#NPO法人 自然・馬・人の会
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switch-souken · 9 months ago
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【お知らせ】参加決定!!大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2024
スイッチ総研が越後妻有に初見参!!「大地の芸術祭」の拠点施設である「越後妻有里山現代美術館 MonET」を舞台にスイッチをスペシャルミニ上演いたします。
豊かな緑に囲まれ、端正な四角い池を有する美術館MonET。美術館オリジナルの企画展『モネ船長と87日間の四角い冒険』にお招きいただき、ご機嫌な現代美術があふれる空間でMonETならではの作品を展開予定!
各地で研究開発してきた「スイッチ」のなかから選りすぐりの演目をMonETバージョンにアレンジし、回廊のあちこちへ設置。と予定していたスイッチ総研ですが、現地下見を経て新作演目も複数展開ありの予感!「現代美術」×「鑑賞者がスイッチを押すと出現する一瞬の演劇」の饗宴やいかに!?
1日限りのクレイジーかつピースフルな祝祭空間がMonETの池の周りに出現!来たれ!愉快な四角い池のほとりへ!!
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大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2024参加 スイッチ総研 『越後妻有 MonETスイッチ』 2024年10月14日(月祝)
【作】   スイッチ総研
【脚本/演出】   光瀬指絵
【研究開発/出演】   大石将弘 光瀬指絵
<契約所員> 矢野昌幸
<遠隔契約所員> 細谷貴宏 ※研究開発のみ
<非常勤研究員> 石田菜々子 上杉智恵子 大田浩志 可知瑞季 川口雅子 喜田裕也(はちどり空港) 小嶋直子 琴松蘭児(ひょっこり船) 佐伯ウイ 佐々木優樹(トム・プロジェクト) 實近順次 関口真生 手代木花野(CI部) 遠田風馬 長井健一 渚 まな美 平嶋恵璃香 深海哲哉(グンジョーブタイ/アマヤドリ) 松井絵里(さるさるさる松井絵里) 松井里美(劇団ハンニャーズ) 松田 蓮(演劇調理集団ビストロカプリチョ) 三浦真央(Souer+(スール)) 森田 亘 容原 静(カムパネルラ)
※非常勤研究員としてご出演予定だった石橋奈那子さんは、ご体調不良のため大事をとり今回のご参画は無しとなりました。
【日時】   2024年10月14日(月祝) ①11:30~11:45 ②13:30~13:45 ※お客様が会場に点在する「スイッチ」を押すと始まる作品です。上演時間内の何時からでもお楽しみいただけます。
【会場】   越後妻有里山現代美術館 MonET 回廊 〒948-0003 新潟県十日町市本町6-1-71-2 https://www.echigo-tsumari.jp/travelinformation/monet/
【料金】   無料・予約不要
【主催】   大地の芸術祭実行委員会、NPO法人越後妻有里山協働機構、独立行政法人日本芸術文化振興会、文化庁
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[大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ] 世界最大級の国際芸術祭であり、日本中で開催されている地域芸術祭のパイオニア。アートを道しるべに里山を巡る新しい旅は、アートによる地域づくりの先進事例として、国内外から注目を集めている。過疎高齢化の進む日本有数の豪雪地、新潟県の越後妻有地域(=大地の芸術祭の里)が舞台。農業を通して大地とかかわってきた「里山」の暮らしが今も豊かに残っている地域で、1年を通して自然の中に作品を展示。(公式サイトより) https://www.echigo-tsumari.jp/
[越後妻有里山現代美術館 MonET] 2003年に竣工、地域の物産や観光を扱う拠点施設「越後妻有交流館キナーレ」として開業。2021年、大幅な内装のリニューアルを経て、「越後妻有里山現代美術館MonET」(モネ、Museum on Echigo-Tsumari)としてスタート。越後妻有の風土や文化の特質に深く向き合う作品、あるいは展示された場所の空間、時間の変容を観る者に体感させる作品を展示している。(公式サイトより) https://www.echigo-tsumari.jp/travelinformation/monet/
『モネ船長と87日間の四角い冒険』 MonETの回廊や明石の湯エントランスを使った、MonETオリジナル企画。国内外の作家が参加し、池の周りで繰り広げられるのは「モネ船長」の “冒険と遊び ”!?たとえばスリル満点の《阿弥陀渡り》や、パターゴルフ、巨大彫刻など、楽しみながら体験できる作品が盛りだくさん。夜間はライトアッ��され、昼とは異なる静謐な世界観を味わうことができる。[キュレーター]原倫太郎+原游(公式サイトより) https://www.echigo-tsumari.jp/art/artwork/monet_2024/
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chabatayuka · 1 year ago
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「こどもとおとなの性教育」 開催日時: 2024年5月19日(日) 場所: 茅スタジオ 講師: 土屋麻由美(麻の実助産所) 企画/レポート: 茶畑ゆか 告知ページ:https://www.boustudio.com/sexeducation
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男の子と女の子の体のお話
去年にひきつづき2回目の開催となった「こどもとおとなの性教育」 大人もこどもも、男の子も女の子も、みんな一緒に受けることができる性教育というのを大事にしていて、お父さんもお母さんも、みんな一緒に聞ける場づくりを目指しています。
前半の1時間が、こども向けの性教育 (5歳〜8歳ごろ) 中盤の1時間が、おとな向けのお話+ミニ質問会 後半の1時間が、こども向けの性教育(9歳〜12歳ごろ) + おまけの質問タイム と、今年は小学校高学年向けの内容もいれたりと、盛りだくさんの内容になりました。最後のおまけの質問タイムでは���々質問がつづき、19時まで話し込んでいる方もいました。(先生、ありがとうございました!)
去年にひきつづき満員御礼の性教育。 やってみて、こども向けの話を大人も一緒に聞けることはやはりとても良かったです。私の子も、その後ぽつぽつと性教育で教わったことを反芻するかのように生活の中で口にすることがあるのですが、その時に「ああ、あの話を聞いて今そう言っているんだな」というのがわかるので、大人側も変に構えず自然と性関連の話題を出せるようになってきています。折々に、繰り返し行っていきたいイベントです。
このイベントを企画するにあたっての大きな前提として、親世代が充分な性教育というものを受けてきていないという事実と、更に、性教育が不足している状況はいまのこども達世代も変わっていないという事実があります。教育に取り入れられているカリキュラムの程度は、今の親世代と同等であるようです。例えば学校では月経や射精については教えるけれど、相変わらず受精のしくみや性交については取り扱うようになっていない等。一方で、突然過激なイラストや映像に触れてしまう機会は親世代のころよりも圧倒的に増えています。性産業大国である日本で(世界中のポルノの約6割が日本産だそうです)、これを避けて通るのは非常に難しい。無知・無理解のまま触れるにはかなり偏ったコンテンツで溢れている現状があります。
性教育を行うのにベストな時期はと土屋さんにお聞きすると迷わず「幼児期」という答えが返ってきました。思春期ももちろん大事ですが、思春期に突然「性」についての話をするのは非常にハードルが高くなってしまう。なので抵抗感がなく興味が出てきた幼児期から、ふつうの話として話題に出していくというのが良いよね、とのことでした。今回の「こどもとおとなの性教育」では3歳〜9歳ごろのこども達が集まってきてくれたのですが、実際、こども達は本当にふつうのテンションでお話を聞いたりイラストを見たりしていました。これが小学校4年性位になると目を覆ったり、顔をそむけたりと「恥ずかしいこと」として既に認識されている子もいるのでお話がすんなり入ってきづらくなることもある、とのこと。もちろんどの時期においても大切な性教育ですが(私たち親世代も!)、もし可能ならば幼児期からがベストだと思う、とのご意見があり、初回から幼児期向けを中心に設定しています。
ほんとうは教育の中で扱うようになってくれたらとは思うのですが、幼稚園でも小中高においても、その時代が来るにはおそ���くまだまだ時間がかかります。そして、親世代も充分な性教育を受けていない中、私たちが充分な知識をもって伝えることも難しい。なので自分達で学びあえる場が必要だなと感じています。
幼少期向けの講座では、こどもたちが熱中してお話に聞き入っている姿がいつも印象的です。
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身をのりだして聞きいるこども達
幼少期のこども達は「性=恥ずかしい、いやらしい」といったすり込みが無いのでものすごく素直にお話を聞いて受け止めることができて、ぐんぐん吸収しているのがわかります。その姿を見ているといつも「性教育は幼少期から始めるのがベスト」という土屋さんの言葉を思い出します。
そして、今年は幼少期に加えて小学校高学年向けの講座もやってみることにしました。初チャレンジです!
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高学年向けの講座
はじめて開催した高学年向けの性教育もすごく良かったです。「生まれてきた子ども」だった自分が「生む性」になっていくことについて、知っている部分もあれば知らない部分もある年頃のこども達。
照れくさい内容ですが、女の子はまっすぐ見つめながら聞く子が多く、男の子は椅子の上で体を真横に向けながらも耳ではちゃんと聞いていたりと、それぞれの受け止め方で向き合っている様子でした。
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ナプキンの展示
この回は、高学年向けにナプキンの展示もしており話が盛り上がっていました。手触りとか含めいろいろな種類があるんだよというのを実際に触りながらみんなでお話をしています。この展示がきっかけで、気になるけど聞きづらいことが質問に出たりと盛り上がっていました。
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おとな向けの講座
性教育で、こども向けのお話を大人も一緒に聞けることはとても良いなと感じています。
先に書いたように、親世代も十分な性教育を受けてこなかった世代です。誰からも教えてもらえず、むしろ口にしてはいけないという風潮がある中で育った私たちがこどもに性教育をするというのはかなり難易度の高いことです。ただそんな親世代でも、土屋さんのフラットな語り口で性教育を聞いていると、性のことって恥ずかしいこと���もなんでもないのねと感じたりします。そういう姿を見るだけでなんとなくスタンスが掴めたりするので、この仕組みは性教育を受けてこれなかった親世代への再教育の意味も含まれています。
分からないことはみんなで学びあっていければいいよね!という気持ちで企画している性教育。
引き続き年1回程度を目指して開催していけたらいいなと思うので、ご興味ある方は次回の開催を楽しみにしていてください : )
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こどもとおとなの性教育 https://www.boustudio.com/sexeducation
■ 開催概要 2024年5月19日(日) ・ 前半: 幼少期むけのお話 ・ 中盤: 大人むけのお話 ・ 後半: 高学年むけのお話 ・ おまけの質問タイム
■ 対象 ・5、6歳ごろ〜12歳ごろまでのお子様 ・保護者
■ お話をうかがった人 土屋麻由美(つちやまゆみ)さん 麻の実助産所 助産師 大学病院、助産院勤務を経て1997年出張専門の助産師として開業。自宅出産に関わる中、小さな時からの性教育の大切さを感じ、地域で性教育講座を開催している。認定NPO法人ピッコラーレ副代表。にんしんSOS相談窓口の運営、相談員としても活動中。二男一女の母。現在練馬区で開業。
Lecturer: Mayumi Tsuchiya Planning: Yuka Chabata(Bou Studio) Illustration: Ayaco Nakamura
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yotchan-blog · 4 months ago
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2025/3/9 15:00:32現在のニュース
国際女性デー「自分の名前でいたいだけ」 選択的夫婦別姓の実現訴え:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/3/9 15:57:41) 裏テーマは「ロシア」と「LGBT」 IOC会長選混戦に ”ぼったくり男爵”の後任選ぶ([B!]産経新聞, 2025/3/9 15:55:23) 高校生が育てた「いちご豚」好評…熟しすぎた「とちおとめ」など活用、「ブランド育てるモデルに」([B!]読売新聞, 2025/3/9 15:51:26) 山陽新幹線50年 妥協許さぬ車両点検、ホームドクター“最後の砦”(毎日新聞, 2025/3/9 15:49:19) ナンシー関さんの「消しゴムはんこ」5000点、自然劣化で危機に…デジタル保存へ知人ら活動([B!]読売新聞, 2025/3/9 15:46:50) 大阪マラソンに続き…名古屋ウィメンズマラソンでコース間違え | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/3/9 15:43:03) 岩手・大船渡の山林火災 新たに4地区の避難指示を解除(毎日新聞, 2025/3/9 15:42:11) 自民・小林鷹之氏、石破政権に苦言 「意思決定が二転三転」(毎日新聞, 2025/3/9 15:42:11) お祝い、反動、重圧? 新横綱優勝が難しいワケ 大相撲春場所(毎日新聞, 2025/3/9 15:38:49) 中国で「新たなコロナウイルス」発見 武漢の研究所調査 「ヒトへの感染は未確認」も疑念([B!]産経新聞, 2025/3/9 15:36:28) https://mainichi.jp/articles/20250307/k00/00m/040/322000([B!]毎日新聞, 2025/3/9 15:36:21) お祝い、反動、重圧? 新横綱優勝が難しいワケ 大相撲春場所(毎日新聞, 2025/3/9 15:35:01) “一味”待つ熊本を冒険 「ワンピース」像巡るバスツアー4月開始(毎日新聞, 2025/3/9 15:35:01) <主張>東京大空襲「80年」 惨禍許さぬ誓いと対策を 社説([B!]産経新聞, 2025/3/9 15:24:48) 減反の欠陥「何もしてこなかったじゃないか」米価高騰、いらだつ首相(朝日新聞, 2025/3/9 15:16:35) AIで作った児童の性的画像、8割が法規制強化を支持 NPO調査:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/3/9 15:15:44) パソナ系の匠創生、3種ブレンドの古酒 新感覚の日本酒(日本経済新聞, 2025/3/9 15:14:50) 自民党、国家ビジョン策定へ 結党100年見据える(日本経済新聞, 2025/3/9 15:14:50) 小林鷹之氏、首相に苦言 「楽しい日本の道筋感じられず」(日本経済新聞, 2025/3/9 15:14:50) 岩手・大船渡の山林火災、新たに4地区避難指示解除(日本経済新聞, 2025/3/9 15:14:50) 競走馬から調教助手の62歳男性が落馬、搬送先の病院で死亡…JRAトレーニングセンター(読売新聞, 2025/3/9 15:14:20) 大相撲春場所、元大関の朝乃山が4場所ぶり復帰で初日白星…館内から歓声「お帰り」(読売新聞, 2025/3/9 15:14:20) 石破首相「あのときの謙虚さを取り戻したい」…自民党大会で09年の野党転落振り返る(読売新聞, 2025/3/9 15:14:20) マンホール内で3人死亡、死因は急性循環不全…酸欠か有毒ガスを吸い込んだ可能性(読売新聞, 2025/3/9 15:14:20) 高校生が育てた「いちご豚」好評…熟しすぎた「とちおとめ」など活用、「ブランド育てるモデルに」(読売新聞, 2025/3/9 15:14:20) 「朝刊が配達されない」と届け出、67歳配達員が死亡…雪に埋もれ発見・近くにスノーダンプ(読売新聞, 2025/3/9 15:14:20) 中国で「新たなコロナウイルス」発見 武漢の研究所調査 「ヒトへの感染は未確認」も疑念(産経新聞, 2025/3/9 15:13:43) 料理や裁縫から子育て、家族形成まで 男女必修化から30年、次世代が学ぶ「家庭科」(産経新聞, 2025/3/9 15:13:43) 旧態依然のエネルギー報道 反原発が民意の大勢であるような報道は事実をゆがめている(産経新聞, 2025/3/9 15:13:43) 東京大空襲から住民守った「イーグルビル」 数十人が焼夷弾から逃れ地下室へ(産経新聞, 2025/3/9 15:13:43) 「素晴らしいスピーチ」「見出しが立たない」… 石破茂首相の自民党大会演説に割れる評価(産経新聞, 2025/3/9 15:13:43) 自民・小林鷹之氏、高額療養費めぐる石破首相の対応に苦言 「政策の意思決定が二転三転」(産経新聞, 2025/3/9 15:13:43) 「そのままの姿で残っていた」 東日本大震災の遺構が今もこの場所にある意味(産経新聞, 2025/3/9 15:13:43) 自民、参院選控え党大会で「原点回帰」アピール 地方、歴史、家族、靖国…岩盤支持層意識(産経新聞, 2025/3/9 15:13:43) 岩手・大船渡の山林火災で新たに4地区361世帯の避難指示解除 なお2000人超が対象(産経新聞, 2025/3/9 15:13:43) 安藤友香は決定的、佐藤早也伽と小林香菜も有力 女子マラソンの世界選手権代表選考(産経新聞, 2025/3/9 15:13:43) 大阪・柏原市議選は8月31日告示、9月7日投開票(産経新聞, 2025/3/9 15:13:43) IoT機器のセキュリティー認定制度、3月に運用開始 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/3/9 15:12:45) 山陽新幹線が全線開業50年 博多―小倉、地域の大動脈 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/3/9 15:06:35) 動く光で、風船で…聴覚障害の人も楽しめる「見える音楽」って?(毎日新聞, 2025/3/9 15:05:24) 法隆寺西側の住宅を公有化へ 敷地内に未発掘古墳 奈良・斑鳩(毎日新聞, 2025/3/9 15:05:24) 韓国の尹錫悦大統領が釈放 検察が即時抗告断念 与党歓迎、野党反発:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/3/9 15:03:13) 【バレエ講師指切断事件の深層】被告男は言った。「支払うべき代償は指1本。正当な報復だった…」 強制退会を逆恨みしつつ奇妙��自己抑制も(1/2ページ)([B!]産経新聞, 2025/3/9 15:00:22) 王将戦第5局 藤井王将・永瀬九段 2日目の勝負めしを3Dで(毎日新聞, 2025/3/9 14:57:59) モグラにはまり10年の大学院生 「足で調べた」卒論を学術誌に投稿:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/3/9 14:57:40) 東北・秋田・山形新幹線の連結運転を14日まで取りやめ JR東日本、再開めど立たず([B!]産経新聞, 2025/3/9 14:54:14) 【衝撃事件の核心】バレエ講師の指を切った41歳男は自宅に練習場を作る熱心な生徒だった 講師の指は手術の末に…(1/2ページ)([B!]産経新聞, 2025/3/9 14:54:14) 夢乗せ50年、新時代へ 山陽新幹線 博多の街と成長 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/3/9 14:48:49) 防空壕「市民防護室」の設計図見つかる 東京大空襲80年 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/3/9 14:48:49) <主張>新幹線の連結分離 安全神話揺るがす事故だ 社説([B!]産経新聞, 2025/3/9 14:48:40)
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yeyshonan · 1 year ago
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医学部入学者、女性が4割占める 求められる「人生を自分で決める力」―不正入試から5年
2/19(月) 14:00配信244
 世間を騒がせた医学部不正入試の発覚から5年。性別、年齢による不当な差別の是正により、2023年度の医学部(医学科)入学者選抜における女性の入学者は4割*1に上昇した。女性医師が半数以上となる日も遠くない。女性医師が増え続けることで日本の医療はどう変わるのか。女性ライフクリニック(東京)理事長の対馬ルリ子医師らが立ち上げた日本女性医療者連合(以下JAMP)は不正入試問題に関し、発覚以前から独自に調査を進めて情報提供を行ってきた。不正が明らかになった真相と女性医師への期待を対馬氏に語ってもらった。
 ◇不利な扱い「必要悪」との空気
医学部入学者の女性比率
 ―医学部不正入試問題は、JAMPが問題発覚に先駆けて調査を進めていたそうですが、不正に気付いたのはいつごろでしょうか。  対馬 10年ぐらい前に日本医師会の理事の先生とお話しする機会があり、「日本の女性医師はこんなに増えている」とグラフを見せてもらいました。医学部入学者の女子の割合を見ると、一定のラインで上昇が止まり、まるで定規でも当てたかのようにほぼ横ばいで推移していました。2000年以降、女性医師は世界的に見ても増加傾向にあり、経済協力開発機構(OECD)の加盟国では35歳未満の女性医師の比率が軒並み5割を超えて増え続けているにもかかわらずです。「あり得ない」と不思議に思い、調査を始めました。
OECD各国における女性医師の比率
 その頃から研修医や若い女性医師の間では、女子は男子よりも医学部合格のボーダーラインが高いという共通認識がありました。女性は出産や育児で辞めていくから入りづらいのは仕方がないと、差別を「必要悪」と思い込まされているようでした。私たちはこれを絶対に見過ごすわけにはいかないと思い、社会学者の上野千鶴子さんに教えを請いながらデータを精査したところ、医学部は他学部との比較でも受験者に対する合格者の割合が女子だけ低いという事実が浮かび上がったのです。  医学部長会議や全国病院会議のような場所で内部告発しても、真剣に取り合ってもらえずにスルーされてしまうことは目に見えていたので、発表の機会をうかがっていました。2018年に東京医科大の不正問題で世間がざわつき始めた頃、JAMPのホームページに掲載された論考を見つけた読売新聞の記者から取材を受け、大きく取り上げてもらえるタイミングで情報提供しました。
◇就労後の長時間労働が前提
対馬ルリ子医師
 ―つまり、一部の医師や受験生は、入試での差別をある程度分かっていたということですね。  対馬 過去には国公立でも合格者の9割が現役男子であるなど、明らかに女子と多浪生が門前払いされていると思われる大学もありました。予備校の先生からも「女子は不利」と露骨に言われていたようです。国立の医学部で入試を担当していた教官も「学力試験だと上位は女子が多くなってしまう。かといって面接をしても女子の方がしっかりしていてコミュニケーションの能力も高いので、男子よりも点数が高くなる。どうやって男子を引き上げるか苦慮している。医師を職場や地域にとどめておくためには男子を取る必要がある」と公言していました。  私たちは不正を容認するのではなく、そもそも「医師の働き方」を問題にすべきなのではないかと思いました。女性医師が職場を離れていくには理由があります。日本の医師の働き方は長時間労働が前提で、家に帰らずにできるだけ長く病院にいる必要があります。受け持ちの患者さんに何かあって呼ばれたら、病院に駆け付けなければいけません。結局、家庭とか家事とか子育てといった、仕事以外のことを専業主婦に丸投げできる人しか家族を持った後も病院に長時間居続けることができないのです。誰もが普通に家に帰れてプライベートも大事にできる、男性にとっても女性にとってもそういった人間的な生活を維持できる働き方を実現することが必要なのではないかと考え、5年前に提言を行いました。
