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Podcast「ボードゲームのゲームデザイン」の支援募集について
2019年1月から、Podcast「ボードゲームのゲームデザイン」の配信を開始しました。
ボードゲームのゲームデザイン by I was game on Apple Podcasts
このPodcastでは、I was game の上杉が、現代ボードゲームのゲームデザインについて語っています。現在は、「ゲームデザインの12の柱」と題して、ゲームデザインにおいて重要な12個のテーマについて、毎回ひとつずつお話しています。
この活動は、「日本のボードゲームの時計を1秒進める」ことを目的として行っています。
現代ボードゲームの隆盛は、日本においても世界においてもまだまだこれからだと考えており、この産業が世界でより大きくなったときに、日本がその中で大きな位置を占めていてほしいという思いがあります。
また、ボードゲームをデザインするという行為が、日本でより一般的な楽しみになる可能性があると考えており、その未来に備えたいという思いもあります。
この目的のため、よい内容を皆さんにお届けできるよう努めています。しかしその一方で、自分には家族を養うために時間を費やさなければならないという義務もあり、その両立のためにお力添えいただきたいというのが今回の趣旨です。
Podcast「ボードゲームのゲームデザイン」の支援募集
要旨
Podcast「ボードゲームのゲームデザイン」の目的及び主旨に賛同し、支援くださる、団体・個人の方を募集いたします。
内容
支援金をいただくことで、当Podcastの特定の一回において、いただいた金額に応じて下記のことを行います。なお、複数回分の支援をいただくことも可能です。
支援金:100円~
Podcastの概要欄に、支援者の方のお名前(及び、ご希望に応じてご指定のURLへのリンク)を記載します。
支援金:2,000円~
上記に加えて、Podcast内で、支援者の方のお名前を読み上げます。
支援金:5,000円~
上記に加えて、Podcast内で、20秒程度、支援者の方や制作物・商品等の紹介を行います(原稿読み上げ等を想定)。
金額の上下限はありません。また、最小単位は1円です。
ゲームデザインについての話を皆さんに届けるということが本分であることから、上記の紹介等は、Podcastの末尾で行います。
概要欄へのお名前の記載は、お名前のテキストにご指定のURLへのリンクを設定することが可能ですが、すべてのPodcast配信プラットフォームでそのリンクの設定が有効であるとは限らないことをご了承ください。
「ゲームデザインの12の柱」は全14回を予定しており、3月18日現在の時点で残り11回となる見込みです。毎月1回程度のペースでの配信を想定しています。
一度ご支援いただいたあと、後ほど追加で再度ご支援いただくことも歓迎です。
イベントや発売の時期の都合等で、紹介を行う回の配信日を調整したい場合等は、その旨ご相談ください。
もし「もっと他のことがしたい」といったご要望等がありましたら、お気軽にご相談ください。
方法
こちらのフォームからご連絡をお願いいたします。
Podcast「ボードゲームのゲームデザイン」支援申し込みフォーム
フォームからご連絡いただきましたあと、当方からご返信差し上げますので、ご入金をお願いいたします。ご入金を確認後、再度ご連絡差し上げます。
入金方法は、銀行振込・PayPal・PayPayのいずれかをご選択ください(その他の手段のご要望がありましたらご連絡ください)。
支援は入金をもって確定とし、入金前の変更やキャンセルは問題ありません。
注意事項
金額は消費税込みです。
何らかの理由により当Podcastの配信が継続できない状態となった場合、未配信の回に対していただいた支援金は返金いたします。
当Podcastの枠内で、ゲームデザインとは関係のない内容の回を配信する可能性があります(既存のゲームの紹介や、雑談等)。そういった回は、当支援とは関係のないものとして扱い、その回では上記「内容」項に記載した支援者の方の紹介等は行わず、次回のゲームデザインについての内容の回に繰り越します。
当Podcastと同等の内容を、文章・書籍・動画・講演等の形で、公開または販売する可能性があります。
これまでにご支援くださった方々
Koke
neguse
Saashi & Saashi
takahirosuzuki.com
yupika
アキヒロイトオ
角刈書店
かどた とし
かぶけん
川上亮
狐鞭(SM Rabbit代表)
サイゴウ
砂漠のキタキツネ
地に足をつけたい
テンデイズゲームズ
トランプ屋
中村聡
ニコボド
ぬーん
盤上遊戯製作所
ひげ くまごろう
福夕郎
藤井トム
ブラッフィ
プレイマーケット
ポーン
ボドゲニスト
みさき工房
みすってる
やざわ
ヨシヒコ
ロクジゾー
わけん
ありがとうございます!
ご意見・ご指摘等ございましたら、@dbs_curry までご連絡ください。
よろしくお願いいたします。
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ボードゲームデザイナーのための読書案内
ボードゲームをデザインする技術を磨くための一番の方法は、ボードゲームをデザインすることです。実践こそが最短の近道だからです。
しかしその一方で、先人たちが実践を繰り返すことによって得てきた知見を、読書によって借り受けることもできます。自分の手足で山を登る以外に力をつける方法はありませんが、巨人の肩に乗ることで見える景色はあり、自分の行くべき場所を知ることができるかもしれません。
ここでは、ボードゲームのデザインを志す方に向けて、役に立つであろう書籍を紹介します。特に薦めたいものには【オススメ(^_^)/】と記載しています。
実践的なゲームデザイン全般の本
中ヒットに導くゲームデザイン【オススメ(^_^)/】
中ヒットに導くゲームデザイン
Tracy Fullerton
ボーンデジタル
Amazonで詳細を見る
『世界の七不思議』や『花火』のデザイナーとして有名なアントワーヌ・ボウザが来日したとき、小さな講演の中である書籍を推薦しました。それがこの本です。
この本は三部構成で、第一部では、ゲームの構造を「フォーマル要素」「ドラマチック要素」「システム力学」という3つに分解することでゲームデザインの基礎を分析します。第二部では、コンセプトの立案からプロトタイプの作成、テストプレイの実施など、ゲームデザインの過程を解説します。そして第三部では、実際のゲーム産業での働き方について説明しています。
実践的であり、ボードゲームを範疇に含めており、かつ日本語で読めるという条件をすべて満たすものの中では、この本が最も優れているのではないかと思います。要所で簡潔な演習問題を設けるなど、教科書的な構成になっており、学習用に読むのに向いています。
また、アラン・ムーンやリチャード・ガーフィールドなど、多数のゲームデザイナーのコラムやインタビューが随所に挿入されているのも特徴です。
問題点として、日本語訳の質が非常に低いということが挙げられます。英語を読める場合は、原書を読むのが望ましいと思います。
原書はこちらです。
Game Design Workshop: A Playcentric Approach to Creating Innovative Games, Third Edition
Tracy Fullerton
A K Peters/CRC Press
Amazonで詳細を見る
Game Design Workshop の和訳がどのくらいひどいのかと言うとこのくらいひどい。 pic.twitter.com/fGMR03zJUT
— カレー / I was game (@dbs_curry) May 15, 2017
The Art of Game Design: A Book of Lenses 【オススメ(^_^)/】
The Art of Game Design: A Book of Lenses, Second Edition
Jesse Schell
A K Peters/CRC Press
Amazonで詳細を見る
実践的なゲームデザインの本として定評があり、多くのゲームデザイナーに推薦されています。
この本は、ゲームデザインを行ううえでの様々な「レンズ」(視点)を提供するものです。内容は非常に多岐にわたり、メカニクス、バランス、パズル、インターフェイス、ストーリー、キャラクター、コミュニティ、プレイテストなど様々なものを取り扱っており、包括的なものになっています。
全章を通して、以下の例のような「レンズ」が計100個挙げられています。
レンズ #32:意味のある選択のレンズ
意味のある選択を行うとき、われわれは重要なことをしているという感覚を得ることができる。このレンズを使うために、これらの問いを自分に投げかけてみよう。
自分はプレイヤーにどんな選択をさせようとしているのだろう?
それらの選択には意味があるだろうか? だとしたらどのように?
自分はプレイヤーに正しい数の選択肢を与えているだろうか? もっと増やせば、プレイヤーに自身が強力だと感じさせることができるだろうか? もっと減らせば、ゲームをより明快にすることができるだろうか?
自分のゲームに支配的な戦略は存在するだろうか?
日本語版は出版されていないものの、上の『中ヒットに導くゲームデザイン』と並んで、実践的なゲームデザインの本の中では最良のもののひとつだと思います。
「レベルアップ」のゲームデザイン
「レベルアップ」のゲームデザイン ―実戦で使えるゲーム作りのテクニック
Scott Rogers
オライリージャパン
Amazonで詳細を見る
ビデオゲームデザインの本ではありますが、イラストがふんだんに使用され、文体も軽妙であり非常に読みやすい本です。
内容も包括的でおもしろいです。ボードゲームデザインに直接的に活用できるものではありませんが、ビデオゲームに関する話でも参考になると考える場合にはおすすめです。
キャラクター、コントロール、カメラという「3つのC」から始まって、レベルデザインやメカニズム設計の要点などをまとめてくれています。基本的な内容ではありますが、ゲームデザインドキュメントの書き方なども丁寧に解説されており、実践を意識されています。
「おもしろい」のゲームデザイン
「おもしろい」のゲームデザイン ―楽しいゲームを作る理論
Raph Koster
オライリージャパン
Amazonで詳細を見る
ゲームとは何なのか、人間にとっておもしろいとはどういうことなのか、ということを語った本です。
各ページに巨大なイラストが配されており、論理的というよりはエッセイ的な内容です。
この本も翻訳に難があります。
「ヒットする」のゲームデザイン
「ヒットする」のゲームデザイン ―ユーザーモデルによるマーケット主導型デザイン
Chris Bateman, Richard Boon
オライリージャパン
Amazonで詳細を見る
プレイヤーをいくつかの類型に分け、そのそれぞれのモデルに訴求するためにはどのようなゲームデザインを行えばいいかということを述べた本です。
ゲームデザインの本ではありますが、いくぶんマーケティング寄りです。
ゲームメカニクス
ゲームメカニクス おもしろくするためのゲームデザイン (Professional Game Developerシリーズ)
アーネスト・アダムス, ヨリス・ドーマンズ
SBクリエイティブ
Amazonで詳細を見る
マキネーションというフレームワークを用いて、ビデオゲームの構造をモデル化してデザインしようというコンセプトの本です。
複雑な要素が組み合わさって成り立っているビデオゲームから構造(例えば経済構造など)を抜き出して分析するので、ボードゲームのデザインの考え方にも通じる部分があると思います。
実践的なボードゲームデザインの本
Kobold Guide to Board Game Design 【オススメ(^_^)/】
Kobold Guide to Board Game Design
Mike Selinker, David Howell, Jeff Tidball, Richard Levy, Matt Forbeck
Lightning Source Inc
Amazonで詳細を見る
ボードゲームのデザインに主眼を置いた本は多くはありませんが、その中では本書��最もおすすめできます。
「コンセプティング」「デザイン」「デベロップメント」「プレゼンテーション」という4つの章に分かれており、それぞれのトピックについてジェームズ・アーネストやリチャード・ガーフィールドやスティーブ・ジャクソンといった著名なゲームデザイナーが記事を書いています。
複数のゲームデザイナーが参加しているため、独自の観点で書かれた記事が多く、おもしろいものになっています。しかしその分、全体の構成は体系だっておらず、ゲームデザインを学ぶための本というよりはゲームデザインに関するエッセイ集といった趣になっています。
The Game Inventor's Guidebook
The Game Inventor's Guidebook: How to Invent and Sell Board Games, Card Games, Role-Playing Games, & Everything in Between!
Brian Tinsman
Morgan James Publishing
Amazonで詳細を見る
『マジック:ザ・ギャザリング』のデザイナーの一人として知られるブライアン・ティンスマンの本です。
アメリカのゲーム産業についてや、いかに自分のゲームを出版までこぎつかせるかについて書かれています。ゲームデザインというよりは、産業全体のガイドブックという趣です。
Paid to Play
Paid to Play: The Business of Game Design
Keith A. Meyers
iUniverse
Amazonで詳細を見る
アメリカのゲームデザイナーであるキース・マイヤースの本です。
ゲームの着想を得るところから出版社との契約までについて書かれています。100ページ弱の薄い本です。
Tabletop Game Design for Video Game Designers
Tabletop Game Design for Video Game Designers
Ethan Ham
Focal Press
Amazonで詳細を見る
ビデオゲームのデザイナーにボードゲームのデザインを学ばせるというコンセプトの本です。
教科書的な構造で、多数の例とともに、ボードゲームに特徴的なメカニズムなどが挙げられています。
観念的なゲームデザインの本
ルールズ・オブ・プレイ【オススメ(^_^)/】
ルールズ・オブ・プレイ(上) ゲームデザインの基礎
ケイティ・サレン, エリック・ジマーマン
ソフトバンククリエイティブ
Amazonで詳細を見る
ルールズ・オブ・プレイ(下) ゲームデザインの基礎
ケイティ・サレン, Katie Salen, エリック・ジマーマン, Eric Zimmerman
SBクリエイティブ
Amazonで詳細を見る
ゲームデザインを研究した本の中では最も著名なものではないかと思います。ただし、ゲームデザインのしかたを教える本ではなく、ゲームやプレイとはいったい何なのかということを考える本なので、このを本を読んでゲームデザインを始めようと思って読むと面食らうかもしれません。
「意味ある遊び」や「魔法円」など、ゲームデザインにおいて重要なコンセプトの多くを学べるため、この一冊を読んでおくとその後も役立つと思います。
ハーフリアル
ハーフリアル ―虚実のあいだのビデオゲーム
イェスパー・ユール
ニューゲームズオーダー
Amazonで詳細を見る
ゲームとは何か等について論じるイェスパー・ユールの本です。
あくまで研究書なので、ゲームデザインに直接結びつくというわけではありませんが、考えるうえでは役に立つ部分があると思います。
しかめっ面にさせるゲームは成功する
しかめっ面にさせるゲームは成功する 悔しさをモチベーションに変えるゲームデザイン
イェスパー・ユール
ボーンデジタル
Amazonで詳細を見る
同じくイェスパー・ユールの本です。
ゲームにおいて「プレイヤーの失敗」が持つ意味とは何なのか、ということを論じています。
Eurogames
Eurogames: The Design, Culture and Play of Modern European Board Games
Stewart Woods
McFarland
Amazonで詳細を見る
ユーロゲームがどのように成立してきたかという歴史と、ユーロゲームに見られる特徴的な要素などについて述べた本です。
これも直接的にゲームデザインに結びつくわけではありませんが、ボードゲームに焦点を当てた数少ない研究であり、ユーロゲームとはいったい何なのかということを考えるうえでは非常に良い本だと思います。
Characteristics of Games
Characteristics of Games (MIT Press)
George Skaff Elias, Richard Garfield, K. Robert Gutschera
The MIT Press
Amazonで詳細を見る
ゲームを多数の要素に分解して定義しながら論じていく本です。
挙げられる要素は、例えば、「マルチプレイヤー要素」として「脱落」「相互作用」「政治性」「キングメイキング」「チームワーク」など、「不確定要素」として「ランダム性」「運と技術」「非公開情報」など、他にも様々です。ゲームに関する概念を整理するうえで良い本だと思います。
ホモ・ルーデンス
ホモ・ルーデンス (中公文庫)
ホイジンガ
中央公論新社
Amazonで詳細を見る
古典です。
遊びと人間
遊びと人間 (講談社学術文庫)
ロジェ カイヨワ
講談社
Amazonで詳細を見る
古典です。
ゲーム以外のデザインの本
ノンデザイナーズ・デザインブック
ノンデザイナーズ・デザインブック [第4版]
Robin Williams
マイナビ出版
Amazonで詳細を見る
非デザイナーに向けたグラフィックデザインの本です。デザインの基本を「近接」「整列」「コントラスト」「反復」の4原則によって説明してくれます。
基本的にはグラフィックデザインの本ですが、ボードゲームのデザインにも応用できる部分はあると思います。もちろん、カードやコマなどのインターフェイス部分を考える際には直接的に役に立ちます。
誰のためのデザイン?
誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論
D. A. ノーマン
新曜社
Amazonで詳細を見る
インターフェイスデザインについての名著です。
ボードゲームのインターフェイスをデザインするうえでも役に立つと思います。
頭にガツンと一撃
頭にガツンと一撃
ロジャー・フォン・イーク
新潮社
Amazonで詳細を見る
『マジック:ザ・ギャザリング』のヘッドデザイナーであるマーク・ローズウォーターがことあるごとに薦めている本です。
デザインの本ですらなくアイデアの発想法の本ですが、様々な見方を提供してくれ、おもしろいです。
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ゲームマーケット2017春の出展内容
2017年5月14日に、東京ビッグサイトでゲームマーケット2017春が開催されます。
I was game 自身のブースの出展はありませんが、I was game が関わった作品がいくつか発売されるので、以下に記載します。
『ダンジョンオブマンダム エイト』
エリア01のオインクゲームズのブースで、新作『ダンジョンオブマンダム エイト』が発売されます。
『ダンジョンオブマンダム エイト』は、世界で10万個超を売り上げている『ダンジョンオブマンダム』シリーズの新版です。海外版で追加されたすべてのキャラクターとモンスターに加えて、プロモーショナルカードとして限定配布された特別なモンスターも同梱しており、完全版と呼ぶにふさわしい内容になっています。
オリジナルの『ダンジョンオブマンダム』では、冒険に挑むキャラクターは1種類のみでした。しかし今���の 『ダンジョンオブマンダム エイト』では7種類のキャラクターが追加され、計8種類のキャラクターが登場します。また、追加キャラクターの一部は、『世界の七不思議』や『花火』で知られる Antoine Bauza がデザインしています。
さらに、キャラクターの数が8倍になっただけではなく、ランダムにゲームに登場するスペシャルモンスターも追加されており、豊富な内容が詰まったマキシマムな作品となっています。
『創造的な習慣〈第2集〉』
B17-18の Saashi & Saashi のブースで、I was game へのインタビューが収録された書籍『創造的な習慣〈第2集〉』が発売されます。
『創造的な習慣』は、Saashi & Saashi の Saashi さんが複数のゲームデザイナーに対して行ったインタビューをまとめた書籍です。ゲームデザインを行ううえでの考え方や心構えについての質問に、I was game の上杉真人が回答しています。
今回は Saashi さんからお声がけいただき、僭越ながらインタビュイーの一人として参加せていただきました。長時間に渡るインタビューが膨大な文字数で収められており、なかなか意味のある内容になったのではないかと感じています。特に、この blog の記事を楽しく読んでくださったような方々には、楽しんでいただけるものになったと思います。
この〈第2集〉には、I was game へのインタビューと合わせて、同じく名古屋を拠点とする盟友、Product Arts の坂上卓史さんへのインタビューが収録されています。
『創造的な習慣〈第2集〉』は、期間限定でウェブストアでの通販も行われています。
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ゲームデザイナーとしての最初の5年で学んだ10のこと
この記事は、Board Game Design Advent Calendar 2016 の第17日目の記事として書かれました。
I was game として、2011年に最初の作品を発売してから5年が経ちました。
ゲームデザイナーを自称してよいものかどうかはわかりませんが、これまで10作近くをデザインまたは共同デザインし、うち5作程度を国内外のパブリッシャーからの出版までこぎつかせることができました。その中で学んできたことの中から、10の項目を挙げてみようと思います。
ここで述べることはあくまで自分の現在の考えであり、他のゲームデザイナーあるいはプレイヤーにとっては、正しくないまたは当てはまらないであろうことが含まれています。
1. 体験をデザインする
ゲームのデザインを始めようとした当初、作るべきものは「ルール」だと考えていました。ルールこそがゲームの核であり、もっとも重要な部分だと思っていたからです。ゲームの構成要素には、ルール・テーマ・データ・グラフィック・コンポーネントなどがありますが、テーマやデータがないゲームは存在する一方で、ルールのないゲームは存在しないのです(それはゲームという語の定義次第ではありますが…)。
しかしゲームデザインを経験するにつれ、実際にはルールというものは最重要事項ではないということがわかってきました。今の自分は、「体験」こそがゲームにおいてもっとも重要な部分だと考えています。
なぜなら、よりよい体験をもたらすためにルールを書き換えることはあっても、よりよいルールのために体験を犠牲にするべきではないからです。人はルールが美しく完全であるからという理由でゲームをプレイするのではなく、楽しい体験が得られるからゲームをプレイするのであり、プレイヤーが実際に味わうのはルールそのものではなく、それが生み出す体験なのです。ルールがよいに越したことはありませんが、それはあくまで最終的な体験に奉仕するものです。
体験が重要だということは、プレイヤーが最終的に得るものこそが重要だということです。たとえば、「バランスがよい」ことはしばしばゲームの徳のひとつとして挙げられますが、実際にゲーム自体のバランスがよいことよりも、「バランスがよいとプレイヤーに感じさせる」ことや、「バランスがとれていなくともプレイヤーを楽しませる」ことのほうが価値を持つ場合があります。
体験を構成しているのは、ルール・テーマ・データ・グラフィック・コンポーネントなどのすべてと、それらの調和です。そのため、新たなゲームデザインに取りかかるときには、「どんなルールを作ろうか」と考えるのではなく、「どんな体験を生もうか」と考えることになります。そしてそれは、ボードゲームの箱の中ではなく、外側に生まれるものなのです。
2. ドラマが重要である
体験をデザインすることの中で、プレイヤーにドラマを味わわせるということがとても重要だと考えています。
よく設計されたメカニズムに触れたり、悩ましいリソースマネジメントに直面したり、大量のダイスを振る楽しさを感じたりすることでも、プレイヤーはゲームに対してよい感想を持ちます。しかし、ゲームの勝敗を案じて自分の心臓の鼓動を感じるとき、あるいは大きな一手を打ってアドレナリンが湧き出るときにこそ、プレイヤーはそのゲームを心から好きになります。自分にしか思いつかないような戦略を発見したり、自分の思い通りの盤面を作り上げたりすることによってこそ、プレイヤーはその体験を自ら語るようになるのです。
重要なのは、プレイヤー自身をゲームに引き込むことです。それは、ゲームを通じて自分自身のドラマを体験させることであり、自分自身が入り込んだ自分だけの物語を生み出させることです。そうすることによって、プレイヤーはそのゲームを自分のものだと感じることができるようになり、ゲームがそのプレイヤーにとって特別なものになる可能性が生まれます。
3. ゲームには慣性が必要である
ゲームを批判する言葉として、「収束性が悪い」という言い回しがあります。これは、ゲームがなかなか終わらず、だらだらと続いてしまう場合があるときに用いられます。そうなるとプレイヤーは飽きてきて、飽きると楽しくなくなるので、ゲームに対する評価が悪くなってしまいます。
もしゲームの進行が立ち止まる可能性があったり、巻き戻る可能性があったりするのであれば、そのゲームはいつまでも終わらない可能性があるということになります。たとえば、攻撃して相手のライフを削りきることが目的であるゲームで、それ以外に終了条件がないにも関わらず、攻撃しないという選択やライフの回復手段があるとすれば、そのゲームは終わらない可能性があります。もし攻撃するよりも待ち続けたりライフを回復し続けたりする方が戦略的に効率であったりすればなおさらで、ゲームを終わらせないことこそがゲーム的に正しい選択ということになってしまいます。
ゲームの進行には慣性があるほうが安全で、始まったゲームは放っておくだけでも着々と終了に向かって進んでいくべきだと考えます。プレイヤーにゲームの進行速度を左右する権利を与える場合には、押しとどめようとしてもそれができないように、慣性だけでなく重力のような加速度を持たせるべきかもしれません。プレイヤーがもう終わらせたいと思っているのにゲームが終わらないという体験よりも、プレイヤーがまだ続けたいと思っているのにゲームが終わってしまうという体験の方がはるかによいものだからです。前者は「もうプレイしたくない」という気持ちでゲームを終えますが、後者は「もっとプレイしたい」という気持ちでゲームを終えるからです。
ゲームにおける慣性というコンセプトは、収束性の他にもうひとつ、逆転可能性にも関わってきます。
逆転可能性というのも、ゲームについて語るうえでしばしば取り上げられる要素です。もしゲームの途中のある時点で勝敗が実質的に決まってしまうのであれば、それ以降はプレイする意味がなくなってしまいます。もしゲームの最後まで勝敗が一切決まらないのであれば、そこに至るまでのやりとりには良いも悪いもなかったということになってしまいます。逆転可能性というのは実質的には何の問題で、理想的にはどうあるべきなのでしょうか。
慣性があるということは、放っておけばずっとそのまま進んでいくということです。序盤のリードも意味を持つべきであり、他に何も起こらなければそのまま勝ちにつながるような構造であるべきです。しかし、最終的に勝敗が決したときが100:0の状態だとすれば、ごく序盤の差異は51:49のような状況であるべきで、序盤にすべてが決するのではなく、その差異が広がるのを押しとどめ逆転できるという感覚をプレイヤーに持たせるべきでしょう。
プレイヤーが勝利への希望を持ち続けられるということは非常に重要です。事実上の逆転可能性とは関係なく、希望があれば楽しみ続けることができますし、希望が失われれば楽しさも失われるものです。
希望を持ち続けさせるための手段として、誰が勝っているのかを隠匿したり、勝利可能性の見積もりを困難にしたりするといった方法もよく使われます。ただしこういった手法は、行き過ぎると、プレイヤーがゲームの途中で自分の選択に対するフィードバックを得ることができなくなり、プレイの良し悪しの手ごたえを感じにくくなってしまうという問題も抱えています。
4. デザインとデベロップメント
進捗管理や業務分担、あるいは意識の切り替えという���において、ゲーム制作の過程をいくつかのステージに分けることが有効なときがあります。自分は、ゲーム制作の流れを、デザイン・デベロップメント・生産・販売の4つのステージに分けて考えています。
共同デザインをする際など、ゲームデザインのプロセスについて他の人と話し合ううえで、このステージ分割においてデザインとデベロップメントの境界はどこにあるのかということがしばしば話題になりました。そのため、一口で説明できるような定義を考えることにしました。
僕の定義はこうです:あなたがまだない何かを生み出そうとしているなら、あなたはデザインをしている。あなたが既にあるものをどうにかしようとしているなら、あなたはデベロップメントをしている。
デザインは何らかの目的のために何かを生み出しますが、そのとき副作用的に(たいていの場合)問題も生んでしまいます。デベロップメントはその問題を解決し、全体を理想に適合する形にします。
デザインとデベロップメントを分割する必要があるのは、この二つの間で意識を切り替えることが有効だからです。デザインは開かれた気持ちで創造的に取り組むべきですが、デベロップメントは現在の課題と最終的な目的地を具体的に認識して取り組む必要があります。課題がなければ解決はありませんし、目的地がなければ前進はないからです。
5. 先達に学ぶ
僕は昔からデザイナーズノートというものが好きで、自分でもゲームデザインをしてみようと思い立つ以前から、ゲームデザインに関する記事をよく読んでいました。
その中でももっとも多く読んだのが、『マジック:ザ・ギャザリング』の現在のヘッドデザイナーであるマーク・ローズウォーター氏の記事でした。そこからゲームデザインに関する非常に多くのことを学びました。
氏の直近の記事はここで読むことができます:Making Magic -マジック開発秘話-
彼の記事をもっとも多く読んだというのは自然なことで、というのも、彼はおそらく史上もっとも多くのゲームデザインに関する記事を書いた人物だからです。彼は2002年に Making Magic というコラムを書き始め、現在に至るまでそれをほぼ毎週継続しています。その内容の大部分は『マジック』に関するものですが、より一般的なデザイン全般に通じる記事も多くあります。
僕のおすすめの記事のうち、『マジック』以外にも適用できそうな内容のものをいくつか並べておきます:
無作為はともだち
抱き合わせ
シナジー生活
プレイのガーフィールド
大事なもの探し その1
大事なもの探し その2
レンズ状のデザイン
マーク・ローズウォーター氏の他には、指輪世界1の伊藤悠氏、ステッパーズ・ストップのポーン氏の記事を当時よく読み、影響を受けました。彼らのような師父に(勝手ながらであれ)学べるということは大きな幸福です。そしてそれらの学びは今でも大いに活きています。
6. 自分の柱を知る
最初のゲームを作るときには、初期衝動の導きがあり、自分が本当に作りたいと思うものを作れる可能性が高いと思います。しかし、そこで一度やりたいことをやりきってしまうと、自分の欲求を見失ってしまい、技巧に寄ったり奇をてらったりしようとして道に迷うこともあるでしょう。
それを作ることが可能だからという理由だけで作ったり、それがまだ存在していないからという理由だけで作ったり、それを作れることを誇示したいからという理由だけで作ったりすると、うまくいかないことが多いと思います。
自分が本当にやりたいことをやり、自分が本当に作りたいものを作るのが重要なはずです。そうすることによってこそ制作に情熱を注げますし、ものが形になってきたときに本当にそれでよいのかどうかを正当に判断することができるでしょう。これまで自分がプレイしてきたゲーム、あるいは人生全体を振り返ることで、自分の柱を知り、たどり着きたい場所を再確認することができます。
7. ゲームはモジュールの集合である
「アイデアとは既存の要素の新たな組み合わせ以上でも以下でもない」という言葉は有名であり、自明のことかもしれませんが、ゲームは複数のモジュールの組み合わせによってできています。
たとえば、『カタンの開拓者たち』は、手札・ターン・ダイスロール・資源生産・バスト・アクション選択・建設・拠点の接続といったメカニズムの集合です。他方、『ドミニオン』は、山札・手札・捨札・ターン・カードプレイ・リシャッフル・オープンマーケット・金・購入といったメカニズムが組み合わさることによってできています。ここで重要なのは、これらの個々のメカニズムは部品であり、互いに可換でありうるということです。
たとえば、『カタン』のルールを少し書き換えて、資源をダイスロールによってランダムに獲得する代わりに、『ドミニオン』のようにオープンマーケットから自由に選べるようにすることができます。あるいは、『ドミニオン』の方を変更して、金で勝利点カードを購入する代わりに、『カタン』のように資源を組み合わせて建物を作るのを目的にすることもできます。
ゲームをモジュールの集合として認識することの利点は、ゲームデザインの過程で、現在のアイデアに手を加えるためのノブやレバーがどこにあるのかを知ることができる点です。ゲームを渾然一体のものとして認識していると、そのどこに手を入れられるのかわからなくなってしまうことがあります。ゲームを構成する多様な要素をストックとして持っておき、それらの特性を把握しておくことで、効率的にデザインを行うことができます。
ただしもちろん重要なのは、単にモジュールを組み合わせることではなく、最終的な全体の調和です。上で挙げた『カタン』と『ドミニオン』の変更の例は、当然ながらそのままではうまく機能しないでしょう。この変更だけでは、ゲームの他の部分と協働しないからです。モジュール単位でゲームを改善するとしても、その審美は全体を見ることで行わなければなりません。
また、よいゲームはしばしば、個々のメカニズムをテーマによって結びつけ、そのつなぎ目をきれいに覆い隠しています。『アグリコラ』の農業部分がそのいい例でしょう。
ゲームをモジュールに分解するという考え方は、多くのゲームプレイヤーにとってはもとから自明のことかもしれませんが、自分がこのことを強く意識するようになったのは、『テラミスティカ』をプレイしてからでした。『テラミスティカ』のゲームプレイの中心は大きなマップですが、その脇には教団トラックがあり、メインパートとは離れた場所でシンプルなミニゲームを提供しています。この教団トラックは、ゲームにさらなる要素と考えどころを付加しながらも、複雑なメインの構造からは独立しており、プレイヤーに負荷をかけません。また、この教団トラック自体のメカニズムはほとんど可換であり、他のミニゲームに置き換えたとしても成り立つものなのです。
『テラミスティカ』のあと、『オルレアン』の慈善行為ボードを見たときにも同じことを考えました。『メディーバル・アカデミー』や『イムホテプ』はさらにモジュール的で、複数種類のレースやパズルを同列にならべて、それらをひとつの中心的メカニズムで結びつけるものです。2016年に多くの賞を受賞した『モンバサ』も、ルールの異なる複数のミニゲームを同時にプレイさせる、非常にモジュール的な作品だと言えると思います。
8. プレイヤーに不快感を与えない
ボードゲームの歴史が進むにつれ、以前に比べ、現在は個人攻撃や自由交渉といった「ポリティカル」な要素が採用されることが少なくなったと言われています。人間関係や会話による誘導がゲームの勝敗を左右することは避けられ、ゲームという構造の中で、プレイヤーが平等にメカニズムの管理下に置かれるようになってきました。
個人攻撃や自由交渉は強く直接的なインタラクションを生み、楽しいものではありますが、あるプレイヤーを楽しませると同時に他のプレイヤーを傷つけがちでもあります。
プレイヤーはいつでもゲームをやめることができますし、いつでもゲームを嫌いになることができます。自ら進んで不快な体験をしたがる人はそうはいませんから、プレイヤーが傷つく瞬間があれば、それはゲームを嫌う契機になりえます。過保護なように思えるかもしれませんが、プレイヤーに不快感を与える機会を作るよりは、至るところで楽しみを得られるようにした方がよい体験につながるでしょう。
直観的に楽しい行為が勝利につながるようにすることも重要です。たとえば、『サンファン』や『レース・フォー・ザ・ギャラクシー』といったゲームでは、建物を場に出すことが楽しい行為であり、それによって勝利点が得られて勝利に近づくようになっています。逆に、楽しい行為がゲーム的には弱く、つまらない行為がゲーム的に強いような構造のゲームであれば、プレイヤーを楽しませることは難しいでしょう。
また同じように、ゲームの中で何らかの行為をプレイヤーに行わせたいときには、しなかった場合にペナルティを与えるよりも、した場合にボーナスを与えた方がよい感情を引き起こしやすいと考えられています。このことについては、『ワールド・オブ・ウォークラフト』で、「休憩を取らないと獲得経験値が半分になる」というメカニズムを導入したら非難を浴びたが、その後基本の獲得経験値を半分にしたうえで「休憩を取ると獲得経験値が2倍になる」よう変更したら喜ばれたというエピソードが有名です。
不快感を与えないという点において、個人的に特に重要だと考えていることは、「プレイヤーがした投資を無駄にしない」ということです。貯めたリソースを投じた結果が無駄になると、その瞬間にゲームをやめたくなるものです。直接的な攻撃のあるゲームでも、攻撃された側の資産は失われなかったり、あるいは何らかの補償を得たりといった気遣いを導入するゲームも増えており、よい手法だと感じます。またこれはプレイヤー同士の攻撃に限った話ではなく、『オーディンの祝祭』では、ダイスロールによる判定に失敗した場合、アクションが完全に無駄になるのではなく補償を得られるという設計になっています。ただし、失ったもの以外のものを補償によって与えると、あえてそれを狙うという直観的ではないプレイが可能になってしまうこともあり、注意が必要です(たとえば、RPGであえて全滅して移動する「デスルーラ」のように)。
ここでは、プレイヤーを守り、不快感を与えないようにすることについて書きました。しかし、一方でギャンブル性やリスクによるスリルが重要なタイプのゲームもあり、そのような場合にはあえてプレイヤーを突き放すことも重要になるでしょう。
9. 自動的なバランス調整
「バランスがよい」ことは、しばしばゲームの徳のひとつとして挙げられます。バランスの良し悪しというものが具体的に何を意味するかは個々人の定義によると思いますが、自分は、あまりにも特定の選択肢に有効性が偏っていたり、選択によって得られる損益よりもランダム性によって受ける損益のほうが大きすぎたりして、プレイヤーの意思決定が実質的にゲームに影響しなくなってしまっている状態を「バランスが悪い」と考えています。
