何者にもなれない自分の話
わたしには趣味という趣味がない。
幼少期からピアノと水泳を習い、陸上部や美術部に所属し、高校ではドラムも習った。ゲームにも漫画にもそれなりに触れてきた。大人になってから写真や手芸に取り組んだこともある。けれど、どれも続いてはいない。
いちばん続いたものはモデル活動だったが、これは仕事の領域に入ってしまい趣味とは離れたところにあるし、容姿という年齢に比例して価値が下がっていく可能性のあるものに依存したくないというのはわたしのこだわりでもあった。
趣味の王道であるゲームに手芸、音楽に運動に美術の分野をひと通り網羅したものの、それなりにはできてもそれ以上にならない、という感じ。
先日、妹の家に泊まった際に妹からも同じような発言があり、器用貧乏な家系なのか、それともsnsが発達したからこそ秀でた人が目立つだけで今の若者は同じような悩みを抱えているのかもしれないなと思った。
最近友人の活躍を目にすることも多く、歌を習いライブをしている姿、服を作りランウェイを開催している姿、こだわりのバイクで街を駆け巡る姿を画面越しに眺めていると、仕事終わりにソリティアをするだけの自分が悔しくて仕方がない。
未だに好きでい続けられているものと言えば、漫画とインテリアなのだけど、それらは享受するまでで自己発信に繋げられない。もしかすると趣味と言いつつ、自己表現をしながら自分の存在価値を仕事以外で見いだしたいのかもしれない。
協調性はあまりない、というか、趣味で他人と足並みを揃えることに気を使いたくない。であれば、ひとり黙々できるものの方が良いのだろうか。
楽器であればひとりで完結するアコースティックギターが良いし、大好きなインテリアと繋げられる絵をもういちど描くのも良いかもしれない。健康のための運動だけはひとりで継続するのが辛くなるので誰かとやりたいな。
筋トレと絵を描こう。楽器はそのうち。たくさんのことをやって見て正解を見つけるのも良いけどひとつひとつ、しっかり見極めていこう。Amazonでクロッキー帳とデッサン本を買った。
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最近のこと
健康
東京にきて1年が経とうとするけれど、仕事に没頭するあまり食生活がとことん疎かになり1日1食がデフォルトに、まともな料理も全くしなくなってしまっていた。
Ubereatsとは恐ろしいもので、食が作業的になりお金は浪費するばかり。
健康診断の結果、昨年より4kgも体重が減り、要指導の域に達した。
流石にまずいと最近は自炊を欠かさず行なっている。最初は簡単なものや以前よく作っていたようなレシピを見なくても作れるものから。そのうちに油と水でへにゃへにゃになったマイお料理メモを引っ張り出して作ったり、土日はお菓子作りもできるまでになってきた。
新しいレシピも覚えたいと付箋にメモをし、すぐに目につく冷蔵庫にペタペタと貼ると不思議と幸福感が増す。頑張りすぎるとまたいつスイッチが切れてしまうかもわからないので程々に楽しくできる範囲でやっていく。
仕事
仕事はと言うと、新卒と第二新卒と個人事業主とグループ会社の手伝い採用でてんやわんや。本来ならわたしの業務領域ではこの時期ゆとりができるはずだったため、大きなプロジェクトを3本走り出させてしまっていたこともあり息つく暇もなく1日が過ぎ去っていく。
リーダー職を打診されているけれど、この業界での歴も年齢も最年少のわたしが曲者揃いの部のメンバーを上手く導いていけるイメージが湧かず話題を受け流し続ける日々。
新卒の選考を受けてくれている子たちに偉そうに講釈を垂れる自分を思い出すと虫唾が走る。
今の仕事は大好きなインテリアと採用のどちらにもアプローチすることができてとても楽しい。けれど業界的に国内では伸び代がないことと、業態的にポジションが上がっても給与の上がり幅はあまり見込めないことから転職が頭をよぎることがある。自分の今のスキルがどこまで通用するのだろうか、リモートで住宅手当が存分に出る条件を簡単に手放していいのだろうかと様々なことが頭の中をグルグルまわる。
だけど、今の会社でまだできることをやり切ってもいないのに転職が頭をチラつくあまちゃんな自信を許せないという感情があるのも事実。いちどリーダー職に挑戦してみようかという気持ちが生まれたことも確か。
ずっと若さや容姿のような年々すり減っていくことが確定しているものに縋らず、年齢に比例して磨いていけるものを増やそうと仕事に懸命に向き合ってきた。だからこそ、若さや期間限定の容姿で万能感を覚えている同年代に嫌悪感すら覚えたし、見ているだけで不安になった。例えば被写体モデルのみで20代後半まで過ごしてきた人はこれからどうするのだろう。お金持ちを見つけて結婚して主婦になるのだろうか。誰しも独りになる可能性があるのだけど、もし働かなくてはならなくなったらアルバイトですらまともできるのかと思ってしまう。
やっぱり次にリーダー職の打診があれば挑戦してみよう。
住む場所
海外ワーホリの持ち上げがSNSで目立つようになったけれど、そんないい話があるわけないと懐疑的な目で見ていた。
ふと先日、英語を勉強しようかと思い立ち、仕事で「なぜそれをやるか」企画立案時に据える癖が発揮され、英語でやりたいことを考えてみた。
海外の仕事には興味がないけれど、海外の暮らしには興味がある。わたしの人生にとって、窓からどんな景色を眺めながら、どんな間取りの家で、どんなインテリアに囲まれて暮らすかは最重要。あくまで家を起点とするけれど、それを取り巻く半径5mくらいまでへの感心と執着が非常に強い。
