Tumgik
hondanaquotes · 27 days
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人生のなかに存在する多くの対極に対して、安易に善悪の判断を下すことなく、そのなかに敢えて身を置き、その結果に責任を負うことを決意するとき、その人は大人になっているといっていいだろう。それらの対極はハンマーと鉄床のようにわれわれを鍛え、その苦しみのなかから個性というものをたたき出してくれるのである。
『大人になることのむずかしさ』 pp. 154
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hondanaquotes · 27 days
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個性などというものは、考えてこんでいて見つけ出せるものではない。自分の人格の分解しそうなぎりぎりのところに身をおいてこそ、自ら浮かびあがってくるものなのである。
『大人になることのむずかしさ』 pp. 153
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hondanaquotes · 27 days
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大切なことは、自分のコントロールを超えた存在を認識すること、それとの関連において、自分という存在を考えてみることができることなのである。そのことは、自分の意志で完全にはコントロールできない自分のからだを、わがこととして引き受けることの背後に存在しているのである。  アンナとマーニーの交友は、まったく秘密の誰も知らない出来ごとであった。人間が自分のたましいとの接触をはかり、自分という存在の個人としての確立をはかろうとするとき、そこには何らかの秘密の存在を必要とする。こころとからだをつなぐものとしての性が、しばしばたましいの問題と密接に関連するものとして、秘密のヴェールに包まれるのも、このためである。性はいやしむべきもの、汚れたものとして隠されているのではなく、極めて意味深く、尊重すべきものとして隠されているのである。
『大人になることのむずかしさ』 pp. 90-91
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hondanaquotes · 27 days
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『思い出のマーニー』を読んで、筆者が感じたことは、人間存在というものを考えるとき、こころとからだという二つの領域のみでなく、その両者をあわせて全体性を形づくるものとしての第三領域の存在を仮定せざるをえないということであった。アンナはからだが悪いのでも、こころが病んでいるのでもない。彼女の第三領域との接触がうまくいっていなかったために、いろいろと問題が生じていたのではなかろうか。そして、彼女の幻想のなかに立ち現れたマーニーこそ、その第三領域からの使者ではなかっただろうか。この第三領域について、筆者は今のところ、それほど詳しく確実に語ることはできないが、それが古来から、たましいと呼ばれてきたものではないかとは思っている。 (…) 未開社会におけるイニシエーション儀礼の場合のように、社会に属するすべての成員が、祖霊とか神とかいう超越者の存在を信じている場合は都合がいい。そのときはその超越者のはたらきによって、修練者の「実存条件の根本的変革」が、集団的に生じることになる。しかし、現代においては、そのような集団的変革はもはや生じなくて、個々の人間が個々に大人になるより仕方なく、そのときに、それぞれの人間は自分なりに、自分のたましいとの接触を必要としているのである。己を超える存在の認識が、大人になることの基礎として必要なのである。
『大人になることのむずかしさ』 pp. 89-90
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hondanaquotes · 27 days
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社会の進歩ということを考え、人間の個性ということを大切にするかぎり、われわれは集団として制度的なイニシエーション儀礼を行うことはできない。もっとも、現代においても、一応「成人式」は存在しているが、そこに生じる本質において、既に述べてきたようなイニシエーション儀礼とは異なったものとなっていることを、認めねばならない。したがって、個人としてのイニシエーションは、個々人に対して思いがけない形で生じてくることになる。ただ、その本人もその周囲の人も、せっかく生じてきたイニシエーションの儀式を、それと気づかずに、馬鹿げたこととか、不運なこととか考えてやり過ごしてしまうことが多いのである。
『大人になることのむずかしさ』 pp. 50
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hondanaquotes · 4 months
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亜美を愛していない崇志さんしか、亜美の心にぽっかり空いている部分は埋められない。亜美は誰からも愛されるという究極のさびしさを知ってしまっている。亜美を愛するたくさんの人たちは、少なからず彼女に幻想を見ている。こうあってほしい、さすが亜美ちゃん、それでこそ亜美。みんな口々にそう言って、彼女の美しさや素直さを愛でて安心してきた。彼女は無意識のうちにその期待にこたえて息苦しくなっていった。あんなに自由そうに見える彼女が、これほどの窮屈さを世界に対して抱えていたとは。自分を囲う見えない檻から抜け出すために、彼女は自分の世界の外側にいる人を選んだ。つまり、自分を見つめる人ではなく、自分が見つめられる人を。
「亜美ちゃんは美人��『かわいそうだね?』 pp. 250
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hondanaquotes · 4 months
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「(…)小さな変化なんです。いままでそうやって周りに感じる齟齬をなくしてうまくやってきたから、必要なギアチェンジでもあるんです。でもふと自分が変わってしまったことに気づくと、さびしい。とりかえしのつかないことをしてしまったと感じるんです。変わって当たり前、自分に正直でいたいなんて、わがままで未熟な考えだ、人はそれを前向きに"順応"と呼ぶ。でもわがままで未熟だからこそ、守りたい部分もある。自分にしか価値のわからない指針を、人の迷惑も顧みずに大事にし続けるのって、ある意味究極のぜいたくですよね。でもぼくは生きるためにその重荷を一つ一つ地面に落っことして、なんとかちっぽけな気球を気流に乗せ続けている」 「でも小池くんが変わるように、亜美も変わるよ」 「確かに。彼女だけ変わらないでいてほしいなんて、傲慢ですね。美は常に他者のためにあります。当人はいつも鏡を持ち歩いているわけではない、ナルシストでもない限り、常に自分の美しさに酔いしれるなんてできない。だから自分の美の利潤を享受するために、容姿の麗しい人たちは、美を他者との交渉のための武器にするんです。しかし亜美さんは自分の美を利用しなかった。彼女のそんなところに、ぼくは、憧れていた」