 ◇仏は産婦人科医の8割が女性
産婦人科病院の医師たちと(仏)
 ―女性医師が増え続けることには男性医師だけでなく、女性医師にも抵抗があったようですが。  対馬 医師の定員は決まっているので女性が増えれば男性は減る。家庭を持つ女性医師にとって男性医師のサポートが不可欠だと思われています。  昨年の秋、フランスの産婦人科病院を訪問したのですが、同国では産婦人科医の8割が女性と聞いて驚きました。理由を聞いたところ、少し前までは男性の方が多かったけれど、仏政府が女性たちに真摯(しんし)に向き合い、耳を傾けて大胆な改革を行ったところ、働き方が大幅に変わり、産婦人科で働きたいという女性が増えたそうです。  そもそも医療やヘルスケアは女性向きの仕事だと言っていました。婦人科や産科を担当している女性医師や、医学部教育や地域で性教育を行っている女性医師、心のケアを行う女性医師たちとも話したのですが、社会貢献や後進を育てる仕事に週に3日勤務しても管理職になれるとのことでした。
◇性と生殖に関する健康と権利を獲得
性暴力やDV被害者の救済センターMaison de femmeにて(仏)
 ―仏ではどのように改革が進められてきたのでしょうか。  対馬 日本では認知度が低いのですが、世界では「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)」*2の実現に向けた数々の取り組みが行われていて、仏の改革もその一つです。  仏はカトリックの国なので、かつては非常に封建的で、「女は結婚したら子供を産んで育てないといけない」「妊娠したら中絶してはいけない」というように、自ら選���権利は与えられていませんでした。  1967年に避妊の合法化とピルの承認がなされ、教育課程に性教育が加えられました。1970年代には産まない自由を求めて運動が展開され、1975年に人工妊娠中絶が合法化されました。これにより、女性は「自分の身体に関することを自ら決定する権利」を獲得し、その後の男女平等を目指す社会運動につながっていきます。1998年には性教育が義務化、2001年に中絶と避妊に関する法律の改訂を受けて学校性教育が法定化されました。仏の女性たちは若い頃から自分の身体を自分のものとし、自己決定するための教育を受け、生涯にわたって健康でいられるよう国や地域から支援を受けているのです。  現在、仏は少子化対策の成功モデルにもなっていて、子どもを何人産んでも仕事と両立できる手厚いサポート体制、パートナーも1人で子供の世話ができるようにトレーニングを受けさせるといった、子育て中でも働きやすい環境づくりを職場と国が一緒になって推進し、制度化してきたようです。  今回、渡仏して感じたのは、同国の女性たちの「発言し続けて引き下がらない強さ」です。この国では常に戦って勝ち取ることが日常的に行われています。そうでなくては、本当に困っている人たちの現状について誰も気が付かないからです。日本の女性は困ったことがあって「こうだったらいいのに」と思っても、「こんなもんだろう」と諦めている人が大多数ではないでしょうか。結局、問題解決が先送りになります。諦めなくていいし、諦めないでほしい。それを伝えるのが今の私の使命だと思っています。
 ◇声を上げムーブメント起こす
NPO法人女性医療ネットワークによる女性の健康学校「ジョイ・ラボ」
 ―この5年間でどのような活動を行ってきたのでしょうか。  対馬 社会を変えるには世論を動かし、政策や制度を変えることが重要です。政治家や官僚に何度も話をしてきました。今では厚生労働省や経済産業省も聞く耳を持ってくれています。内閣府男女共同参画局も理解を示し、一緒に取り組もうとしてくれています。  ただ、文部科学省にはまだ旧態依然とした風潮があり、「決まったルールに従ってほしい」と言われます。同省は性教育の普及にもずっと背を向けてきました。日本ではどの業界でも「それは自分が解決することではない」と声を上げない人が多く、むしろ発言しないことが良しとされています。教育は日本の社会を変えていくあらゆる取り組みの根幹を成すものです。いろいろな立場の人たちが自由に発言し、皆がそれに耳を傾け、より多くの声を生かしていく文化をつくっていく必要があるのではないでしょうか。  ―不正を廃止したことで、女性の医学部入学者数は4割に達しました。このままいくと半数を超えるのも時間の問題だと思われます。今後、医師の働き方は変わっていくのでしょうか。  対馬 例えば、仏ではいろいろな事情で医師の就業時間を過ぎてしまった場合は、緊急でない限り、その日に予定していた手術を延期することは普通に行われています。患者さんもそのあたりは理解しているようで、医師にはしっかり休養を取ってから手術に臨んでもらった方が安心だと思っているようです。  女性の数が増えたからといって、組織の意思決定者の女性はなかなか増えていきません。自分に発言力が付いてからとか、立場が偉くなってからというのではなく、まずは現場の人たちがどんどん声を上げてムーブメントを起こしていけばいいと思います。  女性医師が4割になった、5割になったから終わりではなく、6割、7割になってもいいと思います。そうすると、医療も変わり、医師の働き方も変わります。それに応じて制度や体制、文化も変わるでしょう。男性を隅に追いやるのではなく、男性も働きやすい環境を一緒につくっていけばいいのです。
 ◇やればできる、諦めない
第1回フェムシップドクター養成講座
 ―「女性は当直や救急を避ける」という声もあります。  対馬 私自身は手術を執刀するとアドレナリンが上がり、達成感がありますので、手術は大好きなのですが、「24時間やれ」とか「休まずにやれ」とは言われたくありません。若い人も仕事を頑張りながら子どもも産んでみたいし、自分のプライベートの時間も充実させたいと思って当然です。女性に限らず男性もそうだと思います。だから、いろいろな人が力を合わせて、オペもやるし、当直もやれるときにはやるみたいなシンプルな勤務体制と評価制度をつくった方がいいですね。  琉球大学の銘苅桂子(めかるけいこ)医師は、もともと外部の病院で働いていたのですが、より高度な医療を学ぶために「琉球大の産婦人科の医局で働かせてほしい」と申し出たところ、「子どもがいる女性はカウントできない」と一蹴されたそうです。「だったら無給でもいいから働かせてほしい」と粘り、無給で働いていたのです。すると担当教授が変わった途端、「まさに君は働く女性のロールモデルだ」と称賛されることに。3人の子育てをしながら実績を積み、評価され、周産母子センターで同大医学部初の女性教授に就任しました。  教授となった銘苅医師は次々と内部の改革を進め、女性は育児で仕事を辞めなくていい、男性も育児休暇が取れて子どもの面倒を見られる、子育て中も仕事へのモチベーションが維持できる体制をつくりました。誰でもやればできるのです。しかし、多くの女性は子どもを見てくれる人がいないと諦めてしまいます。今の日本は責任とやりがいがなく、女性が子どもを産んでもつらい、産まずに働いてもつらいみたいな社会が出来上がってしまっているのです。
 ◇女性の底力が社会を変える
 ―女性たちが今で��ることはありますか。  対馬 日本で「SDGs」というと「環境」のことばかりに注目が集まっていますが、17のゴールの中で日本が一番遅れているのは「ジェンダー平等」です。日本の女性は声が小さい、層が薄いと言われています。そもそも何もせずに諦めから始まっているので、持てる力をどれだけ発揮できるかというところにはまだチャレンジしていないんですよね。私は日本の女性の底力はきっとすごいに違いないと信じているので、これから皆がチャレンジすればいいと思うのです。  日本全体がこんなに後退し、勢いを失ってしまっているのは皆が我慢して諦めているからであり、本当にもったいないことです。今後、女性の活躍で期待されるのは「発言力」であり、それは「社会を変えていく力」です。そこにこそ地球の未来があると私は考えます。医療界を変えるとかいうレベルの話ではなく、すべての女性たちが手を取り合い、声を上げて、自らの生き方を決めていく。女性が世界を変えていく時代が来ています。(了) 聞き手・文:稲垣麻里子、企画:河野恵美子(大阪医科薬科大学医師) 対馬ルリ子(つしま・るりこ)  日本産科婦人科学会専門医。医学博士。専門は周産期学、ウィメンズヘルス。  1984年弘前大学医学部卒業。東京大学医学部産婦人科学教室入局、都立墨東病院周産期センター産婦人科医長などを経て、2002年にウィミンズ・ウェルネス銀座クリニック(現女性ライフクリニック銀座)を開院。産婦人科、内科、乳腺外科、心療内科、泌尿器科などで協力して全人的女性医療に取り組む。2003年NPO法人「女性医療ネットワーク」設立。2020年に一般財団法人日本女性財団https://japan-women-foundation.org/を立ち上げ、女性を救済する医師「フェムシップドクター」を養成するなど、企業や団体と連携しながらすべての女性を支援するための活動に注力している。 【注】 *1) 文部科学省資料 https://www.mext.go.jp/content/20231010-mxt_daigakuc02-100001375_01.pdf *2) 1994年にカイロで開催された国際人口開発会議において提唱された概念。人間の生殖システム、その機能と(活動)過程のすべての側面で、単に疾病、障害がないというばかりでなく、身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態にあることを指す。
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odawarakairanban-blog · 8 years ago
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馬に乗りませんか 日程(雨天中止) 平成2017年9月3日(日)・10月1日(日) ■会場 :小田原城址公園内二の丸広場 (JR・小田急線[小田原駅]徒歩 10 分) 体験 乗馬(参加費 600円) 10:00~11:00 12:10~12:40 13:10~14:10 14:50~15:50 ■対象者 2歳以上の方(障がいの有無を問いません。 ただし、馬の健康のため、体重 80kg 以下の方と させていただきます。) ■内容  所定コース内をひき馬で乗馬 ふれあいタイム(12:10〜12:40) ■どなたでも馬にふれあえます(無料)。 ■馬のエサやり体験(人参代 100 円)もできます。 問い合わせ先「NPO法人 自然・馬・人の会」 ■中村 悦子 TEL/FAX 0465-36-9468(19時以降)       E-mail [email protected] ■ホームページ http://shizen-uma-hitonokai.la.coocan.jp/ ■Facebook Facebook 自然・馬・人の会 検索 ■後援 小田原市、小田原市社会福祉協議会 ■助成・寄付等 富士ゼロックス端数クラブ*、 (株)富士ゼロックス*、日産自動車(株)、 日産労連 ボランティアグループ等活動団体助成金(社協)、 一般財団法人光之村*(*は 2016 年度まで) 馬と一緒に過ごしませんか〜ボランティア募集しています 障がいのある人もない人も、 子どもからお年寄りまで一緒に集える場所を作ろうと、 1997年から月1回程度、小田原で乗馬会を行っています。 あたたかい木曽馬にふれてみませんか。 (2017.08.02 更新)
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kozotakei · 6 years ago
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株式市場の6つの問題点と新しい市場のアウトライン
こんにちは。武井浩三です。
重なり合う社会構造のことをポリモルフィック・ネットワーキングと呼ぶのですが、その日本語訳が多形構造(たけいこうぞう)という事実を知って、今世における自分の天命を見てしまった気がして、嬉しいような悲しいような。 そんな35歳(2児の父)です。
さて。
最近「武井さんは何を目指してるの?」と聞かれることがチラホラありまして。僕も自分がどこに向かっているのか、本当に分からなくなっていて困っています笑。でも、「今の世の中の課題が、こういう風に解決したらいいのになぁ」っていう理想イメージは、ところどころの業界や領域に対して持っている部分もありまして、今日はその中でも「現行の株式市場に対する問題提起と、その解決策となりうる新しい市場のアウトライン」を、筆の趣くままに自由に書かせて頂こうと思います。
あ、あと、最初に断っておいた方が良いと思いますが、以下の内容は単なる武井の持論ですので、信憑性やエビデンスなどを求めないで下さい(笑)。気になった部分���ググって頂ければ、僕が参照したり引用しているよっぽどちゃんとした記事や論文が出てくると思います。
これで今回も心置きなく好き勝手に書けます。
市場(証券取引所)と株式会社の歴史
まずはじめに申しておきたいのですが、僕は現行の株式市場に対して課題感を感じてはいるけれども、こんな仕組みを作った人類の過去を、めちゃくちゃリスペクトしています。債権や株式などを証券化して、市場を作って流通させる仕組みを作って、必要なところにお金が行き届くようにして、投資家や所有者は必要なときに証券を現金化することもできて。
そのお陰で社会が急激に圧倒的に物質的に豊かになったし、その恩恵の元で現代の我々は生活が出来ているし、だからこそ次なる課題を見つけて取り組めている訳でして。
ここから少し、僕自身の情報の整理も兼ねて、株式会社や取引所の歴史を簡単に棚卸ししようと思います。債権や株式や所有権を流通できるようにしたのが「証券」です。色々な言葉を使ってしまうかもしれませんが、同意語だと思って下さい。市場、株式市場、取引所、なども雰囲気で使い分けるかもしれませんが、僕的には同じ意味で使います。
世界で最初の株式会社が出来たのは1602年。オランダの東インド会社。そして世界で最初の証券取引所ができたのも1602年。アムステルダム取引所。
日本で最初の株式会社は、坂本龍馬が1865年頃に作った海援隊・亀山社中と言われることもありますが、これらは本来の株式会社の要素である、
株式の発行による資本の集中と利潤の配当
有限責任制
所有(出資)と経営の分離
株式譲渡の自由
の要素を持っていないので、厳密には株式会社ではありません。
日本で本当に最初の株式会社が出来たのは1873年の第一国立銀行です。渋沢栄一さんが作りました。そして日本に株式の取引所が出来たのは1878年。
あれ?
オランダでも日本でも、株式会社と取引所が出来たタイミングがほとんど一緒。
そりゃそうですよね。株式はそもそもが、所有権を流動化させたり分散化させたりすることが目的ですから、それが流通するセカンダリーマーケット(二次取引市場)がなければ流動化しにくい。
つまりは、組織の形が変わったから市場の形が変わった。
証券の取引所ができるまでにも、魚や野菜や花などの市場がありました。それまでは市場(しじょう)というよりは性質的、意味合い的には市場(いちば)と呼んだほうが的確かもしれません。
でも組織の形が変わって(ステークホルダーとの関係性が変わって)、新しい市場(しじょう)の必要性が生まれたわけですよね。これって、後述しますが、���イヤモンドメディアのようなティール組織が生まれてきたことと、クラウドファンディングやICO(イニシャル・コイン・オファリング)、STO(セキュリティ・トークン・オファリング)などの新しい資金調達の仕組みが生まれて来ていることとシンクロしてますよね。必然というか。
株式市場に対する課題感
ダイヤモンドメディアを通じて僕は、新しい組織の形というものを2007年から、かれこれ10年以上研究したり実践したりしてきましたが、株式会社という企業組織を突き詰めていくと、株式(所有権)という権利に辿り着きます。
所有権は権力の根源であって、しかもその所有権は私有財産権として近代国家では生存権と同列に守られている上に、トマ・ピケティの言う通り資本(所有権)を持っている人が更に富むのが資本主義のシステムですし、このスパイラルの負の側面が、今の成熟社会の問題を生み出してしまっているという結論に至ります。
もちろん株式市場は、素晴らしい機能と役割を持っているんですけどね。 例えば、株式上場する企業にとってのメリットは、
資金調達
第三者による信用担保
上場企業ブランド
流動性による株式の資産化
ステークホルダー(仲間)の増加
こんな感じで5つぐらいに分けられるかな。 調達する会社以外のステークホルダーにも、もちろんメリットはありますよね。
例えば、社会にとっては必要な企業や業界に資金が届けることができるし、従業員にとっては社会的信用になるし、経営者(創業者)にとっては大金持ちになって持たざる者から持つ者へと成り上がれるし、投資家にとっては資産運用の機会だし。
全否定はしていないのですが、ただ、僕が認識している現行の株式市場の問題点というものが、人口減少とITによるデフレ経済の社会環境下で、自然環境に対する配慮や人間の幸福度などの面で、露呈してきていると思っています。
「自然環境」と「人間の幸福度」。 本当にこの2点に集約されるかもしれませんね。
以下、僕が認識している現行の株式市場の問題点です。 (できるだけMECEに洗い出してみました。)
上場維持コスト(四半期決算、IR、内部統制、監査)
無限成長を求める(個人・企業・社会における合成の誤謬)
不特定多数の株主(ステークホルダーの無関心化)
管理統制型ガバナンスの限界(情報の不透明性、約束と結果報告による説明責任、機能していない株主総会、外部干渉の限界)
ドメスティック(基本的には市場が国内を対象としている)
イン���イダー(当事者である投資家が内部情報にアクセスできない)
この6つの問題点が解消されない限り、上場企業の不祥事は無くなりません。絶対に。経営者のモラルが問題なのではありません。企業は利益の最大化の方向に進んでしまう生き物です。その方向性をデザインすることが、社会全体として必要な時期に入ったのだと思っています。
市場の問題点ではありませんが、過去に【株式会社の3つの致命的欠陥】というブログを書いたことがあります。もし興味のある方は、そちらも読んで頂けると嬉しいです。
新しい株式市場らしきものの出現
6つの問題点を1つ1つ噛み砕いて説明することは、このブログでは控えて別の機会に譲りたいと思います。長いのでw
新しい組織の形であるティールや僕らの言うところの自然経営やDAO(Decentralized Autonomous Organization)と呼ばれる共同体が2000年以降に、業種業態・場所・営利非営利問わず生まれてきました。
これらが生まれてきた理由は前述したとおり、3つの要素に起因します。
人口の頭打ち
経済成長の頭打ち
ITの社会インフラ化
単純な成長曲線が終わってデフレ化した国やエリアや産業などで、シンクロニシティ的に、ダイヤモンドメディアのようなものが生まれていますし、こういった思想に基づいたものが必要とされています。訪問介護のNPOのビュートゾルフや教育でいうとレッジョ・エミリアやモンテッソーリやサドベリーなど。
そしてそれらとシンクロして、新しい市場が生まれてきました。
僕から見ると、あたかも貨幣経済以外の経済を流通させるためのデザインのようにも見えます。それが下記のような市場やシステムです。寄付型のクラウドファンディングやボランタリーのものは、ここでは除いています。株式市場らしきものと定義します。
株式のクラウドファンディング
ICO(Initial Coin Offering)
STO(Security Token Offering)
ILP(Initial Loan Precurement)
僕はこれらの市場に期待をしています。それは前述した現行の株式市場の6つの問題点を解決しうる可能性があるからです。トークンはステークホルダーの持つ権利を自由に設計できますし、所有権以外の権利を流通させることも出来ますし、ブロックチェーンを使えば特定多数のトークンホルダーにすることが出来ます。
しかしながら現在はまだ、これらの仕組みや市場も6つの問題点を抱えたままです。
現行の市場をブロックチェーン上に置き換えるだけでは、根本的な問題は解消されません。逆にICOなどはガバナンスがほぼ無いので、実態は9割が詐欺的な調達であると言われています(実態は誰にも分かりませんが)。
STOは無法地帯のICOを証券としてSECの管理下に置くために作られました。しかしブロックチェーンによる分散化はなされていますが、ガバナンスの自律化は市場としてデザインされていません。だからこそ僕らがダイヤモンドメディアで培ってきた「自浄作用の働く、第三者不要のガバナンスデザイン」がここに役立つと考えているのです。
新しい株式市場のアウトライン
ようやく最後の章。 お付き合いありがとうございます。
では、具体的に新しい市場にどんな要素がデザインされれば、暴走せずに合成の誤謬が起こらずに健全に機能するのか。僕の考える新しい株式市場のアウトラインは下記です。
ステークホルダーへの情報開示とプロセスに対する関与(インサイダーとアウトサイダーの解消)
自律分散型ガバナンス( 内部における情報の透明性の徹底 、多数決に依らない意思決定)
ブロックチェーンとトークンによるステークホルダーの非匿名化
セカンダリーマーケットによるトークンの流動化(資産性の付与)
所有権以外の権利のトークン化(債権、利用権・使用権、関与権、その他色々)
4のセカンダリーマーケットに関しては、すでにトークン取引所が世界には沢山生まれていますね。
現行の株式市場は「管理統制型ガバナンス」です。ダイヤモンドメディアのような「自律分散型ガバナンス」をICOやSTOの仕組みにインプリメントできれば、市場自体が自律分散型になる(まだまだ僕の妄想レベルですが)。
そしてこのマーケットってのが、もっと沢山、しかも例えば「世田谷区内の個人商店のトークン取引所」とか「大田区の製造業の中小企業のトークン取引所」とか「医療関係のNPOのトークン取引所」とか「フリースクールなどの認可外教育機関のトークン取引所」とか、色々なものが生まれていけば、社会に対しての個々人のオーナーシップが失われずに、みんなで街を作るとか社会で子供を育てるとか、株主や債権者も一体となって会社を経営するとか、そういった理想的な座組が構造体として実現できる。
これを国家にインプリメントすると、税金の仕組みも同じように自律分散型でデザイン出来ます。ガバメントクラウドファンディングと呼ばれるプロジェクト型のふるさと納税が生まれてきましたが、これがもっとローカルな「〇〇公園の芝生を植え替える」とか「〇〇小学校の通学路にガードレールを設置する」とかそういう単位で納税ができるようになれば、喜んで納税する人が増えますよね。間違いなく。税金を納めたくない感情は「納めた税金が何に使われているか分からない」という分断から生まれるので。
国家という概念が、ブロックチェーンによって必要性自体から揺らいでいく時代だと思っています。中央集権が不必要になっちゃうんですから。
国家の持つ徴税権という超強力な権力は、もちろん必要があって存在します。
公共サービスの費用調達
所得の再分配
景気の調整
所得の再分配ってのは、今の経済システムが完璧ではないから国が干渉��ているってことですね。これら3つの税金の目的は、ブロックチェーンとクラウドファンディングのような用途を自主決定できる仕組みによって賄うことができると思っています。
なんか、税金の話になってきちゃったけど、調子良いんでもう少し続けます(笑)。
税金には4つの原則があります。
公平 税負担は各人の能力に比例すべきこと。言い換えれば、国家の保護の下に享受する利益に比例すべきこと。
明確 租税は、恣意的であってはならないこと。支払時期・方法・金額が明白で、平易なものであること。
便宜 租税は、納税者が支払うのに最も便宜なる時期と方法によって徴収されるべきこと。
最小 国庫に帰する純収入額と人民の給付する額との差をなるべく少なくすること。
これらを、新しい税金(経済の循環)のシステムに置き換えることができれば、国という概念自体が丸ごと不必要になりうる。仕組み上は、ですけども。
そしてそれは、
グローバルタックス
クラウドタクシング(前述のガバメントクラウドファンディング)
ノンマネタリー納税
によって実現し得ると思っています。100年後ぐらいに(笑)。
でももしかしたらもっと早いかも。ベネズエラなんかは国家としてICOをしちゃいましたし、エストニアはe-Residencyで国土に依存しない国家構想を実践しちゃってますし、仮想通貨取引所やトークン取引所の取引高は、東証マザーズの取引高を一瞬で超えちゃいましたし、世界最大の仮想通貨取引所のBinanceなんかはおそらくNASDAQとかニューヨーク証券取引所の取引高をあっという間に超えていくでしょう。
取引高が多けりゃ良いって話ではありませんが、それが地域に広がれば地域通貨��ようなものとして地域の活性化に繋がるでしょうし、誰もが労働収入と資本収入を同時に得られるようになる。そうするとピケティが提起したr>g(資本成長>経済成長)の問題点が丸ごと無くなる。
そんな理想の世界を妄想して、そろそろ終えようかな。なんともまとまりのないブログで本当にすみません。
でも10年後は、マザーズや東京証券取引所は、下手するとオワコンになってしまいかねないとも思っています。もちろん東証も変化に適合していくと思いますが。
ありがとうございます!
