Tumgik
gumcamanai · 2 years
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2022年に観た映画でベストテンの好きポイントを書いておく
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gumcamanai · 2 years
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休日
予定のない日曜日が来るとこれまでどんなふうにして休日を過ごしていたかまったく思い出せなくなる。と思ったが、昼過ぎに起きて夕方スーパーとドラッグストアに行くだけだった日は思い出せた。昼過ぎに起きるというのを2ヶ月くらいしていない。多分正月が最後かな。まん延防止等重点措置で飲食店が深夜営業をしていないし、友人と遊ぶこともないから、日付がかわった時間から飲んだりもしていないし。去年は正直言うと何の制限も出てなかった時期に一度、22時から飲み始めて朝方帰るというのをやった記憶がある。日の感染者数が2桁だったころの話で、今では信じられない。次の日は昼から文フリに行ったので早めに起きた気がする。すごい。3回目のワクチンを打ったからなのか前より少し気持ちは緩んでいるかもしれない。それでも気持ちはあんまり晴れない。マスクなしで電車に乗れる日はもうしばらく先だろうな。
今日は書留を受け取った時以外は誰とも話していない。天気がよければ散歩に出たかもしれないけれど、今日はほとんどいちにちじゅう雨が降っている。窓から雨の粒は見えないが、外を歩く人が傘をさしているから今日はほとんどずっと雨だ。すこし寒いしわざわざスーパーに行くのも面倒になってしまって、昨日の続きから見ていたファンタビの2作目をみた後に『クリムゾン・ピーク』、『タミー・フェイの瞳』を連続で観た。遅めの昼食を食べながら『アリー/スター誕生』を観たところで、少し映画にも集中できなくなってきたのでPCを開いてみている。
ネットサーフィンをしなくても検索エンジンで上位のものしか開かなくなってきたなとか、基本的にはSNSで情報を探すようになってしまったなあとひさしぶりにノートPCを開いてぼんやり思う。
『ファンタビ』シリーズは主人公を好きになれるから『ハリーポッター』シリーズより好きだなと思った。そして本当にどうでもいいけどずっと覚えられなかったジュード・ロウの顔を覚えられたのはこの作品のおかげだ。2作目だけ何故か観ていて、クリーデンスのことをよくわかっていなかったのだが、1作目を昨日消化してから2を改めて観たらいろいろとキャラクターのことがわかった。
『クリムゾン・ピーク』はデル・トロ作品がどうしても何か観たくなって。主人公どっかで似たような役やってなかったっけと思ったらアリスインワンダーランドのアリスだった。だからか終始ファンタジーな感じ。お屋敷怖すぎて住んでることがすごすぎると思った。パシフィック・リムでジプシーデンジャーに乗ってる人(主人公なのに名前が出てこない)が出てきて良かった。
クリムゾンピークにジェシカ・チャスティンが出ていたのでアカデミー賞で話題?の『タミー・フェイの瞳』。実際の人物やアメリカのTV事情、キリスト教の伝道などまっったく知らずに観たけれど比較的テンポがよく、アンドリュー・ガーフィールドの胡散臭さ(?)のある演技がハマってるな〜という感じ(で、途中で『チック、チック…ブーン!』観たくなっちゃった)。『SING』でも思ったけど、演技もして歌も歌う人たちすごいなあ。ジェシカ・チャスティンの演技もものすごかった。特殊メイクもあるだろうけど、ジェシカ・チャスティンでこういうキャラって初めて観たので意外だった。割といつも影のある女性や隠し事のあるキャラを演じているイメージだったので。(ダークフェニックスとかクリムゾンピークとかITとか、、)
『アリー/スター誕生』は後半しんどかった。歯切れが悪くなるというのもあったし色々くるものがあった。前半よく出てきたアンソニー・ラモスがかわいかった。(すでに『イン・ザ・ハイツ』が観たい。)レディ・ガガ自身が惹きつけるものを持っている人なんだなと、観ているあいだはアリーにずっと釘付けになってしまったので身を以て感じた。ブラッドリー・クーパーは病を抱える映画が多い気がするなあ。
部屋のなかで映画を見ながら行ったり来たりしているだけなのにお腹はしっかり空くのはなんでだろうな。ファンタビは映画館で見るつもりなかったけど、ちょうど予習できてしまったのでこの勢いで観に行くのも有りだなあ。
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gumcamanai · 3 years
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2021年に観た映画でベストテンの好きポイントを書いておく
2月はスパイダーマン:ノー・ウェイ・ホームの余韻とデアデビル視聴に時間を使ったのであんまり映画観てない。去年観た映画のことを振り返る。
・2021年公開のや���
シャン・チー/テン・リングスの伝説
なんと言っても大好きオークワフィナ!狙わないと当たらない。うおおおお!!!ってテンションでずっと観ていたのと、シャーリンが強くて最高。地下闘技場のようなところも面白かった。ドキュメンタリーも見たけど、セットも良き。
イン・ザ・ハイツ
1曲目、リン・マニュエル・ミランダのかき氷屋さんからアンソニー・ラモスのウスナビへ歌い継がれる感じのところがメタ的にも良い。キャスティング関連で肌の色について指摘があり概ね同意だけれど、曲とストーリーのところで勇気をもらった作品。あと1曲目でベニー!って呼ぶとこと値札貼るシーンが好き。見た後にしばらくサントラを聴きながら過ごした。
プロミシング・ヤング・ウーマン
細かな配慮のもとに作られていることが端々に感じられて、その上でリアルな辛さは存在している、ホラーではないけどリアルとリアルじゃなさの線がギリギリで、演出が好きだったし鑑賞後の衝撃が2021年最も大きかった。キャリー・マリガンが演じているというのもすごく絶妙なキャスティングだった気がする。
ドント・ルック・アップ
ジェニファー・ローレンス最高大好きです。となりました。ディザスタームービーでは見た中で最も好きだと思う。配信だからかちょい長いけど一気に見ちゃった。最後はみんなでご飯食べたい。そこは思い出すと泣きそう。ジェニファー・ローレンスのブチ切れる演技が好きなんだよなあ。
ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結
ジェームズ・ガン監督が好きなのかマーゴットロビーが好きなのか、いやどっちもだしナナウエもラットキャッチャーも愛おしい。ただまあまあグロい。ヒトデはめっちゃ怖い。
エターナルズ
ギルガメッシュ(マ・ドンソク)がカッコイイ。愛をこんなにじんわりと感じるマーベル映画は他にないのでは。家族愛とは違う、なんかもっと大きなものだった気がする。人類愛みたいな…?マッカリとドルイグがキュートで大好き。セナとギルガメッシュの関係も涙が出てくるけど好き。
フリー・ガイ
小ネタが面白いのは置いておいても、解放されていく感じ、ライアン・レイノルズの優しい顔が見れて良い。カフェのお姉さんが好き。
DUNE 砂の惑星
ダンカン・アイダホかっこよすぎぃ!っていうのとレベッカ・ファーガソン、ジョシュ・ブローリン、オスカー・アイザック、ありがとうございます、、キャストが好きすぎた。ゼンデイヤも素敵だった。2ではもっとメインで出てくるのかな。楽しみ。
ブラック・ウィドウ
エレーナ、MCUで最も好きなキャラ上位に食い込んできた。フローレンス・ピューのファンになった。「自分で選ぶことが重要」というのはとても刺さったなあ。ブダペストのアパートでの戦闘と、逃げ回ったあと怪我しながらも乾杯して話すシーンが好き。ラスボスの倒し方などツッコミどころの多い映画ではあったけれども。延期を重ねてやっと見れたという感じ、『ファルコン&ウィンターソルジャー』を先に観てしまったので、順序が逆だったらまた違った感想だったのかもしれない。観た後はIWを観ちゃったよね。ナターシャ〜!
ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ
尺がめちゃくちゃちょうどいい。ウディ・ハレルソンが好きだしトム・ハーディも好きだ。ヴェノムはかわいい。赤いのはヤバい。以上。
(言うほど新作映画を観ていなかった。『草の響き』を入れるか迷ったけど、原作の方が好きだったなと思ったので入れてない。奈緒さん演じる純子はかなり良かった。)
・過去公開で2021年に初めて観たやつ
ショーン・オブ・ザ・デッド
コメディを観ないとやり過ごせない日に観て、何も考えずに楽しむには良い映画だった。みんなでzで始まるあれの真似をして通行するシーン、ショーンのしょうもなさとか、ずっとクソ高いテンションでうわああああ!!!ってなれるのが良い。
スリー・ビルボード
ウディ・ハレルソンが好きだ!主人公のぶっきらぼうな感じもあ〜〜〜めっちゃわかるとか、やりきれなさもひりひりした。サム・ロックウェルの演技がかなり良かった。
マトリックス
当時見てたら訳わかんなかったか今プログラマになってたかもしれない。ギークに憧れそう。ネオ〜〜!よくGIFになってるの含め、名シーンもやっと見れて満足だった。トリニティもかっこ良いね。
クラウドアトラス
じんわりと泣けてきてしまった。私の解釈が正しいかわからないけど、同じ人の生まれ変わりではなく、1つの曲を通して描かれる別の人生たち、マルチバースでもなく、オムニバスとして見た。長かったけど、ジェームズ・ダーシーとベン・ウィショーがたくさん見れて嬉しかった。ハル・ベリーの顔をやっと覚えた気がする(X-MENで散々見てるはずなのに…)
ガタカ
舞台設定、セット(というか内装というか)が、『2001年宇宙の旅』並に好きだと思った。空間がすごく好き。イーサン・ホーク、ユマ・サーマン、ジュード・ロウみんな好きで美しくて困っちゃう、ラストはどっちの意味でも色々な感情がオーバーラップしてとてもすごかった。
ピッチ・パーフェクト2
シリーズ3作の中で一番好きだった。もちろんありがちだけど、うまくいかないところの乗り越えで先輩がああいう形で出てくるのも面白かったし、エリザベス・バンクスが好きなのかもしれない、、。
ブックスマート
どっちかというと先生のルート(高校でハジけられなくて卒業後にハジけ方で失敗した経験がある)だったので生徒たちみんなが愛おしかった。失恋はツラいけど、でも誰も悪くないんだよね。徹底して悪者を描かない意図もあったのかな。見た後の爽快感がすごい。パンケーキ?行くっしょ!fxxk!!
ハンガーゲーム
ドント・ルック・アップでジェニファー・ローレンス最高!となった勢いとNetflix配信終了日が近かったので年末に一気見した。1作目はサバイバルゲーム中心だったけど、そこから先はまた全然違ってディストピアものとしての面白さがありよかった。エリザベス・バンクスの演じていたエフィーがかなり好き。優しくて、好きなものを大事にする人。
チャッピー
所々心に刺さる。 Yolandiラブ!に尽きる。
ミスター・ガラス
ヒーローとは何か、悪とは何かを考えさせられる。暗めだったけど、能力ゆえに悪とされて扱われるって何か��に落ちないよな。シャマランすごいなあ。。アニャ・テイラー=ジョイが等身大の子として出ていてよかった。
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gumcamanai · 3 years
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ロニ・ホーン 水の中にあなたを見るとき、あなたの中に水を感じる? をみた
いざ感想を書こうと思い返していると、なんとなく佐藤泰志の小説とそれが映画化された作品群を思い出した。
多分だけど最初に感じたのは『ゴールド・フィールド』という作品だと思う。金色の薄い膜(金箔?)が少しシワが寄った状態で床に設置されているものだった。佐藤泰志には『黄金の服』という小説があるのを知っていて(まだ読んでいない)、あとはその雰囲気が『草の響き』という小説で個人的に浮かぶ風景にも近かったり、『そこのみにて光り輝く』のむなしさとか、水というモチーフで『オーバー・フェンス』の聡がつながっていく。後はテキストを読む映像で繰り返される「自殺」というキーワードが佐藤泰志自身のことに紐づいた。あとは函館とアイスランド。。?『海炭市叙景』のようにそこで生きる人々の存在感。
テキストを読む映像(テムズ川の作品で、タイトルは失念した)で何度か、きっとテムズ川で起きたことの記事からの引用なのだろうけど、自殺というワードが出てきたことで、少し耐えられなくなった。自殺、自死を消費されている感覚がした。でも別にやめろ!みたいな気持ちにはならない。ただ苦しいなって思ったし、その亡くなったとされる人たちにも家族がいたことを考える。
ガラスの作品はもうちょっと違う場所で見てみたらどう見えたのかなーとかいろんな場所で見てみたいなと思った。
『円周率』はぐるっとさせたら良いのか?ん??みたいなモヤモヤはあったんだけど「串刺すものとしての円周率」といった読解(一緒に行った人がはなしてくれた)にはかなり納得した。
一番良いなと思ったのはコラージュで、まず地図の支持体はかっこいいのでずるいのでは、はい、みたいな気持ちにはなったんだけど、見た目がまずカッコよかった。
めちゃくちゃふわっとした感想だけど、色々なことを考えられたので、見に行けて良かったなあと思う。
