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日常と地続きの ロマンス
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bijinchan · 4 years ago
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bijinchan · 4 years ago
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Not My Baby baby 泣かないで
誰のものにもならないで 
https://open.spotify.com/track/1nmpsOW8jEdZmuHbZAasqP?si=DEJPRgByTxejK9PQyBC5kQ
"僕が今できることなら なんでもするから泣かないで
傷ついた分だけ僕を 傷つけていいから 泣かないで"
"人のこと見下すくせを なおすからどうか いかないで
自分のことを 見下すくせも なおすからどうか いかないで"
https://open.spotify.com/track/0Bv8hVb0yEO3OLZHAGxTmm?si=pTnQn6QUQfCyikTdmYSZWA
志磨遼平はよく歌詞で"泣かないで"って歌う。どちらかというと泣いてる自分の感情の投影でもあるのだろうか。泣かないでって言ってる方が、泣いてるってことはよくある。志磨遼平の隣にいる女の子はしばしば泣いている。今回のバイエルは、泣いてるのが女の子かはわからないけどね。誰しも心の中に男の子と女の子がいると思う。それを男女というふうに括るのも違うかもしれないけど。インタビューで、自分の心の中にはギャルがいる、って言ってたな。ものすごい駆動力で切り開いていく力と、それらをやわらかく包み込むすさまじい力、みたいなもの。どちらもひとりの人の中にあるのだろうね。
"ああ 男の子 ちゃんと傷つけ今は 偉大な過ちの真っ最中〜
ああ 女の子 僕ら本当にバカだけど なんでもするよ〜泣かないで〜"
https://open.spotify.com/track/1GLu5SZMRxR4R1MQquRHON?si=bQfGPKNmQOuaDmN808RHkw
というフレーズを見る時に、好きだけど、モヤつく。
私だって偉大な過ちしたいもん。アナーキー in the 1K〜。
結局、身近な女の子見てると、女の子の方が傷付かなかったり、過ち、なんて思ってない気もするんだよな。意外と、男の子の方がむしろ、「泣かないで」なところもあって、友人の別れた恋人(画家)は彼女と別れてから取り憑かれたように彼女の好きだった犬種の絵を描き続けているらしい。
人は難しいね。
先日とても素敵なご夫婦のおうちに招かれたんだけど、そこで馴れ初めを聞いたら、「〇〇ちゃんは、泣かない!」というのが大きな理由だったらしい。
「泣かないで〜」の歌もいいし、「泣かないところがいい!」というのは正反対なようでいて結構近くにある気もする。
なんでそう思うんだろうな。私は多分「泣かない!」側の人間だな。だから、そのご夫婦の話が嬉しかったんだろうな。その女性がとても気高くて素敵な方だったから。
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でも、「baby baby〜泣かないで〜」って優しいピアノと一緒にこんなこと歌われたら、泣いちゃうかもしれない。ベッドに突っ伏しながら、胸の奥が痛くなるのを感じ、「アー、なぜこんなに優しいの、優しすぎる」と悶えている。表面と裏面のように人の心や性格は複雑だねぇ。自分には「ない」と思う側面を認識できるっていうことは「ある」ってことなんだよな。
自分が「ない」と思ってるだけで持っていたりするし。鋳型と、鋳造されたもののように。鋳型があるから鋳造できるんだよ。
なんだろう、優しさも前向きさも、人から欲しいと思うものは、裏拍で結局持ってる感じがあるよね。
持ってないものを持ってるフリをすることはイミテーションなのだろうか。だけど、既に持ってるものの形の方が私たちはよくわからなかったりするわけで、そうなってくると、持ってないから渇望するもの、手に入れたものの方が私たちは「持ってる」と思うのだろう。となると、むしろ外側から見えるその人なんて、鋳造(作られた)されたものであって、結局鋳型は鋳型なのかもしれない。だけど、新しい「ない」に気がついた時、それは鋳型に新たな凹凸が加わることだから、それは同時に「ある」が増えたことでもあると思う。どちらが本質で、どちらが偽物なんだろうね。自分の中の不完全な部分を見るたびに人は魅力的になるね。解像度を高く持ちたいと思う。その解像度の調整はいつもうまく行くわけではないから、「人のことを見下すくせをなおすから、自分のことも見下すくせもなおすから」となるのだけど。(このフレーズすごく打たれるよな)
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"欠けている"と本人が思ってることの方が、むしろその人なのかもしれないね。
男の子の慈しみ、女の子の勇しさ、全部愛そうな。多分意外と男の子の方が、「なんでもするよ〜泣かないで〜♪」と言われたかったり、するのかもね。
裏返しは、どちらも本物。「ない」は「ある」ということ。
と思う土曜日の朝。だった。(午後になった)