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herbiemikeadamski · 4 years ago
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 6月19日(土) #友引(戊戌) 旧暦 5/10 月齢 8.7 年始から170日目(閏年では171日目)にあたり、年末まであと195日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪夜を感謝に眠ろう😪💤 夜が来ない朝はありませんし、朝が来ない夜はない💦 睡眠は明日を迎える為の☀️未来へのスタートです🏃‍♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 26週目の週末やってまいりました✋梅雨もやっぱり 毎年ありますね😅💦今日は一日中雨で明日もほぼ 夕方まで雨って残念ですが、梅雨なので仕方ない💦 外は雨でヒヤッとしますが部屋の中が蒸暑いです💦 これも立地条件もあるがマンション特有の環境デスカネw . 昨日は一週間ぶりのボディアタックのレギュラークラスを受けて 来ましたけど、かな���体力落ちてるなぁ~。。。_| ̄|○ 3曲目のエアロビクスと6曲目のランニングトラックも8曲目のインターバル も全て回れる曲をやってくれて嬉しい悲鳴でしたw しかし、動くのでバテちゃって逃したの何回も😅💦 . 全然、余裕がなく最後のラストパワーで倒れこんだわ💦 反省\(__ )ハンセイです。来週はもっと頑張らねば✋ って週一は辛いですよね😅💦って事で今日は久々 古巣のコナミに行ってBC,BA,BPの予定ですw やっぱりスタジオプログラムは楽しいから考えちゃうなぁ . 今日一日どなた様も💁‍♂お体ご自愛なさって❤️ お過ごし下さいませ🙋‍♂ モウ!頑張るしか✋はない!ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #名古屋テレビ塔竣工. 愛知県名古屋市中区栄の久屋大通公園に立つ日本で最初に完成した集約電波塔(高さ180m)であり、テレビ塔を保有・運営する会社(名古屋テレビ塔株式会社 <Nagoya TV Tower Corporation>)でもある。 1954年6月19日竣工。  翌20日には開業し、電波の発射を開始した。 設計者は内藤多仲。 名駅地区を中心に超高層ビルが乱立する中でも、通称「名古屋のテレビ塔」「栄のテレビ塔」また単に「テレビ塔」とも呼ばれ、名古屋市中心部のシンボルとして親しまれている。 . #魚がし日本一立喰い寿司の日.  海産物を中心とした飲食店の経営・企画などを行う株式会社にっぱんが制定。  2019年に同社の立ち喰い寿司屋である「魚がし日本一」が創業30周年を迎えることを記念し、多くのお客様や関係者の方々に日頃の感謝の気持ちを表すことが目的。  日付は日本初の立ち喰いスタイルチェーン店1号店の「魚がし日本一新橋駅前店」が開店した1989年6月19日から。 . #ロマンスの日.  大切なパートナーとの仲ががいつまでも続くように、この日に非日常的な演出をしてふたりの関係にトキメキを甦らせてもらおうと日本ロマンチスト協会が制定。 . #ベースボール記念日.  1846(弘化3)年のこの日、アメリカ・ニューヨークで現在の野球の基本となるルールで試合が行われ、近代野球が誕生しました。  このルールは銀行家アレキサンダー・カートライト2世によって編集されたものでした。  日本に初めて野球が入ってきたのは、1873(明治5)年です。 . #理化学研究所創設の日.  1917(大正6)年、理化学研究所(理研)が、わが国で初めての基礎および応用研究を行う機関として、東京都文京区本駒込に設立されました。  1958(昭和33)年に「理化学研究所法」にもとづく特殊法人になり、1957年から1966年の10年間かけて、現在の埼玉県和光市に移転しました。 . #朗読の日.  男女年齢を問わず、大衆に支持される芸術文化として朗読を普及させようと、NPO日本朗読文化協会が2001年に制定。 . #京都府開庁記念日. . #桜桃忌、太宰治生誕祭. . #元号の日. . #松阪牛の日(毎月19日). . #熟カレーの日(毎月19日). . #シュークリームの日(毎月19日). . #共育の日(毎月19日). . #熟成烏龍茶の日(毎月19日) . . #いいきゅうりの日(4月を除く毎月19日). . #クレープの日(毎月9の付く日). . #対馬島の日(#大韓民国). . #世界鎌状赤血球症デー(#国際デー). . #ホセ・ヘルバシオ・アルティガス生誕の日(#ウルグアイ). . #労働者の日(#トリニダード・トバゴ). . . ■今日のつぶやき■. #楽あれば苦あり苦あれば楽あり(ラクアレバクアリクアレバラクアリ) 【解説】 人生はいつも楽しいことばかりではなく苦しい事も有る、逆に苦しいことばかりではなく楽しい事も有ると云う事。 . . 1991年(平成3年)6月19日 #則松亜海 (#のりまつあみ) 【女優】 〔千葉県千葉市〕 《元宝塚歌劇団雪組の娘役》 . . (牧野記念庭園) https://www.instagram.com/p/CQSE0I3HQhsuk3YiSukrVsCWhqNkQ_imi_Aw-g0/?utm_medium=tumblr
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benediktine · 4 years ago
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【「世界湿地の日」に考える、日本でこの150年に琵琶湖2個分の湿地が消えたこと】 - Yahoo!ニュース : https://news.yahoo.co.jp/byline/hashimotojunji/20210203-00220845/ : https://archive.is/hQLHV 橋本淳司 | 水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表 { 2021年 } 2/3(水) 12:29
 {{ 図版 1 : 茂林寺沼(館林市/館林所蔵写真) }}
■《消失原因は耕地整理・土地改良、宅地開発や工業団地造成》
 2月2日は「世界湿地の日」。1971年の今日、ラムサール条約が締結されたことから、1996年に、「毎年2月2日を『世界湿地の日』とすること」が定められた。
 では、湿地とは何か。ラムサール条約での湿地の定義は広く、湿原、湖沼、河川、干潟、マングローブ林、サンゴ礁、ダム湖、水田などを含む。
 世界的に見ると、湿地は近年、急速に消えている。 {{ ラムサール条約ファクトシート : https://www.env.go.jp/nature/ramsar/conv/leaflet2016/wwd2015_fact_sheet3.pdf }} には「いくつかの科学的推計によると、1900年以来、世界の湿地の64パーセントが失われた」とされる。
 日本ではどうか。 {{ 国土地理院の調査 : https://www.gsi.go.jp/kankyochiri/shicchimenseki2.html : https://archive.is/wr1RD }} によると、明治・大正時代には約2110平方キロメートルあった湿地が、現在では約800平方キロメートルに減ったとされる。消滅した湿地は琵琶湖2つぶんにもなる。
 「関東水流図」(静嘉堂文庫美術館所蔵)などの古い地図を見ると、かつての関東平野には、大小の河川が網目のように広がり、数多くの湿地が存在した。だが、江戸時代の新田開発、明治時代以降の耕地整理・土地改良、戦後の宅地開発や工業団地造成などによって消滅したり、面積を小さくされたりした。
■《湿地を身近に。「里沼」とは何か》
 群馬県館林市の沼は、最近「里沼」と呼ばれるようになった。2019年5月、文化庁から「日本遺産」に認定された( {{ 『里沼(SATONUMA)―「祈り」「実り」「守り」の沼が磨き上げた館林の沼辺文化―』 : https://sato-numa.jp/ : https://archive.is/ENjXb }} )。
 多くの人は「里山」はご存知だろう。居住地近くにあり、人が保全しながら活用してきた森林を「里山」というが、「里沼」はその沼版だ。
 {{ 図版 2 : 動画 : ナマズでもわかる日本遺産「里沼」講座 第2回「里沼はなぜ貴重なのか?」 : https://www.youtube.com/watch?v=TW4GapO6ivw }}
 かつての日本は奥山、里山、都市から構成されていた。1つ目の奥山は、人の居住地から遠く、神聖な場所にある。それに対して居住地近くにあったのが2つ目の里山。ここにあった川は「里川」、沼は「里沼」といえる。これらは里人の共有の資本だ。そして3つ目の都市は、人口が密集することによって成立するが、基礎となるのは経済活動である。里山、里川、里沼から持ち寄られたものを交換し、消費する場所であった。
 では、なぜ里山、里川、里沼は消えてしまったのか。里山を例に考えてみる。
 まず、里山は誰のものかという視点だ。里山の多くは、明治以前は「入会地」として村落共同体によって共有され、自然資源を無償で利用できるのは村の住人に限られていた。しかし、明治維新後は地租改正によって、入会地であった里山の多くが官有地または個人所有となり、共有の資本は「誰か」のものになった。
 次に居住者の変化によって、土地の活用法が変わった。昭和30年代に住宅の需要が増え、都市近郊の不動産価格が上がった。農業で生計を立てる難しさや、後継者不足なども重なり、里山を利用してきた農家が土地を手放した。
 農地が住宅地に変わり、居住者が会社員になると、里山を資本と見なくなる。燃料は薪や炭から化石燃料になり、落ち葉堆肥は化学肥料になり、利用価値が失われた。
 里沼の衰退はもっと早かった。大小の河川が網目のように広がる平野部には、かつては数多くの沼が存在したが、近世以降の河川改修や開発によって姿を消した。
 館林の沼が残った理由はいくつかある。まずは沼が小さかったため、新田開発の際、河川改修が優先されたことだ。河川の付け替えによって広大な耕地を確保した。さらに、沼を保全する強い理由もあった。茂林寺沼は寺領、城沼は藩領で館林城の要害、多々良沼は周辺の村々の水源だった。
 {{ 図版 3 : 多々良沼での漁の様子(館林市所蔵) }}  多々良沼は、人々の暮らしを支える生業の場として拓かれてきた。沼からの用水によって潤された田畑は、コメとムギの二毛作が可能となり、江戸時代には館林藩から将軍家へ小麦粉が献上されたように、館林は麦と産地となった。漁労の場としても人々の暮らしを支え、長年培われてきたさまざまな味わいは、貴重なタンパク源となり、もてなしや晴れの日の料理として今も暮らしに根付いている。
■《湿地は私たちの生活にとって必要不可欠》
 湿地はさまざまな生き物にとってなくてはならないものだ。生物多様性の面からも保全していかなくてはならない。
 {{ 図版 4 : 多々良沼(館林)にやってきたコウノトリ(著者撮影) }}
 人間にとっての重要さを考えると、まず淡水の供給源である。地下の帯水層に水を補給する役目もある。
 食糧の供給源でもある。市場に出回る魚のほとんどは、一生のうちの一定期間を沿岸の湿地で過ごし、水田で栽培される米は、世界で30億人の主食である。
 汚れた水を浄化する働きもある。湿地にはたくさんの微生物群集がすみ、植物が生えている。これらの生物は水のなかの有機物を分解したり、水のなかの二酸化炭素を吸収し酸素を供給したりする役割を果たす。
 治水能力も高い。湿地は、自然界のスポンジのような働きで降った雨を吸収し、表面に広く水をため、河川の氾濫を抑える。気候変動にともなう豪雨災害に対応するには、ダムや堤防だけなく、流域全体に視野を広げた治水対策が必要になる。
 湿地をきれいにすることは温暖化防止につながる。湿地に十分な酸素がないと生活排水などに含まれる有機物は水底に溜まりヘドロとなります。ヘドロからは温室効果ガスのメタンガスと亜酸化窒素が発生する。メタンガスの温暖化能力(地球温暖化係数=二酸化炭素を基準に他の温室効果ガスの温暖化能力を示した数字)は二酸化炭素の25倍、一酸化二窒素の温暖化能力は二酸化炭素の298倍ある。
 「世界湿地の日」に湿地の役割をいま一度考えてみたい。
●橋本淳司 水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表  水ジャーナリスト。武蔵野大学客員教授。アクアスフィア・水教育研究所代表。Yahoo!ニュース個人オーサーワード2019。長年、国内外の水問題と解決方法を取材。自治体・学校・企業・NPO・NGOと連携しながら、水リテラシーの普及活動(国や自治体への政策提言やサポート、子どもや市民を対象とする講演活動、啓発活動のプロデュース)を行う。近著に『67億人の水』(日本経済新聞出版社)、『日本の地下水が危ない』(幻冬舎新書)、『100年後の水を守る 水ジャーナリストの20年』(文研出版)、『水がなくなる日』(産業編集センター)など。 Twitter {{ HashimotoJunji : https://twitter.com/HashimotoJunji }} Facebook {{ junji.aquasphere : https://www.facebook.com/junji.aquasphere }} official site {{ アクアスフィア・水教育研究所 : https://aqua-sphere.net/ }}
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kanglo · 5 years ago
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月曜日が待ち遠しくなる!日曜日をハピネスに過ごすセブラル・メディテーションの会・光が丘公園ファイナル!(2020年2月23日)
月曜日が待ち遠しくなる!日曜日をハピネスに過ごすセブラル・メディテーションの会・光が丘公園ファイナル!(2020年2月23日) https://www.facebook.com/events/619852718843845 「第61回セブメディ・光が丘公園ファイナル!」 ★【第61回テーマ:ありがとう~「光が丘公園セブメディ」!】(2月23日15時スタート) <ご連絡> 2014年09月14日に始め、2016年10月30日の60回目を節目に活動をお休みしていたセブメディ。3年3ヶ月ぶりに復活します!感謝です^^ しかし、光が丘公園での開催は、今回がファイナルとなります(泣)(2月末に主催者が光が丘から離れてしまうからなんです💦) 小学生のお子さんから、70歳を超えた大先輩まで、幅広い方々に参加頂いてきたセブメディ! ※当セブメディは、俳優 渡辺裕之さんの「夢拾いプロジェクト」のご指導を頂き連携開催をしています。ぜひ、一度、ご体験下さい! セブメディ・フェイスブックページ: https://www.facebook.com/sevmedi.japan/ セブメディ公式サイト: http://sevmedi.pw/ なんだかどこかで聞いたことのある「セブメディ!」。そう、あなたも気になっていたはず^^ 「セブメディ!」は、2014年9月から始まったユニークでスローなウィークエンド・アクティビティです。 都内でも類を見ない素晴らしい大木や自然が生い茂る「光が丘公園」にて”月曜日の朝が待ち遠しくなる”時間を過ごします。 夜のしっとりと静寂の訪れた公園の深い森の中を、ゆっくりと時間を掛けて歩きます。足元は、落ち葉や木の実でフカフカになった自然の土の上。季節毎に、様々な香りや色を味わうことができます。樹齢40年を超えるクスノキや銀杏、松や桜、梅、モミの木、そしてブナの木の成長を感じながら、ゆっくりと呼吸を整えて行きます。時々出会う虫や鳥、動物たちを観察したり、触ったり、参加者同士で対話を楽しみながら歩きます。 凛とした素晴らしい自然の空気を吸い込み、瞑想をし、体をゆっくりと稼働させ、凝り固まった血を毛細血管まで通わせ、人と人との心の触れ合いの中で、自分を取り戻すことができます。 私たちは、日曜日の夕方から夜にかけて、光が丘公園でセブラル・メディテーションプログラムを行ってきました。初めての方でも、気さくで優しい参加者たちとすぐに溶け込め、心を通じ合うことができます。 心穏やかな時間を過ごし、心穏やかに月曜日の朝を迎えたい方は、一度、セブメディを体験してみて下さい。私たちは、あなたの参加をいつでも心待ちにしています。 セブメディ主宰:藤井啓人(利幸改め) ■参加費用:  1,500円(税込)/人(支払いは現地にて)  ※小学生高学年~高校生までは600円  ※うち500円は社会に寄与するNGOやNPO、地域ボランティアなどに寄付されます(実績:東日本大震災ボランティア、熊本震災被災者支援など) ■セブメディの7つの特徴: 1)「日曜日の夜」という、多くの人々にとって特別な時間帯にフォーカスしている 2)人に必要な「対話」「ふれ合い」を大切にしている 3)身近な公園で誰も(中学生以上)が気軽に参加できる 4)セブラル(様々な)アクティビティ(活動)を通じて心を整えていく 5)公園の中のゴミ拾い(社会奉仕)を行いながら参加する 6)参加費用の一部が寄付(小さな施し)になる 7)あなたも主宰者として実施できる ■日時:  2020年2月23日(日) 15時~19時30頃  ※天候や運営者の諸事情により変更となる場合があります  ※少雨小雪は決行します ■会の運営方針: ・自由に、ゆっくりと、思い思いに! ■メニュー(予定):状況により変更となる場合がございます。  15時~15時30分:オリエンテーションとストレッチ  15時30分~17時30分:セブラル・メディテーション    光が丘公園内を約3kmをゆっくりと散歩します。    ※ 天候によって、アクティビティを変える場合があります。  17時30分~18時:車座になって対話とクールダウン    (ストレッチやメディテーションなど)  18時30分~19時:体育館ロビーでレビュー  19時30分頃:解散  (その後、大戸屋で希望者にて夕食会を行います:1時間程度)  ※途中退席も思い思いに自由です^^  ※ウォーキング中は、ゴミ拾いも行います。 ■参加対象: 「小学生高学年以上」であればどなたでも参加できます。 ※ハンディキャップやアレルギーなど知っておくべき情報があれば必ず事前にお知らせ下さい。 ■参加人数:15名(定員になり次第キャンセル待ちとなります) ■集合場所: 練馬光が丘公園 体育館1階ロビー(集合場所) 東京都練馬区光が丘4-1-4 http://hikarigaoka-sp.com/?page_id=29#p_link04 ■集合時間:14時50分(時間厳守)  ※15時より開始します。以降、メニューにより集合場所より移動をすることになりますので、なるべく遅れないようにお願いします。 ■交通手段: 電車>都営大江戸線��光が丘駅」徒歩5分    東武東上線「成増駅」徒歩25分    東京メトロ有楽町線「成増駅」徒歩20分 バス>東武東上線「成増」(南口)から西武バスにて    光が丘駅・練馬高野台駅・南田中車庫ゆき    「光が丘公園北」下車 お車>公園駐車場あり(251台・うち身障者用5台)    普通車 1時間まで300円    以後30分毎に100円 ■持ち物:(深冬偏) ※気温の差が激しい時期です。TPOに合わせてご準備下さい。 ・運動靴か登山靴(落ち葉や土の上を歩きます��� ・水分補給用の水やスポーツドリンク ・雨天&防寒用のダウン、カッパ、ウインドブレーカー、ニット帽、手袋など(少雨小雪決行します) ・体育館でスポーツメディテーションをする場合があります。汗をかいた後の着替えやタオルなどもお持ち下さい ・その他、各自必要と思われるもの ■申込方法: 当ページよりエントリー下さい。 https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLScrEWDU3o8W1fgeHLSPR39F8gbKOGNZw7y3O7F3BeUlyrxGnQ/viewform  フェイスブックにも今直ぐ参加ボタンを!  https://www.facebook.com/events/619852718843845 ■「セブメディ 練馬光が丘公園(旧秋版)」チラシをこちらよりダウンロード頂けます http://firestorage.jp/download/345691a55bd9e6295b0afd0402b6d699a50faa79 ■英文レターはこちら(English version):  Several Meditation Sodality in Hikarigaoka “Sev-Medi” for spending happiness on Sunday nights http://firestorage.com/download/8f63f23d1d04d3b4c9ecc22d1bf8f06c4898ecbe ■集まれ!大好き!練馬光が丘公園!We love Hikarigaoka Park!!! https://www.facebook.com/groups/hikarigaokapark
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honryu-report · 5 years ago
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《あなたの知らない奔流中国の旅》
前書き:                                      
前から奔流の参加者の思いが募る文集を作りたいと思っていた。張さんは旅に生きていた。自分の思想を人に押し付けることなく、いつも自分らしく自由闊達に生きていた。その生き様は、一つの芸術作品のようでもある。私たちも張さんから受け継いだ精神というべきかその思想を何らかの形で残したいのだが、文字にしてしまうとそれはとても小さく見える。私たちの旅は書き尽くすことができない。しかし、今は奔流にとって大変な時。自分たちの青春の中でもっとも素晴らしい思い出を、生涯の誇りを守るために、ここで一丸となり、形のない、奔流という旅を語り合いたい。奔流は人の流れ、私たちの中への流れでもあるのだ。
そうして気づいたことは、自分を深く見つめ、深く知り、世界を深く見つめ、深く知り、世界と自分を深く思索することで、奔流の旅は私たちの未来にもつながる。 この旅の意義を社会に証明し、あなたの今まで見ることのできなかった世界とも出会ってほしい。
そんな世界を提示してくれた張宇氏に感謝!
奔流中国 参加者 2020年1月
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旅は芸術
私は旅をしたくありません。世界各国をめぐられた私の仲間たちには申し訳ないのですが、旅を積み重ねたところで善い人生を    送れることなどなく、また優れた人格を形成できるわけでもありません。むしろ若く貴重な時間を無駄にし、虚しく偽りの自信に捉われる危険性を持つ旅を、私たちは忌避すべきです。このことはアウグスティヌスが鋭く言い表しました。
「人びとは外に出て、山の高い頂、海の巨大な波浪、河川の広大な流れ、広漠たる海原、星辰の進行などに賛嘆し、自己自信のことはなおざりにしている」
(『ルネンサンス書簡集』近藤恒一編訳より抜粋)
 まさしくこの言葉の通りで、我々人間は自然の現象ではなく自らの精神の鍛錬、つまり日々の生活こそを大切にし、より善く過ごせるように努めるべきです。成し遂げたい目標があったり、大きな夢がある場合は、なおさら時間と金銭の浪費となる旅は避けるべきではないでしょうか。だから私は、旅をしている時間があるのなら、日々の日課に打ち込み、与えられた仕事を精一杯こなした方が遥かに自分のためになると考えています。それをせずに旅ばかりにうつつを抜かしているとすれば、それは現実逃避以外のなにものでもありません。
 ところで、今このように述べ上げたことは、これから私が話す内容とは無関係です。この話はここで忘れて頂きたい。私がどうしても話したいことはもっと別の問題なのです。
 ヴィルヘルム・フルトヴェングラーという人物をご存知でしょうか。彼は二十世紀を代表する伝説的指揮者で、クラシック音楽界に与えた影響は計り知れず、死してなおその威光は輝き続けています。彼の演奏は心の奥底に響き、魂を揺さぶり、ひと度その演奏を体験すれば、人は音楽そのものの意味を再考せざるを得ないと言います。彼の著書である『音と言葉』には、その偉大なる人物の心に汪溢する音楽への愛念が滲み出ています。自著の冒頭にて、彼は「すべて偉大なものは単純である」という箴言を用います。この言葉こそ私がこれから拠って立つ原点であります。
 なぜ偉大なものは単純でなければならないのか。この言葉は芸術家のためのものです。単純とは「全てを見通して正しくその全体をつかむ」という意味で、ここでの全体とは「この世界を全様態において反映する、世界の分離した一部分」です。つまり、この世界の一部分の全てを正しく見通している作品が、偉大だということです。このように世界を作品の中に単純化することは容易ではありません。不断の努力から得られる強靭な力と、意識の変化を鋭く読み取る直観がなければそれを成し遂げることはできません。芸術家にとっては、作品は単純であるからこそ偉大たりえます。
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 ところで、私は2011年9月、奔流中国グレートキャラバンの旅に出ていました。バインブルグ草原やゴビ砂漠を、時には馬で駆け、時にはギターを弾き歌を歌いました。そこでの生活は至極単純で、本当の意味での旅がそこにありました。朝起きて、日中は馬に乗り、夜は食事を火を囲みながらとり、歌や踊りを楽しみながら目的地を目指す。その生活の中にいったいどれだけの苦痛と喜びが混在していたことか!
この旅行の引率者でありNPO法人の代表である張宇氏は、「旅とはアートである」と言います。旅が芸術だと一般的には受け入れ難いでしょうが、まさに旅とは芸術そのもので、世界のさまざまな要素を���間と空間に閉じ込めて、人びとに体験させるものです。私たちが体験した場合では、圧倒的な自然やそこで暮らす人びと、馬や遊牧民たち、歌や踊りとそれらの全てを通じて私たちの心の中に湧き上がる感情を要素として、限られた時間と場所に旅の芸術が集約されていました。音楽が時間の芸術と言われるに対し、旅は時間と空間の芸術と言えます。もっと突き詰めて言えば、旅とは人生そのものを有限的な世界に表現する芸術です。青く広大な空やその中を飛ぶ白鳥も、また雄大な草原やその中で咲くエーデルワイスも、あの旅の要素の一つでした。
ですから、この場合も芸術として旅を見るならば、それは単純であるべきではないでしょうか。古代シルクロードはまさに旅を人生とした人たちによって作られていきました。もちろん彼らは日々を生活する人間であり、決して旅を創り出す芸術家ではありません。ですが、私たちが体験した古代人が創り出したシルクロードへの旅は、なんと芸術的だったことか!そこには人間の人生そのものが、単純に集約されていました。人が生きていく上で求める最初の根源的なものと、日常生活を善く生きるために必要な知恵���力を、私たちは擬似的に体験したのでした。あの旅は張宇氏の人生そのものでもあり、私たちの人生そのものでもありました。思うに、全ての芸術において最も大切な始源はこの点にあります。
 つまり、どんな芸術も、最初はそれを創り出す人、または体験する人の人生そのものでした。それこそが偉大なる単純さの源であり、私たちに感動をもたらす泉です。そこから芸術は大いなる奔流となって人びとの生活を満たしていったのです。
 私ははじめに、旅などしたくはないと言いました。しかし今となっては、声を大きくしてこう叫ぶことができます。
旅をしよう。記憶に新しいあの旅が私たちに教えてように、日常を旅しよう。それが芸術にとって、また人間にとって大切なことなのだから。
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奔流の旅                               
奔流の魅力は旅、そのままの姿を体験できることだと思う。予定外想定外のことが起こるのが旅だ。人生だって同じ、予定表なんてない。思い通りにいかない事もあるし、思いがけない幸せもある。 馬が来なかったり、6時間飲まず食わずでぶっ通しで砂埃の中を走ったり、氷点下の中で寝たり、肉体的精神的苦痛が伴った。だからこそ普通の旅行では味わえない絆が生まれる。
この旅は素材であり、それを使っていかに自分の求めるものを創りあげるか。そこに他人からの評価はいらない。上手く出来たら誇らしげにその喜びを仲間と共有すればいい。上手く出来なかったら取り組むべき課題を見つけられたと喜べばいい。いずれにしろ昨日の自分よりは一歩前に進んでいる。 毎年の事ながらこの旅は参加者各個人の内に秘めた力を見事に開放させる。旅を終え、皆キラキラした目でやりたい事を語り、出発前より元気になって帰ってくる。 奔流の旅は、ひと夏の草原の思い出ではなく、新たなスタートである。
私は今年、以下のインスピレーションを頂いた。私はこの牧場を必ず設立させる。私の旅は始まったばかりだ。
それに向けてのまず第一歩は、日々の仕事を着実に頑張ること。夢を大切にし素直に生きる張さんからそれを学んだ。
  『奔流牧場』 【コンセプト】”創造”、"絆"、”国際交流”、”楽しい!”、”人材育成”、”挑戦” 【概要】日本の若者に情熱と感性を与え続けてきた奔流。たくさんのエネルギーとインスピレーションを頂き、たくさんのことを学びました。そんなパワーステーションを日本にも作りたいといこうことで設立したのがこの牧場です。忙しい日常から離れリラックスするとともに、時代に流されない美しさ強さを再認識し、新たなスキルを習得できるような牧場です。週末に家族連れて気軽に遊びに来てください! 【設立】20XX年 【場所】湘南国際村(東京から近い、古都鎌倉から近い、海が近い、富士山が見えるetc)
【施設概要】 ・牧場:乗馬 ・農園:organicな感じで。 ・Cafe/Restaurant:牧場・農園からの食材で。 ・Lounge:暖炉を囲み、夜通し語ろうぜ! ・Lodge:基本は青空ゲル(寝袋/銀紙シート提供有)。希望者はlodgeに泊まれます。 ・Dormitory:世界からの留学生が短期/長期滞在できるように。 ・Studio: Language:各国の留学生から直接指導。 Fitness:乗馬/ジム/武道/ダンス/ヨガ/水泳/ゴルフ/テニス/サーフィンetc Art:写真/映画/絵画/音楽etc Japanese culture ”道”:茶道/書道/華道etc 世界に誇る日本の”道”。 Business:第1線で活躍しているbusiness person(君達のことです。)によるセミナー講座。 料理教室:各国の食文化の継承と創造。 ・温泉/プール ・大富豪ルーム ・Gallery: 奔流中国の歴史と変遷。 遊牧民の文化や生活を写真/映画/音楽で保存。  ・茶室:日本芸術の粋。 ・図書館:世界の絵本・各種専門書・自習室。 ・診療所:健康講座・人間ドッグetc ・国際協力:海外留学・留学生の受容。そこから生まれる新たな発想とそれらが生かせるような仕事の創造。 ”医療チーム派遣”:世界の無医村へ医療提供キャラバン。 【リンク】奔流中国主催者張宇氏による”パインブルグ乗馬基地”:シルクロードの中央に位置し、世界の若者や芸術家たちが集い、旅の心を知り馬のスピリッツを共有できる奔流の本山。東方騎馬文化の保全とともに騎馬文化から生まれたファッションブランド基地でもある。
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「人馬一体」に生きる
「切り撮る」×「切り開く」=「突き抜けMAX」…!?
