eri16g
eri16g
駄文置き場
32 posts
自分で書くテキストたち
Don't wanna be here? Send us removal request.
eri16g · 2 years ago
Text
過去になるということ
"りゅうちぇるってiPhoneを最新にして可愛いケースつけてそうなのに、もうこの先りゅうちぇるのiPhoneは新しく更新されることもないし可愛いケースをつけることもないんだなとYouTubeのみーかーシリーズ見ながら思った"
こんな風に呟いてしまった
そして、何となくすぐ消してしまった。
何が言いたいかと言うと、誰かが死ぬとその時は実感がわかず、それでいてタイムリーであるはずなのに徐々にそれが過去となっていく事だなって
悲しく、暗いニュースだけでなく明るくめでたいニュースが流れて世の中が仮に流れていっても
もうそこに居ない
その人にとって生きた時代がそこでストップしてしまうのか
ふとそんな事をぼんやりと考えてしまう時がある
0 notes
eri16g · 2 years ago
Text
Tumblr media
Tumblrを始めてから7周年を迎えました 🥳
0 notes
eri16g · 4 years ago
Text
「許し」のポエミー
誰かを「許しなさい」という人はこの世で沢山いるけど、正直主体性も奪いながら罪悪感を与えてるし個人的にはあまりいい気分ではない。
その中の行為に 「許す」 という形に、理想を落とし込むというものが見え隠れしていると感じていて、その理想は何かと言うと綺麗に見栄えよく・聞こえよく元通りになる状態を望まれているように思ってしまう。
もし、それが本当ならば 「覆水盆に返ら��」という言葉は存在しない。
だけど、決して元通りになる事だけを理想や事実として受け止める事が全てとは思わないなと思っていたらある許すってどうでもよくなったりする事だったりするよねとふと思ってしまったのである。
決してまた仲良くしたいとか連絡を繋げたいとかでなく、そんな事もあったねというひとつの記憶の欠片をちらっと眺める程度の。
八つ裂きにしてやる!などの怨念を意気込んで呪い続けるのでなく、話題に出ても出なくても少し思考がそこに支配されすぎないあの感じ。
あるよね。確かにと。ふとそんなことをポエミーに思ってしまったのである。
0 notes
eri16g · 4 years ago
Text
反省点を見いだせるかどうか
2019年にモデルデビューをした吉井添君がInstagramのstory機能から投稿した歌手のあの人の人格を重ねるような解釈をしたり外見の親子としての似た容姿を「遺伝子」と呪いのように言い続けないで欲しい事を伝えていた。以前、マネージャーが管理するようになるまで更新していたTwitterでも似たような事を投稿していた。
インスタライブを不定期に彼は配信しているのだけど、それに関しての事で不躾な質問が確かに多いと思っていた。
遺伝子がどうのこうのとも言われたりもあるけれど、お父さんとは会っているの?とかとにかく吉井さん(吉井和哉)絡みの質問が多いのだけど度が過ぎるとしつこいし、掲載雑誌やウェブのインタビューの時とはこれは違うんだよと思ってしまう。少なくとも自分は絶対そのような事を避けなくてはいけないなと思ってしまう。
また別物としてそれぞれ好きでいてくれませんか?というのも無理もなく、ただあまりの衝撃を感じたのも事実でそこは反省点として心の隅に置かないといけない。
最近、思うことだけど相手がやめて欲しいと表明していることに対して説教を交えて加害行為を正当化するようなコメントをするような人がびっくりするほど居るのが非常に嫌な世の中を見てしまった気分になる。
ネットニュースや掲示板のコメントを見ると、そう言っても吉井和哉の息子として話題になったのは事実でしょ?のような感じの(もっと酷いのもあるけどあえて反芻させるように書くのも違うと思うので書かないけど)
いや、それは事実としてもいちいち彼ら親子の関係性を問うコメントの無礼さを正当化するのも違うだろう。また答えない自由・拒否する事実もあるのは確かだろう。
二次元のイメージのような幻想を抱いたところで口を開けば生身の人間であることは一般人でも確かなのだから。
コメントを投げかけた人から見る反省点を少し考えてしまったのである。
5 notes · View notes
eri16g · 4 years ago
Text
小室哲哉
「小室哲哉ってシンセ弾く?」なんて聞こうものなら「そら、弾くでしょ」となるだろう。
globeのライブ映像でYAMAHAのKX5を投げつけていたような曖昧な記憶が過ぎるし、TM NETWORKの事は何となくGet Wildはそれなりにシティーハンターと共に時々リバイバルされている気がするし、何台ものシンセサイザーを駆使している姿も浮かぶ。
あの手の音楽が与えた印象ってどう映っているのだろう?