暮らすならヨーロッパで、窓からはカラフルで歴史的な街並みが見えて、地震の心配がないのなら多少の荒さはあれど歴史のある古い家に住んで、ミッドセンチュリーな家具に囲まれて暮らしたい。海外の蚤の市ではきっとお財布の紐がゆるゆるになるほど素敵なインテリアに出会えるに違いない。
そんなふうに想像をしながら、パリの一般的なアパルトマンの家賃相場や間取りを見て驚愕する。冷静に考えれば京都から東京に出てきた時ですらこの面積でこの家賃かと驚いたのだから当然。だけど、狭い部��に耐えながら住む環境を優先するなんて耐えられない。それなら田舎で好きなものに囲まれて広々過ごして交通の便に嘆いているほうがまだ良い。
そこから実際に海外移住をしたひとのリアルを調べ漁っていると、治安や医療へのアクセス、仕事を保証されていることなど日本がいかに恵まれていてぬるま湯な環境かがじわじわと沁みてくる。経済的に発展し続けているとされる国は弱者を切り捨て強者を優遇するからこそそれを実現しうるのだと痛感する。海外で強者になるほどの実力もガッツもないわたしは情報を収集した時点で夢から覚めてしまった。海外への憧れは抽象度が高いからこそ持てるものなのかもしれない。
きっと海外で楽しく生活を送れる人は、他人からどう見られているかなど気にせず、自分1人で大抵のことはやれてしまう精神的な強さをもっているのだと思う。
夫婦のこと
結婚をして1年が経つ。ちょうど、東京に越してくる直前に席を入れた。
付き合ってからの期間でいえば5年なので最近は激しい喧嘩もなく過ごしていたのだけれど、先日久しぶりに言い合いになった。
いつもは、旦那は生活の全てだらしがないが他人にとても寛容、わたしは全てをきっちりこなしたいタイプで他人にもそれを強要する癖があり、わたしが機嫌を悪くして旦那が謝って丸く治っている。
今回のことの発端は、旦那が仕事相手兼友人だったひととやんわり中を違えたことをきっかけに今後仕事とどう向き合っていくか考えていたそうなのだけれど、その様子があまりにもひどく、数日間仕事もせずただ夕方まで寝て夜になるとゲームを際限なくやるという様子だったため、隣で朝から晩まで生活を支えるためにと仕事をカリカリこなしていたわたしの逆鱗に触れたというもの。
あれだけ夫婦になろうと個人の集まりに過ぎないと思っていたにも関わらず、2人の生活を成り立たせなきゃと必死になったり、相手の仕事の問題は夫婦の問題でもあると深入りしすぎたわたしにも責任がある。
仲直りの会話をする中で、どうしようもなくなったら2人で四畳半の空調もない家で生活保護を受けながら鮎釣りでもして暮らそうと笑った。これでは当分家を買うとか子供を産むとか、そんな同世代の友人と同じ選択肢を持てそうにないけど、それでもこの人と過ごせればいいやと思って結婚したことを忘れてしまっていた。
その後、また約束の時間を破り深夜までゲームをして騒いだ旦那を布団に入れてやらず、風邪をひいたと騒ぐ姿に苛立ったのはいつも通りといえばいつも通りの夫婦の姿。
その他
わたしは携帯を充電することが苦手だ。使いたい時にだけ充電をして10%も貯まればコードから引き抜き使い始め、またすぐに充電がなくなりコードに繋ぐ、まるでわたしの今の姿みたい。
だけど充電がなくなることで繋がりから解放されることを楽しみにしている自分もいる。出先で充電がなくなれば、帰る道すらわからなくなるのに新しい出会いがあるかもと内心嬉しい。
今のところ共感は得られていないけれどこれはわたしの良さなのかもしれない。
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会社の辞令で東京に越してまもなく1年が経とうとしている。
越して半年は東京の目新しさにはしゃいで、これまでなかなか会うことのできなかった友人と毎週のように遊び、仕事に打ち込んでいるうちにあっという間に過ぎ去った。
けれど、元来保守的で気に入ったものを繰り返し享受するタイプの人間である私は、あらゆるものが目まぐるしく移り変わる東京に馴染んでいく気配はない。
そして、ここにきて週に1回の出社という、私が東京にいる大きな理由が無くなろうとしている。
まだまだ東京を遊び尽くしてはいないけれど、この土地に興味があまりないというのも本音。どこに行くか、何を食べるか、それ自体にはこだわりがなく、何をするにも「誰とするか」が大切な私にとって東京出できた繋がりはあまりに脆い。
みんな目指すべきところがあって、毎日キラキラと活動していて、フットワークが軽くて、その流れに乗れないと感じることが多い。
生まれ育った京都にゆくゆくは帰りたいと思っていた一方で、それは10年後になるかもしれないと思っていただけに、思ったよりも早いタイミングで見えてきた可能性に複雑な感情。
鴨川沿いの満開の桜に春を感じて、夏はデルタで夜遅くまでお酒を片手に過ごしたい。毎週末はお決まりのコロラドコーヒーでマスターのご飯を食べて何をする訳でもなくボーッと過ごしたい。たまには地元の友人を招いて朝までボードゲームパーティーをしたい。あの当たり前だった日々が輝かしく思う。
子育てをするのなら京都で、という気持ちがあるのも事実。まだ子を欲しいと思わないけれど、東京にいる限りはそう思い続けるのかもしれない。
だけど、会社からの家賃負担があって京都と同等の家賃で東京に住めているこの恵まれた環境にもメリットはある。毎日、主人が家に帰って来れることによって家計の負担が減ること。京都にいた頃は東京出張が多く、家を空ける時間も交通費も馬鹿にならなかった。
キャリア、家計、出産育児、多面的に考えて答えが出せずにいる。ゴールデンウィークに帰省をして、自分の気持ちに向き合ってみようと思う。
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