2016年、東京からドルトムントへ。ドイツ人の夫・クリスティアン&2017年生まれの息子と暮らす、フリージャーナリストの日記。
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ヴィンテージの五角裁縫箱

小学校の時の裁縫セットが、いまだ現役で手元にある、という人がどのくらいいるでしょうか? プラスチック製で、コンパクト。わたしの場合は、ピンクのスヌーピー柄でした。裁縫の素材や編み棒は入り切らないような小ささだったものの、他へ移し替えることなど思いつきもせず使い続けていました――ある時、義実家の片付け中にヴィンテージの大きな裁縫箱が目に入るまでは。

正に、「形態は機能に従う」(ルイス・サリヴァン、1856–1924)の美。側面の五角形は美しいだけでなく、垂直の壁では作ることが出来ないスペースを生んでいま��。そのおかげで、大ぶりの布地を除けば裁縫用具が全部入ってしまう快適さ。
また、仕切り付きの小物入れが、下に空間を残したまま入れ子構造でピタッと収まります。フラップ式の蓋を開けると直ぐに、小物入れの針やはさみにアクセス出来て、めちゃくちゃ便利です。そして、作業中は小物入れを外に出してそばに置けるので、大きな裁縫箱であるデメリットは感じません。


義実家のヴィンテージ裁縫箱といえばまだまだあって、段構えの2種類を最近整理したところです。これまた良いんです。細々したものが多い裁縫用具の収納にぴったり! 五角の裁縫箱に先に出逢ってなかったら、飛びついていたかもしれません。近々、フリーマーケットで売ることになっています。

整理をした… ということは中身もです。とうに50年は昔の物だと思うのですが、まだ巻きが沢山残っている綿と麻の糸は、ありがたく譲り受けました。星型(花型?)の巻き糸、初めて見ましたが素敵ですね。さらに、繕い方法としてわたしがはまっているダーニング向きの糸も沢山。嬉しくて、早速息子の靴下繕いに使ってみました。


戦前・戦後の人々の持ち物に触れる時、いつも感じることがあります。それは、物を大切にしていたんだなということ。時には過剰にカバーを掛けて守ったり、紐やボタンなどこれでもかと集めたり――と困った面もありますが…。わたしは、物そのものが持つ美しさを損なうことなく使い、家の中が混迷に陥らない程度にリサイクル・リユース・アップサイクルに努めていきます。先人にも納得してもらえると良いのですが。
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コンポートから作るルバーブタルト

ルバーブのスイーツ第二弾! 庭で収穫したルバーブでケーキを焼いたばかり… という時に、義父の庭からもルバーブを沢山をもらいました。すぐに食べる予定がなかったので、とりあえずコンポートにして瓶詰めし、冷蔵保存していました。そのコンポートをふんだんに使ったタルトです。
タルトがすごく好きなくせに、全然作ってこなかったわけですよ。息子の妊娠中に堪能した、銀座「キルフェボン」のタルトをまだ思い出しては舌なめずり。2025年5月のドルトムントで大量のコンポートを前に、「今がその時」と何かがささやきかけてきました。
この期に及んで、市販のタルト台で済ませられないかと探したんですけどね、ショートカットは成らず。でも、バタークッキーが家にありましたん。袋に入れて砕き、アーモンド粉と砂糖、塩ひとつまみに溶かしバターを加えてよく混ぜ、小麦粉を足しつつ程よい生地になるまで揉む。油をひいた型に、スプーンの背で生地を広げ、180℃のオーブンで8分焼きました。
コンポートはそのままではゆる過ぎるので、バニラプリンの素を鍋に準備し、そこへ加えて軽く煮立てる。少し冷ましたら、生地の上に広げて冷蔵庫へ。