そういった状態にならないように、プレイヤーが自分で意思決定を行っていると感じられるよう複数の選択肢に十分な意味を持たせることを「バランス調整」と呼びますが、人の手でこれを行うのは非常に大変です。ゲームの複雑性が増し、プレイヤーに与えられる選択肢が増えるほど、それは困難になっていきます。
そ��困難さを低減させるための手法として、バランスを自動的に調整するというものがあります。それがどういうことかというと、プレイヤーたち自身に選択肢の値段をつけさせることで、ゲームプレイの中で選択肢の価値を調整するというものです。
競りはその最たるもので、ゲームから与えられる要素の値段をプレイヤーにつけさせることで、バランスが自動的に調整されます。すべてのプレイヤーに値付けの機会が平等に与えられないという問題はあるものの、トレーディングカードゲームにおけるドラフトも、より簡便な方法で同様の効果を持ちます。ワーカープレイスメントもまたドラフトが形を変えたものであり、簡便な競りのように働きます。『プエルトリコ』のアクション選択や『スモールワールド』の種族選択のような、需要のない選択肢に時間経過によってボーナスがついていくというメカニズムも、競りと同様の機能を持ちます。
競りは非常に強力な調整力を持つため、バランスの問題をほとんど解決してくれます(プレイヤーが支払いに充てられるリソースの全体を超える価値を持つ選択肢がない限り)。ただ一方で、プレイヤーが選択肢の価値をまったく見積もれない場合には、あるプレイヤーの選択がゲーム全体に大きな影響をもたらしうるという問題もあります。それによってそのプレイヤーが損害を被るだけであれば単に実力が反映されやすいゲームだと言うことができますが、他の特定のプレイヤーに影響をもたらすのであれば、そのゲームは競りを採用するにはポリティカルな性質が強すぎるということになるでしょう。
10. 人間のボトルネックはやる気である
ボードゲームのデザインという行為は、非常に開かれたものだと思います。思考さえできれば誰でも始めることができますし、紙とペンとハサミがあればたいていのものは形にすることができます。
ボードゲームのデザインを始める以前には、「ゲームを作ってみたいが、どうすればいいのかわからない」と考えたこともありました。しかし今になって振り返れば、それは実際にはゲームを作りたいと思っていなかったのだと感じます。もし本当に作りたいと思っているのであれば、いつだって作り始めることができますし、既に作り始めているはずだからです。
ゲームデザインはいつでも誰でも始められるものです。さらに、こと現在の日本に限って言えば、大きなプレイヤー人口があり、ゲームマーケットというリスク報酬比のよい発表の場もあり、国内外の出版社からの引く手も数多と、驚くほど望ましい状況が揃っていると思います。門は開かれているし、道は通じているわけです。そこを歩き続ける者にとっては。
しかし一方で、ゲームデザインには日々の筋トレのような労力が必要であり、それを持続するには困難が伴います。ゲームデザインはそれ自体が楽しいものであるはずなのに、絶えず継続するのは不思議と難しいものです。人間のボトルネックはやる気だからです。
やる気を生み出すというのは大きな課題です。その方法の一つとして、慣性を利用するというものがあります。止まっているものを動き出させるのには力がいりますが、一度動き始めてしまえば今度は止めるほうが困難になるものです。日々の生活で定期的にゲームデザインを行う時間を持つようにすると、最初こそ大変ですが、動き出せばだんだんと習慣的に行えるようになっていきます。「やり始めるとやる気が出る」ということを意識し、最初の瞬間だけを乗り越えるようにすればその後はうまくいくものです。やる気がなくてもできる取っ掛かりの作業をエンジン始動のルーチンとして最初に組み込んだり、作業を途中で終わらせておいて次回その続きから始めやすくしたりするといった手法も有効です。この文章は自分に言い聞かせるために書かれています。
ゲームを作ろう。
2016年11月の@niftyの@homepageサービス終了に伴ってウェブサイトが消滅していたことに今気づき、ショックを受けました。 ↩︎
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I was game のこれまでのプロジェクト一覧
I was game がこれまでに取り組んできたプロジェクトの一覧、あるいは墓標です。 制作中はアルファベットでコードをつけて管理しており、その羅列です。 備忘用につけられた摘要も(何を言っているのかよくわからない度が高いものの)一緒に掲載しています。 基本的にはボードゲームですが、中には一部ビデオゲーム等も含まれます。 1. __Aegis__:ドミニオン+サンクトペテルブルク 1. __Behoma__:協力してゾーマと戦う 1. 欠番 1. __Duel__:__ヴォーパルス__ 1. __Empire__:コンパクトな TCG 1. __Farnese__:アグリコラみたいなやつ 1. __Goth__:ロマサガ 1. __Harvest__:マップ上を移動していくワーカープレイスメント 1. __Integral__:2D アクション 1. __Journey__:PRG+マンマ・ミーア 1. __Keeper__:ゲームを作るワーカープレイスメント 1. __League__:不明 1. __Magi__:まどかマギカの協力ゲーム 1. __Nature__:ドミニオン+ロンデル 1. __Overlord__:LoL をカードゲームにする 1. __Pick__:ものすごくシンプルな読み合いのカードゲーム 1. __Quest__:ローグライクとロマサガ 1. __Reverie__:オーダープレイスメント 1. __Saga__:系譜のカードゲーム 1. __Technopolis__:ネットランナーみたいなやつ 1. __Underdark__:みんなでダンジョンに潜る 1. __Victor__:協力ドワーフフォートレス 1. __Wiseman__:スマホ RPG 1. __Xanadu__:__ダンジョン オブ マンダム__ 1. __Yield__:ギャラクシートラッカーとスペースアラート 1. __Zeal__:__ロストレガシー:ヴォーパルソード__ 1. __Annihilator__:ジオメトリーウォーズみたいなやつ 1. __Build__:デッキ構築とワーカープレイスメント 1. __Cestus__:見下ろし型 2D アクション 1. 欠番 1. __Era__:マジックの発展の歴史 1. __Finger__:__メイガスホールデム__ 1. __Gum__:__Twelve Heroes__ 1. __Hearth__:ローグライクソリティア 1. __Irvine__:ドラフトしてカードを2次元に配置するだけ 1. __Jolt__:ラズベリーパイを使いたい 1. __Kalium__:進化とマップ 1. __Lone__:役割配布と推理 1. __Morbid__:ロストレガシーレジェンド 1. __Nether__:ドワーフの城塞の原型 1. __Olaf__:原始人とトリックテイキング 1. __Paper__:__ドワーフの城塞__ 1. __Queue__:シンプルでリプレイアブルなワーカープレイスメント 1. __Rogue__:ブラフ 1. __Society__:都市を作る 1. __Thy__:ミノタウロスの迷宮 1. __Universe__:アプルクセンのような小さなゲーム 1. __Vox__:マーガレット 1. __Wyrm__:ダンジョン飯 1. __Xenon__:無限ループを作る小さな2人用カードゲーム 1. __Yawn__:Art of War みたいなやつ 1. __Zero__:Pairs 1. __Alpha__:オルレアンとテラミスティカ、総合ゲーム 1. __Bane__:ヴォーパルスの改善 1. __Cypher__:対戦型ドミニオン 1. __Detonation__:タブロービルディングと競り
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ボードゲームのルールを書くための5つの tips
この記事では、ボードゲームのルールを書く際に有効だと自分が考える5つの tips を紹介します。
ロボットになろう
ルールの記述は、しばしばプログラミングにたとえられます。ルールの文章がソースコードであるならば、プレイヤーたちはコンピュータです。このアナロジーにおいて重要なのは、コンピュータがソースコードに書かれていないことを実行できないのと同じように、プレイヤーもルールに書かれていないことは実行できないのだということです。そして、ゲームはあなたが想定したとおりにではなく、ルールに書かれたとおりにプレイされるのだということです。
たとえば、カードゲームのルールで以下のような記述があったとしましょう。
ゲームの準備として、山札から各プレイヤーにカードを7枚ずつ配ります。
プレイヤーは自分のターンに、以下のいずれか、あるいは両方を実行することができます。
山札からカードを1枚引く。
手札からカードを1枚場に出す。
プレイヤーがターンを終えたら、次のプレイヤーにターンが移ります。
いずれかのプレイヤーの手札が0枚になったときにゲームが終了し、そのプレイヤーが勝者となります。
これは『ウノ』のルールの一部を借用し、簡略化して書いたものです。
たいていの場合、われわれはゲームのルールにおける暗黙の共通認識を持っているので、上のような記述でもある程度正しくプレイできてしまいます。でも万人の認識が常に正しいとは限らず、ルールだけを知識としてプレイしようとすると問題が起こることもあります��
ルール記述の失敗でよくあるのは、未定義のオブジェクトを参照してしまうことです。たとえば上の例でいえば、「1行目に書かれている山札とはいったい何のことだろう?」という問題が生じます。「カードを裏向きで集めてシャッフルし、プレイエリアの中央に置きます。これを山札とします」と冒頭に書いてあれば、山札というものが定義され、後の記述で参照しても問題が起こらなくなるでしょう。
暗黙の共通認識はよいものではありますが、厳密なルール記述を妨げる要因でもあります。デザイナーは自分のゲームを熟知しているので、しばしば定義が必要なはずのオブジェクトを見落としてしまいます。山札の他にも、上の例で言えば「手札」「場」「ターン」といったものを定義しなければならないでしょう。
では、既にゲームを熟知してしまっているデザイナーは、どのようにして未定義のオブジェクトを探し出せばいいのでしょうか?
そのための有効な手段は、ロボットになってルールを読みながら、実際にプレイしてみることです。
ロボットになってプレイする場合は、あなたの人間としてのすばらしい思考能力と常識を捨て去って、自分をただ書かれた文章に従って動くだけの機械だと思い込む必要があります。そうすれば、一行目を読んだときに「ヤマフダ……ピピー……ヤマフダトハ、イッタイ……??」と機能停止することができます。具体的に言えば、ルール内でゲーム内のオブジェクトを参照する記述に出会うたび、遡ってその定義を確認する心構えができます1。
ロボットは未定義のオブジェクトだけではなく、曖昧な手続きも発見してくれます。
プレイヤーはどのように手札を持てばよいのでしょうか。あなたがロボットであれば、手札を自分だけが見えるように持つのか、それとも他のプレイヤーにも見えるように持つのか判断できないはずです。また、自分のターンに行える2つの行動には決まった順番があるのか、カードを引くとはいったいどういうことなのか、何がきっかけでターンが終わるのか、ターンはどのような順番で移っていくのか、といったところでも処理につまずくことができるでしょう。
さらにあなたが優秀なロボットであれば、書かれた文章のとおりにルールを解釈して、それが規定する範囲を探索することができます。たとえば、「以下のいずれか、あるいは両方を実行することができます」というのは許可の記述だから、逆にどちらも実行しないことも選べるのだろうか? という疑問を持つこともできるでしょう。
ロボットになる技術を鍛えましょう。なぜなら、実際のプレイヤーも、そんなロボットのようにルールを読んでゲームをプレイすることになるからです。
テストプレイ中にメモをとろう
あなたがロボットになってルールを読めば、未定義のオブジェクトを発見することができますし、曖昧な処理につまずくこともできます。でもそんなロボットにも、苦手なことがあります。
それは、例外的な状況を想定することです。
ゲームには10回中1回しか起こらないような例外的な状況もあり、そういった状況に対処するための処理の記述は漏れてしまいやすくなります。特に、プレイヤーがあえて不合理な選択を続けなければ起きないような状況は、しばしば忘れ去られてしまいます。しかしそうであっても、ルールにはその例外に対処するための記述が必要です2。
ロボットがチェックできるのはあくまで記述された文章のみであり、記述されていないものを発見するのは困難です。ロボットになってテストするときに運よくその状況に出会えればいいのですが、不幸なことにそのロボットは実際のコンピュータほど処理が早くないはずなので、テストを何万回も繰り返すことはできないでしょう。
書き漏らしを防ぐためには、結局のところ、テストプレイの段階からメモをとって準備しておくしかありません。ここで覚えておいていただきたいのは、チェックによって発見することが難しい項目というものが存在するから、ルールを書いたあとでチェックすればいいと考えるのではなく、そういった項目について事前にメモをとっておいた方がよいということです。
手続きとデータの違いに注目しよう
ルールに書かれているのはゲームをプレイするための手続きだけではなく、データも記述されています。
ターンの開始時に、各プレイヤーは3金を得ます。
上のような文章があった場合、「ターンの開始時に各プレイヤーが金を得る」という部分はゲームを進行させるための手続きです。しかし一方で、「3金」という部分は数量を表すデータです。
この区分において重要なのは、手続きについては体験の文脈が記憶に残るためプレイヤーも忘れにくいが、データについてはしばしば忘れてしまうということです。
たとえば『ドミニオン』で、ゲームの準備の際に自分の初期デッキを受け取ることを忘れることはあまりないでしょうが、経験の少ないプレイヤーは、そこにどのカードが何枚含まれているかを忘れがちでしょう。『ウノ』でも初期手札の枚数を覚えていない人は多いのではないかと思います。『カタンの開拓者たち』でも、7の目が出たときに手札が何枚以上なら捨てなければならないかわからない人がいるかもしれません。『麻雀』のようなゲームでも、手続きは覚えられても、役の飜数を覚えられない人は多いでしょう。
みなさんにも、ゲームをプレイするときにそういったデータを忘れてしまって、ルールブックをめくって探した経験があるはずだと思います。特に、プレイ人数によって変化する初期手札や場札の枚数のようなデータは最悪で、そんなものは人類には絶対に記憶不能なので、それがルールブックのどの位置にあるのかを探すために毎週末多大な時間が費やされています(その時間で『トワイライト・インペリウム』がプレイできるぜ、実際のところ)。
データをルールブックの中に隠してしまうのは非常に危険な行為です。ぜひ参照しやすい場所にまとめましょう。
ルールブックの表紙と裏表紙を活用しよう
では、ルールブックにおいて参照しやすい場所というのはどこなのか。
それは表紙と裏表紙です。
ページ数を記憶する必要がありませんし、探すときにページをめくる必要もありませんし、そこに書かれているということ自体も記憶しやすいからです。
ルールブックの表紙には、大きなタイトルロゴを配置し、楽しいストーリーで埋め尽くすべきでしょうか。裏表紙にはクレジットを載せ、デザイナーからのメッセージを長々と書くべきでしょうか。
自分の考えでは、表紙にはゲームのセットアップの手順と図を載せ、裏表紙にはルール全体のサマリーを載せるべきです。そしてそのサマリーには、ゲーム中に参照する可能性のあるすべてのデータを記載するべきです。それらこそがもっとも参照されやすい情報であり、表紙と裏表紙こそがもっとも参照しやすい場所だからです。ストーリーやクレジットやデザイナーからのメッセージは、邪魔にならない程度に小さくするか、前後のページに追いやってしまっても問題ないと思います。
とはいえこれは理想であり、実際の版組ではそのとおりにはできない理由も多いでしょう。いずれにせよ、表紙と裏表紙は参照されやすい情報を載せるのに最高の位置なので、ぜひうまく活用すべきだと考えます。
コンポーネントにルールを宿そう
上で、ルールブックにおいてもっとも参照しやすい場所は表紙と裏表紙だと書きました。でも実際には、ゲーム中にそれよりももっと参照しやすい場所があるはずです。
ご存知のとおり、それはゲーム中に取り扱うコンポーネントそれ自体です。
たとえば上のような「ターンの開始時に、各プレイヤーは3金を得ます」というルールがあるとします。ボード上にターン進行の図が書かれていて、その最初のところに金貨3枚のアイコンが描かれていたらどうでしょうか。もうルールブックをめくってデータを探す必要はなくなるはずです。
『テラミスティカ』では、居住地を配置するごとにワーカーが増え、交易所を配置するごとに収入が増えます。それがどれだけ増えるのかは、ルールブックに書かれているわけではありません。ゲーム開始時には自分のボード上に居住地や交易所が並べられていて、それらを取ってマップ上に配置すると、その下に隠れていたワーカーや収入のアイコンが姿を表すのです。もはや記憶する必要などないのです!
『ウォー・オブ・ザ・リング』では、準備の際に各勢力を政治トラックのどの位置に置くのか記憶するのは困難ですが、ありがたいことにトラック上の初期位置にそれぞれの勢力のシンボルが描かれています3。『ツォルキン』では、歯車を回すだけでワーカーが動いて、次に実行できるようになるアクションを自動的に示してくれます。『チケット・トゥ・ライド』では、虹色の車両カードがあり、それがどの色のカードとしても使えることはひと目で明らかです。
逆にも考えてみましょう。『ドミニオン』でカードの効果やテキストが、カード上にではなくルールブックの中に書かれていたらどうなっていたでしょうか。『カタンの開拓者たち』で港の交換レートがボード上に書かれていなかったら、『アグリコラ』で毎ラウンド補充する資源の数が書かれていなかったら、『プエルトリコ』で農場のタイルを配置するマスが存在しなかったら、どうなっていたでしょうか。そして、なぜそれらは今あるようになっているのでしょうか。
このことは、Rob Daviau がマサチューセッツ工科大学で行ったある実験を思い出させます。彼は25人の学生をいくつかのチームに分け、それぞれのチームにひとつのゲームを開封してもらい、5分後にそのゲームの内容を他のチームに説明させるという実験を行いました。ただし、それぞれのゲームの箱から、ルールブックは取り除かれていました。そして結果として、彼自身の予想に反して、学生たちはルールブックなしでコンポーネントからプレイのしかたを直観することができたのです。
この経験から、彼はこう語っています。
ルールがゲームを説明すべきではない。
ルールは、ゲームの他の部分が伝えることをただ裏付けるものであるべきだ。
そういうことだと思います。
しかし一方で、何がゲーム内のオブジェクトで何がそうではないのかを判断するのは困難で、ロボットであってもこれはできません。「プレイヤー」の定義は必要ないかもしれませんが、「カード」の定義はどうでしょうか? 結局のところこの部分の判断に関しては、人間のすばらしい思考能力によって行う必要があるのではないかと思います。ただそのとき、「その語がこの世に存在するすべてのゲームにおいて同じものを指すと考えられるか」ということが助けになりそうです。 ↩︎
そもそもそんな状況が決して生まれないようにすべき場合もあるかもしれません。 ↩︎
『テラミスティカ』の個人ボードでも、シルエットが四角である居住地を置くマスは四角くなっていて、シルエットが楕円である聖域を置くマスは楕円になっています。人これをアフォーダンスという。 ↩︎
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ボードゲームにおけるランダム性と公平性
この記事は、Board Game Design Advent Calendar 2014 の第1日目の記事として書かれました。
こんにちは!
I was game の @dbs_curry です。『ヴォーパルス』や『ダンジョン オブ マンダム』というゲームを作っています。
この記事では、ボードゲームにおけるランダム性と公平性について書きます!
これらはゲームデザインにおいてとても基本的な要素であり、そんな内容をいまさら文章にしても仕方ないだろう、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。でもこれらは今僕の中で非常に重要なトピックなので、この機会にまとめてみたいと思います。
なぜゲームにランダム性が必要なのか?
まず、僕が作りたいと考えているのは「おもしろいゲーム」です。
僕にとってのおもしろいゲームというのは、「何度でも繰り返しプレイしたいと感じさせる」ゲームです。
プレイヤーが何度でも繰り返しプレイしたいと感じるのは、次のプレイではもっとうまくやれるかもしれない、何か違うことが起こるかもしれないという「期待」が生じるからです。
そして次のプレイへの期待が生まれるためには、そのゲームが毎回異なるような「多様性」が必要なのです。
上記は非常に端折った展開ですが、さっさと本題に入るためにこの内容を前提とさせてください。つまり、僕には多様性のあるゲームを作る必要がある! ということです1。
その多様性を手っ取り早く生んでくれるのがランダム性なのです。
『ドミニオン』『レース・フォー・ザ・ギャラクシー』『アグリコラ』。しばしば延々とプレイされ続けるこういったゲームたちは、いずれもランダム性による多様性を持っています。『ドミニオン』では毎回ゲームに登場するカードが変わりますし、『レース・フォー・ザ・ギャラクシー』では毎回手に入るカードが変化し異なる戦略を選ぶ必要に迫られます。『アグリコラ』でも使えるカードとゲーム展開の順序が毎回変わります。
典型的なボードゲーム以外でも、繰り返しプレイされ続けるゲームの代表格である『麻雀』や『テキサスホールデム』は、大きなランダム性を持っています。よりカジュアルなゲームでも、『ウノ』や『大富豪』には強いランダム性があります2。
ランダム性によって与えられるリソースや選び取れる戦略が変わることで、毎回のプレイが異なったものになります。そうなることで、次は強い手札がきてうまく勝てるかもしれないし、想像していなかった組み合わせが生まれて新しい体験ができるかもしれないというような期待が生まれます。その期待が、一度プレイが終わったあとに、もう一度プレイしたいという欲求をプレイヤーに与えてくれます。
ランダム性は多様性を生み、多様性がリプレイ可能性を生んでくれるのです。
ランダム性は公平性を破壊する!
しかし、そんなすばらしいランダム性にも問題点はあります。
ランダム性によって公平性が損なわれてしまう場合があるからです。
『ドミニオン』で〈破壊工作員〉の効果を受けて、あいつは〈銀貨〉で済んだのに自分は〈金貨〉を廃棄された。『ルーンバウンド』でダイスを振って、6が出れば戦闘に勝てたのに1が出た。『アグリコラ』で〈家族を増やす〉アクションがなかなか出てきてくれなかった。『カタンの開拓者たち』で8の目さえ出れば街ができて勝利なのにまったく出なかった。『テキサスホールデム』で 72o を何度も引かされた。
ゲームがプレイヤーに平等の機会を与えないとき、そのゲームは不公平なものになります。
ランダム性と運の要素はなかなか切り離せません。自分の運の悪さのせいで敗北したと感じるとき、プレイヤーはその不公平さにストレスを覚え、ゲームに不信感を抱いてしまいます。
たとえ毎回のプレイに多様性があるとしても、個々のプレイに意味を見出せず楽しくないと感じてしまうのであれば、プレイヤーはそのゲームを繰り返しプレイしてくれません。
なぜランダム性が公平性を破壊するのか?
では、ランダム性はどのようにして公平性を損ねるのでしょうか。
思考によって実験してみましょう。
ここでは『将棋』を元にして極端な例として『将棋コイントス』というゲームを考えてみます。『将棋コイントス』は『将棋』とほとんど同じルールを持っていますが、一点だけ異なる部分があります。『将棋』では相手の王に詰みをかけたプレイヤーが勝利しますが、『将棋コイントス』では、詰みが確定したあとにコイントスを行って、そのコイントスに勝ったプレイヤーが勝者となるのです。
このゲームは明らかに公平ではありません。勝敗は運の良し悪しに委ねられていて、プレイヤーは自分の意思決定がゲームから疎外されていると感じるはずです。プレイヤーに勝利への均等の機会が与えられていないのです。このゲームを楽しんで何度もプレイするプレイヤーはいないでしょう。
しかし一方で、実際の『将棋』でも先手後手をランダムに決めています3。そして『将棋』では、先手のほうが有利だとしばしば言われます。それでも『将棋』は多くの人々によって繰り返しプレイされていますし、運のゲームだと言われることもありません。
これはなぜでしょう?
『将棋』ではランダム性がゲームの最初にあり、『将棋コイントス』ではゲームの最後にあります。これが大きな違いなのではないでしょうか? 誰だって、自分の行為の末の結果がランダム性に支配されてしまうのは嫌なものです。まずランダム性があり、その後に行為によって勝敗が決定されればよいのではないでしょうか。
なので、さらに新しい『インスタ将棋』というゲームを考えてみましょう。『インスタ将棋』は『将棋』とほとんど同じルールを持っており、ランダム性はゲームの最初の先手後手の決定にのみ存在します。でもやっぱり一点だけ異なる部分があって、『インスタ将棋』では、先手プレイヤーにとって1手詰めとなる初期配置でゲームを開始するのです。つまり、ランダムに決められた先手プレイヤーが最初の手番を行った瞬間に詰みとなり、勝者が決まります。
おおっと! 困ったことに、せっかく改良してランダム性のあとに行為が行われるようにした新しいゲームも、公平ではなくなってしまいました。先手が必ず勝つため、ランダム性が最初にあったとしても、結局はそのランダム性に勝敗が支配されてしまっているのです。
しかたがないので、この『インスタ将棋』をさらに改良してみることにしましょう。『インスタ将棋3』です。このゲームでは初期配置が3手詰めになっています。これなら、もしかすると先手プレイヤーがミスをして後手プレイヤーにも勝てる可能性があるかもしれません。
さらに『インスタ将棋10』になると10手詰みになり、先手プレイヤーが熟練していない場合にはしばしば勝敗に実力が反映されるようになります。ランダム性とゲームの勝敗までの間に距離ができたおかげで、ちょっとずつ公平なゲームに近づいてきた気がします。
もっと推し進めて『インスタ将棋1,000』になると、初期配置が普通の『将棋』と同じになり、勝敗がプレイヤーの実力にほぼ委ねられるようになります。というか、完全に普通の『将棋』になります。ランダムに先手後手が決まったあと、勝敗が決まるまでの間にプレイヤーの実力が十分反映されるので、これは公平だと言えるはずです。
ゲームに自分の実力、つまり自分の思考の結果として行った行為や選択が反映されないとき、プレイヤーはそれを不公平だと感じストレスを覚えます。逆に、自分の選択がゲームに影響し、自分の力で勝敗が決まったのだと感じられる���き、プレイヤーはそれを公平だと感じるのです。
つまり結局のところ、ランダム性が公平性を損ねるのはプレイヤーがそのランダム性に対応できないときであり、プレイヤーが自分の運の良し悪しに対応できるかどうかがゲームのデザインにおいて重要なのです。
運の良し悪しに対応させる
プレイヤーが自分の運の良し悪しに対応できるかどうか。
この点におけるよい例は『テキサスホールデム』です。たしかに手札の運がよい方が間違いなく勝率は上がるでしょうが、たとえ運が悪くとも、ブラフを仕掛けることによって自分より実力の低いプレイヤーに勝つことができます。運の良し悪しが勝敗に直結しておらず、プレイヤー自身がうまく対応すれば、勝利するチャンスが残されているのです。
一方で悪い例としては、上で考案した『インスタ将棋』や、『三目並べ』が挙げられます。こういったゲームでは、ランダムに先手が決定された瞬間に勝者が決まってしまいます。定義のしかたによってはこれらはゲームとさえ呼べないでしょう。そして程度の差はあれ、「先手ゲー」や「引きゲー」と呼ばれるようなゲームもこの悪い例に該当するでしょう。
プレイヤーには、自分の運が悪かったとしてもそれに対応して勝利へと進む機会が与えられるべきです。運が悪かったからといって敗北がほとんど確定してしまうような構造では、プレイヤーをゲームから疎外してしまいます。
運の良し悪しの影響を弱める
上記のとおり、運の良し悪しに対応する余地が残されているかという観点では、『テキサスホールデム』はよい例だと言えます。でも、たとえそうであってもこのゲームには明確な運の良し悪しというものは依然としてあり、それに勝敗が大きく左右されていることは確かです。特に、もしあなたがこのゲームをほんの数回しかプレイしないのであれば、これはほとんど運のゲームだと感じられるでしょう。
『テキサスホールデム』の場合は、一回のプレイをごく短くし、何度も繰り返しプレイすることを前提に置くことによってこの運の良し悪しの影響を小さくしています。運試しの回数を増やすことによって、たとえ一時期運が悪くても、長期的には良し悪しが平準化され実力に見合った勝率を得られるようにしているわけです。
これは、ゲームの開始時に手札を配る多くのゲームで共通した仕組みです。たとえば『ウノ』『インフェルノ』『ゴッズギャンビット』のように、いくつものカードゲームが複数ラウンド繰り返しプレイすることを前提としていて、運の良いとき悪いときがありながらもその合計点で勝者を決定するようになっています。また、ゲーム中に山札からカードを引いていくようなゲームでは、ゲームを通して何度も試行が行われるため、より運の良し悪しが平準化されるとも考えられます4。
このように繰り返しの試行をさせるゲームは、運の良し悪しを内包したまま、不公平さの感覚を弱めることができます。ギャンブルやガチャなどのように、運の良し悪しというのはプレイヤーを惹きつける要素でもあります。運さえ良ければ役満を上がれるかもしれないという期待があるからこそ、初心者が『麻雀』をプレイしたがるのです。運の良し悪しは公平性を損なう危険な要素ですが、公平性を守ったまま組み込むことができれば利点にもなります。
また、繰り返しプレイさせるゲームの多くがそうであるように、プレイ時間を短くすることでも運の良し悪しの影響を弱めることができます。運が悪かったせいでその後2時間ずっと惨め思いをしなければならないのは苦痛ですが、もし1回10分で終わるなら、今回はやれるだけやって次回を楽しみにしようという気持ちになれます5。
運の良し悪しをなくす
繰り返しプレイさせることで、運の良し悪しの影響を弱められることがわかりました。
でも、たとえ5ラウンド繰り返すゲームであっても、毎ラウンド弱い手札を渡されないとは限りません。それ以前に、繰り返しプレイすることを前提としたゲームが本当に繰り返しプレイされるかどうかは疑わしいものです。実際のところ、あなたは『ウノ』を複数ラウンドプレイして得点計算しているでしょうか?
だからときには、運の良し悪しを弱めるだけではなく、すっかり取り去ってしまいたい場合もあるはずです。
ランダム性を組み込みながらも、運の良し悪しを排除する。そんなことが実際に可能なのでしょうか?
『ドミニオン』では、25種類あるカードの中から、そのプレイで使われる10種類がランダムに決定されます。そしてその10種類のカードはゲーム開始時には誰のものでもなく、共通の場札として配置されるます。
この『ドミニオン』の場札の選択は、ランダムであり、ゲームに大きな多様性をもたらしています。しかし共通のものであるがゆえに、プレイヤーごとの運の良し悪しというものを生んでいません。これによって、公平性を破壊することなく多様性を組み込むことができているのです。
また、『ソルヴァーズ』という1人用の TRPG があります。他の多くの TRPG が「使用するスキルを選択して、その結果がダイスで自動的に決定される」のに対して、『ソルヴァーズ』では「まずダイスを複数個振って、それらをどのスキルに割り当てるかを自分が決める」という構造になっています。
そして『ソルヴァーズ』では、低い目にも高い目にも使い道があるため、ダイス目の良し悪しというのが一概には言えません。つまり、ダイスを振った段階ではそれはランダムに生成されただけの(ある程度)フラットなものであり、それらをプレイヤーがどのように使うかに応じて実際の成否が決まるのです。
これら『ドミニオン』や『ソルヴァーズ』が、『大富豪』のように手札の強弱を決めたり、『タリスマン』のように攻撃の成否を決めるためにランダム性を使っているわけではないということに注目してください。
これらのゲームでは、ランダム性があたかもパズルを自動的に生成するための種であるかのように使われています。つまり、プレイヤーの有利不利や選択の結果を決めるためではなく、プレイヤーに毎回異なる課題を与えるための環境を生むべく使われているのです。
まとめ
ランダム性は、ボードゲームに多様性を組み込むうえで大きな武器になる。
しかしランダム性によってプレイヤーに平等の機会が与えられないと、ゲームの公平性が損なわれてしまう。
そのため、ランダム性を用いる場合は、以下のような方法で公平性を守るようにしたほうがよいと考える。
ランダム性とゲームの結果の間に適切な距離を用意し、プレイヤーの意思決定によって対応できるようにする。
繰り返し試行させて運の良し悪しを平準化したり、1回のプレイを短くすることによって運が悪いことによるストレスを抑えたりする。
ランダム性を全プレイヤーに共通のものにしたり、(少なくとも一見では)良し悪しが存在しないようにしたりする。
もっとも重要なのは、上で書いたとおり、プレイヤーの意思決定の結果をランダム性によって決めるのではなく、ランダム性で生んだ環境によってプレイヤーの創意を触発し、その中で意思決定を行わせるようにすることだと思います。
もっと言えば、3,000円を払わせ、プレイに2時間を費やさせて、最後にくじ引きで勝敗を決めさせるべきではないのではないかということです。
このランダム性と公平性の話はさらに、山札・ドロー・サーチ・コスト・競り・オープンマーケット・ドラフト・デッキ構築・ワーカープレイスメント・同時プロットといった、今自分にとってもっとも重要なデザイン上の課題である「いかにプレイヤーたちに正しくリソースを分配するか」という問題に繋がっていきます。しかしその話は、この記事の中で語るには(省略されました……全てを読むにはワッフルワッフルと書き込んでください)。
ランダム性というのはすばらしい武器であり、同時に危険な爆薬でもあります。ここでは概ね公平性というものを守るべきものとして書きましたが、あえて公平性を損ねるようなデザインも考えられるでしょう6。この記事が、身の回りのゲーム(あるいは自身が次に作るゲーム)がランダム性をどのように扱っていて、そしてそのように扱っている理由が何なのかを考える一助となれば幸いです。
Board Game Design Advent Calendar 2014 の第2日目は、サークル「倦怠期」の @shzwtk さんの記事が投稿されます。最近で言えば『マスクメン』『dois』『luz』など、ひねりを利かせたメカニズムを主軸に据えて、洗練されたゲームを設計されているデザイナーの方です。テーマは「100均について」とのことで、どのような内容になるか楽しみにしています。
実際には多様性が反復的なプレイ欲求の必要条件というわけではなく、たとえば単純に行為が楽しいゲームは多様性がなくとも何度もプレイされることになります。 ↩︎
ここでは、同様に繰り返しプレイさながらもランダム性の影響が薄い『テラミスティカ』や、あるいはほぼランダム性のない『チェス』『将棋』『囲碁』といったゲームを省いています。これらのゲームが繰り返しプレイされる理由も多様性だと考えていますが、その多様性はランダム性によってではなく複雑性によってもたらされています。 ↩︎
プロ将棋の棋戦等では、あらかじめ先手後手が決まっている場合もあります。 ↩︎
多くの TCG がこの構造を持っており、しかも TCG の場合は自分で作ってシャッフルしたデッキがランダム性の発生装置となるため、心情的に不満を持ちにくいということもあります(経験上、実際にカードでプレイする場合よりも、PC のソフトウェアでプレイする場合のほうが運に対する文句が出やすいように感じます。これは、デッキをシャッフルしたのが自分なのか制御不能な他者なのかどうかが関わっているように思えます)。しかし一方で、このようにゲーム中に繰り返しカードを引くゲームであっても、もっとも重要な場面で必要なカードを引けたかどうかで運の良し悪しが判断されがちでもあります。 ↩︎
そしてそのように短いゲームであれば、あえて運の良し悪しを組み込むことによって、初心者にも勝利の機会を与えたり、敗北したときに自尊心を守る言い訳を用意したりすることができるようにもなります。たとえば『ヴァンガード』のような TCG がこの手法を用いています。 ↩︎
たとえば、誰よりも弱い不公平な手札を使ってゲームに勝つことができたら、それはすばらしい体験になるはずです。あるいは、運の良し悪しをいかにマネジメントするかという構造も楽しいものになりうるかもしれません。 ↩︎
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デザイン101
Design 101 : Daily MTG : Magic: The Gathering の訳。
この数週間で、私は「カードを作るのはきみだ #2」へのメカニクスの投稿に目を通し始めた。エントリーはひとり一回と制限されてはいるが、第1回の「カードを作るのはきみだ」の2倍を超える数の投稿がきていて、しかもそこには日本からの投稿がまだ含まれていない。どうしてこんな話をするのかって? それは、この溢れかえるカードの投稿の山が、長年書こうと思っていたあるトピックのことを思い出させてくれたからだ(「カードを作るのはきみだ」に関しては今取り組んでいるところだ。もうちょっと待ってくれ)。
ご存じのとおり、職務上、私はよく新人カードデザイナーの仕事の良し悪しを判断させられる。よくある失敗というのがどういうものなのかわかり始めるほどには多くのものを見てきた。それで、初心者がマジックのカードをデザインする際に起こしがちな失敗を示すコラムというのは、きっとおもしろくなるだろうと思ったんだ。
話を続ける前に、このコラムが、われわれのように Wizards of the Coast でカードをデザインしたいと思っている人たちに向けたものだということを書いておいたほうがいいだろう。もしきみが自分自身のやりかたでわれわれとは違うことをしたいと思っているのであれば、健闘を祈るが、このコラムはきみに向けたものではないということになる。
失敗 #1 - カードが複雑すぎる
これは断トツで広くあまねく存在する、初心者デザイナーがもっとも起こしがちな失敗だ。この問題に関して、いくつかの面から見ていこうと思う。
