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My Memory
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ある参加者の想い
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0620flagmarch-blog · 10 years ago
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沖縄戦から七十年がたった
沖縄戦から七十年が経った。 おれらは戦争を体験したことがない。でも、沖縄戦の事については知ってる。 蒸し暑い体育館の中でおれらは戦争の話を聞いた。戦争はしに怖い。おれが今でも覚えているのは、自分で家族の首を切った父親の話とか、艦砲射撃から逃げている途中で背中 の赤ん坊の首が取れているのを知らないで走って逃げる女の話だ。怖すぎだろ。 でもそんな話は、めっちゃうっとうしかった。 友達を遊んだり笑ったりしているほうが楽しいのになんでこんな話するば。 聞かない方が楽しいさ。 沖縄戦の後アメリカ軍基地が作られて、アメリカ兵が事故を起こしたりレイプしたりするけど、おれの力ではなにもできないさ。我慢するしかないさ。 しかも周りにもいろんな考えの人いるからや。政治の事とかは 何も言わないで波風立てずに過ごすのがアンパイ。ていうかシュウショクのこととか、どうやったらオシャレかとか、女の子にモテルかとか考えた方が得さ。今の政治もやばいらしいけど、 知らんよや(笑)。 * 沖縄戦から七十年がたった。 日本史上最低率の投票率で自民党が大半の議席を獲得。 安倍政権は集団的自衛権行��容認の閣議決定や特定秘密保護法など、三権分立や立憲主義を破壊しかねない法案を次々と可決している。 ここでドイツのヒトラー政権など、いわゆるファシズムと呼ばれる戦闘的な全体主義、民 族主義政権について研究されている諸説をまとめた友人のノートをみてみたい。 「諸説ありますが、イタリア・ドイツファシズムの研究において現代独裁制の特徴は下記 のように 5 つあり、それが恐ろしく現日本政府と重なっています 現代独裁制の特徴 S・ノイマン 1, 安定の約束
(ex 世界一安全・安心な国 by 首相) 2, 行動第一主義
(ex いままでの諸政策や積極的平和主義) 3, 擬似民主主義的基盤 (=民主主義体制が弱い) (ex ドイツ 1871 年民主国家成立→1933 年独裁国家化、イタリア 1861 年民主国家成立→ 1929 年独裁国家化、どちらも 60~70 年しか経っていない。日本 1951 年民主国家成立→現 在 60 年が経過。) 4, 戦闘精神
(ex 現内閣、安保法制など) 5, 指導者原理 (ex 安倍) その他の説では、国家による情報の独占(特定秘密保護法)や中央統制経済(アベノミクス)なども挙げられており、安倍政権と一致する点が見受けられます。」  友人は、これにさらにファシズムを肯定する大衆運動が加われば、理論上ファシズムが生まれることを危惧している。この友人のノートは間違っているかもしれない。何か書き落 とした重要な点があるかもしれない。きちんと正確ではないかもしれない。でもぼくは、 このノートが、今日の日本で、すごいリアリティを持っているように思う。そしてこれが現実味を帯びている、という事実だけが重要だと思う。 ドイツやイタリアには優れた民主主義のシステムがあった。それが作られて 60 年、70 年後 に、国民は自ら独裁主義国家をつくった。この70年という数字と、今の政治の情況が、 ぼくにとっては、とても生々しくリアルだ。君はどう思うだろう。ただの考えすぎだと思うか。  『茶色い朝』という絵本がある。その本では、社会が、少しずつファシズムを思わせる茶色に染まっていく様子が描かれている。登場人物たちは、物語の中で、少しだけ違和感を漏らすだけで、穏やかに暮らしている。しかしそれが生活の外でだんだんエスカレートしていき、もはや止められなくなった頃、友達や自分に被害をこうむる。  