hosoudehanjouki
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Went to a cafe. It was such a blessing to have a friend who can just chat and chill together.
We took photos of ourselves with my camera.
Until just a few years ago, she was deeply depressed and didn’t reply for my messages. But suddenly God worked and she began to recover. I am surprised to see God’s mysterious work.
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Today I went a part time job. I was a staff member of the concert. Checked tickets, watched people attend the concert and if there were troubles then helped them, and most of the time… I was just sitting on the sofa.
If I can get money for just sitting on the sofa, how easy the life is! I was exhausted though, it was one of the most easiest job I’ve ever had.
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I found my schoolmate’s blog today. He updated it on his instagram. He wrote about his life with Jesus. I was surprised by the way he wrote about how God communicated with him. It was so different from my way.
But at one point, this experience encouraged me to write more, and write about my life with Jesus without hesitation.
It might encourage someone in somewhere. If so, it’s worth writing.
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I drove my grandma’s car. That’s my first time to drive alone. I went to a supermarket, my new part time job place (also a supermarket) , and then a shopping mall.
I drove for a 1 hour. It was also first time to drive such a long time.
After I became 30, I have been trying new things. Driving a car, playing ukulele and piano… every try is my treasure.
I want to be a person who keeps trying at any age.
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I went see my friend from my high school today. She’s been living in my hometown for 10 years. Now she has 2 kids and good husband.
We just chilled at the sofa, looked her child and stayed doing nothing.
I’m so lucky to have a friend who can stay together doing nothing. Many people I know become irritated or start talking in the same situation. But I hate that kind of action.
That silence made me realize I am the silent person. That was important notice.
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Reading the bible together was such a great time. I was too exhausted to read the bible by myself, but I felt the joy from the bottoms of my heart. Only bible can help me to get out of the depression. Only Jesus can comfort me and strengthen me.
「The Lord is my shepherd, I lack nothing.」
Psalms 23:1 NIV
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Today I had a zoom meeting with my schoolmates. Singing worship song together was very comfortable. Looking at their face, I found I love them do much. Thank God that I had such schoolmates. One of them has never shared his thoughts before, but nowadays he explains his feelings well. I really like that :-)
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Today I went to a tourist spot famous for hot spring with my mom. She’s going to drive there with her friend at the end of July, so she wanted to look at the hotel and some places beforehand.
Afterall, the drive was great. I played some korean worship songs in the car, and we talked a lot. She tried an ice cream which is said to be famous at the place, and I tried a pie.
We enjoyed the great view, checked the tickets of the trolley train, and have a nice lunch.
This week I was in a huge depression, and I was afraid I couldn’t come back to be normal conditions. But thanks to this trip, I became almost okay. Great view and nature helped me to get over.
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I started an application named Practica. It’s for improving speaking English. There are AI teachers in the app, and they give ten-minutes lessons.
After waking up at 3PM, I talked with AI teacher John about working abroad.
If it’s a real teacher, I could never have lessons just after waking up with massy hair. It’s good tool for the practice. People can use it anytime, anywhere.
Wow, feel like living in the future.😎
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Today I was exactly like Lazy song by Bruno Mars.
It’s already 3PM. And I’ve done nothing.
I have to clean dishes, do vacuum, and wash my face.
Then go out to buy some groceries and make supper for me and my mom.
Omg how much I have to do…
Buy now okay, let’s do it. With playing the radio.
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The first term of my second grade is over. I was so exhausted and slept for 12 hours a day last 3days.
Now I’m fine, so it’s time to reboot my tumblr! I’ll try to use this field for improving my writing English. The goal is to write my feelings in English with no stress!
So let’s get started.