遊歩道は時間的に入れなかったけど、山の中にあって展示を見終わった後の空気はつめたくて気持ちよかった。春が近いけど木の枝がたくさん見えていてちょっとまだ冬を感じる場所だった。夕方でも日が落ちるのが遅くなったなあと改めて感じる。雪も少し残っていた。建物の見た目の温度と気温が合っている感じがして良かった。
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gumcamanai · 3 years
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20代のうちに死ぬと思って生きてきて30になって数ヶ月の春が近い日
すごく言い訳じみた話になることを最初に言っておく。「人生は短距離走じゃないんだから」と言われたことを何度も何度も思い出す。大学を出るまではずっと作品を作っていたいと思っていたけれど、卒制も煮え切らず情熱が下火になった。今思うと取り組もうとしていたテーマに対してリサーチや試行錯誤、素材も足りてなかった。時間をかければ良いものができるとは思っていないけれど、これは多分人生でずっとついてまわる(ポジティブな意味での)呪いだと思った。制作を頑張ろうとしてたくさんはやってなかった就活は半端な気持ちが伝わって全部落ちたので卒制後も面接には行っていたと思うし卒業後はバイトで家賃を払いながらとにかく仕事を得るために就活を続けるつもりだったが、作りたいものも結局なく、情けなく言われるがまま実家に戻った。結局そこでまたバイトを始めて、とにかく自立するためにお金を貯めてほぼこじつけで東京に出て一人暮らしを始め、その間にも興味のあることはぼんやりとずっとあって、発表の機会を得た時が一度あったその時はその時で形にすることができた。でもやっぱりまだぼんやりしていた。撮ったものかいたものを見直してまとめることそのものはいくつもの疑問と向き合う作業で、多分一生続けたいほど好きなことだ。でも情熱はそんなになかった。細々と続けて、またできそうとなった時に何かまとめることができるといいのかなとも思った。やらないことの言い訳だとも思うけど。他人は他人なのに、他人の目(そしてそれは別にこちらを向いているわけでもないのに)を気にしすぎて息苦しかった。自分のペースで続けるためには生計を立てないといけない。何をしたいという強い希望はないものの、やりたくない仕事はしたくないわがままを通して、デザインの仕事に数年かかってありついた。今はよくも悪くも仕事と生活のバランスが取れる環境でデザインをやらせてもらっている。年齢の割に入社退社の多い自分を拾ってくれた会社には感謝しかない。仕事でやりたかったことはできていると思う。まだまだ勉強が必要だけど、それも無理なくやっていけそうという自信もついた。生きるのが本当に下手だなといつも思う。
会社員になって、時々zineを作ったり、20代後半から通うようになった飲み屋さんで勧めてもらった映画を片っ端から観たり、自分からは見ないようなアニメを観てみたりした。結果マーベル作品とヒロアカにハマってヒーローとは何か、みたいなことを考えたりしていた。気になる展示があれば見にいき、決して多くはない給料からなんとか好きな作品を買ってみたりした。(ハーブアンドドロシーみたいに集めていきたい気持ちもあった)旅行に行ったら写真が撮れるから、写真を撮るための口実としてのあんまりプランのない国内旅行をぽつぽつと繰り返したのも20代だと思う。スターウォーズのボバ・フェットが言う「俺は宇宙に足跡を残したいだけ」っていうのは、やっぱり理解できなかったし、何か爪痕を残したいわけでもなく、ただ納得できるものやことを納得できる形にととのえたいだけだった。宇宙の足跡を見つけて観察したりスケッチをします、くらいのことをしたいのかもしれないとぼんやり思っている。
生活を成り立たせる、そこを目標にしていたのがそもそもまちがいだったのかもしれない。気づいたところでもう遅い。しかし、自分を大切にするってこういうことかな、とか、ああこうやって生活すると上手く時間を使えるのかもな、旬の野菜がスーパーに出てると嬉しいな、調理をしていると心が落ち着くな、みたいなことを身をもって実感した2022年の冬だった。人と比べても仕方ない、私は私なりに生きてきた、とやっと思えた冬。時間と気持ちに余裕ができて、数年間で本当にわずかだけど撮った写真を見直したりもしている。(少なすぎて一瞬で終わった)それをどうこうするわけでもなく、ただ撮ることと見返して編集することは自分にとってはそれに代わる行為がないので、わずかでもやり続けてしまうことではあると思う。
作っていないことに対する後ろめたさについて整理する。「作っていても作っていなくても生きていて良いんだよ」と自分に言ってあげたいと思う。「作家にならなくても何か作って生きていて良いんだよ」なんでそれが生き死にに当てはめられるのかかなり飛躍しているが、家族が亡くなって、その人に何を期待するでもなく、ただ、生きていてくれたらと思ったからかもしれない。何かしらのクリエイティブ(小さなバナーでもチラシでもだ)を成果物として上げてそれで生計を立てている、それがいくら商業的であっても、toBであっても、なんで価値がないと決めつける必要があるんだろう。(誰もそんなことは言ってないのだ)「作品」とは呼ばないけれど、何か作る生活は日々している。それでいったんそれはそれでオッケー、で良いんじゃない?と言ってあげたい。そこから、改めてやっぱりずっと好きで生涯かけて続けたいと思ったこと(撮ったものつくったものに向き合う作業)をやれたら万々歳じゃない?
