Tumgik
fintopo · 7 years
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ハラスメント・ハラスメントという言葉を見た時、ハラスメントの終焉が始まったな、と思った。今回のこの宣言は、終焉も終わりに入ったな、と思う。
ハラスメントというやり方は、嫌だと思うことを嫌だと言うことだった。それは、セクハラやパワハラにおいて一定の成果を出した。だけど、行き過ぎた。嫌だと言うことを超えて、排除しても良い、という感覚が生まれてきた。無意識なんだろうが、排除する言葉が生まれた。
「キモくて金のないおっさん/おばさん」という言葉がある。なぜ「キモい」とつける必要があったのだろう?「金のない」というだけなら、ただの貧困問題であったのに、「キモい」とつけたがために、話は複雑になった。
「生理的に無理」という表現もある。「キモい」もそうだんだけど、これらの表現を使った瞬間に「排除しても良い」という雰囲気を感じる。だけど、それは差別だ。
差別じゃないよ、と言う人もいるだろう。だけど、突き詰めていくと、キモいやつにチャンスはない。だから「ただしイケメンに限る」と揶揄される。
嫌なことを排除し、好ましいものだけに囲まれていれば楽ではあろう。だけど、嫌なものを社会的に排除しようとするなら、それは他人の権利を侵害する。非実在青少年まわりでは、よく表現の自由とかち合っている。
嫌なことを嫌だと言うだけであれば良かった。いや、言っているのだろうか?嫌だということを直接言えないから、陰で排除するのか。
駄々をこねるだけなら、子供と扱われる。嫌だと思ってもやらなきゃいけないのが大人だと考えられているからだ。女性の賃金が上がらないのは、結局のところ見くびられているからだろ?生理的に無理?なら、理性的に努力しろ。人間だろ。
女性達が声をあげたのは、駄々をこねる女達がいることが、自立したい女性にとって不利益なるからだ。 自立には、選択と責任が伴ってくる。それは楽な話じゃないんだよ。
人により思うところはあるのだろう。議論の果に、変化するだろう。その結果、どうなるかはわからないけど、フェミニズムは新しい局面を迎えるのだろう。私はその変化を歓迎したい。
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fintopo · 7 years
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インターネットは世界を変えたか?
インターネットが面白くなくなった、という話がある。 詳細は、まぁ、いろいろあるにせよ、根本的には、インターネットが世界を買えなかった、というとことにあるのだろう。
インターネットが普及を始めた頃、インターネットが世界を変える、と言われた。 でも、世界は変わらなかった。
確かに、便利にはなった。 だけど、その便利さはネットに繋がるところでしか発揮されない。当然だけど。 そして、ネットに繋がるところは、人口カバー率98%。 人口密集地か、せいぜいその周辺。
ネットで注文すれば、翌日にはモノが届く。 それは、物流システムに依存しているから、都市から離れられない。 そして、モノが届けられるためには、宅配サービスが必要だが、キャパシティの限界が見えてきている。 送料がコストとして無視できなくなってきている。 が、そうなると小売店との差別化は難しい。
インターネットが流通の中間層を排除し、モノが安く早く届くと言われた。 確かに一部に排除はされたが、代わりにインターネットサービスが必要になった。 小売は、個人にモノを届けるというのは、そう容易いことではなかった。 店舗を持たなくても商売ができるというインターネットの利点は、もはや無い。
ついでに言えば、ファミレスは24時間営業をやめ、コンビニも追随しようとしている。 人は夜に寝たほうがいいことが分かってきてる。 24時間なんて働けないのだ。
僕たちは、エネルギーを無尽蔵に使えるようにはなっていないし、肉体という動物の枷からも逃れられていない。 まぁこれは、インターネットの守備範囲とは言えないかもしれないけれど、インターネットでは世界が変えられなかったのは確かだ。 一般に、インターネットに求められたのは、世界を改変することではなくて、便利さだった。 便利さとは、スピードだ。
インターネットは、情報の伝達速度と量を増加させた。 それは、歓迎された。 メールからケータイ、LINEへ。 即時に届くことが重視された。 メールがすぐに届かないと文句を言う人がいた。 LINEでは既読がつかない、返事がないと文句を言う。
スピード、スピード、スピード。 通信速度の向上は、返信の速度を上昇を要求し、返信の速さは次の展開を急がせる。 結果、仕事量は増大する一方だ。 インターネットは速度を速め、それは結局のところ、仕事量を限界まで増やし、世の中を急速にブラック化していく。 そうして、増加する情報量と、それに伴う仕事量の増加に、耐えられない人が増えてきた。