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わたしの中には、わたしのして欲しいことを全部知っていて、全部してくれるもう1人のわたしがいる。
たとえば、お腹が空いているし喉も乾いているけど一歩も動きたくないとき。わたし1人なら、動かないまま時間が過ぎていく。
しかしここでもう1人のわたし(以下:わたしB)を召喚する。方法は簡単。寝そべっているわたしの脳内で、わたしの頭を覗き込むように立っているもうわたしBを思い浮かべる。
わたしBは言う。「さあさあ、いつまで寝そべってるの。お腹空いてるんでしょ、何か食べないと」
そしてそのまま冷蔵庫のまえまで行き、扉を開けて中身を確認。適当に食べるものを見繕って、「ほら、食べるものちゃんとあるよ。おいで」と言ってくれる。
わたしはそこまで想像して、「はあい」と返事をし、起き上がって冷蔵庫の前まで行くのだ。
わたしBは、わたし自身がどんな言い方をしたらやる気が出るかを知っている。どんな励まし方をしたらわたしが動き出せるかを知っている。そして、その通りにしてくれる。
わたしBに、わたしの一番心地よいやり方で励まされて初めて、行動できるときがある。
ただ注意点は、わたしBを必要とするとき、わたしの精神はかなりの段階まで追い詰められているということだ。
つまり、いま、とても危ない。
果たして、わたしBを召喚して、この危機を乗り越えられるのか。
神様、一つよろしくお願いしますね。
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本はともだち
本は友達だ。気楽に、他愛のないお喋りをして、またね、と手を振って別れるような、そんな友達。
クリスチャンとして神学校��通うくらいには信仰熱心な私にとって、聖書は神様のことばであり、指針である。
聖書は、親のように道から逸れていることを指摘してくれたり、長年の付き合いの友人のように助言をしてくれることもある。
しかし、正しくあり続けることのできない罪人である私にとって、時にその聖さを負担に感じることがある。
そんなとき、本を読む。なんてことない日常を描いた小説。何かに熱中している学者のエッセイ。ちょっと変わった志向のルポ。
そういう本たちに、何度も助けられて来た。
仕事をしていた時は、ストレスが溜まると本を読み漁っていた。しかし神学校に入ってからぱったりと読まなくなっていた。仕事をしていた頃と比べ物にならないほどストレスが減り、読む必要がなくなったのだと思う。
しかし夏休みに入り、予定していたアルバイトをキャンセルせざるを得なくなって、手持ち無沙汰になった途端、本が恋しくなった。
いい歳をして学生になり、無職になった私は、手持ち無沙汰な時間ができると無力感に襲われる。
もともと考えすぎる性質があるので、収入も家庭も若さもない自分と向き合い続けるとネガティブまっしぐらになってしまう。それは精神的によろしくない。
そんなとき、本はその沼から私を引き上げてくれる、友達の役割を果たしてくれるのだ。
久々に地域の図書室に入り、目に留まった短編小説を読んだ。活字を追い、物語を頭のなかで立体的な風景として味わう。ただそれだけで、自分のネガティブな気持ちは些細なことに思えた。
小説はいつも、そんなこと考えてもしょうがないよ、前向いて生きていこうよ。とわたしに語りかける。
それはまるで、頻繁には会わないけれど、数年に一度連絡を取り、近況報告をしあう友達に似ている。元気?元気だよ。良かった〜。仕事は?転職したけど、なんとかやってるよ。こっちも、なんとか。そんな、他愛もない会話をする友達。
聖書はいつも必要だ。生きる糧であり、これなしでは生きられない。
でも本は、私の日常が濁ってきた時に、「まあなんか、元気出しなよ」と、手軽な雰囲気で励ましてくれる友達なのだ。
わたしは本が大好きだ。本とのこの距離感が、わたしには必要だ。そのことを、思い出せて良かったと思う。
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何がしたいのか分からなくなったとき
全然やりたくないことを、延々とやってしまうことがある。
たとえば、youtubeの動画をだらだら見続ける。
インスタをだらだらスクロールし続ける。
もう起きたいのに、ごろごろ寝続ける。
本当は全然やりたくないのに、どうしてもやめられないのだ。
