Tumgik
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ヨルダン-2
機内で最後に目にした記憶を頼りに飛び乗ったバスから、クイーンアリア空港が見えた。市外の広大な土地に鎮座するその姿は、なにかの誤りでそれだけが取り残されてしまったようにも見えた。バスに揺られていると、窓の外には一面黄褐色と下草だけの味気ない景色が続いていたが、しばらくするとポツンポツンと薄いベージュ色をした直方体が見え始めた。断続的に建物が立ち並び、徐々にその密度を増していく様は、この先に大きな街があることを意味していた。運転手に拙いアラビア語で行き先を確認してはいたものの、とにかく不安と焦燥でガチガチになっていた。街の始まりの光景がそれを少し融解してくれた。
ほどなくしてバスは広間ようなひらけた街の一角に止まった。乗客が全員、荷物を持ってバスを降り始めたので、どうやらここが唯一の停車地であるらしいことを悟って、慌てて席を立った。バスを降りた2人を歓迎してくれたのは、仕事熱心なタクシー運転手たちだった。「おれのタクシーに乗れ」「どこまで行きたいんだ?」「おまえらチャイナか」、熱心に勧誘してくれる彼らだが、絶対にメーターは回してくれない。程度の差こそあれ確実に料金をぼってくるのだ。そんな話を先輩から事前に聞いていたが、実際にこの旅でタクシー運転手との料金交渉が、もっとも面倒で骨の折れる仕事であることを嫌という程実感した。ただこの時は交渉術も身についていなかったので(じゃあ別のタクシーを探すよと言って食い下がってきたら、そこからが勝負である。)、一番ひとの良さそうなお兄さんを選んだ。記憶が美化されていなければ、そのお兄さんはとてもとても貴重な真面目な運転手で、ほとんどぼられなかったように思う。
そうやって、なんとかしてアンマンのダウンタウンまでたどり着いた。ただこれで終わりではない。寝床を探さなくては。2人ともホテルの位置が記された地図を印刷していたが、自分たちがどこにいるのかわからなければまるで意味がない。数時間前の自分の所業にまったく呆れたが、呆れたとこでホテルが見つかるわけでもない。とにかく、目印になるものを探した。幸いホテルは大きな史跡の近くにあって、その史跡は容易に見つかった。ただ近くにあるはずのホテルは、容易には見つからなかった。初めてのアラブに興奮し、ホテルを探しがてらあてもなく歩き回る街は楽しかったが、1,2時間もすると乱雑に並ぶ薄ベージュの建物に飽き、頭の真上から容赦無く照りつける太陽に体力をもっていかれた。足が重くなり、バックパックに肩が悲鳴を上げ始めたころ、相棒の提案で目についたカフェに入った。
建物の2階にあり、テラス席がオシャレに装飾されたカフェの中は、ひんやりとしていた。窓から入る光のみが照明になっていて、店の中が霞んでいるようだった。気の良さそうな坊主のおじさんが、アジア人の客をとくに珍しがることもなく席に案内してくれた。コーヒーとミントティー、それから水タバコを1台注文した。腰をおろして、地図を穴が開くほど今一度見つめたが、ホテルの場所はわからなかったし、穴も開かなかった。相棒は向かいでたばこを吸っていた。おじさんが注文した諸々を持ってきながら、「どこからきた?」と英語で訊いてきたので、「ヤーバーン」とアラビア語で答えた。するとこっちが気持ちよくなるほど破顔して、「アラビア語が話せるのか?」と興奮気味に言った。「カリーラン」と答えると、少し首をかしげてから「カリーラン、カリーラン」と頭を縦に振りながら復唱した。大学で最初の2年間みっちり勉強するのは、書きことばのアラビア語で、話しことばのアラビア語ではない。2つは密接に関係しているが、アラブ人が通常前者を会話で用いることはほとんどないし、読めて聞けても、書いて話すことはできないというひとの方が多い。日本人が古典にあることばで話すようなものかもしれない。せっかく勉強したアラビア語でコミュニケーションが取れても、それが心いくまでとはいかない歯がゆさを、大抵は最初の旅行で味わうことになる。
つっかえつっかえ、間に英語を挟みながら、大学でアラビア語を勉強していること、これが初めてのアラブ旅行であることを説明した。自分たちの引き出しにある精一杯のアラビア語を出し終えると、話したいのに話せないことだけが口の中に残った。相棒が「ホテルを探しているんだ」と出し抜けに言った。差し出された地図を眺めると、おじさんは「ちょっと待ってろ」と言って厨房のほうにいったん引き上げた。携帯電話を片手に戻ってくると、すぐホテルに電話して事情を説明してくれた。ホテルの正確な場所を把握すると、カフェからどうやって行けば良いか、大きな身振りで話してくれた。
「これも旅の醍醐味だよ」