旅の3A,それは人生の3Aでもある―Adventure・Amazing・Art。
冒険心をもって自分自身を世界に投じるところに美しき発見があり,驚嘆がある。それは写真活動にも似て,限りない可能性から,かけがえのない意味とエネルギーに満ちた絵(私自身)をフレーミング(創造)してゆく営み(Art)でもあろう。……(略)……大学を卒業してちょうど10年,社会実践(職場)と研究活動(大学院)に股をかける両立生活は今,自分の中で間違いなく大きな節目を迎えている。「苦悩と渇望」にあって,そこにどんな風景を,どのように切り撮って焼きつけることができるだろうか?(参加動機書より)
キャラバン前に綴った私の思いである。なんとも浮き足立った感が否めない。けれども,少なくとも何かはこの旅に求めていた。頭でアレコレ空想してもダメだ,とにかく自分の足と体を動かそう,そうしたら頭と心も働くはず…そんな思いでついに奔流へ飛び込んだ。
キャラバン中,そしてキャラバン後,心の中にずっと離れず残り続けた,あるおぼろげな風景があった。この文章(旅の証)をまとめるプロセスは,その風景にピントを合わせ,できる限り見通しよく視覚化し,時を得てシャッターを切る(言葉化する)機会となった。あえて最初に屁理屈な結論を先取りすれば,私はこの旅を通じて,ある究極的な華々しい「何か」を得たというよりは,その何かに到達するための,「術」とか「コツ」というものを身につけたように思う。そのために切り撮られた風景は,全くもって想定外だったが…。
さて,中国の表玄関・上海を皮切りに,我々キャラバン隊の進路はひたすら西へ,西へと向かった。奥行きの深い壮大な自然と,そこに堆積する時の厚みにひたすら圧倒された。その我々を運ぶ列車やバスも,強い風雨や泥にまみれ,険しい地形とうまく格闘しながら,黙々と邁進し続けた。その時々の思いは,まるで流れゆく雲のように,旅仲間の思いとくっつき,変化しつつ膨らみ,ゆっくりと漂い,やがて心地よく彼方へと消え去ってゆく…そんな繰り返しだった。そしてついに,この旅の珠玉の乗り物である「馬」にありついた。
乗馬初日から,しかも初めて乗る馬で,いきなり草原を颯爽と駆け回ったあの感慨は,奇跡だと思った。そして小高い丘から見渡す蛇行川,またそこに強く差し込む夕刻の斜陽の照り返しは,ただただ雄大で,豊かで,固唾を呑むしかなかった。そんな心地に導いてくれたその馬に,私は躊躇なしに感謝と愛着を抱いた。
事態が急変し始めたのは,舞台が砂漠に移ってからのことだった。事情あって私の乗る馬は日替わりとなり,馴れない悪戦苦闘の繰り返しが余儀なくされるということもあったが,さてここからは,砂漠上の事故と二次被害を防ぐ策としてとった「基本,並足一列」のキャラバン隊の風景に,話の焦点を絞っていきたい。
容赦なく照りつける直射日光。そこは気候と地形の条件が実に厳しかった。何の潤いも楽しみもない。ただひたすら,相も変わらず馬に乗って進むだけ。次第に疲労感と徒労感に包まれる。皆,口数も少なくなる。引き戻せない辛さ。せっかく馬に乗りに来たのに…。喉カラカラ。命カラガラ。荒涼殺伐~まさにそこは「無味乾燥」地帯!
そして次のような自問自答が,自分の頭を支配し始めた。
「360度見渡す限り,一体どこに方向を定めればここを切り抜けることができるのか?」
「そもそも自分は一体,何のために今ここにいるのか?」
しかし,しばらくしてふと,同じ頭の中でこんなシミュレーションもしてみた。
「この“空虚”な状況下で,ただ一人取り残されたら絶望的だ。だが,もしもここから切り抜けられる可能性があるとしたら,それは一体どのような仕方においてか?」
この問いにおいて,自分にとって絶対不可欠と実感するものが,大きく三つあった。
①キャラバン隊であるということ:【心のシャッター】
実は自分だけが苦しいのではない。皆たいてい辛かったはずだ。にもかかわらず,否,だからこそ,そこには労り合いや励まし合い,分かち合い(特に水!)が自然発生した。
やがて互いの心に動きが起こり,潤いが生じる。他人同士だった者が仲間となってゆく。そこに,先を目指すための燃料と何某かの風景が,胸の内に「切り撮られ」ていった。
②馬の存在~馬とのリズム:【人馬一体】
とはいえ,仲間の力だけで切り抜けられるほど甘くはない。何らかの術が必要である。そこであらためて,「馬」である。今ここに,途方に暮れる私と共にいる馬。その意味で,馬ははじめ私を目的地へと運んでくれる「道具」であった。しかし,自動ではない。故に手綱をしっかりと握り締め,馬を技術的に支配し,甘えさせることなく走らせるのだ。
ところが言うまでもなく,一方的な支配関係ではダメだ。馬にも体力や性格,そして心がある。こちらが縦になおも鞭打てば,そのうち馬にも限界が来る。反抗的にもなろう。だがそうかといって,そこで安易に無為に甘やかせすぎてもいけない。馬も人を見ている。いつの間にか,今度は自分が馬に支配されてしまう落とし穴と,隣り合わせなのだ。
この,支配か-被支配かの次元を超えて,馬をうまく乗りこなすというのは実に難しい。そしてキャラバン内でのこの見えざる孤独な葛藤…それは馬の数だけあったことだろう。しかしそれだけに,馬に乗るという動作には,異次元の奥深さがあるということでもある。
ところで今,「馬に乗るという動作」と言ったが,これは果たして,「人が,技術的に(うまく),馬に乗る」というだけの意味だろうか。ここで少し見方を変えれば,それは「馬が人を乗せる」,あるいはこれを,なお自らを主体として表現し直すなら,少なくとも,「馬に乗せてもらっている」という謙虚さが伴うはずの次元とも重なり合いはしないか。
馬との関わりの困難さ=奥深さが突きつけられた今,もはや私の側のvisionに沿った思惑だけで推し進めることはできない。それを相対視し,それを実現してくれるはずの馬の側の心情や呼吸に沿うこと,ひいては,馬の魂の域にまで触れ合うような私自身の息遣い,心遣いが求められるのではないか。馬は人を見ているのである。いみじくもここのところ、張氏は「なるべく馬は乗り換えず,一つの馬に乗り続けるように」と何度も強調し続けた。そしてそのことに忠実に成功した何人かの参加者の感慨は,実に豊かで,何かを見通せるほど透き通っていた。馬と格闘し,「変化」と「一体」をものにしたかれらの言葉は,心からの喜びそのものだった。馬との不可抗力的な相性の良し悪しを超え,時宜に叶ったタイミングや仕方で馬と呼吸を合わせ,「手綱」の意味を豊かにし,新たなリズムを生み出してゆくこと。この馬との共鳴,あるいはもはや,主体と客体が未分化した境地でまさに文字通り「馬が合う」こと。果たしてこれが,古より受け継がれてきた「人馬一体」の神髄に,幾ばくかでも迫るものとなるだろうか…。
③鐙(あぶみ):【足場の確保】
「人馬一体」への補足として、本能的に常に不可欠としていたものに,「足場感覚」がある。初めての乗馬。スピード感覚よりもバランス感覚に慣れない。死の恐怖がよぎる。そんな時,再び張氏の言葉で印象的だったのは,足場を担保する「鐙」への足のかけ方に関する助言だ。「足は鐙に深く入れない。いざという時,足が外れにくくかえって危険だから。けれども,  
単に足を飾りのように「置く」とか「乗せる」というのでもない。踏ん張るのだ」。
この絶妙な言い回し。力みすぎず,油断もしすぎず。心身の安定を支える「足場」は,実際私にとっ��は何よりの拠り所だった。しかしそこには,‘絶妙なほど加減’なるものがあるようだ。おそらくそれは,馬と私との間の,身体的・精神的な関わりや呼吸において初めて独自に見出され得る,これ以上ない相応しい着地点としての足場感覚,ではないか。
短い時間で実際に得たものは僅かだが,感じるものはとてつもなく重厚で,大きかった。キャラバン半ば,私がほんの一瞬だけ,馬と共に颯爽と駆け巡っていると体感できたある場面を今思い起こすと,私はあの時,馬に「乗る」というよりは,馬に身を預けつつ「立つ」ていた。あるいはより比喩的に表現するなら,私はあの時,大地の上を,何かに導かれながらも,「親指感覚」程度に,自らの足で一歩ずつ踏み出していたようだ。
以上の三つを,砂漠上で,馬上で,考えていた。そして次第に,このシミュレーションとその前提は,自分のこれまで/これからの生き方とも重なってくる事柄のように思えてきた。「この砂漠上で抱く空虚感は,現実の己が既に抱いてきた心の風景ではないか?」
仕事と研究の両輪を回転させてきた自分。だがその二輪車は,いつしか,ある地点から先へと進むことができなくなっていた。思うにそこには,社会における比較や評価という,値踏みの巨大モノサシが立ちはだかり,自らもその既成の枠の中で「自分の力で,(結局は)自分の満足のために」突き進もうとし,一喜一憂しながら振り回されていた姿がある。
否,もしかしたら,そのはるか前から己の内に通底していたであろう,総じて言えば,これまでの「自己拡張」的な生き方が,今や完全に頭打ちとなり,自らをある一定以上に,大きく突き破らせることができなくなったばかりか,ただただ,孤立感と虚無感という,足場無き深淵の闇に突き落としてしまったのだとさえ言える。そしてこうした自己分裂,ひいては自己無化という結末の境地は,無味乾燥にしか映らずただ徒労感に打ちひしがれていた,「あの」砂漠上での心地にピタリと重なり合ってゆくのを禁じ得なかった。
根こそぎ足元をすくわれ,もはや拠って立つ足場が失われつつある危機にあってなお,何にも揺さぶられず,流され得ない確固たる基盤や自分自身の根本的あり方に飢え渇く日々。これ自体,私の中に「生きんとする志」が潜んでいることを示しているのだろうか。けれどもこの期に及んでは,よもや己の力になおもしがみつこうとする自己執着(我執),ましてや,己の生命やそこに隠された神秘の意味を徒に投げ捨ててしまうような自己放棄,といった極端なあり方に右往左往する愚かさには,もはや甘んじられまい。
…では,どうすればよいか?
それは,苦悩(渇望)をちゃんと「苦悩する」,ということに尽きるのではないか。新たな足場は,どこか他に予め用意されているのではなく,自らの態度のあり方においてこそ,その足元から自ずと築かれてゆくのではないか。そしてそのヒントは,あの「親指感覚」にある。力みすぎず,油断もしすぎず。自ら踏み込んで「立つ」(自力)感覚と,自らを超えるものに身を「任せる」(他力)感覚。自問自答でなく自己拡張でもない,この,ある種緊張を伴う絶妙なる呼応関係。こうして,空虚な深淵にあって「苦悩」はその足場となる。
ところで,「足場」とか「親指感覚」とは,そもそも「馬」の話から出たものだ。そしてその馬は,今や私を単に楽しませ,目的地へと運んでくれる道具のみでは��り得ない。私自身の足場を常に問い,確保させた先に,私の夢や信念を叶えてくれる導き主である。否,「人馬一体」の域にあっては,既に馬は私の信念そのものであり,辿るべき道そのものだ。
今回の旅の舞台となったシルクロード,また草原と砂漠を分け隔てた天山山脈にしても,その厳しく壮大な自然条件に我々は幾度も驚嘆し,愕然とした。それまでに抱いていた,ある種のロマンティックな空想は,あの実像を前にしては音を立てて見事に崩れ去った。果てしないのである。とはいえ,我々は既にある程度備えられたコースを,主催者側の最善の配慮のもと安全に導かれていた。その意味で,旅ではあったが真の冒険ではなかった。しかし思うに,この地に初めて足を踏み入れた先代達は,いかにしてあの大地を駆け抜け,あの山々を越えて行けたのであろうか。予め用意された道など無かったはずだ。おそらく,孤独を分かち合う同志と共に描いて切り撮った希望や物語を胸に,まさに未だ知られざる「未知(みち)」なる地平を切り開いていった跡に,自ずと「道(みち)」はできたのだろう。「人馬一体」となって突き抜けたであろう,その真の冒険精神は,今回の旅から響いたメッセージであり,来るべき自らの人生の冒険に向けて,かけがえのない贈りものとなった。
「親指感覚」を起点とした乗馬奮闘記,自己探訪記,歴史追随記,未来設計図…なんとGreatなCaravanだったことか!そして今,確かな手応えとして感じている自由。現実のしがらみに束縛されつつも,真に束縛され得ない境地としての自由。かつまた真に現実へと立ち向かってゆく自由なる冒険心。この旅は非日常ではありながら,しかし,現実逃避した幻や夢物語ではない。冒険という名の私の人生そのものとして,風景を変えてこれからも続いていくのだ。
この旅を導いてくれた人、張宇氏に感謝。
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「〜過去への回帰 そして未来へ〜
 奔流中国グレートキャラバンに参加して」            
自分自身にとって「グレートキャラバン」の旅に参加するということは
まずは、「過去への回帰」でもあったかもしれません。
2011年5月6日。
私はこの日に大切なものをなくしました。
人生がちょっと複雑になってしまった瞬間。
「生きる」ことがちょっとめんどうくさくなってしまいました。
「記憶を消せるなら消してしまいたい。忘れよう。忘れよう。」
一方、「忘れたい記憶があるから忘れた記憶を取り戻したい。」
そんな欲求にかられていました。
2011年6月23日。
そんな中、14年前、まだ大学2年生だったころ、
奔流のシルクロードの旅で出会った張さんをはじめとする仲間と再会。
14年前と変わらない、でもちょっと大人になった人たちの笑顔。
忘れていたものをまず1つ取り戻した瞬間がありました。
そして、聞かされた、「グレートキャラバン」という旅のこと。
「馬で旅をする」しかも
「かつて商人たちがアジア、ヨーロッパ間を馬で走っていたであろうシルクロードを馬で駆け抜ける」
「この21世紀になんておかしな旅なんだろう」
「張さんってば最高じゃん!」
私にはちょっとした非日常が必要だったみたいです。仕事の都合をつけて参加することにしました。
そして、記憶にケリをつけるためにあることをしようと、心に誓いました。
2011年9月18日。
トルファンで合流したら、電車の中から出てくる出てくる
たくさんの学生さんたち。
14年前の記憶が一瞬で戻りました。
「おーこの感じこの感じ。19歳のときは、とにかくなにもかも新鮮ではしゃいでいたっけ」
19歳のときに初めて参加した奔流は、その後の私の人生の大きな起爆剤になりました。「あこがれの中国に初めて行けた。しかもあこがれのシルクロード。」
その後、私の学生生活といえばさらに西へ西へ。中国の隣の国、そしてまた隣の国。シルクロードをひたすら旅して、思春期をすごしたヨーロッパへ。
そこで出会った、宗教にからむ紛争、でもその状況下でも笑顔を絶やさない人々。
「この人々のことを伝えたい。」
忘れていたもの、2つめを取り戻した瞬間。
さすがに33歳になった今、あのころみたいにはしゃぐことはできなくなっていましたけど。。。心の中でちょっと興奮状態。
2011年9月19日。
さて、興奮状態さめやらぬままバインブルグ草原で出会った 
額には白い三日月の模様、そして背中につむじのあるステキな馬、
つむじちゃん。つむじちゃんは兄弟の馬とつねに寄り添っていました。
もう一目惚れ。なんてかわいいんだろう。
「運動神経ないけど乗れるのかな」
そんな恐怖、不安はなんのその。気づいたら草原を駆け抜けていました。
つむじちゃんの走るときの体温、息づかい、汗、、、
そしてちょっと張り切りすぎて自分一頭だけになってしまったとき、
兄弟を探している不安げな表情、いななき、そわそわとしている足取り。
最初は顔を近づけても全然そっぽをむいてしまうつむじちゃん。
でも1日、1日しつこくつむじちゃんを探しては乗っているうちに、そして私も兄弟を探して常に寄り添っているうちに、家族みたいな気分。最後は顔を近づけてくれました。
「かけがいのない存在」「家族」「寄り添う」「体温」「息をするということ」
「生きる」「生きている」「必死で生きて行く」
つむじちゃんにとっての「日常」。
つむじちゃんから学んだちょっとしたこと。
一方、草原は人間を寄せ付けない圧倒的な美しさと厳しさが容赦ない。
圧倒的な静寂。圧倒的な朝日そして夕日。圧倒的な星空。圧倒的な寒さ。
でも、そこに住んでいる人々、そして馬たちにとってはこれが「日常」。
私なんか1人でいたら一晩で死んでしまう。私にとっては「非日常」。
ある日見た、草原のさきにそびえる雪をかぶった山脈。南の方角。
そのさきにかつて訪れたチベットが。。。 
「ここにはなにもない」
「でもすべてがある」
忘れていたもの、3つめを取り戻した瞬間。
その瞬間、悪夢のような記憶にケリをつけるのをやめました。
一生私はこの記憶とともに生きて行く。
そしてまたここへ戻ってくる。
そして帰国後、東京である日。こんなことを感じました。
店がオープンする30分前の街のざわめきが好き。いつものざわざわ。

いつものデスクまわりのざわつきが好き。
いつものざわざわ。

日常に感謝。

日常がそこにあるから、生きていく。なんのために生きてるのかわからなくなったなんて考えちゃダメだ。

日常をこなすのが生きて行くことなんだ。
これが私にとっての日常。
そしてちょっとした非日常、奔流にありがとう。
~~~~~~~~~~~~~
備忘録
大学2年生の4月、偶然youtubeで西安からウズベキスタンを旅した方のスライドショーを見た。炎のような火焔山、キルギスの石人、サマルカンドの青いモスク・・世界にこのような美しい場所があることを初めて知った。中国には青い目を持つ人々が住んでいることを知り衝撃を受けた。私の中国とシルクロードへの憧れはこのとき初めて生まれた。
私は観光目的でグレート・キャラバンに参加してしまった。そのためがっかりさせられることも多かった。寝台列車の遅延や馬の到着が遅れたせいか、楽しみだったベゼクリク千仏洞や羊さらいを見ることができなかった。このことは今でも心残りだ。
しかしあるとき、私は間違っていることに気付いた。
~シルクロードの旅は観光ではない~
シルクロードという言葉は美しい響きがあるが、私の見たシルクロードはそうでなかった。草原の昼は汗をかくほど暑くなるが、朝は霜が降りるほど寒かった。映像で見た美しい天山山脈も、実際登ると吹雪と霧で前が見えなかった。横を見るとそこはもう崖だった。 シルクロードには多くの国が現れては消えた。多くの血も流れた。旅人も盗賊に襲われることもあっただろう。この旅でシルクロードはデスロードであることを悟った。
それでも古来の旅人は死ぬ覚悟でシルクロードを旅した。何故なら彼らには命をかけても成し遂げなければならない使命��あったからだ。
ローマ帝国を目指しシリアまで辿り着いた後漢の甘英
仏教の経典を求めインドへ向かった三蔵法師
莫大な富を求めフビライ・ハンの元へ向かったヴェネツィアのマルコ・ポーロ
この他にも多くの旅人がシルクロードを歩いた。勿論、志半ばで倒れた名もなき旅人も大勢いるだろう。シルクロードを旅するというのは、観光などという甘い気持ちで旅してはいけないのだ。砂漠越えでの喉の渇きと腹痛が、私に教えてくれた。
馬は現代では娯楽のための生き物だが、古の時代はそうでなかった。カザフ人の遊牧民スタッフと相撲を取ったが、相手は屈強な体で私は勝つことが出来なかった。モンゴル人と握手した時、彼らの手の皮がとても厚いことに気付いた。寒暖の激しい草原に住んでいるからだろうか。遊牧民スタッフは皆人懐っこかったが、彼らには勇敢な騎馬民族の血が流れている。火器や戦艦が登場するまで、騎馬民族は世界最強の戦士だった。高速移動しながら矢を浴びせ、高い場所から敵を切り裂く。敵の反撃が始まる前に瞬時に離脱する。馬を操れるというのは、今でいえば戦車や戦闘機を操れるようなものなのだろう。騎馬民族が歴代の中国王朝を苦しめ、ヨーロッパまで攻め上がりユーラシア大��を支配できたのも何となく理解できた。
~奔流中国~
奔流中国最大の存在意義は、自分の道を自分で創り切り開く人材を世に送り出している点だと思う。大学を長年留年したり、定職につかず、会社を退職し留学へしたり・・張さんや奔流の先輩方を見てみると、社会の枠組みにはとらわれない人が大勢いて驚かされる。先輩方の表情はとても明るく、今の自分に後悔しているという感じは見られない。
彼らは中国の雄大な大地を知ることで、そしてシルクロードを旅することで気付いたのだろうか。
 道無き道を旅したシルクロードの旅人のように自らの人生の道を創り全力で駆け抜け、そして歴史に名を残すような偉業を成し遂げる素晴らしさを。
奔流が教えてくれる、我々は確かにシルクロードを旅したのだ。
~~~~~~~~~~~~~
昔から女性のハイヒールのコツコツという音が好きだった。
朝の通勤ラッシュ時の渋谷駅で、私は無限の行軍に耳を傾ける。
何故この音は心地よく体に響くのだろう。
今日、前を颯爽とゆく女性の足音を聴きながら、もしかして、と思い当たる節があった。
これは、馬のひづめの音に聞こえはしないか。
面白いことに、音だけでなくそのリズムまで、女性と馬のそれは同じに思えるのだ。流石に人にはギャロップは出来ないだろうけど。
何人ものOLが行き交うコンコースで目を閉じると、大都会でキャラバンしているように感じる。
一方でそう思うと、競うように高いヒールを履き合う女性たちが少し滑稽に思えるのだった。
東京でのキャラバンは、灰色の天井と疲れた二酸化炭素ばかりだ。
エスカレーターは一定の速度で人を運んでいく。
私は朝だからご飯を食べ、昼だからご飯を食べ、夜だからご飯を食べ、そして25時を過ぎたので眠りにつく。
私は日々螺旋階段を一定の速度で登ってゆく。
あの旅は違った。
無秩序という秩序。
例えばゴビ砂漠へ向かう道中。天山山脈越え。
身体が「ここは知らない」「ここは知らない」と呟いている。
髪もゴワゴワ。服も4日間同じ。それでも生きてる。
痛む背中と凍てつく寒さに震える。それでも眠りにつく。
お腹がすいたからご飯を食べる。身体が砂だらけだからシャワーを浴びる。
私はそんな環境の中で、飽きのきていた自分という存在を変えたかった。
変わらないことを恐れた。
しかし、そうしたある種の極限状態の中で私が気づいたことは、私は絶対に変われないということだった。
私はどんな場所にあっても、私として生きなければならない。
空っぽのままだ。
それでも、草原のただ中で、星空を見上げつつ、死にたい?と問いかけると、まだいい、と答える声がある。同時に、でも、死んでもいい、という声も。
それが「生きる」ということだと思った。
プランに沿って、完結しない限りは不満足な人生ではなく、一瞬一瞬をスライスしたときに、それだけでいいと思えるような。
何より、張さん、遊牧民の人たち、そして80人の素敵な仲間に出会えたことに感謝感謝。
愛している、
そう思えた旅だった。
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私は旅が好きだ.でも,旅にトラブルは必ずといってついてまわって,でもそのトラブルからの産物も必ずといっていいほどある.極論を言えば,私はそれが楽しくて毎回旅に出ているのかもしれない.
今回だってそうだった.馬運車が速いスピードで走れないこと,草原には鍵付きの厩舎があるわけではないこと,天候,移動中の諸問題.60人規模の団体旅行と聞いただけでも十分トラブル要素は満載なのに,それに生き物である馬が旅に付随した時,例えば馬が予定通りにこないことも,馬が夜逃げ出すことも,裕に想定の範囲内だった.
