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dasaapple · 3 months
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『路上のかとゆい』ロゴ誕生秘話
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 かとゆいがnoteに「いつも始まりは劣等感〜服屋さんに入れないまま〜」という記事を書いた。かとゆいの文章は前世の頃から読んではいたけれど、とにかく泥臭くて曝け出すようなスタイルの文章が特徴的で、僕は昔からずっと好きだった。
 僕はかとゆいよりもちょうど四半世紀長く生きているんだけれども…(自らの年齢を晒していくスタイル) 振り返ってみると、社会人になってからもちょうど四半世紀が経った。その25年間は(かとゆいのような)劣等感や焦りが原動力というよりも、流されるがままの惰性が生み出した空虚感をいつも抱えながら働いていた。
 美大・芸大出身でもないのに「デザイナーってなんかモテそう」だなんてくだらない理由だけでデザイナーという仕事を始めてしまった。結果、デザインセンスが皆無な自分は「不向きな仕事に就いてしまった…」と痛感させられっぱなしの20年以上をすごしてきた。多分100回以上は「もうデザイナーなんて辞めよう」と思ったと思う。
 いろいろな人たちから「君はね、30歳にして感性が死に始めているんだよ」とか「あなたの作品を見て、弊社で何ができるって言うんですか? 何もないですよ。他に何を言えばいいんですか?」とか「あなたのデザインはいつも似たような力強すぎるものばかりですね」なんて言葉をいただくのは日常茶飯事だった。
 けれど、不思議と怒りや悔しさはわいてこなかった。否定的な言葉にも「おっしゃるとおり」と素直に受け入れてしまい、卑下と自嘲も通り越して、気がつけばパンチドランカー状態。死んだ魚のような目をしたデザイナーがそこにいた。結果、言われた仕事だけをやってやり過ごすようなダメダメデザイナーになってしまった。
 ある日そんなダメダメデザイナーが1人のシンガーと邂逅する。そう、そのシンガーこそが、かとゆいである。「なんだろう? 仕事以外で自発的にデザインしてみたいなんて思ったことは今までに一度もないのに…。かとゆいをテーマにしたデザインを作ってみたいな」と、そう思えた。自分でも驚きの気持ちだった。
 そうして生まれたのが『路上のかとゆい』ロゴである。著名な凄腕デザイナーさんから見たら、鼻で笑われてしまうような拙作なのは百も承知。それでも「あなたの最高傑作な自信作はなんですか?」と問われたならば、「路上のかとゆいロゴです」と胸を張って答えると思う。「後にも先にも、もうこれ以上の作品は作れないだろう」と思いながら、心血を注いで作り上げた。
 デザイナー生命は老い先短いであろう僕に、デザイナーとしての最後の情熱を蘇らせてくれた…かとゆい。錆びついたデザイナー魂に再び命を吹き込んでくれたのも…かとゆい。ありがとう…かとゆい!
 明日4/6の路上ライブ、明後日4/7のソロライブ、両ライブともに楽しみたいですね…(おっと宣伝の香り↓↓↓)
[かとゆいライブ 〜なきむし見習いシンガー〜 vol.11]
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dasaapple · 9 months
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消去法でも前進しているだけマシ
 僕が敬愛している、七年前に引退宣言をして表舞台から去った氷室京介さんが、このような言葉を残している。
悩まない奴は嘘だよね。悩まないってのは悩まない次元でやっているだけでしょ?悩みながらもその場所から降りられないってのはやっぱりそこで悩んでいる自分が楽しいんだろうね。
やっぱり自分でやっていることを愛おしいと思いながらやらないと、いい結果は出ないよね。
無様にダウンしても何度でも立ち上がれば、その「無様」の積み重ねが「生き様」になる。
 どの言葉もちょっとキザだけど、シンプルで正鵠を得ている言葉だと思う。
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 僕の推し・加藤結さんが、昨晩にnoteでこのような記事を書いた⇒「消去法ってダメかしら、ダメなんだろうな」
どちらかと言うと消去法に近くって。 「他じゃダメだから今ここで頑張らなきゃ」がぴったりの言葉なのかもしれない。
 お仕事でやっている以上、運営さんからは高い目標設定をされるだろうし、意識の高いことも要求されるだろう。衆目を前に実名を晒してがんばって活動しているのに、匿名をいいことに否定的なコメントで必要以上に叩く輩もいる。かとゆいがおかれている立場や状況は、僕がうかがい知ることのできないほどの艱難辛苦だと思う。軽々しく「かとゆい、がんばって」なんて言えない。だって、かとゆいはもうこれ以上がんばれないくらいにがんばっているのだから…。
堂々としたかっこいいシンガーじゃなくてもいいのかもしれない。
 かとゆいの好きなAdoさんだって、僕の好きな氷室京介さんだって、年中無休で堂々としているわけじゃない。悩み苦しんで弱っている時がきっとある。ただ、それが表に出てこないだけのことだ。
 かとゆいはよく泣くし、そしてまた元気なる。その繰り返しは、さながら毎日台風一過だ。「Like A Hurricane」である。見ているこっちも心配と安堵が交互にやってくるハラハラドキドキの繰り返しだ。正直言って「心臓に悪い!」なんて感じることもある。でもそうやって溜め込まずに定期的に泣いてストレス発散する。そのほうが鬱屈せずに済み、健康的で良いことだ。そしてなによりそこが、かとゆいの可愛いところだったりもする。
 かとゆいよ、悩み苦しんでいるだろうけれども、それでも続けているってことは、その悩みつつも楽しんでいる強い自分が実はいるってことだよ。そんな強い自分に自分自身が気が付いてあげて、そして自分をちゃんと褒めてあげてください。
明日起きたらまた悲観的な私になっているかもしれないけど、付き合ってあげたい。 どうせこれしか選びたくないから、最終的には大丈夫。結論はひとつだけ!
