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僕らのエッチな益子先生(Notre prof immoral M. Mashiko)
私立K高校は、海沿いから近く最寄りには鉄道が停まる駅もある便利なところにある。県内唯一の男子校であり、国公立大学への進学率やスポーツでの成績も全国で名高く、遠方から入学してきた生徒の為に寮も整備されている。
そんなK高校だが、昔から正門をくぐったその日から男色癖がつくという噂があった。教師も八割は男性であり、不適切な関係になることもしばしばだった。それでも、一度も教育委員会などに漏れることはなく、寧ろ男色にはしったことで卒業後の人生が良い意味で充実したと話すOBが多かった。
早乙女亮司は、久しく都内の公立高校で教師をしていたが、ひょんなことがきっかけでこのK高校の用務員になった。理事長の��田貢が、たまたま彼が上野のゲイバーへ飲みに来ていたところに声をかけ、意気投合して最寄りの連れ込み宿で絡み合ったのだが、よかったらウチで働かないかと誘ったのだ。亮司は、最初は胡散臭いなと断るつもりだったが、別れる前に電話番号を教わり、面接に行ったところ貢が直接応対したので、嘘ではないと思った。即採用となり、その日のうちに貢は、敷地内にある彼曰く「別荘」に亮司を連れ込んだ。その別荘は、貢が目を付けた男と寝る為に建てたもので、これまで用務員は雇ったことがなかった。教壇に立つのは希望しないと亮司の意向は尊重したが、どうしても上野で過ごしたあの一夜が忘れられず、また亮司のチ◯ポが太く跳び散った愛液も半端でなかったからか、絶対に逃がすまいと用務員として採用したのだ。
前日に別荘内を自ら掃除し、ベッドメイクをしたうえにラヴオイルとコ◯ドームも備え付け、貢はスラックスを脱ぐと両腿を拡げて白いビキニブリーフ越しに股間を弄び、ワイシャツもたくし上げて亮司を誘惑した。すると、亮司もすっかりその気になり、彼も背広を脱いで灰色のセミビキニブリーフだけの姿で覆い被さった。何度も接吻し、二人はたちまち乱れに乱れた。
「クソ真面目な面して…このド変態が!」
「あんッ、もっと虐めて!」
情事の後、シャワーを浴びた貢はビキニブリーフにワイシャツを羽織った状態で名残り惜しそうに、やはり同様の格好でベッドの隅に腰掛けていた亮司に寄り添い、明日にでも引っ越してきて欲しいと言った。しかし、亮司は今やっている仕事を辞めなければならないと、せめて一ヶ月は待って欲しいと、詫びの接吻をした。元々サッカーをやっていたからか、亮司は白髪をスポーツ刈りにしていたが全身が筋肉質の肉体に貢はますます愛おしくなり、いったん萎えたチ◯ポが再び硬くなるのを感じた。内腿に力が入り、彼は顔を赤らめた。そんな様子に亮司は、
「意外と『うぶ』なンだな」
と貢の耳に囁いた。
二人は、後に亮司の「寮」になる別荘を出た。校内の敷地は広く、校舎や体育館まで五分はかかった。周囲は森になっていた。ようやく建物が見えてきたが、屋外の部活動かタンクトップとランパンという格好でジョギングをする生徒らとすれ違い、
「こんにちわ!」
と声をかけられた。亮司は、かつて教師をしていた頃を思い出した。貢は、
「オレも、中高は陸上部だったンだ」
と話した。流石に、校内では理事長という肩書きを背負っているのか、先刻の様な素の表情はみせなかった。それでも、途中で亮司の手を握っては周囲の目があると離すという動作を繰り返していた。すっかり好かれてしまったなと、亮司は思った。
正門まで貢は見送り、
「後日、採用通知書などを送ります」
と言い、
「…できるだけ早く来て」
とうつむきながら亮司の手を握った。
「あぁ、早めに来ますよ」
と、貢の気持ちに応えようと亮司は思った。
こうして亮司は東京に戻った。
その後、貢の許に今度は「教師募集」の見出しを見て応募したと、一人の男から話があった。彼は、適性検査と校長との面接を経て採用となった。その男が赴任したのを機に、K高校に様々なドラマが展開されようとは、誰もが考えてもみなかった。
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明白な嘘をもっともらしい無関係な写真とともにSNSに上げる奴って、後を絶たない この手の嘘つきって、性犯罪者とか、アルコールとか賭博の依存症みたいに治ることが基本的にないので、常にカウンターで真実をぶつけるしか手がない でもその真実を判定するところが日本ファクトチェックセンターという、大手新聞のOB別動隊みたいな連中なんで、その判定自体も結局信用できない 個人の能力と才覚で真偽を見極めて生き残るしかない、乱世なんだねえ
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■女性として妻として母としての私の尊厳、そして検事として尊厳を踏みにじられ、身も心もボロボロにされた 大阪地検トップの検事正だった男が部下の女性検察官に性的暴行を加えた罪に問われている裁判の初公判で、男は、起訴内容を認め謝罪した。 北川健太郎被告(65)は大阪地検の検事正だった2018年9月、酒に酔って抵抗できない状態だった部下の女性検察官に性的暴行を加えた罪に問われている。 初公判で、北川被告は起訴内容を認め「深刻な被害を与えたことを反省し、謝罪したい」と述べた。 検察側は、冒頭陳述で被告人は、「これでお前も俺の女だ」と言って性交し、被害者は抵抗すれば殺されるという恐怖を感じたと指摘した。 閉廷後、被害者の女性検察官は「大阪地検のトップの検事正から突如、性被害を受け、全てを壊されました。女性として妻として母としての私の尊厳、そして検事として尊厳を踏みにじられ、身も心もボロボロにされた」と事件の悲痛な胸の内を涙ながらに語った。 ■被害者の女性検事の記者会見詳報 大阪地検元検事正で弁護士の北川健太郎被告 以下、被害者の女性の記者会見での発言。(性被害の詳細な内容の一部については被害者に配慮し省略した。性暴力の描写があるため、フラッシュバックなどの恐れがある方はご注意ください。) 私は元大阪地検検事正による準強制性交等事件の被害者です。そして私は現職の検事です。 第一回公判を終えての感想ということですが、被害を受けてから約6年間、本当にずっと苦しんできましたので、なぜもっと早く、罪を認めてくれなかったのか、もっと早く罪を認めてくれていたら、もっと早く私が被害申告をできて、この経験を過去のものとしてとらえることができて、また新しい人生を踏み出すことができた。 彼は、逮捕された当初も否認をしていて、検察官の捜査してくださった証拠を見て、争う余地がないということで認めたのだと思いますので、認めたとしても、私の処罰感情が和らぐはずもありません。 ここまでの経緯を振り返ると、公判を傍聴してくださった方ならわかると思うんですけれども、検察組織や検察職員を人質にして、私に口止めをし、公にされたら死ぬと脅され、私は被害申告できませんでしたので、そういうことを当時の被害状況を含めて、その口止めされた時のことも含めて、6年間がずっと頭の中をグルグルグルグル回りながら、検察官の冒頭陳述や証拠調べを聞いていました。 被害から6年間、本当に苦しんできました。 ほぼ誰にも言えず、苦しんできた期間は長くありました。 大きな権力との戦いで、強い恐怖や孤独、事件が闇に葬られるかもしれないと不安も大きかったのですが、温かく見守ってくださった皆様方が私の選択を応援して支援してくださったおかげで今日の初公判を迎えることができました。本当にありがとうございます。 ■性犯罪の本質を正しく理解して頂き、性犯罪被害者の実態を正しく知って欲しい 会見を開いた理由は大きく2つあります。 一つ目は性犯罪や虐待被害など、声を上げられずに苦しんでいる被害者の方々や、勇気を振り絞って声を上げてもずっと苦しみ続けている被害者の方々がたくさんいらっしゃいます。 私は、若いころ、電車内での強制わいせつ事件にあったことがありましたが、恐怖で逃げるのに精一杯で警察に届けることができませんでした。 また、ストーカー被害にあった際は、警察に被害を届け出ましたが、まともに捜査してもらえませんでした。 私は被害を受けても声を上げられない、声を上げても届かないということを身をもって体験してまいりました。 ですから私は被害を受けて苦しんでいる方々に寄り添い、力になりたいと思い、検事に任官しました。 