結局泣きながらこれを書いているわけだけど、自身が納得することが重要なので、どうやったら納得できるのかをひたすらに考えて、形にしてみて、消化して、癒すための作業を続けていくのはまちがいじゃないと思う。足跡を残したくなる時がいつか来るかもしれないけど、それはそれとして、ただ、もやもやしたものをなんとかしたい。ずっとそうだった、美大に入る前も、入ってからも、その後もずっともやもやしていたことを積んでいる。アウトプットは時々で、できる時もできない時もある。多少バージョンアップをしながら、適宜必要と思えるタイミングで何かひっそりと、やっていくのが良いのかなと思う。それと仕事は別だけど。
なんでこんなことをいきなり言い始めたのかというと、最近知り合って仲良くなりたいなと思っている人に、自分の経歴を説明して、そして相手がこれまでやってきた・やっていることの話も聞いて、なんだか自分が情けなくなったからだった。学びはすごくあって、でも感情面では学びというにはあまりに刺激が強かった。その人に何か言われたわけではない、むしろ本当によくしてもらって、感謝の気持ちしかない。マジで誰も悪くない。話しているうちにどんどん自信がなくなっていく感覚があったというだけで、ここ数日の生活における達成感とのギャップに、ただただ衝撃が大きく半泣きで家に着き、帰ってきて友人と電話しながらまた泣いた。(夜時点での結論は「コンデジを買う」だった。)泣くってことは自分にとって核心に近いことだったんだと思う。
この生活の何がダメということはない。それなのに、何かやらなくてはいけない気がしていて、それがずっと苦しかった。何がだめってことはないのに。しょっちゅうやる模様替えのように、自分が生きやすくなるために、あくまで自分のための作業として、やっていけたら良いのかもしれない。(そしてこれをインターネットに公開するけれど。)模様替えの代替案はない。その作業でしか解決できないこともあって、今書いていることもその手のうちの一つだと思う。
特に持病もないのに20代のうちに死ぬものと思っていたが、29の時に、家族のためとか、家庭のことがきっかけで死ねない、今は死にたくないと思った。そのまま30になって年が明けて、自分を大切にしていい、大切にしたいし愛してあげようとか、今の自分が好きだとか、長生きしたいって、現在未来についてポジティブなことを、初めて心の底から思えた2022年の2月を過ごしてその後の3月にこうなってて、春に焦りは付き物なんだ、とも思ったりした。それでも、ここまでもがきながらなんとか生きてこられたんだし。淡々と、仕事をして生活をしてもやもやに向き合う作業をして、模様替えも好きな時にして、時に衝動的な行動をしたりしながらこの先も生きていくよ。
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gumcamanai · 3 years
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花の切手
ポストカードで文通を始めた。ガッツリメッセージやりとりするぞ!って感じというよりは、ゆったり送り合うというようなことがしたいなあとぼんやり考えている。始めてみたら書くことが延々と続きすぎず、ちょうどいい文量で書けるし、絵も描けて非常に楽しい。
花の写真が多く収められている一連の作品のポストカードブックを買ってから、私のポストカードコレクションの缶(今はGODIVAの缶だけど、ちょっともう蓋が閉まりきらなくなってきたので東京會舘の缶か豊島屋の缶に変えようか検討中)には花の写真のポストカードが大幅に増えた。と言ってもカード自体は美術作品を載せているというものだし、写真作品なので、色味や明るさ、雰囲気で選ぶし、花の名前をほとんど覚えていないから、失礼かも知れないが、花そのものが持つ・あるいは持たされている意味は無視して、作品の楽しみ方2段階のうち1段階目だけで選んでいる。とにもかくにも作品自体どれも美しいから何を選ぶのにも抵抗がない。だからポストカード選びで特に困ることはない。
問題なのは、郵便物では必要になる切手のほう。ちょうど買ってあった切手シートが「おもてなしの花シリーズ第17集」であった。案の定、無条件に好きな花から使っていってしまい、ウメとツバキはすぐに使い切った。次点でスイセン。キク、バラの使いどきで本当に悩んでしまった。バラは1枚、ギャグセンスが最高な、会ったときは毎回爆笑する高校からの友人へのカードに貼った。少しでも華やかにしたかったから。さて次はどれを使おうかとまた悩みに戻る。花を買う時にもついやってしまう「花言葉」の検索をしてしまう。ダメだとわかっていながらもつい気になってしまう。何が気になるって、郵便局で出しているおもてなしの花シリーズの切手には、全て切手の中に花の名前が書いてあるからというのもあると思う。余計気になる。残る切手はバラ、キク、スイセン。それぞれ一番上に出てきたサイトのものを挙げてみる。
・バラ  愛情、美、情熱、私は人妻
詳しく → https://www.weddingpark.net/magazine/2221/ 
・キク  破れた恋、高貴、高潔、高尚
詳しく → https://hananokotoba.com/kiku/
・スイセン 自己愛、神秘
詳しく → https://lovegreen.net/languageofflower/p26065/
いよいよ頭を抱えてしまう。検索しなければよかった。単にカードとの相性で選ぶべきだったのか。すでに使った切手の花については調べない。
そして驚いたのが、どれも検索窓に「花の名前+花言葉」と打ち込むと検索候補に必ず「怖い」がプラスされたことだ。
すでに会ったことがあり親しい間柄でもそうでなくても、地味に気にしてしまうスイッチが入るとこうなる。多分手元に1枚しか花の切手がなかったら何も気にせずに使うと思う。相手が入院していてお見舞いの花を買うときのような気遣いではなく、完全に自分が何も他意を感じさせないための防衛というか、自分が納得すればそれで良いのである。相手がもしその花言葉を知ってたとしても、それを気にして私に何か疑心を抱くような人では全くないことは承知の上だ。でもなんか気になり出しちゃったんだ、てへぺろって感じでこれを書いている。
検索しちゃって当たり前��ように後悔しているけど、この感じはお腹痛くなるのわかっていて中本の辛いやつを食べちゃって後悔するのと同じだ。ついやってしまうものなのだ。とはいえスイセンはヒガンバナ科だというのを知れたのはよかった。