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bijinchan · 5 years ago
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知人が偽名を使って恋愛していた。
胸糞悪い。
軽い気持ちで偽名を使う側は仕事先にバレたくないとか、家庭の事情とかあるんだろうけどそれが明らかになった時の相手の状況を考えるとゾッとする。
もし、ある程度信頼して関わった人から告げられた本名や、仕事が全てウソだったとしたら、恐怖があると思う。グロテスクだと思う。
今まで共有した会話や、時間、全てが最初からバカにされながら組み上がっていたのかと思うと、全てが信じられなくなると思う。
使う側はシミュレーションゲームのハンドルネームのような気持ちで使うのかもしれないが、使われた側は真面目に取り合った分損する。それはフェアじゃない。
お互い偽名やハンドルネームという前提でいるならまだしも、嘘を開示しておいて、向こうはそれを信頼して開示して、その上で関係性を構築しているのだから、人の感情をバカにするのも大��にしたほうがいい。
女性にだらしない人や、複数人との恋愛を楽しむ人、性に奔放なタイプの人にはそれなりの魅力があると思っているけど、人を騙して自分だけ甘い蜜を吸おうとする上、それが不誠実だというのなら、本当にやり場がない。
別に私がされていたわけではないけど、普段人の気持ちを大事にする人だというのを知っていたし、そこに信頼を置いていたひとがそんなことをしていたのでげっそりした。
信じた方がバカを見るみたいなことは一切やめてほしい。わかってるけど騙されちゃうの方が100倍いい。
本当に、人と関わることをバカにするのも大概にしたほうがいい。
怒りのやり場がない。
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bijinchan · 5 years ago
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別にこんなことネットに書かなくてもいいだろと思うし、リアルで交友関係がある人たちに読ませるものではないと思うのだけど、この開放感と感覚は2度とないと思うから記しておく。
父親に恋人ができたと言われた。4年前に母親が亡くなってから、こんな日が来るのではないかと思っていた。早く来て欲しいと心の中で思ってたのだけど、やっとその日が来た。
私と父は結構仲が良くて、というかかなり仲が良くてよく話す。今朝も普通に最近のこと、話してたら、切り出すように、恋人の存在を告げられた。
まあそういうこともあるかなと思っていて、言われた瞬間、自分のメンタルが楽になった。気がつくと涙が出ていた。これは辛いとかでは無くて、待っていた解放が訪れたみたいなやつ。
心の中の羽衣が拭い去られるように。最後の一糸が抜けていくような。私のからだから、「父親」や「家族」が消えていって、ちゃんとひとつになるみたいな。初めて個になったような気がした。
母親が亡くなって1年が経った頃、父親に「我が家ってどこまで自由なの」と聞いたことがあるの。「どんな仕事をしてもいいし、どこに住んでもいいし、誰と恋愛してもいい。もし海外の僻地とかで家族を作って生活したりしても、年に一度手紙かメールでもくればそれでいい」と言われて号泣したことがある。
母は私の一部で、私は母の一部で、完全に同一状態の中で生きてきた。だから、我が家は「自由に生きていいよプレイ」をしているだけで、内心は「こうして欲しい」という親の圧に暗に答えるような形で生きていた。
なので、父がマジでそう(自由に生きていい)と思ってるのかと知ったときに、「自由に生きていいんですか〜!!!知らなかったです!!!」って言っちゃったんですよね。自分の中の「あたりまえ」とか、自分に許していなかったことが、許された時、私は解放で号泣しちゃうんですよ。
自分が自由でいることは、赦せる人の数が増えることだと思う。自由に生きている人ほど、人に優しいと思う。ストイックさは、自分が選択していると分かった前提で、他人に強要するものではないと思う。
うらやましい、我慢している、という理由で、他人を恨んではいけないと思う。
髪を赤く染めた弟のことも、学校に行かない弟のことも、あれほど憎かったのに、今では、そうなのね、という感じだ。
さて、父に恋人ができたと話されたことに戻ります。
それこそ、ここ最近の私は魂の解放に向かってる感じはあったよ。ただ、ここでこれが起きるのか!という衝撃があっった。
ボロボロ泣きながら、私が口を開いて、出てきたのは
「なんかあの、悪い意味では無く…素晴らしい…他人!」
という言葉だった。
父親は笑って、「どんな反応が来るかなと思っていたけど、概ね肯定かなと思っていたけど、最高のやつだった」
と話していた。
私の世界の見え方が全部全部変わって、自室に戻ると、生まれてこの方住んでいて、明確に自分の「居場所」だったこの部屋も、この世の仮住まいって感じがしたし、家にめちゃめちゃ仲のいい他人が住んでると思うと心地よかった。
早く自分でもっと好きなもの集めて、生活していきたいな、セルフオーダーメイドなライフを作りたいなと思った。
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bijinchan · 5 years ago