 この言葉で締めくくられているから、ちゃんと気が付いていたみたいだね。どうやら僕は勝手に余計な心配をしていただけなのかもしれない。
応援してるよ、かとゆい!
 この記事を読んで「かとゆい こと 加藤結さんを応援したい」と少しでも感じてくださった方は、下記の各リンクへと足を運んでいただけたら幸いです。
【加藤結さんの詳細情報】
[lit.link][Twitter][Instagram][TikTok][YouTube][路上ライブ][ソロライブ]
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dasaapple · 9 months
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加藤結さんの推し活はじめました
年齢的に少し早めだけど「そろそろ自分の人生の終活を始めなきゃいけないな〜」なんて数年前から漠然と考えていた。
だけど気が付いたら、終活じゃなくて推し活はじめてた。
誰の推し活かというと「なきむし見習いシンガー」のかとゆい こと 加藤結さん。
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↑2023年7月31日(月)上野駅周辺にて。仕事帰りに途中下車して初めて訪れた路上ライブ。
 山手線や東北本線の高架橋からは金切り声のようなレールの軋む音が鳴り響き、車が行き交う都道452号線からはサイレンやクラクションの音がけたたましく鳴り、歩道には家路を急ぐ人々の足音が響く…。
 そんな都会の喧騒に歌声を掻き消されそうになるのを必死に抗うかのように、かとゆいはとても力強く歌っていた。そのひたむきに歌う姿に胸が熱くなった。
↑かとゆいが歌う『ヒカリヘ』は、蒸し暑い夏の夕暮れ時に都会の喧騒を浄化してくれるような清涼感がある。
 かとゆいはnoteでもご本人が書いていますが、以前はアイドルグループに所属していた。身バレするからあまり詳しいことは書けないんだけど、僕はそのアイドルグループに関わる仕事を以前にしていた。奇しくも、かとゆいがそのグループを卒業するタイミングで、僕も職場でそのアイドルグループに関わる仕事の担当から離れる立場となった。
 かとゆいを最初に知ったキッカケは仕事だったんだけれども、当時から「なんだか惹かれる存在だな〜」という印象はあった。ただ、仕事キッカケということもあり、僕がそのアイドルグループの仕事の担当から離れたタイミングで、かとゆいのこともそのグループのことも情報収集をしなくなり、そ���まま2年ほどの歳月が流れた。
 話は変わるが、僕は今年の4月から20年以上も携わってきたグラフィックデザイナー職とはまったく違う、未経験の畑違いなセクションへと異動となった。異動と表現すればまだ聞こえはいいが、ようは左遷に近い扱いだろう…。そして、自分にとっては未経験の業界の仕事を1からスタートしたため、仕事がうまくいかない日々が続いた。
 そんな冴えない日々が続いていたある日、かとゆいの最近の活動をSNSで知る。「あのかとゆいがソロ活動で路上ライブなんてやっているんだ。一度くらいは本人に直接会いに行ってみようかな? しかも通勤定期券の区間内だから交通費も実質タダだし」なんてセコくて軽いノリで路上ライブへ行ってみた。
 路上ライブに初めて行き、かとゆい本人に初めて会い、本人からチラシを直接手渡され、そして、かとゆいが歌う生歌を聴いた。「なんでもっと早く会いに行かなかったんだろう…」と悔やむレベルで感動した。そしてその瞬間から、僕の人生初の推し活が始まる。偏見のあった推し活をまさか自分が始めるとは思わなかった…。
 知らなかった世界を知れて、世界がさらに少しだけ広がった気がする。そして、冴えなかった日々に瑞々しい心地よいものが注ぎ込まれたような感覚を覚える。そんな日々の生活に変化の源泉を僕に与えてくれた、かとゆいには改めて感謝したい。
 この記事を読んで「かとゆい こと 加藤結さんを応援したい」と少しでも感じてくださった方は、下記の各リンクへと足を運んでいただけたら幸いです。
【加藤結さんの詳細情報】
[lit.link][Twitter][Instagram][TikTok][YouTube][路上ライブ][ソロライブ]
【2023/10/16 追記】
 私事ですが、2023年10月16日付けをもって、左遷先のセクションから本社勤務へと無事に返り咲きました。
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dasaapple · 3 years
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テレビドラマ『青い鳥』が好きだ
「一番好きなテレビドラマは何?」って質問されたら、迷わず速攻で「トヨエツの『青い鳥』!」って答えると思う。それくらいにテレビドラマ『青い鳥』が好きだ。1997年10月〜12月に放送されていたテレビドラマだから、約四半世紀も前の作品となる。
https://twitter.com/DasaApple/status/1066226562993770501?s=20
↑ちなみに好きすぎて2年半ほど前に聖地巡礼を果たしたくらいだ。