20世紀のSFは、人類は進化するものだった。 主人公は、肉体の枷を捨て、別次元の存在になることを選択するものだった。 が、 最近のSFでは、主人公は進化を選択しない。
今、Netflixでスタートレック TNGを見てる。 ピカード艦長が「人類は進化した」と言う。
一方で、ディスカバリーという新シリーズも見てる。 「まだ」進化していない人類を描こうとしているようだ。
それは、時代を反映しているのだろう。 ブラック化した、未来への展望が見えない時代を。
便利さは、エネルギーと肉体を酷使した。 それは、進化していない人類には、耐えられない量になった。 そして限界を迎えようとしている。
だけど、希望はあるんだよ。 インターネットだ。
インターネットのメッセージ機能は、仕組み的には非同期コミュニケーションになっている。そうするしか無いからだ。 だけど、それは一般には理解されなかった。 リアルタイム性を求められた結果、通信速度と容量を増加させ、擬似的に同期コミュニケーションができるようにした。
だけど、1人の人としての処理速度は増加していないから、増える情報量に対応できなくなってきた。 友達とのコミュニケーションは増え、仕事量は増える。 だけど、相手の反応が遅いのは我慢できない。 それが、仕事量を増やすことになっているとも気がつかずに。
だけど、気がついている人は非同期コミュニケーションに気がつき、対応するようになってきている。
マニャーナの法則というのがある。 「明日できることを今日やるな」と言う。 先送りは良くないものと��れた。 仕事は完璧を求められた。 だけど、1人の人の時間リソースが限られている以上、どこかで区切りをつけるしかない。 「今日やるべきこと」は、すでに多すぎるのだ。 それが分からず、今日中に終わらせなければという考えは、まわりまわって、あなたの仕事量を増やすだろう。
GTDという仕事術がある。 「頭の中にあるものを全て追い出せ」と言う。 メモというのは、典型的な非同期コミュニケーションだ。未来の自分との。 記憶力に頼っていては、もはや増えすぎた情報を処理しきれない。 処理すべきことを忘れ、メールによって指摘され、そして残業をすることになる。 仕事が減らないという人は、自分が仕事を増やしていることに気がついていない。
同期コミュニケーションと非同期コミュニケーションの違いがわかれば、電話する前にメールで予約する意味もわかるだろう。 相手のところに出向くなら、事前に場所と時間を予約する。 会議だって、部屋と時間を予約する。 電話は、場所の制約は少なくなるけど、時間は同期している。 なら、時間の予約は必要になる。
1人の処理量が決定的に増やせない以上、時間リソースは、もはや予約が必要なものだ。 同期コミュニケーションしかできないから、僕たちは未だに通勤しなきゃいけない。出張しなきゃいけない。 移動は、貴重な時間リソースを無駄に消費させるだけなのに。 そして、交通システムも、もうキャパシティの限界にきている。 速度向上の結果が、余暇を増やすのではなく、仕事量の増加にしか繋がらないのは、同期コミュニケーションしかできないからだ。 今こそ人類は、非同期コミュニケーションを身に付けて、進化しなければならない。 でなければ、ブラック化の果てに、増大した情報量に殺されるだろう。
インターネットは、世界を変えなかった。 違う。 インターネットは、世界を変えた。 だけど、進化していない人類は、まだそのことに気がついていない。
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fintopo · 7 years
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今の学校教育は、間違えることが許されていない。
間違えないように、おとなしく、冒険せず、示された道を踏み外さないようにする。結果、経験が足りず、幅がないから、大学とか、就職とか、環境が変わった時に対応できない。
「真面目」であったがために、面白みもなく、能力が低い人間が育つ。 「真面目さ」がが学校を卒業するとかえって不利なことに気が付き、不要な能力のように言う人もいる。 「まじめ系クズ」というのは、そういう環境に最適化しちゃった結果なんだろう。もちろん地力があれば乗り越えるんだろうけど。  
先生がもっと間違いを認めるような教え方をしないからだ、という人もいる。けど、黒染め強要を考えると、先生も、間違えることが許容されていないんだろうな、と思う。
間違えないようにするから、決められていると思っていることを、決められていると言われている通りにやろうとする。そうして、間違える。
さて。先生に間違いを許容させないようにしているのは、何なんだろう?