近未来的な、無数の音色を奏でるとかそう言ったものに過剰に夢を見ていた時期みたいなのがあったような気がしている。
YMOやKraftwerkを遡る土壌でもあったのか何なのかとなるけれど
正統派で都会的な女性像をとにかくプロデュースして世に選出して「プロデュース時代」というものを確率していったような気がする。
そこから時代が流れて、R&Bを基調とした宇多田ヒカルとか台頭してきたりしてブーム的なものは落ち着いていったという流れを経て、音声の加工的なものを歌声に使うオートチューンを駆使した楽曲を展開していった中田ヤスタカでエレクトロニカである以上にテクノポップを00年代ヒットさせていったわけだけど、ギターロックサウンド以上に音色数は凄いはずなんだけど、決まって例えられるのは”ピコピコしてる”とか言われている気がするし、電子音=テクノでもないぞと思ってしまうことがある。
capsuleのアー写に映る中田ヤスタカの話をした時には「小室哲哉的な?」と聞かれる事もあった。プロデューサー兼トラックメーカー顔みたいなものがやはりこの世には存在するのかと認識せざる負えないきっかけみたいなのも何となく貰った気がした。
tofubeatsはそんな小室哲哉をいつもの小室哲哉プロデュース及び楽曲提供J-POP要素を抜いて聴く人によったら難度のあるクラブミュージックに仕立てていったことがすごいと思えた。
色んなジャンルの音楽の過渡期に現れて別方向に急上昇キーワードとして今後も時々上がっていくと思うのでふとちょっと小室哲哉に触れてみましたということでした。(無理やり)
0 notes
eri16g · 4 years ago
Text
バンドブーム音楽の後追いがバンドマイブームの幕開けだった。
ぼんやりと考えてたことで、ロキノン系という言葉や邦ロックやJ-ROCKやら色んな言葉チラついて久しいけど、何がその幕開けになったっけ?とふと遡ってみようかなと思ったけど、ハッキリと覚えているのはユニコーンのファンベストアルバムだった気がする。
いや、バンドサウンドはそれ以前からもちろん聴いてはいるのだけど、どういえば良いのだろう?自分が聴く音楽の系統が少しずつ変わるきっかけだったような
ニコニコ動画でたまたま見たユニコーンの曲のまとめたもので「PTA~光のネットワーク~」を聴いて要するにこれはTM NETWORKのオマージュなのか?となって面白い曲だなとなってちょうどファンベストアルバムが発売された時期にCDを買ったんだけど、音作りが80年代のイカ天とかバンドブームと呼ばれた時期を連想する感じで、JITTERIN'JINNやLINDBERGとかJUN SKY WALKER(S)とか切磋琢磨したんだろうなと
奥田民生のソロとはまた違った音作りがやはり新鮮でバンドブームがど真ん中の世代ではないけど、翌年にはsyrup16gを聴き、ART-SCHOOLと聴き込んだ転機がまさかユニコーンと繋がっているなんて考えもしなかったけど自分の中のマイブーム構成なった不思議
奥田民生という流行り廃りの無い存在からバンドブーム真っ只中のサウンド聴く事で解像度が上がったような記憶
そんなバンドブームが何処か煙たそうなTHE YELLOW MONKEYの吉井さんと奥田民生が長い付き���いなのも興味深いですね
0 notes
eri16g · 5 years ago
Text
「時」という名の空気・そしてTHE YELLOW MONKEYと小沢健二
CDがよく売れた時代の90年代だとか流行りの楽曲が多く誕生した黄金期とかよく言うけど、音楽というのは常に時代に反映して作られるものが必ずあって、私はオザケンをふと聴きたくなっては聴く度に感じた事をオザケンファンに告げた言葉は「オザケンは酸化しない存在」と言った。酸化しないと言う言い分に納得を何故かしていたけど、時代に反映した故か「時の流れ」という空気に触れ続けたかのようにもう今聴くと違うなぁとかもう聴けないかもと思うアレンジの楽曲に出会うことがある。不思議とオザケンにはそれを感じないのである。渋谷系の王子と言われたことを知り、意識するかしないかを関係なく。
また、THE YELLOW MONKEYにも同じような感覚を抱いている。彼らを熟成とかワインのようと例えている音楽ライターが居たけどワインは空気に触れて途中で酸化してしまったらきっとお酢のように飲めなくなってしまう。ならば、現在の活動をヴィンテージだとか熟成ワインならかつてのバンド時代はワインを仕込んだ所なのかはよく分からないが、黄金期にちなんでオザケンもTHE YELLOW MONKEYも過酷な楽曲制作時間を割いてきたとは思うけど流行りのアレンジとかに過剰に乗らなかったような側面故なのか鮮度とはまた違った輪郭を保った存在なのである(自分にとって)