いつか『青い鳥』についての雑感を書きたいとずっと思っていたんだけど、どんな形式で記事にしようかと考え続けていた。結果、独断と偏見で個人的に“印象深かったシーン6選”でまとめてみた。ちなみにその6選に順位をつけると味気ない気がしたので、順番は順位ではなく、単純にストーリーの時系列順にした。(※以下ネタバレ?含みます)
逃避行のシーン[第4話『逃避行』]
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ド定番かと思われるが、やはりこのシーンが人気のシーンじゃないだろうか。かほりと誌織が引き離されてしまうという現実を目の当たりにしつつも、理森も自分自身の今後の将来についての保身が刹那に脳裏をよぎったはず…。それでも咄嗟に行動をしてしまえる強さにシビれつつ、目頭が熱くなるシーンだ。
仮出所シーン[第8話『再会』]
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高倉健主演の映画(『幸福の黄色いハンカチ』とか?)によくありそうな仮出所の場面。白と黒だけのシルエットで仮出所のシーンを表現するセンスになぜだか魅了されてしまう。シンプルな表現手法だけに刑務所の扉が閉まり真っ暗になると、作中における刑期の時間の流れと刑務所の隔絶さに、この作品の骨太さみたいなものを感じさえする。
思い出の品々などを燃やすシーン[第8話『再会』]
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理森自身が、仮出所で保護司の待つ下関での新しい生活を送ることへの決意の表れなのか、清澄にはもう二度と戻らないという覚悟の表れなのか、亡き父が残してくれた家の売却手続きを済ませて、思い出の品々などを燃やすシーン。このシーンを見ると「僕自身も老後の終活時には同じような身辺整理をすることになるんだろうな…」といった“人は誰もがやがて必ず死ぬ”という現実を再認識できて、諸行無常っぽさを感じる。
美紀子の東奔西走[第10話『運命の愛』]
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理森を説得して連れ戻すべく、美紀子が長野県→山口県→長野県→鹿児島県と東奔西走しまくる一連のシーン。理森と誌織が列車を乗り継ぐ懐古的な移動方法に対して、美紀子は飛行機やレンタカーといった現代的な移動方法で何度も先回りをする。その高速移動による利便性が“良い意味”で、情緒もへったくれもない無粋さを醸し出していて、逆にそれがなぜだか好きだ。また、美紀子が食堂の制服姿から一変して、よそ行きのコート姿やアクティブなパンツルック姿などの“美紀子七変化”の可愛らしさが見どころとなる。永作博美ファンなら必見!(笑)
ラストシーン[第11話『永遠の愛』]
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6年と4年の2度に渡る10年間の刑期を終え、頭髪には白髪が少し混じり始めた理森。その姿に作中での歳月の長さと刑務の苦労が滲み出ている…。厳しい冬の寒さの訪れが間近に迫った晩秋の清澄に、刑期を終えた理森が降り立つ。幸せな結婚生活を送っている美紀子を見かけ、父の墓前では母と再会する。そして…、感動のラストシーン…。
エンドロール[第11話『永遠の愛』]
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ラストシーンを経て、物語のプレイバックシーンとともにエンドロールが流れる。そのエンドロールの最後の最後のシーン。本編にはなかったであろうと思われる“清澄駅で理森が改札鋏で切符を切り、改札鋏をクルクルと回す”シーン。かほりや誌織と一緒のシーンではなく、寂寥と孤高を感じさせる駅員姿での理森ただ一人だけのシーン。このシーンに映像美を覚える。僕はこのシーンを見ていると「かほりや誌織と出会うことのなかった(もしかしたら、美紀子と結婚していた?)平穏で淡々と清澄で駅員として働きながら生活をしていたかもしれないパラレルワールドの理森だったのではないか…」などといった僕独自の解釈をしていたりもする。
約四半世紀前のテレビドラマだが、色褪せることない名作『青い鳥』。よかったら、『Amazon』や『Paravi』などで是非とも鑑賞してみてほしい。
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dasaapple · 3 years
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數坂隧道
2年ほど前にYouTubeで『數坂隧道』の存在を知ってしまってから「いつか訪れたい…」とずっと思い続けていた。昨年にコロナ禍突入となり、決行するかどうかをずっと逡巡していたんだけど、先日レンタカーを借りて単独での廃道探索を遂に決行してきた。ちなみにその『數坂隧道』に魅了されてしまったYouTubeの動画はコチラ↓
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ネットで『數坂隧道』とググれば、他にも似たような画像はいくらでも出てくるんだけど、せっかく撮影をしてきたので、画像も載せておきたい。