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fintopo · 8 years
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思いを届けたい、というんだけど、千羽鶴は「思い」じゃないだろ。
ああいうモノのは、送るものじゃなくて、日常的に目につくところに飾っておくものだ。そうすると、それを目にするごとに、鶴を折った思いを思い出す。
やってみればわかるけど、これは結構辛いことだ。長期になればなるほど。
だけど、それが「思いを届ける」ということなんだと思う。辛いけど、思い出して、その先を考える。辛いからこそ、���味がある。
それを被災地に送ってしまったら、いつ、どうやって、あなたはあなたの思いを思い出すんだい?あなたの思いはどこに行ってしまうんだい?
それは、思いを届けるのとは裏腹に、思いを捨ててしまっているだけじゃないのかい?
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fintopo · 9 years
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ゲームだってリセットを押すときは電源切るときじゃねえ もう一度トライするって時だもんなあ
ゲームだってリセットを押すときは電源切るときじゃねえ もう一度トライするって時だもんなあ : 島本和彦マンガの名言・迷言集【アオイホノオ・吼えろペン】 - NAVER まとめ
(via otsune)
だなぁ。
「人生はリセットできない」なんて言われるけど、「リセットする」のは、まだやる気があるということだ。やる気が無くなるなら、電源を切る。
だけど、人生、なかなか電源は切れない。時に切っちゃう人もいるけど。でもまぁ、ほとんどは口だけだよね。
そうして、電源を切れずに、リセットもできずに、ゲームオーバーの画面を見続ける。人生はクソゲーだとほざく。
リセットなんて、バンバンすればいいんだよ。
でも、もうリセットする気力がないのなら、ゲームを変えろ。別のゲームを始めろ。
人の数だけ人生がある、というくらいなんだから、人生というゲームは、あなたが行き詰まった、その一つだけじゃない。
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fintopo · 9 years
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最初のアイデアを出すことを0→1だと考えがちだが、それは0.001くらいで、必要なリソースを集めて0.01、試作が動いて0.1、試作の問題点を直してリリースしてようやく1、という気がしてきた。そして1にまで育てておかないと、ランダムなタイミングでfloorされて消滅する。
https://twitter.com/nishio/status/672364950430466048
(via bgnori)
「1まで育てておかないと、floorされて消滅する」ってのは、なんか分かる。
Ver.0.999とかで、なかなかVer.1にならないソフトウェアがあったりするけど、あれが嫌いなんだよね。
最初のアイデアを、使えるところまで持って行って、とにかくリリースして、Ver.1.0を名乗る。あとは、使っていきながら、ブラッシュアップでいいと思うんだよね。その過程で、既存のプログラムがダメになるなら、Ver.2 → 3 → 4と上げていけばいい。
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fintopo · 9 years
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これ、二重のサイクルなんだと思うんだよね。
つまり、日常的な業務として、Plan → Do というサイクルがあって、そのサイクルに対して、Check → Act をする。
ようするに、プロセスに対する改善が  Check → Act なんであって、計画(Plan)の修正ではない。計画通りにいかなかったから計画を変えるのではなくて、計画通りにいかなかった原因を調べて(Check)、計画通りにできるように改善するのが Act。
Plan → Do と  Check → Act は並列して動く、と言ってもいい。
これを、Do の後に  Check → Act だと考えると、なかなかサイクルが回らない。
毎年の事業計画が Plan なんだとして、年度末に Check → Act → Plan なんてやってられない。そんなことをしている間に、次の期になってしまう。だいたい、計画通りにいかなかった原因なんて、そう簡単にわかるものじゃない。
Check → Act は常に動かす。そうするしかないから、アジャイルという話になってくる。