これまで検事として、たくさんの被害者の方々と共に泣き、ともに戦い、寄り添ってきました。 そして今、私自身の経験をお話することで、今まさに苦しんでいる被害者の方々の力に寄り添うことができればと思い会見を開くことにしました。 また性被害は、知人間で行われることが多く、また客観証拠が乏しいことが多いため、加害者が『性暴力をしていない。同意があった』『同意があると、誤信していた』などと主張することが多く、司法に携わる物が懸命に捜査をしなければ、 あるいは、正しく事実認定をしなければ、法的評価をしなければ、勇気を振り絞って声を上げた被害者をさらに傷つけることになり、さらには性犯罪を許すことになり、傷つけられる被害者が絶えないという悲劇をもたらします。 ですから、性犯罪の本質を正しく理解して頂き、性犯罪被害者の実態を正しく知って頂くことで、性犯罪を撲滅したいという思いから、会見を開くことにしました。 ■少しでも孤独に苦しんでいる被害者の方々の力になれたら、自分自身も生きられる 被害女性の会見 2つ目は私自身のためです。 私は、法令を遵守し、傷ついた被害者に寄り添い、犯罪者を適正に処罰することを使命とする検察庁のしかも私が所属する大阪地検のトップの検事正から突如性被害を受け、すべてを壊されました。 女性として、妻として、母としての私の尊厳、そして検事としての尊厳を踏みにじられ、身も心もボロボロにされ、家族との平穏な生活も、大切な仕事も、全て壊されました。 それでもすぐに被害申告できなかったのは、被告人(北川元検事正)から「公にすれば死ぬ。検察が機能しなくなり、検察職員に迷惑がかかる」と脅され、口止めをされ、懸命に仕事をしているたくさんの職員に迷惑をかけられない、検察を守らなければならないと思ったからです。 私は自分が泣き寝入りさせられたことで、それまで以上に勇気を振り絞って被害申告してくれた被害者の方々に寄り添い、力になりたいと思い、自分の苦しみにふたをして、被害者の方々と共に戦ってきました。 少しでも孤独に苦しんでいる被害者の方々の力になれたら、自分自身も生きられると思っていたからだと思います。 ■検事正であった人間がこれほどまでに罪深く不道徳で、非常識であることを誰も気づいていない 一方、被告人は、重大な罪を起こしたことで、刑事処罰を受け、懲戒免職され、法曹資格も失うべきであったところ、その罪を隠して円満退職し、多額の給与や、退職金を得、弁護士になり、企業のコンプライアンスなどに関わり、 多数の検察職員に囲まれて、盛大な退官パーティーを開き、検察の現職の職員と夜な夜な酒を飲み歩き、部下との関わり方などを語り、検察に大きな影響力を持ち続けました。 被告人(北川元検事正)は、私を脅し口止めをした際、「公にならないなら喜んで死ぬ」とまで言っていましたが、実際の行動はまるで、自分の犯した罪などなかったかのようなひどく傷つけた被害者の存在など忘れてしまったかのような振る舞いで、 被害感情を逆なでし、必死に苦しみにふたをして検事の仕事に没頭して、そうやって何とか生きていこうとしていた私を踏みにじってきました。 検事正であった人間がこれほどまでに罪深く不道徳で、非常識であることを誰も気づいていない。処罰されるべき人間が処罰されていない。 被害者を救い、犯罪者を適切に処罰し、国民の安全と安心を守り抜くことが、検察官の使命であり、私の使命であるのに、被害者である私自身は、誰からも救ってもらえず、 罪を犯した被告人(北川元検事正)を適切に処罰できていない、その怒りや悔しさでPTSDの症状が増��し、私の心身は限界になり、休職せざるを得なくなりました。 自分の生きがいであった仕事まで奪われてしまいました。 ■私のアイデンティティーを守ることしかない、被告人を処罰することしかない 私自身を取り戻すためには、私のアイデンティティーを守ることしかない、被告人(北川元検事正)を処罰することしかない、被告人に真に自分の罪と向き合わせ、同じような被害者を二度と生み出してはいけないと思い、覚悟を決め、被告人の処罰を求めました。 適正な捜査をして被告人(北川元検事正)の処罰をしてほしい。私を救ってほしいと何度も何度も書面を作成して、検察庁に訴えました。 持っていた証拠も全て提出しました。起訴して頂くまでの間は、事件をつぶされるかもしれないという恐怖におびえ、とても苦しかったですが、捜査を担当してくださった皆様が懸命に捜査をしてくださり、起訴して頂くことができました。 私は少し救われた気持ちになりました。少しづつ日常を取り戻していくために、休職期間を利用して、登庁の練習を始めました。 起訴して頂くまでは、登庁すること自体が恐怖で、泣きながら震えながら、登庁していましたが、検察庁が、被害者情報や、被害内容の保秘を徹底してくださったので、その職場は安全であると信じていました。 ■女性副検事が「私を侮辱し、誹謗中傷する虚偽の内容を故意に吹聴」 ところが、今回の事件の関係者である女性副検事が内偵捜査中の時点で、被告人側に捜査情報を漏えいし、被告人(北川元検事正)が当初弁解していた内容に沿う事実と相違する供述をしていたことがわかりました。 さらにその女性副検事は、検察庁職員や、OBに対して、被害者が私であることを言ったうえで、私が事件当時、飲酒酩酊のため、抗拒不能の状態になかったので、性交に同意していたと思う、PTSDの症状も詐病ではないか、金目当ての虚偽告訴ではないかという趣旨の私を侮辱し、誹謗中傷する虚偽の内容を故意に吹聴していたことがわかりました。 さらにその嘘は検察庁内に広く伝わり、私が信頼していた上級庁の検事までもが、証拠関係も知らないのに、被害者を誹謗中傷し、被告人をかばうような発言をしていたこともわかりました。 性被害を受け、苦しんでいるにもかかわらず、検察庁内外でこのような被害を受け、さらに傷つけられてしまいました。 ■内通の女性副検事と同じ職場に 検察庁からは謝罪なし 女性副検事の一連の行為については、私が知った9月3日以降、検察庁に対し何度も速やかに捜査をして、適正に処分して頂きたいと訴え、10月1日に告訴、告発しました。 また、検察庁に対する信頼を損ねることになるので、速やかに副検事の職から離れさせるよう訴えてきましたが、いまだに女性副検事は検察庁で仕事をしています。 最高検以下は、女性副検事の捜査段階での捜査情報の漏えいなどを把握していながら、適正な処罰や処分をせず、放置し、しかもあろうことか、被害者である私にその情報をふせ、私をその女性副検事と同じ職場に復帰させたのです。 私は、安全だと思っていた職場に被告人と内通していた職員がいて、それを知らず必死に復職しようと思って、毎日を過ごしていたわけですが、その事実を知り、私が誹謗中傷されるのではないかと怖くなり、 すぐにその方は私の職場から離してほしいと求めましたが、検察庁の動きは遅く、さきほどいったような名誉棄損の実害が発生してしまい... その副検事が捜査段階でそのようなことをしていたことを、検察庁がなぜ私に言わず、私を彼女と同じ職場に復帰させたのかについて、検察庁、最高検を含めて、何度も何度も説明を求めてきましたが、一切説明はされず、 現職の検事正から性被害をうけ、現職の女性副検事から名誉棄損などの被害を受けているにもかかわらず、検察庁からは謝罪もなく、非常に孤立させられ、 そういった状況であることから、会見の理由としては検察庁に適正な捜査、速やかに捜査していただき、適正な処分をしていただきたいという要望があり、 それをお伝えしたかったのと、私の名誉を回復する機会にしたいと思い、この会見を開くことにしました。 ■被告人に恋愛感情をもったことはなく、恋愛感情を示されたこともない 事件の名誉を回復するためには、事件の真相、真実を知って頂く必要があるので、お話します。公判を聞いておられない方もいるともいますので。 被告人(北川元検事正)は本件の当時59歳で妻子がいました。 被告人は平成29年には最高検の監察指導部長や刑事部長を歴任後、平成30年2月に大阪地検検事正に就任しています。 一方私ですが、私は婚姻していて、夫もいて、本件当時は、子どももいました。 私は検事に任官して早い時期に被告人(北川元検事正)の部下として、被告人から直接指導を受け、職務に従事していた時期があり、被告人に対して尊敬の念を持っていましたが、以後は勤務場所が異なることもあり、被告人とは次第に疎遠になっていきました。 