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hinomiho · 4 years
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2020 /10/28 19:04
栗、レオナール藤田、柄が好き
 
 昨日帽子をアップした。見てくださった方、お買い上げ頂いた方ありがとうございます。
 ここ数日、帽子作りを中心に行っていた。生地選び、接着芯はり、裁断、縫製など今自分一人でやっているが(別に苦労話をしたいわけではない)、めちゃくちゃ楽しい。何が楽しいかと言ったら、柄合わせである。柄〜柄〜全部がら〜、作っている帽子はリバーシブルで、今回は9個作成したので、18個帽子を作ってそれを中表に縫い合わせ裏返して、ハトメを空けてそして最後、帽子と合う生地を選んで、リボンを作る。
 帽子片面5パーツ×2+リボンで11片のパーツによりあの帽子はできている。11×9の99パーツ(9という数字が私は好き)を、持っているスカーフや生地から選んでいく。
 まず使いたい生地を選んでいき、接着芯を貼り裁断していく。この組み合わせにしようと、5パーツをはじめに決めるときもあるし、決めずに裁断するときもある。
 一枚のスカーフからいっぺんに、最大数を裁断はしない。大体帽子2、3組ずつくらいのツバの部分だったり中間の部分だったりを切っていく。
 いっぺんにパーツを裁断しない。必要な分を全部裁断して柄を決めると、大味になる。裁断しながら、いい組み合わせを見つけていく。(けど決定ではない。)パーツはきっちり枚数分裁断せず、多めに切ったりして、有余を作っておく。
 まず表(仮)の9個を先に縫う。それからまた裏の9個分を裁断する。
 私はリバーシブルが好きで、いろんな表情を作りたいと思っていて、一つのイメージに囚われないのが良いので、前と後ろの柄を変えたり裏表全然違う雰囲気にしたりする。逆に、優しい色味だったり、同調させた裏表の雰囲気を作ったりする。表は派手で被りづらいときがあるかもだから、裏はそれを気にしないでいられるような色味とか(私的に、笑)にする時もある。全体の帽子の雰囲気から足りない要素を足したりすることもある。
 その都度作りながら、色味を自分の感覚で調整していきリズムを作っていく。
そして、それを見越しての裏面9個の裁断をする。
 縫製し、表裏の組み合わせ作業。柄とか色を決めるときに重視しているのは、組み合わせた柄を見たときにドキっとするかどうか。どきっとワクッとする柄の組み合わせになるまで、このときめきがあまり得られない組み合わせは’何かが違う’ので、変更したりして、はい!!きた!という時が来るまで組み合わせを考える。
 この何かが違う、ということは非常に重要であると思う。
たくさんの生地やスカーフから柄を’’在るものから’’選ぶので、使いたい色や柄ばかりではない。自分ではじめから絵を描いて理想の色を決めていくのとは少し違う。(と言っても、絵を描くときに理想の色になったためしはない)
 使いたい色や柄でなくても、複数合わせることによって互いの色、柄が活きて、リズムをもって、カオスのまま、調和することができる。これを考えるのが楽しい。
 
 淀まない、沈まない、輝ける色の組み合わせ。
これは全部私の主観によって、行われている。
 先日、福岡市美術館で行われているレオナール藤田の展示に行ってきた。
 すごく、好きだった。
 自身が着る服を仕立てたり、妻に送る服を作ったり、絣やバティックなどいろいろな多くの生地も収集していたようだ。初めて?パリに行ったとき、妻に、パリのファッションの新しさ、その時の驚きや、妻に作ろうとしている服の絵なども描いていて、手紙に何通も出していた。その手紙を見て泣けてきた。たのしさがすごく伝わったのだ。。(その後妻への手紙は激減し離婚するらしい、切な、、)
 私は10年ほど前、男性の服の作品を作っていた時期があって、その時のリサーチでレオナール藤田を調べていた。(調べていたと言ってもその風貌などの写真)
リングのピアスをしているのが印象的で、髪型とメガネも服装もその人自身を表していて好きだったのだが、自分で裁縫したり、服をデザインしたりしていたのを今回の展示で知った。その作ったものたちにとても愛情が感じられて、愛情というか、エネルギーのようなものは、作ったものからやっぱ伝わるよな、、って心が暖かくなった。
 自分の心に沿って食べたり作ったり、動いたり着たり、の心地良さ。
 