吉井さんの自伝はデビュー時の結婚や当時明るみに出なかった子供の話やらに気を取られがちになるけれど、楽曲制作背景の事をしっかりと語られてきてヒット作をどう作っていこうか悩む姿も記されているがちょうど渋谷系台頭の存在を意識する姿には少し驚いた。
俺は渋谷系だ!エレクトロニカだ!とかちょっと無理があるだろという事を考える姿はちょっと滑稽さと切実さが組み込まれている。当時知り合ったであろうオシャレ女子とはって思うのでtofubeatsの「STAKEHOLDER」冒頭のMVシーンでも一発お見舞いされてようやくシティポップとエレクトロなり成り立つだろう。だから無理があるぞ。なーんて思いながら聴く「Love Communication」はいつでも妙なテンションだ。雨宮まみさんはどうやら「熱帯夜」のMVに度肝を抜かれたそうだ。
そんな2曲が収録されている「smile」は特別な存在のアルバムになりそうだ。
強いて言うなら産業廃棄物という批判や割られたディスクが送られてくるとか古参エロゲメーカーのヒロインにショック受けて暴走したオタクかよというエピソードだけが当時ならではの熱量だなといったところで。
ロックの純度が高いバンドサウンドはいつ聴いても酸化しない。ずっと聴いていられる。
ずっと?
この先の見えない世の中で
ずっとなんて言葉が出てしまっていた。
いつ死ぬかわからないと散々思ってきたのにも関わらず。
酸化しない存在の音楽は私に“矛盾という名の希望 ”を与えているのだ。
4 notes · View notes
eri16g · 5 years ago
Text
【 読書感想】失われた愛を求めて 吉井和哉 自伝
※2007年12月25日初版(ロッキング・オン)
ミュージシャン吉井和哉の自伝を読んだ。厳密には再読である。(初めて読んだ年からかなりの月日が流れての感想でもある。)
この本を読もうと思ったきっかけは2009年~2011年付近にTHE YELLOW MONKEYを改めてふと聴きたくなり、聴き始めたりしながら少しずつソロとなった吉井さんの姿をメディアで見る時に、バンド時代にはない姿が印象に残ったからだ。
当時のバンド時代には無い光景があって、それは吉井さんよりも下の年代のバンド達とライブイベントでセッションしたりそのバンド達がトリビュートアルバムに参加してたりで、その参加しているアーティスト達の中には自分が通ってきた重要な存在のTHE BACK HORNやMUCCに9mm Parabellum Bullet、吉井さんと年代が近い奥田民生やラッパーとして評価しているKREVAや志村正彦在籍時のフジファブリックと馴染みのあるラインナップがずらりと並んでいてこれだけ自分が通った音楽遍歴に影響を与えたんだとか、改めてみるとやっぱりカッコイイなぁって思ったり、そのカッコイイの形にも色々あるけれど中でも年上男性的なカッコ良さみたいなのを自分の中で抱いてたりしたんだなーと、そしてすっかり音楽業界の先輩的立ち位置となった吉井和哉像を振り返るのにこの本は読んでみたいと思ったのがきっかけのひとつだ。
幼少期から始まって語り始めるけどそこには自分が生きた世代とかを分かりやすくインタビュー形式で語っているものでソニーマガジンズの「14歳」シリーズと少し似ていてあれは吉井さんがソロで活動する時に在籍したEMIからデビューしたART-SCHOOLの木下理樹(Vo/gt)の青春期を知りたくて読んだのがきっかけだったけどこちらのインタビューはもっと量が膨大なのは言うまでもない。そしてインタビューアーは渋谷陽一(ロッキング・オン)とこれまた何かの縁なのか?と思いながら読み進めてやはり最初に読んだ時にも感じた事だけど、もっとカッコつけても様になったはずだよね?と言った感じだ。ルックスも良く他のメディアでも多少スカした態度とっててもカッコ良さは損なわれないんじゃない?なんて思ったりもしたけどそうじゃないんだよなーそういう事をしない人なんだ。って思う箇所がいくつもあって、なんかそういう所がいいなぁと思ったり。
