Tumgik
inaho-koshiishi · 3 years
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Believe&Doubt yourself more than anyone else.
2021 was a whole different year from previous years. I found passion and satisfaction in working as a magazine editor/ writer. I love the job. At one point I even thought to myself "wow, I want to pursue a career in journalism. And I want to live journalism and could die for it."
However, looking back at the year, one thing I realized tonight is that, in some cases, just going all-in does not make you happy AT ALL. Don't get it wrong. I am so happy about everything about 2021 and truthfully grateful to get to work during the period of this difficult time. 
I am here to say it is not good to sacrifice yourself to rely on a single job that you are passionate about. It sounds contradictory but I think it is true. 
Today,  I want to give these phrases to myself to share with you guys. 1. Being present is a gift from god.2. Open your arms and embrace what you feel from the everyday experiences. 3. To go with the flow is not as bad as you might think. 4. I am here to care about myself.5. I am the best/ biggest supporter of myself. 6. I am ready to receive myself when I fall back down. 
At the end of the day, you are the one who pushes yourself forward. You are the one who takes you to places you have never been to. You are the one who shows you something you yourself have never seen.
Doing something from scratch is so scary. So you might want to step-by-step get ready for it. Once you get there, yes, you have to go all-in for it. Believe in your gut feeling. Follow it. But don't forget! Anybody out there! I am here. We are together. We got this.
Love,
One day after 2022/2/22
P.S.
Did I love the job? Yes. Did you provide your value with people? Umm maybe not. 
I might have been passionate about being an editor/ writer rather than doing great job on that position. Here is another one. 
You don't have to be someone you want to be. JUST BE WHO YOU ARE. 
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inaho-koshiishi · 3 years
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感覚をアップデートすること
最近、人と感覚がちょっと違うなと思ったことがある。
でもそれは人間だし、許容すべきモノであるし、許容されるべきものだとも思う。「自分という人間って、、」と悲観的になる必要はなくて、そのままの自分で良いんだと思う。
さて、それ以外にもとりあえずざっと書き起こしたい思考が山ほどある。今日はこんなことを書くことにした。
「この先私はこんな人生を歩む。だからこれが必要だ。」
僕は、自分の人生の中で何が必要か、何が欲しいのか、それらを得ることでどんな感覚が養えるのかまで分かりたいと思ったことがある。
単語を色々繋げて説明しようとしてみる。
「これが必要だということは、こういうモノやコトに触れていかなければならないし、さらにはそれから何かを感じ取れるはずだ」と好奇心と探究心、切迫感を足して3で割ったような感覚によって突き���かされている人が、
まるで目の前にアリゾナの荒原を通る長い一本のくねった道路を走るライダーが、目の前を真っ直ぐ見据えながら、でも道路状況をしっかりと横目に捉えて、天気をみながら、自分の体力とも相談している様子で、