そういうわけで私はしばらく花の切手を買うのをやめようかと思う。残った切手は文通用のハガキ手紙ではなく(あるかわからないけど)手続きに関するものを郵送するときの足しにしようと思う。
郵便局で直接支払いをして送るのも好きで、一時期やっていた。切手のストックを持っておいていいなと思うのは夜や土日、好きな時間に即ポスト投函できることだ。
休みが明けたら、お昼の時間に郵便局へ行って、いったんはおもてなしの花以外の切手を見繕って、楽しそうな切手を買ってこよう。
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gumcamanai · 3 years
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きっかけはzoom会議
先日仕事の中で、全員カメラONにする会議が発生したためフルメイクで挑んだ。部屋の蛍光灯のせいか、私の画面は割と青白くなる。いつものことだ。そして他の人の画面ではどう見えているのかはわからないけれど、自分の顔がなんだか暗い。なるべく明るく見えるように白っぽいベージュのニットを着たにもかかわらず、顔面が暗い。基本的には話に集中しているので映像の映る画面を見ることはないのだが、他の参加者の話をうんうんと聞きながら、ふとそっちの顔が並んでいる方の画面が視界に入ると、他の参加者の顔と比べて自分の画面は暗かった。終わった後で、みんなWeb会議用の照明導入してるのかな?と考えてもみたけれど、影になっているからではなさそうだった。不安そうな表情をしてしまいがちなのは自覚していて、直していくよう意識していて、しかしそれを差し引いても、なんというか顔が暗かった気がする。
ちょうど時期を同じくして、やたらと広告が出ていた『ファブル』を読み終わり、今度は別のアプリで毎日少しずつ無料で読める漫画を読み始めていた。数年前に途中まで読んでそのままになっていた『リメイク』。事務職だった主人公・かのこが百貨店で出会ったBAさんへの憧れを胸に美容部員デビューをして様々な困難に立ち向かっていく成長物語である。前回読んだ時は確か先輩BAさんと衝突する場面までだったと思う。今回はほぼ完結まで読んで、最後は気になりすぎたので最終巻だけ課金して読んだ。それくらい元気を貰いながら楽しく読ませていただいた。余談だけどアプリで広告見ながら無課金で少しずつでも最後まで読めたファブルは太っ腹だったのだなあ。
そういうわけでラストまで読むとお仕事恋愛含めて主人公は前向きになったり、そこに元気をもらうこともある。そしてなんといっても百貨店のコスメカウンターって怖いところじゃない!と言われている気がしてならないというか、実際怖いわけないんだけど、でも自分がいざその場に立つと、誰に言われたわけでもないのにそこにいる権利がないような気持ちになったり、結局何を買ったらいいのかわからなかったりする場所だった。慢性的に金欠な時期が続いてそもそも化粧を楽しむ余裕もなかったりで、私はゼロではないもののほとんど行ったことがない。
(そのアプリには他にも『だから私はメイクする』などお化粧することをメインに物事が進む漫画もあり、こちらは今も読んでいる。絵が好きだし、顔だけじゃなくてネイルの話も出てくるオムニバスっぽい作りで読みやすい。そしてキーになるBAさんが出てくる。その方がまた素敵で好き。)
初めてのデパコスは忘れもしない、渋谷の西武百貨店で購入したシュウウエムラのアイシャドウクリーム。その時の販売員さんはいかにもシュウのメイクですという感じのはっきりしたお化粧だったけど、再上京したばかりの私にも優しく、押し付けずにアイシャドウを売ってくれた。ちなみに先日同じ商品がまだあるか見に行ってみたがもう作っていなかった。悲しみ。さっさとリピートしておけばよかった。実際はその後無職になったので無理だった。
『リメイク』を読んでいるとアイシャドウ、チーク、リップだけでなく、お客さんの肌に合ったベースメイクやスキンケア商品もおすすめしていく、といった売り方や、新商品の美容液をつけたら肌が荒れたけどそれは疲労が溜まってたから過剰反応してしまったとか、自身のケア(美容とはここから発展していくものなのだろうか)の重要さも丁寧に描かれていた。化粧に苦手意識を持っているお客さんもちょこちょこ出てくる。主人公も最初は自信が無く、私も同じような感じだったから色々な教訓がいちいち胸に刺さった。漫画を読んでいて私は「自分の色に合うアイシャドウをBAさんにタッチアップしてもらって選びたい・・」とかぼんやり思っていた。
そこでzoom会議である。女性参加者は当たり前だがしっかりお化粧をされていて、いずれもおでこを出すヘアスタイルだった。その影響もあってか、眉毛はキリッとしていて、ケバくもなくナチュラルで、でもしっかり化粧しているというのがわかった。その人が話している時は場が明るくなるような感じさえした。明るい。話し方と、顔も、明るい。
引き続き『リメイク』を読んでいた。数日で最後まで読んだ。zoom会議で自分だけ顔が暗く���えたことが気になって、次の日の朝また化粧をしてみる。アイシャドウの色を変えてみてもあまり変わらない気がする。結局なんだか薄暗いし、濃いめのリップをしたらアダムスファミリーがうっすら近寄ってくる。
自分の肌がブルベなのかイエベなのかも正直よくわかっていない。一応ZOZOグラスを注文して診断してみたらブルベ夏と出た。なのでピンク系のアイシャドウを買ってみたりしていた。それもなんだか裏目に出ている気がする。肌の色と合ってない。
そう、肌の色と合ってない。何もかもがかみ合っていない感じ。申し訳程度に顔のうぶ毛を剃ってみると少し明るくなりはしたがそこまで劇的には変わらなかった。これはもう肌のくすみだし、それに対して合ってない色のファンデーションをつけても意味がないのでは・・・・・?ここにたどり着くまですごく時間がかかった。かかったねえ。でも気づけてよかった。
意を決して、感染対策をした上でそごうの化粧品売り場に繰り出してみた。でもどのメーカーが良いのか正直わからない。パケ買いはポイントメイクでやりたい。いつもシャネルとディオールにはお客さんが多いので避ける。RMKのネイルポリッシュを見ていたら若い販売員さんに話しかけられたけどビビって断ってしまった。結局何も試せずその日は帰宅。