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↑この造形美と存在感に胸が熱くなった。辿り着くまでに苦労もしたので達成感◎。
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↑“数”の旧字の“數”表記による『數坂隧道(かっさかずいどう)』と刻まれた扁額。
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↑左の扁額は約100年間も雨風にさらされ続けて、『明治二十七年』が読みにくい。
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↑西側の坑門から峠をよじ登り尾根を越えた東側の様子。整えられた切石が散乱。
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↑地面に放置された扁額を見つけるのには少し苦労した。位置は端っこにある感じ。
僕が実際に訪れて感じたことなんだけど、上記の動画やネットで見つかる他のサイトなどからの印象と比べると、現地は急勾配かつ足場が非常に悪い感じがした。それなりに危険な場所だという認識を持ち、甘く見ないほうがいいかもと思った。今回体感したことを基にして、ヒヤリハットや注意点を箇条書きにしておく。
普段着で行った僕が悪いんだけど、尾根に登頂する直前に滑落しかけて超焦った。
登山用手袋がなくても軍手は必携。滑落しかけた時に軍手のおかげで命拾いした。
杉林ということもあり、日が当たらず、杉の落ち葉が大量で常に足場が悪い感じ。
熊に遭遇する可能性もあるとのこと。熊鈴を鳴らし続けながら、用心して登った。
ヤマカガシ(毒蛇)が足もと近くを通過した。蛇が苦手な人は注意と覚悟が必要。
他のサイトでも同じようなことが書かれているんだけど、予測よりも右側へと逸れたルートから登ってしまいがちになる。本来なら目的地よりも左側が正しいルートだと思われるんだけど、僕は右側の急斜面なルートから辿り着いたので超疲れた。
兎にも角にも、GPS機器は絶対に活用したほうがいい。僕はiPhoneのGPS機能でこまめに確認しながら登っていたので、大幅な遠回りをせずに済んだのは本当に良かった。なので『GPS搭載機器』『熊鈴』『軍手』の3点は必携アイテム。下記に位置情報のリンクと画像も掲載しておく。
[出発地点]北緯36.662587度 東経139.168245度
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[數坂隧道]北緯36.663447度 東経139.170975度
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このような群馬の山奥にまで同行してくれる友人が東京には1人もいないので、リスクが高くなることは覚悟の上での単独での廃道探索となった。大袈裟だと思われるかもだけど、少なからず命の危険も感じた。カピバラオートサービスの代表さんも「廃道探索は保険の効かない自己責任」と仰っている。
しかし、歴史の教科書に残らないような儚い歴史を持ち、やがて人々からも完全に忘れ去られて、時間と自然の流れとともに土砂に埋もれ崩れて存在すらも完全に消し去るであろう行く末に侘び寂びを感じずにはいられない。群馬県沼田市にある『數坂隧道』は、是非ともオススメしたいレアなスポットである。
(※当サイト上から入手された情報により発生してしまった全ての損害に関して一切の責任を負えません)
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dasaapple · 3 years
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かつて天才だと勘違いしていた俺へ
前回同様これまた先日ラジオを聴いていたら、衝撃的な楽曲に出会った。百聞は一聴に如かず。まずはこの楽曲を聴いて欲しい↓
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この楽曲の『I wanna be』を『まだ見ぬ』で韻を踏んでいる歌詞が秀逸すぎて痺れました…。
さて今回は、この前に書いた日記とは真逆に近いような日記を書いてみる。
前回の日記では「ここ最近では、落ち着いて心穏やかな日々を送っている」って書いた。確かに、心穏やかで感情的にならないってのは最良ではあるんだけど、一方で悔しい思いをしたとか、ムカついたなどの嫌な気持ちは、一定量で必要悪だとも思う。
思えば今まで、僕が経験してきた(成長してきた)ことって、その原動力というのか、源泉というのか、糧になったものって、そういった嫌な気持ちや負の感情をバネにしてきたような気がする。だから今はこうやって、今の自分がこの場所にいるんだと思う。
就職氷河期世代なんて呼ばれる世代に生まれた僕だけど、不遇や劣等感を抱えていつつも、なんとか今まで粘ってこれた僕自身を僕自身が褒めてやりたい気持ちになる時もある。ただし、時代は変わり、泥臭い生き方があまりにも要領が悪い生き方だってこともよく理解している。
ようはバランスの問題。心穏やかになりすぎて平和ボケせずに、かと言って、逆境をバネにしすぎて意固地な生き方にならないように心がけたいものである。
