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ハロウィンの頃に書いた『魔女をまもる。』の感想
10月31日はハロウィン。ひと昔かふた昔前はハロウィンというと漫画雑誌や、NHK教育放送(現在のEテレ)で放映されていた『英語であそぼう』など海外文化を紹介する番組を介して知るイベントだった。
ハロウィンの夜にお化けの仮装をした子どもたちが各家を訪問し、「Trick or Treat」のかけ声の後、お菓子をもらうという地域住民の相互協力による行事が、日本に正しく定着しているだろうか。
そもそものハロウィンは古代ケルトで行われていた祭りが元になっていると言われている。ケルト人はヨーロッパのかなり広い地域に住んでいた人々のことを指すが、日本で知られているのはフランスやブリテン諸島に伝わる妖精の神秘的な物語かもしれない。独自の宗教を持っていたが、キリスト教の定着とともに廃れたが、ハロウィンや妖精の伝承に形を残していく。
キリスト教が伝播する過程で土着の信仰や風俗と融合していくことは珍しいことではない。またキリスト教徒たちも「プレスター・ジョンの伝説」、「女教皇ヨハンナ」、「さまよえるユダヤ人」といった伝説を生み出していく。こういった融合や伝説は信仰を主導する組織の教義と矛盾することもあった。そこから始まる排斥として悪名高いものとして「異端審問」と「witch-hunt」がある。この二つは分けて考えるべきか、同じものとして語るかは時代や状況によるので注意がいるだろう。現代人にも共通することだが、差別、偏見、無知など排斥活動には複合的な事象が絡まり合っている。
例えば「witch-hunt」は「魔女狩り」と訳されてきたが、“witch”とされた人物は女性に限定されていない。「“witch”は女性である」というのはステレオタイプ(注1)である可能性が高い。“witch”とは何であったのか。「witch-hunt」は女性差別に根ざした宗教的な排斥運動であるという説明は単純化されたものである。。
注1)ステレオタイプとは医師と看護師の組み合わせで医師を男性、看護師を女性と思い浮かべるようなことで、思い浮かべた当人が所属する社会通念ではそういった事例が多いかもしれないが、これを固定観念とすることは偏見と言える。こういった偏見を特に社会的少数者(マイノリティ)に当てはめることが人権上の問題としてよく取り上げられる。
“witch”とは何であるかということに取り組んだ意欲作が、槇えびしによる『魔女をまもる。』である。
主人公は実在の人物であるヨーハン・ヴァイヤー(1515年~1588年)である。史実としての彼は「witch-hunt」に反対し、それに関する著作を遺した人物として知られている。
ヨーハン・ヴァイヤーは“witch”と呼ばれる人々を医学的見地から考察し、精神疾患や取り調べの際に行われた拷問に耐えかねた自白から生み出されたものであるとした。
本作のヨーハン・ヴァイヤーも当時の科学の視点から魔女の正体を説く。興味深いのは彼が用いる病理の根拠が四体液説に依ることだ。
四体液説はインドのアーユルヴェーダや古代ギリシャで提唱された病の原理である。「血液」「粘液」「黄胆汁」「黒胆汁」の四つの体液のバランスが崩れると人間は病気になるとされる。漢方にも類似した気血水という考えがあり古代の医学の定説とも言える。患者の病態を観察して導き出された面もあるため、経験則に基づく治療方針の策定にはある程度役に立ったとは思われ、19世紀頃まで支持されていたが、病理学や生理学の発展とともに四体液説は根拠を失った。
つまり四体液説のみを根拠に患者が“witch”ではないことを証明することは不可能なのである。そのため、作中のヨーハン・ヴァイヤーは「やはり“witch”は存在するのではないか」という疑念を払拭できずにいる。これは科学的思考を用いるが故のジレンマである。
現代に至るまで多くの科学者たちがこのジレンマに陥ってきた。有名なエピソードとして軍医としての森鴎外が脚気の原因を細菌による感染症であるという誤りを正すことができなかったことや、プリオン病の原因が異常タンパク質という物質であるか生命体である未知のウイルスであるかという論争が挙げられる。
未知を解明すると言うことは、時に既存の学説を覆さなければならない。その手順もまた従来と同じく、観察、分析、実証に基づいて行わなくてはならない。