カードに能力が多すぎる - 何らかの理由で、新人デザイナーは、自分のクールなアイデアをすべて1枚のカードに乗せなければならないと強く感じてしまうようだ。これはいくつかの理由で問題になる。まず、そうすることでカードの美しさが損なわれてしまう。私はデザイナーたちに、カードがどのように見えるか把握するために、ステッカーで試作品を作って実際に見てみるよう強く勧めている。過度に長いルールテキストを持ったカード見栄えが悪くなるものだ。
次に、カードの能力を増やすほどに、カードは複雑になっていく。特殊で独特なレアのカードの場合はそれでも問題ないことがあるかもしれないが、一般的なマジックのカードはシンプルかつストレートなものである必要がある。それを示すもっともよい例として、きみの好きなマジックのカードを思い浮かべてみてほしい。基本的に、われわれの用いるなかで最小のフォントサイズを使ったカードよりも、そうでないカードのほうが人気がある。
第三に、多すぎる能力は「注目を引き剥がして」1しまう。これはデザインの用語で、本来注目してほしい箇所にプレイヤーの目を引きつけることができなくなってしまうことを指す。たとえば、きみがクリーチャー用のすばらしい能力を作ったとしたら、プレイヤーにはその能力について考えることにエネルギーを注いでほしいと思うだろう。カードにつけられた複数の能力は、互いに注目を抑えあってしまうんだ。
カードにフレーバーの「アドオン」が多すぎる - この失敗は、フレーバーを添えてくれるようなルールテキストをカードに加えたものの、それがめったに働かないせいでややこしくなってしまうというものだ。例として、「普通」のドラゴンの能力に加えて、場に騎士がいたらアンタップしないという能力を持ったドラゴンのカードを思い浮かべてほしい。この能力にはフレーバーがある。ドラゴンは騎士を恐れて「隠れる」というわけだ。だけどこの能力が意味を持つことはほとんどないだろう。さらに、この能力には振れ幅が大きすぎて、ごくまれにひどい目にあうことがあるというだけのものになってしまっている。
上で述べてきたように、過度に冗長な文章は悪いものだ。だから、ゲームプレイに十分に貢献するのでない限り、デザイナーはそういった「アドオン」を使うべきじゃない。これをうまくやるシンプルな方法は、カードをプレイテストする際に、その能力に気をはらい続けることだ。もしある能力がまったくあるいはほとんど効果を発揮しないのであれば、それは大抵の場合、カードのスペースを占有するに値しない。2
カードを理解するのが難しすぎる - 新人デザイナーから渡されたカードファイルを読んだときに出るごくありがちな反応はこれだ。「はあ?」。
あるカードが何をするのかを把握するために、何度も読み返さなければならないことは非常によくある。ときには、結局理解できないこともある。よいデザインというものは、複雑さではなくシンプルさによって支えられるものだ。カードのファイルを人に見せたときに、特定のカードがいつも理解されないのであれば、それはそのカードが複雑すぎるというサインだ。そして、そこへ割り込んで自分のカードについて言葉で説明しようとしてはいけない。よいデザインというものは、ルールテキストのみによって成り立つものでなければならない。カードが自分自身を説明できないのであれば、そのカードは本質的に欠陥品だということなんだ。
カードに記憶しなければならないことが多すぎる - 一般的に言って、プレイヤーに記憶を強要するカードは厄介なものだ。とはいえ、記憶を必要とするものにも価値あるデザイン空間は存在する。そのデザイン空間で起こりうる大きな二つの失敗はこうだ。ひとつ目は、カードがプレイヤーに記憶を求める要素の種類が多すぎること。二つ目は、思い出す機会があまりないような細かい要素の記憶を求めること。対戦相手がカードを引くたびに3点のライフを失わせるエンチャントならば記憶できる。でも、1/1のクリーチャーが場に出るたびに1点のライフを失わせるエンチャントの場合はそうじゃない。
失敗 #2 - カードの能力にシナジーがない
上で述べたように、新人デザイナーはカードにたくさんの能力をのせたがる。これによって情報が過剰になってしまうだけではなく、また別のデザイン上の大きな問題であるシナジーの欠落にもつながる。ご存知のとおり、カードをデザインするときには、私はそのカードを単一の存在と見なしている。つまり、そのカードのすべての要素が、ひとつの目的のために一緒になって働かなければならないということだ。すべてのカードが複数の能力を持つ必要があるわけではないが、二つ以上の能力を持たせることを選んだ場合には、それらの能力が何らかの面で互いに関連していなければならないのだということを覚えておいてほしい。
例として、私が白と緑の多色のクリーチャーをデザインしたいと考えているとしよう。さらに、そのクリーチャーに白の能力と緑の能力をひとつずつ持たせようとしているとする。白の能力として、私は先制攻撃を選んだ。さて、緑の能力に目を向けたとき、私は先制攻撃とのシナジーを持つ何かを探すことになる。いくつかの選択肢を見てみよう。
バジリスク能力(このクリーチャーによってダメージを与えられたクリーチャーを破壊する)3 - この能力と先制攻撃を組み合わせれば、反撃を受ける前に相手を破壊できるからシナジーがある(このシナジーは、バジリスク能力の新しいテンプレートにおいてのみ機能することに注意してほしい。戦闘の終了時に効果を発揮する古いバージョンでは機能しない)。
飛行クリーチャーをブロックできる4 - 両方とも戦闘に関する能力だから合理的なシナジーだ。
打ち消されない - 二つの能力が互いに関連していない。打ち消されない能力は、青のデッキに対して強力なものだ。一方で、伝統的に青の序盤のクリーチャーは弱いため、先制攻撃は青のデッキに対して不適切だ。
再生 - この能力は実際のところシナジーを形成しない。なぜならば、先制攻撃はクリーチャーが戦闘で生き残りやすくなる能力だからだ。再生も同様だ。この二者は若干違う効果を持つが、同時に持っていてもあまりおもしろくはならない程度には効果が重なっている。ああ、《ヴェクのレインジャー/Ranger en-Vec》は気の毒に。
ルートワラ能力(1ターンに1回だけ+X/+Xの修正を得る) - パワーを大きくすることは先制攻撃の効果を強化するから、これはシナジーを持っている。
タップしてマナを生む - 両方の能力を同じターンで使うのは容易でないから、これはアンチシナジーだ。アタックして先制攻撃を使うためにタップするのであれば、マナを生むためにタップすることができなくなってしまう。
トランプル - これはどちらとも言えない。すばらしいシナジーがあるわけではないが、アンチシナジーでもない。またわれわれは、トランプルを大きなクリーチャーに持たせ、先制攻撃を小さいあるいは中くらいのクリーチャーに持たせるようにしている。
対象にならない(呪文や能力の対象にならない)5 - 小さなシナジーがある。先制攻撃はクリーチャーを戦闘において強化し、対象にならない能力はクリーチャーが戦闘以外で破壊される可能性を減らす。最高にフィットしているというわけではないが、悪くはない。
見てのとおり、シナジーの度合いが高くなればなるほど、カード全体がよいものだと感じられるようになる。
失敗 #3 - カードがマジックの基本的なデザインルールを無視している
この失敗は、「Making Magic」6の主要なテーマに関わっている。つまり、「ルールを尊重せよ」ということだ。新人デザイナーのカードを見たとき、それがわれわれならば決して作らないようなものであることが非常によくある。われわれが緑のクリーチャー破壊呪文や赤のエンチャント破壊呪文をほとんど作らないのは、それらのアイデアが出なかったからじゃない。それらがこのゲームに存在すべきではないからだ。
ルール破りの主要なカテゴリを見てみよう。
カラーホイール - たいていの場合、これが最大の容疑だ。マジックにおける色の概念は明確に定義されている。これまでその色がやったことのないことをする(あるいは少なくともマジックの初期にやっていなかったことをする)すばらしいシンプルなカードをデザインできたと思ったときには、なぜそれがまだやられていないのかを熟慮してみるべきだ。もしそれが新しい未踏の領域なのであれば、すばらしいことだ。もしそれが他の色で使われているような既に発見済みのメカニズムなのであれば、きみが過ちを犯そうとしている可能性が高い。
カードタイプのルール - 各カードタイプには、その動作のしかたについて明確なルールがある。土地はマナを生む。エンチャントはタップしない。アーティファクトは無色のマナを持つ。もしきみのカードがカードタイプの基本的なルールを破っているのなら(つまりそのタイプのカードがまだやったことがないようなことをしているのなら)、そのカードを別のタイプにすべきではないか自問したほうがいい。
基本的なフレーバー - 年月をかけて、マジックは確固としたフレーバーを築きあげてきた。このフレーバーの一部は、カードのメカニズムの中にも入り込んでいる。これは意図的に行われたことだから、歴史に逆らうようなカードをデザインしたときには気をつけたほうがいい。たとえば、飛行を持たない男性の天使というものは、マジックにうまくフィットしないだろう。
この話のポイントは、デザイナーはルールを破ってはならないということではない。ルールは必要なとき以外に破られるべきではないということだ。私の好きなことわざを使わせてもらおう。箱の外側のことを考える前に、まず箱の内側を調べよ。
失敗 #4 - カードがルール上でうまく機能しない
ルールにおける未踏の領域に踏み込むようなカードについて言っているわけではないということははっきりさせておこう。この失敗は、単純に、現行のルールで機能しないカードに関するものだ。カードをデザインしたときには、ルールに詳しい知り合いと一緒にチェックしてみよう。そのカードが想定どおりに機能することを確認するんだ。
失敗 #5 - カードのコストが安すぎるか、強力すぎるか、単に「ぶっ壊れてる」7
弱いカードを作るのが好きな者はいないというのはわかっているが、新人デザイナーのデザインファイルに目を通したとき、パワーレベルが適切でないカードを目にすることが多すぎる。これをこのリストの最後に挙げたのは、これがデザイン上の失敗の中でもっとも重要度が低いと思っているからだ(私が狂ったオーバーパワーなカードの責任を担ってきたことを、神はご存じだろう)。しかし、もしきみが自分自身のカードを真剣にデザインするのであれば、それを現実に近づける努力をするよう勧めたい。もしそうするのが苦手なら、友人にカードをプレイテストしてもらうといい(私は単純にデベロッパーを使う――「なあ Brian、このカードにコストをつけてくれ」)。
自分自身のマジックを作る
この短いチュートリアルがきみの助けになることを願っている。とはいえ、それがメールによるものであれ郵便によるものであれ、法律上の理由から、要求なしで送りつけられたカードの投稿を私が読むことはないということは強調しておかなければならない。今日の記事に対するきみたちのフィードバックを聞くのは楽しみだが(そしてカードの投稿を除けば送られたものはすべて読むが)、きみのカードファイルを送りつけることはやめてくれ。
また来週、『スカージ』のプレビューが始まり、巨大なやつらをデザインする楽しみについて語るときにまた会おう。
そのときまで、きみが、私と同じくらい楽しくデザインをすることができますよう。
原文では「pull focus」。 ↩︎
ただ、こういったフレーバーのための能力の必要性は、現在のマジックのデザインにおいては見直されてきているものでもあります。 ↩︎
現在のマジックのルールでいう「接死」。 ↩︎
現在のマジックのルールでいう「到達」。 ↩︎
現在のマジックのルールでいう「被覆」。 ↩︎
このコラムシリーズのタイトル。 ↩︎
原文では「Bah-roken」。マジックの開発部での用語。 ↩︎
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Soren Johnson によるボードゲーム購入ガイド、パート2
A One Man Board Game Buyer’s Guide (Part II) | DESIGNER NOTES の訳。
ほんの4年ほどお待たせすることになったが、私のボードゲーム購入ガイドのパート2をここにお届けする。パート3は2021年頃だから楽しみにしていてくれ!
『ドミニオン』 Dominion
『ドミニオン』が偉大なゲームかどうかには議論の余地があるが、その背後を追いかける模倣者たちが増え続けていることを考えれば、このゲームが重要なものであることは疑いようがない。デザイナーの Donald Vaccarino の洞察のすばらしいところは、『マジック:ザ・ギャザリング』のデッキ構築というメタゲームを、ゲーム自体にできると考えたことだった。別の言い方をすれば、『ドミニオン』は「マジックプレイヤー以外のための『マジック』」なんだ??実際のメカニクスは『マジック』と似つかないから違うとも言えるけれど、多くのゲーマーにとって CCG のメカニクスはいまだ立ち入り禁止区域なんだから十分正当な話だろう。『ドミニオン』が現れるまで、多くの人々が(私を含めて)デッキ構築というものの難しさと楽しさを味わったことがなかったんだ。私が唯一批判したいのは、使用できるカードの選択肢が最初から固定されてしまっているため、最初に決めた戦略を捨てたり改めたりする必要が少なく、ゲームが水面下でプレイしているように感じられてしまうことだ。
Grade: B+ (BGG: 7.97)
『アセンション』 Ascension
一方で『アセンション』は、ランダム要素のある『ドミニオン』だと言える。それがこのゲームが自分の居場所を確保できている理由だ。購入されたカードは入れ替えられていき、使用できるカードの選択肢が毎ターン変化するため、これは現在のデッキの強さに応じて進めるゲームであるのと同様に、変わりゆくカードの「地勢」に適応していくゲームでもある。このランダム性のおかげで、最初に決めた戦略から離れていく可能性が生まれ、ある程度の運があれば初心者が熟練者に打ち勝つこともできるようになっている。対照的に『ドミニオン』では、まだゲームが始まってもいないのに、熟練者が購入するカードの最適な組み合わせを瞬時に見抜いて勝負が決してしまうことがよくある。また『アセンション』は、すべての勝利点カードに能力を持たせるというシンプルな方法で、ゲーム全体を膨らませすぎることなくゲームプレイをちょっと豊かにできていて、『ドミニオン』の欠陥を埋めてもいる。『アセンション』が巨人の肩の上に作られたのは明らかだが、それがゲームデザインのありかたというものだ。
Grade: A- (BGG: 7.20)
『セブンワンダーズ』 7 Wonders
『ドミニオン』が『マジック』のメタゲームの要素のひとつを元にしてゲーム全体を作りあげたように、『セブンワンダーズ』もまた別の要素??カードドラフトを元にしてゲームを作り上げている。そしてこのゲームは、過去からの贈りものがいかにゲームデザイナーを新たな可能性に対して盲目にするかの例でもある。『ドミニオン』の洞察(デッキ構築を扱ったゲームが作れるということ)が先例として現れる一方で、多くの他のデザイナーたちはドラフトを扱ったゲームを作ろうとしてきたが、誰もがあるひどいコンセプトを『マジック』から受け継いでしまっていた??ドラフトとカードの使用は二つの別々のフェイズに分けなければならないという考えを。『セブンワンダーズ』は、その二つをくっつけることで、その贈りものを投げ捨てることができた。カードをドラフトするのと同時にそのカードを使用することにしたんだ。この変更によって、初心者がドラフトしながらゲームを学べるようになり、さらに他のプレイヤーのドラフトのしかたから学べるようになったため、限りなくとっつきやすいものになった。それ以上に、プレイヤーは対戦相手に対応しながらプレイすることができる??プレイするカードを変えていくこともできるし、相手に渡さないカードを選ぶこともできる(従来のドラフトでは、当然、実際にカードがプレイされ始めるまで相手の戦略はほとんどわからなかった)。また『セブンワンダーズ』は、もっとも深みのある同時プレイのゲームのひとつとしても名を連ねるべきだ。多人数でプレイ可能な高速な戦略ゲームである『レース・フォー・ザ・ギャラクシー』と同じカテゴリだと言える。『セブンワンダーズ』は7人まで一緒にプレイでき、そうしても展開はほとんど遅くならない。最後に、このゲームの軍事のシステムもまた賞賛に値するものだ。このシステムは、典型的なゼロサムのメカニズムを使わずにプレイヤー同士の衝突を表現している。各プレイヤーは左右の相手と軍事力を競いあうが、実際に互いの資産を破壊するようなことはない。軍事要素を持つほとんどのゲームがただの血みどろのウォーゲームにならないよう苦心しているのだから、これはすばらしいアイデアだ。
Grade: A (BGG: 7.95)
『セブンワンダーズ:リーダーズ』 7 Wonders: Leaders
私は拡張というものが好きじゃない。プレイしたくない。買いたくない。デザインしたくない。拡張という存在は、私がゲームデザインにおいてもっとも大事だと考えることに反している??ゲームというものは必要な要素すべてを内包しているべきで、それ以上の追加はすべきではないということに。新しいルールというものにはコストがかかる。プレイしやすさの面でも、複雑性の面でも、存在意義の面でも。そしてこのコストは、ゲームが大きくなればなるほど増大していく。拡張は、デザイナーに要素を追加させることを強要し、このバランスを破壊させてしまう。たいていの場合、デザインが衰えていく製品の存在を正当化するために(『レース・フォー・ザ・ギャラクシー』の拡張のことを考えてみてほしい)。もちろん、例外もある。たとえば『ドミニオン』の拡張は、実際には拡張ではなく、元のルールセットを共有する新たなゲームだと言える。一方で『セブンワンダーズ』は、元のデザインの欠点にだけ焦点を当て、他のものにはまったく手を触れないことでゲームをよりよくした稀有な例だ。『セブンワンダーズ』の欠点というのは、しばらくプレイすると毎回同じように感じられてしまうことだった。さまざまな戦略を許すほど、カードのバラエティに豊かさがない。そのため、多くのプレイヤーはある程度プレイするとワンパターンに感じてしまうんだ。『リーダーズ』はこの問題を、ゲームを変えるような力を持った4枚のカードを開始時にドラフトさせることで解決した。これによって、ほぼ確実に毎回異なる独特の戦略をプレイヤーにとらせることができるようになった。
Grade: A+ (BGG: 7.99)
『イノベーション』 Innovation
プレイヤーが選択を行うために、どのくらいの情報量が必要だろうか? 『イノベーション』では、各プレイヤーは科学技術を出していくことで自分の場を形成し、最大5つの異なる能力をいつでも使用することができるようになっている。これらの能力には、攻撃的なものが多くある。ということはつまり、相手の能力を把握することもゲームの重要な部分となっているわけだ。しかしこれらの能力には、複数行にわたるテキストを必要とするような非常に複雑なものが多い。だから『イノベーション』をプレイすることは、私にとってはジレンマとなる。競技的にプレイするのであれば、毎ターン各対戦相手のカードのテキストを読まなければならない。しかしそうすると、ゲームの展開は這うように遅くなり、言うまでもなくぎこちないものになる。さもなくば、膨大な公開情報を熟慮すればもっとよい判断がくだせることを知りながらも、すべてのカードを暗記するまでは失敗しながらプレイすることを許容せざるを得なくなってしまう。このゲームと違い、『セブンワンダーズ』や『レース・フォー・ザ・ギャラクシー』では、すべての能力をアイコンで記述しているためテーブルの向かい側からでも容易に読み取れるようになっている。さらに重要なことに、デザイナーが能力のデザインをアイコンで表現できるものにしなければならないという制限も生まれている。言い換えれば、アイコンで記述するというルールが、独自の奇妙なアイコンを使わなければならないような特殊な能力を持ったカードばかり作らないよう、デザイナーを引き止めているんだ。それによって、能力が一貫性を持つようになり、多くのカードがテーブルの向かい側からでも理解しやすくなっている。『イノベーション』にはカードの複雑性を制限する歯止めがないため、初めてのプレイヤーは下手なプレイングに甘んじるか、他のプレイヤーにゆっくりプレイすることを強要しなければならなくなってしまっている。
Grade: C+ (BGG: 7.33)
『ノーサンクス!』 No Thanks!1
『ノーサンクス!』は Reiner Knizia が作るパンクロックなゲームのようだ。ばかばかしいほどにシンプルで、荒々しく、対立的で、しかし楽しい。『ノーサンクス!』のルールは『碁』と同じくらい短いが、ゲームデザインを生業としないような人々でもプレイしたがるという点でより秀でている。初めてのプレイヤーに対しては、このゲームはおもしろい性格テストとしても使える??自分だけは連番にできて失点にはならないが、他のプレイヤーにとっては失点になるカードにチップを載せるという、「間抜け2になる」(あるいは他の好きな言葉を使ってくれてもいい)ことの利点に最初に気づくのが誰かを見るんだ。一部の人々は、この戦術を自分で見つけ出す能力を本質的に持っているようだ。私はどうやらそのうちの一人ではないようだけれど。
Grade: A- (BGG: 6.98)
『キャントストップ』 Can't Stop
Sid Sackson の『キャントストップ』もいくぶんパンクロックだ。このゲームには、運試しゲームに必要なすべての要素が入っているが、他には何もない。継続的なダイスロールと、成功し続けなければならないことと、常に存在するすべてを失う可能性が、実際に金を賭けずともギャンブルの感覚を生み出していて、これは大きな功績だといえる。『キャントストップ』は、非常に古いゲームでありながら現在でもプレイする価値があるという点でも特筆に値する。デザイナーボードゲーム(『チェス』や『ピノクル』や『クロキノール』のような伝統ゲームの対義語)が、ビデオゲームと同じような速度で成長しているように思えるのは驚くべきことだ。『キャントストップ』は1980年(『パックマン』と同じ年)に生まれていて、BoardGameGeek のランキングのトップ100の中には、これより古いゲームは三つしかない??1979年の『デューン』と、1977年の『コズミック・エンカウンター』と、1962年の『アクワイア』(これも Sid Sackson の作品)だ。ある者は、すばらしいボードゲームデザインは時代を越えると考えている。それは真実だ。だが一方で、ビデオゲームの進歩ほど測るのが容易ではない方法で、ボードゲームのデザインがこの20年で飛躍的に成長して��たというのもまた真実だ。
Grade: B+ (BGG: 6.85)
『インカの黄金』 Incan Gold3
これも欲望を試すような運試しゲームだ??ある友人がタイトルを『あのときこうしていれば』4に変えるべきだと皮肉ったほどだ。『インカの黄金』は、全員同時にアクションを行わせることによって『キャントストップ』から自身を差別化している。各プレイヤーがそれぞれのターンを行うのではなく、ランダムなカードのめくりに全員同時に向き合うことで運の流れを体験するんだ。選択はシンプルで、その回の収獲を確保するために「神殿から去る」か、災難に見まわれすべてを失う危険を冒してより多くを得るために「とどまる」かの二択だ。邪悪なことに、神殿を去ったプレイヤーが増えるほど財宝を分けあう人数が減っていくため、得られる報酬が大きくなっていく。それによって、リスクが大きくなってもプレイヤーを引き留める理由を生んでいる。『インカの黄金』を評価すべきもうひとつの点として、待ち時間をほとんど生むことなく8人までプレイできる(私は9人でもプレイしたことがある)稀なゲームだということもある。
Grade: A (BGG: 6.81)
『バトルスター・ギャラクティカ』 Battlestar Galactica
素晴らしいゲームの中には、あるひとつのひどいメカニズムのためにだめになってしまっているものがある。だが『バトルスター・ギャラクティカ』は、あるすばらしいメカニズムがひどいゲームによってだめになってしまっている例だ。『バトルスター』のような協力ゲームには、共通の問題がある??ひとりの熟練したプレイヤーが支配者になり、他のプレイヤーに命令することで、ゲーム自体を生で見るソリティアにしてしまうことだ。『キャメロットを覆う影』から広まった一般的な解決法は、一人のプレイヤーを隠れた裏切り者として参加させることで、過度に親分風を吹かすプレイヤーが正しいのか信用できないのかわからなくするというものだ。問題は、裏切り者が味方を騙しうてる機会が少ないことだ??ひどいカードを出してしまうと自分が裏切り者であることが明らかになってしまうから、基本的に、正体を隠すために「ある程度よい」カードの使い方をしなければならないんだ。『バトルスター・ギャラクティカ』での大きな革新は、ゲームの中核部分で、実際に人類を攻撃するための十分な機会をサイロン(このゲームにおける裏切り者)に与えたことだ。基本的に毎ターン、各プレイヤーがカードを隠したまま出して裏向きの山に集めることで、スキルの成功判定を行う??特定の色のカードは判定を助けるが、特定の色のカードは判定を妨げるわけだ。さらにランダムなカードが山に加えられ、どのプレイヤーがどの色を出したのかよりわかりにくくなる。これによって、目には見えるが明らかではないやり方で、誰がサイロンなのかという非難(とそれに続く否定)を引き起こしながら、人類を攻撃するための機会が生まれているんだ。問題は、ゲームが他の多くのもので満ちていて、このすばらしいメカニズムがくだらない要素や見せかけだけの行為に埋もれてしまっていることだ。実際、あるスキルカード(「調査委員会」5)は、プレイヤーたちにカードを表向きに出すことを強制することでこのシステム全体を否定してしまっている! 私は、この美しいメカニズムだけに焦点をおき、4?5時間よりもずっと短い時間で終わるようになった、パンクロックバージョンの『バトルスター・ギャラクティカ』をぜひプレイしたい6。
Grade: C- (BGG: 7.85)
『ゴーストストーリーズ』 Ghost Stories
裏切り者を導入する代わりに、他の多くのゲームではプレイヤー間の情報交換を制限することで支配者問題を解決しようとする。たとえば『パンデミック』のルールでは、公式上は、カードは各プレイヤーの手札に隠して持たなければならないということになっている。だがもちろん、個々人のカードに基づいた個々人の論拠を説明することなく協力するなど馬鹿げているから、誰もがこのルールを無視してしまう。『ゴーストストーリーズ』では、プレイヤー全員のアイテムをそのままテーブルに置くことで、このつまらない問題を完全になくしている。実際のところ、すべてを公開することで熟練したプレイヤーがなぜその行動を提案するのかがわかるため、新規プレイヤーがより早くゲームに慣れることができるようになっている。代わりにこのゲームでは、信じられないほど難しくすることによって支配者問題を解決している。一手か二手間違えれば常に敗北につながるから、議論の余地が豊富にある。さらに、各プレイヤーはそれぞれ異なる特殊能力やヒットポイントや色つきのアタックトークンを持っているため、複数のキャラクターの管理をすることが非常に難しくなっている。支配者が生まれる危険は残ってはいるが、純粋な協力ゲームとしては、『ゴーストストーリーズ』は今ある中で最高のものだ。
Grade: A (BGG: 7.39)
『スコットランドヤード』 Scotland Yard
『スコットランドヤード』が1983年の Spiel des Jahres7 を受賞していることをご存知だろうか? 1983年にその賞が既に存在していたことを? その次代の他の受賞作のほとんどは忘れ去られてしまったが(『魔法の森』8、『ウサギとカメ』9、『ダンプフロス』10)、『スコットランドヤード』は生き残った。ゲームは非対称の構成で、あるプレイヤー(ミスター X)が、チームで動く他のプレイヤーたち(刑事)から逃げるという内容だ。『スコットランド・ヤード』は、協力要素を組み込んだ最初期のゲームのひとつで??あるいはこれがまさに最初のものかもしれない??当然ながら支配者問題に苦しめられている。『ゴーストストーリーズ』が複雑にすることでこの問題を解決したのに対し、『スコットランドヤード』はごくシンプルにすることでこの問題を解決しようとしている。そうすることで、新規プレイヤーがすばやく習熟し、ゲームに貢献できるようになっている。このゲームは特に、習熟したプレイヤーがミスター X をプレイし、新規プレイヤーたちが刑事をプレイしたときに、すばらしいファーストインプレッションを与えてくれる。とはいえ、親分風を吹かすプレイヤーのために楽しさが台無しになることはあ���て、そのために多くの人々がこれを二人プレイのゲームにしようとした。一人のプレイヤーが単純にすべての刑事を操作するんだ。『スコットランドヤード』の演繹的なメカニズムはとても強固であり、そのこともまたこのゲームをプレイする価値のあるものにしている。
Grade: B (BGG: 6.53)
『チグリスとユーフラテス』 Tigris & Euphrates
『チグリスとユーフラテス』は、Reiner Knizia の90年代後半のタイル配置三部作の最初の作品で、評価も高く、BGG のランキングでもいつもトップテンに手が届きそうな位置にいる。しかし、このゲームは三部作の中で??群を抜いて??もっとも直感的さがない。それは「一番少ない色を数える」得点システム、悪手から生まれる運の振れ幅の大きさ、しばしばプレイヤーに取り違えさせる全く異なる二種類の紛争(内部紛争と外部紛争)のためだ。結果的に、戦略的な深みはあるが、われわれ自身の心のあり方に反するゲームができあがってしまった。もしかすると、この一般的ではないメカニズムを理解しやすくするテーマをつけることで、Knizia はこのゲームを救うことができていたかもしれない。だが実際には、『チグリスとユーフラテス』は、プレイするよりも賞賛するほうが容易なゲームになってしまった。
Grade: B- (BGG: 7.89)
『サムライ』 Samurai
対照的に、Knizia のタイル配置ゲームの二つ目である『サムライ』は、絶対的な傑作であり、これまでにデザインされたゲームの中で最高のもののひとつだ。ルールは前作よりもずっとシンプルで、都市の周囲のヘクスに置かれたタイルの各種のコマへの影響力を単純に数えることで、その都市のコマを得るのが誰かを決めるというものであり、しかも戦略的な深みをまったく犠牲にしていない。さらに、『チグリスとユーフラテス』では、一度の悪手が一人のプレイヤーのタイルの半分を消し去ってしまうこともあったが、『サムライ』では敗北が雪だるま式に膨れあがることは稀で、それが攻撃的なプレイをする動機となっており(たいていそのほうが楽しいものだ)、新規プレイヤーを怯えさせて遠ざけることもなくしている。ただ、このゲームも Knizia の持つアキレス腱には苦しんでいる??理解しにくい得点システムだ。あまりに複雑なため、このゲームの iOS app ではプレイヤーの理解度を試すミニゲームを組み込まなければならなかったほどだ! なぜ単純に誰が最も多くのコマを持っているかで勝者を決めるようにしなかったのか理解しがたい。あるいは、もし「二種類のコマで最多」というコンセプトを守りたかったのであれば、任意の二種類のコマの数の合計で決めてもよかっただろう。
Grade: A (BGG: 7.50)
『砂漠を越えて』 Through the Desert
タイル配置ゲームの最後の作品として、Knizia はついに普通の得点システムを採用した??プレイヤーは特定の行動からコインを得ることができ、もっとも多くのコインを持つプレイヤーが勝者になるんだ(狂ったことを言ってるのはわかってるよ!)。中心となるルールもとてもエレガントで、『サムライ』とほぼ同じくらいシンプルであり、熱く、深みがある。しかし、このゲームは大きなユーザビリティの問題に見まわれている。プレイヤーは4色のうち1色を担当し(赤・緑・青・黄)、かつそれぞれのプレイヤーが5色のラクダを配置していく(赤・緑・青・黄・紫)。そういうわけで、4人のプレイヤー全員が、5色すべてのラクダをボード上に配置することになる。青のプレイヤーが自分の青のラクダをボード上に配置するのと同様に、緑のプレイヤーも自分の青のラクダをボード上に配置するわけだ。青い影がプレイヤーの色を表していて、ラクダ自体の色とはちょっと違う色をしているが、その青いラクダが青のプレイヤーのものではないことを意識し続ける必要がないほどには違いがない(複数の色のラクダが必要なのは、他のプレイヤーのラクダの隣にそれと同じ色の自分のラクダを置けないというルールがあるからだ??小さいが、ときに重要なルールだ)。熱心なゲーマーはこの問題を十分やすやすと乗り越えるだろうが、テーマをちょっと変えるだけでこの問題を解決することができていたはずだ。おそらく Knizia は、色ではなく形が異なる5種類の動物を使うこともできたのではないだろうか?
Grade: B+ (BGG: 7.17)
『ラー』 Ra
自分に向いているとか、得意だからという理由で、特定のゲームをプレイヤーが好むということはあるだろうか? 私は『サムライ』で負けたことがなく、もしかするとこのゲームが私にお気に入りであることは偶然ではないかもしれない。その一方で、『ラー』では勝ったことがないが、私はこのゲームも大好きだ。これも Knizia の作品だが、『ラー』はオークションゲームの名作で、合計したり分割したりできない貨幣を用いることで、プレイヤーから入札の柔軟性を取り上げるという良いセンスを持ったゲームだ(1ドルと5ドルと10ドルと20ドルの貨幣を持っているが、そのうちの1つしか入札に使えないという競りを想像してみてくれ)。これによって、誰かが怖じ気づいて降りるまで入札額を釣り上げていくということができなくなっている。この制限が「ラー」タイルを引くことによるソフトな時間制限と合わさることで、多くのオークションゲームにとっての問題である「勝者の呪い」11の轍を避けることができている。
Grade: A- (BGG: 7.61)
日本では、ドイツ語版からきた『ゲシェンクト(Geschenkt)』の名で通っています。 ↩︎
原文では「jerk」。 ↩︎
日本では、ドイツ語版からきた『ダイアモンド(Diamant)』の名でも通っています。 ↩︎
原文では『Coulda Woulda Shoulda』。いい訳が見つかりません。 ↩︎
原文では「Investigative Committee」。 ↩︎
『レジスタンス』がまさにそうだと思うんですが、『人狼』路線のゲームであるため協力ゲームではなくなってしまいますね。 ↩︎
「ドイツ年間ゲーム大賞」。 ↩︎
原文では『Enchanted Forest』。日本ではドイツ語版からきた『ザーガランド(Sagaland)』の名で通っています。 ↩︎
原文では『Hare & Tortoise』。 ↩︎
原文では『Dampfross』。 ↩︎
原文では「winner's curse」。競売において、落札者が異常な高値をつけがちになる傾向のこと。 ↩︎
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『ドミニオン:異郷』のカードの知られざる歴史
The Secret History of the Hinterlands Cards | Dominion: Hinterlands | BoardGameGeek の訳。
はじめに、カードの束があった。ある日私は、それらのカードをひとつの基本セットと二つの拡張セットに分けた。拡張セットのカードは、テーマによって分けられていた。ひとつ目の拡張セットには、使い捨てのカードと、選択肢のあるカードと、二つのタイプを持つカードが与えられた。二つ目の拡張セットには、次のターンに何かをするカードと、獲得したときに何かをするカードが与えられた。
このゲームを RGG に見せたときには、私の手元には五つの拡張セットがあった。そして基本セットのデベロップメントの間に、一時、拡張セットをそれぞれ16枚ずつにしてみた。この過程で、二つ目の拡張セットを二つに分けることにした――片方は次のターンというテーマを持ち、もう片方は即座に効果を発揮するというテーマを持つことになった。どちらのテーマも、拡張セットとして十分なものに思えた。後に、すべてのカードを20枚ずつの拡張セットにすることにしたときも(それらは『陰謀』を作っている間に25枚ずつになるのだが)、それら二つのテーマは分けたままにしておいた。「次のターン」というテーマは、実際に二番目の拡張セット『海辺』として世に出た。そしてわれわれは、ついにこの「獲得したとき」をテーマとする拡張セットにもたどり着いた。
カードのうちのいくつかは、2006年の、二つのテーマを持っていた最初期の拡張セットまで遡ることができる。テーマを分割してからより多くのカードが生まれ、セットが25枚になったときにさらに多くのカードが追加され、もちろんいくつかのカードはもっと最近になってからのもので、だめだったものを取り除いたり新しいものを試したりするいつもの過程で加えられた。
このセットは、ほとんどずっと通常の拡張セットであり続けた。しかししばらくの間、私はこのセットを独立型の拡張セットにしたほうがよいと考えていたこともあった1。独立型であることにはいくつかの利点がある。これに関してはどうしても異論が出るだろうから、他の誰かが列挙してくれればいい。いずれにせよ、このセットを独立型にするのはよいことだと私には思えた。そういうわけで少しの間、私はこのセットが前のいくつかのセットほど複雑にならないよう取り組むことにした。獲得時というテーマはこのセットをシンプルなものにしてくれていたが、中には通常の能力と獲得時の能力の二つのテキストを持つために複雑に見えるカードもいくつかあった。この取り組みのおかげで何枚かのシンプルなカードが残されたものの、結局 Jay はこのセットを通常の拡張セットにすることに決めた。そういうわけで、このセットには300枚のカードが入ることになり、トークンのようなものは何も入らない、特別にシンプルになるように手を加えられたものになった。それはよいことだ。そして不思議に思っている人たちのために言っておくと、これがこのセットのルールブックに、先例のない10もの推奨セットが載っている理由でもある。
きみたちの中には、このセットがシンプルだと聞いて笑う人もいるだろう。だが本当のことだ。セットにどんな戦略的な複雑さが含まれているとしても、何枚かのシンプルで使いやすいカードが入っている。『繁栄』よりもシンプルで、『海辺』よりも複雑といったところだ。〈遊牧民の野営地〉や〈岐路〉などを使ったゲームに初心者を参加させることはできるし、自分がやっていることが理解できないということはあるかもしれないが、カードに混乱させられるということはないだろう。
獲得時というテーマは、最初から最後までこのセットの重点だった。一部のカードは獲得時ではなく購入時に効果を発揮するが、各カードの項で説明するとおり、これは必要なことなんだ。獲得時に何かをするだけではなく、他の角度から獲得時というものを扱うカードもいくつかある。それから、獲得時の能力には勝利点カードや財宝カードがフィットしたから、このセットにはそれぞれ3枚ずつ入れることになった。勝利点カードの中には途中で取り除かれて獲得時能力のないものと入れ替えられたものもあるが、結局は3枚だ。詳細は自分の目で確かめてほしい。3枚の勝利点と3枚の財宝があるから、リアクションも3枚入れればクールだということで、最後の方になんとか3枚目のリアクションを押し込むことができた。
言葉が好きな人やインターネットを使っている人は気づいているかもしれないが、「hinterlands2」には港の後ろの土地という意味もある。フレーバー上も『海辺』と繋がっているわけだ。
〈国境の村〉