あるいは、東北の方に下道で向かっていく感じ。背筋を丸めながら伸ばしながら、目線はまっすぐ。横目で通行人を確認しながら、道中にコンビニがありそうかを確認しながら、尿意を気にしながら「おっと危ない」と飛び出してきた人を避けて進む感覚の中で生きることで、得られるコト・モノ。そうして到着する人生のゴールとは何か。
自分の最期をより良いものにするためには、という問いに近いけどちょっと違う。でも違くなくてもいい。どうにでも解釈されたっていい。人がどう思うと関係ない。
要するには、
目視も何もできない、行き先を物理的に脳みそで認知できない「人生」という道を、バイクや車を乗る感覚で進められるって楽だし、
あるいは良くも悪くも予期せぬ出来事を「あ!富士山だ!綺麗!」とか「やっと山道を抜けたよ、整備されてなくて不安だった。でもこれで大丈夫」の感覚で捉えられたりできるから、
出会いと別れを心から楽しめたり、あるいは物事に対して必要以上に落ち込むことはなくなるのかな、ということ。
自分というvehicleを運転するのは自分自身。自分がハンドルを離してしまったら、そこで終わり。でも握り続けることで見えるものは必ずある。美しくとも、醜くとも。「もっと色んなものを見たい」もしくは「見えるはずだ」と信じて運転する中で、目に見えるもの全てをappriciateできる人。
多分ざっとこんな感じ。
P.S. 4月から僕にはこんな感覚がある。知る人は僕は「仕事めちゃめちゃ調子いい」としか言わないと思っているだろうけど、僕の目の前にはずーっと、曲がりくねった道があって、そこを疑いながらも自分に全幅の信頼を寄せて運転している感覚なんです。
外は快晴か曇り、雨は降ったことがない。これまで何人かみちに飛び出してきたけど、それもなんだかんだ避けられた。でも、生き急いだ時もあった。
道中での出会いは美しいものでした。別れは悲しかったです。凸凹でした。でもすぐに受け入れられた。なぜなら毎日少しずつ距離を進んでいるから。
レースじゃないです。ドライブです。
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inaho-koshiishi · 3 years
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「個性を引き出すのが仕事」
なんていうタイトルで始めてみたけど、
要するに僕がここで書きたいことは一つ。
「編集」とは探求の連続だということ。
書きたいものがある。
それを「編集」して伝えたいことがある。
この間をつなぐのが「なぜ」や「どうしたら?」だということ。
今日はそれについて最近感じたことをざっと書いてみます。
ある日のことです。編集長にこんなことを言われました。
「最近どうした、文章がめちゃくちゃだぞ」
それもそのはず。
企画を自分で立て、自分で取材をし、自分で原稿を書き、自分の手で編集をするのが、僕の仕事では普通のワークフローとされるのですが、それまで「取材」⇨「作稿」の間で躓いていました。
いや、厳密にいうとこの両者を毎分行ったり来たりするのが正確なところです。
僕はその間で「取材相手はこんなことを言いたかったのではないだろうか?」いや「あんなことを言いたかったのではないのだろうか」と詮索を繰り返して、ついには「あれ、これってなんの話だっけ?」と元々居た場所を見失うことが多々ありました。
それが2回、3回、4回と起こり、最後に「最近どうした、文章がめちゃくちゃだぞ」と編集長からは言われる始末。
僕は悩みました、悩みました、悩みました。
ところで、僕は浅草で働いています。
毎日昼休みには、あるコーヒー屋でお茶をしています。
ふと、そこのバリスタさんにこんな質問をしてみました。誰かにこの悩みを聞いて欲しくて、つい。
「最近、文章が思うように書けません。
取材相手の言葉の間や行間を読み取ろうとしすぎるがあまり、話の筋を見失ってしまうんです」
そのように聞きました。
そのバリスタさんは「編集者ってバリスタに似てるね」と答えてくれました。
僕は「そうですか?」と返しました。
「バリスタの仕事は豆の個性をひき出して、それをさらに最大化すること」とその方は言いました。そしてさらに、コーヒーベルト付近で採れる豆を引き合いに出しながら「ロースターから降りてくる豆がもつ味とか香りはどのようにしたらもっと良くなるのかを常に考えているよ」と付け加えました。
「相手の言葉を詮索しちゃうって言ってたよね」と言い、「結局ねバリスタは素材を超えることはできないのよ。素材の潜在能力を越えようとしても自分が疲れちゃうだけ。無理したくない。編集でも似たようなことが大事なんじゃない?」と続けました。
僕は思いました。「事実に基づいた質問に対して、答えてくれる取材相手の言葉にそれ以上を求めても何もない」と。
いや、あるのかもしれないけど、それを追い求めるのは編集者の仕事ではない。書き手の仕事だと。
ただ、ここで例に出したバリスタと、僕の仕事との間には決定的な違いがある。
僕の仕事は編集記者。書き手であり、編集者であること。
素材を超える仕事と、個性を引き出す仕事の両方をこなさなければならないということ。
まだこの両者が自分の中で入り混じって存在している。
なんとも混沌としていて、でも最近それが心地よいとも感じています。
とはいえ、これを書いている2月2日の今、やっと分離しているのかなといった感覚。
書けないと苦しい。それでも書き上げたものが上手く誌面に収まると嬉しい。
先日の取材の音源が半分飛び、絶望していますが
この仕事は楽しいです。
ジャーナリズムに駆け出したばかりで、
しばらく右左真っ直ぐ歩くことはできないと思いますが、
この仕事は天職だと思えます。
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inaho-koshiishi · 3 years
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hi
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