よく冷えたら、生クリームに砂糖を加えてハンドミキサーで立てて、ふんわりと上に広げました。サーブする時に、ラベンダーを散らしましたが、レモンの皮を刻んでかけるのも良いかもしれません。
ルバーブタルトは、食べた人皆から大人気でした。いぇい! ラズベリーとブラックベリー、更にリンゴの収穫期が来たら、ルバーブに代えてまた作ることにしましょう。そして次は、小麦粉から生地を作れるかな――と考えたけれど、バタークッキーから作るとオーブン時間がほぼ無しで暑くないし省エネ、さらに時短、材料費が安価。ううむ、いつまでもバタークッキー生地になりそうな予感。
◇
ところで、タルト型がそうじゃなかった問題。製菓道具をまとめて仕入れた時に揃えておいたドイツの製菓用具ブランド「Kaiser」(WMFグループ)の型は、実は「フルーツケーキ台型」だったのです。生地を敷きつめている時に不思議だったんですよ、端の溝(左下の写真参照)。そうだと知ってもすぐにはそのケーキがどんなものなのか想像できなかったのですが、同ブランドウェブサイトのトップページを訪れ理解しました。あ、上下ひっくり返して使うのね!(右下の画像参照)

今回、ケーキ型をインターネットで再確認していて気が付いた問題に、 “側面が波型のケーキ型”をビジュアル優位で買った昔のわたしは気付けませんでした。今なら一瞬で目に飛び込んでくるドイツ語の製品説明も、当時は苦戦していたということなんでしょう。新しい学びと、10年で馴染んだドイツ語。しみじみ嬉しい。
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物には戻る場所がある

空っぽの壁が多すぎると落ち着かないけれど、床や机が物で埋まっているのは許せない。物には戻る場所がある――というのは、わたしの部屋づくりの定義。戻る場所がないのでは、ただ散らかっているということです。
息子の部屋も同様に、本やおもちゃ全てに戻る場所があります。戻る場所がない時は、所有する物を見直す時。棚の新設など所有できる物���容量を増やすことを含め、収納方法を見直すこともあります。息子の部屋で最新の収納場所は、オープンシェルフ2つ。ヴィンテージのたんすをアップサイクルした際に不要になった引出しから作りました。

また、息子の部屋の床や机は“特区”。広がりっぱなしのプレイモービルはストーリーがあり、積み重ねられた本はプロジェクト進行中の証です。描きかけの絵と筆記具、作りかけの作品と道具も手を出しません。ただし1週間を過ぎる頃から掃除カウントダウンが始まり、わたしの我慢の限界が来たら泣いても怒っても片付けをしてもらうことになるのです。
ところがきのうは、何かが違いました。夕飯前に「部屋片付けよ」という声が息子の部屋から聞こえたと思ったら、わっせわっせと動く影。途中「机は、描いたり研究したり日本語教室(※)やったり学んだりするところ」と息子が夫・クリスティアンに解説していたとおりに、机上も作業スペースがちゃんと確保されていました。初めて息子が自発的に片付けた部屋では、物が決められた場所へ完璧に戻っていました。
※週に1度プライベートかつオンラインで行なっている、日本語教室のこと。
片付け記念日、万歳!(感涙)

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美・ルバーブ、即ケーキに

2025年シーズン、ルバーブが絶好調! 暑かったからかなぁ、乾いてたのが良かったのかなぁ、それとも有機肥料や囲いのタイミングがよかったのか? すくすくつややかに伸びてとっても美味しそうだったので、持ち帰ってすぐ、ルバーブをより良く味わえるケーキにしました。

前に作ったルバーブケーキよりも超絶簡単でシンプルなレシピ(こちらを参照しました)。材料の分量は最後に記しますが、ルバーブは写真の量で正味およそ300gです。焼き立てよりも、翌日以降がしっとりとして好みでした。
ルバーブを洗ったら、幅1cm程度になるよう切っていきます。わたしはルバーブの色が移ったまな板を洗うのが面倒だったので、シナモンシュガーと混ぜるボウルの上でハサミカット。色鮮やかにしたかったので、レモン汁をちょろっと垂らしました。でも今回は、色の濃いココナッツシュガーしかなく生地が白っぽくならなかったのであまり意味はなかったかも…。

柔らかいバターとココナッツシュガー・砂糖を、ハンドミキサーでふんわりとするまで混ぜます。次に卵をひとつずつ加え、都度混ぜる。そこへ、合わせておいた小麦粉とベーキングパウダーを追加。粉が目立たなくなるまでゴムベラでよく混ぜ、更にルバーブを追加します。切るように混ぜたら、クッキングシートを敷いた耐熱皿へ入れ、平らにならします。今回は大きめのグラタン皿を使いました。天板でも問題ありません。220℃で30分、途中焼き色を見て、焦げないようアルミホイルをかけたり遠火にしたりと調節します。ふんわり焼けました。冷めたら、粉糖をかけ��も◎