PDCA サイクルはどこかおかしい気がする
PDCA PDCA とみんな言いますが、僕はこれずっと何かおかしいと思っているのです。
ウィキペディアによれば PDCA とは、
Plan(計画):従来の実績や将来の予測などをもとにして業務計画を作成する
Do(実施・実行):計画に沿って業務を行う
Check(点検・評価):業務の実施が計画に沿っているかどうかを確認する
Act(処置・改善):実施が計画に沿っていない部分を調べて処置をする
であって、これをサイクリックに繰り返すとのこと。
Tumblr media
これの何がおかしいと感じるかというと、最後の Act のところです。
まず計画を立てて、それを実行してみて、その結果を評価する。ここまではいい。 けれど、その次に評価の結果を見て改善処置をする Act というフェーズが、他の Plan Do Check と並列になっているのはおかしい。
もしこれがサイクルではなくて、ウォーターフォールとしてはじまりと終わりがはっきりしているのであれば、
計画 → 実行 → 評価 → 改善
というフェーズ進行は分かる。
けれどこれをサイクリックにやるとすると、こうなる。
計画 → 実行 → 評価 → 改善 → 計画 → 実行 → 評価 → 改善 → 計画 …
これだと、改善した後にまた計画することになる。じゃあその計画って何? 改善したことと次の計画との間に繋がりがないんですよ。
もし改善した結果を更に評価して、次の計画のインプットにするのであれば、改善の後に「評価(Check)」のフェーズがもうひとつ入らないといけないですよね。
計画 → 実行 → 評価 → 改善 → 評価 → 計画 …
で、もしそういうふうに改善の後に評価が入るなら、Do と Act はどちらも「やる」という意味だから、要するに、
計画 → 実行 → 評価 → 計画 → 実行 → 評価 → 計画 …
というふうに、Plan Do Check の三つで十分ですよ状態なわけです。
じゃあなぜ、Do と Act という、同じような意味の言葉をあえて区別しているのか。
普通に考えると、継続する事業において、計画と実行をサイクリックに繰り返して行くというのはまああたりまえのことです。 その際、実行した結果の評価というのは、次のサイクルのインプットになるわけです。
つまり、
Plan → Do → Check → Act
という場合の Act とは、次の「Plan → Do → Check」一式を指しているべきだと思うのです。
ニュアンスとしてはこんな感じ。
Plan → Do → Check → [Act = Next PDC]
だから PDCA サイクルじゃなくて、PDC サイクルと言えばいいんじゃないかと思うのです。 Act というフェーズは、PDC と並列ではなくて、再帰的に PDC 一式を呼び出す変数と考えると、納得がいく。
そう考えてよいなら、これはまあアジャイル的なプロセス感というか、ここに書いたようなシンプルなイテレーション感として、デザインのプロジェクトにもフィットすると思うのです。
それともこれ、何か計画を実行するなら一度だけそれを修正するタイミングを織り込んでおけよ、という話なのかな?
例えば毎年事業計画を立てるとして、4月から実行して、毎年9月に一回見直せよ、という。
でもそれだと単なるルーチンだから、フィードバックループが成立してるとは言い難い。つまりサイクルじゃない。
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fintopo · 9 years
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もしまた自分の人生で何かに挑戦してみたくなったら、 迷わずおもしろいほうを選んで下さい。
死神さんが健太に伝えたかったこと――大川弘一「おかねのかみさま」 | 日刊SPA!
「面白い方を選ぶ」とか、「好きな方を選べばいい」」とか。人生の選択におけるアドバイスがある。
私にとっては、「面白いこと」、「好きなこと」というのは明らかだ。いや、正確に言えば、明らかになっていないこともあるけれど、それがどこにあるのかは分かっている。自分の内だ。だから、内省すれば、いずれ答えは得られると思える。
だけどこれは、私が内向的だからなんだろうな。
・内向的:元気を回復するには、1人でいることが必要。人付き合いで消耗する。
・外向的:元気を得るには、人付き合いが必要。一人ぼっちになると不安になる。
外向的な人は、他人との付き合いにおいてエネルギーを得る。であれば、「面白いこと」、「好きなこと」を考える時に、他人を、具体的には今付き合いのある人を考慮してしまうのではないか?
「あの人に面白がってもらえること」、「あの人も好きなこと」を、「自分が面白いと思うこと」、「自分が好きだと思うこと」と誤認してしまうのではないか?