アットコスメやLIPSなどコスメ情報はネットにたくさんあるけれど、自分のやりたいことがわかっていないとどれから見たら良いのかわからなかった。お化粧が楽しいことなのは知っている。かつてシュウのアイシャドウをつけてワクワクしたこともちゃんと覚えている。記憶の中の化粧品売り場を掘り起こす。ドラッグストア、ハンズ、ロフト、アインズ&トルペ、PLAZA、イッツデモ、西武、そごう、伊勢丹、フルーツギャザリング、イセタンミラー。イセタンミラー!!??フルーツギャザリングは覚えていないが、イセタンミラーはBAさん的な人いた気がするぞ?と思い検索してみた。コスメカウンターは行きづらい、、という方にオススメ!複数メーカーの製品を試すことができる、という記事や書き込みがちらほら。うわ〜これだ〜〜〜ということで、行ってみた。
おしゃれと感染対策をして、行ったら行ったでやっぱりしどろもどろしてしまう。売り場は名前の通りきらきらしている。一周してベースメイクのあるメーカーをチェックするも大体のメーカーにある。しかも結構メーカーの種類も多い。結局どうしようもなくなって、前に気になっていたRMKのネイルポリッシュを眺める。きらきらのシルバーみたいなやつがかわいい。そこへなんと販売員さんがお声がけをしてくださった。「何かお手伝いしましょうか?」そしてめちゃくちゃに緊張しながら、「ベースメイクを探してます」とネイルの棚の前で言った。すると使っているファンデーションの種類を聞かれる。リキッド、パウダー、クリーム、クッション。リキッドとパウダーなのでそう答え、どう変えたいかの話。気になるのは乾燥。そして思い切って言った、「顔を明るく見せたいです!」
たった一言だけど結構勇気を振り絞った気がした。自分がどうなりたいのかって口にするのは緊張する。なれなかったら落ち込むし。でもなんとか解決したかった。zoom会議と漫画『リメイク』のおかげで勇気ある一歩を踏み出した。
ファンデーションの種類だけでもまず3メーカーのもの、それぞれ当たり前だけど全然質感も違うし色味も違う。何より驚いたのが保湿力があるかどうか、と言う優先度づけができることだった。ファンデーションはカバーしてなんぼ、と勝手に思っていたなあと反省。この際なので下地も見直すことにした。ドラッグストアで買った日焼け止め兼下地を使っていたけど、ベース全部変えるつもりだったので紹介してもらった。
感染症対策のため、お試し中はマスク着用、最終的な確認ではマスク外のおでこ部分で実施。化粧水→クリーム→下地→クッションファンデの順だった(これはメモ)。塗ってもらったおでこ部分の潤いとツヤがすごかった。帰って化粧を落とした後でもそこだけうるおっていた。
サンプルでもらったオイルとセラムをつけて寝て、次の日、おニューの化粧品を使ってファンデまでやってみた。クマやシミはもちろん隠せるレベルではないが、全体的に暗さが薄まって、ツヤがある、何より顔の肌が柔らかい。アイブロウやシャドウの乗りも心なしか良い気がする。すごい。え!すごい!
積もり積もったダメージや乾燥は一朝一夕で改善するものではないけれど、毎日の化粧にクリームをプラスしたり保湿力の高いものを使うっていう手段があるんだなあと本気で感動した。自分も道具を持ち手段を知れば、もしかしたら化粧をもっと楽しめるのかも知れないなあと思った。アイメイクの仕方も基礎をわかっていない気がしているので、ケアを続けて肌の状態が改善したらメイク教室なるものにも行ってみたいと思った(教室があるというのは友人に教えてもらった。ありがとー!)。
コロナ禍だしデートの予定もないし職場でマスクを外すこともないけれど、zoomではマスクを外した状態だから余計に気になったのかもしれない。それでも化粧って飾るだけじゃないんだとか、化粧で保湿力ってものがあるんだとか、保湿って日々気持ちよくやれることなんだなと知れたのは、知ってて当たり前のことだったのかもしれないけど、嬉しかった。販売員さん、本当にありがとうございました。
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gumcamanai · 3 years
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映画『ゴーン・ガール』をみた
デヴィッド・フィンチャーの『ゴーン・ガール』を観た。単にタイトルから悲しい話というイメージがあり避けていたけれど、少し前に観た『ソーシャル・ネットワーク』も同じ監督で、過去と現在の見せ方ですごく面白いと感じ勇気を出して再生してみた。(正直『セブン』の衝撃が消えていないということでもある。改めて、価値観に爪痕を残してくる監督なんだと思った。すごい。)
以下は映画のネタバレを含みます。
宝探しシーンのある映画を最近よく観ている気がして、それを考えて実施できる頭の良さに憧れを抱きつつある。結婚前のエイミーとニックのやりとりは眩しくて、粉砂糖の中でキスをするシーンやプロポーズの演出はとてもキュンとした。だからこそ、その後の「クソ女」という悪態であったり、ニックの裏切り、失踪の真実、エイミーの目的や意図には肝が冷えた。マーゴのきょうだい愛はうるっとくるものがあった。いちばん優しい愛を見せていたのってマーゴじゃね?と思う。マーゴはエイミー嫌いだったみたいだけど、なんかそれも頷ける。盗みはあかんけど出てきた女の中では私はグレタが好きかなと思った。アンディがテレビカメラの前でシャツのボタンを全部留めていた状態だったのとかも、夜やってきた時の格好とはもちろん対照的だし、日本でもあった「会見ではシャツのボタンを全部留めなさい」と言われた女性のエピソードなどを思い起こさせてリアルだった。マスコミとフェミニズム。んー。あのゲスト呼んで話す番組ってワイドショー的なものなのかしら。ちょっとアメリカのテレビ事情がわからず。よくある番組の枠組みというのはわかった。
エイミーはニックを愛していたのかがどんどんわからなくなる。途中、愛がなくなったのはわかったけれど、「私が好きだった頃のあなた」に映ったニックのことは愛していたんだろうか?それゆえのラストなんだろうか。憎しみあってそれも含めて愛だっていうのか?少なくともニックは最後エイミーに主導権を握られ、支配されたと感じた。
他人から家族になるってすごいことだよね。「友人は自分で選べる家族」だけど、配偶者も自分で選べる家族ではあるのだし。それでも友人より彼氏彼女や配偶者の方が大事という「普通」とはなんだろう。いや大事にしたいのはわかって、でもみんな好きってなっちゃうからわからないのかもしれない。そのくらいの覚悟がないと一緒にいる資格ないよってことか。戸籍とか家同士がくっつくからってのもあるだろうけどなんだかまだよくわかっていない。
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gumcamanai · 3 years
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頭を落ち着かせる2022