〈材料〉グラタン皿ひとつ分の分量
ルバーブ 300g
シナモンシュガー 1袋(10g)
※↑ルバーブと和える用。砂糖でOK、その場合はバニラエッセンス数滴加えても◎
柔らかくしたバター 150g
砂糖 110g
塩 ひとつまみ
卵 3個
小麦粉 210g
ベーキングパウダー 1袋(大さじ1)
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1番咲きのシャクヤクは独り占め

4月末、2025シーズンもシャクヤクの季節となりました。花の大きさや数は、春、特に3月の雨量が記録的に少なかったことが影響していると感じます。小ぶりで、少ない。また、最低気温は依然10℃以下になるとはいえ全般に暑く、遅咲きのシャクヤクが既に咲きそうな勢いです。
それでも膨らんだ1番咲きのシャクヤクは、家で“独り占め”。前にブログにこのテーマが登場した時はそうでもなかったけれど、今では儀式めいています。だって、冬の終わりにまだ裸の木々と弱々しい陽光しかなかった頃からこれまで、わたしたちの庭の多年草や果樹など30種類の花々が徐々に彩りを加え、散歩をする人々の目を既に充分楽しませてきたのですから。“公共の場”とカテゴライズされているシュレーバーガルテン(Schrebergarten)オーナーとしては、なかなか優秀なのではと自画自賛したくなります。中には、半閉鎖的なガーデン空間に仕立て上げたり、手入れを怠って哀れな植物たちが並んていたりする区画もありますからね。
ここ数年は、きょう明日にも開きそうなシャクヤクの蕾を持ち帰り、家でその開花を愛でる喜びを味わっています。シーズンはじめの自分たちの労働を労って。
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旬・ベアラオホ

ドイツ語でベアラオホ(Bärlauch)、その直訳のクマネギ(クマニラ?)、あるいは英語でワイルドガーリックが、旬です。大好き、ベアラオホ! …それなのにわたし、「餃子ニンニク」と間違う母に向けて何度正したか知れない「ギョウジャニンニク」ですらなかったのだと、解ったばかり。どうも見た目が違うなと調べると、共にアリウム(ネギ属)なものの、学名で言えば前者ベアラオホはAllium ursinumで、後者ギョウジャニンニクはAllium victorialis subsp. platyphyllum。別種ですね。2020年にも、「行者ニンニクを植えるんだ!」って張り切っている記述がありますが、ベアラオホのことです。
ともあれ庭のベアラオホは、僅かな球根からすくすくと育ち、旬を楽しめる程度には収穫できるようになりました。今年の春は雨が少なく、想定された収穫量よりは少なめですが、50gほど摘み取りました。引き続きベアラオホのカーペットが拡大していって欲しいので、葉の半量は摘まずに残しています。目標は、ミュンヘンのエングリッシャーガルテン(イギリス庭園)に群生するベアラオホ。以前4月下旬に訪れた時の、つややかに輝く黄緑色の葉と、森にフワリ漂う緑とニンニクの匂いは忘れられません。

摘み取ったベアラオホは、帰宅後優しく洗い、水を切っておきます。そして、その日のうちにペストに仕立てちゃいます。今回は、カシューナッツ、ニンニク、ペコリーノチーズ��合わせ、海塩、コショウで味付け。オリーブオイルはふんだんに使います。ハンドミキサーで材料を撹拌し、滑らかになったら、最後に香りの蓋となるよう再びオリーブオイルを足して冷蔵庫で保管。出来上がった270mlのペストは、次の日の夕飯になりました(ぺろり♪)。