「亜美ちゃんは美人」『かわいそうだね?』 pp. 236-237
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hondanaquotes · 4 months
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相手を憐れんでから発動する同情心は、やはりどこか醜い。みんなもっと深い慈愛を他人に求めているし、自分にも深い慈愛が芽生える可能性を信じている。  困っている人はいても、かわいそうな人なんて一人もいない。  阪神淡路大震災のとき飴をくれたボランティアの人、ごめんなさい。あのとき私と姉は、一粒ずつでもいいから、飴をもらっておくべきだった。飴は、地震で家を失い困り果てている、かわいそうな子どもだけのものではなかった。人間全体に向けられた親切と激励だったのに、私たち姉妹は、自分たちはかわいそうではないからと、飴を食べなかった。あれは、間違っていた。
「かわいそうだね?」『かわいそうだね?』 pp. 153-154
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hondanaquotes · 4 months
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私と隆大は唇を重ねて、その瞬間に言葉を交わすことでは決して伝わらないものが、なにか光って消えた。
「かわいそうだね?」『かわいそうだね?』 pp. 111
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hondanaquotes · 7 months
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つまるところ、ストレスは出来事自体に固有の特性ではなく、私たちが出来事にどのようなレッテルを貼って、どのように反応するかの結果なのだ。
『身体はトラウマを記録する』(柴田裕之訳) pp. 524
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hondanaquotes · 7 months
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トラウマを負った人が、「セクシー過ぎた私がいけなかった」「他の男たちは怖がっていなかったのだから、彼らこそ本物の男だ」「もっと分別があれば、その通りを歩いたりしなかったのに」といった不合理的な思考を抱いていることに疑問の余地はない。いちばんいいのは、そうした思考を認知的なフラッシュバックとして扱うことだ。悲惨な事故の視覚的なフラッシュバックを経験し続ける人と議論しないのと同様に、そのような思考についても議論しないに限る。それはトラウマを引き起こした出来事の残余だ。
『身体はトラウマを記録する』(柴田裕之訳) pp. 405
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hondanaquotes · 7 months
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幻覚は、病んだ脳がでっち上げたものにすぎないのだろうか。人は一度も経験したことのない身体的感覚を勝手に作り上げられるのだろうか。創造性と病的想像の間には、明確な境界があるだろうか。記憶と想像の間には?
『身体はトラウマを記録する』(柴田裕之訳) pp. 49
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hondanaquotes · 7 months
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「我々の苦しみの最大の源泉は、自分自身に語る嘘である」
『身体はトラウマを記録する』(柴田裕之訳) pp. 26
著者の恩師エルヴィン・セムラッドの言葉
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hondanaquotes · 7 months
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「気がついたのです。もし薬を呑んで悪夢を見なくなったら、私は友を見捨てたことになり、彼らの死が無駄だったことになってしまいます。私はヴェトナムで亡くなった友人たちの生きた慰霊碑でなくてはならないのです」と彼は答えた。  私は啞然とした。トムは死者に対する忠誠のために、自分の人生を送れずにいた。戦友を思うあまり彼の父親が自分の人生を送れなかったのとちょうど同じように。
『身体はトラウマを記録する』(柴田裕之訳) pp. 22-23
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hondanaquotes · 7 months
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想像の水母がどうしても溶ける
『池田澄子句集』 pp. 46
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hondanaquotes · 7 months
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ベルは「記憶をコンピュータに移すと、ある意味すっきりする」と言う。思い出を捨てて、すっきりするのだろうか。乱雑であてにならない関連付けから逃れられて、すっきりするのだろうか。私たちはそういうふうに「すっきり」したいと思っているのだろうか。  マルセル・プルーストは自分の記憶――明確なものも忘れてしまっていることも――を掘り起こし、つくりなおして、『失われた時を求めて』を書いた。しかしプルーストがコルク張りの部屋で仕事をしているとき、記憶から“逃れよう”としていたとは誰も考えない。ジークムント・フロイトによれば、私たちは覚えているものからだけでなく、忘れてしまったものからも、ものごとの意味を理解するという。忘れるのには何か動機がある。忘れたという事実が、自分が何者であるかのヒントを与えてくれる。プルーストが覚えるのに苦労したことは、すぐ思い出せることよりも重要だ。彼は闇から取り出した記憶の中に自分がいることに気づいた。
『つながっているのに孤独』(渡会圭子訳) pp. 521
たまたま前回引用した『思考の整理学』と全然ちがうことを言っていることに気づいた どちらも面白い
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hondanaquotes · 8 months
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忘れるのは価値観にもとづいて忘れる。おもしろいと思っていることは、些細なことでもめったに忘れない。価値観がしっかりしていないと、大切なものを忘れ、つまらないものを覚えていることになる。
『思考の整理学』 pp. 115
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