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dasaapple · 3 years
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コロナ禍でホッとしていた自分がいた……
先日ラジオを聴いていたら、なかなか衝撃的な楽曲に出会った。百聞は一聴に如かず。まずは10分ほどのこの楽曲を聴いて欲しい↓
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昨年の4〜5月の緊急事態宣言発令中、在宅勤務や外出自粛をしていた時に、僕は安らぎみたいな気持ちをなぜだか感じていた。でもそれは、マイノリティのような感覚な気がしていて、そんな気持ちを周囲にはあまり話せずにいた。
そして、その頃から約1年近くの時間が、そろそろ経とうとしている。GoToがあったかと思えば、今は緊急事態宣言が再発令中。世の中は二転三転を繰り返しながら、相変わらず混迷の日々を続けている。
自分のことを少し記しておくと、昨年夏頃に約5年間も住んでいたシェアハウスを離れて、都心へと通勤できる距離にある都外へと転居をした。最上階かつ一番奥の角部屋という好条件の賃貸物件なので、静かで落ち着ける環境を手に入れて、心穏やかな日々を送っている。
転居後のバタバタが落ち着いてきた秋頃にはGoToを使って、行きたかった場所がいくつかある群馬県や静岡県を観光してきた。コロナ禍を経て改めて感じるのは、好きなことや行きたい場所へ行くことは、生きているうちに早めにやっておいたほうがいいってこと。人間はいつ死ぬか分からないですからね…。
コロナ禍以前よりもコロナ禍以降のほうが、落ち着いて心穏やかな自分自身がいる。平和な世の中で平穏無事であることに感謝を忘れて無意識のうちに不平不満や退屈を募らせて鬱屈するよりも、適度な危機が差し迫った程良い緊張感のある世の中のほうが、平穏無事であることだけでも感謝だと思える心地良さがある。
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dasaapple · 4 years
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部屋で在宅勤務の僕
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昔『部屋とYシャツと私』って曲があったけれど、今回の日記のタイトルは、それをうまくパロった感が出せなかった…。弊社もご多分に漏れず、先月の4月13日(月)から在宅勤務が導入された。言い方って、在宅勤務?、在宅ワーク?、テレワーク?、リモートワーク?、どれが一番スタンダードな言い方なの? 誰か教えて…(>_<)
世間では在宅勤務になったことで、鬱っぽくなる人もいるみたいだけれども、僕にとっては、この在宅勤務って働き方が自分にはかなり向いている気がする。そもそも、直近のこの1年間は会社で働くことに対して心底嫌気が差し始めていた頃だった…。そんな矢先に、少し不謹慎な言い方かもしれないけれども、この在宅勤務という働き方が半ば強制的に導入されたことについては、願ってもない働き方改革の到来っぽさがある。
誤解はされたくないのは、僕は今の会社で携わっている仕事の内容には不満がない。むしろ気が付けば、興味のなかったコンテンツに対して、仕事を通じて個人的にもかなり興味を持ち始めて、そのおかげで仕事自体がさらに好きになるという相乗効果もあった。
余談なんだけど、僕は前職でパチンコ業界に携わる仕事をしていた。仕事をすればするほどにパチンコのことが嫌いになっていく一方だったので、今の会社での仕事には、真逆の効果効能っぽさがある。
僕は今の仕事自体は好きだけれども、会社全体の雰囲気や社風に対して心底嫌気が差し始めていたので、在宅勤務になったことで、仕事に集中できるようになったし、仕事自体がさらに好きになった気もする。実際に、休日やこのGW中にも自主的に仕事をするようにもなった。(※これは裏を返せば、オン・オフの切り替えがヘタだとも言えるけれど…)
時間に対しての意識の変化も生まれた気がする。毎日、通勤電車に乗っての自宅⇄会社の往復時間がまるまる無くなったことは言うまでもない。毎朝、長い時だと30分以上もかかる朝礼の時間が無くなったことも、かなり大きい。これだけでも1日で約2時間の自分時間が増えた。これは具体的なことが書けないけれども、働く環境についても快適な環境へと変化をしていった。職場でのノイズが一切無くなったことは、僕にとっては非常に有益なことだと思う。
GoogleのCEOが「世界は戻らない」と唱えたそうな…。この言葉をどう捉えるかは、置かれている立場や環境よって、個々で大きく違ってくると思う。今現在の状況下で苦しんでいる人たちがたくさんいるから言葉を選ばないといけないけれど、世界が激変する起点が始まっちゃったことは、揺るがない事実だと僕は思う。
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dasaapple · 5 years
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iPhone 7 買った