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ロボット、Milus

夜ご飯の時、隣にこいつがいた。名前なのだろう、「Milus(ミルス)」と記されている。ボディーはA4用紙サイズで、日本の国旗のようなカメラがついているのだけれど、カメラ付きの電話をわざわざ手にしているところをみると、ボディーのカメラは記録用か何かのための限定的な機能なんだろうと思う。
計算ができて、印刷ができる。良い写真は、すぐにプリントしてくれるのかな。ああ、もしかして家計簿とか郵便物の処理とか、家庭のバックオフィス的な役割を果たしてくれるのかもしれない。例えば、ドイツの医療は全て予約制の癖に、連絡可能時間に電話がつながらない。そして感じが悪い受付が多い。これをこなしてくれたら、すごく助かるんだけどな。
製作者が「ほかにも、いっぱいできるんだよ!」と意気込んでいたので、しばらく耳を傾けてみた。葉っぱを入れたら歌を歌える、ほかの動物や物に変身できる、かくれんぼが得意――なんと、遊び相手としても優秀なのか!
ミルスはいま、2歳。ロボットなのに歳をとる。そして歳を重ねると出来ることが増える。なんと驚くことには、100歳になると、今度は逆行して0歳に向かうらしい。壊れるまで、その繰り返し。
一緒に遊んだ子供が歳をとり、朽ちて地に返っても、ミルスは地上での営みを繰り返すのだろうか。カメラが���らえる最後の1枚・1秒は、どんな記録になるんだろう。
…なんだかすごく、手塚治虫。
【追記】
翌日、ミルスが仲間を率いていた。ちっちゃなMilusiに、丸っこいMilumis、最後はLusia。物語は、さらに続く予感…

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ドルトムントのアイスホッケー

ドルトムントには、アイスホッケーチーム「Eisadler(アイスアドラー)」がいます。今季最終戦は、昨晩。20:00開戦と子連れにとっては遅かったものの、3部リーグ「Oberliga(オーバーリーガ)」昇格をかけたホーム試合とあらば参らぬわけにはいきません。家族で、観戦してきました。
ホッケーリンク… つまりアイスリンクには何度か来ています。アイススケートをしたり、息子のアイスホッケーのトレーニング(短期間で終了)に来たり。けれど、アイスアドラーの試合観戦は初めてでした。

観客への魅せ方や逆にチームへのエールの送り方には、半屋外の施設であることの利点が活かされ、「炎」「花火」が躊躇なく使われていました。この半屋外のホッケーリンクというのは、アイスホッケー文化としては郷愁を誘うものだそう。子供(およびぜんそく患者)の目の前で喫煙・電子タバコは全く嬉しくないですが、花火が伝統だとすると確かに古き良き半屋外リンクが歓迎されるのも解ります。
とはいえ、老朽化した設備の刷新は、チームも望んでいることでしょう。4部リーグ「Regionalliga(レギオナルリーガ)」となると、選手たちはアマチュア。予算は当然潤沢であるはずがなく、今回の試合も「(大事な収入源となる)チケット完売が目標」とチームは事前に話していました。蓋を開けてみると、満員御礼。リーグ昇格のチャンスに、会場は熱気に包まれていました。

結果は、残念ながら1:4の負け試合。観客はというと、わたしだけでなく全体ににわかファンが多い模様で、どうも応援チャントがまとまっていませんでした。サッカー文化に強力に色付いたドルトムントとあってサッカー由来のチャントも多く飛び出し、正直「精一杯な雰囲気」を感じちゃいました。
夏を終えたら、また新シーズン。この学びを糧に、アイスアドラーもそれを支える我々ドルトムントのファンも、レベルアップしていくと思いますよ!
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音読パスポート

小学校1年も後期となり、息子のクラスではアルファベットや算数だけでなく、音読の宿題が始まりました。A4の紙を折って小冊子の形にした「Lesepass(音読パスポート/パス)」の決まり事は、ふたつ。①10分間何度でも音読してOK、②その証には大人の署名があること。言語の指定はないので、母には日本語の本を、父にはドイツ語の本を読んでいます。家庭内のルールで、音読パス向けには漫画は不可としました。
分量は決められてないので、やる気のある子はどんどんページが埋まっていくことが予想できます。早速、クラスメイトたちと音読パスを開いては、進捗具合を見比べているようです。そして1ページ(5回分)クリアするごとに、お楽しみもあるのだとか。

「教室にヘビがいて、それにエサをあげていいんだよ。みんなが沢山読めば、ヘビも太く大きくなれるの。ぼくはここまで(2ページ分)読んだから、あしたの朝は2回もあ���られる!」
なんだそれ、面白そうだな…。どんなヘビだかあまりに気になってしまったため、聞き出せるところまで根掘り葉掘り尋ね、想像図を描いてみました。名前は、Lottiっていうんですって。こいのぼりな感じのイメージです。

それにしても、誰かに音読してもらうって心地良いものですね。
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わたしのデジタル歴