そして、今日。連日、帽子の写真撮ったり画像編集アップ作業により、色柄を決める能力が低下したので(満足している状態と言ってもいいのかも)別のことしようと思い日記を書いている。
 この間、栗の渋皮煮を作ってみた。時々スーパーに皮を剥いてある栗が売っており、私は栗が大好きだったということを思い出し、笑 このシーズンは栗ご飯をよく作っている。渋皮が残っている栗が売っていたので渋皮煮を作ってみたけど、砂糖を減らしたのがよくなかったのか、ぼやっとした味になった。栗ご飯の方がすきかもしれない。
 その渋皮煮の煮汁が明らかに、布染まるぜ、という顔でこちらを見ていたので、煮汁を残しておいたので、それを使って今日、古い絹の生地と白地に花柄のシルクのスカーフの切れ端を染めた。絞り染めを学生ぶりにしてみたけど、絞りが甘くて模様が出なかったが、縛っていた麻紐がきれいに染まったので嬉しくなった。途中の絹の生地が麻紐で縛られた状態が可愛かった。
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hinomiho · 4 years
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2020 /10/12 12:28 曇り 晴   語りたくなったなら素直に言葉にすべし
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 エスエヌエスのおかげで興味あることとか政治など、情報は共有したりすることが簡単にできるようになった。誰かの言葉をそのままリツイートしたりして、自分はこういう考えだよ、みたいなことが示しやすくなった。知らない情報とかもすぐに届くのでありがたい。
 ありがたいけど注意しときたいことが自分的にあるような。
 
なんか自分の言葉忘れそう。
その都度自分フィルターに通して言葉にしておかないと言葉忘れそうな気がしてきた。ここ数年あんまり言葉に重点を置いてなくて言葉の表現力みたいな落ちている気がする。もともとそんなないけど、出てきた言葉を素直に出す。語りたいことを語る。
 気の合う人にはめちゃくちゃ語っている。これでもかと語る。
最近家にいて作業することが多くてあまり会話する機会が減ったのでついつい久々にそういう人と会うと鼻息を荒くして話している。
 対話は特にすごい力を持つと思う。一対一は深く話せる。頭の連想が早くなっていろいろな事柄と結びついて相当楽しい。何をしなくても、遊ばなくてもそういう対話をできるとかなり満たされる。細胞が喜ぶ。割とというか、かなりそういう対話が大好きだということに最近気づいた。最近気づいたけど多分ずっとそうだった。
 間違いとかあっているとか関係なくそのとき話していることの真理みたいなものを追求して話すのが好き。できれば有機的に広がっていく会話がいい。誰かの思惑で話が足し算されていく会話にはあまり魅力を感じない。
 誰かにこう言われるかな、こう見られたいをできるだけ脱いで出てきた言葉を素直に出したい。できなくてもいいから 
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hinomiho · 4 years
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2020/10/7 水 10:30 瞬間の瞬という漢字がわからなくなった話
朝、7時半くらいに起床して、なんとなく憂鬱なのと頭がごちゃごちゃしていたため、なんか言葉にしてみようかなと思って、日記をノートに書いてみようと思った。
 なんか今使っているいろいろ書き留めるためのノートに書こうと思ったけど、それは絵とかアイディアとかが中心だったのでやめた。
 大体こういうときは新しいノート欲しいと思って買いに行ったりするんだけど、やめた。
 ノートというものが好きで、ノートが高くても全然気にならない。フランスに行ったときにノートを買ったけどそのノートは1万円した。高いとは思わなかった。
大体、棚を探すと使いかけのノートがあるので、探してみる。10年くらい前、
”ピカソも使っていたモレスキンのノート”みたいな触れ込みのモレスキンにハマっていて、(あっさりそのブランディングにハマってしまった気がするが、今は広がりすぎてその魅力は薄まってしまった気がする)手帳くらいのノートを割と何冊か使っていた。
 そのうちA4サイズの横線の、それもモレスキンのノートを発見した。
ここのがっこうというデザイン塾が福岡でもあったのでそれに9年前に通っていた時の使いかけのもので、相当雑な使い方をしていた。
 