1ヶ月ほど前にiPhoneを買い替えた。というか、“生まれて初めて”のiPhoneの買い替えだった(笑) 初めて買ったiPhoneがiPhone 4で、2011年4月に購入した。そこから8年間も使い続けて、ついに2019年6月にiPhone 7へと買い替えた。3年前にもこのような⇒日記を書いていて「直近の3年間は特によく粘ったものだ」と、我ながら感心するのやら、呆れるやら…、だ(苦笑)
現代社会において、スマホを、しかもスマホ黎明期の機種であるiPhone 4を8年間も使い続けるなんて「変態の所業だな…」との自覚はある。買い替えた理由は、2年縛りの更新時期だったというのもあるが、アップデートできないDropboxが完全に起動しなくなったのが最大の理由だった。逆に言えば、Dropboxが使い続けられたならば、今回の更新時期すらも見送って、iPhone 4を10年間も使い続けていたかもしれないから、自分でも自分の貧乏性体質が実に恐ろしい…。
直近の3年間は、iPhoneがiPhoneとして、まともに機能していないiPhone 4だった。標準の地図アプリはまとも表示されなくなったから、出先では駅の地図看板を見たり、交番で道を訪ねたりと、原始的なことをやっていた。どんな方向音痴でもスマホの地図を使えば解決する時代に、あえて交番で道を訪ねたりしていたから、かなり不審がられた…。
他にも、LINEが2回に1回はまとも起動せずに強制終了されてしまうから、急ぎの連絡なんかがくると焦りまくりだったし、Twitterなんかは他人のプロフィールページはおろか、自分のプロフィールページすらも開くことができない状態になり、タイムラインを眺めるだけのシンプルなアプリ状態だった。
しかし、客観的にみると良かったと思えることがある。それは代用や工夫をするという知恵がついたことだ。「あぁ、このアプリが使えなくなったな…、まいったなぁ〜…」となっても、次の思考は「そうか! 他のこのアプリで代用できるな。もしくはSafariでアクセスしよう」といった感じだった。地図アプリの件だって、アナログな方法で地理を把握することが、方向音痴の克服に少なからず作用していたかもしれない。
すでにiPhone XSやiPhone Xがリリースされているこの時代に、3年前の機種であるiPhone 7を新規購入ってのも、一般的な人から見たら「古ッ!」って思われるかもしれない。いやいや、充分に使えますよ、iPhone 7。なによりも、新製品にまったくと言っていいほど興味がないんですよ…、わたくし(笑)
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dasaapple · 6 years
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チェリー
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スピッツの『チェリー』という曲が、昔から好きだ。オリジナルの発売日が1996年4月10日だから、かれこれ22年前の曲になる。全然色褪せることのない曲だと思う。
今日は、20年前の春に別れた元カノの誕生日だ。そんな日に土曜出勤して、会社に1人で働いている(笑) 仕事をしている時にふと、その元カノのことを思い出してしまった。
その元カノとは、ほぼ2年間付き合っていたから、付き合い始めた時期は1996年の春。まさに、スピッツの『チェリー』がヒットしていた頃だ…。当時はその元カノと「切ないけれど、素敵な曲だね」とか言い合いながら、カラオケで元カノか��リクエストされて、ヘタクソながらもよく歌っていた曲だ。
まさに『二度と戻れない くすぐり合って転げた日』のようだった…。
楽しかった、無邪気だった、若かったから「人生が永遠なんじゃないか」と錯覚すら覚えていたようにも思える…。その頃から現在に至るまで、まさか20年以上がこんなにもあっという間に、光速のように過ぎ去るとは思わなかった。
まさに『君を忘れない 曲がりくねった道を行く』だ…。
……。感傷にひたるのはここまでにして、さぁ、仕事に戻ろう!! 北斗の拳の最後のシーンで『おれの墓標に名はいらぬ!! 死すならば戦いの荒野で!!』という名言がある。今まさに、そんな気分だ!(笑)
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dasaapple · 6 years
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君子関西人に近寄らず