前回の投稿「『今は昔』のSNS」で、わたしや同世代の人はオンラインネットワークからの離れ際がさっぱりしているのでは、と思い至りました。むしろ、オンラインでのアップデートが余計なものだった、と感じる人も少なくないでしょう。
わたしが生きてきた過去40数年を振り返ってみれば、それは当然。元は何もなかったところにデジタル文化が台頭し、次々と新しいガジェットが現れて(あるいは消えて)いったのですから。書き出してみるとあまりにも目まぐるしくて、ひとつのTVリアリティーショーだったんじゃないかという気すら起きます。実際に身の回りにはどんなガジェットがあったのか――1982年まで遡ります。
◇◇◇
わたしの目の前にあるTVは、流石にモノクロではなかったけれど、カラーのそれは分厚い箱型でした。ファミコンは、誰の家で見たんだったか。日本“出張”で父が土産に持ち返ったものはゲームボーイでした(※)。ドイツ滞在中はあちこち旅行に連れ回してもらったけれど、旅のお供はフィルムカメラと8mmビデオ。VHSはTV鑑賞に活躍していました。
※駐在家族として1987〜1992年の間ドイツ・ハンブルクに在住でした。
ワープロ(リボン! フロッピーディスク!)があった家にパソコンが来たのと、教室にポケベルが現れたのは同じ頃だったでしょうか。音楽は基本的にはCDで聴き、カセットテープはポータルブル、あるいは録音・編集したり友人とプレイリストを交換し合ったりと多用途でした。レコードは、見たことはあっても扱うことはなかったな。ところで、たまごっちに気を取られたのも、この頃でした。自分でプレイした人生最後のTVゲーム機は、スーパーファミコン(スーファミ)です。
そのうちPHS(ピッチ)が使われるようになって、家電(いえでん)の子機との違いってなんだろう、なんて考えたりもしたっけ。公衆電話からPHSへかけるとめちゃくちゃ高額でコインがすぐに無くなってテレホンカードがありがたかったけれど、そんな公衆電話は過去のものになっちゃいましたね。初めてのEメールアドレスは、チリから留学帰りの同級生に手伝ってもらい、高校の図書室のパソコンで作りました。
ポータブルプレーヤーは、カセット・CDに注いでMDなんてものが登場したけれど、短命でした(わたしは結構愛用してたんですけどねぇ)。自分の携帯電話を持ち始めると手軽に写メできるようになり、それがあったのでフィルムカメラからデジタルカメラへの移行に抵抗がなかったように思います。
大学ではノートパソコン(ラップトップ)を活用。Wordで作成したレポート提出は真新しく、ノーパソで覗くインターネットの世界は、情報の海でした。ちなみに、電子辞書は重量と検索速度の面では大いなるメリットでしたが、ひいた単語は記憶には留まりにくくなりました。最近、紙の独日辞書をランダムに開いてそのページを音読するという「遊び」にはまっています。

ペンパルはもはや手紙と切手ではなくインターネット上。外付けカメラをノーパソにセットしオンライン通話をすれば、リアルタイムで世界の友人と“会え”ましたし、ウェブカメラではハンブルクの港を見て、インターネットラジオではドイツのラジオ番組を聴く。そうして、わたしのドイツへの望郷の念は癒やされたのでした。
子育ての最初の何年かは、ベビーモニターのお世話になりました。掃除はロボットとの共同作業。いま、夜中のソファーで思考を書き留めるガジェットはもっぱら、スマートフォン(スマホ)。電話も、メッセージも、ドイツ・日本間のオンライン通話もスマホがあればできちゃいますね。そうそう、電気自動車が家族のクルマになったことはあったけれど1度きりで、再度ガソリン車に戻りました(電動アシスト自転車は、毎日の暮らしに欠かせませんよ)。
そして、デジタルガジェットがAIを備える時代へ。
◇◇◇
激動の変遷! わたしや同世代が目の当たりにしてきた、ライフスタイルを一変させてしまうようなガジェットの連発は、これからまた起こるのでしょうか?
また、息子しかり、人生がスタートしたばかりの世代はわたしから見れば「全て揃っている場所」にいます。これまでの世代が、猛烈に進めてきた機械化・デジタル化を過去にして、彼らは未来をどのように生きていくのでしょうか? 非デジタルで唯一のこの地球で、ひとつの有機物として。
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「今は昔」のSNS