そしてそんなときは、やらなくてはいけないことからは目を背け続けてしまう。
課題。プレゼン準備。家事。はては身支度まで…。
そして、ギリギリになってお尻に火が付き、大慌てで片づける羽目になる。もちろん、クオリティはさんざん。それでも、出せたらよい方と自分を無理に納得させる。
やりたくないことをし続けて、やらなければいけないことから逃げ続ける。そういう悪い癖が、私にはある。
*
あるとき、さすがにまずいと思い、「やらなければいけないことから逃げてしまう」癖を治す方法を、Google先生に聞いてみた。
すると、とある記事が目に留まった。
そこには、「やらなければいけないことから逃げるのは、やりたいことがやれていないから」と書いてあった。
突然、ストン!と大きな音が鳴ったかのように、腑に落ちた。
そう、私は、やりたいことがやれていない、というより、何がしたいのかわからなくなったときに、延々とやりたくないことをやり、そしてやらなければいけないことから逃げてしまうのだ。
そして決まって、何がしたいのかわからなくなるときは、それまで一定の時間無意識に自分を抑圧し、やりたいことよりもやった方が良いことを優先していたときだった。
やりたいことを抑圧しているのに、それが無意識だから、気づかない。やりたいことを抑圧しているから、だんだんそれが何なのかわからなくなる。やりたいことをやれていないから、やりたくないことはやりたくなくなってくる。やらなくてはいけないことは、やれなくなる。
こういう悪循環が生まれていることが分かった。
*
そこで私が取ったのは、「まず10分、やりたいことをやってみる」という方法だ。
なんでもいい。「10分だけ部屋を真っ暗にして寝る」「寝る直前だけどアイスを食べる」「川に散歩に行く」…とにかくなんでもいいので、10分間で、自分の心に浮かぶやりたいことを実現していくのだ。
そうすると、だんだんと自分の心が生き返ってくるのが分かる。
そして、やりたいことをやれた心は、やらなくてはいけないことも受け付けるようになる。
*
クリスチャン生活をしていると、まるで自分の欲求を抑圧することイコール神様に喜ばれること、のように勘違いしてしまうことがある。
神様に喜ばれる姿には、自分の力で変わることはできない。変えていただくために、手放すのである。手放すためには、自分と向き合い、自分の心の声を聞く必要がある。抑圧したままでは、決して手放すことはできない。逆にだらだらと、やりたくないことをやってしまうのだ。
私はどうやら、この3週間の帰省で自分を随分と抑圧していたようだ。「クリスチャンとしてこうあるべき」という思いで自分を縛って、いつのまにか無気力になっていた。
わたしは弱いので、すぐに横道にそれていってしまうだろう。しかし、主は善いお方なので、わたしをいつも引き戻してくださる。そしてわたしが何をしたいのかも、教えてくださり回復させてくださるのだ。
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応えられた祈り
2019年12月のある朝、目覚めると、私は父が大好きになっていた。
それは、神様が私の長年の葛藤と祈りに応えてくださった結果だった。
*
父は子煩悩で、姉と私のことを色々なレジャーに連れて行ってくれ、引っ越しが必要なら車で飛んでいき、学費や一人暮らしの生活費などの経済的な負担も担ってくれた。
しかし、母のことは決して大事にしたとは言えなかった。
母は父の母である祖母と折り合いが悪く、祖母はいつも母に嫌味を言った。父はそれを黙殺してきた。
そのことを知ったのは私が16歳になった頃だった。
そのときから、父のことを全く愛せなくなり、許せなくなった。
18の時、離婚するように父に手紙を書いたこともある。母を解放してくれ、いつまで母を苦しめるのだ、と。父から返事が来たが、内容は的外れで、私の言いたいことは伝わらなかったのだとわかる内容だった。
それから、父だけでなく、男性全般に対する不信感が生まれるようになった。もともと男性にはいじめられがちだった私は、「男は信用ならない生き物だ」と掲げて生きる方が楽だと思ったのだろう。それ以上傷つかないための自分なりの術だったのだと思う。
しかし、この考え方は、行く先々で私を苦しめた。
男性であるというだけで不信感を持つので、女性としか一緒にいられない。女子大に通っていた間はそれでよかったが、就職先で壁にぶちあたった。