3〜4ヶ月程前から、職場に関西出身の人が入ってきた。年齢的にも経歴的にも、かなり重要なポジションにいる人だと思う。ただし、自己主張がメチャメチャ強くて、他人を躊躇なく悪く言うし、声が大きくて、品の無さ過ぎる関西弁口調がより周囲に不快感を与える。 思えば、前職でも2人の関西出身の人と接してきて、2人ともいらんことをペラペラ喋るわ、自己主張が強いわで、苦労した覚えがある。もちろん、気品ある紳士的な関西出身の人達が多く存在していることもよく知っています。なので、誤解して欲しくないのは、関西人全員を差別しているのではないです。ただし、確立・統計の視点からだと、関西人は厄介者が多いことは確かです。 立場上、注意や指摘をすることがあるんだけど、大概、素直に返事をすることは少なくて、ああだこうだと話し始めて端的に済むはずの会話が無駄に長時間となる。この人の場合は発達障害の疑いもあるのかもしれない。下手をすると、藪蛇的な流れで、自分までもが、騒がしい厄介者の同類扱いをされかねない。 まさに『君子危うきに近寄らず』なのである。そして、僕自身も自己主張が少なからず強いし、他人のことを悪く言ってしまう癖もある。よって『人の振り見て我が振り直せ』といった良薬口に苦しの精神を忘れないようにしたい。さらにその精神の精度を高めて『実るほど頭を垂れる稲穂かな』といった姿勢を意識していきたいものである。 関西人。反面教師的な視点からだと、学ぶべき点が非常に多い存在だと思う。自分は品性下劣な存在にならないように、今一度よく考えて、品性を意識して、自分の立ち振る舞いには常に気を配りたいものである。
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dasaapple · 6 years
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立ち食い屋
家の最寄りの駅前の商店街に、立ち食い屋がある。うどん、そば、ラーメンと麺類は一通り扱っているお店だ。月見うどん大盛が310円で、かなり美味いから、ほぼ毎回注文する。日曜日が定休日で、平日は営業時間内に行けないから、土曜日のお出かけ前の正午の少し前に通うのが、ここ最近のお決まりのパターンだ。 美味しいうえに、こじんまりとした温かみのある、ボロっちい店内がまた趣きがあって良い。ただ、難点は、美味しいから人気があって、狭い店内がすぐに鮨詰め状態になるのだ。 僕はパーソナルスペースとやらが、人一倍広範囲に及ぶので、隣でガサツな物音を立てて食事する人とか、近所の中高生の野球部がたむろしてたりとか、子供2〜3人連れの父親とかが来店してくると、了見が狭いのは重々承知なのだが、イラっとしてしまう…。 癒しの効果とストレスが溜まる効果が混在する立ち食い屋は、実に不思議な空間だと思う。
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dasaapple · 7 years
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少子化が捗る
数ヶ月前に、長い療養期間を経て、復帰した好きな声優さんがいる。その声優さんの療養期間中に、ネットでは様々な憶測が飛び交い、妊娠・出産説まで出たりしていた。結果として、復帰した際、メディアに露出した時には、闘病後の激痩せしたその姿を見せて、本当に病気だった事が周知された。その際のネットの反応が、、妊娠・出産じゃなかった事への安堵の声や、声優さん自体も「誰がママじゃ!」とネタして話していたりした。 他にも芸能人や政治家のゴシップで、できちゃった婚や不倫などで、世間は他人の色恋沙汰に対して、騒いだり、一喜一憂したりもする。まぁ、少しは気持ちが分からなくもないが、みんな、もう少し色恋沙汰に寛容や鈍感になっても良いような気がする。 少子化問題とか危機感と捉えているわりには、ちょっとでも不倫があったりしたら、とんでもなく悪いことをしたような反応をする。そもそも人間だって、普通に動物なわけだから、不倫する方が自然の摂理であって、結婚という制度そのものが不自然な決まり事のような気がしてしまう。誤解を恐れず言わせてもらうなら、婚外子のような人達がもっとたくさん存在していて、堂々とできる社会である方が良い気がする。 まぁ、少子化問題も日本に限った話であって、地球規模で考えたら、人類は減らないと地球がもたない気がするから、このまま少子化が進む方が、地球的にも、人類的にも良いような気がする。
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dasaapple · 7 years
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メールアドレス
メールアドレスを今現在5個持っている。
・Yahoo!メール ・キャリアメール(iPhone専用) ・キャリアメール(SoftBank) ・Gmail ・会社のメール
LINEやSkypeが普及しているこの時代に、メールアドレスを5個も持っていると邪魔臭く感じる。Yahoo!メールは約15年間使っているし、各アカウント登録時に重宝しているので必要。GmailもGoogleの各種サービスと連携していたり、プライベートの人間関係では必要。会社のメールはもちろん仕事で必要。要らないのは、キャリアメールの2つ。
キャリアメールはかなり断捨離したいが、基本的に完全解除設定は出来なさそう。僕が格安SIMに変えたい理由って、お金を節約したいからではなく、キャリアメールを断捨離したいってだけのシンプルな理由だ。
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dasaapple · 7 years
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デジタルデータ断捨離