ナチスを始めとするファシズムが、戦争や大量虐殺を招いたという歴史を聞いたことがあった僕は、この本の穏やかさに驚いた。政治の当事者である国民は、なぜそのような政治に反対しないで、自らの生活を穏やかに過ごすことしか考えられないのか。それがもたらす結果を想像できなかったのか。いや、自らの生活の範囲を超えて動くことのできなかった多くの人によって、 国家の暴走が生まれたのかもしれない。せめてあの時、少しだけでも考えて行動していれば。 * 戦争法案が可決されようとしている。自衛隊は自衛のためでなくても戦場に行き、交戦することが前提となる。いずれ戦争が始まる。  沖縄戦から七十年がたった。 おじい、おばぁはなんて言ってたかな。 反戦平和のテーマでおれたちはデモを企画している。そんなの毎年あるじゃんとか言わないでほしい(笑)。  戦争が迫っている今のタイミングでおれたちはおれたちのやり方でデモを したい。若い人の間でも、おかしいことにおかしいというのが当然だ、という雰囲気や文 化をつくりたい。このタイミングでもう一度戦争や平和について考えるきっかけにしたい。 「でも行くのめんどくさくない?」 「それは偏った考えじゃない?」 「デモなんてやっても意味ないんじゃない?」 知らんよや(笑)。 いまの政治が向かっている方向と、周りで起きていること、身の回りの大切な人たちのことを自分でよく考えて、来たくなったら来たらいいさ。 かっこいいデモを準備して待ってる。 デモで会えたらいいや。 じゃあや。 大学生 沖縄 K
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0620flagmarch-blog · 10 years ago
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いつも、それだけだった
 戦後70年-。
 毎年訪れる6月23日の慰霊の日。その日が近づくにつれ、学校で行われる慰霊の日の集会。毎年恒例の行事としか感じてこなかった。戦争と基地が結びつくのはわわからなくもないけど、生まれたときからあるものだから、おかしいということに気づけなかった。  祖父母が亡くなってから自然とガマや嘉数高台公園に何度か足を運んでいる自分がいる。そして、その度に祖父母の言葉を思い出し考える。
祖父母は絶対に戦争のことを話してはくれなかった。 ただ一言「戦争はしてはいけない。恐ろしいよ」。 いつも、それだけだった。
 あの時はただ聞いていただけだったけど、様々な問題がテレビを賑わしている今日、深く考えるようになってきた。体験者が年々減っている現在体験者から聞いた事実を大切に後世に伝えていきたいと思うようになってきた。
沖縄の民謡に「艦砲の喰ぇー残さー」という歌がある。
その歌詞の中に「我親喰わたるあの戦  我島喰わたるあの艦砲  生まれて変わても忘らりゆみ  誰があの様しいいんじゃちゃら  恨でん悔やでん飽きざらん  子孫末代遺言さな(私の親を食べたあの戦争 私の故郷を食べたあの艦砲射撃 生まれ変わっても忘れることができようか?誰があのようなことをしはじめたのか 恨んでも悔やんでも飽きたりない 子孫末代まで遺言したい)」とある。
この歌は何度聞いても心が痛くなる。
この歌は、僕に沖縄戦のことを考えさせてくれるきっかけを与えてくれたひとつでもある。実際に経験していなくても、なんとなくわかってくるような気がする。まだまだ沖縄戦の知識は浅いかもしれないが、これからも学んでいきたい。
「戦世ん終まち 弥勒世んやがて 嘆じくなよ臣下 命どぅ宝(戦世も終り 平和な世の中がやがて来る 嘆くなよ民衆 命こそ宝だ)」
平和な世の中がいつまでも続きますように。
そして、最後にこのイベントが成功することを心から願う。
Y.N.
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0620flagmarch-blog · 10 years ago
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おばぁの微笑みの奥に...