被告人(北川元検事正)と私は、業務以外で個人的に2人で会ったことはなく、私的な付き合いもなく、私が被告人も参加する私的な懇親会に参加したのは、数回程度でした。 被告人(北川元検事正)はこの点、捜査段階で、「30回ぐらい飲んでたかなぁ」と適当なことを言ってましたけど、それは嘘で、数回程度でした。 私は被告人(北川元検事正)に恋愛感情をもったことはなく、被告人から恋愛感情を示されたこともありませんでした。 ■仕事と子育てに忙殺され飲み会に参加する余裕はなく 次に本件当日の懇親会開催の経緯について説明いたします。 本件当時、被告人(北川元検事正)は、大阪地検検事正であり、私は大阪地検に勤務していたわけですが、当時私は凶悪事件の担当の係であり、また性犯罪の事件や虐待の事件など、多数担当していました。 私は、かつて直接指導を受けた上司であった被告人(北川元検事正)が、大阪地検検事正に就任した祝いを兼ねた懇親会をしようと考え、被告人に打診していましたが、 当時、私自身本当にすごく仕事が忙しくて、かつ子育てをしている母でもありましたから、仕事と子育てに忙殺されていて、飲み会なんて、行っている暇もなくて、昼ごはんも食べずにトイレに行くのも我慢するというような過酷な仕事をしていて、 夜も自分が子供の迎えじゃない日は、夜残って仕事をしたり、土日も返上で仕事をしていたんですね。 だから、飲み会に行く暇もなくて、でもどうしても行きたい飲み会とかあるわけで、公的な飲み会だったり、あと、一緒に事件を頑張ってきた警察の方との打ち上げだったり、立ち合い事務官さんっていうのが、ついてくださるのですけど、事務官さんが、その慰労会だったり、どうしても時間を過ごしたいなという飲み会には行っていたんですけど、 この被告人の検事正の就任を兼ねた飲み会っていうのは、私にとっては優先順位は低くて、その4月から8月までの間、機会はあったのでしょうが、私の優先する飲み会を優先したら、それは被告人の飲み会は、後回しだったっていうことで、 9月にたまたま自分が事件の配点が少し抑えられた時期がありましたので、そこで、被告人(北川元検事正)に「飲み会しましょうかって」いうことで、被告人はもう、毎日ほぼ飲み歩いているような多分状況だったんで、 誰とも、「別に誰と飲みたいっていうのもない」って言われたので、「お前が参加者の人選をやれ」ということで任されたので、仲良くしていた後輩の検事のCさんと、私の元で研修を受けてくれていた警察官のDさん、かつて被告人の秘書を務めていてた検察事務官2名を誘い、平成30年9月12日、被告人を招いて懇親会を開催することが決まりました。 その検察事務官のうちの1人が先ほど申し上げた女性副検事になります。 ■焼酎をなみなみに入れた水割りを提供され酩酊状態に 本件当日の懇親会において、私が飲酒酩酊した状況と、被告人(北川元検事正)の認識や、被告人の犯意というか、性交しようと決めた時期などについてです。 その日午後6時ごろ大阪市内の飲食店で私たちは集まって懇親会が開かれました。 着席状況は一つのテーブルに3人ずつが互いに向かい合うように座って、被告人(北川元検事正)と私はテーブルをはさんで互いに向かい合うようにして、座っていました。 懇親会ではその(検事の)C君が手品をしたり、他愛のない話をして、談笑していたんですが、途中私が被告人に対して、担当していた刑事事件に関して、上司の決裁での言動に問題があると指摘したところ、被告人(北川元検事正)が聞く耳を持たず、私を叱責し、その場の雰囲気が悪くなる場面もありました。 私が覚えているのは、懇親会であったこととして覚えているのはこれだけです。 ところで、私は当時、育児や仕事に忙殺され、普段は週末にアルコール度数の低い酎ハイを1、2本飲むっていう程度で、酒に強い方ではありませんでした。 しかし、懇親会では被告人が注文した焼酎の一升瓶かなんかで作った水割りをみんなが飲むような感じになっちゃって、しかも水割りを作ってくれていた職員が水割りを作ることに慣れていなかったため、焼酎をなみなみに入れた、水割りを提供してくれていたことから、私も普段飲みなれていない焼酎の水割りを飲んで、あっという間に酔っぱらっていきました。 午後6時から午後10時半まで、店にいたということですので、約4時間半長時間にわたり飲酒し続けることになったため、やがて私は飲酒の影響で酩酊し、懇親会終了直前ごろになると、ここからは私は記憶がないんです。 (検事の)C君が覚えてくれていて、お話ししてくれた内容を元にお話をすると、懇親会終了直前ごろになると、ろれつが回らず、顔はうつむき加減となって、座ったまま、テーブルに突っ伏してしまい、起きているのかわからない状態になっていたということでした。 ■自力では歩くことができないほど泥酔状態に そして、午後10時半ごろ、懇親会が終了し、私はその飲食代金を全員分まとめて��レジットカードで支払っていたらしいんです。 覚えてないですけど、支払うにあたり、カード決済のための署名を求められたわけですが、飲酒酩酊のあまり、自分の氏名さえまともに記載することができておらず、書面は乱雑で一部は判読困難なほどでありました。 これは捜査を担当してくださった検察官の方が、当時の電子署名を取り寄せてくださって判明した事実です。 退店後もよろめいて、自力では歩くことができなかったので、被告人(北川元検事正)や先ほど申し上げた女性副検事、この当時検察事務官に体を支えられて前方へと歩くよう促されて歩いていたりするなど、いわゆる泥酔状態にありました。この辺りは(検事の)C君のお話です。 その後、被告人(北川元検事正)は別の飲食店で二次会をすることを私に提案したわけですが、私はこれに応じず、そのまま全員が解散する雰囲気となりました。 ■タクシーに押し込むように同乗し被告の官舎へ連れ込まれる 懇親会に参加した同僚らは泥酔状態である私を1人で帰宅させるのは危険であると考え、私をタクシーに乗車させて帰宅させることとしました。 そこで同僚らは、通りかかったタクシーを呼び止め、私をタクシーの後部座席に乗車させたわけですが、その際私は1人で帰れますと言っていたということです。 そして、目がうつろで今にも寝入ってしまうような状態であったということでした。そして同僚らは被告人(北川元検事正)が乗車する別のタクシーを呼び止めようとしていたのですが、被告人は、私の泥酔状態を見て、私が飲酒酩酊で抗拒不能の状態であることを認識し、 その状態に乗じて、強いて私と性交しようと考え、後部座席の運転席側へと私を押し込むようにして、自らも後部座席に半ば強引に乗り込み、タクシーを発進させると、当時の被告人の官舎までタクシーを走らせ、私を自宅内に連れ込んだということです。 事前に言うのを忘れていましたが、私の記憶は懇親会の途中から被告人(北川元検事正)に性交されているところまで、全く記憶がありません。 被告人(北川元検事正)に性交されている途中で目が覚めました。なので、今お話しさせて頂いたのは、その(検事の)C君らの供述になります。 ■被害について語ることは当時の被害を再体験している状態 犯行状況です。 私は露悪主義者でもないですから、自分の性被害を皆様の前で話したいわけではありませんし、この性被害を取り調べや色んな機会で話さなければならなくなった時も非常につらいわけです。 お話をするっていうことは、当時の被害のことを思い出して、話すので、当時の被害を再体験している状態になります。 だから、これは私だけじゃなく、被害を受けた方にお話を聞く際は、もう一度そのひどい被害を再体験させているのだということをわかったうえで、検察官や他の捜査機関は、お話を聞くべきだと思っています。 だからそこに配慮が必要だと思っています。 なぜ犯行状況を自分が言うかというと、「被害状況ってこんなんなんやで」というのをお伝えすることで、性被害のひどい実態を知って頂いて、普通の被害者は、自分から「こんなんされました」「こんなひどいレイプされました」なんて、中々言えないので、私の被害を伝えることで、こんな被害をされているんだなって思って頂ければとおもって話します。 ■目が覚めた時点で、見知らぬ場所でと2人きりの状態で全裸にされていた 被告人(北川元検事正)は、自宅内でそういう抗拒不能の状態にあった私の服や下着を脱がせて、全裸にしたうえ、私に覆いかぶさり、避妊具を用いずに性交に及びました。 私は飲酒酩酊のため、睡眠状態、眠っていたわけですが、徐々に目が覚めてきた時点で、既に全裸で仰向けにされ、被告人(北川元検事正)から覆いかぶさられて、性交をしていました。 