年末も押し迫る中、大掃除に勤しんでいる人も多いと思う。今年の僕は、部屋の大掃除よりも、要らないデジタルデータの断捨離にハマっている。 今年の1月にMacBookAirを購入したものの、4月には、そのMacBookAirが壊れた。図らずもそのままプライベートのMacを断捨離することとなった。そのまま半年以上が経ち、「iPhone4だけで充分に生活できるじゃん」という結論に至った。弊害といったら、デジタルライフに遠ざかる生活となり、このブログをあまり更新しなくなったこと(苦笑) と、ネットで視ていたアニメもほとんど観なくなってしまったことだろうか。 ただ、MacBookAirを断捨離してから、ずっと気になっていたことがあった。それは、TimeMachineにまるまる残っていたバックアップデータの存在だ。MacBook Airが無くなっても、アクセスできないままのデータが、物理的に手元に残っていることが何となく重荷に感じていた。そして、この師走に会社のMacに接続して中身を確認して、ほとんどのデータを削除しまくった。 アニメやエロなどの動画データは、また視たくなったら、ネットで探せば良いし、デザイン(仕事関係)のデータは、会社のMacのみに残すことにした。最近よく思うのが、「デザインの仕事に携わるのは、今の会社で最後にしたいな」と感じており、“今の会社をいつか辞める時=デザイナーを廃業する時=デザインのデジタルデータは全て削除する時”みたいな気持ちがあるから、プライベートでデザインのデータを所持することをやめてみた。まぁ、実際には本当にデザイナーを廃業するってことはないんだろうし、半隠居しながら細々とデザイナー業を続けていくと思う。 話が逸れた。とにかく容量の大きい動画データとデザインデータを全て手放した結果、僕の手元に残ったデジタルデータの容量は、数GBとなった。僕は、Dropboxの無料版で5GBの容量があるので、今度はDropboxの中身を徹底的に断捨離しまくって、そこに本当に必要なデータを全てアップした。これで事実上、僕の持っているデータは、いつでもどこでも、iPhone4からアクセスできることとなった。おかげで身軽感と爽快感をかなり感じている。クラウドの恩恵に、感謝しまくっている。
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dasaapple · 7 years
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情報化社会
情報化社会と言われ始めて久しい。確かに、より多くの有益な情報を得ている方が優れていると思う。ただ最近よく思うのが、情報ばっかり持っていても、それを活用できない人が多いと思う。活用できないというよりも、手に職を持っていない人が多いと思う。早い話が頭デッカチだ。サッカーをやたら詳しく解説する割りに、本人はサッカーが全くできないみたいな。オートメーション化する未来が待っているのなら、人間の技術なんて不必要な時代になるのだろうけれど、料理が作れたり、裁縫ができたり、車の運転が上手な人はやっぱりカッコ良いと思う。
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dasaapple · 7 years
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求めなくなると寄ってくる
ここ最近、立て続けに、女性とLINEの交換をすることが多い。しかも、僕の方から「LINEを教えてよ」ってパターンではなく、全て「ダサアップル(仮名)さん、LINE交換しませんか?」というパターンだ。蛇足だが、可愛い子だったり、美人だったりする。 これは別にモテる自慢をしているわけではない。実際に補足するなら、エリートの彼氏がいる人や、人妻だったりもするし。だから、別に恋愛対象として相手にされているわけでも決してない。ただ一方で、昼食を一緒にしたり、一緒に飲みに行くことになったりもしている。 僕は30代までは、恋愛至上主義っぽいところがあって、それが悪い方向へ作用してガツガツした姿勢だったと思う。ゆえに本当にモテなかったし、女性と会話しても話が長く続かないし、結婚にも辿り着けなかったし、女性から避けられてしまう存在だったと思う。40歳になって最近感じるのは、結婚を完全に諦めたこともあり、恋愛に対して極端に興味が無くなった。また悲しい性なのか、加齢の影響からか、女性に対してガツガツすることが減ってきた(別にホモになったわけではない笑) すると、あら不思議。自分から求めなくなると、女性と接する機会が増えてくるのである。さらに補足するなら、彼氏や旦那のいる綺麗な人ってパターンが多い。だから、決して恋愛対象として接してきているわけではないのだ。もし万が一、恋愛対象としてなら、かえって都合が良い気もする。なぜなら、それは俗に言う“割り切った関係”だからだ。 男40歳ともなると、清い恋愛からの結婚とか、夢見る少女のような考え方は、かえって不健全な気がする。むしろ、人から羨ましがられるような美人にとっての遊び相手(2番手とか3番手)的な弄ばれている存在でいる方が、得した気分だし、心穏やかに気楽に過ごせると思う。要するに、40歳になってからは、刹那的な恋愛に憧れるようになったって話。
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