先ほど例で挙げた脚気であるが、原因はビタミンB1の不足であることがわかっている。鈴木梅太郎がビタミンB1の抽出に成功したのは1910年である。脚気の原因がビタミンB1の不足であると確定されたのは1925年のことだった。一方、高木兼寛が海軍において食事の内容を変えて脚気の予防を試み、成果を出したのは1884年である。ビタミンB1の存在を知らなくても食事の内容を変えれば病を防ぐことができると確かめることはできるのである。
四体液説という不確かな学説を根拠にしながら、ヨーハン・ヴァイヤーが目の前にいる者は“witch”ではないと証明できるのは、事実の検証があってのことだ。現代の科学者たちも同様に日々研鑽を積んでいる。専門的な知識を持った科学者もまた無謬ではない。人間は性別や社会に与えられて役割によって偏見を持つ。偏見を持つと言うことは自分と異なる役割や立場の人間に対して不正確な認識を以て評価を下すということだ。このことに自覚しない限りこの態度は改めることはできない。この無自覚が「witch-hunt」に女性迫害の側面を持たせた最大の理由だと推察する。
長らく世界は男性中心かつ男性優位の社会を自然だとしていた。政治、司法、財産の決定権は男性に偏り、女性は社会的弱者となる。この状態が現代において解消されたと認識するのは各地の報道をはじめ、統計などの科学的見地から誤りであることは言うまでもない。
近代からの医学においても主に男性の医師が女性特有の病や妊娠出産にまつわる諸症状を研究や治療を行ってきたが故の誤りはある。魔女狩りの時代が過ぎ去った後、代わりにやってきたのは「ヒステリー」だった。
「ヒステリー」という病名は現在用いられない。用いられるとしたら疾患の有無にかかわらず怒りを露わにする人間(どちらかというと女性)を侮蔑する際に使われることが多いだろう。「ヒステリー」の語源は「子宮」を意味するギリシア語が語源になっているように、女性の病気とされてきた。ある精神状態、身体症状を示す患者を「ヒステリー」としたが、病態生理が究明されていない曖昧な定義だったため、現在はいくつかの疾患の名称で診断される。
「ヒステリー」の原因は心理負荷、つまり過度なストレスであるとされたが、何故女性にこの病気が偏るのか男性中心の社会を自然なものと捉える者には解明できない。ただ患者が女性であるが故に心身に欠陥を備えていると、女性蔑視の根拠とする者すらいた。
「witch-hunt」と「ヒステリー」はなくなったが、他の言葉にすり替わっている可能性はかなりある。今回紹介した『魔女をまもる。』の幕引きもそれを示唆するかのようだ。不正確な評価が科学の発展を阻むのであれば、それは正さねばならないと判断するのが科学者のあるべき姿だろう。
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Twitterを辞めようかなと思った
ここに全く文章を投稿しない間 Twitterにパッと思いついたことを書いていたけれどいい加減文字の制限とか後から編集できないことの不便さが我慢できなくなって明け方に「あ、もうやめよう」と思った。
ブログを作ろうかな、と思ったけれどここがあったのでしばらくはtumblrに書いてみる。
実は長めの文章を紙のノートに書き留めたりもしていたけれど、やっぱり書いてみて気に入らなかったところをそのままになるのがまた気になったりした。そういうノートもCOVID-19流行後は日々の行動の記録帳になって、生活の忙しさに押されて自分が感じたことを深く考えることをしないようになっていた。
今はたまたま少し時間があるのでちょっとやり方を変え洋と思う。
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先日、十代の少女の失踪についてNHKで取り上げていた。
普段人と関わらずに生きているので、世間と違う意見かもしれないけど、16、17になって親から離れたいと思うのは不自然じゃないと思う。
15歳以上は統計上、生産人口と言って労働に従事できる年齢とされているので、ある程度自活していくことが禁じられているわけではない。
十代の少女の自立を実現させず、SNSで知り合った変な男しか頼れなくなるのは、個人的問題にのみ起因するのではなく、社会構造の欠陥を反映していると私は感じた。