避妊具を用いなかったという点は、私はまだ妊娠をする可能性が十分にあったわけですし、性病や、色んなウイルス感染をするリスクもあったわけですが、そんなことも気にせずに、避妊具を用いずに性交の被害を受けました。 私は起き上がることもできなかったし、目が覚めた時点で、見知らぬ場所で被告人(北川元検事正)と2人きりの状態で全裸にされていて、そもそも恋愛感情もなく、 上司として尊敬していた検事正の被告人から性交されているという予想外の事態に直面して、恐怖して驚愕して、絶望して、凍り付きました。 私は抵抗すれば被告人(北川元検事正)から、自分の名誉などを守るために、殺されると強く恐れました。 そのために物理的にも心理的にも抵抗することはできませんでしたが、1秒でも早くやめてほしかったので、被告人に対し「夫が心配しているので帰りたい」と言って、性交をやめるよう訴えました。 しかし、被告人(北川元検事正)は、それを無視して、「これでお前も俺の女だ」などと言って、性交を続けました。 ■下着を身に着けて帰ろうとしている私を、またレイプしはじめた その後、被告人(北川元検事正)が性交を中断したことから、私はその場から逃げようと考え、下着が置かれた場所まで這っていき、下着を身に着けましたが、飲酒酩酊で立ち上がることもできず、逃げることもできなかったため、被告人(北川氏)に対し、気持ちが悪いので水を飲ましてほしい、などと言って水を求めました。 すると被告人(北川元検事正)は自力で立てない私の腕をつかんで立たせたうえで、台所まで連れていき、私に水道水を飲ませました。 私が水を飲んで、今すぐにでも逃げたいと思っていたのに、被告人(北川元検事正)は私に何も言わず、下着を下ろして、私を布団のところまでまた連れて行き、性交を再開しました。 私はせっかく帰れると思っていたのに、被告人(北川元検事正)が飲酒酩酊により気分を悪くしている私のしかも下着を身に着けて帰ろうとしている私を、またレイプしはじめました。 この間私は「帰りたい。家族が心配する」と繰り返し懇願しましたが、被告人(北川元検事正)は自らが疲れるまで性交を続けました。 9月13日の午前2時ごろ、私はようやく被告人の家を出て、帰ろうとしましたが、検察庁のトップの検事正からレイプ被害を受け、彼の影響力は絶大であったため、検察庁の職員に、相談することなんか到底できず、唯一検察庁の職員ではない警察官のDさんに連絡をして、被害を訴えようとしましたが連絡がつかず、泣きながら帰宅しました。 ■夫に知られたくない 子どもを抱きしめながら、泣きながら寝た 夫に知られたくないと思いました。夫は優しい人で、私が検事の仕事に忙殺されているので、家のことも子どものことも彼自身も忙しいのに、手伝ってくれて、私は検事として、働くことをずっと応援してくれていましたので、その検察庁の検事正からレイプされたなんて、とても言えませんでした。 私は帰って、汚された体を洗って、洗って、洗いまくって、3時間近くレイプされてましたんで、お腹の中も痛く、子宮のところも痛くて、本当につらくて。 子どもを抱きしめながら、泣きながら寝ました。 朝、改めて(警察官の)Dさんに連絡をして、泣きながらレイプ被害にあったことを打ち明けました。 二日酔いがひどかったので、午前中休暇をとって、昼前ごろにようやく出勤したのですが、懇親会の途中以降の状況が思い出せず、何でこんなことになったのかわかんなくって、(検事の)C君に懇親会での様子とかを聞きました。 すると先ほど、お伝えしたようなことをC君が教えてくれて、自分が被害に至る経緯を知るに至りました。 私は検事正という立場にあった被告人がその泥酔した部下を��宅に送り届けずに、被告人の家に連れ込んで性交したという事実を知って混乱し、怒り悲しみました。 一方で私は泥酔した自分を責める気持ちが強く、被害を夫や検察庁の人に知られて、家庭や検事の職を失いたくないと考え、さらに検察幹部として優秀で、人望もあると言われている被告人(北川元検事正)を辞職させることは、 検察組織のためにも避けなければならないと考え、いっそ全てを忘れ去りたいと思い悩むようになりました。 ■被告人から担当していた性犯罪事件の決裁を受ける 私はこれらの旨を被告人(北川元検事正)に直接、またメールで伝えました。 被告人(北川元検事正)は私からこのような被害を受けたことを、非難され、「懇親会後のことは、俺も酔っていたので、何も覚えていない」などと言って、これは被告の嘘なんですけどね。反論は一切せず、私に対して謝罪の言葉を述べ、「警察に突き出してください」とも言いました。 しかし、被告人(北川元検事正)は私が性犯罪被害者の心理特有の初期症状として、相手に対する怒りよりも、自分を責めてしまうという心理状態になっていて、被害を訴えることも、被告人に辞職を求めることもできない心理状態にあることを検事として十分にわかっていたので、 私が「全てを忘れたい」と言ったことに安堵して、「俺の検事人生もこれで終わった。時効がくるまでは、ちゃんと対応する。食事をごちそうする」などと、軽口を言って、私をさらに傷つけました。 私は苦しい、ほっといてほしいと伝えました。 そこから私は、この被害の苦しみの感情に蓋をして、今まで以上に執務に没頭するようになりましたが、やがて頭痛や胸が痛んだり、不眠、フラッシュバックなどの心身の変調がきたすようになり、肺炎なども発症し、入院治療を受けなければならないほどに、心身が衰弱していきました。 さらに私は、担当していた性犯罪事件の決裁を受けるなどのために、被告人(北川元検事正)と接点を持たざるを得ず、被告人から性犯罪事件の決裁を受けてもいました。 しかも被告人(北川元検事正)が、私が嫌がっているにも関わらず、決裁などの機会に乗じて、検事正室のドアを閉め、私と2人きりの状況をつくり、私の様子を伺い、私が被害を訴えないことを確認するなどしていたことにも苦痛を感じていました。 ■「そろそろ退職しようと思うけど、退職しても訴えないか?」 次第に被告人(北川元検事正)が、重大な罪を犯していながら、何事もなかったかのように、検事正の職に留まっていることに、怒りが抑えられなくなっていきました。 そして令和元年6月、再び被告人(北川元検事正)に呼び出され、「そろそろ退職しようと思うけど、退職しても訴えないか?」と言われ、私はこの日、肺炎等で、病気休暇明け、初日だったんですけど、 被告人が私の心身の体調を気遣うどころか、自分が訴えられて逮捕、起訴されたり、懲戒免職されるかどうかにしか、関心を示していないことに怒りを募らせました。 そこで私は被告人(北川元検事正)に対し、直接やメールで被害による絶望や苦しみを訴え、罪を犯した被告人はすぐに辞職をすべきだと思っていたけど、 被告人には恩義があり、検察組織に必要だと思い「すぐに辞職しろ」と言えなかった苦しさも訴えて、被告人を非難し、速やかに辞職するよう求めました。 すると被告人(北川元検事正)は私に「ほんと死にたい。希死念慮の念。あした辞職の申し出します。損害賠償の提示も決めました」とメールで送ってきて、真摯な謝罪や反省の気持ちはなく、泣き言を言っているだけで、自己保身しか考えていないと感じ、怒りを募らせるとともに、 加害者が被害者に対して「死にたい」などと言うのは、それはもう脅迫ですからそれが怖くて、一人で抱えきれなくなり、信頼していた元上司であるEさんに連絡し、 泣きながら被害を訴え、不測の事態に備えて、被告人とのやり取りをしたメールを転送しました。 そうやって証拠を保全しました。 ■被告人から直筆の手紙「大阪地検は仕事にならないくらいの騒ぎに巻き込まれ、組織として立ち行かなくなる」 10月、被告人(北川元検事正)が「辞職時期が決まったので会いたい」とメールで送ってきたので、私が何度も拒否しているのに、被告人(北川元検事正)がまた呼びつけて会おうとしていることに憤りを感じ、 また被告人が酔っていて何も覚えていないということが虚偽であると考えたので、メールで被告人(北川元検事正)の本件当時の認識や泥酔した部下をレイプした理由などを問いただし、直筆による書面で回答するよう求め、きちんと書かなければ、夫に被害を打ち明けたり、上級庁に被害を訴えると告げました。 被告人(北川元検事正)は、10月28日付で、私の質疑に対する回答を直筆で書いた書面を作成し、私に渡しましたが、その書面には、 「この被害を表ざたにすれば、私は絶対に生きていくことはできず、自死する他ないと決意している。