みんながやっていても、面白いと思えないことはある。
付き合いたいと思う人もいる一方で、付き合いたいと思わない人もいる。
真に外向的で、他人が面白いと思うことを、自分も本当に面白いと思えるならば、おそらくは「面白い方を選べ」なんてアドバイスはしない。
自分が面白いと思うことは、本当は、自分の内面にある。他人の評価じゃない。もっと内発的なものを信じないと見つからない。
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fintopo · 9 years
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1994年に、オンラインの古書店を始めることを思い立って、そのことを当時勤めていた金融会社の上司に相談したんですね。「散歩しながら話そう」と言うので公園を歩きながら話したのですが、彼はわたしの話を聞いて、こう言ったんです。「面白いアイデアだと思うよ。ただし、すでに立派な仕事と肩書きをもっている人がやることかどうかは疑問だな。2日間、よく考えてごらんよ」。で、考えたんです。妻とも相談しました。そのときにこう思ったんですね。 自分が80歳になって人生を振り返ってみたとしたら、仮にこの新しい事業に失敗したとしても、さほど後悔はしないだろうと。けれども、これをやらずにいまのところに勤め続けたらきっと後悔するだろうなって。つまり、人生の最も深い後悔は、Commissionによって生じるのではなく、Omissionから生じるんだと。怖がったり、不安がったりして何もしないことが、きっと後悔を生むんじゃないかと。
Amazon CEO直撃インタヴュー。ジェフ・ベゾスが語る、 ファッション、未来、eBookとテイラー・スウィフト « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム (via kotoripiyopiyo)
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fintopo · 9 years
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少なくとも、今まさに自分は価値の無い人間だ、自分の人生は無意味で辛いものでしかないという自己嫌悪感と戦っている人間には、自分で自分を受け入れろという言葉は、ある種の「切り捨て」でしか無いと思う。
Bad dreams also come true
「お前から無意味を取ったら何が残るっていうんだ? 安心しろ、お前は無意味なんだよ、それでいいんだ、そのままでいいんだ」
(via kanakana)
(via gkojax-text)
(via edieelee)
「切り捨て」か。なるほど。
そうやって、切り捨てる一時のツラさを許容できないから、自己嫌悪なんて長く引きずる辛い状況になるんだけどね。
自分には価値が無いと思っているから切り捨てられないのだろうけど、そこにこだわっていると、他が見えない。とっとと切り捨てて先に進むのが吉。
自分が価値があると思っていることができないから自分には価値が無いと思っている奴が価値があると思っていることに価値があるはずがない。
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fintopo · 9 years
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何もしていないから、微かにでも希望は残っている気がして、諦められない。
感情8号線    
(via mmgen)
希望がある気がしてこだわってしまうと、他に目がいかなくなる。
ちゃんと挑戦して、向いていないことを自覚して、しっかりと諦めれば、新たな道が見えてくるんだけどね。
何らかの挫折があって挑戦する勇気がないのだろうけど、中途半端では、勇気も新しい道も得られない。
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fintopo · 9 years
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「あ、この人に話しても無駄だな」 とか 「この人に言って怒られるの嫌だから言わないでおこう」 と思われた瞬間が、ある意味マネージャーとして終わりの瞬間なのではないかと思っています。
エンジニア社員「今月から週3回、昼過ぎに仕事抜けてジムに行きたいんだけど。」 僕「」 | maximum80のブログ (via kazcorp)
マネージャーの寛容度と理解力<世代ギャップ+マネージされる人の寛容度と理解力
であるときに、この人に話しても無駄だなとなったらそうだけど、
マネージャーの寛容度と理解力>世代ギャップ+マネージされる人の寛容度と理解力
であるのにマネージされる人がそうおもっていたらそれはマネージされる方が終わりなのだが、僕は現代は後者が比較的多い時代だとは思う。
(via toukubo)
世代ギャップは、昔より大きいようにも思う。
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fintopo · 9 years
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「オフィスでPOMODORO」 はいいね。考えてみれば、工場のラインなんかは作業時間を同期させてるんだから、ホワイトカラーだって、そうしたらいい。
POMODOROは本当に取り入れてよかった。画期的。人によっては3倍も。アウトプットが増える。適応範囲も広い。全仕事時間・全人生に適応できる。
ここ2年で導入した仕組みの中では運動関連以外では最良。いろんな仕組みがこれを中心に編成されるに至った。アウトプットは倍になったと思う。ツールも要らない。時計くらい。なれたら時計すらいらないかもしれない。
現代社会最大の問題である「割り込み」の強烈なデメリットと、メリット
デメリットたち(あなたが体験しているやつです)
割り込みは金がかかる。割り込みにあなたは一年間で150万〜500万金を払ってる。貧しいね。
割り込みは創造的・知的な仕事を皆殺しにする。割り込みを管理できないならば、あなたは永遠にクリエイティブワークはできないだろう。
多忙と仕事の質は正確に反比例する。
コミュニケーションタイプの人。注意した方がいい。「反応が速い程良い」とか「コミュニケーションが高い人が優秀」という誤解がコミュニケーションタイプにあることが、クリエイティブを殺している。コミュニケーションタイプであるということはク���エイティブではないことだとほぼ言い切っていい。
一人の脳内や一つのワーキングメモリで2つの脳や10の人格が対話している「すべてはコミュニケーションでもある」ともいえる。
コンテクストスイッチコストは強烈なコスト。短期的にも知能を劇的に低下させる、一日のスパンでみると忙しい(割り込みが3分ごとに起こる)日の睡眠のニーズは1.5-2倍になる。知的に働ける時間が30%減る。残る時間あなたはゾンビである。
メリット
「すべての仕事はコミュニケーションのためにある」といってもいい。
 コミュニケーションしないとチームが狂う。
すべての仕事は、達成される最後は、すべて、コミュニケーションである。
わがままな人は割り込みされるのが嫌いで、割り込みするのがスキである。割り込みするのは楽しい。割り込みするのは「もらうこと」であるからだ。
止揚
the POMODORO テクニーク!