東京の北区出身で旅芸人の父親を持つというエピソードも蜜色の手紙にも書いてあったけど、その時は読んだことが無かったから初めて知って6歳の時に死別、母親の故郷の静岡で過ごす日々が記されているけどここで東京で過ごした子が静岡はちょっと馴染みにくいよなーとか思いながら普段からふと自分もずっと同じ土地にいるわけじゃなくて引越しを経験している事や吉井さんがおばあちゃん子だった事を読み進めていくうちに知って自分があまり思い出さない記憶が蘇ってきたり昔住んでいた場所に行くのは墓参りみたいなものとは上手いこと言うなぁと感心したり自分も極たまに行くことがあるなぁと考えてそんな感覚でこれからも足を運んでみるかと思ったり。静岡だけあってちびまる子ちゃんにでてきたたまご麺のエピソードとかもあったり
そして想像もしなかった元デブエピソードから上京、そして結婚と初耳エピソードが次から次へ(ベタだけど、えー?結婚してたの?ですよ。ほんと)
ドラムはやりたくないから痩せたとか母親へこの人はさげまん!と不穏な感覚を抱き置き手紙をして家出同然の上京、ベースのヒーセ(廣瀬洋一)との出会い、前身バンドをそれぞれ経てバンドを結成するにあたって最初に加入したメンバーと親密になり最後に入ったメンバーで安定するというジンクスをなぞる様なエピソードに、
渋谷La.mamaでライブデビューを果たす時にはオーケン(大槻ケンヂ)なら武勇伝にでもしそうな遊び人と化す有り様の中の恋愛観なんかを垣間見たりして自分の音楽とかを理解してくれる女の子がいいとかそんな事を話していて分からなくもないかなー?なんて考えたり。吉井さんがボーカリストへなっていく過程から語られる恋愛観に妙な熱さを感じてしまったり。それは彼らのファンでもあった雨宮まみさんの連載コラム「穴の底でお待ちしています」(書籍は「まじめに生きるって損ですか?」ポット出版)にも記載していた、完璧な妻として���日生きてるのに愛されないと言う女性にたいしての回答で、“ 「弱さ」や「正しくなさ」を受け入れて、共有できる関係も、いいものではないでしょうか。ひとつの可能性として、そうしたことを少しだけ考えてみてください。「正しいから必ずしも愛されるわけではない」は、「正しくなくても、弱くても、愛される資格はある」と同義です。”
と書いてある事がものすごく印象的で、Twitterでも正論大喜利大会みたいですよねと、彼女は言うわけです。私自身も感じていて例えば、“ 自分を好きにならないと人を愛せない”だとか“ パートナーにするなら精神的に安定した人がいい”なんて発言をした人が炎上したり、“ 自己評価が低い人は他人を傷付ける”なんて発言を見て傷ついた人を見たり、“ 自己肯定感”を持とうとかもうそんなことばっかりじゃないかと食傷気味になってしまったりで、そんな中で吉井さんが出会う女の子達はそんな世間が見る正しさとかとかそんなものからは一線を置いて惹かれあったんだなとか、後のデビュー前に渋谷La.mamaでライブをする際に衣装を縫ってくれている人と結婚する出会いにしても。心が多少不安定な女の子達がいてもただ好きだったらとシンプルな感じで接しているようにも感じてそこがなんだか好きだなと。もちろん痛々しいエピソードも沢山あるんだけど。
幼少期の話に戻るけど吉井さんには兄弟も居ないし父親も居ない、母親は父親の役もやらないといけない、愛情に飢えてしまう中でクリ��ムシチューのCMにそんな家庭あるわけないじゃん!となってしまうところに知らず知らずに理想の家庭や“ 普通の家庭”とか実態のないものが世間には溢れているよなと改めて考えたりもしました。なんだよ。普通の家庭って。
吉井さんは長く音楽活動を続けるだけの才能を持っている人でありながら喪失感や喪失体験が垣間見えたりして6歳の時父親は26歳だったと語っていたけどそれぐらいの年齢の時にメジャーデビューを果たして結婚(鮎川さんとシーナ並に漫画?ドラマ?となる出会いだと思った)
と喪失体験から突き動かされていく姿にはゾクゾクとするものがあった。
自分を抑えてた部分が外見の変化と共にエゴが出てきたり時には嫌な奴になってしまってもギラギラとした表情と共に突き動かされていく姿は戸田恵梨香が演じた朝ドラこと連続テレビ小説「スカーレット」(2019年度後期NHK大阪制作)のヒロインである川原喜美子のようだと思った。スカーレットは成功と喪失の物語であり、スカーレットは緋色を意味する。赤く燃える炎を物語の中では象徴し続けた。時に脆くそれでも自分のやりたいことの為に突き進みギラギラとした表情で燃えたぎる炎の中に薪を放り込む姿と重ねて、え!マジで喜美子だわ…なんてあんまり多くの人が思わない事かもしれないけど私の中ではそんな感じだ。
