codama-yoshiyuki
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CODAMA YOSHIYUKI
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codama-yoshiyuki · 2 months ago
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一昨年の11月に3人の重要な(人生の)登場人物と出会いました。うち2人は仲のいい友達になり、うち1人はもう2度と出会えないだろう人となりました。
私はそのときお金がなくて日払いの仕事をしていました。朝7時に家を出て寒々とした空のなか駅まで歩き、見知らぬ電車に揺られ馴染みのない駅で外国人労働者と同じ列にならび会社までのバスを待ちました。
会社に着くとアルコールで消毒をし、靴を履き替え、食品用のユニフォームに着替えて仕事が始まるのを休憩室で待ちます。仕事はロボットのようにチョコレートを容器に詰める仕事でした。涼しい室内で外国人と混じりながら、パートの日本人に監視されながらベルトコンベアに流れていく容器にチョコレートを入れていくのです。
今の文脈ではつまらない仕事なのだろうと思うかもしれません。実はそんなことはありません。普段入れない工場に入り、見れない什器を見たり、ダンボールの積み方とか、そういうものを見るのがデザイナーとして何よりインスピレーションになるのです。ただ、社会の底辺にいるかもしれないなという自覚が私の心を荒ませたりはしました。この工場は清潔感があり、社員の人柄も良くその後通うことになりました。
何日か通ったある日、若い男女の日本人が部屋に入ってきました。私はただの日雇いで現場の状況など知らされないので、数日してから分かるのですが、その若者たちは新入社員で研修に来た人たちでした。2週間研修してまた違う現場で2週間研修してのサイクルを会社の中で行っているようでした。
チョコレートを補充する係として、私の目の前に若い男性が現れました。人見知りしないタイプのようで、壁を感じられません。気軽に話しかけてくれ、私も気軽に話しました。ただ隣の外国人にうるさいと言われたり、監視のパートの日本人も居るので、なかなか喋れない環境ではありました。
次の日も、その次の日も同じラインで働きました。食品工場のユニフォームなので露出しているのは目だけ。名前も苗字しかわかりません。ただ、一緒にいると楽しくなっているのがわかりました。
帰りのバスでそれらしき人を見かけるも新入社員同士で固まっているため話しかけられません。
結局、それ以上関係として縮まらず2週間が経ち、彼は違うラインに行ってしまいました。
あるとき、電車を待っていると肩をポンとたたかれました。振り向くと彼が居ました。何を話したのか今では覚えていませんが、彼も気にかけてくれたのだと思い嬉しかったです。
そこで働くのが最後の日、私は電車のホームで名刺を持って彼を待ちました。彼は同僚と現れましたが、私はその会話を静止して彼に話しかける勇気がなく、彼の乗る電車を見送り、私の希望は叶いませんでした。
私はもうその駅に行くことは無く、彼と友人になりたいという希望が叶えられなかった儚い気持ちだけ記憶されました。
この文章を書いていると今でも出会ったときのこと、話しているときの高揚感、電車を見送ったときのこと、淡い気持ちとして思い出すことが出来ます。良い思い出です。
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codama-yoshiyuki · 2 months ago
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初めてフィールドワークというものをしました。
私のスタイルはiPhoneの写真を見て描くか、実物の、例えば果物などを目の前に置いて座って描くということが多い。限りなく一人で、室内で、とても個人的な絵なのです。
今日は試しにフィールドワークをしました。
周りに居る人が気にならないようにイヤホンをしながら、カッティングボードと紙と鉛筆を持って歩きました。
なぜ急にそんなことをしたんだろう
当たり前なのかもしれませんが、実物を見て描く絵に魅力があるという事実に背くことができなくなってきたのかもしれません。
年下の知人が書店をオープンさせました。
その書店は私の最寄駅から電車で2駅。家からだと40分くらいだろうか。遠くも近くもないちょうどいい道中なのです。最近はスマホを見て歩くことも多いのが、何かたくさんのことを見逃している気がしていて、その道中だけはフィールドワークをしようと考えたのだと思います。
人前で絵を描くことが嫌いな私もイヤホンをすれば気にならないことも気付きでした。出来上がった絵は写真のとおり。道にある木は折りたたんでいた新芽を開いたばかりというような艶々として若々しい緑。それだけで元気がもらえるようでした。懸念のとおりたくさんのことを見逃して歩いていました。フィールドワークをしなければ咲きたてのドクダミにも気付くことはなかったでしょう。
そういえば、酔って終電ぎりぎりに帰ったときにiPhoneの充電もなくてただ道を歩いていたときに、街灯に照らされた雑草たちの生き生きした表情よ。あなたたちは夜行性なのね。
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codama-yoshiyuki · 2 months ago
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岡山の牛窓で木工作家さんに絵を見ていただいた。一枚一枚丁寧に見ていただき感想をいただいた。私はその木工作家さんの作品が好きだ。丁寧な仕事のなかに、ロマンとか希望のようなものが見える。あの「シェーカーのボックス素敵ですね、欲しいです。」と伝えた。木工作家さんは物々交換してもいいよ。と言ってくださった。売れてない若いとき僕もそうしてもらっていたから、と。今日そのシェーカーボックスが届いた。美しく軽い。私は鳥の置物とシトロエン2CVの絵をお題としていただいたので描いて送る。美しいやりとり。それだけで絵描きになって幸せだった。