そして最近アップデートした。「DIRECTOR MODE」である。
集中作業時間 12分
返信・作業時間:5分
この他のルールはいままでやっていたPOMODOROのルールと一緒。POMODOROのサイクルの時間をちょっと変えただけ。
POMODOROのルール
基本的に「通知」はオフ。
POMODORO時間中は通知の閲覧は禁止。反応しない。
BreakにはDISPUSHといっている、通知消しこみをルーチンでやる。zero inboxとBOXシステムを広く摘要してルーチンで処理する
Directorモードの特徴と過ごし方。
多分みなさんはこうなりたいとおもう。
高度な専門職のディレクターである。
かつ高度に専門家である。人工知能のコード書くくらいだよ。
領域横断である(デザインと人工知能とファッション誌のクリエイティブと資本政策票や損益便起票とグロースのレバレッジポイントとマーケターとしてユーザー心理とを全部専門でやる)
高度にジェネラルなディレクター(例えば経営者)である
高度にコミュニケータである
別に疲れてない
そんなん無理?できます!POMODOROならね!な過ごし方
(時分割でバーチャルに)常時40人とチャットし、日本語英語両用し、6時にフランスの人とかと仕事終えてねて11:00におきて、10:00〜11:00でメールが120で一日700通処理し、チャットも会議もやってるけどコードも書いてる。
POMODOROの利点
+ 超即返信時間(early ness,responsiveness)
コミュニケーションタイプの「即応答」を心がけている人よりもむしろ速い。返信の平均反応速度が5min以内。超コミュニカになれる。
コミュニケーションタイプの人は「コミュニケーションが大事」と誤解している。現代最大の嘘だ。コミュニケーションはコミュニケーションしないことを要する。「濃密な脳内コミュニケーション」を要すると言い換えてもいい。 なによりも創造性=濃密な脳内コミュニケーションの価値は「他者とのコミュニケーション」を無視するほど大きくなっている。
止揚をしよう(言ってみたかった!)。 早さには速さだ。コミュニケーションタイプのコミュニケーションは、早さのみ求めるために、遅い。速さと、その速い返信方式のトリガーを定期的に行う方が、早い。
返信作業の速度が劇的にあがる。
QUEUE方式(コミュニケーションが必要な内容を連続処理できるようにして、10分に一度さばくほうしきにする)と、一返信あたりの時間が1/10倍になる。量が多い人は50通*10分の考えるべきメールと、600通*20秒の一行で即答するべきメールを受けている。合計5時間くらい。これがそれぞれ2分と5秒になると、2時間の応答速度で済むようになる。めっちゃ楽。「集中した発散」としてのBreak時間の効率が高い。 メールでINBOX ZeroとかZero INBOXとかいうのはやっていてみんなつかってるけど、あれはひとことで言うと「QUEUE方式導入」である。
フレッシュでいられる時間がめっちゃ長くなる。(疲労しない) 超忙しい時期に感じる脳の疲労はスイッチングコストにある。この効果はその日の夕方から体感できる。忙しかったのは気のせいだったのだ。と。どんなに忙しくても「時間あたりの忙しさ」が変わらない。脳が楽。
コミュニケーション即応性(ディレクターっぷり)と専門性(知的な作業をする度合い)を比率で考え、数字で扱うことができる。10:5にするか25:5にするか。
「比率で考える」は汎用的なフレームワーク。比率を生活導線にフックして制限できるように使うことができるともっといい。その最良の例はPOMODOROだよね。
いかほどに狂気の多忙がおとずれても10分間は集中している。 この効果には本当に驚く。「忙しい」と感じるのはいつも「割り込みの時」だということがはっきりと体感されるのはこの時で「あれっ」って思う。
ちょっと別の表現で。
返答をまっている20通のメールを無視できる。集中時間には脳は集中してていいんだ、と安心できる。
人とコミュニケーションしてる間に、片付けなくてはいけない集中しないとできない重要な仕事に脳がアラートをあげることがなくなる。それはこの5分のDISPUSHなBreakが終わったら取り掛かれる。慣れると「たったの5分」は本当にたったの5分だり、それはいまやっても5分後にやっても変わらない。そして確実に5分後に実現できるというのは強烈な安心感を産む。
POMODOROのデメリット
リモートワーク以外でやると人間関係が破綻する。 10分後でいいですか*50回やることになるか。10分後でいいですか+タイマー喧伝してかついい仕事し続けてたら啓蒙できるかも。
