷とブロードサイド印刷
1582: グレゴリオ暦改定
1650: サミュエル・モーランド・アルマナック - 永久カレンダー
1650–1800: グリッドとしてのパーペチュアル・カレンダー
1860以降: グリッドカレンダー付きの紙製ポスターの初期の例
1966: マッシモ・ヴィネリ「ステンディグ・カレンダー」
1966: エンツォ・マリ「ティモール・パーペチュアル・カレンダー」
1995: ジョン・マエダ 2000年カレンダー
出典:A brief history of calendar design | by Francesco Bertelli | UX Collective
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hekigaura-railway · 4 years ago
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プラチナ#3776センチュリー ロジウムフィニッシュ シャルトルブルー。軽いし書きやすいし不満はないんですが、2年乾かないスリップシール機能のせいで「多少使わなくても大丈夫か」と思ってしまうため、「最強の控えプレイヤー」に甘んじてしまうちょっとかわいそうな一本。 #万年筆 #プラチナ万年筆 #3776センチュリーシャルトルブルー #3776センチュリー #fountainpen #fountainpens #飾り原稿用紙 https://www.instagram.com/p/CLwhXOcpKXL/?igshid=1tazz9u1yeqtx
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shigeto · 6 years ago
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久しぶりの京都丸善が嬉しくて(^^) 原稿用紙:蔓葡萄 ペン:PLATINUM 3776 ブルゴーニュ(SM) インク:PLATINUM Blue Black #飾り原稿用紙 #飾り原稿用紙ユーザー会 No. 190 https://www.instagram.com/p/Bs28lpMAul2p_keHnowG7GB0alxEIckHn_VHGQ0/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=yjmo4ic95hs2
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