昔から女性が結婚を手段にして、生まれ育った家庭を離れるということをしていたけれど、その消極的な選択が別の不幸を招いた話は珍しくない。
これからの時代、そういう選択をさせてはいけないと思う。
私はそう思う。思うだけでは社会は変わらないけど、自分の人生は変わる。
そうやって新しい時代を想像していくべきじゃないだろうか。
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ニコラス・ホルト目当てでNETFLIXで映画「砂の城」を見た。ニコラス・ホルトが演じる二等兵は黒水仙のデボラ・カーみたいだった。ストーリーがどうかより、観ながら自分が何を考えるかが大事な映画だった。
米軍兵士の体験を基に2003年のイラクでの「給水活動」を描いている。ちょうど自衛隊が派遣された頃だ。
破壊されたポンプ場を復旧するため住民を集めるも、報復を恐れて人出は集まらず、作業は進まない。アメリカに協力した住民が受けた報復も描写されている。
何より印象的だったのは、末端の兵士まで「非戦闘地域」であろう小さな町が「統制が取れておらず危険」という認識を持っていたことだ。その言葉の通り彼等の給水車は襲撃を受ける。
「これは映画だ」 「つくりものだ」と言うのは、実際に命を落とした人々から目を背けることだ。兵士だけでなく、無実の市民、報道関係者もこの間に亡くなっている。自衛隊員については在職中35名が亡くなっているが、事実は充分に明かされていない。
「何故本当のことを言わないのか」と問うのをやめれば、私たちはいつだって彼等を忘れてしまえる。
こういうことを言うのは、2003年のあの時、選挙権もない子供だったけど、街頭でイラクへの自衛隊派遣に反対する署名を躊躇ったことを後悔してるせいだ。世の中には誰かがやらなくていけないことがあるけれど、そう見せかけてることだって同じくらいあることをわかってなかったし、もっと自分の意思を尊重するべきだったと思う。
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宇高フェリーが明日まで。
前に書いた、バイクで旅行した時初めて乗った。雨が降る中、予定より遅れて高松港に着いた時はちょっと心細くなっていた。乗船すると二人がかりでバイクが倒れないように固定する手際に感心した。
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映画華麗なるギャツビー(2013)を観て、原作(小川高義訳)を読んだ。
なんとなくフィッツジェラルドを敬遠していたけど、フィッツジェラルドは別に悪くなかったな。これはあれこれ語ると却って馬鹿がばれるやつだと思うので余計なことは言うまい。
ただ、時代的に黄禍論かな?人種差別とか似非科学とかのトンデモ本にハマってるトム・ブキャナンをこき下ろしてるのは向こう百年読む価値アリだと思った。昔からそういう本はあるんだな。
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ネットフリックスが自信満々に勧めてくる(マッチ度98%)ので、憑依〜殺人鬼を追え〜を観てるんだけど、これシーズン2は決まってるんでしょうか?
メインの二人がすごくマブい(※1)
2話でこのマブい二人が手を繋ぐシーンを見逃してしまったのでもう一回観た。
※1 )まぶいとは「マブダチ」に使われる『まぶ(本物の・本当の)』の形容詞形で、「美しい」に属した意味をもつ。 まぶいは昭和時代に生まれた言葉と思っている人も多いが、江戸時代には既に盗賊の間で隠語として使われている。明治以降、盗賊から的屋、そして不良少年へと広まってい���、一般的に知られるようになるのは1970年代以降。一般的に認知された後も、実際に使用するのは不良少年が中心であった。また、昭和に入るとまぶいは可愛い女の子に対して使われることが多くなる。しかし、平成以降、不良の形が変わる中でまぶいという言葉も影を潜めていく。
まぶいは北海道弁という説もあるが定かではない。
日本俗語辞書: http://zokugo-dict.com/
人がマブい最大の理由は「心がきれい」であることだとこのドラマを観て知った。
(追) こうやって言葉の意味を見てると「マブい」と「推しが尊い」の「尊い」って近いな。本当に美しくかわいい!