またデビュー前のライブの客層や年齢層の話が出てきた時の言葉のチョイスがまた独特だなーと。
“ 年上の女の子”ってなんだかくるりの歌に出てきそうだなって思ったり。言い換えたら大人になってからもずっと良さを感じれる音楽を鳴らし続けているんだなと。流行とかブームに惑わされずに
そして吉井さんに対して本書を通じて思ったのが責任感の強さだ。
やるからには売れたい。売れないと妻子を養えないしと葛藤したり、113本という驚異的な本数のPUNCH DRUNKARDツアーを途中で辞めるわけにいかないという思いから完走したり、結婚の際も奥さんの元恋人がランチの女王(竹内結子主演ドラマ)にでてきた森田剛が演じたようなストーカー化したややこしい男から逃げてきた時も途中で投げ出す事はしないでこの子は助けなきゃと思ったり、子供の事は常に考え続ける姿には救いになったという読者の気持ちに納得した。
よく彼は人間臭いと評される事があるが、人間臭いというのはめちゃくちゃな行動を取ることよりも体裁や責任を取る行動の中にあると思う。
吉井さんはロックスターとしてカッコイイ姿でありたいと思いながらも父親の顔を持ち、奥さんと衝突しながらも愛し愛される姿も一つの愛の形がそこにあると思いました。
また本書に出てくる数々の洋楽アーティストの名前もすっかり幾らか分かるようになり(デビッド・ボウイ、ナインチ・ネイルズ、ルー・リードにカート・コバーンetc)吉井さんが獲得したかったロックファンに自分もなれたらいいなと改めて思いました。
B’zの「Crazy Rendezvous」(「IN THE LIFE」収録)の歌詞に出てくる“ マーヴィンゲイじゃないエアロのビッグサウンド”のマーヴィン・ゲイってこれか!と思ったり
終盤になり偶然なのか意図的なのか分からないけどバンド休止→山梨への引越し→解散→ソロへと行き詰まる描写からまたもや責任感との葛藤の日々、奥さんとの関係にヒリヒリとした気持ちにもなりながらも父親の顔を無くしてはいけないと、スカーレットのテーマにもなった繋いだ手を離さないでいれるかという感じになる中、バンドが東京ドーム公演を経て活動休止した年に4人目の子供で奥さんが欲しがっていた息子が誕生して吉井さんは自身が長男であり、跡取りのような存在と感じたことを息子に幾らか思うようになってその息子の年齢が6歳で本書は締めくくっている。それは吉井さんが父親との記憶を辿る歳でもある。息子と対峙して跡取りが出来たという感覚を持ち、初めてこの本を初めて読んだ時には想像もしなかった18歳でバンドをやる為に上京した吉井さんのように18歳でモデルという形で表現者となった息子・吉井添がデビューして知名度を高めていく様を。
2020/10/28 
9 notes · View notes
eri16g · 5 years ago
Text
未成年は何処にいる?
自分自身が聴く音楽の特徴として挙げてみたら歌詞の内容に未成年が主体になるものが少ない気がする。
例えば、メンバーにリーダー以外が全員未成年だった頃にCD制作を専門学校で作成したTHE BACK HORNの「何処へ行く」に大々的に出てくるかと言ったらそうでもなく、メンバー全員が成人した頃に発表された3rdアルバムである「イキルサイノウ」でようやく「ジョーカー」で未成年の主人公が登場したけど、その主人公は将来のやりたいことなんてないから夢は大学生と答えたり、自分の家庭環境を学芸会のように滑稽なものと捉え鬱屈し、しまいには自分より格下とみなす相手を見つけて傘で強く叩いてしまうという完全なる“ 加害者側の人間”に成り果ててしまう様子がひたすら描かれている。
そんな主人公に何かメッセージを残す大人は何処にも現れない。
優しい言葉も厳しい言葉も何一つかけられない。
残るのは鬱屈する主人公の姿だけ。
他にB’zを聴いていても未成年が主体的に出てこないと思っていて出てきたとして7枚目のオリジナルアルバムの「the 7th blues」で「未成年」と出てくるが、“ 大人たち”から線引きされて壁をまだ超えられない主人公の姿が強調されるだけで常に未成年のキッズたちに向けたメッセージなんてものは大々的には見当たらない気がする。
それに関して思うのは、よく昔から“ 世代”と呼ばれるものとか10代で出会った音楽を聴き続けるとか趣向形成とか言われがちだったりそれらを振り返る時に「〇〇は青春」とかよく言ったりするけど、別に青春真っ只中なものとか自分が聴いてる音楽の歌詞には殆ど出てこないと思っていたけど、それがむしろいいなとか思っている。