草原や砂漠での生活と,衣食住の充実が当たり前な日本での生活を比べた時,草原や砂漠でのそれは,私たちにとって決して豪勢で満足いくものとは言えなかったかもしれない.けれど皆,毎食のご飯の時,ぬるいミネラルウォーターを飲む時,腹の底から「ありがてーー」「うめーーー」と迸るような声をあげていた.極寒の中,明らかに人数と面積があっていない狭いゲルの中で「足を伸ばして眠れることって本当に幸せだよね」と話す声が聞こえた.薪ともいえぬ木々を自ら集めて火を焚いて,ギター片手に仲間たちとただ声を合わせる,それだけのことを皆すごく幸せとしていた.
何時間も草原で待ったからこそ,ご飯を何倍も美味しく感じることができたのではないか.仲間のことをより深く知ることができ,また,このようにトラブルに対する自分の反応を通してより一層の自己覚知ができたのではないか.もし日本で,大都会東京で,同じことを体験したならば,一瞬でも心底“幸せだ”“満たされている”と考えることができる人は何人いたのだろうと,そんなことを何度も考えた.
キャラバン中,馬を乗り替わった時に現地スタッフに「その馬はもう走らせないで」と言われた時があった.馬の疲労は明らかで,出来ることならすぐさま降りて休ませてあげたかった.けれど,「馬で旅をする」このキャラバンでは,休ませては,馬も人も目的地には辿り着くことはできない.馬をどう操つるかも,どの道を選ぶかも全ては乗り手次第なのだ.放牧中に馬が逃げて,皆より少し遅れて出発した日があった.常に仲間の群れが視界の中にいたこれまでとは異なり,見渡す限りの砂漠に現地スタッフ2人と私だけしかおらず,この時ばかりはまるで自分たちで道を切り開いているかのようだった.馬と自分たちだけしかいないこの状況で,馬を信じることは言うまでもなかった.馬に“乗せてもらう”のではなく,“共に歩む”感覚を覚えた.普段から馬に敬意をもって接しているが,この時ほど馬に感謝したことはない.
キャラバン中は,馬上で見える世界が多くあったように,地上にいなければ見えない世界もまた多くあった.キャラバン最後の2日間,私は仲間よりも馬に乗る時間が少なかった.馬に乗らずにいた間,私が目にしたものはゲルを手際よく片づけ,私たちの荷物をトラックに積んで何往復もしながら次の場所に運んでくれているスタッフの姿と,60人分の食事をたった2人で作るスタッフの姿だった.主催者をはじめとする見えないところでうごいてくれている多くの人の支えがあったからこそ,私たちは,「馬で旅をする」ことが実現できたのではないのだろうか.毎日気付いた時には,ご飯もゲルも荷物も私たちの目の前にある状況.「馬で旅をする」上では決して当たり前なことではないはずなのに,その状況を私たちは勝手に当たり前と捉え,甘んじていた人も少なくないのではないか.参加者のうち何人が,この“当たり前”と思わせる環境をつくってくれていた人々に,直接感謝を伝えていただろうか.私だってきっと十分にはできていない.
これまでのキャラバンで得たものとは明らかに違う今回3回目の参加.これまで同様,あの広大な大地を馬で駆けることができることに激しい興奮と達成感を覚えたのはもちろんで,3回目の参加にして,初めて「馬で旅をする」という実感が掴めたのも事実だ.しかし今回私が「馬で旅をする」ことで得たことは,自分自身の乗馬の技術上達でも,馬で駆けたいという自分の欲への満たしでもなかった.改めて自分は周りの人々に支えられて初めて生かされているのだということ,五感を奮い立たせながら生きるという困難さと大事さ,そして何より,自分の跨っている馬を,横で一緒に駆けている馬を,一緒に参加している仲間を,そして自分自身を思いやることを自然と意識することができたことだった.それは目にみえた収穫ではなかったが,きっと自分にとっては何よりも大きな収穫だったと考えている.
10日間,喉も身体もカラカラだったけれど,心だけはずっと満たされていた.もしかしたら日本にいる時の私は,喉も身体も全て満たされているけれど,心だけどこか満たされきれていないのかもしれない.
今年も奔流を提供してくれた張さんに、ありがとう!
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旅をする時は、いつも日記をつける。本当は家を拠点に生活している時も毎日つけたいのだが、そうはいかないのは私の怠惰によるものか。けれども、もう少し考えると本当の理由はそこにはなくて、どうやら思考に終着点を求めているか否かの違いらしい。普段の生活では頃愛を見計らって考えることをやめて、ひょっとすると次の日か、はたまた何カ月も先にその続きを始めることが少なくない。それでいいと思っているので、いつも思考の気まぐれに身を任せる。対して非日常の世界では少しだけ意図的に自分の脳みそを支配する。光をあてたい側面を意識して、そこがはっきりと見えてくることを目標に旅の毎日を過ごす。留学であれ、旅行であれ、一人旅であれ、全て同じ。ここを消化したい、これが何なのか知りたい、等、自分の中に何かしらのテーマを掲げて出かけるようにしている。だから、日記をつける。文字に起こさないと無意識のうちに考えることを放棄して、残された曖昧なものは全て美化されていくから。何かを見聞きし、感じ、考え、文字に起こし、そしてありのままを留めておくのが、私なりの旅の味わい方である。
 およそ三分の一を前置きに費やしてしまったが、私にとってのこの旅のテーマは「リベンジ」であった。そして、それを達成できたことによる深い安堵が旅の記憶の多くを占めている。この文章��書くにあたり、17日間の日記を読み返した。そこには驚きから喜び、それからちょっとした不満や焦りの気持ちまで、今読むとむずがゆく感じる���うな表現が並んでいた。ただ、そこには一貫した安堵の念があった。
 リベンジには大きく分けて二つの意味があった。一つは乗馬に対して、もう一つは自分に対してのリベンジである。前者は至って単純である。昨年乗馬キャラバンに参加した際、馬に乗せられている感覚を拭えないまま帰国したのが悔しかった。もう一度馬に乗り、今度こそ「私が」操って草原を駆けたいと思った。その思いをぶつけに今回の企画に参加して、自分の意思で手綱を引き、膝で胴をしめ、草原を走る感覚を知ることができた。
 後者については少し説明を要する。私は何度か短期留学を経験したり複数のサークルや団体に所属したりと、顔を出すコミュニティが比較的多い。そのどれにも愛着があり、活動中か否かに関わらず、たとえ細くとも末長い繋がりを持っていきたいと思っている。しかし前回参加したキャラバンは例外的にそう思うことができなかった。理由は「当時の自分が苦手だから」。背景は色々あるのだが、要は全く自分らしさを出せなかったため、メンバーに再会して当時の自分を思い出すのを避けていたのである。もう一度奔流に参加して、この煮え切らない思いを拭い去りたかった。そして、それは意外なほど簡単に達成された。この17日間は細かいこと抜きに本当に全力で楽しかったし、帰国後の自分は驚くほど身軽で、前回のメンバーとも約1年振りに気持ち良く会うことができた。あの馬が、大地が、空気が、食物が、星空が、仲間が、そして少し変化した自分がこれを叶えてくれた。
 主催者が意図しているものはもっと違うところにあるのだろう。けれども、今回の旅は私にとって間違いなく克服を意味していた。「理由」というものは、自分の中に見出し、向き合い、そして乗り越えうるものだということ。自分は今までそうやって生きてきたし、きっとこれからも同じように生きていくのだということを教えてくれた旅だった。
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幼い頃から他人の目が怖かった。いつだって「いい子」「いい人」で居たくて。自分がどんな風に思われているかばかりが気になって仕方がなかった。100点を取って褒められたいから勉強した。そのまま大学に入り、訳も分からず履歴書を書いて就活に失敗した。自分の中に誇れるものが何一つ無いと、漸く気が付いて愕然とした。そして私は大学を出させて貰っただけの社会不適合者になった。
中身がない。それを取り繕うための建前が日々増えていく。隣の芝が青く見えても「あれはああいう品種だから」と、常に心が壁を作る。でも本当はそうじゃない。隣人の庭が輝いて見えるのは、彼らがそれに見合う努力をしたからだと知っている。比べて私は何もしていない。自業自得だ。わかりきっていた。独り言が増えた。ちくしょう、こんなんじゃないのに。ちくしょう。本当は、本当はこんなんじゃないのに。
…じゃあその「本当」は、どこにあるのか。
1年前。内モンゴルの大草原で見た景色が心に浮かんだ。そして、旅に出ることを決めた。
旅の間私は、心に一切の嘘を吐かないことを自身に課した。くだらない自尊心に塗れ、奥底で眠ってしまった自分の感情を取り戻さなければならない。
誰からも嫌われたっていい。いい人なんて思ってくれなくていい。
自分の心のままに、生きていける場所に行きたかった。
蒙古馬に乗るということは、魂と会話することだ。
膝に力を入れ、馬のリズムに乗る。鞍や鐙の金具が当たっていても、痛みに気を取られれば落馬する。躊躇なく手綱を引ける意志と腕力がなければ馬を走らせることはできない。そこでの優しさとは、厳しさとほぼ同義語だ。生きようとする力が闘争心を生む。妬みや怒りを乗り越えた先に思いやりや協調性がある。
物言わぬ魂に触れていると、自分の心の動きが見えてくる。全ての感情が生まれ、消える瞬間が手に取るようにわかる。苦痛や寂しさ、憤りを感じている時ですら心が満たされていた。叫びたい時に叫び、笑いたい時に笑い、泣きたい時に泣く。そんな当たり前の行動がどんなに幸福だったことだろう。
ヒトは一個の受精卵から胎児に至るまでに母親の子宮の中で進化の過程を辿る。有性生殖を始めた原始生物から今に至るすべての歴史が、私たちのDNAには流れているという。
人間を野生動物と同じく考える場合、その寿命は約30年とも言われるらしい。
私の動物としての生が終わるまであと7年。
人間としての生を授かる前に用意された準備期間のうちに、私はどれだけ本能を研ぎ澄ますことが出来るだろうか。
さあ360度。「本当」を探しに。どこへ向かって走ろう。
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「しぜんと」
中央にそびえる白亜の城、回るメリーゴーランド、人々の笑顔。キラキラと輝く遊園地は、幼い私を異世界に誘ってくれる唯一の空間で、大きくなってからも暫く憧れを抱きつづけていた。しかし、旅を終えて久しぶりにその遊園地に遊びに行くと、何か違和感を覚えた。以前感じていた面白みを実感できなかった。乗り物に乗るための長蛇の列に並びながら思い描いていたのは、砂埃の中で馬を走らせていた私自身の感覚だった。
キャラバンの旅は自分の体ひとつで、異世界に飛び込んだようなものであった。視界の限り何処までも続く草原、ゴビ砂漠そして澄み切った空。耳には馬の駆ける音と風を切る音、遊牧民の声。馬の振動や体温、目に入る流砂、降り注ぐ日光。この旅では常に自分の五感と体で、世界と向かいあっていた。
だからこそ、良いことばかりではなかった。様々なことがあったが特に印象に残っているのは、速馬に乗ったときにバランスが上手く取ることが出来ず、尾骶骨周辺が裂けて出血したことだ。乗馬の最中には傷と鞍が擦れ痛む一方で馬を降りる訳にもいかず、その苦行に奥歯を噛み締めながら乗り続けた。馬は大変不便であり、車もバイクもあるこの近代に文明に逆行してまで馬での移動をする、この旅への参加を何故決心したのか自分でも分からなくなっていた。
次の日、傷休めをするため遊牧民の車で移動をすることになり、快適な車内で私は車が如何に優れているか理解した。車は運転手に従順であるし、基本的に運転の際の運転手の負担はそれほど無い上、快適である。そのように車を賛美していた時、私の乗っていた車が皆のキャラバン隊の横を追い越した。その時の車窓の光景は今でも目に焼きついている。広大な空と大地を背景に馬を駆けさせている、みんな。そのあまりの躍動感や美しさに、見知ったはずのみんなが知らない人の様に見えた。その時に私は、あの集団の一部に私も入りたいとぼんやりと思った。キャラバンは一人ではなくて、他の仲間が居て成り立つ隊列だ。自然が相手の過酷な旅路を仲間と支えあって、目的の地へ向かう。このグレートキャラバンはその様なキャラバン隊を体験できる機会で、そんな掛け替えのない経験を積みに私は参加したのを思い出した。そう考えると尾骶骨の怪我も此処でしか体験できない貴重な事柄のように感じ、遊牧民の人と一頻笑い種にしながら次の日からまたキャラバンに再参加する決意をしていった。
あの場所で起きたことは全て自分の身に直結していた。だから、こんなに生活環境の整った日本に帰ってきても、瞼を閉じれば不便で過酷であったあの旅がしぜんと思い出されて仕方ないのだ。愛している、と言える人たちに出会い、自然と己の身ひとつで向かい合う旅なんて滅多に体験できない。この旅で様々な事象に出会って、私は一回り成長した。そう確信している。
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奔流の旅で私が得たものは、乗馬体験、見知らぬ土地の旅、それらを差し置いて人々とのつながりだ。
私は無類の漫画好きである。にも拘らずアウトドア大好きな人間である。そんな裏表な人間は少数派なのではないかと思っていたが、参加初日にしてその考えが間違っていたことに気づいた。参加者の多くが漫画などに理解があったり、美術や音楽が好きだったり、文化を愛する方達で、そうした、普段から夢や理想を描いている人達だからこそ旅に惹かれる傾向があるのかもしれない、などと根拠のない考察をしてしまった位だ。日本では普段、「漫画好きなオタクキャラ」として生き、またそうした自己を過度に演出するばかりな自分は、ここに来てその云わばアイデンティティのようなものを剥奪されてしまったわけである。そんなもの普通じゃないか、と。それよりもお前の本質は何だ、と。旅の間、同行していたモンゴル遊牧民の一人が、ゴビ砂漠キャラバンの休憩中に、砂で自分に似せた埴輪のような人型を作っているのを手伝った。「これ、貴方?」と身振りで聞くと、さぁ、分からない、と言われた。ただ作っているだけ。自分かもしれないし、誰でもないかもしれない。私もそのようなものなのだろう。だだっ広い砂漠に棒人間一人書いて、これが私です、と定義すれば、それが私になる。わけもなく。
変な話だが、私は私としてではなく、定義されない一個体として、参加者や現地で出会った皆と関われたように思う。
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中国はでっかい!世界はもっとでっかい!!         
 もともと、夏休みには海外旅行に行くつもりでいた。旅行会社のパンフレットを物色していたあ���日、学校でポスターを見かけたのが奔流中国との出会いだった。観光地を巡るだけのツアーなら爺さんになっても行ける。どうせなら今しか行けないようなツアーに参加したい。そう思って、奔流中国、その中でも特に異彩を放っている馬の旅、キャラバンへの参加を決めた。
 今回の旅のメインイベントは、シルクロードでの乗馬キャラバンだ。世界一の大陸、ユーラシアを西から東へ横断するシルクロード。古代の人々の冒険心が切り拓いたこの道を馬で駆け抜ける、というロマン溢れる旅なのだ。
 このように書くと何だか格好いいが、キャラバンの間は、普段とは比べ物にならないほど辛いことが多かった。日差しが強いのに夜は凍えるくらい寒い。馬はなかなか思い通りに進んでくれない。体中の関節が痛くなる。パンフレットに「旅に慣れている人だけ参加してください」というようなことが書いてあるだけのことはあった。正直、最初はここまでとは思っていなかった。シルクロードの開拓者たちも、これと同じような、いや、それ以上の困難を味わったことだろう。
 それでも、キャラバン最終日の本当に最後だけだったが、馬を完全に乗りこなせたような気がした。馬の走るリズム、呼吸の音、風の匂い、全てが混ざり合って、不思議な感覚を覚えた。もしかしたらこれが、張さんの言っていた「馬との一体化」の入り口だったのかもしれない。この一瞬があっただけで、辛かったことも全て楽しい思い出に変わってしまうほどだった。
キャラバンを通して、分かったことがある。現地の空気は現地でしか味わえない。草原の風景を作っているのは、テレビや写真でもわかる要素だけではなかった。音、風、気温、匂い、時間、景色の移り変わり、全て合わせて一つの草原が出来上がっている。世界はでっかい。このような場所、このような体験が世界のあちこちにまだまだ眠っていると思うと、ワクワクしてきませんか?
 これからもたくさん、あまり人の行かないような所へ行き、誰もやったことのないようなことがしたい。ただ、その原点として、奔流中国は一生忘れないだろうな、と思う。張さん、ありがとう!
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・馬、自由
旅から帰った。
バックパックを広げると、舞い上がる砂埃とともに、旅から持ち帰った様々なモノが溢れ出た。
くたびれた乗馬ブーツ。
何かの骨。
石。
この旅に彩りを添えた、形あるモノ達は
今は家の片隅で少し居心地悪そうにしながら、日常に溶け込もうとしている。
帰国から少し時が経ち、この旅を形に残す機会に恵まれた。
そして、気づく。バックパックでは持ち帰れない、形のないものを持ち帰ってきたことに。
今やっと、おぼろげながらそいつの輪郭が見えてきている。
2010年、夏。
カラダは痛むし、馬は言うことを聞かない。不自由しか感じなかった、初めての乗馬キャラバン。
何もしなくても勝手に群れの先頭を走る馬。周りが言うほど実は楽しくなかった、馬の旅。
見渡せば歩く気すら起きないほどだだっ広いモンゴルの大草原で
もし馬がいなければ、と思うと途端に突きつけられる、人間のちっぽけさ。
いつ暴走し出すかわからないこの馬に頼るしか、此処で生きる術はないと知った時、覚悟は出来た。
そして、知った。
勇気を出して前に進む、ということ。
命をかけて手綱を握る、ということ。
切り裂く風の中で聞いた「生きたければ、前へ進め」
まさに人生のように。
いや、そこには23年間のどんな場面よりも、はっきりとした輪郭をもって迫ってくる「実感」があった。
持ち帰ったものは、大きかった。
2011年、夏。
「グレートキャラバン」というものがあるのは知っていた。
それが復活すると聞いた時、震えた。
ここに挑戦の場がある、と思った。
今度こそ、「自らの意志」によって馬で駆けよう。
願わくば、人馬一体の境地まで。
「自由」を得るために流す血を、今度こそ厭わない。
「本当に馬で駆けるという事を知る旅に出よう。」そう、決めた。
そして、何を思うか。
今度はどんなものを持ち帰れるか。
天山山脈麓。古の隊商路。草原というより、高原。
ここにいる意味を問う。
正直に答える。
行く手を遮る馬の群れ
群れの先頭から出ようとするのを制止する声
すべてが、ひどく邪魔だった。
それらを全て蹴散らして、地上の流れ星になりたかった。
とことん、我儘になってやろうと決めていた。
それは、「自分の意志」で「全力」で駆けることでしか、ここにいる意味を確かめられなかったから。
真摯に、馬と、自分と、向き合うためにとった不器用な手段だった。
ある方法を知った。
手綱をギリギリと引き続け、群れの後方に下がり距離をとる。
駆けるのに十分な距離ができたら、手綱を一気に緩める。それがGOサイン。
一瞬で空間が縮んでいく。
キャラバン隊で進む限り、駆け足で存分に駆けるには、この方法しかなかった。
勢い余って前方の群れに突っ込んで、ひんしゅくをかうこともあった。一向に構わなかった。
ふと周りをみると、同じようにのろのろと後ろに下がる奴らがいる。
自由に駆ける味をしめ、よからぬことを企んでいる目をした、迷惑な奴ら。
なぜか、嬉しくなった。
~~~~~~~~~~~~~
自由。
その言葉の意味するところ、考えてみたことはありますか。
本当の自由を、感じようとしたことはありますか。
70人が東を向いても、おれは西へはなむける。
70人が早足なら、おれは駆け足を。
別に、人と違うことしたからって、自由でいるとは少しも思わない。
でも、人と違うことするときってのは、それなりの覚悟がいる。
それだけの力がいる。
帰国後、参加者の一人が馬について語っていた。
馬に乗りながら、他の参加者の安全に気を配っているという。
鞍を縛る紐が緩んでいないか。鐙に足を深く突っ込みすぎてないか。
金網などの障害物が無いか。地面にでかい穴はあいてないか。見つけたら、即座に周りに伝える。
それは、ただの優しさから来るお節介じゃない。単なるコミュニケーションの手段じゃない。
馬が好きで、自分の意志で共に駆けたくて、血を流しながらやっと得た、力。そして、自由。
そいつは、やっと得たそれを、自分ではなく他人のために使えるやつだった。
力と自由に裏打ちされた、本当に人のためになることだった。
「お前とは格が違うんだよ」と冗談っぽく言うけれど、それは本当かもしれないと思った。
歩く度、今でも違和感を覚える右の足首。
握ると、少しだけ厚みが増した気がする手の平。
それに対し、確実に厚みが増した尻の皮。
自由に駆けたくて足掻いた跡。
自由が拠って立つものは、いたるところに刻まれていると気づいた。
強烈な、願いや切望。
手を伸ばし、足掻き、追い求める、何か。
そこに感じる、力の無さ。
不自由の塊である自分を自覚した時、血を流す覚悟はできる。
ワレモノ注意の五体を、馬に完全に委ねる決心ができる。
わかりきった事、なんかじゃない。
心からほんとに何か為したいと思わないと、自分を縛る鎖はそもそも見えない。
不自由を自覚する機会は生まれない。
おれはそれを、馬から教わった。カラダに叩き込まれた。
頭じゃなくて、心で感じた。
そうして手が届く、自由のかけら。
もしも、あなたが馬で自由に駆けたいと思うなら
おれは、絶対に追いつけないと思わせるスピードで後ろから抜き去ってやります。
「追いついてこい」と笑顔の中ギラついた眼をして訴えます。
あなたの不自由さを、わからせます。
この四肢を賭けるに値する何かを、背中で示します。
馬と人を隔てる境界線が溶けてなくなる、この何物にも替え難い喜びを、全力で見せてやります。
今までただ目の前の行く手しか見ていなかったこの視界を、少しだけ左右に広げて。
それがおれにできる精一杯の伝え方。
次に草原に帰ってくるときは
「馬で自由に駆ける喜びを知ってもらう旅に出よう。」そう、決めた。
旅から帰った。
心の中を覗くと、もう一人の自分が真っ直ぐにこちらを見ていた。
問うている。
この旅は、何だったのか。
狂乱のあとに、残るものは何か、と。
これは、答えのない問いに答え続ける、心の中の、もう一つの旅。
~~~~~~~~~~~~~
これから・・・。
 嫌で嫌で仕方なかった。
 日本に帰りたくて帰りたくて仕方なかった。
 一刻も早く故郷の地を踏みたくて毎日イライラだけが募っていった。