戦争、平和-。
そんなこと気にし始めたのは中3のとき。 おばぁの兄であるおじさんが亡くなった。 彼は生前に沖縄戦体験記を残していた 。
そこには私の知らなかった沖縄戦が書いてあった。 おじさんが戦前に亡くなった父の代わりに家族を守っていたこと。 おばぁには、私の知らない弟がいたこと。
今までお盆やシーミーの時に一緒にご飯を食べたり、みんなで歌いながら今帰仁へドライブしたりしていた人たちの体験した沖縄戦を初めて知った。
「沖縄戦ってどんなだったのー?」 小学生のとき、一度だけ意味もわからずおばぁに聞いたことがある。
おばぁは少し微笑んで、「怖かったよー」って。 彼女には何が見えていたのか、私には分からない。
沖縄戦から70年-。 おじさんやおばぁの沖縄戦を誰も語り継がなければ、それはなかったことになってしまうかもしれない。
少しでも思い出して、少しでも考えて、 もう戦争はしたくない。平和な沖縄に、世界にしたい。
だから私は、6月23日を忘れない。
奥間千夏(高校2年)
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0620flagmarch-blog · 10 years ago
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6月23日、正午
6月23日、正午。 サイレンがなる。
黙祷。
小さい頃は、ひどく長い1分間だった。 目を閉じて浮かんでくるのは、 襲い掛かってくる炎、鉄の雨、 血の水溜り、蛆のわいた腕、人が死んでいく匂い、 ばらばらになった家族、わが子を手にかける母親、 引き抜かれる手りゅう弾のピンと、そのあとのこと。
生き残った人たちが、胸をえぐられる思いで、語り継いできた記憶。 それは、まるで地獄絵図。 うそのようなほんとのはなし。
でももしかすると、 過去のような未来の話、かもしれない。
過去への想像力はきっと、 未来への創造力だ。
彼らの記憶は、 わたし自身の声になる。 戦争に巻き込まれるのはもうごめんだ。 あのように悲惨な出来事を、二度と繰り返してはならない。
この先、もう二度と、何があっても。 6.23、語り継がれてきたことを忘れない。 忘れずにいれば、いまを正面から受け止められる。 忘れずにいれば、あかるい未来へ向かっていけるはずだから。
黙祷。 1分間は、もうそんなに長くない。 目を開けたら、ここから歩き出そう。
藤原奈穂(高知大学人文学部2回生)
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0620flagmarch-blog · 10 years ago
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聞けなかった戦争体験
「慰霊の日って何の日かわかりますか?」
 あれはちょうど3年前の6月のことだった。大学1年生のとき、国際関係論の授業で、先生が質問した。 わかる学生は、全体の1割にも満たなかった。
私は愕然とした。なぜ、多くの学生は知らないのだろうかと憤りを感じた。  しかし、よく考えてみると、私は偶然にも沖縄で生まれ育ち、6月23日が近づくと用意されたような「平和学習会」に参加しているだけだった。自分から戦争や平和に関することを考え、調べることなんてあまりなかった。
 私がもし沖縄に生まれ育っていなかったら、あの講義を受けていた多くの学生と同じだったのではないのか。
  小中高校と、言われるがままに「平和学習会」に参加していた私も、そのとき聞いた沖縄戦体験者の話や、訪れたひめゆりの塔や平和祈念資料館、ガマで学んだ戦争の恐ろしさを、二度と繰り返してはならないということを深く胸に刻んでいる。
 だからこそ、私と同じような世代や周りの仲間に伝えたい。
 「戦争」と聞いても、どこか遠くに感じてしまうかもしれない。でも、私たちの身近にいるおじぃおばぁの経験から、私たちは多くのことを学ぶことができる。
 国会の政治家ではなく、どこかの大学の教授でもなく、もう一度、私が聞いた沖縄戦体験者、おじぃ、おばぁ��言葉に想いを馳せたいと思う。 そうは言っても、私のおじいちゃんは生まれた時にはもういなかった。 彼が生きていたら、私にどんな話をしただろう。
戦後70年、改めて自分の「平和」、「戦争」を考え直したい。 同じようなことを繰り返さないために。
 島袋雄仁(宇都宮大学4年、沖縄県沖縄市出身) 
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0620flagmarch-blog · 10 years ago
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過去の自分。そして今
6月23日—。
沖縄という地に生まれ育った者には特別な日ではないだろうか。 少なからず僕はそう思っている。
19年間の中で、この日を意識した日は何日あったのだろう。
「19年、まるまる意識してました!」なんてことは言えない。 どこかで、「どうせ昔のことだ」と思っていた時期もあったからだ。