大阪地検の検事正による大スキャンダルとして組織は強烈な批判を受け、検事総長以下が辞職に追い込まれ、大阪地検は仕事にならないくらいの騒ぎに巻き込まれ、組織として立ち行かなくなるので、私の命に代えてやめて頂きたい。あなたも属する大阪地検のためということで、お願いする。この被害を胸にしまってもらえるなら喜んで死ぬ。ご主人にも言わないように」 などと検察組織を盾にして脅し、口止めをし、さらに「以前からあなたのことが好きだった。何も覚えていないというのは、嘘で性交したことは覚えているが、あなたの同意があると誤信していた」などと弁解し、一転、本件犯罪の故意を否認しました。 私は、被告人(北川元検事正)が被害時、「これでお前も俺の女だ」と言って、性交していたことについて、同種の余罪があると思いましたので、それを追及したのに対し、被告人は、これまでにも複数の女性と性的関係を持ったことがあることを認めたうえで、 「いずれも信頼関係に基づき相互に好意を確認したうえでのことであり、相当の期間、交際が継続していたので、あなたのような被害者は他におらず、失敗したのはあなただけ」と回答しました。 ■検察組織に迷惑をかけることになってしまうと考え、被害申告できず また、私は本件被害以前にも、被告人(北川元検事正)が参加する懇親会の場で、後ろからお尻を触られるという被害を受け、振り返ると被告人がいたという経験をしていたことや、この時は正常バイアスが働いて、被告人がそんなことするわけないと思い込んでしまったんですね。 また被告人(北川元検事正)が他にも酔って、若い女性検事のお尻を触っているというような話も聞きましたので、被害を受けた後、過去に行なった性暴力を追及したところ、私にやったことは「酒に酔った勢いで好意を伝えるために行なったことだ」と謝罪し、別の女性のことは「その人の承諾を得てやっているから」という風に説明しました。 このような性的な道徳心のかけらもない人間が検事正をやっていたことを私は被害を受けるまで知��ませんでした。 私は被告人(北川元検事正)の書面を読み絶望し、強い怒りを抑えきれず、夫に被害を打ち明け、さらにCさんにも被害を打ち明けて、当時の状況を改めて確認し、 ただ一方で、自分の被害が公になった場合、検察庁職員全体が誹謗中傷の対象になるなど、検察組織に迷惑をかけることになってしまうという考えに陥り、被害申告をすることができませんでした。 ひとまずここまで被害申告に至った経緯です。 ■退官した被告は「ホテルにたくさんの職員を集めて退官記念パーティー」 被害申告に至った理由ですが、「公にしなかったら喜んで死ぬ」と言っていたぐらいだから、おとなしくしていると思ったんですよ。 私の耳に聞こえないような。隠居して、山奥にでも引っ込んで、存在を消すぐらいの感じにしてくれるのだろうと思っていたんですよ。 ですが、被告人は辞職をするときに、この犯行が辞職理由であることを伏せたまま、一身上の都合により退官すると説明して、退官して、多額の退職金をだまし取って、 ホテルにたくさんの職員を集めて、退官記念パーティーまでやって、弁護士会に登録して、以後弁護士として活動して、検察庁の現役職員らと酒を飲んだりしていたわけです。 私は被告人退職後、さらにより一層被害の苦しみにふたをして、執務に没頭して、同様に苦しんでいる被害者を一人でも多く救うために力を尽くしていました。 さっきも言ったように客観証拠が乏しい事件なんかは客観証拠がないからもう不起訴にしようとか、自分で積極的に捜査もしない、警察が集めてきた証拠をただパーッと見て「あぁ難しいから不起訴にする」検事も少なくない。 被害者が声を上げているのに、それに寄り添わない人も少なくない。 だから、そうであってはいけないと思って、私は検察庁や警察で自分が培った経験や知識を講義したりして、広く共有して、一人でも多くの被害者を救いたいという活動もしてきました。 自分がやった性被害の事件や、性虐待とか、虐待の事件の被害者に寄り添って、泣き寝入りをして、被害を訴えられないようなその余罪も掘り起こして、彼女たち、彼らたち被害を受けた人たちが一日でも長く安全に暮らせるように、 少しでも長く犯罪者を彼らから遠ざけるために、必死に捜査をして、余罪も堀り起こして、起訴しまくって、重い求刑をしまくって、有罪判決をとり続けていました。 そうすることで、被害者の方々が、回復していくための時間を確保していってあげたいし、自分が声を上げたことが無駄でなかったと思ってもらいたかったわけです。 そして私自身も、自分が泣き寝入りさせられたから、そういう被害者を救うことで、私自身も生きていけると思って、仕事に没頭していきました。 ■「被害者と共に泣く検察」が自分の信念 自分はそういう意味では被害者と共に泣く検察っていうのが、自分の、もうそれが信念で、被害者と寄り添い、犯罪者を適正に処罰するために必死でやってきました。 でも、多くの検察官も、警察官も同じような思いでやっていると思いますし、実際にそういう方もたくさんいます。でも、一方で残念ながらそうではない方も少なくありません。 さっきも言ったように客観証拠が乏しい事件なんかは客観証拠がないからもう不起訴にしようとか、自分で積極的に捜査もしない、警察が集めてきた証拠をただパーッと見て「あぁ難しいから不起訴にする」検事も少なくない。 被害者が声を上げているのに、それに寄り添わない人も少なくない。 だから、「そうであってはいけない」と思って、私は検察庁や警察で自分が培った経験や知識を講義したりして、広く共有して「一人でも多くの被害者を救いたい」という活動もしてきました。 こうやって自分をなんとか奮い立たせいていたわけですが、さきほど言ったように、被告人(北川元検事正)が被害感情を逆なでするようなことをし続けて、 まるで私の存在や自分が犯した罪などないかのように振舞っていたので、自分の怒りや悔しさ���自己嫌悪などが高まっていき、症状が悪化し、去年の12月病院を受診したところ、PTSDで仕事を続けるのは無理だと診断されました。 それでも1月、2月は、私が本当に力を入れていた事件があったので、それをやり遂げて、2月に被害を打ち明け、3月、4月に被告人の処罰を求めました。
「子どもを抱きしめながら、泣きながら寝ました」大阪地検元トップの性加害 被害の女性検事の告発詳報(関西テレビ) - Yahoo!ニュース
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パナソニック産機システムズ・パワハラ自殺事件と大林組・就活セクハラ事件、両者には共通点があります。 それは、就活・採用における新しいシステムが、古い価値観・誤った価値観によって悪用されている点です。 新しいシステムとは、パナソニック産機システムズ事件の場合は内定者SNSであり、大林組事件ではOB訪問アプリでした。 それぞれ、きちんと運用し、企業・学生双方にとって利のあるものでした。 一方では、「まさかハラスメントなどの悪用はしないだろう」と性善説のもとに使われていた、とも言えます。 そのため、ハラスメントの意思を持つ人が使う場合、悪用できてしまうのです。
内定者SNSからパワハラ自殺が出た真相~パナソニック子会社で内定者自殺事件(石渡嶺司) - エキスパート - Yahoo!ニュース