『異郷』ができたときからのカードだ。もともとはコストが5コインだった。より強くするために値段を上げた。普通のカードではできないことだ。
〈隠し財産〉

セットの中で最も古いカードのひとつで、2006年のバージョンまで遡ることができ、一度も変更していない。
〈地図職人〉

これは後のセットで生まれた。コンセプトがシンプルな5コインのカードがもう一枚ほしかったので、このセットに移動させてきた。一度も変更されていない。
〈岐路〉

最初のバージョンは「+1アクション。手札の勝利点カード1枚につき+1カード」。狂っているように見えたが、それほど強くなかった。それから長い間、「手札の勝利点カード1枚につき+1カード。手札のアクションカード1枚につき+1アクション」だった(手札を二回公開するので、上の能力でドローしたアクションカードも下の能力で数える)。このカードが取り除かれるのをみんな悲しんだが、アクションの残り回数を計算できなくなってしまうことがあるようなカードの存在を正当化することはできなかった。次に+2アクションにしてみたが、そのバージョンは強すぎた。一回目だけ+3アクションを与えるというのはキュートだし、他のカードの補助がなければばかげたことにもならない。
〈開発〉

終盤に加えられたカードだ。このセットには別の〈改築〉が入っていたのだが、うまく動いてくれず、〈農地〉がその空きを完全に補ってくれているとも思えなかった。このカードはキュートで、すぐにちゃんと機能してくれた。
〈公爵夫人〉

定価の〈公領〉を購入すれば、おまけでひとつついてくる! このセットには、購入したときに+1購入を与えるカードがあった。なぜなら、試さない理由がなかったからだ。プレイヤーは、そのカードのコストを下げて一気に山を空にすることができた。これを楽しむ者もいたが、嫌う者もいて、嫌われても問題ないほどには楽しくなかった。そこで私は、+1購入を与えるのではなく、単に手に入るだけのカードにしたらどうだろうと考えた。「これを使用しているゲームでは、購入フェイズの開始時に、これを1枚獲得してもよい」。だが、毎ターンそんな選択をさせるべきじゃない。そういうわけで、特定のカードと一緒に取るときだけ無料にすることにして、その特定のカードというのはもちろん必ず場に出ていなければならないから、〈公領〉にすることにした。
自動的に取るだけにならないように、そのカードは安価なターミナルアクションにする必要があった。ちょうど、セットにもう少しインタラクションがほしくて、敵を利するスパイを入れたいと考えていた。そういうわけで「+2コイン。敵を利するスパイ」となった。2コインのターミナルアクションで、人気の出るカードではないが、1ターン目に手札が2コインのときにはおもしろい選択肢になるし、〈公領〉を購入するときにはお得というわけだ。
〈大使館〉

ずっと昔、『繁栄』に「5枚カードを引いて3枚カードを捨てる」というカードがあった。それは強すぎたが、それほど手を加える必要はなさそうだったから、獲得時にペナルティをつけることでうまくいった。他のプレイヤーに〈銀貨〉を配るのは、長い目で見ればあまり大した影響はないが、1ターン目には大きな意味を持つ。
〈農地〉

これもとても古いカードで、『海辺』と『異郷』を分割する前からあった。もともとは獲得したときに発動する効果だった。だがこれはややこしい連鎖を引き起こすことがあった――〈農地〉を購入し、コストが4コインのカードを廃棄し、〈農地〉を獲得し、コストが4コインの別のカードを廃棄し、〈農地〉を獲得する。他のものと同じように獲得時のままにすることもできたが(あるいは〈農地〉を獲得できないように制限することもできた)、〈義賊〉の方を購入時の能力にせざるを得な���ったので、これを獲得時のままにしておく利点もなくなった。そういうわけで、ややこしさの少ない購入時の効果になった。
〈愚者の黄金〉

最初は、〈不正利得〉のバージョンのひとつとして、同名のカード1枚につき1コインの価値というところから始まった。財宝カードは1枚ずつ使用するから、たとえばこのカードを3枚使用したときにそれぞれが3コインずつ生むようにするためには、ひどいテキストが必要になってしまった。Bill Barksdale が、最初は1コインで2枚目から4コインにするというのを提案してくれた。そっちの方がシンプルだ。2枚持っているときにはそっちのバージョンの方が強くなり、4枚以上持っている場合には弱くなるが、どんな場合でも問題なく機能した。下の能力はもともとは後のセットのカードのものだったが、終盤にこのカードに移された。ある時点までは〈金貨〉が山札の一番上に置かれるようにはなっていなかったが、それでは遅すぎたので、そう変更する必要があった。
〈値切り屋〉

『異郷』が最初にできたときから存在している。もともとはこのカードで勝利点カードを獲得することもできた。〈属州〉を購入して〈公領〉を獲得するんだ。問題になるほど頻繁に起こることでもない。今でも〈国境の村〉を介することで同じことができる。また、もともとは能力の発動条件が購入ではなく獲得だった(〈値切り屋〉による獲得は除く)。だから、ときにはわれわれが「〈値切り屋〉爆発」と呼ぶ状況が起こった。〈値切り屋〉を使用し、〈国境の村〉を購入し、〈値切り屋〉で〈研究所〉を獲得し、〈国境の村〉で〈研究所〉を獲得し、それによってさらに〈値切り屋〉で〈銀貨〉を獲得する。カード4枚だ。昔の〈農地〉と組み合わせれば、もっといける。〈値切り屋〉爆発は楽しかったが、ややこしすぎたし、よりシンプルなバージョンでも小さな爆発はたくさん引き起こせる。
〈街道〉

あるとき、連鎖が可能な5コインのカードがもう一枚ほしいと考えた。シンプルで、人を惹きつけるものでなければならない。〈橋〉や〈王女〉はもはや歴史の一ページだが、〈街道〉はずっと違ったやりかたで使用されることになる。〈橋〉でやりたくても実際にはできなかったさまざまな技が、〈街道〉では可能になっている。
〈不正利得〉

獲得時に〈呪い〉を配るカードの一番最初のものは、2枚の〈混乱〉を配る、変わったアクションカードだった(〈混乱〉というのは-1勝利点のついていない〈呪い〉のことで、もともとは基本セットに入っていたが生き残れなかった)。それがうまく動かなかったので、獲得したときに〈呪い〉を1枚配る、コストが3コインで価値が1コインの財宝に変更した。そのカードがゲームを支配しすぎていると確信するまでは、しばらくそのままだった。コストを4コインにしてみたり、コストを5コインにして〈銀貨〉と同じ価値にしてみたりした。そのバージョンのまましばらく続いたが、やはり強すぎた。一時、同名のカード1枚につき1コインとしてみたものの、その効果は〈愚者の黄金〉に移り、後に修正されることになった。現在は、自分のデッキを少し薄めるかどうかに応じて、1コインか2コインを生むようになっている。〈銅貨〉を獲得して手札に入れるのではなく、捨札に置いて+1コインを得るというバージョンもあった(違いは〈銅貨〉が切れたときにも機能するかどうかだ)。最終的には、〈銅貨〉を手札に入れるほうがよりシンプルなように思われた。
〈宿屋〉

ずっと前、別々のセットに、コストが4コインの似通ったシンプルなカードが2枚あった。ひとつは「+2カード。+1アクション。カードを1枚捨札にする」で、もうひとつは「+2カード。+2アクション。カードを2枚捨札にする」だった。しばらくは両方ともよいように見えたが、結局はひとつ目の方は強すぎると判断し、取り除くことにした。二つ目の方が〈宿屋〉だった。よいカードで、まったく変更されなかった。しかしある日、私は後半部分の能力を思いつき、その能力をつけるカードが必要になった。〈宿屋〉はその能力にフィットし、十分にシンプルだったので、そうすることにした。コストを6コインにして、手札を捨てなくてもよくしたバージョンを試したこともあった。
〈よろず屋〉

これは『収穫祭』で生まれた。疑問に思っている人たちもいるかもしれないが、このカードは、事後に働く〈堀〉を意図して作られた。手札を捨てさせられた? 5枚になるまで引けばいい。〈呪い〉を与えてくる? 廃棄すればいい。山札の一番上を汚された? きれいにしよう。カードを廃棄してくる? よし、〈銀貨〉をあげよう。こうしてすべてうまくいく。最初のバージョンではどんなカードでも廃棄できたが、それでは強すぎた。また、山札の一番上のカードを捨札にするのではなく山札すべてを捨札にする効果だったが、これも強すぎた。それと、能力の順番も変更された。
〈官吏〉

前半部分は、まだやっていなかったシンプルなことだ。後半部分はこうなるまでにいくつかのバージョンを試した。少しの間、このカードを獲得したときに、場に出ているカードを山札の一番上に置くという能力になっていた。そのバージョンが持つ問題点は〈画策〉のテキストが解決してくれたが、その冗長さをこのカードにまで伝播させたくはなかった。
〈辺境伯〉

後のセットに、他のプレイヤー全員の手札を2枚になるまで捨てさせ、その後カードを1枚引かせるというアタックが長い間入っていた。計算上は〈民兵〉と同じだと考えられる。まず手札が3枚になるまで捨て、それから一番弱いカードを捨てる。それは5枚の手札の中で3番目のカードだから、平均的に見ればデッキ中の平均値に等しい。それからカードを1枚引くが、それも平均的に見ればデッキ中の平均値に等しい。わかりにくい計算だが、必要なら実際に何回かやってみてくれればいい。これは〈民兵〉と同じことだ。だが実際には、ご想像のとおり〈民兵〉よりも痛手になる。〈民兵〉によって残る3枚のカードはよい手札でありうるけれど、これは手札を2枚まで減らすからよい手札を残すことは難しいし、引いてくるカードもランダムなので、たいていの場合はうまくいかない。いずれにせよ、そのカードは長い間残っていたが、結局は取り除かれ、皆が喜んだ。Vinay Baliga が、逆にすることを提案した――手札を引いてから、3枚になるまで捨てるんだ。よさそうだったので試してみて、うまく動いたので今そのようになっている。
〈義賊〉

最初、このセットには財宝ではなくコインを得ることができる〈盗賊〉の一種があった。そのカードは、複数人でのプレイでばかげたことにならないように、廃棄された財宝のうちの1枚の分のコインを生むというものだった。つまり、廃棄された財宝の中でもっともよいものが〈銀貨〉だった場合には、+2コインを得るわけだ。これには文章の書き方の問題があった。財宝の中には、数字が変動するものや、特殊な効果を持つものがあったからだ。同時に、そのカードは弱かった。そういうわけで取り除いた。
私はそのカードの代わりに、後のセットからカードを持ってきた。「後のセット」。このセットのあとには、残るセットは二つしかない。そのうちのひとつは、特別なものを引き下げて遅れてやってくるものだ。私が「後のセット」と言うとき、それは八番目のセットを意味している。それはもともと、私が RGG に『ドミニオン』を見せる前、まだ五個の拡張セットしかなかった頃の四番目のセットだった(それから『異郷』と『海辺』が分割され、『錬金術』と『収穫祭』が分割されて、七個になった)。私がすべて持ってきてしまったせいで、「後のセット」のカードが足りなくなって困っているんじゃないかと思われるかもしれないが、そんなことはない。いずれにせよ、私はこのカードを「後のセット」から持ってきた。
このカードが意図しているのは、もちろんロビン・フッドだ。富める者(〈銀貨〉や〈金貨〉を持つ者)から奪い、貧しき者(まったく財宝を持たない者)には与える。中流階級(〈銅貨〉や特殊な財宝を持つ者)は無視する(ああ、中流階級には〈白金貨〉を持つ者も含まれる。ロビン・フッドは〈白金貨〉にどれほどの価値があるかわからないんだ。森で暮らしてきて〈白金貨〉なんて見たことなかったから)。〈銅貨〉を廃棄しないため、ひどい状況に陥ることは防げている。〈銅貨〉を自ら廃棄するデッキと対峙したとき以外にはそれほど頻繁には起こらないが、〈銅貨〉を配ることもできる。
〈義賊〉は獲得すると即座にアタックを行う。これはおもしろいもので、私はそういったアタックをもっと作りたいと思ったが、このカードと〈不正利得〉しか生き残らなかった(〈不正利得〉は厳密にはアタックではないが、見れば〈魔女〉を思い出すだろう)。おそらく、獲得時に手札を捨てさせるアタックの楽しさをきみたちが経験しなかったのは、結局のところよいことだったと言えるだろう。そういったアタックが存在するだけで、まだ誰もそのアタックを購入していない場合でさえ、どんな手札も捨てさせられる可能性が生まれてしまう。
〈義賊〉は、獲得時ではなく購入時に効果を発揮する。なぜなら、アクションをゆっくりと使用しなければならないような状況が起こりうるからだ。〈道化師〉がいい例だ。私が〈道化師〉を使用して、相手の〈義賊〉にヒットし、それを獲得しようとしたとする。だが、他のプレイヤーは時間を無駄にしないために、既に自分の山札の一番上のカードを〈道化師〉のために公開してしまっているだろう。〈義賊〉がヒットするカードがあるかどうかが先にわかってしまうんだ。普通なら私は〈義賊〉を取らずに、相手に取らせるかもしれない。だが、そこで〈金貨〉が見えていたらどうだろう。この状況を防ぐために、このカードがある場では〈道化師〉をゆっくりと使用するということはできる。でもそれは楽しくはないだろう。そういうわけで、このカードは獲得時に効果を発揮することになった。
〈遊牧民の野営地〉

セットの最初期に、購入したときに+1購入を与える〈木こり〉があった。それから購入した次のターンに+1コインと+1購入を与えるようになり、次に単純に購入したときにデッキの一番上に置くようになった。〈公爵夫人〉は、これを別の角度から扱うところから生まれた。
〈オアシス〉

『異郷』ができたときからある古いカードだ。まったく変わっていない。ご存知のとおり、何枚かはシンプルなものでなければならないんだ。
〈神託〉

もともとは、自分の山札の上から2枚を見て、それらを廃棄するか捨札にするかそのままにするかを選び、その後カードを2枚引くというカードだった。強すぎたので、廃棄の部分を切り取り、〈密偵〉に似たアタックにした。最初は、必ず1枚���捨札にして、もう1枚を戻すというものだった。しかし、両方ともそのままにするか捨てるかにした方が、悲しいことになる機会が少ないことに気づいた。このカードにも、獲得時の効果をいくつか試しに持たせてみた――獲得したときに手札を1枚廃棄できるものや、〈航海士〉するものや、〈宰相〉するものなど。〈宰相〉の効果はキュートだったが、獲得時の効果だけで魅力的になりすぎてしまった――つまり、獲得時の効果のために購入して、する気はないのにアタックすることになってしまうんだ。本当に使いたいと思っているとき以外にも購入させるには、このアタックは煩雑すぎた。
〈画策〉

古いカードだ。カードの意図はずっと同じだったが、厳密なメカニズムは少し変化してきた。重要なのは、使い捨てのカードや継続カードや、継続カードと一緒に使われた〈玉座の間〉と組み合わさったときに、変なことにならないようにすることだった。それが、捨札にされるカードに対してしか効果を発揮しない理由だ。文章がシンプルに見えるかどうかに応じて、〈画策〉自身を対象にできるかどうかは変化してきた。結局は自身を対象にできるようになっている。しばらくの間〈画策〉し続けることができるわけだ。
〈シルクロード〉

初期の『異郷』は、勝利点カードというサブテーマを持っていた。勝利点カードは4枚あった――獲得時の効果をのせるキュートな乗り物というわけだ。勝利点カードと相互作用する要素もいくつかあった。そういうわけで、勝利点カードを数える勝利点カードができたのは自然なことだ。このカードはまったく変化していない。
〈香辛料商人〉

もともとは、+1アクションと+1購入を与え、+2カードか+2コインを選ぶというものだった。強すぎた。それからしばらくの間は今のようになり、一度、+2コインと+1購入の選択肢がないバージョンも試した。パワーレベルについての懸念があったし、そもそもいずれにせよ〈木こり〉より〈研究所〉の方を選ぶことがずっと多かったからだ。加えて、このセットを独立型にするためにシンプルなカードを求めていたからでもある。しかし結局のところ、+2コインと+1購入の選択肢がなくなるのをとても悲しむ人々もいたし、それでこのカードが強くなりすぎるということもなさそうだったので、今はまた元に戻っている。
〈厩舎〉

もともとは、カードを引いてから財宝を捨札にしていた。捨札にできる財宝がない場合は、やったぜというわけだ。そのバージョンは強すぎた。
〈交易人〉

これは2枚のカードが組み合わされたものだ。後半部分が、もともと四つ目の拡張セットに入っていたこのカードが持っていたものだ。十分強いものにするために、いくつものバージョンを試した。前半部分が+2カードだったこともあった。1コイン分の財宝カードにしたこともあった。獲得時に発動するリアクションのみのカードにしたこともあった(〈秘密の部屋〉のリアクション効果のように)。最終的には、その能力だけではカードを成り立たせることができなかったため、うまくフィットする別のカードにくっつけることにした。前半部分になったカードは、以前このセットに入っていた〈弟子〉の代わりとして作ったものだった。『錬金術』がスモールセットになることが決まったとき、私は何かスラムダンクのようなすごいカードがほしいと考えた。5コインで、〈秘薬〉と有用なインタラクションを持つものだ。私はこのセットに入っていた〈弟子〉を選んだ。〈弟子〉は『異郷』のカードと一緒に使うことであらゆるクールなことをしてくれる。だから〈弟子〉を取り除いたときには、まだ作っていない〈引揚水夫〉系の何か別のカードを代わりに入れたいと考えた。〈銀貨〉の山だ。さあどうぞ。
〈坑道〉

基本セットに、自身を捨札にしたときに手札を引けるというカードが入っていたことがあった。それは基本セットに入れるには不安定すぎたし、いずれにしろよいカードではなかったので、切り捨てた。『異郷』が作られたとき、私はその能力を持つ新しいカードを、今度は〈魔女〉の一種として作った。このセットに〈呪い〉を配る手段を二つも入れたくなかったし、〈不正利得〉の方が気に入っていたので、結局はそれも切り捨てた。
終盤に、私は他にも風変わりなものがほしいと考えて、捨札にされたときに何かをするカードをもう一度作ることにした。今度はカードを引かせるのではなく、〈金貨〉を獲得させるものにして、ややこしさを少し減らした。そのカードはすぐに人気を得たが、前半部分をどうすべきかという課題はあった。シンプルなものにしなければならない。+2コインにすると、コンボができないほとんどのゲームで〈銀貨〉より明らかに劣ってしまうから、そうすることはできなかった。少しの間+2カードにして、それでよさそうだった。
結局『異郷』が独立型にならないことになったので、さらに9枚のカードを入れる余裕ができた。独立型のセットには王国カードとランダマイザをあわせて291枚しか入らないが、通常のラージセットには300枚入れることができる。その時点で私は290枚のカードを用意していた。そういうわけで、王国カードをもう一枚増やすことはできなかったが、既にあるカードを勝利点カードに変更することはできた。それに、このセットには「勝利点-リアクション」のカードを入れたいと思っていた。だから〈坑道〉は2勝利点のカードになった。コストが3コインでは狂ったことになりそうだったが、しかし、試してみない理由があるだろうか? 見てのとおり、それでうまくいった。
終わりのない没カード集
ずっと前、このセットには、購入したカードをゲームの終了時まで脇に置いておくという効果の使い捨てのカードがあった。そのカードは弱かったが、『海辺』で〈島〉に流用し、修正した。後に、このセットでそのコンセプトをもう一度試してみた。まず、場に出してもリアクションとしても使えて、購入したカードをデッキ以外の場所へ送る〈木こり〉をいくつか試した。それらは狂っていた。それから、獲得時に捨札のカードを選別する勝利点カードを3バージョン作った――ひとつは捨札にある勝利点以外のカードをすべてデッキに戻してシャッフルするもので、ひとつは捨札のカードを5枚残してデッキに戻してシャッフルするもので、ひとつは捨札にあるアクションと財宝をデッキに戻してシャッフルするものだった。どれも長い文章が必要だったし、十分におもしろいかどうか確信が持てなかった。だからどれも生き残ることはなかったが、コンセプトの一部は〈宿屋〉の獲得時の能力として残ることになった。
コストが6コインで1勝利点の、獲得したときに〈公領〉がついてくるという勝利点カードがあった。最初は2枚セットで手に入る2勝利点のカードだったが、山が2倍の速度でなくなってしまうのはよくなかった。このカードはキュートだったがスペースは限られており、〈国境の村〉のコストが6コインになったとき、このカードはもはや必要ないように思われた。
コストが5コインで、2勝利点で、手に入れたときに〈銀貨〉がついてくるという勝利点カードもあった。初期の時点で、そのカードは十分によいものには見えなかったし、試してみたいエキサイティングな新しいカードが他にもあった。
勝利点カードといえば、勝利点カードを捨札にするたびに+2コインというカードもあった。十分なほどはおもしろくなかった。
獲得時にカードを廃棄させる効果を持ったアタックにしようとして、何枚ものカードを作った。最も古いものは、使用したときと獲得したときに、各プレイヤーの山札の上の2枚のうち1枚を選んで廃棄するものだった(自分に対しても効果がある)。まだ狂った廃棄アタックが存在していた頃の話だ。他のバージョンのほとんどは、山札の上の3枚のうちの1枚を選んで廃棄するものだったが、どれもコストが6コイン以下のものに限っていたし、一度しか効果を発揮しなかった。あるバージョンはBill Barksdale がアイデアを出してくれたもので、使い捨てだった――獲得時の能力を持った使い捨てのカードで、つまり基本的にデッキには入らないカードだった。購入権を使ってそのアタックを実行できるということだ。そのカードはキュートに思えたが、他のバージョンと同じように、ゲームの本番が始まる前にその山をみんなで購入し尽くすというサブフェイズが生まれてしまった。購入したときにだけアタックを行う2コインの価値の財宝にしたこともあった。私はそれを特に気に入ったが、やはりそのサブフェイズを生む問題があり、その段階で誰かがゲームから脱落してしまうという問題もあった。山札の一番上が〈銅貨〉の場合には空振りになって、もう一度アタックを繰り返すというバージョンもあった。
同じように、獲得時に手札を捨てさせるアタックカードも何バージョンかあった。最も長生きしたのは、コストが5コインで、購入したときと使用したときに、手札が5枚以上ある他のプレイヤーの手札からランダムに1枚を山札の上に置くという効果を持つ〈木こり〉だった。このカードは、それがどれほどゲームを傷つけたかを考えれば驚かざるを得ないほど長く存在していた。その前のバージョンは、最もコストの高いカードを捨札にさせるものや、勝利点以外で最もコストの高いカードを捨札にさせるものだった。その後、このコンセプト自体を殺すことにしたとき、獲得時に自分自身の次の手札を〈民兵〉する効果を持つ〈民兵〉を試してみた――山札の上から5枚をみて、2枚を捨札にし、残りを戻すんだ。コンセプトはキュートに思えたが、〈辺境伯〉の方が気に入ったので、今きみの手元にあるのはそっちになっている。他のプレイヤーに〈民兵〉されるか〈幽霊船〉されるかを選ばせるアタックも試したが、それはかなり弱かった。
「+2コイン。他の各プレイヤーは捨札にある〈銅貨〉2枚を山札の上に置く」というアタックがあった。コストは3コインだ。基本的にはだめなカードだったが、ときおり一部のプレイヤーを心底いらだたせるようなこともあった。それより前のバージョンは、捨札から勝利点カードを山札の上に置かせていた。〈占い師〉がその改良版だ。
カードを廃棄するのではなく捨札にする〈改築〉が何バージョンかあった。〈属州〉を捨札にして〈属州〉を獲得するというのは狂気の沙汰だったので、獲得できるのは「コストがちょうど2コイン大きいカード」や「捨札にしたカードと異なるカード」だった。
それから、実行前にカードを2枚引かせてくれる〈改築〉も試してみた。シンプルだが試す価値のカードに思えたんだ。ご理解のとおり、追加でカードを引くことで、目当てのカードを〈改築〉するチャンスが増える。いずれにせよ、〈改築〉にとって+2カードというボーナスは大きすぎた。
任意の枚数の〈銅貨〉を捨札にし、その枚数に3を加えた数以下のコストのカードを獲得できるという〈工房〉の一種があった。悪さをすることはなさそうだったし、キュートにも見えた。〈工房〉でより高価なカードを獲得できるというのは楽しいことで、これで〈属州〉を獲得できればお見事というわけだ。さて。〈工房〉は、だいたい「+4コイン。+1購入」と同じ効果だが、他の金と合算することはできない。そのことが大きな欠点になっている。このカードは他の金と合算することができるが、〈銅貨〉に限られている。そして、ドロー効果を持つカードを使えば、〈銅貨〉を中心としたデッキを組むことはできる。何枚ものカードを引き、このカードで大量の〈銅貨〉を捨札にし、〈金貨〉か〈属州〉を獲得する……さらにカードを引いて〈銅貨〉を手札に戻し(〈金貨〉を獲得したならそれもだ)、それらを今度は普通に使うことができる。通常のプレイではそれが強すぎるということはあまりなさそうだったが、このセット単体でプレイしたときには、強すぎると思える場合がとても多かった。そしてその当時は、このセットは独立型のセットになる予定だったんだ。
獲得時に効果を発揮する〈礼拝堂〉はどこにあるんだ? そう訊ねる声が聞こえる。それはここにある。獲得時に任意の枚数の手札を廃棄して、その枚数に等しい数の〈銀貨〉を獲得できるという効果を持った〈探検家〉(つまり〈銀貨〉を手札に獲得するアクション)があった。そう、こいつは狂気の沙汰だった。獲得時に〈礼拝堂〉してくれる〈官吏〉(の上半分)もあった。獲得時に手札を2枚まで廃棄させてくれる〈官吏〉もあった。「+2コイン。手札から任意の枚数のカードを山札の上に置く。獲得時に手札を2枚まで廃棄する」というカードもあった。〈神託〉も獲得時に廃棄する能力を持っていたことがあった。この能力は、バランスをとるのが難しい。カードを廃棄するという効果は強すぎて、獲得時の効果を目当てにして購入するようになり、カードを見境なくデッキに入れることになってしまう。いずれにせよ、これらはすべてうまくいかなかった。
全員が〈航海士〉するという獲得時の効果を持ったカードをいくつか試した。全員が自分の山札の上から5枚を見て、それらを捨札にするか戻すかを選ぶという効果だ。序盤や終盤に使われると問題だった。
前のプレイヤーが獲得したカード1枚につき〈銀貨〉を1枚獲得するというカードがあった。弱そうに思えるかもしれないし、コストは2コインだったが、私はこのカードで〈銀貨〉の山を獲得するのを見てきた。仕掛けはこうだ。このカードは、使用され続ける限り累積していく――私がこのカードで〈銀貨〉を1枚獲得して、カードを1枚購入する。相手はこのカードで〈銀貨〉を2枚獲得して、カードを1枚購入する。私はこのカードで〈銀貨〉を3枚獲得する。このカード自体はよさそうだと思ったが、当時のこのセットには〈銀貨〉を獲得するカードが多すぎた。人々はそれがセットのテーマなんだろうと考えた。それらのカードの一部は取り除かなければならなかったし、このカードは取り除くのがたやすかった。
「+2コイン。前のプレイヤーが獲得したカードに対して〈鉄工所〉のボーナスを得る」というカードもあった。ご存知のとおり、相手がアクションカードを獲得していれば、このカードで+1アクションを得られるという具合だ。誰もこのカードを楽しまなかった。
終盤に、獲得時に〈宰相〉の効果を持ち、使うと〈工房〉を二回行うという使い捨てのカードがあった。私はこのカードが好きだった。だがほとんどの人々にとってこれはそこそこのカードでしかなく、あいにくこのセット自体もこのカードにうってつけではなかった。百万枚ほしくなるような4コインのカードがあるだろうか? ああ、〈シルクロード〉があるね。私はこのカードをちゃんと活かせる別のセットに移動させたかったが、このあとには二つしかセットがなく、いずれもこのカードにはフィットしなかった。九つ目の拡張セットが存在することが判明したときには、これを読んだことは忘れてもらいたい。
「+1カード。+1アクション。これが場に出ている間、カードを1枚引くたび、まず山札の一番上のカードを公開し、それが勝利点カードであれば捨札にしてもよい」というカードがあった。時間がかかりすぎるし、ややこしかった。
「これを獲得したときに、手札からカードを1枚山札の上に置いてもよい」という効果を持った〈村〉があった。獲得時の効果としてカードを1枚次のターンまで保管させてくれるというカードをいくつか作っていたが、その能力はおもしろいものにはならなかった。〈官吏〉は、ある意味この能力をよりクールにしたものだ。
獲得時のペナルティとして、他の各プレイヤーが手札からカードを1枚廃棄してもよいという効果を持ったドローカードがいくつかあった。これらのカードは少しだけテストされたが、人々を興奮させることはなく、その後このペナルティは〈司教〉で使われることになった。
〈農村〉はこのセットで生まれ、最初はコストが2コインで、+1アクションしかなかった。
〈仮面舞踏会〉はいくつもの拡張を渡り歩いたが、まさにこのカードにぴったりの話だ。『繁栄』に入っていたこともあったし、最初の四つ目の拡張セットに入っていたこともあったし、このセットに入っていたこともあった。〈香具師〉も『繁栄』を抜けていた短い間はこのセットに入っていた。
『繁栄』で生まれ、このセットにもしばらく入っていたが、現在は八つ目のセットに入っているカードがある。このセットで生まれ、変化して生き残って八つ目のセットに入ることになったカードが2枚ある。『収穫祭』で生まれ、このセットでも試したが失敗し、現在は修正して七つ目のセットに入っているアタックもある。さて、そろそろこの記事も終りにしよう。
というわけだ。
独立型の拡張セットというのは、基本のカードが付属した、単体でプレイできる拡張セットのことです。 ↩︎
『ドミニオン:異郷』の原題。 ↩︎
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『ドミニオン:収穫祭』のカードの知られざる歴史
The Secret History of the Cornucopia Cards | Dominion: Cornucopia | BoardGameGeek の訳。
『錬金術』は、もともとは20枚のカードからなるラージセットだった。〈秘薬〉を数えずにだ。基本セットを作ったとき、未来のセットから必要なカードを何枚か移動させてきたが、その中には『錬金術』の〈庭園〉〈図書館〉〈祝祭〉も含まれていた。さらに『錬金術』からは、他のセットにもカードが引きぬかれていった。すべてのセットを20枚から25枚にすることになったし、取り除いた使えない���ードの穴埋めをする必要もあったからだ。ともあれ、結局は『錬金術』自体も作り直された。〈秘薬〉関係のものは残ることになり、残りの部分は「手札」というテーマで後のセットで使うことにした。プレイヤーの手札に関連するカードたちだ。このテーマは、修正するためにいったん保留されていたカードや、私が気に入っていた無害なカードのうちのいくつかにフィットしていた。
『繁栄』ができあがって、『海辺』の印刷が始まった頃、出版社がスモールセットを求めていることがわかり、ひとつ作って『繁栄』より先に出版する必要が出てきた。そうするための一番速い方法は、既にできているものを使うことだった。『錬金術』は、小さいセットにするのにちょうどいいサイズだったし、どちらにせよもう一度大きなセットに作り直そうとは思えないほどバラバラになっていたから、理想的だった。私は〈秘薬〉に関するものだけを使って、小さな拡張セットに調整した。そういうわけで、既に完成しているカードとテストもされていないアイデアがいくつか残り、『錬金術』の一年後に手札をテーマにしたスモールセットに生まれ変わるまで待つことになった。
『収穫祭』に取りかかり始めたとき、私は手札をテーマとしてそれにフィットするようなカードを追加し、既にあったものを磨きあげ、すべてがテーマに沿ったものにはできないから、テーマにフィットしないカードもいくつか追加することにした。それから、われわれはプレイテストを始めた。
わかったのは、「手札」というテーマが目に見えないということだった。テーマによってカードごとの繋がりはよくなったが、セットのテーマが何であるかということを誰も認識できなかった。単に、十分なほど明確なものになっていなかったんだ。
当時のセットには〈品評会〉と〈移動動物園〉が入っていて、そういった類のカードの数は少なかったものの、人々はそれがテーマなのだろうと誤解した。「多様性」というのはよいテーマに思えたから、私はそちらの方向へ進むことにした。手札を扱っているが多様性とは関係のないカードを取り除き、多様性を扱うカードを追加した。このテーマはちゃんと認識されたし、うまく動いた。
最終的に、ラージセットだった頃の『錬金術』から姿を変えて生き残ったカードは、〈道化師〉と〈王冠〉の2枚だけだ。他のカードのうちの一部は他のセットから来たもので、一部はこの『収穫祭』で生まれたものだ。
小さな拡張セットをほしがった出版社は、たぶん、基本セットと同じ金額を拡張セットに払いたがらないような人々も、小さな拡張セットであれば購入してくれると思ったのだろう。そういった人々がいるとすれば、彼らは大きな拡張セットを持っていないはずだ。『錬金術』は、唯一の拡張セットとして持つには理想的じゃない。風変わりすぎるからだ。出版社は、もっと風変わりでないものをほしかったんだろう。そのときは時間の制限のために『錬金術』以外の選択肢がなかったが、今回は豊富な時間があり、『収穫祭』は多くの拡張セットを持っていない人にふさわしいものを目指している。
カードの話に移ろう!
〈品評会〉