小学校6年生の時、地元、南風原の平和学習交流事業に参加した。  その時のことを「県内の戦跡を巡ったり、体験者から話を聞いたり、広島に行ったりもしたな〜」と、今でもたびたび思い返すことがある。
 大学生になった僕はというと、前の自分に比べてこの日のことをめちゃめちゃ意識しているんだろうな、と思う。それは、政治的なことが関係しているのかもしれないし、戦争体験者が減ってきているという危機的な感情からくるものかもしれない。
 6月23日というのは、沖縄戦を指揮していた牛島満司令官の自決によって、日本軍による沖縄での組織的な戦いが終わった日で、沖縄戦終結の日だと言われている。
 しかしながら、僕にとって6月23日というのは戦争が終わったということ以外にも重要な意味がある。  それは、この日まで、そしてこの日の後も、僕のおじぃ/おばぁが生き残ってくれたことだ。だからこそ、今、親、僕、親戚、友人、先輩、後輩が生きている。  僕らの今を築いてくれた彼らの記憶を受け取り、そして、その記憶を未来に、これからにつなげていきたい。
6月23日。 そういうことを考える日だと、僕は思う。 だから、僕は、このイベントに参加する。 名嘉一心(沖縄国際大学2年次、沖縄県南風原町出身)
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0620flagmarch-blog · 10 years ago
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想いを馳せる、6月23日
6月23日。
沖縄戦からもう70年が経つ。
その日が近づくと、小学校、中学校、高校で、沖縄戦体験者の話を聞いた。 真剣に聴いていた人もいたけど、 正直、暑くて、ダルかったな。実際ちょっと寝てたし。 あのときの感想文、何て書いたっけ。
あと、ガマとか平和記念資料館、ひめゆりの塔にも行ったな。 あそこで、なにを見て、なに聞いて、なに思ったっけ。 オレに/私にとって、生まれた時から基地があるのが当たり前だった。
最近テレビやネットから流れてくるニュース 辺野古、基地、オスプレイ、集団的自衛権、安保法制。 今の日本が、あの戦争の前と変わらない雰囲気だという戦争体験者もいる。 そういえば死んだおじぃ、オレになんて言ってたっけ。
少ししか思い出せない自分に腹が立つ。 もっと話を聞いておけばよかったって、後悔している。
戦後70年。 沖縄戦から、70年が経つ。 6月23日。 もう一度、想いを馳せる。
Remember 6.23
This year marks the 70th anniversary since the end of the battle of Okinawa.
When that day got closer we would listen to the stories from survivors of the battle of Okinawa at school. There were people listening carefully. But honestly it was so hot and humid, kind of boring. I fell asleep a bit. I don't even remember what I wrote in the reflection paper either.
Also I visited to Gama cave, Okinawa Prefectural Peace Memorial Museum, and Himeyuri Peace Museum. I don't even remember what I saw, heard, and thought there?
The bases have been since I was born. Henoko, the bases, ospreys, the Right to Collective Defense, and national security policy, there is news on TV and the Internet.
Come to think of it, I can't clearly recall what my grandpa told me about his past.
I'm angry at myself. Angry that I didn't listen to his experience more carefully. This year marks the 70th anniversary since the end of the battle of Okinawa. The Day to Remember 6.23.
元山仁士郎(国際基督教大学4���、沖縄県宜野湾市出身) Jinshiro Motoyama (Ginowan-city, Okinawa)
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