青春真っ只中のキッズ達へこんなメッセージを届けていますと言ったニュアンスの歌詞が立て続けに出来上がってしまう様子は最早、青春という鮮度が高く煌びやかなものではなく、空気に触れた途端に酸化して錆がこぼれ落ちるような“ 手垢まみれの説教”がそこには羅列されてしまうような気持ちにさせられるからだ。
3 notes · View notes
eri16g · 5 years ago
Text
時を経て現れた一人の美青年
Twitter上で泡沫のように現れては消えるトレンドというキーワードに吉井和哉と言う文字を見つけ覗いて見たら息子である吉井添という18歳の青少年の顔写真と名前をアップロードしているアカウントに遭遇した。まさか、モデルという形で世に出て来るなんて思わなかった。
生年月日は2001年11月11日
世間ではそのゾロ目をポッキーの日なんてポップな名称で呼ばれているけれど2001年はTHE YELLOW MONKEYが東京ドームのライブを経て活動休止をしていた年に生を受けたという事になる。
顔はもちろん手の形や首の長さ、足の長さなど細かく見てもとても似ている。ここまでかいや、いくらなんでも親子と言ってもという驚きを隠せないのだけど、しばらくして私が通った文化に彼こそが通っているのでは無いのかと思えてとても今後が楽しみになった。
楠本まきや三原ミツカズのような世界線に居そうと称している人を見ると、あぁわかるよと思ったのだけどTHE YELLOW MONKEYの音楽性に触れるの事よりも先なのかそれとも後なのか分からないけど自分が辿った世界線に突如現れたような気持ちになった。
こんな服着てたらいいな思った矢先にMILKBOYを着用し透明感のある男の子になったり、またある時は球体関節人形を思わせる風貌になったり、爽やかにライダースジャケットを着こなしていたり、クルクルと表情を変えるような存在かもしれないと思ったりふくらませたイメージを全力で弾いてきそうだけどそれが寧ろ楽しみで仕方の無い感じ
上手く言えないけど、私は見届けたいものを久しぶりに感じたのであった。
2 notes · View notes
eri16g · 5 years ago
Text
蛹からの変態
思春期に少年から大人に変わるという、思春期の少年少女から大人への成熟で身体と精神は変容する事を当たり前として徳永英明は歌に載せているが、17歳の時に聴いていた音楽を一生聴い続けるという井上喜久子顔負けの17歳教ジンクスが定期的に何処かの無根拠な人物が現れるが私は残酷なまでに歳を取り痩せにくい体型だとかあちこちが弱るという加齢現象を重ねていく人間が思春期の時に、例えば好意ではなく嫌悪感を抱いた人間を好意に転換させる能力は不可に近いのではないかと思ってしまうことがある。
魔法少女の魔法は思春期の憎悪を黒魔術として唱えることを囁いても好意への転換魔法は一定の機会もしくは10連ガチャを引いて当てないといけないぐらい難しいはずだとどうしても思う。
エディプスコンプレックスでは近親相姦を避けるための本能で少女は思春期に父親を嫌うという説があるけど思春期というだいたいの6年程の間に好意という商品に入れ替わっているなんて事はあったらいいねという気持ち程度のことだと思ってしまう。
0 notes
eri16g · 5 years ago
Text
訃報と年齢
なんていうか、最近漠然と思っているのが三十路と呼ばれる30代って死期が迫ってくるという印象が根付いてしまった。
人間臨終図鑑をクーラーの効いた図書館で読むのを夏の嗜みにしていたのだが、様々な年齢で人は死んでいると言うのを気付かされるけど、それ以上にネットニュースの速報、テレビのニュース、新聞という数々のメディア達が私に30代は死期がぐんと近づくと囁いてきているように思う。
死因は自殺から病死まで様々なかたち
どれもその人の寿命でしかないのだけど、ただ思うことは一生の友達だとか、生涯添いとげる人だとかコンビニ人間の主人公のように色んなことを達成してないとみなされる人だとか居るんだけど80年は心臓が止まらない保証なんてどこにも無くてその間に自分の持った家庭のことやこれ以上生きたくないと思った人とか色々居る事も痛感して何も80年のリミットの定義だけ考えなくてもいいんじゃないか?と思うようになった。
死期の近づく年齢という不自由から少し自由を考えてみてもいいかもしれない。
1 note · View note