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以前、FIREって流行ったじゃないですか。FIRE。 現役時代に一生懸命働いて、おカネ貯めて、会社辞めてから貯めたおカネの運用益を得て働かず暮らすってやつ。 私の身の回りでも、30代猛烈に働いた外資系金融お勤めの人や弁護士、上場企業の創業役員などなど、ガッツリ億単位のおカネを貯めて引退した人たちがおるわけなんですが…なぜか、皆さん離婚したり、破産したり、精神疾患で望まぬ入院したりされている。 宝くじで大金が当たったり、仮想通貨で大儲けしたりといった、一見羨ましいと思うような幸運をつかんだはずの人が、その後の人生を踏み外して転落しているのをみると、人間社会の侘び寂びのようなものを感じるんですよ。 有能な人物が突然、陰謀論サイトにハマり…どうしてこうなった? また、人生の大先輩で、私のようなのと20年以上ご親交くださった会社役員の方が、最近連絡取れないなと思ったら、奥さんから連絡あって「退職後、YouTubeの陰謀論サイトにハマってしまい、WHO脱退デモに参加するなどしていて困っている」との近況報告が。私が話している時はまともな人物だったのに…。 果ては、ながらく友人関係にあった、多忙な編集者や仕事の品質の高さで人望もあった人物が、早めの引退を経て地方に引っ込んだら突然反ワクチン反マスク界隈に首まで漬かっておかしくなってしまうとか。どうしてこうなった。 昔であれば、定年などで引退して人間関係が希薄になっておかしくなる人がいたとしても「近所にいる変なおじさん」で済んでいたものが、ネット社会がここまでリアルに浸透してしまうと「変なおじさん」が変な人同士ネットで結合し、また変な人の承認欲求を満たすように変な人たちに持ち上げられ、褒められてカルト的な組織までできてしまうのです。 やっぱり、「肩書を持ち、役割を果たすために真面目に日々働く」ってのは、社会に生きる人間が人間であり続けるために必要な刺激なんじゃないか、って最近強く思うようになりました。自分はこう思うけど、組織や上司や同僚や取引先や部下や友人や家族との人間関係の中で「誰かが自分と違う考えを持ちながら、役割を果たして暮らしている」という歯止めがどこかで利くことで「自分はこう思うけど、そう思わない人もいる」という現実を受け止めて生きていける。 ところが、突然会社の退職金を��チ込んで手打ち蕎麦の店をいきなり出して2カ月で潰れたり、コロナ禍で憧れの東京離脱を果たした先で無農薬野菜の栽培をおっぱじめてカルトにハマったりする事例を見るにつけ「人間だもの」では済まない悲劇だと感じることも増えてきました。おまえって、そういうやつだったっけ。 こういうレールから脱落する傾向の話ってたくさんあります。ただ、男の美学的にはラノベ的な世界観として、パーティーから追い出された主人公には実は能力があって、もの凄い成功をして元いたパーティーの連中を見返してハーレムを築いて幸せに暮らす、という定番に憧れる面があります。 人っていとも簡単に闇落ちしてしまうんです 普段働いている歯車としての肩書が外れた瞬間から、そういう男のロマンに抗えず「正しい俺を証明して見せる」という一発逆転を志し、脱サラやFIREに挑戦し、しかし失敗し、虎の子だった資産を失って途方に暮れたり、陰謀論サイトにハマったり、極右政党を応援し始めたりする。ある意味で、何者でもない自分がうだつの上がらない状態であることを受け入れられず、他の人が知らない何かを知ってしまって「気づく」「目覚める」プロセスと共に狂っていくのです。 普通の知能を持ち、周りにちゃんと相談できる友人がいれば、カルト的な陰謀論にハマったり、ネットで見た変な著名人の広告詐欺を踏んで男百万も突っ込んだりしないはずなんですよ。「おまえ、馬鹿じゃないの」って遠慮なく言ってくれる友人や同僚、先輩後輩、上司部下の関係があることって、現代を生きる人にとって実はもの凄いセーフティネットになっているのでしょう。 ネットde真実って往々にしてみんなを不幸にするものだと思うんですが、マスコミが報じない本当の事実を俺は知っているんだという謎の万能感に浸ると事業で成功したビジネスマンでも大組織を退職した有力OBでも、いとも簡単に闇落ちしてしまうことになるのです。 世間も家族もそういう落ちていく人には冷たくて、組織の肩書に対して礼を尽くしていた人は、その組織を辞めた人が新しく立ち上げた蕎麦屋には行かないし、いきなり自費出版で出した謎のノウハウ本を買って書評を書くことなどありません。 メールが来て「定期的に集まろう」と言われても、組織を離れて影響力が落ちた人のそばに寄っていく人よりも、組織に残ってそいつの悪口を言い合う会合に行く人の方が増えるのが人間社会だと思うんです。 定年まで会社にしがみつくのも人の顔色をうかがうのもアリ? 「もともとその程度の人だった」という説もあるんですが、でもやっぱり、みんなに期待されて、多くの人たちと共に働き、いろんな利害調整の真ん中に立っていて、役職としての機能をまっとうすることって人間��能力を磨き前を向いて生きていくためには必要な刺激なんでしょう。 肩書から外れて自由に好きなことをして生きる、と界隈から去った人が、そのまま「あの人はいま」になってしまうのは、往年のハリのある時間を共に送ってきた周りの人間からするとやるせないんですよねえ。残念、というか。 巷では退職者を養分に投資詐欺や健康食品詐欺などを引き起こしている事件も増え、変な国粋系やレッズ系YouTubeを見て泡沫政党に多額の寄付金を入れてしまう高齢者が出るのも、世間とのかかわりが薄れるとまともな判断ができなくなっていく例なんじゃないのかとも思います。 やっぱこう、組織の中の権力闘争に明け暮れるのでも会社に定年までしがみつくのでもいいので、いろんな立場の人の顔色をうかがいながら必死に生きることが、人生で狂わずに済む最良の方策なのではないでしょうか。 また、奥さんの変調に気づかずに離婚されてしまったり体調を崩されたりして、そのままご夫婦で社会のさざなみに沈んで行ってしまう人も少なくなく、非常に残念に感じます。とにかく、家族を最優先でお大事に。
人は、なぜ退職して肩書が外れると途端に劣化するのか…いとも簡単に“闇落ち”してしまう人々について | 文春オンライン
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1014①
さいかちどブンコのモーニング読書会。各自好きな本を持ち寄って1時間黙々と読む会。朝7時半スタート。 6時半くらいに起きた。前日頭痛がひどくてなにもせず寝てしまったので、シャワー浴びて洗い物してごみをまとめ、ちょっと小説も書き、だめだった前日を早回しで消化しているみたいな朝。夫はまだ寝ていたので「出かけるからね!」と布団のかたまりに声をかけた(布団を頭までかぶって寝ている)。 ブンコへは自転車で10分くらい。ぶらっと行けるのがいいなと思う。GUで買った辛子色のスウェットで出かけた。裏地が起毛じゃない���ウェットはさっぱりしてていいな、こういうの一枚で出かけられる季節っていいよなーと思っていたらけっこう寒かった。 読書会は4人。主催のヨシイさんがわたしが棚に置いている『イスラーム精肉店』を読んでくれてすごくうれしかった。おすすめのものを手に取ってもらうことのうれしさ。お金が発生するとかでもないんだけどなんだろう…「かまってもらえてうれしい」みたいな感じなのかな…。韓国文学の話をちょびっとした。
わたしも今日は韓国文学にしようかなと思って、キム・ヘジン『中央駅』を読んだ。1時間で半分くらい。1時間でこのくらい進むんだなーという発見がある。駅前に流れ着いたホームレスの男が、同じくホームレスの女にカバンを盗まれてしまい…という話。彼がなぜホームレスになったのか、出自のようなものはいっさい語られない。駅の通路で寝起きする生活、そこでの感情やできごとが語られ、過去や未来はない。読み終わったらまたこのあたりのことは語りたいけど、いま小説をごそごそ書いている身からすると、語ること・読まれることへのなんだろう…信頼のようなものを感じて強く打たれた。 やっぱ過去とか語りたくなっちゃうじゃないですか。いや過去を語ることがだめなわけではぜんぜんないんだけど、自分で書いていて「説明したい欲」みたいなものに抗えないなーと思うことが多いので…。この、ひたすら彼のいまいまを語る、それで小説が”もつ”のだという凄み。なんかすごい飛躍するようだけど、「筋の通った物語は家父長制を強化するのでは」という仮説がわたしのなかにあって…これすごい誰かとしゃべりたいんだけどまだまとまってない。これの話と通じるものがある気がする。 帰ってきたら入れ違いに夫は整体へ。このあと出かける用事があるのにぜったいに行く。二週間に一回行くルーティンをぜったいに崩さない。いわく「命より大事な整体」。わたしは朝ごはんを食べて小説を書いた。