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codama-yoshiyuki · 2 months ago
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絵描きとして2年目。ありがたいことに連載の仕事をもらったり、展示のお声がけをいただいたり、絵のお仕事もいただくようになってきた。私の描く対象はどうやら変らしい。なんの変哲もないコップとかバケツとか。私はそういう「生活」に直結するものが好きなので描いているのだが。絵を描くことはプロダクトとは違い、自発的で紙と鉛筆があればどこでも出来る。私の画風であれば1分もかからない。それがお金になるのだからとてもありがたい。幼いときから20代全て苦しい日々だったけれど、30代になってようやく充実した日々を送っている。
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codama-yoshiyuki · 2 months ago
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昨日、亡くなったBELLの写真がiPhoneの待ち受けに出てきたとき、心の中でBELLの頭から目から手の先までなぞった。目の前からいなくなった対象に対して人間は2次元の写真や絵にして偲ぶ。写真や絵にすることによって存在しないことを自覚するような行為なのだろうか。
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codama-yoshiyuki · 2 months ago
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4月は仕事を置いて、長野、山梨、岡山、兵庫、大阪へ1人で旅をした。もちろん絵は描いているのだけれど。それが仕事なのかどうかは今の私にはまだ分かっていない。4月は本をたくさん読んだし、ライブにも3回行った。とにかく自分が直感的にしたいことをした月だった。
長年、壊れていたフィルムカメラを修理に出した。山形のまだオープンしたてのカフェ兼フィルムカメラを売っているところだ。フィルムカメラの修理の相場がわからないのだが、大手で見積もりを出したら5万で、今回お願いしたところは9000円だった。シャッター幕の修理と全体メンテナンスでこれはきっと破格だ。仕事も丁寧で、毎年メンテナンスをお願いしようと思う。
そのカメラを持ってまずは岡山の牛窓に行った。絵を気に入ってくれた大御所の木工作家さんにぜひ来てくださいと言われ、厚かましくも伺った。まずは下げていたカメラの話になった。その木工作家さんも舶来物が好きなんだろう。木工作家さんの展示中にお邪魔したのだが、お店の縁側で2人きりで絵を見ていただいた。とても優しい朗らかな方だった。きっとまた牛窓には来るだろう。白漆のカフェオレボウルとジャムスプーンを買った。
その夕方、牧野伊三夫さんのライブドローイングとharuka nakamura さんのライブがあった。どちらも即興で牧野さんは自由に、harukaさんは牧野さんに合わせて音楽を奏でているようだった。なぜか分からないけれど、この時間がとても苦しかった。苦しい苦しいと思いながら、絵が描かれる筆の音とギターの音を聴いていた。
ライブが終わった時間が終バス近くで、走ってバス停に向かう。牛窓の街を十分に味わうことなく、大阪の十三に向かった。
十三は赤羽の繁華街に似た雰囲気があった。美味しい中華屋さんで、麻婆麺と生ビールをいただき、帰りにたこ焼き屋さんに寄るも売り切れ。仕方なくお好み焼きを頼んだ。前の客が居なくなると、余っていたたこ焼き4個をお好み焼きの角に入れてくれた。これが大阪人の人情なのか。優しい店員さんだった。コンビニでビールを買い、ホテルでお好み焼きとたこ焼きとビールをいただく。はっきり言って食べすぎだ。
翌日、もう来ることはないだろう十三を後にし、兵庫の古市に向かった。宝塚で乗り換え、古市へは1時間と少し。随分と田舎である。そこにアーキペラゴはあった。人っ子ひとりいないとはこのことだろう。新緑が美しく、鳥の囀りが響き、風がさわさわして気持ちがいい。気づくと3時間くらい居た。志村ふくみさんの「母なる色」を買った。
古市をあとに、大阪の吹田市に向かった。吹田市の山田で降りたが、十三とは違い、規律があり、風格、気品、そんな言葉が似合う街だった。緑が多く、広い公園があり、落ち着いた住宅街だ。そそこにippoplus はあった。長年行きたいと願っていた。荻上直子さんの映画に出てきそうな一軒家をギャラリーとして会期中に開放していて、あとは住居にしているのだろう。お庭には冬を越えて蓄えていた緑がこんもり目に入ってきた。店主とは初めましてだったが、そんな気があんまりしない。「初めましてですよね?」と確認された。白い空間は全て控えめで、物が引き立つ空間だった。ここで展示をしたいと願う作家が多いのも納得だった。
新幹線の時間が近かったので、店主に挨拶をし新大阪から帰った。
次の日、お昼くらいまで寝ただろうか。
この日もライブを予約していた。場所は神田なのだが神田までの道のりが分からない。東京に生まれて、関東に30年以上住んでいるが、これだ。呆れる。
19時に着いたが開演が19時30分だった。予期せず池間さんのリハーサルを聴くことになる。「拝啓、朝」「水兵さん」をやっただろうか。
池間さんが同じ床で歌う。足でリズムを踏む振動が私たちに伝わる。憧れの人がこんなに近い距離で歌う。人生で初めての経験である。そんな経験をしているなか、私は床のことを考えていた。CDでは涙が流れるのに、ライブではそれが無かった。元気が出た。池間さんはライブ中に言った「お仕事帰りですか。お疲れですよね。今日は私が全力で与えて、あなたたちはもらって帰ってください」と。そういうライブだった。
遊んでばかりいて、私はどういうつもりなのだろう。
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codama-yoshiyuki · 4 months ago
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サワークリームアップルクランブルを作った。
代官山にある松之助ニューヨークのサワークリームアップルパイが大好きで、その味の再現だ。