(追2) 韓国ドラマの容赦のなさを思い知らされながら観終わった。でもシーズン2があったら観る。
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ハウス・ジャック・ビルトやってると思って観に行ったけど今日から公開だったのか。普段、新作をすぐ見れないからちょっと嬉しい。
アメリカン・サイコとかファイトクラブとか類似のテーマを扱ってると思うんだけど、アップデートされてると思った。バーニング劇場版を観た時も思った。
バーニング劇場版の「韓国にはギャツビーが多い」と「女のための国はない」というセリフは対になってると感じた。
誰しも従来「男らしい」と「女らしい」と言われて来た性質をとりまぜて持っていて、片方だけの人間はいないと教わって来たけど、それを認めない旧来の価値観は社会全体に染み付いてなくならない。そういう狭間にいる人間の話だと思った。
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ニコラス・ホルト目当てでNETFLIXで映画「砂の城」を見た。ニコラス・ホルトが演じる二等兵は黒水仙のデボラ・カーみたいだった。ストーリーがどうかより、観ながら自分が何を考えるかが大事な映画だった。
米軍兵士の体験を基に2003年のイラクでの「給水活動」を描いている。ちょうど自衛隊が派遣された頃だ。
破壊されたポンプ場を復旧するため住民を集めるも、報復を恐れて人出は集まらず、作業は進まない。アメリカに協力した住民が受けた報復も描写されている。
何より印象的だったのは、末端の兵士まで「非戦闘地域」であろう小さな町が「統制が取れておらず危険」という認識を持っていたことだ。その言葉の通り彼等の給水車は襲撃を受ける。
「これは映画だ」 「つくりものだ」と言うのは、実際に命を落とした人々から目を背けることだ。兵士だけでなく、無実の市民、報道関係者もこの間に亡くなっている。自衛隊員については在職中35名が亡くなっているが、事実は充分に明かされていない。
「何故本当のことを言わないのか」と問うのをやめれば、私たちはいつだって彼等を忘れてしまえる。
こういうことを言うのは、2003年のあの時、選挙権もない子供だったけど、街頭でイラクへの自衛隊派遣に反対する署名を躊躇ったことを後悔してるせいだ。世の中には誰かがやらなくていけないことがあるけれど、そう見せかけてることだって同じくらいあることをわかってなかったし、もっと自分の意思を尊重するべきだったと思う。
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マッドマックス・怒りのデスロードがプライムになっていることに気付いて見ていた。
ニュークスがニコラス・ホルトであることをキャストを調べて知った。女王陛下のお気に入りといい、彼に極端なメーキャップを施すことを思いついた人間は最高だと思う。
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数週間前に観たビールストリートの恋人たちのことを思い返す度に涙が浮かんでくる。頭で考えるより先に感情が動いてしまうのだが、何が起こっているか私が説明しきることは出来ない。この映画で一発逆転の奇跡は起きない。現実がそうだから。これから私たちが起こすから、とみんなで思いたい。
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ようよう1987を鑑賞して2018年は韓国映画の年だったな、と個人的に思っていた。
「共犯者たち」と「タクシー運転手」も観たんだけど、恥ずかしながら隣国がこんなに民主主義を大事にしていることを知らずにいた。幼少期を過ごした90年代の頃は「民主主義は命を懸けて守る価値があるもの」というメッセージを戦争を体験した世代から受け取っていたけど、その時と同じ気持ちになった。
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「日本古来の和太鼓」というフレーズを目にして、韓国の歴史ドラマに映ってるのは?Wikipediaによると縄文時代(紀元前4世紀頃まで)から和太鼓はあったそうだけど春秋戦国時代の中国にはそれっぽいのなかったの?そもそもいつから和太鼓って呼んでるの?とか気になってる。
鋲打ち太鼓は日本固有のものと書いてあると思いきや、鋲打ち太鼓は中国から伝わったのは間違いないと書いてあるのもあった。日本古来の文化ってややこしいな。
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山岸凉子のレベレーションの4巻を買いに久しぶりに漫画売り場に行った。単行本のデザインの変化が著しいせいか、色彩が目にきつく感じた。十数年くらい前はりぼんマスコットコミックスとか花とゆめとか、同じデザインの背表紙が並んでいたよね?
漫画売り場の進化から取り残されてしまって、ついつい、大昔の仮綴じ本みたいに本体だけ売って、有料でカバーを値段もデザインも違う数種類の中から選んだり、追加料金でハードカバーに出来たり自分好みの装丁に出来るとかならないかな、オンデマンドで発注して店頭受け取りとかよくない?とか考えていた。
レベレーションは最高に面白い。
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iPhone 買った
ここ2、3年は電話くらいしか使う用事がなかったので1〜2万円の安いスマホを数台試していた。
機種による癖というかスペックのちがいをそれなりに楽しんでいたけれど、それなりに不便を感じだしたところでiPhoneを買った。しかし買ったそばから3万円以内で買えるスマホの新機種がどんどん発売され、進化の目覚ましさについつい欲しくなる。
まだ使えるスマホは防水ケースに入れて入浴中の読書に役立てている。
携帯の話とは関係ないけど、今年1巻目が発売された漫画でとりあえず読んでみてよかったベスト3を考えていたのでここに書いておこう。
・アダムとイブの楽園追放されたけど… (宮崎夏次系・モーニングコミックス)
・紙クズ☆アイドル (いそふらぼん肘樹・ZERO-SUMコミックス)
・ヴラド・ドラクラ (大窪晶与・HARTA COMIX)
アダムとイブは完結済みで2巻目がつい先日発売されて読んだ。同じ作者の「培養肉くん」とどっちにしようか悩んだけど、先に読んだ方にした。
長年、少なくない額を漫画に費やしてるけど、気が付けば9割以上電子書籍で買ってるな。
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