父より少し若いくらいの年齢の男性上司に、いじめられたのだ。
いじめる方が100%悪いが、男性というだけで不信感をあらわにする私の態度は挑発的に映ったのだと思う。気に入らないやつをいじめて回る上司だったと後から分かったが、相手に目を付けられるような種を蒔いた自覚もあった。
働き始めて半年、このままではやって行けないと思い、リフレッシュも兼ねて海外にとんだ。当時の月給より高い飛行機代を払い、ちょうど友人が留学していたフィンランドへ。
そこで私は、「解放の祈り」という、その後の私の人生を大きく変える祈りと出会う。
友人がホームステイしていた家の持ち主である日本人宣教師がこの祈りの勉強をしており、友人の恋人が実践したところ、見事に変えられたと聞いていたのだ。上司との関係の悪さの根底に父に対する不信感があると気づいていた私は、藁にもすがる思いで友人と、宣教師に会いに行った。
解放の祈りは、自分の傷や否定的な感情を認め、罪を認め、イエスに捧げる祈り。否定的感情の根底にある「嘘」を見抜き、聖書の真実によって塗り替えていく祈り。
父に対する感情を手放すのに、5時間かかった。
しかしそこで、私は初めて父のために祈ろうと思わされた。
それが2018年9月。そこから葛藤がありつつも、まずは自分の努力をもって、父にとげのある言葉遣いはしないようにした。家族が気づくほど、私の対応は柔和になっていた。
また、父の信仰が立て上げられるように、一家の大黒柱として保たれるように祈り続けた。
*
そして、冒頭に戻る。
*
ある朝、目覚めると、父に対する感情が180度変えられていたのである。父のことが、大好きになっていた。
こんな感情は、今まで感じたことのないものだった。自分でも信じられず、自分事ながら違和感しかなかった。
父は祈りを必要としており、主は私の祈りに応えてくださった。父のことを愛せない気持ちがありながら、それでも祈り続けた私を、主は憐れんでくださったのだ。
父が何か変わったわけではない。相変わらず子煩悩で、しかし祖母の母への嫌味を黙殺する父。
しかし、その父を赦し、彼のために、彼の信仰のために続けてさらに熱心に祈れるようになった。
私の心を変えてくださった神様に感謝。祈りは聞かれている。そのことを強く体験したできごとだった。
あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。 ヨハネの福音書 5:17
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きみはかわいい女の子
友人に、私と同じ名前のかわいい女の子がいる。
彼女は、小柄で高い声、ふわふわの茶色いロングヘア。ピアノが上手で、彼女のピアノを聴くとみんなふんわりした気持ちになる。「可憐」という言葉がよく似合う女の子だ。
私も彼女のピアノが大好きで、彼女のことをもっと知りたくて、よく教会で話しかけていた。
そんな彼女が、この3月に結婚した。
わたしは有給休暇を取って結婚式の準備を手伝い、彼女らしい色彩に仕上がった教会の会堂を見て、心から嬉しい気持ちになった。
純白のド���スに身を包んだ彼女は、ケーキの上のアイシング人形みたいに小さくてかわいかった。結婚式にはたくさんの友人が招かれ、教会の仲間たちと一緒になって彼らを祝福した。ワイワイガヤガヤと写真を撮り、片づけをして、無事に式を終えた。
*
それから数日後のある夜、突然夜中に目が覚め、全く眠れなくなってしまった。
祈りながらその時間をすごしていると、あることに気づかされた。
それは、彼女のことが羨ましくて仕方ないと感じている自分。
もっとはっきり言えば、そのうらやましさは、ほとんど妬みだった。なぜ彼女が持っているものを、私は持っていないのか。なぜ私にはあのかわいさも、音楽の才能も、素朴で忠実な信仰もないのか。彼女には結婚相手がいて、私にはいないのは、すべてそのせいではないのか…。
私が持ってているもので、彼女が持っていないものも、もちろんたくさんある。経済的にも決して裕福でなく、安定した職についているわけでもない。それでも内側から光り輝くまぶしい彼女を、心の底から妬んでいた。
自分の歪んだ思いを突き付けられたようで、私は動揺した。それは確かに私のうちにあるものだった…。
*
しかし、ここで救いがあるのがクリスチャンの特権だ。気づかされた罪や汚い思いは、そのままイエス様の十字架のもとにもっていけばよい。イエス様はそれらをすべて負って、死んでくださり、死に打ち勝ってくださった。