昨日から頭がよく働くのかそうでないのかよくわからない状態になっていて、ひたすらに友人とLINEをしたり通話をして過ごしていた。月曜日だからジャンプでヒロアカを読んで、その感想を友人と送り合うという曜日恒例のイベントはあ���たが、昨日はそれでも足らずに、久しぶりの友人に誕生日おめでとうメッセージを送ったり、衝動的に登録したマッチングアプリで来たメッセージに返信をしたり、夕飯のついでに作り置きのおかずを作ったり、何か空白を埋めなくてはいけないような気がしていた。それでいて父からのLINEにはうまく返せず、とりあえずの生存確認で寒いねとかおやすみと送るのが精一杯だった。夜は何かしらの映画をサブスクで観る。今年に入ってからの習慣になりつつあるこれは若干の強迫観念も入っているが、視聴予定リストの消化ができるし毎日少しでも何かを得た気分にはなれるので悪くないと思っている。
友人がコンパクトデジカメを買って写真用のインスタグラムを始めた。彼は何かを残したいと言っていたと思う。その様子を見ていて、楽しそうで羨ましくてちょっと落ち込んだが今は持ち直した。私は大学を卒業して数年後からめっきり撮らなくなった。それでもいつかまた撮り始められると思っていたが、多分意識しないとできるものではない。それでも去年、撮るのが一番楽しかったなと思っていたのに壊れたカメラと同じ型の物を購入した。そのカメラで撮ればいいのに、何となく外にも出られず、部屋に引きこもっている。無理にやることではないが、無理にやってみても悪いことは起きないと思う、やればいいのにって感じだけど、ちょっと今はできなくて、まだ部屋でうだうだしているが、今日こそはと思いとりあえず1枚撮ってみる。撮った。
見返したときつまらなくたっていいから、何かがきっかけになるかもわからないから、0より1でいけるといいのかな。と書いていて思った。写真についてはこれを続けてみようと思う。
映画の感想を長く書こうとすると、オタク的な歓喜を含めた文章になってしまい後で恥ずかしくなるので、Filmarksにはあまり長文を書かないようにしている。それでもたまに書いちゃうけど、なんとなく媒体のせいなのか書きづらいなと思う。Filmarksで人の感想を読むときに「続き」を押すのがだるいとかそういうことかもしれない。スマホだとやっぱり長文は慣れてないから書きづらかったというのもある。そういう感じでFilmarksに書けなかった感想というのを、少しずつでも言葉にして残せたらまあ、強迫観念で観たものも消化できるんじゃないかとか、色々な思惑と、気まぐれもあるわけだけど、とりあえず書いてみようと思ったりしている。
よく考えたら土曜日の夜から少しテンションがおかしかった。Apple Musicで(行きもしないが)カラオケのプレイリストを作ったあたりから何か上に振り切れてる感じ。90年代J-POP、アニメのOP/ED曲、00年代ロキノン系、この前の紅白で聴いた割と最近の曲。悲しいとか不安だとかいう気持ちをかき消すためなのか、何も自分で作り出せないこと、空白への恐怖なのか動機がわからない。その日の昼にクリニックで体調の相談をして、過去に鬱っぽかったことはありますかと聞かれて思い出した記憶を薄めようとしていたのかもしれない。あ、思い出した。シャワーを浴びる前に、突然頭の中でチャットモンチー「世界が終わる夜に」と映画のエンドロールの映像が浮かんで、その映画がなんだったか��、入っているアルバム 『生命力』を流したのがきっかけだ。映画は『腑抜けども、悲しみの愛をみせろ』だった。
これは今なんとなく思ったことだけど、10代の死にたいと20代の死にたいの違いって説明できるかな。カウンセリングセンターであたったカウンセラーの方に「それは思春期の死にたさでしょ」みたいなことを言われたのを今でも根に持っているような気がする。愚痴ってしまうとなんとなく合わないと感じてしまったせいか思い込みが強い私はもう行くことはないと思う。
友人に聞いてみるとやっぱり相性は合う合わないがあるそうなので、そこはまあ仕方ないんだけど、相談内容から飛躍して家族について失礼なことを言われたなというのは怒りとして覚えていて、自分も家族を想う気持ちがあったんだなとか思ってしまった。
そういえばマッチングアプリを始めて驚愕したこととして、「子どもに関する希望」の欄、がある。自分は女性だが婦人科検診で不穏な結果が出たこともあり、(結局きちんと再検査をしていないのでしなければいけないのだが)子どもに関する希望というのをほぼ持っていないから、実際産む身体ではない男性が「子どもは欲しい」を選択していることに新鮮な驚きというか、なるほど?!と思って少し混乱した。自分は現時点で明確な希望がないだけで、もしできたらめちゃくちゃ親バカになるしかわいがると思う。「授かる」という表現はすごく腑に落ちる。他には「相手と相談して決める」「わからない」などの選択肢がある中で、何を選んでいるかって、私から見たらかなり結婚への価値観を形作るものだなあと感じるわけだが、実際みんなどうしてるんだろうなあと気になった。自分の画面から他の女性の回答が見えないのでなんともいえないのだけど、子どもが欲しい、という思いを持っている人は一定数いるんだろうなあ。気になる。人と出会っていく中で変わっていくことも当然あると思う。私は20代中盤で子どもを産みたい(産むなら今しかないのではという勘違いと強迫が大いにあった)と思っていて当時結婚を急ごうとしたこともある。今考えると本当に周りが見えていなかった。
なんとなくこうやって書き出してみると頭の中が整理されたように感じる。10代の頃苦悩感にまみれて鬱々としたブログを運営していたことも思い出す。そのブログは去年削除してしまったが、私はこうすることでしか対処できない部分があるんだと思う。
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gumcamanai · 4 years
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わかりやすさの罪
https://www.amazon.co.jp/dp/4023318760/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_pFrtFb9RP9WKS 
武田砂鉄著『わかりやすさの罪』(朝日新聞出版)を読んだ。
池上彰氏が『わかりやすさの罠』という本を出していたというのが面白い。「あなたはどう思うか?」「あなたはどっち?」に対して「どっちでもないよ」と言いたくなることが多い。どう思うかを答えないといけない教育。