eri16g · 6 years ago
Text
少し前の年賀状と長く伸びた髪
今から8年ほど前に出した年賀状に余っていたプリクラを1枚貼って出したことがあった。
タイトルのように少し前かどうか別としてその時の私の髪は長く伸びていた。
所謂、セミロングと呼ばれる長さの髪に縮毛矯正を掛けてストレートにしてそこから7~8ヶ月ほど経って誰が見ても分かるロングと言われる長さになっていた。
そのプリクラを撮ったきっかけは、久々に友人とカラオケに行って遊ぼうという声が掛かったから出向いた場所で撮ったものだが、待ち合わせで会った時に友人が一言「髪の毛伸ばしてるの?」と言ったのだが、その時私は「伸びただけなのよー」と返して本当に側面通りの返答となったのだが、本当にその通りで4ヶ月に1度という頻度で縮毛矯正を掛けていた事もあったり半年も放置してしまうと担当の美容師さんから「めちゃ久しぶりじゃなですか?縮毛矯正するの」とサボりを見抜かれツッコまれてしまう。
言い換えるまでもなく怠惰のように。
そんな、伸びたままの髪型の私ときっちりとショートカットに切った髪型をしている友人と写るプリクラは何ともまぁ対称的であった。
プリクラも撮る機会が減り、今や誰かとシール交換しているなんて光景すら稀になっていそうだけど、当然、交換する機会なんでどんどん減るからプリクラは余ってしまっている。一応機会を見つけては誰かにあげるとかそんな事をしていたのだが…
そして思いついたかのように、年賀状にでも貼ってみるか…と貼ったわけですがその年賀状はデジタルソフトで絵を描くことを覚えてまもない頃買ったプリンターで年賀状を作ることを覚えて久しい時期で自分の描いたデジタルイラストをインクジェットの年賀はがきに印刷したい!と思って同じくイラスト描きを趣味にしている人に送って見てもらいたいと思ったので描いて出すぞって感覚で作成して、プリクラも余った事だしと貼ってみて出したのだけど、暫くして描いた年賀状へのイラストの感想とプリクラの感想まで頂いた。
その一言は
「髪、長いの良いね」と言われたのだが、私は驚いた。
私の髪が?長いのがいいと??これただ、伸びただけなのにと…
だけど私は嬉しかった。何故なら長く伸びた髪を褒められる事なんて無かったように感じたからだ。
どちらかと言うと、鬱陶しい!とか早く切れと言われてきたことの方が多かったんじゃないのか?とかそれが当たり前の日常だと思っていた。このプリクラを貼る頃には20センチほど切って縮毛矯正を再び掛けたわけだけど、それでももう少し切ったらいいのにとか言われたりで(同居している家族とかに)自分の適した髪の長さなんてものは未だに分からないけれど、切る前の長い髪を褒めてくれる人って居るんだと思い返しても嬉しく思う。
褒められる内容によっては自分の日常とあまりに乖離していると素直に喜べないことも性分柄喜べる事ばかりでは無いけど、その事に関して素直に喜べたのは巡り合わせのように受け取っておこう。
そして自分の髪の長さに似合う適切な長さが分からない今、あの頃にはまだ知らなかったヘアドネーションにトライしている。
次で3度目のトライ。やってみようかな
0 notes
eri16g · 6 years ago
Text
消しゴム
消しゴムを使い切るという現象を達成した。
おまじないで好きな人の名前を書いて使い切るとなんだどこかの少女漫画で読んだ記憶があるけれど、消しゴムを使い切ると言った現象に到達したことは初めてかもしれない。
消しゴムは途中で迷子になるようにどこかに無くしてしまってまた新しいのを買うという繰り返しが当たり前のように行われるものだと思っていたけど、消しゴムはきちんと無印良品のペンケースにしまい取り出してしまうをこの規則正しい使用法が自然にできるようになって使い切ることがようやく出来た。
小さなものを無くさない工夫を見渡すのも悪くない。
3 notes · View notes
eri16g · 6 years ago
Text
「歴史上人物みたい」
嫌でも流行というものはあるし、元号は変わるし誰かは死ぬわけだけど、時代のかわりを感じる象徴とか通信手段を共にしない人の関係はなんだか死んだ歴史上の人物のような感覚かもしれない
会うことがない、「過去」と言う場所に置いてきた感じ。
歴史上の人物と言うと少し大袈裟かもしれないけど、平成が終わるカウントダウンが始まるとダイジェストのように振り返る事があるけどその中の1人として認識するとなれば一応、歴史上の人物で歴史上の人物(仮)ってことかもしれない。