悔い改めは方向転換を意味する。悔い改めることで、罪に縛られた状態から解放され、次からはその思考にハマらないように導いていただくことができる。
祈りのなかで、彼女を妬んでいたことを認め、その罪をイエス様に捧げる。脳内のイメージのなかで、その’重荷’をおろし、イエス様に渡す。すると、身体が軽くなり、じわりとあたたかい気持ちが心に広がっていった。平安がやってきた。さらにしばらく祈るうちに、彼女を祝福する心が与えられ、安心して眠りにつくことができた。
誰も知らない深夜の葛藤と祈りによって、私は彼女を妬みの対象ではなく、友人の一人である「かわいい女の子」として見ることができるようになった。
*
結婚式から数か月後、彼女から一通のLINEが来た。私の神学校入学を祝福してくれ、また会おうね、という内容だった。しばらくして、実際に夫婦で教会に来て、少しの間話すことができた。
やはり彼女はかわいい女の子だった。小柄で白が良く似合う、ピアノが上手な女の子。
その事実に対して、自分と比較して落ち込むような気持ちはなかった。むしろ、「どうしてそんなに羨ましかったのだろう」と不思議に思うほど、フラットな気持ちで接することができた。私の中には、圧倒的な平安があった。自分でも、その気持ちの変化に驚いた。
誰かを羨ましく思うことは、昔の私にとって当たり前だった。でも、悔い改めて方向転換した今、それは自分に与えられたものを見過ごし、人のものを欲しがる罪だとわかる。
今はそのように感じることはめったになくなった。このように変えられたことに、心から感謝している。
わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。―主の御告げ― 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。 イザヤ書55:8-9
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『もうあかんわ日記』を読んで
爆裂に体調が悪い。
常にこめかみを圧迫されるような頭痛があり、首こりによって首締めにあっているような息苦しさがあり、睡眠が浅く寝入っても汗だくになって深夜に起きてしまう。加えて最近参戦してきたのが胃痛で、何か食べるたびに胃の中でポコポコと泡が破裂するような感覚と、みぞおちを小指で押し続けられているような痛みが続いている。
激ヤバである。病院に行ったら薬が合わなかったのか悪化した。
なんでこんなしんどいかというと、退職の日が近づいているのに人員不足で有休がなかなか使えず、モチベーションが0の状態で毎日体を引きずるようにして出勤しているからだ。(と思っている。思い当たる節はこれしかない)
身体と心が食い違った状態で居続けると、人は壊れる。私は過去に一度壊れているので、限界が近づくと身体中がアラームを発するように崩れていく。
ここまで体調が悪化してようやく「あ、まずいな」と気付き(遅い)、上司に「眠れていません、薬が効きません、お休みをいただきます」と言えた。
そうやって勝ち取った休日に読んだのが、岸田奈美著の『もうあかんわ日記』だった。
めちゃくちゃ面白かった。
そして、めちゃくちゃ泣いた。
著者の岸田さんが、母の心臓外科手術と認知症の祖母とダウン症の弟と向き合いながら、「もうあかんわ」と繰り返しながら走り抜け、note にしたためた37日を書籍化したものだそうだ。
信じられないほど、「もうあかんな、それは」が続く日々。遠目から見たらツッコミどころ満載で面白おかしい風景も、近すぎて頻繁過ぎれば楽しめなくなる。しかし、家族のなかで動けるのは自分しかいない。その極限の状況下で、あらゆる「あかん」にボケをまぶし、実際には役所、病院、��イケア、グループホームを駆けずり回り、笑えない状況にツッコミを入れて書き続けた。
ーもうあかん。…そんなことをこのところ毎日、思ってきた。毎日、小さく死んできた。でも、死のあとには生が始まる。命が永遠ではないのと同じで、もうあかん時間も永遠には続かない。(316ページ)
どうやっても笑えないときも、辛くて誰にも言えないときも、noteに書き出すことで顔の見えない読者に笑ってもらって、消化できたそうだ。
その姿に、シンプルに勇気づけられた。
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