 退屈で平凡な大学生活に嫌気がさし、少し別の世界を見てみたいと思っていたころに
 見つけた「馬と旅する 奔流中国」のポスター。
 このキャッチフレーズに引かれて参加する人たちはきっと変わっているに違いない。
 私のこの平凡な毎日に刺激を与えてくれるだろう。
 深くは考えずに勢いで思い申し込んだ。
 旅が始まってみるとこれまでに受けた事の無いような衝撃の連続だった。
 リアルを見ていない人に説明する事もままならない衝撃を受けつづけた。
 参加者の皆が皆、「我」をはっきりと意識してた。
 自分の中では今まで20年間それなりに色々な経験をしてきたと思っていた。
 いじめ、中学受験、登校拒否、起業、不登校、高校中退、海外生活、大学受験。
 けれどここではそのどれもが意味をなさなかった。
 肩書きは関係ない。過去も関係ない。あるのはただ「今」だけ。恐怖だった。
 その仲間達と見た中国は偉大だった。
 経済発展のまっただ中、上海の町は「希望と自信」に満ちていた。
 そして、内地では雄大な自然に人間の小ささを感じさせられた。
 山や湖、人間の手が加えられていない自然に久しぶりに出会った。
 乗馬に関しては私は何も述べる事が無い。
 ただ馬達には「おつかれさまでした。」その一言を送りたい。
 この旅の最中「馬の気持ち」というのを考え続けた。
 けれども途中で見えなくなってしまった。私に気持ちの余裕がなくなったから。
 自分の小ささに気がつかされた旅だった。
 精神的にも肉体的にも限界を超えていた。
 自信という自信は打ち砕かれ、
 私はいったい何のために生きているのかと考える日々が始まった。
 これから先私はどの道をどのように歩いていけばいいのだろう。
 「参加するんじゃなかった。」それが私の感想。
 ただ、この今感じている孤独と苦しみとむなしささえ乗り越えれば
 この旅に参加した意義が手に入り、実りのある人生が待っているのではないか。
 そのように感じる。日本に帰ってきた今、私がすべきことはなんなのだろうか。
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もともと私はモンゴルとか中国の歴史とか、そういった文化的な類のものには詳しくなくて、 今回奔流中国グレートキャラバンに参加したのも、単純に大草原で馬に乗ってみたかったからだった。
 でも草原や砂漠を延々と馬で走っている時に、少しシルクロードに想いを巡らせてみた。そこで、初めてシルクロードを渡った人たちは、もっと遠くのものを見てみたい、何があるのか知りたいという単なる好奇心から、あの長い長い道のりを越えて行ったのかなと、ふと考えた。  道なんてないから迷うかもしれないし、馬はいつ死ぬか分からないし、下手すれば自分だって死んじゃうかもしれない。そんなリスクを負ってまで、好奇心の赴くままにシルクロードを行く。正直最初は、命を賭ける必要なんてあるのかって思った。だって死にたくないもん。でもさ、実際自分が大草原と砂漠を馬で走っていると、もっと遠くに行きたいって思っちゃうらしい。  乗馬2日目のこと。「この先は岩場で危ないし、何時間かかるか分からない。遊牧民も進むことを反対している。もし落馬しても助けてくれるジープはない。そんな道を行きますか?それとも来た道を引き返しますか?みなさんが決めてください。」
そう言われて私は即座に、引き返すのだけは嫌だ!と思った。それと同時に、道が危険と聞いてわくわくしている自分がいた。リスクを楽しむなんておかしい。でも何時間かかったとしても、危険だとしても、前に進みたいと思った。戻ることはしたくなかった。  その先にどんな素敵な場所があるのだろう、どんな達成感を味わうのだろう・・・そう考えると、早く前に馬を走らせたくなるのだ。  その時、ああ、この気持ちこそがシルクロードを渡った人たちの原動力だったのかって思った。彼らにとって大事なのは、行けるかどうかじゃなくて、行きたいかどうか。そしてその行きたいところへ自由に馬を走らせることが、どんなに気持ちのいいことか。  私はまだまだ未熟で、完全に馬を乗りこなすことはできなかった。でもあの快感はやみつきになる。ずっと馬に乗って、もっと奥地へ、もっと人が足を踏み入れない場所へ行きたいと思った。人間の好奇心というのは、いつの時代も共通しているらしい。  私はシルクロードに触れて、何にも縛られない自分の純粋な好奇心を発見した。そしてこの気持ちを、日本でも大切にしたいと思った。
私たちが暮らす今の社会では、やりたいことがあっても、リスクを怖れてどうしても制限がかかってしまうことがある。でもその中を突き進んで何かに辿り着こうとすることは、命懸けでシルクロードを渡るのと同じでわくわくすることなのではないか。とりあえず行ってみよう、やってみようってすごく大事。奔流はこのことを教えてくれた。  日本人はどちらかというと保守的な人が多い気がする。だから私は、この好奇心のままに動くというわくわく感をもっと多くの人に伝えたい、そう思ってこの文章を書かせてもらった。少しでも多くの人が、奔流に興味を持ってくれますように。
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剥ぎとる
シルクロードが好きだった。日本を出てみたかった。知らないことを知り、見たことのないものを見たかった。大学3回生の春、この夏が最後だと思い、参加を決めた。「感じる」旅にしようと思った。先入観とか知識とかプライドとか、余計なものは捨てて、ありのままの自分で勝負したい。初めての海外、知らない人たち、中国語も分からなかった。他のどんな感情よりも怖さが先行していた。出港して、海の色が変わっていくにつれ、固く緊張していた心がだんだんほぐれていった。大きな世界の小さな自分を感じていた。
まるで自分が子どもにかえったようだった。素直に喜び、歌い、踊った。そして、子どもになった私は、草原や砂漠に、人の心に、美しいものに触れるうちに静けさを求めるようになった。聞いて感じているだけで満足だった。一言でも言葉を発したらうるさいような気がした。砂漠の風の音が心に染みた。自分の中で燃えている炎があった。
乗った時急に背が高くなった気がした。視点が高い。遊牧民はこれを毎日見ているのか。自然を征服したような気がする。馬で駆ける。心地よい緊張感が体をまとっている。ぴりりとした空気。油断は許されない。砂ぼこりがもうもうと巻き上がる。圧倒的な迫力。すごい。馬の脚が砂にめりこむ。穴を飛び越え、よける。躓きそうになる。しかし馬はどんなに疲れていても止まらない。走り続ける。すごいことをやっている実感があった。馬とともに何かを飛び越えた気がした。叫びたかった。ためらいや躊躇など遥か遠くに行ってしまって、そのときやるかやらないかだけしかなかった。それまで馬と私の間にはなにもなかった。��こでつながりができた。張さんに、私が乗って馬は重くないのかと聞いた。張さんはふっと笑って、「重いよ」と言われた。そうか、重いのか。馬は私の重さを引き受けた。私はその重さを分かって乗っていただろうか。
私の馬は1日目、全く走ろうとしなかった。それは私が馬がかわいそうだと思って接していたからだろう。馬が痛いだろうと手綱を緩め、出発の時も腹を強く蹴ることはしなかった。馬を心の底で怖がる気持ちを「馬がかわいそう」という態度で覆い隠していた。しかし、一日走って分かったことがあった。馬は犬や猫のようなペットではない、中途半端な感傷や動物愛護の視点からは何も見えてこない。態度を変えた。何よりも指示を明確にしようと心がけた。甘さを捨てた。2日目、馬は見違えたように指示に従うようになった。同じ馬とは思えないほど。馬の目。優しく、そしてさびしそうな目。静かに遠くを見つめている目。馬には私の気持ちなど全てお見通しだったのだ。未熟な心の乗り手になど従うものかと。冷静に、しかし情熱的に、自分のはやる心を抑えて手綱を引く。
多くのことを気がつかないままセーブして生活していたことに気がついた。感動することを、そのまま受け止めることを忘れていた。できないと思ってやらなかったことが多すぎた。最後なんかじゃなかった。もう始まっていた。始まりだった。やりたいことをやるために生きているんだと分かった。もっともっと自由に生きたいと思った。
本当に生活に必要なものってもっと少ないのかもしれない。ただ頼りになる自分があればいい。旅はまだ終わらない。
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旅と日常
 結局、奔流は自分に何を教えてくれたのか、それについて綴っていこうと思うのですが、この文章から私の考える馬との旅の意義、そしてそこから浮かび上がる日常での生の有り様を汲み取って頂けると幸いです。
 日常とは飽きるものです。私は生活の中での刺激のなさにうんざりしていましたし、何に対しても無感動のきらいがありました。生きている実感がないというのが適切であり、自分が存在しているといえるのかわかりませんでした。でも、それが他者への不信から生じる私の反応だということは自分でもわかっていました。今のままでは無感動の日々が続いてしまうため、何かに能動的に関わらなければと思い、偶然にも参加することとなったのがこのグレートキャラバンだったのです。馬や中国にこだわったわけではないのですが、結果としてこの旅は強い影響を与えてくれました。
 「馬に乗ると見える世界が変わる」と旅の中で何度か耳にしましたが、ただ物理的に視点が高くなるというわけではありません。馬上での視点は遊牧民やシルクロードの商人の視点であり、そこにおいて私は日常の自己を超越しています。つまりこの自己の他者化、相対化が可能となっているのです。新疆での馬の旅は、日本で生活を送る私を見つめる良い機会となりました。遊牧民としての可能性にある私、もはや旅の生活を新鮮な刺激とは認められない私はいたのです。しかし興奮させる刺激とは感動に必要なのでしょうか。いえ、そうとはいえません。旅の中で私は懸命に食べ、馬に意志を伝え、仲間と語りました。食事、乗馬、団欒、睡眠の繰り返しの中でも私は生きている実感をもつことができました。これは馬との旅の中でだけの感覚では決してないはずです。
 旅は普段の倦怠から逃れるリフレッシュの場ではなく、むしろ日常を見つめる時間を提供する積極的な意味をもった場であり、逆説的ですが普段よりも自分の日常に近寄れたように思えます。食事、勉学、音楽、睡眠に満たされた毎日に自覚的、能動的に生きることが実存感覚と密接しており、行動の内容よりも自分の主体的な在り方こそが重要なのだと、馬の背中で気付きました。他者から受け取るときも然りです。他者から伝達されるというのではなく、他者から受け取るといった主体性が肝要であるはずです。馬と同様に世界はそれに語りかけることなしに乗りこなせません。世界の中にあっても、その美しさを感じるには能動性が必要不可欠なわけです。
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中国の夜から
 中国でわたしは闇に包まれた。光といえば星以外に見当たらず、目を開こうが閉じようが大差はなかった。そこにあったのは恐怖と同居する心地よさであった。
 人はわたしを他の誰でもないわたしとしようとする。ここにいるのが自分でなければいけない理由、すなわち他人に決して取って代わられることのない自分の確証を欲するのだ。なぜなら、その確証を得られなければ、わたしとしての存在を否定され、何者でもない誰かであることを認めざるを得���くなるからだ。この欲求に基づく行動は光を求める行為といえよう。より強い光の中に自己を置くことで、わたしの輪郭はより鮮明に浮かび上がり、外界とわたしとの差異をよりはっきりと確認することができる。ここに今確かにいるという感覚は得られるだろう。
 ところで、奔流の重要な語句の一つに「人馬一体」というものがある。「自分の行きたいと思うように馬が進んでくれた」と誰かが言っていた。しかし、騎手と馬との意志の一致という意味は、この言葉に似付かわしくない。この言葉が指し示すのはもっと高度な次元での「一体」ではないのかと考えた結果、「人と馬との存在の一致」と説明する考えに至った。
 人の視点からすると、人は自己であり、馬は他者である。だが不思議なことに乗馬を媒介としてそれらは溶け合う。ここにおいて人は乗馬中にも関わらず、馬に乗っていない。自己も他者もいなくなっているが、代わりに「自己と他者」という一つがいる。この状態こそが「人馬一体」ではないか。わたしはもはや自己ではなくなっている。冒頭で闇について触れたが、この存在の溶け合いは闇に身を置くことを比喩としても差し支えないだろう。闇の中では自分の手すら見えず、自己と他者には境界が見当たらない。自己と他者は混ざり合っているのだ。その時、確かに自己を保持し続けられない恐怖はあるが、同時に世界に拡散されるような快感すらある。
 大衆社会、没個性、一般人などの言葉に対してわたしは悪い印象を抱いていて、人は何者でもない自分であるべきだと考えていた。そして今もそう考え続けている。だが、ただ単に光を求め、それを浴びて生きるというのも違うように思えてくる。「人馬一体」が代表するような自己と他者との存在の関わりの肝要さを発見したからだ。ここで注意したいのは、闇にある自己と他者の関係は自己の埋没とは区別されなければならないところである。溶け合いと埋没という語からもその相違は歴然としている。埋没の際には自己は自己としてあり続けるのだが、世界でそれは覆われ視界に入っていないだけのことなのだ。この状態の快楽と闇での快感もまた区別しておきたい。快楽は自己を埋没させることで得られた、これもまた自己を表面的に覆う快に過ぎないが、快感は自己と他者という一つの存在で湧き上がり、その存在の内部で揺蕩っている快である。エピクロスが唱える「心境の平静」は、わたしがここで述べた快感から基づくものであると認識し、わたしは彼に賛同の意を表する。
 蓋し、存在は自己の唯一性を追求するものであり、その活動の結果として自他をより強烈に色分けしてゆく。そのことについて反対はしないし、わたしも例外でなくそのような存在であることを否めない。問題はその自他の完全な分離から感じる不快である。ここでいう不快とは疎外や孤独を感じていることなど、状況に応じて生じる好ましくない感情を指していると考えてもらいたい。自ら望んだ結果であるにも関わらず、不快を感じるとは皮肉なものだ。わたしはこの不快を見てみぬ振りをする仕方ではなく、根本から快に覆す可能性を「人馬一体」の中に見た。逆説的ではあるが、存在が自己を自己とあらしめんとする際には、同時に自己と他者の綜合が存在の精神の涵養という面において必要となっているのである。
絹の闇は優しく、世界は一つとなる。
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旅が好きになった。
この安全で,快適な日本を出て,旅に出る。それは非常に馬鹿げていて,非常に贅沢なことなのかもしれない。
でも,旅は人を強くする。
どんなトイレでも使えるようになるし,並の不潔さには慣れる。どこででも眠れるようになるし,寒さだって我慢できるようになる。つまり,不自由さに直面して,それを乗り越えられるようになる。
文化交流とか,他者の理解ってこういう所から始まるのかな,とふと思うことがあった。自分が感じている不自由さも,原地の人にとっては既に「住めば都」状態なのだ。そんな生活は不自由なようで,実は意外な喜びに満ちている。食事のおいしさ,水の気持ちよさ,音楽の美しさ,本当にたくさんあった。だから,社会の教科書を開くだけでは違う国の生活は理解できないのだと感じた。そこは,ただの不自由な汚い世界ではないし,ロハスで優雅な自然生活,というのももちろん幻想だ。現場で自分が感じる様々な感覚が積み重なって初めて,文化は交流し,現地の人を少しは理解できるようになるのかな。とにかく,自分から一方的に持ったイメージなんて大した物でないのだと思った。
現場主義の重要性,なんて表現をしてしまうと思い出は一気に乾燥して,変なゼミ資料みたいになってしまうのだけれども。でも,グローバル,なんてキーワードのもとにズームアウトしすぎると,案外こういう所から足下を掬われるのかもしれない。
ここまでだったら,別に一人旅でも感じられたかもしれない。でも,集団の旅だからこそ起こる出来事だってある。
精神的,肉体的疲労の前ではその人の持つ内面の多くが表に出てしまう。集団生活の中で,強さ,弱さ,色々な側面が,乱暴に暴きだされる。テント移動,薪集め,緊急の対応。どれだけ状況を良くしたいのか,全体の中で自分には何ができるのか。リーダーとかフォロワーとか,さんざん講義され,勉強してきたかもしれない。でも案外,乱暴で粗野な形をとってそれらは試されるのだ。都会のビルのなかでは,なかなかその人の内面なんて閉じ込められたままだ。だから,一回旅に出て,自分の内面,他人の内面がぶちまけられる様子を目にうつして,(すごく恥ずかしくなったりして),そしてまた成長できたらいいのかなと思った。
そして,その人の内面がさらけ出される状況では本当に暖かい触れ合いだってあるのだ。
疲れて,自信も持てず,旅に不安を感じていた時。自分にできることはないのかと探して,それはあまりに小さい気がしてどうしようもなかった時。そんな時に,ふと一緒に食事を食べてくれたり,お茶をもってきてくれたり,そういう経験の中で僕はとても人間的な暖かさを感じた。
誰かにそんな暖かさを,僕もあげられるのだろうか。
なんて原始的な強さ,優しさなんだ。
旅に出て,感じて,そして帰ってきて研鑽する。また旅に出て,感じて・・・
とても健康的で,生産的な生活だと思う。
どうやら,本当に旅が好きになってしまったようだ。
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馬と人との関係は何か。 馬は私達に何を与えてくれるのか。 現代社会での日本の馬の役割は昔のように移動や仕事としてではなく、ほとんどが人間社会に組み込まれ、人間によって飼育され管理されている。馬といったら何を想像するかと日本人に聞けば、ほとんどの人が競馬か乗馬と答えるだろう。それは、私達が身近に馬に接することができるのは競馬や乗馬くらいしかないせいではないか。「馬で旅にでる」という感覚は交通機関が発達している日本で持つのは難しい。魅力的でちょっと好奇心をくすぐるこの言葉、「馬で旅をする」これだけを頼りに私はこの旅に参加した。それは想像を超えるものであり、期待以上の満足感と喜びで満たされた。 今回のキャラバンはかつて交易の路シルクロードに添って歩んでいく。それは、日本のコンクリートではなく、道があるわけでもない。ゴールもなく右や左、振り返っても前も後ろもない世界であった。道無き道を自ら決めて進んでいくのである。ひたすら自分の信じた道を進み行き、道標となっていくのだ。バインブルグ高原では遠くの小高い山々に囲まれ馬で群れとなり、時には馬の腰まで浸かる川を渡り、時には息を飲むほど美しい川に映る夕日を見た。ゴビ砂漠では越えても越えても続く砂漠の山を、埃を被りながら何十頭もの馬で一列になり、何時間もの間進み歩いた。この中で馬と自分だけの道を切り開いていくのだ。 このキャラバン中は何十頭の馬の群れ���中でも乗り手は馬のことも考えながら、各々のペースで進み行く。馬を休ませるのも走らせるのも自分次第なのである。 これは日本の乗馬クラブでは決して出来ないことである。まず、馬の数をそろえることから難しいだろう。 もちろん日本の乗馬クラブの外乗も素晴らしい点はいくつもあるが、ある程度決められた大きな柵の中を、誰かが何度も通った補正された道を歩いている気がしてしまう。しかし、ここは違う。キャラバンは全く異なる。何も囲われていない地を自分で決め進んで行く。しかも自分だけのペースで。また、このキャラバンでは決められた馬に乗るわけもなく、同じ乗り方を教わることもない。乗る姿勢や馬をきれいに見せることを習うわけでもない。 参加者全員が自分の道を自ら決め、馬から乗り方を教わり、身につけていく。ただ、自分の好きな道を好きな乗り方で馬と決めていく。それだけだ。たとえ初日に馬に乗る事が困難であった人も時を増すごとに自分の持ち馬を知り、試行錯誤しながら人馬一体に近づいていく。ここも日本の乗馬と異なる点である。一時間ほど馬に乗り、また午後に他の馬に乗るというのではなく、同じ馬に1日中朝から夕方まで縦の揺れの中にいるのだ。しかも数日間。だからこそ、人からではなく馬から教わることで身体を通して学ぶことができる。私はこれがグレートキャラバンにしかないもので、一番の魅力な点だと思う。大自然の中で人が自然と馬に慣れて、乗り方も道筋も自分と馬で決めていくのだ。今までずっと出来無かったことで、挑戦したいことの一つが叶えられたのだ。
この感覚は一ヶ月、二ヶ月経った今も覚えている。このキャラバンに参加して馬の大切さと騎乗の楽しさと喜びを再び実感することができた。想像以上の実体験があったからこそ帰国してからの寂しさと空虚感は大きかった。見えるようで見えない道を進む乗馬と普段の生活を照らし合わせて日本の日常生活に戻った。いつかまたこのキャラバンが開催されれば参加したい。完全にキャラバン中毒になってしまったようだ。
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なんで今私ここにいるんだろう?って自問自答しながら旅を続けて
時には酒におぼれた夜もありました。
でも最終日、ハッと気付いたんです。これは“トキメキ体験ツアー”だと。
奔流にはいろんな人間が集まる。入れ替わりもあるが最大で70人の人間が
同じ土地で、同じ空気を吸い、同じ飯を食べ、同じ生活をする。
70人の人と一気に知り合えるなんてそうそうない。
旅で出会った全員と仲良くなれたわけじゃないし、
一言二言しか話さないでよく知らないままの人もいるけど、
とにかく奔流にはいろんな人間、いろんな考え方、いろんな知識を持った人がいるなぁ、ってすごく刺激になった。
70人も集まれば、その中でそりゃあ魅力的な人もいたし、気が合う人が現れ、
彼らと話していると楽しくって嬉しくって、毎日トキメキだらけだったように思う。
帰国後facebookで友人ポチからの質問に
「自分が失ったらいけないものは何?」という項目があったんだけど、
それ、自分の場合は“トキメキ”かな、と。
トキメキって恋愛感情ももちろんあるけど
人間として好きになったり、見た景色にときめいたり、
羊のお尻にキュンキュンしたり、いろんなものにときめくことが
私の中ですごく大切なことなんじゃないかって考えた。
ときめくって言葉を辞書で引いてみた。
“期待や喜びなどで胸がどきどきする”“心が躍る”
ドキドキしたり、ワクワクするようなことが無くなった毎日だったら
楽しくないじゃないか。生きているのに。旅行はドキドキワクワクが倍増する。
しかもツアーは奔流。ときめかない訳がない。
お金に換算するのはえげつないけど、結局自分の勘違いでこの旅に20万という大金を払って良かった、と思う。
旅が終わってからも、ときどき集まって遊んでもらって、ずっとつながっている感じ。
今もすごく楽しい。奔流友達大好きです。
一言で言うと、
奔流中国、ありがとう!!