私はこのセットに勝利点カードを入れたいと考えていた。いつもそうしているからだ。私のアイデアのリストには、特に有望そうなものが二つあり、もう一方は手札というテーマにフィットするものだったが、実際にはうまく動かなかった。そういうわけでこちらを入れることにしたのだが、最終的にこのカードがセット全体のテーマを定義するものになるとは思っていなかった。最初のバージョンのコストは6コインで、デッキ内の名前の異なるカード3種類につき1勝利点というものだった。それからコストが5コインになった。いっときの間、6コインで、〈銅貨〉と〈屋敷〉を除くデッキ内の名前の異なるカード2種類につき1勝利点になった。最終的な計算式を提案してくれたのは John Vogel だ。完璧な計算式がどんなものかについては何度か議論があった(特に Tom Lehmann と Wei-Hwa Huang との間で)。しかし重要なのは、プレイヤーがすべての種類のカードを集めたいと思えるかどうかだ。
〈農村〉

私はこれより前に、アクションか財宝をドローさせてくれるが何もしない(+1アクションだけの)カードを、コストは2コインで別のセットで作っていた。よいカードだったが、結局は収録する場所がなかった。私はそれを〈村〉にして、このセットに移した。
〈占い師〉

最初のバージョンは、アクションを探して自分のデッキも掘るというものだった。強すぎた。名前に偽りもあった。また、もともとは〈呪い〉では止まらなかったが、〈占い師〉は当然〈呪い〉を受けることも予言できるべきだろう。
〈村落〉

手札をテーマにしていた頃のシンプルなカードで、変化せずに生き残った。
〈収穫〉

多様性をテーマとすることにしたとき、それを強調してくれるカードを作る必要があった。同じカードを引くまでドローさせるカードを試し、山札の上の5枚のうち同じでないカードをすべてドローさせるカードを試した。カードの代わりにコインを与えるようにすることでうまく動くようになった。
〈豊穣の角〉

ずっと前、『陰謀』に「このターンに使用したアクションカード1枚につき+1コイン」というカードがあった。コストは4コインだ。これはある種のプレイヤーには人気があった。だが多くのゲームにおいては無意味になったし(そのパズルを完成させるために大量のピースが必要だからだ)、いくつかのゲームでは太刀打ちできないほど強くなってしまった。+購入を持つアクションと一緒に使えば、大量のコインと購入権を得ることができる。擁護する者もいたが、私はこのカードを殺すことにした。あとでいつでも修正する機会は得られるのだから、『陰謀』に壊れているか無意味かのいずれかにしかならないようなカードを入れる理由はなかった。『陰謀』には、代わりにこのアイデアをヒントにした〈共謀者〉が入った。
私は後のセットで新たなバージョンを試してみた。「+2アクション。+1購入。これが場に出ている間、別のアクションを使うたび、+1コイン」。5コインだ。このアイデアは元のカードに不足していたものを加えたもので、より多くのゲームで使えるようになり、強すぎたゲームでも弱体化された。追加のアクションと購入権を得ることができる……だが、既に使用されたアクションは数えないし、これよりあとに使用されたものだけを数える。デッキを引き切ることができないときに、最後にこれを引き当てて快哉を叫ぶことができる。いずれにせよ、これも壊れていた。異なる名前のカードだけを数えるバージョンなども試してみたが、結局は見切りをつけた。
最終的な解決法は、〈工房〉のバリアントにすることだった。他の金と合算できないようにするんだ。そのかわり、購入権を使うこともない。十分強く、かつ振れ幅が大きすぎないようにするために、財宝も数えるようにする必要があった。最初は、購入フェイズになってから効果を発揮するアクションだった。しかし価値が0コインの財宝に変えることにした。単に価値が0コインの財宝があるということを喜ぶ人々もいるようだが、それについては何と言っていいのかわからない。このカードはアクションを使わず、他の財宝と一緒に動作してくれる。このバージョンは強すぎるときもあったので、「勝利点を獲得したときに廃棄する」という節を追加することになった。
財宝のバージョンは〈生産 Produce〉と呼んでいて、外国語版では失われてしまいそうなちょっとした言葉遊びだった。〈豊穣の角 Cornucopia〉というのがふさわしい名前に思えたので、別の『繁栄』のカードから取ってくることにした(それが今の〈玉璽〉だ)。それから、Jay がその名前をセット全体のタイトルに使いたがったので(それまでは『収穫祭 Harvest Festival』というタイトルだった)、もう一度名前を変えることになった。〈豊穣の角 Horn of Plenty〉というのは、〈豊穣の角 Cornucopia〉の同義語であるだけでなく、逐語訳だ。これでまた翻訳に問題を抱えることになった1。
〈馬商人〉

もともとは『海辺』に、アタックされたときにカードをドローさせてくれるリアクションがあった。だが、リアクションを実行してもカードが手札に残るようにルールを変更したので、ひとつのアタックに対して無限にドローするのを防ぐにはややこしいテキストが必要になってしまい、取り除くことになった。しかし私は、いつかはそのカードを復活させようという大いなる計画を持っていた。
私はまずこのセットで、〈村〉の一種としてそれを試してみた。よりセットにフィットするように、コインを生んで手札を捨てさせるものにした。その後、セットのテーマを変更することになったが、そのカードはまだ気に入っていたので残すことにした。
3コインを生むようになる前は、手札にあるカード2枚につき1コインを生んでいて(手札を捨てはしない)、以前のテーマにはフィットしていた。だが、カードドローのコンボと一緒に使ったときには恐ろしすぎ、そうでなければ輝きがなかった。
このカードの効果が累積するようにするかどうか――1ラウンドで複数のアタックを使われたときに何度も働くようにするかについては、大きな議論があった。私にとっては、それは問題にもならなかった。もともとは累積させていた。誰かがアタックをランダムに買いまくるようなゲームでは、〈馬商人〉をもっともたくさん持っているプレイヤーが勝つ。累積させなくても、そういった大きなボーナスを得ることはできる。
〈狩猟団〉

このカードは、多様性をテーマにしようと決めたときに、後のセットから移してきた。最初のバージョンでは手札にないカードを2枚引かせるというものだったが、ランダムなカードを1枚引かせ、追加で手札にないカードを1枚引かせるように変わった。これによって処理が速くなるし、公正にもなる。
〈道化師〉

「他の各プレイヤーの山札の一番上のカードを廃棄する」というカードがいくつもあった頃まで立ち戻ろう。そういったカードは、1) 弱い(〈銅貨〉にばかりヒットする)、2) 振れ幅が大きすぎる(私の〈銅貨〉と別のプレイヤーの〈属州〉にヒットする)、3) すべてのプレイヤーの山札の枚数が5枚以下になってゲームが進まなくなってしまう可能性がある、という理由から取り除かれた。当時、『錬金術』には反対のカードがあった――「他の各プレイヤーは山札の一番上のカードを公開する。そのいずれかと同じカードを獲得する」。これもやはり弱くて振れ幅が大きすぎたので、同時に取り除かれた。
しかし私は、それを修正する計画を持ち続けてきた。そしてこの『収穫祭』でとりかかることにした。〈道化師〉は、カードを相手に配れるので〈銅貨〉に何度もヒットしても問題ないし、勝利点が出た場合には〈呪い〉を配るのでそれほど振れ幅が大きくもならない。もちろん、使用者自身は複数枚のカードを獲得できるから、振れ幅が大きくなることはある。〈道化師〉は5人プレイのゲームでは狂ったことになるだろうが、それは楽しいものにもなるはずだ。
〈移動動物園〉

このカードは『繁栄』から来た。最初のバージョンは、手札にある名前の異なるカード1種類につき1コインを生むというものだった。そういったバージョンをいくつか試してみたが、うまく働かせるためには閾値を設定する必要があることがわかった。最終的には印刷されたカードのようになったが、まだ+3カードではなく+2カードだった。それから、『繁栄』に入る安価なカードとしてはふさわしくないということで追い出されることになった。私はすぐに『収穫祭』に入れることにし、強化することで修正した。このカードは手札というテーマのためにこのセットに入れられたにも関わらず、多様性というテーマを生む助けになった。
〈再建〉

これはまったく変わっていない。わかりやすい〈改築〉のバリアントで、多様なカードを得る助けをしてくれるから、多様性というテーマにも見合うものになった。
〈馬上槍試合〉

ずっと前に、四つ目の拡張セットになるはずだったものを作っていたときのことだ。そのセットにはプレイヤーインタラクションというテーマがあり、他のプレイヤーが〈属州〉を購入しているかどうかを扱うというアイデアを思いついた。私はこのコンセプトで2枚のカードを作った。ひとつ目は〈交易路〉になって、プレイヤーインタラクションに関するカードを分配することに決めたときに、『繁栄』に移された(そういったカードはどのセットにも必要だったからだ)。二つ目はすぐに、4コインの「各プレイヤーは手札から〈属州〉を公開してもよい。あなたがそうした場合、+3カード。他の誰もそうしなかった場合、+3カード」というカードになった。つまり状況に応じて0枚か3枚か6枚のカードをドローするわけだ。私はそれを『錬金術』に移し、それからさらに『繁栄』に移した。『繁栄』で〈属州〉を公開するというのは特におもしろかったからだ。
そのカードにはある種の魅力があったが、つまらないと考える人々もいた。問題は、ほとんどの場合〈鍛冶屋〉にしかならないということだった。おもしろく感じられるほど〈鍛冶屋〉と違いがなかったんだ。そういうわけで、そのカードは『繁栄』を離れ、後にもう一度使う価値のある有望なアイデアのリンボ2に送られた。
『収穫祭』を作り始めたとき、私はそのカードを、手札というテーマにフィットするかたちで作り直そうとした。カードドローの部分が退屈だったので、そこを取り替える必要があった。このとき試したバージョンは、コストが5コインで、「各プレイヤーは手札から〈属州〉を公開してもよい。あなたがそうした場合、財宝カードを1枚獲得する。他の誰もそうしなかった場合、アクションカードを1枚獲得する」だった。制限なくアクションカードを1枚獲得するというのは楽しかったが、うまく動かなかった。このカードと〈支配〉のあるゲームをプレイしてみたんだ。私は6枚の〈支配〉を獲得し、そして負けた。誰もが自分のデッキを勝利点カードでいっぱいにしたから、〈支配〉は〈工房〉にも劣った。もうひとつの狂った状況は、このカードを使ってこのカード自身と〈ゴーレム〉を獲得し、〈ゴーレム〉を使ってそれを繰り返すというものだ。大量のカードを獲得して、そのすべてを使い切ることができてしまう。そういったゲームも一度ならば楽しかったが、それだけだ。私はそのカードをもう一度殺すことにした。
そのしばらく後、私はこのセットを作っていて、追加のカードをゲームに加えることで多様性を増すことができるということに気づいた。デッキに多様なカードが入っているかを扱うものや、多様なカードを獲得することを助けるものはあったが、得ることのできる多様性の総量を増やすようなものはまだなかった。
最初に試したのは、〈闇市場〉のバリアントだった。〈闇市場〉はたくさんのカードを出してくれるから、この拡張セットで使えばクールになる。新しい〈闇��場〉を作らない理由があるだろうか? 私は、〈闇市場〉の問題点をすべて修復することにした。アクションフェイズにカードを購入する代わりに、直接獲得するようにした。〈闇市場〉デッキを作る代わりに、あらかじめ作られたデッキを用意することにした。それならそのデッキの内容は新しいカードにできるし、それもまた小さな拡張セットにとってはよいことだ。スペースの都合で5枚しか入らないとしても。
〈馬上槍試合〉の〈属州〉を公開するというメカニクスはこれにぴったりだった。だからそれを使うことになった。この〈闇市場〉のバリアントは、それによって獲得できるカードたちと一緒にサプライに出て、それらのカードは〈属州〉を公開することで直接獲得できる。だが、うまく動かすためにはまだ少し問題があった。
褒賞を得るためには〈属州〉を公開することが必要だから、序盤にそれが起こることはないし、手に入れた褒賞はデッキの一番上に置くから、ゲームが終わる前に使うことができる。さて、他のプレイヤーが〈属州〉を公開できなかった場合には、何を手にいれればいいだろう? 最初は〈銀貨〉だったが、明らかにだめだった。Steve Wampler が、カードをドローさせる効果を入れてみてはどうかと提案した。そうすれば、自分だけが〈属州〉を持っていたときに、褒賞を即座に手札に入れることができる。そういうわけで、〈行商〉――つまり「+1アクション。+1カード。+1コイン」にしてみた。しかしそれには問題があって、他のプレイヤーが〈属州〉を公開すると+1アクションを得られないことになり、他のカードを使えなくなってしまう。手札を眺めて、〈馬上槍試合〉を使うリスクを負うべきかどうか考えなくてはならないときがあるんだ。それは楽しくない。だから、いつでも+1アクションを得られるようにした。
もうひとつは、ブービー賞だ。もともとは〈銀貨〉だった。感動のないカードだが、それが〈公領〉に変わるまでは少しかかった。
もともとは公開した〈属州〉を捨札にはしなかったが、1ターンで何度も〈馬上槍試合〉に勝利できるのはやりすぎだった。今でももちろん可能ではあるが、難しくなった。
最後に、褒賞自体の話がある。褒賞は最初からずっと5枚だった。ちょうどそれだけのスペースしか空いていなかったし、いずれにせよいい数字だ。他のカードを取り除いて16枚の褒賞を入れられるようにしようとは思わなかった。褒賞はずっと0金だ。コストが必要なのは、コストを扱うカードがいくつかあるからだ。褒賞のコストをどうすべきかについては様々な議論があったが、私は0#コインとするのがよいと考えた。そうすれば、それらのカードを普通には購入できないことをより明確にできる。「これは褒賞を〈改築〉するのが正しいプレイだな」と考える機会がないというのも気に入っている。
褒賞は、褒賞にすることが「もったいない」ことにならないようなカードにしたかった。コストを決めるのが難しいとか、何枚もあると強すぎるとか、用途が狭すぎるとか、そういった普通には作れないようなカードにしたかった。〈王冠〉のための追加のアクションを常に得られるとは限らないが、そういうときには別の褒賞を選べばいい。すべての褒賞が使えなくなるようなことはない。
最初に作った褒賞はあまり興奮するようなものではなく、みんな不満を言ったし、私も作りかえることにした。〈金貨袋〉は、もともとは+1アクションがなかった。〈王女〉は、勝利点カードを安くするだけだった。〈名馬〉は+2カードと+2コインを与えるだけで、選択肢はなかった。〈王冠〉には変化はなく、見てのとおりだ。〈郎党〉のスペースには、「勝利点-アクション」の別のカードが入っていた。そのカードがうまく働かなかったのは、ご存知のとおり、終盤に勝利点カードを購入するのは勝利点のためだからだ。勝利点の褒賞を十分に興奮できるものにしようとすると、どうしても強すぎるものになってしまう。必ず自分が獲得できるとは限らないし、多くても1枚しか獲得できないから、デッキの中心になるようなカードにもできない。また、〈ハーレム〉や〈貴族〉のようなカードにすると、他の褒賞と並べたときに見劣りするものになってしまう。より強力な能力と引き換えにするものが2勝利点でしかないからだ。いずれにせよ最終的には〈郎党〉になった。
〈王冠〉は、もともとはずっと昔のラージセットだった頃の〈錬金術〉のカードだった。アクションカードで、「+2コイン。これを手札に戻す」だ。〈村〉と一緒に使うことでよいコンボになったが、そうでなければ使い道がなかった。それから「次のうちのひとつを選ぶ」バージョンを試した。それは無駄なカードになることがあるという問題は解決できたが、アクションを金に変えるという部分はよくならなかった。結局それは諦めて、最終的にはこのとおりになった。
〈郎党〉は、『繁栄』の〈ならず者〉を作っている間に生まれた。「次のうちのひとつを選ぶ」カードをいくつも作って試し、その中で、二つの攻撃を同時に行ってその反対の利益を得るというものができた。コストが6金で、〈屋敷〉ではなく勝利点トークンを与えていたこと以外は今と同じだ。そのバージョンは強すぎた。〈屋敷〉は明らかに勝利点トークンよりもずっと弱いし、褒賞であることで頻繁に使われたり序盤で使われたりすることがなくなっている。
ある時点で、〈名馬〉で+2アクションを得たときに+2購入も得られるようになり、〈王女〉で+1アクションを得られるようになった。
〈魔女娘〉