甥っ子の運動会。その後の用事があるので車で出かけたんだけどコインパの料金が高っけえ。都会だ…と思った。保育園には園庭がないので近くの小学校を借りてやる。小学校の校庭もめちゃめちゃ狭い。トラック一周100メートル…いやこれ75メートルくらいじゃないか…? 人工芝でフカフカしていて、妹と「運動会の前日はグラウンドの小石を拾うという作業があったよね…」「これは三角石とかない校庭だね…」「毎年ぜったい誰かが骨折する遊具とかないね…」としゃべった。 甥っ子の出る種目は徒競走と玉入れとみんなででかい布でバルーンみたいなの作るやつ。出かける道すがら、夫がずっといろんなオリンピックの歌(ゆずとかミスチルとか)を歌ってたんだけど、ほんとに流れてきてめっ��ゃ笑った。先生たちの世代がそうなんだろう。 甥は徒競走2着。ゴール前ですとんと減速してしまい、最後の最後で抜かれてしまった感じ。妹たちと写真判定しろとかハナ差とかふざけた。子どもの行事を見物しながら子どもにはわからない大人の言葉でふざける…みたいなのすごい楽しくてよくやっちゃうんだけど、こういうの親たちもやっていたんだろうか。甥にかけっこ速かったね〜!と声をかけたら「うん、1番だった」と言う。いや2着だったでしょとみんなが言うがしらんぷりで、「本来ならば僕が1着の能力だということはおわかりいただけたと思いますが…」「着順は結果にすぎず僕の走りを見ていただければ誰が一番だったかは明らかだと思いますが…」という意味かもしれない。
園児たち、年少さんと年長さんではぜんぜん体の大きさがちがうので面白い。年少さんはまだ赤ちゃんという感じだし、年長さんは「児童」という感じ。同じ学年でも体の差がけっこうある。そして去年まで園児だったのだろう「OBたち」が見学席の一番前を陣取って、「おれたちもあれ去年やったな」「今年のエイサーはまあなかなか悪くないな」と解説しているのがかわいかった。年長さんのリレーを大きな声で応援していた。リレーを見ながら妹の夫がいろいろ解説してくれて、彼は駅伝の選手だったので走ることへの熱がすごい。 親子競技のほか親だけで闘う種目もあり、去年はリレーだったそう。親のリレーは盛り上がるし無双できるでしょ〜と彼に言ったら、トラックが小さすぎて転倒&負傷者続出だったと言い、今年は棒ひっぱりゲームになったとのこと。「やっぱもうちょっとしっかり走れる種目がいいな…」とぶつぶつ言っていた。「400mくらい?」とうちの夫が言ったら、いや短距離だと実力差出ないんで…と言い、「5km走だったら誰にも負けないんですけど」と胸をはった。保育園で5キロ走る絵面はシュールすぎる。なんだかんだ言いつつ棒ひっぱりゲームでは大活躍していた。
運動会のあとは車の点検へ。運転しながら夫が「おれはああいうの陽キャの親たちの中に入っていくのぜったい無理だ…」とこぼした。わたしの友だちとかにはガンガンいくのに。「そりゃあ自分と同じかもっと陰の者には強く出られるよ」と陰キャムーブが発動していて可笑しかった。 かく言うわたしも、いま小説で既婚男性の不倫の話を書いているので、これ書きながら運動会に来ると温度差がすごいな〜とか思ってはいた。園児のパパでスパイダーマンのコスプレの人がいて(毎年スパイダーマンの格好で競技に出ているらしい)会場はとても沸いていたんだけど、要するに全身タイツなのでゼンタイだ〜!エッチじゃん〜!とか思っていた(その筋においてはスパイディの��ーツはどテッパンのフェチ衣装である)。スパイディのコスプレする既婚パパのエロ小説めっちゃ書きてえ〜と思った。最悪。
2時間くらい車をぶっとばしながら夫にパレスチナ・イスラエルの解説をしてもらった。そのほかのニュースへの愚痴なども。一番身近な人がいろいろ詳しくて、さまざまな怒りを共有できるので助かる(よくニュース見ながら一緒にヤジをとばしている)。ただそうすると、SNSに何か書くことがおっくうにはなる。自分が閉じていると思うことがある。 日記は長くなりそうなので後半はまたあとで。小声書房さんに行った。
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札幌市中央区南3条西3丁目。すすきのの真ん中にあるジェリコというジャズバーに向かう。すすきの駅、豊水すすきの、すすきのビル、薄野交番はあるが、実はすすきのという住所はない。歩いてみると何となくここらへんからすすきのというイメージはあるが、どこからどこまでが日本最北の歓楽街なのだろうか。調べると東西が西2丁目から西6丁目の間、南北が南3条から南7条の間と一応決まっているようだ。また、札幌の構造物は定めた景観色を使うようガイドラインがあるが、すすきのは広告物活用地区でもあり、デカデカとした看板やネオンを使うことが許されているらしい。札幌が好きだ。
8時を少しすぎてジェリコのあるビルに着く。地下1階への階段を降りると奥から楽器の音がするドアがあって、開けると防音壁が埋まるほどCDやレコードが煩雑に並べられた小さなジャズバー。真っ直ぐ奥に恋人がサックスを持って立っていた。私に気付き、視線で適当に座るよう教えてくれる。ステージから1番近いテーブルしか空いてなくてそこに座る。初めて彼の演奏姿を見る。本当にサックス吹けたんだと笑ってしまう。彼が大学時代に加入していたジャズ研究会のOBたちのライブだった。楽譜は見ているけれど、譜面通りではなさそうだ。お互い目配せして、ソロをやってみたり途中から合流してみたり、楽しそうにジャズをやっている。ジャズの知識はないわたしは、何となく良いな、このリズム楽しいなと思って眺めていた。
ライブは2部構成で1部目が終わったら、恋人が隣に来て、煙草に火をつけた。「これライブの時だけだから。緊張誤魔化すのに」と第一声目がそれだった。「来てくれてありがとう」とか「演奏どうだった?」が最初でないことがおかしくて笑ってしまう。初めて横で喫煙姿を見る。彼は交際してすぐ煙草をやめたから、一度や二度待ち合わせのコンビニで煙草咥える姿を遠巻きに見た程度で銘柄も知らなかった。アメスピだった。
2部目も終われば、演者の人たちと混ざって乾杯をした。彼が彼の友達と話す姿をみるのも初めてだった。今日は初めてばかりだ。大きな卓の端で大学時代から仲の良い友達と話すのを聞いていた。話口調が普段と変わらなくて安心する。その彼のあだ名はセクシャルと言う。なんでセクシャルなのと聞くと「過去に性犯罪をして」と冗談を言われる。勝手な偏見とこのジャズバーが地下にあるのもあって、アンダーグラウンドだなと思う。
好きなものが同じ同士が集まると面白い。ジャズってその場で譜面にないオリジナルで演奏して、どうやって曲を成り立たせれるのかを聞くとトロンボーンを吹いていた人が「なんとなく入りがわかる」と。未知の世界すぎて面白い。「そしたら演者同士でも今のは違うだろーとか思うの?」「それはあるけれど、まあ好みってところが1番大きい。ハマったと思っても聴いている人は微妙な反応されることも多いしね。そもそも演者同士でも好みやスタイルが違うんだ」「同じジャズなのに?」「ジャズにもスタイルがあって、歴史も流行も違う。ジャズの元は黒人のカルチャーとして葬式で天国に行っても楽しくねと弔う音楽なんだけど、そこから色々とそれぞれがカッコいい音楽を求めて派生していくのがジャズで、年代によって全然違うんだ。僕は割と黒人発のジャズだし、彼女は新しい方だったりする」 ドラムを叩いていた女性が続く。「わたしは元はビックバンドをやってたりしてたから片足違うとこ突っ込んでるしね」「それって今日のステージだけでも何十年以上のスタイルの幅があるってこと?」「なんなら100年以上あるんじゃないかな」 100年も、と思う。そんな世界に、この地下のジャズバーに大学生の頃から出会っているなんて。わたしと全く違う学生時代に思い馳せる。話した演者の中にはバーでジャズミュージシャンとして働く人もいるみたいだ。すすきののどこかのお店でまた再会できたらいい。
2時にお開き。彼と帰るのにタクシーに乗り込む。すすきのから家まで1000円とかからない。彼にとっての日常で、わたしにとっての非日常。盆を過ぎても、もったりとした夜の湿度。街灯が流れ星のように車窓を横切っていく。いつも夏だけが幻のような気がしている。
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HoneyWorks feat. capi - Kawaiiku naretara ii noni (Chuutan Character Song) German
youtube
Gesungen von: capi Charakter: Chuutan (Chizuru Nakamura) German Translation / Deutsch by Kido English Translation by Michiko here All rights on Song, Text & Character goes to HoneyWorks!