0 notes
eri16g · 6 years ago
Text
読書感想文/コンビニ人間
芥川賞受賞作品で作者の村田沙耶香さんが紅白の審査員に選ばれたのもあって話題作として面白いとも聞いていたので読んでみた。
まず、主人公の恵子は36歳・独身・恋愛経験無しで長年コンビニ店員をしながら日々を過ごしている女性だけど、自分のことを「普通になれない人」としての自覚を 幼少期からありながら周囲の人との関係から自分の心境を述べているが、この作品の面白い点は、幼少期の恵子はメンタリティや皆との波長面での「異端児」扱いを受けているのに対して、成人期になった恵子は社会的地位や立場での「異端児」扱いを受けていると言う違がハッキリした点が面白かった点だと思う。
恵子が大人になった今でも周囲の対人関係でトラブルを起こし続けるとかそんなことも無く無遅刻無欠席でコンビニを18年もの間勤務を続けているが、どちらかと言うと周囲の人が恵子にそれ言っていいの?どうなの?と言った言葉を投げかけているシーンが多かったように思う。
そこでどちらが普通なの?とか普通の人々はもしかして怖い?と問題提起しているかと言ったらそうでも無い気もするので色んな受け取り方をしながら読む作品でもあるかなと思いました。
もう1つ面白い点と言えば、誰一人、恵子に対して恵子にもあるであろう「いい所」を誰一人言及しないのが面白い点でもあるなと思いました。
”あなたにはあなたのいい所があるよ”
”優しくていい子だよ”
”焦らなくていいんだよ”
”そんなことないよ”
これらの言葉は自分を卑下したり落ち込んだ人への励ましの言葉等で使われたりするけれど、それらの言葉へのアンチテーゼや皮肉ともとれるような感じで物語が展開し、非常に読みやすい文章量でテンポよく展開していくさまが痛快にも感じました。
この物語に出てくる白羽という人物にも男性の社会的に置かれている責任や大変さを表す象徴にもなっているので、男児を産みたがらない女性や男児母が負け組と呼ばれると言う出産にまつわる最近、耳にした定説と少し重なるのかなと思ったりもしたしました。
後、主人公の恵子がよく口にしている言葉で「治る/治らない」という事が人権や個人の尊重をどこまでされるかまたは損なわれるかという点も日々考えて行きたいテーマであると思いました。
少し疑問点として恵子は普通になりたいと懇願している訳でもないのとコンビニで勤務している自分に嫌気がさしているわけでも無いのかとかの点も色々照らし合わせて読んでみるといい内容であるのかも知れません。
そんなのはその人の自由とか言っても世間というぼやっとしたものがそうさせてくれないと白羽が強く語る描写に共感する人もいるかもしれないとも思いました。
また、決して健康的な考え方では無いと思いますがもし、この本を手に取って主人公と同じ立場や気持ちに置かれていると思っている人がいたら、やっぱり自分の思っていることや周囲の目がこうに違いない確信しているならばそれは間違ってなかったんだと思えるかもしれないなと思いました。
そんなことないよとか善意の建前に苦しんだ人は少なからずいると思うので。
私が励まされるのが時に苦痛なのはそういった自己認知に蓋をされてしまい、違和感が残ってしまうからというのもありますが。
ただ、主人公と全く同じ立場でなくてもどれか1つでも欠けていたら、周囲の圧の対象になってしまうものなのかなと思ってもしまします。
だってどれか1つでも欠けたら定義されている「普通」じゃなくなってしまうのだから。
2 notes · View notes
eri16g · 7 years ago
Text
共感力の一つ
相談をして解決策を貰うことと、愚痴を聞いてもらいたいだけと言う自体の分別はコミュ力のリトマス試験紙が常に用意されているように感じるが、共感という形で、百人一首的なのを求められている事への察知能力を高めたいと思う時がある。
●百人一首的共感例●
上の句 : ブス過ぎてマヂ辛い
下の句 : そんな事ないよ!可愛いよ(*^-^*)
↑こんな感じで、分別が付けば話を聞く際に楽になるのにと感じてしまうことが時々ある。
ちなみに、某コピペで有名なエンジンが掛からないの系の噛み合わなさを感じそうなせいで、相談された場合、何をどうすれば良いかを訪ねてきているのかそうでないかを考えてしまうので、他にどんなパターンがあるのか考えていたらこの百人一首型共感力が頭に浮かんでしまったのである。
0 notes