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一人対一頭
馬は私をドキドキさせるのだ。
自分を乗せて歩き始めたとき、ものすごいスピードで駆け出したとき、馬が止まらないとき、馬上で出発を待つとき、
馬上だけではなく、馬のそばにいるどの瞬間にも心は高揚していた。
一方でケガや死に対しても警戒している。相手は動物なのだから。
調教によってある程度の扱い方や性質は把握できているため、「乗り物」として支配することは可能であるが、自動車や自転車とはわけが違う。個々の性格も違う、替えの部品なんてない乗り物の中では危険性に溢れた存在なのだ。
そんなリスクと同時に、生きた彼らとやりとりにドキドキするのだ。
乗れば彼らが呼吸をし、熱を持っていることがわかる。生きているのだから当たり前なのだけど馬に乗ることが同じ生物とのやりとりであることが実感できて嬉しいのだ。
乗馬キャラバン一向を後ろから眺めていると、一人対一頭とのやりとりが50以上の群れをなして走っている光景は圧巻だった。
もちろん自分の力だけで馬を走らせていたわけではない。馬の習性をよく利用した遊牧民達の下でキャラバンは統率されていた。
遊牧民の人が走りだせばまわりの馬が走りだし私の馬も勝手に走り出す。そんなときはいつもぐっとたずなを後ろに引き、減速の指示をする。 もっと一人対一頭のやりとりをしたいからだ。
群れの後方まで下がったところで走れと馬のおなかを蹴る。「待ってたぜ」と言わんばかりに馬はスピードを上げて駆け出す。
草薮や他の馬に激突しないようにコースを考え指示して、減速させないように馬の跳ねるテンポに合わせて体を動かす。
スピードへの恐怖はいつだってあるけれど、スピードを恐れたら姿勢が乱れて馬の走りを阻害するので走る速度を上げることに集中する。
自分の体が限界を超えたっていいからもっと走れと感じていた。
駆け足の間は否が応でも馬と自分のやりとりが激しくなるのだ。
広い砂漠の真ん中で群れから離れ、物理的にも精神的にも一人対一頭になれる機会があった。
この馬はこの砂漠を抜けるために必要な手段であるし、私は馬にとって最適なルートと走りを選択しなくてはいけないことを感じて馬で旅をしている実感が深まった。
そんなドキドキさせる行動と環境がこの旅に求めていたものなのだ。
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奔流とは (張宇氏のFBより) 奔流は毎回必ずしも同じ形でない。だけど、奔流は目指す形がある。屈折しながらもいつか必ずそれに成るように努力する頑な姿勢が、それが奔流である。 奔流の理解は必ずしも同じものでない。そこにそれぞれ人間の生い立ちがある。だけど、泥でも沼でも、奔流を汚すことができない清らかなところ、それが奔流である。 奔流に求めるものは必ずしも同じものでない。奔流が求められるものを応えるために存在したわけでもない。だけど、奔流は、もっとも大切なものに気づかせてくれる。「人」の中のなにかを呼び起こすことができる。 奔流が必ずしもすべての人は必要とは感じない。大樹でも、野薔薇でも、弱草でも、必要とする人もしない人も居ると同じように。だけど、そもそも奔流がだれかが必要のために存在しているわけではない。奔流は尊厳のために存在している。 奔流は自由である。社会主義の崩壊と同じように、奔流の自由は、人々はより強い人間を目指す、より賢い社会を目指す、ことが絶対必要条件である。だから、自己堕落が奔流じゃない。 奔流はまた必ずしも自由ではない。自由を選択する人には最大の自由がそこにあると同時に、自由を選択しない人にも自由でなくても生きていける道はそこにある。 奔流は、傲慢、貪欲、堕落愛、原始的、保守的、非民主的である。 奔流は、尊厳、渇望、ブラトン式愛、固執、超時代的、反政治的でもある。 奔流は一種の無為の中で為したものである。
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記憶は草原の風のように、砂漠の砂のように消えていく。 もう忘れてしまったことがたくさんある。 音も、景色も、日程も、遊牧民の名前もすべて曖昧になってしまった。 しかし、形のない大きな感動は、今も心に焼き付いて離れない。 いつかまた同じ場所に戻ったとしても、同じ記憶は蘇らないだろう。 生きものは、常に変わってゆくのだから。 人間であっても、動物であっても、植物であっても。 自分が変わる。仲間が変わる。自然は秒単位で移り変わり、二度と同じ景色を作り出さない。 馬と私、息を切らせて駆け抜けた。愛おしくなったりいらついたり、まるで人間同士のように。 人間と人間、音楽や景色を通じて、ことばに出来ない感覚を共有した。ぐっと本能的に、まるで動物のように。 まためぐり合うとき、私たちは必ずどこか変化していて、同じような感覚は戻らないかもしれない。 それでもまた、新鮮な喜びを見つけ合えるようなお互いでありますように。 キャラバンは終わらない。
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世界で一番海から遠い場所               
 焚き火を囲む宴会の活気を遠くに聞きながら、地平線の彼方まで広がる草原の暗闇に一人ぽつんと仰向けになり、広大な星空を眺めていると少し離れた暗がりからぬっと人が現れて宴の方へと帰っていった。どうやら用をたしていたようだ。キャラバンの旅では男女問わず青空トイレが基本、とはいえとうとうライトも持たず星の明りのみを手がかりに用を足せるようになったんかぁ、なんてその人の耐性にいたく感服してしまう。しかし暫くしてから「柵の近くでしたから踏まないようにね!」っと大声で後発のトイレ隊に注意を促すのが向こうから聞こえると、ドキっとしながらつくづく思う「ちょっと遠いし汚いが便所はあるからそこでしたらいいのに。」と。言語を絶する大草原、彼方に霞む荘厳なる山々、息をのむ満天の星。ここはバインブルグ、トイレからも最も遠い場所。
 この旅に参加しようとした動機が何だったのか忘れてしまった。というよりそんなもの端からなかったと言ったほうが正しいかもしれない。別段見たいものがあったわけでもやりたいことがあったわけでもない。ただどっかに行きたかった。だから道中で知り合った仲間が堅牢で明確な参加理由を持っていることを知って感心しつつも幾分ばつが悪かった。この旅で生まれて初めて馬に乗った、数日乗っただけでえらそうなことは言えないけれど馬を操ることは自分自身をコントロールすることのように思える。不安や恐怖、焦燥や慢心といった雑念を心から取り去り馬に心を開くことが重要で、それが上手くいかないと馬も言うことをきかない、しゃくしも馬もとはよくいったもの。もしかしたら乗馬は禅のようなもので張宇氏の言う「人馬一体」とはその一つの境地であるのかもしれない。馬との旅はこれまでの自分の旅の中でも最も自己と向き合った旅だったかもしれない。
帰ってきた今、今回の旅を思い返せば旅に出る前に思っていた以上のものを得られたと思う。美しい風景とか異文化体験はもちろん、乗馬の感動、個性豊かな人達との新たな輪、信じられない程険しい山道を車で十時間かけて越えても折れない心、腹ブレーク。キャラバンでは信じられないようなハプニングが平気で起る。追い詰められたら人間誰でも地が出るもんで、そこでホントの自分に気付く。本性を鍛えるには、安全でルーティンな日々や紋切り型の海外ツアーでは決して成し得ない。やっぱり追い詰められなきゃいけないと思う。
驢馬が旅に出たところで馬になって帰ってくるわけではないと言う。例え驢馬は驢馬でもきっと旅に出る前よりもたくましい驢馬になって帰ってくる。そんなお金じゃ買えない価値がある、自分だけの旅は是非奔流中国で。
「驢馬が旅に出たところで、馬になって帰ってくるわけではない。」そんなアイロニカルな
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oniwastagram · 5 years ago
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\おにわさん更新情報📸/ ‪[ 兵庫県神戸市 ] 旧乾家住宅・庭園 Former Inui House Garden, Kobe, Hyogo の写真・記事を更新。 ーー村野藤吾の師 #渡辺節 設計による“阪神間モダニズム”で現存する代表的洋館と、神戸市名勝の流水観賞式庭園。通常非公開。 ・・・・・・・・ 旧乾邸は乾汽船の創業家である #乾財閥 4代目乾新兵衛・乾新治の自邸として昭和初期に造営された邸宅。 当初建てられた建造物のうち和館は #阪神大震災 で全壊してしまいましたが、残された洋館は「旧乾家住宅」として神戸市指定有形文化財、庭園が「旧乾家庭園」として #神戸市指定名勝 となっています。 #通常非公開 ですが年に1・2回程度、申込制の特別公開があります。2019年11月初旬の公開に当選したので初めて訪れました! 旧乾邸のことを知ったのはたしか数年前の神戸旅行前に「神戸市指定名勝」を調べたことから。旧乾家で調べたら…写真見てもう庭園より「なにこのかっこいい洋館!!」と🕌 いつか特別公開行きたいなと思っていて――ちょうど引越しが決まった時点でこの秋の公開も決まり応募!幸運にも当選。 西宮〜芦屋〜神戸の六甲山麓ってなんとなくずっと「高級住宅街」というイメージがあって――豪邸=庭園があるはずだよな〜とは思ってたのですが。この乾邸で初めてその類の庭園へ足を運びました。最寄駅・御影駅からの道のりも高級住宅街感ある。 #乾汽船 ⚓️は現在は東京の勝どきに高層自社ビル🏙を持つ東証一部上場企業。その創業者、3代目 #乾新兵衛 が乾家に入り当主を継いだ頃は酒やみりんの醸造業を営んでいたそうですが、日露戦争を機に伸び盛りだった神戸の海運業界に進出し成功を収めました。 この洋館を手掛けたのは4代目当主 #乾新治 と親交のあった近代の建築家・渡辺節。この渡辺節さんの名前は今回初めて認識したのですが、 #村野藤吾 の師匠というとわかりやすいっていうかマジかすごい人じゃんか。 造営は昭和10〜12年。印象的な色合い――竜山石を多く用いた外観もかっこいいんだけど――建物内も本当にめっちゃくちゃいい!!! 石造りのアプローチ、玄関のタイル、美しいステンドグラスにシャンデリア。そして和室や大阪湾まで見下ろす3階サンルームからの眺望! 洋館のテラスの前には芝生の庭園が広がりますが、その奥――かつて和館があった場所の前に和風庭園が残ります。和館は現存しないけれど、沓脱石だけ残されてるんですよねえ…エモい。そこから庭を眺めると今は隣接する家屋が真正面に来てしまったけれど、かつては大阪湾まで眺められたのかもしれない。 2箇所の井戸から湧いた水が合流し“流れ”を作る #流水観賞式庭園 は、その洋館の洗練された感じと比べると――この庭園はすごく自然風🌲樹木が茂った上段部分から水が流れ出している感じや沢飛石の決して整いすぎていない感じや。 残された2つの沓脱石は鞍馬石だそうなので、近代京都の(植治の)自然風作庭からの影響がこの六甲の地にも伝わってきていたのかな。 余談を3点。こういった申込制の文化財特別公開って「大体自分より二回りぐらいの方」が殆どなのですが、この乾邸の特別公開に関しては自分より若そうな方々が多かったのも印象的だった。何をきっかけに知ったんだろう? 庭園と洋館ではまた来る層が違うと言えばそうなのだろうけど――仮に“写真に映えそう”とかだとしても、こうした「後世に残ってほしいもの」に若い子が興味示してくれるのは嬉しいなあ。あと日本庭園も映えると思うよ(小声) 旧乾邸も決して恵まれた環境でここまで現存しているわけではなく…阪神大震災🏚の影響で国から神戸市への譲渡が頓挫。現在はこのような見学会やドラマのロケ場所にはなっているようですが、本格的な活用・公開には至らずに地元のNPOにより保存運動が起こったことも。 現在は財団法人住吉��園や乾邸管理会の下で管理されていますが、見学の模様も「ネットに載せるのはいいけど、くれぐれも商用目的の掲載はないように」とのお達しがありました。最近は言葉でそう言われる機会も増えた。 余談最後。見学の際に見せてもらった資料には、この周辺に立ち並んでいた他の豪邸の情報も。住友本家、野村財閥・野村徳七、東京『八芳園』の久原房之助の邸宅も。近隣には白鶴美術館や香雪美術館など。 当時の近代建築は #阪神間モダニズム と呼ばれるらしいです。庭園目線で見てるとこの辺の情報が少ない――個人的に今後掘り下げたいテーマの一つ。 〜〜〜〜〜〜〜〜 ‪🔗おにわさん記事URL:‬ https://oniwa.garden/inui-residence-%e6%97%a7%e4%b9%be%e5%ae%b6%e4%bd%8f%e5%ae%85/ ーーーーーーーー ‪#庭園 #日本庭園 ‪#garden #japanesegarden #japanesegardens #神戸 #神戸市 #kobe #兵庫 #兵庫県 #hyogo #御影 #mikage #洋館 #近代建築 #おにわさん (旧乾家住宅・庭園) https://www.instagram.com/p/B7dkYCfAwi6/?igshid=cnujemd9fptx
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honyade · 6 years ago
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青木麻耶 × 服部小雪「旅と暮らしとおいしいお肉」『なないろペダル 世界の果てまで自転車で』(出版舎ジグ)刊行記念
OL生活を脱して飛びこんだ農的暮らしの中でわな猟を習得、鹿の解体や料理、革なめしを学んだ青木麻耶さんは、命をいただき無駄なく使うこと、それらを循環させる文化に魅せられ、やがて飛び出した北南米縦断のひとり自転車旅でもこの技が大活躍!
自然とともに生きる様々な知恵に導かれた旅のエピソードを、「命をいただく」狩猟な生活の先輩・服部小雪さんとともに語っていただきます。
ぜひご参加くだ���い!
【出演者プロフィール】 青木麻耶(あおき・まや) 農学部森林科学科卒。OL生活を1年半で辞め、山梨県都留市に移住、NPO法人で農体験・家づくりワークショップ、馬耕、子どもキャンプなどに携わる。趣味でわな猟を始め、ジビエ料理や皮なめしを学び先人の知恵や文化に興味を持つ。2016年5月より北米・南米8カ国を自転車で旅し、帰国後は日本国内31都道府県を自転車で走り、持続可能な暮らしを営み、手仕事文化を継承する人たちと出会う.2019年9月にはじめての本、『なないろペダル 世界の果てまで自転車で』刊行。 ブログ「まやたろの体当たり日記」 https://ift.tt/2Xx4Qbo
服部小雪(はっとり・こゆき) イラストレーター。女子美術大学美術学科洋画専攻卒、同大学ワンダーフォーゲル部出身。夫(登山家/作家の服部文祥)と二男一女と横浜に在住、ニワトリを飼い、シカを解体し、獲った生き物を食べて暮らす。その暮らしをまとめた著書に『はっとりさんちの狩猟な毎日』(河出書房新社、2019年5月刊)がある。
時間 _ 15:00~17:00 (14:30開場) 場所 _ 本屋B&B 東京都世田谷区北沢2-5-2 ビッグベンB1F 入場料 _ ■前売1,500yen + 1 drink order ■当日店頭2,000yen + 1 drink order いずれも税別
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hello-diversity · 6 years ago
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[テキストアーカイブ] 新長田で“共生”について考える 現在→これから まとめ
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2019年7月7日(日)に開催したキックオフミーティング「新長田で“共生”について考える 現在→これから」のテキスト記録です。 こちらでは、第4部の後に行われたまとめの部の内容を掲載します。
出演 登壇:増田匡(長田区長)、芹沢高志(デザイン・クリエイティブセンター神戸センター長) 進行:大谷燠(DANCE BOX)
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まとめ
大谷:2時間の会議でも気を失いそうになるのに、今日はなかなか大変な長い時間にわたって、みなさん、最後までお聞きいただいてありがとうございます。
ダンスボックスが新長田に来て、ちょうど10年が経ちました。ここに来るときに、神戸市の方に案内されていろいろ物件見ましたけども、その帰りに小さなお好み焼き屋さんに入ったんですね。昭和歌謡が流れる店内で、昔のポスターが貼ってあって、で、焼きそばを頼んで、おねえちゃんに「お箸ください」って言うと、えらい怒られて。「コテで食べるもんや」ってボロカスに言われてですね、ええまちやなあと思ったんですね(笑)。ああ、これは新長田に来なきゃって、それがダンスボックスが新長田に来ることになったキッカケです。
このまちの雰囲気ということで、いろんな方にいろんなことをしゃべっていただきました。10年前にダンスボックスが来たときは、このまちで文化的な活動をしてる施設というのは、神戸映画資料館だけでした。今日、登壇していただいた方がされているような活動も、それほど際立ってあったわけではないです。ところが、この10年の間にまちの人が主体的に新しい活動を展開していく方向へと少しずつ変化をしてきた。それは、非常に面白いことだなと思っています。今日のお話も、だいたい9割の方は僕も存じあげていますけど、活動のことを再び聞いたり、新たな活動についてお聞きしたりするなかで、すごく新鮮なものがこのまちで生まれはじめてるんだという実感を持ちました。
今日のキックオフで出てきたキーワードをもとに、次にまた、こういう会が継続していけるようになればいいなと思っています。まずKIITO(キイト)のセンター長の芹沢さんから、今日気になったキーワードや新長田での活動を聞かれた感想でも、お願いできればと思います。
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芹沢:芹沢でございます。いま、KIITOっていう昔の生糸検査所をデザインセンターに変えて、そこのセンター長をやっています。あんまりまとめるつもりもないので、感想みたいになっちゃいますけど…。僕自身、学生のときは神戸にいましたが、いまは東京がベースで、ときどき神戸に通ってくる程度なんですね。なもんで、のっけからアートマフィアが踊りだしたでしょう。あれはやっぱり度肝を抜かれましたね。いや、たいしたもんだなと思った。
その後、4部にわたっていろんなお話を聞いて、これはお世辞じゃなくて、ただ面白かったというより、ほんとにじっくりと聞かせていただきました。最近、多様性や共生っていろんなところで話題になって、そのテーマで僕が呼ばれることもあるんですけども。そこでお話を聞いてもやっぱり一般論的なお話になっちゃうことが多くて。それも、今日みたいに障がいを持たれてる方、在日の方、高齢者、子ども、とかって、いろんな活動をされてる方が一堂のもとに集まって、それぞれのテーマで話してるんだけど、それぞれが密接にリンクしているって、そのこと自体にも感銘を受けました。つまり、だいたいはひとつのテーマについて話して、「まあ、みんな仲良くしなきゃいけないよね」くらいの話で終わることも多い中、今日は実際に現場で活動してる話だから、とにかく、何ていうのかな、とてもリアリティがありますよね。
ただ、いろんなお話を聞けば聞くほど、僕がずっとつきあってきた大分県の別府というまちにとても似た、そういう匂いというか、生き様みたいなものを感じています。そこで僕がある芸術祭をやって、「混浴温泉世界」というタイトルをつけて、大顰蹙を買いました(笑)。アートの世界では、一緒にお風呂に入るって多様性の象徴としてよく出されるんですけど。別府でひとつ思ったのは、お風呂ってとても気持ちいいんだけど、あんまり浸かってるとのぼせますよね。だから一度出て、また戻ってくる。その距離感みたいなものを別府で習ったような気がしています。それは、今日もずっと話に出ている、新長田の距離感、ある意味でいい加減だなと思ったけど…ちょうどいい加減って褒めてるんですよ、その距離感のとりかたというのは、これからすごく参考になるんじゃないかなって思いました。
大谷:ありがとうございます。芹沢さんが別府の「混浴温泉世界」で書かれてたことに、「心地よくてもいずれ出ていかなければならない」とあって、今日の第2部でもキム シニョさんからぬるま湯のたとえが出てましたよね。ぬるま湯に浸かりすぎて、心地よさで忘れていたことがあるとおっしゃっていて。4世、5世の子どもたちが出てきたときに、自分たちのアイデンティティを新しくどうつくっていくことができるのか。温泉に入ったり、また出たりすることも必要なので、そういうところも共通するのかなと思って、芹沢さんの話を聞いていました。
では、増田匡区長です。ずっと親しくさせていただいて「匡さん」って呼んでいたら、区長になられてびっくりしましたけど。今日は行政の立場でなくても、ご自由にお話いただければ。
増田:はい。区長と呼ばれると違和感がありまして、まちのひとにはこれまでどおり、「増田さん」か「匡さん」と呼んでくれって言うてるんです。ですので、今日も匡さんで通していただければと思います。今日の感想はですね、いちばんは、まずアグロガーデンの西崎さん。競馬の結果見に行っていない? いますか。いや、西崎さんの司会進行がすばらしかった。
大谷:ほんとに上手でね。その後を受けて出るのがイヤやなと思うくらい。
増田:西崎さんがすべて総括してくれてもよかったんちゃうかなって(笑)。普段、あんなええかげんやのにね、知ってる人は知ってますけど(笑)。
私は長田区歴でいいますと、7年目でございまして、住んでる人から比べると、ほんのちょっとなんですけど。これまでもい���んな活動を見せていただき、聞かせていただいたりしてまいりましたので、今日のお話もかなりの部分は存じ上げていた内容ですけど、と言いましても、これまでは1対1でお話を聞かせていただいてましたので、これだけまとめて聞きますと、他の土地の状況がどうなのかわかりませんけど、長田区ではこんなにも多様で、とんがった活動をされてる人、団体がたくさんおられるのかとあらためて感心いたしました。
キーワードみたいなところでいいますと、第1部で首藤さんがおっしゃった境界、境界の民ということばですね。それから、距離感という言葉もあったと思います。私もいま、長田区に住んで、長田区長として仕事をしているわけですけど、長田の人と人との距離感ってなんでこんなええ具合に保ててるんやろかって、ずっと気にはなっていました。今日のお話を聞いて、そのちょうどいい距離感と、いろんなものが共生していけるということが非常に密接につながってるんやなと認識いたしました。
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それから、第4部で尻池さんのお話として、ちょっと外から入りにくいみたいな時期もあったということですけど、歴史ある駒ヶ林の特殊性みたいなんもちょっとあるかなと思ってまして。私、京都の出身で、京都ってほんとに排他的なんですね。京都の方がおられたら申し訳ないですけど。歴史があって地縁の濃い土地ですので、私が住んでいたところでも千年以上、まちがあったところでしたから、すごく住みにくかったですね。そう考えますと、長田の、このちょうどいい距離感がとってもいいなと思っております。とりあえずはこんなところで終わります。
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大谷:キーワードでいえば、つながるという言葉がずいぶん出てきたと思っていて、たとえば、互いにまったく価値観の違う人が自然につながっていけるということ。それは、背景としてごちゃごちゃということをおっしゃってた方もいらっしゃいましたけど、いろんな人がごちゃごちゃにいること。これでなければならないということよりも、「なんか面白いことがあるならやろかな」というくらいのゆるやかさが、このまちにはあるような気がします。
今日、出てきた言葉ではないですけども、僕が最近思ってるのは、里山や里海って言いますよね。ある世界の中で資源が循環していく。じゃあ、里町もあるんじゃないか、という風に考えたときに、新長田って里町になれるはずで。そのときの新長田の資源って何かといえば、人だと思うんです。人が循環していけるような地域社会が成立していけば、これからは豊かさの意味って以前とはまったく変わってくると思いますから、限られた富を我々がどう分配しながら次の世代に移していくかという、そのためには豊かさを読み直す必要があって、そこで新長田という地域社会の中で里町ということが実現できないかなと思います。
もうひとつは、境界という言葉とも関係しますけど、いわゆる多文化共生という言葉の持つ安易さというのか、言葉って使いつづけられるとだんだん色褪せてくるんですね。今日のお話もお聞きしていると、まさにそうだと思いましたけど、カオスを創造できる社会、混沌を創造できる社会がこれからもっと必要になってくるんじゃないかと思っておりました。ということで、あと数分かな、最後に芹沢さん。
芹沢:大谷さんのお話を伺って、カオスや混沌を我々はあまりにも捨てすぎてきたんじゃないかなって大きな反省が出てきてるのかなと思います。いま、社会的には人口が減少していくとか、このままだと経済がどうだとか、不安定な感じと、日本全体のニュースとしてギスギスした部分が気になりますよね。だけど、これ、ときどき思うんですけど、江戸の安政の頃とかで日本列島全体で3千万人くらい、人口はだいたい一定で、意外と安定してたんです。それが明治維新からばっと伸びて、時間軸のとりかたにもよ��ますけど、一気に4倍くらいになってるわけです。2002年だったかな、そこでピークになって。だいたい、登ったのと同じ勢いで落っこっていくと言われますから、急激にまた社会が変わっていくと思いますけど、ちょっと考え直してみると、3千万人くらいで安定していた時代もあった日本列島の本当の豊かさって、もっと人を減らせという話じゃなくて、とにかく、あまり怯えている必要はないんじゃないかなって思います。
先ほど貧困の話も出てましたけど、たぶんこれから、わりと近いうちに、僕らにとっては、うん、ちょっとあまりにダサい言葉かもしれないけど、幸せって何なのかをみんなで考え直す時代がくるんじゃないか。お金をたくさん持ってることがほんとに幸せなのか。学力の話も出ましたけど、いまの教育の枠組みで学力が高いという話と、生きていく力というのはイコールではないかなと思います。そのことに、僕だけじゃなくて、みんなが薄々と気づきはじめている。そのときに、今日の話を聞いてると、褒めすぎかもしれないけど、長田はひとつの未来のモデルになる、他のモデルもあるんだろうけど…そんな感じを受けました。
大谷:ありがとうございました。じゃあ、最後に匡さん。
増田:いまの芹沢さんのお話、私もそうやなと思うのは、豊かさの定義みたいなものが今後変わっていくなかで、長田の暮らしってほんとに全国的なモデルのように考えられるときが、そう遅くないタイミングでやってくるんじゃないかなと感じております。
それから、大谷さんが言われた「つながる」という言葉、今日のこの場がすでにそうやと思いますけど、これがもっとどんどん多層に積み重なって、つながっていくのが大切かなと思います。ただ、ここでひとつ言いたいのは、普通にやってもつながらないんだと思います。いつも思ってるのは、そういう意味で、このダンスボックスさんが10年前に来られて、それから数年してアーティストの活動とかが盛んになってきて、それから、アーティストやクリエイターの活動だけではなく、今日お集まりいただいたようなみなさんの活動も盛んになってきたということで、やはりダンスボックスなり、このシアターなりがつなげる役割を果たしてきたと思っております。ですから、この1年のプロジェクト、「文化芸術による共生社会を現場の目線で考え試みる」ということで、ダンスボックスさんってまさにそのキーワードじゃないかなと思っています。これで、わりときれいな終わり方やないでしょうか。
大谷:ありがとうございます。長時間にわたってお聞きいただき、みなさん、どうもありがとうございました。
・・・・
大谷燠 NPO法人DANCE BOX エグゼグティブディレクター。1996年に大阪でDANCE BOXを立ち上げ、2009年4月には神戸に拠点を移し、「ArtTheater dB 神戸」をオープン。Asia Contemporary Dance Festivalなど、国際交流事業やアートによるまちづくり事業も多数行う。2017年度文化庁長官賞受賞。
増田匡 長田区長。京都市出身。長田区歴7年目。2013年から2年間、長田区役所で働き、まちと人の温かさを知ってから、このまちにはまる。2017年に明石から新長田へ移住し、2019年4月から現職。好きなまちのために働けることを喜ぶ反面、休日の仕事が多くて、まちをぶらつく時間が減ったことが最近の悩み。
芹沢高志  デザイン・クリエイティブセンター神戸センター長。東京生まれ。1989年、P3 art and environmentを設立し、統括ディレクターを務める。現代美術、環境計画分野で数々のプロジェクトを展開。「ART PROJECT KOBE 2019 TRANS」総合アドバイザー。
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honne-siyo · 7 years ago
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フリーランスがずっと安定して稼ぎ続ける47の方法
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フリーランスがずっと安定して稼ぎ続ける47の方法
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著書プロフィール
同志社大学哲学科卒業後、3年半の会社員生活を経て、2007年にフリーランスとして独立。フリーランスになった当初は900万円もの借り入れの返済に追われ自己破産寸前になったり、うつ病になって2年ほど実家で療養しながら仕事をしていたりしたこともあったが、稼ぐための仕組みを身につけた結果、ずっと1000万円を超える年収を確保している。専門分野は、Webマーケティング。成長スピードの激しいスタートアップや、NPO法人はとくに得意。コンサルティング、広告運用、Web管理の他、自分の所用するメディアからの広告収入、セミナー講師、著者印税、イベント売上など複数軸の収入を持つポートフォリオワーカーでもある。ペンネームの山田案稜としての著書がある。。
要約
・これまでの日本の働き方体制は、肉体や精神が健康で、家族関係などにも問題のない男性が有利な構造になっています。 そんななか、仕事時間、仕事内容、仕事をする相手など、すべてにおいて自分で選び仕事ができるフリーランスは 少子高齢化がすすむ現代において、働き方の多様性を代表するひとつの働き方です。
・自由度の高いフリーランスは魅力的な面もありますが、同時に「収入が不安定」「先行きがわからない」「保障がない」というような 不安がついてまわります。そんなときに、どのような働きをすればその不安を解消できるかが、読みやすい文章と著者の具体的な経験からくる確かな説得力で記されています。
・選ばれるフリーランスになるために、自分が何者であるかをよく考えましょう。そのためには、自分を3つの側面から客観的にみて仕事上の武器がなんなのかを探りましょう。 職業 / ジャンル / 専門分野・得意分野 この3つに自分をあてはめ、どのようなフリーランス業を営むのか明確にしましょう。
・仕事が途切れないフリーランスになるために、まずは自分のポジショニングを確認しましょう。 フリーランスには大きくわけて3つのポジショニングがあります。「職人ポジション」「相談役ポジション」「城持ちポジション」。 それぞれの特性を考え、今の自分に必要な動きやスキルなどを考えて実行しましょう。 この3つのポジションにおいてのスキルをうまく掛け合わせられれば、フリーランスとして、大きな戦闘力を持つことができます。
・ストレスなく安定して稼ぎ続けるための仕事術 ストレスの主な原因は、「時間」「顧客」「収入」の3つです。漫然と不安にさいなまれるのではなく、不安を「見える化」して解消しましょう。
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フリーランスがずっと安定して稼ぎ続ける47の方法
著者名
山田 竜也
ジャンル
ビジネス
出版社
日経BP社
定価
1,620円
出版日
2018年1月25日
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レビュー
私たちは、毎日「忙しい病」にかかっているも同然です。 日本の長時間労働問題は、政府が「働き方改革」を推進しても、なかなか定着せず、解決の糸口は見えてきません。それどころか、ブラック企業勤務によって自らを見失い、体や心を壊してしまう人が依然として存在しています。 日本語の「頑張る」の同義語は他言語に変換するのは難しいのをご存知でしょうか。スポーツのときにもし頑張れ!と言いたければ、英語であれば「Go for it」とか「Do your best」などとなります。意味は、いけ!とか、持っている力を出し切れ、などをさします。それに対して、日本語の「頑張れ」、「頑張る」といった言葉には、自分が持っている力以上の力をだそう、自分の力以上のことを成し遂げよう、という意図が含まれていないでしょうか。この「頑張る」という言葉を生み出したマインドを持っている私たち日本人は、常に仕事や生活で、自分の持っている力や能力以上のものを「頑張る」ことで出そうとしていないでしょうか。常に頑張ってしまっていたら、いつか疲弊するのは避けられません。自分自身が持っている自然な能力を発揮して、毎日のタスクを行えるようにし、自然な成長や発展をしながら成果を出し、自分自身の時間を取り戻すための考察がこの本には記されています。
最初の章に、「忙しすぎる」人たちの例が述べられています。
デキる男 正樹
正樹は、同期入社のなかでは出世頭。昇進したばかりで部下の仕事管理が加わったが、自分のこれまでの仕事に加え部下の管理も増え、仕事にいっぱいいっぱいになってしまった。それを長時間両道によって、問題を解決しようとしている
頑張る女 ケイコ
ケイコはワーキングマザー。仕事をしているのに二人の子育てや家事に夫に一定の協力しかしてもらっていない。時短勤務が終了すれば、家事に加えて子供のことや夫、夫の親のことなどで手いっぱい。自分の時間は全くない。すべてのことを自分が「やるべきこと」と考え、すべて完璧にこなそうとしている。
休めない女 陽子
就職氷河期に就職活動を行い、契約社員の職を得て働いてきた陽子。その後スキルをいかしてフリーランスとして働きだしたが、始めたばかりのときは売上があがらず苦労した。単価の低い仕事を多く受けるようにし、なんとか軌道にのってきたが、契約社員のときよりも仕事時間が増え、自分の時間がまったくなくなってしまった。 仕事や収入を失う不安感が強すぎて、仕事を断ることができないのだ。
焦る起業家 勇二
大学卒業と同時に起業した会社を順調に規模拡大させてきた勇二。社員が増えたとき気づいた、各社員の仕事の進行があまりにも遅いという事実が悩みの種。社員自体が、仕事についての生産性を考えずに「とにかく頑張る」という思考停止モードに入ってしまっているのだ。
彼や彼女たちに共通している問題は、「生産性が低い」また「生産性」という認識やフィルタを通して物事を判断できていないところにあります。生産性は、仕事だけではなく、勉強、家事や育児、生活全般のあらゆる場面において、時間が生み出す価値を大きくするための鍵となる考え方となります。
まとめ
本著にあった、生産性をあげるための方法として、特におすすめしたい内容は、「仕事や予定の時間を決めてから、すべきことをおこなうこと」です。著者は、本を出版すると決まったら、何月何日に出版すると決め、その後に休みをとると決めて、旅行の予約も行ったそうです。しっかりと、終了時間や時刻を決めないと、終わらない仕事というのは往々にして存在します。締め切りがあれば、必ず締め切りを守りたいのがビジネスパーソン。締め切りや終了時間がきまっていないタスクが、いつまでもなかなか終わらない経験がある人は多いでしょう。沢山の仕事を、期日を決めてすすめれば、集中力とタイムマネージメント、仕事を終わらせるための様々な個人的創意工夫能力を使い、さらに火事場の馬鹿力的な力も発揮できて、終わらせられるときがくるのです。その時に、あなたの、生産性があがった、能力があがったと実感できるでしょう。 この本の最後に、登場人物の4人が生産性があがったことで、毎日の生活にどのような変化が現れたのかが記されています。4人の中に少なからず投影できる部分がある方もいらっしゃることでしょう。生産性を意識した行動を重ねることで、日々満足のいく時間の使い方ができるようになるはずです。その積み重ねが充実した人生を約束してくれるはずです。
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タイトル:ギグ・エコノミー 人生100年時代を幸せに暮らす最強の働き方
著者名
ちきりん
ジャンル
ビジネス・仕事術・整理法・ 人生論・教訓・ 趣味・実用
出版社
日経BP社
定価
1,620円
出版日
2016年11月26日
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emitochio2 · 5 years ago
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【読むPodcast】#228 野田恵里(めぐり)さんがゲスト!