本当は「オフィスでPOMODORO」やったらそのオフィス・チームの生産性は4倍にあがるかもしれない。全体で。「この時間は話しかけちゃダメ」を12分つくって「この時間は溜まってる話題を話しかけろ」をやる。むしろ「集中したやり取りの時間」の集中性は高まるわけだよね。
余談
「リモートワーク」の価値はほぼ、割り込みコントロール可能性、これに尽きる。僕はリモートワーク歴17年くらいになるのだが、会社員の人とか、なりたてのリモートワーカーが実はいたいのは、実はこれだ、と気づいた。彼らは「割り込まれないけど、人に見られていると集中する」ので喫茶店いって仕事してる。割りこまれたくないのであって、オフィスがいやなわけじゃないんだ。もっといえば「いい割り込み」だけ受けていたいんだ。
オフィスでは物理的な割り込みを無視すると怒られる。会社員の生産性が、その会社員がリモートワークを上手く使えた場合とくらべて劇的に低い理由も、ここに多く(半分程は)ある。半分ってのはダントツ第一位だ。君はslackとかpeople wareを知ってるか。
TIPS
12分に1回返信をするということは、期待値としては5分で返信が来るってことだ。
電話も無視。7分で折り返しがあるのは全く問題がない。まとめて10分に1回電話しよう。
チャットは、基本的に、上手く使わなければ、非生産的な、「創造性をいじめたい20世紀のコミュニケーション型ディレクターのためのおもちゃ」だと僕は思う。上手く使うとは「berakにだけチャットにおとずれて、そこでオンラインなら濃密なコミュニケーションをする」ということだ。
チャットデバイスに楽を感じるのは不全がある事を示してる。もちろんこれはPOMODORO的な用途をすると逆転する。
ディレクターモードじゃない時期ならば、pomodoro時間は最低でも18分くらいにするといい。期待としては9分に一回。十分返信速度は速い。一日に108回通知に反応してるのは十分な回数だし、これを下げることはできない。しかし「憑かれない」感じだ。普通の人は一日に1000回ほど通知を受けてる。寝ている時間を含めた一日は1440分なのにね。
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fintopo · 9 years
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基本放置でたまにアドバイスするという方式は頭の良い人にとっては自由にやりつつ難しいところをサポートしてもらえるシステムなんだろうけど、頭の悪い学生にとっては適当に積み上げたものを定期的に崩される賽の河原システムなんだよなあ
Masahiko_WさんはTwitterを使っています
自力で乗り越えられなくなっているということは、行き詰まっているからで、てことは、アドバイスというのは、基本的には、積み上げたものを崩すためにある。
崩さずに先に進むなんて出来ないんだよ。
だから、ここで言う、頭の良い人/悪い人を区別するものは、崩されることに耐性があるかないか、ということになる。
耐性という表現も、誤解するんだろうな。崩されることに慣れろって話じゃなくて、崩されることで、行き詰まっていることに気づけ、ということだ。そうして、ようやっと、他の道を探せるようになる。
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fintopo · 9 years
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ワタミというか過労死全般がよくわからん。その企業も悪いんだろうけど、過労死するまで働いちゃうような判断停止に陥る人を、この社会では育ててしまう、っての方が気になる。ワタミ責めても仕方ないんじゃないかとか。ワタミ責めるのってその一面なんじゃないか、とか。も思う。
Twitter / @jinon
こういうとき、「逃げろ」という。
けど、いろいろ観察するに、仕事でもプライベートでも、みんな結構ちゃんと逃げてるよね。イヤな仕事はやろうとしないし、人や食べ物の好き嫌いはするし。だから、やらせる側は、逃げ道を塞いで、やらせるようにする。そうして、追い詰められる。
PRGの戦闘にだって「逃げる」というコマンドがあるだろ、という話がある。
それに例えるならば、そのレベルでは、みんな結構ちゃんと逃げてる。だけど、目の前の戦闘から逃げたからって、ゲーム自体を止めちゃう(逃げちゃう)ことは、あんまりない。まぁ、ボス戦で何度やっても勝てないと止めちゃうかもだけど。
そのゲーム自体から逃げたって、他のゲームをやるだろ?ゲーム自体をやらなくなったって、他の趣味はあるだろ?