〈闇市場〉を作ることを決めたときに、サプライに山を追加するカードも作ろうと決めた。また、ランダムに選ばれたある山のカードが〈堀〉の代わりになるようなアタックも作りたいと考えていて、もっとも簡単なやりかたは、その二つを組み合わせることだった。最初は、追加の山はコストが必ず3コインでなければならなかった。少ないセットでプレイするときに多様性を持たせるため、2コインでもよいことにした。この変更は jeffwolfe の提案だ。最初は、〈魔女娘〉は「成長」していた――空になった山があると強くなっていたんだ。それは魅力的だったし、なくなったことで悲しむ者もいたが、そのバージョンは十分によいものではなかったし、どのカードにもテキストのスペースは同じだけしかない。彼女はずっと若いままだ。カードドローは成熟した〈魔女〉ほど達者ではないし、怖いものもあるんだ――〈地下貯蔵庫〉だったり、〈移動動物園〉だったりね。#ブルブル#
どれが災いカードの山なのかを示す方法に関しては少し議論があった――マットのようなものが必要かどうかだ。Jay が、ランダマイザカードを横に向けて使うことを提案してくれた。
その他の没カード
しばらくの間セット内で際立っていたカードは、5コインで「手札が5枚になるまで〈銀貨〉を獲得して手札に加える」というものだった。テキストの記法は正確ではないが。われわれはそのカードが取り除かれるまでテキストの記法に関する議論を重ねたが、それは時間を無駄にしないための教訓になった。いずれにしたって、このカードはエキサイティングだろう? しかし、手札を簡単に捨てられないようなゲームでは、このカードは〈探検家〉の劣化版になってしまった。最初は人々を幻惑したが、もはや取り除いたとしても誰も悲しみそうにはなかった。ごくまれには用途の狭いカードを作ることもあるが、それはうまく使えたときにクールなものにならなければならない。このカードは十分じゃなかった。
〈品評会〉の前に、私は代替コストを持つ勝利点カードを試していた。コストを支払う代わりに、手札からアクションを2枚廃棄してもよいというものだ。誰もアクションを廃棄したいとは思わないから、これはあまりおもしろいものにならなかった。
多様性に関わる〈村〉と〈倉庫〉のかけあわせもあった。「+2アクション。場に出している名前の異なるカード1種類につき+1カード。その後、それと同じ数のカードを捨札にする」。これはよいものだろうか? エキサイティングではなかったし、他のものと十分異なってもいなかった。
手札がすべて名前の異なるカードでない限り、カードを1枚手札から山札の上に置かせるというアタックを試した。その〈堀〉の条件はよかったが、うまく動かなかった。
〈魔女娘〉の前に、特定のカードを公開しない限り〈銀貨〉を捨札にさせるというアタックがあった。その特定のカードとしては、一番コストが安いカードと、ランダムに決定された特定のカードというのを試した。〈魔女娘〉のところで言ったように、ランダムに選ばれる〈堀〉のアイデアとサプライに山を加えるというアイデアを組み合わせるのが一番シンプルだった。
+2コインで、タイプを宣言し、山札を掘ってそれを探し、山札の一番上に置くというカードがあった。コストは3コインだった。ほとんどの場合、自分のデッキに入っていないタイプを宣言することもできたから、〈宰相〉の「完全な上位版」だった。一部の人々はこのことをよく思わなかった(Anthony Rubbo もその一人だ)。何らかのかたちで弱体化させなければならなかったし、そうしたくはなかった。
別のカードを使用させ、その中のすべての「+」を好きなものに置換するというカードがあった3。ルールの問題があるだけでなく、弱かったし用途も狭かった。
ターンの終了時まで、カードの選択肢を広げてくれるカードがあった。「+1カード。+1アクション。これが場に出ている間、カードをドローするとき、山札の一番上のカードを見て、それを捨札にしてもよい」。最初は遅いカードだが、すぐに狂った強さになってしまう。
他のプレイヤーの手札にどのくらい多様性があるかに応じてカードをドローさせる、というペナルティを持ったカードを作ろうとしていた。
うまく動かなかった褒賞があった。「+2アクション。+2コイン。このカードを場から捨札にするとき、これを山札の一番上に置いてもよい」。狂っていた。
獲得したカードを手札に入れるバージョンの〈改築〉と〈工房〉をつくろうとしていた。〈改築〉の方は単純に壊れていた。〈工房〉の方は有望そうに見えていたが、見てのとおり今は没カードの区分に入っている。
『繁栄』であまりに強力すぎたカードの別のバージョンを5つ作った。どれもうまく動かなかったが、まだ諦めることはないと思っている。
〈薬草商〉は短い間このセットに入っていた。
入れられるカードの余裕は13枚分しかなかった。人気のあるカードがひとつあったが、後のセットに入れたほうがよりよくなるだろうと考えたためそちらに移動させた。あるアタックはまったく機能しなかったのでいったん取り除いて修復したが、戻す機会がなかった。それも今は後のセットに入っている。『陰謀』で生まれたカードがもう一枚あったが、『錬金術』に移り、ここで何度もプレイテストされたため強すぎることがわかり、取り除かれ、今は修復されて後のセットに入っている。
本当の話だ!
日本語版では、セット名が『収穫祭』となり、カード名が『豊穣の角』となりました。 ↩︎
「辺獄」。ここでは、利用するアイデアと廃棄するアイデアの中間の意。 ↩︎
たとえば「+1コイン」を「+1カード」に置換できる。 ↩︎
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『ドミニオン:繁栄』のカードの知られざる歴史
The Secret History of the Prosperity Cards | Dominion: Prosperity | BoardGameGeek の訳。
オーケイ、今回の「知られざる歴史」では、ちょっと今までとは違うことをやろうと思うんだ。特に理由があるわけでもないんだけどね。『繁栄』は、今までのものとは違い、最初から拡張セットとして作られたものだ。また、発売を遅らされたおかげで、これまでのどの拡張セットよりも長い時間がデベロップメントに費やされることになった。デベロップメント中、私は定期的に、そのときそのときのセットの内容を記録していた。そういうわけで、ここには『繁栄』の歴史における様々な時点を映したスナップショットがある――最古のバージョンから、リリースされた最終バージョンまでね。変化しなかったカードについて特に話すことはないし、未来のセットに収録される可能性があるからまだ語ることのできないものもあるが、これから各バージョンのすべてのカードについて見ていこうと思う。次回の「知られざる歴史」では、また普段の形式に戻るつもりだ。だから、ああいう形式の方が好きな諸君は安心してくれ! こちらの形式の方が好きな諸君には、不運ということになるけれどね。
ちょっとまとめておこう。まず始めに、私はドミニオンを作った。カードは少しずつ増えていった。ある日、私はそれらのカードを、基本セットと、ひとつ目の拡張セットと、二つ目の拡張セットに分割した。そして別のゲームの制作に移った! でも私の友人たちは、ドミニオンだけをプレイしたがったんだ。オーケイ。じゃあ、ドミニオンの拡張をもっと作ってやろうじゃないか。
私は、友人の Molly Sherwin に、何か楽しめそうなテーマはあるかと訊ねた。彼女は言った。「お金をたくさん使うやつ」。そして私は、お金をたくさん使うやつを彼女に作ってあげることにした。そのお題と、「何かをする財宝」というテーマを組み合わせたんだ。
最古のバージョン(2007年の始め)
これがこのセットの最初のバージョンだ。これより古いバージョンがあった記憶はない。このとき、『陰謀』と『海辺』はどちらも15枚しかなかった。ここには17枚しか載せていないが、本当は18枚だったんじゃないかと思っている。なぜなら私のプロトタイプのファイルは、ページ1枚につきカードが9枚だったから。
2コイン;〈未来 1〉。今は後のセットに入ることになっているカードだ。まだこれについて話すべきじゃないだろう。
3コイン;〈アクション 1〉:「+2カード。2コインを支払うことで、+2カードを得てもよい」。最初の頃は、「効果のためにコインを支払う」というサブテーマを考えていた。だがそうたくさん作られる前に、完全に消え去ってしまった。
3コイン;〈アタック 1〉:「他のすべてのプレイヤーは、手札のカードを1枚廃棄してそれをあなたに獲得させるか、山札の一番上のカードを廃棄する」。廃棄させるアタックは、もともとはこういう腐ったカードばかりだったんだ。バン、山札の一番上のカードを廃棄しろ、ってね。これまで何度も説明したとおり、この類のものは弱すぎたし(〈銅貨〉や〈屋敷〉にヒットする)、ランダムすぎたし(私の〈銅貨〉にヒットしてきみの〈属州〉にヒットする)、全員のデッキが5枚のカードだけになってしまうことがあった。基本セットのデベロップメント中のある時点で、私はそういったアタックをすべてのセットから取り除いた。
3コイン;〈漁村〉。「次のターンに+1アクション」ではなく「+2アクション」だったことを除いては、『海辺』に収録されたものと同じだ。その頃の継続カードは、オレンジ色ではなく、「継続」とも書かれておらず、そのことを説明するルールが一文ついているだけだった。そういった類のカードを、どの拡張セットにもひとつか二つは入れるつもりだったんだ。
3コイン;〈労働者の村〉の前身:「+1カード。+1アクション。+1購入」。これはとてもわかりやすいシンプルなカードで、消えてなくなるちょっと前に、いろんなセットで試された。どこかのセットには入るだろうと考えていたが、スパイスとしてもうひとつ能力を加えればずっとよくなるだろうということに気づいた。シンプルなスパイスを加えられたものが〈労働者の村〉で、それはこのセットで生まれることになった。
3コイン;〈財宝 1〉:「1コイン。1勝利点。+1購入」。「財宝-勝利点」カード――〈ハーレム〉の小さいバージョンだ。机上ではよさそうに見えたが、実際には弱すぎた。〈銅貨〉や〈屋敷〉をデッキに入れたいとは思わないだろうし、それらを組み合わせたところで同じことだったわけだ。
4コイン;〈アクション 2〉:「+2コイン。手札のカードを2枚捨札にすることで、+2コインを得てもよい」。強い。上で話したアクション1を裏返した効果だ。
4コイン;〈財宝 2〉。生き残ることができなかった財宝だが、まだそれについて語れないほど私はこのカードのことを気に入っている。
5コイン;〈アタック 2〉:「4コインを支払ってもよい。他のすべてのプレイヤーの山札の一番上のカードを廃棄する。支払った場合は、代わりに上から2枚のカードを廃棄する」。やれやれ。デッキが無まで縮んでいくのを見てみようか。
5コイン;〈鍛造〉。「コインで見て」という節はまだなかった。
5コイン;〈宮廷〉。「してもよい」という部分はなかった。そう、〈鍛造〉も〈宮廷〉も、もともとはコストが5コインだったんだ。その想定が正しいとは証明されなかった。
5コイン;〈香具師〉。このバージョンは、自分以外の全員に〈銅貨〉と〈呪い〉を与えるもので、〈造幣所〉と同じ「ペナルティ」を持っていた。〈呪い〉を手札から捨てれば回避できるという部分はまだなかった。
5コイン;〈護符〉。「勝利点以外の」という節がなく、「支払う」という語を使用していた――「コストが4コインまでのカードにこれを支払ったとき」だ。だから、1ターンに1枚のカードに対してしか効果を発揮しなかったんだ。
5コイン;〈財宝3〉:「2コイン。これを支払ったとき、〈銀貨〉を獲得する」。しばらくの間このセットに入っていたが、最終的には〈探検家〉系のカードとあまり違いがないということになった。
6コイン;〈アクション3〉。いつか作ろうと思っているカードと重なる部分がある、突飛なカードだ。このバージョンは狂っていて、生き残れなかった。
7コイン;〈大市場〉。このバージョンには+1購入がなく、〈銅貨〉を支払っているときには購入できないという節もなかった。ただの「+1カード。+1アクション。+2コイン」だった。+1購入がないことにみんな不満を持った。「これのどこが〈大市場〉なんだ?」ってね。
9コイン;〈白金貨〉。印刷されたとおりだ! このセットには、そういうまったく変化しなかったカードはこれしかない。これで1枚できあがったから、残りは26枚だ。で……5コインだって? 4コインはどうした? このカードが4コインとされたことは一度もなかった。4コインじゃ足りないんだ。〈植民地〉のためには11コインが必要で、4コインじゃ単にそれに届かなくなってしまうんだ。賭けてもいいが、5コインであることに多くの人々が驚いたことだろう。
11コイン;〈植民地〉。8勝利点。当時は〈属州〉が5勝利点だったんだ。
Origins 2007 バージョン(6月)
Origins までに、私は5個の拡張セットを作っていた。『繁栄』の〈白金貨〉と〈植民地〉を除けば、すべてカードは20枚だった。
前のバージョンから変わらなかったもの:〈未来 1〉〈財宝 1〉〈財宝 2〉〈香具師〉〈護符〉〈大市場〉、〈白金貨〉〈植民地〉。
2コイン;〈願いの泉〉。『陰謀』のカードだが、たったの2コインだった。『繁栄』に2コインのカードが入ったことはほとんどなかった。金のかかるカードをたくさん作りたいのであれば、別の何かを諦めなければならない。最終的には、2コインのカードはまったく入れないほうがフレーバーにもあうだろうと考えた。その埋め合わせとして、すべてのセットのカードを一緒にしてプレイする人々のために、『海辺』に2コインのカードを追加で入れることにした。
3コイン;〈アタック 1〉。相手の山札の一番上のカードを廃棄させるが、手札から財宝を支払うことでそれを食い止められるというものだった。
3コイン;〈仮面舞踏会〉。『陰謀』で印刷されたものと同じ。
3コイン;〈アクション 1〉:「+1カード。+1アクション。2コインを支払ってもよい。そうした場合、+2カード」。壊れてる。
4コイン;〈アクション 2〉:「+2コイン。手札を2枚捨札にしてもよい。そうした場合、+1コイン」。前よりもフェアなバージョン。この時点では、いくぶん退屈だがちょうどよいようにも思われた。
4コイン;〈労働者の村〉。印刷されたとおり。ああ、実際にはこのバージョンは〈労働者たちの村〉だった1。アポストロフィにも試行錯誤したわけだ。
5コイン;〈アクション 4〉:「〈銀貨〉を廃棄することで、+5コインと+1購入」。大きな〈金貸し〉だ。誰もあまり興味を示さなかった。
5コイン;〈アタック 2〉:「任意の金額を支払う。他のプレイヤーは自分の山札を上から4枚公開し、あなたが支払った金額以上のコストを持つ最初のカードを廃棄する」。前のバージョンほど狂ってはいないが、現在の基準から見ればまだ狂気の沙汰だ。
5コイン;〈造幣所〉。財宝の廃棄はしなかった。つまり、手札の財宝1枚と同じものを獲得するだけだった。
5コイン;〈玉璽〉。印刷されたバージョンに近い。この類の財宝はすべて、まだ「これを場に出したとき」ではなく「これを支払ったとき」と書かれており、特にこのカードは、ルール上の問題を解決するためにデベロップメントの最終段階で文章を調整した。また、他の何枚かのカードと一緒に、このカードも名前を変更した。なぜこの記事で当時の名前を使わないことにしたのかは、自分でもわからない。たぶん、使わないことにした名前のうちのいくつかは未来のカードで使う可能性があって、そうなったときにこの記事がわかりにくくなってしまうからだろう。いずれにせよ、われわれは今このカードを〈玉璽〉と呼んでいる。
6コイン;〈鍛造〉。コストのみが変わった。
6コイン;〈宮廷〉。同上。
6コイン;〈財宝 3〉。なんらかの理由で弱体化された。
7コイン;〈拡張〉。印刷されたものと同じ。
2008年2月のバージョン
このとき、RGG はこのゲームを出版しようとし始めていた。基本セットのデベロップメントをしながら、私は拡張セットにも手を加えていた。カードの数はまだ20枚と〈白金貨〉と〈植民地〉だった。
前のバージョンから変わらなかったもの:〈アクション 1〉〈財宝 2〉〈労働者の村〉〈玉璽〉〈アタック 2〉〈造幣所〉〈護符〉〈香具師〉〈鍛造〉〈財宝 3〉〈宮廷〉〈拡張〉、〈白金貨〉〈植民地〉。
3コイン;〈借金〉。「+1コイン。これを支払ったとき、一緒に支払った財宝ひとつを廃棄する」。
3コイン;〈交易路〉。このバージョンは文章がちょっとややこしかったが、機能的には最終バージョンと同じだ。当時の四つ目の拡張セットから移動させてきた。
4コイン;〈採石場〉。最初のバージョンはアクションで、「+2コイン。このターン、アクションのコストは1小さくなる」というものだった。もちろんそのときは別の名前で呼ばれていて、〈採石場〉と呼ばれていたのは別のカードだった。このカードは二つ目の拡張セットから来たもので、こっちのセットのほうがふさわしかったんだ。
4コイン;〈宝の地図〉。このバージョンは〈金貨〉を3枚得られるだけで、しかも山札にではなく捨札に置いていた。結局は『海辺』に入ることになった。海をテーマにした拡張セットに〈宝の地図〉を入れない理由があるだろうか?
5コイン;〈官僚制〉。「+2コイン。他のプレイヤーは手札からカードを1枚山札の一番上に置く」。これが〈役人〉になった。机上ではいいカードだと思っていたが、何度も使われると壊滅的なことになってしまうんだ。
5コイン;〈未来 2〉。いつか登場することになるであろうカードだ。このバージョンは強すぎた。
7コイン;〈大市場〉。+1購入はついたが、〈銅貨〉を使用しているときには購入できないという節はまだなかった。
7コイン;〈アクション 5〉。「+4コイン。勝利点カードを購入するためにしか使用できない」。これは cheepicus が作ったもう一枚のカードだ(彼に関しては〈中庭〉のときに話した)。最終的には、とてもおもしろいわけではないということで生き残れなかった(すまない、cheepicus)。
16枚のバージョン(2008年の夏)
デベロップメント中に、500枚のカードというのは売るには多すぎるかもしれないという懸念が持ち上がった。「たかがカード」に人々が見合う金を払ってくれるかどうかわからなかったんだ。そういうわけで、われわれはカードの枚数を減らす方法を考えてみた。そのうちのひとつが、一度に8枚の王国カードしか使わないというものだった。私は拡張セットをそれぞれ16枚ずつにした。『繁栄』にはそれに加えて〈白金貨〉と〈植民地〉が入っていた。
変わらなかったもの:〈アクション 1〉〈アタック 2〉〈拡張〉〈鍛造〉〈大市場〉〈宮廷〉〈借金〉〈造幣所〉〈香具師〉〈石切場〉〈玉璽〉〈護符〉〈財宝 2〉〈財宝 3〉〈労働者の村〉、〈白金貨〉〈植民地〉
2008年12月のバージョン
この時点では、このセットが25枚になることがわかっていた。『ドミニオン』が10月に発売され、それとほぼ同時に『陰謀』が完成していたからだ。だからそのとき進行中のプロジェクトは『海辺』だったが、私はデベロップメントを始められる段階まで持っていくために、後のセットについても作業をしていた。
変わらなかったもの:〈アクション 1〉〈アクション 5〉〈拡張〉〈借金〉〈玉璽〉〈交易路〉〈財宝 2〉〈財宝 3〉〈労働者の村〉、〈白金貨〉。
5コイン;〈財宝 4〉:「同時に持っている財宝のいずれかひとつと同じ価値」。作るだけの価値がある基本的なカードであり、このセットを離れる可能性などないように見えた。でも、このカードはファンをひとりも獲得できなかった。このセットには振れ幅の大きいカードがありすぎて、このカードはそれほど愛されず、結果的にはセットから取り除かれた。最初はもっといいものだと思っていたんだけどね。
4コイン;アタック3:「他のプレイヤーは、〈公領〉か〈属州〉か〈植民地〉のいずれかが公開されるまで、山札の一番上のカードをめくる。公開されたカードを廃棄し、それよりもコストが低い勝利点カード1枚と、〈屋敷〉を獲得する。他のめくられたカードは捨札にする」。勝利点カードにのみヒットするアタックを作る試みだ。序盤には使い道がなくなってしまうから、〈屋敷〉を獲得させることでそれを補った2。これは勝利点カードを、廃棄するのではなく小さく砕く。『繁栄』にはまさにぴったりだ。〈植民地〉を得られなくなるようなアタックは作りたくなかったし、このカードならむしろ、できれば〈植民地〉を1ターンに2枚買うまで我慢したいと思わせてくれる。だがご存知のとおり、このカードは生き残らなかった。最終的に、誰もこれを好まなかったからだ。いつだって、そのことがカードを殺す理由になる。勝利点カードにのみヒットするアタックをいつか作る価値はあるとは思うが、余計なカードを作るだけの余裕はないだろうし、作ったところで誰も喜ばないであろうことは既に分かってしまっているんだ。
4コイン;〈未来 3〉。十分なおもしろさがなかったから生き残ることができなかった。最終的には、もっとずっとおもしろいカードになり、今では後のセットのスターになっている。
4コイン;〈記念碑〉。このバージョンでは、サプライから〈銅貨〉をとることで勝利点を表していた。〈銅貨〉を脇に置いておくと、それらがゲームの終了時に1勝利点になるんだ。これがこのセットでの〈記念碑〉の最初のバージョンだが、私はそれ以前にもこのカードをテストしていた。最初は、ストレートな「+1勝利点」だけのカードだった。それから「+2コイン」をつけて、もっと使いやすくしたんだ。
4コイン;〈護符〉。「勝利点以外の」という部分はまだなかったが、コストが4コインになった。
5コイン;〈アタック 4〉:「他のプレイヤーは手札が3枚になるまで捨札にする。捨札にされたカードのいずれかのコストに等しい数の+コイン」。これは別のセットから持ち出してきた古いアイデアだ。最初はストレートに手札を捨てさせるだけのもので、何枚以下になるまで手札を捨てさせる、というものではなかった。でも今ではそういった能力がうまく動かないことがわかっている。長い間、このカードは有望そうに見えていた。このバージョンが抱えていた大きな問題は、ゲームが政治的になりすぎるということだった。うーん、私はこの〈属州〉を捨札にしたいが、そうするときみに8コインが入る。さて、そうするときみの勝ちになってしまうかな? というようにね。
5コイン;〈都市〉。文章の書き方以外は印刷されたものと同じだ。このカードのアイデアは、〈海辺〉にあった廃棄に重要性を持たせるカードの没案から始まった。もちろん〈交易路〉もだ。他のプレイヤーとインタラクションを起こすがアタックではないカードが必要だった。アタックは少なくしたいが(そうすれば〈植民地〉に手が届きやすくなる)、インタラクションは十分にほしかったわけだ。やるべきことは、共有物に目を向けることだった。つまり、サプライの山だ。〈交易路〉は山のカードが減っているかどうかを扱い、このカードは山が空になっているかどうかを扱っている。この二つは、チェックするのが簡単だからね。
5コイン;〈会計所〉。最後に文章が改良されたことを除けば、この時点で印刷されたとおりだった。このバージョンでは「捨札をすべて見て、そこにあるすべての〈銅貨〉を手札に加える」と書かれていた。このカードは私の妻が思いついたんだ。彼女のバージョンはすべての〈銀貨〉を手札に戻すというもので、狂気の沙汰だった。女!
5コイン;〈未来 4〉。このカードは、未来のセットで完成するまでに何度も変更された。
5コイン;〈造幣所〉。ついにきみたちが知っている〈造幣所〉の登場だ。購入したときに財宝を廃棄して、使用されたときに財宝を獲得する。〈造幣所〉は弱すぎて、〈香具師〉は強すぎた。「ペナルティ」を移し替えることで、両方の問題を解決できたんだ。しかもそっちの方が自然に思えた。このバージョンでは〈香具師〉はこのセットに入っていなかったが、ちゃんと戻ってくるから心配しないでくれ。
5コイン;〈大衆〉。このバージョンには、自分も山札を上から3枚公開し、勝利点カードを捨札にするという効果がついていた。それが変更されたのには二つの理由がある。まず、このカード自体がこのカードの対策として優秀だった。そのせいでより頻繁に使用されることになり、ゲームが重苦しくなってしまう。次に、このカードはテキストが冗長で、その冗長さは必要なものではなかった。
5コイン;〈保管庫〉。〈アクション 2〉との入れ替えだ。このバージョンにはペナルティがなかった――単に「+2カード。カードを捨札にしてその枚数分の+コイン」だったんだ。これは強かったが、そう確信するにはしばらく時間がかかった。
6コイン;〈大市場〉。ペナルティとして「これを購入するときに〈銅貨〉を支払うことはできない」と書かれていたこと以外は、印刷されたバージョンと同じだ。まだ「支払う」というフレーズを使っていたんだ。
7コイン;〈鍛造〉。
7コイン;〈宮廷〉。ついにこの二つの馬鹿げたカードは、それにふさわしい高価なコストを手にした。
8コイン;〈行商人〉。最初のバージョンは「このターンに使用したアクションひとつにつき、このカードのコストは2コイン小さくなる」と書かれていた。これは八つ目の拡張セットの残骸から持ってきたものだ。その拡張セットは、これまで16枚のカードの形式でしか存在したことがない。それには二つのテーマがあり、そのひとつは「コストに関する奇妙なもの」だった。あまりいいテーマではなかった。そのうちの何枚かのカードはクールだったが、一箇所にたくさんあるべきではなかったんだ。〈行商人〉と〈大市場〉のペナルティは、『繁栄』で使われることになった。
11コイン;〈植民地〉。9勝利点。〈属州〉が6勝利点になったため、それにあわせた。10ではなく9にしたのは、〈植民地〉のあるゲームであってもまだ〈属州〉だけでも戦えるようにしたかったからだ。
2009年3月
デベロップメント前の最期のバージョンだ。
変わらなかったもの:〈アタック 3〉〈アタック 4〉〈都市〉〈会計所〉〈拡張〉〈鍛造〉〈未来 3〉〈大市場〉〈宮廷〉〈造幣所〉〈行商人〉〈大衆〉〈交易路〉〈保管庫〉〈労働者の村〉、〈白金貨〉〈植民地〉。
3コイン;〈未来 4〉。今はだいぶ違うバージョンになっているが、まだこれについては話せない。
3コイン;〈薬草商〉。このバージョンは、カードを買うたびに財宝を山札の上に戻すというものだった。『錬金術』に収録されたバージョンでは〈錬金術師〉と噛み合うものになり、少しシンプルにもなった。〈薬草商〉は多くの人に気に入られたが、このセットには1ターン目に購入したくないような安いカードが多すぎると Valerie が報告し、これもそのうちの1枚だった。あるとき私はそういったカードのうちの何枚かを一度に取り除くことにし、このカードもそのとき取り除かれた。一度は後の別のセットに移したこともあったが、最終的には『錬金術』に入れられた。
4コイン;〈賢者の石〉。このバージョンは、デッキの中のカード4枚につき1コインという効果だった――捨札は数えていなかったわけだ。私はこのバージョンを気に入ったが、振れ幅が大きすぎることを好まない人たちもいた。そのうえこのカードは、上で述べたような1ターン目に購入したくないような安いカードのうちの1枚だった。そういうわけで、結果的には取り除かれることになった。その後、『錬金術』で新たなバージョンを作ったんだ。
4コイン;〈アクション 6〉。まだこのカードを掬い上げることはできるかもしれないから��今のところは秘密のままにしておこう。このバージョンは、頭がおかしいくらい強力だった。
4コイン;〈護符〉。「このカードがプレイされているとき」という言葉がここで加えられた。つまり、1ターンに複数枚のカードを購入した場合にも効果が発揮されるようになったわけだ。
4コイン;〈財宝 4〉。コストが4コインになった。
5コイン;〈禁制品〉。機能的には最終バージョンと同じだが、文章は少し異なっていた。
5コイン;〈隠し財産〉。コストを除いては、印刷されたものと同じだ。〈財宝 3〉と入れ替えで収録された。
5コイン;〈玉璽〉。文章が更新され、「支払ったとき」ではなく「プレイされているとき」になった。これによって、2コインを分割して支払わなくても、複数枚のカードを購入したときに効果が発揮されるようになった。そのおかげで混乱することもなくなった。
6コイン;〈アクション 7〉。〈改築〉系のカードで、うまく動かなかった。しかし、今ネタばらしすべきではないほどには有望なカードだ。
2009年4月
これは最初にデベロップメントを行ったバージョンに近いと思う。
些細な文章の変更を除いては変更されなかったもの:〈アクション 6〉〈アタック 3〉〈アタック 4〉〈都市〉〈禁制品〉〈会計所〉〈拡張〉〈鍛造〉〈未来 4〉〈大市場〉〈薬草商〉〈隠し財産〉〈宮廷〉〈造幣所〉〈行商人〉〈賢者の石〉〈大衆〉〈玉璽〉〈護符〉〈交易路〉〈財宝 4〉〈保管庫〉〈労働者の村〉、〈白金貨〉〈植民地〉。
4コイン;〈未来 3〉。ちょっと調整された。
5コイン;〈香具師〉。セットに復帰し、〈造幣所〉のような「ペナルティ」はなくなった。「+2コイン。他のプレイヤーは〈呪い〉と〈銅貨〉を得る」。
2009年6月。
デベロップメント期間だ。安いカードのうち、序盤におもしろくないものは取り除かれた。
変更されなかったもの:〈アタック 4〉〈都市〉〈禁制品〉〈会計所〉〈拡張〉〈鍛造〉〈大市場〉〈隠し財産〉〈宮廷〉〈造幣所〉〈香具師〉〈大衆〉〈玉璽〉〈交易路〉〈労働者の村〉、〈白金貨〉〈植民地〉。
3コイン;〈アクション 6〉。このバージョンはリアクションでもあった。リアクションとして使用した場合には、普通にアクションとして使用したときの能力の弱体化版になる。でも生き残れなかった。
3コイン;〈借金〉。きみたちもご存知のバージョンだ。もともとのバージョンは、新しくなったテキスト記法では働かなくなってしまった(コインをどのように支払うかという概念がなくなったからだ)。これは、〈銅貨〉を廃棄してくれる財宝というコンセプトを蘇らせたものだ。
4コイン;〈記念碑〉。再び戻ってきて、トークンを使うことになった。これで〈銅貨〉を取りきって効果を発揮しなくなってしまうことがなくなったわけだ。
4コイン;〈アタック 3〉。このバージョンは、相手の山札をすべて捨札にさせて、その中から勝利点カードを探して廃棄させるというものだった。これでランダムさはかなり低減された。このバージョンも、勝利点カードを安いものに交換させ、さらに〈屋敷〉を与えるという効果だった。
4コイン;〈採石場〉。しばらく物語から姿を消していたが、ついに戻ってきた。財宝になって、きみたちも知っているバージョンに近づいた。
4コイン;〈護符〉。ついに「勝利点以外の」という節が加えられた。〈護符〉を使って〈庭園〉などを複数獲得できるというのは狂いすぎていた。
5コイン;〈保管庫〉。これもついにペナルティを得た。きみたちの中には、先に2枚カードを引けるだけの〈秘密の部屋〉が5コインだって? それにペナルティまでいるのか? と考える者もいるだろう。まったくそのとおりだ。
5コイン;〈投機〉。新たなカードだが、印刷されたものと既に同じ内容だ。
7コイン;〈銀行〉。印刷されたものと同じだ。これは〈財宝 4〉と入れ替えるかたちで『錬金術』から持ってきた。ごくシンプルで基本的な効果のものがほしかったんだ。これは余った〈秘薬〉も数えてくれるから、『錬金術』にもフィットしていた。だけど『錬金術』が世に出るのは何年か先のことで、『繁栄』にはまさに今カードが必要だった。後に『錬金術』が先に発売されることになったとき、このカードをもう一度戻すことはできなかった。なぜなら、『繁栄』のルールを使うようになっていて、『繁栄』より前のセットに移すのはよくないと思われたからだ。
8コイン;〈行商人〉。このバージョンでは、購入フェイズでしかコストが変化しないことになった。つまりこのカードを〈白金貨〉に〈改築〉できるようになったわけだ。この変更には二つの理由があった。ひとつめは、〈改築〉とのコンボは楽しいもので、やる価値があったからだ。二つめは、そっちの方がわかりやすかったからだ。人々はみんなこのカードを〈改築〉しようとするので、いや、いま〈行商人〉2枚を使ったうえで〈改築〉を使っているから、その〈行商人〉のコストは今2コインしかないよ、などと言わなければならなかったんだ。
2009年11月
これが最終バージョンとなって、このとおりに印刷されるはずだった。しかし、その前に『錬金術』出ることなった。出版社は他にも小さな拡張セットをいくつか作りたがったから、それらの物語もどこかで語ることになるだろう。
変更されなかったもの:〈銀行〉〈都市〉〈禁制品〉〈会計所〉〈拡張〉〈鍛造〉〈大市場〉〈隠し財産〉〈宮廷〉〈借金〉〈造幣所〉〈記念碑〉〈行商人〉〈採石場〉〈玉璽〉〈護符〉〈交易路〉〈保管庫〉〈投機〉〈労働者の村〉、〈白金貨〉。
3コイン;〈監視塔〉。最初に作ったバージョンではないが、これが最終的なバージョンだ。最初は、獲得したカードを手札に加えるものだった。Destry が、それでは〈鉄工所〉との組み合わせでばかげたことになるとすぐに指摘してくれた。そのためこのカードは〈アクション 6〉と取り替えられた。だが Dale がセットにリアクションがないことに不満を言い、このカードが入ることになった。
5コイン;〈ならず者〉。「+2コイン。次のうちから二つを選ぶ:+1アクション;他のプレイヤーは手札が3枚になるまでカードを捨てる;勝利点トークンを1個得る;〈銀貨〉を獲得する(同じものを2回選ぶことはできない)」。まず、このセットには絶対にこの絵のカードが必要だった。これはもともと『陰謀』のときに〈手先〉として描かれたものだ。私はこの絵を〈ならず者〉と呼ぶことにし、その名前にフィットするカードを作った。このカードは人気があった。
5コイン;〈香具師〉。相手は〈呪い〉を捨てることで〈堀〉を使ったときのように防げることになった。それまでは強力すぎたんだ。
5コイン;〈大衆〉。自分には効果がなくなった。冗長さもなくなって、適正なカードになった。
6コイン;〈アタック 4〉。これは「他のプレイヤーは〈呪い〉を獲得し、手札を公開する。公開されたカードのいずれかのコストの半分に等しい数の+コイン(切り捨て)」となった。問題は残っているとはいえ、元のカードの政治的な面は取り除けた。
11コイン;〈植民地〉。10勝利点になった! Valerie と Dale がそれを強く望んだんだ。1、3、6、10! といっても、1と3にはそれほど意味がないが。たしかに私は、9勝利点は適正ではないかもしれないと言ったことがあった。だがご存知のとおり、これまでのテストでそれで問題ないことは確認されていた。これまでそうだったんだ。それですばらしかったんだ。だがいずれにせよ、私は最終的に10勝利点でもテストしてみた。そうすると、たいていの場合誰が勝つかに違いはないし、得点を数えやすくなったし、より楽しくなった。そしてアタックやラッシュによる戦略は、ちゃんと〈植民地〉に届かせずに勝てるようになっている。決して〈属州〉で止めたくないと思えるようなゲームが生まれるのもよいことだ。そういうわけで10勝利点になった。
最終版(最後の数ヶ月には特に変更はなかったが、完成は2010年6月)
時間が増えたので、次のセットに手をつけ始めながらも、このセットにもう少し調整を加えることにした。これから書くのは、このセットの発売が延期になったために起こったことだ。
「+1勝利点」という書き方が「勝利点トークンを1個得る」に変わった。こっちのほうがずっといいし、問題を回避できている。
変わらなかったもの:〈銀行〉〈都市〉〈禁制品〉〈会計所〉〈拡張〉〈大市場〉〈借金〉〈造幣所〉〈記念碑〉〈香具師〉〈採石場〉〈ならず者〉〈護符〉〈保管庫〉〈投機〉〈監視塔〉〈労働者の村〉、〈白金貨〉〈植民地〉。
3コイン;〈交易路〉。実質的には変わっていないが、文章がかなり変更された。トークンやセットアップについての文章を追加したんだ。それまでは、勝利点カードの山からカードが減っているかについてしか書いていなかった。
4コイン;〈司教〉。〈アタック 4〉と取り替えられた。私は〈アタック 4〉がこのセットにもたらすものが少なすぎるのではないかという気がしていた。そして追加の時間があった。入れ替えない理由があるだろうか? そのとき同時に、勝利点トークンを使うカードがもっとほしいとも思っていた。いくつかのカードを試してみて、この〈司教〉を一番気に入った。
5コイン;〈玉璽〉。このバージョンで、獲得ではなく購入で効果を発揮するようになった。この微妙な変更には、多大な思考と議論が必要だった。〈監視塔〉にもまつわることだが、購入と獲得には直感的に区別できなければならない。
6コイン;〈ならず者〉。きみたちの知っているとおりのカードになった。Wei-Hwa Huang や Bill Barksdale が指摘してくれたのだが、以前の〈ならず者〉にはいくつかの問題があった。政治的な問題だ。誰かがきみより先に〈ならず者〉で手札を捨てさせたあと、きみも同じように〈ならず者〉で手札を捨てさせるかどうかは、そのプレイヤーひとりの状況に応じて決められることになる(他には誰もカードを捨てないからだ)。+1アクションがあるためこのカードはデッキに組み込みやすく、みんながこのカードを購入することになってしまい、お互い手札を捨てさせられ続けることになる。私は、能力の選択肢が異なるバージョンをいくつか試してみた。うまく働きそうな別のカードも試してみたが、そっちはあまりに強すぎたので、最終的には弱体化されて別のセットに入れることになった。だから最後にはこのカードが残った。これも、勝利点トークンを扱うカードのうちのひとつだ。
6コイン;〈隠し財産〉。6コイン! 以前は強すぎたんだ。今そうなっているように〈金貨〉にも並ぶものだ。
7コイン;〈鍛造〉。ようやく「コインで見て」という部分が追加された。『錬金術』と一緒に使った場合にわかりやすくするためだ。
7コイン;〈宮廷〉。最後の最後で「してもよい」という部分が加えられることになった。〈玉座の間〉もそうすべきだったのだ。なんらかの理由でこのカードを使いたいとき(たとえば〈行商人〉を安くしたいとき)、もし追加のアクションを使いたくないとすれば(たとえばカードを廃棄するアクションしか手札にない場合)、どうなるだろう? このカードは他のカードとは違って、プレイヤーのしたいことを素直にさせてくれない。それに「してもよい」というのは、「アクションカードがない場合は手札を公開する」という文よりもずっと短いし、奇妙でもない。いずれにせよ、〈玉座の間〉の方はもはや手遅れになってしまった。〈宮廷〉は〈玉座の間〉に倣うべきだろうか、それとも手直しすべきだろうか? このバージョンに至るまでは〈玉座の間〉に倣っていた。だが、直せるものを直さない理由があるだろうか? それが私の考えだ。
8コイン;〈行商に〉。使用されたアクションを数えるのではなく、場に出ているアクションを見るようになった。〈玉座の間〉や〈祝宴〉と一緒に使ったときに差が出るが、計算がシンプルになった。
残ったもの
ファイルの中には、どのセットにも収録されていないカードがいくつかある。
未来のセットに入っているカードがもう一枚あるが、今はそれについて語ることはできない。何と言うべきか、早くそれらのカードを完成させたいと思っている。
〈借金〉にはもうひとつのバージョンがあった。価値は0コインだが、山札からめくった財宝カードを廃棄する前に使用することができた(捨札にするか、使用して廃棄するかだ)。これはおもしろくはあったが、うまく動かなかった。
〈ならず者〉のスロットに入れようと試したアクションカードがいくつかあった。それらのほとんどが「次のうちから二つを選ぶ」という効果を持っていた。見ればわかるとおり、絵に二人のならず者が描かれているからだ。また、ほとんどが勝利点トークンを得るという能力を持っていた。
〈司教〉のスロットに入れようと試した似たカードが四つあった。それらはすべて勝利点トークンに関するものだった。
私はある時点で、最初から勝利点トークンをサブテーマとしていたらどうなっていただろうと考えた。「+1カード。+1アクション。+1勝利点トークン」というカードを試していたことだろう。だから実際にそれを試してみた。でもそのカードのためにスロットを割くことはなかった。それは予備のカードで、必要だと思ったときに他のものと入れ替えようと私は考えた。でもそれが必要になることはなかった。悪いカードではないが、ものすごくエキサイティングなわけではなく、ゲームがまったく終わりに向かわないようなデッキを組めてしまうという問題もあった。ご理解のとおり、〈礼拝堂〉でデッキをこのカードと〈礼拝堂〉だけにして、このカードを延々使い続けることができる。〈司教〉ならばカードを廃棄しなければならないし、〈ならず者〉は購入によって効果を発揮する。これらはいずれもゲームを終わりに向かわせるものだ。〈記念碑〉はそのどちらも行わないが、2コインを生み、プレイヤーはそれを無駄にしたがらないだろう。彼らはそのコインを使いたがるんだ。〈記念碑〉のせいでゲームが終わらなくなることがあるのではないかと考えたこともあったが、プレイテスト中にそういったことはまったく起こらなかった。しかしいずれにせよ可能性はある。だからその問題を解決したバージョンも試してもみたが、そっちは気に入らなかった。
以上
これできみは、このセットについて知りたいと思った以上のことを知ったわけだ。
「Worker's Village」ではなく「Workers' Village」。 ↩︎
このカードテキストで序盤に〈屋敷〉を配れるのかちょっとわかりにくいですね。「"Each other player reveals cards from the top of his deck until revealing a Duchy, Province, or Colony. He trashes it and gains a cheaper Victory card he chooses, and an Estate. He discards the other revealed cards."」。 ↩︎
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ゲームデザイナーインタビュー:Lukas Litzsinger
Game Designer Interview: Lukas Litzsinger « MeepleTown の訳。
2012年のベストゲームが何かということについてはいまだ議論があるが、BoardGameGeek のレーティングによればその答えは明らかだ。『アンドロイド:ネットランナー』は他のゲームの上に高くそびえ、その人気は衰えを見せない。このゲームが Richard Garfield1 によって最初に作られたのは90年代のことだが、現在の Fantasy Flight のリビングカードゲーム2の方では、Lukas Litzsinger がデベロップメントの責任者だ。すばらしいインタビューに対して Lukas に感謝を!
他の Podcast のインタビューで、あなたがどのようにゲームと出会い FFG に入社したかという背景は聞いています。しかし、あなた自身についてもう少し深く伺えるチャンスですし、他の趣味や現在のお気に入りのことについて、何でもいいので話していただけませんか。
私は自分をゲーマーだと表現します。卓上のものでもデジタルのものでも、常に新しいチャレンジとすばらしい作品を求めています。Tolkien3 の「準想像4」という言葉はとても私の心に響きますし、その言葉の存在論的な意味を脇に置けば、創作のプロセスを完璧に捉えているように思えます。何もないところから何かを作り出すことは不可能で、オリジナルなアイデアなんていうものは存在しないんです。私は、過去に確立されたコンセプトを探求し、それらをよりよくする方法を見つけ出すことに大きな楽しみを感じます。ビデオゲームに比べて反復作業を行うのがとても楽なので、ボードゲームやカードゲームの制作はその出力先としてうってつけです。十代の頃は、ボードゲームのハウスルールを作るのが大好きでした。しかし結局はそれが行き過ぎて、元のゲームをプレイする前にハウスルールを導入しようとするようになってしまいました。そのゲームというのが『ディセント』の第1版で、プレイヤーたちが惨殺されるという結果に終わりました。それ以降、友人や家族が私のハウスルールを警戒するようになってしまったので、私にとって価値ある教訓になりました。そのゲーム自体をプレイするのに代わるものはない!
われわれの多くは外側から見て、FFG のような場所で働くことをまさに「夢」だと思っていますが、ビデオゲームのプレイテストがむしろ拷問のようであることも知っていて、そういったことも考えてしまいます……。FFG での一日は実際のところどのようなものなのでしょうか? ある日が「成功した」日かどうかは、どのように判断しているのでしょうか?
毎日同じ日はありませんが、私はいつも職場に来るのを楽しみにしています。ゲームの制作には数ヶ月間にわたるプロジェクトで取り組むので、短期的な成功を測るいくつかの指標があります。よくある誤解は、われわれがゲームをプレイすることで給料を得ているというものですね。仕事が終わってから夜にたくさんのプレイテストをしますが、仕事中に実際にゲームをプレイするのに費やす時間は非常に少ないんです。
FFG が LCG のデザイナーを募集する記事を何度か見たことがあります。15年来の『マジック』プレイヤーとして、それは本当に夢の仕事に思えます。そういった仕事をするのに必要なものは何なのでしょう?
情熱を持ち、柔軟でなければならないと思います。FFG では多くの責任を持つことになりますし、それに応じて時間の配分をしなければいけません。創造性はもちろんこの仕事における大きな部分を占めていますが、私の考えでは、細部に対する注意力も同じように重要です。
Fantasy Flight が『ネットランナー』のライセンスを得るという案はどのように出てきたのでしょうか? なぜ一度失敗した CCG を拾い上げたのでしょう?5 そしてあなたはどのようにしてこのゲームを担当することになったのですか?
ライセンスの部分について話すことはできませんが、これは、15年経っても CCG の聖杯6のひとつだと目されたきたこのすばらしいゲームに対する新約7だと思っています。私がどのようにしてこの担当になったかをすべて話すこともできないのですが、我々のマネージャーである Michael Hurley が最初にこの話を持ってきたとき、私はそのプロジェクトに強い興味があることを伝えました。時期的には、私は『ウォーハンマー:インベージョン』と『ロード・オブ・ザ・リングス LCG』を率いていましたが、同じくこのプロジェクトを手がけたがった Nate French も『スターウォーズ LCG』に深く関わっていたので、結果的に Michael は私のデスクまでやってきて、正式に責任者に指名してくれました。その何ヶ月かあとにわれわれは『ロード・オブ・ザ・リングス LCG』を引き継ぐ新たなデザイナーを雇い、デベロップメントの業務を移管し始めたので、おかげで私は『ネットランナー』により集中できるようになりました。
『ネットランナー』を『アンドロイド』の世界8で展開することになった理由は何でしょうか? これが成功すれば、『インフィルトレーション』のようにさらに多くのゲームがこの世界で展開されることになるのでしょうか?
『アンドロイド』の世界は、近年のゲームではあまり見なくなったノワールの空気感を持つ近未来のサイバーパンクで、『ネットランナー』に完璧にフィットすると思いました。われわれは、FFG の他の LCG と差別化できるような独特な美観を作りたいとも考えていました。アートははっきりとした線で描かれ、よりコミックブック的になっており、Michael Silsby によってデザインされたすばらしいテンプレートと組み合わさることで最高のものになりました。これはたしかに元の『ネットランナー』の薄汚れた感じとは対称的なものですが、『アンドロイド』の世界の実用主義的な楽観主義を表すよい役割を担ってくれていると思います。一方で『ネットランナー』が『アンドロイド』の世界を広げた部分もあり、サイバースペースやハッキングを詳細なレベルで定義してくれました。自身の IP9 を使って仕事をすることで、ゲームのコンセプトを非常にすばやい反復作業にかけることができますし、自分のビジョンを実現するための大きな自由を得ることができます。将来的に『アンドロイド』の世界を使ったより多くのゲームを見ることはありえるでしょう。
『ネットランナー』の過去の失敗に反して、『アンドロイド:ネットランナー』は大きく成功し、現在では BoardGameGeek のオールタイムのゲームのトップ5にまで入っています。この成功の大きさに驚いていますか? それとも、これはあなたや FFG が予測していたことなのでしょうか?
もちろん驚かされています。私はこれがよいゲームであることを知っていましたし、何度もプレイして楽しんでいましたし、自分がプレイしたくなるようなゲームにすることに集中していました。ときにはそういった視野の狭いやり方は危険なものになりますが、このゲームの基本的なメカニクスを変えることはありませんでしたから、正しい選択だったと思っています。Kevin Wilson とともに『アンドロイド』の世界を作った Dan Clark と���Michael Hurley が、ゲームの微調整のテスト役になってくれました。でも、BoardGameGeek のトップ5までたどり着くだなんて想像もしていませんでしたよ。BGG は私をこの趣味の深みに引きこむのに大きな役割を持っていましたし、そこでこんなに高く評価されたゲームに関連して自分の名前が載っているのを見るというのは夢のようなことです。
長年『マジック』をプレイしてきて、私は CCG にいくつかのパターンを見てきました。たとえば、レアリティやドラフトのために意図的に作られる「弱い」カードです。「死んだ」CCG を LCG のモデルに適応させるうえで、何か困難はありましたか?
『ネットランナー』には『マジック』と違って、他のカードの純粋な上位互換というものはほとんどありませんでした。弱いカードがなかったというわけではありませんが、レアリティがカードのパワーレベルと関連しているということもありませんでした。そういう意味では、『ネットランナー』を LCG のモデルに適応させるのはとても簡単でした。より重要だったのは、カードプールに変更を加えてバランスをとることでした。各カードのデッキに入る枚数を3枚に制限するようにしたことで10、元のゲームの一方的なパワーデッキの多くが弱体化されてしまいましたが、私は高速な advance とダメージ軽減をより難しいものにしたいとも考えていました。LCG では、すべてのカードが重要性を持たなければなりませんし、われわれは弱いカードを作るつもりはありません。『アンドロイド:ネットランナー』は、非常に高い割合のプレイアブルなカードを擁しています。
関連して、基本的に全員が同じ小さなカードプールを持つという環境で、トーナメントプレイのメタゲームはどのように発展してきたのでしょうか? この環境がデッキ構築よりもプレイングを重要なものにし、かえって『マジック』との対比を際立たせている部分があると思いますか?
このゲームの本質そのものが、プレイングをデッキ構築よりも重要なものにしています。プレイヤーはゲーム中に膨大な数の選択を行う必要があり、それによってプレイヤースキルがものを言います。デッキ構築も依然重要ですが、プレイすることなくコストカーブや influence の微調整を続けすぎてもその効果は薄れていってしまいます。場所ごとに差異が大きいので、現在のメタゲームを定義するのは難しいと思っています。さらに、スキルがゲームに関わっているので、強力なプレイヤーはメタを歪めることも可能でしょう。
世にはたくさんの CCG がありますし、FFG の旗のもとだけでもたくさんの LCG があります。何が『ネットランナー』のゲームプレイをこれほど傑出させているのでしょうか? 『マジック』や『遊戯王』あるいは『スターウォーズ LCG』と比べて、なぜプレイヤーたちはこのゲームに対して毎月投資を行うのでしょうか?
当時の Garfield のデザインは間違いなく時代を先取りしていましたし、まさに魅了されるようなものです。芳醇なテーマ体験とタイトなアクションの経済性の融合は、カードゲームの中で他に類を見ないものだと言えます。そこにブラフの要素も加われば、このゲームが時代を越えた名作である理由も簡単に理解できます。私がこのゲームが他とは違って感じられる理由のひとつに気づくまで、3回ほどプレイする必要があったことを覚えています。このゲームではカードを横に倒すことがないんです!11
Richard Garfield とはどのくらい交流されたのでしょうか? もしあれば。
Richard とはいくつかメールをやりとりしましたが、このゲームのリブートに対する責任は FFG の内部にあるものです。とはいえ、基本のメカニクスはすべて Richard のものであり、私はそれらのすばらしいメカニクスを台無しにすることなく輝かせようとしただけです。『マジック:ザ・ギャザリング』がこの20年のカードゲームにもっとも大きな影響を与えたことは疑いようがありません。『ネットランナー』がもし最初からもっと成功していれば、どれほど多くのゲームがその後を追って生まれていたかを想像せずにはいられません。
ライティングの学位を持ち、文筆家になることを切望する者として伺いますが、カードやセットのデザインによって「物語る」のにどのようなステップを踏むのでしょうか? それは工程全体において重要な部分といえますか?
個々のカードは、ショートストーリーになぞらえることができます。メカニクス、カード名、アート、そしてフレーバーテキストがすべて一体となって、『アンドロイド』の世界の一部を描くと同時にゲームにおける動作を定義しているんです。もっともよいカードというのは、ゲームの中で自身のショートストーリーを語ることができるものです。最大の課題のひとつとして、アートとテキストが互いに補うあうようにするということがあります。カード名やフレーバーテキストは、比較的変更が容易です。あるカード用のアートを受け取ったものの、それがカードにフィットしないという状況が何度かありました。ときには別のアートを使ってうまくやりくりすることでカードのテーマを変更できることもありますが、そうでない場合にはまた最初からカードを作りなおすことになってしまいます。このゲームがさらに前へと進むにつれ、世界が構築されていくのをもっとお目にかけることができるでしょう。それは私がより焦点を当てたいと思っている領域なんです。
現在、読んでいる・プレイしている・見ている・楽しんでいるものはなんですか?
今は『アンダー・ザ・ドーム』と『カラマーゾフの兄弟』を読んでいます。『League of Legends』をかなり一貫してプレイし続けているので、ゲームをする時間のほとんどはそれに占められています。
『アンドロイド:ネットランナー』の次の展開はどうなるのでしょうか?
われわれはゲームをよりよくする方法を常に探しています。最近トーナメントルールに変更を加えたので、それがどのような成り行きになるのかを注意深く見るつもりです。各勢力がトーナメントレベルで競合するものになってほしいと思っていて、これは様々なビルドがより実用的になるための最初のステップだと考えています。私のデザインにおけるゴールのひとつは、新たなメカニクスをたくさん積み上げるのではなく、既存のメカニクスに頼ることで新しいカード効果を生み出すことです。私が心から興奮するようなたくさんのカードが準備中です。
最後に何かつけ加えたいことはありますか?
勢力の選択と命名は、デザインにおいてもっとも難しい部分のひとつでした。企業を4つに絞り込むことは困難でしたが、ランナーの命名はそれ以上でした。ランナーの勢力の名前の案が並んだアンケートを配りながら FFG のオフィスを歩きまわったことを覚えています。何ヶ月か前、ゲームが発売されたあとにそのリストを見つけたのですが、20個以上ある名前の中で、実際に使われたものはひとつもありませんでした。重要なブレイクスルーとなったのは、ランナーのスキルに焦点を当てるよりも、伝統的な RPG がそうしてきたように、ランナーのモチベーションに焦点を当てるべきだと気づいたことでした。
『マジック:ザ・ギャザリング』の製作者として有名なゲームデザイナー。ボードゲームでは『ロボラリー』『キング・オブ・トーキョー』など。 ↩︎
CCG から派生して生まれたゲームの形態で、毎月新たなカードセットを発売することで「生きた」環境を生むことから名付けられている。略称は LCG。ランダムなパックではなく固定されたセットでカードを販売することも特徴。 ↩︎
『指輪物語』の作者として有名な作家にして文献学者。トールキン。 ↩︎
原文では「sub-creation」。Tolkien は神が現実世界を作った「creation」に対し、人間が現実世界を元にしてファンタジーの世界を作るのを「sub-creation」と呼んだ。 ↩︎
『ネットランナー』はもともとは Wizards of the Coast から CCG として発売されたが、およそ3年で打ち切られ商業的に失敗に終わった。 ↩︎
日本語でいう『金字塔』の意。 ↩︎
原文では「testament」。 ↩︎
FFG がいくつかのゲームで共有して使用しているサイバーパンクの世界。 ↩︎
原文では「intellectual property」。「知的財産」。ここでは自社の知的財産である『アンドロイド』の世界のことを指している。 ↩︎
元の『ネットランナー』では同一のカードを何枚でもデッキに入れることができた。 ↩︎
『マジック』のようなゲームの多くでは、カードを使用する際に横向きに倒すことで、それがこのターンに使用済みであることを表す。 ↩︎
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デザイナーダイアリー:『テラミスティカ』への道
Designer Diary: Finding the Way to Terra Mystica | BoardGameGeek News | BoardGameGeek の訳。
始まりは1998年のことだった。私は初めて買ったばかりの Mac(G3) を使って、いくつかのゲームをプレイした。その中に、『Spaceward Ho!』という古い 4X ゲーム1があった。そのゲームで特に気に入ったのは、惑星に入植する前にテラフォーミング2を行う必要があるという点だった。当時の私はこれを本当によいメカニズムだと感じ、すぐに兄弟の Anselm と、テラフォーミングをメインのメカニズムとして持つボードゲームのデザインにとりかかった。その頃、われわれは『カタンの開拓者たち』もよくプレイしてたので、ボードを組み替えられるようにしようと考えたのも自然ななりゆきだった。家族や友人たちとそのゲームをテストし、フライブルクでのゲーム会にも持って行き、ミュンヘンで行われる International Game Inventors Fair のことを耳にして、われわれもそこにゲームを持って行き、参加している出版社たちに渡した。
そうして、この『Gorod』(「都市」を意味するロシア語)でわれわれは Hans im Gluck の興味を引くことができ、彼らはしばらくゲームをテストしてくれた。しかしその後、彼らは出版はしない��とを決定した。われわれはその作品を諦めることにし、私がブレーメンに移ってリデザインを始めるまで放っておかれることになった。リデザインが始まったのは2001年から2002年のことだ。
当時のこのゲームはどんな感じだっただろう?
5種類の地形があり、5種類のファンタジーの種族がいて、各種族が各地形に対応していた。各種族はそれぞれひとつの特殊能力を持っており、目的は共通でゲームボード上で可能な限り領土を広げることだった。プレイヤーは建設を行うために、地形を自分に適したものにテラフォーミングしなければならない。3種類ある建物(住居・本拠地・神殿)は、労働者や金やアクションカード(「オラクルカード」)をプレイヤーに与えてくれる。そのゲームをテストするのは非常に楽しかったが、最終的には―― Hans im Gluck による却下を踏まえてすべてを再考したうえで――アクションカードはこのゲームに過大な運の要素を持ち込んでおり、すべての戦略のバランスを歪めているのだと悟った。