「いいね」「like」「👍」「♥」――デジタル媒体の記者をしていた職業柄という事情を含め、かつてわたしにとって価値があったものは、今は昔。カネを出せば閲覧者が増える情報、過激であるほど拡散されるアルゴリズム(またの名を、プロパガンダ生成機)、やった者・言った者勝ち――。
情報(操作)合戦は、可視化されている部分ではアメリカを中心に、それ以外見えない部分では巨大国家によって繰り広げられています。加えて、SNSを筆頭に、超富裕者をさらにパワフルに仕立て上げるだけの仕組みが明るみになってきています。
こういった現実に触れるにつけ、オンラインネットワーク上での評価やそれを利用し続けることは、わたしの中で益々意味をなさなくなってきています。距離を置きたい、と言えばより正しいかな。
そんな風に思って腹にストンと落ちる道を進んだら、ブログを再活用し始めていました。書くことが好きだから、初心に返って日記を書いているというわけです。読むことだって大好きです。だから、自分が納得できるような読み物を書き、それを本にできるような日が来たら、夢のように感じるでしょうね。
ところで、「一度は使ってみたけどもう充分かな」という、オンラインネットワークを離れていく時のこういう考え方って、わたしが生きてきた間に目まぐるしく変わった「デジタルガジェット」との付き合い方(もしくは各デジタルガジェット以前の経験)が影響しているのかも、とチラと思いました。次回は過去40年程の間にわたしが経験したデジタルガジェットの歴史を、振り返ってみたいと思います。
次回投稿「わたしのデジタル歴」へ→
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キクイモ、ザックザク

キクイモ(ドイツ語ではTopinambur)は、2〜3mの高さに成長し、秋にこぶりなヒマワリのような花を咲かせる多年生植物です。わたしの庭では、主に昆虫たちの食糧源や観賞用として植わっていますが、塊根はれっきとした食物です。そしてそれはただ食物なだけでなく、“スーパーフード”扱い。ちょうどスーパーマーケットに並んでいたキクイモを見れば、随分と高値で並んでいて大変驚きました。

キクイモには「イヌリン」という成分が含まれています。このイヌリンがすごいやつだそうで、腸内環境改善、血中中性脂肪の低減、食後血糖値の上昇抑制といった効果があるといいます。夫・クリスティアンにはイヌリンが効き過ぎてしまうのか、食後は軟便に悩まされてしまい食べるのを恐れています。
スーパーマーケットの値付けに驚いた理由は、キクイモは地下茎でぐいぐいと拡がってしまい、育てる苦労がほぼ無いからです。逆に、塊根のかけらや根の一部が地中に残っていただけでも立派に育ってしまうため、残しておけないほど。ものすごい生命力ですよ。
そんなわけで、地中のキクイモたちがすべて芽吹いて収拾がつかなくなる前に、今頃掘り出したということなのです。秋の終わりには既に食べ頃を迎えていたキクイモですが、3月に掘ってもしなびたりせずまだ食べ頃… すご過ぎます。我が家では食べ切れないため、何家族かにおすそ分けをしました。
さて、夫はキクイモを食べませんが、息子とわたしのお腹は大丈夫。生ではシャキシャキ、火を入れるとほっくりとする食感、わたしは好きです。「イモ��と名がついていますが、風味はゴボウのよう。ポタージュ風スープもおいしく食べられましたよ。今夜は、ディナーの一品を「キクイモのオーブン焼き」にしようかな(と言ったら、夫から悲鳴が上がりました)。
【追記】一品は「塩だけフライパン焼き バター和え」になりました。おいし!

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アンティーク缶

夫の実家を片付けていた時のこと、何十年もの間、ものに埋もれホコリに煤けていた箱を見つけました。というよりも、片付け中のゴミ袋に仕分けられていたものが、ちらりと目に入ったのです。置かれていた場所から判断すると、恐らくは夫のおばあさまの持ち物でしょう。
手にしてみるとそれはフリップ式の蓋付きで、素材は金属。アンティーク缶と呼べば良いのかな? なんだ、かわいいぞ。黒地に花と小鳥が配され、金の縁取りがあります。モチーフのレイアウトは大胆でとても生き生きしていて、初めは和柄なのかとも思ったくらいです。