コーチであり、コーチを育成する講師でもあり、味方学やエンディングノートのワークショップファシリテーターであり、友人でもある野田恵里(めぐり)さんにゲストに来ていただきました! まずはめぐりさんがどんな方かを紹介します。来週以降は、味方学(コーチングって誰かの味方をすること!)や、エンディングノートの話などをお伺いしていきます!
栃尾
クリエイティブの。
野田
反対語。
栃尾
こんにちは、ストーリーエディターの栃尾江美です。このポッドキャストは私、栃尾江美が好きな人やお話したい人をお呼びして、クリエイティブに関することや哲学的なことを好き勝手に話す番組です。今日は、声が変わりましたが、野田恵里(めぐり)さんに来ていただきました。パチパチパチ(拍手)。
野田
(拍手)。
栃尾
自己紹介をお願いしてもいいですか。
野田
はい。野田恵里と申します。
栃尾
うん。
野田
自己紹介?
栃尾
何をしているか。
野田
何をしているか? そうですね。特には今、まあ、コーチングの活動をしていますね。人のお話を聞く。
栃尾
うん、うん。マンツー?
野田
マンツーもやってますが、今はグループワークもありますね、まあ、少人数でね。
栃尾
うん、うん。あ、それもコーチングって言うの?
野田
そうね、それもまあ、グループワークの、コーチングのワークショップ。
栃尾
ふーん、なるほどね、はい。私が恵里さんと知り合ったのは、うちの近くでやっていた「めばえ」? 正式名は何て言うんだっけ?
野田
「NPO法人 自然工房めばえ」さん。
栃尾
めばえさん、「自然工房めばえ」さん、はい、はい。古民家をね、コミュニケーションスペースにしたところで、恵里さんが「味方学」のワークショップをしてたんだよね?
野田
そうですね。
栃尾
うん、うん。このあと、味方学については詳しくお伺いしたいんだけれども。
野田
うん。
栃尾
そこで……、なんで私行ったのか、ちょっとはっきり覚えてないけれども、なんか自分をこう、そういうところで自分の内面を深めたいなと思って行った気がするんだよね。
野田
うん。
栃尾
うん、うん。それで、恵里さんの佇まいとかさ。
野田
佇まい(笑)。
栃尾
ファシリテーションとかさ。
野田
うん。
栃尾
すごい素敵だなと思って。
野田
あら、ありがとうございます。
栃尾
そう、そう。通ってた気がしますが。
野田
うん。
栃尾
行けないときもあったけどね。
野田
うん。
栃尾
でも、結構行って。
野田
うん。
栃尾
いろいろ変化のときだったから。
野田
うん。
栃尾
うん、面白かったなと思って。
野田
うん。
栃尾
今は、そういうワークショップも味方学とかも結構やってるの?
野田
そうですね。そこのね、「自然工房めばえ」さんで今もう4年目かな。3年目、4年目で味方学と、エンディングノートを同じ日にやってます。
栃尾
あ、同じ日に? 朝と午後みたいな?
野田
そう同じ日にね、時間を。朝と昼過ぎとか。
栃尾
うん。
野田
そこでやっているのと、あとは新宿、そこ(自然工房めばえ)は練馬区なんですけどね。
栃尾
うん。
野田
あとは新宿でも、その味方学とエンディングノート、マンダラエンディングノート®っていうワークショップをやっています。
栃尾
うん、うん。あと、コーチングの講師もしているんでしょ?
野田
そうですね、自分が学んだところ、「コーチングアカデミー」っていう、もともとは名古屋が発祥なんですけど。
栃尾
へぇ。
野田
東京校は市ヶ谷に学校が、学校というか学ぶ場所があって。
栃尾
うん。
野田
そこの東京校のインストラクターとして、コーチになりたいっていうのかな、コーチングを誰かに活かしたいっていう人に対してコーチングをお伝えする。
栃尾
ふーん、コーチングはさ、どれぐらいやってるの?
野田
コーチングは学び出したのは2009年だから、11年前。
栃尾
おぉ、結構長いね。
野田
そう、だけど、まあ、何て言うのかな、誰かのためにというか、人のためにというか、それまでは自分のためにコーチングを活かすっていう感じね。
栃尾
あ、そうなんだ。
野田
コーチングには色んな見方があるんですけど。
栃尾
うん、うん。
野田
「誰かをコーチする」っていうよりかは、「自分の人生のために」っていうのが、5年ぐらい続いて、特に、5年ぐらい前ですね、2015年あたりから、人が使えるようなコーチングを提供するとか、誰かのためになるようなコーチングを知りたい人に、そのコーチングのエッセンスをお伝えするっていう、その伝えるっていうのは5年ぐらい前からですね。
栃尾
ふーん、誰かにコーチングをするんじゃなくて、コーチングのエッセンスを伝える、その講師を養成するっていう意味?
野田
そうね、そちらの方が自分としてはやりたい度合いが大きくて。
栃尾
へぇ。
野田
まあ、1対1のね、とっちーさんもちょっとやってくれたけどさ。
栃尾
うん。
野田
コーチングを、1対1でももちろん、コーチとクライアントさんっていう形で受けていただく形もあるし。
栃尾
うん。
野田
だけど、その方がより誰かに活かせるようなコーチングってこういうものだよねみたいなのが伝えられたり、その人の人生自体が豊かになるようなコーチングのエッセンスを伝えるっていうのが、割合的には多いですね。
栃尾
あぁ、そうなんだ。
野田
うん。
栃尾
そのさ、コーチングアカデミーと味方学っていうのは関係ないっていうか。
野田
あ、そう関係ある。
栃尾
組織としては。
野田
関係あるの、鋭い。
栃尾
鋭いかな(笑)。
野田
コーチングって言っても、正直私も最初まったく「コーチングって結局なんだろう?」みたいな。学べば学ぶほど、たぶんとっちーもそうだと思うんだけどね。よくわからない。定義があんまりないんですね、日本で特にね。
栃尾
うん、うん。
野田
なので、そこで味方学っていうのができて、また、お話するけれど、「誰かの味方になりたい」っていう。
栃尾
うん。
野田
コーチングも、「誰かに活かしたい」って思ったときに、それが「誰かの味方になりたい」っていう、その誰かっていう人を想像したりとかっていう風に、もうちょっと日常的にコーチングアカデミーのエッセンスをコーチングを学ばなくても、例えば子どもでも、おじいちゃんおばあちゃんでも使えるようなっていう意味で、味方っていう、で、それを学問として味方学っていうのが、コーチングアカデミーの中の東京校の中からでき上がったっていう感じ。
栃尾
あ、そうなんだね。
野田
そうなんです。
栃尾
わりとなんか、コーチングみたいに、えっと、がっちりしてないけど、もっとライトな感じでやろうよって感じ?
野田
そう、そうですね、ライトな感じで。
栃尾
うん。「日常に」って今言ってたけどね、そういう感じでってことか。じゃあ、エンディングノートのほうもそのコーチングアカデミーの中での活動なの?
野田
エンディングノートは、コーチングアカデミーの東京校の校長が、そのマンダラエンディングノート®っていう。
栃尾
はい、はい。マンダラね。
野田
そう、マンダラなんですよね。まあ、味方学もマンダラの、マンダラチャートのエッセンスが入ってるんですけど。
栃尾
うん。
野田
そのマンダラエンディングノート®っていうのを、作ろうとした人、まあ、エンディングノートを作っていた葬儀社さんと一緒にやったので、味方の考え、その味方学の考えとか、コーチングアカデミーの考え方は入ってるんですよ。
栃尾
うん。
野田
ただ、コーチングアカデミーと味方学みたいな、そういう「中のもの」というかね。
栃尾
なるほどね、包含関係ではなくて、ちょっと外に出て、協業したみたいな感じ。
野田
あぁ、そうね、そうそう。
栃尾
なるほど、なるほど。私の頭の中で、ベン図が、丸いベン図が浮かんでるけど(笑)。
野田
うん。
栃尾
なるほどね。へぇ。あとさ、ホントいろいろやってるよね。あと、アロマとか、ハーブとかもやってるんでしょ?
野田
そう、なんで。アロマとか、ハーブとかも、もともと、この話してしまっていいのかな?
栃尾
もちろん。
野田
リフレクソロジーってね、一番最初に、こういう誰かの役に立ちたいってことの始まりは、足裏ね、リフレクソロジーを学んで。
栃尾
なるほど。
野田
そのときに体だけじゃなくて、心のケアにもなるっていうのがまずわかったし、だったら、心の方もケアして行きたいって思ったときに、コーチングだったり、で、そこでバランスを取るって言う意味合いもあって、植物の力?
栃尾
うん。
野田
そこでアロマセラピーを、だから10年ぐらい前。
栃尾
うん。
野田
だから、足裏やって、コーチングちょっとやり出して、アロマセラピーしっかり勉強し出したみたいな流れで。
栃尾
ふーん。
野田
でも、心と体の両面からサポートしたいっていうのが基本。
栃尾
ふーん、なるほどね。で、今は心が中心って感じ?
野田
そうね、まあ、そのハーブとかアロマはね、体にも作用するし、心にも作用するし。
栃尾
そっか。
野田
で、足裏はね、ちょっとこのご時世もあるのと。
栃尾
あー、会えないからね。
野田
そうね、そういうのもあるけど、まあ、細く長く実は施術はしているし。
栃尾
ふーん。
野田
そう、実は足裏もインストラクターだったのね。だからそれで教える……。
栃尾
あぁ、教える人に教えるんだ。
野田
たぶん、教えることが好きなんだよね。
栃尾
へぇ。
野田
あとは、伝えるとか。
栃尾
うん。
野田
そう、それもご依頼があったら、リフレクソロジーを、技術を学びたいっていう人にお伝えしてたりとか、っていうのもまあやってます。
栃尾
ふーん。え、教えるのも好きだけどさ、勉強も好きなんでしょ?
野田
あ、ね、好きかもねぇ……(笑)。
栃尾
(笑)。次から次にそうやって勉強してね。
野田
そうね、でも、全部背負って歩いている感じだから、なんだろうな、それがまた繋がっていくっていう感じ。
栃尾
そうだね。
野田
アロマセラピーやったら、「うーん」って思って、ハーブ、メディカルハーブの世界にも広がるとかね。
栃尾
うん、うん。
野田
そう、そう。まあ、「全部繋がってるな」っていう風に考えてます。
栃尾
なんかそのさ、「全部人のために」みたいな、もちろん、ビジネスって人のためなんだけどさ。
野田
うん。
栃尾
直接的にでもないのもあるでしょ? 「直接的に人のために関わっていく」っていうのはさ、もともとそういう人だったの?
野田
あぁ。
栃尾
そういうのに興味があったの?
野田
人に……、あのね、最初の仕事の話をしていいのかな?
栃尾
うん、もちろん。
野田
最初ね、私キッチンメーカーに勤めたんですよね。
栃尾
システムキッチンとか、そういうこと?
野田
そう、そう。システムキッチンのショールームレディだったわけです。
栃尾
ショールームレディ、はい、はい。説明するのね。
野田
そう、20年前に、CADとか、大きなパソコンのさ、後ろがまだ大きいときの。
栃尾
うん。
野田
そう、だから、人に、就職活動のときに全然やりたいことが見つからなかったんだけど、正直。
栃尾
うん。
野田
でも、心理学の学校に行ってたから、大学が。本当は心のことを深めたかったんだけど、それはその時の先生に「お金にならないよ」ってすごい言われたの。
栃尾
はい、はい。言われそう。
野田
それは今でもわかるけど、たぶん新卒でそういう心のこと関係とか、大学院を目指すっていうのは、たぶん私には、たぶん「その時やらなくてよかったな」って後から思ったから。
栃尾
ふーん。
野田
社会経験して、だから、今たぶんコーチングとかね、すごいやってるの。で、もともと心がすごく気になっていて。
栃尾
うん。
野田
心のことを勉強して、それで、でも絞り出した就職先っていうのが、人に提案できることっていうのがね。
栃尾
ふーん、なるほどね。
野田
唯一なんていうの、自分でそれならできるなみたいな。それで、キッチンメーカーに入って、もともと建築系とかも好きだったからね。
栃尾
うん、うん。
野田
で、提案したりとか、一緒に考えるとか、深い関係が好きなんだよね。その一人の人とか、その一人のご家族とかさ。
栃尾
ちゃんと向き合ってみたいなね、寄り添ってとかね。
野田
そう、寄り添って一緒に作っていくのの手伝いみたいなのは好きだったっていうか。
栃尾
へぇ。
野田
「それならできる」って思ったのかな。
栃尾
うん、うん。じゃあ、そういう興味の方向が元々あって、心理もあって、そういう方向に来たんだね。
野田
そう、そう、そう。
栃尾
へぇ。でも最初はリフレクソロジーだったんだ。
野田
そう、そのときに、やっぱり社会人3年目のときに、やっぱりこう、何て言うのかな、「うまくいかないな」みたいなのが、3年目の壁みたいなのがね、あったときに、たまたまリフレクソロジーみたいなのを受けたときにね、もう感動したわけですよ。
栃尾
うん。
野田
そう、「体を癒しに行ったのに、心が癒された」っていうか。
栃尾
へぇ。
野田
自分の中のその変化。あ、「こんなに気持ちいいんだ」みたいなね。その、心がすごく楽になったとか、ちょっと悩んでたことが少し見方が変わったみたいなので。
栃尾
ふーん。
野田
それが衝撃だったんですよ。
栃尾
そうなんだ。
野田
そう、だから、そこ大転機ですよ。
栃尾
そうだね。
野田
そこで、まさかのそれで仕事を辞めたんですよ。
栃尾
(笑)感動して? 速攻で?
野田
そう、いや、なんかね、「勉強したい」って思ったの、そこで。それで色々調べたら、「勉強は仕事しながらじゃ無理だな」っていうことに気付いて。
栃尾
ふーん。
野田
でも、その仕事もいい仕事だったんですよ。今でも、「またやりたいな」って思えるぐらいいい仕事だったんだけど。
栃尾
うん、うん。
野田
でもなんか、こう、「やりたい」って思ったんだ���ね。しかも、誰かのために体とか心の、まあ、体のケアをするなら、その時はね、自分の心もしっかり……、体も心もケアしなきゃいけないっていう、何て言うのかな、使命感っていうか。
栃尾
へぇ。
野田
「人に提供するなら、自分ができてないと」っていうのをすごい思ったんだよ。
栃尾
それは大事だよね、でもね。
野田
そう、大事よね。
栃尾
うん、うん。
野田
そこで、私も「よくあの時辞めたな」って思うんですけどね。
栃尾
でも、そんなもんよね。
野田
辞めて、でも、あの思い切りがあったから、ずっとこういう自然療法の世界とか、心の世界にずっといるんだと思うのね。
栃尾
そうね。
野田
そうなの。
栃尾
そっか、そっか。
野田
それね、もう16年前よ。
栃尾
うん、うん。それではですね、その詳しいマンダラとかね、味方学とかね、まあ、エンディングノートとかいろいろと面白そうなキーワードがありましたけど、それぞれは��回以降にまた、ちょっと詳しくお伺いできればなと思います。
野田
はい。
栃尾
じゃあ、今日はこんなところで、恵里さんの紹介ということでね、終わりにしたいと思います。
野田
はい。
栃尾
以上、栃尾江美と。
野田
野田恵里でした。
<書き起こし、編集:折田大器>
【読むPodcast】#228 野田恵里(めぐり)さんがゲスト!はEMITOCHIO.NETで公開された投稿です。
from yomu_podcast – EMITOCHIO.NET https://ift.tt/3m97dwU via IFTTT
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herbiemikeadamski · 5 years ago
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(^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. 
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4月19日(日) #大安(壬辰) 旧暦 3/27 穀雨 月齢 25.7 年始から109日目(閏年では110日目)にあたり、年末まではあと256日です。
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朝は希望に起き⤴️昼は努力に行き💪夜を感謝に眠ろう😪💤
睡眠は明日を迎える為の☀️未来へのスタートです🏃‍♂💦
夜が来ない朝は無い(笑)朝が来ない夜はありません💦
でお馴染みのRascalでございます😅.
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新型コロナウィルスが湿度に弱いとの事で昨日の暴風雨で
吹き飛び洗い流されればと思いました😅💦
湿度が50~60%の相対湿度の場合に感染が見受け
られないという研究結果があるそうです。
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しかし、湿度が高いと逆にウィルスの活動が活発なると
湿度が低く乾燥状態でもウィルスは元気になるらしい↴
なんともウィルスって我儘なんでしょうか。。。_| ̄|○…
SARSやMERSのコロナウィルスの時の様に自然消滅にナランカナ?
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今日一日どなた様も💁‍♂お体ご自愛なさって❤️
モウ!頑張るしかない✊ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ!
お過ごし下さいませ🙋‍♂
✨本日もご安全に参りましょう✌️
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■今日は何の日■. 
#シトロエン7CVデビューの日.
フランスの自動車メーカーシトロエンが1934年に前輪駆動の乗用車を発表。
世界でも極めて早い時期に、前輪駆動とモノコック構造を採用した自動車の先駆の一つである。
1957年まで製造していた。
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#穀雨
二十四節気のひとつ。この頃の春雨は田畑を潤して、種まきに良い時期となり、穀物の生長を助けるところから「穀雨」。
この日を境に降雨量が増え、日差しも強くなってくる。
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#良いきゅうりの日.
ジェイエーあいち経済連の「西三河冬春きゅうり部会」が制定。
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#地図の日(最初の一歩の日).
1800(寛政12)年閏4月19日、伊能忠敬が蝦夷地の測量に出発しました。
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#収育の日. 
片付けを楽しむ検定「収納検定」を運営する一般社団法人日本収納検定協会が制定。
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#養育費の日.
母子家庭など一人親の家庭を支援しているNPO法人「Wink」が制定。
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#養育費を知る日.
実効性のある養育費保証の確立を目指す株式会社イントラストと、ひとり親家庭及び子連れ再婚家庭の支援を行うNPO法人M-STEPが共同で制定。
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#みんなの保育の日. 
保育や子育てに役立つ遊び情報サイト「ほいくる♪」を運営する子ども法人キッズカラーが制定。
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#良いクリニックの日. 
インターネットメディア「キレイクリニックナビ」を運営するトレンダーズ株式会社が制定。
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#乗馬許可の日.
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#古川祭(岐阜県).
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#飼育の日.
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#食育の日.
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#共育の日(毎月19日). 
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#松阪牛の日(毎月19日). 
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#熟カレーの日(毎月19日). 
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#シュークリームの日(毎月19日). 
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#熟成烏龍茶の日(毎月19日). 
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#クレープの日(毎月9月が付く日). 
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#ベネズエラ独立宣言の日.
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#スワジランド国王誕生日.
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#プリムローズデー(イギリス).
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#自転車の日/Bicycle Day(#スイス).
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#キリバス健康の日.
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#聖エクスペディトゥスの祝日.
物事の早期解決・商人・航海士の守護聖人。
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■今日のつぶやき■.
#船は帆でもつ帆は船でもつ(フネハホデモツホハフネデモツ)
【解説】
帆掛け船は帆がなければ進まないし、帆は船がなければ役に立たないという意から。
世の中は互いに助け合って成り立っているというたとえ。
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1971年4月19日 #星奈優里 (#ほしなゆり) 【女優】 〔広島県〕 《元宝塚歌劇団星組トップ娘役》
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(Nerima, Tokyo)
https://www.instagram.com/p/B_I2iLwHDNwhG_bq9mgGWP_zs6dFBUDTW581XY0/?igshid=1av37jysnxgo3
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