ブレーメンに学生としてやってきた頃、私の机には、自分のプロトタイプゲームを詰め込んだ引き出しがあった。折にふれては、私は自分のデザインに取り組んでいた。一部の友人にもゲームデザインに対する情熱について語っていて、一緒にテストセッションをするようにもなった。そういう流れで私は彼らに『Gorod』を見せ、このゲームが約2年越しにテーブルに登場した。彼らが皆このゲームを気に入ったので、私はリデザインを始め、オラクルカードの影響を小さくすることにした。
2つの地形と2つの種族を加え、可変のボードと固定のボードを試し、建物や資源の数を増やしたり減らしたりした――その後、すべてをまた引き出しにしまいこんだ。
そのうちに私は兄弟の Anslem と Pfifficus Spiele を創設し、2004年にわれわれはドイツのエッセンで行われるゲームフェアである Spiel に参加した。いくつかのゲームを少部数で出版し、その中には『Desperados』『Kaivai』『Guru』があった――しかし一方で『Gorod』はまだほとんどずっと机にしまわれたままだった。その後私は、2008年に Pfifficus Spiele を離れた。自分がゲームの出版者になるよりも、ゲームデザイナーになりたいということがわかっていたからだ。


2009年に、私はブレーメンからエプスタイン(フランクフルトの近く)に移り、『Gorod』が再び机から引っぱりだされた。今度こそ完成のときだ。私はこのゲームのシヴィライゼーション的な部分に焦点を置き、プレイヤーが能力を発展させたり建物をアップグレードしたりできるようにした。
Spielewahnsinn Herne で Cliquenabend の Andreas と Bernadette に出会ったのも2009年のことだ。私はすぐに彼らのゲーミンググループの常連になった。あるとき私は『Gorod』をセッションに持ち込んだ。オラクルカードはまだ存在していたが、彼らは皆そのゲームを気に入った(その頃、私は種族の数を14にまで増やしていた)。2010年に、Cliquenabend は初めての Mallorca-gathering というイベントを開催し、ゲームデザイナーと出版社を集めて、大規模なゲームとプロトタイプのテストの会をおよそ10日間にわたって行った。

そこで私は Uwe Rosenberg に出会い、彼はこのゲームを非常に気に入った。オラクルカードとそれによる不均衡な運の要素を取り除いたり、種族ごとの違いをもっと作ったりするなど、まだ改善すべき点がたくさんあるものの、きっと出版されるだろうと断言してくれた。Uwe がフランクフルトの近くに住む友人のところまでやってきて、われわれは大いにゲームをし、またプロトタイプをテストして週末を過ごした。Uwe が Jens Drogemuller を招待し、彼は数セッションの後に私の共同デザイナーになってくれた。また、Frank Heeren が Feuerland Spiele とともに出版者になってくれた。すべて異なる能力を持つ14の種族のバランスをとる必要があったため、われわれは多くの、本当に多くのテストセッションを行った。それには2012年の6月までかかった。今『テラミスティカ』は完成し、アートには Dennis Lohausen が信じられないほどすばらしい仕事をしてくれた。ルールは英語とドイツ語で公開され、Spiel 2012 が迫っている――待ちきれない!
探検 eXplore、拡大 eXpand、開拓 eXploit、根絶 eXterminate の4つの X の要素を持つゲームジャンル。 ↩︎
他の惑星を、地球と同じように居住可能な環境に変化させること。 ↩︎
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デザイナーダイアリー:『コピーキャット』、あるいはいかにして壊れたゲームをデザインするか
Designer Diary: Copycat, or How to Design a Broken Game?! | BoardGameGeek News | BoardGameGeek の訳。
『コピーキャット』は、フライデープロジェクトにおける3つ目の作品だ。私は金曜日にだけフライデープロジェクトに取り組み、詳細はすべてブログに記録してきた。だからいつ何をやったかを辿るのは難しいことじゃない。このデザイナーズダイアリーで、私は『コピーキャット』1に関する物語を、ドイツ語話者ではないギークたちにも届けたいと思っている。
なぜこのダイアリーにこんな題名を選んだのか? エッセンでの Spiel 20122 のあと、一部のゲーマーの間でこのゲームが壊れている3かどうかという議論があった。私の考えでは、このゲームはまったくもって壊れていないし、それらの意見のどれも私を納得させるものではなかった。しかしその話は議論を続けられているから、私は対処しなければならないというわけだ。
すべては2011年の9月9日、ワンガーオーゲ島で休暇を過ごしていたときに始まった。そこで、有名なボードゲームのメカニズムをすべて組み合わせたゲームを作るというアイデアが生まれた。『Fremde Federn』というドイツ語のタイトルは、Element of Crime というドイツのバンドのアルバムからきている(ああ、このバンド名は英語で、彼らは最初は英語で歌っていた。でも今はドイツ語で歌っている)。そのアルバムは、すべてカバーソングだけで構成されていたんだ。こうして、何もかもを、タイトルさえもコピーするというアイデアが動き始めた。
私は、9月16日の金曜日から取りかかりはじめた(なぜならこれはフライデープロジェクトだからだ)。残念なことに、このプロジェクトをどのように開始したかについて多くのことを書いていたのだが、最初の2ページが失われてしまって、残っていない。もっとも重要なことは、私がこのゲームを最適化ゲーム4ではなく競争ゲーム5としてデザインしようとしていたことだ。というのも、私が盗用しようとしたゲームがすべて最適化ゲームだったからだ(二者の違いはこうだ。最適化ゲームは何らかのイベントが起きたあとに終了し、それから得点計算が行われる。競争ゲームは勝利条件が満たされたときに終了し、その条件を最初に満たしたプレイヤーが勝者となる)。私は最適化ゲームがまったく好きではない。誰かが最後の得点計算だとか複数の勝ち筋だとかを語り始めると、私はそのゲームに対する興味をなくしてしまう。これは単に、私の好みがそうだという話だ。だから、このゲームに特別な得点ルールがあったほうがいい考えるような人々にも、納得してもらえればと思う。仮にそういったルールを作ったとしても、何も問題はなかった。ただ、そうするのが好みではないから、そうはしなかったんだ。私の考えでは、最適化ゲームは既に多すぎるほどあるのだから、同じことをする必要はない。私はいつだって違うことがしたいんだ。
このゲームは、既にあるものをコピーするところから始まった。『ドミニオン』のように10枚のカード(金7枚と勝利点3枚)からデッキビルディングゲームを始め、ワーカーをボード上に置くことで(ただし当時はまだ『アグリコラ』��要素はなかった)、『電力会社』から“盗用”したマーケットからカードを購入する(そう、最初は『スルー・ジ・エイジズ』の要素もなかった)。『セブンワンダーズ』から盗用した(あるいは『セブンワンダーズ』に触発された)カードの移動のメカニズムもあり、毎ラウンド各プレイヤーはカードを1枚左に渡さなければならなかった。
ワーカープレースメントに用いるスペースとして、購入・勝利点・カードを引く・他のプレイヤーに勝利点を与える(特別ルール)・カードを1枚コピーする・金・カードを1枚廃棄する、というものがあった。非常に重要な「カードを1枚コピーする」は、既にこの時点でゲームに存在していた(もしこのゲームが壊れているかどうかという議論全部に目を通したなら、それがすべてこのコピーに関するものだということがわかるだろう。このゲームを嫌う人たちは、基本的にこのコピーのせいでこのゲームを嫌っているんだ)。もちろん、コピーや倍加がゲームにおいて常に強力なアクションであり、制御できないほど強力になったりバランスをとるのが困難になったりするという理由から、近年のゲームではあまり用いられないということはわかっている。でも、私は火遊びをしたりハサミを持って走ったりしたいんだ(そう、Weird Al がポルカのメドレーを作ったように、私は奇抜なゲームを作ろうとしたんだ)。
最初のバージョンで存在していたカードは、金・勝利点・カードを引く・追加のワーカー・ワーカー1つを2倍にする(おっと、ここでもコピー/倍加の“問題”が出てきた)・巻き返し・悪いカード(今のレッドカードだが、当時は必ず使用しなければならない負の特殊能力がついていた)・コピーカード(この邪悪なアイデアの三度目の登場だ)だった。
これが出発点だ!
さて、きみたちがゲームのデベロップメントの進行を追体験できるよう、2F-Spiele6 のプロジェクトフライデーのブログの記録を追いかけていこう。
2011年9月23日金曜日。何もやってない(一人用ゲームの『フライデー』7に取り組んでいたからだ)。
9月30日金曜日。印刷してカットして糊付けしただけ――プレイはしていない。
10月7日金曜日。Friedemann 対 Friedemann 対 Friedemann 対 Friedemann による最初のゲームテスト。まだカードのマーケットには『電力会社』のメカニズムが使われていた。ゲーム開始時からデッキに入っているカードは、すべて購入できないようにした。それらを購入してもこのゲームでは意味がなかったからだ。
10月14日金曜日。4人のプレイヤーによる初めての対面プレイ。最初のデッキの構成を金6枚と勝利点2枚に変更し、カードをコピーする効果の強さが十分でないことに落胆する(奇妙なことに、ほとんどの人々が強すぎると不満を言うカードが弱すぎたわけだ)。
10月21日金曜日(Spiel 2011)。『電力会社』方式のマーケットを使った最後の回。これ以降、『スルー・ジ・エイジズ』のメカニズムが登場する。「他のカードをコピーする」カードに別れを告げ、取り除いた。また、カードを1枚左に渡すメカニズムもよくないものに感じられた。
10月28日金曜日。プレイしていない。しかし、カードセット全体を『スルー・ジ・エイジズ』のマーケットにあわせて変更した。
11月4日金曜日。また糊付けとカットと印刷をしただけ。
11月11日金曜日。ゲーマーズウィークエンド。最初のゲームではカードが多すぎた。次のゲームでは使うカードの数を減らした。レッドカードに、それより“高い”ものを購入したときに一緒に手に入れなければならないというルールを加えた。このルールは、レッドカードがいつ場に出るかに応じて毎回異なるゲームを生み出してくれるので、とても気に入っている。
11月18日金曜日。病気にかかっていた。『ケイラス』に関しては思いつくことがなかったので『アグリコラ』を組み込んだ。
11月25日金曜日。『アグリコラ』を導入するために、ファイル上でだけ作業をした。また、使われなかったスペースに1勝利点を置くことにして、『プエルトリコ』の要素を加えた。
12月2日金曜日。ファイルを完成させ、自分を相手にしてプレイし、最初のカードの枚数を各プレイヤーで同じにした。そのため、タイブレイカーのルールを加えなければならなくなった。このゲームでは6人プレイはうまく機能しないだろうと考えた。

12月9日金曜日。初めて2人でプレイした。大きな変更はなし。把握している問題点は、終盤に購入したカードは使用されずに無意味なものになってしまう可能性があることと、ゲームが『アグリコラ』より短いこと(ようはラウンド数が少ないということだ)。
12月16日金曜日。ゲームの最後に登場するカードのアイデア。即座に金を勝利点に変換できるというもの。名前はまだなかった。購入したあと即座にすべてのカードを使用するというのも試したが、ひどかった。これはすべてのゲームデザインに存在する、よく知られた問題だ。このゲームではゲームが進むにつれカードが強力になっていくが、同時にそれを使う機会が減っていくため弱くもなる。『18XX』では、単純に古いカードを廃棄していくことでこの問題を解決している。『アウトポスト』や『電力会社』では、スペースやスロットの数を制限することで解決している。ゲームデザインにおける問題点は、ゲーマーたちがしばしば、“強い”カードのコストがそれほど高くないことに驚かされてしまうことだ。私はこの問題を、最後に登場するカードを即座に使えるようすることで強力なものにして解決した。さらに私は、非常に安価なカードを第4フェイズに多く追加し、既に持っているカードとそれらのカードを組み合わせることで大きな利益を得られるようにした。このゲームにおいて「カードを2倍にする」アクションをたくさん実行することが重要だというのはわかっているから、ワーカーを2倍にしたり、他のプレイヤーの隣にワーカーを配置したり、一度に2個のワーカーを配置したりすることで、そのアクションに手を届かせてくれるようなカードをたくさん作った。
12月23日金曜日。カードをいつ使用するかという問題についてよく考えなければならなかった。最初のアイデアは、ワーカープレイスメントのあとにだけ使用できるというものだった。問題は、追加でカードを引いても、そのカードを使えるのは次のラウンドになるということだった。これは自然ではない。そのため、複数の種類のカードを作り、それらのカードを使うための複数のタイミングを用意することにした。この金曜日にはプレイはせず、ファイル上で作業しただけだった。
12月30日金曜日。自分を相手にプレイした。カードの効果を2倍にする(コピーする)スペースのルールに関して取り組んだ。
2012年1月6日金曜日。ここから、小さな変更を行なっていくフェイズが始まる。カードがマーカー2個で廃棄されることはなくなり、単純にマーカーが積み重ねられていくようになった。フェイズごとにカード枚数を変更した。使いきらなかった金はすべて勝利点になるようにした(しかし、これは私が普段嫌うようなバランスとりのためのアイデアの一種なので、後に元に戻すことにした。悪い手というものが生まれなくなり、平坦で緊張感のないものになってしまうからだ)。割引カード(50%オフ)は、端数の問題を避けるため、所持金を2倍にするようになった。
1月13日金曜日。テーマの日。この日はゲームにテーマが加えられた。実際にはそのテーマはひとつ前の金曜日の夜遅くに生まれたのだが、ブログに投稿するには遅すぎたのでこの日に移した。そのテーマのアイデアは、山札の最後のカードのアイデアと一緒に生まれた。金で勝利点を購入できるようにするカードで、今の博士号カードだ。この日、私はすべてのカードにテーマにあう名前をつけ、ゲーム全体をテーマにあわせた。

1月20日金曜日。Andrea Meyer と Marcel-Andre Casasola Merkle とプレイ。「Yes, We P(l)ay」という題辞が生み出される。『乗車券』8の得点トラックの誤植を使うというアイデアも生まれた9。
1月27日金曜日。「Yes, We Can」の選挙ポスターをカバーに使うアイデア(単にカバーのアイデアであって、私の顔を使うという話じゃない)。
2月3日金曜日。ニュルンベルクフェアで Stefan Stadler とプレイ。使わなかった金から勝利点を得ることはなくなり、カードを左に渡すという要素も取り除かれた。カードを廃棄する枚数が任意ではなくなった。ゲームを整備するのにとてもいい日だった。
2月10日金曜日。少しの変更だけ。
2月17日金曜日。新しいカードを3枚。カードをコピーするカードが戻ってきた。マーケットのカードと交換を行うカードを取り除いた。強すぎる部分があったが、拡張セットにはいいアイデアだろう。
2月24日金曜日。ファイル上の作業だけ。
3月2日金曜日。Yes, we can. アーティストの Harald Lieske と、Obama のポスターを使うならその顔を私にすべきかということについて議論し、やろうと決めた。使いきらなかったカードにつき1勝利点を得るカードと、使いきらなかったワーカーにつき2勝利点を得るカードは、あまりよいとは思わなかったが、まだ残っていた。2人プレイと4人プレイの差異についていくつか考えた。
3月9日金曜日。何度もプレイし、購入回数を2回にするカードだけを加えた。ゲームはほとんど仕上がった。私は3回連続で勝利したが、とった戦略はどれも違った――あるいは、きみは複数の勝ち筋という言葉を使いたがるだろうか? もっとも重要なのは、これがタイミングのゲームだということだ。このゲームにおいては、いつカードの購入をやめて勝利点を集め始めるかが大事なんだ(誰かが『ドミニオン』におけるこのタイミングを point of no return と呼んだ。セックスで馴染みのある語だ)。私は、タイミングが重要で、そのタイミングが他のプレイヤーの選択に依存するようなゲームが心から好きだ。このゲームでは、勝利できるのは購入したカードを特別なアクションでコピーしたときだけということが完全に明らかだ。それは簡単にわかることだが、問題は何を行うべきかということじゃない。いつどのように行うべきかということなんだ。コピーしなければならないということは明らかだが、どのカードをコピーすべきかというのは簡単に答えられる問題じゃない。勝利点の高いカードをコピーするのはとてもよいことだが、カードを引いたり、ワーカーを得たり、より多くの金を得たりするためのカードをコピーすることも非常に重要だ。
3月16日の金曜日。またファイル上で作業した。他のゲームの作者にアイデアの使用許可を頼み始めた。
3月23日金曜日。Gathering of Friends が始まるまで、金曜日が3回しかない。オフィス10にテーマにあう名前をつけた。Donald X. が最初に返信をくれ、『ドミニオン』の使用許可をくれた。
3月30日金曜日。このゲームがエッセンでの Spiel 2012 で出版するに足るものだと確信した。Vlaada が『スルー・ジ・エイジズ』の使用許可をくれた。
4月6日金曜日。Uwe が「Yes, you can」と言ってくれた(『アグリコラ』の使用許可だ)。Gathering of Friends で使うため、Harald Lieske が作ったグラフィックのついたバージョンを印刷した。
4月13日金曜日。ナイアガラフォールズでプレイした。いいゲームだった。
4月20日金曜日。2つ目のゲーム終了条件を追加した。すべての博士号が売れたとき。
4月27日金曜日。Disney や Hasbro や他の大会社のものを許可無くコピーするのはよいアイデアとは言えず、許可を得ることも不可能だったので、アートワークの大部分を変更しなければならなかった。カードが少し変更された。カードの枚数も変更された。ゲームの構造が整備された。

5月4日金曜日。カードとオフィスの色分け。3つ目のゲーム終了条件として、すべてのステップがプレイされたときを追加。
5月11日金曜日。もう一回テスト。このゲームに勝つためには、どのカードが山札のどの部分に入っているかを知ることが非常に重要で、高度なプレイヤーはその知識によって優位に立つことができる。最終的な製品には全カードの一覧を載せる必要があるということだ。
5月18日金曜日。重要な点として、2倍のアクションを2倍にしても4倍にはならない――3倍になるだけだ。
5月25日金曜日。二日酔いのせいであまり作業してない。
6月1日金曜日。ゲッティンゲンでテストゲーム1回。
6月8日金曜日。ゲームはほとんど完成した。ルールブックを書いてもらうため Birgit に渡す。
6月15日金曜日。ルールブックかボックスで使用される『コピーキャット』の概要を書いた。
6月22日金曜日。特に何もなし。
6月29日金曜日。新たなフライデープロジェクトを始める。『Funny Food』。
これまでに受け取った反応を見ての私の結論はこうだ。まず、これが非常によいゲームだということ。売上もいい。とても好意的なコメントやレビューがある。
しかし……
一部の人々は、(私の考えでは)間違った理由から『コピーキャット』を嫌っているようだ。
きみが一度のプレイで非常に強力なカードの組み合わせを見つけたのなら、その強力な組み合わせのせいでこのゲームが壊れているのだと考えてしまうだろう。『コピーキャット』にはとても多くの強力な組み合わせがあるから、きみはどんな状況でどの組み合わせがもっともよく機能するのかを見つけ出さなければならない。
きみが、10勝利点を2倍にするのが勝つためのもっとも良い手段だと考えている場合。それなら、きみは自分がしたいことがわかっているわけだ。しかし、自分のすべきことがわかっているとしても、それはどのようにすべきかをわかっているということにはならない。
ゲームの序盤にカードの購入をやめ、単に勝利点を集めて勝った場合。一度勝ったことが、常にその戦略が機能することを意味するわけじゃない。他のプレイヤーが単にきみにそうさせてくれたのだということはありうるし、彼らがその戦略に対してプレイするのがうまくなかったというのはよりありそうなことだ。
既に述べたように、『コピーキャット』では、どうすれば勝てるかは誰にでもわかる――高い勝利点のカードを得て、それを2倍にすればいい。しかし毎ゲームにおいて、それをどのように実現し、いつから勝利点を集め始めるかを考え出さなければならない。それは他のプレイヤーのアクションに依存していて、それこそが緊張感の生まれる源だと私は考えている。
これが気に入らないなら、オーケイ、それはきみの好みだ。しかしこのゲームは壊れてはいない。

「すべてのものはコピーのコピーのコピーなんだ」11
原文では『Copy Cat』。日本語版は『ラクラク大統領になる方法』。 ↩︎
ドイツのエッセンで行われたボードゲームの大きなイベント。 ↩︎
原文では「broken」。ここでは、設計に問題がありゲームが成り立っていないことを意味する。 ↩︎
原文では「optimizing game」。 ↩︎
原文では「race game」。 ↩︎
Friedemann Friese の会社で、このゲームの出版社。 ↩︎
原文では『Friday』。日本語版は『ロビンソン漂流記』。 ↩︎
原文では『Ticket to Ride』。日本語版は『チケット・トゥ・ライド』。 ↩︎
誤植というのは、ドイツ語版で得点トラックの数字の並びが 90 92 93 94 93 95 となっていたこと。 ↩︎
ゲーム中でワーカーを置くスペースのこと。 ↩︎
原文では「"Everything's a copy of a copy of a copy."」。映画『ファイトクラブ』の台詞の引用。 ↩︎
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ゲームにおける選択肢、パート2
Decisions, Decisions, Part II : Daily MTG : Magic: The Gathering の訳。
二週間前に、私はゲームデザインで用いられる選択肢についての記事を書いた。今回の記事はそのパート2だから、もしパート1を読んでいないなら、先にそちらの記事を読んでくることを心からおすすめしよう。私は前回、ゲームにおける五つのレベルでの選択肢の作り方を検討すると言った。つまり、カードのレベル、メカニクスのレベル、セットのレベル、ブロックのレベル、メタルールのレベルだ。このうち最初の二つについては前回話したから、今日は残りの三つについて話すことになる。
だがそれに取り掛かる前に、私はこのメディアの利点をちょっと利用しようと思う。インターネットのコラムという性質上、パート2を書く前に、パート1への反響を受け取ることができるんだ。そういうわけで私は、パート2に入る前にコメントしておきたくなるような意見をたくさん受け取っている。このインタラクティブ性こそが、インターネットというものを、これほどクールでユニークなメディアにしているんじゃないかと思っている。
とにかく、コメントしておいたほうがよさそうだと思った意見をここに並べていこう。その並び順には、私の好み以上の意味は特にない。
《抹殺/Expunge》はすばらしいカードだ。われわれはよく、私のスレッドで私のコラムについての話がメインになることはほとんどない、と冗談を言う。さて、二週間前の私のスレッドは、オプションとチョイスの話でもちきりだっただろうか? そうじゃない。私のスレッドの大部分は、《抹殺/Expunge》というカードを擁護する内容で埋め尽くされていた(私がそのカードのデザインはよくないと言ったからだ)。こんなすばらしいカードを、どうして失敗作だなどと言えるだろう?
論点がずれてしまっていたようだから、私の言いたかったことを明確にさせてほしい。私は《抹殺/Expunge》を悪いカードだとは言っていない。むしろそのカードはよく使用されていたし、スレッドへの書き込みが示しているように、たくさんのプレイヤーに好まれている。私が主張したのは、そのカードにおけるサイクリングのデザインがよくない、ということだ。私の批評は技巧上のもので、そのカードがサイクリングを持つことでどんな利点が生まれているかに着目したものだ。何人かは、自分は《恐怖/Terror》よりも《抹殺/Expunge》を使用し、サイクリングが意味を持つこともときどきあった、と反論してくれた。私の返答はこうだ。もちろんそうだろう。しかし、サイクリングがデッキにおけるマナの潤滑油になってくれるというだけの理由で、すべてのカードにサイクリングを持たせるべきじゃない。
これは、二週間前に私が述べたことにも繋がっている。プレイヤーはオプションが好きなんだ。人間は、みんなオプションが好きなんだからね。自分が使うものに、追加の機能がほしいと思わないわけがあるだろうか? 私が iPhone に熱中している理由の一つは、毎週のように追加の機能が得られることだ。だが、プレイヤーが望むものと、ゲームプレイをよりよくするものが一致しないということはしばしばある。それこそが、この二部構成のコラムの核心でもあるんだ。重要なことだから繰り返して言おう。プレイヤーが望むものと、ゲームがゲームとして成功するために必要なものは、同一じゃないんだ。
たしかに、《抹殺/Expunge》は確実に《恐怖/Terror》よりもよいカードだ。そしてほとんどの場合、プレイヤーはよりよいものに惹かれていく。じゃあ、われわれは《恐怖/Terror》を印刷するのをやめるべきだろうか? 黒の破壊呪文には、何かを破壊する以外の能力も必ず持たせるべきだろうか? いや、そうじゃない。プレイヤーとしてのきみたちの仕事は、手に入れられるだけ多くのキャンディを求めることだ。そしてゲームデザイナーとしての私の仕事は、きみたちが腹痛をおこしてしまいそうなほど多くのキャンディを、手の届く場所に置かないようにすることなんだ。
私はこの親子のような比喩を、憚りながらも使わせてもらった。そこには非常に多くのことが含意されているからだ。誰かの気分を害しようなどと思っていないことは言わせてほしい。この比喩を使ったのは、それが、互いの幸福に対して責任を持つような相互関係のいい例だからだ。私の子供たちは注射を受けるのが好きではないが、私は必ず受けさせるようにしている。なぜなら、そうした方が彼らの人生がよくなることを知っているからだ。同じように、プレイヤーの欲しがるものを与えて本当に必要なものを犠牲にすることがないように気を払うことは、よいゲームデザイナーの役割の一環なんだ。
最初のバージョンの方が好きだ。前回のカードのレベルのデザインの話で、私は〈槍を持つ男/Guy with Spear〉というカードを提示した。その最初のバージョンは、先制攻撃を得るという起動型能力だけを持つものだった。一部のプレイヤーは、それがなぜいけないのかと奇妙に思ったようだ。何も悪くはない。事実として、ああいうシンプルなカードこそ、われわれが普段生み出そうとしているものなんだ。しかしあの場で論点になっていたのは、カードに選択肢を追加する必要があるときに、チョイスをどのように加えるか、ということだった。ほとんどの場合は、最初のバージョンを印刷することになるだろう。
あとから考えてみれば、あそこで出した三番目の例は、ちょっと最適とは言えなかった。当然のことながら、そのままではクリーチャーが死んでしまうような場合には、そのクリーチャーを弱体化させてでも能力を使うに決まっている。それなら私が言おうとしていた、選択肢を追加するときはその新たな選択肢は明白なものであってはならず、考えさせるようなものでなければいけない、という話がほとんど的外れになってしまう。これは我が不徳のなすところだ。私が使った例は最適じゃなかった。
オプションも必要だし、存在するべきだ。オプションよりもチョイスのほうがよいゲームプレイを生みだすと言ったとき、私はオプションをゲームから取り除くべきだと言いたかったわけじゃない。《抹消/Expunge》に関する会話を見てもわかるように、プレイヤーはオプションを得ることが大好きだ。この二部構成のコラムで説明したいのは、オプションは限られた範囲で使われるべきだということなんだ。特に、それをチョイスで置き換えられるような場合にはね。基本的にはチョイスが使われるべきだが、しかるべき場合には、オプションは使われうるし、使われるべきだ(私が「オプション」という言葉で付加的な選択を表し、「チョイス」という言葉で排他的な選択を表していることは忘れないでほしい。厳密な辞書の定義では、この二つの言葉���同義語であることはよくわかっているけれど)。
グーゴルプレックスというのが何なのか、数学的にわかりにくい。私も同じだ。私が扱うのは言葉であって、数字じゃない。それがすごく、すごく大きな数だというのはわかってるよ(あと『ザ・シンプソンズ』に出てくる映画館の名前でもある)。
それじゃあこの話は終わりにして、パート2を始めよう。
レベル3 - セットのレベル
大事な点を要約して言えば、セットのデザインには次の三つの基本的な事項が必要だ。
新しさ - 市場調査では、プレイヤーが拡張セットに求めているのは新規性、特に新たなメカニクスだという結果が何度も出ている。マジックは自己を再発明し続けていて、われわれが新しく見つけたデザイン空間の水脈を、プレイヤーはいつも見たがっている。
馴染み深さ - 各セットは、マジックらしくなければらない。プレイヤーは未知の領域を探検したがるのと同様に、既に知っている制限された領域をも探検したいと思っている。注目を集めるのは新たな要素になるだろうが、実際のところセットの大部分は「いつものやつ」である必要がある。
統合 - 新しいものと古くからのものが、一緒にうまく動かなければならない。セット全体がひとつの総体として感じられる必要がある。
これら三つの条件を満たすための鍵は、セットの基部にどのような選択を組み込むかということにかかっている。例として、『ラヴニカ:ギルドの都』を見てみよう。このセットにおける新しさは、ギルドという存在の追加だ。たしかに、各ギルドにはそれぞれのキーワード能力があり、それがプレイヤーに新規性を提示する役割を果たしている。しかし、各ギルドの性質のほとんどは、そういった目新しいキーワード能力ではなく、それぞれのギルドが属する二つの色に普段から見受けられる能力によって表されている。
例として、セレズニアというギルドを見てみよう(緑と白の色を持つギルドだ)。このギルドは共同社会的な雰囲気を持ち、組織を拡張することを旨としていて、それによって手にしたリソースを勝利への手段として用いる。これはデザインの観点から言って、われわれが、緑と白における共同的な部分を強調しなければならないことを意味している。そうするためには、ちょっと一歩引いて考えてみなければならない。
すべてのギルドを見渡し、それらを重ねあわせて考えてみると、二つの可能性があることがわかる。あるギルドが持つ要素は他のギルドにはまったく持たせないようにするか、それとも各ギルドが持つ要素をそれぞれ部分的に重ねるようにするかだ。