家に持ち帰り、固く絞った濡れ布と時折歯磨き粉(古くなった掃除用のもの)を使って磨いてみました。ある程度錆びがあるとはいえ、モチーフの色がはっきりと出て、花も小鳥もより生き生き!
中にも錆びが見られるため、食品や金属、衛生用品には向きません。整理整頓してちょうど空いた棚があるので、ひとまず飾っちゃおうかしら。冬場は、毎日使うティーキャンドルや暖炉のエコ着火剤(Holzwolle)を入れて、すぐに手が届く場所に置くのも良さそう。次の何十年、大切に使わせてもらいます。
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「緑の廃棄物」の行方

連日暖かな晴れた日が続いているドルトムントでは、個人の庭や、我が家のようなシュレーバーガルテン(Schrebergarten、賃貸ガーデン)のオーナーたちが活動を開始しています。そこでは、処理しきれない大きな枝ものや、自家コンポストに不向きの「緑の廃棄物」が、大量に発生します。さて、その行方は? 誰が、どこへ、どうやって?
答えは、リサイクルセンター。基本的にはオーナーが持参し、オーナー自身が現場で投棄します。ゴミ収集などの都市景観維持に関する業務を請け負う「EDG(Entsorgung Dortmund GmbH)」では、1度に持ち込める量はクルマ1台分までで、1㎡につき10ユーロを支払います。緑の廃棄物は、各種廃棄物の中でも歓迎される類で、いつだったか大量に持ち込んだ時には喜ばれました。また、市民であればコンポストソイル(堆肥)を無料で2袋をもらえます。リサイクルセンターに緑の廃棄物を積んで入り、それがリサイクルされた先の資源を抱えて帰るって、とても幸せな気分です。

この日はだいたい3〜5台のクルマが入口に行列していました。そのほとんどが緑の廃棄物を持参していたようです。ただし、ガーデニングシーズン到来に合わせて、2025年は3月15日から緑の廃棄物の投棄料が一定期間無料になるとのこと。以前無料のタイミングで訪れた際は、長蛇の列に並び30分は待ちました。タダだけど時間を費やすか、ほぼ待たないでこの額を支払うかどうか… ですね。
さて、廃棄内容と分量の計測方法は… 係の人の目測(笑)この日は20ユーロだったので、2㎡ほどあった計算です。冒頭の写真の、右側の小山がちょうど、わたしたちが持ち込んだもの。大量でしょう?

我が家のクルマはステーションワゴンですが、もちろん積み込める量ではありません。また、今のクルマは牽引車を接続できない仕様のため、3〜4時間ほどバンをレンタカーしての集中作業です。
夫が手配したバンは、夫が運転するものと思っていましたが――レンタカー屋にて乗り付けたクルマで待機していたわたしの前に現れたのは、困り顔の夫。遺物的存在の夫の紙製免許証(※)では、とうとうレンタカーを借りられなくなっちゃったのだとか! ていうか、まだプラ化してなかったんか。罰金発生するっぽいけど… むにゃむにゃ。
※紙の免許証は、1999年から2001年まで発行されていた。夫のものは、17歳当時の写真付き。
そんなわけで、わたしの免許証の出番(持って来ていて良かった)。オートマしか運転できませんけど、と言うと「あります!(店員)」。最後に東京でハイエースを運転したのは2010年だったかしら? けれど一抹の不安… は皆無で、運転し始めればペダルやハンドルは小気味よく機能し、まるで楽しいドライブでした!
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トレッキング後の仕打ち

週末のトレッキングは、我が家+息子同級生家族で行ってきました。スポーツバギーが同行してたので難易度の低いコース。よって、全体に特に面白みがなく、ハイライトもなし。子供たちがお腹が空いてもうだめとわめきながらも楽しんでいたことが、幸せでしたね。また次に、レベルアップしたコースを共にする楽しみもできました。
家族以外の仲間と歩くと、自分たちの何気ない写真を撮っていてくれたりするのも、とっても嬉しい! わたしたち家族3人、何を見上げているのでしょう。かわいい春の鳥の声を追っているところかな。
ところで、この日ダメージが最大だったのは、およそ14kmひたすらそれを目指して歩いたクナイペ(ビール居酒屋)に赴いたものの、店主もキッチンも飲んだくれてしまったため食べ物メニューが無効というカーニバル(※)的な余波にて、店を移りファストフードに取って代わってしまったこと。補給食を食べてもなお収まらぬ、子供たちのハングリーコールに耐え切ったのに!
※カーニバル――「5つ目の季節」は 11月11日に始まり、灰の水曜日に終わります。この伝統の起源は冬を追い払う古い風習です。お祭りの騒ぎがハイライトを迎えるのはいわゆる「汚れた木曜日」から灰の水曜日(Aschermittwoch)までの週です。バラの月曜日(Rosenmontag)には大規模なパレードが行われ、愉快な仮装をしたり、伝統的な民族衣装や仮面をつけてパーティーやパレードを楽しみます。――ドイツ連邦共和国大使館ウェブサイト「地方色豊かなカーニバル」より