可愛くなれたらいいのに Kawaiiku naretara ii noni Ich wünschte ich wäre süß
可愛くなれたらいいのに 恋したのに 好きとか 言っちゃうのに ばか Kawaiku naretara ii noni Koi shita no ni Suki toka iicchau noni Baka Ich wünschte, ich könnte süß sein Dann würde man mich lieben und mir sagen, dass man mich mag Dumm, oder? 断れない性格で 嫌なことも口に出せない 大人の言いなりだった 人間が嫌いだった ストーリーで本音と愚痴書いて 恋なんてできるはずない 陰キャなんだ Kotowarenai seikaku de iya na koto mo kuchi ni dasenai Otona no iinari datta ningen ga kirai datta Sutoorii de honne to guchi kaite koi nante dekiru hazu nai Kage kya nanda
Ich habe eine zurückhaltende Persönlichkeit Kann nicht Nein sagen, kann keine unangenehme Dinge aussprechen Ich bin Erwachsenen über gehorsam, doch hasse ich Menschen an sich In Stories schreibe ich meine wahren Gefühle, all mein Frust auf In so jemanden introvertiertes wie mich, kann man sich nicht verlieben 可愛くなれたらいいのに 恋したのに 好きとか 言っちゃうのに 可愛くなれたらいいのに 夢見たのに きっとぶりっ子したのに ばか Kawaiku naretara ii noni Koi shita no ni Suki toka iicchau noni Kawaiku naretara ii noni Yumemita no ni Kitto burikkoshi tte noni Baka Ich wünschte, ich könnte süß sein Dann würde man mich lieben und mir sagen, dass man mich mag Ich wünschte, ich könnte süß sein, letztens hab ich sogar geträumt dass jemand mich ganz sicher liebt Dumm, oder?
諦めは必要で 運命は信じていない 友達は見せかけばかり 人間が嫌いだった 私抜きのLINEグループとか 入れてとか言えるはずない 言いたくない Akirame wa hitsuyou de unmei wa shinjite inai Tomodachi wa misekake bakari ningen ga kirai datta Watashi batsu no LINE gurūpu toka haitte toka ieru hazu nai Iitakunai Manchmal ist Aufgeben notwendig, und ich glaube nicht an Schicksal. Meine Freunde tun nur so als ob, darum hasse ich Menschen an sich. Eine LINE-Gruppe wird gegründet, ich kann nicht drum bitten dabei zu sein Ich wünschte ich könnt fragen 可愛くなれたらいいのに 好かれたのに 嫌だとか言えちゃうのに 可愛くなれたらいいのに 嫌わないのに きっと強くなれたのに ばか Kawaiku naretara ii noni Suki re ta noni Iya da toka ie chau noni Kawaiku naretara ii noni Kirawanai noni Kitto tsuyoku nareta noni Baka Ich wünschte, ich könnte süß sein selbst wenn jemand mich mag kann ich mich selbst nicht lieben Wenn dieser Hass nicht wäre würde ich ganz sicher stärker werden Dumm, oder? 君と出会えて 世界が真逆に動いた 人生は単純 間違ってた Kimi to deaete sekai ga magyaku ni ugoita Jinsei wa tanjun machigatteta Seitdem ich dich getroffen habe, hat sich meine Welt auf den Kopf gestellt, ich hab erkannt, dass das Leben doch einfacher ist als ich dachte 可愛くなるんだ なるんだ 言わせるんだ 好きとか困るくらい 愛して 愛して 愛して 可愛がって ずっと裏切らないように Kawaiku narunda narunda iwaserunda Suki toka komaru kurai Aishite aishite aishite kawaigatte Zutto uragiranai you ni Ich werde süß für dich sein, du wirst erkennen, dass ich süß bin Und unsere Liebe wird kein Problem sein Ich liebe dich, liebe dich, liebe dich so sehr dass ich nicht vor habe dich jemals zu enttäuschen Love? ほんとの私は可愛いんだ Honto no watashi wa kawaii nda Mein wahres Ich, war schon immer niedlich
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職権濫用
バカ丸出し
自民党の女性議員等が38人、フランスのパリへ研修と言う項目でご旅行。中には家族も連れていった人もいるとか・・・
ご丁寧にSNSで羽を伸ばしている写真もあげる始末。さぞ映え写真が撮れてご満悦だったでしょう。
昔っからこの様な事はよくあります。私が以前出席したアメリカの大学であった学会には、日本の某有名医科大卒の高貴なご子孫達が20数名参加されてましたが、皆さん終始観光客気分。
お育ちが良いのか悪いのか?アメリカの大学関係者とも直接やり取りもできず、学会の講演中も居眠り者続出・・・
学会後の打ち上げでは、当然日本人だけで日本の大学OB先生が仕切るジャパンワールド全開と言う、なんとも窮屈な事がありました。私はその大学とは直接関係ないのでその席からはすぐ退席でき、北米の関係者とよろしくやってきましたが異国の学会へ来た彼らの目的は?でした。まあその様な体験は、一度や二度とではなくよくある光景で呆れます。
今回の自民党の女性議員達の外遊も、その中身も容易に想像できます。“ 一国を代表している議員 ” ともなれば大学関係者以上に日系関係者の取り巻きも多いでしょう・・・
全くおかしな世の中で疲れますが、これ現実です。
血税返せよ
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【有志演奏会 in 気仙沼 DAY2】団員レポート
気仙沼有志演奏企画、2日目のレポートになります!
最初にご紹介するのは、いよいよ本番を迎えて、緊張の面持ち…?の後発部隊の皆さまです。
2日目の目的地は「気仙沼市 東日本大震災遺構・伝承館」です。
階上地区にそびえるこの施設は、震災発生時に津波被害を受けた気仙沼向洋高校を、そのまま遺構として改修した施設で、教室や敷地内の様子を当時のまま保存しています。
参加者がついに全員集結したところで、当時の記憶を語ってくださる語り部の方々と共に施設見学へと向かいました。今回アテンドしてくださったのは、三浦秋男さんと近藤公人さんのお二人です。同級生コンビで案内していただきました。
冷たい風が吹きすさぶ中、集中して展示を見学します。
左は校舎三階に飛び込んできた自動車、右は校舎4階にぶつかった倉庫がつけたへこみです。津波襲来時に、周辺にあった冷蔵倉庫が校舎に向かって流されてきましたが、偶然校舎の端にぶつかったことで、屋上に避難した方々は助かったそうです。想像もできない状況ですね…
見学を終えた一行は、、、腹ごしらえです!
今回昼食のご用意をしてくださったのは、企画発案者でもある奏者のPerc.三浦瑞穂さんのご家族です!2種のおこわ、つみれ汁、芋の子汁、特製のお漬物などなど、地元のものを使ったご馳走をいただきました!LAFFOOの方、伝承館の皆さんと一緒に、いただきます!
お昼の後は、いよいよ本番にむけてリハーサルスタートです。
実は、今回の会場は有志演奏会としてはかなり大きい規模なんです!真っ黒な衣装に着替えて、いざ練習へ。会場にはOBの狩野さんも応援にいらっしゃいました!
いよいよ開演が迫ってきました。
演奏が始まりました。1曲目は「ラストエンペラー」、指揮はHr.菊野奏良くんです。超満員のお客さんの前で、威風堂々の演奏を見せてくれました。

2曲目はHr三重奏で「6つのホルンのための三重奏曲」です。優しく、華やかに会場全体を包みます。3曲目は木弦アンサンブルで「海の見える街」。強く時には恐ろしく、それでいて美しい気仙沼の海を思い浮かべながら演奏します。
4曲目は坂本龍一監督作品「litany」のTrp三重奏。過去にも有志演奏会で演奏したこの曲をぜひ届けたいということで、演奏させていただきました。続いて弦楽アンサンブルで「aqua」。優しいメロディが特徴的なこの曲は、団員達も大好きな一曲です。
最後は「ふるさと」。みんなの心に響く美しい音を響かせました。
なんとなんと、その後は万雷の拍手をいただくことができ、アンコールとして「ラストエンペラー」を演奏しました!聞いていた皆さんの笑顔を見ることができ、団員達もうれしい気持ちでいっぱいです。
今回の有志演奏会は、大成功で幕を閉じました。
もちろん、”おうちに帰るまでが有志演奏”ですよ!
というわけで、最後に大谷海岸にもう一度寄って、お土産購入&もう一度記念撮影!
ここで各方面に解散となりまして、今回の企画は終了です!
聞きに来てくださった方々、伝承館やLAFFOO関西支部の皆さまをはじめご協力をいただいた皆さま、ありがとうございました!
そして何より、参加者の皆さんお疲れ様でした!3月の演奏会に向けても頑張っていきましょう
今回の企画は、東北ユースの有志演奏活動でも過去最大規模のものになりました。最大級の震災被害を受けた気仙沼を訪問することで、私たちが「東北」ユースオーケストラである意味、音楽で発信する意味など、様々な思いを今回の活動で確かめられたではないかなと思います。
能登半島地震をはじめとした自然災害に社会が向き合っていくために、東北ユースオーケストラが何を発信していけるのか。常に自問しながら、これからも有志演奏活動を続けていきたいです。
東北ユースオーケストラ有志演奏係 Tb.福澄茉音
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