ガイドブックを無くした時、相棒にかけられたことばがふと蘇った。そうか、これが旅の醍醐味なのか。全く知らない場所に着いたらどうしようとバスで不安に駆られ、タクシー運転手の総攻撃に気が滅入り、どこまでも続く同じ建物に混乱し、暑い日差しに疲れ果てた。どれもガイドブックがあれば、経験しないですんだかもしれない。ただ最後にたどり着いたこのカフェはどうだろう。おじさんは、異国の地で困り果てた青年2人を助けてくれた。もしあの時、「地球の歩き方」を飛行機の中に忘れていなかったら、すんなりとホテルまでたどり着いていたかもしれない。そして、おじさんとカフェで会話し、その優しさに触れることもなかっただろう。しなくていい面倒もしたが、その分初めてのアラブ旅行での初めての現地人との交流は、忘れがたいものになった。
ひと段落してまったりコーヒーをすすっていると、流れてくる音楽の中に理解できるものがあった。「ハビービー、アナー。ハビービー、アナー」と男性がサビで繰り返していた。直訳すれば、「恋人よ私は…」だろうか。アラブ歌謡には、演歌のでいうこぶしのような独特の調子がある。それがなんともおかしく、相棒とサビのこのわかる部分だけをふざけてまねていると、先ほどの坊主の店主が「有名な歌手なんだぜ」と言った。その時名前もきいてメモまでとったが、今では忘れてしまった。「恋の歌なの?」と訊くと、「そうだ。」と言って、続いて「日本の有名な恋の歌を教えてくれよ。」と尋ねられた。2人で顔を見合わせていると、相棒がふとおじさんの携帯を借りてyoutubeでお目当の曲を探し始めた。ほどなくして携帯から、某ジャニーズグループの当時流行っていた曲が流れ始めた。一瞬眉をひそめたが、たしかに極めて日本的かもしれないと思い直して、相棒に向かってうなずいた。おじさんはというと、聞きなれないポップなメロディーに少し戸惑いながら曲を聴き、それから歌手の名と曲名を確認すると、満足そうにまた厨房に戻っていった。水タバコの煙が、薄暗い店内で西日に照らされながらさまよっていった。
多めのチップを払ってアラビア語で感謝の言葉を伝え、カフェを後にした。「また来いよ。」とおじさんは言った。あの時流れた、日本のポップソングを彼はまだ覚えているだろうか。カフェの窓から見下ろした街の喧騒と、反対にしんみりとした店内の様子とが、まだ脳裏に焼きついている。
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ヨルダン-1
ない、ない、ない。
それはどこにもなかった。サブのグレゴリーのショルダーバックのなかにも。45リットルの蛍光緑のバックパックのなかにも。バックの底をひっくり返して、中身を戻して、またひっくり返してを繰り返して探していたのは、『地球の歩き方』だ。バックバッカーのバイブルを、ヨルダンのクイーンアリア国際空港のロビーで、荷物をひっちゃかめっちゃかにして探した。
「これも旅の醍醐味だよ。」
もう手元に本が残っていないことを悟りつつも、焦りと不安で諦めきれずにいると友人が言った。学年は同じだが年は1つ上で、今までに海外のひとり旅も経験していた。帰国子女の多い学校を出ていて、外国人とも慣れた様子で話す姿は頼りになった。だから彼の言葉は気休めではなく、本当になんとかなるんだろうなと思わされた。ただ後に「あん時はだいぶ女々しかったよな。」と、飲み会の席で本心を告白された。それを聞いてむくれるほど10代のナイーブさが残っていたわけじゃない。むしろ、「ああそんあ風にしてあの旅は始まったのか」と、久しぶりに思い出すのにはちょうどいいエピソードだった。
地球の歩き方は、アブダビからアンマンへの便の中に取り残されていたんだと思う。多分そうだ。座席前のゴムの少しきついポケットに押さえつけられて苦しんだあと、たいして使われもせず捨てられたのかもしれない。初めてのアラブ、家族なしの海外。はしゃぎながらも同時に落ち着きのある友人の隣で、いそいそと空港についてからのあれこれをバイブルから解読した。ただ勉強熱心な信徒は少しズレてた。学んだことに満足して、聖典を機内に忘れてきたのだから。
唯一の救いは、その信徒の記憶力が多少マシだったことかもしれない。19歳と20歳は、ズレた信徒の記憶を頼りに青と黄に塗られたオンボロのバスに乗り込んだ。おそらく2人をアンマン市内まで連れていってくれるはずのバスだ。2人は旅の醍醐味を味わいながら、何もない砂地を横目に出発した。
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再開。
大学生のときにモロッコへ留学するのをきっかけに、生まれて初めてブログをつくった。
家族や友人への生存報告と日記がわりに始めたものだったが、文章を書くことの難しさという言い訳を盾に、実際には生来の怠け癖が理由で更新はとんでもなくまばらだった。それでも気合の入ったときには、2-3時間掛けてひとつの記事を書いて、その出来にひとり満足したり��した。内容も更新も気まぐれだったから誰も読んどらんだろうと思っていたけど、帰国すると、更新を楽しみにしていた友人がいることを知って、素直に嬉しかった。
もう一度、このブログを動かそうと思う。それには出版社で働き始めたこともあるけど、やっぱり自分の中で今までの旅のことが懐かしくなってきたこともある。時系列に沿って、大学一年のときに行ったヨルダンのことから書いてみる。
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