だけど、目の前の仕事から逃げると、人生止めちゃう奴がいるんだよな。自殺したり、ニートになったり。いや、何でだよ。
選択肢がないんだと思う。見えてないんだと思う。
ゲーム以外の趣味だってある。他のゲームだってある。ゲームの中でさえ、他のルートがあるかもしれない。
会社以外の生き方だってある。他の会社だってある。会社の中でさえ、他のやり方があるかもしれない。
だけ���、目の前の戦闘(仕事)に追われていては、そんなことは見えなくなってしまう。追い詰められているからだ。単に「逃げろ」というだけでは、あるいは単に逃げ道を示すだけでは、もはや逃げられないのだろう。
追いつめられるのは、中途半端に逃げているからだ。中途半端に逃げるから、追い詰めてやらせようと言うやつが出てくる。そうしなければならないほど、そいつも追い詰められているから。
中途半端に逃げるんじゃない。もっと自覚的に、明確に、逃げなきゃいけない。「やらない」ことを明示しないといけない。他人に、上司に、客に、分かるようにはっきりと言わないといけない。
そうして、逃げることに自覚的になって。それでも進もうとして。そうして、ようやっと、他の道が見えてくるようになる。
だから、逃げちゃダメだ。中途半端さ、から。
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fintopo · 9 years
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時代の区切りって、いろんな考え方があるんだけど、これは明治維新で始まった中央集権化の果て、という感じがする。
「一億総中流意識」が完成したのは、1970年代くらい。ただこれは、「意識」であって、「経済指標的」に地域格差が縮小したのは、それからになる。
街並みとして、どこに言ってもおんなじだな、と感じるようになったのは、コンビニとイオンが普及した1990年代~2000年代か。
2010年代には、それも完成した。そして、つまらなくなった。どこに行っても、おんなじものしかないんだから。
集中化が過ぎれば分散化する。その萌芽は出始めていると思う。「一億総活躍社会」という言葉への反発も、その一つなんだろう。ただ、その芽がどう育つのかは、まだ見えていない。
単純な地方分権化ではないだろう。ネットがあるから、地域に縛られる必要性は少ない。とはいえ、ある程度の分権化は必要だろう。 物理的な距離は、今でも重要だし。
ネットにおける住み分けも、あんまりできていない。サービスの使い分けくらいか。サービス自体は集中化の傾向があるから、明確な住み分けにはならない。
おそらく、分散化といっても、明確に分離できるようなものにはならないのだろう。
そうして、それはやはり、「意識改革」から始まるのだろう。不思議な事だが、「分散化する」という意識の統一(コンセンサス)がなければ、分散化しないのだ。
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fintopo · 9 years
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(ブレンディ“巨乳JKが主人公”のCMがヤバすぎて炎上!→「女性差別」「若者蔑視」「気持ち悪い」「もうこの会社の製品、買わない!」 : オレ的ゲーム速報@刃から)
CMとしては、たしかに微妙な感じで、製作者の意図は良く分からん。けど、風刺として見れば面白いと思う。
これ、人が牛を演じているから、気持ち悪いってことになってるような気もする。実際に牛だったり、あるいはアニメで擬人化したキャラだったりしたら、イメージは変わるんじゃないかなぁ?
それにしても、ジョークってネットでは難しいなぁ、と思う。
ジョークって、バックグラウンドが共有されてないと通じなんだね。ネットでは、その前提が全く成立しない。ある範囲で通じていても、少し広まると途端に通じなくなる。だから、ちょっとしたことで、簡単に炎上する。
ネットによって、クリエイターになるハードルは下がった、と言われるけど、一方で、評価は苛烈になった。苛烈な評価に耐えられる人だけがクリエイターになれるのだとしたら、ハードルは実は下がってないのかも?
苛烈な評価を避けようとするなら、素直な作品作りをすれば、ある程度は可能だと思う。けどそんなのばかりだったら、すぐに飽きて、全く面白くない世界になっちゃうんじゃないかなぁ。
それはイヤだなぁ。もっと、おおらかに行こうぜ。
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