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タロットカードを買った。
直感、みたいなのを信じるようになってから諸々滑り出した気がする。
こんまりに言われて部屋のもの全部捨ててからだな。全細胞が上がるようなときめきを、というので、真に受けてから、部屋は片付かないけど、きゅんとなる感覚は大事にしている。
買い物する時も、本当に欲しいものが、手を当てて、持ってみて、ときめくか、レーダーのような感じで選ぶことがある。
選択する必要や、捨てる必要が出てきて、何を選びたいかわからなくなった時は声に出して、きゅんとくる方というのも決めている。
こんな調子なので、ほぼイカれ巫女みたいな感じで生きている。
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bijinchan · 5 years ago
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「まなざし」が存在した瞬間生まれる舞台に立つことが、わたしの生き方であり、私は誰かの「まなざし」に対して相応しい振る舞いをする。
私はその「まなざし」から逃れることはできない。不安でたまらなくなるから、「まなざし」に応えていたいと思う。思ってしまう。
20歳の時に母が亡くなったのだけど、母の「まなざし」という演目は本当に長いものだった。
長すぎて、他の役ができなくなるんじゃないかと思った。あるじゃないですか、俳優で長年続く代表作ののイメージが抜けない人。ほら、渥美清のことをみんな寅さんだと思ってるでしょう。逆に渥美清の他の役なんて知らないでしょう。
母の「まなざし」という映画で娘という役しかもらったことのない私は他の役を知らない。
昔こじらせて書いたブログに「大人になるっていうことは自分の中の親を殺す、ということかもしれませんね」とコメントがついたことがあったけど、親が死んでも自分の中の親が死なないと好きに生きられない。
最近の私の生き方を見たら、母は不安で卒倒するかもしれんな。
何がなんでも「我」を一人で通すような強さは私にはなく、ただ、私が好きな、私が生きやすい「まなざし」を向けてくれるひとたちの側にいるようにしたから、私は今日も「美人ちゃん」でいられるのです。
なんの話をしたんですかね。誰の「まなざし」が心地よいかということ、「まなざし」はひとつでなくてもいいこと。
人生なんて何もしなけりゃ「無」なので、演じまくって死にたい。「プレイ」である。
客観視が苦手なので、鏡に溺れるようにして生きている。冷静になると恥と虚無でアーするので。
溺れるなら、縁に素敵な飾りがついている鏡がいいな。現実を見る強さがなくてごめんなさい。
ただ、「まなざし」に怯えて、「まなざし」に見守られ、私は今日も生きています。
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bijinchan · 5 years ago
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ドライフラワーをつくった。
ピンクの方は作ろうと思ってつくったけど、黄色い方は、知らない間に水が干上がってドライフラワーになっていた。
リボンを結んで壁にかけたらすごく可愛い。美人ちゃんのお部屋の壁は水色で、自分で塗った。
自分のお部屋が大好き。あまりきれいではなかったりすることもあるけど、それでも大好き。好きな絵と、好きなお人形と、好きな色の壁に囲まれた私の部屋が好き。
今日もお休み。
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bijinchan · 5 years ago
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10代の頃華やかな世界を生きている同級生の綺麗な子を見て、自分が蚊帳の外にいることが辛かった。だからその頃のことも全部忘れて、なりたい自分になって、そのチープな設定すら忘れてしまうように、恥をないことにして自分を騙して生きている。
そんなことをし始めたら、遠くに行った人みたいな見え方をされて、アーア、と思ったりする。
私は今日も美人ちゃんです。
まだなれないものもたくさんあるね。色気とか、ほしいな。
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bijinchan · 5 years ago
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ほわほわティータイムをとれていない。とっておきのお菓子と紅茶を祖母からもらったかわいいカップで飲む時間がないのは、今のわたしに余裕がないからだろう。
疫病のせいで、遠方にいる大好きな祖母に会いに行けない。お手紙でも書こうと思うけど、書けないまま時間が経つ。子供の頃はよく文通していた。公園で拾ってきたという銀杏とイチョウの葉の絵が付けられた祖母からのお手紙は今でもすぐに思い出せるし、保管してある。
祖母はパン教室の先生で、水彩画を習っていて、ラジオ英会話を欠かさずやって、青いインクのボールペンを使う。
幼い頃祖母の家に行くと一緒に早起きして、仏壇に備える日本茶を淹れていた。
明日の朝は少し早く起きて、お茶を入れましょう。
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