『ラヴニカ』の中でセレズニアと重なるギルドは、ゴルガリとボロスだ(それぞれ、黒と緑のギルドと、赤と白のギルドだ)。この二つのギルドはそれぞれ、色をひとつずつセレズニアと共有している。さて、たとえば緑のカードをデザインするときに、その半数をセレズニア用のものにし、もう半数をゴルガリ用のものにするというやり方ができる。そうやってできたセットでドラフトをやると、ゴルガリのカードを取った後、セレズニアのカードもそこに加えることはできるが、実質的には、ゴルガリのカードだけをもっと集めたほうがよりよいということになる。これは「オプション」方式だ。テーマが互いに競合せず、デッキに必要なカードを見つけやすくなっている。
それとは逆に、緑のカードの大部分がセレズニアとゴルガリの両方にフィットするようにすることもできる。こうすれば、たとえばドラフト中にトークン1を生む非常に有用なカードをピックしたとき、それを具体的にどのように使うかはまだわからなくなる。最終的には、味方全体を強化する白のカードと組んで軍団を支える背骨になるかもしれないし、クリーチャーの生贄を要求する黒のカードと組んで燃料の供給手段になるかもしれない。これは「チョイス」方式だ。ここで鍵となっているのは、簡単に選べるオプションでできたレールに沿って進むのではなく、プレイヤー自身が自分のデッキをどうしたいのかを決めることになるという点だ。
もちろん、われわれは後者の道を選んだ。なぜか? 短く答えるならば、そちらの方がよりよいゲームプレイを生むからだ。しかし私のコラムは短く答えるためのものじゃないから、長い答えを見ていこう。この領域において、チョイスはゲームプレイにどんな影響をもたらすだろう?
機会を増やす - もし私が緑のカードを二つのギルドに半数ずつ配分してしまったら、それぞれのギルドで使うことのできるカードの数が単純に半分になってしまう。二つの役割を持つ単色のカードを作ることで、プレイヤーにより多くのチョイスを提供することができる――そのカードをゴルガリデッキで使うか、それともセレズニアデッキで使うか、というチョイスだ。これはシールド戦において重要なだけではなく、ドラフトをよりダイナミックにし、リプレイバリューを高める効果もある。
多様性を高める - 緑単色のカードの半分がセレズニアデッキでしか使いものにならないとしたら、セレズニアを選んだプレイヤーだけがそれらのカードをピックすることになる。二つの機能にまたがるカードを作ることで、複数のプレイヤーがそのカードに興味を示してくれる。これはつまり、毎回同じようなデッキができあがってしまう確率を減らすことに繋がる。
相互作用 - カードが二つの役割を持っていれば、デッキがその両方の面を活かせることがときどきある。セレズニアを使いつつも、それ以外の緑や白のカードを使用できるという状況があるかもしれない。たとえば、通常ならゴルガリデッキで使われるような緑のカードを使えるかもしれないわけだ。『ヴィジョンズ』の《自然の秩序/Natural Order》なんかがその例で、このカードは、場にある緑のクリーチャーをデッキの中の好きな緑のクリーチャーと入れ替えさせてくれる。《自然の秩序/Natural Order》を使えるフォーマットでは、トークンを生成することが、軍団を形成することだけではなく、デッキ中で最大の緑のクリーチャーを場に出すことにも繋がるだろう。
さらなる統合 - これがもっとも大きな理由だ。われわれは、新しい要素と馴染み深い要素を、どのように関連させるだろうか? お互いのパーツをそれぞれ繋げることで、プレイヤーにおもしろいチョイスを迫るんだ。
ここでの教訓は、よいセットは、その中でチョイスを迫る必要があるということだ。プレイヤーがセット内のある要素とある要素を比較して評価しなければならないとすれば、そのことがセットの全体的な感覚づくりに役立ってくれる。
レベル4 - ブロックのレベル2
セットのデザインが統合に関するものだとすれば、ブロックのデザインは発展に関するものだ。よいブロックをデザインするための鍵は、ブロックの流れに沿ってそのデザインがどのように変化していくのかを考え出すことだ。またもや、そこには二通りの道筋がある。一方は付加的な発展であり(これをオプション的発展と呼ぼう)、もう一方は置換的な発展だ(これをチョイス的発展と呼ぼう)。この二種類の変化について、これから見ていこう。
オプション的発展 - この種類の発展を行うブロックでは、各セットがデッキにさらなる要素を与えていく。デッキの基本構造は変わらないが、より有効なカードが増えたり選択肢の幅が広がったりするにつれて、デッキ内のカードが入れ替えられていく。例として、X というメカニックを中心にして組まれたデッキのことを考えてみよう。ひとつ目のセットだけを使用するデッキには、メカニック X を持つ構築レベルのカードすべてと、それを補助するための同色のカードが入ることになるだろう。二つ目のセットでは、メカニック X のカードが追加されることになる。より多くのメカニック X のカードがデッキに入ることになり、それ以外のカードは減らされるはずだ。そして三つ目のセットでは、メカニック X のカードがもっと増える。デッキにはより多くのメカニック X のカードが入ることになって、もしかするとデッキ内の色の数を減らすことができるようになったり、メカニック X の持つ力をより強くできるかもしれない。そのデッキによってもたらされる体験は、ひとつ目のセットから三つ目のセットまで大して変わることはないが、個々のカードがプレイングをわずかに変化させてくれる。メカニック X のデッキにはオプションが追加されていくが、チョイスを得ることはない、というわけだ。
チョイス的発展 - この種類の発展を行うブロックでは、各セットがデッキを変化させていく。ブロックが展開していく間、デッキのつくりは検証され続けることになる。例として、X というメカニックを中心にして組まれたデッキのことを考えてみよう。ひとつ目のセットでは、メカニック X を持つ構築レベルのカードすべてと、それを補助するための同色のカードが入ることになるだろう。二つ目のセットでは、メカニック X の働き方が変化し、ときにはそれを補助するカードも変わり、新たな要素が関連を持つようになる。そうすると、二つ目のセットによってデッキが別の種類のものへと変化していくことになる。デッキの色が変わることになるかもしれないし、中心に据える要素が変わることになるかもしれない。新たな勝利手段が加えられるかもしれないし、以前はデッキに入らなかったカードが重要性を持つようになるかもしれない。三つ目のセットが登場すると、デッキはまた根本的に変化する。プレイヤーは一歩引いて、自分のデッキについて知っていることを検証し直さなければならなくなる。三つのセットがすべて使えるようになると、デッキは、ブロックの初期とはまったく異なる生き物になるんだ。プレイヤーは、メカニック X のよい使い方をチョイスする必要に迫られる。
このどちらの発展も適切なものだし、われわれは両方とも何度も用いてきた。しかしブロックデザイナーとして経験を積むにつれ、私は自分がチョイス的発展の方を好んでいるということがわかってきた。以下がその理由だ。
ローラーコースターの原理。私は以前、脚本の教授から、よい物語とはローラーコースターのようなものだと教えられたことがある。よい物語には、蓄積と解放がある。ツイストとターンがある。サスペンスとアドレナリンがある。ローラーコースターには一般的な予測を持って乗ることになるが、予測できないターンを適切な瞬間に入れることで、乗客の背骨を冷やすことができる。要するに彼が言っていたのは、ローラーコースターの楽しみも物語の楽しみも、予測を逸脱するようなツイストとターンによる驚きから生まれるのだということだ。私も、よいブロックのデザインについて同じように感じる。われわれがどこへ向かおうとしているのかはプレイヤーに考えてもらいたいが、その旅の中で彼らを驚かせたいんだ。
変化はよいものだ。これまでにも何度も話してきたが、マジックの核心は、変化するゲームだということだ。そうであるのなら、ブロックに変化をもたらさない理由があるだろうか? 私は、ブロックが展開するにつれて環境が変化し続けるというのはよいことだと思っている。
われわれは驚きを与え続けなければならない。私が用いる色とりどりの比喩のひとつに、プレイヤーをスタートレックのボーグにたとえるというものがある。プレイヤーはわれわれのなすことすべてに順応するため、同じ技は二度と通じない。だからわれわれは、ブロックを作るときにもより革新的にならなければならないんだ。遠い昔には、「カードがあるよ」「もっとカードがあるよ」「さらにたくさんのちょっとひねったカードがあるよ」という方法でなんとかなっていた。でも時は移り変わり、プレイヤーはわれわれにより多くを求めるようになったと感じる。われわれはそれに応えなければならない。プレイヤーを驚かせる方法を探し出さなければならないし、チョイス的発展はそのためのよい手段だと思えるんだ。
技術は向上し続ける。16年もの間、われわれはマジックのデザインについてとてつもなく多くのことを学ん��きた。私がチョイス的発展に傾いているもうひとつの理由は、何年も前には持ち得なかった道具を今では持っているからだ。ブロックを形作る際により柔軟でありたい――ブロックの大きさや数にさえ手を加えたいというわれわれの意欲が、様々な新しい可能性を開いてくれた3。
このレベルについて考えることでわかるのは、チョイスを用いることによって、より豊かなブロック環境を作り上げることができるということだ。たしかに、われわれはそれでもオプションをいくらかは用いていくだろう。しかし、適した場合には、チョイスこそがより豊かなブロックを生み出してくれると信じている。
レベル5 - メタルールのレベル
ついに、たくさんの人々が執筆を求めたトピックにたどり着いた。マジック2010でのルール変更の話――特に、ダメージスタックの廃止に関する話だ4。そのややこしい問題の話に入る前に、一般的にオプションやチョイスがゲームシステムにどう適用されるかについていくつか話をさせてほしい。
ゲームデザインに関する私の持論はこうだ。ゲーム自体に値するルールはない。あるルールをなくしてもゲームが問題なく機能しうるのであれば、そのルールは必要ないものなんだ。ルールは、ゲームに対して奉仕するためだけに存在するべきだ。本来ゲームというものは、それをなすのに必要な最小限のルールによって構成されなければならない。これが、われわれがマナバーン5をゲームから取り除いた理由だ。取り除いても、ゲームの機能にはまったく問題がないからだ。
このやり方の難しいところは、一見無関係に見えるルール同士が実は関係している、という状況がしばしばあることだ。この件に関する二つの完璧な例は、《ヨーグモスの取り引き/Yawgmoth's Bargain》と《修繕/Tinker》だ。


この二枚のカードは両方とも、私が古いカードの「修正版」を作ろうと手を加えたことで生まれた。ご存知かとは思うが、その二枚の古いカードというのは《ネクロポーテンス/Necropotence》と《Transmute Artifact》だ。


私は《ネクロポーテンス/Necropotence》の、よりわかりやすい(そして理論上はよりパワーが控えめな)バージョンを作ろうとして、《ヨーグモスの取り引き/Yawgmoth's Bargain》を作った。「あなたの次の終了ステップの開始時に、そのカードをあなたの手札に加える」という目障りな一文は必要ないだろうと思ったから、取り除いたんだ。同様に、《Transmute Artifact》の「マナコストの差額を支払う」という部分も必要ないだろうと思ったから、それを完全に取り除いて《修繕/Tinker》を作った。どちらのケースでも、一見不要に見えるテキストが実はそうではないということを学ぶことになった6。
ゲームから不要なルールを除くという話に戻ろう。そのための方法のひとつは、必須ではないものに目をむけることだ。もうひとつは、ゲームを広げずに狭めているルールに目をむけることだ。私はいつも、チョイスを阻害してしまっているオプションを探している。最近のルール変更の話に入る前に、別のゲームでの例を語らせてほしい。三目並べに、「各プレイヤーは、ゲーム中に一度だけ連続で二回行動できる」というルールがあったらと考えてみてくれ。追加のルールだ。これは双方のプレイヤーに新たな能力を与えている。これはよいものだろうか? よいとは言えない。なぜなら、これはゲームを狭いものにしてしまうからだ。先手のプレイヤーが中央か角に×を置き、どうぞと言えば、後手のプレイヤーの行動に関わらず次の手番での勝利が確定する。オプションは増えたが、結果として、おもしろい選択は完全に失われてしまったわけだ。
さて、ようやく「ダメージスタック」の話だ。私が考える限りでは、それは選択の機会を減らすオプションに分類される。例を出そう。1ターン目に、対戦相手が《先兵の精鋭/Elite Vanguard》を戦場に出した。きみは《桜族の長老/Sakura-Tribe Elder》を出す。次のターンで、相手は《先兵の精鋭/Elite Vanguard》で攻撃してきた。きみならどうする?

M10でのルール変更が行われる以前ならば、ブロックして、ダメージをスタックに乗せ、《桜族の長老/Sakura-Tribe Elder》を生贄に捧げて土地を得るだろう。たしかに、それ以外の選択をすることもできる。しかしそういった他の選択は、この最良の選択の存在によって、戦略上無意味なものになってしまうんだ。M10のルールのもとで、同じことが起こったとしよう。きみならどうする? 答えは明白とは言えないはずだ。ブロックして《先兵の精鋭/Elite Vanguard》を殺してもいいし、ブロックしてダメージを与えあう前に《桜族の長老/Sakura-Tribe Elder》を生贄に捧げてもいい。そうすれば土地を得ることはできるが、その代わり《先兵の精鋭/Elite Vanguard》を倒せなくなる。もはや自動的な選択ではなくなったというわけだ。
「ダメージスタック」を取り除くことに関して、プレイヤーが悲しむ理由はわかっているつもりだ。それは、多くのプレイヤーが《抹殺/Expunge》を激しく擁護したのと同じ話に繋がってくる。オプションは魅力有るものなんだ。当然のこととして、2枚のカードのどちらかを選ぶのであれば、プレイヤーは必ずより多くのオプションがついている方を選ぶ(もちろん、コストが同じであればの話だ)。ルールでも同じことが言える。プレイヤーはより多くのことができる方を好むが、それがよりよいゲームプレイを生むというわけではないんだ。
ちょっと待った、「ダメージスタック」が取り除かれるのは、それが新規のプレイヤーにとって直感的じゃないからだって言ってなかったか? たしかにわれわれはそう言ったし、そのとおりだ。その事実が、この決定を後押しした。不要なオプションを取り除くだけではなく、それと同時に、新規のプレイヤーにとっての混乱の種をマジックから取り除くことができるんだ。複雑性を取り除きながら、戦略性を付け加えることができる。Win-Win だ。
公正を期すために言えば、「ダメージスタック」を取り除くことが、戦略性を損なうこともある。熟練のプレイヤーが、ルールの知識の深さによって未熟なプレイヤーに勝つ可能性を減らしてしまうからだ。率直に言って、私はその手の戦略性を減らすことを問題だとは思っていない。マジックのような複雑なゲームでは、ルールを熟知したプレイヤーは常に優位に立っているからだ。既にあるその差をより広げる必要はないと思っているし、より直感的なプレイを生みだすことができるのであれば、喜んでその差を埋めたいと思っている。
なぜわれわれは「ダメージスタック」を取り除くのか? ゲームをより直感的にするためと、ゲーム中のチョイスを増やすためだ。たしかに、それはゲームのプレイのされ方に影響を及ぼす。たしかに、それによって強くなるカードと弱くなるカードがある。たしかに、プレイヤーは考え方を変える必要がある。そういった変化に対する意見への、私の率直な回答はこうだ。マジックへようこそ。上のような変化はいずれも、このゲームが生まれた時から、デザイン(とデベロップメント)が、毎ブロックの毎セットで毎日行ってきたことだ。そしていつものように、そういった変化はデザインのしかたにも影響を及ぼしてくれる。たとえば私は、Lights7 で、従来のルールではカードパワーの問題で決して作れなかったであろうサイクルをデザインした8。ゲームの一部が変化するときは、他の部分にも変化が起こるんだ。
正しいチョイスを
R&D でのわれわれの仕事は、きみたち全員にとってできる限り最高のゲームを作りだすことだ。そのためには、受け入れられにくいような困難な決断も下さなければならない。この二部構成の記事で、ゲームに目を向ける際の、まったく新しい視点を提供することができていればと思っている。われわれがマジックのことを心から考えていることをわかってもらえれば嬉しい。プレイヤーとは違う焦点を持っているから、違った方向からゲームにアプローチするということなんだ。これは私が確信していることだが、これらの決定はゲームをよりよくする助けになってくれるはずだ。そして、もしマジック2010の売上やグランプリのようなイベントへの参加者数が何らかの指標になりうるのであれば、われわれは非常によい結果を出していると言えるだろう(きみは異議を唱えるかもしれないし、私が自惚れているだけかもしれない。もしそうなら、スレッドで意見を聞かせてほしい)。
次回、何枚かのカードが戻ってくる場所でまた会おう。
そのときまで、その楽しさの理由を常に意識しなくとも、きみが楽しいと感じることができますよう。
ゲーム中に一時的に生み出されるクリーチャー。たとえば〈蟻の女王/Ant Queen〉は昆虫クリーチャー・トークンを生みます。 ↩︎
ブロックというのは拡張セットの集合のことで、基本的には三つの拡張セットがあわさって、ひとつのブロックを形成します。ブロック内の拡張セットは、統一されたテーマやストーリーを持ちます。 ↩︎
『ローウィン』ではブロック内のセットの個数が通常の3個ではなく4個になり、通常の大小小ではなく大小大小という構成になっていました。ここではそのことについて述べていると思われます。 ↩︎
マジック2010では、日本語で俗にダメージスタックと呼ばれる、戦闘に関するルールが廃止されました。簡単に書くと、以前は戦闘のダメージが発生したあと実際に適用されるまでに割り込めるタイミングがありましたが、それがなくなって発生すると同時に適用されるようになりました。 ↩︎
発生させたマナを使い切らずに残してしまうとその分のダメージを受けるというルールでしたが、これもマジック2010で廃止になりました。 ↩︎
いずれのカードも、結局は強力すぎて多くのフォーマットで禁止カードになりました。 ↩︎
『ミラディンの傷跡』の開発中のコードネーム。 ↩︎
サイクルというのは、同一のテーマを持つ一連のカード群のこと。ここで指しているのは、おそらく模造品サイクルのこと。 ↩︎
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ゲームにおける選択肢、パート1
Decisions, Decisions, Part I : Daily MTG : Magic: The Gathering の訳。
今日のコラム(と再来週のコラム)では、あるデザイン原則について語る。ここのところ、それについて非常によく考えているんだ。今回話す原則が、マイクロからマクロまでの様々なレベルでデザインに影響することを説明するため、マジックのデザインにおける五つのレベルにどのように影響しているかを見ていこうと思う。つまり、カード、メカニクス、セット、ブロック、メタルールの五つのレベルだ。こういった話が好みじゃないなら、今すぐ立ち去るといい!
「話を聞かせていただけますか」
今日話すことになるデザイン原則は、プレイヤーに選択肢を与えることに関係している(私のクレバーなコラムのネーミングシステムを解き明かしている読者には、既にわかっていたかもしれない)。ゲームに選択肢を加えることは、よいことなのだろうか? 選択肢はゲームをおもしろくするだろうか? ある種の選択肢が、他の種の選択肢よりもよいということがあるだろうか? これらの疑問に対し、それぞれ要点だけを答えよう――「よいことでありうるが、常にではない」。「おもしろくしうるが、常にではない」。そして、「そのとおり」だ。
選択肢を作るというのは、ゲームデザイナーの引き出しに入っている大事な道具のひとつだが、使いようによってはゲームをよくすることもあるし、悪くすることもある。私は今日(と再来週)のコラムで、ゲームに組み込むことのできる様々な種類の選択肢について説明し、きみたちがよい選択肢と悪い選択肢を区別するための助けができればと思っている。ちなみにこの話は、非常によく信じられているゲームの神話のひとつに正面から反抗することになる。多くのプレイヤーは、選択肢というものがゲームにとって完全によいものだと信じているんだ。デザイナーが選択肢を増や��ば増やすほど、ゲームがよいものになる、と。この信仰は、裏返せば、どんな選択肢でもそれを取り除くことがゲームに悪影響をもたらすはずだという考えでもある。
選択肢をゲームから取り除くことが自動的にゲームの悪化に繋がることはない、というのが私の主張だ。それを疑う人たちのために、ちょっと例を使って話をさせてもらおう。私が『グーゴルプレックス』1と呼んでいるゲームを紹介したい。こいつは驚くべきゲームだ。名前のとおりグーゴルプレックス個のルールがあり、その数は、宇宙に存在する原子の数よりも多い。明らかにこのゲームはプレイすることが不可能なのだから、きみの友人たちを拷問にかけたいのでもない限り、『グーゴルプレックス』に役目はないだろう(いつの日か、私の大好きな『アブストラクツ』2というゲームについても語らせてもらおう。このゲームを私と一緒にプレイした人は、みんなこのゲームを嫌いになるんだ)。
さてもうひとつ、私が『ウグ』3と呼ぶゲームを紹介させてもらおう。これはひとり用のゲームだ。プレイヤーは「ウグ」と言う。そうすれば勝ちだ。『ウグ』は魅力的なゲームとは言えない。ある一回を除いて、私はプレイするたびに毎回勝利している(その一回のときは、別の勝利条件がないかと試していたんだ)。『ウグ』と『グーゴルプレックス』は、ひとつの軸の両端だ。『ウグ』にはたったひとつだけのルールがあり、『グーゴルプレックス』には名前のとおり10のグーゴル乗のルールがある。こういったばかげた例を使って言おうとしているのは、選択肢には、少なすぎる場合と多すぎる場合がありうるということだ。基本的にはこういう話だ――ゲームには、退屈になりすぎないだけのルールが必要だが、プレイのしかたが理解できなくなるほどルールが多すぎてもいけない。一般的には、この両極の間のどこかにスイートスポットが存在する。
どうしよう、どうしよう
今日はデザイン原則について話す日だから、語ることを明確化するために、いろいろな用語を定義していくことになる。意図する含意を持たせるために、それらの言葉の意味を曲げるつもりであることを強調させてほしい。英語というのは広大なものだから、詳細なことを語ろうとすると意味を取り違えてしまうということが起こりうる。だから、いくつかの単語を私の意図に沿うかたちで定義するのを許してほしいということだ。
今日のレッスンでは、選択肢というものを二つのカテゴリに分類する。オプションとチョイスだ(最後にもう一度。厳密な辞書の定義においてこの二つの言葉が同義語だということはわかっている。だが今日は私の目的に沿わせるために、この二つの言葉は明確に異なるものを指すものとして定義させてもらう)。
オプションというのは、付加的な選択だ。これはプレイヤーに、もともとあるものとは競合しない、追加の何かを与えてくれる。この定義を簡単に理解するために、車のオプションのことを考えてほしい。車にラジオを付けることを選んでも、他の何かを諦めなければならないということはない(ここでは費用のことは考えから外そう)。たとえば、ラジオを取り付けたからといって、エアコンの性能が悪くなるというようなことはないわけだ。
チョイスというのは、排他的な選択だ。これは、他のものに影響を与える選択肢だと言ってもいい。そう、新たな機能を得ることができるが、そのためには古い機能を代償として失わなければならないというようなことだ。この定義を簡単に理解するために、ヘアスタイルのチョイスのことを考えてほしい。髪を短く切ることはできるが、そうすればパーマをかけることはできなくなってしまうだろう。また、髪全体をある色に染めることはできるが、そうすれば別の色に染めることはできなくなってしまう。
オプションとチョイスは、どちらも選択肢を提示するものだ。だが、そのあり方は非常に異なる。オプションは何をしたいかを選ばせるが、チョイスはどのようにしたいかを選ばせる。ゲームにおいてはそのそれぞれに役割と目的があり、ゲームデザイナーはその両方を使うことになる。しかし私は、この二種類の選択肢が、ゲームデザインにおいて等しい価値を持っているとは思っていない。私の考えでは、チョイスの方が、オプションよりもずっといいゲームプレイを産み出してくれる。
今の私の言葉を聞くと、多くの人が最初は驚く。オプションはチョイスより明らかにいいものじゃないか、ってね。たしかに、実生活の中ではそうだ。利益は大きければ大きいほどいい。「ラジオとエアコン」もしくは「ラジオかエアコン」、どっちがいい? と聞けば、答えは明らかだろう。でも、ゲームは実生活とは違う。似てさえいない。
ゲームというのは、興味深い選択を行うものだ。ゲームというのは、精神的な試練を自分に課すことであり、障害に囲まれる中で解決法を見つけ出すことだ。ゲームをおもしろくしてくれるのは、制限だ。私はしばしばこのコラムで、「制限が創意を育む」ことについて語っている。そう、制限はよいゲームプレイをも育むということだ(創意とよいゲームプレイの間の関係性について熟考したい人たちは、ぜひそうしてくれたまえ。そのトピックについてのコラムも、いつか書くつもりだ)。
ゲームを評価するとき、そもそもなぜゲームをプレイするのか、ということを忘れてしまう人が多すぎると私は思う。この問題の根は、ゲームがプレイヤーに、普通ならば避けたいと思うようなことをさせる、ということにあるのではないかと私は考えている。そういうふうにして、プレイヤーの生来の本能を少し抑えてしまうんだ。完全に実用的な意味がないことを、実生活におけるゲーム以外の場面でやりたいと思うだろうか?
ゲームデザインの大部分は、ゲームにおける「how」だけではなく「why」をも学ぶことにある。たとえば「ティミー」「ジョニー」「スパイク」の三つのサイコグラフィクスは、デザイナーとしての私が持つ、なぜ人々がマジックをプレイするのかを理解したいという願望から生まれた。今日話す原則も、同じような場所から生まれている。
いずれにせよ、あるものが他のものよりもよいと明言するのは、私にとっては楽しいことだ。だが、プディングの味は食べてみなければわからない4。この原則がマジックのデザインの様々なレベルに適用できることを説明するために、その五つのレベルに飛び込んでいこう。
レベル1 - カードのレベル
何年も前に、私は Design 1015 というコラムを書いた(その続きは、もちろん、Design 102 と Design 103 だ)。そこで私は、マジックのデザイン初心者がもっとも陥りがちな失敗について解説した。そういった失敗の第一位は、デザイナーが一枚のカードに要素をたくさん詰め込みすぎてしまうことだ。ここで私は美の欠如や不要な複雑性について語ることもできるが、今回は選択についてのコラムだ。だからそこに焦点を当てさせてもらおう。カードに能力を押し込みすぎるべきではない理由は、オプションが多すぎるとおもしろくなくなってしまうからだ。
例として、次のカードを見てみよう(註:カードのコストには「?」と記してあるが、それはコストが可変であることを表しているわけじゃない。私はこれからこのカードに変化を加えていくが、それに応じてコストが適切なものに変わると考えてほしい。能力の多いカードと少ないカードが同じコストだと思わないでほしいということだ)。
〈槍を持つ男/Guy with Spear〉 ?R クリーチャー - 人間・戦士 4/1 1: CARDNAME6 はターン終了時まで先制攻撃を得る。
おもしろいカードだ。パワーが高くてタフネスが低いというのは、起動型能力によって先制攻撃7を得るという部分といいシナジーを形成している。
さて、もうひとつ能力を加えてみようか。
〈槍を持つ男/Guy with Spear〉 ?R クリーチャー - 人間・戦士 4/1 1: CARDNAME はターン終了時まで先制攻撃を得る。 1: CARDNAME はターン終了時までトランプルを得る。
このカードは、最初のものよりもいいデザインになっているだろうか? カードができることは増えているが、焦点が曖昧になってしまっている。私が思うに、この二番目のカードは、デザインの視点から見れば一番目のカードのダウングレード版だ。ほんの少しの付加価値を得るために、文章も複雑性も増してしまっている。しかも、この二つの能力がおもしろいチョイスを生むことはほとんどない。タフネスが4以下のクリーチャーがブロックしてきたなら、先制攻撃を持たせる。対戦相手に1点か2点のダメージを与えたいなら、トランプル8を与える。ただそれだけだ。たしかに、いつの日か、ブロッカーを倒すか対戦相手にダメージを与えるか、どちらか一方を選ばなければならない日が来るかもしれない。でも、その可能性はごくわずかでしかない。
さて、このカードをもうちょっと違う方向に調整してみよう。
〈槍を持つ男/Guy with Spear〉 ?R クリーチャー - 人間・戦士 4/4 CARDNAME の上に-1/-1カウンターを1個置く: CARDNAME はターン終了時まで先制攻撃を得る。
このバージョンでは、能力を増やすのではなく、プレイヤーのチョイスを増やした。先制攻撃を得ることに、このクリーチャーを永久に弱体化させるだけの価値があるだろうか? デザイナーの感性から言って、私にはこのバージョンは最初のバージョンのアップグレード版だと思える。最初のカードの場合は、どんなときに先制攻撃を得る能力を起動させればいいかは常にわかっている――マナがあって、先制攻撃によるダメージで倒せるクリーチャーと戦闘中か? その答えがイエスなら、能力を起動すればいい。たしかに、そのマナを他の何かに使うべきか、というおもしろいチョイスが生まれる可能性はある(起動コストを上げることによって、よりそうなるだろう)。でも、ゲームプレイの可能性は、いくぶん限られている言える。
一方でこの三番目のカードは、プレイヤーが重要な選択をする瞬間をたくさん生み出してくれる。これは、対戦相手にさえおもしろい選択肢を与える。オプションは���ードを有用にするが、ゲーム中におもしろい状況を生み出すことはあまりない。
レベル2 - メカニクスのレベル9
このセクションを、ちょっとしたクイズで始めさせてほしい。ここに『ウルザズ・サーガ』のカードが一枚ある。《抹消/Expunge》だ。

私はこのカードを、デザイン上の失敗だとみなしている。なぜか? これは強いカードで、ドラフトにおいて初手でピックする価値さえあるのに(『ウルザズ・サーガ』のドラフトで、黒が完全にぶっ壊れていたことを勘定に入れなくてもだ――《黒死病/Pestilence》をコモンにするなんて、われわれはいったい何を考えていたんだ?)。このカードは、構築戦でもいくらか使われたはずだ。何が問題なんだろう? これだ。

いったいいつこのカードをサイクリング10すればいいと思う? 私には三つしか思いつけなかった。
ちょうど2マナしか出ていない状態で、数ターンにわたるマナスクリュー11に陥ったとき。
相手のデッキに黒かアーティファクトのクリーチャーしか入っておらず、しかもそれがわかるだけの知識を自分が持っているとき。
カードをサイクリングしたときに効果を発揮する《霊体の地滑り/Astral Slide》のようなカードを場に出しているとき。
デザインの観点から言えば、三つ目は数に入れることさえできない。そういったカードは『ウルザズ・サーガ』には存在していなかったんだから(その登場は『オンスロート』まで待たなければならない)。残りの二つのケースもあるにはあるが、どちらも、せっかくのクリーチャー破壊呪文を手放さなければならないという楽しくない瞬間を作り出している。本質的に言って、ここでの問題はひとつのことに要約できる。そう、その能力が意味を持つことはあるかもしれないが、その状況が少なすぎるんだ。
ここでの教訓は、カードに何を持たせるか注意深く考えなければならないのと同様に、メカニックに何を持たせるかも注意深く考えなければならないということだ。サイクリングというメカニックには、サイクリングするという選択肢がおもしろくなるようなカードが必要だ。ほとんど常にサイクリングするか、あるいはほとんどまったくサイクリングしないかのどちらかである場合、そのカードの能力がサイクリングを輝かせることはないだろう。

メカニックのための効果のデザインの難しいところは、そのメカニックがどんなおもしろいチョイスを生むかを理解しなければならないという点だ。どこに焦点があるだろうか? バイバック12は、それを手札に戻すべきか、使い捨ててしまうべきかという問題を生む。変異13は、現れうるクリーチャーの可能性を常に考慮させる。回顧14は、土地というコストと呪文による効果のどちらをとるべきかを考えさせる。いずれの場合もデザイナーは、メカニックの潜在能力を引き出すカードを選ばなければならない。
さらに一歩引かせてもらおう。選択は、メカニックを持つカードを作るときにだけ重要なのではなく、メカニック自体を作る際にもきわめて重要だ。メカニックを評価するとき、デザイナーが最初に考える事のひとつは、それがおもしろいチョイスを生むかどうかということだ。そのメカニックは、核心において、プレイヤーにおもしろい選択をさせているか? これまでに成功してきたメカニクスを振り返ってもらえば、それらが魅力的な問題をプレイヤーに提示していることがわかるだろう。それらは、そのカードから得られるものをプレイヤーに絶えず評価させ続ける。
初心者デザイナーがメカニクスを作り始めたときに陥りがちな罠をひとつ教えよう。選択させるものを作るのではなく、普遍的な価値を付け加えてしまうことだ。たとえば、ある X というものがよいものだとしよう。パーマネントや呪文にその X を付け加えると、単純によいものになる。でも、X がプレイヤーに思考の機会をもたらすことはない。ただ価値を加えるだけだ。付加価値は、実生活においてはいいものだが、ゲームにおいては退屈なものになりがちなんだ。

自分が飛べたらと想像してみてくれ。とてもすばらしいことだ。次に、マジックにおけるすべてのクリーチャーが飛べたらと考えてみてくれ15。それはゲームにとっていいことだとはとても言えない。デザイナーは、カーブボールを投げなければならないんだ16。つまり、プレイヤーにオプションを与えすぎるということは、きみの仕事によくない結果をもたらすということだ。
たまねぎの皮をむく
このコラムを書き始めたときは、こんなにも長くなるとは思っていなかった。デザインの原則を探るうえでもっともクールなことのひとつは、それによってさらなる余地を発見できることが多いという点だ。そういうわけで、私がまたこの話をしに戻ってくるまで、二週間待ってほしい。ご理解のとおり、『マジック2010』17に関する選択の多くは、マジックの個々のカードのデザインと同じく、この原則に関わっている。
来週は、全三部からなるテーマウィークの第二部だ――コンボプラッターをお届けしよう。
そのときまで、きみが足を止めてものを見るときに、そのすべてが繋がっていることに気づきますよう。
原文では「Googolplex」。googolplex というのは10の googol 乗のことで、googol というのは10の100乗のこと。 ↩︎
原文では「Abstracts」。 ↩︎
原文では「Ug」。 ↩︎
「論より証拠」と同じような意味の慣用表現。 ↩︎
「デザイン入門教室」というような意味。 ↩︎
「CARDNAME」という部分は、このカード自体のことを指します。デザイン中は最終的なカードの名前が未定であるため、このような書き方をしています。 ↩︎
戦闘のときに、相手クリーチャーよりも先にダメージを与えられるという能力。 ↩︎
相手クリーチャーにダメージを与えた際に、そのタフネスを超えた分のダメージを貫通させて相手プレイヤーに与える能力。 ↩︎
ここでの「メカニクス」は、通常の言葉というよりはMTGでの用語で、「サイクリング」などの特定のゲーム要素を指します。 ↩︎
マナを支払って手札からこのカードを捨てることで、カードを1枚引ける能力。つまりこのカードが不要なときに別のカードを引き直すことができる能力。 ↩︎
「土地事故」とも。山札から土地を引くことができず、カードのコストを支払うためのマナが生み出せない状態。 ↩︎
追加のコストを支払うことで、使用した呪文を手札に戻してもう一度使用できるようにする能力。 ↩︎
クリーチャーをいったん正体を隠して裏向きで場に出し、あとから表向きにできる能力。 ↩︎
土地を捨てることで、墓地にある呪文を使うことができる能力。 ↩︎
マジックにおける「飛行」は、同じく飛行を持っているクリーチャーにしかブロックされないという能力。 ↩︎
おそらくは「打ちにくい球を投げる」ということで、「単純によいものを与えるだけではよくない」という意味。 ↩︎
マジックの基本セットのひとつで、当時最新のもの。 ↩︎
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