まぁ、山歩きをしていて開いているはずのレストランが開いてないということは、ままあります。山の中や上の、小さくて大抵は美味しいレストランほど、経営者個人の事情や地域の事由が直に影響しちゃうでしょうから。わたしたちが経験したワースト1は、凍えるような寒さの中を上りきって入った山小屋レストランで、「パーティー予約で満席」と追い払われたこと。道路が通じているためクルマで上がってこられて、雪があればスキー場にもなる人気の場所ですが、各方面から登りつめたトレッキング及びバイクルートの先にあるレストランでの話です。死にゃあしませんでしたが、大変苦労したのは忘れませぬ。
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研究者たる持ち物

日曜日に、息子が幼稚園から一緒の小学校同級生とその家族と共に、クルマで1時間弱の森林地帯でトレッキングすることが決まりました。家族のみのトレッキングはよくやるのですが、息子の友だちと一緒は初めてです。
息子が楽しみにしている様子は感じ取っていましたが、夜になるとバインダーに紙を挟んでいそいそと何かを準備し始めました。出来上がったのは、この地域に生息する23種の野生動物チェックリスト(日本名を知りたがったので、小さく併記に協力しました!)。 遭遇するのは(にぎやかな息子たち一行では)難しいとしても、足跡など痕跡を見つけられると役立つんじゃないかしら。

寝静まった息子の部屋の前を通りかかると、おや、パンパンのリュックサックが… 随分と重そうだけど…。ちょっと開けさせてもらって、何が入っているのかな――バインダー 1点(野生動物チェックリストと白紙数枚セット済)、生物図鑑(ドイツ語)2冊、大小ノート 各1冊、惑星カード 1式、空のケース 1点、紐の束 1点、セロハンテープ 1点、鉛筆 1本、色鉛筆(赤と青)各1本、消しゴム 1点、ルーペ付き観察カップ 1点、巻尺 1点、棒付きキャンディー 3本、ラムネ 3点、双眼鏡 1点。おぉ… 研究者君の持ち物じゃないですか。
自分で背負って行くって言ってたような気もするけど。図鑑は重すぎるから置いていったら、って言ったら怒るだろうな。でも大型の双眼鏡も持って行くって言ってたしな。何か手伝ってあげるために“レスキュー”リュックサックを、わたしも背負って行くこととしましょうかね。母としては、水筒はもちろん、ティッシュにウエットティッシュ、絆創膏、消毒スプレー、補給食あたりを入れましょう(図鑑はやっぱりクルマに置いていってもらお)。
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マルハナバチのおしり

段々と暖かい日が増えてきたとはいえ、日光はまだ弱く、基本的には10℃以下。さっそく働き始めたマルハナバチたちが、日向のクロッカスの中でまどろんでいました。かわいいおしり。暗くなる前に、お家へ帰るんだよ〜。
もし間に合わなかったとしても、わたしの庭には“避難所”はたくさんあります。そう、この時期は、枯れ草や枝、葉をザクザクどしどし片付ければ良いわけじゃないんです。多年草は、秋に形を整えて以降は、伸びたそのまま。枯れた色が重なる奥では、たくさんの小さな仲間たちが、暖かい季節を待って隠れています。
はやる気持ちを程よく落ち着かせながら、季節と生き物たちの様子を見て、やらなければならない仕事をベストなタイミングでこなす。楽しいですね。
2025年シーズン初仕事としては、ベリー類やプルーン、リンゴの木々は整え終わり、5月に花咲くウツギ、続いて花咲くムクゲは選定が終わりました。小路のマルチングを新しく施し終えたので、次なるハーブ系低木やバラの株元のマルチング前に肥料を与えることにしよう!(ひとりごと)
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