「私も二児の母ですが〜」と前置きをして初めて与えられるかのような発言権。説得力があることは大事だが、私は都内に勤めていますが〜とか、そのような前置きが免罪符になってないか、身につまされることも多かった。
『紋切り型社会』と同様に、読んでるうちは爽快な気持ちになりはするのだけど、自分がそれを言えるかどうかって多分もう一回以上は読まないと無理そう。
4回泣けるとか、ドラ泣きとか、泣いてたまるかと思うけれど、そう思ってしまう私のような拗らせてるやつはもともと対象外なのだというのも間接的に知る。好きな映画やドラマを自分が泣いたからといって「泣けるよ!」って言いながら人に薦めていなかったかを不安に思う。 
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gumcamanai · 4 years
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弱虫ペダル
最近コロナの影響で映画館に行けていないので、サブスクで観たものの感想を書く。
2期にあたる『弱虫ペダル GRANDE ROAD』の3日目あたりを片手間に流していたら、突然面白すぎるなこれと思って一気にハマって最終ゴールまで釘付けになり、あらためて1期→2期の観ていなかったところまで追いつき、さらに3期・4期もがっつり観て続きが気になりすぎて49巻(インターハイ2日目の夜)から4月時点での最新刊までコミックを大人買いしてしまった。ついでにスピンオフらしいSPARE BIKEも全巻買って読んだ。
自転車(とくにロード)には特段興味がなく、かろうじて持っていたママチャリも前回の引っ越しで手放したし週間少年チャンピオンの漫画自体読んだことがなく本当にアウトオブ眼中だった作品なのだけど、AppleMusicでOP/ED曲をプレイリストに入れるなど自分でもびっくりするくらいハマった。
なんでこんなに面白いと思ったのかを考えると、当たり前にキャラクターがぶっとんでいて魅力的なことはまずいえる。けれどそれよりも、(アニメは特に)ロードレースの大会で走行中に何度も回想シーンが挟まれるので、インターハイまでのあらすじが頭に入っていなくともそのキャラクターがどういう経緯でそこにいるのかが自然と把握できる。こんなことを書くと怒られるかもしれないが、レースは基本走っているだけなので、視覚的には見てなくても話の流れがだいたいわかる。もちろん、めちゃかっこいいカットもあるので、観た方がいいことは確か。一応勝負のゆくえは誰かがセリフで言ってくれるので、そこまでしっかり観てなくてもこのキャラの言葉遣い好きだな。。とかそう言う感覚でどんどん引き込まれていってしまったのも事実。実際アラキタの「期待以上だ!小野田チャン!」や御堂筋の「さーかーみーちー」とか特徴的な喋り方が多いからかもしれない。鳴子の「カッカッカ」もそうかな。
キャラソンや舞台にも展開されていることから、キャラクターがとても魅力的な作品なんだなあ、、とそのあとじわじわ分かってくるのだけど本当にそのようだった。ちなみに私は御堂筋くんの運の無さと純粋さ、幼少期の可愛さ、アラキタの現実がひっくり返る瞬間とフクちゃんと呼ぶところに胸を打たれました。新開に対してのあれは酷いなと思ったけれど、勝利への執着がすごい。あとは2期で最悪やんこいつ!と思った広島呉のミヤ、スピンオフで過去エピソードが出てきて、これは単純に趣味として刺さった。映画『青い春』とか『BLEACH』とか好きだったのが関係しているのかわからないが条件反射で熱くなってしまった。
1年目でモブっぽかった2年の先輩たちも、2年目では更に熱いところをみせてくるし、この人たち何..え..こんな顔だったの...ってくらいアニメ版の顔も変わったり、インターハイでもめちゃめちゃ泣かせてくるし...。
実際に物語の深読みをする必要があまりなく、ただただ熱くなれるという点で、スポーツ系の作品は気分転換にもいいのだなと感じた。
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gumcamanai · 5 years
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パラサイト
ポスターで消された意味深な脚が気になっており、続々と鑑賞していく友人たちを横目につつ、「映画館でみたほうがいい」という友人の感想をきき、アカデミー賞受賞(が理由かはわからないが)後に上映館が増えたしってことで観に行ってきた。
雨の中必死で走る街の風景、石の描写
カメラワークの意味については感想ブログで知った
『万引き家族』が引き合いに出されているが、内容に関して言えばそれはなんだか毛色が違うのでは。と思っている。いまのところ。
しかし映画の凄さや力については『万引き家族』と同じようなものを感じた。
人の死というものによって社会の目にさらされるようになること
見えていないものはないものとおなじ としていた社会はそのできごとによって背後にある問題を見えていないものとはもう言えなくなる
フィクションはこういう形で、現実の出来事を起こさなくても社会に知らせることができるのか。という改めて気づくことがあった。
登場人物がなにか行動を起こすたび、自分の中でのモラルと価値観で葛藤のようなものが起こりその答えが出るまえに次々と展開されていくストーリー、わりと長尺な映画だったのに途中ちっとも退屈しなかった。
そういう意味でいくつかのレイヤーでのインパクトがある作品だったなと思う。映画館で観てよかったです。
2020/02/16/Sun
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gumcamanai · 5 years
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Mary Poppins
「17番地には暴風警報が出ている 嵐だぞ」 「凧を追って迷子になったんですよ」 「見かけで判断しないで バッグを甘くみてはだめ」 「始めがよければ半分やったも同じ」 「風が変わるまでは」 「笑い方を決められない人」 「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」 「鳥と星と煙突掃除人だけ」 「はっきり申し上げます 説明など無用です」 「回転木馬でダービーに優勝する」 「完璧な人間は感情にはおぼれないの」
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