 横線も気にしてないし、数ページ空白の後になんかメモしていたり、もったいなさ満点。パラパラめくるとなんか面白いと思うことがちらほら書いてあった。(恥ずかしいクソみたいなことも)
 半分近く残っていたのでこれに書くことにした。
大体、ノートなどはいろんなものを挟む傾向があって、モレスキンのノートにはポケットが付いていてそれに、葉っぱやらその時のプリントした絵やキンコーズの料金表やらその時出会った人にもらった名刺やらが入っていた。それらを断捨離して拭いたりして使ってみる。
 誰に見られるでもないもので目的は自分の頭の中の整理なので、思いついたままに手で書いていると、ほんと、人には見せたくないなーみたいなのがすらすら出てくる、笑える。
 文字を書くのは好きで習字を習っていて、割と続いた習い事だったけど、なんとなくまた習字とか何か別の形で文字を書いたり習ったりしたいなーと思う。
 そうこうしているうちに、感情を吐き出すことに飽きた。なので落書きやら、昨日、本とかyoutubeを聞いて、よかった言葉などを思い出して、メモしていると、瞬間の瞬という漢字が書けなくなり、すぐ調べようと思ったけど、自力で思い出してみようとか思って何度か書いてみると全く変な形しか出なくて、でもぼんやり瞬という字はあって、そのぼんやりを形にしたくてもなかなか出てこなかった。
 諦めて調べて、ああこれか、と思ったけど何回か書いていると瞬の字もなんかおかしく見えてきた。(これ、あれですよねなんとか崩壊ってやつですよね)
 
とか、やってるうちに朝の少し憂鬱な気分は消え、すっきりと作業にのぞめそう。
 言葉ありがとう。言葉ってほんとすごいですね。
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hinomiho · 4 years
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2020 /10/2 23:50 晴れ
 今日は満月。
満月の前後数日はだいたい、夜中の3時4時頃に
眩しさでばっと起きてしまう。西側に窓があり
ちょうど水平に近く大きく見える時で、
大体ハッと反射的に起きるため、
寝ぼけ眼でみる眩しく黄金に輝く月は、
いつも
“私を見て”と言っているようだ。
自分だけしか月を見ていないような気になって
しばらく見つめる。
対象を見つめる時、あちら側もこちらを見ている。
その時は私とあなたでしかない。
韓国の友人からHappy lunar new year to u !とメッセージが届く。
嬉しかった。
私たちは同じ月を見ていると返した
同じ月を見ているけどその人それぞれの月との時間を過ごしている
そんな感覚が好きだ
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hinomiho · 4 years
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日記 2020/9/28 13:53 晴れ
 先日一日遅れの日記という企画に参加させてもらって日記を書いた。
言葉にしたり、文章にしたり、今までやってこなかったけどすごく楽しかった。
 最近考えていることを文章にしたり、まとめたりして書き留めておきたいという願望があってこれを機に試してみる。
 あまり作為がある感じが苦手なので、勢いだけで頭に浮かんでいることを書くことが理想なのだが、すでに頭の中は、日記で文章を書くぞモードの文体で会話や、語りが始まっており、完全に無作為に言葉を出すことってなんだろ〜とか思った。
 そもそも言語は言葉にならないボヤーっとした漠然としたイメージのようなものに、名前をつける作業みたいなもので、10似たような感情や状況が合ったらそれを一つの言葉でカテゴライズして同種の人間に伝える、自分が理解して安心するという現象?行動?だと思っているので、そこからあぶれた感情などはどこにいくのかー、と、言葉の難しさを感じる。
 朝吹真理子著の抽斗の中の海という本を結構前に読んだ。すごく好きだった。言葉ってこんな豊かで美しいのかと思った。情景や、匂いだとかが感覚として届いてすごく楽しい本だった。
 作者は、小説にするため言葉を出す前に、言葉になる前のイメージボードを作って創作を始めるそうで、それも妙に納得した。言葉は言葉から始まるのではなく、言葉にならない何かから始まるんだということを思った。
 
そんなことを考えているとだいぶ前に読んだWIREDというサイトの記事を思い出した。
 ロードオブザリング の原作者は、膨大なスケッチを原稿を書きながら描いていたらしい。原稿が進むたびにスケッチを描きそのイメージを言葉にして加えていき、スケッチもまた原稿を書き進めるた���に描き加えていったらしい。
 “180以上のスケッチ、図、地図、碑文、彼が発明したアルファベットなどが含まれている”
本の完成まで17年間。人間の想像力の凄みを感じる。
  
 何かを創ったり、絵を描いたり、その他いろいろな芸術活動は言葉にならないものを表していると思うけど、言葉でしか表せないこともあるんだということを感じる。
 言葉はモヤッとした実体のないものに輪郭を作り理解させ、客観視させてくれるので人にとって癒しでもある。漠然としたものに恐れを抱くのは人の性なのか。
 
 私は、昔からなんとなく研究者や、哲学者、思想家に憧れている。
最近は明確に、そう言ったものに対する憧れを形にして自分なりにやっていきたいなと思っていて、自分を通して感じたことを、作ることや語ることを通して、表していきたい。自分なりの真理みたいなものを作ることー、それが自分の喜びだと最近はっきりとそう思った。
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