最近はお菓子作りをしていて、小麦粉と全粒粉でタルト生地を作るのだが、それをクランブル状にすれば松之助のアップルパイが再現出来るのではないかと思ったのだった。
サワークリームのレシピは見様見真似で。
あつあつをハーゲンダッツのバニラアイスを添えて食べたけれど、少し冷めた落ち着いた味の方が美味しかった。
なんにせよ、こうして料理にも創造性を発揮できて嬉しい。
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codama-yoshiyuki · 4 months ago
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鏡の前にいるときは笑顔で居るようにしている。最初は笑顔をつくる練習だったけれど、今は自分が嬉しいからそうしている。他人であっても自分であっても目の前に居てくれる人が笑顔であることは嬉しいことなのだ。
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codama-yoshiyuki · 4 months ago
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最近はこんな絵を描いています
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codama-yoshiyuki · 4 months ago
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私の病気の平均寿命が59歳らしく、それまであと25年しかない。それがストレスによるものなのか薬による副作用なのかは知らないけれど、あと25年。急に自分の人生が短く思えてきた。会いたい人に会って、やりたいこと我慢しないでたくさんして、子供みたいに生きよう。
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codama-yoshiyuki · 4 months ago
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菊いも
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codama-yoshiyuki · 5 months ago
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蒸した紅はるかを冷凍し、数日後に解凍したのち、揚げる。これが驚くほど美味しい。本当は柚子マヨネーズをつけるのだが、冷蔵庫の和からしと目が合ったので。(冷凍すると組織が壊れて、油で揚げたときにバリバリになる。甘さは流れない。)
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codama-yoshiyuki · 5 months ago
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ポピー
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codama-yoshiyuki · 5 months ago
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3日目の熊本。夜ご飯はtaishoji でいただいた。19時にtaishojiの門の前に、と言われていたから時間の5分前に行った。小学生の頃から5分前行動をするように言われていて、それが身体に染み付いている。19時になっても誰も来ず、友達に電話するが出ない。半分不貞腐れながら、taishojiの門の前をうろうろ。これは時間がかかりそうな気がしたので、石を探すことにした。石を探すゲーム。そうしたら案外夢中になって探してしまい、15分経った。良い形だけど大きすぎたり、変な欠けがあったり気に入るものは少なかったが、最後のほうに形のいいものを見つけポケットに入れた。遠いところから名前を呼ばれた。次の日、友達の案内で黒川温泉に行った。車のなかで石のことを思い出し、ポケットから取り出して彼に見せると「すごい、いい!」と言って写真を撮った。なんだかそれが凄く嬉しくて記憶に残っている。
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codama-yoshiyuki · 5 months ago
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合計時間
人と人が生涯会える合計時間って決まっているんじゃないか。それは人によって違うということ。そんなことを思ったりする。人が持つ波と波が重なり合っているときだけ、それが凪になると関係も薄くなる。今、気持ちが高揚するのは波が重なっているからで、10年経ってもそうとは限らない。そんなことをずっと考える。
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codama-yoshiyuki · 5 months ago
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旅の最後に料理を作ってくれた。桃太郎ゴールドのトマトパスタ、柑橘と大根のサラダ、おぼろ豆腐とルッコラ。トマトパスタの中にゆでた高菜とアスパラ菜を混ぜて食べる。最後のソースを蒸したカンパーニュで頬張り合う。笑う。
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codama-yoshiyuki · 5 months ago
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霧が幻想的だった。「車止めて」とお願いする。「一緒に写真撮ろうよ」と言われ、嬉しくなりながらヒーっと奇声をあげながら目をぱっちり開けると、笑われた。その瞬間の写真は見るだけであたたかい気持ちになる。お互いの掛け合いで生まれた良い時間だった。
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